日本におけるエアロビックダンスの科学的理論欠落の

日本体育大学スポーツ科学研究 Vol. 2, 18–30, 2013
日本におけるエアロビックダンスの科学的理論欠落の要因に関する研究
原著論文
日本におけるエアロビックダンスの科学的理論欠落の
要因に関する研究
―エアロビックダンスの受容過程(1982–1986 年)に注目して―
張 巧鳳
日本体育大学大学院 体育科学研究科 体育科学専攻 博士後期課程 スポーツ文化・社会科学系
A history study on the reason why scientific theory was separated
from aerobic dance in Japan
―Focusing on the process of aerobic dance s acceptance(1982–1986)―
Zhang Qiaofeng
Abstract: This study examines how aerobic dance was separated from aerobics theory and lead to injuries to
many people on the process of aerobic dance s acceptance. In addition, we figure out why it happened from
internal and external causes.
In the early 1980s, aerobic dance was introduced into Japan and spread across the whole country. Afterwards,
some enterprises started to make videos and TV programs about aerobic dance, and incorporated aerobic dance
into the advertising campaign about their own corporations and merchandise. In the meanwhile, leotard, widely
used for training clothes of Yoga, Jazz dance, also is used for Aerobic dance. And sexy image began appearing in
aerobic dance with the change of leotard. In that way, Aerobics theory, the essential part of aerobic dance, was
ignored, because people only pay attention to the topicality and sexy image of aerobic dance after its
introduction to Japan.
On the other hand, in the first half of 1980s, people in aerobic dance field started to learn the ropes about the
training of program and instructor. Although professional aerobic dance mentors were not enough, besides the
research on program did not follow up, yet the program and unsystematic guidance spread with the increase of
aerobic dance studio and Fitness club. Eventually, All-Japan Aerobic Championships were held in 1983, then
aerobic was developed as a competitive sport. Many events and athletic meetings were held everywhere in
Japan. Thus, Aerobic dance became a competitive sport as the name of aerobic . So, the public thought aerobic
dance is a very violent sport, and instructors assess it with the scores, leading to the situation that amateurs
prefer violent aerobic dance.
For the internal and external causes above, in the first half of 1980s, aerobic dance was separated from
aerobics theory on the process of aerobic dance s acceptance.
(Received: September 11, 2013 Accepted: November 5, 2013)
Key words: aerobics theory, fitness, health boom
キーワード:エアロビクス理論,フィットネス,健康ブーム
1. 意図と課題
今日,日本では多くの人々が健康への不安を感じ,
健康を求めて様々な行動を起こしている.健康食品,
いる.
現代の健康ブームの要因を史的側面から求めると,
高度経済成長期にまで遡ることができる.1950 年代
半ばから始まった高度経済成長期には,経済の急速な
健康器具などが氾濫し,各種の健康法が次々と開発さ
発展と引き換えに自然環境が喪失され,大気汚染や水
れる現状は,一種の健康ブームと捉えられよう 1).そ
質汚染が起こり,公害による住民への大きな健康被害
の健康ブームの中で,スポーツは健康への不安を解消
が問題視された.それと同時に,都市の過密化や食生
する絶好の手段となり得るが,一方で,スポーツに
活をはじめとした生活様式の急激な変化によって様々
よって傷害がもたらされるというケースも報告されて
な健康障害が生じ,日常生活の機械化・利便化によっ
18
張 巧鳳
て人間の身体活動の領域は狭められ,人々の体力や運
取り組むようになり,今日においてもなお,次々と対
動機能が低下し,生活習慣病や文明病といった課題が
象を変えて「もっと健康に」14)を目標にして無限の健
国民一人ひとりの前に積み上げられていった.これら
康づくりを繰り返している.しかし,このような状況
の状況を受け,健康に対する意識が広く一般に浸透し
が続く限り,人々は常に自らの健康に不安を抱いて運
て い き,人 々 の 間 で 健 康 に 対 す る 不 安 が 高 ま り,
動プログラムに参加し続け,ブームとともに再び参加
1970 年代後半から 1980 年代はじめにかけて,国民健
者の多くに傷害が発生するという事態が引き起こされ
康づくり運動が始まった 2).このような時代背景のも
る可能性が否定できない.したがって今日,これまで
と,日本において 1980 年代はじめに,アメリカから
のように医学的,生理学的な視角だけではなく,歴史
エアロビックダンス 3)が導入された.
日本へと導入されたエアロビックダンスはまたたく
の側面からエアロビックダンスに焦点を当て,1980
年代初めに日本に導入されてから,1980 年代中ごろ
間に大流行し,全国に広がっていった.ところが,当
に傷害問題が発生するまで,人々がどのようにエアロ
初「体力づくり,健康づくりのプログラムとして画期
ビックダンスを受容していき,その過程においていか
的」4)とみなされたエアロビックダンスは,日本への
にエアロビクス理論が見落とされていったのかについ
5)
導入後,「激しくなければエアロビクスじゃない」 と
て史的な視点から検討する必要がある.このことは,
考えられるようになり,「トレーニング効果よりも
今後の日本における健康づくり運動の展開を見据える
6)
ファッション性が先行」 するようになっていった.
うえで,一つの新しい知見を提供することになるとい
こうしてエアロビックダンスは次第にエアロビクス理
える.
論から離れていき,「健康のため」という本来の目的
このような立場から,本研究では日本におけるエア
と違う方向へと発展していった.すると,1986(昭和
ロビックダンスの受容過程について検討を加えるもの
61)年には,エアロビックダンスによる傷害の発生が
大きな社会問題として取り上げられた.1986(昭和
61)年 8 月に週刊誌「文芸春秋」に「エアロビクスは体
である.ここで当時のエアロビックダンスを取り巻く
状況をながめると,アメリカから導入後,短期間のう
ちに国内に広がったエアロビックダンスは,たちまち
に悪い!」7)という記事が掲載された.フリーライ
企業による商業的活動の対象にされ,広報活動にも広
ター山本由子は,エアロビックダンス現場のインスト
く利用された.その過程においてエアロビックダンス
ラクターから「インストラクターの 60%はひざや足く
は,活動を行う際の服装としてレオタードが定着して
びなどに何らかの故障があり,生徒の 30%も故障が
いったことで,性的なイメージを付与されるように
ある」8)という統計的データに基づいて,エアロビッ
なった.またエアロビックダンス自体は,急激な普及
クダンスを批判している.これに引き続き,1986(昭
によって次々と新しいプログラムが求められるように
和 61)年 7 月から 9 月にかけて東京大学教育学部の武
なったが,プログラムの背景にあるはずの理論的根拠
藤芳照らがエアロビックダンススクールのインストラ
は浸透することなく,十分な知識を備えたインストラ
クター161 人,生徒 800 人を対象として行った調査に
クターの養成も間に合わなかった.さらにエアロビッ
より,インストラクターの約 70%,生徒の約 20%に
クダンスが競技化を志向したことで,健康を求めて行
エアロビックダンスによる傷害の経験があることが明
われたエアロビックダンスのプログラムまでもが次第
らかにされた 9).この調査結果が日本体育学会で発表
に激しさを増していくようになるという問題を抱えて
された後,文芸春秋で再び「インストラクターの調査
いた.エアロビックダンスによる傷害の要因について
で分かった『エアロビクスは身体によくない』という
は,このような外部,内部の諸要因について史的立場
データ」10)という記事が組まれ,武藤芳照らの調査結
から検討されなければならないのである.
果が掲載された.その後,エアロビックダンスの傷害
本研究に先行する研究として,これまでにエアロ
問題は雑誌などに取り上げられ 11),関係者たちの間
ビックダンスの受容過程や,エアロビックダンスによ
に「日本エアロビクスには明日はない」12)という危機
る傷害の問題について取り上げた主なものを振り返る
感が広がった.
