No.1 JAN - 公益社団法人 日本航空機操縦士協会

ISSN 0389-5254
2008 No.1 JAN
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
操縦士協会のめざすもの
(第204回理事会決議)
1. 私達の活動の目的は、 定款に定められた通り 「航空技術の向上を図り、 航空の安全確保
につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を行い、 もって我が国航空の健全な発展を促
進する」 ことです。
2. 私達は、 定款の目的を踏まえ、 将来のあるべき姿として 「安全で誰からも信頼され、 愛
される航空を実現する」 というビジョンを描いています。
3. 私達は、 目的・ビジョンを達成するために下記を基本的指針に掲げて活動して行きます。
航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を育て、
社会全体で安全意識を高めて行くこと)
地球環境と航空の発展との調和を図る。
航空に携わるものどうしが心を通わせ共存共栄を図る。
第43期 (平成19年度) 重点施策
各種講習会・研究会等の実施
ヒューマン・ファクターの理解促進の具体化
安全情報の提供に対応したシステム整備
運航環境整備への積極的な参画
航空事故防止に資する取組
適切な航空医学適性の維持
協会の見解を発信していく責務
活動の活性化を図る取組
・公益事業の推進
・会員に対する広報・啓蒙活動等の充実 (活動への参加)
・委員会活動・支部活動の活性化 (人材の育成)
・交流の促進 (共存共栄)
・自発的安全報告制度の活性化等
協会組織運営体制の強化
・協会の事業運営のあり方に対する継続した検討
・会員状況の確実な把握
・事務局体制の強化
・規程の遵守、 理事の役割分担にもとづく効率的な組織運営
・確実な協会監査体制の充実
・情報管理体制の改善・強化
・人材育成の促進を図る
専門知識を育むための海外派遣
操縦士協会は会員を募集しています。
JAPAは公益法人として国土交通大臣の認可を受けた日本唯一の操縦士団体です。
目的
本協会は、 航空技術の向上を図り、 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を
行い、 もってわが国航空の健全な発展を促進することを目的とする。
協会の会員は、 下記のように分かれます。
正 会 員;協会の目的に賛同して入会された方で、 原則として操縦士技能証明をお持ちの方です。
賛助会員;協会の事業を賛助するため入会した個人または法人です。 個人賛助会員は、 満16歳以上の操
縦士技能証明を持たない方で、 法人賛助会員の資格は、 特に定めはありません。
正会員の会費;60歳未満:月額
1,700円
(内訳1,500円:協会運営費、 200円:共済費)
60歳以上:月額
1,500円:協会運営費
個人賛助会員;
月額
1,500円:協会運営費
法人賛助会員:
一口年額 50,000円:協会運営費
入会すると?
①協会機関誌 (AIM・PILOT誌など) の無償入手
②航空関連商品 (書籍等) の割引購入
③会員向け、 空港施設見学や講習会への参加
④協会契約割引施設の利用
お申し込みは別途 「入会申込書」 をお送り致しますので、 事務局までご連絡下さい。
皆様のご入会をお待ち致しております!
社団法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOSIATION
TEL03-3501-0433 FAX03-3501-0435 E-Mail [email protected]
Home page URL http://www.japa.or.jp/
日石三菱●
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至東京
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新
橋
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烏森口
キムラヤ●
至品川
CONTENTS
No.306
4
5
9
2008 No.1 JAN
年頭にあたって
68
会長
萩尾
裕康
国土交通省航空局長
鈴木
久泰
キャビンアテンダントのはなし
念のため ②
年頭の辞
69
74
76
B737NG HUD 特別研修報告
岩瀬
28
航空医学適性のQ&A
健康管理について考えてみよう!
第4回
37
シミュレーターによる Physical Incapacitation の 再 現 と CRM (Crew Resource
Management) の応用についての試み
航空医学委員会
博
奥貫
博
FAI・CIVA (エアロバティックス)
ミーティング参加報告
鐘尾みや子
81
地球環境問題関連用語の解説
83
つもり違いの10カ条
84
開催予告
14
小型機操縦技術競技会
第5回 小型航空機セーフティセミナー開催案内
86
開催報告
SP (シニア・パイロット) 懇親会の報告
シニア・パイロット会幹事
World Safety Report
CALLBACK
46
正樹
奥貫
FAI ニュース
健祐
RNAV の空 −第6回−
そして、 RNAV の空は…
南
32
FAI エアロバティックス
ワールド・グランプリ
特集
シニア・パイロットのエピソード (第17回)
ベイルアウト!!!
空に夢とロマンを追い続けた日々
森 一三司
17
空の交差点
Number188
GA:ジェネアビ情報
88
JAPA 通信
91
福利厚生
92
オススメ!情報ボックス
空の PDCA サイクル
奥貫
博
書籍 & Goods 紹介
51
寄稿
93
飛行艇/男のロマン
宮本
58
JAPA で飛行訓練を!
JAPA のシミュレーター
Flight Training Device
航空史曼陀羅
その21. 陸軍の至宝、 藤田雄蔵中佐の業績
徳田
64
良正
FTD 訓練室
忠成
そらのみちくさ
94
JAPA Aerial Photo Exhibition
96
編集後記
―雑食性パイロットの飛行カバンから―
湧井カレン
社団
法人
日本航空機操縦士協会
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
年頭にあたって
社団法人
日本航空機操縦士協会会長
萩
皆さま、 明けましておめでとうございます。
平成20年の輝かしき新春を迎え、 会員の皆さま
ならびに日頃より当協会にご支援を賜っている
皆さまに新年のお慶びを申し上げます。
私ども日本航空機操縦士協会は、 1957年 (昭
和32年) に任意団体として発足して以来、 昨年
でちょうど創立50年という節目を迎えました。
そして昨年の年末にはこの協会50年の歴史を記
録に残すべく、 創立50周年記念誌を発行いたし
ました。 設立当時の資料は今となっては多くが
散逸していてつぶさに知ることは最早不可能で
すが、 そのなかでも少ないながら残された記録
やエピソードから往時をしのんでいただけるの
ではないかと考えております。
その後操縦士協会は1966年 (昭和41年) に公
益団体たる社団法人として再出発し、 日本の航
空界の発展とともに歴史を刻んでまいりました。
今では6200人を超える会員とともに多くの事業
活動にあたっております。 いうまでもなく、 安
全の確保と技術の向上をめざして調査研究や出
版啓蒙の活動を行い、 もって我が国航空の健全
な発展を促進するということが目的ですが、 同
時にエアラインから自家用まで、 日本のパイロッ
トたち (そして賛同してくださる方たち) の公
私にわたる交流の場としての存在であることも
大変重要なことです。 会員の皆さまの積極的な
ご参加をあらためてお願いするとともに、 皆さ
まに気軽に事務所をお尋ねいただけるよう私た
ちスタッフも努めてまいりたいと思います。
PILOT 誌創刊号における初代会長豊島晃氏
の名文が50周年誌に掲載されています。
私たちのガイドラインとして、 年頭にあたり
4
2008 JAN
尾
裕
康
あらためてここに引用させていただきます。
どんな事業を遂行するにあたっても、 基本に
あるべきは心意気。
(抜粋)
……飛行の分野も限りなく高く広がってくるで
あろう。 パイロットの天職、 使命もそれにつな
がってくるであろう。
人類の福祉へ奉ずる考え方は、 パイロットの信
条として永遠に持ちつづけなければならない精
神である。
航空安全の真価はそこに根ざすもので、 操縦と
航法の技術の上にニジミでるものでなければな
らない。 より高度な技術は、 崇高な人格の上に
尊ばれるものとなるのである。
古い世界観から新しい宇宙観にたって、 立派に
大きな働き振りを航空人は示すべきである。
パイロットはその先頭に立って、 ノビノビと自
由な気風で、 明るく、 健やかに飛んでゆくべき
である。 ……
昨年は使用事業の世界で6件の事故が発生し、
残念ながら2名の会員の方が殉職されるという
痛ましい状況がありました。 さまざまな要因が
きっかけとなり、 プロとしての対応及ばず事故
に至ったと思われますが、 あらためて環境と航
空業務の接点という命題に思いを至されました。
協会は自家用操縦士の技量維持問題について
ここ数年にわたり鋭意取り組んできているとこ
ろです。 事業用の世界についても、 今年は年初
より積極的に取り組もうと考えております。
ご支援のほどよろしくお願いする次第です。
年 頭 の 辞
国土交通省航空局長
鈴
木
平成20年の新春を迎えるにあたり、 一言新年
のご挨拶を申し上げます。
昨年は、 交通政策審議会航空分科会において
今後の航空政策のあり方の基本的方向性を示す
戦略的新航空政策ビジョンがとりまとめられる
とともに、 羽田=上海・虹橋間の国際チャーター
便の就航や韓国やタイとの航空自由化協定の締
結などアジア・ゲートウェイ構想の実現に向け
て多くの成果をあげました。
また、 羽田空港の第四滑走路の現地着工や関
西空港の第二滑走路の供用開始など大都市圏拠
点空港の整備が進捗し、 航空界において大きな
発展がありました。
本年も引き続き羽田のD滑走路と成田の平行
滑走路の北伸工事を着実に進めてまいりますが、
こ の 二 大 プ ロ ジ ェ ク ト が 完 成 す る 平 成 22 年
(2010年) は、 明治43年 (1910年) 徳川大尉・
日野大尉が我が国で初の動力機飛行してから
100周年に当たります。 この記念すべき航空100
周年に航空新時代の幕開けができるよう、 羽田、
成田両空港の整備及び一体的活用を推進してま
いります。
それではここで、 航空行政が当面する重要課
題につきまして述べてまいります。
第一に、 空港の整備と活用について申し上げ
ます。
昨年6月の航空分科会答申に基づき、 空港整
久
泰
備の面においては引き続き大都市圏拠点空港等
の整備を推進するとともに、 空港の就航率向上
等のための事業・調査や、 主要都市から空港ま
でのアクセス改善等、 既存ストックを活用した
空港等の機能の高質化を図ることを通して、 我
が国全体の国際競争力や空港後背地域の地域競
争力強化、 空港利用者の利便増進を図ってまい
ります。
以下、 少し具体的に申し上げますと、 まず羽
田空港につきましては、 首都圏の旺盛な航空需
要に対応するとともに、 国際競争力のある都市
の再生を図るため、 羽田空港の再拡張事業を引
き続き推進してまいります。 新設滑走路の整備
につきましては、 昨年3月30日に現地着工を行
い、 24時間365日の突貫工事を行っています。
現空港を運用しながらの難工事ですが、 平成22
年10月末の供用開始に向け、 着実に推進してま
いります。 また、 これと併せて国際線ターミナ
ル地区の整備を PFI の手法により進めるとと
もに、 現空港についてもエプロンの増設や誘導
路の改良など機能向上を図ってまいります。
成田国際空港につきましては、 増大する国際
航空需要に対する容量不足の解消等を図るため、
暫定平行滑走路 (2180メートル) の北伸による
2500メートル化事業を平成22年3月末の供用を
目指して整備を推進しています。 また、 成田国
際空港株式会社については、 完全民営化するこ
とが閣議決定されていますが、 完全民営化にあ
たっては、 国際拠点空港の適正な運営を確保す
るための制度が必要であり、 次期通常国会へ提
2008 JAN
5
出をめざしている空港関係法制の中で、 検討を
進めてまいります。
関西国際空港につきましては、 昨年8月2日
に二本目の滑走路が供用開始され、 我が国初の
完全24時間運用の国際拠点空港となりました。
利用状況は、 平成19年冬スケジュールにおいて、
国際線は週795便と過去最高を記録し、 特に貨
物便の増加が顕著となっています。 平成20年度
政府予算案には、 物流関連施設の二期島への展
開や連絡橋通行料金引下げのための補給金増額
が盛り込まれ、 アジア・ゲートウェイ構想や航
空分科会答申にも明示された課題の解決に向け、
着実な前進を見たところですが、 二本の滑走路
をフル活用し、 会社財務構造の抜本的改善等の
国際競争力強化に向けた取り組みを引き続き進
めてまいります。
中部国際空港につきましては、 本年2月に開
港3周年を迎えます。 最近一部の路線で減便や
運休がみられるものの、 利用状況は、 国際線を
中心として概ね順調に推移し、 空港会社におき
ましても、 開港初年度から平成19年度中間決算
まで常に純利益をあげてきています。 昨年は、
アジア・ゲートウェイ構想や航空分科会答申に
おきまして、 将来に向けての完全24時間化の検
討につき明示されたところです。 今後は、 地元
関係者が一体となった利用促進に向けた取り組
みや、 空港経営の確実な安定に向けた会社の経
営努力が重要であると考えています。
大阪国際空港につきましては、 国内線の基幹
空港という位置付けのもと、 環境と調和した都
市型空港を目指すことが必要であると考えてい
ます。 このため、 引き続き必要な環境対策を行
う一方、 平成16年に決定した方針に沿って、 騒
音対策区域の見直し等を適切に進めてまいりま
す。
一般空港等につきましては、 航空ネットワー
クの充実のため、 滑走路の延長等の継続事業を
着実に推進します。 また、 既存空港の機能を保
持するため、 滑走路、 誘導路等の基本施設、 無
線施設、 航空灯火等の航空保安施設の更新・改
良等を着実に進めてまいります。
また、 航空ネットワークの維持及び災害復旧
6
2008 JAN
支援を行う拠点としての機能確保等により大規
模地震による被害を最小限にとどめるため、 拠
点空港等において、 空港機能に必要な基本施設
等の耐震性の向上を推進します。
横田飛行場の軍民共用化につきましては、 一
昨年10月より日米両政府によるスタディーグルー
プに参加し、 軍民共同使用に関する検討を進め
ており、 今後とも、 関係省庁等とともに、 実現
に向けて取り組んでまいります。
また、 航空分科会答申でも示されているよう
に、 今後は空港の着実な整備に加え、 空港の運
用面も重視していく必要があり、 国際拠点空港
をはじめとする空港の適正な運営を確保するた
めの仕組みについて、 次期通常国会への空港の
整備及び運営に関する法案の提出に向けて、 検
討を行ってまいります。
第二に、 航空の安全について申し上げます。
我が国の定期航空会社における乗客の死亡事
故は昭和60年の御巣鷹山事故以来発生していな
いものの、 昨年は那覇空港における中華航空機
炎上事故など社会的な注目を浴びる事故が発生
し、 国民の航空輸送の安全性に対する関心が高
まっています。 今後も、 国民の航空の安全性に
対する信頼が揺らぐことのないよう、 我が国航
空会社に対する厳正な監督、 航空安全情報の分
析・活用による予防的安全対策、 新たな技術進
歩等へ対応した航空安全基準の適切な見直し、
我が国に乗り入れる外国航空機の安全確保といっ
た対策を着実に推進し、 航空輸送の安全性のさ
らなる向上に努めてまいります。
また、 昨年は、 YS-11以来約半世紀ぶりとな
る国産旅客機の型式証明が申請され、 開発計画
が本格的に始動し、 航空界全体としても大きな
期待が寄せられているところですが、 その安全
性を確保するため、 型式証明審査を着実に実施
してまいります。
さらに、 航空従事者については、 航空需要の
旺盛な伸びや、 いわゆる団塊の世代の大量退職
を補うための需要の大幅な増加が予想されるこ
とから、 航空大学校による基幹的な乗員の養成
等、 航空従事者の安定供給のための対策を引き
続き推進してまいります。 また、 英語能力が不
十分であることに起因する事故を未然に防ぐた
め、 本年3月から適用される国際民間航空機関
(ICAO) の基準に基づき、 操縦士及び航空管
制官等の英語能力証明制度を導入したところで
す。 今後も引き続き、 航空の安全確保に努めて
まいります。
第三に、 航空保安対策について申し上げます。
米国同時多発テロ事件以降、 空港における警
戒態勢を最高のレベルに引き上げ、 危険物の機
内持込を防止するための厳格な乗客検査の実施
等、 航空保安対策の強化を推進しています。 こ
のような取り組みは、 民間航空機を対象とした
テロ活動の未然防止に大きな成果を挙げてきた
ところですが、 一昨年8月の英国当局による航
空機爆破テロ計画摘発を踏まえ、 液体性爆発物
という新たな脅威への対応が全世界的に喫緊の
課題となっています。 このような情勢や ICAO
のガイドラインを踏まえ、 我が国においても、
欧米で既に実施されていた液体物等の機内持込
制限を昨年3月1日から全ての国際線で実施し
ています。
また、 一昨年4月以降、 神戸空港における車
両侵入を始め、 制限区域内への不法侵入が多発
し、 空港の不法侵入対策の更なる強化が求めら
れたことから、 従来の対策に加え、 車・人の不
法侵入対策の強化に取り組んだところです。 一
方、 海外においても、 昨年6月に英国グラスゴー
空港において車両突入事案が発生、 また9月に
は独フランクフルト空港等への爆弾テロ未遂事
案が発生するなど、 航空保安をめぐる情勢は依
然として厳しい情勢にあることから、 今後とも、
航空関係者等と連携を図りつつ、 我が国の航空
保安体制の一層の強化を図ってまいります。
また、 昨年8月に那覇空港で中華航空機爆発
炎上事件が発生する等、 空港の安全対策の更な
る強化が求められていることから、 従来の対策
に加え、 次期通常国会での法改正において空港
の安全な管理に関する規定を検討する等、 空港
の安全対策の強化に取り組んでまいります。
第四に、 航空輸送事業について申し上げます。
我が国航空業界については、 燃油価格が高水
準で推移し各社のコストが増大しているなど、
その経営環境は依然として厳しい状況にあり、
国内旅客数においては、 過去最高となった平成
18年度に比べ、 平成19年度上期は若干の減少と
なっています。 一方、 国際旅客数は、 我が国経
済の景気回復の影響等もあり、 平成19年度上期
において三年ぶりに対前年プラス1.4パーセン
トの増加となるなど、 明るい話題もみられると
ころです。
航空貨物分野においては、 昨年7月に 「航空
物流室」 を設置したところであり、 国際競争力
の強化及び利用者利便の向上に向けて、 航空会
社、 航空フォワーダー、 荷主等との緊密な連携
のもと、 航空物流施策を一体的・戦略的に推進
してまいります。
また、 平成22年10月末の供用を目指している
羽田空港の発着枠の配分のあり方について検討
を進めるほか、 燃油価格の高騰や地方路線の維
持・活性化等の課題についても検討して参りた
いと考えております。
今後も引き続き、 我が国航空市場の動向を注
視し、 航空サービスの一層の向上と航空会社の
経営基盤の強化に資するよう精力的に取り組ん
でまいります。
第五に、 国際航空について申し上げます。
アジア・ゲートウェイ構想において、 航空分
野は、 最重要項目に位置づけられ、 航空自由化
による戦略的な国際航空ネットワークの構築、
羽田空港の更なる国際化、 大都市圏国際空港の
24時間化等が盛り込まれたところです。
これに基づき、 昨年8月2日に、 韓国との間
で、 容量制約のある我が国の首都圏空港関連路
線を除き、 互いに、 乗り入れ地点及び便数の制
限を廃止する航空自由化に合意し、 同11月には、
タイとの間においても、 同様の航空自由化に合
意しました。
また、 日中国交正常化35周年の記念日にあた
る昨年9月29日から、 羽田=上海虹橋チャーター
便について一日4便での就航を実現したところ
2008 JAN
7
です。 さらに、 国際チャーター便を推進するた
めに、 羽田空港の特定時間帯における国際チャー
ター便の利用を可能にしました。
これに加え、 羽田空港と北京南苑空港を結ぶ
定期的なチャーター便を北京五輪までに就航さ
せることを中国側に提案し、 検討を開始したと
ころであり、 中国側とも協力しつつ、 円滑に実
現できるよう最大限の努力をしていきたいと考
えています。
今後とも、 引き続きアジア各国との間で、 ア
ジア・ゲートウェイ構想に基づく航空自由化の
ための交渉を進めていくこととしています。
また、 平成22年3月の成田北伸と10月の羽田
再拡張の際に増加する貴重な国際線の発着枠に
ついては、 戦略的・一体的に活用し、 望ましい
国際ネットワークを拡充すべく、 各国と航空交
渉を行ってまいります。
第六に、 航空管制保安業務について申し上げ
ます。
航空交通につきましては、 航空交通量の増大
や利用者ニーズ等に対応し、 安全確保を最優先
としつつ、 円滑かつ効率的な運航の実現を図っ
ています。
羽田空港の再拡張事業等に伴う首都圏の今後
の航空交通量の増大に的確に対応するため、 引
き続き関東空域の再編、 管制処理能力向上のた
めの次期管制システムの整備等を進めてまいり
ます。 また、 横田空域につきましては、 一昨年
10月に日米両政府で合意された横田空域削減案
について、 本年9月の実施に向けて所要の準備
を進めてまいります。
また、 運用開始から三年を迎える航空交通管
理センターでは、 計画的な空域管理機能、 再編
空域に適用する新たな交通流管理機能及び外国
機関と連携する交通流管理機能等、 第二段階の
8
2008 JAN
整備計画を本年から順次展開することとしてお
り、 一層安全で効率的な交通流の形成を図って
まいります。
より経済的でかつ環境にも配慮した飛行経路
の設定のため、 昨年9月より ICAO の基準に
準じた RNAV をアジアで初めて本格的に導入
したところです。 本年も引き続き RNAV 経路
設定等を進め、 飛行経路の短縮による飛行時間
や CO2 削減、 就航率改善等を進めてまいりま
す。
さらに、 運輸多目的衛星 (MTSAT) につい
ては、 昨年7月に二機の衛星による航空管制業
務を開始したところです。 本年は、 隣接する外
国管制機関との調整等を進め、 洋上の混雑を緩
和するための更なる管制間隔の短縮を図る予定
です。 また、 昨年9月に衛星を利用した航法サー
ビスの提供を開始したところであり、 離島空港
の就航率向上等その活用に努めてまいります。
本年4月には、 我が国唯一の航空保安職員養
成機関である航空保安大学校が羽田空港内から
関西国際空港対岸のりんくうタウンに移転しま
す。 この移転に併せて最新の訓練機器を導入す
ること等により、 航空保安職員の育成強化を進
めてまいります。
以上、 縷々申し上げましたが、 私ども航空局
といたしましては、 前向きでわかりやすい行政
を心がけ、 安全・安心のための取り組みをさら
に強化し、 より一層質の高い航空輸送サービス
の実現を目指して、 様々な施策の推進に最善の
努力を尽くす所存でありますので、 ここに改め
て皆様の力強いご支援とご協力をお願いし、 あ
わせて日々の航空の安全とこれからの航空の発
展を祈念いたしまして、 年頭のご挨拶といたし
ます。
特集
(第17回)
ベイルアウト!!!
