2009 No.1 JAN - 公益社団法人 日本航空機操縦士協会

ISSN 0389-5254
2009 No.1 JAN
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
操縦士協会のめざすもの
(第204回理事会決議)
1. 私達の活動の目的は、 定款に定められた通り 「航空技術の向上を図り、 航空の安全確保
につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を行い、 もって我が国航空の健全な発展を促
進する」 ことです。
2. 私達は、 定款の目的を踏まえ、 将来のあるべき姿として 「安全で誰からも信頼され、 愛
される航空を実現する」 というビジョンを描いています。
3. 私達は、 目的・ビジョンを達成するために下記を基本的指針に掲げて活動して行きます。
航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を育て、
社会全体で安全意識を高めて行くこと)
地球環境と航空の発展との調和を図る。
航空に携わるものどうしが心を通わせ共存共栄を図る。
第44期 (平成20年度) 重点施策
操縦士協会の目指すもの
を達成するために次のスローガンを掲げて取り組みます。
SAFETY
ECOLOGY
HUMANITY
航空の 「健全な発展と活力」 は、 操縦士だけでは維持できません。 社会とりわけ航空
関係者の理解が必要です。 操縦士が集い航空の現状と課題を幅広く伝え、 情報の共有化
を促進させます。 国際活動は、 参加目的を交流と情報収集の段階から一歩進め、 これま
で以上に操縦士協会の存在を印象付けていきます。
・操縦士組織の PR 活動
・航空関連情報・知識の提供と技能支援
・操縦士の専門知識と経験を活かす
・社会的な信頼の構築
・関係団体との協力と交流
・財務の健全化
操縦士協会は会員を募集しています。
JAPAは公益法人として国土交通大臣の認可を受けた日本唯一の操縦士団体です。
目的
本協会は、 航空技術の向上を図り、 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を
行い、 もってわが国航空の健全な発展を促進することを目的とする。
協会の会員は、 下記のように分かれます。
正 会 員;協会の目的に賛同して入会された方で、 原則として操縦士技能証明をお持ちの方です。
賛助会員;協会の事業を賛助するため入会した個人または法人です。 個人賛助会員は、 満16歳以上の操
縦士技能証明を持たない方で、 法人賛助会員の資格は、 特に定めはありません。
正会員の会費;60歳未満:月額
1,700円
(内訳1,500円:協会運営費、 200円:共済費)
60歳以上:月額
1,500円:協会運営費
個人賛助会員;
月額 1,500円:協会運営費
法人賛助会員:
一口年額 50,000円:協会運営費
入会すると?
①協会機関誌 (AIM・PILOT誌など) の無償入手
②航空関連商品 (書籍等) の割引購入
③会員向け、 空港施設見学や講習会への参加
④協会契約割引施設の利用
お申し込みは別途 「入会申込書」 をお送り致しますので、 事務局までご連絡下さい。
皆様のご入会をお待ち致しております!
社団法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOSIATION
TEL03-3501-0433 FAX03-3501-0435 E-Mail [email protected]
Home page URL http://www.japa.or.jp/
CONTENTS
No.312
4
6
11
2009 No.1 JAN
新年のごあいさつ
64
会長
萩尾
裕康
国土交通省航空局長
前田
隆平
航空史曼陀羅
その27. 第2次大戦前のわが国十大長距離飛行記録
徳田 忠成
年頭の辞
70
スカイ・レジャー・ジャパン&
エアポートフェスタ 2008 in 静岡
ATPL(定期運送用操縦士技能証明)の
取得に求められるもの
国土交通省航空局乗員課
首席航空従事者試験官
奥貫
74
石原
孝治
博
FAI・CIVA (エアロバティックス)
ミーティング参加報告
鐘尾みや子
13
協会活動に参加して
高岡
15
憲一
第30回 ATS シンポジウム
今、 テネリフェから学ぶこと
ATC Communication Loop
特集
シニア・パイロットのエピソード (第23回)
わが夫、 わが父
江島三郎を偲ぶ
熊代夫人、 長男・弘尚氏
22
78
特別寄稿
89
ATC 再発見 Radio Telephony Meeting
Vol. 012【指定高度(Assigned Altitude)と高度制限
ATS 委員会
93
FAI ニュース
パイロットが感じる地球温暖化
高度一万メートルから見た地球環境
奥貫
小林
27
宏之
航空気象
95
地球環境問題関連用語の解説
96
オススメ!情報ボックス
Icing
新しい着氷予測
20
書籍 & Goods 紹介
航空気象委員会
33
博
97
開催報告
第3回 航空気象シンポジウム
西日本支部だより
寄稿
シニア・パイロット懇親会での63年目の出会い
赤星 珪一
105
研修報告
フライトテスト委員会研修報告
35
続 「50周年。」 史
108
諸星廣夫さんに聞く民間航空機の軌跡
小型機航空 50年の歩み
40
中部支部総会・安全セミナー・懇親会のお知らせ
第6回 小型航空機セーフティセミナー開催案内
World Safety Report
CALLBACK
49
開催予告
Number347
GA:ジェネアビ情報
110
JAPA 通信
112
JAPA Aerial Photo Exhibition
114
JAPA で飛行訓練を!
国内のエアロバティックス活動
奥貫
55
博
JAPA のシミュレーター
Flight Training Device
Aviation Café
ETOPS 運航の概要を知る!
FTD 訓練室
蔵岡
59
賢治
115
I Aviation
―アメリカの空から想う―
第4回 神秘の世界!
青木
美和
編集後記
社団
法人
日本航空機操縦士協会
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
新年のごあいさつ
社団法人
日本航空機操縦士協会会長
萩
皆さま明けましておめでとうございます。
昨年のアメリカのサブプライムローン焦げ付
きに端を発し、 続く 「未曾有」 の金融危機は世
界的不況を招いて、 景気の先行きに大きな不安
を抱え込んだまま新たな年を迎えることになり
ました。
年明けから暗い話題を持ち出すことになって
まことに恐縮ですが、 少なくともこうした環境
の中で否応なしに2009年がスタートしました。
そして航空業界はこの不況の中で今年どのよ
うに展開することになるのでしょうか。
また私たち操縦士のなすべきことは何なので
しょうか。 少なくとも自らに与えられた責務を
着実に遂行しつつ経済の回復を待つ、 忍耐の時
であることは間違いないでしょう。 耐えるべき
このようなときこそ、 社会の安全が損なわれる
ようなことがあってはなりません。 いま、 航空
安全の最終的な要たる操縦士たち誰もが、 心に
深く感じているところであります。
さて話題は変わりますが、 協会のいま最もホッ
トないくつかを御紹介しましょう。
まずは昨年末に施行に移された新公益法人関
連法に応じ、 新制度への移行をどのように行う
かということです。 5年以内に新たな制度に適
合しなければ、 国交省から認定を受けている現
法人格は消滅することになるため、 その間に、
公益法人として新たに総務省の認可を得なけれ
ばなりません。 方向性については既に理事会承
認を得ていて、 具体案の策定は最終段階に来て
います。 その為には、 定款の改定も必要となる
でしょう。 協会活動の多くは十分に公益活動で
4
2009 JAN
尾
裕
康
あるという思いを誰もが持っているとしても、
それが認定されるためには、 新制度に応じた新
たな枠組みの整理が必要となります。
総会や理事会といった組織権限についても、
おそらく見直しが必要と考えられますし、 経理
内容についても新基準に適合した整理が求めら
れます。
また同時に、 いままで問題発生の都度個別対
策として、 新たに定めたり改定を行った為にや
や歪に膨らんできた規定類も、 新しい定款に応
じて整理することになります。
協会内に検討会を設け、 あるべき姿を議論し、
外部への調査や相談を重ね、 経過を理事会に報
告しつつ進めてきました。 今年は具体的に理事
会、 総会に付議させていただく予定ですが、 一
方制度が変わったばかりで若干不透明なところ
もあり、 その時期についてはなお慎重に見極め
る必要があるかもしれません。
また4月6日から5日間にわたって英国クラ
ンフィールド大から講師を招いて、 「事故を切
る!」 をテーマに、 我が国における事故調査の
更なる充実を図るためのセミナーを開催します。
各航空会社や運輸安全委員会等は毎年各1名程
度を派遣して、 同大にて専門家の養成を行って
いますが、 今回当協会において同大より教授を
招請、 日本でセミナーを開催することにより、
多数の受講を可能とするものです。 これこそ操
縦士協会でなくては出来ない事業ではないかと
自負しているところで、 現在各方面にご協力を
お願いして準備をすすめています。
年間で全国29箇所にて開催、 のべ1000名を超
える参加をいただいた航空安全講習会。 例年と
は少し対象年齢を上げて航空界へのリクルート
を意識した青少年航空教室も7回、 約450名の
参加。 いずれも100名を超える参加をみたプロ
対象の小型航空機安全セミナーや ATS シンポ
ジウム、 気象シンポジウムも大変重要な事業で
す。 GA 界の航空ページェント・スカイレジャー
ジャパンは昨年20回目を迎えて開港前の富士山
静岡空港で盛大に開催され、 協会も運航の中核
を担いました。 各支部もまた、 操縦士相互にと
どまらず地元社会との接点を意識した活動も模
索しています。 いうまでもなくいずれも航空安
全の推進や航空の振興を目的として、 公益を強
く意識した事業展開と考えております。
その他、 英語能力試験や、 学科試験関連の受
託事業をはじめとする活動のすべては、 各理事
を責任者とする多くの委員たちの熱意によって
遂行されています。 たとえばこのパイロット誌
も、 盛りだくさんの内容を吟味するだけでなく、
隔月発行という忙しさに編集委員の皆さんが毎
回辛吟していることも知っていただきたいと思
います。
今年はのっけから、 世界的な経済不況に社会
が騒然とする中で明けました。 このような中に
も私たちはそれこそ操縦士としての矜持を守る
のに強靭でなければなりません。 一日も早い経
済の回復を願うとともに、 会員の皆さんのご活
躍を心からお祈りして年頭のご挨拶とさせてい
ただきます。
2009 JAN
5
年 頭 の 辞
国土交通省航空局長
前
田
平成21年の新春を迎えるにあたり、 一言新年
のご挨拶を申し上げます。
昨年は、 ハード・ソフトの両面から空港利用
者の利便の向上及び安全の確保を図るための総
合的な法律にするため、 空港整備法を空港法へ
改正いたしました。 燃油価格の高騰に加え、 米
国の金融危機に端を発する世界的な景気減速等
の影響など空港を取り巻く社会経済情勢が大き
く変化している中、 今後の空港政策の道筋を示
す大きな意義を持つものと考えております。
また、 飛行場部から空港部への組織改正を行
い、 新たな空港施策を展開するため総合的な空
港施策推進体制の強化を行いました。 空港は、
整備から運営へ大きな転換を迎えた1年でした。
本年も、 航空行政のさらなる発展のため、 気
を引き締め、 安全・安心の確保に万全を期すと
ともに、 新時代の様々なニーズ等に対応して、
多方面にわたる諸施策を迅速かつ機動的に展開
し、 航空の発展に努めてまいります。
それではここで、 航空行政が当面する重要課
題につきまして述べてまいります。
第一に、 空港の整備と活用について申し上げ
ます。
冒頭でも触れましたが、 空港政策の重点が整
備から運営にシフトしていることを踏まえ、 既
6
2009 JAN
隆
平
存ストックの活用、 空港機能の高質化、 利便の
向上及び安全の確保を通じて我が国の国際競争
力の強化及び地域の活力向上に寄与すべく、 昨
年6月の通常国会において、 「空港整備法及び
航空法の一部を改正する法律」 が成立し、 空港
運営の更なる充実・効率化を図ることとしてお
ります。 また、 同年7月には、 「空港整備法」
を改称した 「空港法」 に基づき空港の適正な運
営を確保すること、 首都圏空港の一体的・戦略
的活用を推進すること、 空港の活用を通じた周
辺地域振興を騒音対策と一体で取り組むこと等
により、 総合的な空港政策を推進するため飛行
場部を組織改正し、 空港部を発足いたしました。
空港法において国土交通大臣が定めることと
されている 「空港の設置及び管理に関する基本
方針」 につきましては、 空港の設置及び管理の
意義及び目標や、 空港の整備、 運営に関する基
本的な事項等を定めるべく、 昨年7月より交通
政策審議会航空分科会において審議を行い、 航
空政策全般と基本方針との整合を図るなどの工
夫を施しつつ、 同年12月には分科会における審
議を踏まえ、 「空港の設置及び管理に関する基
本方針」 が策定されたところであり、 今後同基
本方針に基づき、 空港の整備及び運営を進めて
まいります。
本年4月からは、 空港法に基づいて利用者の
利便に資する空港運営を図ることを目的とする
空港供用規程の認可制度や利用者利便の向上及
び安全の確保を図るべく空港関係者間で連携し
た取り組みを行うための協議会制度、 空港機能
施設の的確な運営を確保するための空港機能施
設事業者の指定制度、 空港の安全を確保するこ
とを目的とする空港保安管理規程の届出制度等
が実施に移される予定であり、 現在その準備を
進めているところです。
空港インフラへの規制のあり方につきまして
は、 内閣官房長官及び国土交通大臣の下に有識
者研究会を設置し、 様々な専門分野から構成さ
れた委員により活発にご議論いただいた結果、
昨年12月に報告書が取りまとめられました。 本
報告書により、 成田国際空港株式会社の完全民
営化等について、 一定の方向性を示していただ
いたことは大変意義深く、 今後、 航空局といた
しましても、 本報告書の内容を踏まえ、 適切に
対応してまいりたいと考えております。
大都市圏拠点空港について少し具体的に申し
上げますと、 まず羽田空港につきましては、 首
都圏の旺盛な航空需要に対応するとともに、 国
際競争力強化のため、 羽田空港の再拡張事業を
引き続き推進してまいります。 新設滑走路の整
備につきましては、 平成19年3月に本格着工し、
24時間365日の突貫工事を行っております。 現
空港を運用しながらの難工事ですが、 平成22年
10月末の供用開始に向け、 着実に推進してまい
ります。 また、 これと併せて国際線ターミナル
地区の整備を PFI の手法により進めるととも
に、 現空港についても誘導路・エプロンの新設、
空港アクセスの改善など機能向上を図ってまい
ります。
成田国際空港につきましては、 増大する国際
航空需要に対する容量不足の解消等を図るため、
現在2,180メートルである暫定滑走路を北側に
延伸し、 2,500メートルとする事業を平成22年
3月末までに達成することとしており、 現在そ
のための整備を推進しているところです。
関西国際空港につきましては、 平成19年8月
2日に2本目の滑走路が供用開始され、 我が国
初の完全24時間運用の国際拠点空港となってか
ら1年余りが経過いたしました。 利用状況につ
いては、 昨年の上半期までは概ね順調に推移し
たものの、 下半期に入り燃油価格の高騰に加え、
米国の金融危機に端を発する世界的な景気減速
等の影響を受けて、 国際線・国内線ともに運休
や減便等の動きが出るなど厳しい状況となって
おります。 平成21年度政府予算案には、 関西国
際空港株式会社への補給金の交付等の他、 フル
活用に向けた今後の整備の進め方を確立するた
めの調査が盛り込まれたところです。 また、 二
期事業につきましては、 厳しい財政事情の中で、
限定供用にかかる用地造成事業を引き続き実施
できることとなりました。 今後は2本の滑走路
をフル活用するとともに、 会社の財務構造の抜
本的改善等を図ることによって、 関西国際空港
の国際競争力を強化することに本格的に取り組
んでまいります。
中部国際空港につきましては、 本年2月に開
港4年目を迎えます。 昨年は、 燃油費の高騰に
加え、 米国の金融危機に端を発する世界的な景
気減速等の影響によって中部国際空港において
も減便や運休がみられ、 中部国際空港株式会社
が平成20年度中間決算で開港以来初の損失を計
上するなど厳しい1年でした。 引き続き、 地元
関係者と一体となって利用促進に向けて積極的
に取り組み、 将来の完全24時間化を目指してま
いります。
大阪国際空港につきましては、 国内線の基幹
空港という位置付けのもと、 環境と調和した都
市型空港を目指すことが必要であると考えてお
ります。 このため、 引き続き必要な環境対策を
行う一方、 騒音対策区域の見直し等を適切に進
めてまいります。
一般空港等につきましては、 航空ネットワー
クの充実や、 これによる地域の振興等を図るた
め、 継続中の滑走路延長等の事業を着実に実施
するとともに、 既存空港の機能を保持するため、
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滑走路・誘導路等の基本施設、 無線施設・航空
灯火等の航空保安施設などの更新・改良を着実
に実施してまいります。 また、 将来的に需給の
逼迫が懸念される那覇・福岡空港につきまして
は、 抜本的な空港能力向上のための施設整備等
の検討を進めてまいります。 さらに、 ターミナ
ル機能の拡充や就航率の向上など、 空港機能の
高質化を推進するとともに、 大規模地震災害時
等において航空ネットワークを維持しつつ、 災
害復旧支援を行う拠点としての機能を確保する
ため、 拠点空港等において、 基本施設等の耐震
性の向上を推進いたします。 加えて、 空港と周
辺地域との調和ある発展を図るため、 法定協議
会において、 地元自治体や空港関係者等との連
携を強化しながら、 空港を活用した地域振興策
の検討を行う等、 空港及び周辺地域の活性化並
びに地域との共生に向けて必要な施策に取り組
んでまいります。
横田飛行場の軍民共用化につきましては、 平
成18年10月より日米両政府によるスタディーグ
ループに参加し、 軍民共同使用に関する検討を
進めており、 今後とも、 米国側の新たな動きを
注視しつつ、 関係省庁等とともに、 その実現に
向けて取り組んでまいります。
第二に、 国際航空について申し上げます。
アジア・ゲートウェイ構想に基づき、 平成19
年の韓国及びタイに続き、 昨年1月にマカオ・
香港、 5月にベトナム、 7月にマレーシア、 9
月にシンガポールとの間で、 空港容量に制約の
ある我が国の首都圏関連路線を除き、 相互に乗
り入れ地点及び便数の制限を廃止することを内
容とする航空自由化を実現することで合意いた
しました。
今後とも、 自由化に向けてアジア各国と着実
に交渉を進めることとしております。
また、 首都圏空港における国際航空機能の拡
充につきましては、 昨年5月の経済財政諮問会
議において、 国土交通大臣から 「首都圏空港の
国際航空機能拡充プラン」 を提案したところで
8
2009 JAN
あり、 その内容を盛り込んだ 「経済財政改革の
基本方針2008」 が、 同年6月に閣議決定されま
した。 これに基づき、 首都圏空港を一体的に活
用して国際航空機能の最大化が実現できるよう、
各国との航空交渉を本格化させているところで
あり、 引き続き、 平成22年の成田の約2万回の
国際線の増枠、 羽田の昼間約3万回・深夜早朝
約3万回の国際線の就航に向けた航空交渉に取
り組んでまいります。
第三に、 航空の安全について申し上げます。
我が国の定期航空会社における乗客の死亡事
故は昭和60年の御巣鷹山事故以来発生しており
ませんが、 今後とも、 安全の確保が航空行政の
基幹であることを常に念頭に置きつつ、 航空の
安全性に対する国民の信頼が揺らぐことのない
よう、 我が国航空会社に対して安全管理体制の
充実等による事故・安全トラブルの防止を求め
ていくとともに、 安全監査等による監視を行っ
てまいります。 また、 今春にも稼働予定の航空
安全情報管理・提供システムを活用するなど、
関係者間の安全情報の共有の促進を図ること等
により、 一層の予防的安全対策の推進を図って
まいります。 さらに、 平成19年の那覇空港にお
ける中華航空機炎上事故などを受け、 我が国に
乗り入れる外国航空機についても安全対策強化
を推進し、 航空輸送の安全性のさらなる向上に
努めてまいります。
YS-11 以来約半世紀振りとなる国産旅客機
開発プロジェクトにつきましては、 昨年3月に
事業化が正式決定され、 現在設計が進められて
いるところですが、 製造国政府として、 その安
全性を確保するため、 型式証明の審査を着実に
実施してまいります。
さらに、 中長期的には航空需要の伸びが予想
されていること、 団塊の世代の退職が既に始まっ
ていること等から、 今後航空従事者の不足が見
込まれるため、 航空大学校において基幹乗員の
養成を継続的に実施する等、 安全な航空輸送を
担う良質な航空従事者を安定供給するための施
策を引き続き推進してまいります。
第四に、 航空保安対策について申し上げます。
米国同時多発テロ事件以降、 空港における警
戒態勢を最高のレベルに引き上げ、 危険物の機
内持込を防止するための厳格な乗客検査の実施
等、 航空保安対策の強化を推進しております。
このような取り組みは、 民間航空機を対象とし
たテロ活動の未然防止に大きな成果を挙げてき
たところですが、 平成18年8月の英国当局によ
る航空機爆破テロ計画摘発を受け、 液体性爆発
物という新たな脅威への対応が全世界的な課題
となっており、 ICAO のガイドラインを踏まえ、
我が国においても、 欧米で既に実施されていた
液体物等の機内持込制限を一昨年3月1日から
全ての国際線で実施しております。 また、 昨年
7月の北海道洞爺湖サミットにおきましては、
サミット開催中、 特別警戒期間を設定し保安対
策を強化するとともに、 サミット会場周辺に飛
行制限区域の設定を行う等、 関係機関との連携
を積極的に実施し、 航空保安対策を強化したと
ころです。 さらには、 従来出発ロビーの旅客カ
ウンターのみで行っていた旅券の本人確認につ
いて、 サミット開催以降、 恒久的措置として、
搭乗ゲートでも実施することといたしました。
一方、 平成18年4月以降、 空港における車両
侵入を始め、 制限区域内への不法侵入事案が多
発していることから、 現在、 車・人の不法侵入
対策の強化に取り組んでいるところです。 海外
においても、 平成19年6月に英国グラスゴー空
港において車両突入事案が発生、 9月には独フ
ランクフルト空港等への爆弾テロ未遂事案が発
生するなど、 航空保安をめぐる情勢は依然とし
て厳しい情勢にあることから、 我が国としても、
今後とも航空関係者等と連携を図りつつ、 航空
保安体制の一層の強化を図ってまいります。
また、 平成22年10月の東京国際空港D滑走路
及び新国際線ターミナル地区供用開始に際して
厳格な警備体制を構築するべく、 その準備をし
ているところです。
第五に、 航空輸送事業について申し上げます。
航空運送事業を取り巻く環境につきましては、
昨年前半は燃油価格の高騰が大きな問題となり、
後半には米国サブプライム問題に端を発する世
界的な景気後退の影響を受けて、 航空需要が大
幅に落ち込むなど厳しい状況が続いております。
一方、 最近は燃油価格の沈静化など、 将来に向
けた明るい要素も見られるところです。
このような中、 航空運送事業に係る航空行政
の取り組みといたしましては、 平成22年10月末
の供用を目指している羽田空港の発着枠の配分
のあり方や、 国際航空に関する独占禁止法適用
除外制度のあり方について、 有識者による懇談
会を開催し検討を進めているほか、 航空会社の
経営改善や地方路線の維持・活性化等の課題に
ついても検討を深めていきたいと考えておりま
す。
また、 航空貨物分野においては、 昨年4月よ
り、 荷主企業、 航空フォワーダー、 航空会社等
の航空物流関係者と行政との間で 「航空物流に
関する懇談会」 を開催しており、 本年3月まで
に 「我が国の航空物流のグランドデザイン」 を
策定し、 航空物流施策を一体的・戦略的に推進
してまいります。
今後も引き続き、 我が国航空市場の動向を注
視し、 航空サービスの一層の向上と航空会社の
経営基盤の強化に資するための施策に精力的に
取り組んでまいります。
最後に、 航空管制保安業務について申し上げ
ます。
航空交通につきましては、 航空交通量の増大
や利用者ニーズ等に対応し、 安全確保を最優先
としつつ、 円滑かつ効率的な運航の実現を図っ
ております。
まず、 平成19年以降相次いだ滑走路誤進入事
案等を踏まえ、 平成21年より着手する滑走路状
態表示灯システム (RWSL) の整備を始め、
2009 JAN
9
ハード・ソフト両面にわたり各種の対策を講じ
るなど、 航空管制業務等の安全性を確保してま
いります。
羽田空港の再拡張事業や成田空港の北伸事業
に伴う首都圏の今後の航空交通量の増大に的確
に対応するため、 引き続き関東空域の再編、 管
制処理能力向上のための次期管制システムの整
備等に取り組むとともに、 羽田空港における新
しい管制塔の整備や管制官の訓練等を着実に行
い、 再拡張事業による空港能力の拡大に向け万
全を期してまいります。
また、 航空交通管理センターにおいては、 計
画的な空域管理機能、 新たな交通流管理機能の
導入等、 第二段階の整備計画を外国管制機関と
も連携しつつ順次展開しているところであり、
より一層安全で効率的な交通流の形成を図って
まいります。
より経済的でかつ環境にも配慮した飛行経路
の設定を早期に実現するため、 RNAV (広域
航法) 経路の導入計画を1年前倒しすることと
いたしました。 引き続き本計画に基づき、
RNAV 経路の設定を着実に進め、 飛行経路の
短縮による消費燃料や CO2 排出量の削減、 就
航率の改善等を実現してまいります。
さらに、 運輸多目的衛星 (MTSAT) を利用
して洋上空域における管制間隔を短縮し、 交通
10
2009 JAN
容量の拡大や運航効率の向上を図ってきたとこ
ろです。 引き続き隣接する外国管制機関との調
整等を進め、 短縮された間隔によるシームレス
な運用の拡大を図るとともに、 離島空港の就航
率向上等衛星を利用した航法サービスの提供拡
大に取り組んでまいります。
平成22年には、 米軍が進入管制業務を実施し
ている嘉手納ラプコンが航空局に移管されます。
移管準備要員の訓練を着実に進め、 円滑な業務
の移管に向け全力で取り組んでまいります。
昨年4月には、 我が国唯一の航空保安職員養
成機関である航空保安大学校が羽田空港内から
関西国際空港対岸のりんくうタウンに移転いた
しました。 この移転に併せて最新の訓練機器を
導入し、 訓練の効率化や高度化を図っていると
ころであり、 今後とも航空の安全を担う優秀な
航空保安職員の育成強化を進めてまいります。
以上、 縷々申し上げましたが、 私ども航空局
といたしましては、 前向きでわかってもらえる
航空行政を心がけ、 安全・安心のための取り組
みをさらに強化し、 より一層質の高い航空輸送
サービスの実現を目指して、 様々な施策の推進
に最善の努力を尽くす所存でありますので、 こ
こに改めて皆様の力強いご支援とご協力をお願
いし、 あわせて日々の航空の安全とこれからの
航空の発展を祈念いたしまして、 年頭のご挨拶
といたします。
ATPL(定期運送用操縦士技能証明)の
取得に求められるもの
国土交通省航空局乗員課
首席航空従事者試験官
石
新年明けましておめでとうございます。
JAPA 会員の皆様には 「機長養成講習会」
や 「自家用操縦士安全講習会」 等を通じまして
全国各地でお世話になっております。
この度は PILOT 誌の貴重な紙面の一部を割
いて頂き、 あらためてお礼を申し上げます。
はじめに
近年、 航空機の運航を取り巻く環境の変化は
目覚ましいものがあります。
その運航の最前線で航空安全の最終的な責任
を担う機長、 特に定期航空運送事業に属する機
長には、 他の交通機関には例をみない厳しい訓
練・審査体系が整備されており、 時代の変化と
共にその要求される技能レベルは、 より質の高
いものが求められてきております。
機長として定期航空に従事するためには、 ま
ず定期運送用操縦士の技能証明を取得しなけれ
ばなりませんが、 この度は皆様と共にこのライ
センス取得を通じまして、 訓練と試験の関係に
ついてあらためて考えてみたいと思います。
ATPL に求められる能力
ご存知のように、 航空従事者に関する国家試
験は原則として受験者が有資格教官のもとで必
要な教育訓練を受け、 飛行経歴及び所定の技能
に達していることが確認された後に行われるこ
原
孝
治
とになっております。
定期運送用操縦士技能証明は、 受験要件から
1500時間以上の飛行経験を有することにより受
験することの出来る、 操縦士にとって最上位に
位置する免許であります。
免許取得のための訓練は、 技能を練成すると
いうよりは、 むしろ副操縦士等の経験を積み重
ねてきた過去のフライトの整理をする期間であ
り、 試験は操縦士として、 どのように飛行して
きたかが問われる場であると思うのです。
試験では操縦技術をはじめとして個人の能力
はもとより、 二人乗り運航の特性から、 機長と
して様々な変化する状況に対応するためにチー
ムパフォーマンスをどう高めていくか、 の能力
(マネジメント スキル等) が評価されます。
ハイテク機の登場により二人乗り運航の概念
も大きく変化する中、 現代の定期運送に従事す
る機長には、 明確な業務や責任分担の下に、 運
航品質をいかに上げていくかが能力として問わ
れるのです。
試験のプロファイルも従来の個々の試験科目
を順次実施するスタイルから、 実運航を模擬し
た仮想の路線飛行を通じて行われるものへと変
わってきております。
要約すれば、 可能な限り実運航と同じ概念で
試験を行い、 その中で個人の能力が評価される
のです。
但し、 航空機や運航環境のハイテク化がいか
に進んでも人間であるパイロットが乗る以上、
安全の最後の砦として基本的なマニュアルコン
2009 JAN
11
トロール (手動操縦) のスキルや、 思考し意思
を決定するという人間本来の能力は、 高いレベ
ルで維持されていかなければなりません。
このため実運航の大部分がオートフライト
(自動操縦装置) によって運用される現状であっ
ても、 試験の一部においてはあえてマニュアル
コントロールが求められるのです。
定期運送用操縦士技能証明をはじめとして航
空従事者のライセンスを取得することは、 その
事自体が目的ではなく、 実際の運航において機
長として安全で高品質なフライトを提供出来る
か、 という出発点についたことに過ぎないのか
もしれません。
すなわち、 ライセンスはパイロットにとって
のゴールではなく、 新たなスタートといえるで
しょう。
ATPL 取得の訓練
航空機は人が作り、 人が整備し、 人が動かす
以上、 その運用上ミスやエラーの根絶を目指し
ても完璧はあり得ません。
試験の場面においても同様で、 普段よりも緊
張した状態下ではむしろエラーやミスを必然と
捉え、 そのリカバリー方法を訓練することが大
切なことだと思います。
試験対策の訓練は判定基準にこだわるあまり
に、 失敗をしないことに意識が集中しがちにな
ります。
しかし訓練では失敗を恐れず、 多くの経験か
ら学ぶことによって実運航での失敗を防いでい
かなければなりません。 すなわち実運航での大
きな失敗は許されないという強い覚悟が必要な
のです。
失敗をしないための訓練よりも、 失敗を恐れ
ない訓練の必要性が強調される所以であると思
12
2009 JAN
います。
試験を行う側の姿勢
試験は人間が人間を評価する上で、 単にヒュー
マンエラーを指摘し合否を判定するだけに終始
してはなりません。
試験等の業務につく人間は、 安全に対する確
固たる信念の上に厳正な試験を実施することは
もとより、 ヒューマンファクターに対する正し
い理解を深め、 試験の本質的な目的や的確な時
代認識、 適正なコストマインドを常に忘れては
なりません。
また試験の結果は合否しかないがゆえに、 そ
の判定レベルが評価者個人の価値観に大きく左
右される恐れも内在しております。
そのため試験を行う側はパイロットとして、
より巾の広い様々な目線、 視点から適正な判定
を下せる能力を身に着けなければなりません。
同時に AQP (Advanced Qualification Program) を は じ め と し て MPL (Multi-Crew
Pilot Licence) 等の新しい訓練体系や試験・審
査技法についても探求していく不断の努力を怠っ
てはなりません。
おわりに
将来、 ATPL を受験する皆様が合否の判定
を過剰に意識することなく、 試験の本質的な目
的を理解し、 確固たる訓練コンセプトの下に、
より実際的な訓練を行って頂ければ、 試験は
「何ら恐るるに足らず」 なのです。
ATPL の試験は、 職業操縦士としてプロフェ
ショナルな飛行を披露する場であり、 あらたな
ステップでもあるのです。
協会活動に参加して
JAPA 常務理事 高岡
憲一
●会員の皆様、 新年明けましておめでとうござ
います。 昨年はサブプライムローンに端を発し
た世界同時経済恐慌、 そして今年はそれが実経
済にじわじわと影響を及ぼしそうな気配が感じ
られます。 そんな中でも私達操縦士は安全運航
を絶対堅持していかなければ、 航空の発展は望
めません。
冒頭から、 やや暗い話題になりましたが、 私
が協会理事に就いて8ヶ月が過ぎました。 毎月
の理事会等に参加して、 今更ながら協会活動の
広さに驚かされます。 全国で開催している 「青
少年航空教室」 は、 今まさに協会の話題になっ
ている公益性という点では当を得た活動の一つ
でしょう。 また、 これまでエアラインしか知ら
ない私にとって、 会員の方が多岐に亘っている
ことも驚きの一つです。 時には忘れていた自家
用 FLT の楽しさも聞こえてきます。
ご存知の方も多い事でしょうが、 最近の協会
活動について紹介します。 ATS 委員会におい
ては、 管制保安部管制課からの 「復唱のルール
化」 についての照会に対し、 結論から言うと
PILOT 側の 「READ BACK」 そして管制側の
「HEAR BACK] が双方、 適正に実施されて、
初めて安全を維持できる事を表明しました。
これは JAPA が長年に亘り、 管制側と交流
を続けてきたからこそ出来ることかと思います。
またこの様な問題に対しては広く意見を集め、
ニュートラルな立場で物を言うことも大事な事
です。 航空気象委員会では、 最近変更された通
報式を始め様々な最新の情報を提供しています。
エアラインでは、 会社から多くの情報がタイム
リーに提供されますが、 そうでない方もいます。
最近開催された 「航空気象シンポジウム」 も3
回目となり、 今後益々航空界に貢献していく事
でしょう。 一方、 航空医学委員会の活動には、
航空身体検査基準の見直しや緩和などに協会会
員の医師の方も参加されています。 航空身体検
査が変わってきている事を実感している方もい
らっしゃるでしょう。 PILOT でかつ医師とい
う立場で提言されているのも JAPA ならでは
の活動です。 また会員の皆様に貴重な情報提供
をしている PILOT 誌は、 多くの会員ボランティ
アにより出来上がっていることをお伝えします。
私は現在、 横浜市の八景島シーパラダイスの
近くに住んでいます。 近くにヘリポートがあり、
以前は釣りをやっていたのですが、 初めてチヌ
をつりあげたのも、 そのヘリポートのまさに直
ぐ横でした。 散歩がてらにヘリの離発着をみる
のが楽しみですが、 協会活動に参加するように
なってからは、 きっと JAPA の仲間が飛んで
いるのだろうと以前にも増して親近感を覚えま
す。
今、 協会は重大な (新しい) 局面を迎えてい
ます。 それは、 前回の PILOT 誌に取り上げて
いる新しい公益法人への移行です。 2000年に、
税金を無駄使いする天下り法人などに批判の矛
先が向けられ、 公益法人制度の抜本的改革が始
まりました。 公益性の有無という観点では参加
している日本航空機操縦士協会に対して私は多
大なる自負があります。 当協会は操縦士が主体
の集まりであり、 決して圧力団体でもなく、 自
分たちだけの利益を追求しているということで
もありません。 むしろ其の活動は広く航空の発
展に寄与している、 と私は確信しています。 し
かしながら、 公益性の判断は世間がするわけで
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すから、 超えなければならないハードルは決し
て低くはないようです。
さて、 協会活動も公益性の観点からみて少し
見直す良い時期かもしれません。 組織や運営に
ついては更なる効率化が望まれます。 ホームペー
ジの充実、 必要に応じ電子決済等も考えていか
なければなりません。 一方 「青少年航空教室」
などのボランティア活動を積極的に進める必要
もあります。 「二酸化炭素削減」 などのエコ活
動もあります。 何れにしろ、 今後しっかり議論
を重ねる必要があります。
もう一つ大きな問題があります。 ご存知の様
に、 協会の運営費は会員の皆様からの会費がそ
の殆どを占めています。 会員増が即、 収入増と
なる訳ですが、 近年は団塊の世代のリタイアに
伴い、 伸び悩んでいます。 私は時折 JAPA に
入りませんか、 とお話しをするのですが 「魅力
がない」 「メリットがない」 等の答えが返って
きます。 過去 JAPA は経理面で不祥事を起こ
しました。 この事を真摯に反省し、 今は毎月の
理事会において経理報告し、 収支管理を行って
います。 会長以下、 皆様にも無報酬で活動して
頂いている団体も、 他にはないかもしれません。
また 「国際線長時間勤務問題」 に当協会が深く
関わったことも大いに反省している所であり、
今後この様な問題については、 慎重な対応をし
ていくつもりです。 この件で多くの脱退者を出
した事は残念です。
今後、 航空の発展のため各方面のパイロット
で成り立つ当協会がいかなる形になるにせよ、
存続していくためには、 会員の絶対数を増やし
ていかなければなりません。 例えが適当ではな
いかも知れませんが、 私達は社会を維持してい
くために税金を払っています。 この義務を果た
すことにより、 直接的また間接的に恩恵を受け
ています。 一般的には、 直接的にと感ずる事は
少ないかもしれません。 当協会も ATS 委員会
を始め、 各委員会が幅広く活動しています。
AIM は皆様にとって非常に身近な存在でしょ
う。 航空安全講習会は、 GA の技量向上に大い
に役立っています。 このことは直接的な貢献を
果たしているかと思います。 一方では、 会員に
皆様の会費による協会活動が間接的に空の安全、
発展に寄与していると私は信じています。
最後に私は 「日本航空機操縦士協会」 を維持、
発展させねば、 と思っている一人です。 そのた
めには会員の組織率を上げていかなければと思
います。 残念ながら若い方の参加が少ないよう
です。 また 「国際線長時間勤務問題」 では多く
の仲間が去っていきました。 会員の皆様には、
他の操縦士仲間に是非、 生まれ変わった協会で
もう一度活動するようにお勧め願いたいと思い
ます。 私達も更に魅力ある協会にしていかなけ
れば、 と思います。
老若男女、 職場を超えた世界です。
活動の原点はボランティアです。
皆様のこの一年が、 すばらしい年でありますように!
