環境と経営 - 静岡産業大学

ISSNI1341-5174
kankyō to keiei
環境と経営
第20巻 第 1 号
論 文
静岡産業大学論集
目 次
アフリカ大陸における自動車産業と縫製産業
山﨑 克雄
1
わが国スポーツ・ビジネスのグローバル展開の展望と課題に関する一考察
─ アルビレックス新潟シンガポールの事例から ─
青山 芳之
13
外国人家事労働者が香港に与える影響
─ 社会、家庭、国際関係への影響を中心に ─
合田 美穂
23
21世紀「中東秩序」の構造変容
─「アラブの春」混迷の背後にあるもの ─
森戸 幸次
35
ステンドグラスを地域産業とする
可能性についての調査研究
佐藤 和美
47
静岡県における漁業資源管理 ─ 漁業供給関数をつかって ─
谷口 昭彦
61
石垣市を訪れる台湾人旅行者について
藤田 依久子・山川 和彦・温 琳・藤井 久美子
69
「ビブリオバトル」と「ディベート」を活用した大学生の
コミュニケーション力・論理的思考力の育成の試み
教職課程におけるアクティブラーニングへの試み
─ ライティング指導を中心にして ─
須部 宗生
87
浅羽 浩 103
翻 訳
ジョン・ノックスによる宗教改革文書(1)
― 1556年に神の御言葉の牧者であるジョン・ノックスからスコットランドの
摂政メアリーへ差し出した書簡と1558年著者による補足説明文書(1)―
静岡産業大学経営研究所
伊勢田奈緒 119
第20巻 第 1 号
2 0 1 4 年6月
環境と経営
静岡産業大学論集
第20巻 第1号
静岡産業大学経営研究所
アフリカ大陸における自動車産業と縫製産業
The automobile industry and sewing industry in Africa
山 﨑 克 雄
序論
第Ⅰ章 アフリカ大陸の経営環境
第Ⅱ章 自動車産業と縫製産業の現状に関して
第Ⅲ章 二産業における日系企業の経営比較
第Ⅳ章 結論
序論
私は日本多国籍企業研究グループ・アフ
リ カ チ ー ム(JMNESG-AF) の 一 員 と し て、
2009年度は帝京平成大学の研究資金の共同研
究者の立場で、また20010年~ 2012年度は文
部科学省から研究分担者として研究助成金を
受け、アフリカ大陸(以下、アフリカ)内の企
業研究を継続してきた。2009年度の研究課題
は「アフリカの日本型生産システムの受容可
能性」であり、引き続く2010年度からの3年
間の研究目的は、
「アフリカにおける日本企業
を中心とした多国籍企業による現地活動の実
態調査を通じて、日本型経営生産システムが、
この世界経済の最後発地域にどのように受容
可能であるかを究明することである。この地
域の自立的経済発展に経営サイドから貢献で
きる方策を求めて、われわれ日本多国籍企業
研究グループ(JMNESG)が開発した『適用と適
応のハイブリッドモデル』の適用を中心とし
た調査・分析を行う」
、1)であった。
JMNESG-AFと し て そ の 研 究 成 果 の 一 部
(2009年と2010年度研究)は既に電子ジャーナ
ルの『赤門マネジメント・レビュー (AMR)』2)
に掲載した。更に後半の二年間の成果を加え
た要約を上梓予定であるので、ここでは割愛
1)
2)
する。JMNESG-AF全体としては10 ヶ国の訪
問であるが、私は6か国、27企業と4組織を訪
問した。それらを一覧表(表1)にまとめた。
本研究は自動車産業と縫製産業に焦点をあ
て、私が訪問した企業を取り巻く経営環境と
その環境下における経営手法を分析するもの
である。具体的にはアフリカ54 ヶ国の中で、
北アフリカ諸国(エジプト,チュニジア,モロッ
コ)並びに南アフリカ共和国、同国と経済的
に関係が深いスワジランドとジンバブエ(以
後、南アグループと称する)にある日系企業
での訪問記録に基づき、6ヶ国の経済や産業
構造との関係を考える。理論的分析枠組みと
してはJMNESGが確立した適用と適応のハイ
ブリッドモデル3) とポーターの国家優位の動
態分析における菱形図を参考にする。4)
アフリカを経済学・社会学的観点で分類す
る際には、二分類(北アフリカ諸国とサブサ
ハラ諸国)と三分類(サブサハラ諸国の内、
南アフリカ共和国を別格とする分類)がある
が、本稿では後者とする。また自動車産業と
3)
「平成22年度科学研究費補助金交付申請書」代
表者安保哲夫、平成22年4月14日
http://www.gbrc.jp/journal/amr/で検索の後「バッ
クナンバー」で入手可能。AMR11巻9号~ 12号
とAMR12巻2号における「ものづくり紀行」シ
リーズで掲載(全て無料)
、また論文「アフリ
カの日本的ハイブリッド工場―中間的なまと
め」AMR12巻12号(有料)がある。
4)
─ 1 ─
日本的要素の移転度合いを測るための評価基準
が定められており、5点尺度の評価が行われる。
点数が高いほど日本的要素がより多く含まれて
いること(適用)を意味し、逆に点数が低いほ
ど日本的要素が現地に合わせて修正されるか、
何らかの現地の要素で代替されていること(適
応)を意味する。最新の評価基準は中南米調査
の出版本である、山﨑克雄、銭佑錫、安保哲夫
監訳『ラテンアメリカにおける日本企業の経営』
中央経済社, 2009年、8 ~ 19ページを参照され
たし。
Michael Porter, The Competitive Advantage of
Nations, The Free Press, New York, pp132-147
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
表1 2009年~ 2012年に訪問した企業および組織の一覧表
山﨑克雄 作成 (2014年3月)
訪問年
国名
エジプト
2009年
(10社)
モロッコ
スワジランド
2010年
(10社)
南アフリカ
共和国
ジンバブエ
2011年
(5社)
チュニジア
2012年
(2社)
チュニジア
企業 ・ 組織名
日本の関連企業
事業目的 ・ 製品 ・ サービス
YKK EGYPT
YKK
縫製ファスナー (一貫生産)
Toyoda Trading (Egypt)
豊田通商
総合商社活動
EPEDECO (エジプト石油開
国際石油開発帝石 石油開発 ・ 採掘
発会社)
GM関連2車種、 いすゞ関連2
General Motors Egypt S.A.E いすゞ
車種他
JETRO Egypt Office
JETRO
情報収集 ・ 企業支援活動
KAIZEN Productivity and (エジプト通産省傘 JAICA支援による生産性向上
Quality Improvement Center 下)
推進
Nissan Motor Egypt S.A.E.
日産自動車
サニー他2車種
Egypt Otsuka
大塚製薬
錠剤とアンプの医薬品
YKK MAROC S.A.R.L.
YKK
縫製ファスナー
Yazaki Morocco S.A
矢崎総業
ワイヤーハーネス
Makita Africa (Morocco)
株式会社マキタ
電動工具の倉庫 ・ 販売業務
Cali Maroc
(モロッコ企業)
農薬販売
YKK Southern Africa (PTY)
YKK
縫製ファスナー
Ltd., Swaziland Branch
JETRO South Africa Office JETRO
情報収集 ・ 企業支援活動
Sojiz Corp. South Africa
双日
総合商社活動
Hisense South Africa
(海信/中国企業) 大型液晶テレビの一部生産
Hernic Ferrochrome (Pty),
三菱商事
クローム鉱採掘及び精錬
Ltd.
Samancor Chrome Ltd.
(南ア企業)
クローム鉱採掘及び精錬
Nissan South Africa (PTY)
日産自動車
3車種生産
LTD, Rosslyn Plant
マーケティングとテクニカルサ
KOMATSU Sothern Africa
コマツ
(Pty) Ltd
ポート
Hanwa Co. Ltd.
阪和興業
金属品の貿易業務窓口
Johannesburg Office
Productivity S.A.
(南ア企業)
現地企業の生産性向上支援
Willowvale Mazda Motor
マツダ
大型ピックアップトラック
Industries (Pvt.) Ltd.
YKK TRADING TUNISIA
YKK
縫製ファスナー
SARL
Foreign Investment
(チュニジア組織)
外資企業の呼び込み窓口
Promotion Agency(FIPA)
CPC
丸紅
火力発電所
Siemense
(ドイツ企業)
シーメンス製品の連絡窓口
Paradigm Precision Tunis
(米国企業)
航空機用部品
Operations. (Eurocast)
Telnet Technocentre
(チュニジア企業) エンジニアリングサービス
Yazaki, Tunisia
矢崎総業
ワイヤーハーネス
SEBN, (Sumitomo Electric
住友電工
ワイヤーハーネス
Bordnetze), TN
─ 2 ─
アフリカ大陸における自動車産業と縫製産業
縫製産業に絞り込んだのは二つ理由からであ
る。
(1)天然資源のモノカルチャー国以外で
の後発経済発展モデルにおいては、縫製産業
の果たす役割は大きい。更に自動車産業は第
5段階の大量消費時代5)に芽生える産業であ
る。アフリカの国々は第3、第4、および第5
段階に位置すると考えられる。
(2)
表1の如く、
27企業を訪問したが、分析対象となる日系企
業は20企業であり、自動車産業(自動車部品
産業を含む)が7社、縫製産業で4社(但し全
てYKKの関連会社)が訪問上位産業である。
第Ⅰ章 アフリカ大陸の経営環境
第1節 アフリカ経済の一般事情
アフリカは最大面積で圧倒していた旧スー
ダンが2011年に分断され、スーダンと南スー
ダンが誕生して54 ヶ国より構成される。日
本を1とした時、面積は約80倍、人口7.5倍、
GDPは0.25倍の規模である。このGDPの低さ
はアフリカ経済学者の中では成長阻害要因に
起因すると考えられている。6)それらは(1)社
会の分断(2)不適当な政策をあげることがで
き、二者は相互関係もある。民族と言語の多
様性は社会の分断にも繋がるし、さらに社会
分断は成長促進的な経済政策を政府に採択さ
せない。その結果所得格差が大きい国や民族
間の緊張度が高い国ほど、所有権や契約の履
行について不確実性が高くなり、経済成長率
が低くなった。また植民地時代の統治体制が
途上国の現在の制度に影響し成長を妨げてい
るとも言われている。アフリカ経済は域内総
生産高の40%以上を南アフリカ共和国(以下、
南ア)が占める構図になっており、序論で述
べた三分類を採用する最大の理由である。長
期間継続されたアパルトヘイトが廃止され、
民主化が加速され、人口の80%を占める黒人
に教育機会が与えられ、更なる工業化が進ん
だ。解放後の英雄で初代大統領となったマン
デエラ氏が2013年12月に逝去したが、南ア経
5)
6)
W. W. Rostow, The Stages of Economic Growth,
Cambridge University Press, Cambridge, M.A.,
U.S.A.1960, pp4-16
平野克己編『アフリカ経済学宣言』アジア経済
研究所、2003年、44 ~ 50ページ
─ 3 ─
済には影響はないと思われる。南ア(スワジ
ランド、レソトを含む)は英語が公用語の一
つになっており、キリスト教がメインである。
また初期に欧州から南アに入植したアフリ
カーナと呼ばれる白人(約20%)と11種族以
上の黒人(約80% )が混在するのに対して、南
アを除くサブサハラ・アフリカ諸国は大多数
が黒人であり、宗教としてイスラム教、キリ
スト教および原始教(各国で宗派比率は大い
に異なる)を信じ、公用語はスワヒリ語、ア
ラビア語、フランス語、ポルトガル語、英語
などである。一方で北アフリカ諸国はエジプ
ト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モ
ロッコ、(西サハラ)は宗教がイスラム教で
公用語としてアラビア語を採用しており、欧
州経済との関係が深いのが特色である。これ
らの事実関係も三分類の妥当性である。
2005年頃までは、治水、灌漑、農業および
その他のインフラを中心とした有償・無償の
援助による開発経済学の視点のアフリカ研究
が中心であったが、現在ではグローバルビジ
ネスのフロンティアとしての研究に変化しつ
つある。その理由としては、(1)人口の2050年
までの伸び率が高い(2)1日の消費額が4ドル以
上の中間層が増大している(3)実質GDP成長率
が世界平均を上回る水準で安定的に推移する
見通しである(4)グローバル・マーケティング
の視点で相対的な地位向上、などが挙げられ
る。紙面の制限があるため、各項目に関して
要点のみを追加説明する。(1)に関しては人口
増加が成長の阻害要因として考えられてきた
が、今世紀に入り資源価格の高騰を背景に人
口の急激な増加にも拘わらず一人当たりGDP
の成長を実現している。(2)についてアフリカ
開発銀行のデータに従うと、2010年までの10
年間でその中間層は1.3億人増え、2020年ま
での10年間で更に0.8億人が増加し、4.3億人
になる見通しである。(3)に関して国際通貨
基金(IMF)の世界経済見通しによれば、2017
年まで世界平均を上回る水準で安定的に推
移する。特に南アを含むサブサハラ・アフリ
カは、年率6%近い成長率が見込まれている。
(4)に関しては次の2つのデータから読み取れ
る。国際連合発表の“National Accounts Main
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
Aggregate Database”によれば、アフリカ全体
の個人消費の経済成長寄与度は56.6%で、イ
ンド、中国はもとより世界平均を上回ってい
る。 ま た“UN COMTRADE” か ら 日 中 韓 米
欧の対アフリカ貿易の著しい変化が2011年ま
での10年間であった。輸入に関しては中国が
資源燃料の輸入額を16倍にし、突出している
他、韓国の2倍から英国や日本の5倍まで各国
とも伸長している。鉱石などの資源は中国が
31倍とし、アフリカ依存度を極端に高めた。
日本とドイツが4倍で多いが他国は2倍程度で
あった。一方輸出に関しては主要品目の比率
に10年間で顕著な変化が見られた。中国は繊
維製品がトップ商品であったが、2011年には
モーターサイクルがアフリカ向け輸出総額の
30.3%と飛びぬけている。鉄道・自動車等の
輸送関連製品に関し各国とも、金額で2倍か
ら6倍増加させている。その内の
「乗用自動車・
その他の自動車」と「貨物自動車」の2項目
で韓国が輸出総額の85%、以下英国, 75%、日本,
70%、米国, 65%、ドイツ, 58%、フランス, 53%、
中国, 25%であった。7)
第2節 日本企業のアフリカへの外国投資
『海外進出企業総覧【国別編】2013』によ
ると、日本企業の4,510社が全世界に25,204
法人を設立している。その大半はアジアで
15,582社(62%)が活動しており、欧州, 3,837社
(15%)、北米, 3,679社(14%)、中南米, 1,161社(5%)、
オセアニア, 620社(2%)、中近東, 181社と続き、
アフリカは144社と最も少ない。アフリカの
中では前述の三分類で見ると、北アフリカ諸
国に29社(26社)、南アを除くサブサハラ諸国
に53社(54社)、南アに62社(56社)が法人登録さ
れている。( )内の数値は日本からの進出企
業数である。8)
JMNESGは海外調査を開始する際にこの総
覧を基本参考書として使用してきたが、掲載
7)
8)
経済産業省貿易経済協力局通商金融・経済協
力課編『アフリカビジネス』経済産業調査会、
2013年、8 ~ 23ページに掲載されている数値を
二次データとして使用した。
東洋経済新報社編『海外進出企業総覧【国別編】
2013』東洋経済新報社、2013年
─ 4 ─
社数が実際よりかなり少ないことを経験して
いる。今回のアフリカ調査に関しても、他の
機関によるデータも参考にした。その一つに
日本貿易振興機構(以下、JETRO)の調査デー
タがある。JETROは2012年に333社のアフリ
カ進出日本企業に対してアンケートを送付
し、また2007年には227社に対して同様の調
査を行っている。5年間で約47%増加したこと
になる。特に増加率が高い国は、モロッコ、
エジプトおよび南アであった。返却された回
答によると、日本企業は進出理由として(1)経
済共同体との関連で拠点作りに腐心(2)現地の
優秀なパートナー企業の必要性を痛感(3)現地
法人の設立による販売拡大(4)M&Aによる拠点
の確立も試みている。アフリカ内の経済共同
体については第4章で触れる。更に日本企業
が直面する課題としては、次の事項が挙げら
れている。(1)現地情報の不足(2)治安問題(3)
規制・制度への対応と予期せぬ政策変更のリ
スク(4)各種手続きの対応の遅さ(5)物流網の未
整備(6)人材9)
JMNESG-AFによる訪問時にも現地責任者
から同様の話を聴取しているが、多くの企業
がこれらの課題を乗り越えて現地操業を進め
ていた。その一方法に現地での日本人会組織
があり、情報交換の場となり、問題解決に役
立っている。尚、治安問題は日本企業の海外
進出の共通の課題となっており、特に発展途
上国への外国投資決定の際には、最大の考慮
ポイントである。2010年調査の訪問予定国で
あったモザンビークで動乱が起き、一時空港
閉鎖となったため、既に南アに滞在していた
が、現地企業のアドバイスにより訪問を中止
した。また2011年にチュニジアで起きた反政
府デモを契機に「アラブの春」はモロッコを
除く北アフリカ諸国を襲った。このようなリ
スクは公的・私的保険である程度はカバーで
きるが、全ては不可能である。
上記課題の(1) ~ (4)に関係することであ
る が、 投 資 国 の ビ ジ ネ ス 文 化 の 環 境 と し
て、 背 徳 行 為 報 告 書(原 文 名“Corruption
9)
経済産業省貿易経済協力局通商金融・経済協力
課編、前掲書、64 ~ 79ページ
アフリカ大陸における自動車産業と縫製産業
語版)
」がある。11)リストは33業種に分類さ
れた日本企業の事業実施国が記載されている
が、事業形態として、A:現地法人、B:駐在員
事務所・支店、C:取引関係、D:その他の全て
が含まれている。従って前述した東洋経済新
報社ならびにJETROのデータとの整合性をと
るために、Aのみとし、B,C,Dの事業拠点は除
去した。その結果現地法人数は292社、進出
日本企業数は299社であった。同銀行の資料
作成方法は不明であるが、事業形態、事業内
容の詳細説明及び企業URLと参考URLの記載
があり、信頼性は高い。JETROの場合、333
社への送付に対して回収率に関して触れてい
ないし、事務所・支店やプロジェクト事務所
も含まれている可能性もあり、AfDBのデー
タが一番、現実に近いと推察し、以後の考察
資料とする。進出上位10業種に関して表3と
Report”) も参考となる。これはTransparency
International, NGOが、 腐 敗 の 程 度 を 一 般 の
人々がどのように感じているかをまとめたも
のである。10)
調査方法(各国3名から10名に問い合わせ)
及び統計解析法(最大値と最小値を表示し、
それらをはずした数値の平均)は一般公開さ
れている。アフリカ諸国のスコアと順位を表
2としてまとめた。しかし質問内容、回答者
の選出方法、解析のプロセスに関しては掲載
されていないので、信憑性を論じることはで
きないが、ある程度の目安とはなろう。また
定期的に発表されるので経年変化は参考にな
る。
更に他の機関が発表しているデータとし
て、アフリカ開発銀行(以下、AfDB)の「アフ
リカビジネスに関わる日本企業リスト(日本
表2 背徳行為報告書
国 名
評価点
世界順位
評価点
世界順位
ボツワナ
64
30
参考:
ルワンダ
53
49
日本
74
18
ナミビア
48
57
米国
73
19
セーシェル
南ア
54
47
台湾
61
36
42
72
韓国
55
46
セネガル
41
77
タイ
35
102
チュニジア
41
77
インドネシア
32
114
ザンビア
38
83
ベトナム
31
116
モロッコ
37
91
ロシア
28
127
北朝鮮
8
175
アルジェリア
36
94
ベニン
36
94
ニジェール
34
106
エジプト
32
114
ケニヤ
27
136
ジンバブエ
21
157
ソマリヤ
8
175
国 名
注:スワジランドは表示されていない。
Transparency International,“Corruption Perceptions Index 2013,”をもとに筆者作成
10)
11)
Transparency International,“Corruption Perceptions Index 2013,”http://www.transparency.org/cpi2013/results# 1/10/2014 検索
アフリカ開発銀行アジア代表事務所・アフリカビジネスパートナーズ編「アフリカビジネスに関わる日本企
業リスト(日本語版)
」2014年1月
─ 5 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
表3 業種別進出企業数 上位10業種/33業種
業種分類
現地法人数
進出企業数
1
自動車・輸送用機器、同関連部品
36
27
2
電気・電子・情報機器、同関連部品
32
25
3
総合商社
28
7
4
情報・通信、同関連ソフト
24
6
5
一般機械
22
36
6
精密機械
15
8
6
鉄鋼・金属・非鉄金属
15
10
8
化学
12
12
9
食品・飲料
10
5
9
11
10 資源
出所:
「アフリカビジネスに関わる日本企業リスト(日本語版)
」2014年1月
により筆者作成
してまとめた。トップは「自動車・輸送用機
器、同関連部品」で36法人(27企業)であり、
2位は「電気・電子・情報機器、同関連部品」
の32法人(25企業)であった。本論文が対象と
している縫製産業は分類としてなく、それ
に近い項目として「繊維・衣料」があるが、
YKK社は含まれていない。同社は
「鉄鋼・金属・
非鉄金属」に包含されており、6ヵ国に6現
地法人と記されていた。これは同社の二大事
業の一つに、アルミサッシ事業があるためと
推量できる。但しアフリカの場合は全てファ
スナー事業である。
る。(1)日産自動車(以下日産)がエジプトと南
アで生産(2)トヨタ自動車(以下トヨタ)が南
アで生産(3)本田技研工業(以下ホンダ)がナイ
ジェリアで自動二輪車を生産(4) 三菱自動車
(以下三菱)がケニアで生産 (5)マツダがジン
バブエで生産(マイナー資本)(6) いすゞ自
動車(以下いすゞ)がエジプトと南アでGM
と合弁(マイナー資本)で生産ということにな
る。
表4 日本のカーメーカーの海外生産
(企業数)
国 名
第Ⅱ章 自動車産業と縫製産業の現状に関して
第1節 自動車産業の現状
先ず日本の自動車組立企業の投資国につい
て述べる。公表されているデータとしては
日本自動車工業会発刊の『日本自動車工業
2013』12)があり、その抜粋を纏めたのが、表
4である。本表ではカーメーカー名は記され
ておらず、また現地企業への委託生産も包含
されている。第1章で述べたAfDBの進出日本
企業リストを参考に一部メーカーからの聞き
取り情報から推察すると、自社の生産技術と
資本を投入しているメーカーは次のようにな
12)
四輪車
エジプト
4
ケニア
3
モロッコ
1
ナイジェリア
-
南ア
6
チュニジア
1
ジンバブエ
1
アフリカ計
16
二輪車
2
2
出所:
『日本の自動車工業2013』P54より抜粋
次に海外メーカーの状況をフォーインの資
料13)からまとめたのが表5である。
日本自動車工業会編『日本自動車工業2013』日
本自動車工業会、2013年
─ 6 ─
アフリカ大陸における自動車産業と縫製産業
表5 海外メーカーのアフリカ生産
特記事項
GM
米 国
投資国
エジプト、南ア
Ford
南ア
Chrysler(FiatGr)
エジプト
Navistar
トラック、バス
南ア
VW
南ア
Daimler
南ア、エジプト
BMW
南ア
欧 州 Renault
南ア(2ヶ所)
PSA
モロッコ
SEAT(VW Gr.)
スペイン
南ア
Scania(VW Gr.)
スウェーデン商用車
南ア
中国一汽
同国2位メーカー
エジプト
中 国 東風汽車
同国3位メーカー
タンザニア、エチオピア
民族系小型車メーカー
南ア
奇端汽車
インド Mahindra & M.
南ア
出所:フォーイン『世界の自動車生産』より筆者作成
この表は企業の発表した情報を集約したも
のであるので、かなりの委託生産が含まれて
いる模様である。その事実は日産の南ア社
(Nissan South Africa (PTY) LTD, Rosslyn Plant)
から公表了解を得た資料(図1)より推察でき
る。
表4、表5及び図1からアフリカにおいては
南アが自動車生産の拠点となっており、マー
ケティング戦略の上でも草刈り場と化してい
ることが理解できる。
また委託生産している海外組立メーカーは
多いが、受託している現地企業は少ないこ
とがJMNESGの調査研究から推察できる。例
えばケニアに関して言及すると表4から日本
三社の生産報告があるが、Associated Vehicle
Assemblers Ltd. (AVA)という現地企業が一手
に生産している。同社はトヨタ、ホンダ、三
菱車ののみならずGMやKahnya(ブラジル資本)
社の車種生産をしている。AVA社は三菱が
50%出資する子会社であった(1985年頃)が、日
系資本は現在皆無で、Toyota East Africa Ltd.
所属の技術者の支援を受けている。同様に
南アについて考察すると、表4より4企業、ま
た表5より5企業が自社生産していないので、
AVAに類するような「自動車生産コンシェル
ジュ」
(1 ~ 2社)が受託していると推察でき
る。更に同様の推察からエジプトでも1社は
あると考える。
組立生産は北アフリカ諸国の場合ノック
ダウン(KD)方式であり、エジプトの日産エ
ジプト社やGMを除くと完璧なKD(Complete
Knock Down)生産を実施している。即ち完成
図1 南アフリカ共和国で生産している自動車メーカー
提供:Nissan South Africa (PTY) LTD, Rosslyn Plant
─ 7 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
車ブランドメーカーからセット化されたキッ
ト部品を購入している。従って国内需要に合
わせた少品種少量生産が現地資本と労働力に
より実施されていることになり、自動車産業
が国家の競争優位にまでは成長していない。
一方、南アに関してポーターの理論を適用し
て分析する。
( )でその項目を記す。図
1の如く日欧米7社の関連子会社による本格
的な生産体制がとられているので、競争状態
が保たれている。日産においては社長が販社
の責任者を兼務し売れ筋に目を光らせている
(戦略、組織、競争相手)
。各社とも南ア国内
需要のほか南ア周辺国向けの輸出にも取り組
み、特にドイツ系カーメーカーにおいては、
右ハンドルの需要国向け輸出車の生産がなさ
れている(需要条件)
。労働力の点では熟練
技能労働者、学卒エンジニア、管理者層は十
分とはいえないが、社内及び社外の訓練セン
ターにおける教育体制が整っている(要素条
件)
。各社とも生産高の上昇に伴い、本国で
の取引関係がある部品企業の南ア進出を誘引
して、徐々にそれらの関連会社より購入する
ことで現地調達率を高めている(関連/支援
の産業)
。総合的な判断として自動車組立産
業が国家の競争優位まで高揚していると考え
られる。
自動車部品メーカーに目を向けると、北ア
フリカ諸国においては、組立メーカーの集積
がエジプト、モロッコ、チュニジア以外には
なく支える産業もさほど成長していない。し
かし、ワイヤーハーネスは例外で、チュニジ
アでは日系二社を含む6社、モロッコでも日
系三社を含む5社が生産しており、欧州にあ
る日欧の組立メーカーに供給されている。特
にモロッコの場合は保税特区内での生産が大
半であるがゆえに全量輸出されている。日産
エジプト社の場合、30社程度の現地業者より
購入しているが、現地調達率は45%程度であ
り、部品一点ごとに一社しかおらず複数購買
はできない経済環境下にある。
南アの自動車部品産業が自動車組立産業を
支える産業として生育しつつあるが、途上段
階である。ある部品、例えばワイヤーハーネ
スについて北アフリカ諸国製品を南アに持ち
込むことも可能であるが、同一大陸内でも輸
送距離はインドと南ア間に匹敵するので容易
ではない。また北アフリカ諸国と関税同盟や
経済同盟が締結されていないので、欧州やイ
ンドから輸入するのとコスト差はほとんどな
い。欧州組立メーカーとトヨタは本国での取
引のある企業の現地会社ならびに輸入が中心
であるのに対して、米国組立メーカーと日産
は現地部品メーカー品と輸入品と割り切って
いるようである。日産の場合はインドにある
日産グローバル調達部品センターから一括輸
入している。
第2節 縫製産業の現状
縫製産業は、縫製業者を頂点に生地、糸、
ボタン(スナップ)及びファスナーの納入業
者より構成される。前述のAfDBの資料では
「繊維・衣料」が該当し、フェニックス・ロ
ジスティクス社(ウガンダで1965年よりオー
ガニックコットン品の生産)
、東レ、第一紡績、
コナカ他4社の社名があがっているが、法人
化企業を擁するのはフェニックス・ロジス
ティクス社とYKKの二社である。YKK社は4 ヵ
国(エジプト、モロッコ、チュニジア、スワ
ジランド)で生産活動をしており、JMNESG
の一連のアフリカ調査により、全社を訪問し
た。13)YKKのファスナー部門(もう一つの柱に
─ 8 ─
アルミサッシ事業がある)は世界を6極体制
(30 ヵ国,50社超)で経営する企業でファスナー
のシェアは50%を超えるが、特に高級縫製品
での同社品の使用率は90%以上と言われてい
る。
南アを含むサブサハラ諸国における縫製産
業に関しては、福西隆弘著「アフリカにおけ
る縫製産業の現状と将来性」14)が有益な資料
であるが、紙面の制限で紹介は割愛する。以
下に訪問国に関して自動車産業と同様、ポー
ターの理論を適用する。縫製業者は北アフリ
カ諸国においては現地資本と欧州資本が混在
13)
14)
前掲電子ジャーナル、
拙著
『AMR』
11巻10号,
「YKK
のアフリカ戦略」を参照されたし。
福西隆弘「アフリカにおける縫製産業の現状と
将来性」
、
『繊維トレンド』
、株式会社東レ経営研
究所、2011年5・6月号
アフリカ大陸における自動車産業と縫製産業
しており、完成品は主にヨーロッパへ、一部
は米国に輸出されている。南アグループの内、
南アは北アフリカグループと同様に地元と台
湾資本による経営である。スワジランドには
台湾と南ア資本が投資している。注目すべき
はレソトであり、中国、台湾、南ア資本が
混在し、米国への輸出総額は2009年には2億
9000万ドルとなった。この額は南アグループ
の輸出総額の72%、サブサハラ諸国の30%にあ
たり、高い集積度である。YKKファスナー品
の販売先及び同品を使用した縫製品の輸出先
を一覧表(表6)にした。
従って両グループ内の企業は、的確なマー
ケッティング戦略をもち、多くの競争相手の
いる状態で経営がなされている(戦略、組織、
競争相手)
。需要の面では両グループとも自
国の需要と欧州及び北米の需要に対応してお
り、近年の所得向上に伴い伸長する産業に成
長している。レソトにおける中国資本による
生産品は、広くサブサハラ諸国に輸出されて
いる模様である(需要条件)
。北アフリカ諸
国グループは南アグループより人件費は高い
がより良質である。後者は米国政府が施行
したアフリカ成長機会法(African Growth and
Opportunity Act:AGOA)の恩恵を受けている。
紡績や織布の企業が少ないサブサハラ諸国で
も、縫製工程だけの投資で優遇処置がある。
レソトの場合、近隣のマダガスカルと低賃金
のアジア諸国(バングラデシュやカンボジア)
より賃金は高いが、AGOAのおかげでアジア
諸国とは互角の競争が可能である(要素条件)
。
縫製の生地は現地の商社より適正品が調達で
きる点では同一条件であるが、ファスナーに
関して、両グループの中でエジプトが37社あ
り、突出している(関連/支援の産業)
。15)
第Ⅲ章 二産業における日系企業の経営比較
本章での議論は私が訪問した日系企業の経
営比較である。JMNESG開発のハイブリッド
評点評価を行うが、どちらかというならば定
性的な分析である。まず表1に従って分析対
象企業を抜き出し列挙する。自動車組立企業
では日産のエジプトと南アにある関連会社、
いすゞが関与しているGMのエジプト社及び
マツダが関係するジンバブエ企業の5社であ
る。自動車部品産業では矢崎総業のモロッコ
とチュニジアで活動する企業並びに住友電
工のチュニジア関連企業の3社である。一方、
縫製産業はYKKの一社であるが4ヵ国の関連
会社に関する分析となっている。前述の如く
YKKのチュニジアを除く3社に関しては、電
子ジャーナルの『AMR』11巻10号に発表して
いる。その他の企業では、JMNESG-AFの研
究員により日産の二社、矢崎のモロッコ社、
マツダのジンバブエ社に関してAMRに詳細説
明がなされているので参照願いたい。16)
表6 YKKの顧客所在地と縫製品仕向け地
製造会社
主な販売先(顧客)所在地
主な縫製品仕向地
YKKエジプト
エジプト
米国、欧州
YKKモロッコ
モロッコ
欧州(主にスペイン)
スワジランド会社
南ア(レソト)
主に米国。一部欧州
YKKチュニジア
チュニジア
欧州(主にフランス)
出所:訪問時の筆者記録とYKK本社の情報よりまとめた。
注:スワジランド社は南アにある販売会社の子会社にあたるので、全量が南ア本社売
上となり、大半がレソトの顧客にわたる。
15)
JETROライブラリー所蔵のKompass,“Connects business to business”CD資料から抜粋した。
(AMR)』の「ものづくり紀行」(第62回~第79回) において、ケース分析の形で
掲載されている。
16)『赤門マネジメント・レビュー
─ 9 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
自動車部品を含む自動車産業に属する8社
(以下A)と縫製産業4社(以下B)の経営様式を
適用と適応のハイブリッドモデルの適用を中
心とした分析結果を記述する。この際既に
AMRで公表されてい る2009年と2010年に訪
問した日系企業の工場(N=13、以下Cと呼ぶ)
を参考にしつつ論述する。17)日本的経営方式
の特徴は評価23項目の内、第Ⅰグループ(作
業組織とその管理運営)の6項目で顕著に表れ
る。個別企業の項目評価は1から5までの整
数であり、平均値のみ小数点第1位までを有
効数値としている。
まず「職務区分」であるが、BがAに比し
かなり高めの評点であり、Aはどちらかとい
うとC(評点3.6、以下同様の表示とする)に
近い。即ちBが最も職務区分が少なく、作業
者はほぼ一括りになっているので日本の親会
社に近い方式である。この項目は次の「多能
工化」と密接に関係する。BとAは0.7ポイン
トの差があり、C(3.2)はどちらかと言えば
Aに近い。職務区分が少ない方が多能工化は
推進が容易である。Bの場合班を越えての多
能工化の取組みが一部に見られた。
「教育・
訓練」に関してもBはAよりも高いが、その
差は小さく、C(3.2)が中間に位置する。OJT
を重視するのが日本的経営としている。この
考えを日本の親会社を絡ませた手法を採用す
ると高くなるが、一様にそこまではしていな
かった。
「賃金体系」は職務給と人事考課の
導入度合と関係する。
AとBの開きはあり、C(2.7)がその間に位置
する点に変わりはない。Bでは全国レベルの
協約賃金をベースとし,それに企業内付加給
付がある。企業内加給には人事考課があるよ
うだ。
「昇進」に関しては内部昇進を原則と
する日本型経営がどのレベルまで貫いている
かである。高い順にB>A>C(3.2)という結果
であったが、三グループ間の差はきわめて少
ない。従って日系企業における経営のスタン
ダードとして、作業長クラスの昇進でもモ
ラールに配慮しつつ内部昇進を一般的なルー
ルとするも外部からのヘッドハンティング
17)
前掲書〔研究ノート〕12巻12号(2013年12月)
─ 10 ─
もある。
「作業長」項目のポイントはその守
備範囲であり、日本では生産のかなめ的存在
となっている。AとBは全く同じ評点となり
C(3.4)が若干低い結果であり、作業チームの
運営や工程の技術的管理 が中心で労務管理
まで行っているケースはまれであった。最後
に第Ⅰグループ全体で概観するならば、B>
C(3.2)>Aという結果であり、縫製産業は製
品が細かく日本と同様の品質水準を確保する
ため、生産現場の組織や運営管理まで日本に
近い方式を追求しているようである。自動車
産業に関し日系企業の進出は遅く、欧米企業
が持ち込んだ管理方式を南アの事情に修正し
たのがベースにあるように考える。C(N-13)
の3.2という結果に関して、前掲書の研究ノー
トでは「13工場の内3工場がCKD工場であり、
全体的に比較的単純な作業を比較的少人数の
作業員が遂行する工場が多いことがその主た
る原因であると考えられる。
」との記述があ
ることを付言しておく。
第Ⅳ章 結論
日本では自動車産業のGDP相当額(約8兆
円)
は、
約450兆円のGDPに対して約1.77%
(2010
年)である。一方、縫製産業という括りで
はGDP相当額がないので、YKKのファスナー
の売上高が計上されるコード番号50291「他
の衣服・身の回り品(卸売)」で推量すると、
年間商品販売額は2,371,474百万円であった。
従って経済規模(GDP比)としては0.53%程
度であろう。
同一の調査により二産業の集積度を定量的
に把握すべく試みたが、現地データが間に合
わず、今後の課題とする。定性的には自動車
産業においては南アとエジプトに集積が進ん
でいた。南アの縫製産業は他のサブサハラ諸
国に比し賃金が高いがゆえに、二産業の状況
は日本に近いのではないかと推察している。
縫製産業では北アフリカ諸国、特にチュニジ
アは衣料品の欧米市場向け輸出としては30年
を超す歴史がある。最近では日本も同国より
31億円(2013年)の衣料輸入があり品目別輸入
額では第4位である。
縫製産業が醸成されるためには、大量のお
アフリカ大陸における自動車産業と縫製産業
針子(縫製者)をかかえる必要がある。2013
年のJ.P.グエガンとジョン・メイの人口学者
の調査によると、アフリカは4グループに分
類される。北アフリカ諸国と南アグループは
出生率が4以下とアフリカの中では最も低い
グループに入る。一方、フェニックス・ロジ
スティクス社が進出しているウガンダは、大
陸の中で最も高いグループ(6.1以上)に属
する。その他中間の2グループは4.1-5.0グ
ループと5.1-6.0であり、夫々にエチオピア
とタンザニアが含まれる。18)今後のアフリカ
における縫製産業は南アグループを除くサブ
サハラ諸国が中心の展開となろう。
二産業の経営様式に関して、
「作業組織とそ
の管理運営」の6項目に関して比較した。顧
客が要求する品質水準の高さや世界シェアが
大きいことが、結果として日本的方法の適用
度が高くなるようである。残りの17項目の評
点を加えた総合評点の平均値は縫製産業が
3.3に対して自動車産業は2.8であった。今後
JMNESG-AFの研究成果が公表され、標本数
が増えていく過程で再度比較分析する。
一連の日系企業訪問時に、責任者より経済
同盟が実際の現場で機能していないとの説明
を聴取した。アフリカには9経済共同体が存
在する。19)この中では東アフリカ共同体(East
に調整できていないようである。アフリカの
一層の発展はこの経済共同体運営にもかかっ
ているようである。
African Community :EAC)が成功事例として
挙げられている。ケニア、タンザニア、ウガ
ンダの三国で出発し、現在はルワンダとブル
ンジが加盟し、5カ国による1.4億人規模の経
済となっている。西アフリカ諸国経済共同体
(ECOWAS)には15 ヵ国加盟しており、日本
政府は同事務局に対して毎年3万~ 10万㌦
を拠出している。また前述の縫製産業の南ア
グループは、南部アフリカ関税同盟(SACU)
を締結しており、ボツワナ、レソト、ナミビ
ア、スワジランド及び南アの5ヵ国から構成
される。その他の6経済共同体は加盟国(1
~2ヵ国)に政治的な問題を抱えているため
18)
19)
“The dividend is delayed,” The Economist, March
8th-14th, 2014, pp43-44
経済産業省貿易経済協力局通商金融・経済協
力課編『アフリカビジネス』経済産業調査会、
2013年、27 ~ 31ページ
─ 11 ─
わが国スポーツ・ビジネスのグローバル展開の展望と課題に関する一考察
―アルビレックス新潟シンガポールの事例から―
A feasibility study on global marketing of Japanese sports industry
青 山 芳 之
はじめに
アジアを狙うJクラブ
グローバルな人材供給、育成を狙うANS
カジノが支えるチーム経営
賭博が支える東南アジアのプロスポーツ
都市型消費に向かう東南アジア
東南アジアにおけるスポーツ・ビジネスの課題
はじめに
近年、プロ・スポーツ・プレーヤーの海外
進出が積極化している。野球、サッカー、ゴ
ルフなどにそうした例を見られるが、その多
くが野球の米国(MLB)
、サッカーのヨー
ロッパ、ゴルフの米国という形で、プレーの
レベルでも、ビジネスとしても我が国を上回
る舞台への進出、というよりもプレーヤー
個々の昇格と捉えられるとともに、我が国の
パフォーマンス・レベルが評価されたことと
して歓迎されてきた。
こうした状況に対して、1993年の野茂英雄
を初めとする(これ以前の村上雅則の場合は
研修のため派遣されている中でMLBに昇格
したもので事情が異なる)
、スター・プレー
ヤーの流出が相次いだ野球界では、国内の
ゲームのレベルを下げるもの、つまりは商品
レベルを下げるものとして批判が見られた。
ただ、残ったプレーヤーにとってはチャンス
が増えることを意味し、一概に否定的に見る
必要はないとも思われる。
また、野球の場合、FA権取得以前の移籍
に際しては、ポスティング・システムによっ
て当該プレーヤーが所属する、保有権を有す
るチームには移籍金が支払われるため、育成
ビジネスという形での一つのビジネス・チャ
ンスとなっている側面があるとも言える。
しかしながら、スター・プレーヤーを送り
─ 13 ─
出し、その活躍に歓喜するということ、ある
いは移籍金を手にできることで良しとするこ
とは、個々のプレーヤーにとっての意味は別
にして、我が国のプロ野球リーグがMLBの
下位リーグに甘んじていることを意味してい
るのではないかと感じてきたし、東アジアの
野球普及国を包摂するリーグの可能性はない
のかと想ってきた。
そうした中で、近時、Jリーグ・クラブが
相次いで東南アジアのクラブと提携関係を結
ぶという事例が報告されている。あるいはプ
レーヤー、コーチング・スタッフの移籍、派
遣という事例も見られる。また、東南アジア
出身選手のJリーグ入りも見られる(既に契
約を更新せず帰国しているが、J2札幌がベ
トナムの国民的英雄レンコンビンを獲得、甲
府がインドネシアの代表選手、アンディク・
ベルマンサ入団させている)
。
こうした中で、我が国のスポーツ・ビジネ
ス、就中プロ・スポーツ・チーム、リーグが
海外おいて事業展開を図ることが可能なのか
を、東南アジアにおける状況を踏まえて、考
察しようというのが本稿の狙いである。研究
の方法は既にシンガポールのサッカー・リー
グにおいて10年間にわたって活動しているア
ルビレックス新潟シンガポールの事例を中心
に、東南アジア市場の動向に照らしながら、
検討することとした。
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
アジアを狙うJクラブ
近時、東南アジアのクラブと提携関係を結
ぶJクラブが相次いでいることが報じられて
いる(日本経済新聞2013・9・21)
。
「J2の札幌はタイ、ベトナムのクラブと
提携するとともに、ベトナムの国民的英雄で
あるFWレコンビン(27)を獲得した。
(中略)
甲府は山梨県が進めるインドネシアとの交流
事業に協力する形で同国のクラブと提携関係
を結ぶ方針だ。
(中略)C大阪は提携先のバン
コクグラスのアカデミー(育成組織)から選
手を迎え入れ、自前で育ててプロにするプラ
ンを持つ。
(中略)横浜Mはタイのスパンブリ
―に続いて、今月(2013・9)
、ミャンマーの
ヤンゴン・ユナイテッドと提携関係を結んだ」
(同前)
表1 Jクラブと東南アジアのクラブの提携
C大阪
バンコグラス(タイ)
神 戸
チョブリン(タイ)
清 水
テロ・サーサナ(タイ)
磐 田
ムアントン(タイ)
横浜M