空に夢とロマンを
追い続けた日々
ヒ
森
昭和33年、 23歳
サ
シ
一三司
平成19年11月、 72歳
オレが B29を撃ち落してやる
徳田:今日はお忙しい中、 時間を割いていただ
き有難うございます。 早速ですが、 履歴を見ま
すと奉天 (現・瀋陽) でお生まれになったので
すね。
森:父が東亜同文書院 (注1)を出て、 満洲国 (現
在の中国東北部) で三井物産に所属した後支那
(現在の中国) で陸軍の特務機関 (注2) の仕事に
就いていましたので。 しかし、 昭和12年2歳の
ときに父の郷里の佐賀へ帰りました。 父は終戦
の年3月まで満洲/支那 (現中国) で勤務して
いました。
徳田:まさに日華事変が始まろうとしている時
で、 軍靴の足音がひしひしと響いてくる頃です
ね。 それでは少年時代は佐賀でお過ごしになっ
たのですか。 戦時の佐賀も空襲で大変だったで
しょうね。
森:子供ですから戦局の推移など分かる筈もあ
りませんけど、 昭和19年から20年にかけて、 佐
賀市にも頻繁に空襲があり、 夜は花火のような
焼夷弾、 昼はグラマン戦闘機からの機銃掃射の
音で騒々しく、 私の家の欄間にも銃弾が撃ち込
まれました。 だから防空壕から空高く飛来する
B29を仰ぎ見て、“ボクが B29を撃ち落してや
る”と悔しい思いをしたものです。 まさに軍国
少年でしたね。
徳田:その想いが将来のパイロットへ繋がった
のですね。
森:それと当時は SF 小説が流行っていたので
すよ。 例えば月世界探検、 軍体調の見えない飛
行機、 ビルがロケットの形をしている怪塔王な
幼年時代の妹と共に (昭和15年、 5歳)
どの小説を読みふけりました。
徳田:名門の県立佐賀高校から防衛大学校、 そ
れから航空自衛隊へ進まれ、 パイロットの道を
選ばれたことが頷かれます。
防衛大学校からパイロットへの道
徳田:防衛大学校から、 航空自衛隊パイロット
への道を選択された。
森:まず陸上志望だった私は、 防大3回生のと
きに部隊実習があり、 郷里に近い大村の普通科
連隊で3週間、 分隊長として演習の指揮を体験
したのですが、 不慣れのために指揮がうまくい
かない。 その時、 たまたま L-19連絡機での体
験搭乗の機会がありまして、 空に魅せられて空
幕への道を決めたのです。 それで4回生へ上が
2008 JAN
9
句、 民間へ出るしかないと決めたのです。
読売新聞社へ入社
新田原基地での T-33A の飛行訓練 (昭和34年)
る時、 空幕要員を募集したときに手をあげ、 幸
いに適性試験 (注:心理適性のみ) に合格して
パイロットの道へ進みました。 パイロット要員
45名、 整備関係者15名を採りましたが、 WING
MARK(注3)を取った時点で半分ほどになってい
ました。 とくに第2操縦学校での T6 G 「テキ
サン」 中間練習機での訓練が厳しかったですね。
徳田:私も経験がありますからよく分かります。
明日はわが身とヒヤヒヤしてました。 それで
WING MARK 取得後、 浜松の第1航空団の
F86F へ進まれたのですね。
森:そうです。 ところが F86F の課程に入った
直後にベイル・アウトしてしまいました。
まだ F86F が12、 3時間の頃で、 1番機が教官
の4機編隊で3番機で離陸したのです。 高度
35,000ft 付近でマヌーバリングの最中、 突然、
コントロール不能に陥ったのです。 ほぼ垂直に
墜落していく機体から脱出したのが15,000ft ぐ
らいと思います。 原因は未だに不明なのですが、
ベイル・アウトの結果、 脱出の衝撃で頚椎骨折、
全身打撲、 そして右腕を負傷しました。 約1年
間療養しましたが、 療養後、 審査の結果、 右腕
の件があって F86F への復帰を断念、 T6G の
教官コースへ進みました。 それで静岡県静浜で
教官をやりましたが、 T6G 退役 (注:1964年
5月退役) の話が出たものですから、 思案の挙
10
2008 JAN
徳田:読売新聞社へお入りになった経緯をお聞
かせください。
森:すでに自衛隊から民間航空への割愛制度が
始まっていましたからね。 それで行くとすれば
日航か全日空、 ところが当時のパイロットの身
長制限が165cm 以上ということで、 却下され
てしまいました。 半ば諦めていたところ、 空幕
就職援護課から読売新聞社が欲しがっていると
言ってきたんです。 防大出身者で、 一度民間を
希望したからには出た方がよいという雰囲気が
ありましたから、 不本意だったのですが入社し
ました。 しかし、 今から考えると何か運命的な
ものを感じますね。
徳田:森さんのキャリアを拝見しますと、 それ
が伝わってきます。 まったく環境の違う読売新
聞社での取材飛行というのは、 慣れるまで大変
だったでしょうね。
森:言ってみれば写真屋の脚立のような仕事で
すから、 エアラインとは全く違います。 それで
も若いし必死ですから、 なんとか順応しました。
マージャンなどしていてスタンバイしていると
ころへ、 事件があると飛び出していくんですよ。
飛ぶ機種からフライト・プランのファイル、 天
候、 場所などを地図上で直ちに特定して出て行
くんです。 月20時間程度の飛行でしたがね。 し
かし、 あとから考えると、 読売新聞社パイロッ
トとして勤めた5年間が、 いろいろな意味で大
変な肥やしになっていると思います。
新聞社パイロットというのは独特の飛行哲学が
ありまして、 自分たちは日本の空を日本国民の
一人として自由に飛ぶ権利がある、 という信念
のようなものを持っていましたね。 ですから時
には飛行ルールを無視して取材任務を強行する
など、 逞しさを感じました。 いろいろな経験と
エアマンとしての度胸を学びました。
スクープをものにして局長賞
徳田:取材にまつわるエピソードをお聞かせく
ださい。
森:いろいろありましたね。 小笠原諸島が返還
されたときに、 上司に言われて手製の偏流測定
器を作ったのですよ。 写真部に行ってジャバラ
の付いたスピード・グラフィックと言う写真機
をもらってきて作り上げ、 それをテストもせず
にツイン・ボナンザやバロンの投下口に備えて、
八丈島を拠点に飛んだことがあります。 10時間
ほどの滞空時間で往復8時間、 取材時間1時間
で飛んだのです。 ギリギリですから No Return
Point (NRP) をチェックして必死の思いで飛
びました。 島影が見えなかったら引き返さなけ
ればならないですからね。 本当に命がけでした
が、 こんな経験を積んでいくうちに度胸がつい
てきましたね。
それから正月休み明けの4日とか5日は必ず雪
山での遭難があるのですよ。 北アルプスでの遭
難者の取材では、 セスナ210A で山岳波の下降
気流から脱出できず、 操縦桿もスカスカでオレ
も終わりかと観念したことがあります。 勇気を
出して谷間へ突っ込み、 乱気流から脱出してか
ろうじて助かった思い出があります。
これは自慢話になりますが、 米海軍の原子力空
セスナ210A 型で取材飛行 (読売新聞社時代)
母エンタープライズの約20隻の艦隊が○○日の
××時にハワイ港を出航した。 目的地は日本の
佐世保港である。 洋上でこれを補足して取材せ
よ、 という指令を受けたのです。 海幕にいる同
期に艦隊の航路について聞いたところ大圏航路
だと言うのです。 考えてみれば当たり前のこと
で、 丁度 ATR の勉強をしていたものですから、
メルカトール図を作成して、 艦隊の速度は20
knots だろうと判断して伊豆大島からツイン・
ビーチでの会合法の計算・作図をして出ていっ
たのです。 機長は木暮さんで私は F/O 兼ナビ
ゲイターとして飛びました。 高度は3,000ft で
した。 多分ダメだろうと思いながら、 予定会合
地点で1時間ほどの Square Search をして引
き返すつもりでね。 ところが会合地点の2、 3
分手前でヒョッと前を見たら、 目の前にボーッ
と艦隊が浮かんでいました。 いや∼ッ!まさに
まぐれ当たりの幸運でしたね。 余り近づくとグ
ラマン S2F 艦上対潜機が上がってきて警戒し
ましたが、 嬉しかったですね。 望遠で夢中で写
真を撮りました。 スクープということで局長賞
を頂きました。 もっとも取材に失敗しての叱責
も結構ありましたがね。
日本国内航空に入社
徳田:読売新聞には約5年間在籍されて、 日本
国内航空へお入りになったのですね。
森:日本の航空再開で新聞社が先ず動いたので
すが、 読売が一番最初に飛行機を飛ばしたので
す。 自然と日航やら航空局のパイロットたちが
集まって、 技量保持として飛んでいたとの先輩
の話でした。 自家用/使用事業なので ATR は
必要ないのですが、 ATR をとらないと一人前
じゃないという雰囲気があり、 早速、 刺激され
て勉強しました。
仕事の合間の勉強でしたから大変だったのです
が、 なんとか取りました。 その内、 日航のパイ
ロット経験者募集の広告が目に止まって、 欲が
出ましてね、 読売に内緒で受けたのですよ。 3
次、 4次と試験が進んだある日、 日航からの問
い合わせがあったということで、 部長に呼ばれ
2008 JAN
11
て叱責されたのです。 こちらは ATR を取らし
てもらった恩義もありますから引き下がったの
です。 その直後、 全日空に入っていた友人から
強い勧誘があったのですが、 部長と話し合った
ばかりでしたので動きませんでした。
それで1年ほど取材飛行に没頭したのですが、
今度は日本国内航空 (注:のち東亜航空と合併
して東亜国内航空、 そして日本エアシステムと
改称) から問い合わせがありまして、 戸惑いな
がら部長のところへ相談に行きましたら、 逆に
部長から頭を下げられました。 将来ある君を1
年間引き止めて悪かったという訳です。 それで
晴れて昭和44年1月に日本国内航空へ入社しま
した。
徳田:いよいよ日本国内航空に入られて、 森さ
んの本領が発揮される訳ですね。
森:この会社は北日本、 富士、 日東の集合体で
CV240を飛ばしており、 手順がバラバラでした。
日航から運航担当役員として来られた野尻常務
によって、 飛行マニュアルや手順が整備され、
YS-11の運航体制が整えられたそうです。 それ
まではV1速度もコールしていなかったとか聞
きました。 YS-11をうまく運航できたのは野尻
常務の功績に負うところ大であったと思います。
MD-80を DC-9の限定で飛行
徳田:日本国内航空ではYS-11を最初にお乗り
になったのですか。
森:私は ATR をもっていましたから、 10時間
足らずの訓練で F/O、 F/O 業務2ヶ月間で
CAPT OJT、 ですからYS-11の Rating をとっ
てから半年後の昭和44年11月に機長を発令され
ました。 私は三つの悪条件、 つまり①社内の人々、
とくにディスパッチャーや乗員、 整備員に馴染
んでいない、 ②飛行環境や気象の変化や地理に
慣れていない、 ③YS-11の限定をとったとはい
え、 飛行機のオペレーションに慣れていない、
という理由で最低限1年間くらいは F/O をや
りたいと申し出たのですが、 とにかく機長要員
を欲しがっていた会社に押し切られました。 当
時は Seniority もうるさくなかったものですか
12
2008 JAN
ら……。
とにかく非常に忙しかったですね。 日航から委
譲されたムーンライト路線など、 深夜便をよく
飛びました。 3日間続けて Night、 その後4日
間が Day と厳しい乗務でした。 当時、 相模原
の公団住宅に住んでいましたが、 真夏の朝帰り
のときなど暑くて眠れないのですよ。“クーラー
の効いた部屋でぐっすり眠りたい”と、 いうの
が切なる願いでした。 年間1,000時間で5年間
ほど飛びました。
徳田:それからDC-9へ移行された。
森:DC-9からMD-80シリーズを飛びました。
MD-80導入のときは問題がありましてね、 日
航から杉山さんが運航担当役員で来られて、 今
の運航レベルでは Advanced Cockpit である
MD-80は難しかろうという結論になって、 わ
ざわざダグラスに注文して、 DC-9の Cockpit
Panel をMD-80に取り付けました。 コンピュー
ターだけはデジタルだったのですが、 ダグラス
からクレイジーと言われましたよ。
飛行特性はDC-9とMD-80とはまったく別の機
体でした。 DC-9はスポーツ・カーのように舵
が敏感でしたが、 MD-80は慣性が大きく、 大
型機の操縦感覚で、 むしろ後に乗ったDC-10に
近い感覚でした。 しかし顔 (Cockpit Panel) が
同じなので、 航空局に申請した結果“DC-9シ
リーズ”と認可されました。 後から局に嫌味を
言われましたがね。 その代わり、 私たち基幹要
員は舵の相違がよく分かっていましたから、 移
行訓練はミッチリやりましたね。 しかし、 これ
森機長操縦による DC-10-30型機フェリー一番機到
着 (於羽田、 1988年4月8日)
社長と相談した結果、 月曜から金曜まで取締役
の管理業務をやって、 土、 日に飛んではどうか
と言われて引き受けたのですが、 最初は大変で
した。 例えばシンガポール路線の深夜便で、 月
曜日の朝に羽田到着、 それから会社に出頭し、
組合との団交なんかが入っていると、 月曜の夜
8時ぐらいに家に帰る具合できつかったですね。
4年間の取締役の間、 前半の2年間、 年齢的に
は60歳まで続けました。 それで62歳で取締役副
本部長を退任し、 JAC (日本エアコミューター)
の専務取締役として鹿児島に赴任したのです。
日本エアコミューター (JAC) での話
DC-10-30型機による定期運航開始
で乗員のやりくりが大いに助かったものです。
DC-10時代の思い出
徳 田 : DC-9 と MD-80 と を 約 13 年 、 そ し て
DC-10へ移行されたのですね。
森:エアバスA300が導入された時にA300へ行
きたかったのですが、 MD-80の主席教官を勤
めていましたから動けなかったのです。 やがて
DC-10が2機導入されて、 そのリーダーに選抜
されました。 訓練は日航に委託されまして、 日
航の田仲さんに主席教官を勤めていただきまし
た。 日航は訓練シラバスがピシッとしてました
から羨ましかったのですが、 われわれから見れ
ば大変ノンビリしてましたね。
それからダグラス社でのテスト・フライト訓練
を受け、 平成元年4月に第1号を領収して羽田
へ空輸しました。 この年7月から東京・那覇線
に投入されたのですが、 しばらくは機長3名と
F/E3名で路線を維持しましたね。 乗務管理課
からギネスブックものだと言われましたよ、 ハ
ハハハ……。 その後、 シンガポール便とホノル
ル便が開設されまして、 この路線に従事したの
ですが、 平成5年に取締役運航本部副本部長に
就きました。
私はもっと現場で飛びたかったものですから、
徳田:鹿児島での JAC の在籍期間は2年間ほ
どでしたね。 森さんが専務としてお越しになっ
たとき、 私は SAAB340B で飛んでいました。
森:JAC の乗員構成は、 勿論、 プロパーが中
心ですが、 本社からの出向組に加え、 自衛隊退
職組の採用等々、 それから給与格差などもあっ
て、 小さな組織ながら、 乗員組合問題が山積し
ていましたね。 その問題解決のために社長命令
で出かけて行きました。 最初は4年間の予定で
したが、 所期の目的は達成されたという訳で、
平成11年6月に退職しました。
徳田:あわただしかったですね。 それで JAC
の後、 現在の丸紅エアロスペースのお仕事をな
さっているのですね。
森:これも奇縁でしてね。 防弾チョッキなどを
作って自衛隊に納めているイーグルス社の松本
黄綬褒章受賞 (平成9年)
2008 JAN
13
ラスト・フライト直後の森さん
ラスト・フライトのお祝いの花束を受けとる森さん
社長と知り合いでしたから、 そこで仕事を手伝っ
ていたのです。 その松本さんが、 丸紅本社に空
将で自衛隊退職後に顧問をされている北川さん
(防大8期) と友人関係だったのですよ。 丸紅
が航空局へガルフ型の売り込みに際して、 ボ
ンバルディアと競って負けてしまった。 それで
次の海上保安庁への売り込みがあるのだけど、
飛行機のことを知っている人を欲しいという訳
で、 北川さんの要請で席を置くようになったの
です。 技術的な支援を担当してすでに7年にな
ります。
着陸を選択しました。 視界は更に下がって
R/W Threshold で400mになったのです。 実
際にはもっと悪かったでしょうね。 まだ真っ白
で何も見えない。 慣れない F/O が Landing
Light を点けるものだから Halation を起こし
たりして益々見えない。 あわてて Off にさせ
たりして Flare 直前になってチラッとライトが
見えたのです。 ところがこれが Center Line
Light ではない。 瞬時の判断で機首をひねって
R/W 上に Touch Down しました。 まったく
幸運でしたね。
それからDC-9で東京・鹿児島・福岡便の運航
で、 鹿児島での Approach で1500ft (対地610
ft) くらいで Auto Pilot を Off にしたんです。
ややあって少し Pitch Up Trim をとったら全
然反応が無いし、 Alternate Trim でも反応な
しで操縦輪がビクともしないのです。 慌てまし
たね。 F/O がやってもダメで、 機体はすでに
対地200ft に迫っている。 このままでは激突する
と思い、 F/O と2人で満身の力で Go Around
しました。 GPWS の“Don't Sink”を鳴らし
ながらですよ。 こんなことで無事に着陸できる
だろうかと心配しましたが、 右旋回に入ったと
きに“ガクッ”と音がして舵が軽くなって助か
り ま し た 。 Trouble Shooting で は 、 Auto
Pilot の Clutch に使用している C Ling が折れ
て、 その破片が Piston の中に噛み込んでいた
のですね。 極めて珍しい故障でした。
間一髪で着陸
徳田:今までお話になった以外でのヒヤリハッ
トをお聞かせください。
森:それは YS-11で羽田・千歳飛行の深夜便
でした。 朝の3時頃でした。 OBUCHI POINT
が NRP な ん で す ね 。 で す か ら OBUCHI で
GO か NO GO を決めるのですが、 あとは八戸
か三沢空港へのダイバートなのです。 その日は
天気が良く、 何も問題がないはずだったのです
が、 千歳の Approach に入ってから、 海霧で
視界がどんどん悪くなりました。 おまけに八戸
と三沢も同様に悪いのです。 Final Approach
では視界が800mになり、 さすがに緊張しまし
たね。 選択肢は二つしかない。 強行着陸するか、
Go Around して内陸の丘珠空港へ行くかです。
新聞社時代に飛んでいましたから、 丘珠は時間
外でも何とかなる自信があったのです。 しかし、
14
2008 JAN
西原五郎教官に啓発
空に憑かれた者の課題を省みる
徳田:パイロット人生の中で影響を受けた人物
ないし本をお教えください。
森:航空自衛隊第1操縦学校で私を担当してい
ただいた、 少年飛行兵出身の西原五郎さんです。
寡黙な人だったのですが、 トツトツと初陣の話
をされましたね。 まだ16歳でノモンハン事件で
のことで、 とにかく隊長機について出陣したそ
うです。 ところが隊長機が敵戦闘機 (イ16戦闘
機) にやられて火を噴き、 敵陣に不時着してし
まった。 そこで、 すかさず、 すぐ横に強行着陸
して、 敵戦車の迫り来るなか、 隊長を自機の後
ろに押し込んで脱出に成功したそうです。 その
勇気ある戦勲は新聞紙上を賑わしたらしいです
よ。
徳田:まさに戦争映画のようですね。
森:この武勲も凄いけど、 人間的にも尊敬でき
る素晴らしい人でした。 この人のお蔭で飛行訓
練の礎を創ってもらったと思っています。 それ
から東大名誉教授の山名正夫教授。 一時、 防大
の教授もおやりになりましたね。 全日空機の羽
田沖墜落事故 (昭和41年2月4日) の事故調査
で木村秀政さんと対立した人ですが、 著書 「最
後の30秒」 を読んで、 深い感銘を受けました。
徳田:現在も丸紅エアロスペースで顧問をして
いらっしゃるので、 老後うんぬんは省略して、
後輩パイロットへのアドバイスをいただきます
か。
森:少し堅苦しくなりますが、“空に憑かれた
者が、 空に求めて止まぬモノは何か?エアマン
として目指すモノは何か?”を追及して欲しい
と思います。 私が得た結論は、“心の安らぎ”
ではなかったかと思います。 宗教の世界に一脈
通ずるものがありますが、 15世紀のイギリス海
軍のドレーク提督 (注5)が提言したシーマンシッ
プの次の言葉を、 エアマンシップに置き換えて、
次世代の後輩諸兄に申し送りたいと思います。
“我が遺産をしかと君たちの手に渡した。 否、
そればかりではない。 君たちは来るべき世紀の
子孫たちに、 心に遅れをとったり、 腕の力を抜
いてはならないことを教えねばならない”
徳田:まさに肝に銘ずべき言葉だと思います。
本日は長い間、 有難うございました。
注1:戦時に上海にあった大学で 「幻の名門校」 と
いわれた。 日本全国から俊秀が集い、 約5,000
人が学んだが、 終戦により廃校した。 戦後、
卒業生の多くは日中の架け橋として活躍した。
人は歳月を重ねたから老いるのではない
徳田:森さんのお話を伺っていますと、 自分の
もてる全エネルギーを空に傾注されてきたこと
が、 ひしひしと伝わって来ますが、 座右の銘が
ありましたらお教えください。
森:一口に言えば“理想と情熱を掲げ続ける”
ということでしょうか。 サミュエル・ウルマ
ン (注4)の著書 「青春の賦」 の一節にある“人は
歳月を重ねたから老いるのではない。 理想と情
熱を失ったとき老いるのである”という言葉は
至言と思います。 年齢に関係なく、 何にでも挑
戦することが重要で、 海外旅行でも何でも時間
を割いて行けばいいのです。
注2:主に軍隊又は準軍隊組織における特殊軍事組
織であり、 占領地である満州地域での諜報・
宣撫・対反乱作戦が任務であった。
注3:自衛隊パイロットは所定の飛行訓練課程 (当
時約280時間) 修了後、 Wing Mark を授与。
注4:ユダヤ系ドイツ人の実業家で詩人、 教育者。
ユダヤ人迫害を避けてアメリカへ亡命し活躍
し た 。 1920 年 の 80 歳 記 念 に 自 費 出 版 し た
“YOUTH;青春の賦”は名高く、 マッカー
サー元帥や松下幸之助も座右の書にしたこと
で有名である。
注5:16世紀後半に西インド諸島で暴れまわったイ
ギリス海賊船々長。 莫大な戦利品を本国へ持
ち帰へり、 エリザベス1世によってサーの称
号を与えられた。 53歳で病死。
2008 JAN
15
森一三司氏略歴:
り、 現在に至る
昭和10年3月31日、 満州国奉天市 (現・瀋陽) 生
趣
昭和29年3月
佐賀県立佐賀高校卒業
乗務機種
昭和33年3月
防衛大学校 (2期生、 機械工学
T34A、 T6G、 T33A、 F86F、 セスナ195 &
専攻・航空要員) 卒業
210、 バロンB-55、 ツインボナンザ、 ビーチ
航空自衛隊入隊
18S、 (ヒューズ300) YS11、 DC9、 MD80、
T34A 初等練習機、 T6 G 中間
DC10
練習機、 T33A ジェット練習機、
総飛行時間
昭和33年4月
味
テニス、 囲碁、 釣り、 ヨット
14,410時間59分
F86F 戦闘機乗務、 T6 G 教官業
務
昭和39年5月
読売新聞社入社
昭和44年1月
日本国内航空入社
昭和44年11月
YS-11型機機長発令
DC-9、 MD-80シリーズ、 DC-10
型機機長、 専任教官、 テスト・
パイロットに従事
平成元年7月
乗員訓練所長
平成元年9月
運輸大臣賞受賞
平成3年4月
乗員室長
平成5年6月
取締役・運航本部副本部長
平成6年5月
∼10年5月
平成9年5月
日本航空機操縦士協会副会長
黄綬褒章受賞
平成7年5月30日
DC-10による東京・福岡便
でのラスト・フライトをもって
パイロット現役終了
平成9年6月
日本エアシステム取締役・運航
本部副本部長退任
平成9年6月
日本エアコミューター専務取
締役就任
平成11年6月
日本エアコミューター退任
平成12年12月
丸紅エアロスペース顧問とな
16
2008 JAN
取材を終えて:森さんは、 私が鹿児島空港に
本社がある日本エアコミューターでお世話に
なっていた時に、 専務取締役として来鹿され
て以来、 ご交誼をいただいている。 精力的な
ご活躍には目を見張ったが、 久々にお逢いし
て、 そのエネルギッシュな立ち居振る舞いは、
往時のそれと変わらなかった。 森さんの爽や
かな弁舌からくり出す多彩なパイロット暦と、
エアライン・パイロットでは経験できない興
味あるエピソードの数々には、 終始、 圧倒さ
れ通しだった。 航空自衛隊での大事故を乗り
越え、 民間パイロットとして不死鳥の如く立
ち上がった森さんの強靭な精神力に支えられ
た人生は、 われわれに、 又現役パイロットに
多くの示唆を与えてくれる。 その全てを掲載
できないのが残念である。 昔懐かしい飛行機
や仕事への試行錯誤、 訓練模様、 それに次々
に出てくる人々の名前を懐かしみながら、 取
材という枠を超えて、 楽しい3時間がアッと
いう間に過ぎてしまった。 好漢、 森さんのこ
れからの益々のご活躍を心からお祈りします。
徳田
記
B737NG HUD 特別研修報告
―ANA B737-700シミュレーター操縦体験―
@全日空乗員訓練センター
2007年10月26日 (金)
FT (フライト・テスト) 委員会 岩瀬
健祐
HUD Display Picture:Primary Mode
● FT
委員会の平成19年度活動の一環として、
平成19年10月26日 (金)、 1030∼1600にわたっ
て、 全日空乗員訓練センターにおいて、 HUD
(Head Up Display) を利用した進入・着陸研
修が、 B737-700 No.2 シミュレーターを使って
行われました。 参加者は、 JAPA 会員17名、
関連企業等技術者13名の計30名でした。 全日空
の、 富永キャプテンと高橋さん、 エアーニッポ
ンの堂園キャプテンと大島さんが、 お世話くだ
さいました。 誌面を借りて厚く御礼申し上げま
す。 当日の研修内容を、 配布されたスライド資
料および、 数名の出席者に思いだしてもらった
Q&Aを含めて誌上で紹介します。
(文責;岩瀬)
● ヘッドアップ・ディスプレイの概要説明
雨の中、 10時30分までに全員集合し、 乗員訓
練センターの1階プレゼンテーション・ルーム
で、 エアーニッポン運航本部 運航基準部
技術課の大島 睦実さんより、 「ヘッドアップ・
ディスプレイの概要」 について、 パワー・ポイ
2008 JAN
17
ントのスライドを使って、 約1時間の説明があ
りました。 (この講義および、 質疑、 さらに PC
と模擬操縦桿をつかった、 シミュレーション・
フライトの練習は、 午後のシミュレーターでの
研修に、 非常に役立つ内容でした。)
● システムの呼称
HUD はこの種システムの総称であり、 機器
メーカーによって、 HGS (Head Up Guidance
System)、 VGS (Visual Guidance System)
と呼ばれている。
● B737NG の HUD について
B737NG に装備されている HUD は、 下記の
通りである。 (NG は Next Generation の略で、
B737-600/700/800/900の機体の総称。 映画制
作等で使う、 ダメとは違います。 念のため!)
・左席のみ装備 (B737-800も同じ)
・標準装備ではなく標準オプション
・Rockwell Collins または BAE System のも
のが選ばれている (ほとんど前者)
・STC (Supplemental Type Certificate;追
加型式設計承認) として認可されている
● ANA
仕様 HUD 関連機器の
大体の位置関係
操縦席での HUD 関連機器の名称と大体の装
備位置は下記のとおりである。
・Combiner は、 キャプテンの目の前
・Overhead Unit は、 キャプテンの頭上
・HGS Annunciator Panel は、 コーパイロッ
ト PFD の右側
・HGS Control Panel は、 左側ペデスタル
・HGS Computer は、 E/E Compartment 内
● 主要表示内容
(*以下のスライド参照)
Combiner に表示される主要表示内容は、
*Flight Path Symbol
18
2008 JAN
*Flight Guidance Cue
*Flight Path Acceleration
*Speed Error Tape
・Air Speed
・Baro Altitude
・Vertical Speed
・Aircraft Reference Symbol
・Glide Slope Reference Line
さらに、 表示 Mode によって追加表示がある。
● 表示モード
Combiner に投影される表示モードには下記
4つがあり、 末尾のカラー・スライドに表示内
容を示す。
① Primary Mode:全 Flight Mode で使用
可能
② VMC Approach Mode:FD を使用しない
Approach 用
③ IMC Approach Mode : FD を 使 用 す る
Approach Mode (エアーニッポンで最も多
用)
④ A Approach Mode:Manual (手動操
Enhanced Vision System (EVS) となる。
・・・・・・・
昼
食
・・・・・・・
● B737シミュレーター試乗(1300∼1600)
昼 食 後 、 参 加 者 を 7 組 に 分 け て 、 B737
Simulator を使って、 HUD による操縦体験を
実施した。 Simulator 試乗に先立ち、 早い組か
ら順番に、 パソコンにプログラムされた HUD
のシミュレーション・モデルを使い、 スクリー
ンに映し出される HUD の表示を参考に操縦練
習を体験した。 (次ページ写真参照)
縦) CATa Approach 用
以上の Mode の他、 Rollout 時、 Takeoff と
Landing 時 の Tail Strike Advisory 、 TCAS
RA および、 EVS の表示例をスライドで示す。
● HUD
運用上のメリット
HUD 運用上のメリットとして、 次の4項目
が挙げられている。
① Head down と視線移動に起因する不安全
要素の排除
② 進入・着陸の更なる安定化、 および接地精
度の向上
③ Tail Strike の防止
④ より安全でスムーズな TCAS RA による
回避操作が可能 (カラー・スライド参照)
*B737-800で同じ Rockwell Collins 社製 HUD
を運用している、 日本航空での評価もほぼ同
じである。 (岩瀬)
実際の Simulator では、 Visual ON、 Motion OFF で、 On Final 約1,000 ft からの、
Manual 操縦での Approach & Landing を実
施した。 VMC、 CAT、 または、 一部のパイ
ロットは、 CATの気象条件下で、 Final App
roach、 Flare、 Touch Down、 Rollout まで、
HUD の有効性を体験できた。
● 今後の機能強化
将来は次のような機能が強化された HUD が
出現するであろう。
① Overhead Unit が CRT から LCD 仕様と
なる (最近のモデルは LCD 仕様である)
② Dual で標準装備となる (B787)
③ 赤外線カメラの映像を組み込んだ
2008 JAN
19
● Q&A
午前中の講義およびシミュレーター体験での
質疑応答を以下に示す。 過去のどの研修よりも
質問が多かったのは特筆に価する。 (順不同)
Q:表示の色が緑だけなのはなぜか。 表示項目
により色を使い分けることはないのか。
A:色の基準は設定されていない。 人間の視覚
特性として緑色が最も明るく感じられる。 外
界の明るさや景色の色に影響を受けないため、
他の色は使われていない。 比視感度が理由と
して考えられる。 また、 Combiner が1種類
の波長 (色) しか反射できないためである。
Q:座席に座ったパイロットの目の位置の調節
は特別なやり方があるのか。
A:通常の目の位置でよい。 一寸した目の位置
ずれは問題にならないが、 従来型計器より目
の位置はシビアである。 ある角度以上の斜め
後方からは見えないし、 右席からは全く見え
ない。
Q:急減速のときパイロットの顔がぶつかって
怪我をしないか。
A:Combiner は、 外側 (前方) に跳ね上がる
ようになっているので大丈夫。
Q:高齢パイロットでもシンボルのサイズ問題
ないか。 また、 表示の焦点はどこになってい
るか。
A:サイズの問題は報告されていない。 焦点が
無限遠なので Head Down Display と外界の
Scan において、 HUD の表示の焦点が無限
遠になっているので、 老眼の方々には有利で
す。
Q : 横 風 が 強 い と き 滑 走 路 に 対 し て Flight
Guidance Cue は振り切れるのか。
A:端に張り付いている。
Q:現在位置表示 (Flight Path Symbol) は
IRS/GPS 補正のハイブリット方式か。
A:IRS シグナルは使われているが、 GPS に
よる補正は無い。
Q:CAT対応の機体は何があるか。
A:B-767、 B-747-400、 B-777、 A-300-600等
20
2008 JAN
の機体は、 CAT の機能を持っており、 日
本では Auto Land で CAT が認可されて
いる。
Q:HUD がデュアルで装備されている機種は
あるか。
A:現在はA380やE-170以降の機種でオプショ
ン、 近い将来のB-787は標準装備です。
Q:デュアル装備の場合、 システムの構成はど
のようになるか。
A:Redundancy の観点からも完全な2系統。
Q:将来の HUD の Overhead Unit が、 LCD
仕様になったときも、 輝度は大丈夫か。
A:特殊な映像投影システムを採用しているの
で全く問題ない。
Q:Remaining Distance はどのように計算さ
れて表示されるのか、 RTO でも使えるのか。
A : Glide Slope 電 波 と 電 波 高 度 計 に よ り
Threshold を決定し、 加速度を積分して、 あ
らかじめ入力した滑走路長から引き算をする。
RTO 時も使える。
Q:Standard Eye Position からの Combiner
表示範囲までの視野角はいくらか。
A:はっきりとした数字は持ち合わせていない。
30度から40度ではないか。
Q:Captain と Copilot の情報の違いについて、
何かパイロットからコメントでていないか。
A:聞いていない。
Q:Flight Path Symbol と実際の自機のポジ
ションの誤差はないか。
A:ほとんど無い。
Q:Flight Mode Annunciation も表示される
か
A:表示される。
Q:EVS は赤外線カメラによる映像との組み
合わせか。
A:そうだと思います。
Q:Enhance Vision System は実用化されて
いるか。
A:どこかの Business Jet で STC を取ったと
聞いている。 今年B737も STC を取る予定。
Q:横風何ノットまで、 ガイダンスは表示され
るか。
A:特に制限は無いが、 非常に横風が強い場合、
表示が画面の端に止まることがある。
Q:実世界とシンボルが一致できなくなったら
どうなるか。
A:シンボルが外界に追従できなくなったら、
シンボルは点線になる。 Ghost と呼ばれて
いる。 しかしながら、 ガイダンスとしての機
能は依然有効である。
Q:IR イメージを使った表示に遅れがあると
すれば、 もし外界が見えれば外界か、 IR イ
メージのどちらを優先としなければならない。
シンボルの間で時間的な遅れ、 ずれが生じる
恐れはないか。
A:実際にメーカーで見せてもらったときには
そういう問題は感じなかった
Q:HUD の使用は任意か。
A:使える限りは HUD を使おうと考えている
ので、 コンバイナーは常に下げている。
Q:CAT をマニュアル操縦で認可されてい
るのか。
A:システムとしては承認されているが、
ANK としては Manual CAT の承認は受
けていません。
Q:B737の HUD オペレーションで、 パイロッ
トのタスク配分はどのように決めているか。
A:ANK では、 DA+100ft でスキャンパター
ンを変える。 PF は HUD と外界のみ。 PM
(Pilot Monitoring) は HD (Head Down)
計器に専念。
Q:HUD 搭載により既存計器は減らせるか。
A:MEL では HUD の装備数1必要数0となっ
ており、 既存計器を減らすことはできない。
Q:B787についても同じか。
A:Dual HUD で機体 System への Integrate
が 予 定 さ れ て い る が 、 Boeing に よ る と
HUD はあくまで additional としての扱いで
ある。 また、 機体に CAT b の能力が有あ
るので HUD には、 A Approach Mode は
ない。
● HUD について
(インターネット等情報)
HUD は、 古くは戦闘機のパイロット用に開
発されたものである。 計器類の操縦に必要なデー
タを、 パイロットの前方の Combiner (統合表
示計器) に投影表示し、 パイロットが Head
Down (目線を下げて) して計器を見ることな
く、 機外を目視することに専念しつつ、 所望の
飛行が出来、 さらに機銃やミサイル等の
Weapon のコントロールも可能としたシステム
である。
航空自衛隊では F-1 に初期の HUD を搭載し、
以降の機種に改良された HUD を採用しており、
現代の戦闘機パイロットにとっては、 当り前の
装備品である。 ただし、 速度表示のスケールの
方向が、 通常の民間機の PFD (Large Number Top) とは逆になっている。
研修を受けての感想アレコレ (岩瀬)
①
軍用機に採用された技術が、 民間機に導入
されるのは、 昔は20年を要するといわれ、 少
しずつその遅れが短くなっていたが、 こと
HUD に関しては、 非常に遅れているとの印
象がある。
② 戦闘機の HUD では、 縦型の Speed Tape
の目盛りの方向が、 Small Number Top と
なっているが、 推力を変えずに Pitch Up し
て高度を上げれば速度が減るという、 飛行の
常識の反映である。 民間機では、 ビジネス・
ジェット G-の PFD が、 戦闘機と同じ考え
に基づいて、 Small Number Top となって
いる。
③ HUD が常用されて安全性・快適性が向上
するメリットは良くわかるが、 パイロットの
Scanning Pattern が HUD 中心となり、 従
来の低視程下での Approach 中の Composite Flight における Scanning との違いにつ
いて、 正しく認識する必要がある。
④ HUD Symbol の機能を使いこなすには、
慣れも必要であるが、 実運用に入る前の座学
での解説と、 シミュレーションの有効活用が
2008 JAN
21
望まれる。 今回の研修で、 まさにその成果が
実感できた。
⑤ Flight Guidance Cue の Command に対
応し、 small but quick な操舵が必要である。
Flight Path Symbol の中に Cue を閉じ込め
るような修正ができれば、 非常に精度の高い
Approach & Landing となる。
⑥ また、 視認できる外界と HUD Symbol の
見方について、 前方風景の中に Symbol が
存在するという感覚で、 Symbol に一点集中
しないことがコツであるとの、 ANA キャプ
テンのコメントはなるほどと感じた。
⑦ ライン・フライトで機長と副操縦士の
HUD を使う経験差が生じるので、 航空会社
として、 Recurrent Training 等に工夫が必
要であろう。 機長昇格 OJT 時の右席に座る
機長の役割も明確にしておく必要がある。
⑧ 軍用 HUD は、 陸海空の特定の機種に装備
されており、 夫々の任務にあった表示内容と
なっている。
● 特別コメント
(HUD を甘くみないで下さい)
HUD 研修時のシミュレーター教官を担当し
ていただいた、 ANK 堂園キャプテンから、 貴
重なコメントをいただきましたので紹介します。
「HUD は従来から使用してきた計器類とはス
キャニングを含め利用の仕方が異なり、 適切な
プログラムにより訓練を受けることが大切です。
また、 HUD を使いこなすには、 かなり時間を
22
2008 JAN
要します。 単に Ground School とシミュレー
ター訓練を受けただけでは、 初歩的な使い方を
習得したに過ぎません。 満足なレベルに達する
には、 実際の運航環境の中で経験を積むことが
必要であると痛感しています。 さらに、 訓練と
経験に担保されたパイロットは、 HUD を有効
なシステムとして使いこなしていくことが可能
であり、 結果的に HUD 導入は、 運航の安全性
向上に間違いなく寄与すると思われます。 」
● 終わりに
FT 委員会が企画した、 この HUD 研修のた
めご協力いただいた、 ANA 関係者の皆様に心
より御礼申し上げます。
さらに、 記事執筆のために、 研修参加者から
の写真提供、 Q&Aメモの提出、 他の HUD 運
用経験の紹介等のご協力もありました。 また
JAL 運航技術部の専門家にもいろいろな確認
の相談をさせてもらいました。
特に、 ANK の大島さんには、 プレゼンテー
ションで使われたスライドの一部掲載を承諾い
ただいた上に、 お忙しい中、 記事の内容チェッ
クと、 Rockwell Collins 社の HUD Display の
写真掲載の許可も取得していただきました。 誌
面を借りて厚く御礼申し上げます。
この一文が、 現在 HUD 運用中のパイロット
の皆様や、 これから使い始めるパイロットにとっ
て少しでも役立てば幸いです。
HUD Combiner
主要表示内容
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HUD Display Picture:VMC Approach Mode
HUD Display Picture:IMC Approach Mode
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HUD Display Picture:A Approach Mode
HUD Display Picture:Rollout 時の表示
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HUD Display Picture:Tail Strike Advisory (Landing)
HUD Display Picture:Tail Strike Advisory (Takeoff)
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HUD Display Picture:TCAS RA
HUD Display Picture:EVS (Enhanced Vision System)
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RNAVの 空
第6回
JAPA 運航技術委員会
そして、 RNAV の空は…
RNAV 分科会委員
南
正樹
RNAV の空 も今回が最終回となります。 将来の RNAV 運航はどうなっていくのか?
