仏教の目指すもの

さとりと慈悲
仏教の目指すもの
さとりと慈悲
釈迦族
今回の主題は、釈尊の在世時代の周辺状況を
開設する。
紀元前 800 ~ 200 年前後は、中国では諸子
百家が活躍し、インドではウパニシャッド哲
学や仏教、ジャイナ教が成立して、イランで
はザラスシュトラ(ツァラトストラ、ゾロア
スター)が独自の世界観を説き、パレスティ
ナではイザヤ、エレミヤなどの預言者があら
われ、ギリシャでは詩聖ホメーロスや三大哲
学者(ソクラテス・プラトン・アリストテレ
ス)らが輩出して、後世の諸哲学、諸宗教の
源流となった
雪山の中腹に正直な一つの民族がいます。昔からコーサラ国の住民であり、富と勇気を具えてい
ます。(Suttanipqta . 422.) 釈迦族(!qkya)に関しては、BC.6-5c. ヒマラヤ山麓にあり、専制的な王を持たず、
部族民が集まって政策を決定していたという。釈尊の後、コーサラ国の毘瑠璃王
に攻められて滅亡した。ネパールに逃れたとする説もある。
実に修行者ゴータマは、母の系統に関しても父の系統に関しても生れ正しく、血統が純粋であり、
七世の祖父まで遡るも、これより外れず、血統に関しては他から非難されることがない。(D]gha_
Nikqya . I, p.115.) 父親(!uddhodana、浄飯王)
、母親(Mqyq、摩耶)であるが、釈尊誕生後 7 日目に亡く
なって、摩耶の妹の摩訶波闍波提(Mahqprajqpat])によって養育された。
誕 生
アショーカ王は BC.268-232 の人で「無憂」と訳される。
〔Lumbin] ルンビニー(釈尊の誕生地)に建てられたアショーカ王石柱碑文〕
神々に愛せられ温容ある王(= A1oka アショーカ)は、即位灌頂ののち二十年を経て、みずか
らここに来て祭りを行なった。ここでブッダ・シャカムニは生れたもうたからである。そうして石
柵をつくり、石柱を建てさせた。世尊はここで生れたもうた〔のを記念するためである〕。ルンミ
ニ村は税金を免除せられ、また〔生産の〕八分の一のみを払うものとされる。
尊者サーリプッタは言った。――
うる
わたくしは未だ見たこともなく、また、誰にも聞いたこともない。――かくのごとく、ことば美
しゅう
わしく衆の主なる師が、トゥシタ (Tusita、忉利 ) 天から来たりたもうたことを。
歓喜を生じ楽しんでいて清らかな衣をまとう三十人の神々の群れ(=三十三人の神々の群れ)が、
衣をとってうやうやしく帝釈天を極めて讃嘆するのを、アシタ仙は日中の休息に見た。
こころ喜び踊躍せる神々を見て、ここに仙人はうやうやしくこのことを問うた。――
「神々の群れが極めて満悦しているのは何故ですか? 何によって、かれらは、衣をとってそれ
を振り廻しているのですか?
たとい阿修羅との戦いがあって、神々が勝ち阿修羅が敗けたとしても、そのように身の毛の振い
立つほど喜ぶことはありません。どんな稀なできごとを見て神々は喜んでいるのですか?
がく
かな
いただき
かれらは叫び、歌い、楽を奏で、手を打ち、踊っています。わたくしは、須弥山の頂に住まわれ
るあなたがたにお尋ねします。尊き方々よ、わたくしの疑いを速やかに除いてください。」
これに対して神々は答えて言った。
「無比の妙宝であるかのボーディサッタ(未来の仏、菩薩)は、もろひとの利益安楽のために人
しゅうらく
間世界に生れたもうたのですーシャカ族の村に、ルンビニーの聚落に。
だからわれわれは満足し、非常に満悦しているのです。
お うし
一切衆生の最上者、最高の人、牡牛のような人、生きとし生けるもののうちの最上者は、やがて
仙人〔のあつまる処〕という名の林で〔法〕輪を転ずるであろう。――猛き獅子が百獣にうち勝っ
-1-
さとりと慈悲
て吼えるように。」
じょうぼんのう
仙人は〔神々の〕その声を聞いて急いで〔人間世界に〕降りて来た。そのとき浄飯王(Suddhodana)
の宮殿に近づいて、そこに坐して、シャカ族に次のように言った。――
「王子はどこにいますか。わたくしもまたお目にかかりたい。」
よう ろ
かくてもろもろのシャカ族は、鎔炉で巧みな金工が鍛えた黄金のようにきらめき、幸福に光り輝
く尊い顔の児を、アシタという〔仙人〕に見せた。
火焔のごとく光り輝き、空行く星王(=月)のように清らかで、雲を離れて照る秋の太陽のよう
に輝く児を見て、歓喜を生じ、大いなる喜びを得た。
さんがい
え
ほっ す
あお
神々は、多くの骨あり、千の円輪ある傘蓋を空中にかざした。黄金の柄のある払子を上下に扇い
だ。しかし、払子や傘蓋を手にとっている者は見えなかった。
カンハシリ(=アシタ)という結髪の仙人は、頭上に白傘をかざされて赤色がかった毛布の中に
いる黄金の飾具のような児をば、こころ喜び楽しんで抱き取った。
しんじゅ
相好と神呪(ヴェーダ)に通暁せるかれは、シャカ族の牡牛のような〔立派な児〕を抱きとって、
〔特相を〕検べたが、心に歓喜して声を挙げた。――
「これは無上の人です。人間の最上者です。」
ときに、仙人は自分の行く末を憶うて、ふさぎこみ、涙を流した。仙人が泣くのを見て、シャカ
族は言った。――
「われらの王子に障りがあるのでしょうか?」
シャカ族が憂うているのを見て、仙人は言った。――
「わたくしは王子に不吉の相があるのを憶うているのではありません。またかれに障りはないでしょ
う。この人は凡庸ではありません。注意してあげて下さい。
この王子は正覚の頂きに達するでしょう。
この人は最上の清浄を見、多くの人々の利益をはかり、あわれむが故に、法輪を転ずるでしょう。
かれの清浄行はひろく弘まるでしょう。
ところがこの世におけるわたくしの余命はながくありません。
中途でわたくしに死が訪れることでしょう。
わたくしは無比の力ある人の教法を聞かないでしょう。
それ故に、わたくしは、怨み悲歎し、苦しんでいるのです」と。
かの清浄行者(=アシタ仙人)はシャカ族に大きな喜びを起させて、宮廷から去って行った。
かれは自分の甥(=ナーラカ)をあわれんで、無比の力ある人(=仏)の教法に従うようにすす
めた。――
「もしも汝が後に『仏あり、正覚を成じて、法の道を歩む』という声を聞くならば、そのときそ
こへ行ってかれの教えを尋ね、その世尊のもとで清浄行を行ぜよ」と。
人のためをはかる心あり、未来における最上の清浄を予見したその聖者に教えられて、もろもろ
の善根を積んだナーラカは、勝者(=仏)を待望しつつ、みずからの感官をつつしんで住んでいた。
すぐれた勝者が法輪を転じたもうとの噂を聞き、アシタという〔仙人〕の教えの実現したときに、
行いて最上の人なる仙人(=仏)を見てよろこび、最上の聖き行ないをいみじき聖者に尋ねた。
-2-
さとりと慈悲
序文の詩句は終った。(Suttanipqta. 679-700.)
若き日の悩み
〔釈尊は後年サーヴァッテイー国の「孤独者に給した人の園」にあって、青年時のことを回想して、
もろもろの修行僧に対して次のように述べたという。〕
わたくしは、いとも快く、無上に快く、極めて快くあった。わが父の邸には蓮池が設けられてあっ
しょうれん げ
ぐ れん げ
びゃくれん げ
た。そこには、ある処には青蓮華が植えられ、ある処には紅蓮華が植えられ、ある処には白蓮華が
植えられてあったが、それらはただわたくしのために為されたのであった。わたくしはカーシー(=
せんだんこう
ベナレス)産の栴檀香以外には決して用いなかった。わたくしの被服はカーシー産のものであった。
はだぎ
襯衣はカーシー産のものであった。内衣はカーシー産のものであった。塞・暑、塵、草、露がわた
くしに触れることのないように、実にわたくしのために昼夜とも白い傘蓋がたもたれていた。その
わたくしには、三つの宮殿があった。一つは冬のため、一つは夏のため、一つは雨期のためのもの
であった。それでわたくしは雨期の四ヵ月は雨期に適した宮殿において女だけの伎楽にとりかこま
たと
れていて、決して宮殿から下りたことはなかった。譬えば他の人々の邸では、奴僕・傭人・使用人
には糖食に酸い粥をそえて与えるように、同様にわたくしの父の邸では奴僕・傭人・使用人には米
と肉との飯が与えられた。
わたくしはこのように裕福で、このように極めて快くあったけれども、このような思いが起った、
まぬが
――無学なる凡夫は、みずから老いゆくもので、同様に老いるのを免れないのに、老衰した他人を
見て、考え込んでは、悩み、恥じ、嫌悪している。われもまた老いゆくもので、老いるのを免れな
い。自分こそ老いゆくもので、同様に老いるのを免れないのに、老衰した他人を見ては、悩み、恥
じ、嫌悪するであろう、――このことはわたくしにはふさわしくない、と言って。わたくしがこの
ように観察したとき、青年時における青年の意気は全く消え失せてしまった。
無学な凡夫は、みずから病むもので、同様に病いを免れず、病んでいる他人を見て、考え込んで
は、悩み、恥じ、嫌悪している。われもまた病むもので、病を免れない。自分こそ病むもので、同
様に病を免れていないのに、病人である他人を見ては、悩み、恥じ、嫌悪するであろう、――この
ことはわたくしにはふさわしくない、と言って。わたくしがこのように観察したとき、健康時にお
ける健康の意気は全く消え失せてしまった。
無学な凡夫は、みずから死ぬもので、同様に死を免れず、死んだ他人を見て、考え込んでは、悩
み、恥じ、嫌悪している。われもまた死ぬもので、死を免れない。自分こそ死ぬもので、同様に死
を免れないのに、他人が死んだのを見ては、悩み、恥じ、嫌悪するであろう、――このことはわた
くしにはふさわしくない、と言って。わたくしがこのように観察したとき、生存時における生存の
すでに、諸行無常について、自らのものとしてとらえようとしていた。
意気は全く消え失せてしまった。 それが当時の若者の一般的な発想だったかどうかは分からない。
(Axguttara_Nikqya. I, p.145f.『中阿含経』第 29 巻 柔軟経〈大正蔵 1 巻 p.607c〉)
またわたくしは、父なるサッカ(=浄飯王)がつとめを行なっているときに、畦道のジャンブー
樹の蔭に坐って、欲望を離れ、不善のことがらを離れて、粗なる思慮あり微細な思慮ある、遠路か
ら生じた喜楽である初禅を成就していたのをよく覚えている。――これが実にさとりに至る道であ
-3-
さとりと慈悲
初禅がどのようなものであるか、明確に理解していたという
ろう、と思って。(D]gha_Nikqya . I, p.246.) ことは、そのような学習をしていたことを意味するのか?
わたくしもまたかつて正覚を得ないボーディサッタ(さとりを得る前の仏)であったとき、自ら
生れるものでありながら、生れることがらを求め、みずから老いるものでありながら、老いること
がらを求め、みずから病むものでありながら、病むことがらを求め、みずから死ぬものでありなか
ら、死ぬことがらを求め、みずから憂えるものでありながら、憂えることがらを求め、みずから汚
れたものでありながら、汚れたことがらを求めていた。そのときわたくしはこのように思うた。
――何が故にわたくしは生れるものでありながら、生れることがらを求め、みずから老いるもの、
病むもの、死ぬもの、憂うるもの、汚れたものでありながら、老いることがら、病むことがら、死
ぬことがら、憂うることがら、汚れたことがらを求めるのであるか? さあ、わたくしはみずから
生れるものではあるけれども、生れることがらのうちに患いのあるのを知り、不生・無上なる安穏
であるニルヴァーナを求めよう。わたくしはみずから老い、病み、死に、憂い、汚れたものではあ
るけれども、それらのことがらのうちに患いのあるのを知り、不老・不病・不死・不憂・不汚であ
る無上の安穏・ニルヴァーナを求めよう。 ニルヴァーナを求めようとする、ということは、その概念が
分かっているのか?
ら
ま
(Ariyaparyesana_sutta, Majjhima_Nikqya. I, p.163.『中阿含経』第 16 巻、羅摩経〈大正蔵 1 巻 p.776a-c〉)
仏教の開祖ゴータマ(gotama)が出生したのは西紀前 500 年ごろであった。この時代の中イン
ドは、社会的・思想的に転換期にあたっていた。北インド方面ではヴェーダの宗教が信奉せられ、
バラモン階級の権威が重んぜられていたが、中インドの新開地ではまだバラモンの権威が確立して
いなかった。この地方ではまだ武士階級の勢力が強く、バラモンはその下位に甘んじていた。
アーリヤ人が北インドから中インドに発展した過程で群小の部族はしだいに統合され、王国に変
貌しつつあった。当時中インドには「16 大国」があったが、それらがさらに統合されようとしていた。
しゃ え じょう
特に中インドの西北方を占めるコーサラ国(Kosala, !rqvast], 舎衛城を首都とする)と、ガンジス河
おうしゃじょう
中部の南方を占拠したマガダ国 (Magadha, Rqjag3ha, 王舎城を首都とする)とは、当時最も強力な国
家であった。特にマガダは当時の新興国であったが、最後にはインドの全体を統一して、インド最
初の王朝を開いたのである。この時代になって厳密な意味での王者(Rqjan)が出現し、王者の権
威が重要視されるようになった。
ガンジス河の流域は酷熱多雨で、豊富な農産物に恵まれ、ここに農耕を主とする耕作民や地主が
現われた。そして物資が豊富になるにつれ、商工業や手工業が盛んになり、都市が発達した。そし
て商人や手工業者は隊商や組合を組織し、商人の長として長者階級(1re2whin, sewwhi)が現われている。
当時は、政治や経済関係が変化し、古い階級制度が崩壊しつつあった。さらにバラモン階級の権威
が重んぜられなかったことは、ヴェーダの自然崇拝の宗教が力を失ったことを意味する。
ウパニシャッドの梵我一如の哲学を経験した当時の知識階級には、自然現象を神として崇拝する
素朴な宗教は満足できなかった。さらにアーリヤ人がドラヴィダ人の宗教に接触して、その影響を
受けたことも、新しい宗教思想の台頭を促す理由となった。さらに中インドは食料が豊富であった
ゆ ぎょう
ために、多数の遊民・出家者を養い得た。そのために宗教に志す人は、家を捨てて出家し、遊 行
者(paribbqjaka)となって、在家者の布施によって生活しつつ、真理の探求しえた。しかも食糧が
-4-
さとりと慈悲
豊富になって生活が安定したにもかかわらず、娯楽が乏しかった古代においては、生命にあふれる
けんたい
若者たちの生活の中に、救われざる不安と倦怠とが引き起こされた。そして現実を逃避して彼岸に
真理を追求する風潮を生じ、良家の子女がきそって出家するという現象を生じた。
しゃもん
当時はバラモンと沙門という2種類の修行者があった。伝統的な宗教者はバラモン(Brqhmaza)
と呼ばれ、ヴェーダの宗教を信奉し、その祭式を司り、同時に梵我一如の哲学に心をひそめ、そ
がく しょう き
こに不死の真理を獲得しようとした。彼らは少年時代に師のもとに弟子入りして学 生 期に入り、
か じゅう
ヴェーダを学習する。つぎに学なって家に帰り、結婚して家長としての義務を果たす家 住 期に入る。
りんじゅう
そして老年になってから、家督を子に譲り森林に退き林 住 期を過ごす。最後には森の住処をも捨
ゆ ぎょう
てて、一処不住の遊 行 期に入って、行方定めぬ旅のうちに一生を終わる。
しゃ もん
このバラモンに対して、この時代に沙門 (1rqmaza, samaza)という、全く新しいタイプの宗教修
行者が現われた。沙門は「努力する人」というほどの意味であり、新しい宗教者の群れであった。
彼らは家を捨てて乞食生活をなし、直ちに遊行期の生活に入った。そして青年時代から禁欲生活を
めいそう
ゆ
が
守り、森に入って瞑想 (yoga、瑜伽)の修行や、烈しい苦行に身を任せた。それによって人生の真
理を体得し、不死を獲得しようと欲したのである。
ろく し げ どう
当時の沙門として仏教の経典には六師外道を説いている。いずれも弟子たちを統率し、教団の長
(gazin)として尊敬されていた。
1 プーラナ・カッサパ(P[raza Kassapa 不蘭迦葉)
2 マッカリ・ゴーサーラ(Makkhali Gosqla 末伽梨瞿舎梨)
3 アジタ・ケーサカンバリン(Ajita Kesakambalin 阿耆多翅舎欽婆羅)
4 パクダ・カッチャーヤナ(Pakudha Kaccqyana 婆浮陀伽旃那)
5 サンジャヤ・ベーラッティプッタ(Sa`jaya Belawwhiputta 散若夷毘羅梨沸)
6 ニガンタ・ナータプッタ(Nigazwha Nqtaputta 尼乾子)
これらの人びとが最も重大視したのは、善悪の行為(業)は結果(報い)を持ちきたすかどうか
であった。最初のプーラナは、道徳の否定を主張した。第二のマッカリ・ゴーサーラは、偶然論・
宿命論を唱え、彼の教団を「アージーヴィカ」(Qj]vika or Qj]vaka)という。これは邪命外道と訳
されており、本来は「きびしい生活法を守る人」という意味で、苦行主義者であった。
第三のアジタは地水火風の4元素のみが実在であると説き、唯物論を主張し、道徳的行為の無力
を主張した。この唯物論の伝統は、その後もインドに存在し、これをローカーヤタ (Lokqyata) とい
じゅん せ
げ どう
い、仏典では順世外道と訳している。
パクダは池水大風の4元素のほかに苦・楽・生命の3を加えて、7要素の実在を説いた。要素の
かつろんがく は
みの実在を認める考え方は、後世の勝論学派 (Vai1e2ika ヴァィシェーシカ)に発展してゆく。
第五のサンジャヤは、知識に対する懐疑と不可知論があり、質問に対して確定した答えをなさず、
ろん り がく
とらえどころのない答弁をした。論理学への反省もあったと認められる。のち仏弟子となったサー
しゃ り ほつ
だいもっけんれん
リプッタ (Sqriputta 舎利弗)とモッガラーナ (Mahqmoggallqna 大目犍連)とは、彼の弟子であった。
じゃ な
第六のニガンタはジャイナ教(Jaina 耆那教)の開祖マハーヴィーラ (Mahqv]ra 大勇)である。ニ
ガンタ(離繋)とは「束縛を離れた」という意味で、心身の束縛を離れることを目的として、苦行
をした。マハーヴィーラは、悟りをひらいてジナ (jina 勝者、迷いを克服した人)の自覚を得たので、
-5-
さとりと慈悲
この教団をジャイナ(Jaina ジナ教徒)という。ジャイナ教は仏教と並んで有力な宗教であり、教
理用語なども仏教と共通のものが多い。
当時このように多数の沙門が輩出し得たのは、時代が思想の変革期にあたったのも重要だが、同
時に中インドが多数の出家者を養いうる経済的余力を持っていたことも、見落せない。米作の技術
が進歩して、食糧が豊富にあった。熱帯で腐敗が早いこととあいまって、調理した食物が余れば、
こつじき
捨てるのが普通であった。故に乞食生活によって修行をなす沙門の輩出を容易にした。
か ほう
以上、当時は道徳的行為が結果(果報)をもたらすか否かということが大きな問題であった。こ
れは業(karman、行為)の果報の問題であり、心の自由(解脱)を得るために、業の束縛をいかに
して断ずるかが問題となっていた。
りん ね てんしょう
これは輪廻の問題とも関係する。輪廻転生という思想はヴェーダにはまだ現われない。これはウ
パニシャッドにおいて、しだいに熟してきた世界観であるが、しかし輪廻 (sa/sqra)という用語は
古いウパニシャッドにはまだ現われていない。仏陀以後のウパニシャッドにおいて頻繁に用いられ
るようになった。すなわちちょうど仏陀の時代にこの「生死を繰り返す」という輪廻の考えが固定
した。しかし輪廻を認めれば、輪廻する主体が当然考えられる。カルマの思想も仏陀以前からあっ
たが、まだ業の果報が法則として承認されてはいない。このばくぜんとしたカルマの考えを、仏教
は独自の方法で「業の因果律」として組織した。
ジャイナ教も業の果報を認めるが、しかし彼らは行為の結果を罰(dazfa)として受け取る。
輪廻の主体としての自我 (qtman, attan、j]va、命我)と、その生存の世界に関して、六十二種の見
解があり、『梵網経』に「六十二見」として伝えている。人間の心は変化するから、その心の奥に
常住なる自我を認めると、それをどのように把握するか、種々の意見があった。仏典には、当時の
世界観を三種にまとめている。すなわちすべては神意によって動いてゆくと見る自在神化作説(Issa_
ranimmqna_vqda 尊祐造説)と、一切は過去の業によって決められていると見る宿命論 (Pubbekatahetu
宿作因説)と、一切は偶然の所産であると見る偶然論 (Ahetu, Apaccaya 無因無縁論)とである。仏
陀は、これらの三種の見解は、人間の自由意志や人間の努力の効果を否定するものであるとして斥
けた。仏陀の説いた縁起の立場は、これらの三つの立場を越えた立場である。
てんぺん
自我も世界も唯一なるブラフマン(梵)から流出転変したと見る正統バラモンの転変説 (Parizqma_
vqda) と、唯一なる絶対者を認めず個々の要素が常住であるとして、それらが集まって人間や世界
しゃくじゅう
が成立していると見る積 集 説 (Qrambha_vqda) に分かれる。こういう二つの考え方の基礎がこの時
代に形成された。
しゅじょう
さらに修行の方法として、禅定を修し心を静めて解脱を実現しようとする修 定 主義と、苦行し
く ぎょう
て心を束縛している迷いの力をたち切って解脱を得ようとする苦 行 主義との二つにまとめられる。
このように仏陀が現われた時代には、伝統的なヴェーダの宗教は既に光を失っていたが、新しい宗
教的権威はまだ確立しておらず、多くの思想家が自己の心のうちに真理を発見しようとして、模索
していた。
平成25年4月24日
次回 5月29日予定
-6-
さとりと慈悲
1.出家の原因
前回説明したような社会状況の中で、釈尊(Gotama Siddhattha)は沙門のグループに参加したと
いうことであろう。それでは、なぜ出家して修行をし、さとりを目指そうとしたのか、が大問題になっ
てくる。古来、この問題を考える時に、誕生の後すぐに母親が亡くなったからであろうとか、妻の
問題だとか、跡継ぎの子供ができたので学生期に入ったのだとか、いろいろ理由を挙げているので
はあるが、おそらくは「苦」を感じたというのが本当のところであろう。
では、釈尊が感じた「苦」というのはどのようなものであろうか、ということが次の問題として
あげられる。ここに大きな障害がある。まず、釈尊がすべてを弟子に打ち明けたかどうか分からな
い。しかも、その弟子たちがすべてを記憶して、後世に伝えたかどうか不明である。しかも、伝え
る間で様々な編集が行われた可能性が判明している。
まず、釈尊がすべてを弟子に告げたかどうかだが、釈尊は基本的に自発的に話を始めることはな
かった。あくまでも、弟子が訊ねたことに応答するという姿勢を崩さなかったと思われている。つ
まり、弟子の疑問に答えるのだから、出家の原因を答えたとは思われないし、弟子が釈尊の根本的
な問題を質問したかどうか不明である。
つぎに、弟子によってまとめられた釈尊の言葉がすべてを網羅していたかどうかだが、これもま
あ なん
う
ぱ
り
た曖昧である。教えに関しては阿難(Qnanda)が、戒律に関しては優波離(Upqli)が中心となっ
てまとめたとされているが、まとめられたものがすべてであったという保証はない。
さらに、これらの仏典が伝わっている間に、インドの仏教は部派に分裂してそれぞれ経典や戒律
を新たに編集しなおして伝えていったものである。これが現在まで残っている経典であって、パー
リ語で残っているものが5ニカーヤと呼ばれ、漢訳で残っているものが4阿含と呼ばれている。こ
れらは
じょう ぶ
じょう あ ごんきょう
ちゅう ぶ
ちゅう
そうおう ぶ
ぞう
ぞう し
ぞういち
1. 長 部(D]gha_Nikqya)
2. 中 部(Majjhima_Nikqya)
3. 相応部(Sa/yutta_Nikqya)
ぶ
4. 増支部(Axguttara_Nikqya)
長 阿含 経 ほうぞう ぶ
法蔵部
せついっさい う
中 阿含経
ぶ
説一切有部
こんぽん
雑阿含経
根本説一切有部
増壱阿含経
だいしゅ
ほうぞう
大衆部もしくは法蔵部
しょう ぶ
5. 小 部(Khuddaka_Nikqya)
と、いずれも、特定の部派の所属であって、すべてが釈尊の直説であるかのように考えるのは、き
わめて無理がある。
一部の初期仏教ファンが、たとえば5ニカーヤの中の『スッタニパータ』や『ダンマパダ』を釈
尊の直説であるかのように持ち上げているが、これはひいきの引き倒しというべきものである。さ
らに、部派仏教の修行を中心にする特徴からではあるが、きわめて身近な教説だけを重要視するこ
とで、本質的な教説がないがしろにされるという問題も見受けられる。
以上のような問題点に留意しながら、釈尊が出家しなくてはならなかった「苦」をどのように認
識してきたのか、4阿含・5ニカーヤを読んでみたいと思う。
-7-
さとりと慈悲
苦そのもの
まず『スッタニパータ』で説かれる「苦」そのものに対する教説を見る。
そう
574 この世における人々の命は、定まった相がなく、どれほど生きられるかわからない。いたまし
つな
く、短くて、苦に繋がれている。
724 苦を知らず、また苦の生起を知らず、また苦のすべて残りなく滅びるところをも、苦の止滅に
達する道をも知らない人々、――
げ だつ
りん ね
725 かれらは心の解脱を欠き、また智慧の解脱を欠く。かれらは〔輪廻を〕終滅させることができ
ない。かれらは実に生と老とを受ける。
726 しかるに、苦を知り、また苦の生起を知り、また苦のすべて残りなく滅びるところを知り、ま
た苦の止滅に達する道を知った人々、――
げ だつ
ぐ げん
ち
え
727 かれらは、心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。かれらは〔輪廻を〕終滅させるこ
とができる。かれらは生と老とを受けることがない。
762 他の人々が「安楽」であると称するものを、もろもろの聖者は「苦」であるという。他の人々が「苦」
であると称するものを、もろもろの聖者は「安楽」であると知る。難解の真理を見よ。無智な人々
はここに迷っている。
む みょう
おお
ものおし
たい だ
1033 師(ブッダ)が答えた、アジタよ、世間は無明によって覆われている。世間は慳みと怠惰の
かがや
故に輝かない。欲心が世間の汚れである。苦が世間の大きな恐怖である、とわたくしはいう。
次に『ダンマパダ』をみる。
ぎょう
む じょう
277「一切の形成力(行)は無常である」(諸行無常)と、智慧をもって見とおすとき、もろもろの
苦から遠ざかり離れる。――これこそ清浄にいたる道である。
278「一切の形成力(行)は苦である」(一切皆苦)と、智慧をもって見とおすとき、もろもろの苦
から遠ざかり離れる。――これこそ清浄にいたる道である。
む
が
279「一切のもの(法)は無我である」(諸法無我)と、智慧をもって見とおすとき、もろもろの苦
から遠ざかり離れる。――これこそ清浄にいたる道である。
おそらくこの部分がもっとも重要であろうと思われるが、原語の風合いが分からないとまったく
サ ン カ ー ラ
サンスカーラ
意味が分からない。ここの「形成力」は、パーリ語の「saxkhqra」サンスクリット語の「sa/skqra」
である。通常、漢訳では「行」と訳されているが、サンスクリットの語原では sa/+k3 であり、sa/
は「いっしょに」「立派に」の意味であり、k3 は「為す」「作る」などであるから、現代語で言う
ポテンシャル
ならば「形成力」「能動性」とでも言える。つまり、一種の潜勢的エネルギーとでも考えざるを得ず、
実体として扱われることはない。
えん ぎ
きわめて大雑把にいえば、縁起によって現象することすべてを指しており、のちの中国仏教では
い
さ
う
い
「為作」「有為」などと述べられている。つまり、縁起‥‥関係性によって現象しているということ
は、つねに変化し続けているということであり、常時なんらかのエネルギーが働き続けているとい
うことである。
ここでは分かり易く「縁起」とか「関係性」という言葉を使ったが、ここで述べられているのは、
