14 関西蛍雪山岳 会 蛍雪 第 14 号 目次 1993 年( 平成5年 1993 平成5年)) 春 春山合宿 栂池~小蓮華岳 .................... 上原 雅宣 ................. 三合尾根より白馬岳アタック .................. 大塚 香代子 ............... 白馬大雪渓より白馬岳 ........................ 西方 幸子 ................. 1993 1993 年( 平成5年 平成5年)) 夏 雲の平・ 雲の平 ・高天原温泉 .......................... 上原 雅宣 ................. 黒部上ノ廊下溯行 ............................ 秋田 三枝子 ............... 黒部源流隊 .................................. 東田 順子 ................. 雲の平周辺 .................................. 臼井 嘉津子 ............... 南アルプス縦走 .............................. 大野 順子 ................. 1993 1993 年( 平成5年 平成5年)) 秋 飯豊連峰縦走 ................................ 田中 佐和子 ............... 燕岳~常念岳~蝶ヶ岳 ........................ 橋詰 久子 ................. 燕岳撮影山行 ................................ 木島 三喜 ................. 山岳駅伝 .................................... 堀 一 ..................... NEW ZEALAND -- MILFORD TRACK ................ 柴谷 武史 ................. 1993 1993 年( 平成5年 平成5年)) 冬 南八ヶ岳 .................................... 内藤 久夫 ................. アフリカは寒かった .......................... 秋田 三枝子 ............... 1994 1994 年( 平成6年 平成6年)) 春 遠見尾根~五竜岳~鹿島槍ヶ岳 ................ 久壽 裕人 ................. 九州春紀行 .................................. 木島 三喜 ................. 毛勝山(( 山スキー 毛勝山 山スキー)) ............................ 柴谷 武史 ................. 1994 1994 年( 平成6年 平成6年)) 夏 穂高岳 ...................................... 山林 良江 ................. 薬師岳~槍ヶ岳 .............................. 上原 雅宣 ................. 北アルプス縦走 .............................. 田中 佐和子 ............... チンネ・ チンネ ・八ツ峰 .............................. 村上 隆志 ................. 剱岳・ 剱岳 ・チンネ ................................ 横山 典郎 ................. 剱沢~阿曽原小屋~欅平 ...................... 久壽 裕人 ................. ヨセミテ クライミング ...................... 中尾 悦子 ................. 関西国際空港開港記念 クリーン大阪城 ......... 堀 一 ..................... 1994 1994 年( 平成6年 平成6年)) 秋 白山 ........................................ 蔵田 道代 ................. 東北 朝日連峰 .............................. 中尾 悦子 ................. 屏風岩 ...................................... 横山 典郎 ................. 奥穂高岳・ 奥穂高岳 ・天狗原 ............................ 上原 雅宣 ................. 蝶ヶ岳~常念岳 .............................. 木島 三喜 ................. 穂高稜線一人旅 .............................. 柴谷 武史 ................. 1994 1994 年( 平成6年 平成6年)) 冬 幻の「クリスマス 幻の 「クリスマス・ ・ルンゼ」 ルンゼ」................... ................... 堀 一 ..................... 槍ヶ岳 ...................................... 村上 隆志 ................. 1 2 3 4 5 8 9 10 12 14 16 16 17 19 20 22 23 24 26 26 27 29 30 32 33 34 36 36 37 38 39 40 41 42 1995 年( 平成7年 1995 平成7年)) 春 ヨーロッパオートルートの記録 ................ 中尾 悦子 ................. 白馬岳・ 白馬岳 ・三号尾根 ............................ 岩田 修一 ................. 白馬岳主稜 .................................. 蔵田 道代 ................. 1995 1995 年( 平成7年 平成7年)) 夏 マッターホルン山行報告 ...................... 潟上 元映 ................. モン・ モン ・ブラン ................................ 西方幸子 ................... 夏山合宿 南アルプス ........................ 横山 典郎 ................. 黄蓮谷前半 滑落おやじ出現 .................. 秋田 美枝子 ............... 黄蓮谷後半 史上最大の薮こぎ ................ 柴谷 武史 ................. 白稜の岩小屋~北沢峠の長い道のり ............ 横山 順子 ................. 北沢峠大混乱~怒りの遭難対策本部 ............ 秋田 美枝子 ............... 山中行動報告 ................................ 柴谷 武史 ................. 南アルプス 聖岳~赤石岳 .................... 木戸 晴美 ................. 東北山行 .................................... 村上 隆志 ................. 1995 1995 年( 平成7年 平成7年)) 秋 石鎚山~瓶ケ森縦走 .......................... 蔵田 道代 ................. 1995 1995 年( 平成7年 平成7年)) 冬 鹿島槍ヶ岳(赤岩尾根) 鹿島槍ヶ岳 (赤岩尾根)....................... ....................... 田中 佐和子 ............... 1996 1996 年( 平成8年 平成8年)) 春 東北吾妻連峰山スキー縦走 .................... 中尾 悦子 ................. ジャパン・ ジャパン ・( ミニ ミニ))・オートルート ............... 秋田 三枝子 ............... 春山合宿 岳沢 .............................. 横山 典郎 ................. 針ノ木岳 山スキー .......................... 蔵田 道代 ................. 1996 1996 年( 平成8年 平成8年)) 夏 北海道山行(( 大雪山系、 北海道山行 大雪山系、利尻山 利尻山)) ................ 田中 佐和子 ............... 南アルプス 荒川三山~塩見岳 ................ 木戸 晴美 ................. MY TIBET 旅行記 .................... 松岡 和世 ................. 北日高縦走 .................................. 中尾 悦子 ................. 夏山合宿 総括 .............................. 上原 雅宣 ................. 滝谷 ドーム北壁 ............................ 川辺 直也 ................. 前穂B沢大迷走(( 松高カミンルート 前穂B沢大迷走 松高カミンルート)) ............ 横山 典郎 ................. 前穂Ⅳ峰 松高ルート ........................ 上原 雅宣 ................. インドネシア瓦版 その1 ..................... 柴谷 武史 ................. 1996 1996 年( 平成8年 平成8年)) 秋 憧れの大キレット ............................ 大野 順子 ................. 五竜岳~鹿島槍ヶ岳 .......................... 木戸 晴美 ................. 槍ヶ岳~西穂縦走 ............................ 蔵田 道代 ................. 『日本百名山』と私 『日本百名山』 と私 ........................... 村上 隆志 ................. 蛍雪タイムトライアル in 六甲山 ............... 石塚 正史 ................. 1996 1996 年( 平成8年 平成8年)) 冬 北鎌尾根登攀 ................................ 堀 一 ..................... 43 45 47 48 49 51 52 52 53 53 54 54 56 57 58 61 62 65 66 67 68 70 73 75 75 76 77 79 81 81 83 84 85 86 1993 年( 平成 5 年) 春 白馬大池は結氷したうえに雪が積もり、どこ が湖面だかわからない。昨夏に来たときは登山 客でいっぱいだったが、今日は他にテントが一 張りあるだけである。雪に埋まった小屋の横に テントを張って今日の行動は終了。 [タイム タイム]] 栂池高原スキー場 栂池高原スキー場(9:00) (9:00) 白馬乗鞍 白馬乗鞍 岳(12:30) (12:30) 白馬大池 白馬大池(14:00) (14:00) 春山合宿 栂池~小蓮華岳 (1993 年4月 29 日~4月 30 日) 上原 雅宣 メンバー:( L) 佐々木H メンバー: 佐々木H・ ・美甘 美甘・ ・佐々木J 佐々木J・ ・上 原・田中S 田中S・ ・大塚 大塚・ ・木戸 4月 29 日 くもり時々晴れ 白馬駅で美甘氏と合流。タクシーで栂池高原 スキー場へ向い、田中S、大塚の両氏と出会い、 メンバー7名が集合する。私にとって今シーズ ン3度目の栂池だが、今日はルンルンのスキー ではない。重荷とつらい登りが控えている。 ではない。 重荷とつらい登りが控えている。 雪の消えたゲレンデを眼下に見ながらゴンド ラは登っていく。ゴンドラ終点付近は雪が残っ ている。身支度をして出発。 ている。 身支度をして出発。傾斜の緩いバス道 傾斜の緩いバス道 路をところどころショートカットをしながら進 む。大経大小屋で小休止の後、 む。 大経大小屋で小休止の後、成城大小屋から 成城大小屋から 急登にかかる。実は私はこの小屋を別の小屋と 思いこみ、少し東よりのルートを取っていると 信じていた。急登に木戸 信じていた。 急登に木戸・ ・田中の両名がバテぎ みである。傾斜が緩くなり、 みである。 傾斜が緩くなり、天狗原の東端に着 天狗原の東端に着 いた、と思ったら中央部であった。 いた、 と思ったら中央部であった。自分のいい 自分のいい 加減な地形判断にいささかあきれた。天狗原は 広大な雪原で、好天ならばヘリスキーの出発点 になっているが今日は中止のようである。祠へ 行こうとしたとき、私は岩の隙間に落ち込んで しまった。 「ああ危なかった。木の枝で急所を打 つところだった。足の短い人なら完全にアウト だな。」と思った。 」と思った。 白馬乗鞍岳へは幅広い急斜面を登っていく。 まさにスキーに最適な斜面である。気がつくと 私と大塚さんが大きく先行していて、後続のメ ンバーを待ちつつ登っていく。途中のハイマツ 帯には雷鳥のつがいがいて、彼らのなわばりに 入ってしまったためか、私たちに向かって出て いけとばかりに鳴いている。雷鳥に別れを告げ てしばらく登ると頂上に着いた。 頂上から30 頂上から 30分ほどで今日のテントサイトであ 分ほどで今日のテントサイトであ る白馬大池である。ところが地形がおかしい。 る白馬大池である。 ところが地形がおかしい。 眼下には蓮華温泉への降り口である弥兵衛沢が 見え、シュプールが何本も走っている。 見え、 シュプールが何本も走っている。いつの いつの 間にか方向が90 間にか方向が 90度ずれていた。 度ずれていた。来た道を引き返 しながら白馬大池へ向かう。露岩の間に雪が詰 まっていて歩きにくい。 4月 30 日 くもり後雨 予定より少し遅れて出発。途中までは夏道が 出ていて、 アイゼンをつけた足には歩きにくい。 稜線付近に出るとガスが濃くなり、空と稜線の 境がわかりにくい。稜線寄りだと雪庇を踏み抜 くおそれがあるため、少し谷側を歩くが思わず ルートを間違えそうになる。稜線にはところど ころに赤旗が立ててあるが、ガスのため次の赤 旗が見えない。小蓮華岳手前のピークで小休止 する。佐々木さんがルート偵察に行くが、 する。 佐々木さんがルート偵察に行くが、ほど ほど なくして引き返してくる。協議の結果、 なくして引き返してくる。 協議の結果、白馬岳 白馬岳 登頂はあきらめて引き返すことにする。この 登頂はあきらめて引き返すことにする。 この ピークには破れかけたテントが放置されている。 もしやと思った佐々木・ もしやと思った佐々木 ・美甘の両氏がテントの 周りを掘ると、ピッケル、アイゼン、ワカン、ヘ ルメットが出てきた。私は人の手が出てきたら どうしようかと思ったが、幸か不幸か出てこな かった。 私たちが帰路につく頃には雪が降り出し、時 おり突風を伴った吹雪になって、思わず耐風姿 勢をとる。山腹へと下ったところで突然木戸さ んが転んだ。その際に左腕を打って肘を脱臼し たようだ。木戸さんのザックを佐々木さんが二 人分背負い、美甘さんが木戸さんの右手を取っ て降りていくことにした。 白馬乗鞍岳、天狗原からの下りは急で、 白馬乗鞍岳、 天狗原からの下りは急で、みん みん な苦労しながら降りる。成城大小屋からはバス 通り沿いを緩やかに下っていく。途中、 通り沿いを緩やかに下っていく。 途中、ショー ショー トカットで短いながらも急斜面を下ったが、田 中さんが思わず滑落し、停止できずに下まで落 ちてしまった。幸いけがはなかったが、 ちてしまった。 幸いけがはなかったが、滑落停 滑落停 止は難しいものだと実感した。程なくゴンドラ 駅に着き、春山合宿第一弾は終わった。 駅に着き、 春山合宿第一弾は終わった。 [ タイム タイム]] 白馬大池 白馬大池(6:0 (6:0 0) 小蓮華岳手前の 0) 小蓮華岳手前の ピーク(7:30) ピーク (7:30) ゴンドラ山頂駅 ゴンドラ山頂駅(13:00) (13:00) 後記 私にとって雪山での2度目の事故であった。 1 1993 年( 平成 5 年) 春 トレーニング、気象判断、地形判断など、 トレーニング、気象判断、 地形判断など、反省 反省 すべき事が多くあるように思われる。 でした。途中、セルフビレイが半マスト状態で でした。途中、 セルフビレイが半マスト状態で あったり、ザイルを組んで先に降りたが確保に 手間どり「確保できました」と叫ぼうとしたら、 岩田さんはすぐそこに降りてきていた、懸垂下 降がわからなかったりと、いうまでもなく技術 面でもかなり迷惑をかけていた。昨年の春より 雪山には何度か行ったが、三合尾根の登攀は私 の想像の範囲を越え“ここはどこ?私は何をし ているの?”という状態であった。 ているの?” という状態であった。緊張の連続 緊張の連続 でのどが渇いてしょうがなかった。あとどれく らいで終わるのだろうと聞いたところが、なん とまだ一割ぐらいしか登っていないということ だった。ボーゼンとしているところに だった。 ボーゼンとしているところに「これぐ 「これぐ らいのところじゃ面白くないやろ」と岩田さん の言葉が左の耳から右へと抜けていった。 取り付きから降りだした雪もすぐに雨に変 わった。全身びしょ濡れ、景色も何もない中、約 7時間で第2岩峰に到着した。正午。 7時間で第2岩峰に到着した。 正午。この時点 この時点 で頂上はあきらめ引き返すことになった。エス ケープルートと記されていた雪渓は雪崩れてい て下れないので登ってきたルートを降りるしか ないということだった。第2岩峰から最初のザ イルダウンの時、私は先に降り柴谷さんに雪面 上でピッケルを使ったセルフビレイの仕方を教 えてもらっていた。その時、 えてもらっていた。 その時、ドドッーとすごい ドドッーとすごい 音が頭の上に聞こえた。横山さんが落ちてきた のだった。又々ボーゼンとなった私の横で柴谷 さんの「どないしたんや」の妙に落ち着いた声。 横山さんも何事もなかったようにすぐに立ち上 がった。こんな光景をまのあたりでみるなん がった。 こんな光景をまのあたりでみるなん て、、、横山さん恐くなかったのですか?そんな 、横山さん恐くなかったのですか?そんな ハプニングの後、数回懸垂下降でどんどん下っ ていた。途中足場がない懸垂下降をしないとい けないところは恐くて一歩がなかなかでなかっ た。辺りが真っ暗になる前に無事懸垂下降はや り終え、ヨカッタヨカッタ。 り終え、 ヨカッタヨカッタ。がここで又ハプニ がここで又ハプニ ングが起こった。雨をたっぷりすいこんだザイ ルは岩田、横山両氏が強く引いても落ちてこな かった。その横では柴谷さんのヘッドランが突 然点滅しだし消えてしまった。この先に不安を 感じた。ヘッドランはたたいてなんとか復帰し たがザイルが回収できない。 「こんな濡れた状態 「こんな濡れた状態 でビバーグするのはいやだし」と柴谷さん。 “ビ バーグ”の言葉が自分の身にふりかかってくる とは思ってもみなかった。 三合尾根より白馬岳アタック (1993 年5月2日 年5月2日)) 大塚 香代子 メンバー: メンバー :岩田 岩田・ ・柴谷 柴谷・ ・横山 横山・ ・大塚 参加2度目の春合宿は、白馬岳周辺と決まっ た。先発隊として 先発隊として4/29 4/29 に栂池から入り、まずは 先発隊で栂池から入り、白馬大池を経て小蓮華 から白馬岳への縦走に参加することにした。そ して中発隊と合流後の山行は個人としては鑓ケ 岳に登って鑓温泉でゆっくりなどと考えていた が、最終的に三合尾根か一般ルートから白馬岳 をアタックするということに決まったので、私 はどちらに参加するか迷うことになった。 「今回は三合尾根からのアタックはやめます」 合宿直前に岩田さんに電話した。三合尾根は登 攀というレベルの山行になることを考えると、 岩登りの練習が皆無に近い私が行くべき所では ないと思ったし、未知の世界に対する不安も大 きかったからだ。 しかし、登攀前日の最終ミーティングで再度 参加の意志を聞かれた時には「お願いします」 参加の意志を聞かれた時には 「お願いします」 と答えていた。 「大塚さんならいける、今回は連 れていってあげるから」と言ってもらっている のに参加しないのは逃げてるような気も少しし たのだ。 そんな不安いっぱいの中、 登攀当日をむかえた。 朝2時起床であったが、緊張していたのかずい ぶん前に目が覚めた。 皆が目を覚ますまでの間、 テント中に響きわたる自分の心臓の鼓動を聞い ていた。 降水確率 70% の予報を気にしながら、 の予報を気にしながら、取り付 取り付 きに到着した。ここから下に大雪渓隊が見え、 きに到着した。 ここから下に大雪渓隊が見え、 交信をとってお互いの健闘を祈った。皆に会う のはこれから20 のはこれから 20時間後になろうとは、 時間後になろうとは、この時誰 が想像したであろうか。 さて、いよいよザイルをつけて登攀を開始し た。 「あのー、ブーリン結びはこれでいいのです か?」本番の山で信じられないことを聞いた私 2 1993 年( 平成 5 年) 春 ビバーグするかザイルなしで降りていくか。 これで最後というときにスルッとザイルが落ち てきてくれたときは、とても嬉しかった。 てきてくれたときは、 とても嬉しかった。闇の 闇の 中のこの後の大雪渓までの道のりを思い返すと ザイルがなかった場合、私は降りていく勇気が でたかどうか分からない。 大雪渓をテント場に向ってザイルで結ばれた 柴谷さんと横山さんのヘッドランが力つきて消 えているのが20 えているのが 20時間におよぶこの長い山行を物 時間におよぶこの長い山行を物 語っている気がした。と同時に肩を落としてト ボトボ歩く2人の後姿が何故かかわいらしく思 えたのでした。 参加と決め込んでいたが、なぜか参加すること になりあわててプラブーツ、ピッケル、 になりあわててプラブーツ、 ピッケル、アイゼ アイゼ ン等をバンジージャンプの心境でそろえる。そ れと夏山には行ったが、大雪渓で落石を見て、 れと夏山には行ったが、 大雪渓で落石を見て、 恐ろしいなあと思っていたのに、それが春山だ といったいどういう状態になるのか考えるだけ でも緊張した。それでも恐怖のアイトレには、 でも緊張した。 それでも恐怖のアイトレには、 会長のお達しもあり、技術はさておきなんとか 3回をクリアし、本番に望んだのであった。で、 入山第1日目はというとテントの中はモーシッ チャカメッチャカ。目もあてられない状態。 チャカメッチャカ。 目もあてられない状態。な な んせ我々最悪の新人5人組。食料の調理の仕方 もわからずとにかく何でもテキトー。知らない 上に気にならないときてるものだから始末が悪 い。けれどまあなんとか次の日をむかえ、 い。 けれどまあなんとか次の日をむかえ、大雪 大雪 渓を登る日。早朝から雪がちらつく。 渓を登る日。 早朝から雪がちらつく。関東から 関東から も2名参加して下さり心強い。 乾氏を先頭に歩きだすが、一歩一歩がとても 重くしんどい。こんなに雪が重いなんて、 重くしんどい。 こんなに雪が重いなんて、、、、。 アイトレの時などは、まだ軽かったのだとあら ためて思う。ほとんどヨレヨレになりながら山 小屋に入る。臼井、 小屋に入る。 臼井、西方はここでダウン。 西方はここでダウン。外は 外は 吹雪いている。快適な小屋でしばし休んで下山 にかかるが、 いきなりすべったりして恐ろしい。 雷鳥を初めて見たが観賞する余裕はない。恐ろ しいのと、ドンくさいのとで私だけドンドン遅 れていく。大前氏、 れていく。 大前氏、井上氏がその間ずっとそば 井上氏がその間ずっとそば にいてくれた。とっても安心できた。 にいてくれた。 とっても安心できた。いつしか いつしか 吹雪もやみ、傾斜も緩やかになって、 吹雪もやみ、 傾斜も緩やかになって、現金なも 現金なも ので、ルンルンで下る。 ので、 ルンルンで下る。大前さんアマゾンあり 大前さんアマゾンあり がとうね。 が、しかしやはり最後までヘタクソはヘタク ソでプラブーツはピカピカ完全防水にもかかわ らず、インナーはもとより、 らず、 インナーはもとより、靴下までビショビ 靴下までビショビ ショにぬれていたのは否めない事実で、ああな んとも情けない雪山デビューであった。 文中ふれなかったが、レーションをほとんど とらなかった私はテント場を目前にして体調を くずし、その必要性を身にしみて感じさせられ ました。一度は参加するのを断った私をひっ ました。 一度は参加するのを断った私をひっ ぱっていってくれたおかげで貴重な体験ができ とても感謝しています。また、 とても感謝しています。 また、このような機会 このような機会 があれば、今度は十分練習して挑戦してみたい と少し思っています。 最後に心配をかけ、夜遅くに暖かい飲物を 最後に心配をかけ、 夜遅くに暖かい飲物を 作って待ってくれた皆さんありがとうございま した。 白馬大雪渓より白馬岳 (1993 年5月2日 年5月2日)) 西方 幸子 メンバー:乾・大前 メンバー: 大前・ ・上原 上原・ ・田中 田中・ ・井上 井上・ ・玉川 玉川・ ・ 橋詰・ 橋詰 ・臼井 臼井・ ・東田 東田・ ・西方 私達新人5人(玉川、橋詰、 私達新人5人(玉川、 橋詰、臼井、 臼井、東田、 東田、西 西 方)にとって生まれて初めての雪山。 方) にとって生まれて初めての雪山。とにかく とにかく 何かと大変だった。まず装備。自分の場合は、不 3 1993 年( 平成 5 年) 夏 てしまった。 [タイム タイム]] 薬師峠 薬師峠(4:00) (4:00) 薬師沢 薬師沢(7:00) (7:00) 雲の 雲の 平(12:30) 雲の平・ 雲の平 ・高天原温泉 (1993 年7月 22 日~7月 28 日) 上原 雅宣 7月 24 日 雨後くもり時々晴れ テントにたたきつける雨音で何度も目を覚ま す。今日は高天原温泉に出かける予定だったが この天気では行けそうにない。7時ごろ雨が上 がったので雲の平散策とする。まずは雲の平山 荘横の祖母岳へ行く。雲の間から時折槍ヶ岳が 見える。道を引き返して祖父岳を登る。 見える。 道を引き返して祖父岳を登る。途中雪 途中雪 渓を横切り、急登をあえぎながら頂上へ着く。 渓を横切り、 急登をあえぎながら頂上へ着く。 天候は回復し、眼前には槍 天候は回復し、 眼前には槍・ ・穂高の大パノラマ が広がる。祖父岳を降り今度は日本庭園へ向か う。第一雪田、 う。 第一雪田、第二雪田とも残雪がいっぱいで 第二雪田とも残雪がいっぱいで ある。黒部源流への下降口で引き返すことにす る。テント場へ戻ったが時間があるのでスイス 庭園へ行く。どこがスイスなのかわからないが 池塘が美しい。 [タイム タイム]] 祖母岳 祖母岳(8:00) (8:00) 祖父岳 祖父岳(10:30) (10:30) 日 日 本庭園(12:30) 本庭園 (12:30) スイス庭園 スイス庭園(14:30) (14:30) 7月 22 日 くもり時々晴れ 折立でバスを降り、朝食を摂る。 折立でバスを降り、 朝食を摂る。ザックを計 ザックを計 量すると 21Kg もあり、 もあり、気まで重くなってしま 気まで重くなってしま う。十三重の塔で山行の安全と好天を祈ってい ざ出発。出だしは急登だが1時間ほどで三角点 に到着する。有峰湖を撮影しようと思ったが、 に到着する。 有峰湖を撮影しようと思ったが、 霧が出てきて思うようにいかない。 三角点からは高原状のおだやかな登りである。 先行パーティーと抜きつ抜かれつしながら太郎 平小屋に到着。今年は昨年同様残雪が多い。 平小屋に到着。 今年は昨年同様残雪が多い。小 小 屋にザックを置いて太郎山へ撮影に行く。薬師 岳、水晶岳、 岳、 水晶岳、祖父岳、 祖父岳、黒部五郎岳が雄大な姿を 黒部五郎岳が雄大な姿を 見せている。撮影を終え、 見せている。 撮影を終え、薬師峠でテントを張 薬師峠でテントを張 る。明日の天候が気になるが、 る。 明日の天候が気になるが、今回は新兵器と 今回は新兵器と して液晶テレビを持ってきたので下手な天気図 を書く必要がない。予報では台風が気がかりだ が明日の日中は持つだろう。 [タイム タイム]] 折立 折立(8:30) (8:30) 太郎平小屋 太郎平小屋(12:30) (12:30) 薬師峠(13:30) 薬師峠 (13:30) 7月 25 日 くもり時々雨後晴れ 5時出発の予定だったが小雨のため出発を見 合わせる。待望の高天原温泉行きなのに最初か ら気が重い。雨がやんだのでいざ出発。 ら気が重い。 雨がやんだのでいざ出発。コロナ コロナ 観測所からは高天原へ急下降が始まる。帰りは 苦労しそうだ。おまけに小雨も降り出した。 苦労しそうだ。 おまけに小雨も降り出した。沢 沢 を2本渡って高天原へ到着。ここは湿原の中に ニッコウキスゲが一面に咲く別天地である。温 泉はここから15 泉はここから 15分ほど下ったところにある。 分ほど下ったところにある。あ たりに硫黄のにおいが立ちこめている。入浴の 前に竜晶池見物と思い、 クマザサの中を行くが、 道が途中でなくなってしまったので引き返す。 高天原温泉はぬるかったが久しぶりの入浴で さっぱりした。往路を引き返しているうちに青 空が広がってきた。 [タイム タイム]] 雲の平 雲の平(6:30) (6:30) 高天原 高天原(10:00) (10:00) 雲 雲 の平(14:30) の平 (14:30) 7月 23 日 くもり時々晴れ後雨 2時起床、4時出発。 2時起床、 4時出発。朝焼けの中、 朝焼けの中、槍の穂先 槍の穂先 が顔をのぞかせている。薬師沢出合までは何度 となく沢を横切る。薬師沢から黒部源流へ撮影 に行く。流れは美しいが水量は多い。 に行く。 流れは美しいが水量は多い。黒部源流 黒部源流 隊は苦労しそうである。 薬師沢からは雲の平まで急登が続く。3年前 は木の根をつかみつつ青息吐息で登ったが、今 回は2回目とあって気が楽である。1時間ほど でアラスカ庭園に到着した。薬師岳、 でアラスカ庭園に到着した。 薬師岳、黒部五郎 黒部五郎 岳が美しい。途中、 岳が美しい。 途中、槍 槍・穂高が顔をのぞかせる がすぐ雲に隠れてしまった。天気が悪化しそう である。黒部川を撮影中にとうとう雨が降り出 し、足早に祖父平のテント場へと向かう。 し、 足早に祖父平のテント場へと向かう。祖父 祖父 岳の残雪は多く、北面にはびっしりと雪が残っ ている。小雨の中を急いでテントを張り、 ている。 小雨の中を急いでテントを張り、今日 今日 の行動はおしまいである。だんだん雨風が強く なってきた。穂高隊は苦労しているだろう。 なってきた。 穂高隊は苦労しているだろう。天 天 気を確かめようと思ったがテレビには何も映ら ない。山奥のため電波が弱い。 ない。 山奥のため電波が弱い。大きなミスをし 大きなミスをし 7月 26 日 くもり時々晴れ またしても夜は雨。明け方になって小降りに なったため出発を決意する。三泊したテント場 を後に祖父岳の斜面を登る。途中雷鳥のペアに 出会い、思わずカメラを出す。 出会い、 思わずカメラを出す。しばらく登ると しばらく登ると 4 1993 年( 平成 5 年) 夏 別の雷鳥が現れる。この雷鳥はなかなか道をあ けてくれない。黒部源流へは急下降が続く。 けてくれない。 黒部源流へは急下降が続く。先 先 行の女子大パーティーは苦労しながら降りてい る。源流は前夜の雨で増水しており、 る。 源流は前夜の雨で増水しており、スノーブ スノーブ リッジがズタズタに崩れている。徒渉点は水が 多く渡れない。上流で何とか渡れそうな場所を 見つけた。私の後ろにはくだんの女子大パー 見つけた。 私の後ろにはくだんの女子大パー ティーが私の徒渉を見つめている。落ちたら笑 いものになるところだが、難なく渡りきった。 いものになるところだが、 難なく渡りきった。 源流一帯は小さな流れの中にお花畑が点在する 雰囲気の良いところである。 三俣山荘で大休止。残念ながら槍ヶ岳はガス に覆われている。そこで鷲羽岳往復はあきらめ て三俣蓮華岳へ向かうが、山頂でも槍ヶ岳は見 えない。1時間ほどテレビを見ながら時間をつ ぶすがガスは晴れない。あきらめて巻き道ルー トで双六小屋へと行く。 雪渓付近でカメラを構えている人がいる。何 かと思って見てみると雷鳥の親子がいる。夢中 になってカメラを出し、気がつくと 気がつくと10 10分以上も 分以上も 撮影していた。後で再生すると半分以上は失敗 していたが。 この巻き道一体は雪渓とお花畑のコントラス トが美しく、何度もカメラを出す。 トが美しく、 何度もカメラを出す。しかし槍ヶ しかし槍ヶ 岳は依然としてガスの中である。程なくして双 六小屋に到着。雲の平での強風に懲りたので、 六小屋に到着。 雲の平での強風に懲りたので、 防風ブロックのあるところでテントを張る。 [タイム タイム]] 雲の平 雲の平(6:30) (6:30) 三俣蓮華岳 三俣蓮華岳(10:30) (10:30) 双六小屋(14:30) 双六小屋 (14:30) 高温泉(9:50) 高温泉 (9:50) 後記 悪天候続きの今夏だったが、この山行ではほ ぼ予定通りに行動することができた。これは雨 が夜間に降って日中には降らなかったことや、 台風がコースを外れてくれるなど、本当に幸運 に恵まれていた。しかし、 に恵まれていた。 しかし、この幸運の女神も夏 この幸運の女神も夏 合宿では私を見放してしまった。 黒部上ノ廊下溯行 (1993 年8月 11 日~8月 15 日) 秋田 三枝子 メンバー: メンバー :岩田 岩田・ ・秋田 秋田・ ・久壽 久壽・ ・井上 今年の夏山合宿は黒部源流を中心に縦走、沢 に3パーティーで分かれて取り組むことになっ た。 あこがれの上ノ廊下へ突入するのはKKAC あこがれの上ノ廊下へ突入するのは KKACの精 の精 鋭メンバー4人 ... と言いたいところだが、 と言いたいところだが、日 日 ごろの山行ではほとんどパーティーを組んだこ とのない、いわゆる寄せ集めのメンバーで不安 のほうが先走る。いざというときは岳人倶楽部 のリーダーで、体力、 のリーダーで、 体力、技術ともに山仲間から保 技術ともに山仲間から保 証付きの中村氏を頼ろうと、いつものごとく、 証付きの中村氏を頼ろうと、 いつものごとく、 甘い気持ちでスタートしたのだった。 7月 27 日 くもり時々雨 薄暗い中、ヘッドランプをつけて下山を開始 する。稜線にでると槍 する。 稜線にでると槍・ ・穂高連峰がシルエット になっている。しかしカメラを出しているうち にガスがかかってしまう。鏡平小屋の手前では 小雨が降り出した。ワサビ平間では何度も雪渓 を横切っていく。林道にでてもう安心と思って いると、大きな雪渓が2か所も現れる。 いると、 大きな雪渓が2か所も現れる。クレバ クレバ スには渡し板がかけてあるが不安定で、おそる おそる渡る。 ワサビ平小屋付近では雨が本降りになる。穴 毛谷の大岩峰群もかすんで見える。新穂高温泉 に近づく頃には雨も上がり、私の6日間の長旅 は終わった。 [タイム タイム]] 双六小屋 双六小屋(4:00) (4:00) 鏡平 鏡平(6:30) (6:30) 新穂 新穂 8月 11 日(水) 曇り時々雨 今年の夏は雨が多く、沢登りにはあまり適さ ないシーズンのようである。 前夜 9:30 大阪発のさわやか信州号のバスに 乗って扇沢に入る。次々と観光バスが到着し、 乗って扇沢に入る。 次々と観光バスが到着し、 団体がトロリーバスを占領していくので、整理 券を取っていてもなかなか進まない。すぐ前に 男性三人組も並んでいる。バシッとパッキング の決まったザックからは、ザイル、 の決まったザックからは、 ザイル、ヘルメット ヘルメット にライフジャケットも見えて、明らかに沢に入 ることはわかるが、 (上ノ廊下ならそんなにたい そうにせんでもええのんとちゃうん...) そうにせんでもええのんとちゃうん ...)と呑気 と呑気 なことを考えながらその後ろ姿を見ていた。 ダムからは人込みを抜けてまず平ノ渡まで水 5 1993 年( 平成 5 年) 夏 平道を行く。12 12時の渡し舟に間に合うようにと 時の渡し舟に間に合うようにと 気がはやるが、どうも男性陣 どうも男性陣((特に久壽、アマゾ ン)はの~んびりタイプで、 気が付くと私が先頭 でセカセカ歩いている。会長は休憩の後、 でセカセカ歩いている。 会長は休憩の後、ザッ ザッ クをかつぐ時に力を入れ過ぎてふられて登山道 から転げ落ちる。 早くも行く先を暗示しているかのような展開 が始まった。 平ノ渡の小屋で雨を避けて休んでいると、朝 の三人組にまた出会った。やはり目的は同じよ うだ。中の一人が我々を見ておもしろおかしそ うな顔をしているのは、やはりパーティーの動 きがユニークに見えていたのだろうか?? (これで きがユニークに見えていたのだろうか (これで も今年のKKAC も今年の KKACの精鋭パーティーだぞ の精鋭パーティーだぞ!) !)と心の中 と心の中 でつぶやきながら気合いを入れて進んで行こう としているのに、今度はアマゾンが登山道から 道を踏み外す。次には抜きつ抜かれつしている 三人組が休んでいる目の前で転げ落ちる。最後 は先頭の私はよけたひざ下ぐらいに出っ張って いた小枝に三人ともすねをぶつけてうなってい る。やれやれ る。 やれやれ ... ...。 。 ようやく初日のキャンプ地、奥黒部に近づい て来たころには雨も止んでいた。先に入渓して 釣りを楽しんでいる中村氏の姿を見つけて手を 振ると彼も「おー」 振ると彼も 「おー」と答えて近づいて来た と答えて近づいて来た ... はずがその時 10M 程先行していた例の三人組と 会合を喜びあっている???... 会合を喜びあっている ???...。 。出発時からどう も縁があった彼らは、なんと偶然にも中村氏と 同じ会社((ミノルタ 同じ会社 ミノルタ))の名古屋支所の人で、知人 であったのだ。 夕食は手巻き寿司にイワナの刺し身と骨酒が 付いた。たき火を囲んで口にするイワナの味は 最高だった。 寒さを耐えてしか味わえないぜいたくで豪快な スケール、渓谷の美しさはどうだろう。 スケール、 渓谷の美しさはどうだろう。感激が 感激が 波のように押し寄せて来てそれこそ息をつく暇 もないくらいだ。 徒渉、前進、 徒渉、 前進、また徒渉。 また徒渉。沢の弱点をついて連 沢の弱点をついて連 合ミノルタが突き進む。久壽、 合ミノルタが突き進む。 久壽、アマゾン、 アマゾン、私の 私の ゴマメ三人組は中間に入れてもらい、やばい徒 渉点ではザイルのお世話になる。にわかパー 渉点ではザイルのお世話になる。 にわかパー ティーの連携プレーもスムーズになり、下の黒 ビンガを過ぎたころ、事件は起こった。 ビンガを過ぎたころ、 事件は起こった。 ミノルタのSSさんがまずザイルをつけて徒渉。 ミノルタの 続いて K さんもスムーズに渡り終える。 さんもスムーズに渡り終える。そして そして アマゾンが続いた。 相変わらずの無表情のまま、ザイルにカラビ ナをセットし、静かに彼は入水していった。 ナをセットし、 静かに彼は入水していった。そ そ して半ばのあたりで一言も言わずにしばらくも がいていた。不審なアマゾンの動きに両岸から 「おーぃ、どうしたぁ どうしたぁ??」 「だいじょうぶかぁ?」と 「だいじょうぶかぁ? 口々に声をかけるが応答は無い。そうこうして いるうちにその動きも止まり、彼は川の流れに 身をまかせ、 空を仰いでふわぁーと漂い始めた。 そのころには両岸から救援のメンバーが駆けつ け、 結局三人がりでアマゾンを対岸へと渡した。 ぐったりとはしていたが、なんとか大丈夫のよ うである。夏とはいえ、 うである。 夏とはいえ、両岸のあちこちにまだ 両岸のあちこちにまだ 雪渓の残る北アルプス第一級の沢の水である。 「あと1分遅かったらヤバかったかもよ。」と 」と S さん。 「なんで、あかん、とか助けてくれ、って一言声 出さへんねん。」と会長と私。徒渉中、岩の下を 逆巻く水流に足を取られて進めなくなったらし いが、どうも本人はもともと生に対する執着心 が薄いようで、流れに身をまかせたまま 流れに身をまかせたまま((あー、 オレももーダメかなー)) と思っていたとの弁で オレももーダメかなー あった。 温かい飲み物を飲ませて、一件落着。 温かい飲み物を飲ませて、 一件落着。また先 また先 へと進む。しかし、 へと進む。 しかし、この事件やらその後の口元 この事件やらその後の口元 ノタル沢の高巻きやルートファインディングに 手間取ったこと、釣りを楽しむ時間が欲しいこ となどもあって、予定していた距離の半分ぐら いのところで幕営となった。 中村氏を筆頭にみんな喜々として釣り竿を 持って散開して行く。残っているのは、 持って散開して行く。 残っているのは、釣りに 釣りに 興味のないアマゾンと、食担の私。 興味のないアマゾンと、 食担の私。 「ひまやったら薪ひらってきて。」と頼んだらす 」と頼んだらす 8月 12 日(木) 晴れ KKA C のメンバーの顔触れを見て不安を感じ た?のか、 中村氏は名古屋ミノルタのメンバーと 合流しようと言う。元々心もとない我々に異議 はない。総勢8名の大パーティーで上ノ廊下に 繰り出すことになった。 防寒対策はバッチリ ... のつもりだったが、 やはり雪解け水がゴーゴーと流れる黒部の水は 冷たい。入渓早々から熊の沢のへつりでは泳ぐ 箇所も出てきた。冷たい 冷たい!! 確かに寒い 確かに寒い!! けれど おもしろさがそれを越してしまう。そしてこの 6 1993 年( 平成 5 年) 夏 ぐに戻ってきて、 「いいのが無いよ。 」と小枝をパラリと地面に落 」と小枝をパラリと地面に落 とす。 「根性入れて探さへんからやんか!!」と私。 「根性入れて探さへんからやんか と私。結局 結局 か弱い(!?) か弱い (!?)私がその辺の枯れ木を引きずってき 私がその辺の枯れ木を引きずってき た。人は悪くないが、 た。 人は悪くないが、全く庇の突っ張りにもな 全く庇の突っ張りにもな らないやつである。 夕食には今日もイワナがついた。 ているのが気掛かりである。なぜか、釣れるイ ているのが気掛かりである。なぜか、 釣れるイ ワナもどんどん小さくなってきた。 8月 14 日(土) 雨 昨日と同じ谷とは思えないほど、水が吼えて いた。待ってみても天候が回復するかどうかは わからない。早く決断しないと、 わからない。 早く決断しないと、水かさがもっ 水かさがもっ と増して、いよいよ身動きがとれなくなってし まうかもしれない。 協議の結果、残念ながら前進をあきらめて、 協議の結果、 残念ながら前進をあきらめて、 ここから高天原に逃げることになった。あと一 歩進めば、もうそこは黒部の源流である。 歩進めば、 もうそこは黒部の源流である。すぐ すぐ 先に立石の奇岩が待っているはずである。悔し い。あと一日持ってくれなかった天気が恨めし い。雨具をつけて、黙々と撤退の準備を進める。 逃げる、といってもそこも沢である。 逃げる、 といってもそこも沢である。全く気は 全く気は 抜けない。ザイルに身を守られながら、 抜けない。 ザイルに身を守られながら、沢をつ 沢をつ め、木にしがみつきながら藪をこぐやっと登山 道に出たときは、ほんとうにほっとした。 道に出たときは、 ほんとうにほっとした。 気を取り直して、 目指すは高天原温泉である。 普通でも入山して二日はかかるこの秘湯中の秘 湯には、前からぜひ一度は行ってみたいところ ではあったが、ご多分にもれず、 ではあったが、 ご多分にもれず、あるのは露天 あるのは露天 風呂と、小さな女湯の放建小屋だけである。 風呂と、 小さな女湯の放建小屋だけである。雨 雨 を受けながら豪快に浸っている男性群と離れて、 私は一人、蚊の襲来を受けながらの入浴であっ た。 水晶岳から野口五郎岳を抜けて下山する名古 屋ミノルタのメンバーと別れて、雲の平を目指 す途中からどんどん天気が回復してきた。こん なことなら、半日待てば良かった なことなら、 半日待てば良かった ... ...。 。おもわ ず、今からでも引き返そうか、とも考えたが、結 局他のコースに入ったKKAC 局他のコースに入った KKACのメンバーと合流す のメンバーと合流す べく、先へと進む。 べく、 先へと進む。雲の平の小屋で源流を溯行 雲の平の小屋で源流を溯行 してきたメンバーと出会い、お互いの無事を喜 びあった。 8月 13 日(金) 曇り 朝一番からいきなり深い徒渉で始まった。曇 天である。しかし、 天である。 しかし、足の届かないところは泳ぐ 足の届かないところは泳ぐ しか手はない。 「ボクが行きます。」と岳人倶楽部のリーダー 」と岳人倶楽部のリーダー の中村氏が果敢にも先頭を切って入水する。自 分にもすぐに順番が回ってくることは十分承知 ながら、 (やっぱりぬれるのんいややなぁ やっぱりぬれるのんいややなぁ...) ...)な な どと思って見ているだけで、 鳥肌が立ってくる。 何度も徒渉を繰り返すうちにマヒはしてきて、 それより楽しさの方が勝ってしまうのだけれど ...。 ... 。 でも願わくばお日さんが照っている時の方 がありがたいものである。 中ノタル沢を越すと、 上ノ廊下で最も美しく、 楽しく溯行できる核心部、 上の黒ビンガに入る。 パーティーのコンビネーションもまとまってき て、みんなでカメラに向かってポーズを取るゆ とりも出てきた。先を急ぐのがもったいない、 とりも出てきた。 先を急ぐのがもったいない、 見事と言うより他のない大渓谷である。 胸までの徒渉も多いが、ザイルを出す程でも ないところは、みんなで手をつないで渡る。 ないところは、 みんなで手をつないで渡る。背 背 の低い会長や私は半分足がつかず、四万十川に かける鯉のぼりのようにひらひらと泳いでいる うちに対岸に到着となる。 金作谷の大きな雪渓を横に見て、その先のへ つりでザイルを出してもらい、びびりながらト ラバースする。残置のハーケンがあるが、 ラバースする。 残置のハーケンがあるが、効き 効き が浅い感じで怖かった。 コケムシの滝を過ぎたあと、また何度目かの へつりに出くわす。ずっと連合ミノルタに引っ 張られてばかりなので、たまにはうちのメン 張られてばかりなので、 たまにはうちのメン バーにトップを ... と久壽をけしかけリードさ せるが、あっと言う間に終わってしまう小さな へつりで、 実力を発揮してもらう間もなかった。 釣りの時間を考えて、今日は岩苔小谷出会い でテントを張る。天候がどんどん悪くなって来 8月 15 日(日) 晴れ ため息が先行する晴天であった。雲の平の大 パノラマの中をうつむき加減で薬師沢へと下山 する。本当ならこの沢を溯上してくるはずで する。 本当ならこの沢を溯上してくるはずで あった。今はこの晴天が逆に恨めしい。 あった。 今はこの晴天が逆に恨めしい。 薬師 薬師 岳から雲の平を目指すもう一つの会のメンバー とすれ違いに、太郎平を越え、 とすれ違いに、 太郎平を越え、折立に下るのは 折立に下るのは あっと言うまであった。大きな感動と、 あっと言うまであった。 大きな感動と、それと それと 7 1993 年( 平成 5 年) 夏 同じくらいの無念を残して、夏は終わった。 同じくらいの無念を残して、 夏は終わった。 んが「今日はなかなかいいペースで登ってい んが「今日はなかなかいいペースで登ってい る。」と言ってくれたのでちょっと嬉しかった。 」と言ってくれたのでちょっと嬉しかった。 樹林帯を抜けると、遠くの景色が見えた。 樹林帯を抜けると、 遠くの景色が見えた。あと あと 10 分、あと5分・・・ついに太郎兵衛平到着。そ こで昼食をとり12 こで昼食をとり 12時頃出発。 時頃出発。今度は下りなので 元気に歩けた。お花畑で写真を撮りながらルン ルン気分で薬師沢に着く。小屋で渓流シューズ に履き替えて沢に入った。しかし3時頃には水 も冷たくなってきたので河原にテントを張って 幕営した。 追記((装備について 追記 装備について)) ・服装 クロロファイバーの下着 ネオプレンのズボン とスパッツ、靴下 ウェイディングシューズ 上着として雨具((上)を常時着用 上着として雨具 ・個人装備 カラビナ3枚 シュリンゲ((長1 カラビナ3枚 シュリンゲ 長1,, 短2 短2)) 手袋 シュラフカバー マット セーター 雨具 など ・団体装備 テント((4人用エスパース テント 4人用エスパース)) ツェルト ツェルト((1) コ ンロ(( 2) EPI( ンロ EPI(大3 大3)) コッヘル コッヘル(( 1) ザイル (8ミリ 8ミリ)20M, )20M, 30M 釣り竿 ラジオ カメラ 30M 釣り竿 ラジオ カメラ 8月 13 日 早朝に出発。今日は最初から川の中なので水 が冷たい。赤木沢との出合いからだんだん水量 が増えてきたし、流れの急な所も増えてきた。 が増えてきたし、 流れの急な所も増えてきた。 そして事件が起こった。西方さんが流されたの である。それは3mぐらいの急な流れを徒渉す るポイントで、水は私の腰下ぐらいだった。 るポイントで、 水は私の腰下ぐらいだった。彼 彼 女はその途中でバランスを崩したかと思うとこ ろんで、みるみる川下に流されていった。 ろんで、 みるみる川下に流されていった。横山 横山 さんはすぐザックを放り投げて追いかけて行っ た。中尾さんは落ち着いてザイルを出して後を 追った。私はと言うと出来る事がないのでコン ロをたいて西方さんの無事を祈りながら待って いた。20 20分くらいして西方さんがびしょびしょ 分くらいして西方さんがびしょびしょ になって戻って来た。話を聞くと 話を聞くと50 50mくらい流 mくらい流 された所で流れがゆるやかになっていて彼女は そこで止まったらしい。 西っしゃん!また会えて良かった!!(大袈 裟かしら) しばらく休むとみんな元気が戻ってきてまた 出発した。ここからもかなり急な所が続きザイ ルを出したりした。しかし祖父平を過ぎたあた りから水量は減り、河原の大きな石の上を歩く 様になった。もう少しで源流が終わる 様になった。 もう少しで源流が終わる・ ・・・そ う思った頃から雨。雨具を出して1時間も歩い た頃、私達は縦走路と合流したのである。 た頃、 私達は縦走路と合流したのである。 ここから雲の平まで普通の道を歩いた。最初 は急登(もちろん苦しかった) は急登 (もちろん苦しかった)そしてスイス庭 そしてスイス庭 園を抜けて雲の平に着いた。ここも私達新人に とっては前からの憧れの場所だったがすごく広 くてきれいなところで、ここまでこれるなんて 夢みたいだった。この日はここでごちそうを食 べてぐっすり眠った。 黒部源流隊 (1993 年8月 11 日~8月 15 日) 東田 順子 メンバー: メンバー :中尾 中尾・ ・横山 横山・ ・西方 西方・ ・東田 8月 11 日 8月10 8月 10日に上ノ廊下隊の岩田さん達をお見送 日に上ノ廊下隊の岩田さん達をお見送 りした次の日、私達源流隊も大阪を出発した。 りした次の日、 私達源流隊も大阪を出発した。 夜行列車ではちょうど4人で1ボックスを占領 できたのはよかったが、冷房が効き過ぎていて よく眠れなかった。 8月 12 日 富山駅から有峰口を経て折立に到着。各自朝 食をとったり、水を汲んだりして準備をととの えて8時頃に出発。いよいよ私にとっては第一 の関門、5時間の登りである。 の関門、 5時間の登りである。中尾さん、 中尾さん、横山 横山 さんは重い荷物にもかかわらず、軽い足取りで 登っていく。私と西方さんは 私と西方さんは30 30分も歩くと息が 分も歩くと息が 上がってきた。最初の1ピッチは 最初の1ピッチは45 45分で切って 分で切って 休憩。その後も 休憩。 その後も 50 分ぐらい歩いては休んだが、 とにかくしんどかった。歩いているときは次の 休みのことばかり考えていた。それでも横山さ 8 1993 年( 平成 5 年) 夏 8月 14 日 昨日の夕方、いったん上がった雨はそのあと ずっと降り続いていて今日は「沈」 ずっと降り続いていて今日は 「沈」になった。 になった。 昼間から盛大な酒盛りを開くことになる。午後 になって雨が上がり、雲の平に出かけるとそこ で上ノ廊下隊と感動の再会。その夜はみんなで また宴会をした。あちらはあちらで井上さんの 「顔面蒼白事件」があったとの事。こちらも色々 報告して盛り上がった。 雲の平周辺 (1993 年8月 13 日~8月 16 日) 臼井 嘉津子 メンバー: メンバー :上原 上原・ ・木戸 木戸・ ・橋詰 橋詰・ ・玉川 玉川・ ・臼井 写真では何度も見たことがある夏山、実際に 自分が行くなんて夢にも思わなかった。雲の平 は、雲上の楽園と呼ばれ高山植物のお花畑が広 がっていると聞き、まだ見ぬ風景に心は踊って いた。 私は仕事の都合で他のメンバーとは別に夜行 でひとりで折立まで入ることとなった。体力に 自信のない私は不安一杯の出発となった。折立 で他のメンバーと落ち会い、いざ出発私の鼓動 は高鳴るばかり、三角点までは樹林の中を急登 することとなり、鼓動はますます激しくなる。 することとなり、 鼓動はますます激しくなる。 その三角点を過ぎると展望が開け、なだらかな 尾根道が長々続く。周りは季節はずれの高山植 物が咲き、気が付けば皆から、 物が咲き、 気が付けば皆から、かなりの遅れを かなりの遅れを 取っていたが、追いつく気力もなく、 取っていたが、 追いつく気力もなく、マイペー マイペー スで登るとそこは太郎平小屋であった。