その方向性について RNAV/ATM 推進協議会による 「RNAV ロードマップ (第2版)」 で
描かれている RNAV の長期の導入・展開計画をもとに、 見ていきましょう。
〈RNAV 運航の主な導入効果〉
航空機の航法精度等の向上により、 経路の設定自由度 (柔軟性) が増大。
① 空域の容量拡大、 経路数の拡大
② 公示経路の短縮 (搭載燃料の軽減等)
→運航の効率化、 環境負荷軽減 (CO2) の軽減に寄与
③ 騒音の軽減
④ 管制指示軽減による管制官・パイロットのワークロード軽減
⑤ 運航上の安全性・就航率の向上
これまでに見てきたように、 「将来の航空需
要の増大」、 「運航効率の向上」、 「環境問題」 と
いった航空の将来における諸課題に対する方策
の一つとして日本の空に導入・展開されつつあ
る RNAV は、 「RNAV ロードマップ」 に描か
れているように、 国際基準に基づく RNAV の
初期導入を目指した平成19年 (2007年) 度まで
の短期計画、 RNAV 経路の全国展開による運
航効率の向上を目指す平成24年 (2012年) 度ま
での中期計画を経て、 更に高規格な RNAV の
導入による空域容量の拡大を目指す長期計画へ
と繋がっていきます。
では、 平成25年 (2013年) 度から平成30年
(2018年) 度以降の長期計画 (将来の方向性)
について、 「RNAV ロードマップ」 にはどのよ
うに書かれているのかを、 航空路、 ターミナル
(出発経路、 到着経路)、 進入方式に分けて見て
みましょう。
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2008 JAN
①航空路
・RNAV5 の基準に基づく経路は、 RNP2 の
基準に基づく経路に順次変更し、 運航効率
を高い次元で達成する RNP 運航を基本と
した航空路ネットワークの全国構築を目指
す。
・4D-RNAV (後述) の航法機能と ATM
(航空交通管理) 機能が密接に連携するこ
とにより、 出発から到着までの運航が高い
効率性をもって実現され、 全体の交通管理
が高い次元で実現可能となる運航の導入を
目指す。
・29,000フィート以上の空域及び繁忙空港の
出発経路や到着経路に接続する航空路部分
にあっては、 RNP2 の義務化を目指す。
第3回にご紹介しました 「スカイハイウェイ」
は 、 羽 田 空 港 の 再 拡 張 に 合 わ せ て 平 成 22 年
(2010年) 度中に全国的に展開される予定です
が、 そのスカイハイウェイの29,000フィート以
上の空域及び繁忙空港の出発経路や到着経路に
接続する RNAV 経路は、 経路横間隔を将来的
には8∼10マイル (約15∼19km) まで縮める
RNP2 (航法精度±2マイル) に高規格化され
ていきます。
また、 第2回にご紹介しました ATM セン
ター (航空交通管理センター) の機能を活用し、
各航空機が指定された地点を指定された時刻に
通過する 4D-RNAV 航法機能も導入され、 出
発から到着までの全体の交通管理が高い効率性
をもって実現されていく予定です。
②ターミナル (出発経路、 到着経路)
・中程度以上の交通量の空港に設定される
RNAV1 の出発経路及び到着経路は、 高機
能な航法要件を必要とする RNP1 の基準
に基づく経路に順次変更し、 4D-RNAV
の航法機能と ATM 機能が密接に連携す
ることにより、 運航効率を高い次元で実現
する。
・繁忙空港にあっては、 高機能な航法要件を
必要とする RNP1 の義務化を目指す。
2008 JAN
29
ターミナルの出発経路、 到着経路は RNP1
の基準に基づく経路となっていき、 さらに
ATM 機能と 4D-RNAV 航法機能を緊密に連
携させていくことによって、 混雑空港の処理機
数がさらに拡大していくことが期待されます。
RNAV と RNP の違いについては、 Pilot 誌
2007 No5 SEP 第4回に簡単な説明をしており
ますので、 ご覧下さい。
前回 (第5回) ご紹介しました RNP AR
(Authorization Required) 進入は、 空域容量
の増大や騒音の軽減が見込まれる空港に導入さ
れていく予定です。
さらには、 GPS、 SBAS、 GBAS などを利用
する衛星航法を活用した精密進入の導入も検討
されていきます。
我が国の多くの空港では、 日本の国土の特徴
から空港周辺に山などの障害物を抱えているた
めに ILS 進入の設定は滑走路の片側に限定さ
れていますが、 RNP AR 進入の整備に加えて
衛星航法による精密進入も実現した暁には、 現
在よりもずっと高い次元で就航率や安全性が向
上することでしょう。
30
2008 JAN
③進入方式
・GPS の性能向上に基づく APV 運航の導
入を目指す。
・RNP AR 進入を主要空港に展開し、 就航
率や安全性の向上を図る。
・RNP AR 進入により、 空域容量の増大や
騒音上の便益が見られる空港にあっては、
RNP AR 進入の義務化を目指す。
《参考》
GPS:Global Positioning System (全地球的
測位システム) のことで、 地球上の現在
位置を調べるための衛星測位システム。
SBAS : Satellite Based Augmentation System (静止衛星型衛星航法補強システム)
のことで、 日本のシステムは運輸多目的
衛星 (MTSAT) 用衛星航法補強システ
ム (MSAS) とも呼ばれ、 GPS 補強情
報を静止衛星を経由して航空機に提供す
る航法システムで、 太平洋上を含めて日
本が受け持つ管制空域すべてを誘導する
ために使用されるシステム。
GBAS : Ground Based Augmentation System (地上型衛星航法補強システム) の
ことで、 航空機の高精度の着陸を可能と
するために、 空港周辺の約20NM (約37
km) 以内の空域において、 GPS 信号を
地上から補強する誘導システムで、 航空
機の進入着陸誘導に利用される。
さて、 RNAV が整備された将来の日本の空
は、 「RNAV ロードマップ」 において以上のよ
うな姿で描かれています。
そう遠くない将来、 航空機は出発から到着ま
での全過程において RNAV 経路を飛行し、 衛
星信号を利用して運航されるようになるでしょ
う。 経路間の横間隔も航空機間の縦間隔も現在
よりもぐっと狭くなり、 ATM 機能も活用して
各航空機が各地点を指定された時刻に通過する
ようになり、 空域容量は格段に増大し、 効率的
な運航が可能となるでしょう。
管制官の業務負担量も軽減されるとともに、
RNP が整備され、 衛星航法も整備された将来
は、 地上レーダーが運航の条件ではなくなり、
また、 現存の VOR などの航空保安無線施設も
その役割を終え、 縮退していくことにもなりそ
うです。
航空機の実際の運航においては、 全てが当初
の計画通りに運ばないことがよくあります。 例
えば、 航空路上に積乱雲が発生した場合などは、
デビエーションを要求する航空機が多くなった
り、 空港周辺の気象条件により使用滑走路が変
わったりした場合は、 着陸可能な機数が変化す
ることもあります。 そのような場合には、 現状
よりも航空機間の間隔が狭くなり効率的になっ
た分、 交通流の管理がとても難しくなるのでは
ないでしょうか?
そのような時への対応策の一つとして、 第2
回にご紹介した、 ATM センターを中心とした
CDM (Collaborative Decision Making) とい
う協調的に意思決定を行う仕組みも整備されて
きていますが、 時に人間の想像を超える自然が
相手の空の世界では、 効率的なシステムの整備
とともにそのシステムを活用していくための運
用面での柔軟性の確保についても、 引続き検討
と研究が必要になっていくのかもしれません。
将来の 「RNAV の空」 をイメージしつつ、
その中で飛ぶ自分たちの姿もイメージしながら、
より安全で効率的な空の世界を築き上げて行く
ために、 私たちもパイロットの視点からのサポー
トを続けて行きましょう。
しかし、 パイロットの視点から少し気になる
こともあります。
「RNAV の空」 は今回で終了します。 長い間お付き合い下さいまして、 ありがとうございまし
た。
2008 JAN
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航空医学適性のQ&A
健康管理について考えてみよう!
第4回
シミュレーターによるPhysical Incapacitation の再現と
CRM (Crew Resource Management) の応用についての試み
航空医学委員会
このたび、 航空医学安全委員会は PILOT 誌に、 操縦士のための
健康情報を掲載します。 会員の皆様、 自らの健康作りに活用してください。
位置づける概念が主流となりつつあります。
はじめに
Crew Incapacitation (機能喪失) は、 年齢、
飛行の各段階に関係なく発生します。 症状は幅
広く、 突然死から腹痛・睡眠不足にいたるまで、
精神的機能あるいは身体的機能の全喪失と一部
喪失の場合に大別されています。
運航への不安要素を防止する対策は、 操縦士
が Incapacitation に陥る可能性を十分理解し、
あらゆる環境下で適切に対処できる意識と技量
水準を維持することです。
Incapacitation を早期発見するためには、 各
飛行の段階で有効な相互確認の手順を確立し、
操縦士がお互いに相手の状態を正確に観察し監
視することが必要となります。 この場合、 症状
が 相 手 に 伝 わ り 難 い 一 部 喪 失 の 方 が Take
Over (操縦引継ぎ) のタイミングが遅れる原
因になります。
現在は、 定められた手順に沿って標準操作等
の実施状況を確かめ、 他の操縦士の Incapacitation を認識する方法が確立されています。
昨 今 、 IOSA (IATA Operational Safety
Audit)
の Guidance Material と MPL
(Multi-crew Pilot License) に 関 す る ICAO
要件には、 Incapacitation 訓練の確実な実施が
強く推奨されています。 航空会社は、 具体的な
対応を迫られています。 また、 PNF (Pilot
Not Flying) を PM (Pilot Monitoring) と
32
2008 JAN
Incapacitation 時 の 操 縦 引 継 ぎ は 、 既 に
Take Over 操作として確立されています。 し
かし、 咄嗟の対処は、 Incapacitation を想定し
た意識水準を維持するだけでは不十分です。 定
期的な訓練を通じて Take Over を繰り返し、
訓練を重ねる事が対処機能の向上に繋がります。
更に、 座学訓練は、 Incapacitation に対する
意識水準の維持と高揚に有効です。 関係者との
協力や役割分担等に関する知識の整理と手順の
レビューは、 進入と離着陸時以外つまり時間的
余裕がある状況下の措置に有効です。 しかし、
時間的余裕の少ない進入と離着陸段階の Take
Over は、 定期的な操縦経験 (訓練) が必要で
あり重要な演練科目になると考えます。
IOSA の Guidance Material (抜粋)
・ The Operator shall ensure flight crew
members receive training and when applic
able , demonstrate competence in crew
member duties and procedures related to
flight crew incapacitation.
航空会社は、 Crew Incapacitation に関わ
る訓練を確実に行い、 必要な場合には、 乗員
が役割分担と手順を行う能力を実証しなけれ
ばならない。
MPL に関する ICAO 要件 (抜粋)
・ Communication effectively with other
flight crew members and demonstrate the
ability to effectively perform procedures
for crew incapacitation, crew coordination,
including allocation of pilot tasks, crew
cooperation,adherence to standard operating procedures (SOPs) and use of checklists.
他の乗員と効果的なコミュニケーションが
でき、 かつクルー・インキャパシテーション、
パイロットの各役割分担やクルー間の協力を
含むクルー・コーディネーションのプロシー
ジャ、 スタンダード・オペレ−ション・プロ
シージャの遵守およびチェック・リストの使
用を効果的に行う能力を実証すること。
当医学委員会が NTSB の事故レポートを解
析した結果、 いかに身体検査基準を厳しくして
も、 あるいは、 最新検査機器をいかに導入しよ
うとも、 Physical Incapacitation を予測し、
その発生を0%にすることは不可能であること
が推測されました。
そこで、 観点を結果としての事故ならびにイ
ンシデント0%という目的に変更し、 そのため
に何が必要なのかを検討しました。 結果、 ひと
つ の 方 法 と し て 、 わ れ わ れ は ま ず Phsycal
Incapacitasion が起こったときのシミュレーター
訓練を行うべきという結論に至りました。
今回実際にシミュレーターを使用して訓練を
行ないましたのでここに報告します。 これは、
あくまでも将来に向けてのトライアルです。 ま
た航空各社は同様の訓練を具体化する方向で準
備を進めており特記すべき事柄であると受け止
めています。
−トライアルの報告−
〈方法〉
B777のシミュレーターを使用した
Physical Incapacitasion を Stroke (ST) と
Heart Attack (HA) の二つに限定した。
Stroke (ST) 脳卒中
Heart Attack (HA) 心臓発作
状況として、 離陸・着陸時に Physical Incapacitation があるという想定をした。
同時に機体のトラブルが発生する設定はしな
かった。 (二つのトラブルが同時に起こること
は、 想定外と判断した。)
機長は50歳代、 副操縦士は40歳代でB777の
限定保持者であった。
ランプアウトから離陸、 上昇、 巡航、 降下、
着陸、 ランプインに亘るすべての行程において
CRM (Crew Resource Management) による
Standard Call Out が行われていた。
〈結果〉
1) 離 陸 時 、 機 体 速 度 が 80Kt 時 に 機 長 が
Heart Attack で死亡した場合を想定した。
(HA at 80kt)
離陸滑走時に80kt のコールが副操縦士より
あり、 それに対する返答がなく、 もう一度80kt
のコールにも機長よりの返答がなかった。 2回
のコールアウトに対する返答がないため、 左側
の機長を確認したところ、 機長はコントロール
ホイルに倒れこんだ形で返答がなかった。 その
時点で副操縦士は 「I HAVE」 を宣言し、 機体
のコントロールを行った。
この場合は、 離陸中止 (reject) を選択、 機
体は安全に停止することができた。
2)離陸後、 V1 (離陸決定速度) VR (ローテー
ション速度) V2 (安全離陸速度) に達し
たところで片発エンジン停止と同時に、 機
長が Heart Attack で死亡した場合を想定
した。 (HA after V1)
2008 JAN
33
離陸滑走後、 80kt、 Hold のコールに対する
機長の反応は正常であった。 その後、 V1・VR
のコールに対して機長は反応せず、 2回のコー
ルに対する反応がないために副操縦士が Take
Over した。 機体は正常に上昇を継続した。
基本的に Heart Attack の場合は、 即死に近
い状況を想定し、 機長の体が前に倒れこみ、 両
手はコントロールホイルとスロットルレバーか
ら離れてしまうことを想定した。
Incapacitation 役の機長の感想としては、 コ
ントロールホイルを体全体で押す感じでやって
みたが (機体はすでに離陸しており墜落を避け
るためにはコントロールホイルはあるプレッ
シャーで手前に引かなくてはならない) ショル
ダーハーネスのために体全体が自然にコントロー
ルホイールを押すことは不可能だった。
副操縦士の感想として、 右席側のコントロー
ルホイールの操作性 (機長側と連動している)
もほとんど気になることもなく、 通常通りのコ
ントロールを行うことができた。 また、 オート
パイロットに移行後には、 スムーズに機長の体
を片手で起こし、 電動シートのスイッチで容易
に機長の体を移動させることが可能だった。
3)
1)と同様の条件で Stroke による Incapacitation を想定した。 (ST at 80kt)
Heart Attack との違いは、 Heart Attack
の場合は、 基本的にほとんど即死に近い状況を
設定し、 両手がコントロールホイールとスロッ
トルレバーから離れることを想定したが、
Stroke の場合その神経学的特性 (屈筋の能力
が最後になくなる、 つまり握ったまま離せなく
なる) ことを加味して、 両手は離せないまま
Incapacitation に陥ったことを想定した。 よっ
て、 機長の左手はコントロールホイルを握って
おり、 右手はスロットルレバーを握った状態と
なる。
前述の1) と同様コントロールは簡単であっ
た。 特に当初危惧していたコントロールホイー
34
2008 JAN
ルに関する問題はまったくなかった。 むしろ、
スロットルレバーの上におかれた機長の右手が
邪魔であったが、 機長の右手の上からスロット
ルレバーを握ることにより、 エンジンをアイド
ルとし、 さらに逆噴射レバーを引くことによっ
て簡単に状況は解決した。
4)
2)と同様の条件で Stroke による Incapacitation を想定した。 (ST after V1 )
前述の2) 3) と同様に機体のコントロール
は簡単であった。 この場合は、 オートスロット
ルボタンを押すことにより、 3) よりも操作性
は簡単であった。
5)着陸時に Heart Attack による Incapacitation を想定した。 (HA at 100 above Approach Minima)
ILS CATI 進入中に Approaching Minimum
最終着陸判断をする高度 (Dicision Altitude,
DA) より100ft 高い高度、 着陸帯より300ft 高
い高度 において Heart Attack が起こったこ
とを想定した。
着陸時にはまず500ft、 Approaching Minimum (DA より100ft 高い高度)、 Minimum
(DA) のコールが行われる。 今回、 機長は500
ft、 副操縦士からの Approaching Minimum
というコールに対する反応がなく、 さらに副操
縦士はもう一度 Approaching Minimum のコー
ルを行い、 それに対する反応がない時点で
Take Over し、 Go Around (着陸復行) を行っ
た。 また、 この場合は即死を想定しており、 機
長 の 体 が 前 の め り に な る こ と で 、 Standard
Call Out 時にはすでに副操縦士は異変に気が
ついていた。
6)着陸時に Stroke による Incapacitation を
想定した。 (ST at 100ft above Approach
Minima)
5) と同様に Approaching Minimum での
反応がなく、 副操縦士は2回の Standard Call
Out に対する反応がない時点で Take Over し
Go Around を行った。 この場合、 Heart Attack と違い、 機長の姿勢の変化はわずかであ
り、 Call に対する反応がないことで機長の Incapacitation を判断した。
以上で基本的なパターンは全てクリアしたた
め、 以下にさらに負荷を加えて行った。
7)離陸時、 Haneda RWY34よりの出発の際
に250/35kt の横風を加え、 ST after V1
を行った。
前回同様、 簡単に Take Over することがで
きた。
8)着陸時、 今回は DA 後に Heart Attack が
起こった事を想定した。 (HA after DA)
この場合は、 Standard Call Out はすでにな
く、 機長の異常や機体の RWY に対する位置
やずれ等から機長の Incapacitation を副操縦
士が察知し、 通常の Take Over を行った。 結
果、 地上10ft で上昇に移ることができた。 こ
の 場 合 、 判 断 が 遅 れ て も 、 い わ ゆ る Hard
Landing 程度で済む状況であった。
9)同じく着陸時 DA 後に Stroke が起こった
ことを想定した。 (ST after DA pattern)
この場合 HA に比べて機長の姿勢は変化せ
ず、 機体の状況のみからの判断となったが、 前
回同様 Take Over はスムースに行われた。
10) 離陸時、 250/35kt の横風に加え、 after
V1で右エンジン不作動が起こり、 さらに、
機長が Stroke を起こし、 右のラダーの踏
みかえ等が行えなくなったことを想定した。
(ST after V1 with one engine)
今回は通常起こりえない二つの事柄が同時に
起こった事を想定しており、 従来の安全理念の
考え方 (同時に二つは起こらない) に反するも
のの、 トライアルとして行った。
Take Over 自体はスムースに行われたが、
機体のコントロール自体はかなり難しかった。
11) 着陸時、 250/35kt RWY34 ILS CATI
において、 DA 後に右エンジン不作動と機
長の Stroke が起こったことを想定した。
(ST after DA with one engine)
今回も Take Over はスムースであり、 離陸
時に比べて機体の不安定さは目立たなかった。
〈考察〉
われわれの渉猟しえた範囲での NTSB にお
ける1987年から2007年11月にかけての20年間の
Incident/Accident Report の解析結果は、 カ
テゴリーとして Airplane without Homebuilt
としたときに次のとおりであった。
Heart Attack によるものは68件、 うち Two
Men Operation の Airline におけるものは2
件であった。 これら2件は、 いずれもパイロッ
トが死亡した以外に乗員乗客に死傷者はいなかっ
た。
Stroke によるものは10件、 うち脳梗塞に限
定した場合7件であり、 いずれも自家用パイロッ
トによるものであった。 Airline における事故
はなかった。
以上を鑑みるに、 現実での Airline における
Physical Incapacitation が Accident/Incident
になる可能性はきわめて低いものと考えられる。
しかるに、 可能性が残る以上は、 その対処をす
るのは当然であろう。
今回のトライアルは、 実験的なものではある
が、 以下の事実が判明した。
CRM により一方の Physical Incapacitation
は容易に判断できた。 また、 その後の操作は、
従来の訓練とさほど変わりはなかった。
ただし、 7) のケースのような場合は、
2008 JAN
35
Incapacitation の判断が遅れる傾向があった。
しかし、 ひとたび判断できた後は、 従来通り
の手順でスムーズに操作できた。
今回は限られた時間内でのトライアルであっ
たが、 興味深い結果を得ることができた。
1) CRM をしっかりと遂行すれば、 ほとん
ど問題ないと思われること。
2) パイロットはもちろん、 医師自体も、 人
が Incapacitation になった瞬間はあまり
診ておらず、 その後に搬送されてきた状況
でしか想像できないということ。
3) 医師は航空機自体の進化の状況を理解し
なくてはならないということ、 逆にパイ
ロットは病気の基礎的な知識を持たねばな
らないということ。
4) CRM の視点からみれば、 航空従事者、
医療関係者、 行政関係者が情報を共有して
問題解決に及ぶ必要があるということ。
36
2008 JAN
5) 実際に1回目よりも回を重ねるごとに副
操縦士の対応は速く、 的確となったことか
ら、 こういった Physical Incapacitation
を想定した CRM 訓練は必要だと感じた。
〈まとめ〉
・B777を使ったシミュレーター訓練におい
て、 Physical Incapacitation を再現する
試みを行った。
・時間的にも内容的にも今後のトライアルが
必要だが、 実際に事故を予防する上で有効
である可能性が示唆された。
このトライアルを行うに当たり、 財団法人・
航空医学研究センター所長・津久井一平氏のご
同席ならびにご指導を賜ったことを付記し、 こ
の場を借りて御礼申し上げます。
World Safety Report
コールバック・アーカイブス
長年コールバックの翻訳を手がけてきました
が、 何時も季節の感覚が微妙にずれてしまうこ
とが気になっていました。
つまり、 今回は2007年11月に発行された文を
掲載する予定でした (1月号の原稿締め切りが
12月上旬に設定されているためです)。
冬物語…スノーバーズ
北部の厳しい寒さから逃れるため、 南を目指
して飛んで行くスノーバード、 そしてパイロッ
トも多くいるようです。
不運なことに、 僅かですが (もちろん、 パイ
ロットですが!) ADIZ の罠に絡まってしまう
方もいるようです:ASRS 編集部
・バハマからです:着陸しようとしまいと、 必
ずフライト・プランをファイルすること、 と
言う義務を知らずにファイルせず ADIZ (防
空識別圏) 内を飛行してしまいました。
・フロリダ・キーから:キーに向かう場合、 あ
るいはキー・エリアから他の地域に向かう場
合、 DVFR フライト・プランをファイルし
なければならないことをローカルの
NOTAM で知っていました…でも、 同じ州
編集委員
佐藤
裕
そこで今回は NASA のホームページにもあ
るように、 コールバック・アーカイブスとタイ
トルをつけ、 1995年1月に発行された No188
を翻訳し、 掲載します。
1995年は阪神淡路の震災、 サリン事件等大き
な災害、 事件の発生した年でもありました。
それでは、 コールバック No188を……。
内と言えども (フ
ロリダの海岸線沿
いに飛行し、 フロ
リダ・キーに向か
うといった) 何も
気にせず設定され
ている ADIZ を通過してしまうパイロット
も多くいるんです。
国防上の観点から、 この ADIZ 空域内を飛行
する民間航空機に対し、 飛行している位置と識
別が義務付けられています。
連邦航空規則 FAR99、“Security Control of
Air Traffic”には ADIZ 内での飛行方法が規定
されています。
セクショナル・チャートによっては、 ADIZ
に 関 す る 警 告 (National Defense Operating
Area) から指示 (空域に進入する前に、 FAA
の無線施設と交信し、 ADIZ 内に入る通報をす
2008 JAN
37
ること) までの注意書きをしてあるものもあり
ます。
しかし、 沿岸部あるいは国境付近のセクショ
ナル・チャートには、 この注意書きの全く無い
ものもあります。
ADIZ 内に進入しよう、 あるいはこの空域内
を飛行しよう、 そしてこの空域を通過しようと
するパイロットは、 フライト・サービス・ステー
ション、 あるいは他の航空交通管制機関にフラ
イト・プランをファイルしなければなりません。
IFR フライト・プランをファイルして飛行し
ている航空機は、 自動的に ADIZ に設けられて
いる規則を満たしていることになります。
VFR 航空機は DVFR (Defense Visual Flight
Plan) フライト・プランをファイルしたうえ、
義務付けられている時間に位置通報を行わなく
てはなりません。
To escape the harsh northern winters, "snowbirds, and some pilots, fly south. Unfortunately, a
few (pilots, that is!) get tangled in the ADIZ trap.
・From the Bahamas: I flew through the ADIZ [Air Defense Identification Zone] without knowing that mandatory flight plans, whether [the aircraft is] landing or not, are to be filed.
From the Florida Keys: I noticed a local NOTAM outlining required DVFR flight plan filing
for all flights into and out of the Keys... Most pilots would be unaware of the ADIZ crossing
within the same state (i.e., coastline of Florida to Florida Keys).
The ADIZ is an area of airspace in which ready identification, location, and control of civil aircraft
is required in the interest of national security. FAR 99, "Security Control of Air Traffic," outlines
procedures for aircraft operation associated with an ADIZ. Sectional charts may carry a variety
of notations regarding the ADIZ, from warnings ("National Defense Operating Area") to instructions ("Report to FAA Radio prior to entering ADIZ"). But some sectional charts displaying
coastal or border areas have no instructions or information at all.
Pilots operating aircraft into, within, or across an ADIZ must file a flight plan with a Flight Service Station or other ATC facility. Aircraft on an IFR flight plan automatically conform with this
ADIZ regulation. VFR aircraft must file a DVFR (Defense Visual Flight Rules) flight plan and
comply with specific time- and position-reporting requirements.
AIM を読んでください。
エアマンズ・インフォメーション・マニュア
ル (パラグラフ5-90) には、 ADIZ を飛行する
場合に必要な装備品、 及び報告義務が明記され
ていますし、 次のような注意事項も示されてい
ます:
“飛行中に VFR フライト・プランをファ
イルした航空機は、 ADIZ に進入する際、 確認
のための迎撃を受ける可能性がある。
従って、 この空域を飛行しようとするパイロッ
トは、 離陸する前に DVFR フライト・プラン
を提出するか電話でファイルすべきである。
38
2008 JAN
さて、 バハマからアメリカへ飛行したこの方
は、 まさにこの注意書きどおりでした、 と苦難
に満ちたリポートを寄せてくれます:ASRS 編
集部
・何回か ABC タワーを呼び出したんですが、
うまく交信できません、 仕方なく UNICOM
周波数でフライト・プランをファイルしよう、
と話し合い、 その通りにしました…センター
を呼び出し、 リクエストとインテンションを
伝えました。
センターはスコーク・コードを指示してくれ、
XYZ 空港へ誘導してくれました。
しかし着陸後、 私達を待ち受けていたものは、
機外へ出るように、 そしてタクシー・ウェイ
でうつ伏せの姿勢をとるようにと言う命令と、
私達を取り囲む多くの銃口でした。
リポートを寄せてくれた方が体験した、
ADIZ にまつわるゴタゴタを防ぐ上で最良とも
思えるアドバイスを、 政府機関に所属するパイ
ロットからいただきました。
この方は政府の税関当局に、 彼らは自分達の
飛行について税関当局と連絡を取ったのか、 そ
してフライト・プランをファイルしたのか、 否
かを問い合わせてくれたそうです。
そして彼のアドバイスです:フライト・プラ
ンをファイルし、 自分達の意向を税関当局に電
話するか、 どこでも良いので最寄の局 (Coastal
ATC) に伝えること。
政府機関との連絡を必ず取ること!