体感的主観的な無常のことであり、関係性があると考えると、ここでいう「無常」ではなくなる。
-8-
さとりと慈悲
続いて『テーラガーター』をみる。すべて詩(韻文)の形式である。
じゅみょう
73 老い、苦しみ、病気にかかり、あるいは死んで寿命の尽きるのを見て、そこでわたくしは、心
あいよく
す
しゅっ け
へんれき
を楽しますもろもろの愛欲を棄てて、出家し、遍歴の身となった。
93 もろもろの愛欲は苦である。もろもろの愛欲は楽ではない。もろもろの愛欲を求めるものは、
実は苦を求めている。もろもろの愛欲を求めない者は、苦を求めない。
661 時間のなかにいて時間に支配され、繁栄と衰亡とに身をゆだねる人々は、苦を受ける。これ
らの若ものたちは、この世で憂える。
662 楽しいこと(法)に有頂天になり、苦しいこと(法)に消沈し、ありのままに見ない愚かも
のたちは、〔苦と楽の〕両者に悩まされる。
663 苦にも楽にもまた〔両者の〕中道においても、欲念を超えた人々は、門柱のように安定している。
かれらは、持ちあげられることも、押さえつけられて沈むこともない。
次に『相応部』とそれに相当する『雑阿含経』をみる。
おもんぱか
12.38(散文)いかなることを考え企て 慮 るとしても、これは、識の定まる対象がある。対象があ
ぞうじょう
さい う
るがゆえに識の住がある。識の住が増長するとき、未来に再有が生ずるにいたり、未来に再有が
もん
く うん
しゅう
生ずるとき、未来の老死・憂・悲・苦・悩・悶が生ずる。このような場合にこれが全苦蘊の集で
ある。もしも考えることなく、企てることなく、慮ることがないときは、このことは識の定まる
対象である。対象があるがゆえに……(上と同文)。……もしも考えず企てず慮ることがなければ、
このことは、識の定まる対象はない。対象がないがゆえに識の住がない。識の住がなく増長しな
いときには、未来に再有が生ずることはない。未来に再有の生ずることがなければ、未来の生・
老死・憂・悲・苦・悩・悶は滅びる。このような場合に、これが全苦蘊の滅である。
し
はんえん
〔雑〕14(359)(散文)若し思量し、若し妄想が生じ、彼の使に攀縁して識は住す。攀縁して識の
く しゅう
住あるが故に、未来の生老病死・憂悲悩苦あり。是の如く純大苦聚の集あり。若し思量せず若し
妄想せず、使の攀縁なく識の住することなし。攀縁して識の住することなきが故に、未来世に於
いて、生老病死・憂悲悩苦は滅す。是の如く純大苦聚の滅あり(T.2-100a)。
12.70(散文)色は無常である。無常であるものは苦である。無常であり苦・変易の法(viparizqma_
dhamma)を、「これはわがもの、これはわたくし、これはわが自我である」(etam mama eso 'ham
asmi eso me attq)とは認めない。受は‥‥。想は‥‥。行は‥‥。識は‥‥。
〔雑〕14(347)(上に相当する文章は欠けている)(T.2-96a; 98a)。
けん
げんかん
13.1(散文)見のそなわっている聖弟子、現観(abhisamaya さとり)に達する人が、滅し尽くして終わっ
た苦は実に多く、残った苦は少ない。
〔雑〕5(109)見諦の者は衆苦を断ずる所なり(T.2-34b)。
〔雑〕31(891)具足して真諦を見、正見具足す。世尊の弟子は真諦の果を見る。……断ずる所の諸
苦は甚だ多くして無量なり(T.2-224b)。
げん
しき
35.106(散文)わたくしは苦の生起と滅尽とを説こう。……眼と色とを縁として(pqwicca)眼識が
そく
じゅ
あい
生ずる。三者の結合は触である。触の縁より(paccayq)受〔が生じ〕、受の縁より愛〔が生ずる〕。
これが苦の生起である。耳と声……鼻と香……舌と味……身と触……意と法……。眼と色とを縁
-9-
さとりと慈悲
として眼識が生ずる。三者の結合は触である。触の縁より受〔が生じ〕、受の縁より愛〔が生ずる〕。
その愛の無余・離貪・止滅より取の止滅があり、取の止滅より有の止滅があり、有の止滅より生
の止滅があり、生の止滅より老死・憂・悲・苦・悩・悶の止滅がある。このようにしてこの一切
の苦蘊の止滅がある。これが苦の滅尽である。耳と声……鼻と香……舌と味……身と触……意と
法……。
〔雑〕8(218)我れ今当に汝等の為に苦集道跡と苦滅道跡とを説くべし。……云何が苦集道跡なる。
さん じ
わ ごう
眼と色とを縁として眼識を生ず。三事和合するは触なり。触を縁として受、受を縁として愛、愛
を縁として取、取を縁として有、有を縁として生、生を縁として老病死憂悲悩あり。苦集は是の
如し。耳鼻舌身意も亦た復た是の如し。是れを苦集道跡と名づく。云何が苦滅道跡なる。眼と色
とを縁として眼識を生ず。三事和合するは触なり。触の滅すれば則ち受は滅す。受の滅すれば則
ち愛は滅す。愛の滅すれば則ち取は滅す。取の滅すれば則ち有は滅す。有の滅すれば則ち生は滅
す。生の滅すれば則ち老病死憂悲悩苦は滅す。是の如くして純大苦聚は滅す。耳鼻舌身意も亦た
復た是の如し。是れを苦滅道跡と名づく(T.2-54c)。
いんねん
42.2(散文)およそ苦が生ずるのは、すべて欲を根本とし、欲を因縁(nidqna)として生ずる。それ
もと
は欲が苦の本であるから。
〔雑〕32(913)(散文)衆生は種々に苦を生ず。彼れは一切皆な欲を以って本と為す。欲の生じ、欲
は習し、欲起こりて、欲を因とし、欲を縁として、衆苦を生ず(T.2-230a)。
次に『長部』をみる。
ぼん もう
1、梵 網 経、3.2.1(散文)〔五〕欲は無常であって苦であり、しかも変易性のもの(viparizqma_
dhammq)であり、その変易性によって変化するがために、憂悲苦悩悶が生ずる。
つぎに『中部』を見る。
き
しょうるい
1、根本法門経(散文)喜(nand])は苦の根本であることを知り、有より生があり、生類の老死があ
かつあい
ると知る。それゆえに、ここに如来は一切の渇愛を滅し、離欲により、滅により、捨により、棄
によって、無上の正しいさとりを正しくさとる、とわたくしはいう。
とん ゆ
66、鶉喩経(散文)或る人が執著(upadhi)は苦の根本であることを知って、無執著(nirupadhi)と
なり、執著の滅において解脱している。わたくし(世尊)はこの人を縛を離れたといい、縛られ
ているとはいわない。
87、愛生経(散文)憂・悲・苦・悩・悶は愛より生じ、愛より起こる。
次に『増支部』をみる。
3、天使品、40(散文)わたくしは生・老・死・憂・悲・苦・悩・悶に陥り、苦に陥り、苦に縛られる。
この全苦蘊の滅尽を知ることが望ましい。
3、等覚品、101(散文)すべて世間において無常・苦・変易の法であるものは、これは世間におけ
る危難(ad]nava)である。
3、戦士品、134(散文)如来たちが生じても、あるいは如来たちが生じなくても、このことわりは定まり、
- 10 -
さとりと慈悲
法として定まり、法そのものであり、すなわち、一切の行は無常である(sabbe saxkhqra anicca)。
如来はこれをさとり、理解している。さとり、理解してから、一切の行は無常であると説明し、
示し、設定し、開示し、闡明し、分析し、明らかにする。
(上の文の「一切の行は無常である」というところが、つぎのように変わるだけで、前後は同文)。……一切の行は
苦である(sabbe saxkhqrq dukkhq)……。……一切の法は無我である(sabbe dhamma anattq)……。
これは、前の『ダンマパダ』と同じ教えに、解釈が加わっている。
きょうらく
つう
じゅ
『増壱阿含経』を見る。(この経の訳語は、漢訳仏教語一般の触が更楽、受が痛、取が受と変わる)。
巻 24、善聚品第 32、6(散文) 色は無常、無常は即ち是れ苦、苦は是れ無我、無我は即ち是れ空、
かく ち
空は有に非らず不有に非らず、亦た無我なり。是の如きは智者の覚知する所なり。痛(= 受)想
行識は無常、無常は是れ苦、苦は無我、無我は是れ空、空は有に非らず不有に非らず、此れ智者
じょう おん
りょう ち
べ
の覚知する所なり。此の盛陰は無常・苦・空・無我・非有にして、諸の苦悩多く療治す可らず
(T.2-678c; 679a)。
巻 27、邪聚品第 35、10(散文)色は無常なり、此の無常の義は即ち是れ苦なり、苦なれば、即ち
ことごと
無我なり、無我なれば即ち是れ空なり。痛(= 受)想行識は皆な悉く無常なり、此の無常の義は
即ち是れ苦なり、苦なれば即ち無我なり、無我なれば即ち是れ空なり。此の五盛陰は是れ無常の
義なり。無常の義ならば即ち是れ苦の義なり(T.2-702b)。
い
か
巻 28、聴法品第 36、5(散文)五盛陰は苦なりと説く。云何んが五と為すや、所謂色痛(= 受)想
いわゆる
行識なり。云何んが色陰と為すや。所謂此の四大身なり、是れ四大所造の色にして、是れを名づ
けて色陰と為すと謂うなり。彼れ云何んが名づけて痛陰と為すや。所謂苦痛・楽痛・不苦不楽痛
(= 苦受・楽受・不苦不楽受)なり、是れを名づけて痛陰と為すと謂う。彼れ云何んが想陰と名
ぐ
え
づくるや。所謂三世の共会なり、是れを名づけて想陰と為すと謂う。彼れ云何んが名づけて行陰
と為すや。所謂身行・口行・意行なり、此れを行陰と名づく。彼れ云何んが名づけて識陰と為すや。
所謂眼耳鼻口身意なり、此れを識陰と名づく(T.2-707b)。
最後に『律蔵』から引用する。
生まれるのも苦である。老いも苦である。病いも苦である。死も苦である。愛しないものと会
うことも苦である。愛するものと別離することも苦である。すべて欲するものを得ないことも苦
しゅうじゃく
ご しゅうん
である。要約していうならば、五種の執著の集まり(五取蘊)は苦である(Vinaya, Mahqvagga I,
6,19,vol.I,p.10)。
苦の生起(『スッタニパータ』から)
わざわ
36 交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍いの生ず
かんざつ
さい
ひと
ることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
61 「これは執著である。ここには楽しみは少く、快い味わいも少くて、苦しみが多い。これは魚
を釣る釣り針である」と知って、賢者は、犀の角のようにただ独り歩め。
584 泣き苦しんでは、心の平安は得られない。ただかれにはますます苦しみが生じ、身体がやつ
- 11 -
さとりと慈悲
れるだけである。
728(韻文) 世間には種々なる苦しみがあるが、それらは生存の素因(upadhi)にもとづいて(nidqna)
生起する。実に愚者は知らないで生存の素因をつくり、くり返し苦しみを受ける。それ故に、知
り明らめて、苦しみの生ずる原因を観察し、再生の素因をつくるな。
(散文)
「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるの
か?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであ
む みょう
るか?『どんな苦しみが生ずるのでも、すべて無明に縁って起るのである』というのが、一つの
観察〔法〕である。『しかしながら無明が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることが
ない』というのが第二の観察〔法〕である。このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、怠
らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちいずれか一つの果報が
期待され得る。――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、こ
の迷いの生存に戻らないことである。」――
731(韻文) およそ苦しみが生ずるのは、すべて潜在的形成力(sa/khqra 行)を縁(paccaya 原因)
として起るのである。諸々の潜在的形成力が消滅するならば、もはや苦しみの生ずることもない。
(散文)
「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるの
か?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであ
るか?『およそ苦しみが生ずるのは、すべて識別作用(vi``qza 識)に縁って起るのである』と
いうのが、一つの観察〔法〕である。『しかしながら識別作用が残りなく離れ消滅するならば、
苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察〔法〕である。このように二種〔の観察法〕
を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうち
のいずれか一つの果報が期待され得る。
741 「愛執(tazhq)は苦の起こる原因(sambhava)である」と、この患いを知って、愛執を離れて、
執著することがなく、よく気をつけて、修行僧は遍歴すべきである。
742 執著(upqdqna 取)に縁って生存が起こる。生存するものは苦を受ける。生まれたものには
死がある。これが苦の起こる原因(sambhava)である。
744 どんな苦が起こるのであろうとも、すべて起動(qrambha あくせく)に縁って(paccayq)起こる。
もろもろの起動が止滅するならば、苦の生ずることはない。
釈尊がなぜ出家したのか‥‥その大きなヒントになるのが、『テーラガーター』73 偈の「心を楽
あいよく
す
しゅっ け
へんれき
しますもろもろの愛欲を棄てて、出家し、遍歴の身となった」という言葉であろう。これは弟子の
言葉だが、「苦」を感じて出家することとなったのは事実であろう。
出家の動機となった根元的「苦」とは、大谷大学の赤沼智善教授の
妙ないいかたのようであるが、仏教の起源を最も端的にいいあらわすならば、仏教は、生
きることの矛盾とその苦しみから起こったものである、ということもできるであろうと思う。
という解釈がそれであろう。つまり「生存の素因」(= 無明)がその原因となったと考えられる。
平成 25 年 5 月 29 日
次回 6 月 26 日予定
- 12 -
さとりと慈悲
2.苦とはなにか
前回は、釈尊が出家した原因を探るために、初期経典を読んだ。そこでは「苦」が原因で出家し
たと予想された。今回は、その「苦」を、釈尊がどう見ておられたのかを探る。
ゆう
初期経典の中では「苦」という言葉は、ほぼかならず生・老死のあとに置き、またしばしば憂(soka)
・
ひ
く
のう
もん
悲(parideva)・苦(dukkha)・悩(domanassa)・悶(upqyqsa)を伴っており、それを「苦の真実」
く たい
く うん
ド ゥ ッ カ ッ カ ン ダ
という意味で「苦 諦 」(dukkha_sacca)とか、「全ての or 純なる苦 蘊 」(〈kevala〉dukkhakkhandha)
という語の付随している例が多い。
91(Ⅲ .5.2)(散文)わたくしたちは、生・老死・憂悲苦悩悶に沈み、苦のなかに沈み、苦に囲
まれている。この全苦蘊(苦の集まり)を尽くすことに努めよう。 〔イティブッタカ p.89〕
3、天使品。40(散文)わたくしは生・老・死・憂・悲・苦・悩・悶に陥り、苦に陥り、苦に縛
られる。この全苦蘊の滅尽を知ることが望ましい。
〔増支部Ⅰ . p.147.148.149 に同文〕
まぬが
ほうほん
し ゆい
い
か
(散文)……是の故に諸比丘は死を免るるを得んと欲せば、当に四の法本を思惟すべし。云何ん
が四と為すや。一切行無常、是れを初の法本と謂う、当に念じて修行すべし。一切行苦、是
れを第二の法本と謂う、当に共に思惟すべし。一切法無我、此れ第三の法本なり、当に共に
めつじん
ね はん
思惟すべし。滅尽を涅槃と為す、是れを第四の法本と謂う、当に共に思惟すべし。是の如く、
ゆえん
すなわ
諸比丘は当に共に此の四の法本を思惟すべし。然る所 以は、便ち生老病死・愁憂苦悩を脱す
がんぽん
ればなり。此れは是れ苦の元本なり 〔増壱阿含経巻 23、増上品第 31、4 T2,668c〕
このように「苦」という言葉を使っているが、次にどのような意味で使っているのかをみる。
ド ゥ ッ カ
ド ゥ フ カ
もともと「苦」の原語(パーリ語)の dukkha、サンスクリットの du4kha の語原は、モニエル・
ウィリアムズの『梵英辞典』によると、「du3_stha のプラークリット・フォームであろう」とされる。
stha は sthq(stand, stay etc.)に由来するから、ドゥフカの語義は「立っている(とどまっている)
ことがむずかしい」ということになる。そして du4kha の個所には、名詞として uneasiness, pain,
sorrow, trouble, difficulty, etc. とあり、また不変詞として with difficulty, scarecely, hardly の語義
が示されている。
日本語でいえば、容易でないこと、苦痛、不安、悩み、困難、そして「うまく行かない」「する
のがむずかしい」「ほとんど……ない」ということになる。この「苦」の語義について、宇井伯寿
博士は「各々の欲望期待にそわないこと」、赤沼教授は「主観の不満足、……求められる客観との
不一致から生ずる心情」、中村元博士は「自己の欲するままにならぬこと」「自己の希望に沿わぬこ
と」「思いどおりにならぬこと」と説明する。つまり、我々が一般的に使っている「苦」とは少々
意味が異なり、「たよりにならない」ということが原意であろう。
この苦の起原を初期経典から無理にまとめると、つぎの四つの種類にまとめられる。
とん よく
むさぼ
かつ あい
いか
うら
(A) 欲望およびその変形――貪 欲、貪 り、渇 愛、愛欲、欲望、瞋 り、怒り、怨 み、愛著、愛執、
しゅうちゃく
ぼんのう
執 著、煩悩、歓喜、起動。
ち
おろ
ふく
まん
(B) 無知およびその変形――癡、愚か、覆、慢、偽り。
- 13 -
さとりと慈悲
(C) 人間存在そのもの――生の不安、動揺、恐怖、生存、悪、束縛、結縛、一切諸行、不法、虚妄法、
輪廻、転生、業、眼耳鼻舌身意、色受想行識、生、老、死、感受、有、四苦・八苦。
(D) 無常――無常、変易性のもの。
(A) 欲望およびその変形に基づく苦
人そして生あるものは、すべてなんらかの形の欲望をもっている。むしろ、欲望をもつことによっ
て、そのものは生きている。欲望は、たとえ極小であろうと、極大であろうと、その充足を目ざす
生あるもののはたらき、と言える。その欲望が満足されたとき、満足と同時に消滅する。どれほど
強く、激しく、深く、長く求めてやまなかった欲望も、それが果たされた瞬間に、あとかたもなく
消え去って、存在しない。この欲望のプロセスを図式化すれば、「追及―完成―消滅」とになる。
かくらん
50 実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱する。欲望
わざわ
さい
の対象にはこの患いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。 〔スッタニパータ〕
はれもの
わざわい
51 これはわたくしにとって災害であり、腫物であり、禍であり、病であり、矢であり、恐怖
である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。
こころ
171 「世間には五種の欲望の対象があり、意(の対象)が第六であると説き示されている。そ
とんよく
れらに対する貪欲を離れたならば、すなわち苦しみから解き放たれる。
あい しゅう
バニヤン
272 それらは愛執から起り、自身から現われる。あたかも榕樹の新しい若木が枝から生ずる
つる くさ
ようなものである。それらが、ひろく諸々の欲望に執箸していることは、譬えば、蔓草が林
の中にはびこっているようなものである。
とん よく
いか
202 貪 欲 にひとしい火はなく、瞋 りにひとしい不運はなく、〔五〕種の集まりから成るもの
ご うん
(五蘊)にまさる苦はなく、安らぎよりすぐれた安楽はない。 〔ダンマパダ〕
めい そう
371 修行僧よ、冥想せよ。なおざりになるな。汝の心を愛欲の対象に向けるな。なおざりの
しゃくねつ
ゆえに鉄丸を呑むな。〔灼熱した鉄丸で〕焼かれるときに、
「これは苦」といって、泣き叫ぶな。
欲望は大別して自己の外と内とへ向かう。外に向けられた欲望が、なんらかの障害などによって
果たされ得ないとき、それを「苦」と感ずる。そのような欲望、果たされ得ないものを欲し望む、
ということそのものが、自己矛盾的であり、自己否定的なのである以上、そこには、むしろ「苦」
は必然的なあり方である。
内に向けられた欲望は、そのいわば自己矛盾性・自己否定性としての「苦」を、いっそうはっき
りと露呈する。内にとは、自己にということであり、その欲望が自己矛盾ないし自己否定を犯し、
そむ
引き起こす以上、「苦」はどうしても不可避となる。言い換えれば、外なるものが自己に背くなら
ば、なんとかして一時的に避け、耐え、待つことができる。しかし、自己(の内)そのものにあっ
て、それが自己に背く、つまり自己が自己に背いているから、その欲望がある限り、「苦」は避け
ることができず、自己が自己に「苦」を招き、自己が自己を「苦」に導いている。
(B) 無知に基づく苦
知のはたらきが外に向けられている際は、知そのものに関しては反省されず、知は、知とは何か
を知ろうとし、知ることに直面している自己に向かう。しかし、自己の内に向う場合は、ただその
- 14 -
さとりと慈悲
ときの自己が投影した外部の影でしかない。自己は自分に関しては最も詳しいはずなのに、その自
己の内を自己は知らない。そのことが、ここにいう本来的本質的な「無知」(これを「無明」と呼
ぶ)であり、それに基づく苦がそこにある。外と内とはすれちがい、無限に伸びて拡大しようと指
向するのを、その知がみずから遮断し、盲目のまま漂う「無知」は、自己矛盾・自己否定をはらん
で、当然苦に陥り、しかもそれがときに知に自覚され、ときには自覚されない。このような「無知
に基づく苦」は、いっそう倍加された苦に転じてゆく。
ず がいこつ
のうずい
おろ
む みょう
199 またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、
身体を清らかなものだと思いなす。
〔スッタニパータ〕
いざなわ
おもむ
277 かれは無明に誘われて、修養をつんだ他の人を苦しめ悩まし、煩悩が地獄に赴く道であ
ることを知らない。
りん ね
おもむ
き しゅ
729 この状態から他の状態へと、くり返し生死輪廻に赴く人々は、その帰趣(行きつく先)は
無明にのみ存する。
730 この無明とは大いなる迷いであり、それによって永いあいだこのように輪廻してきた。し
かし明知に達した生けるものどもは、再び迷いの生存に戻ることがない。
1033 師(ブッダ)が答えた、
むさぼ
たい だ
「アジタよ・世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない。欲心
が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」
1106 師(ブッダ)は答えた、
うれ
かいこん
「ウダヤよ。愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持を除くこと、悔恨をやめること、
おも
1107 平静な心がまえと念いの清らかさ、――それらは真理に関する思索にもとづいて起るも
げ だつ
のであるが、――これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」
けが
いちじる
む みょう
243 この汚れよりもさらに甚しい汚れがある。無明こそ最大の汚れである。修行僧らよ。こ
の汚れを捨てて、汚れ無き者となれ。
おお
〔ダンマパダ〕
もろもろ
27, 41 (無明に)覆われて凡夫は、諸のつくり出されたものを苦しみであるとは見ないので
ぎん み
あるが、その(無明が)あるが故に、すがたをさらに吟味して見るということが起るのである。
この(無明が)消失したときには、すがたをさらに吟味して見るということも消滅するのである。
〔ウダーナヴァルガ〕
しゅっ け へんれき
か ちく
いと
じょうよく
む
I,3,8 「家を捨てて出家遍歴し、子と家畜と愛しきものを捨て去って、情欲と怒りを断ち、無
みょう
けが
ほろ
つ
しん じん
むさぼ
ねつ
明を離れて、煩悩の汚れを滅ぼし尽くした真人たち、――かれらこそ、世にあっても貪り熱
ぼう
望することがないのである。」
〔サンユッタニカーヤ〕
(C) 人間存在そのもの(いわゆる実存)に根ざす苦
「四苦八苦」の術語は、古来、よく知られている。生まれる、老いる、病む、死ぬ、それらはひ
とえに自己のことでありながら、自己の思うとおりにはならず、自己の願いに背き、自己にけっし
て従わない。この生老病死の「四苦」に、さらに愛別離苦(愛するものと必ず離れなければならな
おんぞう え
く
ぐ
ふ とっ く
い苦)、怨憎会苦(怨み憎むものと、どうしても会わなければならない苦)、求不得苦(求めるもの
ご うんじょう く
が、どのようにしても得られない苦)、五蘊 盛 苦(総括して、一切は五つの集まりであり、そこに
- 15 -
さとりと慈悲
充満している苦)という。両者を合わせた「八苦」は、人間存在そのもの(=実存)に根づいてい
る。このうち、生についていうならば、自己は自己の望むがまま思いどおりに生まれることは、けっ
してない。しかも、必ず老い、病み、死ぬ。老い、病み、死ぬものとして生まれる、ということは、
ただ生まれるということだけに基づいていえば、まさしく自己矛盾・自己否定そのものである。
しょう
付言すると、仏教でいう「生」は、つねに「生まれる」、
「生ずる」であって、
「生きる」ではない。
なぜなら、「生」以外がすべて「生きる」ということであるからである。
ゆう ぎ
かんらく
じょうあい
はなは
いと
41 仲間の中におれば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき
いと
さい
者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。 〔スッタニパータ〕
そくばく
せつがい
5.6 (詩)生があれば死がある。生まれて苦を見る。束縛、殺害、その他の悩みがある。この故に、
生を楽しむな。ブッダは法を説いて、生を超え、すべての苦の捨離にみちびいて、わたくし
を真実へと入れてくださった。
〔相応部 I. p.132〕
べん だ
う
えんしょう
45(1205)生者は必ず死あり。生あれば則ち諸苦を受く。諸苦悩を鞭打して、一切に有を縁生す。
え げん
当に一切苦を断ち、一切生を超越すべし。慧眼の聖諦を観ずるは、牟尼所説の法なり、苦及び
ね はん
苦集は滅尽して諸苦を離る。八正道を修習し、安隠にして涅槃に趣く。〔雑阿含経 T2, 328b〕
ご うん
しゅじょう
5.10 (詩)五蘊(五種の要素の集合体)があるところに、衆生(生あるもの)という名がある。
そこには苦が起こり、苦が止まり且つ滅び行く。苦のほかに生ずるものはなく、苦のほかに
滅するものはない。
うん
いん ねん
〔相応部 I. p.135〕
かり
45(1202)諸陰の因縁合して、仮に名づけて衆生と為す。其の生は則ち苦の生なり、住も亦
た即ち苦の住なり。余の法の苦を生ずるなく、苦生じ、苦自ら滅す。 〔雑阿含経 T2, 327b〕
び
ば
し
ねん
あわれ
じゃみょう
き
ぐ
1 (散文)
(毘婆尸太子)是の念を作す、「衆生愍れむ可し。常に闍冥に処し、身の危脆を受く。
かしこ
生あり、老あり、病あり、死あり。衆苦の集まる所にして、此に死しては彼に生まれ、彼よ
く うん
よ
る てん きわま
ぎょう りょう
り此に生まる。此の苦蘊に縁って流転窮まりなし。我れ当に何時か苦悩を暁 了し、生老死を
