イタリアの地域制連邦主義と財政危機の試練 カルロ・フサーロ(フィレンツェ大学) 訳:山田 徹 1. 序 われわれが4年前に会合をもったときに、大不況は確かに緒についていたが、イタリア のような国の経済に深い影響を与えてはいなかった。しかし、2009 年にデータが収集され て公表されると、イタリアの GDP の劇的な下落が明らかになった(表 1 をみよ) 。しかし 前年の 2008 年は概してまだ良い年であって、ここ 10 年で最も良い年であった 2007 年に 次ぐものであった。2007 年は GDP が最も高く、失業率は最低で年間の赤字が最も少なく、 公的債務は減少したのである。 2009 年以来、状況は劇的に変わった。2010 年のささやかの回復の後に、2011 年は深刻 な財政危機の年となり、イタリア政府は非常事態的措置をとったが、それは実体経済をさ らに悪化させただけであった。イタリアの支払い能力は何とか確保されたが、しかしこの 国は第二次大戦後で最長の、また最も深刻な危機に陥ったのである。 関連するデータは、付録の表 1 と 2 でみることができる。幾つかの言葉で要約すると、 イタリアの GDP は、2013 年には 2000 年よりも低くなることが予測され、失業者の数は 07 年以来倍増し、労働者全体の 12%に達するだろう。コスト削減の努力にもかかわらず、 年間の財政赤字は、GDP の下落と関連してなお膨大である(ユーロ圏で協定された上限 3% を超えることはほぼ確実である)。国の累積赤字は、GDP の 130%を超える最大の金額を記 録した。 本ペーパーの目的は、財政的・経済的な危機がどのように中央・地域・地方の政府間関 係にインパクトを与えているのかを報告することである。その際、留意すべきことは、大 不況下の諸事件が、深く困難で長期にわたる転換プロセスの只中で、それらの政府間関係 に大きな刻印を与えた、ということである。 2009 年の会議のときと同様に、私は先ず現在の状況を簡単に要約し、その後、何がこの プロセスに対して起こったのかを述べ、分権改革は前進したのか、あるいは一時的に中断 したのか、さらにはそれは逆転したのか、という点について評価を行う。私が回答を与え たい問題は次のことである。再国家化に向かう現在の傾向は一時的なものなのか、あるい は権限委譲と分権化は、短・中期的に延期を余儀なくされてしまうのだろうか。 2.イタリアの憲法史における中央・地域・地方関係の進展についての要約 イタリアは 1861 年にサルディニア王国の下で統一された(首都はトリノ)。同国は、当 1 初は比較的小さな、しかしよく組織されたアルプス山中の国で、フランスの文化の強い影 響の下にあった(支配階級はほとんどフランス語で語った)従って、同国には厳格な単一 制国家のモデルが適応されたが、後には地方政府にも次第に権限が認められるようになっ た。第一次大戦後にファシズムが極端な集権的行政を再確立して、これを強化した。市長 でさえ選挙で選ばれずに県知事によって任命され、各県の代表者は、内務省との協議の後 に初めて指名されたのである。 1948 年の憲法は、この仕組みを根本的に変えることとなった。それは、社会、文化、政 治、経済、そして制度の上での多元主義を基礎とするものである。長い議論の後に、憲法 制定議会(1946-1947 年)は、18(後には 21)の州を設置することを決定したが、これらは 限定的な立法権と、理論上は大きな自治権をもっていた。州の立法権は二つの点で限定的 であった。第一に、制定対象の限定的なリストがあり、州はそれらについてのみ立法権を 有した。第二に、国の議会は、上記の事項についての法制上の一般原則、いわゆる枠組み 法を採択する権限をもっており、各州はそれを守らなければならなかった。 中央・地域(州)・地方(県と基礎自治体)の関係に関わる憲法上の仕組みは(憲法第 5 章第 114~133 条)、後に認められるように、幾つかの重要な欠陥を含んでいる。即ち、(a) 議会両院のいずれもが、地域・地方の利害および/または制度を、何ら代表していない(例 えばアメリカやドイツとは異なる) 。(b) 州は、その領域内の地方政府を統制する責任をも っていない(地方政府は、直接、国の議会によって統制される)。そのことは、私がイタリ アの政治体制を多層的領域国家と定義する際の基礎となっている(いずれにせよ、21 州の うち 15 州は、その設立が 1970 年まで遅れた)。(c) 中央政府は、サブ・ナショナルな(州、 県と自治体)政府に対して、一種の法的監督権をもっている。 州が最終的に設立されてから 3 年後に、国の議会は、イタリア史上最も重要な税制改革 を断行したが(1973 年)、これは、効率性の改善を図るための高度の集権化をその特色とし た。実際、ほとんどすべての税は中央政府によって徴収され、次いで州と地方の政府に配 分された。このシステムは、中央からサブ・ナショナル機関への政策決定権の委譲とは、 正反対のものである。しかし歳入の点では、それは驚くべき効果をもっていた。国の収入 として徴収された資金の GDP に占める割合は、18 年間で 25%から 44%に上昇したのであ る。この税制上の進展は、結果として強い抵抗を、特にイタリアで最も生産的で豊かな地 域(北東と北西の地域)からの強い抵抗を惹き起こした。これらの地域の世論の大部分は、 19 世紀から、より多くの自治権の獲得と、域内で徴収される税のより多くの取得分の統制 を要求していた(その結果、これらの動向は、非効率から腐敗に至るすべての悪徳の巣と される「首都ローマに対する」叛乱も生むようになった) 。 以上の歴史を経て、冷戦が 1990 年に終わると、イタリアの政治状況を変えた他の諸事件 とも重なって、キリスト教民主党を中心とする戦後の政治システムは没落を早めた。最終 的には、いわゆる第二共和制の諸政党が一連の新法の導入と憲法改正を行って、中央とサ ブ・ナショナルな政府の間の政策決定権を再配分したのである。この革新政策のセットは、 2 「憲法第 5 章の改革」として知られるものである。実際、第 114 条から第 133 条に至るす べての条項は、廃止されるか(5 つの条項)、または全面的に改正されたのである。 中央・地域・地方の関係についての憲法の新しい規定は、次の諸点を含んでいる。(a) 自らの政治制度を組織しうる各州の権限(例えば、州知事を直接選挙で選ぶのか否か)、(b) 中央政府の事前の同意なしに法を制定する権限、 (c) 法権のセット;即ち 3 つのタイプの事項に適合させた立 (ア)専ら中央の立法権に属する事項、(イ)中央と州の双方の立法 権に属する事項(国議会の枠組み法と州議会が詳細を規定する法律)、(ウ)専ら州の立法 権に属する事項。ただし州によっていくらかの相違がある(全州に適応される統一的な形 態の法律を除く)。(d) 憲法による補完性原理の承認(これによれば、すべての法令の執行 は関係する市民になるべく近い政府が行う、とされる)。従って、法令を執行するのは先ず 基礎自治体である。