『失われた時を求めて』受容史 『失われた時を求めて』受容史 1 −ゴンクール賞受賞から作者の死まで(その 1) − 禹 朋子 全 8 篇からなるプルーストの代表作『失われた時を求めて』の第 1 篇『スワン家の方へ』が 発売されたのは 1913 年のことである。しかし翌年勃発した第一次世界大戦の影響により、続 巻の出版は、終戦後、1919 年まで待たねばならなかった。この第 2 篇『花咲く乙女達のかげ に』が同年 12 月にゴンクール賞を受賞すると、各紙一斉にこれを報じ、プルーストとその作 品の名は一気に広く一般に知られることとなる。以上が作品のいわば二度目の出発を飾る出来 事であるとすると、『失われた時を求めて』の受容において次の大きな節目となるのは、作品 刊行途中に出来する作者の死であった。当時、フランス本土で発行された新聞・雑誌掲載のプ ルースト関連記事、プルーストへの言及を含む図書の数は、筆者の調査によれば次表のとおり である。 出来事 対象となる期間 記事数 小計 61 『スワン』発売 1913.11 1913.11−1917.05 61 『花咲く乙女達』発売 1919.06 1917.10.17−1919.12.10 45 1919.12 1919.12.11−1920.01.25 124 1920.02.01−1920.09.25 41 210 ゴンクール賞受賞 『ゲルマントⅠ』発売 1920.10 1920.09.25−1921.04.20 55 55 『ゲルマントⅡ、ソドムとゴモラⅠ』発売 1921.04 1921.04.29−1922.04.15 69 69 『ソドムとゴモラⅡ』発売 1922.04 1922.04.23−1922.11.12 78 1922.11.18 1922.11.18−1922.01.31 202 プルースト死去 280 ・2013 年 9 月段階の筆者収集データに基づく。 ・「関連記事」には、最新作に対する評論だけでなく、出版に前後して発表された抜粋、各紙の掲載す る簡単な新刊情報、既刊書への評や、同時期にプルーストが発表した小説以外の論考に対する意見、 あるいはプルースト関連記事に対する反響なども含めた。 ・雑誌のプルースト特集号に掲載された論考、記事についてはそれぞれを 1 件と数えた。 ・図書については、過去に発表された記事が再録されている場合には記事の掲載日を、それ以外の場合 は印刷完了日を、いずれの日付も不明な場合は 1 月 1 日付として分類した。 ──────────── 1 本論は次の未刊行博士論文の第 1 部 4 章を一部改稿の上、加筆したもの で あ る 。 WOO, Tomoko Boongja, La Réception d’«À la recherche du temps perdu » en France de 1913 jusqu’en 1954, thèse de Doctorat, Univ. de Paris III, 2011, 2 vol. また本論に関係のある以下の拙論も参照されたい。「『失われた 時を求めて』初期受容──『スワン家の方へ』をめぐって──」,『ステラ』第 30 号,九州大学フラン ス語フランス文学研究会,2011 年,p. 191−207.「第 1 次世界大戦後のプルースト受容:『花咲く乙女た ちの陰に』とゴンクール賞の余波」 ,『ステラ』 ,第 31 号,2012 年,p. 115−139. ―1― 『失われた時を求めて』受容史 数字が示すとおり、以前から病弱であることが知られていたとはいえ、未完の作品を残して 51 才の作者が亡くなるという事件は、作品評価に大きな影響をもたらした。1922 年 11 月の死 去から二ヶ月足らずで NRF 誌が追悼特集号を組み、ガストン・ガリマール、ジャック・リヴ ィエールといった NRF 関係者、フェルナン・グレーグ、ジョルジュ・ド・ロリスなど旧友 達、ジッド、モーリアック、コクトー、モラン等フランスの作家の他、外国からエルンスト・ クルチウス、オルテガ・イ・ガセー、ジョゼフ・コンラッドなども寄稿した。一般紙でも芸術 に一生を捧げた殉教者といったイメージが流布し、プルーストは伝説の作家となっていく。 ゴンクール賞受賞と作者の死去という二つの「事件」に挟まれた時期には『ゲルマントの方 Ⅰ』 、『ゲルマントの方Ⅱ、ソドムとゴモラⅠ』、そして『ソドムとゴモラⅡ』の 3 篇が刊行さ れた。編集者達によって続篇の刊行が始まるのは『ソドムとゴモラⅡ』 発売から約一年後の 1924 年 2 月であるから、全編にわたって同性愛のテーマをはっきり示したこの第 5 篇への評価は、 プルーストの死去という大きな出来事をはさんで行われたことになる。したがって、文学賞受 賞後、より純粋に評価された作品部分といっては第 3 篇と第 4 篇より他にない。