滅すべし」
〔大本経 T1, 7b〕
生まれるのも苦である。老いも苦である。病いも苦である。死も苦である。愛しないもの
と会うことも苦である。愛するものと別離することも苦である。すべて欲するものを得ない
しゅうじゃく
ご しゅうん
ことも苦である。要約していうならば、五種の執著の集まり(五取蘊)は苦である。
〔Vinaya, Mahqvagga I, 6, 19, vol. I, p.10〕
(D) 無常に基づく苦
アニッチャ
アサッサタ
「無常」と漢訳される語は、パーリ語では、ほぼ anicca という語で表現され、ごくまれに asassata、
アッドゥフヴァ
addhuva ともいう。ところが、これらの語は、パーリ文のみにある「小部」の経典、とくに『スッ
タニパータ』、『ダンマパダ』、『ウダーナ』、『イティヴッタカ』などには、きわめてまれにしか登場
しない。つまり、最古と思われる資料には、「無常」を表わすパーリ語は、その例が皆無に近い。
また、次に、それらの「小部」を除いて、パーリ四部と漢訳四阿含とを見てみると、これらでは、
上のパーリ語も、そして漢訳の「無常」の語も、前置きも根拠もなく、突如出てくる。
ヴ ァ ャ ダ ン マ
さらに、「無常」、そして「アニッチャ」の語のほかに、たとえば「こわれるもの(vayadhamma=
え ほう
壊法)」などを使った用例が見られ、しかも、内容から重要な個所に用いられている。
- 16 -
さとりと慈悲
これらから、無常とは、人間の生存(実存)における最も赤裸々な事実・現実を、そのままに感
性が受け入れた、ある一種の深い感動から湧き出た「詠嘆」であり、格別な術語として最初期に構
想されたものでなかったであろう。釈尊みずからが、無常という深い「詠嘆」を現実に体験し、自
覚しつつ、みずからの生存(実存)と人間存在そのものを、ありのままに凝視・認識・体得すると
し ゆい
いうことが、釈尊の思惟の深い根底にあり、それが阿含経の立脚点をなしている。
言い換えれば、人間存在といい、実存といい同一の現実を指しており、それに対する厳粛で痛切
な体験と自覚が、そのまま無常につながり、無常に導き、さらに無常から発している。このように
「無常」を理解すると、
「小部」の経典の「詠嘆」の詩句がつぎつぎと浮かんでくる。たとえば、
『スッ
タニパータ』の第3章の第8節にある計20(574-593) は、死そのものを直視する。
のが
575 生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死ぬ。実に生あるものど
もの定めは、このとおりである。
じゅく
576 熟した果実は早く落ちる。それと同じく、生まれた人々は、死なねばならぬ。かれらに
はつねに死の怖れがある。
つい
577 たとえば、陶工のつくった土の器が終にはすべて破壊されてしまうように、人々の命も
またそのとおりである。
578 若い人も壮年の人も、愚者も賢者も、すべて死に屈服してしまう。すべての者は必ず死
に至る。
579 かれらは死に捉えられてあの世に去って行くが、父もその子を救わず、親族もその親族
を救わない。
さらに、第4章6節では、804-813 偈にかけて老死について詠嘆している。
いのち
804 ああ短いかな、人の生命よ。百歳に達せずして死す。たといそれよりも長く生きたとし
ても、また老衰のために死ぬ。
また『ダンマパダ』にも
つ
47 花を摘むのに夢中になっている人を、死がさらって行くように、眠っている村を、洪水が
押し流して行くように、――
48 花を摘むのに夢中になっている人が、未だ望みを果さないうちに、死神がかれを征服する。
く
151 いとも麗わしき国王の車も朽ちてしまう。身体もまた老いに近づく。しかし善い立派な
人の徳は老いることがない。善い立派な人々は互いにことわりを説き聞かせる。
152 学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれの知慧は増えない。
288 子も救うことができない。父も親戚もまた救うことができない。死に捉えられた者を、親
族も救い得る能力がない。
289 心ある人はこの道理を知って、戒律をまもり、すみやかにニルヴァーナに至る道を清く
せよ。
341 人の快楽ははびこるもので、また愛執で潤おされる。実に人食は歓楽にふけり、楽しみ
をもとめて、生れと老衰を受ける。
348 前を捨てよ。後を捨てよ。中間を棄てよ。生存の彼岸に達した人は、あらゆることがら
について心が解脱していて、もはや生れと老いとを受けることが無いであろう。
- 17 -
さとりと慈悲
このような詩が残っている。だれでも、本来的に死は願わしいものでない。自殺は「生きてゆくこ
とが願わしくない」のであって、「死が願わしい」のではない。しかも、どのようにしても、死を
すべ
逃れる道はなく、逃れる術もまったくない。そして、それ以前に老があり、また病がある。病に会
い、老に達し、死が訪れる。それが人間存在(実存)の不可避の鉄則である。
ここでは、
「無常に基づく苦」が、上述の中に如実に示されているように、そのまま人間存在(実
存)の現実はいっそう鮮明に露呈される。「無常」は「常」の、「無常 ‐ 苦」は「常 ‐ 楽」の反対
なのではない。「常・楽」とは関係なく、人間存在(実存)そのものを、あるがままに鋭く衝いて、
「無
常(‐苦)」が現われる。この「無常」は、「詠嘆」としてしか語り得ないとしても、人間存在(実
存)の痛切な体験・反省・自覚をみずから強め、同時に人びとに訴える。
もとより、「無常 ‐(苦)」によって、つかのまの「楽」に溺れたり、刹那を「常」と見まがうも
のに対して、「無常」は厳しい警鐘を打ちならす。だが、それよりも、『ダンマパダ』の詩句は次の
ように説く。
げ
277 「こと・もの すべて無常なり」と智慧もて見とおすときにこそ、実に苦を遠く離れたり。
これ清浄に至る道なり。
第一に、「苦」は、釈尊自身の体験において、あらゆることがらのスタートにあり、時間的な始
元に相当する。そして、「無常」は、本来は感動と詠嘆とに基づくものの、上の「苦」の論理的な
根拠となっている。
第二に、パーリ文(「律蔵」も含む)に頻繁に登場する有名な句に、
生ずるものは、いかなるものでも、すべて滅するものである(生の法は滅の法、生者必滅)
がある。生は、必ず滅に至り、生は必ず滅をはらんでいる。滅ないし死をはずして、生はない。滅
は生に必然的である。ただし、私たちの現実においては、生は「生れる」としてあり、そして私た
ちが「生きる」という現実へと連がる。
第三に、無常は一種の時間概念であり、仏教の時間論は必ず無常から出発する。仏教は、最初期
う
から、時間を実体視することなく、時間を現実のあらゆる「もの」「こと」の根底に据える。「有は
どうげん
時なり」という道元の句(『正法眼蔵』有時)は、仏教の端緒からあり、直裁に衝いている。時間
は一切のもの・ことを支えつつ、けっしていかなる「もの」でも「こと」でもない。また、「時に
げんじょう
ふ こう
別体なし、法に約して以って示す」と、玄 奘 門下の普光の『倶舎論記』にある。時間は、つねに
特定のある時間としてのみ示され、しかも他の一切の論理的な始元のはたらきをなす。
近代以降、時間と空間の二つは等質化されるが、仏教では両者の扱いが異なる。仏教は一切の法
む
い
う
い
を「無為」(つくられたのではないもの)と「有為」(つくられたもの)に二分し、両者を異質のカ
テゴリーとして扱い、空間は「虚空」に置き換えて「無為」とするが、時間は「有為」とつねに表
裏一体化して、その流動と直結している。
平成25年6月26日
次回 7月31日予定
- 18 -
さとりと慈悲
3.苦の克服
ド ゥ フ カ
釈尊の出家は、
「苦」(du4kha)の問題を解決するためであった。その状況を記述した経典がある。
眼ある人(=釈尊)は、いかにして出家したのであるか、かれはどのように熟考して出家
を喜んだのであるか、かれの出家をわれは述べよう。
「この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。ところが出家はひろびろ
とした野外であり、〔煩いなし〕」と見て、出家されたのである。
出家されたのちには、身による悪行をはなれた。ことばによる悪行をもすてて、生活をすっ
おう しゃ じょう
かり清められた。覚れる人(ブッダ)はマガダ国の〔首都〕・山に囲まれた王舎城に行った。
そうごう
たくはつ
おもむ
すぐれた相好にみちた〔覚れる人は〕托鉢のためにそこへ赴いたのである。
たかどの
〔マガダ王〕ビンビサーラは高殿の上に進み出てかれを見た。相好にみちた〔かれ〕を見て
じ しん
〔侍臣に〕このことを語った。――
「汝ら、この人をみよ。美しく、大きく、清らかで、行ないも具わり、眼の前を見るだけである。
いや
かれは眼を下に向けて気をつけている。この人は賎しい家の出身ではないようだ。王の使者
どもよ、走り追え、この修行者はどこへ行くのだろう」と。
派遣された王の使者どもは、かれのあとを追って行った。――「この修行者はどこへ行く
のだろう。かれはどこに住んでいるのだろう」と。
かれは、もろもろの感官を制し、よくまもり、正しく自覚し、気をつけながら、家ごとに食
こ
を乞うて、その鉢を速やかにみたした。聖者は托鉢を終えて、その都市の外に出て、パンダ
すみ か
ヴァ山に赴いた。――かれはそこに住んでいるのであろう。〔ゴータマがみずからの〕住処に
近づいたのを見て、そこでもろもろの使者はかれに近づいた。そうして一人の使者は〔王城に〕
もどって、王に報告した。
とら
お うし
し
し
「大王よ、この修行者はパンダヴァ山の前方の山窟の中に、虎や牡牛のように、また獅子の
ざ
ように坐しています」と。
使者のことばを聞きおわるや、クシャトリヤ(=ビンビサーラ王)は壮麗な車に乗って、急
いでパンダヴァ山のあるところに赴いた。かのクシャトリヤは、車に乗って行けるところま
か
で車を駆り、車から下りて、徒歩で赴いて、かれに近づいて坐した。坐して、それから王は
挨拶のことばを喜び交した。挨拶のことばを交したあとで、このことを語った。――
とうと
「あなたは若くて青春に富み、人生の初めにある若者です。容姿も端麗で、生れ貴いクシャ
トリヤのようだ。象の群れを先頭とする精鋭な軍隊を整えて、わたしはあなたに財を与えよう。
きょうじゅ
それを享受なさい。わたしはあなたの生れを問う。これを告げよ。」
せっせん
〔ゴータマが言った、〕
「王よ、あちらの雪山(=ヒマーラヤ)の中腹に、一つの民族がいます。
あとつぎ
昔からコーサラ国の住民であり、富と勇気を具えています。姓に関しては『太陽の裔』といい、
種族に関しては『サーキャ族』
(釈迦族)といいます。王よ、わたしはその家から出家したのです。
わずら
しゅっ り
欲望をかなえるためではありません。もろもろの欲望には患いのあることを見て、また出離
あん のん
は安穏であると見て、つとめはげむために進みましょう。わたくしの心はこれを楽しんでい
るのです」と。 〔Suttanipqta. 405f.= Pabbajjq_sutta. ――『出家経』と訳し得る。〕
- 19 -
さとりと慈悲
この逸話は、釈尊が出家して覚る以前の話である。そこでは「苦の根源は欲望にある」ことを理
しゃもん
シュラマナ
解していることが記されている。おそらく、当時の「沙門」(1ramaza)が一般的にもっていた認識
シュラマナ
であろう。というのは、
「1ramaza」の語源が「√ 1ram」であり、これが「努力する」という意味だ
からである。(この俗語形が「samana」であり、これは「√ 1am」(休息する)の変化形だと誤解さ
れたこともあった)
この後、釈尊は師を探して、最初にアーラーラ・カーラーマの下で修行をする。
じゃくじょう
わたくしはかくのごとく出家して、善なるものを求め、絶妙なる寂静の境地を求めつつ、アー
い
すみ
ラーラ・カーラーマのいるところに往 った。‥‥そこでわたくしは久しからずして速 やかに
その法に達することができた。かくてわたくしは、ただ唇を打つ程度、ただおしゃべりする
程度には知識のことばを語り、長老のことばを語ることができ、「われは知る」「われは見る」
と自他ともに認めるほどになった。そのときわたくしは次のように思った。――
しょう
たい
「実にアーラーラ・カーラーマはこの法をただ信ずるだけで『われみずから知り、証し、体
げん
ほう
現しているのである』と告げているのではない。実にアーラーラ・カーラーマはこの法を知
り見ているのである」と。そこでわたくしはアーラーラ・カーラーマのいるところへ往った。
そこへ往ってアーラーラ・カーラーマにこのようにたずねた、――「尊者カーラーマよ。あな
たはどの程度にまでこの法をみずから知り証し体現してわれらに告げておられるのですか?」
む しょ う しょ
せんぜつ
と。こう言われたときにアーラーラ・カーラーマは無所有処を宣説した。そのときわたくしは
このように思った、――「‥‥わたくしは、アーラーラ・カーラーマが『みずから知り証し
体現している』と称しているその法を証することにつとめよう」と。そこでわたくしは久し
からずして速やかにその法をみずから知り証し体現することとなった。――アーラーラ・カー
ラーマは「‥‥尊者よ、さあ来たれ。われら二人でこの衆を統率しましょう」と。‥‥――「こ
おん り
おもむ
り よく
し めつ
の法は厭離に赴かず、離欲に赴かず、止滅に赴かず、平安に赴かず、知に赴かず、正覚に赴かず、
安らぎに赴かない。ただ無所有処を獲得し得るのみ」と。そこでわたくしはその法を尊重せず、
あきた
この法に慊らず、出で去った。
〔Ariyapariyesana_sutta, Majjhima_Nikqya. I, p.163f.『中阿含経』第 56 巻〈T1,776b-c〉〕
この「無所有処」とは、なにものも存在しない境地とか、主観と客観の区別のない境地と言われ
ている。原語が「aprqptitva」だから、知覚しない、得ることがないという意味であり、思考・認識
を停止した境地のことを指すようである。これを
む しょ う
かん ぎ
そく ばく
無所有の成立するゆえん、すなわち『歓喜は束縛である』ということを知って、それをか
くのごとしと知って、それからそれについてしずかに観ずる。
にょじつ
安立したそのバラモンには、この如実なる知が存する」と。
〔Suttanipqta. 1113-1115〕
と説明している。
このアーラーラのもとを去って、続いてウッダカ・ラーマプッタのもとを訪ねる。ウッダカは
ひ そう ひ
ひ そうじょ
「非想非非想処」という境地を指導していたのだが、その境地にも釈尊は到達する。そこでアーラー
ラと同じように、共に弟子たちを指導しようと誘われるのだが、この境地にあるだけでは「苦」を
克服することはできないと、ウッダカのもとを去るのである。
この「非想非非想処」については、
- 20 -
さとりと慈悲
「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅し
た者でもない。――
ぎょう
えん
かくのごとく行じた者の形態は消滅する。けだし世界のひろがりの意識は想いを縁として起
るからである。」
〔Suttanipqta. 874〕
と説明している。これについては、
かへ
非想非非想処に生ずといへども,還りてまた堕落す
〔十住心論4、T77-329c〕
く しゃろん
と、空海が『倶舎論』での解説で述べている。非想非非想処(naiva_sa/j`q_nqsa/j`q_qyatana)とは、
う ちょう てん
意識と無意識の双方のない境地をいい、別名「有 頂 天」ともいう。しかし、これはあくまでも、
ふんべつ
その境地であるから、その状態から解放された時には、やはり分別が生じる。つまり「苦の克服」
さんまいぎょう
とはなり得ない。釈尊は、このような三昧行を行ったことを、後に述懐しながら、その境地を解説
し、さらにその境地にとどまったのでは悟りえなかったと述べている。
ゆいしき
後に、これらの「想」については、唯識学派がきわめて詳細に分析をすることになる。
このように、釈尊が当時最高とみなされていた指導者について修行をしたが、いずれも「苦の克
服」とはなり得なかった。それは本来の目的を忘れて、経過地点を目的地と取り違えたものであっ
たともいえる。
釈尊は、この後、苦行を続ける。ところが、これらのどの修行も苦の克服にはならなかった。そ
のことを
なんぎょう
その行動、その実践、その難行によっても、わたくしは人間の性質を超えた特別完全な聖な
ち けん
る知見に到達しなかった。それはなぜであるか? この聖なる知慧が未だ達せられていなかっ
しゅっ り
たからである。この聖なる知慧が達せられたならば、それは出 離に導くものであり、それを
行なう人を正しく苦の消滅に導いてゆく。
〔Majjhima_Nikqya. I, p.8lf.〕
や
そのときわたくしはこう考えた、――「このように極度に痩せた身体では、かの安楽は得
にゅう び
と
離い。さあ、わたくしは実質的な食物である乳 糜を摂ろう」と。そこでわれわれは実質的な
食物である乳糜をとった。そのときわたくしには五人の修行者が近づいて、「修行者ゴータマ
がもしも法を得るならば、それをわれらに語るであろう」と言っていた。ところでわたくし
は実質的な食物である乳糜をとったから、その五人の修行者はわたくしを嫌って、
「修行者ゴー
むさぼ
ぜいたく
タマは貪るたちで、つとめはげむのを捨てて、贅沢になった」と言って、去って行った。
そこでわたくしは実質的な食物を摂って、力を得て、もろもろの欲望を離れて、不善なる
しょ ぜん
ことがらを離れ、粗なる思慮あり、微細な思慮あり、遠離から生じた喜楽である初 禅を成就
していた。
〔Mahqsaccaka_sutta, Majjhima_Nikqya. I, p.247〕
と回想している。この後、2 禅、3禅、4禅に到達していく。そして、終にさとりに到達する。そ
の様子が次のように述べられている。
そのときブッダなる世尊は初めてさとりを開いて、ウルヴェーラー村、ネーランジャラー
河の岸辺に、菩提樹のもとにおられた。そして世尊は菩提樹のもとにおいて七日のあいだずっ
げ だつ
う
と足を組んだままで、解脱の楽しみを享けつつ坐しておられた。
しょこう
時に世尊はその夜の初更において、縁起〔の理法〕を順逆の順序に従ってよく考えられた。
- 21 -
更:日没から日出までの間を 5 等分して呼
ぶ時刻の名
さとりと慈悲
む みょう
すなわち、――「無明によって生活作用があり、生活作用によって識別作用があり、識別作
めい しょう
けい たい
用によって名称と形態とがあり、名称と形態とによって六つの感覚機能があり、六つの感覚
機能によって対象との接触があり、対象との接触によって感受作用があり、感受作用によっ
もうしゅう
しゅうじゃく
て妄執があり、妄執によって執着があり、執着によって生存があり、生存によって出生があり、
出生によって老いと死、憂い・悲しみ・苦しみ・愁い・悩みが生ずる。このようにしてこの
とん よく
苦しみのわだかまりがすべて生起する。しかし貪欲をなくすることによって無明を残りなく
し めつ
止滅すれば、生活作用も止滅する。生活作用が止滅するならば、識別作用も止滅する。識別
作用が止滅するならば、名称と形態とが止滅する。名称と形態とが止滅するならば、六つの
感覚機能が止滅する。六つの感覚機能が止滅するならば、対象との接触も止滅する。対象と
の接触が止滅するならば、感受作用も止滅する。感受作用が止滅するならば、妄執も止滅する。
妄執が止滅するならば、執着も止滅する。執着が止滅するならば、生存も止滅する。生存が
うれ
止滅するならば、出生も止滅する。出生が死滅するならば、老いと死、憂い・悲しみ・苦しみ・
うれ
愁い・悩みも止滅する。このようにしてこの苦しみのわがかまりがすべて止滅する」と。
そこで世尊はこの意義を知って、そのとき次の〈詠嘆の詩〉を唱えられた。
ぎょう
しき
みょうしき
ろくしょ
努力して思念しているバラモンに。
12因縁:①無明 ②行 ③識 ④ 名 色 ⑤六処
もろもろの理法が現われるならば。
⑥触 ⑦受 ⑧愛(妄執) ⑨取(執着) ⑩有 そく
じゅ
しょう
ろう し
あい
もうじゅう
しゅ
しゅうじゃく
う
⑪生 ⑫老死
かれの疑惑はすべて消滅する。
原因〔との関係をはっきりさせた縁起〕の理法を
はっきりと知っているのであるから。
ちゅう こう
それから世尊はその夜の中更においても、縁起〔の理法〕を順逆の順序に従ってよく考え
られた。‥‥
そこで世尊はこの意義を知って、そのとき次の〈詠嘆の詩〉を唱えられた。
努力して思念しているバラモンに、
もろもろの理法が現われるならば、
かれの疑惑はすべて消滅する。
もろもろの〈縁〉の消滅を知ったのであるから。
ご こう
それから世尊はその夜の後更においても、縁起〔の理法〕を順逆の順序に従ってよく考え
られた。‥‥
そこで世尊はこの意義を知って、そのとき次の〈詠嘆の詩〉を唱えられた。
努力して思念しているバラモンに、
もろもろの理法が現われるならば、
かれは悪魔の軍勢を粉砕しつつあるのだ。――
あたかも太陽が大空を照しているように。 〔Vinaya , Mahqvagga, I,1. 1-7.〕
ここで、我々がよく知っている12因縁が説かれているが、この『マハーヴァッガ』が後世に書
かれていたから、12支とまとまっている。つまり、縁起についての説明は、初期には12支に限っ
たものではなかった。
さて、
『マハーヴァッガ』は7日ごとに樹を代えて瞑想したことを伝えている。第2週にはアジャ
- 22 -
さとりと慈悲
パーラ樹、第3週はムチャリンダ樹、第4週はラージャーヤタナ樹、第5週はふたたびアジャパー
ラ樹である。
その第5週に大きな心の変化があったことが、『相応部』経典に伝えられている。
ある時、世尊は、ウルヴェーラー村の、ネーランジャラー(尼連禅)河のほとりなる、アジャ
パーラ・ニグローダの樹下に住しておられた。まさに正覚を成じたまいし時のことであった。
その時、世尊は、ただひとり坐し、静かに物思いして、かように考えたもうた。
く ぎょう
「尊敬するところもなく、恭敬するものもない生き方は苦しい。わたしは、いかなる沙門も
しくは婆羅門を尊び敬い、近づきて住すればよいであろうか」
だが、その時また、世尊は、かように考えたもうた。
かい
「もしわたしに、いまだ満たされない戒に関することがあるならば、それを成満するために、
他の沙門または婆羅門を尊び敬い、近づきて住するがよいであろう。だが、わたしは、天界・
魔界・梵天界をも含めたこの世界において、また、沙門・婆羅門ならびに人間界・天上界の
かい
住みぴとをも含めた衆のなかにおいて、わたしよりもよく戒 を成就して、尊び敬い、近づき
て住するに値するような沙門もしくは婆羅門を見ることはできない。
じょう
また、もしわたしに、いまだ満たされない定に関することがあるならば、……いまだ満た
え
げ だつ
されない慧に関することがあるならば、……いまだ満たされない解脱に関することがあるな
らば、……いまだ満たされない解脱知見に関することがあるならば、それを成満するために、
他の沙門または婆羅門を尊び敬い、近づきて住するがよいであろう。だが、わたしは、天界・
魔界・梵天界をも含めたこの世界において、また、沙門・婆羅門ならびに人間界・天上界の住
みぴとをも含めた衆のなかにおいて、わたしよりもよく解脱知見を成就して、尊び敬い、近
づきて住するに値するような沙門もしくは婆羅門を見ることはできない。
とすると、わたしは、むしろ、わたしが悟った法、この法をこそ、敬い尊び、近づきて住
するがよいであろう」
その時、この娑婆世界の主たる梵天は、その心をもって、世尊の心中の思いを知り、たとえ
ば、力ある男子が屈したる腕を伸し、伸したる腕を屈するがごとく、たちまちにしてその姿
を梵天界に没して、世尊のまえに現れた。そこで、梵天は、一肩に上衣を掛け、世尊を合掌し、
礼拝して、いった。
「世尊よ、そのとおりである。世尊よ、そのとおりである。世尊よ、過去の正等覚者にてまし
ました世尊も、法を尊び敬い、近づきて住した。また、未来の正等覚者にてまします世尊も、
法を尊び敬い、近づきて住するであろう。そして、いまの正等覚者にてまします世尊も、法
をこそ尊び敬い、近づきて住するがよろしい」
梵天はそのようにいった。そしてまたつぎのように説いた。
「過去の世の正覚者も
未来のもろもろの仏たちも
また、いまの世の悟れる者も
衆生の憂悩を滅する者は
すべて正法を敬いて住したもう
いまも正法を敬いて住したまい
未来も正法を敬いて住したもうくしこは諸仏にとりて法としてしかり
されば、自己の幸いをねがい
大いなる状態をのぞむ者は
- 23 -
さとりと慈悲
正法を敬わざるべからず」〔Sa/yutta_Nikqya , Gqravo〕
よく仏のおしえを憶念して
この「Gqravo」(恭敬)の漢訳である『雑阿含経』では
その時世尊、独り静かに思惟してこの念を為す。恭敬せざる者は則ち大苦を為す。 〔T2-321c〕
とあり、「大苦」と呼んでいる。
さとった仏陀にも「苦」がある、ということは、古来認められないので、ここについて詳説する
く ぎょう
事は少ない。「尊敬するところもなく、恭敬するものもない生き方は苦しい」というのは、仏陀にとっ
ての苦であり、その意味で「大苦」と訳された。これはまた、「無我苦」とも呼ばれ、なににもた
よるもののないことへの「苦」を意味している。
これまでの「無常苦」は縁起のままに生きていくことによって克服できることが、釈尊自身も理
解できたが、この「無我苦」をどのように克服するかが、この時の問題となったと推測される。そ
の解決策は、縁起のままに生きることであっただろう。
そこで、釈尊はすべてを捨てようとされる。梵天勧請の前部分にはこのようにある。
時に世尊は独りかくれて想いにふけっておられたが、心の中に次のような思いが生じた、
「わ
たくしのさとったこの真理は深遠で、見難く、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の
域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。ところがこの世の人々は執着のこ
だわりを楽しみ、執着のこだわりに耽り、執着のこだわりを嬉しがっている。さて執着のこ
だわりを楽しみ、執着のこだわりに耽り、執着のこだわりを嬉しがっている人には、〈これに
よってあること〉すなわち縁起という道理は見難い。また一切の形成作用のしずまること、一
切の執着を捨て去ること、妄執の消滅、貪欲を離れること、止滅、ニルヴァーナ(やすらぎ)
というこの道理もまた見難い。だからわたくしが理法(教え)を説いたとしても、もしも他
の人々がわたくしを理解してくれなければ、わたくしには疲労があるだけだ。わたくしには
憂慮があるだけだ。」
実に次の、未だかつて聞かれたことのない、すばらしい詩句が現われた。
困苦してわたしがさとり得たことを、
今またどうして説くことができようか。
貪りと限りに悩まされた人々が、
この真理をさとることは容易ではない。
これは世の流れに逆らい、微妙であり、
深遠で見がたく、微細であるから、
欲を貪り闇黒に覆われた人々は見ることができないのだ、と。
世尊がこのように省察しておられるときに、何もしたくないという気持に心が傾いて、説
法しようとは思われなかった。
〔Vinaya , Mahqvagga I,1,5.〕
別の経典では、釈尊は「縁起のままに涅槃に入ろうとされた」とある。縁起のままに生きていく
ということは、そのまま死を迎えようという意味でもある。
素直に、釈尊が説法を躊躇しているのだというのが一般的な解釈である。そのために、釈尊の心
の揺らぎが梵天勧請という形で表現されていく。
しかし、「無我苦」の克服のための別の解決策を模索していたのだとも考えられる。
平成25年7月31日
次回 8月28日予定
- 24 -
さとりと慈悲
無我苦の克服
第 5 週目、釈尊は教化を思いとどまろうとされた。その様子が『マハーヴァッガ』に説かれる。
それから世尊は七日過ぎてのちに、その冥想から起ち上って、ラージャーヤタナ樹のもと
