Untitled - 日本マーケティング協会

Japan Marketing Academy
マーケティングジャーナル
141 2016 SUMMER
Vol.36 No.1
目次
特集:ブランド研究の再興
巻頭言— —————
ブランド研究の再興
論 文— —————
組織力強化プロセスとしての企業ブランディングとその効果
論 文— —————
論 文— —————
阿久津 聡 2
阿久津 聡・勝村 史昭 5
トランジションとブランド・リレーションシップ
─ トランジションを乗り越えるブランドは何が異なるのか? ─
菅野 沙織 27
─ ラグジュアリーブランドとノンラグジュアリーブランドの比較 ─
杉谷 陽子 42
─ 日本的ブランド経験尺度開発に向けて ─
田中 洋・三浦 ふみ 57
─ 日本における共同ブランド戦略の構築に向けて ─
鈴木 智子・阿久津 聡 72
ブランド態度における自己ベース評価と他者ベース評価
論 文— —————「ブランド経験」概念の意義と展開
論 文— —————
共同ブランドにおける親ブランドの一致に関する考察
AMA・JM 誌論文——
市場における制度のロジック
取材レポート— ——
─ 戦略的ブランド・マネジメントへの示唆 ─
(訳)飯島 聡太朗 88
<マーケティング・エクセレンスを求めて 117 >
ブランドコンセプトをいかに発信するか,浸透させるか。
─ 二つの BtoB 企業の試み ─
メッセージを絞った継続的な対外的発信 : スーパーゼネコン「清水建設」
地道な対内的浸透活動 : 自動ドアの「ナブコ」ブランド
102
上條 憲二 <マーケティング・エクセレンスを求めて 118 >
ファイナンス発想に基づく医療マーケティングの革新
─ 株式会社エーエヌディー ─
岩下 仁・恩蔵 直人 テーマ書評— ———
119
<シリーズ 100 >
最低価格保証に関わる研究の整理
140
兼子 良久 <シリーズ 85 >
ブックレビュー———『ネットワークと消費者行動』
斎藤 嘉一 著
(評者)澁谷 覚 150
日本マーケティング学会
編集委員長 ———池尾恭一 ——— 明治学院大学
編集委員 ——— 青木幸弘 ——— 学習院大学
阿久津聡 ——— 一橋大学
井上哲浩 ——— 慶應義塾大学
上田隆穂 ——— 学習院大学
恩藏直人 ——— 早稲田大学 小林 哲 ——— 大阪市立大学
田中 洋 ——— 中央大学
西川英彦 ——— 法政大学
古川一郎 ——— 一橋大学
(株)電通
丸岡吉人 ———
南 知惠子 —— 神戸大学
三村優美子 —— 青山学院大学
守口 剛 ——— 早稲田大学
五十音順
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巻頭言
ブランド研究の再興
本誌編集委員
阿久津 聡
一橋大学 大学院国際企業戦略研究科 教授
マーケティングにおけるブランド・マネジメントという研究分野は,デービッ
ド・アーカーやケビン ・ ケラー,ジャン = ノエル・カプフェレといった先駆者た
ちによって,およそ四半世紀前に確立されたと言えよう。このことは,その後
の世の中に学術的にも実務的にも非常に大きなインパクトを与えた。当初,ブ
ランドの重要性に対する認識は欧米企業を中心に広まったが,徐々に日本企業
へも普及し,2000 年代以降,多くの企業でブランド ・ マネジメントを担当する
専門部署が設置された。だが,ブランドが注目され始めた当初,一時的なブー
ムとして深く考えることなく,他社に追随した企業も少なからずあった。結果
として,ブランドの重要性は理解したものの,具体的に自分たちはどのような
施策を打てば成果をあげることができるのか,よく分からないうちに改編・統
合されてしまったり,消滅してしまったりした部署もあったと記憶している。
***
確かにブランドという概念は抽象的で,具体的なイメージをつかみにくいた
め,実務家にとってアクションプランの策定は容易なことではない。加えてブ
ランドの性質上,戦略から落とし込まれた一連の施策の効果が顕在化するまで
には,それなりの時間も必要となる。こうした背景の中,リーマンショックな
どの影響があって,その後しばらくブランドに対する取り組みが冷え込んだ。
もちろん,そのような状況においてもブランドの価値を認識していた企業担当
者やコンサルタントは,様々なアプローチを用い,多くの試行錯誤を繰り返し
ながら懸命に実践知の蓄積に努めてきた。一方の研究者も,
「ブランドとは何か」
という問いに対して侃々諤々の議論や実証研究の積み上げを通して,その真理
を追い求めてきた。このように学者と実務家が互いに試行錯誤を続けながら,
経験値を積み上げてきたというのが日本におけるブランド・マネジメントの経
緯である。
***
そしてここ数年,日本企業の間でブランドの重要性が再認識され,ブランド
研究に対する注目も再び高まっている。もちろん,阿久津・勝村論文でも指摘
しているように,昨今の企業を取り巻く事業環境の変化も,このトレンドを後
押ししている一因だと考えられるが,何よりも時間をかけて地道に積み上げら
れてきた知見こそが,このトレンドを持続させる原動力である。そこで本号で
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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ブランド研究の再興
は,『ブランド研究の再興』というテーマで特集を組み,これまでのブランド
研究を振り返りながらも新しいブランド研究の視座を提供するような論文を集
めた。
***
ブランド・マネジメントが発展した歴史を鑑みれば,「ブランドとは何か」,
そして「それをどのようにマネジメントすべきか」という問いに対して,今後
も更なる知見を積み上げていくことは欠かせない。そしてそれは,産学が連携
して実現されるものである。実務的な知見とは,例えば日々の PDCA を通して
蓄積した研ぎ澄まされた実践知である。一方,学術的な知見とは,例えばブラ
ンドに関連する概念を精緻化したり,そうした概念間の関係性を整理したり,
検証したりすることによって得られる。実務的な知見と学術的な知見は,相互
に作用しながら共に発展していく。ブランド研究の再興に欠かせないのは,こ
のような相互作用を通して時間をかけて蓄積された知識やノウハウに立脚した
うえで,より多彩な視座やアプローチを用いて新しい洞察を追究していく姿勢
だろう。
***
本号の特集は,そうした姿勢の実践となるように心がけて編集した。具体的
には,研究者と実務家の知見を相互に立脚した形で掲載していることに加え,
方法論の観点からもバランスを考えて,インタビューや事例研究の定性調査に
基づいた論文と,サーベイ調査などによって集められたデータの定量分析に基
づく論文の両方を掲載した。さらに,関係する既存の研究を体系的に整理・評
価し,新たな課題や研究の方向性を提示するレビュー論文も盛り込んだ。
***
まず,阿久津・勝村論文では,特に組織内での活動に焦点を当て,定性分析
と定量分析の二つのアプローチを用いて,企業ブランディングの効果を整理・
検証している。続く菅野論文と杉谷論文は,それぞれ定性,定量のアプローチ
を用いて,
「ブランド・リレーションシップ」もしくは「ブランド態度」につ
いて検討している。菅野論文は,ブランド・リレーションシップが維持・強化
される時と,反対に低下する時を分かつ要因について,トランジションという
切り口から定性的な検討を行っている。一方,杉谷論文は,ブランド態度,特
に強い好意的態度に着目し,長らく議論されてきた「感情」と「認知」という
軸に加え,
「自己ベース評価」と「他者ベース評価」という新たな視点を取り
入れたうえで,その要因について定量的に検討している。両論文ともに大変示
唆に富む興味深い研究である。
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JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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巻頭言
***
田中・三浦論文,鈴木・阿久津論文は,それぞれ「ブランド経験」,「共同ブ
ランド」に焦点を当て,既存のブランド研究を批判的に整理したレビュー論文
である。関連する先行研究を網羅し,丁寧に紐解いて知見を体系化するという
作業は骨が折れるものだが,価値も高い。田中・三浦論文では,近年関心が高
まっている「ブランド経験」概念について蓄積された知見を整理し,その意義
を議論したうえで,既存の測定尺度を批判的に検討して今後の開発の方向性を
示唆している。鈴木・阿久津論文は「共同ブランド」という現象に焦点を当て,
その親ブランド間の一致・不一致が顧客の評価に及ぼす影響とその文化差につ
いて,先行研究の批判的なレビューから新たな命題を導き出し,今後の研究の
展望を提示している。
***
特集論文以外にも,上條氏によるマーケティング・エクセレンスの取材レポー
トでは,特集に関連した実務的な知見を紹介している。レポートは,ブランド
コンセプトを社内外へいかにして伝えていくかに焦点を当て,実務家として長
年企業のブランド戦略に携わってきた経験から得られた深い洞察を提供してい
る。また,飯島氏による AMA 論文抄訳も,戦略的ブランド・マネジメントに
関する論文である。このように本特集は,研究者と実務家双方がブランドにつ
いての独自の視点から洞察を提供しており,非常に読み応えのあるものになっ
たと思う。日本のブランド研究がこれまで以上に注目され,活発に議論され,
さらなる知見が蓄積されていくことに,本号の特集が少しでも貢献することを
期待したい。
***
本号ではさらに,マーケティング・エクセレンスの取材レポートとして岩下
氏と恩藏氏の『ファイナンス発想に基づく医療マーケティングの革新』,テー
マ書評として兼子氏の『最低価格保証に関わる研究の整理』,そして,ブック
レビューとして澁谷氏の『ネットワークと消費者行動』を掲載している。いず
れもマーケティング発展に寄与する知見を読者に提供してくれるものだ。これ
ら一つ一つの知見の蓄積が今後のマーケティング研究の発展に寄与することを
祈って,巻頭言を締めくくりたい。
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論文
組織力強化プロセスとしての
企業ブランディングとその効果
一橋大学大学院 国際企業戦略研究科 教授
一橋大学大学院 国際企業戦略研究科 博士課程
阿久津 聡
勝村 史昭
要約
本稿は,これまで企業と顧客との関係性の問題として議論されることが多かったブランディング活動
について,組織力強化プロセスという観点から考察するものである。ブランディング活動は組織力の強
化に寄与し,それによってブランド価値が高まるという分析的枠組みを提示し,それを基に複数企業の
ブランディング活動の内容とその効果を定性及び定量的に検討した。具体的には,当該企業の事例を基に,
組織風土や社員の思考・行動様式に対してブランディング活動が及ぼす効果について定性的に分析した
上で,日本市場における主要ブランドの価値を測定しているブランド・ジャパンの定量データを用いて
対象企業のブランド力の推移からブランディング活動の効果を分析した。
キーワード
企業ブランディング,ブランド理念,ブランド・アイデンティティ,内在化,組織力,リーダーシップ
グ活動の性質上,目に見える成果がすぐに現れ
Ⅰ. 問題意識と背景
ないことも多く,その因果関係や費用対効果は
ここ数年で,ブランディングに対する取り組
クに端を発した景気後退があり,投資に対して
みが日本企業の間で再び盛んになってきたよう
消極的になったのがその大きな要因と考えられ
に思われる。日経テレコンで「コーポレートブ
る。だが,こうしたブランド冬の時代とでもい
ランド」をキーワードに検索した記事数の推移
うべき期間を経て,ここ数年の景気の回復に
にも,そうした傾向が見られる(図表 1 参照)
。
伴って徐々にブランディングの重要性が再認識
80 年代後半から 90 年代初頭にかけて,欧米
されているようだ(図表 2 参照)。
市場でブランドの重要性が認識され始めたのが
本論に入る前に,日本企業のブランディング,
契機となり,日本企業においても 90 年代後半
とりわけ企業ブランディングの今後の動向を予
からブランドに対する関心は一気に高まった。
測するために,以下に関連する構造要因につい
多くの日本企業ではブランドに関する部署や担
て考察した。企業ブランディングに影響する構
当業務が設置され,いかにして自社ブランドの
造的変化としてまず考えられるのは,国際化の
価値を高めていくかが企業戦略上の重要なテー
進展である。国内市場の成長が鈍化している状
マとなった。しかし,2000 年代後半から徐々
況で,企業は更なる成長を海外市場に求めてお
にそのトレンドは下火となった。ブランディン
り,多くの日本企業の海外生産比率,海外売上
わかりづらい。そうした中で,リーマンショッ
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論文
図表 —— 1 「コーポレートブランド」の記事件数の推移
日経テレコンで「コーポレートブランド」をキーワードにした検索ヒット記事数の結果を基に筆者ら作成。
図表 —— 2 経常利益の推移(金融業,保険業を除く)
出所)財務総合政策研究所『法人企業統計調査結果』,(平成 26 年度 15 頁および平成 23 年度 16 頁を基に筆者ら作成)
比率は年々増加している(図表 3 参照)
。事業の
伝承の必要性に迫られてくる(高田,2012)
。
グローバル化に伴って海外従業員の構成比率が
現地社員に自社の文化を伝え,それに基づく思
高まってくると,企業は現地社員への企業文化
考・行動様式を醸成させられるかによって進出
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組織力強化プロセスとしての企業ブランディングとその効果
図表 —— 3 製造業の海外売上高比率等の推移
出所)国際協力銀行『わが国製造業企業の海外事業展開に関する調査報告―2015 年度海外直接投資アンケート結果
(第 27 回)―』,6 頁
先の海外市場での成否が決まってくるのであれ
2014)。また,2011 年のインタビューにおいて,
ば,企業ブランディングは海外進出企業にとっ
大陽日酸株式会社元会長の松枝寛祐氏は,
『国や
て極めて優先順位の高い戦略課題となる。
地域によって歴史も文化も宗教も違い,価値観
日本企業の海外進出とも関連するが,M&A
も異なります。そうしたなか,どのようにして
の増加も企業ブランディングを促す要因であ
自社の価値観を浸透させるか,これは非常に時
る。 リ ー マ ン シ ョ ッ ク 後 に 一 時 落 ち 込 ん だ
間がかかりますが,なんとしてもやっていかね
M&A の件数は近年再び増加傾向にある(図表 4
ばなりません』と語っている 1)。日本企業のM&A
参照)
。買収した企業を上手く統合する手段と
が加速するなか,PMI(Post Merger Integration)
して,企業ブランディングの役割は大きいと考
を成功させ,統合で意図した強く統一感ある企
えられている(藤澤,2014)
。例えば,武田薬
業ブランドを構築できるかは,企業ブランディ
品工業株式会社は 2011 年に大型買収を実行し
ングのあり方にかかっていると言える。
たが,その後の社内コミュニケーション施策に
さらに,商品のコモディティ化が進むなか,
力を入れており,価値観や思考・行動様式のす
マーケティングのサービス化が注目を集めてい
り合わせの重要性を強く認識している(池内,
るが,それも企業ブランディングの重要性を高
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論文
図表 —— 4 M&A 件数の推移
※ IN-IN:日本企業同士の M&A,IN-OUT:日本企業による外国企業への M&A,OUT-IN:外国企業による日本企業
への M&A
出所)日本総合研究所『平成 25 年度製造基盤技術実態調査 我が国ものづくり産業における事業再編のあり方に関す
る調査』
,5 頁(レコフ社データベースより)
めている要因だと考えられる。マーケティング
に と っ て の 重 要 な 課 題 と な っ て い る。 岩 下
のサービス化とは,あらゆる経済取引はサービ
(2012)がブランド担当者を対象に行った調査
スが基盤であるという前提のもと,伝統的な製
では,ブランディングの社内への浸透に対する
造業でさえ単に商品を提供するのではなく,そ
ニーズが高いことが示されている(図表 5 参照)。
の消費に伴う体験全体を通して顧客に価値を提
以上のように,リーマンショック後に落ち込
供しようとする企業の動きのことである。マー
んだ企業収益が近年回復基調にあることに加
ケティングのサービス化を進めるにあたって,
え,企業の海外進出や M&A,マーケティング
価値の源泉としての社員の重要性はこれまで以
のサービス化などの点で日本企業が変化してい
上に大きくなる。サービス化の進展によって,
ることにより,今後しばらくの間,ブランディ
顧客は社員の直接的なサービスを通して,これ
ング,とりわけ企業ブランディングへの取り組
まで以上にブランドを体験・理解する機会が増
みは盛んになるものと考えられる。
えるという意味で,社員が顧客との価値共創の
上述した事業の海外進出や M&A,マーケ
重要な担い手になるからである。このような状
ティングのサービス化のすべてに共通するの
況下で,社内でのブランド理念の浸透が各企業
は,トップが掲げるブランドの理念を現場の社
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組織力強化プロセスとしての企業ブランディングとその効果
図表 —— 5 ブランディング活動における企業の関心項目
出所)岩下編『ブランディング7つの原則』日本経済新聞出版社,2012 年,263 頁を修正。
図表 —— 6 企業ブランディングの効果モデル
員にまで浸透させるという組織的な課題であ
ディングが再び注目を集めている実務的背景を
る。この課題解決の手段として,
企業ブランディ
踏まえた上で,ブランドと組織の関係性に焦点
ングが期待されているのである。しかし後述す
を当てる。より具体的には , テレビ広告といっ
るように,ブランド研究のなかで,こうした組
た消費者への直接的なコミュニケーションはブ
織内での取り組みに焦点を当てた研究,特に実
ランディング活動の一部に過ぎず,主たる活動
証的研究は,筆者らの知る限りでは極めて少な
は組織力の強化を目指すものであり,それに
い。本研究では,このような問題意識とブラン
よって間接的にブランドの価値向上に結びつく
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論文
という仮説のもと,図表 6 のような企業ブラン
の対話によって積み上げられる「ストック=資
ディングの効果モデルを提示し,実証的な分析
産」であり,持続的な競争優位の源泉である(阿
を試みる。
久津,2002)。
本論文の構成は以下となる。第二節では,関
90 年代の半ば以降,ブランドは資産であると
連する先行研究のレビューを通してキー概念を
いう前提に立脚した上で,いかにしてそれを維
明確にした上で,ブランディング活動と組織力
持・強化するかという方向に研究や議論の焦点
に焦点を当てた本研究を動機付け,位置づける。
が移っていった(青木,田中編,2014)
。具体的
第三節ではまず実際の企業ブランディング・プ
には,
(1)いかにして価値あるブランドを構築
ロジェクトの事例分析を通して活動の内容と流
するか,
(2)いかにしてブランドを活用し,そ
れの定式化を試みる。そして,研究の焦点であ
の資産価値を最大限に引き出すか,の二点がブ
る組織力強化の観点からそれを特徴づけ,評価
ランド研究の関心事となった。その後,前者は
する。次に , それらの企業ブランディング・プ
ブランド・アイデンティティの議論に,後者は
ロジェクトの結果,当該ブランドの外部評価は
ブランド拡張及びブランド体系の議論に発展し
どうなったのか,独立した出所の定量データを
た(阿久津,2002)。Aaker(1996)によれば,
使って検討する。第四節では,本研究の含意を
ブランド・アイデンティティとは,
「ブランド戦
まとめ,今後の展望について述べる。
略策定者が創造したり維持したりしたいと思う
ブランド連想のユニークな集合」である。強い
Ⅱ. 先行研究レビューと本研究の位置づけ
ブランドとは,明確なブランド・アイデンティ
1991 年に出版され,その後のブランド研究
されることによって,ブランドの価値は向上し
の 発 展 に 大 き く 寄 与 し た『Managing Brand
ていくと考えられた(Balmer and Gray,2003;
Equity』の中で,Aaker は資産としてのブラン
Urde,2013)。また,強いブランドのブランド・
ドの重要性を指摘し,ブランド・エクイティを
アイデンティティは,ブランドの理念 2)に基づ
「ブランドの名前やシンボルと結びついたブラ
いていることが多い(例えば Stengel,2011;阿
ンドの資産(あるいは負債)の集合であり,製
久津・石田,2002)
。ブランド理念は,ブラン
品やサービスの価値を増大(あるいは減少)さ
ドのミッション(存在意義)
,価値観(ブラン
せるもの」と定義した(Aaker,1991)
。その
ドが大切にする価値観)
,ビジョン(将来のあ
翻訳書が出版されて以降,日本においてもブラ
る時点でのあるべき姿)の総体として捉えるこ
ンドに対する関心は急速に高まっていった(青
とができる(阿久津・石田,2002)。ブランド・
木,2011)。ブランド・エクイティ研究の貢献
アイデンティティはブランド理念に基づき,そ
の一つに,製品・サービスとブランドとの違い
れを包摂するが,それにとどまらず,より具体
を明確にしたことがある。製品・サービスは取
的な顧客便益やブランドの属性,パーソナリ
引や消費によってその価値が認識される「フ
ティといった必ずしも理念に含まれない要素か
ロー」であるが,ブランド価値は企業と顧客と
らも,戦略的に重要と考えられるものが選定さ
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ティを持っており,これが顧客にきちんと認識
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組織力強化プロセスとしての企業ブランディングとその効果
れることが多い。
なコミュニケーション手段だけでなく,図表 7
一連のブランド研究が示唆するのは,企業と
に示したように,組織内のコミュニケーション
顧客との相互作用によってブランドの価値が高
を経て,現場の社員を通して顧客に伝わるとい
まるということである。資産としてブランドを
う間接的なコミュニケーション手段にもよると
捉えた時に,その価値は企業側に生じる一方で,
考えてよいだろう 。
その価値の源泉であるブランドに対する知識や
以上の議論の裏を返せば,
(少なくとも企業ブ
イメージは顧客側に起因するという性質をブラ
ランドの)ブランディング活動は組織力を高め
ンドは持っている(阿久津・石田,2002)
。す
る取り組みと見なすことができる。ブランドの
なわち,ブランド価値を直接増減するのは顧客
価値は直接的には企業と顧客との相互作用の産
であり,資産価値を享受する企業は顧客に働き
物であるが,これは社員の介在無しには成し遂
かけるという間接的な方法でしかブランド価値
げられない(Aaker,2004;Balmer and Greyser,
の増減に関与できない(阿久津,2002)
。自社
2006)
。そのため,社員一人ひとりがブランド理
のブランド・アイデンティティを顧客へ伝え,
念とそれに基づくブランド・アイデンティティ
それによって顧客自身も自己の価値観をベース
を明確に理解し,それを実践している組織こそ,
にそのブランドに対するイメージを形成してい
高いブランド価値を持つと考えられる。実際,
く。この両者の共有プロセスを経てブランド価
ブランディング活動によって社員がブランドの
値は高まっていくわけである。こうした前提に
価値観を内在化することで組織力が強化される
立てば,ブランド研究には企業と顧客との関係
ことは,先行研究によっても示唆されている
性に焦点を当てているものが多いことは自然で
(例えば,
Morhart,
Herzog,
and Tomczak,
2009;
ある。
Vallaster and De Chernatony,2005)。価値観
一方で,従業員も顧客に匹敵する重要なブラ
の内在化とは,
「自己の価値観と組織の価値観
ンド・コミュニケーションの対象であることが
が重なり合った状態」を意味し(Ashforth and
指摘されてきた(Aaker,1996;De Chernatony
Mael,1989),内在化が起こることによって社員
and Dall’Olmo Riley,
1999;George,
1990;Greene,
のブランドに基づいた行動様式や組織に対する
Walls,and Schrest,1994)
。商品開発にしろ,
プロアクティブな働きがけが促進されることが
プロモーション活動にしろ,そして日々の顧客
実証されている(Morhart et al.,2009;Punjaisri
との交流にしろ,それを実践しているのは企業
and Wilson,2011)。価値観の内在化が促進され
の社員一人ひとりである。ブランド・アイデン
た状況では,ブランドの価値観は彼らの思考の
ティティが顧客へうまく伝えられているかどう
中心に置かれ,営業,開発,生産といった部門
かは,社員がブランド理念をしっかり理解・実
ごとの理屈で行動するよりもブランドにとって
践できているかに懸かっていると考えられる
重要かどうかで社員は判断するようになるだけ
(Aaker,2004;Balmer and Greyser,2006)。
でなく,
価値観に基づいた新しい活動やイノベー
企業が掲げるブランド・アイデンティティが顧
ションが起こり,それが企業の競争力につなが
客に伝わるプロセスは,テレビ広告など直接的
ることも指摘されている(Hatch and Schultz,
3)
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論文
図表 —— 7 組織を介在するブランド価値向上プロセスの概念図
2008)
。
通してのブランディング活動の効果が顧客のブ
このように,ブランド理念の明確化と浸透に
ランド評価に反映されるには,通常,辛抱強く
よって,トップから現場の社員まで自分たちの
投 資 を 続 け る 必 要 が あ る(Motameni and
進むべき方向性が共有されることになり,組織
Shahrokhi,1998)。過去の実践と研究に基づく
力が強化される。さらに,それによって当該ブ
こうした現実も踏まえると,上述の仮説モデル
ランドの顧客体験の質が高まり,顧客にとって
を厳密に実証していくことは極めて難しく,あ
のブランド価値が向上すると考えられる。
まり現実的ではない。組織内部への働きかけが
顧客のブランド価値評価の向上につながること
Ⅲ. 本研究の調査内容と結果
が実務家にとってあまり違和感がないにもかか
先行研究のレビューに基づく前節の議論か
証研究がほぼないのもこのためだろうと思われ
ら,筆者らは,図表 6 にある企業ブランディン
る 4)。
グの効果モデルで示した関係性を仮説として提
そこで本研究では,定性と定量の二つのアプ
示する。
ローチを組み合わせ,段階的に分析を行うこと
一方,前述の松枝氏が指摘しているように,
を考えた。具体的には,まず実際にブランディ
ブランド理念の浸透を通して社員の認識や行動
ング活動に取り組んできた企業を対象に分析に
を変え,組織力を高めるにはそれなりの時間が
必要な条件を満たす対象企業を複数選定した。
かかるし(Davis,1995)
,さらに組織力強化を
次に,それら企業のブランディング活動の幅や
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わらず,これまでその関係性を明らかにする実
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組織力強化プロセスとしての企業ブランディングとその効果
深み,期間を意味ある範囲まで広げながら企業
業をまず選定した。さらに,本研究では事例分
ブランディング活動についての定性情報を集め
析を行うため,より詳細な活動内容を入手する
て分析し,具体的な複数の施策ステップから成
必要がある。そのため,抽出した事例の中から,
る一連のプロセスとして一般化した。その上で,
さらにプロジェクト担当者と直接コンタクトを
ブランディング活動の組織力への影響を質的に
取れることを二つ目の条件とした。結果として,
評価した。さらに,定性分析とは情報源として
本研究では,上記二つの条件を満たした四社に
独立した定量データを用いて,選定企業のブラ
対象を絞り込んだ。これらの企業のブランディ
ンディング活動の対外的なブランド価値評価へ
ング活動は,世界的なブランド・コンサルティ
の効果について検討した。このデータを用いる
ング会社である A 社の日本法人が携わったもの
ことで,企業ブランディング活動の効果につい
である。同社は非常に豊富なノウハウを基にこ
て,できるだけ主観を排除した考察ができるよ
れまで日本企業のブランド戦略推進プロジェク
うにした。以下に,その詳細を報告する。
トに数多く参画し,顧客企業に対して価値を提
供している。
1.分析対象企業の選定
従って,上記条件に該当した四社を本研究の
本研究では,以下の二つの条件に該当した企
分析対象企業とした。対象企業四社の詳細と,
業を分析対象とした。一つは,ブランディング
A 社が中心になってプロジェクトを推進した時
活動内容の質およびレベル感を担保する必要が
期を図表 8 に示した。
あるため,ブランド戦略のコンサルティング会
社等が支援をしており,その活動情報が彼らの
2.定性分析
ホームページや雑誌等でオープンになっている
ここでは対象企業のブランディング活動に関
ことである。これについて本研究では,ブラン
する一次・二次データをもとに,ブランディン
ディングの取り組みを支援するコンサルティン
グ活動が組織力の強化に寄与するかについて定
グ会社の会社ホームページの中から,ブラン
性的な分析を試みた。
ディング活動の実績がオープンになっている企
図表 —— 8 本研究の分析対象企業一覧
2008
2016
3
2004
2016
3
13
2007
2011
2009
2011
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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Japan Marketing Academy
論文
(1)企業ブランディング活動の内容と流れ
はすなわち,ブランド理念を明確化することで
事例分析では,まずブランド・マネジメント
ある。前節で議論した通り,ブランド理念は,
に関する先行研究(Aaker,1991;Aaker,1996;
アイデンティティとしてブランドに象徴させる
阿久津・石田,2002;Keller,2008 等)を参考に
ものの土台となるものである。このステップで,
しながら,プロジェクト担当者へのインタビュー
その材料をそろえる。
を元に,少なくとも分析対象ブランドについて
「2.ターゲット顧客と提供価値」では , 自分
ブランディング活動を一連の施策の段階的な流
たちはどのような人々に対してどのような価値
れとして一般化することを試みた。個々の企業
を提供するのか,ということについて改めて思
ブランドの状況によって多少の違いはあった
いを巡らし,明確にする。ステップ 1 で再確認
が,
およそ図表9 にあるような6つのステップ
(よ
した自己認識を基に,そこから紡ぎだされる
り厳密には,これら 6 ステップの反省に基づく
ターゲット顧客と提供価値を具体化するのがこ
フィードバック・ステップを加えた7つのステッ
のステップである。そのうえで,その顧客が期
プ)の流れにまとめられた。
待していることは何か,それに対して自分たち
「1.ブランド理念の明確化」では,インタ
はどのように貢献できるか,この二つを擦り合
ビューやアンケート調査等を通して経営者の考
わせていくことがブランド価値を高めるために
え方や志,経営者はじめ社員の企業ブランドに
不 可 欠 と な る。 顧 客 の 期 待 は 具 体 的 な ベ ネ
対する理解と共感の現状を把握し,自分たちの
フィットにあり,それは機能的なものであった
企業文化について再認識する。さらに企業の歴
り,情緒的なものであったり,自己表現であっ
史を紐解き,ブランドの生い立ちから,その強
たりする。
みとなるような遺産を見直す。このステップで
「3.競合比較」では,顧客の選択肢の中で,
行っているのは主に,自分たちは何者なのか,
自社ブランドの相対的な位置づけを明確化する。
どんな価値観をもってどんな世界を目指そうと
ターゲット顧客と提供価値の設定によって,自
しているのか,といった自己分析である。これ
社と顧客との関係性を検討したが,同じような
図表 —— 9 ブランディング活動の共通ステップ
1.
2.
3.
4.
5.
6.
