フェリツィア・ツェラー『見知らぬ友人 X たち』の ワーカホリック

ド イ ツ 演 劇 2013 年
フェリツィア・ツェラー『見知らぬ友人 X たち』の
ワーカホリック批判と悲哀
寺尾
格
昨年号の編集後記でも触れられたが、ブレヒトおよび現代演劇の岩淵達治氏
が 2 月 に 85 歳 で 逝 去 さ れ た 。 本 報 告 の ド イ ツ 演 劇 部 門 の 担 当 を 引 き 継 い だ 身
としては、むしろ先生と言うべきはずの立場なので、ただ瞑目するばかりであ
る 。そ う い え ば 、ベ ル リ ン の シ ャ ウ ビ ュ ー ネ 劇 場 で 活 躍 し て 、1970 年 代 以 降 の
演出演劇の舞台を牽引し、ヴィム・ヴェンダース監督の映画『ベルリン・天使
の 歌 』 な ど で も 知 ら れ る 名 優 の オ ッ ト ー ・ ザ ン ダ ー も 9 月 に 72 歳 で 鬼 籍 と な
った。
若 手 の 登 竜 門 で あ る ミ ュ ー ル ハ イ ム( 正 確 に は「 ル ー ル 河 畔 の 」Mülheim an
der Ruhr と な り 、 マ イ ン 河 畔 の Mühlheim am Main と も 、 母 音 の 短 い ミ ュ ル
ハ イ ム M ü l l h e i m と も 異 な る 。) の 劇 作 家 賞 で 、 8 本 の ノ ミ ネ ー ト か ら 選 ば れ た
の が 、 2 2 歳 の ス イ ス 出 身 、 カ ー チ ャ ・ ブ ル ン ナ ー の 『 短 す ぎ る 脚 』( ハ イ ケ ・
マ リ ア ン ネ ・ ゲ ッ ツ ェ 演 出 、 2013 年 1 月 5 日 、 ハ ノ ー フ ァ ー ・ シ ャ ウ シ ュ ピ
ー ル ハ ウ ス 劇 場 )。テ ア タ ー ・ ホ イ テ 誌 の 若 手 ベ ス ト 作 品 に も な っ て い る 。実 の
娘 に 対 す る 父 親 の 性 的 虐 待 を め ぐ る 家 庭 崩 壊 劇 な の だ が 、 25 場 の う ち の 10 場
が「弁明」と称する父、娘、妻、それぞれのモノローグ・コメントで、そこに
奇妙なメルヘン風の語りや象徴的な対話が接続する。オーソドックスな心理ド
ラマの体をなさずに、グロテスクに抽象化して造形される「言葉のジャズ」へ
の 評 価 が 高 い 。ち な み に ス イ ス の ド イ ツ 語 文 学 に お け る 卓 越 し た 代 表 者 と し て 、
ルーカス・ベーアフスがベルリン文学賞を受賞。自動的にベルリン自由大学の
ゲスト教授にもなる。
テアター・ホイテ誌によるベスト劇作品が、フェリツィア・ツェラーの『見
知 ら ぬ 友 人 X た ち 』( ベ ッ ッ テ ィ ー ナ ・ ブ ル イ ニ ー ア 演 出 、 2 0 1 2 年 1 0 月 1 2 日
初演、フランクフルト・シャウシュピール劇場)で、ヘルマン・ズーダーマン
賞も受賞。コンサルタント会社を立ち上げたばかりで、重要なプレゼンの準備
のために極端なワーカホリックになっている女性アンネが中心で、そこに失業
中の主夫ホルガーと、高すぎる自己評価のあまりに作品ができない彫刻家のペ
ーター。三人それぞれの焦り、ストレス、孤独感、ヒステリーが、効率と利益
追求の消費社会の狂気を浮き彫りにしつつ、時におかしみすら漂わす悲哀の造
形性の実力を示したツェラーは、寡作ながら、今後とも注目度が高いだろう。
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演出も、位相の違う語り(の中断)の饒舌が、疾走するクレッシェンドのよう
だと好評。
同 誌 の ベ ス ト 演 出 は 、 カ リ ン ・ ヘ ン ケ ル の 『 ね ず み た ち 』( ゲ ル ハ ル ト ・ ハ ウ
プ ト マ ン 作 、 2012 年 10 月 20 日 初 演 、 ケ ル ン ・ シ ャ ウ シ ュ ピ ー ル 劇 場 ) で 、
100 年 前 の 自 然 主 義 に よ る 小 市 民 の 悲 喜 劇 を 、 真 っ 黒 い 箱 の よ う な 舞 台 に 仕 立
て、下層社会の前ファシズム的に閉塞した心理描写によって、観客に同情と嫌
悪を同時に喚起・・・という演出らしい。