からアジャパーラ榕樹のあるところへ赴いて、この樹のもとにおられた。
時に世尊は独りかくれて想いにふけっておられたが、心の中に次のような思いが生じた、
「わ
たくしのさとったこの真理は深遠で、見難く、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の
域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。ところがこの世の人々は執着のこ
ひた
だわりを楽しみ、執着のこだわりに耽 り、執着のこだわりを嬉しがっている。さて執着のこ
だわりを楽しみ、執着のこだわりに耽り、執着のこだわりを嬉しがっている人には、
〈これに
よってあること〉すなわち縁起という道理は見難い。また一切の形成作用のしずまること、一
切の執着を捨て去ること、妄執の消滅、貪欲を離れること、止滅、ニルヴァーナ(やすらぎ)
というこの道理もまた見難い。だからわたくしが理法(教え)を説いたとしても、もしも他
の人々がわたくしを理解してくれなければ、わたくしには疲労があるだけだ。わたくしには
憂慮があるだけだ。」
実に次の、未だかつて聞かれたことのない、すばらしい詩句が現われた。
困苦してわたしがさとり得たことを、
今またどうして説くことができようか。
むさぼ
いか
貪りと瞋りに悩まされた人々が、
この真理をさとることは容易ではない。
これは世の流れに逆らい、微妙であり、
深遠で見がたく、微細であるから、
むさぼ
欲を貪り闇黒に覆われた人々は見ることができないのだ、と。
世尊がこのように省察しておられるときに、何もしたくないという気持に心が傾いて、説
法しようとは思われなかった。‥‥
そのとき世界の主・梵天は上衣を一つの肩にかけて、右の膝を地に着け、世尊のおられる
ところに合掌・敬礼して、世尊にこのように言った、
「尊き方よ。尊師は教えをお説きください。
幸ある人は教えをお説きください。この世には生れつき汚れの少ない人々がおります。かれ
らは教えを聞かなければ退歩しますが、〔聞けば〕真理をさとる者となりましょう。」
このように言われたので、世尊は世界の主・梵天に告げられた、「梵天よ。わたくしはこの
ように考えた、『わたくしのさとったこの真理は、深遠で、見難く、難解であり、……わたく
しには憂慮があるだけだ』と。梵天よ。実に次の、未だかつて聞かれたことのない、すばら
しい詩句が現われた。『……闇黒に覆われた人々は見ることができないのだ』と。梵天よ、わ
たくしはこのように省察しているので、何もしたくないという気持に心が傾いて、説法しよ
うとは思わないのだ」と。
このように釈尊は梵天の勧請を二度までも断る。
三たび世界の主・梵天は世尊にこのように言った、
「尊い方よ。尊師は教えをお説きください。
- 25 -
さとりと慈悲
……真理をさとる者となりましょう」と。
そのとき世尊は梵天の懇請を知り、生きとし生ける者へのあわれみによって、さとった人の
眼によって世の中を観察された。世尊はさとった人の眼によって世の中を見そなわして世の
中には、汚れの少ない者、汚れの多い者、利根の者、鈍根の者、性質の善い者、性質の悪い者、
教え易い者、教え難い者どもがいて、ある人々は来世と罪過への怖れを知って暮しているこ
とを見られた。(中略)
見終ってから、世界の主・梵天に詩句をもって呼びかけられた。
耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。
おこ
む
〔おのが〕信仰を捨てよ。〔別訳 彼らは信を発し向けよ。〕
梵天よ。人々を害するであろうかと思って、
わたくしは微妙な巧みな法を人々には説かなかったのだ。
そこで世界の主・梵天は、「わたしは世尊が教えを説かれるための機会をつくることができ
た」と考えて、世尊に敬礼して、右廻りして、その場で姿を消した。〔Vinaya , Mahqvagga, I,1,5.〕
このように、ようやく釈尊は人間に法を説こうと決意される。そして、誰に説けば良いのか考え始
める。
「わたくしは先ず最初に誰に対して教えを説くべきであろうか。誰がこの教えを速やかに理
解するであろうか」と。そこでわたくしはこのように考えた。――「実にこのアーラーラ・カー
ラーマは賢者で、識見あり、聡明で、長いあいだ無垢の性の人である。さあ、わたくしはアーラー
ラ・カーラーマに最初に法を説こう。かれはこの法を速やかに理解するであろう」と。さて
ある神がわたくしのもとに近づいてこう言った。――賢者よ。アーラーラ・カーラーマが死
んでから七日になります」と。わたくしにもまた「アーラーラ・カーラーマが死んでから七
日になる」という知と見とが生じた。そこでわたくしはこう思った。――「実にアーラーラ・
カーラーマは天性すぐれた人であった。もしもかれがこの法を聞いたならば、速やかに理解
し得るであろうのに!」と。
そこでわたくしはこのように考えた。――「実にこのラーマの子・ウッダカは賢者で、識
見あり、聡明で、長いあいだ無垢の性の人である。さあわたくしはラーマの子・ウッダカに
最初に法を説こう。かれはこの法を速やかに理解するであろう」と。さてある神がわたくし
のもとに近づいてこう言った。――「賢者よ。ラーマの子・ウッダカは昨夜死にました」と。
わたくしにもまた「ラーマの子・ウッダカは昨夜死んだ」という知と見とが生じた。そこで
わたくしはこう思った。――「実にラーマの子・ウッダカは天性すぐれた人であった。もし
もかれがこの法を聞いたならば、速やかに理解し得るであろうのに」と。
そこでわたくしはこのように考えた。――「わたくしが修学につとめていたとき、わたく
しに仕えてくれた五人の修行者たちの群れはわたくしのために益するところが多かった。さ
あわたくしはまず最初に五人の修行者の群れに法を説こう」と。
このようにして、釈尊は共に苦行を続けていた 5 人の修行者にまず法を説こうとして、ベナレ
スのイシパタナへ向かうのである。その途中で、アージヴィカ教徒のウパカに遭遇する。
アージーヴィカ教徒であるウパカは、わたくしがガヤーと菩提樹との間の街道を歩んで行
- 26 -
さとりと慈悲
くがを見た。見てから、わたくしにこのように言った、――「尊者よ、あなたのもろもろの
機官は清浄であり、皮膚の色は清らかで純白であります。尊者よ。あなたは何をめざして出
家したのですか。あなたの師は誰ですか? あなたは誰の法を信受しているのですか?」と。
わたくしはアージーヴィカ教徒であるウパカに詩句をもって答えた。――
われは一切にうち勝った者、一切を知る者である。
一切のものごとに汚されていない。
すべてを捨てて、愛執がなくなったときには解脱している。
みずから知ったならば、誰を〔師と〕めざすであろうか。
われには師は存在しない。われに似た者は存在しない。
神々を含めた世界のうちに、われに比敵し得るものは存在しない。
われこそは世間において尊敬さるべき人である。われは無上の師である。
われは誰一なる正覚者である。われは清浄となり、やすらいに帰している。
法輪を転ぜんがために、わたくしはカーシー(=ベナレス)の町に往く。
盲闇の世界において不死の鼓をうたう。
〔ウパカ〕――「尊者よ、あなたが主張されるように、あなたは無限の勝者たるべきですか?」
〔世尊〕――「煩悩を消滅するに至った人々は、わたくしにひとしい勝者である。わたくしは
悪しき性を克服した。それ故にわたくしは勝者である。ウパカよ。」
このように言われたときに、アージーヴィカ教徒であるウパカは「尊者よ、そうかもしれ
ない」と言って、頭を振って、傍道をとって去って行った。
〔Sa/yutta Nikqya . I, p. 66G.〕
そして、ついに5人の修行者が修行している鹿野苑に到着する。
「さてわたくしは順次に遊歩して、ベナレス・仙人の住処・鹿の園なるところに、五人の
修行者の群れのいるところに赴いた。五人の修行者の群れは遥かにわたくしが来るのを見た。
見て相互に約束して言った、――『聖者よ、道の人ゴータマがあそこにやって来る。贅沢で、
つとめはげむのを捨て、贅沢に赴いた。かれに挨拶すべきではない。起って迎えてはならない。
かれの衣鉢を受けてはならない。しかし座を設けてやらねばなるまい。もしもかれが欲する
ならば、坐し得るであろう』と。
ところがわたくしが近づくにつれて、五人の修行者の群れは、自分らの約束で制すること
ができなかった。さらにまたわたくしの名を呼び、また『友よ』という呼びかけをもって話
しかけた。
このように話しかけられたときに、五人の修行者の群れにこのように言った、――『修行
者らよ。如来に呼びかけるのに名を言い、また「友よ」という呼びかけをもって如来に話し
かけてはならぬ。如来は尊敬さるべき人、正覚者である。修行者ども、耳を傾けよ。不死が
得られた。わたくしは教えるであろう。わたくしは法を説くであろう。汝らは久しからずして、
良家の子らが正しく家から出て出家行者となった目的である無上の清浄行の究極を、この世
においてみずから知り証し体現するに至るであろう』と。
五人の修行者の群れはわたくしにこのように言った、――『尊者ゴータマよ、あなたはその
行ない・その実践・その苦行によっても、人間の性質を超えた、完成せる聖なる特別の知見
- 27 -
さとりと慈悲
に達しなかった。しかるに今あなたは贅沢で、つとめはげむのを捨て、奢侈に赴いているの
に、どうして人間の性質を超えた完成せる聖なる特別の知見に達することができるでしょう
か』と。このように言われたので、――『修行者どもよ、如来は贅沢なのではない、つとめは
げむのを捨てたのでもない、奢侈に赴いたのでもない。如来は尊敬さるべき人、正覚者である。
耳を傾けよ。不死が得られた。われは教えるであろう。われは法を説くであろう。汝らは教
えられたとおりに行なうならば、久しからずして、良家の子らが正しく家から出て出家行者
となった目的である無上の清浄行の究極を、この世においてみずから知り証し体現するに至
るであろう』と。
〔五人の修行者は再びゴータマに同じ非難の詰問を向けたので、ゴータマは再び同じことを答
え、三たび同じ非難の詰問を向けた。〕
このように言われたときに、わたくしは五人の修行者の群れにこのように言った。――『修
行者どもよ。汝らは今よりも以前に、わたくしがこのように光輝があったのを見知っている
か?』と。『いいえ、尊者よ』と。――『修行者どもよ。如来は尊敬さるべき人、正覚者であ
る。耳を傾けよ。不死が得られた。わたくしは教えるであろう。わたくしは法を説くであろう。
汝らは教えられたとおりに行なうならば、久しからずして、良家の子らが正しく家から出て出
家行者となった目的である無上の清浄行の究極を、この世においてみずから知り証し体現す
るに至るであろう』と。」
〔Majjima Nikqya. I, pp. 171f.〕
そして、5人の修行者とともに、釈尊の指導の下に教えを聞き、修行を続けた。
わたくしは五人の修行者の群れを理解せしめることができた。二人の修行者を教化すると
き、三人の修行者は托鉢に行った。三人の修行者が托鉢を行なって得た食をもって、われら六
人の群れが生活した。また三人の修行者を教化するとき、二人の修行者は托鉢に行った。二
人の修行者が托鉢に行って得た食をもって、われら六人が生活した。 〔〃〕
そのようにしているうちに、
いまや実にこれらの四つの聖なる真理に関してこのように三つの段階、十二のかたちある如
実に見る知見がわたしにとってすっかり純粋清浄なものとして起ったのであるから、〈いまや
わたしは神々・悪魔・梵天・修行者・バラモン・神々・人間を含む生きとし生けるものども
の中において無上の正しい覚りを現にさとった〉と称したのである。そしてわたしに次の知
見が生じた。
『わが心の解脱は不動である。これが最後の生存である。もはや後の再生はあり得ない』と。」
――世尊はこのように言われた。五人の修行者の群れは歓喜し、世尊の説かれたことを喜んだ。
そしてこの〈決まりのことば〉が述べられたときに、尊者コーンダンニャに、塵なく汚れな
き真理を見る眼が生じた。
――「およそ生起する性あるもの(有為法)は、すべて滅び去る性あるものである」と。
そのとき世尊はこのような〈感歎のことば〉を発せられた。
――「ああ、コーンダンニャはさとったのだ! ああ、コーンダンニャはさとったのだ!」と。
それゆえに尊者コーンダンニャをば〈さとったコーンダンニャ〉と名づけるようになった。
さて尊者コーンダンニャは、すでに真理を見、真理を得、真理を知り、真理に没入し、疑
- 28 -
さとりと慈悲
いを超え、惑いを去り、確信を得て、師の教えのうちにあって、他の人にたよることのない
境地にあったので、世尊にこのように言った、――
「尊い方よ。わたくしは世尊のもとで出家したく存じます。わたくしは完全な戒律を受けたく
存じます」と。世尊は言った、「来たれ、修行僧よ。真理はよく説かれた。正しく苦しみを終
滅させるために、清らかな行ないを行なえ」と。これがかの尊者の受戒であった。
このようにして、次々にさとっていく。
尊者ヴァッパと尊者バッディヤとが、法に関する教えによって世尊に教えられ、さとされて
いたときに、この二人に、塵なく汚れなき真理を見る眼が生じた‥‥
さらに尊者マハーナーマと尊者アッサジとが、法に関する教えによって世尊に教えられ、さ
とされていたときに、この二人に、塵なく汚れなき真理を見る眼が生じた、――「およそ生起
する性あるものは、すべて滅び去る性あるものである」と。
〔Mahqvagga〕
く ぎょう
ここに初めて、釈尊の無我苦は克服されたとみることができる。「尊敬するところもなく、恭敬す
るものもない生き方は苦しい。わたしは、いかなる沙門もしくは婆羅門を尊び敬い、近づきて住す
ればよいであろうか」という苦はこのようにして克服された。
釈尊の苦の考察を、順に見ていくと、
諸行無常
→
一切皆苦
→
しょほう む
が
諸法無我
→
ね はんじゃくじょう
涅槃 寂 静
ということになるだろう。すべての潜在的形成力(行)は無常である。それが「およそ生起する
う
い ほう
性あるものは、すべて滅び去る性あるものである」と説明され、それゆえすべての有為法は「苦
(du4kha)」であると言われるのである。その状態を説明したのが「諸法無我」という言葉であり、
すべての存在は相互に関係性をもっているから存在という状態となることができているのであるか
ら、「我」(=ユニークな存在)としては存在しえない。
これを説明したのが、空海の作ったという伝説のある「いろは歌」である。
いろはにほへと ちりぬるを
色はにほへど散りぬるを
わかよたれそ
我が世たれぞ常ならむ
つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
有為の奥山
今日越えて
あさきゆめみし ゑひもせす
浅き夢見じ
酔ひもせず
む じょう げ
これは『涅槃経』の中の無 常 偈「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」(諸行は無常であっ
てこれは生滅の法である。この生と滅とを超えたところに、真の大楽がある)の意訳であると、平
かくばん
安時代末期の真言宗の興教大師覚鑁が説いている。
平成25年8月28日
次回 9月25日予定
- 29 -
さとりと慈悲
さとりへの道
今回は、釈尊がどのような修行によってさとりの世界に入ったかを考える。その前に、釈尊がさ
とった時にどのようにそれを確認したのか、その過程を見てみる。
む みょう
ぎょう
しき
「無知(無明)によって形成作用(行)があり、形成作用によって識別作用(識)があり、
識別作用によって名称と形態(または精神と物質)があり、名称と形態によって六つの感覚
ろくしょ
そく
作用(六処、眼・耳・鼻・舌・身・意)があり、六つの感覚作用によって対象との接触(触)
じゅ
あい
があり、対象との接触によって感受作用(受)があり、感受作用によって愛執(愛)があり、
しゅ
う
しょう
愛執によって執着(取)があり、執着によって生存(有)があり、生存によって出生(生)が
ろう
し
く
あり、出生によって老 と死、愁・悲・苦・憂・悩が生ずる。このようにして、この苦 の集ま
りがすべて生起する。
おん り
しかし、無知を残りなく遠離し止滅すれば、形成作用も止滅する。形成作用が止滅すれば、
識別作用も止滅する。識別作用が止滅すれば、名称と形態が止滅する。名称と形態が止滅す
れば、六つの感覚作用が止滅する。六つの感覚作用が止滅すれば、対象との接触が止滅する。
対象との接触が止滅すれば、感受作用も止滅する。感受作用が止滅すれば、愛執が止滅する。
愛執が止滅すれば、執着が止滅する。執着が止滅すれば、生存も止滅する。生存が止滅すれば、
出生も止滅する。出生が止滅すれば、老と死、愁・悲・苦・憂・悩も止滅する。このようにして、
この苦の集まりがすべて止滅する」
えいたん
そこでブッダはこの意義を知って、つぎの詠嘆の詩句を唱えた。
めいそう
「修行に努め瞑想に励むバラモン(真の修行者という意)に、
けんげん
もろもろの理法が顕現するならば、
かれの疑惑はすべて消滅する。
り ほう
原因との関係を明らかにした縁起の理法をさとったのであるから」 〔Mahqvagga 1,1,3〕
これは後に十二縁起(十二因縁)と呼ばれるものである。釈尊がさとった直後に、みずからのさ
とりを検証した言葉とされている。すでに述べたように、釈尊は「苦(du4kha)」の解決を目標と
して修行に入ったから、苦の原因を尋ねたのである。
む みょう
① 無明(avidyq)は、vidyq の本が√ vid という動詞であり、「know, understand, learn, find out」
であるから、avidyq は「knowledge, learning, science, right knowledge」などの否定であり、正し
ほんのう
く知ることができないという意味になる。その意味から、人間の生の根源に当たる「本能」と解釈
をすることもある。
ぎょう
② 行(sa/skqra)は、「subliminal activation」とされ、潜在意識の活性化という意味である。形
成作用と言う言い方だと、人間以外のものの形成をも含む言い方になるが、さとりの確認としては、
かくせい
本能という潜在意識の覚醒と考える方が良いだろう。
しき
③ 識(vij`qna)とは、行によって人間の意識がはたらくことをいう。
みょうしき
④ 名 色(nqma_r[pa)は、意識によって名称とその形が知覚される。
ろくしょ
げん に
び ぜつしん い
⑤ 六処(2af_qyatana)。名色が知覚されるのは、人間の「眼耳鼻舌身意」の6つの感官によって知
覚される。
- 30 -
さとりと慈悲
そく
⑥ 触(spar1a)は、その六処が知覚対象と接触することをさす。
じゅ
⑦ 受(vedanq)は、「knowledge, perception, feeling, sensation」とあるから、感官と知覚対象と
の接触によって得られる感覚や知識のことである。
あい
かつ あい
⑧ 愛(t32nq)は「strong desire, greed」とあるから渇愛と言われる。感覚を得るとそれを欲する
ことをいう。
しゅ
⑨ 取(upqdqna)は、その感覚に執着することである。
う
⑩ 有(bhqva)は、人間の生存である。「bhqva」自身は「feeling, emotion, sentiment, inclination
of mind」 と 感 性 や 感 情 が 第 一 義 に 挙 げ ら れ る が、「being, existing, existence, taking place,
becoming, occurring」 と し て 存 在、 実 現、 現 象、 発 生 と い う 意 味 や、「rank, position, state,
condition, state of being, truth」と地位、状況、真実、実相など幅広い意味を持っている。ここで
は人間の生存という意味とみるのが正しいだろう。
⑪ 生 (jqti) は、誕生のことである。サンスクリットの場合、「race, family; caste; birth, production」
とあり、一般的には種族やカーストなどを指すことが多い。
⑫ 老死 (jarq_maraza) は、年老いて死ぬことである。
このように釈尊は自らの苦が生じる原因を追及して、その流れを確認したのである。それによっ
て、その苦の生じる原因をみずから滅することによって苦からの解脱を果たしたわけである。最初
の説法で、その苦について釈尊は詳しく説明している。
比丘たちよ、健勝なるお方が覚知し、〔真理を見る〕眼をもたらし、智慧をもたらし、平安
ね はん
と証智と目覚めと涅槃とに資するその中道とは何か。これこそが八支よりなる聖なる道(八聖
しょう けん
し ゆい
ご
ごう
道、八正道)である。それは次のようなものである。すなわち、正見と正思惟と正語と正業
みょう
しょうじん
ねん
じょう
かく ち
と正命と正 精 進と正念と正定とである。まさにこれが、健勝なるお方が覚知し、
〔真理を見る〕
ちゅうどう
眼をもたらし、智慧をもたらし、平安と証智と目覚めと涅槃とに資する中道である。〔18〕
く しょうたい
比丘たちよ、苦 聖 諦とは次のごとくである。誕生は苦であり、老いは苦であり、病は苦で
あり、死は苦であり、怨憎するものと会うのは苦であり、愛するものと別離するのは苦であり、
ご しゅうん
求めて得られないのは苦であり、まとめて言えば、五取蘊は総じて苦である。〔19〕
く じゅう しょう たい
さい せい
ご
う
むさぼ
比丘たちよ、苦 集 聖 諦とは次のごとくである。再生(後有)をもたらし、喜びと貪りと
かつ あい
ともにあり、随所に歓喜する渇愛である。それはたとえば、欲望の渇愛、生存の渇愛、虚無
の渇愛といったものである。〔20〕
く めつしょうたい
り めつ
ほうてき
比丘たちよ、苦滅 聖 諦とは次のごとくである。この渇愛を余すところなく離滅し、放擲し、
げ だつ
あいちゃく
解脱し、愛著のないことである。〔21〕
く めつどうしょうたい
比丘たちよ、苦滅道 聖 諦とは次のごとくである。これこそが八支よりなる聖なる道である。
それはたとえば、正見……正定とである。〔22〕
しょてんぽうりん
〔mahqvagga 1, 1〕
し しょうたい
初転法輪の最初で、釈尊は四 聖 諦について述べている。
まず四聖諦とは「catvqri_qrya_satyqni」とは4つの神聖なる真理という意味である。つまり「諦」
- 31 -
さとりと慈悲
が真理を意味している。
① 苦諦(du4kha_satya) 初転法輪で述べているのは、四苦八苦である。生老病死の四苦と愛別離苦・
おんぞう え
く
ぐ
ふ とっ く
ご うんじょう く
怨憎会苦・求不得苦・五蘊 盛 苦の合計八苦である。このように、人生は「苦」が真実であると
いうのである。
く じったい
② 苦集諦(du4kha_samudaya_satya) この「samudaya」は「生起する」という意味であり、
さらに「集
める」「積み重ねる」「結合する」という意味である。つまり、苦集諦とは「苦を生起す
ぼんのう
る真実の原因」という意味である。後にこれが「煩悩」(kle1a)と呼ばれることとなる。
初転法輪では、苦の原因の構造を表わしているのは、先に述べた十二因縁である。こ
れは苦の12の原因と縁を示している。それぞれは個別にあるのではなく相互に縁起し
て、さらにそれ全体が「苦」であるから、無明も渇愛も苦の根本原因であり苦集諦である。
めっ たい
よく し
け ばく
③ 滅諦(nirodha_satya) これは「苦」の抑止のことである。後には、煩悩の繋縛から解放された
境地のこととされ、解脱の世界、涅槃の境地と言われる。
具体的には、「諸法無我」「諸法皆空」と言われるように、「苦」(du4kha)が文字どおり「一
よ
人では立っていられない」という意味であり、すべてのものは互いに縁りあって成立しているも
よ
のである。つまり、私はあらゆるものに縁って生存しているものであり、ここに初めて他を敬い、
じ
ひ
他を尊重して生きていく「慈悲」によって、みずからの「苦」を解消する方法が示される。
④ 道諦
(mqrga_satya) 「苦」の原因を探り、苦を滅して涅槃を実現する実践方法をいう。具体的には、
初転法輪では「八正道」を指す。
八正道は、すでに『マハーヴァッガ』に説かれている。
けん
① 正見(samyag_d32wi)
げん
む じょう
かん ざつ
なづ
正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。正しく観ずるが故に
えん
き
とん
われ
厭を生じ、厭を生ずるが故に喜を離れ、貪を離る。喜と貪とを離るるが故に、我は心が正し
げ だつ
く解脱すと説くなり
〔雑阿含 T2-49b〕
かん
この「正見」が道諦の根本である。この正見の実現のために以下の7支がある。正しく現実を観
ざつ
察するためには、生活・習慣そして正しい三昧をしなくてはならないと教えている。このように
真実を積極的に追及することから、
「心解脱」といわれ、正見が「四諦の智」と呼ばれるのである。
し ゆい
② 正思惟(samyag_sa/kalpa) 日常的なものの一切を否定することを言う。財欲・色欲・飲食欲・
名誉欲・睡眠欲などの五欲にまつわる、人間の日常生活の否定であり、それを思惟することが正
思惟である。
む しん
む がい
しん に
この五欲の心の否定は、具体的には無瞋の思惟、無害の思惟である。いわば瞋恚の心や害心の
すがたを、ありのままの姿で思惟し、これを捨てることを思惟するのである。自己本位にふるま
う人間の行動や、独善的な人間の行為を、思惟によって明らかにして、これを否定するのである。
じ
が
む
が
このように正思惟とは、自我的立場を否定して、無我こそ自己の真実であると見きわめることで
ある。この立場の転換に人間生存の転換がなされる。しかし、それが「正思惟」である限り、こ
のような生の転換も観念的である。そこで、次の「正語」と「正業」が説かれ、正思惟の中に示
される行動への意志が実行されるのである。
- 32 -
さとりと慈悲
ご
③ 正語(samyag_vqc) 妄語・綺語・両舌・悪口を離れることである。
ごう
④ 正業(samyag_kalmqnta) 殺生を離れ、不与取を離れ、愛欲を離れ、愛欲における邪行より離れ
ることをいう。
この正語と正業の二つは正思惟されたものの実践である。妄語・綺語・悪口・両舌を離れること、
これは人格の破壊を斥けるものであり、殺生・偸盗・邪婬を離れることは人間人格の尊重である。
そのためには、自らの精神的コントロールで身体的コントロールができる必要がある。また、み
ずからの精神活動を一つひとつ確認できなくてはならない。
みょう
⑤ 正命(samyag_qj]va) 「邪命を捨てて、正命によって命を営む」とか「如法に衣服、飲食、臥具、
湯薬を求めて不如法に非ず」といわれるのは、如法な生活それが正命であることをあらわす。こ
む みょう
れは、まちがった生活を捨てて正しい生活を営むことであり、常に無明を滅する方向に動いてゆ
く生活である。したがって、それは人間の日常性に根差している価値を追求する生活を否定する
ものである。この点、「正命」はこのようにすべき生活として求められつつあるものである。
しょう じん
⑥ 正 精 進(samyag_vyqyqma) この「正命」の生活は、ひたすらな努力の中にのみ得られる。こ
み しょう
ふ ぜんぽう
のひたむきな努力の生活、それが「正精進」である。「未生の悪、不善法の不生のために欲を生じ、
勤め精進し、心を摂し努力する」
「常に行じて退せざるを正精進という」というのは、これをいう。
し しょうごん
これが、やがて四 正 勤として、すでに起こった悪不善を断ずる努力、未来に起こる悪不善を生
じないようにする努力、過去の善法の増長への努力として説かれるようになった。
ねん
⑦ 正念(samyak_sm3ti) このような「正精進」に示される現前の事実的価値追求への否定の努力は、
主として過去の集約として与えられた、身体的なものに対する否定である。このような立場から
