いのちとライフコースの社会学

序
いのちとライフコースの社会学
――2011年の日本において
藤村正之
Masayuki Fujimura
1…………〈生〉とグローバルが直結する時代
シンプルに考えるならば、社会学は社会の中を生きる人間を研究する学問分
野だといえる。ここでいう社会は、時代や地域などが違えば異なる人間の生き
方や営みが存在するがゆえに多様であり、多様な社会があるがゆえに社会学が
存在する意義もあることになる。そして、いまや空間たる地域は、国家を超え
て世界・地球にいたるグローバル化の方向が顕著であり、他方、グローバルな
地球上のどこかでおこった事象が、明日の私たちの日常的な生き方に影響を与
えるということも珍しくなくなってきている。それは世界経済や大災害であっ
たり、新種の伝染病やスポーツ・イベントであったりする。人々の〈生〉とグロー
バルが直結する時代を私たちは生きている。それは、社会学の分析において対
比される概念が、その成立期の「個人と社会」から 20世紀の「行為とシステム」に、
そして、それが 21世紀に入り、具体性と現実の変容を盛り込んだ「
〈生〉とグロー
バル」
とでもいうべき関心へと展開していこうとしていることでもある。それは、
〈生〉へ向かう求心性とグローバルに向かう遠心性へと引き裂かれつつ交錯する
問題設定でもある。
私は、人間の〈生〉が支えられ構成される要素であり、社会学がこれまで研
究対象としてきたものを、
〈生命〉
〈生活〉
〈生涯〉の 3 つとしてとらえてみては
どうかと考えている。
〈生〉は直接的には〈死〉と対比される。その中で、ひと
りひとりの個々人の生から死までの時間域が〈生涯〉であり、それを物理的に
支えるのが〈生命〉としての身体である。
〈死〉によって〈生命〉と〈生涯〉は
終わりをつげる。そして、その区切られた時間域の中で、
〈生命〉を通じて描か
れる、瞬間・瞬間のスナップショットが〈生活〉であるといえるだろう。すな
わち、
〈生〉とは、身体の活動としての〈生命〉を媒体に、日々の活動経験(〈生
活〉
)と時間経験(
〈生涯〉
)を私たちが達成していく軌跡であると考えられる。翻っ
1
序 いのちとライフコースの社会学 て考えれば、英語 life はひとつでありながら、翻訳語としては、
〈生命〉でもあり、
〈生活〉でもあり、そして〈生涯〉でもある(藤村 2008, pp.264-265)。
21 世紀初頭の日本社会は、格差社会論の関心の高まりに示されるように、生
活保障への関心や、人々の〈生〉や生きづらさへの問いかけが切実に感じられ
る時代となっている。そこには、自己決定・自己実現・自己責任という形で、
問題の観点が「自己」にのみ閉じられ、自らの関心が個人の生活の範囲にとどまっ
(Beck 1986=1988)
てしまう
「個人化」
という社会的動きも底流に存在していよう(藤
村 2009)
。私たちは、まさに「個人化」に向けて社会化されるという事態を生き
ている。
そのような社会背景の下で、私たちは 2011年 3月 11 日をむかえることになっ
た。
2…………東日本大震災のただ中で――4つの事態の連動として
歴史の転換点だったということは、本来は一定の時間が経過してからわかる
のだろうが、2011 年を生きる私たちは、今年がそのような年になるのだろうと
いう思いを深くもちながら生きている。
2011年 3月 11日午後 2時 46分、東北地方太平洋沖に巨大地震が発生した。そ
の後生起した巨大津波とあいまった東日本大震災は、戦後最大の死者・行方不
明者を出す大災害となった。この大震災において、実際には次の 4 つのことが時
間的に順次連動して起き、それぞれ個別的に問題の質や広がりがありつつ、そ
れが一気に重なるように起こったと考えられる。その 4 つとは、地震被害、津波
被害、原発被害、そして、東北・関東だけでなく全国で経験しつつある電力不
足である。それぞれの被害の重なりや違いを意識したうえで、問題点の認識や
対策の検討が必要になってくるだろうと判断される。それらの被害に遭遇した
私たちは、その被害の直接の当事者の人たちも、また、同じ時代・同じ社会を
生きる日本の人たちにとっても、社会のあり方やひとりひとりの生き方の問い