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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14
Japan Marketing Academy
組織力強化プロセスとしての企業ブランディングとその効果
関係性を持つ他企業がいれば,自社と顧客との
に判断の拠り所としてガイドラインが必要にな
関係性は当然弱まってしまう。したがって,そ
る。
の関係性をできる限りユニークなものとし,競
「6.コミュニケーション発信」では,ブランド・
合ブランドと差別化することが必要になる。差
アイデンティティを社内外に効果的に伝えてい
別化の要因は顧客にとってのベネフィットにあ
くためのコミュニケーション施策を立案・実行
り,それを支えるブランドの属性やイメージを
する。コミュニケーション施策は,大きく社内
競合のものと比較することになる。マッピング
向けに行われるものと社外向けに行われるもの
分析などを行うことで,市場での自社と競合の
に分けられる 5)。社内向けには,冊子やビデオ
ポジショニングを視覚的に捉え,ユニークなポ
クリップの作成・配布,e ラーニングの実施,
ジショニングを検討することがここでの作業と
経営者・ブランド推進担当者の支店・工場訪問,
なる。
ブランドをテーマとした社員セミナーといった
「4.ブランド・アイデンティティの策定」で
コミュニケーション施策が主に実施される。社
は,ステップ 1 から 3 で得られた自己分析・顧
外向けには , マスメディアやネットでの広告,
客分析・競合分析に基づく素材から厳選・整理
スポンサー活動やソーシャルメディアを利用し
して,ブランド・アイデンティティを規定する。
た PR 活動,ブランドコミュニティの運営など
競争優位性につながるブランド・アイデンティ
様々なコミュニケーション施策を計画・実施し
ティは,組織にやる気と自信をもたらす意味を
ていく。
与え,顧客から価値を見出され共鳴される,ユ
少なくとも今回分析対象とした企業のブラン
ニークなアイデンティティを目指して,トップ
ディング活動は,以上の 6 ステップとして捉え
の強いコミットメントとリーダーシップのも
ることができ,それらを適切に行うことが効果
と,できるだけ多くの社員が自分事としてその
的なブランディングに繋がると考えられてい
作業に関われるようなものだ。ブランド・アイ
た。以下では,これらブランディング活動の一
デンティティの策定は,一連のブランディング
連のステップが,社員の思考・行動の変化をも
活動の核心部分である。
たらし,ひいては組織力の強化に繋がっている
「5.ブランディングの実践ガイドライン策定」
ものなのかを検討する。
では,組織としてブランド・アイデンティティ
を体現していくために,何をどう進めていくべ
(2)社員の思考・行動変化による組織力強化
きかをまとめた実践的なガイドラインを作成す
まず,一連の 6 ステップとして整理・把握さ
る。このステップで重要なことは,そもそもガ
れたブランディング活動の全体像をみると,ブ
イドラインは何故必要なのか,ガイドラインの
ランド認知向上のための広告や PR はもちろん,
意義とは何かを意識することである。ガイドラ
ロゴやタグラインの策定といった,いわゆる「ブ
インの意義とは,判断基準としての役割にある。
ランドに関わる作業」として典型的に考えられ
組織が実際にブランディング活動を進めていく
ている作業は,そのごくわずかの表層に過ぎな
なかで,迷いが生じることは必ずある。その時
いということが明確である。そうした活動のほ
15
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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論文
とんどは,最終段階のステップ 6 に集中してい
とができた。そのことが功を奏し,業務の意思
る。全体像の把握から分かることは,ステップ
決定はブランドを中心において議論・判断する
6 に行き着くまでに,組織全体を巻き込んだ多
姿勢が組織として身につき始めたという。
くのプロセスを経ているということだ。
判断基準としてのブランドは必ずしも客観的
ステップ 6 のコミュニケーション施策につい
なものではなく実際は主観的な判断を伴うこと
て対象企業が気をつけていたことは,自分たち
が多い。そのため,当初社員たちは試行錯誤を
のブランド・アイデンティティが的確に伝わっ
重ねながら,正解らしきものを何とか見つけ出
ているかどうかであった。多様なコミュニケー
すという状況であった。しかし,このような地
ション施策を用いたとしても,その根底に一貫
道な取り組みを経て,徐々にブランドが判断基
したメッセージがあるかどうかが重要だという
準として機能し始めるようになったという。実
ことだ。
際,エバラブランドのミッションである「肉料
思考・行動変化ということでいうと,ステッ
理の可能性を広げる」
,
「鍋を通年にする」
,
「野
プ 1 から 4 の準備も含めたアイデンティティの
菜をもっと身近にする」は製品開発・販売戦略
規定作業,ステップ 5 にある判断基準としての
の軸となっている。さらに,この意識が徹底さ
ブランド・アイデンティティという点が際立っ
れることによって,社内教育の在り方も変化が
ていた。
生じた事例が観察された。
ステップ 1 から 4 について,大和ハウス工業
大和ハウス工業株式会社では,社員教育の中
株式会社や株式会社ジェイティービーでは,ほ
身がブランドを下敷きにするように変わったと
ぼ全ての社員にアンケートを取ることで自社の
いう。具体的には,ブランドのありたい姿を実
アイデンティティ認知に関する現状の把握をし
現するために,個々の業務の役割が定義され,
ていた。組織の観点から見れば,これは非常に
その役割を社員が実践できるような教育プログ
コストのかかるアプローチではあるが,可能な
ラムを策定していくという流れに変わった。
限り社員の意見を汲み取ったうえでブランド・
株式会社ジェイティービーでは,ブランド理
アイデンティティを策定できるため,社員の意
念を体現するために,自分たちはどのような事
識を高め,ひいては,そこから生み出されたブ
業をすべきかを考えた結果,旅行会社ではなく
ランド・アイデンティティを組織内で共有する
交流文化事業に貢献する存在としてのブラン
ために有効だと言える。
ド・アイデンティティを設定した。同社はこれ
ステップ 5 については,実際,意思決定の判
を実現するために,各拠点が自分の地域の価値
断基準としてブランド・アイデンティティを用
を再発見すべく,各地の行政・企業とコラボレー
いるようになったという傾向が全ての対象企業
ションを積極的に展開している。ブランディン
で観察された。例えば,エバラ食品工業株式会
グ活動の中で組織の力がよりよく発揮されるよ
社では,当時経営企画室でブランディング・プ
うに事業ドメインすら再定義されたという例で
ロジェクトを推進していた宮崎遵氏がその後社
ある。
長に就任し,ブランド理念を社内で徹底するこ
富士重工業株式会社においても,一連のブラ
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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Japan Marketing Academy
組織力強化プロセスとしての企業ブランディングとその効果
ンディング活動を通してブランドの価値観が
旗振り役をするチームもしくは個人)を持つこ
個々の社員に浸透してきたが,その際に業界の
との重要性についてはこれまでも指摘されてい
下位メーカーとして逆境にあった彼らが重要性
るが(Aaker,2014),社内のブランディング・
を認識したのが,スバルブランドの意味する本
プロジェクトの担当者たちは,ブランドの伝道
質がわかりやすいことだったという。それは,
師としてその役割を担う存在である。
ブランドの本質がシンプルに表現されているほ
これに関連することとして,プロジェクト推
ど自分は何をすれば良いのか一人ひとりの社員
進部署の権限の大きさも考慮すべき重要な点で
がイメージしやすく,具体的な活動に結びつき
あった。彼らがブランドの伝道師として活動を
やすいからだ。同社は「安心と愉しさ」をお客
推進していくなかで,必ず何らかの壁にぶつか
様へ提供する価値として発信しているが,この
ることは全ての事例で観察された。そしてその
わかりやすいメッセージは社員の具体的な活動
壁を突破する上で推進部署の権限の大きさがカ
に転換しやすく,ブランドに基づく行動を促進
ギとなっていた。対象四企業では,経営トップ
する一因だったと思われる。
がプロジェクトを直接推進するか,頼りになる
最後に,一連のステップをよどみなく進めて
後ろ盾としてプロジェクトを支えていた。ブラ
いく上で何が重要だったのか,そしてそのこと
ンド理念を社員一人ひとりが内在化するには,
はどのように組織力の強化に結びつくのかを検
彼らが組織に対する誇りやプロジェクトの威信
討した。結論から先に言えば,どの対象企業に
を感じることが重要になる(Smidts,Pruyn,
ついても,ブランディング活動全体の推進力と
and Van Riel,2001)。このことは,トップが
して何よりも重要だったのは経営トップのリー
精魂込めて掲げたブランド・アイデンティティ
ダーシップであった。トップの健全な危機感の
をプロジェクト推進担当者がその伝道師として
下,ブランドの重要性をどれだけ強く認識して
社内に普及させるという仕掛けの重要性を示唆
いるか,そしてブランド価値を向上させるため
している。成功しているブランディング・プロ
にどれだけ真剣に議論を行っているか,この
ジェクトの背後には,トップ以下,多くの社員
トップの強い覚悟の重要性が四社を通して観察
の意識の向上と行動の変化が見られた。
された。
事例分析に基づく以上の議論は,効果的なブ
社員に対してブランドを語るスポークスマン
ランディング活動がトップをはじめ社員の意
としての会社トップの重要性はこれまでも指摘
識・行動の変化をもたらし,ひいては組織力の
されているが(Aaker,2004)
,対象企業の事
強化に結びついていることを示している。それ
例からも,この経営者の姿勢がブランディング
を受けて,以下では,ブランディング活動を通
活動の是非に大きく関わっていることが示され
して組織力が強化される中,企業ブランドの外
た。その上で,プロジェクト推進者たちのリー
部からの評価はどのように変化したのかを見て
ダーシップも併せて非常に重要であることが示
みる。
唆された。社内にブランドチャンピオン(ブラ
ンドに対して責任を持ち,主導的にブランドの
3.ブランド・ジャパンデータによる効果検証
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選定した四社の客観的な効果測定指標とし
編)のデータは,企業ブランディング活動が組
て,ブランド・ジャパンのデータを用いた。ブ
織力に与える効果を介して外部者(この場合,
ランド・ジャパンとは,日経 BP コンサルティ
一般のビジネスパーソン)によるブランド価値
ングによって毎年継続して行われている調査で
の評価を測定する客観的指標として妥当性が高
あり,インターネットでのアンケートを通じて
いと判断した。
日本市場における主要なブランドのブランド価
値を定量的に明らかにしている 6)。基本的には
(1)対象企業ブランドの評価推移
毎年同じ質問項目,計算方法を採用して調査に
対象四企業ブランドのブランド・ジャパン
あたっているため,ブランドごとの比較だけで
BtoB 編での「総合力」の変遷を図表 10 に示した。
なく,特定のブランドの時系列の変化をみるこ
「総合力」は,評定された 500 ブランドの得点
とができる。本研究では,
2003 ~ 2016 年のデー
を平均値 50,標準偏差 10 の正規分布に変換し
タを使用した。
た値として算出される 7)。また,この「総合力」
ブランド・ジャパンは,ビジネス市場(BtoB)
得点の結果から調査対象となったすべてのブラ
編とコンシューマー市場(BtoC)編の二つの
ンドの中での順位も発表されている。順位の結
カテゴリに分けられている。今回使用するのは
8)
果については図表 11 に示した 。さらに,企業
企業ブランドのみを調査対象とする BtoB 編の
毎に総合力を構成する「先見力」,
「人材力」,
「信
データである。これは,18 歳以上の有職者を
用力」
,
「親和力」
,
「活力」の五因子の得点の推
対象に,
合計で500の企業ブランドについて,
「先
移も合わせて示した(図表 12 - 15)
。
見力」
(対象企業は成功していると思うか,対
象企業から学びたいか,対象企業はビジョンが
(2)エバラ食品工業株式会社
あると思うかなど)
,
「人材力」
(対象企業で働
エバラ食品工業株式会社については , ブラン
いてみたいか,対象企業の人材が優れていると
ディングのプロジェクトに A 社が参画してから
思うかなど)
,
「信用力」
(対象企業は信頼でき
間もなくしてブランド・ジャパン BtoB 編の調
るか,対象企業の品質・技術が優れていると思
査対象ブランドとなった。ブランド・ジャパン
うかなど)
「親和力」
,
(対象企業を知っているか,
では,調査対象ブランドの選定は本調査に先
対象企業に好感を持っているか,対象企業は顧
立って行われるブランド想起調査の結果に基づ
客を大切にしているかなど)
,
「活力」
(対象企
いて行われる。企業ブランディング活動の一環
業にチャレンジ精神があると思うか,対象企業
として,ビジネスパーソンを含む生活者に対し
はエネルギッシュだと思うか,対象企業は自由
て,ブランド認知を上げるようなコミュニケー
闊達であると思うかなど)の五項目に関して企
ション施策への投資がなされたものと推測され
業を評価してもらい,共分散構造モデルを使っ
る。一方,2016 年の調査で選定されなかった
て総合指標としての「総合力」をブランドごと
のは,そうした対外的なコミュニケーション施
に明らかにしている。
策に対する投資効果が継続されなかった可能性
以上の特徴から,ブランド・ジャパン(BtoB
がある。本調査の対象ブランドに選定された
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組織力強化プロセスとしての企業ブランディングとその効果
図表 —— 10 ブランド・ジャパン(BtoB 編)の総合力の推移
図表 —— 11 ブランド・ジャパン(BtoB 編)の順位の推移
2012 年から 2015 年における結果を見ると,五
で,人材力が若干低い傾向が見られた(図表 12
因子別の得点推移のグラフから,親和力は他の
参照)。また,2012 年と 2013 年の平均値と 2014
因子指数の値に比べて高い傾向が見られた一方
年と2015 年の平均値を比較すると総合力は上昇
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図表 —— 12 エバラ食品工業株式会社の因子得点の推移
70
60
50
40
30
2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016
傾向が見られた。そして,因子別では先見力,信
プのビジョンを明確にした。その結果,ブラン
用力,親和力が上昇傾向を示した。同社は,2008
ドビジョン「心をつなごう」と共に,グループ
年から A 社がプロジェクトに参画し,2012 年に
シンボル「エンドレスハート」(
「無限の成長と
初めて調査対象ブランドに選定されたと同時に,
発展を続けたい」「お客さまと心と心の絆を結
総合力で全調査対象ブランドのちょうど平均値
び,永遠の信頼を育みたい」との思いが込めら
を獲得した。同社は 2018 年に迎える創業 60 周
れている)を導入し,グループとしての価値観・
年に向けて,「こころ、はずむ、おいしさ。
」を
ビジョンの共有を目指してきた。この一連の活
ブランド・ステートメントに据え,Evolution60
動の成功の裏には,同社会長の「大和ハウスグ
というスローガンの下,ブランドを軸にしたグ
ループの理念とビジョンを社会に対してきちん
ループ全体の一体化を目指している。
と発信し,大和ハウスグループブランドを構築
することが事業活動と同様に重要である」とい
う意志が反映されていた。同社はその後も継続
(3)大和ハウス工業株式会社
大和ハウス工業株式会社は,A 社が参画する
してプロジェクトを進めており , 今後,同社が
以前からランクインしているブランドである
海外進出や M&A を積極的に展開するにあたっ
が,同社がプロジェクトに参画した 2004 年以
て,このようにトップを中心にブランディング
降その順位は上昇傾向にある。大和ハウス工業
活動に力を入れていくようであれば,組織力の
株式会社は,2005 年の創業 50 周年を機にグルー
強化を通じてブランド価値は継続して向上する
プブランドを一新した 。その際に,社員と消
と思われる。因子ごとの推移では,先見力,信
費者に対する大規模なアンケートを実施してグ
用力,親和力,活力についてはバランス良く得
ループイメージの現状を把握した上で,グルー
点を獲得しており,2016 年に下振れた人材力得
9)
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組織力強化プロセスとしての企業ブランディングとその効果
図表 —— 13 大和ハウス工業株式会社の因子得点の推移
70
60
50
40
30
2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016
点も,活動の継続により間もなく回復するもの
動を継続している。昨今は,企業ブランディン
と予想される(図表 13 参照)
。
グを通して強化された組織力の成果か,特に海
外市場でのスバル車の売上台数が上昇しており
,それはブランド・ジャパンの結果にも反映
(4)富士重工業株式会社
10)
大手国内自動車メーカーのうちスバルブラン
されている。富士重工業株式会社は,2020 年
ドを掲げる富士重工業株式会社の規模は最小で
の中期ビジョン「際立とう 2020」の旗印のもと,
あり,コスト競争では規模が大きく資本力のあ
2020 年のありたい姿を「大きくはないが強い
る競合に対抗することが難しかったため,同社
特徴を持ち質の高い企業」とし,その実現に向
はコスト競争ではなく,付加価値競争で優位に
け「スバルブランドを磨く」
,
「強い事業構造を
立つことを目指して,企業ブランディングに取
創 る 」 の 2 つ の 活 動 に 集 中 す る と 宣 言 し た。
り組んだ。そして,
「スバルブランドを磨く」
2016 年では , 各因子の得点も全て平均値を上
を実行するべく様々な活動を行ってきた。具体
回っており,全体としてのバランスも良かった
(図表 14 参照)。
的には,スバルブランドを「安心と愉しさ」を
提供するブランドと位置づけ,総合性能,安全,
(5)株式会社ジェイティービー
デザイン,環境,品質・サービス,コミュニケー
ションの六つの側面からブランディング活動を
株式会社ジェイティービーについては,ブラ
実践してきた。その成果がブランド・ジャパン
ンド・ジャパン開始当初からトップ 100 前後に
の結果にも表れていると考えられる。同社も大
ランクインしており,もとからブランド力の高
和ハウス工業株式会社と同様,A 社のサポート
い企業だったと言える。前述の三社のようなブ
を経て,自社が主体となってブランディング活
ランド力の上昇傾向は見られないものの,ブラ
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図表 —— 14 富士重工業株式会社の因子得点の推移
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2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016
ンド・ジャパンの当初から安定して高順位を維
26,000 名の全社員と共有している。同社は 2020
持している。継続的なブランディング活動の重
年での「ありたい姿」を「アジア市場における
要性を強く認識し,それを実践しているからこ
圧倒的 No.1 ポジションを確立し,長期的・安
そ,順位も著しく落とさずにいられると解釈で
定的な成長を可能とする基盤を完成させる」と
きる。同社は,2012 年 3 月に創立 100 周年を迎
しているが,この実現に向けたグローバル事業
えるにあたり,
新たに経営や行動の指針を「The
の展開にこれまでのブランディング活動が活か
JTB Way」として定めている。この指針は,
されることを期待している 。因子別の得点推
2009 年に実施された全グループ社員対象のア
移から,同社は親和力,人材力,および信用力
ンケート結果をもとに策定されており,社員の
の得点は高いものの,先見力や活力が比較的低
意見を反映させたものになっている。この取り
い傾向にあったことが分かる( 図表 15 参照)。
組みに並んで,グループ本社のメンバーを横断
しかし,継続的な企業ブランディング活動に
的に集め,戦略的ブランディング・プロジェク
よって培われた強い組織力を生かして,ここ数
トという組織をつくった上で,グループ企業各
年は積極的にビジョンを発信し,挑戦的な施策
社にて「ブランドアンバサダー」というブラン
も実施しており,先見力や活力に対してプラス
ディング推進担当者を任命したほか,各グルー
の影響を与えることが予想される。
プ企業のトップが社員に対して改めてブラン
以上のように,各企業の企業ブランディング
ディングの重要性を説く機会を設けた。また,
の取り組みとブランド・ジャパンの結果を照合
同社ホームページによると,
「感動のそばに、
してみると,ブランディング活動は,必ずしも
いつも。Perfect moments,always」というブ
取り組み開始後すぐに成果が外部のブランド評
ラ ン ド・ ス ロ ー ガ ン を 掲 げ,JTB グ ル ー プ
価指標に反映されるわけではないものの,一定
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11)
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Japan Marketing Academy
組織力強化プロセスとしての企業ブランディングとその効果
図表 —— 15 株式会社ジェイティービーの因子得点の推移
70
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2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016
期間の継続した取り組みを続けることによって
Ⅳ. まとめと今後の展望
その効果が見出されていることが分かる。特に
その傾向が顕著に見られたのがエバラ食品工業
株式会社である。同社は 2008 年に企業ブラン
本研究では,ブランディング活動は組織力の
ディングのプロジェクトを開始し,2012 年に
強化に寄与し,それによってブランド価値が高
初めてブランド・ジャパン(BtoB 編)の調査
まるという分析的枠組みを提示した上で,その
対象ブランドに選定されると同時に 238 位にラ
メカニズムを検討した。具体的なアプローチと
ンクインした。また,大和ハウス工業株式会社
して,二次データとインタビューを通しての定
と富士重工業株式会社についても,プロジェク
性分析とブランド・ジャパンデータを用いた定
ト開始後に上昇傾向を示している。これらの傾
量分析を行った。結果として,まず事例分析か
向は,ブランディング活動は,すぐに効果が見
らは,ブランディング活動は社員の思考・行動
えるものではなく一定期間の地道な取り組みを
様式に対してポジティブな影響を及ぼし,それ
必要とするが,その成果は着実に出てくるとい
が組織力の向上につながっていることが観察さ
うことを示している。株式会社ジェイティー
れた。ブランド・ジャパンデータからは,ブラ
ビーについても,その効果が即座に出てこない
ンディング活動は,一定期間の継続した取り組
というブランディングの特徴を鑑みれば,まさ
みによって,その効果が反映されている傾向を,
に現在行っている取り組みが今後数年で芽を出
他の要因によるノイズが少なからずある中でも
していく可能性は高いと言えるだろう。
何とか見出すことができた。本研究は,ブラン
ディングを実践している日本企業を対象に,組
織力への影響とそれによるブランド価値向上の
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JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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Japan Marketing Academy
論文
メカニズムについて分析・検討することによっ
注
1)「 ポスト M&A 成功の要件とは-真のグローバル企
業になるために」JMA マネジメントレビュー,8-12,
2011 年.
2) 文献によっては,ブランドの哲学や理想などと呼ば
れることもある。
3) 昨今のサービス化のトレンドは,社員のブランド理
念に基づいた行動の重要性をますます高めている。
Vargo and Lusch(2004)によって提唱されたサー
ビス・ドミナント・ロジックとは,価値を生み出す
のは企業であり,企業によって創りだされた商品を
通して一方向的に顧客へと価値が提供されるグッ
ズ・ドミナント・ロジックという従来型の考え方と
は異なり,企業と顧客との共創によって価値が生み
出されるというのが基本的な考え方である(青木,
2013)。この概念に端を発して,それ以降サービス
の価値共創に関する多くの研究知見が蓄積されてい
るが(例えば,Lusch,Vargo,and Tanniru,2010;
Vargo and Lusch,2008;Vargo,Maglio,and Akaka,
2008),このような取り組みが増えていくことは,
ブランドの意義がますます大きくなることを意味す
る。なぜなら,共創プロセスに参加してくれるのは,
企業のブランド・アイデンティティに共鳴する「ファ
ン」であることが多いからである(阿久津,2016)。
昨今のソーシャルメディアの普及といった情報コ
ミュニケーション技術の進展は,この価値共創を行
うコストを大幅に低下させたが,そうは言っても価
値共創に参加するためにはそれなりのコミットメン
トが顧客側には必要になる。もし顧客が企業のブラ
ンド・アイデンティティに共感していなければ,彼
らが価値共創に参加してくれる可能性は低い。一方,
ブランド共創の場が増えれば,顧客は自分が接する
社員を通して,そのブランドを理解する。その時に,
社員へのブランディング活動がきちんと行われてい
なければ,一貫したメッセージを顧客へ伝えること
は難しくなり,ブランド価値を毀損し得るリスクと
なる(阿久津,2016)。
4) 一方で,組織内部での理念浸透プロセスに絞って検
証した研究は少ないが存在する(例えば,金井・松岡・
藤本,1997;北居・田中,2009)。
5) 社内向けと社外向けのコミュニケーションをうまく
統合しているケースもある。例えば大和ハウス工業
株式会社では,対外的なコミュニケーション施策で
あるテレビ CM を社員の誇りや威信を高める手段と
して利用した。テレビ CM で自社のブランド・メッ
セージを社会に発信することは,顧客に対してだけ
ではなく,社員に対しても効果があると考え,それ
を経費ではなく投資と捉えた。この取り組みは功を
て学術的・実務的な貢献を目指した。
とはいえ,本研究が十分でなかった点も少な
からずある。本研究で使用したブランド・ジャ
パンデータ(BtoB 編)は,企業の組織力を高
めるためのブランディング活動が対外的にどの
程度認知されているかを数値化したものであ
る。そのため,企業でのブランディング活動が
企業文化や社員の思考・行動様式に実際にどの
ような影響を及ぼしているかについては,直接
的には検討していない。言い換えれば,対外的
なコミュニケーション施策によって,組織力は
変わらずとも外部からの評価は変わる可能性
を,ブランド・ジャパンのデータでは排除でき
ていない。確かに,事例分析を通して,実際に
組織風土および社員の意識・行動の変化につい
ての検証を行ってはいるが,その結果を通じて
ブランド価値が向上したのかについては,更な
る研究知見の積み上げが必要である。従って,
より厳密で規模の大きい定量的・定性的な調査
によって,ブランディング活動が及ぼす組織力
に対するポジティブな効果,そしてそれによる
ブランド価値の向上という本研究で提示した分
析的枠組みについて,更なる検討をしていくこ
とが今後の課題である。
多くの日本企業が直面しているグローバル化
の進展や国内市場の縮小といった現状におい
て,競争力の源泉としてのブランドに関する更
なる知見の蓄積は不可欠である。今後,ブラン
ドに関する研究がますます発展していくこと
で,その貢献が成されていくことが期待される。
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
http://www.j-mac.or.jp
24
Japan Marketing Academy
組織力強化プロセスとしての企業ブランディングとその効果
奏し,社員が会社に対してこれまで以上に誇りや帰
属意識を持つようになったという。さらにその効果
として,グループとしての認識が弱かった関係企業
の業績がこの施策後に向上したという。もちろん,
これだけが理由ではないだろうが,この取り組みの
効果も少なからずあっただろう。
6) http://consult.nikkeibp.co.jp/report/bj/
7) この結果は,表記数字の前年に調査したものである。
例えば,2016 の結果は 2015 年 11 月から 12 月に実
施した調査の結果となる。
8) 総合力の算出方法から,順位と総合力の時系列グラ
フの形状は基本的に同じようになる。
9) 企業広報プラザ https://www.kkc.or.jp/plaza/
magazine/201309_14.html?cid=10
10)富士重工業株式会社 http://www.fhi.co.jp/ir/
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阿久津 聡(あくつ さとし)
一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授。
一橋大学商学部卒業。同大学大学院商学研究科修了。
カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院
にて MS および Ph.D. 取得。同校経営組織研究所研究
員,一橋大学商学部専任講師,同大学大学院国際企
業戦略研究科准教授等を経て,現職。専門はマーケ
ティング,消費者行動論,文化心理学,実験経済学。
勝村 史昭(かつむら ふみあき)
一橋大学大学院国際企業戦略研究科博士課程。
一橋大学商学部卒業。同大学大学院社会学研究科修了。
専門は,組織行動論,人的資源管理論。
26
Japan Marketing Academy
論文
トランジションとブランド・リレーションシップ
─ トランジションを乗り越えるブランドは何が異なるのか? ─
駒澤大学 経営学部 教授
菅野 佐織
要約
本論文では,消費者のブランド・スイッチの要因の1つであるトランジション(転機)に着目し,ト
ランジションが消費者とブランドとの関係性に与える影響について考察を行う。通常,トランジション
では,大なり小なりのストレス(心理的不安や脅威)が生じることが指摘されている。従来,このよう
なネガティブな感情は,消費者のブランド評価を下げることが指摘されているが,近年,不安や脅威の
感情は,ブランドへの愛着を高めるという指摘もされている。本論文の目的は,ストレスフルなトラン
ジションにおいて,どのような場合にブランドの関係性が維持または強化され,どのような場合に低下
するのかについて,定性調査によって明らかにすることである。結果,ストレスフルなトランジション
において,消費者がブランドに対して BBSBC(企業によって創出されたブランドの意味と自己との結び
つき)および CBSBC(消費者自身によって創出されたブランドの意味と自己との結びつき)の両方を知
覚している場合,ブランドとの関係性は維持されることが分かった。
キーワード
ブランド・リレーションシップ,トランジション,ストレス,ネガティブ感情
のブランド・スイッチの理由は大きくわけて 3 つ
Ⅰ. はじめに
存在する。第 1 は消費者特性(Van Trijp et al.
1996)
,第 2 はマーケターによるマーケティング
消費者は人生において数々のブランドと出会
戦略
(Deighton et al. 1994; Ashley and Leonard
う。その消費者にとって特別な存在になるブラ
2009; Lam et al. 2010),第 3 は状況要因(Bucklin
ンドもあれば
(Fournier 1998; Escalas and Bettman
and Srinivasa 1991; Aaker et al. 2004; Mathur
2005; Braun-La Tour et al. 2007; 久保田 2010;
et al. 2003; 2008; 杉谷 2010)である。
2012),名前さえ覚えられないブランドもある
この状況要因として本論文が着目するのがト
(Coupland 2005)
。仮にブランドが特別な存在
ランジションである。トランジションは日本語
になったとしてもその関係性が長く続くとは限
では「人生の転機」と訳される。Bridges(1980)
らない(Fournier 1998)
。ブランドが飽きられ
によると,トランジションとは「状況や人間関
てしまうこともあれば,他のブランドに特別な
係,アイデンティティが 1 つのものから別のも
存在の座を奪われてしまうこともある。
のに変わる時期」のことである。トランジショ
Morgan and Dev(1994)によると,消費者
ンにおいて,生活習慣,ライフスタイル,役割
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JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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Japan Marketing Academy
論文
の変化などが伴う場合,大なり小なり,ストレ
ペットの死,憧れのヒーローの喪失など)
スが生じることが指摘されている
(Holmes and
(2)家庭生活での変化(例:結婚,出産,配
Rahe 1967; Metha and Belk 1991; Miller and
偶者の退職,家族の病気と回復,家事分担
Rahe 1997)
。そして消費者は,そのストレスを
の変更,抑うつ,家の新築や改築,家庭内
コーピングするために,ブランド選好を変更す
の緊張の増加や減少など)
ることが指摘されている(Mathur et al. 2003;
(3)個人的変化(例:自分の病気と回復,大
2008)
。その一方で,消費者は,ストレスフル
きな成功や失敗,食生活や睡眠リズム,性
な状況において,好ましいと思っているブラン
行動の変化,入学や卒業,生活スタイルや
ドを変更せずに使い続けることがあることも指
外見上の大きな変化など)
(4)仕事や経済上の変化(例:解雇,退職,
摘されている
(Andreasen 1984)
。トランジショ
ンによって,これまで使ってきたブランドとの
転職,組織内での配置転換,収入の増加と
関係性が低減することもあれば,逆に,トラン
減少,ローンや抵当権の設定,昇進に対す
ジションをきっかけにブランドの関係性がより
る絶望など)
(5)内的変化(例:精神的悟り,社会的・政
強固になることもある。
ブランド・リレーションシップ(消費者とブ
治的自覚の深まり,心理学的洞察,自己イ
ランドの関係性)の問題は,マーケティングに
メージや価値観の変化,新たな夢の発見や
おいて 1990 年代後半から重要視され,多くの
古い夢の破棄,「私は変わりつつある」と
研究がなされているが ,トランジションがそ
いう感じなど)
1)
の関係性に与える影響については未だ明らかに
Bridges が挙げるトランジションは,就職,
されていない。このため,本研究では,心理的
結婚,出産などの客観的に捉えられるトランジ
脅威や不安を伴うストレスフルなトランジショ
ションだけでなく,生活スタイルの変化や内的
ンが消費者とブランドの関係性に与える影響に
変化などの消費者が主観的に捉えるトランジ
ついて考察を行う。ストレスフルなトランジ
ションを含む点において幅広い概念である。以
ションにおいて,どのような場合にブランドの
前,筆者が実施した調査で「30 歳(三十路)
関係性が維持され,どのような場合に低下する
を迎えたとき」「このまま一生独身かと思った
のかについて,定性調査によって明らかにする。
とき」などのトランジションで自分へのご褒美
のための消費行動を回答した女性が複数いた
Ⅱ. トランジションとは
(菅野 2008)
。ストレスフルなトランジション
Bridges(1980)は,トランジションとして
者自らが発見するトランジションにも着目して
の自分を変化させる人生の出来事として以下の
分析する必要がある。
5 つを挙げている。
また,トランジションにおいて,生活環境,
(1)関係の喪失(例:配偶者の死,友人の引
地位や役割,人間関係,ライフスタイル,習慣
の消費者行動への影響を捉えるためには,消費
越し,離婚,子どもの自立,友人との疎遠,
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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などの変化が伴う場合,ストレスやアイデン
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Japan Marketing Academy
トランジションとブランド・リレーションシップ
ティティの混乱が生じることが指摘されている
2003; 2008; Lee et al. 2007),(2)トランジショ
(Holmes and Rahe 1967; Metha and Belk 1991;
ンでのアイデンティティ変容と消費に関する研
Miller and Rahe 1997)
。
変化が大きくなければ,
究(Solomon 1983; McAlexander and Schouten
次第に新たな役割に馴染んでいき,多様なアイ
1989; McAlexander 1991,Mehta and Belk 1991,
デンティティの 1 つとして自己に統合されてい
McAlexander et al. 1992; Bardhi et al. 2012;
くが,変化が大きい場合や変化を受け入れにく
Schau et al. 2009, コールバッハ・水越 2013;
い場合には,新たな役割を自己に統合できず,
菅野・水越 2016)に分けることができる。
心の健康を損ねたり,馴染みのない役割への反
(1)の研究では,例えば,Mathur et al.(2003,
発や複数の役割間の葛藤や危機が生じる(石田
2008)は,人々は,トランジションによって引
2014)
。
き起こされるストレスに対処するためにブラン
精神医学者のホルムズとレイ(Holmes and
ド選好を変更させることが多いことを定量調査
Rahe 1967)は,多くの人が経験する 43 のトラ
に よ っ て 明 ら か に し て い る。 ま た Lee et al.
ンジションが,どの程度のストレスを伴うもの
(2007)の研究では,トランジションにおける
なのかについて測定するための尺度を開発し,
ストレスが高ければ高いほど,ブランド・スイッ
数値化を行っている。調査の結果,
「配偶者の
チの傾向が高まることが明らかにされている。
死」
,
「離婚」
,
「親密な家族の死」
,
「夫婦の別居」
,
一方で,Andreasen(1984)は,人々は,スト
「失業,解雇」でのストレスが高いことが示され
レスフルな状況や出来事といったトランジショ
たが,興味深いことに,
「妊娠」や「家族の増加」
ンにおいて,好ましいと思っているブランドを
といった,一般的に喜ばしい出来事においても
変更せずに使い続けることを定量調査によって
高いストレスが伴っていることが明らかにされ
示している。これらの先行研究は,トランジショ
ている。トランジションがポジティブなもので
ンにおけるブランド・スイッチの傾向について
あろうと,ネガティブなものであろうと,そこ
真逆の結果を示しているが,どのようなとき,
には程度の差はあれど,ストレスが生じている。
消費者はブランドを変更せずに使い続けるの
か,あるいはブランドをスイッチするのかにつ
Ⅲ. 先行研究
いて,明らかにはされてはいない。
(2)の多くの研究は,ある特定のトランジショ
3-1. トランジションと消費行動
ンに着目し,そこでの消費の役割,アイデンティ
トランジションが個人の消費者行動に影響を
ティの変容と消費の変化などを明らかにしてい
与えることはこれまでの先行研究でも示されて
る。例えば,出産(コールバッハ・水越 2013;
いる(Andreason 1984; McAlexander and
菅野・水越 2016),離婚(McAlexander 1991;
Schouten 1989; Mehta and Belk 1991; Schouten
1992)
,
リタイア
(Schau, Gilly, Wolfinbarger 2009)
,
1991; Solomon 1983)
。これらの先行研究は,
(1)
移住・転居(Mehta and Belk 1991; Bardhi et
トランジション前後のブランド選好の変化を分
al. 2012)などが取り上げられている。そこで
析 し た 研 究(Andreason 1984; Mathur et al.