そこか ら30 30分ほど下った所がテント地の薬師峠であっ 分ほど下った所がテント地の薬師峠であっ た。 2日目は朝から大雨にみまわれ、停滞するこ ととなり、テントでボーと時を過ごした。 ととなり、 テントでボーと時を過ごした。次の 次の 日は前日が嘘の様に晴れわたり、雲の平へと向 かう。薬師沢までは下りが続きルンルン気分で あったが、小屋前の吊り橋を過ぎると、 あったが、 小屋前の吊り橋を過ぎると、樹林帯 樹林帯 につつまれた急登が続いた。一歩進めるために は膝を胸の付近まで近づけなくてはならず、お 尻が重くなかなか進むことができなかった。2 8月 15 日 とうとう最終日。 下山する日が来てしまった。 そしたら何と晴天。天候の気まぐれを呪いなが ら薬師沢までの急な道を下った。 吊り橋の上で写真を撮って小屋に着いたと 思ったらまたまさかの再会。上原さん達であっ た。ここでみんなと写真を撮って別れ、 た。 ここでみんなと写真を撮って別れ、太郎兵 太郎兵 衛平へ向けて出発。その間、 衛平へ向けて出発。 その間、横山さんがいろん 横山さんがいろん な人のものまねで私達を励ましてくれた。 太郎兵衛平でもう一度岩田さん達と合流して あとはひたすら折立目指して降りた。タクシー で富山に出て、雷鳥の中で宴会しながら大阪に 帰った。 憧れの黒部源流と、雲の平に行けて本当に嬉 しかったです。 もうあれから1年以上経つけど、 今でもきれいな水の瀬や広いハイマツ帯や針葉 樹の景色、そしていろいろな事件を想い出しま す。中尾さん、 す。 中尾さん、横山さん、 横山さん、西方さん、 西方さん、どうも有 どうも有 り難うございました。 9 1993 年( 平成 5 年) 夏 時間近くその状態が続くと足元が木道へと変わ り、目に飛び込んでくるのは笠ヶ岳、祖父岳、水 晶岳等、四方八方が山、 晶岳等、 四方八方が山、山、 山、山、 山、、、目を下にす 、目を下にす ると、スイス庭園、 ると、 スイス庭園、アラスカ庭園等湿原が広が アラスカ庭園等湿原が広が り、今までの辛さがどこかに吹っ飛んでしまっ た。平原の真ん中に赤い尾根の山荘が建ちそこ だけが別世界の様であり、ヨーデルが聞こえ髭 のおじさんがいる様な錯覚をおこしてしまった。 山荘から30 山荘から 30分ほど進んだ所が雲の平のテント地 分ほど進んだ所が雲の平のテント地 であった。テント地に着くと同時ぐらいに雨が 降り出し、私たちは急いでテントをはった。 降り出し、 私たちは急いでテントをはった。雨 雨 は益々激しくなり、テントの中にも染み込み、 は益々激しくなり、 テントの中にも染み込み、 あまり眠れず朝を迎えることとなった。本当な ら双六岳に行く予定であったが、雨のせいで川 の水かさが増しているだろうということで、折 立に戻ることとなった。 天候にあまり恵まれず、計画通り進むことが できなかったが、雲上の楽園と言われているだ けあって、 すばらしい景色に出会うことができ、 楽しい山行であった。 力が入っていた感じです。 ところが広河原に着くとあいにくの雨。ラジ オの天気予報では、今日の天気は回復の見込み が無い様子だし、 「大樺沢は雨の時は危ないって 本に書いてあったよね。 」なんて、ここは個人山 行のいいところ((?)。「よし!今日はここで沈し 行のいいところ よう。」こんな相談はすぐに決まるのです。縦走 の計画は、あっという間に予定変更。 「北岳にさ え行ければいいやん。」 なんて、 なんて、とっても軟弱。 とっても軟弱。 テントで一日ゴロゴロするのも前から憧れてい たし、まっ、 たし、 まっ、いいよね。 いいよね。 翌朝は雨も止み、晴れ間も少し見えてきて、 翌朝は雨も止み、 晴れ間も少し見えてきて、 「よし!いざ北岳へ! よし!いざ北岳へ!」」。雨で濡れたテントは重 かったけど、自分達のテントだもん。 かったけど、 自分達のテントだもん。苦になら 苦になら なかった。どんどん天気は良くなるし、 なかった。 どんどん天気は良くなるし、八本歯 八本歯 のあたりは、ハシゴも多く、 のあたりは、 ハシゴも多く、少しスリルがあっ 少しスリルがあっ て、満足、 て、 満足、満足。 満足。 ところが、北岳頂上へあと一息のところでま た雲行きがあやしくなってくるではありません か。風も強くなってきたし、またまた またまた「「北岳は明 日にしよう。 」と即決。 と即決。頂上へは行かず、 頂上へは行かず、北岳山 北岳山 荘のテント場へ向かうことになりました。 雨も降り出し、強風の中、 雨も降り出し、 強風の中、なんとかテントを なんとかテントを 張り終えて一息ついたのもつかの間、風はどん どん強くなり、テントごと吹き飛ばされそうな 感じです。木島さんが、 「強風でポールが折れた 話を聞いたことがあるわ。 」って言い出すし、 って言い出すし、山 山 小屋へ転がり込むことに、またまた即決。 小屋へ転がり込むことに、 またまた即決。その その 夜は、小屋の中でも風の音で、 夜は、 小屋の中でも風の音で、なかなか眠れま なかなか眠れま せんでした。 翌朝、雨はほとんど止んでいるものの、 翌朝、 雨はほとんど止んでいるものの、風は 風は 相変わらず強くて、北岳頂上はおろか下山する のも心配するほど。 なんといっても私の心配は、 木島さんのあのスリムな体が風で吹き飛ばされ るんじゃないかということ。 一緒に下山してくれるといる、やさしそうな おじさんを見つけ、さらにその方の知り合いの 方、二人、計三人の男性に同行してもらって、下 山することになりました。その人達から昨夜の 風で、ポールが折れた話を聞き、 風で、 ポールが折れた話を聞き、私達の選択も 私達の選択も まんざら間違っていなかったようです。 下山途中は、いろいろと山の話で盛り上がっ たのですが、私たち二人、 たのですが、 私たち二人、何も打ち合わせた訳 何も打ち合わせた訳 でもないのに、山岳会に所属していることを隠 してしまいました。今回の自分達の山行に負い 南アルプス縦走 予定は未定の軟弱山行 (1993 年8月 13 日~8月 16 日) 大野 順子 メンバー: メンバー :木島 木島・ ・大野 「自分達の力でテント泊の縦走をやろう!」 こ れが今回の山行の目的でした。 木島さんと共同でテントを買ったのが、10 10ヶ月 ヶ月 前。今まで、 前。 今まで、ザック、 ザック、山靴、 山靴、シュラフ シュラフ ..... い ろんな山道具を買ったけど、一番うれしかった のは、テントを買った時です。 のは、 テントを買った時です。なにか なにか「一家の 「一家の 主」になったという形容がぴったりの気持ちで した。でも、 した。 でも、これまで何やかやで二人だけで自 これまで何やかやで二人だけで自 分達のテントを持っての山行の機会がなく、今 回やっと実現できたのです。 今回の予定は、広河原から八本歯のコルを経 て、北岳、 て、 北岳、間ノ岳、 間ノ岳、農鳥岳、 農鳥岳、そして奈良田へ下 そして奈良田へ下 山するという、南アルプスのポピュラーな縦走 コースです。いつもの会山行の様に、 コースです。 いつもの会山行の様に、頼りにな 頼りにな るリーダーもいないし、初めての自分達だけの テント泊での縦走ということで、 妙に緊張して、 10 1993 年( 平成 5 年) 夏 目があったのかな!? リーダーの方々の顔も チラチラしたし ... でも、なにしろ初めての体験だから。これか でも、なにしろ初めての体験だから。 これか ら、これから、 ら、 これから、リーダーの方々、 リーダーの方々、見放さないで 見放さないで くださいね。弁解と懺悔の山行報告でした。 くださいね。 弁解と懺悔の山行報告でした。 11 1993 年( 平成 5 年) 秋 門内には水場の印つき、又、合流した人達言わ 門内には水場の印つき、又、 合流した人達言わ く、" どこか聞かなかったけどさ、下の山荘の人 はあると言うとった"" はあると言うとった ""いや門内小屋から下った いや門内小屋から下った 所に確かにあった " とか。 とか。結局今夜、 結局今夜、明朝、 明朝、明 明 行動水合わせて5リットルを重いけれど、美味 しいこの五郎清水に選んだ。そこからほぼ無口 になり、15:00 になり、 15:00 梶川峰に着く。 梶川峰に着く。そして扇の地紙 そして扇の地紙 まで来るとまるで別天地。おおらかな起伏と美 しい草原に雪田が至る所に残り、ガスが途切れ て目の前に赤く、黄色く染まったスベスベの山 が迫ってきたのだ。16:30 門内小屋に着く。さっ そくテントを張り夕食の用意。その間にガスは また山を隠し静けさに包まれた。まさかのぼっ かだったが、結局小屋よりかなり下った所にあ り大変だった様子で選択は成功だった。 飯豊連峰縦走 (1993 年9月 23 日~9月 26 日) 田中 佐和子 メンバー: メンバー :大塚 大塚・ ・田中 「今年も春、一人山から帰ってこなかったん 「今年も春、一人山から帰ってこなかったん だ。初めての山は、 だ。 初めての山は、知っている人と一緒がいい 知っている人と一緒がいい よ。」 小国駅からのタクシーの運転手さんはボソ ボソ言って、私達に何回目か聞いて、 ボソ言って、 私達に何回目か聞いて、安全速度 安全速度 でこれまたゆっくり飯豊山荘へ向かった。山荘 にはすでに人影もなく、霧露がいとも淋しく迎 えて くれ た 。みち 。 みち のく と は淋 しい も のだ な あ、、、、 。山行計画書を所定用紙に記入し、沢登 。山行計画書を所定用紙に記入し、 沢登 り(2人 2人))、縦走 縦走((4人 4人))、ピストン ピストン((3人 3人))3日― 4日間形式は少し違うけれども、この静かな山 に今朝踏み行った人がいることを知って少し気 持ちが明るくなった。初めての女2人山行はこ うして静かに始まった。 9月 24 日( 金) 7:00 発 朝ガスで視界利か ず、のちくもりのち晴れ ず、 のちくもりのち晴れ 小屋の人達は1パーティ除きすでに出発済み、 視界が利かないのでそのアンカーのパーティに 声を掛け一緒に今日の予定御西岳へと歩き出す。 8:20 梅花皮小屋に着く。ここから石転び沢を見 下ろせ、雪渓の長さに又驚く。 下ろせ、 雪渓の長さに又驚く。全部の小屋に行 全部の小屋に行 方不明になった人の張り紙があったが、この石 転び沢は、下が空洞になっているので、 転び沢は、 下が空洞になっているので、いった いった ん落ちると出てこれない。未だに死体が出てこ ない人も、あっと言う間に消えたらしい。 ない人も、 あっと言う間に消えたらしい。7月 7月 から8月にかけては登る人も多いが落石も多く 常に状況が変わるのでしっかりしたリーダーを もとに続かないと危ないらしい。ガスの切れ目 から見え隠れするこの沢に背筋がひんやり寒く なった。10:10 鳥帽子岳、11:20 御手洗の池に着 く。ここ位からガスが引き、 く。 ここ位からガスが引き、日が差すようにな 日が差すようにな る。御手洗の池には紅葉した山が水面に映し出 された青空と緑が絵葉書になるようだった。そ して、のんびり牧歌的な御西岳を踏んだ。 して、 のんびり牧歌的な御西岳を踏んだ。主綾 主綾 縦走路と連峰最高峰の大日岳へ向かう分岐でも ある御西小屋へ 13:20 着。 着。他のパーティは水を 他のパーティは水を 確保して飯豊本山まで進まれ、さよならとなっ た。昔はテント場はあったようだが、 た。 昔はテント場はあったようだが、本では今 本では今 は無しとなっているので、ここで第2関門。 は無しとなっているので、 ここで第2関門。小 小 屋は湿っぽく、早くから寝ている人、 屋は湿っぽく、 早くから寝ている人、空身に 空身に なって散歩に出かけている中年パーティ8人が 夕方小屋に帰ってくるとして、もう小さい避難 小屋は一杯になるし、かといって料理を外で作 9月 23 日(木) 9:30 発 くもり 天気が崩れた場合は丸森尾根から、どちらか 迷う位の場合は展望のよい梶川尾根からと決め ていたので、梶川尾根に進めた。 ていたので、 梶川尾根に進めた。いきなり急な いきなり急な 登り道が続き高度をどんどんかせいでいく。今 回は誰にも助けてもらえないのよ!マイペース、 マイペースなら大丈夫ね、なんて心で話してい ると、滝のように異常に汗が噴き出、 ると、 滝のように異常に汗が噴き出、荷物が 荷物が どっしりと肩にくいこむ。こんなことなら普段 もっとぼっかをやっていたら、 、、、。又、 。又、何故そ 何故そ んなにお腹が減るの?ひどくなるとグーグー鳴 り、レーションを小刻みに口にする。 り、 レーションを小刻みに口にする。あーこれ あーこれ が4日続くとなると何kg が4日続くとなると何 kg太るんだろう?そんな 太るんだろう?そんな 心配の中、自分のぺースを保てたのも思ったよ り早い紅葉に目を休められたお陰だった。 12:15 湯沢峰に、13:10 湯沢峰に、 13:10 滝見沢に着く。 滝見沢に着く。ここからは石 ここからは石 転び沢がよく見え、 スケールの大きさに驚いた。 14:50 五郎清水に着く。 五郎清水に着く。やっとここで初めて人 やっとここで初めて人 に会う。1時間の差で追い付いたようだ。 に会う。 1時間の差で追い付いたようだ。行き 行き の在来線で地元山岳会の人((帰路につく所 の在来線で地元山岳会の人 帰路につく所))に教 えてもらった水場で、甲府に卸しているだけ えてもらった水場で、 甲府に卸しているだけ あって、4日間で一番おいしい水だった。 あって、 4日間で一番おいしい水だった。しか しか し、ここで第1関門。 し、 ここで第1関門。今夜のテント場である門 今夜のテント場である門 内小屋の近くに水場がある、ないでここから 内小屋の近くに水場がある、 ないでここから ぼっかするかしないかの決断。無論、 ぼっかするかしないかの決断。 無論、地図には 地図には 12 1993 年( 平成 5 年) 秋 るのは風がきついし、一度は荷物を小屋の2階 に運んだもののエーイ!管理人がいないしテン ト張ってもいいじゃないの、の決断で納まる。 ト張ってもいいじゃないの、 の決断で納まる。 雪渓の水を汲んでテント設営しても 14:00 14:00。 。何 をするにも自由な時間がたっぷり。二人ともニ コニコの時間だった。天気が曇ってきたのでテ ントの中で天気予報を聞いてゆったり足を伸ば して、だいこん、 して、 だいこん、なす田楽に焼き飯にほうれん なす田楽に焼き飯にほうれん 草の山芋和えにと時間をかけての食事で明日か らの力に備えるのでした。 グルマ、ニッコウキスゲ、コバイケソウ、 グルマ、ニッコウキスゲ、 コバイケソウ、ミヤ ミヤ マキンバイ、、、 、 等お花の量で知られる南アルプ スの広さとは較べものにならないだろう。御前 坂から飯豊山への道々は残念ながら何も見えな くなっていたら、飯豊山神社に、 くなっていたら、 飯豊山神社に、そして そして 10:40 本山小屋に着く。今日の予定はここまででした が、展望が利かず、 が、 展望が利かず、本山とは思えない賑わいの 本山とは思えない賑わいの なさに切合小屋まで下りようと決めた数分後に 三国岳に荷物を置いてピストンして来たパー ティと会ったのだ。そしてこれが後にラッキー となるとは、、、。下山してから、最寄りの駅まで を本来タクシーを約1時間待ちして呼んで、又 1時間乗るところを彼ら仙台より来ているワゴ ン車に同乗させてもらう事が決まり、よって切 合小屋よりさらに下の三国小屋まで今日中に下 りる事に変更となった。切合小屋までちょうど 半分位の岩綾の中にグラマーで前掛けで胸を隠 している姥権限という像がある事を登ってきた 人に呼び止められて振り向くと、まるで本山に 入る人を監視する様にどしっと構えて座ってい らっしゃり、通り過ぎてからも見られている様 で気になってしようがなかった。と言うのも、 で気になってしようがなかった。 と言うのも、 飯豊本山は昔女人禁制の神聖な信仰の山という から、冷気を感じるようだった。 から、 冷気を感じるようだった。尾根沿いに 尾根沿いに はっきりした道が他にも有り、迷いやすい所が ありましたが、14:00 ありましたが、 14:00 切合小屋へ着く。 切合小屋へ着く。ここで ここで 9月 25 日(土) 5:20 発 晴れのちくもり 今日は大日岳に空身でピストン。天気が良け れば大日岳の上で御来光としゃれてみようなん て張り切って 3:00 に起床。しかし、ガスで何も 見えないし、ヘッドランプ頼りには少し危ない のでもう少し明るくなってからと4:00 のでもう少し明るくなってからと 4:00に起床し に起床し 直す。そのころには小屋の何人かは出発の用意 をしていた。食事を済ませ、 をしていた。 食事を済ませ、5:20 5:20 出発、 出発、視界も 視界も 良。飯豊で一番高い山となる大日岳は 良。 飯豊で一番高い山となる大日岳は 2128M 尾 根を巻き込んでいくので高いとは感じない。6: 40 登頂。紅茶を沸かして、しばし鳥の美歌に耳 を傾け、朝陽を心地よく楽しみ、 を傾け、 朝陽を心地よく楽しみ、8:00 御西小屋 へと戻る。テントを撤収して、 へと戻る。 テントを撤収して、9:00 9:00 飯豊本山へ 出発。あいにくガスっていましたが、 出発。 あいにくガスっていましたが、玄山道分 玄山道分 岐を前後してお花畑が続く。夏はたぶん、 岐を前後してお花畑が続く。 夏はたぶん、チン チン 13 1993 年( 平成 5 年) 秋 は、毎年飯豊に1週間ほど写真を撮りに来ては 写真展を開いているという大日本写真のシンド ウという人に会い、後日すばらしい写真を送っ てもらった。ここは本山、 てもらった。 ここは本山、大日岳と大パノラマ 大日岳と大パノラマ が楽 こし め る絶 好の 被 写体 であ る 。夕陽 。 夕陽 の シャッターチャンスを狙う人々がカメラをセッ トし始めた。明日車で送るから、 トし始めた。 明日車で送るから、小屋に泊まっ 小屋に泊まっ ていく事を勧められたが、後ろを振り向きつつ 三国小屋へと向かった。25KG 25KGもの機材を背負っ もの機材を背負っ てではあるけれど、 優雅な山岳写真家に見えた。 今夜も写真談義に花が咲く事だろう。随分道を まきまき、16:20 まきまき、 16:20 三国小屋に着く。 三国小屋に着く。大日岳の夕 大日岳の夕 焼けはガスが出てきて見えそうもない。 しかし、 しばらくは、ほぼ無事山行行程が終わりに近づ き、 十分満喫出来たという興奮が冷めなかった。 寝息がひどいからテントで寝るのとひやかされ ながら、 最後まで小屋を前にしてテント((ここも 最後まで小屋を前にしてテント テント場なし))を張りにかかった。 テント場なし 大の相撲ファ ンの私にとって、今日は聞き逃せない千秋楽の 前日、ラジオの放送の応援についつい力が入り ながら、夕食となった。 ながら、 夕食となった。星が多く、 星が多く、お月様も低 お月様も低 く、眼下 く、 眼下((福島市内、 福島市内、佐渡方面 佐渡方面))のネオンに標高 1644M とは思えない六甲のような親近さを感じ る夜だった。 が少ない事、若い登山者が少ない事等がアルプ スと大きく違う点に思う。しかし、 スと大きく違う点に思う。 しかし、交通の便が 交通の便が 悪いという事で、人の賑わいを見せない山では あるが、かえって穴場でなないだろうか?天気 に恵まれ、また、 に恵まれ、 また、紅葉の良い時季に当たって充 紅葉の良い時季に当たって充 実した山行でした。パートナーの大塚さんにも 感謝します。 燕岳~常念岳~蝶ヶ岳 (1993 年 10 月9日~ 10 月 11 日) 橋詰 久子 メンバー: メンバー :上原 上原・ ・西方 西方・ ・臼井 臼井・ ・橋詰 10 月9日 晴れ 平成5年10 平成5年 10月初めの連休、 月初めの連休、我々は槍ヶ岳の予 定を急遽変更して燕岳から常念・ 定を急遽変更して燕岳から常念 ・蝶ヶ岳という 永遠の美しき展望コースへと向かった。初日、 永遠の美しき展望コースへと向かった。 初日、 天気は快晴。中房温泉口からの登山道は、 天気は快晴。 中房温泉口からの登山道は、明る 明る く、そしてやけに声の響く絶好のコンディショ ン。俊足1、 ン。 俊足1、中足1、 中足1、鈍足2の我々は抜きつ抜 鈍足2の我々は抜きつ抜 かれつ山頂へ。当日は燕山荘で写真教室がある そうで、三脚を担いだ人が多かった。 そうで、 三脚を担いだ人が多かった。上原さん 上原さん は「早くいかないといい場所が 「早くいかないといい場所が・ ・・・」とせか す。 「寝られたらいいやん」と私たち。テント場 が見えたら、上原さんだけ先に行って場所とり してくださった。 12 時 45 分テント場着。 分テント場着。設営後、 設営後、燕岳山頂へ。 黒と白のコントラストが美しく、臼井さんは、 黒と白のコントラストが美しく、 臼井さんは、 「気に入ったわ、私」とすでに第一回目の興奮状 態。皆で写真撮影の後、 態。 皆で写真撮影の後、テントへ戻り食事。 テントへ戻り食事。夕 夕 方、すばらしい夕陽。 方、 すばらしい夕陽。人が、小屋が、テントが、 そして燕岳が茜色に染まった。槍 そして燕岳が茜色に染まった。 槍・穂高連峰に 沈む太陽を確認して就寝。 [ タイム タイム]] 中房温泉 中房温泉(( 8 : 3 0 ) 合戦小屋 合戦小屋(( 1 1 : 3 0) 燕岳 燕岳(( 1 4: 2 0 ) 9月 26 日(日) 晴れ 4:30 起床。 起床。夜は少し風がきつかったけれど、 夜は少し風がきつかったけれど、 すっかりおさまり 6:15 三国小屋出発。 三国小屋出発。しかし、 しかし、 すぐに第3関門。急な長い岩綾で、 すぐに第3関門。 急な長い岩綾で、鎖場も3箇 鎖場も3箇 所有り、重い荷物のせいか鎖を持っての後ろ向 きの体勢には足がすくみ安全に注意しての緊張 の連続だった。しかし、 の連続だった。 しかし、その景観は見事に美し その景観は見事に美し く東北の山の形態を強く感じた。7:00 7:00地蔵岳の 地蔵岳の 分岐に来る。ここからはブナ林の中で難所は逃 れ、上、 れ、 上、中、 中、下十五里を経て、 下十五里を経て、終点御沢小屋 終点御沢小屋 9: 15 着く。親切に一の木温泉に連れて行ってもら い、11:00 い、 11:00 山都駅まで見送ってもらう。 山都駅まで見送ってもらう。そして そして 新潟空港より帰途に着いた。最後の第4関門、 新潟空港より帰途に着いた。 最後の第4関門、 手荷物検査で EPI が引っかかり、 が引っかかり、没収となり悔 没収となり悔 しい思いをした((4個中、新品1個、残り少ない しい思いをした 1個という見えているものだけといういい加減 な検査))。 な検査 水場等の情報がはっきりされていない事、避 難小屋は開放してくれてはいるものの、トイレ は使えないように閉ざされている事、テント場 10 月 10 日 晴れ 3時 30 分起床。朝食後、直ちに出発。この日 も晴天を思わせる朝日。皆昨夕とは も晴天を思わせる朝日。 皆昨夕とは 180 180°反対 °反対 の方向を向いて息を詰めている。我々も担いだ ザックを下ろして日の出を拝んだ。今日の行程 14 1993 年( 平成 5 年) 秋 は常念岳まで。明けてゆく朝の空気の中を歩く のは大変気持ちがよい。日差しが強くなってき たので、皆で日焼け止めを塗り直す。 たので、 皆で日焼け止めを塗り直す。上原さん 上原さん は相変わらず歌舞伎役者風。残り三人も女らし く真剣に塗る。特に西方さんはその気合いが写 真に立派に残っている。ここに掲載することが できないのが誠に残念である。 (西方さんの名誉 のため。) 大天井岳の小屋前で一休み。山頂まで足を延 ばして記念撮影。西岳から槍へ向かう喜作新道 がくっきり。ここは一度は行かねばならぬ、 がくっきり。 ここは一度は行かねばならぬ、と と 固く心に誓う。あとは常念までと、 固く心に誓う。 あとは常念までと、皆のんびり 皆のんびり 景色を堪能しながら歩く。途中、 景色を堪能しながら歩く。 途中、一休みのつも 一休みのつも りがザック談義となり、お互いに担ぎあったり してまるで買い出しおばさん軍団のようであっ た。付近の山々に申し訳なかった。 た。 付近の山々に申し訳なかった。 13 13時 時 15 15分常念テント場着。 分常念テント場着。すぐに水を汲みに 行く。一ノ沢を 一ノ沢を10 10 分ほど下ったところ。木漏れ 日が心地よい。 常念岳の周りは比較的木が多く、 常念小屋も皇室パワーの名残りかすっきりと美 しい。夕食後、 しい。 夕食後、そろそろ就寝かというときに地 そろそろ就寝かというときに地 震発 生。おそ 生。 おそ らく 震 度4 はあ っ たで あろ う (嘘)。 筆者の四股かと思われる程度であったが、 山での地震とはたいそう怖いものである。これ は眠れない、と口走ったが、 は眠れない、 と口走ったが、翌朝、 翌朝、誰よりも早 誰よりも早 く寝ていたと指摘されてしまった。 [ タイム タイム]] 燕山荘 燕山荘(( 5 :5 5 ) 大天井岳 大天井岳(( 8 : 3 5 ) 常念小屋(( 1 3 : 1 5 ) 常念小屋 10 月 11 日 晴れ 3時起床。常念山頂での日の出をと速やかに 出発。薄暗い中、 出発。 薄暗い中、すでにライトがいくつか登っ すでにライトがいくつか登っ ている。が、急ぎすぎたためか気分が悪くなり、 山頂まであと少しのところでご来光のお出まし となった。無念、 となった。 無念、常念であるが、 常念であるが、その日の出の その日の出の 崇高さの下ではそんなことなどぶっ飛んでしま い、遙かなる雲海のただ中で、 い、 遙かなる雲海のただ中で、この地に在る喜 この地に在る喜 びを実感したのであった。さて、 びを実感したのであった。 さて、山頂ではまた 山頂ではまた もや臼井さんが興奮状態に陥り、どこからか看 板を拾ってきて記念撮影しようとわめいている。 なにもなかったのが不思議なくらいに暴れて動 き回っていた。周りの人々も感心していたよう だ。 本日はこのまま下山することに決定。蝶ヶ岳 を通って三股へ向かう。蝶槍にくると、 を通って三股へ向かう。 蝶槍にくると、我々も 我々も 含めて皆ありのように群がっているのであった。 広々とした蝶ヶ岳山頂を過ぎてひたすら下る。 始まったばかりの紅葉が、山へ別れを告げる 始まったばかりの紅葉が、 山へ別れを告げる 我々をまたおいで、と見送ってくれているよう な気がした。 以上、一滴の雨も降らず、 以上、 一滴の雨も降らず、気温も暖かく、 気温も暖かく、と と いう夢のような山行で(( 地震はあったけど いう夢のような山行で 地震はあったけど)) 、 程々の疲れとともに秋の北アルプスを堪能し尽 くした、幸せ者たちの道中報告です。 くした、 幸せ者たちの道中報告です。それにし それにし ても常念岳はでっかかったなあ。 [ タイム タイム]] 常念小屋 常念小屋(( 5 :0 5 ) 常念岳 常念岳(( 6 : 0 0 ) 蝶槍(( 9 : 3 5 ) 三股 蝶槍 三股(( 1 3 : 3 0 ) 15 1993 年( 平成 5 年) 秋 真っ暗だった。富士山に未練を残したまま、最 真っ暗だった。富士山に未練を残したまま、 最 終に近い新幹線で帰阪。 この時の富士山への思いが募っていた田中さ んは、山梨の久保さん んは、 山梨の久保さん(( 旧姓 掘さん 掘さん)) 宅へお じゃました時、思う存分富士山を見られてすご く感激していたため、久保夫妻に く感激していたため、 久保夫妻に“富士子” “富士子”と と 名付けられた。 燕岳撮影山行 (1993 年 10 月 10 日~ 10 月 11 日) 木島 三喜 メンバー: メンバー :木島 木島・ ・田中 昨日の事でも忘れる昨今、1年前の事など記 憶の彼方. ..写真を取り出して思い出すことに .写真を取り出して思い出すことに する。とにかくこの山行の写真は多い。 する。 とにかくこの山行の写真は多い。いつも いつも のテント泊の山行では、私のEOSは山の景色 を写す為に買われたにもかかわらず、一度は を写す為に買われたにもかかわらず、 一度は ザックに入れて貰うのだが、食料やレーション を入れるスペースを作る為、「 やっぱりお留守 番」 と放り出されてしまう。 と放り出されてしまう。が!!しかし、 が!!しかし、今 今 回は一泊小屋泊りとあって、絶対、 回は一泊小屋泊りとあって、 絶対、連れていっ 連れていっ てもらえると喜んでいた。という理由で大活躍 したのである。田中さんもパノラマ切り替えの カメラで撮りまくり、他の方からも写真をいた だき百枚弱である。 中房温泉でタクシーを降り、登山口で朝食を 摂り、登り始める。 摂り、 登り始める。第一ベンチ、 第一ベンチ、第二ベンチと 第二ベンチと ゆっくり登る。富士見ベンチを過ぎ、 ゆっくり登る。 富士見ベンチを過ぎ、合戦小屋 合戦小屋 で大休止をとる。田中さんが で大休止をとる。 田中さんが「「 一緒に撮ってく れへん?」」 と言うので、 れへん? と言うので、小屋のお兄ちゃんとか 小屋のお兄ちゃんとか な?とカメラを受け取ると、 声をかけた相手は、 なんと白髪の紳士だった。休止しつつお話をす る。S氏は静岡から1人で来られたそうで、 る。 S氏は静岡から1人で来られたそうで、先 先 に出発された。休息する所が同じなので3人で 歩くようになり小屋へ着いて荷物を置き、燕岳 へも3人で向かう。燕岳はいつ見ても面白い。 へも3人で向かう。 燕岳はいつ見ても面白い。 槍も正面に見える。S氏のおかげで2人で写っ ている写真が多いのは有り難い。小屋へ戻り部 屋へ入る。新しい棟で布団も新しい。 屋へ入る。 新しい棟で布団も新しい。湿ったセ 湿ったセ ンベイブトンしか寝た事がなかったが、これな ら小屋泊りも悪くない。 次の朝、御来光を見る為、 次の朝、 御来光を見る為、暗いうちから外へ 暗いうちから外へ 出る。 太陽が出る少し前の空を撮りたかったが、 カメラを使いこなせず残念。 朝食後S氏と再会、 下山する。車で駅まで送ってくださるという言 葉に甘えることにする。田中さんは富士山が大 好きという話しから、S氏は富士山の横を通っ て静岡に帰るので、静岡から新幹線で帰ればと 言われる。温泉につかり、 言われる。 温泉につかり、おそばを食べて、 おそばを食べて、静 静 岡へ出発。しかし連休の最終日とあって富士山 がきれいに見えるという朝霧高原に着いたら 山岳駅伝 (1993 年 11 月 14 日) 堀 一 エントリー:監督/岩田 エントリー: 監督/岩田・ ・1区/井上 1区/井上・ ・2区/ 飯窪・ 飯窪 ・3区/堀 3区/堀・ ・4区/横山 4区/横山・ ・5区/内藤 府岳連: 府岳連 :東田 東田・ ・橋詰 橋詰・ ・西方 ボッカ隊: ボッカ隊 :秋田 秋田・ ・木戸 木戸・ ・臼井 臼井・ ・蔵田 蔵田・ ・中尾 中尾・ ・大 塚 93.11.13 夕刻、近鉄上の太子に屯した精鋭た ちは太子町運動公園に向かった。明日はいよい よ待ちに待った山岳駅伝だ、この日のために日 夜トレーニングに励み頑張ってきた、既に皆の 目に闘志の炎がめらめらと上がっているのが傍 目にもよくわかる。当然めざすは優勝しかない のだ!………嘘です、大嘘です、 のだ!………嘘です、 大嘘です、トレーニング トレーニング はお義理程度にジョギングをしただけです、集 合した時点では参加する事に意義が有るといっ た雰囲気が既に蔓延し、運動公園に張ったテン トの中では明日のことなど考えずに盛大な酒の 宴が催され、ついには監督から明日の目標は最 下位にならない事というありがたい指針を頂戴 したので有りました。 93.11.14 早朝、絶好のマラソン日和を酒の抜 けきらない寝不足の濁り目で恨めしげに睨みな がら、気を取り直していざ出走。 がら、 気を取り直していざ出走。スタートライ スタートライ ンに付くと以外に皆マジになっていくのが不思 議。普段は馬鹿な事を言っているが、 議。 普段は馬鹿な事を言っているが、いざとな いざとな ればやるときゃやる((結果はともかくとして… ればやるときゃやる 結果はともかくとして…)) と言うのが蛍雪のいい所なのか? 1区(( 運動公園~竹内峠 1区 運動公園~竹内峠)) は比較的短距離ゆ えにデットヒートが繰り広げられる所を井上が 中堅で駆け抜け、2区 中堅で駆け抜け、 2区(( 竹内峠~水越峠 竹内峠~水越峠)) は長 距離の上り坂と最後の急斜面の下りと言うコー 16 1993 年( 平成 5 年) 秋 ス中最難関を本命の飯窪が中堅を死守するとい う健闘振り、3区 う健闘振り、 3区(( 水越峠~金剛山~水越峠 水越峠~金剛山~水越峠)) はチーム中最も脆弱な堀がお約束のように順位 を大幅に下げると言った失態を披露する結果と なったが、4区 なったが、 4区(( 水越峠~竹内峠 水越峠~竹内峠)) の長距離で 3区の失態を取り戻す力走を横山が見せ、皆が 見守る中猛ダッシュでフィニッシュを決めると 言う見せ場まで作る余裕、最後の5区 言う見せ場まで作る余裕、 最後の5区(( 竹内 峠~運動公園)) では多少順位は下げたものの内 峠~運動公園 藤が健闘して見事ゴール! 最下位にならないと いう目標は見事に達成されたので有りました。 競技終了後は駅伝エントリー隊・ 競技終了後は駅伝エントリー隊 ・府岳連支援 隊・ボッカ隊が合流して恒例のお楽しみ抽選に 挑み発表の結果に一喜一憂、狙いは予め賞品の 下見で確認しておいたザックだったのだが結局 だれにも当たらず終い、みんな落胆の色を隠し きれないようすであった。その後ボッカ隊提供 の豚汁を隙っ腹に流し込み、その美味さに一時 の幸福と安らぎを獲て、 心地好い今日の疲れと、 おそらくは明朝の倦怠感とそれによる仕事の辛 さの予感を土産に三々五々帰路につくのであっ た。 このコース中では3泊する事になるのだが、 コースは一方通行の上完全予約制で入山者を制 限しており、我々と同行したのは米独豪等7~ 8ヶ国合計 38 名であった。 名であった。 標高は最も高い 標高は最も高い マッキンノン峠でも 1,073 Mなのだが、緯度が 高い為に森林限界も低く、日本の5月中旬に当 たるこの時期でも、標高 1,500 1,500M以上ではたっ M以上ではたっ ぷりと雪を冠っている。 この地方は年間を通じて降雨量が多く、今の 季節には2日以上晴天が続く事は無いと言われ ていた。しかし幸いな事に3日目の朝方に小雨 が降っただけで、それ以外はほぼ快晴のすばら しい天候となった。 (第1日目 第1日目)) 曇後晴れ 昼過ぎに小雨の降る中 TE-ANAU TE-ANAUの街を船で出 の街を船で出 発し、約3時間で 発し、 約3時間で MILFORED TRACK の出発点で ある GLADE WARF に到着。 に到着。その頃には空も晴れ、 その頃には空も晴れ、 初日はわずか1KM 初日はわずか1 KM歩くだけで第1日目の宿泊地 歩くだけで第1日目の宿泊地 である GLADE HOUSE に着く。 に着く。最初に建てられ 最初に建てられ たのが 1896 1896年と言うこの小屋は、 年と言うこの小屋は、建物は古いが 整備は行き届いており、夕食もセルフサービス とは言えコースで料理が出され、シャワーも完 備されている。簡素ではあるが、 備されている。 簡素ではあるが、自然と共存し 自然と共存し た快適な山小屋であった。 [タイム タイム]] GLADE WARF(16:30) WARF(16:30) GLADE HOUSE (17:00) (第2日目 第2日目)) 快晴 朝食を済ませると、各々が好きな様に出発し て行く。今日はクリントン峡谷を て行く。 今日はクリントン峡谷を 1 6 K M 遡り、 POMPOLONA小屋迄ゆっくりと歩いて行く訳だが、 POMPOLONA 小屋迄ゆっくりと歩いて行く訳だが、 早く着いて小屋でゆっくりするも良し、途中気 に入った所でのんびり過ごすも良し、丸一日掛 けてゆっくりと歩くも良し。要は朝食の後、 けてゆっくりと歩くも良し。 要は朝食の後、そ そ の日の夕食の時間迄に次の小屋にたどり着いて いれば良い訳である。 午前中は森の中の川沿いの遊歩道を歩く。昼 前に突然視界が開けた。森の中から飛び出し、 前に突然視界が開けた。 森の中から飛び出し、 両岸の切り立った氷食谷の底に居ると言うのが 良く解る。遥か彼方には明日登る予定の峠が望 まれる。本日の行程で途中唯一の小屋である まれる。 本日の行程で途中唯一の小屋である CLINTON 小屋に着くと、 小屋に着くと、暖かい飲物が用意され 暖かい飲物が用意され ている。弁当のサンドイッチを食べていると、 ている。 弁当のサンドイッチを食べていると、 オウムの一種で KEA KEAと言う有名な野生の鳥が食 と言う有名な野生の鳥が食 NEW ZEALAND -- MILFORD TRACK (1993 年 11 月 15 日~ 11 月 18 日) 柴谷 武史 THE FINEST WALK IN THE WORLD --- 世界一 美しい散歩道 --- と人々から呼ばれているト レッキングコースがニュージーランド南西部に ある。 ミルフォードトラックと言われるこのコース は全長 55KM 55KM。 。氷河湖であるテアナウ湖の最奥部 を出発点として、古代の氷河の跡である氷食谷 を南から遡り、とある峠を越えて北側の別な氷 食谷を下り、ミルフォードサウンドと呼ばれる フィヨルド渓谷に抜けている。 17 1993 年( 平成 5 年) 秋 べ物をねだりに来る。午後は広い谷の底を歩い て行き、その後右岸の森林帯の中を幾つかの涸 沢を越えて行くと、第2日目の POMPOLONA 小屋 に到着する。この小屋は右岸の大岩壁の下に貼 付いた様に建てられており、対岸にも上部に雪 を冠った500M を冠った 500M 以上の岩壁が聳え立っており、欧 州アルプスとは又異なった険しい景色である。 [タイム タイム]] GLADE HOUSE(9:00) HOUSE(9:00) CLINTON FORKS HUT(13:20-14:30) HUT(13:20-14:30) POMPOLONA LODGE(16:20) 夕食迄少し時間があるので、1時間程の所にあ る SUTHERLAND FALLS 迄往復する。 迄往復する。この滝の上 この滝の上 は LAKE QUILL と言う湖となっており、断崖絶壁 の上にある湖の水がこぼれ落ちているのが、 SUTHERLAND 滝である。 [タイム タイム]] POMPOLONA LODGE(7:40) LODGE(7:40) MACKINNON PASS(11:30-13:10) PASS(11:30-13:10) QUINTIN LODGE(15:30) LODGE(15:30) SUTHERLAND FALLS(15:50-17:10) (第4日目 第4日目)) 快晴 今日はアーサー峡谷沿いの緩やかな道を下る 22KM の長い道程である。稜線に雪を抱いた大岩 壁群を見上げながら数時間歩くと、MACKEY MACKEY滝に 滝に 出会う。この滝の横には 出会う。 この滝の横には BELL ROCK と言われ る大きな岩がある。その下に這って潜り込むと 中はお寺の鐘の様に空洞になっており、中で肩 車をしてもまだ天井には届かない。こんなに大 きな岩が水に流されてうまく鎮座したものだと 自然のいたずらには感心させられる。 湿地帯の中に作られた木道を通り、南海の珊 瑚礁の島の浜の様に真っ白な砂の河原を過ぎる と、GIANT と、 GIANT GATE FALLS と言われる美しい滝に 出る。木々の種類もかなり変わってきた。 出る。 木々の種類もかなり変わってきた。 右手に見える川幅が広くなって来たと感ずる 頃、突然小屋が現れる。 頃、 突然小屋が現れる。近くには船が停泊して 近くには船が停泊して いる。GLADE いる。 GLADE WARF を出発して 33.5 マイル/ 55KM、 55KM 、 MILFORD TRACK の終点 SANDFLY POINT に到着である。 [タイム タイム]] QUINTIN LODGE(8:00) LODGE(8:00) GIANT GATE FALLS(13:30-14:30) FALLS(13:30-14:30) SANDFLY POINT(15:4016:10) 16:10) MILFORD SOUND(16:50) (第3日目 第3日目)) 小雨後晴れ 今日は峠越えのハイライトである。しかし朝 から小雨が降り続いており、昨日は晴れたので 仕方無いかと慰める。森の中を少し進むと右手 に池が見え、ルートから離れて小径を行くとそ の池の端にでる。池の廻りは雨に濡れた木々の 緑が映え、後ろには高い岩壁が迫っており、 緑が映え、 後ろには高い岩壁が迫っており、池 池 の上を鴨のつがいがのんびりと泳いでいる。一 瞬上高地の明神池に来たと間違えるような景色 である。 さらに進むと道は徐々に傾斜を強め、サルオ ガセの絡み付く森の中をつづら折りに登って行 く。マッキンノン峠への登りは1時間ほどで森 林限界に至り、上方の視界が開ける。 林限界に至り、 上方の視界が開ける。足元には 足元には 先程の池が谷底で光っている。先程迄の雨も上 がり、ガスがどんどんと取れて行く。 がり、 ガスがどんどんと取れて行く。さらに さらに30 30 分程登ると峠に築かれた十字架が見えてくる。 既に空は完璧に晴れ渡り、すぐ横手の峰の真っ 白な雪が 目に眩し い。標高 い。 標高 1 , 0 7 3 Mの MACKINNON PASS に到着。 峠の周囲には3つの池が点在し、後ろを振り 返れば昨日来歩んできたクリントン峡谷が2枚 の屏風を立てた様な急峻な壁に挟まれてうねっ ており、前方にはこれから降りて行く別の氷食 谷であるアーサー峡谷が遥か下方に見下ろされ る。左手にはその谷に落ちている標高差 左手にはその谷に落ちている標高差500M 500Mの の 完全に垂直の大岩壁があり、右手には最上部に 氷河を抱いた MT.ELLIOT MT.ELLIOTが純白の双耳峰を見せ が純白の双耳峰を見せ ている。 MACKINNON 小屋横にて昼食のサンドイッチを 広げていると、昨日会った 広げていると、 昨日会った KEA が近寄って来 る。ちょっと目を離した隙に、 る。 ちょっと目を離した隙に、私の御愛用のミ 私の御愛用のミ レーのザックを嘴で破いてしまった。 ここからは眼下の谷を一気に 90 0 M下り、 1897 年に建てられた QUINTIN 小屋に到着する。 18 1993 年( 平成 5 年) 冬 だ。途中鎖のかかった岩場めいた箇所もあった が、大したことはなかった。 が、 大したことはなかった。半ばから岩稜とな 半ばから岩稜とな りザクザク登っていくと、そこは赤岳頂上 りザクザク登っていくと、 そこは赤岳頂上(11: (11: 40)であった。 40) であった。南方に富士山、 南方に富士山、その右側には南 その右側には南 アルプスの山々が望まれ感動であった。山頂の 小屋で各自コーヒー、 お茶を注文し休憩をとる。 12:30 山頂の小屋を出発。阿弥陀岳へ向かう。 稜線にそってまず中岳へ。途中振り向くと、 稜線にそってまず中岳へ。 途中振り向くと、先 先 程までいた赤岳の姿がひときわ雄大に映った。 中岳を超え阿弥陀岳の登り始めの所でザックを 置く。阿弥陀岳への登りはけっこう急であった が、アイゼンをきかして一歩一歩登っていく。 が、 アイゼンをきかして一歩一歩登っていく。 山頂へは、13:30 山頂へは、 13:30 到着、 到着、赤岳を始めとして硫黄 赤岳を始めとして硫黄 岳、天狗岳等南八ヶ岳の山々が一望となった。 岳、 天狗岳等南八ヶ岳の山々が一望となった。 下りは快適、斜面に腰を降ろして滑り降りてい たら、ピッケルの持ち方が違うと中尾氏に注意 された。 行者小屋には 14:50 14:50、 、赤岳鉱泉に 15:20 に到 着した。晩飯は粕汁。 着した。 晩飯は粕汁。酒は昨日ほとんど飲んで 酒は昨日ほとんど飲んで しまっていたので、その都度小屋でビールを買 い 21:00 過ぎまで宴会となる。 過ぎまで宴会となる。堀氏の体調が悪 堀氏の体調が悪 いようであったので明日以降の予定を変更すべ きか否かの問題があったが、明日の朝食時に様 子を見て決めることとなった。 寝る前に外に出たところ、雪明かりでライト が要らないくらい明るかった。空はまばゆくば かりの星で、南の空に かりの星で、 南の空に((たぶん たぶん))オリオン座 M42 が赤く輝いて見えたのが印象的であった。 夜間は殆ど風も吹かず本来快適のはずだが、 テントが狭いのか、寝場所が悪かったのか、 テントが狭いのか、 寝場所が悪かったのか、寝 寝 返りが殆ど打てず、まどろんているうちに起床 時間になってしまった。 [ タイム タイム]] 赤岳鉱泉 赤岳鉱泉(( 8 : 0 0 ) 行者小屋 行者小屋(( 1 1 : 0 0) 赤岳 赤岳(( 1 1 : 4 0 ) 阿弥陀岳 阿弥陀岳(( 1 3 : 3 0 ) 行 者小屋(( 1 4 : 5 0 ) 赤岳鉱泉 者小屋 赤岳鉱泉(( 1 5 : 2 0 ) 南八ヶ岳 (1993 年 12 月 31 日~ 1994 年1月2日 年1月2日)) 内藤 久夫 メンバー:横山 メンバー: 横山・ ・中尾 中尾・ ・井上 井上・ ・堀・東田 東田・ ・西方 西方・ ・ 木戸・ 木戸 ・内藤 12 月 31 日 雪 美濃戸口から赤岳鉱泉に向かって歩き出す。 車も通るゆるい登り坂であった。雪が積もって いたが、たいしたことはなかった。 いたが、 たいしたことはなかった。快調に進ん 快調に進ん でいくと 8:50 頃右手に山小屋があり、 頃右手に山小屋があり、そこで そこで 休息をとる。お茶のサービスがあり、 休息をとる。 お茶のサービスがあり、ついつい ついつい 長居をしてしまった。 小屋を出てしばらく行くと車道の終わりとな り、樹林の中を進むこととなる。 り、 樹林の中を進むこととなる。道がカチカチ 道がカチカチ に凍っており、ちょっと歩きにくかった。 に凍っており、 ちょっと歩きにくかった。柳川 柳川 北沢づたいに何度も丸太橋を渡ると 11:45 頃赤 岳鉱泉の小屋が見えた。 赤岳鉱泉にてテントを張り、食事の準備。 赤岳鉱泉にてテントを張り、 食事の準備。今 今 日の食事は鳥鍋に年越しそばであった。持参し たアルコール類はこの日でほとんど飲んでし まった。88 : 0 0 頃各テントに戻り寝る。 まった。 頃各テントに戻り寝る。風が 風が ヒューヒュー吹いて寒かった。 [ タイム タイム]] 美濃戸口 美濃戸口(7 (7 :5 0) 美濃戸山荘 美濃戸山荘(( 8 : 5 0) 赤岳鉱泉 赤岳鉱泉(( 1 1: 4 5 ) 1月1日 雪、風やや強し 1月1日 雪、風やや強し 5:00 に起床。朝食やら準備やらでモタモタし てしまい出発は 8:00 となってしまった。 となってしまった。横山 横山 氏、中尾氏は顔にはあまり出ていなかったが 氏、 中尾氏は顔にはあまり出ていなかったが 「お前ら何モタモタしてるんだ!」 と内心怒って いるようであった。 赤岳鉱泉から行者小屋までサクサクと雪を踏 み締めて進んで行く。積もった雪もすでに道が つけられており足元の不安はなかった。11:00 つけられており足元の不安はなかった。 11:00 行者小屋で一息ついた後、赤岳を目指して地蔵 尾根を進む。途中登りが急になると共に、 尾根を進む。 途中登りが急になると共に、樹林 樹林 帯を抜けてハイマツ帯となる。吐いた息で目出 帽の口元が凍ってきた。しかし目出帽がこんな に息苦しいとは思わなかった。首の取れたお地 蔵さんを右に曲がりしばらく進むと、小屋が 蔵さんを右に曲がりしばらく進むと、 小屋が あったが閉まっていた。ここで休憩、 あったが閉まっていた。 ここで休憩、寒風が 寒風が ピューピュー吹く中でのテルモスの温かい紅茶 はおいしかった。ここからいよいよ赤岳の登り 1月2日 晴れ 4:30 に起床。昨日の睡眠不足がたたって殆ど 意識はもうろう状態であった。朝食後に堀氏の 体調を確認、良くないようであったので予定を 変更、硫黄岳に登った後下山、 変更、 硫黄岳に登った後下山、堀氏は残念にも 堀氏は残念にも テントキーパーとして残ることとなった。 7:00 赤岳鉱泉を出発、殆ど風も無く良い天気 であった。サクサクと雪を踏みしめて、 であった。 サクサクと雪を踏みしめて、樹林帯 樹林帯 の曲がりくねった道を進む。赤岩ノ頭には 赤岩ノ頭には8:00 8:00 19 1993 年( 平成 5 年) 冬 に到着した。赤岩ノ頭から硫黄岳には 赤岩ノ頭から硫黄岳には30 30分ほど 分ほど で到着(8 で到着 (8 :3 0) 。山頂は荒涼とした岩と雪の世 界が広がっており、強い風が吹き巻いていた。 界が広がっており、 強い風が吹き巻いていた。 山頂の片側は切り立った岩壁となり、 北八ヶ岳、 諏訪湖等を展望できた。 下りの途中、井上氏と私 下りの途中、 井上氏と私(( 内藤 内藤)) で斜面の方 向に、 道を外れてラッセルを試みることにした。 樹林帯の蛇行している道なので、まっすぐに降 りても再度道にぶつかるだろうという読みで あったが、残念ながら目論見ははずれ道は再度 反対方向に曲がっていた。先を見渡しても出口 は見えず地図でも見ようかと言っていた時、横 山氏の声が聞こえた。結局素直に登山道を下っ た。 赤岳鉱泉に 9:45 到着、 到着、テントを片付け下山 テントを片付け下山 する(10:30) する (10:30)。 。途中の山小屋でお茶をサービス と言うことで呼び止められ(11:20) と言うことで呼び止められ (11:20)、 、ちょうど お腹も減ってきたので山菜そばをみんなで注文、 サービスの野沢菜もなかなかおいしかった。 小屋を 11:50 に出発、 に出発、美濃戸口には 美濃戸口には 12:40 に 着。13:00 着。 13:00 発のバスに乗り八ヶ岳を後にした。 [タイム タイム]] 赤岳鉱泉 赤岳鉱泉(7:00) (7:00) 赤岩ノ頭 赤岩ノ頭(8:00) (8:00) 硫黄岳(( 8 : 3 0 ) 赤岳鉱泉 硫黄岳 赤岳鉱泉(( 9 : 4 5 ) 美濃戸 山荘(( 1 1 : 2 0 ) 美濃戸口 山荘 美濃戸口(( 1 2 : 4 0 ) アフリカは寒かった アフリカ ケニア山 レナナ峰とキリマンジャロ アタック (1993 年 12 月 25 日~ 1994 年1月4日 年1月4日)) 秋田 三枝子 12 月 25 日午前7時半、伊丹空港集合。中尾さ んとのび太に見送られてまずは羽田空港へと飛 び立つ。 「いざ、アフリカへ!」と心は早れども、 そう簡単にはコトは進まない。成田空港のゲー トをくぐるまでだけでもお金と時間がいっぱい 要る。ようやく日本を離れたのは午後3時も過 ぎていた。 空飛ぶ阪神電車の異名を持つパキスタン航空 (要は経由地が多い 要は経由地が多い))はマニラ、 はマニラ、バンコク、 バンコク、カア カア ラナア、ドバイを経て ドバイを経て29 29時間かかってようやく 時間かかってようやく ナイロビ空港に降り立つ。 26 日午後にナイロビに着きホテルで1泊。27 日、すぐキリマンジャロ登頂を目指すツアーに 参加している八木さんとわかれて、私は他 参加している八木さんとわかれて、 私は他 8 名 のメンバーと共にケニア山を目指して車に乗り 込む。メットスッテーションという登山基地の 小屋(3048 小屋 (3048 M)が今夜の宿だ。すぐ近くに野生の 猿が寄ってくるし、バッファローも見える。 猿が寄ってくるし、 バッファローも見える。 やっぱり日本とは違っていた。 12 月 28 日 マッキンダーズキャンプ 日 マッキンダーズキャンプ(4300M) (4300M) 思い出したくもないヌカルミの道を延々と歩 く。靴の中ぐちょぐちょ。 く。 靴の中ぐちょぐちょ。 12 月 29 日 満月の月明かりの中を出発する。標高 満月の月明かりの中を出発する。 標高 4000M を超えた辺りから今回は高度障害が出てきて、 昨日は夕食もスープのみ。それだけなのに夜中 じゅう吐き気と頭痛で眠れなかったが、ツアー リーダーの「「 絶対あかん、 リーダーの 絶対あかん、という状態でない限 という状態でない限 り、 とりあえず歩いてみましょう」」という言葉に とりあえず歩いてみましょう すがってノロノロ動き出す。気温7℃。 すがってノロノロ動き出す。 気温7℃。ひたす ひたす らゆっくり、ゆっくり、 らゆっくり、 ゆっくり、ゆっくり歩く。 ゆっくり歩く。深い呼 深い呼 吸をしながら歩くと少しは頭の中のモヤが薄れ ていくような気がする。日本の冬山よりは暖か いと聞いてアンダータイツをはかずに来たら、 夜明けが近づくにつれ、高度が上がるにつれ、 夜明けが近づくにつれ、 高度が上がるにつれ、 どんどん気温が下がってきて後悔する。 20 1993 年( 平成 5 年) 冬 目の前に迫ってくるケニア山の主峰群、はる か遠くに浮かぶキリマンジャロ、そして地平 か遠くに浮かぶキリマンジャロ、 そして地平 線...すべてをモルゲンロードが包み込む。 .すべてをモルゲンロードが包み込む。そ そ して夜が明けた。 言葉を無くすようなその感動も、下るにつれ その道の長さ、悪さに薄れ、 その道の長さ、 悪さに薄れ、最後には水飲みた 最後には水飲みた い、休みたい、 い、 休みたい、眠たい. 眠たい.. .等のたいたい病に私 .等のたいたい病に私 はすっかりかかってしまっていた。 [タイム タイム]] 起床 起床(0:00AM) (0:00AM) 出発 出発(1:00) (1:00) ケニア ケニア 山レナナ峰(4 山レナナ峰 (4 985M )着 ) 着(6 :1 5) メットステー ション(1:50PM) ション (1:50PM) 調子良く来れていて、マイルドセブンのCMで おなじみのノーザンアイスフィールドが格好良 かったなあという記憶もあるのだが、ウフルに 着いた時はもうほとんど頭の中は空っぽ。カメ ラのフィルムの交換をする気力もなく、集合写 真に亡霊のように立つのが精一杯だった。どう やら私はあまり高度とは相性が良くないよう だった。 [タイム タイム]] 起床 起床(0:00AM) (0:00AM) 出発 出発(1:00) (1:00) ギルマ ギルマ ンズポイント(6:45) ンズポイント (6:45) ウフルピーク ウフルピーク(8:25) (8:25) ギ ギ ナハット(11:35) ナハット (11:35) ホロンボハット ホロンボハット(14:25) (14:25) 1月1日 サファリ見物も終え、アフリカの後半はいよ いよ最高峰キリマンジャロのアタックである。 