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2009 JAN
特集
(第23回)
わが夫、 わが父
江島三郎を偲ぶ
熊代夫人、 長男・弘尚氏
中学時代
50歳頃
はじめに:昨年11月下旬の昼下がり、 川崎市宮前区野川のご自宅にお邪魔した。 閑静な住宅街、
庭木の木漏れ日の降りそそぐ応接室で、 現在88歳というご高齢の熊代夫人、 そして日航 OB でご
長男の弘尚氏に、 江島三郎さんを偲びながら、 昔懐かしい興味ある話を伺いました。 私も
CV-880 型機の副操縦士時代、 江島さんとフライトでご一緒させていただき、 大変感銘を受けた
ことがありますので、 取材というより、 なにやら座談のような形になりましたが、 愉しいひと時
でした。
徳 田
海軍依託航空機操縦生への道
徳田:今日はお休みのところ、 お時間をいただ
き有り難うございます。 とくに奥様には、 ご高
齢にかかわらず取材に応じていただき、 感謝し
ております。 江島三郎さんには、 私が現役中、
いろいろと思い出に残るフライトをご一緒させ
ていただきましたので、 一方ならぬお世話にな
りました。 あらためてお礼申し上げます。
早速ですが、 江島さんは海軍依託生9期生ご
出身ですが、 パイロットへの動機は何だったの
でしょうか。
夫人:江島は精米所をやっていた義父母の男5
人、 女4人兄妹の
3男なのです。 30
数人という大家族
だったようです。
少年のころは大変
腕白だったようで
すが、 それで旧制
中学校のころ、 夫
の兄が徴兵で太刀
洗陸軍航空隊にい
熊代夫人
たことで、 よく遊
びに行き、 影響を受けたようです。 依託生の試
験は、 近所の皆さんに激励されて出発し、 福岡
で受けたと聞いております。
徳田:陸海軍依託生というのは、 当時、 陸軍4
人と海軍4人で、 毎年計8人しか採用しません
から、 大変、 難関だったと思いますが。
夫人:それがね。 試験の日は、 たまたま江島の
祖母が亡くなった日だったのですよ。 それに不
思議なことに、 祖母が亡くなった74歳のときに、
江島も亡くなっています。 その祖母が守り神だっ
たのでしょうか。
同期生3人は戦前に殉職
徳田:ところが当時のパイロットは、 命がけの
仕事でしたから、 記録によると同期生は3人共
に、 戦前、 殉職されていますね。
夫人:そうなのです。 大日本航空の漆原滋さん
が沖縄県の慶良間列島で DC-2 型で、 27歳の若
さで墜落死されました。 同じ大日本の池田安平
さんは、 次の年5月にロッキード 「球磨」 号
(注:14GW3 スーパーエレクトラ) で、 雁の
巣飛行場を離陸直後に片方のエンジンが止まっ
て、 飛行場に墜落して殉職されました。 それに
2009 JAN
15
池田さんと江島は同期では一番仲がよかったよ
うです。 池田さんは、 すでに結婚されていて、
子供さんもおられました。 それに、 わたくしが
丁度、 江島との結婚式の準備をしていたときで
大変でした。 池田さんのところへすっ飛んでい
きまして、 事故を告げました。 現場では誰が誰
だか分からないほど焼け焦げていましたから、
奥さんには現場を見せなかったのです。 とても
辛かったし、 奥さんにも恨まれました。 もう一
人の岡貞文さんは、 戦時の17年にサイパンで殉
職です。
徳田:江島さんは、 大変な時代を生き抜かれた
のですね。 球磨号の事故は、 日本航空輸送が国
際航空を吸収して、 大日本航空が設立された直
後のことですね。 乗員乗客8人中、 5人が即死
した大事故だった記録が残っています。 雁の巣
の事故現場には、 現在、 遭難者慰霊碑が建てら
れています。
中華航空へ移籍
徳田:江島さんの経歴をみますと、 昭和7年に
国策の日本航空輸送へ入社されていますが、 そ
の後、 大日本航空、 そして昭和14年に中華航空
へ移籍されていますね。 中華航空は13年暮に日
華合弁で設立された航空会社ですが、 移籍され
た経緯をお聞かせください。
夫人:児玉常雄さんが中華航空の総裁でして、
その意を受けたのが安部浩さんです。 この人は
航空局の航空官のころの大正14年に、 河内一彦
(陸依1期) さんと、 初風号、 東風号での訪欧
飛行に成功して有名になった人ですがね。 当時、
安部さんは北京支社長に就いていて、 あの人に
強引に引き抜かれたと伺っています。 上海支社
長は加賀要助 (海依2期) さんだったのですが、
それに鳥居清次 (福長飛行機研究所卒) さんも
いました。 それで江島は上海支社所属になりま
した。 鳥居さんは、 加賀さんのあと、 上海支社
長になられたのです。
徳田:さらに安部さんは児玉さんのあとに、 中
華航空総裁になられましたね。
16
2009 JAN
熊代夫人はエアガール1期生
徳田:ところで奥さんは、 日本航空輸送のエア
ガール (現・スチュワーデス) 第1期生ですね。
この募集は昭和12年7月からで、 時代の先端を
ゆく乙女ということで、 大変なニュースになっ
たようですが。
夫人:東京と福岡
で同時に募集した
ようです。 東京が
9人、 福岡が2人
でした。 ずいぶん
多くの人が受験に
きてましたが、 飛
行適性検査という
のがあって、 AT
( 注 : 中 島 AT-2
型、 低翼単葉、 双
発、 乗員乗客2+
エアガール時代の熊代夫人
8名) に乗せられ
て、 30分くらい飛びました。 飛行中の恐怖心と
かエアシックを診たようです。 わたしは雁の巣
の近くが里でして、 親に内緒で試験を受けたら
合格してしまったのです。 それであとから親を
説得してエアガールになったのです。
徳田:乗務された機種はダグラスですね。 乗客
の模様や飛行ルートなど、 お教えください。
夫人:最初は DC-2 型でしたが、 よく機長に機
内をあまり動くなと言われましたね。 重心が前
後するからでしょうね。 やがて DC-3 型になり
まして、 そんなことはなくなりましたがね。 ま
だ戦争の前でしたから、 お客さんには皇族の人
たちや有名人、 慰問の歌手や作家等で、 陸海軍
将校の人たちは、 そんなに多くありませんでし
た。 福岡をベイスにして、 上海や沖縄、 台北ルー
トを飛びました。 それで東京で採用された関口
かおるさんや矢島照子さんなどは、 東京−福岡
間の乗務だけでしたから、 ずいぶん羨ましがら
れましたよ。 代わってくれってね、 ホホホッ……。
の ぞ き や え
徳田:この時、 及位野衣さん (戦後、 日本婦人
航空協会理事長) は、 3等操縦士資格保有者で
したが、 この資格ではプロとして飛べないとい
うことで、 東京1期とともにエアガールとして
飛ばれたそうですね。 当時のエアガールの仕事
は、 今と比較してどんな内容でしたか。
夫人:仕事は、 主に飛行中の乗客サービスでし
たから、 今とそんなに変わらないと思います。
今のような余圧装置もありませんから、 アルコー
ルの提供はなかったのですが、 福岡から載せる
弁当はとても豪華でしたね。 それ以外では、 精々
お客様の名簿作りくらいでした。 福岡から上海
や南京、 那覇などへ飛びました。 ある時、 上海−
福岡の洋上飛行で、 森田勝人機長 (海依3期)
でしたが、 悪天候で波頭が目の前にあるような
低空飛行で怖かったことが思い出されます。 そ
れでも飛行機に乗ることは愉しかったですよ。
乗務した期間は、 江島と結婚するまでの11ヶ月
間ほどでした。 手当も比較的よかったですしね。
珍しいものですから、 周囲の皆さんに大事にさ
れました。 たまに江島と一緒に飛びましたが、
なぜか江島のときは、 悪天候の飛行でも安心し
ていました。 この人だったら大丈夫ってね。
徳田:その頃から、 お互いに気持ちが通じ合っ
ていたのですね。
パイロットとエアガール結婚第1号
徳田:ところで江島さんとのご結婚は、 パイロッ
トとエアガール結婚第1号だそうですね。
夫人:そのようです。 亡くなった池田さんが、
今でいうところのキューピッドですよ。 それで
江島がねぇ、 酒に酔ってグデングデンになって
家に来ました。 わたくしをくれってね。 親戚に
軍人で満州航空にいたのがおりまして、 親も理
解したようです。 14年の10月10日に、 雁の巣の
はこざき
筥崎宮で結婚式を挙げたのですが、 その日の各
新聞の夕刊トップに、 わたしたちのことがデカ
デスと載りましてね、 ビックリしました。
徳田:新婚旅行も飛行機でしたか。
夫人:いえいえ、 新婚旅行は、 のんびりと鈍行
列車で久留米の主人の里へいきました。 今とち
がって可愛いものです。 それから、 すぐ中華航
空へ移籍して、 上海へ移ったのです。
中華航空貨物の大部分は阿片
徳田:中華航空時代の思い出など、 沢山おあり
と思いますが。
夫人:新所帯の上海で長男の弘尚、 そして長女
を生みました。 江島は家では寡黙な人でしたか
ら、 仕事の話はほとんどしませんが、 わたしと
しては江島を信じていましたから、 とくに不安
になることはありませんでした。
徳田:中華航空は、 関東軍の軍資金になる阿片
を、 ずいぶん運んだようですね。
夫人:そうです、 そうです。 そのために中華航
空ができたようなものですよ。 モルヒネの原料
になる阿片をずいぶん運んだようです。 満州北
辺のケシの栽培地帯から原料を北京へ集めて、
そこから上海へ運んだようです。 黒くてねばね
ばして悪臭がして大変だったらしく、 とても貨
物室へ行けなかったようです。 それで中華航空
もずいぶん儲かったらしいですね。
ロスト・ポジションで危うく不時着水
徳田:飛行中のエピソードがありましたら、 お
聞かせください。
弘尚氏:これは父から聞いた話ですが、 DC-3
型で福岡−沖縄−台北を飛んでいるとき、 往路
は無事だったので
すが、 復路の台北−
沖縄で悪天候が災
いしてロスト・ポ
ジションしかかっ
たそうです。 洋上
で燃料は底をつい
てくるし、 位置が
どうしてもわから
ない。 ついに観念
して低空へ降りて
弘尚氏
不時着水を決意し
たとき、 たまたま漁船が視界にはいり、 近づい
たところ、 気をきかした漁師が、 盛んにカイで
ある方向を指し示したそうです。 直感でそれが
沖縄の方向と判断し、 翼をふって別れ、 無事、
2009 JAN
17
飛行場へたどり着いた。 ところが着陸した途端
にフレイムアウトしてしまったらしいです。
徳田:まさに間一髪ですね。
海軍へ召集
徳田:中華航空在籍期間は短かったのですね。
弘尚氏:そうです。 父は昭和16年の太平洋戦争
がはじまる直前に海軍に召集されて、 横須賀航
空隊へ入隊しました。 以来、 終戦まで海軍にい
ましたが、 家族はそのときに帰国しました。 私
はまだ乳飲み子でした。 父は横須賀から霞ヶ浦
航空隊へ転勤しましたが、 そのときに戦争がは
じまったのです。 そして徳島県の小松島航空隊、
ソロモンのラバウルでゼロ式水上機での偵察任
務、 それから香川県の詫間航空隊と転々としま
した。 このとき私は幼稚園生でしたが、 終戦直
前にアメリカの艦載機による銃撃を受けて防空
壕へ逃げ込んだ覚えがありますよ。 それで終戦
時には伊丹航空隊にいました。
夫人:その銃撃で、 詫間では大変な思い出があ
ります。 田舎に住んでいましたから、 肥やしに
するための糞尿溜めが、 田んぼの中のところど
ころにあるのですが、 逃げるところがなくて、
ここに飛び込んで首だけ出していたこともあり
ます。 さすがに怖かったですね。
徳田:大変臭い思い出ですね、 ハハハ……失礼
しました。 伊丹航空隊での江島さんは、 どのよ
うな任務でしたか。
弘尚氏:少年航空隊の飛行教官だったようです。
つまり特攻要員養成でした。 この時は非常に辛
かったようです。 「オレが彼らに教えているの
は、 空を飛ぶ魅力でもなんでもない。 死ぬため
の技術を磨くためなのだ。 飛行技術に一日の長
があるオレが、 代わって出撃してやりたかった」
と、 よく涙ながらに語っていました。
徳田:部下を想う江島さんの心情が伝わってく
るようです。
戦後初の輸送機機長第1号
徳田:終戦後は、 郷里へお帰りになったのです
18
2009 JAN
ね。
弘尚氏:郷里では、 兄がやっていた精米所を手
伝ったり、 税務署に勤めたりしていました。 そ
れで待ちに待った航空が再開され、 日航設立と
同時に上京したのです。
徳田:松尾さんからお呼びがかかったのですか。
弘尚氏:そうだと思います。 入社は26年12月15
日です。 ご存知のようにノースウエスト航空
(注:正確にはノースウエスト航空の子会社ト
ランス・オーシャ
ン航空) が運航を
担当しましたから、
最初は飛行訓練な
どなく、 パーサー
乗務を強いられま
した。
徳田:日航パイロッ
ト第1期生と第2
期生の一部がパー
サー業務をやった
パーサー時代の江島三郎
と聞いております。
飛行訓練中の余暇を憩う江島三郎
弘尚氏:それで、 ようやく訓練に入ったのが、
翌年10月からです。 パイロット要員11人と航空
士要員2人の1人として、 カリフォルニア州オー
クランドのトランス・オーシャン航空へ派遣さ
れたのが11月です。
徳田:そして待ちに待った戦後初の DC-4 の機
長になられたのが、 29年10月23日ですね。
臭いとか口臭がひどいから近づくなとか、 言葉
の障害もさることながら、 随分、 精神面で苦労
したようです。 それでも父によると、 約半数ぐ
らいは協力的だったようです。
ダグラス DC-4 型1番機・高千穂号
現役時代、 テレビ出演時のご夫妻
全日空へ移籍
出発前に柳田社長と固い握手を交わす江島三郎
弘尚氏:そうです。 この時、 諏訪さんも同時に
機長になられました。 ルートは羽田から板付
(現・福岡空港) で、 コパイは後藤安二さん
(P-2) でした。 この時は、 柳田社長や松尾専
務、 その他関係者が、 盛大な見送りをしたよう
です。 その後、 DC-6 型の機長資格をとったの
が30年10月になっております。 この後、 諏訪、
小田切、 木本、 糸永の諸氏が資格を取られたよ
うです。
徳田:アメリカ人パイロットの中で、 江島さん
を筆頭に、 戦後の日本人のパイオニアたちは、
いろいろなご苦労があったと聞いています。 江
島さんが機長として最初の国際線乗務のとき、
同乗した日本人クルーは、 大変な喜びようだっ
たとか。
弘尚氏:相手は戦勝国の乗員ですからね。 しか
も、 日本人が進出することで、 彼らは職を失う
ことになります。 機関士や航空士は、 タクアン
徳田:42年5月に、 日航を退職されて全日空へ
移籍された経緯をお聞かせください。 水の違う
全日空で、 いろいろとご苦労があったと思いま
すが……。
夫人:わたしとしては行ってもらいたくなかっ
たのですが、 江島はお金とか地位にまったく無
頓着でしたから、 淡々としてましたね。 それに
松尾さんに説得されたのです。 それから全日空
は中華航空出身の人たちが多いのと、 鳥居清次
さんや美土路社長にも強く懇願されたようです。
弘尚氏:41年の全日空の B727 型機の東京湾墜
落からはじまる連続事故、 それにこの年暮の
YS-11 型機の松山空港事故で、 全日空は大打
撃を受けたのですが、 その建て直しのために、
航空局の指導で大庭哲夫さんと共に、 運航部門
の責任者として行きました。 常務として移籍し
ましたが、 連続事故では、 運輸大臣から航空機
事故技術調査団を委嘱されて、 調査にあたった
ようです。
それから46年7月には、 雫石の事故があって、
この年9月には、 これも運輸大臣によって、 航
2009 JAN
19
空法制改正検討委員会委員に任命されています。
徳田:いわゆる防衛庁の飛行訓練空域の洋上設
定とか、 犠牲になられた乗客への賠償責任額の
引き上げ、 さらに自衛隊パイロットの民間資格
の必要性などが検討されたと記憶しています。
ところが翌47年に日航の連続事故があって、 日
航の安全神話が崩れました。 日航現役のわれわ
れが、 戦々恐々とした時期でした。
夫人:そうですね。 雫石のあとは、 お陰で全日
空では事故はありませんでしたが、 日航は大変
でしたね。 「江島さんが出てしまったからだ」
などという話もありました。
日本貨物航空立ち上げに尽力
徳田:58年に日本貨物航空 (NCA) へ行か
れ、 それまで日航が独占していた国際航空貨物
輸送にクサビを打つ形で、 運航部門立ち上げに
ご尽力されましたね。
弘尚氏:そうです。 日本郵船、 川崎汽船、 商船
三井の海運三社と共同の立ち上げでした。 そし
て B747-200F 型機を領収、 父は責任感の強い
人ですから、 運航の責任者として、 初便だけは
と乗員や関係者を激励するために、 60年5月8
日成田発の初便 (注:KZ102 便、 JA8167、 荒
瀬両右機長) に便乗して、 サンフランシスコ、
そしてニューヨークまで行きました。 目的地ま
で行ったのですが、 相当に無理をしていたと思
います。 帰国後、 ダウンしてしまったのです。
検査の結果、 病名はガンでした。 亡くなるまで
の約5年間は病との闘いでした。
趣味は日曜大工と釣り
徳田:江島さんの仕事以外の趣味などを、 お聞
かせください。
夫人:江島は日曜大工と釣り、 そして酒が好き
でしたね。 家では大変マメな人で、 よく大工仕
事をこなしていました。 それに休みのときは、
後藤安二さん (注:海依14期生) とか、 西谷又
次郎さん (注:阪神飛行学校1期生) らと、 よ
く飲んでいましたよ。 半端じゃないほど飲んで
20
2009 JAN
いましたね。 仕事中心の人ですから、 飛行の20
時間前には、 絶対に飲まなかったですがね。
徳田:後藤さんも西谷さんも、 酒豪の誉れ高かっ
た人たちですね。 二人とも豪快で、 私は西谷さ
んが査察操縦士のころ、 CV880 型機の機長昇
格試験の実地を受けました。
弘尚氏:それから日曜大工は、 例えば電動ジュー
サーなどが壊れると、 そのモーターを取り出し
て木箱の中に組み込んで、 グラインダーを作っ
たりしていました。 中華航空での現役時代に、
整備関係の人との交流がありましたから、 それ
で技術を身につけたと思います。
釣りは、 この家を建てる前は、 上野毛の日航社
宅に住んでいましたから、 夏になると、 よく近
くの玉川へ投網をうちに一緒に行きましたね。
その投網は今でも家においてあります。
夫人:あのね、 ものすごい格好をして投網打ち
にいくのですよ。 ハッピを着て荒縄で縛ってね。
ホームレスのような姿をしているものだから、
写真を撮られたくらいですよ。 しかし、 あの頃
は沢山獲れましたね。 貰い手がないほど獲れま
した。 わたくしがよく料理して、 日航の人たち
や近所に配りましたね。
父は無欲の人だった
徳田:最後に奥さんからみた江島さん、 子供か
らみた父親としての江島さんは、 どのような人
だったのでしょうか。
夫人:そうですね。 わたくしの夫ながら、 江島
は金と地位にはとても淡白で、 ひたすら飛ぶこ
とに情熱を傾けた人だったと思います。 兄弟以
上の絆で結ばれていた同期生が亡くなってしまっ
たことも、 影響しているのでしょうか。 そのよ
うな性格のためか、 海軍時代には、 江島を慕っ
て部下の人たちが、 ずいぶん家に遊びにきてま
した。 それと江島は、 他人の悪口をいっている
のを聞いたことがありませんね。
徳田:他人の悪口を言わないということは、 な
かなかできることではないですね。 子供からみ
た父親像というのは如何ですか。
弘尚氏:父を見てますと、 欲というものが無かっ
たような気がします。 しかし、 飛ぶことへの情
熱は人一倍だったようです。 父は日航現役のと
きは、 ゴルフとマージャンは絶対やりませんで
したね。 両方ともに乗務によくないということ
でしょう。 ブリッジとパチンコは少しやってい
ました。 全日空へ移ってから、 ようやくゴルフ
をやりだしたので、 私が教えたのです。 役員付
き合いがあるということで。 それに、 ことのほ
か仲間や部下を大切にしたと思います。
夫人:そうそう。 全日空では秘書や運転手がい
たのですが、 江島が亡くなってから20年も経つ
というのに、 何かあると、 いまだに連絡をいた
だきます。 運転手の人は、 日航でもそうでした
が、 最初から終わりまで、 一度も替えませんで
した。 珍しいことだったようです。
弘尚氏:父の背中をみて育った私は、 その影響
で日航の整備本部に籍をおくことになりました。
この頃は、 工業専門学校出身者が整備部門の主
流でしたから、 学卒は珍しがられましたね。 そ
れにしても、 子供として素晴らしい父をもった
ことを誇りに思います。 これは余談ですが、 香
港駐在になったときに、 東南アジア総支配人付
きでしたから、 各支店の整備状況を視てまわっ
たのです。 それで上海へ行った折に、 生まれ故
郷の上海の家を見てきました。 親に言われたま
まの家が残っていて、 感慨深かったですね。
機長の資質を学んだ思い
徳田:大変長い間、 有難うございました。 最後
に私から、 江島さんの思い出を、 ご紹介させて
ください。
私が CV-880 の副操縦士で、 東京−香港をご一
緒したときに、 大変感銘を受けたことを思い出
します。 一言で言いますと、 ATC をやってい
る副操縦士の言うことを何の疑問も抱かず、
100%信用されたことです。 これには流石に副
操縦士としての責任を感じました。 その当時は、
副操縦士は半人前ぐらいの目でしか見られなかっ
たものですから、 感激しましたね。 今は事故防
止の手法として、 CRM 訓練が実施されていま
すが、 江島さんは身をもってこれを実践されて
いたと思います。
それから、 やはり香港−東京ルートで、 東京が
悪天候で台湾へダイバートしたことがあります。
地上としては、 歓迎されざる客ですので、 少し
でも早く出発してもらいたいのですが、 「飛び
上がって、 再びどこかの飛行場へダイバートす
ることになったらどうするんだ!」 と語気鋭く
否定され、 毅然として東京の天候快復を待った
のです。 この機長はスゴイと思いました。 今で
も鮮明な記憶がよみがえります。
今日は本当に有難うございました。
江島三郎氏略歴:
大正3年1月31日生
昭和6年3月 三瀦 (みずま) 中学校卒
昭和7年3月 逓信省航空局海軍依託9期生卒
昭和7年4月 日本航空輸送入社
昭和14年8月 大日本航空に移行
昭和14年12月 中華航空移籍
昭和26年12月 日本航空入社 (P-1)
昭和29年
10月13日 DC-4 機長 (戦後、 第1号)
昭和30年12月 国際線機長 DC-6B、 DC-7C、
CV-880、 DC-8
昭和36年7月 運航本部中央運航所長
昭和39年9月 航務整備本部副本部長
昭和40年8月 運航本部副本部長・理事
昭和41−44年 日本航空機操縦士協会々長
昭和42年5月 日本航空退職
昭和42年5
全日空へ移籍、 常務取締、 専務
取締
昭和52年9月 日本航空協会より、 航空再開25
年功労表彰
昭和54年
全日空常勤顧問
昭和58年
日本貨物航空移籍
昭和60年
日本貨物航空退職
昭和62年4月 勲三等瑞宝章受章
昭和63年
4月11日 ご逝去、 享年74歳
従五位に叙せられる
飛行時間
約2万時間
2009 JAN
21
◎ 特別寄稿
パイロットが感じる地球温暖化
高度一万メートルから見た地球環境
日本航空 B747-400 機長
はじめに
2008年7月の洞爺湖サミットの主要テーマの
一つに 「地球環境」 がとり上げられた。 また、
2007年には、 ゴア米元副大統領によって 「不都
合な真実」 という映画が製作されて、 地球環境
への関心が高まってきた。
パイロットは、 大空から地球の姿を見ること
ができる。 研究機関のほとんどは地表の視点で
地球を捉えることが多い。 また人工衛星でもそ
の姿を捉えることができる。 しかし、 人工衛星
やスペースシャトルの軌道から見た地球の姿が
変わってしまったときは、 地球はもうおしまい
である。 飛行機の巡航高度である10Km 前後の
高度から地球の姿を捉えることが、 一番的確に
その変貌を把握できるともいわれている。
パイロットとして、 30数年間、 南極大陸以外、
地球をほぼくまなく、 高度一万メートルから、
「かけがえのない」 地球の美しさと、 近年の急
速な温暖化によるその姿の変貌を、 自分の眼で
見てきた。 パイロットでなければ伝えることが
できないメッセージを、 新聞、 テレビ、 雑誌、
ラジオなどの各メディアや、 講演など通じて国
民の皆様にお伝えしてきた。
操縦士協会の会員の皆様も、 日頃のフライト
を通じて、 同じ思いをされておられることと思
う。 「かけがえのない」 美しい地球を次世代に
残すために、 パイロットならではのメッセージ
を多くに方々に伝えていただきたい。 私が各メディ
アを通じて発信したメッセージを 「PILOT」 誌
にも掲載していただくことになった。
メッセージは言葉よりも、 地球の姿をそのま
22
2009 JAN
小林
宏之
ま伝えることが一番よく伝わる。 美しい地球の
姿、 急速に変貌する姿を写真で伝えることであ
る。 各メディアを通じてこのメッセージを伝え
る際に一番苦心したことは、 視聴者、 読者に不
安を与えないように 「巡航中に安定した状態で、
安全を確認したうえ写真を撮った」 ということ
を理解して貰うことであった。
(1) 「かけがえのない」 地球
操縦席から地上を眺めていると、 浮かんでく
る言葉は 「かけがえのない地球」 という日本語
と同時に“The Only One Earth”という英語
である。 地球はだれのものでも、 どの国のもの
でもない。 地球に生息する全ての生き物、 みんな
のかけがえのないものである。 しかし、 この 「か
けがえのない地球」、“The Only One Earth”
を地表から僅か10∼12Km の上空から眺めても、
この10数年間で、 顕著な変化がでてきた。 温暖
化による北極や氷河の溶解、 一部地域の砂漠化、
緑の面積の縮小化など、 みんなの地球にとって
「不都合な変化」 が起きている。 その変化の度
合いも、 特に極地方で加速度的に速くなってき
ている。
写真は、 パプアニューギニアの海岸線であ
る。 白い雲、 青い海、 そして手つかずの緑の森
がある。 こんなに美しい星が地球の他にこの宇
宙にあるだろうか。
写真 は赤道から約350Km 南に位置するサ
ンゴ礁でできた名も知らない小さな島である。
蝶の形をした美しい島である。 赤道付近には積
乱雲が発達していることが多く、 この島の全容
を見ることができるチャンスは少ない。 以前か
ら日本航空のパイロットはこの島を 「バタフラ
イアイランド」 と呼び、 「この島を見た人は幸
せになれる」 という言い伝えがある。
写真
ている。 また、 NASA (米航空宇宙局) の光
センサー 「MODIS」 も北極の海氷の大崩壊を
捉えている。
通常の夏季の北極海では、 冷たい海氷上に大
陸からの暖湿気塊が移流して下層雲が形成され
るため、 上空から海氷や海面を広範囲にわたっ
て明瞭に識別できることは稀であるが、 この年
の夏は北極海上には高気圧が卓越しており、 高
気圧に伴う乾燥空気に広く覆われ、 上空からも
よく見えた。 また、 温暖化の影響に加え、 広く
高気圧に覆われて太陽熱の放射によって氷の融
解が急速に進んだものと考えられる。
パプアニューギニア
写真
写真
割れ目が僅かに見える夏の北極海 (2004年
7月)
バタフライアイランド
(2) 急激に温暖化する極地方
ゴア米元副大統領が映画 「不都合な真実」 で
「極地方は急速に温暖化が進行している」 と訴
えているが、 高度一万メートルからそれと全く
同じ光景を確認することができる。
北極海の上空を飛行するフライトでは、 1990
年代まで真夏でも白い氷に覆われていた北極海
しか見たことがない。 それが2000年ころから、
ところどころ氷の割れ目が見えることがあった。
そして、 2007年8月に北極ルートを飛行したと
きは、 北極海の氷が融解し、 青い海が姿を現し
ていた。 2007年夏は、 北極の氷が観測史上最大
に融解した年でもあると研究機関から発表され
写真
融解する北極の氷 (2007年8月)
(3) 茶色の地肌を見せるグリーンランド
全体の80%が氷河や氷床に覆われているグリー
2009 JAN
23
ンランドは、 1970年代から何度もその上空を飛
行してきたが、 2006年までは白いグリーンラン
ドしか見たことがなかった。 このグリーンラン
ドも北極海同様に2007年夏には、 温暖化の影響
と卓越した高気圧に広く覆われて太陽熱によっ
て気温が上昇して、 氷が融け、 茶色の地肌が露
出していた。 2008年の夏のグリーンランドは更
に茶色の部分が増えていた。 グリーンランドの
氷が全部融けると海面が7メートルも上昇する、
という説もある。
写真
白い氷床に覆われたグリーンランド (2005
年8月)
崩壊するダイナミックな瞬間を見る観光船が運
航される。 しかし、 アラスカの氷河も、 ヒマラヤ
やヨーロッパアルプスの氷河同様に、 温暖化の進
行とともに、 その姿を消しつつある。 ヒマラヤの
氷河は、 インド、 バングラディッシュ、 ミャン
マー、 中国などの穀倉地帯の水源地ともなって
いる。 もし、 このヒマラヤの氷河が完全に溶けて
しまった場合の影響の大きさが心配されている。
写真
アラスカの白い氷河 (2004年7月)
写真 消えつつあるアラスカの氷河 (2007年8月)
写真
地色の地肌を見せたグリーンランド (2008
年7月)
(5) シベリアの気候変動
(4) 姿を消しつつある氷河
アラスカの上空では至るところで氷河を見る
ことができる。 この氷河は何十万年もかけてゆっ
くりと下流に向って移動し、 やがて海にたどり
着く。 毎年夏になると、 この氷河が海に向って
24
2009 JAN
パイロットとして長年フライトをしていて感
じる気候変化のひとつに、 夏のシベリアの気候
変動がある。 1970年代に、 DC8 でシベリアルー
トを飛行していた当時は、 シベリアの上空で積
乱雲を回避した記憶はない。 エニセイ河、 レナ
河、 オビ河などのシベリアの大河付近で夏場に
発生する積乱雲の高さはせいぜい数千メートル
で、 一万メートル前後の飛行高度では回避する
必要はなかった。
しかし、 この数年来は、 温暖化によるものか、
夏場のシベリアの対流圏の高さがドンドン高く
なり、 圏界面高度が10000∼12000m にもなり、
それに伴って積乱雲も飛行高度かそれ以上に発
達することが多くなってきた。 最近では、 夏の
シベリアルートの飛行では、 東南アジアの空と
見間違うほどの積乱雲に遭遇し、 何十キロも迂
回することがしばしばである。
写真 積乱雲がほとんど発達しないレナ河付近
(2004年7月)
度は通常29000∼41000ft を飛行する。 北極上
空のトロポポーズ (圏界面) は殆どが 30000ft
以下のため、 北極上空では、 トロポポーズの上
の成層圏のフライトとなる。 私も北極上空を飛
行し始めた30数年前から2007年までは、 北極上
空では、 トロポポーズの上しか飛行したことが
ない。 しかし、 2008年8月30日にアンカレッジ
からロンドンへのフライトでは、 北極上空での
トロポポーズが35000∼36000ft の高さまで横
たわっており、 成層圏ではなく対流圏を飛行し
た。 (参照写真)
北極海には、 毎年各国の研究機関が調査船を
出して各種の気象データを観測している。 日本
も海洋研究開発機構が研究船 「みらい」 で観測
を行っているが、 その結果、 北極の海氷面積が、
2007年に続いて、 観測史上二番目に小さくなっ
ており、 北極海の水温も一気に上昇しているこ
とが分った。 北極海の水温が上昇すれば、 当然、
海面上の大気温度も上昇し、 結果として対流圏
の高さも高くなり、 トロポポーズの高度も記録
的な高さになったことが頷ける。 地球環境の観
測は、 陸海空、 そして宇宙から協力して取り組
んでゆくことにより、 正確にその変動を把握す
ることに繋がる。
写真
写真
2008年8月30日のアンカレッジ−ロンドン
の間のトロポポーズ (星印)
発達するシベリアの積乱雲 (2007年8月)
(7) 「航空界の環境への取り組み」
(6) 「北極地方の温暖化 (対流圏の上昇)」
北極ルートも他のルート同様に、 その飛行高
航空界も他の産業界と同様に温室効果ガスの
一種である CO2 (二酸化炭素) の削減に取り
組んでいる。 その主な取り組みの中でパイロッ
2009 JAN
25
トが直接関わっているものには次のようなもの
がある。
①地上駐機中の APU (補助動力装置) から
地上動力の使用
②最適高度、 経路の選択
③R-NAV、 RVSM 運航
④効果的な降下・進入方式 (Tailored Arrival、 Green Approach、 Continuous Approach)
⑤Delayed Flap, Reduced Flap 方式
⑥Landing Gear Down のタイミング
⑦着陸時のエンジン逆噴射使用削減
⑧エンジン1基または2基を停止しての地上
走行 (3発機、 4発機)
⑨フライトシミュレーターを活用した訓練・
審査
いずれも、 運航の安全を確保して、 そのとき
の状況に応じて可能な範囲内で実施している。
この中で、 最も CO2 削減に効果があるのは、
⑨乗員の訓練のシミュレーター化と③④の管制
との関わりで実施する運航方式である。 乗員の
訓練・審査はほとんどシミュレーター化してい
る。 管制についてもかなり効率的になっている
が、 更により効率的な管制に向けて地球環境の
視点からも、 管制とパイロットが協力してゆく
必要がある。
また、 パイロットが直接関わる運航面での
CO2削減の他に、 航空会社が取り組んでいるも
のとして、 エンジン内部の水洗いにより、 エン
ジンの圧縮効率を改善したり機内食器類や、 搭
載品、 コンテナの軽量化などによって、 使用燃
料の削減、 CO2削減に取り組んでいる。
その他、 地球環境保護への取り組みとして、
日本航空の例をあげると、 シベリア森林火災の
報告、 飛行機による大気観測、 環境についての
出前教育 「そらいく」 がある。
シベリアの森林火災報告は2003年から夏季に
シベリア上空を飛ぶ欧州線のパイロットが目視
で森林火災を発見した場合は、 その発生時間、
位置情報などを会社のオペレーションセンター
26
2009 JAN
に報告し、 会社から研究機関に通報する。 シベ
リアの森林火災は、 CO2を吸収し、 酸素を生成
する森が消滅するだけでなく、 火災により、 凍
土が溶け、 その下のメタンガスが放出される。
メタンガスは CO2 の20倍以上の温室効果があ
り、 地球環境にとっても大きなダメージを与え
る。
飛行機による大気観測は1993年から継続して
おり、 その結果次の3つの重要なことが分った。
①北半球も南半球も CO2 が右肩上がりに確
実に増えている
②春から夏にかけて CO2 の量が減り、 秋か
ら冬にかけてまた増える
③地上から2000m 以下は都市や国により CO2
の量は異なるが、 2000m 以上の上空では
世界中どこでも同じである
更に、 この事実から次のことが言える。
①CO2という温室効果ガスが増え続けている
ということは、 温暖化が進行していること
になる
②地球の環境保護にとっていかに森、 緑が大
切であるか
③地球環境はそれぞれの国の利害関係を乗り
越えて、 地球規模で考える必要がある
パイロットも日常の運航で、 そのときの状況
に応じて、 安全を確保、 確認しながら、 地球に
優しい飛び方をし、 また、 できる範囲内で環境
保護活動への取り組みに協力してゆきたい。
写真
シベリアの森林火災
象
気
航空 C
TE H
Ta l k
Icing
新しい着氷予測
航空気象委員会※
前号に引き続き着氷に関する話題です。 今回
は気象庁で開発した着氷予測指数について紹介
します。
●はじめに
2006年1月号の TECH Talk 「Icing アレコ
レ」 では、 C-PIREP (Common PIREP) 等を
用いた近年の着氷の統計調査の結果と着氷の事
例を紹介しましたが、 その後、 気象庁ではこの
調査結果に基づく着氷指数の開発を行い、 この
冬からは着氷予測への利用を開始しました。 気
象庁での着氷予測手法の変更は、 気象庁で空域
予報が行われるようになって以来、 実に30数年
ぶり (?) のことになります。
着氷は乱気流と比べて実況がとても少ないた
め、 これまでは予測手法の改良や統計的な調査
をすることは困難でした。 しかしこの状況は
C-PIREP の運用開始によって大きく変化しま
した。 C-PIREP は従来、 気象庁で入手してい
た PIREP と比べて数十倍の通報数があり、 着
氷の通報数も増加したからです。 (とは言え、
着氷の通報数は全体のわずか0.1%しかありま
せん。 着氷に遭遇された場合にはぜひ通報をお
願いします!)