県は、基礎自治体がサービスの提供をできない場合にのみ、それを執 行する。次いで、執行の順は州、中央となる。最後に、(d) 中央・州・地方への財源の配 分を規定する憲法上の原則(憲法第 119 条)。 注意すべきことは、既述の第 5 章の改革は、憲法の枠内での権限委譲に影響を与える 3 つの重要な問題で、その対処法に欠けている、という点である。それは、(a)国議会で地 域・地方の代表権が認められていない、(b)国議会が基礎自治体のあり方を規定する専属 的な権限をもっている、 (c)憲法裁判所の判事はサブ・ナショナルな政府では選出されな い、ということである。 1999 年と 2001 年の憲法改正の実施は、長期にわたる、また論争の多いものであること が、この間判明している。それは特に、強力な官僚たちの強い抵抗を惹き起こしたが。彼 らは各省庁に深く根を張り、基本的にそれらを支配している。これは何ら目新しいことで はなく、日本の同僚がよく知っているように、イタリアに特有のものですらない。いずれ の国でも、高度に集権化された公行政を変えることは、きわめて難しいのである。イタリ アの場合も、憲法制定から 65 年、州の設置から 45 年、そして最後の憲法改正から 12 年が たったが、それらの歳月とこの間の努力は、当初予期した分権改革を実現するにはなお充 分ではない。分権改革のプロセスは、挫折も伴う長期的なプロセスなのである。例えばイ タリアの場合には、高度に専門的で質の高いトップ官僚や執政者の階級があり、彼らは比 較的スムーズに公的事項を動かしている。彼らはまた、傾向として保守的な心性をもち、 政策決定者(閣僚、政務・事務次官)を支持しながら、国の公機関を取り仕切っている。 彼らは意識的、無意識的に、究極の権力はそれが常にあるところに存在しているのだ、と 確信している。これらのことは、少なからず、イタリアの公的被用者の 55%が国で雇用さ れており、45%のみが地域・地方で雇用されていることの理由となっている。 1999~2001 年の改革が効力をもつようになった年から、憲法裁判所は、憲法の新条項の 原理と解釈をめぐる紛争から生まれた、文字通り何百もの抗争の解決のための訴を受理し てきた。憲法裁判所は、州の新しい権力の多くを擁護してきたが、なお以前の権力との継 続性を(従って集権制に有利なように)重視している、という見方は、ほとんどの研究者に共 3 有されている。 ベルルスコーニに率いられる中道右派の連立政権が、第 16 期議会の選挙を制した後に (2008 年 4 月 29 日に首相就任)、新内閣は、分権改革のプロセスを再生させるために、 初めて新条項の憲法第 119 条を実施する法律を導入することにした。同条は、国、州、地 方自治体の間での財源の配分を規定する条項である(法律 42/2009)。 3.財政連邦主義:進行するプロセス 法律 42/2009 は、中央―州、中央―地方、そして州―地方の間の財政関係を、財政連邦 主義という一般原則に従って、10 年以内に確立することを意図したものである。この法律 は、当初のベルルスコーニ提案に対する重要な修正を行った後に、2008 年 10 月の議会で ほぼ全会一致により採択された。この日付が重要なのは、政治的状況および専門家と世論 の「感情」が、財政的、経済的危機の打撃を受けて、劇的に変化したからである。 法律 42/2009 は次のように要約できる: ♦ 各州と各地方自治体は、その支出を十全にカバーできる税を徴収する権限をもつ。 ♦ 公共サービスは、法律によって「基本的」および「非基本的」なものに分類される。 基本的サービスのみが、いわゆる「標準コスト」に従って、中央政府からの補助金を 受けられる(下記参照)。 ♦ それぞれの基本的サービス(ヘルス・ケア、輸送、市警察、墓地など)に対しては、 標準コストが、承認された「ベストの実践」に従って計上され、その額が州、基礎自 治体の受け取る金額になる。 ♦ 原則的に「非基本的」サービス(基本的サービスと認められないすべてのサービス) は、地方のみによって徴収される税からその資金を得る。 ♦ 中央政府は、より貧弱なインフラや財政力をもつエリアを補助するために、投資への 付加的な補助金を配分することができる(平衡化の目的で)。 このシステムの実施を促進しフォロー・アップするために、影響力をもつ顧問的機関が 法律 42/2009 に基づいて設立され、その構成メンバーは中央と州/地方の政府の双方によっ て任命される。さらに、この新しい手法を充分に作動させるために、約 60 の施行規則が、 国、州の議会の義務的な事前審査を経た後に、2010-2016 年の期間に国議会で採択される こととなっている。 これに従い、財政連邦主義実施のための特別委員会報告の最新版が、2013 年 1 月に発行 された。それによると、第 16 期議会(2008-2013)の終わりまでに、少なくとも 1 ダース の最も適切な施行規則が導入される。しかし、それぞれの規則は、その原則とまだ適用さ れていない規程を定めるのみであって、これらは規則制定上のイニシアティブをさらに必 要としている。法律 42/2009 と財政連邦主義が実施されるのは、まだ遠い先のことだろう。 いま述べた通り、法律 42/2009 は、相当の長期にわたり徐々に実施されることを意図し 4 た、一連の原則と目標を確定している。内閣と野党がともにこの法律を支持したという事 実は、将来的に希望をもたせるものである。というのは、かつて中道左派の多数派が採択 した多くの論争を呼ぶ法律とは異なり、仮に中道左派が多数派をとっても、将来的に大き な変化は生じない、と予測するのが妥当だからである。その点は、特に次の理由から重要 である。というのは、この法律は予見しうる短・中期的なプロセスで有効であり、規定さ れた内容の即時の変更にも耐えられる性格をもつからである。これはまた、次の点を考え ると重要なアプローチである。つまり、この法律は、中央政府と 21 の州、110 の県 そし て 8,100 の基礎自治体に影響を与える基本的な財政問題を扱い、数万人の公務員によって 実施され、全国民(6 千万人)を対象とするほとんどの公共サービスの規定を含んでいるの である。それらが適用されない日は一日としてなく、将来にわたっても、そのメカニズム は非常に複雑なのである(例えば、数千ものサービスの内容とその手続きに関わる、既述 の標準コストを計算するには、精巧な統計的処理が必要である)。 この他にもきわめて重要な政治的争点がある。それは、もし上記の基本的な理念が地方 政府に大きな責任をもたせ、税の徴収にもより厳しく関与させるならば、法律 42/2009 は その実施をどのように始めるのか、という問題である。一つの解決法は、中央が地域と地 方に対して、前年の移転額に比例させつつ移転する財源の総額を自動的に減らすことであ る。もう一つの解決法は、地域や地方の徴収力で不可避的に生まれる不均等性(過去と比 較して)を、そのままにしておくことである。こうして、新システムの実施の長期的プロ セスの中で、よりスムーズな転換が確実になるだろう。