直しを迫るものとして感じられている。
4 つの連動する事態のまず最初に起こったのが、3 月 11 日午後の東北地方太平
洋沖の巨大地震であった。東北に限らず、関東を含む各地で長く大きな揺れが
経験された。この地震によって起こったのが東北地方を中心とする新幹線や在
来線、高速道などの交通網の寸断、火力発電所や送電線の被害による停電、水
道管の被害での断水、さらには千葉での地盤液状化などである。東北の高速交
2
通網の寸断はその後の支援者や物流の停滞を招き、救援に少なからぬ影響をお
よぼした。首都圏でも鉄道網がマヒし、帰宅困難者があふれかえることになった。
これらの地震被害は地震による問題として、阪神・淡路大震災などと比較して
検討する必要があるであろう。
次におこった事態が、沖合での巨大地震によって連動的にひきおこされた巨
大津波である。今回の震災の性格や被害を大きく決める要因となったのが、こ
の巨大津波であった。戦後最大の死者・行方不明者を出した災害となったわけ
だが、そのほとんどが地震ではなく、津波の被害によるものであったと言える。
地震の後、高台へ、屋上へと人々は逃げた。しかし、津波の高さを計算して建
設されたはずの堤防を軽々と越えてきた濁流が、人や家屋や自動車を流していっ
た。大津波に飲みこまれた岩手・宮城の沿岸部の市町村の街並みや景観が見た
こともないようながれきの山と化し、町や港は壊滅状態となった。ぶっちぎれ
た木造家屋や鉄筋の建物の残骸は、戦場のイメージであったとも評される(長谷
川 2011, p.254)
。百年に一回とも、千年に一回とも言われる、経験をしたことの
ない想定外の津波被害が私たちを襲ってきたのである。
そして、地震と津波の被害から電源停止に追い込まれ、冷却装置の機能不全
によって発生したのが、原発事故であった。対応の一手によって状況がむしろ
深刻になったり、分刻みで刻々と事情が変わっていったりした。政府や東京電
力の対応は世界的注視の下におかれ、外国人の関東以西や海外への退避もあい
ついだ。付近の住民の人たちには放射線被曝を避けるべく収束時期の見えない
避難が政府から求められ、各種の風評被害もあれば、農作物や畜産品、水や土
壌の放射線量が社会的注目をあびている。ただちに影響はないとされ、放射線
の人体への長期的影響については極度の不安は除かれつつも、実際には経過を
見てみないと判然としない状況となっている。長年続いてきた原発安全神話の
幕が引かれる瞬間が、地震と津波によってもたらされたのだった。
原発もからんでいるがゆえになのだが、今回の震災の特徴として、これら 3 つ
の被害の累積した結果が全国に波及していったこともあげられる。集合消費の
インフラが崩壊し、個人消費として買い占め現象もおこったのだが、特に遠く
離れて被災していない都市部でのそれは、個人的生活防衛のはずが被災地の物
資不足に拍車をかけることになってしまった。買い占めは一時的なものとして
終息したが、震災被害の連動の重要な帰結のひとつが、東京電力などでの電力
不足であった。地震で火力発電所がやられたところに、原発事故での電力供給
停止が決定的な追い打ちをかけることとなり、電力不足の急場をしのぐため、3
3
序 いのちとライフコースの社会学 月下旬から関東圏では計画停電が実施され、地域ごとの時間停電や鉄道網の部
分運休・間引き運転を経験することとなった。夏の電力使用制限令まで発動さ
れたこの節電は、電力に多くを頼るライフスタイルの再考をうながすものとなっ
たし、他方、産業界にとっては度重なる円高とのダブルパンチの大打撃で、安
定した電力環境を求めて国内工場の海外移転がささやかれ、国内から海外に発
注先を変える企業が出る事態にもいたっている。福島の原発事故を見てしまっ
た日本国民にとって、電力確保とはいえ、点検後の原発の再開有無は全国各地
の政治的焦点となっている。
戦後日本が高度経済成長期を経て達成してきた、モノであったり、価値観で
あったりしたものが、音をたてて崩れはじめた瞬間が 3 月 11 日の午後 2 時 46 分
だったということにおそらくなるのであろう。明治維新から太平洋戦争の敗戦
までが約 80年、そして、戦後から今回の東日本大震災までが約 70 年。各々の時