Take AIM. The Airman's Information Manual (Paragraph 5-90) explains the aircraft equipment
and reporting requirements for ADIZ flights, and offers this further caution: "An airfiled VFR
flight plan makes an aircraft subject to interception for positive identification when entering an
ADIZ. Pilots are therefore urged to file the required DVFR flight plan either in person or by telephone prior to departure." The following reporter, inbound from the Bahamas, discovered this the
hard way:
・After several unsuccessful attempts to reach ABC Tower], we made the decision to use
UNICOM frequency and get our flight plan in the air... We contacted Center and told them
our request and intentions. They gave us a squawk code and brought us into airport XYZ.
[Upon landing], we were ordered out of the aircraft at gunpoint and made to lie face down
on the taxiway.
Perhaps the best advice for preventing ADIZ entanglements comes from a government pilot and
reporter to ASRS. He was questioned by U.S. Customs officials about his lack of a flight plan,
even though he was talking to the customs office throughout his flight. His advice: File and call
customs and whoever else (Coastal ATC) and let them know what your intentions are. Avoid the
lack of communication between government agencies!
まだ飛行中なんだけど… (パート1)
滑りやすくなっているランプでエンジンを3,
4回ふかし、 このターボジェット機は誘導員の
指示するゲートに到着しました。
でもこの後、 リポートを寄せてくれた方の話
によると…:ASRS 編集部
・ゲートまでの残りの数フィートは登り勾配に
なっていたんです。
ブレーキをセットし、 チョークをセットしま
した、 と言う合図を確認し、 パーキング・チェッ
クリストを終えた後、 シートの背あてを移動
させ、 機体のログブックに記入しようとした
んですが、 不運にもこの時ブレーキは解除さ
れてしまったんです、 原因はわかりません。
滑りやすい路面のせいでしょうか、 チョーク
が滑ったか、 あるいは傾斜のせいでチョーク
を飛び越してしまったようです。
右翼のエルロン・アッセンブリーは後方に駐
車していた燃料補給用タンクローリーと衝突
を……。
なんと機体は6フィートも後方に移動してし
まったんです。
2008 JAN
39
あわててシートを前方に移動しなおし、 力一
杯ブレーキを踏みました。
地上作業員はガードを外し、 トーイングして
機体をゲートに移動させようとしていたのか
もしれません。
傾斜があり、 滑りやすいランプでしかもチョー
クがセットされていないとしても、 キャプテ
ンとしての私には責任があります、 何しろま
だ機体を操縦していたんですから。
航空機にチョークをセットし、 航空機を動か
ないようにするまで、 マシンはまだ飛行中なん
です。
次の方のリポートには、 驚くような言葉が。
Following three or four blasts of power to reach the signalman's mark on a slippery ramp, the
turbojet finally arrived at the gate. Then, according to an ASRS reporter...
・The last few feet were on an incline to the gate. I set the brakes and received a chock-in signal... After the parking checklist was complete and upon moving my seat back to fill out the
aircraft logbook, the brakes accidentally disengaged. Apparently the chocks had slipped on
the slick ramp, or due to the incline the aircraft jumped the chocks. The right wing aileron assembly impacted a fuel truck [parked] behind the wing. Then I realized we had moved backwards approximately six feet. I moved my seat forward and physically held the brakes. I
think the ground crew were possibly put off guard by the power [applications] and attempt
to get the aircraft to the gate. As the Captain, I feel I am responsible, but some circumstances, like the slope, slippery ramp, and the chocks not holding, are beyond what I control.
There is a truism in aviation that until the airplane is chocked in and tied down, the machine is still
flying. Additional testimony is supplied by our next report.
まだ飛行中なんだけど… (パート2)
30ノットの強風、 しかも吹雪の中をうまく着
陸したキャプテンは、 なんとジェットウェイに
設けてあるパッドの付いた衝突緩衝部分に機体
をぶつけてしまいました、 とリポートしてくれ
ます。
停止させようとした時、 機体はランプ上でス
リップし、 風見効果で機首方向も変ってしまっ
たようです。
リポートの続きを読んでください:ASRS 編
集部
・機体前方の左側に着いている外気温度計の受
感部が、 パッドで保護されている緩衝部分に
当たってしまい、 パッドを裂いてしまいまし
40
2008 JAN
た。
まだエンジンは全て運転中だったんですが、
ブレーキ、 ノーズのステアリング、 スラスト・
リバーサーを操作したんですが、 どれも効果
なくジェットウェイのパッドに機体をぶつけ
てしまいました。
悪天候の中をタクシーしたんですが、 もっと
注意すべきだったな、 と感じています。
このような気象状態の中なので、 ゲートまで
トーイングしてもらう方法も選択肢の一つだっ
たはずです。
空港当局も、 このように滑りやすい冬季には、
ランプ作業員にスリップに関する注意を与える
べき、 とも思います。
The Captain submitting this tribute to padded jetways was justifiably pleased with a successful
landing in 30-knot winds and blowing snow. At the last moment, however, the aircraft slid on the
ramp and weathervaned. The reporter continues:
・The forward fuselage left side grazed the padded bumper area with the temperature probe,
tearing the padding. All engines were running but brakes and nose steering and thrust reverse could not prevent contact with the jetway padding. I felt appropriate precautions had
been taken for taxi in existing conditions.
A tow to the gate might have been the precaution of choice in both of the above situations. In addition, perhaps airport management also needs to be reminded that ramp maintenance is vital to
safety, especially during slippery winter conditions.
TCAS でレスキュー。
TCAS のお陰で空中衝突せずに済んだ、 とこ
の装置を賞賛するリポートがしばしば ASRS
に送られてきます。
このワイドボディのクルーのように、 TCAS
の素晴らしい働きぶりが解りますよ:ASRS 編
集部
・大西洋を横切り、 降下を開始した時のことで
す、 ATC からフライト・レベル260へ降下せ
よ、 とのクリアランスを貰いました。
高度警報装置に FL260をセットし、 FL260に
セットしましたとコールすると、 操縦してい
たキャプテンは FMS に FL260をセットしま
す。
この時、 クルー4名ともヘッドセットを着け
ていました。
FL270を通過したとき、 TCAS のトラフィッ
ク・アドバイザリーが鳴り響きます。
その逆方向に飛行している航空機は TCAS
のディスプレイ上に表示され、 私達も11時の
方向に視認できました、 TCAS はその航空
機の高度を FL260と表示しています。
FL268まで降下すると、 TCAS は降下を中止
せよ、 とのトラフィック・リゾリューション・
アドバイザリーを発しました。
すぐ FL270へ上昇する行動を開始します。
そして私はコントロールに、 私達が指示され
た高度を確認し、 そして他の航空機を視認し
ている旨を伝えました。
するとコントローラーは、 FL270までの降下
を指示した、 視認した航空機は FL260で飛
行しているので問題はない、 と送信してきま
す。
このまま降下し続けてしまったとしたら、 私
達の機体とその航空機は空中衝突したかもし
れません。
リードバック/ヒアバックの典型的なミスと
言えます。
このコントローラーの話す言葉とアクセント
も、 このトラブルの原因となったのかもしれま
せん……。
さて、 目的地の空港近くまで飛行したこのリ
ポーターも、 機体に装備してある TCAS のア
ドバイザリーを賞賛しています、 その航空機を
視認できなかったので、 危うく手遅れとなると
ころでした、 と書いてくれます:ASRS 編集部
・インターセクションに設けられている速度制
限ではなく、 速度250ノットを保ち、 プロフィー
ル・ディセンドするクリアランスを貰いまし
2008 JAN
41
た。
しかし私は管制官に、 フライト・レベル170
まで降下してインターセクションを通過する
まで、 300ノットで飛行したいんですが、 と
告げます。
すぐ許可されました。
インターセクションに近づいた時、 管制官か
ら11時の方向に低速度で南西方向に向かい、
上昇中の航空機が飛行していて、 現在15,200
フィートを通過中、 との送信が。
その航空機をすぐには発見できなかったので、
私は HIS の TCAS 表示レンジ・スケールを
広くし、 その航空機は何処にいるのか、 判り
やすいようにしたんです。
TCAS でその航空機を特定した、 と管制官
に伝えます。
その航空機はフィックスに向かい、 南西方向
へ上昇し続けていました。
回避するために右方向へ旋回を開始した途端、
TCAS はその航空機との高度差が急速に減
少しつつある、 と TA ウォーニングを発し
ます。
TA/RA アラートが鳴り響き、 異常接近を回
避するため機首上げ操作を開始すると、 その
航空機は私達の左側、 10:30の方向、 しかも
同じ高度、 かなり近い位置を飛行しているが
TCAS で判りました。
TCAS のお陰で空中衝突せずに済みました。
本当にこの機械はうまく出来ていますね。
自分勝手に予想したりすると、 危険な結果に
なるかもしれない、 と他の航空機を視認したキャ
プテンはリポートしてくれました:ASRS 編集
部
・遅い速度で飛行している航空機が、 ゆっくり
と上昇している姿が見えました。
まずい…距離が近くなると、 その航空機は思っ
たより大きな上昇率で上昇しているじゃあり
ませんか!
先日、 進入中に TCAS で数多くの小さなター
ゲットが、 ゆっくりと移動している様子を見
ていました。
今回、 遅い速度で飛行している航空機は、 ゆっ
くりと上昇しているわけではない、 と言うこ
とを私に教えてくれました。
ASRS often receives reports singing the praises of TCAS in preventing mid-air collisions. It's
gratifying to know that TCAS is doing its job, as it did for this widebody's crew:
・During initial descent after a trans-Atlantic crossing, Air Traffic Control issued a clearance
to descend to FL260. The altitude alert device was selected to FL260, I read back FL260, and
the Captain, who was flying the aircraft, set FL260 in the FMS. All four crew members were
wearing headsets at the time. Passing FL270, a TCAS traffic advisory sounded. The aircraft
was located, both on TCAS display and visually, at 11 o'clock opposite direction, and TCAS
displayed him at FL260. Descent continued to FL268, and a resolution advisory was issued by
TCAS to stop descent... A climb back to FL270 was initiated. At this point, I queried Control
as to what altitude he had cleared us to, and pointed out the traffic we had. He said we were
cleared to FL270, and the traffic was no "problem" because it was at FL 260 [Reporter emphasis]. I have no doubt that if the descent had not been stopped, the two aircraft would
have collided.
This is a typical readback/hearback error. The language difficulty and accent of the controller
may have contributed to the problem...
Meanwhile, closer to home, the next reporter also appreciated the TCAS advisory of an aircraft
42
2008 JAN
that he didn't see until it was almost too late:
^
・I was cleared for the profile descent with the 250 knot airspeed constraint at intersection removed. I informed Center that I intended to maintain 300 knots in my descent until reaching
intersection at 17,000 ft. ATC concurred. When approaching intersection, Center informed
me of slow-moving, southwest-bound traffic at 15,200 feet in a climb at my 11 o'clock position. Since I could not immediately see the target, I expanded the range scale on my HSI
TCAS presentation to give me a better picture of the developing situation. I indicated to Center that I had the target on TCAS. It was still climbing southwest toward fix... Finally the
TCAS TA warning alerted us just as we started to the right to avoid a rapidly-developing altitude conflict. As the TA/RA alert was sounded by our equipment and we responded with
the nose-up conflict resolution, the aircraft was spotted on our left in our 10:30 o'clock position, at our altitude, quite close to us. TCAS may have saved us from a mid-air. TCAS did
what it was designed to do.
This Captain also makes an interesting observation about expectation and the hazards of making
assumptions.
・I perceived the "slow moving" aircraft to also be slow climbing. Wrong... He was climbing
much faster than I thought. I had experienced a TCAS arrival the previous day with numerous small TCAS targets with minimal per formance demonstrated. The experience lulled me
into thinking "slow moving" also meant slow climb performance.
“他の航空機を発見したら、 これを回避する
、
フライト・スクールで真っ先に教えられる事項
であり、 なにしろ最も効果のある行為なんです!
エアラインのクルーから、 このようなリポー
トを貰いました:ASRS 編集部
赤と黄色のハング・グライダーが私達の右、
1/4マイルより近い位置を通過して行きました。
これ以上の回避行動は取らなかったものの、
危うくグライダーと衝突するところだったな、
と感じました。
この後、 何でこんなところを飛行していたん
だろう?どんな理由があったんだろう?等々
疑問だらけです。
いまだに判りませんが……。
・上昇中のことで
した…あるコ
ミューターがディ
パーチャーに、
モーター・ハン
グ・グライダーのような機体が飛行している、
とリポートしている声が飛び込んできます。
この直後、 12時から1時の方向、 高度10,500
∼11,000フィート付近で急速に接近してくる
航空機に気付きました。
直ちに回避行動に移ります…左に25度バンク
させ、 上昇率を大きくします。
私達にも、 大きな空港がいくつもある近くで、
しかも出発経路上を何でそんな高度で飛行して
いたのか、 このハング・グライダー・パイロッ
トが何を考えていたのかサッパリわかりません。
いずれにしても、 空中衝突を防ぐため、 素早
く反応したクルーは賞賛に値します。
最後になりましたが、 このエア・ラインのファー
スト・オフィサーは、 コミューター機のクルー
に“ハング・グライダーを発見したと言う通報、
ありがとうございました”と送信したそうです。
コミューター機のクルーにとっては、 当然の
通報をしただけだ、 と思っていたんでしょうが…。
すぐ近くにぶら下がって。
2008 JAN
43
The see-and-avoid concept is one of the first lessons taught in flight school, and with good reason--it works ! An air carrier crew member reports:
・[We were] in the departure phase of flight...when a commuter flight called traffic to Departure Control...saying it appeared to be a motorized hang glider. Almost immediately we saw
the traffic at 12-1 o'clock, closing rapidly [at] 10,500-11,000 feet. We took evasive action immediately...requiring approximately a 25 degree left bank and an increase in the rate of
climb. The red and yellow hang glider passed less than a 1/4 mile to our right. Without the
extended maneuver, I feel we would have hit the glider. After the incident we had many questions, such as how did the vehicle get there, why was he there, etc. We will probably never
know.
We also wonder what the hang glider pilot was thinking to be at that altitude, on a departure
route, in close proximity to several major airports. Meanwhile, kudos to the flight crew for their
quick response in avoiding a mid-air collision. And a last word from the air carrier's First Officer
to the commuter crew: Thanks for the visual call out; they are still imperative.
エア・ショウに向かう途中でおきたおかしな話……。
電柱とか電線といった低い障害物は、 農薬散
布飛行等を行うパイロットにとって、 厄介な存
在であることは広く知られていますね。
気まぐれな風のお陰で思わぬトラブルに見舞
われてしまいました、 と“アグに従事するパイ
ロット”が ASRS にリポートしてくれました:
ASRS 編集部
・その日は早朝から200エーカーの畑に農薬を
散布するため、 4回ほど薬剤を搭載し、 飛行
していました…前日は朝から徐々に風が強まっ
てしまったので、 風が強まる前に作業が終わ
れば良いな、 と考えていました。
薬剤を積み込み、 3回散布するまでは良かっ
たんですが、 最後の1回になると、 まずいこ
とに風はガスト混じり (10∼15ノット) になっ
てしまいます。
通常、 散布飛行は風速が10ノットに達すると
中止するんですが、 もう残りも僅かだし、 何
44
2008 JAN
とか畑への散布を終えてしまおう、 と思って
いました。
その日の遅く、 フライト・スタンダード・ディ
スクリクト・オフィス (FSDO) から電話が
ありました、 内容は先ほど散布した畑近くで
開かれるエア・ショウに向かう FAA の車両
に薬剤を浴びせてしまった、 と言う内容です。
このエア・ショウで私も飛んだので、 FAA
の係官が車の中にいたのは判っていました。
なんてことをしてしまったんでしょう、 恐ろ
しいことです。
その時の出来事を FAA の係官に話しました:
畑の切れ目でスプレーを止め、 送電線より
25∼30フィートほど高い高度へ上昇したんで
すが、 ガスト混じりの風に流された薬剤はハ
イウェイまで広がってしまい、 FAA の係官
の乗る車にかかってしまったようです。
その係官は、 私が畑の反対側まで散布し終え
る様子を見守っていたようで、 その時は特に
問題もなかったが、 と話してくれましたが……。
散布飛行を中止すべきだったんですが、 農場
主は終わらせてくれ、 と強く望んでいたし、
それに私も、 もう少しで散布し終えるし、 と
考えていたためです。
これまで数千時間、 空中散布飛行を行ってい
ました…しかし今回の出来事は、 もっと慎重
に作業しなくちゃ、 と言う思いを呼び覚まし
てくれました。
常時、 散布する地域の気象状態に気をつけな
くてはなりませんね。
Low-level obstructions, such as poles and electrical wires, are well known hazards to aerial spray
operations. But capricious winds can stir up just as much trouble, as discovered by an "ag" pilot
reporting to ASRS:
・I started early [and] had 4 loads to do that day to spray 200 acres... In the preceding days,
the wind had started to pick up in the morning, so I hoped to finish before the wind picked
up. My first 3 loads went well, but on my last load the wind started to gust pretty good (1015 knots). At 10 knots we usually stop spraying, but I only had my ends of the field to cut [in
order to] finish the field.
Later in the day I received a phone call from our Flight Standards District Office (FSDO)
that I had sprayed an FAA car on the way to a local air show. I knew the FAA official in the
car because I was to perform in this air show. I felt terrible about the situation. The FAA official and I talked about what happened: I was cutting an end of the field and as I pulled up
over a 25-30 foot power line and shut my spray off, a gust of wind took the spray over the
highway where it came in contact with the FAA official's car. I cut the other ends while he
watched me and had no other problems...
I should have terminated my spraying, but the farmer needed the application very badly and
I had only very little left to go to finish the field. I have [several thousand] hours experience
in aerial applications...but this reaffirms that you can never be too careful. Always know
local conditions.
昨今、 世界の航空界の動きに、 英語能力が求められるようになってきました。 編集委員会も、 パ
イロット誌の、 長年続いてきている World Safety Report CALLBACK を、 1月新年号から各話題
ごとに英語と日本語を併記します。 時間があるようでしたら、 原文と訳文を読み比べて英語能力を
試してみませんか?
2008 JAN
45
GA:ジェネアビ情報
空の PDCA サイクル
奥貫
PDCA は Plan-Do-Check-Action (計画−実
行−評価−改善) の略です。 製造品質、 ビジネ
ス等のマネジメントに広く用いられ、 会社の人
事研修等では必ず登場する管理の手法です。
この、 計画−実行−評価−改善を繰り返し実
行することにより、 継続した品質等の維持及び
向上が実現するとされています。 品質管理の基
礎を確立したデミング博士の提案であることか
ら、 デミング・サイクルとも呼ばれますが、 こ
の Check の部分を、 See に置き換えて、 PDSA
サイクルということもあります。
では何を今更、 このジェネアビ情報の場で
「空の PDCA」 となるわけですが、 ライセンス
取得後、 再教育を受ける機会の少ない自家用パ
イロットにとっては、 飛行経験を積み重ねる過
程での取組みの姿勢が、 安全、 あるいは、 技量
の維持向上に大きく影響します。 この自己管理
に 「空の PDCA」 のマネジメント手法を有効
に利用することが出来るのです。 「反省無き者
に前進なし」 とも言われますが、 空の上では、
この 「反省」 はヒヤリハットのような、 事故と
紙一重のものでは困ります。
そこで、 放置すると、 いつか事故につながり
かねない危険の芽を、 この PDCA で見つけ、
是正を図ることが重要になります。 それには、
こうあるべきとの計画をしっかりと立ててその
実行を試み、 その結果を評価し、 それが達成で