と,国内で発行された雑誌「フィットネスジャーナ
エアロビックダンスの傷害問題は,その後のエアロ
ル」にエアロビックダンスの歴史について記載した記
ビックダンスに軌道修正の機会を与えた 13).スポー
事が散見される
15)
ツ医学,運動生理学の研究者らは,傷害の原因を医学
ンスの受容過程における主な出来事を記述し,エアロ
的,生理学的に明らかにしたうえで,施設やシューズ
ビックダンスのプログラムや服装などの変容を明らか
などのハード面と指導法などのソフト面からその予防
にしたが,その受容過程において人々がどのようにエ
法を提案した.その一方で,参加者の多くはエアロ
アロビックダンスを捉えたのか,なぜエアロビクス理
ビックダンスをやめて別のフィットネスプログラムに
論が見落とされていったのかについては検討されてお
.これらの記事はエアロビックダ
19
日本におけるエアロビックダンスの科学的理論欠落の要因に関する研究
ら ず,そ の 内 容 も 明 ら か に さ れ て い な い.ま た,
サンアントニオ空軍基地の航空臨床医学研究所長で
1986(昭和 61)年にエアロビックダンスの傷害騒動の
あったケネス・H・クーパーが用いたものである.
ダンスによる傷害の現状を述べ,翌年に同じ文芸春秋
力の向上および病気の予防にもたらす効果について研
に掲載された記事 17)の中で武藤らの研究結果が取り
究し,人の体力が酸素供給能力,いわば全身持久力に
上げられ,エアロビックダンスによる傷害の要因をイ
影響されるという結論を導き出した.この研究によっ
ンストラクターの質やプログラムの内容から指摘して
て得られた科学的知見を根拠として,クーパーは,多
きっかけとなった山本の記事 16)では,エアロビック
はエアロビックダンスの特
くの酸素摂取を必要とする「エアロビクス」24)を健
性や変遷について論じている論文の中,エアロビック
康・体力づくりの処方箋とするエアロビクス理論を提
いる.それ以降,沢井
18)
クーパーはそこで空軍関係者を対象として,運動が体
ダンスによる傷害に触れながら,その要因をファッ
唱した.さらに,クーパーは,体力の測定法として
ションとしての捉え方などの方面から指摘している.
「12 分間走行テスト」を考案し,様々な運動に点数を
しかし,文芸春秋の掲載と沢井は両者ともエアロビッ
つけて体力づくりに必要な運動量を目標点数で表し,
クダンスによる傷害の要因に触れるだけで,その背景
点数表に従って運動種目を組み合わせて実施するとい
や内容については詳細に検討されていない.
うトレーニングプログラムを開発した.
そこで本研究では,日本におけるエアロビックダン
これらの研究成果を世間に紹介するため,クーパー
スの受容過程において,エアロビックダンスがいかに
は 1968(昭和 43)年に最初の著書『AEROBICS』を刊
してエアロビクス理論から離れていき,多くの人々が
行した.この著書の出版によって,「エアロビクス」
傷害を抱えるような問題が発生するに至ったのかを史
という言葉はジョギング,サイクリング,水泳などの
的側面から検討し,その要因を外部要因と内部要因の
心肺機能を鍛えるエアロビックエクササイズ 25),あ
両面から明らかにするものである.なお,日本におい
るいは有酸素運動を指す語として,広く世間に知られ
てエアロビックダンスは 1981(昭和 56)年から 1982
るようになった.クーパーによって提案されたエアロ
(昭 和 57)年 の 間 に ア メ リ カ か ら 導 入 さ れ た 後
19)
,
1986(昭和 61)年に武藤らの研究が公表されたことを
ビクス理論およびそのプログラムは軍隊だけでなく,
大学,スポーツ関係者,さらに民間企業や各家庭にま
契機として,傷害の問題が取り上げられるようになっ
で急速に浸透していき,全米で健康・体力づくりのた
た.したがって本研究では,研究の対象期間を 1982
めの科学的理論およびプログラムとして注目されるよ
(昭和 57)年から 1986(昭和 61)年までとした.
うになった.
この課題に取り組むにあたり,本研究では,対象と
する期間内に国内で発行されたフィットネス関連誌,
週刊誌,女性誌などの雑誌を主な史料として用いた.
2.2 エアロビックダンスの誕生
エアロビクス理論が公にされて以降,多くのスポー
また,エアロビックダンスの導入後,それが商業活動
ツ指導者は,エアロビクス理論を自らのエクササイズ
に利用された実状については,当時広告代理店第一企
に取り入れることで,独自のエアロビックエクササイ
画に勤務し,当事者としてエアロビックダンスの導入
ズ 及 び プ ロ グ ラ ム を 考 案 し た.そ の う ち の 一 つ,
に関わった両角孝保氏に対するインタビュー調査を実
ジャッキー・ソーレンセンによって考案されたエアロ
施し
20)
,史料の裏付けと確認を行い,また関連資料
の提供を受けた.また,アメリカにおけるエアロビク
ス理論とエアロビックダンスについて,エアロビクス
ビックダンシングこそが,今日におけるエアロビック
ダンスの始まりである.
1969(昭和 44)年からアメリカ空軍基地のテレビ局
理論の提唱者であるケネス・H・クーパー21)とエアロ
でのフィットネスプログラムを担当することとなった
ビックダンスの創始者であるジャッキー・ソーレンセ
ソ ー レ ン セ ン は,当 時 ベ ス ト セ ラ ー と な っ て い た
ン 22)の著書およびベス・スワンソンによる論文「A
『AEROBICS』を読み,そこで提唱されていたエアロ
History of the rise of aerobics dance in the United
States through 1980」23)を主な史料として用いた.
み立てた 26).ジョギングプログラムの参加者に期待
2. エアロビクス理論とエアロビック
ダンスの誕生
ビクス理論に基づいてダンス形式のエクササイズを組
できる体力づくり効果に相当するとしてクーパーから
も認められたこのプログラムは,「エアロビックダン
シング」と名づけられ,1970 年代から全米で多くの
2.1 ケネス・H・ クーパーのエアロビクス理論
人々をスタジオに通わせた.
「エアロビクス」とは,英語で「酸素の,有酸素の,
エアロビックダンシングが「健康の保持や増進のた
好気性の」を意味する「aerobic」という語をもとに,
めのもの」27)として科学的理論に基づき,また安全性
酸素を多く取り入れる運動の総称として,テキサス州
20
を重視して行われていたことは,このエクササイズの
張 巧鳳
プログラム構成やインストラクターに関する詳細な規
定から知ることができる.
製造すると 36),1970 年代,アメリカではインストラ
クターと多くの生徒がこのエアロビックダンシングの
プログラムにおいては,エアロビックダンシングを
始める前に健康状態の検査と体重の測定を行うことが
必要とされている.健康状態の検査については,参加
者の年齢段階別に検査内容が定められている
28)
.ま
た基準体重表を提示し,基準体重を 15%以上上回る
T シャツに短パン,パンティストッキング,ジョギン
グシューズまたはテニスシューズを着用した 37).
エアロビックダンシングのほかにも,1970 年代か
ら 80 年 代 に か け て ア メ リ カ で は,ジ ュ デ ィ・シ ェ
パ ー ド・ミ セ ッ ト の「ジ ャ ズ サ イ ズ」,ジ ェ ー ン・
対象者に対して,
「腰,膝,足首に必要以上の負担を
フォンダの「ワークアウト」など,ダンス形式のエア
かけ,脈拍が危険なレベルに上がる恐れがある」29)た
ロビックエクササイズであるエアロビックダンスが生
め,通常のプログラムを多少変えて特別なプログラム
み出された.「ケネス・H・クーパーによるエアロビ
を作る必要があると主張している.プログラムは 12
週間を 1 セッションとし,毎回のレッスンは「柔軟運
クスの下地があったところに,第二段階として」38)多
様なエアロビックダンスが紹介されたことで,1970–
行うため,各段階で行うダンスの強度がコントロール
80 年代の間にアメリカ全土でエアロビックダンス
ブームが巻き起こった.すると 1982(昭和 57)年に
クーパーが著した『The aerobics program for total wellbeing』39)の中で,初めてプログラムの一つに「エアロ
される必要があるとされ,運動前・運動時・運動後に
ビックダンスと音楽に合わせて行うほかのエクササイ
動」,「ウォームアップ」,「有酸素運動の部分」,「クー
ルダウン」,「カーフストレッチ」から構成される
30)
.