同時に、関係する諸政党が種々の 協議に参与する機会をもつことがより確実になるだろう。これらの協議は、新システムの 実施の前に、法律が予見する各段階で繰り返し試みられるはずである。以上のことは、法 律 42/2009 ではプロセスが内容とともに重要だと私が示唆した理由である。 4.財政危機。イタリアはどのようにして予期せぬ混乱の只中に陥ったのか 付属の表には、イタリアでのデリバティブ市場とその後の銀行システムの危機、および 信用逼迫による財政・経済危機の結果についての、最も正確な像が描かれている。興味深 いのは、イタリアの固有の危機が、国外で起きて当初はイタリアに直接影響を与えないか、 または他国よりも影響が少なかった諸事件の産物だということである。相対的に小規模な イタリアの金融市場、銀行の限定的な国際化、中央銀行の比較的厳格な統制(特に米、英で の金融市場の規制緩和と比べると非常に厳格である)からは、イタリアの銀行が債務不履行 に陥らないか、またはそれが起きても政府の直接的な支援を必要としない、と考えられて いた。従って、ベルルスコーニ内閣は、2011 月の夏に、それまで 25 年間存在していたイ タリアの巨額の負債が、ほとんど一日で突然大きな争点になったのをみて驚愕した。イタ リアの公的債務は、1991 年に初めて GDP の 100%に達し、1994 年には 124%に上昇した が、財政危機の当初では、それは「僅か」103.6%だったのである(2007 年)。 5 共通通貨ユーロを導入した後に(2002 年)イタリアの内閣が冒した大きな誤りは、公的 債務に対処するために、長年保ってきた低利子率を援用しなかったことである。EU レベル でさえ、関心事は常に年間の債務であって(上限はGDPの3%)、累積の負債ではなかっ た。しかしほとんどの西欧諸国は、金融危機に際して公的資金で銀行システムを救済し、 従って、その負債を驚くほど増加させた。OECD 諸国全体の負債は、対 GDP 比で 1990 年 代の 70%から、2012 年での 110%に上昇した。ギリシャの財政危機が明らかになり、単一 通貨の将来を危うくし始めたときに、国際的な投資家は、巨大な負債がいつ、どのように 償還され、またそもそもそれは支払われるのかについて懐疑をもち始めた。この時点で、 彼らはスペインのような最大の債務国に、あるいは「伝統的な」債務国イタリアに目を向 けるようになった。ギリシャ支援に対する EU のためらい(ここでは要約し得ない長い痛 切なストーリーだが)と、同様の危機に関与しうる共通財政メカニズム創設への躊躇は、 もしスペインやイタリアのような債務規模をもつ国がデフォルトに陥ったならば何が起こ るのかという疑いを、投資家にもたせたのである。 その時点で、イタリア(とスペイン、ポルトガル、アイルランド、そしていうまでもな くギリシャ)とドイツの債券の間の差額が急増した。付属の表 1 が示すように、イタリア の BTP 差額は、2011 年 1 月の最初の日で 193(1.93%)であり、2011 年 11 月にはピーク の 550(5.50%)に達した。これは、イタリアが累積赤字を償還するためには、ドイツより も 5.50%多い利子を、つまり 7%の利子を支払わなければならないことを意味する。この 利子率は、長期的にはどの国も維持し得ない率である(ある国の経済成長が、どの国でも 達しえない高い利子率の下で成長しなければ) 。これはイタリアの信用評価にさらに疑念を 生じさせ、悪循環をもたらしたのである。 今日まで、欧州通貨同盟で最大規模の経済の一つをもつイタリアは、財政の困難なメン バー国を支援し、それによってユーロを安定させる目的で、安定的な財政機構を作る支援 を要請されている。その総額は表 2 で示されており、2013 年におけるイタリアの寄与率は GDP の 3%にあたるが、これは負債のさらなる増加にも寄与しているのである。 ベルルスコーニに率いられたイタリア政府は、それらに必要な準備をしておらず、遅れ て対応したが、その対応の効率性をめぐり国内を二分させた。挙句に首相は辞任を余儀な くされたのである。新選挙は行われず、共和国大統領は、90 年代に欧州委員だった経済学 の教授に率いられ、非政治家で構成された専門家内閣を指名することを決定した。モンテ ィ内閣は、以前の与党、野党の双方によって選任された。この内閣は、危機時の最も重い 負担を担うこととなり、立法期の最後の時点まで任期を継続した(2011.11~2012.12)。第 17 期議会の冒頭では、新しい内閣が形成され(2013.2)、同内閣は過大だが非常に不安定な 多数派によって支持を受けた。これらの政党は、きわめて異なる価値観をもち、また非常 に異なるプログラムを掲げている。 上記の 3 つの内閣は、ほとんどが政令(後に議会で修正を伴って承認される)による、継続 的な緊急措置に立ち戻らざるを得なかった。それらの措置は悉く財政危機に対応するもの 6 であり、すべては何らかの形でヨーロッパのパートナー国と EU 当局によって指令された とはいわないが、要請されたものであった。今日に至るまで、あらゆる案件での目的は、 公的債務を徹底的に抑えることであり、それは、累積赤字をゆっくりと、しかし確実に抑 制するために、余剰金をなるべく早く生むことを目指している。その原則は、こうするこ とによって、イタリアの国家債務の償還能力を国際金融界から再保障され、悪循環を生ん でいる償還のコストと差額を減らすことである。概して、これらはヨーロッパ経済(と特 にイタリア経済)の停滞を考慮した、緊急に必要で大胆な措置なのである。 5.ユーロとイタリアの危機:2009 年から 2013 年にかけてイタリア政府によって導 入された諸措置に関する分析 2009 年 12 月から 2013 年 5 月にかけて(41 ヶ月のタイム・スパンである)、イタリアの中 央権力(基本的には、三つの内閣の決定インプットを伴う議会を指す)は、同国の公共財政を 改善して安定させるために、15 以上の法令を採択した。これらは、行政を運営してサービ スを提供する、州と地方の政府の能力に直接・間接の影響を与えるものである。 以下の表 A は、それらの法令と、州・地方政府に直接影響するその内容の要約をリスト 化したものである。もちろん、より一般的な領域での他の多くの諸措置も、イタリアの社 会に影響を与えているが、ここでは特に報告はしないこととする。 =表A= [註] L.は通常法律 DL.