きていなかったら、 何が悪かったのか、 何が不
足していたのかを検討し、 改善策を考えること
で、 技量の維持向上が図られるというわけです。
46
2008 JAN
博
PDCA サイクルの基本
PDCA サイクルを図で示すと、 以下のよう
になります。 この繰り返しで、 維持向上を図る
ことができます。
PDCA サイクル
ライセンス取得の訓練段階では、 この
PLAN に相当する部分は、 訓練の目標、 ある
いは、 合格基準として、 教官から示されます。
飛行前のブリーフィングで、 PLAN の部分
が訓練目標として与えられ、 それを実際の飛行
で実現すべく、 手を尽くして努力します。 ここ
が DO の部分です。 次に、 上空で、 うまく出
来ないところを、 自分自身の認識、 あるいは教
官からの指摘で確認します。 ここが、 CHECK
の部分になります。 そして悪いところが確認で
きたら、 その是正策を考え、 実行に備えます。
ここが、 ACTION の部分です。
更に大きく見ると、 1回の訓練飛行の、 前夜
からの準備及び飛行前ブリーフィング⇒飛行訓
練⇒飛行後ブリーフィング⇒次回への課題認識、
の流れが、 P-D-C-A となります。 この繰り返
しで次第に技量を向上させ、 やがてライセンス
に到達となるのは、 皆さんご存知の通りです。
ライセンス取得までは、 教官の指導で、 この
サイクルが実行されます。 しかし、 その後が問
題です。 今回は、 その後の自己管理による技量
の維持段階の 「空の PDCA」 を考えてみたい
と思います。
水平直線飛行
何を今更 「水平直線飛行」 と言われそうです
が、 時々、 長い飛行経験のベテランで、 この水
平直線飛行が怪しくなっている方を見ることが
あります。
昨今は、 GPS 等の機器により航法の負荷は
大幅に軽減され、 偏流修正角をキープして、
チェックポイントや目標を探す、 と言った苦労
が無くなりました。 大体の方向を定め、 適当に
飛んで行っても、 常に目的地からの方位、 距離、
時間はわかっていますし 「仕上げは GPS で」
と言うわけです。
その一方、 飛びながら話をしていても、 何を
していても、 常に、 方位、 高度、 コースが狂わ
ない人もいます。
問題は悪天候の時です。 「何とかなるだろう」
と前進し、 どうにもならなくなった時、 パイロッ
トのワークロードは、 一気に増大します。 フラ
フラと飛んできた経路をたどって引き返すこと
は出来ませんし、 山岳地帯であれば、 安全な脱
出経路を探すのは、 大変な仕事になります。 こ
ういった場面で、 日頃から 「水平直線飛行での
トラッキング飛行」 の管理が出来ているか否か
は、 生死を分けるほどの大きな差になります。
では、 どうすれば良いのか。 答えは、 日頃か
ら 「水平直線飛行」 の実現目標を設定し、 飛行
こういった場面にも課題はある
中にその結果を確認し、 出来ていない、 あるい
は、 意識を集中しないと乱れる、 と言ったレベ
ルでしたら対策を考え、 是正を図る、 と言った
ことになろうかと思います。 即ち、 「水平直線
飛行の」 P-D-C-A の実行です。
フライトのどの場面でも、 水平直線飛行は必
ず存在します。 それを、 高度、 方位、 コースを
決めてトラッキング飛行をするか、 あるいは、
適当に飛行するかは、 生活習慣ならぬ 「飛行習
慣」 の問題です。
悪い 「飛行習慣」 は身のためになりません。
特に意識しなくても高度が±100Ft、 ヘディン
グ±5°、 また速度をキープしなければならな
い場面では、 ±5Kt 程度が維持できているで
しょうか。 コースからのズレは、 管理されてい
るでしょうか、 トラッキング飛行が維持できて
いるでしょうか。 空の P-D-C-A の実行による、
水平直線飛行技量の維持向上を、 基本中の基本
としてお勧めしたいと思います。
出発前の確認
次は出発前の確認です。 慣れてしまえば、 ど
うと言うことも無いように思えますが、 きちん
と確認し、 実行する習慣が大切です。
整備状況、 気象、 NOTAM、 重量重心、 燃
料、 積載物等々の確認から始まり、 機体に乗り
込んで、 いざ離陸前の段階まで来たら、 フラッ
プ、 トリム、 ドアロック、 シート位置のロック、
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航 法
出発前の確認は完全でなければならない
カウルフラップ、 モーターグライダーであれば、
ダイブブレーキのロック等々、 まさか燃料の量
や、 高度計、 DG のセットの確認が適当のまま
離陸する人はいないでしょうが、 問題は、 大慌
ての時です。 そうでなくても、 飛行の出発前に
は、 実施すべきことが多いのですが、 その一方、
天候悪化、 運用時間、 約束時間、 日没等々の事
から、 出発が大慌てになることが良くあります。
そのような時に、 必要なことが出来るようになっ
ているかどうか、 大慌ての時ほど、 日頃の習慣
がものを言います。
もし怪しいようでしたら、 機長の出発前の確
認事項を初めとし、 離陸前に実施すべきことを
きちんと自分なりに整理して、 実行できるよう
に、 もう一度見直してみることをお勧めします。
離陸してから 「しまった、 忘れた」 ではどう
にもなりませんから、 離陸前の行動をきちんと
考えておき、 それに沿って実行し、 不十分な所
があったら改善しておき、 どんなに慌てても、
いつでも、 確実な離陸前の準備が出来るよう、
日頃から考え、 準備し、 実行できるようにして
おくことが必要です。
また、 機内に持ち込んでも、 必要な時に使え
るようになっていなければ役に立ちません。 飛
びながら、 カバンの中をごそごそさがすような
ことは出来ません、 きちんと整理して、 まとめ
ておき、 最低限、 それだけが実行出来ていれば
安心して空に上がれる、 と言った備えをお勧め
したいと思います。
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2008 JAN
正直言いますと、 実地試験以降、 自己流にな
りやすいのが、 この航法です。 中には 「コン
ピューター、 プロッター、 航法計算用紙を使用
する航法は実地試験の時が最後」 と言った人も
います。 特に昨今は VOR , DME に加えて
GPS が利用できますから、 目的地への到達が
容易になりました。 地図に線など引かなくても
条件がよければ何の問題もありません。
しかしながら、 一度空に上がった飛行機は、
必ず、 どこかに降りなければなりません。 何時
間も先の目的地に、 安全に到達できる保障はど
こにもありません。 単純に考えても、 以下のい
ずれかになります。
①当初の目的地とコースに固執
②コースを変更して目的地へ
③他の目的地に変更
④出発飛行場に戻る
そのときに物を言うのが、 航法に出発する前
の備え (PLAN) です。 実際に使っても、 使わ
なくても、 思うようにならないときの備えは必
要です。 それを持って上がるか、 出たとこ勝負
にするかは、 飛行習慣以前の問題です。
②のコースを変更して目的地へ向うのは、 そ
の途中で、 ③の他の目的地への変更になること
も含めて考えておきます。
有視界パイロットの場合、 その基本中の基本
は、 地図に線を引くことと思っています。 線が
引いてある地図を持って出発することで、 安心
感が違います。 地図を地上でじっくり見るのと、
上空で飛行機を操縦しながら見るのは、 大違い
です。
同じように飛んで、 目的地に着いたとしても、
計画があって、 地図上の線をトラッキングで辿っ
て着いたのと、 そうでないのとでは、 いざと言
う時に、 大きな差になります。
空の上で、 猫の手を借りたい程になっても、
どうにもなりません。 慌てて調べものや何やら
をしようとすれば、 姿勢も、 方位も、 コースも
怪しくなります。
確実な航法で安全なフライトを
例え、 それほど遠くない所でも、 慣れている
所でも、 計画を立てて出発し、 上空では、 しっ
かりと水平直線のトラッキング飛行を実行し、
余計な作業を発生させないようにすることが大
切です。
着 陸
さて、 進入から着陸、 ここも日頃の取組みに
よる個人差が大きく出るところです。
ライセンス取得前の訓練の時、 トラッフィッ
クパターンを、 偏流修正を取りながら正確に飛
び、 速度とパスを守り、 決められた接地点を狙
う、 といった操作はどこかへ行ってしまって、
パターンも何も適当。 滑走路が長ければ接地点
を特に意識して狙うことも無く、 パワーを適当
に使って進入し、 滑走路への接地だけは、 経験
で何とか、 と言う事も少なくありません。 中に
は、 ライセンスを取得した後、 一度も不時着訓
練を実施してないと言う人さえいます。
飛行機は、 空中に上がれば、 必ず着陸しなけ
ればならないのですから、 毎回の着陸を、 きち
んと計画して実施するか否かは、 長い間には大
きな差になります。
話はそれますが、 毎年、 熊本の NPO スーパー
ウィングスが、 操縦技術競技会の一環として、
着陸技術競技会を実施しています。 通常着陸と、
エンジンアイドルの滑空着陸で、 その正しい実
施と、 接地点の精度を競うのですが、 上位の皆
さんは、 前後25m の範囲にピタリと接地させ
ます。 何故そのようなことができるかと言えば、
日頃から、 正しい着陸の実行を心がけているか
らです。
正しい着陸は、 トラフィックパターンを、 所
定の経路、 パス角、 速度を維持して正確に回り、
その間に、 着陸前の点検として、 燃料タンクセ
レクト、 フラップ、 脚、 プロップ、 キャブヒー
ト、 ミクスチュア、 カウルフラップ、 等々の操
作や確認を確実に実施し、 パワーを不用意に増
減することなく進入して、 所定の接地点に、 正
しい機首上げ姿勢と速度で接地させるというこ
とです。
通常着陸の他、 ノーフラップ、 ショートフィー
ルド、 ソフトフィールド、 エンジンアイドルの
滑空着陸 (180度270度進入等) 等々、 様々な着
陸がありますし、 横風、 強風、 飛行場の地形に
合わせた風の読み等もあります。
これらを、 毎回の着陸で、 基本に従って計画
して実行し、 その結果から、 反省点を見つけ、
次回の飛行に備えると言った姿勢があるか否か
は、 長い間には大きな差になります。 また、 上
級機等、 他の機種への移行に際しても、 正しい
着陸が身に付いていないと、 えらい苦労をする
ことになります。
着陸の P-D-C-A は、 基本を重視し、 あらゆ
る場面を想定して実行し、 必要な技量を維持し
て、 常に安全確実な着陸が出来るよう、 心がけ
ておくことが大切です。
基本に沿った正しい着陸の習慣が重要
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展示飛行
計画の重要性が大きく問われるもののひとつ
に、 展示飛行があります。 スカイレジャージャ
パンや、 その他のイベントで、 小型機の出番が
あって、 展示飛行を頼まれることがあると思い
ますが、 引き受けた以上、 次の2点について、
責任が生じます。
1. 安全確実な実行
2. 主催者又は観客に応える展示の内容
出たとこ勝負の度胸で、 というのは感心しま
せん。 展示飛行は、 低高度で行うことになりま
すので、 観客の位置、 展示の中央位置、 風、 障
害物等を念頭に置いた詳細な計画が必要となり
ます。
先ずは、 会場の図を広げ、 展示する機体の動
きや旋回半径から、 飛行のパターンを考えます。
障害物を避け、 十分な余裕と逃げを確保しつつ、
間延びしない演技のパターンを計画します。 次
に、 その飛行パターンの机上検討が完了したら、
それを空中で実施してみます。 もちろん、 いき
なり低空飛行というのではなく、 橋などの顕著
な目標を演技の中央位置として、 その上空高度
2000Ft 程度で、 何度か実施してみて、 各部分
の飛行諸元等を確認しておきます。 速度は、 あ
らかじめ、 例えば、 1.3Vs を絶対に切らない等、
決めておき、 それに対する余裕をチェックしま
す。
良い展示飛行は良い計画から
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2008 JAN
また、 耐空類別がA類でない場合は、 バンク
角にも注意が必要です。 1G の飛行だからと
いって、 60度バンクを超えるようなことがあっ
てはなりません。 いくらGをかけなくても、 60
度を超えるバンクは危険です。
おわりに
自家用操縦士の場合、 飛行の環境、 あるいは
取組姿勢にもよりますが、 何もしなければ、 ラ
イセンス取得時が知識と技量のピークで、 以降
は下降線を、 といった心配があります。 何も無
ければ何とかなるにしても、 ある日、 思うよう
に行かないで、 「こんなはずでは」 と思う場面
もあります。 特に、 シニアパイロットは要注意
です。
長いこと飛んでいますと、 慣れも裏業もあり
ますから、 普段の飛行は何とかなるのですが、
緊急状態を含め、 ありとあらゆる場面を考えま
すと、 自らの技量を、 常に高く維持しておくこ
とが必要です。
自分の飛び方が常にチェックされるような飛
行環境にある場合は良いのですが、 そうでない
場合は、 自分自身で技量を維持する必要があり
ます。 滑空着陸で定点を狙う着陸のように、 意
識して実行しなければ、 全く実施の機会が無い
ものもあります。 このようなものにおいては、
実行しなければ、 技量は降下線をたどるのみで
す。 例えば、 ターニングファイナルの少し手前
で、 エンジンをフルアイドルにして、 以降、 パ
ワーは触らずに、 接地点を狙う、 といった内容
を考え (P)、 実行し (D)、 結果を反省し (C)、
改善点を考える (A)、 と言ったことを意識し
て実行するだけでも、 技量は、 維持されます。
風や重量等による読みも身についてきます。 機
体毎の差も、 良くわかるでしょう。
意識した、 空の P-D-C-A の実行をお勧めい
たします。
◎寄
稿
飛行艇/男のロマン
新明和工業株式会社 (海自 OB)
はじめに
最初に飛行艇の変遷について、 少し述べてみ
る。 現在の航空機は陸上機が主流で、 多数の乗
客や大量の荷物を、 「より速く、 より高く、 よ
り遠く」 というオリンピックのスローガンのよ
うに進化した。 そんな状況の中、 日本、 カナダ、
ロシアの3か国は、 飛行艇の優位性を生かした、
救難・消防・輸送等の分野で飛行艇の製造を続
け運用している。 第一次世界大戦後の1930年代、
欧米諸国は飛行艇の開発に力を傾注した。 アメ
リカでは、 南米路線、 太平洋路線、 大西洋路線
に就航した。 イギリスでも地中海路線やインド
路線、 果ては香港にまで拡大していた。
当時我が国では、 1934年に海軍の要請のもと、
弊社の前身である川西航空機が 「97式飛行艇」
を製造した。 主任設計者は、 後に 「2式飛行艇」
「紫電改」 そして戦後 「PS-1対潜哨戒飛行艇」
を設計し、 YS-11旅客機の基本設計時に 「5人
のサムライ」 と呼ばれた一人の菊原静男である。
この 「97式飛行艇」 は民間にも転用され、 当時
日本の統治領であったサイパンなどへの空路に
雲上飛行中の母機US-1A
宮本
良正
使用されていた。 また各国海軍は、 「大規模な
飛行場設備の不要」、 「長距離飛行が可能」、 「緊
急時 (不時着水) の対処が可能」 という飛行艇
の利点に着目し、 輸送・哨戒・偵察・救難等の
目的で飛行艇の開発に励んでいた。 正に 「飛行
艇の黄金時代」 といえよう。
1992年に公開された宮崎アニメの 「紅の豚」
は、 水上機が陸上機よりも高性能だったこの時
代を背景にし、 飛行艇に 「夢とロマン」 を求め
た男たちの生き様を描いたものである。 劇中に
主人公が言った 「飛ばない豚は、 ただの豚だ」
というキャッチ・コピーは、 今でも私の心に強
く残っている。
新明和と飛行艇/失われた7年間
戦前、 青春の全てをかけて作り上げた 「ゼロ
戦」 や 「2式飛行艇」 などの傑作機の設計者た
ちは、 終戦とともに全てを失ってしまった。 更
には GHQ が制定した 「航空機の研究・生産の
禁止令」 により、 1952年のサンフランシスコ講
和条約まで、 我が国航空の再起の芽を摘み取っ
てしまった、 いわゆる 「失われた7年間」 が続
いた。 この失われた7年間に世界の航空事情は
大きく変革し、 欧米の航空事業はプロペラから
ジェットに、 亜音速から超音速に、 大気圏から
成層圏へと一大革新を遂げた。
一方戦前の航空先進国であったドイツや日本
は、 世界の動きから完全に取り残され、 相手の
背中さえも見えない位置からのスタートであり、
しかも戦前の技術しかない状況であった。 菊原
は失われた7年間を取り戻せる分野は飛行艇だ
と考えた。 航空の主力は陸上機であり、 各国と
も飛行艇の分野は手薄であった。 しかもこの分
2008 JAN
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US-2 のコックピットでの宮本氏
野は旧川西航空機からの長年にわたる技術の財
産もあった。 当時飛行艇の分野での世界の頂点
は、 アメリカのマーチン社であり、 この技術を
上回る必要があった。
菊原の掲げた新型飛行艇の数値目標は、 「波
高3mの耐波性の実現」 であったが、 常識的な
手段ではこの壁は越えられない。 従来の概念を
打ち破る画期的なアイデアが必要不可欠であっ
た。 過去においても海上自衛隊が運用する
US-1A/US-2 以外の飛行艇は、 せいぜい波高
1m以下で、 1m以上の海面で着水ができれば
自慢できるほどであった。 地上での US-1A/
US-2 のコックピットの高さは5mぐらいある
が、 洋上では喫水線から2∼3m程度しかない。
パイロットから見ると、 自分の眼の高さか、 あ
るいは頭上を越える波の壁が存在することにな
る。 「そんな自殺行為ができるか」 と誰もが考
えるのが当然かも知れない。 私も荒れた洋上に
着水後、 何回もコックピットの前面風防に波の
塊が当たった経験がある。 また飛沫によってエ
ンジンが停止することも数多く体験した。 これ
は言葉では言い尽くせず、 経験した者しかわか
らない事でもある。
不可能を可能にする、 つまり新型飛行艇の目
標とする具体的なテーマは2つであった。 第1
は、 機首部から立ち上がる飛沫 (BOW、 BLISTER SPRAY) の勢いを抑え、 飛沫の上がる
経路を低くし、 エンジン/プロペラなどへの影
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2008 JAN
響を低減する 「飛沫抑制」 である。 第2は、 離
着水速度を大幅に小さくし、 着水時の対水衝撃
を低減するとともに、 より短時間にかつ短距離
で飛行機から船に、 あるいは船から飛行機にす
る機能である。 離着水時はいわゆる 「STOL 飛
行」 である。
「飛沫抑制」 については、 離着水時に発生す
る飛沫からどうして逃れるかである。 ある時ド
イツの造船雑誌を見ていた菊原は、 船の抵抗を
減らすために船首に穴を開け、 取り入れた水を
両側面のエラから逃がす図を見てアイデアが閃
いた。 飛沫を後方へ逃がし、 その結果、 飛沫の
上向きエネルギーを機体の浮力に利用する、 こ
れが彼のアイデアであった。 飛沫の衝撃力を機
体側で受け止め、 そして後方に逃がしてやるこ
とで、 ある種の浮力が発生する。 その結果海面
に食い込む機首部の動きも抑えられ、 同時に飛
沫の勢いも小さくするという、 画期的な方法で
あった。 飛沫から逃げようというのではなく、
飛沫を利用しようという逆転の発想から生まれ
たアイデアである。 その結果 「溝型波消装置」
という世界初の装備が開発された。
「STOL 飛行」 については、 飛行艇が高速で
荒波に着水すると、 機体は大きくジャンプし、
次の瞬間は自由落下に近い状態で激しく叩きつ
けられる。 最悪の場合は、 致命的な損傷を受け
ることになる。 これを防ぐ手段は、 着水速度を
小さくすることである。 衝撃力は速度の二乗に
比例するので、 もし着水速度を半分にすれば、
衝撃力は四分の一に軽減できる。 そのためには
揚力を大きくしなければならない。 巨大な主翼
を装備すれば揚力は増加するが、 重量や空気抵
抗も増加し、 一般的な飛行性能は低下する。 従っ
て、 重量を増加させず且つ、 トリムも大きく変
化しない 「高揚力装置」 の装備が必要となった。
通常の旅客機の着陸時の揚力係数は最大でも
2.5程度である。 新型飛行艇は大きなフラップ
角 と そ れ に 伴 う 失 速 を 防 ぐ BLC (BOUNDARY LAYER CONTROL) 装備で、 着水時の
揚力係数を約6.0にまで増加することが可能と
なり、 対気速度約50ノットでの離着水を可能と
した。 技術的な2つの大きな壁を乗り越える事
ができ、 波高3mの荒海での運用が可能な飛行
艇が誕生した。 1967年に 「PX-S (PS-1)」 が
初めて大空に飛び立った。 飛行艇復活を目指し
てから実に15年の歳月をかけた菊原の 「男のロ
マ ン 」 が 花 を 咲 か せ た 時 で あ る 。 1974 年 に
「 US-1 救 難 飛 行 艇 」 、 そ し て 2003 年 に は
「US-1A 改 (US-2) 新救難飛行艇」 へと引き
継がれていく。
飛行艇との出会い
私は昭和47年に晴れてパイロットの資格が付
与され、 卒業後の赴任先は岩国基地と言われた。
岩国基地はアメリカ海兵隊の飛行場で、 海上自
衛隊では新型飛行艇の試験をしているらしいと
いう程度の知識しかなく、 予想外の結果で驚き
だった。 岩国基地は全くの外国で、 海上自衛隊
は基地の片隅にあった。 既に PS-1の性能や特
性を把握・評価する試験は終わり、 最適運用法
を確立するための運用試験の真っ只中であった。
周囲の人は皆私より年上の人ばかりで、 すごい
所に来てしまったという想いだった。 そこでは
飛行艇の操縦を習いながら、 テストパイロット
や技術者が作成した試験報告書の清書を夜遅く
までしていた。 飛行艇の知識が少しずつ増えて
くると、 試験報告書の内容もなんとか理解でき
るようになってきた。 当時はワープロも電子コ
ピーもなく、 手書きで青焼きコピーの時代であっ
た。 最初は少し苦痛であった作業も中身が理解
できるようになって、 興味を覚えるようになっ
ていった。 上司からも試験のことをいろいろと
教えてもらい、 試験という業務に惹かれて行く
のを感じていた。 この頃の経験が今も生きてい
ると思っている。
昭和47年に初めて飛行艇を操縦した時の思い
出は、 今でも鮮明に覚えている。 3舵を操作し
て、 訳のわからないうちに離水した。 上空では
バックサイド飛行を慣熟した。 今まではストー
ルやスローフライトといった特殊な飛行以外に
しか経験したことがない形態が、 飛行艇では通
常の形態である。 速度マージンの少ない状態な
ので、 機首を上げるとしばらくして降下すると
いう、 バックサイド飛行ならではの操縦が必要
であり、 水平直線飛行すらまともに出来なかっ
た。 着水は更に悲惨で落ち込んだ。 広い海だか
らどこに着水しても心配がないという人がいる
が、 滑走路のように中心線がなく、 動いている
海に超低速で着水するので、 対水的なスベリが
把握できずに最悪の着水であった。 おそらく陸
上機のパイロットには理解できないだろう。 海
面が近づくと何故か胸騒ぎがしたのを覚えてい
る。 毎回の訓練で冷や汗や脂汗をかきながら、
約4か月後になんとかコパイロットの検定に合
格し、 ようやく飛行艇のパイロットとしてスター
トした。 懐かしく思い出される23歳のやんちゃ
坊主であった。
飛行艇パイロットの特異な点について、 少し
述べてみる。 飛行艇パイロットの最大の敵とい
うか友達は、 洋上の波である。 穏やかな時もあ
れば、 時には牙をむいて襲い掛かってくる時も
ある。 単一なサインカーブの波であれば単純だ
が、 通常は複数の波の発生源があり、 それぞれ
異なった方向から、 周期の異なる波長の波が混
在している。 そしてそれらがある時は相殺され
て穏やかに、 ある時は逆に増長されて牙をむく
合成波である。 これを見極める事は至難の技で
ある。
次に重要なのは着水針路の決定である。 滑走
路のように固定されたものはないので、 針路は
パイロットが決定する。 決定する要素は風と波
である。 風については、 可能な限り向風にして
対水速度を小さくし、 波との衝撃力を小さくす
る。 一方波については、 できる限り波長を長く
とれるような針路を選定し、 波との衝突回数を
少なくする。 旅客機の緊急手順にも記述されて
いるように、 理想は波に平行な針路である。 し
かし一般的には風と主たる波の方向は同一の場
合が多い。 50ノットの飛行艇が強い横風を受け
てのアプローチは困難を伴う。 また翼端浮舟の
関係から、 着水時は翼水平で対水スベリがない
ことが絶対条件でもある。 それぞれが矛盾する
条件を最大限に利用して、 最適な着水針路を決
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海自ヘリとUS-1A 改 (US-2) の初飛行
初飛行を終えて
ているのだと自負している。
US-1A 改 (US-2) の開発
初飛行の離水瞬間 (神戸沖)
定する事になる。 特に荒れた運用限界付近での
着水は、 究極の選択が要求される。 この習得は
一朝一夕にはできず、 先輩の操作を参考にし、
自分自身で少しずつ積み上げていく地道な努力
しかない。 一般的には15ノット以上の風がある
場合は、 風に向かう針路を選定するのが安全な
方法である。 操縦技術や知識は勿論であるが、
この判断が的確にできることが飛行艇の機長に
求められる特別な要件である。 何故そこまで挑
戦するのだろうと思った時もある。 救難・救助
という崇高な任務もあるが、 ある種の 「男のロ
マン」 でもあるような気がする。 洋の東西を問
わず太古の時代から男たちは海に出た。 ローマ
帝国、 ヴァイキング、 そしてコロンブスやマゼ
ラン、 何故か母なる海に男たちは挑んでいく。
本能かも知れないと思う。 飛行艇のパイロット
にはこのような DNA が少なからず受け継がれ
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2008 JAN
1996年に次期救難飛行艇の開発が決定された。
US-1A をベースにし、 ①エンジン・プロペラ
の換装②FBW 操縦系統③EFIS & EICAS の
装備④CABIN の与圧化⑤複合材料による軽量
化を主とした改造開発機である。 当初計画での
初飛行は、 2001年の夏である。 新明和工業甲
南工場に設計チーム:USMET (US-1A MODIFY ENGINEERING TEAM) が結成され、
新明和工業、 川崎重工、 富士重工 (後に三菱重
工と交代)、 日本飛行機の技術者が企業の垣根
を越え一つのチームとして開発にあたった。
私は1998年新明和工業に入社した。 飛行機の
開発段階から従事し、 飛行試験を担当する、 正
にパイロット冥利につきる喜びである。 防衛庁
の技能証明しか有していないので、 まず最初に
することは、 通信・事業用操縦士 (多発)・計
器飛行証明の短期間での取得であった。 次に一
緒に乗り込んで飛行試験を担当するパイロット
とフライトエンジニアを防衛庁から割愛してい
ただくことであった。 2002年に森パイロット及
び森本フライトエンジニアが入社した。 2人と
も元同僚で気心も知れた心強い仲間であり、 飛
行試験の体制が整った。 入社すると同時に
USMET の空水力班に机を並べた。 飛行艇は
離着水や水上運動を伴うので、 水力学の検討も
必要である。 水槽に模型を浮かべ、 人工的に模
擬した波での飛沫の状況等を試験する水槽試験、
およそ飛行機とは縁のない試験も必要となる。
飛行艇独特の世界でもある。 今までは 「感 (勘)」
に頼って操縦していたのが、 急に技術者集団の
中に入り、 少しカルチャーショックになった。
若い技術者にとっては自衛隊から来たパイロッ
ト、 私はほとんど面識のない集団の一人ぼっち
ということで、 最初は眼に見えない垣根を感じ
ていた。 ある時中堅の技術者が 「宮本さん、 正
直言って知識は私らの方が優っています。 でも
パイロットさんと喧嘩をすると負けるんですよ
ね。 上手くいって2勝8敗ぐらいです」 と。 感
(勘) が知識に勝つこともあるのだと初めて思っ
た。 昔雑誌で、 日本を代表するバッターが監督
時代の指導で 「すーっと球がきたら、 カーンと
打つ」 という記事を読んだ。 真意の程は知らな
いが、 これなど第六感を超えた第七感とでもい
うのだろう。 私にとって、 この一言以来見えな
い垣根がすっと消えたように感じ、 USMET
の組織に溶け込めたと思っている。 初めて眼に
した飛行機の開発は、 想像を超えるものであっ
た。 大勢の頭脳集団が築き上げて前進し、 そし
て後進を繰り返す。 時には立ち止まったり後進
ばかりの時もあった。 様々な理由で初飛行が
2003年の夏に延期された。 この間に技術者と何
とか議論できるようになり、 また初飛行に向け
て充分な準備ができたのは、 不幸中の幸いであっ
た。
2003年いよいよ初飛行の年になったが、 最終
の段階においてもまだ解決できていない問題点
を抱えていた。 技術者やメーカーが不眠不休の
阪神工業地帯を背景に離水後の試作1号機
努力をしたが解決に時間がかかり、 夏の初飛行
は延期を余儀なくされた。 この問題を知った航
空機とは直接関連のない分野の人が意見を述べ
られたが、 それは基本に戻る事の重要性であっ
た。 結果的にこのアドバイスが解決に導いてく
れることになった。 この時、 同族 (仲間) 同志
ではグループでの常識というものができ、 それ
を打ち破るのは大変なことだと感じると同時に、
行き詰まった時にはスタートに戻るということ
の重要性を改めて認識した。 諺にある 「急がば
回れ、 WALK, DONT RUN」 である。
2003年11月19日 (水) 大安の日、 初めて水上
での試験が開始された。 海につながる 「スベリ」
と呼ばれるスロープを下り、 ついに海に浮かん
だ。 この時私は、 「この飛行機は飛べる」、 森パ
イロットも 「母機と同じだ。 問題ない」 と感じ
ていた。 二人とも何の根拠もない直感であった
が、 これがパイロットの 「感 (勘)」 というも
のかも知れない。 水上の試験は5回実施した。
私と森がフライト毎に左右席を交代し、 離水直
前までの3舵の効き具合、 パワーの特性等様々
な確認をし、 その確信は更に深まった。 陸上機
の地上試験と違い、 広い海上で実施するので、
思う存分に実施できるメリットがある。 2003年
12月18日 (木) 大安の日、 ついに待望の初飛行
がきた。 偶然だがこの日は、 100年前の12月17
日はライト兄弟による動力飛行機の記念日、 そ
の7年後の12月19日は徳川大尉による日本の初
試験を終えてスベリから揚陸
2008 JAN
55
飛行記念日、 US-1A 改は両記念日に挟まれる
ことになった。 離水前はさすがに胸の高鳴りを
感じたが、 着水後は意外に冷静な自分に気付い
た。 こんなトラブルが発生したらこうしようと
か、 いろいろと考えていたのに全く何もなかっ
た。 シミュレータ試験の方がもっと難しいもの
だった。 もう何回もフライトしている錯覚に陥っ
た。 試作機の飛行試験といっても、 地上のシミュ
レータ試験で実施した項目を空中で再確認する
のがほとんどである。 予め結果が予想できる。
もちろん予想と異なる事象が発生することもあ
るが、 全体としては僅かである。 実際に飛んで
みなければ何が起こるかわからない昔のテスト
パイロットに比べ、 今のパイロットは恵まれて
いると思う。 と同時に、 シミュレータのない時
代ならば果たして我々に飛行試験ができたのか
と自問自答した。 飛行試験はそれなりのトラブ
ルが発生しつつも順調に推移した。 試験は水上
と同様に二人の評価のほうがより正確に評価で
きると考え、 フライト毎に左右席を交代して実
施した。 時には意見が異なる事もあったが、 結
果的には正解だったと思う。
躍できる機体である。 先月のアメリカのカルフォ
ルニア州での広範囲な山火事で、 ヘリコプター
が消火活動しているニュースが流れたが、 焼け
石に水状態に見えた。 消防機に要求される要件
は、 ①多量の水を短時間で搭載②正確な位置へ
の放水③水を分散させない、 の3条件である。
①の条件は大きな機体と短距離離着水性能、
②の条件は低速が可能なこと、 ③の条件は低空
での飛行が可能なことであり、 この飛行艇は全
ての条件を備えている。 大規模な山火事が発生
すると、 再生するためには膨大な年月を必要と
YS-11以来、 MADE IN JAPAN の飛行機は
世界の空を飛んでいない。 US-1A 改 (US-2)