の発見物が,特定のトランジションに特有の事
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JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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Japan Marketing Academy
論文
象であるのか,他のトランジションでも見られ
な状況でのブランド経験は,そのブランドへの
る現象なのかは明らかにされていない。
評価を下げると考えることが妥当である。しか
し,Dunn and Hoegg(2014)は,恐れ(Fear)
3-2. ネガティブな感情と消費行動
という感情がブランドへの愛着を高めることを
ネガティブな感情が消費行動に与える影響に
実験によって明らかにしている。彼らの研究で
ついてはいくつかの先行研究によって確認され
は,幸福,興奮,悲しみ,恐れの 4 つの感情を
ている。例えば,不安や恐れ(Fear)という
喚起させる 5 分間の映画を被験者に見せ,その
感情が広告における説得に影響するかどうかに
鑑賞時に自由に飲んでもらった飲料についての
関 す る 研 究 が あ る(Passyn and Sujan 2006,
ブランドへの愛着を測定している。その結果,
Robberson and Rogers 1988)
。これらの先行研
幸せ,興奮,悲しみの映画を見た被験者よりも,
究は,例えば,より安全なドライブを勧めたり,
恐れを喚起させる映画を見た被験者のほうが,
麻薬に対する注意を勧告する広告の場合,しば
ブランド・アタッチメントが高くなることを明
しばそれらの広告メッセージの中には恐れや不
らかにしている。彼らは,人間の関係性に関す
安を喚起するようなメッセージが使われるよう
る先行研究を挙げてその理由を説明している。
に(Anaud-Keller and Block 1996, Block and
すなわち,人々が不安や恐怖を経験した場合,
Anand-Keller 1998)
,消費者は恐れや不安を感
彼らはより他者との交友関係を求めること
じた場合,彼らはよりリスク回避的な行動をす
(Sarnoff and Zimbardo 1961),恐い経験をし
るようになり,リスクに対して消極的な判断を
た共にした仲間同士は,グループに対してより
するようになることが示されている。
強い結束や団結を示し,その経験を共にした仲
不安や恐れに限らず,ネガティブな感情は,
間に対して愛着を感じること(Fried 1963)が
通常,ネガティブな評価につながることが先行
ある。他者への結束や団結,愛着を示すといっ
研究によって明らかとなっている。例えば,
た行動は,恐怖という感情をコーピングするメ
Goldberg らの研究では,テレビ番組視聴の間
カニズムと考えることができる。
に経験されたネガティブな感情は,その番組後
また菅野・水越(2016)は,初めて子どもが
に放映された番組とは関係のない広告に対する
誕生した父親の不安感がブランドへの愛着に与
評価を下げることを示している(Goldberg and
える影響について,出産前後のデータによって
Gorn 1987)。このような感情転移効果やポジ
検証している。結果,出産前においては不安感
ティブムード仮説を支持する先行研究は多数あ
がブランドへの愛着に正の影響を与えていたも
り,これらの先行研究では,ポジティブな感情
のの,出産後は影響を与えていないこと,出産
やムードは好ましい評価につながり,ネガティ
後は製品関与とブランドとの共有経験の知覚が
ブな感情やムードはネガティブな評価につなが
ブランドへの愛着に正の影響を与えていること
ることが示されている
(Axelrod 1963, Goldberg
を明らかにしている。
and Gorn 1987, Barone et al. 2000)
。
これらの研究に倣えば,ストレスフルなトラ
このような考え方に基づけば,ストレスフル
ンジションにおいて出会うブランドに対して,
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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30
Japan Marketing Academy
トランジションとブランド・リレーションシップ
消費者は一定期間において愛着を高めると考え
が主体となって生み出されたブランドの意味か
られるが,一定期間を過ぎると,ストレスがブ
ら創出された自己とブランドの結びつきであ
ランドに対する愛着に与える効果は低減するこ
る。例えば,NIKE というブランドの「Just do
とが予想される。
it.」というメッセージに対して 、 消費者が自己
の問題やテーマとして共感することによって生
ま れ る ブ ラ ン ド と の 結 び つ き で あ る。 後 者
3-3. ブランドへの愛着の形成
ネガティブな感情はネガティブな評価につな
(CBSBC)は,消費者自身によって創出された
がることが多くの先行研究によって示されてい
ブランドの意味が,消費者の自己概念と結びつ
るものの,不安や恐れといった感情の場合,そ
いている程度のことである。例えば,初めての
れがブランドへの愛着を高めることにつながる
給料で自分へのプレゼントとしてティファニー
ことが先行研究によって示されている(Dunn
のリングを購入し,そのブランドに「自立」の
and Hoegg 2014; 菅野・水越(2016)
。故にス
意味を見出すといった,消費者自身がブランド
トレスフルなトランジションにおいて,消費者
に対して創出する自己とブランドとの結びつき
はブランドに対して愛着を高めることが考えら
である。
れるが,その効果は限定的とも予想される(菅
ブランドへの愛着が継続するためには,この
野・水越 2016)
。
2つの結びつきの存在が必要であるとするなら,
そもそもブランドへの愛着には何が必要と考
その両方,もしくはどちらかが欠けている場合,
えられているのだろうか。先行研究において
関係性は不安定化すると考えられる。特にスト
は,自己とブランドが結びつきがブランドへの
レスフルなトランジションにおいて,消費者が
愛着を形成すると考えられている(Escals and
自己の見直し,再統合を行う際に,自己と結び
Bettman 2003; 2005; Park et al. 2009)
。Escalas
ついていないブランドは,消費者によって選択
らによると,自己とブランドとの結びつきとは
されないことが予想される。よって本研究では,
「個人が自己概念にブランド連想を組み込んで
以下の命題を設定した。
いる程度」のことである
(Escalas and Bettman
2003 p. 340)
。
命題:ストレスフルなトランジションにおい
菅野(2013)は,自己とブランドの結びつき
て,消費者がブランドに対して BBSBC およ
について 2 つの次元で捉えている。
第 1 は Brand-
び CBSBC の両方を知覚している場合,ブラ
Based Self-Brand Connection(BBSBC)であり,
ンドの関係性は維持される。
第 2 は Consumer Based Self-Brand Connection
Ⅳ. 調査
(CBSBC) で あ る。 前 者(BBSBC) は, 企 業
によって創出されたブランドの意味が消費者の
自己概念と結びついている程度のことであり,
4-1. 調査の枠組みと分析方法
ブランドのモノづくりの思想,ブランド・コン
トランジションと消費者とブランドとの関係
セプト,ブランド・ストーリーといった,企業
性との関連について探るため,本研究では質的
31
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論文
調査技法を用いる解釈的アプローチを採用し
によって,これまでに経験したトランジション
た。実証的アプローチが消費者の選択行動を説
とこれまでのライフヒストリー,トランジショ
明・予測することを主たる目的とするのに対し,
ンでの価値観,ライフスタイルの変化,そこで
解釈的アプローチは消費者の消費経験に着目
の消費の思い出,トランジションでのブランド
し,それを理解することを目的とする。解釈的
消費の変化など,自由に語ってもらった。イン
アプローチは,消費者のトランジションやそこ
タ ビ ュ ー 調 査 は 2014 年 4 月 14 日 ~ 5 月 15 日,
でのブランドとの関係性について深く把握する
筆者の研究室または調査対象者の職場で実施し
ことを可能とするため,本研究には適している
た。一人 5 千円を謝礼として渡した。
と考えた
(Fournier 1998; Arnould and Thomson
2005)
。
4-2. ケース分析
調査対象者は,首都圏在住の 20 〜 60 代の男
ケースの分析のためには,インタビューで得
女 12 名である。サンプリングでは,①トラン
られた個人のライフヒストリーとブランドとの
ジションの経験者であること,②年齢・ライフ
関係性についての詳細な描写の分析が必要とな
サイクルを考慮すること,③インサイトの抽出
るが,紙幅の限界もあることから,12 のケー
が期待されること(Fournier 1998)を基準と
スから 2 つのケースを選択して報告する。この
して理論的サンプリングを行い,それぞれに対
2 つのケースは 12 名を代表し,また本調査で分
して 2 〜 3 時間にわたる対面でのデプス・イン
かったことを説明する例証として選択してい
タビューを実施した。なお追加で質問を行う場
る。表 1 には 12 名の調査対象者に関する情報が
合にはメールで行った。
まとめられている。なお,調査対象者の氏名は
半構造化された質問項目によるインタビュー
すべて仮名を用いている。また,分析では,
「そ
表 —— 1 調査対象者のプロファイル
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トランジションとブランド・リレーションシップ
のブランドが消費者にとって代替不可能な特別
会に取り残されていることを強く感じ,何度か
な存在として認知されている状態」を関係性の
働きたいと思っていたが,結局再就職はしな
成立として捉えた。
かった。
1 つ目のケースは,ストレスフルなトランジ
ケイコは 20 代後半から 30 代後半まで,子育
ションによってブランドとの関係性が維持され
てに追われる生活を送っていた。特に 30 代は,
なかったケースであり,2 つ目のケースは,ス
3 人の子どもたちの幼稚園受験,幼稚園送迎,
トレスフルなトランジションにおいてもブラン
お稽古の送迎と毎日忙しく,自分の時間が全く
ドとの関係性が維持されたケースである。ケー
持てなかった。ケイコはストレスフルなトラン
スで取り上げた 2 人は,どちらも 40 代前半の女
ジションとして「送迎時代」を挙げている。
性で,子どもがおり,同じような時代背景の影
響を受けていて,暮らしぶりも同程度であるこ
子育ての時は,1 日怪我なく終わってよかっ
とから,ブランドとの関係性を比較するには適
た,みたいな。なんか,子どもと一緒に倒れ
切な組み合わせであると考えた。
込んで寝るような生活をしていました。…子
育てに追われて追われて。そうですねー,受
1.ケイコ
験もしましたし。だからパニック状態でした
ケイコは 41 歳の専業主婦であり,3 人の子ど
ね,その辺は。お稽古の送迎で,1 日中,車
もがいる。ケイコは,大学を卒業後,就職し,
に乗っていたりとか。なんか,私,運転手か
23 歳で結婚,退職している。比較的早くに結
なと思った時期もあって。…10 年くらい何
婚し,20 後半~ 30 代後半は子育て中心の生活
ちゃんママという状態だったし,自分のこと
を送ってきた。子育てがひと段落した現在は,
が考えられなかった。自分が社会に取り残さ
フルマラソンやトレイルランニングなどのス
れてしまった感じでした。
ポーツ活動にはまり,自分のための時間を満喫
している。夫は自営業を経営しており,比較的
ケイコは,子どもたちを送迎する際にスーツ
裕福な暮らしをしている。
を着ていかなければならなかった。スーツを着
ケイコは東京都内で生まれ,大学を卒業後,
て小さい子どもを抱えながら,上の子どもたち
就職をしている。学生時代はバブル期であり,
の幼稚園やお稽古を送迎して回ることは苦痛で
学生時代から社会人時代は,ルイヴィトン,
あった。ケイコは送迎時代によく着ていた洋服
グッチ,プラダ,ハンティングワールド,エル
のブランドについて以下のように述べている。
メスのトートバッグなどを持っていた。
「見栄
洋服は,Koji Watanabe Style など,靴はフェ
を張って,ブランド品を持ちたかった」と述べ
ている。彼女は23歳で結婚し,
退職をしている。
ラガモ,バッグは Coach をつかっていて,サ
当時は,女性は「結婚したら会社を辞める時代」
ブバッグにハロッズのビニール素材ものをつ
であったという。退職後は「家でぼーっとして
かっていましたね。
(Koji Watanabe Styleは)
いるようなたいくつな生活を送って」おり,社
きっちとしていて可愛い。リボンついている
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論文
のもあったし,清楚な感じだったのと。…や
て。それからすごいいろんな人と付き合うよ
はり周りのママに気を遣い,同じようにきち
うになりました。それまで私,すごい狭い世
んとしたスーツや洋服をたくさん持って,靴
界で生きてきたんだって。
は必ずフェラガモでした。バッグはもちろん
フェラガモ,グッチ,エルメスなど。子育て
ケイコにとって韓国ドラマとの出会いは,母
してても優雅な気持ちになったと思います。
としての自己肯定感を確認し,新たな友人との
…(子育ては)大変でしたが,オシャレに気
出会いを与えてくれたトランジションであっ
を付けることにより,子育てに疲れ切ってい
た。彼女は韓国ドラマをいくつか見ているうち
るママではなく,きちんとすることでスイッ
に,ある俳優のファンになる。
チが入ったように思えます。
その人が登山が好きで,そうしたら,近くで
ケイコにとって,Koji Watanabe Style やフェ
ランニングクラブがオープンして,あーこれ
ラガモといったブランドを身に着けることは,
はグッドタイミングとか思って。こんな都会
きちんとしたママになること,ママ友という仲
にいないで,山に行きましょうとか,コンサー
間への所属のための消費であった。また,彼女
トとかで言われて。ちょっと行ってみようと
は「子どもの幸せを考えると,一生懸命だった」
思って。不思議なきっかけですよね。うまく
と述べている。送迎時代に身に着けていたブラ
つながっているんですよね。人生,すごくそ
ンドは,きちんとしたママでいること,仲間へ
う思いますね,最近。
の所属,子どもの幸せという目的に結びついた
存在であり,女性として,母親としての自己と
美味しいものが好きで,35 歳を過ぎてから
結びついている。しかし,ケイコは送迎時代の
太ってしまったことを気にしていた彼女は,そ
途中で,偶然テレビで見た韓国ドラマにはまっ
の韓国人俳優の影響で,近所のランニングクラ
てしまう。
ブに通い始める。彼女はランニングから,トレ
イルランニング,登山へと活動の幅を拡げるよ
人との出会いも,幼稚園受験してから,狭い
うになり,記録に挑戦するべく大会に参加する
世界で,お母さんの世界にいたんですけれど,
ために本格的なトレーニングをするようになっ
韓国ドラマを見ていたら,世界が広がったと
た。彼女の消費は,これを機に大きく変化して
いうか。すごいお母さんを大切にする国なん
いく。
ですよね。その辺でもうるってきたし,人と
の距離も韓国ドラマを見ていて,近いと思っ
シューズはアシックス大好きですね。やっぱ
たんですよね。やっぱりなんか,私,お母さ
りゲルが入っていて履きやすい。アシックス
ん同士の付き合いだと,ある程度ぎりぎりの
しか履いていないです。最初は,主人が,やっ
ことしか言わないとか,敬語で話すとかそう
ぱりアシックスがいいっていう,やっぱりい
いう感じだったんですけど。ファン友もでき
いですね。…トレランは,モントレイルとソ
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トランジションとブランド・リレーションシップ
ロモン。アシックスでも出してますけど,モ
2.サトミ
ントレイル履いている方が多くて。履いてみ
サトミは 43 歳の専業主婦であり,4 歳の子ど
ると軽くて。ランニングシューズに近かった
もがいる。短大を卒業,就職した後,いくつか
という感じ。いちおう,いろいろ履いてみて,
の企業で働いていたが,27 歳の時に結婚を機
硬さとか,全然違うんですよね。まず重いと,
に退職。その後再就職をし,離婚をしている。
走るのが大変なので,軽くて,クッション性
その後に再婚をし,退職している。現在は専業
もあるものを選びます。
主婦である。夫は会社役員をしており,比較的
裕福な暮らしをしている。
ケイコは,ランニングのウエアであれば,ア
サトミは横浜で生まれ,門限があるような厳
ディダスかナイキ,サポータータイツはワコー
しい家庭に育った。中学高校時代はバブル期で
ルのCWXを,
トレーラーのウエアであればノー
あり,中学生時代から海外高級ブランドのバッ
スフェースとサロモンが気に入っていると述べ
グや小物を持つような華やかな生活を送ってい
ている。彼女の消費行動は,送迎時代のものと
た。当時の友人たちもバーバリーやルイヴィト
は大きく変わった。彼女は送迎時代の消費につ
ンなどの高級ブランドを持っており,
「流行が
いて以下のように述べている。
クール」であり,
「流行に敏感であることが都
会の女性の象徴」であると思っていた。サトミ
お迎えの後,お稽古なんかに連れていくと,
は短大を卒業後,就職をするが,2 年後に退職。
一日中きちっとした格好していましたね。…
その後,宝飾品企業に再就職する。
それが今や,全然着ていない(笑)。いま,
ジュエリー屋さんで働くようになってくらい
ブランドに全くこだわらなくなっちゃってい
からかな。結構,個性的な販売の人たちで,
ますね。見たいとも思わないし。
各々自分の個性を引き出すような洋服とか小
ケイコは現在,ブランドにこだわらなくなっ
物とか持っていて。…その辺くらいから変
たと述べているものの,ランニングやトレイル
わったかもしれない。価値観がかわった。流
ランニングのためのブランドにはこだわってい
行を追っていると,結局制服みたいだし,そ
る。普段の洋服は,ユニクロや ZARA,H&M
れ無駄なんじゃないかと,きりがないんじゃ
などのファストファッションストアなどを利用
ないかと思いだした。
している。彼女にとって,送迎時代に愛用して
いたブランドは「見たいとも思わない」と述べ
修理工房で働いた経験は,ものを使い捨てで
ている。しかし,
「お金に余裕があり,無理を
はなく,修理して大切に使い続けるというその
せずに,新作が出たら,買えるような身分相応
後の彼女の価値観に影響を与えている。サトミ
のブランド品なら持ってもいいかもしれない」
は,それをきっかけとして,いったい自分が何
とも思っている。
が欲しいのかを考えるようになった。そこで彼
女は,ずっと気になっていたエルメスについて
35
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調べてみることにした。サトミにとってエルメ
にオール定番。永遠に直して永遠に磨いても
スは「ドアマンがいて,入りずらく,堅い雰囲
らい,ずっとひとつのものを大切に使い続け
気で,重いし,堅いし,かわいい感じがしない」
られるっていうところ,使い捨てじゃないブ
ブランドであった。その上,価格も高く,気楽
ランドっていうのを私は感じて。
に買えないブランドでもあった。しかし,年齢
がいけば持てるかもしれないと思っていた。
サトミは筆者にエルメスの魅力についてこの
ように語ってくれたが,彼女曰く,これはエル
エルメスはずっと気になっていて,高嶺の花
メスの表面的な魅力であって,エルメスには
だと思っていて。エルメスの本を読んだんで
もっと深い魅力があると述べている。サトミは,
すよ。ブランドの背景というか,歴史のヒス
25 歳の記念にエルメスのバッグ(エヴリン)
トリーを読んで,そしたら恐れおおいし,だ
を初めてオーダーしている。その当時の彼女の
から働いて自分のお金で買いたいなと思った
稼ぎにとっては高い買い物であったが,自分の
初めてのバッグ。ブランドかも。魅せられて
思い出になるものを自分にプレゼントしようと
しまったんですよね。
思った。その後も,
「30 歳の記念」
「新婚旅行
の記念」「35 歳の記念」としてエルメスのバッ
サトミは,エルメスだけでなく,シャネルも
グを自分の稼ぎから購入している。ちなみに,
好きである。彼女は,なぜシャネルではなくて
サトミは,35 歳の時の購入について以下のよ
エルメスに魅せられたのかについて以下のよう
うに述べている。
に述べている。
その時はびっくりするくらいに使えるお金が
基本的にぶれていないところ。シャネルもそ
少なくて,買ってしまってつらかった。二度
うだけど。ただやっぱり,流行り廃りがある
と衝動買いしないぞって決めたの。やっぱり
というか。いろんな形のバッグが出てきたり,
お金がなくて買うって,心がすさむ。これこ
洋服も変わるし。でもエルメスって,昔から,
そバランスがない買い方だったと。…謎の知
バッグ,あんまり変わんないですよね。ケリー
らないお客さんから「あなたの後ろに狙って
を含め。だから飽きがこないし,バッグの種
いる人がいます」と言われて(笑)。見たら
類も少ないし,流行りにあんまり流されてい
確かに人がいっぱいいて。…二回払いにして
ないっていうか。どんな時代でも。それに魅
買ったよね。でも買っちゃったことにお店を
せられたんだと思う。…一個一個,全部手作
出て落ち込みました。ふつう楽しいじゃない
りで,基本的に,お直しが永遠にきく。例え
ですか。楽しくてうれしいはずなのに,すっ
ばシャネルとか何かが取れたって言ったら,
ごく気が重くて。
もう販売中止なのでお直しができないって。
定番はあるのだけれど,定番があるのとない
サトミはこの時のエルメスの購入について,
のと差があって。エルメスに関しては基本的
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「35 のエルメスは苦しいっていうか。それを思
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Japan Marketing Academy
トランジションとブランド・リレーションシップ
うと心がキュンとする」と述べている。サトミ
私ちょこっとシャネル買っちゃったりして
にとって,35 歳の記念のエルメスは,これま
るけど,でも基本的にはぶれない自信があ
でとは違ってネガティブな感情として思い出さ
る。…一つだけ好きなブランドを挙げろって
れている。その後,サトミは,実父の死,自身
いったら,エルメスだけかも。ちょこちょこ
のガン,流産を立て続けに経験する。これまで
ジミーチュウとか買っちゃうかもしれないけ
比較的順風満帆に生きてきたという彼女にとっ
ど,すっごい好きで,歴史の背景とか知って
て,この試練は非常に困難なものであった。彼
買ってるんじゃなくって,なんとなく買って
女は,この時のことについて以下のように述べ
て,あえてそこの本とかリーフレットとかも
ている。
らってもたぶん読まないと思う。まいいっか
と。…他のものはリサイクルショップに売っ
たとしても,エルメスだけは絶対手放さない。
息をするのってこんなにつらいことなのかと
思った。過呼吸になってしまって。…息を吸
うのが嫌になるっていうか。で,私その時に
サトミはエルメスとの関係性はぶれないもの
だれとも話せなくなってしまって,唯一,夫
だと述べている。たとえエルメスが彼女のつら
くらいで。ある程度なんでも話していた友人
い思い出を連想させるものであったとしても,
からの電話にも出なくなって。…(いろいろ
エルメスは彼女にとって特別なブランドとして
なことが)間髪入れずにきたのね。立ち直っ
関係性は継続している。
たらと思ったらガーンで。父の葬儀をやりな
がら自分の手術のカウントダウンしてて。…
Ⅴ. 考察
なんかね,ともだち付き合いも全部嫌になっ
ちゃったの。疲れちゃったんですよね。なん
サトミは「一つ一つのバッグに私なりの思い
かね,人生リセットしちゃったの。
出がある」と述べており,エルメスというブラ
ンドに対して,個人的な思い出のストーリーを
サトミは立ち直るまでの間,自分は「廃人」
創出することで自己とブランドの結びつきを感
のようで,人生は「修行」だったと述べている。
じている。また,サトミは,エルメスというブ
彼女は社交的なほうであったが,家にこもりが
ランドの「ぶれない」モノづくりの思想,ブラ
ちになり,縁を絶った友人たちも多くいた。よ
ンド・コンセプト 、 ブランド・ストーリーに共
うやく心が回復に向かい始めた頃,サトミは二
感しながら,自己とエルメスを結びつけること
度目の流産を経験する。そのような状況の中で,
によって,エルメスへの愛着を醸成していた。
サトミは,39 歳の時,エルメスのバッグを「や
サトミとエルメスとのつながりは,ストレスフ
けっぱちで」購入している。サトミは,現在の
ルなトランジションを経験してもなお強固なつ
エルメスとの関係について以下のように述べて
ながりを形成していた。
いる。
一方,ケイコの語りの中では,Koji Watanabe
Style などのブランドに対して,きちんとした
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論文
女性として,愛情深い母親としての自己との結
構築する中で,ブランドとの関係性を新たに見
びつきを感じていたが,ブランドの思想やコン
出したり,見直したり,再評価したりするきっ
セプト 、 ストーリーと自己との結びつきについ
かけとして捉えることができる。
て語られることはなかった。すなわち,ケイコ
例えば,消費におけるトランジションの機能
の 場 合,CBSBC は 多 少 知 覚 さ れ て い た が,
は,アイデンティティ形成における二重サイク
BBSBC は全く知覚されていなかった。それに
ル理論(Lyuckx et al.2006)と関連している。
対して,サトミの場合は,BBSBC・CBSBC の
二重サイクル理論は,人のアイデンティティ形
両方が知覚されていた。
成には,選択肢を幅広く探求して積極的関与を
ケイコとサトミを含む 12 名の調査対象者の
決定する過程と,自分の決定を深く吟味して積
うち,10 名がストレスフルなトランジション
極的関与を評価する過程があるとする考え方で
とそこでのブランドの消費について言及してい
ある。今後,アイデンティティ形成という視点
た。そのうちの6名はBBSBCとCBSBCの両方,
からもブランド消費におけるトランジションの
もしくはどちらかが欠如しているケイコ型で,
機能について考察する必要があるだろう。
いずれもストレスフルなトランションにおい
第 2 の課題としては,本調査で語られたブラ
て,ブランドとの関係性は低下していた。その
ンドが,いずれのケースにおいても,洋服,靴,
他の 4 名は CBSBC・BBSBC 両方を知覚するサ
時計,自動車,バッグ,財布といった,高関与
トミ型であり,ストレスフルなトランジション
な製品のブランドであったことである。よって
において,ブランドと関係性は維持されていた。
本研究の命題が,低関与な製品のブランドにお
いても証明できるかどうかは明らかにされてい
Ⅵ . 課題と展望
ない。
語りにおいて高関与な製品のブランドのみが
本研究は課題も有している。第 1 に,本研究
挙げられた理由については,トランジションと
ではトランジションにおけるブランド消費とア
いうテーマとの関わりが 1 つに考えられる。人
イデンティティ形成との関連について踏み込ん
は何かしらの心理的脅威を感じた際,成功の象
だ議論をしていない。トランジションと消費の
徴となるような製品や活動を求めることが指摘
関係を捉える場合,アイデンティティ形成や発
されている(Lisjak et al. 2015)。例えば,成績
達の問題について,より深い考察が必要となる
の悪い MBA の学生ほど高級腕時計やカバンを
と考えている。本研究で明らかになったことの
持つ(Wicklund et al. 1981)などのことが明
1 つに,消費者は,トランジションにおいて,
らかにされている。このような,自己の心理的
これまでのライフスタイルや価値観,使ってき
脅威を低減させるような象徴性を持つ製品や活
たモノやブランドを見直し,再評価を行ってい
動を採用する消費行動は,代償的消費と呼ばれ
たことが挙げられる。トランジションは,ブラ
ている。本研究がテーマとしたストレスフルな
ンド・スイッチのきっかけという単純な構図で
トランジションでは,消費者は心理的脅威を低
はなく,消費者がアイデンティティを形成・再
減させるために象徴的なブランドを用いて代償
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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Japan Marketing Academy
トランジションとブランド・リレーションシップ
的消費を行っているとも考えられる。Kanno
(2014)は,
消費者にとって象徴性の高い製品(高
関与製品)の場合は,BBSBC が CBSBC よりも
ブランドへの愛着により影響を与えること,逆
に消費者にとって象徴性の低い製品(低関与製
品)の場合には,CBSBC が BBSBC よりもブラ
ンドへの愛着に影響を与えることを明らかにし
ている。今後,本研究の命題が低関与な製品の
ブランドにも当てはまることかどうかについて
検討を行う必要があるだろう。
本研究は科研費の助成(25380572)を受けた
ものである。
注
1) ブランド・リレーションシップ研究のレビューにつ
いては菅野(2011)を参照のこと。
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菅野 佐織(かんの さおり)
学習院大学経営学研究科博士後期課程単位取得退学。
千葉商科大学専任講師,駒澤大学専任講師・准教授
を経て,2015 年より同大学教授。専門はマーケティ
ング(消費者行動)。2015 年よりカリフォルニア大学
バークレー校客員研究員(~ 2017 年)。著書は『価
値共創時代のブランド戦略』(共著),
『ライフコース・
マーケティング』(共著),
『地域ブランド・マネジメ
ント』(共著)など。
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論文
ブランド態度における自己ベース評価と
他者ベース評価
─ ラグジュアリーブランドとノンラグジュアリーブランドの比較 ─
上智大学 経済学部 准教授
杉谷 陽子
要約
ブランドに対する強い好意的態度は,どのような理由に基づいて形成されているだろうか?本研究は,
好意的ブランド態度の中でも,とりわけ長期的にファンであり続けてくれるような特に強い好意的態度
に注目し,その構成要素を明らかにした。これまでの研究では,
ブランド態度の構成要素は「認知」と「感
情」の2次元から捉えられてきたが,本研究はこれに加えて,評価の源泉に注目した新しい枠組みを提
唱した。すなわち,自らの経験や主観に基づく評価(自己ベース評価)と周囲の評判に基づく評価(他
者ベース評価)という分類の枠組みである。消費者のブランド態度を調査した結果,本研究が想定した
通り「自己ベース感情」「自己ベース認知」「他者ベース感情」「他者ベース認知」の4つの因子の存在が
確認された。また,この4つの中で「自己ベース感情」のみが強く好意的なブランド態度を導くことが
明らかになった。この結果はラグジュアリーブランドでもノンラグジュアリーブランドでも共通してみ
られた。考察では,自己ベース感情の重要性について,学術的および実務的視点から論じられた。
キーワード
ブランド態度,認知,感情,自己,他者
る。逆に,買ったことはないけれども,持って
Ⅰ. はじめに
いる人がみんな酷評しているのであれは良くな
消費者がブランドに対して「いいな」という
ように,我々がブランドを評価する背景には,
印象(好意的態度)を抱く時,その理由はさま
様々な理由が存在しており,それらが複合的に
ざまである。実際に使ってみて非常に機能が優
評価に用いられていると考えることが出来る。
れていて便利だったので,あれは良いブランド
本研究の目的は,どのような理由でブランド
だと思っている時もあれば,身につけていたら
を好む場合に,それが最も強いブランド態度で
友人に非常におしゃれだと評判であったのでそ
あるのかを明らかにすることである。
「態度」
のブランドが好きになった,ということもある
とは,「物,人,集団,論点,概念に対する比
だろう。あるいは,自分自身の使用経験はなく
較的永続的で全体的な評価」であり,
「非好意
とも,周囲の評判が極めて高いので,
「あれは
的評価から好意的評価の間で幅をもつもの」と
いいブランドである」と評価している場合もあ
定義されている(VandenBos 2007)。すなわち,
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いブランドだと思っていることもある。この
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ブランド態度における自己ベース評価と他者ベース評価
「ブランド態度」とは,ブランドに対する全体
本研究の成果には,以下のような貢献が期
的評価で,「大変好ましい」~「全く好ましく
待できる。一つは,学術的貢献である。従来,
ない」等の一軸で測定される概念である。しか
精緻化見込モデル(Petty and Cacioppo 1986)
し,あるブランドを同じように「大変好まし
をはじめとする先行研究では,強く持続的な態
い」と評価している 2 人の消費者がいたとして,
度を導くのは,認知的ルートで丹念な情報処
彼らが「大変好ましい」と思っている理由は全
理が行われた場合だと議論されてきた。しか
く同じとは限らない。1 人は「おしゃれだから
し近年では,必ずしも認知ルートが重要とは言
よい」と思っていて,もう一人は「機能性が優
えず,主観的(感情的)ルートの重要性を指摘
れているからよい」と思っているかもしれない。
した研究が多くなってきており(e.g. Banyte,
それでは,どちらの消費者がそのブランドの本
Joksaite, and Virvilaite 2007; Bodur, Brinberg,
物のファンと言えるだろうか。本研究は,好意
and Coupey 2000; Edwards 1990),「認知」と
的ブランド態度に着目し,より強く好意的なブ
「感情」のどちらの要素が強いブランド態度を
ランド態度を導く要因(理由)を明らかにする
形成するのかについては結論が出ていない状況
ことを目的とした。
である(Bodur et al. 2000)。したがって本研
すでに述べた通り,ブランド態度を導く理由
究で,強い好意的態度を導く要因を明らかにす
は様々なものがある。しかし本研究では,これ
ることで,態度研究に対し新しい知見を加える
らは大きく分けると 2 つに分類できる可能性を
ことが出来ると期待される。もう一つは,実務
提唱したい。その 2 つとは,すなわち,「自己
的貢献である。ブランドの「ファン」を育てる
ベース評価」と「他者ベース評価」である。こ
ために,どのようなメッセージを中心としたプ
の分類は,それぞれの評価が生じる源泉に注目
ロモーションを行い,どのようにポジショニン
した枠組みであることが特徴である。
「自己ベー
グをしていければよいかは,企業にとっては重
ス評価」とは,「自らの経験や感覚に基づくブ
要な課題である。本研究で,強いブランド態度
ランド評価のこと」と定義する。例えば,実際
はどのような「理由」に基づいて形成されてい
に使ってみて非常に便利で助かった,あるいは,
るのかが明らかになることで,流行に乗るだけ
心地よさを感じた,ブランドのコンセプトに共
の「日和見的なファン」ではなく,
「真のファン」
感した,等の評価が当てはまる。一方,「他者
を育てるための戦略に有効な示唆を提供するこ
ベース評価」とは,
「周囲の評判や意見に基づ
とが出来よう。
くブランド評価」であると定義する。例えば,
Ⅱ. ブランド態度に関する先行研究
品質に定評がある,おしゃれだと評判だ,最近
人気が高い,持っていると誇らしい気分になる,
等の評価が当てはまる。この新しい枠組みを用
(1)ブランド態度における感情と認知
いて態度の構成要素を整理することによって,
態度研究においては,その構成要素を「認知
強いブランド態度を導く理由(要因)を,わか
的評価(cognitive evaluation)」と「感情的評
りやすく示すことを目指す。
価(affective evaluation)」にわけて捉えるのが
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論文
一般的である(Bohner and Dickel 2011; Crano
いる。ブランド態度がどのようにして形成され
and Prislin 2006)
。ブランド態度に当てはめて
ているのか,その理由について十分に理解する
説明をすれば,
「あのブランドの製品は質の良
ためには,
「認知」
「感情」という単純な 2 分類
い原料を用いて製造されている」
「あのブラン
のみではなく,新しい枠組みが求められる。
ドの製品は多機能で便利である」などといった
事実認識に基づいた評価が「認知的評価」であ
(2)態 度形成における自己ベース評価と他者
る。一方,「あのブランドの製品を使う時はわ
ベース評価
くわくする」「あのブランドはスタイリッシュ
Griskevicius et al.(2010b) や 杉 谷(2011,
である」等の個人の主観に基づいた評価が「感
2013, in press)が提唱している感情の 2 次元は,
情的評価」である。ブランドに対する好意的態
「プライド」と「満足感」
,
「プライド」と「親
度,あるいは非好意的態度は,これらの「認知
しみ」と因子名が異なっており,厳密には異な
的評価」と「感情的評価」に基づいて形成され
る感情を示す概念であった。しかしながら,感
るものと考えられてきた。
情の源泉に着目した分類を行っているという
しかしながら,態度の構成要素は,この 2
点では共通しているとも解釈できる。
「プライ
軸だけでは十分に捉えきれない可能性があ
ド」とは,
「目的が達せられて,それが周囲か
る。とりわけ「感情」については,これまで
ら賞賛された時に感じる,他者を意識した感情」
の多くの先行研究で,感情が肯定的か否定的
(VandenBos 2007)と定義されている。すなわ
か(positive or negative)という一次元で単純
ち,プライドとは,他者の視線を意識し,彼ら
化されて議論されてきたことが批判されており
の賞賛を認知することによって初めて経験され
(Griskevicius, Shiota, and Neufeld 2010a)
,感
る感情なのである。具体的に,ブランドに対し
情の種類や機能は多様で一様には捉えられな
てその持ち主が抱くプライドの感情について考
いという視点からの研究が数多く存在してい
えてみよう。ブランドに対して「ステータス感
る(Cavanaugh et al. 2007; Griskevicius et al.