スパンブリ―(タイ)/ヤンゴン・
ユナイテッド(ミャンマー)/ト
ライアジア・プノンペン(カンボ
ジア)
札 幌
コーンケーン(タイ)/ドンタム・
ロンアン(ベトナム)
出典:日本経済新聞2013・9・21 / 2014・2・27
これらの提携の理由、背景については、そ
れぞれ、次のようだとしている(同前)
。
札幌の野々村芳和社長は「クラブやそのス
ポンサー企業の名前が日本だけではなく、人
口9,000万人のベトナムでも認知される可能
性が広がった。ビジネス・チャンスがそれだ
け膨らんだと解釈できる」と見ている。実
際、
(2013年)9月14日に東京で開催された「日
越外交関係樹立40周年記念のベトナムフェス
ティバルに参加した(レコンビン選手が)会
場で挨拶すると大挙して集まったベトナム人
が熱狂した」という。
甲府の佐久間悟ゼネラルマネジャーは「選
─ 14 ─
手の獲得でインドネシアの企業が甲府を支援
してくれるかもしれない」と言い、
さらに「活
躍が地元メディアで取り上げられれば、クラ
ブだけではなく、山梨県、甲府市の知名度も
上がり、県が目指すアジアからの観光客の流
入や農産物の輸出増につながる」と見ている。
C大阪の場合は、人材の供給源として東南
アジアを位置づけているわけだが、
「C大阪の
アカデミーからトップチームに上がれなかっ
た選手に、タイでのプロ契約を手助けする考
えもある」という。
横浜Mの場合は、
「提携先の選定ポイントに
したのは相手クラブのバックに広がるビジネ
ス面でのネットワークの大きさだ。東南アジ
アのサッカークラブの多くは政財界の大物が
所有」しているところから、
「
『アジアパート
ナー』という新しいカテゴリーのスポンサー
を国内で募り、アジアに進出する日本企業、
すでに進出しているが苦戦している企業に提
携しているクラブのオーナーが持つ人脈を生
かしてもらう考え」であり、すでに「多くの
企業が興味を示している」という。
C大阪は人材供給源としているが、それ以
外に共通するのは、スポーツの持つメディア
性を活かそうとするものである。スポーツは
そのパフォーマンスの特異性故に人々に感動
を与え、人々を共感させ得るが故に人を集め
ることができる力を持っており、それに伴う
メッセージに共感を覚えることが少なくな
い。このメリットを活用しようというわけで
ある。
もちろん、そうしたスポーツの持つメリッ
トを活かすには、スポーツに多くの人が関心
を持っていることが前提になるが、サッカー
が普及している東南アジアにおいては、ス
ポーツの、中でもサッカーのメディア性は低
くないと言える。このことは東南アジアを単
なる生産基地ではなく、主要市場として位置
付け始めている日本企業も認め始めている。
横浜Mでは、
「ブルネイなど他国のクラブと
の提携を模索中で、いずれはクラブが直接、
日本企業のアジア進出のコンサルティングを
手掛ける構想も温めている」
(同前)とされる
が、このことはJクラブ自らがビジネス・チャ
わが国スポーツ・ビジネスのグローバル展開の展望と課題に関する一考察
ンスを掴もうとする動きであり、評価できる
志向と言える。これまでは、スポーツの持つ
メディア性をエージェントやメディア企業に
売ることをビジネスとし、このことをマーケ
ティングと呼んできた。
実際、ベトナムのレコンビン選手を獲得し
たJ2札幌では、
「レコンビンに関するマーケ
ティング権を(広告代理店に)約2,000万円
で売却。代理店がベトナムなどで札幌の協賛
企業を募っている」と伝えられている(同前)
。
また、アジアで放送メディア事業に乗り出す
住友商事とスポンサー契約を結んでいる(日
本経済新聞2013・10・24)さらに、札幌は東
南アジアから北海道への観光客の増加、北海
道産品の輸出増加も期待」していると伝えら
れている(同前)
スポーツが、メディア・スポーツといわれ
るように、そのメディア性を活かすことでビ
ジネスとして発展してきたのは事実である
が、我が国の場合、その多くが、代理店の手
に委ねられてきた。それを自ら行おうとする
姿勢は評価できるが、残念ながら、東南アジ
ア市場において自らチームを運営し、スポー
ツ享受需要を取り込むには至っていない。し
かしながら、既に東南アジア市場へ進出し、
チーム経営を成功させている事例がある。
2004年以来シンガポール・リーグ(Sリーグ)
に参加している、アルビレックス新潟シンガ
ポール(ANS)である。
グローバルな人材供給、育成を狙うANS
ANSが参加しているSリーグは、1996年
に発足した、シンガポールの国内リーグであ
る
(2013年現在、
12チームで構成)
。シンガポー
ルはかって協会の代表チームをマレーシア
の大会に参加させていた。同チームは、1921
年に第1回大会が行われたマレーシアカップ
の初代優勝チームであり、通算24回優勝の強
豪である。マレーシアリーグ発足後はこれ
にも参加し、1994年にはリーグ戦とカップ戦
のダブル優勝を果たしている。しかしなが
ら、八百長疑惑もあって、1994年に追放され
たことから(2003年から代表チームが復帰)
、
1996年に、Jリーグをモデルに、Sリーグを8
─ 15 ─
チームで発足させたのである。
ANSは、2004年に、全選手日本人のチー
ムとしてSリーグに加盟している。本来、外
国人枠は1チーム4人までに制限されている
が、ANSの場合は特例として認められてい
るという。アルビレックスがSリーグに加盟
したのは、当初、サテライトチームとして、
日本国内のチームための選手育成が目的で
あった。しかしながら、リーグ環境、レベル
などの違いがあり、当初の目的が充分に果た
せなかったこともあり、現在ではSリーグの1
チームとして独立採算で運営されている。
ただ、日本への人材供給という目的は充分
に達成できなかったものの、グローバルな人
材育成、供給という形で実現しつつある。一
つはSリーグから東欧、アフリカへという流
れであり、スポーツ・ビジネスの中核である
人材育成、言い換えるとマーケティングの中
核である製品開発を存立基盤とするビジネス
モデルである。それをより特化したのが2013
年のアルビレックス新潟バルセロナ(ANB)
の設立である。
ANBは、プロチームではなく、アマチュ
アチームであり、メンバー 1人当たり年間200
万円(含む寄宿費、除く食費)の参加費(授
業料)を運営資金としている。プロサッカー
選手を目指す若者がターゲットであるが、単
にサッカー選手の育成だけを目指しているわ
けではない。チームスタッフはスペイン人で
構成され、すべての活動がスペイン語で行わ
れている。それによって、スペイン語を習得
したグローバルな人材育成も狙っているとい
う。スペイン語圏の人口が世界の13%を占め
ているところにビジネス・チャンスを見出し
ているわけである。
このことは、石原豊一が指摘しているよう
に(石原豊一「ベースボール労働移民」河出
書房新社、2013)
、プロスポーツが存在する
世界では、無論それだけに限らないが、プロ
スポーツ選手という夢に向かって挑戦しよう
とする(親の意向も含めて)若者が日本にも
いることを示している。さらに、プロ選手と
なり得なくとも、世界人口の13%を占めるス
ペイン語圏の人々とコミュニケーションをと
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
ることが可能になるということも評価されて
か、既に12名の参加者がいる(これは事前の
日本本社の予測を上回るものであった)とい
う。
カジノが支えるチーム経営
2013年現在、ANSは、プレーヤー 25名、
チームスタッフ7名、フロントスタッフ5名、
食堂スタッフ5名の計42名で構成され、年間
売上高4-5億円(一部推計を含む)で運営さ
れている(表2)
。
4-5億円という予算規模は、チームスポー
ツを運営する企業チームと同レベルの規模で
あり、選手に対する報酬が平均1人当たり年
間220万円、計5,500万円に限られているから
であろうが、充分に単独で運営可能な数値と
なっていると言えよう。因みに、選手との契
約は1年であるが(もちろん何年かをSリーグ
で活躍している選手もいる)
、それでも、多
くの選手が渡ってくるのは、前述のように、
Sリーグをステップ・ボードとしてプロサッ
カー選手として成功することを夢見る若者が
少なくないからであろう。
ANSの売上げの第1位はスポンサーシッ
表2 ANSの売上高構成
スポンサーシップ
カジノ(スロットマシーン)
リーグ分配金
入場料
マーチャンダイジング
その他(スクール)
食堂
計
(単位:万円
プの約2億円であり、第2位はカジノの1億5
千万円である。合計3億5千万円と総収入の70
-80%を占めている。スポンサーシップが第
1位であることはスポーツの持つメディア・
ヴァリューを活かしたもので、多くの日本企
業が怒涛のように東南アジア進出を図ってい
る中では充分に納得できる。だが、カジノと
いうのは直ぐには理解できなかった。
実際に、それを見せてもらうと、ホーム・
スタジアム内のオフィスの隣にそのコーナー
があり、確か10台ほどのスロットマシーンが
並んでいた。日本にもスロットマシーンを備
えた遊技場は存在するし、巨大産業となって
いることも事実であるが、スポーツ・ビジネ
スとは馴染まないものと考えられてきた。実
際、近年まで、Jリーグでは、スポンサーと
なることさえ否定されてきた。それが、シン
ガポールでは、スポーツ・チーム自身がカジ
ノを経営しており、その経営を支えていると
いうのである。
これは、どうやらSリーグの経営を支える
ために、政府が認めているからである。因み
にシンガポールでは、観光産業の収入がGD
Pの大半を支えていることもあって、大規模
備 考 )
20,000
15,000
4,000
3,000(推定)
40社、内チームスポンサー 1,500万円
チームオフィスの一角に10台設置
特例の外国人チームのため半額
リーグ戦26試合他計30試合、
平均入場者数2,000名(他
チームは平均5-600名)
、入場料1人500円で推計。
1,000
従来日本製を使っていたことから価格が高過ぎるた
め、現在は殆ど止めている(今後、アジアの新興国
での生産に切り替え、再度やろうとは思っている
が)
。
3,500
サッカー 200名(専従者2名の他、チームスタッフを
派遣)
、チア90名(指導者はアルビレックス新潟の
チア経験者を雇用)対象はシンガポール在留邦人(約
25,000人)の子弟、マレーシアのジョホールバルに
も開校
3,000(推定)
ホームスタジアム、チームオフィスのあるジュロン・
イースト・スタジアムに隣接する近隣型のショッピ
ングモール内で「アルビ―食堂」の名称で営業。チー
ムメンバーにも供給(視察時選手が昼食を摂ってい
た)
49,500
*聞き取りをもとに、一部筆者推計
─ 16 ─
わが国スポーツ・ビジネスのグローバル展開の展望と課題に関する一考察
な本格的なカジノが既に2か所で営業してい
るが、Sリーグの国内チームではANSの2倍
規模のカジノを運営しているという。さらに、
東南アジア諸国では、スポーツが賭博の対象
となっている(電通スポーツアジア・森村國
仁氏)という状況も反映しているのかもしれ
ない。
一方、欧米のスポーツ・ビジネス先進国
では主要な収入源とされ、30%程度を占める
入場料収入の割合は低く、6%程度を占めるに
過ぎない。しかも、試合の開催費用が1試合
平均100万円ほど掛るため収益には貢献して
いない(入場料は1人6シンガポールドル・約
500円)
。ANSは最も人気のあるチームで、
他チームが1試合平均500-600人程度の集客
に留まっている中で、25,000人に及ぶ在留邦
人に支えられてか、平均2,000人の集客があ
るにも拘わらず、それはビジネスを支える基
盤とはなっていないのである。
こうした状況にあるにも拘わらず、観戦者
拡大、集客の努力、試みはほとんど行われて
いないという。それはリーグ分配金、カジノ
収入の合計が、国内チームの場合、ANSの
約2倍、4億円弱あるからである。このことは、
Sリーグが政府の支援によって維持されてい
ることを意味しているが、そこにはASEA
Nが構築を目指す3つの共同体の一つである
社会文化共同体の創設(山影進編「新しいA
SEAN」アジア経済研究所、2012・9)と
いう目標に重なるところがあるのかもしれな
い。
ただ、スポーツそれ自体の人気はあるが、
「する」人は少ないという。それは、多くの
人が概ね10歳くらいでスポーツをすることは
止めてしまうからである。何故かと言うと、
小学校を終わる時点で行われる試験に合格し
ないと、大学進学の途が閉ざされてしまうた
め、多くの人が受験勉強に専念しようとする
からである。ただ、成人の場合は、健康維持
のため、50%くらいの人がジョギングなどの
運動を日常的に行っている。これは、シンガ
ポールの場合、日本のようにすべての治療が
保健でカバーされるわけではなく、軽症の場
合には100%自己負担となるからとされる。実
─ 17 ─
際、この結果、医療費の軽減が実現している
という。
いずれにせよ、シンガポールの場合、1人
当たり国民所得で日本を上回るほどの経済成
長を遂げていながら、エンタティメント産業
を支える、スポーツ観戦市場は未だ充分に
育っていないのが現状であると言えよう。
賭博が支える東南アジアのプロスポーツ
経済成長著しい東南アジアと言っても、都
市型消費の段階に達しているのは、シンガ
ポールを除けば、ごく一部であることを考え
ると、スポーツ観戦市場が充分に育っていな
いことは理解できる。因みに、東南アジアに
おけるスポーツ市場の規模はしっかりした統
計が存在しないので、明確には明らかにされ
ていないが、電通スポーツアジアの森村國仁
氏によると、300億円くらいではないかと推
計されるという。
それにも拘わらず、プロサッカーリーグが
多くの国に存在していることに疑問を覚え
た。
サッカーは、プアマンズフットボールと言
われるように、誰でも取り組みやすいスポー
ツである。東南アジア諸国でも盛んに行われ
ており、人気もある。プロサッカーリーグも
マレーシア、シンガポール、タイ、ベトナム、
ミャンマー、カンボジアなど多くの国にある。
マレーシアリーグの場合、ANSの是枝大輔
氏によると、年間の観客動員数が2千万人に
達するという。
それにしても、未だ内乱状態にあり、世情
騒然としているアフガニスタンにも、2012年
9月に、プロサッカーリーグができたという
から驚きである。民族対立の歴史の長いア
フガニスタンにおいて、
「民族間の垣根をなく
し、国の結束につなげたい」と、リーグの責
任者がその狙いを語っているという(読売新
聞2012・10・2)
。カブールで行われた開幕戦
には約4,000人の観客が訪れたと伝えられて
いる。携帯電話会社、メディア企業などがス
ポンサーとなり、全試合がテレビ放映される
予定だという(同前)
。
東南アジアのサッカークラブのオーナーの
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
多くは政財界の大物であるという(日本経済
新聞2013・9・21)
。その理由は何かと考えて
みれば、一つは社会的な成功の証、ある種の
ステイタス・シンボルと見ることができるが、
同時に、広く国民に娯楽を提供することに
よって社会的な安定に貢献しようとする狙い
もあるかもしれない。あるいは、人気のある
スポーツによって人々の一体感を醸成し、求
心力を働かせようという意図があるのかもし
れない。
また、タイを除いて、18世紀から20世紀に
かけてヨーロッパ諸国の植民地であった東南
アジア諸国は、
J.S.ファーニヴァルの言う
「1
つの政治的単位の中に2つまたはそれ以上の
社会秩序が同時に存在しながら混じり合わな
い社会」
、
「複合社会」であることがその背景
にはあるのかもしれない。つまり、都市には
宗主国からの政治的な支配層がおり、その一
方で地方には多くの農民がいて、その中間に
いる外来の中国人やインド人の商業活動が結
んでいるという社会であった(永積昭「東南
アジアの歴史」講談社現代新書、1983)
。
こうした社会構造は今日でも基本的には大
きく変わっていない。確かに、工業化の進展
とともに農村人口が工業労働力として都市に
流入しているが、工業化を支えているのは外
資であり、それを現地で受け止め事業運営に
当たっているものの多くは植民地時代の外来
勢力の子孫である(このことがしばしば華僑
排斥の動きをもたらしている)
。サッカーク
ラブのオーナーである政財界の大物とされる
人達の多くはそうした人々であり、娯楽とし
てスポーツを提供する意図の一つとして現地
社会との融和ということがあると考えられ
る。
さらには、人々に人気のあるスポーツイベ
ントを提供することによって、自らのビジネ
スのためのプロモーションの手段としようと
しているとも考えられる。そういう意味では、
日本における企業スポーツと同じようなこと
を狙っていると言えるが、果たして、人々は
そうした形でスポーツ観戦を楽しみ、享受し
ているのだろうかというと、必ずしも、そう
ではないように思える。
こうした疑問について、電通スポーツアジ
アの森村國仁氏は、東南アジアのスポーツは、
賭博の対象となっていると指摘していた。ス
ポーツ観戦は脱日常感を味わうエンタティメ
ント、アミューズメントとして純粋に楽しま
れているのではなく、賭博の対象となってい
るということである。賭博もある一時を運に
任せ、日常生活の煩わしさ、苦労を忘れさて
くれるという意味では基本的にはエンタティ
メントであると言えるが、より刹那的であり、
場合によっては一攫千金を夢見ることができ
るという意味では、生きることがより厳しい、
発展途上の国、社会においては頷けることか
もしれない。
事実、プロスポーツの発祥の一つは賭博の
対象であったし、スポーツ・ビジネスの先
進国とされる米国においても20世紀初頭には
MLBで、ブラック・ソックス事件という、
一大賭博スキャンダルが起きている。我が国
おいても同様の事件が起きているし、競馬、
競輪、競艇という公認ではあるが、賭博レー
スが行われている。近年でも、台湾(2010)
、
韓国(2012)でもプロ野球における八百長事
件が摘発されている。それを、裏付けるよう
に、東南アジアで、サッカーを対象とする大
規模な賭博マフィアが存在することが伝えら
れている(朝日新聞2013・8・13)
。
「サッカーの日本人審判が、タイで八百長
を持ちかけられていた。
(中略)事件の舞台は、
昨年(2012)11月のタイ国協会杯決勝。日本
人審判の公平性は高く評価され、主審と副審
2人の計3人が招かれていた。
試合前夜、トレーニングを終えた3人は(中
略)
、送り迎えした男にささやかれた。
『エキ
ストラ・ペイメントの用意があるーーー』
(中略)金額は示されなかったが、チーム名
を挙げて『有利な笛を吹いてくれ』という依
頼だった。
(後略)
(
」同前)
もちろん、日本から行った審判団は断った
というが、国の協会が主宰するカップ戦にも
賭博の手が及んでいることを示している。英
国を中心に、ヨーロッパには賭博そのものを、
あるいは賭博場を社交の場として楽しむ文化
があり、そうしたことを背景に、ブックメー
─ 18 ─
わが国スポーツ・ビジネスのグローバル展開の展望と課題に関する一考察
カーが公認されている。ミャンマー、タイ、
マレーシア、シンガポールなどかって英国の
植民地であった諸国にはそうしたブックメー
カーが進出している。それらとの区別が難し
いという側面はあるものの闇社会が介在して
いるということは規模の大きさを窺わせるに
充分な証と言えよう。
都市型消費に向かう東南アジア
日本企業を中心にスポンサーとなる企業が
増えているのは、急速に東南アジア進出を図
りつつある企業がスポーツの持つメディア・
ヴァリューの高さに気付いたことがあること
は先に触れたが、その背景にあるのは急速な
経済成長である。既に1人当たりGDPで日
本を抜いたシンガポールは別として、インド
ネシア、タイ、ベトナム、マレーシア、フィ
リピンなどの東南アジア主要国のGDPの伸
び率は、ここ数年、概ね6-7%水準を維持し
ている(表3)
。
かって日本企業の東南アジアへの進出は、
「資源確保型」あるいは低コストの労働力の
利用を目的とする「生産要素志向型」が中心
であったが、次第に、
「市場確保型」
、あるい
は「市場開拓型」に移りつつある。それは、
中国に見られるように、進出先国が経済成長
を遂げ、労働コストが上昇し、
「生産要素」を
求めての進出が意味をなさなくなるととも
に、消費の伸びに伴って市場としての魅力が
勝るようになった結果である。
そうした流れの中で、東南アジアへの進出
は「チャイナ・プラス・ワン」と言われるよ
うに、労働コスト等の上昇が著しい中国から
まだ労働コストが低く、政治的にも安定度を
増している東南アジアに生産基地を移転させ
る「生産要素志向型」という側面がないわけ
ではないが、近年、目立っているのは「市場
確保型」
、あるいは「市場開拓型」の進出で
ある。このことは、製造業がアジア本社を設
けたり、自動車、家電など現地モデルを開発
する例が増えていることに現れている。ある
いは小売業、飲食店などのサービス業の進出
が活発化していることに見られる。
イオンを初め、流通大手が東南アジアへの
進出に意欲を示しているのは広く伝えられて
いるところであるが、飲食店の進出も活発化
している。東南アジアに限定しているわけで
はないが、アジアにおける日本食店は2010年
に1万店であったものが2013年には2万7千店
まで増えているという(日本経済新聞2013・
11・8、表4)
。このことの背景には、日本企
業進出に伴う在留邦人の増加ということもあ
るのだろうが、それ以上に、
「クールジャパン」
(表5)への関心の高まりの一環として、東南
アジア諸国においても和食への関心の高まり
がある。
クールジャパンというのは日本のアニメや
ドラマ、日本食に対する関心を指すが、
「幼い
ころから日本のアニメや漫画に触れて育ち、
すしやラーメンを愛好する現地消費者は多
い」と言い、次のようにその様相が報じられ
ている(日本経済新聞2014・3・10)
。
「ベトナム南部のホーチミン市郊外。
(2014
年)1月に開業したショッピングセンター『イ
オンモール・タンフーセラドン』に、家族連
れや若者でにぎわう一角がある。同国で初め
て出店した人気キャラクター『ポケットモン
スター』の専門店だ。
(中略)
イオンにベトナム1号店を出店したセルフ
式讃岐うどん店『丸亀製麺』には、連日行列
ができている。
(中略)
経済産業省によれば、日本を除く中国や
シンガポール、タイなどアジア7か国のコン
テンツ市場は2020年に約620億ドル(約6兆3
千億円)と10年比で倍増する。
シンガポールで昨年(2013)11月に開催さ
れたイベント『アニメ・フェスティバル・ア
ジア(AFA)
』アニメソングのコンサートや
関連グッズの販売会に現地のファンが集い、
3日間で8万人動員した。インドネシアでは、
昨年(2013)6月、インドネシア版の仮面ラ
イダー『ビマ・サトリア・ガルーダ』がテレ
ビ放送を始めた。
(中略)
日本食も消費が伸びている。フィリピン都
市部では昨年、
『銀座梅林』や『新宿さぼてん』
などとんかつ店が相次ぎ開業した。以前は現
地在住の日本人を対象にする日本食レストラ
ンが多かったが、所得向上とともに現地人向
─ 19 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
表3 東南アジア諸国のGDP成長率の推移
国・地域
2013年 2012年 2011年 2010年 2009年 2008年 2005年 2000年 1995年 1990年
アジア・大洋州
日
本
1.2
2.2 ▲0.8
4.5 ▲5.5 ▲1.0
1.3
2.3
1.9
5.6
中
国
8.2
7.8
9.2
10.4
9.2
9.6
11.3
8.4
10.9
3.8
香
港
3.5
1.8
5.0
7.1 ▲2.6
2.3
7.1
8.0
2.3
3.9
台
湾
3.9
1.3
4.0
10.7 ▲1.8
0.7
4.7
5.8
6.4
6.9
韓
国
3.6
2.7
3.6
6.3
0.3
2.3
4.0
8.8
8.9
9.3
イ
ン
ド
6.0
4.9
6.8
10.1
5.9
6.9
9.0
5.7
7.4
5.6
インドネシア
6.3
6.0
6.5
6.2
4.6
6.0
5.7
4.2
8.2
7.2
カ ン ボ ジ ア
6.7
6.5
7.1
6.1
0.1
6.7
13.3
8.8
6.4
1.1
マ レ ー シ ア
4.7
4.4
5.1
7.2 ▲1.5
4.8
5.0
8.7
9.8
9.0
ベ ト ナ ム
5.9
5.1
5.9
6.8
5.3
6.3
8.4
6.8
9.5
5.0
モ ン ゴ ル
15.7
12.7
17.5
6.4 ▲1.3
8.9
7.3
1.1
6.4 ▲2.5
フ ィ リ ピ ン
4.8
4.8
3.9
7.6
1.1
4.2
4.8
4.4
4.7
3.0
シンガポール
2.9
2.1
4.9
14.8 ▲1.0
1.7
7.4
9.0
7.3
10.1
シ
リ
ア
n/a
n/a
n/a
3.4
5.9
4.5
6.2
2.3
5.4
10.4
タ
イ
6.0
5.6
0.1
7.8 ▲2.3
2.6
4.6
4.8
9.2
11.6
出典:世界統計白書2013年版 木本書店
表4 アジア・オセアニアの主な回転ずし
チェーンの店舗数
合計
店舗数
日 本
1050
台 湾
200
中 国
173
マレーシア
豪州、NZ
70
40
韓 国
38
シンガポール
3
表5 クールジャパン関連の取り組み
シンガポール パルコ
店 名
ス シ ロ ー、 か っ ぱ、
くら
争鮮すしエクスプレ
ス(※)
元気寿司、争鮮すし
エクスプレス(※)
すしキング(※)
すしトレイン(※)
ス シ ロ ー、 か っ ぱ、
す し 広 場( ※ )
、さ
かなや(※)
元気寿司、争鮮すし
エクスプレス(※)
タイ
インドネシア
ベトナム
(注)※は日本企業以外のチェーン
出典:日本経済新聞2013・11・8
フィリピン
日本ブランドを集めた
ファッションショー・
商談会を開催
電通など
日本コンテンツを流す
専門チャンネル「Hello!
Japan」開局
伊藤園
無糖の緑茶「お〜いお
茶」を販売開始
アブ ・ アウト
「らーめん山頭火」を
初出店
タカラトミー
男児向けのメンコ風
キャラクター玩具を開
発
サントリー食品
砂糖入り緑茶「みらい」
インターナショナル の生産・販売開始
イオン
日本の企業や省庁と組
んでクールジャパン関
連イベント開催
トリドール
讃岐うどん専門店「丸
亀製麺」をホーチミン
市に初出店
フジテレビなど
現地テレビ局と日本関
連のテレビ番組を共同
制作
グ リ ー ン ハ ウ ス とんかつ専門店「新宿
フーズ
さぼてん」を開業
出典:日本経済新聞2013・3・10
─ 20 ─
わが国スポーツ・ビジネスのグローバル展開の展望と課題に関する一考察
けの店も増加。ベトナムやカンボジアでは現
地消費者がすし店や日本式焼き肉店利用する
光景が当たり前になっている」
(同前)
このように、人々が外来文化に関心を持ち、
サービス購入を志向するようになったという
ことは、経済成長による所得の向上に裏付け
られて、消費のありかたが次第に都市型に
移行しつつあることを物語っていると言えよ
う。つまりは、量的に消費が満たされつつあ
る中で、健康・安全、癒し、ゆとり、自分ら
しさなど、質的な豊かを人々が求め始めたこ
とを示していると捉えることができる。
そうした中においては、遊び、脱日常体験
であるスポーツは、健康志向に応えるだけで
はなく、癒し、ゆとり、自己実現の機会とし
て、その存在を確かなものにして行くだろう
と考えられる。
東南アジアにおけるスポーツ・ビジネスの課題
現状の東南アジアにおいてはスポーツに対
する関心は低くないものの、都市型消費の対
象、成熟した消費の対象として多くの人に親
しまれる文化となっているかと言えば、まだ
まだのレベルかもしれない。そうした中では、
都市化が進んでいるとは言え、近年、経済成
長に導かれて農村から流入してきた人々に
とっての一時的な気散じとなる賭博の対象、
あるいは都市の建造物の豪華さ、一部の成功
した富裕層の高度消費の様に比べて、ようや
く生存欲求の段階を乗り越えたレベルに達し
たに過ぎず、高度経済成長の分け前に充分に
与っていない人々に対する癒しとして社会の
リーダー達が提供している娯楽のレベルに留
まっているのかもしれない。
プロ・スポーツ・ビジネス界も、次第に、
国内市場が飽和し、狭隘化している中では、
自ずと海外に目が向くのは当然のことであ
る。中でも、日本に近く、近年経済成長が著
しく、日本企業の進出が積極化して東南アジ
アは格好のターゲットになっているわけであ
る。その目的の一つには国内で余剰化しつ
つあるプレーヤー、現場スタッフの受け入れ
先という側面もあるかもしれないが、メディ
ア性を活かすことでビジネス・チャンスを掴
─ 21 ─
むできることが解ったことが大きいと言えよ
う。進出している、進出しようとしている、
東南アジアの消費者を取り込もうとしている
日本企業からのスポンサーマネーを得ること
でビジネスとして成立するということが明ら
かになってきたということである。
それはそれとして、充分に評価できるが、
果たしてそれだけに満足していて良いのだろ
うかと思える。
スポーツのビジネス化は、スポーツがメ
ディア・スポーツとして成功したことによる
側面が大きい。ただ、そのメディア・ヴァ
リューは多くのひとが関心を持ち、親しんで
いることが前提となっている。そのことはス
ポーツがアミューズメントの対象として人々
の生活の中に定着することであると言える。
つまり、スポーツが文化として、その立場
を社会的に確立することが求められるのであ
る。桑原が「スポーツは現代文明に一分野で
ある。それは政治・経済・軍事・宗教・芸術・
科学・情報などと並んで文明の重要な分野を
形成している」と言っているのは、そうした
ことを示す指摘である。
先に触れたように、ASEANは、周囲の
大国から自立するために、3つの共同体の構
築をその目標としている。その一つが、政治
安全保障共同体、経済共同体と並んで、社会
文化共同体である(山影進「新しいASEA
N」アジア経済研究所、2012.9)
。このこと
は政治安全保障、経済ほど我が国おいて語ら
れることはないが、ASEAN自身は重要目
標としており、その中には、スポーツも含ま
れると考えられるのである。
ASEAN社会文化共同体とは何かと言え
ば、
「民衆志向で共通のアデンティティと持続
的な連帯感を持ち、
『思いやりと分かち合いの
ある社会』を構築することだとされ、追求す
る課題として」
、次の6つのことが上げられて
いる(同前)
。
①人間開発
②社会的厚生
③社会正義と権利保障
④環境の持続性
⑤ASEANアイデンティティの構築
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
⑥ASEAN原加盟国と新規加盟国との格
差是正
このことが何を追求しているかと言えば、
域内の人々一人ひとりが高い能力と意識を持
ち、しかもその間に格差が無いようにすると
いうことである。ASEANがその究極の目
標である周囲の強国、あるいは先進国からの
脅威にひるむことなく自立して行くために
は、それを構成する住民、市民一人ひとりが
強くならなければならないということであ
る。このことは市民社会の協力なくしてAS
EANは成り立ちえないとしていることに現
れている(同前)
。
こうしたことは、当然のことながら、既に
それぞれの国において取り組まれているとこ
ろであるが、それを加盟国の間で格差のない
ものにしようということである。そうでなけ
れば、真の共同体として成り立ちえないと考
えていると言えよう。
課題として掲げられていることを改めて見
ると、①、②、④、⑤などにスポーツの持つ
個人的な成長(肉体的、精神的)
、社会的成
長(協働、一体感の醸成、社会変化など)と
いう効能が貢献すると言える。そのためには、
多くの人々がスポーツを知り、スポーツに親
しむ、文化として生活の中に定着させること
が必要である。その方法として学校教育の中
に大きく取り入れることも有効であると言え
る(現状は学歴優先故か小学校高学年から運
動、スポーツに取り組むことが少なくなって
いる。これはシンガポールなどの先進化した
地域だけで、まだ発展途上にある国ではそう
したゆとりはないのかもしれないが)
。
もう一つは、日常生活の中で、イベント、
プロスポーツによってスポーツへの関心を高
めて行く方法もあろう。そうした意味で、プ
ロスポーツの存在は大きな貢献なしうるもの
と考えられ、そのことは同時にプロスポーツ
の成長、ビジネスとしての成功にもつながる
ものと考えられる。このことは、Jリーグが
掲げる地域密着の考え方に共通するものであ
ろう。
従って、スポーツ・ビジネスの海外進出を
図る際には、単に国内市場の外延化を考え、
─ 22 ─
国内企業のマーケティングのツールというと
ころにビジネス・チャンスを求めるのではな
く。住民を取り込む、真の地域密着を図るこ
とが肝要と言えよう。
外国人家事労働者が香港に与える影響
―社会、家庭、国際関係への影響を中心に―
The Impact of Domestic Helpers from Overseas in Hong Kong :
With References on Society, Family and International Relations
合 田 美 穂
1.はじめに
2.外国人家事労働者を受け入れるメリット
3.外国人家事労働者を受け入れるデメリット
4.家事労働者の国際関係への「政治利用」は有効か
5.むすびにかえて
1.はじめに
香港は、外国人家事労働者を多く受け入れ
ている地域であり、特に家事労働者が大半を
占めているインドネシア人およびフィリピン
人は、合計32万人を超えている。家事労働者
を雇用できる家庭は、富裕層や中産階級だけ
ではなく、一般家庭でも雇用が可能となって
いる。香港では、多くの女性は、結婚前も結
婚後も、フルタイムの仕事に就き、家事、育
児、介護などを家事労働者に依頼している。
1960年代に入り、香港経済は大きく発展し、
女性の社会進出が促進されることになった。
それにともなって、1973年以降、香港政府は、
家事労働をするための外国人労働者の正式な
受け入れを開始した。香港統計局によると、
1996年では、164,229名の外国人家事労働者
がおり、その82%をフィリピン人が占めてい
た。1)その後、インドネシア人家事労働者の
プの中で大半を占めているのが、家事労働者
として、主に住み込みで就労する女性である。
家事労働に従事する外国人は合計して312,395
人に上っている。3)
現在、外国人家事労働者の法定最低賃金は、
2012年9月以降、3,920香港ドル(日本円で約
4万円)となっており、食費や寝室などは別
途支給となっているものの、香港のフルタイ
ムの女性の月給は1万ドル~ 4万ドルの間(日
本円で約11万~ 44万円の間)であるため、家
事労働者を雇っても、収入の方が上回る。4)
2.外国人家事労働者を受け入れるメリット
(1)女性の就労にともなう家事労働者の需要
急増によって、インドネシア人がフィリピン
人人口を上回ることとなった。
香港政府の統計によると、2012年現在、香
港における約715万人の全人口のうち、非中
華系住民の人口は8%を占め、その中で最も
多いのがインドネシア人の164,850人、次に
フィリピン人の160,850人、そして、米国人の
28,290人が続く。2) この外国人の2大グルー
1)
香港勞工處『勞工處報告』
、1996年。
2)「香港概況」
、
『香港政府一站通』
、http://www.gov.
hk/tc/about/abouthk/facts.htm。
─ 23 ─
3)
香港入境事務處『入境事務處二零一二年年報』
香港特別行政區入境事務處、
http://www.immd.gov.hk/publications/a_
report_2012/tc/ch1/index.htm。
4) 香港における外国人家事労働者についての詳細
は以下を参照:
Maggie Chan and Fredrick Lai, Survey report on
hardship & violations of employment contract terms
encountered by foreign domestic workers in Hong
Kong, Hong Kong, Caritas-Hong Kong.
黄志勤等『外籍傭工在港工作境況調查報告書』
、
明愛亞洲外地勞工社會服務計劃、2001年。
陽光女傭中心『賓主兵團‧家有外傭手冊』
、壹出
版有限公司、2008年。
康樂居僱用中心有限公司『完全僱用手冊套裝:
百分百醒目僱主:外傭管理實務指南』
、經濟日
報出版社、1998年。
忽然一周『家有外傭手冊』
、壹出版有限公司、
2008年。
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
香港政府の資料によると、近年、経済状況
が下り坂であるにもかかわらず、香港の労働
人口における女性の人数および比率には、明
らかな上昇傾向が見られる。女性労働者の人
口は、1999年~ 2009年にかけての10年間で、
1,362,500人から1,736,300人にまで増加した。
毎年平均して2.5%の増加率となっており、労
働人口全体の増加率と比較すると1.1%倍であ
る。同期間における女性の労働参加率5) は、
49.2%から53.5%へ上昇した。政府統計局の予
測では、この情勢が続いて、2026年には55.4%
に上昇することが見込まれている。そして、
2023年には男性労働人口を超えると見込まれ
ている。6)
労働女性の教育水準も高くなってきてお
り、労働女性の大学卒業程度の比率は、1999
年では25%だったのが、2009年には32%にまで
上昇している。また、2009年現在の専門職お
よび管理職における女性の割合は約4割と
なっている。7)女性の高学歴化は、職業の多
様化につながっており、上述の専門職および
管理職のほか、地域社会に関する職業、サー
ビス業、卸売業、小売業、貿易業、金融業、
不動産業などに従事している女性が多い。8)
香港は、男女平等社会であると言われてい
る。大学生と接する機会が多い筆者は、就職
活動をしている女子学生から話を聞くことも
多く、彼女たちは、
「就職活動で女性だから差
別を受けたり、性別で職が制限されたりする
5)
労働参加率とは、生産年齢人口に占める労働人
口の割合のことである。生産年齢人口は、15歳
から64歳までの人口を指し、この中で働く意思
を持つ就業者と失業者の合計である労働人口が
どのくらいかを表したものが労働参加率とな
る。 15歳以上の働く意志のない病弱者、学生、
専業主婦、定年退職者などは非労働力人口とさ
れる。
6)「2009年 経 済 概 況 及2010年 経 済 展 望 」
、http://
www.hkeconomy.gov.hk/tc/pdf/box-09q4-c6-1.
pdf。
香港が海外から家事労働者を受け入れる前の
1961年では、女性の就労率は32.3%であったが、
1996年には49.2%に増加している。
(当時の状況
の詳細は以下を参照:曾虹文『香港労働力市場
透視』
、広州経済出版社、1997年、13頁。
)
7) 同上。
8) 婦女事務委員会『香港女性統計数字2011』
、物
流服務署、2011年、24-25頁。
ことを感じたことはない」
、
「女性だからといっ
て引け目を感じたことがない」と話す。
「香
港では、雇用の際に、性別を明記したり、性
別によって区別したりすることは法律違反に
なっています。この例だけとってみても、香
港は素晴らしいと思います。私は男子と対等
に就職活動しています」と誇らしげに語る女
子学生もいた。こういう話はよく耳にする話
であり、こういった香港人女性の自信と、高
い就職率および高学歴は、無関係であるとは
いえない。9)
(2)高齢者、留守家庭の子供に対する介助、
介護要員の需要
上述のように、多くの既婚女性が就労する
状況が普遍的になり、それによって留守家庭
でベビーシッターをしたり、子供の世話をし
たりする人員も必要となっている。香港では、
託児所、保育所は日本ほど多くなく、就学児
童を対象にした学童のようなシステムもない
ために、外国人家事労働者が、子供の世話を
するために雇用されることが普遍的になって
いる。10)
香港では、高齢化も大きな問題となってい
る。香港では、
1981年以降、
高齢人口が増加し、
65歳以上の人口は、1988年では6.6%だった
のが、1996年には10.1%、2001年には11.1%、
2011年には13.3%、2013年には14%へと増加
している。政府の予測によると、2039年には、
その数字は28%にまで上昇する見込みであ
る。11)今後、家庭において高齢者の介助や介
─ 24 ─
9)
この聞き取りは、筆者による以下の論文から転
載した:合田美穂「香港における働く母親と外
国人家事労働者の関係―家庭への影響という視
点から―」
、
『甲南女子大学研究紀要』人間科学
編第50号、2014年3月。
10)外国人家事労働者と雇用主との具体的な関係の
事例についての詳細は以下を参照:合田美穂「香
港における働く母親と外国人家事労働者の関係
―家庭への影響という視点から―」
、
『甲南女子
大学研究紀要』人間科学編第50号、2014年3月。
11)香港房屋協会専業発展中心『変遷中的房屋需
要』
、香港房屋協会、2011年、3頁、および、
香港政府統計處『2011年人口普查:簡要報告』
、
香港政府統計處2011年人口普查事務處、2012年、
26頁。
「香港特別行政區統計處人口估計」
、http://www.
censtatd.gov.hk/hkstat/sub/bbs_tc.jsp
外国人家事労働者が香港に与える影響
護をする人員が、さらに必要となることは必
至である。
子供の世話、高齢者の介助をするために、
とりわけフィリピン人およびインドネシア人
の外国人家事労働者が好まれるのには、以下
のような理由がある。フィリピン人家事労働
者は、教育レベルが高く、ハイスクールや大
学を卒業した者が多い。また英語が堪能であ
るために、子供の英語教育にとっても役に立
つと考えられている。12)一方、インドネシア
人家事労働者は、英語が堪能な者や高学歴者
は多くはないが、比較的従順な者が多く、老
人の世話に向いていると考えられている。彼
らを雇用する共通の大きな理由として、彼ら
を雇用するための法定賃金が、家庭を逼迫す
るほどの高額ではないということも挙げられ
る。
ミュニティを形成することによって、多元的
な文化、宗教、および民族社会がさらに多様
なものとなり、
「国際都市」としての香港の魅
力が増大すると考えられている。
セントラルの皇后広場や銅鑼湾のビクトリ
アパーク周辺には、フィリピンやインドネシ
アの日用品、衣料品、食料品などの専門店、
フィリピンのファストフード店、インドネシ
ア料理のレストランなどが集中している。週
末には、多くのフィリピン人やインドネシア
人が行きかう姿が見られる。14)また、香港の
各地域には、フィリピンやインドネシアの食
材を専門的に扱う小売店も数多く見られるよ
うになっており、香港風景の中に東南アジア
の色彩が感じられるようになっている。15)そ
れは一種の多文化共生社会であるといえる。
筆者が勤務する大学において、筆者の科目
を履修している香港に居住する大学生および
大学院生75名対して、
「フィリピン人またはイ
ンドネシア人と話をしたことがあるかどう
か」
、または「直接見かけたことがあるかど
うか」と質問をしたことがあった。16)回答者
全員が、そのどちらかに対して「はい」と回
答した。さらに、
「彼らを見た際に、
“あ、フィ
リピン人がいる”というように特別に注視を
したことがあるかどうか」という質問もした
が、全員が「いいえ」と回答した。それだけ、
彼らは香港では普遍的な存在となっているの
である。
(3)多元的な文化、宗教、および民族社会の
形成
香港は、中華系住民が92%を占める地域で
あるものの、13)英国植民地であったことや、
世界の貿易中継地としての歴史が長いことか
ら、多元的な文化および民族社会が形成され
ている。また、天然資源に乏しく、活用でき
る土地が少ない香港は、この多元的な文化、
宗教、民族社会を、国際社会に対してアピー
ルしている。20年ほど前までは、香港は免税
天国として、外国人観光客がショッピングの
ために訪れる観光地として知られ、人気を集
めていた。また、当時、中国では観光旅行に
ビザが必要であったために、手軽にビザなし
で渡航できる中華社会としての香港への旅行
が好まれていた。しかし、現在では、多くの
国や地域で免税品が購入できるようになり、
中国への渡航も以前ほど煩雑ではなくなった
ために、香港の観光地としての魅力が従来ほ
どではなくなってきている。そのような状況
の中で、フィリピン人およびインドネシア人
といった東南アジアからの人々が、香港でコ
(4)家事労働者がもたらす経済効果
現在、32万人を超えるフィリピン人とイン
ドネシア人は、香港において、彼らは大きな
市場となっており、彼らの娯楽活動、消費活
動によって香港にもたらされる経済効果は大
きい。上述のフィリピンやインドネシアに関
連する衣料品や食品を販売する店舗も、現在
12)何平「香港的「菲傭」與「菲傭現象」探析」
『
、東
南亞』
、1998年第1期、46頁。
13)
「香港概況」
、
『香港政府一站通』
、
http://www.