は多用な任務に対応できる機体である。 救難は
もとより、 消防・輸送・監視等様々な分野で活
する。 また地球環境に及ぼす影響は計り知れな
い。 将来日本で開発された飛行艇が、 消防やい
ろいろな分野に転用され、 世界の空で活躍する
日を願っている。
1991年菊原博士は85歳でこの世を去られた。
何事も変化の激しい時代にあって、 約15年の歳
月は長い。 しかし、 技術的なことは別として、
私は 「夢を持ち続ける大切さ」 を教わった。 今、
菊原博士がご存命なら、 どんなことに情熱を傾
けておられるだろうか。 もしかしたら、 「落ち
ない飛行機」 を考えておられるのではと思う。
「落ちない飛行機」 は 「飛ばない飛行機」 しか
ないといわれるかもしれないが、 ほんの100年
前ライト兄弟が初飛行に成功するまで、 人類が
鳥のように大空を飛ぶなんて夢の話だった。 し
かしその後短期間で人類は宇宙にまで進出した。
SF の世界が現実のものになった。 「落ちない
飛行機」 「ぶつからない自動車」 「沈まない船」、
試作1号機の離着陸試験
初飛行 (随伴機:海自51空のヘリ)
おわりに
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こんな夢のような話も、 夢を持ち続ける技術者・
設計者がいれば、 そう遠くない未来に実現でき
るような気がする。 私がまだ20歳代の頃、 菊原
博士はよく岩国の部隊に来られ、 飛行機の設計
や若いパイロットに対するご自分の想いなどを
語られた。 特に 「乗組員を死なせてはいけない」
「着水は絶対にジャンプをさせない」、 これが博
士の口癖であり、 設計者の信念と3mの荒波へ
の挑戦の原点と感じた。 お酒をこよなく愛され、
夜、 杯を傾けながら、 孫のような私たちを諭す
ように熱く語られた。 その眼光は時折鋭かった
が、 実に優しいおじいちゃんであった。 そんな
おじいちゃんが作られた飛行艇ワールドに、 も
う35年もいる自分に気がついた。 (写真は海老
浩司氏提供)
離水滑走中の試作2号機
精密速度計を装備した試作1号機
離着陸試験中の試作2号機
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連
載
航
空
史
●
曼
●
陀
羅
その21. 陸軍の至宝、
藤田雄蔵中佐の業績
藤田雄蔵中佐といえば航空研究所試作長距離
機 (航研機) を思いだす。 1930年前後の平和な
時代の欧米諸国では、 航空路開発や飛行記録へ
の盛んな挑戦がおこなわれていた。 これに刺激
されて、 世界記録にチャレンジするために製作
されたのが航研機である。 単機のみの製造であ
り、 正式名は 「試作高速度研究機」 (キ78) で、
FAI (国際航空連盟) からの世界記録証書には、
Monoplane“Koken Long Range”と明記さ
れている。
東大航空研究所 (以下、 航研) が駒場に誕生
したのは大正末期であったが、 日本の航空技術
かい
は、 欧米と比較してまだまだ学問と実際とが乖
り
離していた時代である。 ならば自分たちの手で
飛行機を試作してみようじゃないか、 という意
見が航研内にふつふつと沸き上がったのは必然
の成り行きだった。 幸いに予算も計上された。
航研所長・和田小六博士総指揮のもとに、 航
研の飛行機部、 発動機部、 風洞部の部員が中心
関東平野を周囲飛行中の航研機
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2008 JAN
徳田
忠成
になって、 基礎的研究がすすめられた。 そして
航研が機体設計、 大森にあった東京瓦斯電気工
業が製作、 川崎航空機によるエンジンは液冷12
気筒V形800馬力1基、 プロペラは日本楽器が
分担し、 木製2枚羽根固定ピッチが用いられた。
三菱、 中島、 川西航空機という航空機メーカー
3社による技術協力、 陸軍航空技術研究所から
は、 仁村大佐、 駒村、 藤田両少佐らが参加した。
研究に入ってから4ヶ年、 製作に着手してか
ら約3ヶ年、 機体、 翼の断面、 独特のプロペラ
などが出来上がるまでに1年半、 製図にとりか
かったのは昭和9年夏からで、 1,500枚もの製
図が引かれた。 昭和7年12月から5ヶ年有余の
歳月と総費用約100万円が投じられ、 延べ6万
人が参画した。
東京瓦斯電気工業の工藤工場長は、 わざわざ
フランスへ赴き、 航研機製作用の工作機械を仕
入れてきたほどである。 そして陸軍テスト・パ
イロット藤田雄蔵少佐のアイデアがふんだんに
採用された。 というより記録飛行の成功の裏に
は、 彼の人事を尽くた努力と、 実用性に富んだ
柔軟な考えを徹底して採用したからだ、 といわ
れた程である。
藤田の遺稿 「航空と技術と精神」 (以降、 「遺
稿」) から略述する。
「昭和12年3月末日に、 大森の工場の前での
試運転で発動機がまわったので、 製作に関係し
た人たちは驚喜した。 4月に羽田の格納庫で飛
行機を組み立て、 下旬に羽田で初めて滑走試験
をした。 結果は良好であった。 この滑走試験で
何よりも良かった事は、 設計者と制作者が一致
団結して、 この飛行機を飛行させようという空
気をつくったことだ。 この空気は、 飛行機が飛
行するようになってから、 ますます加えられた」
事実、 設計陣は自分たちが設計した飛行機が、
初めて滑走したことを目の当たりにして涙を流
さんばかりに狂喜した。 この時、 「航研の人た
ちは、 初めて滑走しただけで泣くんだから、 空
を飛んだらきっと皆死んでしまうよ!」 と言っ
た藤田の言葉は、 微笑ましい話として後々まで
の語り草になっている。
当時としては斬新なアイデアがふんだんに採
用された。 徹底した揚抗比を高くするアイデア
として、 空気抵抗を減らすために胴体は沈頭鋲
を使用、 主翼、 尾翼ともに支柱や張線のまった
くない片持翼、 主翼スパン27.93m、 面積87.3㎡
の中には、 7,500リットルという大容量の燃料
タンク、 手動ではあるが油圧による完全引込脚、
コックピットの凸面を減らし、 前方視界は離着
陸時のみ天井をオープンにして顔をだし、 飛行
中は横の窓から見る構造になっていた。 主翼と
動翼 (エルロン) が真紅に塗られたのは、 不時
着したときに、 空中から発見しやすいためであっ
た。
そして昭和12年5月23日午後5時30分、 つい
に航研機が試験飛行に飛び上がった。
「ただ一回の滑走で鮮やかに離陸、 5月の空
を快翔すること15分、 机上の設計と侮られつつ
黙々と努力した航研機は、 ついに大空に一歩を
印したのだ。 その後の改修は試験飛行の結果ご
とに行われた。 設計者は悪いと思うと、 我意を
徹することなく思い切って改修の設計をした。
制作者は、 この嫌なやり直しの仕事を、 大乗的
見地から我慢してよくやった。 東京瓦斯電気の
塚本技工長は、 国家的観念から、 個人的不満を
忍んで、 この飛行機という大きな目的に先頭に
立って努力した」 (遺稿)
記録飛行に挑戦するメンバーは、 藤田少佐が
主操縦士、 副操縦士の高橋福次郎曹長 (27) は、
逓信省陸軍委託11期生4人の一人で、 神風号の
飯沼正明飛行士と同期であり、 両名共、 陸軍委
託時代の藤田の学生であった。 高橋曹長は委託
航研機の周回飛行へ出発の際の藤田中佐と橋准尉
訓練修了後、 現役軍人を志して陸軍入隊、 戦闘
機パイロット養成のメッカ、 三重県明野陸軍飛
行学校の助教をしていた。 そして航研機以来、
共に殉職するまで藤田少佐の良きパートナーだっ
た。 埼玉県入間郡出身の機関士・関根近吉技手
(42) は、 所沢飛行学校で機関手としてエンジ
ンを勉強した生粋の技術マンであり、 立川の陸
軍航空技術研究所で働いていた。
「次第に試験が進んでこの飛行機の大切な重々
量離陸試験という課目になった。 このため木更
津海軍飛行場を借りることにした。 そこである
日、 海軍航空隊を訪問した。 その時の飛行長曽
我少佐が ここは日本の飛行場だ。 海軍も陸軍
も航研もみんな日本のものではないか。 遠慮な
く使え とのことだ。 このようにこの飛行機を
つくる人の和はますます加えられたのである」
(遺稿)
12年11月13日、 いよいよ飛行記録を目指して
飛び上がったが、 9時間ほどで降着装置の故障
が発見されるなど、 他の故障もでて着陸を余儀
なくされた。 全日本国民が注目している中での
失態は、 航研の人々を痛く落胆させた。 早速、
きゅう
翌日には、 継続か否かのカンカンガクガクの鳩
しゅ
首会議が開かれたが、 この時、 藤田は瞑目して
一言もしゃべらなかった。 日頃の藤田の言動か
ら、〈継続するのは当たり前、 何をくだらんこ
2008 JAN
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とを言い合っているのだ〉という、 不退転の意
志が伝わってきたという。
藤田のいつもと変わらぬ姿勢に、 関係者は勇
気百倍、 寝食を忘れて改良に打ち込んだ。 そし
て翌13年5月10日には10時間ほど飛行したが、
この時はオートパイロットの故障で、 ふたたび
飛行継続が中断された。 しかし、 幸いに3日間
のグランドだけで修理することができた。 そし
て3度目の正直で、 ついに世界記録を樹立した
のである。 5月13日午後4時55分に木更津飛行
場を離陸した。 その日が金曜日であることなど、
藤田は気にもかけなかった。
「僕は重苦しい気持で仕事をするのは大嫌い
だ、 また無理をするのも嫌いだ。 こんな訳で何
時も茶漬でも食うくらいの気持で離陸した」
(遺稿)
航研機はこうして木更津から銚子 (千葉) −
太田 (群馬) −平塚 (神奈川) −木更津の周回
コースで、 一周401.759km の飛行は極めて順
調、 そして27周目が終わった時点で、 昭和7年
3月、 フランス人によって創られた世界周回飛
行記録10,614.8km と平均時速150km を破った。
その瞬間、 藤田は下で待っている人たちへ義務
を果たしたような気持になった。 そして機上の
3人はシャンパンを抜いて乾杯したという。
「一種見くびるような世間の感情は、 むしろ
失敗で同情に変化した。 内も外も一致団結した
周回飛行記録を達成し、 木更津飛行場に着陸直後の
3人。 左から藤田中佐、 橋准尉、 関根機関士
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2008 JAN
雰囲気の中で、 敢然と再度の離陸を決行したわ
が航研機に、 またとない幸運が与えられ、 つい
に希望が達成された」 (遺稿)
29周飛行し、 15日午後7時21分に無事着陸し
た。 周回距離11,651km、 飛行時間62時間22分
49秒を記録、 1万 km の平均時速186.92km で
あった。
「29周目の太田は雲でほとんど見えなかった
が、 秩父や大山、 箱根には雨雲が見えてきて、
僕は平塚の手前で これで降りよう と叫んだ。
皆も同意した。 夜の横浜の灯を左に見た時、 脚
は完全に降ろされていた。 高度は次第に下げら
れた。 木更津の標識灯が見える……人たちが余
り多いので危ないと思い、 少しレバーを絞り過
ぎたら発動機は停止してしまった。 これで終わっ
たのだと思った。 座席の上に立つと排気管から
出る鉛のために左の翼は白くなり、 右の翼は油
のためぬらぬらしていた。 足許が滑りそうで危
ないのに、 新聞社のフラッシュで眩かった。 飛
行場からの帰り、 自動車の中で3人で話したの
は、 お蕎麦のカケを食べて風呂に入って眠るこ
とであった」 (遺稿)
「双翼に燦!世界記録二つ」 と、 朝日新聞社
が紙上に華々しく快挙を讃えた翌日、 藤田少佐
は、 すでに30数ヶ条もの改造意見を提出して周囲
を驚かせた。 その第1条には、 「……前方視界
周回飛行記録達成で、 朝日新聞社より朝日賞贈呈。
橋副操縦士と共に (昭和14年1月24日)
を得る如くを要す」 とあった。 彼にとって記録飛
行は、 単なる仕事の延長に過ぎなかったのであ
る。 そして翌年1月24日、 この偉業に対して昭
じゅん じつ
和13年度朝日賞が贈呈されたが、 旬 日 を経ず
して戦死の悲運に見舞われたのである。 (後述)
ちなみにこの二つの大記録は、 1年3ヶ月後
の昭和14年8月、 イタリアの SIAI・マルケッ
ティ SM82型3発輸送機によって破られた。 記
録は距離12,937km、 平均時速237.97km であっ
た。
藤田雄蔵は青森県弘前の生まれである。 父・
末類二が日本郵船に勤めていた関係で、 生まれ
て間もなく横浜市へ移り、 戸部尋常小学校から
神奈川県立横浜第一中学校を卒業するまで、 浜っ
子として成長していった。 只、 小学校の2年間
は、 父の仕事の関係で上海で生活している。
後に 「空の巨人」 と評された彼の幼少時代は、
とくに偉人としての片鱗もなく、 平々凡々なも
のだった。 有名になったあと、 母親に子供のこ
ろの雄蔵少年を尋ねると、 彼女はいつも 「とり
立てて申し上げることのない普通の子供でした」
と言っていた。 174cm の長身と72kg の彼は、
温和しすぎるほどの子供だった。 その愛くるし
い童顔と従順な育ちの良さは、 皆から 「雄ちゃ
ん、 雄ちゃん」 といって可愛がられた。
横浜第一中学時代には、 音楽の才が素人ばな
れしており、 気に入った歌詞があれば、 ただち
に5線紙上に 「おたまじゃくし」 を書き込むほ
どだった。 しかし、 病弱で一年間休学して療養
生活を送っているが、 この時期が、 奇しくも雄
蔵少年を空へ具体的に動き出すキッカケとなっ
たようだ。
小学校時代に、 先生から 「いまに人間が空を
飛ぶようになる」 と言われたことが、 強く頭に
残っていた彼は、 休学したことによって飛行機
熱が加速された。 勿論、 健康の回復が第一で毎
日の精進、 とくに毎日のランニングを怠らず、
800m競争では誰にも負けない強健な体を作り
上げたが、 同時に、 グライダー製作にもとりか
かった。
父の協力をえて、 英国の月刊雑誌 「Flight」
藤田少年が中学時代の最初に製作したグライダー
を辞書を片手に熟読しながらの作業は復学後も
続き、 ついに第3号機 「藤田号」 を作り上げた
が、 なんとかジャンプができる程度に終わった。
しかし、 この勢いは止まることがなく、 後に士
官学校を卒業し、 所沢陸軍飛行学校教官時代に
は、 立派なプライマリーを製作している。
大正10年7月に陸軍士官学校を卒業 (33期)、
同10月に歩兵少尉に任官した。 その後、 野戦重
砲第2連隊付きとなり、 砲工学校砲兵学の教官
などをへて、 大正14年5月、 陸軍に航空兵科が
できたとき、 第21期操縦学生となった。 偵察戦
闘機操縦者となったあと、 所沢陸軍飛行学校の
飛行教官として所沢生活が始まった。 彼の航空
兵としての研鑽の幕開けである。
昭和5年8月の陸軍大尉昇進とともに、 所沢
飛行学校の教官兼研究部員となったが、 昭和7
年3月には、 立川飛行第5連隊中隊長として立
川飛行場に着任、 しかし翌月には満州事変へ参
戦のため、 勇躍、 第5連隊と共に中国大陸へ転
戦した。 場所は山西省方面、 そこでの戦功によ
り昭和8年7月には、 関東軍司令官より感状が
授与されている。
大陸で2年5ヶ月を過ごしたのち、 帰国後は
陸軍航空本部々員、 同技術部 (昭和10年8月に
陸軍航空技術研究所) 付となって、 立川飛行場
でテスト・パイロットの道に入ってから、 いよ
いよ彼の本領が発揮されるようになった。 10年
2月には満州事変での論功行賞によって、 殊勲
甲として功4級金鵄勲章が授与された。
藤田は母親譲りの敬虔なクリスチャンで、 自
2008 JAN
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分の博識を自慢することなく、 無口ではあるが
思いやりのある優れた軍人だった。 その性格を
彩る謙譲と友誼の美徳は、 この信仰生活から育
まれた。 きわめて明朗で恬淡としており、 無欲
で勇敢な態度は周囲の誰からも愛された。 とか
く現場の技術者や地上スタッフを見下し、 不遜
な態度をとり勝ちだった将校たちの中にあって、
彼は誰にも寛大で、 彼等から絶大な信頼を受け
ていた。 そのエピソードには事欠かない。
技術陣の1人として参加していた木村秀政博
士は、 「彼は技術上の協力者というより、 兄貴
のような親しみを覚えた。 限りない人間的魅力
をもっており、 彼のためなら死をも辞さないと
いう気持にさせられた。 だから試験飛行で彼と
同乗するときは、 不思議に不安を感じなかった」
と、 最大級の賛辞を送っている。
ドイツのグライダーの神様ウオルト・ヒルト
が、 陸軍と日本帆走飛行連盟の招きで来日した
のは昭和10年10月のことである。 ゲッピンゲン
1型と型グライダー、 それに牽引用のクレム
L25単葉複座軽飛行機 (ヒルト80馬力) を携行
ていた。
彼は2ヶ月半の日本滞在中、 所沢、 羽田、 長
野県の菅平 (上田飛行場)、 名古屋、 大阪、 熊
本 (阿蘇大観峰) などで、 デモンストレーショ
ン飛行や講演などをおこない、 精力的に日本の
関係者を指導し、 帰国にあたっては、 勳五等瑞
宝章が与えられた。 これによって、 日本に時な
らぬグライダー・ブームを巻き起こしたほどで
ある。
陸軍の上田飛行場で講習を受けた8人の現役
パイロットの中には、 陸軍航空本部飛行実験部
に所属していた藤田大尉も入っていた。 彼はヒ
ルトから多くを学びとったことを、 遺稿に書き
残している。
「昭和10年の秋にドイツ人のヒルトさんを招
聘したことがある。 何名かで毎日グライダーを
習った。 僕は外人から物を習ったのは初めてだ
が、 あの人からはずいぶん種々のものを会得し
た。 第一はあの精神力である。 真理を求めるた
めには、 如何なる困難でも危険でも、 粘り強く
克服していくあの気力、 実験に対する真面目さ
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である。 年齢や飛行時間を聞くと、 僕と同じぐ
らいだが、 ドイツ人にもすごいのが居ると尊敬
した。 当時、 航研の飛行機に対して相当の悪評
があったが、 これを完成せずんば止まずという
ような気力を持ち出したのは、 ヒルトさんの精
神の刺激だ。
あの人からはその他にも気象とか、 空そのも
のが見えるよう教えてもらった。 ただ見ると何
もないような空に、 種々の理由から空気が縦に
も横にも強くも弱くも渦を巻いて流れているの
である」 (遺稿)
藤田大尉は優れたアイデアの持ち主で、 世界
に例のない高速偵察連絡機の構想も、 彼の考え
として有名である。 敵の戦闘機から追いかけら
れても、 逃げ切れるだけの速度がほしい。 その
引き替えに他の性能は犠牲にしてもよい、 とい
う徹底した彼の考えを採用し、 陸軍は昭和10年
7月に三菱重工業に指示を出した。 こうして誕
生したのが97式司令部偵察機 (キ15) であり、
藤田少佐によってテストされた結果、 当時とし
ては時速480km という驚異的な速度をだした。
この機体の試作2号機は、 完成と同時に朝日
新聞に払い下げられて、 昭和12年春の英国皇帝
ジョージ6世の戴冠式の報道写真を撮ると同時
に、 訪英親善飛行に使用した 「神風」 号である。
この試みは飯沼正明操縦士と、 塚越賢爾機関士
とによって見事に成功した。 東京−ロンドン間
94時間翔破は FAI 国際公認記録となり、 約50
日間後、 日本に無事帰着したときは、 しばらく
日本列島がお祭り騒ぎにつつまれた。
この独創的な司令部偵察機構想は革新的で、
諸外国が考えもしなかった新分野の着想だった。
敵地上空に深く侵入して偵察飛行を軽々とおこ
ない、 あるいは航空作戦では友軍の戦爆連合を
指揮し、 誘導するなど、 戦場で多用途に活躍し
た。 伝統的に仲の悪い海軍が97司偵の高性能に
ほれこみ、 早速、 海軍式に改造したことでも頷
ける。
さらに昭和12年5月、 陸軍が立川飛行機に試
作指示を出したのが、 後の98式直接協同偵察機
(キ36) である。 この機体でも藤田少佐の意見
がふんだんに取り入れられた。 この種の定石で
あった高翼単葉型式を避け、 空力的にも優れ、
地上安定性もよい低翼単葉型式を採用、 座席の
配置、 風防の設計、 主翼の平面形などの工夫に
よって、 高翼式に劣らぬ偵察視界を確保するこ
とができた。 これは世界的にみても先進の技術
であった。
まさしく陸軍航空のヒット商品となった98式
直協で気をよくした陸軍は、 さらにこれを上回
る司令部偵察機の開発を三菱に指示した。 開発
用途は、 明確に 「主として航空作戦における迅
速な情報の収集および連絡に任じ、 隠密挺進的
に行動する」 もので、 速度要求は時速600km
だった。 そして誕生したのが100式司令部偵察
機 (キ46) であった。
完成した試作初号機が昭和14年11月、 各務原
飛行場で藤田少佐によって試験飛行された。 最
高時速540km を記録、 その後のエンジン換装
などの改良で 型は604kmph を記録するまで
になった。 この機体が前線に現れると、 連合軍
側からは 「地獄の天使」 と恐れられ、 第2次大
戦全期にわたって使用された。
日華事変当時の主力爆撃機だった93式双発軽
爆撃機 (キ2) から、 97式重爆撃機 (キ21) へ
の転換までの繋ぎの機種として、 陸軍が採用し
たのがイタリアのフィアット BR20である。 6
千万円を投じて88機も購入し、 これをイ式重爆
撃機として現地で使用したが、 カタログ通りの
性能が出ず、 事故も多発してパイロットには不
評だった。 20mm 機関砲1門、 12.7mm 機銃2
丁、 それに爆弾1,000kg 搭載という、 強力な防
御武装は魅力的だったが、 燃費が大きく、 舵が
重い欠点があり、 操縦特性を会得するのは容易
ではなかった。 その性能テストを藤田少佐がお
こなうことになった。
種々研究を重ねて好結果をだした彼は、 その
取扱いを説明すべく、 早速、 相棒の高橋曹長と
共に現地部隊へ飛んだ。 昭和14年2月1日、 岐
阜県各務原飛行場から、 3千キロを漢口 (中国
湖北省武漢) へ無着陸飛行を試みたのである。
カタログ通りだと一気に飛行できる筈だった。
しかし、 不幸にも悪天候に遮られ、 漢口から
200キロ手前の敵地・沙洋鎮に不時着、 二人と
も非業な最後をとげた。 同乗していた陸軍随一
といわれた航空エキスパートの渡辺広太郎大佐
外3名も戦死した。 藤田は享年41歳だった。
新聞は 「航研機の世界的至宝壮烈な戦死」 と
報じ、 藤田中佐らの死を悼んだ。 藤田中佐およ
び高橋准尉らの盛大な葬儀の日には、 藤田の所
沢飛行学校教官時代の愛弟子・飯沼飛行士が、
教官と同期生のために、 航研機を操縦して慰霊
飛行をおこなった。 (参考文献および写真:藤
田雄蔵中佐遺稿 「航空の技術と精神」)
フィアット BR20爆撃機 (朝日新聞社提供)
三菱100式司令部偵察機 (キ46) (朝日新聞社提供)
2008 JAN
63
連
載
―雑食性パイロットの飛行カバンから―
文と絵
湧井カレン
第10話:ヘリコプタの定期運航
大分、 伊東、 シカゴ、 マンハッタン、 これらの街に共通する分母は何か?と問われて、 「昔の名
前で出ている女」 みたいな女は居ないからこれは愚問である。 正解は V107ヘリコプタが1960年代
に定期運航を行った街。
いずれも当初の意気込みとは裏腹に、 赤字とお役所の規制に運用者が追随できなくて1∼3年の
短期間のうちに廃業してしまった。 70年代に入ってもヘリコプタの2地点定期運航は一時多くの機
関で計画・実施されたが、 運航コストと需要が見合わず自然に廃れてしまった。 ヘリコプタは輸送
機T類のスペックを持つものとして残ったが、 不特定多数のお客を対象とした定期運航を行うもの
はほとんど残っていないのが実情だ。
なかでもそんな需要にあわせて開発した V107型タンデム・ローター・ヘリコプタは、 上記の4
箇所で短期間とはいえ実績を上げた。 大分―阿蘇、 伊東―大島、 シカゴは知らないが Manhattan−
JFK 空港の路線で活躍した。
まず V107ヘリコプタの話である。
図1
図1のようにヘリコプタの型にはメインローターとテイルローター持つシングル・ローター型、
揚力ローターを2個串型に配置したタンデム・ローター型に分けられる (V107は串型だ、 ほかに
64
2008 JAN
2個を横に置いたものや、 2重反転型のもあるがここでは触れない)。 タンデム型の特徴はエンジ
ンパワーがほとんど揚力を稼ぐために使われるので効率が良い、 テイルローターに分配される5∼
10%のパワーが無駄にならない、 2点吊りだから重心範囲が広いなど。 しかし泣き所はシングル・
ローターのように風見効果が得られないから方向安定が劣る、 また V107では図1のように2個の
ローターの軌跡の一部が重なっているから空力的な干渉を起こし、 その結果操縦安定を欠く (ロー
ターどうしが接触することは機械的にシンクロ・シャフトで防いでいるからご安心を)。
本来、 不安定なタンデム型ヘリの操縦は SAS (安定増大装置、 Stability Augmentation System) により改善している。 これはオート・パイロットではなく、 パイロットが難しくて手に負え
ない部分をロボットのメカトロニクスが助けているものだ。
やや専門的になるが、 ピッチ、 ロール、 ヨーの3軸とも安定モードは右肩上がり、 つまり発散モー
ドにある (図2)。 発散モードが悪いわけではない、 ピッチ=静的安定とフゴイドと言う長周期の
振動モード、 ロール=スパイラル・モードとダッチロール・モードとして適度の発散は機動性を改
善する働きがある。 戦闘機などは機動性を重視するため、 わざと発散系に設計するものもあるのだ。
図2
発散モードでは、 機体が外乱を受けたら初動の揺れは時間と共に次第に増加する、 増加の程度を
表すのに振幅倍増時間 (初動が2倍に増幅するまでの秒時、 短いほど暴れものだ) という尺度があ
る。 例えば V107のヨー軸にいたっては1.9秒、 あっという間に首を振るので、 それを押さえ込むに
はパイロットの通常の技量では追いつかない。 一般にこの数値が2秒以下では航空機として使いモ
ノにならないと言うから、 SAS という 「お助けマン」 の働きを借りる。 因みにピッチとロールは
15%、 ヨーには33%の操縦のオーソリティ (技量の巧さ) について SAS に 「お助け」 頂いている
のだ。
まあ難しく考えるのはやめて、 さほどにタンデム・ローター・ヘリの操縦は厄介であり、 SAS
がないと飛ぶのに苦労する。 でも SAS のおかげでパイロットはずいぶん楽ができる。 横風や追い
風にもシングル・ローター型より操縦は易しい、 静穏な条件ならオート・パイロットなしでも手放
2008 JAN
65
しで高度と針路はまずまず維持できる。 このヘリの操縦の難しい部分は地上でのタクシーと SAS
オフでの飛行、 パイロットの移行訓練でもこの2項目の克服が課題である。
もちろんT類だから電気、 ハイドロ、 操縦、 SAS 系とも全て2系統の冗長性は持っている。
そして運航の話である。
そんなマシンでも定期運航を目指したT類カテゴリに合格させるための努力があった。
図3は昔デッド・マンズ・カーブと言った。 語感が良くないので今は H-V (高度対速度) 曲線、
どんなヘリのマニュアルにも書いてある。 「斜線領域に入るとエンジン故障時に助からないから、
この領域の留まることは避けよ」 と書いてある。
T類にはこのカーブは適用されないが、 その代わり斜線領域に絶対入らないパターンで飛行する
ことが条件になる。 それは飛行機でも同じだが、 まずエンジンは多発であること。 全ての場面で1
発が不作動になっても Go−NoGo の選択により飛行が続けられること。 また何処からでも不時着
場に到達できる (意味としての ETOPS ですね) エンルートを選ぶ、 などの運用技法が開発された。
H
図3
ヘリコプタはヘリポートから運用するので、 Rejected Take off のパターンもユニークだ。
巧みに H-V 曲線の斜線部分を避けている。 飛行機のプロ・パイロット諸賢は一見でご理解いた
だけるはずだが、 図4を見てほしい。 数字は V107のものだが飛行機のV1に相当する Cdp (離陸
決定点)、 着陸には Ldp (着陸決定点) を必ず決められた高度、 速度で通過する。 ヘリポートから
Cdp まではヘリポートを見続けながら垂直に上昇する。 操縦士がヘリポートを見続けるためには、
やや後退気味の上昇になるはずだ。 Cdp に達するまでにエンジンが故障したら、 直ちにオートロー
テーション操作に入れてローター回転を維持しつつ垂直に降下し、 クッションランディングしてし
まえばいい。 Cdp で片方のエンジンを失っても Vx に相当する速度 (65ノット) を得るようダイブ
すれば転移揚力を得るので、 規定の35ft の余裕を持って上昇勾配をゲットできる。 また Ldp (35
ノット) を維持してヘリポート上空まで来れば、 直前に片エンジンになっても不時着滑走路へ飛行
が続けられる。 片エンジンでのヘリポートへの着陸はもう許可されない。
66
2008 JAN
T類の運航には、 ヨー角を取ってローターへ流入する空気を増やし揚力を稼ぐ手法や、 あらかじ
め回転数を上げておき、 1発停止時の回転数低下を抑える技法など、 ややこしい手順もあるのだが
ここでは省く。 ヘリポート間のT類の運航は、 TA 級というカテゴリで概ね飛行機と同じ概念で設
定されている。 もちろん標高や気温により MTOW が制限されるのも同じである。
そこで冒頭の定期路線がなぜ廃業となってしまったのか、 の疑問に戻る。
今でも変わらないと思うが、 まずランニング・コストが客席あたり飛行機の4∼6倍かかると見
るのが普通だ。 V107が運べる旅客は僅か19名、 路線長も50∼150km ほどだ。 国内のルートは主に
新婚旅行客を当て込んでのものだったし、 マンハッタンでも PANAM 機の乗り継ぎ旅客が主な対
象だ。 ジェット・フォイルやリムジン・バスが1/10の運賃で旅客を運ぶ世界では存続できなかっ
たのだ。
機内の装備も騒音も、 乗り心地だって車や船や飛行機に太刀打ちできなかったと言える。
図4
そして冒頭に触れた航空行政の制約があった。 当時 IFR は許可にならなかったし、 ヘリ用のア
プローチパターンの設定や回廊も計画のみで実現しなかった。
その後旅客ヘリは使われているが、 それは採算を問わないオイル・リグへの Off Shore 飛行や
山岳スキーなど、 企業内の運航やレジャー産業へと指向していったのである。 何時かまたヘリが定
期的に旅客を運ぶ時代が繁盛するかもしれない。 その時は行政の適正な規制緩和が行われ、 屋上へ
リポートの有効利用、 飛行機との運航パターンの分離など、 ソフトウェアがしっかりしなければい
けないなと感じている。
2008 JAN
67
From the Control Room
キャビンアテンダントのはなし
空の交差点は航空に携わるもの同士が
「空の仲間」 として相互理解を図る場です。
皆様の投稿をお待ちします。
飛行前のブリーフィングでのことでした。
いつものように FLT Info を真剣にメモして
いた (はずの) 私は、 お話しているキャプテン
に何とも言えない違和感を感じていました。
“何が”とは言えないけれど何だかしっくり
こない、“びみょうな”違和感でした。
違和感の原因は、 すぐに判明しました。
キャプテンの肩章 (肩についている金色線)
の幅が、 いつもより若干太かったのです。
キャプテンのお話にうなずきながら、 よくよ
く金線の数を数えてみると……、 「1. 2. 3.
4. 5!」 なんと5本もありました!
もう一度数えてみると……、 やっぱり5本あ
りました。
右も左も両肩とも、 右から数えても左から数
えてもやっぱり5本ありました。
《あれ? キャプテンは確か4本線のはず。
コーパイさんは1本少ない3本だって習ったの
に…》
《じゃあ、 コーパイさんは…?》コーパイさ
んの肩章は、 やっぱり3本でした。
そうなったらもうブリーフィングどころでは
ありません。
《5本って何? どんな意味?? もしかし
てベテランキャプテン??? 査察機長???
?》
あれやこれやと思いを巡らせていたその時、
ブリーフィングを終えたキャプテンがおっしゃ
いました。
「何か質問はありませんか?」、 一同 「……」、
私はキャプテンに伺ってみたいと思うものの、
68
2008 JAN
念のため ②
どうしてもその勇気が出せませんでした。
するとキャプテンは続けて、 「……って言っ
ても、 質問なんてされたこと無いもんねー。」
この一言が私には、 「念の為、 念の為!」 と、
背中を押されている様に聞こえました。
「あの…、 キャプテンの5本線にはどのよう
な意味があるのでしょうか……?」
「えっ……?」、 ご自分の両肩を見て2秒ほ
ど絶句したキャプテンは、 「あーっ、 女房のい
たずらだっ!!」 と言って、 何と5本目の金線
を慌てて外したのです!