がある」
「かっこいい」
「おしゃれだ」と思うこ
2010a; Griskevicius, Shiota, and Nowlis 2010b;
と(プライドに係るブランド評価)は,周囲の
Keltner, Haidt, and Shiota 2006; Lerner, Han,
他者からも同様に評価されている必要がある。
and Keltner 2007)
。 例 え ば,Griskevicius et
あるブランドを自分一人で「おしゃれだ」と
al.(2010b)は進化論の視点から,人の肯定的
思っていたとしても,自分以外のすべての人間
感情を“contentment(満足感)
”と“pride(プ
が口をそろえて「ダサい」と評価する状況にお
ライド)”の 2 次元に分類することの有効性を
いては,もはやそのブランドは「おしゃれ」で
示している。また,杉谷(2011, 2013, in press)
はないし,持ち主もそのブランドをおしゃれで
および Sugitani(2013, 2014)では,一連の実
あると評価し続けることは厳しくなる。つまり,
験研究を通じて,ブランドに対する感情的評価
「かっこよさ」や「おしゃれさ」という概念には,
が「 憧 れ(pride)
」と「親しみ(closeness)」
元々他者の同意が内包されているのだ。
の 2 次元から捉えられることが明らかにされて
し か し, そ の 一 方 で,「 満 足 感 」 や「 親 し
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ブランド態度における自己ベース評価と他者ベース評価
み」の感情とは,その生起に他者の存在は必
能的だ」
「使い勝手が良い」等の評価である。「他
要ない。Griskevicius et al.(2010a)は,
「満足
者ベース認知」とは,周囲の評判に基づく品質
感(Contentment)
」は,安全で,なじみがあ
評価であり,
「品質に定評がある」
「技術が信頼
り,快適な場所で過ごすことによって生まれる
できる」などの評価が相当する。我々は自分で
安心感や,食事による満腹感のような感情であ
使用した経験がなくとも,ブランドに関して
ると述べている。杉谷(in press)は,
「親し
「高品質だ」「信頼できる」という評価をする場
さ(closeness)
」感情とは,対象となるブラン
合があるが,このように「他者ベース認知」は,
ドを自分らしいと感じたり,思い入れを持つこ
実際に自分で使用した経験がなくとも,クチコ
とと述べている。これらの感情は,自分以外の
ミ等での評判から生起することもあり得る。
他者全員が異なる意見を述べたとしても,影響
以上の議論を踏まえ,本研究ではブランド態
がなく生起される感情である。なじみがあると
度を 図− 1 に示す 4 次元,すなわち,
「自己ベー
いう感覚や快適さというのは,そもそも個人差
ス感情」
「自己ベース認知」
「他者ベース感情」
「他
があるものなので,いくら他人がこれは心地良
者ベース認知」の 4 次元から構成されるものと
くはないと主張していても,自分が心地よさを
予測した。
感じるのであれば,満足感という感情は生起す
る。愛着感や,自分らしさを感じるプロセスも,
仮説 1 ブランド態度は,
「自己ベース感情」
同様である。
「自己ベース認知」
「他者ベース感情」
以上のように,感情とは,その性質によって
「他者ベース認知」の 4 次元から構成
大きく 2 つに分類可能であると言える。本研究
される。
では,周囲の視線や意見によって支えられてい
る必要がある感情を,その源泉が他者にあると
(3)
「自己ベース感情」が強いブランド態度を
いう観点から「他者ベース感情」と呼び,自ら
導く
の経験や感覚のみに基づいて生起する感情のこ
それでは,以上の 4 次元の中で,強いブラ
とを,その源泉が自己であるという観点から
ンド態度を導く理由はどれであろうか。1960
「自己ベース感情」と呼ぶ。
~ 80 年 代 の 消 費 者 行 動 研 究 で は, 人 間 が あ
この枠組みは,ブランドの「認知的評価」に
る意思決定に至るまでのプロセスを,精緻な
もあてはまるだろう。認知的評価とは,すでに
情報処理を伴うものとしてモデル化した研究
述べた通り,ブランドの機能性や品質などに関
が盛んであり,たとえば,多属性態度モデル
する評価(知覚品質)のことであるが,認知的
(Fishbein 1963),合理的行為者モデル(Ajzen
評価も「他者ベース認知」と「自己ベース認知」
and Fishbein 1970), 消 費 者 の 情 報 処 理 理 論
に分類可能であると考えられる。
「自己ベース
(Bettman 1979)が注目を集めた。説得コミュ
認知」とは,商品を実際に購入して使用した結
ニケーション研究において提唱された精緻化
果,実感を持ってその品質評価を行っている場
見込モデル(Petty and Cacioppo 1986)では,
合に生じる。たとえば,
「この製品は便利だ」
「機
情報の論拠が十分に吟味された場合のみに,強
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論文
図 —— 1 本研究が想定するブランド態度の構造
く持続的な態度が形成されることが提唱され
情」と「他者ベース感情」の 2 次元に分類して
た。しかしながら近年では,意思決定において
いるが,このどちらが強いブランド態度を形成
は感情の影響が大きいことを主張する研究が多
する上で,より重要だろうか?本研究では,
「自
くなっている(Bodur et al. 2000; Forgas 1995;
己ベース感情」の方が,
「他者ベース感情」よ
Greifeneder, Bless, and Pham 2011; Pham 2008;
りも,強く好意的なブランド態度を築く上で重
Schwarz 1990)。消費者行動やブランド研究の
要な役割を果たすだろうと予測した。繰り返し
領域でも同様の流れが見受けられ,数多くの研
になるが,
「他者ベース感情」とは,周囲の評
究が意思決定やブランド態度形成において感情
判に支えられている必要がある感情である。こ
が重要であることを論じている(Ahuvia 2005;
のことは,自分の感情的評価について他者が同
Batra, Ahuvia, and Bagozzi 2012; Chaudhuri
意してくれることで,その評価に確信が持てる
2006; Fournier 1998; MacInnis, Park, and
ようになるという側面がある一方,周囲が反対
Priester 2009; Park et al. 2010)
。脳科学研究に
意見を述べれば,調整せざるを得ないことを意
おいても,意思決定における感情の重要性は
味する。すなわち,他者ベース感情とは,非常
証明されており(Bechara and Damasio 2005;
に移ろいやすい性質をもつと考えることが出来
Naqvi, Shiv, and Bechara 2006)
,もはや人の
る。また,他者ベース評価は,無意識的にでは
態度形成において感情が重要であることは自明
あるが,周囲の評判を自分の評価に強く反映さ
になりつつあると言える。したがって本研究に
せていることが多いので(たとえば,みんなが
おいても,強いブランド態度を導くのは,「認
「おしゃれだ」と言っていると自分もそう感じ
知」よりも「感情」であると予測した。
るようになる,など)
,本当の意味でその消費
さらに,本研究では感情を「自己ベース感
者の評価を表現したものとは言えない場合も多
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ブランド態度における自己ベース評価と他者ベース評価
い。その一方で,
「自己ベース感情」は,周囲
以上の議論より,強いブランド態度を導くの
の評判とは関係なく,完全に自らの嗜好やセン
は,「自己ベース感情」であると予測した。
スによって経験された感情である。自分らしい
と思って気に入っているブランドを,
友人が「そ
仮説 2 強いブランド態度を予測するのは
「自
れは私らしくない」と評価したところで,影響
己ベース感情」であろう。
を受ける必要がない。したがって,自己ベース
感情に基づくブランド評価は,より消費者本人
(4)ラグジュアリーおよびノンラグジュアリー
の選好が現れやすいと言えるだろう。
ブランドへの態度
強いブランド態度形成における「自己ベー
仮説 1 および 2 の妥当性を補強するために,
ス感情」の重要性は,先行研究の知見からも
本研究では,ラグジュアリーブランドとノンラ
示唆されている。例えば,Park et al.(2010)
グジュアリーブランドの比較を行う。ここまで
は,ブランドに対するアタッチメント(brand
ひとくくりに「ブランド」について議論を行っ
attachment; ブランドへの愛着感情)が,ブラ
てきたが,様々なプロダクトカテゴリが存在し
ンドの態度の強度よりも,購買行動やマイン
ており,また価格帯も多様である。我々がブラ
ドシェアを予測できることを実験で明らかにし
ンドを評価する際,その役割を区別して捉えて
ている。ブランドアタッチメントとは,自己
いる可能性も否定できない。とりわけ,高額
とブランドのつながり(self-brand connection;
のラグジュアリーなブランドを評価する場合
私はこのブランドとつながっている感じが
と,低価格で日常的に購入するようなブランド
す る ), お よ び, ブ ラ ン ド の 顕 現 性(brand
を評価する場合では,ブランド態度の構成要素
prominence; このブランドのことをいつも考え
が大きく異なってくる可能性があるだろう。し
ている)から成るブランド評価である(Park
たがって本研究では,仮説 1 および 2 について,
et al. 2010)
。アタッチメントは,個人とブラン
ラグジュアリーブランドとノンラグジュアリー
ドの関係性から生じる感情であり,他者の意見
ブランドに分類した上でも同様に支持されるか
や評判とは関わりがない。したがって,アタッ
どうか,検証を行った。
チメントは,本研究の枠組みでは「自己ベース
ラグジュアリーブランドとは,
「高価格,高
感情」にあたると言える。また,脳科学分野の
品質,美的センス,希少性,非凡さ,および,
研究(Bechara and Damasio 2005; Naqvi et al.
非実用的なイメージ」(Heine 2012)をもつブ
2006)では,感情は,脳内の特定の部位の変化
ランドと定義されている。もしも仮説 1 に示す
や皮膚電位(発汗)によって捉えられている。
4 次元が妥当であるならば,ラグジュアリーブ
身体的変化の経験は完全に個人 1 人の経験であ
ランドは,
「他者ベース認知」と「他者ベース
り,他者の視点や意見が介入できる余地はない。
感情」において,ノンラグジュアリーブランド
つまり,これらの先行研究で重要だと議論され
よりも高く評価されるはずである。定義に示さ
てきた「感情」とは,すなわち,本研究の「自
れている通り,ブランドがラグジュアリーブラ
己ベース感情」に分類されるものである。
ンドであるためには,高品質であることやその
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美しさについて,世間から高い評価をされてい
グジュアリーブランドよりも,
「他
る必要があるからである。しかし,自己ベース
者ベース認知」
「他者ベース感情」
認知と感情については,ラグジュアリーとノン
の評価が高いだろう。
「自己ベース
ラグジュアリーに差はないはずである。使い勝
認知」
「自己ベース感情」において
手等の実用面(自己ベース認知の評価)はブラ
は両者に差は見られないだろう。
ンドのラグジュアリーさには関係がないことが
定義内に明示されており,自分らしいと感じる
仮説 4 仮 説 2 は,ラグジュアリーブランド
ことや愛着など(自己ベース感情の評価)もブ
かノンラグジュアリーブランドかに
ランドがラグジュアリーかどうかとは無関連で
関わらず支持されるだろう。
ある。したがって,他者ベース評価のみにおい
Ⅲ. 研究方法
て,ラグジュアリーとノンラグジュアリーで差
が得られるだろうと予測した(仮説 3)
。
一方で,強いブランド態度を導く要因が「自
仮説 1 ~ 4 を検証するため,一般の消費者を
己ベース感情」であろうという仮説 2 は,ラグ
対象としたブランド態度の調査を実施した。対
ジュアリーブランドであっても,ノンラグジュ
象者には自分の好きなファッションブランド
アリーブランドであっても,同様に支持される
を 1 つ以上挙げてもらい,そのブランドについ
ものと予測した。ラグジュアリーブランドは,
ての認知的評価および感情的評価を回答しても
世間の評判が高いからこそ「ラグジュアリー」
らった。
なのであり,確かに他者ベース次元において高
また,対象者がどれくらい他人に対して共感
く評価されているだろうが,しかし,だからと
的なパーソナリティを持つかについても測定し
言ってそれが,製品の欠陥や不祥事などスキャ
た。これは,仮説は立てていないが,探索的な
ンダルを乗り越えてブランドのファンであり続
目的で,どのような消費者が自分の好きなブラ
けることの予測因であることとはイコールでは
ンドとして,ラグジュアリーブランドの名前を
ないだろう。すでに述べた通り,持続的にブラ
挙げる傾向があるかを調べるためであった。共
ンドのファンであり続けるためには,周囲の目
感性が高い消費者の方が周囲の評判を気にす
を意識した評価よりも,自らの経験や主観に基
るため,他者ベース評価を重視する可能性があ
づく評価であることが重要であり,これは,ブ
り,したがってラグジュアリーブランドを好む
ランドがラグジュアリーであるかノンラグジュ
可能性がある一方,高価なブランドを身に着け
アリーであるかに関わらず,見受けられる現象
ることによる周囲からの反発を恐れてラグジュ
であろうと考えられる。したがって,ラグジュ
アリーブランドを好まなくなる可能性も考えら
アリーブランドとノンラグジュアリーブランド
れるだろう。
を対比し,以下のような仮説を導いた。
(1)調査対象者
仮説 3 ラグジュアリーブランドは,ノンラ
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市場調査会社のリサーチパネルより抽出され
48
Japan Marketing Academy
ブランド態度における自己ベース評価と他者ベース評価
た 25 歳から 60 歳の一般消費者,211 名であっ
う」
「どちらかと言えば,いいと思う」
「好
た(男性 105 名,女性 106 名,平均年齢 41.99 歳)
。
きでも嫌いでもない」までの 4 段階尺度で
性別及び年齢は均等になるよう割り付けを行っ
測定した 2)。
た。なお,スクリーニング条件として,
「好き
② ブランド評価の測定:杉谷(2011, 2013;
なファッションブランドがあるか」
(
「なし」の
in press) お よ び Sugitani(2013, 2014,
場合は調査終了)を設定した。
2015)を参照し,感情的・認知的ブランド
評価を測定した。感情的評価では,
「おしゃ
(2)調査時期
れだ」
「センスが良い」
「かっこいい」
「ステー
2015 年 2 月に実施した。
タスが高い」
「とても人気がある」
「自分と
つながっている感じがする」
「自分の一部
(3)手続き
のようである」
「感情的な結び付きを感じ
調査はインターネット上で実施された。調査
る」「自分らしい」の 9 項目について,「大
対象者は,冒頭で,好きなファッションブラ
変そう思う」~「全くそう思わない」の 7
ンドの名前を 1 つ以上挙げるよう求められた 。
段階尺度で回答させた。認知的評価につい
次に,そのブランドに関して,次の(4)に示
ては,
「使い勝手がいい」
「役に立つ」
「あ
すブランド態度尺度を用いて評価をさせた。最
れば助かる」
「便利だ」
「品質に定評がある」
1)
後に,調査対象者のパーソナリティ(他者への
「高品質だ」
「品質に優れている」
「信頼で
共感性など)について尋ねた。具体的には,
「普
きる」の 8 項目について,
「大変そう思う」
段ネット口コミをよく読む」
「周囲と比較して
~「全くそう思わない」の 7 段階尺度で回
友人が多い方である」
「他人からどう見られて
答させた。
いるか気になる」「自分の意見を変更すること
Ⅳ. 結果
に抵抗が少ない」「10 年後も自分のブランド評
価は変わっていないと思う」
「外食は行きつけ
(1)ブランド態度の 4 次元
の店よりも行ったことがないお店に行くのが好
き」
「休日は一人で過ごすより友人と過ごすほ
ブランド態度が「自己ベース感情」
「自己ベー
うが好き」
「学校や職場では,能力よりも人柄
ス認知」「他者ベース感情」「他者ベース認知」
で評価されたい」「他人を基本的には信頼して
から成ると予測した仮説 1 の検証のため,感情
いる」の 9 項目について,
「はい」
「いいえ」で
的評価項目および認知的評価項目について確証
回答してもらった。
的因子分析(最尤法・プロマックス回転)を実
施した。その結果,仮説通りの 2 因子がそれぞ
(4)ブランド評価の尺度
れ得られた(表−1)。第1因子「他者ベース感情」,
① ブランドに対する全体的態度の測定:
「こ
第 2 因子「自己ベース感情」,第 1 因子「他者
のブランドをどう思いますか?」という問
ベース認知」
,第 2 因子「自己ベース認知」と
いに対して,「大変いいと思う」
「いいと思
名付けた。いずれの項目も信頼性係数が十分な
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JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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論文
表 —— 1 ブランド評価(感情および認知)の因子分析の結果
※因子負荷量が .35 以下のセルは数値を省略した。
値を示したため(表− 1)
,合算平均によって因
認 知 M=3.99) と ノ ン ラ グ ジ ュ ア リ ー ブ ラ ン
子ごとに 4 つの下位尺度「他者ベース感情」
「自
,
ド(自己ベース感情 M=4.37,自己ベース認知
己ベース感情」,「他者ベース認知」
,
「自己ベー
M=4.03)で有意な差は見られなかった。した
ス認知」を作成した。
がって,仮説 3 は支持された。
(3)強いブランド態度の予測因
(2)ラグジュアリーおよびノンラグジュアリー
ブランドの比較
4 つのブランド評価のうち,いずれが最も強
上記の 4 つの尺度の得点に対し,好きなブラ
いブランド態度を予測できるかを検討するた
ンドとして挙げたブランド名がラグジュアリー
め,ブランドに対する全体的態度の得点を被説
ブランドかノンラグジュアリーブランドかによ
明変数,
「他者ベース感情」,
「自己ベース感情」,
る t 検定を行った 。その結果,
「他者ベース感
「他者ベース認知」,「自己ベース認知」の得点
情」および「他者ベース認知」の得点におい
を説明変数とする重回帰分析を実施した。分析
て,ラグジュアリーブランド(他者ベース感
は,好きなブランドとしてラグジュアリーブラ
情 M=4.78,他者ベース認知 M=4.91)は,ノ
ンドを挙げた回答者とノンラグジュアリーブラ
ンラグジュアリーブランド(他者ベース感情
ンドを挙げた回答者でデータを分けた上で別々
M=4.04, 他 者 ベ ー ス 認 知 M=4.51) よ り も 評
に行った。
価が有意に高かった(t(203)=2.73, p <.01)
。
結果は 表− 2 に示す通りであった。なお,多
しかし,
「自己ベース感情」と「自己ベース
重共線性については問題はなかった(すべての
認知」の得点については,ラグジュアリーブ
VIFs < 3.11,すべての許容度 > 0.32)。分析の
ランド(自己ベース感情 M=4.36,自己ベース
結果は,ラグジュアリーブランドにおいても,
3)
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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ブランド態度における自己ベース評価と他者ベース評価
表 —— 2 ブランド態度に対する重回帰分析の結果
ノンラグジュアリーブランドにおいても,
「自
その結果を 表− 3 に示す。男性よりは女性,
己ベース感情」の評価が強く好意的なブランド
また,年齢が高いほど,ラグジュアリーブラン
態度を導く,というものであった(ラグジュア
ドを好む傾向が示された。また,他者への共感
リーブランドにおいては p <.10 ではあったが)
。
性に係る個人差についてでは,
「他人からどう
その他の評価次元,
「自己ベース認知」
「他者ベー
見られているか気になる」「休日は一人よりも
ス感情」「他者ベース認知」は,すべて好意的
友人や家族と過ごしたい」と回答する人ほどラ
ブランド態度とは無関連であった。したがって,
グジュアリーブランドを挙げる傾向があり,周
強いブランド態度は,
「自己ベース感情」によっ
囲の他者と自分との関係性に関心が高い人ほど
てのみ予測され得ることが示され,仮説 2 およ
ラグジュアリーブランドを好む傾向があること
び仮説 4 は支持された。
も示された。一方で,
「周囲と比較して友人が
多い」ことや「他人を信頼しているかどうか」
(4)ラグジュアリーブランドを好む消費者の特徴
とは関わりがなく,社交性や一般的信頼感とは
「好きなファッションブランド名」を問われ
関わりが見られなかった。さらに,ラグジュア
て,ラグジュアリーブランドを挙げる人と,ノ
リーブランドを好む人は,自分のブランド態度
ンラグジュアリーブランドを挙げる人では,ど
の継続性に自信が高く(
「10 年後もブランド評
のような違いがあるだろうか。本研究では,他
価は変わらないだろう」
)
,
「行きつけの店に行
者への共感性に関する個人差の影響に注目し
くのが好きである」ということも示された。ラ
て,探索的に検討を行った。ラグジュアリーブ
グジュアリーブランドを好む人は,特定のお気
ランドの選択(好きなファッションブランド
に入りのブランドを,長く繰り返し愛すことを
としてラグジュアリーブランドを挙げた人 =1,
好む傾向があることが示された。
ノンラグジュアリーブランドを挙げた人 =0)
Ⅴ. 結論
を被説明変数とし,
「友人数が多いか」や「休
日の過ごし方」などの合計 9 つの設問への答え
(1)本研究の知見のまとめ
と年齢,性別を説明変数としてロジスティック
本研究は,大きく分けて,以下の 2 点を明ら
回帰分析を実施した。
51
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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Japan Marketing Academy
論文
表 —— 3 ラグジュアリーブランドを好む人の特徴
かにした。第一に,ブランド態度の構成要素に
第二に,前述の 4 つの態度の構成要素のうち,
ついて,従来の「認知」
「感情」という分類に
「自己ベース感情」のみが強く好意的なブラン
加え,「自己ベース評価」と「他者ベース評価」
ド態度を予測することを証明した。
「自己ベー
という分類を導入し,
「自己ベース感情」
「自己
ス感情」とは,自らの製品の使用経験に基づき
ベース認知」「他者ベース感情」
「他者ベース認
感覚的に経験される感情であり,たとえば,
「ブ
知」の 4 次元から捉えるという新しい枠組みを
ランドイメージに共感できる」「私らしいと思
提唱した。調査の結果,仮説通りの 4 次元が確
う」「個人的な思い入れを感じる」等の感情的
認された。また,ラグジュアリーブランドにお
評価である。このような点において評価が高い
いては,「他者ベース感情」と「他者ベース認
ブランドに,消費者は極めて好意的な態度を抱
知」の評価のみが,ノンラグジュアリーブラン
くことが示された。一方で,同じ感情的評価で
ドよりも高いことが示された。ラグジュアリー
も,ブランドに対して憧れの感情(
「あのブラ
ブランドが「ラグジュアリー」であるためには,
ンドはスタイリッシュだ」「ステータス感があ
世間的に高く評価されている必要がある。した
る」
)を抱いている場合には,それは強い好意
がって「他者ベース」の評価尺度のみにおいて,
的態度には結びつかない。また,自らの経験に
ラグジュアリーとノンラグジュアリーに差が見
基づいていたとしても,機能性が高く便利であ
られたという結果は,本研究が提唱している
ること(自己ベース認知)についての評価も強
「自己」と「他者」という概念分類が妥当であ
く好意的なブランド態度には無関連であり,品
ることを補強する結果と言えるだろう。
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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質に係る定評(他者ベース認知)も同様の結果
52
Japan Marketing Academy
ブランド態度における自己ベース評価と他者ベース評価
であった。
なることを明らかにした。
以上の結果から,強く好意的なブランド態度
最後に,
「自己ベース感情」が重要であると
の形成には,
「自己ベース感情」が重要である
いう結果が,ラグジュアリーブランドでもノン
ことが明らかになった。また,この結果は,ラ
ラグジュアリーブランドでも得られた点であ
グジュアリーブランドでもノンラグジュアリー
る。マーケティングやブランドの研究において
ブランドでも変わらないことも明らかになっ
は,研究知見が製品カテゴリや価格帯の差異に
た。
よって調整されることが少なくない。しかし本
研究の成果は,ラグジュアリー,ノンラグジュ
(2)本研究の学術的貢献
アリーのカテゴリで共に支持されており,結果
本研究の学術的貢献は,第一に,これまで
の一般化可能性は高いと考えられる。
「認知」と「感情」に分類されることが一般的
であったブランド態度の構成要素を,
「自己ベー
(3)本研究の実務的貢献
ス感情」
「自己ベース認知」
「他者ベース感情」
「他
本研究の知見は,実務的にも重要な示唆を持
者ベース認知」の 4 つの分類から捉えられる可
つものである。第一に,消費者のブランド形成
能性と,その意義を,実証的に示したことであ
において,
「自己ベース」
(自らの経験や感覚に
る。これまでの研究では,感情は,positive か
基づき,他人の意見に左右されない部分)と
negative かで分類されたり,その強さによって
「他者ベース」(周囲の評判によって決定され
mood(弱い感情,
気分)と emotion(強い感情)
る部分)の 2 つのレベルが存在することを示し
に分類されることはあったが,その源泉が自己
たことで,マーケティング戦略を新しい枠組み
か他者かということによって分類されたことは
から整理することが可能になるだろう。例え
なかった。本研究は,その源泉によってブラン
ば,試用見本や店頭でのデモンストレーション
ドに対する態度を分類するという枠組みを提唱
は,消費者に経験を積ませることであり,すな
し,調査によってその因子の存在を明らかにし
わち「自己ベース感情および認知」に訴える戦
た。
略であると整理できる。一方,広告,SNS を用
さらに,本研究では,上記の 4 つの構成要素
いたプロモーション,口コミマーケティングな
の中で,「自己」に基づく感情のみが,強く好
どは,消費者から見れば他者の意見を入手する
意的なブランド態度を導く可能性を明らかにし
プロセスであり,
「他者ベース感情および認知」
た。先行研究では,認知と感情のどちらが態度
に訴える戦略である。このように整理すると,
をより良く説明できるかについては,様々な
たとえば,ブランドを自分らしいと感じたり,
立場があり,結論は出ていなかった(Bodur et
思い入れを持つような「自己ベース感情」を醸
al. 2000)。本研究では,
「認知」よりも「感情」
成したいと思った際には,試用見本や店頭マー
が重要な予測因であること,とりわけ,それが
ケティングのような「経験」ベースのアプロー
自己の経験や感覚に基づく「自己ベース感情」
チが重要であり,ブランドへの憧れの感情を醸
である場合に,ブランド態度の強力な予測因と
成しようとする際には,消費者の経験に直接的
53
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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Japan Marketing Academy
論文
に訴えるのではなく,むしろ間接的に,SNS な
の一般化可能性を高めるには,ファッションの
どを活用して「評判」を知らせるアプローチが
みならず,様々なカテゴリで検証を行う必要が
有効であるということが出来る。消費者の評価
ある。また,本研究知見が日本人に特有のも
の源泉や構造を明らかにすることで,どのよう
のである可能性も考えられる。Sugitani(2014;
なブランドイメージを構築したいのかに合わせ
2015)では,米国人は日本人に比べ,ブランド
て,プロモーション戦術を使い分けることが可
の選択において「認知的評価」
(機能性)を重
能になるだろう。
視する傾向が示唆されており,今後は国際比較
また,強いブランド態度を形成するには,
「自
研究を行う必要があるだろう。
己ベース感情」が重要であるという知見も示唆
的である。多くのブランド
(とりわけファッショ
注
1)回答者には好きなブランド名を1つ以上回答するよ
うに求めたが,2つ以上の名前を挙げた回答者はい
なかった。
2)本研究は,
「強いブランド態度」の予測因を明らか
にすることを研究目的としている。したがって,従
属変数となるブランド態度の測定においては,一般
的なリカート尺度(例えば,「大変いいと思う」「い
いと思う」
「どちらとも言えない」
「いいと思わない」
「全くいいと思わない」の 5 段階)を用いるのでは
なく,あらかじめ好きなブランドを回答させたうえ
で,その好意度の強さを「大変いいと思う」「いい
と思う」「どちらかと言えばいいと思う」「好きでも
嫌いでもない」の 4 段階尺度で測定するという手法
を採用した。「好きなブランド」と言っても,「その
ブランド以外は一切欲しくない」という強いブラン
ド態度から,「強いて言えば好きである」程度のも
のまで分散がある。この分散を従属変数とすること
で,強いブランド態度の予測因を明らかにすること
を目指した。なお,杉谷(2011)の研究では,「大
変いいと思う」~「全くいいと思わない」の 7 段階
尺度でブランド態度を測定し,その予測因を明らか
にしているが,本研究とは異なった結果を得ている。
その結果とは,憧れ感情(本研究で言うところの「他
者ベース感情」)が多くのブランドで有意な予測因
であったという結果である。しかし,この結果は本
研究の予測と不整合ではない。杉谷(2011)は,一
般的な意味での「ブランド態度」(好きか嫌いかと
いうこと)は憧れ感情によっても説明できることを
示したものであり,好きなブランドの中でも特に好
きかという「強いブランド態度」は,憧れのような
他者ベース感情ではなく,自己ベース感情によって
説明される,ということを示すのが本研究である。
3)好きなブランドとして挙げられたブランド名が,ラ
グジュアリーにあたるかノンラグジュアリーにあた
ンブランド)では,消費者から憧れを持っても
らうことを重視し,場合によっては,消費者が
親しみや自分らしさを感じることが難しいよう
なエキゾチックな演出を用いる。確かに,
「憧
れ感情」が好意的ブランド態度を導くことは事
実である。杉谷(2011)でも,日本人は憧れを
持つブランドに好意的態度を持っていることが
示されている。しかし,
「憧れ」の感情は悪い
口コミや不祥事によって損なわれやすく,長期
に渡って好意的態度を維持させることが出来な
い(杉谷 , 2011; 2013; in press, Sugitani, 2013;
2014; 2015)
。長くブランドを愛してくれるファ
ンを作るためには,憧れのような周囲の評判に
支えられた「他者ベース感情」ではなく,消費
者の経験や主観に基づいた「自己ベース感情」
を醸成していくことが重要である。
(4)今後の課題
本研究の限界としては,まず,今回の研究の
調査対象が「ファッションブランド」に限定さ
れていたことが挙げられる。例えば,洗剤や工
具などの機能性が極めて重視されるような製品
カテゴリもあれば,美術品のように実用性が一
切問われないような製品カテゴリもある。結果
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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Japan Marketing Academy
ブランド態度における自己ベース評価と他者ベース評価
るかは,百貨店のフロア分類や平均価格帯を参照し
ながら筆者が分類した。全回答者のうちラグジュア
リーブランドを挙げた者は約 30% で,男女差は見ら
れなかった。
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杉谷 陽子(すぎたに ようこ)
上智大学 経済学部経営学科 准教授
2002 年慶應義塾大学商学部卒,2008 年一橋大学大学
院社会学研究科修了(博士 社会学)。専門は,消費者
心理学。主な著書に,
「新・消費者理解のための心理学」
(共著,福村出版,2012 年),「マーケティングと広告
の心理学」(共著,朝倉書店,2013 年)など。
56
Japan Marketing Academy
論文
「ブランド経験」
概念の意義と展開
─ 日本的ブランド経験尺度開発に向けて ─
中央大学大学院 戦略経営研究科 教授
インテージ株式会社 ビジネスプラットフォーム本部マーケティング部 部長
田中 洋
三浦 ふみ
要約
「顧客経験」という概念がマーケティング実務に導入されるようになり,さらに近年では「ブランド経
験」がアカデミアで研究対象として取り上げられるようになった。本論文では,まず顧客経験がどのよ
うな概念的拡がりをもっているかを明らかにし,次にブランド経験がどのように研究されてきたかを概
括し,マーケティング論における,ブランド経験の意義を明らかにする。さらに,日本市場における有
効なブランド経験測定尺度開発のための予備調査の結果を報告する。予備的考察の結果によれば,現在
提案されている Brakus 尺度にはいくつか不十分な点があり,「消費者アイデンティティ」を新たな次元
として含めるべきであることがわかった。最後に今後のブランド経験尺度開発の方向性を示唆する。
キーワード
ブランド経験,顧客経験,アイデンティティ,測定尺度開発
「常に働いている限りない想像力をもった人
が導き出した消費者行動の基本原理の一つは以
間が,どこから広大な情報の蓄積を得てきたの
下のようなものであった。
か。人はすべての推論と知識をどこから得てき
たのか。一言で応えよう。それは経験だ。
」
「(マーケティング)情報と比較すると,製品・
ジョン・ロック『人間知性論』
(1690)
ブランド体験は将来選択の重要な決定因であ
1)
る。事前経験がない場合にのみ,消費者は情報
Ⅰ. 顧客経験論の展開
に依存しようとする」(邦訳,p.138)
本論文の目的は,
「ブランド経験」概念につ
これは次のようなことを意味するだろう。広
いての近年の研究の流れを整理し,ブランド研
告やプロモーションなどのマーケティング的情
究における意義を明らかにすることである 。
報源は,新製品のような消費者に経験・知識の
さらに,ブランド経験についての探索的な試み
ない商品には有効であるが,一般的に商品の評
を提示して,ブランド経験尺度開発に向けて,
価や選択を決定するのはマーケティング情報よ
今後の方向性を考察する。
りも,自分自身の商品体験である。
マーケティング情報よりも,個人的消費経験
消費者は,本能や反射行動のような生得的な
のほうが消費者行動に及ぼす影響は大きいこと
あるいは遺伝的に継承された形質をもつと同時
は以前から知られていた。Sheth たち(1988)
に,後天的に,あるいは生涯のうちに学習した
2)
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論文
能力や知識をもって消費行動を行っている。多
理性的」側面を強調して用いられていた用語で
くの消費行動は学習によって規定されるところ
あったと考えられる。
が多いと考えられる。17 世紀のイギリス経験論
(2)企業が提供する付加価値=「演出」として
哲学者ジョン・ロック(John Locke)は,人
間は白紙の状態で生まれて,経験によって観念
の経験
を取得すると考えた。こうした考え方は消費行
20 世紀の終わり,
「経験」という用語が二人
動にはよく当てはまる。巻頭に掲げたロックの
のコンサルタント,パインとギルモアの『経験
言はこうした考え方を象徴的に表している。
経済』
(1999)によってビジネス界に導入された。
ブランド経験を考察するのに先立って,顧客
この書において,パインとギルモアは,経験を,
経験という用語がどのようにビジネス実務ある
経済の提供物の 4 段階目に位置付けている。す
いは学術的に用いられているか,その流れを明
なわち,1)「コモディティ」,2)「製品」,3)
らかにする。次に,ブランド経験という概念の
「サービス」の次の段階として 4)
「経験」があり,
位置づけを明らかにしてみたい。
ここで言う経験とは商品やサービス提供のうえ
顧客経験あるいは消費者経験,経験消費,経
での「演出」のことを意味する。
験経済などの用語がマーケティングあるいはビ
つまり,経験はサービスよりも高い経済価値
ジネスに導入されて以来,どのような意味を