gov.hk/tc/about/abouthk/facts.htm。
─ 25 ─
14)外国人家事労働者の余暇活動については以下を
参照:合田美穂「在香港フィリピン人家事労働
者の余暇活動についての一考察」
、
『甲南女子大
学研究紀要』人間科学編第42号、2006年3月。
15)王鉄成「香港皇后広場的“菲傭市場”
」
、
『中国撮
影家』
、2011年1期。
16)当該質問を実施したのは2013年11月5日の講義
時である。
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
では香港全域に分布しており、その地に居住
するフィリピン人やインドネシア人、ひいて
は東南アジアに興味を持つ香港人の多くが利
用している。特に、セントラルにある商業ビ
ル(代表的なものはワールドワイドハウス)
、
銅鑼湾にあるインドネシア関連の小売店やレ
ストラン、カオルンシティにあるタイ関連の
小売店やレストランには、祝休日になると多
くのアジア系の人々でにぎわう。彼らはまた、
多くの物品を祖国に送っているが、東南アジ
アへの配送を専門的に行う配送会社も数多く
出現しており、香港の経済の発展に寄与して
いる。
3.外国人家事労働者を受け入れるデメリット
(1)香港人の就労への影響
フィリピンおよびインドネシアを中心とす
る国家から、家事労働をするために多くの人
口が香港に流入することによって、
「香港人の
家事労働の就労機会が影響を受ける」という
声も聞かれるようになっている。外国人家事
労働者を受け入れる前までは、香港では、子
供が独立して時間に余裕ができた年配の女性
が、時間単位で家事手伝いを行ったりするこ
とが多かった。また、家事労働の仕事を専門
に行う「阿媽」と呼ばれる中国系の女性たち
も多くいた。しかし、彼らよりも廉価な賃金
で家事労働を行ってくれる外国人家事労働者
が出現してからは、彼らがその市場をほぼ独
占するようになっている。そのために、特に、
近年、香港経済が下り坂となり、失業者問題
が懸念されるようになっている現在、外国人
家事労働者による香港人の就労機会への影響
に懸念を示す声も聞かれるようになってい
る。とはいえ、現段階では、外国人家事労働
者と香港人とは就労において競合はしておら
ず、この問題については、社会の中で問題視
されたり、議論されているわけではない。
(2)永住権問題
近年、香港社会で注目を集めているのが、
2010年以降目立つようになった、フィリピン
人家事労働者による永住権獲得への要求に関
する動きである。香港特別行政区の「基本法」
─ 26 ─
第24条の香港永久居民の定義によると、
「香港
特別行政区の成立以前または成立後、有効な
旅券を所持して香港に渡航し、香港において
連続して7年以上居住している非中国籍の者」
17)
が、永住権を申請して取得する権利を有す
る。しかし、
「入境条例」の規定では、家事労
働を目的とした就労ビザで滞在している外国
人は、7年の居住期間を満たしていても、そ
の権利は与えられていない。
香港では、外国の国籍を有する者であって
も、香港特別行政区の永住権を取得している
者は、香港人と同様の待遇を受けることがで
きる。9年間の無料教育、公立病院の無料診
療、更に、低所得者の場合は、日本でいう生
活保護を受けることができ、政府の公共住宅
にも居住可能になるため、居住期間が連続し
て7年を超えた外国人の多くは、香港の永住
権を申請している。もし、外国人家事労働者
が香港の永住権を取得できた場合、職業の選
択も自由になるために、家事労働以外の職業
に就くことができ、母国に居住する家族を香
港に呼び寄せて居住させることも可能にな
る。
一部の家事労働者は、この権利を長い間主
張してきた。しかしながら、2013年3月、香
港の最高裁判所は、香港の永住権を求めてい
た外国人家事労働者側の主張を退けた。18)そ
の理由として、30万人以上の外国人家事労働
者全てが、7年の居住期間を経て永住権を申
請して獲得した場合、香港政府の財政支出が
膨大になるだけではなく、香港の民族人口構
成が大きく変わるということが考えられたか
らである。
外国人(特にフィリピン人)家事労働者は、
自らの権益を守るため、または主張するため
に、多くの組織を作っており、その組織に属
して活動している者も多い。そして、組織を
通して、香港政府に対する要求を求めたり、
街頭で香港の法令に反対するデモを行ったり
17)
「香港特別行政區基本法」第二十四條、
http://www.basiclaw.gov.hk/tc/basiclawtext/
chapter_3.html。
18)
「外傭居權敗訴,港暫不提釋法」
『
、星島日報』
、
http://std.stheadline.com/yesterday/loc/
0326ao01.html。
外国人家事労働者が香港に与える影響
19)
している。 政府や多くの香港人は、家事労
働者は、家事労働を担ってくれる貴重な人材
ではあるとして、外国人家事労働者の存在を
高く評価してはいるものの、彼らが永住権を
獲得して彼らの子女が香港に呼び寄せられる
ことになれば、香港の教育、医療、福祉への
負担が増加し、香港社会においてのマイナス
面が大きくなると考えている。現在、この問
題については、慎重に議論がなされていると
ころである。
筆者が、2013年に、この問題について、家
事労働者を雇用している香港人4名に意見を
求めたところ、3名が外国人家事労働者の永
住権取得について、消極的な意見を述べた。
見であった。一方、
「家事労働だけは外国人に
頼っておいて、彼らに香港の医療や福祉を使
われることに難色を示すというのは、都合が
良すぎる話かもしれない。彼らの永住権取得
に反対する香港人は“いいところ取り”をし
ていると思われても仕方がない。家事労働に
ついて、香港のなかで自給自足できるように
なれば、こういった問題も起こらないのでは
ないか。一度、この制度自体を考え直したほ
うがいいのではないか。しかし、自給自足と
いっても、すでに30万人を超える外国人家事
労働者に頼ってしまっている状況を変えるこ
とは難しい。
」
(Dさん、40代女性)と、外国人
家事労働者の制度自体について考え直すべき
だという声もあった。
20)
「香港では、子供が小さい頃から教育に力
を入れる熱心な親が多く、人気のある国際学
校に入れたいと思っている親、英語教育に力
を入れている小学校を受験させたいと思って
いる親も多い。フィリピン人は英語が堪能な
ので、その子供たちがこの受験戦争に加入す
れば、受験競争が更に激化されることになる
と思う。そういった親からの反発はある程度
あるはずだ。
」
(Aさん、40代女性)
、
「彼らが永
住権を求める気持ちはわかる。なぜなら、公
立学校は基本的に9年間無料だし、公立病
院も無料であるため、彼らの子女や家族が得
られるメリットはフィリピン国内よりも大き
いかもしれない。それによって、教育や医療
にかかる政府の支出が増えることは必至であ
る。
」
(Bさん、30代男性)
、
「現在、生活保護を
受けている人は身寄りのないお年寄り、身体
が不自由な人というイメージがある。彼らが
永住権を獲得したら、おそらく家族を呼び寄
せるだろう。それによって、今後、広東語が
できなくて就職できないといったフィリピン
人たちが、生活保護制度を利用することにな
れば、政府の福祉財政は圧迫されることにな
るだろう。
」
(Cさん、30代女性)といった意
(3)子供への影響
香港では、女性の就労率の上昇により、
「男
は外、女は内」という伝統的な考え方は、既
に過去のものとなり、両者の役割にも大差が
なくなってきている。両親が、フルタイムで
共働きをしているために、外国人家事労働者
が、家での仕事を全般的に行なうにようにな
り、多くの子供たちは、自分の親よりも、家
事労働者に懐くようになっているとも言われ
ている。過度な家事労働者への依頼は、子供
の独立性を阻害し、親子関係にも影響をもた
らすことは、専門家からも警笛が鳴らされて
いる。また、多くの香港人の親たちは、この
ことの深刻性に気づいていないようである。
21)
筆者が聞き取りを行った、香港療育及び教
育センターの特殊幼児インストラクターの辛
玉清氏は、
「親の共働きによって、家事や育児
の役割の一部を、家事労働者が担うようにな
り、かつての専業主婦のように、母親が全
面的にそれらに関わらなくなったことに対し
て、昨今の父親たちはあまり違和感を持って
19)フィリピン人による組織については以下を参
21)外国人家事労働者の家庭への影響については、
照:合田美穂「在香港フィリピン人の政治・支
援組織についての一考察」
、
『甲南女子大学研究
紀要』人間科学編第45号、2009年3月。
20)筆者による香港人(Aさん、
Bさん、
Cさん、
Dさん)
への聞き取り。
(2013年11月10日~ 11月30日の
間に実施。
)
以下を参照:合田美穂「香港における働く母親
と外国人家事労働者の関係―家庭への影響とい
う視点から―」
、
『甲南女子大学研究紀要』人間
科学編第50号、2014年3月。
22)筆者の辛玉清氏への聞き取りによる。
(2013年9
月30日)
─ 27 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
22)
いない」と話す。 そういう考えが出現した
理由には、女性の地位が高くなり、男女平等
の考えが強まっていることや、共働きによる
家庭の収入が増えたことがあげられる。しか
しながら、万事がうまくいくわけもなく、一
歩間違えると、親と家事労働者の立場が逆転
してしまい、悪い結果をもたらすことになっ
てしまうと、辛氏は指摘している。
外国人家事労働者を雇用することによる子
供への影響も出現している。例えば、家事労
働者による幼児虐待がニュースになることは
珍しくはないし、家事労働者を頼りすぎて、
簡単なことさえもできない香港人の子供も増
えてきている。彼らは、
「お手伝いさんなら、
文句を言わずに聞いてくれる」と、小さなこ
とでも過剰に家事労働者に依頼してしまって
いるのである。香港と同様に、シンガポール
も外国人労働者を多く受け入れている国家で
あるが、2001年にシンガポールで上映された
映画23)には、家事労働者に関する問題が反映
されている場面があった。両親が会社経営に
熱心なあまり、子供の声にもあまり耳を傾け
ず、子供の身の周りの世話全般を外国人家事
労働者に依頼している家庭があった。中学生
の姉は、親から尊重されていないことをさび
しく感じ、不良グループに入って、警察に補
導される。小学生の弟は、身代金目的の誘拐
事件に人質として巻き込まれるのだが、普段
からお手伝いさんに何でもやってもらってい
るその小学生は、誘拐された際に、自分が身
の回りのことが全然できないことに気づき、
愕然とする。パンにジャムを塗ることも、熱
湯を注ぐだけでできるインスタント飲料を作
ることもできず、
「こんなことなら、お手伝い
さんごと誘拐すればよかった」と誘拐犯を困
らせることとなった。こういった例は、映画
の中の話だけではなく、実際にありえる話な
のである。
(4)環境衛生への影響
外国人家事労働者の休暇は、基本的には日
曜日および祝日となっている。休暇日に、雇
用主の家にある自室で過ごしたり、単独で外
出したりする者は少なく、多くが同郷人や友
人らと集まる。フィリピン人の多くは、セン
トラルに集まり、インドネシア人の多くは銅
鑼湾に集まる。彼らが集まる時間は長時間に
およぶため、長時間滞在ができない飲食店内
にとどまる者はさほど多くなく、飲食店は
もっぱらテイクアウトで利用されることが多
い。公園、歩道橋の階段または下、屋根のあ
る歩行者専用橋(特にセントラル周辺には屋
根のある歩道橋や連絡通路が多い)などに、
レジャーシートや新聞紙をひいて、飲食や雑
談をしたりして過ごすことが多く、その風景
が、今ではセントラルや銅鑼湾の風物詩と
なっている。
近年、このような形で休暇を過ごす外国人
家事労働者が増加しており、彼らによって占
められる場所がだんだんと広がってきてい
る。通行人や近隣の店舗の邪魔になっている
という報道を時々目にすることもある。筆者
の知り合いのEさん(20代男性)は、若者に
人気のある繁華街であるモンコクに時々行く
そうであるが、休日はモンコクの歩道橋の階
段に、外国人家事労働者がひしめき合うよう
に座り、物も置いているため、通行人は真ん
中の細いスペースを何とか通行できる状況で
あり、彼らが通行人とトラブルを起こしてい
ることは一度も見たことがないものの、誰か
が転落したり、当たったりして転べば、被害
は大きいだろうと話した。24)
最近、外国人家事労働者が、休日に集まっ
た際に残したゴミや残飯などが環境衛生に影
響を及ぼしていることも指摘されるように
なっている。香港では、日本ほど厳しくない
が、ゴミの分別が行われている。しかし、休
暇時に、公園、歩道橋下などに集まる外国人
家事労働者は、もともと本国ではそのような
ゴミの分別の習慣がないためか、分別にあま
り注意を払わないでゴミを捨てており、彼ら
が去った後は、ゴミ箱に入れられずに残った
ゴミが散らっていることが多いとも言われて
23)詳細は以下の映画を参照:
「小孩不苯(邦題:
24)筆者のEさんへの聞き取り。
(2013年11月30日)
僕バカじゃない)
」
、2001年。
─ 28 ─
外国人家事労働者が香港に与える影響
いる。実際に、香港食品環境衛生署は、外国
人家事労働者が歩道橋周辺に集まるために渡
れない、ゴミが多いといったことを含めたク
レームを、多くの住民から受けている。25)
香港政府は、この問題に対応する形で、家
事労働者が多く集まる地域の車両の通行道路
を、日曜日には歩行者専用道路に変更したり
しているが、追いつかない状況である。政府
は、問題が起こってからではなく、このよう
なことをもっと早い段階想定して、彼らが休
暇を過ごす場所をきちんと確保し、彼らに提
供するべきであった。少なくとも、現段階で
は、ゴミなどを廃棄しやすいように、彼らが
集まる場所には、ゴミ箱を増設しなければな
らないといえるだろう。
絡があり、
「Fさんの名前が、あるフィリピン
人家事労働者の保証人となっている」と言わ
れたことがある。Fさんとは全く面識のない
フィリピン人家事労働者が、どこかでFさん
の名前、住所などの個人情報を入手して、借
金の際に保証人として記入したらしい。郵便
ポストに投函されている手紙類から他人の名
前や住所は、簡単に入手できるため、Fさん
は、それを疑った。Fさんは、過去にフィリ
ピン人家事労働者を一度も雇用したことはな
く、フィリピン人家事労働者との個人的な接
点も皆無だったので、それを証明して、Fさ
んとその家事労働者が無関係であることを消
費者金融にわかってもらえたそうだ。Fさん
の近所でも類似する話はあり、Fさんの住む
マンションのフィリピン人家事労働者も、消
費者金融から多額の借金をした後、突然帰国
して、警察がマンションまで調べに来たこと
があったという。28)
香港では、外国人家事労働者の借金問題、
金銭トラブルについては、テレビで特集番組
が放送されたり、新聞で報道されたりして、
香港住民に問題を認識させる動きがある。し
かし、これは香港のみで解決できる問題では
ない。消費者金融から借用することに制限を
加える、受け入れ地域が、家事労働希望者の
預貯金を証明する書類の提出を渡航前に求め
るなど、もっと厳しい具体的な基準を設け、
徹底させることで、こういったトラブルはあ
る程度防げるだろう。受け入れ地域である香
港のみならず、仲介エージェント、送り出し
地域のフィリピンやインドネシアともに、こ
の問題の解決に向けて協議を進める必要があ
る。
(5)金銭トラブル・借金問題
多くの外国人家事労働者は、海外にて就労
をするために、仲介エージェントを通して渡
航手続きを行っている。26)その仲介料金は、
彼らにとっては非常に高額であり、自ら工面
できずに、親類縁者に借金をする者が多いと
いわれているが、中には、母国で消費者金融
から借金をしてまでして、渡航する者も多い。
27)
そして、消費者金融に返済するために、更
に、香港の消費者金融で借金を重ねる外国人
家事労働者もいるほどである。借金が膨らみ、
返済ができなくなった家事労働者の中には、
雇用期間の途中で、雇用主にも相談せずに、
何もかもを放り出して、突然帰国してしまう
者もいる。
筆者の知り合いの香港人Fさん(50代男性)
のケースであるが、突然、消費者金融から連
25)
「外傭攻陷旺角天橋」
『
、太陽報』
、2013年3月4日。
26)外国人家事労働者が利用する仲介エージェント
の役割およびその問題点については、以下を参
照:合田美穂「在香港インドネシア人家事労
働者が直面する問題についての一考察」
、
『静岡
産業大学研究紀要 環境と経営』 第17巻(1号)
2011年6月。
27)フィリピン人家事労働者の借金問題等について
は、以下に詳しい:曾佳「菲傭 : 香港家庭外來
客」
、
『記著觀察』
、1995年第7期 、40頁。新聞透
視(香港電視台のテレビ番組)
「菲律賓傭工: 講
述菲律賓傭工申請來港工作的原因、所需費用及
她們的債務問題」2003年5月5日。
(6)犯罪行為・不法行為
外国人家事労働者が犯罪行為を行うケース
も増加しているといわれている。筆者の知り
合いのGさん(30代女性)は、フィリピン人
家事労働者が、高価ではない日用品、数が多
い日用品といったものを中心に、雇用主が盗
難に気づきにくいものを家から持ち出しては、
28)筆者のFさんへの聞き取り。
(2014年3月24日)
─ 29 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
休日に転売していたことを知り、解雇した。
その家事労働者が、近所の別の家事労働者に、
自らの窃盗行為を武勇伝のように語っていた
ことから、Gさんにその話が伝わることになっ
たという。29)別の知り合いの香港人Hさん(40
代女性)の話では、数ヶ月前に、Hさんの親
戚(60代男性)が雇用しているインドネシア
人家事労働者が雇用主の金銭を窃盗し、その
証拠を示して、即日解雇したそうである。30)
筆者の記憶に新しい報道では、フィリピン人
家事労働者が、雇用主の金品を窃盗した後で、
窃盗に入られたと警察に通報をしたが、住宅
の防犯カメラによって、通報内容が嘘だとい
うことが発覚したという事件があった。31)32)
また、香港人によく知られている事件として
は、2006年、歌手で俳優の張学友が雇用する
フィリピン人家事労働者が、雇用主の私的な
手紙や写真を窃盗し、雇用主の私物も転売し
たという疑いで起訴された事件である。
(判決
33)
は3 ヶ月の収監。
)
筆者の知る外国人家事労働者の仲介エー
ジェントのスタッフIさん(20代女性)は、家
事労働者が任期を終えて帰国する際、契約途
中で何らかの理由で帰国する際には、雇用主
に対して「帰国が決まると魔がさす外国人家
事労働者がいる。一度帰国してしまうと、追
求することは難しいので、帰国が決まったり、
帰国についての話をする段階になったりすれ
ば、金銭や貴重品の管理をよりいっそうきち
29)筆者のGさんへの聞き取り。
(2013年10月29日)
30)筆者のHさんへの聞き取り。
(2014年3月28日)
31)
「偷錢女傭作[口野]
警察閉路電視掲無人入屋」
、
『蘋果日報』
、2012年10月27日。
32)また、香港での事件ではないが、筆者の記憶に
強く残っているものとして、シンガポールにて、
インドネシア人家事労働者が自らの尿を料理に
混入させて雇用主に提供しつづけていたことに
より、1 ヶ月収監の有罪判決を受けたとの報道
があった。筆者の知人のシンガポール人(44代
女性)によると、これに類似する事件は、過去
に何度も起こっているという。事件の詳細は以
下を参照:
「食水摻尿 女傭坐監1個月 網絡天下」
、
鳳凰論壇、2010年1月5日、
http://bbs.ifeng.com/viewthread.php?tid=4198399。
33)
「張學友出庭控三隻手菲傭」
、
『蘋果日報』
、2006
年12月9日。
「張學友費用上訴獲減刑」
、
『 太陽網』
、2007年9月
20日。
─ 30 ─
んとするように」
と強く勧めている。34)実際に、
筆者の知り合いの香港人Jさん(40代男性)は、
これまで全く素行に問題がなかったフィリピ
ン人家事労働者が、任期がきて最終帰国する
ことになった際に、Jさんの高級腕時計を窃盗
し、本国に持ち帰ったと話した。35)
「兼職」も不法行為である。香港政府の規
定では、家事労働者は、雇用主の家事のみに
従事することが規定されており、雇用主以外
の家で家事をすることや、その他の仕事をす
ることが禁じられている。36)しかしながら、
上述のように、消費者金融からの巨額の借金
がある者の中には、法定賃金の給金だけでは
返済できないために、兼職を行っている者も
いる。筆者が、以前、フィリピン人家事労働
者への聞き取りを行った際に、美容やネイル
アートを得意とする家事労働者が、休日に同
郷人に対してネイルアートを施して、報酬を
得ているという情報を入手した。37)近年、よ
く報道されるようになっているのが、外国人
家事労働者による売春問題である。ある報道
では、インターネットのサイトを利用して売
春活動をしている外国人家事労働者の問題が
指摘されている。38)
窃盗や売春などの犯罪行為は、外国人家事
労働者に限ったことではない。実際に、外国
人家事労働者の中では、犯罪行為に手を染め
ていない人のほうが大多数であろう。しかし
ながら、このような犯罪行為の報道が、香港
人の、外国人家事労働者に対する印象や見方
にも、少なからず影響を与えていることは事
実である。上述の仲介エージェントのIさん
のように、
「外国人家事労働者には物を取られ
ないように注意して」という見方をするよう
34)筆者のIさんへの聞き取り。
(2013年6月24日)
35)筆者のJさんへの聞き取り。
(2014年4月1日)
36)香港入境事務處「常見問題:外籍家庭傭工」
、香
港特別行政區政府入境事務處、
http://www.immd.gov.hk/tc/faq/foreign-domestichelpers.html。
37)外国人家事労働者の余暇活動については以下を
参照:合田美穂「在香港フィリピン人家事労働
者の余暇活動についての一考察」
、
『甲南女子大
学研究紀要』人間科学編第42号、2006年3月。
38)
「外傭交友Apps假期賣淫」
、
『太陽報』
、2013年9月
8日。
外国人家事労働者が香港に与える影響
になってしまうのである。人手が足りない、
需要があるからといって、誰かれなしに仲介
するのではなく、倫理規定を徹底させる、罰
則を強化するなどの努力が必要である。
式な謝罪がないことにより、香港では、フィ
リピンからの家事労働者の受け入れに制限を
設けるという、次の段階の制裁措置を行うか
どうかの議論がなされるようになっている。
4.家事労働者の国際関係への「政治利用」
は有効か
(1)マニラ・バスジャック事件から派生した
家事労働者の「政治利用」
2010年8月、団体旅行に参加していた香港
人観光客23人が乗る観光バスが、マニラ市内
でバスジャック犯に乗っ取られるという事件
が起こった。マニラ警察の対応が不適切で
あったために、8人の香港人が死亡するとい
う結果となった。その後、フィリピン政府は
被害者や遺族に対する賠償および謝罪を拒否
しつづけており、香港とフィリピンの関係が
緊張状態となっている。
香港の梁振英行政長官は、2014年1月29日、
マニラ・バスジャック事件に関して、
「謝罪、
被害者への補償、不適切な対応をした関係者
への処罰、旅行客への安全義務の4項目につ
いて、フィリピン政府に要求するとともに、
フィリピン政府と協議を進めてきた。その結
果、1名の負傷者に対する慰謝料支払いを含
めた3項目については進展がみられた。しか
し、最も重要な項目である死者とその家族に
対する謝罪はまだ得られていないとして、両
者の協議はものわかれしている」と述べ、そ
の翌週から、マニラ・バスジャック事件への
第1段階の制裁措置として、フィリピンの外
交および公務旅券の所持者の14日間のビザ無
し訪問を停止すると発表した。39)
(2)台湾の「廣大興28號」事件
今回、香港が家事労働者の受け入れに制限
を加えるという制裁措置を検討していること
について、よく比較されているのが、台湾の
ケースである。2013年5月9日、台湾漁船の「廣
大興28號」が、台湾とフィリピン双方が主張
事件後、香港政府から再三の謝罪要求があ
るにもかかわらず、フィリピン政府からの正
する排他的経済水域を通過した際に、フィリ
ピンの沿岸警備隊の公船から銃撃され、
「廣大
興28號」の船長が死亡した。台湾政府は、フィ
リピンに、この事件に対する正式な謝罪、賠
償、関係者の処罰、台湾とフィリピン間の漁
業協議着手を要求したが、フィリピンの対応
に納得がいかず、台湾とフィリピンの関係は
緊張状態に転じた。この事件に対して、台湾
政府はフィリピンに対して、フィリピン人家
事労働者の申請を凍結することを含めた11項
目の制裁措置を発表した。これに対して、フィ
リピンの海外就労署は、
「家事労働者の行き先
は台湾だけではない。マレーシアやシンガポー
ルなど、他にも行き先はある」といって、家
事労働者の申請を凍結することは大きな問題
ではなく、制裁にはならないということを示
した。40)
台湾の場合は、2013年現在、87,808人のフィ
リピン人家事労働者を受け入れている。41)一
方、同時期の香港のフィリピン人家事労働者
は、その約2倍の160,850人であることを考
えると、42)台湾によるフィリピン人家事労働
者受け入れに対する制裁措置も大きな影響は
ないと考えられよう。しかしながら、上述の
香港および台湾のケースから、家事労働者が
39)この措置が実行されると、上記の旅券所持者は、
中国の在外大使館および領事館にて事前に香港
訪問のビザを申請しなければならなくなる。今
回の外交および公務旅券所持者に対する制裁で
影響を被る人は多くは無いであろうが、
政府(公
務員)に対する外交的な制裁という意味では、
有効であると考えられている。詳細は以下を参
照:香港政府新聞網、
http://archive.news.gov.hk/tc/categories/admin/
html/2014/01/20140129_164815.shtml。
─ 31 ─
40)
「廣大興28號事件」
、新聞中心、中華民國外交部、
http://www.mofa.gov.tw/Official/Home/
SubTitle/?opno=27e1968b-caee-47b7-8fe52f834a80a500。
41)翁千玉、胡吟靜「外籍勞工在台灣」
、國立台灣
大學、2013年、
web.ntpu.edu.tw/~mhsu/101-2/hw/4-1.doc。
42)
「香港概況」
、
『香港政府一站通』
、http://www.gov.
hk/tc/about/abouthk/facts.htm。
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
政治的に利用される可能性が十分にあること
が示されることになった。
(3)家事労働者を「政治利用」するか否か
フィリピン人家事労働者の受け入れを制限
することは、フィリピンだけではなく、香港
にとってもマイナスになる可能性を考慮しな
ければならない。筆者は、外国人家事労働者
を受けいれるメリットとして、香港の外国人
コミュニティの形成による、多元的な文化、
宗教、および民族社会の多様化が、
「国際都市」
としての香港の魅力を高めることになると述
べた。しかし、フィリピン人家事労働者の受
け入れを制限することによって、
「開放的で国
際的」である香港のイメージが損なわれる可
能性を考えなければならないだろう。香港の
観光地としての魅力が以前ほどではなくな
り、
「国際都市」をアピールする香港にとって、
そのイメージ低下は大きいといえる。
それ以上に大きな打撃は、家事労働者を受
け入れている香港、送り出し国家のフィリピ
ン、そして、家事労働者本人への影響であろ
う。2012年現在、海外にて就労するフィリピ
ン人は1,802,031人であり、香港のほかに、サ
ウジアラビア、アラブ首長国連邦、シンガポー
ル、マレーシア、台湾が主な就労地域である。
43)
海外で就労するフィリピン人の多くが家事
労働に従事しており、フィリピン人家事労働
者がフィリピンにもたらす外貨収入は、フィ
リピン経済を支えている。44) 香港がフィリ
ピン人家事労働者を規制すれば、フィリピン
にとってはある程度の打撃になるのは必至で
ある。また、これまで多数のフィリピン人家
事労働者を受けいれていた香港も、彼らを失
うことは大きな損失となる。家事労働者は他
国から輸入すればよいという考えもあるが、
上述のように、高学歴者が多く、英語も堪能
である家事労働者を多く輸出できる国はさほ
ど多くない。また、家事労働者本人にとって
も死活問題となる。この制裁によって、得ら
れるもの、失うものを考え合わせると、失う
ものの方が大きいと考えざるを得ない。また、
台湾のケースから見ても、外国人家事労働者
を「政治利用」することは得策ではないとい
える。
5.むすびにかえて
海外メディアなどでは、よく香港やシンガ
ポールの家事労働者の現地社会への貢献が取
り上げられ、絶賛される傾向にある。しかし
ながら、デメリットを考えると、単に、外国
人家事労働者雇用のシステムを、女性の社会
進出への後押しであるとか、共働き家庭の救
世主であるなどとして、手放しで絶賛するこ
とには慎重にならなければいけない。その背
景にある社会問題、さらには、家事労働者雇
用によるデメリットについても目を向けなけ
ればならないということが、現在、我々が取
り組むべき大きな課題であろう。
また、国際関係が常に良好であるとは限ら
ないということも想定するべきである。香港
とフィリピンの関係、そして、台湾とフィリ
ピンの関係は、マニラ・バスジャック事件お
よび「廣大興28號」以前は比較的安定してい
たため、現在のような緊張関係に陥ることを
多くの人は想像をしていなかった。おそらく
各政府にとっても、こういった突発的な事件
をきっかけに、双方の関係が劣悪になること
は想定外であっただろう。香港大学の2011年
11月の民意調査によると、香港人のフィリピ
ンに対するマイナスの印象は79.3%にのぼり、
1997年以来一貫して40%未満だったフィリピ
ンへのマイナス感情から、一気に上昇してい
る。45)この数字が示すように、香港では、政
府間の関係の悪化だけではなく、民意におい
てもフィリピンに対するマイナス感情が増大
している。筆者が聞き取りをした香港人(匿
名希望)は、
「フィリピン政府の不誠実な対応
を不満に感じていたため、フィリピン人家事
労働者に罪はないとは理解しているのにもか
かわらず、彼女に冷たく当たってしまったこ
とが何度もある」と話した。
これまで順調に家事労働者を輸入すること
43)フィリピン海外就労署、http://www.poea.gov.ph/。
44)陳慶鴻「菲律賓海外勞工的喜與悲」
、
『世界知識』
2011年第17期。
45)香港大學民意網站、
http://hkupop.hku.hk/chinese/。
─ 32 ─
外国人家事労働者が香港に与える影響
ができていた場合でも、こういったリスクが
あった場合に、フィリピン人にとって代わる
ことのできる他国や他地域の家事労働者を急
きょ、大量に輸入することができるのであろ
うか。おそらく難しいであろう。そのような
ことを考え合わせると、外国に依頼するとい
うことだけではなく、
いかにうまく国内で「自
給自足」を図っていくかということも同時に
検討していかなければならないだろう。
<参考文献・参考資料(引用順)>
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─ 34 ─
21世紀「中東秩序」の構造変容
─「アラブの春」混迷の背後にあるもの─
What new Middle East Systems will be for the 21st century?
「歴史を正しく読み取るもの、それは知識であり、
光明へ至る道である」
(モハメド・H・ヘイカル1))
森 戸 幸 次
はじめに
第Ⅰ章 「アラブの春」後の混迷をどう見るか
第Ⅱ章 ヘイカルはこう見る
第Ⅲ章 中東秩序 21世紀構造システムの変容
第Ⅳ章 21世紀「中東新秩序」とアラブ危機の処方箋
第Ⅴ章 シリア国家の分裂ーアラブシステム崩壊の予兆
第Ⅵ章 中東百年紛争 ─ 長期の冷却局面へ
はじめに
3年前、独裁体制を次々に打倒したアラブ
各国の政変劇は、2013年7月のエジプト政変
を経て、中東・イスラム世界に地殻変動を引
き起こしている「アラブの春」=アラブ民主
革命の第2幕に移った。
2011年以来、チュニジア、エジプト、リビ
ア、イエメンと相次いで民主革命が成就し、
政治的自由・民主主義・人権の欠如など長年
アラブ世界を蝕んでいた「内部危機」の病理
をようやく克服したが、革命後の第2幕では、
統治形態の移行をめぐる今日のカオス状態か
ら抜け出すため、国造りの方向と安定化に道
筋をつける民主化への移行が急務になってい
る。アラブ各国は現在、国造りのあり方をめ
ぐる社会の内部分裂と国家の統合、針路が問
われる大きな転換・過渡期を迎えているが、
長い歴史的な流れの中で見ると、今後も「ア
ラブの春」が推進する自由・民主化のプロセ
スは決して後戻りしないだろう。
革命後の国づくりで議会制民主主義を定着
させる政治過程として、選挙-政党ー議会を
通じた「政治的な正統性」を促進する仕組み
が始動しているが、国家の統合に不可欠な国
民意識の形成が、民族、宗派、部族が対立す
─ 35 ─
る中東固有の伝統的な政治風土に阻害されて
いるのが現状だ。しかし、21世紀の長期的な
視点で見ると、変化を求める中間市民層を中
心にした新たな革命世代の台頭は、民主政治
や経済繁栄、社会公正を保障する市民社会=
1)
Al-Tahariir(カイロ)21December2013.1923年9月
カイロ生まれ、カイロアメリカン大学卒業、54
−74年エジプトの半官紙アルアハラム紙主筆、
エジプトを初めアラブ世界の世論の主導的な役
割を果たしてきた。ナセル大統領の右腕として
国民指導相を務め、政策立案にも参画。サダト・
エジプト大統領をはじめ、アサド・シリア大統
領、フセイン・ヨルダン国王、カダフィ・リビ
ア最高指導者、アラファトPLO議長らアラブ各
国首脳のアドバイザ−役を務めてきた。1990年
代を通してカイロの定期季刊誌『Waghat Nazar
fi thaqafa wa siyasa wa fikr (文明と政治と思想に
おけるものの見方)を主宰、80歳になった2003
年9月以降は著述業からの断筆を宣言したが、
2007年以降は、アラブ世界を代表する衛生テレ
ビ・
「アルジャジ−ラ」で「MAA HEIKAL(ヘイ
カルとともに)の連続シリ−ズを担当し、言論
活動を続けている。本稿の第2章で紹介したヘ
イカルの見解は、カイロの衛星テレビCBS放送
の特別番組「エジプトはどこにおり、これから
どこへいくのか」
(3回シリ−ズ)と題する討論内
容をカイロ紙Al-Thariirが転載し、同紙編集部
の承諾を得て筆者が訳出したものである。多
数の著述の中で代表作品はThe Road to Ramadan
(1975), Sphinx and Commissar (1978), Autumn of
Fury (1983)など。
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
国民国家を建設する原動力になるだろう。
これまで「アラブの春」で革命を成就させ
たアラブ各国の自由・民主化への移行を整理
するとー、
(Ⅰ)民衆蜂起と国軍の介入が混合したチュ
ニジア・エジプト型
(Ⅱ)民衆蜂起と外国からの軍事介入が混合
したリビア型
(Ⅲ)政治交渉主導によるイエメン型 ─
などに分類される。内戦がますます深刻化
するシリアは重大な人権侵害と新たな中東危
機の拡大を食い止めるために国際社会による
「人道介入型」の解決がますます強まってい
るのが現状といえる。
このような自由・民主化への移行過程はこ
れからどのような展開をたどるのだろうか。
そもそも、
「アラブの春」を含めた21世紀の中
東の混迷をもたらしたものは何だろうか。そ
して、アラブ世界はいったいどこへ向かうの
だろうか。
第Ⅰ章 「アラブの春」後の混迷をどう見るか
エジプト政変 ─ クーデターか第2革命か
「アラブの春」から3年余を経過した中東の
混迷をどう見たらいいのだろうか。2013年7
月のエジプト政変の立役者として軍の動向に
注目が集まり、民主選挙で選ばれたイスラム
主義政権を打倒した軍部主導の暫定政権が権
力を奪取したことから、
「軍事クーデタ−(イ
ンキラ−ブ)
」との性格付けが定着している。
この見方によると、7月政変で打倒されたイ
スラム主義政権は、2012年6月の自由・民主
選挙で選ばれ、国民から正統性を付与されて
おり、武力を用いて権力を奪取することは非
民主的であり、
「アラブ民主革命」の精神に反
するという指摘だ。
これに対し、エジプトの民主革命は、2011
年1月25日に革命の聖地タハリ−ル広場に結集
した民衆がムバラク独裁打倒に立ち上がった
記念日として「1月25日革命」と命名されて
いるが、今回の政変劇は、この民主革命の第
2幕を開いた「6月30日革命(サウラ)
」との
見方も根強い。
この見方によると、ムルシ政権が発足した
─ 36 ─
2012年6月30日、タハリ−ル広場を中心に全国
各地でイスラム政権打倒を要求する数百万人
規模の反政府デモを展開、この抗議運動の中
核を担ったのが、女性を含む22歳ないし30歳
の5人の若者グル−プ「タマッルド(アラビア
語で謀反の意味)の存在だ。この1年間に停
電や食料急騰など経済苦境が深刻化、鬱積す
る国民の不満を背景に大統領退陣と早期選挙
を要求する署名運動を展開、失業と生活苦へ
の怒りから人口8千3百万のうち2千2百万人の
署名を集めたとされる2)。事態収拾のため国
軍が国民の民意に応えるよう最後通告を突
きつけたが、拒否され、結局、
「1月25日革命」
と同じように民主化への移行を担う革命の守
護者として政治への介入に踏み切った。
「6月30日革命」は、自由と民主化を標榜し
た「1月25日革命」の精神を継承した若者の
民主化グル−プがきっかけをつくり、政権与
党のイスラム主義勢力に野党勢力の世俗・リ
ベラル派が対立する既成勢力同士の角逐を乗
り越えて、第3の新興勢力として台頭した若
者を中心とした中間・市民層による革命世代
が再び革命の主導権を取り戻した。国軍は政
治への介入により民主革命の継続を保証し
た、とされる。
この見方によれば、自由・民主的に選ばれ
た政権が自らの権力を強化し、少数意見を無
視して複数主義を認めず、独裁的な政権運営
に陥り、国家そのものを破綻に追い込んだ事
例は、ナチス・ヒトラ−政権や社会主義政権
など枚挙にいとまがない。とは言え、民主=
市民社会の基盤である思想・言論・行動の自
由を守ることが人間の尊厳という人類共通の
普遍的な価値の擁護という選択に迫られた
ら、はたして、このための力の行使→暫定的
な権力奪取はやむを得ないのか、という指摘
は軽視できない3)。
このように、7月政変をめぐって見方が大
きく分かれているが、どちらの見方も必ずし
2)
3)
The New York Times, 2 July 2013.
The NewYork Times, 26 March 2014, 暫定政権を主導
する国軍評議会内部で、軍人が大統領職など最
高権力を手に入れると、権力奪取をめざすク−デ
ターになるとしてシシ国防相の大統領選への立
候補に反対するデアフマド・ワシフ将軍の立場。
21世紀「中東秩序」の構造変容
も間違いとも、正しいとも言えないだろう4)。
では、いったい私たち日本人は外部からのウ
オッチャーとして、
「アラブの春」後の今日の
混迷状態をどのように読み解いたらいいのだ
ろうか。ここで、過去半世紀にわたりアラブ
世界の動向を的確に読み解き、アラブの将来
を見通してきたエジプトのムハンマド・H・
ヘイカル(90歳)によるアラブから見た「中
東世界観」を紹介したい。
第Ⅱ章 ヘイカルはこう見る
アラブからの視点
まず、7月政変についてヘイカルは「
『アラ
ブの春』では<軍政を打倒せよ>という民
衆のスロ−ガンがいつも叫ばれている。だが、
その一方で、新たな指導者は過去の政治、思
想、文明の遺物と対決し、<私たちには軍が
いる>と叫ぶ民衆も存在している。エジプト
の民衆が軍部のもとに避難するという国内外
の状況が存在するのだ」という。
ヘイカルによれば、
「民衆は、洪水の悲劇か
ら離れて将来をコントロ−ルできるような庇
護を必要としている。彼らは、ムスリム同胞
団の台頭をもたらすような道を選ばない。過
去3年間に及んだ大きな変化によって、大混
乱、ファウダ(カオス)が生じたが、もしエ
ジプト国家としての安寧.安定を取り戻すた
めに軍部のもとに避難するとしたら、このた
めには、民衆には、次のような重要な役割を
担う指導者を選ぶという必要かつ困難な選択
をしなければならない。すなわち、
(1)軍部
に介入できること、
(2)エジプトの遺産を受
け入れること、
(3)ムスリム同胞団の台頭は
大きな過ちであり、これに抗議するために街
頭に出るよう呼びかけること、
(4)6月30日革
命の役割を担い、これを守るという根本的な
計画の持ち主であることーなど。こうした使
命を担う次期指導者には、さまざまな攻撃か
ら国家の未来を守ることが求められている。
4)
2013年7月31日付『朝日新聞』は、オピニオン
欄で、
「国家の崩壊阻止のために選択肢はなかっ
た」とする駐日エジプト大使の立場と、
「国民の
期待があったから政権を奪取したという軍の主
張は詭弁であると断じる中東専門家の立場を紹
介している。
私(ヘイカル)はこれ以上組織の分裂が続く
ことにはもはや耐えられず、残念なことだが、
これに代わる解決は見いだせないのが現状
だ。重大な選択を迫られる局面においては組
織=国家が重要な役割を担うことは避けられ
ない、のだという。
アラブ世界の危機的現状
次に、ヘイカルは今日のアラブ世界の現状
をどう見ているのだろうか。
「アラブ世界は
現在、相対立する2つの意思と力による重大
な挑戦にさらされている」と見る。
彼の分析によれば、一つは、変化を求める
民衆の意思と力から生まれた「アラブの春」
であり、もう一つは、この変化をめざす道の
前進を押さえ込もうとする外部からの介入で
ある。この2つの挑戦にさらされてアラブ世
界は今、エジプトを巻き込みながら燃え盛る
火柱へと全貌を変えようとしているのだ、と
いう。
ヘイカルがエジプトの新憲法の制定5)に期
待を寄せるのは、この憲法が、エジプトの強
固な国造りの将来へと道を開き、迫り来る洪
水に立ち向かうことを可能にするからであ
り、エジプト国家そのものはもはや長期間に
わたってこれまで担って来た重荷に耐え切れ
ないためだ、という。ヘイカルによれば、エ
ジプトの次期大統領選挙は国民議会選挙より
も前に実施することが必要であり、暫定政権
の副首相を担うシシ国防相こそが、現在直面
している深刻な危機の中でこの国が大きな障
害に立ち向かうことができる唯一の人物だ、
という。シシ国防相が立候補を選択した場
合、彼の決断は人間性(インサーン)に基づ
いて民衆の利益から生まれなければならない
のだ、という。次期大統領は、歴代大統領に
はこれまで過去に前例のないほどの挑戦、す
なはち、
(1)軍部によって政権の座を追われ
たムスリム同胞団からの反抗、
(2)イスラム・
テロ,
(3)国際社会の動向と将来、
(4)イラン
5)
─ 37 ─
Jumuhuria Masr Al-Arabia Mashuruua Al-Dostor
2013, 3 December 2013.宗教政党の禁止、国防相
の選任に軍部の同意必要などを柱とする改正憲
法(2013年12月)は、2014年1月の国民投票で
賛成97.7%、投票率38.6%で承認。
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
との関係—などの諸問題に活路を見いだすた
め、自らのパイプを活用しながら立ち向かわ
なければならない、とヘイカルは強調する。
中東のカオスをもたらすもの
さらに踏み込んでヘイカルは、今日の中東
混迷をもたらした歴史の底流を剔出する。
「歴史の動きは、
(歴史上の出来事が)お互
いに積み重なって行くと、やがて量的なも
のが、これとは別の新しい質的なものに変化
する状態になる。私たちは、過去数十年間、
1979年2月のイラン・イスラム革命、1979年4
月の米国の仲立ちによるイスラエル・エジプ
ト単独講和(平和条約)
、1982年6月—8月のイ
スラエルのレバノン侵攻(第1次レバノン戦
争)
、そして2001年10月に9.11後に始まった
アフガニスタン戦争、2003年3月から始まっ
たイラク戦争( 〜2011年12月)とその破壊の
数々など」
。
「こうした中東地域の歴史の積み重ねが
2013年にクライマックスに達し、今や私たち
はひどく疲労困憊したアラブ世界を目の前に
している。これまでこの地域を支えて来た幾
つかの支柱が存続できないと、そしてまた、
今辛うじて残存している支柱を支えられない
と、アラブ世界はまさに崩壊する事態を迎え
る、と私(ヘイカル)は先行きを懸念してい
る」
。
「これまでアラブ世界に積み重ねられてき
た歴史的な出来事が、2014年には、もはやア
ラブ世界を支えきれないほどの出来事が発生
し、量的な積み重ねがやがて質的な変化をも
たらす状況に変質すると、私(同)は恐れて
います。そしてこのアラブ世界を支えて来た
支柱の一つこそが、エジプト国家なのです。
エジプトは国家としての責任と重荷そして苦
悩を一身に背負っている。多くの問題を抱え
ているものの、エジプトにはまだ重要なもの
が残っている。自分の足で立っている。2014
年は前進するのか、何を為すことができるの
かがまさに問われる運命の年になる」
。
「アラブ世界を襲っている洪水が溢れ出し、
さらに広がっていくのでは、と私(同)は懸
念しています。エジプトを取り巻く環境は、
─ 38 ─
西部では比較的落ち着いているものの、南部
では戦火が燃え広がるなど、エジプトの地図
を見ると、恐怖に襲われます」
。
「他方、もう一つの残っている支柱は、湾
岸の沿岸諸国とレバノンです。この地域は自
分の足で立ち上がろうと試行し、自らの困難
を終わらせる環境が生まれているのです」
。
「エジプト国家を襲っている洪水とは、南
部では南北に分裂したス−ダン問題、ダルフー
ルやクルドファン、そしてソマリア問題も存
在する。エジプトの南部戦線は火の手が上
がっている。また、西部戦線を見ると、リビ
ア情勢が燃え盛っている。東部戦線でもイラ
ン国境に至るまで火の手が燃え広がってお
り、私たちにとってよく分からない地中海沿
岸の問題も存在する。このように火の円の渦
中にエジプトがいる。もしエジプトがこのま
ま立ち止まって前に進まないと、この国の経
済、政治、社会、思想、ビジョンが崖つ淵に
追い込まれてしまう。新たな国家のあり方を
探り、力を集積することを必要としており、
今や大きな問題に直面している」
。
「2013年にエジプトで起きたことは、エジ
プトがようやく市民の国家に戻ったという現
実である。しばしの間、宗教が権力に侵入し
ていた。国家とは、世俗的な事を管理するた
めに存在するものであって、市民国家として
のあり方以外には存在しえないものです。エ
ジプトは6月30日の日に市民国家を取り戻し、
これにはまだ今後もさらに長い時間を要する
だろう。私は、市民国家の問題を懸念してい
る。大きな変化の時代にあって市民国家をど
のように永続して清算/解決するのか。この
市民国家の問題は、1789年のフランス革命や
1917年のロシア革命、そして1979年のイラン
革命の時にも存在していた問題です。大きな
歴史的な出来事の中での小さな清算と解決。
かつてエジプト副大統領マフム−ド・ファウ
ジ博士は、<大きな出来事と小さな人々>と
表現した。ファウジ博士は、エジプトを中心
に据えた3つの円を構想し、この円の中で占
めるエジプトの大きな役割を指摘した。エジ
プトは、これまで宗教という名のもとでの支
配の亡霊に立ち向かってきた。エジプトは聖
21世紀「中東秩序」の構造変容
なる宗教に立ち向かってきたというよりは、
むしろ将来へ向けて市民国家の準備を進めて
きたのです。特に2013年は、先に指摘したよ
うに市民国家にとってとても重要な年だっ
た。私たちは今、過渡期にさしかかった地域
にあって新たな域内関係地図が混迷に陥って
おり、これを指導する確かなものは、まだ生
まれていないのです」
。
「エジプトおよびアラブ世界は2013年、混
迷期を迎えているが、今日のエジプトはもは
や1月25日革命以前ではないし、また6月30日
革命以前でもないのです。確かにエジプトに
とって『6月30日』は歴史の分岐点となった。
だがしかし、同時にこの『6.30』は恐るべ
き危険な瞬間です。エジプトを取り巻く地域
は燃え上がる火柱になっており、エジプトに
は自らの足で立つことが求められている。エ
ジプトは今こそアラブ世界に対し、意思と力
と希望の核になるため、2014年をこの道程へ
の始まりになるよう、訴えなければならない
のです」
。
ているように見える。
第Ⅲ章 中東秩序 21世紀構造システムの変容
これまで、歴史の流れやこれまで積み重ね
てきた経験と知識に基づいたアラブから見た
「中東観」を紹介したが、次に「アラブの春」
を含む今日の混迷状況をもたらしたアラブ全
体を取り巻く中東秩序の構造変容を整理して
みたい。
国際政治のレベル分析/システム分析の理
論を中東世界に適用すると、中東の支配秩序
は、次の3つの重層構造システムから成り立っ
ていることが分かる7)
(図表Ⅰ、Ⅱ参照)
。
「アラブの春」
─ 希望の光明
日本を襲った「3.11」のように、アラブ
世界を襲った大津波が中東地域の政治を疲弊
させ、意思の自由を求める民主革命の波に呑
み込まれたあと、今日のアラブ世界は今や混
迷・カオスが広がり、ここから生まれた荒廃
の中に生きようとしているように見える。
アラブ世界は現在、噴火口の上にさまざま
な危機と紛争を孕み、火山の上空には黒雲が
広がり、やがていつか爆発しかねない様相を
呈しているように見える。
このような荒んだ政治風景の中で、変化を
求めて立ち上がったアラブの若者たちは、過
去に積み重ねられて来たさまざまな遺物を取
り除こうと試行錯誤しつつ、国造りの新しい
姿とリ−ダーシップのあり方を模索している
ようだ。
そんな中でヘイカルの歴史を見る眼は、大
国による介入の野心と民衆による変化を求め
る意志とパワ−が錯綜したもつれた糸を取り
除き、アラブ世界が入り込んだ長いトンネル
の先に、一条の希望の光明を見いだそうとし
6)
Ⅰ <アラブリ−ジョナル(域内)システム> 〜 アラブ共同体意識(アラビズム/ウル
−バ・アラビア語で名詞アラブの抽象概念、
アラブ的なものという意味)を核にアラブ
として共有する価値体系を外部からの脅威
から守りつつ、アラブ域内のエジプト,シ
リアなど主要なアクターが、アラブ国家の
将来像(世俗的な市民国家=デモス国家、
世俗的な民族国家=エトノス国家、世俗的
な共産・社会主義国家、非世俗的な宗教国
家=イスラム国家など)を巡って主導権争
いを競う秩序体系(システム)
。
Ⅱ <中東リージョナル(域内)システム> 〜 中東域内の地勢と歴史を共有するリー
ジョナルパワー(アラブ、イスラエル,イ
ラン、トルコなど)が運命共同体の意識を
形成しながら、石油、水利、中東の将来を
めぐって主導権争い=覇権を競い合う秩序
体系(システム)
。
Ⅲ < グ ロ − バ ル( 国 際 ) シ ス テ ム > 〜 国際安全保障、石油・ガスなどの資源エネ
ルギーなど戦略的な要衝に位置する中東の
支配秩序の確立をめざす米国、ロシア(旧
ソ連)
、中国などグロ−バルな域外のグロー
バルパワーが影響力の拡大を競い合う秩序
体系(システム)
。
6)
一般的にシステムとは、相互作用する複雑な要
素から構成されながら一つの統一体を形成して
いる体系・系統と定義される。
7) 森戸幸次『パレスチナ問題を解くー中東和平の
構想』
、筑摩書房刊、1996年、55ペ−ジ参照。
─ 39 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
中東域内システムの原型モデル
(図表Ⅰ)
中東システム
(イスラエル)
国際システム
(米ソ)
アラブシステム
(エジプト ・ シリア)
東西冷戦下の中東リージョナルシステム
中東システム
(イスラエル)
アラブシステム
(エジプト ・ シリア)
国際システム
(米ソ)
─ 40 ─
(図表Ⅱ)
21世紀「中東秩序」の構造変容
「アラブ域内システム」の歴史的変遷
Ⅰの「アラブ域内システム」は、Ⅱの「中
東域内システム」やⅢの「グローバル国際シ
ステム」からさまざまな相互作用を受けなが
ら展開。盛衰の変遷を概観してみるとー
第二次世界大戦後の1945年、アラブ連盟の
結成で「アラブ域内システムが」がスタ−ト、
1948年にイスラエル国家がパレスチナに誕生
すると、1948年に第1次中東戦争が勃発、敗
北したアラブにとって喪失したパレスチナの
解放がこのアラブシステムを支える最大の存
立基盤となった。
1967年の第3次中東戦争でエジプトのシナ
イ半島、シリアのゴラン高原、パレスチナの
東エルサレムを含むヨルダン川西岸とガザ地
区を喪失し、アラブシテムに大打撃を与え、
失われたアラブ領土の回復が最大の悲願と
なった。
1973年の第4次中東戦争でエジプトとシリ
アがヨルダン、サウジアラビアとともに結束
し、石油を武器に失地回復を試み、アラブシ
テムのパワ−を盛り返した。しかし、1978年
にエジプトが米国の仲介でイスラエルとの単
独講和に道を開くキャンプデ−ビッド合意を
受諾し、アラブシテムから離脱、最大の支柱
を失ったアラブシステムは衰退へ向かう。
1979年にエジプトがイスラエルとの平和条
約を締結、シナイ半島を回復したものの、パ
レスチナの失地回復は棚上げされた。この年
にイラン・イスラム(シ−ア派)革命が成就し、
イスラム国家の実現をめざすイスラム政治運
動が台頭、対イスラエル単独講和を選択した
エジプトのサダト大統領はイスラム過激派の
兇弾に斃れた。
1980年にイラン・イラク戦争(−1988年)
が勃発、アラブシステムの支柱だったシリア
(シ−ア派政宗派—アラウィ派)が非アラブの
イラン(シ−ア派政権宗派)を支持、
イラク(ス
ンニ派政権)にとっては、イラン・イスラム
革命の波及から守る防衛戦争だったが、これ
でアラブシステムはエジプトとシリアという
最大の支柱を失い、大分裂状態となった。
1982年にイスラエルがレバノンに侵攻(第
1次レバノン戦争)
、1948年の建国以来軍事対
─ 41 ─
決してきたエジプトと単独和平を取り付けた
ことで南部戦線から北部戦線に矛先を転じ、
レバノン南部を拠点とするパレスチナ解放機
構(PLO)を追放、パレスチナゲリラとの軍
事決着に終止符を打った。
1990年にイラクが兄弟国クウェートに侵
攻・併合し、湾岸危機・戦争(−91年)が勃
発、内部対立からアラブシステムは崩れ、ア
ラブ連盟は機能マヒ状態に追い込まれた。そ
して1991年末にソ連が消滅し、最大の後ろ盾
を失った。逆に米国を後ろ盾とするイスラエ
ルは「中東域内システム」でヘゲモニ−を強化、
このためアラブはポスト冷戦下で米国主導の
中東和平を探求せざるを得ない苦しい立場に
追い込まれた。
そして湾岸戦争後の1991年秋、マドリ−ド
でイスラエルとの初めての米国主導による2
国間・直接和平交渉がスタ−ト、ワシントン
など10ラウンドを重ねたものの、遅々として
進捗せず、PLOを取り巻く厳しい状況から抜
け出すため、イスラエルとの秘密交渉を通じ
て、1993年9月にイスラエル・PLO間の歴史
的な和平合意(オスロ合意/占領地ガザ地区
およびヨルダン川西岸に暫定自治を導入する
協定)が成立した。
このように、
「アラブ域内システム」の歴史
を概観すると、激しく揺れ動く中東政治変動
の中で徐々に地盤沈下し、衰退への道を余儀
なくされてきた。とりわけアラブ・イスラエ
ル間の中東紛争をめぐるパワ−バランスで劣
勢を強いられたアラブ域内システムの中で非
アラブ国家=PLOという最も弱い環が切り崩
され、パレスチナ問題という、ユダヤ国家=
イスラエルの正統性に疑義を突きつけてきた
パレスチナ民族解放運動の無力化、変質化に
辿り着いた。
第Ⅳ章 21世紀「中東新秩序」と
アラブ危機の処方箋
さて、このような変遷を経てきたアラブ域
内システムだが、現在の中東秩序を形成する
ポスト冷戦下21世紀の中東域内システムは図
表Ⅲのように図式化できるだろう。まずグ
ローバルな国際システム内では米国とロシ
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
ア、中東システム内ではイスラエルとイラン、
そしてアラブシステム内ではエジプトとシリ
アがそれぞれ支配的な支柱を形成している。
こうした中で弱体化し、衰退化したアラブシ
ステムには、どのような将来が待ち受けてい
るのだろうか。3年前から中東世界に地殻変
動を引き起こしている「アラブの春」=アラ
ブ民主革命は、このアラブシステムの現状に
どのような変化をもたらそうとしているのだ
ろうか。
そもそも「アラブ域内システム」は1945年
の発足以来、次の3つの内外危機に直面して
きた。
(Ⅰ) 自らの帰属するアラブ共同体を失いか
ねないというアイデンティティに根ざ
す内部危機
(Ⅱ)かつての欧米による植民地時代のよう
にアラブの政治的独立や経済的自立を
失いかねないという内部危機
(Ⅲ)イスラエルに占領されたパレスチナな
どアラブ領土を失いかねないという外
部危機
アラブを永年蝕んできたこれら3つの内外
危機を、現在私たちの目前に現れた21世紀中
東域内システムの中でどのように清算し、解
決するのか。これまでアラブシステムを主導
した「汎アラビズム」や「イスラム主義」な
どの政治思想・運動はいずれもこの克服と解
決に失敗し、その都度に衰退を余儀なくされ
たが、はたして「アラブの春」は起死回生の
起爆剤となり、中東域内システムのパワ−バ
ランスを変えて、新たな道へと切り開くこと
ができるのだろうか。
そもそも、
「アラブの春」と呼ばれる「アラ
ブ民主革命」の本質とは何か。ヘイカルは「変
化を求める民衆の意思と力」と規定する8)。
筆者は「新アラブ主義の台頭」ととらえる9)。
アラブの民衆が新たなアラブ主義に目覚め、
まず第一段階では、矛先を専制的な国内支配
体制からの解放に向け、民主政治や経済繁栄、
社会公正を保障する市民社会=国民国家建
設への道を切り開く(内部危機の克服)
。次
に第二段階では、外国勢力によるアラブ領土
─ 42 ─
の占領からの解放を求めてアラブ(パレスチ
ナ)
・イスラエル対立を核とする中東紛争の
決着へ向かう(外部危機の克服)
、という全
く新しい展望が開かれる可能性である10)。ヘ
イカルによれば、先に紹介したように、変化
を求める民衆の意思と力を推進する「アラブ
の春」の前進を押さえ込もうとする外部から
の介入、という挑戦にさらされてアラブ世界
は今、エジプトを巻き込みながら燃え盛る火
柱へと全貌を変えようとしている11)。
「今日の歴史の流れは、私たちアラブ人を
重大な舞台へと導こうとしている。ここでは
変化を求める二つの力が出会っている。一つ
は、この地域の革命状況、もう一つは、支配
の復活を求める外部からの介入を図る企てで
あり、この二つの意思と力が衝突し合い、こ
の結果、私たちは大きなカオス、混迷状況に
陥っている。この最大の懸念される地域がシ
リアです。シリア現体制は、変化を要求する
激しい反対勢力に直面しているが、彼らには
それを求める完全な権利が存在する。シリア
の民衆が目覚め、ダラアの事件の後、体制側
が暴力化し、これにトルコなどから武器が国
内に流入され、体制側を大きく揺るがす深刻
な事態になっている。確かにシリアの先行き
は暗いが、私(ヘイカル)には、すべての当
事者が事を急ぎすぎているように見える。
シリアの国家権力は、法に依拠しているの
か、それとも幾つかの故郷(ワタン)の中か
ら生まれる父権制に依拠した国ないしは体制
なのか。歴史の発展を見れば、民主主義に依
拠した国家は必ずや出現する。シリアの民衆
は、多数の武器が国内に蓄積されているため,
極めて危険な状況にある、とよく理解してい
る12)」
。
Al-Tahrir, 28 December 2013, op.cit, p.10.
森戸幸次『中東和平構想の現実—パレスチナに「2
国家共存は可能か」
、平凡社,「第5章アラブ民主
革命の深層」
、p.108.
10)森戸幸次「アラブ民主革命と中東紛争」
、
『海外
事情』VOL.60No.12,pp.19-20.図表Ⅰ参照。
11)Al-Taharir, 28 December 2013.op.cit.,10.
12)I bid.,p.11.
8)
9)
21世紀「中東秩序」の構造変容
第Ⅴ章 シリア国家の分裂ーアラブシステム
崩壊の予兆
自由と民主化を推進する「アラブの春」の
前進は現在、シリアで立ち往生している。ア
サド政権はロシアとイラン、反体制派勢力は
欧米に支援される力による「対決の構図」が
植え込まれ、外部からの介入が弱まる気配は
みられない。2011年3月に内戦の発端となった
ダラアの反政府デモから3年余が経過したが、
死者14万人、国民250万人がレバノン、ヨル
ダン、イラクなど周辺諸国に脱出、国内の避
難民も650万人に達し、難民の40%が子供と
いう悲惨な状況に歯止めがかからない13)。
内戦が長期化し、周辺諸国に飛び火すると、
域内の民族・宗教・宗派を巻き込んで本格的
な民族・宗派抗争に発展する恐れがある。
現在のシリア国家(人口2千100万人)は、
「歴史的シリア」と呼ばれるアラブ世界の中
心地に位置し、およそ百年前の第1次世界大
戦後に英仏が中東分割したサイクスピコ協定
(1916年)に基づいて出現した。仏統治下の
レバノンとシリア、英国支配下のヨルダンと
パレスチナに4分割されて造られた「人工国
家」といえる。北側にトルコ、東側にイラク、
南側にヨルダンに取り囲まれ、パレスチに住
むアラブ人(パレスチナ人)は別名南シリア
人とも言われており、このアラブ地域の人々
にとっては、昔から地縁・血縁を通じて絆が
深く、共通の歴史を歩んでいるとの同胞意識
が強い。
とりわけシリアの西隣りレバノンは16世紀
から4百年間支配したオスマントルコ時代と
その後の仏統治はシリア地域として同一の行
政区分下に置かれたため、域内住民同士の混
住が進み、現在のような各宗派が入り組んだ
「モザイク国家」になっている。
シリアのアサド政権宗派であるイスラム教
13)民族と宗派に分断されたシリア国民の融和と和
解を目指すイタリア人のパオロ・ダル・オグリ
オ神父は、2012年6月にシリア政府から国外追
放されたあと、2013年8月にシリア国内に戻り、
クルド人とイラク・シリア・イスラム国(ISIS)
間の内紛終結工作に尽力していたが、行方不
明 と な り、 生 死 が 懸 念 さ れ て い る。The New
YorkTimes, 15 August 2013.