「身にありて身を観察して住し、熱心にして正しく理解し、精神を集中し、明瞭な心と精神集中と、
専一なる心とをもって、如実に身体を知る」と説かれるのが「正念」である。
現にあるものとしてでなく、あるべきものとしての「正命」が実現されるのは、身体における
日常的なものが克服されることによってである。それが「身の観察であり、精神を集中して如実
にしる」ことである限り、真に身体的なものの克服とはなりえないで、やはりイデア的であるこ
とを免れない。これを身体的なものとして、生活自身において克服するものそれが「正定」である。
じょう
⑧ 正 定 (samyak_samqdhi) 「心は不乱に住し、堅固 摂 持し、三昧一心に寂止す」と説かれる。こ
けん ご しょう じ
さんまい
じゃく し
れは心身一致の禅定において正しい智慧を完成することである。この「正定」によってはじめて、
「正見」 が得られるのである。
このようにして、八正道は八聖道として人間完成への道となる。これを人間の実践として、中道
であると説くのである。以上の八正道の「正見」こそ真実の智慧の実践であり、それを実現してゆ
く具体的な道が「正思惟」以下の七支であるから、この八正道は、次のような形で人間の実践道と
なる。
平成25年9月25日
次回10月30日予定
- 33 -
さとりと慈悲
縁起の世界
釈尊がさとられて、そのさとりを検証した経過から、さとりとはどのようなものかを振り返った。
いんねん
その検証方法は、後に「十二因縁」と呼ばれたものであり、現実をどのように見ておられたのかを
し たい
はっしょうどう
「四諦」と呼び、その現実認識からさとりへ向う方法を「八 聖 道」と呼んでいる。これが釈尊の教
えの基盤であり、根幹である。
そのさとりの内容を、釈尊は次のように説かれた。
すで
じんじん み みょう
めつ
や
しょうじょう
我れ今、已に此の無上法を得ん。甚深微妙にして難解難見なり。滅するを息めた清淨の智は、
ぼん ぐ
あた
じょう
是れ、凡愚に及ぶこと能わずと知るところ也。 〔長阿含経 T1-8b〕
このように、凡夫には理解しづらいことを表明している。この甚深微妙の法は
ぶつ
び
く
つ
えん ぎ
ま
よ にん
佛、比丘に告げたまわく。「縁起の法は、我が作るところにあらず。亦た餘人の作るところに
にょらい
ほっかい
じょうじゅう
もあらず。彼の如來の世に出ずるも及び世に出でざるも、法界は常住なり。彼の如來はこの法
さと
とうしょうがく
じょう
ふんべつ
えんぜつ
かいほつけん じ
いわゆる
を自ら覺り、等 正 覺を成じ、諸々の衆生のために分別し演説し開發顯示するのみなり。所謂
む みょう ぎょう
えん
ないし
く しゅじゅう
此れ有るが故に彼れ有り、此れ起るが故に彼れ起る。無明、行を縁じて乃至純大苦聚集あり。
い
ぞう
無明が滅するが故に行が滅し、乃至純大苦聚も滅すと謂う。」 〔雑阿含経 T2-85c〕
として、釈尊が出てこようがいなかろうが普遍的に存在している理論であると説いている。
つまり、釈尊はこの縁起の法を発明したのではなく、発見したのだと言っても良いだろう。この
縁起の法は、現代の言葉でまとめると「関係性の中で生起している」とでも言えるものである。こ
れを釈尊は
い
此れ有るが故に彼れ有り。此れ生ずるが故に彼れ生ず。謂う。無明を縁として行有り。乃至
しょうろうびょう し ゆう ひ のう く
いわゆる
生 老 病 死憂悲惱苦集あり。所謂此れ無きが故に彼れ無し。此れ滅するが故に彼れ滅す。謂う。
すなわ
無明が滅すると則ち行が滅す。乃至生老病死憂悲惱苦も滅す。 〔雑阿含経 T2-67a〕
そう え そうじょう
と説いている。つまり、「此」と「彼」とが互いに相依相成しているのであり、それぞれ個別に存
り
すがた
じ
在するものではないことをいう。しかも、これは理屈(理)であり、具体的な相(事)ではない。
ここに注意しながら話を先に進める。
「縁起」(pl: prawicca_samuppqda)とは、言うまでもなく、釈尊の正覚の内容をいう術語である。
釈尊がブッダ(Buddha. 覚者)と呼ばれるにふさわしい者となったのは、その正覚を成就したその
時からのことであり、その正覚から、仏教が出来たのである。
よ
おこ
「 縁 起 」 と は、「 縁 り て 」(prawicca- grounded on) と い う こ と ば と、「 起 る こ と 」(samuppqdaarising)ということばとが結合してできている。つまり、「なんらかの先行する条件があって生起
する」というほどの語で、中国の訳経者たちは「縁起」なる術語とした。それは、一切の存在を関
係性によって生成もしくは消滅するものとしてとらえる存在論である。
この世に存在するものは、すべて、どのようにして存するのか。そのような問題を論ずる学を、
オントロジー
存在論(Ontrogie)とよぶ。それには、おおよそ三つの型(スタイル)がある。
第一は、存在をすべて「造られしもの」と考える型である。「はじめに神天地をつくりたまえり」
というあの旧約聖書の『創世記』にしるされる創造神話は、その代表的なものである。
う
その第二は、それを「有」、すなわち「あるもの」として考える型である。その典型的なものを、
- 34 -
さとりと慈悲
フュジス
アルケー
初期のギリシャ哲学に見出す。彼らはしばしば「自然」について語り、それを説明する「原理」を
見出すことにつとめ、彼らの求めたものはその「質料」、すなわち原物質もしくは元素の追求であり、
自然科学へと続く。
その第三は、それを「生成」、すなわち「なるもの」として考える型である。その「生成」の裏側には、
「消滅」がある。「すべては流れる」
(Panta rhei)という名文句をのこしたヘラクレイトス(Herakleitos)
がその古典的代表者であった。そこでは、「自然」を説明する「原理」は、当然、そのなかに作用
する原力もしくは法則として追求される。釈尊の菩提樹下での思索も、その型に属する。
その正覚は、疑いもなく、直観によって得たものである。一つの経〔小部経典『自説経』I、1、
菩提〕は、そのことについて、偈をもっていう。
し ゆい
「まこと熱意をこめて思惟する聖者に
かの万法のあきらかとなれるとき
かれの疑惑はことごとく消えされり
有因の法を知れるがゆえなり」
この表現は、釈尊のさとりが直観によって成立したものであることを物語っている。直観的であ
りゅうじゅ ぼ さつ
る限り、論理的に説明することは難しい。後に、龍樹菩薩が言語やそれを伴う論理がいかに無意味
なものであるかを論証しようとしたのは、おそらくさとりが直観であるからである。さらに後に、
じん な
ぼ さつ
げんりょう
ひ りょう
陳那菩薩が論理の正否を現量と比量との二つに分けたのも、この意味であると考えられる。
つまり、釈尊の「さとり」は言葉にはならない。それを言語と論理で定着させようとしたのが、
「縁
起」と呼ばれる概念である。それは「理」であり、現実の我々の存在そのものが「事」である。
また、この現実世界とは「生起する性あるもの(有為法)=なるもの」であり、
「あるもの」でも「造
られしもの」でもないと観るのが、釈尊の立場である。
釈尊が発見した「理」、つまり存在の法則について、釈尊はどのように語っているか、術語で見
てみる。
えん ぎ
a 縁起(pawicca_samuppqda) これは「縁りて起ること」という意味であり、それによって、一
切の存在の関係性を表現する。さとりの内容を表示する術語としては、もっとも一般的であり、
この存在の法則を表現するには、たいていこの術語による。
えん しょう
b 縁生(pawicca_samuppanna) 「縁起の法則によって生ずる」という意味の術語である。経のな
かでは、しばしば、「苦は縁生なり」などという句がみえる。一切の存在は、すべて縁起の法則
によって生ずるものであり、また、縁起の法則によって滅するものであるとする。
c 因縁(nidqna) 「結びつけられていること」(tying down to) というほどの原意であり、漢訳では、
「因」または「縁」、あるいは「因縁」と訳される。「これあればこれあり、これなければこれなし」
ぞういんじゅ
といった関係性を表示しており、『相応部経典』の因縁篇〔Nidqna_vagga〕も、また漢訳の雑因誦
〔Nidqna_vagga〕も、この術語をもって題目を立てている。
いん
えん
d 因(hetu)と縁 (paccaya) さきの “Nidqna” がしばしば因縁と訳されるのほかに、“hetu” が因と
訳され、“paccaya” が縁と訳されるのが常である。これら二つの術語は、しばしば、同じような
しき
意味をもって繰返される。たとえば、
「色の生起の因たり縁たるもの、それもまた無常である」
〔相
- 35 -
さとりと慈悲
応部経典35、142、外の因〕などの場合には、この二つの言葉は、とりたてて別の意味をも
つものではない。
しかし時には、この二つの術語はまた、区別して用いられることもある。その揚合には、因(hetu)
は、原因結果の関係上の原因を意味し、縁(paccaya)は、原因結果における関係性そのものを
う いん
いう言葉として用いられている。たとえば、さきにあげた偈に、
「有因の法(sahetudhamman)を
知れるがゆえなり」とあった、その有因の法という時の因は、原因を意味している。それに対し
て、縁(paccaya)という術語は、もともと、縁起(pawicca_samuppqda)という時の「縁」(pawicca
=grounded on)と類縁のことばであり、ひとしく関係性を表示している。これらの理解については、
従来の漢訳経典における把握は、かならずしも十全ではなかった。
e 相依性(idappaccayatq) “idappaccayatq” とは「ここに根拠があること」という意味であり、そ
れによって、原因結果の関係によって結ばれていることを意味している。中国の訳経者たちは、
「如レ是随 2 順縁起 1」(かくのごとく縁起に随順す)と訳している。この語は、釈尊が縁起の法則
を説かれて、
「すなわち相依性なり」と語られたものであり、その法則の極限的定義であろう。サー
しゃ り ほつ
ひ
ゆ
あしたば
あい よ
リプッタ(舎利弗)は譬喩をもって「二つの蘆束はたがいに相依りて立たん」と説いた。
縁起については、きまり文句(peyyqla =formula)がある。
これあればこれあり、これ生ずればこれ生ず
これなければこれなし、これ滅すればこれ滅す
これを漢訳では、つぎのように訳す。
因是有是、此生則生、此滅則滅、此無則無
(是によりて是あり、此生ずればすなわち生ず、此滅すればすなわち滅す、此無ければすなわ
ち無し)
増谷文雄は、この定型句を「縁起の公式」と呼んでいる。正覚の直後、釈尊がさとりをまとめて、
この定型句の整備したとされる。釈尊がその後、縁起について説明する場合には、しばしば、この
定型句によって語っている。つまり、一切の存在はこの公式によって思考するものが、よく縁起の
法則を会得したものとされる。
ところが、このように縁起の法則によってモノの存在が存在たらしめられている、となると、モ
ノの存在についての議論が盛んになる。本来は、自分の存在がどうして決定づけられているのかを
探すものであったのが、自分のことではなくモノの存在問題になったのが、初期の仏教から部派仏
教の特徴である。
部派仏教の存在論
ここでいう「部派仏教」とは、以前は「小乗仏教(hinayqna)」と呼んでいた。この「小乗仏教」とは、
大乗仏教側からの僭称であるから、このような呼び方はされなくなり、多くのグループに分割され
たことから部派仏教という呼び方となった。
また、「法」について研究をしたことから「アビダルマ仏教」という呼び方もされる。このアビ
あ
び だつ ま
ダルマは、
「阿毘達磨」と書かれ、
「abhi_dharma」とあるところから「対法」と漢訳されることもある。
- 36 -
さとりと慈悲
じゅう じ
だい しゅ ぶ
このように分裂した原因は、釈尊入滅後 100 年の頃、十事の問題で大衆部(Mahqsqzghika)と
じょう ざ
ぶ
たくはつ
上 座部(Theravqda, Sthaviravqdin)に分裂したことにある。ここで一番大きな問題は、托鉢で金銭
を受け取って良いかどうかの問題であったという。その後、上座部11部派、大衆部9部派に細か
せついっさい
く分裂していく。この中で最も大きな部派が、紀元前2世紀にできたとされる、上座部系の説一切
う
ぶ
有部(Sarvqstivqdin)である。
さん ぜ じつ う
ほったいごう う
この説一切有部(有部と略称)は、三世実有・法体恒有という基本的立場をとっていると言われ
しん ら ばんしょう
ダルマ
る。森羅万象を形成するための要素的存在として 70 ほどの法 (dharma) を想定し、これらの法は過
去・未来・現在の三世に常に実在するが、我々がそれらを経験・認識できるのは現在の一瞬間であ
るという。未来世の法が現在にあらわれて、一瞬間我々に認識され、すぐに過去に去っていくとい
う。このように我々は映画のフィルムのコマを見るように、瞬間ごとに異なった法を経験している
のだと、諸行無常を説明する。
しんじょ
心理論としては、46 の心所 ( 心理現象、上述の 70 ほどの法に含まれる ) のおのおのが認識主体
そうおう
しんしんじょそうおう
としての心と結びつき ( 相応、cittasa/prayukta)、心理現象が現れるという心心所相応説をとる。ま
た、心と相伴う関係にあるのではなく、物でも心でもなく、それらの間の関係とか力、また概念な
しん ふ そうおうぎょうほう
どの心不相応 行 法 (cittaviprayukta_sa/skqradharma) の存在を認めた。
ごうろん
業論としては、極端な善悪の行為をなしたとき、人間の身体に一生の間、その影響を与えつづけ
む ひょうしき
る無 表 色 (avijxaptir[pa) が生ずると主張した。これは現代では心理的影響と考えられるが、有部は
これを物質的なものとみる。
ぼんのう
わく
有部は人間の苦の直接の原因を、誤った行為 ( 業 ) とみ、その究極の原因を煩悩 ( 惑 ) と考えた。
ごうかんえん ぎ
すなわち人間の存在を「惑→業→苦」の連鎖とみ、これを業感縁起という。それゆえ人間が苦から
ね はん
のがれ涅槃の境地を得るためには、煩悩を断ずればよいことになる。このようにして有部は108
し たい
り
の煩悩を考え、この断除のしかたを考察した。すなわち四諦の理をくりかえし研究考察することに
よって智慧が生じ、この智慧によって煩悩を断ずるのである。すべての煩悩を断じた修行者は聖人
あ
ら かん
となり阿羅漢 (arhat) と呼ばれる。これが涅槃の境地である。
有部はこの涅槃を二つに区別した。まだ肉体が存する阿羅漢の境地は肉体的苦があるので不完全
う
よ
え
ね はん
む
よ
え
ね はん
とみなし有余依涅槃と呼び、阿羅漢の死後を完全な涅槃とみて無余依涅槃と称した。
ぶつ だ
あ
ら かん
また釈尊は格段に優れた人格者とみなし、一般修行者は決して仏陀の境地には達せず、阿羅漢ま
でしかなれないと考えていた。これによって大乗仏教が起こった可能性が高く、仏を目指さないか
ひ ぼう
らとして、大乗側が部派仏教を小乗仏教と誹謗した原因となった。
平成25年10月30日
次回 11月20日予定
- 37 -
さとりと慈悲
部派の縁起観と空
ぶ
は
しゃくそん
前回、初期の仏教、ことに部派に分かれた仏教で、どのように釈尊のさとりを理解しようとした
のかを見てきた。そこでは、縁起によってこの世が構成されているという理解であった。つまり、
当時の僧侶は、ものの存在が縁起によって造られたものであると見、造られたものである限り、そ
れらの存在は無常であり、苦である、と理解したのである。
このように、ものの存在があるものと理解することに対して、疑問を持つ部派もあった。つまり、
モノの存在があるとするのは、釈尊の説かれた無我説と相違するのではないか、という疑問である。
アナートマン
釈尊は、たしかに無我と説いたが、それは anqtman を説いたのであって、つまり独立したユニー
クな我というものはない、ということであり、「修行をする私」を否定したものではなかった。こ
とに初期では、大乗仏教でいう「無我」説は広く認知されるものではなかった。その大乗仏教の「無
くう
くうしょう
我」説の根幹をなす語が「空」もしくは「空性」である。
大乗仏教に移る以前には、空・空性がどのように考えられていたのかが分かる経典がある。これ
しょうくうきょう
マ ッ ジ マ ニ カ ー ヤ
ちゅう あ ごんきょう
は『小空経』と呼ばれる経典で、『中阿含経』〔Majjhima_Nikqya 3-121〕に収められている。
このようにわたしは聞いた。あるとき世尊は……ミガーラマーター殿堂に住んでいた。……
くう しょう
す
さて、アーナンダが立ち上がって……世尊に聞いた。「世尊は、昔、〈空性の住まいによって
何度も住んでいる〉といわれたが、それをわたしは正しく理解しているでしょうか」
との阿難の質問に
くう
例えばアーナンダよ、このミガーラマーター殿堂は、象とか牛とか馬に関して空であり(す
なわち、象などはいない)
、金銀に関しても空であり、女性、男性の集合に関しても空である。
び
く そうだん
ただ空ならざるものがある。すなわち比丘僧団という形のひとつの状態が存在する。
と答えている。つまり、すべてが「空」(1[nya)なのではなく、これは存在するが、あれは存在し
ないという言い方となっている。その上で、
し ゆい
ちょうどこのように、アーナンダよ、比丘は村に関する想いを思 惟せず、人に関する想い
きよ
を思惟せず、……森に関する想いによって彼の心は……清まり、確立する。……村に関する
想いによって生ずるもろもろの不安がここにはない。人に関する想いによって生ずるもろも
ろの不安がここにはない。……ただ、森に関する想いという形のひとつの状態が不安となる。
以上のように、そこに生じないものについては「それは空である」と見る。しかし、そこに残っ
にょじつ
ているものについては「これは存在する」と知る。アーナンダよ。このようにして……如実、
ふ てんどう
しょうじょう
くうしょう
不顛倒、清浄なる空性(1[nyatq)が現れる。
それがなければわざわいがない、よって心が落ち着いた、とするのである。上の「空」は「ソコに
コレが存在しない」という意味であり、下の「空」は「コレが存在しない」という意味となる。こ
の二つの「空」は大乗仏教になっても続けて用いられる。
くうしょう
ここで注目されるのが、「空性」(pl: sunnyatq)という言葉が、単に存在の欠如を意味するという
より、実践上の肯定的・積極的側面を示している、という点である。この『小空経』では修行のプ
ロセスを7つの境地で説明している。
第1が前の、上の森を思念する境地であり、第 2 は、人も森も考えずに大地を考える。しかし、
- 38 -
さとりと慈悲
くう む へん じょ
大地を考えても不安やわずらいが生じるので、修行は続く。第 3 は空無辺処であり、この場合の
空は虚空のことである。森や大地のように形あるものではなく、形のない虚空に集中する。これか
しき む へんじょ
らも不安やわずらいが生じる。そこで、第 4 の識無辺処、「心が認識の無限であることのみに関わ
る境地」に進む。これでも不安は残る。
む しょ う しょ
さらに『小空経』は、第 5 の「心がものの非存在のみに関わる境地」である無所有処に進む。しかし、
ひ そう ひ
ひ そうじょ
そこでも究極的な安心は得られない。そこで、第 6 の非想非非想処に進む。「想」とは実在の想の
ことであるから、「非想」は非実在の想を意味しており、「非想非非想」とは実在の想でも非実在の
想でもない、つまりどのような意味においても存在しない想を指している。しかし、この境地でも
不安が生じる。
む そうしんさんまい
そこで、第 7 の無相心三昧に入るのである。これが最後ではあるが、この境地に至ってもなお、
無相である三昧に起因するわずらいが残る。残るものは自らの身体であると、パーリ語テキストは
記している。これは非常に重要な指摘であって、縁起を見つめながら空性を追い求める修行の果て
む みょう
こんぽんぼんのう
に、起点に存在している自分を見つけることになった。それが「無明」であり、根本煩悩といわれ
るものであろう。
この『小空経』だけでなく、部派仏教にも「空」「空性」という言葉はあった。しかし、それら
は、この 7 つの境地ですべて「このようにして……如実、不顛倒、清浄なる空性が現れる」と説
くうがん
かれるように、後の大乗仏教に説かれる空思想(空観)の概念の基本的な特徴を備えている。しか
し、そこに至ればその先がないというような究極的な境地としてではなく、修行のプロセスという
面がある。
空と縁起
このような初期の仏教に対して、大乗仏教で説かれる「空」は、直観的な「さとり」の境地とし
て理解される。その「さとり」はあくまでも瞬間的なものであり、言語を越えたものである。それ
は瞬間的なものであり、すぐに言語活動が可能な状態、つまり現実世界に引き戻される。
空の思想は行為の思想に他ならない。つまり、ものが不変の実体を欠いていると考えることが空
の思想であるというよりも、ものが空であることを言葉を越えた直観で体得し、その経験をその後
の生活に生かすという行為の時間を捉えているのが、大乗仏教でいう空の思想である。
はん にゃ きょう
このような空の思想は、初期の大乗経典、『般 若経』などに説かれている。それを基に「空観」
りゅうじゅ ぼ さつ
ちゅうろん
ナーガールジュナ
き きょう げ
はっ ぷ
げ
を詳説したのが龍樹菩薩(Nqgqrujuna)である。主著『中論』の帰 敬 偈に、有名な八不の偈がある。
ふ しょう
めつ
不 生 亦不滅
いんねん
能説是因縁
じょう
だん
いち
い
不 常 亦不斷 不一亦不異
け ろん
善滅諸戲論
けいしゅらい
我稽首禮佛
らい
しゅつ
不來亦不 出
諸説中第一 〔中論 T30-1b〕
〔現象世界では〕何ものも消滅することなく(不滅)
、何ものも新たに生ずることなく(不生)、何も
じょうこう
のも終末あることなく(不断)、何ものも常恒であることなく(不常)、何ものもそれ自身と同一
であることなく(不一義)、何ものもそれ自身において分かれた別のものであることはなく(不
異義)、
何ものも〔われらに向かって〕来ることもなく(不来)、
〔われらから〕去ることもない(不
け ろん
出)
、戯論(形而上学的論議)の消滅というめでたい縁起のことわりを説きたもうた仏を、も
きょうらい
ろもろの説法者のうちでのもっとも勝れた人として敬礼する。
- 39 -
さとりと慈悲
ここで、造られた世界は「不生不滅、不常不断、不一不異、不来不出」であると説明している。
すがた
これが仏から見た縁起の相であるというのである。この縁起を『中論』第24章で
えん ぎ
くう
かり
もう
18 縁起なるものをわれわれは空と説く。それは仮に設けられたものであって、それはすな
ちゅうどう
わち中道である。
ふ くう
19 何であろうと縁起しておこったのではないものは存在しないから、いかなる不空なるも
のも存在しない。
と説いている。ここで初めて、「縁起は空である」という宣言がなされる。部派仏教までは、空が
修行の過程で得られる境地の一つであったが、縁起は空であるとされるのである。縁起がこの現象
世界を言葉で説明したものであったのが、空としてさとったものの智慧であるとされる。空と縁起
の関係を、仮に言葉によって縁起として説明し、さとりに向って中道を歩むとされる。
そのため、第24章では四諦について説明が行われ、最後に
40 この縁起を見るものは、すなわち苦、集、滅、および道を見る。
とされるのである。龍樹菩薩のこの説明は、それまでの部派仏教に欠落していたものを、体系的に
まとめあげ再構成したとも考えられる。
じっそう
む
が
ありとあらゆるものの実相、
「諸法実相」は空であり無我である。無我はこの場合、空のことである。
よ
この空の理法を、また「縁って起こる」という意味で「縁起」ともいう。
かん
ほう
ぶつ
縁起を観ずることが法を観ずることであり、それがそのまま仏を観ることである
しょうもく
〔『中論』第 24 章第 40 詩にたいする青目(Pixgala)の注釈〕
世の中のありとあらゆるものは、因縁によってつくり出されている。一つの原因がつくり出した
し
い てき
ものでもなく、恣意的につくり出されたものでもない、無数に多くの因縁が集まってつくり出され
り
かん
り
み
たものである。その理を縁起というが、それを観ずることがすなわち理を観るゆえんである。縁起
の理を観るということがすなわち、仏にまみえることである。
仏を観るということ、世界が仏であるということと、空であるということが、結びつき難く感じ
られるが、次のように解釈されている。
一つの実体があって、それがいつまでも続いているものではなく、因縁によってつくられたもの
であり、また、因縁が去れば消える。これが空である。つまり、縁起ということと空ということが
帰するところは同じことになる。
「仏を見る」というと、我々は仏の姿、つまり「仏像を観ずる」ことと考える。しかし、これは
入り口であり、
「仏を見る」ということは、究極の理法を見ることでなければならない。究極の理
法を見るというのは、縁起の理法をさとることであり、いかなる人も自分とは別のものではないと
さとることで、そこから慈悲行が成立する。つまり、ここに来て初めて「さとりと慈悲」の関係が
説かれるのである。
みずか
部派仏教全体が、自らのさとりを目指していたことは事実であるが、在家者から遊離していたこ
ひ ぼう
とも事実であり、そこには慈悲行は存在しなかった。それゆえ、小乗仏教と誹謗されたのである。
空と涅槃
ね はん
引き続き、『中論』は涅槃(nirvqza)について論じている。
- 40 -
さとりと慈悲
3 捨てられることなく、〔新たに〕得ることもなく、不断、不常、不滅、不生である。――
これがニルヴァーナであると説かれる。
う
4 まず、ニルヴァーナは有 (bhqva 存在するもの)ではない。〔もしもそうではなくて、ニ
ルヴァーナが有であるならば、ニルヴァーナは〕老いて死するという特質をもっていると
いうことになってしまうであろう。何となれば、老いて死する〔という特質〕を離れては、
有(存在するもの)は存在しないからである。
せい ぞん
10 師(ブッダ)は生存と非生存とを捨て去ることを説いた。それゆえに「ニルヴァーナは
有に非ず、無に非ず」というのが正しい。
13 ニルヴァーナがどうして有と無との両者でありえようか。ニルヴァーナはつくられたの
む
い
う
い
ではないもの(無為)であるが、有と無とはつくられたもの(有為)であるからである。
りん ね
ね はん
19 輪廻は涅槃(ニルヴァーナ)にたいしていかなる区別もなく、ニルヴァーナは輪廻にた
いしていかなる区別もない。
20 ニルヴァーナの究極なるものはすなわち輪廻の究極である。両者のあいだには、もっと
び さい
も微細なるいかなる区別も存在しない。
にょらい
21 〔如来は〕死後に存在するかどうか、
〔世界は〕有限なるものであるかどうか、など、
〔世界は〕
じょうこう
けんかい
常 恒なるものであるかどうか、などというもろもろの見解は、ニルヴァーナと、〔死後の〕
い ぞん
後の世界と、〔生まれる前の〕末来の世界とに依存して述べられている。
22 一切のものは空なのであるから、何ものが無限なのであろうか。何ものが有限なのであ
ろうか。何ものが無限にして有限なのであろうか。何ものが無限でもなく有限でもないの
であろうか。
23 何が同一なのであるか。何ものが別異なのであろうか。何が常恒であるのか。何ものが無
常なのであるか。また何ものが無常にしてしかも常恒なのであるか。また何がその両者(「無
常」と「常恒」)ではないのか。
みと
う しょとく
け ろん
24 〔ニルヴァーナとは〕一切の認め知ること(有所得)が滅し、戯論が滅して、めでたい〔境地〕