そのうえでエアロビックダンシングを安全で効果的に
は脈拍数を測定することが勧められた
31)
.これら運
動前の健康状態の検査,体重が過剰な人のための特別
なプログラムの提供,プログラムの構成,さらに運動
強度の制限などは,いずれもクーパーのエアロビクス
理論に基づくものであった.
また,エアロビックダンシングプログラムの特徴と
ズプログラム」40)が加えられ,エアロビックダンスが
エアロビクスの一種として正式に認められた.
3. 科学的理論欠落の外部要因
3.1 エアロビックダンスの商業的利用
1980 年代はじめ,日本にエアロビックダンスが導
して,インストラクターに関する厳格な規定が設けら
入され,またたく間に広まっていくと,そのブームに
れている点があげられる.インストラクターになるに
便乗し,エアロビックダンスの話題性を自らの商業的
は,非喫煙者であることに加え,「クーパーの 12 分間
行為に利用する企業が現れるようになった.導入後す
走行テストでグッドかエクセレントを取ること」,「制
ぐに見られるようになったのは,エアロビックダンス
限体重以下」といった条件を満たしていなければなら
の関連ビデオの販売やテレビ番組の制作を行う企業で
ない 32).その上でインストラクターとなった後には,
ある.1982(昭和 57)年からテレビ番組「エアロビサ
多様な振付を提供するために 1 年に 40 種を超える新
イズ」が TBS テレビで放映されると,各雑誌がその内
定クリニックに参加するなど,常にベストコンディ
放映されていたオリジナルビデオを輸入・販売する会
ションであるよう求められた 33).この厳しい規定か
社やオリジナルサウンドをレコード化する会社が現れ
たなダンスのパターンをマスターし,年 3 回の資格検
ら,エアロビックダンシングが健康づくりという運動
容を報道したが 41),その人気の高さからアメリカで
るようになった.1982(昭和 57)年にオリジナルビデ
の目的意識をもち,科学的でかつ楽しく行うものだと
オの販売会社が出した広告には,次のような記述が添
確認できよう.
えられている 42).
このほか,服装についてソーレンセンは「ゆったり
としたスポーツ用のシャツやレオタードが適し……一
テレビの番組だと,正味 1 分間ぐらいで終わっ
般には,男女とも,ショーツと T シャツを好んで着て
てしまって,じっくりと楽しめないとお嘆きの兄
も機能性と着心地を重視していた.ダンサーであった
お勧めしたい.表裏でそれぞれ 7 チャプターずつ
いるようだ」34)と説明しており,ファッション性より
ソーレンセンは当初,レッスンをレオタード,タイ
貴に,この超甘口のビデオディスク(60 ドル)を
入っていて,extended play を繰り返して楽しめ
ツ,テニスシューズで始めたが,多くの生徒がレオ
ます.とともに教習用にもプログラムされている
タードの着用を心地よくないと感じていたため,T
ので実践も可能.
シャツ,短パンまたはズボンの着用を勧めるように
なった 35).1972(昭和 47)年にソーレンセンがエアロ
ビックダンシング・チュニックを特注し,1973(昭和
48)年にエアロビックダンシングのための T シャツを
この広告内容からは,エアロビックダンスをエアロ
ビクス理論に基づいて考案されたフィットネスという
よりも,見て楽しむものとして第一に捉え,鑑賞用と
21
日本におけるエアロビックダンスの科学的理論欠落の要因に関する研究
してこのビデオを販売している様子がうかがえる.ア
メリカで放映されていたエアロビックダンスの番組
「エアロビサイズ」を日本へと取り込んだ広告会社の
第一企画は,1982(昭和 57)年 10 月までの放映権を取
ン ト で は,約 1 万 7688 人 の 参 加 者 を 動 員 し た 54).
ポーラは当初 24∼34 歳くらいの客層をねらったが,
イベントの参加者は圧倒的にシティ派ヤング・アダル
ト で,そ の 平 均 像 は「24 歳,独 身,OL,趣 味 は ス
得したが 43),スポンサー企業による提供期間の延長
ポーツ,購読誌は『ノンノ』
『モア』」という若い女性で
が決定したため 44),10 月の「エアロビサイズ」の放映
あった 55).
終了後は,第一企画が自社で撮影したエアロビックダ
そのほか,新入社員の入社式でのエアロビックダン
ンスの番組「エアロビクス」を放映した.新番組「エア
スの披露 56),デパートの開業式でのエアロビックダ
ロビクス」は「エアロビックダンスの震源地ロスにて,
ンスショー57)など,エロビックダンスの話題性を活か
フィットネス界の一流インストラクターにより,ライ
して人々の関心を引き寄せようとする企業もあった.
ブ感あふれる映像」45)を視聴者に届けるもので,その
さらに,芸能人たちは流行の最先端にあるエアロビッ
映像を収録したビデオは,同年のうちに販売された.
クダンスを体験し,その様子を雑誌の紙面に掲載し
その後,日本テレビとフジテレビもこれに追随する
動きを見せた.1983(昭和 58)年に日本テレビは昼の
た 58).
このように,アメリカから日本へと導入されて多く
情報番組「ルックルックこんにちは」の中で,エアロ
の人々に知られるようになる.エアロビックダンスは
ビックダンスの創始者であるジャッキー・ソーレンセ
さまざまな企業によって商業活動に利用されるように
ンによるエアロビックダンスの実演を週 5 回,毎回 4
なった.
トリオという会社によってすぐに発売された 47).フ
3.2 性的なイメージの形成
分間放送した
46)
.その内容をレコード化したものは,
ジテレビも同様に,昼の情報番組「ワイドワイドフ
ジ」で週 4 回,毎回 5 分間ずつエアロビックダンスを
日本においてエアロビックダンスは,多くの場合レ
オタード姿で行われ,レオタードとともに広まって
放送した 48).この時期には,ほかにもエアロビック
いった.するとエアロビックダンスのプログラム内容
ダンスの市場をねらった映像コンテンツがアメリカか
や効果よりも,それを行う女性の姿が注目されるよう
ら輸入され,多数のビデオが販売された
49)
.
になり,エアロビックダンスは女性の性的なイメージ
この直後の時期には関連ビデオの販売,テレビ番組
の制作のようにコンテンツを販売するだけでなく,エ
との結び付きを持たされていった.
1970 年代以降,日本ではミニスカートから影響を
アロビックダンスを企業や商品の広告活動に利用する
受けた様々なミニファッションが生まれたが,その基
企業も現れた.1983(昭和 58)年に化粧品会社のポー
本は婦人服の活動性や若々しさを表現するためのテク
ラは「動くあなたは,美しい」というキャッチフレー
ニックとして生まれたものだった.つまりオシャレの
ズのもと,4 月の東京・品川プリンスホテルを皮切り
伝統としての優雅,シック,エレガンス等の基準に代
にした全国規模のイベント「ポーラ エアロビック わり,活動性,行動性,若さ等が新たな女性ファッ
.この
ションの基準となったのだった 59).こうして日本人
イベントは当社の美容健康食品「サイファーキー」の
が伝統的な美のイメージから少しずつ離れていき,足
販売拡大をねらったもので,それまでの「中年ミセス
を出したり,肌を露出したりするファッションに対す
向け高級化粧品」という商品イメージとは別に,「親
る抵抗が和らげられていった頃,1977(昭和 52)年の
ワークアウト フェスティバル」を展開した
50)
しみのもてる,知的で若々しい化粧品メーカー」とい
映 画「サ タ デ ー・ナ イ ト・フ ィ ー バ ー」に は じ ま る
う企業イメージを醸成し,現代の女性たちに新しい生
ディスコ・ブームをきっかけとして,1979(昭和 54)
活提案を紹介することをねらうものだった
51)
.テレ
ビ CM と新聞広告がイベント告知の主力となり,これ
に合わせて「サイファーキー」の名前あてクイズも実
施した
52)
.イベントの現場では,ロサンゼルスから
年の「オール・ザット・ジャズ」,1980(昭和 55)年の
「フェーム」によって,日本ではジャズダンスがブー
ムを迎えた 60).するとジャズダンス時のウェアとし
て,従来はクラシックバレエや体操で着用されていた
インストラクターを招聘し,マイケル・ジャクソンの
レオタードが用いられ,「すでに成熟期に入っており,
「Beat it」などのディスコ・ミュージックを流し,15
これからの需要の伸びはあまり期待できない」61)とさ
メートルの大型スクリーンを設置して 30 面マルチス
ライドを上映し,照明にも工夫を凝らした会場を仕立
てあげた
53)
.このイベント実施地区は,東京のほか
大 阪,名 古 屋,横 浜,福 岡,熊 本,広 島,京 都,神
戸,仙台,札幌の 11 都市で,約 5 週間に及んだイベ
22
れたレオタード市場に新たな活気がもたらされた 62).