図1に、 2002年から2005年の4年間に通報さ
れた着氷と、 直近の初期値の数値予報で予想さ
れた気温の関係を示します。 横軸が気温 (℃)、
縦軸が強度別の着氷頻度を示しています。 図2
は、 気象庁の航空予報作業指針に掲載されてい
※ 工藤
淳
図1
2002年∼2005年の着氷頻度と数値予報で予想
された気温の関係
図2
日本付近における気温と着氷発生回数 (過去
の調査結果)
る、 過去に行われた着氷の統計調査の結果です。
従来は図2の調査結果などから、 −20℃以下で
は着氷はほとんど起きないとされていましたが、
図1を見ると−20℃以下であっても無視できな
2009 JAN
27
い数の着氷が報告されていることがわかります。
なぜでしょうか? おそらくは、 図2の調査が
行われた当時と比べて航空機が改良され、 多く
の航空機が高速・高高度で飛行するようになっ
たためと考えられます。
どうやら 「従来の着氷予測に対する考え方を
変えなければならないようだ」 ということが、
C-PIREP を用いた調査を行うことで初めて見
えてきました。 そしてこのことが新しい着氷指
数を開発するきっかけとなったのです。 新しい
着氷指数について述べる前に、 まずは従来の着
氷予測手法を見ておくことにしましょう。
では過冷却水滴の量が少ないため、 着氷はほと
んど発生しません。 このことは図1からも言え
ます。
●これまでの着氷予測手法とその問題点
飛行中に発生する着氷の原因となるのは、 過
冷却水滴、 着氷性の雨、 水蒸気、 氷晶ですが、
これらのうち日本周辺に限れば、 着氷は主に過
冷却水滴によって生じていると考えられます。
このため、 着氷を予測する上では過冷却水滴の
有無や量を見積もることが重要になります。 着
氷の予測手法として、 従来は−8D 法 (Godske
et al. 1957) や気温0∼−20℃を目安にする手
法が用いられてきました。
−8D 法は、 気温 T (℃) と露点温度 Td (℃)
から、 霜点温度 Tf (℃) (気温0℃以下では、
水面に対する飽和と氷面に対する飽和の2種類
の飽和があり、 前者を露点温度と言うのに対し、
後者を霜点温度と言います) を Tf≒−8 (T−
Td) と近似し、 氷面に対して過飽和 (T<Tf)
であるとき、 すなわち T<−8 (T−Td) であ
れば着氷が発生するという判別方法です。
−8D 法は簡単な計算で過冷却水滴の有無を判
別できるため、 これまで広く用いられてきまし
たが、 利用に当たっては注意が必要です。 それ
は、 Godske et al. (1957) でも述べられてい
ることですが、 −8D 法による霜点温度の近似
の精度は、 気温−13℃程度までは良いもののそ
れ以下では悪くなるということです。 例えば気
温−48℃では、 −8D 法の判別式に従えば T−
Td が6℃以下であれば着氷が発生することに
なってしまいますが、 実際には気温−40℃以下
28
2009 JAN
図3
Tetens の式から気温 (T) と霜点温度 (Tf)
が等しい時の時の露点温度 (Td) を求め、
その Td から−8D 法によって求めた Tf を元
の Tf と比較した図。
図3は気象の分野でよく利用されている
Tetens の実験式から求めた霜点温度と、 −8D
法によって求めた霜点温度を比較した図です。
−8D 法による霜点温度は、 気温が比較的高温
であるうちは Tetens の式とほぼ一致している
ものの、 低温になるにつれて差が大きくなって
いくことがわかります。 Godske et al. (1957)
によれば、 (当時の) 着氷の多くは0∼−13℃
で発生しているとのことであり、 この温度帯に
着目している限りでは近似の誤差による影響は
小さかったと言えます。 しかし図1で示したよ
うに、 現在は−13℃以下でも多くの着氷が発生
しており、 誤差の影響が無視できない状況になっ
ています。 具体的にどのように影響しているか
は、 この後の検証結果や事例で示すことにしま
す。 このような−8D 法の特性を考慮したため
と考えられますが、 FAX 図 (FBJP312) では、
−8D 法の判別条件に加えて気温が−20℃以上
である領域が着氷域として表示されています。
国内悪天予想図 (FBJP) や狭域悪天予想図
(FBTT, FBBB, FBGG) では、 これまで、 雲
中の悪天域の0∼−20℃を目安にして着氷の予
測を行ってきました。 これは図2で示した過去
の統計調査や、 過冷却水滴が存在しやすい温度
帯に着目した予測手法です。 しかし図1で示し
たように、 現在では−20℃以下でも無視できな
い頻度で着氷が発生しており、 実態とのずれが
生じています。
とします)。
ICING の計算式は−8D 法よりは多少複雑に
なりましたが、 気温と露点温度だけ分かれば電
卓や Excel などでも簡単に計算できるシンプル
な指数です。 この指数がどの程度有効であるか
を、 次に示すことにしましょう。
●新しい着氷予測指数
着氷が主に過冷却水滴によって生じていると
すれば、 過冷却水滴の量を見積もることが着氷
予測をする上で重要になります。 しかし大気中
の過冷却水滴量を正しく見積もることは、 現在
の数値予報モデルでも容易ではありません。 そ
こで、 過冷却水滴の量を見積もるのではなく、
図1の統計調査で得られた結果に基づく指数を
作成することにしました。
図4に MOD 以上の着氷頻度と気温の関係
を、 図5に MOD 以上の着氷頻度と湿数の関
係を示します。 統計期間は図1と同じ2002年か
ら2005年の4年間で、 気温と湿数は直近の数値
予報モデルで計算された予報値です。 これらの
頻度分布から着氷の予測指数を作成するために、
気温に対する頻度を
図4
2002年から2005年の MOD 以上の着氷頻度と
直近の数値予報で予想された気温の関係
図5
2002年から2005年の MOD 以上の着氷頻度と
直近の数値予報で予想された湿数の関係
頻度 という関数で、 湿数に対する頻度を
頻度 という関数で当てはめます。 これらの関数は図
中にも示しました。 着氷指数 (以下 ICING )
はこれら2つの関数を掛け合わせ、 最大値が
100となるような規格化定数Cを掛けたものと
してみます。 すなわち、
と 定 義 し ま す ( た だ し 、 の 場 合 は
●検証
指数の検証にも C-PIREP 等の航空機観測通
報を用います。 ただし検証に使用するデータの
期間は2007年11月から2008年8月で、 指数の作
成に使用したデータとは独立なデータです。
ICING の予報精度を見るために、 次の2つの
指数についても同様に検証を行い、 それぞれを
比較してみます。
2009 JAN
29
言えます。 また、 同じ体積で予報した場合には、
着氷を多く捕捉できた方が予報精度が高いと言
えます。 少し難しくなりましたが、 捕捉率は大
きいほど体積率は小さいほど良いので、 図6で
は全体的に左上の方向にあるほど予報精度が高
いと言えます。
図6
MOD 以上の着氷に対する各種指数のしきい
値別の予測精度 (横軸は体積率、 縦軸は捕捉
率を示す。 図中の数値は各指数のしきい値)
1つ目の指数は−8D 法に基づく指数です。
これを以下では M8D と書きます。 −8D 法は、
であれば着氷が発生すると
いう判別条件ですので、 この条件は
とすれば であれば着氷が発生すると
いう条件に置き換えられます。
2つ目の指数は FAX 図 (FBJP312) で採用
さ れ て い る 、 − 8D 法 の 判 別 条 件 か つ 気 温
−20℃以上、 という判別条件です。 これを
M8D20 と書きます。 M8D20 は M8D と同じ式
に気温が−20℃以上であるという条件を付け加
えたものです。
検証結果を図6に示します。 縦軸は捕捉率
(Hit Rate) という値で、 ある指数の値をしき
い値として着氷を予測した場合に、 そのしきい
値で囲まれる領域からどれくらいの割合で着氷
が通報されたかを表します。 横軸は体積率
(Volume Rate) という値で、 全ての通報数に
対する、 あるしきい値以上の領域からの通報数
の割合を表します。 同じ数の着氷を捕捉するの
であれば、 予報する体積が小さいほど予報領域
を限定していることになり、 予報精度が高いと
30
2009 JAN
ICING、 M8D、 M8D20 を比べると、 ICING
の予報精度が最も高いことが分かります。 従来
の予測手法である M8D は、 しきい値が小さい
場合にはある程度の予報精度は持っているもの
の、 しきい値を大きくしていくと急速に捕捉率
が小さくなっていきます。 M8D20 もしきい値
が小さい場合には予報精度は良いものの、 しき
い値を大きくするとやはり急速に精度が悪くなっ
ていきます。
ICING はシンプルな計算式で求められる指
数ですが、 精度の高い予報ができていることが
分かります。 続いて実際の予測事例を見てみる
ことにしましょう。
●予測事例1、 台風と停滞前線に伴う
着氷 (2007年11月27日)
台風や熱帯低気圧から湿潤な空気が前線に向
かって流れ込むとき、 その雲中では着氷が発生
しやすくなります。 図7に、 2007年11月27日
06UTC の衛星赤外画像と速報天気図および、
27日 03UTC から 09UTC にかけてレポートさ
れた MOD 以上の着氷の実況を示します。 沖
縄の南には台風23号があって、 その北東には停
滞前線がのびています。 衛星赤外画像では台風
から繋がる上・中層主体の雲域が日本の広い範
囲に掛かっています。 この雲の中の FL180∼
FL300 で、 SEV ICE が1通、 MOD ICE が6
通、 報告されました。 なお、 この日は MOD
以上の着氷が13通報じられており、 国内で通報
された1日の着氷数としては2001年以降で最も
多い日でした。
図8に26日 21UTC 初期値の9時間予報の
ICING と M8D を気温と共に示します。 それ
ぞれ上段が東経135度に沿った断面図、 下段が
FL230 の平面図、 左図が ICING、 右図が M8D
図7
2007年11月27日06UTC の衛星赤外画像と速
報天気図およびその前後3時間の MOD と
SEV の着氷実況。 シンボルの色は高度 (FL)
を、 大きさは強度を示す。
図9
2008年1月13日03UTC の衛星赤外画像と速
報天気図およびその前後3時間の MOD と
SEV の着氷実況。 シンボルの色は高度 (FL)
を大きさは強度を示す。
図8
2007年11月26日21UTC 初期値のメソ数値予
報モデルから算出した9時間予報の着氷指数
(ICING) と気温 (左)、 および−8D 法によ
る判別指数 (M8D) と気温 (右)。 ICING と
M8D を塗りつぶしで、 気温を実線で示す。
上段は東経135度に沿った断面で縦軸の単位
は FL、 下段は FL230の平面図。 上段の断面
図の縦線は北緯35度を、 横線は着氷が報じら
れた高度の上端 (FL300) と下端 (FL180)
を示す。 ICING は15以上を、 M8D は0以上
を塗りつぶして表示。
図10
2008年1月12日21UTC 初期値のメソ数値予
報モデルから算出した6時間予報の着氷指数
(ICING) と気温 (左)、 および−8D 法によ
る判別指数 (M8D) と気温 (右)。 ICING と
M8D を塗りつぶしで、 気温を実線で示す。
上段は東経133.5度に沿った断面で縦軸の単
位は FL、 下段は FL070の平面図。 上段の断
面図の縦線は北緯35度を、 横線は着氷が報じ
られた高度の上端 (FL090) と下端 (FL030)
を示す。 ICING は15以上を、 M8D は0以上
を塗りつぶして表示。
です。 断面図には北緯35度の地点を示す縦線と
着氷がレポートされた上端と下端の高度を示す
横線を、 平面図には断面線を示してあります。
着氷報告の上端高度である FL300 の気温はお
よそ−30℃であり、 従来の予測手法である0∼
−20℃を目安にする方法や、 −8D 法に気温
−20℃以上という条件を付加する方法では予測
の範囲外であることが分かります。 気温−20℃
2009 JAN
31
以上という条件を付加しない場合には、 −8D
法でもFL180∼FL300 で報告された着氷の実況
を捕捉することはできていますが、 図8右上図
の通り、 M8D は FL300 以上でも指数の値が大
きくなっており、 空振りが多くなっています。
図6で、 M8D や M8D20 はしきい値を大きく
していく (体積率を小さくしていく) と急激に
捕捉率が小さくなっていましたが、 これは本来
は着氷がほとんど発生しないような低温であっ
ても指数の値が大きくなってしまうためです。
これに対して ICING は、 しきい値を15以上と
した場合に、 着氷が報告された高度とほぼ一致
する予想ができていることが分かります。
●予測事例2、 冬型降水時の着氷
(2008年1月13日)
図9に2008年1月13日 03UTC の衛星赤外画
像 と 速 報 天 気 図 お よ び 、 13 日 00UTC か ら
06UTC にかけて報じられた MOD 以上の着氷
の実況を示します。 日本付近は冬型の気圧配置
となっており、 米子ではあられを伴う雨やみぞ
れが観測されていました。 米子の上空 FL030∼
FL090 では MOD ICE が3通レポートされま
した。
図10に2008年1月12日 21UTC 初期値の6時
間予報の ICING と M8D を示します。 上段が
東経 133.5 度に沿った断面図で、 下段が FL070
の平面図である以外は、 表示している要素は図
8と同じです。 右上図を見ると、 M8D で着氷
が予想されている高度は FL050∼FL070 であ
り、 実況よりも高度の幅が狭いのに対して、
ICING はしきい値を15以上とした場合に、 着
氷が報告された高度とほぼ一致する予報ができ
ていることが分かります。
●新しい着氷予測が始まる
統計検証の結果や実際の予測事例から、 新し
く開発した着氷指数 (ICING) は従来の着氷
予測手法と比べて精度の高い予報ができること
が示されました。 気象庁ではこの冬から、 国内
32
2009 JAN
悪 天 予 想 図 (FBJP) と 狭 域 悪 天 予 想 図
(FBTT、 FBBB、 FBGG) で、 ICING を利用
した着氷予測を開始しています。 予想図として
の違いは大きくありませんが、 予測手法として
は大きく変わっています。 悪天予想図を利用す
る際は着氷予測にもご注目ください。
ICING はシンプルな計算式で精度の高い予
測を行うことができますが、 注意すべき点もあ
ります。 それは、 ICING が C-PIREP 等を用
いた統計調査に基づいて作成された指数である
ということです。 C-PIREP は大型機からの通
報が多いため、 ICING は大型機を基準とした
指数になっています。 着氷の影響は、 防氷・除
氷装置が十分ではない小型機ほど大きいのです
が、 残念ながら気象庁で入手できるデータには
小型機からの着氷実況が少ないため、 小型機へ
の着氷に適した指数にはなっていない可能性が
あります。 小型機にも適した指数とするために
は、 小型機の実況データの収集方法も含めて今
後の課題であると言えます。
●おわりに
米国では、 1990年代には気温と相対湿度に基
づく判別条件を用いて着氷予測を行っており、
2002年からは FIP (Forecast Icing Potential,
(McDonough et al. 2004)) という、 数値予報
の出力値 (気温、 雲頂気温、 相対湿度、 鉛直風
速、 雲水量など) を用いた予測手法を開発し運
用しています。 着氷指数 (ICING) を用いた
着氷予測を開始したことで、 着氷予測に関して
日本でもようやく一歩踏み出したところと言え
ますが、 まだまだ改善の余地は残っており、 今
後も改良を続けていく必要があります。 そのた
めにはまず何よりも着氷の実況が重要です。
C-PIREP によって着氷の実況数は格段に増え
ましたが、 それでも十分な数ではないというの
が現状です。 実況データが増えれば短期間での
開発が可能となり、 予報精度の改善につながり
ます。 着氷に遭遇した場合にはぜひ通報をお願
いします。
*参考文献は気象委員会にお問合わせください。
◎寄
稿
シニア・パイロット懇親会での63年目の出会い
JAPA シニア・パイロット会幹事
赤星
珪一
2008年のシニア・パイロット懇親会は10月18日に45名の参加を得て盛大に開催されました。
元全日空機長の昼間 才蔵氏による 「南京玉すだれ」 等の“江戸の遊芸”と元武蔵工大教授の
志鳥 學修氏の講話 「昨今の世界経済状況について」 は非常な好評をいただきました。
その中で、 遠く福岡県大野城市からご参加いただいた石橋 達三氏 (83歳) の奇遇とも思われ
る出会いがあったことを報告します。 以下は、 石橋氏が某紙に投稿された原稿を幹事に託された
ものであり、 ご本人の了解を得て掲載するものです。
比島からの最終便
昭和20年の元旦を、 海軍軍人として、 比島 (ルソン島) の北部サンフェルナンド海軍航空基地で、
遠い祖国の新年を偲び、 戦局緊迫する中で、 ヤシ酒でお屠蘇気分にひたった。 それは戦場で張り詰
めた緊張を解きほぐす、 ほんのつかの間の骨休めだったと思う。
それから1週間後の夜明けに、 敵艦隊の艦砲射撃と艦載機の銃撃を受け、 航空基地は廃墟と化し、
焼け焦げた航空機の残骸が横たわり、 兵舎、 倉庫が吹っ飛んだ基地跡の光景は、 非常に悲惨で痛々
しかった。
残務処理後、 基地隊の全員は、 艦隊司令部のあるバギオに撤退した。
艦隊司令部より、 ルソン島北端に位置するツゲガラオ飛行場を経由、 台湾に転進せよ、 との命令
がでたのは1月9日の午後であった。
1月11日の夕刻、 43名の基地隊員は、 行軍編成に従って、 バギオの北北東に位置する目的地に向
かって行軍を開始した。
携行する武器は、 旋回機銃2挺と弾倉2個、 小銃6挺と銃弾若干、 拳銃及び日本刀所持者6名で、
そのほか各自手榴弾1個を所持し、 武器は少数であるが、 意気軒昂であった。
日がたつにつれて所持する食料は底をつき、 食料の調達はままならず、 食うや食わずの苦しい日々
が、 何日もあったが歩き続けた。
幸運にも、 行軍中、 敵軍及びゲリラ軍との交戦は一度もなかった。
2月27日夜、 目的地のツゲガラオに辿り着いた時には、 栄養失調でやせ細り、 髭ぼうぼうで、 服
は破れ、 靴は壊れて指が出ており、 見る影もないが、 辛うじて海軍軍人の面目を保持した。
48日間に踏破した距離は、 280粁に及ぶ難行軍であったが、 落伍者は1名も出なかった。
忘れもしない、 2月28日の夜、 台湾から輸送機2機が飛来してきた。 その1機は着陸体勢中に、
敵夜戦に撃墜された。 他の1機は無事に着陸した。 搭乗待機中の数百名の部隊の中から私を含む31
名に搭乗が許可され、 翌日未明に離陸した。
比島から台湾への転進は、 恰も地獄から極楽への旅立ちのようで、 感無量であり、 併し、 残留す
る戦友達の心境を思う時、 心は晴れず気は重く、 ひたすら武運長久を祈らずにはいられなかった。
2009 JAN
33
この輸送機が、 比島からの最終便であったと知ったのは、 終戦後、 雑誌 「丸」 に掲載された寄稿
文によってである。
若輩の私が、 この最終便に何故搭乗出来たのかは謎で、 いまだに不思議でならない。 考えられる
事は、 特攻隊員として、 一機一艦を撃沈する事が出来る戦力と重要視されたのかも知れない。
因みに、 私は当時、 弱冠20歳の海軍乙種飛行予科練習生出身の航空機搭乗員であった。
(以上、 原文のまま)
今回の開会時、 最長老の岩崎 嘉秋氏 (90歳) が乾杯の音頭をとられたが、 なんとこの岩崎氏が
「比島からの最終便」 の機長であった。 この事実を石橋氏は最近お知りになり、 今回遠路はるばる
上京され、 シニア・パイロット懇親会において63年振りに岩崎氏との再会を果たされたものです。
石橋氏は、 戦後海上自衛隊で飛行機の操縦教官をなされ、 その後東邦航空のパイロットをされま
した。 一方の岩崎氏は、 戦後海上自衛隊のヘリの操縦教官をなされ、 朝日航洋、 新日本航空、 佐川
航空のパイロットとしてご活躍されました。 このような機会を提供できたことを SP 会幹事一同喜
んでいるところであります。
岩崎嘉秋氏
艦隊司令部兵士の撤退ルート (太線)
石橋達三氏
34
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若き日の石橋氏
続 「50周年。」 史
昨年末、 日本航空機操縦士協会 「50周年」 を発行しました。 過去を遡る作業は難航し、 特に、
関係者の取材等々、 多くの課題を残してしまいました。 歴史に関する記述を補うために、 各方
面に協力をお願いしています。 また、 50周年史を手直しして、 ホーム・ページに掲載する事も
検討中です。
今回は、 小型機航空の状況と民間航空について補足してみたいと思います。
諸
星廣夫さんに聞く民間航空機の軌跡
民間航空が戦後の空白を取り戻そうとして奮
闘した時代に、 今回お話を伺った諸星廣夫さん
はパイロットの一員となりました。 運輸省航空
大学校 (本科二期生) を卒業し日本航空に入社
した時が、 奇しくも JAPA が任意団体として
スタートした昭和32年だった訳です。 DC-6B、
コンベア880、 DC-8、 B747、 DC-10 の機長を
歴任し、 1991年 (平成3) に日本航空を退社後
も朝日航空からコミューター事業を引き継いだ
ジャルフライトアカデミーで Bae JS31 (ブリ
ティシュ エアロ スペース Jet Stream) の
導入に尽力し、 1994年 (平成6) にその飛行を
終えました。 氏の総飛行時間は16,745時間でし
た。 以後、 航空評論家として、 マスコミへの出
演、 安全問題に関するパネラーや講師としても
活躍する傍ら、 執筆活動にも精力的に取り組み、
著書は 「航空機事故はなぜ起きる」 「ジャンボ
機を操縦して空の旅へ」 「運命をわける機長の
決断」 (以上エール出版) 「機長の航跡」 (イカ
ロス出版) があります。 また、 航空界における
長年の貢献が認められて、 運輸大臣表彰 (昭和
58年) 及び黄綬褒章 (平成2年) を受賞してい
ます。 氏は、 航空界の動きと出来事について4
つのステージに分けて考証を進めており、 紙面
の都合で全てを網羅できませんが抜粋して紹介
します。 詳しくは 「機長の航跡」 (イカロス出
版) をご一読下さい。 諸星さんが当時の記憶を
辿ってお話下さった内容です。
JAPA との出会い
JAPA の記録によれば1961∼63年に、 JAPA
の理事を務めていますが、 活動に参加した記憶
は定かではありません。 1957年に日航の入社試
験で上京したとき、 私は、 航大の学生会長だっ
たこともあり、 奨学金制度の設立を依頼するた
めに JAPA を訪ねました。 豊島会長と初めて
お会いした印象は、 各方面に顔が聞くリーダー
的な存在だったと記憶しています。
当時は戦前に養成されたパイロットが殆どを
占め、 みな顔見知りのようで、 航大卒業生だけ
が新参者でした。 機長と新人操縦士との権威勾
配は現在よりもっと急で、 機長は相当威張って
いたと思います。 JAPA には、 航空の再開を
待ち望んできた、 ベテラン・パイロットが中心
に動いていた感があるが、 その存在は今日より
もっと地味だった様に受け止めています。
JAPA との関わりは、 K事務局長を通じて、
何度か Pilot 誌へ投稿した程度でした。
激動・揺籃期 (1951∼1960年)
1951年10月、 民間航空再開第一便の日航機が
離陸しました。 翌52年には日本ヘリコブター
2009 JAN
35
が設立され、 BOAC コメットが来航していま
す。 1953年10月に新日本航空の設立、 翌年2月
に国際線が始まり、 同じ頃、 航空自衛隊の発足
(7月) と、 運輸省航空大学校の開校 (9月)
が重なりました。 1957年、 日ペリと極東航空が
合併して全日空が設立されましたが、 丁度この
年に航空大学校を卒業し日本航空に入社しまし
た。 DC-8 が初飛行を成功させた1958年の夏、
東京国際空港が全面返還され空港の管制権も日
本側に移管されました。 翌年、 パンナム航空の
世界一周路線開設されこれを皮切りに、
DC-8、 B-707 のジェト機が航空輸送の高速・
大型化の時代を拓きました。
保 安 施 設 の 整 備 拡 充 の 面 で は 、 1960 年 に
VOR 第1号が大島で運用開始されています。
戦前から活躍してきた航空機が、 ジェット旅客
機へと世代交代が進んだ時代でした。
成長・開花期の裏に歪 (1961∼1970年)
1961年、 羽田空港で ILS {計器着陸装置} の
運用が始まり、 翌年、 国内初の旅客機 YS-11
が初飛行に成功しています。 DC-8、 F-27、
B-727 、 YS-11 が 飛 び 交 う 姿 を 横 目 に 、
DC-6B、 CV-828 が引退していきました。 そし
て新たに B-747、 B-737 の時代を迎える事にな
ります。
航空路レーダー管制網の拡充、 海外渡航の自
由化など航空の成長に有利な環境が整う一方で、
逆にジェット機の騒音が公害問題として浮上し
てきました。
激しい環境変化の最中の1966年に、 全日空
B-727 の東京湾への接水大破、 カナディアン・
パシフィック航空の羽田滑走路手前への激突、
英国航空 B707 の富士山上空での機体破断といっ
た連続事故が発生しました。 大きな衝撃は、 わ
が国の航空安全基盤の脆弱さを浮き彫りにしま
した。 この時期は、 産業構造がダイナミックに
変化している状況で、 JAPA が社団法人の認
可を待っていた頃と重なり、 航空の安全が切実
な課題となってきました。
36
2009 JAN
安定成長期 (1971∼1989年)
B-747 が大量輸送時代の幕開けを告げ、 1978
年には、 新東京国際空港 (成田) が開港しまし
た 。 国 内 の 空 で は 、 B-747SR 、 DC-10 、
L-1011、 B-767 が、 それまでの主役であった
DC-8、 B-727 と交代し、 航空企業は規制緩和
を追い風として益々事業規模を拡大していきま
した。
日本航空が B-747 を導入して間もない1971
年、 東亜国内航空 YS-11 が函館横津岳で、 全
日空 B-727 雫石で、 またしても事故が連続し
ます。 更に追い討ちを掛けるように、 1972年に
発生した日本航空 DC-8 のニューデリー事故に
始まり1985年の B747 御巣鷹山事故まで、 日本
航空で事故が続きました。 雫石の事故を契機に
自衛隊の訓練空域が航空路と分離され、 また日
航 DC-8 羽田沖事故を契機に航空医学研究セ
ンターが設立されました。
世界の民間航空では、 1977年スペインのテネ
リフェ島で、 2機のジャンボ機 (B747) が衝
突炎上するといった、 史上最悪の事故が発生し
ています。 この時期に、 ヒューマン・ファクター
と事故原因について研究が進み、 CRM (Cockpit Resorce Management) が事故防止策とし
て脚光を集めてきました。 1985年10月、 UAL
より講師2名を招き、 成田のホテルでわが国初
の CRM 公開ゼミナールが4日間合宿で開催さ
れ、 官、 産、 民から多数の参加がありました。
その後 CRM は各航空会社に定着していきまし
た。
ハイテク機の時代 (1990年∼)
B747-400、 A320、 B-777、 B737-400、 コンピュー
ターとデジタル機器を駆使した航法装置を装備
した所謂ハイテク機は、 FMS (Flight Management System) の開発により性能の最適化
を可能にしました。 しかし、 エアバス A320 が
ミュールーズ (フランス) の航空ショウで、 中
華航空 A300-600 が名古屋空港で、 アメリカン
B-757 がカリ近郊 (コロンビア) で依然として
事故が起こっています。 新しいシステムの理解
不足が指摘されているのも事実です。
思いつくままに
・ 「いつ、 訓練が始まるかわからない」
計画が流動的で、 一つの訓練が終了してもノン
ビリする暇も無く他の機種へ移行したり、 逆に
長い期間同じ機種から動かないなど、 パイロッ
ト誰もが経験してきたことです。 私は DC-6B
のキャプテンになって僅か3カ月でコンベアへ
プロモートした経験を持っています。
・ 「セニョリティを決められない」
お互いの利害関係を律するセニョリティが確立
できていない状況は、 欧米とは異なり、 そのと
きの状況により利害関係が調整されてきたとい
えます。 もちろんパイロットの資格取得の順番
はある程度決まってはいましたが。
・ 「企業間で航空安全情報の交換が不足」
最近は改善されてきましたが、 企業間で運航面
の情報交換が不足している状況は常々感じてい
た処です。 企業には安全と名のつく部署が多く、
縦割り的な組織風土に埋没している嫌いも見逃
せません。 安全情報の把握や専門知識の涵養は、
パイロット共通のテーマであり、 企業の枠をこ
える必要があります。
・ 「事故が起こると犯罪捜査の被疑者となる」
ICAO が考える再発防止を最優先した制度、 事
故調査を犯罪捜査に優先させる環境は整ってい
ません。 社会通念、 世論は本件に対してとても
厳しいと受け止めています。
・ 「マスコミがなかなか理解してくれない」
航空という三次元の特異な部分を説明する機会
が少なく、 理解してもらうこと自体が困難です。
結果として、 マスコミを媒体とした専門的な情
報提供や主張を伝える事はとても難しいと捉え
ています。
・ 「加齢になっても十分飛べる」
1991年3月14日、 60歳の誕生日を前後した頃、
Bae 製 {ブリティッシュエアロスペース社} の
ジェットストリームスーパー31 {JS31} の訓
練を米国で受けました。 同年帰国後、 5月22日
に局の審査を経て、 日本での最初の JS31 限定
保有者となりました。 1994年まで、 JS31 に乗
り現役を通していた訳で、 63歳を超えて飛行を
経験しました。 米国の訓練で 「JS31 のシミュ
レーターが自由にこなせるようになれば
DC-10 の操縦が出来る」 と実感しました。 専
門技能を社会貢献に活かすことを誰よりも切望
しています。
小 型機航空 50年の歩み
航空再開・始動の時期
(1950∼1960年代)
1952年 (昭和27年) の航空再開で、 7年間翼
をもがれた飛行機野郎には待ちに待った大空で
す。 定期航空会社も動きはじめ、 使用事業では
5社が小型航空機を使用した航空事業を始動し
始めました。
新たな航空法になって、 戦前の航空経歴保持
者は新たに5時間の航空機履修で実技試験の受
験資格が出来るといった配慮がなされました。
しかし、 戦前の多くの航空経験者は荒廃した国
薬師寺
進
土の再建を願いつつも、 生活の糧を得るのが大
変な時代であり、 又身体検査の理由等も相まっ
て、 多くの方々は航空機の練習するゆとりすら
得られないのが現状でした。
戦争を美化するつもりはありませんが、 二度
の世界大戦を通して、 航空機は飛躍的に性能や
安全性を向上させ、 軍事面のみならず社会生活
にまで浸透し始めてきました。
1950年 (昭和25年) に発生した朝鮮戦争では、
日本の治安維持を担っていた連合国の治安維持
部隊が朝鮮半島に移動するため、 急遽、 日本に
警備隊や保安隊が組織され、 その活動の中で急
2009 JAN
37
速に航空機の運航がなされるようになりました。
日本の航空機製造関連企業と相まって航空事業
躍進の原動力になり、 今日の航空発展の一翼を
担ってきたことも事実です。
警備隊、 保安隊では連合国よりエアロンカ、
スチンソン、 アベンジャー等の飛行機が供与さ
れ、 次第に飛行機を近代化して、 セスナの
L-19 : B45 メ ン タ ー UF-2 、 PV-2 : T-28 、
T-6 、 B45 (T-34) 、 T-33 、 カ ー チ ス C-46 、
F-86F、 F-86D などの飛行機が飛び始めました。
ヘリコプターではベル 47D-1 (木製ブレード:
2人乗り) が警備隊 (海上自衛隊の前身) に採
用され、 翌年には保安隊 (陸上自衛隊の前身)
ではベル 47G、 シコルスキー S-55 が飛行を始
めました。
これらの航空機に携われた方々が小型航空機
の運航を支え、 以後の航空発展にご尽力されて
きました。
航空機製造メーカーでは、 川崎重工がベル
47G-2、 川崎ベル式 47G3BKH-4、 T-33 を、 三
菱重工 (新三菱) がシコルスキー S-55:富士
重工では B45 メンター等の生産 (ライセンス
生産も含む) を始めました。
使用事業分野での飛行機は、 荒廃した国土を
測量するための需要がありました。 航空測量に
使用するカメラ (ラーヘンカメラ:ドイツ製)
は高価であり、 又撮影に使用する航空機が無く、
商社や各企業が資本を出し合って事業を立ち上
げる等、 地図を作図するのにも多くの苦労があ
りました。
ヘリコプターでは各種 (漁業や送電線) パト
ロールや水田への農薬散布等に活躍の場があり
ました。 特に水田への農薬散布では短時間に広
範囲に薬剤や肥料が散布出来ることに大きな評
価がなされ、 ヘリコプターが飛躍的に普及する
原動力になりました。
問題は操縦士の確保にありました。 定期航空
の乗員確保は航空大学校の卒業生と防衛庁 (現
防衛省) からの割愛人事で確保されていました。
ヘリコプターの乗員も防衛庁からの経験者が大
半でした。 水稲の散布飛行の需要増大で、 日本
農林水産航空協会 (農林省:現農林水産省の外
38
2009 JAN
郭団体) が年間10数名の規模で乗員養成を開始
し、 多くのヘリコプター操縦士を航空界に送り
出しました。 しかし、 小型飛行機の乗員養成を
担う機関が無く、 防衛庁での操縦経験者が民間
企業に移籍して活躍されていました。
飛行機野郎の熱心な研究者は飛行機とヘリコ
プターが合体したヘリプレーンなるものを試作
しましたが、 実用の段階までには発展しません
でした。
航空再開に伴い、 乗員の大半は過去に活躍さ
れた方々でした。 この意味では操縦士の心意気
は引き継がれていました。
1960年代には景気拡大が続き、 富士重工では
国産の軽飛行機 FA-200 が、 三菱重工では双発
飛行機の MU-2 が製作され型式証明を取得し、
航空産業も力強く歩みはじめました。 航空使用
事業会社も1960年代後半までに20数社が活動を
開始していました。 スポーツ航空もまた徐々に
動き始めました。
発展期 (1970∼1980年代)
日本は高度成長期に入り、 世界の航空機メー
カーでは多くの飛行機のシリーズが製作され、
国内でも多くの飛行機が登録されていました。
回転翼機もタービンエンジンを搭載するように
なり、 パワーも飛躍的に向上し、 双発機も登場、
高性能な回転翼機が次々に発表されるようにな
り、 ヘリコプターの登録機数も急速に増え始め
ました。
個人で飛行機やヘリコプターを所有する方が
増え、 またオーナークラブによる航空機の運航
が広まり、 移動手段として航空機が広範囲に利
用されるようになり、 スポーツ航空も盛んにな
りました。
1971年、 岩手県の雫石上空で定期航空機と訓
練中の戦闘機が衝突し旅客機の乗客・乗員がな
くなる悲しい出来事がありました。 これを機に
訓練試験空域が日本全国に設定されました。 空
域設定当時は比較的家屋や施設等が疎の地域上
空が選定されました。
1980年代に入り国外で操縦士の資格を取得さ
る方が増え、 国外訓練の多くはアメリカ、 イギ
リス、 オーストラリア、 フィリピン、 中国等で
行われました。 今日ではそれらの方々が現役で
巾広く活躍されています。
ヘリコプターによる不定期運航は、 関汽エアー
ラインが関西地区で、 シテイエアーリンクが関
東地区で行われましたが、 いずれもコスト面の
理由で廃止になってしまいました。 しかし、 離
島を結ぶアクセスとして、 ヘリコプターや小型
飛行機による不定期運航は、 現在も継続してい
ます。
スポーツ航空ではパラグライダーが出現し、
山肌をのんびり漂い浮いている姿はとてもカラ
フルでのどかです。
安定期 (1990∼2000年代)
日本のバブル経済が崩壊し、 個人所有の小型
航空機や、 クラブ所有の航空機 (飛行機、 回転
翼航空機) が手放され、 登録航空機数は減少に
転じました。 しかし、 事業会社の登録機には大
きな変化はありませんでした。
代わって、 自冶体が運航する防災ヘリコプター
や総合病院と連携したドクターヘリコプターが
各地に配備され新たな運航のジャンルとして活
躍しはじめました。 ドクターヘリの概要は機体
に救急救命の医療器具を装備し、 ドクターと看
護師が搭乗して事故現場へ飛行し、 ドクターが
現場で救命措置を施し、 必要に応じて救急車、
又はヘリコプターで救命措置が出来る病院に搬
送するシステムです。
1989年 (昭和64年:平成元年) から航空スポー
ツの発展と地域の振興を目的に第1回スカイレ
ジャージャパン (SLJ) が空の日実行委員会の
主催で始まりました。 第1回は本田エアーポー
トで開催されました。 当日本航空機操縦士協会
も参加しています。
2001年、 三重県の訓練空域内で小型飛行機と
回転翼航空機 (ヘリコプター) が空中衝突する
悲しい事故がありました。 これを機に訓練試験
空域内の安全確保が検討され、 空域がさらに細
分化され且つ行政が空域管理を行なうようにな
りました。
1974年 (昭和49年) から1990年代の間、 小型
飛行機、 回転翼機ともに毎年十数件の航空事故
が発生しており、 以後事故発生件数は10数件か
ら1桁代の間を行き来している状況です。 日本
航空機操縦士協会としては事故を如何に減少さ
せるかを目的に航空局乗員課と協力して、 平成
4年から指導者講習会 (操縦教育と事故より学
ぶをテーマ) を開催し、 今日に至っています。
航空事故を防止するには教育にあたる教官が安
全教育を訓練生に広めていく事が事故を防止す
る観点から必要との方針に沿っています。
ちなみに、 1974年から2007年までの34年間で、
定期航空機の事故を除いた飛行機、 超軽量動力
機、 ヘリコプター、 ジャイロプレーン、 滑空機、
飛行船の航空事故は1076件発生しています。 実
に毎年31件の割合となります。
安全な運航期を願う (2010年代)
これまでの事故から得た教訓を生かし、 航空
機利用者の方々に、 安心して飛行して頂ける安
全文化の構築を目指した年代となるよう努力し
ていきます。 航空の安全文化を構築するには、
航空関係者の皆様方の協力が不可欠です。
む
す
び
小型航空機は旅客を運送する定期航空のよう
な公共交通機関の主力ではありませんが、 小型
航空機のジャンルは皆様の日常生活の中に深く
溶け込んでいます。
昭和の初期には航空機は通信の手段として情
報を届けてきましたが、 時代の変遷と共にその
内容も様変わりし、 今日では報道支援 (新聞、
テレビ報道等)、 産業支援 (off shore、 農業、
魚業、 電力、 鉄道、 通信 etc)、 建設協力 (資
材運搬、 治山支援)、 災害復旧支援、 捜索救難
活動、 救急救命活動、 防災活動、 消防活動、 警
察活動等など小型航空機は巾広く社会の一面を
支えています。
これらの航空機が安全に運航が出来るよう、
日本航空機操縦士協会は安全活動にますます努
力し、 先輩諸氏が築き上げた50年の歴史を更に
積み増し、 構築していきたいと願う次第です。
以 上
2009 JAN
39
World Safety Report
編集委員
佐藤
裕
小型航空機と気象状態。
冬が近づくにつれ、 冬の厳しい気象状態は、
航空機インシデントの大きな原因の一つとなり
ます。
様々な気象状態に巻き込まれてしまいました、
と小型機のパイロット達が寄せてくれたこれら
のリポートは、 まさにタイムリーなレッスン、
と言えるかもしれません。
ASRS にリポートしてくれた方々は、 VFR
での飛行中、 かなり視程の悪い状態となってし
まいました、 そして IFR で飛行している時、
予想もしなかった気象状態に直面してしまいま
した、 更に離着陸訓練をしている時、 気象状態
の急変に驚かされてしまいました、 と口々に話
してくれます:ASRS 編集部
With the approach of the winter season, weather becomes a more prominent factor in aviation
incidents. The following reports offer timely lessons regarding light aircraft encounters with various weather phenomena. ASRS reporters describe situations that are commonly encountered, including VFR flight into marginal visibility conditions, unexpected conditions while IFR, and
weather-related surprises during landing and takeoff.
“突然、 白い壁が迫ってきて”
“トラフィック・パターンを飛ぶだけだから”
と PA-28 のパイロットは気象状態のチェック
を怠ってしまいます。
不意に IMC へ突入してしまいますが、 ラッ
キーな事に ATC は、 直ちにこのパイロットの
レスキューを開始し始めます:ASRS 編集部
40
2009 JAN
・トラフィック・パターンを飛行し、 何回か離
着陸訓練をしよう、 と決めました。
気象状態はマージナル VFR ですが、 シーリ
ングは OK のように見えます。
ミストが立ち込めています。
北を見るとミストでかすんではいるものの、
山々が見えます (5マイル近く離れています)。
私は南に向かい、 離陸を。
所々青空も見え、 南風が吹いていましたから。
上昇中、 ミストは弱い雨に変わり、 視程も急
に悪くなります。
白い壁が立ちはだかり、 後ろにある空港も見
えなくなってしまいました。
どうしたら良いのか、 まったく判りません。
トラフィック・パターンに近い高度を飛行し
ています。
旋回を開始し、 高度を下げて空港を探そうと
しましたが、 もう機体の操縦だけで手一杯の
状態に…。
アティテュード・インディケーターを見なが
ら主翼を水平に保ち、 ゆっくりと上昇し始め
ます。
上昇出力を絞り、 航空機を操縦し続けなくて
はなりません。
事態は一向に良くなりません。
その時2,000フィートを飛行していました、
バーティゴの恐怖と戦い続けていたんだ、 と
思っています。
何とかチャートを取り出し (必死になって航
空機を操縦しながら、 です)、 アプローチの
周波数を探し出し、 助けを求めます。
応答してくれました!
管制官はトランスポンダーのコードを指示し
てくれ、 他の周波数に切り替えるように、 と
も指示してくれます。
誰だかわかりませんが、 その送信は私にとっ
て大きな手助けに。
高度計の規整値、 このほかにも多くの指示を
私に与えてくれます、 旋回は全て1/2標準旋
回率で行うこと、 速度計、 高度計に注意する
ように、 そして旋回が終了したら主翼が水平
になっていることを確認し、 その旨こちらに
送信するように、 等々。
1,200フィート MSL 付近で雲の外に、 そし
てランウェイも私の目の前に。
今回の IFR 時間は、 約30分でした。
通常、 マージナルな気象状態で飛行すること
など無かったんですが…トラフィック・パター
ンを飛行するだけだから、 とつい安全性を無
視してしまい、 とんでもない問題を引き起こ
してしまったんだ、 と思っています。
飛行前の計画と気象状態のチェックが不十分
なまま飛行してしまったことは、 大きな誤り
でした。
A PA-28 pilot neglected preflight weather planning because he just "planned to stay in the pattern." After he inadvertently entered IMC, ATC fortunately came to his rescue.