のアラウィ派はシ−ア派とともに国内13%に
過ぎないが、レバノンでも各宗派の国会議席
は同派に2議席割り当てられている。第2の北
部都市トリポリ(21万人)はスンニ派が多数
派だが、2012年12月初めにシリアの反政府勢
力に同調するスンニ派とアサド大統領を支持
するアラウィ派による衝突で十数人が死亡す
る「代理戦争」が勃発した。アサド政権が崩
壊したら、レバノン国内のアラウィ派も血の
報復にさらされる危険が生まれている。レバ
ノン最大の政治・軍事組織である現レバノン
政権にはアサド体制を支持するシ−シーア派
原理主義組織ヒズボラはアサド体制をてこ入
れするため、多数の民兵を送り出し、レバノ
ン政府にも多数の閣僚を送り込んでいる。シ
リア内戦による宗派バランスの変化は、レバ
ノン=シリア(アサド体制)=イラク=イ
ランのシ−ア派同盟と、シリア(反政府勢力)
=エジプト=パレスチナ=サウジアラビア=
カタールのスンニ派同盟による宗派による対
決の政治地図を大きく塗り替えるのは間違い
ない。
また、南隣りのヨルダンでも2012年11月に
「アラブの春」に触発された初めての王制打
倒を叫ぶ反体制デモが始まったが、シリア内
戦でスン派のイスラム主義勢力が権力を掌握
すると、ヨルダンの最大野党勢力で反王制を
叫ぶイスラム主義勢力も、国民の7割を占め
るスンニ派のパレスチナ人と共闘して「国王
打倒」に動く事態も考えられる。そしてシリ
ア北東部を拠点に国民の10%(200万人)を
占める非アラブのクルド人も、シリア内戦が
長期化し、社会の分裂と国家の解体が深刻化
するにつれて、内戦で中立的な立場を維持し
ながら、分離独立をめざすイラクやトルコの
同胞のように分離主義の動きを強めている。
シリア内戦がさらに長期化すれば、サイク
スピコ協定の中東分割にまで遡るアラブの域
内既存国家システムが根底から揺らぎ始め、
クルドをはじめ中東マイノリティの民族、宗
派勢力が独自の分離運動を活発化させると見
られる。シリア国家の分裂→解体は、これま
でエジプトとともに支えてきたアラブシステ
ムの崩壊を招く呼び水になるかもしれない。
─ 43 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
第Ⅵ章 中東百年紛争 ─ 長期の冷却局面へ
このようなポスト冷戦下中東秩序の構造変
容から最も大きな影響を被るのが、イスラエ
ル・アラブ(パレスチナ)間で続く中東百
年紛争の行方である。図表Ⅲで示されるよう
に、ソ連の後ろ盾を失ったアラブシステムは
弱体化し、米国の傘下でイスラエルが主導す
る政治解決への道以外に選択肢がなくなり、
この行き着く先がオスロ合意を通して暫定自
治→西岸・ガザ国家樹立を目指す「2国家共
存」構想の実現にほかならない。
「パレスチ
ナの民衆に今残されているものは、過去にも
将来にも決して消え去ることのないパレスチ
ナ国家樹立への夢である14)」
(ヘイカル)
。
「2
地区でのユダヤ人入植活動の凍結などをめぐ
り行き詰まり、イスラエルとの直接交渉を通
じた「2国家共存」路線に失敗した。パレス
チナ側は2011年9月、政治解決による「2国家
共存」実現の場を国連に移して国連加盟を申
請したが、あくまでもイスラエルとの直接交
渉を通じた実現を求める米国から反対され失
敗。しかし、12年に国連非加盟オブザ−バー
の地位を「国家」に格上げすることを認めら
れた。2014年4月には、イスラエルの「戦争
犯罪」を提訴できる国際刑事裁判所(ICC)
を含む63の国際期間や条約への加盟を申請、
中東和平の行き詰まりに見切りを付けて独自
の国家承認への道に踏み出した。仲介役のケ
リ−国務長官は「和平交渉は崩壊の危機にあ
り、米国が費やす事ができる時間と努力には
限度がある」15)と、中東和平からの後退姿勢
を表明、中東百年紛争が長い冷却局面に入っ
たことを伺わせた。
(了)
国家共存」を追求する米オバマ政権は2013年
3月、就任後初めてのイスラエル、パレスチ
ナ訪問を経て、同年7月に9ケ月以内の最終合
意を目指した和平交渉の再開にこぎ着けたも
のの、将来パレスチナ国家の領土となる西岸
ポスト冷戦下
21 世紀の中東域内システム
ソ連消滅
(ロシア)
15)Paul
(シリア)
14)Al-Tahrir,
アラブシステム
(エジプト)
中東システム
(
イスラエル)
国際システム
(米国)
吸収
(図表Ⅲ)
December 28, op.cit, p.10.
Lewis,“Kerry hints Middle East peace talks are close to collapse as US reassess role “,The Guardian, 4April 2014.
─ 44 ─
21世紀「中東秩序」の構造変容
(本稿は、拓殖大学海外事情研究所に2014年
発表した論考に加筆、修正し、同大学院国際
協力学研究科で担当する「中東研究」論での
討論を経て最終的にまとめたものである)
基本参考文献
(1) T h e G o v e r n m e n t a n d P o l i t i c s o f t h e
MIDDLE EAST and NORTH AFRICA,
edited by Mark Gasiorowski, West view
Press, 2014.
(2) T h e G o v e r n m e n t a n d P o l i t i c s o f t h e
MIDDLE EAST and NORTH AFRICA,
edited by David E. Long, Bernad Reich,
and Mark Gasiorowski, West view Press,
2011.
─ 45 ─
ステンドグラスを地域産業とする可能性についての調査研究
An Empirical Analysis of Possibility of Stained glass as Regional Industries
佐 藤 和 美
Ⅰ. はじめに
Ⅱ. 仮説
Ⅲ. 検証
Ⅳ. 問題点
Ⅴ. 今後の方策
Ⅵ. おわりに
Ⅰ.はじめに
本論文は、2013年度公益財団法人はましん
地域振興財団より助成を受け行われた調査1)
をもとに、ステンドグラスと地域産業とのか
かわりについて論じたものである。ステンド
グラスに対する地域住民の意識、ステンドグ
ラスの製作と販売に包含される問題点を明ら
かにする中で、ステンドグラスが地域産業と
して発展する可能性について論じることをね
らいとしている。本論における地域とは静岡
県西部地域を中心にした静岡県全体を指す。
ステンドグラスは周知のごとく、古来西洋
において発生し発展してきたガラス工芸品で
ある。飛躍的進歩を見せるのは、
中世ヨーロッ
パにおける建築技術の発展やガラス製造技術
の発展とともに、ゴシック様式の教会や大
聖堂の大窓に使用されるようになる時代であ
る。堂内を光の空間に作り上げた宗教美術と
してのステンドグラスは神々しくもあり、人
心を不思議の世界に誘う力を持った。近代に
なると、デザインの豊かさが多様化を進ませ、
アール・ヌーヴォーやアール・デコのデザイ
ンを取り入れたステンドグラスが、教会や大
1)
本調査は、2013年度公益財団法人はましん地域
振興財団助成事業として実施された。調査は静
岡県西部地域中小企業振興を目的に、ステンド
グラスを地域産業とする可能性を探るもので
あった。本論文はその調査をもとに、それをさ
らに発展させまとめたものである。特に、Ⅲ
検証の章においては上記調査に深く基づいてい
る。調査協力者は、静岡産業大学経営学部4年
生西山友唯、瀧川勝稔、吉筋恵美子である。
聖堂以外に公共の建築物や住宅へと用途の広
がりを見せた。この広がりは、街や住宅にス
テンドグラスによる芸術的な豊かさをもたら
した。その後、シャガールやルオーなどの個
性的な芸術家によるデザインやガラスと技法
の進歩や多様性により、ステンドグラスは印
象的な表現力を深化させ、その発展の歴史は
現在も続いている。今日、その芸術性が高く
評価されていることは衆目の一致するところ
である。
日本におけるステンドグラス製作技法は、
宇野澤辰雄や小川三知ら先人たちの努力によ
り明治時代半ば以降に伝えられ、以後その技
法が弟子たちによって受け継がれ、洋風文化
を熱心に取り入れる社会気運の中で、慶応大
学図書館内や国会議事堂内のステンドグラス
等に代表される数々の歴史的作品を生みだし
た。大正期を中心に昭和初期までの間に、愛
好家の間では住宅の装飾や小物にステンドグ
ラスを用いるようになった。現在でも、景気
の波に影響を受けつつも、種々の公共建築物、
ホテルや結婚式場などにステンドグラスの装
飾が用いられ、また住宅のインテリアにも静
かな普及を見せている。
Ⅱ.仮説
1.新たな地域産業の創出
地域産業は地域が主体となり、産業が発展
する過程において内発的に作用し、地域の発
展の原動力のひとつとなり、その結果とし
て地域を豊かにするものである。地域産業に
─ 47 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
よって、その地域の雇用が創出され、税によ
る公共サービスが充実し、人々の生活は安定
する。また、産業が地域に根ざし、地域の個
性として育まれることにより、それに従事す
る人々の労働への誇りと幸福感が醸成され
る。すなわち、地域産業は、物質的満足と精
神的満足の両方を創出し、地域に供与するこ
とができる。
新たな地域産業の創出には、地域の課題の
克服とビジョンの実現に貢献する産業を育成
することが求められる。そのためには、求め
るビジョンとその実現に障害となる課題を認
識したうえで、地域の持つ強みと弱みを分析
し、地域の魅力を引き出し新たな活力となる
産業のイノベーションを模索することが重要
である。地域の体質や風土を考え、身の丈に
合わせながら、かつ、時代のニーズに適合し、
新しい時代を創り上げていく産業の創出を模
索することが肝要と考える。
また、産業の創出には民間の活力を高揚さ
せ、地域内の異業種が機能的に連携し一体と
なり、自立的に地域の特性を生かしていくこ
とが重要である。さらに自治体としての県や
市町村、商工会議所などの公的団体とも協働
することにより一層の効果を期待することが
できる。
本調査研究は、静岡県に既に存在する地域
資源の更なる有効活用を試みることにより、
静岡県中部および西部地域における地域経済
の活性化を図ることを目的に行った。静岡県
は「富国有徳」の名のもと、
「多彩で魅力ある
文化の創出と継承2)」を行い、
「一流のモノを
使い一流のモノを作る産業を興し、活気ある
地域産業の振興を図る3)」ことをビジョンに
掲げている。本調査研究はこうしたビジョン
の実現に寄与するものである。
静岡県は多くの有用な地域資源を有し、さ
まざまな意味で産業ポテンシャリティを持
つ地域である。その中でも本稿では、
「製造業
で培われた技術とものづくり精神」
、
「小川三
知」
、
「磐田市新造形創造館」の3つの地域資源
を活用することにより、地域内でステンドグ
ラスの製作と販売を振興させ、上記ビジョン
に応えることを提唱する。ステンドグラスの
製作販売の振興は、静岡県の既存の強みであ
る製造業の復活の一助になると同時に、芸術
の香り高い個性的な産業の創出となる。それ
は高い付加価値を地域にもたらす産業となり
うる。
2.既存資源の有効利用
①磐田市新造形創造館
磐田市上新屋に構える「磐田市新造形創造
館」は、現代文明を支えるガラスと金属に着
目し、それらの素材を通して人間の創造と造
形意欲を実現する可能性を探求する場として
誕生した。当館は、平成13年度末現在、造形
教室、造形体験、ギャラリー、ショッピング
などが運営され、文化体験型の観光施設、お
よび市民のためのカルチャーセンターとして
存在している。ガラスに関して当館では、吹
きガラス工房とステンドグラス工房を設け、
技術指導を行っている。
新たな産業創出に必要な地域資源のひとつ
として、当館の有効活用を提案する。当館は
上記の如くガラスと金属の造形活動の場とし
て存在するが、保有するポテンシャリティは
未だ十分に発揮されていないと考えられる。
当館は専門性の高い設備を有した4つの工房
を配置しながら、その大半の活用は訪れる人
の趣味の範囲に留まる。当館設立の趣旨は、
「人間のものづくりへの限りないアプローチ
を通して創造力を養い豊かな感性を育み、さ
らに未来を拓く新たな文化とものづくりの拠
点となることを目指す4)」ことであった。文
化とものづくりの拠点になるべく当館は誕生
した。すなわち、芸術性豊かなものづくりを
産業として勃興させ、文明に寄与し、地域の
文化を創っていくのが当館の設立の目的であ
る。当館はそれに向けて積極的に動き出さね
ばならない。
2)
静岡県「平成23年度“ふじのくに”づくり白書」
p.89。https://www2.pref.shizuoka.jp/(2014年3月
10日アクセス)
3) 同上資料、p.135。
─ 48 ─
4)「磐田市新造形創造館」
http://www.iwata-souzoukan.jp/
(2013年11月21日アクセス)
ステンドグラスを地域産業とする可能性についての調査研究
これまでの長年の活動から、東海地方にお
ける当館への認知度は比較的高い。この施設
が核となりシンボルとなって、ステンドグラ
スに関わる事業を興し、産業創出活動の進展
を図ることができる。
②小川三知
また、静岡県には小川三知がいる。小川三
知は大正から昭和にかけて日本のステンドグ
ラス界で活躍した静岡市出身の高名な工芸家
である。彼は慶応3年(1867年)
、静岡藩医小
川清斎の子として現在の静岡市で生まれた。
当時の静岡壕頭小学校、静岡中学校を卒業後
上京するまで静岡で育つ。当初医者への道を
志し第一高等中学校に入学したが、東京美術
学校の創設を知り、絵画への思いを抑えきれ
ず、第一高等中学校を中途退学して東京美術
学校日本画科に入学した。明治27年(1894年)
卒業、6年後の明治33年(1900年)
、三知はシ
カゴ美術院の日本画教師として単身渡米し、
この時ステンドグラスと巡り合い、アメリカ
各地を渡り回りながらガラス工場やステンド
グラス工房でアメリカン系ステンドグラスの
技法を修得するのである5)。
明治44年(1911年)帰国後、西洋文化の受
け入れに熱心な社会の波の中で三知の活躍が
始まった。慶応義塾図書館の「ペンは剣より
強し」を初め、旧鳩山邸、日本基督教団安藤
記念教会、国立科学博物館、その他多くの個
所から作品製作の依頼を受け、製作したそれ
らの作品は今でも多くの人々に感動を与えて
いる。日本のステンドグラス草創期において、
宇野澤辰雄と並び称される小川三知は日本初
のステンドグラス作家ともいわれ、現在のス
テンドグラス界では知らぬ者はいない先人で
あり、郷土の誇りでもある。小川三知を称え、
静岡県ステンドグラスのシンボルにすること
ができる。
5)
増田彰久、田辺千代著『日本のステンドグラス 小川三知の世界』白揚社、2008年、pp.15 ~ 20。
田辺千代「日本のステンドグラス史 神奈川の
ステンドグラス 」
『郷土神奈川』第42号、神奈
川 県 立 図 書 館、 平 成16年、pp.8 ~ 12。http://
www.stained.co.jp/tanabe/kk42_15.html(2014 年 3
月2日アクセス)
─ 49 ─
③ものづくり中小企業
静岡県には多くのものづくり工場が集り、
ものづくりの精神にあふれている。特に、中
東遠地域や西部地域はものづくり企業の宝庫
である。これらの製造業で培われた技術力と
ものづくり精神の風土は、静岡県の大切な地
域資源である。しかしながら県内の工業統計
によれば、2008年のリーマンショック後、従
業者4人以上の事業所を対象とした製造品出
荷額等の数値は合計で19.2兆円(2008年)か
ら15.1兆円(2009年)に、粗付加価値額は6.9
兆 円(2008年)から5.7兆 円(2009年)に減
少し、未だにリーマンショック前の水準に
戻っていない6)。図1および図2に示されるよ
うに、従業者規模別に見ても大規模、中規模、
小規模事業所の何れにおいても戻りの遅い状
況となっている。その原因には、大企業の海
外進出と国内生産の量的減少およびデフレ経
済の影響が挙げられる。この状況が長く続く
と県内の中小企業は保有する生産能力をフル
に発揮できず、存続のための淘汰の浪に曝さ
れ、集積された産業技術の喪失に繋がりかね
ない。すなわち地域資源の喪失である。これ
を防ぐためにも新たな産業の創出が求められ
ている。
こうした中小企業がこれまで構築してきた
産業集積は、ステンドグラスとは無関係に近
い。しかしながら本稿では、ステンドグラス
を地域産業として発展させる段階で、地域の
中小企業の参加を予定している。地域産業の
内発的な発展には、地域に存在する中小企業
の参加が欠かせないからである。こうした企
業への技術指導は、磐田市新造形創造館が担
当する。地域のものづくりに携わる中小企業
の振興、およびそれに伴う地域経済の活性化
を目的として、ステンドグラスの製造・販売
を地域産業に育て上げ、静岡県地域をステン
ドグラスの郷にする可能性について、調査研
究を行うものである。
現在、ステンドグラスの製作は製作技術を
6)「 平 成24年 静 岡 県 の 工 業 調 査 結 果 の 概 要
(PDF:480KB)
」統計センター静岡、p.10。
http://toukei.pref.shizuoka.jp/index.html(2014 年
3月28日アクセス)
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
図1 静岡県工業統計
製造品出荷額等の推移(億円)
有した専門の工房が主体となって行ってい
る。これらの工房を中心に、新規参加の中小
企業を含めて製作・販売を行い、かつ、最終
消費者への販売は、地域の住宅メーカーや家
具メーカーと協力し、機能的に連携する形の
産業として、発展を企図するものである。
120,000
100,000
80,000
3.芸術の香り高い、個性的な産業の創出
高い機能を備えた製品や耐久性の高い製品
を作り出す企業は日本では数多く存在し、そ
うしたものづくりが日本企業の世界での信頼
を向上させ、日本経済の発展に寄与してきた
ことは周知の如くである。しかし、芸術性の
高いデザインで世界に名を馳せる日本企業が
どれほどあるだろうか。ものづくりと芸術性
のコラボレーションは、製品の品質を一段と
高め、さらに付加価値の高い強い経済を創り
上げていくと考えられる。そこで、ものづく
りと芸術の力を兼ね備えた個性豊かな産業の
創出を狙う。
何気ない日常の中で、当たり前のように芸
術と共にあり、無意識の中で芸術に触れてい
る。ステンドグラス産業化は、そのような日
本社会を実現するための産業創出である。も
ちろん我が国には我が国の風土の中で営々と
培われてきた美が存在し、さまざまな場所で
特有の美しさを輝かせている。しかし成熟し
たこの日本社会では多様性が求められてい
る。多様な芸術が街並みや住宅を侵食しても
良い。多様性は人々に価値観の多様性を認識
させ受け入れる力を促す。ステンドグラスの
産業化にはそうした期待が込められている。
デザインや色調はヴァリエーションをもた
せ、日本人の感性に合う製品製作を行う。親
しみやすく、感性の高い製品づくりで、ニー
ズを掘り起こす。ステンドグラス産業にはそ
うした可能性を持つことができる。
60,000
40,000
20,000
年
年
年
年
年
年
年
年
16 17 18 19 20 21 22 23 24
年
平成
0
年
15
大規模事業所(300 人以上)
中規模事業所(30 ~299 人)
小規模事業所(4~29 人)
資料:「平成 24 年静岡県の工業 調査結果の概要」
統計センター静岡のデータをもとに作成
図2 静岡県工業統計
粗付加価値額の推移(億円)
40,000
35,000
30,000
25,000
20,000
15,000
10,000
5,000
年
年
年
年
年
年
年
年
16 17 18 19 20 21 22 23 24
年
平成
0
4.調査の方法
仮説の検証にあたり、二つの方法で調査が
行なわれた。その一つは、ステンドグラスへ
の関心の実態を知るために、当大学経営学部
をはじめ、磐田市民を中心に市役所や商工会
議所の方々の協力を得ながらアンケート調査
年
15
大規模事業所(300 人以上)
中規模事業所(30 ~299 人)
小規模事業所(4~29 人)
資料:「平成 24 年静岡県の工業 調査結果の概要」
統計センター静岡のデータをもとに作成
─ 50 ─
ステンドグラスを地域産業とする可能性についての調査研究
を行った。次に、産業としてのステンドグラ
スが現在抱えている問題点を探るために、ス
テンドグラスを製作している工房およびそれ
らを販売している住宅メーカーにヒアリング
調査を行った。
Ⅲ.検証
1.消費者の実態調査
(1)アンケート回答状況
一般市民はステンドグラスについてどのよ
うに認識しているのだろうか。ステンドグラ
スを購入する側すなわち消費者を対象に、ア
ンケートによる意識調査を行った。男性269
人、女性106人、合計375人より回答を得た。
アンケート回答者の主たる職業は、公務員、
自営業者、企業家、大学職員、学生である。
アンケートの内容は、
①ステンドグラスを知っているか
②ステンドグラスを見たことがあるか
③何処で使用されていたか
④ステンドグラスを使用した住宅に住んで
みたいか
⑤住宅内のどの場所に使用したいか
⑥ステンドグラスを住宅に使用する場合、
気がかりになる事柄は何か
等である。
(2)ステンドグラスに対する認知度
まず最も基本的な質問①「ステンドグラス
を知っているか」について、364人が「知って
いる」と答えた。これは全体の95% 7)に当た
る。また、質問②「ステンドグラスを実際に
見たことがあるか」については354人、全体
の90.6% 8) が「見たことがある」と答えた。
この結果からステンドグラスの存在を知らな
い人は極めて少ないことがわかり、その認知
度は非常に高いといえる。
図4および図5は年齢別内訳を示している。
特徴的なことに、
図に示されているように「知
らない」および「見たことがない」の回答者
は、10〜19歳の若年層に集中している。
「い
いえ」と答えた人のほとんどは22歳以下の学
生であった。さらに付け加えるならば男子学
生であった。若い世代の生活の周りにステン
ドグラスの少ないことが予想され、それゆえ
ステンドグラスへの意識も高くならないと考
えられる。そのことは世代を超えて私たちの
日常生活の中でみかけることが少ないのだと
置き換えることができる。
図4 ステンドグラスを知っている
(アンケート集計結果①)
はい
70 ~
50 ~ 59
年
齢 30 ~ 39
図3 アンケート回答状況(年齢別・男女別)
400
10 ~ 19
350
50%
0%
300
250
いいえ
100%
図5 ステンドグラスを見たことがある
(アンケート集計結果②)
人 200
はい
150
70 ~
100
50 ~ 59
年
齢 30 ~ 39
50
0
10 ~ 19
いいえ
10 20 30 40 50 60
0%
~
~
~
~
~
~
~
70
合
歳
19 29 39 49 59 69
計
歳 歳 歳 歳 歳 歳
女性 6 21 20 30 22 3
7)
50%
100%
サンプルの年齢別回答者数に開きが生じている
ので、これを勘案しウェイト調整後の数値であ
る。ウェイト調整前は97%に当たる。
8) 同上。ウェイト調整前は94.4%に当たる。
4 106
男性 13 33 46 79 65 22 11 269
─ 51 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
実際に見たことのある人で質問③「何に使
用されていたか」については図6のような内
訳となった(複数回答可)
。その他と回答し
た中には、美術館、公民館、駅舎などが挙げ
られた。ステンドグラスが実際に使われてい
るのは、教会や結婚式場など、私たちの日常
生活とは関係が薄い場所であり、遠い存在だ
といえる。
始めた経験豊富な世代である。50代女性は育
児がひと段落し、経済力もあり、生活にゆと
りが生じ始め、やはり経験豊富な世代である。
生活のゆとりと見聞の豊かさが興味関心を持
つ理由のひとつになるようである。
図7 住んでみたい(全体)
(アンケート集計結果④-1)
図6 何処で使用されていたか
(アンケート集計結果③)
飲食店
15%
いいえ
43%
はい
57%
その他
5%
教会
34%
住宅
16%
図8 住んでみたい(男性)
(アンケート集計結果④-2)
結婚式場
30%
いいえ
58%
(3)生活に取り入れることに対する積極度
質問④「ステンドグラスを使用した住宅に
住んでみたいか」の問に対し、190人が住ん
でみたいと回答した。図7に示されるように、
全体の57% 9) に当たる。すなわち半分以上
の人がステンドグラスを生活の中に取り入れ
ることに対して興味があると答えたことにな
る。
その内訳をみると、図8および図9から分か
るように、男性でステンドグラスに興味があ
る人は42%に過ぎなかったが、女性は72%の
人がステンドグラスのある住宅に住んでみた
いと答え、高い興味を示した。男性と女性の
この数値の乖離は非常に特徴的である。女性
の中では特に、図10に示されるように、50代
女性、20代女性、10代女性の数値が高かった。
男性は全般的に低調ではあるが、その中でも
60代男性が50%を超えている。50代女性と60
代男性には共通点がある。60代男性は定年を
迎え、時間的、経済的に生活にゆとりが生じ
9)
サンプルの男女別回答者数に乖離が生じている
ので、これを勘案しウェイト調整後の数値であ
る。ウェイト調整前は51%に当たる。
─ 52 ─
はい
42%
図9 住んでみたい(女性)
(アンケート集計結果④-3)
いいえ
28%
はい
72%
ステンドグラスを地域産業とする可能性についての調査研究
図10 住んでみたい(男女年齢別)
(アンケート集計結果④-4)
はい
によってステンドグラスがより引き立ち、シ
ンプルで普段何気なく使う階段も一味違った
空間になるのではないか。次に多いのが23%
の玄関と16%の居間であった。
いいえ
70 ~ (男性)
(女性)
図11 どこに使用したいか(ドアの場合)
(アンケート集計結果⑤-1)
60 ~69(男性)
(女性)
キッチン
7%
50 ~59(男性)
(女性)
年
齢
書斎
7%
玄関
47%
寝室
11%
40 ~49(男性)
(女性)
30 ~39(男性)
居間
28%
(女性)
20 ~29(男性)
(女性)
図12 どこに使用したいか(窓の場合)
(アンケート集計結果⑤-2)
10 ~19(男性)
キッチン
5%
(女性)
0%
50%
書斎
6%
トイレ
8%
100%
(4)取り入れる場所
ステンドグラスを生活に取り入れたいとい
う回答者に「住宅内のどんなところに使用し
てみたいか」を質問した。まず、ドアに使う
とするならば、
「玄関、居間、キッチン、寝室、
書斎」の何れに使用したいかを質問した。図
11のグラフからわかるように、47%とほぼ半
数の人が玄関にと答えた。次に多かったのは
28%の居間である。玄関のドアは住宅の象徴、
その家の顔の部分である。また居間のドアは
家庭の象徴である。家族が集まる場所に1つ
ステンドグラスを取り入れることにより、心
がやすらぎ、楽しく有意義に家族団欒の時間
を過ごせると考えるようである。
次に窓に使うとするなら、
「玄関、居間、キッ
チン、寝室、書斎、階段踊り場、トイレ」の
何れに使いたいかを質問した。図12のグラフ
からわかるように、階段踊り場が31%で最も
多い。教会などもそうだが、上部の窓をステ
ンドグラスにすることで、上から差し込む光
その他
2%
階段
踊り場
31%
寝室
9%
居間
16%
玄関
23%
(5)取り入れるにあたっての懸念事項
ステンドグラスのある住宅に住んでみたい
という意見は多数あるにもかかわらず、それ
ほど多く取り入れられていないのが現実であ
る。それにはおそらく何らかの理由があると
思われる。そこで、
「ステンドグラスを住宅に
使用する場合、気がかりになる事柄は何か」
を質問した。
図13から分かるように、値段を挙げた人が
35%と最も多い。次に、強度に対する不安が
28%、デザインに対する不安が22%と続いた。
これらの気がかりになる要素の不安を解消す
─ 53 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
ることが、普及のための重要なポイントとな
る。
アンケートに自由に記述された内容とし
て、次のような不安が述べられていた。
「ス
テンドグラスを取り入れると、通常の窓より
値段は高くなるが、どれほど高くなるのか判
明しない。
」
「強度が不安だ」
「年数がたてば色
落ちしないだろうか」
「洋風の家には合うが、
木造の一戸建てに合うのだろうか」
「和風の建
築に合うものがあるのだろうか」
図13 懸念事項
(アンケート集計結果⑥)
メンテナンス
1%
色調
12%
その他
2%
値段
35%
デザイン
22%
強度
28%
2.製作者の実態調査
ステンドグラスを製作・販売している2工
房にヒアリング調査を行った。T工房は、ス
テンドグラスの製作・販売およびステンドグ
ラスの材料であるガラスの輸入販売をして30
年になる。当工房はガラスの卸販売では国内
の大手として全国に出荷している。材料のガ
ラスの輸入元は主としてアメリカである。K
工房は、静岡市を拠点に26年間ステンドグラ
スの製作・販売に関わっている。当工房は
SGAA(アメリカ・ステンドグラス協会)と
も連携を持ちながら国際的にステンドグラス
の作品の芸術性を積極的に高める活動を行っ
ている。両工房から以下の内容がヒアリング
された。
① 両工房のステンドグラス製品の主な最終
販売先は個人住宅である。ステンドグラス
を製作・販売するルートについては、主と
して住宅メーカーからの受注によるもので
ある。新築あるいは改築の際に注文を受け
ると、施主と直接会い、作品の相談をする。
多くの工房がこのようなスタイルで製作を
行っており、今後もこのような状況が続く
と考えられる。10)
② 注文者は50歳代以上の年配層、特に女性
が多い。
③ ステンドグラスの製作は、デザインを決
定する段階を含め、手間のかかる工程が多
く、時間を要する。現在、すべて手作業で
行っており、機械化は考えられない。
④ 手間と時間がかかるため値段が高くな
る。しかし、値段の設定について不確かな
面が多い。
⑤ 強度への不安に対して、T工房による
と、
「ステンドグラスは強い」そうである。
1995年に起こった阪神淡路大震災では、激
しい地震であったにも拘らず、多くのステ
ンドグラスが割れずに残っていた。基本的
にいくつものガラスを組み合わせて作り上
げたものなので強度があるそうである。
⑥ ヒアリングを行った両工房ともステン
ドグラス教室を運営している。生徒は関心
の高い女性が多く、作品制作の技術指導を
行っている。全国の多くの工房が同じスタ
イルで教室運営を行いながら経営を保って
いる。
⑦ 材料の輸入ガラスを大量に購入し在庫す
る期間が長いことも経営を圧迫する。ステ
ンドグラス製品の製作・販売だけでは経営
が保てず、教室運営、ガラスの輸入卸売な
どを並行して行っている。
⑧ 多くの工房が家族で運営する小規模経営
であることも特徴である。
⑨ 個人住宅におけるステンドグラスの市場
は景気に左右され、景気の良い時には注文
が多く、不景気の時には注文が減少する。
バブルが崩壊し日本経済全体が不景気にな
るとステンドグラスの市場も縮小したが、
10)T工房ではかつて、ステンドグラスをはめ込ん
だドアの製作・販売、ランプシェードなど小物
の製作・販売を見込み生産で行っていたころも
あったが、現在では受注販売のみを行っている。
─ 54 ─
ステンドグラスを地域産業とする可能性についての調査研究
現在、持ち直しつつある。
⑩ また、1980年代後半から1990年代にかけ
て、かつて「箱もの行政」と呼ばれ多くの
自治体が美術館、博物館、劇場、公民館、
体育館など公共施設の建設に重点を置いた
頃には、ステンドグラスを取り入れた建物
が多く誕生した。バブル時代には自治体も
裕福であり、建物にステンドグラスを取り
入れる余裕があり、その後の平成不況期に
も景気浮揚のための国からの補助金政策に
より、多くの施設が建設され、その中には
ステンドグラスの取り入れがみられた。と
ころが「箱もの行政」への批判が起こり、
その後の不景気と併せて現在は公共施設の
建設が減少し、それに伴ってステンドグラ
ス受注も減少している。
3.販売者の実態調査
ステンドグラスを取り入れた住宅の販売を
行っている住宅メーカー 3社にヒアリング調
査を行った。戸建て注文住宅、分譲戸建て住
宅、分譲マンション、賃貸住宅などの住宅建
設を行う国内大手のハウスメーカーであるS
社、充実した洋風建築に定評のあるM社、浜
松を地盤に戸建て注文住宅、商業施設などの
住宅建設を行う地元ハウスメーカーであるH
社にヒアリングを行った。
① ステンドグラスを取り入れた住宅は、S
社の場合年間受注件数の約5% 11)、M社は
20 ~ 30%、H社は30 ~ 35%の回答であっ
た。洋風住宅を得意とするM社と個性豊か
な住宅で大手企業と競争する地元ハウス
メーカーH社は、ステンドグラスを取り入
れる割合が高い。
11)S社の場合、ステンドグラスを取り入れたリビ
ングドアを支店内に展示し、パンフレットで紹
介しているにもかかわらず割合でみると注文は
多くない。その理由は、リビングドアにはステ
ンドグラス以外にデザイン性に富んだ商品が数
多く存在し、それらのヴァリエーションも豊富
であることから、客の選択肢が多岐にわたって
いることが挙げられる。また、ガラス製品につ
いては、ステンドグラス以外にカットガラスが
あり、デザインも多彩であることから、客がカッ
トガラスを選択するケースが多いことも理由と
して挙げられる。
─ 55 ─
② 3社は、ステンドグラスに関するパンフ
レットを店舗に配置し、見本を展示するな
ど、常に客の目に触れさせる準備はできて
いた。
③ 3社は、各々異なるステンドグラス製作
会社あるいは工房と提携している。2社は
静岡県内の工房と提携し、残る1社は県外
(東京都)の工房であった。
④ ステンドグラスを住宅に取り入れる場
合、ステンドグラスのオリジナルデザイン
を提携する製作会社に依頼し、施主と相談
しながら取り入れるケース、施主がステ
ンドグラスを持ち込むケース、および製
作会社が既定のパターン化されたデザイン
をパンフレット等で示し、販売するケース
がある。パターン化されたデザインをパン
フレットで選ぶ場合、色彩の変更やデザイ
ンの部分的変更などはオプションで可能と
なっている。施主が持ち込む場合は、自分
で製作した作品、先祖代々の家で使われて
いたもの、国内で自分で購入したもの、あ
るいは海外から輸入できる既製品の質は悪
いが安いものを取り入れるケースもある。
⑤ ステンドグラスの注文者は50歳代以上の
女性が多い。小さいサイズで比較的値段の
低い製品やランプシェードなどの小物は30
歳代から幅広い年齢層で取り入れたいとい
う要望がある。
⑥ 取り入れる場所は、リビングのドア、部
屋の間仕切り、壁、窓(はめ込み)である。
⑦ 製品の金額はデザインの複雑さとサイ
ズの2つの要素で決まる。デザインが複雑
になれば高額となり、サイズが大きくなれ
ば高額となる。近年のデザインの傾向は
ティファニー系からシンプル系やモダン系
に若干変化したそうで、景気の変動にも影
響されるそうである。パンフレットに掲載
されている製品の金額は、100cm×70cmあ
るいは50cm×130cmで10万円から20万円程
度、40cm×110cmで7万円から10万円程度、
15cm×45cmで2万円程度である。
⑧ ステンドグラス製品を取り入れる客は増
加しているわけではなく、今後もこれまで
と同じ状況が続くことが予測される。3社
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
とも販売の拡大は客のニーズ次第というこ
とである。
Ⅳ.問題点
ステンドグラスを地域産業とし、地域の活
性化に繋げることができるかを念頭に多くの
調査を行ってきた。その結果、ステンドグラ
スの利用者、製作者、販売者の3者の側にそ
れぞれ問題を抱えることが判明した。問題点
とは以下に列挙する内容である。
1.消費者の抱える問題点
アンケート調査の結果、57%(男性42%、
女性72%)の人が住宅に取り入れたいという
思いを持ちながらも、ステンドグラス市場は
それほど活況ではない。その理由は以下のこ
とが考えられる。
① 消費者のニーズと製品価格が適合してい
ない。住宅に取り入れたいという興味関心
の高さと製品購入時の価格が適合しない。
高額な製品を購入する消費者は、金額の高
さを超える興味関心があるか、もしくは経
済力があるかのどちらかである。多くの消
費者に受け入れ可能な水準での金額設定の
実現が求められる。
② 消費者がステンドグラスを調達するルー
トに詳しくない。個人で調達する時、依頼
先が分からない、またインターネットな
どで調べ工房を訪ねようとしても敷居が高
い。
③ 利用者は、ステンドグラスの強度につい
て不安を持っている。ステンドグラスの正
しい知識や利用方法などについての情報が
少ないためである。
④ ステンドグラスを日常生活の周辺で見て
触れる機会の少ないことが挙げられる。ア
ンケートの結果、ステンドグラスを見たこ
とがあると答えた人の多くは、それを教会
や結婚式場で見たと答えていた。身の回り
の生活の場で見ているわけではない。それ
ゆえ身近なものと考えにくく、住宅に取り
入れようとする発想に乏しくなる。
─ 56 ─
2.製作者の抱える問題点
① 製作することが本来の立場であり、職人
としての意識が高く、それに対する充実感
や満足感は持っていたとしても、経営体と
しての意識の高い工房が少ない。したがっ
て、製品に対するコストや価格が不明瞭と
なっている。コストや価格に対して厳密に
考える必要がある。そうすることで正当な
利益の確保、不当な利益の排除が実現でき
る。
② 次に、販売等の営業力に乏しいことが挙
げられる。注文に対し、客の意向を受けな
がら製作することはあっても、注文の無い
多くの消費者への働き掛けがない。ニーズ
の掘り起こしおよび販売ルートの拡充への
熱意の高まりと工夫に乏しいと思われる。
③ コストに対する改善の工夫に乏しい。ス
テンドグラスは芸術性の高いものである。
それを一般市民の手の届く位置におくには
発想の転換が必要である。お寿司に例えれ
ば、値段の法外な高級な寿司もあれば、一
定の美味しさを保ちながら価格の明瞭な安
い寿司もある。安さを実現したのは、寿司
業者がそれなりの工夫を施した結果であ
る。ステンドグラスにおいても、品質を損
なわずにコストを下げるという改善努力を
期待するところである。
3.販売業者、特にハウスメーカーの抱える
問題点
① ステンドグラスに関する正しい知識が十
分でないことが挙げられる。例えば、ステ
ンドグラスの強度に関する点であるが、ヒ
アリングの結果、製作者と販売社では認識
が違っていた。おそらくステンドグラスの
品質の違いによって強度の違いが生まれる
のであろうと思われるが、販売業者はそう
した事柄に関する情報収集に努め、詳しい
知識を修得する必要がある。
② 製作者との交流に乏しい。会社が提携す
る製作者との係わりはあるものの、広く他
の製作者と交流する機会に恵まれていな
い。したがって取り扱う製品や取り扱い方、
および製品に対する知識が硬直しやすい。
ステンドグラスを地域産業とする可能性についての調査研究
Ⅴ.今後の方策
前章において、ステンドグラスの消費者、
製作者、販売者の3者の側で抱えるそれぞれ
の問題点を網羅してきた。ステンドグラスを
地域産業とし、地元地域の活性化に繋げるに
は、乗り越えなければならない多くのハード
ルがあるが、これらの問題点を一つずつ克服
していくことが目的達成のために必要である
ことは明らかである。調査が進むにつれ、問
題点が次々に露見し、仮説に示された、地域
の中小企業への呼びかけを行うには困難な状
況であることが判明してきた。今、必要なこ
とは製作者と販売者、および消費者がより強
く連携し、情報交換に努めることである。情
報の縦糸と横糸が無尽に張られた環境をつく
り、製作者と販売者が密接に交流し、また消
費者のステンドグラスに親しむ機会を多くす
ることである。そうすることでステンドグラ
スの市場が拡大し、活況を帯びることになる
のであろう。克服のための方策を以下のよう
に考え、提案を行う。
1.ステンドグラス見本市を開催する。
これはステンドグラスの製作者と販売者の
交流の機会を創出し、情報の非対称性を低下
させ、販売の拡充、生産の効果を高めるため
のものである。磐田市新造形創造館が核とな
り主体となり、ステンドグラス見本市を開催
する。県内の多くの製作者(工房)とハウス
メーカーや家具メーカーなどが参加し、取引
を行う。住宅の窓、ドア、家具などテーマを
定め開催することが効果的と思われる。
① 見本市は販売ルートの拡充を創出する
可能性がある。たとえば住宅メーカーや家
具メーカーが現在よりも一層住宅や家具へ
の取り入れを考えるきっかけとなることが
予想され、提携工房以外の工房との取引を
拡充する可能性がある。また、小規模製作
作者の掛け橋となる住宅メーカーは市場拡
大のための重要なポイントである。ところ
が現在、実際に住宅メーカーと製作者の間
で正しい情報交換ができず、ステンドグラ
スに対する知識のずれが生じている場合が
あり、消費者に正しい情報が伝わっていな
い可能性がある。したがって製作者と販売
者の密な情報交換が必要になってくる。販
売者が正しい知識を持ち、製作者と消費者
の掛け橋になり、製品の製作方法、利用方
法、強度や価格等に関する情報を自信を
持って消費者に伝えることが重要である。
そうすることで顧客に適切に製品を販売す
ることができ、ステンドグラスの魅力と市
場の拡大につながるのである。
③ 製作者は広く販売者と接することによ
り、広く消費者のニーズに関する情報を得
ることができ、消費者ニーズに対して効果
的な生産が可能となる。
④ 自社の製品に対して磨きを掛けるモチ
ベーションが高まる。デザインの変化や原
価低減への工夫も生まれる可能性がある。
⑤ 多くの人が交流することでステンドグラ
スの利用方法にアイデアが生まれ、実現の
可能性も高まる。たとえば、ステンドグラ
スを絵画やインテリアのように季節や気分
に合わせて簡単に取りかえることができる
ようになれば、ニーズも増えるのではない
かという意見がヒアリング時にあった。
2.商店街や公共の場での積極的利用
バブル時代に見られるように、これまでも
ステンドグラスは公共構築物に取り入れられ
てきた。ここでの提案は、
「街づくり」の一環
で用いる。商店街の様々な個所でステンドグ
ラスを使用し、一般市民が身近に親しむこと
ができる環境を作り上げる。商店主が客との
会話の中でステンドグラスについて自身の体
者をまとめる販売専門の業者が現れる可能
性もある。製作のみに傾注したい生産者に
とっては良きパートナーになり得る。
② 住宅メーカーと製作者が交流することに
より、販売者は製品の正しい知識を入手し、
消費者に伝えることができる。消費者と製
─ 57 ─
験として話ができる状況を作る。そうするこ
とで一般市民の中で関心が高まり、自分の生
活の中にも取り入れようとする気運が作られ
る。
ステンドグラスが地域の産業になりうるか
どうかは、地域住民の関心がどこまで高まる
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
かにかかっており、大変重要な要素である。
地域住民の関心は、次に消費を呼び、従事者
を増加させ、地域産業として定着させる。
3.シンボルを創る
Ⅱにおいて詳述したように、
「磐田市新造形
創造館」および「小川三知」をシンボルに、
ステンドグラス地域産業化を図る。この施設
を核にして事業を興し、認知の向上を図るこ
とができる。また小川三知は日本で初のステ
ンドグラス作家と言われ、日本におけるステ
ンドグラス技術の伝達と普及に多大な貢献を
した郷土の誇りである。前述のステンドグラ
ス見本市においても、
「磐田市新造形創造館」
と「小川三知」はシンボリックな存在となり
うる。
県内の製作者(工房)は各々ステンドグラス
教室を運営し、技術者や愛好者を増やしてい
るが、残念なことに横の連携に乏しい。シン
ボルを創ることで、それらを横の連携のかな
めとし、県内の製作者(工房)のネットワーク
を作り、互いの向上と利便を図ることができ
る。また、県内の関心の盛り上がりを実現し、
静岡県とステンドグラスを全国に発信するこ
とができる。
Ⅵ.おわりに
以上本論を通じて、地域のものづくりに携
わる中小企業の振興、およびそれに伴う地域
経済の活性化を目的として、ステンドグラス
の製作・販売を地域産業に育て上げ、静岡県
地域をステンドグラスの郷にする可能性につ
いて論じてきた。実態調査によって仮説の現
時点での実現不可能な部分、すなわちものづ
くり中小企業を巻き込んだ内発的産業創造の
未達成が明らかとなり、将来に期待すること
とした。しかしながら近未来に行動するべき
項目が明らかにされた。これらは、現在ステ
ンドグラス産業に関わっている事業者の充実
を図り、それに伴なって産業の同質性と連帯
性の発展を図ろうとするものである。さらに、
地域産業の発展に最も大事な要素である住民
主体の啓発も包含している。今後の方策で立
てられた新たな目標を検証することが次なる
課題である。
最後に、本調査に助成を決断くださった公
益財団法人はましん地域振興財団、アンケー
ト調査にご協力くださった磐田市役所、磐田
市商工会議所、静岡産業大学経営学部、その
ほか多くの皆さま、ヒアリング調査にご協力
くださった株式会社ツチヤ工芸、ステンドグ
ラス工房かわもと、株式会社花みずき工房、
積水ハウス株式会社静岡支店、三井ホーム株
式会社浜松営業所、株式会社ステラ、磐田市
新造形創造館の皆皆様に心より御礼申し上げ
ます。
【参考文献】
1. 伊東維年、柳井雅也『産業集積の変貌と
地域政策』ミネルヴァ書房、2012年
2. 伊藤正昭『新地域産業論』学文社、2011
年
3. 植田浩史、立見淳哉『地域産業政策と自
治体』創風社、2009年
4. 植田浩史、粂野博行、駒形哲哉『日本中
小企業研究の到達点』同友館、2010年
5. 植田浩史、北村慎也、本多哲夫『地域産
業政策』創風社、2012年
6. 坂本光司、南保勝『地域産業発達史』同
友館、2005年
7. 志田政人、草間幸子著『伝統に学ぶステ
ンドグラスⅠ』日貿出版社、2005年
8. 志田政人、草間幸子著『伝統に学ぶステ
ンドグラスⅡ』日貿出版社、2007年
9. 関 満 博『 変 革 期 の 地 域 産 業 』 有 斐 閣、
2006年
10. 増田彰久、田辺千代著『日本のステンド
グラス 小川三知の世界』白揚社、2008
年
11. 増 田 彰 久、 田 辺 千 代 著『 日 本 の ス テ ン
ドグラス 宇野澤辰夫の世界』白揚社、
2010年
12. 増田彰久、田辺千代著『日本のステンド
グラス 明治・大正・昭和の名品』白揚社、
2013年
13. 南保勝『地場産業と地域経済』晃洋書房、
2008年
14. 田辺千代「日本のステンドグラス史 神
─ 58 ─
ステンドグラスを地域産業とする可能性についての調査研究
奈川のステンドグラス 」
『郷土神奈川』
第42号、 神 奈 川 県 立 図 書 館、 平 成16年
http://www.stained.co.jp/tanabe/kk42_15.