表 1 に示したように,ジャズダンス,ヨガ,美容体操
などのエクササイズの練習着として,レオタードが女
性誌に掲載された.
こうして,若い女性たちの運動時の服装としてレオ
張 巧鳳
表 1. 1979–1982 年にエクササイズの練習服としてのレオタード姿が掲載された記事一覧
発行年月
記事タイトル
エクササイズ
出典
1979 年 6 月
ディスコダンススクール
ディスコダンス
「anan」10
(11).マガジンハウス.p. 143
1979 年 11 月
モダン・ダンス志願
モダンダンス
「anan」10
(28).マガジンハウス.pp. 33–35
1980 年 3 月
減量 バレエ体操でからだを しめる
バレエ体操
「anan」11
(7).マガジンハウス.p. 69
1980 年 3 月 アンアンで募集した 30 人のフィットネス実験レポート バレエ,ジャズダンス
「anan」11
(6).マガジンハウス.pp. 140–145
1980 年 8 月
シエイプ・アップ体操正誤チェック
シエイプアップ体操
「CanCam」1
(9),小学館.p. 119
1980 年 8 月
私たち減量実験中! 5 人の実例現場レポート
ヨガ,ジャギーダンス
「anan」11
(21).マガジンハウス.pp. 89–93
1980 年 10 月
蜂巣美和子さんの 70 日間減量実験レポート・20 日
ジャギー
「anan」11
(28).マガジンハウス.p. 57
1981 年 4 月
松原みき バストが気になるレオタード
ジャズダンス
「週刊明星」24
(16),集英社.p. 186
1981 年 12 月 連載 4 ジャギーを始めませんか 指導=中川裕季子
ジャギー
「JJ」7
(12),光文社.pp. 239–241
1982 年 1 月
本格ジャズ・ダンス入門
ジャズダンス
「CanCam」1
(1),小学館.pp. 194–197
1982 年 1 月
魅力のインストラクター ジャズダンス
ジャズダンス
「CanCam」1
(1),小学館.p. 181
1982 年 1 月
好きなレオタードが着れて,しかも…
ジャズダンス
「CanCam」1
(1),小学館.p. 199
1982 年 3 月
これから始めるジャズダンス
ジャズダンス
「JJ」8
(3),光文社.pp. 239–241
1982 年 3 月
出産後の体形を無理なく,いかに元に戻すか.
体操
「クロワッサン」6
(5),マガジンハウス.pp. 31–31
1982 年 4 月
本格ジャズダンス入門
ジャズダンス
「CanCam」1
(4),小学館.pp. 194–197
1982 年 4 月
本格ジャズ・ダンス ブロードウェー ステップ
ジャズサイズ
「Can Cam」1
(4),小学館.p. 200
1982 年 4 月
美しいボディーラインをつくる
体操
「Can Cam」1
(4),小学館.p. 235
1982 年 4 月
なつかしのフラフープでウエストすっきり!
フラフープ
「クロワッサン」6
(7),マガジンハウス.p. 109
1982 年 4 月
いま,ジャズダンスにバイブルが生まれた
ジャズダンス
「クロワッサン」6
(8),マガジンハウス.p. 104
1982 年 5 月
えっ ヨガをダンスで⁉
ヨガ
「Non. no」12
(8),集英社.p. 152
表 2. 1979–1982 年にレオタードが用いられ雑誌に掲載された広告一覧
発行年月
記事タイトル
商品・企業
出典
1979 年 12 月
漢方製剤 バゼットピンク
便秘薬
「anan」10
(31).マガジンハウス.p. 93
1979 年 12 月
はりつめた心は,いつも美しい
レオタード販売店
「anan」10
(30).マガジンハウス.p. 40
1980 年 10 月
ホットアスレチック
レオタード販売店
「anan」11
(28).マガジンハウス.p. 56
1980 年 10 月
愛子,きらめく フィッティーヌ.
レオタード販売店
「anan」11
(28).マガジンハウス.p. 6
1981 年 8 月
美しさはテイタス
トータルエステティックサロン
「JJ」7
(8),光文社.p. 148
1981 年 8 月
シェイプアップ作戦に…新しいレオタードで
美容室
「JJ」7
(9),光文社.p. 193
1981 年 8 月
貯蓄計画 お手伝えします
銀行
「JJ」7(11),光文社.p. 298
1982 年 1 月
ジュースをはいて立つと,人よりたくさんの夢が見られます
レオタード販売店
「CanCam」1
(1),小学館.p. 114
1982 年 1 月
シェイプアップ作戦に…新しいレオタードで!
レオタード販売店
「JJ」8
(1),光文社.p. 285
1982 年 2 月
トリートメントはドレッサー
トリートメント,髪ローション 「クロワッサン」6
(4),マガジンハウス.p. 66
1982 年 2 月
おはようの笑顔は,おやすみ前の 1∼2 錠.
便秘薬
「Non. no」12
(3),集英社.p. 176
1982 年 4 月
ハートのぜい肉をおとしたらゆとりが生まれました
冷蔵庫
「クロワッサン」6
(7),マガジンハウス.p. 143
1982 年 4 月
フルーツ カルピス レオタードプレゼント
カルピス飲料
「クロワッサン」6
(8),マガジンハウス.p. 141
1982 年 5 月
チャコット・ステージ ファッション
レオタード販売店
「クロワッサン」6
(10)
,マガジンハウス.p. 121
1982 年 5 月
スコッチ軽やか リーフパイ
1982 年 5 月
ハッとして,ジャギーな脚線美
タードが広がると,表 2 に示したように,レオタード
姿の女性が企業の広報活動に用いられるようになっ
た.飲食品や医薬品の会社は「健康のため」の広告,
アップル・ストロベリーパイ 「クロワッサン」6
(9),マガジンハウス.p. 88
ストッキング
「Non. no」12
(8),集英社.p. 155
ターはレオタード姿で指導を行い,その姿はすぐに広
まった.導入初期こそ,ショートパンツ,ジャージや
T シャツを着用する人も多く,エアロビックダンスの
美容室やエステの会社は「美しくなるため」の広告に,
レオタードはジャズダンスの練習着と区別がつかない
レオタード姿の女性を載せたのである.このように,
ものだったが 63),1983(昭和 58)年にダンスフランス
エアロビックダンスが導入される以前から,レオター
ドはヨガ,ジャズダンスなどの練習着としての認知度
社から T バックのレオタードが発表されると,1983
(昭和 58)–1984(昭和 59)年頃からエアロビックダン
を持ち,健康や美に関するイメージがさまざまな企業
ス界でも徐々にレオタードの需要が伸び始めた 64).
の広報活動に利用されていた.
1985(昭和 60)年半ばには T バックのレオタードが
1980 年代初頭にエアロビックダンスが日本へと導
入されると,アメリカから招聘されたインストラク
すっかり定着し,それから上半身と下半身が分かれた
セパレートタイプが出現し,スパッツの丈が短くなる
23
日本におけるエアロビックダンスの科学的理論欠落の要因に関する研究
など,よりセクシーなレオタードが追及されていっ
らに,最新の流行ダンスを教えてきたジャズダンス教
65)
室,ダンススクールもエアロビックダンスのクラスを
このようにして,レオタードを着用して行われるよ
提供し始めた.1982(昭和 57)年にこのような施設が
た
.