・I had decided to perform some takeoffs and landings. The weather was marginal VFR with
an observed ceiling that looked OK. There was mist in the air. Looking north I could see the
mountains (about 5 miles) in mist, I was taking off to the south. I could see some occasional
flashes of blue sky, and the wind was from the south. During climbout the mist became light
rain and the visibility was becoming worse. Then the wall of white came and made the airport
behind me disappear. I had no plan for this event. I was just barely at pattern altitude. I
started to turn and was going to descend to try to find the airport, but I could already tell
that I had my hands full. I was concentrating hard to keep the attitude indicator wings level
and I started a slight climb. I now had to reduce climb power and keep the plane under control. By now I was at 2,000 feet, but fighting to keep the attitude indicator under control
Things were not good, I believe I was fighting vertigo I then retrieved my chart (yes, it was
a struggle to maintain control of the aircraft while doing this) and was able to tune in Approach and made my call for assistance. They answered! [The controller] had me enter a
2009 JAN
41
transponder code then tune to another frequency. Having someone to talk to was a great
help. He gave me the altimeter setting, started giving me instructions, all turns were half
standard rate, he kept reminding me to watch the airspeed, altimeter, and would have me
call out when wings [were] level after the turns. At about 1,200 feet MSL I came out of the
clouds with the runway in front of me. The total time in IFR was 30 minutes.
I normally don t fly in marginal conditions, but by believing that I was just staying in the pattern, I gave myself a false sense of security, and ended up with extreme problems. The decision to take flight was in error due to improper weather/preflight planning.
“シーリングは飛行している高度まで低くなって”
VFR で飛行していた計器飛行証明を持つプ
ライベート・パイロットは、 大切な気象に関す
るレッスンをいくつか、 再び受けてしまいます;
予報より悪い気象状態になる可能性のあること;
予想より短時間のうちに悪化する可能性もある
こと;インシデントを安全に解決するには、 エ
マージェンシーの宣告が最良の方法であること:
ASRS 編集部
・ZZZ 空港から ZZZ1 空港に向け、 3,000フィー
トで飛行し、 クラスBエアスーペースへの進
入許可を貰い、 河沿いのリバー・コリドーを
飛行しながら1,500フィートへ降下しています。
ZZZ 空港の天候は、 4,000フィート以下には
雲の無い状態でした。
離陸する前に調べた ZZZ1 空港の予報による
と、 シーリングは3,000フィート。
港を横切る時の気象状態は、 視程5マイルで
ヘイズ、 飛行前に受けたブリーフィングどお
りです。
リバー・ルートの半分ぐらいの所まで来ると、
私の下には霧が層になっています、 そして上
空のシーリングは低くなり、 今飛行している
高度位。
辺りが見えない状態になってしまうのももう
直ぐ、 コリドーの幅は狭く、 この中で180度
旋回をするのはとても無理だ、 と感じた私は
2,500 フ ィ ー ト ま で の 上 昇 を 開 始 し 、 も う
VFR を維持できません、 と現在の状態を
ATC にも告げます。
もちろん、 IFR クリアランスを要求しまし
た…… ZZZ2 空港へのクリアランスを貰い……
特に何事も無く ZZZ2 空港に着陸しました。
今回の原因その1、 予報よりも早く気象状態
が悪化してしまったこと。
原因その2、 気象状態が急に悪化することは
無いだろう、 と安易に思い込んでいたこと…こ
れからは飛行中にも気象状態 (ATIS、 エンルー
ト、 フライト・ウォッチ、 等から) を調べよう、
と思っていますし、 天候が急変するようだった
ら、 飛行を取り止めよう、 とも思っています。
次に、 気象状態がマージナルの時には、
VMC を維持できなくなったら直ちに ATC
に援助を求めるつもりです。
そして最後として、 安全に飛行するため、 必
要だと感じた場合には“エマージェンシーを
宣告”するつもりです。
An instrument-rated private pilot on a VFR flight relearned several important weather-related
lessons: Conditions can be worse than forecast; they may deteriorate more rapidly than
42
2009 JAN
expected; and an emergency declaration may be the best way to ensure a safe incident resolution.
・I was flying from ZZZ to ZZZ1 at 3,000 feet, descending to 1,500 feet along the river corridor
after obtaining a Class B clearance. Weather at ZZZ was clear below 4,000 feet. Forecast for
ZZZ1 was 3,000-foot ceilings. Crossing the harbor, visibility was 5 miles in haze, as forecast
in my preflight briefing. After reaching approximately the midpoint of river route I found
that a low layer of fog had formed under me, and the ceilings above me had dropped to my
altitude. Because I could no longer maintain visual contact with the environment, and because narrowness of corridor precluded a safe 180 degree turn, I initiated an immediate climb
to 2,500 feet and informed ATC, saying that I was unable to maintain VFR...I asked for an
IFR clearance... and received a clearance to ZZZ2...and landed without difficulty.
First, the flight conditions turned out to be worse than forecast. Second, I did not appreciate
the rapidity with which the conditions were deteriorating In the future, I will try to make better use of inflight weather advisories (ATISs enroute, Flight Watch, etc.) and terminate
flight if conditions are deteriorating rapidly. Second, if conditions are marginal, I will try to
work out with ATC in advance what I should do if I lose VMC. Third, I will use the words 'declare an emergency' if I feel I need more immediate handling for safety.
“失速が差し迫って”
高高度を飛行していた社用機、 セスナ・サイ
テーションのフライト・クルーは積乱雲を回避
している最中、 予想もしない急激な外気温度の
上昇と遭遇してしまいます、 勿論、 エンジン性
能も大幅に低下してしまいます:ASRS 編集部
・IFR フライト・プランをファイルし、 FL430
で飛行していました……外温度 (RAT) は
−45℃、 ATC に FL450 まで上昇したいと要
求します。
許可は貰えません、 60マイルほど前方に悪天
候の空域があるので、 30ノーティカル・マイ
ルほど (右へ)、 オフコースしたんですが、
と再度要求を。
VMC の中、 最も大きなセルを (右へ) 回避
している途中、 マック0.73で IMC の中に、
時々カタカタッと機体が揺すられるライト・
タービュランスを感じながら、 細かな氷の粒
を飛んでいます。
この時、 速度が急に低下しつつあることに気
づき、 パワーをテイクオフ・スラストまで増
加させました、 それでも速度はどんどん下が
り続け、 ついに 150KIAS まで、 たまらず低
高度への降下を要求しました。
ATC も忙しいようで応答すらしてくれませ
ん、 このままでは失速してします、 降下する
以外に方法はありません。
私達の航空機はキャプテン2名で飛行してい
て、 もう1人のキャプテンは何とか ATC に、
FL410 に 降 下 中 で あ る こ と 、 何 と か 速 度
150KIAS を維持しているが、 降下している
にもかかわらず増速出来ない、 IMC に突入
する前にエンジン、 主翼前縁のアンチ・アイ
スを ON にしたが、 尾翼のディアイサー・
ブーツは、 使用限界温度以下なので使用して
いない、 と状況を伝えることが出来ました。
セルの中、 気温は−20℃まで急上昇してしま
います。
FL410 を飛行中、 マニュアルで尾翼のブー
ツを作動させ、 限界のテイクオフ・スラスト
を保ち続けます。
この後すぐ、 セルの外に出ます、 そして速度
も徐々にですが、 マック0.73に復帰し始めま
す、 この時のパワーはクライム・パワー。
2009 JAN
43
この後の50マイル、 あるいはそれ以上の距離
は、 通常のパワー・セッティングでマック
0.73を維持することが出来ました。
速度が急速に減少したとき、 機体部分への着
氷は無かったんですが、 ともリポーターは付け
加えてくれました:ASRS 編集部
The flight crew of a corporate Cessna Citation was deviating around thunderstorms at high altitude when they encountered a rapid, unexpected, and very large increase in temperature that significantly reduced engine performance.
・On IFR flight plan cruising at FL430…Initial OAT (RAT) -45 degrees Centigrade, had requested from ATC to climb to FL450. Request denied, had weather approximately 60 miles
ahead, so asked for 30 nm (right) of course. Was in VMC, while deviating (right) of largest
cells, entered IMC at Mach .73, only occasional light turbulence in some frozen precipitation.
Started to notice rapid airspeed decrease, advanced thrust to takeoff thrust, still airspeed
decreasing rapidly now to 150 KIAS, requested lower. ATC was very busy, no reply from
ATC, had no choice but to start descent as a stall was 'imminent.' Co-Captain was able to notify ATC we were in a descent to FL410, was able to maintain 150 KIAS but not increasing in
descent, had all (wing, engine) anti-ice on prior to entering IMC, did not have tail de-ice on
because of boot temperature limit. Inside cell temperature rapidly... [increased to] -20 degrees. At that point at FL410 manually activated tail boots, maintained takeoff thrust to
limit. Shortly after, exited cell, and airspeed began slow increase back to Mach .73 at climb
power. Fifty or so miles more was able to maintain Mach .73 with normal power settings.
Our reporter added that no airframe icing was visible while the airspeed was rapidly decreasing.
“思った通りにすればよかったのに”
ビーチ55のパイロットは、“規則には触れな
いものの、 好ましい行為ではないな”と感じな
がらも ATC の支援を受けられる IFR フライト・
プランを早い時期にキャンセルしてしまった自
分のケースについて、 リポートを寄せてくれま
した:ASRS 編集部
・離陸する時点で、 私が選定した代替空港の気
象状態は、 代替空港に指定できる条件以下に
なってしまいました。
FSS に連絡し、 代替空港を変更すればよかっ
たんですが、 なぜか私はしません。
離陸後、 センターに代替空港の変更を要求す
る事も出来たはずなんですが…。
44
2009 JAN
目的地の空港に接近した時、 地霧の層がかな
りありましたが、 高度2,300フィートからラ
ンウェイを視認出来ました。
ランウェイ22のレフト・ダウンウインドへ進
入を。
付近を飛行している定期便の航空機にリレー
してもらい、 センターに連絡します。
内容は IFR のキャンセルで、 すぐセンター
も承認を、 キャンセルしない方が良い気象状
態だな、 と自分では思っていたんですが。
ベース・レグに向かい、 降下し始めましたが、
ランウェイを見失ってしまいます。
ファイナルに旋回し、 また空港を見つけまし
たが、 安全に着陸するには高度は高すぎるし、
その上速度も多すぎます。
着陸をあきらめました。
3,000フィートまで上昇し、 代替空港へ向か
います……この間、 何とかアプローチあるい
はセンター、 さもなければリレーしてくれる
航空機は近くを飛行していないか、 と交信出
来る相手を探し続けます。
何回か交信を試み、 やっとアプローチと交信
でき、 これまでの状況を説明します。
彼らは ZZZ 空港までのクリアランスをくれ、
ILS ランウェイ04アプローチを許可するつも
りだ、 と私に。
このセクターを飛行している航空機が多い為、
あちらこちらへと誘導されました。
そうこうしている内、 ZZZ 空港の天候は悪
化し始め、 AWOS もシーリングがミニマム
以下になったことを報じています。
私はパート91に従って飛行していたので、 私
は“自分の目で見ながら”わずかですが、 ミ
ニマムの高度まで降下し雲の外に出て、 セン
ターラインに西側に、 そしてランウェイの長
さをかなり残した状態で着陸しました。
今になって考えてみると、 私の心の声を聞き、
IFR フライト・プランをキャンセルしなけ
れば良かったな、 確かに私は自家用機の運航
(パート91) をしていたし、 センターもその
方法でアプローチしたら?と言ってくれまし
た。
確かに規則違反にはならないんですが、 良く
ない行為だな、 と思っています……。
A report from a Beech 55 pilot concluded that "no good deed goes unpunished" −in this case,
cancelling an IFR flight plan prematurely to oblige ATC.
・...By the time I departed, my alternate was below legal limits for an alternate. But calling FSS
to correct the alternate I thought was a losing proposition. I should have asked Center to correct it during my departure. I got to my destination and could easily see the runway from
2,300 feet, even though there was an extensive layer of ground fog. I entered a left downwind
for Runway 22. I was communicating with Center via relay with an air carrier. I was asked if
I could cancel IFR and agreed to cancel even though my gut said it would be better not to.
As I descended onto base leg, I lost sight of the runway. I turned final and once again picked
up the field, but I was too high and fast to land, so I went around. I could again easily see the
runway on downwind, but once again lost sight of the runway as I descended and turned base
only to once again pick up the field too late to land safely. I abandoned my attempt to land.
I climbed to 3,000 feet and headed to my alternate while attempting to contact Approach,
Center, or an aircraft for a relay. I finally contacted Approach after several attempts and explained what had happened. They cleared me to ZZZ and to expect the ILS Runway 04 approach. They vectored me extensively due to traffic in the sector. In the interim, the AWOS
indicated worsening weather at ZZZ with ceilings below minimums. Since I was flying under
Part 91, I elected to fly the approach to have a 'look see I broke out at minimums slightly to
the west of the centerline, corrected, and landed with a lot of room to spare. In retrospect,
I should have listened to my gut and not cancelled my IFR flight plan, even though there was
a perception on my part that I was doing Center a favor by doing so. No good deed goes unpunished....
2009 JAN
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“機体を操縦出来なくなってしまって”
悪天候により、 酷い目にあうのは飛行中のパ
イロットだけではありません。
着陸時の風向風速は、 地上でもパイロットに
最良の操縦テクニックの維持を要求します。
詳しくは、 C172 航空機のパイロットの話を
聞いてください:ASRS 編集部
・朝早くに離陸して4時間ほど飛行し、 戻ろう
としていた時、 他のパイロット達が、 ZZZ
空港はウインドシアーがある上、 ガスト交じ
りの風で着陸は難しいよ、 と交信しあってい
る声が聞こえます。
周辺にある空港の気象データを調べました。
風向風速から見て、 着陸には ZZZ 空港が一
番良い、 と判断します。
うまく着陸できました。
タクシーし、 空港のタクシーウェイDに入っ
た途端、 風は私の機体のテイルを持ち上げて
しまい、 機首は下がってしまったうえ、 左主
翼の先端はタクシーウェイの外側を擦ってし
まいます。
正しく、 右後方からの風に対する修正操作を
していたんですが。
機体を操縦できなくなってしまい、 機体はタ
クシーウェイを飛び出し、 草地を通過し、 す
ぐ近くにある作業用の道路上に。
この作業用の道路上に機体を停める事が出来
ました。
着陸する前、 最後に聞いた風向風速は、 290
度27ノット、 ガスト34ノットでした。
録音されていた ATIS によると、 風向風速
は300度27ノット、 ガスト42ノット (確認し
ていませんが) です。
着陸する前から、 操縦不能にならないよう十
分に注意していたんですが、 あまりに風が強
すぎ、 操縦出来なくなってしまいました。
この方は、 タクシーウェイから押し出されて
しまう時“まるでジャイアンツの腕で持ち上げ
られてしまったような感じがしました”とも話
してくれます。
この出来事で、 プロペラとウイングチップを
破損したそうです:ASRS 編集部
In-flight encounters with weather are not the only concern that pilots must have. Wind conditions
at landing can challenge a pilot's best efforts to maintain control. More from a C172 pilot.
・Took off early in the morning flew for about 4 hours and heard pilots having windshear and
gusty wind problems at ZZZ. Searched for weather data for surrounding airports. ZZZ had
winds right down the runway and was best choice for landing. Landed the airplane fine.
When taxiing after turning onto Taxiway D at the airport, the nose dropped forward, the
wind lifted my tail up and the airplane went left wing down off the taxiway. I had the proper
wind correction in for a right quartering tailwind. I lost control of the plane once it went off
the taxiway over a patch of grass and onto an adjacent service road. I was able to stop the
plane on this service road. The final wind check I received before landing was [wind from] 290
degrees at 27 knots, gusting to 34 knots. The ATIS recorded [wind from] 300 degrees at 27
knots, gusting to 42 knots (unconfirmed). I feel I took all the proper precautions to prevent
46
2009 JAN
losing control of the airplane, but wind was just too strong to prevent loss of control.
This reporter added that during the taxiway excursion, the aircraft "felt like it was being lifted by
a giant hand." Damage was done to the wingtip and propeller.
“機体は急に沈み始めて”
標高の高い空港から離陸した社用ターボプロッ
プ機のフライト・クルーは、 離陸時、 加速が一
時的に鈍ったことを感じますが、 時すでに遅く、
その原因は強烈なネガティブ・ウインドシアー
にあったんです:ASRS 編集部
・ランウェイ03の離陸許可を得ました。
操縦するのはファースト・オフィサー。
最新の METAR (ほぼ1時間前の情報です
が) は次の通りでした:日付と時刻、 風向風
速 050/06KT 、 視 程 10SM 、 雲 量 雲 高
SCT110、 気温と露点温度19/M06、 気圧規
整値 A3000.
吹流しと旗を見て風は弱いな、 と感じていま
した。
性能表を見て加速/停止距離、 加速/離陸距
離共に申し分ないな、 とも思っていました。
南にはブロークン程度の雲とバーガ (Virga:
竜尾末雲)、 そして北側にはスキャターから
ブロークン程度の雲が。
ランウェイは乾いていて、 綺麗なもんです。
ローテーション・スピードは、 離陸重量から
6ノット多くしました、
これでアンスティックもクリアーできるはず
です。
最大出力にしてからブレーキを解除。
80KIAS で行うコールアウトの後も、 加速は
正常。
87KIAS 付近でいったん加速は鈍りますが、
この後の加速は正常でした。
いつも通りに機首を挙げ、 TOGA V バーに
あわせた姿勢で離陸、 でも機体は沈み始めて
しまいます。
通常の離陸時の加速は感じられるんですが、
IAS は急速に低下…離陸してから2、 3秒
後、 メイン・ホイールは再び滑走路面に接地
してしまいます…この接地と同時に私が操縦
し始めます、 フル・リバースにし、 タイヤを
ロックさせない程度、 強くブレーキを踏みま
した。
エンドまで、 2,500フィートほど残っていま
す。
IAS は、 まだ100ノットも…舗装面のエンド
まで滑走した私は、 リバースをフルにしたま
ま機首を10度ほど左に変え、 ローカライザー
のアンテナにぶつからない様にし、 砂交じり
の地面の上でブレーキもフルに踏んでいまし
た。
ファースト・オフィサーもブレーキ操作を助
けてくれ、 機体が停止する前にエンジン緊急
停止操作を行ってくれます。
機体はランウェイ・エンドを500∼600フィー
トほどオーバーして停止。
緊急脱出は不要と判断した後、 機体の外に出
た私の目には、 見た目には無事なランディン
グ・ギアが。
しかし数分後、 ブレーキを最大限に使用した
結果、 その発熱によってヒューズ・プラグが
作動したんでしょう、 両方のメイン・タイヤ
から空気は抜けてしまいます。
20ノット以上の風がランウェイ方向、 つまり
追い風として吹いていたんだ、 と気づきまし
た。
最新の METAR は……風向風速340度12ノッ
ト、 ガスト23ノット、 と報じています。
空港の作業車両を待っている間に、 ランウェ
イも21に替わります。
今回の原因はローテーションする際、 強烈な
ネガティブ・ウインドシアーと遭遇した為だ、
2009 JAN
47
と思っています……もう一度今回と同じよう
な状態となったなら、 IAS の増加が一瞬躊
躇した段階で、 離陸を中断するつもりで居ま
す。
私達が受けた訓練では、 機体の火災、 エンジ
ン故障、 あるいは機首方向を維持できない場
合を除き、 80ノット以上の速度で離陸を中断
する事は無かったんです。
80ノットに達する間、 特に異常は無かったの
で、 ファースト・オフィサー、 そして私も離
陸を継続したんです。
この状態で離陸、 そして上昇し続けられたと
しても、 何らかの CFIT に巻き込まれていた、
と思っています。
The flight crew of a corporate turboprop ignored a subtle IAS hesitation during takeoff at a highaltitude airport and recognized too late that it was a "strong negative windshear."
・Cleared for takeoff on Runway 03. First Officer was at the controls. Current METAR (nearly
1 hour old) as follows: Date and time 050/06KT 10 SM SCT110 19/M06 A3000. Light wind
was confirmed by observation of windsock and flags. Review of performance charts showed
comfortable margins for acceleration/stop and acceleration/go. Broken clouds and virga
were noted to the south, scattered to broken clouds were observed to the north. Runway was
dry and clean. Rotation speed was increased by 6 knots over that required for our takeoff
weight to assure clean unstick. Max power was set before brake release. Acceleration was
normal until after 80 knot status check and callout. Momentary hesitation of IAS increase
was noted at approximately 87 knots, followed by resumption of normal acceleration. Normal rotation to TOGA V-bar pitch attitude resulted in lift-off, but the aircraft immediately
began to settle. IAS was decreasing rapidly in spite of subjective feel of normal acceleration...Main wheels contacted the runway 2-3 seconds after liftoff...When the mains touched
down, I took the controls and applied full reverse and moderate braking (to avoid wheel lockup). Approximately 2,500 feet of runway remained. IAS was less than 100 knots...Upon
reaching the end of the pavement, I steered 10 degrees left to avoid the localizer antenna
berm, continued full reverse, and applied max braking on sandy soil. First Officer assisted
with braking and executed the emergency shutdown procedure before the aircraft came to
rest. The aircraft stopped approximately 500-600 feet past the end of the runway. After assuring the emergency egress was not required, I exited the aircraft and found all landing gear
intact and no visible damage. Both mains deflated within a few minutes when the fuse plugs
activated from the heat generated by the max braking effort. I noted a strong, steady wind,
estimated to be in excess of 20 knots, coming from the direction of the runway. The new
METAR...showed 340 degrees 12 knots gusting 23 knots. Runway was changed to Runway 21
while we were waiting for service vehicles to arrive.
The event is the result of a strong negative windshear at rotation...If I had to do it again, I
would discontinue the takeoff at the point where the IAS hesitated momentarily. Our training
discourages aborting after 80 knots except for fire, engine failure, or directional control. The
First Officer and I were primed to continue in the absence of an abnormal indication prior to
80 knots. In this situation, I do not believe the aircraft could have remained airborne and
climbed to avoid a CFIT outcome....
48
2009 JAN
GA:ジェネアビ情報
国内のエアロバティックス活動
奥貫
国内のエアロバティックス活動
これまで、 国内でのエアロバティックス活動
は、 展示飛行が主体でしたが、 昨年は、 様々な
前進がみられた一年でした。
3月には枕崎空港で FA200 による規定科目
のエアロバティックス競技会が行われました。
参加選手は6人でしたが、 FAI の方式の採点
の試行による、 国内では初めての飛行機のエア
ロバティックス競技会となるものでした。
7月には室屋義秀選手が、 アンリミテッド・
クラス・エアロバティックスのヨーロッパ選手
権に参加され、 立派な成果を残されました。 8
月には内海昌浩選手が、 アドバンスド・クラス
の世界選手権に参加され、 これまた立派な成果
を残されました。
11月には、 栃木県のツインリンクもてぎで、
FAI エアロバティックスのワールド、 グラン
プリが開催されました。 今回は、 若手の世界の
トップクラスの参戦があり、 その鮮烈なフライ
トが目を引きました。
また、 エアロバティックスの機体としては、
スーパー・デカスロン、 ピッツ S-2B、 エクス
ト ラ 200 (200 馬 力 複 座 ) 、 エ ク ス ト ラ 300L
(300馬力複座) の4機が日本に上陸しました。
このように、 国内でのエアロバティックス飛
行環境が充実しますと、 待望の全日本エアロバ
ティックス競技会も話題に上がるようになりま
した。 その辺の現状と展望を以下に報告します。
博
FA200 のエアロバティックス
競技会
昨年の3月、 枕崎飛行場で FA200 によるエ
アロバティックス飛行の競技会が行なわれまし
た。 規定課目は以下の要素を含むように構成さ
れ、 PILOT 誌上で事前公開されました。
・ループ (宙返り)、 1/2ループ
・ロール (横転)、 1/2ロール
・スピン (きりもみ)
・垂直ライン、 45度ライン
採点は FAI 競技会の方式とし、 課目ごとの
基準得点に達成率を掛け、 ポジショニング、 ペ
ナルティ等を加えて合計得点としました。
また、 背面飛行装置の無い機体での実施、 高
初級エアロバティックス競技規定課目
2009 JAN
49
度ロス 2000Ft 以内、 1Km 四方の区域での実
施が考慮されました。
結果は以下の通りでした。
順位
1
2
3
4
5
6
選手
原田
茂
熊谷 光剛
管
聖
高崎 克也
三好 恒紀
福田 活夫
得点
646.0
604.5
508.0
380.0
364.0
209.0
%率
85.0
79.5
66.8
50.0
47.9
27.5
初級エアロバティックス競技の結果
下位の3選手は、 いずれも実力者なのですが、
得点が伸びませんでした。 この辺が競技の厳し
さであり、 また楽しさと言えると思います。
このようにして、 FAI エアロバティックス
競技採点方式の試行で行われた初級エアロバ
ティックス競技会は、 大きな成果と手応えを得
て、 無事に終了しました。
FAI アドバンスド・クラス
エアロバティックス世界選手権
第8回 FAI アドバンスド・クラス・エアロ
バティックス世界選手権は、 2008年8月1日∼
8月9日の間に、 米国のオレゴン州ペンドルト
ンで開催され、 日本代表として内海昌浩選手が
参加しました。
使用機体は Extra 300L です。 昨年迄は複葉
の PittsS-2B で競技を行っていたのですが、 マ
イナスGの課題が多いアドバンスド・クラスの
競技には耐えられず、 機体強度及び性能が優れ
る Extra 300L に変えて参加との事。
そのため2ヶ月前の6月の初旬には渡米し、
昨年の全米チャンピオンで IAC 会長の Vicki
Cruse の指導を得て、 3日訓練、 1日休養のパ
ターンで集中訓練を行った結果、 7月中旬には、
安定したスコアが出る状態になったとのことで
す。 スポーツの競技ですから、 優秀なコーチの
元での、 計画的な訓練は必須なのです。
さて、 競技の結果ですが、 コーチには技術的
には15位から20位が可能と言われていたものの、
結果は36名中の25位でした。 世界選手権レベル
の競技会での経験が不足のため必要以上の緊張
があり、 ミスによる無得点、 また、 力が入った
固い操作等の減点が響いたようです。
しかし、 競技環境にも慣れてきた後半戦では、
最も難易度の高い課目も、 ノーミスで飛ぶこと
が出来たとのことですから、 今後大会経験を積
み、 固さがとれて、 実力が発揮できるようにな
れば、 上位入賞も可能となることでしょう。
総合順位は以下の通りでした。
1
2
3
4
5
25
Team
USA
HUN
IRL
USA
USA
日本
Pilot
Robert Holland
Tamas Illes
Eddie Goggins
Todd Whitmer
Hector Ramirez
内海 昌浩
得点
7381.44
7232.07
7080.66
7045.95
7039.32
5789.27
%率
76.10
74.56
73.00
72.64
72.57
59.68
アドバンスドクラス・世界選手権の結果
日の丸を貼った愛機でタクシーアウト
スターターと談笑する内海選手
50
2009 JAN
選手権者のフランスのパトリック・パリス氏を
コーチとして訓練を開始しました。 冬季間はス
ペイン/マドリッドをベースに、 一週間の日程
でトレーニングを行い、 4月までに計6回のキャ
ンプを実施しました。 5月には大会現地近くの
チェコ国内で2週間のトレーニングを経て大会
に臨んだとのことです。
長期間の訓練の成果で基本技術は、 上位パイ
ロットと遜色のないものとなったものの、 競技
の結果は52名中の38位で、 精神コントロールを
含めた飛行時の余裕の差が結果として出てしまっ
たとのこと。 特に難易度の高いアンノウン競技
では、 経験不足もあり大きく差が開いてしまっ
たとのことですが、 競技の要点は習得できたの
で、 次回以降の参戦では上位に食い込める基礎
が出来上がったとのことです。
アドバンスド・クラス競技課目の例
FAI アンリミテッド・クラス・
エアロバティックス ヨーロッパ選手権
第16回 FAI アンリミテッド・クラス・エア
ロバティックスヨーロッパ選手権は2008年7月
5日∼7月13日に、 チェコ共和国の Hradec
Kralov で開催され、 日本代表として室屋選手
が参加されました。 使用機体は前回のスホーイ
26から、 Extra 300S に変えての参加です。
室屋選手は、 この選手権に向けて、 2007年10
月から準備を開始し、 同年12月からは98年世界
使用機のエクストラ 300S
全競技種目の総合順位は以下の通りでした。
1
2
3
4
5
38
Team
RUS
HUN
IRL
USA
USA
日本
Pilot
Mikhail Mamistov
Renaud Ecalle
Oleg Spolyansky
Svetlana Kapanina
Elena Klimovitch
室屋 義秀
得点
7391.17
7355.09
7328.27
7308.90
7307.56
5960.30
%率
79.05
78.66
78.38
78.17
78.16
63.75
(室屋選手は欧州圏外からの参戦なので順位は参考)
アンリミテッドクラス・欧州選手権の結果
パトリック・パリス コーチと室屋選手
2009 JAN
51
FAI エアロバティックス・ワールドグランプリ
FAI WORLD GRAND PRIX 2008“HAUTE
VOLTIGE”Aerobatics Japan Grand Prix
これまでのエアロバティックスの競技会は、
いずれも選手のためのものですが、 この、 FAI
アンリミテッドクラス競技課目の例
上の図で、 点線はマイナスGの演技部分を示
しますが、 アンリミテッド・クラスでは、 この
マイナスGの部分が非常に多くなっています。
また、 大きなプラスGから、 一気にマイナスG
に変化する過酷な部分もあります。
室屋選手によれば、 現在のレベルでの訓練を
3年ほど続けると非常に高いレベルで参戦が可
能になることが実感できたとのことです。
今後の成績を上げるには、 選手への本格的な
支援策 (スポーツ競技を統括する文部科学省等
への打診等) の準備も視野に入れた検討を行う
必要があるでしょう。
更に、 日本人審判がいないことは、 点数及び
情報の収集に大きなハンディーになるとのこと
ですので、 この辺の準備を進めていく必要があ
るでしょう。
52
2009 JAN
エアロバティックス・ワールドグランプリは、
FAI 区分の最上級 (アンリミテッドクラス)
の機体による、 アエロバティックス飛行競技に、
見ていただくための演出を加えたものです。
“HAUTE VOLTIGE”とは、 フランス語で、
「最高位のアエロバティックス飛行」 を意味し
ます。 選手は登録した曲に合わせ、 一定の空間
と時間の中で、 スモーク航跡の演出と共にアエ
ロバティックス飛行を行い、 難易度の高い課目
の正確な実施と芸術性により勝敗を競います。
今年は、 7名のソロパイロットが参加しまし
た。 中でも最年少パイロットとして今年初参加
のフランスの、 ルノー・エカーレ選手は、 世界
選手権、 欧州選手権でも2位の成績の精鋭でし
たが、 正確に管理されたテンポの良い飛行で、
今回は見事初優勝に輝きました。
スペインから初参加の、 カストール・ファン
トーバ選手は、 こちらも世界選手権の上位入賞
の実力を発揮し、 スホーイ26を自在に扱って、
2位に輝きました。
初参加でのこのような優秀な成績はこれまで
に例がなく、 この2人の成績は、 新しい時代の
始まりを感じさせるものでした。
最年少初参加で優勝のルノー・エカーレ選手
安定感等大きな成長が見られた室屋選手
初参加で2位のカストール・ファントーバ選手
このイベントの常連、 ロシア勢のスベトラー
ナ・キャパニナと、 ヴィクトル・チュマルは、
手堅く演技をまとめ、 3位と4位になりました。
スベトラーナ・キャパニナ選手
自ら設計した Xtream Sbach342 で競技に臨
んだフィリップ・シュタインバッハ選手は5位
でしたが、 そのフライトは、 2シーターのハン
ディを感じさせないものでした。
日本の室屋選手の、 曲に合った正確で完成度
の高い演技は、 大きな成長を印象付けるもので
したが、 技術的なチャレンジがやや不足したの
か、 6位に終わりました。 初参加の、 マーティ
ン・アルブレヒト選手の演技も端正で好感の持
てるものでしたが、 得点は伸び悩みました。
終ってみれば、 順位は世界選手権やヨーロッ
パ選手権の再現でしたが、 総じて競技のレベル
は高く、 見ごたえがあるものでした。 このイベ
ントは、 今年で休止とのことですが、 またいつ
の日かの再開を望みたいものです。
1
2
3
4
5
6
7
Team
FRA
ESP
RUS
RUS
GER
日本
AUT
Pilot
Renaud Ecalle
Castor Fantoba
Svetlana Kapanina
Viktor Tchmal
Phillip Steinbach
室屋 義秀
Martin Albrecht
得点
12,125
12,033
11,973
11,418
11,028
11,003
10,305
日本グランプリ最終成績
フィリップ・シュタインバッハ選手
表彰台の選手達
2009 JAN
53
新しい動き
昨年の日本における飛行機の様々なエアロバ
ティックス競技の活動を紹介してきましたが、
昨今は、 更に新しい動きが見えてきました。 そ
の筆頭は、 福島スカイパークで行われているエ
アロバティックス活動といえるでしょう。 農道
空港からスタートした同離着陸場は、 空と農業
を融合させたスカイアグリ事業の中心に室屋選
手の活動を始めとするエアロバティックスを位
置付け、 活発な活動を展開しています。 エアロ
バティックス競技は、 一辺を 1000m とする立
方体の競技空域を設置するところから始まるの
ですが、 福島スカイパークは、 最適な地形的条
件を備えていると言えます。
また、 同スカイパークでは、 昨年、 これまで
の室屋選手のエクストラ 300S の他に、 200馬
力複座型のエクストラ200が加わり、 本格的な
エアロバティックスのベースの様相になってき
ました。 あの茂木でのエアロバティックスの元
チャンピオンのユルギス・カイリスも、 機体を
一時、 ここに預けて活動を行っています。
その他、 関西、 九州方面での、 スーパー・デ
カスロン、 及び、 エクストラ 300L の日本上陸
も現実のものになりました。 これだけの機体と、
愛好者の増加となれば、 次は、 日本人による、
エアロバティックス競技会が話題になることで
しょう。 既に FA200 では、 試行的に、 エアロ
バティックスの競技会を実施していますが、 ま
だ、 ラインジャッジ等を設置した正規のもので
はありません。 きちんとした競技空域を設置し、
規定課目と共に事前に公表し、 練習に利用でき
る体制を整えれば、 初級の FA200 から、 アン
リミテッド・クラスの300馬力単座のエクスト
ラ 300S 迄、 様々なクラスでのエアロバティッ
クス競技会実施も、 夢では無いでしょう。
2009年は、 その辺を具体化すべく新しい取り
組みの準備の年になることが期待されます。
54
2009 JAN
FA200の初級エアロバティックス
おわりに
国内のエアロバティックス活動に関する様々
な情報を提供させていただきましたが、 その一
方、 過去を振り返りますと、 この日本でも、 4
機のピッツと1機のスーパー・デカスロンが事
故で失われています。 いずれも日本人の搭乗に
よるものです。 また、 国内のエアロバティック
ス競技会で練習中の、 外国選手によるスホーイ
26の事故もありました。
それぞれ異なる要因があったのでしょうが、
これらの事故は、 現実として受け止めなければ
なりません。 事故を防ぐには、 確かな安全文化
の構築と、 その遵守が必要です。
日本は、 この分野では全くの後進国です。 経
験豊富な諸外国に学ぶことが必要です。
ピッツやエクストラ等の機体があっても、 そ
れに乗ればエアロバティックスが出来る、 とい
うことではありません。 これまでの FAI エア
ロバティックスの国際競技会の出場者は、 皆、
外国の文化の中で鍛えられてきました。 それら
の方々を中心に、 謙虚な姿勢で臨み、 コーチ、
ジャッジや、 ジュリー等、 国内で不備な部分を
補いつつ、 慎重に進めることが必要でしょう。
エアロバティックスの機材以前に、 先ずは安
全文化の構築が必要です。 この認識に立ち、 謙
虚に、 慎重に、 知恵と力を合わせ、 推進してい
くことが出来れば、 と思います。
我々パイロットは飛行機の Manual に従って運航しています。 しかしそれ以外に先輩・同輩に
加え後輩からの 「技術の伝承」 で培われた部分が大きいのも否定できません。 一人前の刀鍛冶に
なるのは、 少なくとも5年はかかります。 炎に照らされた鉄の色合いなどを見て判断する名工の
一挙手一投足から技術を盗む 「技術の伝承」 で一人前になります。
この新企画は、 刀鍛冶とまではいきませんが、 「技術の伝承」 「技術の研究」 を目指す読者のサ
ロンのコーナーです。
皆様からの投稿をお待ちします。
編集委員会
ETOPS 運航の概要を知る!
B767 機長
蔵岡
賢治
ETOPS 運航って何だ? と 2 ENG 機種を飛ばれていない方や Pilot でない方は思われるで
しょう。 ENG が2個しかない機材は一つの ENG が Fail すると緊急に飛行場に着陸しなければな
りません。 このため離陸に関して出発空港が天候等で離陸できても着陸できない場合、 1時間以内
に緊急着陸の飛行場 (TAKEOFF ALTERNATE AIRPORT) を選定する事が求められています。
同様に経路上も1時間以内に緊急着陸の飛行場が必要とされ、 これまでは洋上など飛行場から1時
間以内の島伝いと言える様な経路を運航していました。 しかし ENG が故障する確率の低下 (故障
しない訳ではない) や信頼性の向上と共に、 経路上の緊急着陸空港からの範囲が2時間、 3時間以
内、 と拡大されてきました。 この、 1時間の範囲を超えて運航するのが ETOPS (Extended Range
Operation with Two Engines Airplane) 運航です。
その概要を3時間以内の範囲 (180min Rule) で経路を選定するホノルル便を運航している
B767-300ER で考えてみます。 ETOPS 運航の Image は、 図−①Lateral と図−②Vertical を参照
して下さい。
ETOPS 運航:双発機 1 ENG 不作動・無風時、 Adequate APT (着陸可能飛行場) から60分
の飛行可能範囲を超え飛行ルートを選定する運航。 但し Suitable APT (当日
の天候や施設が着陸に適した空港) から120分または180分で飛行可能な範囲に
飛行ルートを選定しなければならない。 選んだ空港は Enroute Alternate APT
となる。
2009 JAN
55
図−①
ETOPS Image (Lateral)
図−②
ETOPS Image (Vertical)
ETOPS 運航は、 洋上経路等で緊急着陸空港まで1時間以上かかる場合の運航
に適用される。 4 ENG 機材以上に仕事量は多く、 洋上等の経路の飛行中も精神
的な Pressure は大きく、 実際に緊急事態になれば、 その仕事量や Pressure は
大きく増大する。
ETOPS 運航は Plan の段階で、 先ず進出距離に応じた Circle 以内を飛行でき
るか?を確認する。 図−①のホノルル∼成田の場合は、 出発/着陸空港及び緊急
着陸空港ミッドウェーの3時間 Circle で Plan され、 いずれの空港も WX や空
港施設等が着陸予想時間内では緊急着陸に適していなければならない。 もし、 大
圏コースに近い位置にあるミッドウェーが天候等で適していないならば遠く迂回
し燃料も多く必要になる。
56
2009 JAN
ETOPS 運航は、 ENG Fail だけ考えられていますね。 つまり Circle は ENG
が Fail し た ら 、 残 っ た ENG を 連 続 最 大 出 力 の MCT (Max Continuous
Thrust) にして 1 ENG で飛べる高度に、 B767 は M.80/300kts で徐々に降下
し、 燃料効率の良い Long Range で設定時間飛べる距離ですね。
しかし、 急減圧 (Decompression) の場合は10000ft に降下しなければならず、
図−②の表で、 TAS も小さく緊急着陸空港まで3時間以上要し ENG Fail だけ
より燃料消費が大きいですね。
搭載燃料は Decompression の場合の予備燃料も考慮されている。
しかし、 図−②の緊急着陸空港上空1500ft で Holding し、 Missed APP 後着
陸する燃料は、 通常経験しない残燃料約10000lbs 前後で、 経験の無いミッドウェー
等では Low Fuel と考えても良い量と言える。 ETOPS 運航の搭載燃料の決定は
慎重にした方が良い。 それでなくとも ETOPS 運航自体が精神的な Pressure が
かかる運航だからだ。
ETOPS 運航は、 その開始点である60分までに、 ホノルル、 ミッドウェーと成
田の WX や空港施設等が緊急着陸空港に適しているかどうか?を確認しなけれ
ばなりません。 その後、 空港間の中間点 ETP (Equal Time Point) は、 ホノル
ル∼ミッドウェー間、 ホノルル∼成田間、 ミッドウェー∼成田間の3個あります
ね。 60分と ETP を超える前に適宜 WX 等の確認が必要です。 しかし、 それらを
どう考えるのでしょうか?