は政令(内閣によって採択され、後に議会が同格の法律として承認) L.Cost は憲法法律(憲法修正に関する憲法第 138 条に基づき、議会で採択される憲法修正またはその統合を行うため の法律). ● 第 4 次ベルルスコーニ内閣 2010 年度予算法 L.23 (2009.12 n.191) ♦ 地方議会定員数の削減 ♦ 自治体オンブズパーソンを指名する自治体の権限の抑止 ♦ 住民数 10 万以下の自治体での、自治体マネージャーを指名す る権利の抑止 DL.25 (2010.2 n.2) 州・地方政府への緊急措置 ♦ 地方議会・首長スタッフのコスト支払いのために、中央政府か 7 ら移転される財源の削減 ♦ 地方議会定員数の削減に関連するさらなる措置 ♦ 地方政府に移転される財源の全面的削減 DL.31 (2010.5 n.78) 財政安定と経済競争力強化のための緊急措置 ♦ 地方議会議員の報酬削減 ♦ 地方議会議員の臨時収入貯蓄の禁止 ♦ 外部コンサルタントの制限 ♦ 地方事務官のキャリアに関わる独立法人 (地方政府の法 的事項を所管する特殊法人)の抑止) ♦ 人件費の削限 ♦ 自治体マネージャーの報酬の 5%カット ♦ 第一次国内安定協定(ISP)の目標設定 ♦ 法令非遵守の場合の制裁措置(各自治体の固有財源の裁量に よる使用の制限 L.13 (2010.12 n.220) 2011 年度予算法 ♦ ISP の目標達成のための自治体の固有財源使用のルール(現行 より厳しい) ♦ 目標を達成しない自治体への、より多くの新たな制裁措置 DL.6 (2011.7 n.98) 財政安定達成のための緊急措置 ♦ より野心的な新しい ISP 目標 ♦ ヘルス・ケア経費の合理化 (注:これは、 「EU レベルで採択されたコミットメントを遵守するために、財政安定に向けた措置をとり、公的支出を 抑制しよう」という標語の下で、公的に動機付けられた長期的な一連の諸措置の最初のものである) DL.13 (2011.8 n.138) 財政安定・成長を達成するための追加措置 ♦ 地方公共サービスに関連する新ルール ♦ 州の議会・政府の定員数削減を促進するための財政インセ ンティブ ♦ 州議会議員の報酬の削減 ♦ 県議会議員の定員数の半減 ♦ 自治体間協力を促進するための新ルール 8 ♦ 地方議会と首長オフィスの定員・構成員数のさらなる削減 ♦ 地方行政監査のより厳しいルール (注:この特殊な政令の動機となるのは、「国際的な危機と金融市場の脆弱性の例外的状況とに関連した国の財政安定化 を確保し、また EU で採られるコミットメントを尊重すること」である) L.12 (2011.11、n.183)2012 年度予算法 ♦ 2012 年度 ISP に関連する諸規定(さらなる予算抑制と非遵守 に対する制裁措置 ● モンティ内閣 DL.6 (2011.12、n.201) 公的財政の確立と成長、公平性を得るための緊急法(「イタリアを救 え」政令) ♦ 新財産税(IMU)の先行的適用 ♦ 既述の税(通常は地方自治体の収入となる税)の相当部分の、中 央政府への一時的な委譲 ♦ 一行政単位である県の事実上の廃止 2012 年とそれ以降に予定された県議会選挙の即時中止 ♦ ♦ 自治体から要請されている、国予算に同意するための特別の尽 力 L.Cost 20 (2012.4、n.1) 均衡予算の原則を憲法に導入するための憲法法律 この憲法法律は、均衡予算の原則を定め、その遵守を確保するために、憲 法第 81 条を修正するものである。議会は、補強法(フランス語的意味では「組 織法」)として採択することを期待される。同法は国予算だけでなく、行政全 般にわたる公財政の補完性原理を定めることも意図している(下記のL.24 を参照せよ) 。 この憲法法律は、第 81 条の改正とともに、第 117 条をも改正するものであ り、同条は、すべての「公財政での協調」を国の専管的権限とする(以前は 競合的権限) 。(ⅰ)これにより第 119 条は改正されて、州と地方自治体は、 EU によって指令される経済、財政上の規制を遵守しなければならない。(ⅱ) 第 119 条はさらに修正されて、州と地方自治体は負債をもちうるが、それは 専ら投資を目的とし、また州内の自治体の全体的な財政状態が均衡する限り においてである。(ⅲ) 憲法は初めて、州と州内自治体の相互の財政的コミッ 9 トメントを認める。これらの改正は、2014 年 1 月 1 日に発効する。 DL.6 (2012.7 n.95)同一水準のサービスの確保を目的として公的支出を修正するための 緊急措置 ♦ ISP の再決定と、州・地方自治体でのコスト削減についての再 決定 ♦ 県に関する新規定:県は廃止されず、中央政府が定める基準 に従って、領域上の合理化を促進することとする(県の数が 86 から 51 に)。 ♦ 一年以内に大都市圏政府を設立(大都市圏は県と基礎自治体の 権限を結合し、9 つの人口密集地で作られる - トリノ、ミ ラノ、ヴェネツィア、ボローニャ、ジェノヴァ、フィレンツェ、 バーリ、ナポリ、レッジオ)。 ♦ 住民数5千人以下のすべての小規模自治体に、地方公共サービ スを提供する目的で合併を強制する新規定(これまでも合併は 可能だったが、それが義務になる) ♦ 合併を決定する自治体へのインセンティブ付与 DL.10 (2012.10 n.174)州・地方政府への資金供与とその活性化に関わる緊急措置 ♦ 州の行政運営に対する統制を図るために、(中央)会計検査院 への追加的な権限委譲 ♦ 議会・政府のコストを削減しない州に対する、さらなる財政上 の制裁措置 ♦ (中央)政府による地方予算への統制についてのさらなる規定 L.24 (2012.12、n.228)2013 年度予算法 ♦ 2013 年度の ISP の目標設定 L.24 (2012.12、n.243)憲法代 81 条 6 項による均衡予算の原則の実施のための規定 これは、 「2012.4.20 憲法法律 n.1」に基づいて導入された、均衡予算原則の実 施を確保する規定を作るための「組織法」である。 同法は、 「EU からの拘束」に関連した幾つかの規定を含むが、 「均衡予算」と は何かにつき、その詳細を定める(第 3 条 4 項)。それはまた、州と自治体の均 衡予算に関する4つの規定を含む(第 9~12 条)。即ち;州が負債を再発生させ る場合の規定;不況の際に基本的サービスへの資金を提供するために、中央政 府が自治体を支援する際の基準;好況時に州と地方の財源で資金が賄われる「イ 10 タリア国家負債償還ファンド」という制度があるが、これを使用する際、補完 性原理を確保することに同意する、州と自治体の義務。 ● ラッタ内閣 DL.21 (2013.4, n.35) 公行政での滞納負債の支払いに関する緊急措置 この政令は、滞納負債の支払いのみを目的として州と自治体に移転される財源に ついての規定を含む。 DL.21 (2013.5、 n.54) IMU(財産税)の納入を停止する緊急措置 ベルルスコーニ内閣によって制定され(2010)、モンティ内閣によって 1 年前倒し で実施された財産税の納入は、ラッタ内閣により、納税者救済のために停止された (財源不足のために停止されたのではない。自身の財産をもたない者よりももつ者 を、あるいは、より少ない財産または住居しかもたない者よりもより多くの財産を もつ者を支援するのである。因みに、イタリアの家族の 80%は自身の財産をもち、 特に居住用の家をもっている)。この措置の目的にとって重要なのは、財産税は地方 自治体の財源だということである。これを停止することで(いわんや廃止の場合は) 、 この財源を何によって代替するのか、という問題が生じる。