どうやらその着脱可能ななぞの金線は、 お菓
子などの袋の口を閉じる金色の針金で (どう見
ても他の4本の本物の金線にうりふたつだった
のですが)、 その日の出掛け、 キャプテンの奥
様がいたずらで加工したもののようでした。
周りの皆さんは大爆笑でしたが、 キャビンク
ルー・ブリーフィングの場でそんなことを言っ
てキャプテンに恥をかかせてしまったと思った
私は、 どうしようかとすっかり小さくなってい
ました。
でもキャプテンはそんな私の手を両手でしっ
かりと握りしめて、
「ありがとうね! 君が言ってくれなかった
ら私は、 この格好のままで世界中を歩いちゃう
ところだったよー!」 と、 ものすごい勢いで感
謝されてしまいました。
私の“念の為運動”は、 今でも引き続き実施
中です。
FAI エアロバティックス
ワールド・グランプリ
奥貫
昨年の11月に、 栃木県のツインリンクもてぎ
で、 FAI エアロバティックス・ワールド・グ
ランプリが開催されました。
この種のエアロバティックス競技会としては、
国内で唯一開催されるものです。 FAI のエアロ
バティックス関係を扱う JAPA からの派遣委
員として、 安全審査委員兼飛行管制を担当して
きましたので、 その概要を報告させていただき
たいと思います。
今回の特色は、 初参加の選手が多いことでし
た。 ソロ競技2名、 編隊は、 4機編隊と2機編
隊の2チームの新規参加があり、 また、 おなじ
みの Flying Bulls も、 メンバーの一人が交代
していましたから、 以上合計で、 9名の選手が
初参加と言うことになります。
この、 ツインリンクもてぎでのエアロバティッ
クス・グランプリは、 十分な技量と実績が確認
された選手のみの参加となっています。
一般的な飛行場とは異なり、 滑走路は、 競技
機体が必要とする長さを有しているとはいえ、
場外離着陸場としての要件を満たす最低限のも
のですし、 エアロバティックスの競技に必要な
一辺1000mの立方体空間は確保されていても、
その周辺には、 通常の飛行場環境とは異なる障
害物があるのも事実です。 従って、 ツインリン
クもてぎでの競技実施の場合は、 場所と高度を、
特に厳格に守ることが必要になります。
そのような訳で、 競技フライトの説明資料に
は万全を期し、 図と写真によって、 ツインリン
クもてぎの空を、 完全に頭に入れていただいて
から、 飛んでいただくことにしました。
博
競技空域と高度
ツインリンクもてぎの上空には、 3段階に分
けたエアロバティックス空域が設定されました。
基本となる一辺1000mの立方体空間は、 その範
囲内の、 最も高い障害物の高さを考慮して、 最
低高度が760Ft (MSL) と設定され、 その中の
サーキット内の障害物の無いエリアは640Ft
(MSL)、 更に競技空域の外側は950Ft (MSL)
として、 練習等に提供されました。 上限高度は
4,500Ft です。 ちなみに、 競技エリアの南側に
位置する滑走路の標高は630FT で、 競技エリ
アの地上よりは高い位置にあります。
競技参加機は、 この滑走路から離陸した後、
高度を取って競技空域に進入し、 合図とともに、
音楽をスタートさせ、 エアロバティックス競技
を開始します。 競技空域からの逸脱は、 減点や
失格につながりますから、 競技前の練習飛行で
十分に確認しておくことが必要です。
飛行空域と滑走路 (提供:鈴木啓文氏)
2008 JAN
69
離着陸と練習飛行
競技会は、 金曜の公式練習からのスタートで
すが、 新規参加者たちは、 ツインリンクもてぎ
の空に慣れていただく必要があります。 そのた
め、 月曜日から練習飛行が始まりました。
初参加の室屋義秀選手は、 月曜の朝に福島か
ら飛来して、 練習に備えました。 ドイツから初
参加のフィリップ選手や、 南アフリカから初参
加のマツダ・エアロバティックス・チーム、 及
び、 イタリアから初参加のパイオニア・フォー
メーション・チームにも、 優先的な練習の順番
が提供されました。
月曜の午前中は、 全機の組立確認を実施し、
その書類を航空局に提出して、 飛行許可を受領
し、 飛行準備を完了させました。
更に、 いざと言う時の備えとして、 競技空域
の直下に用意された3箇所の不時着場について
も、 全選手を地上から案内し、 詳細に確認をし
ていただきました。
さて、 月曜の午後、 いよいよ飛行開始です。
初参加の選手が多いことから、 あれこれと心配
はしたのですが、 さすがにエアロバティックス
の世界選手権を戦う選手の技量は大したもので
す。 短い滑走路を難なくこなし、 離着陸は安定
していて、 全く問題ありませんでした。
上空での演技は、 空域と最低高度のキープが
課題でしたが、 皆さん競技で鍛えられています
から、 問題なく実施していました。
また、 競技終了の後、 挨拶として行われる、
メインスタンド観客前の通過飛行は、 その飛行
ラインと高度が定められ、 傾きは60度以内、 急
な姿勢変化は禁止として、 安全を確保している
のですが、 日を追って慣れるにつれ、 通過飛行
ラインへの進入が急角度になったり、 通過飛行
後、 急上昇をしたりといった傾向がありました。
観客の前で張り切る気持ちは良くわかるのです
が、 腕比べになってはいけませんから、 全体ブ
リーフィングで注意をしなければならない場面
もありました。
70
2008 JAN
競技飛行
今回初出場の室屋選手は気持ちの高ぶりから
か、 練習飛行の離陸後、 競技エリアに入る前に
曲技飛行の姿勢に入れて警告を受ける場面があ
りました。 また、 競技では、 決勝1日目の演技
に、 やや納得いかなかった模様で、 最終日には
力が入り過ぎ、 競技エリアから観客席側に逸脱
して、 失格の扱いになってしまいました。 前日
の獲得ポイントが有効で5位にはなったものの、
反省を要する状況でした。 高いGと、 急激な姿
勢変化の中で、 空域を守り、 曲に合わせて演技
をするには、 まだまだ修行が必要です。
ドイツから初参加のフィリップ選手は、 斬新
で印象的なフライトだったのですが、 空間での
全体構成、 音楽に合せた演技、 と言った面では、
まだ及ばないところがあり、 得点は延びません
でした。 しかし、 まだ若いこともあり、 今後が
楽しみな選手でした。
初参加の室屋選手機とフィリップ選手機 (右側)
ソロの他の選手は、 いずれもスホーイに乗る
ロシア勢で、 誰が勝ってもおかしくない、 ベテ
ランぞろいでしたが、 正確な演技を曲に合せて
まとめた、 マミストフ選手が優勝しました。 女
性陣ではママさん選手のキャパニナは惜しくも
2位、 同じくママさんのフェデレンコ選手は、
優雅な舞いで、 3位に入賞しました。 チュマル
選手は、 やや不調で、 4位でした。
フォーメーションチームでは、 フライング・
優勝したマミストフ選手のスホーイ26
フォーメーション優勝のフライング・ブルズ
2位のキャパニナ選手のスホーイ26
初参加のマツダ・チーム
3位のフェデレンコ選手のスホーイ26
観客を沸かせたパイオニア・チーム
ブルズの、 背面密集編隊を多用した、 相変わら
ずの演技が見事に決まり、 また、 交代した新人
も立派に力を発揮して、 優勝となりました。
初参加のマツダ・チームは、 見ごたえのある
演技でしたが、 全体を通じての完成度が今一歩
で2位でした。 しかし、 こちらも若手の二人組
みですから、 これからが楽しみです。
パイオニア・フォーメーション・チームは
100馬力エンジンのマイクロライト機ですが、
見事な構成と演出で、 観客を沸かせていました。
これだけの機体が、 あの狭い環境で、 トラブ
ルもなく運用できたことには、 感心しました。
やはり、 本場で鍛えられた人たちは違います。
2008 JAN
71
運用及び今後に向けて
今回は、 ソロ競技機体6機、 フォーメーショ
ン競技機体10機、 合計16機の参加で、 月曜の練
習飛行開始から、 日曜の競技終了まで、 延べで
226機の飛行がありました。
ソロの表彰。 女性の2人はママさん選手
フォーメーションチームのオープニング飛行
平均すると毎日30機以上が飛んだことになり
ます。 オープニング飛行、 あるいは競技等では、
飛行時間帯が集中しているため、 多い時は、 1
分間に6機を超える離着陸のコントロールが必
要な場面もありました。
その仕事は JAPA の担当でしたが、 目が回
りながらも、 問題無くこなすことが出来て
「Safety Tower!」 などのお褒めの言葉もいた
だきました。
しかし、 今回は、 混信の無い専用周波数が得
られたから何とかなったもので、 編隊飛行機か
らの合図の送信も含め、 無線の問題は、 この種
の競技会の最重要課題であることが改めて確認
されました。
その他、 地上滑走、 燃料補給、 エンジンラン
アップ等々、 狭いエリアに16機ですから、 地上
の交通管制も含め、 それはそれは大変でしたが、
事前にあらゆる場面を考えて準備していたこと
と、 選手のレベルの高さ、 理解及び協力で、 何
とかまとまりました。
様々なことはありましたが、 何はともあれ、
今回のツインリンクもてぎのアエロバティック
スは無事に終了しました。
72
2008 JAN
今回の新規参加者は、 皆さん 「また来たい」
とのことでしたから、 今年は、 もてぎの帝王、
ユルギスや、 ピーター、 クラウス等、 大御所の
カムバック参加と、 新人、 中堅が入り混じって、
大変な賑わいになりそうです。 尚、 今年は10月
31日 (金) ∼11月2日 (日) の日程にて開催の
予定です。
フォーメションチームの皆さん
参加者全員でお別れの記念写真
最終成績
FINAL RESULTS − Solo
Rank
Name
Nationality
Best Score
Perfection
Aircraft
1
2
3
4
5
6
Mikhail MAMISTOV
Svetlana KAPANINA
Svetlana FEDORENKO
Viktor CHMAL
Yoshihide MUROYA
Philipp STEINBACH
RUS
RUS
RUS
RUS
JPN
GER
10'060pts (day2)
9'865pts (day 2)
9'800pts (day 2)
9'360pts (day 2)
9'280pts (day 1)
9'140pts (day 2)
83.83%
82.21%
81.67%
78.00%
77.33%
76.17%
Sukhoi Su-26
Sukhoi Su-26
Sukhoi Su-26
Sukhoi Su-31M
Extra EA-300S
Xtreme 3000
最終成績
Rank
1
2
3
Name
Flying Bulls
Mazda Team
Pioneer Team
FINAL RESULTS − Formation
Nationality
Best Score
Perfection
Aircraft
CZE
RSA
ITA
9'200pts
8'800pts
8'490pts
80.70%
77.19%
74.47%
Zlin 50 LX
Extra EA-300L
Pioneer 300 Hawk
ツインリンクもてぎ
滑走路及び曲技飛行実施空域
全体図
2008 JAN
73
ews
FAI N
FA I ニュース
奥貫
FAI の年次総会及びロータークラフト、 ジェ
ネラルアビエーション、 エアロバティックス部
門の総会が終了し、 JAPA 関係の日本の代表
者も承認されて、 新しい活動のスタートが切ら
れました。 また、 ここのところ、 やや低調であっ
た FAI World Air Game についても新しい動き
があるようですので、 それらにつきましては、 詳
細が分かり次第、 この場で紹介させていただき
たいと思います。 では今月の各部門の報告です。
ロータークラフト (ヘリコプター)
ロータークラフトの CIG ミーテイングは、
スイスのローザンヌで毎年開かれていましたが、
2008年は変更されてイタリアの TURIN で行う
ことになりました。
イタリアは2009年のワールドゲームのホスト
国ですので視察を兼ねて TURIN で会議を行う
ことに決定したそうです。
日本からはデリゲートの青山が参加の予定で
す。 2008年の会議はドイツのアイゼンナッハで
行われるワールドチャンピオンシップのルール
の変更等の内容だと思われます。 ワールドチャ
ンピオンシップの参加希望の方はご連絡下さい。
ジェネラルアビエーション
昨年の南アフリカ・ケープタウンでのジェネ
ラル・アビエーション部門の総会には、 残念な
がら、 日本からの出席は出来ませんでしたが、
今年は以下の世界選手権がありますで、 紹介さ
せていただきます
精密飛行競技世界選手権
18th FAI World Precision Flying Championship
Place: Ried-Kirchheim (Austria)
Dates: 13/07/2008−20/07/2008
URL: http://www.ried2008.at
74
2008 JAN
博
ラリー競技世界選手権
16th FAI World Rally Flying Championship
Place: Ried-Kirchheim (Austria)
Dates: 20/07/2008−26/07/2008
URL: http://www.ried2008.at
開催期日を見てお分かりのように、 この二つの
競技会は同じ場所で、 つながって実施されます。
この競技に興味があります方の見学をお勧め
いたします。 JAPA 宛に見学希望の連絡をい
ただければ、 FAI 経由、 開催者に連絡させて
いただきます。
エアロバティックス (FAA-CIVA)
2007年10月27・28日、 リトアニアの首都ビリ
ニュスにおいて、 2007年 CIVA ミーティング
(FAI エアロバティック委員会・年次総会) が
開催され、 その中で来年開かれる予定の各チャ
ンピオンシップについて、 開催場所と日程、 及
び規定科目 Programme-Q (known) シーケ
ンスが決定されました。 (次ページ参照)
これらのチャンピオンシップには、 JAPA
の会員で、 かつ必要な経歴と技量を有している
と認められたパイロットであれば、 日本代表と
して出場することができます。 出場を希望され
る方は事務局までお問合せ下さい。
・EAC (アンリミッテッドヨーロッパ選手権)
2008.7.6∼13−日本人参加予定
チェコ共和国フラデク・クラローヴェ
・WAAC (アドバンスド世界選手権)
2008.8.1∼10−日本人参加予定
アメリカ合衆国オレゴン州ペンドルトン
・YAK52WAC (YAK52 世界選手権)
2008.8 (開催日未確定)
ロシア連邦ノボシビルスク
なお、 CIVA ミーティングの詳細については、
参加報告をご覧下さい。
*
Q:Qualification
2008年 FAI エアロバティックス
規定競技科目
2008年 FAI エアロバティックス競技の
規定科目が決定しました。
右は Advanced クラス、 下は Unlimited
右下は YAK-52 クラスです。
いずれも、 右が風上になります。
細部につきましては、 JAPA に連絡いた
だければ、 情報を提供いたします。 また、
最新情報は、 下記 URL から得られます。
http://www.fai.org/aerobatics/
2008 JAN
75
FA I・CIVA
(エアロバティックス)
ミーティング参加報告
FAI Aerobatic Commission (CIVA) 日本副デレゲート
JAPA 会員、 日本滑空協会曲技飛行委員会委員
鐘尾みや子
昨年の FAI Aerobatic Commission (通称
CIVA) の年次総会 (ミーティング) は、 2007
年10月27−28日の日程でリトアニアの首都ビリ
ニュスで開催された。 一昨年ポーランドの古都
クラクフで開催された2006年の CIVA ミーティ
ングでは単なるオブザーバーとしての参加であっ
たが、 昨年は正式に国を代表する副デレゲート
として参加したので、 全ての議事の採決に積極
的に関わることができた。 CIVA の総会に日本
が国として参加したのは今回が初めてである。
今回のミーティングでは、 一昨年のような事
前の Informal Meeting は設定されていなかっ
たが、 会議の1週間前になってから次々に重要
な議題が出てきたため、 急遽前日の26日午後4
時から Informal Meeting が開催されることと
なった。 議題については1ヶ月半ほど前から
CIVA の Web 上で公開されているが、 半分く
らいは項目だけで、 その他のものは後から補充
されるようになっているため、 直前まで内容が
わからないものもある。 一番問題となったのは
ジャッジの資格に関わる議題で、 メールでの議
論が紛糾し収拾がつかなくなったので、 意見の
あるデレゲートが集まって Informal Meeting
で協議することになったようである。 残念なが
ら、 飛行機のスケジュールが変更できなかった
ため、 この Informal Meeting には参加するこ
とができなかった。
会議は、 リトアニアの首都ビリニュスを流れ
るネリス川そばのホテル・リエトヴァのカンファ
レンスホールで行われた。 建物は旧ソ連時代の
ものであるが、 中は大幅に改装されたそうで、
国際会議場としての設備も整った近代的なホテ
76
2008 JAN
会議の行われたホテル・リエトヴァ
ルになっていた。
10月27日午前9時より定時総会が始まり、 議
長である CIVA President Mike Heuer 氏が各
国代表の出欠を取り、 その結果23ヶ国出席、 他
の国に委任した国が4ヶ国で計27ヶ国、 24の定
足数を満たしているということで、 開会が宣言
された。 議事は予め Web 上で配布されている
Agenda のとおりにすすめられ、 議題ごとに、
特に反対意見がない場合は 「CIVA agrees」
としてそのまま承認し、 意見が割れた場合は採
決するというやり方で行われた。 主な議題につ
いての審議内容の概略は以下のとおりである。
①Agenda4:President Report
CIVA President のM. Heuer 氏より、 今年
開催された各チャンピオンシップについて、
競技結果等を含めた報告があり、 また、 イン
ターナショナル・ジャッジ用のバッジ、 ディ
プロマ、 ログブックなどを作製したことにつ
いての報告があった。 その他、 クラシカルな
チャンピオンシップ以外のイベント、 たとえ
ば World Air Games や Red Bull などにつ
いての報告がなされた。
②Agenda5:会計報告
Treasurer の L. G. Arvidsson 氏より、 会計
報告がなされ、 すべて承認された。
③ Agenda6.1∼6.3 : 2007WAC 、 Agenda7.1∼
7.3 : 2007WGAC 、 Agenda8.1∼8.3 : 2007
EAAC の各チャンピオンシップの報告
それぞれのチャンピオンシップにおける International Jury、 Contest Director、 Chief
Judge のレポートは早い段階ですでに配布
済みであったため、 そのまますべて承認され
た。
会議前のひととき
④Agenda9.1∼9.5:各国からのさまざまな提案
参加各国から、 あるいは CIVA の各 SubCommittee からは、 さまざまな問題につい
て多様な提案や意見が提出されており、 例年
これらの審議にはかなりの時間を費やしてい
る。 なかでも今回のミーティングでは、 2009
年 イ タ リ ア ・ ト リ ノ で 開 催 さ れ る World
Air Games にどの国から何人のパイロット
を出すのか、 プログラムはどうするのか等に
ついていろいろな提案や意見が出されていた。
World Air Games 関係については、 Agenda
11.8と併せて審議されたので後述する。
その他の提案は、 フランス、 ロシア、 アメリ
カ、 スウェーデン、 イギリスなどから、 いず
れもルールの見直しやK点の変更等に関して
出されており、 意見があれば議論をし、 なけ
ればすぐに採決するというように一つずつ審
議された。
ま た 、 CIVA Catalogue Committee か ら
Agenda9.3として提案されていた、 Rolling
Turns におけるK点を難易度に応じて高く
設定するという提案は17対5で採用された。
それまでの Rolling Turns におけるK点が
直線におけるロールと同程度であり低すぎた
というのがその理由である。 そして、 事前に
議論が紛糾していた Agenda9.5のジャッジ
に関する提案については、 前日の Informal
Meeting ですでに合意がなされていたらし
く、 20対0ですんなりと承認された。
⑤Agenda10:2008年の各チャンピオンシップ
における Programme Q (Known) シーケン
スの採択
2008年に初めて開催される YAK52のチャン
ピオンシップについては#1∼#3、 アドバン
スド (パワー) については#1∼#9、 アンリ
ミッテッド (パワー) については#1∼#6、
グライダーについては1種類の known シー
ケンスが事前に提示されていた。 日本として
は、 出場希望者の意見により、 YAK52につ
いては#2、 アドバンスド (パワー) につい
ては#7、 アンリミッテッド (パワー) につ
いては#2に投票の予定であったが、 YAK52
については17票で妥当な#2に決定したもの
の、 アドバンスド (パワー) は17票で#4に、
アンリミッテッド (パワー) は14票で#1に
早々と決定してしまい、 残念ながら投票の機
会はなかった。
⑥Agenda11.1∼11.8:これからのチャンピオ
ンシップについての報告と提案
2008 JAN
77
Agenda11.1として、 アメリカのオブザーバー
で参加している IAC 会長の V. Cruse 氏よ
り2008WAAC のプレゼンテーションがあっ
た。 日程は2008.8.1∼8.10で、 オレゴン州ペ
ンドルトンで開催される。 滞在費などを含め
た entry fee が、 パイロットについては2600
ドル (1824ユーロ)、 チームメンバーについ
ては2350ドル (1648ユーロ) という説明に、
ポーランドより高すぎるというクレームがつ
いたため、 この額でよいかどうか採決される
こととなった。 結果は15対6で承認されたが、
アメリカ側もコストを下げる工夫をするとい
うことで、 最終決定はペンディングとなった。
Agenda11.2として、 チェコ共和国のデレゲー
ト J. Kobrle 氏より2008EAC のプレゼンテー
ションがあり、 フラデク・クラローヴェにお
いて2008.7.6∼7.13の日程で開催ということ
で承認された。
Agenda11.3として、 ポーランドのデレゲー
ト J. Makula 氏より2008EGAC のプレゼン
テーションがあり、 ラドムにおいて2008.8.7∼
8.17の日程で開催ということで承認された。
Agenda11.4として、 ロシアのデレゲートよ
り今年初めての開催となる YAK52WAC の
プレゼンテーションがあり、 ノボシビルスク
で8月開催 (日程未確定) ということで承認
された。 またリトアニアのデレゲートより、
2009 YAK52WAC 開催の申し出があった。
Agenda11.5は2009WAC の開催地について
であったが、 イギリス、 アメリカ、 ドイツの
3ヶ国から申し出があり、 19対6対1でイギ
リスに決定した。 開催地はシルバーストーン
で 2009.8.18∼8.30 の 日 程 で あ る 。 ま た 、
Agenda11.6の2009EAAC については、 まだ
候 補 地 は 出 さ れ て お ら ず 、 Agenda11.7 の
2009WGAC についてはフランスとポーラン
ドより開催の申し出があり、 次回のミーティ
ングで決定されることとなった。
Agenda11.8として2009.6.7∼6.13にイタリア・
トリノで開催されるワールドエアゲームの出
78
2008 JAN
場国とパイロットの人数、 及びプログラム等
について審議された。 パワー (飛行機) に関
しては2007WAC の実績より、 フランス、 ス
ペイン、 ロシア、 アメリカ、 イギリス、 チェ
コ、 スイスから各1名、 ホスト国のイタリア
から1名、 女性パイロットがロシア及びアメ
リカから各1名、 計10名のパイロットが出場
するという案が賛成多数で採択された。 グラ
イダーに関しては、 2007WGAC の実績より、
ハンガリー、 ドイツ、 ロシアより各2名、 ポー
ランド、 フランス、 オーストリア、 チェコ、
開催国イタリアから各1名の計11名のパイロッ
トが出場するという案が賛成多数で採択され
た。 また、 プログラムについては、 パワーで
は4プログラムとするイタリアの案、 グライ
ダーでは3プログラムとするポーランドの案
がそれぞれ採択された。
初めてのデレゲート席
⑦ Agenda12.1∼12.3 : ワ ー ル ド グ ラ ン プ リ
2007の報告
主催者の J. L. Monnet 氏が、 2007.11.3∼
11.4開催のもてぎ GP のため日本に行ってお
り、 事前に配布されていた報告書のみ承認さ
れた。
⑧Agenda13:インターナショナルジャッジ・
リストの追加及び訂正
インターナショナルジャッジ・リストの追加
及び修正が該当国のデレゲートより報告され
た。
実際には、 パーソナルデータシートの提出に
より正式に受理される。
⑨Agenda14.1∼14.5:その他の提案及びイベ
ント
その他の議題として、 採点方法の改正案やス
コアリングシステムに関する提案がなされた。
また、 エアロバティックに関して、 A (Primary)、 B (Sportsman)、 C (Intermediate) 、
Silver
(Advanced) 、
Gold
(Unlimited) などのバッジを設けてはどう
かという提案もあった。 ドイツ、 オーストリ
ア、 スイスなどでは、 実際にこのようなバッ
ジが設けられているようである。
Agenda14.5として、 リトアニアのユルギス・
カイリスよりここ数年アラブ首長国連邦のア
ル・アインで開催されているエアロバティッ
ク・イベントについて開催要領やルールにつ
いてのプレゼンテーションがあり、 イベント
名を JK Aerobatics Formula Competition
とすることで賛成多数で承認された。
ビリニュスの旧市街
⑪Agenda17:次回ミーティング開催場所の提
案
オーストリアのデレゲート E. Roithner 氏
より次回 (2008年秋) の CIVA ミーティン
グをオーストリア・ザルツブルグで開催した
いという申し出があり、 賛成多数で承認され
た。
日本という国を代表する副デレゲートとして今
回の CIVA ミーティングに参加できたことは
大変有意義であった。 少し驚いたのは、 CIVA
President のM. Heuer 氏の方から挨拶された
ことである。 今まで、 いくつかのチャンピオン
シップで顔を合わせることはあっても、 あまり
まともには挨拶してもらえなかった。 今回
CIVA メンバーとしてやっと認識されたという
ことなのだろう。 ここで、 「日本はチャンピオ
ンシップに選手は出すけれど、 ミーティングに
はデレゲートがでてこない」 という批判は、 ひ
とまずかわすことができたと思う。
次のステップは、 日本として、 チャンピオン
シップの運営等を含めて CIVA の活動にどの
ように関わっていくのか、 ということになるが、
他の国々と違って、 チャンピオンシップの誘致
ができるわけでもなく、 将来的に CIVA に対
して国として何らかの貢献をするための方法を
考えていかなければならない。 当面は、 チャン
ピオンシップへ選手を派遣するにあたって、 ス
ポンサーや寄付の獲得を通して間接的な貢献を
し、 また、 チャンピオンシップへインターナショ
ナル・ジャッジを派遣したり、 委員会メンバー
やコンテストメンバーに加わるなど、 人材面で
の協力ができるような下地作りをしていきたい
と考えている。
所感:
昨年のようなオブザーバーとしてではなく、
2008年以降、 クラシカルなチャンピオンシッ
プやその他の世界的なイベントに参加する日本
⑩Agenda15、 Agenda16:CIVA 役員及びコン
テストメンバーの選挙結果の発表
第1日目の朝に配布され、 夕方に回収された
投票用紙の集計結果が報告された。
定員の数と候補者の数にはそれほど差がない
ので、 ほとんど多数決で承認されたが、 唯一
2008WAAC (アメリカ) のチーフジャッジ
のみ票が割れ、 決選投票となった。
2008 JAN
79
ユルギス・カイリス夫妻
ユルギスのくぐった橋の一つ
人パイロットは増えてくると思われるので、 航空協会をはじめ、 JAPA や 滑空協会など
関係各署のさらなる連携が必要である。
ユルギスだが、 何とかまた日本で彼の素晴らし
い飛行を見たいものである。
余談であるが、 月曜は日本行きの便がなくビ
リニュスでの滞在を1日延ばさなければならな
かったが、 そのおかげでリトアニアのトップパ
イロットで国家的なヒーローであるユルギス・
カイリスとその奥様に、 ビリニュス観光のガイ
ドをしてもらうという幸運に恵まれた。 ネリス
川にかかる橋を背面飛行で全部くぐったという
話は有名であるが、 橋ごとに全く構造が違うの
で苦労したそうである。 また、 「ツェペリナイ」
という飛行船の形をしたリトアニア料理が食べ
たくて連れて行ってもらったレストランで、 全
くの偶然で、 ユルギスに飛行機のすべてを教え
てくれたという恩師一家に遭遇した。 普段はカ
ウナスに住んでいてなかなか会えないのに、 私
のおかげで会えたと大変喜んでもらえた。 いろ
いろな事情で、 このところ日本にはご無沙汰の
参考:チャンピオンシップのカテゴリー
WAC パワー (飛行機)・アンリミッテッ
ド世界選手権 (奇数年開催)
EAC
パワー (飛行機)・アンリミッテッ
ドヨーロッパ選手権 (偶数年開催)
WAAC パワー (飛行機)・アドバンスド
世界選手権 (偶数年開催)
EAAC パワー (飛行機)・アドバンスド
ヨーロッパ選手権 (奇数年開催)
WGAC グライダー・アンリミッテッド 世
界選手権 (奇数年開催)
EGAC グライダー・アンリミッテッド ヨー
ロッパ選手権 (偶数年開催)
YAK52WAC
YAK52世界選手権
80
2008 JAN
地球環境問題関連用語の解説 14
飛行重量を軽くすることが、 地球環境問題の騒音と CO2削減に寄与することは、 今までにも説
明していますが、 今回は、 飛行計画上の搭載燃料について考えて見ます。 もし、 無駄の無い飛行計
画が作成されていれば、 パイロットの努力で消費燃料を減らす余地はあまりありません。
59. 飛行計画
Dispatch Room に Show Up して飛行計画
を検討する際の、 パイロットとして出来ること
のいくつかをあげてみましょう。
飛行高度
実は、 会社によっては国内線や近距離国際線
の飛行計画では、 ルートごとに巡航高度を決め
ており、 必ずしも最適な高度で作成されている
とは限らないのです。 準備されているフライト
プランの、 ADD INFO (違う巡航高度での飛
行時間と燃料を示すデータ) を必ずチェックし
ましょう。
また、 最適高度と違う場合の燃料消費量の増
加分も、 機種によって違いますが、 1,000ft 違
うごとに、 平均約1%余分に消費することを覚
えておきましょう。
飛行ルートの選定
MTT (Minimum Time Track) で飛行計画
が作成されることが当たり前の昨今ですが、 悪
天候回避のためのルートが決められているとき
には、 搭載燃料が多くなり、 Initial Cruise Altitude も低くなっていることが多々あります。
悪天の状況によっては、 高い高度で悪天域を
跳び越すことも可能です。 台風のどちらに迂回
するのか、 CB の発達期なのか、 衰退期なのか
等の条件によっては、 他のルートがよい場合が
あるのです。 この様な状況判断は、 入手した気
象情報を活用するパイロット、 運航管理者等の
総合判断力なのです。
代替空港の選定
気象状態の変化に応じて常に見直すようにし
ましょう。 近い代替空港を選定しても、 搭載燃
料量をそのままにして、 Alternate Fuel を減
らし、 その分を Extra Fuel に組み込むような
ことをしては、 近くの代替空港に変更した効果
は現れません。
Extra Fuel の見直し
むかし、 機長の名前を見て Extra Fuel 0
lbs の燃料搭載プランで飛行計画を作る Dispatcher がいました。 それを当然のこととして
受け止めることの出来るキャプテンが何人いる
のでしょうか。 プロフェッショナルなオペレー
ションの一例です。
目的地飛行場の天候が最低気象条件ぎりぎり
のとき、 必要な燃料を追加搭載するのは、 これ
また、 不要な Diversion をしなくてすみ、 結果
として燃料節減に繋がる判断なのです。
その際、 各機種で少しずつ違いますが、 追加
搭載燃料で飛行重量が増え、 結果として1時間
当たり3∼5%燃費が増えることも認識してお
きましょう。
60. 搭載燃料
搭載燃料区分は、 概ね次のとおりです。
① Burn off (目的空港までの燃料)
② Alternate (目的地→代替空港までの燃料)
③ Contingency (上層風予測の違いや管制承
認高度の違い等に対処するための燃料で、 現
在は①の約5%)
④ Hold (代替空港上空で待機する燃料)
⑤ Extra (必要に応じて積む予備燃料)
以上の合計が、 離陸開始時の燃料です。
⑥ Take off Fuel (離陸開始時の燃料)
さらに Taxi fuel を加えたものが搭載燃料と
なります。
⑦ Ramp (出発前搭載する総燃料)
この他に、 上記区分に当てはまらない燃料を
積むことがあります。 フェリー・フライトの場
2008 JAN
81
合、 重心位置調整のために燃料を余分に積むこ
とがあります。 また、 燃料コストの安い空港で
燃料補給を行う、 いわゆるタンカリング・フュー
エル等は、 搭載するけれども、 飛行計画上の燃
料を時間であらわす上記区分に含まれない燃料
になり、 Stored Fuel と呼ぶ場合があります。
この燃料を使わざるを得ない緊急事態が発生
したときは、 機長の判断によって使用すること
は可能です。 (当然、 使用理由を報告する義務
があります)
エンジン・スタートから離陸までおよび着陸
後の Taxi Fuel は、 Taxi Time 15分及び APU
30分の Burn off fuel を含んでおり、 B777では
1,500 lbs となっています。
APU の Fuel Flow の例は下記の通りですが、
出来るだけ GPU の使用を推奨している航空会
社が多いようです。
② ELEC+A/C (lbs/min)
① ELEC
①
②
B747
14
19
B744
11
14
B777
7
12
B767
5
7
B737
4
5
出発便が非常に多く、 離陸までの時間が恒常
的にかかる特別な空港に対しては、 この特殊事
情が考慮されて、 搭載量が機種ごとに決められ
ています。
機体やエンジンの経年劣化を考慮し、 Fuel
Correction Factor で搭載燃料を修正すること
も機体ごとに行われているのが実情です。
以上は、 飛行計画上の話で、 実際のフライト
終了後わかるのが、 Fuel used (消費燃料) で、
そのフライトで本当に燃やした燃料ということ
になります。 万一代替空港に Diversion した場
合、 Alternate Fuel も Fuel used に加えるこ
とになります。 パイロットは Ramp Fuel から
残燃料を引いていくら使ったかを知ることが出
来ます。
繰り返しになりますが、 燃料を消費するとい
うことは、 CO2を排出することにつながり、 地
球温暖化に何らかの影響を与えるわけですから、
82
2008 JAN
パイロットとして出来るだけ不要な燃料を搭載
しない、 無駄に使わないというフライトを心掛
けることが、 仕事の上での地球環境問題への具
体的な取り組みです。
61. Burn off fuel
下記は、 5機種の Burn off fuel の例を、 筆
者の現役時代、 パイロットに配布されたデータ
から、 HND→FUK (540nm) 間、 無風時、 満
席旅客数で比較したものです。
① 満席旅客数
② Burn off Fuel (lbs)
③ 燃費 (nm/1,000 lbs fuel)
④ 旅客1人当たりの消費燃料 (lbs/一人)
B747:
B744:
B777:
B767:
B737:
①
553
568
389
270
150
②
35,100
29,100
20,000
15,300
8,200
③
15.38
18.56
27.00
35.29
65.85
④
63.47
51.23
51.41
56.67
54.67
これらのデータから、 小型機のほうが地球環
境にとって良い機材だというのは早計です。 エ
アラインでは、 目的地までの旅客及び貨物の需
要を予測し、 競争相手の対応、 航空管制能力を
も勘案して、 路線便数計画を策定し適切な機材
を投入する努力をしています。 会社全体として、
どれだけの燃料を使うのかをベースにしても、
大規模な航空会社ほど使う燃料が多いのは当然
なことなので、 地球環境の面からの企業の努力
を公平に比較することは非常に難しいことなの
です。 前年度よりどれぐらい使用燃料を削減で
きたか、 結果として CO2 排出量を削減できた
かが、 企業としての努力を表す一つの数字にな
ります。 路線便数が拡大する中では、 難しい課
題です。
第13回掲載用語
55. 地球環境に優しい航空機
56. 搭載燃料の削減 (飛行重量の軽減)
57. エネルギー効率のよい運航
58. CO2排出削減効果は掛け算で
The followings are displayed on the sign board in the precincts of the famous "Yakuohin" temple
located in Takao mountain area. (English version by Miss Lisa Mallin*)
10 Misperceptions
「つもり違いの10カ条」
What do we perceive to be high but is in fact low? ……Education/Personal cultivation
高いつもりで
低いのは……教養
What do we perceive to be low but is in fact high? ……Pride
低いつもりで
高いのは……気位
What do we perceive to be deep but is in fact shallow? ……Knowledge/Wisdom
深いつもりで
浅いのは……知識
What do we perceive to be shallow but is in fact deep? ……Desire
浅いつもりで
深いのは……欲
What do we perceive to be thick but is in fact thin? ……Humanity/Human empathy
厚いつもりで
薄いのは……人情
What do we perceive to be thin but is in fact thick? ……Thick-skinned
薄いつもりで
厚いのは……面の皮
What do we perceive to be strong but is in fact weak? ……Spirit/Guts
強いつもりで
弱いのは……根性
What do we perceive to be weak but is in fact strong? ……Ego
弱いつもりで
強いのは……我
What do we perceive to have plenty of but is in fact a little? ……Good judgment
多いつもりで
少ないのは……分別
What do we perceive to have little of but is in fact have a lot? ……Wastefulness
少ないつもりで
多いのは……無駄
*Lisa Mallin (リサ・マリン)
カナダ・バンクーバー出身。 モントリオール、 マギル大学卒業。 日本語と社会学を学ぶために一橋
大学に一年間留学。 2006年の8月に JET プログラムの参加者として再来日。 現在、 千葉市国際交
流協会で国際交流員として活躍中。 (彼女自身が書いた日本語の略歴です。)
上記は、 PILOT 誌2007 No.6 NOV に掲載された 「つもり違いの10カ条」 の英訳版です。
日本在住カナダ人のリサ・マリンさんに英訳をお願いしました。 (RYU)
2008 JAN
83
開催予告
小型機操縦技術競技会
(エンジン停止! あなたの技術が生かされる)
奥貫
博
国内では実施されることの無い FAI ジェネラルアビエーション競技会ですが、 その着陸精度競
技に近い内容の 「小型機飛行技術競技会」 が、 今年の3月に、 九州の枕崎空港で開催されます。
単発機の操縦の中で、 最も大切なもののひとつに着陸技術があります。 「自家用操縦士の飛行の
安全を確保するための基準」 においても、 離着陸については、 一定の着陸経験を積み重ねるか、 実
技訓練を行うことにより、 自らの技量の維持に努めることが必要であるとされています。
また、 単発機は、 そのエンジンが故障してパワーを失ってしまったら、 滑空で着陸するしかあり
ません。 これがきちんとできるか否かは生死を分けるほどの差があります。 安全確実な不時着の技
術は、 乗員乗客のみでなく、 地上の人の死傷や財産等の損傷を避けるためにも必須のものです。
以上のような視点から、 単発機の着陸技術に磨きをかけることを目的とした 「小型機操縦技術競
技会」 は、 空の仲間が自由に参加することが可能なものとしては、 国内で唯一のものと思います。
この競技会では、 通常着陸及び、 エンジンアイドルでの滑空着陸の両方において、 その着陸精度
と、 安全確実な実行を競います。 競技のポイントは、 基本通りの実行が機内外から厳格にチェック
されることと、 接地点の要求精度が厳しいことです。 これは、 競技としての意義もさる事ながら、
本番の不時着を考えれば当然のことです。 この競技において高得点を得るということは、 そのまま、
エンジン故障時の滑空着陸における安全性が高いことの証明となるのです。
また、 その翌日には試行的なものですが、 初級エアロバティックスの競技会が行われます。 日頃
の練習と共に、 競技を通じて反省と前進が得られるのは大変良いこと思います。 競技は図のパター
ンで行う予定です。 最低高度は1,500Ft です。 技量の維持向上の練習等にご利用ください。
開催場所:枕崎飛行場 (鹿児島県)
開催期日:平成20年3月8日 (土) AM 準備 PM 着陸精度競技会
3月9日 (日) AM エアロバティックス (曲技) 飛行競技会
連 絡 先:NPO スーパーウィングス事務局 http://www.super-wings.com/
着陸精度競技の飛行パターン (高度は対地高度)
(FAI 方式に合せて見直し検討中)
84
2008 JAN
エアロバティックス競技の飛行パターン
開催予告
第5回 小型航空機セーフティセミナー開催案内
第5回小型航空機セーフティセミナーを下記により開催致しますのでご案内申し上げます。 講師
につきましては航空機メーカーのパイロットや各部門のエキスパートの方々にお願いし、 興味深い
講演を企画致しました。 多くの皆様のご参加をお待ち致しております。 参加される方は、 準備の都
合上2月8日 (金) までに別途申込書 (申込書は JAPA ホームページから入手可能です) により、
当協会事務局に FAX (03−3501−0435) にてお申込み下さい。
記
開催日時:平成20年2月19日 (火) 及び20日 (水) ともに9時30分から17時10分
場
所:(天王洲アイル) JAL ビル2階 「ウィングホール」 東京都品川区東品川2−4−11
1日目:1,000円 2日目:1,000円
参 加 費:JAPA 会員
一般の方
1日目:3,000円 2日目:3,000円
参加費 (資料費) につきましては、 一日毎の現金のみの受付とさせていただきます。 両日と
も短時間で多くの方の受付をいたします。 つり銭の無いようにご用意頂き、 スムースな受付手
続きにご協力のほどよろしくお願いいたします。 なお、 領収書につきましては当協会書式のも
のとなりますのでご了承ください。 当日の請求書による振込み等のご要望はご遠慮願います。
*昼食の用意はございません。 講習会場周辺のレストラン等をご利用下さい。
*会場収容人数の都合上、 参加人数を調整させていただく場合がございます。 予めご了承下さい。
【内容】
第1日目 (平成20年2月19日(火)) 9:30−17:10
①航空局基調講演
航空局技術部長
谷
寧久 氏
②航空法施行規則の改正
航空局管制保安部管制課
③管制方式基準の改正
航空局管制保安部管制課
④小型機の GPS/RNAV
航空局管制保安部保安企画課
⑤ASI-NET 情報の重要性
操縦士協会副会長
橋本百合博
⑥小型機 IFR の現状と近未来 GPS/RNAV
ヘリコプター IFR 等飛行安全研究会幹事 冨尾
武 氏
⑦事故より学ぶ パート
NPO 法人 航空・鉄道安全推進機構 岡村与紀夫 氏
第2日目 (平成20年2月20日(水)) 9:30−17:10
①航空局講演
・機長に対する評価の仕方
航空局技術部運航課首席運航審査官 渡邉 正義 氏
・操縦教育証明取得に伴う学習と着意点
大阪航空局保安部先任航空従事者試験官 衣袋 美治 氏
②操縦教育の実際
・訓練生の犯しやすい失敗と効果的な指導 航空大学校帯広分校次席教官 川上 勝二 氏
③グラス・コクピットの最新テクノロジー
GARMIN 社 (日本エアロスペース社)
・グラス・コクピットの設計と運用 (事故例)
・自動化への依存とその対処
④事故より学ぶ パート
TAA 訓練教官 (日本航空インターナショナル)
・アナログからグラス・コクピットへの訓練
・TAA (テクノロジー・アドバンス・エアクラフト) 訓練
2008 JAN
85
開催報告
SP (シニア・パイロット) 懇親会の報告
シニア・パイロット会幹事
ちょっとチョット現役パイロットの皆様、 ちょっと話を聞いてくださいな。 やがては貴方もたど
り着くことになりますので。 ところで、 SP 会をご存知ですか?