を提供し,企業にとっては商品のコモディティ
もって用いられたきたか,以下で概括してみよ
化を防いでくれるものだ。例えば,単にコーヒー
う。
を作って売るだけでなく,より心地よい環境に
おいてコーヒーを飲む「経験」を提供すること
(1)消費の「非理性的側面」としての経験
で,より高い価格が請求できることになる。こ
消費の経験的側面(experiential aspect of
うした企業が提供する価値としての顧客経験概
consumption)の重要性を最初に指摘したのは
念は,サービスマーケティングマネジメントの
Holbrook & Hirschman(1982)である。彼ら
文脈において Palmer(2010)によって批判的
は消費者行動論で支配的だった消費者の理性的
レビューが行われている。
側面である情報処理観点の研究に対して,経験
的観点を唱えた。ここで言う経験的側面とは,
(3)デジタルデバイスやコンテンツとの「接点」
消費の象徴的,快楽的,美的な側面のことであ
としての経験
り,レジャー行動,感覚的快楽,夢想行動,審
パインとギルモアが経験という用語を提唱す
美的歓び,感情的反応などに研究者の注意を向
る以前から,IT 業界では経験という用語が用
けようとした。
いられていた。例えば,インテルの CEO(当時)
その後,こうした主張は実際に消費者行動研
アンドリュー・グローブは 1996 年に開催され
究の流れに取り入れられ,解釈学的研究の流れ
た Comdex でのキーノートスピーチにおいて次
を 本 格 化 さ せ た。 現 在 の 視 点 か ら す れ ば,
のように語っている。
Holbrook たちの言う「経験」とは,消費の「非
「
(これからの時代)パソコンを作って売るこ
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「ブランド経験」概念の意義と展開
とだけを考えていてはダメだ。情報を伝え,双
にかけての最優先研究課題
(research priorities)
方向の経験を届けることを考えなくてはならな
で優先順位第一位の二つのテーマのうち,ひと
い」
(Intel News Release)
。つまり,パソコン
つに挙げられたのは,
「顧客と顧客経験の理解」
はグローブ氏にとってはある種の消費者経験を
であった。なぜ,顧客経験が研究の優先課題第
産み出す道具として考えられているのである。
一位だったのか。それは,マルチメディア,マ
IT 業界では,「ユーザーエクスペリエンス」あ
ルチスクリーン,マルチチャネルという新しい
るいは「顧客経験」という概念が主張されてき
情報環境,またソーシャルメディアやデジタル
た。特にコンピューターの使い勝手を考える技
テクノロジーが興隆してきた現在において,顧
術者にとって,2000 年代からユーザーエクス
客はどのように行動しているのか,こうした問
ペリエンス(UX)を重視する考え方が議論さ
題が重要になってきたためである。
れてきた。
UX に関連して,
「フロー」
(flow)概念もま
2011 年に欧州の研究者・実務家によって出
た問題にされてきた。
「フロー」とは,非常に高
された「UX 白書」
(Roto, Law, Vermeeren, &
いレベルで没頭し集中状態が持続した時に生み
Hoonhout,2011). によれば,UX とは「始まり
出される高揚した感覚を指す
(Csikszentmihalyi,
と終わりをもったシステムと(人々と)の出会
1990)。このフローの概念が,人々がインター
い(encounter)
」
(p.7)と定義されている。UX
ネット上で経験するような興奮し集中した状態
には,ウェブサイト訪問からコンピューター
に関わる事象を説明するときに活用されてい
ゲームでのストーリーに至るまで多様な経験が
る。たとえば,オンライン環境での刺激によっ
包含されている。ここで注目したいことは UX
てフローの状態になった人が長くログインする
が時間的経験として理解されていることであ
傾向にあること等が明らかになってきており,
る。
Hoffman & Novak(2009)は,オンライン上
すなわち,UX は,
(1)
(使用前の)予期 UX,
でフロー状態をつくり出すことの有効性を主張
(2)
(使用中の)瞬間 UX,
(3)
(使用後の)エピ
している。
ソード UX,
(4)
(時間経過後の)累積 UX,と
分類されている。
(4)統合的消費者反応としての経験
顧客経験への関心は,さらに近年まで続いて
マーケティング論で経験の問題に取り組んだ
いる。米国に MSI(マーケティング・サイエン
のは Schmitt たちである。消費者行動の意思決
ス・インスティチュート)という NPO の研究
定において,どういった経験がどのような場合
機関があり,2015 年までブランド研究で著名
に 必 要 な の か。Schmitt & Simonson(1997)
なケビン・L・ケラー教授が主幹を務めている。
はまず,経験の演出と相性のよい9つのテーマ
MSI の重要なミッションのひとつは,マーケ
領域(歴史,宗教,ファッション,政治,心理
ティングにおいて現在何が実務家や研究者に
学,哲学,現実世界,ポップカルチャー,芸術)
とって重要な課題かを指し示すことである。
をあげた。その後,Schmitt(1999)は,これ
MSI が発表した,恒例の 2014 年から 2016 年
らを 5 つの要素(感覚的,情緒的,創造的・認
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知的,肉体的,関係的)に収斂させ,「戦略的
時間で消える経験の分類,ピーク時と最後の瞬
経験モジュール」として提案した。
間の経験がもっとも記憶に影響を及ぼすことな
その後,
Brakus, Schmitt, & Zarantonello
(2009)
どの知見が得られている。
が,ブランド経験を 4 分類(感覚的,感情的,
一方,幸せな体験においても,順序や時間によ
認知的,行動的要素)に分類した。ブランド経
る違いが生じることに着目したのは,
Kahnemann,
験は「ブランド刺激によって喚起された,主観
Diener, & Schwarz(1999)である。彼らはピー
的かつ内的な(感覚的・感情的・認知的)消費
ク・エンド法則(peak-end rule)を提唱した。
者反応また消費者行動」
(p.53)と定義しており,
ピーク・エンドとは,ある経験の頂点(ピーク),
この反応を測定する尺度を開発した。これらの
つまり,最も強い度合の経験と,最後の場面
見解は,経験を統合化した消費者反応として捉
(エンド)のふたつの経験を指す。ピーク・エ
えていると言うことができる。
ンド法則とは,ある経験のピークの経験値と,
ある経験の最後の場面での経験値を平均化すれ
(5)時間的概念としての経験
ば,経験効用(満足度)を予測することができ
「経験」という問題意識に基づいてはいない
る,と考えたのである。
ものの,消費者が時間軸に沿って感じるような
ピーク・エンドの法則によれば,最高(ある
「経験」への行動経済学者たちのアプローチも
いは最悪)の経験で感じられた満足感と,一番
参照する必要がある。UX の主張にもあったよ
最後に感じられた満足感との平均が,その人の
うに,時間軸に沿って変化する刺激がどのよう
効用全体を決めてしまう。そして,時間の長さ
な形で「経験」として蓄積されるのかは重要な
は,こうした効用の想起経験にはあまり関係が
視点であるにも関わらず,研究例がほとんどみ
ない。その後,Ariely & Carmon(2000)もピー
られないからである。
ク・エンドの法則の観点から,人々が自分の経
Ariely(1998)は,苦痛(熱さや機械による
験を振り返った時にどのようにサマリーするの
圧力など)を,様々なパターンで与えた時の被
か,一定期間に渡る経験がどのように評価され
験者の反応を調べた。その与え方のパターン,
るのかについて検証を行っている。
強度(特に最後の強度)と,与える時間を変え,
これら 5 つの研究の流れを総括するならば,
被験者におけるインパクトを比較した。
顧客経験について以下の 5 つの視点が提示され
苦痛は,主に後半の強弱のパターン,特に最
てきたことがわかる。
後の苦痛の強度に影響を受けるという結果が見
(1)消費者の非理性的反応
られた。苦痛を与える時間による違いは,それ
(2)商品・サービスの演出
ほど見られなかった。しかし,強度のパターン
(3)デジタルとの接点
を何度も変えたケースでは,苦痛を与える時間
(4)消費者行動の統合化
も影響力を持つことがわかった。受ける刺激が
(5)時間軸で変化する消費者反応
なめらかであったほうがポジティブな評価につ
これらの視点を図化するならば,図 1 のよう
ながるという知見や,長く記憶される経験と短
になる。図 1 では,右方向では,より時間を軸
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「ブランド経験」概念の意義と展開
とした反応の変化が問題とされ,左方向では,
反応したか,
反応の内容やあり方が問題とされてきた。ま
(4)デジタル環境においてどのような反応が
た,上方ではより顧客反応のモード(情緒的反
あったか,
応あるいは時間軸に沿った反応)が問題にされ
端的に言えば,顧客経験論は顧客の反応をそ
ている。下方は,
顧客の反応のコンテキスト(ど
の反応の現場において,より「統合的」に捉え
のような環境あるいは,場において反応してい
ようとしている。
るか)が意識されている。そして,Schmitt た
こうした顧客経験を重視する立場は,近年の
ちの主張は,こうした 4 つの見解の真ん中に位
サービス・ドミナント・ロジック(SD ロジック)
置した統合的経験の立場を表している。
論者である Vargo & Lusch(2009)の考え方
つまり,顧客経験論においては,次のような
の中にもみられる。SD ロジックでのサービス
ポイントが重視されている。
とは,
「知識やスキルなどの能力を誰かの利益
(1)どのように顧客が反応したか(認知的か,
のために使う」(p.221)を意味している。彼ら
情緒的か)
,
は従来の,モノ中心のマーケティング論理=
(2)どのような刺激の時間的変化に対応して,
GD ロジック(goods-dominant logic)に対して,
顧客はどのように反応を変化させたか,
互恵的な,あるいは価値共創的な交換関係のこ
(3)どのようなコンテキストにおいて顧客は
とをサービスと呼んでおり,通常で言われる人
図表 —— 1 顧客経験論の全体像
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論文
の手を介するサービス業のことを言っているの
反応にブランド知識が及ぼす差別化効果」(邦
ではない。
訳,p.50)
。また,ブランドの力とは「何が顧
顧客経験の観点から,Vargo & Lusch の主
客のマインドに残っているか」にあるとして,
張の中で注目すべき点は,GD ロジックで「プ
ブランド構築のためにマーケターがしなければ
ロダクト」と呼ばれていた企業の提供物が,
ならないことは「顧客に正しい経験をさせ,望
SD ロジックで「経験」と呼ばれていることで
ましい考え,感情,イメージ,信念,知覚,意
ある。彼らによれば,SD ロジックの鍵概念で
見などがブランドに結びつくようにすること」
ある価値共創は,経験的であり同時にコンテキ
(p.50)と述べている。ここに顧客経験という
ストに依存しているものである。つまり,顧客
言葉で触れられているように,Keller もブラン
経験の考え方は近年のマーケティングの主張と
ド経験の重要性は認識していた。
も符号していると言える。
しかしながら,Keller 自身の体系の中で,ブ
ランド経験という概念は十分に展開されてはい
Ⅱ. ブランド経験論の意義
ない。Keller & Lehmann(2006)によるブラ
ここで考察したいのは,こうした様々な顧客
1 節 を 設 け,Schmitt(1999,2003) の 業 績 を
経験の中でも,ブランド経験についてである。
引用しながら,ブランド経験がどのようにブラ
ブランド経験とは,上記までに見てきた顧客経
ンド・エクィティに影響を与えるかが今後の研
験の中でも,特定のブランドによって生成した
究課題であると述べるに止まっている。つまり
経験を指す。実務的視点からは,ブランドがど
ブランド論の文脈でも,ブランド経験の重要性
のような経験を生み出し,また,その経験がど
は認識されながらも長い間考察されなかった
のような消費者行動に結びついてくるかは重大
テーマであると言える。
な関心事で在りうる。
Khan & Rahman(2015)は,
「ブランド経験」
ブ ラ ン ド 経 験 は す で に 引 用 し た よ う に,
の近年の学術研究での成果をレビューしている。
Brakus, et al.,(2009)によって次のように定義
ブランド経験という用語がはじめて学術的に本
されている。
「ブランド刺戟によって喚起され
格的に取り上げられたのは Brakus et al.(2009)
た,主観的かつ内的な(感覚的・感情的・認知
であるとし,さらに合計 73 の研究論文を学術
的)消費者反応また消費者行動」
(p.53)
。
雑 誌 に 見 出 し て い る。 ま た 73 の 論 文 の う ち
このようなブランド経験は,ブランド論の文
2012 年,13 年,14 年の 3 年だけで 45%(33 本
脈でどのような意義をもつのだろうか。
の研究)を占め,定量的な研究ではこの 3 年間
ブランド戦略論の分野で先駆的にブランドマ
だけで 55%に上る研究が公刊されている。つ
ネジメントの体系をまとめた Keller(2008)は,
まりブランド経験研究は,2010 年代になって
ンド研究レビューでは,ブランド経験について
「顧客ベースのブランド・エクィティ」概念を
本格的に取り組まれていることがわかる。
次のように定義している。
「あるブランドのユ
つまり,ブランド論の文脈において,ブラン
ニークなマーケティング活動に対する消費者の
ド経験の重要性は認識されながらも,ごく近年
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「ブランド経験」概念の意義と展開
に至るまで研究の対象とはされてこなかった。
注目されるようになった後に,研究者によって
しかしながら,2010 年代に入って急速に研究
注目され研究の対象とされるようになった。そ
者の注意を引きつつあるテーマであると言える
してこれらの用語は,心理学など学問的体系に
だろう。
は鍵概念として含まれていないものであったこ
では,なぜブランド経験というテーマが急速
とも共通している。
に研究者の注意を引くようになったのだろう
もうひとつの理由は,経験という視点を用い
か。ふたつの理由が考えられる。
ることによって,ブランドが与える種々の影響
ひとつの理由は,すでに顧客経験の項でも述
を統合化して捉えることが可能になったことで
べたように,実務家の関心である。実務家,特
ある。それまでの消費者行動研究では,認知的・
に IT の関連でオンライン上の顧客経験が重要
感情的・行動的反応など,ブランド刺激が引き
視されてきたことがブランドに応用されてきた
起こす反応を分けて捉えるアプローチが支配的
経緯がある。顧客とコンタクトする場面が重要
であった。しかし,実際にブランドが引き金に
であると認識されてきたことによって,ブラン
なって起る消費者反応は複合的であり,また,
ドが支配するコンタクト場面で,ブランドがも
消費者が想起するブランド経験もまた認知的・
たらす経験がどのような役割を果たすかに関心
情緒的反応の両方を含んでいる。こうしたブラ
が高まってきたのである。
ンドがもたらす経験とそこで起る反応,またそ
こうしたブランド経験を重視するマーケティ
の経験の想起をより統合的に捉えるためにブラ
ング実務は,すでに 1990 年代の初期に唱えられ
ンド経験という概念が有効なのである。
たIMC
(Integrated Marketing Communications)
例えば,スターバックスで楽しい時間を過ご
の立場でも強調されていたことに注意する必要
すという同じブランド経験をしたとしても,あ
がある。IMC の特徴とは,1)メッセージの一
る顧客はそこから認知的反応,例えば,スター
貫性,2)多様なコンタクト・ポイントの活用,
バックスは良い経営をしている,と反応し,別
3)行動反応重視,である
(岸,田中,嶋村,
2008)
。
の顧客は,楽しい感情を抱く,というような感
つまり,IMC とは異なったメディアから発信
情反応を示すことが在りうる(Liu, Huang, &
される一貫したブランド・メッセージの効果が,
Chen,2012)。
個々のメディアの効果を足し上げた効果よりも
Ⅲ. ブランド経験測定尺度の検討
高くなることを意図する戦略であった(Naik,
2007)。ブランド経験という用語を使わないま
で も, す で に 90 年 代 か ら 米 国 広 告 業 界 で は
では,ブランド経験価値をどのように捉え,
IMC の 考 え 方 が 浸 透 し て い た(Schultz &
どういった測定し,どういった指標を追ってい
Kitchen,1997)
。
くべきだろうか。
この意味では,ブランド経験が研究者によっ
前述の Pine & Gilmore(1999)は,教育
て注目されてきた現象は,ブランド・エクィティ
(Educational),娯楽(Entertainment),審美
や顧客満足と似ている。これらの概念も実務で
性(Esthetic),非日常(Escapist)の 4 つの要
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素(4E)を提唱した。また,
Schmitt(1999)は,
・このブランドを見ても,何の思考も働かない
経験価値を 5 つの経験概念(感覚的,情緒的,
・このブランドは,私の好奇心を刺激し,問題
創造的・認知的,肉体的,関係的)への分類を
解決に導いてくれる
提案,
「戦略的経験モジュール」と名付けた。
その後,Brakus et al.(2009)が検証調査を重
この 12 項目のブランド経験尺度
(以下,
Brakus
ねて 4 種類の反応(感覚的,感情的,認知的,
尺度と呼ぶ)と,一般的なブランド全体評価,
行動的)へと収束させている。
ブランド関与,ブランド愛着(愛情,絆,情熱
この Brakus et al.(2009)の研究は,包括的
など),顧客歓喜,ブランド・パーソナリティ
な経験尺度開発を目指した最初の本格的な研究
などブランドイメージについての項目について
であるといえる。彼らは,まず,文献レビュー
測定を行い分析した結果,ブランド経験は,他
から 125 項目の測定項目を作成し,さらに,5
の構成概念と一定程度の関連性が示唆されつ
段階の調査をかけて,探索的因子分析や妥当性
つ,異なる尺度であることが報告されている。
の検証の結果,上記の 4 つの因子(感覚的経験,
また,「ブランド経験は,直接,あるいはブラ
感情的経験,認知的経験,行動的経験)を捉え
ンド・パーソナリティを介して,顧客満足とロ
るための以下の 12 項目に絞り込んだ(著者訳,
イヤルティに影響を及ぼす」という仮説も支持
反転させた項目も含む)
:
された。
Brakus たちはブランド経験に定義を与え,
・このブランドは,私の視覚的感覚,他の感覚
ブランド経験価値測定尺度として簡潔な 12 項
に強く訴えてくるものがある
目を示し,他のブランド測定尺度との弁別的妥
・感覚的に/直観的に,このブランドに興味関
当性が検証されたことは研究上大きな前進と
心が湧く
なった。しかしながら,この Brakus 尺度を日
・このブランドは感覚的に魅力を感じない
本で用いるためには,以下のような課題が残さ
・このブランドは,私の心に様々なフィーリン
れている。
グ,感情を湧き上がらせる
(1)日本でも適用可能か(日本の消費者にも
・私はこのブランドには特に強い思い入れはな
適切でわかりやすい項目,ワーディング
い
か)
・このブランドには私の感情に訴えるものがあ
(2)Schmitt の 先 行 研 究 の「 戦 略 的 経 験 モ
る
ジュール」5 要素を出発点としているが,
・このブランドを使うときには,何らかの動作
それでよいのか。この 5 要素以外にも検
や体の動きを伴う
討すべき要素は存在していないか。
・このブランドは身体的な経験を伴う
(3)ブランド経験に伴う時間的な経緯が捉え
・このブランドは行動志向ではない
られているか
・このブランドを見ると,様々な考えが浮かん
(4)ブランド経験に伴う感情が適切に捉えら
でくる
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れているか
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「ブランド経験」概念の意義と展開
まず,
(1)について,Brakus 尺度は英語で
り,複合的であることが今日の感情研究で示さ
あり,日本語には翻訳されていない。国際比較
れている。今日では,消費者行動論の分野で感
研究でも指摘されているように,異なった言語
情に関して,多くの研究がなされている。例え
との間での調査票の翻訳には,反訳(バックト
ば,杉谷(2013)が検討しているブランドと愛
ランスレーション)などの手続きを用いて翻訳
着の研究などを参照する必要があると考えられ
する必要がある。さらに,翻訳内容やワーディ
る。
ングが日本人に理解可能であるかどうかについ
筆者の一人は 2015 年に,第 1 ステップの予備
ても検討する必要が出てくる。
的調査として,Brakus 尺度 12 項目を用いてオ
(2)について,Schmitt の考えたブランド経
ン ラ イ ン 調 査 を 実 施 し た。 そ の 結 果 か ら,
験価値の 5 つを起点とするのがよいかは検討の
Brakus 尺度には以下のような課題が見いださ
余地がある。Brakus 尺度は顧客経験である「戦
れた。
略的経験モジュール」
(Schmitt)をベースとし
(1)対象者からにわかりづらい,回答を得る
て開発されているが,ブランド経験そのものの
ことが難しいと考えられる項目があること。例
価値を測定し,類型化し,ブランドに関する重
えば,
「このブランドは身体的な経験を伴う」
,
要指標(ブランド態度やブランド・エクィティ)
「このブランドは行動志向ではない」などの質
への影響を捉えられるフレームでの経験尺度開
問アイテムは被験者にとってわかりにくい。
(2)
発が必要である。森岡(2015)は Holbrook の
商品カテゴリーによって調査項目のあてはまり
枠組みを参照して,顧客経験尺度を構成する試
具合が異なること。また,
(3)ブランドの知覚
みを発表しているが,
Schmitt以外の概念フレー
やブランド関係性を捉えることはできても,ブ
ムワークも参照する必要があるだろう。
ランド経験が持つ時間的変化やプロセスを十分
(3)
については,
CXでの論議,
Pineたち
(1999)
に捉えられる項目とは言い難く,補完していく
の指摘,あるいは,Ariely(1998)やKahnemann
必要があることがわかった。
(1999)が報告したように,ブランド経験には
第 2 ステップとして,Brakus 尺度に残され
時間的な要素が常につきまとっている。つまり,
た課題を解決し,ブランド経験をより適切に捉
時間的に推移する要素を測定できることが必要
えられる測定項目を検討するための,質的調査
と考えられる。このためには測定方法自体に時
を実施した。
間的なプロセスを捉えられる,もしくは一定期
絆形成に結びついたブランド経験を収集し,
間の経験を聴取する手法の工夫を検討する必要
類型化していくために,
「最愛ブランド」と呼
がある。
べる大好きなブランドを持つ 20 ~ 50 代の女性
(4)について,Brakus 尺度では感覚と感情
対象者 30 名を呼集した。対象者の最愛ブラン
に関する尺度が採り入れられている。しかし,
ドについて,どのようなブランド経験を経て今
ブランドに由来する感覚や感情測定指標の再検
にいたるのかについてのデータを収集し,ブラ
討を行う余地がある。ブランド経験にはポジ
ンド経験測定尺度についての基礎情報を収集す
ティブな感情もあればネガティブな感情もあ
ることを目的とした。今回の調査では,コグニ
65
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ティブ・インタビューと,定性データから標準
この手法の特徴は,一連の出来事を本人のス
化された理論を導き出す手法であるグラウン
トーリーテリングにより文脈や知覚ごと再現し
デッド・セオリー・アプローチを組み合わせる
てもらうこと,また,より詳細な情報を思い出
設計とした。
してもらうために,いったん語られたストー
コグニティブ・インタビュー(CI)
(認知面
リーを適切に切って,逆順で思い出しながら
接法)とは,1980 年代後半に米国の心理学者
語ってもらうことである。インタビューされる
Geiselman と Fisher に よ り 開 発 さ れ た イ ン タ
被験者は,この手法によって,主体的に思い出
ビュー手法である(Geiselman & Fisher,2009;
したことを語ることができる。
Fisher & Geiselman,2014)
。これは犯罪心理
今回の調査においても,コグニティブ・イン
学で用いられるようになった方法で,従来の事
タビューによって,できるだけ対象者にブラン
件の目撃者へのインタビューへの反省として生
ド経験に関するストーリーを語ってもらい,エ
まれている。「何を目撃したか言え」
「犯人の特
ピソード記憶も含めた潤沢な情報を時間的経緯
徴は?」というように目撃者に短い直接的な一
に沿って引き出すように務めた。
連の質問を行うのが旧来の取り調べ手法であっ
データの収集・分析のフレームには,グラウ
た。こうした質問形式は情報量を減少させ,情
ンデッド・セオリー・アプローチ
(GTA)
(Grounded
報の正確さを失わせることが実証的に示されて
Theory Approach)を用いた。GTA とは,社
きた。
会学者の Glazer と Strauss が 1960 年代に提唱し
これに対して目撃者に自主的に語らせて聴取
た質的な社会調査の一つの手法である(Glazer
していくインタビュー手法が CI である。CI で
& Strauss,1967)。アメリカでは社会学や看護
は次のような質問ステップが開発されている。
学において定着し,日本でもヘルスケアの領域
(1)被験者との間に親しい関係(rapport)を
で用いられている手法である。社会現象の実証
築く。(2)自由な回答を行わせる。
(3)中立的
分析で役立つ明確な理論があり,インタビュー
な質問をして誘導しない。
(4)より広範囲な質
や行動観察で取得された豊富な質的データを文
問から,質問を絞り込んでいく。こうした CI
章化し,それをもとにどのように仮説抽出,理
手法によってより詳細かつ正確な目撃情報をと
論構築していくべきかという過程の手順が提示
ることができることが実証的に示されている。
されている。
米国司法局が警察向けに行う研修のひとつにも
Glazer と Strauss ののち,Cobin & Strauss
組み込まれている。
(1990) や Chamarz(2011) が GTA の 手 順 を
この CI 手法は,マーケティング・リサーチ
体系化し,生データからコーディング・プロセ
の領域にも採り入れられるようになった。世界
スを経て,概念生成を行い,それらをさらにブ
的な市場調査の研究発表の場である ESOMAR
ラッシュアップしてカテゴリー生成を行った上
Global Qualitative 2014 で,コグニティブ・イ
で仮説立案に到達するという手順を提示した。
ンタビューを質的調査の中で活用した事例が報
これらの成果により,質的調査の分析過程は,
告されている(Trebeljahr,2014)
。
ともすると属人的で個人的な印象や直観に寄っ
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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66
Japan Marketing Academy
「ブランド経験」概念の意義と展開
ている印象で受け止められがちであったが,こ
ソフトを使って分析を進めている。
の手法を導入することによって,収集したデー
インタビューは,ブランドの出会いから現在
タのコード化などのプロセスを可視化し,デー
の状況までのエピソードや関係性を中心に,対
タに立脚して仮説や理論を構築することを可能
象者にできるだけ自主的に自由に語ってもらっ
にしたと考えられている。
た。ブランド経験を包括的に捉えることを目的
質的調査や行動観察の膨大なデータの分析過
としたインタビューは詳細で膨大な量となり,
程を可視化できるため,質的研究に適した手法
その中から仮説抽出を行うには,CI によるデー
として,日本でも戈木(2006)や木下(2014)
タ収集と,GTA による分析が,従来のグルー
らが,GTA を使った研究をするとともに,手
プインタビューや深層面接より適切であると考
法自体の整備や推進を行っている。
える。
今回のブランド経験尺度開発に当たり,この
本論文では,まだ分析途上ではあるものの,
GTA を採用する理由は,ブランド経験を捉え
以下の結果が得られた。被験者と「最愛」とい
るために,実際の個人のブランド経験を,時間
う関係性が形成されているブランドとの間のス
的な変化プロセスとともに聴取する必要がある
トーリーから,以下のような要素が抽出された。
と考えたからである。質的調査であれば,ブラ
ンドとのコンタクトポイントでの心的事象,感
・憧 れ:
「このブランドを持っている/使って
情や認知反応を聴取することも可能であれば,
いる私」という満足感を与えてくれる/くれ
時間的経緯を捉えることも可能である。複数の
た
サンプルのインタビューにより取得する経験エ
・達 成:理想の私になれる/なれた,自分の
ピソードを取得し,そこからブランド経験の普
ゴールの達成に近づける/近づけた
遍的な理論を抽出するためには,分析プロセス
・関係性の象徴:大切な何か(人,モノ,場所)
が標準化されたグラウンデッド・セオリー・ア
との絆の象徴するエピソードに登場する/想
プローチに手順に従って行うのが妥当と考え
起させるブランドである
た。
・輝き:人生で輝いていた時に/生活の中で自
また,今回のような質的研究には,CAQDAS
分が輝く時にあるブランド
(Computer Assisted Qualitative Data Analyze
・感動:驚き・感動がある/あった,心を動か
software)を用いることで,確立された分析手
される/された
順にのせ,透明性の担保が可能になる。CAQDAS
・伴走:人生を一緒に歩んでくれる/くれてき
は質的データ分析の支援・補助をするソフト
た
ウェアのことを指す。データの格納した上で,
・問題解決:自分にとっての重大な問題を解決
並べ替えやコーディング,メモづけ等の整理を
してくれる/くれた
する機能が充実している。データを効率的に管
理,体系化し,理論生成をサポートする機能を
これらの結果から明らかになったことは,
「最
活用すべく CAQDAS のひとつである NVivo の
愛」ブランドでは,ブランドと自己との関係性
67
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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Japan Marketing Academy
論文
について,消費者が多く語っていることである。
討すべき要素は存在していないか。
つまり自分と関わりの深いブランドは,単に自
(3)ブランド経験に伴う時間的な経緯が捉え
分に感情的反応を与えるだけでなく,自分のア
られているか
イデンティティを変化させたり,あるいは失っ
(4)ブランド経験に伴う感情が適切に捉えら
ていた自分のアイデンティティを復活させる働
れているか
きを成している。これは Brakus 尺度には見出
されていないブランド経験の次元であると考え
(1)
予備調査段階でも明らかなように,
Brakus
られる。
尺度にあった「このブランドを使うときには,
何らかの動作や体の動きを伴う」
,
「このブラン
これらに対して,
「好意」を感じるブランド(絆
ドは身体的な経験を伴う」
,
「このブランドは行
の形成まで達していない)については,以下の
動志向ではない」などの項目はもともと消費者
ような結果が得られた。
の行動的反応の測定を意図したものだと考えら
れるが,より具体的な質問アイテムにすべきで
あることがわかった。
・味・香りなど五感で感じられるものが自分の
好みに合う
(2)
「最愛」ブランド経験のインタビューでは,
・活力を与えてくれる
強い絆を形成したブランド経験では,消費者の
・癒してくれる,リラックスさせてくれる
アイデンティティの変化が観察された。つまり,
・贅沢な気持ちになれる,自分へのご褒美
「
『このブランドを持っている/使っている私』
・場を和らげてくれる
という満足感を与えてくれる/くれた」あるい
は,
「理想の私になれる/なれた,自分のゴー
つまり好意を抱くブランドでは,そのブラン
ルの達成に近づける/近づけた」というように,
ド経験の影響を評価する言葉が多かった。つま
ブランドによって自身のあるべき,あるいは「か
り,
「最愛」と「好意」のブランドとでは,ブ
くありたい」アイデンティティが示され,その
ランド経験について異なる反応の次元が表明さ
方向に自身が変化することが見出されたのであ
れていることになる。
る。また「人生で輝いていた時に/生活の中で
これら二つのステップの予備的な質的調査結
自分が輝く時にあるブランド」のように,過去
果にづき,Brakus 尺度の課題である 4 点につ
に失われた自分のアイデンティティを取り戻す
いて,検討を行う。
こともブランド経験のひとつである。こうした
(1)日本でも適用可能か(日本の消費者にも
「消費者アイデンティティ」の次元は Brakus 尺
適切でわかりやすい項目,ワーディング
度には含まれていなかった。
か)
(3)上記のように,ブランド経験に含まれる
(2)Schmitt の 先 行 研 究 の「 戦 略 的 経 験 モ
時間軸に沿った変化のひとつは,人生における
ジュール」5 要素を出発点としているが,
自分のアイデンティティが変化であり,こうし
それでよいのか。この 5 要素以外にも検
た時間的変化をブランド経験の重要な次元とし
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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68
Japan Marketing Academy
「ブランド経験」概念の意義と展開
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(4)ブランド経験に伴う感情の問題であるが,
「『このブランドを持っている/使っている私』
という満足感を与えてくれる/くれた」という
消費者の証言に示されているように,
「
(自分へ
の)満足」という次元が Brakus 尺度には含ま
れておらず,検討を必要とすることがわかった。
本論文では,顧客経験とブランド経験につい
て主な研究を展望すると同時に,すでに提案さ
れた Brakus 尺度について検討を加え,あらた
なブランド経験尺度の作成に向け予備的な考察
を行ってきた。ブランド経験尺度を作成するこ
とによって,どのような経験を与えたらどのよ
うな効果が得られるのか,など,ブランド戦略
を展開するための有用なインプリケーションが
得られると考えられる。特に,
「アイデンティ
ティの形成」に関わるブランド経験は,強いブ
ランドを形成するための大きな手がかりになる
可能性がある。日本市場にふさわしいブランド
経験尺度開発が次のステップである。
注
1) Locke, J.(1690).An essay concerning human
understanding Book I: Innate Notions(Chapter 1, 1
より筆者訳)
http://www.earlymoderntexts.com/assets/pdfs/
locke1690book1.pdf
2) 本論文は以下の論文とエッセイを再構成しながら新
しい見解を加えたものである。
田中洋(2015)「ブランド経験」『流通情報』
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69
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Japan Marketing Academy
「ブランド経験」概念の意義と展開
田中 洋(たなか ひろし)
中央大学大学院戦略経営研究科教授。京都大学博士
(経済学)。
株式会社電通,法政大学経営学部教授,コロンビア
大学客員研究員などを経て,2008 年より現職。著作
に『消費者行動論』
(2015 年,中央経済社),『ブラン
ド戦略全書』(編著,2014 年,有斐閣)など多数。
三浦 ふみ(みうら ふみ)
インテージ株式会社ビジネスプラットフォーム本部
マーケティング部部長。
お茶の水女子大学卒業,法政大学大学院社会科学研
究科修了。修士(教育学部)。著作に『マーケティング・
リサーチ入門』
(分担執筆)
(2010 年,ダイヤモンド社)
など。
71
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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Japan Marketing Academy