ツアーリーダーがマラングゲートで1人に付き 20US ドルの入山料を支払っている。その間に私 はストックを借りた。1本で3 はストックを借りた。 1本で3 US ドルだった。 1時間ちょっと歩いたところで下山中の八木さ んと対面。残念ながら今回も彼女は高度障害で ギルマンズポイントまでも行けなかったとのこ と。 日数が短いと高度順応はやはりキツそうだ。 個人装備のみの軽装の客の横をポーター達が 黙々と歩く。2日で 2日で1000 1000円くらいが相場という 円くらいが相場という ことだが外貨獲得とはいえキツい仕事だ。本日 の宿はマアンダラハット。4人で1つの小屋を 割り当てられる。ソーラー発電の設備があるの にはびっくりした。 参考 Memo アルパインツアー社「ケニア、 アルパインツアー社 「ケニア、キリマンジャロ キリマンジャロ とサファリ 15 日間」 ¥658,000 査証、手数料、 査証、 手数料、保険 保険 ¥30,710 成田空港往復 ¥36,200 その他高山の為にツアー社が必要とする健康診 断と予防注射 ¥15,000 以上 以上(( 忘れた 忘れた)) 時差 6時間遅れ 1 US ドル= 113 円= 66 シリング 1月2日 マンダラハット(2727M) ホオロン 1月2日 マンダラハット(2727M) ホオロン ボハット(3780 ボハット (3780 M) 1月3日 ハット・ザ・サドル キボハット 1月3日 ハット・ (4703M) あこがれのザ・ あこがれのザ ・サドル サドル((砂れき帯 砂れき帯))はガスって いて十分雰囲気を味わうことができずに通過。 最終アタック地のキボハットへ到着する。ザ 最終アタック地のキボハットへ到着する。 ザ・ サドルの手前のラストウォータという地名のと ころからは文字通り水も木((燃料 ころからは文字通り水も木 燃料))もない砂れき 帯で、ポーター達はそれらをもかついで登って きている。 1月4日 入山して4日目にしてようやくたどり着けた ウフルピーク。ギルマンズポイントまでは結構 21 1994 年( 平成 6 年) 春 ガス欠状態になってしまっていた。きのうは満 腹になるまで食べたはずだが、あれは何処に 腹になるまで食べたはずだが、 あれは何処に いってしまったのだろう。春は夏と比べて荷物 の量が多いし、足元が悪いので結構体力を消耗 するようだ。キレット小屋は、 するようだ。 キレット小屋は、狭い鞍部に張り 狭い鞍部に張り 付くように建てられていた。小屋前は無風状態 で、ポカポカとした陽気に、 で、 ポカポカとした陽気に、食事後思わず昼寝 食事後思わず昼寝 をしてしまった。予定では、 をしてしまった。 予定では、ここで幕営であっ ここで幕営であっ たが、明日以降天気が崩れるそうなので、 たが、 明日以降天気が崩れるそうなので、でき でき るだけ前進することにした。キレット小屋から すぐに岩場に取付く。そのピークから降りるた めの金属の梯子が雪に埋もれているため、20 20m m の懸垂をして八峰キレットに降りる。N氏に言 われて、先頭にたち、 われて、 先頭にたち、右側に登り返すが、 右側に登り返すが、踏み 踏み 後がはっきりしないし足場が悪い。下が切り 後がはっきりしないし足場が悪い。 下が切り 立った崖になっているので、バランスを崩して 落ちればおしまいである。N氏にザイルを出し てくれと頼むが、こんな所で出してる暇などな いとおっしゃる。もたもたするうちに先ほどの パーティーに追いつかれたので、リーダーのY 氏に先頭を譲った。Y氏も苦戦していたが、 氏に先頭を譲った。 Y氏も苦戦していたが、結 結 局ザイルをフィックスして慎重に登ることに なった。この箇所を抜けてホッとし、 なった。 この箇所を抜けてホッとし、高度をか 高度をか せぐ。天気が良いせいか、 せぐ。 天気が良いせいか、遠くの斜面でドーン 遠くの斜面でドーン と音を立てながら雪崩がよく発生していた。 最後に、雪崩を警戒しながら長い斜面をトラ 最後に、 雪崩を警戒しながら長い斜面をトラ バースして、北峰と南峰の吊り尾根に出た。 バースして、 北峰と南峰の吊り尾根に出た。今 今 日はここで幕営である。 [タイム タイム]] 五竜山荘 五竜山荘(6:00) (6:00) 八峰キレット小屋 八峰キレット小屋 (12:00) 鹿島槍ヶ岳北峰 (12:00) 鹿島槍ヶ岳北峰(17:00) (17:00) 遠見尾根~五竜岳~鹿島槍ヶ岳 (1994 年5月2日~5日 年5月2日~5日)) 久壽 裕人 メンバー: メンバー :横山 横山・ ・永広 永広・ ・久壽 久壽・ ・東田 東田・ ・井上 5月2日 晴 神城駅で各自朝食をとった後、野菜を洗って 今晩のすき焼きの準備をした。その後、 今晩のすき焼きの準備をした。 その後、迷いな 迷いな がらも五竜遠見スキー場に歩いて到着。テレ がらも五竜遠見スキー場に歩いて到着。 テレ キャビンの始発時間までロッジで時間を潰した。 春のスキー場は客がまばらで、スピーカーから 流れる曲もうら寂しく聞こえてくる。テレキャ ビンであっと言う間に山麓駅に着く。水筒に水 を入れ、アイゼンをつけてリフト沿いに登山を 開始。地蔵ノ頭に着くと右手に八方尾根スキー 場がよく見渡せた。小遠見山を過ぎた頃だろう か、左手に鹿島槍ヶ岳が見えてきた。 か、 左手に鹿島槍ヶ岳が見えてきた。稜線に出 稜線に出 てからは東からの風が強くなり、足元を見なが ら黙々と歩く。いつの間にか、 ら黙々と歩く。 いつの間にか、大遠見山、 大遠見山、西遠 西遠 見山を過ぎ、目の前に五竜山荘が現れた。 見山を過ぎ、 目の前に五竜山荘が現れた。トラ トラ バースして山荘に行こうとしたが、リーダーの Y氏が安全策をとって白岳を越えるルートを決 定。しかし、 定。 しかし、N氏は我関せずと一人トラバース N氏は我関せずと一人トラバース していった。ともかく無事に皆山荘に着き、 していった。 ともかく無事に皆山荘に着き、テ テ ントを設営し、すき焼きをたらふく食った。 ントを設営し、 すき焼きをたらふく食った。 [タイム タイム]] テレキャビン山麓駅 テレキャビン山麓駅(8:15) (8:15) アルプ アルプ ス平山頂駅(8:25 ス平山頂駅 (8:25 ~ 8:50) 8:50) 五竜山荘 五竜山荘(14:50) (14:50) 5月3日 晴 今日の天気は、まずまずである。 今日の天気は、 まずまずである。約1時間ほ 約1時間ほ どで五竜岳の山頂に着き、 しばし眺望を楽しむ。 下りにはいり、足元を確認しながら進む。 下りにはいり、 足元を確認しながら進む。よく よく 憶えていないが、G5のピークあたりだったろ うか。特に急な下りの雪面で、 うか。 特に急な下りの雪面で、転倒すれば止ま 転倒すれば止ま りそうにない箇所があった。本来ならザイルを 出して、慎重に行きたい所だったが、 出して、 慎重に行きたい所だったが、二人だけ 二人だけ の先行パーティーがいて、アンザイレンでベテ ランらしき人が新人のためにステップを作って いた。N氏が厚かましくも先に行ってもいいで すかと聞くと、人のよい方らしくどうぞと言っ てくれたので、失礼して行かしてもらったが、 てくれたので、 失礼して行かしてもらったが、 ステップはグチャグチャになってしまったので あった。その後、 あった。 その後、順調に下り続けたが、 順調に下り続けたが、キレッ キレッ ト小屋に着いた時には、すでに足はフラフラで 5月4日 晴 予報では、天気は悪くなるらしいが、 予報では、 天気は悪くなるらしいが、今日も 今日も 晴れである。鹿島槍ヶ岳で合流するはずの上原 パーティーとトランシーバーで交信したところ、 爺ケ岳にいるが予定を変更して赤岩尾根から下 山するとのことである。理由がはっきりしな 山するとのことである。 理由がはっきりしな かったが、待っていても仕方がないので出発す る。南峰で る。 南峰で 360゚ 360゚の展望を味わった後、 の展望を味わった後、冷池山荘 に向かう。途中、 に向かう。 途中、鎌尾根の所で、 鎌尾根の所で、雪庇に穴を開 雪庇に穴を開 けて稜線に出て来た4名のパーティーに出会っ た。雪崩が恐いが、 た。 雪崩が恐いが、鎌尾根や東尾根から鹿島槍 鎌尾根や東尾根から鹿島槍 をアタックするのも一度やってみたい。冷池山 荘で昼食を取りながら、上原隊とトランシー 荘で昼食を取りながら、 上原隊とトランシー バーで交信を試みるが繋がらない。こちらが遅 22 1994 年( 平成 6 年) 春 れているのは間違いないだろうということで下 山することにした。十数人の大学生の先行パー ティーと一緒になり、トロトロと降りていたと ころ、冷乗越を越えた所で、 ころ、 冷乗越を越えた所で、突然N氏がシリ 突然N氏がシリ セードで降りるぞと宣言した。西沢の谷は滝が ないので大丈夫だとのことである。リーダーの Y氏が迷っていると、待ちきれないN氏は奇声 を発しながら滑っていくのであった。I氏もそ れに続く。リーダーが先に行ってしまったと唖 然とした表情で大学生達が呟く。Y氏は俺が 然とした表情で大学生達が呟く。 Y氏は俺が リーダーなのにとブツブツいっていたが、結局 皆でシリセードで降りることになった。私やH 氏、Y氏は大学生達の好奇の眼差しに恥ずかし く俯きながら、ゴアテックスのパンツを守るた めにビニール袋を取り出して2つの穴を開け、 足を通していざ出発。だいぶ下の方で雪崩の跡 に出くわしたが、あっと言う間に西股出合に着 いたのであった。尾根を延々と歩くことを考え ると、なんと楽賃なのだろう。 ると、 なんと楽賃なのだろう。これだからシリ これだからシリ セードは止められない。 西股出合から大谷原 まで歩き、上原隊を探すがいない。 まで歩き、 上原隊を探すがいない。もう温泉に もう温泉に 行ったんだろうということで、タクシーを拾っ て、 大町温泉郷の薬師の湯へ行くことになった。 ここでも、上原隊の影も形もなかった。 ここでも、 上原隊の影も形もなかった。温泉か 温泉か らあがった後、ゆけむり館の広間でビールを飲 みながら、いったい何故こんなに天気がいいの に下山したのか、また今どこに居るのだろうか 鹿島のおばばの家かなとか、冷池山荘からすぐ 下ったところのトラバースで見た滑落跡は、蛍 雪のメンバーのものに違いないだとか、上原隊 の話題は尽きることがなかった。誰も想像して なかったが、何のことはないシリセードで上原 隊を追い越してしまっていたのだった。 [ タイム タイム]] 鹿島槍ヶ岳北峰 鹿島槍ヶ岳北峰(8:3 (8:3 0) 冷池山荘 0) 冷池山荘 (11:00 ~ 12:00) 12:00) 西俣出合 西俣出合(13:30 (13:30 ~ 14:00) 14:00) 大谷原(14:45) 大谷原 (14:45) 九州春紀行 (1994 年5月2日~5月5日 年5月2日~5月5日)) 木島 三喜 メンバー: メンバー :大塚 大塚・ ・木島 ゴールデンウイークにのんびり山行に行きた いという私とどうしても九州の山に行きたいと いう大塚さんの2人でこの山行の計画は始まっ た。 5月1日、夜行 5月1日、 夜行“うんぜん” “うんぜん”に新大阪より乗 に新大阪より乗 り込む。夜行で西の方へ行くのは初めての私に はそろそろ京都かな、名古屋かなと錯覚する。 はそろそろ京都かな、 名古屋かなと錯覚する。 あまり熟睡できないまま博多に到着。特急 あまり熟睡できないまま博多に到着。 特急“ゆ “ゆ ふ”とバスを乗り継ぎ筋湯温泉で下車。 ふ” とバスを乗り継ぎ筋湯温泉で下車。涌蓋山 涌蓋山 の登山口には実物大の弓矢を持った武士や登り 竜等のある変な小屋があり少し不気味。山道を 進むと開けた草原に出る。 “涌蓋山”の標識を1 m 手前で見てまっすぐ進むと行き止まり、、、道 、道 を探してウロウロ。標識まで戻るとそのすぐ横 に獣道の様なのがある。これ以来、 に獣道の様なのがある。 これ以来、標識には一 標識には一 度“でん”をつく事にする。ずーと草原を歩く。 涌蓋山の綺麗な山容に吸い込まれる様に歩く。 頂上で休憩。明日向かう久住の山々が前方に横 たわっている。一目山目指して出発。 たわっている。 一目山目指して出発。草原の向 草原の向 かうにこんもりした山頂が見え二人共それが一 目山と思って頂上に立つとみそこぶし山だった。 どれが一目山かわからず歩き出すが、この日は 五月なのに30 五月なのに 30度まで気温が上がり、 度まで気温が上がり、半袖でも暑 い。車道に出てそこから急登した所だとわかっ たが、私には登る元気がなくそのままバス停へ と車道を歩く。温泉に入ってバスで長者原へ向 かう。キャンプ場はまだやっていなかったが、 かう。 キャンプ場はまだやっていなかったが、 公園の管理人さんにたのんで使わせてもらう。 5月3日、登山口で道を尋ねられ同じ方向 5月3日、 登山口で道を尋ねられ同じ方向 だったので、一緒に歩く。 だったので、 一緒に歩く。マレーシアから研修 マレーシアから研修 に来られているウオングさんという男性で英語 と少しだけ日本語がわかる。私たちは英語が全 然だめで、時々説明に困ったりしつつ歩いて行 く。坊がツルが見えたが法華院温泉を見学する 為小屋へ向かう。坊がツルに戻り大船山へ行く ウオングさんと別れる。彼は地図を持っていな かったのでエアリアマップをプレゼントする。 テントを張り久住山へ向けて出発。少し雨が降 り出したのでカッパを着て歩くが小屋に着く頃 23 1994 年( 平成 6 年) 春 には本降りになった。小屋の裏にまわり、石や には本降りになった。小屋の裏にまわり、 石や 岩ばかりの道でドンドン高度をかせぐ、広い砂 場に出る。ここが北千里浜だ。 場に出る。 ここが北千里浜だ。ガスっていて全 ガスっていて全 体を見渡せたせないのが残念。ケルンをたより に歩いていたが、途中で見失い左の山側を歩い ていると、右前方から人影が現れ、 ていると、 右前方から人影が現れ、そちらへ進 そちらへ進 む。まるで海底を泳いでいる気分。 む。 まるで海底を泳いでいる気分。岩場になり 岩場になり 少し登って振り返ると「久住へ」 少し登って振り返ると 「久住へ」の表示が下向 の表示が下向 きに出ている。又間違えるところだった。 きに出ている。 又間違えるところだった。少し 少し 戻り砂浜を歩き登りになったころから風が強く なって来た。やっと平らな所へ出たが、 なって来た。 やっと平らな所へ出たが、吹きと 吹きと ばされそうな程の風。どちらへ行けばいいかも わからず、雨の中、 わからず、 雨の中、強行したこと事を悔やむ。 強行したこと事を悔やむ。 早く安全に坊がツルへ帰りたいと願いつつ進む と、霧の切れ間に久住山の山頂が見えた。 と、 霧の切れ間に久住山の山頂が見えた。山頂 山頂 で写真を撮り、即下山。 で写真を撮り、 即下山。地図とコンパスをたよ 地図とコンパスをたよ りに動くが、まわりが見えないため不安。 りに動くが、 まわりが見えないため不安。行っ 行っ ては戻りしながら進むと霧の中に小屋が現れ一 安心。避難小屋の様だ。 安心。 避難小屋の様だ。私達と入れ替わりに子 私達と入れ替わりに子 供達のパーティが出て行く。テルモスの紅茶で 暖まり生き返る気分。昨日の暑さにひきかえ、 暖まり生き返る気分。 昨日の暑さにひきかえ、 すごく寒い。小屋にいた人に道を聞くと、 すごく寒い。 小屋にいた人に道を聞くと、少し 少し 下った所に道標があるという。出発して下って 行くが全然道標がなく不安になり戻りかけると 先に出た子供達と会い、 道が正しい事がわかる。 彼らより先に進んでいるとガケ崩れの後の様な 所に出る。ロープがあるが、 所に出る。 ロープがあるが、とても進めそうに とても進めそうに ない状況。少し戻る谷へ下る道があり下る。 ない状況。 少し戻る谷へ下る道があり下る。下 下 り切った先がわからない。上で子供達があの り切った先がわからない。 上で子供達があの ロープの所をわたろうとしている。あわてて登 り返し、後に続く。 り返し、 後に続く。急な土の斜面で足場もつか 急な土の斜面で足場もつか まる所もなく、ズルズル落ちていく。 まる所もなく、 ズルズル落ちていく。彼らの父 彼らの父 親らしき人に「大丈夫?」 親らしき人に 「大丈夫?」と聞かれて と聞かれて「大丈夫 「大丈夫 じゃない」と助けを求めてしまう。 じゃない」 と助けを求めてしまう。何かと向か 何かと向か う側へ行ったが、カッパはドロドロ。 う側へ行ったが、 カッパはドロドロ。もう1ケ もう1ケ 所危ない所があり、一番小さな子は泣きそうに なりつつ何とか下りたが、お兄ちゃんに渡そう としたリュックが谷底へ落ちしまいかわいそう だった。後はふつうの道になり、 だった。 後はふつうの道になり、法華院温泉へ 法華院温泉へ 到着。坊がツルへ帰る。 到着。 坊がツルへ帰る。天気予報では明日も雨 天気予報では明日も雨 らしい。とりあえず4時に起きるがやはり雨、 らしい。 とりあえず4時に起きるがやはり雨、 寝直す。5時半に起きると快晴、今日は大船山、 平治岳へ向かう。大船山の山頂でずぶ濡れの 平治岳へ向かう。 大船山の山頂でずぶ濡れの カッパを乾かしつつパノラマを楽しむ。 由布岳、 阿蘇、祖母山が雲海の向こうに見える。 阿蘇、 祖母山が雲海の向こうに見える。平治岳 平治岳 はミヤマキリシマで有名な山。シーズン中はす ごい人らしく、上りと下りの道が決められてい る。山頂が分からずウロウロして下山しようと した時、ガスの切れ間から少し向こうに山頂が 見え、そちらへ行く。 見え、 そちらへ行く。山頂がわからず下山した 山頂がわからず下山した 人もたくさんいた。テントに戻り、 人もたくさんいた。 テントに戻り、法華院温泉 法華院温泉 へお風呂に入りに行き小屋泊まりで来ていた友 達に会う。 5月5日、夜半からの強風が止まらない。 5月5日、 夜半からの強風が止まらない。北 北 千里浜から牧の戸へ出るつもりで出発したが浜 へ出る少し前で、先に進んでいた3人組が砂埃 りで前に進めないと戻ってくる。バンダナで顔 を覆い5人で進む。すがもり越小屋で休憩。 を覆い5人で進む。 すがもり越小屋で休憩。硫 硫 黄山を見学したりしつつ下山。 別府で九州の友人の所へ行く大塚さんと別れ、 私は小屋泊まりで来ていた友人と別府温泉へ行 き夕方のフェリーで帰阪。 久重の山は草原、岩山、 久重の山は草原、 岩山、砂山、 砂山、ミヤマキリシ ミヤマキリシ マの山、 硫黄山とさまざまな顔を見せてくれた。 何度も地図を見ていたのに道に迷ったり、道標 がなくオロオロしたり、霧の中で不安になった り、改めて山の怖さと自分の未熟さと感じた山 行だった。 毛勝山(( 山スキー 毛勝山 山スキー)) (1994 年5月 21 日~5月 22 日) 柴谷 武史 メンバー:美甘 メンバー: 美甘・ ・柴谷 柴谷・ ・秋田 秋田・ ・中尾 中尾 (& (& RSSA 草 野氏)) 野氏 5月 21 日 晴時々曇 深夜、片貝川上流にある無人の片貝山荘に迄 入る。水道栓は締まっているが、 入る。 水道栓は締まっているが、電気は使える 電気は使える ので非常に助かる。 起きて外を見ると、 大勢の人が上がって来る。 昨夜は1台も無かった車も20 昨夜は1台も無かった車も 20台近くに増えてい 台近くに増えてい る。その殆どはどうやら山菜採りに来ている様 だ。例年は林道の終点まで車が入れるらしいの だが、今年は林道の一部にまだ雪渓が残ってお り、片貝山荘より板を担いで歩く事となった。 り、 片貝山荘より板を担いで歩く事となった。 24 1994 年( 平成 6 年) 春 右手の宋次郎谷を過ぎ、約1時間程残雪を背景 にした新緑の美しい阿部木谷渓流沿いの林道を 歩くと、大きな堰堤にぶつかる。 歩くと、 大きな堰堤にぶつかる。ここから谷は ここから谷は 大きく右に曲がっており、通常はここ迄車が入 れるとの事。この取り付き点の標高は れるとの事。 この取り付き点の標高は 994 M、 そして毛勝山の標高は 2 , 4 1 4 . 4 M。 M。標高差 標高差 1,420 Mの長い登りのスタートである。 堰堤の上に上がるとそこから先の谷は一面雪 渓で覆われていた。年によってはこの季節既に 雪渓が割れてシュルンドが開いている事もある らしく、その場合は板を担いで側壁をへつる事 になりそうだ。今年はその心配も無いので、 になりそうだ。 今年はその心配も無いので、皆 皆 スキー板を引きずって行く事にする。300 スキー板を引きずって行く事にする。 300 M程 進むと谷は少し左に曲がり、前方の視界が開け て来る。目の前には毛勝谷と大明神谷との二股 があり、谷幅は広く、 があり、 谷幅は広く、朝日の当たった雪渓がと 朝日の当たった雪渓がと ても眩しい。 1,400 1,400M付近迄登るとそこから毛勝谷は一直 M付近迄登るとそこから毛勝谷は一直 線となり、奥の二股から先は突然その傾斜を強 めている。ここから稜線に出る迄の標高差 めている。 ここから稜線に出る迄の標高差 900 Mが最も厳しい登りである。久しぶりに登ると いう草野氏は既にバテバテで、蛍雪4名が先行 する。さらに珍しく中尾の姉さんが少し遅れ出 す。何で私が柴谷さんに付いて行けないの等と 言われると複雑な心境である。 最後の40 最後の 40度近い斜面を登りきると、 度近い斜面を登りきると、稜線に飛 び出す。ウオーと思わず叫びたくなる景色であ る。右手には猫又山、 る。 右手には猫又山、赤谷山から剣岳につなが 赤谷山から剣岳につなが る北方稜線が、そして深い谷を挟んだ対面には 針ノ木、爺、鹿島槍、五竜、唐松、白馬三山、雪 倉、朝日と続く後立山連峰が、 倉、 朝日と続く後立山連峰が、一つの視野に 一つの視野に 入ってくるのである。ここから稜線をほんの少 し登ると毛勝山の山頂に着く。毛勝山の北側に はサンナビキ山が連なっており、最近は忘れか けていたが「こんな所に厳冬期に入れるだけの 力が有ったらなあ」と言う想いが心の底から湧 いて来る。 非常に遅れてしまった草野氏を待つ事2時間。 いよいよ滑降の開始である。出だしは 出だしは40 40度近い 度近い 斜面なのだが、谷幅は 谷幅は10 10~ ~ 20 Mある上、雪質は ちょうど良いザラメ雪に変わっており、実に快 適にスキーのテールが回ってくれる。急傾斜の 9 0 0 Mの高度差を一気に滑り降りる。 Mの高度差を一気に滑り降りる。別の数 別の数 パーティーにはスキーを担いだものは居らず、 急斜面をエッサホッサと下りている横に新しい シュプールを描いて滑るのは実に心地良いもの である。この間わずか この間わずか15 15 分位だろうか、いつも 思うのだが何故わずかな快感の為に幾時間も板 を担いで登るのだろうかと。 大明神谷との出合まで下りて来ると、雪渓の 上は一面枯葉や小石で埋め尽くされており、ス キーの板の裏を傷つけぬ様に必死になってちょ こまかとターンを繰り返す。それでも無理矢理 取付きの堰堤までスキーを着けたままで下りて くる事が出来た。 今宵の酒の肴にと山菜を採りながら片貝山荘 に戻り、夕方富山に用事のあると言う美甘氏に 買出しを頼む。その夜は新鮮な海の幸と取れ立 ての山菜を肴に久し振りに夜遅く迄騒いだのだ が、姉さん方は2人共にヘベレケになって管を 巻いていた。 [ タイム タイム]] 片貝山荘 片貝山荘(( 7 :4 0 ) 取付 取付(( 9 :0 0 ) 毛勝山(( 1 3 : 0 0 - 1 5 : 0 0 ) 取付 毛勝山 取付(( 1 5 : 5 0 ) 片 貝山荘(( 1 7 : 0 0 ) 貝山荘 5月 22 日 晴 早朝に富山に帰ると言う美甘氏に起こされた ついでに、眠い目をこすりながら草野氏と2人 で釣竿を持って外へ出る。少し上流の小さな瀬 のある所で糸を垂らす。まだ雪解けの水は非常 に冷たく、魚など居ないかも知れないと思って いたが、7~8匹のイワナを釣り上げる事が出 来た。自分の竿を手に入れてからこれが初めて の挑戦であり、一番大きな獲物で 一番大きな獲物で20 20センチ程の センチ程の ものが釣れた事は感激である。早速小屋へ戻っ て数匹を塩焼きにし、残りは家へのおみやげに した。 25 1994 年( 平成 6 年) 夏 の上で昼寝した後、涸沢岳へ登る。この夜のお の上で昼寝した後、涸沢岳へ登る。 この夜のお 月様は私の目の高さと同じ位置にありました。 きっと忘れられないことでしょう。 [ タイム タイム]] 涸沢発 涸沢発(7:00) (7:00) 白出のコル着 白出のコル着(11: (11: 10) 穂高岳 (1994 年7月 22 日~ 24 日) 山林 良江 メンバー: メンバー :乾・井上 井上・ ・東田 東田・ ・蔵田 蔵田・ ・山林 ある夏、私は河童橋のたもとに立って穂高の 山を見上げていました。 その姿はとても美しく、 その時まで山に少しの興味も抱いてはいなかっ たのに、登ってみたい気持ちに絡まれ、 たのに、 登ってみたい気持ちに絡まれ、登山者 登山者 達を羨ましく見ていました。その時の私にとっ てこの山に登るなんて、到底手に入れられない 夢でした。 7月 24 日 晴れ あと1日歩けますように。そんな思いととも に起き上がりました。夜明け前に奥穂ピークを 目指し行動を開始し、たどり着く前に御来光を 拝むことができました。ピークからは槍や富士 山も見ることができ、本当に恵まれた山行でし た。その後、 た。 その後、前穂のピークを踏み急な坂を岳沢 前穂のピークを踏み急な坂を岳沢 へと下り、そして足元の大きな岩が次第に小さ な石と変わってゆき、観光客でいっぱいの上高 地に入りました。 私はこうして穂高に登ることができました。 メンバーの力を借り、励ましの言葉に支えられ て、 あの時の夢を現実とすることができました。 今振り返ると、あんなに高いと思っていた山が 少しだけ低くなったように感じます。 [ タイム タイム]] 白出のコル発 白出のコル発(( 4: 1 0) 奥穂着 奥穂着(( 5 : 10 ) 前穂着 ) 前穂着(( 7 :5 0 ) 岳沢着 岳沢着(( 11 : 0 0) 上高 地着(( 1 3 : 4 5 ) 地着 7月 22 日 晴れ 私はあの時と同じ場所に立っていました。こ の山のために山岳会の扉をたたき、素人の私が ここに来るのは何年先のことだろうと思ってい たのに、こんなに早くやって来れたことを、 たのに、 こんなに早くやって来れたことを、と と ても嬉しく思いました。その日、 ても嬉しく思いました。 その日、山には雲がか 山には雲がか かり姿をすべて見ることはできませんでしたが、 気持ちは頂上を見上げ、そこまで行きたい希望 というより願いでいっぱいでした。 A M 7時、 7時、上高地バスターミナルを出発し、 上高地バスターミナルを出発し、 木々の緑や川の流れの美しい上高地を散策する。 休憩の後、ゆっくりしたペースで梓川に沿った 道を徳沢、横尾へと歩く。 道を徳沢、 横尾へと歩く。本谷橋を渡り、 本谷橋を渡り、本格 本格 的な登りが始まった。そこで出会った長蛇の列 の学生達。礼儀正しく挨拶してくれるのだが、 の学生達。 礼儀正しく挨拶してくれるのだが、 私は登りが苦しくて思うように返事ができない。 あれは試練だった。2時間程の登りの後、 あれは試練だった。 2時間程の登りの後、涸沢 涸沢 のテント場に着く。 [ タイム タイム]] 上高地発 上高地発(7 (7 :00 ) 横尾発 ) 横尾発(1 (1 1:5 0) 涸沢着(( 1 5 : 3 0 ) 涸沢着 薬師岳~槍ヶ岳 (1994 年7月 22 日~7月 25 日) 上原 雅宣 7月 22 日 晴れ時々曇り 折立でバスを降り、 朝食を済ませていざ出発。 このコースはすでに4度目である。富山駅前で 熟睡したせいか、足どりも快調。 熟睡したせいか、 足どりも快調。この夏は少雨 この夏は少雨 のため、有峰湖の水が少ない。 のため、 有峰湖の水が少ない。太郎平小屋で小 太郎平小屋で小 休止の後、薬師峠でテントを張る。 休止の後、 薬師峠でテントを張る。いつもなら いつもなら ここで行動中止だが、今日は薬師岳へ登ること とする。沢筋を抜けると、 とする。 沢筋を抜けると、池塘が美しい薬師平 池塘が美しい薬師平 に着く。樹林限界を過ぎ、 に着く。 樹林限界を過ぎ、ガラガラの道をひた ガラガラの道をひた すら登る。 薬師岳山頂ではもやが少しかかっていたが、 大展望が広がる。また天然記念物のカールもす ばらしい。 往路を引き返して本日の行動は終了。 7月 23 日 晴れ 涸沢カールが目の前にありました。写真で見 たものとは比べものにならない位、美しく壮大 なものでした。目に映るものはすべてがそうで した。 白出のコルを目指して急な登りを登る。素晴 らしい眺め、可愛いお花畑。 らしい眺め、 可愛いお花畑。わかっていても行 わかっていても行 動中は足元しか見れない。登れども登れどもテ ント場は離れていってくれない。でも3時間程 で穂高岳山荘に着き、ホッと一息。 で穂高岳山荘に着き、 ホッと一息。ヘリポート ヘリポート 26 1994 年( 平成 6 年) 夏 [ タイム タイム]] 折立 折立(7:3 (7:3 0) 太郎平小屋 0) 太郎平小屋(1 (1 0:3 0) 薬師岳(( 1 3 : 3 0 ) 薬師峠 薬師岳 薬師峠(( 1 5 : 3 0 ) ろには足ががくがくになっていた。今日は休息 が多かったとはいえ、13 が多かったとはいえ、 13 時間行動だった。連日 の長時間行動で疲れがピークに達している。 [ タイム タイム]] 双六小屋 双六小屋(( 4 :2 0 ) 槍の肩 槍の肩(( 9 : 0 5 ) 槍ヶ岳(( 1 0 :0 0 ) 槍沢ロッジ 槍ヶ岳 槍沢ロッジ(( 1 5 :3 0 ) 横 尾( 1 7 : 2 0 ) 7月 23 日 晴れ時々曇り ヘッドランプをつけて出発。残念ながら槍ヶ 岳は見えない。過去3回は太郎平小屋から雲の 平へ向かったが、今日は黒部五郎岳である。 平へ向かったが、 今日は黒部五郎岳である。北 北 の俣岳への稜線で槍ヶ岳が姿を現した。眼下に は赤木平が美しい。いくつかのアップダウンを 経て、ようやく黒部五郎岳に着いた。 経て、 ようやく黒部五郎岳に着いた。展望は最 展望は最 高である。山頂を後にして今回の山行のハイラ イト、黒部五郎カールへと向かう。 イト、 黒部五郎カールへと向かう。カールから カールから 見上げる黒部五郎岳は、日本離れした雄大な姿 を見せている。残雪が少ないのが少々残念であ る。 黒部五郎小舎で小休止をしていると、小屋の おねえさんがメロンを分けてくれた。通りすが りの登山者にこんな親切をしてくれるとは少し 感動した。ここからは三俣蓮華岳への登りであ る。疲れもたまり足取りが重い。 る。 疲れもたまり足取りが重い。おまけにガス おまけにガス も湧いてきて気分まで重くなってしまう。山頂 へ着いたのはいいが、槍 へ着いたのはいいが、 槍・穂高が見えない。 穂高が見えない。三 三 俣蓮華岳は3度目だが、3度ともガスがかかっ てしまった。きっと相性が悪いのだろう。 てしまった。 きっと相性が悪いのだろう。 今年は少雨のせいか高山植物も今一つである。 巻き道を通って双六小屋へと向かう。今日は 今日は11 11 時間行動だった。 [タイム タイム]] 薬師峠 薬師峠(4:00) (4:00) 黒部五郎岳 黒部五郎岳(8:50) (8:50) 三俣蓮華岳(( 1 2 : 5 0 ) 双六小屋 三俣蓮華岳 双六小屋(( 1 5 : 3 0 ) 7月 25 日 晴れ時々曇り 今日は上高地へ下りるだけである。昨日まで の行動を思い出しながら梓川沿いの道を歩く。 きつい道中であったが、満足感の残る山旅で きつい道中であったが、 満足感の残る山旅で あった。 [ タイム タイム]] 横尾 横尾(( 5 : 0 0 ) 上高地 上高地(( 8 : 3 0 ) 北アルプス縦走 (1994 年7月 30 日~8月2日 日~8月2日)) 田中 佐和子 メンバー: メンバー :木島 木島・ ・田中 7月 30 日 夜行長距離バスにて早朝富山に着き、電車、 夜行長距離バスにて早朝富山に着き、 電車、 バスを乗り継いで折立に 8:35 着く。しかし、バ ス車内でお財布を落としていたことに気づかず、 前途嫌な予感がはしる。天気予報どおり、 前途嫌な予感がはしる。 天気予報どおり、太郎 太郎 平小屋までの道々は雲行きがあやしく、青空を 隠し今にも雨か、雷が鳴るかもと感じられる状 態が続く。ニッコウキスゲがそんな中静かに迎 えてくれる。もうすぐ小屋というところで、 えてくれる。 もうすぐ小屋というところで、雨 雨 が降り出し、ついには強い雷が鳴り続く。13:30 小屋へ入る。後続のパーテイも必死に逃げ込ん でくるので入り口から休憩所までの床はあっと 言う間に人、人でごったがえす。 言う間に人、 人でごったがえす。小屋の人に雷 小屋の人に雷 を伴う雨の今後の影響を聞いてみたが、これは 夕立で心配することはないと言われ、小魚をち びちびにあてにしながらビールを飲み小降りに なるのを待つ。ウトウトと居眠りをしていた私 は木島さんに声をかけられ外の様子が静かに なったことに気付く。さっそくテントを張りに 向かう。足場はグニャグニャで天気が今夜落ち 着いてくれるのか心配の中、テンバへ行くと、 着いてくれるのか心配の中、 テンバへ行くと、 思っていた以上に幕営されているのを見てなん 7月 24 日 晴れ時々曇り 前日の疲れが残っているがいざ出発。樅沢岳 で日の出を迎える。槍ヶ岳がシルエットになっ て美しいが、これからのきつい登りを思うと気 分が重い。数回のアップダウンを過ぎ、 分が重い。 数回のアップダウンを過ぎ、千丈沢 千丈沢 乗越からは登り一直線である。ようやくたどり 着いた槍の肩で大休止を取り、 山頂へと向かう。 山頂に着くとガスがかかり、穂高方面が見え ない。槍ヶ岳と私の相性も悪いようである。 ない。 槍ヶ岳と私の相性も悪いようである。1 1 時間ほど粘ったがガスは晴れてくれない。あき らめて槍沢の下降を開始する。西鎌尾根の登り もきつかったが、この下りもきつそうである。 もきつかったが、 この下りもきつそうである。 天狗原分岐で大休止の後、 天狗池へと向かう。 ところが途中でガスがでてしまい、あきらめて 引き返す。なおも下降を続けて、 引き返す。 なおも下降を続けて、横尾に着くこ 横尾に着くこ 27 1994 年( 平成 6 年) 夏 だか元気になる。増水するのも早いが、2時間 だか元気になる。増水するのも早いが、 2時間 もすれば木渡しなくても歩けるという引きの早 さに驚いた。 じました。 いつの日、そんな旅をしてみたいと思いなが ら、そして山荘より露天風呂に向かいました。 ら、 そして山荘より露天風呂に向かいました。 15 分という道のりがかえって期待感を増し、30 分程歩いているような気がしました。最近女性 用にきれいな囲いが出来ていて周りを気にする こともなく2日間の汗をゆっくり流しすっきり しました。周りのパーティ言わく、 しました。 周りのパーティ言わく、無警戒な男 無警戒な男 性側の景観と対照的に女性側の囲いは風情を悪 くするから、ない方が良かったそうですが、 くするから、 ない方が良かったそうですが、 、、。 さて、山荘に戻ると山荘を取り囲むような形で 外の洗濯ロープにタオルがずらっとかかってい るのは露天風呂のある山荘の特徴にも思え印象 的でした。後で、 的でした。 後で、その中で立って写真に写って その中で立って写真に写って いる自分を木島さんの友人が小屋の従業員だと 思ったと言われたのを聞いては、あまり笑えな かった。こんな高所に蚊がいるとは、 かった。 こんな高所に蚊がいるとは、虫と戦い 虫と戦い ながらの夕食を済ませた時は8時の消灯を過ぎ ていました。急いで就寝したのですが、 ていました。 急いで就寝したのですが、間の悪 間の悪 いことに横の人の人間とも思えない鼾の大きさ に耳を奪われほとんど眠れませんでした。 7月 31 日 5:30 薬師峠テント場を出て、9:00 9:00薬師沢小屋 薬師沢小屋 に着く。天気も良く、 に着く。 天気も良く、清流の音を聞きながらわ 清流の音を聞きながらわ らび餅を食べて、いま何時かとおもうや否。 らび餅を食べて、 いま何時かとおもうや否。ま ま たも自分の失敗に気付く。日焼けのかたが残り そうに思ったので時計をウエストベルトに通し ていたのだが、途中小休止したときにはそのよ うな事すっかり忘れてベルトを外してしまった のだ。アーメン!ちなみにそれは のだ。 アーメン!ちなみにそれは CASIO の登山 用方位計付です。シャモニで使った思い出の時 計だったのに、時差ボケが残っていたとは苦し い言い訳ですが、薬師沢小屋に立ち寄る機会の ある人は小屋で尋ねてみて下さい。一応届けて いますが、 、、。まあ気を取り直して、昨日の雨に よる増水の心配もなく、予定どおり黒部川に よる増水の心配もなく、 予定どおり黒部川に 沿ってB沢の出合まで川原を歩き高天原を目指 す。B沢出合までの道は岩、 す。 B沢出合までの道は岩、ガレ場続きで、 ガレ場続きで、数 数 カ所はしごなど難所も見られたり、又岩を伝っ て川の渡りがあったり、ルートぎりぎりまで川 が迫っている所があり、結構歩きにくい。 が迫っている所があり、 結構歩きにくい。増水 増水 の時は雲ノ平を越えて高天原に入らなければな らなかったでしょう。そこから再び大東新道と いう名の道を行く。所々、 いう名の道を行く。 所々、沢を跨いで粘土状の 沢を跨いで粘土状の ぬるっとしたふかみに足をとられながらも細い 道を長々と登りつめる。長い間登っても行き交 う人も少なく北アルプスの秘境に行くというよ りかは奇境に行くのではと不安に思っている中、 人の声が聞こえ東京でコーラス合唱隊のメン バーである明るいパーティに出会う。ここが高 天原峠であるらしい。展望も何もないところだ が、、、14:40 、14:40 である。 である。この中のお一人、 この中のお一人、東京工 東京工 業大学理工学部の教授とはこれから3日間のお 付き合いになるとはその時は思ってもみなかっ た。挨拶して幕営禁止区域である高天原山荘へ 先行した。沢を下ると湿原が広がっていて高天 原という名に相応しい別天地の雰囲気だった。 16:00 山荘に着く。 山荘に着く。ウーン本当に2日間まるま ウーン本当に2日間まるま るかけないと行けない秘境にやっと来たなと言 う感じでした。山荘の近くには一面ワタスゲが 咲いていて感動しました。御夫婦でスケッチを なされている方もおられ、山歩きのゆとりを感 8月1日 朝より晴天、5:30 5:30出発。 出発。夏山 夏山JOY JOYに写真が載っ に写真が載っ ていた水晶岳を映し出す輝く水晶池は水晶岳を 映し出すどころか、今年の猛暑の影響で半分以 上乾ききっていて無惨にも底面が出てむなしく 見えた。岩苔乗越までの登りはただただ発する 言葉は“暑い、 言葉は “暑い、暑い” 暑い”の連続。 の連続。思う様にスピー 思う様にスピー ドが出ない。やれやれ後少しと思った道はそん な気持ちをあざ笑うかのように延々と続いてい た。9:50 た。 9:50 やっと岩苔乗越に着く。ここまで来る と展望も良くなり雪渓もみられ少し風が感じら れるようになる。11:50 れるようになる。 11:50 鷲羽岳に着く。 鷲羽岳に着く。初日の 初日の 太郎平テン場近くですれ違った人と又もすれ違 うさまに“どこかでたしか会ったねえ、ああ、そ ういえばあの時も君ザックが傾いていたね!” と薄笑いを浮かべられる。周りの山々と異なっ た色を持つ威圧感さえ感じる赤岳を眺め、一瞬 にして消え去った正面に見えた槍ヶ岳あたりを 望む寂しい登頂となった。意味のない急な登り 以上にある急な下りを黙々と今夜の夕食を思っ て駆け下った。頂上で会ったおじさんは1日に して槍ヶ岳から鷲羽岳にこられていて、これか ら雲の平に向かうとおっしゃっていたが、狂人 28 1994 年( 平成 6 年) 夏 としか思えないことを後で思い知る。13:30 三 としか思えないことを後で思い知る。13:30 俣山荘に着く。 暑さでレーションも喉を通らず、 山荘で缶詰と冷たいジュースを買い贅沢をする 始末。そうこう休憩している間に昨日の合唱隊 が(雲の平を回って) (雲の平を回って)わあわあと言いながら わあわあと言いながら やって来られる。しかし、 やって来られる。 しかし、暑いと言いながらも 暑いと言いながらも 食べることには衰えが見られない。彼らメン 食べることには衰えが見られない。 彼らメン バーの話では今年は雲の平はテントの人には小 屋から一切水を供給出来ない事態だったようで、 又、いつもより小屋の食事の内容もひんそに 又、 いつもより小屋の食事の内容もひんそに なっていたとのこと、猛暑の影響が山にもあっ たことが伺えました。メンバーも三俣蓮華岳を 経て双六小屋まで同じルートの予定だが、時間 的に行けるかどうか相談されていた。やはり、 的に行けるかどうか相談されていた。 やはり、 来た以上はピークを踏んでみたい私は木島さん と東京のメンバーの人に別れを告げて三俣蓮華 岳を登るつもりで先行した。しかし、 岳を登るつもりで先行した。 しかし、いきなり いきなり 道を誤りロスタイム。分岐についたのは 分岐についたのは15:20 15:20。 。 上の道を行けば小屋に着くのは 18:00 になるの は確実なので、木島さんを待って一緒に巻道を 下ることにした。もうガスが掛かっていて展望 は効かないことだし、諦めることにする。 は効かないことだし、 諦めることにする。下る 下る 一方と思っていた巻道も最後の鞍部への登りが 待っていて、急に疲れが出てくる。 待っていて、 急に疲れが出てくる。またこれが またこれが 意外ときつく、やっと視界が開けたと思えば小 屋までの急勾配があり、やれやれと思いながら 17:20 双六小屋に着く。 双六小屋に着く。荷物をおろし、 荷物をおろし、合唱隊 合唱隊 のメンバーの先発の方に色々お話を聞き、彼ら メンバーの行動の広さに驚く。新築された小屋 から美味しそうな臭いが立ち込むけれど幕営し て食事する元気がなく、しばらくビールを飲ん でくつろいでいると後から追い付いて来られた メンバーの人や小屋で食事を待っている御夫婦 に声を掛けられ、幕営をお手伝いすると言われ る。なんて嬉しい事でしょう。 る。 なんて嬉しい事でしょう。でも後で来る木 でも後で来る木 島さんがポールを持っているのでと丁重にお断 りする。木島さんが来て待ちわびたように記念 写真を皆で撮って下さり、別れてテントに潜っ た。食事は少し寝てからと言って結局何も口に しないで寝てしまいました。下山後いきなり飲 んだビールに酔ったのかもしれませんが、12 12時 時 間山行という思いもよらないハードなものに なった事は、今後のトレーニングの仕方の課題 とも思えました。 8月2日 すっかり気分も爽快!天気はやや曇り。東京 のメンバーは教授を除いて西鎌尾根から槍ヶ岳 に向かわれる中、6:30 予定どおり私達は新穂高 温泉まで下ることにする。8:55 温泉まで下ることにする。 8:55 鏡平に着く。池 に映し出される穂高連峰の眺めはさすがにきれ いなものの、雲が多く全峰は見ることは出来な かった。12:00 かった。 12:00 ワサビ平につくと教授が昼寝を して待っていて下さり、ビールと冷麦を御馳走 して下さいました。うーんたまらなく美味し して下さいました。 うーんたまらなく美味し かった。新穂高温泉までの 新穂高温泉までの1:30 1:30は教授の日本の は教授の日本の 3大歴史と哲学論と女性の幸せとはの講演を受 講して、 駅でお別れして温泉でさっぱりした後、 バスにて帰途につきました。 チンネ・ チンネ ・八ツ峰 (1994 年8月 10 日~8月 14 日) 村上 隆志 メンバー:: 柴谷 メンバー 柴谷・ ・秋田 秋田・ ・村上 村上・ ・中尾 8月 10 日 スーパー雷鳥にて入山。朝に電車に乗ること は我々老人4人組にとってはルンルンであった。 スーパー雷鳥は非常に快適で、家族で再び来よ うと誓う私であった。室堂から約1時間で雷鳥 平に着きテントを張った。 8月 11 日 荷物を担いでみて、びっくり。なんだなんだ、 この重さは。山のようなレーション、 この重さは。 山のようなレーション、酒、 酒、ザイ ザイ ル、登攀具が体を後ろに誘う。 ル、 登攀具が体を後ろに誘う。男 27Kg 27Kg、 、女 23Kg ぐらいか?カニのタテバイでは後ろにひかれ恐 怖を感じヨロヨロと剱岳本峰に着く。本峰から もうひとふんばりとヤセ尾根を歩き三ノ窓に着 く。 思った以上にきれいな三ノ窓の天幕地で、 (キ ジ撃ち跡が周囲に多いのが少し気になったが)) ジ撃ち跡が周囲に多いのが少し気になったが 焚き火好きな我々はさっそく火を起こした。池 の谷にはさまれた富山湾が夕焼けに染まり、遙 か遠くに能登半島がのっぺりと横たわっている。 まさしくそれは地図のイメージ通りであった。 山から海岸線を見るとなぜ人は感動するのであ 29 1994 年( 平成 6 年) 夏 ろう。夕焼けはいつか闇に変わり荘厳なクラ ろう。夕焼けはいつか闇に変わり荘厳なクラ シック音楽を聴いているようで安らかな眠りに ついた。 10 万人の横山そっくりさんの一人であった。あ いつは分身の術でも使えるんやろうか。 剱沢手前で大雨に降られ全身濡らして、剱沢 にてやっと本隊と合流した。 その夜は手巻き寿司を食べつつトランシー バーで迷走王2人と話をしたが、井上のとぼけ た声が笑いを誘った。結局彼らは、 た声が笑いを誘った。 結局彼らは、長次郎谷と 長次郎谷と 平蔵谷を間違えて取り付いたのだ。 秋田さんが、 「あの2人こそ蛍雪の期待の星や!」 とまで褒め ちぎったのがアダになったのかしら。 8月 12 日 チンネの登攀日である。秋田さん、 チンネの登攀日である。 秋田さん、村上が中 村上が中 央チムニーを登り、柴谷さん、 央チムニーを登り、 柴谷さん、中尾さんが左方 中尾さんが左方 カンテを登る。村上がトップで登るが、 カンテを登る。 村上がトップで登るが、Ⅲ級 Ⅲ級 ルートということもあり、 余裕を持って登れた。 11 時頃チンネ山頂に着き大休止。 ところが待てど暮らせど柴谷さん、中尾さん が登ってこない。まさか?と思いつつも楽観的 な我々は、2時間近くも昼寝をしてしまった。 な我々は、 2時間近くも昼寝をしてしまった。 目が覚め、時計を見ると1時をすぎている。 目が覚め、 時計を見ると1時をすぎている。不 不 審に思った我々は、 「おーい、おーい」と叫ぶが 返事がない。とりあえず降りてみようと言うこ とになり三ノ窓のコルに着くと、二人が左方カ ンテを登っているではないか。 3時頃柴谷さんたちが「いやあ、 3時頃柴谷さんたちが 「いやあ、ルートを間 ルートを間 違えてハードルートに取り付いてしまい、気が ついて下降してから登り返したら、時間がか ついて下降してから登り返したら、 時間がか かってしまった。」といいつつ降りてきた。中尾 さんは一日中岩に触れられていて、満足そうで あった。 8月 14 日 家族思いの柴谷、村上は室堂へ下山。 家族思いの柴谷、 村上は室堂へ下山。帰阪。 帰阪。 剱岳・ 剱岳 ・チンネ (1994 年8月 12 日~8月 16 日) 横山 典郎 メンバー: メンバー :中尾 中尾・ ・横山 横山・ ・井上 1.幸せは不幸せの罠 1.幸せは不幸せの罠 大阪駅を出たのは12 大阪駅を出たのは 12日の夜だった。 日の夜だった。大野さん と大塚さんが交通機関の手配を全てやっておい てくれたので、特急「雷鳥」の指定席にすわり、 周遊券で安く入山することが出来た。乗り換え の時もツアー客よろしく切符を持っている2人 についていくだけで良かった。僕も井上さんも その安易さに浸りきっていたのだが、幸せは長 く続かなかったのである。 8月 13 日 三ノ窓天幕地を撤収し、 長次郎谷を下降する。 八ツ峰六峰Aフェースを中尾、村上隊と柴谷、 八ツ峰六峰Aフェースを中尾、 村上隊と柴谷、 秋田隊の2 Party で登る。 で登る。今回のルートは昨日 今回のルートは昨日 とは違ってⅣ級+とのことで緊張する。1ピッ チ目のフェースはレイバックがきれいにきまる ルートであったが、少々私にとっては難しく登 りごたえがあった。中尾さんの華麗なトップで 2ピッチ目も難なくこなし、3ピッチ目もあっ さり越えるともうそこはAフェース山頂であっ た。意外に早く登りきれたのは、 た。 意外に早く登りきれたのは、中尾さんのお 中尾さんのお かげと感謝している。 Aフェース山頂を下降し、中尾さんと別れ3 人で長次郎雪渓を下る。ピッケルを忘れた村上 は、木の棒を杖がわりにしてヨロヨロと爺さん のように下る。 それにしても横山隊は遅い。もうそろそろす れ違ってもいいはずなのだが。と、 れ違ってもいいはずなのだが。 と、突然柴谷さ 突然柴谷さ んが、 「あっ、横山や!」と叫び、つられて私も 「おーい遅くなったなあ」と声をかけると全国 「おーい遅くなったなあ」 と声をかけると全国 2.惨劇のプレリュード 2.惨劇のプレリュード 室堂を出ていきなり迷った。熊の岩で中尾さ んを待たせている僕たちは、他のみんなより先 に雷鳥平に向かって出発したのであるが、ふと 気が付くと目の前には30 気が付くと目の前には 30分も前に後にしたはず 分も前に後にしたはず のバスターミナルが・ のバスターミナルが ・・・・。振り返ると井上 さんも「アンビリーバブル。」と言う表情をして いた。( 青木ヶ原樹海かここは 青木ヶ原樹海かここは)) と思ったが単に 道を間違っただけであった。この時にはまだ2 人とも余裕があったので、やたらと照れながら (バスターミナルを僕たちの後から出発した バスターミナルを僕たちの後から出発した))本 隊を抜き去り、雷鳥平を経て剱御前に至った。 隊を抜き去り、 雷鳥平を経て剱御前に至った。 30 1994 年( 平成 6 年) 夏 が、ここで第2の迷走が起こる。剱沢に向かっ が、ここで第2の迷走が起こる。 剱沢に向かっ て下って行くはずが、前方に剱山荘が現れたの である。 しかし、ここでも2人はくじけなかった。 しかし、 ここでも2人はくじけなかった。た た めらう事なく水源地帯を横切って、苦もなく剱 沢への縦走路に復帰したのである。 眠れた。 翌日は夜明けとともに出発。本来、 翌日は夜明けとともに出発。 本来、踏むはず 踏むはず のなかった剱岳のピークを越えて池の谷乗越し へ。そして長次郎の右俣から中尾さんを呼んだ ら応答があった。14 ら応答があった。 14 日の朝 8:30 頃だったと思 う。怒られるかと思ったら怒られなかった。 う。 怒られるかと思ったら怒られなかった。僕 僕 が中尾さんに事情を話していたら、その横を井 上さんが滑り落ちていった。 3.のび太とアマゾンの大冒険 ~ガセネタ 親爺はかく語りき~ 剱沢に着くには着いたが、僕の心はさすがに 不安になって来ていた。これまでに2度も井上 さんに迷惑をかけているし、既に 既に12 12時を回って 時を回って いた。おまけに長次郎の雪渓の登り口を僕はよ く覚えていなかったのである。そこで剱沢小屋 の前で人に聞き、剱沢の雪渓を下りながらも、 の前で人に聞き、 剱沢の雪渓を下りながらも、 出会った人に確認した。しかし、 出会った人に確認した。 しかし、これが実はガ これが実はガ セネタ親爺だったのである。 彼は「平蔵谷の出会い」 彼は 「平蔵谷の出会い」で自信たっぷりに で自信たっぷりに 「ここが長次郎だ」と言った。そして上の方を指 さして「あの白い雪渓の上が熊の岩だよ」 さして 「あの白い雪渓の上が熊の岩だよ」とも とも 言った。するとそばに居た女性も 言った。 するとそばに居た女性も「今年は雪が 「今年は雪が 少なくて楽ですわね。」とうなずいたのである。 」とうなずいたのである。 僕たちは彼らに礼を言い、間違った谷を登り始 めた。当然、 めた。 当然、登れども登れども熊の岩は見えな 登れども登れども熊の岩は見えな かった。おまけに雨が降ってきて、 かった。 おまけに雨が降ってきて、午後5時頃 午後5時頃 になると暗くもなってすごく心細かった。しか し傾斜が急で、幕営する場所もなく、 し傾斜が急で、 幕営する場所もなく、登り続け 登り続け るしかなかった。そして6時頃、 るしかなかった。 そして6時頃、僕たちは縦走 僕たちは縦走 路に着いてしまったのである。僕はそこでテン トを張っている人達に現在位置を確認した。最 初は信じられなかったがよく考えると全て納得 できた。雪渓は僕が覚えている谷よりずっと狭 かったし、このシーズンに全然他の人と会わな いのもおかしい。要するに僕たちはあいつらに だまされたのである。 ぬおおお。ガセネタ親爺め、 ぬおおお。 ガセネタ親爺め、許さんぞ!!! 許さんぞ!!! 本当に「ブラック魔王」 本当に 「ブラック魔王」を彷彿させる汚いや を彷彿させる汚いや り口であったが、結局は地図もよう読まん僕た ちが悪いのであった。その夜はトランシーバー で岩田会長にこってりしぼられた。しかし、 で岩田会長にこってりしぼられた。 しかし、気 気 の毒なのは中尾さんである。ツェルトを持って いるとは言え、乏しい食料でこの寒空の下、 いるとは言え、 乏しい食料でこの寒空の下、ど ど うしておられるのだろう、と思った。 うしておられるのだろう、 と思った。たいへん たいへん 心配であったが、井上さんの持ってきてくれた 日本酒はすごくうまかった。その日はぐっすり 4.やっとクライミング 4.やっとクライミング 熊の岩でテントを張って、クライミングの準 備をしていると源治郎隊が見えた。向こうが手 を振っているので、それに答えていると を振っているので、 それに答えていると「のび 「のび 太のアホー」の声が 太のアホー」 の声が・ ・・・・。さすがに恥ずか しかったがめげずにDフェースへ取り付いた。 やっと岩登りが出来る。何とここまでの道のり の長かった事か。5ピッチ中、 の長かった事か。 5ピッチ中、2ピッチ目が 2ピッチ目が ちょっと恐かったが3時間程で抜けきった。 明けて15 明けて 15日。 日。この日は熊の岩からチンネを登 攀して剱沢まで降りるという強行スケジュール。 夜明け前に出発したが、チンネ左稜線の取り付 きにはズラリと先行パーティが居た。しかたが ないので左下カンテに取り付く。しかし、 ないので左下カンテに取り付く。 しかし、しか しか しである。僕たちは途中から左稜線に割り込む ことに成功した。もちろん、 ことに成功した。 もちろん、誰にも迷惑をかけ 誰にも迷惑をかけ ずに。