基調講演「イスラームと日本の文化対話 : 過去から未来へ」 東京大学

基調講演「イスラームと日本の文化対話 : 過去から未来へ」
東京大学名誉教授、東京経済大学名誉教授
板垣雄三
1.日本とイスラームという並行現象の展開
「中国までも知識を求めよ」と教えられたムスリムたちは、つとにビラード・ル・ワークワーク
(倭国)への関心をあたためてきました。和国(日本)成立期の指導者だった聖徳太子はヒジ
ュラの年に没したともいわれますが、その和国の都の飛鳥・大和ではイスラーム化するペル
シアからの移住者たちが日本文明の建設に貢献していたのです。
イスラームの歴史と日本の歴史とは、二つの並行する現象であります。両者は同じ長さの
時間を共有しているばかりではありません。両者の間ではあまたの共通点といくつもの結節
点(結び目)とを認めることができます。
聖徳太子と預言者ムハンマドは同時代人であります。聖徳太子が制定したといわれる十七
条憲法において最大価値を与えられ国名にまでなった「和」の理念は、「サラーム」に通じるも
のです。イスラームにあっては、フィトラ(宗教にめざめる人間の本性)を認め預言者たちの歴
史を信じることによって、諸宗教の共生が制度として法的に確立していました。他方、日本社
会においては、神道という土壌の上に、伝来の仏教や儒教や道教、さらにキリスト教までもが、
受け容れられてそれぞれに深化・発展しただけでなく、それらの間の連結や相互浸透も進ん
で、諸宗教の共存が生活現象となって定着しました。イスラーム文明においても、日本文明に
おいても、それぞれにオープンな文明間対話の契機が内蔵されている、といえるのです。
日本の文化伝統とムスリムの生活規範との間で、宗教的な観念や慣行における共通基盤
を発見することは、いともたやすいことです。イスラーム世界から日本にやってくる訪問者の
多くが、日本人は自覚なきムスリムなのではないかと感じるようです。ことさら印象的なのは、
日本人の清浄観念と自然に対する態度であると見られます。禊ぎや斎戒沐浴はタハーラに
類似しています。飲食や行為をつつしんで不浄を避ける斎戒・祓え・物忌みはサウムやハッジ
ュと通じ合います。禅や茶道・生け花などにおける解脱の境地は、イスラームの精神世界と共
通するところがあります。
日本の歴史に現れる権威としての天皇と将軍は、イスラームの歴史におけるハリーファと
スルターンとに対比されます。知識人の役割に関しても、いくつものケースで興味深い比較が
成り立ちます。ことにイブン・タイミーヤは、日蓮と比較することができます。日蓮はイブン・タイ
ミーヤと重なる時代を生き、モンゴルの脅威に対して警世の訴えを行って政治的迫害を受け
たのでした。誰でも、バグダード陥落とアッバース朝滅亡が日蓮の視野の中に入っていたと想
像してみたくなる誘惑に駆られるのです。モンゴル軍がマムルーク軍団によりシリアから撃退
されたアイン・ジャールートの戦いの一四年後および二一年後に、二回にわたって、モンゴル
軍は日本侵攻を企て、失敗しました。もしモンゴル軍が日本を征服していたら、日本はイスラ
ーム化していたでしょう。日本の明治維新、自由民権運動と条約改正、そして日露戦争での
ロシアに対する勝利は、アラブ世界にナフダの息吹を吹き込みました。ヒロシマ・ナガサキに
対する原爆攻撃の惨害から、そして敗戦がもたらした痛烈な打撃から、立ち直った日本の復
興は、アラブ世界に勇気と希望を与えたのでした。
2.「日本人と一神教」というテーマへの二つの取り組み方——最近の論調から
9.11以後、ことに米国と有志連合のイラク侵攻後、日本では、一神教をめぐる議論がさか
んになりました。近代の日本人は、欧米人が発明した Monotheism という概念には慣れ親しん
でおり、ユダヤ教・キリスト教・イスラームは同根の Monotheism だと理解しています。そして、
日本人の多数が、自分たちは厳格な Monotheism とは対極をなす汎神論やアニミズムの世界
に生きていると考えてきました。彼らは日本の豊かな宗教的伝統を過去の話として棚上げし、