論文
共同ブランドにおける親ブランドの一致に関する考察
─ 日本における共同ブランド戦略の構築に向けて ─
京都大学大学院 経営管理研究部 特定准教授
一橋大学大学院 国際企業戦略研究科 教授
鈴木 智子
阿久津 聡
要約
本論文では,日本でもポピュラーになりつつある共同ブランド戦略について,米国を中心として発展
してきた先行研究をレビューしてこれまでの知見を整理した上で,日本における共同ブランド戦略につ
いて考察する。先行研究からは,共同ブランドは,親ブランドの高い一致あるいは適度に不一致のもの
が高く評価されることが明らかになっている。このことは日本人においても同様だが,日本人の場合は,
さらに,親ブランドの一致が低い共同ブランドも高く評価される可能性があることが指摘される。また,
米国では適度に不一致な共同ブランドが高く評価されるためには,コミュニケーションによる説明の必
要性が挙げられているが,日本ではそうした説明がなくても高く評価される可能性がある。本論文では,
文化心理学の知見を援用しつつ,日本と米国ではこうした差がなぜ見られるのかについて説明を試みる。
最後に,日本における共同ブランド戦略の実施に向けた提案と今後の研究課題についても述べる。
キーワード
共同ブランド,ブランド・アライアンス,一致,文化差
その重要性は高まっているようだ。
Ⅰ. はじめに
共同ブランド戦略では,パートナー企業のコ
ビックロ,
ジョージア プライベートリザーブ,
ンド連想やブランド想起の向上,パートナー企
マクドナルドのハッピーセット
「ハローキティ」
,
業とのシナジー効果など
(Blackett & Boad, 1999
Jean Paul GAULTIER for SEPT PREMIERES
など)
,既存のブランド・エクイティに留まらな
…。これらはすべて共同ブランドの例である。
いブランド力強化などが期待でき,企業にとっ
共同ブランド
(cobrand) とは,二つ以上のブラ
ては非常に有用な戦略である。しかし,共同ブ
ンドを使用した製品のことであり
(Rao & Ruekert,
ランド戦略にはリスクも伴う。例えば,もし共
1994; Rao, Qu, & Ruekert, 1999; Simonin &
同ブランドにまつわる消費者経験がポジティブ
Ruth, 1998),日本でもポピュラーになりつつ
でなかった場合,たとえそれがパートナー企業
あるブランド戦略である。米国の研究によれば,
によるものであったとしても,自社ブランドに
共同ブランドは株価にもポジティブな影響を与
もネガティブな影響が出てしまう(Newmeyer,
えることが可能であり
(Cao & Sorescu, 2013)
,
Venkatesh, & Chatterjee, 2014)。そのため,共
ア・ケイパビリティの活用,競争の回避,ブラ
1)
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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共同ブランドにおける親ブランドの一致に関する考察
同ブランド戦略の実施やパートナー企業の選定
今後の展望について述べる。
にあたっては,慎重な検討が必要となる。
Ⅱ. 親ブランドの一致と共同ブランド
共同ブランド戦略で中心的な課題となるの
が,親ブランド間の一致(fit)の問題である。
への高評価
一般的には,一致が高い方が消費者の高い評価
に繋がると考えられている(Arnett, Laverie,
一致 とは,複数の対象が共有する共通性の
& Wilcox, 2010; James, 2006; Lanseng & Olsen,
ことを意味する(Aaker & Keller, 1990)。共同
2012; Park, Jun, & Shocker, 1996; Simonin &
ブランドにおいては,共同ブランドを構成する
Ruth, 1998; Swaminathan, Reddy, & Dommer,
二つ以上の親ブランドが持つ共通性のことを指
2012 など)。しかし同時に,適度な不一致が消
す。一致は,通常,消費者のブランド連想ネッ
費者の評価にポジティブな影響を与えることも
トワークによって決定される(Keller, 1993)。
確認されている
(Gürhan-Canli & Maheswaran,
ブランド連想とは「記憶の中でブランドに結び
1998; Maheswaran & Chaiken, 1991; Mandler,
つく全て」(Aaker, 1991, p.109)である。より
1982; Meyers-Levy & Tybout, 1989; Lee &
具体的には,
「消費者がブランドから思い起こ
Schumann, 2004; 大澤ら,2015 など)
。本論文
す全ての記憶や知識」
(青木・電通プロジェク
では,両者それぞれの立場に関する先行研究を
トチーム,1990, pp.276 ~ 277)であり,消費
レビューしてこれまでの知見を整理した上で,
者の記憶の中に保存され,当該のブランドが刺
一貫性やコミュニケーションにおける文化差を
激となって想起されるものである
(上田,
2014)
。
指摘し,日本における共同ブランド戦略につい
ブランド連想はネットワーク構造をとってお
て考察する。
り,消費者にブランドを刺激すると,有限のネッ
本論文の構成は次の通りである。第2節では,
トワークが活性化されると考えられている。ブ
共同ブランドにおける一致を検討する際に基盤
ランド連想ネットワークで,接近して繋がって
となるブランド要素を整理した上で,親ブラン
いる二つの情報や,共通する情報で結合するこ
ドの一致が高いと共同ブランドへの評価が高い
とができる二つの情報は,一致しているといえ
ことを示した研究をレビューする。第3節では,
る。
第 2 節の対立仮説である,親ブランドが一致し
先行研究の多くは,親ブランドのブランド・
ない場合にも共同ブランドへの評価が高いこと
イメージの一致が共同ブランドの評価にポジ
を示した研究をレビューする。第 4 節では,一
ティブな影響を与えることを示している(Gross
致と関連が高い概念である「一貫性」に対する
& Wiedmann, 2015; Simonin & Ruth, 1998 な
選好の文化差,注意に対する文化差,そしてコ
ど)
。ここでいうブランド・イメージとは,消
ミュニケーション・スタイルの文化差が存在す
費者の記憶のなかにあるブランド連想を反映し
ることを指摘し,共同ブランド戦略の在り方に
たブランド知覚のことである(Keller, 1993)。
も文化差が存在しうることを指摘し,いくつか
しかし,ブランド・イメージは複数の次元から
の命題を提示する。そして第 5 節で,まとめと
なる概念であり,実際には一つの集合体として
2)
73
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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論文
それを捉えることは容易ではない(Van der
Milberg, & Lawson, 1991)。すなわち,製品カ
Lans, Van den Bergh, & Dieleman, 2014; Law,
テゴリーの評価は,属性レベルで検討される。
Wong, & Mobley, 1998)
。むしろ,共同ブラン
共同ブランドの機能的な製品属性の一致は,
ドの一致は,製品カテゴリー,消費者の使用目
補完的な関係にある場合が多い(Newmeyer et
的,ブランド・ユーザー,ブランドの使用用途
al., 2014; Park et al., 1996)。機能的属性の補完
など,様々な要素で検討されているといえる
では,ブランドの機能的な弱みがパートナーブ
(Lanseng & Olsen, 2012; Loken, Barsalou, &
ランドによって補完され,一緒に提供される製
Joiner, 2008; Martin & Stewart, 2001; Martin,
品の性能が強化される。機能的属性が似ている
Stewart, & Matta 2005)
。
ブランドは,お互いの弱みを相殺することがで
先行研究のレビューから,共同ブランドの一
きないため,パートナーシップを結ぶメリット
致を検討する際の重要な要素として,製品カテ
が低くなる。また機能的属性の補完は,消費者
ゴリー(製品属性や成分を含む)
,ブランド・
に合理的に理解されるため,高く評価される傾
コンセプト,そしてブランド・パーソナリティ
向にある。とはいえ,消費者が,二つ以上のブ
の三つが特定された。以下,それぞれについて
ランドの組み合わせを解釈する際に,関連性結
簡単に説明する。
3)
合(relational linking)
の認知プロセスを取った
場合,属性の補完性は低く評価される傾向にあ
2-1. 製品カテゴリー
る。反対に,特性マッピング
(property mapping)
共同ブランドに関する初期の研究は,親ブラ
の認知プロセスが取られると,高く評価される
ンド間の製品カテゴリーの一致に焦点を当てた
傾向にある(Swaminathan et al., 2015)。共同
ものが多い(Lanseng & Olsen, 2012)
。製品カ
ブランドを展開する場合には,消費者のこうし
テゴリーの関連性(relatedness)が高いと消
た認知プロセスの影響も考慮しなければならな
費者に認識されると,共同ブランドの成功につ
い 4)。
ながることが指摘されている
(Baumgarth, 2004;
製品カテゴリーの一致による効果が高いこと
James, 2005; Park et al., 1996; Simonin & Ruth,
は否めないものの,実際に成功している共同ブ
1998)。製品カテゴリーの一致が高い例として
ランドのなかには,マクドナルド(外食)とサ
は,レッツノート(ノートブック PC)とイン
ンリオ(ギフト製品)など,製品カテゴリーが
テル(CPU)が挙げられる。
一致していない場合もある。そうした場合は,
製品カテゴリーの一致を評価する際,消費者
ブランド・コンセプトが一致していることが多
は二つ(あるいはそれ以上)の製品が,相互に補
い。
完(complement)あるいは代替
(substitute)でき
るか
(Aaker & Keller, 1990; Völckner & Sattler,
2-2. ブランド・コンセプト
2006)
,同じ物的特性
(physical characteristics)
ブランド・コンセプト(brand concept)とは,
を持っているか,あるいは同じ実用的な機能を
企業が設定した価値の連合であり,ブランドの
実行できるかといったことを検討する(Park,
ポジショニングを表明したものである
(Lanseng
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共同ブランドにおける親ブランドの一致に関する考察
& Olsen, 2012; Park, Jaworski, & MacInnis, 1986;
れる
(Cohen & Areni, 1990; Fiske & Pavelchak,
Samuelsen, Olsen & Keller, 2015)
。製品カテゴ
1986; Sujan, 1985)。カテゴリー・ベース処理の
リーの一致が低いブランドも,目的,状況,な
一致評価は,消費者自身のブランド体験との合
らびに便益といったブランド・コンセプトが似
致を通じて行われる。
ていると,ブランド間の一致が高いと認識され
機能的ブランド同士の提携は合理的に理解で
ることがある(Barsalou, 1985; Percy & Elliot,
きるため,消費者にかかる認知的負荷が少なく,
2005; Ratneshwar, Pechmann, & Shocker, 1996)
。
高く評価される傾向にある。ところが,表現的
Park et al.(1986)は,機能的(functional)
,経
ブランド同士の場合,二つの一致を特定するた
験的(experiential)
,または象徴的(symbolic)
めには,消費者はより多くの認知処理を行わな
な便益に基づいた 3 つのブランド・コンセプト
ければならなくなり,負荷が多い。表現的ブラ
を提示している 。例えば,スイス機械式クロ
ンドのコンセプトは,機能的ブランドと違って,
ノグラフメーカー「ブライトリング」
(Breitling)
非製品関連や目に見えない部分に依拠し,製品
と英国で由緒あるプレステージカー「ベント
の物的属性とブランド便益の関係が曖昧になっ
レー」
(Bentley)の共同ブランド「BREITLING
ていることが多く,一致の程度を評価する基盤
for BENTLEY」は,
製品カテゴリー(車と時計)
が 少 な い た め で あ る(Lanseng & Olsen,
の一致は低いものの,両ブランド共に表現的な
2012)。しかし,情緒的(hedonic)な一貫性は,
ブランドであるため,二つのブランドの一致は
二つのブランドを同カテゴリーとして認識さ
高いと評価される傾向にある。
せ,
より優れた一致と調和をもたらす
(Newmeyer
ブランド・コンセプトの一致の評価は,製品
et al., 2014)
。また,表現的ブランド同士の共
カテゴリーの一致評価とは異なるメカニズムで
同ブランドでは,製品カテゴリーの一致はさほ
行われる(Lanseng & Olsen, 2012)
。製品カテ
ど重要でなくなることも明らかになっている。
ゴリーの一致を検討する際には,属性レベルに
これは,消費者が二つのブランドの一致をカテ
注意が払われるが,ブランド・コンセプトは,
ゴリー・ベースで認知的処理を施すことで,属
ブランド体験を通じて構築される信念や感情な
性レベルの不一致を解消できるためと考えられ
どで構成されているため(Cohen, 1982; Cohen
ている(Lanseng & Olsen, 2012)。
& Basu, 1987; Fiske & Taylor, 1991; Park et al.,
以上のように,表現的ブランドによる共同ブ
1986; Park et al., 1991; Smith & Medin, 1981)
,
ランドの有効さは認められているものの,共同
その評価はカテゴリー・ベース処理(category-
ブランドの象徴面や感情面に関する研究はまだ
based evaluations)となる。カテゴリー・ベー
少ない。こうした研究上のギャップを埋めるべ
ス処理とは,消費者が事前知識として保持して
く,近年,共同ブランド研究で注目を集めてい
いるスキーマを使って行うトップダウン型の情
るのが,ブランド・パーソナリティの一致であ
報処理のことであり,属性を細かく情報処理す
る(Monga & Lau-Gesk, 2007; Van der Lans et
るボトムアップ型の情報処理であるピースミー
al., 2014 など)。
5)
ル処理
(piecemeal-based evaluations)と対比さ
75
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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論文
2-3. ブランド・パーソナリティ
信頼関係を構築する傾向にあり,反対に刺激的
ブランド・パーソナリティとは,ブランドと
なブランドとは一過性で衝動的な関係を構築す
関連づけられた人間的特性と定義される
(Aaker,
る傾向にあるためである。また Van der Lans
1997)
。人間のパーソナリティがビッグ・ファ
他(2014)は,実際に存在する 100 ブランドの
イブと呼ばれる 5 つの次元の組み合わせで構成
組み合わせで構成される 1,206 の共同ブランド
されるように,ブランドのパーソナリティも次
の分析から,洗練次元ならびにたくましさ次元
元の組み合わせで構成されるといわれている
は一致している方が共同ブランドの評価が高い
(Aaker, 1997)
。米国版ブランド・パーソナリ
ことを明らかにしている。
ティ構造は,
「誠実」
「刺激」
「能力」
「洗練」
「た
Ⅲ. 親ブランドの不一致と共同ブランド
くましさ」の 5 次元で構成され,
日本版では「た
くましさ」の代わりに「平和さ」が加わる(Aaker,
への高評価
Benet-Martínez, & Garolera, 2001)
。例えば,
「洗
練」には,素敵,上品,ロマンチック,ファッ
以上のように,多くの先行研究は,親ブラン
ショナブル,洗練,ぜいたくという意味合いが
ド間の一致が高いと共同ブランドが高く評価さ
あり,エルメス,ロレックス,リッツ・カール
れることを示している。しかし,いくつかの先
トンなどが洗練次元の高いブランドとして知ら
行研究は,親ブランドが一致していなくても,
れている(NIKKEI AD Web, n.d.)
。強いブラ
共同ブランドが高く評価される場合があること
ンドは,確立したブランド・パーソナリティを
を指摘している
(Van der Lans et al., 2014; Park
持っていると消費者に知覚される場合が多い
et al., 1996; Sreejesh, 2012; Walchli, 2007; 大澤ら,
(Monga & Lau-Gesk, 2007)
。
2015)。このことを説明する理論で,最も有名
もし二つの親ブランドにおいて,同じ次元の
なものが「適度な不一致」である(Meyers-Levy
ブランド・パーソナリティが高いのであれば,
& Tybout, 1989 な ど )
。 適 度 な 不 一 致 と は,
共同ブランドも同じブランド・パーソナリティ
Mandler(1982)によって創始された概念であ
を持ち,二つの親ブランドは一致している印象
る。完全に一致,適度な不一致,そして完全に
を与える。しかし,二つの親ブランドがそれぞれ
不一致な条件を比較すると,適度な不一致条件
異なったブランド・パーソナリティを持ってい
は,他の二つの条件よりも好まれる傾向にあり,
る場合(例えば,刺激次元の高い iPod と,平和
このことは逆 U 字型一致評価関係(inverted-U
次元の高い無印良品)
,共同ブランドは二面的
congruity evaluation relationship)と呼ばれて
なブランド・パーソナリティを持つことになる。
いる
(Maoz & Tybout, 2002; Meyers-Levy, Louie,
先行研究によると,ブランド・パーソナリティ
& Curren, 1994; Walchli, 2007)。
の 5 次元のうち,誠実次元と刺激次元はお互い
共同ブランドにおける逆 U 字型一致評価関係
にとても異なるものであると知覚されることが
は,
ブランド・コンセプト
(Sreejesh, 2012; Walchli,
多い
(Aaker, Fournier, & Brasel, 2004; Yang et
2007)とブランド・パーソナリティ(Van der
al., 2014)
。消費者は,誠実なブランドとは強い
Lans et al., 2014; 大澤ら , 2015)で検証されて
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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共同ブランドにおける親ブランドの一致に関する考察
いる。例えば,大澤ら(2015)は,総合的なブ
& Hutchinson, 1987; Sujan & Dekleva, 1987)。
ランド・パーソナリティの差(各次元のスコア
第二に,対象者に不一致を解消するというモチ
の差を足しあげたもの)に注目し,10 代から
ベーションがあることである。多くの場合,消
20 代の日本人大学生において認知度が高い 21
費者にはそのようなモチベーションがないた
のブランド(例えば,ANA やセブン & アイ)
め,マーケティング・コミュニケーションを通
を対象として,共同ブランドの一致度と消費者
じて,親ブランド間の関係性の説明を提供する
の共同ブランドに対する態度の関係を検証し
ことが重要となる。
た。その結果,完全に一致した共同ブランドと
Ⅳ. 日本と米国の文化差
適度な不一致の共同ブランドに対する態度が高
いことが明らかとなった。反対に,Van der Lans
et al.(2014)は,ブランド・パーソナリティの
大澤ら(2015)の研究からも明らかなように,
5 次元を別々に検証し,洗練次元ならびにたく
日本人(若者)は,完全に一致している共同ブ
ましさ次元は先にも述べたように一致している
ランドの他,適度に不一致な共同ブランドを高
方が,そして誠実次元は適度に不一致な方が,
く評価する傾向にある。また,冒頭で挙げた例
共同ブランドの評価が高いことを示している。
にも見られるように,実際に存在している共同
逆 U 字型一致評価は,認知的精緻化の程度が
ブランドの多くには,親ブランド同士が一致し
高まることで生じるといわれている。完全な一
ていないものも多い(例えば,表現的ブランド
致条件の場合,消費者の情報処理は最小限にな
のジャンポール・ゴルチエと機能的ブランドの
り,記憶にある情報の精緻化の機会が限られて
セブン & アイ・ホールディングス)
。実際,企
しまう。しかし,適度な不一致は,情報処理を
業が共同でブランドを開発することにメリット
促進させ,認知的精緻化の程度を高めるため,
を感じるのは,お互いに似ているからではなく
結果として消費者はより好ましい評価を行うの
(Park et al., 1996; Samu, Krishnan, & Smith,
である。反対に,完全な不一致条件の場合,情
1999)
,どちらかといえば一致している関係よ
報処理が過度になり,不一致を解消できないこ
りは不一致な関係の方が多い。
とに対してフラストレーションを感じてしまう。
しかし,そうした不一致な関係の共同ブラン
さらに,適度な不一致が他の二つよりも好ま
ドでも,先行研究では必要といわれている,マー
しい評価につながるのは,対象者が次のいずれ
ケティング・コミュニケーションでの親ブラン
かの条件にあてはまるときであることも明らか
ド間の関係性の説明があるとは限らない。例と
になっている(Walchli, 2007)
。第一に,対象
して,2015 年秋に新しく発売された Jean Paul
者が高レベルの知識を持ち合わせていないこと
GAULTIER for SEPT PREMIERESブランドの
である。高レベルの知識を持っている消費者
6)
テレビ CM を考えてみよう。30 秒のテレビ CM
(つまり専門家)は,事前知識が精緻化されて
では,
まず
「新しい今日がある」
というセブン & ア
いるため,認知構造が固く体系化されており,
イ・ホールディングスのタグラインが画面に表
適度な不一致が生じにくくなっている(Alba
示され,1 秒後,JUJU の音楽が流れるなか,パリ
77
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論文
の街を外国人モデルが闊歩するシーンが映し出
Williams, & Peng, 2010)
。
される。25 秒まで,Jean Paul GAULTIER for
Peng と Nisbett(1999)によれば,弁証法的
SEPT PREMIERES のラインナップを着用した
思考の高い東アジア人は,非一貫性や変化に対
さまざまなモデルが表れ,
パリの世界観が表現さ
して,一般的に欧米人よりも寛容である。弁証
れている。最後に,
「すべての人に上質を」という
法的思考をとる傾向の高い人は,現実とは静止
Jean Paul GAULTIER for SEPT PREMIERES
しているものではなく,常に変化しているもの
のタグラインが入り,
そしてJean Paul GAULTIER
だと考える(変化の法則)
。そして,変化の中
for SEPT PREMIEREのロゴ画面に切り替わる。
には多くの矛盾が存在していると見なす(矛盾
その後,イトーヨーカ堂と西武そごうの流通ロ
の法則)
。また,すべてのものは表裏一体であ
ゴが提示される。セブン & アイ・ホールディン
り,相互に連結していると捉える(全体論の法
グスがどういうブランドで,またジャンポー
則)。日本も,
「禍福はあざなえる縄の如し」
「人
ル・ゴルチエがどういうブランドで,そしてな
間万事塞翁が馬」
「人生山あり谷あり」
「楽あれ
ぜ両者が提携するのかといったことはまったく
ば苦あり」といったことわざが浸透しているよ
説明されていない。
うに,弁証法的思考スタイルをとる傾向の高い
では,こうした不一致な共同ブランドはなぜ
人が多い文化である。
日本人に受け入れられているのだろうか。本論
反対に,欧米人は一般的に不一致に対して居
文では,文化心理学で明らかになっている日本
心地の悪さを覚えることが多いと考えられてい
と米国 の間に見られる文化差のうち,思考ス
る。不一致や曖昧さは,欧米人に心理的な緊張
タイル,注意,そしてコミュニケーション・ス
や葛藤を招く(Festinger, 1957; Lewin, 1951)。
タイルという三つの側面に注目し,説明を試み
これは,彼らの思考プロセスがアリストテレス
る。
の論理学に由来しているからと考えられる。ア
7)
リストテレスの論理学は同一律 8),無矛盾律 9),
4-1. 思考スタイルにおける文化差
そして排中律 といった三つの法則を強調する。
不一致に直面したとき,どのように対応する
Peng と Nisbett(1999)は,こうした欧米人に多
かには文化差が存在する
(Peng & Nisbett, 1999)
。
い思考スタイルを縦型的思考(linear thinking)
例えば,米国人をはじめとする欧米人は,相反
と名づけた。
する二つのうち,どちらが正しいのかを特定し
共同ブランドの評価では,認知的な作業が多
ようとする傾向が比較的高い一方で,日本人を
く関わっているため(Swaminathan et al., 2015
はじめとする東アジア人は,どちらも受け入れ
など),思考スタイルが少なからず影響してい
ようとする傾向が比較的高いことが知られてい
ると推察される。親ブランド間の関係が不一致
る。文化心理学者は,こうした文化による思考
な共同ブランドは,弁証法的思考の低い人に
スタイルの差異に着目し,東アジア人に多い思
とっては,説明がないと心理的な葛藤が生じる
考スタイルを弁証法的思考
(dialectical thinking)
であろう。そのため,マーケティング・コミュ
と呼んだ
(Peng & Nisbett, 1999; Spencer-Rodgers,
ニケーションを通じた共同ブランドの正当化が
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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10)
78
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共同ブランドにおける親ブランドの一致に関する考察
必要となる。例えば,新しい情報を既存の認知
ネガティブではない傾向が高い。
的スキーマに同化(assimilate)させたり,新
しいスキーマを構築したりすることは,有用な
もっとも,ネガティブなブランド態度がない
コミュニケーション戦略であるといわれている
ことと,高いブランド評価や好感度といったポ
(Lee & Schumann, 2004)
。同化を通じた不一
ジティブなブランド態度があることは同じでは
致の解消は,新しい発見やインサイトにつなが
ないことには注意を要する。不一致な共同ブラ
るため,満足度が高い傾向にある(Lanseng &
ンドに対する選好や態度を高めるためには,そ
Olsen, 2012)
。
のためのマーケティング努力が必要になるだろ
しかし,弁証法的思考の高い人は,親ブラン
う。Jean Paul GAULTIER for SEPT
ドの関係が不一致な共同ブランドに直面した
PREMIERES のテレビ CM の例に戻れば,Jean
際,たとえ説明がなかったとしても,心理的な
Paul GAULTIER for SEPT PREMIERES ライ
葛藤を覚えることは少ないと考えられる。実際,
ンの魅力を伝えることで,新しいブランド(共
鈴木・阿久津(2014)の研究によれば,弁証法
同ブランド)に対する消費者の関心や選好を高
的思考が比較的高い日本の消費者の間では,完
めていると考えられる。
全に不一致なブランド拡張も高く評価される傾
向がみられる。また弁証法的思考は,消費行動
4-2. 注意における文化差
(鈴木・阿久津,2012)や企業のブランディン
注意の向け方にも文化差があることが明らか
グ活動(鈴木・竹村,2014)にも影響を与えて
になっている。東アジア文化の人々は,関係性や
いることが示唆されており,Peng と Nisbett
状況要因へ注意を向ける傾向にあり,反対に欧
(1999)らの知見と一貫して,比較的多くの日
米文化の人々は,状況要因を無視することがで
本の消費者が,変化や非一貫性に対して寛容で
き,課題となっている事柄のみに注意を向ける
あることを示している。すなわち,一般的に日
傾向にある
(Ji, Peng, & Nisbett, 2000; Kitayama,
本人消費者は,不一致な共同ブランドに対して
Duffy, Kawamura, & Lersen, 2003; Masuda &
違和感を覚えることはあるかもしれないが,だ
Nisbett, 2001)
。例えば,相対判断課題と絶対判
からといって,強い嫌悪感を持つかといえば,
断課題が与えられたとき,東アジア文化の人々
必ずしもそうではないと考えられる。そのため,
は,状況要因に注意を向けるため相対判断課題
共同ブランドの正当化が欠如していたとして
が得意だが,絶対判断課題は状況要因への注意
も,それを受け入れることができると予測され
が邪魔になるため不得手である。反対に欧米文
るのである。
化の人々は,状況要因を無視できるので絶対判
断課題は得意だが,状況要因に注意を向ける必
命題1:弁証法的思考が高い人々(例えば,
要がある相対判断課題は得意ではない
(Kitayama
日本人)においては,共同ブラン
et al., 1991)
。Masuda と Nisbett(2001)は,こ
ドの親ブランドが完全な不一致の
うした東アジア人によく見られる状況要因への
関係にあっても,ブランド態度が
注意の向け方を全体的注意(holistic attention)
79
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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と呼び,欧米人によく見られる中心課題への注
命題2:全体的注意を持つ傾向が高い人々
意の向け方を分析的注意(analytic attention)と
(例えば,日本人)は,不一致な
呼んだ。
共同ブランドの広告を評価すると
Masuda と Nisbett(2001) は, 画 像 を 使 っ
き,広告の状況要因にも目を向け
た記憶課題で,日本人と米国人における注意に
るため,広告全体の評価がポジ
対する文化差を検討した。映像は水中を映し出
ティブであれば,不一致な共同ブ
しており,中心課題の魚以外に,より小さな魚
ランドの評価も高まる傾向にある。
や水中生物,そして水草などが映っていた。実
験参加者は,映像を見た後,何を見たかを想起
4-3. コミュニケーション・スタイル
し,自由回答で答えた。結果,多くの日本人は,
における文化差
中心課題の魚の特徴だけでなく,水の色,水草,
コミュニケーション・スタイルにも文化差が
水中生物にまで言及した。反対に米国人の多く
あることが,多くの文化研究から明らかになっ
は,中心課題の魚の特徴については言及したが,
ている(Condon & Youssef, 1975; Hall, 1976;
背景情報(状況要因)に関する言及は少なかっ
Morschbach, 1982; Sapir, 1929 など)。米国人文
た。
化人類学者 Edward T. Hall は,コミュニケー
こうした注意における文化差は,共同ブラン
ションにおけるコンテクスト(文脈)依存度に
ドの広告評価にも影響を与える可能性がある。
は文化差があると主張した。ここでいうコンテ
全体的注意を持つ傾向が高い人々は,共同ブラ
クストとは,場所,関連する人々,そして会話
ンドそのものだけでなく,広告で描かれている
が行われる場などを指す。Hall(1976)は,高
設定や登場人物などの状況要因についても注意
コンテクスト・コミュニケーションと低コンテ
を向けることが考えられる。反対に,分析的注
クスト・コミュニケーションの違いを,次のよ
意を持つ傾向が高い人々は,広告の背景情報を
うに説明している。
「高コンテクスト・コミュ
無視することができるため,共同ブランドのみ
ニケーションや高コンテクスト・メッセージで
に注意を向けるであろう。すなわち,不一致な
は,ほとんどの情報が,物理的な文脈または個
共同ブランドの広告評価には文化差がありうる
人の中に内面化されており,ほとんど言語記号
ことが示唆される。全体的注意を持つ傾向が高
化されず,明示もされず,メッセージの一部と
い人々は,広告の状況要因にも目を向けるた
して発信されることもない。低コンテクスト・
め,広告全体の印象が良ければ,不一致な共同
コミュニケーションはその反対である。つまり,
ブランドの評価も良い傾向にあることが考えら
情報のほとんどが,明白な言語記号の中に付与
れる。しかし,分析的注意を持つ傾向が高い
されている状態である」
(p. 91)
。つまり,高コ
人々は,広告の背景情報はあまり関係がなく,
ンテクスト・コミュニケーションではメッセー
あくまでも共同ブランドに注意を向けるため,
ジが暗黙裡に伝えられる。多くの情報が言語記
不一致な共同ブランドの評価は低くなる傾向に
号化されず,明示されないため,意味の伝達が
あろう。
コンテクストに依存して行われる。すなわちそ
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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共同ブランドにおける親ブランドの一致に関する考察
れは,メッセージ自体は間接的に伝えられ,聞
ある米国,それぞれの国の雑誌広告を比較し,
き手や読み手が「行間」
「裏」または「真意」
中国の広告の方が,米国のものよりもコンテク
を読み解く必要性があるコミュニケーション・
スト依存度が高いことを示した 11)。同様に日本
スタイルなのである。反対に,低コンテクス
の広告も米国に比べると,コンテクスト依存度
ト・コミュニケーションでは,明確なメッセー
が高いことが推察される。例えば,風邪薬のテ
ジに基づいてコミュニケーションが行われる。
レビ CM でも,米国だと薬の効果や機能などに
低コンテクスト・コミュニケーションを用いる
焦点が置かれるのに比べ,日本だと母親が運動
文化では,コンテクストからなるべく切り離さ
会前夜に熱っぽくなってしまうが風邪薬を飲ん
れたメッセージを通じて,考えや事実が明確に
で治すなど,風邪薬を利用する状況や人々など
伝達されることが重視されている。
のコンテクストに焦点が置かれる。
Hall(1976)は,
高コンテクスト・コミュニケー
こうしたコミュニケーション・スタイルの文
ションを用いる文化の典型例として,日本を挙
化差が,共同ブランドの広告に表れている可能
げている。一般に日本人の間のコミュニケー
性がある。具体的には,低コンテクスト・コ
ションでは,コンテクストが大きな役割を果た
ミュニケーション文化の共同ブランド広告で
す。例えば,日本語は英語やフランス語より正
は,二つ(以上)のブランドがなぜ提携するの
確性が低く,日本語の文章では主語が不在の場
かを明確に伝えられることが求められるが,反
合も多い。また,会話では「あれ取って」
「そ
対に高コンテクスト・コミュニケーション文化
れは難しいです」など,代名詞がよく使われる。
では,消費者側に二つ(以上)のブランドが提
さらに,日本人のコミュニケーションでは,
「空
携する理由を推察することが求められていると
気を読む」
「相手を察する」
「以心伝心」など,
もいえよう。Jean Paul GAULTIER for SEPT
聞き手は,話し手の云わんとしている意図と
PREMIERESの例に戻ると,セブン&アイ・ホー
いったものを推し量ることが求められている。
ルディングスが何か新しいことを行っていると
反対に,英語はあまりコンテクストを考慮しな
いうメッセージが,冒頭にセブン & アイ・ホー
い正確な言語体系であり,メッセージを正確に
ルディングスのロゴと「新しい今日がある」と
伝えることができる。欧米の文化圏では低コン
いうタグラインで伝えられる。その後,Jean Paul
テクスト・コミュニケーションをとる傾向にあ
GAULTIER for SEPT PREMIERES の 服 を 着
り,例えば,米国人のコミュニケーションでは,
たモデルたちがパリの街を闊歩するシーンが流
話し手が明確に意図を伝えることが求められて
れ,
「すべての人に上質を」という Jean Paul
いる。
GAULTIER for SEPT PREMIERES の タ グ ラ
コミュニケーションにおけるコンテクスト依
インが入ることで,Jean Paul GAULTIER for
存度の文化差は,
広告にもみられる
(Liang, Runyan,
SEPT PREMIERE が上質なアパレルラインで
& Fu, 2010)
。Liang et al.(2010)は,高コン
あることが伝えられる。すなわち,Jean Paul
テクスト・コミュニケーション文化である中国
