日独交流を広げよう! - 一般社団法人 大阪日独協会

DER BOTE VON OSAKA
Berichte der Japanisch - Deutschen Gesellschaft Osaka e.v.
Foto: Bebenhausen
Nov
日独交流を広げよう!
2015
一般社団法人 大阪日独協会 機関誌
Adresse
〒541-0054 大阪市中央区南本町1丁目6番20号 三陽ビル6階
Sanyo Bldg. 6F 1-6-20 Minamihommachi Chuo, Osaka, JAPAN 541-0054
Tel / Fax
URL 06-6226-7051 http://www.jdg-osaka.com/
E-mail
Nr.72
[email protected]
Japanisch-Deutsche Gesellschaft Osaka e.V.
ご挨拶
総会報告
代表理事・会長 大社啓二
平成27年度の総会は、5月22日(金)18時30分から大阪
弥生会館で開催された。先ず、事務局から会員235名中、出
席39名、委任状提出128名であり、定款に定めた定足数を満
たしているので総会が成立することが報告された。会長が議
長に就任し、議事が進行した。
1.平成26年度の事業報告と決算報告承認の件
平成26年度は、706,155円の赤字決算であったこと
が報告された。その原因としては、特別会員(法人)からの
年会費減少、ドイツ語ゼミナールの参加者減が大きいと報告
された。松村幹事から経理が適正に処理され、職務の執行も
適正に行われているとの監査報告がなされた。特に質問もな
く、平成26年度の出席者に事業報告と決算報告書の採決を諮
ったところ、満場一致で承認された。
2.平成27年度の事業計画と予算案承認の件
今年度の事業計画と予算案について説明があった。間も
なく事務所移転があるので今年度の予算は77万円の赤字予算
である旨が説明された。特に質問もなく、出席者に平成27年
度の事業計画と予算案の採決を諮ったところ、満場一致で承
認された。
会員の皆様には、日頃より協会活動にご理解とご協力を頂
きありがとうございます。
当協会事務所は、7月1日より㈱コーユービジネス森内会
長様のご好意により、自社ビルである三陽ビルの一室をお借
りして活動を再開をいたしました。暑い中を引っ越しのお手
伝いを頂いた会員有志の皆様、お疲れ様でした。
大阪をこよなく愛され大阪を元気にしたいと切望さる森内
様には、大阪を拠点として日独交流の活動を続ける当協会の
趣旨にご理解を頂き快く事務所をお世話頂きました。この欄
を借りて心より感謝を申し上げます。
3.来年度以降の個人会員年会費値上げについて
会長から来年度以降の個人会員年会費を1,000円値上げした
いと会員に理解を求める発言があった。切り詰めた事務所運
営をしているが、諸般の事情から値上しなければ協会の運営
が難しい旨の説明があった。年会費の値上げは、総会決議事
項ではないが、会員に説明し、理解を求めた。
総会終了後、懇親会が開催された。総領事館からイエガー副
総領事とドイツのフランクフルト独日協会のDr. ホフマン氏
を来賓としてお迎えし、会員との懇談が持たれた。和やかな
うちに懇親会も終了した。(事務局・和田)
当協会の事務所は、会の運営のみならず会員同士の交流の
場としても活用されることから、森内様を始めとする皆さん
のご好意に支えられ、移転そして開所式を執り行えたことを
喜ばしく思います。堺筋本町5番出口すぐ、帝人ビルの隣で
すから、近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください。
10月13日(火)にフォン・ヴェアテルン駐日大使が来阪さ
れ、会員企業である日本ハム㈱様の会議室をお借りして当協
会主催の講演会を開催いたしました。
1990年10月3日のドイツ統一から現在のEUにおけるドイ
ツの立ち位置について質疑を交えてのご講演でした。東西ド
イツ統合は、一滴の血を流すことなく平和的に行われたこと
は、歴史的にみて稀有な例であり、そのプロセスを始めとし
て現在も取り組まれている東西の経済格差是正の取り組みや
難民を含めた移民を受け入れる現代ドイツの外交姿勢につい
てのお話を頂きました。
その内容から同じ敗戦国である日本が学ぶべきことやグロ
ーバルなボーダレス時代における基本的な認識を得ることが
出来たのではないでしょうか。
これを機に今後の当協会の日独交流活動においては、文化
的なものに限らず政治・経済をテーマとしての活動・交流の
場も設けられればと考えます。
会員の皆様には、今後も協会活動への忌憚のないご意見を
賜りますようお願い申し上げますと共に、協会運営にご理解
とご協力を宜しくお願いいたします。
イエガー副総領事のご挨拶
Dr. Hoffmann 氏のご挨拶
Japanisch-Deutsche Gesellschaft Osaka e.V.
大使講演会
ビアアーベンド
10月13日(火)18時より、当協会特別会員である日本ハム
株式会社のご協力を得、同社の本社会議室にて、フォン・ヴ
ェアテルン駐日ドイツ大使の講演会を開催させていただきま
した。
毎年夏に開かれるビアアーベント(ビールパーティ)は、
今年も7月17日の金曜日にアサヒスーパードライ梅田で開催
されました。
当日は定員40名を越すお申し込みをいただき、大盛況でし
た。ご講演いただいたテーマは「ドイツ再統一から25年-ド
イツと欧州の立ち位置とは」。
今日のドイツ情勢を含めたお話で大変興味深く、講演後も
参加者の方からの質問を多くいただき、盛会のうちに終了い
たしました。
運悪く今年は台風直撃か?という空模様で何人かの方から
「開催するのですか?」という問い合わせや交通が大丈夫だ
ろうかというご心配をおかけしましたが、予定通りの開催で
した。
雨の中をご参加いただいたみなさまに感謝します。
去年、今年と比較的参加者が少なく50名余りの参加者とな
りましたが、こぢんまりとしたアットホームな雰囲気だった
と存じます。
いつもアコーディオンの演奏で座を盛り上げて下さる平野
氏が今回は病気療養中のため演奏いただけなかったのは残念
でしたが、BGでドイツ民謡を流していただきましたので、ド
イツのビアホールの雰囲気が出たかと思います。
ドイツ総領事館からは、領事アタッシュのドイブラーさん
を来賓としてお招きしました。
アルコールを召し上がらない方なのですが、それでも出席
者のみなさんと親しく会話され、集まりを楽しんでいただき
ました。
大使は講演前、兵庫県西宮市の関西学院大学で講演され、
その後、お忙しいスケジュールをぬって当協会神余副会長と
共に大阪を観光されました。
また、講演後は、当協会理事との懇親会にご参加いただ
き、その日のうちに、東京にお戻りになられました。ご多忙
の中、遠方からお越しいただき、ありがとうございました。
(記・角谷)
会長の会社・日本ハム㈱からは、大きな骨付きハム1本と
ソーセージ類をご提供いただきましたので他のビールパー
ティでは味わえない美味しいハムを堪能することができまし
た。
平日の会合は、仕事の都合上、参加しにくい方もいらっし
ゃるかもしれませんが、できるだけ都合をつけていただき、
次回の会合にご参加頂きますようお願い申し上げます。
次回は、12月8日のクリスマス会です。お楽しみ抽選会も
あって楽しいですよ。
ぜひご参加ください。
(事務局・和田)
Japanisch-Deutsche Gesellschaft Osaka e.V.