自分たちの日常生活は宗教と関係なく展開していると思っているのです。しかし、その日本人
が最近、Monotheism につよい関心を抱くようになったのです。その関係の出版物や催し物も
目立って増えました。
二つの対照的な考え方が現れています。第1は、日本およびアジアのアニミスティックな汎
神論の可能性をあらためて自覚的に強調しようとする立場です。つまり、今日の世界の紛争
や環境破壊はムスリム世界や欧米の排他的な Monotheism がギスギスした対立をいたるとこ
ろに撒き散らすことから来ているのだと言って、これらをひとまとめに批判し、仏教や神道がも
つ多神教的包容性にこそ解決があるのだと主張します。これは「自殺攻撃」(「自爆テロ」)とブ
ッシュの戦争(「テロとの戦い」)との両方に対する違和感の表明だともいえるかもしれません。
日本人の多くが、今、Monotheism には付き合いきれないという感情を反芻しているように見え
ます。そして、こういうのです、「Monotheism は自分たちの肌に合わない」、「Monotheism は世
界を滅ぼす」と。そして、このような観点から、空海(774-835)、親鸞(1173-1262)、道元
(1200-53)、等々に代表される日本仏教の知恵や霊性を開花させた巨人たちの足跡とその
現代的意義を記念するのです。
第2は、日本の思想史の中に Monotheism を志向する伝統を再発見しようとする新しい見地
です(以下に言及する諸点については、安藤礼二論文[『情況』誌 2003/1112;04/1-2]参照)。
(1)日本文化の個性を探求する国学=日本人による日本学の潮流の中で、Monotheism を志
向した平田篤胤(1776-1843)から、パレスチナへの関心に触発されて世界の「常民」に着目し
た柳田国男(1875-1962)へと、いたる系譜、(2)欧米キリスト教を受け入れながらイスラーム
世界の動向やアジア的価値に着目した新島襄(1843-1890)や徳冨蘆花(1868-1927)や海老
名弾正(1856-1937)や吉野作造(1878-1933)、(3)イスラームから得たヒントに基づいて政治
と宗教の統合を目指し天皇を頂点とするアジア共同体のユートピア(大東亜共栄圏)を夢想し
た北一輝(1883-1937)や石原莞爾(1889-1949)ら日本の超国家主義者たちの群像、その中
でひときわそびえる大川周明(1886-1957)の仕事とイスラームへの共感、(4)シャーマニズム
と預言者性とをダイナミックに理解することによって天皇制の Monotheism 的解釈をうち立てた
折口信夫(1887-1953)の仕事の内的動機や、これと響き合う井筒俊彦(1914-93)のイスラー
ム思想研究の意義づけ、などに新たな関心が呼び覚まされています。アジアの精神伝統の
中に Monotheism を再発見し再評価しようとするこの第2のトレンドは、日本の中では、まだ知
識人の目立たないサークルの内側に限定されたものです。しかし、そこには明らかにイスラー
ムを基点に世界を見ようとする欲求がつよく作用しています。それは今日のグローバル危機
を敏感に受けとめた知的応答だといえるでしょう。
以上述べた二つの立場は、Monotheism に対してどんなポジションをとるかという点で対照
的です。しかし、これらの圧倒的多数派あるいは少数派、そのいずれに心惹かれていようと、
それとは関係なく、日本人の誰もがイスラームに対する自分の態度を問われていると感じて
いるのです。イスラームと日本の文化対話の機は熟したといえるでしょう。本シンポジウムに
参加する私たちは、それぞれに個別の関心を抱いてこの場に導かれたとしても、イスラーム
の未来が世界全体の重大な関心事となっている今、イスラームをめぐる文化対話という壮大
な人類的事業に代表選手となって直接立ち会っているのだということを自覚しないわけには
いきません。
ところで、現在日本人の間に生じている上述の二つの立場は、一見対立しているようです
が、かならずしもそうではありません。いかにも対立しているように見えるのは幻影です。メイ