html (2014年3月2日アクセス)
15.「磐田市新創造造形館」http://www.iwatasouzoukan.jp/(2013年11月21日アクセス)
16.「 磐 田 市 文 化 芸 術 振 興 計 画 書 」http://
www.city.iwata.shizuoka.jp/keikaku/pdf/
bunkageijyutu/ (2013年11月21日 ア ク セ
ス)
17.「平成24年静岡県の工業 調査結果の概要
(PDF:480KB)
」統計センター静岡http://
toukei.pref.shizuoka.jp/index.html(2014年3
月28日アクセス)
─ 59 ─
静岡県における漁業資源管理
─ 漁業供給関数をつかって ─
Fisheries Management in Shizuoka
谷 口 昭 彦
Ⅰ.はじめに
Ⅱ.静岡県の漁業
Ⅲ.計量分析
Ⅳ.推計結果
Ⅴ.まとめ
Ⅰ.はじめに
本稿は魚種別の供給関数を推計し、資源管理を価格と漁獲量との関係を考慮した上で、さまざま
な施策を講じることを提案するものである。現在の資源管理では資源量の測定から資源量をコント
ロールする方向で進むことが多い。本稿では、価格を合わせて考慮したときの魚種別の管理につい
て考えようとするものである。
魚種はかつお、しらす、さば、あさりの4種類を選んだ。年次別に主要な魚種を選ぶとすると4種
類の魚種の漁獲量が大きなシェアを占めている。シェアの大きい魚種を選ぶとこれら4種類となっ
た。ただし、あさりについて、漁獲量は大きくないが全国的なあさりの漁獲量を見た場合、静岡県
はあさりの漁獲で大きなシェアを占めているので分析対象として選んでいる。
Ⅱ.静岡県の漁業
静岡県は、入り組んだ岩礁域の伊豆半島、湾口部では水深2500mにも達する深海性の駿河湾、広
大な砂泥域からなる遠州灘、そして海水と淡水が混じり合う浜名湖と変化に富んだ海岸線を有して
おり、その総延長は、505kmの海岸線と浜名湖の141kmの湖岸を合計した646kmにも及んでいる。ま
た、沖合には黒潮が流れ、沿岸から沖合へと広がる海域は黒潮の恵みを豊かに受ける魚の宝庫であ
り、生産性の高い漁場が形成されている。
資源管理として、静岡県水産技術研究所により、資源量に関するレポートがまとめられている。
かつおの資源評価は2001年以降、中西部太平洋全体で年間104 ~ 180万トンが漁獲され、日本では
年間23 ~ 32万トンが漁獲されている。静岡県での漁獲量は、11 ~ 15万トンである。資源量に関し
ては、中西部太平洋の漁獲量は年々増加しているとまとめている。
しらすについては、資源の状況として、しらす漁獲量は、昭和30年代に7000トン~ 8000トン、昭
和45年~ 61年には昭和50年を除き10000トンを超えたが、昭和62年以降は、平成16年に3000トンと
大幅な減少があったものの、概ね8000トン前後で推移しており、資源水準は安定していると推察さ
れる。資源管理目標においては、現状維持を基本方向として管理するとしている。漁獲の漁法につ
いては、しらす船びき網漁業(しらす・いわし船びき網漁業許可を含む)のみである。しらす船び
き網漁業でのしらす漁獲については、近年漁獲量が安定している。今後ともこの状況を維持するた
め、漁業調整規則、許可内容、制限又は条件の遵守に加えて、自主的措置に取組むとしている。
さば類について、資源の状況では、静岡県内で漁獲されるさば類は太平洋に分布する太平洋系群
で、国の海洋生物資源の保存及び管理に関する基本指針は、マサバが資源水準は低位ながら2004年、
2007年と豊度の高い加入がある年も見られるが、年による差が大きく、動向としては横ばいと判断
─ 61 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
されるとし、ゴマサバが資源水準は高位にあるが、近年の加入量が低く、動向は減少傾向と判断さ
れるとした。資源管理目標では、
さば類は漁獲可能量制度対象魚種であるため、
国の基本指針に即し、
マサバは優先的に資源の回復を図るよう管理を行い、ゴマサバは資源を中位水準以上に維持するこ
とを基本方向として管理を行うとしている。漁獲の状況については、さば類を漁獲している漁法は、
さばすくい、棒受網、中型まき網及び小型まき網及び定置網である。資源管理措置として、さばす
くい漁業及び棒受網漁業では、近年漁獲量が安定しているが、今後ともこの状況を維持するため、
漁業調整規則、許可内容、制限又は条件を遵守するとしている。また、休漁や漁場移動等について
も引き続き取り組む必要があるとしている。
あさりについては現在、資源評価は行われていない。浜名湖のあさり漁獲量は、集計体制が整っ
た昭和57年に7832トンを記録したが、それ以降は減少傾向を示し、平成4 ~ 15年は、年間2千~ 3千
トンで推移した。16年以降の年間漁獲量は3千トンを超え、
21 ~ 23年はそれぞれ6007トン、
5483トン、
4776トンであった。近年は好調な漁獲が続いていたが、24年は2432トンと急減した。
日本の漁業全体にも共通するが、資源管理の必要性の認識や国際的な取り組みとともに国内にお
いても資源管理を行うことが当然視されているといえよう。そうした中で、どうのように資源管理
を行い、そのためにどう行動しどう分析するかなど、漁獲することだけでない考察する部分がより
大きくなっている。
Ⅲ.計量分析
○データ
関東農政局静岡農林漁業統計を利用し、1965年から2012年までの時系列データを用いる。
漁獲量と生産額の時系列データから価格を推計し、回帰分析のデータとして利用している。
漁獲量の比較的大きい4種類を選び時系列データとし、分析している。
○モデル
各魚種別に供給関数を導出し、推計する。漁業における供給関数は、通常の市場で流通する財と
は異なり、フリーアクセスが可能な財となっているため、形状が異なる。
長期供給関数の関数形については、M.B.Schaeferのモデルから下記の通り導出する。Qは生産量、
Xは努力量、qは漁獲効率、Lは環境収容量、Kは内的資源増加率/環境収容量を表わす。このうち、q、
L、Kは定数である。
Q = qLX – (q 2 / K ) X 2
ここで、 qL = a 、
q2
= b として、生産関数は次のように整理できる。
K
Q = aX – bX 2 ・・・(1)
生産額関数は、上記式(1)に価格 p を両辺に乗じると、pQは価格×数量=生産額となり、生産額関
数は次式(2)で表される。
pQ = apX – bpX 2 ・・・(2)
─ 62 ─
静岡県における漁業資源管理
次に、利潤関数 ∏ を下記の通り仮定し、生産関数(1)を代入する。ここで w は単位努力量あたり
の費用(努力量価格)である。
∏ = PQ – wX
∏ = P(aX – bX 2 ) – wX
∏ = ( Pa – w) X – PbX 2
漁業の一般的な供給関数(オープン・アクセスまたはそれに近い状態)を導出する。共有資源の
漁獲均衡点はCPE(Common Property Equilibrium)であるため、利潤ゼロ点である。したがって、利
潤関数は以下のようになる。
∏ = ( Pa – w) X – PbX 2 = 0
Pa – w = PbX
∴X =
Pa – w
Pb
これをもとの生産関数に代入して、式を整理し、供給関数を得る。
Pa – w ⎛ Pa – w ⎞
|
– b|
Pb
⎝ Pb ⎠
2
Q =a
Q=
ここで、
Paw – w 2 a w 1 w 2
=
–
bP 2
b P b P2
a
1
= α 、 – = β とすると、
b
b
Q =α
w
w2
+β 2
P
P
w を一定と仮定すると、式(3)のように整理される。
Q =α ’
1
1
+β’ 2
P
P
[st.α ’ > 0, β ’ < 0]
式(3)が長期供給関数となる。
─ 63 ─
・・・(3)
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
Ⅳ.推計結果
推計結果を次のように示す。すべての結果で有意水準1%を満たし統計的な検定を満足している。
推計値の符号も理論的な制約と一致している。
かつおの推計値
変数
推計値
t値
P値
α
22663.4
17.8427
[.000]
β
-1778.45
-10.7015
[.000]
かつお漁獲量と価格
0.6
百万円/トン
0.5
0.4
かつお
かつお実測値
0.3
0.2
0.1
0
0
20000
40000
60000
トン
80000
100000
120000
漁獲量
価格
2007
2010
2004
1998
2001
1995
1989
1992
1983
1986
1980
1974
1977
1971
百万円/トン
0.35
0.3
0.25
0.2
0.15
0.1
0.05
0
120000
100000
80000
60000
40000
20000
0
1965
1968
トン
かつお価格と漁獲量
年
○かつお
かつおの推計値から供給関数を描き、実測値をプロットした。
かつおの供給関数から外側にプロットされた値は、過剰漁獲となる。持続可能な最大漁獲量(MSY)
は、72175トン、この数字は静岡近海でのMSYとなる。
漁獲量を見ると1995年あたりから80000トン前後の漁獲となり、価格は比較的安定している中、
漁獲量に関しては過剰漁獲と判断される。
─ 64 ─
静岡県における漁業資源管理
しらすの推計値
変数
推計値
t値
P値
α
5218.46
19.8796
[.000]
β
-448.951
-11.857
[.000]
しらす漁獲量と価格
1.2
百万円/トン
1
0.8
しらす
しらす実測値
0.6
0.4
0.2
0
0
5000
10000
トン
15000
20000
1.2
1
0.8
0.6
0.4
0.2
0
20000
トン
15000
10000
5000
漁獲量
価格
2010
2007
2004
2001
1998
1995
1992
1989
1986
1983
1980
1977
1974
1971
1968
1965
0
百万円/トン
しらす価格と漁獲量
年
MSY15162トン
○しらす
MSYは15162トンであり、その時の価格は約0.2百万円/トンである。1980年後半から価格の推移を
見ると約0.6百万円/トン以上の価格水準となっている。漁獲量は約1万トンの水準である。供給曲線
を見ると価格0.6の水準では約7500トンの漁獲量が最適となっている。約2500トンの過剰漁獲と判断
できる。
─ 65 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
さばの推計値
変数
推計値
t値
P値
α
6858.66
15.3047
[.000]
β
-154.66
-7.64464
[.000]
さば漁獲量と価格
0.3
百万円/トン
0.25
0.2
さば
さば実測値
0.15
0.1
0.05
0
0
20000
40000
60000
トン
80000
100000
120000
120000
0.25
100000
80000
0.2
0.15
60000
0.1
40000
20000
0.05
0
百万円/トン
さば価格と漁獲量
漁獲量
価格
19
65
19
68
19
71
19
74
19
77
19
80
19
83
19
86
19
89
19
92
19
95
19
98
20
01
20
04
20
07
20
10
0
MSY76010トン
○さば
さばのMSYは、供給曲線から読み取ると76010トンである。価格は1992年に最大0.23まで上昇した。
1990年後半では0.1を超えない価格水準となっている。漁獲量は周期的な変動をしている。最近の傾
向はMSY以下に抑えられていて、過剰漁獲にはなっていない。価格と漁獲量の関係である供給曲線
上での判断であるが、資源管理はうまく過剰漁獲を超えない運営になっている。
─ 66 ─
静岡県における漁業資源管理
あさりの推計値
変数
推計値
t値
P値
α
317.747
4.40199
[.000]
β
-5.87906
-3.50795
[.001]
あさり漁獲量と価格
0.9
0.8
百万円/トン
0.7
0.6
0.5
あさり
あさり実測値
0.4
0.3
0.2
0.1
0
0
2000
4000
6000
8000
10000
トン
10000
8000
6000
0.3
0.2
4000
2000
0
0.1
百万円/トン
0.4
漁獲量
価格
2010
2007
2004
2001
1998
1995
1992
1989
1986
1983
1980
1977
1974
1971
1968
0
1965
トン
あさり価格と漁獲量
年
MSY4293トン
○あさり
あさりのMSYは4293トンである。価格水準は1980年以降、上昇し0.3前後となっている。MSYでの
価格水準は0.04となっていて、価格水準が0.3の場合の漁獲量は約1000トンである。約2000トンの過
剰漁獲となっている。あさりの価格が高止まりであることから漁獲量が約3000トン程度となってい
る。供給曲線から判断される約2000トンの過剰漁獲からあさりの資源管理が必要だろう。
─ 67 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
Ⅴ.まとめ
資源評価におけるMSYの推計方法は代表的なものを上げると単位(漁獲)努力量当たり漁獲量
(CPUE:Catch Per Unit Effort)を推計して資源量を推計する方法がとられる。
技術的な変化や漁法の変化や地域の特徴などさまざまな変数を考慮して推計される。今回の供給
曲線推計では漁獲効率(=CPUE)を一定として推計しているので資源評価からの推計方法とは数
値に開きがあると考えられる。しかしながら、漁獲を行う理由は、漁師にとっては利潤最大化行動
以外にない。価格と漁獲量の関係を考慮して資源評価を試みることは実際の漁業経営を支えるヒン
トを提供できる。
価格が利益と関係するため、資源の過剰漁獲だけを言っても、状況の改善は難しい。漁獲だけで
なく加工することも視野において、あるいは漁獲量を調整し、価格を高止まりさせることもひとつ
のやり方であろう。
漁業経営は経済学的な計量分析からヒントを集めていくことで、静岡の(日本の)成長産業にな
りうる可能性を秘めていると思う。
参考文献
Hanley、Nick、Jason F. Shogren、Ben White(2007) “Environmental Economics in theory and practice”
Palgrave.
河田幸視(2007)
『自然資源管理の経済学』大学教育出版.
河田幸視(2008)
『生物資源の経済学入門』大学教育出版.
─ 68 ─
石垣市を訪れる台湾人旅行者について
Taiwanese travelers visiting Ishigaki Island
藤田依久子・山川和彦・温琳・藤井久美子
1.はじめに
2.調査地域概況
3.石垣市の観光施策
4.台湾からの旅行事情
5.言語景観
6.観光関連従事者への聞き取り
7.まとめ
1.はじめに
2013年訪日外国人旅行者は1000万人を超
え、2020年東京オリンピックに向けて2000万
人の外国人旅行者の受け入れが想定されてい
る。一般に日本人の国内旅行が低迷している
観光地では、訪日外国人の増加に、地域経済
の活性化を期待するところである。その反面
で、さまざまな負担が地域に生じていること
も事実である。執筆者のひとり山川は、北海
道倶知安町やタイ・プーケットでの調査から、
外国人旅行者が増加することによりホスト社
会の言語的な適応に変化が生じることを明ら
かにした。それは言語景観の変化、社内的な
言語研修の実施、言語能力を有する人の雇用
と人口の社会的な移動などにつながるもので
ある。一方で、習慣が違う外国人を受け入れ
ることや外国語を学習することにストレスを
感じる住民もいることがわかっている。
執筆者らは沖縄県石垣市を例として、観光
客の増加が地域社会にどのような影響を及ぼ
しているか、特にコミュニケーションの視点
から共同調査を行うこととした。その背景を
はじめに述べておきたい。石垣市には、2013
年3月新石垣空港が開港し、それに合わせて
台湾の復興航空が台北石垣間に定期便の就
航を開始した。そもそも台湾からは4月から
10月頃にかけてクルーズ船が到着し、宿泊を
伴わない観光客が降り立っている。航空機
の利用者とクルーズ利用者は旅行形態に差が
あり、旅行者を迎え入れるホスト側にも受け
─ 69 ─
入れに変化が生じるのではないかと仮定し
た。この仮説を検証するために、藤田、山川、
温の3名は2014年2月に第1回目の現地調査を
行った。台湾からのクルーズ船が入ってこな
い、いわば閑散期に近い状態を見ておくため
の予備調査的な意味合いを持つものであっ
た。また藤井は同3月に台北にて旅行関係者
に沖縄へのツアーに関する聞き取りを行っ
た。本論は、これらの予備調査から見えてく
る問題の所在を整理したものである。
なお、石垣島を含めた八重山観光、台湾と
の関係に関する文献として、学術書ではない
が史料的な価値のある『八重山観光の歴史と
未来』
、一般書でありながら示唆に富む『石
垣島で台湾を歩く』
、八重山と台湾との混交
を含めた考察を行っている上水流(2011)は
本研究を進めるうえで有益なものである。石
垣島に寄港するクルーズ船に関連する調査研
究として次の二点がある。
「クルーズ船台湾
人観光客アンケート調査報告書」
(
「日本「周
辺」地域にみる国境変動とアイデンティティ:
韓国・台湾との越境を巡って(調査者、上水
流久彦)1)は、
報告者も書いているように「台
湾人観光客の実感、実態を知る」ための調査
で、来島理由、来島後の感想(期待値と結果)
、
消費行動など概括的な調査データが扱われて
1)
2011年9月12日実施
http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/home/
kikakubu/kankou_bunka_sports/kankou_bunka/
pdf/2012032101.pdf(2014年3月18日確認済)
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
いる。また
「クルーズ船台湾人観光客アンケー
ト調査ユーグレナモール編」
(石垣市企画部観
光交流推進課)2)は、クルーズ船を利用した
台湾人の中でも観光バスツアーを利用しない
フリーの旅行者を中心に動向調査をしたもの
である。この中で市街地の環境整備に関して、
外国語対応の課題、
「日本人観光客の求める雰
囲気と台湾人観光客の求める雰囲気のバラン
ス」の取り方などの課題が示された。これら
先行研究を参考としながら、観光客が遭遇す
る言語上の具体的な問題点、観光客を接遇す
るスタッフの問題点にアプローチしていきた
いと考えている。
2.調査地域概況
2.1 八重山諸島と石垣島
沖縄本島のさらに南西、台湾にかけて点在
する島々は、先島諸島と呼ばれ、宮古島を中
心とする宮古諸島、その西に位置する八重山
諸島、そして尖閣諸島が含まれる。今回の考
察対象である石垣島は、八重山諸島の中核地
になる。最近の旅行商品の中では沖縄離島を
旅する商品が人気を博し、石垣島、竹富島、
小浜島、西表島などを巡る旅が販売されてい
るが、これらの島々は隣接するも、行政的に
は石垣島と尖閣諸島が石垣市、竹富島、西表
島、小浜島、黒島、波照間島、鳩間島、新城島、
由布島の8島(有人島)が竹富町、与那国島
が与那国町となっている。
石垣島への訪日外国人旅行者を考えるうえ
で、地理的な位置づけを確認しておく必要が
ある。石垣市から那覇までの距離は411キロ、
一方、台北市273キロ、基隆市259キロである。
石垣市からの1000キロ圏には鹿児島、上海、
香港があり東アジアとのアクセスが良いこと
がわかる(図1)
。
石垣市の人口は48,817人(2014年1月)で、
人口動態を見るに離島であるにもかかわらず
人口増加が継続している(平成22年/同17年は
3.8%増)。また、生産年齢人口比率が高いこ
とがあげられる(男性で66.8%、同沖縄県平
均が65.2%)
。外国人登録者数は2012年末時
点で239人、最も多いのは中国・台湾の48名、
次いでフィリピン46名である。2003年~ 12年
の10年を取ると52か国からの外国人が登録し
ていたことになる。国内各地からの移住者は
2012年度末で3075人である3)。
2.2 石垣市の入域観光客
石垣島への観光客数を見る前に、まず沖
縄県全体の状況について一言触れておきた
い。2013年の沖縄県への入域観光客数4) は
5,862,900人(前年比7.4%増)であり、過去
最高の数値を達成した。この中で外国人は
55,800人(前年比46.2%増)であった。沖縄
県への外国人旅行者の42.7%は台湾人であ
る。
3)
4)
5)
図1 石垣市から近隣地域への距離
2)
http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/home/
kikakubu/kankou_bunka_sports/kankou_bunka/
pdf/2012040901.pdf(2014年3月18日確認済)
─ 70 ─
統計いしがき平成23年度版による。http://www.
city.ishigaki.okinawa.jp/home/kikakubu/kikaku/
index.htm#p11
沖縄県に入域する沖縄県居住者以外の人数(沖
縄県観光要覧による)
。航空機、航路を利用し
て到着する旅行者数に、推計混在率を乗じて、
入域観光客数を推計したもの。
新石垣空港は沖縄県が設置管理する地方管理空
港。滑走路は2000m×45mで中型ジェット機の
就航が可能である。旅客ターミナルは国内線と
国際線に分かれているが、国際線は小さく、早
くも増改築が予定されている。以前の空港は滑
走路が1500mで小型ジェット機のみが就航でき
た。滑走路が延長されたことで、200席以上の
中型機が就航し、同時にコンテナを利用した
カーゴ取り扱いも可能となった。
石垣市を訪れる台湾人旅行者について
石 垣 市 に お い て は、 入 域 観 光 数 が2011
年 656,768 人、2012 年 708,527 人、2013 年
937,024人と増加している(2013年は対前年
比132.2%)
。この背景には、2013年3月7日に
新空港(南ぬ島石垣空港)5)が開港し、スカ
イマークやピーチ・アビエーションという新
規航空会社の就航、路線の拡充による観光客
の増加がある。入域観光客の中で外国人客は
2013年には89,201人と試算され、その内訳は、
82,005人が海路、残りの7,196人が空路客で
ある。出身地域としては台湾が最も多く海路
77,605人、空路6,162人で全体の93.9%を占め
ている。法務省の出入国統計を見ると、石垣
空港で入国した外国人の国籍は、台湾、韓国、
香港の順となっている。石垣港では台湾以外
にドイツからの観光客の来島が見られる6)。
国際線の状況について一言言及しておこ
う。台湾の台北、花蓮にはすでにチャーター
機ベースで路線の開拓がなされているが7)、
新空港の開港とともに台北(桃園)との間に
復興航空が夏期ダイヤで定期便を就航させた
8)
。マンダリン航空もプログラムチャーター
便を13年10月に定期便として運航を開始し
た9)。同時にソウル(仁川)との間にもアシ
アナ航空がチャーター便を就航させた10)。ク
ルーズ船に関しては、1997年に台湾から初の
大型クルーズ船が石垣に寄港している。2014
年のクルーズ船(スタークルーズ)入港予定
は、4月10日から10月23日までの間に58回接
岸し、石垣での停泊時間は8 ~ 10時間程度と
6)
7)
8)
9)
10)
2014年2月3日 に は ド イ ツ 船 籍 が 初 入 港 し、
680人 の 乗 員 乗 客 が 下 船 し て い るhttp://www.
y-mainichi.co.jp/news/24282/。
2009年12月22日 八 重 山 毎 日 新 聞 http://www.
y-mainichi.co.jp/news/24245。2006年10月9日 琉
球 新 報 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid17905-storytopic-9.html。
冬期は運休。使用する機材はA320(150人)で、
週2便就航。
2014年夏期ダイヤではマンダリン航空に代わり
親会社の中華航空が週2便、石垣台北線に就航
する。プログラムチャーターとは期間や路線を
限定したチャーター便で運航効率を高めたも
の。
石 垣 市 観 光 協 会、 沖 縄 観 光 コ ン ベ ン シ ョ ン
ビ ュ ー ロ ー の 呼 び か け に よ る。http://www.
y-mainichi.co.jp/news/21165/。
─ 71 ─
短い11)。
2.3 石垣と台湾、沖縄本島との歴史的関係
2.1で言及したように、石垣島から台湾へ
の距離は、沖縄本島よりも近い。この地理的
関係から、八重山と台湾の歴史的関係は深い。
今日、多くの台湾人旅行者を迎える中で、交
流の「素地が歴史的に形成されていると推測
されることから、本節では両地域間の交流を
概観してみる。
1895年台湾が日本の領土になり、翌96年に
は大阪台湾航路が開設され、八重山港にも寄
港することとなり、それを契機に石垣と台湾
の往来が生じる。特に1920年以後、八重山か
ら就職や進学のために台湾に渡航するものが
多くなる。1944年には八重山から台湾への集
団疎開、また台湾出身者の引き上げが開始さ
れる12)。海路交通網と八重山の生活に関して、
小浜哲は以下のように書いている。昭和40年
前半は「非公式ながら、台湾との貿易が盛ん
になった時期であり、本土や本島からの物資
輸送が乏しいために、
(中略)非公式であって
も、地理的に近く物資が豊かな台湾に頼らざ
るを得ない状況」であり、
「八重山地域は沖縄
本島よりもある意味で豊か」であった13)。国
永美智子も小学校のころの話として、
「台湾へ
行くのは楽しみでした。祖父母に会えるのは
もちろん、プールのあるレジャー施設や遊園
地、ボリュームたっぷりのカキ氷や夜市と
いった、石垣島にはない刺激がたくさんあっ
たからです」と記している14)。現在沖縄で生
産されるパイナップルも台湾からもたらさ
れたもので、60年代から71年までは「技術導
入」として八重山のパイン缶詰工場に台湾人
労働者がやってきている。このような歴史的
背景から、現在も石垣市には台湾から帰化し
11)
台湾基隆・石垣間の単純往復するものと、那覇
に立ち寄るものがある。http://www.starcruises.
com.tw/aquarius/2014tour.aspx
なお、沖縄県は2014年那覇クルーズターミナル
ビルが供用されることからクルーズプロモー
ションを強化する予定である。
12) 国永美智子ほか(2012)P.86
13)『八重山観光の歴史と未来』P.88
14) 国永国美智子ほか(2012)P.108
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
た人々が2000人程度生活しているとのことで
ある。ただ72年に沖縄が日本に返還されると
台湾と八重山の交流が制約的になる。そして
2008年6月に八重山と台湾を結ぶ航路が運休
になる(上水流2011、56)
。今日のクルーズ
船や航空便の就航は、それまでに築かれた両
地域間の交流を復興させるものなのかもしれ
ない。現在、石垣市では中国語研修など交流
事業を行うNPO法人の存在や県立八重山商工
高校の観光コースでは中国語を必修科目とし
て学習するなど、台湾と八重山の交流の素地
はできているように思われる。
。その中で、まず、新石垣空港の開港が、
石垣市の「リーディング産業である観光業」
をはじめ第一次産業なども振興し「八重山圏
域の振興発展に大きなインパクト」があると
期待を述べている。そのためには国内外での
プロモーション活動、
「海外からの観光客受け
入れ態勢の充実」をはかることが述べられた。
そのための一つの施策が「観光文化スポー
ツ局」を新設し、観光・文化・スポーツ部門
の連携強化を図ることである。そしてCIQ16)
施設を兼ね備えた国際線ターミナルでもある
新石垣空港をアジアゲートウェイに貢献でき
る施設とすることを目指すと同時に、石垣港
に関しても東アジアの中心に位置する港湾と
なるように計画の改訂を行うこととした。
この施政方針の中で具体的に示された事項
を見てみよう。新石垣空港の観光案内所への
人員配置などにより観光客の誘客及びリピー
ター増加を図るとしている。外国人観光客の
受け入れ体制については、平成24年度に「多
言語観光案内板」を設置したことに続いて、
平成25年度は無料の広域Wi-Fiスポットを中
心市街地に整備し、クルーズ客船の受入・誘
致を積極的に推進する、と述べている。また、
国際定期便事業等を活用し、沖縄コンベン
ションビューロー 17) との連携を図り、東ア
ジア圏域をターゲットとしたインバウンド戦
略の強化に取り組む、としている。
2014年3月に二期目を迎えることとなった
中山市長は、平成26年第1回石垣市議会に
おいて行った平成26年度施政方針演説の中で
は、
「国際交流拠点都市としての石垣島が全世
界から観光客を受け入れ、そこで国籍、人種、
宗教も異なる人々が集い、交流する中から相
互理解と友情が芽生え、信頼関係を築くこと
で必ずや世界平和に貢献できる平和発信の島
になる」と確信を述べ、次いで市長二期目
の目標の一つとして、
「観光というツールを使
い、石垣島の自然や景観、芸能や祭事などの
伝統文化、独自の食文化、こころから迎え入
れる人情味のある人々など、先人から受け継
いできた多くの財産を守り育てることで、さ
らに石垣島の魅力を高め、島のなかにありと
あらゆる可能性を生み出していく」と述べた。
「石垣港港湾計画」をもとに、アジアゲー
トウェイの役割を担う石垣港についての将来
の計画について以下のように述べた。
「近年、
寄港の増加している大型クルーズ船について
は、現在の岸壁は7万トン級船舶が上限であ
るが、着岸させるためには気象などの条件が
整わないといけません。そのため、新港地区
において、条件に左右されない岸壁整備を引
き続き進め、将来的には14万トン級船舶が着
岸可能な岸壁整備と併せて、2隻同時に着岸
できる本格的な国際交流拠点港湾を目指す」
としている。
新空港の開港により、本土直行便の増加、
中型機の就航、LCCの参入、国際線の定期便
化を背景に、平成25年の入域観光客数が、過
去最高となる対前年比32%アップの93万7千
人と大幅に増加したことに触れ、観光産業を
石垣市のリーディング産業として、今後とも
一層永続的に発展させる、と述べている。新
空港国際線施設を活用し、台湾、韓国、香港
等の東アジア圏域をターゲットとしたインバ
15)
17)
3.石垣市の観光施策
3.1 石垣市長施政方針
平成25年第1回石垣市議会で、中山義隆石
垣市長により平成25年度施政方針が示された
15)
16)
http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/home/
kikakubu/kikaku/siseihousin/2013siseihousin.pdf
税関、出入国管理、検疫をさす。
─ 72 ─
沖縄観光を推進するための官民一体の一般財団
法人で、観光誘致、受け入れ活動などを行って
いる。http://www.ocvb.or.jp/index.html
石垣市を訪れる台湾人旅行者について
ウンド戦略に取り組み、積極的にプロモー
ションをかけ、国際線の定期便化、国際線
ターミナルの増改築を推進し、海路において
も、4月には7万トン級のクルーズ船が石垣
港に初寄港する、
とのことである。ポートセー
ルスによるクルーズ船の定期的な寄港と併せ
て、クルーズ船の「おもてなし誘致」を積極
的に行うためにも、観光受入基盤の向上が重
要である、と述べた。
平成25年度に行った外国人を含む観光客向
けに無料の公衆Wi-Fiを新空港、離島ターミ
ナル、市街地、観光地である川平公園に整備
に続いて、本年度は、
「観光地域づくりの大き
な課題である『地元消費額向上』
、
『ボトム期
解消』
、
『受入満足度向上』を3本柱とした施
策に取り組み、観光の質を高めることで観光
需要の安定化とリピーターの創出につなげた
いと述べた。そのための具体案として市長が
示したのは、昨今の訪日外国人旅行施策で注
目を浴びているMICE18)、スポーツツーリズム
である。
3.2 石垣市観光基本計画
石垣市は、平成25年3月の新空港開港を展
望し、石垣市のもつ資源の活用や観光産業等
の活性化を目指し、観光立市を促進し観光に
よるまちづくりを目指すことを目的として、
平成22年8月「石垣市観光基本計画」を策定
し、平成32年度までの10年間を計画期間とし
た観光分野の基本計画を打ち立てた。本節で
は訪日外国人対応に関連する事項を取り上げ
てみる。
「石垣市観光の現状と課題」の中で観光利
用と施設に関し、
「観光のユニバーサル化の実
現」
について挙げている。
「ユニバーサルとは、
言語の違い、老若男女、障がい者などできる
だけ多くの人が利用できるバリアフリーの概
念を示し」
、ユニバーサルとバリアフリーに
ついては、
「高齢者・障がいのある方・外国人
などより多くの方に、それぞれが観光におい
18)
Meeting、Incentive tour、Convention ま た は
Conference、Exhibitionの 頭 文 字 を と っ た も の。
http://www.mlit.go.jp/kankocho/shisaku/kokusai/
mice.html
─ 73 ─
て障がいとなることを排除したり、利便性を
向上させることで、愛着の沸く観光地を目指
すこと」
としている。
「観光案内の多言語発信」
について触れ、観光のユニバーサル化の実現
によって公平で安全な観光の提供を行うこと
を課題としている。
次に「観光地運営の課題」の中で、
「観光魅
力の情報発信」
、
「外国人向け案内や接遇の向
上、通貨(両替やクレジットカード)の利用
対策」ことがに取り組むことで外国人観光
旅行客の誘客が促進される」と捉えている。
CIQ施設の整備により、台湾との国際チャー
ター便定期運航化をはじめ、韓国や中国本土
など東アジア圏域へと観光交流を拡げること
を目指し、外航クルーズ船の寄航、空港や港
での入国審査の円滑化等、受け入れ体制の促
進の必要性について述べている。
今後目指す東アジア圏域との国際観光圏の
創出には、外国人観光旅行客の誘客に向けて、
独自のサービスや利点を付加価値として提供
できる仕組みづくりが、不可欠であるとして
いる。
「石垣市をはじめ八重山の玄関口とな
る空港での観光情報の発信やコンシェルジュ
機能の設置は観光立市を推進する意味でも必
要なサービス」とし、観光案内所の設置など
で観光利便を向上させ、観光案内所と観光受
け入れに係る多目的な利用の重要性について
触れている。
また、市民通訳ボランティアの登録制度を
運用し、外国人の個人旅行や団体旅行をサ
ポートする案内活動を通し、観光事業所の人
材教育を支援し、
「観光通訳ボランティア登録
制度」を活用できる体制を整える計画をたて
ている。石垣市観光文化スポーツ局嘉数博仁
局長(2014年2月17日於石垣市役所での聞き
取り)によると、現在、NPO法人八重山美ら
島塾が通訳養成講座を主催し週一回の講座を
開設しており、将来的には島内の外国人移住
者を活用し、語学に関心のある市民に相互交
流の機会として、より積極的に参画してもら
えるシステム作りを目指している。観光人材
育成には、沖縄県立八重山商工高等学校商業
科観光コースでの教育がその一つである。
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
4.台湾からの旅行事情
この章では石垣市を訪れる台湾人旅行者が
石垣市や沖縄に関してどのような情報を得て
いるのかをみるために、台湾で発行されてい
る旅行ガイドブックの記載内容を考察し、さ
らに台湾の旅行会社で台湾人旅行者が石垣旅
行に何を期待しているのかなどをヒアリング
した。
4.1 台湾で発行されているガイドブックの沖
縄情報
ここで考察するのは『沖縄4泊5日自由旅』
というガイドブックである。沖縄本島を含め
た包括的な情報が多いが、他国のガイドブッ
ク情報を見ることは少ないので、ここでは項
目ごとに、掲載内容を簡単にまとめる19)。
1) 沖縄地図
沖縄の全域地図が掲載されている。
2) 沖縄旅行暦
沖縄の1月~ 12月の気温、降水量、天気、
服装アドバイス、水温情報、主なイベン
ト及び祭りを紹介している。
3) 沖縄基本情報
具体的には、沖縄と台湾の時差や習慣
の違い、電圧の違い、沖縄での両替の仕方、
チップが必要か否か、クレジットカード
を紛失した場合の届け先、国際電話のか
け方、郵便料金、郵便局の窓口時間、祝
祭日、困ったときの連絡先、旅行中の情
報の入手先が紹介されている。困ったと
きの連絡先としては、台北中日経済文化
代表処・那覇分処、旅行中の情報の入手
先としては、那覇空港観光案内所、財団
法人那覇観光会議局台北事務所、日本観
光協会台湾事務所、沖縄観光情報webサイ
ト(www.visitokinawa.jp)があげられている。
4) 紹介されている観光地
沖縄本島の主な観光地がピックアップ
されている。具体的には、那覇市内、国
際通り、浮島通り、ニューパラダイズ通
り、第一牧志公設市場、壷屋やちむん通
り、新都心、首里城公園、浦添、宜野湾、
19)
原文は中国語(繁体字)
。4.1および4.2の箇所は
温が訳したもの。
─ 74 ─
本島南部、うるま市、海中道路、本島中部、
アメリカンビリッジ、読谷、残波、西海岸、
本部、名護、海洋博公園、沖縄美ら海水
族館、計22 ヶ所についての紹介がなされ
ている。
5) 沖縄交通情報
まず台湾から沖縄へのアクセス、日本
各地から沖縄へのアクセスを紹介してい
る。次に、沖縄での移動手段をレンタカー
またはレンタサイクル、公共交通機関(バ
ス、モノレール)
、観光バスに分け、説
明してある。レンタカーに関しては、借
りる場所や手順、注意事項、ガソリンの
入れ方、高速料金等をきめ細かく紹介し
ている。さらに、レンタカーに付いてい
るカーナビのほとんどが日本語だという
ことを踏まえ、カーナビ表示の簡単な中
国語訳もついている。例えば、
「およそ500
メートル先、右/左方向です」は「即将右
转/左转」となっている。また、ガソリン
の種類の日本語表記やガソリンを入れる
際、使用する可能性のある日本語が紹介
されている。例えば、
「92无铅汽油」は「レ
ギュラー」であり、
「柴油」は「ディーゼル」
である。クレジットカードについての問
い合わせや領収書の発行を要求する際の
日本語もある。モノレールに関しては、
那覇市ゆいレールについて、運賃システ
ムやお得な乗車券(1日乗車券、
2日乗車券、
バスモノパス1日乗車券)が紹介されてい
る。
6) 沖縄へのアクセス、入国情報
この部分では、まず台湾から沖縄に行
くには、空路と海路の2つの手段があると
紹介しているが、重点的な説明は空路に
ついてである。具体的には、運行してい
る航空会社及び航空機、飛行機への持ち
込みが禁止されている物、日本に入る際
の入国審査の流れなどである。なかでも、
外国人出入国記録、税関申告書について
は、それぞれ表、裏のコピーを掲載し、
記入の仕方を詳細に説明している。
7) 宿泊情報
宿泊に関する情報は2種類ある。一つ
石垣市を訪れる台湾人旅行者について
は宿泊施設を手配するウエブサイトの情
報で、楽天トラベルやヤフージャンパン、
じゃらんnet等があげられている。もう一
つは、具体的なホテルの情報で、東横イ
ン那覇や三和荘、沖縄名護などが紹介さ
れている。
8) 特筆事項
本書は、沖縄の伝統舞踊カチャーシー
の踊り方を中国語で紹介しているほ
か、沖縄民謡の曲名や居酒屋の一部のメ
ニューなどの中国語訳も掲載している。
例えば、
「島唄」は「冲绳民谣定番」
、
「涙そ
うそう」は「泪光闪闪」
「
、ゆし豆腐」は「比
嫩豆腐再软一点的豆腐,通常加高汤一起
食用」
「
、ソーキ」は「卤排骨(带软骨的部分)」
のように訳されている。
4.2 台湾で発行されているガイドブックの石
垣情報
本書で紹介されている石垣島の情報は、観
光地に関するもののみである。ピックアップ
されている観光スポットは、鍾乳洞、御神崎、
Club Med石垣島、コンドイビーチ、琉球真珠、
竹富島、川平湾、高嶺酒造、石垣やいま村、
桃林寺、米子焼工房、石垣焼窯元、石垣市公
設市場、バンナ公園である。このうち3か所
について記載内容を簡単に紹介してみる。
川平湾
川平湾は石垣島の北端に位置し、澄ん
だブルーの海、真っ白な砂浜が特徴であ
る。周辺にいくつかの森でしげた小島が
ある。日本八景にも選ばれたことがあり、
映画やドラマの撮影地としても度々注目
された。潮の流れの関係で、遊泳禁止だ
が、ガラスボードで海の中を楽しむこと
ができる。川平湾に隣接する公園にある
展望台に上れば、湾内を一望できる。唯
一の黒真珠の養殖地でもあり、展望台で
真珠養殖船を見ることもできる。
石垣市公設市場
島人の生活を覗くのに、公設市場に行
くのが一番早い。公設市場は軽食屋、土
産屋、雑貨屋、洋服屋、本屋などが集まっ
ていて、四六時中賑やかである。出くわ
─ 75 ─
す島の人もみな親切でやさしい。また、
公設市場の2階に石垣市特産品販売セン
ターがあり、島の特産品が揃っている。
Club Med
リゾートホテルであり、リゾート内で
は美しい海、美味しい食事やお酒及びさ
まざまなショーを楽しむことができる。
ビーチや屋外でのアクティビティも多彩
に揃う。そのほかに、子供を預かるキッ
ズサービスがあり、子供連れのお客さん
も思う存分楽しめる。
このように石垣に関する記述は必ずしも多
くはなく、そのうえ、八重山と台湾の関係に
言及するような記述はない。宿泊情報に関し
てClub Medが取り上げられてくるのは、航空
機を利用したパッケージ商品が販売されてい
ることと関係があると思われる。紙面上だけ
で言うならば、文化・歴史的な文脈とは切り
離された1リゾート地域として取り上げられ
ているように感じられる。
4.3 スタークルーズ
石垣に到着する台湾人の多くは、クルーズ
船によるものである。この航路を運行するス
タークルーズは、4月から11月にかけて石垣
に寄港している。2014年のツアーを見ると、
台湾・基隆を出港し、翌日石垣に到着、夕刻
から夜にかけて出港し、翌日基隆に戻る船中
二泊のツアーが32便、船中での宿泊が3泊以
上になる石垣と那覇に寄港するツアーが27あ
る。大方、毎週2便程度の入港があり、石垣
滞在中には幾つかのオプショナルツアーが用
意されている。このツアーに共通することは、
市内のスーパーマーケットに立ち寄ることで
ある。到着客の中にはオプショナルツアーを
利用せずに、タクシーや徒歩にて市街地に来
る観光客も多いようである。
4.4 台湾からの旅行商品とその内容について
の分析―聞き取り調査を主にして―
石垣島を訪れる外国人の93.9%が台湾人で
あることはすでに述べた通りであるが、台湾
人はどのような形態で石垣島を訪問している
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
のであろうか。
台 湾・ 台 北 市 で は、2013年10月18日 か ら
21日まで、
「2013年ITF台北国際旅展」
(
「2013年
ITF台北国際旅行博覧会」
。以下、旅行博と呼
ぶ。
)が開催され、60の国家・地域から900の
出展団体が参加し、1350のブースが設置され
た。日本で開催されるものとは異なり、台湾
の旅行博ではその場で商品の購入(契約)が
可能である。会場では日本から参加した地
方自治体(連合体を含む)や企業も多く見
られた。それぞれが地域の特性を打ち出して
台湾人観光客を誘致し、また、企業は優待の
ある特徴的な商品をアピールしてセールスに
つなげていた。2013年は4日間の開催でのべ
315,240人が来場し20)、これは昨年の262,590
人と比べて5万人以上、率にして20.1%増と
なり、入場者数で新記録をうちたてた。
この旅行博には台湾の旅行業者も多く参加
し、日本向けのツアーも多数販売されてい
た。目的地は日本各地さまざまであるが、そ
の中には沖縄本島や石垣島を中心とする八
重山諸島を目的地とするものも多くあった。
石垣空港を利用する商品について、例えば、
もっとも安価な時期に空路を利用してビジネ
スホテルに1人から4人1室で宿泊する1泊2日
のツアーなら、16,800台湾元(日本円にして
55,000円程度)である。一方、年末年始のよ
うな時期に空路利用で竹富島のコテージ風ホ
テルに2泊3日で宿泊する商品なら、2人1室で
1人53,800台湾元(日本円にして178,000円程
度)であった。沖縄本島(那覇空港利用)向
けの別のツアーが20,000台湾元以上であるこ
とを考えると、石垣島の方がいくらか安価だ
と言える。
こうした旅行商品について、2014年3月に
は台湾で3件の聞き取り調査を行うことがで
きた。
まず最初に尋ねたのは、現在は台中にある
P大学で日本語教員をしている方である。台
湾と日本の両方で通訳ガイドの資格を有し、
かつては旅行社でも幹部として働いていたと
いう。現在は、台湾・観光局(日本の観光庁
20)
一般の消費者・業者を合わせたのべ人数である。
チケットを購入していない人数も含む。
─ 76 ─
に相当)からの依頼で台湾の通訳ガイド試験
の試験官も行っているとのことであった。
まず、台湾人が石垣島を訪れる理由につい
ては、次の3点を挙げた。まず1つには、距離
が近いことがある。2つ目には、台湾との間
で関係が深いこと。特に、日本による植民地
統治が終了し、1940年代後半に国民党政権の
統治が始まった後は、日本語の話せる知識人
ほど攻撃対象となりやすく、そのため、その
時期、国民党の迫害から逃れるために石垣島
などに移住する人々がいた、ということで
あった。3つ目は日本本土と比べて物価が安
いという。
観光の形態としては団体ツアーが多いので
はないか、との話であった。荷物の運搬・現
地を周る時間・かかる費用、いずれの点でも
団体旅行の形態をとる方が優位である。他に
は、八重山諸島を観光する際には移動手段の
問題がある。公共交通機関を使う場合、鉄道
のない地域ではバス利用となるが、石垣島な
どでは市街中心部を除いてはバスでの観光は
想定されていない。日本人であればレンタ
カーを用いるが、日本と台湾では通行帯の左
右が反対なのでできれば避けたい、とのこと
であった。タクシーもあるが高価である。宿
泊先については、個人、ツアー共に、台湾人
に人気があるのはビーチに近い海辺のリゾー
トホテルとのことであった。このことは上述
したツアーの金額などを見ても明らかであ
る。但し、一般的には宿泊先で好まれるもの
として浴衣が挙げられた。日本を感じさせる
服装で、日本気分を味わえる点が良いらしい。
これは、台湾人の温泉好きともつながるとの
ことであった。日本旅行全般に言えることだ
が、温泉旅館といえば浴衣である。食事も和
食レストランに人気があるようで、日本を感
じさせるものがあれば何でもよいと聞いた。
日本人ならば「○○はどこどこの名物」など
と、日本国内でも差別化をするが、台湾人の
場合は何度も来ているツウでない限りは地域
性にはとらわれないという。日本人が「沖縄
らしさ」
「八重山らしさ」を求めて石垣島を訪
れるのとは対照的と言えるだろう。このこと
は上水流(2011)が指摘する「異文化摩擦の
石垣市を訪れる台湾人旅行者について
原因」ともつながり、台湾人が八重山諸島観
光に求めるものが何かを示している。石垣市
をはじめとする台湾人観光客受け入れ側は、
拡大のためには、今後はこうした特性をいっ
そう考慮していく必要があるであろう。
次に聞き取りを行ったのは、台湾の大手旅
行社F社の日本担当責任者である。ここは元々
はヨーロッパ方面に強い会社であったことか
ら、日本向けセールスが占める割合は20%程
度とのことであった。旅行を手配した割合と
しては団体8割・個人2割である21)。旅行者が
情報を得る手段としては、年配者は繁体字で
書かれたパンフレット、若年層ならばwi-fiを
活用してインターネットから、と聞いた。
台湾人が石垣島を訪れる理由としては、こ
こでもやはり第一に距離の近さが挙げられ
た。空路ならば50 ~ 55分程度、
ということで、
これは台湾南部の第2の都市、高雄に行くの
と同じくらいである。他には、魅力的なもの
として、リゾートホテルやゴルフ場、また、
イリオモテヤマネコをはじめとする西表島の
貴重な自然などもある。那覇とは違い、近く
に島が多くあり、よりいっそう楽しめる、と
いうことであった。
石垣島をはじめとする八重山諸島が観光地
としてもつ魅力には、多様な観光客のニーズ
にこたえうる多様性があることも挙げられ
る。例えば、費用の面で言えば、富裕層から
一般層まで、世代を問わず満足させられる環
境がコンパクトに整っている。ホテルも、石
垣島のビジネスホテルから離島の高級リゾー
トホテルまで、訪問先なら、石垣島内だけか
離島周遊か、様々なスタイルを選びとること
が可能である。独特の民芸品の購入も楽しみ
の一つである。上で述べたように、旅行形態
としてはやはり団体が多く、その場合は日本
語の堪能な添乗員が随行し、現地到着後はそ
の添乗員がガイドも務める。先の聞き取りに
も出てきた言葉だが、沖縄や南九州が台湾人
にとって人気がある理由には、
「人として」の
近さを感じさせることも影響しているとのこ
21)
10名を超える団体になると、航空チケット代・
ホテル代とも割引が大きくなる、とのことで
あった。
─ 77 ─
とであった。非常に感覚的なものだが、
リゾー
トをテーマに癒しや安らぎを与えるのであれ
ば有用であろう。こちらの会社では、2013年
度は日本向けセールスが50%アップした。人
数が増えて利益も大きかったという。しかし、
次年度以降は、人数は増えるだろうが価格競
争も激化し、利益率が下がることが予想され
るそうだ。
台湾での聞き取りでは、実際にたびたび日
本を旅行をしている若い世代にも話を聞くこ
とができた。大学で日本語を専攻し、卒業後
は日系の旅行社に勤める20歳代女性のDさん
は、旧正月の休みを利用してつい先日も関西
地方に旅行したばかりである、と話してくれ
た。
「哈日族」22)の一人と言えるであろう。
石垣島の魅力は、と尋ねると、やはり距離
の近さを挙げた。台湾に近いのに日本の雰囲
気が味わえ、ビーチが楽しめるのも魅力で
ある、という。台湾も日本同様海に囲まれて
いるが、日本ほどビーチは観光地化していな
い。かつて石垣島に行った際は、Club Medに
宿泊し、そこの中でリゾート気分を満喫した
とのことであった。日本には漢字の表記があ
るので、日本語ができなくてもそれほど困難
を感じることはないが、家族で行くならば個
人手配よりもパック旅行の方が楽だと話して
いた。買い物について尋ねると、日本のもの
なら何でもよく、また、台湾では発売されて
いないものには高い人気がある、とのことで
あった。
5.言語景観
観光地における外国人旅行者接遇において
もっともポピュラーな対応が案内板など文字
情報による対応である。石垣市の場合、中山
義隆市長による平成25年(2013)の施政方針
23)
22)
台湾で日本の文化や日本由来のものをこよなく
愛する人々を指す呼称。台湾の漫画家・エッセ
イストである哈日杏子(ペンネーム)が作品の
中で用いた「哈日症」ということばから1990年
代後半に広まっていった。
「哈」は台湾語で熱
狂的に好むという意味を持つ。
「哈日族」には、
盲目的に陶酔するような負のイメージもある
が、日本への憧れから日本を愛する若い世代の
人々を指して用いることが多い。
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
においても、外国人観光客の受入施策の一つ
として、多言語観光案内板の設置に言及して
いる。また、先にあげたクルーズ船台湾人観
光客アンケート調査(ユーグレナモール)報
告書の中で、台湾人が不便に思ったことの例
として、案内表示がないこと、中国語の説明
がないことがあげられている。これを見ても
分かるように文字情報が外国人旅行者にとっ
ては重要な要素となる。ここでは、案内板や、
看板などに所要される言語・文字(言語景観)
について取り上げていく。
5.1 南ぬ島石垣空港(国内線)
言語景観に関しては、その設置者がだれか
は別として公的な性格が強いものと私的な広
告に類するものがある。まず公的なものとし
て考察したのは、空港内の案内板、注意勧告、
ごみ箱、バス停である。言語・文字としては
日本語、英語、中国語(繁体字)
、中国語(簡
体字)
、韓国語の表記が採用されているが、
言語表示は、これらすべてを用いた5言語に
よるもの、日本語、英語、中国語(簡体字)
、
韓国語の4言語によるもの、日本語、英語の2
言語によるもの、そして日本語のみによる単
言語表示がある。観察できるものの多くは多
言語表示で、日本語単言語表示は極めて少数
である。
まず、日本語、英語、中国語(繁体字)
、
中国語(簡体字)
、韓国語の5言語による多言
語表示を見てみよう。空港のフロアガイドや
出発、到着の案内は全て5言語で記されてい
る(写真1)
。次に、日本語、英語、中国語(簡
体字)
、韓国語の4言語による多言語表示を見
てみよう。今回の調査では、空港ビルの営業
時間案内、空港に設置されているゴミ箱の
標識が確認された(写真2、写真3)
。しかし、
空港ビルの営業時間案内(中段の「館内禁煙」
、
「ペット持ち込み禁止」箇所)とゴミ箱は同