第5回 夏のコンサート
ドイツのタクシードライバー
~フルートの名手たちを迎えて~
安保裕見子
今年の夏もとても暑く、そんな季節の余韻がまだ見え隠れ
していた8月20日(木)、ドイツからひと時、爽やかな風
が、大阪は天満橋にあるキャッスルホテルに吹き込んで来て
くれました。
その名も、ユディット・シュパーマン(16)、スザンナ・
ドウスラー(18)、レアンドラ・レーマン(15)、アニ
カ・ブラント(16)。彼女達4人は、今回同行された福井茂
子氏にそれぞれ8歳から師事し、一人一人がフルートにおい
て既に輝かしい経歴の持ち主であるのに、その夜は、何と贅
沢にもカルテットでの演奏を披露してくれました。
その素晴らしさたるや、約60人の聴衆は、プログラムが進
むごとに彼女達が繰り広げる世界にぐいぐいと引き込まれ、
気がつけば、あっという間に400年の時を駆け抜けていまし
た。
つまりそれは、17世紀のバロックから始まり、18世紀の
クラシック、19世紀のオペラを経て、最後は現代の「ジブ
リの世界」に至る、まさに時空を越えた音楽の旅で、途中で
は、雅楽を連想させるピッコロ演奏や、思い切り吹いても音
を出さない“演奏“など、実にバラエティー豊かな時代構成と
なっていて、夏の夜を彩るに相応しい華やかでチャーミング
な曲目の数々でした。
妻谷裕二
昔、スポーツカー、今やディーゼル
難しいことはわからないけれど・・・。
「あいつ、もっぱら寝起きがいいんだ!」「昔のディーゼル
と違って、今はすぐにエンジンが掛かるんだ」「寒い朝でも
息つきもしないで、どんどん走り出すから、朝は楽になった
んだよ」「特に、街中の運転が非常に楽なんだ!」「また、地
球に優しい環境適合性に貢献しているんだ!」「なんたって、
クリーン・ディーゼルだからね」「エンジンは低速で底力(ト
ルク)があるから、坂道も楽に登ってくれる・・・」。
「毎日、文句を言わずに働いているよ!」「まるで手が掛
からないんだ・・・」。「スタンドへ行く回数も、めっぽう
少なくなったしね・・・」そんなことをなんとなく人に話しをし
ているうちに、『おまえも、なかなか堅くやっているな!』・
・・なんて仲間に言われるようになりました。
「うちの会社のイメージ付けにもひと役かっているよ」 「昔あこがれたスポーツカーね・・・」 「今は何だか小さ
く見えるね~」 「不思議だね~!」「やっぱり、ディーゼ
ルのくるまに乗ってみなければ解らないよな~!」
[ディーゼル党より]
1936年世界初のディ-ゼル乗用車;メルセデス・ベンツ260D
4気筒、2.6l、45HP
プロの目で選んだメルセデス・ディーゼル
ドイツのタクシーにディーゼルが多いのは、燃費がよく維
持費が少なくて済み経済的で耐久性がよく長持ちするからで
す。
また、コンサートに続いては、ドイツ総領事館のフローリ
アン・イエーガー副総領事による乾杯のご発声のもと、懇親
会も開かれました。
凛としたステージ衣装から着替えた彼女達は、一転して1
0代の少女の顔になり、少しリラックスして日本の食事を楽
しんでおられる様にも見受けられましたが、この後も、神戸
・金沢・群馬・東京での演奏旅行が続くとのことでした。
この会報が発行される頃には、全ての日程を終え無事ドイ
ツに帰られていることでしょうが、フルートのみならず、お
箸をも巧みに操る彼女達は、きっとまた日本へ来てくれるだ
ろうと、その日、大きな期待と確信を抱いたのは、私だけで
はないと思います。
最後になりましたが、かくも素敵なコンサートを企画・運
営してくださった大社啓二会長、和田展子常務理事を始め、
全ての関係者のみなさまに、この場をお借りして改めてお礼
を申し上げます。ありがとうございました。
歴史的にみても、ディーゼルエンジンの起源は1892年、
ドイツ人のルドルフ・ディーゼルによって圧縮着火式エンジ
ンが発明され、ドイツ特許67207号を取得してからです。
1923年、ベンツ社が史上初のディーゼルトラックの開発に
成功。そして1936年2月のベルリンオートショーで、当時の
ダイムラー・ベンツ社(1926年にダイムラー社とベンツ社
が合併)は「世界初のディーゼル乗用車260D」を発表しま
した(4気筒、2.6ℓ、45HP/3.200rpm)。
この260Dは主にタクシーに使用されましたが、その他に自
家用の4ドアセダンも造られました。以来、休みなく今日も
クリーン・ディーゼル乗用車を生産している老舗です。
ちなみに、ドイツのメルセデス・ベンツのディーゼル比率
は約50%です。
よく海外から帰えられた方から、「ドイツに行ったらタク
シーは皆、ベンツのディーゼルだぜ!」と言われます。最近
解った事ですが、いわゆる彼等は一流のプロです。車に「生
Japanisch-Deutsche Gesellschaft Osaka e.V.