図−①で、 ホノルルとミッドウェー間の ETP を過ぎて緊急事態に陥った場合、
より近いミッドウェーが緊急着陸空港となる。 しかし、 燃料は多いので、 ホノル
ルも緊急事態の状況に応じて3時間以内の緊急着陸空港の選択肢になる場合もあ
る。 ミッドウェーを過ぎて緊急事態に陥った場合は、 成田∼ホノルルの中間点も
近く燃料的にも Long Range より速い300kts でも3時間以上かかるホノルルの
選択肢は殆どなくなり、 ミッドウェーが緊急着陸空港となるだろう。
ミッドウェー∼成田間の ETP が近づくと残燃料も少なく、 緊急着陸空港の選
択肢は限られてくる。 この ETP を CPF (Critical Point of Fuel) と言い、 Plan
の段階でも緊急着陸空港上空での残燃料を確認し搭載燃料を考え、 実際の FLT
でも ETP 通過前に再度 WX 等々を考慮し確認するのは当然だ。
ETP や CPF は時間の中間点で、 図−①、 距離の中間点より、 追い風、 向い風
の関係で風上にズレる。 過去の ETOPS 運航で、 風が Plan より強く CPF が風
上にズレ、 緊急着陸空港への飛行には厳しい残燃料で、 CPF 通過後約30分間
急減圧が起こるな! と願う様な残燃料も経験もしている。
2009 JAN
57
ETOPS 運航では一旦事が起こると大変なので、 それ以上の Emergency Case
にならない様に、 ENG の他に FLT Control、 ELEC System、 Fire Protection、
Navigation System 等々、 必要条件が機種毎に設定されていますね。 ETOPS 運
航には、 これらの System の必要条件の理由は知らなければなりません。 Fuel
Save や地球環境対策の意味からも 4 ENG から2 ENG 機材への転換が、 外国他
社では10年程前から、 遅きに失した感の航空会社もありますが、 世界的に起こっ
ています。 避けられない事とは言え、 我々Pilot も対応が求められていますが、
ETOPS 運航は経験的にも Pilot への負担は増えていますね!
2 ENG 機材の ETOPS 運航は、 4 ENG 機材に比べ、 仕事量やより大きな精神
的な Pressure を Pilot に強いている。 Pilot はその事を十分に認識した上で慎重
に Plan し余裕を持って運航に臨む必要がある。 そして、 整備や運航管理等々の
地上支援体制も Normal で飛んでいるから! と緊張感を欠いた Back Up を
行ってはならない。 ETOPS 運航はより充実した地上支援体制が必要だ。 地上と
空中、 仕事に携わる考え方の Gap に関する問題は今までも起っているし、 その
Gap を無くす努力を Pilot にも地上支援体制にも望みたい。
ETOPS 運航では、 唯でさえ Pilot の負担が大きいのだから!
2 Engine 機材に ETOPS 運航が導入されて数年が経過しています。 世界的な流れとは言え、
その運航は Engine の信頼性の向上と共に拡大されてきました。 しかし、 この現在の故障率と
信頼性でも Engine の故障率が “0”Zero ではありません。 Engine 故障等緊急事態の場に
居合わせるのは Pilot です。 実際に、 1 Engine で洋上を2時間も飛行した例や、 緊急事態で
ミッドウェーに緊急着陸した例も起きています。
もしミッドウェーに緊急着陸した場合、 救援機を送る、 故障機を修理する等々、 Line 運航
をも圧迫するほどその影響は大きく、 Engine の故障率を下げ信頼性を上げる努力に十分過ぎ
るということありません。
運航支援体制も同様で 「もし緊急事態が発生したら?」 を Image すると容易に判ると思い
ます。
Normal に慣らされた環境は緊張感を欠く。 と警鐘を鳴らしたいのです。 過去、 国内線
でも大雪の運航体制に混乱が生じた例もそれを表しています。 我々Pilot も日々の運航におい
て、 常にその警鐘を心の中に鳴らす事を忘れたくないものです。
58
2009 JAN
連
載
I Aviation
―アメリカの空から想う―
第4回
神秘の世界!
Horizon Airlines
やはり夜のフライトは良いな!とつくづく感
じました。 「だってお化粧が溶けてしまう心配
が無いから!」 と、 こんな冗談をキャプテンと
交わしながら始まった今日のフライト。 初めて
一緒に飛ぶキャプテン Ron さんは 「君は肌の
色が浅黒いので、 日系ハワイ人かと思ったよ!」
と悪気なくニコニコしながら話しかけてくれま
す。 すかさず 「そうでしょ! 友達は日焼けス
プレーのサロンにわざわざお金を払って行って
いると言うのに、 日中の日差しにじりじり焼か
れている私は年中真っ黒! 嫌になっちゃう」
と、 日本人女性として白く透き通るような肌に
あこがれてはいるものの、 私にはそのような肌
は職業柄望めないとため息をつきながら、 茶目っ
気を見せてウインクしました。 そして、 夜の飛
行は女性にとって紫外線の心配が無く、 肌をじ
りじり焼かれるような思いをしなくてすむ事の
ありがたさを Ron に伝えます。 「女性はいろい
ろと気にして大変だなー!」 とニコニコと憎め
ない笑顔を浮べる Ron と始まった今日のフラ
イト。
Capt. Ron と美和
青木
美和
今日はカナダへ向かう路線のフライトだ!
シアトル発カルガリー行き。 昼間のカルガリー
へは何度か飛んだ事があります。 カナディアン・
ロッキー山脈の広大さと美しさに見とれてしま
うことを何度か経験したことがあります。 とに
かく昼間のこのルートの景色はとっても綺麗。
でも夜間飛行は今日が始めて。 実はこのチャン
ス、 「カナダ行き夜間飛行」 が訪れるのを楽し
みにしていたんです。 幼い頃、 パイロットがカ
ナダ上空を飛ぶ時に見るオーロラがどれ程美し
いか、 を書いた本を読んだ記憶があります。 今
は丁度オーロラが見えてもおかしくない時期だ
し、 もしかして!と希望がよぎる出発でした。
シアトルを北へ向かって飛び立つと、 丁度マ
リナーズの球場上空あたりで右にそれ、 シアト
ルの夜景がとても綺麗に見える筈だったのです
が、 今日は少し空が忙しそう。 飛びたってすぐ
に管制塔から、 Departure からのレーダー・
ベクターに従うよう言われたため、 私たちはシ
アトル Departure の指示に従って、 慌しいシ
アトル空域から飛行機を安全に、 しかも手際よ
く飛行させていたため、 下界の夜景を見る事は
出来ません。 それでも暗闇の中に都会の街の光
が浮かび上がっていて、 辺りを明るく照らして
いた事で、 きっと夜景は綺麗なんだろうな、 と
想像していました。 そんなシアトルを後にし、
私たちはカナダに向け、 北への針路を飛びはじ
めます。 シアトルはアメリカの北西に位置して
おり、 カナダ国境へは車で3時間程の距離。 今
日の目的地カルガリーへも、 CRJ700 だと約1
時間20分で着く。 パイロットにとって、 それほ
2009 JAN
59
ど長くも無く、 短くもない丁度良いフライト時
間です。 1時間未満のフライト時間だと、 離陸
してクルーズに入るとすぐに着陸の準備が始まっ
てしまいます。 慌しく仕事をこなしていく事に
なります。 2時間のフライトになると、 狭いコッ
クピットの中では少し腰が痛くなってくるので、
立って歩きたくなります。 そんな訳で、 個人的
には、 この距離が飛行しやすいんです。
シアトル近郊を離れると、 カルガリーまでこ
れと言って大きな町はありません。 暗闇の中に
ポツポツと小さな町の光が見えます。 30分も飛
ぶとカナダ国境上空に至り、 そこからはカナディ
アン・ロッキー山脈の上を高度40000フィート
で飛びます。 先ほど話したように、 昼間見るこ
のカナディアン・ロッキー山脈はとっても美し
い。 迫力のある見事な山並みが一面に広がって
います。 私はこの景色を見るたびに、 美女と野
獣の物語を思い出します。 とても美しく、 思わ
ず見とれてしまう山脈ですが、 パイロットにとっ
て、 ここでの緊急事態はあまり嬉しくないな、
と思ってしまいます。 山脈はとっても険しく、
ここで万が一事故にあったら生存率は低いだろ
うとか、 ピリピリした緊張感が頭をよぎります。
今日のような夜間飛行では、 この辺りは真っ暗
闇に包まれ、 周りの景色などは全く見えません。
大自然の中にいる時にしか経験出来ない、 真っ
暗闇の中、 夜空にきらめく星たちを見上げなが
らの飛行が続きます。
まもなくすると、 左前方に白く光を放ってい
機窓からのカナディアンロッキー
60
2009 JAN
る地上が見えてきました。 どこの街だろう?
と思いキャプテンに聞いてみます。 カナダの
チャートを渡され、 「自分で調べろ」 と。 面倒
だった私は GPS を使って調べたんですが、 う
まくそれらしい街は確認できません。 パイロッ
トとして、 基礎とも言えるチャートを使っての
飛行ですが、 エアラインの仕事を始めてからこ
の方、 チャートを使って飛ぶ事をしなくなった
せいなのか、 妙に自信がありません。 私! も
しかして、 チャートの読み方を忘れている?
まさかね! チャートを何回も見直し GPS で
も位置の確認もしましたが、 それらしい街は見
いだせません。 「あんなに大きな町なのに!」
と目の前の煌々と光を放つ大きな街を見つめな
がら、 私は昔の経験を思い出していました。
それは事業用操縦士免許 (Commercial License) を取得するための訓練時代の事です。
私は計器飛行の資格を取り終えたばっかりでし
たので、 久しぶりに昼間の VFR のソロのクロ
スカントリーへ行く事になっていたんです。 事
業用免許を取るには、 少なくとも50時間のソロ
でのクロスカントリーが不可欠です。 それは、
昼間の良い天気を見計らって実行するつもりだっ
たのですが、 濃密なスケジュールのフライト・
スクールでは、 なかなか昼間の長距離航法の予
約が出来なかった事もあり、 インストラクター
の勧めで、 夜間のクロスカントリーから訓練科
目をこなす事になってしまったんです。 夜に一
人で? 自家用免許で飛ぶ時に、 少しかじった
程度しか経験のない夜間飛行。 計器飛行の免許
を取ったばっかりの私に 「夜のフライトは、 計
器飛行と変わらないではないか!」 とのインス
トラクターの考えで、 2回ほどインストラクター
と夜間飛行をして感覚を養った後、 一人で夜間
のクロスカントリーへと飛び立ったんです。 昼
間のクロスカントリーは、 周りの目標物とチャー
トを見比べながら、 確実に目的地に着けるよう
に飛んでいきます。 夜の場合、 暗くて景色が見
えない為、 街明かり等を手がかりに飛んでいき
ます。 今でも鮮明に覚えていますが、 離陸して
からある高度へ昇るまで、 心臓はドキドキして
いました。 緊張と恐怖感で、 上手く目的地に着
いて帰ってこられるか、 心配しながらの飛行で
した。 しかし、 高度を上げるに連れて緊張も薄
れはじめました。 隣り街まで行くのに、 途中の
池や送電線、 牧場や畑は見えないものの、 その
隣の街の明かりはしっかりと目の前に見えて、
方向を示してくれていました。 昼間と違って、
他の景色に惑わされる事もないので、 迷子にな
りようが無いんです。 暗闇の中を町の光に導か
れて、 それを頼りに飛ぶクロスカントリーはス
ムーズに運びました。 「なーんだ! 結構、 夜
の方がクロカン (クロスカントリー) は簡単!」
なんて、 お調子者の私は、 すぐにその気になっ
てこんな事をつぶやいていました。
何度かこなした夜間のクロスカントリーで、
もう一つ気付いた事があります。 それは管制官
が優しかったことです。 昼間の管制塔が怖い訳
ではありませんが、 昼間の飛行は混んでいるこ
とが多いんです。 特に Class B, C, D 空域に行
く時、 当時の私は管制官とのやり取りに、 どき
どきしながら飛んでいたんです。 計器飛行の免
許を取ったばかりで、 多くの無線交信が入って
くる中、 自分の交信をミスらないように、 いつ
も緊張しながら飛んでいたのを思い出します。
それに比べて、 夜間は空も混んでいません。 管
制官も忙しくないせいか、 セカセカしていない
CRJ700のフライトデッキ
感じが良い。 対応も丁寧で親切。 私は 「これは
良い!」 と、 その後の事業用免許のトレーニン
グに必要なソロのクロスカントリーは、 夜間飛
行にする事が多くなりました。
今の CRJ700 と違って、 そんなに高いとこ
ろを飛んでいたわけではなかったのですが、 当
時の Cessna152 で飛んでいた標高7500フィー
トから見ていた夜空は、 私にとって格別のもの
でした。 ある夜の飛行中、 あまりにも静かな空
に比べ、 プロペラの音がやたらとうるさく聞こ
える中、 美しい星空を見て楽しむ事に緊張感を
紛らわしていたのでしょう。 其の日は快晴で、
大空いっぱいに満天の星が輝いていました。 よ
く見つめていると、 星がゆっくりと移動してい
るのがわかります。 私は一瞬、 Autokinesis??、
目の錯覚? と思い、 何度も目をパチパチさせ
て星を見つめ直してしまいました。 「あっ!
又動いてる」 よーく見ていると、 その一つの星
だけではなく、 10分ぐらい経つと他の星も螺旋
の帯を書くように空を横切っていきます。 なん
だか不思議な気持ちと、 すごいものを見てしまっ
た発見感とが心に湧きあがりました。 早く人に
話したくって、 ワクワクしていました。 後になっ
てこの時の事を話すと、 移動する星たちは、 実
は人工衛星だったんです。 それを聞いた時も、
私にとっては大発見でした。 「えっ! 人工衛
星って肉眼で見えるのー」 と子供のようにはしゃ
ぎ、 喜んだことを覚えています。
あっ! そうそう、 もう一つ思い出しました。
それこそ、 動く星どころの騒ぎではなかったん
です。 あれは教官になってすぐの頃、 ワシント
ン州にあるスポケン空港からの夜間飛行の帰り
道。 もうすぐ、 ベースのエレンツバーグ空港に
着くと言うことで、 生徒にアプローチの準備を
させている時でした。 急に目の前に、 5つの赤
いボール状の物が地上から真上に飛び上がって
きました。 そして上空で一時静止した後、 その
5つの玉はそれぞれ違う方角へと飛んで行って
しまいました。 生徒と私は一瞬顔を見合わせた
ものの、 言葉が出てきません。 今、 一瞬にして
2009 JAN
61
起こった事が信じられないと、 互いに見つめあっ
ていました。 私は 「What was that?」 と、 そ
して 「I don't know」 と生徒。 そして二人は口
をそろえて、 「UFO?!」 と。 彼も私も実際に
UFO を目にするのは初めてだったんです。 そ
の後、 私はこの時の事を 「UFO 見た事がある」
と、 自慢げに色んな人に話しています。 それも
つい最近まで。 最近になって、 とあるテレビ番
組で、 アメリカが開発していたミサイルのこと
が特集されていました。 そのテレビ番組による
と、 私が見たようなのと似たミサイルを当時、
当時軍が開発していて、 その実験を繰り返して
いたそうです。 それはたぶん本当だろう! 私
の見たものは、 きっとアメリカ軍が開発してい
たミサイルだったのでしょう。 私は大うそつき
だったのだろうか、 と落ち込んでいたのですが、
この話を聞いたキャプテンは 「美和は嘘つきで
はないよ、 だって美和たちが見たものは正真正
銘 の UFO (Unidentified Flying Object= 未
確認飛行物体) だったんだから」 と励ましてく
れました。 狐につままれたような思いでしたが、
嘘つきではなかった事に、 ちょっとホットする
小心者の私でした。
夜間飛行にまつわるエピソードは沢山ありま
すが、 やっぱり私らしいな、 と思えるエピソー
ド。 それは、 単独夜間飛行を始めて間もない頃
に起きた出来事です。 私は長いクロスカントリー
を終えて、 ベースの空港への着陸態勢に入って
いました。 暗闇の中に浮き出ている滑走路の光
は、 ビビットな光で私をファイナルへと導いて
くれます。 なんだか、 その光に吸い込まれてい
きそうな錯覚も感じていました。 よくあること
と聞いていたんですが、 そのような夜間に起こ
る眼の現象を意識しながら、 周囲に気を配り、
滑走路へと機体を降ろしていきました。 最後の
ラジオコールを済ませ、 まさにフラップを下ろ
すだけ、 になっていた時でした。 急に目の前か
ら滑走路が消えた! まるで神隠しにあったよ
うに、 目の前にあった飛行場が暗闇へと消えて
しまったんです。 もうすぐ地上、 と言う時の不
意打ちです。 咄嗟に、 コントロールホイールに
付いている、 コミュニケーション用のマイクス
イッチを必死になってクリックします。 管制塔
の無い空港や、 夜遅くに管制官がいない空港で
は、 パイロットは機内から手動で空港の明かり
をコントロールする事が出来ます。 とってもシ
ンプルで、 なおかつ便利。 ホイールに付いてい
るコミュニケーション用のマイクを3回クリッ
クすると 「弱」、 5回クリックすると 「中」、 そ
して7回クリックすると 「強」 というように、
滑走路の照明の輝度が設定できます。 この時は、
あまりにも慌てていたものですから、 3回、 5
回そして7回のクリックで止めておけば良かっ
たものを、 連続クリックで7回を超えた無意味
なアクションによって、 一瞬現れた滑走路が又
一瞬にして消えてしまう、 という現象に見舞わ
れたのでした。
ホライゾン航空の CRJ700型機
62
2009 JAN
最後には、 滑走路のライトが見づらい事など
気にしてもいられず、 必死で降ろして行ったこ
とを思い出します。 その後の反省で、 予想外の
ハプニングにも動じない、 冷静な判断行動が出
来るよう努力しよう、 と決めるきっかけとなる
ほろ苦い出来事でした。
たくさんの失敗談を持つ私ですが、 初心を忘
れるな!の思いを、 カルガリーへのフライトの
短い合間に想い出しました。
「あ! そういえば、 なかなかオーロラが見
えない」 ふと現実に戻った私は、 前方に見えて
いた明かりは、 地平線上にも光を放っているこ
とに気付きます。 「こんなに大きな街、 この辺
にあったかな?」 と不思議に思っていた私は、
先ほどキャプテンから渡されて 「この街、 見つ
けてみろ」 と、 言われた地図をもう一度忠実に
見直してみたんですが、 依然としてその街は分
かりません。 チャートを読む力がここまで衰え
ているとは考えられません。 「なんで? なん
なのこの光?」 と悩む自分に、 キャプテンは
「君は Northern Light を見た事があるかい?」
とニヤッと笑う。 「えっ?!」 その瞬間 「もしか
して、 これがオーロラ?!」
思い描いていた青や黄緑色と鮮やではないも
のの、 白いカーテンのようなものが縦にゆらゆ
ら揺れているのがはっきり見えます。 白くみえ
ていたものが、 薄い黄緑色にも見え始めました。
始めから、 この辺には大きな街のない事を、 こ
の航路を長年飛んでいるキャプテンは知ってい
て、 新入りの私をからかって面白がっていたん
です。 その後の数分、 無い町をあせって探す私
の様子を、 面白がって話すキャプテンでした。
でも私にとって彼の言葉は、 左の耳から入って
右の耳に通り抜ける状態でした。 それどころで
はありません、 初めて見るオーロラを目前にし
て 「不思議な光景! でも綺麗!」 と、 神秘な
世界にのめり込んでいた私でした。 パイロット
という仕事を選んでよかった!と実感する一時
でした。
一言:いつも応援してくださる皆様、 ありがと
うございます。 連載を読んでメールを
送ってくださる方々、 とってもうれしく
励みになっています。 これからもどうぞ
よろしくお願い申し上げます。
[email protected]
編集委員より:
1
Autokinesis とは、 暗闇で光点を見つめ
ていると、 その光点が動いて見えること
をいいます。
2
文中の滑走路等が消える話はアメリカの
地方空港、 特に non-tower の飛行場に
あるシステムです。 パイロットが指定さ
れた周波数で搬送波をクリックすること
で滑走路灯などをコントロールできるの
です。 わが国では見かけない方式ですね。
3
筆者、 青木美和氏は写真の分野でも著名
な活動をしておられます。 アメリカの
Photonet というサークルで何度か賞を
取っておられます。 記事に添えた写真も
ご自分で撮影されたものです。
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63
連
載
航
空
史
●
●
曼
陀
羅
その27. 第2次大戦前のわが国
十大長距離飛行記録
日野熊蔵および徳川好敏両陸軍大尉が、 代々
木練兵場で日本での初飛行に成功したのは明治
43年12月19日である。 以来、 日本が次第に欧米
列強から孤立化していく時代背景のなかで、 太
平洋戦争突入直前に、 ようやく欧米と肩を並べ
るほどに開花していった。
ここでは、 それまでの31年間の日本での十大
長距離飛行記録を追ってみたい。
● 「初風」
号、 「東風」 号による訪欧飛行
まず大正14年7月25日∼10月27日の朝日新聞
社機による訪欧飛行があげられる。 使用機は中
島ブレゲー一葉半 19A-2 型 (ロレーヌ400馬力)
2機で、 全国から約37,000通が応募し、 熱烈な
やましなのみや
航空ファンの山階宮殿下によって、 「初風」 号
および 「東風」 号と命名された。 航空局は耐空
性などの問題で飛行中止を勧告したが、 当時の
皇族や華族には航空ファンが多く、 官を黙らせ
た。
それぞれ陸軍少佐で航空官だった安部浩操縦
士 (陸士、 のち中華航空総裁) と篠原春一機関
士、 河内一彦操縦士 (陸依1期、 のち朝日新聞
航空部長) と片桐庄平機関士のペアが乗りこみ、
徳田
忠成
盛大な歓送をうけながら、 25日早朝、 東京代々
木練兵場を後にした。 この日の朝日新聞夕刊に
は、 「見送人、 無慮20万人」 と報じ、 「ああ、 建
国以来の感激」 と書きつらねた。 これは大正9
年のイタリア SVA9 型機の訪日をはじめ、 フ
ランス、 イギリス、 ロシアからの相次いだ親善
訪日飛行に対する答礼でもあった。
大阪、 大刀洗、 平壌経由でシベリアにはいり、
8月23日にモスクワに到着、 そこからウクライ
ナ共和国を往復、 そしてパリ、 ロンドンをへて、
途中、 数ヶ所で不時着しながら、 この大飛行を
なしとげ、 10月27日に目的地ローマへ到着した。
初のシベリア大陸横断飛行である。 各地で大歓
迎を受けたが、 フランスでは乗員にレジオン・
ド・ブルージュ章が授与された。
全航程16,196キロ、 途中、 不時着を含めて28
回着陸、 95日間、 飛行時間110時間56分で完成
した。 なお4人と機体は、 マルセーユから日本
郵船の鹿島丸によって、 翌年1月5日に無事、
神戸へ帰還した。 その後、 彼ら4人は、 全国各
地をまわり、 百回以上の報告会 (講演と実写)
をおこなっている。
● 吉原清治によるベルリン∼東京飛行
中島ブレゲー 19B-2 型
64
2009 JAN
昭和5年8月20日∼30日にかけて、 吉原清治
がベルリン∼東京飛行を完成させた。 ドイツの
アーヘン研究所で働いていた佐賀県福富町出身
の吉原は、 報知新聞社の後援により、 ユンカー
ス A50 ユニオール低翼単葉複座の軽飛行機
(エンジン80馬力) を購入して単座の長距離機
に改造、 「報知」 号と命名して、 日本への単独
飛行を計画した。 ベルリンのテンペルホフ飛行
場を出発、 モスクワ、 イルクーツク、 ハルピン、
京城経由のシベリア横断、 11,096kmを11日間、
飛行時間79時間58分 (1日平均 1,036km) で
翔破し、 無事、 立川飛行場に到着し、 「時の人」
となった。
英雄扱いされた吉原は、 翌年、 報知新聞社の
社運をかけた北太平洋空路開拓のパイロットに
指名された。 彼はこの飛行のため、 わざわざ霞
ヶ浦海軍航空隊へ入隊、 水上機の飛行訓練を受
けている。 しかし、 英雄気取りの彼の訓練態度
は横柄で、 あまり評判はよくない。 機体は同型
機 A50 の水上型を使用、 小泉又次郎逓信大臣
(小泉純一郎元首相の祖父) によって 「報知日
米」 号 (J-BENB) と命名され、 単身、 飛び石
伝い太平洋横断飛行をこころみた。
5月14日に羽田飛行場を出発、 ところが千島
しんしる
列島の新知島付近でエンジンが故障して不時着
水、 7時間の漂流後に日本の汽船・白鳳丸に救
助された。 全国に発表した報知新聞社の面子も
あり、 同型機に気化器防氷装置を施した 「第二
報知日米」 号によって、 再企画が実施された。
しかし、 根室湾で吉原によって水上滑走テスト
中、 波のために機体は大破、 計画はあえなく中
断、 吉原は破壊された無残な機体にしがみつい
ユンカース A50 ユニオール機
ユンカース A50 水上機型 「報知日米号」
て泣いたという。 さらに吉原は水陸両用機によ
る米国から日本への逆横断飛行を試みたが、 こ
れも失敗した。 彼の腕を過信したことが、 失敗
の原因といわれる。
報知新聞社は第三報知日米号を使って、 他の
パイロットによって太平洋横断飛行に挑戦した
が、 これも失敗、 多大の損失をだして終焉した。
この時すでに、 米国人2人によって日本からの
太平洋横断飛行が成功していたのである。
● 東善作によるロンドン∼東京飛行
報知号とほぼ時を同じくしてロンドンを発っ
た東善作は、 8月31日に立川に降りたった。 明
治26年9月生まれで石川県羽昨郡出身の彼は、
苦学力行の人である。 小学校 (4年制) しか出
ていなかったが、 学問の必要性を痛感し、 苦労
しながら旧制中学を卒業、 金沢にある北陸毎日
新聞社の記者になった。 たまたま大正5年に来
日したアメリカ人曲技飛行家アート・スミスが、
金沢の野村練兵場での公開飛行をおこない、 こ
れを取材したことがキッカケで渡米、 第1次大
戦中に志願兵としてアメリカ航空隊に入隊、 そ
こで操縦を学んだ。 除隊後、 妻とともにロスアン
ゼルスで中華料理店を開いて財をなし、 昼は遊
覧飛行、 夜は中華料理店々主としてはたらいた。
大正12年9月の関東大震災のときは、 「HELP
JAPAN」 とペイントした飛行機で飛びまわり、
空中からビラをまいて、 900$の救援金を集め
たというエピソードがある。
リンドバーグによる単独大西洋横断飛行の成
功に刺激された彼は、 飛行機による日本訪問飛
行を思いついた。 複葉トラベルエア4000型機
(ライト200馬力) を買い、 「東京」 号“CITY
OF TOKYO”と命名して、 先ず昭和5年7月
1日、 ロスアンゼルスから大陸横断飛行でニュー
ヨークへ飛び、 そこから汽船で海路ロンドンへ
渡り、 フランスのル・ブールジュ飛行場へ到着
した。 いよいよ8月5日に出発、 ベルリンから
モスクワ経由で日本へ向かったが、 たまたま、
時を同じくして飛んでいた吉原に先を譲って、
1日遅れで立川に降りたった。 しかし、 彼を迎
えた立川飛行場では、 前日のお祭り騒ぎのあと
2009 JAN
65
年生の栗林盛孝、 添乗する操縦士は熊川良太郎
教官 (陸依2期) で羽田から、 ハルピン、 モス
クワ、 ベルリン、 ブリュッセル、 ロンドン、 パ
リを経由して目的地ローマへ無事到着した。
途中、 3度不時着、 モスクワ近郊でエンジン
を交換するなど、 予定よりも60日間遅れた。 95
日間、 13,900キロで飛行時間126時間53分であっ
トラベルエア4000型機
だっただけに、 静かなものだったという。
とはいえ、 アメリカ、 ヨーロッパ、 アジアの
三大陸を横断、 62日間、 17,000キロを翔破した
ことで英雄あつかいされた。 天皇陛下に拝謁し
たり、 長岡外史帝国飛行協会副会長から、 「日
本帝国の至宝」 とまで称賛された。 しかし、 こ
れ以上のことはなく、 リンドバーグのような厚
遇を期待していた彼は失望し、 飛行機をおりた。
昭和12年には代議士になるべく、 総選挙に打っ
てでたが落選、 さらに戦後の昭和30年3月、 鳥
取県と岡山県々境にある人形峠でウラン鉱脈を
発見して会社を興すなど、 波瀾な人生を送って
いる。
た。 国産機による初の訪欧飛行であり、 栗林お
よび熊川の名前とともに、 日本学生航空連盟の
名が全国に知れわたった。
● 阿野勝太郎によるロンドン∼東京飛行
昭和6年5月29日に羽田飛行場を離陸し、 訪
欧飛行を完成させた 「日本青年号」 については
前掲しており、 ここでは簡単に説明する。
海防議会が日本学生航空連盟に貸与した複葉
の石川島 R3 軽練習機 (120馬力) を長距離飛
行用に改造した機体で、 正操縦士は法政大学2
ロンドン∼東京間を飛翔した阿野勝太郎は不
運の人である。 長崎県南松浦群富江町松尾郷出
身の彼は、 シンガポールでゴム園や鉱山業を営
んでいた、 伯父の増田寿太郎をたよって故郷を
でた。 シンガポールでは、 現地のケンブリッジ
大学予科に入って勉強したが、 飛行機に魅せら
れて昭和5年に渡欧、 ドイツのライプチッヒに
あるザクセン航空学校に入校、 自家用飛行士に
なった。 飛行経験は浅かったが野心家の彼は、
日魯漁業をスポンサーとして、 低翼単葉単発機
ブリティシュ・クレム・イーグル型 (130馬力)
を購入した。 最高速度 236kmph、 航続距離
1,040km である。 昭和10年5月12日∼8月18
日という長旅だったが、 かろうじてロンドン∼
東京間を飛翔した。
時の松平恒雄駐英大使によって命名された
「青鳥」 号は、 ロンドン近郊のヘストン飛行場
を離陸、 南方コースで飛行したが苦難が待って
いた。 機体の破損、 悪天候による数回の不時着、
石川島式 R-3 型 「日本青年号」
ブリティッシュ・クレム・イーグル型 「青島号」
● 「日本青年」
66
号による訪欧飛行
2009 JAN
それにマラリア感染による病臥、 不時着による
現地女性の負傷とさんざんな目にあい、 47日間
を空費して99日後に羽田飛行場へ降りたった。
飛行時間118時間46分、 19,267キロを翔破した。
阪谷帝国飛行協会長は、 紅色有功章と金1,000
円を贈って、 その巧に報いた。
その後の阿野は、 11年5月に名古屋で 「青島」
号での遊覧飛行中に墜落、 機体は大破、 阿野と
同乗者は重傷、 他の一人が死亡した。 そして、
ついに終わりのときがきた。 太平洋戦争で彼は、
陸軍嘱託ボルネオ方面軍の飛行班長の肩書きで
操縦士として従軍した。 昭和17年9月5日に、
加賀百万石の殿様で、 ボルネオ方面最高指揮官
前田利為中将が座乗した、 98式直協偵察機を操
縦して視察中、 海中に墜落、 全員殉職してしまっ
た。 ロンドン∼東京間飛行をものにした強靱な
精神力は称賛に値するが、 自意識が異常に強く、
飛行適性があったとはいいがたい哀しい末路で
あった。
● 日比親善マニラ飛行
日比親善マニラ飛行が、 大阪毎日・東京日日
新聞社によって実施された。 朝日と毎日は今で
もライバルであるが、 この当時も報道合戦や記
録飛行に凌ぎをけずっていた。 しかし、 朝日の
方が訪欧機 「日本青年」 号を成功させたあとも、
新野百三郎 (陸依2期) および塚越賢爾のペア
ぺー ぴん
による大阪∼北平 (現・北京)、 東京∼北平、
東京∼ソウル間の、 国産機による飛行で注目を
浴びていた。
大毎・東日 (のち合併して毎日新聞) も黙っ
てこれを見ている訳にはいかない。 フィリピン
の初代大統領ケソンの就任および独立記念式典
祝賀飛行を企画した。 同社の低翼単葉ロッキー
ド 8D アルテア型通信機 (P&W ワプス空冷星
ロッキード 8D アルテル型 「大毎東日第22号」
形500馬力) を、 「大毎東日第22号」 と命名し、
大蔵清三操縦士 (伊藤飛行機研究所卒)、 布施
徳司機関士、 それに親善使節として福本福一記
者が乗りこんだ。 この機体は、 昭和9年に大阪
毎日新聞社がアメリカから輸入したもので、 当
時としては革新的な引っ込み脚の高速通信機で、
朝日新聞社の川崎 C-5 通信機が現れるまでは、
数々の長距離速度記録を樹立していた。
大蔵操縦士による昭和9年8月、 日本本土一
周飛行の完成 (3,100km、 13時間29分)、 10年
4月には新京 (現・長春) ∼東京間の直線飛行
(2,000km、 6時間18分) の完成がある。
アルテア機は、 1935年11月10日午前10時に羽
田飛行場を離陸していった。 大阪、 大刀洗、 台
北経由で12日14時30分にマニラのグレース・パー
ク飛行場に到着、 4,032キロを14時間54分で翔
破した。
復路は21日にマニラを離陸、 悪天候のために
台北、 那覇、 大刀洗、 大阪経由で26日に羽田に
到着、 4,812キロ、 飛行時間は20時間48分であっ
た。
● 「神風」
号による訪欧飛行
昭和12年4月6∼10日に訪欧した朝日新聞社
「神風」 号飛行であるが、 これも前記している
ので簡単に説明する。
これは国民的行事であり、 機名 「神風」 は、
公募50万通からえらばれた。 朝日新聞社は、 三
菱重工が試作中の高速連絡機2号機 (中島 「寿」
550馬力エンジン) を、 陸軍から譲りうけて使
用した。 国をあげての行事といっても、 まだ試
作中であり、 しかも飛行機開発は最高機密であ
三菱雁型 「神風」 号キ−15
2009 JAN
67
る。 それを陸軍が民間へリリースした背景には、
当時、 朝日新聞社航空部次長だった中野勝義
(戦後、 全日空副社長) の並外れた粘り強い交
渉があったといわれるが、 この話は機会があれ
ば述べてみたい。
飯沼正明飛行士 (陸依11期)、 塚越賢爾機関
士が搭乗し、 15,356km、 所要時間94時間17分
56秒、 飛行時間51時間19分23秒の FAI 国際公
認記録をだした。 予定外であったが、 ほぼ同じ
ルートの復路では、 5月11日にロンドンを離陸、
21日に羽田に帰着した。 実飛行時間48時間12分
30秒であった。 往路の飛行時間を当てる懸賞に
は、 13才の子供が秒までピタリと当てた。
一躍、 国民的英雄になった飯沼飛行士は、 し
かし、 第2次大戦開戦直後の昭和16年12月11日、
仏印 (仏領インドシナ) のプノンペン飛行場で、
プロペラにはねられて殉職した。 飯塚機関士も、
昭和18年7月7日、 朝日新聞社がスポンサーに
なり、 主に東大航空研究所で製作した長距離機
A-26 (キ77) 2号機に搭乗、 ドイツへの連絡
飛行のためにシンガポールのテンガー飛行場を
離陸、 そのまま行方不明になった。
なお、 飯沼飛行士の生家である長野県安曇野
郡豊科には、 平成元年4月、 「飯沼飛行士記念
館」 が設立され、 築120年になる生家がそのま
ま保存されている。
● ハインケル機による
ベルリン∼東京飛行
昭和13年4月23∼29日の、 満州航空株式会社
の ハ イ ン ケ ル He116 型 機 2 機 に よ る ベ ル リ
ン∼東京間の空輸である。 日独防共協定による
欧亜連絡定期航空 (大空のシルクロード) 開拓
のため、 永渕三郎常務 (陸士卒) によって企画
ハインケル He116型
68
2009 JAN
された。 九大卒業後、 満州航空へ入社した平野
稔 (戦後、 日航福岡支店長) は、 永渕の命で、
単身、 スパイ容疑をかけられながら南回りの飛
行ルートを数ヶ月にわたって調査したという。
そして、 ドイツから木製楕円翼のハインケル
He116 型長距離4発郵便機 (ヒルト240馬力)
2機を購入した。 最高時速330kmph、 航続距
離4,500km と航続性能がすぐれていた。
ベルリンで飛行訓練および航法訓練をうけて
いた、 陸軍航空部隊現役操縦将校の加藤敏雄少
佐および中尾純利操縦士、 岡本虎男機関士、 清
都誠一無線士搭乗の J-BAKD 機 (「乃木」 号)、
横山八郎少佐および松井勝吾操縦士 (陸依5期)、
石川金吾機関士、 塩田陽三無線士搭乗の
J-EAKF 機 (「東郷」 号) が雁行で、 ドイツの
テンペルホフ飛行場を離陸した。 航路はロドス
島、 バスラ、 カラチ、 カルカッタ、 バンコク、
台北の6個所に着陸して羽田飛行場に到着、 ベ
ルリン∼東京間の都市間連絡記録を樹立した。
15,340km、 所要時間143時間42分、 飛行時間は
加藤機57時間51分、 横山機56時間18分であった。
しかし、 長引くシナ事変とドイツのポーランド
進攻などで、 定期航空路開設は実現不可能になっ
た。
結局、 新設を予定していた国際航空は大日本
航空へ吸収され、 両機も同航空に所属し、 主に
東京∼新京 (現・長春) 間の日本海横断飛行コー
スに投入され、 郵便輸送に活躍した。 なお昭和
14年1月、 中尾純利は機長として、 乃木号によ
るシャム (現・タイ) 親善飛行を飛んだ。
● 「そよかぜ」
号によるイラン訪問飛行
昭和14年は日本民間航空が一種のブームになっ
たときで、 川西式4発飛行艇 (97式飛行艇の民
間型) による南洋定期航空路開拓や、 国際親善
飛行が盛んにおこなわれた年である。 イラン訪
問飛行は、 昭和14年4月9∼15日に実施された。
三菱双発輸送機 「そよかぜ (イラン語でナスイー
ム)」 号によるもので、 次に記すニッポン号と
同型の、 海軍96式陸上攻撃機を改造した機体が
使用された。 この機体は、 日華事変での渡洋爆
撃、 そして太平洋戦争勃発直後、 マレー沖合に
「ニッポン」 号
96式中型陸上攻撃機 「そよかぜ」 号
停泊していたイギリス戦艦プリンス・オブ・ウ
エールズ号および巡洋艦船レバルスを撃沈した
ことで、 一躍、 世界にその名を知らしめている。
日本とイランとの関係は、 ペルシャの昔から
それほど親密な関係ではなかったので、 「いら
ん飛行」 などと揶揄されたが、 イラン皇太子殿
下とエジプト国王妹殿下とのご成婚祝賀をかね
た親善飛行であった。
松井勝吾機長 (陸依5期)、 岩堀庄次郎操縦
士、 岡本虎男機関士、 楠木健次郎技術員、 清都
誠一通信士、 それに親善使節として大久保武雄
航空局国際課長、 永渕三郎大日本航空総務部長、
鶴岡千仞外務省事務次官、 江口穂積海軍少佐が
同乗した。 9日未明に羽田東京飛行場を出発、
台北、 広東、 バンコク、 カルカッタ、 アラハバー
ド、 カラチ、 バスラを経由して、 15日に首都テ
ヘランに到着した。 12,061キロ、 所要時間153
時間7分 (往路のみ)、 飛行時間47時間12分で
あった。
18日にはイラン航空長官ら70名の招待飛行、
24日のイラン皇太子ご成婚当日は、 テヘラン上
空を飛行して祝賀ビラ5万枚をまくなど、 親善
行事日程を予定通り消化した。 28日に羽田に帰
還、 その後、 この機体は大日本航空で使われ、
日本∼大連間の郵便機として使用された。
● 「ニッポン」
号による世界一周飛行
最後は昭和14年8月26日∼10月20日の大毎・
東日新聞 「ニッポン」 号による世界一周飛行で
ある。 これは昭和12年4月の朝日新聞社による、
神風号の訪欧飛行に対抗して企画されたもので
ある。 この企画実現は難航したが、 海軍航空本
部長だった大西瀧治郎少将、 さらに海軍次官だっ
た山本五十六中将の賛同が大きな力になったと
いわれている。
海軍の長距離機として定評のあった96式中型
陸上攻撃機を借りうけ、 より長距離用に徹底的
に改造した。 翼内に大容量の燃料タンクを増設
するとともに、 銃座などの軍用装備をとりのぞ
いた機内には、 航法装置の偏流測定器、 天測装
置、 方向探知器、 中短波送信機2組などが搭載
され、 胴体上には、 方探用のループアンテナ
