チャレンジ“7”を終えて…他 2005年の行事報告

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世界最高齢で、単独世界一周を達成された
斉藤 実さんより特別寄稿です。
まず初めに、今回の単独無寄港世界一周での皆さんの御声援あり
がとうございました。
御礼と感謝の言葉、述べさせていただきます。そしてこの YYC
所属の艇フィリックスのメンバーの人達のヘルプも本当にありがと
うございました。
今回はレースでの一周と違って、これといった緊張感も興奮する事もなかったの
ですが、船令 15 年とだいぶ老化してしまった上に、22 万海里以上という走航距離
も重なって出航前からエンジン、計器類など危惧されてはいたのですが、予算資金
不足も手伝ってこれ程までトラブルに見舞われるとは思ってもみませんでした。こ
の多くのトラブルの中にいても意外に冷静に対処して、次の手段、対策を講じる事
が出来たのも過去にレースで 3 回走った時に起きた数々のトラブルを、その都度応
急処置や修理して、走ってきた自信だろうと思っています。出港直前、東京海上保
安庁の人に伝えた言葉は、
「たとえどんな事が起きようと
船さえ沈まなければ、無援、無寄港で必ず帰ってくる」
と言ったのです。欧米のシングル・ハンダーの選手達は
皆そうです。キールの外皮がとれてなくなってしまった
オーストラリアのアレン・ニーバウ、ラダーを失ってノ
ー・コントロールになったアメリカのアーニー・テーラ
ー、デス・マストしてもジェリーリグを作って走り、レ
ースを諦めなかった数多くの選手達、70 ノットの逆風のヘッド・ウインドの中を、
イザベル・オーティシェ救助に向かってティラーを折ってしまったイギリスのナイ
ジェル・ロウ。右腕の裂傷化膿をメスで切り開いて、膿を出し治療して走ったロシ
アのヴィクター、キャップサイズになった船内に 7 日間閉じ込められて、凍傷にな
っても頑張ってオーストラリア海軍の救助を待ったイギ
リスのトニー・ブルモア。例をあげればまだまだありま
す。彼等の忍耐力、ガンバリはすさまじいものです。か
つてのニッポン人もこの様な人達は多勢いました。南氷
洋捕鯨のキャッチャー・ボートの射手は 10m前後の大波
の中、船首のモリ打ちの砲台に自分の体を縛り付けて鯨
を撃っていたのです。今、この様な漁師がいるだろうか、
疑問です。そのくせ捕鯨再開を叫んでいる。
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休日にヨットに乗ってデイ・セーリングを楽しむ。
心と体の解放、リラクシング、適度な運動・・・。非
常に素晴らしいストレスの解消方法だと思う。しかし、
海上におけるセーリングの他のスポーツと違うところ
は、足が地についていない事。「船底板一枚下は地獄」
という事を忘れないでいただきたい。この点が、同じワクのない自由なアドベンチ
ャー・スポーツの山と違うところです。それには数人で乗った時、ワッチ態勢をキ
ッチリ組んで、ナイト・クルージングをして普段見る事の出来ない、キレイに輝く
満天の星を眺め、星座の勉強、チャートの見方、位置の測定(CD は使わない)を
誰もがしてみるのも時には必要だと思う。夜の暗闇の中でのシート・ワーク、艤装
品類の取り扱い、これはいざという時、パニックにならない為です。日本のヨット
マンの多くが、ロングの外洋航海(少なくとも、1,000 から 2,000 海里以上、約 7
日から 10 日)を殆どといっていい位していないのです。特にこの国の周辺海域は
他の国に比較して、本船、漁船、他国からの密漁船が多いのと海況の天候の急変が
多く、海難事故が頻繁に起きています。ヨットという船は他の数多の船舶の中でも、
もっとも安全な船なのです。操船さえ間違えなければ、そう簡単に沈むものではあ
りません。そして海がつながっている限り、どんなに遠くまでも航海して行って、
何処の国へも訪れる事が出来るのです。しかも風というお金の掛からない動力だけ
で。YYC の皆さんこの小さくて、狭くって自然のなくなってしまった日本の国を出
て行って旅に行きませんか?世界にはまだまだ美しい自然が一杯あります。そして
それ等の国々は金をかけてその自然を守っています。農薬を使っていない自然に栽
培された野菜がイッパイです。そして美味しい空気を吸って。夢イッパイ。夢はど
んなに大きくてもタダ!!
