告 アジア太平洋地域における HCI 分野の新しい 学会設立の動き

報告
報
告
アジア太平洋地域における HCI 分野の新しい
学会設立の動き
東北大学 北村 喜文/放送大学 黒須 正明
筑波大学 葛岡 英明/ SRA 中小路 久美代
東京大学 暦本 純一
2013 年上期の設立を目指して、アジア太平洋地区で
Human-Computer Interaction(HCI)分野の新しい学会を
作ろうという活動が進められている。これは、2011 年 3 月
以来、各国の代表者が会合を重ね、少しずつ構想を具体化
してきたものである。この内容について、2012 年 12 月時点
での状況を報告する。
1.これまでの経緯
ACM(Association for Computing Machinery)の SIGCHI
(Special Interest Group on Computer Human Interaction)
が、アジア太平洋地域の HCI 分野の研究活動を活性化す
る方策を話し合うためのワークショップを 2011 年 3 月 25
日~ 27 日に北京で企画し、この地域の各国から研究者を 2
~ 3 人ずつ招聘した。10 カ国から 26 人が集まり、SIGCHI
の EC(Executive Committee)6 名と一緒に会合を持った
(図 1)
。日本からは、過去の SIGCHI とのつながりから本報
告の共著 5 名が招聘され、黒須、暦本、北村の 3 名が参加
した。ここで主に話し合ったのは、各国の HCI 分野の学界、
産業界、教育などの現状に関する意見交換、今後のこの分
野の発展の可能性や問題点、地域の HCI のコミュニティが
これまでに果たしてきた役割は何か、SIGCHI のような組織
がこの地域に対してできることは何か、といった内容であっ
た。実は、SIGCHI EC がこのようなワークショップを企画
した背景には、SIGCHI のグローバル化の一環として、毎
年 4 月~ 5 月に米国または欧州で開催している SIGCHI の
メインコンファレンスを、4 年後の 2015 年に初めてアジア
で開催したいという思惑があった。それを具体化するため
と、この地域の研究活動をあらかじめ活性化しておこうと
いう目論見である。
この 3 日間のワークショップでの議論でいくつかの点が
あらためて明らかになり、各国の研究者間で共有された。
それは、たとえば、HCI の研究はアジア太平洋域内の各国
で急速に発展していると言えるが、研究者や研究機関の数、
産業の大きさなどが国によってかなり違いがあること、HCI
研究の幅や成熟度にも大きなばらつきがあることなどであ
る。そして、参加者達は次第に、この地域の HCI の研究者
が互いにリソースや経験を共有しながら協力しあうことは
できないだろうかと考えるようになった。そこで、2011 年
3 月に北京に集まった 26 名を中心として、
約 35 名が電子メー
ルなどでディスカッションを始め、また、上記の北京を含
めて、表 1 に示す計 6 回の顔を合わせての会合をこれまで
に持った。
表 1 これまでに行った会合(ワークショップ)
図 1 北京で開催された第 1 回のワークショップに参加したメンバー(中国 4 人、日本 3 人、韓国 3 人、インド 2 人、オーストラリア 2 人、
シンガポール 1 人、マレーシア 1 人、インドネシア 1 人、タイ 1 人、香港 1 人、台湾 1 人、SIGCHI EC 6 人)
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や原則をアジア太平洋地域の実情やニーズに適合して教育
するためのカリキュラム作成、などが議論されている。そ
して、このような活動を通して、分野横断型の協力の促進
や新しい研究分野の創出、そして途上国を含む域内のさま
ざまな人により良いユーザ体験を提供するための技術情報
の普及などを図りたいと話し合っている。さらに、新興工
業国が多いアジア太平洋地域では、HCI 技術に内在する匠
の技や職人魂といったものを伝承する手助けができれば、
工業力の底上げにつながり、
新製品や新規産業の創出にとっ
ても有意義であろうといったことも議論している。
なお、新学会の名称についてはさまざまな可能性が議論
されているが、現時点ではまだ決定していない。
2.新学会の設立と国際会議の主催