モンティ内閣は、2013 年 8 月末以前に決定を下すことが期待されており、これは、もちろん新しい地方税 の創設を予見している。 私は、読者が表 4 を詳細にわたって読むことを期していないので、以下では、われわれ の討論の目的にとって適切と思われる、幾つかの点を要約しておこう。 ► 州と基礎自治体は(いうまでもなく県も)、中央権力(政府と議会)による息苦しいほど の、とはいわないが、厳格な管理の下にある機関として扱われるようになった。 ► 理論的には、選択肢として二つのアプローチがある。(A)一連の財政目標に同意し、 できればそれを決定して、その目標追及を州、自治体の自治に委ねて実行させる、 (B) これらの目標を達成するために、諸措置の強制、制限、支出削減、上限、特別の規定 を直接(国が)指令する。イタリアでは、この二つの選択肢が同時に行われている。 ► 地方自治体を規制する憲法上の権限が、中央政府によって、それらの組織に直接影響 を与えるために広く行使されており、ある意味で特に世論が敏感である周辺的だがシ ンボリックな問題についても、一再ならずそれが行使されてきた。ここでは、州・地 方政府の構成員数、県の役割とその本来的な存在意義、という問題を挙げておこう。 限定的な経費節約を行うために、州、地方の議会と執行部の定員数が、この間 3 回も 11 削減された。住民数の少ない自治体では、それらは最小限にまで縮小され、他方、大 規模自治体では、すべての機能は、以降は強制によって遂行されるようになる。また 県は(その地位と役割は、大戦後繰り返し危ういものとなったが)事実上廃止され、 その後救済されたが、なお強制的に合併されることとなった(幾つかの例外を除いて)。 最後に、モンティ内閣の退陣後はすべてが延期されたが、その間、県政府が再選され るはずだった 14 の県では、中央政府が任命した管理者によって行政が運営されている。 ► 州と地方の公財政を管理する中央政府の能力は、憲法が均衡予算原則を第 81 条の改正 で承認したことにより強化された。 ► 州と地方の政府もまた、国の負債を負担することに同意するように、明示的に指令さ れた(いわゆる IPS を通して)。 ► 地方自治体に帰属する税収は、中央政府によって「ハイジャックされた」(少なくとも 部分的、一時的に。例えば、財産税 IMU に何が生じたかをみよ)。 ► 財政連邦主義に関する法律 42/2009 の原則は変わらないが、その実施は計画的に延ば されており、またその条項の幾つかは停止され、あるいは修正された(上をみよ)。 ► 州と地方自治体を監督する会計検査院(中央の機関)の権限は強化された。15 年前に 廃止された介入的手続きを再導入する幾つかの試みも存在した(失敗したが)。この手 続きには、予防的管理のための支出を自治体に寄託する義務などがあり、これは憲法 で保証された自治権の乱暴な侵害に当たるだろう。 これらのアプローチのインパクトはきわめて大きいが、イタリアの財政を「救済せよ」 という観点からみれば成功であろう。会計検査院の最近の報告によると、地方自治体(県と コミューン)の全システムは、2012 年に GDP の 0.2%にあたる剰余金を生み出しており、 イタリアの公財政を統制する試みに大いに寄与している。興味深いのは、この結果が設備 維持費の一定の削減と、さらには投資の削減や地方税の相当の引き上げによっていること である。地方税は、以前は中央政府から移転されて財源の減少を補填していた。会計検査 院によると、サブ・ナショナルな機関による ISP(国内安定協定)の非遵守の数は、非常に限 られている。目標達成に失敗した州はなく、8,100 の基礎自治体のうち僅か 3.6%のみが、 また県の 9%だけが目標達成に失敗している。 6.EU の政策のインパクト 2011 年以来、ほとんどの立法措置は中央権力(内閣と国議会。上記表 A をみよ)の手で 導入されてきた。さらに 2011 年7月以降は、すべての政令と通常法律は、事実上、EU レ ベルでのイタリアのコミットメントと関連した動機をもっている。2011 年夏は、いわゆる ユーロ圏(公式にはユーロ・エリア)の財政的安定性が、危機にさらされた時だった。ユ ーロ・エリアとは、2002 年から共通通貨としてのユーロをもつ、EU の 28 構成国の内の 12 17 の国々である。 財政危機は EU 全体を、また直接的、長期的な構造上の理由から、特にユーロ・エリア を緊張させた。その発端は、ギリシャが負債を償還し得なくなったことである。ヨーロッ パの各国政府は緩慢に、また主要メンバー国はしばらく躊躇した後に、これに反応した。 そのことは、ギリシャ支援のコストに対するヨーロッパの覚悟と準備への疑念を広め、結 果として、ユーロ圏メンバー国(アイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリア)の負 債を累積させた。これが、イタリアの特殊な事態と関連して、先に述べた悪循環を生んだ のである。 構造面でいうと、ユーロ危機は、欧州統合のさらなる大胆なステップが、過去にとられ なかったことで決定付けられた(予見されたことだが)。グローバルな金融危機に先立って 2005 年に行われたフランスとアイルランドの国民投票は、EU の不人気を予示するもので あった。長いストーリーを要約すると、共通通貨ユーロは、参加国の間で充分な経済的、 財政的、金融的統合の支えのないままに誕生したのである。そこからの教訓は、共通の予 算・財政政策を欠いたままの通貨政策は、不可能ではないとしても健全ではない、という ことである。 危機状況に対応するために、EU とユーロ圏がとった決定のリストは長すぎて、ここでは その詳細を報告できない。一連のプラン(後になるほどコストがかかるようになった)が、 ギリシャを支援するために決定され、また欧州金融安定メカニズム(EFSM)が、金融困難 に陥ったメンバー国を支援するために設立された。さらにその後、欧州金融安定基金 (EFSF)と呼ばれる法的な機関が立ち上げられた(ユーロ圏各国は割当てに応じてこれに 出資した)。EFSF は後に、新たな長期の制度として欧州安定メカニズム(ESM)という名称 をもつこととなった。 同時に、欧州委員会と欧州理事会は、特に財政的に安定している国からの圧力を受けて、 各メンバー国に対し、累積債務のレベルを GDP の 60%に落とすという最終目標に向けて (現在は状況がやや異なる。表 2 をみよ)、毎年の予算目標を設定する、という拘束措置を 強化した(スタートは 2011 年 3 月)。最終的には、いわゆる「財政協約」が結ばれ、これに よると、各国の予算は均衡を達成する義務をもつこととなる(特殊な好ましくない経済循 環により、例外が認められない限りは)。即ち;違反の場合も年間で 0.5%を越えてはなら ない;各国は、均衡予算原則の条項を含む法的な、できれば憲法の改正に取り組む;違反 のケースを修正する自動メカニズムは既に動き始めており、ヨーロッパ・レベルでの合意 目標を越える赤字をもつ場合の特別な手続きも設置された。