活と命」が掛かっているわけです。それならば、当然のこと
ながら、「良く走り、良く曲がり、良く止まる、そして安全
な車そしておまけに誰が見ても良い車」。これを当然選ぶと
思います。いわばプロの厳しい目で選んだ[ほんまもの]で
す。
1936年世界初のディ-ゼル乗用車;メルセデス・ベンツ260D リアには荷物台付
メルセデス・ベンツは1960年から安全なボディカラーを
視認度順に並べたカラーチャートで知覚安全性の啓蒙活動を
していました。ドイツ国内のタクシーの色をそれまでの黒か
らカラーチャート上位のライトアイボリーに変える「法律制
度」のきっかけを作りました(1970年施行)。
何故なら、明るい色の方が特に夕暮れ・夜間・霧の中では
暗い色よりも2倍~8倍位の距離から視認され安全色である事
が解っています。
2014年9月18日
シーボルトの墓
和田 展子
フィリップ・フランツ・バルタ
ザール・フォン・シーボルト(
PhilippFranz Balthasar von Siebold)
は、1796年2月17日にヴュルツブル
クで生まれました。シーボルト家は、
ドイツ医学界の名門で、父親も若くし
て亡くなっていますが、ヴュルツブル
ク大学の内科学、生理学の教授でし
た。1815年にヴュルツブルク大学に
入学し、医学、動物学、植物学、地理
などを学び卒業して国家試験に合格
してハイディングスフェルトという町
で開業したようですが、名門の貴族出身の誇りと自尊心が強
く、町医者で終わることで満足しなかったようです。
東洋研究を志してオランダへ行き、1823年に長崎・出島
のオランダ商館医となりました。1824年に出島の外に鳴滝
塾を開設し、西洋医学教育を行ったことはよく知られており
ます。1828年に帰国するときに船の難破によって積荷の多
くが流出してその中に幕府禁制の日本地図があったことから
シーボルトは国外追放処分となり、1830年にオランダへ帰
着。シーボルトは、1866年10月18日にミュンヘンで亡くな
り、墓地はミュンヘン市内の割と中心部にあるThalkirchner
Straße のAlter Südlicher Friedhof の33区画にあります。
この墓地には多くの著名人が眠っているようでした。来年は
シーボルト没後150年になります。興味のある方は、ミュン
ヘンへ行かれた際に訪れてみてはいかがでしょうか。
写真=Mercedes Benz Museum
Japanisch-Deutsche Gesellschaft Osaka e.V.
企業訪問
有限会社カーメイクアートプロ
今回は、ドイツ車を中心に、車のガラスコーティング、レザ
ーシート張り替え、カーフィルムなどを専門に取り扱ってお
られる「有限会社カーメイクアートプロ」さんにお伺いしま
した。
同社の所在地は堺市美原区。阪和自動車道美原ジャンクショ
ンの近く、阪和自動車道の側道沿いにあり、大阪・吹田方面
からは美原北インターチェンジ、奈良・大和高田方面からは
美原インターチェンジ、和歌山・堺方面からは美原南インタ
ーチェンジから、おりてすぐのところにあります。
これら3つを常に考えることでお客様に最高のサービスを提
供することが出来るとおっしゃいます。
1. コーティング、レザー、フィルム 各部門の職人が魂を込
めて車を仕上げる「職人の力」
2. こと細かな下準備、光る職人の技術、綿密な最終仕上げ
で納得の一台を届ける「最高の技術」
3. 世界で常に進化する技術を取り入れ、お客様に最高の一
台をご提供する「日々の進化」
取材では、会社設立から現在、そして今後の展望について、
丸山社長にお話をうかがいしました。
ドイツとの出会い
同社設立のきっかけは、丸山社長が高校生であった時代に遡
ります。
さて、人気の内装、特に皮の張替えサービスですが、当初
はアメリカ産の革の取り扱いが主であったそうですが、より
よいものを採用していこうと世界のメーカーを幅広く調査す
るうちに、ドイツ製品と出会われます。
当時、ガソリンスタンドでアルバイトをされていた同氏は、
洗車でのその徹底した、丁寧な仕上げぶり等が人気を呼び、
お客様からも多大な信頼を得ます。
また、ヤナセとの提携による、メルセデスベンツの新車の
張替えをされるなど、同社はドイツとの関係を徐々に持たれ
るようになります。
きっかけはクルマ好き
高校卒業後は家業の電気工事をお仕事にされていた時期もあ
りましたが、引き続き取り組まれていたカーメンテナンスの
仕事に多くのお客様が集まり、次第に、大好きであったクル
マの仕事に専念されるようになりました。
同社の創業は平成5年の8月。堺市のご自宅近くにあるガレ
ージ1台分にて、個人事業としてスタートされました。
クルマ好きが高じ、同じくクルマ好きなお客様に満足してい
ただきたいという一心ではじめられた各種サービスは、その
決め細やかな仕事が人気で、車体のコーティングを中心に、
どんどんとお客様が増え始めました。
また、内装、特に皮の張替えも人気サービスの1つだった
ようです。さらに多くのお客様への満足をと、事業を拡大さ
れ、創業から2年後の平成7年に法人化されます。
常に最高の仕上げを目指す取り組み
今回、取材時に訪れた同社では、その設備が常に清潔に保た
れ、また従業員の方のてきぱきとした仕事ぶりを拝見する中
でも、最高の仕上げを全社一丸となって目指そうとする社風
を感じずにはいられませんでした。
その中で様々なこだわりをもたれている同社ですが、社長は
ドイツHANS REIKE社とのパートナーシップ
ドイツとの関係をより強力なものへとされていかれている
同社では、メルセデスをはじめとした欧州高級車メーカーへ
皮革素材の卸販売を行っているドイツ「HANS REINKE」社と
のパートナーシップにより、通常では手に入らないメルセデ
スナッパやデジーノナッパレザーを取り扱われるようになり
ました。
高級車といわれるクルマでも合成皮革の混合タイプが採
用されることの多いレザーインテリア。その中でこのパ
ートナーシップにより取り扱いをスタートした「ULGO LEATHER」は、本物にこだわりヨーロッパ製の本皮を常に採
用することで、ハンドメイドで1台1台期待以上の繊細な仕
上がりを実現できるとの事です。
お客様のフィーリングや仕上がりイメージをもとにハイコ
ーディネーションできるのは、常にあらゆる車種のインテリ
アに目を配り、デザインときめ細やかさにこだわった様々な
施工経験があるからではないでしょうか。
また、BMW、ポルシェなどメーカーで純正採用している
専用レザー素材も各種対応されているので、ドイツ車がお
好きな方には、ぜひ一度は訪れていただければと思います。
Japanisch-Deutsche Gesellschaft Osaka e.V.
