第4回

どよう便り 83 号(2005 年 1 月)
出生前診断 イギリスからのレポート
渡部 麻衣子
はじめに:
第4回
の夜にモルフィネを与えられました。月曜の朝、Ethan
「あなただって、健康な子どもが欲しいでしょ?」
は産まれました。私は、死んだ赤ちゃんを産んだことに
出生前スクリーニング・診断の目的として最も多用さ
全く恐れをなしていました。何日か後にきちんと火葬し
れる説明は、女性の自主的選択の機会を与えている、と
ました。私たちは Ethan をけっして忘れません。
いうものです。その機会を享受することは女性の権利で
あると言われます。イギリスにおいて、ダウン症を対象
Katie: 心臓疾患により中絶
とした出生前スクリーニングがすべての妊婦に紹介され
(20 週目の超音波検査で重篤な心臓疾患が見つかっ
ることとなった大きな要因も、この権利を平等に与える
た)その日の夜、私は赤ちゃんが蹴るのを一晩中感じて
という意識だったと言えるでしょう。女性が自身の身体
いました。耐えられませんでした。そんなに重い障碍が
について自主的に選択すること自体は大切なことです。
あるのなら、どうしてこんなに動いたり蹴ったりするこ
そのこと自体は否定せずに、ではそれがどのような選択
とができるのでしょう? 未だにどうしてできたのかわ
となるのかを、今回は紹介しようと思います。
かりませんが、私は中絶するため病院に行きました。経
出 典 は、Antenatal Result and Choice(ARC) と い う、
口薬を与えられましたが、それを飲めるまでに一時間か
障碍を理由に中絶した妊婦のカウンセリング活動を行っ
かりました。陣痛から六時間半で Katie は生まれてきま
ているチャリティー団体の 2002 年のニューズレターで
した。10 日後お葬式をしました。Katie が死んだ時、私
す。掲載されていた三人の体験者の投稿を、抜粋しまし
の一部が死にました。そしてそれは二度と戻ってきませ
た。文頭の名前は、各人が中絶した胎児に命名したもの
ん。
です。
(カウンセリングを通して)私は赤ちゃんのために一
番親切なことをしたのだと気付きました。失ったことに
Ethan:染色体異常により中絶
苦しんでいるのは私で、終わりのない手術をしなくては
2001 年 4 月 2 日に私たちの息子 Ethan を 19 週で失っ
いけなかっただろう赤ちゃんではありません。(次に妊
てから、一年が経ちました。私は未だにたくさん泣きま
娠した時)それはとても辛い妊娠となりました。20 週
すし、違う結果になっていたら、と思います。金曜日に、
まで心臓の診断はできなかったので、14,5 週で赤ちゃん
最初の薬を飲むため病院に行った時、私たちは正しい選
が動き始めた時に彼の心臓が健康か否かを知らないこと
択をしたと信じていました。耐え難いほどつらく、違う
はつらかったです。私は Katie をけっして忘れません。
結果のためなら何でもしたと思います。土曜の夜、私は
人は赤ちゃんを失った痛みと共に生きることに慣れるこ
まだ体の奥で小さな動きを感じていました。
そして突然、
としかできません。それはなくなりません。ただ耐えや
赤ちゃんが子宮の底に沈んでいくような、ひどい感覚を
すくなるだけです。
感じ、その時彼が死んだのだとわかりました。中絶は経
Leah:心臓疾患とダウン症により中絶
口薬で促進されました。痛みがひどくなったので、日曜
若い健康な非喫煙者として、妊娠に何か問題がおこる
とは思っていませんでした。12 週目の超音波検査はと
ても胸躍らされる経験でした。うなじの厚みが測られて、
ダウン症の子を妊娠している可能性は 15 歳の妊婦くら
い低いと言われました。検査のあと、(夫と)二人でお
祝いに朝ごはんを食べにいきました。問題がおきたのは
20 週目です。赤ちゃんの心臓がとても早く動いている
と言われました。(胎児に重篤な心臓疾患が見つかり中
絶を決心する。その後ダウン症であることも明らかにな
る。)病院からの帰り、赤ちゃんが蹴るのを初めて感じ
ました。中絶の日の前の晩、お風呂につかりながら、赤
ちゃんが蹴るのを感じていました。泣きながら、それが
止まればいいのにと願いました。
22
どよう便り 83 号(2005 年 1 月)
だから、アメリカの牛肉は危ない !