GAULTIER for SEPT PREMIERES が ど の よ
と低コンテクスト・コミュニケーション文化で
うなブランドであるかはコンテクストに依存し
81
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論文
て伝えられ,さらになぜセブン & アイ・ホール
が多い。製品カテゴリーの一致評価は属性レベ
ディングスとジャンポール・ゴルチエが提携し
ルで認知的処理が行われるが,ブランド・コン
ているのかについては,消費者に察することが
セプトの一致評価はカテゴリー・ベースで行う
求められているのである。
ため,属性レベルの不一致を解消できると考え
られている(Lanseng & Olsen, 2012)。共同ブラ
命題3:高コンテクスト・コミュニケー
ンド戦略のパートナー企業の選定にあたって
ション文化(例えば,日本)では,
は,製品カテゴリーで一致が高いブランドを選
不一致な共同ブランドの広告で,
定できれば共同ブランドが成功する可能性は高
親ブランド間の関係性や提携の理
いが(Baumgarth, 2004; James, 2005; Park et
由について明確に語られることは
al., 1996; Simonin & Ruth, 1998),現実的には異
少なく,むしろ消費者がそうした
分野間で提携する場合もあるだろう。そうした
ことをコンテクストから察するこ
場合,ブランド・コンセプトで一致している企
とが求められている。
業を選ぶと良い。とくに情緒的な一貫性は優れ
た一致と調和をもたらすため
(Newmeyer et al.,
Ⅴ. まとめと今後の展望
2014),ブランド・パーソナリティが一致して
本論文の目的は,日本市場でも増えつつある
また,実際のビジネスでは,企業が共同でブ
「共同ブランド」というブランド戦略を取り上
ランドを開発することにメリットを感じるのは,
げ,共同ブランドにおける親ブランド間の一致
お互いに似ているからではないためであること
の問題を考え,日本における共同ブランド戦略
が多い(Park et al., 1996; Samu et al., 1999)。
を考察することであった。先行研究の知見をま
こうした企業にとって,消費者が適度に不一致
とめると,共同ブランドは高い(完全な)一致
な共同ブランドを高く評価するということは朗
(Lanseng & Olsen, 2012; Simonin & Ruth, 1998;
報であろう。米国人消費者を対象とした先行研
Swaminathan et al., 2012 など)
,あるいは適度な
究(Walchli, 2007 など)では,適度に不一致な
不一致
(Park et al., 1996; Sreejesh, 2012; Walchli,
共同ブランドが高く評価されるためには,マー
2007 など)のものが高く評価される。この知見
ケティング・コミュニケーションで親ブランド
は日本人においても同様であることが明らかに
間の関係性を説明することが重要であると指摘
なっている(大澤ら , 2015)
。
されている。しかし,文化心理学で検討されて
一致は一般的にはブランド・イメージの一致と
きた思考スタイル(Peng & Nisbett, 1999)や注
して語られることが多いが
(Gross & Wiedmann,
意(Masuda & Nisbett, 2001),ならびにコミュ
2015; Simonin & Ruth, 1998 など)
,具体的には,
ニケーション・スタイル(Hall, 1976)における
製品カテゴリー(製品属性や成分を含む)
,ブ
文化差に関する知見からは,一般に日本の消費
ランド・コンセプト,そしてブランド・パーソ
者に対しては,親ブランドの関係性を説明する
ナリティといった三つの要素で検討されること
コミュニケーションがとくに重要ではないこと
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
http://www.j-mac.or.jp
いる企業を検討すると良いだろう。
82
Japan Marketing Academy
共同ブランドにおける親ブランドの一致に関する考察
が示唆されている。むしろ,新しいブランド
とである。今後は,日本人を対象とした調査を
(共同ブランド)に焦点をあて,その便益や魅
実施し,日本における共同ブランド戦略の詳細
力,また使用する状況や人々といったコンテク
化を進め,実務界への貢献を目指すと同時に,
ストを伝え,共同ブランドに対する消費者の関
日本発の共同ブランド理論を構築して,学術的
心や態度を高めることの方が重要であるかもし
な貢献を目指したい。
れない。
さらに,変化や非一貫性に対して寛容な日本
注
1) ブランド・アライアンス(brand alliance)も同義語
として使われている。
2) 本論文では,Aaker と Keller(1990)の定義に依拠
するが,一致の概念は曖昧であると考えられている。
Fit の 他,congruence(Fleck & Quester, 2007;
Heckler & Childers, 1992; Jagre,Watson, & Watson,
2001; L a n e , 2000; S p e e d & T h o m p s o n , 2000;
Meyers, Levy, Louie, & Curren, 1994; Meyers-Levy
& Tybout, 1989),similarity(Boush et al., 1987;
Broniarczyk & Alba, 1994)または typicality(Boush
& Loken, 1991)も使われており,さまざまな言葉
が用いられている。ブランド研究でも,ブランド拡
張や共同ブランド研究を中心に,一致に関するさま
ざまな議論が展開されている。詳しくは,Fleck &
Quester(2007)を参照のこと。
3) 認知心理学の研究で,複数のコンセプトを処理する
際に,組み合わせを解釈する二つの戦略(特性をマッ
ピングするか,関連性を結合するか)の役割が大き
いことが明らかにされている(Gagne & Shoben,
1997; Smith et al., 1988; Wisniewski, 1996)。特性
マッピングでは,主となるホスト・コンセプトに,
副となる修飾コンセプトの特性が適応される。例え
ば,ヒョウ柄テーブルクロスは,ヒョウ柄のあるテー
ブルクロスと解釈される。関連性結合では,対象間
の関係性に焦点が置かれる。この見方では,ホスト・
コンセプトと修飾コンセプトの間にもっともな関係
があるかどうかで解釈される。例えば,休日用テー
ブルクロスは,休日に使用するテーブルクロスと解
釈される(Swaminathan et al., 2015)。
4) 消費者の認知プロセスは,広告を通じて誘発するこ
とが可能であることが示されている(Swaminathan
et al., 2015)。
5) 経験的ブランドと象徴的ブランドは,
表現的
(expressive)
と一つにまとめてとらえられることもある(Lanseng
& Olsen, 2012 など)。
6) 実際のテレビ CM は,https://www.youtube.com/
watch?v=aJjxcJpk8SE で参照のこと。
7) 先行研究の多くが米国を中心に行われてきているた
人は,米国人よりも不一致な共同ブランドに対
して寛容である可能性がある。いいかえるなら
ば,日本市場では,米国市場よりも,共同ブラ
ンド戦略におけるパートナー企業候補が幅広い
可能性があることが示唆されている。そのため,
日本における共同ブランド戦略を考える上で
は,日本人消費者の評価が低い共同ブランドの
条件を明らかにする必要があり,今後の研究課
題として検討すべきテーマの一つであろう。
以上が先行研究のレビューから明らかになっ
たことのまとめだが,先行研究のレビューを通
じて気になったことの一つが,多くの共同ブラ
ンド研究がブランド評価やブランド態度を従属
変数としており,購買を検討していないことで
ある。
「◯◯◯が好き」
「◯◯◯が魅力的」と
いったブランド評価や態度と,
「◯◯◯を買う」
といった購買意向には高い相関がみられている
ものの(Spears & Singh, 2004)
,必ず一致し
ているわけではない。今後の研究では,実験手
法を用いて,購買意向を検討することも重要で
あろう。
日本における共同ブランドについては,企業
活動の方が先行しており,学術研究は遅れをみ
せている 12)。本論文の貢献は,米国を中心に進
められてきた共同ブランド研究の知見を整理
し,その後,文化心理学の知見を用いりつつ,
日本における共同ブランドについて考察したこ
83
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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Japan Marketing Academy
論文
め,本論文では日本と米国の文化差の影響を考慮す
る。
8)(A は A である)といった命題。
9) ある事物について,同じ観点でかつ同時に,それを
肯定しつつ否定することはできない。
10)
(P
であるか,または P でない)といった論理式。
11)Liang et al.(2010)の研究では,コンテクストは人,
場所,あるいは物の状況を特徴づける情報と定義さ
れた。もし広告が場所の情報(例えば,車が置いて
ある通りやビーチにいる人々)や活動(例えば,広
告されている製品を使っている人)を含んでいると
「コンテクスト依存」(contextualized)とコーディ
ングされ,反対に,もし製品のみが提示され,場所
や活動に関する情報が提示されていなかった場合,
「コンテクスト独立」(context-independent)とコー
ディングされた。
12)C iNii で「ブランド・アライアンス」で検索したと
ころ,学術研究は大澤ら(2015)の研究のみがヒッ
トし,また「共同ブランド」の検索結果はゼロであっ
た(2016 年 2 月 23 日調べ)。
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鈴木 智子(すずき さとこ)
京都大学大学院 経営管理研究部 特定准教授
一橋大学大学院国際企業戦略研究科修士(MBA),同
博士後期課程(DBA)修了。博士(経営学)。
専門は消費者行動論,国際マーケティング。
日本ロレアル(株),ボストン・コンサルティング・
グループなどを経て,2011 年より現職。
主著に『イノベーションの普及における正当化とフ
レーミングの役割』(白桃書房)のほか,国内外で,
消費者行動論分野ならびにマーケティング分野での
論文多数.
阿久津 聡(あくつ さとし)
一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授。
一橋大学商学部卒業。同大学大学院商学研究科修了。
カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院
にて MS および Ph.D. 取得。同校経営組織研究所研究
員,一橋大学商学部専任講師,同大学大学院国際企
業戦略研究科准教授等を経て,現職。専門はマーケ
ティング,消費者行動論,文化心理学,実験経済学。
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
http://www.j-mac.or.jp
Japan Marketing Academy
AMA ─ Journal of Marketing ─ 論文抄訳
市場における制度のロジック
─ 戦略的ブランド・マネジメントへの示唆 ─
Burçak Ertimur and Gokcen Coskuner-Balli
Navigating the Institutional Logics of Markets: Implications for Strategic Brand Management
Article Citation:
Ertimur, B., & Coskuner-Balli, G. (2015). Navigating the Institutional Logics of Markets: Implications
for Strategic Brand Management.
Journal of Marketing Vol.79 (March 2015), 1-18
一橋大学大学院 商学研究科 特任講師
飯島 聡太朗
訳 ──── 要約
本稿は,制度論の理論的枠組みを用いて,複数の慣習,信念,ルールのシステムからなる市場の発展
と競争のダイナミクスを考察するものである。過去 30 年のアメリカのヨガ市場を歴史的に分析したとこ
ろ,霊的(spirituality),医学的(medical),健康的(fitness)
,
商業的(commercial)の 4 つのロジック(logics)
が共存していることが明らかとなった。データ収集は,文書資料,ネトノグラフィ(netnography)
,深
層インタビュー,参与観察を通じて行われた。この作業を通じて著者らは,制度的ロジックの力点の移
行 と, そ う し た ロ ジ ッ ク の 維 持 と を 関 連 付 け て 論 じ る。 こ れ ら は, 制 度 企 業 家(institutional
entrepreneurs)による文化資本(cultural capital)の蓄積・伝達と,複数のロジックや異質なブランディ
ングの慣習を正当化(legitimize)する戦略,さらには社会に浸透しつつあるロジック間の論争を通じて
なされるものである。本研究は,次のようなマネジェリアルな枠組みを提示する。すなわち,
複数のロジッ
クが存在する市場における,相容れない複数の要求(demands)への対応,ブランドの正当性の獲得,
一貫性のあるブランド・アイデンティティの創出のための枠組みである。さらに本研究は,制度的ロジッ
クと競争のダイナミクス,市場の発展(market evolution)がどのように関わるかについての理論的な説
明を発展させる。
キーワード
制度的ロジック
(institutional logics)
,市場の発展
(market evolution)
,戦略的ブランディング,競争,ヨガ
制度派の理論によれば,人々や組織は制度的
た(socially constructed)慣習やものの考え方,
環境──彼らにとっての社会的現実を定義づけ
価値,信念やルールの歴史的なパターン」を通
るような,当然視された,社会的,文化的,象
じて,「ロジック(logics)」すなわち「人々や
徴的な意味のシステムを伴う──のなかに存在
組織の思考や意思決定,行動を方向づけたり,
している。制度的環境は,
「社会的に構成され
制約したりする象徴的,
実質的な原則
(principles)
」
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
http://www.j-mac.or.jp
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Japan Marketing Academy
市場における制度のロジック
の影響を受けている
(Thornton & Ocasio 1999,
(demands)への対応を余儀なくされたりする
p. 804; see also Friedland & Alford 1991)
。制
ことがある。
度的ロジックは,市場のダイナミクスを理解す
ブランドはいかにして,多様な,また時とし
る上で重要である。なぜならば,
こうしたロジッ
て矛盾するような複数のロジックに対応してい
クにおける変化を捉えることは,市場の発展の
るのだろうか。複数のロジックが存在する市場
概念化に欠かせないからである
(Dunn & Jones
において,ブランドが正当性やブランド・アイ
2010; Reay & Hinings 2009; Thornton, Ocasio,
デンティティの一貫性を獲得するには,いかな
& Lounsbury 2012)
。市場発展に焦点を当てた
る戦略が必要となるのだろうか。本研究はこう
既存のマーケティング研究は,市場を単一の支
した問いに答えるべく,制度派の理論を援用し
配的な制度のロジックによって構築されるもの
つつ,アメリカのヨガ市場の発展過程を,主立っ
と捉え,市場発展をこうしたロジックの置換え
たブランドの戦略に着目して辿っていく。ヨガ
として概念化してきた。たとえ複数のロジック
は西洋諸国で普及していく過程において,多様
が市場に同時に存在したとしても,最終的には
な定義や信念,慣習を備えるようになった(De
ただ一つのロジックが優先的に普及するという
Michelis 2005, 2008; Singlton & Bryne 2008)。
市場理解がなされてきたわけである。
もともとヒンドゥー教のスピリチュアリズムに
本研究は,複数のロジックが存在する市場の
深く根差していることに加えて,西洋で受容さ
発展過程に焦点を絞った研究を行うべく,次の
れる過程で医学(medical),また健康(fitness)
ことを目指す。すなわち第 1 に,ロジックの変
に関わるドメインを獲得したのである(Askegaard
化やそれらの要因を確認する。第 2 に,ブラン
& Eckhardt 2012; De Michellis 2008)。本研究
ドはいかにして複数のロジックに対応し,競争
では,単一の支配的なアクター(actor)や規制
ダイナミクスを形成するのかについて調査する。
的体制(regulative regime)に焦点を絞るより
なぜ,どのようにロジックが変化したり共存し
もむしろ,多様なブランドの戦略が幅広く調査
たりするのかを理解することは,複雑な競争環
される(cf. Giesler 2008, 2012)。
境に直面しているマネージャーにとって有益で
複数のロジックを備えた市場におけるダイナ
あろう。単一の支配的ロジックの市場では,ブ
ミクスを捉えるにあたり,本研究は次の 4 つの
ランド・マネージャーは制度的同型化──自社
理論的アプローチを確認する。すなわち,
(1)市
のブランド戦略を,業界における支配的な意味
場創造を正当化プロセスとして捉えたもの,
(2)
と慣習のセット
(set of meanings and practices)
対立する複数のロジックがアクターの行動に制
に同調させること(DiMaggio & Powell 1983;
約を与えることに注目したもの,
(3)市場発展
Holt 2002)──を通じて正当性を獲得・維持す
を消費者駆動(consumer-driven)のプロセスと
るよう助言されるかもしれない。しかし複数の
して捉えたもの,(4)資源分割理論(resource
ロジックの市場では,ブランドは,多様な信念
partitioning theory)の成果に基づき,ゼネラリ
のシステムや規範的・文化的秩序から制約を受
スト企業(generalist firms; i.e., 市場全体に向け
けたり,異質な複数のアイデンティティや要求
てフル・ラインで製品を提供する企業)とスペ
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JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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AMA ─ Journal of Marketing ─ 論文抄訳
シャリスト企業(specialist firms; i.e., ニッチ市
度的変化や市場発展を理解する助けとなる。ブ
場に焦点を絞り,差別化された製品ないし狭い
ランドは対立関係ともなりうる複数のロジック
製品ラインで製品を提供する企業)の間の競争
に直面している。こうした複数のロジックに対
ダイナミクスに着目したものである。
応し,ブランドは正当性とアイデンティティを
創造・維持する戦略を立案する必要がある。本
Organizational Fields, Institutional
研究では,市場におけるアクターがいかにして,
Logics, and Market Evolution
制度のロジックを動員して(mobilize)彼らの
制度派の理論的枠組みを用いると,市場は組
リカのヨガ市場の発展に寄与したりしているか
織フィールド(organizational fields)──「社
に注目する。
利益を追求したり,競争のダイナミクスとアメ
会的,または文化的生産がなされるアリーナ
Methodology
(arena)に含まれたアクターと組織,及び彼ら
のダイナミックな関係性の総体」(DiMaggio
1979, p. 1463)──と捉えることができる。組
Data Collection
織フィールドは,
「全体として単一の制度的営
本研究で収集,使用されたデータは次の通り
み(institutional life)をなす認知的領域を構成
である(表 1)
。
するような組織群」から構成される,彼らの影
響関係の場である。ここでいう組織には,例え
Archival Data
ば,主要な供給業者や資源及び製品の消費者,
文書資料については,第 1 に,ヨガに関連し
規制当局,その他の類似製品・サービスの生産
た新聞記事が収集された。収集対象となった期
組織などが含まれる
(DiMaggio & Powell 1983,
間は 1980 年から 2012 年までで,記事数は The
p. 148)
。Bourdieu(1984)のフィールド概念,
New York Times が 868 件,The Washington
すなわち社会的な討議のアリーナとしてのフィー
Post が 604 件であった。これら新聞記事のデー
ルド概念を踏まえるならば,組織フィールドは
タは,ヨガ市場の形成過程や主要なアクターの
アクター─自己の利益を追求したり,それら
動向を確認するのに用いられた。さらに著者ら
を守ったりする存在──同士の関係性に注意を
は,WorldCat にて「ヨガ」をキーワードとし
向けるものである(Scott 2001)
。制度のロジッ
て検索し,ヒットした英語文献を参照した。
クは組織フィールドにいるアクターの認知と行
第 2 に,異質な複数のロジックについての詳
動からなるゲーム(game)のルールを規定する
細を確認する目的で,次のような古典的資料が
ものである(DiMaggio 1979)
。
収 集 さ れ た。 す な わ ち,The Yoga Sutras of
組織フィールドと制度的ロジックを扱った先
Patanjali や,Bhagavad Gita,Autobiography
行研究は,市場のダイナミクスを捉えるのに有
of a Yogi,Light on Yoga といった,影響力の
益な洞察をもたらしてきた。複数の制度的ロ
あるグル(gurus)の著作である。これらの古
ジックという視点は,市場の複雑性を捉え,制
典はヨガ講師のトレーニングにおいて採用され
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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市場における制度のロジック
表 —— 1 データ源
たり,歴史家によって現代のヨガ実践者の言説
ランド,フィットネス・センター――であった。
の中枢をなすものと見做されたりしている。
こうした参与観察を通じて明らかになったの
第 3 に,ヨガ市場のトレンド及び統計的情報
は,それぞれのヨガが異なる慣習や目標,信念,
を 得 る べ く, 産 業 レ ポ ー ト や 二 次 的 イ ン タ
ルールを備えていることである。
ビュー資料が活用された。インタビュー対象者
は,例えばヨガ・ブランドの創始者のような,
In-depth interviews
業界に影響力のあるアクターであった。
深層インタビューは 5 件,いずれも 60 分から
90 分の範囲内で行われた。インタビューの場
Participant Observation
では,冒頭にインタビュー対象者のバックグラ
2009 年から 2012 年にかけて,執筆者らは数
ウンドや,ヨガを始めるに至った経緯,彼らが
種類のヨガ教室に参加した。選択されたのは,
見出しているヨガの意味が尋ねられた。しかる
スタイルやブランドが異なる複数の教室──地
後に,話題は彼らのトレーニングや教授法,ア
元のヨガ・スタジオやチェーン展開のヨガ・ブ
メリカのヨガ業界の慣習に対する認識といった
91
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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AMA ─ Journal of Marketing ─ 論文抄訳
ものに移っていった。
ド 化(open coding) が 施 さ れ た(Strauss &
Corbin 1990)
。この作業を経て明らかになった
Netnography
のは,3 つのロジック──霊的,医学的,健康
市場におけるロジックの変化がもたらすアク
的──とそれらの特徴である。
ター間の関係の変化,また彼らの認識や動向を
しかる後に,Pennebaker, Francis, & Booth
理解するべく,
観察的ネトノグラフィ
(observational
(2007)と Humphreys(2011)を参考に,次の
netnography)が採用された(Kozinets 2006)
。
ような手続きがとられた。すなわち,4 つのロ
調査者は,新聞データを通じてこうした市場の
ジックのそれぞれを表す語をリスト化すること
状況を把握し,関連する情報を各種ウェブサイ
で,カスタム辞書(custom dictionary)を作成
ト──具体的にはフォーラム,ブログ,新聞,
したのである(表 2)
。この辞書の妥当性を確保
業界誌──から得た。収集されたデータの分量
すべく,調査者は 3 名の審査担当者(judges)に,
は,コメントの数が約 1.800 件,テキスト・デー
審査対象の語のそれぞれが辞書のカテゴリーに
タが 703 頁であった。
含まれるべきか否か,また含まれるべきならば,
それはどのカテゴリーにおいてであるのかを訊
Data Analysis
ねた。採否の基準は次の通りである。すなわち
調査者は,それぞれの語について,
(1)担当者
Stage 1
3 名のうち 2 名が採用(不採用)に賛成するな
分析は当初,New York Times とWashington
らば,その語を辞書に加える(外す),
(2)担
Post の記事を質的にみることと,ロジックとそ
当者 3 名のうち 2 名がある語の採用を提起した
れらの特徴をコード化することから始められ
ならば,その語を辞書に加える。
た。この作業で注意が払われたのは,ヨガが象
徴 的 に 表 象(symbolic representations) す る
Stage 2
もの,またヨガの慣習を構成するような信念と
第 2 の段階では,新聞記事のデータについて,
価値,ルールであった。さらにこの分析を補う
反復的な,解釈学的なアプローチに基づいて質
べく,ヨガの古典的文献や歴史に関する書物,
的な分析がなされた。より具体的には,ヨガの
最近の著名な出版物についてはオープン・コー
スタイルやブランドの発生,また主要な市場の
表 —— 2 辞書の語句とその一致
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市場における制度のロジック
アクター,制度,鍵となった重要な出来事につ
分析から明らかになったのは,ここ 30 年の
いての分析がなされた。こうしたデータと他の
アメリカのヨガ市場においては,異質な目標,
文書資料,例えばヨガの歴史を扱った書籍やヨ
価値,慣習を備えた 3 つのロジック──霊的,
ガ・ブランドのウェブサイト,アクターの二次
健康的,医学的──が共存していたことである。
的インタビューから得られたデータを繰り返し
第 1 に,霊的ロジックは,グル(i.e., 帰依者/
検討することで,ヨガのスタイルやブランドの
崇拝者の尊敬の対象となっているカリスマ的指
出自や創始者らの動向,複数のアクターの関係
導者)と共に啓発へ至るという目標のもとに構
性がみえてきたのである。
成されている。初期のグルとして霊的ロジック
の普及に影響を及ぼしたのは,インド系のヨガ
Stage 3
実践者であった。彼らは後にアメリカ人の弟子
第 3 の段階では,ヨガ・ブランドの慣習や戦
をとるようになる。霊的ロジックは,詠唱や瞑
略に焦点をあてて,より深く掘り下げる作業が
想,経典の講読を通じてヨガ実践へ翻訳されて
なされた。収集されたデータのすべてを検討し,
おり,その目標は自己認識への到達にある。第
こうしたブランド──第 1 世代のインド人起業
2 に,医学的ロジックは,ヨガがもたらす心身
家たちや第 2 世代のアメリカ人起業家たちに
の健康という目標のもとに構成されている。ヨ
よって創り上げられた──のミッションや目
ガ講師はここでは,患者を怪我から回復させた
標,
慣習を分析した。この分析から明らかになっ
り,痛みに対処したり,健康上の問題──コレ
たのは,ヨガ・ブランドがどのような困難に直
ステロール過多や心臓病など──を解決する治
面し,その対応としてどのような戦略を策定・
療者として認識される。医学的ロジックにおけ
実行したのかである。
る権威の源泉は,ヨガが健康増進に寄与すると
いう科学的論証である。第 3 に,健康的ロジッ
Findings
クは,ヨガの目標を身体的な意味での恩恵にお
いている。ヨガを学ぶ人々は,ヨガ実践を通じ
Plural Logics of the U. S. Yoga Market
て彼らの身体のコンディションを整えたり,ヨ
and Sources of Their Shifts
ガ以外のスポーツにおけるパフォーマンスを改
表 —— 3 アメリカのヨガ市場:ロジックと特徴
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AMA ─ Journal of Marketing ─ 論文抄訳
善したりしている。このロジックの擁護者は,
capital)
,
(2)複数のロジックの正当化,
(3)ゼ
身体上のベネフィットを正当化するのに運動機
ネラリスト・ブランドとスペシャリスト・ブラ
能学を拠り所にしたり,ヨガ実践における身体
ンドの出現,
(4)
ロジック間の緊張状態(tensions)
的動作を強調したりする(表 3)
。
である。
量的分析が示したのは次のことである。すな
わち,ここ 30 年余りのヨガ市場は,霊的ロジッ
Cultural Capital of Market Actors
クとの関連性を弱め,その反面,医学的及び健
ここまでの分析からは,主立ったヨガのスタ
康的ロジックとの関連性を強めている。さらに
イルと,こうしたスタイルをアメリカの市場に
この分析からは,商業的ロジックの出現が見出
紹介した主要アクターの動向が確認された
(図1)
。
せる。商業的ロジックが強調するのは,ヨガ市
こうしたアクターの影響関係や,彼らが文化資
場がいかにコモディティ化しているかである。
本を獲得したり伝達したりする状況が把握され
このことは,ヨガ・ブランド間の競争が,用具
たのである。文化資本とは,社会的に稀少で差
や衣服,瞑想,余暇,著作権といった領域にお
別化された趣味(taste)
,技術(skills)
,知識
いて拡大していることによって裏付けられてい
(knowledge),慣習であり,体化(embodied),
。質的分
る(La Ferla 2002; Moran 2006; 表 4)
客観化(objectified),制度化(institutionalized)
析が明らかにしたのは,一方でこうしたロジッ
された状態で存在している(Bourdieu 1986)。
クの変化を駆動し,他方でこれらのロジックの
ヨガの事例でいうならば,文化資本とは,例え
共存を援助するような4つのファクターである。
ばヒンドゥー教の教義や教え,習わしに精通し
すなわち,
(1)アクターの文化資本(cultural
たうえで,こうした通念から解放されて自由な
表 —— 4 ロジックの経時的変化
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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95
インド系グル
•ヨガを用いた心臓病
治療に関する革新的
研究で世界的に著名
な心臓病専門医
•1984 年,Preventative
Medicine Research
創始者
Dr. Dean Ornish
•1972 年,PBS のヨガ・
テレビ番組 Lilias,
Yoga and You 製作
Lilias Folan
•アメリカへ Divine
Life Society の普及旅行
Swami Chidananda
(U.S., 1959)
アメリカ系グル
•1975 年,ニューヨーク
初の無宗教のヨガ・セ
ンター,Serenity Natural
Healing Center 創始者
•New Life Magazine 著者
(1981 年)
•1984 年,Yogaerobics
創始者
•International
Sivananda Yoga
Vedanta Centers 創
始者
Mark Becker
•呼吸,詠唱,
浄化,瞑想を含
む身体的に穏やかなヨガの,
Integral Yoga 創始者
•National Institutes of Health や
Johns Hopkins Medical Center,
Baylor College of Medicine に
おいて,
インテグラル・ヨガの
アプローチについて説く
Swami Satchidananda (U.S., 1966)
•1984 年,Jivamukti
Yoga 創始者
•呼吸,菜食,ポジティブ思考,
瞑想の原則に基づくヨガを
統合した Sivananda Yoga
創始者
•1936 年,霊性(Spirituality)
の復活をミッションとした
Divine Life Society in India
創始者
•1945 年,Sivananda
Ayurvedic Pharmacy 創始者
•1987 年,Yoga
Works 創始者
Maty Ezraty and
Chuck Miller
Swami Sivananda
Swami Vishnudevananda
(U.S., 1957)
•1989 年,新語
“Power Yoga”
を造り出す
Berly Bender Birch
David Life and Sharon
Gannon
•Bryan Kest’s Power
Yoga 創始者
Bryan Kest
•Ashtanga Yoga で
認証を受けた最初の
インド系の人物の
ひとり
David Williams
•1948 年,Ashtanga Yoga を開発
K. PattabhiJois (U.S., 1975)
企業家
•1974 年,California
Teacers Association
共同創始者
•1974 年,Yoga Journal
共同創始者
•1982 年,Unity in Yoga
(現,Yoga Alliance)
創始者
Rama Vernon
•オンライン・ヨガ・スタジ
オの Gaiam Yoga Studio
創設
•Rodney Lee’s Power
Yoga Collection と
Power Yoga Toal Body
Workout DVD with
Rodney Lee を含む 30 以
上の動画を製作
Rodney Yee
•1974 年,California
Teachers Association
共同創始者・会長
•1974 年,Yoga Journal
共同創始者
Judith H. Lasater
•YMCA におけるヨガ教
育のため,Iyengar をミ
シガンへ招く(Palmer)
•サンフランシスコとサン
ディエゴ,ニューヨーク
初の Iyengar Yoga セン
ター創設(Mary Palmer
の娘,Dunn)
Mary Palmer and Mary Dunn
•Iyengar Yoga 創始者
•Lighton Yoga 著者
(1966 年)
B.K.S. Iyengar (U.S., 1973)
•反復的シークエンスとして組み合わさ
れた厳格なヨガ・ポーズ(群)からなる
Krishnamacharya Yoga システムを開発
T. Krishnamacharya (1988-1989)
•Baptiste
Yoga 創始者
Baron Baptiste
•2012 年,元 NFL 選手でセン
トルイスの施設開発業 The
Koman Group 社長の Bill
Koman が創始
Yoga Six
•2002 年,企業家 Trevor Tice
が創始
Core Power Yoga
•2014 年,企業家 George
Lichter と Rob Wrubel へ売却
Yoga Works
•Baptiste
Power of
Yoga 創始者
Sherri Baptiste
•1955 年,サンフランシスコ発のヨガ・
スクールを開講
•1971 年,ヨガ・ルームとジム,
ダンス・
スタジオ,自然食ストア,レストランを
備えた Baptiste Health & Fitness
Center 創設
Walt and Magana Baptiste
•1976 年,インドでヒーリング・
センターの Krishnamacharya
Yoga Mandiram を創設
Y.K.V. Desikachar (U.S., 1976)
•2007 年,TriBalanceYoga
創始者
Corey Kelly and Shiva K.
