たこ焼、アロママッサージ、外遊びで交流。

東日本大震災被災地支援
ボランティアバス
2013 年 6 月
通信
NO.12 大阪いずみ市民生活協同組合 電話 072-232-3095(平日 9:30~16:30)
6 月 21 日(金)~6 月 24 日(月) 福島ボランティアバス
たこ焼、アロママッサージ、外遊びで交流。
6月 21 日(金)夜に堺東(生協本部前)を
出発し、翌日早朝に福島県に入りました。保養
プロジェクトが始まるまでの時間を活用して、
いわき市内の復興商店街(浜風)を訪問、津波
被害の最も大きかった薄磯海岸を視察しました。
午後から「リゾート・インぼなり」で34人
の参加者とたこ焼き、アロママッサージや夕食
などで交流を深めました。
23日(日)は、原発事故以来ことしの4月
まで入れなかった広野町、楢葉町、富岡町の被
災当時のままの町を視察しました。
「リゾート・インぼなり」玄関での集合写真
たこ焼、アロマなどを通して、いっぱい交流!
6月22日(土)、いわき市内の視察の後、猪苗代町にあ
る「リゾート・インぼなり」でたこ焼きを通して、福島の
人たちと交流しました。いずみ市民生協のボランティアバ
スが、この地を訪ねるのは今回で4回目。ボランティア参
加者 19 人のうち、はじめの参加者は 16 人。最初に福島県
連の佐藤専務理事から「福島原発の被害の現状」について
ミニ学習。その後、福島の子どもと保護者などご家族 34
人が参加し、たこ焼きづくりを楽しみました。
今回はスペイン人宣教師のフェルナンドさんもボランテ
ィアに加わり、たこ焼き交流は国際交流にもなりました。
たこ焼き交流の様子
前回から施設に常備された「たこ焼き器」の性能もよく、
スムーズにすすみ、用意したタコはすべて使い切りました。
子どもたちも遊びを満喫できたかな!
アロマ・
ハンドマッサージの様子
参加者のお母さんたちの癒しと交流になればと、今回は
アロマを使ったハンドマッサージを準備し、1 週間前にボラ
ンティアメンバー全員で練習しました。日頃、放射線を気
にしながらの子育てや生活を営んでいるお母さんにとって
は、思いがけないサプライズに感激されていました。ボラ
ンティアさんからも「福島の現状をお母さんたちとの交流
の中で、知ることができてよかった」という感想が述べら
れました。
お父さんと子どもたちは、お母さんがアロマの時間は外
フェルナンドさん(上左)
遊びを楽しみました。晴れと雨の変わりやすい天気でした 夕食交流会で大合唱(下)
が、たこ焼き交流のあと、雨が上がり、外でゲームやボー
ルなどで遊びました。普段は放射線量が心配で、外遊びを
させることができないけれど、ここでは力いっぱい遊びを
満喫していました。
夕食交流会では、ボランティアメンバーが準備したプレ
ゼントや手作りおもちゃ、折り紙がいっぱい集まり、ビン
ゴゲームで参加者に手渡しました。バルーンアートやマン
ト遊びも、普段、広い部屋で走り回れない子どもたちの黄
色い声が、館内に響き渡っていました。
感想
●参加者に作ってもらい、味わってもらう目的にはならなかったように
思います。小さな子どもさんを3人連れてこられて、お母さんは子ど
もが気になり、子どもが具を入れてくれるのに3回くらい焼き、やっと
乗ってきてくれたようです。
●初めての体験と言いながら、お父さんもお母さんもとても上手に焼
いてくれました。フーフー言いながら、アツアツのたこ焼きをたくさん
食べてくれました。
●アロマはとても喜んでもらえました。事前に聞いていなくて、サプライ
ズ感がよかったとおっしゃっていました。育児に疲れたママさんたち
に、リラックスしてもらうのは、とてもよかったと思います。
被災地視察
浜風商店街、広野町、楢葉町、富岡町など
6月22日(土)午前中、23日(日)を福島の被災地の人々と
の交流、視察の時間として設けました。
22日(土)は、いわき市にある久ノ浜第一小学校のグランドに
併設された「浜風商店街」を訪ねました。震災前までは、浜がわに
あった商店街ですが、津波により商店街が壊滅し、この地に10軒
の人々が仮設店舗を立てて、被災の現状を語りながらお店を運営さ
10 軒の商店主が津
波の被害で追わ