である。いかなる教えも、どこにおいてでも、誰のためにも、ブッダは説かなかったのである。
第 19 詩では、輪廻とニルヴァーナとには、いかなる区別も存在しない、と述べる。ニルヴァー
きょう ち
めいもう
け ばく
げ だつ
ナという特別の境地が実在すると考えるのは、凡夫の迷妄である。繋縛と解脱とがあると思うとき
そくばく
には束縛があり、繋縛もなく、解脱もなしと観ずるところに解脱がある、という。
龍樹菩薩以前の仏教者は、私たちは迷いの生活のうちにあり、悩みがあり、理想の世界、ニルヴァー
かなた
ナは彼方の境地にあると対立させて考えていたが、中観派によると、そのような対立はありえない
と説いている。したがって、私たちの生きている領域、悩み苦しんでいる生活、このなかに理想を
こも
見出すべきである。現実の生活を捨てて、遠いところ、たとえば山の中に籠ってしまうところに理
想の生活があると思ってはいけない。ここに、いま、理想を見出すべきである、という現実肯定的
な実践論が出てくるのである。
平成25年11月20日
次回 12月18日予定
- 41 -
さとりと慈悲
唯識
ゆい しき
しょう
唯識(vij`aptimqtratq 唯識性)とは、われわれの認識は、心の現わし出したものであるという意
味である。しかし凡夫の認識がそのまま唯識なのではない。むしろ、われわれの認識は、外界が実
在すると見ている認識である。この実在観を捨てて、我執や煩悩を滅したところに「唯識」の世界
が実現する。
ゆい
そこで「唯」(mqtra)は、凡夫が実在と考えている「認識の対象」を否定する意味である。外界
の対象であると思っているものが、実には識(心)に他ならないとさとるのが唯識である。ゆえに
唯識には、識のみが実在であるという意味がある。しかし認識の対象が無ければ、認識主観も在り
様がないはずである。凡夫では認識の対象があるから、それに対応する認識主観がある。しかしそ
へん げ しょしゅしょう
の認識の対象は虚妄なもの(遍計所執性)である。対象の虚妄性がわかるということは、対象の虚
が しゅう
しゅうじゃく
妄性の解消は、同時に主観(我執)の虚妄性の解消だから、対応する主観(自我にたいする執着)
きょう
が消失することである。したがって唯識には、第一に「境(対象)の無と識の有」の意味があり、
きょうしき く みん
第二に、境が無ければそれに対応する識もなくなる「境識倶泯」の意味が必然的にでる。即ち唯識
を実現している仏陀の認識界は、境識倶泯の世界である。ゆえに仏陀の認識界は、凡夫の認識界と
てん ね
質的に異なっている。即ち凡夫から仏陀へは、識の質的転換が必要である。これを転依(q1rayaparqv3tti
しょ え
が しゅう
ほっしゅう
所依の転)という。転依は、我執(自我・内界にたいする執着)や法執(事物・外界にたいする執
着)を滅し、煩悩を断ずるところに実現する。
そこで「識の有」、識の在り方に、二つの区別がある。①凡夫の識の在り方と、②仏陀の識の在
り方で、両者は同じく「有」であるが、有の性格が異なる。凡夫の識は有でありつつも、否定され
るべきものとして、無をふくむ。これにたいし仏陀の識は、そのような否定をふくまない有である。
もう
しんにょ
それは、永遠なる実在(真如 tathatq)が自覚され、実現されている有である。しかし凡夫の識(妄
しき
む
く しき
てん ね
識)も仏陀の識(無垢識)も、転依を媒介としながらも同じ「識」である。
え
た
き しょう
自己の認識内容がそのまま外界の実在であると思い誤っている「識の在り方」を、
「依他起性」
(依
他性 paratantra_svabhqva)という。依他起とは縁起というのと同じ意味である。識は縁起的存在で
あ
ら
や しき
えん ぎ
あり、迷うだけの理由があり迷っている。それを阿頼耶識(qlaya_vij`qna)縁起で説明する。凡夫
へん げ しょしゅしょう
の認識の「認識内容」は、虚妄である。この虚妄性を「遍計所執性」(parikalpita_svabhqva 分別性)
という。遍計所執性は「無」であるべきだが、これが無であると知られたら、遍計所執性は解消す
る。これは、識の本性が「空」であるから可能である。
識の本性は空なので、凡夫の識が仏陀の識に転化しうる。仏陀の識においては、遍計所執性はまっ
えん じょう じっ しょう
たく消え去り、識が依他起でありつつも真如を実現している。これを「円 成 実性」(parini2panna_
svabhqva 真実性)という。
アーラヤ識
唯識思想の系譜をたどると、三つの前史が考えられる。一つはアーラヤ(阿頼耶)識説の成立問
題である。瑜伽行派でアーラヤ識の教理が成立するには、すでに部派仏教で、これに類する種々の
教理が説かれていた。第二は唯心論の系譜である。第三は空の思想である。唯識説は部派仏教のア
- 42 -
さとりと慈悲
ビダルマの思想を豊富に採用してはいるが、アビダルマ仏教の後継ではない。空の立場に立ってア
ビダルマ仏教を批判的に摂取した。そのために空思想とアビダルマの有の思想とが、唯識仏教にお
いては綜合され、調和している。
部派仏教でおこった種々の考え方は、大乗仏教に受けつがれ、人格の主体の奥に、潜在心・無意
しゅ じ
識の領域が想定された。そこに、種子(b]ja 様々な現象を引き起こす可能性)が貯えられていると
いう思想ができあがった。アーラヤ識のアーラヤ(qlaya)とは「蔵する」という意味で、種子を
所蔵している識の意味である。しかし種子の集合体がそのままアーラヤ識であって、種子の集合体
以外にその容器として別の識はない。故にアーラヤ識を「種子識」ともいう。
ゆいしんろん
唯心論
アーラヤ識は人格の主体、経験の主体として立てられたが、同時に「認識の主体」でもある。こ
れは認識の根拠を心の中に求めたからである。仏教は最初から唯心論的な性格があった。原始仏教
ろく しょ
に六処(六入)・十二処の説があるが、これは認識に即して存在を考える説である。十二処とは、
認識するもの(六内処 眼 耳 鼻 舌 身 意)と、認識されるもの(六外処 色 声 香 味 触 法)
とを、認識器官に即して六つの領域に区別した説である。この六処・十二処の体系は原始仏教で新
しく組織された説であり、それ以前のウパニシャッド等には説かれていない。しかし原始仏教では
観念論としては成立せず、六外処が外界に存在すると理解された。
心を、心(citta)、意(manas)、識(vij`qna)と呼ぶことは、すでに原始仏教から見られる。『阿含経』
しん
い
しき
に「この心とも呼ばれ、意とも呼ばれ、識とも呼ばれるものは、日夜に生じては滅する」(SN. vol.
II, p.95, 大正 2、81c)と説いている。心は一つであるが、一語では表現しきれない豊富な内容を持っ
りょうべつ
しき
ている。こころは判断の主体・認識主観であり、この点で「識」という。識とは「了別」と訳され、
い
い
し
判断である。「意」は、心の意志的作用をいう。意志は決意であり、未来を意図するから、意は未
しん
来的な性格を持っている。この意によって現在の自己が導かれ、未来の自己が作られる。「心」とは、
記憶や感情、性格などをふくめた広い意味であり、過去的性格がつよい。記憶も性格も遺伝も、過
去に得られた心理的ならびに生理的な力である。しかもそれが現在の心を形成し、現在の判断や未
来的な意志に影響する。
じゅう き
しん
し りょう
い
りょうべつ
しき
唯識説では「集起を心と名づけ、思量を意と名づけ、了別を識と名づける」(『成唯識論』巻5、
大正 31、24c)と解釈している。集起とは過去の経験の集積の意味であり、その面から「心」と呼ぶ。
しゅう じ しき
しん
だい はち あ
ら
や しき
これは心(citta)を積む√ ci から派生した語と解釈し、種子識、第八阿頼耶識を「心」に当てる。
い
意(manas)は考える√ man という語根からできた言葉であるので「思量」と解釈する。意は原始
ま
な しき
仏教以来、意根・意処等と用いられるが、唯識説では、これは第七の末那識(mano nqma vij`qna)
に当てる。これは、心理作用の奥にある自我意識である。自我意識には、エゴイズムの性格がある
ぜん ま
い
ろくしき
しき
げん
に
ので、染汚意ともいう。そして第三の了別としての識が、覚醒時の認識を指し、六識(眼識・耳識・
び
ぜつ
しん
い
鼻識・舌識・身識・意識)に比定される。
このように仏教は心のはたらきを重要視し、初期以来、唯心論的な性格が見られるが、これを明
確に打ち出したのは大乗仏教であり、とくに『華厳経』である。『華厳経』の「十地品」(大正 9、
さんがい
こ もう
ただ
しん
さ
えんぶん
558c、『十地経』)には、「三界は虚妄にして唯これ心の作なり。十二縁分も是れ皆、心に依る」と
- 43 -
さとりと慈悲
述べて、自己の経験する世界は、すべて心の現わし出したものであることを示す。さらに『華厳経』
が
し
ご いん
えが
(大正 9、465c)には「心はたくみなる画師の如し、種々の五陰を画く。一切世界の中で、法とし
しか
て造らざるはなし。心の如く仏もまた爾り。仏の如く衆生も然り、心と仏と及び衆生の、是の三は
差別なし」と説いている。これは、自己の世界は自己の心が作り出したものであることを示してい
る。そして「心・仏・衆生、この三無差別」とは、迷っている衆生も悟った仏陀も、基本的には心
の構造は変わらないことをいう。
大乗仏教の唯心論は禅定体験によって得られたものであろう。禅定に深く入ると、外界の認識は
消失し、心の中だけの経験が長時間つづく。その間に種々の幻影が心に現われる。この禅定の体験
は夢の中の経験と区別がつかない。これから、禅定の中で「認識の対象は心の現わし出したもので
はん じゅ ざん まい きょう
ある」とされ、覚醒時の日常経験も、心の現わし出したものと自覚された。『般 舟三昧経』(大正
しょねん
しん
13、906a)は、観仏三昧によって観仏体験を「我が所念を見る。心、仏となり、心自ら見る。心
にょらい
これ仏なり、心これ如来なり」と説いている。これは、唯心論が三昧(禅定体験)に基づいている
ことを示している。瞑想時の「見仏体験」が、仏を見る霊力という神秘主義に進まず、見られた仏
ゆいしんしょげん
が「唯心所現」と解する合理主義の立場にたった。唯識学派が聡伽行派(Yogqcqra)と呼ばれたのは、
げ じんみっきょう
ふんべつ
この学派の人びとがヨーガの実習に基づいてその教理を立てていたことを示す。『解深密経』「分別
ゆ
が ぼん
しき
しょ えん
ゆい しき
しょ げん
瑜伽品」(大正 16、698b)には「識の所縁は唯識の所現なりと説く」の語がある。「分別瑜伽品」
とは、瑜伽行者の体験の世界を述べた一章であり、ここに「識の所縁」すなわち認識の対象は、
「識
の所現」すなわち識の現わし出したものであることが説かれている。唯識の理が瑜伽行の実習から
得られたものであることがわかる。
さんしょう
空思想と三 性 説
唯識思想の根底には空思想がある。唯識では、空思想は三性説に端的に現われる。
へん げ しょしゅしょう
遍計所執 性 (parikalpita_svabhqva 分別性)
え
た
き しょう
依他起 性 (paratantra_svabhqva
依他性)
えんじょうじっしょう
円 成 実 性 (parini2panna_svabhqva真実性)
ちゅうべんふんべつろん
さんそう
『解深密経』や『中辺分別論』等に最初に現われる「三性」は「三相」(遍計所執相・依他起相・円
成実相)と呼ばれる。
しょ ほう かい くう
『般若経』等には「諸 法 皆 空 」が説かれ、あらゆる存在の本性は空であることが明らかにされ
りゅうじゅ
た。中観派はこの思想を理論的に発展させた。とくに龍樹の『中論』では、八不や縁起によって、
け ろん
諸法が空であることが論証される。しかし凡夫は、諸法の実相である空に達しないために、戯論
(prapa`ca)をおこし、苦の生存をつくりあげている。
中観派では「諸法の空」すなわち「存在の空」を説くにとどまり、「認識の空」を明瞭には説か
こ おう
ない。『中論』にも三性説の前段階と見てよい思想がある。『中論』第13品には、存在は「虚誑
ほう
法」(mo2adharma)であると説き、存在は「だます性質がある」から凡夫は「戯論」をおこす。さ
ふんべつ
らに『中論』第4品には「いかなる分別も分別すべきでない」と説き、「分別」(vikalpa)の語も用
いている。これは、唯識の「遍計所執性」につながる。しかも「虚誑法」の「法」は有為の存在を
指すが、しかし法が縁起によって成立することは、『中論』第24品に明瞭に説いている。これが
- 44 -
さとりと慈悲
三性説では「依他起性」と表現されている。さらに『中論』第18品には、業や煩悩は分別より起
ほっしょう
こるものであり、実体のないものであるから、空に達すれば戯論は寂滅し、それが法性(dharmatq
む ふんべっ ち
む ふんべつ
諸法実相)であると説いている。唯識で説く「無分別智」の無分別(nirvikalpa)の語も『中論』第
しんにょ
18品に現われる。ここで言う法性は「真如」と言ってよい。故に空観を修し、諸法の空を悟れば、
そこに法性・真如の世界が開け、三性説の「円成実性」につながる。
唯識説において、三性の第一遍計所執性は「分別性」とも訳され、凡夫の認識内容が虚妄である
ことを示す。凡夫の認識しているものは、
「我と法」、
「自我と世界」である。凡夫はそれらを「固定的」
に認識する。実際には自己は肉体的にも精神的にも、絶えず変化し発展している流動的であるから、
「このもの」と把握できない。これを、凡夫は静止的・固定的に掴む。このように動かない形で認
識された「自我と世界」が遍計所執性である。「自我」がないのではないが、凡夫の把握している
自我は、把握されたような形では存在しない。唯識の言葉で言えば、虚妄分別によって妄分別せら
れたものは、すべて遍計所執性である。それは「非有」であり、
「所識の非有」という。我と世界は、
認識内容(所識)であり、それが無であるという意味である。
同様に、外界が無いのではなく、認識されている外界は、認識されたようには存在しない。凡夫
は、自己の認識したものが、認識された通りに外界に実在すると早合点するが、唯識では、認識の
「模写説」をとらない。認識は、外界からの刺戟に応じて、心内の認識能力が作用し、構想したも
のであると考える。しかし凡夫は、認識能力が作用する際に、業や煩悩が介入するために、そこに
「有る」として心に映し出された世界は、
「そのようには有ることのない」形のものになる。しかし、
凡夫には認識された世界のみが「自己のもの」であるから、外界がそれと異なっても、認識されな
いものについて、何ら考えられない。ここに「唯識」(識のみ)の意味がある。
依他起性の依他起とは縁起と同じである。識は自己存在ではなく、多くの縁が集まって成立した
ものである。故に縁が分散すれば、識もなくなる。識は絶えず変化していく。その変化を「刹那滅」
いんねん
とう む けんえん
しょえんねん
ぞうじょうえん
と表現する。この「縁」は、因縁・等無間縁・所縁縁・増 上 縁の「四縁」で示される。
じっ け
第一の因縁とは、阿頼耶識に貯えられている「種子」をいう。これは「習気」ともいうが、心の
表面の認識経験が、潜在心である阿頼耶識に種子の形で植えつけられたものをいう。これが再び形
を変えて表面心、すなわち「識」として現われる。この際、阿頼耶識も識であるから、同様に種子
から作られる。阿頼耶識の場合は、阿頼耶識に保存されている種子が形をかえて、阿頼耶識となる。
げんぎょう
しゅう じ
識としての阿頼耶識を「現 行 頼耶」といい、種子を「種子頼耶」という。種子頼耶は前世から移
動してくるが、現行頼耶はこの世に生を受ける初刹那に、前世の業力によってつくられるのである。
か てんぺん
これを「果転変」という。表面心は、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の感覚世界を形成する「前五
識」と、その背後にある「第六意識」と、さらにその背後にある「末那識」との七識よりなる。末
那識は微細な自我意識である。これにたいして喜怒哀楽と共にはたらく麁顕なる自我意識は第六識
の起こす自我意識である。
とう む けんえん
し だいえん
じょえん
第二の等無間縁(次第縁)とは、前刹那の識が滅することが、次刹那の識が生ずる「助縁」となっ
ている点をいう。前のものが去ることが、次のものが現われるための場所を開ける。例えば、意識
は刹那に滅する。前の識が滅するから、次の識が生ずる縁となる。これが等無間縁である。
しょえんねん
第三の所縁縁とは、認識の対象のことである。所縁とは対象の意味である。対象があることが、
- 45 -
さとりと慈悲
識の生ずる縁となる。対象のない識はないという意味である。
ぞうじょうえん
第四の増 上 縁とは、ものの成立を助ける一切の力をいう。これには、積極的にその成立を助け
う りき
む りき
る「有力」増上縁と、その成立を妨げないで、消極的に助ける「無力」増上縁とがある。故に因縁・
等無間縁・所縁縁も、この広義の増上縁にふくまれる。自己のために、自己を除いた一切のものは
増上縁であると定義される。増上縁を立てるのは、上の三縁では漏れるものがあるからである。
以上の四縁によって刹那滅の諸識が連続して生じ、流動的な認識の世界が成立する。その点で、
識を依他起性という。
えんじょうじっしょう
第三の円 成 実性は「真実性」とも訳される。これは依他起性の識から、妄分別が除かれた状態
をいう。虚妄分別は、識にふくまれる業と煩悩によるから、種子の中にそれが含まれている。唯識
てん え
が
観を修行して、識から虚妄分別が除かれれば、真実性が現われる。これが転依である。識から、我
しゅう
ほっしゅう
執と法執とがなくなるのである。ここに、疎所縁縁としての外界からの刺戟に応じて、あるがまま
の認識の世界が成立する。これは、我の空と法の空とによって実現する。真如とは、あるがままの
くうしょう
認識の実在性をいう。それは「空性」を本性としている。
この円成実性と依他起性とは「不一不異」の関係にある。両者の関係は、有為の存在と、その本
性である無常性との関係の如くであると、譬えで示される。すなわち真実性は、依他起性の法性で
ある。有為法の本性は無常性であるから、有為法と無常性とは区別できない。しかし有為法と無常
性とが同じであるとはいえない。これと同様に、依他起の識の本性が空性真如である。したがって
はんにゃ
む ふんべっ ち
識を除いて、円成実性だけを示すことはできない。この依他起の識の空性は、般若、即ち無分別智
によって知られる。無分別智とは、知るものと知られるものとの分裂のない認識である。真如は対
象として知ることのできないものである。知るもの自身も真如だからである。これは、「全体」を
認識の対象となし得ないのと同様である。認識者(主観)が認識内容から脱落するとき、「全体」
の認識とはならないからである。したがって真如の認識は、自己が真如になりきることによって達
成される。真如が智慧に完全に現われて、智慧が真如の智的活動体となった点が、真如の認識であ
り、それが無分別智である。そこに円成実性が発現している。したがって無分別智と真如とは別の
む ふんべっ ち
ほっしょう
ものではないが、しかし真如は無分別智の法性である。
この無分別智を「根本智」ともいう。そのあとにあるのが「後得智」である。根本智は全体を知
る智慧であるが、同時にそれは、個々の現象、差別相を知る智慧を伴っている。無分別智には執着
が除かれているために(執着があると、虚妄分別すなわち主客分裂の認識になる)、世間がありのまま
しょうじょう せ けん ち
に認識される。故に後得智を清 浄 世間智ともいう。この無分別智と清浄世間智との活動をなす認
識の本性が円成実性である。
以上の三性説によって、凡夫の認識が妄分別を本性としており、仏陀の認識界は円成実性である
ことが明らかになる。
平成25年12月18日
次回平成26年1月29日予定
- 46 -
さとりと慈悲
華厳経の教えと如来蔵
釈尊が、その身体をなくして、この世からいなくなったとき、おそらく当時の多くの弟子たちや
在俗の信者たちは、何をよりどころにして生きていけばよいのか、と悩んだことであろう。一つの
方向性としては、釈尊の代わりとなる仏陀の探求であり、今一つの方向は、仏身の永遠性を求めて、
その中で釈尊を位置づけようとする方向である。
初期経典では、「法は世尊を本とし、世尊を導きとし、世尊をよりどころとする」〔阿含経〕と説
かれる。ここに説かれるように、仏教の教え(= 法)は、釈尊によってさとられたものであり、釈
じ ねん
尊という人格を通したものであり、単なる自然の理法ではない。仏なくして法はなく、釈尊を通し
て、法は法でありうる。つまり、釈尊の説かれた法そのものが仏陀の実身であり、釈尊はその顕現
としてこの世に父母をもって生れ出てきた色身である、と考えるようになった。
ほっしん
つまり、不滅の真理、普遍なる法そのものを仏陀の実身ととらえて法身(dharma_kqya)が説かれ、
しきしん
入滅された現実身である釈尊を色身(r[pa_kqya)と呼ぶようになった。これはパーリ経典に「法身
が如来と同義である」とあることからも分かる。つまり、普遍的教え(法)と一体となったのが仏
陀であり、釈尊はこの法と一体となられた仏陀なのである。
この二身の見方は、大乗仏教になるとさらに法身に重点がおかれ‥‥というより、教えこそが仏
陀の実身であるという見方によって、はじめて大乗仏教というパラダイムシフトが発ったとも言え
る。つまり、多くの経典が説かれたり、多くの仏が出てくることになるのは、法こそが仏陀の実身
であるという観点がなくてはならない。
初期大乗経典
最初期の大乗経典には『般若経』『法華経』『華厳経』『無量寿経』『維摩経』などがあげられる。
これらの経典は、それぞれの成立目的が異なっているためか、仏陀の説明が大きく異なっている。
般若経典類は、仏陀のさとった智慧、そのものを獲得するために六波羅蜜の修行を勧める。『八千
じゅ
はんにゃ は
ら みつ
にょらい
頌般若経』では「般若波羅蜜は如来の法身にほかならない」とし、別の般若経には「如来はすなは
しきしん
ち法身であり、色身をもって見るべきにあらず」とまで言っている。同様のことを『維摩経』では、
ほっ しん
にょ らい しん
く どく
ふ
せ
友よ、如来の〔仏〕身とは法身のことであり、知から生じる。如来身は功徳から生じ、布施
さん まい
ち
え
げ だつ
から生じる。また戒を保つことから生じ、三昧から生じ、智慧から生じ、解脱から生じ、解
脱を自覚する智から生じる。
としている。
ところが、『法華経』では法身は重要視されず、色身の延長である久遠仏という、具体的に釈尊
にょらいじゅりょうぼん
が永遠のいのちを保っているとする。如来寿 量 品に
ひさ
にょらい
じゅみょう む りょう
じょうごう
久しき以前に成仏した如来は寿 命 無量であり、常恒である
としている。つまり、単なる過去仏ではなく、時間を越えた超歴史的仏陀を想定している。法華経
には、その超歴史的仏陀の代表的なものとして、Amitqyus(無量寿仏)が説かれ、無量寿仏は、時
間を超えて常住であり、たえず衆生を教化し摂取し続ける仏陀として現われている。
び
る しゃ な ぶつ
これらに対して、『華厳経』の仏陀観は異なっている。華厳経の本仏は毘 廬遮那仏(Vairocana)
- 47 -
さとりと慈悲
であるが、この仏は十方遍満仏であり、普遍的・無限定的な仏である。つまり、十方諸仏ではなく、
毘盧遮那仏一仏であり、その一仏が十方に遍満する。その意味で、『華厳経』に出てくる阿弥陀仏
の原語は「Amitqbha(無量光仏)」であり、阿弥陀仏のはたらきが十方に遍満していることを示し
ている。
華厳経
だい ほう こう ぶつ け ごん きょう
『華厳経』のほんとうの名前は『大方広仏華厳経』(Mahq_vaipulya_buddha_avata/saka_s[tra)であ
るが、それはどういう意味であるかというと、大方広とはほとけにつけた形容のことばで「広大な
るほとけ」という意味であり、
『法華経』が法を説くのに対し、
『華厳経』はほとけを説く。それは、
小さなほとけや、人間的な感覚、人間の小さな悟性によって理解できる程度のほとけを説くのでは
なく、時間的にも空間的にも無限であるような、そのようなほとけを説くのである。それは、人間
の分別智をこえた無分別智によってとらえられるほとけである。
法蔵の著書『探玄記』巻一を見ると、『涅槃経』や『観仏三昧経』によれば、『華厳経』は『雑華
経』といわれたらしく、華厳のサンスクリット語である gazfavy[ha の gazfa を雑華と訳し、vy[ha
を厳飾と訳している。そこで華厳とは雑華をもって荘厳することになる。雑華はあらゆる華を意味
し、そのなかには、名もない花も含まれなければならない。雑華としての一輪の花のなかには、無
限の宇宙の生命が躍動している。このような雑華をもって荘厳された世界、それが「華厳」という
意味である。
なかでもっとも重要な部分を構成するのは、ほとけの命の現われを強調する性起品と、菩薩の修
行の段階を説いた十地品と入法界品とである。十地品も入法界品も龍樹以前に成立したことは、龍
樹の著作のなかにそれらが引用されていることによって明らかである。龍樹以前の大乗仏教運動の
高まりが、菩薩の修行の過程を説こうとした十地品および入法界品を生んだのであろう。
十地品について簡単に述べると、十地品の十地とは、菩薩の修行の段階を第一歓喜地から第十法
雲地までのステップに分けて、境地の深まり。高まりを段階的に説いた。もともと十地というのは、
『大般若経』にもあるし、その他マハーヴァッスツ(大事)などにも見られる。このようにいろい
ろな経典に説かれた菩薩の十地の段階が十地品において、一つの類型化としてまとめられたとみて
よい。その十地の第一歓喜地から第十法雲地までにおいて、菩薩の心の高まり、ほとけに近づく修
行の順序というものが克明に描かれている。そのなかでもっとも有名なのが、第六現前地である。
第六現前地は小乗仏教の修行の段階でいうと、見道位(悟りに入る位)にあたるが、ここにおい
はんにゃ
て般若のさとりが得られる。禅でいえば、見性体験ともいえるものである。その第六現前地におい
て、悟った内容というものが、かの有名な「三界虚妄但是心作」というあの「三界唯心偈」である。
ほっとく
菩薩は第六地の段階において、般若の智慧を発得するのであるが、そこでとどまってしまえば仏教
げんのう
ではない。菩薩の立場では、その般若の玄奥に達した智慧が、ふたたび世間に帰ってこなければな
らない。いわば第六地までは向上面であり、第七地から第十地に至って向下面が現われる。般若の
智慧は必然的に慈悲として具体的に生かされてこなければならない。そういう意味で第七地から第
十地までの存在理由がある。
なお、入法界品には、善財童子が五十三人の善知識を尋ねてさとりを求める様子が説かれている
- 48 -
さとりと慈悲
が、その53人にちなんで、東海道五十三次ができたとされている。
唯心思想
さて、『華厳経』で説かれた法(釈尊の教え)はどのようなものであろうか。
さん がい
こ もう
ただ これ
しん
さ
ゆえん
いか
三界は虚妄にして、但是れ心の作なり。十二縁分も、是れ皆心に依る。所以は何ん。事に随
たぶらか
いて欲心を生ずるに、是の心即ち是れ識にして、事は是れ行なり。行、心を誑すが故に、無
明と名づく。
〔十地品〕
この「三界虚妄 但是心作」によって、大乗仏教の唯心思想を集約・象徴される。後の天親(Vasubandhu)
の『唯識二十論』などに引用され、その後の大乗仏教の根幹となっている。
tasyava/ bhavati cittamqtram ida/ yad ida/ traidhqtuka/. yqny api imqni dvqda1abhavq/gqni
tathqgatena prabheda1o vyqkhyqtqni tqny api sarvqzy ekacittasamq1ritqni.