(テレフンケン式方向探知器) が取り付けられ
た。 なお機上食のほかに、 非常食、 救命ボート
2隻、 魚釣り道具も搭載されている。 国民の
133万通もの応募によって 「ニッポン」 号と命
名され、 機長には中尾純利機長 (陸依1期) が
指名された。
出発当日は、 親善大使として大毎航空部長の
大原武夫も加わり、 総計7名が乗りこんだ。 出
発は羽田飛行場で昭和14年8月26日、 約3万人
の大衆が見送った。
この日は千歳飛行場で一泊、 翌27日に日本の
地をはなれた。 機体は三菱金星900馬力2基搭
載 、 搭 載 燃 料 5,206 リ ッ ト ル 、 全 備 重 量
11,750kg、 航続距離約6,000kmである。
5大陸30余ヶ国を歴訪、 52,860キロを56日間、
飛行時間194時間で翔破したが、 すでに国際連
盟を脱退しており、 戦争突入によって、 FAI
(国際飛行連盟) 公認にはならなかった。 詳し
くは次号で述べる。
2009 JAN
69
スカイ・レジャー・ジャパン&
エアポートフェスタ 2008 in 静岡
奥貫
博
開催地の富士山静岡空港
フライ・インとスカイ・イベント
2008年11月8日、 9日の両日、 開港前の富士
山静岡空港を利用して 「スカイ・レジャー・ジャ
パン&エアポート・フェスタ2008 in 静岡」 が
開催されました。
この富士山静岡空港は、 富士山の見える空港
として、 国内外の観光客の利用が期待されてい
ます。 また、 東京、 大阪へも新幹線ですぐ近く
ですので、 なかなか魅力的な存在です。
有視界飛行の小型機の運用においては、 名古
屋、 大阪地区と、 関東地区の間に位置する唯一
の民間空港となるので、 大変有難い存在です。
尚、 航空自衛隊静浜基地の管制圏と、 同訓練
エリアに近接し、 また浜松基地もすぐ近くです
から、 利用に際しては十分な注意が必要です。
今回の飛行及びフライインにおいても、 詳細
な調整が必要であったとのことです。
エアポート・フェスタ2008 in 静岡との共同
イベントとして開催された今年のスカイレ
ジャー・ジャパンは、 地域の皆様の期待と力を
集め、 2日間の観客数が53,000人にも達する、
大変な賑わいのものでした。
一方、 周辺道路の整備がまだ完了していない
ことから、 交通渋滞がひどく、 最寄の島田駅か
らは、 連絡バスの待ち時間も含め、 3時間近く
もかかったとのことでした。
空港への期待と関心の大きさが認識されると
共に、 実行に関する確実な準備の重要性が、 改
めて認識される結果となりました。
さて、 フライ・インとスカイ・イベントの内
容ですが、 開催両日とも天候は思わしくなく、
特に初日の昼頃からは雨、 翌日の日曜は朝から
曇りで、 午後には雨といった状況でした。
その結果、 操縦士協会の飛行展示を担当した
九州の編隊飛行チーム NPO Super Wings は、
ベースとなる熊本空港及び周辺の天候が回復せ
ず、 不参加となってしまいました。 また、 その
うちの1機を使用して実施することになってい
た FA200 のエアロバティックス飛行展示も、
キャンセルとなってしまいました。
天候が不確定とはいえ、 スケジュール前倒し
で早めに現地着といった、 フレキシブルな運用
が無理な状況でしたから、 有視界での長距離航
法による参加では、 天候障害によるキャンセル
は、 止むを得ないことであったと思います。
開催地の富士山静岡空港
70
2009 JAN
飛行場では、 滑走路点検、 フライト・サービ
ス開局、 及び運航ブリーフィングの後に、 先ず
は、 オープニング・フライトです。 天候の関係
から、 初日は、 エクストラのみのフライトでし
たが、 2日目には、 ピッツとエクストラが、 会
場及び近隣の上空を飛行しました。
続いて、 モーターパラグライダーが、 のどか
に空を舞います。 パラ・ハンググライダーの飛
行、 ジャイロプーレンの飛行も行われました。
富士山の形をした会場のシンボル
では、 「スカイ・レジャー・ジャパン&エア
ポート・フェスタ2008 in 静岡」 の内容を、 順
を追って紹介します。
ディープブルース・エアロバティックス
挨拶される静岡県の石川知事
開催セレモニーでは、 静岡県及び近隣関係者、
国土交通省、 財団法人日本航空協会、 航空関係
諸団体の挨拶と紹介が行われました。
さてその次は、 ディープブルース室屋パイロッ
トのエアロバティックスです。 使用機体は、 世
界選手権、 ヨーロッパ選手権を戦った機体と同
じ Extra300S です。 世界レベルの競技会で鍛
えた技が冴え、 良く構成された、 無理の無い正
確な飛行が印象的なフライトでした。
着陸するフジテレビのサイテーション
ピッツとエクストラによるオープニング飛行
飛行展示の合間を縫って、 フライ・インの機
体が続々と着陸します。
2009 JAN
71
続いて、 地元静岡県の警察へリ、 及び、 静岡
市消防ヘリの飛行展示が行われました。 手際の
良い、 安定した救助活動飛行の展示は、 日頃の
鍛錬を印象付けるものでした。
ラジコン機の飛行
ヘリのラジコン機は、 世界選手権の腕もあり、
背面系の多い、 信じられない飛行でした。 また、
飛行機の方は、 Extra300S の大きな機体で、
飛行中の姿は実機と区別がつかないほどでした。
1機のみ飛来したスーパーウィングス用の FA200
続く熊本のスーパーウィングスは、 天候障害
で来られませんでした。 関東から飛来した仲間
の FA200 が寂しそうにしていました。
マイクロライト航空機の飛行
マイクロライト機も優雅に飛行しました。 最
近のマイクロライト機は完成度が高く、 安定し
た飛行展示が行われていました。
地元の静浜基地の T-7 練習機4機編隊
地元の静浜基地からは、 T-7 練習機が4機編
隊で飛来され、 続いて、 西隣の浜松基地からは、
T-4 練習機が4機編隊で飛来しました。 また、
T-7 は、 静浜基地開設50周年記念塗装機体の地
上展示も行われました。
その後に予定のドクターヘリは、 緊急出動と
重なり、 飛来できませんでした。 また、 FA-200
のエアロバティックス飛行も、 使用機が飛来し
ないため、 次回のお楽しみとなりました。
静岡市消防ヘリの救助展示飛行
72
2009 JAN
JAPA から参加された JAL の小林機長は、
ステージ上で熱演されていました。
そのほかの地上イベントとして、 JAPA 他
航空関係各種団体、 エアライン各社、 地元の団
体が出展したテントブース、 スタンプラリー、
大抽選会、 航空機の地上展示、 各種ステージイ
ベント等が行われ、 たくさんの方々が興味深く
見て、 参加して、 楽しまれていました。
モーターグライダーの展示飛行
滑空協会はピュアグライダー2機及び、 モー
ターグライダーの飛行展示を行いました。 ウイ
ンチ発航、 飛行機曳航、 モーターグライダーの
離陸と、 多彩な内容でした。
おわりに
開港前の富士山静岡空港で開催されたスカイ
レジャージャパン、 そして、 エアポート・フェ
スタ2008は、 天候には恵まれなかったものの、
大勢のお客様を得て、 大成功であったと思いま
す。 それは、 大規模な航空ショーとは異なり、
地域の皆様と、 航空スポーツを支える各種団体
による参加型のイベントならではのものであっ
たと思います。
エアロック・エアロバティックス
エアロック・エアロバティックスは、 小雨の
悪天候で高度が制限され、 また視界も良好とは
いえない状況の中、 工夫された演出の、 切れ味
の良い、 見事な飛行が披露されました。
会場の富士山静岡空港
ステージ上の JAL の小林真樹機長と JAPA のスタッフ
会場の富士山静岡空港は、 航空自衛隊静浜基
地の西南西 10Km に位置し、 その一部が同基
地の管制圏にかかる位置関係にあります。 更に、
西側には、 浜松基地も隣接しているため、 この
イベントでのフライト及びフライ・イン、 フラ
イ・アウェイの要領については、 基地側との詳
細な調整を必要としたのですが、 その過程を通
じて相互の理解を深めることが出来たことも、
今後に向けての収穫であったと思います。
2009 JAN
73
FA I・CIVA
(エアロバティックス)
ミーティング参加報告
FAI Aerobatic Commission (CIVA) 日本副デレゲート
JAPA 会員、 日本滑空協会曲技飛行委員会委員
鐘尾みや子
今年の FAI Aerobatic Commission (通称
CIVA) の年次総会 (ミーティング) は、 2008
年10月 25−26 日の日程でオーストリアの古都
ザルツブルグで開催された。 昨年リトアニアの
首都ビリニュスで開催された2007年の CIVA
ミーティングでは初めて正式に国を代表する副
デレゲートとして参加したが、 今年は2年目と
いうこともあり、 かなり余裕をもって議事の進
行に関わることができた。
今回のミーティングでは、 前日の24日午後2
時から Informal Meeting が設定されており、
事前にメールで意見交換されていた問題につい
て話合いが行われた。 また、 Informal Meeting 終了後には、 ザルツブルグ空港にある Red
Bull ハンガー見学のスケジュールが組まれて
いた。 Red Bull はオーストリア資本のエナジー・
ドリンクメーカーであるが、 総ガラスのハンガー
と、 その中にある飛行機やレースカーのコレク
ションには目を見張るものがあった。
会議は、 ザルツブルグの旧市街から少し離れ
た閑静な住宅街にあるホテルで行われた。 表通
りからも離れたところにあり、 トロリーバスの
停留所以外に目印となるようなものは何もなく、
気がつかなければ通り過ぎてしまうような小さ
なホテルであったが、 国際会議場としての設備
は整っていた。
会議の行われたホテル Heffterhof
10月25日午前9時より定時総会が始まり、 議
長である CIVA President Mike Heuer 氏が各
国代表の出欠を取り、 その結果出席が21ヶ国、
他の国に委任した国が5ヶ国で計26ヶ国、 14の
定足数を満たしているということで、 開会が宣
言された。 議事は予め Web 上で配布されてい
る Agenda のとおりにすすめられ、 議題ごとに、
特に反対意見がない場合は 「CIVA agrees」
としてそのまま承認し、 意見が割れた場合は採
決するというやり方で行われた。 主な議題につ
いての審議内容の概略は以下のとおりである。
Red Bull のハンガー
74
2009 JAN
①Agenda1:2007ミーティング議事録の承認
②Agenda2:利害対立の宣言
なし
③Agenda3: FAI Secretary General Max
Bishop の報告
④Agenda4:President Report
CIVA President の M. Heuer 氏より、 今年
開催された各チャンピオンシップについて競
技結果等を含めた報告があり、 また、 採点シ
ステムとして ACMS 及び ACRO の2つの
ソフトウェアが使用されたこと、 及びジャッ
ジの評価システムが定着しつつあること等に
ついての報告があった。 さらに、 来年6月に
イタリア・トリノで開催されるワールドエア
ゲームのパワー及びグライダーエアロバティッ
クに参加する選手が紹介された。
⑤Agenda5:会計報告
Treasurer の L. G. Arvidsson 氏が今回都合
により来られないため、 M. Heuer 氏が代理
として会計報告を行い、 すべて承認された。
会議風景
⑥Agenda6.1∼6.3:2008WAAC、 Agenda7.1∼
7.3 : 2008EGAC 、 Agenda8.1∼8.3 : 2008
EAC 、 Agenda9.1∼9.3 : 2008YAK52WAC
の各チャンピオンシップの報告
今年開催された各チャンピオンシップにおけ
る International Jury、 Contest Director、
Chief Judge の報告書がそれぞれ承認された
が、 ポーランドのラドムで行われた 2008EGAC
の報告書については、 異例ともいえるほどそ
の内容についてかなり詳しい説明がなされた。
というのも、 競技期間中ハンガリーの選手が
フリーのプログラムの提出期限を守らなかっ
た、 という理由でペナルティを課されたが、
これに納得しない選手が Jury President と
Contest Director に暴言を吐いた、 という
報告がなされていたからである。 詳しい事情
は不明だが、 ハンガリーの選手は時間内に提
出に行ったがドアが閉まっていたため、 隙間
に挟んでおいたと弁明したにもかかわらず、
それが認められなかったからだということら
しい。 このようなことはチャンピオンシップ
が始まって以来なかったことで、 スポーツマ
ン精神にのっとれば由々しき事態であり、 断
じて許されるべきではないということを全員
一致で確認した。 今回、 毎年必ず出席してい
るハンガリーのデレゲートが出席していない
のを不思議に思っていたが、 その理由はこん
なところにあったのかと納得した。
⑦Agenda10.1∼10.4:各国からのさまざまな
提案
参加各国から、 あるいは CIVA の各 SubCommittee からは、 ルール改正やK点の変
更等のさまざまな提案がなされており、 ほと
んどの提案は賛成多数で採用されたが、 イギ
リスから出されていたフリーのK点の上限を
引き上げる提案は否決された。
また、 今年ペンドルトンで開催された
WAAC において、 密度高度が高すぎるので
プログラムの途中でブレークを入れてもペナ
ルティを課さない、 というテンポラリーなルー
ル変更が提案されたが、 このようなルール変
更については、 ジュリーメンバー及び各国チー
ムのデレゲート全員の賛成を必要とする旨定
められており、 結局反対するチームがあった
ため、 そのような変更ができなかった。 この
点について、 その時のジュリーメンバーだっ
たカナダのデレゲートより、 「全員の賛成」
を 「多数の賛成」 に修正する提案が出され、
全員一致ではないが20票の賛成で可決された。
2009 JAN
75
⑧Agenda11:WAG を含めた2009年の各チャ
ン ピ オ ン シ ッ プ に お け る Programme Q
(Known) シーケンスの採択
2009年6月にイタリア・トリノで開催される
ワールドエアゲームのパワー・エアロバティッ
ク (選抜された選手のみが出場する) につい
てはA∼Cの3種類、 アドバンスド (パワー)
についてはA∼Fの6種類、 アンリミッテッ
ド (パワー) についてはA∼Eの5種類、
YAK52 についてはA∼Cの3種類、 グライ
ダーについては1種類の known シーケンス
案が事前に提示されていた。 日本としては、
出場希望者の意見により、 YAK52 について
はB、 アドバンスド (パワー) については第
1希望B、 第2希望E、 アンリミッテッド
(パワー) についてはAに投票したが、 結局、
YAK52 はA案とB案の決選投票となり16票
でA案に、 アドバンスド (パワー) はC案と
D案の決選投票となり17票でC案に、 アンリ
ミッテッド (パワー) もC案とD案の決選投
票となりやはり17票でC案に決定した。 また、
ワールドエアゲームはB案に決定し、 グライ
ダーはそのまま承認された。
⑨Agenda12.1∼12.8:これからのチャンピオ
ンシップについての報告と提案
Agenda12.1 として、 イギリスのデレゲート
A. Cassidy 氏より 2009WAC のプレゼンテー
ションがあった。 日程は2009.8.19∼8.29 で、
場所はシルバーストーン、 滞在費などを含め
た entry fee は、 パイロット3人まで各1100
ユーロ (4/30までの早期エントリー、 5/29
まで1525ユーロ、 6/30まで2000ユーロ、 7/31
まで2500ユーロ)、 パイロット追加1名につ
き1525ユーロ (以下同様に2000ユーロ、 2500
ユーロ、 3000ユーロ) である。
Agenda12.2 として、 ポーランドのデレゲー
ト J. Makula 氏より 2009EAAC のプレゼン
テーションがあり、 日程は 2009.8.6∼8.16、
場所は今年 EGAC が開催されたラドム、 滞
在費などを含めた entry fee は、 パイロット
が1550ユーロ、 チームメンバーが1300ユーロ
76
2009 JAN
ということで、 全員一致で承認された。
Agenda12.3 と し て 、 フ ラ ン ス の M.
Delcroix 氏より 2009WGAC のプレゼンテー
ションがあり、 日程は 2009.7.25∼8.1、 場所
はシャンブレー、 滞在費などを含めない
entry fee は、 パイロットが600ユーロという
ことで、 これも全員一致で承認された。
Agenda12.4 のワールドエアゲームは、 詳細
についてすでに昨年のミーティングで検討さ
れているため、 そのまま承認された。
Agenda12.5 として、 リトアニアのオブザー
バーで、 今年初めて開催された YAK52WAC
で 2 位 と な っ た E. Meleckis 氏 よ り
2009YAK52WAC のプレゼンテーションが
あり、 日程は 2009.6.25∼7.5、 場所はロジュ
ナイ、 滞在費などを含めた entry fee は、 パ
イロットが1300ユーロ、 チームメンバーが
1150ユーロということで、 これも全員一致で
承認された。
Agenda12.6 : 2010WAAC 、 Agenda12.7 :
2010EAC、 Agenda12.8:2010EGAC につい
ては、 まだ何れの国からも開催の申し出がな
く、 引き続き開催地募集を行うことで合意し
た。
⑩Agenda13.1∼13.4:2008スペシャルイベン
トの報告及び2009に向けての提案
Agenda13.1 として、 昨年のミーティングで
リ ト ア ニ ア の ト ッ プ ・ パ イ ロ ッ ト 、 J.
Kairys 氏が提案し、 今年1月にアル・アイ
ン で 開 催 さ れ た JK Aerobatics Formula
Competition についての報告がなされ、 承
認された。 このイベントには、 日本の室屋義
秀氏も参加しており、 時間の要素を取り入れ
た新しいエアロバティック競技は観客にもわ
かりやすいので、 今後の普及が望まれるとこ
ろである。
Agenda13.2:Air GP、 Agenda13.3:World
Aerobatic Cup 、 Agenda13.4 : World
Grand Prix についてはそれぞれ簡単な報告
の後、 承認された。
⑪Agenda14:インターナショナルジャッジ・
リストの追加及び訂正
インターナショナルジャッジ・リストの追加
及び訂正が該当国のデレゲートより報告され
た。
実際には、 パーソナルデータシートの提出に
より正式に受理される。
⑫Agenda15.1∼15.4:その他のビジネス
その他の議題として、 Vice President の選
出方法の提案、 各種スコアリングシステムの
説明等が行われ、 承認された。
⑬Agenda16、 Agenda17:CIVA 役員及びコン
テストメンバーの選挙結果の発表
第1日目の朝に配布され、 当日午後2時を期
限に回収された投票用紙の集計結果が報告さ
れた。
定員の数と候補者の数にはそれほど差がない
ので、 ほとんどの候補者がそのまま多数決で
承認された。
⑭Agenda18:次回ミーティング開催場所の提
案
2009年 CIVA ミーティング開催場所につい
ては、 ドイツから、 デュッセルドルフの
30km ほど北にあるオーバーハウゼンで開催
したいという提案があり、 またアメリカから
はオシコシで開催したいという提案があった
ため、 シークレット投票が行われた。 その結
レセプションでマクラさんと
果、 8票対16票でオシコシに決定した。
所感:
今回は副デレゲートとして2年目の参加とな
り、 顔見知りも増え、 やっと CIVA の一員と
して会議に参加しているという実感があった。
また今年は WAAC、 EAC、 EGAC、 JK Formula、 World Grand Prix にそれぞれ日本人
パイロットが参加しており、 日本の認知度も上
がってきているので、 今後 CIVA の一員とし
ての義務と責任はますます大きくなることが予
想される。
また一方で、 主張すべきことがあれば積極的
に意見を出し、 日本の存在感をアピールするこ
とも必要であると感じた。 会議の最後には、 あ
らかじめ議題として提出されていない事項につ
いても議論し、 採決する時間が設けられている
ので、 そのような場を利用して発言の機会を増
やしていくのも一つの方法であろう。
2009年以降も、 何人かの日本人パイロットは
クラシカルなチャンピオンシップやその他の世
界的なイベントへの参加を予定しており、 国内
においても日本選手権やその他のイベントなど
が開催できるような環境の整備が急がれるとこ
ろである。
参考:チャンピオンシップのカテゴリー
WAG ワールドエアゲーム (不定期開催)
WAC パワー (飛行機)・アンリミッテッ
ド世界選手権 (奇数年開催)
EAC
パワー (飛行機)・アンリミッテッ
ドヨーロッパ選手権 (偶数年開催)
WAAC パワー (飛行機)・アドバンスド
世界選手権 (偶数年開催)
EAAC パワー (飛行機)・アドバンスド
ヨーロッパ選手権 (奇数年開催)
WGAC グライダー・アンリミッテッド
世界選手権 (奇数年開催)
EGAC グライダー・アンリミッテッド
ヨーロッパ選手権 (偶数年開催)
YAK52WAC
YAK52 世界選手権
2009 JAN
77
第30回 ATS シンポジウム
第 30 回 ATS シンポジウム
ATS 委員会
今、 テネリフェから学ぶこと
[衝突後炎上する PAA 機と脱出した乗客達]
1977年3月27日、 スペイン領カナリア諸島テネリフェ島の霧に包まれたロス・ロデオス空港の滑
走路上で、 ジャンボ機同士が衝突し乗客乗員583名が死亡した20世紀最悪の航空機事故“テネリフェ
事故”から30年余りの歳月が経過した。
その間に航空技術は進歩を遂げ、 航空機の性能は著しく向上し、 新しい航空交通システムが構築
され、 航空交通量は飛躍的に増大した。 そうした状況において、 関係者の航空の安全確保に向けた
努力にも拘らず、 テネリフェ事故と類似したインシデント等は未だに後を絶たない。
テネリフェ事故は、 ATS シンポジウムの実施母体である R/T Meeting が発足する契機となっ
た事故であり、 また最近航空界ではテネリフェ事故を知らない世代も増えてきたことから、 今一度
“テネリフェ事故”とはどの様な事故だったのかを振り返り、 私達が次世代に伝えるべき 「テネリ
フェ事故の教訓」 と私達にできることとは何か、 を考えてみよう。
1. テネリフェ事故の概要
事故はどの様にして起きたのか
1977年3月27日、 スペイン領カナリア諸島にあるラス・パルマスでは、 スペインからの独立を叫
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2009 JAN
第30回 ATS シンポジウム
ぶ過激派テロリストの仕掛けた爆弾が、 空港のカウンターで爆発する事件が発生した。 2発目の爆
発が懸念されたので同空港は一時閉鎖され、 ここへ向かっていた航空機は隣の島、 テネリフェ島の
ロス・ロデオス空港へダイバートした。
ロス・ロデオス空港
テネリフェ島
アムステルダムから飛んできた KLM4805 便 (B-747) が着陸した 1338Z には、 すでにエプロン
では航空機がひしめき合っていた。 そのため KLM4805 便は Rwy12 のランナップ・エリアに駐機
した。 乗客235名は機内に20分待たされた後、 バスでターミナルへ向かった。 一方、 ロサンゼルス
発ニューヨーク経由でやって来たパン・ナム PAA1736 便 (B-747) は 1415Z に到着し、 KLM 機
の隣に駐機した。 PAA 機の乗客377名は全員終始機内に留められていた。
1530Z 頃ラス・パルマス空港が再開すると、 PAA 機はただちにエンジンスタートを要求したが、
PAA 機と滑走路入口の間に KLM 機が駐機しており、 反対方向のタクシーウェイはメインエプロ
ンの航空機の混雑でタクシーには使えない旨が告げられた。 KLM 機に乗客が揃ったのは 1630Z 頃
になった。 ところが KLM 機の機長は燃料補給が必要であり、 そのために約30分を要する旨を告げ、
55,500の燃料を搭載後、 エンジンスタートして 1656Z にようやくタクシーを開始した。 引き続い
て PAA 機も 1701Z にタクシーアウトし、 両機は滑走路上をタクシーした。 その頃北西の海上から
湿った風が吹き寄せ、 2,000ft の高台にあるテネリフェ空港には霧が発生しはじめた。
1702:49Z :(ATC) KLM4805の位置を聞き“OK at the end of the runway, make l80 turn and report ready for ATC clearance.”とつけ加えた。
1705:45Z :(KLM)“KLM Uh, the KLM ... 4805 is now ready for take-off ... uh and we're waiting for our ATC clearance.”
1705:53Z :(ATC)“KLM 8705 uh you are cleared to the Papa Beacon climb to and maintain
flight level 90 right turn after take-off proceed with heading 040 until intercepting
the 325 radial from Las Palmas VOR.”
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第30回 ATS シンポジウム
1706:09Z :(KLM)“Ah Roger, sir, we're cleared to the Papa Beacon flight level 90, right turn
out 040 until intercepting the 325 . We're now at take-off.”
1706:18Z :(ATC)“OK ....(2sec).... Stand by for take-off, I will call you.”
こ の 後 KLM 機 と ATC の 間 に 会 話 は 交 わ さ れ て い な い 。 KLM 機 は 謎 の 離 陸 を 始 め 、
1706:49Z、 濃い霧の中でまだ滑走路上を Taxi down していた PAA 機に衝突した。
事故原因は何か
スペイン政府は、 翌年8月に事故調査報告書 (Spanish Report) を発表した。
それによると、 「究明された事実に基づけば、 KLM 機の機長は ATC クリアランスを受領するや
否や離陸することを決断していた」 として、
この事故の根本的な原因は当該便の機長が;
①
許可無く離陸したこと、
②
ATC の“Stand by for take-off”の指示に従わなかったこと、
③ PAA 機が滑走路上いることを知ったにもかかわらず離陸を中止しなかったこと、
であると結論し、 以下の3項目の勧告を行った。
【勧告】
①
管制指示および管制承認の厳格な遵守の徹底
②
簡潔明瞭な標準航空用語の使用
③
管制承認に“take-off”の用語を使用しないこと、 および管制承認と離陸許可には適切な時
間的間隔を設けること
これに対して事故機の登録国オランダ政府は、 合同調査委員会において立証された事実・証拠に
ついて意見の相違はないが、 それらの解釈において見解を異にするとして、 事故調査報告書に対し
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2009 JAN
第30回 ATS シンポジウム
コメント (Dutch Report) を発表した。
それは、 「調査の結果によれば、 事故の原因は単一ではない。 誤解は、 一般的に使用される方式、
用語および習慣的な行動パターンなどの複合要素によって発生した。」 とした上で、
① KLM 機は、 誤解によって、 離陸許可が発出されたことを確信して許可なく離陸した。
②
誤解は、 相互に使用された通常の用語により発生した。 他の偶然の出来事と重なり、 KLM
機が性急に離陸したことによって、 指示された誘導路から滑走路を離脱しなかった PAA 機
と滑走路上で衝突した、 と結論している。
衝突直前の状況 (最後の88秒)
事故調査報告書の最後の88秒に関する記述に基づき、 衝突直前の KLM 機、 PAA 機、 ATC (Tenerife) の状況を考察してみよう。 便宜上4つの場面に分けて検討する。
Scene 1
KLM 機は、 低視程下に幅45m の滑走路で困難な180°Turn をやり遂げ滑走路に正対し、
Before Take-off Checklist を終了した。 そこで機長は Thrust Lever を進めようとして、 副操縦士
にまだ ATC クリアランスを受領していない旨を指摘された。
ATC Communication
GMT
【1705Z】
27.8
36.7
41.22
41.5
KLM 機
180°Turn 終了
Before Take-off Check List 終了
All thrust Lever slight increase.
(F/O) Wait a minute, we don't have an
ATC Clearance.
(CAPT) No, I know that, go ahead ask.
(考察)
KLM 機長は、 短時間のうちに離陸しなければ、 勤務時間に対するオランダの厳格な規定に基づ
いて、 そのフライトをキャンセルしなければならないということ―それが会社の不利益と乗客の不
都合をもたらす結果となること―を懸念していた。
さらに、 空港の天候は急速に悪化しており、 最低の気象条件下で離陸するか、 規定の勤務時間を
超過することを承知の上で天候の回復を待つか、 の選択を迫られていた。
テネリフェ空港の特殊な気象条件も考慮に入れなければならない。 霧は濃さに基づいて視程がか
なり正確に計測できるが、 頻繁に視程を悪化させるものは実際には霧ではなく、 風により吹き寄せ
られる低層の雲である。 それ故、 視程は突然急激に変化する。 後者によって、 視程はある時は 0m
となる場合もあり、 短時間の間に 500m から 1,000m に変化し、 そして束の間の後、 実質的に 0m
に戻ってしまう。 このような気象条件によって、 パイロットの離着陸に関する判断が、 よりいっそ
う困難となることは疑うべくも無い。
こうした種々の問題の蓄積に伴って、 KLM 機長のストレスは増大していた。
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第30回 ATS シンポジウム
Scene 2
KLM 機は Ready を通報し、 ATC Clearance を受領して離陸を開始した。 この間の経緯
から、 副操縦士が ATC クリアランスを復唱している間に KLM 機は、 既に離陸滑走を開始してい
たと認められる。 (離陸を急いでいた機長は、 ATC クリアランスに含まれる Take-off という用語
を聞いて、 離陸も許可された、 と理解したと推察される。)
ATC Communication
GMT
(F/O) KLM Uh, the KLM ... 4805 is now
【1705Z】
ready for take-off ... uh and we're wait- 44.8
ing for our ATC clearance.
50.77
(ATC) KLM 8705 uh you are cleared to 53.41
【1706Z】
the Papa Beacon climb to and maintain
04.72
flight level 90 right turn after take-off
07.39
proceed with heading 040 until intercepting the 325 radial from Las Palmas 08.90
VOR.
(F/O) Ah roger, sir, we're cleared to the 09.61
Papa Beacon flight level 90, right turn
out 040 until intercepting the 325 . We're
now at take-off.
KLM 機
No.3/4 thrust lever slightly increase.
(CAPT) "YES"
11.08
12.25
13.99
14.00
17.17
Brake released.
(CAPT) "Les's go‐Check thrust"
All thrust levers increase.
Engine acceleration sound.
Air speed increase
19.39
PAA and ATC communications caused a
shrill noise in KLM cockpit - messages
not heard by KLM crew.
17.79
(ATC) OK
18.19
(about 2 sec silence)
(ATC) Stand by for take-off, I will call 20.08
21.79
you.
23.19
(考察)
Spanish Report は、 「究明された事実に基づけば、 KLM 機の機長は、 ATC クリアランスを受
領するや否や、 離陸することを決断していた。 事故の根本的な原因は、 当該便の機長が許可無く離
陸したことである。」 と結論した。 そして、 「管制承認に“Take-off”の用語を使用しないこと、 お
よび管制承認と離陸許可には、 適切な時間的間隔を設けること。」 を勧告した。
また、 事故の一因と考えられる不適切な用語の使用について、 「KLM 副操縦士のクリアランス
に対するリードバックは、“We are now at take-off”で終わっている。 管制官は離陸許可を要求
されておらず、 許可も与えていないので、 KLM 機が離陸滑走を開始したことを予想することすら
できなかった。 管制官の“Stand by for take-off.”に前置された、“OK”もまた不適切であった
が、 当該機は、 この約 6.5 秒前に離陸滑走を開始していたため、 結果として直接の関連はなかった。」
と述べている。
これに対し、 Dutch Report は、 「この段階で、 副操縦士は Take-off Clearance と ATC Clearance の両方を要求している。」 「クリアランスの復唱が終了する 5.5 秒前に、 エンジンが Take-off
Thrust まで増加させられ、 離陸滑走が開始されていたが、 これらの事実は、 KLM 機のクルーは
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第30回 ATS シンポジウム
発出されたクリアランスから、 離陸も許可されたと判断したことを示している。」 「管制官の“OK”
の返答で、 KLM 機の乗員は離陸を許可されたことを確信した」 等と反論した。
また、 当該管制官は、 調査委員会の合同聴聞会において、 KLM 機は、“At take-off position”
と通報してきた、 と証言した。 これは、 当該機が停止した状態であったことを示し、 このことによっ
て疑念を覚えたわけではなかった。
Scene 3
KLM 機の“We're now at take-off.”という送信に、 管制官は OK と答えその後、 2秒
間沈黙した。 この交信を傍受した PAA 機は誤解が生じる可能性に気付き、“And we're still taxiing down the runway, the clipper 1736”と警告したが、 管制官の“Stand by for take-off, I will
call you.”の送信と重なり、 KLM 機には混信して Shrill Noise (甲高い騒音) しか聞こえず、 い
ずれの送信も聴取できなかった。
ATC (Tenerife)
GMT
【1706Z】
OK
18.19
(about 2 sec silence)
Stand by for take-off, I will
call you.
20.08
[19.39-23.19]
Shrill noise
21.79
PAA 機
19.39
No .. eh.
20.3
And we're still taxiing down
the runway, the clipper 1736.
(About 3 sec)
22.06
PAA and ATC communications
caused a shrill noise in KLM cockpit
- messages not heard by KLM crew.
(考察)
Spanish Report は、 「二つの送信が重なったという事実は曲げがたい。 管制官の、“Stand by
for take-off, I will call you.”という送信が、 PAA 機からの“We're still taxiing down the run
way”と重なり、 十分な明瞭さをもって伝わらなかったことは明白である。 このキーイングの音に
よって約3秒の間、 通信が妨害された。」 と述べている。
Dutch Report には、 「公聴会において、 誤解が発生した可能性の確認作業が行われ、 PAA 機の
機長と F/O の緊張した反応から、“OK”を含む交信によって ATC クリアランスが離陸許可に誤
解されたことに対する恐怖が窺われた」 との記述がある。
Scene 4
混信の直後、 滑走路からの離脱に関する指示と確認に関する管制官と PAA 機の交信が、
KLM 機の航空機関士に傍受された。 この時 PAA 機は、 指示された3番目の誘導路 (C-3) を通
過し、 自分達から数えて3番目の誘導路 (C-4) に向かっていた。 航空機関士は機長に 「彼らはま
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第30回 ATS シンポジウム
だ Runway 上にいるのでは?」 と問いかけたが、 機長は 「いや、 違う」 と明確にこれを否定した。
こうして衝突は不可避の事態になって行った。
ATC (Tenerife)
Papa Alpha 1736 report when runway
clear
GMT
【1706Z】
25.47
PAA 機
29.59
OK, we'll report when we're clear.
31.69
Thank you
KLM 機
(F/E) Is he not clear, then?
(CAPT) What do you say?
(F/E) Is he not clear that Pan American?