リーマンショックを乗り越えて
オーダーメイド層が増えて、お客様も順調に増えていた同
社ですが、その道のりは必ずしも順風満帆という事ではなか
ったようです。
2008年のアメリカリーマン・ブラザーズ破綻に端を発した
リーマンショックでは、同社もその煽りを受け、新車の販売
が落ちたようです。ただ、そのような時期でも、創業時から
変わらぬ「丁寧な仕事」には一切抜かりなく、困難な時期を
経て、お客様との信頼関係もより強固なものになったようで
す。
ドイツとの交流をさらに
高品質な商品を求めて辿り着いたドイツ。初めて訪れた
時は、町の中でも空気がきれいなことに驚かれたそうで
す。また、ドイツ全土をネットワークするアウトバーンの
高機能規格にも感動。
白ビールも大好きで、ドイツに行く時はかならず飲む事
にしています、と社長。
機会をみつけて、また近々ドイツに行かれるそうです。
また、今後も、大阪日独協会でのつながりを含め、ドイツ
との関係を深めていきたいとおっしゃっていました。
Japanisch-Deutsche Gesellschaft Osaka e.V.
ドイツ滞在記
岡田 修
今年9月、夏のバカンスシーズンの喧噪を避けて私ども夫
婦は三週間のドイツ、フランスの旅を楽しんでまいりまし
た。ケルンに住む娘ファミリーのアパートを足場にして、
ドイツの旅の目的はグリム兄弟で有名なメルヘン街道の街
Kasselカッセル及び大学の街 Marburg マールブルクを訪問
することです。
メルヘン街道の
旅での交通機関は、
DBの利用だと乗り
換えが必要で時間を
要することになるた
め、娘婿殿が一泊の
予定で車で同行して
くれることになりま
した。
らの遺物が街のあちらこちらに残されています。中央駅の前
の Himmelsstuermer (男性が空に向かって歩いている像)
はその中の一つでとても有名です。
ドイツ人の婿殿が詳細まで丁寧に通訳してくれたおかげ
で、私たちも何だかカッセル通になったような気がしてまい
りました。
そしてこの旅のも
う一つの目的は、昨
年3月にベルリン独日協会主催マンガコンクールで優勝し、
縁あって我が家でホームステイを引き受けた、カッセル出身
のバイヤーさんと言う学生に再会することです。
当日は生憎の雨模様でしたが、約束の時間に中央駅の前で
彼女は待っていてくれていました。一年半ぶりの再会です
が、以前よりさらにチャーミングになっていました。彼女一
人だと思っていましたが、何とご両親、叔父さん、恋人の歓
迎を受け驚きました。
街の観光の前にまずは腹ごしらえと言うことになり、行き
つけのレストランでビールと水でプロースト、ドイツ料理は
今一詳しくないので我々は無難なシュニッツェルを選ぶこと
にしました。
お父さんは英語が
堪能なとてもユー
モアのある方で、
娘の彼氏はまだ恋
人としては認めて
いなく、あくまで
ボーフレンドだと
言い、皆を笑わし
てくれました。
食後、彼女の叔父
さん、自称カッセ
ルの街の郷土史家
が滑舌よろしくカ
ッセルの歴史を説明、いっぱい見どころへ案内してくれまし
た。
市庁舎前広場、 美しいOrangerie オランジェリー城など市
民の憩いの場がいたるところにありました。
グリム兄弟はこの地で30年間暮らし、古老から古い伝説
や童話を聞き取って、シンデレラとか白雪姫などの作品を発
表し、また近くの名門ゲッチンゲン大学で教鞭を取っていた
こともあるそうです。
またカッセルの街は先の大戦で町の90%を破壊されまし
たが、幸い歴史ある建造物は殆ど破壊から免れたそうです。
ここで特筆すべきは、Documenta ドキュメンタと呼ばれる
国際的なモダーンアートの展示会が5年毎に開催され、これ
そして彼は現在出版社に勤務し、マンガ、アニメの部署で
「ベイブルース」などの日本のマンガを担当しておりますの
で、何だかバイヤーさんとは以前から縁があったのかなと言
う気がしてきました。
カッセルの街は他にも見所が多く、とても半日では回りき
れません。お互いお土産を交換し合って、いつかまたの再会
を約束してお別れいたしました。
当日は予約していたペンション風の宿で一泊、翌日マール
ブルクへと車を進めました。
マールブルクは私にとって思い入れのある街です。と言う
のは若かれし頃此の地でホームステイしながら語学留学をす
る夢がありましたが、勤め人の悲しさ、計画は断念せざるを
得ませんでした。
予想通り歴史の重みのある大学街で、婿殿のお兄さんが
この大学出身であるため彼も遊びに来たことがあるそうで、
市庁舎、城、エリーザベト教会、大学博物館などへ案内して
くれました。レストランで名物のマッシュルームの入ったパ
スタとビールでのランチを取り、名残りを惜しみながらこの
地を離れました。
ここで皆様にケルンでの私たちの日常生活を少し紹介し
たいと思います。
娘のアパートはケ
ルン中央駅からU
バーン、と言って
も殆ど地上を走る
路面電車ですが、
に乗り、東方向に
ライン川を越えて
20分ぐらいのと
ころにあり、緑が
多いとても便利な
住宅地です。
私たちは毎早朝
付近を散歩をして、途中で馴染のパン屋さんで甘いデーニュ
シュとかドイツパンを買い、また時々スーパーで買い物をし
ます。日本と違い野菜とか果物、肉など日常食料品は品数が
多くてとても安く、生活はし易いと言う印象を持ちます。
夕食は娘が私たちのためにご飯系、麺系の食事を良く作
Japanisch-Deutsche Gesellschaft Osaka e.V.