ヨット酒呑童子Ⅱ 斉藤 実
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今年はYYCのヨットが大活躍されて、色々な
レースで優勝されました。記念して優勝艇特集を
企画しました。
赤井徳夫
今回ヨットレースに関する原稿の依頼がありお引き受けした次第ですが、始めに私の
ヨットレースに関する略歴をご紹介させて頂きます。
1970 年代中頃、日本において 1/4 トナー(24F 前後)の世界
選手権が開かれる事が決まり、日本のレース界が大変な発展を
したのを思い出します。1975 年 2 月自艇 24F チナミーⅡにて
初めてのレース、東京湾カップにエントリーいたしました結果、
3 レース総合 3 位になり、私はこの日よりヨットレースにのめ
り込むようになったわけです。
その後 30F、33F と、乗り換え現在の J24 BIG SHOT Jr
にたどり着いたわけですが、今回は J24 BIG SHOT Jr につ
いてお話をさせて頂きます。
J24 BIG SHOT Jr は 1989 年オーストラリアのバシュフォード社にて建造し翌年の
春日本へと輸入しました。
当初は YYC へ陸置し、毎月相模湾へ遠征をしておりましたが、まもなくして油壷京
急マリーナに空きが出来、移動その後約 10 年に渡り相模
湾にてレースに打ち込む事になりました。この間全日本選
手権にて各地を転戦、関東選手権、月例レース、オースト
ラリア遠征 2 回等、多い年は年間 25 レース以上エントリ
ーしておりましが、プロレーサー相手に厳しい戦いを強い
られました。やがて疲れ果て 2001 年 YYC とへ戻って来た
のが現実です。その後セーリングは全くやる気にならず、
次男と釣り三昧に明け暮れておりましたが、2003 年 J24
BIG SHOT Jr(ヘルマー)石川君と再会し東京湾のレース
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にでも出てみないかと話がまとまり私の弟(トリマー)も加え再スタートを切ることに
なったわけです。しかし 3 人以外はクルーもおらずレースの度に(フィリックス)の市
毛さん、(源)の横田さん、(クラビクラ)の江守さん平田(洋)さんら皆さんのご協力
を頂きながら進めて参りました。結果に付きましては、お蔭様で予想以上の結果になっ
たと思います。
(結果掲載)また、今回は艇の補修に関し(エッイ)の梅澤さんには多大
なる御支援頂きました事、紙面をお借りし御礼申し上げます。
現在は YYC スクール 23 期 OB 高橋、佐藤、
両君も加わり又新たなスタートとなりました事
ご報告致し終了とさせていただきます。
今回は私ども J24 BIG SHOT Jr ティーム
紹介の機会を頂きティームを代表し心より感謝
申し上げます。
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io
坂爪正博
さあ今年も待ちに待った相模湾オープンヨットレースです。一昨年ま
ではダンヒルカップという名称でのレースで、クラッシッククラス優勝
をさせていただきました。
フィニッシュ前に NO2 ジブセールを破いてしまいましたが、優勝の勢いで NO2 ファ
ーリングジブと今まで持っていなかった 0.75 オンススピンネーカーを新調して、今年の
リビエラカップに臨みました。7 月 16 日に三崎港へ窪倉オーナーのもと回航をしたので
すが、東京湾が濃霧の為に大変だったそうです。ちなみにヘルムスマンの私は、例年の
ごとく仕事があり夜に三崎に陸からioに到着です。回航の皆さん毎年ご苦労様です。
今年も 100 杯以上の参加が有り、スタート海面はヨットで埋め尽くされていました。
我がクラスのスタートは、一番最後のスタートで 11 時 20 分でした。最初のクラスは 10
時 50 分で 10 分おきに各クラスのスタートで熱戦が繰り広げられました。スタートは良
かったのですが、今年はベテランクルーの伊藤君が乗って居らず、なかなかスピンが上
がりませんでした。普段はトレーニングもせず、スピンは面倒だからと年に 1・2 回し
か上がらないクルージングボートでは、いたしかたなしか!
今回は助っ人を頼まず、オリジナルクルーだけで出場しようということでしたので大
変でした。でもなんとか皆で頑張り先行していたK7を往路で抜き去り、マークをトッ
プで回航出来ました。その後竜王に追いつかれそうになりましたが、なんとか振り切り
3 分 49 秒差でファーストホームを飾ることが出来ました。今年はファーストホーム賞・
クラス優勝という二連覇の名誉を頂き、この上なき喜びでした。
これもオーナーとクルーの一人が船を少しでも軽くしようということで、花火大会の
船をキャンセルし、私と一緒に乗れるとレースを楽しみにしていた娘と彼氏をレース当
日に降ろし、窪倉オーナーは観覧艇に乗り込んだ参戦での勝利なのでした。
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玉井正登
愛艇クラビクラ、平成元年生まれのヨコヤマ NY30 を購入して 2 年足らず。その間ボ
ロボロの艇をだましだまし直しながら乗っています。軽風から中風にかけて割りと良く
走り、癖の少ない素直なヨットレースでも楽しく遊んでいます。そんなクラビクラを見
て、いつもチューニングやらヨットの基本を教えてくださる、BIGSHOT の赤井オーナ
ーが YYC のレースだけではなく、東京湾の他のレースに出そうと言って下さいました。
当初 7 月 17 日の浮島レースにエントリーする計画でしたが、相模湾のリビエラカップ
と日程がぶつかり、一度は相模湾のレースに出てみたいという思いもあり、また参加メ
ンバーも相模湾に出たいという意見が多数を占めたので、思
い切ってリビエラカップにエントリーすることになりました。
申し込みやら、艇長会議やら回航やらオーナーはスケジュ
ール的に何も出来ず、ただ参加メンバーにオンブにダッコ状
態で回航の日を迎えました。回航メンバー、シモツカレの坂
野オーナー、江守、23 期石井、佐藤の各氏。回航のために、
エンジンの不調部分(燃料漏れ)やら電気系統など予め修理
をしておいたのですが、案の定、回航途中で燃料が漏れ始め
たとの連絡が入り、やきもきしながら陸路で三崎に入ると、
一応無事に入港していて一安心でした。早速応急修理を施し
たところ、余計手に負えない事態になってしまい、無い知恵
をしぼりヨットの中にあったクリアファイルを使って、応急
パッキンを作り、何とか燃料漏れを食い止めることができました。
坂野のシンちゃん、油まみれで作業してくれて有難うございました。江守君も磯子ま
でパーツを取りにいって御苦労様でした!残念ながら結局使わずじまいだったけどね!