本論では、作 品外の種々の影響を比較的免れたこの 2 篇のうち、第 3 篇『ゲルマントの方Ⅰ』に対する当時 の批評の様相を分析し、作品そのものが勝ち得た評価を検分することとする。 第 3 篇出版当時の作家評価 ゴンクール賞受賞後の新聞・雑誌記事は、1919 年 12 月 11 日付速報に始まり、翌年 1920 年 1 月末までのおよそ一ヶ月半の間に 124 件を数えた。その後も 2 月 14 件、3 月 7 件、4 月 3 件、5 月 2 件、6 月 3 件、7 月 7 件、8、9 月は各 2 件と批評が途切れることのないまま、10 月 に第 3 篇刊行を迎える。『花咲く乙女達のかげに』発売から一年半、ゴンクール賞受賞からも 一年弱が経過していた。しかし話題を呼んだ受賞作の続編は、主要各紙の書評欄で取り上げら れると同時に、有名作家もこれにコメントを寄せた。その多くは、表向きの評判についての疑 問、既に難解との評判が広まっていたプルーストの文体、そして作品のテーマを問題にしてい る。 実際に新刊が書店に並ばないうちから、当時を代表する批評家であるポール・スーデーが 『パリ・ミディ』紙に寄せた一文は、プルーストに関する典型的な紹介を含んでいる。 『スワン家の方へ』と『花咲く乙女達のかげに』の作者、マルセル・プルースト氏は、力強 く複雑な独創性を持った作家である。文体は密なものであるが、激しく震えるような活気 があり、しばしば光がきらめくようで、この上なく豊かな内的ヴィジョンに直ちに応じて 絶えず作り上げられる。ゴンクール賞によって大衆に知られるところとなったマルセル・ プルースト氏は、その名声が高まることが確実な作家、作品を書棚に置いて、きっと何度 ―2― 『失われた時を求めて』受容史 2 も読み返すことになる、そういった作家のひとりだ。 けれどもこの紹介文は、物事の一面を示しているにすぎない。『ゲルマントの方Ⅰ』発売か ら間もなく、カミーユ=マルボは、プルースト作品がいまだ論争の対象になっていることを次 の様に述べている──「アンドレ・ジッド氏同様、マルセル・プルースト氏には、熱心な賛美 3 。フラ 者がいるが、光には陰がつきものである以上、当然、誹謗中傷に熱を上げる者もいる」 ンソワ=モーリアックも、ゴンクール賞を受賞し、イギリスやオランダではプルースト愛好家 のクラブが設立されたというのに「マルセル・プルースト氏が読者に抱かせる賛美の念はあま 4 と指摘す ねく広がっているわけではなく、プルースト氏についての論争はまだ続いている」 る。 プルースト、ないしはその作品への反感や嫌悪感を表明した記事をみると、その理由は少な くともふたつある。ル・プロコンシュルの筆名で発表された『ドン・キショット』誌の記事 は、プルーストが間もなく発売される新刊についてもレオン・ドーデの支援を受けているとし 5 と述べている。これは本の発売前、10 て非難し、そういったことはこれが「二度目である」 月 8 日にドーデが自ら主催する『アクシォン・フランセーズ』紙に新刊予告を掲載したことを 受けて書かれた記事である6。プルーストは、紹介記事の掲載などの点で文芸関係の友人たち に便宜を図ってもらうことがあった。そのため、それまでは無名といってよかったプルースト がゴンクール賞を受賞した際も、この受賞は、審査員であるレオン・ドーデの庇護によるもの だと主張する記事が散見された7。『ドン・キショット』の記事が「二度目」と述べているのはこ の点を指している。じっさい、ドーデが主催する『アクシォン・フランセーズ』はユダヤ人と は敵対する右派の新聞であり、ドーデ一家とプルーストの交友関係を考慮しなくては、ユダヤ 人の母を持つプルーストに好意的な記事を、作品発売毎に早速掲載することの説明がつかな い。 こうしたプルーストの恵まれた環境に対する反発とは別に、作品の具体的欠点ではなく、作 品全体を特段の理由を示さず嫌悪するという態度も見られる。本来、書評とは、掲載媒体の読 者に推薦する作品について述べるものである以上、反感を示す機会は限定されるのだが、文芸 賞受賞をめぐる記事は往々にしてその例外となる。プルーストが受賞した 1919 年は、本命と ──────────── 2 SOUDAY, Paul, « La vie intellectuelle. La Promotion des Beaux-Arts », Paris-midi, 1920.10.01, p. 3. 3 MARBO, Camille, « Les romans. Le Côté de Guermantes », La Revue du mois, 1920.11.10, a 15, t 22, n°131, p. 387−388.[a は année, t は tome の略。以下同。 ] 4 MAURIAC, François, « L’art de Proust », La Revue hebdomadaire, 1921.02.26, a 30, t 2, p. 376. 5 LE PROCONSUL, « Courrier littéraire », 1920.10.09, Don Quichotte, p. 3. 6 問題の記事は次のもの──DAUDET, Léon, « À propos d’un nouveau livre de Marcel Proust », L’Action française, 1920.10.08, p. 1. 7 この点については註 1 に示した拙論参照。 ―3― 『失われた時を求めて』受容史 目されたドルジュレスとの比較において多くの批判が見られた。翌 1920 年のゴンクール賞選 考シーズンには、プルーストを選ぶことができた昨年の審査員達は運が良かった8、とする記 事がある一方、ピエール・シャゼルは、前年の受賞作について次の様に書いている──「昨年 の委員会の選考結果を全く受け入れられず、マルセル・プルーストの本、あの洗練されてはい るが病的な、ぴったり閉じられた結社の温室で芽を出す植物、『花咲く乙女達のかげに』を味 わって読むこともできなかった人たちは」今回の受賞作、エルネスト・ペロションの健康的な 9。 作品を「喜んで読むことだろう」 文体の役割 このような全否定ではないにせよ、当時、プルースト作品を読むことを積極的に勧める書評 でも必ずといってよいほど触れられる「問題」があった。プルースト作品の読みにくさであ る。プルーストの作品を十全に味わうために乗り越えるべき「障害」は、まず印刷上の問題と して捉えられる。第 3 篇の最初の予告記事で、エミール・アンリオは、「息つく間のない、空 白のひとつもない非常に目を疲れさせる印刷レイアウトの選択のために最初はいらいらする が、これを乗り越えてしまえば、我が国の現代文学において比類のないこの作家のおどろくべ 10 と述べている。 き魅力に参らないではいられない」 難解であるとの評判が広まっている文体についての批判も根強い。読書情報誌、『ルヴュ・ デ・レクチュール』の記事は、「マルセル・プルーストの作品は、そのごてごてして込み入っ 11 と書 た、戸惑わせるような文体にもかかわらず、批評家と一部読者の間では成功している」 いている。ここではプルーストの文体は改善すべき欠点として捉えられている。 しかし他方では、そのような複雑な文体自体がプルーストを読む喜びの一部であるとの意見 が見られる。のちに NRF の主筆となるジャン・シュランベルジェは、プルーストの複雑な文 章を読み解く喜びを、17 世紀の作品を読む喜びに比してこう述べる──「マルセル・プルース トの最良のページを前にして感じられるのは、サン=シモンやレス枢機卿を読むときに味わう 苛立ちと、突然やってくる恍惚である。入り組んだ関係節を理解するために二度読み直さなけ ればならないとしても、このような回り道なくしては、問題の文章の内容のうち最も微妙な部 12 。シュランベルジェが表明している 分が失われてしまうことがすぐに理解されるのである」 ──────────── 8 JALOUX, Edmond, « Les grandes compétitions littéraires. Le prix Goncourt. Quel est l’écrivain que les dix vont couronner? », L’Éclair, 1920.11.20, p. 1. 9 CHAZEL, Pierre, « Le prix Goncourt : Nène », Foi et vie, 1921.01.16, a 24, p. 53. 10 HENRIOT, Émile, « La vie littéraire. Roman. Marcel Proust, Le Côté de Guermantes », La Vie des peuples, 1920.09.25, t 2, p. 151. 11 BOURDAY, Charles, « Les romans. II. Romans dont les personnes suffisamment averties pourraient se permettre la lecture, moyennant des raisons proportionnées. Le Côté de Guermantes », Revue des lectures, 1921.02.15, t IX, n° 2, p. 97. 12 SCHLUMBERGER, Jean, « Le billet de la semaine. Marcel Proust », L’Alsace française, 1921.03.19, a 1, n° 12, p. 186. ―4― 『失われた時を求めて』受容史 読書の喜びは、困難を克服することから来る満足感なのだろうか。