そして核心部。 ずに。 そして核心部。僕は迷わずにカラビナを 僕は迷わずにカラビナを つかんだ。中尾さんと井上さんはフリーで挑ん だらしい。あとはだらだらとトラバース気味に ザイルを延ばすだけ。12 12時頃になって終了点に 時頃になって終了点に 着いた。3人で握手をした。 着いた。 3人で握手をした。万歳。 万歳。 5.最後にイモを引いた男 5.最後にイモを引いた男 熊の岩に戻ってテントをたたみ、一路剱沢を 目指す。向こうにはみんなが居ると思うと何だ か嬉しかった。僕は早くも宴会の事ばかり考え ていたが、それが良くなかった。 ていたが、 それが良くなかった。 気が付くとエスパースのポールがなかった。 全く、最後の最後まで僕はドジを踏みっぱな しだった。 ポールは見つかったから良かったが、 情けない限りである。とは言うものの、 情けない限りである。 とは言うものの、思い出 思い出 深い山行になったのも事実であり、自分ではな かなかいい夏合宿だったとも思うのである。中 尾さん、井上さん、いろいろスミマセンでした。 そして有り難うございました。 31 1994 年( 平成 6 年) 夏 もと仙人池ヒュッテに到着。チンネ、八ツ峰、 もと仙人池ヒュッテに到着。チンネ、 八ツ峰、 小窓ノ王が映る仙人池のそばで小休憩する。観 光はがきでよくお目にかかる風景であるが、あ まりの暑さに水面に映る剱も冴えず、早々と出 発することにした。ここからはずっと下りにな り、途中道が水流と交わるところで火照った手 足を冷やしながら昼食を取った。その後、 足を冷やしながら昼食を取った。 その後、1時 1時 間ほど下って、最初の温泉地である仙人温泉に 到着した。ここには、 到着した。 ここには、男性用と女性用の2つの 男性用と女性用の2つの 露天風呂がある。男湯は小屋前にあり衆人環視 のもとで入らなくてはいけない。先着の女性客 もいたので、短パンをはいて入浴する。 もいたので、 短パンをはいて入浴する。5人入 5人入 れば一杯になる小さな風呂だが、眺めは最高で ある。遥か前方に、 ある。 遥か前方に、白馬岳から唐松岳までが眺 白馬岳から唐松岳までが眺 望できた。また、 望できた。 また、お湯をぬるめたり、 お湯をぬるめたり、ビールを ビールを 冷やすのに使っている水が天然の湧き水で、こ れがまたうまかった。ここにテント場があれば なあと非常に残念であった。ビールを飲みたい のを我慢しつつ出発。多少ザレ道が続くが、 のを我慢しつつ出発。 多少ザレ道が続くが、 木々が日を遮ってくれるので助かった。約2時 間で阿曽原小屋に着いた。 小屋で受付をしようと窓口にいくと、テキパ キと受付をこなす女性がいて、よく見ると色白 で好みのタイプであった。ついに私のマドンナ 登場か…。早速、テント代 テント代500 500 円と入浴料 円と入浴料300 300 円 を支払う。温泉1つしかないため、 を支払う。 温泉1つしかないため、女性が5時 女性が5時 から6時までに入浴するので、男性は今から5 時までか6時から8時半の間に入浴してほしい と言われた。最後に、 と言われた。 最後に、ニッコリ笑って暗くなる ニッコリ笑って暗くなる ので8時半以降はフリーよと言った。この人は きっと仕事が終わる9時頃から入るに違いない。 暗闇の中で寄り添いながら湯につかる二人を想 像し、私の胸は高鳴った。 像し、 私の胸は高鳴った。テント場で夕食を取 テント場で夕食を取 り、後片づけをするとちょうど6時になったの で、とりあえず温泉に入ろうと河原の方に降り ていく。今日は、 ていく。 今日は、11 11 時間も歩いたため、足が棒 のようになって急な下りが辛い。約10 10分ほどか 分ほどか かって着く。露天風呂は 露天風呂は10 10人程度が入れる広さ 人程度が入れる広さ だが、切れ込んだ谷間にあるので景色を楽しむ ことはできない。ただ、 ことはできない。 ただ、日が落ち徐々に薄暗く 日が落ち徐々に薄暗く なる山肌をながめながら、ゆっくりと温泉につ かり、一日の疲れを癒した。風呂からあがって、 本番の9時までに間があるのでビールでも飲も うと小屋に行く。生ビール うと小屋に行く。 生ビール 800 円と書いている ので、缶生で ので、 缶生で 800 円は高いと思ったが注文する 剱沢~阿曽原小屋~欅平 (1994 年8月 15 日~ 16 日) 久壽 裕人 8月 15 日 晴 雄山へ行くパーティーより少し遅れて出発。 今日から一人旅なので少々寂しいが、ゆっくり 温泉につかるのを楽しみにしよう。真砂沢山荘 まではゆるやかな剱沢雪渓が続く。途中、井上、 横山隊がルートを間違った平蔵谷と長次郎谷と の出合を確認する。長次郎谷出合の左側には、 の出合を確認する。 長次郎谷出合の左側には、 5m程の岩が立っていて、登り口が狭く中が広 くなっており、左側に曲がっている。 くなっており、 左側に曲がっている。乾さんも 乾さんも 初めて来たときは間違ったといっていたが、ま た八ツ峰やチンネに登る機会もあるだろうから よく憶えておこう。 真砂沢山荘に着くと、北股は道が荒れている ため一般登山客は立入禁止といわれた。 しかし、 たまたま二股で池ノ平小屋から降りてきた関東 蛍雪山岳同志会のパーティーと出会ったので道 の様子を聞いたが、草も刈って整備していると のことなので行くことにした。その際、 のことなので行くことにした。 その際、池ノ平 池ノ平 小屋を改築するときに協力したので会の名前を いえば歓待されるよといわれたのでちょっと期 待する。最初は、 待する。 最初は、雪渓がとけて川になっている 雪渓がとけて川になっている 箇所もあり、左右に渡りながら行く。 箇所もあり、 左右に渡りながら行く。雪渓から 雪渓から 池ノ平小屋への尾根の取り付きを探しながら歩 いていると、赤のペンキで矢印が書いていたの で、地図で地形を確認した後登っていくと、 で、 地図で地形を確認した後登っていくと、平 平 ノ池に出た。時期外れのためかわずかにチシマ ギキョウが咲いているだけであった。 小屋では、 留守番のおばさんにお茶をご馳走になりながら しばし休憩。おばさんから聞いたのだが、 しばし休憩。 おばさんから聞いたのだが、きの きの う関東蛍雪山岳同志会のメンバーが泊まったと きに、 「明日は関西蛍雪山岳会と宴会するんだ。 あちらは若い女の子が多いので楽しみにしてい るんだ。」と盛んに話していたそうだ。若いと聞 いて、?と思ったが、彼らから見ればと納得し、 宴会よりも温泉やと思いつつ小屋を後にした。 なお、小屋前には、 なお、 小屋前には、小さいが一人用の風呂もあ 小さいが一人用の風呂もあ り、 チンネの勇姿を見ながら入ることができる。 眺めも良いので、紅葉のきれいな頃にまた来た いと思った。 小屋を後にし、じりじりと照りつける太陽の 32 1994 年( 平成 6 年) 夏 と、ジョッキに入った本物の生ビールが出てき たので驚いた。小屋の座敷で飲んだが、 たので驚いた。 小屋の座敷で飲んだが、うま うま かった。小屋の主人らしき髭面の男性に、 かった。 小屋の主人らしき髭面の男性に、イワ イワ ナは釣れるのかと聞くと、温泉がブクブク湧き 出てるのでここら辺りには魚はいないが、十字 峡で尺寸のイワナが釣れるとのことである。去 年の夏合宿時に、黒部川上の廊下でイワナを 年の夏合宿時に、 黒部川上の廊下でイワナを 釣ったが、是非とも今度は下の廊下で釣ってみ たい。しばらくして、 たい。 しばらくして、先ほどの女性がきて小屋 先ほどの女性がきて小屋 の主人と何やら話しているので耳を澄まして聞 いていると、なんと二人は夫婦のようである。 いていると、 なんと二人は夫婦のようである。 すっかり気合いの抜けた私は、すごすごとテン トに帰り、私のマドンナは何処とつぶやきなが ら、 一人寂しく満天の星空を眺めるのであった。 [ タイム タイム]] 剱沢 剱沢(5:3 (5:3 0) 真砂沢山荘 0) 真砂沢山荘(7:00 (7:00 ~ 7 : 15 ) 二股 二股(( 8 :1 5 ) 池ノ平小屋 池ノ平小屋(( 1 0: 2 0 ~ 10:35) 仙人池ヒュッテ 10:35) 仙人池ヒュッテ(11:15 (11:15 ~ 11:4 5) 5) 仙人温泉(1 仙人温泉 (1 3:1 0 ~ 14 :20 ) 阿曽原小屋 ) 阿曽原小屋(1 (1 6: 10) ダイエットに成功と思いきや、その後長い間 体調を悪くしたのであった。数年前から行きた いと思っていた奥駆けと夏合宿と自分のしたい ことをすべてやれた夏であったが、気力に体が ついてこなくなったようである。まだまだ若い と思っていたが、自分の年を感じさせられた夏 であった。 [タイム タイム]] 阿曽原小屋 阿曽原小屋(6:10) (6:10) 欅平 欅平(10:10 (10:10 ~ 1 0 : 4 0 ) 宇奈月温泉 宇奈月温泉(( 1 2 : 0 0 ) ヨセミテ クライミング (1994 年8月 27 日~9月5日 日~9月5日)) 中尾 悦子 メンバー:: 中尾 メンバー 中尾・ ・他2名 以前の山岳会 MCC の高木さんからヨセミテに 行かないか?との誘いに、良いチャンスとばか り、参加する決心をします。 り、 参加する決心をします。で、 で、夏休み後半に 夏休み後半に 目標が一つ。怠けぎみだったクライミングに少 し力が入ります。彼等はエルキャピタンのビッ グウォールを登りたいとのこと。もちろん私に フォローができるわけではありませんが、下部 のフィックスできる4ピッチだけは、遊ばせて もらえると言う事で、フリーの練習や、 もらえると言う事で、 フリーの練習や、ユマー ユマー リング、荷上げ等普段できない練習にも力が入 ります。 8月も後半になり、夏合宿もそれなりに無事 終り、いよいよヨセミテに向かって出発です。 終り、 いよいよヨセミテに向かって出発です。 各々不安やら、期待やらを胸一杯にして、 各々不安やら、 期待やらを胸一杯にして、大阪 大阪 を飛び立ちます。ヨセミテ国立公園は、 を飛び立ちます。 ヨセミテ国立公園は、カリ カリ フォルニア州にあり、どちらかといえば岩に囲 まれ、日本ではあまりおめにかからないスケー ルの大きな公園です。シーズン中は、 ルの大きな公園です。 シーズン中は、色々な国 色々な国 から実に多くの人が、休暇を楽しみに来ていま す。宿泊施設もランク別に整っており、 す。 宿泊施設もランク別に整っており、レベル レベル と予算に応じた遊びが楽しめる所です。 8月 16 日 晴 今日もいい天気である。黒部川を見下ろしな がら、岸壁をコの字形にくり抜いた幅 がら、 岸壁をコの字形にくり抜いた幅 1.5 mほ どの水平歩道をいく。 最初数人と一緒だったが、 自分のペースで歩くうちに一人になった。 一度、 半分落ちかけた長さ30 半分落ちかけた長さ 30mほどのスノーブリッジ mほどのスノーブリッジ に出くわし、慎重を期してアイゼンを着けて に出くわし、 慎重を期してアイゼンを着けて 渡ったほかは、快調にとばしていった。 渡ったほかは、 快調にとばしていった。途中、 途中、 曲がり角を過ぎた途端ガサッと音がしたので、 驚いて見ると、約10 10m先の崖下をカモシカが飛 m先の崖下をカモシカが飛 ぶように降りていくのが見えた。休憩時に、 ぶように降りていくのが見えた。 休憩時に、山 山 側の茂みから獣の匂いがすることが時折あった が、どうもカモシカのようである。 が、 どうもカモシカのようである。クマでなく クマでなく てよかった。出発してから3時間ほどたった頃 であろうか、右手前方に奥鐘山の大障壁が見え た。硬い岩質なのだろうか、 た。 硬い岩質なのだろうか、切り立った岩肌か 切り立った岩肌か らにぶい光を放ち、何か登られるのを拒絶して いるようである。登り口の所で、 いるようである。 登り口の所で、イワナがよく イワナがよく 釣れるそうだし、是非また来てみたい。 釣れるそうだし、 是非また来てみたい。 欅平に着き、ビジターセンターでビデオを鑑 賞して時間をつぶした後は、黒部峡谷鉄道に 賞して時間をつぶした後は、 黒部峡谷鉄道に 乗って一路宇奈月温泉へ向かう。そして、 乗って一路宇奈月温泉へ向かう。 そして、観光 観光 客の群をかきわけて、宇奈月町民温泉会館へ。 客の群をかきわけて、 宇奈月町民温泉会館へ。 風呂からあがって体重を量ったところ、驚いた ことに 65kg の体重が 61kg になっていた。 8月 28 日 ((日 日) ヨセミテについた午後からエルキャピタン4 ピッチのフィックスに行きます。MCC ピッチのフィックスに行きます。 MCC の高木さ んと中村さんが交代でリード。私はユマールで フォローです。8月末のヨセミテはまだまだ暑 33 1994 年( 平成 6 年) 夏 く、喉の乾きはなかなかのものです。ただ、 く、喉の乾きはなかなかのものです。 ただ、壁 壁 にいると、風が強く、 にいると、 風が強く、汗をかくと言う感じはあ 汗をかくと言う感じはあ りません。下部は、 りません。 下部は、この壁の核心の一部と言う この壁の核心の一部と言う ことで、両名共かなり時間をかけて登って行き ます。両名共フリーのレベルはかなり高く、 ます。 両名共フリーのレベルはかなり高く、冬 冬 山等の経験も十分持ちあわせています。それに しても、ビッグウォールは中途半端ではありま せん。実力を精一杯だし、 せん。 実力を精一杯だし、3日も4日もかけて 3日も4日もかけて 登りきった者だけに、勝利の喜びを与えてくれ るのです。 結局4ピッチ登り、ザイルをフィックスし、 結局4ピッチ登り、 ザイルをフィックスし、 下降は夜間になります。それにしても、 下降は夜間になります。 それにしても、エル エル キャピタンは弱点を縫ってルートが伸びている だけに、ユマールでフォローすると本来のルー トからかなりかけ離れてしまいます。やはり実 力をつけ、自力で登れてこそのビッグウォール だろうなと思います。こうして記録にするほど の経験を私がしたわけではないのですが、私な りには充分な体験であり、 学ぶ事も一杯でした。 また、 他の2名も結局頂上にぬける事ができず、 残念な思いをした様ですが、次回につなぐ事の できる山行になったようです。 次に今後ビッグウォールを経験してみたいと 思う人に今回の装備を記入しておきます。 関西国際空港開港記念 クリーン大阪城 (1994 年8月 28 日) 堀 一 クリーン隊:柴谷 クリーン隊: 柴谷・ ・村上 村上・ ・飯窪 飯窪・ ・永広 永広・ ・畠山 畠山・ ・上 原・久壽 久壽・ ・横山 横山・ ・臼井 臼井・ ・東田 東田・ ・井上 井上・ ・堀 支援隊: 支援隊 :岩田 岩田・ ・田中 田中・ ・大塚 大塚・ ・大野 大野・ ・飯田 飯田・ ・木戸 木戸・ ・ 巽・西方 西方・ ・蔵田 蔵田・ ・南 昭和 58 年9月4日『大阪築城 『大阪築城400 400 年まつり クリーン大阪城』と銘打ち大阪城の大掃除が行 なわれてから 11 年の歳月が流れ、いま再び『関 西国際空港開港記念 クリーン大阪城』として 執り行われることとなった。 今回の大掃除はその名のとおり関西国際空港 の開港を控えて大阪の顔である大阪城をメイク アップし、内外からの観光客をその華麗な姿を もって歓迎し、また西の都たる大阪を印象づけ る目的もある。朝からよく晴れわたった上天気 の中で、豊国神社の前に集合した総勢 の中で、 豊国神社の前に集合した総勢 500 人の メンバーは無事故を祈願して柏手を打ったあと、 たわしや洗剤やザイルをもらって天守閣に取り ついた。 我が蛍雪は三層北面の担当であり40 我が蛍雪は三層北面の担当であり 40℃の酷暑 ℃の酷暑 の中の作業にしては比較的涼しい場所で幸運。 まずビレーポイントを設定したり、フィックス ロープを設置したりといった準備を行うのだが、 我々には前回の経験者である柴谷氏がおられる ので非常に心強い。そしていよいよ本番!勇ま しく大屋根の上に身をひるがえした。ところが である。普段から岩に取りついて高度に慣れて おり「このぐらいたいしたことはない、 おり 「このぐらいたいしたことはない、遊び半 遊び半 分で1日をすごせる。」 と高を食っていた我々で あったが、いざ屋根のうえから見下ろすと今ま で経験したことのない物凄い高度感に皆足がす くんでしまう。 岩壁のようなハンドホールドは無く、足を滑 らせると本当に空中に投げ出されて宙吊りに なってしまう。軒瓦を磨くためにトラバースし ていくのだから余計に怖い。しかも確保に使っ ているザイルは捨てても惜しくないようなぼろ ザイルだから尚更である。恐怖に顔を引きつら せながらそろりそろりと軒先に近づき、下を見 ないように腕を精一杯伸ばしてたわしで磨いて フレンズ 2セット キャメロット 1セッ ト エイリアン 2セット ロックス 2 セット RP セット RP 2セット ウォールホーラ 2セット ウォールホーラ 1 予備ブーリー 1 ロープ 10.5 1 予備ブーリー 1 ロープ 10.5 × 2 9 × 2( 2(登はん 登はん 10.5 10.5 × 2 9 × 1) 1) カラビ カラビ ナ 50 ナ 50 枚 ランナー 枚 ランナー 20 20 本 クイックド ロー 55本 ユマール 各自 ロー 本 ユマール 各自 11セット 他 ただしヨセミテはビッグウォールだけがすべ てではありません。1ピッチで登れるルートか ら始まり、本当に何十、 ら始まり、 本当に何十、何百と言う感じでそれ 何百と言う感じでそれ こそレベルに応じたクライミングが楽しめる所 です。そして、 です。 そして、国立公園が持っている景色の雄 国立公園が持っている景色の雄 大さ、美しさ、 大さ、 美しさ、充分観光で行って楽しめる所で 充分観光で行って楽しめる所で す。 最後に、ヨセミテに行く機会があれば是非グ レイシャーポイント‥‥それも夕刻に出かけて 下さい。その素晴しい景色、 下さい。 その素晴しい景色、大きな風景に思わ 大きな風景に思わ ずため息が出ることまちがいなしです。 34 1994 年( 平成 6 年) 夏 いくのである。鳥の糞でコテコテになった所は へらでかきおとし、それ以外のところはクレン ザーをたわしに付けて磨いていく。スポンジも あったが、これで落ちるようななまやさしい汚 れは無い。力を込めて磨くのだが 力を込めて磨くのだが11 11年前と同じ 年前と同じ ように水が無いのでクレンザーと汚れが渾然一 体となった糊状のべとべとぬちゃぬちゃ状態の 物が瓦にへばりついて掃除をしているのか汚し にきたのか判らない。やっと上の層から我が部 署にホースが回ってきたときには半ねり状態に なっていて水をぶっかけたくらいではびくとも せず、たわしを持ってもう一度こすり落としに いかなければならない状態になっていた。一雨 降ればきれいになると言った話も出ていたが、 記録的な今年の猛暑と旱魃では、ようやく雨が 降る頃にはからからに乾燥しきって少々の雨で は洗い流すことは出来ないのではないかと思わ れた。 日も西に傾きかける17 日も西に傾きかける 17時、 時、どうにかこうにか 恐怖の一日は終わり、乾いた喉にビールを流し 込みながら皆と今日の無事を喜びつつクリーン 大阪城は閉幕した。下から見上げた大阪の顔は 何となくきれいになったように見え、その分 何となくきれいになったように見え、 その分 我々の顔が汚れてみえるのは言うまでも無かっ た。 35 1994 年( 平成 6 年) 秋 テントをたたみ、下山準備をする頃には雨は 止んでいた。帰りは砂防新道を下る。 止んでいた。 帰りは砂防新道を下る。観光新道 観光新道 に比べると景色に余り変化がなく、単調な下り が続く。明け方から降っていた雨が嘘のように 晴れ上がり、日が照って暑い。 晴れ上がり、 日が照って暑い。残念、 残念、もう少し もう少し 時間があったら、と悔やまれた。 時間があったら、 と悔やまれた。別当出合に無 別当出合に無 事到着。バスの時間には間に合った。 事到着。 バスの時間には間に合った。 [ タイム タイム]] テント場発 テント場発(9:2 (9:2 0) 甚之助避難小 0) 甚之助避難小 屋着(( 1 0 :3 0 ) 別当覗き着 屋着 別当覗き着(( 1 0 :5 5 ) 別当出 合着(( 1 1 : 5 5 ) 合着 白山 (1994 年9月 23 日~9月 24 日) 蔵田 道代 メンバー: メンバー :大野 大野・ ・臼井 臼井・ ・東田 東田・ ・蔵田 9月 22 日 夜 11 時半大阪駅集合。いよいよ出発。列車は 空席が多く、シートに横になって眠る。 空席が多く、 シートに横になって眠る。Lucky! Lucky! 9月 23 日 早朝4時過ぎ金沢駅到着。バス発車まで時間 があるので駅で仮眠する。駅で寝ることに抵抗 は無くなった。 バスに乗ること2時間余り、 別当出合に着く。 曇り空で今にも雨が降り出しそうだ。テント場 に着くまでは降らないように、と思いながら観 光新道を歩き出す。ひたすら登る。 光新道を歩き出す。 ひたすら登る。木の階段が 木の階段が 延々と続き、足に負担がかかる。 延々と続き、 足に負担がかかる。殿ケ池避難小 殿ケ池避難小 屋に到着した頃から雨が降り出す。黒ボコ岩目 指して急ぐ。真砂坂、 指して急ぐ。 真砂坂、馬のたてがみ、 馬のたてがみ、どこまで どこまで 登りが続くのかと思っていたら目の前に黒ボコ 岩が現れた。雨は降ったり止んだり。 岩が現れた。 雨は降ったり止んだり。そこから そこから 南竜ケ馬場のテント場まで下って行く。せっか く稼いだ高度を下るのは勿体ない。途中紅葉の 美しさに思わず足を止めた。一枚の写真を見て いるようだった。無事テント場に着くが、 いるようだった。 無事テント場に着くが、夕方 夕方 よりまた雨がひどくなる。 明日は頂上に向かう。 晴れますように、いや、 晴れますように、 いや、間違いなく晴れるだろ 間違いなく晴れるだろ うと信じて眠りにつく。 [タイム タイム]] 別当出合発 別当出合発(9:10) (9:10) 11 時 45 分殿ヶ 池避難小屋着(( 1 1 :4 5 ) 黒ボコ岩着 池避難小屋着 黒ボコ岩着(( 1 3 : 0 0 ) テント場着(( 1 4 : 4 5 ) テント場着 登りの途中で休憩したら、すぐに寒くなって きた。つい1ケ月前までは身体に当たる風が涼 しくて気持ちが良かったのに。山では確実に季 節が移り変わっている。冬はもうすぐそこだと 思った。今回頂上には行けなかったが、 思った。 今回頂上には行けなかったが、素晴ら 素晴ら しく色づいた紅葉を見て、富士山、 しく色づいた紅葉を見て、 富士山、立山と並ぶ 立山と並ぶ 日本三名山の白山の良さに触れたような気がし た。今度はぜひとも高山植物の咲き乱れた白山 を歩いてみたい。 東北 朝日連峰 (1994 年9月 23 日~9月 25 日) 中尾 悦子 メンバー:: 秋田 メンバー 秋田・ ・中尾 9月の連休は、思いきって東北に足をのばし ます。本来は4名の予定でしたが、 ます。 本来は4名の予定でしたが、結局2名に 結局2名に なります。以前も利用したのですが新幹線と高 速バスの組み合わせです。これですと翌日朝か ら行動できて、東北とはいえ一日が有効に利用 できます。 9月 24 日 午前3時起床。風はきついが雨は降っていな い。やった!4時過ぎ、 い。 やった!4時過ぎ、出発するためにテント 出発するためにテント の外に出る。テントが吹き飛ばされないよう中 に石を入れておく。しかし、 に石を入れておく。 しかし、辺り一面ガスに覆 辺り一面ガスに覆 われて何も見えない。空には月も星もなく、 われて何も見えない。 空には月も星もなく、 ヘッドランプの光は先まで届かない。道が見え ず、全く方向がわからない。 ず、 全く方向がわからない。誰もこの状況で頂 誰もこの状況で頂 上まで行く自信がなかった。少し明るくなるま で待とう、テントに入った途端雨が激しく降り 出した。結局頂上は断念せざるを得なかった。 出した。 結局頂上は断念せざるを得なかった。 9月 23 日 朝は残念ながら雨でしたけど、出発の頃から 曇りながらも雨具のいらない出発になりました。 さすが秋田さんと行動すると雨はあがる様です。 それにしても湿気が多いからでしょうか、体の きれは随分悪くしんどい歩きになりました。 残念ながら視界も悪く、今日は秋山を楽しむ までとは、いきません。 までとは、 いきません。今日は大朝日小屋へ。 今日は大朝日小屋へ。 かなり多くの人が泊まっています。東北の山は 36 1994 年( 平成 6 年) 秋 素泊りのできる小屋が多く、充分これを利用す る事になります。他のお客さんできのこをしっ かり採ってくる人がいて、私たち大阪人には、 かり採ってくる人がいて、 私たち大阪人には、 うらやましいばかりです。でもおすそわけをい ただいて、その味のよさに満足します。 ただいて、 その味のよさに満足します。 [ タイム タイム]] 朝日鉱泉 朝日鉱泉(9 (9 :10 ) 鳥原山 ) 鳥原山(1 (1 2:0 5) 小朝日(( 1 3 : 0 5 ) 大朝日小屋 小朝日 大朝日小屋(( 1 4 : 4 6 ) 屏風岩 (1994 年 10 月7日~ 10 月 10 日) 横山 典郎 メンバー: メンバー :中尾 中尾・ ・横山 1.屏風岩へ 1.屏風岩へ 初めてこの話が出たのはこの年の夏合宿だっ た。熊の岩で酒盛りをしている時、 た。 熊の岩で酒盛りをしている時、中尾さんが 中尾さんが 「10 月の連休、屏風を考えてるの。」と言ったの だ。僕は だ。 僕は(( 遂に来るべきものが来た 遂に来るべきものが来た)) と思った。 それには正直言って、 「憧れの壁にチャレンジ出 「憧れの壁にチャレンジ出 来る」と言う興奮と、 来る」 と言う興奮と、それが それが「自分の思ってい 「自分の思ってい た時期よりも早く来た」と言うとまどいがあっ た。 とは言え、せっかく訪れた機会である。 とは言え、 せっかく訪れた機会である。8月 8月 の末には登る方に腹を決め、クリーン大阪城だ の、沢登りだのの合間をぬって人工登攀の練習 をし、10 をし、 10 月7日の夜に大阪を出発した。上高地 へのアプローチは直通バスを利用したので楽 だった。着いたのは8日の朝、 だった。 着いたのは8日の朝、5時半頃。 5時半頃。身支 身支 度をして出発をし、横尾に到着したのは9時過 ぎだったと思う。 2.東稜 2. 東稜 横尾にツェルトを張った後、時間があるので 下見をかねて屏風に出かけた。T4まで登り、 下見をかねて屏風に出かけた。 T4まで登り、 東稜も3ピッチぐらい遊んで見ようと言うので ある。T4までは調子良く進み、 ある。 T4までは調子良く進み、Ⅲ級~Ⅳ級程 Ⅲ級~Ⅳ級程 度を2ピッチこなした後、ノーザイルでバンド 状のテラスにたどり着いた。 しかし、東稜の取り付きでかなり待たされた ため、2ピッチで時間切れとなった。 (2ピッチ 目は 40 40mぐらいの人工ルートで、 mぐらいの人工ルートで、僕はリードす るのにかなり手間取った)) 懸垂で下まで降り、 るのにかなり手間取った 横尾に帰って寝た。 3.雲稜 3. 雲稜 翌 10 10月9日は夜明け前に横尾を出発した。 月9日は夜明け前に横尾を出発した。前 日の様子からかなりの混雑が予想されたためだ が、実際ははるかにそれを上回っていた。 が、 実際ははるかにそれを上回っていた。T4 T4 の取り付き下に7~8パーティが待機していた のである。前日と同じピッチをたどり、 のである。 前日と同じピッチをたどり、T4に T4に 上がったのは9時頃だったか。 そこで大阪市大パーティの墜落事故が起こる。 詳しくは当時の「ほたるとゆき」 詳しくは当時の 「ほたるとゆき」に書いたので に書いたので 省略する。が、 省略する。 が、とにかくリードをしていた学生 とにかくリードをしていた学生 9月 24 日 今日は晴れました。マアマアの天気です。 今日は晴れました。 マアマアの天気です。 我々は 5:30 起床で充分と読みます。 起床で充分と読みます。今日は縦 今日は縦 走がメインで充分山を楽しめる一日になります。 景色もなかなか美しく、一部紅葉もし快適に歩 けます。そして何故か我々より一時間も前に出 発した若者を追い抜きます。” なんでこんな所に いるの?”なんて聞いて若者の心をいたく傷つ けます。 大朝日岳は標高が高いとはいえませんが、形 の良い山です。その大朝日岳もいつかはるかか なたに見えるほどに距離を歩き、以東岳まで足 を延ばします。ここまで来れば大鳥小屋ももう 一歩です。ここでは、 一歩です。 ここでは、何故か単独のおじさんに 何故か単独のおじさんに 会います。で、 会います。 で、北海道からきた若者も含めて、 北海道からきた若者も含めて、 結局大鳥小屋での大宴会になってしまいました。 きのこの採り方を教わり、 それも食卓にのせ、 岩魚もいただき、各自持参のお酒を飲み、 岩魚もいただき、 各自持参のお酒を飲み、いつ いつ か私が傷つけた若者も参加し、 山ぶどうも食べ、 食の東北を満喫します。意外なつながりや、 食の東北を満喫します。 意外なつながりや、楽 楽 しい会話。一期一会の出会いが良いものであれ ば、この山行本当に良いものであったと言える ようです。 [ タイム タイム]] 大朝日小屋 大朝日小屋(( 6: 1 5) 西朝日岳 西朝日岳(( 7 : 20) 竜門山小屋 20) 竜門山小屋(8 (8 :20 ) 北寒江山 ) 北寒江山(9 (9 :20 ) ) 狐穴小屋(( 1 0 :0 0 ) 以東岳 狐穴小屋 以東岳(( 1 1 :5 0 ) 大鳥小 屋( 1 4 : 1 0 ) 9月 25 日 残念ながら朝からかなりの雨になります。た だし今日は下山のみです。この2~3日のほん のささやかな、でも良い思い出の山行になりま した。 [タイム タイム]] 大鳥小屋 大鳥小屋(7:15) (7:15) 泡滝ダム 泡滝ダム(8:55) (8:55) 37 1994 年( 平成 6 年) 秋 が懸垂下降に失敗して、30 30mぐらい墜落したと mぐらい墜落したと 言う、語るに恐ろしい事件であった。 言う、 語るに恐ろしい事件であった。彼はかす 彼はかす り傷しか負わなかったが、後続パーティも巻き 込んだ為に僕たちの順番が繰り上がった。1 込んだ為に僕たちの順番が繰り上がった。 1 ピッチ目、中尾さんが取り付く。 ピッチ目、 中尾さんが取り付く。Ⅳ級+ぐらい Ⅳ級+ぐらい のピッチだったがはっきり言って恐かった。セ カンドで良かったと思う。次のピッチは僕が カンドで良かったと思う。 次のピッチは僕が リードしたが実はこれも恐かった。トラバース 気味でルートが分かり難かったせいであるが、 まぁ仕方がないか。4ピッチ目で先行パーティ がつまっていて、1時間以上待たされる。 がつまっていて、 1時間以上待たされる。が、 が、 実際登ってみるとそうたいした事はない普通の 人工ルートであった。この後、 人工ルートであった。 この後、僕たちは順調に 僕たちは順調に ピッチをこなし、11 4 時頃には終了点に到達し ピッチをこなし、 た。15 た。 15 時に屏風の頭。そして日没には間に合わ なかったが、18 18時には涸沢を経由して横尾に帰 時には涸沢を経由して横尾に帰 還した。上原さんと宴会を共にし、翌 10 月 10 10日 日 の早朝に大阪への帰路についた。屏風は全体的 にピッチが長く、ピンが古いのでチンネに比べ るとかなり緊張した。あと涸沢の紅葉がすごく きれいだったのが印象的だった。 うととしてしまった。明日は天気が良さそうで ある。 [タイム タイム]] 上高地 上高地(8:30) (8:30) 横尾 横尾(12:00) (12:00) 涸沢 涸沢 (14:20) 10 月9日 晴れ 今日も朝早くから登山者が列を作っている。 ハシゴでの時間待ちが心配である。途中、 ハシゴでの時間待ちが心配である。 途中、何人 何人 かに道をあけてもらい、ザイテングラードを登 り切った。幸いにもハシゴは込んでおらず、 り切った。 幸いにもハシゴは込んでおらず、楽 楽 に奥穂頂上に着くことができた。よく晴れてく れたおかげで富士山から後立山連峰など 360 度 の大展望である。 奥穂の下りではこれからアタックする人とぶ つかり、ハシゴで ハシゴで10 10 分ほど待たされる。最初は ザイテングラードを下降する予定だったが、人 が多いため北穂まわりで降りることにする。涸 沢岳-北穂間は険路の連続だが荷物が軽いため に困難なく通過できた。北穂からの眺めもすば らしい。 滝谷のスケールの大きさにも感動した。 北穂南稜の下りは人も少なく、スムーズに降り ることができた。涸沢からは紅葉の中を下って いく。 夕食を済ませて就寝しようとしたころに、 屏風岩を登ってきた中尾・ 屏風岩を登ってきた中尾 ・横山隊と合流し、 横山隊と合流し、静 静 かな酒盛りをして少しばかり盛り上がった。 [タイム タイム]] 涸沢 涸沢(5:50) (5:50) 奥穂 奥穂(7:50) (7:50) 北穂 北穂(10: (10: 30) 涸沢 30) 涸沢(13:00) (13:00) 横尾 横尾(15:20) (15:20) 10 月 10 日 晴れ後曇り後雨 薄暗い中を天狗原を目指して出発。槍見河原 で小休止の後槍沢を登るが、前日の疲れが残っ ているせいか足取りが重い。槍沢ロッジで思わ ず大休止を取ってしまった。槍沢下部の紅葉も また美しく、ついついカメラを向けてしまう。 また美しく、 ついついカメラを向けてしまう。 天狗原分岐付近では紅葉も終わり、ナナカマド が赤い実を付けている。やっとのことで天狗原 に着いたが天狗池の水の少なさにがっかりした。 気を取り直して水面に映る槍ヶ岳を撮影した。 2週間ほど前なら紅葉もすばらしかっただろう。 東鎌尾根を見上げながら3年前の春山を思い出 していた。あのときは本当にきつかった。 していた。 あのときは本当にきつかった。 往路を引き返す。まるで紅葉の中に吸い込ま れるような気がする。横尾でデポしたザックを かつぎ、上高地へと向かう。 かつぎ、 上高地へと向かう。ところが徳沢付近 ところが徳沢付近 で雨が降り出してしまった。好天もここまでの 奥穂高岳・ 奥穂高岳 ・天狗原 (1994 年 10 月8日~ 10 月 11 日) 上原 雅宣 10 月8日 晴れ 10 月とはいえ、上高地の朝は寒い。眠い目を こすりながら出発。三連休とあって観光客、 こすりながら出発。 三連休とあって観光客、登 登 山客でいっぱいである。横尾からは登りが続く が長蛇の列である。テント場を確保するために 先を急ぐ。そのかいあって石の少ない、 先を急ぐ。 そのかいあって石の少ない、しかも しかも 水平なところにテントを張ることができた。登 山者は続々と増え、テントはかるく 山者は続々と増え、 テントはかるく 100 張りは ある。山小屋も超満員である。 ある。 山小屋も超満員である。前日の睡眠不足 前日の睡眠不足 と疲れから、気象通報を聞いている途中にうと 38 1994 年( 平成 6 年) 秋 ようである。 [タイム タイム]] 横尾 横尾(5:30) (5:30) 天狗原 天狗原(9:10) (9:10) 横尾 横尾 (12:00) 上高地 (12:00) 上高地(15:00) (15:00) てる。小屋へ行った時ホットミルクを配ってい たので、私達も半額で分けてもらう。 たので、 私達も半額で分けてもらう。後日、 後日、テ テ レビでこの時ミルクを分けてくれたお姉さんが、 小屋の主人だと知って驚いた。ホットミルクで 心まで暖まり、テントに戻り、 心まで暖まり、 テントに戻り、目覚しを3時半 目覚しを3時半 に合わせて寝る。両隣でラジオの音がする。 に合わせて寝る。 両隣でラジオの音がする。ウ ウ トウトしかけては、歓声で起こされる。 トウトしかけては、 歓声で起こされる。巨人の 巨人の 優勝を決める試合らしい。優勝決定の瞬間、 優勝を決める試合らしい。 優勝決定の瞬間、隣 隣 の男の子が大声で騒ぎ、堪忍袋の緒が切れそう になる。他のテントの人が怒鳴ってくれてスッ としたが、 「長嶋監督の胴上げまで見せてくださ い」と言っている。テレビを見ているらしい。胴 上げが終わるとテントの外ヘ出て万歳三唱をし た...ア然。 .ア然。そういう事があったせいか、 そういう事があったせいか、3時 3時 頃周りのテントの人達が起きる気配を感じたが 「あと 30 30分 分」と寝てしまい、次に目を覚ました時 は5時だった。 10 月 11 日 雨後曇り 前夜からしとしと小雨が降り続いている。大 正池方面への散策をあきらめ、バスターミナル へと向かう。 穂高の峰々は雲の中に隠れている。 河童橋付近で撮影をして帰路についた。 10 月9日 今日のコースは8時間以上かかる。7時に出 発。最初は尾根道なので頑張って歩けたが常念 岳までは小さなピークを2つ越えなければいけ ない。靴ずれで一層速度が落ちる。 ない。 靴ずれで一層速度が落ちる。 常念小屋に着いた時には私はヘトヘトだった。 大野さんは元気だったので大天井岳まで行けそ うだったが東天井岳への長い登り道を見ると私 は気が遠くなりそうだった。時間もリミットを すぎていたので、今日はここに泊まることに決 定。早めに夕食を済ませ、 定。 早めに夕食を済ませ、昨日の睡眠不足を取 昨日の睡眠不足を取 り戻すべく爆睡する。次の日、 り戻すべく爆睡する。 次の日、朝日を拝みつつ 朝日を拝みつつ テントをたたみ、ヒエ平へ下る。 テントをたたみ、 ヒエ平へ下る。 3日間、一滴の雨も降らず、 3日間、 一滴の雨も降らず、穂高、 穂高、槍の大パ 槍の大パ ノラマを見て歩けた。私の体力に合わせて歩い てくれた大野さんに感謝。 蝶ヶ岳~常念岳 (1994 年 10 月8日~ 10 月 10 日) 木島 三喜 メンバー: メンバー :木島 木島・ ・大野 紅葉の北アルプスへ行きたいと、夏頃から大 塚さんが言い出し、大野さんと3人で計画し上 高地行きのバスを予約する。しかし大塚さんが 用事で行けなくなり...大野さんと相談、 .大野さんと相談、予定 予定 通り行くことにする。 10 月8日 上高地のバスターミナルで偶然にも中尾さん、 横山さんに会い、一緒に朝食を摂る。 横山さんに会い、 一緒に朝食を摂る。明神、 明神、徳 徳 沢と休息しながらゆっくりしたペースで歩き、 いよいよ長堀尾根へ入る。今までたくさん人が いたのに、こちらへ行く人はほとんどいない。 いたのに、 こちらへ行く人はほとんどいない。 樹林帯を登り続けるが、7月末以来山へ行って いなかった私と、夏合宿へ向けてトレーニング を重ね、剱、 を重ね、 剱、沢登りと行っていた大野さんとで 沢登りと行っていた大野さんとで は、 “天と地”程の体力の差を感じた。登山靴の 紐を間違えた為、靴ずれになり、 紐を間違えた為、 靴ずれになり、蝶ヶ岳の尾根 蝶ヶ岳の尾根 が見えた頃は、体もバテバテだった。 が見えた頃は、 体もバテバテだった。 山行計画書では、燕岳までのコースを書いた が、明日、 が、 明日、常念で泊り、 常念で泊り、下山したいと思い始め 下山したいと思い始め る。とにかく蝶ヶ岳のキャンプ場でテントをた 39 1994 年( 平成 6 年) 秋 飲みながら夕陽の沈んで行くのを何もせずに ボーッと眺めて眠りに就く。 [ タイム タイム]] 西穂山荘 西穂山荘(( 6 :2 0 ) 独標 独標(( 7 :1 0 ) 西穂高岳(8 西穂高岳 (8 :0 0) 間の岳 間の岳(9 (9 :1 0) 天狗岩 天狗岩(( 9 : 50 ) ジャンダルム(1 ジャンダルム (1 2:00 ) 奥穂高岳 ) 奥穂高岳(1 (1 3: 0 0- 13 :4 0) 白出のコル 白出のコル(( 14 : 20 ) 穂高稜線一人旅 (1994 年 10 月8日~ 10 月 10 日) 柴谷 武史 山を始めて20年未だ見ぬ穂高の紅葉を見てみ 山を始めて20 年未だ見ぬ穂高の紅葉を見てみ たい、身体を休めて朝から出発したい、 たい、 身体を休めて朝から出発したい、 ほんの少し歯ごたえのある人気の少ないルート を取りたい、等とグチャグチャ言っている内に 結局一人で行く羽目になり、美味しい所取りの ルートを選んだ。 10 月 10 日 晴 名古屋から高山への車中で地元のお母さんか ら忠告を受けた。10 10日は高山祭の最終日だから 日は高山祭の最終日だから 指定を取って無いなら午前中の電車に乗らない と悲惨な目に会うよ。夏山合宿以来久し振りに 都会を離れてせっかくここ迄来たのだからゆっ くりとして行きたいと思いつつも明日からの事 を考えて早出する事にする。 白出沢は初めて下るのだが、1時間程でガレ 場が終わり、森林限界に入る。 場が終わり、 森林限界に入る。走り下りて来た 走り下りて来た ので早くも膝がガクガクしてきた。この付近は 紅葉真っ盛りで、色も非常に鮮やかだ。 紅葉真っ盛りで、 色も非常に鮮やかだ。やっと やっと 出番登場とばかりに担いで来たカメラを取り出 し、懸命にシャッターを押す。 し、 懸命にシャッターを押す。 さらに沢沿いの道をひたすら飛ばすと、稜線 からわずか2時間余で林道に出てしまった。 今なら一つ早いバスに乗れるとこれ又林道を 飛ばすと、発車寸前のバスに間に合った。 飛ばすと、 発車寸前のバスに間に合った。その その 上高山に着くと又々発車寸前の特急に間に合っ た。ロスタイムゼロの最終日だった。 た。 ロスタイムゼロの最終日だった。 [タイム タイム]] 白出のコル 白出のコル(6:10) (6:10) 白出沢出合 白出沢出合(8: (8: 3 0 ) 新穂高 新穂高(( 9 : 3 0 ) 大阪 大阪(( 1 5 : 2 0 ) 10 月8日 晴 新幹線で名古屋経由高山へ行き、新穂高へ入 る。ロープウェイは観光客で溢れており、 る。 ロープウェイは観光客で溢れており、20 分 で済む所に3時間を要した。今年の猛暑の為な のか、高度を上げるに従って木々は色付いて来 るのだが、今一つ目の醒める様な赤味が見当た らない。 できるだけ小屋から離れてテントを張る。テ ント場には余裕があるのだが、西穂山荘は中高 年の登山者と親子連れのハイカーですし詰め状 態の様であった。 [ タイム タイム]] 大阪 大阪(7 (7 :20 ) 新穂高 ) 新穂高(13:00) (13:00) 山 山 頂駅(( 1 6 : 2 0 ) 西穂山荘 頂駅 西穂山荘(( 1 7 : 1 0 ) 10 月9日 晴 独標を越え西穂山頂迄は他の登山者をハイ ピッチで追い越して行く。季節柄、 ピッチで追い越して行く。 季節柄、初冠雪の可 初冠雪の可 能性も有るのでアイゼンも入れて来たのだが、 冬支度は全くの無駄に終わりそうだ。 西穂から先は突然人気は無くなり、風の音だ けの静かな一人旅が楽しめる。天狗岩を過ぎる 頃よりだんだんとペースが落ちてくる。ジャン ダルムへの登りの途中で小さな岩峰に登り腰を 下ろす。岳沢周辺は紅葉の真っ盛りの様子だ。 下ろす。 岳沢周辺は紅葉の真っ盛りの様子だ。 ここはかなり以前に正月に通ったコースなのだ が、廻りの景色の記憶が無い為、 が、 廻りの景色の記憶が無い為、前穂高岳 前穂高岳・ ・明 神岳・ 神岳 ・霞沢岳 霞沢岳・ ・焼岳 焼岳・ ・笠ヶ岳等何れの山々も見 る角度が目新しい。 最後はヒマラヤ登りで奥穂山頂に着く。一面 人だらけ。静かな一人旅はわずか5時間で終 人だらけ。 静かな一人旅はわずか5時間で終 わってしまった。期待していた涸沢の紅葉も今 いちの状態。奥穂からの下りは大渋滞。 いちの状態。 奥穂からの下りは大渋滞。白出の 白出の コルの一番高いところに陣地を取り、ビールを 結果的に超駆足で往復した穂高であったが、 大阪に戻ってみると、わずか9時間前には3千 米の稜線に居た事が非現実的に思われ、山へ 米の稜線に居た事が非現実的に思われ、 山へ 行って来た夢を見ている様な感触だった。 そこそこの荷物を担いであれだけ飛ばせたの だから俺もまだまだと喜んでいたのだが、翌日 から3日間、階段を下るのと個室でしゃがむの が大変で、その都度夢だった様な山行が現実 が大変で、 その都度夢だった様な山行が現実 だったと悟るはめになった。 40 1994 年( 平成 6 年) 冬 次の4メートル程の氷漠に取り掛かる。永広さ んのリードはさすがに華麗で感心させられたが、 残る2人は対照的で、そのどん臭いことと言っ たら情け無い。ステップを刻み、 たら情け無い。 ステップを刻み、ザイルにぶら ザイルにぶら 下がりながらようやく這い上がると言う体たら く。その後しばらくは小さな滝や、 く。 その後しばらくは小さな滝や、なめ滝を登 なめ滝を登 り8メートル程の美しい氷漠に出会った。これ に永広さんが取りついたが、氷がもろくてアイ スハーケンが効かないので高巻きする事になっ た。 ところが我々が出会った滝はこれが最後で、 後はひたすら雪道が続くだけ、阿弥陀岳南稜の 稜線すらすぐ上に見える。そう、 稜線すらすぐ上に見える。 そう、ここは ここは「クリ 「クリ スマス・ スマス ・ルンゼ」 ルンゼ」ではなっかったのだ。 ではなっかったのだ。と言っ と言っ ても今更どうにもならない。しかたがないので 左に有る尾根を越えて隣の沢に入り別の滝を探 そうと言うことになったが、藪こぎをしてよう やくたどり着いた沢に待っていたのは胸まであ るラッセル。これにもめげずにもう一本尾根を 登って次の沢を見下ろしてみたが、そこにも有 るのは深い雪ばかり。 「もうこれ以上行っても滝 「もうこれ以上行っても滝 は出てこんやろう。 」と言うことで、ひたすら藪 こぎと木登りをしながら尾根通しに阿弥陀岳南 稜をめざした。出てきた所は立場岳と無名峰の 間。そこからは縦走路をひたすら登り詰め、 間。 そこからは縦走路をひたすら登り詰め、バ バ テバテになりながら阿弥陀岳のピークを踏み、 そこからの降り口をまたも大ボケかまして間違 えて阿弥陀岳北稜に入り込み、やっとの思いで 行者小屋の天場に着いたのは 17 時頃であった。 幻の「クリスマス 幻の 「クリスマス・ ・ルンゼ」 (1994 年 12 月 22 日~ 12 月 25 日) 堀 一 メンバー: メンバー :L永広 L永広・ ・井上 井上・ ・堀 22 日夜、いつもの急行「ちくま」に乗り込み、 これまたいつものように宴会が始まるのであっ た。とは言うものの今回は3人と少人数のうえ にむくつけき男どもだけなので今一つバカ話も 盛り上がらず、ただひたすら明日のことも考え ず飲み続けて夜は深けていった。 23 日朝、松本で乗換え茅野へ向かった。前夜 の疲れか、みんな白み行く車窓を無表情に眺め ていた。いくつかの駅を過ぎたある駅のこと、 ていた。 いくつかの駅を過ぎたある駅のこと、 電車の扉が今まさに閉じようとしたとき誰かの 素っ頓狂な声がした。 「ここ茅野ちゃうんか?」 「ここ茅野ちゃうんか?」 。 この瞬間いとも簡単にパニックに陥った。 「降り 「降り ます。ちょっと待ってくれー!」 ます。 ちょっと待ってくれー!」と叫び、 と叫び、荷物 荷物 を必死になって車外へ引きずり出す。車掌が半 分あきれながら「早く降りてくださいよ。」と言 う。何とも情け無いボケを朝っぱらからかます 3人であった。 茅野からはタクシーを使って船山十字路まで 入り、そこから林道をしばらく歩いて広河原沢 に入る。 沢に入ってからの河原のゴーロは中途半端に 雪が着いていて歩きにくく、すごくしんどい。 雪が着いていて歩きにくく、 すごくしんどい。 12 時前には右股に入り、氷が出てきたところで 「今日は寝不足でしんどいからこの辺りでやめと こか?」と言う永広さんの判断に他の2人も一 二もなく賛成。早々にテントにもぐり込み、 二もなく賛成。 早々にテントにもぐり込み、荷 荷 を軽くするためと言う大義名分をかかげて又も 大酒をかっ食らい、後は夕食まで爆睡するボケ ナスな3人組。こうなると山を登りにきたのか 酒を飲みにきたのか良く判らない。 25 25日はひたすらしんどかった難行苦行のよう 日はひたすらしんどかった難行苦行のよう な今回の山行(( 原因は酒の飲み過ぎと、 な今回の山行 原因は酒の飲み過ぎと、ボケか ボケか ましまくったせい。 )を振り返りながら柳川南沢 の道を美濃戸口へと足早に下山し帰阪の途に着 いた。 24 日、朝食を早々に済ませて目的の「クリス マス・ マス ・ルンゼ」 ルンゼ」にむかう。 にむかう。広河原沢右股を氷を 広河原沢右股を氷を 踏んで遡行していくと程無く右側に2メートル 程の氷漠をかけたルンゼに出会った。その奥に は4メートル程の氷漠も見える。これこそ は4メートル程の氷漠も見える。 これこそ「ク 「ク リスマス・ リスマス ・ルンゼ」 ルンゼ」ではないかと、 ではないかと、早速取りつ 早速取りつ いた。 最初の2メートル程の氷漠は難無く登りきり、 41 1994 年( 平成 6 年) 冬 本日はテントを張らずに肩の小屋で泊ります。 夏ならいつでも満員でとても泊ることなどでき ないこの肩の小屋ですが冬なら解放されており うれしいばかりです。誰が聞いているのか紅白 歌合戦のラジオの音が冬山気分を盛り上げます。 槍ヶ岳 (1994 年 12 月 30 日~ 1995 年1月1日 年1月1日)) 村上 隆志 メンバー: メンバー :L村上 L村上・ ・横山 横山・ ・中尾 中尾・ ・井上 槍ヶ岳は私にとって大好きな山の 1 つです。 悲しいまでに独り天空を指すその姿は心にグッ とくるものがあり『いよっ!大将、粋だね!』と 思わず叫びたくなります。 私は北鎌尾根、西鎌尾根、東鎌尾根、大キレッ トと4つのルートを全て歩いたのであとただ1 つ残った中崎尾根にぜひ行きたいと思っていた ところ、メンバーの快諾を得て登山となりまし た。 今回、中尾のお姉様を筆頭に横山君、 今回、 中尾のお姉様を筆頭に横山君、井上君 井上君 をお供に従えて私を含む4人のメンバーで年末 年始に槍ヶ岳に行くのです。 中崎尾根は我が蛍雪山岳会でも経験者がおら ずどんなルートなんだろうと楽しみです。 95 年1月1日 今日はいよいよ槍のピークを目指します。昨 日に続き朝から濃いガスの中出発です。槍の 日に続き朝から濃いガスの中出発です。 槍の ピークまでは鎖が凍っており緊張します。特に 井上君はまるで女子学生のようにのたのたして います。槍のピークは濃い霧と強風で何も見え ずあまりの寒さにすぐ下山します。降りるとき もまたのたのたです。思わず激が飛びます。 もまたのたのたです。 思わず激が飛びます。で で もどんなに大声を出しても風が強く何も聞こえ ないようです。中尾さんもあまりの強風に吹き 飛ばされそうです。 槍のピークから大喰、中岳、 槍のピークから大喰、 中岳、南岳と縦走する 南岳と縦走する 予定でしたが大喰西尾根を下降することとなり ました。ところがあまりの強風で目が開けてお れず下降路がよくわかりません。行ったり来た りしながら道を捜し降り始めます。横山君も井 上君も中尾さんまでが顔面凍傷になってしまい ました。特に井上君は顔が真っ黒で変です。 ました。 特に井上君は顔が真っ黒で変です。 私?私はこの山行で鉄仮面の称号を頂きました。 その後、新穂高温泉まで帰ったわれわれは温 泉旅館に泊まることも出来ずテントを張って無 事下山を祝いました。 12 月 30 日 今日はひたすら雪道のラッセルです。新穂高 温泉まで来て尾根を見てみると想像してたより 雪がついておりこれは尾根を上がるより蒲田川 沿いに行った方が早いと判断し谷沿いにいきま す。 午後にやっと槍平小屋に到着し『さあ、 午後にやっと槍平小屋に到着し 『さあ、頑 頑 張って尾根まで行こう!』と激をとばし中崎尾 根をラッセルしながらかけ上ります。井上君が 少しバテぎみでしたが、無事稜線まで辿りつき テントをはります。もうすでに4時近くなって おりゆっくり休むこととします。 12 月 31 日 今日は槍ヶ岳の肩の小屋を目指します。朝か らラッセルですが一歩一歩槍ヶ岳に近づいてい ると思うと力も入ります。 『あっ!槍ヶ岳だ!』 と誰かが声をあげました。しかし中崎尾根から 眺める槍ヶ岳は今ひとつ迫力がなくちょっと がっかりです。 西鎌尾根近くの急登もなんなく抜け千丈沢出 合に着きました。西鎌尾根に入ってから風が強 くなり肩の小屋についた時には濃いガスで何も 見えなくなってしまいました。 42 1995 年( 平成 7 年) 春 があらわれますが、ガイドさんがうまく導いて くれます。それでも山スキーに慣れないお客様 が1名けがをしました。山スキーの持つ激しさ に少し緊張します。明日からのオートルート滑 りだしに期待と緊張が交錯します。 [ タイム タイム]] ホテル ホテル(8:30) (8:30) ケイブル乗車 ケイブル乗車(10: (10: 00) ミデイ出発 00) ミデイ出発(11:05) (11:05) スキー終了 スキー終了(14:00) (14:00) ヨーロッパオートルートの記録 (1995 年4月8日~4月 20 日) 中尾 悦子 オートルートは、山スキーを楽しむ面々に オートルートは、山スキーを楽しむ面々に とっては、一度は走破してみたいと思うあこが れのルートです。 私もへたなスキーながら一度行ってみたいと 思い、今回たまたま休暇をまとめてとれると言 う事で、思いきって参加する事にしました。 う事で、 思いきって参加する事にしました。 オートルートとはいえ、実に多彩なコースを 楽しむ事ができます。現地の人は、 楽しむ事ができます。 現地の人は、天気や雪の 天気や雪の 状態をみて、好きな時に気楽に色々なコースを 選ぶ事ができますが、我々には、 選ぶ事ができますが、 我々には、日数等が限ら 日数等が限ら れており、走破できるかどうかはかなり運にも よるようです。確率は5割と言う事。 よるようです。 確率は5割と言う事。今回我々 今回我々 は、フランスルートと言うことで、 は、 フランスルートと言うことで、シャモニー シャモニー からツェルマットまでの一番ノーマルなコース を、山小屋に5泊して走破する予定になってい ます。 関空から不安と期待を胸一杯に飛び立ちまし たが、他のツアーの面々とは、 たが、 他のツアーの面々とは、ジュネーブで落 ジュネーブで落 ち合う予定です。無事に着けるのどうか?また どんな人とオートルートを楽しむ事になるのか と、それもまた不安の材料になります。 と、 それもまた不安の材料になります。 4月 10 日 ((月 月) 晴れ 今日はシャモニーからグランモンテへ。これ からアンジエンチエール氷河を横断して、アン ジエンチエール小屋に入ります。行程は短いの で午後からの出発です。