れ、小学校の一角
に移って、店を出さ
れています。
れていました。
福島の津波被害の映像を見る機会は少ないのですが、地元のみな
さんが撮影された写真やDVDが展示されており、当時の生々しい
姿がよみがえりました。
被災地の商店街や住民の方々にふれて
「浜風商店街」から 800mほどで薄磯海岸につきます。「ここは
福島県で最も津波
被害の大きかった
薄磯海岸。
広がる民家の敷地
跡と、瓦礫積み上
げられた学校のグラ
ンドだけが目にとまり
ます。
福島でもっとも津波被害の大きかったところだ」とボランティアガ
イドの金成さん。震災前は大海水浴場だった海岸も、いまでは誰一
人泳げない無人の海になってしまいました。偶然通りかかった近所
の住人の男性は、「基準より低い防波堤、震災で使えなかった警報
器」など観光ばかりに気を配って防災に目を向けなかった行政の責
任を嘆かれていました。
原発被害の実相を目の前に見て
23日(日)、4月以降住民の一時帰宅が認められた広野町、楢
葉町、富岡町を、地元で訴訟活動などを取り組む傍ら、ガイド活動
もされている3人のガイドさんにご案内いただきました。
広野町に入ると閑静な住宅街、広がる畑、のどかな農家など、
普通の街並みが広がっていました。しかし、ここには人影があ
りません。放射線探知機をかざすとバスの中でも、0.2 マイクロ
シーベルトと原発事故の影響を目で見て実感しました。
(見学中、
数値は一時 2.8 マイクロシーベルトまで上がりました)
楢葉町の宝鏡寺・住職さんは、福島原
発の新設を歓迎する 1968 年元旦の新聞
上:左)津波でその
「知事と東京・東北両電力社長の座談会」
時刻に止まった
ままの時計。
を見せながら、
「バラ色の未来を謳った当
上:右)戸や窓がな
時と現実の未来」の違いを切々と語りま
く、室内に飛び
した。
込んだ軽トラック
マスコミも報じない実態
下:左)瓦礫の町に
連なる東北電力
の看板
下:右)津波と地震
で崩れた冨岡駅
ガイドの一人、金井さんもこの地にマ
イホームを建てて数年。ローンも終わら
ないうちに原発事故と強制立ち退き。
「今
は、放射線量も高い街に、保証を打ち切
るために戻れという」。政府や東電の一方
的な指示に怒りを訴えました。
さらにショックな光景が、富岡町に入
ると目に飛び込んできました。目の前に
東北の海が広がり、その前に破壊された
ままの冨岡駅、駅周辺の街並みが広がっ
ていました。窓のない民家、飛び込んだ
自動車、あの日のままで止まった時計、
折れ曲がった建物と柱。この光景にみん
な唖然と、一瞬たたずんでいました。
たこ焼きボランティアで交流した福島
のみなさんの背景にある震災、原発事故、
現在のくらしを改めて顧みる視察となり
ました。
感想
●震災直後の被害がそのまま残っている姿に驚くと同時に、一見、住むのに困らなさそうな家
や建物に、戻れない現状を、どう理解したものかと思います。線量だけで戻れといわれると、
なおさらつらいです。新聞、テレビの報道だけではわからない面を、現地の人の話を聞いた
り、見たりして初めて気づくことがたくさんありました。
●原発に近くまで行き、私はすぐに空気が違うと体で感じました。荒れ地の空気をとても感じ、
自分が荒れ果てている家の中に吸い込まれるような感じを受け、みんな普通に歩いている
のに、何か助けを求められているように感じました。
●まず、参加して本当に良かったと思います。私自身知らなかったことが多いことに気づかさ
れました。佐藤さんのお話の中で、会津地方は沿岸部から避難者を受入れるということで、
地元の方と震災に対する思いが違うという、複雑な状況があることにショックを受けました。
私のできることは限られていますが、「忘れない」ということ、原発は絶対にいらないという思
いを新たにしました。
藤江
西影
川畑
井上
深見
めぐみさん
睦子さん
一江さん
勝さん
康弘さん
今回の参加者
井上日出美さん
吉川 敬子さん
中原 くみ子さん
岡本 圭子さん
永松 文世さん
飯盛 ふみ子さん
吉川 和喜さん
椋本 一博さん
フェルナンドさん
豆野 一彦さん
樫山 萬利子さん
村田 晴美さん
和佐野 ゆかりさん
武田 健司さん