これまでの 6 回のワークショップでは、第1回の北京で
共有された問題点を踏まえて、HCI という分野ははたして
学術分野の 1 つとして社会から認知されているか、教育や
実務に携わる人を養成する方法は確立しているか、国内で
使用する言語と国際活動に用いる言語の違いは障害になっ
ているか、といった問題意識を持って議論した結果、次の
2 つのアクションを起こすことになった。
(1)
アジア太平洋地域内のリソースを共有した活動を促進
するために、新しい学会を域内に設立する。
(2)
新学会の主な活動の 1 つとして、メインとなる国際会議
を主催して早期に開催する
これらの 2 点について少し詳しく説明する。
2. 1 新学会の設立
アジア太平洋地域の国々の間の格差やさまざまなユニー
クな特徴を理解した上で、相互理解と協力を通して教育や
研究レベルの活性化と底上げを図るとともに、さらにこの
地域らしい新産業創出の流れを作り出すことによって、人々
の生活の質(QOL)を向上させたい。そのためには、これ
を理念とするような新しい学術団体(学会)を設立する必
要があるという結論に至った。そして、主に北米を基盤と
する ACM や IEEE、また主に欧州を基盤とする IFIP など
の既存の国際的な学術団体とは協力はするものの、独立性
を保った形でこの学会を設立・運営する必要があるだろう
ということになった。
新学会と会員の関係については、IFIP のように各国の
HCI 関係の学会が新学会に加盟して、個人は間接的に属す
形をとる Federation(連邦)型のモデルも議論されたが、
域内には、国内にまだ 1 つも HCI 関連の学会がない国か
ら、日本のように関連する学会が既に多数ある国まであり、
国間のバランスが悪くなることが予想されたので、現時点
では、個人会員を募るという方向で議論が進められている。
ただし、新学会が設立されたとしても、さまざまなサービ
スが開始され軌道に乗るまでは、会費徴収を伴うような会
員募集は少なくとも行われることはないと思われる。なお、
想定している会員は、コンピュータサイエンス、ユーザビ
リティ、ヒューマンファクタや人間工学、心理学、社会科学、
民族学、デザイン、といったさまざまな分野の背景を持つ
研究者、ソフトウエアやハードウエアの技術者、インタラ
クション設計者、グラフィックデザイナー、産業界やその
他で実務や教育に携わる人、ハードウエアやソフトウエア、
アプリケーションなどのプロバイダ、そして利用者など幅
広く考えられている。
新学会が行うサービスとしては、メインとなる国際会議
の主催に加え、HCI のある特定の分野を対象としたシン
ポジウムなどの主催、適切な Citation Index を持つジャー
ナルの発行、世界的な著名人を招いて域内各地で行う
Distinguished Lecturer のシリーズ開催や、教育を目的と
するような講習会やワークショプなどの企画、HCI の原理
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2. 2 国際会議の主催
新学会で行う活動のうち最も優先するものの 1 つとし
て、学会主催の国際会議を早期に開催することが決められ
た。そのため新たな国際会議を立ち上げることも検討され
たが、この分野にはすでに多くの国際会議があり、これ以
上増やすことは必ずしもこの分野の発展につながらないの
ではないかという意見が大勢を占めた。そこで、すでに存
在していた国際会議 APCHI(Asia Pacific Conference on
Computer Human Interaction)を改革して新学会主催行
事にするという方針が、議論の末に決定された。これまで
の APCHI は、隔年開催で論文セレクションなどを含めた
運営が開催地のオーガナイザーを中心とするローカルの委
員に任されていたため、ノウハウなどの継承があまりなく、
その結果としてウエイトを置く分野やクォリティが一定し
ないという問題があった。そこで、APCHI のステアリング
コミッティと相談の上、一緒に APCHI を改革し、新学会
の主催会議とすることで合意した。主な改革として、これ
まで 2 名だった APCHI のステアリングコミッティの委員
を、国と分野を考慮して人数を増やし拡充したこと、そし
て隔年開催から毎年開催に変更したことがあげられる。ま