うになったエアロビックダンスは,レオタードの変化
次々と設立されたで,日本においてエアロビックダン
とともに性的なイメージを伴うようになり,エアロビ
スが新たな事業として芽生えたのである.
クス理論に基づいたエクササイズとしての側面が徐々
フィットネスクラブ業界にとっても,エアロビック
ダンスの流行はビジネスチャンスを広げるものだっ
に見落とされていった.
4. 科学的理論欠落の内部要因
4.1 未熟なプログラムとインストラクター
1980 年代前半,エアロビックダンスのプログラム
た.フィットネスクラブの新規オープン数は 1975(昭
和 50)–1979 年(昭和 54)年の 5 年間でわずか 58 カ所
だったが 73),1980 年代はじめのエアロビックダンス
スタジオの導入は,20 代の若い女性層を惹きつけ,
構成やインストラクター養成などの実態は「手探り,
当時低迷していたフィットネスクラブ事業を蘇生させ
暗中模索の状態」66)だった.表 3 は 1980 年代前半の指
た 74).新規オープン数は 1980 年代に入ると徐々に増
をまとめたものである.今日のプログラムではほとん
超え,著しく増えはじめた 75).一方,子どもを中心
ど見られない動作であるが,当時はエアロビックダン
としたスイミングクラブが 1970 年後半に飛躍的に発
導書に掲載されたエアロビックダンスの代表的な動き
スを専門としない国内の各種ダンスのインストラク
加し,特に 1984 年(昭和 59 年)からは年間 100 店舗を
展したが 76),1984(昭和 59)–1985 年(昭和 60)年に
ターらがプログラムを考案して指導していたため,実
は,スイミングクラブがエアロビックダンススタジオ
施されたプログラムには「なんとなくダンスっぽい」
を設けるようになり,女性会員を意識し,当時流行し
動きが多かった
67)
.後にこれらの動きをみた指導者は,
「こんな激しいエクササイズをやってたんだなあ」68)と
感想を語り,傷害を引き起こすリスクが高い振付だと
指摘している 69).表 1 から,腰や膝への負担の大きな
動きがプログラムに含まれている様子がみられる.
ていたカフェバーのようなファッショナブルなフィッ
トネスクラブとして生まれ変わっていった 77).
このように,1980 年代前半,多くのスポーツ施設
が当時話題となったエアロビックダンスを取り入れ,
エアロビックダンスはこれらの施設で提供されるプロ
また,当時はエアロビックダンスに研究対象として
グラムの一つとして人気を博した.しかし,急激な施
の関心を寄せるスポーツ科学の研究者が限られてい
設の拡大により,エアロビクス理論に基づいたエアロ
た 70).したがって,指導の現場ではエアロビクス理
ビックダンスプログラムの開発や,それを適切に指導
論に基づき,その効果を得るための動きについての情
できるインストラクターの養成が間に合わなかった.
報が不足しており,どのような動きをすればよいのか
その結果,非科学的な部分が多い初期の激しいプログ
という具体論がなかった
71)
.そのため,レッスンが
ひたすら体を動かすハイインパクトなものになりやす
い独特の熱気があったという
ラムがこれらの施設の拡大とともに,日本全国に浸透
していった.
72)
.
このようなプログラムやインストラクターの質が向
上する間もなく,エアロビックダンスは関連施設の拡
4.2 エアロビックダンスの競技化
1980 年代前半のうちに,エアロビックダンスの愛
大とともに,広範囲にわたって一気に普及していっ
好者の技術レベルが飛躍的な進歩を遂げた結果,エア
た.1982(昭和 57)年に世田谷区瀬田にフィットネス
ロビックダンスの技術の発表会やコンテストのイベン
をはじめとして,同年のうちにエアロビックダンスを
アロビック選手権大会をはじめとした競技会へと発展
実践する空間が続々と新設された.
していった.
クラブ「ザ・スポーツコネクション」が設立されたの
表 4 に は,1982(昭 和 57)年 に 東 京 都 内 で エ ア ロ
ビックダンスを実施していたスタジオの一覧を示し
トが開催されるようになり,やがては第 1 回全日本エ
アメリカでは,フィットネス専門誌「フィット」を
創刊したボブ・アンダーソンによって 1983(昭和 58)
た.一般に老舗といわれる単体型スタジオの多くは,
年にサンディエゴで初めてエアロビックダンスの競技
この年から原宿,渋谷,新宿など若者が多く集まる
会が開かれた 78).後に日本エアロビック連盟の初代
ファッションの中心地で誕生し,流行に敏感な若者を
中心とした人々にエアロビックダンスを発信した.ま
理事長となった小西晃一は,その競技会に参加し,
「こ れ は 面 白 い,将 来 性 が あ る」79)と す ぐ さ ま 感 じ
た,当時は各地で習い事などを提供するカルチャース
と っ た.小 西 は す ぐ に ア ン ダ ー ソ ン と 交 渉 し て,
クールが全盛を迎えていた時代でもあり,カルチャー
ニュースポーツとしてのエアロビックダンスの国際化
スクールにエアロビックダンス教室が設けられた.さ
を図り,将来的にはこれをオリンピック種目にするた
24
張 巧鳳
表 3. 1980 年代前半の指導書に掲載されたエアロビックダンスの代表的な動き
プログラム
図
指導書
岡崎聡子(1982)エアロビクス効果の方法.青
春出版社,東京:p. 59
ウォームアップ
岡崎聡子(1982)エアロビクス効果の方法.青
春出版社,東京:p. 120; p. 116
ランニング
高橋正直(1984)美と健康を創るエアロビクス
入門.文研出版,東京:p. 148
コンディショニング
菅原マキ(1982)エアロビクス・ダンス.講談
社,東京:p. 116
クール・ダウン
ヒビキマロ(1983)健康な身体づくりのための
エアロビクス.あゆみ出版,東京:pp. 69–71
め 80),1983(昭 和 58)年 に 国 際 エ ア ロ ビ ッ ク 協 会
(FIA/USA)を拠点してアメリカと西ヨーロッパを,
した.こうして,競技スポーツとしてのエアロビック
東ヨーロッパを担当し,エアロビックダンスの競技会
(FIA, Fit aerobic International Association)81)を 組 織
ダンスである「エアロビック」が誕生した.FIA は本
部を二カ所に設置し,アンダーソンがアメリカ本部
小西が日本本部(FIA/JAPAN)を拠点としてアジアと
を世界各国で広めていった 82).