(CAPT) Oh, yes. (emphatic)
GMT
【1706Z】
32.43
34.10
34.70
PAA 機
35.70
40 Crew sees landing lights of KLM Boeing
at approx. 700m
(F/O) V1.
started rotation
(CAPT) <exclamation>
COLLISION
43.49
44
47.44
49.03
COLLISION
Holes in the Defense (防護壁の穴)
近代的なシステムは、 多重の防護により単発的な不具合に対して抵抗力を持つように設計されて
いる。 理想的な状態では、 防護の全ての階層が健全で、 潜在的な危険がその間を突き抜ける可能性
はない。 しかし、 現実的には防護の各層にはほころび、 即ち 「穴」 があり、 それらは 「潜在的な原
因」 や 「即発的なエラー」 等により作り出される。 そして、 それらの穴が偶然に並んだ時に航空機
事故は起きると考えられている。
テネリフェ事故について多重の防護と防護壁の穴を考察すると、 以下の様になる。
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第30回 ATS シンポジウム
2. 教訓は生かされているか
「テネリフェ事故」 の教訓とは何か
以上のことから、 私達は20世紀最悪の事故となったテネリフェ事故が Non-Standard な ATC
Communication を一因とするものであることに注意を向ける必要がある。
Dutch Report に 「無線通信は誤解が生じやすい。 これは、 KLM 機のクルーおよび管制官の双
方に言えることである。 KLM 機が離陸を許可されたと確信するに至る交信も、 管制官には当該機
が停止していることを確信させる結果になった、 と思われる。 PAA 機のクルーは、 KLM 機が
ATC クリアランスを離陸許可と誤解したのではないかと懸念し、 警告を発した。」 と述べられてい
る通り、 離着陸の様な Critical な Phase では、 安全を確保するために 「パイロットと管制官の共
通の理解」 がきわめて重要である。
この共通の理解を確立しようとする思いが R/T Meeting の活動の原点であり、 30年以上に渡り、
活動が継続してきた原動力でもある。 そして 「共通の理解」 を常に維持するためには、 「確実な
ATC Communication の実施」 が大前提となる。
従って、 テネリフェ事故の教訓とは 「パイロットと管制官の共通の理解」 に関する重要性の認識
であるといえる。 平たい言葉で言えば、 「管制官の意図がパイロットに正確に伝わっていないと大
事故になるぞ!」 と言うことだろう。
私達が学び取った具体的な教訓は、 「確実な ATC Communication の実施が大切だ」 「確実に
Take-off Clearance を貰わないとえらいことになる。」 「滑走路上に居るパイロットに安易に Takeoff という言葉を使うと、 離陸されてしまう。」 「OK の様に曖昧な、 意図とは違う意味に受け取ら
れる可能性のある言葉は ATC では使うべきではない。」 「Time Pressure のある時や、 視程の悪い
時には特に注意する必要がある。」 等々とも言えるかもしれない。
最近の重大インシデント
今年の冬、 降雪による低視程下、 新千歳空港において“テネリフェ事故”を彷彿とさせる重大イ
ンシデントが発生した。 今回は、 管制機器の進歩 (空港面探知レーダーの装備) と管制官の機転に
より、 最悪の事態は回避されたが、 大変厳しい状況であった。
[運輸安全委員会 HP より]
日本航空 B747-400 型機は、 飛行場管制官から、 離陸のため新千歳
空港B滑走路に進入し待機するよう指示を受け、 当該滑走路に進入したが、 離陸許可を受けないま
ま離陸滑走を開始した。 その際、 既に当該滑走路に着陸していた日本航空 MD-90 型機が当該滑走
路を離脱しておらず、 飛行場管制官から直ちに停止するよう指示を受け、 離陸を中止した。 負傷者
なし。 (調査中)
パイロットは何故、 離陸許可を受けないまま離陸滑走を開始したのだろう、 再発を防止するため
に、 私達には何ができるのだろう、 今一度考えてみる必要があるだろう。
2009 JAN
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第30回 ATS シンポジウム
3. 私達にできること
規定の整備
事故後、 国際航空規則の全面的な見直しが行われて、 世界中の航空に関する組織に対して、 聞き
違いを防ぐために標準的な管制用語を使用し、 用語には英語を使うよう要請がなされた。 現在、 世
界の 「離陸及び離陸の中断に関する規定」 は以下の様になっている。
●
ICAO Manual of Radio Telephony
Take-off と言う用語は離陸許可および離陸許可の取り消しの場合に限り使用されるべきで
ある。 他の場合においては Departure または Airborne を使用する。
●
FAA Air Traffic Control (7110.65S)
離陸許可および離陸許可の取り消し以外には Take-off の用語を使わない。 その他の場合に
は、 必要に応じ depart, departure または fly の用語を使う。
●
AIP-Japan
注:管制官は、 離陸許可および離陸許可の取り消し以外に通常 「TAKE-OFF」 の用語を使
用しない。
現在、 管制方式基準には上記の主旨が記載されていない。 R/T meeting で検討し、 下記の改正
提案を提出したが、 2008年8月28日の管制方式基準の改定では採用されなかった。
管制方式基準の改正提案
() 飛行場管制方式2管制許可等【離陸許可】の項で、 TAKE-OFF の語の使用制限について、
下記の注を追加すべきである。
注 離陸許可及び離陸許可の取り消し以外では、 管制用語によらない交信においても TAKEOFF の語を使用しないものとする。
確実な ATC Communication の実施
① DVD 教材 「ATC Communication を考える」 の活用
R/T Meeting の啓蒙活動の一つとして、 共通視聴覚教材の作成に取り組んでいる。 その第1弾
として 「ATC Communication を考える」 というテーマを選び、 ATC Communication の本質を
考え、 確実な Communication を実施するための方法として 「Communication Loop」 の考え方を
紹介する DVD 教材 (日本語版と英語版) を作成した。 (これは航空局の監修を得て、 各地の空港
事務所や定期航空会社等で教材として採用されている。)
管制官がクリアランスなどをパイロットに伝えようとするときには、 まず送信をし、 それをパイ
ロットが受信し、 受信証と一緒に重要な内容をリードバックする。 管制官はリードバックをきちん
とヒアバックして、 通信内容が正しく伝わったことを確認し、 応答する。
これが 「Communication Loop」 の流れだが、 旅客機など、 操縦を担当するパイロット 「PF」
と、 PF の操縦を補佐しながら管制官との交信を担当するパイロット 「PM」 (PNF) の複数のパイ
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2009 JAN
第30回 ATS シンポジウム
ロットによって操縦されている航空機では、 二人が通信内容を正しく理解するために、 コックピッ
ト内での手順がさらに細かく工夫されている。 教材ではその具体的なやり方を、 映像を使い説明し
ている。 (添付資料参照)
通信技術の基礎知識、 Communication Loop による確実な意思の伝達、 心の通い合った管制に
よる信頼関係の構築、 そうしたことが重なり合って、 はじめて ATC Communication がレベルアッ
プされてゆくことが解説されている。 R/T Meeting30年の叡智の結晶である DVD 教材を有効に
活用して、 確実な ATC Communication の実施に役立てて頂きたい。
②
リードバックとヒアバック
リードバック (復唱) は、 送信内容の聞き違いを防ぎ、 送信者によるダブルチェックによって送
信内容を相互に確認するために重要である。 最近国内で発生したインシデントにおいて、 リードバッ
クが適切に行われなかった事例等もあったことから、 当局により 「操縦士による管制指示等の復唱
のルール化」 が検討されている。
しかしながら、 管制通信の 「目的」 はあくまでも 「通信内容の確実な伝達」 であって、 「復唱」
はそれを達成するために必要な、 確認のための 「手段」 の一部に過ぎない。 しかも 「復唱」 はそれ
自体では内容の確認には全く役にたたず、 管制官の完全なヒアバックがあって始めて確認の効果が
発揮される。
そうしたことから R/T Meeting の検討結果として、 私達は復唱のルール化は適切でないとの結
論に達し、 その旨の意見書を提出した。
通信内容の確認は、 パイロットと管制官の自主的なリードバックとヒアバックによって確立され
てきた。 今後とも私達は、 管制通信の目的と手段をきちんと判別し、 モラールを高めて 「リードバッ
クとヒアバックによる通信内容の確認文化」 を構築してゆく必要がある。
危機意識を持ち続けよう
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」 という諺のように、 人間の弱さとして、 便利さや安全・安定の中に
浸っていると危機への関心や警戒心が薄れ退化してしまう。 そして、 私達の遺伝子にも組み込まれ
ているはずの 「危険・危機」 に対する感性のスイッチがいつの間にか OFF になってしまう。
私達パイロットと管制官は、 プロとして 「テネリフェ事故の教訓」 を忘れることなく、 危険に対
する感性のスイッチを常時 ONとしておく様に努めて行く必要があるのではないだろうか。
“事故原因
知ることこそが
事故予防”
以上
2009 JAN
87
第30回 ATS シンポジウム
添付資料
ATC Communication Loop
ATC COMMUNICATION の工夫の一つに、 ATC、
特に管制官の意図をパイロットが確実に受け取る手法
として 「COMMUNICATION LOOP」 と呼ばれてい
る手順があります。 ATC COMMUNICATION を確
実に行うためにたいへん有効な手法です。
Communication Loop はあくまでも原則であって、
実際にコックピットでは、 かなり柔軟に運用されてい
ます。 しかしながら、 原則を離れるほど取り返しのつ
かないトラブルに結びつく可能性が高いことを認識す
べきです。
「PF」 と 「PM」 (PNF) の複数のパイロットによって運航されている航空機の Communication
Loop は、 以下の8項目のようになります。
【管制官と PF/PM の COMMUNICATION LOOP】
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
88
管制官はパイロットに伝えるべき内容を管制用語や、 一般語でも適切な言い回しで送信し
ます。
PF と PM の2人のパイロットは、 それぞれ独自に内容を理解します。
PF は自分が通信の内容を理解できたら PM に動作や言葉による合図で 「理解した」 旨を
意思表示します。
PM は、 PF の 「理解した」 合図があって、 かつ自分も通信の内容を理解したら、 リード
バックポリシーに従って自分が理解した内容をリードバックします。
PM が通信の内容を理解できなかったら、 PF の 「理解した」 という合図があっても 「Say
again after heading」 などと、 分からなかった部分の再送信を要求します。 また自分は
理解していても PF から 「Say again」 等の合図があった時は、 それにしたがって ATC
に要求します。
PF は PM のリードバックをモニターして、 自分の理解と違っていたら直ちに PM に
「Confirm」 を指示します。
管制官はリードバックを確実にヒアバックして、 自分が伝えようとした内容が正しく伝わっ
たことを確認します。
管制官は、 リードバックの内容が自分が伝えようとした内容と違っていたり、 あるいは確
認の必要な内容が抜けていたりした場合は、 間違いを指摘するか、 重要な部分のリードバッ
クを指示します。
2009 JAN
Radio Telephony Meeting
ATS委員会
Vol.012
【 指定高度 (Assigned Altitude) と高度制限 】
しばらくお休みしていた ATC のハンガートー
ク 「ATC 再発見 Radio Telephony Meeting」
ですが、 2009年からは隔号掲載予定です。
今回は、 【指定高度 (Assigned Altitude)
と高度制限】について Captain と Controller の熱いトークが始まっています。
維持高度の二重構造問題
Nick 機 長:2006年10月と2007年5月の2回
にわたって、 管制方式基準の高度に対する考
え方が大きく変更されて1年半が経ちました
が、 個人的には管制の仕組みとしての問題は
解消されたと感じていますが、 皆さんは如何
ですか?
Yankee 機 長:そうですね。“Until further
advised”の用語がなくなったし、 維持高度
の二重構造問題もクリアになりましたよね。
Stephen 副 操 縦 士 :私は1年前に F/O に
Upgrade したのですが、 ちょっと前に Capt
達が 「維持高度の二重構造問題」 を話されて
いて、 言葉は聞いたことがあるのですが、 ど
んな問題だったのでしょうか?
Fred 機 長 : か つ て 日 本 の 管 制 で は 、 Assigned altitude と Until further advised と
いう2つの維持高度が同時に有効であるとい
う重大な問題を抱えていたんですよ。 2006年
10月以前は、 かなりの管制官が 「Assign 370
(サンナナ) で、 190 (イチキュウ) further
ね」 という言い方をして、 Until further の
FL190は高度制限と認識していた管制官も少
なくなかったんです。
Nick 機長:そうそう、 Until further の高度
か ら Assigned altitude へ の 上 昇 指 示 に
“Cancel restriction”という言葉がよく使
われたものですから、 SID の高度制限がキャ
ンセルされたと判断して上昇した航空機に、
重大なインシデントが発生してしまったこと
もあったんです。
Stephen 副操縦士:私は管制方式基準の改
正後に F/O になったので、 実感が沸かない
のですが、 大きな問題があったのですね。
Fred 機長:そう。 このインシデントへの反
省から 「有効な維持高度は常に1つである」
という考え方と、 「Until further advised 撲
滅運動」 を Radio Telephony Meeting で10
年間続けた結果、 アメリカに遅れること30年
にしてようやく目的が達成されたんですよ。
高度制限の有効性を明確にする手法の変遷
Stephen 副操縦士:そうだったのですか。
アメリカでは、 30年も前に 「維持高度の考え
方」 が、 既に管制のシステムとして構築され
ていたのですか!
Carlos 管制官:Good morning everybody、
FAA では高度制限を明確にする方式は、 航
空管制用レーダーの普及とも密接な関係があっ
て、 レーダーの普及と一緒に管制の方式も変
化してきたんです。
Stephen 副操縦士:え∼その辺について、
2009 JAN
89
もう少し詳しく聞かせてくださいよ。
Carlos 管制官:まず、 管制の第一世代であっ
たノンレーダーの時代には、 高度制限はキャ
ンセルしない限り常に有効でした。 つまり、
高度制限に変更がある時だけ指示を出して、
何も言わなければすべて有効、 という考え方
でした。
次に、 第二世代に入って、 レーダー管制が
導入されたものの未成熟な時代には 「最終高
度を変更したら、 高度制限に変更がないかど
うかを必ず指示する」 方法が採られていまし
た。 つまり高度制限の有効/無効/変更のい
ずれかを、 その都度必ず指示する方式が採ら
れていました。
そして1978年以降は、 第三世代とも言える
レーダー管制の成熟した管制方式として 「高
度変更や経路変更といったフライトの節目に
は、 必要な高度制限があれば改めて指示し、
その時に再度指示しなかった高度制限は全て
無効」 という極めてシンプルな方法を採用し、
同時に“Until further advised”の用語も使
用されなくなって、 現在に至っています。
Stephen 副操縦士:そう言えば、 アメリカ
で訓練を受けた時、 “Until further advised”
なんていう言葉は聞いたことがなかったです
ね。
高度の指定と高度制限の大改革
Nick 機長:Assigned altitude を明確にして
1本化したことと、 今 Carlos さんが話され
た高度制限を第三世代化する大改革が2006年
10月に達成されたことは、 日本の航空史に残
る偉業でしたね。
ただ1点、 経路変更に例外規定を設けてし
まったために現場で混乱が生じたのですが、
この問題もわずか半年後の2007年5月には再
改正という英断がくだされて、 高度に関する
考え方は大きく変貌を遂げました。
Yankee 機 長:そのとおりです。 同時に管
制方式基準に高度制限の定義が、 「特定フィッ
90
2009 JAN
クス又は時刻において通過すべき高度につい
て公示されたもの又は管制官が航空機に指示
したもの」 と定められたことによって、 高度
制限に対する考え方が明確になりましたよね。
Stephen 副 操 縦 士:なるほど。 「維持高度
の二重構造問題」 と 「高度制限の有効性を明
確にする手法の変遷」、 そういった 「高度の
指定と高度制限の大改革」 がよく理解できま
した。
「指定高度を常に意識すること」 の重要性
Carlos 管 制 官:確かに2006年10月と2007年
5月の改正で、 高度に関して疑問を挟む余地
は無くなったと思いますが、 出発機に関して、
出域管制席との通信設定時に、 現在の通過高
度は通報するけど、 指定高度を通報しないパ
イロットが多いのではないかと感じています。
Nick 機長:えっ、 そうですかぁ?
Carlos 管 制 官:羽田では、 1997年3月から
管制承認要求時の通信量軽減を目的として、
管制承認伝達席からは、 一律の基準高度で管
制承認を発出することが試行運用されていま
す。
その後、 この運用は他の空港でも試行運用
さ れ る よ う に な っ て 、 暫 定 高 度 ・ Provisional Altitude・協定高度など、 空港によっ
て呼び方はまちまちですが、 指定高度である
ことには違いありません。 どうせ飛行する
SID 毎に基準高度が決まっていて、 管制官
も熟知しているからということで、 通報しな
いのかなぁとも思うのですが如何ですか?
Nick 機 長:「現在の assigned altitude は何
フィートか」 を常に意識して飛行することは
パイロットの基本ですから、 当然通信設定時
には通報しなければいけませんよ! SID
毎に一律の基準高度であっても、 指定高度に
変わりはないんですから。
Carlos 管制官:そうですよね。 「自分の上昇
できる指定高度は何か」 を認識することは重
要だと思います。
Ramirez 管 制 官:例えば羽田から東北・北
海道方面への出発機には、 SID の経路上に
At or below 13,000 の 高 度 制 限 が あ る
PLUTO Three RNAV Departure で、 基準
高度 FL210の管制承認を発出しますが、 離
陸直後に“Maintain 13,000”と指示された
場合は、 その時点で 「指定高度が FL210か
ら13,000フィートに変更された」 という認識
をもっていただかないとまずいですよね。
Yankee 機 長:そうですね。 このケースで
は、 管制官の指定した高度と SID 上の高度
制限の値が、 たまたま一致していますのでコ
ンフューズしがちですが、 「現在の指定高度
は何フィートか」 を常に意識して飛行するこ
とは、 とても重要なことですね。
Fred 機 長:そういう場合で Mode Control
Panel の Altitude Selector の操作をした時
には、 「Assigned Altitude は13,000に変更
だね。」 と口にして PF/PNF 間の共通認識
をとる Communication loop も重要なんで
すよ。
地上での指定高度の変更
Fred 機長:飛行中の航空機に対して“climb
,
descend”
,“maintain”の用語で高度が指定
された場合は、 あらためて指示し直されない高
度制限は無効になりますが、 今の“maintain
13,000”という新たな高度の指定が離陸前の地
上にいる時に指示された場合は、 もし13,000フィー
ト未満に別の高度制限が付いていたら、 その高
度制限は有効なままなので、 注意が必要ですね。
Yankee 機 長:そうなんですね。 これは結構
勘違いしがちです。 2006年10月の管制方式基
準変更の際には、 某航空会社での知識確認の
問題に使われたこともあります。 経路変更か、
高度の指定があった場合の、 高度制限に関す
る管制方式基準の変更があまりにもドラスティッ
クだったので、 飛行中と地上にいる時との区別
がおろそかになりがちなんですよね。 特に、 滑
走路上にいる場合はクリティカルな場面なので、
飛行中と混同しないように注意が必要ですね。
Nick 機長:出発時の高度変更といえば、 2008
年8月の管制方式基準の改正で、 航空機が離
陸滑走路に近づいた時や滑走路上で待機して
いる時に、 離陸後に維持すべき高度を指示する
場合、 これは指定高度の変更、 つまり管制承
認の変更ですから、 一律に 「待機を指示した
後に行う」 と規定されましたよね。
Carlos 管制官:はい。 直ちに離陸許可を発出
する状況でも、 規定上は“Hold your position, maintain 3000, wind 120 at 8, runway
16L, cleared for take-off”などと言わなけれ
ばならなくなったように解釈されるので、 パイ
ロットは Hold position なのか cleared for
take-off なのか迷ってしまうのではないでしょ
うか。
Fred 機長:滑走路に近づいた時にそういう指
示が出たら、 確かに迷いそうですね。
Carlos 管制官:本来は 「待機が必要な場合」
や 「離陸許可を発出できない場合」 に、 間違っ
て滑走路に入ってしまったり、 離陸を始めてし
まう間違いを防ぐための措置ですから、 規定と
は 言 え 、 「“ hold short of runway ” と
“cleared for take-off”を同時には指示しに
くいなぁ」 と感じています。
“Expect”は単なる Information
Nick 機 長:基準高度の運用が広まったこと
もあって、“expect”を使うケースが多くな
りましたが、 離陸直後に Lost communication になった場合、 管制承認でも expect で
通報されている高度の取扱いには注意が必要
ですよね。
Carlos 管制官:そうですね。 例えば“expect
FL240”という管制承認を受けて、 離陸直後
2009 JAN
91
に Lost Communication になった場合、 Expect で貰った高度の取り扱いについては、
FAA の規定では、 その時刻や場所で FL240
に上昇できますが、 日本では上昇できません。
Stephen 副操縦士:ということは、 Expect
で貰った高度の性格は、 単なる Information
ということですか?
Carlos 管制官:そのとおりです。
Yankee 機長:「通信機故障の場合の航行」
は航空法施行規則206条に定められています
が、 そこには、
故障前の指示による高度又は国土交通大臣
が定める経路ごとに国土交通大臣が地表、
水面若しくは障害物との間隔等を考慮して
定める最低の高度のいずれか高い高度及び
当該故障前の指示による速度を維持して国
土交通大臣が定める時間まで飛行し、 その
後、 通報した飛行計画による高度及び速度
を維持して飛行すること。
と書かれています。
Stephen 副操縦士:“国土交通大臣が定め
る時間まで飛行”とあるのですが、 「具体的
な時間」 は定められていませんよね。
Yankee 機長:そうですね。 肝心の 「通信が
途絶してから何分後に飛行計画の高度と速度
に変更するのか」 については、 AIP ENR1.110に記述がありますので、 見ておきましょうか。
AIP ENR 1.1-10
通信機故障の場合の飛行方法】2. b) 承認されていた高度若しくは最低高度
(最低経路高度、 最低通過高度、 最低受
信可能高度、 高度制限を指す。) のいず
れか高い高度及び指定されていた速度を
維持して、 以下の時間まで飛行し、 その
後通報した飛行計画による高度及び速度
を維持して飛行する。 ただし通信機故障
の前に、 着陸のための降下を指示されて
いる場合は、 当該指示による高度を維持
92
2009 JAN
して飛行する。
レーダー管制業務が行われていない空域
では、 義務位置通報点における通報がで
きなかった時点から20分間
レーダー管制業務が行われている空域で
は、 次の時間のうち最も遅い時間から7
分間
①承認されていた高度若しくは最低高度
に到達した時間
②トランスポンダーを7600にセットした
時間
Stephen 副操縦士:確かに“Expect の高度”
はどこにも出てきませんね。
Fred 機長:レーダー管制業務が行われてい
る空域と行われていない空域とで、 7分間ま
たは20分間に分かれ、 その時間の起算点にも
違いがあるので、 整理しておく必要があるで
しょう。
ち な み に 7 分 や 20 分 の 根 拠 は 、 PANSATM 15.3 Air-Ground Communication
Failure にその記載があります。
Nick 機 長:みなさん、 どうもありがとうご
ざいました。 それでは、 次回またお目にかか
りましょう。
Carlos 管制官:ADIOS!
この ATC 再発見 Radio Telephony Meeting は、
JAPA ATS 委員会と ATCA 技術委員会の定
例ミーティング (通称 R/T Meeting) で討議
された内容を基に ATC のあるべき姿をハンガー
トーク形式でお届けしているものです。
R/T Meeting は、 毎月第2土曜日に JAPA
会議室で開催されており、 JAPA 会員および
航空管制官の方ならどなたでも自由に参加でき
る会議です。 多くの皆様のご参加をお待ちして
います。
ews
FAI N
FA I ニュース
奥貫
博
新しい年になりました。 昨年、 エアロバティッ
クス関係では2件の FAI 競技会への参加等、
積極的な動きが見られ、 また、 ジェネラルアビ
エーション関係でも、 FAI 方式競技の部分的
試行が国内で行われました。
ロータークラフトの方は、 世界選手権の上位
入賞が期待されながら、 本業多忙により、 残念
ながら不参加でした。 尚、 国内で2回、 FAI
競技の飛行展示が行われました。
徐々にではありますが、 日本の FAI 航空ス
ポーツ活動は前進を続けています。 これからも
デレゲートを通じて FAI からの情報を得なが
ら、 推進を図って行きたいと思います。
では今月の各部門の報告です。
マジョルカで開催されることが決定しました。
分科会報告としては、 従来のラリー飛行競技
と精密飛行競技の他に、 航法競技 (Air Navi-
ロータークラフト (ヘリコプター)
ロータークラフトの FAI CIG ミーティングが
2009年2月6・7日に、 スイスのローザンヌで
行われます。 日本からは、 ロータークラフトの
デレゲートである青山さんが参加する予定です。
今回の議題は来年に行われるイタリアでの大会
の説明とルール変更内容の説明と思われます。
イタリアの次は是非とも日本でチャンピオン
シップを行うように説明をしてきたいと思って
います。 残念ながら今回で茂木でのエアロバティッ
クスは休止と聞きました。 そこで、 ヘリコプター・
チャンピオンシップとエアロバティックスの競
技会をコラボレイトして出来ないかと計画し、
FAI のロータークラフト委員会へ提案してい
ます。 是非とも実現出来るように説明をしたい
と考えております。
GAC:ジェネラルアビエーション (飛行機)
ジェネラルアビエーション部門の総会は、 昨
年の10月下旬にチェコで開催されました。 また、
今年の総会は、 11月にスペインのパルマ・デ・
gation Race) の報告が加わりました。
航法競技規則の DRAFT 版はすでに公表さ
れていますが、 要は航法の正確性と、 着陸技術
を競うもので、 着陸競技については精密飛行競
技に近いものとなっています。
この競技はこれからのジェネラルアビエーショ
ン競技の主体となる位置付けのものです。 その
内容につきましては FAI のホームページから
も情報は得られますが、 詳細は JAPA 経由で
ジェネラルアビエーション部門の日本の正、 副
デレゲートにお尋ねください。
エアロバティックス (FAA-CIVA)
2008年10月25・26日、 オーストリアの古都ザ
ルツブルグにおいて、 2008年 CIVA ミーティ
ング (FAI エアロバティック委員会・年次総
会) が開催され、 その中で来年開かれる予定の
各チャンピオンシップについて、 開催場所と日
程、 及び Programme Q (Known) シーケン
スが決定されました (次ページ参照)。 これら
のチャンピオンシップには、 JAPA の会員で
あり、 かつ必要な経歴と技量を有していると認
められたパイロットであれば、 日本代表として
出場することができます。 出場を希望される方
は事務局までお問合せ下さい。
WAC (アンリミッテッド世界選手権)
2009.8.19∼29 英国・シルバーストーン
EAAC (アドバンスドヨーロッパ選手権)
2009.8.6∼16 ポーランド・ラドム
YAK52WAC (YAK52世界選手権)
2009.6.25∼7.5 リトアニア・ロジュナイ
なお、 CIVA ミーティングの詳細については、
参加報告をご覧下さい。
2009 JAN
93
2009年 FAI エアロバティックス
規定競技科目
2009年 FAI エアロバティックス競技の
規定科目が決定しました。
右は Unlimited クラス、 下は Advanced
クラス、 右下は YAK-52クラスです。
細部につきましては、 JAPA に連絡いた
だければ、 情報を提供いたします。 また、
最新情報は、 下記 URL から得られます。
http://www.fai.org/aerobatics/CIVAQseq
94
2009 JAN
地球環境問題関連用語の解説 20
84. 海洋エネルギー
海には、 豊富なエネルギーが様々な形で蓄え
られている。 これらを有効に取り出すことで、
化石燃料に代わる、 環境にやさしいエネルギー
として使える。 その利用例を下記に示す。
海洋温度差発電
海の表層と深層の温度差を利用して発電
海洋波力発電
海の運動エネルギーを利用して発電
海洋潮力発電 (一種の水力発電)
海の干満の差で得られる位置エネルギーを利
用して発電
海洋濃度差発電
海中の塩分濃度の差を使って発電
海洋から希少金属等の回収
海中に溶け込んでいるリチウムやウラン等の
金属を回収
海洋深層水
深海約1,000m に流れる深層水をくみ上げ、
飲料水、 食料品、 化粧品、 養殖等に利用
85. 海洋温度差発電 (OTEC)
海洋温度差発電または OTEC (Ocean Thermal Energy Conversion) は、 海洋表層の温水
と深海の冷水の温度差を利用して発電を行う仕
組みである。 使用されるサイクルにより、 3つ
に分類される。
クローズド・サイクル
アンモニアのような低沸点の媒体を用いる。
暖かい表層水を熱交換器に通して、 媒体を気化
させた蒸気によって発電タービンを回す。 その
蒸気を、 深層水を利用した凝縮器に通して、 液
体に戻し再利用する。 タービンを回す媒体が循
環する閉じたシステムであるために、 クローズ
ド・サイクルと呼ばれている。
オープン・サイクル
媒体として熱帯の海洋表層水を用いる。 温か
い表層水を低圧沸騰器にいれ、 水を気化させた
蒸気によって低圧タービンを回し電力を得る。
タービンを回した蒸気を、 冷たい深層水で凝
縮すると純水が得られる。 タービンを回す媒体
が密閉されず、 次々と供給されるのでオープン・
サイクルと呼ばれている。 塩分が低圧沸騰器に
残るのでその除去に工夫が必要となる。
ハイブリッド・サイクル
との両方の特徴を組み合わせたもの。
上原サイクル
佐賀大学の上原春男教授のグループが1994年
に、 アンモニアと水の混合媒体を冷媒として利
用する方式を開発し特許を取得した。 媒体に純
アンモニアを用いるランキン・サイクルと比較
して、 サイクルの熱効率が50%∼70%向上し、
実用レベルの効率を持つ海洋温度差発電プラン
ト実現の可能性がでてきた。
86. 海洋バイオマス研究コンソーシアム
工場や発電所で発生する CO2 を海水に吹き
込み、 繁殖した海藻を石油代替燃料に活用しよ
うという共同研究組合が、 産学から竹中工務店、
東京電力、 沖縄電力、 東京工業大学などが参加
して、 2008年10月設立された。
臨海コンビナート周辺などに専用施設を設け、
水槽の海水に工場などの排気ガスを吹き込み、
CO2を海藻に取り込ませる。 海藻は成長が早く、
食料と競合しないバイオ燃料の原料として有望
視されている。 短期間で育つ海藻の選別や、 排
ガス輸送の基本技術を3年内に開発する。 海水
温が高く太陽光が豊富な沖縄などに大規模な実
証試験施設を建設することを検討している。
(日本経済新聞11月14日夕刊より)
第19回掲載用語
79. 環境関連技術 「愛・地球賞」 100件
80. コージェネレーション:CHP
81. DHC (District Heating and Cooling)
82. 地球シミュレータ
83. 海洋温度差発電
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オススメ! 情報ボックス
書籍&Goods紹介
編集委員会
このコーナーでは、 書籍紹介を始めとして航空に関するお勧めGoods等を紹介していきます。 読者の
皆さんも、 是非、 フライトで使用している便利グッズや、 パイロット仲間に紹介したいグッズ、 書籍な
どの情報を、 編集委員会までお知らせください。 もちろん、 ステイ先などでの飲食店情報などもお待ち
しています。
航空事故の過失理論
如何なるヒューマンエラーに
刑事不法があるのか (改訂版)
著者:池内 宏 海老池 昭夫 共著
発行:株式会社成山堂書店
〒160-0012 東京都新宿区南元町4 5 1
成山堂ビル
TEL :03−3357−5861
FAX:03−3357−5867
E-Mail:[email protected]
定価:税込2,940円
航空事故においては、 その要因等の調査及び
分析をヒューマンエラーの視点を含めて実施し、
事故の再発防止を図ることが何よりも大切であ
るとの考えと、 事故の重大な結果に注目し、 過
失責任を追及して厳罰化を目指すべきとの立場
の対立が常に指摘されている。 本書はこの問題
を正面から扱い、 刑法の学説、 判例、 刑事法、
96
2009 JAN
国際法を踏まえて航空事故における刑事過失の
構造や限界を考察し、 また、 再発防止、 被害者
救済制度についても言及した書籍である。
航空機は本来安全な乗り物であるが、 ひとた
び事故が起きると多くの人命が奪われる可能性
があり、 一般社会に与える影響も大きい。
それ故、 近年は過失犯の必罰化の傾向が強ま
り、 機長が訴追されるケースも出てきたが、 こ
けんよく
れは刑法の原則 (謙抑性、 最後の手段性) や事
故再発防止の観点と必ずしも合致しているとは
言い得ない。
本書は、 主に民間航空機による航空事故を例
に挙げ、 一般の交通事故、 医療事故、 代表的な
判例等に照らし合わせ、 機長らを中心とした行
為者の刑事過失をどこまでに限定するのが妥当
といえるのかを考察している。 また、 被害者を
ケアする上でも、 時間のかかる裁判よりも、 補
償制度の確立の方がより有効であることを海外
の事例を紹介しながら解説している。
そのほか、 事故調査と責任追及を明確に切り
離さなければ、 当事者が証言を控えるおそれが
あり、 厳罰化はこの傾向に拍車をかける可能性
があることを指摘している。
改訂版では、 JAL706便裁判や JAL907便裁
判など航空事故裁判の最新事情や運輸安全委員
会関連の記事を加筆し、 あわせて、 各種データ
等を更新している。 近年、 航空事故とそれに対
する厳罰化を通じて、 航空界と法曹界、 マスコ
ミ、 一般社会との溝が深まりつつある。 無用な
軋轢を防ぎ、 相互理解を深める上で、 本書は、
非常に参考となる一冊である。
開催報告
第3回
航空気象シンポジウム
―どうしたら乱気流事故を減らせるか―
∼航空気象プロダクトの活用∼
航空気象委員会
●第3回 航空気象シンポジウム開催される
平成20年11月25日、 JAPA・航空交通管制協
会主催、 気象庁後援のもと第3回航空気象シン
ポジウムが開催されました。
私は JAPA 航空気象委員会の一員であり、
今回のシンポジウムの運営のお手伝いをさせて
いただきました。 今回のシンポジウムにご興味
を持たれながらも、 スケジュールの都合がつか
ずに残念ながら参加できなかった会員の方も多
くいらっしゃると思います。 そんな方々へ今回
のシンポジウムの概要をご報告させていただき
ます。
今回のシンポジウムは、 「どうしたら乱気流
事故を減らせるか∼航空気象プロダクトの活
用∼」 がテーマとして行われました。 エアライ
ンパイロットにとって乱気流予測はとても重要
な課題であることは言うまでもありません。 上
空において、 積乱雲による乱気流を回避するこ
とは比較的容易であり、 客室乗務員に対する注
意喚起も事前に余裕をもって行うことができま
す。 一方、 晴天乱気流 (CAT) を正確に予測
することはとても困難であり、 技術の発達した
現代においても乱気流事故を大幅に減少させる
には至っていません。
現場のパイロットの皆さんであれば、 毎時大
気解析のことをご存知の方は多いと思います。
この新しいプロダクトにより、 晴天乱気流をも
たらす大きな要因の一つである前線面の立体的
把握がとても容易になりました。 しかも、 「毎
時」 が示すとおり、 1時間ごとにジェット軸の
変化と前線面の盛衰傾向が示され、 非常に分か
大村
浩司
りやすいものとなっています。
気象庁では、 ここ数年、 毎時、 大気解析以外
にも素晴らしいプロダクトが次々と開発されて
います。 それらは、 航空気象情報提供システム
(MetAir) というシステムにより提供されてお
り、 ヴィジュアル的に非常に分かりやすい解析
図が次々と登場してきています。 定期航空会社
のディスパッチブリーフィング支援システムに
まだ取り込まれていないものが多いのも、 それ
だけ新しいプロダクトの提供のペースが、 シス
テムの改修のペースを上回っているが故と言え
るでしょう。
今回の基調講演において、 気象庁総務部・航
空気象管理官の隈健一氏によりこれらの新しい
プロダクトの数々が紹介されるとともに、 福岡
の航空交通管理センター (ATMC) 内に設立
された航空交通気象センター (ATMetC) の
業務内容や、 これからの新しい航空気象業務に
ついても大変わかりやすい図説と語り口により
解説していただきました。
2009 JAN
97
隈管理官が基調講演の最後に、 気象庁は 「エ
ンドユーザーは誰かを考え、 異文化と積極的に
付き合い、 信頼性を失わないように」 という熱
意をもって仕事をしていくと締めくくられたの
が大変印象的でした。
基調講演
今後の航空気象業務について
気象庁総務部航空気象管理官
隈
健一 氏
1. 航空気象業務の現状
気象庁では、 平成18年4月に組織再編を行い、 5管区及び沖縄気象台の下にそれぞれ一つの地
域航空気象官署を設置し、 予報官を集約しました。 一人の予報官が2空港を担当し、 遠隔により
飛行場予報を行うことで年々対象空港の拡大を図り、 平成20年11月現在では34の空港に対して予
報を発表しています。 また、 飛行場予報を発表していない空港に対してもカテゴリー予想を発表
し、 運航の支援となる気象情報を提供できるようになりました。 一方、 本庁には空域予報班を置
いて、 平成18年度から全国航空気象解説報や国内悪天解析図等を発表するようになり、 新たに羽
田・中部が作成を開始した狭域悪天予想図を含め、 空域の気象情報についても拡充を図ってきま
した。 福岡の航空局航空交通管理センターには航空交通気象センターを設置し、 同じ運用室内で
協調的意思決定を実現させるべく、 空港の予報官とも適宜電話で調整しながら業務を行っていま
す。
一方、 行政のスリム化は強く求められており、 今後気象庁職員は予報や情報作成等より高度で
専門的な職務に振り向けていき、 空港観測業務の効率化を推進せざるを得ない状況にあることを
ご理解いただきたいと思います。
2. 技術開発、 計画の動向
まず、 全国20箇所にある一般気象用レーダーは、 すでに11箇所をドップラー化していますが、
平成21年度に新たに5箇所をドップラー化し、 年度前半にはデータ更新間隔を10分から5分へと
短縮させる計画です。 また、 平成22年度から突風等短時間予測情報や雷の短時間予測情報も10分
毎に1時間先まで発表する予定で、 航空分野においても利用方法を検討していく必要があります。
さらに今後、 気象衛星を短時間間隔で地域を関東地方というように限定して撮影し、 レーダーで
は捉えにくい積乱雲の発生初期をいち早く検知し、 積乱雲の監視を強化しようとする計画も検討
中です。
羽田と成田に整備した空港気象ドップラーレーダーは、 非降水時の上空の風を観測し、 突風の
監視に役立っているほか、 例えば羽田の RWY34L 側の格納庫の風下に出現する乱流も的確に捉
えており、 航空機のより安全な運航に寄与していくものと考えます。
現在開発中の技術として、 カメラ画像を用いた視程の自動推定や新しい着氷指数の導入があり、
その実用性について検討しているところです。 また、 首都圏における航空交通量の増大に伴い、
今後より精緻な数値予報モデルを運用する計画で、 米国で運用段階に入る航空機を利用した水蒸
気観測は、 モデルの精度向上には重要なデータとなりますので、 大いに関心を寄せているところ
です。
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2009 JAN
3. 今後の課題
国際的な動向としては、 ICAO による品質マネージメントの義務化と WMO (世界気象機関)
による航空予報官の資格制度導入があります。 航空利用者の要望を踏まえた PDCA サイクル
(計画→実行→評価→改善) を基本とする継続的業務改善や予報官の質 (能力) の確保が求めら
れています。
航空機は大気中に温室効果ガスを排出しており、 国際航空全体でフランスの排出量とほぼ同じ
という数字もあります。 その一方で、 航空機による観測やパイロットの目視による環境変化の監
視は、 温暖化対策を進める上では重要な役割を担っています。 気象予測についても今後さらなる
充実を図ることにより、 最適な航路の選択や搭載燃料の判断支援に貢献していきたいと考えてお
ります。
最後に、 「エンドユーザーは誰かを考え、 異文化と積極的に付き合い、 信頼性を失わないよう
に」 という気持ちを全職員が持って航空気象業務の改善に努めて参りますので、 今後ともよろし
くお願いします。
基調講演のあとは、 気象庁予報部予報課航空
予報室技官の工藤淳氏が 「航空機観測データを
用いた乱気流予測技術について」 と題して話題
提供を発表していただきました。 工藤氏は、 毎
時大気解析を開発された方で、 数値予報を専門
とされている一方、 航空気象委員会に毎回参加
されており、 パイロットの生の声にも詳しい方
です。
かつて航空会社ごとに独立していた乱気流情
報が C-PIREP (Common PIREP) として集
約されて気象庁のシステムに取り込まれるよう
になって以来、 気象庁にとっては乱気流解析の
素 材 が 飛 躍 的 に 増 加 し 、 ま た ACARS か ら
Auto Down Link された気圧・風・気温のデー
タは毎時大気解析にも反映され、 より細かいメッ
シュの数値予報の初期値提供が実現し数値予報
の精度向上が図られています。 工藤氏は、 近年
飛躍的に充実してきたそれらの航空機からの情
報を解析することにより、 前線帯内の詳細な構
造や前線帯の下に位置する中立層における乱気
流事例、 これまで詳細については不明であった
高高度山岳波による乱気流事例などを解析し、
見事なプレゼンテーションを行っていただきま
した。
乱気流が起きやすいジェット軸の走向パター
ンや衛星画像上の特徴など、 揺れやすい 「場」
としての経験則は従来からよく知られています。
しかし、 航空機に直接揺れをもたらす現象は、
時間的にも空域的にもとても小さなスケールで
起きていて、 その 「場」 と小さなスケールの現
象との関連を解明するには、 1秒単位で風・気
温・鉛直加速度等を測定している航空機のデー
タがとても役に立つそうですが、 現在の規則に
おいてはそれらのデータについて
①
②
③
個人名を特定できる情報を明らかにしては
ならない
個人の審査、 考課あるいは懲戒のために用
いてはならない
漏洩・散逸に細心の注意を図って厳格な情
報管理を行う
ことになっていますので航空会社から気象庁へ
情報提供を行うことはできません。 しかし、 毎
年少なからず負傷者が発生している現在の乱気
流事故を少しでも減らしていくためには、 上記
の3つの原則を守った上で、 気象庁に気象デー
タを提供していくことを検討する必要があるの
ではないでしょうか。
工藤氏の発表は1時間でしたが、 発表する方
も聴取する方もまだまだ時間が足りないと感じ
るほど中身の濃いものでした。
2009 JAN
99
話題提供
航空機観測データを用いた乱気流予測技術について
気象庁予報部予報課航空予報室空域予報班
工藤
淳 氏
気象庁では、 2001年6月からは C-PIREP (Common-PIREP) が、 2002年3月からは航空機
自動観測データ (自動でダウンリンクされた風や気温のデータ) がほぼリアルタイムで利用でき
るようになりました。 これにより、 従来よりも乱気流・着氷・上空の風や気温などの観測データ
が大幅に増加しました。 今回は話題提供として、 気象庁でこれらのデータをどのように利用して
いるのか、 そしてその結果どのようなことが分かってきたのか、 ということを紹介します。
1. 気象庁での航空機観測データの利用
気象庁では C-PIREP や航空機自動観測データを様々に利用しています。 C-PIREP には
SMTH や LGT の実況も多数あるため、 実況監視や事例調査のほか、 数値予報の精度評価にも
利用しています。 また2007年3月から提供を開始した国内・狭域悪天実況図と国内悪天解析図で
も、 C-PIREP 等で通報された乱気流と着氷の実況を利用しています。 航空機自動観測データの
風と気温は、 数値予報の初期値作成や毎時大気解析で利用されているほか、 地点時系列やエマグ
ラム形式で表示することにより、 乱気流の実況監視や調査研究に役立てています。
2. 乱気流の事例解析
・晴天乱気流の事例
2005年3月4日、 関東の南岸を低気圧が通過した後、 中層 (FL180/260) で晴天乱気流が多数
発生しました。 この乱気流はジェットの潜り込みによって強化された高度幅の大きな前線帯の中
で発生しており、 個々の乱気流の高度幅が 5000ft 程度もあったことが特徴です。 CAT の主な原
因と考えられているケルヴィン−ヘルムホルツ波 (K-H 波) は、 幅の薄い層の中で発生するに
も関わらず、 なぜこんなに高度幅がある乱気流が発生したのか、 毎時大気解析や航空機自動観測
データからだけでは分かりませんでした。 しかし乱気流ピーク時の QAR (Quick Access Recorder) データを見ると、 高度幅が大きい安定層に見えたものの中には3段の逆転層が存在し、
乱気流はこの薄い逆転層の中で発生していたことが分かりました。
・雲底乱気流の事例 (尾流雲を伴う乱気流)
2006年5月15日、 関東から近畿地方の上空では、 中層雲底の FL150/190で乱気流が複数発生
しました。 この乱気流は、 乾燥した空気の上に湿潤な空気が流れ込んでくる状況で発生しており、
前線帯だけではなくその下の中立層内でも発生していたことが特徴です。 前線帯では K-H 波に
よって乱気流が発生したと考えられますが、 なぜその下の中立層でも乱気流が発生したのかは分
かっていませんでした。 しかし航空機自動観測データ等を用いた調査により、 この乱気流は、 雲
の下で発生した乾燥対流よって起きていたと考えられることが分かってきました。
国内悪天予想図 (FBJP) では、 雲底乱気流を 「OVC AC AS」 の雲域の表現とともに予測す
るようになりました。 C-PIREP や航空機自動観測データによって乱気流の発生要因が分かるよ
うになり、 プロダクトの改善に結びついているのです。
・高高度山岳波による乱気流の事例
2006年4月3日、 東北から北関東の中層∼上層 (FL130/300) では、 山岳波によると考えられ
る乱気流が多数発生しました。 この乱気流は下層で風が強く中層から上層では弱風となっている
100
2009 JAN
状況で発生しており、 通常イメージするような山脈の風下で発生する乱気流よりも高い高度で発
生していることが特徴です。 航空機自動観測データを詳しく見ると、 一見バラバラに発生してい
るように見えた乱気流は、 実は山岳波の谷の部分で発生していることがわかりました。 上空に向
かって風速が減速するシアーのある場所で山岳波等の波が発生すると、 波の谷の部分で K-H 波
が発生すると言われていることから、 今回の乱気流もこの K-H 波によって発生した可能性があ
ります。
国内悪天予想図では、 山脈に沿う形で CAT としてこの乱気流を予測するようになりました。
このことも雲底乱気流の表記と同様に、 C-PIREP や航空機自動観測データによるプロダクトの
改善例と言えます。
気象庁では航空機観測データを様々に利用しており、 プロダクトの改善にもつながっています。
特に精度検証や事例調査をする上では、 実況データは多ければ多いほど役に立ちます。
C-PIREP では SMTH や LGT、 ICE、 SK 等も重要な情報ですので、 可能な範囲でどんどん通報
をお願いします。
パネルディスカッション
TURBULENCE 事故を防ぐために PILOT は何をすべきか
パネリスト:
気象庁予報部予報課航空予報室空域予報班
同
上
国土交通省航空局東京航空交通管制部
日本航空インターナショナル
日本航空インターナショナル
日本航空インターナショナル
コーディネーター:
日本航空機操縦士協会航空気象委員長
統括予報官
技官
航空交通管制官
運航管理者
B777機長
MD-81機長
山本
太田
工藤
田中
林田
北村
福島
金房
淳
淳也
厚志
信一
俊明
氏
氏
氏
氏
氏
氏
秀生 (日本貨物航空 B747-400機長)
討議話題
①
②
パイロットの出発前の確認から上空に至るまでの気象情報の入手・活用について
気象庁から次々に新しいプロダクトが開発され、 我々に提供されているが運航の現場では
まだ十分に活用されていないという現状
③ 国際線・国内線パイロット・運航管理者のそれぞれの乱気流に対する対策
④ 管制官が自分の担当空域の乱気流情報を積極的にパイロットに伝えることの是非について
米国では盛んであるが本邦では低調である。 管制官にとっては、 気象情報は各航空会社社内
のネットワークでやり取りされるものという認識があり、 自分たちが必要だとは思っていな
い。 「業務量が増えるから PIREP を提供するのが難しいというわけではない。 当該空域の
最新の情報を会社の枠を超えて提供できるのは管制官だからこそできることである。 積極的
に活用してもらいたい。」
2009 JAN 101
パネルディスカッションの感想
航空管制協会 嶋岡 有子 編集委員
(国土交通省 東京航空交通管制部 管制官)
パネルディスカッション 「TURBULENCE 事故を防ぐために PILOT は何をすべきか」 では、
パイロット (国内線、 国際線)、 運航管理者、 管制官の各気象データユーザーの立場から、 気象
データのあり方が報告及び議論されました。 そこで、 管制の現場における気象データとの関わり
方について簡単にご紹介いたします。
東京管制部では、 東京航空地方気象台予報課と気象ブリーフィング支援装置 (いわゆるテレビ
電話) による気象ブリーフィングを行っています。 気象台予報課からは実況天気図や予報天気図
などを使用して説明を受けます。 そして、 気象ブリーフィングを受けた管制官がチームのメンバー
へのブリーフィングを行います。 ただ、 チームへの気象ブリーフィングは約5分程度と短く、 天
気図を使用して気象庁から受けた説明をより分かり易く端的にブリーフィングしなければなりま
せん。 この際に使用する図は、 大まかな気象の特徴が誰にでも一目で分かることが大切になりま
す。 チームへのブリーフィングの際に東京管制部で使用している 「セクター悪天予想図」 は、 ま
さに一目で全体像を掴めるものであると思います。
パネルディスカッションでの発言によると、 運航者サイドでは気象庁の提供する資料をあまり
使用していないとのことでした。 運航者は管制官に比べて詳細な気象データを必要としています。
しかし国内線の場合、 運航前ブリーフィングは限られた時間であることから、 ブリーフィングの
初めに 「セクター悪天予想図」 のような図を見れば全体像を掴みやすいのではないでか、 という
パイロットからの興味深いご意見がありました。
管制では、 気象の現況は詳細な気象データから読み取るというより、 多くはむしろ PIREP に
よる揺れの情報や実際のデビエーションから推測し対応しているのが現状です。 管制が使用して
いるレーダー画面には、 悪天エコーはわずかに表示されているものの、 実際のエコーの動きを反
映しているとは言いきれないところがあります。 従って、 PIREP は管制業務を行う上でリアル
タイムに役立ちます。 しかも、 後続機の動きを予測するという点においても、 最新の情報を共有
することができる PIREP は必要不可欠であるとも言えます。 更に管制官とパイロットの情報交
換がより一層スムーズに行われるようになれば理想的です。
今回の気象シンポジウムの参加者129名のうち、 管制官の参加はわずか9名と少々寂しいもの
でしたが、 気象庁の方による基調講演及び話題提供は、 気象の世界に引き込まれていくように興
味深い内容で、 気象の知識に自信のない私にも理解できるように説明していただきました。 今後
は、 様々な視点から気象のあり方を考えることができるこのシンポジウムに、 より多くの管制官
に参加していただきたいと思います。
今回のパネルディスカッションではパネリス
トのみならず、 会場からもいくつもの意見が上
がり討議が深まりました。
前回 (第2回) のパネルディスカッションと
同様、 お互いの仕事の内容や立場を理解し、 情
報を共有化し、 協調していくことこそが、 気象
のみならず自然という巨大な相手と共生してい
102
2009 JAN
る航空の安全を守っていくために重要であるこ
とを再認識させられました。
●今回のシンポジウムを振り返って
気象庁の多くの方々は、 心血を注いで作成し
ているプロダクトを、 殆ど見たこともないパイ
ロットも多いという事実に驚かれていました。
我々航空気象委員は日頃から気象庁のプロダ
クトに接し、 気象庁の方の話を聞く機会があり
ますが、 一般のパイロットは会社の提供する天
気図や図表類を眺めるだけでブリーフィングは
終わってしまうのではないでしょうか?