じ4言語による多言語表示だが、表示されて
いる言語の順番が異なっていた。空港ビルの
営業時間案内の多言語表示の順番は日本語、
写真1 空港館内案合図
写真2 空港ビルの入口掲示
23)
言 語 景 観(linguistic landscape)
」という概念
は、公共空間で目にする書き言葉を指してい
る。カナダの社会言語学者R.LandryとR.Y.Bourhis
(1997:25)が「特定の領域あるいは地域の公共的・
商業的表示における言語の可視性と顕著性」と
定義している(庄司・P.バックハウス・F.クル
マス2012、9)
。
─ 78 ─
写真3 空港ビル内ごみ箱
石垣市を訪れる台湾人旅行者について
写真4 空港内のカウンター
写真5,6 空港内の注意勧告
英語、韓国語、中国語(簡体字)だったが、
ゴミ箱の多言語表示の順番は日本語、英語、
中国語(簡体字)
、韓国語であった。
次に、日本語、英語の2言語による多言語
表示についてである。写真4は旅行会社など
が私設したサービスカウンターであるが、表
記されている言語は日本語と英語である。こ
のほか空港1階ロビーの窓側にある、運用し
てから簡易的に作成したと思われる注意書き
が日本語と英語の両言語で表示されていた
(写真5、写真6)
。日本語による単言語表示の
例として、空港1階ロビーにあるインフォー
メーションカウンターの裏側にEDYチャージ
の機械(写真7)
、
空港ビル外にあるバス停(写
真8)やレンタカー会社の看板も単言語であ
る。看板作成時に日本語のみのであり、日本
人を対象とすることから単言語表記が成され
ていると思われる。
写真7 Edyチャージ機
写真8 空港のバス停
─ 79 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
最後に空港内の土産店が作成した商品に関
する表示を見よう。写真9では日本語、英語、
中国語(簡体字)が表記されている。外国人
旅行者を想定した言語選択がなされている
が、台湾人旅行者が多い中で、繁体字ではな
く簡体字で表記されている。
の張り紙(写真11)では日本語、英語を表記
している。一方、離島ターミナル内の平田観
光に併設された観光案内カウンターでは英語
(写真12)
、離島ターミナルにある女性用化粧
室内の壁の張り紙(写真13)では中国語(簡
体字)の単言語表示もある。化粧室内の中国
語(簡体字)の張り紙は、使用後のトイレッ
トペーパーに関する注意書きである。これは、
現地調査の際、多くの人から指摘があった中
国(大多数が台湾のようだ)からの観光客は
習慣の違いから、トイレットペーパーを流さ
ないという問題点を回避するため、離島ター
ミナルの管理会社がとった対策だと考えられ
る。
5.3 ユーグレナモール24)
写真9 お客様への案内
5.2 離島ターミナル
離島ターミナルの言語景観にも公的なもの
と私的なものがある。しかし、空港とは異な
り、公的なものは基本的には日本語による単
言語表示となり、多言語表示は今回の調査で
は発見できなかった。私的な広告に類するも
のにはいくつか多言語表示のものがある。言
語・文字としては日本語、英語、中国語(簡
体字)の表記が採用されているが、離島ター
ミナルの待合室の中にある壁に貼られたフ
リー Wi-Fiの案内(写真10)では、日本語、
英語、
中国語(簡体字)
「
、島めぐり観光コース」
ユーグレナモールの言語景観も公的なもの
と私的なものに分けて見てみたい。まず、公
的なものとして考察したのは、公設市場内に
設置されている案内看板(写真14)である。
言語・文字としては日本語、英語、中国語(簡
体字)
、韓国語、中国語(繁体字)を表記し
ている。次に、私的なものとして考察したの
は、飲食店の立て看板、書店やトイレの張り
紙である。言語・文字としては日本語、英語、
中国語(簡体字)
、中国語(繁体字)
、韓国語
の表記が確認されたが、現代食堂というユー
グレナモール付近の飲食店の立て看板(写真
15)では、日本語、英語、中国語(繁体字)
、
山田書店という書店の張り紙(写真16)では、
日本語、英語、中国語(簡体字)
、韓国語を
表記している。一方、公設市場にある女性用
化粧室内の張り紙(写真17)では中国語(繁
体字)の単言語表示もある。この張り紙は「並
ぶ時間を短縮するため、2階、3階のトイレも
ご利用ください。ご協力ありがとうございま
す。
」という意味で、クルーズ船が寄港する
際、500〜1000人の台湾人観光客がユーグレ
ナモールに押し寄せるため、中国語(繁体字)
のみで作成し、貼られたものと推察できる。
24)
写真10
─ 80 ─
石垣市の中心街、公設市場ほか土産店など100
店舗以上からなるアーケード型商店街。http://
euglenamall.jp/
石垣市を訪れる台湾人旅行者について
石垣島の言語景観には、多言語表示、単言
語表示が混在していた。空港内にある案内や
公設市場に設置された案内看板等のように行
政が主導して作成したものに関しては、表示
する順番の異なる箇所があるものの、日本語、
英語、中国語(簡体字)
、韓国語、中国語(繁
体字)といった5言語による多言語表示となっ
ているものが一般的である。特定の個人や会
社による注意喚起、あるいは商品の使用説明
(例えばEdyチャージ機)を目的とする張り紙
等に関しては、多言語表示のものと単言語表
示のものの両方があった。しかし、こういっ
た多言語表示は、日本語、英語、中国語、韓
国語で作られているが、中国語はあっても韓
国語がないという傾向が見られた。それは台
湾からの旅行者が多いからだと考えられる。
また、女性用化粧室内の張り紙(写真13)や
ごみ捨てに対する注意(写真16)が示してい
るように、こうした中国語の張り紙には、利
便性を高めるものよりも注意勧告をしたもの
が多く、台湾人観光客の購買意欲を高めるよ
うな情報は少ない。今回の実地調査は限られ
たもので、かつ看板表示の設置者に直接話を
きくものではなかったが、本節の冒頭にあげ
たように「クルーズ船台湾人観光客アンケー
ト調査ユーグレナモール編」
(2011年)の状況
はまだ一部において改善されずにいるという
印象を受けた。
写真11 観光情報(柱の側面にそれぞれ日本語、英語のものが掲示されている)
写真12 離島ターミナル内、平田観光に併設された観
光案内カウンター (英語)
─ 81 ─
写真13 離島ターミナル内の女子トイ
レ内の掲示
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
写真14 公設市場の案内
写真15 ユーグレナモール付近の飲食店の立
て看板
写真16 ユーグレナモールにある書店の張り紙
写真17 公設市場の女性用化粧室内の張り紙
─ 82 ─
石垣市を訪れる台湾人旅行者について
6.観光関連従事者への聞き取り
石垣市は、2010年に「石垣市観光基本計
画」を作成し、そのなかで安心・安全・快適
な観光地づくりのために、
「観光客と観光事業
所とのトラブルやタクシーのマナーに係る不
満などは観光地としての悪い思い出や印象と
なり、リピーターとしての再来訪の機会損失
につながる」としている。ここでは、筆者ら
が石垣市内で行ったタクシードライバー及び
ユーグレナモール内で試みたインタビュー調
査において、主に外国人観光客への対応につ
いて得た回答の数例を挙げることとする。
6.1 タクシードライバー
外国人観光客が乗車した際の対応につい
て、以下のような言説を得た。
「会社から外国人観光客を乗せた場合は、
すぐに通訳サービスの利用を進めるように言
われていて、会社からは必ず通訳サービスに
関する情報を車内のわかりやすいところに掲
示するとか貼るように決められていて、指示
されている」
。
「外国人観光客側も、僕らが言
葉ができないことをわかっているみたいで、
話しかけてこないし、特に困ることはないけ
れど、でも、もうちょっと何かコミュニケー
ションがとれたら行きたいとことか要望を知
れるのにな」
(2014年2月16日石垣市役所付近
にて、A会社ドライバー O氏)
「外国人用に見せる通訳サービスのボード
をいつもは持っているんだけど、今日は持っ
ていないんだ」
(2月18日石垣市役所付近A会社
ドライバー P氏)
「昔はシールを貼っていたけれど、今は貼っ
ていない」
(A会社ドライバー Q氏)
「今は特に通訳サービスや外国人観光客へ
の特別な対応はしていない」
(2月18日新石垣
空港、A会社ドライバー R)
O氏が言う「通訳サービス」とは、沖縄県
観光促進事業の「Okinawa2Go !プロジェク
ト」が行う英語・中国語・韓国語での通訳料
無料(通話料のみ)の電話対応サービスのこ
とで、観光事業者が外国人観光客との対応場
面で通訳が必要な際に利用できるものであ
る。
また、Bタクシー会社のドライバーにもイ
ンタビューしたが、外国人観光客への対応で
特に行っていることはないとのことであっ
た。さらにCタクシー会社のドライバーから
は、
「
(車内の通訳サービスに関する表示を指
差して)これ貼っているんだけど、最近は、
使うの薦めはしないよ、前に使った時に、対
応できないってコールセンターの人に言われ
たから」との回答であった。
上記に挙げたタクシー会社3社のドライ
バー6名によるインタビュー回答例をみる
と、外国人観光客を乗車した際の通訳サービ
スに関する掲示物の利用に関して、現在は石
垣市内のタクシー会社で特に統一された対応
が取られていない状況である。
6.2 ユーグレナモール
まず、ユーグレナモール内の「交流館ゆん
たく家にて、株式会社タウンマネージメント
石垣25)専務取締役石田正夫氏にインタビュー
を行った(2014年2月17日)
。石田氏によると、
「台湾と石垣は、距離も近いし、昔から日常
的に行き来があって、パインを持ってきて広
げたのは台湾からだから同じ圏内にいる感覚
があるんじゃないか」と台湾からの外国人に
違和感をもたないと話した。公設市場内の管
理も行う石田氏は、外国人観光客はトイレの
利用状況が良くないため、貼紙をする等の対
応をとっている、という。また、ユーグレナ
モール内は2011年からWiFiを無料化し、LED
利用や防犯カメラの設置等、国からの援助を
受け、アーケードの改修を商店街活性化のた
めに行った、と話した。石田氏は、
「台湾人は
ITに非常に長けていて、公設市場のフェイス
ブックを利用する台湾人も多い。公設市場内
のものの売り買いに関して困っていることは
それ程はないけれど、船で来た人はとにかく
話し声が大きい、飛行機で来る人は声は大き
くないし客層が違うように感じる。夏の時期
は船で来る若い人も多く、クルーズ船で毎週
25)
─ 83 ─
石垣市が26%出資する第三セクターの街づくり
企業。http://www.tmi.ne.jp/project/
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
来るような人もいる」と話す。全体的に台湾
人ツアーには肯定的な評価をしていることが
見て取れた。石田氏は、最近の石垣の状況に
ついて、
「大阪からのLCC就航の影響で、女性
がからまれたとか、治安が悪いといった話も
きく」
、
「ハラル対応に力を入れている会社も
あり、ハラル認証26)を得ている食品もある」
と話し、将来の展望として、人工海浜のバリ
アフリー化計画や観光農園・天文台をキー
ワードとした観光ツアーの活性化について挙
げ、外国人観光客に関しては、今後、石垣訪
問の目的や旅行形態に変容がみられるのでは
ないかと示唆した。
続いて石田氏とともに石垣市公設市場内の
店にて聞き取りを行った。公設市場内鮮魚店
の年配の女性A氏は、
「台湾人がいないと商売
にならない。船の中に写真が貼ってあってね、
(私の)写真が。だからたくさん台湾人がこ
この店にくるんだよ」と話した。
公設市場内精肉店の女性B氏によると、
「一昨
年まではA 5ランクの肉を買って保冷剤を入
れて船に持ち帰ってた。平気で10円くらいは
使う」と、外国人観光客の中に、牛肉を購入
して持ち帰る事例について聞き取ることがで
きた。B氏によると、以前、外国人観光客が
店で購入した牛肉を近くの焼肉店に持ち込
み、焼いて食べたためにクレームを言われた
ことがあったそうである。焼肉店側も言葉が
できなく困ったという。
公設市場を出て隣接する鮮魚店では台湾か
らの定期船が入ってくる時期に、入り口に
テーブルを出して、パック販売している刺身
を購入後すぐに食べることのできるスペース
をつくっている、とのことであった。習慣の
違いに対応しながら商売をする必要性を感じ
る。
ユーグレナモール内でアクセサリーを販売
している女性C氏は、
「台湾からの船が来る時
は、売り物を(販売スタンドの)前面にして
26)
ユーグレナグループの株式会社ユーグレナと八
重山殖産株式会社は、八重山殖産にて生産する
微細藻類のミドリムシ(学名:ユーグレナ)と
クロレラがハラール認証を取得した。http://
www.euglena.jp/news/2014/0203.html
─ 84 ─
売っている。3つで千円とか、それ位はわか
るから値段交渉してくる時は、ジェスチャー
でもなんとかなる。台湾人の旅行者に対して
違和感は特にない」と話す。C氏の出店スタ
ンドの裏には台湾語の表現をカナ表記でメモ
が貼ってあった。このほか指差し会話帳を持
参し、やり取りに使用することがあるそうで
ある。台湾からの観光客との接触場面におい
て、個人レベルでの積極的な対応がみられた
例ともいえる。
6.3 市内大型スーパーマーケット
台湾からのクルーズ船を利用して到着する
観光客の多くは、市内大型スーパーマーケッ
トにて買い物をしている。今回はわずかで
あったが、当該店舗において関係者から話を
聞くことができた。
まず、問題点についてである。台湾人観光
客は購入したものをその場(レジ周辺、店の
外)で食べるために、他の顧客の妨げになる。
彼らが来店する際には、バス20代にもなるこ
とがあり、売り場、レジの混雑のため、度々
地元のお客さんからクレームをつけられる。
直接言われる場合もあれば、電話の場合もあ
る。店側がとった解決策として、前もって何
日、何時~何時、台湾人観光客が来ることを
掲示するようにしているとのことである。同
時に台湾人用の店内掲示(ワープロで保管)を
行うとのことである。ちなみに掲示文書は、
地元で生活する台湾人に協力を求めて作成し
ているそうだ。
台湾人から、商品やクレジットカード使用
について訊ねられることもあるが、店員は中
国語ができないため、同行しているバスガイ
ドに説明してもらうとのことである。ちなみ
に、バスガイドは100%地元で暮らしている
台湾人とのことである。
次に、店員の中国語教育について尋ねた。
中国語教育は、2012年までは何も行うことは
なかったが、2013年に初めて、店員1名を那
覇に派遣し、沖縄県が実施している中国語講
座を受講させている。月1回、授業時間は半
日、計4回の講習であったが、効果は感じら
れないとのことである。今後、機会があった
石垣市を訪れる台湾人旅行者について
ら、店長自らあるいは店員を派遣したいとの
ことである。
7.まとめ
石垣市は観光を重要な産業と位置づけ、地
理的優位性から東アジア圏を意識した施策を
打ち立て、ハード、ソフト両面でのインフラ
整備を行っている。今回の予備的な調査から、
まず言語景観に関しては、日本語以外の言語・
文字の併記の仕方は設置者の事情に依存する
度合いが高いことが分かった。また、
タクシー
における外国人対応のあり方も、タクシー会
社やドライバーによって異なり、必ずしも統
一的な接遇がなされているわけではない。こ
の二点だけをとっても外国人対応がまだ過渡
的段階のようにも思われるが、台湾人観光客
を相手とした商売においては、大きな困難を
感じることは少ないようで、個人の言語的接
遇の工夫により対処できているようである。
しかしながら、このような現状に満足せずに、
NPO法人が行う中国語の研修に参加したり、
県立高校の授業科目で、
「観光中国語」の授業
を開講したりする状況を見るに、台湾からの
旅行者を積極的に迎え入れようとする性向が
見られる。
次の調査においては、台湾人観光客の期待
値と現実への評価、ホスト社会側の接遇場面
などを言語的、心理的な側面から考察したい
と考えている。また、本論で取り上げた項目
も、関係官庁、企業などへの取材により、調
査内容の補完を行う必要があると認識してい
る。
最後に執筆分担について記載しておく。藤
田 は3、6.1、6.2、 温 は4.1、4.2、5、6.3、 藤
井は4.3、山川は主として1、2、7を担当しな
がら、全体の確認を行った。
参考文献
石垣市(2010)石垣市観光基本計画
上水流久彦(2011)
「周辺」にみる国民国家の
拘束性―台湾人の八重山観光を通して―
『北東アジア研究』第20号
国永美智子・野入直美・松田ヒロ子・松田良
孝・水田憲志(2012)
『石垣島で台湾を歩く』
─ 85 ─
沖縄タイムズ社。
黄紘君(2013)
『沖縄4泊5日自由旅』墨刻出版
庄司博史・P.バックハウス・F.クルマス(2012)
『日本の言語景観』三元社。
南の美ら花ホテルミヤヒラ創業50周年記念誌
編集委員会(2003)
『八重山観光の歴史と未
来』
宮平観光株式会社。
本名信行・猿橋順子ほか(2011)
『国際言語管
理の意義と展望』アルク。
山川和彦(2011)
「北海道倶知安町の言語景観
と地域ルールについて」麗澤大学紀要第93
巻137-156
山川和彦(2012)
「観光産業従事者の言語マネ
ジメント―タイ・プーケット島を事例とし
て麗澤大学紀要第95巻159-176
付記 本論は以下の科学研究費助成事業(基
盤研究C)
「観光地における多言語・多文化
接遇に関する研究
課題番号25501014(研究代表者・山川和彦)
よる研究成果の一部である。
「ビブリオバトル」と「ディベート」を活用した大学生の
コミュニケーション力・論理的思考力の育成の試み
A Trial to Foster University Students’ Capacity for Communication and
Logical Thinking by Utilizing Bibliobattle and Debate
須 部 宗 生
Ⅰ.はじめに
Ⅱ.ビブリオバトル
Ⅲ.ディベート
Ⅳ.ビブリオバトルとディベートの
効用と可能性
Ⅴ.おわりに
Ⅰ.はじめに
最近大学生のコミュニケーション力や論理
的思考力の低下が問題視されている。しかし
ながら、それ以前の問題として、大学生の
教育現場で大学生と日々接している者として
筆者が特に最近気にかかることがある。それ
は、それらの2つの力を身につけるための必
要条件だと思われる、大学生が集中力や情熱
をもって人と接し、質問したり、反論したり
する態度が欠如しているのではないかという
ことである。筆者の考えでは、一口にコミュ
ニケーション力や論理的思考力と言っても、
放っておいた状態では、自然に身につくもの
ではなく、一定の手法による訓練を施すこと
で初めて、若者の潜在的な情熱や興味を引き
出すことができ、一定の教育上の労力や時間
をかけることで初めて、引き出された若者の
情熱と知的興味が一種の起爆剤となり人と積
極的にかかわっていこうとする態度が育ち、
結果としてコミュニケーション力や論理的思
考力が育っていくのではないか。いずれにせ
よ、大学生にとって最も重要だと考えられる、
コミュニケーション力・論理的思考力、そし
てそれを支えるはずの情熱や興味の欠如は
それを育てる社会的責任を有する大学現場に
とって看破できない大問題ではある。確かに、
以上の問題を生んだ社会的背景としてマーチ
ン・トロウが指摘した大学の大衆化が起因す
─ 87 ─
ると考えられる。事実、かつてほんの一部
のエリートだけが大学教育を受けた時代はと
うの昔のこととなり、2014年現在、高卒者の
5割が大学進学するという現実が我々に重く
のしかかっている。このような状況下で、や
やもすると大学教員の間でも教育に対して一
種の諦めムードが漂いつつあることもあなが
ち否定できない。しかしここでこの問題自体
を生み出した社会的背景や理由・原因を取り
上げてみても何ら問題解決には至らないこと
も自明なことであろう。そこで本小論におい
ては、以上の危機的な大問題を解決すべく一
方策として、筆者が大学生の教育の一端を担
う者として、基礎ゼミやその他のゼミ活動の
中で試行錯誤的に経験した実践を踏まえ、
「ビ
ブリオバトル」と「ディベート」という2つ
の手法を活用することで、大学生の将来の社
会人基礎力につながると考えられるコミュニ
ケーション力と論理的思考能力の育成の可能
性を模索してみた。
Ⅱ.ビブリオバトル
では以下に、ビブリオバトルとはどんなも
ので、どのような場で実践し、どのようにど
のような理由や目的で、どんな準備をして進
行運営しどんな反省が得られたか、筆者の実
践例を通して述べたい。
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
Ⅱ-1 ビブリオバトルとは
ビブリオバトルとは吉野英和著のビブリオ
バトル普及委員会発行の『ビブリオバトル公
式ガイドブック・ビブリオバトル入門』
(以下
『ビブリオ入門』
)によれば、まずその言い方
は造語であり、
「書物」をあらわす英語の接頭
辞のビブリオ(biblio)に「戦い」を意味する
バトル(battle)をつなげたものである1)。誕生
したのはかなり最近の2007年で、現在立命館
大学准教授の谷口忠大氏がその創始者である
2)
。その後このビブリオバトルは急速に人気
を博し、現在では多数の大学や企業単位で実
施されているようである。一口で言ってみれ
ば、このビブリオバトルは一種の「知的書評
合戦」である。やり方としては、発表者が全
員各自のお気に入りの本を1冊ずつ持参して5
分間、オーディエンスの前でその内容や魅力
を熱く自分の言葉で紹介する。それは谷口も
述べているように、
「積み上げられた缶詰の中
から1つ取り出してそのふたを開け、こんな
に面白い本がありますよ」3)というように訴
ルールの補足
1) 他人が推薦したものでも構わないが発
表者自身が選ぶこと。
2) 原則レジュメやプレゼン資料の配布な
どはせず、できるだけライブ感をもっ
て発表する。
3) ディスカッションでは、発表内容の揚
げ足を取ったり、批判をすることはせ
ず、発表内容でわからなかった点の追
加説明にあてる。全参加者がその場が
楽しい場となるように配慮する。
4) 紳士協定として自分の紹介した本には
投票せず、紹介者も他の発表者の本に
投票する。チャンプ本は民主的に決定
される。
えるのである。またオーディエンスはその発
表を聞き、どの発表者の本を読みたくなった
と感じたか採点、投票して最も評価が高かっ
た本を選ぶのである。まずその進行運営には
公式ルールとして以下の4点、さらに補足と
して4点がある。即ち以下のとおりである。
公式ルール
1) 発表参加者が読んで面白いと思った本
をもって集まる。
2) 順番に一人5分で本を紹介する。
3) それぞれの発表の後に参加者全員でそ
の発表に関するディスカッションを2
~3分行う。
4) すべての発表が終了した後に「どの本
が一番読みたくなったか」を基準とし
た投票を参加者全員で行い、最多票を
集めたものを『チャンプ本』とする。
1)
吉野秀和『ビブリオバトル入門』一般財団法人
情報科学技術協会 2013 p. 1 ll.4〜5
2) 同上 p.21 l.3
3) 谷口忠大『ビブリオバトルを楽しもう』さ・え・
ら書房 2014 p.9 l4〜5
─ 88 ─
Ⅱ-2 ゼミ活動でビブリオバトルを活用した
理由・目的
筆者がこのビブリオバトルをゼミ活動で活
用してみようと思い立った理由・目的を以下
に述べたい。大きくその理由は三つある。第
一の理由は筆者が2008年に執筆に加わった書
籍『デジタル時代のアナログ力』において実
感した問題意識にある。筆者は本書において
特にデジタル時代の若者の読書離れの問題を
取り上げたが、2007年筆者の勤務する大学で
行った自らの調査でも明らかになったこと
は、最近1か月間全く読書しなかった学生が
全体の5割もいたことである。4) そして折も
折、最近目にした読売新聞の記事の、
「大学生
4割読書ゼロ」
(平成26年2月27日)のニュース
も印象的だった。この記事を一見すると大学
生の読書量は5割から4割に好転したかのよう
に見える。しかし読売新聞の発表は一か月で
はなく一年間の読書量であることを考慮すれ
ば大学生の読書離れは好転するどころか悪化
していると思われるのである。いずれにせよ
大学生の読書離れは深刻化していると言える
が、この問題をビブリオバトルが解決する糸
口となるのではないかという一種の期待感を
おぼえたのである。また第二の理由はその運
4)
淺間正通『デジタル時代のアナログ力』学術出
版会 2008 p.294 l.13
「ビブリオバトル」と「ディベート」を活用した大学生のコミュニケーション力・論理的思考力の育成の試み
営の手軽さである。ビブリオバトルは前述の
ように、みんなで集まって順に自分の気に
入った本を実際に持ち寄ってその内容を、自
分の言葉で、自由に5分間熱く紹介するので
ある。友人や家族と気軽に話すことはあって
も、多人数の人前で5分話す機会も案外少な
いと思われる大学生も、ビブリオバトルで紹
介する本は、自分が実際に選び読んだ本であ
り、しかもそれが少なくとも自分が興味を抱
いた本の内容を紹介するわけであるから特別
難しい技術は必要ない。また発表を聞いたみ
んなで投票を行い、点数化して最も支持を得
た本を「チャンプ本」として決め、上位者を
表彰したり、賞品を授与することでそのゲー
ム性を高めより楽しい雰囲気が醸し出される
のである。また第三の理由として、他の人を
通して、自分の読まなかった本に出会えるこ
とができ、自分が今まで接点のなかったジャ
ンルとの出合いが果たせ、いろいろな人の意
見や観点に触れることで自分の知的好奇心や
知識欲が増し、コミュニケーションを図るこ
との楽しさを体験できるのではないか、そし
てその結果、いわば、人間としての幅が広が
るはずであると考えたのである。また最近の
社会の急速なデジタル化に伴い、スマホによ
る、ツイッター、フェースブック、ラインな
どのソーシャルメディアによるデジタルコ
ミュニケーションではなく、ビブリオバトル
は目と目、顔と顔を合わせた、まさにアナロ
グ的な対人コミュニケーションを行うわけで
あるから、大学生の、近い将来の社会人生活
にも特に有効ではないかと考えたのである。
このことは谷口も述べている「ビブリオバト
ルはその場にいるみんなに向けて話すゲー
ム」5)にも通じる。
Ⅱ-3 ビブリオバトルの実践
以下で筆者が実践とそのためにどのような
準備をしたか、などに関して述べたい。
①実践の場
筆者はビブリオバトルを基礎ゼミ、ゼミA、
ゼミB、専門ゼミ、卒業研究ゼミにおいて実
践した。
②ビブリオバトルジャッジシート
いきなりジャッジに「発表を聞いてどの本
が一番読みたくなったか」と聞いて答えるの
も、特に基礎ゼミなど多人数の参加者の発
表を聞いた後では、記憶も混同するのではな
いかと考え、判定のためのメモ代わりに、以
下の用紙を作成して学生に配布した。なお
ジャッジ氏名は回答に責任感を感じさせる目
的もあり、書かせまずは基礎ゼミで使用する
こととした。またその他のゼミは参加者が少
数なのでジャッジシートは簡略化した。以下
にビブリオバトルのジャッジシートを2種類
掲載する。
ビブリオバトルジャッジシートそのⅠ(基礎ゼミ用)
ジャッジ氏名( )
発表者1:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者2:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者3:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者4:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者5:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者6:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者7:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者8:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者9:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者10:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
5)
谷口忠大『ビブリオバトルを楽しもう』さ・え・ら書房 2014 p.17 l. 20
─ 89 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
発表者11:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者12:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者13:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者14:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者15:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者16:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者17:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者18:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者19:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
発表者20:本のタイトル( )評点:
( )点(20点満点)
前述のとおり、基礎ゼミを除く小人数体制のゼミでの運営においては以下のような簡素化したも
のを使った。
ビブリオバトルジャッジシートそのⅡ(その他のゼミ用簡略版)
発表を聞いて最も読みたくなった本の出場者番号を3つ書きなさい。
ジャッジ氏名( )
エントリー番号( )
( )
( )
③ビブリオバトル運営進行
では以下に筆者が実践したビブリオバトル
が具体的にどのように運営進行していったか
について以下に明らかにする。
司 会:皆さん、お待たせしました。ただ今
からビブリオバトルを開催します。
本日は皆さんの正面のホワイトボー
トに記載されました順番で、発表者
の皆さんに「自分のお気に入りの本」
を紹介するという形式で熱く語って
いただきます。制限時間は一人5分
間です。制限時間終了30秒前に、タ
イムキーパーがその旨をお知らせし
ます。またオーディエンスの皆さん
にはこれから係りがジャッジシー
トを配布いたしますので、各項目公
正なジャッジをお願いいたします。
なおそれぞれの発表の後で3分間の
─ 90 ─
ディスカッションタイムとして質疑
応答の時間を取りますので、その質
疑応答状況もジャッジに反映させて
ください。ではエントリーナンバー
1のAさんお願いします。
エントリーナンバー1:
只今ご紹介いただきましたAです。
本日私が持参しました私のお気に入
りの本で皆さんにぜひ読んでいただ
きたいのはこれです。
(本をオーディ
エンスに掲げてみせる)
この本のタイトルは・・・で、その
内容な次のようなものです。
(内容の
紹介・・・)
、というわけで、この本
は素晴らしい本でこの本は私の人生
の価値観を変えたと言っても過言で
はありません。是非皆さんにこの本
を読むことをお勧めします。ご清聴
ありがとうございました。
(5分間)
「ビブリオバトル」と「ディベート」を活用した大学生のコミュニケーション力・論理的思考力の育成の試み
司 会:ではAさん、御発表ありがとうござ
いました。
(Aさんの紹介した本に
関する若干のコメント・・・)では
Aさんの発表に対してオーディエン
スを交えて3分間のディスカッショ
ンタイムとします。どなたかご質問
やコメントはございませんか。
(質
問者を指名)
質問者:Aさんは・・・と言われましたが・・・
という点ではいかがですか。
(など)
司 会:ではAさん、ご回答をお願いします。
エントリーナンバー 1:
ただ今の御指摘ですが、
・・・の点
では・・・です。ご回答になりまし
たか。
(など)
(3分間)
司 会:ありがとうございました。ではエン
トリーナンバー 2のBさん、お願い
します。
(以下出場者全員同じやり取りの繰り返し)
司 会:ではこれですべての発表が終わりま
した。ジャッジの皆さんはジャッジ
シートの記入を終えてください。で
は係りがジャッジシートを回収いた
しますのでしばらくそのままでお待
ちください。
(回収後)お待たせし
ました。では本日のビブリオバトル
の審査結果発表、表彰および講評
を・・・さん(先生)にお願いします。
担当者:
(結果発表・表彰・講評)
司 会:以上で本日のビブリオバトルの会を
すべて終了いたします。特に今日の
発表者の皆さんにもう一度温かい拍
手をお願いいたします。ではまたの
機会をお待ちしています。皆さんご
協力ありがとうございました。
④会場設定
ビブリオバトルの会場としては大小いずれ
も普通の教室で十分である。正面に黒板、ま
たはホワイトボードがあり、中央にある教卓
を演台として使用する。特別注意を要する点
と言えば、長い机を2つ用意し、正面両脇に
斜めに「ハの字」状にし、各3つの椅子を2組
用意し、それぞれの机に配置し是チーム、非
チームのディベーターが3人ずつ着席するこ
とぐらいである。
⑤ビブリオバトル実践の感想等
谷口によればそれを運営する理想的な参加
人数はまずは4 ~ 6人である6) が、大学の90
分の授業では10人以上が適当ではないかと感
じている。しかし筆者の実践では人数自体は
そんなに問題ではなく、むしろ、当日の雰囲
気づくりや参加者の準備状況やモーティべー
ションが大きく成否に影響することを実感し
た。筆者の場合まだ実践経験も浅いこともあ
り、やってはみたが、どのゼミでも、理想的
な実践ができたという実感は未だ持てないで
いる。比較すると基礎ゼミは参加人数が理想
的であったものの、参加者のモーティベー
ションと準備不足は否定できなかった。数週
間前には図書館などで自分の「お気に入りの
本」を見つけておき当日持参し発表するよう
に指示しておいた。しかし十分な準備ができ
ていず、発表自体が5分間持たずに半分以下
で終了してしまうなどの学生が散見された。
基礎ゼミでの運営は2段階で行った。まず筆
者自身の受け持つ基礎ゼミで予行練習として
1度行った。またその後、別の教員が担当す
る基礎ゼミと対抗戦の形で行った。後者にお
いては単にチャンプ本の決定にとどまること
なく、もう一歩踏み込んだ形をとり、上位3
名の得点者には賞品を用意した。そうするこ
とで、限定的ではあるが、それなりの緊張感
と高揚感をもって運営できたのではないかと
感じた。その他のゼミにおいては、参加者自
体が少人数であるという難しさはあった。し
かしそれを参加者の熱心さが補ってくれたよ
うであった。内容的にも基礎ゼミと比べ充実
したものとなり完成度が高まったようだ。ま
た、いずれのゼミにおいても事前には筆者自
らが発表を実践して見せた。因みに筆者が発
表した本はみすず書房のフランクル著による
『夜と霧』であった。フランクルはアウシュ
ビッツ収容所での体験を本書で赤裸々に語っ
6)
─ 91 ─
谷口忠大『ビブリオバトルを楽しもう』さ・え・
ら書房 2014 p. 34 l.10
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
ているが、その中でもフランクル自身の次の
ことばを紹介した。即ち「悪夢にうなされな
がら額に脂汗を光らせ泣き叫ぶ少年の寝顔を
見て、心配して思わず揺り起こそうとしたが、
私はその手を途中で引っ込めた。なぜならこ
の少年の見ている悪夢がどんなに苦しいもの
ではあっても、今の収容所の現実に比べたら
まだ楽なものだと考えたからである」さらに、
このように人間として限界状況とも考えられ
る、過酷な環境下でも、崇高な魂は利己的で
はなく利他的な態度をとることができるとい
うことを自らが学べて、学生運動が吹き荒れ
る当時、人間や社会に懐疑的であった学生時
代の筆者が再び、勇気を得て、人間は素晴ら
しい、自分も人間でよかった、これからの人
生において前向き生きようと思えた、などの
点を力説した。世代の異なる現代の大学生に
どの程度響いたのか定かではないが、やはり
ビブリオバトルは特に指導者である教員がま
ず手本を示さなくてはならないというこだわ
りが筆者にはある。また学生たちには、話す
時の、トーン、ポーズ、アイコンタクト、ジェ
スチャーなどにも注意し、むやみに上手には
できなくても、熱意をこめて自分のキャラク
ターで自然に、しかし相手にぜひ伝えたい気
持ちをしっかり込めて、話すことを強調して
おいた。またインターネットのユーチューブ
の動画画像で学生チャンピオンなどの発表を
事前に見せて、学生が理解を深めておくよう
に心がけた。さらに当日の司会は教員である
筆者が担当した。しかし今後学生の自主性を
引き出すために学生だけによる運営を考え、
教員は当日の挨拶、表彰、コメントだけを担
当するのが理想ではないかと考えている。
Ⅲ.ディベート
では以下に、ビブリオバトルの場合と同じ
ように、ディベートとはどんなもので、どの
ような場で、どのように、どのような理由や
目的で進行運営し、どんな反省が得られたか、
筆者の実践例を通して述べる。
討議、論争」となっている。故に相手に、ま
たオーディエンスに対して、如何に論理的に
主張ができるかという点に力点が絞られるこ
とがディベートの特徴だと言える。また北岡
はディベートとは、一つのストーリーであり、
そのやり方、プロセスを「立論→反対尋問→
最終弁論」7)というディベートストーリーに
基づいて行われるものとしている。また茂木
はディベートとは、
「ある命題(争点)をめぐっ
て、相反する両面から、客観的なデータを基
に推論を重ねていき、課題探究や合理的な問
題解決・意思決定をするための手法である」8)
としている。
Ⅲ-2 ゼミ活動でディベートを活用した理由
ゼミ活動でディベートを活用した理由は、
ビブリオバトルと同様、三つばかりある。即
ち、第一に、教員がこちらのペースで講義し
ても、学生が興味を示さないばかりか、時に
は居眠りをしたり、私語をするというよう
な問題を回避しようと思い立ったことであ
る。言い換えれば、多少消極的な理由ではあ
るが、筆者の授業運営上の問題を解決するた
めであった。このディベートでは、ビブリオ
バトル以上に相手の発言や主張に注意深く聞
き、それに対する説得力のある質問や反論を
しなければ成り立たない。当然学生の自主的
な活動が前提となるのである。その結果、学
生の積極的参加を期待できると考えたのであ
る。また第二の理由としては、その進行運営
の容易さである。ビブリオバトルと同様、運
営が特別難しいこともなく、その成否は筆者
の経験から、適切な論題の選択のみにかかっ
ている、
と考えられるからである。さらにディ
ベーターとして参加していない時も、学生は
ジャッジとして公正な審査が求められている
ゆえ、ぼんやりと休んでいる暇もなく、ディ
ベートの行われている時間は常に活動に参加
することとなるからである。またビブリオバ
トル同様、ジャッジの結果により勝者敗者が
7)
Ⅲ-1 ディベートとは
英和辞典によれば、ディベートとは「討論、
─ 92 ─
北岡俊明『ディベート入門』日本経済新聞社 1999 p.83 l.3
8) 茂木秀明『ビジネス・ディベート』日本経済新
聞出版社 2012 p.19 ll.8〜9
「ビブリオバトル」と「ディベート」を活用した大学生のコミュニケーション力・論理的思考力の育成の試み
決定され、時には勝利チームを表彰したり、
賞品を与えたりすることで、ゲーム性を高め
ることもできる。また、第三の理由としては、
これもビブリオバトルと同じで、思わぬ相手
の理性的かつ迫力のある立論に出会って、自
分の偏見に改めて気づくという効能があると
考えられるからである。この経験が将来の人
生や社会人としての活動に有効であると思わ
れるのである。即ち、ディベートもビブリオ
バトルと同様、学生が近い将来社会人として
活動するための能力を開発するにはかなり有
効な手法、手段だと思えたからである。また
これらの二つの活動がもたらすであろう効果
に関しては、後に改めて考察する。
Ⅲ-3 ディベートの実践
ディベートはビブリオバトルと共通点も多
いものの、その性質上相違点もあるので必要
上、次の③のディベート論題・事前準備表と
④のディベート発言モデルをプラスした。
①実践の場
筆者がディベートを実践した場はビブリオ
バトル同様、基礎ゼミ、ゼミA、ゼミB、専
門ゼミ、卒業研究ゼミである。
②ディベートジャッジシート
以下の形式のディベートジャッジシートを
参加者全員に必要な枚数を配布した。ディ
ベーター以外の者は、常にディベートをよく
聞き、公正な評価をすることが求められる。
( )内には、論題に対する是の立場をと
るチームか、非の立場をとるチームかを記載
することとする。例えば論題が「日本は死
刑制度を存続すべきである」ならば、論題に
賛成の立場をとるチームが「是チーム」
、も
しくは具体的に「死刑存続賛成チーム」など
とし、論題に反対の立場をとるチームならば
「非チーム」
、またはうっかり両者を混同して
しまう危険性を回避するために、
「死刑存続反
対チーム」などと具体的に書く。ジャッジは
公正な評定を下すために、それぞれのチーム
の発表の終了直後に、まず評定点を記載する
ことになるが、ディベートの途中や終了時点
で、訂正の必要を感じればまよわずその時点
でも、訂正を加えることを勧めた。
ディベートジャッジシート
( )チーム
※各評価項目10点満点で記載すること
論理的一貫性 点
十分なデータの裏付け 点
声の大きさの適切さ 点
話す速度 点
身振りやアイコンタクト 点
時間配分 点
合計点 点
(60点満点)
( )チーム
※各評価項目10点満点で記載すること
論理的一貫性 点
十分なデータの裏付け 点
声の大きさの適切さ 点
話す速度 点
身振りやアイコンタクト 点
時間配分 点
合計点 点
(60点満点)
─ 93 ─
③ディベート論題・事前準備表
ディベートを行うためには、学生が自分で
読み気に入った本を持参して発表するビブリ
オバトルとは異なり、決められた論題に関し
て、ある程度の時間をかけて、事前に立論や
相手チームに対する質問や論駁内容を練る必
要がある。学生に論題を自由に選ばせること
もできる。しかしまずは運営手法に慣れるた
め、また作戦を考えることに専心させるため
に、さらに学生に論題を自由に選ばせてあま
り適切ではない論題を選んでしまってもまず
かろう、との思いから、現段階では教員側が
提供することとした。例えば、一例を挙げる
と以下のようなものである。この表はディ
ベートを実施する直前に、参加者全員に配布
し、10分ほどでできるだけ多く考えられる是
と非の立場からの論拠を書いてもらう。全員
が記載を終えたのを見計らって便宜上、それ
ぞれの論題に対する是非の理由を切り取り線
で切り離して、当日の是チームと非チームの
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
ディベーターたちに資料として与えることに
した。当然ディベーターは、自分でも主張理
由は考えて作戦を立てるものの、多くの人の
意見も参考にすることでその作業をやり易く
させるためである。
④ディベート発言モデル
ディベートの運営進行をより円滑に行うた
めに、指導者、学生ともに経験の浅いことを
考慮して次のようなものを用意した。なおこ
れは内外のディベートの専門家による書籍を
参考にして筆者が作成した。
ディベート論題・事前準備表
ディベート発言モデル
論題1:死刑制度存続の是非
1)死刑は存続すべきである論拠(理由)
立 論 者:
私が・・・を是とする根拠は次の3点です。
第1点は・・・、第2点は・・・、第3点は・・・
です。よって私は・・・を是とします。
反対尋問者:
私が・・・チームに対する反論点は以下
の5点です。第1点は・・・、第2点・・・、
第3点・・・、第4点は・・・、第5点は・・・
です。
最終弁論者:
では・・・チームを代表いたしまして最終
弁論を行います。私はあくまで・・・と主
張します。その論拠は討論の過程ですでに
明らかになりましたが、もう一度最終弁論
として検証していきたいと思います。まず
第1に・・・、第2に・・・、第3に・・・です。
従って、私たちは自信をもって・・・は・・・
であるべきと主張いたします。以上で私の
最終弁論を終えます。
╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌ キリトリセン ╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌
2)死刑は存続すべきでない[廃止すべきで
ある]論拠(理由)
論題2:救急車有料化の是非
1)救急車の利用を有料化すべきである論
拠(理由)
╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌ キリトリセン ╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌╌
2)救急車の利用を有料化すべきでない[無
料化すべき]論拠(理由)
⑤ディベート運営進行
では以下実践通りの運営進行プロセスを所
要時間と共に確認する。
司 会:皆さん、お待たせしました。ただ今
からディベートを開催します。本日の論題は
「死刑制度の存続の是非」です。ではディベー
ターのメンバーをご紹介します。Aさん、B
さん、Cさん、Dさん、Eさん、Fさんの6
人です。そして本日の論題に対し、6人のメ
ンバーを、
「是」
「非」の2チームに分けます。
Aさん、Bさん、Cさんの3人が「是」チー
ムで、Dさん、Eさん、Fさんの3人が「非」
チームです。ではディベーターのメンバーは
それぞれのディベーターデスクに着席してく
─ 94 ─
「ビブリオバトル」と「ディベート」を活用した大学生のコミュニケーション力・論理的思考力の育成の試み
ださい。その他のメンバーの皆様には本日は
ディベート運営に協力していただきます。ま
ず今から配布される「論題事前準備表」に論
題の是と非の2つの立場からその論拠をでき
るだけ多く書き入れていただきます。皆さん
の書き入れた内容は、間もなく行われます本
日のディベーターが効果的な力強いディベー
トを行っていただく貴重な資料となりますの
でよろしくお願いします。記入時間は5分と
させていただきます。記入が終わりましたら
お手数ですが、是と非の間の切り取り線で2
つを切り取ってください。係りの者が是と非
の2つの用紙を別々に集めます。よろしくお
願いします。
(7分間)
司 会:では「論題事前準備表」を是と非の
2つに切り取り線で分けていただき、
これから集めます。
(1分間)
司 会: あ り が と う ご ざ い ま し た。 で
は 集 め ま し た「 論 題 事 前 準 備
表」を各チームのディベー
ターのメンバーにお渡しいたします
ので、ディベートを行う資料として
使っていただくとともに、今から5
分間で作戦準備をしていただきま
す。また各チームともに
「立論者」
「反
対尋問者「最終弁論者」を誰が担当
するのか決めておいてください。ま
たディベーター以外の皆さんにはこ
こでジャッジシートをお配りしま
す。各項目、公正なジャッジをお願
いいたします。
(5分間)
司 会:ではディベートを開始します。まず
最初に「是チーム」すなわち肯定側
から立論をお願いします。制限時
間は5分です。4分30秒経過後に1回、
また5分経過しましたらタイムキー
パーがその旨を知らせます。そこで
終了してください。ではお願いしま
す。
是チーム立論者:
私が死刑制度存続を是とする根拠は
次の3点です。第1点は・・・、第2
点は・・・、第3点は・・・です。
(論
拠説明)よって私は死刑制度存続を
─ 95 ─
是とします。
(5分間)
司 会:ありがとうございました。では次に
「非チーム」すなわち否定側から立
論をお願いします。制限時間は同様
5分です。ではお願いします。
非チーム立論者:
私が死刑制度存続を非とする根拠は
次の3点です。第1点は・・・、第2
点は・・・、第3点は・・・です。
(論
拠説明)よって私は死刑制度存続を
非とします。
(5分間)
司 会:ありがとうございました。ではここ
で作戦タイムを2分間とります。2分
後「非チーム」の反対尋問をお願い
します。制限時間は12分間です。ご
準備願います。
(2分間)
司 会:では「非チーム」の反対尋問をお願
いします。
非チーム反対尋問者:
私が是チームに対する反論点は以下
の5点です。第1点は・
・
・、
第2点は・
・
・、
第3点は・・・、第4点は・・・、第
5点は・・・です。
(反対論拠説明)
(12
分間)
司 会:ありがとうございました。ではここ
で是チームの反対尋問の前に作戦タ
イムを2分とります。
(2分間)
司 会:是チームから反対尋問をお願いしま
す。同じく制限時間は12分間です。
是チーム反対尋問者:
私が非チームに対する反論点は以下
の5点です。第1点は・
・
・、
第2点は・
・
・、
第3点は・・・、第4点は・・・、第
5点は・・・です。
(反対論拠説明)
(12
分間)
司 会:ありがとうございました。では次は
両チームからの最終弁論の前に5分
間の作戦タイムと取ります。
(5分間)
司 会:では非チームから最終弁論をお願い
します。制限時間は5分間です。で
はよろしくお願いします。
非チーム最終弁論者:
では非チームを代表いたしまして最
終弁論を行います。私はあくまで・
・
・
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
と主張します。その論拠は討論の過
程ですでに明らかになりましたが、
もう一度最終弁論として検証してい
きたいと思います。まず第1に・・・、
第2に・・・です。
(5分間)
司 会:では是チームから最終弁論をお願い
します。制限時間は同じく5分間で
す。ではよろしくお願いします。
是チーム最終弁論者:
では是チームを代表いたしまして最
終弁論を行います。私はあくまで・
・
・
と主張します。その論拠は討論の過
程ですでに明らかになりましたが、
もう一度最終弁論として検証してい
きたいと思います。まず第1に・・・、
第2に・・・です。
(5分間)
司 会:ではここで本日のディベートの評価
判定に入ります。ジャッジの皆さん
はジャッジシートの記入を終えてく
ださい。間もなくジャッジシートを
係りが集めます。
(1分間)
司 会:ではジャッジシートを回収します。
司 会:では次にジャッジの集計を行います
のでしばらくお待ちください。
(2分
間)
司 会:皆さんお待たせいたしました。集計
結果を発表いたします。本日のディ
ベート論題の「死刑制度の存続」に
対しまして是チームの得点は・・・点、
非チームの得点は・・・で、
・・・チー
ムの勝利となりました。勝利チーム
おめでとうございます。皆さん盛大
な拍手をお願いします。ありがとう
ございました。ではまたの機会をお
待ちしています。本日はご協力あり
がとうございました。
(必要に応じて講評、表彰など)
(5分
間)
⑥ディベート会場設定
ディベートの会場としては大小いずれも普
通の教室で間に合う。正面に黒板、またはホ
─ 96 ─
ワイトボードがあれば十分である。中央にあ
る教卓は演台として使用する。また司会は左
右どちらかに立って行う。
⑦ディベート実践の感想等
ディベートはビブリオバトルとの共通性に
もかかわらず、学生が自分で発表内容を決め
るビブリオバトルとは異なり、特有の難しさ
を解決する工夫が必要であると感じた。まず
論題の選択の適切さが重要であろう。一度は
社会的にも重要な問題である、死刑存続の是
非問題を討議した。しかし経験上まず進行に
慣れるまでの期間はできるだけ簡単な論題か
ら始めてみるべきだと感じた。例えば、大学
生のディベートとしては、多少稚拙すぎると
批判を受けそうではあるが、
「ペットとしては
ネコが適切である」と「ペットとしてはイヌ
が適切である」などや「高校生の制服存続の
是非」などやや軽い論題から始めるべきだと
思われる。前者の論題は軽すぎると考えられ
るかもしれないが、実施してみると案外いろ
いろな観点からの考察が必要であることに気
付く。例えば、ペットとしてのネコの優位性
を訴えるには、飼育するためのエサ代が安価
である点、毎日散歩に連れて行く面倒がな
い、などを挙げなくてはならない。またイヌ
のペットとしての優位性を強調するためには
番犬として役立つことや警察犬、狩猟犬、盲
導犬など社会的な有益度の高さを強調する必
要がある。後にこの論題でも実施してみたが、
最初はイヌの方がよく人間に懐くから好きだ
とか、猫の方が可愛いとか、個人的な好き嫌
いの主観が混同した発言内容もあった。しか
し何度か実施していくうちに、かなり社会性
のある問題まで消化できた。例えば「赤ちゃ
んポストは必要であるに関する是非」や「脳
死は人の死と考えられ、脳死の時点で臓器移
植は行うべきだに関する、是が非か」などの
論題でもディベートを行ったが、いつもは控
えめな学生が、かなり説得力のある発言をし
たり、思わぬ発見もあった。また司会は教員
である筆者が行ったものの、今後学生に任せ
るかの課題もある。またディベーターの発言
を円滑にするために⑤に前述したように進行