ってくれます。昨今はケル
ンにもアジアの店が増え、
例えばトルコ米などは安く
てとても美味しく、日本の
ご飯と比べても遜色はあり
ません。ケルンビールとソ
ーセージの組み合せは美味
しいのですが、やはり日本
人でしょうか、ご飯、麺類
が恋しくなります。
三歳になる孫娘は近く
の幼稚園に通っており、朝
は婿殿、昼からの帰りのお
迎えは娘と、世話の分担を
しています。共稼ぎの多い
ドイツならではの便利な制
度です。先日も見送りに幼稚
園まで同行し、写真を撮らせてもらいましたが、テーブルに
パンとかジャムなどの食べ物が置いてあり、いつでも自由に
食べられるそうです。
私たちは暇な時は、Uバーン、Sバーンに乗り隣町まで出
かけて探索します。ご存じかも知れませんが、ドイツとかフ
ランスの中規模以上の街の都市交通は電車、バスなどは共通
切符で、とても便利です。私たちは四人切符とか一日切符と
かお得なので良く使用します。
ケルンドーム周辺はスリとかの犯罪が多いのでなるべく近
ずかないようにしています。でも街の中央部はとても賑やか
で時々はここでショッピングを楽しんだりします。
ケルンは私たちにとって第二の故郷のような気がしてまい
りました。もし皆さまがケルンお越しになる機会があれば、
ご案内できるかなと自負しております。(笑)
孫娘は日独のハーフですので、どうしても将来的に言葉
のことが気にかかります。
婿殿とはドイツ語、娘とは日本語で会話しますので、頭の
中の言語中枢はいったいどういう構造になっているのか、疑
問です。
私がドイツ語で話しかけると、しかめ面をしますがとて
も可愛いです。
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Bericht von Christina Held
グリーンワルト財団・第 10 期研修生
クリスティーナ・ヘルトさんのレポート
Als zehnte Stipendiatin der Grünwald Stiftung habe
ich die Ehre diese aufregende dreimonatige Reise nach
Japan anzutreten und mich dort, von dem mir noch
fremden Land, bezaubern lassen. Kurz vor meiner Abreise
und während der letzten Wochen meines Studiums in
Betriebswirtschaftslehre an der Universität Fribourg
in der Schweiz, nutzte ich bereits jede Gelegenheit,
um mich auf die kulturellen Aspekte und Lebensweise
Japans vorzubereiten.
Nach Ankunft in Suita, meinem neuen Zuhause, einer
sympathischen und sehr gepflegten kleinen Wohnung,
in der keine Wünsche eines Stipendiaten offen bleiben,
wurden mir mit Hilfe von Herrn Okamoto und seiner Frau
die japanischen Sitten und kulinarische Spezialitäten nahe
gebracht sowie die öffentlichen Transportmöglichkeiten
und alles Notwendige erklärt, um mir den Anfang meines
dreimonatigen Aufenhaltes so leicht wie möglich zu
gestalten.
Hierbei hat sich wiedermal die besondere“
Omotenashi“,
der
japanische
Ausdruck
für
Gastfreundschaft, bewiesen, den Herr und Frau Okamoto
sorgen jederzeit dafür, dass es mir gut geht und dass
ich mich wie zu Hause fühle.
Stelle muss ich aber dazu sagen, dass sobald der sog.
Gaikokujin (外国人 was so viel heißt, wie der ‚‚Mensch
von draußen“) sich verlaufen hat, oder nach etwas
Bestimmten sucht, die Menschen im Land alles versuchen,
diesem so gut es geht auszuhelfen. Teilweise wird man
sogar, auch ohne große Kommunikation, direkt oder bis
etwa zur nächsten Strasse an sein Ziel begleitet. Diese
Hilfsbereitschaft und Aufmerksamkeit durfte ich in den
ersten Wochen meines Aufenhaltes oft erleben und ich
freue mich bereits sehr auf die weiteren Momente, die
noch auf mich warten werden.
Auf der einen Seite bin ich sehr glücklich, dass ich
noch sieben Wochen in dem Land der aufgehenden
Sonne bleiben werde und auf der anderen Seite bin ich
traurig, da wenn man Augenblicke geniesst, merkt man
gar nicht wie schnell die Zeit vergeht.
Die ersten Wochen meines Aufenhaltes waren
gefüllt von diversen Terminen und gesellschaftlichen
Anlässen, welche mir den Start in Japan äusserst
interessant machten und mir ermöglichten, viele neue
Bekanntschaften zu machen. Dabei waren besonders,
Eins ist mir jedoch bewusst: Nach Japan werde ich
noch öfters in meinem Leben reisen!
今回、グリーンワルト財団の第10期研修生として日本へ行
き、刺激的な3ヶ月を過ごし、私にとって未知な国の魅力を
知るという栄誉を得ました。出発直前、及びスイスのフライ
ブルク大学で経営学を学ぶ最終日程の間にあらゆる機会をと
らえて日本の文化的観点や生活の仕方について準備をしまし
た。
das Kennenlernen des deutschen Generalkonsuls von
Osaka, des Rotary und Rotaract Clubs von Suita sowie
der Japanisch-Deutschen Gesellschaft Osaka und Kobe.
Innerhalb der ersten vier Wochen habe ich mich auf
Entdeckungstour der Kansai-Umgebung gemacht. Nach
meinen Ausflügen nach Kyoto, Nara, Kobe und natürlich
Osaka konnte ich mir bereits ein gutes Bild von Japan
machen.
Besonders beeindruckt war ich von Kyoto, da ich vor
allem die Fülle der eindrucksvollen Tempel und Schreine,
denen man an fast jeder Ecke begegnet, erstaunlich
finde. In der Innenstadt Kyotos, die gefüllt von kleinen
und wunderschönen Gassen mit vielen Läden und
typischen Restaurants im japanischen Stil sind, kann es
schnell vorkommen, dass man sich verläuft. An dieser
10
小さいながらも快適で研修生の願いが叶えられる設備の整
った私の新しい住まいである吹田に到着した後に、私の3ヶ
月間の滞在ができるだけスムーズに行くようにと岡本氏ご夫
妻から日本の習慣、名物料理、並びに公共交通機関での移動
や必要不可欠な事柄について説明を受けました。
これも客人を歓迎する日本語の「おもてなし」の表われ
で、岡本氏ご夫妻は、私が快適に過ごせるよう、そして我が
家にいるかのごとく感じられるよう常に気を配られていま
す。
私の滞在の初期は、様々な日程と友好的な機会で満たさ
れ、これによって日本でのスタートが大変興味深くなり、多
くの新しい人と知り合うことができました。特記すべきは、
ドイツ総領事、吹田のロータリークラブ、吹田ロータリー青
年部、大阪と神戸の日独協会と出会いでした。
最初の4週間は、関西周辺発見の旅をしました。京都、奈
Japanisch-Deutsche Gesellschaft Osaka e.V.