期で、日本は離陸・成長・衰退を経験することになったといえるのではないだ
ろうか。したがって、今回の復旧・復興には、東北の被災地の再建にとどまらず、
日本近代化の第 3 局面として日本新生のあり方の議論が求められている。また、
論者によっては、ユーラシア大陸の日本とちょうど反対側にあるポルトガルが、
大航海時代に海上帝国として発展した後、リスボン大地震によって衰退が決定
的となったことに重ねあわせ、日本を「東洋のポルトガル」と見ることができ
るかどうか、世界システム論の観点から評する見方もある(川北 2011)。
東日本大震災を日本史や世界史の大きな流れの中においてみる必要性、同時
に今回の事態が被害規模だけでなく、
「大震災」と呼ばれるにふさわしい 4 つの
事象の連動性としても稀な事態だったことを確認する必要性があるであろう。
3…………大災害と〈生〉とのかかわり
歴史に残る事態となった東日本大震災は、東北地方沿岸部の壊滅的な津波被
害と福島の原発事故によって特徴づけられる。しかし、同時に、この夏の段階
において、1 万 5,800 人の死者、4,500 人の行方不明者、今なお 8 万人におよぶ避
難者がおり、さらにはそれらの難は逃れたものの生活の再建に向けて苦悩して
いる人々が多数いる。それらの、ひとりひとりの〈生〉において、この大震災
は決定的な刻印を残すものとなるであろう。
今回の大震災によってひとりひとりの〈生〉におよぼされる事態は、
〈生命〉
〈生
活〉
〈生涯〉の個々の側面において見られると共に、災害に巻き込まれた人々の
4
〈生〉の営みの問題が〈生命〉
〈生活〉
〈生涯〉の順に課題として浮上し、解決が
求められていくことにも改めて気づかされることになった。
災害によって真っ先に問題となったのは、言うまでもなく人々の〈生命〉で
ある。津波によって、その日の朝、その日の昼まで、普通に生きていた人たち
の〈生命〉が一瞬のうちに奪われていった。しかも、津波の濁流に飲み込まれ
てわずか数センチだけ手を建物にかけて生き残ることができたり、あるいは追
いかけてくる津波から数秒の差で屋上や高台に逃げ切れたりなど、わずかなと
ころで人の生き死にが決まっていった。そのような生死を分ける瞬間が、どの
人々にもあったと想定される。三陸地方には、津波に遭った場合は家族全員で
助かることは難しいかもしれないので、逃げられるときにはそれぞれが「てん
でんばらばらでも逃げろ」という「津波てんでんこ」という言い伝えがあると
される。災害で生死のかかった瞬間は、どの人にもその瞬間が襲ってくるので
あり、必ずしも誰かが助けてくれる保証があるわけではない。本来なら、助け
に回るはずのその人も生死の瀬戸際に立たされているのだから。自分の生命は
瞬間・瞬間自分自身で守らなければならないということが、今回の災害でより
いっそう明らかになったと言える。災害のまさに生起するその瞬間に限れば、
行政の救援が間に合うことはない。自らの判断が問われ、そのための事前の学
習やその瞬間での情報入手が重要となってくる。他方で、それが必ずしもかな
わないことの多い高齢者・障害者・子どもたちへの対応が課題ともなってくる。
次に、命からがら逃げ切り、
〈生命〉を保ちえたとして、そこから始まるのが
災害後の〈生活〉の維持・再建である。まずは避難所にたどりつけ、居場所が
確保できるのかどうか、さらにそこでの衣食の生活が確保できるのかどうかが
ある。避難所での心身のストレスや生活不活発病で亡くなる高齢者もいる。高
齢者などでは、
〈生活〉が維持できない事態は〈生命〉を維持できない事態にい
たる。次に仮設住宅に場所を変えての生活があり、やがて復興住宅などに居を
構えての新たな生活の開始となっていく。その過程において、初期の 1 日 24 時
間をどう生活していくのかの段階があり、それが軌道に乗れば、次は雇用を中
心とする経済生活の立て直し、家族や近隣の人間関係の再構築が必要になって
いく。
個々人や世帯の〈生活〉の再建と共に、それを支えるであろう地域の再建も
求められる。被災地の再建に関して新しい方法や工夫が必要な一方、地元で長
らく生活をしてきた人々にとって、震災前も震災後も継続される生活の、身体