いよいよオートルート へと飛び出します。ガイドさんが言うには、 へと飛び出します。 ガイドさんが言うには、行 行 程前半は天気が安定しているとの事です。バス とロープウェイを乗りついでアンジエンチエー ルのスキー場へ。いよいよスキーをつけての滑 り出しです。ガスがかかっていると言う事で、 り出しです。 ガスがかかっていると言う事で、 氷河をトラバースするルートをとります。私は 今回スキーを買い換えました。ビンデイングの 調整をしたつもりが今一で、さっそく2回もは ずれました。これがかなりのプレッシャーにな ります。トラバースで皆に遅れ、 ります。 トラバースで皆に遅れ、スキーはどう スキーはどう も私が一番へたとの認識を持ちます。今日はほ んの1時間位のスキーでしたが、なんかとって も疲れました。まるで異邦人の気分です。 も疲れました。 まるで異邦人の気分です。 小屋はなかなか合理的です。食事もボリュー ムたっぷりです。小屋にしてはワインも買いや すい値段です。皆はオートルート初日に興奮し ています。明日からの天気にかけます。 ています。 明日からの天気にかけます。 [タイム タイム]] グランモンテ グランモンテ(15:40) (15:40) アルジエン アルジエン チエール小屋(16:50) チエール小屋 (16:50) 4月9日 ((日 日) 晴れ 他のツアーメンバーとも無事合流しました。 ここはもうシャモニーです。 今日は足ならしと、 時差ぼけ解消を兼ねてエギューデュミデイーよ りヴァレーブランシュを滑ります。ロープウェ イ乗り場はスキーヤーで一杯です。ゲレンデス キーヤーが多いようです。今回ガイドさんは2 名。現地のガイドさんと、 名。 現地のガイドさんと、日本人ガイド、 日本人ガイド、それ それ にツアーメンバーが多いと言うことで世話係の 女性が1名です。そう今回の参加者は、 女性が1名です。 そう今回の参加者は、14 名な のです。男性が7名で平均 男性が7名で平均50 50 才位。女性も7名 で平均 55 才位。 才位。このメンバーで本当にオート このメンバーで本当にオート ルートが走破できるのでしょうか? でもいざ滑りだすと、皆さん本当にスキーが うまいのです。それこそ私のスキー技術で皆に ついていけるのかな?と不安になります。今日 のフイールドは最高です。雪質もとてもよく、 のフイールドは最高です。 雪質もとてもよく、 周りの景色も素晴しいものです。時々クレバス 4月 11 日 ((火 火) 晴れ 今日はシャルドネのコルを越えるのがポイン トです。小屋の朝はパン、コーヒー、ジュース、 ヨーグルトで始まります。さっそくスキーをは き、クトーをつけての登りです。 き、 クトーをつけての登りです。シャルドネの シャルドネの コルは急斜面です。ザイルをフィックスしての 下りになります。やっこダコの様にザイルを腕 にまいてスキーを滑らせます。私は残念ながら ここでもガイドさんの手をわずらわせます。少 しずつ他のメンバーを認識する事もでき、それ ぞれの力に差があることもわかってきます。今 日はかなり登り部分も多く少しバテ気味の人も 43 1995 年( 平成 7 年) 春 でてきます。空の青さ等今ここにいる事の幸せ をかみしめています。 [ タイム タイム]] アルジエンチエール小屋 アルジエンチエール小屋(8:0 (8:0 0) 0) シャルドネのコル(11:30) シャルドネのコル (11:30) トリエン小屋 トリエン小屋(14: (14: 40) スにかなりの差がついてきました。3時 3時40 40分に 分に 着く人から5時頃までかかる人まで様々です。 私はこの日で少し名誉を回復しました。で夜も 皆少し早めに寝ます。 [タイム タイム]] モンホー小屋 モンホー小屋(5:20) (5:20) ショーのコル ショーのコル (10:30) デイス小屋 (10:30) デイス小屋(15:50) (15:50) 4月 12 日 ((水 水) 晴れ 今日の前半は滑り中心です。それにしても私 がスキー一番へたでした。ガイドさんになんや かんやフォローしてもらいながらの滑りになり ます。ただ何日かたつとそれぞれにガイドさん の手をわずらわせる事になるようです。で今日 は一度シャンペの町にでます。ここで買いだし 等もできます。ただしスーパーは ただしスーパーは12:00 12:00から から14: 14: 00 まで店は閉まります。昼はなぜかとっても豪 華な食事になりました。明日はハードコースと 言うことで今晩のためのビールを買いこんでい る人もいます。午後にシャンペを出発。 る人もいます。 午後にシャンペを出発。モンフ モンフ オー小屋まで1時間位のトラバースです。それ にしても前半の気楽さでしょうか?相変わらず 小屋ではワインをあけて盛り上がっています。 [タイム タイム]] トリエン小屋 トリエン小屋(8:40) (8:40) シャンペ シャンペ(10: (10: 20) モンホー小屋 20) モンホー小屋(16:00) (16:00) 4月 14 日 ((金 金) 晴れ 今日はツェルマットに降りる日です。長~い オートルートの最終日。ただし今日も長い一日 です。人によってはかなり疲れも目立ってきま した。でも今日頑張れば風呂にも入れますし、 した。 でも今日頑張れば風呂にも入れますし、 着替えもできます。6時スタートでアップダウ ンをくりかえします。ただ今日は急登がないの で比較的楽に歩けます。そしてとうとうマッ で比較的楽に歩けます。 そしてとうとうマッ ターホルンが顔をみせました。これはなかなか の感動です。皆本当にうれしそうです。 の感動です。 皆本当にうれしそうです。他の 他の パーテイーではおどっている人もいます。私達 も輪の中に入りたい気分です。皆でお疲れさま コールをかわし、ガイドさんと握手をし、 コールをかわし、 ガイドさんと握手をし、そし そし て写真を撮ります。それにしても本当について いました。あらゆるものに感謝です。 いました。 あらゆるものに感謝です。雪質にめ 雪質にめ ぐまれ、天気にめぐまれ、 ぐまれ、 天気にめぐまれ、良いガイドさんにめ 良いガイドさんにめ ぐまれです。バンザーイ!!! ぐまれです。 バンザーイ!!! 後はツェルマットまで滑るだけです。ただし 優雅なのは皆で、私は必死でついて行きます。 優雅なのは皆で、 私は必死でついて行きます。 かなり長い滑りの後ツェルマットのスキー場に 入りすべてのコースが終了しました。最後にバ テた人もいて、 結局ツェルマットに着いたのは、 18:00 と今日も長い一日になりました。 [ タイム タイム]] ブイニエット小屋 ブイニエット小屋(6:3 (6:3 0) ツェル 0) ツェル マット(18:00 マット (18:00) ) 4月 13 日 ((木 木) 曇りのち晴れ 今日は恐怖の12 今日は恐怖の 12時間コースです。 時間コースです。それにして も朝 4:00 4:00起きで雪が降っています。 起きで雪が降っています。ガイドさん も出発を少し考えています。結局現地ガイドさ んの2時間位で晴れるとの予想のもと出発しま す。メンバーの内2名が体力不足でリターンし ました。今日からツアー客は 今日からツアー客は11 11 名です。雪の中 をヘッドランプをつけての出発になりました。 ガイドさんの予想どおり空は晴れてきました。 今日も上天気になりそうです。 今日は登ったり滑ったりで、こまめにシールを つける必要があります。皆の、 つける必要があります。 皆の、そして私のシー そして私のシー ルも粘着力がなくなってきます。時にはシール をお腹に入れてあたためておきます。あたたま ると少しは粘着力が回復します。スキーのトラ バースが多く、私には少しビビリのスキーにな りますが、歩きの方は順調に皆についていけま す。 デイス湖のほとりの長~いトラバースの後、 充分な休憩をとり、いよいよデイス小屋に向け ての登りになります。ここで1日の行程時間が 長いのと、最後の登りと言うことで、 長いのと、 最後の登りと言うことで、皆のペー 皆のペー 4月 17 日 ((火 火) 晴れのち曇り 今日は予備日を使ってザウスウエイまで行き ます。フランスルートは本来ザウスウエイまで が正規と言う事です。でもツアーメンバーのう ち半分は挫折しました。結局7名とガイドさん です。天気も今日はくずれるかもしれないと言 うことで、少し急ぎます。 うことで、 少し急ぎます。 ストックホルンまでロープウェイ等を乗り継 ぎます。ここまでも観光コースとしては素晴し い景色の広がる所ですが、私たちはもっと奥深 く山を楽しめます。今日は4時間位といわれて 気楽に出発したのですが、今までで一番きつい 44 1995 年( 平成 7 年) 春 登りなどがあり、なかなか一筋縄では行きませ ん。また天気もくずれつつあり、 ん。 また天気もくずれつつあり、時々かなりき 時々かなりき つい風が吹いたりもします。途中リンフイシュ ホルンなどという立派な山を見、スキーを滑ら します。結局ザウスウエイについたのは 結局ザウスウエイについたのは17:00 17:00。 。 午前中に着くと言う話は何処に行ったのでしょ うね?でも最後まで走破した満足感はなかなか のものです。 長いオートルートのすべての行程が終わりま した。スキーは私が一番へたでしたけど、 した。 スキーは私が一番へたでしたけど、歩く 歩く 方でかなりカバーできました。又ガイドさんの 誘導がよく、かなりはげしい斜面もどうにか滑 れました。本当に充実したオートルートだった と思います。 [タイム タイム]] ツェルマット ツェルマット(8:00) (8:00) ザウスウエイ ザウスウエイ (17:00) 白馬岳・ 白馬岳 ・三号尾根 (1995 年5月3日~5月4日 年5月3日~5月4日)) 岩田 修一 メンバー:: 岩田 メンバー 岩田・ ・井上 1993 年5月2日、夜も明け切らぬ白馬大雪渓 にヘッドランプの灯りが4ツあった。一見まと もそうな変人の大男。ドラえもんのノビ太によ く似ている男。ガニマタのヒゲ男。 く似ている男。 ガニマタのヒゲ男。そしてそこ そしてそこ になぜか美女が一人。4ツの灯りは小雪の降る 中を、三号尾根に向かっていた。 中を、 三号尾根に向かっていた。 なぜ三号尾 根なのか? それはヒゲ男の強引な考えで決 まった。隣の主稜はヤマケイのグラビアにも紹 介される素晴らしいル-トなのに、あえて誰も 行かない三号尾根とは・ 行かない三号尾根とは ・・・・・。 ヒゲ男は、以前に主稜を登ったが、 ヒゲ男は、 以前に主稜を登ったが、連休に多 連休に多 くのパ-テイ-のステップ跡を追うだけの登山 にへきえきした覚えがあった。そこで三号尾根 の登攀になったのである。尾根上に出て、 の登攀になったのである。 尾根上に出て、大男 大男 とノビ太、ひげ男と美女のパ-テイに別れ、 とノビ太、 ひげ男と美女のパ-テイに別れ、登 登 攀を始めた。雪は例年より多く、 攀を始めた。 雪は例年より多く、苦労する所も 苦労する所も 出てくるが順調にザイルを延ばす。しかし天候 はいつしか小雪からみぞれに変わってきており、 こんな天候で登攀続けるバカが、遭難でもした ら下界でなにを言われるか知れないと思いなが らも4人は登攀を続けた。 (ダメならばいつでも 引き返せるル-トなので、偵察をかねての登攀 でもあった。 ) 第2岩峰の頭に出て、上を見あげたら頂上岸 壁が圧倒的な迫力で眼前に広がっていた。 (その 時は ガス と 悪天 のた め 、4人 、 4人 には そ う見 え た。・ た。 ・・・・本当はそんなことない。 )時間も良 い時間(( AM 1 2: 0 0) なので4人はスゴスゴと退 い時間 散することに決めた。しかしその後の下降に悪 夢が待ち受けていようとは、その時の4人には 知る由もなかった。 雪崩が怖いので尾根上を忠実に下降すること にするが、氷雨の降り続く中での、 にするが、 氷雨の降り続く中での、雪壁のクラ 雪壁のクラ イムダウン、アップザイレンには予想以上に手 間取った。ザイルは凍ってくるわ、 間取った。 ザイルは凍ってくるわ、指はかじか 指はかじか んでいうことを利かないわ、パンツまでグショ 濡れで歯はガチガチ鳴るわ・ 濡れで歯はガチガチ鳴るわ ・・・。結局、 結局、大雪 大雪 渓に降り立ったのは夜の 10 時 30 分になってい た。 次にスキーで使った装備を書きだしておきま す。いつか行くことがあれば参考にしてくださ い。 山スキー一式 / スキー靴 / シール / シュリン ゲ等スキーをたばねられるもの / カラビナ / タ オル等スキーをふくもの / シール用接着剤 / ス キーワックス// 下着上下 キーワックス 下着上下// ズボン / ヤッケ / ハー ネス / 予備下着 / 目出帽 / 手袋 / オーバー手袋 オーバー手袋// サングラス// 靴下 / ヘッドランプ サングラス ヘッドランプ// テルモス テルモス// 水 筒 / 歯ブラシ / ぬれナプキン / 日焼け止め / テ イッシュ// 常備薬 イッシュ 常備薬// カメラ / フィルム フィルム// レーショ ン 45 1995 年( 平成 7 年) 春 緊張から解き放たれて美女は途中で吐いた。 ひげ男は美女に心の中で謝った。初めての雪山 にこんなシンドイ目にあわせて・ にこんなシンドイ目にあわせて ・・・・・。B・ Cでは全員?寝ずに4人を待っていた。4人は 遅い晩飯を食べ、コンロでパンツを乾かした。 遅い晩飯を食べ、 コンロでパンツを乾かした。 (パンツは男3人のみ パンツは男3人のみ)) そこで立ち昇る湯気に 向 か っ て ヒ ゲ 男 は つ ぶ や い た 。『 又 来 る で・・・・・』 と言う訳で2年前の借りを返すために性懲り もなく又、三号尾根にやって来てしまった。 もなく又、 三号尾根にやって来てしまった。今 今 回のパ-トナ-は1年会員のアマゾンこと井上 君。5月3日早朝、いつもの通り「くろよん」で 白馬駅に着く。駅の呼び名を今は『はくばえき』 と呼ぶらしい。 『信濃四谷』から『しろうま』そ して『はくば』 して 『はくば』。観光のため 。観光のため『はくば』 『はくば』の方が の方が ギャルには受けるらしい。しかし私は『はくば』 からはどうしても『山城新伍の白馬童子』 からはどうしても 『山城新伍の白馬童子』そし そし て現在のおっさんの山城新伍を連想してしまう。 駅を『はくば』と呼ぶのはまだ許せるが、 『し ろうまだけ』を ろうまだけ』 を『はくばだけ』 『はくばだけ』と呼ぶのは許せ と呼ぶのは許せ ない。・ ない。 ・・・せめて蛍雪のメンバ-だけは せめて蛍雪のメンバ-だけは『し 『し ろうまだけ』と呼ぼうではないか〃 しょうも ない事を考えていると、関東の井上さんが新車 のロッキ-で迎えに来てくれた。猿倉手前のバ ス停で関東の方々、元気印の先発の南と合流し 白馬尻のB・ 白馬尻のB ・C予定地へ向かう。B・C設営後、 皆と別れ井上と2人で三号尾根に向かう。 前回と同じ場所より取り付くも、雪が非常に 少なく前回の3分の1ぐらいか? アンザイレ ンして第1歩を踏み出すが、藪こぎになりラッ セルよりシンドイ。 (細引きは引っ掛かるわ、雨 具は破れるわ・ 具は破れるわ ・・・。) 第一岩峰は、 前回3Pの雪壁登りで越えたが、 今回は下部が雪が無いので右側雪壁から巻いて 上部2P雪壁を左上する。3P目、 上部2P雪壁を左上する。 3P目、小さな岩峰 小さな岩峰 を越して終了。良いB を越して終了。 良いB・ ・Pがあったのでここで ツェルトを張ることにする。 B・ B ・Cと交信すると、 Cと交信すると、本隊が入山しており永 本隊が入山しており永 広氏の大きなダミ声がトランシ-バ-から聞こ えてくる。下は今夜は肉料理らしいが、 えてくる。 下は今夜は肉料理らしいが、こちら こちら はジフイ-ズとス-プのみ。トランシバ-から 肉の臭いが出てきそうなので早々と交信を切る。 夜は風が強く「両頬をツェルトにピンタされて いるようだ」と井上がいつもの調子でボソッと つぶやく。井上にとって初めてのビバ-ク。 つぶやく。 井上にとって初めてのビバ-ク。こ こ ういう体験を何度もして、大きくなってくれる ことを願う。夜半より雨も降り出し、 ことを願う。 夜半より雨も降り出し、シュラフ シュラフ カバ-だけのビバ-クは辛いかなと心配したが よく眠れた。 翌朝起きると、風は相変わらず強いが天気は 良さそうだ。 前回登った第2岩峰のルンゼには、 雪が付いていないので左の雪壁から岩峰の頭に 出る。傾斜はそれほど強くはないが、 出る。 傾斜はそれほど強くはないが、高度感が 高度感が あるのでなかなか気持ちが良い。井上も快調に 上がってくる。上部岩壁のル-トは、 上がってくる。 上部岩壁のル-トは、下から見 下から見 るとわからないが2~3日前のソロのトレ-ス が残っており、その後を行くのが嫌なのでわざ と違うル-トを行くが自然とひとつになってし まう。稜線上に出ると隣の主稜をたくさんの登 山者が登っているのが見える。その中に我が関 東・関西のメンバ-が居り、コ-ルを掛けあう。 最後の雪壁は井上がトップで行く。 「ここで落ち 「ここで落ち たら、何百メ-トルいや千メ-トル以上は滑り 落ちて痛いやろうなあ・ 落ちて痛いやろうなあ ・・・」と考えていたら、 スッと井上の姿が稜線へ消えた。そこは頂上か ら 30 m程下の所であった。 白馬山荘に降りると皆が居た。記念写真を 白馬山荘に降りると皆が居た。 記念写真を 撮ってみんなに別れを告げて先に一人で降りる。 (仕事の都合で、 今日中に大阪に帰らなければな らなかった。 )先行する関東のメンバ-の後を追 うがその足の早いこと。年がいっているのに うがその足の早いこと。 年がいっているのに (・・・失礼 失礼)) 。さすが歴戦の強者だとマジに感 心する。 村営宿舎の前で関東のメンバ-と別れ先を急 ぐ。その後スキ-ヤ-とグリセ-ドで競争する も、スキ-ヤ-があまりうまくなかったので も、 スキ-ヤ-があまりうまくなかったので 勝った。しかしその後はバテて、 勝った。 しかしその後はバテて、結局B 結局B・ ・Cま で1時間 30 分程かかってしまった。B・Cでビ -ルを1本失敬して飲んだら、酔いが一気に -ルを1本失敬して飲んだら、 酔いが一気に 廻ってきて、バス停まで千鳥足になりバスに乗 り遅れてしまった。 *変人の大男=柴谷 ノビ太 =横山 美女 =大塚 ヒゲ男 =岩田 46 武史 典郎 香代子 修一 1995 年( 平成 7 年) 春 んだキュウリがおいしかった。 「あごが疲れる。 」 と永広さん。 最後の雪壁のところで順番を待っているとき に雷鳥を見た。ガ、 に雷鳥を見た。 ガ、ガ、 ガ、ガーと鋭い鳴き声を上 ガーと鋭い鳴き声を上 げて飛んでいった。 頂上に着くと、方位盤が目に入ってきた。 頂上に着くと、 方位盤が目に入ってきた。途 途 中で関東蛍雪山岳同志会の人達と会ったので((出 中で関東蛍雪山岳同志会の人達と会ったので 発時間は私達の方が早かったのだが))一緒に頂上 発時間は私達の方が早かったのだが を踏んだ。頂上でコーヒーを飲んでいるときに 三合尾根ビバーク隊の岩田さんと井上さんに 会った。 資料には、"" オールマイティーな基礎技術と 資料には、 体力を必要とする。"" とあり、 体力を必要とする。 とあり、不安で仕方がな 不安で仕方がな かった。 「迷惑をかけないだろうか . .. 」頂上に着 いたとき思わず心の中で叫んだ。 「やったあ! やったあ!」」 リーダーの永広さん、畠山さん、 リーダーの永広さん、 畠山さん、そして南 そして南 ちゃん、 白馬岳主稜を無事完登することができ、 本当に有り難うございました。 [タイム タイム]] 出発 出発(3:20) (3:20) 白馬岳頂上着 白馬岳頂上着(11:30) (11:30) 白馬岳主稜 (1995 年5月4日 年5月4日)) 蔵田 道代 メンバー: メンバー :L永広 L永広・ ・畠山 畠山・ ・南・蔵田 「 永広さん、 永広さん、私にも主稜行けるんでしょう 私にも主稜行けるんでしょう か?」」 か? 「 そういう枕詞 そういう枕詞(( 私にも行けますか? 私にも行けますか?)) はやめ て、来たかったら来たらええんや。 」気持ちが少 し楽になった。 頂上まで実際どれ位時間がかかるのか見当が つかなかった。永広さんからもらった資料には 13 時間と書かれていた。 (1931 年神戸商科大学 年神戸商科大学)) 主峰を含めてピークが9つある。登っては下 り、登っては下りの連続だが、 り、 登っては下りの連続だが、出発してから無 出発してから無 線交信するまでの1時間が一番しんどかった。 (大雪渓取り付きから八峰まで 大雪渓取り付きから八峰まで)) 白馬岳頂上が見えてくると元気が出てきた。 大休止を取ってフランスパンでサンドイッチを 作る。パンはかさかさになっていたが、 作る。 パンはかさかさになっていたが、中に挟 中に挟 47 1995 年( 平成 7 年) 夏 人に「俺は海外では人望が厚いんだ。」と話す 人に「俺は海外では人望が厚いんだ。 」と話す と、 「単に子供と勘違いされたんやろ。」と言わ 」と言わ れ、初めて納得。 れ、 初めて納得。 夕食後ガイドさんと顔合わせ。ガイドとの予 約札を持って待っていると、スイスでもめずら しいぐらいのかわいい女の子が僕に近づいて来 るではありませんか。そして僕の札を見て「Oh! 私だわ。 」 と驚いている様子。 (何故驚かれたかは 不明。 やはり子供と思われたのだろうか?))しか やはり子供と思われたのだろうか? し驚いたのは僕も同じ。この世に女性のガイド がいるなんて・ がいるなんて ・・・・。しかもスタイルグーで かっこいい。名前はペレンベティーナ、 かっこいい。 名前はペレンベティーナ、26 才独 身。 明けて 10 日は朝3時半起床。朝食後、トイレ に行く間もくれず、ベティーナとザイルで繋が れいざ出発。ベティーナは岩壁の取り付きから 僕の登りをじっくり観察していましたが、僕が マッターホルン山行報告 (1995 年8月 10 日) 潟上 元映 8月5日夕方五時、暑い暑い日本を脱出。香 8月5日夕方五時、暑い暑い日本を脱出。 香 港で3時間のトランジットを経て現地時間8月 6日朝7時、スイスチューリッヒ空港へ到着し ました。香港=チューリッヒ間、 ました。 香港=チューリッヒ間、エコノミー満 エコノミー満 席のため、ビジネスクラスへただでクラスアッ プした僕は、ここぞとばかりシャンペンをおか わり。機内で体調をくずし、 わり。 機内で体調をくずし、チューリッヒ空港 チューリッヒ空港 に着いても体調の悪さから、心細くて泣きべそ 状態でしたが、周りは女性ばかり4人なので大 ミエを張って馴れた振り。 「スイスでは電車の行 「スイスでは電車の行 き先はよう見なあかん。なにしろ客車ごとに行 き先が違うからね。」 などと誰でも知っている事 をあたかも通のように披露しながら、 ツェルマット行きの電車に乗り込みま した。 午後3時頃ツェルマット駅到着後、 宿探し。ドイツ語でプリバートツィン マーというアルプス地方の民宿を探し 当てて★★★★((4ツ星 当てて★★★★ 4ツ星))クラスの美し い部屋プラス、キッチン、 い部屋プラス、 キッチン、居間使いた い放題でなんと 30SF( 30SF(約2千4百円 約2千4百円))。 おまけに滞在5日の内、中1日だけ おまけに滞在5日の内、 中1日だけ マッターホルンで1泊すると言った ら、荷物置きっ放しでも、 ら、 荷物置きっ放しでも、1日分料金 引いてくれました。と、 引いてくれました。 と、まるで地球の 歩き方の宿紹介のようでしたがスイス 人は本当に親切。感激しました。 人は本当に親切。 感激しました。 7日は食料の買い出し、現地の旅行 会社の人とガイドさんの事で打ち合わ せ、市内見物。 せ、 市内見物。8日ゴルナーグラード 行きの電車に乗り込み、リッヘルアル プで途中下車。スネガ方面へハイキン グ。 9日昼、いよいよマッターホルンへ 向けて出発。ロープウェイの最終駅 向けて出発。 ロープウェイの最終駅 シュヴァルツゼーから一路ヘルンリ小 屋へ2時間半のハイキング。小屋に着 くと、外人さん達が僕を取り囲んで くと、 外人さん達が僕を取り囲んで コーラをおごってくれたりアメ玉をく れたり何故か人気者。日本に戻って友 48 1995 年( 平成 7 年) 夏 意外にあっさりとワンピッチ目を登り切ると 「グッード」とにっこり微笑んでくれました。 「グッード」 とにっこり微笑んでくれました。 やった! 蛍雪の技術は世界に通ず!! そしてワンピッチ目を過ぎると東壁側へ大き くトラバース。5~6ピッチ登ったところで日 の出。。 の出 この日快晴。ベティーナ この日快晴。 ベティーナ「スローリースロー 「スローリースロー リー、オールウェイズ、ムービング」を連発。そ うして徐々に高度を稼ぎ、6時5分ソルベイ小 屋(4千3mメートル 4千3mメートル))に到着。頭痛は無いが胸 が締め付けられるように苦しい。ソルベイ出発 後、 しばらくして少しだけ北壁側へトラバース。 内心、これはもしかして俺は北壁も東壁も制覇 した事になるのか?などとアホな事を考えてい ると「クランポン ると 「クランポン((アイゼン アイゼン))を付けなさい」 を付けなさい」と と ベティーナ。この夏は雪が多い。 ベティーナ。 この夏は雪が多い。もう足がだる もう足がだる くて動けない。 「タイアード・ 「タイアード ・・・・ベティーナ。」 しかしベティーナの「スタンダップ、 しかしベティーナの 「スタンダップ、レッツ レッツ ゴー、モトテル。 ゴー、 モトテル。 」の声に思わず「ヤー。 」の声に思わず 「ヤー。」の返 」の返 事をしてしまった。日本語で「イヤー。 」と言っ ても、イエスになってしまう所が悲しい。 ても、 イエスになってしまう所が悲しい。 そして、マッターホルンで最後の急峻、 そして、 マッターホルンで最後の急峻、ス ス リーピッチ。ここが恐くて長くて苦しい。 リーピッチ。 ここが恐くて長くて苦しい。そこ そこ を越えると心もち緩やかな雪田へ。やった!8 時5分ついに頂上だ。 (ここでもう一発。 やっ た! 蛍雪の技術は世界に通ず!! と言いた い所だがしつこいのでやめておく)) ベティーナ い所だがしつこいのでやめておく と抱き合って記念撮影。12 12時 時 25 25分ヘルンリ小屋 分ヘルンリ小屋 へ帰着。 大きな達成感に包まれ山行は終了した。 そうですね。」 「どのルートからですか?」 「知ら ないのですがグーテ?からの一般ルートです((1 ないのですがグーテ?からの一般ルートです つしかないと実は思っていた))」 つしかないと実は思っていた 「私はミディで す」「それじゃあ違いますね。 「それじゃあ違いますね。ごめんなさい。 ごめんなさい。」 いったんはお断りしたが、 カンダさん((日本人登 カンダさん 山者で、お世話になってない人はいないスネル の)に伺うと、現在、フランス山岳会やガイド協 会ではミディからの方がポピュラーだとおっ しゃる。1H多く歩くのだそうだ。 しゃる。 1H多く歩くのだそうだ。 と先程の青年が「どうでしたか?」 「かくかく しか じか 」で 」 で もう 一 度冒 頭の 言 葉を おっ しゃった。私は一瞬迷う。 しゃった。 私は一瞬迷う。 うーん。ガイド料が浮くのかぁ。 うーん。 ガイド料が浮くのかぁ。極貧の私と 極貧の私と してはそりゃぁ魅力的だが・ してはそりゃぁ魅力的だが ・・・・。でもやは りプロガイドをお願いして安心確実をとるか((そ りプロガイドをお願いして安心確実をとるか れも絶対とは言えないが少なくともクレバスの 状態等は青年より熟知しているだろう))けれどい 状態等は青年より熟知しているだろう くら考えても相手はクレバスだしなぁ。 えーい。 死んでもいいや!と大げさだがそう思い「お願 いします」と言っていた。 いします」 と言っていた。でよくよく話をして でよくよく話をして みると、今年のマカルー隊の人で 今年のマカルー隊の人で((岡本氏 岡本氏))なん かとってもスゴイ人だった。 (彼自身は淡々とし ているのだが))こちらの方が ているのだが 「本当によろしいで すか?」と聞き返してしまった。 すか?」 と聞き返してしまった。 それからカンダ氏に報告し、ザイルとザック (エヘヘ。ウレシイ! ウレシイ!))とレーションを買い出し ガイドのキャンセルをし、彼がお世話になって いた日本食レストラン「さつき」 いた日本食レストラン 「さつき」に明日の為の に明日の為の おにぎりをたのみに行った。おかみさんは おにぎりをたのみに行った。 おかみさんは「お 「お 金なんていいから無事に帰っておいで。 」 おにぎ りのあったかさと一緒に気持ちのあたたかさに 胸がジーンとあつくなり「絶対無事故で帰って きて報告するんだ」と心に誓う。 きて報告するんだ」 と心に誓う。 8月 16 日 AM4:30 起床。 起床。5:00 5:00 部屋を出てまだ 暗い中エギーユ・ 暗い中エギーユ ・デュ デュ・ ・ミディのロープウェイ 乗り場へ。1番乗りだと思ったのに先客あり 乗り場へ。 1番乗りだと思ったのに先客あり だった。ぞくぞくとアルピニスト達が集まって くる。ガイドはもちろんのことみんなカッコい いのだ!そしてアルピニストとはほど遠い私は、 彼らの中でまるっきりガキンチョのようであっ た。(もしかするとホントに子供と思われていた かも・ かも ・・・。みんなデカイんだもの みんなデカイんだもの)6:30 )6:30 エギー ユ・デュ デュ・ ・ミディ着。 ミディ着。トイレの横でおにぎりを トイレの横でおにぎりを ほおばり外へ。7:20 7:20ザイルをつけて歩き始める ザイルをつけて歩き始める がいきなりの急登。うへー。 がいきなりの急登。 うへー。あんなとこ登るの あんなとこ登るの モン・ モン ・ブラン (1995 年8月 16 日) 西方幸子 シャモニ、 スネルスポーツ((揃わない登山用具 スネルスポーツ はないという感じのスポーツ用品店。うーんや はりスイスとは違うのだった))で、 はりスイスとは違うのだった 登山届けを書 いていると背後から「モン いていると背後から 「モン・ ・ブランに行かれる のですか?」 「はい」 「もし、よろしければ・・・・。 私はスリップしても止める自信があります。命 の保証はできませんが・ の保証はできませんが ・・・・」 「はぁ、それは 「はぁ、 それは 49 1995 年( 平成 7 年) 夏 か。急斜面で高度感もありまともに見ると怖じ 気づくだろうが、恐がっている余裕はない。 気づくだろうが、 恐がっている余裕はない。も も うすでにミディのロケット塔が足下になってい る。マイペースでゆっくりだったが、 る。 マイペースでゆっくりだったが、何パー 何パー ティも追い越して彼曰く「我々速い方かも知れ ないですね」と、 ないですね」 と、いつのまにか我々の後ろの いつのまにか我々の後ろの パーティの姿が見えない。どうやら引き返した のか、その地点までのガイドだったのかよくわ からないが、ミディからのアタックは我々がラ ストになっていた。2Hに1度の割で水飲み& おにぎり休憩。体調はバッチリ。 おにぎり休憩。 体調はバッチリ。おまけに快晴 おまけに快晴 だ。マッターホルンやモンテローザも小さいが くっきり見える。 今考えると高度障害だと思うが、頂上直下で (4,600mか (4,600m か700m 700m? ?)頭はクリアーなのにとにかく 息苦しくて2歩行っては肩で息をしなければ歩 けない。何度 けない。 何度「ごめんなさい。 「ごめんなさい。ちょっと待って ちょっと待って 下さい。」と言ったのか。けれど、パートナーは 非情にもザイルを引っぱる。ひ、ひどい。が、私 もえーい、こうなったら歩いてやるぅと言う感 じでピンと張らないよう必死の思いで足を持ち 上げる。上を見上げるとまぁーいつまで続くの この登りというぐらいどこまでも延びているの だ。太陽があたりキラキラと輝いて美しいが、 だ。 太陽があたりキラキラと輝いて美しいが、 まだかという思いでうんざりする。 前を行くパーティも苦しそうに時々立ち止 まったりしている。 「これをのぼったら終わりで 「これをのぼったら終わりで すよ。」気持ちよく何度かだまされながら 」気持ちよく何度かだまされながら 1:30 頃?モン・ 頃?モン ・ブラン頂上着。 ブラン頂上着。長かったぁ、 長かったぁ、でもう でもう れしーい!! が寒い!! あまりにも寒いの で写真だけとり早々に下山。とにかく とにかくPM5:00 PM5:00が が ロープウェイの最終便というので((あとでわかっ ロープウェイの最終便というので たが 7:00 7:00頃まであるらしい。 頃まであるらしい。インフォメーショ ンのおばさんがまちがって教えてくれたのだ. .. ブツブツ))ハイピッチで下る。 ブツブツ 日頃の高所恐怖症 やへっぴり腰もどこへやら。確保してもらって いるので恐いものなし。 我ながら現金なものだ。 何パーティもゴボウ抜き。とそこまでは快調 何パーティもゴボウ抜き。 とそこまでは快調 だったが、スタート地点と同じ所でザイルを解 き、ラストミディまでの最後の登りがこれまた しんどくてあっというまにドンジリに。先に しんどくてあっというまにドンジリに。 先に パートナーに行ってもらい「ロープウェイ止め といて下さい。」とうわ言のように言いつつ 」とうわ言のように言いつつ 5: 00 まで時間との戦い!あと まで時間との戦い!あと10m 10m という所であー 2分すぎたぁと思ったら上から「大丈夫です。 2分すぎたぁと思ったら上から 「大丈夫です。 最終じゃないですから。」ヨカッタァ、ビバーク は免れた。。ドッと疲れが出る。 は免れた 鉛のような体をひ きずりながら部屋までヨレヨレで帰る((後ろから きずりながら部屋までヨレヨレで帰る 見るとホント、 ユーレイのようだったらしい))そ ユーレイのようだったらしい の夜パートナーに感謝しつつ「さつき」で祝杯。 おかみさんが笑顔で迎えてくれた。 ミディの展望台から氷河におりる入り口には たくさんの観光客が羨望?((と思いたい。 たくさんの観光客が羨望? 岩登り 精鋭部隊でなくとも、この際行って来た先は関 係ないのだ))の目でこちらを見ていた。 係ないのだ ユングフ ラウにいたっては、外人が我々の姿をビデオに 収めていた。 (我々はヘロヘロ状態でカッコよく もなんともなかった。念の為 もなんともなかった。 念の為・ ・・・蔵田、 蔵田、西方 西方)) まさか自分が、そちら側から帰ってくるとは 夢にも思わなかったが、恐ろしくて毎回ドキド キしながら参加したアイトレや必死でついて いった沢登り、それをしたいが為に一生しない だろうと思っていた岩登り、その他、 だろうと思っていた岩登り、 その他、諸々の山 諸々の山 行でたくさんの事を教わったり、少しは身につ いたお陰だと思う。そしてアイゼン いたお陰だと思う。 そしてアイゼン・ ・ピッケル で歩くこと、 8の字結び((これしか覚えていない 8の字結び が・・)、装備、 装備、それらのことを迷惑をかけるこ それらのことを迷惑をかけるこ となく((何しろ入会以来、 となく 会以外の人と登ったの は初めてだったので))できたことがうれしく、 は初めてだったので 自 分にとって成長であり(( レベル低くてスミマセ 分にとって成長であり ン)改めて先輩達に感謝するのであった。 あれはグリンデルヴァルト、ユングフラウ頂 上より下山時、雪の急斜面。 上より下山時、 雪の急斜面。右側は切れ落ちて 右側は切れ落ちて いてすごい高度感だった。 突然、永広氏の 突然、 永広氏の「エテコーのように下るん 「エテコーのように下るん や。」という言葉が脳裏をよぎる。 」という言葉が脳裏をよぎる。うっ、 うっ、ヨー ヨー ロッパでドイツ語でもフランス語でもなくエテ コーとは・ コーとは ・・・。とも思ったが大変上手に下る ことができ、モン ことができ、 モン・ ・ブランではパートナーにお ほめ頂いた。その時は返事するのに精一杯で説 明できなかったが、心の中でやはり永広氏はス ゴイ!!と再確認しながら感謝せずにはいられ なかった。 こうしている自分があるのは先輩達、 仲間達のおかげだと痛感する。離れてみてわか るありがたさというか、自分達はいつもいつも 大きな愛で護ってもらっているんだなぁとうま く言葉にできないが深く感動した。そして山だ けでなく、グリンデルヴァルト、ツェルマット、 シャモニでの人々から頂いた数々のあたたかさ 50 1995 年( 平成 7 年) 夏 も忘れることはできないだろうと思う。また機 会をつくって皆でいろんな知らない所に行きた い。本当に本当に皆様に感謝したいヨーロッパ アルプスだった。 夏山合宿 南アルプス (1995 年8月 12 日~8月 16 日) 横山 典郎 海燕にっしゃんの軌跡 08.05 日本出発 08.06 チューリッヒ着→グリンデルヴァルト へ移動 08.07 ~ 08.08 ファウルホルン~シーニゲ ファウルホルン~シーニゲ・ ・プ ラッテ((ハイキング ラッテ ハイキング)) 大野、 大野、蔵田、 蔵田、西方 西方 08.09 ~ 08.10 ユングフラウヨッホ~ユングフ ラウ 蔵田、 蔵田、西方 西方 08.11 ミューレン~シルトホルン見学 蔵田、 西方 08.12 オーバラー オーバラー・ ・グレッチャー見学 大野、 蔵田、西方 蔵田、 西方 08.13 グルント~クライネ グルント~クライネ・ ・シャイディック (ハイキング ハイキング)) 西方 08.14 グリンデルヴァルト~シャモニへ移動 西方 08.15 ガイド祭 08.16 モン モン・ ・ブラン ブラン(( ミディより一般ルート ミディより一般ルート)) 西方、他1名 西方、 他1名 08.17 シャモニ~モンタンベール シャモニ~モンタンベール(( メールド メールド・ ・ グラマ、グランド グラマ、 グランド・ ・ジョラスドリュ見学 ジョラスドリュ見学)) 西 方、他1名 方、 他1名 08.18 シャモニ~ツェルマットに移動 08.19 ツェルマット~シュヴァルツゼー ツェルマット~シュヴァルツゼー((ハイ キング)) 西方、 キング 西方、他1名 他1名 08.21 ツェルマット~スネガ~リッフェルベ ルグ~ゴルナー・ ルグ~ゴルナー ・グラント グラント((ハイキング ハイキング)) 西方 08.22 ツェルマット~チューリッヒ 08.24 帰国 行程 8/11 大阪 8/11 大阪(( 発) → 塩尻 → 村井( 村井( 泊) → 長 坂 ((秋田 坂 秋田・ ・横山 N・横山 Y) 大阪(( 発) → 塩尻 → 韮崎 大阪 韮崎(( 泊) → 長 坂 ((柴谷 坂 柴谷)) 大阪(( 発) → 松本 → 篠ノ井 → 松本 大阪 → 長坂 長坂 ((有川 有川・ ・中尾 中尾)) 8/12 長坂(( 発) → 尾白川林道終点 → 滑落 8/12 長坂 おやじ登場 → 白稜岩小屋 白稜岩小屋((泊) (柴谷 柴谷・ ・秋田・ 有川・ 有川 ・中尾 中尾・ ・横山 N・横山 Y) 8/13 岩小屋((発) → 黄蓮谷右俣 → 黒戸尾 8/13 岩小屋 根9合目付近 → 黒戸尾根7合目 黒戸尾根7合目((泊) (柴谷・ 中尾・ 中尾 ・横山 N) 岩小屋((発) → 黒戸尾根5合目 → 甲 岩小屋 斐駒岳 → 北沢峠 北沢峠 ((秋田 秋田・ ・有川 有川・ ・横山 Y) 駒ヶ岳神社(( 発) → 黒戸尾根7合目 駒ヶ岳神社 (泊) (飯窪 飯窪)) 8/14 7合目(( 発) → 赤石沢奥壁 8/14 7合目 赤石沢奥壁(( 赤蜘蛛 赤蜘蛛)) → 7合目(( 泊) ( 飯窪 7合目 飯窪・ ・中尾 中尾・ ・横山 N ) 北沢峠(( 沈) ( 秋田 北沢峠 秋田・ ・有川 有川・ ・横山 Y ) 7合目((発) → 駒ヶ岳神社 → 帰阪 7合目 (柴谷 柴谷)) 8/15 7合目((発) → 甲斐駒ヶ岳 → 北沢峠 8/15 7合目 (泊) (中尾 中尾・ ・横山 N) 7合目((発) → 駒ヶ岳神社 → 下山 7合目 (飯窪 飯窪)) 北沢峠((発) → 仙丈ヶ岳 → 北沢峠 北沢峠 北沢峠((泊) (秋田 秋田・ ・有川 有川・ ・横山 Y) 8/16 北沢峠(( 発) → 伊那市 → 大阪 8/16 北沢峠 大阪((着) (秋田 秋田・ ・有川 有川・ ・中尾 中尾・ ・横山 N・横山 Y) 51 1995 年( 平成 7 年) 夏 黄蓮谷前半 滑落おやじ出現 黄蓮谷後半 史上最大の薮こぎ (8月 12 日) (8月 13 日) 秋田 美枝子 柴谷 武史 おじさんは突然我々の行く手にある10mくら おじさんは突然我々の行く手にある10 mくら いの滝からスルっと姿を消しました。「落ち た?」とのび太の声。 た?」 とのび太の声。 「多分」と私。ちょうど死 角部におじさんが消えたのと、立っている私の 足下にどんぶらこと次々物が流れてくるのでの び太を先に行かせ私は流れてくる物を回収にと りかかった。中尾、 りかかった。 中尾、有川さんも続いておじさん 有川さんも続いておじさん の方へ急ぐ。遠目に見るその人の顔がどうも変 だ。能面の翁の様な だ。 能面の翁の様な(( それのもっと黒い感じ それのもっと黒い感じ)) 顔に何か塗りたくったような??で私も上部に 上がってみて納得、というよりびっくり。 上がってみて納得、 というよりびっくり。なん なん と顔面血だらけのタンコブだらけなのだ。おま けに寒さとショックでワナワナ震えている。回 りには荷物が散乱。落ち着いて聞いて みると単独行で一昨日から来ていて、 1泊目が不動滝のところで2日目に運 良く(( ? ) 2回も滑落したところで 良く 我々に拾われたと言うことだった。 今夜は5合目の小屋に泊まるつもり というが、食料もなく震えている人を 見捨てることもできず、そこから白稜 の岩小屋までおじさんを運んでのろの ろと進むことになった。 朝から、これでもかといわんばかり に、我々の行動にチャチャがはいるの は、やはりこれ以上は力のないもの は、 やはりこれ以上は力のないもの は、行くなという神の警告か は、 行くなという神の警告か・ ・・・協 議の結果、おじさんを5合目まで送り 届けて縦走に変更したのが有川、より 子、私。 子、 私。翌朝、 翌朝、精鋭の3人を見送った 精鋭の3人を見送った のち、ひたすら黒戸尾根をめざして登 る。とてもよれよれのおじさん一人に 行かせられるようなルートではなかっ た。ようやく5合目の小屋のおじさん にあとを頼んで別れたのは、8時過 にあとを頼んで別れたのは、 8時過 ぎ。おじさんは深々と頭を下げてお礼 を言っただけで、我々の会の名前も連 絡先も何も聞かず、バンソウコウだら けの顔に笑みを浮かべて我々を見送っ てくれた。 8月 13 日3名白稜岩小屋を出発 日3名白稜岩小屋を出発(5:30) (5:30)。 。奥 千丈ノ滝までは順調に遡行。奥千丈ノ滝下半部 ( 8 : 3 0 ) にてやや時間を喰う。 にてやや時間を喰う。華麗なるYの 華麗なるYの リード、華麗なるNのビレー、 リード、 華麗なるNのビレー、Sはゴマメで続 Sはゴマメで続 く。奥千丈ノ滝昼間部は右岸を高巻き、 く。 奥千丈ノ滝昼間部は右岸を高巻き、上部で 上部で 沢身に戻る(( 11 :3 0) 。ここで4パーティー 1 1 沢身に戻る 名が偶然集合する。 上部連瀑帯を越えて奧の二股に至る(( 1 4 : 上部連瀑帯を越えて奧の二股に至る 00)。 00) 。 ここよりトレース沿いにブッシュ帯を登る が途中で踏み跡を見失い、60 60度位の急傾斜のハ 度位の急傾斜のハ イマツの壁をよじ登り、3人共完全に疲れ果て て黒戸尾根9合目付近に抜ける(( 1 6: 3 0 ) て黒戸尾根9合目付近に抜ける 52 1995 年( 平成 7 年) 夏 関東の井上さんたちが元気よく酒盛りをしてい るところだった。「今晩もう一人来ますんで、 ちょっとテントの隅に入れて下さい。」 6人用テ ントに3人というリッチな関東に、多分よれよ れで来るだろうS氏の寝床をキープした。 (最近 のS氏の体力ならビバークもあるかな・ のS氏の体力ならビバークもあるかな ・・・)と 思いつつも一昨年白馬岳三合尾根アタックの時 の帰参は 1 1: 00 だったという、 だったという、より子の話も より子の話も あって、ヘッドランプを点けたまま あって、 ヘッドランプを点けたまま 11:00 過ぎ までテントの中で待っていたが、そのうち寝て しまった。 8月 14 14日、 日、仙丈アタックの関東の賑やかな声 に起こされつつも、 (まービバークしたら まービバークしたら7:30 7:30頃 頃 にはテン場に来るだろう))と我々はのんびりして にはテン場に来るだろう いた。しかしその時刻になっても現れず、 いた。 しかしその時刻になっても現れず、無線 無線 交信も×なので、有さんと2人で仙水峠まで交 信に出ることにした。途中でヨレヨレのS氏に 会えたらいいな、 と期待を持ちつつも足は急ぐ。 早く交信したい! 焦る気持ちがペースに2人 ともあらわれていた。結局、峠で 峠で30 30分程交信 分程交信(9: (9: 10)してみたものの、 10) してみたものの、仙丈の関東としか出来ず、 仙丈の関東としか出来ず、 また飛ぶようにベースに戻る。もしかしたら、 また飛ぶようにベースに戻る。 もしかしたら、 双子山経由で下山したかも・ 双子山経由で下山したかも ・・しかしその期待 も空しく、ベースにはより子一人が淋しそうに 座っていた。 (何かあったんやろか 何かあったんやろか・ ・・?いやい やあの3人に限ってそんなことはない。黒戸尾 根から帰ったんやろか?いや、北沢峠の方が 根から帰ったんやろか?いや、 北沢峠の方が コースタイムは短いし安全やし我々にメシ残し といてと言ったセリフもあるし、それはないで なー、下りたとたんにバスの発車時間 下りたとたんにバスの発車時間(10:00 (10:00 北 沢峠発)) になったんで飛びのったんかいなー 沢峠発 etc)3人であれこれ想像してみても現状はどう etc) 3人であれこれ想像してみても現状はどう しようもなかった。S氏の自宅に しようもなかった。 S氏の自宅に Tel を入れて もやはり音沙汰なし、関東の井上さんに会長と 連絡をとってもらってもダメ・ 連絡をとってもらってもダメ ・・・ 「事故ってた ら誰か一人は絶対連絡に来るよ」そう言いつつ も時間の経過に比例して不安はいよいよ増して くる。味気ない夕食をすませ再度会長に くる。 味気ない夕食をすませ再度会長に Tel を したのが 7:00PM 7:00PM、 、昨日からの経過を報告し、山 行計画では我々は今日は両俣の小屋の方へ縦走 している予定だから必ずしもS氏がここで我々 が待っているとは思っていないかも知れないこ とも話す。しかし黒戸に下山していれば十分そ の連絡があってしかるべきこの時間に何もない と言うのはどういう訳なのか・ と言うのはどういう訳なのか ・・・ 白稜の岩小屋~北沢峠の長い道のり (8月 13 日) 横山 順子 波乱に満ちた昨日の疲れを残したまま、夜が 明ける。4:00 明ける 。4:00 起き、 起き、黄蓮谷隊より少し遅れて私 黄蓮谷隊より少し遅れて私 達縦走隊(( 秋田、 達縦走隊 秋田、有川、 有川、横山Y 横山Y)) とおじさんの 計4名は岩小屋を出発(6 計4名は岩小屋を出発 (6 :1 5) 、おじさんを送 り届けるため五合目小屋に向かって歩きだした。 初っぱなから針葉樹林の中の急登で足場も悪く 歩きにくい。濡れた沢登りの装備のせいかザッ クも心なしか重く感じられる。もう既にバテぎ みで少し歩いては休みを繰り返し五合目小屋に 着いたのが 8:00 過ぎ。 過ぎ。おじさんを小屋の人に おじさんを小屋の人に 引き渡し、すぐまた甲斐駒に向けて出発。 引き渡し、 すぐまた甲斐駒に向けて出発。そこ そこ から、8合目までは鎖と梯子の連続で体力を消 耗し次第に登る力を無くしていく。 頂上まであと少しと自分に言い聞かせて重い 足をひっぱり、ようやく 足をひっぱり、 ようやく PM1:00 頃甲斐駒頂上 到着。天候は曇りで景色はゼロ。 到着。 天候は曇りで景色はゼロ。せめて景色が せめて景色が 見えたら気が紛れるのになーと一人でぼやく。 でももう登りは終わりであとは下るだけ。と思 いきやそのあともいくつもピークがあり、きつ い登りの連続でついには亀の様なスピードしか 出なくなった。中高年のおじさん、 出なくなった。 中高年のおじさん、おばさん、 おばさん、 ガキンチョにまで抜かれる始末。双子山を越え た下りではもう足は棒状態だった。北沢峠に着 いたのが 4:30 頃。 頃。テン場で関東の人達に笑顔 テン場で関東の人達に笑顔 で迎えられホッとする。約 10 時間半、つらかっ たけどなんとか歩き切れたのは、ひたすら遅い 私に気長につきあってくれて、励ましてくれた 秋田さん、有川さんのおかげだと感謝していま す。 北沢峠大混乱~怒りの遭難対策本部 (8月 13 日~8月 15 日) 秋田 美枝子 「遅なっても行くからメシ絶対残しといて な!」S氏の声と な!」 S氏の声と、4:00 、4:00 にとりあえず山荘前で 待つ約束で私は双子山から下りを走った。ま、 待つ約束で私は双子山から下りを走った。 ま、 しかし案の定まだS氏の姿はテン場にはなく、 53 1995 年( 平成 7 年) 夏 山梨の県警の方に事故の連絡はないとのこと。 会長には次の朝にまた連絡をとることと、 有川、 秋田で甲斐駒の頂上から交信をしてみることで この日は終わった。3人ともそれぞれ不安を胸 に抱えて夜を迎えたのだった。 8月 15 15日 日 3:30 3:30起床 起床。4:45 。4:45甲斐駒ピークに向 甲斐駒ピークに向 けて出発。より子は会長に けて出発。 より子は会長に Tel をしに北沢荘へ と別れる。途中、 と別れる。 途中、仙水山荘で七丈小屋に無線を 仙水山荘で七丈小屋に無線を とばしてもらうが幕営者名簿がなく岩隊がいた かどうかは不明。 登山者をゴボウ抜きに抜いて駒津峰の登り半 分くらいのところで6:10 分くらいのところで 6:10 の交信。北沢峠より関 東の井上さん「連絡着いた。 東の井上さん 「連絡着いた。3人は予定通り行 3人は予定通り行 動している。すぐ下れ。 」良かった!喜びをかみ しめるのはつかのま、心配していたことがすべ て徒労であったことがだんだんとアホらしく感 じられてくるのであった。 1 9 : 2 5 岩田、柴谷宅へ電話 岩田、柴谷宅へ電話(( ようやく岩 田氏へ下山報告)) 田氏へ下山報告 8/15 4 : 3 0 秋田、 秋田、有川、 有川、北沢峠CS発 北沢峠CS発(( 甲斐 駒ヶ岳へ向かう)) 駒ヶ岳へ向かう 5 : 3 0 横山 横山(( Y ) 、岩田宅へ電話 岩田宅へ電話(( ようや く黄蓮谷隊の状況確認)) く黄蓮谷隊の状況確認 6 : 1 5 関東蛍雪井上氏、 関東蛍雪井上氏、横山 横山(Y) (Y)、 、秋田、 有川と無線交信 8 : 3 0 秋田、 秋田、有川、 有川、北沢峠CS着 北沢峠CS着 理由の如何を問わず、柴谷が黒戸尾根を下山し たこと及び岩田宅への連絡が遅れた事が今回の 騒動の直接原因であり、関係者にはご迷惑をお かけした事お詫び致します。 山中行動報告 (8月 13 日~8月 15 日) 柴谷 武史 南アルプス 聖岳~赤石岳 (1995 年8月 12 日~8月 16 日) 8/13 1 6 : 3 0 黄蓮谷パーティ黒戸尾根9合目付 近へ抜ける 1 6 : 5 0 3名全員で7合目へ下る 1 8 : 0 0 横山、 横山、中尾 7合目CS着 中尾 7合目CS着 1 8 : 1 5 北沢峠隊との交信できず 1 8 : 3 0 柴谷 CS着 1 9 : 3 0 飯窪 CS着 8/14 6 :0 0 飯窪、 飯窪、横山、 横山、中尾 CS発 中尾 CS発(( 甲斐 駒奧壁Aフランケへ向かう)) 駒奧壁Aフランケへ向かう 6 :1 5 北沢峠隊との交信できず 7 :0 0 柴谷、 柴谷、CS発 CS発(( 体調すぐれず黒戸 尾根を下る)) 尾根を下る 1 1 : 0 0 秋田、 秋田、柴谷留守宅へ電話 柴谷留守宅へ電話(( 状況不 明) 1 2 : 0 0 柴谷、 柴谷、下山。 下山。自宅及び秋田留守宅 自宅及び秋田留守宅 へ下山報告するが、岩田宅へは連 絡取れず 1 9 : 0 0 柴谷、 柴谷、帰阪。 帰阪。( その後トライ継続 その後トライ継続)) 1 9 : 2 0 秋田、 秋田、岩田宅へ電話 岩田宅へ電話(( 状況不明 状況不明)) 木戸 晴美 昨秋の白峰三山以来すっかり南アルプスの ファンになってしまった私は、北アルプス並み に人の多い北部はパスして念願の南部へ単独で 縦走することにした。 8月 12 12日 日(土) 晴れのち曇り、夜半から大雨 飯田からワゴンタクシーに乗り込む。途中 飯田からワゴンタクシーに乗り込む。 途中 “年に何回かは車が落ちる!” というあやしげな 林道を走り、2時間かけて便ヶ島の登山小屋に 到着。広場でツェルト張りの練習をしていて 到着。 広場でツェルト張りの練習をしていて “師匠”達(中年の男性2人 中年の男性2人))と出会う。師匠達は ペグを持ってこなかったバカな私の為に針金で パグを作ってくれた。登山小屋は大パニック状 態!私は小屋の手伝いをする羽目になってし まった。 54 1995 年( 平成 7 年) 夏 8月13日 8月13 日(日) 雨のち晴れ時々曇り所により にわか雨 真夜中の滝のような雨も7時前には止んだ。 小屋へ出発の挨拶に行くと、先日一緒にお手伝 いをした前千枚小屋のご主人の橋本氏より、 「林 さん(( 小屋のご主人 さん 小屋のご主人)) に今、 に今、紹介状を書いても 紹介状を書いても らっているから持ってて!」」と声を掛けられる。 らっているから持ってて! この橋本氏は、後で赤石小屋のご主人から聞い た話しによると、屏風岩で初登攀の記録を持つ 方らしい。林氏より紹介状の名刺をもらい出発 した。 前も後も誰もいない。少し不安になるが、 前も後も誰もいない。 少し不安になるが、西 西 沢渡に近づく頃にはオジサン達を徐々に抜かし 安心する。 西沢渡からは本格的なキツーイ登り。 最初は30 最初は 30分に1回休息してしまうというヘロヘ 分に1回休息してしまうというヘロヘ ロの状態!でも、途中の標識を見てびっくり! 