でもこれで明日は何とか参加出来る!!
翌朝、レース当日は、ほど良い天気。赤井オーナー、石川氏、植木氏、23 期生高橋氏
合流。残念ながら重さの関係で石井氏は下船。石井さん、次の機会に一番で乗って下さ
いね!
総勢8名、赤井さんから戦術と注意事項を聞く。今のチューニングで風があまり強く
ならなければ、このメンバーでかなり良いところに食い込めるだろうとのこと。
ノーミスならばひょっとすると上位を狙えるかもとの予想!
これを聞いて皆、機嫌よくレース海面へ行き、本部艇にアサイ
ン。クラビクラはどういうわけか大型艇の多いクラス A35艇
の中に入れられていて、この中で着順上位を狙うのは無理。ハ
ンディキャップに期待する。11 時スタート。折り返しのマーク
まで最短コースを狙い帆走する。スピンランもセールが古い割
には良い走り。マークが思ったより岸寄りにありコース修正。
若干ロス。他艇はもっとロスしている。マークに近づくと今まで経験した事の無い混雑。
怒号が飛び交う。こちらも衝突が怖く、石川スキッパーの思惑より早くスピンダウンを
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始めようとするがスキッパーは降ろすなと怒鳴る。慌てるバウマン。こんなこと想定し
て練習したことが無い。いささか戸惑う。マーク手前で、左から大型艇が突っ込んでく
る。スキッパー、バカヤローコール!相手のヘルムス避けよ
うもなく、呆然と我が艇の前をすり抜けていく。何とかマー
ク回航。後ろでゴンゴンとヨット同士がぶつかっている。滅
茶苦茶なアプローチするからだよと無事回った我々は高笑い。
でもこちらだって危なかった。マーク回航後少し風があがる。
赤井さん、これ以上吹くなと祈っているよう。乗艇位置に細
かく指示が出る。クラビクラの後ろに大型艇が沢山いる。ど
うやら良い位置にいるようだ。タック。もう一度タックして
亀城灯台の横に出る。潮がきつい。大型艇が抜いていく。急
に艇速が落ちる。潮のせいではない。スキッパーが海草をひ
っかけたようだという。どうしようもない。このまま頑張る
だけだ。もう少しでゴール。あと 200mがものすごく長く感じた。フィニッシュのホー
ンを受け、周りを見回す。どうやら良い位置のようだ。海草拾わなきゃなあ。残念!
レース後、三崎に直行。赤井、石川、高橋、佐藤、江守の各氏に 23 期長谷川氏が合
流。直ちに横浜へ回航。夕方 6 時頃無事YYCに帰港した。
一方、坂野、植木、玉井はレースの結果を聞くべく、シーボニアへ移動。クラスA、
2 位、同ホワイトクラス優勝を知らされる。初めての相模湾でしかもクラスAで信じら
れない成績だ。回航中のクラビクラに報告。喜んでいるはず。トロフィーを受け取った
あと、ウララのメンバー達にシーボニアのプール
へ叩き落とされる。まあこんなことは二度とない
から良い経験としましょう。着替えがない。帰り
の電車で前日の汗臭いTシャツに閉口しながら、
それでも愉快な気持ちで帰宅できた。
全くラッキーな成績であったが、実は赤井氏の
綿密な戦術がそこにあり、石川氏の卓越した技量
があってこその出来事だと痛感しています。また
レース海面まで行くことでさえ、今回参加したメ
ンバーの力がなければ出来なかったわけで、オー
ナーとして深く感じ入っている次第です。レース
に勝つことも痛快ですが、皆の力でレースに参加
でき、楽しめたことが小生にとって一番心に残っ
たことでありました。
赤井、坂野両オーナーはじめ、今回レース参加
にあたって尽力してくださった面々に心より感謝
して筆を置きます。
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松浦孝志
ウララチームのレース活動は 5 月のミドルボート選手権に始まり、11 月の東京湾選手
権で 1 年の主な活動が終わります。すでに残りわずかになってしまいましたが、今年は
表彰台が遠い前半戦でした。ミドルではクラス 4 位で
表彰台にわずかに届かず、東京湾オープンレガッタで
はセールトラブル(作りたての 3DL ジブを流出。いま
だに横須賀沖で沈んでいます)で DNF、6 月のベイサ
イドスクラッチでなんとかクラス優勝、7 月のリビエ
ラカップ(イオ、クラビクラがそれぞれクラス優勝)
はコース選択をあやまり着外、8 月のトウキョウ S カ
ップでは大島に寄せすぎ、風が無いところへ行ってし
まいこれも着外といいとこなしの状態です。
また、クラブレースでもファーストホームは「シモツ
カレ」に持っていかれるし、修正でも「クラビクラ」や「ビッグショット」に逆転され
ることが多いこのごろです。理事長杯も「シモツカレ」に優勝をさらわれました。
夏の最後を飾る恒例「相模湾ヨットフェスティバル」に今シーズン前半戦をかけるこ
とにしました。しかしメンバーの 2 名が夏休みで海外へ遊びに行くため、昔のクルーに
助っ人を頼み何とか 5 名の乗員をそろえ、レースの準備を整えました。このレースは相
模湾の主なレース艇が参加し、毎年大変盛り上がります。(特にハワイ旅行など副賞が多
数) コースはシーボニア沖をスタートして南下し、城ヶ島南西ブイ(漁業用のブイ)を回
航し、城ヶ島付近のブイを回り、スタート地点へ戻る約 10 マイルです。