た、ちょうど 2012 年 8 月には第 10 回の APCHI が日本の
松江で開催されることになっていたので、国際会議として
の質とブランドの向上を図るとともに、今後の APCHI のス
タンダードとすることを目指して、すでに決まっていた国
内の委員を中心に改革を行った。たとえば、これまで独立
した開催だった APCHI を、今回は国内組織である HCDNet と ACM SIGCHI の共催による会議とした。これは、ブ
ランド力がある SIGCHI の虎の威を借りるという面もある
が、経験豊かな SIGCHI の査読者リソースを共有すること
や、投稿・査読システムとして定評がある PCS(Precision
Conference Solutions)のシステムを安価に利用すること
などを期待したからである。また International Journal of
Human-Computer Interaction との連携も企画した。その
結果、査読や会議の品質を期待した投稿が 155 件、Full
paper の採択率が 26.5%、また、会議への参加者も 239 名
などとなり、当初の目標を達成することができた。次回の
APCHI は 2013 年 9 月にインドのバンガロールで開催予定
であるが、質とブランドのさらなる向上と定着が期待され
ている。
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3.公聴会(Town hall meeting)
以上のように検討が進められてきた新学会について、経
緯や現状、そして今後の予定等について多くの方々に報告
し、情報共有するとともに、賛成・反対を含めたご意見を
伺うことを目的とした機会を何度か開催してきた。まず、
2012 年 5 月に米国オースチンで開催された SIGCHI のコン
ファレンスの中で、
Town hall meeting を 5 月 8 日に行った。
案内は、CHI-ANNOUNCEMENTS のメーリングリストな
どに流したので、目に止めていただいた方も多いと思うが、
シンガポールの Henry B. L Duh(National University of
Singapore)
、 中 国 の Linmi Tao(Tsinghua University)
、
韓国の Woontack Woo(KAIST)
、そして北村喜文の 4 人
がオーガナイザーを務めた。当日には約 50 名の参加があっ
たが、特に反対意見はなく、ACM などの既存の学術団体
との関係などについて質問があった。
その後、日本国内でも、関連する学会・研究会で同様の
機会を表 2 のように何度か与えていただいた。総じて皆さ
んにはポジティブに受け取ってもらえたようで、何らかの
形で協力したいとのお申し出もいただいた。また皆さんか
らいただいた貴重なご意見は、その後の議論で順次反映さ
せるようにしている。
ば、おそらく、それが将来の日本の国益にも叶うものであり、
次の世代を担う若者にバトンを渡す前に、我々が今、少し
でもやっておくべきことではないか、そのようなことを考え
ながら、議論に参加している。
表 2 国内で意見交換させていただいた機会
4.今後
今のところ、2013 年 9 月にインドで開催される予定の
APCHI を新学会の最初の主催国際会議とするため、その
期日以前に新学会を設立することを目指して議論と準備を
進めている。そのための次回の会合(ワークショップ)を
2013 年 2 月 2 ~ 4 日に東北大学で開催する予定にしている
が、
設立に向けて非常に重要な会合となるはずである。今後、
まずは枠組みをしっかりさせて新学会を設立し、具体的な
サービスはその後順次開始してゆくことになると思われる。
日本には、HCI でも世界に誇るべき技術や文化があり、
研究実績もある。その上、学術集会などでもさまざまな改
革や新しい工夫を常に試みるなど非常に活発である。一方
で、これからはアジアが世界の中心になる時代がやって来
ると思われる。日本の今後の成長はアジア太平洋諸国の成
長とともにあると言えるだろう。新学会の設立とその後の
活動でも、できれば日本の皆さんの活力を取り込みアジア
太平洋地域全体の発展に貢献したい。その結果として、日
本がこの地域でのリーダーとして尊敬される存在となれれ
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