日本においては,1984(昭和 59)年,FIA/JAPAN が
25
日本におけるエアロビックダンスの科学的理論欠落の要因に関する研究
表 4. 1982(昭和 57)年に東京都内でエアロビックダンスを提供したスタジオ※
名称
場所
名称
場所
スタジオ NAFA
スタジオ R
原宿
主婦の友文化センター
御茶ノ水
原宿
アートセンター シルクハット
大久保
原宿ダンス・アカデミー
原宿
東京アスレテッククラブ
中野
原宿ボディースクール
原宿
丸井エルの会
中野
コンディショニングセンター代々木
代々木
読売日本文化センター
荻窪
ワークアウト
渋谷
サンテ・ダンセ赤坂・東十条スタジオ
東十条
マキ・レディース・トレーニングルーム
渋谷
三愛カレッジ
五反田
ルネサンス・カルチャースクール渋谷
渋谷
足立区城北青年会
五反野
東京芸術学院
西新宿
ルネッサンスカルチャースコール葛西
西葛西
新宿アロービックセンター
新宿
佐藤実千代ビューティー・トレーニングルーム
亀戸
朝日カルチャーセンター
新宿
玉川高島屋ショッピングセンター コミュニティクラブ 玉川
二子玉川
新宿セブンシティ
新宿
ザ・スポーツコネクション
瀬田
伊勢丹クローバーサークル友の会
新宿
近鉄アカデミア武蔵野
吉祥寺
レマン・ヘルシースタジオ
新宿
吉祥寺パインクレスト・アスレティッククラブ
吉祥寺
カトレア・レディースクール
銀座
吉祥寺コミュニティカレッジ
吉祥寺
ルネサンス・カルチャースクール銀座
銀座
青山ヘルシイスタジオ
外苑前
スタジオ一番街
六本木
法村友井バレエスタジオ
青山
日活スポールクラブ
六本木
東京ユニオンチャーチ
表参道
フランシスカンチャペルセンター
六本木
ドウ・ラサ 芸術アカデミー
四谷三丁目
スウェーデンヘルスセンター フォアレディース
六本木
サンテ・ダンセ赤坂 赤坂スタジオ
赤坂見附
東武カルチュアセンター
池袋
三越文化教室
日本橋
サンシャイシティ・文化センター
池袋
日本橋高鳥屋スタジオ 5 クラブ
日本橋
池袋コミュニティカレッジ
池袋
朝日カルチャーセンター 立川
立川
マキ・レディース・トレーニングルーム
ひばりヶ丘
※文芸春秋(1982)スポーツグラフィックナンバー3
(17): p. 25;文芸春秋(1982)スポーツグラフィックナンバー増刊号 3
(27): p. 97 より作成
初めての全国規模のエアロビックダンスの競技会であ
時,国内では競技スポーツとしてのエアロビックダン
る第 1 回ドールカップ,いわゆる全日本エアロビック
スに対する意識が低かったが,この大会が多くの参加
選手権大会を開催した.この大会は日本初の競技会と
者を集めることに成功し,その後も毎年開催されるよ
して,札幌,東京,名古屋,大阪,福岡の 5 地区で開
うになった.
アロビックの競技会はまだ一般に認知されておらず,
うになると,エアロビックに対する認知度が向上し,
大会の開催は様々な困難を伴うものだった.大会の開
全日本選手権大会のほかにもさまざまな競技会が開か
催に至るまでの苦労について当時のドールカップ事務
れるようになった.1984(昭和 59)年 10 月には,渋谷
催され,合計 1604 名の参加者を集めた
83)
.当時,エ
局長を務めた小西晃一は以下のように語っている
84)
.
業界内部でもスポーツとしてのエアロビクスを
誰一人として考えてもみなかった時代のことです
全日本エアロビック選手権大会が毎年開催されるよ
東急プラザで「ミスエアロビクスコンテスト 84」が開
催された.妊婦から最年長 60 歳の年配者まで約 500
人の応募者が参加し,選抜されたミス 26 人とミセス
21 人が決勝戦に進んだ 86).この大会ではカラフルな
から,「エアロビクスは競技すべきものではない」
レオタードや刺激的なポーズ,セクシーな動きが何よ
という考え方をもった方たちも多かったのです.
り目立ち,競技とともにスタイルや美貌を競うこの大
その上,競技自体が今まで何もなかったわけです
会は「中学生の男の子から 60 過ぎのオジイまで」87)
から,審査基準を参加者に理解してもらうという
困難さがありました.
200 人あまりの見物者を惹きつけた 88).また,1986
(昭和 61)年 4 月には第 1 回全日本エアロビックチャン
ピオンシップが東京有楽町で開催された.この大会で
1985(昭和 60)年 6 月,FIA/USA の主催によって世
は菊池孝,菊池貴美子夫婦がそれぞれ優勝,準優勝に
れ,FIA/JAPAN が第 1 回ドールカップの入賞者を派
第 1 回世界エアロビック選手権で準優勝した野村健一
第 1 回全日本エアロビック選手権大会が開催された当
気を博した 89).
界で初めての国際大会がサンフランシスコで開催さ
遣し,国際交流の端緒となった 85).上述したとおり,
26
輝いて大きな話題を提供し,以後 1995(平成 7)年の
郎をはじめ,国内のトップ選手が集まる大会として人
張 巧鳳
このように,日本においてエアロビックダンスの競
全体がプログラムやインストラクターの養成を模索し
技会は,ブームが巻き起こった直後のかなり早い時期
ている.エアロビックダンスを専門とする指導者が不
に始まった.毎年行われる全日本選手権大会をはじ
足し,プログラムの研究も遅れていたのにもかかわら
め,日本各地で競技会が開催され,エアロビックとい
ず,エアロビックダンススタジオやフィットネスクラ
う競技の普及や国際交流活動が活発に行われ,エアロ
ブなどの関連施設が拡大したことで,理論に基づかな
ビック競技会が徐々に日本に根付いていった.これら
いプログラムと未熟な指導が広がっていった.さら
の競技会はエアロビックダンス愛好者の良い刺激とな
に,1983(昭和 58)年の全日本エアロビック選手権大
り,エアロビックダンスの競技化に大いに貢献した.
会をきっかけに,競技スポーツとしての「エアロビッ
しかし,「なぜ有酸素運動であるエアロビックダンス
ク」が広まり,数多くのイベントや競技会が各地で開
90)
が競技になるの」 ,「競技的な動きが先行し,その
催されるなど,エアロビックダンスの競技化が進行し
ため初心者などに対するプログラムが少なすぎる」91),
た.このことは,エアロビックダンスが激しいもので
「インストラクターが大会の成績に流され,本来の指
あるという認識を広めることにもなり,大会の成績に
導という仕事を忘れている」92)などと人々が疑問を感
よってインストラクターの格付けが行われるようにな
じたとおり,競技会の存在はエアロビクス理論に基づ
り,愛好者も激しいエアロビックダンスを行う傾向が
くフィットネスプログラムとしてのエアロビックダン
みられるようになった.
スの本来の姿を忘れさせ,エアロビックダンスが激し
以上のような外部要因と内部要因を受け,1980 年
いものであるとの誤解を生じさせた.また,養成制度
代前半のうちに日本ではエアロビクス理論が欠落した
や資格制度が未熟であったこの時期,インストラク
まま,エアロビックダンスが受容されていったのであ
ターは大会の成績によって格付けされ,有酸素運動と
る.
いうエアロビックダンスの基本ではなく,より激しい
プログラムを提供するようになった.こうして,競技
会の開催はエアロビクス理論に基づいて行う有酸素運
動としてのエアロビックダンスの普及の妨げになり,
エアロビックダンスのプログラムが激しさを増してい
く要因となった.
5. ま と め
本研究では,日本におけるエアロビックダンスの受
容過程において,エアロビックダンスがいかにしてエ
アロビクス理論から離れていき,多くの人々が傷害を
抱えるような問題が発生するに至ったのかを史的側面
から検討し,その要因を外部要因と内部要因の両面か
ら検討した.本研究により明らかにされた点は,以下
のようにまとめられる.
1980 年代はじめにエアロビックダンスが日本へと
導入され,一気に全国へ広がっていくと,企業はその
ブームに便乗してエアロビックダンスのビデオの輸入
やテレビ番組の制作をはじめ,またエアロビックダン
スを用いて企業や商品の広報活動に取り組んだ.ま
た,すでにヨガやジャズダンスなどの練習着として広
まっていたレオタードがエアロビックダンス時の服装
として定着すると,レオタードの変化とともにエアロ
ビックダンスは性的なイメージを伴うようになった.
このように,エアロビックダンスの日本への導入以
降,その話題性や性的なイメージに注目が集まったこ
とで,エアロビックダンスの根本的な部分であるエア
ロビクス理論が徐々に見落とされていった.
また,1980 年代前半は,エアロビックダンス業界
注及び引用参考文献
1) 上杉正幸(2008)健康不安の社会学.世界思想社:京
都,pp. 136–137.
2) 同上書:p. 137.
3) 本論文で扱う用語について,ここで整理しておきたい.