当日は秋雨前線が南に下がり夏には珍しく、北から北東の中風が吹き、1 日ほぼ変わ
らないとの予報です。スタート時は上げ潮に転流したばかりなので南西ブイまでのレグ
を岸よりを通るか沖出しするかが、勝敗のキーポイントになると思われます。最近はイ
ンターネットで潮流、天気等かなり細かい情報を得ることができるので、大変便利です
が逆に情報が多すぎそれに振り回されることがあります。特にウララはその傾向が強く、
現地の気象や潮流を肌で感じることが苦手で、情報に振り回されています。そこで、今
回は相模湾の定石である東寄り(城ヶ島寄り)に何が何でもコースをきめました。スタ
ートはアウターマークよりからポートサイドのスピンスタート。
スタボーでラインを切り、ジャイブしてスタボー艇がいないこ
とを確認しスピンホイスト。これが決まりほぼトップでスター
トができました。しばらく走ると艇団は左右に分かれ岸艇団と
沖出し艇団に分かれましたが、やはり岸よりがやや先行してい
ます。そのまま南西ブイを回れば優勝の可能性がある位置です。
南西ブイを確認できるころから風が少し落ち10kt 以下に。ミ
ディアムジブでは艇速に問題があるので、ライトジブにセール
チェンジ。ウララは 10kt 以下の風ではライトジブが走りやすく、この風域がセール選
択で悩みます。大型艇がマークを回航し始めたころ風は12~14kt に戻ってしまいま
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した。これはやばいミディアムに再チェンジの必要があります。再セールチェンジ。し
かし新しいセールはぱりぱりで船内からなかなか出てきません。マークは直前。しょう
がないスピンダウン。ジャイブ。マーク回航。この間はメインセールのみ。やっとジブ
があがる。ばたばたしている間に「エンゾ」に先行されてしまいました。すぐ前にグレ
ートピープル、後ろにゼータ。ライバル達は近くにいるがやはり東寄りが良かったよう
です。さあ上りのレグで先行艇に追いつかなくては。関西から遠征している「ノフーゾ」
「さち風」が先行している様子です。「ノフーゾ」(X-363)は鳥羽レースで優勝し関東
入りし、トウキョウ S カップを完全優勝しています。関東勢としては一矢報いる必要が
あり、我々もマークはしていたのですが、かなり先行されてしまいました。そのまま一
矢報いることなく城ヶ島マークを回りゴールへ。着順でクラス 4 位。これでは表彰台は
無理かとあきらめながらパーティーへ参加しましたが、結果は修正で
逆転してクラス 3 位、総合 8 位でした。まあまあの結果でした。小さ
なカップと副賞をもらい、夏のシーズンは無事終わりました。反省材
料も多く、特にセール選択に課題がのこりました。秋からの終盤戦の
レースに向けまた練習します。
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Cimotucare
坂野
眞一
レース参戦記を書くようにとのお話を頂きましたが、クラブレース以外で参加したレ
ースは、スタートしていないかゴールしていないのどちらかで書く
事が無い。仕方がないのでYYCのクラブレースについて書いてみ
ようかと思っていました。書いては見たものの曖昧な記憶をもとに
したもので「これを出してよいものか」と思案しているうちに、10
月 22 日横浜ベイサイドマリーナオープンヨットレースの日を迎え
る事になり、こちらに乗り換える事にしました。
7:00に集合のところ 15 分遅れでYYC着、雲が低く思って
いたよりも天気は良くない、風も微風。曇りのレースにも微風のレースにもあまり良い
印象がないためかイマイチ気合が入らない。艤装を始めている小川君、塚本君と手分け
して私はメインセールの取り付けへ。その頃になるとYYCからの他の参加艇のメンバ
ーも揃いだしハーバーに活気が出てきた。YYCからの参加はORCクラスにウララ・
オープンAクラスにブラボーレディオ・アンドゥサンク・ビッグショット・シモツカレ
の 5 艇。出港の準備を終え8:20に1番で舫いを解く、ウララの松浦さんから「また、
早く行き過ぎるとレースの前に疲れちゃうぞ~」との掛け声がかかるが前週の事がある
ので返す言葉が無い・・・。
9:00過ぎぐらいにレース海面に到着、予報では北の風がお昼前に南に変わるとで
ている。早目に風向きが変わればスタート位置が変わる可能性もあるが、風待ちする気
は無いらしく本部艇には既にコース①の旗が掲げられていた。南から北へ向かうコース
と言う事で、風向きが変わる時間次第では大きな損得が生まれるかも知れない。
スタート15分前、風が無いのでエンジンを取り外し迷った
が何時までも付けて置く訳けにもいかず船内へ、周りに艇が多
いためか上手く帆走らない。10:00 ORCスタート、オ
ープンA5分前ラインから遠すぎる。機走で移動している艇が
うらやましい、ポジションは本部艇よりチョイ下、上側は混戦
の模様で大きな声が飛んでいる。
結局ラインを切ったのは4分ギリギリぐらいか、前を塞ぐ大型
艇が2艇その後を回り少しずつ風をつかめる様になってきた。少し落ち着いて周りをみ
ると風上前方に1艇団、スタートの割りには前に艇が少ない、不幸中の幸いかもしれな