2012 年 フ ァ ウ ス ト 賞 は 、マ ル テ ィ ン ・ ク セ ー イ 演 出 、フ ァ ス ビ ン ダ ー 作『 ペ
ト ラ・カ ン ト の 苦 い 涙 』
( 2012 年 3 月 3 日 初 演 、ミ ュ ン ヘ ン ・ レ ジ デ ン ツ 劇 場 )
で、ホモ・エロティックな女性同士の親密な関係を、真っ白な舞台に無数の空
き 瓶 が 並 ぶ 水 槽 の よ う な 舞 台 を の ぞ き 込 む よ う な「 魂 の ス ト リ ッ プ 」と の 批 評 。
ベ ル リ ン 演 劇 祭 に も 招 待 さ れ た パ フ ォ ー マ ン ス 『 D i s a b l e d T h e a t e r 』( ジ ェ
ロ ー ム ・ ベ ル の コ ン セ プ ト 、2012 年 6 月 9 日 初 演 、ア ヴ ィ ニ ヨ ン 演 劇 祭 )は 、
ス イ ス の 障 害 者 劇 団 シ ア タ ー ・ ホ ラ と ベ ル リ ン HAU 劇 場 と の 共 同 制 作 で 、 精
神障害を持つ俳優たちが舞台上で語り、踊ることで、障害とは何か、健常とは
何かということを挑発的に問いかける。
オーストリアのネストロイ賞は、リュック・ボンディに特別賞。ベスト作品
は イ ェ リ ネ ク の『 影 』
( マ テ ィ ア ス ・ ハ ル ト マ ン 演 出 、2013 年 1 月 17 日 初 演 、
ウ ィ ー ン ・ ア カ デ ミ ー 劇 場 ) で 、 有 名 な オ ル フ ェ ウ ス 神 話 を 21 世 紀 の フ ェ ミ
ニストの視点から描くのだが、舞台奥に陣取るロック歌手(オルフェウス)の
ま わ り に 群 が る 少 女 た ち を 、 地 獄 の エ ウ リ デ ィ ー ケ の 「 わ た し ( た ち )」 が 、 ひ
た す ら 毒 づ き 続 け な が ら 、「 女 」 で あ る こ と 、「 死 者 」 で あ る こ と 、「 影 」 で あ る
ことの意味を問いかける。ウィーンの舞台では、イェリネクの人形を舞台端で
動かす人形遣いがいて、様々な本人コメントを挿入するという仕掛け。
男と女でなく、世代間格差を素材としたのが、エーヴァルト・パルメツホー
フ ァ ー 『 盗 賊 。 罪 の 性 器 』( シ ュ テ フ ァ ン ・ キ ミ ッ ヒ 演 出 、 2 0 1 2 年 1 2 月 2 0 日
初 演 、 ウ ィ ー ン ・ ア カ デ ミ ー 劇 場 )。 舞 台 上 に は 年 金 生 活 者 の 老 夫 婦 、 床 下 に は
ゴミためのような低い舞台がしつらえられて、その中から出てくる職無しの息
子たち二人という構図で、現在と過去、現実と妄想、生者と死者とが渾然とな
りながら、相互の不信が寓意的に増幅される。息子が「他人の金なんかいらな
い。俺らの親たちがもらう未来の年金を、今、欲しいんだ。どこにサインすれ
ば受け取れる?」と要求すると、父親が「俺の精液を返せ!」と叫び、最後は
カニバリズム的な要素も出てくる。
舞台作品とは異なる情報に移れば、舞台美術・衣装の専門家たちが、職能団
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体の立ち上げを計画して、準備総会を 6 月に行った。その動機となったのが、
新しい消費税増税に対して、演出や振り付けの部門が対象外となった事実が大
きいようだ。
ド イ ツ 舞 台 協 会 が 、1 9 9 0 年 代 に 始 ま る グ ロ ー バ ル 化 に 伴 う 演 劇 関 係 の 予 算 削
減 や 労 働 強 化 に 対 し て 、 強 い 懸 念 を 表 明 し て い る 。 こ の 20 年 間 で の 演 劇 関 連
で の 非 正 規 雇 用 者 数 は 、 8000 名 か ら 22000 名 に 増 加 。 こ の 「 合 理 化 」 に 伴 っ
て 失 わ れ た 金 額 は 、年 に 3 億 5 0 0 0 万 ユ ー ロ で あ り 、人 間 を 犠 牲 に す る 構 造「 改
革 」 に 対 し て 、「 芸 術 を 、 し か し 公 平 さ を ( a r t b u t f a i r )」 を ス ロ ー ガ ン と し た
抵抗を呼びかけている。
補助金削減への対応の情報を挙げればキリがないのだが、例えばメクレンブ