1時間以上((休息を抜いたら2時間くらい 1時間以上 休息を抜いたら2時間くらい))速い ペースで歩いていたようだ。それからは休息も 少なくなって薊畑に着く頃には私より1時間も 前に出発した若い方の師匠の疲れ果てたお姿を 捕らえるようになった。聖平では両師匠のテン トの間にツェェルトを張り泊まった。 トの間にツ 心配した雨も パラパラで止み、快適な夜となった。 パラパラで止み、 快適な夜となった。 いた。部屋はオジサン達のイビキと暑さでとて も寝られそうにない。隣のオジサンから も寝られそうにない。 隣のオジサンから「玄関 「玄関 が空いてますよ。」と言われ、 」 と言われ、移動すること 移動すること に...夜中に一人で小屋の軒下にあるザックか .夜中に一人で小屋の軒下にあるザックか らシュラフとマットを取り出し、誰もいない玄 関の板の間で寝た。 8月 15 日(火) 晴れ時々曇り 妙に人の気配を感じて目を開けると、ヘッド ランプをつけた人がずらり!私は食堂の入り口 の目の前で邪魔するように寝ていたのだ。部屋 に戻って一眠り。6時頃には誰もいなくなり、 に戻って一眠り。 6時頃には誰もいなくなり、 もう誰もいないと思ったのか、また電気を切ら れてしまった。 小屋の前で食事をして出発した。 また前も後ろも誰もいない。真っ青な空が広 がり、きのうはパスしてしまった大沢岳の緑が とても美しかった。百間平あたりから、 とても美しかった。 百間平あたりから、なじみ なじみ のオジサン、オバサン達を1人、 のオジサン、 オバサン達を1人、2人. 2人...と抜 .と抜 いていく。今日は調子がいいようだ。 いていく。 今日は調子がいいようだ。山頂に着 山頂に着 く頃には雲に覆われてしまったが、赤石からの 富士はとても大きく美しかった。 時間もあったので大聖寺平まで足を延ばすが 花もなく、荒川小屋まで行くことにし、 花もなく、 荒川小屋まで行くことにし、そこで そこで 若い方の師匠と遭遇する。「 何でおまえがここ に... 」薊畑で、 薊畑で、聖岳で、 聖岳で、赤石岳で1時間近くも 赤石岳で1時間近くも 前に出発していたのに...いつも後ろから妙に .いつも後ろから妙に 元気な「師匠~」の声。赤石の山頂でも 赤石の山頂でも「「この辺 りでのんびりしますわ~」」って師匠を見送り、 りでのんびりしますわ~ 40 分以 上も 後 に出 発し た のだ った 。さす 。 さす がに ショックは隠せない様子だったが、気を取り直 し、2人で仲良く特製のラーメン し、 2人で仲良く特製のラーメン(( ニンニク入 り)をすすり、 中岳非難小屋へ向かう師匠とはそ こで別れた。 赤石コルでザックを再び持ち赤石小屋へ。名 刺を渡すとタダ((それも食事付き 刺を渡すとタダ それも食事付き))で泊まらせて もらうことになった。ほとんどの人が椹島に下 山している為、たいへん快適な夜となった。 山している為、 たいへん快適な夜となった。 8月 14 日(月) 晴れ時々曇り 朝は快晴!聖からの富士はすばらしく奥聖ま で足をのばす。途中、 で足をのばす。 途中、年配のほうの師匠に遭 年配のほうの師匠に遭 遇!「1時間もいて、飽きちゃったよ!」と、と ても元気だ。聖に戻ると、 ても元気だ。 聖に戻ると、年配の師匠が引きず 年配の師匠が引きず るように若い師匠を連れて行くところだった。 その後どんな目に自分が遭うのかも知りもせ ず... 聖からのキツーイ下りあたりからお腹が急 に... 我慢できず私は背の低い樹林帯の中へ... からだも妙にだるい。目の前には、 からだも妙にだるい。 目の前には、次に登る気 次に登る気 の遠くなるような兎岳の登りが見えている。百 間洞はとてもとても遠かった。タカネビランジ の可憐な花だけが唯一の救いとなった。 あの名刺のおかげで百間洞ではタダで泊まら せてもらうことになった。が、 せてもらうことになった。 が、6時半の消灯と 6時半の消灯と は知らずに師匠達と話し込み、結局は食事の途 中で電気は消され、くらーい土間のような自炊 室で1人ヘッドランプをつけて食事する羽目に なってしまった。外は今にも降りそうな雲はど こかへ行き、こぼれんばかりの星空が広がって 8月 16 日(水) 晴れ 朝焼けに染まる赤石や聖の展望を楽しんだ後、 ゆっくり椹島へ下山。汗を流し、 ゆっくり椹島へ下山。 汗を流し、南アルプスの 南アルプスの 天然水で作ったソーメンをすすり、のんびりと した時間を過ごした。 八木尾又ではラッキーにも山中で知り合った 中年のアベック((いとこ同志だそうだ 中年のアベック いとこ同志だそうだ))に声を掛 55 1995 年( 平成 7 年) 夏 けられ、静岡まで乗せてもらうことになった。 けられ、静岡まで乗せてもらうことになった。 おかげで1時間以上も早く帰ることができた。 わないのです。いい感じで歩いていると空がい つのまにか真っ黒になり大粒の雨が降ってきま した。さらに追いうちをかけるように雷が落ち てきました。全身ずぶ濡れになりながら3時頃 に無人の避難小屋である明月荘につきました。 夕方登山者が2人きて宴会となりました。1 人はもうすでに家を出て2か月も山を歩いてい る元気な老人。北海道から南下してきたとのこ とです。もう1人は沢をひとりで登ってきてこ の小屋についた青年。雨の泥水をこしながら宴 会はいつまでも続くのでした。 今年の春以来、 1人で夜中に行動することも、 1人でテントに泊まることにも慣れたが、この 山行で、それに磨きがかかった!?ような気が する。いろんな人と出会い、山の話しをする。会 の山行とはまた違った楽しみ方を知ったような 気がする。単独山行がとてもとても 気がする。 単独山行がとてもとても“クセにな “クセにな りそう!”な私でした。 りそう!” な私でした。 (蔵王 蔵王)) 吾妻を縦走し山形県の米沢に降りてきた私は 蔵王に向かいました。蔵王は残念ながら登山を するような雰囲気の山ではなかったのですが、 お釜を眺めていたらむらむらとヒッチハイクを してみたくなり車で登ってきた登山者に同乗す ることができました。たいへん親切な方で宮城 県の観光地をドライブして頂き仙台近くまで 送って頂きました。感謝! 送って頂きました。 感謝! 東北山行 (1995 年8月 15 日~8月 19 日) (那須 那須)) 那須岳山麓の湯元温泉でテントを張った私は すぐに後悔しました。ツェルトのテントは少し 場違いだったのです。まあいいか!と根性を決 めた私は次の日多くの登山者の騒音でたたき起 こされました。ツェルトを畳んでいざ!出発で す。茶臼岳を登り槍が岳、 す。 茶臼岳を登り槍が岳、三本槍が岳への縦走 三本槍が岳への縦走 です。 1日たんまり歩いて縦走を楽しみました。 登る前にも温泉に入った私でしたが、当然のよ うに降りてからも湯につかったのでした。 東北の山は温泉と控えめな人情が、good だと 思います。 その後宇都宮市まで南下し、再び夜行のバス で大阪を目指す私でした。 村上 隆志 日本百名山の山も後残り少なくなり夏休みを 使って東北地方で残っている吾妻山、蔵王、 使って東北地方で残っている吾妻山、 蔵王、那 那 須の3山に登ることにしました。吾妻は福島県 から山形県の米沢まで続く大きな山脈です。最 高峰は西吾妻山ですが、これのみを登るのは面 白くなさそうなので一切経山から縦走すること にしました。 また那須も最高峰の三本槍が岳だけでなく茶 臼岳から縦走することとしました。 (吾妻山 吾妻山)) 夜行高速バスに乗り朝7時30 夜行高速バスに乗り朝7時 30分に福島駅に着 分に福島駅に着 きました。ゆっくりトイレに行って吾妻行きの バス停にいってみるともうすでに出たところだ というのです。ありゃ!しまった!と叫ぶが後 のまつりです。次のバスは のまつりです。 次のバスは 11 時 30 分だという ので泣く泣くタクシーに乗りました。これが単 独行のつらいところです。 一切経山は観光地で人が一杯です。ところが 縦走を開始して稜線を歩き始めると全然人にあ 56 1995 年( 平成 7 年) 秋 山頂小屋のある弥山に着いた後、ガスが出てい るのでどうしようかとも思ったが、最高峰の天 狗岳まで行く。幅の狭い岩場が続くので滑らな いように注意しながら歩くが、思ったより足元 の岩がしっかりしていた。天狗岳に着いたもの の、ガスのため何も見えず。 の、 ガスのため何も見えず。残念。 残念。またアイゼ またアイゼ ンなしで二の鎖元小屋まで恐る恐る引き返す。 ザックを担ぎ、土小屋に向かって歩きだすが、 ザックを担ぎ、 土小屋に向かって歩きだすが、 土小屋の手前にある国民宿舎「「 石鎚 土小屋の手前にある国民宿舎 石鎚」」 の下に駐 車場があったので、そこにテントを張ることに する。午後5時。 する。 午後5時。 [ タイム タイム]] 石鎚登山ロープウェイ山頂成就発 ( 9 :5 0 ) 一の鎖発 一の鎖発(( 1 2 :3 0 ) 石鎚山頂上 石鎚山頂上(( 弥 山) 着 ( 1 4 : 0 0 ) 天狗岳着 天狗岳着(( 1 4 : 3 0 ) 二の鎖 元小屋発(( 1 5 : 2 0 ) 駐車場着 元小屋発 駐車場着(( 1 7 : 0 0 ) 11 月4日 快晴で昨日より暖かく感じる。瓶ケ森まで距 離があり少々疲れる。瓶ケ森から西之川バス停 まで、それほど時間はかからないだろうと悠長 に構えていたら、途中で休憩した小屋のおばさ んに、「今からだったら急いで降りないとバスの 時間に間に合わない」」 と言われ慌てる。 時間に間に合わない と言われ慌てる。そのと そのと きすでに午後3時。だが、 きすでに午後3時。 だが、そこからの下りがき そこからの下りがき つかった((釜床谷 つかった 釜床谷))。いい加減下りに嫌気がさし てきたとき、車道との合流点に出る。 てきたとき、 車道との合流点に出る。午後5時 午後5時 25 分、暗くなり始めていた。バス停に着いてタ クシー会社に電話をし、バス停の前にあるお土 産物屋さんで待たせてもらうことにした。暖か いコーヒーとお茶がおいしかった。 その日の夜、 大阪行きのフェリーに乗って帰る。 [ タイム タイム]] 駐車場発 駐車場発(( 8 : 3 0 ) 伊吹山着 伊吹山着(( 1 0 : 25) 瓶ケ森頂上着 25) 瓶ケ森頂上着(12:30) (12:30) 西之川バス停着 西之川バス停着 ( 18 : 10 ) 石鎚山~瓶ケ森縦走 (1995 年 11 月3日~ 11 月4日 月4日)) 蔵田 道代 メンバー: メンバー :大野 大野・ ・臼井 臼井・ ・西方 西方・ ・木戸 木戸・ ・蔵田 連休に山に行こうとは決めていたがなかなか 行先が決まらず、電話でお互いに 行先が決まらず、 電話でお互いに「どこへ行こ 「どこへ行こ うか」ばかり言っていた。 うか」 ばかり言っていた。そんなこんなで石鎚 そんなこんなで石鎚 山に決めたのは、四国へ渡るフェリー運賃の安 さ。何と片道 さ。 何と片道 3、5 00 円也 円也(( もちろん2等 もちろん2等)) 。全 然期待していなかったけれど、 大浴場があるし、 雑魚寝といってもちゃんと番号がふってあるの で、トイレにたっている間に自分の寝場所を他 人に取られる心配もない。とても快適な船旅 人に取られる心配もない。 とても快適な船旅 だった。 11 月3日 船から下りて超満員のバスに乗り、その後 船から下りて超満員のバスに乗り、 その後 ロープウェイに乗ってやっと登り口に着く。私 達のように大きなザックを背負っている人は他 にいない。気温が低く寒い。 にいない。 気温が低く寒い。最初の鎖を登る。 最初の鎖を登る。 荷物に振られながらも登り終え、一の鎖が終 荷物に振られながらも登り終え、 一の鎖が終 わったとほっとしたら、これが試し鎖。 わったとほっとしたら、 これが試し鎖。すぐに すぐに 一の鎖が現れた。その後の二の鎖に登ることは やめて登山道を歩くことにする。二の鎖元小屋 のところでテントを張ろうかと話しあうが、あ まり良い張り場所がなく、そこに荷物をデポし て空身で頂上まで行くことにした。出発前の1 日の夕刊に、 「 石鎚山で初積雪 石鎚山で初積雪」」 という記事がで ていたにもかかわらず、私達はアイゼンを携え ず、トレッキングシューズ。 ず、 トレッキングシューズ。そこから頂上まで そこから頂上まで の道は凍りついたところもあり、 恐る恐る歩く。 57 1995 年( 平成 7 年) 冬 なっていたのでここに幕営することになった。 少し前から風が強くなり、気温もグッと下がり 容易に作業出来ない。スコップの組立には参っ た。竹ペグは持ってきたものの、 た。 竹ペグは持ってきたものの、不十分だった 不十分だった のでピッケルでしっかり固定する。B隊は2班 に分かれて御飯を食べる為、用意ができるまで 移るのを待った。A隊と合流のうれしい夕食タ イムも短かった。早々とテントに戻った飯窪さ ん。火も炊いていない、 ん。 火も炊いていない、人もいないテントはど 人もいないテントはど れだけ寒いことでしょう!外は気が狂いそうな ぐらい風が舞狂っている。EPI を炊きながら、風 の音に声を消されつつ、雪を淡々と解かして飲 み物を作り暖をとる二人。山でこんな侘びしい と思ったのは初めてだった。この荒れ狂う天気 の回復がみられるかどうか、祈るようにシュラ フに入った。 鹿島槍ヶ岳(赤岩尾根) 鹿島槍ヶ岳 (赤岩尾根) (1995 年 12 月 30 日~ 1996 年1月1日 年1月1日)) 田中 佐和子 メンバー:秋田 メンバー: 秋田・ ・飯窪 飯窪・ ・堀・飯田 飯田・ ・木戸 木戸・ ・潟上 潟上・ ・ 蔵田・ 蔵田 ・西方 西方・ ・山口 山口・ ・川辺 川辺・ ・立山 立山・ ・田中 12 月 29 日、 日、30 30 日 すっかり風邪を引いてこられたB隊のCL飯 窪さん。雨具を着て、 窪さん。 雨具を着て、帽子までかぶられ、 帽子までかぶられ、いつ いつ でも登れるぞとばかりの様でぎりぎりに来られ た。そして第一声 た。 そして第一声「秋ちゃん、 「秋ちゃん、俺行かんとあか 俺行かんとあか んか?」 「あかん」無言のままちくま 「あかん」 無言のままちくま 81 号に乗 り込むと同時に、寝支度をして動かなくなられ た。無事山行を終えられる様にと差し入れを頂 きながらビールで乾杯!しかし、風邪薬を飲む 姿はあちこちで後を絶たなかった。大丈夫か 姿はあちこちで後を絶たなかった。 大丈夫か な?不安と期待を胸に電車は信濃大町へと向 かった。 8:30 鹿島部落を出発する。 鹿島部落を出発する。10:40 10:40 には赤岩尾 根にとりついた。大きな荷物を背負っていらっ しゃる関東蛍雪の方々はゆっくり後から追って 来られる。その前ですでに全身びしょ濡れの 来られる。 その前ですでに全身びしょ濡れの カッパを着た飯窪さんがしんどそうな顔をして ついて来られていた。B隊はどうなるの?不安 ..... 前をラッセルしていたパーテイの一人が 雪が深すぎるから、尾根にいかず、 雪が深すぎるから、 尾根にいかず、トラバース トラバース した方がいいとの話で引き返して回り込むこと になった。ラッセルしてもらっていても、 になった。 ラッセルしてもらっていても、途中 途中 から深みにはまって、足掛かりも無くなってど うにもこうにも足をあげようとしてもアー滑る わーという所は、パシリこと、 わーという所は、 パシリこと、山口君が後ろか 山口君が後ろか ら両手でお尻を持ち上げてくれて何とかクリ アーという所もあった。 堀さん、新人山口、立山、川辺さんはガッツ、 ガッツと交代しながら大奮闘して下さり、大助 かり。昨年プレ合宿で伊吹に行った時に村上氏 が「おい山口、ラッセルと言うもんはいいか、全 身でするんや!こー、あー、 身でするんや!こー、 あー、わかったか!その わかったか!その うち、代われと言われてもトップを行きたくな るんや!どうやおもしろいやろ!」という教え が耳に反響していたのでしょうか? 思った以上に時間がかかる。もう着いてもい いころかなと思っていたら高千穂平まであと 50m はあるらしい。 はあるらしい。テントを張るには テントを張るには 15:30 に 12 月 31 日 4:30 起床。食事をとっていて風の音が止んで いることに気付く。「御来光や」 「御来光や」の声に目を移 の声に目を移 し、一斉に駆け寄る。 し、 一斉に駆け寄る。昨日の天気は嘘のように 昨日の天気は嘘のように 晴れわたって、見事な御来光だった。 晴れわたって、 見事な御来光だった。95 年も残 すこと今日一日。日常、 すこと今日一日。 日常、自分を見失いそうに 自分を見失いそうに なった事も、光と共に溶けて行くようだった。 なった事も、 光と共に溶けて行くようだった。 そしてなんだか温かいものに包まれているよう な感触とともに、96 96年を静かに迎え入れる準備 年を静かに迎え入れる準備 が出来たようだった。“みんな元気、 “みんな元気、頑張ろう 頑張ろう ね!”叫んだら届きそうな気がしました。 ね!” 叫んだら届きそうな気がしました。 7:00 出発。7:30 高千穂平通過する。2ピッチ 目には鹿島の稜線が見えるようになる。雲ひと つない素晴らしい天気。見とれている間にラッ セル隊はいい調子で進んでいる。昨日の様な天 気だったら止める、何が楽しくてこんな事して るんやとぶつぶつ言っていたパシリ君が一番元 気がいい。稜線に出ると前方に剣がきれいに見 えた。360 360度見事な大パノラマが広がっている。 度見事な大パノラマが広がっている。 自分がこんな雪の大地に包まれているのはまだ 信じられない。 11:30 冷池山荘着。 冷池山荘着。一服して、 一服して、時間的な関係 時間的な関係 で午後からは爺ヶ岳にアタックすることにした。 小屋の2階はトイレ付きで快適に過ごせそう。 安心して荷物を置き、12:30 出発。鹿島槍をバッ クに振り返りつつも景観を楽しむ。午後より風 が強くなり、稜線に出ると空身ゆえに体がとば されそうになり、ピッケルで3点確保しながら 58 1995 年( 平成 7 年) 冬 14:20 爺ヶ岳頂上着。 爺ヶ岳頂上着。前峰、 前峰、後峰のどちらが頂 後峰のどちらが頂 上かと立ち止まっている間に、一番後ろから 上かと立ち止まっている間に、 一番後ろから 登って着ていた飯窪さんが岩場を見る見るうち に直登され、一番最初に頂上に立たれた。 に直登され、 一番最初に頂上に立たれた。2日 2日 前、大阪に集合の際来られた時の姿をみて 前、 大阪に集合の際来られた時の姿をみて「な 「な んてすごい人やなと感じた」という、 んてすごい人やなと感じた」 という、立山君は 立山君は その姿に納得していた。私も、 その姿に納得していた。 私も、又、 又、風邪でしん 風邪でしん どく肺が痛いようといいながら山荘で沈せず来 られ、 頂上についたら蛍雪の旗を懐から出され、 証拠写真を撮ったり、無駄のないかっこよさを 感じた。富士山、 感じた。 富士山、そして槍ヶ岳まではっきり望 そして槍ヶ岳まではっきり望 めた。堀さん、 めた。 堀さん、飯窪さん、山口くん、木戸さん、 飯田さんらは後峰でピークを楽しまれたようで す。16:00 す。 16:00 山荘に戻る。 山荘に戻る。山荘では夕食の用意が 山荘では夕食の用意が 始まっていた。私達が登っている間、 始まっていた。 私達が登っている間、沢山の水 沢山の水 作りに奮闘して戴いた秋田さん、西方さん、 作りに奮闘して戴いた秋田さん、 西方さん、蔵 蔵 田さん御苦労様でした。有り難う。 田さん御苦労様でした。 有り難う。ココアが美 ココアが美 味しかった。続々と山荘にメンバーが帰ってく ると関東蛍雪3名、関西 関西12 12 名、個人1名の計 個人1名の計16 16 名で小屋は一杯になった。大晦日である今日。 名で小屋は一杯になった。 大晦日である今日。 年越しそばは勿論、関東の方々が生肉、 年越しそばは勿論、 関東の方々が生肉、生うど 生うど ん、生豆腐、 ん、 生豆腐、ソウセージ、 ソウセージ、その他食べきれない その他食べきれない 位の御馳走がふるまわれた。おいしそうっだけ れど、 どうやら飯窪さんの風邪が移ったらしく、 熱っぽく食欲が出なかったのが残念でした。明 日の天気はどうだろう。ラジオを持っている堀 さん。 「小屋の中では駄目やー」の一言で終わる .....。 ..... 。食事が終わると戦争だった。寝たもの勝 ちのようなもので、遅れてシュラフに入った私 は荷物とかがあるせいで対面の人の足と重なる し、身動き出来ない狭さだった。 し、 身動き出来ない狭さだった。長身の川辺さ 長身の川辺さ んも大変だったようだ。 らっしゃる。この天気で本当にピークまで行け るのかな?布引岳を前に風は以前にも増して強 くなり、目を開けているのもつらい。 くなり、 目を開けているのもつらい。体に力が 体に力が 入りにくい為、風に押されて前に行くどころか 後退して思うように進めない。まつげが凍って 前が見えない。 擦っても擦ってもすぐ同じ状態。 撤退の指示があって、追い風で楽に下れる。 撤退の指示があって、 追い風で楽に下れる。途 途 中赤旗をたてて登ってくるパーテイとすれ違う。 この状況では帰りトレースが消えてしまうから 必要だと感じたが、 「これが冬の醍醐味だ」と独 り言のようにおっしゃっていたその人はそのま ま登頂されたんでしょうか?8:30 ま登頂されたんでしょうか? 8:30山荘に帰って 山荘に帰って くる。暖かい飲み物でブレークしたのち準備し て高千穂平を目指す 9:50 9:50。 。 私は、より体調が悪くなってきた為、 私は、 より体調が悪くなってきた為、少し荷 少し荷 物を分担で減らしてもらっての下山となった。 個人山行で甘えられぬ事、有り難く思った。 個人山行で甘えられぬ事、 有り難く思った。夏 夏 道を通り、危ない所ひとつなく順調に降り、12: 20 には高千穂平に着いていた。時間もまだ早い から西俣出合まで行こうということになった。 時々、ほどよい斜面では皆おもいおもいにシリ セードを楽しんだ。西方さんはコンタクトを二 度も落とされたそうですが、無事見つけられた というからすごい!飯田さんは止まっている私 の背後から無言で追突。勢い余って沢側の雪に うつぶせ状態にほられる。風邪で鼻がじゅる うつぶせ状態にほられる。 風邪で鼻がじゅる じゅるの上に、 口までふさがって息が出来ない。 体は深雪でザックの重みで起こせない。これか らは何か叫んでから追突してね。でも私がいな かったら落ちていただろう。どうせ西俣出合ま で降りたんだから部落まで下りてしまおうと予 定を変更に変更して、 あれよあれよと下山した。 堀さんはお子さんの顔を早く見たさゆえ今日中 に帰る事にされ別れる。3:50 に帰る事にされ別れる。 3:50 部落に着く。鹿島 のおばばの所に泊まる私達と関東の方とはここ でお別れした。 車道をとことこ30 車道をとことこ 30分かけておばばの家まで歩 分かけておばばの家まで歩 く道のりが一番だるかった。予定では明日泊ま らせて欲しいと行きしなに予約してはいたけれ ど、10 10人も急に泊めてくれるかどうかわからな 人も急に泊めてくれるかどうかわからな いねと不安だった。他のあてなどなかったし。 いねと不安だった。 他のあてなどなかったし。 風邪は絶好調になってきて、耳の鼓膜が息とと もに 動く 様 にな るし 、声も 、 声も 一段 と 枯れ てき ちゃった。おばばの家は元旦というのに快く迎 えいれてくれた。そのかわり食事は用意出来な 1月1日 お雑煮で新年は迎えられた。秋田さんから昨 日は随分うなされていたと聞く。体調は良くな いがゆっくりなら登れるだろうと、重い体にけ しかけて準備する。どうやら外は風もあり、 しかけて準備する。 どうやら外は風もあり、天 天 気は悪いようだ。 5:35 帰阪される飯窪さんと別れて、ヘッドラ ンをたよりに出発する。ガスっていて視界が悪 い。あまり間隔を開けないで歩いた方がいいみ たいだ。飯田さんはメガネが曇って見えず四苦 八苦して進んでいる。 ルート探しも慎重のよう。 秋田さんは時折、重たそうな空を見上げてい 秋田さんは時折、 重たそうな空を見上げてい 59 1995 年( 平成 7 年) 冬 いと。十分だった。こたつの中にすっぽり体を いと。十分だった。 こたつの中にすっぽり体を 入れて暖めた。食事の用意もお言葉に甘えて休 ませてもらった。しんどいのもある程度くると よくわからなくなるのか、秋田さん 秋田さんmade madeのウイ のウイ スキーシャーベットは喉にとても潤って美味し かった。 60 1996 年( 平成 8 年) 春 月荘にこんにちはです。再度東大嶺に立った時 には3時間もロスしてました。 ただこの頃から天気は良くなり先々のコース を読む事ができます。気を取り直して再度の出 発です。昭元山を本来トラーバースする予定で すが何故か頂上を究めてしまいます。この下り はなかなか良い斜面でしたがシールをつけたま まの滑りになります。今回はなかなかシールを はずしての滑りにはなりません。また失った時 間はなかなか回復できず、結局酢ケ平非難小屋 でのビバークとなります。小屋の中は雪が吹き 込んで大変でしたが、それでも外に比べれば天 国 ( ? ) です。 [ タイム タイム]] 明月荘 明月荘(( 6 : 5 0 ) 東大嶺 東大嶺(( 7 : 2 5 ) 明月荘(9:5 明月荘 (9:5 0) 東大嶺 0) 東大嶺(10: (10: 20) 酢ケ平 20) 酢ケ平(1 (1 6: 30) 東北吾妻連峰山スキー縦走 (1996 年3月 27 日~3月 29 日) 中尾 悦子 メンバー:: 秋田 メンバー 秋田・ ・中尾 3月 27 日( 水) から5日間ばかり連続で休暇 がとれる事になり、一昨年の東北山スキーが充 分おもしろかった事もあり、再度二人で東北ま で山スキーを楽しむ事にしました。同じ楽しむ なら縦走を、と吾妻連峰を選ぶ事にしました。 なら縦走を、 と吾妻連峰を選ぶ事にしました。 滑りの要素は少し少ないのですが、トータルの 充実は充分味わえるだろうとかなり期待を抱い て出発しました。またこれが5月のジャパン て出発しました。 またこれが5月のジャパン オートルートのための布石になるのではとの期 待も持っての出発になりました。 3月 27 日 ((水 水) 晴れ 前日夜行バスで大阪を出発し、計算では福島 駅から接続よく電車等にのれ、天元台スキー場 を 11 11時頃出発の予定が見事に裏切られ、 時頃出発の予定が見事に裏切られ、新幹線 に乗る事になるは、タクシーは飛ばすはで、 に乗る事になるは、 タクシーは飛ばすはで、結 結 局シールをつけての出発は 13:05 と大幅な遅れ となり西吾妻山のアタックは省略しました。そ れにしてもこの山は百名山とか、少し残念な気 がします。 今日は明月荘までです。ガスがかかると見つ けにくいとか。でも今日の天気なら心配はあり ません。秋田さんのなかなか感の良いルート ません。 秋田さんのなかなか感の良いルート ファインディングで順調に距離をかせげます。 おまけにポイント発見の感も良く安心してつい て行けます。でも、 て行けます。 でも、今回は二人きりの山行とい 今回は二人きりの山行とい う事でこまめに地形図とにらめっこします。本 来あたり前の事に二人して忠実になっています。 かなりの余裕で明月荘に到着しました。 [タイム タイム]] 天元台スキー場終点 天元台スキー場終点(13:05) (13:05) 人形 人形 石( 1 4 : 1 0 ) 明月荘 明月荘(( 1 5 : 3 0 ) 3月 29 日 ((金 金) 晴れ 今日は最高に良い天気です。東吾妻までの登 りは順調です。上から見ると東吾妻小屋はほん の近くにありました。少し残念な気がします。 の近くにありました。 少し残念な気がします。 東吾妻山で初めて人に会います。そして今日は 後下り一方です。でも面白いはずのスキーがも うひたすらしんどいのです。荷物が重いと滑る のも歩くのも大変です。ボーゲン、 のも歩くのも大変です。 ボーゲン、ボーゲンで ボーゲンで ひたすら進みます。今日は5時間位の予定でし たが、結局土湯温泉に着いたのは たが、 結局土湯温泉に着いたのは 15 時 30 分で した。2泊3日のなかなかハードなスキーにな りました。 [ タイム タイム]] 酢ケ平小屋 酢ケ平小屋(( 6: 5 0) 東吾妻山 東吾妻山(( 7 : 5 0) 鳥子平 鳥子平(( 1 1 : 3 5 ) 高山 高山(( 1 2 : 1 0 ) 土湯 温泉(( 1 5 : 3 0 ) 温泉 3月 28 日 ((木 木) くもり 朝目をさますとガスがかかっています。でも 確実に晴れるだろうと出発します。結局これが 失敗のもととなります。東大嶺までが確かと言 う事で出発しますが、その後見事に尾根をまち がえてしまいます。それらしい山があらわれな いままに進み結局引き返す事にします。又々明 61 1996 年( 平成 8 年) 春 よしよし、この調子だーと心の中で思ってい た矢先、鬼岳のピークから人が滑っておりてく る。 コースガイドの通りにのぼってきたが、この 先( ガイドによると鬼岳の西面をトラバースす る、となっている る、 となっている)) はガレ場でいけないとのこ と。 スタート早々のアクシデントに混乱するが、 気をとりなおして夏道のルートにスキーをむけ る。結局コースガイドの方がマチガイと判明、 る。 結局コースガイドの方がマチガイと判明、 小一時間はおくれてしまった。 獅子岳の稜線はスキーをかつぎ歩く。そこか らザラ峠までは標高差 630 Mの一枚バーンで、 斜度は 40 40度近い。 度近い。時間的に雪がくさっているの でなんとかターンしながら下りることができた が、クラストしてたら が、 クラストしてたら・ ・・・と思うとオソロシ イ。(実際よくケガをする人があるとのこと 実際よくケガをする人があるとのこと)) 再びシールをつけて五色ヶ原へのぼり返す。 連休中はオープンしているという五色ヶ原山荘 を通り越し、先へと向かう私たちの行く手を突 如ガスがさえぎり出した。あれよあれよという 間にホワイトアウト状態である。3月の吾妻連 峰で3時間も徘徊したニガイ経験から、今動く のはムダと判断し、しばらくガスの動くのを のはムダと判断し、 しばらくガスの動くのを 待ってみる。 が、10 が、 10 分、 分、20 20 分くらいでは動く気配もなく、 時刻も3時をまわったので、この先へすすむこ とをあきらめて小屋に引き返すことにする。し かしさっき通ったばかりの小屋の位置がもうわ からない。結局 結局10 10分程動いた距離を引き返すの 分程動いた距離を引き返すの に 30 30分もかかり、 分もかかり、ようやく到着することができ た。 小屋はメチャウマのみそ汁とごはん付で一人 5500 円、ガンガンに暖房のきいた居間とフトン 使い放題の個室。そして何より小屋のおじさん とそのお友だちのあたたかさが心地良い楽しい 一泊だった。 [タイム タイム]] 室堂 室堂(9:30) (9:30) 一ノ越 一ノ越(10:20) (10:20) トラ トラ バース終了(10:50) バース終了 (10:50) 獅子ヶ岳 獅子ヶ岳(13:05) (13:05) ザラ峠 ザラ峠 (13:20) 五色ヶ原 (13:20) 五色ヶ原(14:25) (14:25) 五色ヶ原山荘 五色ヶ原山荘(15: (15: 30) ジャパン・ ジャパン ・( ミニ ミニ))・オートルート (立山~双六岳~新穂高温泉)) (立山~双六岳~新穂高温泉 (1996 年4月 27 日~4月 30 日) 秋田 三枝子 メンバー スキーリーダー:秋田 三枝子 メンバー スキーリーダー: 歩きリーダー : 歩きリーダー :中尾 悦子 ヨーロッパの山スキーのツアーコースで段突 に有名なものにモンブランからマッターホルン までをつなぐ 「オートルート((高い道 と言う意 「オートルート 味)」と呼ばれるコースがある。 氷河こそないが、モンブランを立山に槍が岳 をマッターホルンに見立てたロングコースは、 山スキーヤーの間でジャパン・ 山スキーヤーの間でジャパン ・オートルートと 呼ばれ、そのスケール、難度、標高、どれをとっ ても日本を代表するツアーコースの条件を備え ていると言われている。 山岳スキーツアーに要求されるあらゆる技術 や経験、体力、 や経験、 体力、そして判断力が試されるこの そして判断力が試されるこの ビッグルートに今回私達は挑戦した。 4月 27 日 快晴、 日 快晴、風やや強し 風やや強し 連休の初日で人出はややまし-という気もす るが、それでも電鉄立山の駅で1時間程のタイ ムロスがあり、ようやく室堂に到着したのは9 時近くになっていた。 ガイドブックで紹介されているのは、初日五 色ヶ原まで4.5 色ヶ原まで 4.5時間、 時間、2日目太郎平小屋 2日目太郎平小屋11 11時間、 時間、 3日目双六小屋9時間、4日目上高地 4日目上高地10 10時間と 時間と なっているのだが、今日少しでも先へコマをす すめたいと気がはやる。 できるだけ軽い荷物(( 8 Kg ぐらい できるだけ軽い荷物 ぐらい)) でスピー ディに行動することが成功のポイントと聞かさ れていたが初日のビバーク用具、食料等を含む と 13Kg 近くにしかできなかったザックを担ぎ、 一ノ越を目指して歩く。 一ノ越の小屋付近にはスキーヤーが10 一ノ越の小屋付近にはスキーヤーが 10数人い 数人い たが、私たちのいく御山谷の方へ足をむける人 はいない。衆人の見る中、 はいない。 衆人の見る中、うまくもないスキー うまくもないスキー のワザを披露するのはイヤな緊張感がつきまと う。それでも雪質はなかなか快適であっという 間に 2500 2500Mのトラバース地点に到着した。 Mのトラバース地点に到着した。ここ から先行パーティのあともしっかりある雪面を、 鬼岳と竜王岳の鞍部までのぼり返す。 4月 28 日 朝ガスのち快晴 天気予報に反してまた一面のガス。小屋のお じさんのアドバイスで今日太郎平小屋を目指す 2人パーティと単独行の男性群と一緒に出発す 62 1996 年( 平成 8 年) 春 る。幸い歩き出して 幸い歩き出して30 30分もしないうちにガスも 分もしないうちにガスも 晴れ、それぞれパーティ毎のペースで歩けるよ うになった。 鳶山を夏道に沿ってのぼるパーティ、五色ヶ 原よりほとんど高度をかえずにトラバースする 単独行の人の中間にあたり、東南面をまくよう に私たちは進んだ。時間的には平行トラバース が一番速かったが、後で聞くとかなりヤバかっ たとのこと。急がば回れということか。 たとのこと。 急がば回れということか。 越中沢岳を越してスゴノ頭まではほとんどス キーは使えず、アイゼン、 キーは使えず、 アイゼン、ピッケルのお世話に ピッケルのお世話に なる。ずっと先頭を進んでいた私と中尾さんの 位置がスルリとここで逆転する。 何歩か行く毎にズボッとはまる雪に足をとら れ、ヨロけながらもひたすら歩き、 れ、 ヨロけながらもひたすら歩き、スゴ乗越小 スゴ乗越小 屋に 11 11時到着。 時到着。小屋は屋根の上部が顔をのぞか せているのみで使用は不可であった。 山荘を 出てすでに5時間半、しかし行程はまだ倍以上 ある。幸いお天気だけはこれ以上望むべくもな い程のピーカンでほとんど無風状態である。と にかく前へ前へ進むこと、一歩ゆけばそれだけ 太郎平の小屋が一歩近づく。そう思いながらひ たすら歩いた。北薬師岳の下りで一ヶ所スキー をはずして夏道づたいに下るところがあったが、 それ以外はずっとシールで登行できたことは ラッキーだった。 ようやく薬師岳のピークにたどりついた時は うれしさよりもこれ以上今日は登らなくていい んだという安堵感だけであった。追いついた単 独行の人に写真を撮ってもらい、すぐまた先を 急ぐ。雪がどんどんしまってくる時間でのんび りしているゆとりは全くない。 2900 2900Mの避難小屋まではシールをつけたまま Mの避難小屋まではシールをつけたまま 進む。この付近、 進む。 この付近、ガスるとルートファインディ ガスるとルートファインディ ングの難しいところだが、ヨレてる私たちにお 天道様が見方してくれているかのように、今日 の終点の太郎平小屋もはっきりと見え、ルート は間違いようがない。 4時をすぎた斜面の雪は重く、滑りを楽しむ というよりは苦行のようであった。さすがのサ イボーグ中尾さんのエネルギーも底をついたの か、薬師峠まで下ってきた彼女は消耗しすぎて 逆に何ものどを通らない状態にまでなっていた。 小屋までのほんの少しの登り返しが疲れた身 にはこたえる。ようやく到着したのはスタート から 12 時間 20 分後であった。 小屋にはRSSA 小屋には RSSAの坂野さんがお手伝いとして来 の坂野さんがお手伝いとして来 ていて、倒れるように小屋に入った私たちに熱 いお茶などをもってきて世話をしてくれた。結 局朝同時にスタートした2人パーティと、すぐ そのあとにきていたテントの2人パーティの姿 はとうとう見えなかった。 [タイム タイム]] 五色ヶ原山荘 五色ヶ原山荘(5:30) (5:30) スゴ乗越小屋 スゴ乗越小屋 (11:00) 薬師岳 (11:00) 薬師岳(15:30) (15:30) 2900 2900M滑り出し M滑り出し(16: (16: 00) 薬師峠 00) 薬師峠(17:00) (17:00) 太郎平小屋 太郎平小屋(17:50) (17:50) 1泊夕食付 1人 7000 円( 個室 個室)) 4月 29 日 快晴 今日もうれしい程の快晴、無風状態である。 今日もうれしい程の快晴、 無風状態である。 今回の一番の長場をなんとかクリアーできたこ と、そしてこの先は中間の黒部五郎の避難小屋 が使えるので少し気は楽である。 北ノ俣の登り途中で休んでいるところを昨日 薬師峠で幕営していた3人組に追い抜かれる。 3人共登山靴をはいているところをみると、か なりのワザ師のようである。しかし北ノ俣岳か ら中俣乗越までの大斜滑降でシールをつけたま ま滑っている彼らを再び抜き返す。 「この斜滑降 「この斜滑降 は日本の中で最も気分のよい斜滑降であると断 言しよう」とコースガイドにかいてあったのに 知らなかったようだ。もったいな~。 知らなかったようだ。 もったいな~。 楽しい滑りのあとはまた黒部五郎まで長い登 りである。クトーをつけていても北面カリカリ の一枚バーンには少々緊張させられる。 肩まで登り切ると黒部の大カールが目の中に とびこんでくる。雪庇越しにこわごわ下をのぞ きこんで、はてさてどうやってここを降りよう かと思案する。虎の巻のコースガイドによると ピークを越し主稜線通しに黒部乗越に下るコー スと、滑りに自信があるなら肩の雪庇の隙間か ら直接40 ら直接 40度程あるカールの上部に滑りこむ方法 度程あるカールの上部に滑りこむ方法 と、もう1つは肩から東北東へのびる尾根を と、 もう1つは肩から東北東へのびる尾根を 200 Mほど歩き、 Mほど歩き、少し傾斜の落ちたカールの側 少し傾斜の落ちたカールの側 面を滑る方法が述べられていて、私たちは迷う ことなく3番目のコースを選択したが、それで もトレースのない急斜面の最初の第一歩の緊張 感は何ともいえないものがある。ワザ師の3人 組は肩のところでコンロを出して大休止してい るし、 先行していた単独行の人((太郎の小屋でも 先行していた単独行の人 う1名いた))2名は気が付けば雪庇の間を滑りお う1名いた 63 1996 年( 平成 8 年) 春 りて(1名は落ちて りて( 1名は落ちて))いた。 ここでも天は私たちに味方してくれて、これ 以上ないかと思えるような快適な雪質で未熟な スキーヤーを受け入れてくれた。 カールの底までコースは選び放題であった。 そこからは右岸をまたまた大斜滑降で下り、南 に回り込むと目の前に黒部五郎の小屋が見える。 小屋の回りには双六から来た人たちや朝小一時 間程速く小屋を出ていた単独行の人たちが休け いしていてにぎやかであった。私たちもちょっ とゆとりの気分でお茶を沸かし大休止をとる。 五郎の大カール、谷間に見える笠ヶ岳の雄姿、 五郎の大カール、 谷間に見える笠ヶ岳の雄姿、 三角屋根の小さな小屋、異様な日焼けの顔、顔、 太陽の回りには大きな日輪・ 太陽の回りには大きな日輪 ・・・何もかもが浮 き世離れした別世界のようであった。 三俣蓮華岳へはまた長い登りだ。再びシール をつけ、斜面をジグザグにのぼりながら高度を かせぐ。と、 かせぐ。 と、突然槍ヶ岳の穂先が目の前にとび 突然槍ヶ岳の穂先が目の前にとび こんできた。初日、 こんできた。 初日、2日目にははるか先に見え 2日目にははるか先に見え た山が、手をのばせば届きそうな距離となって いる。しかし、 いる。 しかし、槍まで縦走する!というスター 槍まで縦走する!というスター トの意気込みから状況は大分変ってきていた。 経験豊富な坂野さんも、途中から抜きつ抜か れつしてきた回りのメンバーも口々に西鎌は シールが使えないからつまらない、とか弓折岳 からの滑りがオモシロイ等と私たちにアドバイ スをくれる。私自身、 スをくれる。 私自身、オートルート走破の魅力 オートルート走破の魅力 も捨てがたいが、槍沢を滑ったあとの横尾から 上高地までの道程のエグさを想い出すと、まだ 滑ったことのない左俣谷へと心が動く。もう底 をつきかけてきた体力を双六岳のピークへ向け てふりしぼり、双六谷を 双六谷を2500 2500M高度まで滑って M高度まで滑って 再び小屋をめざしてのぼり返し、明日はゆっく り下山することに決めた。 テント縦走の愛知の3人組のパーティリー ダーがイチオシした双六谷は今回のルートの中 で最高の雪質と私好みの斜度で、登りの苦しさ も何もかも吹き飛んでいくようだった。心配し たのぼり返しも思った程ではなく、4時 たのぼり返しも思った程ではなく、 4時 20 分、 無事双六小屋へ到着。双六のピークをあきらめ トラバースルートを来た単独行者2名と再び出 会う。 小屋に入るとここをベースにしているスキー ヤーやら、今朝中俣乗越からスタートしたパー ティ((途中で抜かした ティ 途中で抜かした))や単独行の人たちにさか んに私達の強さを強調されてしまった。 [タイム タイム]] 太郎平小屋 太郎平小屋(5:40) (5:40) 北ノ俣岳 北ノ俣岳(( シー ルはずす)) (7:30) 黒部五郎岳 ルはずす (7:30) 黒部五郎岳(11:00) (11:00) 黒部 黒部 五郎小舎(11:30) 五郎小舎 (11:30) 双六岳 双六岳(15:40) (15:40) 双六谷登り 双六谷登り 返し(16:05) 返し (16:05) 双六小屋 双六小屋(16:20) (16:20) 4月 30 日 曇り 昨日の日輪現象から今日はくずれるゾ、みん な思っていたのに案外視界はスッキリしている。 改めて西鎌尾根を目の前にするとちょっと残念 な気も沸いてくるが、下山後の社会復帰の為に 体力を残さねばーと思い弓折岳へと足をむける。 双六岳を少し下ったところからクトーをつけて 稜線をすすむ。今回はよくクトーのお世話に 稜線をすすむ。 今回はよくクトーのお世話に なった。疲れもあってか、 なった。 疲れもあってか、弓折岳まで結構時間 弓折岳まで結構時間 がかかってしまった。しかし、 がかかってしまった。 しかし、ここから先は下 ここから先は下 るのみである。滑り出しは地形がデコボコして いて小きざみなターンをしなければならないが、 途中からは快適なバーンとなる。 高度も2000 高度も 2000Mを下ると雪質はどんどん悪くな Mを下ると雪質はどんどん悪くな り力まかせのターンが続く。今年は雪が多いと かで、デブリの上で苦労もさせられたが、 かで、 デブリの上で苦労もさせられたが、わさ わさ び小屋の先、ほとんど北電小屋の近くまでス び小屋の先、 ほとんど北電小屋の近くまでス キーを使えたのはラッキーだったようである。 林道を滑りながら太郎平から相前後して縦走し てきた単独行のお兄さんに「ターボついてるみ たい やね 」と思 」 と思 わず 言 わせ てし ま った 私っ て・・・・・ ・・・・・!!!!!????? !!!!!????? スキーをザックにつけて林道を歩くこと小一 時間、長い長いツアーはついに終了した。 時間、 長い長いツアーはついに終了した。あと あと は目の前にある無料の公衆浴場にとびこむのみ だ。 めずらしく小屋を使っての合宿はいろいろな 人との出会いの場があってそれなりに楽しいも のであった。それにしても改めてわかったこと -私たちってやっぱり強かった!? [タイム タイム]] 双六小屋 双六小屋(6:50) (6:50) 弓折岳 弓折岳(8:20) (8:20) 林 林 道(歩き 歩き)) (10:30) 新穂高温泉 (10:30) 新穂高温泉(11:30) (11:30) P.S. 確かに合宿中は私の方が((ターボがついて P.S. 確かに合宿中は私の方が るので?!))強かった。 るので?! でも下山して2日後には また泊まりでフリークライミングにいった中尾 さんの身体はやっぱりサイボーグだった!! 64 1996 年( 平成 8 年) 春 AM 6:50 横山パーティ 天狗のコル到着。 6:50 横山パーティ 天狗のコル到着。 立山 ハーネス、ヘルメットを外す。 立山 ハーネス、 ヘルメットを外す。 AM 7:10 先発隊 B. 7:10 先発隊 B.Cへ向かう為、 Cへ向かう為、天狗沢 天狗沢 の下降始める。 AM 7:20 横山パーティ 奥穂へ出発。 7:20 横山パーティ 奥穂へ出発。 先発隊 永広、蔵田、谷池、立山、上 原の順で下降。 約 1 0 0 M 下降した地点で立山尻セード開始。 (上原 立山が尻セードを始めるのを見て、 止め るかどうか迷っている間に滑り始める)) 立山 るかどうか迷っている間に滑り始める 約 10M 滑った地点で、アイゼンを雪に引っかけ、 左足を骨折する。その後約 左足を骨折する。 その後約 10M 滑落してブロッ クに衝突して停止する。 立山は足以外に傷害は無く、比較的元気であ る。現場を登行中の京都比良山岳会の2名が救 助の応援を申し出てくれるが、自力下山可能と 判断しお断りする。 (仲間あり、トランシーバー ありの為)) ありの為 谷池 左足首をピッケルで固定する。この時 点で骨折か捻挫かは不明。 AM 8:00 永広 岳沢ヒュッテへ救助要請に出 8:00 永広 岳沢ヒュッテへ救助要請に出 発する。 ( スノーボートを借りに スノーボートを借りに)) 現場、 現場、立山 立山 の具合、無線周波数、 の具合、 無線周波数、ヘリ要請の可否について ヘリ要請の可否について 上原が永広に相談せず。永広 ザイル 上原が永広に相談せず。 永広 ザイル(( 9 × 45 M) を持って下山。 AM 8:10 上原 横山パーティと交信。 8:10 上原 横山パーティと交信。引き返 引き返 し依頼。横山パーティの位置=タタミ岩の頭。 し依頼。 横山パーティの位置=タタミ岩の頭。 蔵田、谷池 BCへ下山開始。 (岳沢ヒュッテ への立寄りを依頼せず)) への立寄りを依頼せず AM 9:00 永広岳沢ヒュッテ到着。 9:00 永広岳沢ヒュッテ到着。救助依頼す 救助依頼す る。依頼するも る。 依頼するも「自力で降ろせ」 「解った。自力 で降ろす」とやりとりして、 で降ろす」 とやりとりして、永広BCへ戻る。 永広BCへ戻る。 AM 9:30 永広、 9:30 永広、西方、 西方、飯田 食料、 飯田 食料、飲み物 飲み物 持って現場へ出発。永広、 持って現場へ出発。 永広、疲労のため遅れる。 疲労のため遅れる。 横山パーティ 現場到着。 A M 1 0 : 0 0 飯田 現場到着。 飯田 現場到着。応急処置部を 応急処置部を チェック。 AM11:30 懸垂下降方式で下山開始。 AM11:30 懸垂下降方式で下山開始。 PM12:00 京都比良山岳会の2名 下山時に再 PM12:00 京都比良山岳会の2名 下山時に再 度協力申し出あり。協力お願いする。 度協力申し出あり。 協力お願いする。 PM12:30 永広 合流。 PM12:30 永広 合流。 京都の方より岳沢 京都の方より岳沢 ヒュッテから上高地まで、どうして降ろすのか との質問あり。 「ヒュッテでスノーボート等無 ければ木村小屋、上高地のセンターで聞け」 ければ木村小屋、 上高地のセンターで聞け」と と 指示あり。 春山合宿 岳沢 (1996 年5月2日~5月5日 年5月2日~5月5日)) 横山 典郎 メンバー:横山N メンバー: 横山N・ ・上原 上原・ ・永広 永広・ ・飯田 飯田・ ・大野 大野・ ・西 方・横山Y 横山Y・ ・木戸 木戸・ ・蔵田 蔵田・ ・山口 山口・ ・谷池 谷池・ ・川辺 川辺・ ・立 山 今回の合宿は、私にとっては初めての山域で あり、交通の利便性が高くバリエーションルー トも豊富と言うことで意気揚々と乗り込んだが、 結果は惨めな失敗に終わった。私の軽率な計画 が会の内外を問わず多くの人々に多大なる迷惑 をかけ、会の名誉を傷つけ、 をかけ、 会の名誉を傷つけ、遭難対策費の放出 遭難対策費の放出 をも招いたことに深く反省し、心よりお詫び申 し上げます。 合宿の経過は下記の通り。 5月1日 (水) 5月1日 ( 先発隊 大阪発。 5月2日 ((木) 曇り後晴れ 5月2日 先発隊 岳沢到着。B. 先発隊 岳沢到着。 B.C設営。 C設営。 後発隊 大阪発。 5月3日 ((金) 晴れ 5月3日 先発隊 コブ尾根に出発。( A M 4: 2 0 ) AM 7:00 マイナーピーク着。 7:00 マイナーピーク着。 PM 2:10 コブ尾根Ⅰ峰着。 2:10 コブ尾根Ⅰ峰着。 後発隊と交信。 後発隊と交信。 PM 6:10 コブ尾根の頭着。 6:10 コブ尾根の頭着。 P M 1 0 : 3 0 コブ尾根の頭~天狗のコル間でビ バーク。 後発隊 岳沢到着。 木戸 大阪発。 後発隊 AM10:10 後発隊 AM10:10 ~ PM9:30 の間、 の間、先発隊と交 先発隊と交 信をとり続け「コブ尾根の頭を下降中」 信をとり続け 「コブ尾根の頭を下降中」との連 との連 絡を最後に確認する。 5月4日 (土) 晴れ後曇り 5月4日 ( AM 2:00 後発隊 起床。 2:00 後発隊 起床。 AM 4:20 先発隊 ビバーク地点出発。 4:20 先発隊 ビバーク地点出発。 AM 4:40 後発隊 捜索出発 4:40 後発隊 捜索出発((横山N、 横山N、川辺、 川辺、山 山 口)。 AM 6:10 先発隊 天狗のコルより 6:10 先発隊 天狗のコルより 20M 上部に て横山と交信。 AM 6:20 先発隊 天狗のコル着。 6:20 先発隊 天狗のコル着。大休止。 大休止。 65 1996 年( 平成 8 年) 春 PM 1:00 永広、 1:00 永広、西方 連絡 西方 連絡・ ・交渉のため先に 下山する。 PM 1:30 アラークの4名、 1:30 アラークの4名、下山時に協力申し 下山時に協力申し 出あり。協力お願いする。 出あり。 協力お願いする。救助方法変更。 救助方法変更。ツェ ツェ ルトに立山を包み、滑らす方法。 ルトに立山を包み、 滑らす方法。 PM 2:30 永広 2:30 永広 岳沢ヒュッテへ行く。 岳沢ヒュッテへ行く。登山 登山 センター・木村小屋の電話番号聞くも 「電話帳 で自分で探せ」との返事。 で自分で探せ」 との返事。電話帳で探すも探せ 電話帳で探すも探せ ず。 「探したがあかんかったんや」と何度もうつ ろな目でつぶやく。 西方 京都(( 比良山岳会 西方 京都 比良山岳会)) のBCへ行く。 のBCへ行く。京都 京都 もトランシーバーで交信できなかったとのこと。 西方、事故の旨を報告する。 西方、 事故の旨を報告する。京都の一人、 京都の一人、岳沢 岳沢 ヒュッテへ行く。ヒュッテにて西方とヒュッテ にも「なぜヘリを要請しないのか」 にも 「なぜヘリを要請しないのか」と怒る。 と怒る。補 補 導所員、 「ヘリ要請どうするのか」と西方に詰め 寄る。西方、 寄る。 西方、リーダーに聞くと返答。 リーダーに聞くと返答。 大野、ヒュッテより少し登り交信するも交信 不可。西方の判断でヘリを要請する。 「金は払え るか」と念押しされる。 「山岳保険に加入してい るから大丈夫」と返答。 るから大丈夫」 と返答。 「ヘリを要請するには、 やはりリーダーより依頼して欲しい。リーダー を呼んで来い」とのこと。 を呼んで来い」 とのこと。横山Y 永広を呼び 横山Y 永広を呼び に行くが、なかなか来ない。 に行くが、 なかなか来ない。 BC のやや下に立山到着。西方、 「リーダーが来れ 「リーダーが来れ ないので」と必死に頼むが 再度、 ないので」 と必死に頼むが 再度、「金がかか る」と何度も言われる。 る」 と何度も言われる。ヒュッテの主人県警と ヒュッテの主人県警と TEL。 「今から安井を見に行かすから・ 「今から安井を見に行かすから ・・・」 安井氏、救助パーティーの所へ行く。 安井氏、 救助パーティーの所へ行く。 PM 4:3 0 ヘリ要請 0 ヘリ要請(( 第一報 第一報)) するも、 するも、ヘリは ヘリは 居ない。 PM 5:00 上原より安井氏ヘリ要請を受ける。 5:00 上原より安井氏ヘリ要請を受ける。 ヘリ再度要請。ヘリが居た。 ヘリ再度要請。 ヘリが居た。 PM 5:20 ヘリ到着 5:20 ヘリ到着 PM 5:30 ヘリ出発 5:30 ヘリ出発 PM 5:50 西方、 5:50 西方、大野 大野 京都BCへ挨拶に行く。 ヘリ豊科赤十字HP到着 西方、 西方、大野 大野 ヒュッテへ挨拶。 上記の通り、事故の前後における我々の行動 はそれなりに手抜きのない、精一杯のものでは あったが、いかんせん何よりも引率者側の意志 疎通がなく、技術と知識が未熟であったため、 疎通がなく、 技術と知識が未熟であったため、 騒動を拡大した様なものであった。事故と救出 遅延の原因はなおもリーダー会において究明を 重ねて行くが、今後二度とこの様な事故が起こ らないよう努力することを誓うものである。 針ノ木岳 山スキー (1996 年5月 18 日~5月 19 日) 蔵田 道代 メンバー: メンバー :L秋田 L秋田・ ・中尾 中尾・ ・上原 上原・ ・蔵田 私にとっては乗鞍、氷ノ山に続く、3度目で 私にとっては乗鞍、氷ノ山に続く、 3度目で 今シーズン最後の山スキー。3回目ともなると 少しではあるがコツも飲み込めてきたし、板を つけて歩いて頂上から滑り降りる楽しさもわ かってきた。