い。風は東に振れていき上マークまでは結局片上り、このレグは前の艇団との差は縮ま
らず(開いたかも)後からは詰められ、タックをしなくて済んだ事はシモツカレにとっ
てラッキーなのだが私の中で「今日はダメだ~」感が広がっていた。上マークは2艇と
絡む事になったがシモツカレは後方大外からのアプローチ、インの2艇が中々艇を回さ
ない、ヘルム渡辺君が「マークは!」と少しイラついているが2艇の陰で見えない。
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チラッと黄色いマークが真横に見えたためヘルムにインを刺すように指示した時には
既にバウダウンしていたような・・・取り合えず阿吽の呼
吸と言っておこう。緊迫マーク回航だったがベア・ジャ
イブ・ジェネカーアップが上手く行き絡んだ2艇をすぐ
に引き離す。風は後→横→前と振れて行きサイドマーク
近くではクローズに近かったかもしれない。ジェネカー
トリムに集中していたため周りの状況は詳しく分からな
いが、前の速そうな艇団に大分追いついたような、後を
大分引き離したような、俄然やる気になってきた。ジェ
ネカーからジブにチェンジしてサイドマーク回航、下マ
ーク?へクローズで向かう事になる。海面を見渡すと風
は沖が良いように見えたので沖出しのタックをヘルムに提案するが「前の艇の影響が少
ない所で」との判断により暫くポートタックのまま帆走。前の数艇が一斉にタック。や
はり風が振れているのだろう、我々もそろそろタック、スターボードでかなり沖まで出
した。風は南東から南の間で振れ安定しない、沖側からポートで下マークに近づくコー
スをとる。プロパーを大きめに外すコースのためギャンブルだったかも知れないが結果
は当たったようで、前の30ftクラス数艇と差が開いていない。下マークでベア、ジ
ェネカーアップ、一番苦手な軽風クローズになるはずのレグが追っ手になってる。これ
はシモツカレにとっては神様の送り物以外の何者でもない。風は振れ回るがトリムに集
中、ここでも少数派の沖側の海面を伸ばす。下側の艇のコースが
プロパーだと思うが止まっているように見える。ヘルムに上らせ
過ぎないように指示、3ノットぐらいをターゲットスピードと考
えて操船してもらう。ジャイブするポイントを思案するがまだゴ
ールが確認できていない。
「あんまり行過ぎると・・・」などと思
っていたら塚本君マーク確認、前のY-33Sがジャイブ、ほぼ
同じ地点でシモツカレもジャイブ、下側の4~5艇を交わしただ
ろうか、前のY-33S追い詰めたと思ったのだがゴールライン
が不利で10秒及ばずゴールした。
17:00よりパーティー・表彰式、YYCから参加した皆さんとテーブルを囲む、
「今年権利があるのは僕だけでしょう」などと大口を叩くも、我々がゴールした後風が
上がったような気がして後続艇に有利になっているのではないかと思っていた。去年の
2位より自信が無かったのは本当である。先ず、ORCの表彰、1位風小僧・2位ター
トルの浦安勢、横浜勢残念、3位はベイサイドの侍六世。いよいよオープンAの結果、
6位カリビアンクアトロ、「これは結構前の方にいた艇だ。」5位ブルームーンⅡ、4位
リトルノ「Y26ⅡSがここではこれより下だ。
」今になって思うと何故にあんなに弱気
だったのか分からないが「今年はダメだったか~」と本当に思っていた。ここで「3位
ビッグショット」との司会者の声にYYC一同騒然、カメラマンとしてステージ近くに
いた、この日ビッグショット乗船の市毛さんがそのまま壇上
で挨拶していた。しかし、さすがビッグショット3連覇はな
らずもお立ち台に上った。2位DONNA「melges3
0は2位か~」などと思っていると、水巻君の「DONNA
23
を逆転できるのシモツカレしかないでしょう」との発言に「そ~だよな」なんて気にも
させられる。結果1位シモツカレ修正で2位に約5分の差が付いていた。
渡辺君はスタートの事を気にしていたが本当に良く挽回した。風のシフトが無ければ
こうは行かなかったかも知れないが、クルーワークはほぼ完璧、
状況から考えると上手く行き過ぎで。
「上位には何とか食い込める
だろうか」といった感じであった分、素直に嬉しい限りである。
このレースでは過去にORCでウララ・オープンBでビッグショ
ットが優勝しており「Aクラス何とかしろ」との期待(いじめ?)
にようやく応える事が出来てほっとしている。
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「のらり」ブービーでも優勝?
「のらり」櫻川
「のらり」は沿岸クルージングが得意なヴァバリア320(32フィート)です。
セール面積は30フィートのエスプリデュバンよりもやや小さいのに、重さは2倍近く
もあるので微風では速く走れません、そんな訳で心優しいレース
委員会の方から優しいレーティングを頂いております。
オーナーの方は、
「のらり用ハードドジャー」を自作したくて、今
はステッチ&グルー工法やインターネットを使い100時間以上
も勉強しながら、まずはボール紙で 1/10 モデルを作る等、今だに
頭の中はロングクルージングの夢で一杯です。
ロングクルージング艇は帆走でも「出来るだけ速くなくてはいけ
ない」。速くなりたい!!