ルク・フォアポンメルン州では、シュヴェーリンとロストックとの劇場の提携
計 画 が 破 綻 し て 、 ロ ス ト ッ ク 劇 場 は 小 劇 場 を 閉 鎖 し 、 資 金 不 足 か ら 2014 年 の
計画が立てられなくなった。ところが逆に文化予算を増額したのがバイエルン
州、ベルリン、レーゲンスブルク、ブレーメンなどで、背景には活発な演劇人
のアピールや、それを支える市民の存在がある。
例 え ば ザ ク セ ン ・ ア ン ハ ル ト 州 政 府 が 、 四 つ の 劇 場 に 対 す る 2014 年 の 補 助
金 を 8 1 0 万 ユ ー ロ か ら 5 2 0 万 ユ ー ロ へ 削 減 す る 計 画 を 発 表 し た と こ ろ 、抗 議 の
ためにデッサウでは、劇場を綱で縛り上げるパフォーマンスが行われ、あるい
は 市 議 会 が 劇 場 ホ ー ル で 開 催 さ れ 、 四 角 く 並 べ ら れ た 仮 テ ー ブ ル に 40 名 ほ ど
の議員たちが座り、その周りを市民たちや、あるいは床の敷物で遊ぶ子どもた
ちなどに囲まれながら討議が行われた。
2 0 1 3 年 6 月 よ り 、ベ ル リ ン を 訪 れ る 観 光 客 か ら 宿 泊 費 の 5 % 税 を 徴 収 し て い
る 。 総 額 2500 万 ユ ー ロ の 半 分 を 小 劇 場 系 の 演 劇 ・ ダ ン ス ・ パ フ ォ ー マ ン ス へ
の 補 助 金 に あ て る 予 定 。こ れ は ベ ル リ ン の 小 劇 場 系 の 連 合 組 織( 約 4 万 人 )が 、
約 1000 万 ユ ー ロ の 文 化 予 算 の 95% が 大 劇 場 に 傾 斜 し て い る 事 実 を 抗 議 し 続 け
た結果でもあるだろう。
古風な現代(?)演出の場ともなっているような老舗のベルリーナー・アン
サ ン ブ ル 劇 場 は 、 1999 年 か ら の 総 監 督 ク ラ ウ ス ・ パ イ マ ン が 、 契 約 を 2016 年
ま で 延 長 し て 、ど う や ら ウ ィ ー ン・ブ ル ク 劇 場 で の 在 任 期 間 を 越 え そ う で あ る 。
自然災害関連では、何百年に一度の夏の洪水被害が、中部と南部のドイツを
襲った。ドナウ川とイン川の合流するパッサウの劇場は、客席が 1 メートル以
上も浸水。マグデブルクも人形劇場が被害。ハレではザール川が氾濫して、オ
ペ ラ 座 な ど は 無 事 だ っ た が 、夏 の ヘ ン デ ル ・ フ ェ ス テ ィ バ ル は 中 止 。 2 0 0 2 年 の
エルベ川の氾濫で、ゼンパー・オペラ座などが大被害にあったドレスデンは、
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川岸などに当時の洪水到達点が明記されているが、今回は無事だった模様。
ハ ン ブ ル ク の ド イ ツ ・ シ ャ ウ シ ュ ピ ー ル ハ ウ ス 劇 場 の 改 築 費 用 は 1650 万 ユ
ー ロ と 、 予 定 よ り も 3 7 5 万 ユ ー ロ も 超 過 し て 、 11 月 1 5 日 に こ け ら 落 と し の 予
定 だ っ た が 、 直 前 の 10 月 末 に 鉄 製 の 緞 帳 が は ね あ が る 事 故 が 起 こ り 、 反 動 で
舞台の床が破壊された。幸いにも怪我人はいなかったのだが、シュツッツガル
ト か ら 移 っ た 新 し い 劇 場 監 督 の カ リ ン ・ バ イ ア ー の デ ビ ュ ー も 1 月 18 日 ま で
延 期 。直 接 の 被 害 は 2 0 万 ユ ー ロ ほ ど だ が 、公 演 中 止 に よ る 損 害 も 合 わ せ る と 、
150 万 ユ ー ロ も の 欠 損 と な っ た ら し い 。
ボーフムのシャウシュピールハウス劇場とシュツッツガルト州立シャウシュ
ピ ー ル 劇 場 が 、オ ス ロ 国 立 劇 場 と 共 に 、ヨ ー ロ ッ パ 演 劇 連 盟 に 加 入 。1990 年 に
ミラノのピッコロ劇場のジョルジョ・ストレーレルが、時のフランスの文化大
臣 と 組 ん で 立 ち 上 げ た 劇 場 ネ ッ ト ワ ー ク は 、 16 カ 国 19 劇 場 に な っ た 。