と、 かってきた。 と、偉そうなことを書いたが、 偉そうなことを書いたが、と と んでもない、やはり山スキーは難しいし、 んでもない、 やはり山スキーは難しいし、アイ アイ スバーンは恐い。 出だし快調で、最初のうちこそ秋田さん、 出だし快調で、 最初のうちこそ秋田さん、中 中 尾さんのペースに何とかついて行けたが、かの 有名な針ノ木雪渓の急登になった途端、私の 有名な針ノ木雪渓の急登になった途端、 私の ペースはがくっと落ちてしまった。頂上までが とにかく長い、遠い。 「頂上に着いたらリンゴを 食べよう。」 と、 と、秋田さん。 秋田さん。私の大好きなリン 私の大好きなリン ゴ! 懸命に歩く私の頭の中では、加藤登紀子の 懸命に歩く私の頭の中では、 加藤登紀子の 「百万本のバラ 百万本のバラ」」 のフレーズが繰り返されてい た。「 百万本のバラの花を、 百万本のバラの花を、あなたに、 あなたに、あなた あなた に、あなたにあげる。 」何回繰り返せば頂上に着 くのだろう。 やっと針ノ木岳頂上に着いた。眺めは素晴ら しく、 カメラを持って来なかったことを悔いた。 さあ、いよいよスキー。 さあ、 いよいよスキー。斜滑降、 斜滑降、斜滑降で大き 斜滑降で大き く回りながら何とか無事に扇沢まで帰って来た。 まだまだ技術が未熟でもっと足腰を鍛えない と駄目だが、確かに自然の中で滑る山スキーは おもしろい。秋田さん、 おもしろい。 秋田さん、中尾さんの颯爽と滑り 中尾さんの颯爽と滑り 降りる後ろ姿に羨望の眼差しを注ぎつつ、来年 もがんばろうと思う。 5月5日 (日) 雨後曇り 5月5日 ( AM 6:30 横山N、 6:30 横山N、西方、 西方、大野 大野 ヒュッテへ挨 拶に行く。 AM 9:30 下山開始。 9:30 下山開始。 AM11:00 上高地到着。 AM11:00 上高地到着。 66 1996 年( 平成 8 年) 夏 道に出た。結局雪渓を下って良かったのだが、 道に出た。結局雪渓を下って良かったのだが、 地図にない大きな雪渓に道がふさがれていたよ うだ。小屋の目の前の沼は増水していてテント は一張りも出来ない状況で石室は満員だった。 (文献の写真とは大違い 文献の写真とは大違い)24 )24 名の中、女性が2人 だけのせいかもの珍しそうに見られ質問ぜめに 遭う。なにはともあれ、 遭う。 なにはともあれ、全身びしょびしょ。 全身びしょびしょ。ほ ほ とんど休憩なしできたので温かいスープと親切 な周りの方に体がほぐされた。あそこでパーテ イに出会っていなければ、、、 、。磁石を使っても 。磁石を使っても ダメだったし、勉強になった。 ダメだったし、 勉強になった。不思議な事にビ 不思議な事にビ バーグを覚悟した時、冷静に頭の中に何人かの 人が浮かんだ。 北海道山行(( 大雪山系、 北海道山行 大雪山系、利尻山 利尻山)) (1996 年7月 27 日~8月4日 日~8月4日)) 田中 佐和子 7月 27 日 関空→旭川→上富良野 ヒュッテ白銀荘泊((素泊 関空→旭川→上富良野 ヒュッテ白銀荘泊 まり 1700 円、 円、近くに露天風呂有り 近くに露天風呂有り)) 7月 28 日 ヒュッテ前→十勝岳X→旭川 YH ヒュッテ前→十勝岳X→旭川 YH 白樺荘 昨晩より降り続く雨で視界悪し、旧噴火口散策 の予定だったが、途中で引き返し残った時間は 美瑛で散策となる。 7月 29 日 旭岳温泉→中岳→北海岳→小雲岳→北海岳→中 岳→旭岳温泉→((車で移動 岳→旭岳温泉→ 車で移動))層雲峡 層雲峡 YH YH 泊 願っても止まない雨の中、黒岳まで縦走を試 みたが、北海岳途中の橋が増水で流され、 みたが、 北海岳途中の橋が増水で流され、ガ ガ スっていて 3 m先も見えなくなり旭岳温泉に引 き返す。避難小屋はもう定員オーバーになりつ つも、皆酒盛り状態。 つも、 皆酒盛り状態。横目に下る。 横目に下る。 7月 31 日 ヒサゴ沼→化雲岳→天人峡温泉→車移動で旭川 →稚内((夜行急行利尻 →稚内 夜行急行利尻)) 予定では今回の山行のハイライトであるトム ラウシ山に行ってトムラウシ温泉に下山するは ずだったが、悪天候がつづき、 ずだったが、 悪天候がつづき、景色もないので 景色もないので ここまできたけれど無念の下山を決める。昨年 雨で、同じコースを再挑戦されたが下山される という御夫婦と御一緒して約6:00 という御夫婦と御一緒して約 6:00程の下りとな 程の下りとな る。 路は雨でドロドロで、深い所では膝まで足が はまり、まるで田んぼ状態。 はまり、 まるで田んぼ状態。前に進みにくいは 前に進みにくいは 何だか体は湿って臭いし、最悪。 何だか体は湿って臭いし、 最悪。でも御夫婦と でも御夫婦と お話することで気が紛れた。ああー何故雨な お話することで気が紛れた。 ああー何故雨な の?!滝見台から羽衣の滝がよく見えるように なる。雨もやんでくれた。しかし、長い下りだっ た。温泉に入って、 た。 温泉に入って、ご夫婦が泊まられる宿で洗 ご夫婦が泊まられる宿で洗 い物をさせてもらって、ビールを頂き、 い物をさせてもらって、 ビールを頂き、バスに バスに 乗り込み旭川へ。列車は深夜になるので、 乗り込み旭川へ。 列車は深夜になるので、どこ どこ かのホテルで休憩をと、駅前のホテルに かのホテルで休憩をと、 駅前のホテルに TEL す ると、思いもよらず宿直室で寝かせてもらい、 ると、 思いもよらず宿直室で寝かせてもらい、 時間に起こしてもらうことになる。ふと部屋を 起きて出ると真っ暗な食堂でおじさんがTV 起きて出ると真っ暗な食堂でおじさんが TVを見 を見 て待っていてくれた。出会った北海道の人は皆 やさしかった。 ありがとう。 やさしかった。 ありがとう。 7月 30 日 層雲峡 6:00 →(車移動 車移動))→登山口 6:30 →沼ノ原 →五色岳→ヒサゴ沼避難小屋 4:40 タクシーのおじさんに朝御飯に飲み物まで差 し入れしてもらい見送られ、ひとけのないス し入れしてもらい見送られ、 ひとけのないス タートをきる。沼ノ原で 沼ノ原で20 20人程の登山者を抜い 人程の登山者を抜い て以来、誰一人として出会わない。 て以来、 誰一人として出会わない。熊よけの鈴 熊よけの鈴 を落としたことに気づいてからは寂しいのと心 細いのとで、なんでもいいからと歌を歌って進 む。化雲岳との分岐を過ぎた頃大きな雪渓に道 をふさがれる。その時 をふさがれる。 その時 2:00 2:00。 。足跡らしきものが 雪渓の上10m 雪渓の上 10mほど続くがそこから消えているし、 ほど続くがそこから消えているし、 もう雨とガスで雪渓の大きさもよく分からない。 地図を見ておおよその方向に簡易アイゼンをは いて雪渓を下ってみるが、そこからの道が分か らない。雪渓を登りなおして他の道を探してい たらすでに 4:00 4:00。 。小屋まではたぶん 30 分もし ない距離にあるはずだが、視界は悪いし、 ない距離にあるはずだが、 視界は悪いし、体が 体が 冷え切ってきたし、日が暮れて雪渓の近くでは ビバーグは無理だと、分岐前にあった大きな岩 まで戻ろうと5分程歩いた時に、パーティに出 会う。彼等も同じ所で道に迷ったが、 会う。 彼等も同じ所で道に迷ったが、なんとか なんとか 8月1日 稚内 6:25 →稚内 FT7:50 →礼文 9:45 北方散策 13:30 →利尻 14:10 島散策 船からぼんやりと利尻山をのぞむ。友達と合 流して海の幸を堪能して休む。 67 1996 年( 平成 8 年) 夏 7月 31 日 晴れのち雨 早朝新幹線に乗って、静岡から3時間ほどバ スに揺られて八木尾又上に着くとポツポツ雨が 降ってきた。慌ただしく雨具を着て、 降ってきた。 慌ただしく雨具を着て、入山届を 入山届を 提出し、出発する。 (3年ほど前の台風で道路は 崩壊、畑薙ダムまで 崩壊、 畑薙ダムまで 30 ~ 40 分歩かなければな らない。 )雨はすぐ止んだが、また降りそうな気 配。山道を歩き、 配。 山道を歩き、吊り橋を渡り、 吊り橋を渡り、リムジンバス リムジンバス 乗り場に着いた頃、本格的に雨が降ってきた。 乗り場に着いた頃、 本格的に雨が降ってきた。 リムジンバスはデコボコ道を通り椹島へ。その あと私1人ジープに乗り換え、リッチな二軒小 屋に着いた。部屋は私にピッタリな” 屋に着いた。 部屋は私にピッタリな”チングル チングル マの間” (貸し切り状態 貸し切り状態))。 食前酒はナナカマドの 実のお酒、鹿さしにイワナ、 実のお酒、 鹿さしにイワナ、てんぷらは上質の てんぷらは上質の 塩でいただくもの、etc etc. .総ヒノキのお風呂はお 湯があまりきれいでなく残念だったが・ 湯があまりきれいでなく残念だったが ・・・宿 泊代が高いだけのことはある。朝は7時からと いうことでお弁当を作ってもらうことにする。 8月2日 利尻登山口→長官山→利尻山 やっと快晴になり頂上へ。長官山の避難小屋は 窓ガラスが割れていて、中は使用されていない ようで、あれていた。 ようで、 あれていた。がその近くの展望の良い がその近くの展望の良い 所にテントはひとつ張られていた。水場はない が、、、 。 1週間前に長官山の近くで谷に落ちた登 山者がいると聞いたが、かなり土がもろくて鎖 をもって登らなければならない所があった。海 は雲が邪魔してはっきり見えなかったが、花が 咲き乱れていて遠い北の島の頂上にいるんだと いう喜びにひたれた。登山口にはキャンプ場が あった。 今度来るときはここを利用したいもの。 8月3日 利尻→礼文 南島散策 8月4日 礼文→稚内→関空 8月1日 晴れのち曇り 7時前、二軒小屋を出発。 7時前、 二軒小屋を出発。橋を渡り、 橋を渡り、しばら しばら くするといきなり急登が始まる。道には滑らな いようにロープが張ってあった。3日間分の食 料を持っての登りはとてもきつい!!登りだし て 15 分、”あ~しんど~。辛抱でけへん!!”と 早くも休憩する、とても軟弱な私だった。 早くも休憩する、 とても軟弱な私だった。1人 1人 で行くときはいつもこんな調子である。まわり は誰もいない。クマンバチが代わる代わる私を エスコート(( ?) してくれる。 エスコート してくれる。次は塩見平で休 次は塩見平で休 憩!と思っていたが、ない、ない、”ひょっとし てこの2ヶ月(( 母親が入院して山に行っていな てこの2ヶ月 かった))で、ものすごく体力が落ちたのか?”と かった 心配したが、黄色いペンキで” 心配したが、 黄色いペンキで”ロボット” ロボット”の文 の文 字を見て安心する。ロボットとはロボット雨量 計のことで、塩見平はそのずっと前に通過して いたのだった。登山道はとても静かだった。 いたのだった。 登山道はとても静かだった。出 出 会ったのは下山してくるおじさん2人だけ。一 度、かなり道から離れた所で” 度、 かなり道から離れた所で”カサカサ” カサカサ”と物 と物 音がしたが”シカさんにしとこう~っと!” 音がしたが” シカさんにしとこう~っと!”と と 気にしないことにした。 千枚小屋のテント場は少し小屋から離れてお り、とても静かな所だ。 り、 とても静かな所だ。カミナリが鳴り心配 カミナリが鳴り心配 (ツェルトの為 ツェルトの為))したが、 したが、結局、 結局、雨は降らなかっ 雨は降らなかっ た。 南アルプス 荒川三山~塩見岳 (1996 年7月 31 日~8月4日 日~8月4日)) 木戸 晴美 昨年、私が聖岳~赤石岳を縦走していたとき のことである。「ああ~ん!ああ~ん!ああ~ ん!千枚小屋に行きたいのよ~!お花畑が見た いのよ~!」もう もう60 60に手が届くかというオバさ に手が届くかというオバさ んの雄叫びが聞こえる。ここ ここ((赤石岳 赤石岳))からは荒 川小屋まで一旦下ってから中岳、悪沢岳を登り 下りしなければならない。このペースなら中岳 避難小屋に着くのがやっとだろう。結局 避難小屋に着くのがやっとだろう。 結局「主人 「主人 に怒られるから・ に怒られるから ・・・」と、 と、そのオバさんは御 そのオバさんは御 主人とその友達((3~4人のおっちゃん 主人とその友達 3~4人のおっちゃん))と椹島 へ下山したのだった。 でも・ でも ・・・千枚小屋辺りは高山植物の宝庫で、 中でもタカネビランジの群生がとても見事だそ うだ・ うだ ・・・。 ”タカネビランジの群生かあ~。 ”タカネビランジの群生かあ~。 じゃあ、お花のきれいな7月の下旬に会いに行 こう~っと!!”と、 こう~っと!!” と、この山行を決めたのだっ この山行を決めたのだっ た。 68 1996 年( 平成 8 年) 夏 8月2日 晴れのち曇り 朝、千枚小屋からの美しい富士と御来光を見 てから出発する。千枚岳から丸山にかけてはお 目当てのタカネビランジの群生を見ることがで きた。空は真っ青で” きた。 空は真っ青で”この夏一番” この夏一番”の澄みきっ の澄みきっ たお天気だそうだ。北アルプスや奥秩父の山々 もきれいに見えている。丸山で富士山とツー もきれいに見えている。 丸山で富士山とツー ショットの写真を撮ってもらうが、悪沢岳に着 く頃には富士は雲の中となった。 (やっぱり! やっぱり!))悪 沢山頂でしばらくのんびり過ごし展望を楽しん だ後、高山裏避難小屋まで下った。 だ後、 高山裏避難小屋まで下った。中岳避難小 中岳避難小 屋付近では雷鳥の親子を二度も見てとてもラッ キーで、高山裏の手前の井戸川ノ頭の水はとて も豊富でおいしかった。 高山裏は素泊まり2千円ということもあり小 屋泊まりにした。小屋の御主人は色々と噂に 屋泊まりにした。 小屋の御主人は色々と噂に なっているが、私にはとても親切で私のツェル トを干してくれたり、うどんをくれたりした。 トを干してくれたり、 うどんをくれたりした。 今日の泊まり客は悪沢岳で知り合った上妻さん (小屋泊まりだったけど、 結局南アルプスを全山 縦走された、とても元気な 縦走された、 とても元気な 60 才位のオジさん だ。)と、塩見から着た2人組の中年の男性と私 の4人だけだった。 した。 三伏小屋付近で水を補給し、 塩見小屋へ到着。 小屋は満杯状態で、小屋の御主人は竹ぼうきで 私のツェルトが張れるスペースを作ってくれた。 小屋泊まりの上妻さんが水を半分((小屋泊まりは 小屋泊まりの上妻さんが水を半分 水を1リットルくれる。 )くれて夕食を作り、明 日のために往復30 日のために往復 30分の水場まで水を汲みに行っ 分の水場まで水を汲みに行っ た。その日は久々の星空が見られた。 た。 その日は久々の星空が見られた。 8月3日 晴れのち曇り 今日は5時過ぎに小屋を出発。小屋の御主人 の言うとおり雨具を着けて歩くと朝露で雨具は ビショビショになっていた。初めはガスが多 ビショビショになっていた。 初めはガスが多 かったが、視界のきく所に出た頃には中央アル プス、北アルプスがくっきりと見えていた。 プス、 北アルプスがくっきりと見えていた。美 美 しい富士山に引き付かれて登山道を進み小河内 岳を登っていると・ 岳を登っていると ・・・道がない 道がない・ ・・・。確か に前 から ガ ラガ ラし て いる と思 っ てい たけ ど・・・。仕方なしに人の踏み跡らしきものを 頼りに登っているとかなり向こうの樹林帯の方 から男性2人((三伏峠の近くの烏帽子岳まで人を から男性2人 見かけたのはその2人だけだった。 )が出てくる のが見えた。” あ~あそこだったのかあ~” (ちな みに上妻さんも私と同じことをしたらしい。 ) 小河内岳からの眺めはとても素晴らしかった。 仙丈、北岳などの北部の山々、富士山、悪沢、赤 石などの南部の山々、中央アルプス、 石などの南部の山々、 中央アルプス、北アルプ 北アルプ スぐるりと囲まれて、一カ所をジッと見ている のがもったいないくらい。”あ~あ、 ”あ~あ、幸せ!!” 幸せ!!” 私以外、誰もいない広い山頂で幸せな時を過ご 1人で登っているときの私は情けないくらい、 いつもヘロヘロになっている。でもそうしてい ることがなんとも言えず”気持ちいい!!”。そ して、そんなときこそが” して、 そんなときこそが”山と向き合ってい 山と向き合ってい る・・・。”と感じる。 ”と感じる。 8月4日 晴れ 朝、早めに起きて塩見岳へピークハントに行 く。( 昨日はガスが多かったため、 昨日はガスが多かったため、登らなかっ 登らなかっ た。)少し出発が遅くなったので御来光は間に合 わないか?と思われたが、山頂の少し手前でな んとか間に合った。富士山がなんとも言えず美 しかったが、御来光が済むとガスに覆われてし まった。先に来ていた上妻さんと東峰まで行き 記念撮影。その後、 記念撮影。 その後、熊ノ平、 熊ノ平、蝙蝠岳へ行く上妻 蝙蝠岳へ行く上妻 さんと別れ、塩見小屋に戻る。 さんと別れ、 塩見小屋に戻る。昨日作ったプリ 昨日作ったプリ ンはきれいに固まり、1人たいらげた。 ンはきれいに固まり、 1人たいらげた。撤収な 撤収な どに時間がかかり、下山は少々焦ったが、 どに時間がかかり、 下山は少々焦ったが、1時 1時 過ぎ無事塩川へ下山した。 (お風呂に入れなかっ たのは残念だけど・ たのは残念だけど ・・・) この秋、聖平~光岳間を歩き、南アルプスの この秋、聖平~光岳間を歩き、 南アルプスの 南部と中央部がほぼつながった。あの気の遠く なるような登り、うんざりするような下り、 なるような登り、 うんざりするような下り、今 今 となってはいい思い出である。来年の夏は1週 間位かけて、北部のスペシャルコースをガンガ ン飛ばして、情けない自分に出会ってみたいと 思う。(やっぱり熊ノ平の手作りパン、食べてみ たいしなァ~)) たいしなァ~ 69 1996 年( 平成 8 年) 夏 チャンタン高原では高度障害との戦いであっ た。ここからは、標高 標高4300 4300 ~ 4900 Mの世界。峠 では 5500 M程になる。 M程になる。キャンプ初日は、 キャンプ初日は、標高 標高 4900 M地点。 M地点。全員、 全員、食欲も、 食欲も、元気もない。 元気もない。テン テン ト設営も息切れと頭痛をこらえての作業となる。 その間に、チベット人が食事を作ってくれる。 その間に、 チベット人が食事を作ってくれる。 夕食は、御飯と中華風炒めものだ。 夕食は、 御飯と中華風炒めものだ。悪いと思い 悪いと思い ながらも、ほとんど残してしまう。朝は、お粥。 昼は、揚げパンやソーセージ。 昼は、 揚げパンやソーセージ。夜は、 夜は、眠りが浅 眠りが浅 く何度も目が覚める。隣りのテントからは、 く何度も目が覚める。 隣りのテントからは、老 老 人の激しい咳と、痰を吐き出す音が一晩中聞こ えてくる。大丈夫かな? と思いながらウトウ トする。次の朝、老人の 老人のSPO SPO2 は 70 70%を切ってい %を切ってい る。要注意だ。 る。 要注意だ。私と同室の、 私と同室の、40 40 歳のNさんは顔 がむくんでいる。元来、 がむくんでいる。 元来、少し腎機能が悪いらし 少し腎機能が悪いらし い。 テントの中で身体の不調を延々聞かされた。 Nさんは、 「しんどい。 しんどい。つらい。 つらい。 」と、 と、言いながら 言いながら も、写真撮影には精力的であるためツアーリー ダーに強く叱られ泣き出してしまう。今夜もま たテントで聞かされるかも? やれやれ。この 日、今まで元気だったKさんが、 日、 今まで元気だったKさんが、突然、 突然、息苦し 息苦し くなり、嘔吐しだした。 くなり、 嘔吐しだした。車の中で酸素をかがせ 車の中で酸素をかがせ ながら、次のキャンプ地へ急ぐ。 ながら、 次のキャンプ地へ急ぐ。この時、 この時、私の 私の 仕事がバレてしまう。翌日、 仕事がバレてしまう。 翌日、Kさんは比較的元 Kさんは比較的元 気になっていた。幸いにもガモウバッグを使用 することなく、全員高度に順応していった様で ある。 峠では、所々に雪が積もっている。 峠では、 所々に雪が積もっている。標高 標高5500 5500 Mの峠でブルーポピーが咲いていた。 “こ、こん なところでひっそりと‥‥。”感動が頂点に達 ”感動が頂点に達 し、シャッターを切りまくる。 し、 シャッターを切りまくる。歩き回ったせい 歩き回ったせい で頭が割れる様に痛みだす。頭痛薬を内服し、 で頭が割れる様に痛みだす。 頭痛薬を内服し、 鎮まるのを待つ。記念すべき今日は、 鎮まるのを待つ。 記念すべき今日は、平成8年 平成8年 8月8日。この感動は一生忘れない。6日間、高 山植物や、青い空やきんと雲の様な雲、蜃気楼、 遊牧民の生活、ナキウサギなど、 遊牧民の生活、 ナキウサギなど、チャンタンの チャンタンの 風景を楽しみながら車は GO GO WEST! 8月11 8月 11日 西チベットの中心地 期待外れの 日 西チベットの中心地 期待外れの シーチャンホー。 8月 11 日、シーチャンホーに到着。ラサから の距離は 1625km 1625km。 。久しぶりの街で、ドライバー も私達もウキウキ状態。ここは、 も私達もウキウキ状態。 ここは、インドとの国 インドとの国 境に近いチベットの西の端で、中国の軍隊の街 である。未開放の町で、 である。 未開放の町で、軍人や公安がうろうろ 軍人や公安がうろうろ していて妙な雰囲気のあるところだ。 MY TIBET 旅行記 (1996 年8月1日~8月 28 日) 松岡 和世 かねてから憧れていた[BLUE POPPY]を見る為 かねてから憧れていた[BLUE POPPY]を見る為 に、アトラストレックのツアーでチベットへ旅 立つ事となった。このコースの見所は、 立つ事となった。 このコースの見所は、①聖地 ①聖地 カイラース山巡礼、②グゲ遺跡、 カイラース山巡礼、 ②グゲ遺跡、③チャンタン ③チャンタン 高原、④チョモランマBC、 高原、 ④チョモランマBC、といった所であろ といった所であろ うか。みんなに羨ましがられながら出発の日を 迎える。 8月1日 香港にて集合。乗り換えて、 8月1日 香港にて集合。 乗り換えて、ネ ネ パールのカトマンズへ。 8月3日 カトマンズからラサへのヒマラヤ 越えのフライト。あいにくの座席と雲の為、 越えのフライト。 あいにくの座席と雲の為、カ カ ンチェンジュンガしか見ることができなかった。 8月4日 高度順応の為ラサ滞在。ラサは標 高 3600 Mのチベット第一の都市である。軽い頭 痛に耐えながらの市内観光。パルスオキシメー ターで血液中の酸素飽和度((以後 ターで血液中の酸素飽和度 以後SPO SPO2とする とする))を 測定する。90 測定する。 90%前後。 %前後。 (平地では 98 ~ 100 100% %) み んなの唇の色が悪いのが分かる。ポタラ宮、 んなの唇の色が悪いのが分かる。 ポタラ宮、大 大 昭寺などを見学。寺内は、 昭寺などを見学。 寺内は、燈明のバターの匂い 燈明のバターの匂い が充満している。。多くの仏像や、 が充満している 歴代のダライラ マの像など、その当時の繁栄が伝わってくる。 マの像など、 その当時の繁栄が伝わってくる。 五体投地をする人もみられ、カメラを向けにく い様な気もしたが、 「これが、チベットか!」と、 感動しつつパチリ。 8月5日 いざ、西チベットへ出発。 8月5日 いざ、 西チベットへ出発。 トヨタのランドクルーザーに分乗し、悪路を 走る。峠にさしかかると高度がどんどん上がっ ていくのが身体でわかる。高度計は、 ていくのが身体でわかる。 高度計は、5000 5000 Mを 示している。SPO2 を測定すると 75 75%。 %。ちなみに チベット人のも85 チベット人のも 85%と低い。 %と低い。ジャパニーズがし んどいのもあたりまえか。頭痛と軽い嘔気に耐 えながら車に揺られて降りる。高度が下がると 頭痛もなくなる。辺りは、 頭痛もなくなる。 辺りは、7000 7000 M級の雪山がそ びえている。素晴らしい景色に頭痛も忘れ、 びえている。 素晴らしい景色に頭痛も忘れ、パ パ チリ。パチリ チリ。 パチリ。。 今日は、チベット第二の都市シガツエのホテ ルに宿泊。ここから先はシーチャンホーを除い て、電気、 て、 電気、水道のない生活となる。 水道のない生活となる。 8月6~ 11 日 日 ROOF ROOF OF THE WORLD チャン WORLD チャン タン高原大走破。 70 1996 年( 平成 8 年) 夏 食堂で食事を取る。御飯に石が入ってたりす るが、美味しい。 るが、 美味しい。またたく間に肉マンがなくな またたく間に肉マンがなくな る。この肉マンなら日本では行列ができる事は 間違いない。期待はしていなかったが、 間違いない。 期待はしていなかったが、蛇口か 蛇口か ら水は出ない。 限られた洗面器3杯分の水で、、一 限られた洗面器3杯分の水で 週間ぶりの洗髪。久しぶりのベッドとシーツで 幸せな一夜を過ごすことができた。パンツを履 き替えたのはいつだったっけ?? き替えたのはいつだったっけ 翌朝、この街の病院に日本人が入院している という情報を入手。病院へ様子を見に行く。 という情報を入手。 病院へ様子を見に行く。高 高 山病で、一時は意識がなかったらしい。 山病で、 一時は意識がなかったらしい。この辺 この辺 りは、標高 標高4300 4300M。 M。患者を降ろせる場所はなく、 ヘリコプターを待って10 ヘリコプターを待って 10日にもなるという。 日にもなるという。日 本では考えられないレスキュー体制である。生 命の危険はなさそうだが、会話ができる様な状 態ではなく、衰弱はひどい。 態ではなく、 衰弱はひどい。高山病の恐ろしさ 高山病の恐ろしさ を見せつけられショックを受ける。命が助かっ たのは不幸中の幸いか。後遺症が残らなければ 良いが‥‥。と、思いながら病院をあとにする。 8月 12 日~ 15 日 シーチャンホーからグゲ 遺跡を経てカイラースへ。 シーチャンホーからグゲ遺跡までは、泥の道 で雨が降れば通れなくなる。案の定、 で雨が降れば通れなくなる。 案の定、トラック トラック がはまってしまう。救出の為、 がはまってしまう。 救出の為、3~4時間足止 3~4時間足止 めとなる。ドライバー達は、石を積んだり、ロー プで引っ張ったり、イキイキと楽しそうだ。 プで引っ張ったり、 イキイキと楽しそうだ。心 心 配しているのはジャパニーズだけ? 日が暮れ て、辺りは天然のプラネタリウム。標高 標高4000 4000 M から見る星は、間近に感じられ圧倒される。 から見る星は、 間近に感じられ圧倒される。星 星 が多すぎて星座がわからない。 (わかっても北斗 (わかっても北斗 七星くらいだけど‥‥。)流れ星も多く、 )流れ星も多く、 「無事 日本へ帰れますように。」と、 」と、祈る。この日、招 待所についたのは夜の12 待所についたのは夜の 12時を回っていた。 時を回っていた。次の 日、3時間程歩いて遺跡に到着。 日、 3時間程歩いて遺跡に到着。 ここは、かつてグゲ王国 かつてグゲ王国(10 (10 世紀 世紀))のあった所 で、岩壁をくりぬいて作った様な建物があり、 で、 岩壁をくりぬいて作った様な建物があり、 壁画が素晴らしい。近くには、 壁画が素晴らしい。 近くには、92 年に発見され た世界一の石窟遺跡である、ピアン、 た世界一の石窟遺跡である、 ピアン、トンガ遺 トンガ遺 跡がある。余裕があれば時間をかけて見学した いところだが、ビザの関係上、 いところだが、 ビザの関係上、先を急ぐ。 先を急ぐ。 街の食堂で、 ワンタンスープの夕食をすませ、 夜の山道を走る。キャンプ地に着いたのは深夜 の2時過ぎ。テントを設営して入眠。 の2時過ぎ。 テントを設営して入眠。この日も この日も 星は素晴らしかった。が、 星は素晴らしかった。 が、身体はヨレヨレのボ 身体はヨレヨレのボ ロ雑巾と化していたのは言うまでもない。 8月14 8月 14日 ティルタプリという温泉のある所 日 ティルタプリという温泉のある所 でキャンプ。ここは、 でキャンプ。 ここは、聖地カイラースとセット 聖地カイラースとセット になっている巡礼の地である。砂だらけになり ながらお湯につかり、、星を眺める。 ながらお湯につかり しばし極楽気 分。この温泉は万病に効くらしい。 分。 この温泉は万病に効くらしい。はるか日本 はるか日本 と同じである。 8月 15 ~ 18 日 最奥の地 聖地カイラース 山巡礼。 カイラース山(( 6 65 6 M) は、 カイラース山 は、ヒンドゥー教、 ヒンドゥー教、 ジャイナ教、ボン教、 ジャイナ教、 ボン教、仏教徒の最高の聖地であ 仏教徒の最高の聖地であ る。そのため登山は禁止されている。 る。 そのため登山は禁止されている。過去に頂 過去に頂 上まで上がった人は、かの有名なミラレパだけ らしい? ほんまかいな。巡礼ルートは一周 らしい? ほんまかいな。 巡礼ルートは一周 52km。 52km 。知る人ぞ知る、河口慧海も巡礼している。 五体投地でラウンドするチベット人もいた。メ 71 1996 年( 平成 8 年) 夏 ンバー中、3名が途中で歩けなくなり、ヤクの ンバー中、3名が途中で歩けなくなり、 ヤクの 背中に乗っての巡礼となる。御利益は半減か 背中に乗っての巡礼となる。 御利益は半減か も? 最大の難所ドルマ峠(5600 も? 最大の難所ドルマ峠 (5600 M)では、五色 のタルチョーと、日本から持参した厄除けの七 色の腰紐を奉納した。 これで私の未来は明るい。 フフフ。が、 フフフ。 が、喜びも束の間、 喜びも束の間、次の瞬間、 次の瞬間、私の腰 私の腰 紐は盗まれていたのだった。聖地と言えども盗 人はいるらしい。私の運命やいかに!ネパール 人やインド人、チベット人などが、 人やインド人、 チベット人などが、ここで祈っ ここで祈っ たり踊ったりしている。 「う~ん。異文化。」と、 感動しながら中国のカップラーメンを味わう。 3日間の巡礼を無事終え、ツアーリーダーの Aさん作成のちらしずしで祝う。毎日のように 霰が降り、カイラースの姿を拝むことはできな かった。後ろ髪を引かれる思いで次の予定地マ ナサロワールへ。 8月 18 日 日 HOLY HOLY LAKE マナサロワール。 LAKE マナサロワール。 マナサロワール湖は、カイラースとセットで 巡礼の対象となっている湖。海抜 海抜4588 4588 M。淡水 湖で、琵琶湖より少し小さい。 湖で、 琵琶湖より少し小さい。マハトマ マハトマ ガン ジーの遺灰がここにまかれた。チベットでは、 ジーの遺灰がここにまかれた。 チベットでは、 カイラースを巡礼し、マナサロワールで身体を 清めた者は、今までの悪業が全て帳消しになる といわれている。 水着に着替えて水浴びをする。 いうまでもなくさむい! これでこそ、巡礼の 旅?「これからの事も大目にみてね。」と、祈る。 仏様は寛大だ。 8月 19 ~ 23 日 再びチャンタン高原へ。 当初の予定では、ヤルツァンポ川沿いに東へ と向かうはずであったが、川の水量が多く、 と向かうはずであったが、 川の水量が多く、渡 渡 る事ができないという現地の情報の為、予定変 更。来た道を引き返す事となった。 更。 来た道を引き返す事となった。 ひたすら走る走る。 ドライバーは疲れている。 ミラーに映るまばたきが異常に長い。アメをあ げたり歌を歌ったりして励ます。 8月 24 日 憧れのチョモランマBCへ。 日程に余裕がない為、 チョモランマBC(5150 チョモランマBC (5150 M)でのキャンプは中止。訪問だけとなる。途中 の峠から見たチョーオユーとチョモランマは素 晴らしかった。そして、 晴らしかった。 そして、憧れのBCから望む 憧れのBCから望む チョモランマ。 “TOP OF THE WORLD" BCとは WORLD" BCとは いえチョモランマは遥か遠く、雲ひとつない空 にそびえ立っていた。みんなはしゃぎたおす。 にそびえ立っていた。 みんなはしゃぎたおす。 ここで許された時間は 4 5 分のみ。 分のみ。寺にタル 寺にタル チョーを捧げ、写真を撮り、 チョーを捧げ、 写真を撮り、急いで次の宿泊地 急いで次の宿泊地 ザンムーへ。 ザンムーへの道は、途中から崖崩れの為、 ザンムーへの道は、 途中から崖崩れの為、歩 歩 かなければならなかった。 一部危険な所があり、 ザイルを張って川を渡る。ホテルに着いたのは 夜中の 12 時すぎ。遅い夕食を取り、ここで ここで21 21日 日 間の禁酒令が解かれ、ビールを飲む。 間の禁酒令が解かれ、 ビールを飲む。う、 う、うま うま い。 72 1996 年( 平成 8 年) 夏 8月 25 日 いよいよ国境ごえ。 トラックに乗り込み国境へ。チベット人とも お別れ。一カ月も一緒にいると別れが辛い。 お別れ。 一カ月も一緒にいると別れが辛い。そ そ う思っているのは日本人だけの様である。チ う思っているのは日本人だけの様である。 チ ベット人は仕事が終わってニコニコしている。 涙のひとつも流してくれればいいのに。 トラックはどんどん高度を下げて行く。ネ トラックはどんどん高度を下げて行く。 ネ パールヘ近付くと空気が湿り気を帯びて、酸素 が濃くなってくるのが分かる。GOOD-BYE が濃くなってくるのが分かる。 GOOD-BYE TIBET とセンチメンタル気分。バスを乗り継いでカト マンズへ到着。久しぶりのお風呂に入る。 マンズへ到着。 久しぶりのお風呂に入る。「ふ う。水ってありがたい。 う。 水ってありがたい。」 その後二日間、カトマンズ観光。 その後二日間、 カトマンズ観光。 8月 28 日 帰国の途につく。 旅行を終えて 振り返ると息つく暇もない移動の毎日であっ た。素晴らしい自然。厳しい環境に生きる人々。 独特の文化や習慣。。 どれもこれも印象的で、不 独特の文化や習慣 思議な魅力のいっぱいある所である。言葉では 伝えきれないけれど、行けばきっとあなたもは まるでしょう。お約束します。 まるでしょう。 お約束します。 を押さえます。でもさすが夏休み。良い座席は を押さえます。でもさすが夏休み。 良い座席は 押さえられませんでした。 8月 10 10日いよいよ出発です。 日いよいよ出発です。秋田さんは大阪 の暑さをさけてすでに北海道に入っています。 途中で3人は合流。帯広にはいります。 途中で3人は合流。 帯広にはいります。今夜は 今夜は 駅前で寝ます。場所選びに少し失敗してガード マンにおこられる事2回。カニ族は住みにくい 都会の夜です。でもきっと大阪に比べれば優し いガードマンでは、と思われます。 いガードマンでは、 と思われます。寝た様な寝 寝た様な寝 てない様な帯広の夜になります。 8月 11 日 ((日 日) 今年の北海道は冷夏との事。 天気も今一とか。 タクシーのおじさんにひ熊でさんざん驚かされ、 おまけに雨がしとしと状態。心は帰りたいと叫 びます。でもいまさらですよね。 びます。 でもいまさらですよね。こわいこわい こわいこわい で七の沢出合につきます。で山に全く関係あり ませんが、キヤノンのプリンターが工事現場に 使われていて感激します。 山の方はさっそく渓流シューズにはきかえ、 ジャブジャブと水の中に入って行きます。赤布 も結構あり、踏みあともしっかりしていて、 も結構あり、 踏みあともしっかりしていて、私 私 達の不安はかなり解消されます。天気の方も良 くなってきました。八ノ沢出合にはテントも何 張かあり、ここをベースにカムイエクチカウシ 山をピストンするパーティも多そうです。 八ノ沢では、数パーティと出会います。 八ノ沢では、 数パーティと出会います。つい つい つい熊情報を聞きますが、やはりふんなんかは あるようです。水量も徐々に減り、 あるようです。 水量も徐々に減り、無事八 無事八ノノ 沢 カールに入ります。単独行のおじさんと後でお 兄さんが一人。この日高に何故か単独行の人が 多いのです。ウーン皆な強いですね。 多いのです。 ウーン皆な強いですね。福岡大の 福岡大の 遭難碑が痛々しいです。テント場に熊の足あと らしきものが残っています。やはり熊はいるの ですね。本当はここ、 ですね。 本当はここ、熊の住みかですもの。 熊の住みかですもの。そ そ れでもテントの中で寝に入ります。 [タイム タイム]] 七ノ沢出合 七ノ沢出合(8:15) (8:15) 八ノ沢出合 八ノ沢出合(9: (9: 50) 八ノ沢カール 50) 八ノ沢カール(14:00) (14:00) 北日高縦走 (1996 年8月 11 日~8月 15 日) 中尾 悦子 メンバー:: 村上 メンバー 村上・ ・秋田 秋田・ ・中尾 秋田さんとこの夏はどうしょうかと言う話に なった時、北海道も良いねと言う話になり、 なった時、 北海道も良いねと言う話になり、少 少 し手応えのあると言うことで、日高山脈を選び ました。予定では5泊6日。 ました。 予定では5泊6日。沢あり、 沢あり、縦走あり 縦走あり で、おまけに頼れるのは地形図と過去の資料の み。思わず二人の間に緊張が走ります。 み。 思わず二人の間に緊張が走ります。 体力、気力、 体力、 気力、読図、 読図、沢技術と色々な要素ご求 沢技術と色々な要素ご求 められます。私達は迷わず村上さんに声をかけ ました。以前から日高に興味のあった彼は、 ました。 以前から日高に興味のあった彼は、夏 夏 休みのすべてを日高にかけてくれる事になりま した。家庭がどうなるかは、 した。 家庭がどうなるかは、私達のあずかり知 私達のあずかり知 らぬ事。彼の気持ちがかわらない内にと飛行機 8月 12 日 ((月 月) 今日は思いきって二日分の行程を歩く事にし ます。昨日逆コースを歩いて来た人が 昨日逆コースを歩いて来た人が12 12時間で 時間で これたと言う情報と、昨日のペースと、 これたと言う情報と、 昨日のペースと、十ノ沢 十ノ沢 カールを降りたくない思いで、3人の意見が一 73 1996 年( 平成 8 年) 夏 致します。おじさんはすでに出発。お兄さんも 致します。おじさんはすでに出発。 お兄さんも 早く出る様です。私達も負けじと出発します。 早く出る様です。 私達も負けじと出発します。 残念ながら天気は悪く、カムイエクチカウシ山 では雨です。せっかくの山がガスの中です。 では雨です。 せっかくの山がガスの中です。こ こ こでおじさんに追い付きます。おじさんのペー スが心配です。逆コースを来る人も単独行、 スが心配です。 逆コースを来る人も単独行、こ こ こは単独が似合うのか、それともパートナーが 見つけにくいのか? それにしても雨の中みごとに切りたった稜線 と三角お山のアップダウン、 はい松とブッシュ、 実に歩きにくいコースです、それこそ獣道を少 し踏み固めたと言う感じです。ただコースは実 にはっきりしています。他の道はとても歩けな い感じです。春別岳からの稜線は特にひどく、 い感じです。 春別岳からの稜線は特にひどく、 はい松との格闘です。 時にははい松に負けます。 カールを見れば実にきれうなお花畑です。でも 雨の中、私達には楽しむ余裕はありません。 雨の中、 私達には楽しむ余裕はありません。結 結 局 11 時間かけてのテント場です。 [タイム タイム]] 八ノ沢カール 八ノ沢カール(5:27) (5:27) カムイエクチ カムイエクチ カウシ山(6:40) カウシ山 (6:40) 1900 1900m峰 m峰(9:35) (9:35) 春別岳 春別岳(11: (11: 00) ナメワッカ岳 00) ナメワッカ岳(11:58) (11:58) 札内岳分岐 札内岳分岐(15: (15: 00) エサオマントッタベツ岳カール 00) エサオマントッタベツ岳カール(16:30) (16:30) ます。山にはいって良かったとしみじみと思い ます。 [タイム タイム]] エサオマントッタベツ沢カール エサオマントッタベツ沢カール(5: (5: 43) 新冠二俣 43) 新冠二俣(10:30) (10:30) 七ツ沼カール 七ツ沼カール(17:30) (17:30) 8月 14 日 ((火 火) 昨日のテント場は私達だけでした。村上さん は、熊を心配して、ラジオをつけっぱなしです。 おかげで、秋田 おかげで、 秋田・ ・中尾は眠れません。 中尾は眠れません。それでも それでも 寝る村上さんは強い。今日は終日沢です。 寝る村上さんは強い。 今日は終日沢です。昨日 昨日 の雨が気になります。 天気の方は回復してます。 腫れ間もみえてきました。涸れ沢からスタート して、少しずつ広がって行きます。 して、 少しずつ広がって行きます。水量のほう 水量のほう は大丈夫の様です。3人で前後しながら沢を下 ります。1ケ所滝を降りるのにザイルを使用し ます。そして、 ます。 そして、新冠二俣です。 新冠二俣です。ここからは、 ここからは、沢 沢 を登っていきます。なかなかの水量です。 を登っていきます。 なかなかの水量です。ザイ ザイ ルを出すまではいきませんが、テープを出した り手をつないだりで沢をこなして行きます。こ こまで来ると巻道もはっきりせず、時には行き ずまります。 結局登りに7時間半。コースタイムを大きく オーバーしてしまいます。今日のテント場は七 ツ沼カール。とってもきれいなテント場です。 ツ沼カール。 とってもきれいなテント場です。 学生さんが5人。人に会うとホットします。 学生さんが5人。 人に会うとホットします。濡 濡 れたものを乾かし、ここまで来た私達をほめた い気分です。今日は満天の星におおいに感動し 8月 15 日 ((木 木) 今日は下山のみです。それにしても昨日は今 までとうってかわっての人、人、 までとうってかわっての人、 人、人ここまで差 人ここまで差 があるとはという感じです。車には 車には12 12時間乗せ 時間乗せ てもらう予定ですが、足の心配もあり少し早め にでます。ここからは踏跡もはっきりし、 にでます。 ここからは踏跡もはっきりし、赤布 赤布 も一杯で、実に親切です。 も一杯で、 実に親切です。水量も少ないとの事 水量も少ないとの事 で安心しておりれます。予定どおりのコースタ イムで下山できました。バンザーイです。 イムで下山できました。 バンザーイです。 [タイム タイム]] 幌尻山荘 幌尻山荘(6:17) (6:17) 額平ダム 額平ダム(7:50) (7:50) 車止め(9:27) 車止め (9:27) 8月 14 日 ((水 水) 今日はコースタイムも短く、すでに安全圏に 入っている事もあって、ゆっくりの出発になり ます。心配なのは、 ます。 心配なのは、秋田さんがネンザした事だ 秋田さんがネンザした事だ けです。それでもテーピングをしながら歩いて くれます。それにしても3人共身がはいったの で疲れがたまっています。昨日までのハードさ を実感します。 今日は実に多くの人に会います。 幌尻岳を中心に人が動く様です。おかげで北海 道5人組に帰りの車に乗せてもらう事になりま した。村上さんの売り込み成功です。 した。 村上さんの売り込み成功です。でも、 でも、足 足 が疲れていたのでしょう。私まで足を痛めてし まいました。秋田さんの亀と、 まいました。 秋田さんの亀と、私の蟻の歩みで 私の蟻の歩みで す。脚力の弱さを実感します。 す。 脚力の弱さを実感します。泣き出したい様 泣き出したい様 な下りになりました。 [ タイム タイム]] 七ツ沼カール 七ツ沼カール(7:40) (7:40) 幌尻岳 幌尻岳(10: (10: 16) 幌尻山荘 16) 幌尻山荘(14:50) (14:50) 今回は体力、気力、金力のいる山行になりま 今回は体力、気力、 金力のいる山行になりま した。パーティーの力が安定していないと縦走 は大変かもしれません。それにしても無雪期の 山の集大成と言う感じの山で、良い思いでにな りそうです。又まだまだ自力のないことも実感 しました。 74 1996 年( 平成 8 年) 夏 分かれドーム基部の取付点に向かう。スリル満 点のガレ場を降りて辿りついた取付点は、ゆっ たりとテントが張れるぐらいの大テラスで、裏 銀座方面の眺めが良く、滝谷の中にしてはのど かな感じの所だった。 ドーム北壁は全体に傾斜がきつく、かぶった 感じの所も多いためか、ごろごろしていないき れいな岩壁で、登路の大チムニーがあり登り易 くアプローチもいいので滝谷の入門コースと言 われている。最近有名人では、 われている。 最近有名人では、7大陸最高峰登 7大陸最高峰登 頂者のP・ 頂者のP ・モロー氏が日本 モロー氏が日本3,000m 3,000m峰全踏破の際 峰全踏破の際 に日本の代表的岩場ということで登攀している。 普段、よく相手をしてもらっている、 普段、 よく相手をしてもらっている、上原氏 上原氏 とはまた違った横山氏の素早いリードで我々の 登攀はスタート、すぐに登ってこいとの合図が あり、楽勝で終わってしまうかなと思いつつ登 り始める。出足は楽なチムニーも段々狭く深く なってやはり難しかった。 「持ってなくてどうす 「持ってなくてどうす るの」と永広氏に腰に結わい付けられてしまっ たハンマーが重いし引っ掛かかってなんとも恨 めしかった。 とてもⅣ級とは思えない大苦戦で、 1ピッチ目を終えた小テラスでは、筋肉疲労と 緊張で手足の震えが止らなかった。もし、 緊張で手足の震えが止らなかった。 もし、天気 天気 でも悪かったら早々と泣きを入れているところ だった。 2ピッチ目はルート図でⅤ級, (A1)となってい (A1) となってい るフェイスだが、横山氏はフリーでも登れそう だと言いつつ((アブミを使って だと言いつつ アブミを使って))さっさと登って 行った。今度は大丈夫と思ったがアブミがもつ れており、せっかくのベタ打ちボルトにあせり ながら中途半端な長さのフィフィを引っかける はめになった。落着こうと、 はめになった。 落着こうと、ちょうど目線の高 ちょうど目線の高 さの縦走路の団体を見ていると、手が止まって しまい、 「何してるの」と上から声が掛かる。し かし解けてしまうと簡単でアブミの下段を使う だけで楽に登れた。 3ピッチ目はほぼ岩稜登りで、確保が要りそ うな所は、3mぐらいが2か所あるだけだった が、初めて下を見る余裕ができると、 が、 初めて下を見る余裕ができると、急に高度 急に高度 感がでてきて、やはり緊張した。 感がでてきて、 やはり緊張した。最後は、 最後は、ほっ ほっ とする踏み跡を通りドームに登頂。ドーム中央 稜を登る3人は、順番待ちが長引いたようで下 の方の声が聞こえた。我々は、 の方の声が聞こえた。 我々は、一足先に北穂頂 一足先に北穂頂 上を踏み、山小屋のコーヒーを飲んで、 上を踏み、 山小屋のコーヒーを飲んで、寒くな 寒くな るまで眺望を楽しんでから涸沢に戻った。 夏山合宿 総括 (1996 年8月 9 日~8月 13 日) 上原 雅宣 A隊 永広・上原・谷池 滝谷クラック尾根 谷池 滝谷クラック尾根((永 広・上原 上原)) 、滝谷ドーム中央稜、 滝谷ドーム中央稜、前穂Ⅳ峰松高 前穂Ⅳ峰松高 ルート B隊 横山・ B隊 横山 ・川辺 滝谷ドーム北壁、 川辺 滝谷ドーム北壁、前穂Ⅰ峰 前穂Ⅰ峰 松高カミン C隊 石塚・ C隊 石塚 ・安間 奥穂アタック、 安間 奥穂アタック、北穂アタッ 北穂アタッ ク 今回の合宿は会員のレベルアップをねらいに トレーニングを重ねてきた。春山での事故を教 訓に安全登山を心がけてきたつもりだったが、 8月12 8月 12日にはB隊がルート間違いのために遭難 日にはB隊がルート間違いのために遭難 一歩手前、またA隊が判断ミスによる遭難騒ぎ を起こすなど、またしても反省点の多い合宿に なってしまった。 滝谷 ドーム北壁 (1996 年8月 11 日) 川辺 直也 メンバー: メンバー :L横山 L横山・ ・川辺 夏の北アルプスが初めての私は、涸沢に入山 する一般的なビギナーの例に漏れず、どちらか といえば岩登りよりピークハントが好みだった が、せっかくの夏合宿なので滝谷登攀に加えて もらうことになった。アルパインクライミング 入門は、リーダーと好天に恵まれて、 入門は、 リーダーと好天に恵まれて、約3時間 約3時間 で無事に終えることができた。 快晴の朝、石塚・安間の奥穂登頂隊と分かれ、 涸沢に日がさす前から、横山 涸沢に日がさす前から、 横山・ ・谷池両名と北穂 南稜を飛ばし気味に登っていく。1ピッチ目で 縁起のいい富士山を撮影、 2ピッチ目の途中で、 前日から滝谷に入っていた永広・上原隊と合流、 毎度の女性会員の話題と、クラック尾根の落石 が凄かったことを繰り返し聞かされる。 しばしの歓談の後、槍やドームをバックに北 穂南峰での記念撮影を済ませ、いよいよ2隊に 75 1996 年( 平成 8 年) 夏 沢は詰めたらあかんぞ。C沢から行け、C沢か 沢は詰めたらあかんぞ。C沢から行け、 C沢か ら。」と言われていたのだが、この時はすっかり 忘れていた。合宿後の例会で指摘されて初めて 想い出したくらいだからこの時はそんな忠告な んぞぜんぜん胸になかった。ここからが ここからが94 94年の 年の チンネを彷彿させる大迷走の開幕である。 2.B沢 2. B沢・ ・・・信じていたのに B沢は「行ったらアカン」 B沢は 「行ったらアカン」と言われるだけ と言われるだけ あって恐いところだった。まず沢の入り口から Ⅲ級ぐらいのクライミング。浮き石の多い沢の 横の壁をおっかなびっくり登って行く。後で考 えれば妙に残置のピンが少なかったのだがこの 時点では未だに「B沢が取り付き」 時点では未だに 「B沢が取り付き」と信じて と信じて 疑っていなかった。しかしルートが無くなりか けたり、沢の中に入り込んだりしてやたらと時 間を喰った。しかも雪渓の上でこけたせいか、 間を喰った。 しかも雪渓の上でこけたせいか、 トランシーバーの電源が入らない。この頃 トランシーバーの電源が入らない。 この頃(11 (11 時半頃))から僕はかなり焦っていた。 時半頃 明日は下山 日だからこのまま上原さんと連絡のとれないま まビバークするのは何としても避けたかったが、 もう既に引き返せないところまで来ていた。そ の時、はるか前方の壁に何パーティーかが取り 付いているのが見えた。 「良かった。やっぱりこ こだったんだ。」 僕たちは再び沢を詰めて雪渓を 登り始めた。その時、 登り始めた。 その時、待っていたかの様に数十 待っていたかの様に数十 発の落石が次から次へと僕たちを襲い始めた。 前穂B沢大迷走(( 松高カミンルート 前穂B沢大迷走 松高カミンルート)) (1996 年8月 15 日) 横山 典郎 メンバー: メンバー :横山 横山・ ・川辺 1.迷走を呼ぶ男 1.迷走を呼ぶ男 話は僕たちが永広さん、上原さん、 話は僕たちが永広さん、 上原さん、谷池さん 谷池さん の松高ルート隊と別れたところから始まる。場 所は奥又白谷の雪渓の上だった。はっきり言っ て涸沢からここまで来るのも結構大変で時間も かかっていた。Ⅴ かかっていた。 Ⅴ・Ⅵのコルから北尾根を越え て雪渓を下るのも簡易アイゼンでは恐かったし (僕は2回ほど雪の上をすべって上原さんに止め てもらった))、 てもらった Ⅴ峰~Ⅳ峰を回り込んで奥又白の 雪渓に達するのも全然位置が分からなかった。 この際開き直って言っておくが、永広さん達が 居なかったら僕たちはここまでもたどり着けな かっただろう。前日の滝谷ドームのアプローチ とはえらい違いだが、それにしても僕のルート ファインディングの下手さは目を見張るものが ある((自慢じゃないけど ある 自慢じゃないけど))。 さてその雪渓からのアプローチだが、山の大 きさに十分距離感を狂わされた僕たちはまっす ぐに松高カミンルートのあるB沢を詰めていっ た。後で考えると出発前には岩田会長から た。 後で考えると出発前には岩田会長から「B 「B 76 1996 年( 平成 8 年) 夏 急な雪渓をバランスに気を使いながら登ってい ると言うのに((6本爪アイゼンの川辺さんがリー ると言うのに ドした))ソフトボールからサッカーボールぐらい ドした の落石がうなりを上げて飛んでくる。その頻度 は毎分4~5個の割合であり、先にビレイ点に たどりついて岩と雪の間から顔を出して僕を確 保している川辺さんは爆撃を避けて塹壕に避難 している日本兵の様に見えた。その塹壕によう やく滑り込み上前方の彼方で落石を出している パーティに大声で罵声を浴びせて、そのルート を確認した。そしたら「古川ルート」との事だっ た。目指す松高カミンルートの取り付きはまだ 数百m先だった。しかもそこからは落石に対し て何の遮蔽物もない砂利と雪渓の急登だった。 3.暗中模索、 3. 暗中模索、五里霧中 五里霧中 時刻は既に午後1時になろうとしていた。こ のままではとても今日中に前穂頂上には抜けき れないだろう。時計を見た僕の背筋を冷たいも のが伝った。 「脱出しよう!」2人の意見は一致 した。 まず落石を避けながら左、つまりA沢の方に 寄り、傾斜のゆるやかな草付きから尾根筋に出 て前穂の頂上を目指すことにした。ところが下 からは緩やかに見えても実際に登ってみると結 構急なところがあり、浮き石も多かったため何 度と無く緊張を要する場所があった。しかし途 中で松高ルートを登る永広さん達を視認し肉声 で状況と現在位置を伝えることが出来たため、 幾分ほっとした。その後、 幾分ほっとした。 その後、僕たちはルートの様 僕たちはルートの様 でルートでない、岩と草付きと浮き石の急斜面 を少しずつ登って行った。フリーで登れない場 所はザイルを出したが、ビレイポイントが少な く、 ハイマツにシュリンゲをくくって((折れない ハイマツにシュリンゲをくくって ように))拝んでから確保することもあった。 ように 時間 はどんどん過ぎていく。天気も下り坂にあるよ うだ。しかしここで焦ったらだめだ。 うだ。 しかしここで焦ったらだめだ。2人は励 2人は励 まし合って高度を稼いだ。そして日没が近づい た頃、古いピンが何本か残るⅢ級ぐらいのルー トに合流した。それはAフェースの裏側のルー トの様だった。はやる気持ちを押さえつつ3 トの様だった。 はやる気持ちを押さえつつ3 ピッチほど登るとその最終ビレイ点に着いた。 装備をしまって5分ほど歩くと前穂の頂上。蛍 雪に入ってからの6年間で最もほっとした瞬間 の一つだった。僕たちは握手を交わして早々に 下山にかかった。いくら縦走路とは言え夜間の 行動は出来ない。山頂から 山頂から30 30分ほど下ったとこ 分ほど下ったとこ ろで時間切れとなり、ビバークに入ることにし た。 4.喉元を過ぎても 4. 喉元を過ぎても 翌日、急いで涸沢に下山してみると永広隊も ビバークだったとの事。