本論文では,クーパーが開発した有酸素運動に関する語
として「エアロビクス」を用いることとする.具体的に
は,クーパーによって考案された有酸素運動の理論およ
びプログラムにはそれぞれ「エアロビクス理論」,
「エア
ロビクスプログラム」の語を用い,エアロビクス理論に
基づいてクーパーが提唱したランニング,水泳,サイク
リングなどの有酸素運動を示す語として「エアロビク
ス」,あるいは「エアロビックエクササイズ」の語を用
いる.また,ソーレンセンのエアロビックダンシングを
はじめ,ジュディ・シェパード・ミセットのジャズサイ
ズ,ジェーン ・ フォンダのワークアウトなど,エアロビ
クス理論に基づき,主に 1970 年代にアメリカで考案さ
れたダンス形式のエクササイズを示す用語として「エア
ロビックダンス」を用いることとする.したがって,エ
アロビックダンスは,エアロビクスあるいはエアロビッ
クエクササイズの一種に位置づけられるものである.
4) 比佐 仁(1983)エアロビクス発展の鍵を握るインス
トラクターの質.レジャー産業資料,16
(4): p. 140.
5) ハートフィールド・アソシエイツ(1991)FROM 1981
TO 1991 日本のエアロビクスの歩み.フィットネス
ジャーナル,6
(1): p. 14.
6) 沢井史穂(1995)エアロビックダンスの特性.Japanese
journal of sports science, 14(1): p. 23.
7) 山本由子(1986)エアロビクスは体に悪い!.文芸春
秋,64
(8): pp. 326–332.
8) 山本由子(1986)エアロビクスは体に悪い!.文芸春
秋,64
(8): p. 326.
27
日本におけるエアロビックダンスの科学的理論欠落の要因に関する研究
9) 沢井史穂・岡 川曉・武藤芳照ほか(1987)エアロビッ
クダンスに伴う傷害の実態.日本体育学会第 38 回大会
号 B:p. 558.
10) 文芸春秋(1987)インストラクターの調査で分かった
「エアロビクスは身体によくない」というデータ.週刊
文春,29
(9): pp. 135–137.
11) 1980 年代後半,エアロビックダンスによる傷害の問題
を取り上げた主な論文,記事として以下のものが挙げら
れる:川島篤子(1987)エアロビックエクササイズの
施設,指導の留意点.レジャー産業資料,20
(6): pp.
84–89;文芸春秋(1987)インストラクターの調査で分
かった「エアロビクスは身体によくない」というデー
タ.週刊文春,29
(9): pp. 135–137;黄川昭雄(1987)
エアロビックダンスのケガの原因 それは“無知”ナノ
ダ.フィットネスジャーナル,1
(7): p. 24;川向妙子・
山崎律子・若林恭子ほか(1987)エアロビックダンス・
インストラクターへの期待について.東海大学紀要体育
学部,(17)
: pp. 51–61;萱沼文子(1989)エアロビッ
ク・エクササイズ.講談社:東京,pp. 189–193.
12) 高橋賢一(1991)エアロビクスが誤解されている,そ
のままでは日本のエアロビクスの明日はない.フィット
(6): p. 41.
ネスジャーナル,5
13) ハートフィールド・アソシエイツ(1991)FROM 1981
TO 1991 日本のエアロビクスの歩み.フィットネス
ジャーナル,6
(1): p. 15.
14) 上杉正幸(2008)健康不安の社会学.世界思想社:京
都,p. 136.
15)「フィットネスジャーナル」誌上においてエアロビック
ダンスの歴史をまとめている主な記事として,以下のも
のが挙げられる:ハートフィールド・アソシエイツ
(1991)日本のエアロビクス 10 年の「歴史」をふりか
える.フィットネスジャーナル,6
(1): pp. 7–23;ハー
トフィールド・アソシエイツ(1996)10 年目にして初
心にかえる ABC のエアロビクス.フィットネスジャー
ナル,11
(1): pp. 13–25;ハートフィールド・アソシエ
イツ(2011)さよならエアロビクス.フィットネス
ジャーナル,25
(11): pp. 5–28.
16) 山本由子(1986)エアロビクスは体に悪い!.文芸秋
春,64
(8): pp. 326–332.
17) 文芸春秋(1987)インストラクターの調査で分かった
「エアロビクスは身体によくない」というデータ.週刊
文春,29
(9): pp. 135–137.
18) 沢井史穂(1995)エアロビックダンスの特性.Japanese
journal of sports science,14(1): pp. 23–29;沢井史穂
(1999)エアロビクスの現在.からだの科学 (
, 208): pp.
2–7.
19) 日本では,1981 年にジャッキー・ソーレンセンが,自
らが考案したエアロビックエクササイズ「エアロビック
ダンシング」を展開する企業の日本支社を創設し,エア
ロビックダンシングの日本での普及活動を始めた.ま
た,この年に朝日新聞社が「朝日エアロビクス・セミ
ナー」を開催し,エアロビクス理論の提唱者クーパーを
招いて,エアロビックダンスを披露した.さらに 1982
年には,フィットネスクラブ「ザ・スポーツコネクショ
ン」が設立され,フィットネスプログラムの一環として
28
エアロビックダンスを取り入れた.その後,大塚製薬の
提供を受け,アメリカのテレビ番組「エアロビサイズ」
の国内での放映,「オロナミン C エアロビクスキャン
ペーン」の展開が始まるなどして,エアロビックダンス
がアメリカから日本へと導入された.
20) 両角氏は第一企画株式会社の社員としてオロナミン C
エアロビクスキャンペーンの展開にかかわった人物で
ある.対面インタビューは 2013 年 4 月 22 日に実施し
た.
21) Kenneth H. Cooper(1968)AEROBICS. BantamBooks:
New York; Kenneth H. Cooper ( 1970 ) The new
aerobics. M. Evans: New York; Kenneth H. Cooper
(1982)The aerobics program for total well-being. M.
Evans: New York.
22) ジャッキー・ソーレンセン著,池田美知子・池田克紀訳
(1983)ジャッキー・ソーレンセンのエアロビック・ダ
ンシング.保健同人社:東京;Aerobic Dancing, Inc.
(1982)JACKI SORENSEN S AEROBIC DANCING.
Mirus Music, Inc.: Cleveland.
23) Beth S. Swanson (1996) A History of the rise of
aerobics dance in the United States through 1980. San
Jose State University: California.
24) クーパーは運動を機能面から四つに分類している.何も
動作をしないで筋肉だけを緊張させ,酸素をほとんど必
要としない運動を「アイソメトリクス」,動作を伴って
筋肉を緊張させ,酸素の消費が少ない運動を「アイソト
ニクス」,多量の酸素を体が要求し,短時間で終わって
しまう激しい運動を「アネロビクス」,体が必要十分な
酸素を要求し,かつ持続時間もある程度長い運動を「エ
ア ロ ビ ク ス 」 と 定 義 し て い る(Kenneth H. Cooper
(1968)AEROBICS. BantamBooks: New York, p. 32).
25)「エアロビクス」はクーパーによって「Aerobic」に接尾
語「s」をつけて名詞化された言葉である.エアロビク
ス理論が発表される以前,「Aerobic」は「aerobic and
anaerobic work 」,「 the aerobic and anaerobic
capacities」のように,その反対語「Anaerobic」ととも
に使われることが多かった.その後,
「aerobic exercise」
は有酸素運動・エアロビクスと同じ意味を表す語として
クーパーの著書『AEROBICS』に登場し,徐々にこの
言葉が使用されるようになった.
26) ジャッキー・ソーレンセン著,池田美知子,池田克紀訳
(1983)ジャッキー・ソーレンセンのエアロビック・ダ
ンシング.保健同人社:東京.p. 11.
27)
28)
29)
30)
31)
同上書:p. 14.
同上書:p. 15.
同上書:p. 15.
同上書:p. 13.
Aerobic Dancing, Inc. (1982)JACKI SORENSEN S
AEROBIC DANCING. Mirus Music, Inc.: Cleveland.
pp. 1–2.
32) Beth S. Swanson (1996) A History of the rise of
aerobics dance in the United States through 1980. San
Jose State University: California. p. 168.
33) 同上書:p. 143.
34) ジャッキー・ソーレンセン著,池田美知子,池田克紀訳
張 巧鳳
(1983)ジャッキー・ソーレンセンのエアロビック・ダ
ンシング.保健同人社:東京:p. 19.