それともプルーストの文章 そのものに起因するのだろうか。11 月 1 日付『ラントランジジャン』紙の記事には、後者の 立場が読み取れる──「読む際に出会う困難は、独創的な表現、複雑な考察、それまで顧みら 13。 れることのなかった筆致が絶えずもたらす喜びによって報われる」 更に、プルーストの文体自体が作品を構成するという見解もこの時期に示される。先ほど挙 げたモーリアックの記事は、「はじめはあの長いパラグラフや、連続した、こんがらがりさえ する関係詞の敷居を前にしてためらうかもしれない」けれども、ぜひその「様々な意味で膨ら 14 と読者に勧めている。というのは、 み、満ちあふれた曲がりくねった文に身をゆだねなさい」 モーリアックによれば、革新的な文体は、失われた時を見出すためにプルーストが発明した 「道具」だからである。同様の意見はこの時期の記事に散見される。たとえばジャック・ブー ランジェは、プルーストが優れた文体模写を発表していることに触れ、次の様な疑問を投げか ける──「ではどうしてプルーストはこんな風に書くのか。どうして文がこんなに長く、複雑 15。彼 で、構成に欠けているのか。なぜフランス語の規則をおざなりにしさえするのだろうか」 の回答は、思考を忠実に表現するため、というものであった。『エヴ』誌掲載の記事も同様の 考えを示している。この記事は後半が対話形式になっており、プルーストを読んでみたいが文 体が難しく、到底 50 ページ以上は読み進めることができないと嘆く人物に対し、もう一方の 人物が「『ゲルマントの方』の作者のなかで私が一番素晴らしいと思うのは、誰の文体もまね 16 と回答している。文体は、 ず、自分の精神の内容を表現する形式を自ら作り上げたことです」 版組の場合とは異なり、変更して読みやすくするという訳にはいかない、代替不可能な作品の 一部であるという考えがここで表明されているのである。 社交界とスノビズム ゲルマントの巻に対する批評を見ると、小説批評につきものの作品テーマに関する紹介は、 文体という形式にかかわる考察に比べ、やや手薄の観がある。それだけプルーストの文体が特 殊で画期的なものであり、表現形態の重要性という点において、『失われた時を求めて』は、 それだけ「詩」に近い作品なのだと言うこともできる。しかし当時の批評の状況は、この巻の 内容自体にもその理由の一部があることは、先にも挙げた『ルヴュ・デ・レクチュール』が次 のように言い切っていることからもうかがえる── ──────────── 13 LES TREIZE, « Les Lettres. Le Côté de Guermantes, premier volume, par Marcel Proust(Nouvelle revue Française)», L’Intransigeant, 1920.11.01, p. 2. 14 MAURIAC, François,前掲記事,La Revue hebdomadaire, 1921.02.26, p. 375. 15 BOULENGER, Jacques, « Du côté de Marcel Proust », L’Opinion, 1920.12.04, n° 49, p. 633. 16 CLAUZEL, Raymond, « Les idées, les sentiments et la beauté des livres. Le Côté de Guermantes, etc. », Ève, 1921.01.16, ns, a 2, n° 16, p. 11. ―5― 『失われた時を求めて』受容史 ほとんど改行のない詰まった組み方で 279 ページの一巻本であるが、小説の素材は極めて わずかである。その主たる要素は以下の通り。1.作者によく似た神経症の裕福な青年が ゲルマント公爵夫人に夢中になり、接近を試みる サン=ルー侯爵をドンシエールの兵舎に訪ねる 2.侯爵夫人の甥である友人の士官、 3.侯爵とともにパリに戻り、その愛人 である女優と知り合う。ついにヴィルパリジ侯爵夫人のサロンに招かれ、ゲルマント公爵 夫人と出会う。社交界の会話とドレフュス事件に関する議論、シャルリュス氏のあいまい な申し出 4.主人公の祖母がシャンゼリゼを散歩の途中、卒中の発作に襲われる。以上 17 ですべてだ。 18 と書き、プ エミール・アンリオもまたこの巻の内容を 5 行で要約した後、「何も起こらない」 ルーストの本一冊の主題を述べることは不可能だと述べる。物語の展開や登場人物の活動に注 目する限り、それは事実だろう。プルーストの作品はアンソロジーにふさわしい、あるいはそ もそも伝統的な意味での主題が欠けているという評が見られるのもそのためである19。 