「ビブリオバトル」と「ディベート」を活用した大学生のコミュニケーション力・論理的思考力の育成の試み
表・発言モデル表を用意した。しかし慣れて
きた時点でこの使用はやめるべきだと考えて
いる。なぜならこの表は発言者の心のよりど
ころになるメリットにもかかわらず、その結
果頼り過ぎて表自体を読み上げる傾向を生
み、発言に力強さを感じないという問題を感
じたからである。最後のコメントで学生にも
説明をしたように、あくまで発言モデルは参
考までであり、多少別の表現や言葉を使用し
ても、自分のやり方で自然の流れを重視して
行うべきだと痛感した。また、ビブリオバト
ルの場合と同じように、筆者がインターネッ
トで集めた資料やユーチューブ画像を学生に
提供することでディベート運営の準備とし
た。また子細な点ではあるが、ジャッジシー
トのチーム名の記載に関しては、
単に「是チー
ム」
、
「非チーム」などとはせず、例えば「死
刑制度は存続すべきである」との論題に対し
ては、
「死刑制度存続賛成チーム」
、
「死刑制度
存続反対チーム」
(
「死刑制度廃止チーム」
)な
どと具体的にした方がいいと思われた。と言
うのは、ジャッジの中には是非のチームを
うっかり取り違えて採点してしまった者がい
たからである。
自主的に発表したいと思うようになると思わ
れ成長が期待される。そして結果的に、ます
ます将来のために大切なコミュニケーション
力を身につけられると考えられる。
2) 自己理解と他者理解を通しての、個性を
認め合う態度・連帯感・協調性の育成:
ビブリオバトルの発表とディスカッション
における質疑などの活動を通し、自らの訴え
が相手に理解され、認められる喜びや楽しさ
を経験することを通して、自分を知り自信を
つけ、学生の精神的成長に重要だと思われる
自己のアイデンティティの確立につながり、
他者の発表を通し、他者をよりよく知り理解
し、互いに個性を認め合うことで友情や連帯
感が生まれ、また他者と深くかかわることで
学生生活が充実すると期待される。また将来
社会人として必須である協調性が育つと期待
される。
Ⅳ.ビブリオバトルとディベートの効用と可能性
では、ここでビブリオバトルとディベート
によって学生のどのような態度や能力の育成
が可能であろうか。考えられるものを以下に
列挙しながら考察を加えたい。
Ⅳ-1 ビブリオバトルの効用と可能性
1) 自ら発表し、人の発表を聞く自主的な態
度と能力の育成:
ビブリオバトルは技術上の束縛が少なく、
それほど難しいものではないので、自分の言
葉でそれなりの熱意をもって、自分の気に
入った本の内容を発表すれば相手に予想以上
に伝わるものなので、発表者が一種の達成感
を味わうことができると考えられる。またビ
ブリオバトルは自分独自で自主的に読み選ん
だ本について話すので、教員の押し付けによ
るマイナス効果はない。それ故、ある程度の
達成感のみならず楽しさを感じた学生はまた
─ 97 ─
3) 抽象的思考能力や知的好奇心の育成
筆者の須部が「視覚依存のフォーカス化」9)
と呼ぶ、現代的デジタル文化の代表とも呼び
うる、便利なパソコンソフトによるプレゼン
手法や短い文で作成されたラインやチャット、
ひいては携帯小説などの弊害のためか、現代
の若者の抽象的思考力や一般的知的好奇心の
欠如が危惧されている。また、この問題は谷
口の指摘するように、パワーポイントなどに
代表されると思われる、機械的に発表者が読
み上げるだけの「発表資料(レジュメ・スラ
イド)問題と眠気だ」10)につながるものかも
しれない。その点ではこのビブリオバトルは、
自分が読んではいない他者の推薦する本の内
容を、他者の言葉を通して追体験できる。従っ
て、抽象的思考力と知的好奇心の2つの能力の
育成にはつながることが期待できる。
4) パブリックスピーキングの能力の育成
パブリックスピーキングの代表的なものに
9)
淺間正通『デジタル時代のアナログ力』学術出
版会 2008 p.305 l.26
10)谷口忠大『ビブリオバトル』文芸春秋 2013
p.116 l.6
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
スピーチがある。しかしスピーチの大きな欠
点は、事前にかなりの努力を投入して丸暗記
した原稿に沿って、自分の発表する番では集
中するが、一旦自分の番が終われば後はほっ
と安堵の胸をなでおろし、他の人の発表の時
は、すでに上の空で、あまり真剣に聞かない
ことが多いようだ。これは言ってみるならば
カラオケの場合に似ているとは言えないだろ
うか。また、これは谷口が輪読会の欠点に
関して述べているのだが、
「表向きは、全員が
ちゃんと読んできて議論することになってい
るのだが、これが継続的に守られることは経
験上極めて稀だ。むしろ、あっという間にほ
とんどの参加者が自分の担当する部分以外は
読んでこなくなる」11) ともよく似ていると
気に入ったなどとの感想を述べる者も多かっ
た。
5) 読書する態度の育成
この点は筆者が「Ⅱ−2」ですでに述べた、
若者の読書離れ問題に関係する。ビブリオバ
トルはその性質上自らの読書体験を前提とす
るだけでなく、他者の読書体験を追体験する
ことで、読書の幅が広がり、その分読書その
ものの楽しさをダイナミックに体感できるは
ずである。従ってビブリオバトルによって読
書する態度が効果的に育成され、結果的にビ
ブリオバトルが、若者の読書離れ問題の解決
の糸口になってくれるものとおおいに期待し
ている。
思われる。その点ビブリオバトルでは、自分
の発表の時以外でもジャッジメントやディス
カッションに加わることで、積極的かつ客観
的に他者の発表も学べ、スピーチよりも効果
的にパブリックスピーキングを体験できその
能力を伸ばすことができると考えられる。ま
たビブリオバトルには原稿がないことから、
一種のライブ感をもって発表が可能であるこ
とが、大きな利点と考えられる。原稿がある
とどうしても原稿に頼ってしまってしまい、
アイコンタクトが不十分となったり、視線を
下に落とすことで、声がこもってしまったり
発表者の訴えにパワーが感じないこともよく
ある。その点、ビブリオバトルは、多少技術
的なことは犠牲にして気軽な気持ちで、自分
のペースで、自由に自分の言葉で、自分の訴
えたい独自の姿勢で臨む結果、発声が自然に
なり、アイコンタクトが十分になったりして、
かえってパブリックスピーキングの技術が向
上することがあることは実践の結果明らかに
なった。さらにスピーチのように原稿を丸暗
記せず、自分の訴えたいことを、ただその時
思いつく言葉で伝えれば十分なので、精神的
な負担度はビブリオバトルの場合かなり少な
いようだ。学生の中にもスピーチの時のよう
に緊張しなかった、ビブリオバトルはとても
11)谷口忠大『ビブリオバトル』文芸春秋 2013
p.115 ll. 4〜6
─ 98 ─
6) 共感したり客観的にかつ公平にジャッジ
する態度と能力の育成
最近一部の若者の無気力化や草食動物化な
どが取りざたされている。確かにそんな彼ら
には、一様に共感したり感動する体験や態度
が若干不足しているとは言えないだろうか。
これでは他者と積極的にかかわったり、人の
意見を積極的に聞く経験もないまま青春時代
を過ごしてしまうことになりかねない。これ
では彼らが知的好奇心を抱けるはずがなかろ
う。その点では、
「聞いていてどの本が一番読
みたくなったか」という単純なテーマによっ
ておのずと他者の主張に共感したり、客観的
に公平にジャッジすることを通し、そうする
態度と能力が育成されると期待される。
Ⅳ-2 ディベートの効用と可能性
1) 即応力の育成
ディベートは対抗チームがどんな立論や反
対尋問をしてくるかその場にならないとわか
らず、その分集中して相手の発言を聞き、短
時間で対応しなくてはならないので、物事や
問題に即応する訓練になり、即応力が養成さ
れるはずである。この点では、北岡の発言は
無視できない。即ち彼は阪神淡路大震災に対
する、政府のディベート的即応的意思決定能
力の欠如に関して述べた、
「阪神大震災は、総
理大臣から一般庶民まで、日本人の危機的管
「ビブリオバトル」と「ディベート」を活用した大学生のコミュニケーション力・論理的思考力の育成の試み
理能力の欠如を見事に証明した大事件であっ
た。とりわけ、総理大臣の危機管理能力はみ
じめなほど程度の低いものであった」12)と、
現代日本におけるディベート文化の欠如を嘆
く。また彼は日本の歴史における信長の桶狭
間の勝利は、彼特有のディベート的即応力に
よる「意思決定のスピード、パワー、正確さ」
13)
の故であったとしている。学生が将来社会
に出れば問題・課題に対処するべく即応力は
不可欠であると思われるし、ディベートでこ
の力が養成されることが期待される。
2) 客観的・論理的思考力の育成
ディベートを行うには何よりも客観的かつ
論理的思考が前提となる。感情に流されたの
ではディベートは成功しない。まず立論を理
にかなったものとし、反対尋問も客観的で理
路整然と行わなければならないし、相手の反
対尋問に対する最終弁論も同様に客観的・論
理的に見て一部のすきがあってはならない。
しかもこれらの活動をすべて短時間に行わな
くてはならない。従ってディベートでは、必
然的に客観的・論理的思考力が育成されると
考えられる。
3) 問題解決力の育成
前述のようにディベートでは、是と非の
チームの立場に立ってある問題に対して、そ
の解決法を、時間的制約の中で主張し合い、
ジャッジは両者の主張を公正に比較して勝者
を決定する。因みに、このプロセスは、一般
企業がある企画を採用するか否かのプロセス
に酷似しているとは言えないだろうか。企業
は時間的な制約の中で、新入社員もベテラン
社員も一団となって、その企画の問題を洗い
出し、その問題をどう解決したら企画にゴー
サインを出せるかディベートする。従って、
ディベートによって、学生が近い将来、企業
活動に必要であろうこのような能力の育成さ
れることが多いに期待される。因みに松本は
成果を上げることに失敗した企業に関し、
「議
14)
論できない空気が何年にも漂っていた」 こ
とを指摘している。
4) コンパクトに、分り易く、説得力をもっ
て話す態度と能力の育成
ディベートは前述のとおり、時間的制約の
中で自分の主張を相手に納得させなければな
らない。回りくどい言い方では功を奏しない。
仕事でもプライベートな人間関係でも同じこ
とが言えるはずである。ディベートでの成功
体験によって、この力をつけることができれ
ば、引っ込み思案の学生も他者と積極的にか
かわっていくことに躊躇しなくなると期待さ
れる。また現実に、ディベートによって積極
性が伸びた学生は少なくない。
5) チームワーク力の育成
社会活動で重要な力の一つは、チームワー
クによる力であると言われる。ディベートは
その性質上、立論者、反対尋問者そして最終
弁論者の連携が最も重要であると考えられ、
それぞれの役割が密接に結びついていなくて
はならない。連携が崩れてしまえばディベー
トでの勝利は遠のく。従って、ディベート活
動によってチームワーク力が鍛えられるはず
である。
6) 幅の広い教養・社会事象に対する知的好
奇心と批判力の育成
最近、若者のニートや引きこもり問題も聞
かれる。彼らは一様に社会的事像に興味がな
く、主体的かつ批判的に考える態度と能力が
欠けていると思われる。そして大学生の中に
も、そこまでは深刻ではないかもしれないが、
精神的にはやや似た問題を抱えている者も少
なくないと推測できる。しかし、このような
問題もディベートによって解決の糸口が見つ
かるのではないかと思われる。なぜならディ
ベートは、その性質上、是と非の立場から社
会性のある問題を考えなくてはならず、この
12)北岡俊明『意思決定ディベートの技術』中央経
14)松本茂『大学生のための読む・書く・プレゼン・
済社 1995 p.47 ll.5〜6
13)北岡俊明『意思決定ディベートの技術』中央経
ディベート』玉川大学出版部 2007 p.135 l.27
〜p.136 l.1
済社 1995 p.57 ll.6〜7
─ 99 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
経験を通しておのずと内外で起きている出来
事やそのニュースに対する関心が生まれ、ま
た是と非の立場から物事を批判的に考える訓
練となるとともに、結果的に幅広い教養が身
に付き、大学での講義やレポート作成にも、
積極的に参加する態度が育ち、有意義な学生
生活をエンジョイできるようになると期待さ
れる。しかしながら、残念ではあるが大学の
教育現場はディベートを取り入れようとする
ことにはやや消極的であり、その現状に関し
松本は、
「学生は教育から知識を授かるといっ
た固定的な関係で互いを縛るのではなく、学
生どうしはもちろんのこと、学生と教員が活
発に議論するといったダイナミックな関係性
が大学では求められている」15)と述べている。
Ⅴ.おわりに
以上ビブリオバトルとディベートを活用す
ることでの大学生の社会人基礎力となるべき
コミュニケーション力と論理的思考力の育成
を考えてきたが、これらの2つの活動を通し
て大学生が是非体験してもらいたいと思うこ
とは、ビブリオバトルで出会った書籍を通し
ての感動体験、その感動を相手に伝えわかっ
てもらえるという成功体験、またディベート
を通して、論理立てて物事を考察したうえで
主張し、相手のその主張を理解させる喜びな
どである。このように受動的に与えられる知
識ではなく、自らの活動と他者とのかかわり
の中で得られるコニュニケーション力と論理
的思考力は、将来学生が社会人として解決し
なくてはならない問題に対処する大きな対人
力や応用力につながるはずである。最近、ハ
ウツー本などのように、すべてを短期間で即
答的に解決する技術を提供する傾向が見られ
たり、将来のスキルアップを目指して各種学
校への進学が人気を博し、各種能力検定試験
が盛んに行われている。もちろんこのような
技術面の向上は重要であろう。しかしながら、
即戦力重視の大きな落とし穴は、即戦力は一
定の時間と労力を投入すればおのずと身につ
15)松本茂『大学生のための読む・書く・プレゼン・
ディベート』玉川大学出版部 2007 p.135 ll.14
〜17
くが、身に付きにくいのが、問題解決力、応
用力、想像力、創造力などといった人間力を
背景にした総合力であり、このような力こそ
大学教育が真に担うべきものであり、さらに
言えば多くの心ある企業が、即戦力を求める
のではなく、総合的な人間としての能力を求
めているのである。最近多くの大学は、即実
学ではなく、一見表層的な世の流れとは矛盾
するようではあるが、いわゆる「教養教育の
重視」という方向に向かっているのも納得で
きよう。
因みに文科省のホームページは、大学生が
身につけるべき能力として、1)人間力 2)
社会人基礎力 3)就職基礎能力の3つを挙
げ、各々を以下のように説明している。即ち
1)の「人間力」は「社会を構成し運営する
とともに、自立した一人の人間として力強く
生きていくための総合的な力」
、2)の「社
会人基礎力」を「組織や地域社会の中で多様
な人々とともに仕事を行っていく上で必要な
基礎的な能力」
、3)の「就職基礎能力」を
「企業が採用に当たって重視し、基本的なも
のとして比較的短期間の訓練により向上可能
な能力」と説明している。さらに1)の力を
構成する要素としては、基礎学力、専門的な
知識・ノウハウを継続的に高めていく力の「知
的能力的要素」
、コミュニケーションスキル、
リーダーシップ、公共心、規範意識、他者を
尊重し切磋琢磨してお互いを高めあう力の
「社会・対人関係力的要素」
、上の要素を十分
に発揮するための意欲、忍耐力、自分らしい
生き方や成功を追及する力の「自己制御的要
素」の3つで構成されるとしている。また2)
の力とは主体性、働きかけ力、実行力などの
「前に踏み出す力」
、課題発見力、計画力、創
造力などの「考え抜く力」
、発信力、傾聴力、
柔軟性、状況把握力、規律性、ストレスコン
トロール力などの「チームで働く力」で構成
されるとしている。さらに3)の力は意思疎
通、協調性、自己表現力の「コミュニケーショ
ン能力」
、責任感、向上心、探究心、職業意
識、勤労観の「職業人意識」
、読み書き、計算、
数学的思考、社会人常識の「基礎学力」
、基
本的なマナーの「ビジネスマナー」
、さらに
─ 100 ─
「ビブリオバトル」と「ディベート」を活用した大学生のコミュニケーション力・論理的思考力の育成の試み
情報技術関係、経理・財務関係、語学力関係
の「資格取得」で構成されているとしている。
以上概観すると、多少総花的な印象を受ける
が総じて言えることは、筆者が今回「ビブリ
オバトル」と「ディベート」によって大学生
のために涵養できると考えた能力と大差がな
い印象であるということだ。
また、現在FDを担当している筆者が過日
京都で行われた全国大学FDフォーラムに参
加したが、その場においても「教養教育の最
重視」が取り上げられていた。それ故、筆者
も大学現場で学生の育成を任せられている者
として、今後まずますビブリオバトルやディ
ベートを活用して学生と意見を交換したいと
考えている。また真のFDの実現のために、
技術的な授業改善などの表層に留まることな
く、自ら研究に専念し、教養と専門性に磨き
をかけ、かつその姿を学生に見せ、共に書籍
の紹介し自慢し合い、共に議論し合うのが肝
要だと考えている。まだ現実としてはビブリ
オバトルとディベートの運営状況は理想とは
程遠い段階ではある。しかし今後も繰り返し
実施することで、技術的にも習熟していきた
いし、最終的には技術をも凌ぐものと思われ
る意気込みとか情熱を重視してこれらの活動
に努力邁進していきたい。
参考文献等
吉野英和他『ビブリオバトル公式ガイドブッ
クビブリオバトル入門』一般社団法人情報
科学技術協会 2013
淺間正通『デジタル時代のアナログ力』学術
出版会 2008
谷口忠大『ビブリオバトルを楽しもう』さ・え・
ら書房2014
Kenneth B. Hoyt Career Education: History
and Future National Career Development
Association 2005
北岡俊明『意思決定ディベートの技術』中央
経済社1995
松本茂『大学生のための読む・書く・プレゼン・
ディベートの方法』玉川大学出版部2007
Debbie Newman and Ben Woolgar Pros and
Cons A Debater’s Handbook 19th edition
Routledge 2013
Leslie Phillips et al. Basic Debate, Student
Edition McGraw-Hills 2005
Roy V. Wood et al. Strategic Debate, Student
Edition McGraw-Hills 2006
Michael Lubetsky et al. Discover Debate: basic
skills for supporting and refuting opinions
Language Solutions 2000
西部直樹 『はじめてのディベート 聴く・
話す・考える力を身につける』あさ出版
2009
金山宣夫他 『ハーバード流交渉術』三笠書
房 1989
香西秀信 『反論の技術-その意義と訓練方
法』明治図書 1995
茂木秀明 『ザ・ディベート-自己責任時代
の思考・表現技術』ちくま新書 2001
苫米地英人 『ディベートで超論理思考を手
に入れる』サイゾー 2011
太田龍樹 『ディベートの基本が面白いほど
身につく本』中経出版 2009
松本道弘 『図解ディベート入門』中経出版 2010
鈴木勉 『図解雑学ディベート』ナツメ社 2010
谷口忠大『ビブリオバトル』文芸春秋2013
高山誠太郎『英語ディベートABC』1985
茂木秀昭『ビジネス・ディベート』日本経済
新聞出版社2012
北岡俊明『ディベート入門』日本経済新聞社
1999
─ 101 ─
教職課程におけるアクティブラーニングへの試み
─ライティング指導を中心にして─
An Attempt of Active Learning in Teacher-Training Course
― Focucing on Writing Guidance ―
浅 羽 浩
Ⅰ.新しい学びへの期待
Ⅱ.教職課程における取組
Ⅰ.新しい学びへの期待
1.はじめに
近年、知識基盤社会への移行や社会の情報
化など、大きな社会変化に伴い、学校教育に
おいて育成することが期待される学力も変化
してきた。初等中等教育においては、
1989(平
成元)年の学習指導要領改訂以降、
「自ら学ぶ
意欲や思考力、判断力、表現力などの資質・
能力を重視する」新しい学力観に立った学習
指導が強調され、今日に至っているが、高等
教育機関においても、近年、教育の視点を「教
え る(Teaching)」 か ら「 学 ぶ(Learning)」 に
移行することの重要性が指摘されるようにな
り、教員が「何を教えたか」ではなく、学生
が「何を学んだのか」を指標として、FDや
教育改善を行うようになった。こうした取組
は、中央教育審議会『学士課程教育の構築に
向けて(答申)
(
』2008)
(以下『学士課程答申』
)
において、学部教育の改善が強く求められた
ことが大きな契機となっている。
『学士課程
答申』では、これまで主として知識習得の場
として位置づけられていた学士課程教育を、
「知識・理解」
「汎用的技能」等のいわゆる「学
士力」を育成する場へと変革することを強く
求めた。
また、中央教育審議会『大学教育の質的転
換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える
力を育成する大学へ~(答申)
(
』2012)(以下、
『質的転換答申』
)において、日本の学生は諸
外国の学生と比較して学修時間が少なく、
「事
前の準備、授業の受講、事後の展開という学
修の過程に一定時間をかけて取り組む」こと
が必要であり、
「質を伴った学修時間」の確保
が急務であると指摘している(
『質的転換答
申』
)
。そして、知識基盤社会において活躍で
きる人材を育成するため、学生のアクティブ
ラーニング(能動的な学修)
(以下、AL)を実
現できる取組や環境整備を大学に強く求めて
いる。
一方、我が国の若者が他人とのコミュニ
ケーションを苦手とし、自分の能力に自信を
持てないなど、全体的に自己肯定感が低いこ
とも指摘されている(財団法人日本青少年研
究所 2009)
。更には、リーマンショック以降
の厳しい雇用環境の中で、若者の就業率を高
めることや離職率を低下させることが社会的
に要請されるようになった。こうした中で、
新しい大学設置基準(2009年4月施行)に、
若者の社会的・職業的自立を図る観点から、
教育課程の内外において「キャリアガイダン
ス」を推進することが盛り込まれ、学校か
ら社会への移行の円滑化が期待されるように
なった。
このほか、認知科学を始め、人間が学ぶメ
カニズムを明らかにする学習科学の成果が蓄
積されてきたことにより、学生が主体的に学
ぶことのできるカリキュラムデザインの重要
性が指摘されている。
このように、学士課程教育の質的転換が喫
緊の課題となっている。本稿は、本学経営学
部教職課程の開設科目のうち、教職に関する
科目におけるALへの取組と今後の課題を整
─ 103 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
理したものである。
2.新しい学びへの期待
教職に関する科目においてALを導入する
に当たり、留意した事項が5つある。
1つ目は、ALとは何か(定義)
、また、AL
を通して身に付けるべき学力は何か、2つ目
は、ALの具体的な実施形態にはどのようなも
のがあるか、3つ目は、AL実施に伴う課題は
ないか(ALの負の側面)
、4つ目は、教員養成
においてALを導入する意義は何か、5つ目は、
従来から用いられてきた講義形式による授業
の根底にある認識(教授方法と学習効果につ
いての考え方)とALのそれを比較し、ALを
導入することは、そもそもどのような学修を
実現することなのかを整理することである。
これらについて、以下(1) ~ (5)で述べる。
(1)アクティブラーニングへの取組
ALの中には、講義中に感想・コメント・質
問等を書かせる、協働的な学習を取り入れる、
小テストを実施する、さらにはPBL(Problem
Based Learning)などの課題解決学習を行う等
様々な取組があり、その実態は多様である。
従って、ALの定義も多様である。ちなみに、
『質的転換答申』(2012)において、ALは、
「教
員による一方向的な講義形式の教育とは異な
り、学修者の能動的な学修への参加を取り入
れた教授・学習法の総称」と定義されている。
このほか、ALに積極的に取り組んでいる、
京都大学高等教育研究開発推進センターの松
下佳代は、ALを、
「学生が学習に向かう責任主
体となって行うことを重視した授業形態の総
称(+そこで行われる学習と授業形態)
」と
定義し(松下:2012)
、同センターの溝上慎一
は「一方向的な知識伝達型授業における学習
者の受動的な学習に対する能動的な学習の総
称」
(溝上:2011)と定義している。
ALを通して修得すべき学力については、
『学士課程答申』
(2008)において、大学卒業
までに学生が最低限身に付けなければならな
い能力として「学士力」として要約しており、
その構成要素は図1のとおりである。このう
ち、特に「汎用的技能」が重要であるとされ、
具体的には、
「知的活動でも職業生活や社会生
活でも必要な技能」とされ、
コミュニケーショ
ン・スキル、数量的スキル、情報リテラシー、
論理的思考力、問題解決力が示されている。
また、
『質的転換答申』
(2012)においては、
「学
修者が能動的に学修する」ことにより、
「認知
的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験
を含めた汎用的能力の育成」を図るとしてい
る。ここに述べられている
「汎用的技能」
や
「汎
用的能力」は、中央教育審議会『今後の学校
におけるキャリア教育・職業教育の在り方に
ついて(答申)
』(2011)において、若者の社会
的・職業的自立に必要な基盤となる能力とし
て示された「基礎的・汎用的能力」に極めて
類似した内容であり、実社会において活用で
きる生きた学力を育成することが期待されて
いるといえる。
ALは、
「一方向的な講義形式でない学修」で
あり、
「能動的な学修」をとおして、
「汎用的能
力」を修得することが目指されていることを
押さえておく。
中央教育審議会『学士課程教育の構築に向けて(答申)
(
』2008)を
基に作成
図1 「学士力」の構成要素
(2)一般的なアクティブラーニングと高次の
アクティブラーニング
学校法人河合塾は2008年以来、偏差値とは
異なる大学選択の基準を高校生や保護者に提
供するねらいで、大学の教育力に関する調査
を継続的に実施している。2008年には「国立
大学の教養教育調査」
、2009年には「全国大
学の初年次教育調査」を実施し、こうした流
れの中で、2010年~ 2012年にかけて、2度に
わたり、ALの実施状況に関する全国的な調査
─ 104 ─
教職課程におけるアクティブラーニングへの試み
を実施し、その結果を『アクティブラーニン
グでなぜ学生が成長するのか』(河合塾2011)
及び、
『
「深い学び」につながるアクティブラー
ニング』
(同2013)として報告している。
この調査は、2010年度には、経済学・経営
学系、工学系を中心に全国の351学部・学科
に対する質問紙法による調査及び実地調査
(33学部)を実施し、2011年度には、952学科
を対象とした質問紙による調査を行うなど、
極めて大がかりなものであり、我が国の大学
におけるALへの取組状況の概要を把握する
上で有益である。
この中で、調査チームは、ALを「一般的
なアクティブラーニング」と「高次のアクティ
ブラーニング」の二つに分類している(図2)
。
前者は、知識の定着・確認を目的とした演習
や実験等を意味し、後者は知識の活用を目的
としたPBL(Problem Based Learning)や創成
授業(Project Based Learning)を意味している。
大学における授業においては、1・2年次に概
論を主として講義形式で学び、3年次以降の
演習やゼミナールにおいて、より発展的な内
容を学ぶことが一般的であり、上級学年にお
いては、ALの要素が自ずと多くなっている。
しかし、1・2年次の基礎教育段階で行われる
講義においても、基礎的・基本的な知識・技
能を伝達する「講義」が多いものの、講義の
中にALを導入する取組も見られる。こうし
た実態をより正確に把握するために、
「一般的
なアクティブラーニング」と「高次のアクティ
ブラーニング」に分類したものであるが、現
状のより正確な把握、及び、今後の各大学に
おける取組に資する点で妥当な分類であると
いえる。
欧米諸国の大学では、一つの科目の授業
を週あたり2 ~ 3コマ配置し、一コマは講義、
そして残る1 ~ 2コマは学生による討論等と
し、講義で学んだ知識を活用する仕立てに
なっていることはよく知られている。一方、
我が国の大学では、一つの科目は週当たり1
コマ配置されることが一般的である。
報告書では、一時間の授業の中で「講義」
に「一般的なアクティブラーニング」を組み
込む事例のほか、学部教育のねらい、教育
内容、学生の実態等を踏まえて、4年間のカ
リキュラムの中で「講義」
「一般的アクティブ
ラーニング」
「高次のアクティブラーニング」
に系統的に取り組む事例が報告されている。
中には、初年次から知識を活用する課題解決
型の学修を導入し、問題の解決や新しい企画
を立案するためには、幅広い分野の知識が必
要であることを学生に気づかせるなど、いわ
ば学修の動機付けも副次的に意図している大
学もあり、ALへの取組は、分野や学修段階
に応じて多様に展開されている。
図2 一般的なアクティブラーニングと高次
のアクティブラーニング
(3)アクティブラーニングの課題
ALについては、従前から、アクティブ(活
動的)でありさえすればよいのか、アクティ
ブではあるが、深まりがないのではないか、
といった素朴な疑問や課題も指摘されてき
た。
初等中等教育においては、前述したよう
に、1989(平成元)年の学習指導要領改訂に
おいて、
「自ら学ぶ意欲や思考力、判断力、表
現力などの資質・能力を重視する」新しい学
力観が強調され、主として小・中学校では、
協働的な学習や児童・生徒による発表が盛ん
に取り入れられている。そうした中で、子ど
もたちは活発に活動しているが、果たして何
が身に着いたのかということになると疑問が
残る、すなわち活動はあるが学習成果は明確
でないという指摘や基礎的・基本的な事項の
学習が不十分なまま、考えさせたり活動させ
たりする授業を展開しているとの指摘がある
(市川 2002・2008)
。いわゆる
「学力低下問題」
の背景には、こうした要素もある。
一方、講義形式の授業であっても教員が周
─ 105 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
到な教材研究と豊富な教育経験をもとに魅力
的な授業が展開され、学習に対する知的関心
が旺盛な学生は真剣にノートを取り、実に能
動的に学修するといったケースが見られるこ
とも事実である。したがって、一概に講義形
式の授業が劣るということではないことには
留意しなければならない。
しかしながら、
『学士課程答申』や『質的転
換答申』の指摘を待つまでもなく、現状では、
特に中等教育においては、主として、大学入
試への対応が不可欠である等を理由として、
全体的には、従前より知識を網羅的に伝達す
る授業が多く、知識を活用することができる
生きた学力を形成することへの取組が軽視さ
れてきたことは否めない。また、高等教育に
おいても、教育よりも研究を優先してきた経
緯等により、学部による差はあるにしろ、特
に人文・社会系学部において、同様の傾向が
見られる。
現在、中等教育や高等教育に求められてい
る教育は、実社会において生きて働く学力の
育成であり、目指すところは、
「知識を活用す
る、新たに修得した概念を既有の知識や経験
に関連づけて理解する」深い学びを実現する
教育である(溝上 2011)
。そのような学び
が形成されるためには、学生一人一人が孤立
して教員の説明に耳を傾ける授業から、協働
的な学習や自分の考えを教室内の学生に伝達
するなどの活動を通して、アクティブに学ぶ
ことが求められている。地域社会における専
門的職業人、リーダー的社会人を育成するこ
とを理念とし、
「大化け教育」を打ち出してい
る本学においては、ALへの取組が強く求めら
れているといえる。
「大化け教育」は、
基礎的・
基本的な知識・技能の確実な修得と多様なAL
の組合せにより実現するものと思われる。
したがって、授業においてアクティブであ
ると同時に、ディープな学びを実現すること
に留意する必要がある。このことを溝上は、
図3のように図示している(溝上 2011)
。二
つの円の重複部分が拡大するように、学修の
形態、教材、教授行為等の創意工夫を積み重
ねることが必要である。
溝上(2011)
図3 アクティブラーニングとディープラー
ニングの関係
(4)学習科学の成果を踏まえた教科指導力の
育成
教育職員に求められる資質・能力について
は、時代を超えて必要とされる普遍的な要素
と社会や時代の変化に応じて変化する要素と
があり、教育職員養成審議会及びそれを継承
する中央教育審議会初等中等教育分科会教員
養成部会から、これまで数々の答申がなされ
ている。中央教育審議会『教職生活の全体を
通じた教員の資質能力の総合的な向上対策に
ついて(答申)
』
(2012)では、
「これからの教
員に求められる資質・能力」として、次の3
つの力を記している。
1 教職に求められる責任感、探究力、教職
生活全体を通じて自主的に学び続ける力
2 専門職としての高度な知識・技能
教科や教職に関する高度な専門的知識
新たな学びを展開できる実践的指導力
・基礎的基本的な知識・技能習得型
の学習
・課題探究型の学習
・協働的な学習
教科指導、生徒指導、学級経営等を的
確に実践できる力
3 総合的な人間力
豊かな人間性、社会性
同僚とチームで対応する力
この答申では、教職生活全体を通じて自主
的に「学び続ける力」が強調されているが、
2の「専門職としての高度な知識・技能」の
中に、
「新たな学びを展開できる実践的指導
─ 106 ─
教職課程におけるアクティブラーニングへの試み
力」が挙げられ、
「基礎的基本的な知識・技能
習得型の学習」に加えて、
「課題解決型の学習」
や「協働的な学習」を展開することができる
実践的指導力が求められていることに十分留
意しなければならない。特に、
「協働的な学習」
は「協調学習」や「協同学習」ともいわれ、
認知科学を基盤にして人の学習過程を明らか
にしようとする学習科学における重要なテー
マの一つであり、具体的な学習形態としては、
複数の学習者による話し合いや課題解決、相
互評価などが想定されている。
教員は、学生時代に経験したことのない授
業形態(学習形態)を実践することには、一
般的に抵抗感が強いことから、教職課程を履
修する学生は、
「教育方法・技術」
「教科教育法」
「事前事後指導」等の教職に関する科目や教
科に関する科目において、ALの学修を経験
しておくことが望ましいといえる。更に、学
部・学科の基礎教育科目や専門教育科目にお
いて、多様なALを経験することができれば、
一層望ましいことは言うまでもない。
(4)
「教授学習観」
~「伝統的な学習観」か
ら「新しい学習観」への転換~
授業において、ALのような新しい学びを
導入しようとする際、大きな課題となるのが、
教員一人一人が長年にわたり形成してきた、
「教えるとはそもそもどういう行為であるの
か」という教授観や、
「学ぶとはそもそも何を
どうすることなのか」という学習観である。
教員は、自分の教授観や学習観を普段意識す
ることは少ないが、これまでの学校教育にお
いては、授業とは、教師が世界に客観的に存
在する知識を生徒に伝え、学習者である生徒
が基本的には一人で、その知識を身に着けて
いく過程や場であると一般的に捉えられてき
た。従って、教師はどのように教えるとより
効率的に知識を記憶させることができるかに
授業改善のエネルギーを傾注してきた。こう
した教授観や学習観を支えてきたのは、行動
主義や認知主義の学習観であった。
一方、近年、学習者一人一人が、周囲の人
や道具と関わる中で、経験や既有知識と関係
づけて、各自異なる意味や知識を構成してい
く過程が学習であるとして、知識を相対化し
て捉える見方が有力となってきた。このよう
な学習観に立つと、教師は生徒がどのように
学ぶとよいかを考え、そのための学習環境や
手順等を整えることが重要になる。こうした
教授観や学習観を支えているのは、社会的構
成主義の学習観である。こうした学習観に立
つと、学習者が置かれている社会や文化の
状況、他者の存在や他者とのかかわりが極
めて重要となる(佐伯・渡部 2009)
(久保田
2000)
。ALの背景には、こうした「新しい学
習観」があることを押さえておく。
(5)学習ピラミッド
なお、オハイオ州立大学教授であったエド
ガー・デールが提唱した「経験の円錐」(Cone
of Experience)を基にして作成されたといわれ
る、
「学習ピラミッド」
(図4)は、学習経験の
内容と学習から半年後の学生の平均的な学習
定着率の関連を示している。講義や講読、視
聴覚手段による学習ほど定着率は低く、討論、
実際にやってみる(体験)
、他者に教える等
の能動的な学習ほど定着率は高い。我々の経
験からも、定着率の数字の正確性はともかく、
一般的に支持できる考え方であるといえる。
したがって、ALを推進するに際し参考にし
た。
図4 学習ピラミッド
以上、(1) ~ (5)の事項に留意して、経営学
部教職課程の開設科目においてALに取り組
んだ。次に、その現状及び成果と今後の課題
を報告する。
─ 107 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
Ⅱ.教職課程における取組
1.教職課程における取組の概要
私が2013年度に担当している科目及び「一
般的AL」への取組状況は、表1「教職に関す
る科目等におけるアクティブラーニングへの
取組」のとおりである。グループ学習、ディ
ベート等のAL 項目は河合塾による調査項目
をもとに一部改変してある。
「教育方法・技術」
「公民科教育法Ⅰ・Ⅱ」
「事前事後指導」等で
実施している模擬授業や「教育実習」におけ
る研究授業等は、文字通り、他者に教える要
素が中核となっていることから、ALとして
必要な要素を自ずと備えている。例えば、
「教
育方法・技術」では、話し方、黒板の使用
の仕方、教材の活用方法等、授業を展開する
にあたり必要とされる知識や技能を修得する
ことをねらいとした科目であり、学生による
模擬授業を素材として、学生による相互評価
(ピア評価)
、教員によるコメント等を行って
いる。模擬授業の中では、生徒役を務める学
生たちが、協働的な学習(グループ学習)を
経験することもある。また、学生は、模擬授
業のために事前に相当程度の時間をかけて授
業案づくりや教材作りを行う(授業外学習)
。
これらを、〇・△で表している。
一方、
「教育原理」
、
「教育と社会」
、
「教育課
程・方法」
、
「進路指導」等は、基本的な知識
を概説する講義形式を基本としており、学修
集団当たりの受講者は概ね30人~ 50人程度で
ある。こうした授業において、講義に加えて
「一般的なAL」を導入することをねらいとし
て授業を試みた。具体的には、ライティング
(
「書く」こと)を、原則として、すべての授
業において取り入れた。
(1)
「書く」ということ
今回、文章を「書く」行為の能動性に着目
し、授業のまとめ段階において、ミニレポー
ト(A4版1枚)を作成する課題を課した。文
章を「書く」ためには、一定の知識・理解を
もとに、主語・述語を備えた文を構築し、そ
れらを論理的に一つずつ接続し積み上げる必
要がある。そのためには、講義の内容を理解
し、思考し、判断することが求められる。
また、
「書く」行為をより能動的なものとし、
学修を深みのあるものとすることを意図し
て、
授業を受講していない第三者(友人等)に、
授業の概要をわかりやすく、正確に、自分な
りに整理して伝達することを想定して、ミニ
レポートを作成するよう学生に指示した。
学期初めには、板書事項を中心に体言止め
で羅列する学生がいるが、これでは、第三者
表1 教職に関する科目等におけるアクティブラーニングへの取組
ピア評価
インターン
シップ
△
△
△
△
△
授業外学習
△
△
△
レポート
振り返り
プレゼン
テーション
模擬授業
教育原理
教職入門
教育と社会
教育課程・方法
教育方法・技術
進路指導
公民科教育法Ⅰ
公民科教育法Ⅱ
教職実践演習
事前事後指導
倫理学
ゼミナールA
専門ゼミナール
教育実習
フィールド
ワーク
科目
ディベート
グループ
学習
アクティブ
項目
○
○
○
○
△
△
△
△
○
△
△
△
△
△
○
○
○
△
○
○
○
*表は、2013年度浅羽担当分のみ
(
「河合塾」調査項目を改変)
○
○
○ ほぼすべての講義で実施
△ 一部で(担当時に)で実施
─ 108 ─
△
○
○
△
○
△
○
教職課程におけるアクティブラーニングへの試み
に授業の内容が伝わらない。また、自分にし
か理解できない語句を使用したのでは伝わら
ない。第三者に正確に伝えるためには、使用
する概念を選択し、主語・述語を明確にし、
接続詞を用いて論理立てて文章を書くことが
必要となる。更に、既有の知識や経験と新た
に修得した知識を整理することも求められ
る。このように、レポート作成を通して鍛え
られる学力には、
「知識・理解」
「思考・判断」
「表
現」といった重要な要素が含まれており、極
めて能動的な学修であるといえる。
レポート課すと、何をどのように書いたら
よいか分からないという学生が少なからずい
る。その一因として、学生が「レポートを作
成するとは、誰のために何をすることなのか」
を明確に意識できていないことが挙げられる
のではないかと推察した。課題を課す教員自
身も、誰に何を報告するのか、必ずしも明確
に意識しないまま、漠然と「レポート=学習
事項の要約」といった認識により、学生にレ
ポートを課していることがある。
レポート作成には、一般的に、学修した内
容を要約する、また、テーマに沿って情報を
入手し加工する等の活動をとおして、学生が
理解を深めたり学修内容を定着させる意図が
ある。今回、私は、このことに加えて、第三
者にレポート(報告)することを意識させる
ことにより、論理的でわかりやすい文章を作
成する力を育成することを意図した。
「学習
ピラミッド」
(図4)の中で、他者に「教える」
ことが最も学習事項の定着率が高いとされて
いるが、第三者にレポート(報告)すること
を意識させ、そこに「伝える」あるいは「教
える」という意味を付与することにより、一
層、深まりのある学修を実現することを意図
した。ちなみに、学修した内容を要約するこ
とのみを意識させた場合、学生にとって、レ
ポート作成は、いわば、学生自身が学修内容
を整理し理解を深めたという事実行為を教員
にレポート(報告)するという意味合いが強
くなる。
以上のように、
「書く」ことの能動的な学修
に注目し、
「一般的なAL」に取り組むこととし
た。
(2)授業の流れ
「学生の取組(学び)
」という視点に立ち、
授業を図5のように構成した。学生の学びは、
「前時の振り返り」→「本時の課題の把握」
→「情報の収集」→「レポート作成」という
流れになる。
図5 授業の流れ
これに対応する教員の教授行為は、次のよ
うな流れとなる。
まず、前時のレポートを添削しコメントを
付す中で確認した学生の理解度や学生の抱い
た疑問等を踏まえて、前時の授業について補
足説明をする。また、コメントを述べる。時
には、優れたレポートを印刷して配布し、見
習ってよい個所を説明する。
次に、本日の授業で追究したいテーマをで
きる限り「発問」形式で示す。知ってみたい
という動機付けが働くようなテーマを示すこ
とが鍵となる。教員の教授行為には、
「発問」
「指示」
「説明」等があるが、授業の根幹をな
す教授行為は「発問」である。
次に、学生がこのテーマを意識しつつ、情
報を集め、整理するための時間であるが、教
員は、具体的な事例や学説等をテキスト・プ
リント・新聞記事等を教材として「説明」する。
また、テーマに応じて関連する視聴覚資料を
「提示」する。いわゆる講義である。時には、
テキストの該当箇所を読むことを「指示」す
る。この講義の中に、協働的な学習を組み入
れることもある。例えば、グループで意見を
出し合うよう指示する。グループでの学習の
後に、グループの代表者にグループ内で出た
意見を全体の場で発表するよう「指示」する。
最後に、この授業に参加していない者(第
─ 109 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
三者)に伝達することを想定してミニレポー
トを作成するように指示する。学生は、およ
そ20分程度の時間内で、レポートを作成し提
出する。こうして授業は終了する。
授業の流れについては、宇田光や山田悟史
の実践から学んでいる。宇田光は、私語等と
悪戦苦闘し、学生が主体的に取り組むことが
できる授業方法として、
「当日レポート方式」
(Brief Report of the Day)を提案している(宇
田2005)
。宇田は、授業の基本的な流れを次
のように示している。
1)テーマ確認
2)構想段階
テーマと執筆時間を板書
用 紙 を 配 布 し、10分 か ら
20分間前後の考慮・構想
時間を与える。
3)情報収集段階 受講生が互いの構想を知
る機会を与える。発問し、
必要な情報を引き出す。
講義と同様に説明する。
4)執筆段階
学生はレポート執筆。机
間巡視。質問には個別に
回答。
宇田は、テーマを提示した後、直ちにレポー
ト執筆の「構想段階」に入り、次に「情報収
集段階」に移行している。宇田の授業の大き
な特色は、
「構想段階」において、10 ~ 20分
程度の比較的まとまった時間を教科書や資料
を読むために確保し構想を練ることとしてい
ることである。宇田実践は、レポートを作成
することを授業の中核に据え、
授業の冒頭(構
想段階)から、展開(情報収集段階)
、そして、
まとめ(執筆段階)に至るまで、
すべてレポー
ト作成に向けて方向付けがなされているとい
える。そのため、レポート用紙を2)構想段
階で配布している。
本実践と宇田実践との大きな違いは、本実践
においては、授業のまとめ段階においてレ
ポート作成を課すものの、そこに至るまでの
過程では、学習者が交流することにより学ぶ、
いわゆる社会的構成主義の観点に基づく学修
を取り入れることに重きを置いていることで
ある。レポートの作成は、協働での学びを終
えた後に行うものと位置付けており、この
ため、レポート用紙の配布をまとめとなる4)
執筆段階において行っている。この点も宇田
実践と異なっている。レポート用紙の配布を
いつ行うかということは、些末な事柄とも考
えられるが、これは授業構想の違いに基づく
ものである。
本実践においては、テキストを使用してい
る科目においては、時にテーマに相当する部
分を読む時間として5 ~ 7分程度確保しつつ
も、
「情報収集段階」の講義においてテキスト
を使用することも多く、テキスト講読は、ど
ちらかといえば、
「情報収集段階」の一部とし
ての位置づけである。また、後述するように、
テーマを一層具体化した、
「発問」から入り、
学生に既有の知識や経験をもとに考えさせる
とともに、協働的な学習を取り入れている。
テーマ提示の後は、テーマに関する自分の考
えをノートに書く、グループ討論、グループ
で出た意見をノートに書く作業をする。ここ
までが導入である。次いで、展開部分におい
て、講義のほか、必要に応じて映像資料等を
提示し、まとめ(執筆段階)に入ることが、
基本的な授業の流れとなっている。このため、
宇田実践における、テーマ提示後の「構想段
階」と「情報収集段階」は、本実践において
は明確には分化しておらず、協働的な学習や
講義は二つの段階の性格を併せ持っている。
山田悟史は、宇田の実践に学びつつ、二段
階のレポート作成を課している(山田2011)
。
構想段階でのレポートと情報収集後のレポー
トである。レポート作成を授業の中核に据え
た実践であり、構想段階のレポートは、学生
による予習を前提としている。山田は、講義
により伝えることのできる知識の量は減少す
るものの、授業前の予習とレポート作成によ
り、
「通常の講義よりも知識の定着・理解が予
想以上に高くなった」
(山田 2011)としてい
る。レポート作成に対する学生の評価が高い
ことが、本実践への動機づけとなった。なお、
本実践においては、レポート作成は、授業の
まとめ段階のみとし、授業外における学修の
充実については今後の課題とした。
─ 110 ─
教職課程におけるアクティブラーニングへの試み
(3)授業の実践例
図6 授業の例(
「進路指導」
)
図6は、教職に関する科目「進路指導」
(2013
年11月1日)の授業の実践例である。教員の
教授行為に沿って詳しく記述すると、次のと
おりである。
① テーマの設定(発問)
この授業のテーマは「企業等が若者に求
める資質・能力とは何か」について知識・
理解を深めることである。しかし、
このテー
マそのものを学生に示したのでは、学生の
学修への意欲を十分喚起することはできな
い。そこで、テーマを踏まえて、学修への
学生の意欲を喚起するとともに、学生の思
考力が働くようにするため、
「あなたが企業
の経営者であれば、どのような若者を雇用
しますか?」という発問をすることにした。
学生一人一人に、自分が企業経営者である
ことを想定して、求める若者の要件をノー
トに記述するよう指示する。学生に当事者
意識を持たせることがポイントである。
宇田は、
レポートのテーマの例として「教
育機器としての「OHP」の特徴と利用上の
留意点を述べなさい」を示している(宇田
2005)
。レポートの課題は、一般的にこの
ように指示表現(~しなさい)が用いられ
ることが多い。本実践では、学生の既有の
経験や知識を掘り起こすことをとおして、
「社会人基礎力」等を考案した経営者の思
考過程を追経験する能動的な学びを意図し
た。そして、その過程において、日常的な
語彙から汎用性の高い学術的な語彙に橋渡
しすることにより、抽象的な概念を使用す
ることができるようにし、
「社会人基礎力」
「基礎的・汎用的能力」が何であるかを習
得させることとした。テーマを「発問」形
式とすることの意義については後述する。
② 協働的な学習(グループ学習)
発問した後、直ちにグループ討議に入る
のではなく、まず、自分の考えをノートに
整理させることにより、その後のグループ
討議が円滑に進む。机間巡視し、概ね書き
終えた頃、四人グループで情報交換するよ
う指示する。
③ 学生による発表
グループでの情報交換の様子を見て、数
人(3 ~ 4人)の学生にグループで出た意
見を発表させる。その際、自分の意見だけ
でなく、他の3人の意見を含め4人の意見を
集約して発表することを指示する。発表す
る学生は籤引きで決定する。出席している
学生全員に、予め、番号を付したカードを
配布しておき、教員はもう一組のカードを
持っている。発表する学生を決める時に、
教員の持っているカードを学生に引かせ
る。こうすると、全員が発表者となる可能
性があるため、話し合いに参画せざるを得
ない状況に学生を置くことができる。これ
は、溝上慎一氏(京都大学高等教育研究開
発推進センター)に学んだ技法である。
学生の発表に当たっては、グループの意
見を板書させ、それを見ながら説明させる。
模擬授業や教育実習に備えての訓練である
ことを話し意識付けを図る。
③ 講義
教員は、グループから出た意見を整理し
た後、講義に移る。内閣府が示した「人間
力」
、厚生労働省が示した「就職基礎力」
、
経済産業省が示した「社会人基礎力」
、そ
して、これらを整理して、中央教育審議会
がまとめた「基礎的・汎用的能力」
(
『今後
の学校教育におけるキャリア教育・職業教
育の在り方について』(2011))を説明する。
④ ミニレポート作成
最後に、学生にテーマを踏まえてミニレ
ポートを作成するよう指示する。ミニレ
ポート作成のための時間は、概ね15 ~ 20
─ 111 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
分程度である。書く速度は、学生によりま
ちまちであり、授業終了後の休憩時間にま
で及ぶ学生がどの授業でも数人いる。
教員は、次週の授業までに、学生が作成
したミニレポートを読み、評価しコメント
を付す。
なお、評価の主な観点は、二つある。一
つは、テーマとレポートの内容が整合して
おり、ポイントを押さえているかであり、
もう一つは、内容を理解し、自分の言葉で
論理的に整理できているか、である。
(4)学生による評価
このような、レポート作成を毎時間取り入
れた授業の在り方について、
「学生による授業
評価」
(12月上旬)の折に、以下の6項目の観
点で学生に評価していただいた。
(項目1)予めテーマが示され、レポートを書
かなければならないので、集中して
受講することができる。
(項目2)レポートを書くことにより、学習事
項を整理することができる。
(項目3)レポートを書くことにより、表現す
る力が身に着く。
(項目4)レポートを書くことにより、理解が
深まる。
(項目5)グループ学習により意欲が高まる。
(項目6)毎回、レポートを書くことは大変で