ドイン欧米の Monotheism 概念を規準に考えることから脱却できないでいるために、イスラー
ムの誤認が起きているからです。Monotheism 概念をもってしては、イスラームのタウヒード
(一つにすること、一化、一神教、多即一、多元主義的普遍主義)を理解するのに不十分なの
です。
そこで、私としては、日本文化の側からイスラームを認識するために、つぎのような理解の
仕方を提案してきました。一つは、「やおよろずのカミ」と「神のしるし(アーヤ)」との間の関係
の理解であり、二つ目は、今日日本人の多数が意識的・無意識的に標榜する「無宗教」とイス
ラームの「条件付き無神論」の立場との間を関係づけようとする理解です。これらは、日本人
の宗教性とイスラームとの間には親和性があり、日本人の天性に具わった持ち前の立脚点
からイスラーム理解を着実に進めることが可能なのではないか、という仮説を検証しようとし
て提出するものです。
まず、理解の試みの第1です。一般に日本人自身、自然の中に神々しさを感じ森羅万象を
カミの立ち現れと見る自分たちの思想は汎神論だと思い込んでいます。しかし、日本人は天
地万物を創成する霊力としての産霊[むすび]を信じてきました。平田篤胤が整理した神道神
学の体系では、天御中主神が万物の創造主です。他方、クルアーンには、神が分別をもつ
人々に明示するたくさんの「しるし」(アーヤ)について記述されています。アーヤは至高者・創
造主の唯一性を示す証拠なのです。あらゆる現象に神の兆候(サイン)が表わされている。啓
示のことば、天地、太陽、月、星、星座、昼・夜、水、土、山、川、海、舟、風、雨、嵐、雷、雲、
飛ぶ鳥、蜜蜂、いなご、花、緑地、発芽、稔り、果実、穀物、家畜、ミルク、いのちの姿、受胎、
誕生、成長、死、雌・雄、男女の情愛、さまざまな言語、さまざまな皮膚の色合い、その他無
数のもろもろに神のアーヤが示されていることが教えられるのです。
理解の試みの第2に移りましょう。イスラームの信仰告白(シャハーダ)の言明の冒頭部分
は「ラー・イラーハ」すなわち「神はない」ではじまり、つづいて「イッラーッラー」すなわち「(ただ
し)神のほかには」という存在判断を含まない条件が加えられる構造になっています。宇宙万
物の中に神を予定してはならないのです。これを私は、条件付き「無神論」と理解しておりま
す。現代の日本人の多くは、普段はけなげにも「神も仏もあるものか」と頑張って暮らしている
のですが、問題にぶつかると「イッラーッラー」に飛び移って「神様!」となるのです。多くの日
本人は、このようにして、気付かぬまま、タウヒードを実践しているといえるかもしれません。
3.文明的親近性の組み合わせ 日本と西欧、中東と南北アメリカ
これまで、日本文化とイスラームとの間の親和性について考えてきました。ところが、最近
まで日本人の多くは、イスラームを関係が薄い、遠い存在と感じていたようです。アラブの民
衆は100年以上にわたって日本に対して片思いに似た深い親愛の情を抱いていたのですか
ら、すでに半世紀にわたり日本が中東からの石油の上に浮かぶ国だった事実と合わせて、あ
まりにも大きな2重の食い違いが起きていたといわなければなりません。そこで、なぜこのよう
な行き違いが起きたのか、その原因を検討してみましょう。
35年も昔に私が作った「文明戦略マップ」という図があります(図1)。ユーラシアサークルと
インド洋サークルの交点に位置する日本は、ユーラシアサークルと地中海アフリカサークル
の交点にある西欧と共通の性格をもっているのです。三つのサークルが三つ巴に重なり合う
中東は、世界の人・物・情報が集散して運命的・生得的に中心性を背負わせられた「都市」的
地域であって、ここからイスラーム文明のグローバリズムが生まれました。裏側にあるアメリカ
大陸(南北アメリカ)は、そこに世界中から人々が移住していくことにより、後天的・獲得的なグ
ローバリズムが後から現れました。西欧と日本が対照的に比較できるように、中東と南北アメ