32フィート位のクルージング艇ではメインは小さめの方がコックピットを広く使え便
利で安全だけど、その代わり前進力を生むジブセールは大きくしたい、だから軽風用の
大きなファーリングゼノアとインナーフォアステイに強風用の小さなファーリングジブ
を付けたカッターリグ風がいいと思う、欲を言えば折りたたみのバウスプリットに大き
な大きなファーリングジェネカーも付けてみたい、速いと目的地にも早く着けるし船底
にヌルも付きにくい。
でも、いつものウイークエンドセーリングにはインナーフォアステーは邪魔だから「の
らり」はまだまだ当分の間お預けです。
そんなクルージング艇「のらり」の優勝への道程11年間(古い順から)
☆ マストを後傾し、下の風を拾う為ジブファーラードラムを20cm下げる
☆ ボーバーからトムボーイを経て No1ジェノアとスピン(サムタイム)を入手し
セール面積を少しでも広げる
☆ ステラからスピンポールをお借りして「のらり」サイズに30cm切る
※ここまでタダで改良するも、いつもレースではビリかブービー。
☆そこで昨年大枚はたいて固定2翼ぺラを3翼のフェザリングぺラに交換する
※以前の様な引きずった重い感じが減って明らかに帆走スピードが上がり帆走するのが
とても楽しくなった。
それでも、レース艇団には何とか追い付くようにはなったのですが相変わらずビリかブ
ービー、風の強い時だけ艇団に仲間入り。
☆ スキルアップ 今年の夏にはビックの石川さんに乗ってもらい微風の帆走(超微風
では風見より海面のウロコを見て走る)を教わる
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☆☆☆そしてついに第4クラブレースにてウララの松浦さんに乗って戴き
強風でのセールトリムとコース取りを教わりながら、何と優勝!!しちゃい
ました☆☆☆
※ でも着順ではブービー、もう1つくらい上に入りたいですね。
皆様のお陰で、ゆっくりですが確実に「のらり」はスキルアップしています。
YYCの皆さん ふりむくと「のらり」がせまって来ていますよ~~
皆さんに「のらり」のスターンの可愛いペンギンさんをお見せ出来るのも近いかな。
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YYCの中でも御家族と一緒に
楽しまれている艇も数多くございます。
日頃、御主人のヨットライフを支えていらっしゃる
奥様からの特別寄稿です。今後続けていきたいと
思っています。第1回は、いつも一緒に乗っていらっしゃる
岡本さんの奥様からの寄稿を掲載させていただきます。
岡本
裕子
私とヨットとの出会いは、主人と出会ってからでした。始めてヨットに乗
った日は、天気も良く、メインだけの帆走で快適でした。
その時は、何もせずぼっと乗って居ただけでしたので、たまには一緒に乗っ
ても良いかな位の思いでした。結婚前の私は、趣味と迄は、いきませんがゴ
ルフが楽しみの一つでした。ずっと何年間か続けていましたが、主人は、ゴルフはしな
いとのこと。
「ゴルフ続けてもいいよ。」といってくれたのですが、一人でやっていても面白くない。
何か一緒に出来るものがあれば共通の話題でより楽しいかなと思いヨットに乗る事にし
たのです。最初は、
「あの紐引っ張って、それを引っ張って」と言われる
ままに何が何だかわからず言われるままに。私は、おっかなびっくりで
した。
それなのに主人と主人の弟(厚ニさん)は、
「今日は、良い風だ。おー速く
て気持ちがいいねー。」と喜んでいる。私にとっては、「どこが良い風な
の?こんなに傾いて走って、速くて怖いと思っているのに。」今思えば、
たいしたことなかったと思うのですがヨットは、傾いて走るものだとい
うことがわかっていなかったのでした。
始めて三崎へ行く予定だった日は雨、交替でラットを握るとのことでこれまでに何回
かラットをとらせてもらったことはあったのですが雨の中、立っているのがイヤだな位
の思いでした。私がラットを握った時、ジクザグ運転にならない様にだけ気をつけてよ
うと思っていたのですが波に振られてなかなか簡単そうで難しいのです。そのうち風が
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だんだん強くなってきて、そんな時、主人は、トイレに行く
と言って中へ。ヒールが強くなってくるし、横からタンカー
が近づいて来る。厚ニさんと私は、風も強くスピードがだん
だん速くなったのでタンカーの前を横切れると思っていまし
た。しかし、風もますます強くなりスピードも上がってあっという間にタンカーは近づ
いて来たのでした。「どうしよう。どうしたら良いの?タック出来ない。
早くトイレから出て来てー!」ひたすら祈る思いでした。そうこうしているうち、タン
カーは警笛も鳴らさず、進路を変えてくれたのでした。
「あーよかった。ほんの 20 メー
トル程のところを通過していきました。今 思えばよく警笛も鳴らさず避けてくれたと
思います。こんな雨の中、下手な女性がラットを取っていたからしょうがないとでも思
ったのでしょうか。その後主人は、何も知らず、ほっとした顔で中から出てきたのでし
た。「もう肝心な時にいなくて。もう。」私は、半べそ状態でした。
でも、あれから1年たち、ヒールにも馴れやっと少し船の事がわか