ある。
評価尺度は、
「とてもそう思う」
「そう思う」
「あまりそう思わない」
「全くそう思わない」
の4段階とした。
後期開講科目である「教育と社会」
(主とし
て2年次生:回答27人)及び「教職入門」
(主
として1年次生:回答25人)の学生アンケー
ト結果は、図7のとおりである。項目1・2・3
については、いずれも「とてもそう思う」が
概ね60 ~ 70%強であり、
「そう思う」を加え
ると、肯定的評価が「集中して受講できる」
で両科目とも100%、
「整理する力が付く」
「表
現する力が付く」は96%程度となっている。
一方、
「理解が深まる」については、両科目
において肯定的評価が96%程度である点は変
わりないものの、
「そう思う」が「とてもそう
思う」より多く、そこに微妙な差を見出すこ
とができる。
また、
「グループ学習」については、4人な
いし5人に一人は、
「あまりそう思わない」と
─ 112 ─
教職課程におけるアクティブラーニングへの試み
図7 学生による授業評価「教育と社会」
「教職入門」
回答している。これは、今回のグループ学習
の内容が意見交換の域を出ず、異なる意見を
戦わせたり、グループとしての意見を一つに
するため、他人の意見と摺合せをする等のよ
り能動的で高次の学習を形成していないた
め、必ずしも意欲の高まりにつながっていな
いものと思われる。
最後に、毎時間、ミニレポートを作成する
ことについては、70%以上の学生が「大変で
ある」としているが、その一方で、
「あまりそ
う思わない」
「全くそう思わない」とする学生、
すなわち、書くことを厭わない学生も20 ~
25%程度いることがわかる。
学生アンケートでは、6項目の客観式のア
ンケートのほか、自由記述欄も設けている。
「教職入門」に関する自由記述は表2のとおり
である。
「教育と社会」における記述も大同
小異である。全体的にレポート作成は、大変
である反面、学生は力が付くことを実感して
おり、こうした授業形態の継続を希望する記
述が見られる。
表2 学生アンケート・自由記述
学生によるアンケート及びレポートの評価
作業から読み取ることができる事項を整理す
ると、次のとおりである。
○学生は、講義内でのレポート作成の学修効
果を概ね肯定的に評価し、その実施を支持
するとともに継続を望んでいる。
○学生は、レポートの早期返却を望んでいる。
併せて、レポートへの教員によるコメント
─ 113 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
を望んでいる。
○学生は、レポート作成のための時間が十分
確保されることを望んでいる。
○学生は、文章表現力を確実に向上させてい
る。
○学生は、同じ分量の文章を次第に短時間で
書く力を付けていく。
宇田は、BRD方式の長所を「到達目標の具
体性」
「学生が主体的に取り組む枠組み」
「形成
的な評価(双方向性)
」
「集中度が高い」
「苦労
なければ得るものなし」
「変化がある授業」
「レ
ポート執筆能力の訓練」
「実用性」
(面倒な準備
が不要であるという意味である)としている
(宇田2005)
。
「実用性」については、テーマ
設定を発問形式とした場合、学習内容のより
本質的な部分に関する授業者の認識の深まり
が求められ、合わせて、適切な教材を提供す
ることが必要となるため、必ずしも準備が軽
減されるものとはいえないが、他の要素につ
いては概ね同意できる。
(5)コミュニケーションとしての授業
本実践においては、学生の学びが他者との
交流、コミュニケーションをとおして発展的
に形成されるものであるとする、社会的構成
主義的の学習観に立ち授業を構成した。
教室内でのコミュニケーションは、大きく
は、
「教員と学生」
、
「学生相互」の二つから成
り立っており、
「コミュニケーション」活動と
しての授業という観点を常に意識することが
必要である。ここで、コミュニケーション活
動としての授業について、私の考えを整理し
ておく。
近年、若者はコミュニケーション能力に欠
けるとか、企業は採用にあたりコミュニケー
ション能力を重視するといわれる。
『広辞苑
第六版』
(岩波書店・2008)では「コミュニケー
ション」を「社会生活を営む人間の間に行わ
れる知覚・感情・思考の伝達」と定義してい
る。また、文部科学省コミュニケーション教
育推進会議の座長を務める平田おりざ(演劇
家・演出家)は、コミュニケーションを「相
互に情報及びコンテクストを受け止めつつ共
感を深める行為」であるとし、コンテクスト
については、
「その人が、どんなつもりでその
言葉を使っているか」の全体像であるという
(平田2012)
。コミュニケーションは、一方通
行ではなく、
「相互行為」であることや「共感
する」ことが重要な要件であると考える。コ
ミュニケーションは、ラテン語のコムニス
communis(分かち合い)を語源としているこ
ともそのことを裏付けるものといえる。さら
に、コミュニケーションは、単なる情報だけ
の伝達ではないことに留意したい。情報を発
信する者の、情報伝達に込めた意図・願い・
感情、さらには、情報の背景にある、ものの
見方・考え方、世界観や人生観が伝わった時、
コミュニケーションが成立したことを実感す
るといえる。これを図示すると図8のように
なる。
意図・
願い・ 感情 世界観
人生観
など
意図・
願い・
感情 世界観
人生観
など
図8 コミュニケーションのイメージ図
このようにコミュニケーションを捉え、ま
ず「教員と学生」間のコミュニケーションに
ついて整理する。大規模集団を相手とする講
義形式の授業におけるコミュニケーションに
おいても、教員は説明した概念等を学生が理
解したかどうかを、質問することによって、
あるいは表情によって確認しながら、すなわ
ち、コミュニケーションを取りながら授業を
進めている。学生の自己肯定感を高め、教員
と学生が共感する場を創造するためには、固
有名詞を用いた認知と声掛けが重要である。
また、レポートを課した時には、コメント
を付して返却することにより、コミュニケー
ションが完結するといえる。学生はレポート
が返却されることを待つだけでなく、レポー
トにコメントが付されることを期待するの
は、教員がどのように自分のレポートを受け
止めてくれたかを知りたいからである。A・
B・C・Dの評定により、レポートの出来不出
─ 114 ─
教職課程におけるアクティブラーニングへの試み
来に関する情報は伝わるが、教員がコメント
を付すことにより、学生の記述について、コ
ンテクストを含めたコミュニケーションが形
成される。
次に、
「学生相互」のコミュニケーションに
ついて整理する。学生相互のコミュニケー
ションには、
「協働的な学習」
(グループ学習)
や、学生が学生全体に説明するといった発表
学習の形態がある。グループ学習は、次の点
で効果的である。
・自分とは異なる認識の仕方をしている学
生がいることを知ることができる。
・自分にとっては易しく理解できても、理
解できない仲間がいることを知ることが
できる。
・他人に伝えることにより、自分の考えを
整理したり発展させたりすることができ
る。
グループの意見を学生に発表させる場合に
は、発表後に質問・コメントの時間を確保す
ることにより、相互行為と共感の場とするこ
とができる。
(6)今後の課題
以上、教職課程における一般的ALの一つ
として、
「書く」ことの能動的な意義に注目し
た授業実践の基本的な考え方、取組内容、成
果等について述べた。今後の課題を整理する。
<「ライティング」指導>
「ライティング」指導における課題は、次
のとおりである。
1 よいテーマ(発問)を用意する。
近年、様々な学習形態の中でも、発問型
学習(inquiry-based learning)が学生の前向
きな学修を促すとの認識から、学生が自ず
と考えたくなるような、学生の学びへの能
動的な姿勢を呼び起こす「発問」
、
いわゆる、
駆動質問(driving question)を、授業の最
初に提示する取組が重要視されている。
学生が意欲的に授業に参画し、能動的な
学修を促す最大の鍵が、
この「発問」にある。
授業の準備をすることは、
「発問」を準備す
ることであると言ってもよい。
大学発教育支援コンソーシアム推進機構
(COREF)は、よい駆動質問の特徴として、
次の4つを例示している(COREF 2013)
。
・
「答えが出せる」こと
・
「関心を喚起し持続させることができる」
こと
・
「生活や現実世界に根づいている」こと
・
「答える価値がある」こと
そして、
「生徒に学習させたいなら、生活
に身近なためにどんな生徒でも興味が持
て、簡単には答えが出ないがなんとか解け
る「大きな」問いを用意」することが必要
であるとする。4つの要件のうち、
「生活や
現実世界に根付いている」ことは、とりわ
け重要である。なぜなら、学生が「わかる」
授業であることが、授業が成立する最低限
の要件であるからである。認知科学者の佐
伯胖は、
「わかる」ことには、
「現実の社会・
文化とむすびつくこと」
「具体的な問題解決
ができること」等の条件が必要であるとし
ている(佐伯1983)が、こうした点で、授
業の根幹をなす「発問」は、生活や現実世
界に根付いたわかりやすいものである必要
がある。
本実践に際して、以上のことを踏まえ、
よい「発問」の要件を次のように整理した。
①学生が想像力を働かせ、思考が働く、具体
的な状況設定がある。
思考は、具体的な文脈があることにより、
よりよく働く。したがって、学生自身が当
事者意識を持って考えることができる発問
形式のテーマが望ましい。例えば、
「社会人
基礎力とは何か」よりも、
「あなたが企業経
営者であれば、どのような若者を雇用しま
すか?」の方がよい。
②修得させたい「概念」に繋がる発展的・普
遍的要素を含んでいる。
「あなたが企業経営者であれば、どのよ
うな若者を雇用しますか?」という「発問」
に対して、学生が考え、発表する際に使用
する語彙は、例えば、
「力がある」
・
「情熱が
ある」
・
「意欲がある」
・
「コミュニケーショ
ンがとれる」
・
「経験豊か」等、日常語であ
ることが多いが、その中には、抽象度の高
い概念(例えば、
「基礎的・基本的知識・技
─ 115 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
能」
「コミュニケーション・スキル」
「論理的
思考力」等)に橋渡しすることのできる語
彙が多く含まれている。すなわち、学生は
「社会人基礎力」や「基礎的・汎用的能力」
で示された概念に繋がる概念を既に持って
いる。学生が考えたこともない概念は、そ
もそも理解や修得は困難である。
一方、教える側に何を修得させたいのか
について、明確な認識が欠けると、アクティ
ブではあるが、何を修得したか分からない
といった浅い学修となることが危惧され
る。したがって、授業においては、学生に
修得させたい知識や概念を教員が予め明確
に押さえておくことが必要である。そのよ
うな準備があってこそ、学生は、既有の経
験や知識と新しい概念を結びつけて修得す
ることができる。そして、その結果、学生
は知識・理解の幅を広げ思考力を伸長させ
ることができ、発展的・普遍的な学修が成
立する。佐伯が「わかる」ことの条件とし
て掲げる「関連する世界が広がること」に
なる(佐伯1983)
。
③多様な答えが予想される。
答えが一つであるような「発問」である
と議論は深まりにくい。また、学生は、自
分の発言が間違っていないか、教員が正解
であると想定している答えからずれていな
いかを危惧し、発言を控えることになりが
ちである。実社会において直面する課題は、
解決のための選択肢が複数想定され、いず
れも妥当性を含んでいることが多く、そう
した意味においても、答えは多様である問
いが望ましい。
④問い続けたくなる問いである。
授業終了後も、また、将来社会人となっ
た後も継続して問い続けたくなる、いわば、
現代社会に生きる私たちにとって避けるこ
とのできない深みのある「発問」であると
よい。
以上、①~④の要件を備えた「発問」を
練り上げることが、学生の能動的な学修を
促す授業であるための最大の課題である。
教材を用意する。
授業のテーマ(発問)が具体的であるこ
とが望ましいが、そのテーマについて考え
させるためには、適切な教材が必要である。
学生のこれまでの生活経験や高等学校まで
に修得した知識をもとに考えさせることも
できる。例えば、上述の「進路指導」の授
業のケースでは、学生が学習集団(受講生)
全体として考え出した若者の雇用要件その
ものが教材となる。しかしながら、一般的
には、教師が学生の関心を引き出し、思考
を深めることができる何らかの教材を用意
することが必要である。例えば、企業の人
事担当者が採用にあたり重視する要素を経
済団体が集約した資料や経済産業省がまと
めた「社会人基礎力」もそうである。視聴
覚教材も有効であり、
「教職入門」や「教育
方法・技術」等において、
「よい授業とは何
か」を考えさせる時には、具体的な授業の
映像記録を教材として用いる。このように、
教職課程の各科目のシラバスに対応する教
材の工夫改善を重ねることが課題である。
3 レポートを書く時間を十分確保する。
レポート執筆に要する時間は学生により
まちまちであるが、9割以上の学生が授業
時間内に書き上げることができる時間を確
保したい。少なくとも20分程度は確保した
い。30分程度確保できればなおよい。
4 コメントを一層ていねいに書く。
授業後は、学生が提出したレポートに目
を通し、評定を記すとともに、コメントを
付すことになる。その際、留意したいこと
は、学生は、評定(A・B・C・D)もさる
ことながら、教員によるコメントを楽しみ
にしていることである。学生は、教員によ
るコメントを読むことにより、教員が自分
の書いた文章を読み受け止めてくれている
ことを確認することができ、学修への意欲
を喚起することができる。そうした意味に
おいて、可能な限り、ていねいなコメント
を心がけたい。そのための時間を生み出す
ことが課題である。
2 思考が生き生きと働く、具体性を帯びた
<「学生相互」の学びに関する指導>
─ 116 ─
教職課程におけるアクティブラーニングへの試み
「学生相互」の学びに関する指導の課題は、
次のとおりである。
1 仲間の発言に耳を傾ける、また、発言す
るなど、議論に参加する(仲間と関わる)
ことの重要性や楽しさを体感させるため
に、協働的な学習(グループ学習)の機会
をできるだけ設ける。
学生は、学期が終了する時点においても、
同じ教室内で学んでいる学生の名前をほと
んど記憶していないことが多い。他者への
関心が極めて低いともいえる。グループ学
習を促しても、議論に参加しない学生もい
る。こうした学生が一人でもいると、4人
程度のグループ学習においては、他の学生
に与える影響は大きく、グループ内のコ
ミュニケーションへの意欲は一気に低下す
る。繰り返し、コミュニケーションの重要
性や楽しさを理解させ、体感させたい。そ
の際、人の目を見て話すこと、聞いている
者は時折頷くこと等、基本的なスキルを身
に付けさせたい。
2 学生自らの経験や既有の知識を活用でき
る、討論しやすいテーマを用意する。
テーマ設定に当たって留意すべき事項
は、授業全体のテーマ(
「発問」
)設定の場
合と共通する((6)1①~④参照)
。
3 学修事項を活用したり、既有知識と新た
に習得した知識を融合し、再構築できるよ
うな議論の場を設ける。
学期に一度ないし二度、40 ~ 50分程度
の時間を確保して、討論させる授業を展開
したい。
<その他、関連事項>
1 授業外の学修を充実させるための指導の
在り方を工夫する。
大学における単位修得に必要な学修時間
の中には、講義の時間のほかに予習・復習
の時間(2単位の場合、予習・復習各30時間)
も想定されているが、我が国の学生の授業
外における学修時間が著しく少ない現状を
踏まえ、中央教育審議会答申では、能動的
な学修の一つの在り方として、授業外の学
修を充実する指導の工夫改善を強く求めて
いる(
『質的転換答申』2012)
。
教職課程の開設科目のうち「教育方法・
技術」
「
、教科教育法」
、
教育実習のための「事
前事後指導」等の学生による発表や模擬授
業を中心とした科目においては、授業外の
学修時間が一定時間確保されているが、
「教
育原理」
「教育課程・方法」等の講義による
概論的な科目においては、現状では、必ず
しも必要な予習・復習の時間が確保されて
いるとはいえない。
概論的な授業における授業外における学
修時間を確保するための具体的な方策とし
て、今後、考えられる取組の一例として、
予め課題を課し授業において発表させるこ
とや、授業の終了時に、次回のテーマを示
し、テキストの該当ページを通読すること
を指示した上で、授業の冒頭において、テ
キストに記載された基本的事項に関する小
テストを実施する等が考えられる。こうし
た課題発表や小テストにも評価において一
定の比重を置くことにより、授業外の学修
の有効な手立てとなることが推測される。
2 ALへの取組を、教職課程全体としての
組織的なものにする。
教員は一人一人が経験を踏まえた自分の
授業スタイルを形成しており、それを改め
ることは容易ではない。また、専任教員に
加えて、非常勤講師が担当する科目が少な
くないことから、教職課程全体として、計
画的、組織的にALに取り組むことには困
難が伴うことが予想されるが、機会を見つ
けて互いの実践に関する情報を交換する中
で、できるところから取組を拡大していく
ことが必要である。
学士課程教育の質的転換は容易ではない
が、たとえ規模が小さく、また拙い実践で
あっても、できるところから着手する以外
にない。教職課程における本実践は、そう
した細やかな取組である。
(補足)本稿は、本学ラーニングメソッド研
究会(2014年1月22日)における発表に
加除・修正を加えたものである。
─ 117 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
参考文献
市川伸一 2002『学力低下論争』ちくま新書
市川伸一 2008『
「教えて考えさせる授業」
を創る』図書文化
宇田光 2005『大学講義の改革~ BRD(当日
レポート方式)の提案』北大路書房
河合塾 2011『アクティブラーニングでなぜ
学生が成長するのか』東信堂
久保田賢一 2000『構成主義パラダイムと学
習環境デザイン』関西大学出版部
佐伯 胖1983『
「わかる」ということの意味
―学ぶ意欲の発見―』岩波書店
佐伯胖監修・渡部信一編 『
「学び」の認知科
学事典』
2011大修館書店
財団法人日本青少年研究所 2009『中学生・
高校生の生活と意識調査報告書』
参考Webサイト
大学発教育支援コンソーシアム推進機構
学 習 科 学 か ら 3月 号 分 学 習 科 学 の め ざ
し て い る も の http://coref.u-tokyo.ac.jp/
archives/3690
(2013年3月3日アクセス)
松 下 佳 代 2012「 ア ク テ ィ ブ で 深 い 学 び
のための仕組」
第84回 京 都 大 学 高 等
教 育 研 究 開 発 推 進 セ ン タ ー 公 開 研 究 会 http://ocw.kyoto-u.ac.jp/ja/internationalconference/36/video04j
(2012年12月12日アクセス)
中央教育審議会 2008『学士課程教育の構築
に向けて(答申)
』
中央教育審議会2011『今後の学校における
キャリア教育・職業教育の在り方について
(答申)
』
中央教育審議会 2012『教職生活の全体を通
じた教員の資質能力の総合的な向上対策に
ついて(答申)
中央教育審議会 2012『新たな未来を築くため
の大学教育の質的転換に向けて~生涯学び
続け、主体的に考える力を育成する大学へ
~(答申)
』
波多野 誼余夫, 稲垣 佳世子1989『人はいかに
学ぶか』中公新書
平田オリザ 2012『わかりあえないことから
コミュニケーション能力とは何か』講談社
溝上慎一 2013「何をもってディープラーニ
ングとなるのか?-アクティブラーニン
グと評価―」
『
「深い学び」につながるアク
ティブラーニング』河合塾編
山田悟史2011「知識獲得型講義における「当
日レポート方式」の導入」
『環境と経営』17
巻2号
─ 118 ─
翻 訳
ジョン・ノックスによる宗教改革文書(1)
The Reformation Pamphlets by John Knox (1)
―1556年に神の御言葉の牧者であるジョン・ノックスからスコットランドの
(1)―
摂政メアリーへ差し出した書簡と1558年著者による補足説明文書1)
The Letter delivered to the Lady Mary,Regent of Scotland from John
Knox and the Addition (1)
伊勢田 奈 緒
1.緒言
2.翻訳
1.緒言
ここに翻訳したものは、1556年にスコッ
ト ラ ン ド の 宗 教 改 革 者 ジ ョ ン・ ノ ッ ク ス
(John Knox,1514-1572)が摂政メアリ(Mary
of Guise,1515-1560)に 宛 て た 書 簡 と そ の 二
年後、新しい序文と増補文を付け加えて、
ジュネーブで発行されたものである。1556
年に宮内警護伯ウィリアム・キースがノッ
ク ス の 説 教 に 感 銘 し て、 摂 政 メ ア リ(Mary
of Guise,1515-1560)にプロテスタントに転向
するように手紙を書くことを奨めた。1556
年当時、スコットランドにおける摂政メア
リの宗教政策はメアリ・チューダー( Mary
Tudor,1516-1558)によるプロテスタントに
対する過酷な迫害が行われていたイングラン
ドと違って、プロテスタントに対して寛容で
あった。故にノックスは摂政メアリを通じて
宗教改革の希望をもって彼女宛てに書簡を差
し出したと考えられる。しかし、1558年の増
補文では彼はその希望を放棄したことを明ら
かに宣言している。この1556年の書簡と1558
年の増補文との比較をすることはノックスの
政治的宗教改革思想(抵抗権)の変化を考
1)
Letter to the Queen Dowager, Regent of Scotland
(Augmented Version) 1558, Geneva (STC
nos.15067), David Laing(ed.), Selected Writings
of John Knox, Edinburgh,1846,p.439-451
察するための重要な史料と考えられる。
(尚、
ここに訳したものは前半であり、後半は次号
に続く。
)
2.翻訳
「狭い門から入りなさい。なぜなら、滅び
に通じる門は、広く、その道も広いから」
(マ
タイによる福音書7章13節)
1558年 ジュネーブのJames Poullain / Antony
Reboul により印刷
序文
善なる閣下、私がこのことを思いつき、こ
の嘆願を閣下に示すのは、詳しくある場所で
述べ、説明してきたのですが(1556年5月に、
スコットランドにおいて閣下へ出したもので
すが)
、すべての公正と公平に反して、私の
説く教義のすべては誤っていて惑わせるもの
であり、異端だとし、私を非常に残酷な火刑
に処し、地獄へ落ちるよう宣告した司教たち
に非常に腹立っているからであります。もし、
この危害が私にだけむけられたものなら、私
は良心をもって、黙って、見逃すことが出来
ましょう。そして、そのために、彼らが非難
され、彼らのシナゴーグを追い払うようなこ
とで、私は神を祝福し、キリスト・イエスに
より神の永遠の社会において迎え入れるとい
─ 119 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
うことを確かめられるでしょう。
しかしながら、彼らがキリストの福音につ
いて(私を聖職者として用いてくれた神の大
いなる慈悲をうれしく思っているのですが)
の永遠の真理に反することを激しい勢いで吐
き、神を冒涜していることを考えれば、
(もし、
神が私の目的を妨げないならばであります
が)私は肖像画の替わりに、
(サタンの一員で
ある)彼らが冒涜的に非難するあの教義を正
当化するため、体を用いようとする、彼らの
暴政的で推測される判決2)を恐れないと貴方
様と彼らに知らせることを止めることはでき
ないのです。ところで、私は閣下に次のこと
を公にします。判決の宣告を行ったり、暴政
を行う彼らから、そのことを擁護するすべて
の者から判断して、私は、合法的な一般議会
に訴えます。私は、話すことの自由を必要と
します。閣下と王国の体の前で、私の理由が
聞かれることを必要とします。私に対してそ
のような訴訟手続きが行われる前に、私は閣
下に証人として怒らずに聞き入れてくれるこ
とを求めます。この私の手紙は、閣下に立証
するために差し出すものであります。
Letter(手紙)
神に選ばれた子等にこの世の不幸な生活の
中で、苦しくとも雄々しく戦うように命じら
れた永遠なる神の摂理はまた、彼らの驚くべ
き戦いにおいて、驚くべき仕方と彼らの保護
という方法によって彼らの最終的勝利を定め
たのであります。彼らの勝利は抵抗して達し
たのではなく、苦しんで達したものであり、
それは私たちの主が主の弟子たちに忍耐する
ように命じられたようにであります。それか
ら、預言者イザヤが同じく次のように預言し
ました。イザヤは神の民の勝利以外の全ての
戦争は、暴力、暴動、流血の惨事とともにあ
ると評するのですが、しかし神の民の勝利
は、静けさ、沈黙、希望においてあるとしま
す。つまり、彼らが勝利を得るには、敵に抵
抗することを強いられ、また、血を流し、殺
されることを意味することだとしますが、し
2)
1556年に司祭によってノックスが異端として有
罪判決を受け、続いて肖像画を公に焼却された。
かし、これは神の選びがそのようにするので
はなく、彼らが、全てのことを、彼らに苦し
むことを命じられた神の命令として捉え、耐
え続け、そして彼らが皆、裁かれ、抑圧され
たその時にこそ、彼らが確かに勝利したと認
めるとするのです。というのは、キリストの
十字架においては、常に、苦難された方がい
わば、絶やされるという事と共に、復活され
るまで、決して十分には分からなかった、と
いう秘密の隠された勝利が含まれていたから
です。たとえば、誇り高いカインは失った弟
の思い出す時にこそ、弟アベルの血が神に叫
ぶのが聞こえるからです。
私は貴方様に言いたいのです。彼らの勝利
は、驚くべきことだと。そして、彼らは一体、
どのようにして守られ、どうして苦難させら
れたことを言わないか、人の目には、理解で
きません。しかし、神の力は計り知れないも
のであって、神は秘密裏に隠れて行動され、
神の民を救うため、人の裁きに対して、心を
動かし、深い同情と、憐みをもって、滅ぼそ
うとする者に対して、神の力を発揮なさるの
です。神は、ファラオがイスラエルの子供た
ちを滅ぼすことを命じた時、その子らを守る
エジプトの産婆の気持ちを動かし、また、ファ
ラオの娘も同様に、水の危険にさらされてい
る幼児であるモーセに憐れみの心を持たせま
した。ネブカドネツァルの心を動かして捕虜
を生かし、才能のあると思われる子供たちを
自由に育て守りました。そして、最後にキュ
ロスの心を動かして長い束縛と奴隷状態の
後、神の民を解放したのであります。
神は特に次の2点から、こうした神の選びを
用いて、神の見えない力と愛それ自体を時折、
証明します。第一は、さまざまな誘惑の中に
ある神の弱い兵士たちを慰めることです。神
は神の民に時々、神の民の敵たちに対して、
戦うように強いることがお出来になり、そし
て、神が彼らを救出することもお出来になる
ことを彼らに理解させるということで証明し
ます。第二は、彼らに神の好意の証言を示し
ていることです。
それは、
外から見る限りでは、
(聖パウロが言っているように)彼らはこの世
において、神を求める前は、イスラエルの国
─ 120 ─
ジョン・ノックスによる宗教改革文書(1)
からの異邦人として、そして神の教会になさ
れたその慈悲深い約束と自由な恵みを結ぶこ
となしに生きていました。というのは、前述
の神に指名された如何なる人3)も、神の見えな
い力と愛が彼らに働きかける前に、そのよう
な性質や慈悲をもっていたとだれが、断言で
きたでしょうか?しかしながら、苦しめられ
た人々に示されたこのような憐れみの業は、
神が彼らを神の名誉の器として用いられから
だと私たちは確信できます。というのは、苦
しめられたキリストの群れに示された憐れみ
と慈悲であると証明できるのは、
(神の名誉の
器として用いられた者たちが4))決して世俗の
Letter(手紙)
恐らく、閣下は、これらのことが、何の目
的で列挙されるのか不思議に思っておられる
ことでしょう。しかし、実際、私は今現在、
同じように列挙する機会を私にどんなに与え
られても不思議ではないのです。というのは、
サタンが多くの人の心を目の見えないものし
て、純潔な人々が呪われ、しかもそのことが
決して裁かれないという、このような決定的
な最も邪悪な日々になって、閣下に書くより
も、むしろ、死の宣告の方に期待するからで
す。
報酬を必要とせず、またそうあり続け、そし
て残忍になることもないということから、神
から受け取られるべき永遠の慈悲のしるしで
あると、
確信できるからです。
神は、
聖霊によっ
5)
て、
(神の名誉の器として選ばれた )彼らの心
を動かし、圧迫され、苦しめられた神の民に
憐れみを示されるのです。
Addition(補足)
貴方様は、時々、フランス、イタリア、ス
ペイン、フランドル、そして遅れて今やイン
グランドにおいても、キリスト・イエスはこ
の世のただ独りの救い主であり、神と人との
唯一の仲保者であり、すべての信仰者の罪を
受け入れ、唯一、犠牲となり、ついには神の
教会の唯一の頭であることを告白した人々が
極めて残忍に殺されていることを知らないわ
けではないでしょう。さらに私はこれらのこ
とを申し上げたい(貴方様は彼についてその
噂を聴いておられることでしょうが)のです
が、貴方様は、スコットランド王国内でも同
じ理由で、幾らの者たちが殺されてきている
のを目の当たりにして、この理由を無関心で
聞かないということは決してないと思いま
す。しかしながら、審判の席を占める殺人者
たちは、キリストの真の証言者たちの血を流
してきたのです。それは、その時、火で焼き
尽くしたようではありますが、にもかかわら
ず、彼らは、最近、神の御前にあってそのこ
とで苦しみ、そしてアベルの血をもって復讐
を求めることを止めず、殺しの張本人のよう
に襲撃するばかりでなく、暴政を行っている
獣のような残忍な暴君たちに従っているので
す。
これをすべての人の証言としてみなしては
なりません。しかし、神の御子の声として聞
き、考慮して下さい。
「こうして、正しい人
アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の
間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至る
Addition(補足)
この前書きは、私が以前、閣下に差し上げ
ましたものですが、貴方様はこの前書きに
よって、キリストのメンバーたちが初めから
置かれていた状態を考慮なさり、この世にお
いて神の聖徒らが圧迫されていることは新し
いことではないと見ておられるかもしれませ
ん。この真摯な熟考により動かされ、貴方様
は、また、サタンの僕、あなたの司祭の激怒
は―神と神の真実に反対するのに向けられて
いるのですが―そのサタンの僕に従い、サタ
ンの奴隷になることよりも、むしろ、殺人か
ら彼らを救う方を(多くの邪悪な意見によっ
て貴方様は反対に苛立ってくるのでありま
しょうが)思うことでありましょう。しかし、
このことについては、手紙の後で述べること
に致します。そこで、次に続けます。
3)
これは前述のファラオの命令をうまく交わした
産婆やファラオの娘、ネブカドネツァル、キュ
ロスのことを指している。
4) 括弧内は拙訳者の補足である。
5) 括弧内は拙訳者の補足である。
─ 121 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
まで、地上に流された正しい人の血はすべて、
あなたたちにふりかかってくる。6)」この御
言葉によって、キリストの時代と同様、私た
ちの時代の殺人者たちの罪は、今まで流され
てきた血すべてに対するものであるというこ
とになります。これは、恐ろしいものですが、
しかし、非常に平等で、適切なものと思われ
ます。キリスト・イエスのメンバーであり、
主の真理を告白する者の血を流す者はだれで
も、世界が創造されて以来なされてきた殺人
のすべてに一致するものということです。
神に選ばれた者たちがキリストの義全体に関
わっているという一つの共有するものが存在
するように、すべての邪悪な事を行い、罪あ
る者として、神に見捨てられた人であるサタ
ンの子孫達の間にも一つの共有するものがあ
るのです。なぜなら、
彼らは皆、
共にキリスト・
イエスに反対し、キリストの永遠の真理に反
対し、それぞれが、階級、年齢、地位、財産
の中にあるこの世のサタンである、支配者に
仕えているからです。今日、生きている彼ら
の同胞である殺人者たちは、アベルの血のカ
インと共に罪ある者なのです。王や支配者た
ちは、権力によって神の民を圧制し、神の民
が、神が命じられたように神を真に礼拝する
ことを許さず、エジプトに彼らをとどめてお
いたファラオの同胞であり、仲間です。高位
聖職者たちや司祭たちのおそろしい不正やご
うまんな生活は彼らが統治しているすべての
王国を汚し、彼らは、彼らの父祖、ファリサ
イ派の人々と共に知識の鍵を取り去り、人々
の前で天の国を閉ざすのです。そして、彼ら
は天の国に自分が入ろうとしないばかりでな
く、入ろうとする他の人びとも許さないので
す。人々はある者は無知のため、ある者は恐
れのため、略奪の側での非常な貪欲さのた
め(キリストは十字架にかかり、兵士たちは
彼らの中でキリストの衣服を分けましたが)
、
目が見えず、キリスト・イエスに反抗し、キ
リストの哀れな群れに反対し、高慢で有害な
殺人者である高位聖職者を守ることに協力す
るのです。だから、彼らすべてが犯している
罪(それは、キリスト・イエスに反逆してい
るのですが)のため、彼らすべては苦痛を味
わい、それは、決して消されることが出来な
い火であるのです。
マダムよ、貴方様が、もし来るべき人生に
希望をもつのであれば、四方に目を配り、注
意深くするべきです。というのは、もし無
知と目が見えないことで、破壊と死をもたら
されるとしたら、
(私たちの主であられるキリ
ストは次のように語っておられます。
「もし、
目の見えない人が目の見えない人を案内すれ
ば、彼らは二人とも穴に落ちてしまう7)」と。
)
6)
7)
マタイによる福音書23章35節の言葉。
神が示される真理を、高慢且つ悪意を持って
軽蔑する人は、いったいどうなると思います
か。恐らく、私たちの教義は、真理であるこ
とを否定されないでしょうが。すなわち、私
は次のように答えましょう。その教義とはノ
アの、モーセの、預言者たちの、キリスト・
イエスの、キリストの使徒たちの教義であり
ますから。そして、最初の世界は水によって
破壊され、ソドムとゴモラは天から下ってき
た火によって、紅海におけるファラオと彼の
味方は、そして、エルサレムの町もユダヤ人
の国家も、罰と災害によって滅ぼされました。
人々が「これは新しい教義であり、これは異
端であり、これは暴動を起こしたのだ。
」と
叫んだにもかかわらず、私たちが嘆願してい
るのは、私たちの教義が神の明白な御言葉に
よって、試みられることであり、そして今論
争中の事柄や問題を自由に私たちの気持ちを
言い表すことが許されることであります。し
かしもし、貴方様がこれを否定なさるなら、
キリストの敵に(キリストの教義を異端とし
て宣告する)耳を与えることになり、貴方様
は、彼らと共に神の復讐の杯を飲むことにな
りましょう。しかし、今は元の手紙にもどり
ましょう。
Letter(手紙)
閣下のお耳に入っている私についての噂
が、もし全てが真実でありましたら、疑いな
く、私はこの地上に生きている価値がない者
─ 122 ─
マタイによる福音書15章14節の言葉。
ジョン・ノックスによる宗教改革文書(1)
でありましょう。そして、大衆が、私という
者を、一切の同情から閉め出されるべきもの
であると声を出して非難し、憎しみを持って、
閣下の心を煽り立てているのではないかと思
います。私は異端として中傷され、偽教師、
人々の誘惑者として非難されています。さら
にそのうえ、
(世間的に名誉と評価を受けてい
る人々に断言されているのであります。す
なわち、
)無罪であることを知らない上級行
政官が中傷を容易に受け入れ、激怒を容易に
たき付けているのです。しかし、神を祝福し
ましょう。私たちの主であるイエス・キリス
トの父である神は、神の天の恵みからの雫に
よって、閣下の心の中にある、
(後に私は理解
したのですが、
)サタンの企てと目的を抑制
し、不満の火を消したのであります。私の心
は、
(神は証人でありますが、
)このみじめな
人生において、あらゆる創造物に守られて、
(なぜなら、私が当然飲むべき杯は神の知恵
によって、定められていてその命令は、変え
られないものなのです)いくらかの恵みを受
けることによって慰められるというよりも、
むしろ、閣下に私と私の非常に絶望的な訴訟
を始めるよう、不当にも告発している他の者
に対して、中庸で寛大であり続ける貴方様に
信頼し、その貴方様が受け取る恵みに非常に
慰められるのです。すなわち、もし敬虔なる
知恵によって、貴方様が彼らの激怒を抑制す
ることを考慮するなら、彼らは、世間的な虚
栄の中、単に無実の者たちを残忍に殺すこと
など、どうでも良いことと見なすでしょう。
その時、神は憐れみ深い人は憐れみを受けて
いることを述べ、神の名において与えられた
冷たい一杯の水は、報われないものはないと
いう約束であると。そしてまず、現在におい
ても、そして、来るべき子孫の時代において
も、貴方様の政府は幸福で誉め讃えられ、つ
いに貴方様の敬虔なる骨折りは、見たことが
ないような、あるいは、まだ人の心に思い浮
かびもしなかったそのような喜びと栄光を
もって報われることでしょう。
Addition(補足)
もし、キリストの言葉が真実と尊重される
と、どんな無駄な言葉も説明がなされ、知識
も光もないと隠される行為もないでしょう。
私は、人の話は知られていないことに関して
厚かましく好んで話すより、つんとされた方
がましだと思います。というのは、神を真に
恐れることは彼らに真実を話す気にさせるこ
とにはならないのです。しかし、私は、
(もし、
少しばかりの人間性が残されていれば、
)世
間的に恥ずかしくて、彼らは嘘をつくことを
しないと思うのです。閣下の前で、Ayr(エ
イル)で説教したのは何者かの判断を下す際、
様々な人がさまざまな意見をもっていていま
した。それはイングランド人であるという者
があれば、そうでない者もいました。少なか
らぬプライドをもった高位聖職者は、
「いや、
イングランド人ではなく、それはならず者の
ノックスだ。8)」と言いました。一人の貧し
い者に洗礼を授けることは、私の主への喜び
でした。その理由は、もしそれが必要とされ
れば、彼の短白衣と司教の職は権威と戦わな
ければならないからです。さらに、彼は定義
が不確かで、用いていた自由について学びま
した(今は、
このことを省きますが)
。私には、
彼らの悪意が私の体や名声を害することを残
念に思う以上に、支配者たちの面前で、非常
に有害なことを自由に話すことの方がより情
けないことに思えます。私を教皇制のごたま
ぜから召してくださった神に感謝して以来の
私の生活や行動を、私の敵たちに話させて下
さい。そして、彼らが私の教えを受け入れた
時にそれを理解することでしょう。閣下が中
庸な方であり、私の意見に協調されていると
いう報告があったので、私はこの手紙ではな
い他の手紙を書く気になったのです。私は、
快楽的で、聞きたがりやの楽しみのため、物
事を大げさに言ったり、飾ったりする演説者
を演じてはいません。そうではなく、私は誠
実さを持って、貴方様に非常なる危険につい
て知らせることを私の良心はあえて、証言し
ているのです。このことについて次で証明し
ましょう。
8)
─ 123 ─
これはノックスが1555年から1556年にかけてエ
イルで伝道のために過ごしていた時のことを述
べたものと考えられる。
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
Letter(手紙)
私が、農奴保有地を所有し身分ある方で、
知恵と美徳が授けられ、尊敬に値する統治者
である方に、恐れずに意見しようとすること
は大いに無駄で、愚かなことに見えることで
しょう。しかし、私は、神が上級行政官に命
じ与えられる栄誉について考えるからです。
その栄誉とは、疑いもなく(もしそれが、真
の栄誉であるならば)それ自体、合法的な事
柄において、服従を含み、さらにすべての事
において、愛と尊敬を含む栄誉であると思う
のです。私は、キリストの真の宗教が今、目
の見えない人々によって、圧制されている困
難な状態のことを思います。そして、最後に
おべっか使いの多くの大衆や彼らの統治者た
ちの面前で、ありのままの真実を、特にキリ
スト・イエスのためにはっきりと明確にあえ
て話すまれな人々のことを思います。わたし
の今、試みますことに如何に判断されようと
も、私は言わざるをえないのですが、もし、
貴方様の支配下において、権力を行使する際、
貴方様が多くの支配者や統治者たちと異なる
ことが見つけられない場合、現在、優越にお
かれている貴方様は、苦痛と痛みが永遠に続
き、失意の中に陥るであろうと思うのです。
この申し出は、辛く、しかし、ああ、私が
毒を入れられたことを知っている杯を軽率に
も、貴方様が飲むのを見たとしたら、私はそ
れを飲まないようにご注意申し上げないであ
りましょう。そのことに劣らず、もし私が閣
下にこの申し出を隠してしまうなら、私は閣
下に対して反逆を犯すということは真実とな
ります。今日、火や剣により人々を守る宗教
は、
誰が飲んだものでも(真の悔い改めによっ
て彼が後に、人生の水を飲むことは除いて、
)
それと共に永遠の罰と死という毒を入れた杯
なのです。どうやって、誰によって、それは
毒を入れられたのかを、もし、それが、私が
書いたり、あるいは訴えたりしたりするのが
辛くないのと同様に、閣下が読んだり、ある
いは、お聞きになったりすることに飽き飽き
なさらないのでしたら、私は骨を惜しむこと
を厭いません。全く、私は、愛をもって、閣
下に危険について訓戒することが、私の役目
の一部を執行するのだと思ってきたのです。
そして、いつか神が明らかにして下さるで
しょうが、私は、私自身に跳ね返ってくる、
いかなる肉体的利益よりも、閣下の救いと、
人々の(今は貴方様の管理の下にあるのです
が、
)救いの方を求めているのであります。
Addition(補足)
悪巧みによりサタンが、神の教えの非常に
聖なる聖礼典を汚してきたように、私は、第
一戒のことを言っているのですが、人の夢、
創意、空想をもたらす神の霊的礼拝の場所に
おいて、サタンは人の弱みにつけ込んで、第
二戒の教えをだめにし、両親達は、支配者や
教師に当然与えられている名誉と理解するの
です。というのは、今やサタンが多くの感覚
をおかしくさせたので、彼らは神に属するも
のと皇帝に属するものとを判断が出来なくな
るか、あるいは少なくとも分からなくなって
しまうでしょう。しかし、聖霊は「王を尊敬
する」ことを言ったのだから、彼らが命じる
ものは何でも、それが正しくてもあるいは間
違っていても、従わなければならないとする
のです。しかし、そのような神を冒涜する者
らが、あえて大胆にも神がいかなる人にも神
御自身に反するよう命じてこられたと断言す
るのですが、その者らを理解するその判断は
苦しいものがあります。いかなる支配者の、
彼は決して力強い者でなくても、その命令に
対して、人は偶像崇拝を行い、神が神の御言
葉によって賛成していない宗教を受け入れ、
あるいは彼らの沈黙によって、邪悪で神を冒
涜する法が神の名誉に反してなされたことを
認めるということは、神に反することであり
ます。私は言います。人々は、真の服従を言
い表しているのではなく、彼らが神の背信者
であるように、彼らは、お世辞によって、神
に反対して、反抗することを断言する彼らの
支配者の反逆者たちなのです。ただ、死ぬま
で、悪しき法律と命令に対して、抵抗する人々
のみが、神に受け入れられ、君主達に対して
忠実な人々なのです。
ネブカドネツァルの面前で3人の子供と、
ダニエルは、―それは、ダレイオス(ペルシ
─ 124 ─
ジョン・ノックスによる宗教改革文書(1)
アの王であったが)の時代のことであるが―
絶えず自由な信仰告白をし、神を誉め称えて
いました。そのことを暴君たちや追従するす
べての老若男女たちにも知るとこととなりま
した。それは、彼らが神を最大に冒涜する者
として、人々は激怒しました。このことか
ら、
(外から見る限りでは)もし三人の子供た
ちがその他の人々の間にくじけていたら、そ
して、ダニエルが、開かれた窓からイスラエ
ルにむかって祈り、それによって、王や議会
で確立した神を冒涜する法や法令に同意しな
いことをはっきり述べ、彼の信仰告白をしな
かったら、両者は突然の神の招きはなかった
でしょう。
経験というものは、私たちにキリスト・イ
エスの敵、永遠真理の敵が何かを推測し、何
が神を冒涜することかを教えてくれます。自
分たちの不信心を見つけようとすることの代
わりに、何かをでっちあげたり、作りあげた
りするのです。彼らは、争乱の張本人、大騒
ぎを引き起こした者、一般秩序の侵害者など
として、告訴されます。預言者イザヤは「す
べての者は、神の前におろかな民が騒乱やま
じないと見なすことを許してはならない。9)」
と述べています。神の命令に反して公の秩序
の乱れや違反は未だにありません。というの
は、キリスト・イエス自身、堅固に武装した
者から略奪して苦しめるために来たのであっ
て、以前は神の家でずっと静かさの中にあっ
たのです。平和ではなく、剣をもたらすため
に来られたのであって、御父に同意しない者
として来られたのです。キリストの前の預言
者たちやキリストの後の使徒たちは、神に反
対する公の秩序を壊すことを恐れません。そ
して、あたかも国民と国家と町の半分がもう
半分に反対していても。私は、未だ、サタン
に雇われた僕以外、騒ぎましたとキリストを
告訴したり、国家を混乱させましたと、キリ
ストの使徒たちを訴える者はいないと信じて
います。最大の有益な薬が、一時は邪悪で不
潔な体液で補充された体を非常に苦しめたこ
とは真実です。しかし、このため、これにつ
9)
イザヤ書8章12節のことであろう。
いて、病気に従い易いのは、薬ではなく、体
であることが知らされました。たとえ神の真
の御言葉でさえも、サタンが支配(サタン
は未だ、全教皇制を支配しているのですが、
)
している場所で戦いに入った時、大混乱を引
き起こすように見えざるをえないのです。し
かし、マダム、彼らが壊した体に滋養をつけ
るよりも、有害な気質が痛みで放出される方
が、より有益なことなのです。ローマ・カト
リック教会の宗教は、道徳的に有害で、それ
は確かに体にも心にも永遠に死をもたらすで
しょう。この宗教では、この世においては清
められないのです。
ですから、どうか、遅れないようにお気を
つけください。神は、貴方様を求めておられ
ます。貴方様は、ご自分の耳をふさがないよ
うになさってください。そのことを私の体が
もう価値がなくなった後に、判断なさるよう
なことがありませんように。神は貴方様のた
めに大使や使者を任命なさいましたが、しか
し、敬虔さと畏れをもって、私が伝える神を
尊重なさってください。私は永遠なる神の名
において、神の御子であるキリスト・イエス
の名において、貴方様の所へ来たのです。御
父がその方にすべての権能をゆだね、神がそ
の方にすべての肉(人間)を裁く主権を確立
したのであって、その方の王座の御前で、貴
方様がお聞きになった、神が与えるような崇
敬を貴方様は、重視しなければならないので
あります。貴方様が、私が神のために許され
たか否かを疑うのは、言うことも考えること
も許されません。私は貴方様のために泣きま
す。それは、王妃たちや目の見えない教皇主
義者たちが火と剣をもって維持するその宗教
は、キリストの宗教ではありません。そして、
貴方様の高慢な高位聖職者たちのうちには、
キリストの司教たちである者はだれもいない
のであります。私は、貴方様に、キリストの
群れが彼らによって圧迫されていることをお
知らせ致します。そして私は、主なるイエス
の名において、再び貴方様が、私が公平に説
教をしたり、判断したり、論じたりすること
を聞き届けられることを心から望みます。も
し、このことを貴方様が否定するのでしたら、
─ 125 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
貴方様ご自身は、キリストを崇敬していない
のであり、キリストの真の宗教を愛していな
いのだと宣言していることであります。
─ 126 ─
─ 127 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
─ 128 ─
─ 129 ─
環境と経営 第20巻 第1号(2014年)
執 筆 者 紹 介(掲載順)
山
﨑
克
雄
静岡産業大学経営学部
特任教授
青
山
芳
之
静岡産業大学経営学部
特任教授
合
田
美
穂
静岡産業大学経営学部
非常勤講師
森
戸
幸
次
静岡産業大学経営学部
教
授
佐
藤
和
美
静岡産業大学経営学部
教
授
谷
口
昭
彦
静岡産業大学経営学部
非常勤講師
藤 田 依久子
静岡産業大学経営学部
准
山
彦
麗澤大学外国語学部
教
琳
麗澤大学外国語学部
准
教
授
藤 井 久美子
宮崎大学教育文化学部
准
教
授
須
部
宗
生
静岡産業大学経営学部
教
授
浅
羽 浩
静岡産業大学経営学部
教
授
伊勢田 奈 緒
静岡産業大学経営学部
非常勤講師
川
和
温
─ 130 ─
教
授
授
経 営 研 究 所 所 員
三
枝
幸
文
松
本
幸
男
青
木 優
浅 羽 浩
天
野
利
彦
大
西
孝
之
大
堀
兼
男
菊
野
春
雄
窪
田
辰
政
熊
王
康
宏
後
藤
隆
浩
近
藤
尚
武
佐
藤
和
美
杉 山 三七男
須
部
宗
生
館 俊
樹
永
山
庸
男
丹
羽
由
一
禰
屋
光
男
葉
口
英
子
藤 田 依久子
牧
野
好
洋
森
戸
幸
次
山
劉 志
宏
青
山
芳
之
岡
田
修
二
大日方 重 利
服
部
勝
人
山
﨑
克
雄
山
﨑
博
昭
鷲
崎
早
雄
石
垣
美
佳
齋
藤
智
世
高
城
佳
那
─ 131 ─
田
悟
史
経営研究所運営委員兼編集委員
鷲
崎
早
雄
近
藤
尚
武
永
山
庸
男
丹
羽
由
一
森
戸
幸
次
牧
野
好
洋
環 境 と 経 営 第20巻第 1 号(通刊第39号)
2014年 6 月
発行者 静岡産業大学経営研究所
〒438-0043 静岡県磐田市大原1572番地1
TEL:0538−37−0191㈹
編集者 鷲 崎 早 雄
印刷所 中部印刷株式会社
静岡県浜松市南区東若林町1516-2
TEL:053−441−2557
E
ARTICLES
CONTENTS
The automobile industry and sewing industry in Africa
A feasibility study on global marketing of
Japanese sports industry
Katsuo Yamazaki
1
Yoshiyuki Aoyama
13
The Impact of Domestic Helpers from Overseas in Hong Kong:
With References on Society, Family and International Relations
Miho Goda
23
What new Middle East Systems will be
for the 21st century?
Kouji Morito
35
An Empirical Analysis of Possibility of Stained glass as
Regional Industries
Kazumi Sato
47
Akihiko Taniguchi
61
Taiwanese travelers visiting Ishigaki Island
Ikuko Fujita・Kazuhiko Yamakawa・Lin Wen・Kumiko Fujii
69
A Trial to Foster University Students' Capacity for Communicaton and
Logical Thinking by Utilizing Bibliobattle and Debate
Muneo Sube
87
Fisheries Management in Shizuoka
An Attempt of Active Learning in Teacher-Training Course:
Focucing on Writing Guidance
Hiroshi Asaba 103
TRANSLATION
The Reformation Pamphlets by John Knox (1) :
The Letter delivered to the Lady Mary,Regent of
Scotland from John Knox and the Addition (1)
VOL.20 NO.1
JUNE 2014
Nao Iseda 119