小説として成立している作品に、小説批評の重要な材料である主題を見つけられない。プル ーストに関するこのようなジレンマは、アクションではなく、人間心理の動きそのものに着目 することで解消される。『ゲルマントの方Ⅰ』の舞台は社交界、主人公は様々な登場人物のス ノビズムである。「私」と名乗る主人公は観察者の役割を演じてはいるが、彼自身もブルジョ ワの生まれでありながら貴族社会へのあこがれを持ち、そこへ入り込もうとするという点でス ノッブである。その貴族社会でも最も洗練された人物とされるゲルマント公爵夫人ですらその 例にもれない。 社交界人気取りであるとみなされることは、一般には欠点と考えられる。小説中ではシャル ル・スワンが社交界に出入りするユダヤ人として描かれ、主人公の一族から無言の非難を受け ている。プルースト自身も同様の批判にさらされた。ジャック・ブーランジェは、プルースト が実生活を小説に取り入れているとして間接的にこれを責めている──「小説家は、意識的に であれどうであれ、現実から拝借した特徴から登場人物を造形する。作家の想像力が乏しけれ ば、時には自分でも気づかないうちに『モデル小説』を書くものだ。作家の想像力が豊かであ ればあるほど、記憶を分解し、その要素を用いて登場人物達を創り上げる能力が高くなる。け 20 。社交 れども具体的なものであれ、抽象的なものであれ、純粋に創作することは不可能だ」 ──────────── 17 BOURDAY, Charles,前掲記事,Revue des lectures, 1921.02.15, p. 97. 18 HENRIOT, Émile,前掲記事,La Vie des peuples, 1920.09.25, p. 153. 19 次の各記事を参照のこと。RÉGISMANSET, Charles, « Chronique des livres. Feuilles d’automne », La Dépêche coloniale, 1920.12.14, p. 3. MARX, M.-C., « Un rénovateur du roman. Marcel Proust », La Revue mondiale, 1920.10.01, t 138, p. 221. 20 BOULENGER, Jacques,前掲記事,L’Opinion, 1920.12.04, p. 632. ―6― 『失われた時を求めて』受容史 界を舞台にした作品を書く以上、プルーストはそこに出入りしているはずだ、というわけであ る。そうしたプルーストの評判については、友人の画家ジャック=エミール・ブランシュが 21 と不 「批評家の中には私のことをあなたと同様、社交界人気取り扱いするひとがあるのです」 満をもらしているとおりである。 そのような立場のプルーストを弁護したのは、モーリアックとポール・スーデーであった。 モーリアックの言うところによれば、プルーストが社交界に対して抱く関心は、いわば社会学 者の好奇心に等しい── 彼のあまりに熟練した目には[…]ひとつひとつの社会階層が無限に細分化される。召使 い、外交官、貴婦人、文学者などは、それぞれ自分に固有の場所を占めている。自然界で は木の葉の一枚一枚が異なっているのと同じく、全く同じ「社交界での地位」はふたつと ない。マルセル・プルースト氏のスノビズムと言われるものは、この限りなく小さなレベ 22 ルの差異に対する好奇心に他ならない。 これはまさにブルデューの理論そのものである23。 一方スーデーは、「スノビズム礼賛」と題した記事24 で、二つの論点から議論を展開する。 まず、両者の間には類似点があったとしても、小説の主人公と作家プルーストを同一視する態 度を否定する。次に文学・芸術全般におけるスノビズムの功罪について論をすすめる。スーデ ーの主張するところでは、プルースト作品の想像力豊かな若い主人公がゲルマント夫人の幻影 に恋するくらいのことは何の問題もないのであり、フロベール作品の登場人物達はおよそすべ てスノッブである。スタンダールについては、あまりに有名な例を取り上げ、「愛とその結晶 作用とは何であろうか[…]もしそれが、ずいぶんありきたりで、時には取るに足りないとい ってもよい人物しかいないところに、あらゆる要素をかき集めて絶世の美女を作り上げてしま うスノビズムの発作でないとしたら」と断ずる。またモリエールは才女気取りの女達をその 「少々ナイーブで、十分な明晰さを伴わない熱狂」ゆえに笑いものにしたが、彼女たちのそう いった熱狂は、「そうは言っても、文化の発展や、生活習慣と同時に言語表現の洗練に大いに 貢献したのである」と述べ、スノビズムとは精神活動のあらゆる進歩の原動力であり「正しい 方向に向けられれば文学と芸術において極めて有益な役割を果たす」と結論づける。