このサンスクリット原文は「この三つの(迷いの)世界は、心のみなるものである」であり、
「虚
妄」や「作」の意味は含まれていない。つまり、瞑想における心と不離一体の状態を直接的に述べ
たものであっただろう。事実『八十華厳』や『十地経』などはこのように訳されている。
ところが、
「虚妄」の語が附加されると客観的価値づけがされ、さらに「作」の語が付け加わると、
心が世界創出の根源的実体のような印象が附加される。つまり、その体が毘廬遮那仏と呼ばれるの
である。
この唯心思想を端的に表わしたのが、
み じん
十方微塵世界の
せっしゅ
摂取してすてざれば
念仏の衆生をみそなはし
阿弥陀となづけたてまつる 〔浄土和讃 弥陀経讃〕
という和讃である。凡夫を摂取して救済するはたらきに対して、阿弥陀如来と名づけたのであり、
はたらきが根本であることを説明する。
性起思想
ぶっ
毘廬遮那仏のはたらきが、すべてに遍満しているということは、この仏の仏たるべき本性(仏
しょう
性)が現実の存在現象を起させている‥‥現実は「空」‥‥ということである。つまり、一切は仏
性のあらわれとして現象しており、そこには悪とか迷いという人間の判断が差し挟まれることがな
い。どんなものでも仏性の顕現と見、すべては仏の光明に包まれたものと見るのである。これを
しょう き
「性起」と呼ぶ。
この性起説からでてくるのが、事法界・理法界・理事無礙法界・事事無礙法界という四法界の現
実認識である。これらは私が現実をどのように認識しているかを説いたものであるが、この場合の
「理」というのは「空」のことである。この世を「空」とは見られないから、我々は事法界としか
この世が見られない。しかし、空であると見るだけでは、生きる意味がなくなってしまう。そこで
現実が空であることと相即円融して見るのが菩薩の見方である、というのである。さらに仏と成る
と、現実を現実のままに受け入れ、そこになんら差別や区別がないと見るのである。
この世はすべて仏のはたらきの顕現であると見ると、逆に私たちの側から見ると、「縁起」とい
うことになる。仏の側から説明すると「性起」であり、人間に即してみると「縁起」である。
- 49 -
さとりと慈悲
さらに、私も仏のはたらきを承けて生じているとすれば、私たちにも仏性があるとするのが「如
来蔵」という見方である。つまり、私たちの奥底に「仏と成る種が蔵せられている」と見る見方で
ある。
しかし、元々如来性を覆蔵しているのであれば、何にもしなくても良いではないか、ということ
になってしまう。
人間は、仏のはたらきが認識できず、仏を求め何かにすがりつこうとして生きているが、あると
き自分の足元を見たら、自分は無礙光の無限の光明に包まれていることを知る。そのときに合掌す
るのは、自分が合掌するのではなく仏が合掌させてくれたわけである。自分が仏に向かって「お願
いします、極楽へ行かせてください」というのは自利である。浄土真宗はそうではなくて、阿弥陀
仏が自分を合掌させてくれたわけである。その転換をキリスト教では回心と呼ぶが、仏教では発心
おうちょう
でもいいし、あるいは救われたのでもいいし、親鸞聖人のように「横超」という概念で表現しても
いい。横超とは、横に超えると書き、次元がまったくちがうことを意味している。まったくちがう
次元から自分が救われていることを知るわけである。
草木国土悉皆成仏
『華厳経』で、我々がもっとも記憶しているのが、「草木国土悉皆成仏」という言葉であるが、も
ちろん経典にはない。しかし、性起説からすれば、草木国土という意識のないものにも仏のはたら
きに依るものであることは疑いはない。そこで、このような言葉が出来る素因がある。この言葉自
体は、謡曲にある。
また、この概念によって大仏が創られ、日本中に国分寺・国分尼寺ができた。そこには、
『華厳経』
そくてん ぶ こう
を漢訳させた則天武后の影響があるかもしれない。
浄土真宗への影響
ぐんもう
また証大涅槃の願と名づくるなり。しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の
しょうじょうじゅ
かず
心行を獲れば、即のときに大乗 正 定 聚の数に入るなり。正定聚に住するがゆゑに、かならず
めつ ど
じょうらく
ひっきょうじゃくめつ
滅度に至る。かならず滅度に至るはすなはちこれ常楽なり。常楽はすなはちこれ畢 竟 寂 滅な
む
い ほっしん
り。寂滅はすなはちこれ無上涅槃なり。無上涅槃はすなはちこれ無為法身なり。無為法身はす
じっそう
ほっしょう
しんにょ
なはちこれ実相なり。実相はすなはちこれ法性なり。法性はすなはちこれ真如なり。真如はす
いち にょ
にょ
らい しょう
げん
なはちこれ一如なり。しかれば弥陀如来は如より来生して、報・応・化、種々の身を示し現
じたまふなり。
〔証巻 p.307〕
平成 26 年 1 月 22 日
次回 2 月 26 日予定
- 50 -
さとりと慈悲
慈悲とは
慈悲は仏教の実践の面における中心の徳である。「慈悲は仏道の根本なり」「慈悲は仏そのもので
ある」とさえもいわれる。日本でも、慈悲は仏教そのものであり、仏は慈悲によってわれわれ凡夫
を救うものである、と考えられている。
じ
しゅ
二辺を除くを中道を説くとなす。仏は慈を首となす。 〔大荘厳論経 10、T.4 - 313c〕
この「慈悲は仏そのもの」という言い方は、「教えが仏そのもの」という言い方と同じように、
仏を法身としてみているのだろう。この流れを追いかけると、
仏は一切の漏を滅し、無比の大慈悲あり。
〔阿育王経1、T.50 - 134c〕
アシヴァゴーシャ(馬鳴)は他の書 Saundarananda において、釈尊を
最高のあわれみある人 paramakqruzika 〔III, 15; XVIII, 61〕
あわれみたもう大悲者 mahqkqruzika4, karuzqyamqna4 〔V, 21〕
一切の生類に憐愍をたれたもう如来
tathqgatena sarve2u bh[te2v anukampakena 〔V, 33〕
などと呼んでいる。また、次のようにも述べている。
うた
象師、王に答えて言わく、転た他より聞く、唯だ仏世尊のみ世界の大師にして大慈心あり、一
ことごと
じ ねん ち
切衆生は悉く皆な子のごとし。身は真金のごとく、大人の相もてみずから荘厳す。自 然智あ
む
げ
ひ みん
りて、欲の生起と欲を滅するの因縁を知る。無礙の心あり、一切を悲愍す。
〔大荘厳論経9、T.4 - 307b〕
じ
にょらい
慈は即ち如来なり。慈は即ち大乗なり。大乗は即ち慈なり。慈は即ち如来なり。善男子よ。慈
ぼ だいどう
は即ち菩提道なり。菩提道は即ち如来なり。如来は即ち慈なり。
〔大般涅槃経(南本)14、T.12 - 697c〕
つまり、法身としての智慧の仏のはたらきが慈悲である。この根底には、「空」があり、自他不
二のさとりの境界がある。これは「無我」と同義だから、他者に対する慈愛の念ではなく、自らも
他者も区分できない、さとりの境界としての慈悲である。よって、如来にとって我々は他人事では
ない。根元的には、慈悲はこのようなさとりの現われとしてのはたらきである。
慈悲の語義
宗教的実践の基には、他の人々に対するあたたかい共感の心情がなくてはならない。仏教では、
この心情をその純粋なかたちにおいては「慈悲」ととらえる。
慈悲とは「いつくしみ」「あわれみ」の意味であると普通に理解されている。ときには「他人に
対する思いやり」「気がね」の意味に用いられることもある。
「慈」と「悲」とはもとは別の語である。「慈」とはパーリ語の mettq、サンスクリット語の maitr](ま
たは maitra)という語の訳である。この原語は語源的には「友」「親しきもの」を意味する mitra と
いう語からの派生語であって、真実の友情、純粋の親愛の念を意味するものであり、インド一般に
その意味に解せられている。(ただし、上座部の学者は mettq を√ mid(to love, to be fat)から導き出して、
“mejjat] ti metta. siniyhat] ti attho.”(Atthasqlin] p.192)と言っている。)
これに対して「悲」とはパーリ語及びサンスクリット語の karuzq の訳であるが、インド一般には「哀
- 51 -
さとりと慈悲
憐」「同情」「やさしさ」「あわれみ」「なさけ」を意味する。
(同朋に)利益と安楽とをもたらそうと
慈と悲の違いは、上座部仏教では、「慈」(mettq)とは「
望むこと」(hitasukhupanayana_kqmatq)であり、悲(karuzq)とは「(同朋から)不利益と苦とを除
去しようと欲すること」(ahitadukkha_panaya_kqmatq)と註解している。
このような解釈は、また大乗仏教にも継承されている。例えば、ナーガールジュナは
あいねん
あんのん
らく じ
慈とは、衆生を愛念することに名づけ、常に安隠と楽事とを求めて、
(それを)以てこれ(=衆生)
にょうやく
みんねん
を饒益す。悲とは、衆生を愍念することに名づけ、五道の中の種々の身の苦と心の苦とを受く
るなり。 〔大智度論20、T25-208c〕
らく
大慈とは一切の衆生に楽を与え、大悲とは一切の衆生のために苦を抜く。大慈は喜楽の因縁
を衆生に与え、大悲は離苦の因縁を衆生に与う。
〔 〃 27、T.25-256b〕
かかる解釈はその他の諸経論にもあらわれている。例えば、ヴァスバンドウ(世親、天親)は、
き らく
ゆう く
慈とは同じく喜楽の因果を与うるが故なり。悲とは同じく憂苦の因果を抜くが故なり。
〔十地経論2、T.26-134a〕
という。ただしその後の大乗経典にはこれと正反対の解釈のあらわれていることもある。例えば、
大乗の『大パリニルヴァーナ経(大般涅槃経)』では仏の大慈を慈と区別して、
諸の衆生のために無利益を除くこと、これを大慈と名づく。(また)衆生に無量の利楽を与え
んと欲すること、これを大悲と名づく。
〔大般涅槃経(北本)15、T.12 -454a〕
という。この解釈を受けて、中国の曇鸞も
じ
らく
苦を抜くを慈と曰い、楽を与うるを悲という。ここに依るが故に一切衆生の苦を抜き、悲に依
む あんしゅじょうしん
おん り
るが故に無安衆 生 心を遠離せり。 〔往生論註 下、T.40 -842b〕
という。
また論書のうちには、多少連関があるが、異った解釈も述べられている。
もっぱ
かん
生きとし生けるものが専ら苦のあつまりを身に受けていることを縁起の道理によって観じつ
つあるときには、悲が起り、また、これらの生きとし生けるものはすべて、この専らなる苦
のあつまりから、われによって解脱さるべきである、と観じつつあるときには、慈が起る。
〔Bodhisattvabh]mi, p.329, l.11 f.〕
すなわち生存者が苦しんでいるのに同情するときが「悲」であり、苦を抜いてやろうと決心すると
きが「慈」なのである。
「慈
しかしこれらは仏教乃至インド宗教一般としては、例外的な解釈であろう。後代においては、
しみとは楽を与えるものである」
(sukhqvqhq maitr])というのが一般に認められている解釈であった。
中国・日本の仏教諸派はこのナーガールジュナの解釈に従っているようである。
天台宗でも華厳宗でも同様にいう。
よ
能く他のものに楽の心を与うること、これを名づけて慈となす。……能く他のものより苦の心
を抜くこと、これを名づけて悲となす。
〔法界次第初門一巻上之下、T.46 -672b〕
『華厳経探玄記』10でも、慈は「与楽」、悲は「抜苦」であるとして詳論している(T.35 - 301c)。
日本でも、
よ らく
ばっ く
与楽を慈と云ひ、抜苦を悲と云ふ。 〔香月院深励『教行信証講義』p.3059〕
- 52 -
さとりと慈悲
他の苦を抜きて楽を与へんと欲する。 〔宝雲述『往生論註筆記』下、真宗全書10p.84〕
抜苦与楽の心なり 〔同上、上、p.54〕
そくそう
あいりん
などという。なお以上とはやや異った解釈としては「惻愴を悲と称し、愛憐を慈といふ」〔惻愴称悲、
愛憐曰慈。『大乗義章』第14巻、T.44 -743a〕などがある。
初期仏教の慈悲
あたかも、母が己が独り子をば、身命を賭しても守護するがごとく、そのごとく一切の生
けるものに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。また全世界に対して無量の慈
こころ
しみの意(mettq aparimqna)を起すべし。
しょう げ
上に下にまた横に、障礙なき怨恨なき敵意なき(慈しみを行うべし)。
すいめん
立ちつつも歩みつつも坐しつつも臥しつつも、睡眠をはなれたる限りは、この(慈しみの)
心づかいを確立せしむくし。
ぼんじゅう
この(仏教の)中にては、この状態を(慈しみの)崇高な境地(brahma vihqra 梵住)と呼ぶ。
〔Sutta_nipqta 149-151〕
われは万人の友なり。万人のなかまなり、一切の生きとし生けるものの同情者なり、慈しみの
こころを修して、つねに無傷害を楽しむ。 〔Theragqthq 648〕
弱きも強きも(あらゆる生きとし生けるものどもに)慈しみを以て接せよ。
〔Sa/yutta_Nikqya 967〕
初期の仏教では、特に他人のために教を説いて迷いを除き、正しいさとりを得しめることが慈悲
にもとづく重要な活動とされている。釈尊が成道後に、梵天のすすめに応じて世の人々のために法
を説かれたのは、慈悲にもとづくのである。「そのとき世尊は梵天の誓願を知り、また衆生に対す
るあわれみ(kqru``atq)により、仏の眼を以て世間を見わたした。」だから出家して仏教教団に入っ
て修行者(比丘)となった者は世人のために法を説かねばならぬ。「慈悲により同情により憐れみ
によって、他人のために法を説く。」説法ということは、教団人にとって重大な義務であった。教
団人は、人びとを真実に愛するが故に出家した。
かかる道理をもしも後世の解釈を用いて表現するならば、ひとびとに対する慈悲の故に理法とし
ての「宗」を「教」として説くのである。
この慈しみ(mettq)は限定されたものであってはならず、無量でなくてはならない。理想としては、
それの限界があってはならない。したがって「無量の慈しみ」
(mettq appamqna)を修することが要
請され、修行者(bhikkhu)はこの無量なる「慈しみに住する者」
(mettq_vihqrin)でなくてはならない。
無量なる慈しみの心を起して、日夜つねに怠らずあれ 〔サンユッタニカーヤ 507〕
この時期にはまだ「慈」と「悲」とは恐らく同義語と考えられていて、意義内容の上では殆んど
区別されていなかったのであろう。ところが、さらに後の段階に至ると、この両者に「喜び」と「平静」
(無関心・捨)が加えられて、四つが一まとめにして考えられ、修行者は「慈・悲・喜・捨」の四
つの徳を修せよ、という。
修行者(bhikkhu)らよ、修行者が財宝に富むとは何ごとぞや。修行者らよ、ここに修行者ありて、
慈とともなる心を以て一方に遍満してあり、また二方・三方・四方に遍満してあり、かくの
- 53 -
さとりと慈悲
ごとく上・下・横・普ねく一切の処・一切の世界に広大・広博・無量にして怨みなく害する
ことなき慈心を以て遍満してあり。悲とともなる心を以て……喜とともなる心を以て……捨
とともなる心を以て遍満してあり。修行者らよ、これぞ修行者が財宝に富むなり。
〔DN. Ⅲ ,p.78〕
この4つのうちでも「慈しみ」のこころについてのみ修養が説かれているから、慈しみが特に重要
視されていた。「慈」と「悲」のほかに「喜」(muditq)を加えたのは、解脱した人々には喜びが存
するからである。不可説のもの(anakkhqta)に対して欲求(chanda)が起るから、捨が説かれる。
このように「慈」が「無量」なるべきものとされていたので、のちにはこの4つも「四無量」「四
梵住」または「四無量心」としてまとめられるに至った。そうして無量三昧という特別な禅定の修
行法が考えられるようになった。
(ヨーガ行者は)楽については友情(maitr])を感じ、苦については同情(karuzq)を感じ、徳
に関しては喜び(muditq)を感じ、悪に関しては平静(upek2q)であることを修するによって、
心を濁りなく澄ませるのである。
時代の経過によって、仏の偉大性、仏の大慈悲が強調され、一般修行者の慈悲と区別された。特
に釈尊の過去世物語(ジャータカ)において、釈尊は無数の過去世に求道者として慈悲行を実践し、
その結果としてこの世に釈尊として生れて来たとされる。そこで後代に、四無量の中に含まれる慈
悲と区別し、仏の「大悲」(mahqkaruzq)が説かれるようになった。初期経典の大部分には「大悲」
ということばは現われていないが、ごく遅い時期には大悲が明瞭かつ詳細に説かれるようになった。
おそらく釈尊が神格化された極限にこの大悲の観念が成立したと考えられる。
のちの大乗経典では、衆生に対する菩薩の大慈と大悲とが説かれている。さらに後代の大乗経典
では大慈・大悲・大喜・大捨を仏性と解していることもある。
善男子よ、大慈大悲を名づけて仏性となす。何を以ての故に。大慈大悲は常に菩薩に随うこと、
影の形に随うがごとし。一切衆生、必定して当に大慈大悲を得べし。この故に説いて、一切
衆生悉く仏性ありと言う。大慈大悲とは名づけて仏性と為し、仏性とは名づけて如来と為す。
大喜大捨とは名づけて仏性と為す。何を以ての故に。菩薩摩訶薩にしてもし二十五有を捨つ
ること能わざれば、則ち阿耨多羅三藐三菩提を得ること能わず。諸の衆生は必らず当に得べ
きを以ての故に、この故に説いて、一切衆生悉く仏性有りと言う。大喜大捨とは即ち是れ仏性、
仏性とは即ち是れ如来なり。 〔大般涅槃経(南本)32、T. 12 - 556c〕
他方、四梵住(=四無量)は低い意義のある徳目とみなされた。原語 brahma_vihqra(崇高なる境地)
は2語より成るものであり、brahma(=清浄なる)という形容詞は、後の時期になると brahma_
vihqra という合成語となり、brahma は独立の名詞とみなされ、梵住とは「梵天に至る道」と解せら
ぐう く どく
れるようになった。そうして四梵住(四無量心)は凡夫の修行者に共通な徳(共功徳)であり、
「悲」
ふ ぐうぶっぽう
は凡夫と共通であるが、大悲は仏にのみ存する特質(不共仏法)の一つであると理解された。
そもそも慈悲とは、人間が他の人に対してのはたらきであり、人を救って、それを機縁として最
高究極の境地に至らしめようとする心情であった。この心情にもとづく行為もまた慈悲と呼ばれて
いた。このような実践は人間の力ではなかなか実現されないから、凡夫は仏の力にたよろうとする。
そこで慈悲は仏の側におかれ、仏がひとびとを救うために慈悲を垂れるのであるとされた。こうし
て慈悲は、人に対する仏のはたらきとされ、人間はただこの慈悲に対して受動的であると理解され
- 54 -
さとりと慈悲
るようになった。
大乗仏教の慈悲
大乗仏教は、伝統的保守的仏教を痛烈に批判して、他人のために奉仕するという慈悲行の精神が、
教えの中心におかれた。大乗の修行を行う菩薩(bodhisattva 求道者の意)は、生きとし生けるもの
を救おうとする大慈悲心をもって、一切の生きとし生けるものを救おうとする誓願を立てる。この
誓願は慈悲心にもとづくものであるから、「悲願」とよばれる。
もし衆生下劣にして、その心厭没せる者には、示すに声聞(=小乗の修行者)の道を以てし、
衆苦を出でしむ。
もしまた衆生あり、諸根(=精神的機能)少しく明利にして、因縁の法をねがうものには
為めに辟支仏(=独善的にさとる人)〔の道〕を説く。
もし人、根(=精神的機能)明利にして、衆生を饒益せんとし、大慈悲心あるものには、為
めに菩薩の道を説く。
もし無上心ありて、決定して大事をねがうものには、為めに仏身を示し、無量の仏法を説く。
〔晋訳『華厳経』27、『華厳五教章』観応冠導本1、50 丁表。〕
従来の伝統的保守的仏教の聖典や戒律をそのとおり忠実に遵奉している人々(1rqvaka 声聞)、或
いはただ独り隠棲してさとりを求める人々(pratyekabuddha 辟支仏)はすべて「生きとし生けるも
のの苦をすくうこと」というはたらきが無い。それは大乗の修行者にのみ存するという。菩薩の行
は大乗仏教の本質であると考えられ、しかもそれは慈悲の精神の具現にほかならないと教義学者に
よって規定されている。
ここで、智慧と慈悲との関係は、まずさとり(根本智)を得て、それから慈悲のはたらき(後得智)
がはたらくとするのが一般的である。しかし、龍樹は反対の主張も大乗経典の中に見出している。
あわれみ
菩薩は、衆生の中に処して三十二種の悲 を(観音菩薩のごとく)行い、漸々に増広して転じ
て大悲を成ず。大悲はこれ一切の諸仏・菩薩の功徳の根本なり。これは般若波羅蜜の母なり。
諸仏の祖母なり。菩薩は大悲心を以ての故に、般若波羅蜜を得。般若波羅蜜を得るが故に、仏
となることを得。 〔大智度論20、T.25 - 22b〕
ナーガールジュナの『中論』においても、慈悲の精神は一切の善行の根本と見なされている。
自己を制し、他人を益し、慈しみにみちた心が法であり、それはこの世及び死後における果報
の種子である。 〔中論 17.1〕
後代になると慈悲が極度に高揚され、憐れみ(dqya)の深い人々に対しては、神々も敬礼すると
いい、その立言は諸宗教に認められた。
南方の上座部においては、後世になると十種の完全な徳(pqram], pqramitq)を説いていた。それ
は、施与(dqna)、戒律(s]la)、出離(nekkhamma)、智慧(pa``a)、忍ぶこと(khanti)、真実(sacca)、
こころを確立すること(adhiwwqna)、慈しみ(mettq)、平静(upekkhq)であるが、ここでは慈しみ
の徳は多くの徳のうちの一つとして立てられているにすぎない。つづいて6種の完全な徳(パーラ
ミター)の綱目が大乗経典のうちに説かれる。ところが、大乗仏教徒は、完全な徳というものは、
すべて慈悲にもとづくものであるということを体得した。龍樹は『施しと戒と忍ぶことと精進と〔禅〕
- 55 -
さとりと慈悲
定と智〔慧〕とは〔慈〕悲を体となす』という。
中観派と対立する唯識派においては必らずしも慈悲が究極の徳として立てられていたわけではな