SUPER PILOT? SPECIAL PILOT? いえいえ SENIOR PILOT のことなんですよ。 60歳
になるとみなさん定年となり OB になると思うのですが、 まだまだ俺は元気だからパイロットを続
けるぞという人や、 俺の操縦技術を後輩に伝授しきっていないので、 もっとパイロットを続けると
言う人が増えてきて、 その方たちが 「俺はまだ OB じゃないぞ。」 とおっしゃるので SP 会という
名称になっています。
操縦士協会員を60歳まで継続した皆様方は、 正会員、 終身会員の別なく、 SP 会員になれます。
現在 SP 会に該当される会員数は792名です。
この SP 会は毎年1回 (10月の第4土曜日) に懇親会を開催しており、 平成19年の懇親会は10月27
日 (土) の午後に銀座8丁目 「三井アーバンホテル」 にて開催しましたのでその概要を報告します。
なぜか10月の末日だというのに、 前日九州南方に台風20号が発生し心配の種となりました。 この
台風は本州南方を急速に駆け抜け、 27日の昼には八丈島周辺に到達したので、 朝から大雨が降り昼
頃には強風を伴うという最悪の天候となり、 出席予定者が本当に来ていただけるのかと大変危惧し
ましたが、 なんと過去最高の43名の方の出席があり幹事一同ホッといたしました。
過去1年間の報告等を行ったあと、 本日の目玉、 講釈師の紅雲亭飛憎 (こううんてい とぶぞう)
氏による創作講談 「特攻悠久隊」 の開演です。 この人は、 元日本航空の機長 「塚越朝紀」 氏 (86歳)
です。 71歳でくも膜下出血を患われますが、 そのリハビリに講談を選び、 のちに 「神田 紅」 師匠
の弟子となられて現在はセミプロの講釈師として活躍し
ておられます。 氏は陸軍士官学校55期卒で、 戦時中は陸
軍の 「隼」 戦闘機乗りとして活躍されました。
創作講談の中身ですが、 落語や漫才と同様に文章で表
しても面白くもおかしくもありませんので、 中身の概要
のみを記します。 頃は太平洋戦争末期、 帝国陸海軍は起
死回生を願い、 飛行機による特攻作戦を始めます。 昭和
20年5月11日、 隊長 荒木春雄少尉 (陸士57期、 21歳)
以下6名の隊員により陸軍特別攻撃隊第51振武隊 (隊長
は自らを悠久隊と名乗った) が特攻作戦に従事すること
になります。 鹿児島県知覧町中郡には鳥浜とめさんの
「富屋食堂」 があり、 特攻隊員として知覧飛行場に来た
隊員たちは鳥浜とめさんのことをいつしか 「お母さん」
86
2008 JAN
と呼ぶようになっていました。 前夜、 荒木隊長の部下である光山文博少尉 (特操1期) が鳥浜とめ
さんを訪ねます。 「明日出撃します。 実は、 私は半島出身のため誰にも別れを告げられません。 お
母さん、 最後に私の歌を聞いてください。」 彼は、 アリランの歌を涙ながらに歌いました。 11日早
朝、 荒木少尉以下6名は、 1式戦闘機 「隼 (キ−43)」 に搭乗して知覧飛行場を離陸し、 開聞岳、
黒島を経由して南下、 一路沖縄本島をめざします。 彼らは、 沖縄を攻撃している連合国の艦船に対
し特別攻撃を行い、 戦果をあげ散華されました。 特攻は、 愛する祖国、 愛する父母、 兄弟、 妻子を
守るために自ら犠牲となられたもので、 9.11に代表されるようなテロリストによる自己の主義、
主張のみを暴力をもって受け入れさせようとするテロ行為とはまったく違うものであると強調され
ています。
この講談の様子を DVD に作成しましたので、 ご希望の方は操縦士協会に連絡いただければお送
りします。
「あなたの声を委員会に」 委員募集中
〈
〈
〈 「飛ぶこと」 と 「飛ぶ環境をつくること」 が私たちの仕事です 〉
〉
〉
操縦士協会では、 航空の安全確保を目的とした各種の委員会や事業運営のための委員会を開催してお
ります。 多くの皆さんの声を生かすためご参加をお待ちしております。
編集委員会
パイロット誌の編集、 手帳その他刊行物に関する事項
法務委員会
航空法、 乗員の資格制度、 航空事故に起因する訴訟に関連する事項
運航技術委員会
空港、 航空保安施設、 騒音対策、 路線情報に関する事項
航空安全委員会
航空事故防止に関する資料収集及び調査研究、 航空事故調査報告書の研究
等に関する事項、 FSF に関する事項、 航空機装備品に関する事項
ATS 委員会
航空交通業務に関する事項、 通信用語方式等に関する事項、 ATS シンポ
ジウムの主宰等
航空気象委員会
航空気象の研究、 気象情報通報方式、 航空気象全般に関する事項
IT 推進委員会
協会の IT 推進の方策に関連する事項
航空医学委員会
航空身体検査制度および航空医学全般に関する事項
エアライン委員会
エアライン特有の事項、 大型機の安全セミナーの主宰
フライトテスト委員会
試験飛行に関する事項
ゼネラルアビエーション
委員会
小型機操縦士のための航空安全セミナー・航空安全研修会の主宰、 小型機
の運航に関する事項等
参加希望の方は、 協会事務局までご連絡下さい。 (委員会は原則在京の会員で構成)
TEL 03−3501−0433
e-mail:[email protected]
2008 JAN
87
通信
理事会通信
今年は現体制が発足して2度目の年越しを迎えました。 昨今の理事会の様子を紹介します。 会議はオープ
ンな雰囲気で、 テキパキした報告と率直な意見交換が行われます。 理事会の運営内容を紹介します。 最初に
当然ですが、 萩尾会長の挨拶で始まります。 会長は昨年8回のフルマラソン出場の実績を誇る健脚です。 話
のテンポと内容は的確。 次に、 会計報告を竹永事務局長が行い、 田島総務部長が会員の入退会について、 正
会員 (定期・事業用・自家用)、 賛助会員・準会員の内訳を詳しく説明。 今期になって以来、 会員数はほぼ
6000名強で推移しています。 今後60歳を超えたシニアの動向が気になるところです。 次に、 各担当理事が◎
調査研究事業◎普及啓蒙事業◎出版刊行事業◎受託事業◎助成金事業について、 書面あるいは口頭により進
捗状況を報告します。
理事会は午後1時に始まり、 各報告が終了するのは大体3時半以降となります。 協会の事業は、 各担当者
が年間方針に沿って活動を進め、 都度の理事会で新規に決める案件は少ないと言えます。 続いて審議事項が
話し合われます。 12月常務理事会では委員の追加
AIM-Japan に関わる出版契約書が提案され承認を受
けました。 最後に、 懸案事項について自由闊達な意見交換が行われます。 何故かいつも時間不足となって、
のんびり話す機会を確保するのは難しいと言えます。 今回は5月の通常総会へ向けた日程を確認したに留ま
りました。 以下が、 活動の概略です。
◎ 「自家用操縦士の技量維持に関する委員会 (平成19年度助成金事業)」
第3回委員会 (11/21) での指示を受け、 第13回作業部会 (1/9) までに以下のような技量維持案が
纏まりましたが、 委員会からの最終報告書は2月20日までに出される予定です。
航空安全講習会
今回の制度が成立した後、 助成金等の予算措置は無くなるため、 現行方式での開催はされない見込
み。
技量維持訓練
登録機関 (使用事業または飛行クラブ) で座学 (または講習会受講) およびフライトレビューを実
施する。
登録機関や認定教官の選定基準を定める必要がある。
レビューは離着陸、 非常操作を含む最低1時間の実機、 SIM または FTD。
認定教官はレビューの講評を行う。 但し合否の判定は行わない。
技量維持の規準に違反した場合の罰則は特に定めない。
フライトレビューに伴う座学では過去2年間の法令・方式基準等の改正点の確認を重点的に行う。
有効期間2年を越えた場合の対応は別途検討 (但し、 ライセンスは失効しない)。
管理方法
認定教官が対象者に終了証明を行ない、 航空局へ報告し、 航空局が実績管理する。
終了証は本人が次回のレビューまでライセンスと共に携帯する。
88
2008 JAN
ライセンス保持者に対し、 レビューの有効性を確認する制度が必要である。
対象
操縦士の資格とは関係なく、 自家用運航 (運送事業、 使用事業以外の運航) を行う操縦士。 業務で
自家用運航を行う操縦士への対応は別途検討。
[活動報告]
−平成19年11月−
11月1日
編集委員会
11月2日
アエロバティックス日本グランプリ
(4日まで)
11月5日
拡大航空安全シンポジウム
11月28日
自家用操縦士の技量維持に関する作業部
会
11月29日
航空安全委員会 (DVD 撮影)
11月30日
八尾管制情報懇談会 (西日本支部)
(技術協会主催)
航空医学研究センター倫理委員会
(書面審議)
11月6日
12月1日
航空安全講習会 (東京)
航空身体検査証明審査会
航空安全講習会 (三重)
航空クラブ定例卓話会
航空安全講習会 (静岡)
11月7日
機長養成講習会 (沖縄)
11月8日
嘉手納基地交流会
11月9日
スカイレジャージャパン07イン都城
(開催日10日・11日)
11月10日
−平成19年12月−
12月4日
航空身体検査証明審査会
運航技術委員会地球環境分科会座談会
「航空機運航と地球環境問題座談会」
12月8日
ATS 委員会
ATS 委員会
航空安全講習会 (東京)
北海道支部セミナー
航空安全講習会 (静岡)
11月13日
法務委員会
12月10日
航空保安大講義
11月14日
自家用操縦士の技量維持に関する作業部
12月12日
自家用操縦士の技量維持に関する作業部
会
会
11月15日
航空安全委員会
空港安全技術懇談会 (ATEC)
11月16日
第240回理事会
12月13日
11月17日
11月20日
航空教室 (東京)
12月14日
第189回常務理事会
航空安全講習会 (札幌)
12月15日
東日本支部役員会
航空安全講習会 (宇都宮)
12月17日
編集委員会
航空安全基準検討委員会
第3回航空機操縦士養成機関連絡会議
航空保安大講義
運航技術委員会
空港環境整備協会助成金ヒヤリング
11月21日
11月22日
技量維持連絡会
航空医学委員会
平成19年秋季黄綬褒章伝達式
12月18日
滑走路誤進入防止対策検討会議
自家用操縦士の技量維持に関する調査委
12月20日
GA 委員会
員会
12月21日
航空安全委員会
MPL に係わる調査・研究委員会
(第2回)
11月24日
航空気象委員会
11月26日
経理委員会
11月27日
運航技術委員会
航空安全情報分析委員会
12月22日
航空気象委員会
12月25日
編集委員会
経理委員会
2008 JAN
89
12月26日
自家用操縦士の技量維持に関する作業部
12月27日
航空大学校卒業式
会
12月28日
仕事納め
[今後の主な予定]・平成20年
1月4日
新年賀詞交換会
1月19日
航空安全講習会 (沖縄)
1月8日
編集委員会
1月20日
航空教室 (沖縄地区)
航空身体検査証明審査会
1月23日
自家用操縦士の技量維持に関する作業部
1月9日
自家用操縦士の技量維持に関する作業部
会
1月11日
会
1月24日
第241回理事会
(第2回) 滑走路誤進入防止対策検討会
議
1月12日
ATS 委員会
1月25日
航空管制定期連絡会議
1月16日
自家用操縦士の技量維持に関する委員会
1月26日
航空気象委員会
1月17日 航空保安大講義 (訓練教官養成特別研修)
1月18日
航空安全講習会 (大阪)
エアライン委員会
1月29日
第2回航空安全基準検討委員会
航空保安大講義 (管理課程特別研修)
1月30日
第15回機長養成講習会 (北九州)
航空安全委員会
事務局だより
∼結婚祝金について∼
正会員の皆様 (会費月額1,700円 (共済費200円を含む) を納入いただいている60歳未満の方) が対象となり
ますが、 結婚祝金を給付しております。 給付額は20,000円です。 給付申請には戸籍抄本、 振込口座の書類提出
が必要となりますので事務局までご連絡下さい。 なお、 婚姻届の届出より3ヶ月以内に申請いただくことと
なっておりますので、 予めご了承願います。
*PILOT 誌・AIM-J 等確実にお届けするために、 自宅・勤務地・MAIL BOX 等、 変更された場合は速やか
に協会事務局までご連絡下さい。 また郵便振替にて会費を納入いただいております会員の皆様には、 便利
な口座自動引落による納入についてご案内致しますので、 協会事務局までご連絡下さい。 申込書をお送り
させていただきます。
90
2008 JAN
JAPA 福利厚生一覧表
2007年10月現在
2007年12月現在
*詳細につきましては、 JAPA ホームページ (http://www.japa.or.jp)を参照願います。
ジャンル
宿
施
泊
飲
食
ショッピング
旅
行
連
絡
先
得
典
0123-22-1121
宿泊料割引
リーガロイヤルホテルグループ
0120-116-180
宿泊料割引
ホテルオークラ新潟
025-224-6111
宿泊料割引
淡島ホテル
03-3350-7360 (相原)
宿泊料割引
ヨロン島ビレッジ
0997-97-4601
宿泊料割引
筑後川温泉
0943-77-2188
宿泊料割引
04992-5-0737
宿泊料割引
エストーレホテルアンドテニスクラブ
0475-55-1111
宿泊料割引
葉山国際カンツリー倶楽部
046-878-8110
プレーフィー割引
霧島ゴルフクラブ
0995-78-2324
プレーフィー割引
フォレスト旭川カントリークラブ
0166-75-4455
プレーフィー割引
熊本空港カントリークラブ
096-232-0123
プレーフィー割引
銀座ライオン (羽田空港第1旅客ターミナルビル)
・羽田空港店
・羽田空港マーケットプレイス店
03-5757-9090
03-5757-9130
飲食料金割引
清乃屋
植長丸
東京エアポートレストラン
(羽田空港第1旅客ターミナルビル)
・グリルキハチ・あずみ野・京ぜん・赤坂璃宮・新大和
・ルシェール
(羽田空港第2旅客ターミナルビル) new !
・あずみ野・赤坂璃宮・広東家菜・アーツ コーヒーショップ
(成田空港第1旅客ターミナルビル) new !
・アビオン
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BLUE SKY (全国25空港)
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レンタカー
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ホテル日航千歳
新島
ス ポ ー ツ
設
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各店
フロム・ザ・スコードロン
043-298-1800
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オリックスレンタカー
0120-89-0543
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マツダレンタカー
0120-07-5656
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バジェットレンタカー (沖縄)
0120-13-0543
レンタカー割引
日本旅行
03-5565-5553
ツアー旅行割引
2008 JAN
91
オススメ! 情報ボックス
書籍&Goods紹介
編集委員会
このコーナーでは、 書籍紹介を始めとして航空に関するお勧めGoods等を紹介していきます。 読者の
皆さんも、 是非、 フライトで使用している便利グッズや、 パイロット仲間に紹介したいグッズ、 書籍な
どの情報を、 編集委員会までお知らせください。 もちろん、 ステイ先などでの飲食店情報などもお待ち
しています。
YS-11が飛んだ空
全182機それぞれの生涯
著者:青木 勝
発行:朝日新聞社
〒104-8011 東京都中央区築地5 3 2
TEL :03−3545−0131 (代表)
定価:本体価格3,800円+税
YS-11 を扱った書籍は多いが、 その殆どは戦
後初の国産旅客機としての誕生から、 様々な苦
節を経て、 ローカル路線に主役となり、 世界へ
進出した後、 182機を以って製造中止に至る過
程を、 事業及び技術面から述べたものであった。
YS-11 は、 1962年の初飛行以来、 旅客機とし
て2006年まで、 日本の地方航空に無くてはなら
ない存在であったのだが、 その事実が、 感謝と
愛情を持って語られることは少ないように思え
る。 YS-11 の活動は、 青木勝の手によって記録
され、 残されてきたと言っても過言ではない。
92
2008 JAN
本書は、 その青木勝が、 YS-11 全機の生涯を
記録すべく、 情熱を注ぎ込んで取組んだ力作で
ある。 その内容は、 以下の順に述べられている。
1章. パイオニアとしての重責を担う
2章. 世界各地で大活躍
3章. 時代の流れに翻弄されて
4章. さまざまな足跡が歴史を刻む
5章. 多くの人に愛された
6章. それぞれの物語
7章. 182機を支えた番外機
サブタイトルには 「全182機それぞれの生涯」
とあるが、 YS-11 に関わった人々の協力を得て
完成された本書は、 戦後の日本の航空史にとっ
て、 かけがえの無い記録となるものである。
本書のあとがきによれば、 「だが画期的な記
録の陰で、 YS-11 の多くは胸の詰まるような、
過酷とも言える生涯を送ってきたのだ、 1970年
代後半から、 時代遅れの飛行機と言われ続けて
きた YS-11 182機のなかには、 お荷物扱いされ
て海外に売られ、 ローカル路線の拡大でまた買
い戻され、 ローカル線のジェット化で再び海外
に売られた機体もあった」 と記述されている。
その内容は本書に克明に記されている。
本書を見て、 YS-11 独特のエンジン音と、 振
動を思い浮かべる人も多いことであろう。
2度と戻ってはこない YS-11 の時代を長く
追憶の彼方にとどめるために、 本書は最良の書
籍であり、 広くお勧めしたい一冊である。
本書がきっかけとなって、 探し得なかった残
り6機の写真が発掘され、 YS-11の182機全機
の写真が揃うことを願わずにはいられない。
2008 JAN
93
JAPA Aerial Photo Exhibition
◎ スカイレジャージャパン07・イン 都城の写真です ◎
撮影:本誌編集委員
会場を沸かせたサイテーションの豪快なローパス
94
エアロバティックス世界選手権参加の
室屋氏の演技
スーパーウィングスの編隊飛行
調布飛行場から参加のチェロキー
この日のために特設滑走路が提供された
2008 JAN
あなたが写した
航空機の写真が
表紙 に!
編集委員会では、 PILOT 誌の表紙を飾る皆様からの航空機の写真を
募集します。
応募写真の掲載は、 編集委員会で審査の上掲載の予定です。
下記応募要領をご了承の上、 ふるってご応募ください。
・写真はカラー・白黒・Digital Data を問いませんが、 原則として
投稿者が撮影されたものに限ります。 撮影日時・場所・説明等の
添書きも添付してください。
尚、 Digital 写真の場合はできるだけ大きな画素数で撮影したも
のとして下さい。
・応募写真の取り扱いは日本航空機操縦士協会に属し、 お返しでき
ませんのでご了承ください。
・PILOT 誌の表紙に採用させて頂いた場合、 謝礼として3万円
(複数写真で表紙構成となった場合は分割)、 表紙に掲載とならな
かった場合でも優秀な写真は本誌に掲載し薄謝を進呈いたします。
・住所、 氏名、 年齢、 職業、 電話番号、 E-Mail Address 等を明記
してください。
※個人情報に関しては当協会で厳重な秘守扱いと致します。
送付・お問合せ先
社団法人 日本航空機操縦士協会
編集委員会
〒1050003 東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 (3501) 0433 FAX 03 (3501) 0435
E-mail:[email protected]
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
2008 JAN
95
編集後記
●小型機の有視界飛行をしていて感ずることは、
飛行の内容、 天候判断、 その他諸作業が多岐
にわたることである。 多くの歯車がかみ合っ
て安全な飛行となるのだが、 その歯車は全て
自分で管理しなければならない。 小型機の運
用は容易なことではない。
(奥貫)
●シニアパイロット・エピソードの取材で想う
ことは、 道を極めた人たちの言葉は広く、 深
く、 重く、 そして、 それぞれに共通した豊か
な個性にふれて感銘を受けます。
(徳田)
●コンポジット機の組立工場はリベットから接
着剤に変って静かになった。 BGM が流れて
いる。 操縦システムも CWS だから操縦は街
のゲームセンターと同じ感覚。 緊急時には飛
行機ごと落下傘で降着するのだと。 そんな時
代の操縦士に求められる資質は、 技量より知
識とモラリティになりますね。
(柳井)
● 今 年 は 4R (RE-USE, RE-DUCE, RECYCLING, RE-FUSE) で地球環境を少し
でも良くしたいと思っています。
(RYU)
●パイロットの高齢化はシニア・パイロット会
(SP 会) の発展につながるものと確信して
います。 今年秋の懇親会へ是非御参加下さい。
(K. A)
●寒い冬の夜、 ベランダへ出ての一服 (我が家
ではホタル族です)。
ふと南の空を見上げると、 星座の中を滑るよ
う西へ向かうストロボライトの明滅が。
ほの暗いコクピットの中で働いている姿が目
にうかびます。
そして心の中で、 気をつけてね、 とつぶやき、
ISSN 0389-5254
2008 No.1 JAN
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
今月の表紙はドイツの Extra300型機です。
このクラスの世界のベストセラーで、 日本では、
曲技飛行専用機として見られるようですが、 諸
外国では空の2人乗りスポーツカーといった存
在の機体です。
(奥貫)
暖かい家の中へもどります。
(裕)
●今年は事故のない年でありますように。
FLY SAFE!
(KEN)
●JAXA の SELENE (かぐや) は無事、 月の
周回軌道に乗った。 すばらしい映像が、
JAXA の HP で見る事ができる。 (T. A.)
●正月3カ日!過ぎると編集委員会は1月号発
行におおわらわ!
(編集長 蔵岡)
No.306 2008年 1 月号/平成20年1月発行
発行
社団法人 日本航空機操縦士協会
(Japan Aircraft Pilot Association)
〒105-0003
東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 3501 0433 (代)
ホームページ
FAX 03 3501 0435
E-Mail:[email protected]
振替口座/00180 9 88490
96
2008 JAN
URL http://www.japa.or.jp/
禁無断転載
落丁・乱丁本がありましたら
お取替えいたします
編集人
蔵
岡
賢
治
発行人
白
石
豊
樹
定価
印
刷
800円 (税込)
株式会社プリカ