では、そ の「正しい方向」とは何であろう。プルーストの主人公はスノビズムを脱却することができる のだろうか。 ──────────── 21 BLANCHE, Jacques-Émile, « Fragment d’une dédicace à M. Marcel Proust », Le Gaulois, 1921.01.08, p. 3. 22 MAURIAC, François,前掲記事,La Revue hebdomadaire, 1921.02.26, p. 374. 23 BOURDIEU, Pierre, La Distinction : critique sociale du jugement, Minuit, 1979. 24 SOUDAY, Paul, « Apologie pour le snobisme », Comoedia, 1920.11.19, p. 1. ―7― 『失われた時を求めて』受容史 夢と幻滅 1920 年 11 月に発表されたドミニク・ブラガの評論は、まさにこのような問いに答えようと するものである。ブラガは、プルーストを「ベルクソンを読んだバンジャマン・コンスタン」25 にたとえる。「 『アドルフ』の作者同様、マルセル・プルースト氏もまた満たされることのない 欲望を追い求める」からである。しかもプルーストの場合、「追い求める喜びを想像力が完璧 26 。 に先取りするため、実際にその喜びを手にしたときには決して期待通りのものではない」 それゆえ「『失われた時を求めて』には『夢から現実へ、そして現実から生まれる幻滅へ』と 27 とブラガは述べる。 いう副題をつけてもよかろう」 オデットとスワン、その娘ジルベルトと主人公の恋愛は、想像力の病の物語であり、スワン も主人公も現実の女性と、嫉妬心に刺激された想像力が与えるイメージとの間の落差に苦し む。あるいは主人公が有名女優ラ・ベルマの舞台を見る際、ないしはバルベックに赴く際、事 前に想像していたものと実物の差異に落胆する。『スワン家のほうへ』第 3 部が「土地の名− 名」 、『花咲く乙女達のかげに』第 2 部が「土地の名−土地」と題されているのも、「名」の喚 起力に支配されている時代から、実際の「土地」を訪れ、自分自身の感覚によってそれらを知 る時代への移行を象徴するものである。貴族の名は同時に土地の名である。ゲルマントの名に 由来する夢想は、コンブレの教会で一度みかけた公爵夫人の姿によって打ち砕かれている。に もかかわらずパリで復活する夢想が再度消滅するとき、なるほどスノビズムは姿を消す。その 時、「『アドルフ』の作者の虚無主義的な心理が完全にその魂をひからびさせてしまうのに対 28 とブラガは し、現代の作家プルーストは自分自身の内的生活の展開に一種の慰めを見出す」 考える。では幻滅のあとに待っているのは何かという点にかんしては、ここでブラガが述べて いることは残念ながら極めて曖昧である。 ソドムとゴモラの世界へ プルースト作品に見られるスノビズムを積極的に擁護したスーデーであったが、『ゲルマン トⅠ』発売後間もなく『タン』紙に掲載されたコラムでは慎重な態度を取っている。この第 3 篇は、次の篇へのつなぎ部分であり、単独では先の 2 篇に比べて不完全だという解説のあと、 続いて刊行予定の 2 篇について次の様に述べているのである──「これらの巻は、予告されて いるところによると、恐ろしくもソドムとゴモラの世界にまで我々を導くものである。[…] 29 。 このマルセル・プルースト氏の大作全体を判断するには出版の完結を待つのが適切だ」 『タ ──────────── 25 BRAGA, Dominique, « Les Lettres. M. Marcel Proust et son œuvre », L’Europe nouvelle, 1920.11.14, a 3, n° 42, p. 1680. 26 以上,同記事 p. 1681. 27 同記事 p. 1682. 28 同記事 p. 1681. 29 SOUDAY, Paul, « Les livres. Le Côté de Guermantes », Le Temps, 1920.11.04, p. 3. ―8― 『失われた時を求めて』受容史 ン』紙の書評欄は当時最も権威あるもののひとつであり、10 日後には『フィガロ』紙の文芸 付録がこれを引用している。さらにその 1 ヶ月後には医学専門雑誌である『ル・プログレ・メ ディカル』が『フィガロ』掲載の記事をそのまま再録している30。 『失われた時を求めて』のうち、ソドムとゴモラのテーマを含んだ各巻が大きな反響を呼ん だことは想像に難くない。このテーマが最初に表れるのは、スーデーの指摘するとおり『ゲル マントのほうⅡ、ソドムとゴモラⅠ』である。