ってきたので、今ならもう少しあの時より冷静になれたと思います。
自然相手なので色々な事がありますが安全に気を付けて、主人達とい
つまでも楽しく乗って行きたいと思います。
最後に私が乗ったから遅くなったと言われないようにがんばらなく
ては。
28
【ヨットと私の出会い・・思い出…・・そして今】
それはいまから 33 年前の春。高校 2 年生の時「ヨットって夢があっていいな。一度でいい
から乗ってみたい」と思い、とりあえず本屋さんに行き「舵」を購入しました。その「舵」
をめくっていましたら、某大学のヨット部が主催する、夏のヨット合宿参加者募集の記事を見
つけました。
「ヨット教室」と称した大学ヨット部の部費集めだったのでしょう。当時、3 泊 4
日で汚い合宿所で寝泊りし、「スナイプ」「シーホース」で指導を受けましたが、それなりに結構
ハードな合宿だった記憶があります。これが私にとっての事実上「ヨットデビュー」となったの
です。
その 1 年後、私の姉があるクルーザーオーナーの友達から旅先で軟派され、そのクルーザーに誘われ
るという事件がありました。そこに、おまけでついて行ったのが私でした。その艇は油
壺に停泊してあった「パゴパゴ」という艇名の「ブルーウォーター 24」でした。この艇は共同
オーナー艇で「ヨット乞食の集団」みたいなグループでしたが、私にとっては大変居心地が良く、
居座るようになっていました。ここで私のクルーとしての「クルーザーデビュー」となったわけで
す。現在にしてみれば 24 フィート艇は小さな艇かもしれませんが、当時は主流のサイズでし
た。
当時の油つぼ
「パゴパゴ」
(ブル-ウォ-タ-24)
29
その後、その共同オーナーグループは江ノ島の「マウピティ」、木造 30 フィートクルーザーに買い替え、同
じく油壺で活動していました。その艇は「Wings」と命名され相模湾のレースや伊豆半島の
クルージング等、私にヨット漬けの大学生生活を与えてくれました。その艇はもともとレース艇で、
積み込んであるセールの種類の多さに感動したものでした。その後、1977 年三崎マリーン建設
の時、油壺の不法係留艇の一斉排除があり、その艇は油壺を追われ、「横浜市民ハーバー」
へと繋ぎ替えることとなりました。相模湾から東京湾に移動してきた当初は海の汚さと
View の悪さに減滅したものでした。しかし、ハーバーへ通う道のりが近くなり唯一のメリット
でした。「Wings」を横浜市民ハーバーに舫って 2 年後、同グループで艇を買い換えることに
なりました。その際、グループメンバー構成も変わり、私も就職していましたので購入メンバー
に入れてもらい、晴れて 24 歳の時「クル-ザーオーナーデビュー」となりました。買い替え艇は「ノ
ーテック N300」の新艇で「Sisk」と命名し、新たなヨットライフが始まりました。しかし、その
艇は購入直後からトラブルが続きました。まずは強風のなかクローズホールドで帆走中、バウのスト
リンガーが折れ、その 1 年後にはオンデッキマストを支えているサポートが曲がるなど、構造的ダメージ
が続き補強工事をしながらのスタートとなりました。
「Sisk」時代は私自身も若く、市民ハーバ
ーの定例レースや毎年定番の三宅島、伊豆七島クルージングなど、最高に充実したヨットライフを過ご
すことが出来ました。なかでも私の最大の思いではこの艇で「初島シングルハンドレース」に参
加し、無事ゴールできたことです。
「初島シングルハンドレース」は現在では「ダブルハンドレース」とな
り昼間の回航レースですが、当時はシングルでの夜中の回航レースでした。当然、当時は GPS な
どありませんでした。
「WINGS」(木造 30 フィ-ト艇)
「SISKA」(N300)
30
今でもその時の状況は明確に覚えています。夕方 16 時、シーボニア沖をスタート。約 15 マイル程
度アビームで走っているうちに日没となりました。その時の美しい夕焼けは今でも目に焼き
付いています。さすがに暗闇が濃くなってきた時はだんだんと心細くなってきて、ラジカ
セで「加山雄三」の曲を聴きながら帆走していました。初島に近づくにつれて、熱海の温
泉街の灯が羨ましく感じられ、22 時頃初島を回航しました。初島回航後は北東の風
10m/s 程度となり,暗闇のなか真上りの状況でゴールのシーボニアを目指しました。GPS がな
い為、タックを繰り返しているうち自分の位置が分からなくなり、ただただ、陸に近づかな
いようにだけ注意を払って走りましたが、ゴールがシーボニア灯台の為、フィニュッシュ間際は陸に近
づかざる得ません。佐島沖の暗礁、油壺沖の暗礁は特に注意をしましたが、なんせ、何
も見えず、ビビリながら走っていました。無事、朝 3 時半位にシーボニアにフィニュッシュすること
が出来ました。しかし、バッテリーがあがってしまいエンジンがかからず、暗闇の中 30 フィートの
艇をセールだけでシングルでポンツーンに接岸するという、おまけまでついてしまいました。
そして話は戻りますが、
「横浜市民ハーバー」にきて約 12 年後に係留権の名義問題で「横
浜市民ハーバー」を追い出され、「Sisk」グループを解散致しました。
その後、1991 年、新たに現在の「ALWAYS」グループを結成し「Sing31」を購入。そし
て YYC の会員とさせて頂き、14 年目の現在となりました。しかし、私自身、年もとり