いが、マイトレーヤ・ナータの著『求道者の階梯』(Bodhisattvabh[mi)においては、慈悲の意義を
強調している。
求道者(bodhisattva)は(次に説くような)四つの因縁によって、生きとし生けるものども
に対してあわれみ(karuzq)に富むものである。もしも十方において、苦しみの知覚されない
ところの無限無辺なる世界が存在するとしても、求道者は苦しみをともない苦が知覚される
ところの世界のうちに再び生れるのであり、苦しみの無い世界に生れるのではない。そうし
て(1)他人がいずれか一つの苦しみによって触れられ、襲われ、打ち克たれているのを見、
また(2)自分自身がいずれか一つの苦しみによって触れられ、襲われ、打ち克たれている
のを見る。さらにまた(3)他人或いは自分、或いは(4)その両者が長時間にわたる種々
なるはげしい間断ない苦しみによって触れられ、襲われ、打ち克たれているのを見る。かく
のごとく、この求道者が自らの定められた資格(種姓)に依拠することによって本性上賢な
るが故に、これらの四つのよりどころである境地によって、たとい特に繰り返し習うことが
無くても、弱き、中位の、或いはすぐれたあわれみの心を以て活動するのである。
求道者は(次に述べる)四つの原因によって生きとし生けるものどもに対するあわれみの
心をまず起し、長時間にわたる種々なる、はげしくて間断なき生死輪廻の苦しみをさえも恐
いわ
れることなく、おののくこともない。況 んや小なる苦しみに対してはなおさらである。求道
者は本性上勇健であり、しっかりしていて、力がある。これが第一の原因である。また求道
者は聡敏であり、正しい思惟をなす性質であり、明察する力がある。これが第二の原因である。
また求道者は無上正等覚に対するすぐれた信仰理解をそなえている。これが第三の原因であ
る。また求道者は生きとし生けるものどもに対するすぐれたあわれみの心をそなえている。こ
れが第四の原因である。 〔Bodhisattvabh[mi pp.16-17〕
ぼ さつぎょう
このように、菩薩の慈悲行が強調され、これが「菩薩行」と呼ばれるのである。この文章を読め
ば分かる通り、慈悲行が菩薩行として成り立つためには、第1の強力な意思、第2の正しい思惟、
第3の発菩提心が必要となる。これは後に、発菩提心と誓願が整わない限り菩薩行とは呼ばれない
という規定などとして完成される。
次年度 往生礼讃(善導大師)講読予定
平成26年2月26日
次回 3月24日(月)
- 56 -
さとりと慈悲
さとりと慈悲
なぜ、今回の講座のテーマを「さとりと慈悲」としたかというと、慈悲がさとりの現われである
からである。むろん、さとりを得ることが重要であることは間違いのないことであり、それが仏教
の目的である。しかし、さとりを得ることが目的であるならば、釈尊はさとった段階で目標は達成
したわけであるから、それ以上の行為は必要なかったはずである。だから、釈尊は「このまま涅槃
に入ろう」とされたのである。
さまた
しかし、入涅槃を障げたのは、梵天である。梵天による三度の勧請によって、釈尊は立ち上がり、
さとりに至る道を指導した。これが仏教である。そして、そのさとりに至る道を教え伝えることを
「慈悲」と呼ぶ。
さて、大乗仏教になると、大乗仏――大日如来とか薬師如来――が登場するが、それは釈尊の慈
悲がどのようにこの私にはたらいているかということを象徴的に仏と呼ぶ。つまり、大乗仏はすべ
て法身仏を根本としている。つまり、仏のはたらきは慈悲である、と見るのである。そうすると、
慈悲はすべてにとどこおりなく届けられるものでなくてはならない。そのことを、親鸞聖人は「す
ゑとほりたる」と言う言葉で表現しておられる。
浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、おもふがごとく
こん じょう
衆生を利益するをいふべきなり。今 生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとく
し じゅう
たすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲
心にて候ふべきと云々 〔歎異抄 p.834〕
もちろん、このような考え方は他の宗派には通じない。他宗では、凡夫がさとりを目指して慈悲
行をすることが修行の一環であるとする。たとえば禅宗では次のように言う。
いたずら
出家の人の無道心なるは、仏の衣鉢を盗み、僧比丘尼の姿を似するばかりにて、徒に信ぜず、
驚かず、善知識の勧めに逢へども、驚かず、恐れず、只だ己れが情を本として、思ふやうに
らい だ
け たい
む ざんほういつ
こんじょう
たと
へ
ふるまひ、懶惰懈怠にして、無慚放逸なれば、今 生 一生のみにあらず、縦ひ無量億劫を歴る
しゅ
おこ
じんしん
とも、仏法の種なく、縁もなければ、道心の発ること総てあるべからず。永く人身を失ひて、
あく しゅ
おおい
悪趣に沈み果てなん事、是れ大なる苦にあらずや。仏も無縁の衆生を度し玉はねば、如何な
かの
れんみん
る慈悲方便も叶ふべからず、誠に憐愍すべき者なり。 〔月庵仮名法語(禅門法語集 上 p.187)〕
まさら
仏力〔も〕業力に勝ざれば、縦ひ仏菩薩の慈悲方便深くとも、我が造れる罪の悪業重から
いか
さいだん
ん人をば、総て総て助くべからず。只みづから進み励まずんば、争でか生死を裁断すべき。
〔 〃 p.207〕
では、法然上人はどのように慈悲を見ておられるか、というと
その なか
たとへば人の親の一切の子を悲むに、其 中によき子もあり、あしき子もあり、ともに慈悲
をなすといへども、悪を行ずる子をば目をいからし杖をささげていましむるが如し。仏の慈
悲のあまねき事をききては、罪をつくれとおぼしめすといふおもひをなさば、仏の慈悲にも
も
洩れぬべし。……父母の慈悲あればとて、父母の前にて悪を行ぜんに、その父母喜ぶべしや。
なげ
嘆きながら捨てず、あはれみながらにくむ也。仏も又もてかくの如し。
〔十二個条問答(法然上人全集 pp.352-353)〕
- 57 -
さとりと慈悲
と言われており、法然上人にあっては仏の本願に救われることを誇って悪を行うものは、かえって
仏の慈悲にもれることになる、というのである。
親鸞聖人の慈悲観
さて、親鸞聖人は前にも述べたように、慈悲行は仏の所業であると見ている。そこには際限があっ
てはならないし、また凡夫のなしうるものではない、とはっきり見て取っておられるのである。
じんりきほんがんぎゅうまんぞく
みょうりょうけん ご
(38)神力本願 及 満足
じ
く きょうがん
明 了 堅固究 竟 願
ひ ほうぺん
しん む りょう
慈悲方便不思議なり
真無量を帰命せよ
〔浄土和讃 p.563〕
この意味は、阿弥陀如来の本願力を、満足・妙了・堅固・究竟の4つのはたらきがあると見て、
よ
その慈悲に因る方便は人間が推し量ることができないものであるから、真無量(阿弥陀如来)を帰
命しましょう、ということである。
と けん
阿弥陀如来は、因位の時に法蔵菩薩と言われ、210億の仏国土を覩見され、すべての人々を済
度しなくては仏にならないとの誓願をお立てになった。
さ がん
う じょう
(38)如来の作願をたづぬれば
え こう
しゅ
回向を首としたまひて
苦悩の有情をすてずして
大悲心をば成就せり
〔正像末和讃 p.606〕
その無量寿仏の大慈悲の力によってわれわれは救われる。
(10)慈光はるかにかぶらしめ
ほう き
法喜をうとぞのべたまふ
ひかりのいたるところには
だいあん い
大安慰を帰命せよ
〔浄土和讃 p.558〕
この世で迷い悩んでいる生きとし生けるものどもを救うために、この仏はしばらくもはたらきを休
むことがない。
しょうよう
慈光世界を照曜し
(19)観音・勢至もろともに
う えん
有縁を度してしばらくも
く そく
休息あることなかりけり
〔 〃 p.559〕
ぼんのう
われわれの罪障は深重であり、煩悩にわれわれの眼がさえぎられて、その偉大なる慈悲の光を認め
しょう
ることができない。しかし、われわれ自身は気づかないけれども、じつはみ仏の慈悲のうちに摂せ
られている。
(95)煩悩にまなこさへられて
だい ひ
大悲ものうきことなくて
せっしゅ
こうみょう
摂取の光明みざれども
つねにわが身をてらすなり
〔高僧和讃 p.595〕
極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我
まなこ
さ
極重の悪人はただ仏を称すべし。われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼 を障へて見
ものう
たてまつらずといへども、大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり。
〔行巻、正信偈 p.207〕
われわれの罪障は深いから、如来の悲願――慈悲にもとづく誓願――にたよらなければ、この迷い
の生存から離脱することは不可能である。
まっぽう
(11)末法第五の五百年
如来の悲願を信ぜずは
しょうどうごん け
る てん
諸有に流転の身とぞなる
ご
出離その期はなかるべし
(72)聖道権仮の方便に
しょ う
この世の一切有情の
しゅっ り
〔正像末和讃 p.602〕
衆生ひさしくとどまりて
いちじょう き みょう
悲願の一 乗 帰命せよ
- 58 -
〔浄土和讃 p.569〕
さとりと慈悲
げ だつ
この悲願ましまさずは、かかるあさましき罪人、いかでか生死を解脱すべきとおもひて、一
とく
しゃ
生のあひだ申すところの念仏は、みなことごとく如来大悲の恩を報じ、徳を謝すとおもふべ
きなり。
〔歎異抄第14条 p.845〕
阿弥陀如来の大慈大悲をいただくということは、そのまま本願を信じているということである。
ぜんぽん
へん ち
け まん
辺地懈慢にうまるれば
とくほん
善本・徳本たのむひと
(68)仏智不思議をうたがひて
大慈大悲はえざりけり
〔正像末和讃 p.612〕
しょう き ほん まつ
ぎ しん
『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生 起本末を聞きて疑心あることなし、こ
れを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。 〔信巻 p.251〕
もんそくしん
浄土真宗では、しばしば「聞即信」と言う言葉を使う。それは阿弥陀如来が誓願をお立てになっ
た生起本末を聞くのだと言われる。つまり、それは我が身でいえば、罪悪深重の凡夫であることを
振り返ることであり、その私をすくい摂りたいと願いはたらき続けていてくださる如来の慈悲に気
づかせていただくことであり、それがそのまま「信心」なのである。つまり、私の信心ではない。
ごうしん
如来から賜った信心であり、私が信心するのではない。だから、その信心を「仰信」と呼んでいる。
このような立場からすると、穢れたこの世界を離れて浄土に向うという人間のはたらきは、じつ
は人間の行うことではなく、如来が転じ向わしめること(回向)にほかならない。如来に向うはた
らきであるにもかかわらず、如来自身のはたらきなである(往相の回向)。また浄土に生れ仏となっ
た人間は、この穢れた世界にもどって、生きとし生けるものを救うことにつとめる。しかし、これ
も如来自身のはたらきにほかならない(還相の回向)。人間側からすると、往くと還るとの二つの
方向があるが、如来の立場からすれば、同じ大慈悲の異った二つのあらわれかたにすぎない。
おう そう
げん そう
「回向」に二種の相あり。一には往相、二には還相なり。「往相」とは、おのが功徳をもつ
て一切衆生に回施して、ともにかの阿弥陀如来の安楽浄土に往生せんと作願するなり。「還相」
しゃ ま
た
び
ば しゃ な
う
ちょう りん
え
とは、かの土に生じをはりて、奢摩他・毘婆舎那を得、方便力成就すれば、生死の稠林に回
にゅう
入して一切衆生を教化して、ともに仏道に向かふなり。もしは往、もしは還、みな衆生を抜
ど
しゅ
きて生死海を渡せんがためなり。このゆゑに「回向を首 となす。大悲心を成就することを得
んとするがゆゑなり」といへり。
〔論註 七祖 pp.107-8〕
どんらん か しょう
これが曇鸞和尚の『大悲往還の廻向』と呼ばれる。
だいしょう
だい ね はん
え こう
しかれば大聖(釈尊)の真言、まことに知んぬ、大涅槃を証することは願力の回向によりてなり。
げんそう
り やく
あらわ
ろんしゅ
む
てんじん
げ
せん ぷ
還相の利益は利他の正意を顕すなり。ここをもつて論主(天親)は広大無碍の一心を宣布して、
ぞう ぜん かん にん
ぐん もう
おう げん
けん じ
あまねく雑染堪忍の群萌を開化す。宗師(曇鸞)は大悲往還の回向を顕示して、ねんごろに他
じん ぎ
ぐ せん
あお
ぶ
じ
ちょうだい
利利他の深義を弘宣したまへり。仰いで奉持すべし、ことに頂戴すべしと。 〔証巻 p.335〕
これを讃歎して
(52)往相回向の大慈より
如来の回向なかりせば
浄土の菩提はいかがせん
(34)釈迦・弥陀の慈悲よりぞ
ち え
信心の智慧にいりてこそ
還相回向の大悲をう
〔正像末和讃 p.609〕
がん さ ぶっしん
願作仏心はえしめたる
ぶっとんほう
仏恩報ずる身とはなれ
〔 〃 p.606〕
と詠われるのである。
そこで実践に関して、人間のあさはかな分別によって慈悲の実践などできない。人間が念仏によっ
- 59 -
さとりと慈悲
て救われて、仏となってこそ、慈悲のはたらきを為し得る。
一 慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、は
ぐくむなり。しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。浄土の
慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、おもふがごとく衆生を
利益するをいふべきなり。今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけ
し じゅう
がたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心にて
候ふべきと云 々。
〔歎異抄第4章 p.834〕
よって、人間として為し得ることは、ただ念仏をとなえることだけであり、それがまさに慈悲行な
のである、と親鸞聖人は言われる。
そして、念仏をとなえるということは、われわれが「すくわれてある」ことに対する報恩謝徳の
念からなされることである。
この悲願ましまさずは、かかるあさましき罪人、いかでか生死を解脱すべきとおもひて、一
生のあひだ申すところの念仏は、みなことごとく如来大悲の恩を報じ、徳を謝すとおもふべ
きなり。
〔歎異抄第14条 p.845〕
この報恩謝徳の念仏をとなえることができるのも、じつは如来のはからいである。
まづ弥陀の大悲大願の不思議にたすけられまゐらせて生死を出づべしと信じて、念仏の申さ
るるも如来の御はからひなりとおもへば、すこしもみづからのはからひまじはらざるがゆゑ
に、本願に相応して実報土に往生するなり。
〔 〃 第11条 p.838〕
われわれが説教を聴聞することをよろこぶということも、仏の慈悲のはたらきである。蓮如上人
は次のように説いた。
一、物にあくことはあれども、仏に成ることと弥陀の御恩を喜ぶとは、あきたることはなし。
焼くとも失せもせぬ重宝は、南無阿弥陀仏なり。しかれば弥陀の広大の御慈悲殊勝なり、信
ある人を見るさへたふとし。よくよくの御慈悲なりと云 々。
〔蓮如聞書 p.1307〕
我々の信心は、人間個人の意志によってできるものではない。如来のはたらきによって、おこさ
しめられたものである。
ぜんぎょう
種種に善 巧 方便し
(74)釈迦・弥陀は慈悲の父母
われらが無上の信心を
ほっ き
発起せしめたまひけり
〔高僧和讃 p.591〕
ちょうもん
いかに不信なりとも、聴聞を心に入れまうさば、御慈悲にて候ふあひだ、信をうべきなり。た
云
だ仏法は聴聞にきはまることなりと 々
。
〔蓮如聞書 p.1292〕
親鸞聖人の教えによると、われわれのうちにおける宗教的なるものは、すべて阿弥陀如来に起因
する。これは『華厳経』に説かれた性起説と同じものである。よって、親鸞聖人は性具説をとる『法
華経』からなんらの引用もしていないのである。親鸞聖人の『教行信証』には、もっぱら阿弥陀如
来に対する報恩歓喜が表明され、蓮如上人の『御文章』の中の「慈悲」はもっぱら仏の慈悲のみで
あり、我々凡夫の慈悲は説かれていない。
凡夫の慈悲行
親鸞聖人の教えでは、凡夫も救われたならば、仏となることが決定する(正定聚不退)。そして
- 60 -
さとりと慈悲
仏によるすくいをいただくことを、信心をいただいたという。そこで、信心を得た凡夫は、凡夫で
ありながら救われており、仏の慈悲に包まれれ、凡夫の心がそのまま大慈悲心に転ずる。
ち がん
こうかい
(40)弥陀智願の広海に
帰入しぬればすなはちに
凡夫善悪の心水も
大悲心とぞ転ずなる
〔正像末和讃 p.607〕
仏に帰命したてまつる無私の心がそのまま慈悲心となる。
ど しゅじょうしん
せっしゅ
願作仏心はすなはちこれ度衆 生 心なり。度衆生心はすなはちこれ衆生を摂取して安楽浄土に
生ぜしむる心なり。この心すなはちこれ大菩提心なり。この心すなはちこれ大慈悲心なり。こ
え
がんかい
ほっしんひと
の心すなはちこれ無量光明慧によりて生ずるがゆゑに。願海平等なるがゆゑに発心等し。発心
どう
等しきがゆゑに道等し。道等しきがゆゑに大慈悲等し。大慈悲はこれ仏道の正因なるがゆゑに。
〔信巻 p.252〕
信心を得たものは、如来の大悲にあずかることとなる。むしろ、如来の大悲にあずかることが信心
である。
がん ど
(20)願土にいたればすみやかに
ね はん
無上涅槃を証してぞ
すなはち大悲をおこすなり これを回向となづけたり 〔高僧和讃・天親讃 p.581〕
ひろ
こ くう
曠きこと虚空のごとし、大慈、等しきがゆゑに。
〔大経下巻 p.52〕
にょうやく
もろもろの衆生において大慈悲 饒 益の心を得たり。
〔 〃 p.50〕
この苦悩にあふれ罪悪の多い現実世界が、そのまま絶対的意義をもつこととなる。
(35)往相の回向ととくことは
ひ がん
しんぎょう
悲願の信行えしむれば
しょう じ
弥陀の方便ときいたり
ね はん
生死すなはち涅槃なり
〔高僧和讃 p.584〕
る てん
われわれの生死流転の世界が、じつは究極の境地であることを示している。これによって、親鸞聖
人の教えが、じつは現実の人間生活における慈悲行を基礎づけていることを知る。
(59)如来大悲の恩徳は
師主知識の恩徳も
身を粉にしても報ずべし
ほねをくだきても謝すべし
〔正像末和讃 p.610〕
ここでは身を捨てる覚悟をもってする奉仕の行が要請されている。
日本国帰命聖徳太子
く さい
有情救済の慈悲ひろし
ぐ こう
仏法弘興の恩ふかし
奉讃不退ならしめよ 〔皇太子聖徳奉讃・別本〕
この聖徳太子の実践のうちに親鸞聖人は「慈悲」を感じたのであった。
そうして行為のうちに慈悲を具現するという思想は、そののちにも積極的に強調されている。覚
如上人の歌にいう、
ほか
あはれみを ものにほどこす心より 外に仏のすがたやはある
慈悲行以外に仏教徒の行為はありえない。また蓮如上人も、人間相互の間の交際にも、つねに慈悲
の精神が具現されねばならぬということを説いている。
そうたい
一、総体人にはおとるまじきと思ふ心あり。この心にて世間には物をしならふなり。仏法には
む
が
じょう
お
無我にて候ふうへは、人にまけて信をとるべきなり。理をみて情を折るこそ、仏の御慈悲よと
仰せられ候ふ。
〔蓮如聞書 p.1282〕
真宗の門徒は、蓮如上人の行動のうちに慈悲を感じていた。
つかまつ
つかまつ
雨もふり、また炎天の時分は、つとめながながしく仕り候はで、はやく仕りて人をたたせ候ふ
- 61 -
さとりと慈悲
がよく候ふよし仰せられ候ふ。これも御慈悲にて人々を御いたはり候ふ。大慈大悲の御あは
れみに候ふ。つねづねの仰せには、御身は人に御したがひ候ひて、仏法を御すすめ候ふと仰
せられ候ふ。御門徒の身にて御意のごとくならざること、なかなかあさましきことども、な
かなか申すもことおろかに候ふとの義に候ふ。
〔蓮如聞書 p.1317〕
したがって浄土真宗においては、教義上ではもっぱら如来の慈悲のみを強調するが、私と無関係
ではなく、私の行為のうちに現われる。そこで、妙好人の言葉を見てみよう。
げん ざ
ぬすっとぐさ
お
宇三郎、源左の畑で 盗 草をしておった。そこへ源左が下りて来た。こりゃ悪いところを見ら
れたわいと思っていると、源左、
か
「ここもええけど、そっちのええところを刈んなはれなあ」
後日宇三郎、心境を述懐して、
「叱られたのなら飛んで逃げるということもあるけんど、ああいわれては逃げるにも逃げられ
ず、あがあに困ったことは知らんがやあ。」
慈悲とは、このように現われるものである。相手を自らと同体と感じる(無我)からこそ現われ
る。そのような気持ちになれるのは、さとりの智慧によって現われるものである。
「わが身が大事なら、人さんを大事にせえよ」
七十過ぎの妹が帰るときその荷物を背負って峠まで送って行ったことがあった。峠に着く
と妹が言った。「兄さんに重たいものを持ってもらって助かったけなあ。百円貰ったよりもう
れしいぞなあ」「お前がそがあに喜んでくれりゃ、おらも百円儲けたよりもうれしいがやあ。
お前が百円儲け、おらが百円儲け、なんと今日は二百円儲けたどなあ」。 そう言ってよろこび
合って別れた。
ひ
が
このように現われるのが慈悲の心であり、彼我に区別がなくなるのである。
「困ったときにゃ念仏に相談せえよ」
「この心に相談すりゃ、まあちょっとと言うぞいな。いつ相談してもいけんけえのう。親さん
に相談すりゃ、助ける、助ける、そのまんま助ける。いつ相談しても親さんには間違いない
けんのう」
「落ちるまんまを親様が助けて下さるだけのう」
そのような慈悲の心が起きるのも、阿弥陀如来のはたらきがこの私に届いていると認識するところ
いなば
げん ざ
すがた
にある。因幡の源左さんのこのような言行録から、さとりと慈悲の相が見てとれる。
平成 26 年 3 月 24 日完
次年度 善導大師『往生礼讃』講読 4月23日予定
- 62 -