良、神戸、そしてもちろん大阪を訪問したことで日本のすば
らしさを知ることができました。
特に感銘を受けたのは京都で、印象的な寺や神社がどこに
でもあるという豊富さにびっくりしました。京都の街中は、
細くて美しい路地がたくさんあり、そこには典型的な和風の
店やレストランが多く存在するのですが、道に迷い易いで
す。この場合、いわば外国人(他所の国の人という意味)が
道に迷ったり、何か特定の物を探したりしているとこの国の
人ができるだけ助けようとすることを申しておきます。場合
によっては、たいしたコミュニケーションなしでも直接、あ
るいは目的地の近くまで同行してくれることもあります。こ
の親切さと気配りは、最初の滞在期間で私も多く体験し、こ
れから起こることを楽しみにしております。
一方では日の昇る国にまだ7週間滞在できることを喜んでい
ますが、他方では楽しんでいると時間は知らずにすぐ過ぎて
しまうのを悲しんでいます。
ひとつだけ確かなことは:今後も度々日本を訪れるという
ことです。
Mein Papiertheater in Hanau
(ハーナウにおける私の紙芝居)
内山 策郎
演目は二点で、
「こぶとりじい
さん(der
alte
Mann mit der
grossen Beule)
と「浦島太郎(
Fischermann,
T
a
r
o
Urashima)」。
ドイツ語を含める
と準備にかなり手
間暇かかりまし
た。鶏の鳴き声は
「Kikeriki」と知
っていましたが、
他の擬音語はネッ
トで調べました。
学 校 は 、
Die
Wernervon-SiemensSchuleで、校長は
Frau Sabine Scholz-Buchanan。3年生と5年生それぞれ約
20名の生徒の前で演じましたが、興味深く傾聴してくれまし
た。
朗読するだけでなく、即興的に民謡、童謡を挿入しまし
た。演じた後、質問の嵐で、例えば「何故いじわる爺さんは
瘤を二つもらうのか?」童話には勧善懲悪の話が多いと答え
ようかと迷っているとGerda先生が「意地悪をしているとそ
ういう報いを受ける」と一刀両断答えました。
又「浦島太郎は玉手箱を開けなかったらどうなったか?」
という難しい質問もあり、浦島太郎がいっぺんに300年も年
をとった話につられたのか、私に「あなたは何歳ですか?」
と聞いたので350歳と答えておきましたが、黙っていたから
ひょっとしてそう思ったのかな。
地元の新聞に記事が掲載されたので添付します。
いつかまた機会があれば、グリム童話の本場Hanau又はメ
ルヘン街道の大道でグリムの「赤ずきんちゃん」や「シンデ
レラ」などを演じてみたらユーロの投げ銭を期待できるかと
新たな夢を描いています。
小学校でお別れの際、持参した紙芝居のセットを校長先生
に贈呈しました。
今年もドイツ病(Deutschweh?)を患い。9月9日から4週
間、ドイツの旧知を訪ねる旅に出ました。
そのひとつ、Hanau在住のBauske家に逗留。奥さんの
Gerdaは、約30年前にぶらりと日本へやってきて、私が彼女
の住むアパートと働き口をお世話することになりました。
谷町9丁目のレストランの故Helmut Kirchner氏がオーナー
のHamburgと大阪駅前第二ビル向かいのRolf Kutschmann氏
経営のAquarius
(現在堂島にあるLorelei)で働いていまし
た。
彼女は現在Hanauの小学校の先生をしていて、そこで紙芝
居を演ずるよう要請がありました。どうしてそうなったかは
長い話になるので省略します。
私自身は、この十数年間地元を中心に学校、自治会、老人
施設でボランティアとして2,000回以上の紙芝居を演じてき
ましたが、ドイツでは今回が2回目です。
紙芝居は、木製舞台、12~16枚の絵、拍子木の三点で成り
立っていますが、重いので今回はダンボール製の舞台にしま
した。
蛇足ですが、紙芝居は日本独特のものかと思っていまし
たが、Hanauのフィリップス城内にあるハーナウ博物館に
Papiertheaterが沢山展示されていました。紙の人形劇場で
既に1810年に成立していたとのことです。
日本は、その亜流かと思いましたが、大きな差がありま
す。ドイツのものは日本と違って大道芸ではなく、室内で家
族、親しいグループで楽しんだようで、演者は1人ではなく
複数とのこと。
また日本のように絵を動かすのではなく、人物や動物の切
り抜きを舞台の横から差し入れて演じたとありました。
ドイツは、マリオネットの伝統と関連性があり、日本は活
動弁士が紙芝居で生計を立てたという話もあり、発生の背景
が大きく違うようです。
ドイツではゲーテ、クライスト、シェイクスピアが演じら
れ、日本では丹下左膳、鞍馬天狗、黄金バットが主役でし
た。
どちらも昔日の面影はありませんが、日本ではまだ若干職
業人がおられ、趣味として活躍している方も結構大勢おられ
ます。
11
Japanisch-Deutsche Gesellschaft Osaka e.V.