2人でテントを守って いた石塚さんと安間さんこそいい面の皮であっ た。合流した僕たちは電話で岩田会長に事の顛 末を報告し、大阪への帰路についた。 末を報告し、 大阪への帰路についた。 全く、僕たちは春山で事故を起こしたばかり だったというのに反省の多い山行だった。 まず、 夏の雪渓と言うことで簡易アイゼンを過信した こと。いつまで経っても地形が読めない事。 こと。 いつまで経っても地形が読めない事。そ そ して会長の忠告を忘れたこと。山をなめている わけでは決してないのだが改善すべき点はいく らでも出てくる。何か結論じみた事を書いて終 わり にし た いの だが 、良い 、 良い 言葉 が 浮か ばな い・・・・・。 それにしてもあの状況で翌日に帰阪できたと は僥倖と言えよう。ありがたやありがたや。 は僥倖と言えよう。 ありがたやありがたや。 前穂Ⅳ峰 松高ルート (1996 年8月 12 日) 上原 雅宣 メンバー: メンバー :永広 永広・ ・上原 上原・ ・谷池 4時半出発の予定が準備に手間取り5時出発 となった。Ⅴ となった。 Ⅴ・Ⅵのコルまでは比較的順調に進 む。奥又白側は一部で道が崩壊していて、 む。 奥又白側は一部で道が崩壊していて、危な 危な い箇所もあった。雪渓の下降では4本爪アイゼ ンの横山・ ンの横山 ・谷池両氏が苦労している。 谷池両氏が苦労している。ガラ場を ガラ場を 登り返して、前穂Ⅰ峰へ向かう横山 登り返して、 前穂Ⅰ峰へ向かう横山・ ・川辺隊と 分かれる。 雪渓の登り返しでは体力を使ってしまい、取 付点では大休止を取ってしまうほどであった。 この岩場は全般的にもろく、あちこちで落石の 音がこだましている。1ピッチ目は泥混じりの 岩壁を登る。4ピッチ目にかかるころ、 岩壁を登る。 4ピッチ目にかかるころ、B沢上 B沢上 部で横山さんからのコールがあった。ルートを 間違った上に、トランシーバーも故障したよう だ。彼らの安全を祈りながら慎重に登る。 だ。 彼らの安全を祈りながら慎重に登る。松高 松高 ハング付近では岩がぼろぼろと剥離して3人と 77 1996 年( 平成 8 年) 夏 も苦労した。さらに3ピッチ登って終了点に着 いた。 横山隊が気がかりだが下山を開始する。とこ ろが何を血迷ったのか、迷走の神様 ろが何を血迷ったのか、 迷走の神様・ ・横山さん に導かれたのか、私たちはⅣ に導かれたのか、 私たちはⅣ・ ・Ⅴのコルから涸 沢へ下っていった。懸垂下降3ピッチを終えた ところで時間切れとなり、今年二度目のビバー クとなった。 翌朝は、春山に続いて長野県警のお説教を聞 くことになってしまった。 [タイム タイム]] 涸沢 涸沢(5:00) (5:00) Ⅴ Ⅴ・ ・Ⅵのコル Ⅵのコル(6:20) (6:20) 取付点(9 取付点 (9 :30 ) 終了点 ) 終了点(1 (1 5:30 ) ビバーク点 ) ビバーク点 (21:30) 78 1996 年( 平成 8 年) 夏 綺麗な円錐型の一部がものの見事に爆発で吹き 飛ばされた形の山もあります。赤道直下に位置 する為森林限界は高く、火山活動が早くに終 する為森林限界は高く、 火山活動が早くに終 わった場合など、3000 Mの山々でも全面が熱帯 雨林に覆われています。 来年になって回復すれば、少なくともジャカル タ近郊の2000 タ近郊の 2000M級の山は今後の4年間でかなり M級の山は今後の4年間でかなり 登れるのではないかと今から楽しみにしていま す。 インドネシア瓦版 その1 (1996 年8月 21 日) 柴谷 武史 前略。皆様如何お過ごしでしょうか。 前略。皆様如何お過ごしでしょうか。 当地に来まして早くもちょうど1年が過ぎま した。当地には治安 した。 当地には治安・ ・医療問題等、 医療問題等、日常生活に 日常生活に 於いて不便な事も多いのですが、一言で言えば 少なくともジャカルタの町は日本人に取って決 して住みにくい町ではないと言えます。 ただ治安の問題もあって日頃歩くという動作 が殆ど無く、通勤・事務所・外出・商談全て座っ ている訳で、 筋力が劣ってしまったのでしょう。 従来から強い腰ではなかった上に、筋肉が落ち てしまい、皆様御存知のようにぶざまにも入院 する羽目になってしまいました。しかし、 する羽目になってしまいました。 しかし、来年 来年 からは少しずつ元の生活に戻せる様に、毎朝晩 に筋力トレーニングに励んでおります。 GUNUNG SALAK SALAK (サラック山 サラック山)) 2,211 M 21 AUG 1996 メンバー: メンバー :当地日系ビル管理会社社長 当地日系ビル管理会社社長・ ・某商社 駐在員・ 駐在員 ・私と同じ会社の当地合弁会社駐在員 私と同じ会社の当地合弁会社駐在員・ ・ (以上3名は皆かなりの年齢だがマラソン仲間で 毎月 100KM 走っていると言う健脚ぞろい 走っていると言う健脚ぞろい))・日系 警備保障会社駐在員((いわゆる山屋 警備保障会社駐在員 いわゆる山屋)) 当地には普通の地形図もなければ登山地図も なく、3週間前に登山口を確認し、 なく、 3週間前に登山口を確認し、地元の人に 地元の人に 登頂できる事を確認。1週間前に再び登山口を 訪れ、山麓の村で当日の早朝にガイドを準備し て於いて貰う様に依頼。 (当地では本来登山の際 には地元役所に届け出認可が必要。 その対策と、 本来の道案内、及び山賊避けを兼ねて必ずガイ ドを雇うべき)) ドを雇うべき なお以下の標高は私の簡易高度計の数字です。 さて、7月頃に当地にも山好きの人間が集 さて、7月頃に当地にも山好きの人間が集 まって登山をしていると言う事を知り、まずは 日帰りで近郊の山に登ってきましたので御報告 致します。 当地にはイリアンジャヤ(ニューギニア島 当地にはイリアンジャヤ( ニューギニア島))ま で行けば5000 で行けば 5000 M峰はあるのですが、道もなけれ ば確実に人喰い人種の餌食になるだけで、一般 的にはジャワ島内の山々がその対象となってい ます。ジャワ島には ます。 ジャワ島には 3000 M峰は 13 座あり、 座あり、噴 噴 火の為に立入禁止中の山を除けば道の有無は別 として登頂は可能です。山仲間と出会ってから 知った事なのですが、極最近迄、 知った事なのですが、 極最近迄、某自動車メー 某自動車メー カーの単身赴任の駐在員がジャワ島内の主だっ た山を登っており、その記録を読む限り、 た山を登っており、 その記録を読む限り、時間 時間 と体力に余力がある限りかなりの登山は出来そ うです。 ただテント泊は猛獣と山賊の危険が大きく、 片道数百キロの道を夜を徹して車で往復し、2 千M以上の高度差を日帰りでアタックするとい うケースもあります。 3:40 自宅出発。車でジャカルタより南に向 3:40 自宅出発。 車でジャカルタより南に向 かう。 6:00 山麓到着 ガイド2名 6:00 山麓到着 ガイド2名(50,000ルピア-(50,000ルピア-2,500 円 / 人) が約束通り待っていてくれた。 6:30 登山口 6:30 登山口(1,070M) (1,070M)ここまで車で入れる。 ここまで車で入れる。 すぐ近くに温泉付きの豪華保養地有り。 7:30 Y字路 7:30 Y字路(1,340M) (1,340M)。 。ここまでは比較的平 坦な山道。付近の噴火口への分岐点。 坦な山道。 付近の噴火口への分岐点。 8:50 8:50 (1,530M) (1,530M)比較的なだらかな山道。 比較的なだらかな山道。シダ シダ が多い事と、時々バナナの木がある事を除けば 南紀の山と余り変わり無し。 9:40 9:40 (1,735M) (1,735M)だんだんと急登となり、 だんだんと急登となり、左側 左側 はその昔噴火で吹き飛ばされた崖となっており、 一部木の根を掴んでの登高となる。雰囲気とす れば夜叉ヶ池へ向かう途中の最も急で細くなっ た当たりの感じ。木々が生い茂っており、 た当たりの感じ。 木々が生い茂っており、空は 空は 基本的にジャワ島の山々は全て火山であり、 円錐型のコニーデ型の山が非常に多い。又、 円錐型のコニーデ型の山が非常に多い。 又、そ そ の昔の火山活動の激しさを彷彿とさせる様な、 79 1996 年( 平成 8 年) 夏 良く晴れているが非常に涼しく快適。途中 途中10 10M M 程度の露岩が出てきて久しぶりに岩が触れる。 1 1 : 3 0 ( 2 , 1 4 5 M ) 山頂到着。 山頂到着。私の高度計は 私の高度計は 2,145M を指しているが、山頂に表示されている 高度は 2,211M 2,211Mである。 である。山頂はテニスコート程度 の広場になっているが、廻りは木々に囲まれて 展望はよくない。片隅には小さなたまり水があ り、これを利用して幕営したと思われる跡があ る。空は晴れ気温も涼しく、 る。 空は晴れ気温も涼しく、トカゲをするには トカゲをするには 心地良い気候である。 12:30 高度計を 12:30 高度計を 2,211M に合わせて山頂を後に する。 15:20 Y字路 15:20 Y字路(1,425M) (1,425M)に戻る。 に戻る。ここまで2時 ここまで2時 間で下れると見ていたが、意外に時間を取られ た。地元の若者数名が空気銃を持って狩猟に来 ている。もし一人でいると、 ている。 もし一人でいると、こいつらが山賊に こいつらが山賊に 早変わりするのかと思うと今ひとつ落ちつかな い。 16:10 登山口到着。 16:10 登山口到着。登り5時間、下り3時間 下り3時間40 40 分であった。ここで待つようにと言っていた運 転手が下の駐車場に下りてしまっており、更に 1時間余り歩かされる羽目になった。早く下り ないとスコールが来る。 17:30 駐車場に到着して数分で予定通りの土砂 17:30 駐車場に到着して数分で予定通りの土砂 降りとなる。ラッキー。 降りとなる。 ラッキー。 18:00 駐車場出発。 18:00 駐車場出発。 20:30 帰宅。 20:30 帰宅。 この山行をきっかけに、さあこれからやるぞ と思った矢先の入院でがっかりしましたが、又 次の機会を見つけて御報告致します。 以上 80 1996 年( 平成 8 年) 秋 岳に到着した。ここからが、ついに大キレット 岳に到着した。ここからが、 ついに大キレット の始まりである。南岳の小屋では、 の始まりである。 南岳の小屋では、往生際が悪 往生際が悪 いというか、いつにも増して、 いというか、 いつにも増して、ウダウダと長い ウダウダと長い 休憩をとってしまった(( やはりかなりビビッて 休憩をとってしまった いたのかな))。しかし、後から来る人たちが、ど いたのかな んどん先を行く姿を見て根性を決め、 いざ出発。 前方の北穂はとても近くに見え、コースタイ ムが4時間半もかかるようには思えない。とい うことは、それだけアップダウンがきついとい うことか .... ....!? !? 途中、 途中、頻繁に三人で気合を 頻繁に三人で気合を いれ合いながら少しづつ進んでいった。足元か ら滝谷がスッパリと切れ落ちている「「飛騨泣き ら滝谷がスッパリと切れ落ちている 飛騨泣き」」 あたりは、やはりかなりの難所ではあったが、 あたりは、 やはりかなりの難所ではあったが、 覚悟を決めていたからか、思った程恐ろしいと いう印象はなく、無事、 いう印象はなく、 無事、北穂に到着した。 北穂に到着した。 北穂から奥穂、さらに前穂への縦走が、 北穂から奥穂、 さらに前穂への縦走が、当初 当初 の予定であったが、今回は時間切れということ で、北穂から涸沢へ下った。 で、 北穂から涸沢へ下った。そしてその夜は、 そしてその夜は、 もちろん大キレット踏破の祝宴で盛り上がった。 憧れの大キレット (1996 年9月 13 日~9月 15 日) 大野 順子 メンバー: メンバー :西方 西方・ ・臼井 臼井・ ・大野 槍から北穂への大キレットは、一般コースと はいえ、岩稜帯が続く難コースの一つ。 はいえ、 岩稜帯が続く難コースの一つ。岩場に 岩場に 不慣れな私は、せめて荷物を軽くしようと、 不慣れな私は、 せめて荷物を軽くしようと、食 食 器はチタン製、雨具は最新のゴアテックスを買 い揃え、軽量化の仕上げに い揃え、 軽量化の仕上げに(( ?) 髪もバッサリ 切って、結構真剣に臨みました。 切って、 結構真剣に臨みました。 9月 13 日 雲り空の中、上高地を出発。 雲り空の中、 上高地を出発。横尾あたりで雨 横尾あたりで雨 が降り出し、天候はますます悪くなる様子。 が降り出し、 天候はますます悪くなる様子。槍 槍 沢に着いた頃には、 雨足が相当強くなったので、 予定を変更し、槍沢泊りとした。 予定を変更し、 槍沢泊りとした。あいにくの天 あいにくの天 気で出鼻をくじかれた私は、 一気に軟弱になり、 「 今回の山行は槍の往復に変更しよう。 」 なんて 情けないことを考えていた。 (天候が原因であれ ば、大義名分も成り立つし ば、 大義名分も成り立つし ...) 今回の山行の目的は、自分たちのレベルより 少し上を目指すことでした。予定は大幅に変更 になったものの、我々なりに充実した、 になったものの、 我々なりに充実した、1996 1996 年 度ナンバーワンの記念すべき山行となりました。 自分自身、 少し自信がついたと感じると同時に、 やはりこれまで指導して頂いた先輩の方々に、 あらためて感謝の気持ちで一杯です。 9月 14 日 朝まで強く降り続いていた雨もなんとかあ がったようなので、かなり遅くなったが、 がったようなので、 かなり遅くなったが、出発 出発 することにした。テントを撤収していると、 することにした。 テントを撤収していると、青 青 年二人が山を下ってきた。 なんと一人の顔面は、 包帯だらけ。つまり、 包帯だらけ。 つまり、目と鼻の部分を除いて、 目と鼻の部分を除いて、 包帯ぐるぐる巻きの状態。とても声をかけられ る雰囲気ではなく、思わず目をそらしてしまっ た。明日の大キレットへの不安が徐々に高まっ ていきている私には、このショックはちょっと 堪えた。 天気は、どんどん回復してゆき、 天気は、 どんどん回復してゆき、槍岳山荘に 槍岳山荘に 着いたころには、快晴となった。 着いたころには、 快晴となった。槍の頂上から 槍の頂上から の 360 360°の絶景に、 °の絶景に、明日の大キレットへの闘志 明日の大キレットへの闘志 が湧いてきた。なにはともあれ、 が湧いてきた。 なにはともあれ、今夜は大キ 今夜は大キ レットの前夜祭。明日への不安と緊張はアル レットの前夜祭。 明日への不安と緊張はアル コールで癒すことにした。 五竜岳~鹿島槍ヶ岳 (1996 年9月 28 日~9月 30 日) 木戸 晴美 中尾さんに 「木戸さんは岩場が弱いから許す」 とお許しをもらい、小屋泊まりで一人五竜岳か ら八峰キレットを越えて、三度目の正直の鹿島 槍に行って来ました。 9月 27 日 夜の6時過ぎから大阪駅で場所取りをしてい つものように9時3分の急行ちくまに乗り込む。 車内は大阪では比較的すいていたが、名古屋あ たりから混雑するようになった。 9月 15 日 今日はいよいよ本山行のメインである大キ レット。幸い、 レット。 幸い、天候は申し分のない快晴。 天候は申し分のない快晴。風も 風も ほとんど無し。途中、 ほとんど無し。 途中、御来光を楽しみながら南 御来光を楽しみながら南 81 1996 年( 平成 8 年) 秋 9月 28 日 テレキャビンに乗るにはまだまだ時間がある ので南小谷まで電車に乗る。朝日でピンク色に 染まった白馬三山がとてもきれいだった。南小 谷から神城まで戻り、とおみ駅でテレキャビン が動くのを朝食を摂りながら待つ。 真っ青な空、 今日はとても天気が良さそうだ。 テレキャビンは8時 15 分頃から動き出した。 黄金色に染まった平野がとても美しい。テレ 黄金色に染まった平野がとても美しい。 テレ キャビンを降り、いざ出発。 キャビンを降り、 いざ出発。白馬三山がとても 白馬三山がとても くっきり見えている。 ここの登りは結構きつい。歩いて ここの登りは結構きつい。 歩いて 15 ~ 20 分 くらいの地蔵ノ頭で休憩を取り、ゆっくりとし たペースで進む。あいにくナナカマドは真っ赤 になる前に枯れたような状態になったものが多 かったが、はるかむこうに富士山も顔をのぞか せるいい天気となった。歩くたびに鹿島槍の形 が変わっていくのがおもしろかった。はるか遠 くに見えていた五竜山荘もだんだん近づいてく る。山荘の手前の少し小高くなった山からは向 こうの方に日本海が見えていた。 3週間も山に行っていないせいか、寝不足の せいか、 少し頭が痛かったが無事山荘に着いた。 今日は五竜の山頂から能登半島まで見え、山荘 から1時間ほどで行けるそうだが、明日に備え てゆっくり休むことにする。ちょっぴり残念、 てゆっくり休むことにする。 ちょっぴり残念、 でもちょっとの無理があとあと響くこともある。 単独 は自 分 自身 の行 動 に責 任を 持 たな けれ ば・・・。 の依頼でガイドブックを制作中で夏にも訪れた そうだ。 「そこからが八峰キレットですよ。写真 を撮るから先に行ってください。」 「大丈夫で しょうか。 」 「大丈夫ですよ。」中西さんは気取っ たところがなく、とても気さくな人だった。 たところがなく、 とても気さくな人だった。八 八 峰キレットもそれほど怖くもなく通過。時間が 早すぎるのでもう少し写真を撮るという中西さ んと離れ、一人登り始める。 んと離れ、 一人登り始める。あとは鹿島槍を目 あとは鹿島槍を目 指すのみ、歩くたびに鹿島槍が近づいてくる。 指すのみ、 歩くたびに鹿島槍が近づいてくる。 とうとう北峰に到達。 しかし誰もいなかった。 先行していたおじさん2人組は北峰はパスして しまったらしい。 一人感慨深げに景色を眺める。 すぐ足下の下方には大きな雪渓。南峰に着くと 大勢の人々。2人組のおじさん達もいた。 大勢の人々。 2人組のおじさん達もいた。剱が 剱が とてもきれいでしばらくボォーと見ていた。山 頂のあたりは紅葉が済んだ後だったが中腹あた りは真っ盛りらしい。はるか向こうの種池山荘 は紅葉に彩られてとてもかわいかった。その日 は冷池山荘に泊まった。同部屋は中年のおばさ ん2人組だけとゆったりとしたものだった。 9月 30 日 朝、少し前に出たはずのおばさん2人が戻っ てきた。雨が降り出したらしい。 てきた。 雨が降り出したらしい。本当ならキ 本当ならキ レットを越えるはずだったが、鹿島槍ピークハ ントに変更して出発していった。 6時半ごろ山荘を出発。中西さんは初老のご 夫婦と一緒に赤岩尾根を下りていった。少し小 雨が降るが景色が見えているのがありがたい。 爺ヶ岳の本峰も踏んで、雷鳥にもあって種池山 荘に到着。ゆっくり休憩していると、 荘に到着。 ゆっくり休憩していると、ここでア ここでア ルバイトをしている娘に会いに来たという藤田 さんと出会い、一緒に下山することになった。 さんと出会い、 一緒に下山することになった。 ここから扇沢までの紅葉はとても見事で赤、 黄、 オレンジなど色がとても鮮やかだった。ラッ オレンジなど色がとても鮮やかだった。 ラッ キーにもこの藤田さんに車に乗せてもらい、大 町温泉郷の薬師の湯でひと風呂浴び、安曇野の おそば屋さんにも寄って松本まで送ってもらっ た。 9月 29 日 今日は昨日ほどではないがまずまずのお天気。 頭痛もおさまったようだ。まず五竜岳に登り記 念撮影。その後、滑りやすい下りを慎重におり、 最初の鎖場を通って岩を跨ぐ。この道は山頂の にぎわいとは対照的にひっそりとしている。少 し前の方に2人組の中年のおじさん達と写真を 撮りに来た単独のおじさん((後でプロだというこ 撮りに来た単独のおじさん とがわかる))だけ。何回も登り下り、鎖場などを とがわかる 繰り返す。相変わらず黄金色の平野がくっきり 見え、少し雪のかぶった剱がとても美しい。 見え、 少し雪のかぶった剱がとても美しい。 ようやくキレット小屋に到着。 中休止に入る。 単独のおじさんは小屋のご主人と親しげに話を しているので、後でそのおじさんに尋ねてみる と中西俊明さんというプロの写真家でヤマケイ 黄金色に輝く平野、少し雪のかぶった剱、そ 黄金色に輝く平野、少し雪のかぶった剱、 そ してとても鮮やかな紅葉、とてもいい季節に山 行することができました。今度は是非、 行することができました。 今度は是非、もう少 もう少 し力を付けて雪の鹿島槍に登ってみたいと思い ます。 82 1996 年( 平成 8 年) 秋 血のついた石と真っ赤に染まったティッシュが 捨ててあって、気分が悪くなってきた。 捨ててあって、 気分が悪くなってきた。滑らな 滑らな いように、落ちないように、 いように、 落ちないように、と自分に言い聞か と自分に言い聞か せながら登り続ける。小屋に着いたところで大 休止を取る。ここで終りにするか、 休止を取る。 ここで終りにするか、奥穂まで行 奥穂まで行 くか3人で話し合うが、明日のことを考えて奥 穂まで行くことにする。北穂のピークを踏み、 穂まで行くことにする。 北穂のピークを踏み、 もうひとがんばり。岩場が続き、 もうひとがんばり。 岩場が続き、また緊張の連 また緊張の連 続だったが梯子、鎖が終わった時点で日没に 続だったが梯子、 鎖が終わった時点で日没に なった。雨も降り出し、 なった。 雨も降り出し、少々焦ったが何とか穂 少々焦ったが何とか穂 高岳山荘にたどり着いた。 [タイム タイム]] 殺生テント場発 殺生テント場発(6:10) (6:10) 槍ヶ岳頂上 槍ヶ岳頂上 着(7:05) (7:05) 南岳着 南岳着(9:55) (9:55) 北穂高小屋着 北穂高小屋着(14:10) (14:10) 穂高岳山荘着(18:00) 穂高岳山荘着 (18:00) 槍ヶ岳~西穂縦走 (1996 年 10 月 10 日~ 10 月 13 日) 蔵田 道代 メンバー: メンバー :L永広 L永広・ ・川辺 川辺・ ・蔵田 3月の総会で配られた永広さん作成の年間山 行計画書。その中に 行計画書。 その中に「紅葉の槍 「紅葉の槍・ ・西穂縦走」 西穂縦走」と と 書かれてあるのを見て、私の 書かれてあるのを見て、 私の 10 月の予定は決 まった。 それからは永広さんの顔を見るたびに、 「槍穂縦走行くんですか?」 「槍穂縦走お願いし ます。」永広さんが最終的に「行く」と決めたの は、出発予定日の2週間前、9月の終りだった。 10 月 10 日 早朝上高地に着くや、 「作戦は失敗。 」と永広さ ん。うっすら雪化粧の山を思い、 ん。 うっすら雪化粧の山を思い、限りなく冬山 限りなく冬山 装備に近い格好で来た私達は見事に裏切られた。 山は茶色だった。この日は槍、 山は茶色だった。 この日は槍、肩の小屋まで行 肩の小屋まで行 く予定だったので、朝食後すぐに出発する。 く予定だったので、 朝食後すぐに出発する。上 上 高地から横尾、そして槍沢ロッヂまで快調に飛 ばす。黄色に色づいた木々が美しい。快晴で、歩 いていると暑い。ところが槍沢ロッヂを過ぎ、 いていると暑い。 ところが槍沢ロッヂを過ぎ、 ダラダラとした登りになった途端3人ともバテ てしまった。前夜の夜行が超満員でシートが2 席しか取れず、永広さんが通路に座って下さっ たものの皆ほとんど眠れず、その寝不足が原因 だろうか。やっと殺生ヒュッテが見え、 だろうか。 やっと殺生ヒュッテが見え、その上 その上 部に肩の小屋と槍の頂上が見えてきた。結局こ の日は殺生ヒュッテにテントを張ることにした。 早いめの夕食をとると、3人ともすぐに眠って しまった。 [タイム タイム]] 上高地発 上高地発(6:10) (6:10) 槍沢ロッヂ着 槍沢ロッヂ着(10: (10: 50) 殺生ヒュッテ着 50) 殺生ヒュッテ着(15:50) (15:50) 10 月 12 日 天気が悪くなるとの予報だったが、日の出後 明るくなり青空が見えたので、予定通り西穂ま で行くことにする。まずは奥穂。 で行くことにする。 まずは奥穂。しかし、 しかし、この この 頃には曇り空となり雪も舞い始め寒い。梯子が 凍っていて本当に恐かった。奥穂の頂上は押し 合いへし合いと言っても過言ではないほど混ん でいた。ここでアイゼンをつけ、 でいた。 ここでアイゼンをつけ、岩の痩せ尾根 岩の痩せ尾根 をまたまた緊張しながら歩く。ジャンダルムの 手前が凍っていて、先行パーティーがてこずっ ているのを見た永広さんが、私達では無理と判 断し右下に降りて道を巻くことにする。しかし 浮石だらけで、こちらの方が恐いのでは、 浮石だらけで、 こちらの方が恐いのでは、と と 思ってしまった。雪が舞い冷え込んでいたが、 思ってしまった。 雪が舞い冷え込んでいたが、 私達はひたすら進み続ける。やっとの思いで 私達はひたすら進み続ける。 やっとの思いで ジャンダルムを越え、天狗のコルに着いたとこ ろで休憩を取る。雪が雨に変わっていた。 ろで休憩を取る。 雪が雨に変わっていた。西穂 西穂 まで多分無理では、と思い始めるが、 まで多分無理では、 と思い始めるが、とにかく とにかく 進もうということで登り始める。岩が雨に濡れ ていて危ない。そして時間切れ。 ていて危ない。 そして時間切れ。間ノ岳を登り 間ノ岳を登り 終えたところにビバーク地点を見つけ、永広さ んと私はテントをかぶり、川辺さんはツェルト でビバーク体制に入る。 「もう8時か9時になっ たか。」と永広さんは聞くけれど、 「いえ、まだ6 時です。」 と、 と、私は気が重くなりながら答える。 私は気が重くなりながら答える。 「なにー、 なにー、あと あと 12 時間か。 」確かに、 確かに、夜明けまで 夜明けまで 気が遠くなるほど長かった。膝を抱えたまま、 気が遠くなるほど長かった。 膝を抱えたまま、 頭を少し下に向けた姿勢がまた辛かった。雨は 夜中の2時か3時頃まで降り続いた。 [ タイム タイム]] 穂高岳山荘発 穂高岳山荘発(6:1 (6:1 0) 奥穂頂上着 0) 奥穂頂上着 10 月 11 日 昨日の遅れを取り戻すべく肩の小屋まで急ぐ。 私にとっては2ヶ月ぶり2度目の槍ヶ岳。今回 は見晴らしが良く、北鎌尾根がはっきりと見え た。さあ、 た。 さあ、いよいよ北穂大キレット、 いよいよ北穂大キレット、今日中に 今日中に 奥穂の穂高岳山荘まで進みたい。南岳まで順調 に進むが、北穂大キレットでは緊張のためか、 に進むが、 北穂大キレットでは緊張のためか、 川辺さんと私のペースが落ちる。そこを乗り越 えると北穂高小屋に向かう最後の登り。小屋が 見えているのだけれど長く感じられた。途中、 見えているのだけれど長く感じられた。 途中、 83 1996 年( 平成 8 年) 秋 (7:20) コブ尾根ピーク着(11:00) (7:20) コブ尾根ピーク着 (11:00) 天狗のコ 天狗のコ ル着(12:30) ル着 (12:30) ビバーク決定 ビバーク決定(17:00) (17:00) 『日本百名山』と私 『日本百名山』 と私 村上 隆志 10 月 13 日 前日の雨で岩が凍りつくことを一番心配して いたのだが、快晴となり凍ってはいなかった。 いたのだが、 快晴となり凍ってはいなかった。 気力だけで岩を登り続け、1時間で西穂の頂上 に着いた。 昨日は行けども行けども先が見えず、 まだまだと思っていたので、少々意外でもあっ た。無事西穂山荘まで着き、 た。 無事西穂山荘まで着き、槍ヶ岳から西穂ま 槍ヶ岳から西穂ま での縦走は終わった。 [タイム タイム]] ビバーク地点発 ビバーク地点発(6:20) (6:20) 西穂高頂上 西穂高頂上 着(7:20) (7:20) 西穂山荘着 西穂山荘着(9:30) (9:30) 高校に入学した時に私は担任の先生から言わ れた『とにかく自分自信の幅を広げるためにも 高校3年間の間にできるかぎり本を読んでみ ろ。』という話を真に受けていました。 』という話を真に受けていました。 当時今から思えば驚異的に純朴だった私は、 『よっしゃ、やってみるか』と思って新潮文庫の 百冊を読みました。その中の1冊に 百冊を読みました。 その中の1冊に『日本百名 『日本百名 山』は入っていたのです。 (今は新潮文庫の百冊 には入っていませんが。) 高校の頃は全然山には興味がなく、ああたく さん知らない山があるんだな、写真が奇麗だ さん知らない山があるんだな、 写真が奇麗だ なーとしか思いませんでした。 百名山を完登してみようかと考えたのは、大 学2年に北海道の利尻山に登った時です。快晴 の天気の中、日本列島を北端から眺めることと なり、屋久島の宮ノ浦から九州南端をみればさ ぞかし良い気持ちになるだろうと考え、冬には 絶対屋久島に行くぞ!と心に誓いました。 『よっしゃ、やってみるか』宮ノ浦岳を登り屋 久島から鹿児島へ帰るフェリーの中で凍傷に なってしまった足をさすりながら完登を決心し ました。 そして始まったのです。鳥海山、 そして始まったのです。 鳥海山、羅臼、 羅臼、トム トム ラウシ、槍ヶ岳、北岳、幌尻岳、大山、飯豊、赤 石岳、剱岳、 石岳、 剱岳、九重山 九重山 ........ ........。 。登っても登って もいい山ばかりです。これはすごい! もいい山ばかりです。 これはすごい! 11 山ご とに感動の嵐です。しばらくの間は興奮状態が 続きました。 百名山の限界を感じたのはやはりいろいろな ことをもっとやってみたいなーと思いだしてか らです。アジアの街を歩いてみたい。 らです。 アジアの街を歩いてみたい。冬山に行 冬山に行 きたい。1日で きたい。 1日で 100Km 歩いてみたい。 歩いてみたい。インドに インドに いきたい。沢登りもやってみたい いきたい。 沢登りもやってみたい ..... 等々。 時代の流れとともに魅力が薄れてしまった山 もあり、 少しずつ感動は薄くなっていきました。 それでもなんとか今年15 それでもなんとか今年 15年の歳月をかけて完 年の歳月をかけて完 登できたのは、やはり当初の感動の記憶が強烈 だったからだと思います。 百名山の山々は北は北海道、利尻岳から南は 九州の宮ノ浦岳まで日本列島の有名な山はほと 永広さんリーダーのもと槍ヶ岳から西穂まで 縦走することができました。本当に有り難うご ざいました。 84 1996 年( 平成 8 年) 秋 んど入っています。確かに魅力的な山が多いの は事実です。ただ私は、 は事実です。 ただ私は、近年のいわゆる百名山 近年のいわゆる百名山 ブームは好きではなく、ただいたずらにピーク ばかりを狙うのは愚の骨頂だと思います。 私自身できるだけ工夫して飽きのこないよう に登ったつもりです。ロープウエイのついてし まった木曽駒も下から登りましたし、車道のつ いた乗鞍や御岳、岩木山、 いた乗鞍や御岳、 岩木山、大台ヶ原は雪山登山 大台ヶ原は雪山登山 もしくは沢登りで登りました。飯豊、 もしくは沢登りで登りました。 飯豊、朝日、 朝日、吾 吾 妻、大峰等長い山脈は全山を縦走しました。 妻、 大峰等長い山脈は全山を縦走しました。 槍ヶ岳のように何度も登った山もあります。 それにしても近畿から完登するのは関東の登 山者に比べると確かに不利です。しかし近畿に は百名山には入りませんでしたが六甲、京都北 山等魅力のある山も多くあり楽しめると思いま す。今後は山と特に近畿の山とどのように付き 合って行こうかと考える今日この頃です。 最後に 100 山目の北八ヶ岳で祝って頂いた皆 様どうも本当にありがとうございました!!! 蛍雪タイムトライアル in 六甲山 (1996 年 11 月 17 日) 石塚 正史 メンバー:岩田 メンバー: 岩田・ ・秋田 秋田・ ・上原 上原・ ・飯窪 飯窪・ ・堀・木戸 木戸・ ・ 川辺・ 川辺 ・飯田 飯田・ ・松岡 松岡・ ・谷池 谷池・ ・石塚 当日の朝は雨が降りそうでしたが、晴れて良 かったです。朝9時に阪急宝塚駅に集合して塩 尾寺まで歩いて行きました。塩尾寺が発着地点 です。大阪府の山岳駅伝に出場しなくなったの で、蛍雪でなにか代わりになるものをしようと いうことでタイムトライアルをすることになっ たのです。コースは大谷乗越 たのです。 コースは大谷乗越・ ・大平山 大平山・ ・船坂峠 を通って六甲トンネルの上を越えてアスファル トの道路に出たらそこを折り返すというコース です。昭文社の山と高原地図によると、 です。 昭文社の山と高原地図によると、往復約 往復約 5時間20 5時間 20分の道のりです。 分の道のりです。松岡さん、秋田さん、 川辺さん、自分、 川辺さん、 自分、上原さん、 上原さん、堀さん、 堀さん、飯窪さん 飯窪さん の順で5分ずつ間をあけてスタート。当日来ら れたのは 11 人ですが参加したのは7人です。 日曜ということもあったのか、マウンテンバ イクで同じ道を縦走している人たちもいたりと 人の多い日でした。早く歩いていたので出会う 人が多くそう感じたのかもしれません。みんな 道や折り返し地点を間違えたりとコースに迷い ながらの縦走でした。かかった時間は、 ながらの縦走でした。 かかった時間は、飯窪さ 飯窪さ ん2時間 25 分。 分。自分2時間 自分2時間 29 分。 分。川辺さん2 川辺さん2 時間 30 分。 分。秋田さん2時間 秋田さん2時間 55 分。 分。上原さん3 上原さん3 時間 10 分。 分。堀さん3時間 堀さん3時間 28 分。 分。松岡さん3時 松岡さん3時 間 53 53分でした。 分でした。地図のコースタイムよりもかな り早くゴールできてよかったと思います。帰り は同じ道を阪急宝塚まで歩いて帰りました。駅 の近くの店でラーメンをみんなで食べてから解 散しました。 85 1996 年( 平成 8 年) 冬 く徒渉する。この日は千天出合を越えずにすぐ 手前の樹林帯で幕営する。 [ タイム タイム]] 七倉 七倉(( 8: 0 0) 高瀬ダム 高瀬ダム(( 9 :2 5 ) 林道終点(( 1 0 :4 0 ) 名無避難小屋 林道終点 名無避難小屋(( 1 1 :0 0 ) 湯俣(( 1 2 : 5 0 ) 徒渉点 湯俣 徒渉点(( 1 6 : 0 0 ) 徒渉終了 ( 1 6 :3 0 ) 千天出合 千天出合(( 1 6 : 5 0 ) 北鎌尾根登攀 (1996 年 12 月 29 日~ 1997 年1月1日 年1月1日)) 堀 一 メンバー: メンバー :岩田 岩田・ ・中尾 中尾・ ・堀 12 月 29 日 七倉山荘から千天出合 天候- 無風快晴 信濃大町よりタクシーで七倉山荘まで入る。 積雪の状態により手前の葛温泉までしか入れな いこともあるので要注意。七倉山荘の登山補導 所で計画書の提出がてらにルートの情報を仕入 れる。考えていたよりずっと悪いようだがこの 日我々より先に 30 名ほど入山しているとのこ と、トレースはバッチリついている。 と、 トレースはバッチリついている。ここから ここから 東沢出合い迄はトンネルばかりの林道で景色を 楽しむことも出来ず実に面白くない。高瀬ダム のつづら折りにもうんざりさせられる。やっと 林道も終わって山道となる。地図にはのってい ないが途中に名無避難小屋が有り、土間には薪 ストーブと薪が用意され、その奥には畳み敷の 座敷もある。 あたりに硫黄の臭いが立ち込めてくると湯俣 は近い。湯俣山荘を通りすぎて高瀬川右岸沿い をそのまま進み、東電の小さな小屋の裏を通り 過ぎると吊り橋に出る。これを渡ったところで 河原に降りるといよいよ水俣川の遡行が始まる。 ルートは千天出合の手前で徒渉するまで左岸沿 いにとるが、これが非常に悪い。 いにとるが、 これが非常に悪い。古い地図には 古い地図には 道として乗っているが、 今や完全に廃道である。 それでも決して右岸にルートをとらないこと。 ポイントとしては中東沢出合いのあたりの岸壁 下部をフィックスロープにすがってトラバース するところと、徒渉点も近くなったところで現 れる岸壁の高さ10 れる岸壁の高さ 10mぐらいに有るバンドを右に mぐらいに有るバンドを右に 回り込むところだ。しかし、 回り込むところだ。 しかし、程度の差はあれど 程度の差はあれど も不安定で危険な高巻きとへつりに終始するこ とには変わりなく、七倉~北鎌のルート中ここ が核心部と言う説は事実であろう。 千天出合が近づいてくると今度は右岸への徒 渉が問題となってくる。以前は朽ちかけた吊り 橋のワイヤーにぶら下がるようにして渡橋する ようになっていたが今やそれすらも無い。さん ざん徒渉点を探したが、吊り橋の残骸のあるあ たりから倒木を手掛かりに飛び石伝いにようや 12 月 30 日 千天出合からP8 天候-無風 快晴 千天出合の手前でいやらしいへつりに出る。 ハンドホールドが無いので微妙なバランスで抜 ける。冷汗ものだ。 ける。 冷汗ものだ。そのまま右岸を天上沢に入 そのまま右岸を天上沢に入 り、適当に徒渉出来るところを探して簡単に左 岸に渡る。しばらく左岸沿いの樹林帯を進み、 岸に渡る。 しばらく左岸沿いの樹林帯を進み、 不明瞭で特徴のないP2尾根に取りつく。先行 トレースが有るので簡単に取りつけたが、なん にも無かったら取りつき点を探すのに苦労させ られることであろう。 最初は簡単な樹林帯の急登だが次第に傾斜が きつくなり強引な木登りとなる。技術的にはな んの問題もないが、すべりおちたら怪我だけで はすまされない。ようやくのぼりつめて出た尾 根は結構広く天場にもなっているようだ。ここ からP2は目の前。何の問題もなく通過しP3 へ向かったのだが、ピークから少し下った所で 中尾さんがこけた。 千丈沢側のせまいルンゼを、 しかも頭から滑り落ちていく。ピッケルは手か ら離れているので滑落停止が出来ない。何も出 来ず、ただ 来ず、 ただ「止まってくれ」 「止まってくれ」と祈りながら見守 と祈りながら見守 ることしか出来ない。何とか頭を上にし、 ることしか出来ない。 何とか頭を上にし、少し 少し 雪の柔らかくなったところで停止する事に成功。 滑落距離は 30 m。 m。あと あと 10 m滑っていたら鋭く きれこんだ千丈沢まで落ちていただろう。幸い なことに掠り傷ひとつ負わずに自力で登り返す ことが出来たが、寿命の縮むような光景を目に してしまった。この事件で厄払いが出来ただろ うと気を引き締めてP3へ向う(( しかし最後の うと気を引き締めてP3へ向う 最後に事件がもう一つ待っているのであった))。 最後に事件がもう一つ待っているのであった P3・ P3 ・P4も問題なく登れる。 P4も問題なく登れる。この辺りから この辺りから そろそろ森林限界を越えるので景色が楽しめる。 P4・P5のコルからは天上沢側へ P5のコルからは天上沢側へ10 10m程下降 m程下降 し、P5を大きくトラバースしてP5 し、 P5を大きくトラバースしてP5・ ・P6の コルへ再び登り返す。ここから今度は千丈沢側 の気味悪い急な雪壁をトラバースして途中から P6へ直登する。P6からは左右がスパッと切 86 1996 年( 平成 8 年) 冬 れたナイフリッジが面白い。あっと言うまにP 7を越えると今度は下りがきつい。パーティに よってはアプザイレンを要するところだ。下り きると北鎌のコル。P8へは嫌になるぐらい長 い登りが延々と続く。登りつめたP8 い登りが延々と続く。 登りつめたP8(天狗ノ (天狗ノ 腰掛とも言う)からは独標(P (P10 10) )が目の前だ。 [ タイム タイム]] 千天出合 千天出合(7:1 (7:1 0) P2尾根取りつ 0) P2尾根取りつ き( 7 : 5 0 ) P2 P2(( 9 : 5 0 ) P3 P3(( 1 1 : 2 0 ) P4(( 11 : 5 0) P4 P4 P4・ ・P5のコル P5のコル(( 1 2 :4 0 ) P5・ P5 ・P6のコル P6のコル(( 1 3 :0 5 ) P6 P6(( 1 3 :4 0 ) P7(( 1 4 : 0 5 ) 北鎌のコル P7 北鎌のコル(( 1 4 : 3 0 ) P8 ( 16 : 05 ) のだから独標は巻かずに直登するべし。 P11 P 11は直登も可能だが抜けきるところが嫌ら は直登も可能だが抜けきるところが嫌ら しそうなので千丈沢側を巻く。P 12 12・ ・P 13 13と快 と快 調に飛ばし、P 調に飛ばし、 P 14 も千丈沢側を巻いてしまう。 槍がみるみるうちに近づいてくるのが楽しい。 その後P 15 までの長い登りの間の小ピークは、 ほとんど千丈沢側ばかりを巻くのでホールドを 捕らえる左腕が疲れてしまう。浮き石も非常に 多いので要注意。P 15 からコルへ下り、一段上 に登ったところが北鎌平。かなり広い良いテン トサイトだ。取りつきまで歩を進め、 トサイトだ。 取りつきまで歩を進め、いよいよ いよいよ 槍の穂先への登りにかかる。 1p目 30 mは簡単な雪稜。 mは簡単な雪稜。2p目 2p目 30 mは遭 難プレートの有る当たりから登り出す。このあ たりから気温が下がりだし、動きが少ないので 体が冷えて足の爪先が痺れてくる。3p目 3p目40 40m m 嫌らしいルンゼをこらえて登る。ますます冷え て爪先が痛い。3p目終了点からは 3p目終了点からは15 15m程度の m程度の 階段状の岩のステップをノーザイルで登ると憧 れの槍の穂先へ飛び出す。時間も遅くなってし まったので、早々に肩の小屋へと下る。 まったので、 早々に肩の小屋へと下る。 [ タイム タイム]] P8 P8(( 7 :1 0 ) P9 P9(( 7: 2 0) 独標 基部(( 7 : 5 5 ) 1p目開始 基部 1p目開始(( 9 : 0 5 ) 1p目終 了( 9 : 3 0 ) 2p目開始 2p目開始(( 9 : 5 0 ) 2p目終了 (1 0:15 ) 独標 ) 独標(1 (1 0:30 ) P ) P 12 (1 1: 10 ) P ) P 13 (11 :20 ) P ) P 15 (13 :50 ) 北鎌平 ) 北鎌平(1 (1 4: 15 ) 1p目開始(( 1 4 :5 0 ) 1p目終了 1p目開始 1p目終了(( 1 5 : 2 5 ) 2p目開始(( 1 5 :3 0 ) 2p目終了 2p目開始 2p目終了(( 1 6 : 0 0 ) 3p目開始(( 1 6 :0 5 ) 3p目終了 3p目開始 3p目終了(( 1 6 : 5 0 ) 槍が岳頂上(( 1 7 :1 0 ) 肩の小屋 槍が岳頂上 肩の小屋(( 1 7 : 4 0 ) 12 月 31 日 P8から肩の小屋 天候-時折 北西風が吹きつける、午後より一時まとまった 雲におおわれるが消散 P8から独標基部までは天上沢側に雪庇がで きているので注意するが、快適な岩稜をP9、 きているので注意するが、 快適な岩稜をP9、 及び小ピークを三ッ四ッと飛ばして独標基部に 到着。昨日から数えていくつのパーティを抜か したのだろうか。我々は絶好調なのである。 したのだろうか。 我々は絶好調なのである。独 独 標には既に3パーティ取りついており、更に基 部には3パーティが順番待ちしている。日も温 かいので順番待ちの列に入ってのんびりと先行 パーティのお手並みを拝見する。我々が抜かし たパーティも続々と到着してくる。 独標には千丈沢側のトラバース・ 独標には千丈沢側のトラバース ・ルートもあ るが、トレースは無いし気持ち悪いし良く判ら ないので直登ルートを選ぶ。独標正面に立つ板 状の小岩峰を千丈沢側より回り込み、その裏に 有るテラスから取りつく。1p目、 有るテラスから取りつく。 1p目、天上沢側の 天上沢側の 凹角 25 25mをのぼるが、 mをのぼるが、張りついた雪が不安定な ので冷汗ものである。1p目終了点から2p目 取りつきまでは10 取りつきまでは 10mたらずの雪稜。 mたらずの雪稜。途中1か所 だけ左右がスパッと切れ落ちた2mほどのリッ ジをつかんで側面の千丈沢側をトラバース。ハ ンドホールドもフットホールドもしっかりして いるので心配は無いが気持ちは悪い。2p目取 りつきでまた順番待ち。2p目 2p目40 40 mは簡単。思 いつくままに登る。2p目終了点から独標頂上 まではノーザイルで行ける快適な雪田。ピッケ ルがダガーポジションで気持ち良く効く。独標 頂上にでると初めて槍が顔を見せてくれる。劇 的に目の前に飛び込んでくるその雄姿には声を 出すことも忘れてしまう。これほど感動できる 1月1日 肩の小屋から下山 天候-無風快 晴 下山は状況により大喰岳まで縦走し、そこか ら飛騨沢へ下りるのが最も安全であると考えら れるが、雪が安定しているので一番早くて楽な 飛騨乗越から直接飛騨沢を下るルートを取った。 古い記録にも結構このコースが登下降路にされ ているのでさほど危険は無いのでは無かろうか。 しかしあくまでも沢の中を進むと言うことで雪 崩に対する注意を怠ることが無いようにしたい。 また、穂高側の沢からの雪崩にも注意がいる。 また、 穂高側の沢からの雪崩にも注意がいる。 特にチビ谷からの一発は本流までデブリを押し 出すので非常に危険である。それさえ注意すれ ば後はなんの心配もなく新穂高まで足まかせに 87 1996 年( 平成 8 年) 冬 下れば良い。 [タイム タイム]] 肩の小屋 肩の小屋(6:20) (6:20) 槍平小屋 槍平小屋(7:50) (7:50) 滝谷避難小屋(( 8 : 2 5 ) 白出小屋 滝谷避難小屋 白出小屋(( 9 : 1 0 ) 新穂高温泉(( 1 0 : 3 5 ) 新穂高温泉 このまま終われば良かったのだが、新穂高で バスにザックを預け、荷物の持ち主はバスに置 き去りにされるという事件が発生した。事件の 主役は我等が会長、迷クライマー修ちゃんで 主役は我等が会長、 迷クライマー修ちゃんで あった。 意味ではない。このルートには退路(( エスケー 意味ではない。このルートには退路 プ・ルート ルート)) がなく、 がなく、前進するしか道はないの 前進するしか道はないの である。独標までのアクシデントはもと来た道 を引き返すようになっていたが、状況の悪く を引き返すようになっていたが、 状況の悪く なった中ではP2からでも引き返すことは相当 な困難と考えるに容易であった。食糧は7日分 用意した。ただし、 用意した。 ただし、停滞日は食糧と燃料の消費 停滞日は食糧と燃料の消費 を抑えるため1日2食しか取らないつもりで あった。燃料は一人1日 燃料は一人1日0.5 0.5缶で計算し6日間、 缶で計算し6日間、 つまり9缶と予備1缶用意したが、やはり燃料 が少ないと心細いのでもう少し余裕があっても 良いのではないか。ピッケルは各自1本であっ たが、ダブル たが、 ダブル・ ・アックスならより安定した登り 方が出来たと思う。事実他のパーティはダブ 方が出来たと思う。 事実他のパーティはダブ ル・アックスが結構多かったようだ。 アックスが結構多かったようだ。カラビナ カラビナ はパーティで 10 枚(セルフ セルフ・ ・ビレイ用のものを 省く)) 有ればよい。 省く 有ればよい。シュリンゲは特大のものが シュリンゲは特大のものが 一本有れば重宝する。後は一人3本ほど有れば 良いと思う。ゼルプストはあればそれにこした ことはないが、軽量化のため岩田 ことはないが、 軽量化のため岩田・ ・堀の2名は テープで腰をくくっただけであった。ザイルは 9 mm45 mが1本で十分。確保器 確保器・ ・下降器は持っ ていかなかったので半マスト結び、及び肩がら みでおこなった。ザックの中身は極力軽量化し 素早く身軽に行動できるようにする。とにかく 体力・ 体力 ・気力がかんじんで、 気力がかんじんで、またルートファイン またルートファイン ディングのセンスも要求される。 まとめ このコースには技術的問題点より不確定要素 が大きなウエイトを占めると思われる。条件が 良ければ4日で十分に抜けきれても、天候が悪 化すれば即停滞である。風雪をおしてまで登攀 を強行できるほど甘い場所ではない。幸い4日 ともに好天に恵まれ、風は弱く、 ともに好天に恵まれ、 風は弱く、暖か 暖か(31 (31 日の 8:00 頃で-7℃ 頃で-7℃)) であった。 であった。順番待ちも意外な 順番待ちも意外な ほど大きな時間ロスとなる。事実我々の後に順 番待ちをしていたパーティは時間切れで槍の穂 先を越えられず、北鎌平で足止めされていた。 先を越えられず、 北鎌平で足止めされていた。 いかに他のパーティより先に出るかと言うこと を大阪駅を出発するときから意識していなけれ ばならない。日程は実働4日予備3日で計画を 立てていたが、それでも抜けられない場合は喰 いのばしを計ってでも更に2日間は頑張る覚悟 であった。これは危険を侵して盲進すると言う 88 1993年 山 行 日 数 1993年 例会 出 席日 数 13 岩田 2 大 前S 柴谷 村上 八木 10 木島 14 22 上原 14 木島 6 4 久壽 15 田 中S 39 18 大塚 11 13 12 12 田中S 横山 横山 大塚 6 大野 0 1 1 下川 4 飯田 27 木戸 玉川 5 長谷川 西岡 19 臼井 2 小林 9 別府 12 13 14 別府 28 東田 東田 25 橋詰 橋詰 29 27 西方 井上 18 18 18 西方 井上 7 大谷 23 中尾 10 中尾 8 内藤 10 臼井 4 大谷 1 1 長谷川 8 西岡 12 10 田中J 17 玉川 16 木戸 13 田 中J 3 4 2 4 内藤 3 3 蔵田 青木 18 堀 0 6 畠山 37 青木 14 4 永広 上原 蔵田 1 八木 16 大野 17 飯窪 4 久壽 14 村上 佐々木H 永広 小林 8 秋田 7 6 6 飯窪 佐々 木H 飯田 5 園部 15 15 下川 2 佐々木J 秋田 畠山 9 柴谷 大前A 0 園部 19 乾 3 4 佐々 木J 2 大前S 17 15 乾 大 前A 17 岩田 10 20 堀 30 40 1 0 5 10 15 20 25 1994年 山行日数 1994年 例会出席日数 15 岩田 11 乾 村上 28 村上 大塚 14 13 大野 東田 25 東田 中尾 43 堀 15 19 蔵田 22 蔵田 13 山林 20 山林 1 1 1 桜井N 5 南 20 南 山本 1 6 5 潟上 潟上 吉田 7 吉田 6 桜井K 4 3 2 1 林本 2 0 4 内藤 4 林本 20 19 17 井上 中尾 桜井K 16 西方 29 28 井上 6 巽 6 西方 12 14 臼井 24 臼井 18 木戸 31 木戸 山本 3 飯田 5 桜井N 14 15 12 横山 38 堀 9 田中 横山 大野 1 久壽 18 17 大塚 6 木島 7 田中 21 上原 45 上原 久壽 11 畠山 8 畠山 5 永広 17 永広 巽 2 八木 5 木島 10 飯窪 12 飯窪 18 17 秋田 52 秋田 内藤 1 大前 2 飯田 11 柴谷 26 八木 18 乾 柴谷 大前 13 岩田 曽根 10 20 30 40 50 60 2 0 5 10 15 20 25 1995年 例会出席日数 1995年 山行日数 乾 24 村上 飯窪 永広 12 44 0 1 田中 8 27 15 飯田 42 木戸 19 横山Y 27 西方 中尾 20 蔵田 14 蔵田 11 山林 14 7 1 南 30 潟上 14 潟上 2 吉田 11 林本 8 8 林本 1 4 植田 9 有川 有川 4 5 7 5 谷池 2 松岡 11 山口 7 山口 5 3 3 立山 10 0 19 堀 27 川辺 14 16 井上 43 中尾 堀 11 西方 23 井上 南 8 9 臼井 横山Y 山林 22 木戸 10 立山 13 14 大野 飯田 松岡 17 横山N 8 谷池 23 久壽 横山N 臼井 11 上原 4 大野 8 畠山 上原 田中 13 飯窪 11 畠山 18 村上 17 永広 21 秋田 44 秋田 植田 1 大前 2 吉田 10 柴谷 14 久壽 6 乾 柴谷 大前 23 岩田 6 6 岩田 10 川辺 20 30 40 50 3 0 5 10 15 20 25 1996年 山行日数 1996年 例会出席日数 20 岩田 4 2 乾 大前 34 横山N 大野 35 33 中尾 7 18 18 18 中尾 堀 51 蔵田 蔵田 山林 0 山林 潟上 4 3 2 1 潟上 2 3 3 2 3 吉田S 林本 有川 30 谷池 13 谷池 14 松岡 10 松岡 43 山口 14 山口 6 4 向井 10 67 17 石塚 10 立山 川辺 22 川辺 14 石塚 1 1 佐藤 11 4 岡本 2 1 1 0 2 西方 18 堀 吉田K 6 臼井 横山Y 西方 竹村 19 木戸 6 田中Su 11 飯田 14 岡本 8 大野 48 佐藤 12 横山N 木戸 臼井 9 田中Sa 28 飯田 24 上原 19 22 17 田中Sa 立山 6 畠山 58 向井 16 永広 8 上原 有川 14 11 飯窪 61 永広 林本 18 村上 11 飯窪 吉田S 0 秋田 17 村上 横山Y 3 乾 大前 秋田 畠山 23 岩田 2 2 1 田中Su 竹村 吉田K 10 20 30 40 50 60 4 70 0 5 10 15 20 25 表紙によせて 岳人の憧れの的、北鎌尾根とそのしんがりにそびえ立つ槍ヶ岳。 岳人の憧れの的、 北鎌尾根とそのしんがりにそびえ立つ槍ヶ岳。 秋の一日、紅葉に染まるこの雄姿を大天井岳からとらえた。 秋の一日、 紅葉に染まるこの雄姿を大天井岳からとらえた。そし そし て版画調に表現した。険しさの中にある柔らかさを感じ取っても て版画調に表現した。 険しさの中にある柔らかさを感じ取っても らえるだろうか。 編集後記 編集作業のためにパソコンと悪戦苦闘してはや二年。ようや 編集作業のためにパソコンと悪戦苦闘してはや二年。 ようや く第 14 号を完成することができた。 号を完成することができた。経費削減のため原稿のタイ 経費削減のため原稿のタイ プ打ちを愚痴も言わずに(?) プ打ちを愚痴も言わずに (?)行ってくれた蔵田、 行ってくれた蔵田、大野、 大野、田中の 田中の 三名には心よりお礼申し上げる。 今号の発行にあたっても元会員でセイコープロセス株式会社 の浅田高司氏にたいへんお世話になった。厚く感謝申し上げた の浅田高司氏にたいへんお世話になった。 厚く感謝申し上げた い。 ( 上原 上原)) 蛍雪 第 14 号 発行 1998 年( 平成 10 年) 11 月 発行者 関西蛍雪山岳会 会長 岩田 修一 編集人 上原 雅宣 畠山 悦司 蔵田 道代 大野 順子 田中 佐和子
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