に染みこんだ文化や習慣との整合性をどう調整していくのかが課題となってい
5
序 いのちとライフコースの社会学 く。ある意味で合理的で理想を含んだ復興プランが提示されるとしても、例えば、
住居の高台移転など、人々の〈生活〉の観点からして受け入れ可能なものとなっ
ていくかどうか。復興の基本プランをしめす政府と住民の双方の意見を聞く立
場で、中間に入る県や市町村の果たす役割が大きいことになろう。
災害の難を逃れて〈生命〉を保ち、
〈生活〉の再建が達成されていく過程で、
時間の経過とともに次第に〈生涯〉にかかわる事象が浮上してくる。多くの人々
が自分自身の生き死にの瞬間に関わる経験をしており、その体験を自らの人生
の過程において落ち着いて位置づけられるまでには一定の時間が必要であろう。
多くの人たちが、災害死の難を逃れたことを、
「自分が生かされている」とい
う受動的な摂理として声にし、死生観や社会観の変容を語る。また同時に、自
らの〈生涯〉の伴走者であった家族・親族・友人などを理不尽な形で亡くした
経験を多くの人々が有している。自分は生き、なぜ彼・彼女は死んだのか。こ
の経験と思いを人はおそらく〈生涯〉かかえて生きなければならない。さらに、
死にいたる事態の経験によっては、生き残ったものに罪悪感が感じられるとい
うサバイバーズ・ギルトの心理状況にさいなまれるものもいるであろう。実際
に津波など災害が来たときに、例えば子どもをおいて親が逃げられるだろうか
と考えればそれは難しく、先にふれた「津波てんでんこ」の言い方もてんでん
に逃げることに焦点があるというよりも、むしろ家族の犠牲者を出してしまっ
たことに自らがふんぎりをつける自分自身への説明の方法として考えることも
可能なのではないだろうか。
今回の震災において、東北地方の過去の津波経験が文書や口頭など何らかの
形で伝承され、それが今回の避難においても有効だったという例があった。そ
のことは、今回の経験を、街づくりや堤防といったハード面だけでなく、ひと
りひとりの避難の指針としても後世に向けてしっかり伝承していくことが重要
になってくることをしめしている。それが、数多くの人々の死と生き残ったも
のの瀬戸際の体験を意義づけることの一端となっていく。
加えて、今なお事故の収拾にあたり。その拡大を防いでいる多数の原発労働
者は、日々いのちを削って作業にあたっており、また、福島で生活をする多く
の大人や子どもたちの心身の問題とそれへの不安も想像にあまりある。ともに、
自らの体内外の放射線被曝と長期にわたる後遺症や死の不安にさいなまれてい
ると推測する。
〈生涯〉にわたる不安が再び〈生命〉の問題へと接点をもって迫っ
てくる。そういう事態が毎日続いていく。リスク社会とは、日々の生活を見え
ない不安が覆っていく日常のことなのであろう。
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今回の震災では、阪神淡路大震災のときよりも家族写真が報道の話題になる
ことが多いように見受けられる。阪神の際は地震被害であり、火災におそわれ
なければ、遺体も写真もつぶれた家屋のところにそのままあるということだっ
たのだが、今回は津波により、家屋や家財道具は流出し、場合により家族自身
が行方不明となっている。流された家族写真が発見され手元に戻ってくるのは
奇跡的であり、またその家族写真が明確な映像記憶として生きているものと死
者・行方不明者との、そして生きているもの同士の貴重な接点になっていくと
いうことであろう。同じことは、原発事故により避難を要請されている原発近
隣の人たちの一時帰宅において、家族写真と先祖の位牌・遺影を重要なものと
して持ち帰ろうとする人たちにも言え、つながりの記憶となる媒体を求める同
様の心性と考えられよう。その人たちにとって、原発による放射線被害の長期
化が予想される中、自らの土地や家に戻れるかどうかは、
〈生涯〉をかけた、さ
らには世代をかけた問題となりつつある。
大災害の発生により、私たちは〈生命〉の危険にさらされ、その難を逃れた
として、避難から再建にいたる〈生活〉の長いプロセスがあり、それらの事情
を〈生涯〉の経験や記憶として、
〈生〉を営んでいかざるをえないのである。今