新入会員紹介
・村上朋子・山本恵美・森隆城・北村隆
・竹内敦子・蚊野正子・隅谷操・圡屋純子
・筋原章博・河村晴美 (順不同・敬称略)
蚊野 正子
日独協会会員の
皆さま、はじめま
して。
私、今夏、大阪
日独協会に入会さ
せて頂きました蚊
野正子と申しま
す。25年間のド
イツ生活に終止
符を打ち、昨年
12月、本帰国致
しました。
私のドイツ生活は、最初の10年間をフランクフルト、残り
の15年間をハノーファーで過ごした、私の人生でとても貴重
な年月となりました。
日本からフランクフルトに移住しました頃は、お店は土曜
日の午後は閉店、本物の日本食(笑)が買えるお店が一件し
かない等々、現在のドイツとはかなり違った環境で、戸惑う
事もありましたが、結構順応性がある私は、そんなドイツ生
活にも直ぐに慣れ、知人の紹介でIWC(インターナショナ
ル・ウィメンズ・クラブ)に入会。諸外国の総領事夫人はじ
め、当時53か国にも及ぶ国々からの600余名の女性会員から
なるそのクラブで、とても大切な友人達に巡り会え、またこ
のクラブの活動を通し、多くを学ぶ事が出来ました事は、大
きな財産となりました。フランクフルトでの最後の一年は、
IWC創立以来最年少の副会長を務めさせて頂き、一年に一
度、慈善活動に従事する女性を世界中から公募し、決定、表
彰、寄付金授与と言う重任を授かり、非常に貴重な経験が出
来た様に思います。
北村 隆
はじめまして、この度入会さ
せていただきました北村 隆と
申します。入会のきっかけは会
員でいらっしゃる奥村恵美子さ
ん(大阪ハンブルク・映像によ
る文化交流--など日本文化のエ
ッセンスを映像化して発信され
ている)のお誘いで、私もドイ
ツと少しは関連が深い仕事をし
ておりますのでそれではとなったわけです。
では、何をやっているかというとドイツの工法を取り入
れたキッチン、ドイツ語では「アイン バウ キュッヘン」(
ドイツ語は話せませんので正確にはご容赦を:-)
日本ではシステムキッチンと言われるものを商品企画・製
作・そして現地セッティングの全てをこなしますので、立ち
位置的にはキッチンメーカーということになります。基本的
にはキッチンデザイン開発事務所がベース、そこから木工機
械を置いた自分の工房があるもので試作をやりだし、ネット
ワークの仲間たちと組んで初めから終わりまで一貫したこと
をやっております。しかし、所詮一人でやっておりますので
集合住宅など大きな仕事は出来ません。
このシステムキッチン(以下SK)の基本となるシステム家
具の工法は、戦後ドイツで住宅の復興とともに家具を大量・
合理的にいかに供給するかということで開発されたと聞い
ています。これを「システム32」と言います、32mmの
グリッドで穴を穿孔してそこに組立金具・ヒンジ・引出レー
ルなどを装着していくプレアッセンブリーノックダウン工法
です。ヨーロッパの住宅には日本の家のように大きな掃出し
窓的開口がない点と、狭い階段では大型ワードローブなどは
搬入出来ないのでパネル状態で運んで設置現場で組立てるた
め、この工法が考えられたようです。ホモゲンホルツと呼ば
れるボード素材やシステム金物・32木工機械などをベース
に発展してシステムキッチン・システム家具はドイツの輸出
産業の一つになっています。
音楽の指揮者からパーソナルマネージャーとしての仕事依頼
を受け、昨年12月の本帰国まで、バイロイト音楽祭はじめ、
音楽の世界での仕事を中心としたドイツ生活を送りました。
私の開発したキ
ッチンは環境エコ
ロジーがテーマで
す。システム32
をエコという観点
で取り入れて環境
負荷の少ない自然
素材ボード(土佐
ヒノキ材加工ボー
ド)を組合せたコ
ンセプトキッチン
「オーロラ」を実
現しました。中身
はドイツ工法、素
材と意匠は日本の
代表木であるヒノ
キデザイン、永くあっても飽きのこないシンプルな見栄えと
逆ノックダウンでリモデル出来るこのキッチンはほかにない
独自のキッチンです。
本年1月より、大阪の中小企業で社長秘書としてのお役目を
頂き、10カ月が過ぎました。四半世紀を過ごしたドイツ生
活から得た習慣や思考回路は、私の中でしっかり存在してお
り、帰国後10か月経過した今でも、少なからずカルチャー
ショックを受け、現在放送中のNHK朝ドラのヒロインが言
う「びっくりぽんやわ!」の日々を過ごしておりますが、日
独協会会員の皆様方と私の大好きなドイツにつき分かち合え
るお時間をご一緒させて頂けましたら、とても嬉しく思いま
す。宜しくお願い致します。
書きだすと終わりませんのでもう一つドイツつながりを
・・・。私が通った高校は大阪市立工芸高校でバウハウスのカリ
キュラムを取り入れた工芸学校です。バウハウスは1919
年にワイマール工芸学校の校舎で始まりましたが大阪工芸高
校もそのあと1923年に開校しました。本館のデザインも
ワイマール工芸学校の雰囲気を取入れた建物で大阪市の有形
文化財になっています、本家バウハウスは、大ざっぱに言う
と建築をマスターするためにはあらゆる分野の美術と工芸を
学んだ上でなければならないという考え方です。私は高校で
ハノーファーに移りましてからは、フランクフルトでの生
活とは一変し、コンサルティングオフィスを設立。ハノーフ
ァー万博における日本インターナショナルデーの現地コーデ
ィネーターとしての業務を皮切りに、EUで開催される様々
なメッセでの日本企業の現地コーディネートや通訳、映画博
物館での黒澤明展のオーガナイズ、サッカーチーム、バイエ
ルン・ミュンヘンに関わる通訳等々、新たな分野の仕事に従
事。中でもバイエルン・ミュンヒェンの日本旅行随行は思い
出深く、皇帝ベッケンバウアー氏に同行した数々のミーティ
ングやゲーム観戦の経験が、ほとんど興味が無かった私のサ
ッカーに対する見方を変えたと言っても過言でないと思いま
す。そんな中、ひょんな事から知り合ったクラシック
12
Japanisch-Deutsche Gesellschaft Osaka e.V.