仕事に追われる日々、且つ、単身赴任などもあり、昔のような「ヨット乞食」もできず、潮
気の無い普通の爺になりつつある自分が悲しく感じられる今日この頃です。しかし、今
後も「やんちゃな爺」を目指し末永くヨットライフを続けられることを自分自身で祈りたいと
思います。
現在の「ALWAYS」(Sing31)
記
ALWAYS
杉山和雄
31
3 月 13 日は、会員総会
17 名の出席を受け、滞りなく終了いたしました。
台船も設置完了
3/4 には雪も積もりました。
4 月 10 日は、第 23 期ヨット教室の開講です。
32
5 月 5 日には、海上保安庁による救急救命法などの安全講習
会が開催されました。
5 月 8 日は、今シーズンの第一レースが開催されました。
それに先立ち、4 月 17 日はプレレースを行いました。
33
6 月 5 日は、水巻杯レースが開催されました。
7 月 2 日は、体験乗船会です。
34
翌 7 月 3 日は、第 3 レースです。
翌 7 月 10 日は、ヨット教室の閉校式です。
35
8 月 22 日は、理事長杯レースとパーティが盛大に開かれまし
た。
R:窪倉保氏
総勢 100 名の参加を得ました。
36
9 月 4 日は、第 24 期ヨット教室の開講です。
ガールスカウト乗船会も行いました。
9 月 11 日は、社会福祉法人日本水上学園生を招いての乗船会です。
37
10 月 9 日は、ランデブークルージングです。
嵐の中、幹事岡本さんの
「風神」、「アクアリウス」「波照菜」
の 3 艇が 三崎港へ集結しま
した。
ヨット以外で来られた方も
皆様お疲れ様でした。
38
10 月 30 日には、地域美化活動を行いました。
会員並びにご協力いただいた関係者約 30 名。ありがとうございました。
10 月 16 日は第 4 レース、
そして 11 月 13 日に最終の第 5 レースを開催しました。
39
2005 年総合レース結果
総合順
艇名
R1
R2
R3
R4
R5
総合得点
位
BIG SHOT
2.0
3.0
24.0
2.0
2.0
9.0
1
CIMOTUCARE
0.5
0.5
11.0
11.0
0.5
12.5
2
アンドウサンク
24.0
4.0
2.0
6.0
3.0
15.0
3
クラビクラ
6.0
24.0
0.5
7.0
5.0
18.5
4
フィリックス
5.0
7.0
3.0
5.0
6.0
19.0
5
ジェリーフィッシ
ュ
3.0
5.0
8.0
24.0
4.0
20.0
6
STELLA MARIS
3.0
9.0
4.0
4.0
24.0
20.0
6
ALWAYS
8.0
12.0
3.0
3.0
7.0
21.0
8
13.0
3.0
9.0
0.5
10.0
22.5
9
9.0
8.0
7.0
3.0
8.0
26.0
10
10.0
10.0
10.0
24.0
9.0
39.0
11
フレスカ
7.0
6.0
6.0
24.0
24.0
43.0
12
ムサシ
12.0
11.0
12.0
11.0
11.0
45.0
13
U.LA.LA
4.0
2.0
24.0
24.0
24.0
54.0
14
IO
11.0
24.0
5.0
24.0
24.0
64.0
15
波照菜
24.0
24.0
24.0
8.0
24.0
80.0
16
マッキー
24.0
14.0
24.0
24.0
24.0
86.0
17
のらり
BRAVO RADIO
風神
40
今年の流行語大賞の一番候補は「サプライズ」だそうです。今年の YYC を振り
返るとサプライズと言うより「ハラハラドキドキ」だったように思う。年の前半は、
長年の願望だったポンツーン(台船)を設置するための臨時会員総会、港湾局との交
渉、スロープの設置、台風対策設備やルール作りなど、危なっかしくもかろうじて
パスしてきたように思える。後半は YYC の将来像はどうあるべきかの議論が始ま
っています。YYC のハラハラドキドキも将来を見据え行動を開始したからこそのも
のだと思います。来年もハラハラドキドキしながら問題点をクリアしてゆけるクラ
ブでありたい。少しでもアクティブでアットホームなクラブ創りに役立てればと思
い、YYC ジャーナルの編集を行いました。皆様にとって来年も良き年であることを
祈って編集後記の終わりといたします。
Fresca 砂
原
来年もめいっぱい楽しめますよう、ご安航をお祈り申し上げます。
鈴木
YYC に勤め始めてあっという間の一年でした。平日限定?!のパートではありま
す が ・ ・ ・ 来 年 も 引 続 き 頑 張 り た い と 思 い ま す 。
菊池
JYYC 編集委員
砂原 一夫
鈴木 弘樹 菊池 恵子
Journal of the Yokohama Yacht Club
No. 13
発行
2005年12月3日
発行者 社団法人 横浜ヨット協会
広報委員会
〒235-0016
横浜市磯子区磯子1丁目5番16号
電話
045(751)1304
FAX
045(751)1305
http://www.yyc.or.jp
e-mail : [email protected]
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