これらのすべての措置は、2011 年以降効力をもち、発足以来、重要でポジティブな影響を与えている。ただし、全体の平 均負債 60%の目標達成には、まだ何年もかかるであろう。 これまでに起きたことは、南欧・地中海沿岸の民主主義諸国で健全な予算政策を堅固か つ厳格に実施することが、政治的、社会的に如何に難しいのかを示している。それはまた、 中欧、北欧における最も効率的で財政的に厳格な民主国家が、他の国で積み上げた負債を 13 支払う(支払わなければならない)場合の負の側面も示すこととなった。ヨーロッパの連帯は 危うくなり(現在もだが)、しかもそのことは、疑問の多い南欧の財政運営の厳しさが、北の メンバー国の経済に大きな利点ももたらしているにもかかわらず、そうなのである。南欧 諸国は、競争力は低いが広くて比較的富んだ市場を提供し、そこでは中・北欧諸国は自国 の製品を売り、また利率の差により、ずっと低いコストで自国の負債のための資金調達が できるのである。さらに幾つかの国、とりわけドイツは、過去数年間にわたり(危機が到 来する前から)欧州に関わる憲法上の規定につき、より厳しい解釈をとるようになってい た。ドイツの憲法裁判所は、同国の連邦議会(Bundestag)を、EU の決定に優る最終決定 権をもつ唯一の機関とし、憲法で明記された民主主義の原則に照らすと、EU 決定はドイツ の主権を侵害するものだと判断としたのである。概して、EU の厳格な予算政策と結びつく このような環境は、各国間の異なる地位(債権者と債務者)による、主権行使での事実上 の大きな不均衡というリスク(とそれへの感情を)を生み出しているのである。 イタリアのケースは、私が述べてきたことを説明するのに有益である。実際、2011 年 8 月 5 日に欧州中央銀行(ECB:ユーロを管理し、ユーロ危機の最悪の事態を和らげるのに 枢要な役割を果たした機関)からイタリア政府に送られた書簡は、きわめて示唆的である ー特に非欧州圏の読者にとっては。同政府に宛てられた「提案」(というより「要求」)の 詳細さは、驚くべきものである。その一例として、最後の提案を取り上げてみよう。「幾つ かの中間的な行政単位(県のような)を廃止または統合するために、強力なコミットメントを 行う必要がある・・」。この文章は、イタリアに導入を促がし、また一般的な予算目的のリ ストとは異なる内容の特殊な変革を、同文書がリスト化していることを強調するために書 かれている。 何人かのジャーナリストによると、このメッセージを送るように ECB に密かに頼んだの は、イタリア政府自身だったという。この話には真実味もあるが、証明はされていない。 というのも、書簡が送られたのは、イタリア(そして他のすべての地中海諸国)の政府が外部 からの圧力を期待し、また不人気の改革の後押しを必要とした、実際のまたは劇化された 「緊急事態」を政府が宣する前のことだったからである。しかし、ここで暗示されている EU と「悪役」たる強力なパートナー国(ドイツのような)の関係は、EU への世論の支持を広 げる助けとはならなかった。実際、EU は強国と弱小国の双方の有権者の間で不人気なのだ が、ただし、それは正反対の理由からである。強国の有権者は、いわゆる PIIGS(ポルトガ ル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)諸国の不健全な財政政策の故に累積し た負債の償還のために、その財源を各国に分担させるという考えを好まない。他方、弱小 国の有権者は、短期的には社会的コストがかかり、成長を阻害される政策(失業者増、年金、 賃金カット、他の収益の削減、より高い課税など)の実施を強制されることを好まないので ある。 イタリアの特殊なケースでは、EU のアプローチは、サブ・ナショナルなすべての政府(州、 県、基礎自治体)に対する中央政府の立場を強めた。その意味では、EU は「再国家化」を 14 妨げたのではなく、促進させたのである。しかしその政策は、EU の目標を達成するために 各国に提唱されたものであり、さらには強制された政策ほどには、各国の地域政策に反映 されてはいない。 7.財政危機が政府間関係に与えた副次的影響に対する評価 最後の節で、私は本年のシンポジウムで議論されるであろう幾つかの問題に対し、あら かじめ簡単な答えを出しておこう。 ► イタリアでは、危機は右翼、極右政党の興隆をもたらしていない。既に報告したように、 この国は 2008~2011 年に、中道右派の連合政権によって率いられ、同政権が困難な財 政状況の大部分につき批判を浴びた。逆に、有名なテレビ・コメディアンによって設立 され、ソーシャル・メディアを駆使したポスト・イデオロギー的な政党が、2013 年の選 挙で投票総数の 4 分の 1 ほどを獲得した(初めて候補者を出したのだが)。それはポピ ュリスト政党であり(自身を党と称していない)、右翼と左翼の双方に対して、それら は同一のプログラムと政治へのアプローチをもっている、と攻撃した。彼らは「五つ星 運動」という名称をもち、どの政党とも連合を組むことを固く拒否しているのである。 ► イタリアで最も確固とした分権改革の支持政党である北部同盟が、選挙で獲得投票数の 半数を失った(全体では 4%強)。 「脱国家化」と地域ナショナリズムの興隆の傾向は、 前に説明した通り、21 世紀初頭の 5 年までの 20 年間ほどはきわめて強かった。この傾 向は、現時点では強くもなく、また人気も失っている。その最後の成果は、議会で財政 連邦主義が採択されたことである。 ► Cencis(Centro Studi Investimenti Sociali―イタリアのシンクタンク)のデータによる と、イタリアの GDP に対する南部の州の寄与率は、2007 年から 2012 年にかけて 10% ほど落ち、他方、中部・北部の州の下落率は「僅か」5.7%であった。南部に移転される 公的資源は、平均より減ってはいないので、南部州の中央への依存は高まった、と推測 される。南北間の格差は、さらに広まっているのである。しかしイタリアの場合は、北 部の州が独立性を高めたという徴候もない。というのは、予算政策上の集権化が、それ らの州に対して、南部と等しく、場合によってはさらに厳しい影響を与えているからで ある(北部の州は、資源の多さの故に以前は使えた予算措置の幾つかを失った) 。 ► 中央とサブ・ナショナルな政府の間の垂直の関係は、現在では、中央政府の政策決定権 限の増加をもたらしている。上位の政府に権限が集まるということはまた、州と基礎自 治体、特に住民数が少ない自治体との関係にも妥当する。さらに私が述べたいのは、修 正された憲法第81 条と 2012 年 12 月の法律 24.n.243 が、地方から州、地方と州から 国への権力シフトの、強力な法的基礎になっていることである。 ►水平的な政府間関係について述べると、最も顕著なのは、基礎自治体間の関係においてで ある。というのは、大都市と都市圏を除くと、実際にはそれらの自治体は、法に基づい 15 て合併するか、または基本的サービスの提供の相互協力を余儀なくされているからであ る。 ► 官民パートナーシップ(PPP)に関しては、イタリアでは 1998 年に初めてこの制度が 法的に定められた。2008 年から 2013 年にかけて、公共投資が緩慢ながら大きく減少し、 この文脈で、PPP は価格面でみると恒常的に発展している。2002 年には PPP 契約は、 公共投資総額の 5.9%だったが、5 年後に 18.6%に、2012 年には 43.9%に上昇した(利 用できる最新のデータによる)。従って財政危機下の負債は、民間の投資資金を得て、 サービスから受け取る収入で償還されており、公的活動の民間へのシフトを加速させて いるのである(例えば手数料を通じて)。 8.終わりに 私の考えでは、われわれ専門研究者は、連邦制または疑似(地域制)連邦制の憲法的編 成の将来について、これを予見する必要はない。われわれの仕事は既存の法律を解釈し、 いかにして、なぜそれが変革されるのかを叙述し、またそれが多様に解釈される理由を探 り、さらには、それがどのように実施されるのかを解明することである。これらの議論に 基づいて、最後に幾つかの所見を提示したい。 概していうと、多次元ガバナンスは簡素化を進め、レッドテープ(繁文縟礼)を減らす目 的で各層の政府の数を減らすが、(イタリアで起きうるように)多くの政府が共有する組織 のパターンは維持されるだろう。従って問題は、各層の政府の数、とりわけ中間レベルの ガバナンスの問題が問われていることである。多くの国で集権体制(古いフランス・スタ イルの)に戻り、州(あるいは同様の政体)を廃止する、ということは考えにくい。想定 しうるのは、簡素化が、基礎自治体および/または州の合併を通じて、あるいは州と自治体 の間に位置する県、またはそれと類似の政体の廃止を通じてなされることである。 ヨーロッパでは、超国家的なガバナンスが強い影響力をもって存在している。たが逆説 的にも、危機の深化とその対応措置により、それはガバナンスのレベルで困難に陥った。 EU について述べると、ユーロが存続しえなくなった場合は(可能性は低いが、あり得ない ことではない)、ヨーロッパ全体の統合は、国民国家の役割の危険な変更によって危うくな るかもしれない。しかしまた起こり得ることは(少なくともイタリアでは)、EU の崩壊に よって、先進地域のイタリア北部の諸州のような国の一部のエリアが、残りの他の地域か ら分離する誘惑にかられることである。これは、そのようなエリアがヨーロッパの最先進 国と結びつき、その結び付きを維持しようとするからである。 他方、もし EU が存続するならば(これは最もありうることで、また筆者が望むものだ が)、国民国家の役割が消えてゆくという兆候は、何であれ存在しない。実際、危機はその 正反対の事態をもたらすことを示しており、これには充分な理由がある。幾つかの憲法上 の規定(例えばイタリアの憲法第 117 条5項)によれば、州のようなサブ・ナショナルな 16 政体は、直接 EU 法(例えば実施指令)に従わなければならない場合でも、その法が公式 の権限と関われば、法的な観点からは、国が EU に対して形式的には順守の責任をもつの である。もし法が守られなければ国が責任の主体になるのであり、実際その場合は、EU 委 員会が EU 条約で委任されて、そのメンバー国に対して違反事由への手続きを開始する。 換言すると、その場合はイタリアという国が責任をもち、イタリア政府は州によるどのよ うな違反に対しても答責しなければならない。なぜならば、EU 法では、違反者がトスカー ナ州であれ、ロンバルディア州であれ、それらの州は関係をもたないのである。 以上は法的な枠組みであるから、メンバー国では、中央政府が EU 法を領域内で実施す る権限をもつことが多い。これは、必要ならば州や自治体の政府を犠牲にしてでも行なわ れる。イタリア憲法は明示的に、中央政府に対して、違反したサブ・ナショナル政府に代 わる権限(いわゆる代理権限)と、さらには新たな第 81 条に基づく予算事項への新権限を 与えている。ヨーロッパ・レベルでの任務を充分に果たすために(財政協約に基づき)、第 81 条が採択されたのは決して偶然ではない。他方、もしより多くの財源を使える時期が再 び来れば、そのときには集権的な投資の必要性は減り、自治権が行使される余地が拡がる だろう。 加盟国の拡大に対する最近の EU の態度を考えると、国民国家はなお長期にわたり存続 する、という考えは妥当である。EU は 10 年ほど前までは 15 カ国で構成されたが、2007 年にはそれが 27 となり、現在では 28 になっている。統合がさらに進んで、諸政策が多数 決ルールで決まるようになるまでは(現状では決定ルールはそれに遠く、2005 年以降はそ の反対の方向に向かっている)、多くのメンバー国による運営は、ますます困難になってい くだろう。しかし、それはまた、国民国家が消えて EU が数百の地域で構成されるという 事態が考えにくいことの理由でもある。EU 当局が、欧州の極小国(アンドラ、リヒテンシ ュタイン、モンテネグロ、サン・マリノ)の加盟に対して、公的にではないが明らかに反 対していることは、その点を証明するものである。 17 Table . 1 The Italian Economy 2000-2013 Year GDP % mill. euros1 Persons % Annual Public Spread searching job 15-64 deficit %2 Debt BoT/Bund3 2000 1.367.800 92.7 2.408.000 10.0 0.91 109.2 n.d. 2001 1.393.277 94.4 2.173.000 9.0 3.20 108.8 n.d. 2002 1.399.567 94.8 2.058.000 8.5 3.16 105.7 n.d. 2003 1.398.915 94.8 2.051.000 8.4 3.65 104.4 n.d. 2004 1.423.126 96.5 1.961.000 8.0 3.57 103.9 n.d. 2005 1.436.379 97.4 1.889.000 7.7 4.49 105.9 13-21 2006 1.467.964 99.5 1.674.000 6.8 3.41 106.5 21-23 2007 1.492.671 101.2 1.506.000 6.1 1.59 103.6 23-37 2008 1.475.412 100.0 1.692.000 6.7 2.67 106.3 37-131 2009 1.394.347 94.5 1.945.000 7.8 5.36 116.1 131-69 2010 1.419.507 96.1 2.102.000 8.4 4.50 119.0 69-193 2011 1.425.626 96.5 2.230.000 8.9 3.80 120.1 193-525 2012 1.386.890 94.0 2.711.000 10.7 3.00 127.1 525-254 (2013) (1.360.329) (92.2) (3.080.000) (12.8) (3.50)4 (130.3) 254-(245) Table . 