『ゲルマントのほうⅠ』刊行時にスーデーが上 記のコメントを出したのは、この一巻本に続刊予告として次の記載があったためである。 ゲルマントのほうⅡ−ソドムとゴモラⅠ Ⅳ ソドムとゴモラⅡ−見出された時 Ⅴ このページに目をとめたのはスーデーばかりではなかった。『ゴロワ』紙のアベル・エルマン 31 と述べている。モーリアックの も「『ソドムとゴモラ』というタイトルには少々おじけづく」 反応がより目立たないものであったとすれば、続刊のタイトルを記すことすら拒否しているか らである── 意識の検討は、あらゆる精神生活の基礎である。プルーストは我々の意識の深淵にすさま じいまでの光を投げかける。彼の芸術には太陽のような無慈悲さがある。あらゆるものが 暗がりから引き出される。プルースト以前には、誰も敢えてその名を呼ぼうとしなかった 32 ものまでも。 同性愛のテーマを扱ったフランソワ・ポルシェの著作『あえて名乗らない愛』L’Amour qui n’ose pas dire son nom 33 が刊行されたのは、問題の記事が掲載された 1921 年 2 月 26 日から 6 年後 の 1927 年のことであるが、「プルースト以前には誰も敢えてその名を呼ばなかったもの」ce avant lui nul n’osait nommer が同性愛を指すことは間違いない。 こうした嫌悪感の一方、全く逆の興味を表明する記事も発表されている。『カルパン・ド・ パリ』と題された、当時創刊されたばかりの雑誌には、つぎのような記述が見られる── 「 『ゲルマントのほう』が次に控えさせている『ソドムとゴモラ』のタイトルは、昨年のゴンク ──────────── 30 次の各記事。PATIN, Jacques, « Chez le libraire. Le Côté de Guermantes », Le Figaro, supplément littéraire, 1920.11.14, p. 2. Anonyme, « Bibliographie(suite) . Le Côté de Guermantes », Le Progrès médical, 1920.12.18, n° 51, p. 868. 31 HERMANT, Abel, « La vie littéraire. M. Marcel Proust », Le Gaulois, 1921.01.29, p. 4. 32 MAURIAC, François,前掲記事,La Revue hebdomadaire, 1921.02.26, p. 375. 33 PORCHÉ, François, L’Amour qui n’ose pas dire son nom, Grasset, 1927. ―9― 『失われた時を求めて』受容史 34。同性愛のテーマに対するこの両極端な反 ール賞の赤い帯と同じくらい読者を引きつける」 応は、続篇の刊行後にも引き続き見られる現象である。 1921 年 4 月の『ゲルマントのほうⅡ、ソドムとゴモラⅠ』発売に先立ち、『オピニオン』誌 はその紹介記事を掲載する。「準備中」と題されたこのコラムは、まもなく発売される出版物 の予告に用いられていたものである。記事には先ほど挙げたモーリアックの一文も引用されて いる。 この巻には大胆な場面があるが、マルセル・プルースト氏の場合は道徳的であるとか不道 徳であるといった問題は起きない。F. モーリアック氏が『ルヴュ・エブドマデール』で 述べたとおり「意識の検討は、あらゆる精神生活の基礎であり、プルーストは我々の意識 35 の深淵にすさまじいまでの光を投げかける」からである。 これだけではわかりにくいこの短信は、しかし、ひとつ重要なことを述べている。たとえ同性 愛が作品のテーマであっても、それを扱う作品、ひいては作者の道徳性とは切り離して扱うべ きだという見解である。予告された次篇の発売とともに、このようなタイプの評論もまた登場 するのが見られるであろう。『ゲルマントの方Ⅰ』本編には実際には含まれていないソドムと ゴモラのかげは、この時期にもさまざまな形で作品評にあらわれていたのである。 ──────────── 34 TABULO, Jacques, « Les livres. Du côté des Guermantes[sic ]par Marcel Proust », Le Calepin de Paris, 1921.03.01, a 1, n° 1, p. 8. 35 Anonyme, « Lettres. Ce qu’ils préparent », L’Opinion, 1921.03.12, p. 301. ― 10 ―
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