書評
羊水検査をした同じ医師が中絶も担当しました。赤
──北米精肉産業、恐怖の実態
ドナルド・スタル、マイケル・ブロードウェイ著
中谷和男・山内一也 訳
河出書房新社(2004 年)2,100 円 ( 税込 )
ちゃんの心臓に注射が打たれている間、画面を見ること
はできませんでした。でも、彼が「赤ちゃんは眠りまし
本書の原題 Slaughterhouse Blues ( 屠畜場ブルース ) は、かつ
たよ」と言ったのを覚えています。最初の薬を 11 時に
て砂糖の有害性を告発して話題になった Sugar Blues( 邦訳『砂糖病』
与えられ、
すぐに痛みを感じました。それからの一日は、
ウィリアム・ダフティ著、原著 1975 年 ) を思い出させる。ブルー
痛み止め(ペシダインとモルフィネ)を与えられ続け不
スの原義は「恐れ、肉体的不快、不安などの重圧による憂鬱な気分」
鮮明です。一日中ふらふらでしたが痛みは感じることが
だが、砂糖や牛肉に限らず、何をどう食べればよいのかという問題
できました。ショックを受けたのはその時でした。私は
がいま人を不安にしている。本書の邦題を見て、
現今の BSE 対策 ( 米
死んだ赤ちゃんを産んだのです。彼女はまだ暖かく濡れ
国産牛肉の輸入禁止や食肉処理前の全頭検査など ) をめぐる判断材料
ていて完成された小さな顔を持っているように見えまし
を期待する向きもあろうが、本書の焦点はもっと奥深いところに結
た。次に私を打ちのめしたのは、数日後に母乳が出てき
ばれている。
「一日二交代制で八時間の間に三千頭あまりの牛を処理
する」能力̶̶これは東京芝浦の屠場の 10 倍近いという̶̶を備
たことでした。
えた精肉工場でなされている労働の実態、4 大企業が米国の牛肉市
場の 85 パーセントを支配するに至った経緯、そしてその巨大工場
まとめ
群が進出した地域にもたらしている様々な深刻な影響̶̶本書は 15
以上が、イギリスにおける障碍を理由とした中絶の経
年をかけて、これまであまり語られることのなかった問題にメスを
験例です。12 週目以降の中絶はすべて陣痛促進剤を使っ
入れた労作であり、
「牛肉の安全性」の背後に、経済性・効率性を追
て行います。ですから、障碍を理由とした中絶のほぼす
求するあまりとてつもなく巨大化してしまった生産・供給システム
べてがお産と同じ方法で行われます。また、障碍を確定
の問題が控えていることを私たちに教える。
診断できるのが 16,7 週目からであるため、その頃には
本書は米国とカナダの精肉 ( 牛肉・豚肉・鶏肉 ) および養鶏産業を、
もう胎動を感じていることが多いようです。ARC によ
社会学、地理学、人類学の方法を用いて現地調査によって組織的に
研究した最初の成果であろう。北米大陸における機械化農業の進展
れば、中絶にかかる時間は平均して 6 時間。しかし、経
やアグリビジネスの台頭、飼育業者の大規模化、鉄道と冷凍技術の
口中絶薬という薬を飲んだ後、家に帰って陣痛を待つ時
発達などが連動しながら、精肉生産の構造変化と地理的変遷 ( 家畜供
間は、ここには含まれていません。
給源である農村地帯への移転 ) がもたらされ、最終的に小規模の家畜
三人の妊婦は一様に、その間に胎児の存在を感じるこ
生産者たちが契約制度によって巨大精肉企業に囲い込まれる。こと
とのつらさを振り返っています。そして一様に、胎児に
にここ 30 年ほどの巨大化・寡占化は著しく、たとえばスミスフィー
名前を付けることで、その存在を心に留めておこうとし
ルド社の豚の売り上げは 1983 年から 2000 年の間に 10 倍以上、
ています。障碍を理由とした中絶を選択することは、人
ケンタッキーのチキンの生産は最近 10 年で 154 倍という驚異的な
によっては「子を失う悲しみに慣れながら生きることを
伸びを示した。労働者として移民をかき集めることで地元の社会は変
選ぶ」ことと同等でもあるようです。しかし、出生前ス
質し、工場では「最低の賃金で最高の離職率」
「誰かがケガをするま
で何もしない」劣悪な労働環境が出現する。米国全土で動物の排泄物
クリーニング・診断が女性の自主的選択のための技術だ
は人間のそれの 130 倍以上にもなることからくる環境汚染も見逃せ
と主張される時の「選択」には、単に「障碍のある子を
ない。もちろんこうした悪影響を批判し告発する人々もいる。しか
持たないという選択」という意味合いしか含まれていな
し巨大企業にしてみれば応戦にかかる弁護士料・法廷経費・罰金など
いのではないでしょうか? 女性の体験を読むと、その
は必要経費なのであり、
「健全な食」のための抜本的な代替システム
ことの不公平さを感じずにはいられません。
に視線を向けることは、まずあり得ないのではないかと思わされる。
その点で示唆的なのは、終章でごく簡単にふれられている西ヨーロッ
パとニュージーランドの事例だ。EU 諸国では家畜への成長ホルモン
や抗生物質の投与を禁止する動きが広まっており、たとえばドイツ
では 2007 年に鶏のケージ内での飼育が禁止される。ニュージーラ
ンドでは大規模屠畜処理企業が、品質や安全性の面ではるかに優れ
た最新式の小規模工場の躍進で、廃業に追い込まれている。
日本では牛丼の復活を願う人は多いだろうが、その前に、牛肉や
鶏肉や豚肉が安価で大量に輸入されることがいったい何を意味する
のかを知らねばならない。本書はその最初の手がかりとなるものだ。
( 上田昌文、
『週刊 読書人』に初出 )
23