2 Public Debt as a Percentage of the GDP Country % of Spread GDP (2012) in relation to Ger Bund (10 years)5 In2005constantvalue. 1 Notethattheannualdeficitbetweentheyear1981andtheyear1993(whichmeansfor13years 2 inarow)alwaysexceeded10%oftheGDP!ThoseweretheyearswhentheItaliannationaldebt exploded. Thetwovaluespertaintothefirstandthelastdayofnegotiationsofeachyear. 3 Notethatin2012publicincomesexceededexpendituresby2%ofGDPifonedoesnotincludethe 4 interestspaidonthepublicdebt(thatistosaythattheprimaryfiscalbalancewas+2.0%). Knownalsoascreditspread,thespreadisthedifferenceinyieldthatacountry'smustpayon10 5 yearbondscomparedtoanothercountry'sbonds:herethetermofreferenceistheGermanBund (Bundesanleihe): it measures the difference in merit of credit of a country compared to Germany. OnlyJapanandSwitzerlandofferaloweryieldthanGermany(datacollectedon21August2013). 18 Belgium 99 87 France 90 56 Germany 83 - Greece 170 818 Ireland (Eire) 118 208 Italy 126 249 Japan 236 -113 Portugal 120 441 Uk 89 84 Usa 107 96 Table 3. Financial Support to UEM Countries by ITA6 Year Amount in millions Euros 2010 4.000 (0.3% GDP) 2011 11.000 (0.8% GDP) 2012 37.000 (2.6% GDP) 19 イタリアの地域制連邦主義と 財政危機の挑戦 カルロ・フサーロ フィレンツェ大学、イタリア 法学部 [DSG] Symposium Kanagawa University / 2013 1 序にあたって • • • • • • • • プレゼンテーションの内容 劇的に変化した経済環境 (2009‐13) 憲法上の背景の要約 財政連邦主義: 進行中のプロセス 全般的危機の中のイタリアの危機 州・地方政府に影響を与えた諸措置 EU政策のインパクト 実際に起きたことへの評価 Symposium Kanagawa U; / 2013 2 劇的に変化した経済環境 (2009‐13) 基礎的データ と経済通貨同盟への財政的支援 年 GDP 失業者 % 年間赤字 累積赤字 スプレッド 2000 1.367.800 2.408.000 10,0 0.91% 109.2% 2007 1.492.671 1.506.000 6.1 1.59% 103.6% 23‐ 37 2009 1.394.347 1.945.000 7.8 5.36% 116.1% 131‐69 2011 1.425.000 2.230.000 8.9 3.80% 120.1% 193‐525 2013 (1.360.000) 3.080.000 12.8 3.10% 130.3% 254‐255 年 金額( 百万 €) 対GDP比 2010 4.000 0.3 2011 11.000 0.8 2012 37.000 2.6 2013 50.000 3.6 Symposium Kanagawa U; / 2013 3 憲法上の背景の要約 • • • • • 統一当初の単一制国家モデル 1948年の憲法と地域 (州) 州制度の第一段階 (1968‐1997) 州制度の第二段階 (1998‐?) 1999‐2001年の憲法改正とその意義 Symposium Kanagawa U; / 2013 4 財政連邦主義:進行中のプロセス • 財政連邦主義に関する法律 42/2009 • その基本的な内容と意義 • 長期のプロセスと、それに関連する政治問題 (2009‐2016) Symposium Kanagawa U; / 2013 5 全般的危機の中のイタリアの危機 ・ データに戻る • ユーロ導入後、無為に費やされた大きなチャ ンス • 財政危機の深化とイタリアへの打撃 • ベルルスコーニ第四次内閣の崩壊とモンティ 専門家内閣 • 2013選挙とその後 Symposium Kanagawa U; / 2013 6 州・地方政府に影響を与えた諸措置 • 憲法改正 (憲法第81条 ) • 国の後見の下に置かれた州と基礎自治体 (県とコミューネ) • 廃止の危機にある県 • 国・州から移譲される諸資源の減少 • 上から強制される組織の変更 • 法律42/2009実施のペース・ダウン • 会計検査院からの統制の強化 Symposium Kanagawa U; / 2013 7 EU政策のインパクト • • • • • • ユーロ危機の構造的および偶発的要因 EUとEU加盟国の緩慢な反応 いわゆる財政緊縮+ より厳しい監視 北欧 vs 南欧のデモクラシー国家 欧州中央銀行とEUにより「示唆された」改革 その例としてのドラギ書簡 Symposium Kanagawa U; / 2013 8 実際に起きたことへの評価 • • • • • • EU のアプローチは中央政府を強化した 憲法上の諸結果 政治上の諸結果 国内の地域格差の拡大 地方レベルでの強制された改革 資源の不足, PPP (公私パートナーシップ)問 題 Symposium Kanagawa U; / 2013 9 最後にあたってのコメント • • • • 多次元ガバナンスは危うくなってはいない 地方分権化は危うくなってはいない EUは危うくなってはいない 中央政府の権力は前よりも強くなった • 国民国家は、今後数十年間もなお存続する であろう Symposium Kanagawa U; / 2013 10
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