回は〈生涯〉にわたる〈生命〉の不安という事態もかかえこみつつある。災害
は私たちの〈生〉の諸側面を如実に感じさせ、自省的に考えさせるものとなる。
4…………本書の位置づけと構成
本書『いのちとライフコースの社会学』の各章の原稿が執筆されている中、
東日本大震災が発生した。各々の論述の範囲で、それにふれた論考もある。他
方、今回の事態の大きさと本書の主題に鑑み、なんらかの整理をすることが必
要であろうと考え、この序をそれにあてることにした。大災害がまさに人々の
いのちを奪い、人々のライフコースに今も、そして今後も大きな影響をおよぼ
すと考えられたからである。社会学徒として、現在進行形で、さらに犠牲者や
被害程度もまだ定まらない事態について論を整理することにはためらいもあっ
た。しかし、後からふりかえればそれは違っていたということだとしても、そ
れでも 2011 年の時点で書き記しておく意味は充分あり、本書はそういう性格を
になうべき趣旨をもっているのではないかと考えることにした。私たちも、被
災された方々とともに 2011年の日本を生きる同時代人でもあるのだから。
本書は、人々の〈生〉のうち〈生命〉と〈生涯〉に焦点をあて、いのちとライフコー
7
序 いのちとライフコースの社会学 スの 2つを主題に、現代社会と人々の生き方とのかかわりを社会学的に論じよう
とするものである。
〈生命〉には身体の切実性・根源性が、
〈生涯〉には経験の
蓄積性や時間性が内包されている。しかし、核や環境、今回の災害といった問
題や医療技術の進展が私たちの〈生命〉への考え方をゆさぶり、高齢化による
長寿が実現したにもかかわらず家族の変容などにより私たちの〈生涯〉が予定
調和的なものとはなりえなくなっている。他方で、
〈生命〉と〈生涯〉にかかわ
る問題関心は接近してきている。高齢化社会の進展は、慢性疾患の増加を通じて、
無病息災ではなく一病息災というように、私たちの〈生涯〉の後半が病と共に、
すなわち〈生命〉の衰退と共に歩むものであることを明らかにしてきている。
また、
〈生命〉を支える医療領域において cure から care へと目標の転換が起こ
り、医療や福祉の諸実践の効果的達成には、クライアントひとりひとりの人生
の歩みを個別の生活史・人生史として理解することが必要であるという認識が
高まっており、
〈生涯〉への視点が不可欠のものとなってきている(藤村 2008, pp .
269-270)
。
本書は 4 部 19 章・14 コラムによって構成されている。
〈生命〉たるいのちに
ついては、第Ⅰ部で医療社会学や文化社会学などの観点を基礎に、医療・出産・
病・先端医療・生命保険・葬送の各主題を扱う。
〈生涯〉たるライフコースにつ
いては、第Ⅱ部でライフコース論そのものや世代論・老年社会学などの観点を
基礎に、ライフコース・家族写真・音楽・年金・知識人の各主題を論じる。また、
2 つの部の各々の領域の仕事に携わる人々の動向として、看護職と心理職を取り
上げる。第Ⅲ部では、それぞれの時代や事象のただ中で生きざるをえない人た
ちの視線や語りを、戦後体験・若者・認知症・ハンセン病に着目して検討する。
そして、第Ⅳ部では、これらのいのちとライフコースの主題が浮上する社会背
景を、少子高齢化社会と健康化社会として論ずることとする。これらの 4 つの各
部には、部の間で重なるような要素もありながら、いのちとライフコースを考
える素材となる視点や事象をコラムとして配置した。
20 世紀末から 21 世紀へ向けて、いのちとライフコースにかかわる社会的関心
が浮上してきている。高度経済成長期を経て、
「ゆたかな社会」を達成してきた
日本であるが、それは必ずしも「ゆたかな生」の実現に結びついてきたとはい
いきれなかった。そのような中で、00 年代には格差社会の進展がいっそうとり
ざたされ、さらに、今回の東日本大震災によって私たちの〈生〉の不確実性と
はかなさが際立って印象づけられた。いのちとライフコースの社会学は人々の
〈生〉への関心を反映した主題であるともいえるし、その背景にある個人化の進
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