社会学は「食の倫理」にどのようにアプローチできるか? ○東京都市大学 大塚善樹 1 目的および方法 現在,食と農の社会学を含む複数の領域で,多様な主体による「食の倫理」が主張されている.し かし,客観的な科学としての社会学による記述は,道徳的実在論に立つのでなければ,特定の道徳的 判断を導かない.一方で,道徳的実在論は,食と農の社会学における社会運動論や農業技術の科学社 会学が前提とする社会構築主義的なアプローチと矛盾する.また,多くの道徳的事実の判断基準とな る功利主義も,食と農の社会学が主張している「食の倫理」とは相容れないように見える.とすれば, 食と農の社会学が特定の「食の倫理」を主張することは難しい筈である.しかし他方で,食と農に関 わる行為を自然主義的に捉えるならば,道徳的判断も科学的知識もともに実在するという立場をとる ことで,功利主義的でなく義務論的な「食の倫理」を主張することが可能であろう. 本研究は,規範倫理学と科学社会学の視点から,食と農の社会学の研究テーマについて,客観主義 的,社会構築主義的,あるいは自然主義的なアプローチがどのような道徳的判断や科学の管轄権と関 連し得るかを検討し,社会学が「食の倫理」に貢献するための前提条件を探る. 2 結果および考察 「食の倫理」に関する主観的な道徳的判断は,食と農のシステムの下流側の「食べる」行為,およ び上流側の「つくる」行為において異なっている.ここで,(1)食と農の社会学におけるアグリ・フ ード・システムという客観主義的アプローチは,システムの全体像を見渡す客観的な知識を事実とし て提供する.この知識は,「食べる」行為と「つくる」行為を全体として統合し,道徳的実在論に立 つ功利主義的判断と整合すると考えられる.その意味で,このような倫理は,行政における政策判断 を主要な管轄権の対象とするであろう.畜産における動物の権利主張も,功利主義的な道徳的判断の 対象の拡大とみなすことができる.問題点は,その判断が主観的な道徳的判断と対立する場合が多い こと,そして新しい農業技術やグローバル化にともなう知識の不確実性が解消できないことである. これに対して,(2)有機農業運動,フェアトレード運動,ローカル・フード運動などに関する社会 学は,既存の科学的知識を社会構築主義的に脱構築し,特定の主体的な「食べる」行為と「つくる」 行為を結び付けるローカルな視点を重視する.この視点は,客観的な知識や道徳の実在について相対 主義的な前提に基づくと考えられ,相互に対立する可能性のある主観的な道徳的判断以上のものを主 張できない.ただし,このことは探索的で解釈学的な倫理の可能性を導く.このような倫理は,新し い農業技術に付随する知識の不確実性に対処する一つの方法を示すが,何らかの有効な道徳的判断が 生じる保証はない.管轄権は社会運動だが,生命倫理の場合のように,多様な社会運動の主張との競 合関係に入ってしまい,社会学が「食の倫理」を主張することの意味は曖昧である. 最後に,(3) 「食べる」行為と「つくる」行為の環境との相互作用を自然主義的に捉えるアプロー チが,有機農業運動や地域における環境保全型の食料生産運動においてみられる.そこでは,一部の 環境倫理で見られるような,環境や生命の内在的価値が出発点になる.そのような前提をとる食と農 の社会学は希少だが,客観主義的でありながらも義務論的な「食の倫理」を主張できる.しかし,内 在的価値の主張には様々な批判があるほか,自然科学への還元主義に陥る危険がある.管轄権は特定 の社会運動や保全生物学と思われるが,ここでも社会学であることの意味は定かでない. 1/1
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