35) Beth S. Swanson (1996) A History of the rise of
aerobics dance in the United States through 1980. San
Jose State University:California. p. 157.
36) 同上書:p. 157.
37) 同上書:p. 158.
38) 小澤治夫,西畑 泉(2008)最新フィットネス基礎理
論―健康・運動指導者のための UP-DATE テキスト.日
本フィットネス協会:東京.p. 25.
39) Kenneth H. Cooper(1982)The aerobics program for
total well-being. M. Evans and Company, Inc.: New
York.
40) 原文は「Aerobic Dancing and Other Exercise Programs
Conducted to Music」 で あ る.(Kenneth H. Cooper
(1982)The aerobics program for total well-being. M.
Evans and Company, Inc.: New York. p. 267).
41)「エアロビサイズ」に関する主な記事として以下のもの
に挙げられる:読売新聞社(1982)深夜 2 分 30 秒の
コーコツ TV シェイプ・アップ体操 エアロビサイ
ズってナニ ? 週刊読売,41
(18): pp. 160–161;商業界
(1982)ブームのエアロビサイズは郊外族向きの新体操
だ‼ 販売革新,20
(10): p. 190;読売新聞社(1983)
悩殺ポーズで男性視聴者を魅惑 エアロビクス番組花
盛り.週刊読売,42
(5): p. 32.
42) 文芸春秋(1982)ビデオ・インドの広告.スポーツグ
ラフィックナンバー,(56): p. 77.
43) 両角氏インタビュー記録.
44) 両角氏インタビュー記録.
45) 文芸春秋(1982)TBS 系テレビ番組『エアロビクス』が
生んだ,SOUND&VIDEO.スポーツグラフィックナン
バー,増刊号 3
(27): p. 161.
46) 集英社(1983)とりあえずホームレッスン! 何でも
利用してしまうが勝ち.Saison de mon. no,1983 年 1
月号:p. 104.
47) 婦人生活社(1983)今こそ,エアロビクス徹底研究.婦
人生活,37
(9): p. 114.
48) 集英社(1983)とりあえずホームレッスン! 何でも
利用してしまうが勝ち.Saison de mon. no,1983 年 1
月号:p. 104.
49) アメリカから「ジェーン・フォンダのワークアウト」,
「エアロビック・エクササイズ」
,
「ザ・クラシック・エア
ロビック・ウーマン」
,
「エアロビック・フィーバー!ウィ
ズ・デビー」
,
「エロビック・シェイップ・アップ・ウィ
ズ・ジョアニー・グリゲインズ」,「オーディオ・エアロ
ビクス」などの,エアロビックダンスに関するビデオが
輸入された.
50) 久保田宣伝研究所(1983)
“ビューティ & ヘルシー”第
一弾は,まずシェイプアップから.ポーラ化粧品本舗
《ポーラ・エアロビック・ワークアウト》キャンペーン.
宣伝会議,30
(9): p. 92.
51) 同上書:pp. 92–93.
52) 同上書:p. 93.
53) 同上書:p. 94.
54) 同上書:p. 92.
55) 同上書:p. 94.
56) ハートフィールド・アソシエイツ(1991)FROM 1981
To 1991 日本のエアロビクスの歩み.フィットネス
ジャーナル,6
(11): p. 14.
57) 技術と人(1983)なぜか エアロビクス―ビジネス・
ショー.技術と人間,12
(5): p. 1.
58) 以下のような記事に取り上げられている:マガジンハウ
ス(1986)まぶしい! 胸元 ? いいえ脚線美です.平
凡,42
(9): p. 32;毎日新聞社(1983)セーラー服から
レオタードへ「あしながおじさん」を演じる原田知世.
サンデー毎日,62
(33): pp. 14–15;集英社(1983)松田
聖子がスポーツインストラクターにチャレンジ 初め
てのエアロビクス・ダンスにドキドキ.週刊明星,26
(39): pp. 3–7;近代映画社(1982)中森明菜エアロビサ
イズ もうすぐ 17 歳 好きです! 青春ダンス.近代
映画 38
(15): pp. 114–115.
59) 大歳良充著(1969)明日の大衆消費社会.東洋経済新
聞社,東京:p. 228.
60) 笠井 博(1981)Let s ジャズダンス.東京音楽社,東
京:p. 24.
61) 畠山 剛(1984)成長めざましいレオタード.富士タ
イムズ ,(1): p. 13.
62) 矢野経済研究所によると,レオタードの売上市場規模は
1979 年に約 15 億円(70 万枚)であったものが,1982
年には約 43 億円(196 万枚)まで拡大された(矢野経
済研究所(1983)成熟段階に突入したレオタード市場 活性化のカギは関連商品分野の拡大か.ヤノニュース,
(1159): p. 26).
63) 中村久子(1991)10 年間でレオタードはこう変わった! フィットネスジャーナル,6
(11): p. 18.
64) 同上書:p. 18.
65) 同上書:p. 19.
66) 鶴見幸子(1991)エクササイズの発展 理想のエクサ
サイズを求めて.フィットネスジャーナル,6
(11): p.
67)
68)
69)
70)
71)
72)
73)
22.
同上書:p. 22.
同上書:p. 22.
同上書:pp. 22–23.
同上書:p. 22.
同上書:p. 22.
同上書:p. 22.
フィットネスビジネス研究所(1995)全国フィットネ
スクラブ施設名簿 95.フィットネスビジネス研究所,
東京:p. 7.
74) 同上書:p. 1.
75) 坂本義朗(1989)スポーツクラブの実態調査と事業化
計画資料集.総合ユニコム,東京:p. 7.
76) 同上書:p. 6.
77) ハートフィールド・アソシエイツ(1991)FROM 1981
TO 1991 日本エアロビクスのあゆみ.フィットネス
ジャーナル,6
(1): p. 14.
78) 同上書:p. 11.
79) ハートフィールド・アソシエイツ(1988)エアロビク
ス競技会,その将来性と問題点を日本で最初に始まった
ドールカップの生みの親に聞く.フィットネスジャーナ
29
日本におけるエアロビックダンスの科学的理論欠落の要因に関する研究
ル,3
(1): p. 32.
80) 同上書:p. 32.
81) 1989 年,アメリカ本部の事情から日本本部に一本化さ
れ,国際エアロビック協会(FIA)が国際エアロビック
連盟(IAF)に改組された.1992 年,IAF の日本国内事
業を独立させるため,社団法人日本エアロビック連盟
(JAF)が設立された.
82) ハートフィールド・アソシエイツ(1988)エアロビク
ス競技会,その将来性と問題点を日本で最初に始まった
ドールカップの生みの親に聞く.フィットネスジャーナ
ル,3
(1): p. 32.
83) ハートフィールド・アソシエイツ(1991)FROM 1981
TO 1991 日本エアロビクスのあゆみ.フィットネス
ジャーナル,6
(1): p. 14.
84) ハートフィールド・アソシエイツ(1988)エアロビク
ス競技会,その将来性と問題点を日本で最初に始まった
ドールカップの生みの親に聞く.フィットネスジャーナ
ル,3
(1): p. 32.
85) ハートフィールド・アソシエイツ(1991)FROM 1981
TO 1991 日本エアロビクスのあゆみ.フィットネス
30
ジャーナル,6
(1): p. 14.
86) 集英社(1984)わたしたちってミスもしたたるいい女
かしら⁉ 週刊明星,27
(13): p. 29.
87) 同上書:p. 29.
88) 同上書:p. 29.
89) ハートフィールド・アソシエイツ(1995)FJ100 号の歩
みと共に見るエアロビクスの歴史,9
(4): p. 39.
90) ハートフィールド・アソシエイツ(1991)エアロビク
ス競技会の賛否両論.フィットネスジャーナル,6
(1):
p. 20.
91) 同上書:p. 20.
92) 同上書:p. 20.
〈連絡先〉
著者名:張 巧鳳
住 所:〒158–0081 東京都世田谷区深沢 7–1–1
所 属:日本体育大学大学院
体育科学研究科体育科学専攻
博士後期課程スポーツ文化・社会科学系
E-mail アドレス:[email protected]