リカとは相互に親近性をもった地域として比較できるのです。
西欧と日本とは世界の辺境にあるかわり、逆に裏側の南北アメリカをも含めて全世界を見
渡すことができる戦略的位置を占めています。世界史の中で、西欧および日本の社会編成
や社会発展はいちじるしく特異で例外的な様相を呈していました。西欧と日本で、長子相続制
の社会は、やがて軍事化と結びついた大量生産・モノカルチャー型の産業資本主義を生み出
しました。西暦16世紀西欧で開始された軍事革命の効果は、日本で織田信長軍がマスケット
銃の連射によって武田勝頼軍を打ち破る長篠合戦によって証明されたのです。西欧も日本も、
19世紀には、武力で原料と市場をおさえる植民地支配に乗り出しました。日本は、仏教・儒
教・道教や漢字文化を受容したように、アジアに属し、アジア的交流にどっぷり漬かっていた
のに、アジア離れの日本アイデンティティを追求して、とうとう西欧クラブのメンバーにまでなり
ました。ここに、日本がアジアであってアジアではない二面性が示されています。
しかし、西欧と日本はすっかり同じというわけではありません。図1の中東および中東の拡
張を組み合わせた三つ葉のクローバー状の地域がイスラーム世界の歴史的核だとすると、
西欧も日本も、イスラーム世界の縁にあります。これまた私が昔作った「世界史における近代
化過程」の図を見ていただくと(図2)、西欧は中東と地続きで、まるで中東クジラが口を開け
るとそこに西欧が見えるといった感じなのです。西欧に「近代」の種を播いたのはイスラーム
文明でした。だから西欧は、イスラーム文明に憧れながら敵視し蔑視するという葛藤を秘めた
オリエンタリズムによって、西欧こそが世界の中心だという虚勢を張ったのです。しかし、日本
はイスラーム化した中国や東南アジアを通じてイスラームのアーバニズムとモダニティという
文明的刺激を受け取ったので、西欧のように中東やイスラーム文明を「敵」とは見なかったの
です。もともと日本は中国がイスラーム化する以前から中国文明には頭が上がりませんでし
た。そこで、西欧人がイスラームに対して身構えたように、日本人は中国に対して憧れをもつ
と同時に攻撃性を発揮することになりました。これが日本のオリエンタリズムでした。
このために、日本人は、すでに述べたごとくイスラーム文明との深い交流と不思議な並行
現象を呈する歴史をもちながら、イスラームを遠く離れたものと感じてきたのでした。そして、
日本人の多くは、西欧オリエンタリズムの歪んだメガネを借りて、誤解に充ちた西欧人のイス
ラーム・イメージをそのまま受け取ってしまったのです。
4.結び 直面する課題
日本が米国とその連合国のイラク侵攻を支持しただけでなく、軍事占領下のイラクに自衛
隊を派遣したことが、アラブ世界に日本に対する幻滅の気分を拡げたことは否定できません。
アラブの大衆は、日本を信頼していた自分自身に向かって腹を立てているように見えます。
他方、日本人の大衆の側は、アラブ・ムスリム諸国民の間に蓄積されていた日本への信頼と
いう大事な資産が一度に消えてなくなってしまったかもしれないという困難な状況に突然直面
して、とまどいを隠せないでいるのが実情です。
しかし長い目で見れば、今日のこの状況は、日本とムスリム世界との両側で相互理解を根
本から建て直す絶好の機会を与えてくれている、と考えることができるのではないでしょうか。
過去の惰性を断ち切って、双方で相互理解に向けて新しいアプローチを試みる必要がありま
す。先程述べた私の提案も、新しいアプローチの探索の中から生まれました。パレスチナ人
の苦難がさらに深刻な局面を迎えつつある現在、これまで欧米のメディアの影響でパレスチ
ナ問題に関して目を曇らされ、「暴力の連鎖」などと見てきた日本社会も、ようやく真実に気付
きはじめたといえるように思います。
東アジアでは、「禍を転じて福となす」ということわざがあります。私たちは楽観的であってよ
いのです。イスラームと日本との文化対話は、ウンマ・イスラーミーヤと「和の国」とがほぼ同
時に成立したときから、すでにその成功が約束されているのですから。 (了)