最 後 に 日 本 に 目 を や る と 、2 0 1 0 年 に『 金 龍 亭 』と し て 報 告 済 み の シ ン メ ル プ
フ ェ ニ ッ ヒ 『 金 の 竜 』( 長 田 紫 乃 訳 、 中 野 志 朗 演 出 、 I . N . S . N 企 画 、 渋 谷 ・ ル ・
デコ)が 2 月に本邦初演された。作品の特性が立体的に現れて、時に理屈っぽ
さも感じられがちな「ドイツ演劇」らしからざる(?)おもしろさで、充分に
再演の価値があるだろう。シンメルプフェニッヒは、6 月に新国立劇場で『つ
く 、き え る 』
( 宮 田 慶 子 演 出 )の 新 作 も 世 界 初 演 さ れ た 。海 辺 の ホ テ ル で の す れ
違 い と い う 粋 な 設 定 で 、充 分 に 魅 力 的 な 舞 台 な の だ が 、な に し ろ 3 . 11 以 降 の 状
況の深刻さとの落差がありすぎたかもしれない。同様にボート・シュトラウス
『 忘 却 の キ ス 』( 大 塚 直 訳 、 公 家 義 徳 演 出 、 東 京 ア ン サ ン ブ ル ) も 6 月 に 本 邦
初演で、特に映像処理などに意欲的な試みが見られたものの、同様の印象は少
なからず残念。
昨 年 に 引 き 続 く イ ェ リ ネ ク は 、『 光 の な い
プ ロ ロ ー グ ? 』( 林 立 騎 訳 、 宮 沢
章 夫 演 出 、 2 0 1 3 年 11 月 3 0 日 初 演 、 東 京 芸 術 劇 場 シ ア タ ー ウ ェ ス ト ) が フ ェ
ス テ ィ バ ル / ト ー キ ョ ー の 一 環 で 本 邦 初 演 。疑 問 符 の つ い た プ ロ ロ ー グ が 後 か ら
登 場 す る わ け で 、タ イ ト ル に も こ だ わ る イ ェ リ ネ ク ら し い 挑 発 の ヒ ネ リ だ ろ う 。
ま た 同 フ ェ ス テ ィ バ ル で は 四 回 目 と な る リ ミ ニ ・ プ ロ ト コ ル の『 1 0 0 % 東 京 』
( ダ ニ エ ル ・ ヴ ェ ッ ツ ェ ル 演 出 、 2 0 1 3 年 11 月 2 9 日 初 演 、 東 京 芸 術 劇 場 プ レ
イ ハ ウ ス ) は 、 統 計 数 字 か ら 選 ば れ た 100 名 の 東 京 住 民 が 、 様 々 な 質 問 に 対 す
る各自の答えを舞台上の位置などで示す。すでに出来上がった「結末」への提
示の巧拙よりも、むしろ変容を含む「経過」と共に考えることこそが、パフォ
ーマンスの要なのだということになる。
京 都 エ ク ス ペ リ メ ン ト で 上 演 さ れ た 集 団 創 作 She She Pop の 『 シ ュ プ ラ ー デ
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ン ( ひ き だ し )』( 2 0 1 3 年 3 月 初 演 、 ベ ル リ ン H A U 劇 場 ) は 、 東 西 両 ド イ ツ の
6 人の女性が、それぞれの「引き出し」から手紙、日記、写真、レコードなど
を取り出しながら、両ドイツおよび各自の相違を立ち上げるもので、見応えの
ある舞台だったようだ。
最近のドイツでは、作品のみならず、演劇学に関わる重要な研究書も目白押
し に 出 版 さ れ て お り 、2010 年 に 公 刊 さ れ た エ リ カ ・ フ ィ ッ シ ャ ー = リ ヒ テ の 演
劇 学 入 門 書 が『 演 劇 学 へ の い ざ な い 』
( 山 下 純 照 他 訳 、国 書 刊 行 会 )と い う タ イ
トルで日本語になった。既訳の『パフォーマンスの美学』と共に必読基本文献
であろう。
著者プロフィール
寺 尾 格 ( て ら お い た る ) 1951 年 生 ま れ 。 専 修 大 学 教 授 。 著 書 『 ウ ィ ー ン 演 劇 あ
る い は ブ ル ク 劇 場 』、 翻 訳 『 パ フ ォ ー マ ン ス の 美 学 』( 共 訳 )、 ペ ー タ ー ・ ト ゥ リ
ーニ、ヴェルナー・シュヴァープ、ボート・シュトラウス、フィリップ・レー
レなど。
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