木材工芸科(現インテリアデザイン科)ですが、金属科(プ
ロダクト)・図案科(グラフィック)建築科・美術科が併設
されており、主体はインテリアですが他の分野のことも横目
で見ながら学んだことが社会に出て大いに役に立ちました。
まだまだ書きたいことは有りますが、書いてみると結構ド
イツと縁がありました、今後ともよろしくお願い申し上げま
す。
竹内敦子
この度は、大阪日独協
会の会員に入会させて
頂き、たいへんありが
とうございます。
縁あってドイツ語をこ
の春より受講しており
ます。第二外国語の選
択はフランス語でした
ので、まるっきりの初
心者からのスタートでした。
最初の場所は梅田のヨドバシビルの裏あたりで、新しい大
阪駅の中を通過するのも、楽しみの一つでした。老朽化した
ビルから一転して、夏頃からは堺筋本町のビルに教室は移転
しました。明るく、広く、冷たい水も何時でも飲めるとても
快適な環境になりました。
大阪で生まれ、大阪で育ち、大学は京都市立芸術大学の美
術学部に学んだので、早くから一人暮らしを始めました。今
は結婚して奈良に住んで30年になります。奈良はのんびりと
して、緑も多く住みやすいですが、どうしても凡々とした日
々になってしまいます。一週間に一度、都会に出て多いに刺
激を受けています。入門の先生をはじめ、受講生の皆さんと
も仲良く、勉強をさせていただいております。
始めはどこから手をつけていいかわからない状態も、今で
は何となくドイツ語の雰囲気がわかりつつある段階になった
のも、大阪日独協会のお陰です。8月の初めには、一週間程
ドイツ旅行をしてきました。
まだまだドイツ語もおぼつかないので迷っていたのです
が、旅行好きの夫が、行ったらモチベーションが上がるよ
と、強引に予約して、二人旅をしてきました。30年前にミュ
ンヘンだけは行ったことがありますが、20年ぶりの海外なの
でドキドキしました。
ブレーメン3泊、ベルリン2泊、ミュンヘン2泊のドイツず
くしの旅行でした。ホテルの朝食の、サーモンにキュウリ、
そしてホースラディッシュのサワークリーム添えにハマり、
帰国してからも探してきては食して思い出しています。
近代的な大きな駅、大戦後見事に復活した建築、モダンな
市電。いろいろと楽しい思い出が増えました。次回のドイツ
旅行は余裕で読んだり、話せたり出来ればgutです。
会員の皆様には、今までの貢献に感謝いたします。これか
らも末長くお付き合いください。以上、入会のあいさつにさ
せていただきます。
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Japanisch-Deutsche Gesellschaft Osaka e.V.
ドイツ語ゼミナー
受講生募集中!
定例会へお越し下さい!
JDG-Stammtisch in Umeda
当協会では定期的に交流の場として定例会を開催してい
ます。ドイツの方もいらっしゃいます。予約不要、会費不
要です。ぜひお気軽にご参加ください!
Die JDG veranstaltet regelmäßig einen Stammtisch,
大阪日独協会では、近々ドイツ旅行を計画
されている方、もしくはドイツ語をブラッ
zu dem Sie herzlich eingeladen sind. Die Teilnahme ist
ohne Anmeldung möglich und der Eintritt kostenlos.
Wir freuen uns auf Sie!
シュアップしたい方、または長期滞在で身
につけたドイツ語を忘れたくない方、又、
会場 Veranstaltungsort:
趣味として勉強したい等いろいろな要求に
アサヒスーパードライ梅田
お応えできる授業を行っています。
ASAHI Super Dry Umeda
初めての方から上級の方まで、少人数のク
ラスでアットホームな雰囲気の中、楽しく
ドイツ語を勉強しましよう。
日時 Termine:
1~4、6、9~11月の第1金曜18時30分~
Jan-Apr, Jun, Sep-Nov: erster Freitag im Monat,
まずはお気軽に事務局までお問い合わせく
ab 18:30 Uhr
ださい。
Willkommen beim DZGO Stammtisch!
ドイツミーツ
「ドイツミーツ」は、ドイツ料理を楽しみながら、ドイツ
の話題で盛り上がるイベントです。
毎月、本町にあるドイツレストラン「ガストハウス44」
で行っており、2015年10月で通算102回目を迎えまし
た。旅行がきっかけでドイツを好きになった方、ドイツを
もっと知りたい方、ドイツに住んでいた方、ドイツ関連の
お仕事をされている方など、多くの方に集まっていただい
ております。ぜひ世代を問わずお気軽にご参加ください。
自由集合・自由解散、個別精算、申込不要です。さらにド
イツ人の方はドリンク半額です。詳細はウェブサイトでご
確認ください。大阪から日独交流の輪を広げていきましょ
う。
(角谷)
An jedem ersten Donnerstag im Monat treffen sich
bei unserem Stammtisch Japaner und Deutsche in
einem Deutschen Resturant in, und tauschen sich
in geselliger Runde über die beiden Länder aus. Der
Stammtisch trägt den Namen “ドイツミーツ” (Doitsu meetz) und richtet sich an Japaner, die in
Deutschland gelebt haben oder sich einfach für
Deutschland interessieren, und an Deutsche, die in
Osaka und Umgebung leben. Bei diesen gemeinsamen
Treffen kann man…
… authentische
genießen
und
leckere
deutsche
Küche
… alte und neue Freunde und Bekannte treffen
… andere Deutsche oder Japaner die Deutsch
sprechen können (und wollen!) kennen lernen
… einfach ungezwungen eine gute Zeit haben
… und als Deutscher auch noch sparen: Deutsche
erhalten 50% Rabatt auf ihre Getränke!
Jeder ist herzlich eingeladen, an unserem Stammtisch
teilzunehmen. Die ersten Gäste erscheinen immer so
ab 19 Uhr, aber es steht jedem frei, von wann bis wann
man vorbeischaut. Die Teilnahme ist dabei komplett
kostenlos, und eine Voranmeldung ist nicht nötig.
http://www.dzgo.jp
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Japanisch-Deutsche Gesellschaft Osaka e.V.
特別会員
アサヒビール㈱
アサヒフードクリエイティブ㈱
㈱朝日新聞社
バイエル薬品㈱
㈱ベストプロジェクト
㈲カーメイクアートプロ
ドイツ銀行東京支店
ディーズゴー㈱
㈱栄光堂印刷所
不二製油㈱
グリーンワルト㈱
ヘレンベルガー・ホーフ㈱
㈱日本ヘルマンハープ
本田公認会計事務所
㈱ヒューモニー
関西テレビ放送㈱
マルホ㈱
丸一商店㈱
パナソニック㈱
日本ハム㈱
大阪サッカークラブ㈱
大阪ガス㈱
㈱ロイヤルホテル
積水ハウス梅田オペレーション㈱
住化コベストロウレタン㈱
上野製薬㈱
㈱ヴォイシング
ウェスティンホテル大阪
ヤンマー㈱
㈱読売新聞大阪本社
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Japanisch-Deutsche Gesellschaft Osaka e.V.
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ᤨ 㑆 ޽ࠅߞߚ ߌ
ᕁ ޿ ಴ߪ ᰼ߒ޿ߛߌ
࡛࡯ࡠ࠶ࡄ
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lufthansa.com
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