「パイロットが全ての天気図を見る必要はな
く、 専門家の気象解析を大いに利用すべきだ」
とはよく言われますが、 ディスパッチャーの解
析がどのようなデータに基づき提供されている
のか、 これだけ進化・深化した気象庁のプロダ
クトを利用すれば、 ある程度容易に理解できる
ことでしょう。
現在一般的な、 遠隔ブリーフィングやセルフ
ブリーフィングではディスパッチャーに質問し
ようにも、 何をどのように質問すべきか、 どの
ようなデータが入手でき、 どこまで分かってい
てどこまで予想なのか?ある程度は知っていな
ければ質問のしようがないと思います。
以前のように解析が外れた時に、 パイロット
とディスパッチャーがディブリーフィングでそ
の原因について話し合うという機会は、 現在で
はほとんどなくなりました。
だからこそパイロットも気象に関する知識を
深め、 同時にパイロットが本当に欲しい天気図
やデータは何なのか、 気象庁に伝えていくこと
も必要なのではないでしょうか?
航空気象委員会では、 気象庁や航空局との架
け橋となるべく、 微力ながら会員の皆様のお手
伝いをしていきたいと思います。
現在、 JAPA では、 気象庁の 「航空気象情
報提供システム (MetAir)」 の一部を会員に配
信できるよう準備を進めています (既に
JAPA 事務所において全てのデータをご覧い
ただくことができます)。 今後、 これが可能に
なれば、 自宅や海外のホテルからでも専門的な
航空予報用の天気図やデータにアクセスでき、
職場に行く前にフライトのイメージができ、 専
門家であるディスパッチャーに対しより的確で
効果的な質問ができるようになると思います。
●次回の航空気象シンポジウムに向けて
今回の開催まで2年以上のインターバルが空
いてしまいましたが、 会長・副会長、 気象委員
のみならず、 多くの会員に支えられて滞りなく
開催することができました。
出席者は、 パイロット36名、 気象庁47名、 一
般 (運航管理者含む) 37名、 管制官9名でした。
また、 懇親会にも多くの方々に参加していただ
き、 大変盛り上がりました。
前回の反省から、 より多くのパイロットが参
加できるシンポジウムを目指し努力してきまし
た。 今回パイロットの比率は増えましたが、 さ
らに多くのパイロットに興味をもってもらえる
よう、 我々もより充実した内容のシンポジウム
を提供できるよ準備を進めていきます。
今回は大型機が主なターゲットでしたが、 次
回は小型機パイロットにも役立つ内容を考えて
います。
ご協力ありがとうございました。
2009 JAN 103
開催報告
西日本支部だより
西日本支部
・近畿地区 管制情報懇談会報告
昨年11月7日、 JAPA 西日本支部と八尾空港協議会共催の第21回近畿地区管制情報懇談会が、
八尾空港総合ビルで開催されました。
懇談会には63名が参加。 薬師寺 JAPA 副会長のあいさつの後、 講師にお招きした関西空港事務
所 濱 哲也主幹航空管制官から 「関西 TCA における小型航空機の飛行について」、 神戸空港出張
所、 七戸 吉彦主任航空管制官から 「神戸空港及び周辺空域における航空管制」、 神戸市みなと総局
神戸空港管理事務所 鈴木 勝士課長から 「開港3年目
を迎える神戸空港の現状と今後について」、 八尾空港事
務所 中本 公徳主幹航空管制官から 「八尾空港の現状」、
関西航空地方気象台八尾空港出張所 金井 義文所長か
ら 「技術情報、 八尾空港の気象について」 等のお話しを
伺い、 参加者一同安全への意識をあらたにしました。
懇親会では空港や会社等の枠を越えて会員同士の交流・
情報交換・親睦が図られました。
懇談会のダイジェストは西日本支部
HP http://japawest.exblog.jp/でご覧いただけます。
・小型航空機安全セミナー・支部総会企画中
西日本支部では、 第53回小型航空機安全セミナーと支部総会を3月に実施するべく、 各方面と調
整に入っています。 日程等が決まり次第、 西日本支部 HP 等でご案内いたします。
104
2009 JAN
研修報告
フライトテスト委員会研修報告
− B-737-800 シミュレータによる―最新航法装置機能の体験―
FT 委員会特別委員
岩瀬
健祐
1. 日時:平成20年10月17日 (金) 0925-1540
2. 場所:日本航空インターナショナル テクニカル・センター (羽田)
3. 内容:A: 「最近の航法精度に基づいた Navigation/Approach と機器について」
B: 「B737-800 シミュレータ試乗」
C: 「EFB (Electronic Flight Bag) Kit による Demonstration と操作体験」
D: 「HUD (Head Up Display) 教材上映」
4. 参加者:川崎重工 (6名)、 JAMCO (1名)、 JAPA (1名)、 三菱重工 (3名)、
三菱航空機 (3名)、 新明和 (2名)、 JAXA (4名)、 富士重工 (2名)、
海上自衛隊第51航空隊 (2名)
計24名
5. JAL インターナショナルおよび関連会社からの研修サポート・スタッフ:
機長 (3名)、 技術者 (3名)、 JSE (JAL Simulator Engineering) 技術者 (2名) 計8名
……………………………………………………………………………………………………………………
6. 実施概要:
最初の参加希望者は33名でしたが調整のうえ
24名となりました。 全員が羽田第1旅客ターミ
ナルビル地下一階の指定場所に5分前の精神で
集合、 立ち入り許可バッジを受け取り、 同ビル
2階出発フロアー南端にある、 日本航空専用正
面玄関より特別仕立てのチャーターバスで、 研
修会場であるテクニカル・センターに移動しま
した。 この建物には主として日本航空運航乗務
員の訓練のための教室・Briefing Room・教官
室・各機種の CBT/FBS、 そして20台以上の
FFS が設置されています。
* CBT (Conputer Based Trainer)
FBS (Fixed Base Simulator)
FFS (Full Flight Simulator)
ぶち抜きの AB 会議室に集まり、 菅野 FT 委
員会委員長の挨拶の後、 JAL 運航技術部副部
長 真田崇機長 (FT 委員会委員) から JAL
担当者の紹介があり、 シミュレータ試乗のため
3グループに組分けしたスケジュールの確認を
しました。 以下に示す第1組の予定表の内容を
組み合わせて、 第2第3の組もスケジュールを
消化しました。
0950∼1100
Aのプレゼンテーション
1110∼1220
B-737-800 シミュレータ試乗
1220∼1310
昼食
1310∼1400
EFB デモ
1400∼1410
休憩
1410∼1500
HUD Review
1500∼1540
質疑応答
1540
バスでターミナルへ移動・解散
A:「最近の航法精度に基づく Navigation/
Approach と機器について」 (0950∼)
JAL 運航技術部 秦正幸氏から約1時間にわ
たり、 最初の研修項目パワーポイントのスライド
約80枚を使った詳細な説明を受けました。 配布
されたスライド資料からそのアウトラインを抜
2009 JAN 105
粋して紹介します。 (略号の何と多いことか!)
航法精度を指定した RNAV
①RNAV (Area Navigation) の現状
②Harmonization (各国協調)
③本邦 RNAV ロードマップ
④航法精度を指定した RNAV (本邦位置付け)
⑤RNAV/RNP 概念と航法精度
⑥航法精度 (Total System Error)
⑦RNP AR Approach
Continuous Descent
(Baro-VNAV, VNAV App)
①計器進入方式の分類 (社内)
②Approved Baro-VNAV
③非精密進入における VNAV Approach
737-800 の新機能 (NPS, IAN, VSD, etc)
①NPS (Navigation Performance Scale)
②IAN (Integrated Approach Navigation)
③VSD (Vertical Situation Display)
GPS 補強システム (ABAS, SBAS, GBAS)
①ABAS (Airborne Based Augmentation
System)
② GBAS (Ground Based Augmentation
Sys)
③ SBAS (Satellite Based Augmentation
Sys)
将来の航法、
進入方式の方向性
①Ground Based から Satellite Based へ
② RNP (Required Navigation Performance) と Approach Category
*説明中にでた多くの略号の一部
RNP:Required Navigation Performance
PBN :Performance Based Navigation
秦氏によるプレゼンテーション
106
2009 JAN
ANP:Actual Navigation Performance
FTE :Flight Technical Error
AR :Authorization Required
B:B-737-800 シミュレータ試乗 (1110∼1220)
最初は、 モーション・システムを OFF で第
1組全員 (8名) がシミュレータの中に入り、
右席に JAL の長岡篤機長 (試験飛行室長) が、
左席に川崎重工のパイロットが座り、 下記デモ
ンストレーションを見学しました。
・FAF (Final Approach Fix) からの Curved
Course
・NPS Indication
・IAN Indication (次頁のスライド資料参照)
・EGPWS Terrain Display
・Vertical Situation Display
B-737-800 Simulator
ついで、 半数の者はシミュレータから降り、
モーション・システムを ON として川崎重
工パイロット2名による HUD を使用した、
Approach & Landing を実施、 さらに残り
B-737-800 Simulator 試乗
の参加者と交代して同様の体験を行いました。
C:EFB デモと操作体験 (1310∼1400)
昼食後、 この研修のために運びこまれた
EFB Kit を利用して、 JAL 運航技術部 山
田俊二氏と植田竜機長からシステムの説明が
あり、 参加者による実際の操作体験が行われ
ました。
現在は、 5機の B-777 のみによる評価運用
中で、 パイロット個人に配布されているマニュ
アルの AOM (Aircraft Operating Manual)、
Route Manual (JEPPESEN Chart 類など)、
OM (Operations Manual) 等の情報や、 そ
の 他 当 該 機 種 の MEL (Minimum Equipment List) や W&B Manual 等の Data も
入っています。 将来的にはパイロット個人に
よる持ち運びや、 改定ページの差し替え作業
の必要性がなくなるだろうとの見通しでした。
D:HUD Review (1410∼1500)
JAL Crew のための HUD の DVD 教材を見
て、 HUD の運用について若干のディスカッ
ションを実施しました。 JAL B-737-800 で
も、 機長側のみのシングル装備であり、 現在
はその使用については機長判断にまかされて
おり、 昨年 FT 委員会が実施したエアーニッ
ポンの B-737-700 でも HUD は機長側のみの
装備でしたが、 運用については JAL の方が
消極的との印象を受けました。 将来の B-787
では Dual 装備の予定です。
HUD の表示を利用した Approach
質疑応答 (1500∼1520)
Q:旋回中の VSD の Terrain Display の基準?
A:旋回中の針路の延長線上のもの
Q: [Baro−VNAV] と従来の VNAV 進入
の違い?
A:計器進入方式での位置づけ、 Path Angle
の公示、 降下経路の検証、 DA (Decision
Altitude)、 気温限界値、 気圧高度計の規
正、 降下経路からの逸脱量などの項目別の
違いの説明を受けた。
Q: B-737 の Auto Pilot の操作要領
A:モード毎のエンゲージ操作について再度確
認を行った。
解
散
1540 テクニカル・センター発のバスで、 第一
旅客ターミナルまで行き、 現地解散となりました。
JAL 関係者の周到な準備のお蔭で有意義な
研修を成功理に終わりました。
多謝!多謝!
2009 JAN 107
開催予告
中部支部総会・安全セミナー・懇親会のお知らせ
日本航空機操縦士協会中部支部では、 平成20年度中部支部総会・安全セミナー・懇親会を下記の
とおり開催いたします。
ご多忙とは存じますが、 万障お繰り合わせのうえ、 御出席下さい。
記
日
会
時:平成21年2月21日 (土)
場:中日パレス 5F (カトレア、 セントラルの間)
(名古屋市中区栄4−1−1 中日ビル5F)
http://www.chunichi-palace.co.jp
1
2
3
支 部 総 会:中日パレス (カトレアの間)
13:00∼13:40
安全セミナー:講演
未 定
14:00∼15:40
懇
親
会:セントラルの間
16:00∼18:00
会
費:会員 2,000円
一般 4,000円
……………………………………………………………………………………………………………………
下記必要事項記入のうえ、 FAX または e-mail にてお申込下さい。
支部総会
セミナー
懇 親 会
出席
出席
出席
氏名
欠席
欠席
欠席
何れかに○印をして下さい。
所属
………………………………………………………………………………………………………………
委任状
私は
氏を代理人として下記の事項を委任します。
委任事項:中部支部総会における議案の議決を行うこと。
2009年2月20日までに委任状の提出がない場合は、 総会運営規程第10条に定める総会議長への
「委任」 の意思表示があったものとみなします。
平成
年
月
日
委任者氏名
印またはサイン
出欠のご返事は2月16日 (月) までにお願い致します。
……………………………………………………………………………………………………………………
お問合せ及び送付先 (Fax Mail)
*中部支部長 野口 義博
e-mail [email protected]
Tel 0568−28−0988 Fax 0568−39−0052 または
*中部支部 HP でメール [email protected] の何れかで連絡お待ちしています。
*詳細は、 中部支部 HP をご参照ください。
108
2009 JAN
開催予告
第6回 小型航空機セーフティセミナー開催案内
第6回小型航空機セーフティセミナーを下記により開催致しますのでご案内申し上げます。 航空
機メーカーのパイロットや各部門のエキスパートの方々を講師としてお招きし、 興味深い講演をし
ていただけるよう企画致しました。 多くの皆様のご参加をお待ち致しております。 参加される方は、
準備の都合上2月6日 (金) までに別途申込書 (申込書は JAPA ホームページから入手可能です)
により、 当協会事務局に FAX (03−3501−0435) にてお申込み下さい。
記
開催日時:平成21年2月19日 (木) 及び20日 (金) ともに9時30分から17時00分
場
所:(天王洲アイル) JAL ビル2階 「ウィングホール」 東京都品川区東品川2−4−11
参 加 費:JAPA 会員
1日目:1,000円 2日目:1,000円
一般の方
1日目:3,000円 2日目:3,000円
参加費 (資料費) につきましては、 一日毎の現金のみの受付とさせていただきます。 両日と
も短時間で多くの方の受付をいたします。 つり銭の無いようにご用意頂き、 スムースな受付手
続きにご協力のほどよろしくお願いいたします。 なお、 領収書につきましては当協会書式のも
のとなりますのでご了承ください。 当日の請求書による振込み等のご要望はご遠慮願います。
*昼食の用意はございません。 講習会場周辺のレストラン等をご利用下さい。
*会場収容人数の都合上、 参加人数を調整させていただく場合がございます。 予めご了承下さい。
【内容】
第1日目 (平成21年2月19日 (木)) 9:30−17:00
①航空局基調講演
航空局技術部長
②管制方式基準の改正とその背景
航空局管制保安部管制課
③ASI−NET (システムの必要性と活用の仕方) 操縦士協会副会長
④運輸安全委員会の紹介、 事故統計、 最近の事故について
運輸安全委員会事務局統括航空事故調査官
⑤事故より学ぶ (事故例紹介とその対応)
宮下
徹 氏
駒井 繁利 氏
増田 奉和
小杉 英世 氏
アグスタ社
第2日目 (平成21年2月20日 (金)) 9:30−17:00
①航空局講演
・実地試験について (操縦士としての資質) 航空従事者試験官
・運航審査について (機長の評価の仕方) 大阪航空局保安部先任運航審査官
森岡 清 氏
②次世代航空機の操縦教育について
法政大学理工学部教授
渡邉 正義 氏
③事故より学ぶ (訓練時の事故からの教訓)
アグスタ社
2009 JAN 109
通信
理事会通信
現在の理事会は、 3回目の元旦を迎えました。 来年の通常総会で任期が満了します。 本年も引き続き皆様
の負託にお応えするために、 努力を惜しまず注力します。
重要課題は、 やはり、 公益社団法人 「日本航空機操縦士協会」 に移行するための準備です。 昨年の12月1
日以来、 特例民法法人となり、 従前通りの取り扱いを受けています。 根拠となる法律が、 新制度とは別枠に、
是までの民法に準拠し、 今まで通りの活動が認められます。 但し、 移行猶予期間の5年以内に、 ①公益認定
を受ける②一般社団法人の認可を受ける③解散、 の何れかの道を選択する事となります。
理事会は、 1957年に任意団体として始まり、 1966年には公益法人として認められ、 そして今日まで脈々と
続いてきた日本航空機操縦士協会の歩みを、 継続していく選択はあっても止める選択は無いと判断していま
す。 本協会は、 公益事業を主として活動している団体です。 公益法人が行う事業と任意団体が行う事業は、
役割と影響など自ずから異なってくると受け止めています。
新制度に移行した現在は、 現状のままでよいという状況にはありません。 それなりの改革が必要です。 私
たちは、 操縦士の団体です。 空域、 空港、 施設など、 公共事業が提供した環境に大きく依存しています。 ま
た多大な恩恵も享受しています。
そこで、 協会が私たちに何をしてくれるのか (共益的な事業) という点に着目しつつも、 私たちが社会に
対して何が出来るのかに、 より発想を転換すべき時を迎えています。
「パブリック・サービスのツールとしてを操縦士協会を活用しよう」 といった皆様のエネルギーが今後の
鍵となります。
[活動報告]
−平成20年11月−
11月1日 第34回航空安全セミナー (GA 委員会)
11月4日 航空身体検査証明審査会
編集委員会
航空保安大学校講義 (総合特別研修)
11月5日 航空保安大学校講義 (総合特別研修)
航空保安システムの費用対効果分析マニュ
アル策定に関する調査研究委員会
11月6日 AIP 電子化に伴う AIP 印刷物の取扱打
ち合わせ
11月7日 近畿地区管制・情報懇談会 (西日本支部)
航空管制定期連絡会議 (ATS 委員会、 CAB)
11月8日 ATS 委員会
SLJ 静岡 (9日まで)
11月11日 法務委員会
11月12日 乗員養成検討委員会
11月14日 第248回理事会
11月15日 航空安全講習会 (東京)
飛行安全セミナー (北海道支部)
110
2009 JAN
11月16日
11月18日
11月20日
11月21日
11月22日
11月25日
11月26日
11月28日
11月30日
航空安全講習会 (福島)
航空保安大講義 (レーダー研修)
H20秋季黄綬褒章伝達式
航空セミナー (岡山) (JAEA 主催、 講
師派遣)
航空安全委員会
日本ヒューマンファクター研究所創立10
周年記念講演会
中部管制技術交流会
航空気象委員会
第3回航空気象シンポジウム
航空保安大学校講義 (訓練教官養成研修)
ヘリコプター委員会
日本女性航空協会表彰式、 懇親会
運航技術委員会/経理委員会・制度検討会
航空大学校卒業式
夢は叶う Yes I Can (航空教室) 東京
−平成20年12月−
12月1日 CAB 管制課 「復唱のルール化に係る打合せ」
12月2日 航空身体検査証明審査会
「被災地上空における飛行方法について」
勉強会 (運航課)
12月3日 航空保安大講義 (レーダー研修)
12月4日 機長養成 (指導者) 講習会
12月6日 航空安全講習会 (東京)
12月8日 機長養成講習会 (沖縄)
沖縄支部総会
12月11日 第3回滑走路誤進入防止対策推進チーム
会議
技量維持連絡会
12月12日 ASI-net 運営委員会
JAXA 宇宙飛行士審査委員会資質審査
専門委員会
12月13日
12月14日
12月15日
12月16日
12月17日
12月18日
12月19日
12月20日
12月25日
12月26日
12月27日
ATS 委員会
航空安全講習会 (長野)
編集委員会
航空安全情報分析委員会
出塚会計事務所 (月次)
GA 委員会
第194回常務理事会
第35回航空安全セミナー (空間識失調体
験 SIM)
東日本支部役員会
ヘリコプター委員会
経理委員会/制度検討委員会
編集委員会
仕事納め
航空気象委員会
[今後の主な予定]
−平成21年1月−
1月5日 仕事始め 新年賀詞交換会
1月6日 編集委員会
航空身体検査証明審査会
1月7日 航空安全委員会 (DVD 作成関連)
1月10日 ATS 委員会
1月13日 航空保安大学校講義 (訓練監督者養成研修)
1月14日 航空クラブ新春卓話会
1月15日 乗員養成検討委員会
1月16日 第249回理事会
航空保安研究センター理事会
1月18日
1月22日
秋山豊寛宇宙飛行士講演会 (沖縄支部)
航空医学委員会
経理委員会
1月24日 航空気象委員会
航空安全講習会 (山梨)
夢は叶う Yes I Can (航空教室) 鹿児島
1月28日 ヘリコプター委員会
1月29日 制度検討委員会
1月30日 関西空港事務所管制技術交流会
学科試験問題検討会
1月31日 航空安全講習会 (東京)
団体長期所得補償保険 (任意加入) について
任意加入の団体長期所得補償保険につきましては、 現在損保ジャパン、 東京海上日動火災の2社が運営し
ております。
損保ジャパン (長期インカムプラン) につきましては、 損害率改善等制度の安定運用を図るため、 現在新
規の加入を停止しておりますが、 傷病による受給 (保険金) 対象者が増えてきております為、 安定運用が難
しくなっております。 2009年につきましても既加入者へのサービス継続を最優先に、 引き続き新規加入を停
止させていただきます。
内容等につきましては、 下記連絡先へ問い合わせ願います。
尚、 東京海上日動火災はこれまでどおり新規加入を行っております。 内容につきましては、 JAPA HP
(http://www.japa.or.jp) の会員サポート【ロスオブライセンス所得補償プラン】をご参照下さい。
〈お問い合わせ先〉
【損保ジャパン】損害保険ジャパン航空宇宙保険室営業課
TEL 03-3349-4033
FAX 03-3348-0395
E-Mail:[email protected]
【東京海上日動火災】取扱代理店
TEL 0120-921-387 (フリーダイヤル)
アドバンテッジインシュアランスサービス
2009 JAN 111
JAPA Aerial Photo Exhibition
かつてのプロペラ旅客機 エレクトラは 対潜哨戒機 P-3C として活躍中
国産の YS-11 は 海上自衛隊の機上訓練機として元気に飛行中
海上自衛隊で活躍するかつてのプロペラ旅客機
◎ 根津様の投稿写真です (2008. 10. 4 下総基地記念行事にて) ◎
112
2009 JAN
あなたが写した
航空機の写真が
表紙 に!
編集委員会では、 PILOT 誌の表紙を飾る皆様からの航空機の写真を
募集します。 現在も読者からの投稿が表紙を飾っています。
応募写真の掲載は、 編集委員会で審査の上掲載の予定です。
下記応募要領をご了承の上、 ふるってご応募ください。
・写真はカラー・白黒・Digital Data を問いませんが、 原則として
投稿者が撮影されたものに限ります。 撮影日時・場所・説明等の
添書きも添付してください。
尚、 Digital 写真の場合はできるだけ大きな画素数で撮影したも
のとして下さい。
・応募写真の取り扱いは日本航空機操縦士協会に属し、 お返しでき
ませんのでご了承ください。
・PILOT 誌の表紙に採用させて頂いた場合、 謝礼として3万円
(複数写真で表紙構成となった場合は分割)、 表紙に掲載とならな
かった場合でも優秀な写真は本誌に掲載し薄謝を進呈いたします。
・住所、 氏名、 年齢、 職業、 電話番号、 E-Mail Address 等を明記
してください。
※個人情報に関しては当協会で厳重な秘守扱いと致します。
送付・お問合せ先
社団法人 日本航空機操縦士協会
編集委員会
〒1050003 東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 (3501) 0433 FAX 03 (3501) 0435
E-mail:[email protected]
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
2009 JAN 113
114
2009 JAN
編集後記
●明けましておめでとうございます。 昨秋から日本
業界の実相を見た思いだ。
(カレン)
のみならず世界の金融システムと経済には、 失速
●宇宙への旅が実現しようとしている現代、 好きな
警報が続いています。 われわれパイロットは、 航
時に好きな所へ行ける地球上の空の旅は、 ほぼ完
空機の失速に対処する術を知っています。 政治や
成されたといってよい。 しかし、 ついこの間まで
経済も、 航空の安全に対する、 反面教師です。
の人類は、 その開拓に多くのヒコーキ野郎が空に
「操縦は、 目配り・気配り
タイミング」 PILOT
誌の記事投稿・発刊も、 しかり!
(KEN)
●年は明けて1月号。 担当するジェネアビ情報は、
7年目になります。 最初の頃の大切なテーマもた
まには最新化して再掲載をと思うのですが、 それ
殉じて散っていった。 今月号の記事は、 記録をと
おして彼らの素顔に迫ってみた。
(徳田)
●GA のパイロットの多くが計器飛行証明を取得し
航空安全に寄与しています。 今年も多くのパイロッ
トが挑戦することを願っています。
(K. A)
●2008年の末にやってきた世界的な経済ショック。
が実現したのは、 まだ機外騒音の話のみ。
何はともあれ 「継続は力なり」 ということで、 今
あっと言うまに暗くなってしまいました。 2009年
年もよろしくお願い致します。
こそ、 明るい年となりますように。
(奥貫)
●耳慣れない Furlough とは 「1年後に再起用」 を
(佐藤)
●昨年は“変”で終ったが今年は“真”で始まり、
意味する解雇通知。 レイオフの体裁を繕った用語
誠で終りたい。 誠を尽くせば何事も恐れることは
らしい。 辞書には 「賜暇」 とあった。 誰だって1
ない。
年間我慢できないだろう。 互いの思惑を含む、 と
在米の知人からの知らせに。 新年のアメリカ航空
●青木
(RYU)
美和さんの 「I Aviation」 の中に、 人工
衛星打ち上げの目撃談がある。
淳さんの おおぞら人生、 俺流。
☆ 読者プレゼントのお知らせ ☆
本誌2008年11月号にて紹介されました、 86歳の現
役パイロット、 高橋淳氏の一代記 「淳さんのおおぞ
ら人生、 俺流。」 を5名の読者の方にプレゼント致
します。
希望者は、 住所、 氏名、 年齢、 性別と共に 「淳さ
んの本希望」 と書いて、 以下に E-Mail、 FAX 又
は郵送にてお申込み下さい。
〒105-0003 東京都港区西新橋1−18−14
社団法人日本航空機操縦士協会
編集委員会 「淳さんの本」 プレゼント係
TEL 03-3501-0433 FAX 03-3501-0435
E-Mail [email protected]
締切り日は2月20日(金)着までとします。 また、
応募者多数の場合は、 抽選とさせていただきます。
抽選結果は発送をもって変えさせていただきます。
2009 JAN 115
人工衛星と言えば思い出した事がある。 約40年位前
八丈島からの最終便での目撃談である。
“Trumpeter
今の“TEMAR”から PQ に向けて飛行中、 突然右
前方の夜空に物凄く明るい物体が現れて、 我々の方
に向かって飛んで来るように見えた。 A/W の東側に
は米軍の Training Area があるので、 そこで何かやっ
ているのかと一瞬は思った。 しかし、 よく見ると高
度が非常に高く、 飛行機ではないと言う事は分った。
間もなくその明りは何個かに分裂して消えて行った。
あっと言う間の出来事で、 一体何が起こったのかさっ
ぱり分からなかった。 東京の DISP.ROOM での debriefing 時、 それの目撃情報が多数寄せられている
と言うニュースが流れていた。 実はそれはソ連が人工
衛星の破壊に世界で初めて成功した実験であった。
(T. A)
●明けましておめでとうございます。 徐々に編集作業
にも慣れてきました。 今まで読まずにいた記事にも作
業中目を通し、 新たな発見もございます。 今年も微
(T. O)
力ながらがんばります。
●しばらくお休みしていた ATC のハンガートーク
ATC 再発見 Rario Telephony Meeting ですが、
2009年からは隔号掲載予定です。 JAPA ATS 委員
会と ATCA 技術委員会の定例ミーティング (通称
今月の表紙は、 冬の北海道の低い陽射しを浴び
て離陸する Boeing 767-200-246 型です。 1985
年の登録以降23年を経たこの JA8231 は、 JAL
が導入した3機の 767-200 型の初号機として、
国内のワイドボディ双発ジェット旅客機の先駆
けとなった機体です。
(奥貫)
R/T Meeting) で討議された内容を基に、 「ATC
のあるべき姿」 をハンガートーク形式でお届けしてい
員会となり、 先輩後輩の区別なく、 General Avia-
きますので、 今後とも宜しくお願い致します。
tion や ANA・JAL などの会社の枠や世代を超えた
(Capt. Yankee)
●皆様、 明けましておめでとうございます。 昨年末よ
パイロット仲間の自由で闊達な意見交換が行われて
います。 パイロットが作る隔月誌 という表紙の言
りの社会情勢の厳しき折、 編集委員会は運航の安全
葉がそれを表しています。
を祈りパイロット誌の編集に努めてきました。
今年は、 編集委員会の方針としてエアライン関連の
年が明け、 今年も航空界にとって良き年であらん事
記事を増やす予定です。
を改めて願って止みません。 5年の歳月を経た現在
編集委員一同、 皆様のご活躍を祈ると共に、 ご協力
の編集委員会は、 どなたでも参加できる開かれた委
とご支援をお願い申し上げます。
No.312 2009年 1 月号/平成21年1月発行
発行
社団法人 日本航空機操縦士協会
(Japan Aircraft Pilot Association)
〒105-0003
東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 3501 0433 (代)
ホームページ
FAX 03 3501 0435
E-Mail:[email protected]
振替口座/00180 9 88490
116
2009 JAN
URL http://www.japa.or.jp/
(編集長
蔵岡)
禁無断転載
落丁・乱丁本がありましたら
お取替えいたします
編集人
蔵
岡
賢
治
発行人
白
石
豊
樹
定価
印
刷
800円 (税込)
株式会社プリカ