Madayya
•2004 年,Sumits Yoga
創始者
Sumit Banarjee
•2004 年,Moksha Yoga
創始者
Ted Grant and Jessica
Robertson
•2006 年,Yoga to the
People 創始者
Gregory Gumucio
•Bikram Yoga 創始者
Bikram Choudhury
(U.S., 1938)
•世界的ボディビルダーで
ヨガ行者
•Yogoda システムと独自
の身体づくりを統合
•1923 年,Ghosh College
of Yoga and Physical
Culture in India 創始者
Bishnu Ghosh (U.S., 1938)
•ストレス軽減と健康及び霊的パワー増進
のための Yogonda システムを開発
•1924 年,ロサンゼルスに Self Realization
Fellowship Center を設置
•Autobiography of a Yogi 著者(1946 年)
Paramahansa Yogananda (U.S., 1920)
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市場における制度のロジック
図 —— 1 アメリカのヨガ市場における主要アクターとその系譜
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状態に達し,高度に哲学的な意味での健全な状
市場の発展の方向性として,健康的ロジックと
態について熟知していることが含まれる。こう
医学的ロジックが強調される事態を招いた。と
した文化資本は,ヨガの知識の伝授やポーズ,
りわけ注目すべきなのは,2 つの戦略プロセス
呼吸,瞑想に体化されている。また書籍やパン
─ 拡 大(amplification) と 拡 張(extension)
フレット,DVD に客観化されている。さらに,
──である
(Benford & Snow 2000; Humphreys
ヨガ講師のトレーニングを受けたことを示す認
2010a)。
定証や徒弟的訓練において制度化されている
拡大戦略としては,
Ashtanga Yoga のアクター
(De Michelis 2008; Singleton & Byrne 2008)
。
が行ったリフレーミングが挙げられる。彼らは
アメリカでは,ヨガの知識が伝達される仕方
ヨガに文化・認知的(cultural cognitive)正当
は,マンツーマンから複数人数制指導へと変化
性をもたらしたり,健康的ロジックを一層際立
している。ヨガ・スクールと講師養成プログラ
たせたりする仕方でヨガの拡大を図ったのであ
ム の 制 度 が 整 え ら れ た の で あ る(Jain 2014;
る。例えば,Ashtanga Yoga のグルの弟子であ
Newcombe 2014)
。1973 年にカリフォルニアで
り,後に Power Yoga を提唱した Berly Bender
設立されたヨガ講師の組合は,国から認可を受
Birch は,著書の中で Ashtanga Yoga の身体的
けた初の講師養成プログラムを開発した。この
側面を際立たせることで,読者であるアメリカ
動きに対して,若干の違いはあったものの,追
の消費者に対して,他の精神性に重きをおくヨ
随するグループが複数現れた。彼らのなかには,
ガとの違いを示している。さらに,Birch と同
ヨガの身体的,精神的,医学的側面に関連した
じ Ashtanga Yoga 出 身 の 講 師 た ち も ま た,
ワークショップをカリキュラムに組み込む者が
“Power”を標榜した活動を展開することで,
おり,このことは市場における複数のロジック
このヨガ・スタイルの身体的側面を強調したの
の制度化を助けた。さらに別の組合は,ヨガの
であった。
専門家に向けて,顧客を繋ぎとめるためのノウ
拡 張 戦 略 と し て は, ア ク タ ー に よ る 他 の
ハウや,教室で事故が起きた場合に備えた賠償
フィールドとの協調や,彼らのヨガ・スタイル
責任保険への加入についての情報を提供すべく
にとって重要な慣習の拡張的な増強が挙げられ
設立されている。こうした動きは,ヨガの商業
る。彼らは霊的ロジックを犠牲にしつつ,健康
的ロジックの増進を招いた。文化資本の蓄積に
的ロジックと医学的ロジックを強く打ち出した
おける変化が,アクターを異質なロジックに直
のである。例えば,エアロビクスにヨガの動作の
面させ,さまざまなヨガ・スタイルが混ぜ合わ
穏やかさを取り入れたヨガロビクス
(Yogaerobics)
される事態を招いたのである。また,文化資本
では,宗教と無関係であることが主張されてい
の伝達における変化が,複数のロジックの継続
る。
また別のブランドのYogaFitでは,
ユーザー・
的な共存を助けたのである。
フレンドリーなヨガを展開すべく,
サンスクリッ
ト語のポーズ名や詠唱が排除されている。こう
Legitimization of Plural Logics
してヨガは,拡大と拡張の 2 つの戦略プロセス
アクターがヨガの普及に努めたことは,ヨガ
を通じて,健康増進のための運動として広がっ
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市場における制度のロジック
たのであった。
回復した経験を経て,ヨガ・ブランドを始めた。
医学界や行政府,立法府の動きが,医療とし
Choudhury が作成したプログラムは相当に厳
てのヨガの正当化につながった点も無視できな
格なものであった。例えば Bikram Yoga は,1
い。例えば 1980 年代には,瞑想とヨガの研究
回 90 分の一連の動作を,華氏 105 度 1)に設定さ
を行う予防医学研究所がカリフォルニアに設置
れ,規格通りの設備を備えたスタジオで行うこ
されたり,アメリカ国立衛生研究所に資金を投
と,ポーズは決められた通りの順序で行うこと,
じる法案が可決されたりした。これらは代替医
水分補給は講師の指示通りのタイミングで行う
療としてのヨガを評価したものであり,医学と
ことなどが定められている。講師は所定の養成
ヨガを統合するアプローチの追い風となった。
プログラムを修了し,認定を受けた者のみが担
さらにこうした動きを受けて,医療従事者や保
当しており,彼らの指導方法も細部まで規定さ
険業者のヨガに対する認識が変わっていく。社
れている。
員の疾病予防や生産性向上といった点でヨガの
これらとは反対に,ゼネラリスト・ブランド
効用に注目する企業も現れ,ヨガが余暇として
は,ヨガ需要の着実な高まりを受けて,複数のロ
楽しむものから本格的な代替・補完医療へと範
ジックを取り入れながら成長してきた。彼ら企
囲拡大していく。この過程は,ヨガを医療と捉
業家の関心は,スペシャリスト・ブランドのよう
える仕方の規範的正当化であり,消費者の医療
なフォーマルな訓練ではなく,あくまでカジュ
に対する関心に影響を与えるものである。
アルなものに限られていた。例えば,
CorePower
Yoga 創始者で,全国的なヨガ・スタジオ・チェー
Emergence of Generalist
ンを築いた Trevor Tice は,自らが構築したの
and Specialist Brands
は「個人への崇拝」よりもむしろ「ブランド」
本事例では,1980 年代にスペシャリスト・
であった点を強調している。彼は自らをスター
ブランドが出現し,その後 2000 年代にゼネラ
バックスの CEO になぞらえ,
「Howard Schultz
リスト・ブランドが現れている。ゼネラリスト・
はアメリカにコーヒーの文化を創った。そして
ブランドはしばしば,規模の大きさを活かし,
我々(CorePower Yoga)はそれをヨガでやっ
複数のセグメントを幅広くターゲットとするこ
てのけた。」としている(Schultz 2012)。
とができる。それに対してスペシャリスト・ブ
CorePower Yoga はこの他にも,次のような
ランドは,比較的小規模で,小さなセグメント
点で Bikram Yoga と対照的である。例えば,ほ
へ対応する傾向がある(Caroll 1985)
。
とんどの CorePower Yoga の教室が採暖室で行
スペシャリスト・ブランドの創始者は,異質
われるのは,心拍数を上げてカロリーを燃焼さ
なロジックを組み合わせたトレーニングの方法
せる目的ゆえのことである。
これに対してBikram
を創り出している。その典型のひとつである
Yoga が温度設定を行うのは,怪我を防ぎ,身
Bikram Yoga は,健康的ロジックと医学的ロ
体の柔軟性を高める目的ゆえのことである。開
ジックから構成されている。創始者の Bikram
講される教室の幅広さも異なる。CorePower
Choudhury は,自らが事故で負った怪我から
Yoga は選択の幅があり,例えば Hot Yoga と
97
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Power Yoga を組み合わせ,デトックスと筋力
ることに反発している。彼らは「ヨガを取り戻
トレーニングを備えた Hot Fusion や,ヨガと
せ」と呼ばれるキャンペーンを展開し,メディ
ウェイト・トレーニングを組み合わせた Yoga
アの注目を集めた。ネトノグラフィ分析によれ
Sculpt,また温度が選べるものもある。Bikram
ば,このキャンペーンの支持者が批判している
Yoga の厳格さは先に述べた通りである。
のは,宗教的行為であるべきヨガが,単なる身
体的ポーズに貶められ,ブランディングされ,
Tensions among Institutional Logics
ヨガの本来の姿が失われることである。
調査者は,霊的ロジックと健康的ロジック,
その他の対立の種類としては,健康的ロジッ
商業的ロジックが対立する状況を確認し,多様
クと霊的ロジックをめぐるものがある。霊的ロ
な利害関係者──ヨガ実践者や講師,ブランド,
ジックを優先する余り,厳格な作法に則ったヨ
支持組織,メディア──が,どのようにこうし
ガ実践が強調されると,身体にかかる負荷や怪
た事態に対応するのか,また市場全体がどのよ
我のリスクが問題となるわけである。さらに別
うに発展するのかをみてきた。
の問題としては,商業的ロジックと霊的ロジッ
明らかになったのは,ヨガ・スタイルが形作
クの間の対立もある。商業的利益を追求するゼ
られていく過程で複数のロジックが対立関係に
ネラリストと霊的ロジックを追求するスペシャ
あるとき,霊的ロジックがトーン・ダウンする
リストでは,ヨガをブランディングする仕方が
ことである。このことが顕著にみられるのは,
異なるわけである。
霊的ロジックがもつ宗教性やそれに関連した慣
Theoretical and Managerial
習──例えば詠唱──が,アメリカでいうキリ
スト教のように,社会において支配的なロジッ
Contributions
クとかち合う場合である。こうした緊張状態を
緩 和 す べ く, ア ク タ ー は ヨ ガ の 医 学 的 ベ ネ
本研究は,制度派の理論的枠組みを援用しな
フィットに注意を向けさせることになる。すな
がら,複数のロジックが存在する市場において
わち,
「ヨガは単純なストレッチとリラクゼー
ブランドがいかなる対応をすべきかについて論
ションの技術であり,我々には宗教勧誘の意図
。ここでは次の 3 点につ
じるものである(表 5)
はない。ヨガ教室を行う理由は,あくまで健康
いて,本研究が導出した戦略とマネジェリアル・
増進にある。」と説明するのである。こうした
アクションについて説明していく。すなわち,
緊張状態があるとき,ヨガの説明戦略の力点は,
(1)複数のロジックに対応したマネジメント,
健康的ロジックや医学的ロジックへと移されや
(2)ブランドの正当性の創造と維持,
(3)ブラ
すくなるわけである。
ンドの構成員の補強である。
ヨガが宗教性を薄める場合にも,問題が生じ
る。例えば,あるヒンドゥー教の団体組織は,
Management of Plural Logic Demands
ヨガの究極的な目標は霊的な要素と不可分であ
複数のロジックに対応する際に鍵となるのは,
るとし,ヨガとヒンドゥー教を切り離して捉え
異質なロジックの要素をどのように組み合わせ
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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98
Japan Marketing Academy
市場における制度のロジック
表 —— 5 複数のロジックが存在する市場におけるブランド・マネジメント
るのかであり,この点にはブランドが備えてい
CorePower Yoga がその典型である。
る資源が関わっている
(Battilana & Dorado 2010;
スペシャリスト・ブランドは,彼らの資源を
Reay & Hinings 2009)
。例えば,多彩なヨガ教
絞り込まれたセグメントへ集中的に投下する
室を開講しようとすれば,それに見合ったスタ
(Lambkin & Day 1989)。彼らは限定的なカッ
ジオを設置する必要がある。また,ヨガ講師の
プリング戦略を採用せねばならない。彼らが備
研修が多岐にわたったり,インセンティブの調
えている能力と適合した仕方で競争すべく,商
整が必要になったりすることが考えられる。好
業的ロジックと距離を取りながら,慎重に選び
ましいブランド連想を構築するには,どのよう
出されたロジックの要素を組み合わせるのであ
なロジックの要素を取り込むかをマネージャー
る。したがって彼らが狙うのは,小規模かつ明
が慎重に決定しなくてはならない。
確なセグメントである。Bikram Yoga がその典
ゼネラリスト・ブランドは幅広い消費者に対
型である。
応すべく,資源をバランスよく配置してリスク
を分散する。彼らは市場に存在するさまざまな
Creation and Sustenance of Brand Legitimacy
ロジックに幅広く対応する必要がある。その結
ブランドは,自らのなすことと社会に共有さ
果として,ゼネラリスト・ブランドは,広く大
れている規範との適合性を社会に対して示すこ
衆向けのロジックのカップリング戦略を採用す
とで,正当性を獲得する(Kates 2004)。アクター
る。それは,商業的ロジックと最も人気のある
は,制度的環境における彼らの行為と既存のフ
ロジックとを統合しつつ,他のロジックとも鋭
レームとの結びつきを強化したり,行為と関連
く対立しないような仕方で,ゆるやかに結びつ
したフレームとを新たに結合したりすることで,
けるということである。本研究の事例では,
そうした正当化プロセスに影響を与えることが
99
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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Japan Marketing Academy
AMA ─ Journal of Marketing ─ 論文抄訳
できる。前者が拡大戦略,後者が拡張戦略であ
の構成員を調達する仕方は,ゼネラリスト・ブ
る(Benford & Snow 2000; Humphreys 2010a)
。
ランドとスペシャリスト・ブランドで異なる。
拡大とは,
「既存の価値や信念を,理想化,装
前者では,フィールド・レベルのロジック──
飾(embellishment)
,明確化,活性化」するこ
すなわち霊的,健康的,医学的の 3 つのロジッ
とである(Benford & Snow 2000, p. 624)
。拡大
ク──の専門性よりも,例えば財務やマーケティ
戦略は,強い影響力をもったアクターと協力し
ングなどといった商業的ロジックの要素が重要
たり,ブランドにベネフィットがあることを論
となる。したがって内部対立を予防・回避する
証したりすることで,ブランドを政治的及び規
には,彼らはフィールド・レベルのロジックの
制的に擁護し,支持を取り付けるものである。
影響を受けていないタブラ・ラサな人材を獲得
例えば Bikram Yoga の創始者は,アメリカにお
すべきである。その反対に後者では,既にブラ
ける肥満の社会問題を指摘しつつ,ブランドに
ンドと適合したフィールド・レベルのロジック
医学上のベネフィットがあることをアピールし
を理解しており,その意味で社会化された人材
ている。
が求められる。習慣化された(habituated)構
これと反対に拡張戦略をとるべきなのは,ゼ
成員を得ることで,一貫性と信頼性を備えたブ
ネラリスト・ブランドである。幅広い消費者へ
ランド・アイデンティティを構築することが可
のアプローチを考えるならば,ロジック間の多
能になるのである。
少 の 違 い に 拘 泥 す べ き で は な い。 例 え ば,
Humphreys(2010a)のカジノ産業の事例では,
賭博と通常の買い物との線引きが曖昧であり,
Conclusion and Further Research
それ故にカジノのマネージャーは幅広いセグメ
本研究における重要な発見事実の第 1 は,複
ントへアピールできたのである。マネジェリア
数のロジックを備えた市場が,異質な文化資本
ル・アクションとしては,他のロジックとゆる
を備えた多様なアクターが織りなすロジックの
やかに結合しながら,目新しさを打ち出すこと
増進/抑制を通じて経時的に発展していくこと
になる。ヨガの事例において,彼らはヨガ・ス
である。第 2 に,市場に存在する多様なロジッ
タジオとスパやジムを結びつけている。
クが変化したり維持されたりするのには,次の
ような要因がはたらいている。すなわち,(1)
Recruitment of Brand Constituents
アクターの文化資本,
(2)異なるロジックの正
複数のロジックが存在する市場では,ロジッ
当化,
(3)ゼネラリスト・ブランドとスペシャ
クのカップリングを行うことは,ブランド内部
リスト・ブランドの出現,
(4)フィールド内の
における対立を招くかもしれない。なぜならば,
ロジック間の対立である。第 3 に,複雑な制度
当該ブランドに関わる多様な関係者は,異質な
的環境のもとでブランドをマネジメントするに
規範や価値,信念のセットの影響を受けている
は,次のことが必要となる。すなわち,
(1)ブ
からである(Battilana & Dorado 2010; Kraatz
ランドの構成員を補強する際にロジックを活用
& Block 2008; Pache & Santos 2013)
。ブランド
すること,
(2)ブランドを正当化すること,
(3)
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Japan Marketing Academy
市場における制度のロジック
ときとして競合する複数のロジックをマネジメ
いマネージャーに洞察を与える。
ントすることである。第 4 に,ロジックが複数
こうした貢献にも関わらず,本研究がもたら
存在する際に生じる問題へ対応すべく,マネー
すマネジェリアルな枠組みは,ゼネラリストと
ジャーは戦略上の焦点に合致した戦略を採用す
スペシャリストのブランドの議論に限定された
べきである。
ものである(Caroll 1985)。また本研究におけ
本研究から得られた洞察は,ブランドが適切
る市場発展の理論は,制度の理論のレンズを通
なマネジメントのもとで,彼らのもつ資源を有
じたものに限られる。今後の研究が市場発展に
効に活用することを助ける。例えば,ブランド
関する新しい洞察を得るには,消費者の認識や
にとって好ましい構成員を獲得・教育したり,
行動の変化に着目することが必要となる。
複数のロジックの異質性ゆえの問題に対応した
カップリング戦略を採用したりすることである。
またこうした洞察は,複数のロジックが存在す
飯島 聡太朗(いいじま そうたろう)
る市場における競争優位の獲得にも貢献する
2007 年早稲田大学社会科学部卒業。
(Oliver 1991)。ヨガ市場の事例研究から得ら
一橋大学大学院商学研究科経営学修士コース(MBA)
れた本研究の発見事実は,他の市場──ゼネラ
及び同研究科博士後期課程を修了し,現在は一橋大
リストとスペシャリストの間に競争ダイナミク
学大学院商学研究科特任講師。
スが働いており,
複数のロジックが存在していて
制度的に複雑な市場──に拡張されるものであ
る。既に,新聞やビール,ワイン業界については,
ゼネラリスト組織とスペシャリスト組織の共存
関係に着目した経験的研究がなされている
(Caroll
1985; Caroll & Swaminathan 2000; Swaminathan
2001)
。スペシャリスト・セグメントを維持する
のに十分な資源がある市場では,ゼネラリスト
とスペシャリストは直接戦わなくとも生き残れ
る。本研究の理論的枠組みは,彼らが競争する
環境における,正当化の戦略にかかわるもので
ある。さらに,本研究の議論は,例えばマイクロ
ファイナンスと銀行業
(Battilana & Dorado 2010)
や,ヘルスケア(Dunn & Jones 2010)
,オーガ
ニック食品
(Thompson & Coskuner-Balli 2007)
,
コーヒー(Holt & Cameron 2010; Thompson
& Arsel 2004)といった業界で,複雑な制度的
環境で複数のロジックに対応しなければならな
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JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 117
ブランドコンセプトをいかに発信するか,
浸透させるか
─ 二つのBtoB企業の試み ─
メッセージを絞った継続的な対外的発信:スーパーゼネコン「清水建設」
地道な対内的浸透活動:自動ドアの「ナブコ」ブランド
愛知東邦大学 経営学部 教授
上條 憲二
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ブランドコンセプトをいかに発信するか,浸透させるか。
する。
Ⅰ. ブランドコンセプトの浸透・発信
・顧 客がどう考え,ブランドに対して何を
望んでいるかをインサイトする。
1. 担当者の悩み
③ 競合ブランドとの差別化を図る。
「ブランディングを推進しているが,いまひ
・競 合ブランドとの違い,差別化ポイント
とつ認知されていない」
「ブランドコンセプト
を確認する。見出す。
を決めたが,決めただけで終わっている」
「ブ
④ ① ~③の分析を踏まえ,ブランドコンセ
ランド,ブランドって言っても,結局,一部の
プト(インターブランドはブランドプロポ
人たちの自己満足に終わっている」
「現場では,
ジションと称している)を導く。
ブランドはブランド,売り上げは売り上げ。ブ
⑤ ブ ランドコンセプトを体現する仕組みを
ランドと活動が結びついていない」
「ブランド
設定する。
の社内浸透が大事だということで,ブランド
・ブ ラ ン ド コ ン セ プ ト は 単 な る コ ミ ュ ニ
ブックを渡されたが,そのまま忘れている」…。
ケーションフレーズではない。ブランド
これらはブランド戦略を推進している企業の担
コンセプトは活動の軸となるものである。
当者の多くが抱く悩みである。
具体的には,「製品・サービス」「社員と
ブランドのコンセプトを外部に対して発信す
その行動」
「ブランド体験を促す環境,流
る活動はブランドコミュニケーション活動と呼
通チャネル」
「コミュニケーション活動」
ばれる。一方,ブランドコンセプト,
「ブラン
など,企業の事業活動をブランドコンセ
ドが目指す姿」を社内に浸透させ,理解させ,
プトに基づいて展開する。
実践させることは,ブランドエンゲージメント
⑥ ワ ン ボ イ ス の 社 内 浸 透 と 社 外 コ ミ ュ ニ
活動とも呼ばれる。
ケーション活動を行う。
筆者の経験では前述したようにこの社内外へ
・ブ ランドコンセプトを社内の隅々まで浸
の発信,浸透活動はそれほどスムーズに行われ
透させるとともに,ブランドコンセプト
ているわけではなく,担当者を悩ませる結果と
に基づいたコミュニケーション活動を推
もなっている。
進する。
⑦ 効 果測定を行い,新たなサイクルを進め
る。
2. ブランドコンセプトの浸透・発信の難しさ
ブランディングに着手する場合,ブランドコ
・ブランド価値を高めるための 10 の指標に
ンサルティングファームのインターブランドは
基づきブランドを診断し,その結果を踏
次のような進め方を唱えている。
まえて新たな活動を行う。
① ブランドオーナーの意志を確認する。
・ブ ランドの歴史,文化,経営トップの
上記のステップはどれも必要不可欠であり,
考え方,社員の認識などを確認する。
大切な作業であるが中でも重要なものを挙げる
② ブランドの対象である顧客の認識を確認
とすると,④ブランドコンセプト⑤ブランドコ
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JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2015)
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 117
ンセプトを企業の事業活動に反映させる仕組み
特に BtoB 企業においては,ブランディング
⑥ブランドコンセプトに基づく具体的な社内浸
の効果が BtoC 企業に比べて見えにくい傾向が
透・社外発信活動,である。ブランドとは他と
ある。ブランドコンセプトを設定し,それに基
異なる価値を顧客(ステークホルダー)の認識
づいて地道に活動するという「やや遠回りな」
に「刻み付ける」ことに他ならないが,それを
方法より,目の前の問題解決に向け,いつもの
可能にするためには,他と明確に異なるブラン
営業力にいっそう磨きをかける,競合よりより
ドコンセプトとそれが実際に具現化されている
良い製品を開発する,競合より優れた価格競争
こと(つまり,ステークホルダーが違いを認識
力をもつ…などの活動の方が推進しやすいとい
でき,そのブランド固有のストーリーを認知す
う意識があると思われる。
ることができること)が必要である。
ブランドコンセプトを軸としてそれに基づく
しかしながら,筆者の経験では,少なくない
活動を各人が実際に行うためには,
「ブランド
企業でそれらの活動が頓挫している。冒頭で述
コンセプトを自分なりに解釈し,それを自分の
べたように,ブランドコンセプトまでは何とか
業務に翻訳し(置き換える)
,具体的に活動す
作り上げたが,それ以降がスムーズに進まない
る」という「ブランドコンセプト思考の体質化」
のである。
の習慣が身に着いていなければならないのであ
その原因としてはいくつかある。
る。
「ブランドコンセプト思考の体質化」とは,
・ブ ランディングが一部の人間だけで進め
つまり,
「その企業らしい活動,その企業なら
られている。
ではの活動を社員が行なえる」ことを意味して
・ブ ランディングの意義,効能が社員のハ
いる。外部から「いかにも○○らしい活動だ」
「さ
ラに落ちていない。
すが,○○だ」
(
「さすが」とは相手の期待値を
・ブ ランディングと言っても,自分が何を
上回るときに発せられる言葉)などと評される
すべきかが分らない。
とき,他と明確な差別化がなされ,
「評判」と
・ブランディングが,一種の‘流行’になっ
いう財産が蓄積されたことになる。
ていて,推進者も「役割」と割り切って
本レポートにおいては,こうした前提を認識
いて淡々と進めている。
しつつ,
「ブランドコンセプト思考の体質化」
…等々
を推進する二つの事例を挙げてみたい。最初は
いずれにしても,ブランディングが企業全体
外部に向かってブランドコンセプトを発信する
で取り組むものであるという認識が欠如してい
ことにより外部からの評判を高め,それにより
ることから派生していると思われる。前述のブ
内部の意識に働きかけた事例である。次はブラ
ランディングのステップ⑥は社内浸透と社外コ
ンドコンセプトを地道な活動により社内に浸透
ミュニケーションの重要性を示したものである
させた事例である。
が,ブランドコンセプトを社内の隅々まで行き
渡らせ,また社外に向かってそれを発信し続け
ることはそれほど簡単ではない。
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2015)
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Japan Marketing Academy
ブランドコンセプトをいかに発信するか,浸透させるか。
初の本格的洋風ホテル「築地ホテル館」を始め,
Ⅱ. 清水建設のケース
第一国立銀行など多くの擬洋風建築を設計施工
―ブ ランドコンセプトを社外に発信するこ
範囲を日本各地に広げ様々な建設に携わった。
で手掛けた。その後,清水組となり,仕事の
とにより外部の評判を獲得し,内部のモ
1948 年,社名を清水建設株式会社とし現在に
チベーションを高めている事例―
至っている。(同社ホームページより)
清水建設の長い歴史の中で,特に二代目喜
1. 清水建設と渋沢栄一
助が第一国立銀行建設を手がけた際に出会った
清水建設は売上高 15,678 億円(平成 26 年度)
,
日本資本主義の父と言われる渋沢栄一は同社に
純利益 333 億円(同)を上げるスーパーゼネコ
大きな影響を及ぼした。渋沢栄一は約 30 年に
ンである。同社の歴史は古く,今から 212 年前
わたり清水建設の相談役を務め,単なる役員と
の江戸時代 1804 年に富山の大工であった初代・
してだけでなく,公私にわたり助言,支援を与
清水喜助氏が神田鍛冶町で開業したことに始ま
えた。(「渋沢栄一記念財団」ホームページより)
る。やがて,清水屋の屋号で店を構え,1838
渋沢栄一の唱えた「論語と算盤」,つまり,
「企
年には江戸城西の丸造営に参加し,社会的な信
業倫理と利益」「企業は自らの利益だけを追求
用を得ていった。その後,二代目・喜助は日本
するのではなく,社会的なモラルをもって事に
シミズバリュー推進活動の概念図
105
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2015)
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 117
あたる」という考えは,今に至るまで清水建設
会社か,どのような会社でありたいか,などそ
の経営の基本理念として受け継がれている。
れらをコーポレートメッセージとして定めるこ
ととした。この場合,このコーポレートメッセー
2. シミズバリュー推進活動
ジの位置付けであるが,
「新コーポレートメッ
清水建設は創業 200 年である 2003 年,全社員
セージの制定はブランド力向上のための様々な
で清水建設とは何かを考える「価値再考活動」
施策の一環」(2008 年 6 月 6 日 同社ニュース
を行った。そこでは,清水建設が守り続けてき
リリース)と認識していることから,ブランド
た価値観(= 清水建設らしさ)が話し合われ,
コンセプトを社内外に対して表明したものであ
全社で共有した。
ると解釈することができる。
この「価値再考活動」を踏まえ,清水建設の
コーポレートメッセージ策定にあたっては,
価値を企業ブランド力向上に結びつける「シミ
様々な角度から分析がなされた。外部環境の分
ズバリュー推進活動」
が2006年より展開された。
析,内部環境の把握,他業種・同業種のコーポ
具体的には「清水建設の姿を正しく社内外に伝
レートスローガン(メッセージ)の傾向分析な
え,適切な評価を得るための諸活動を推進する」
どを行いつつ,自社の特徴を見極めていった。
「対外評価と従業員のモチベーションの向上を
清水建設の根幹をなす精神,哲学とは何か・ど
目指す」活動である。これらの活動の背景には,
んな存在でありたいか,清水建設だからできる
清水建設に限らず,BtoB 事業の典型であるゼ
こと・能力とは何か,社会のニーズに対してど
ネコン業界にあって,各社の特徴が見えにくく
んなことができるかなど,分析の軸をいくつか
なっている状況がある。
設け,精緻化する作業を進めた。
シミズバリュー推進活動は清水建設として事
それらの分析作業を重ねるうちに,清水建設
業活動を促進し,
「シミズらしさ」に磨きをか
が守り続けているいくつかの価値(
「価値再考
ける→そのことを一般社会に対して適切にア
活動」の際には誠実,信頼,誠心誠意,高い品質,
ピールする→一般社会から清水建設に対する認
技術,チャレンジ精神などが挙げられた)が何
知,理解を得,イメージを高める→一般社会か
により生まれているかということであった。そ
ら評価される→そのことが社員の士気を高め,
れらは他社にも当てはまる汎用性の高い言葉で
優秀な社員の確保,イキイキとした組織を作る
はあるが,清水建設の場合はそれらの価値には
→さらに「シミズらしい」活動を行なう→‥,
明確な根拠・ルーツがあることを確信した。そ
という企業活動の推進と社会からの評価の好循
れは,渋沢栄一の「論語と算盤」である。「論
環を狙いとしている。
語と算盤」を今風に解釈すれば,
「利益を求め
るあまり,社会や人々に対して恥ずかしい仕事
3. コーポレートメッセージの策定
をしてはならない,将来に対して責任ある仕事
シミズバリュー推進活動は,
「シミズバリュー
をしなければならない」ということであり,そ
推進室」という専門の部署が主幹となって行わ
れは取りも直さず企業としてのコンプライアン
れた。同推進室は,清水建設とは何を提供する
スそのものである。
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Japan Marketing Academy
ブランドコンセプトをいかに発信するか,浸透させるか。
こうして,新しいコーポレートメッセージが
海外向け)
,新聞・雑誌広告,建設現場の養生シー
策定された。
トへの掲示,アニュアルレポート,CSR レポー
ト,ホームページ,社会貢献活動などである。
<新コーポレートメッセージ>
同社は BtoC ブランドではないので,大量にマ
ス媒体に広告を投下する形はとっていない。し
子どもたちに誇れるしごとを。 (国内向け)
かし,特に継続的なテレビ広告(番組提供)と
Today’s Work, Tomorrow’s Heritage
各建設現場の掲示を行うことにより,次第にそ
(海外向け)
の効果が表れてきたと言える。
テレビ CM は日本テレビ系の「世界の果てま
“子どもたち”―これは次の世代,次の時代
でイッテ Q!」を番組提供(30 秒)し,2008 年
へのつながりを示唆するとともに,当社を見つ
以降現在まで継続している。ちなみに同社はこ
める社会の純粋な目を象徴しています。
れ以外には地上波ではテレビ CM は行なってい
私たちは誠実さと強い責任感を持ちながら,
ない。
社会人として恥じない,そして専門家として誇
特筆すべきは,社会貢献活動である。これら
れるような仕事をし,次の時代に財産となるも
のイベントも,コーポレートメッセージを軸に
のを残していかなければなりません。
行なわれている。つまり,対象は「青少年」
,
そして,あらゆるプロセスの業務,一人ひと
内容は,技術・品質面における清水建設の「し
りが取り組むすべての活動や行動に,その姿勢
ごと」をテーマとしている。2008 年 9 月に開校
を反映させるという固い決意,約束をこのメッ
した「シミズ・オープン・アカデミー(SOA)」
セージで宣言します。
は全国の青少年を中心とした公開講座で,各種
のプログラムや体験を通じて建設についての理
海 外向けのコーポレートメッセージにある
解促進を目的としている。参加者は 2014 年 8 月
“Heritage”は,世界遺産(The World Heritage)
に 3 万人を超えた。
で馴染みがありますが,本来は「伝統的な信条・
このほかにも,子どもたちを対象としたイベ
価値・品質」といった意味を持つ言葉です。
(以
ント「東京おもちゃショー」や「みどりの感謝
下略)
祭」「エコプロダクツ」展においては子どもた
(同社ホームページより)
ちの参加による体験学習,さらには工事中の現
場見学に家族を招待する見学会型イベント,障
4. 活動施策
がいをもった子どもたちを対象にした「障がい
コーポレートメッセージは 2008 年度より社
者スポーツ体験会」「シミズボランティアアカ
内外に対して発信された。社内に対しては,従
デミー」などを実施している。
業員向けの冊子配布,CM の DVD 配布,イン
また,
「次世代に亘って」という観点からは,
トラネット,名刺の裏面,社内報を通じて,社
清水建設の「未来構想」を発表している。
外に対してはテレビ・ラジオ CM(日本国内・
それらは環境未来構想「環境アイランド 107
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2015)
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Japan Marketing Academy
取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 117
GREEN FLOAT」
(植物的な都市を発想とした
社外発信の場合,企業の全容を伝えよ
もの)
,さらには「月太陽発電 LUNA RING」
うとするあまり,総花的になるケースが
(月面での太陽発電を地球に送るもの)
,
「深海
見受けられる。社内の各部署からの要請
未来都市構想 OCEAN SPIRAL」
(深海の可
により,あれもこれもになりがちである
能性を活かす),などダイナミックな構想を発
が,清水建設の場合はコーポレートメッ
表している。
セージ「子どもたちに誇れるしごとを。
」
清水建設の外部発信の特徴は,三つある。
(= ブランドコンセプトと理解できる)に
① テーマを絞っている
絞って発信している。テレビ CM などの
名刺裏面(日本語)
名刺裏面(英語)
工事現場の養生シート
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ブランドコンセプトをいかに発信するか,浸透させるか。
動画では子どもたちが一生懸命モノを
る。
作っている姿を伝え,新聞,雑誌などの
紙媒体,工事現場の養生シートでは,コー
5. 活動の成果
ポレートメッセージを中心にシンプルに
① 対外的な効果
伝えている。
② 継続して発信している
<日経企業イメージ調査 :2007 年→ 2015 年
2008 年度以降,コーポレートメッセー
(ビジネスパーソン)>
ジというひとつのテーマを継続して発信
・企業認知度
し続けている。テレビ CM は複数回制作
内容をよく知っている 22.3% → 30.8%
されているがメッセージとトーンはその
内容を少しは知っている 42.5% → 51.3%
ままに,内容を変化させている。
「いつか
企業イメージに関しては多くの指標で変化が
きっと編」は子どもたちの夢を,
「つくる
見られるが特に下記のスコアの変化が顕著であ
に夢中編」は子どもたちとモノづくりを,
る。
「未来が始まっている編」は「子どもと技
・技術力がある 16.0% → 23.6%
術」を謳っている。
・安定性がある 24.5% → 35.4%
新聞広告などでは,これまでのテレビ
・伝統がある 27.4% → 38.8%
CM と連動させた広告に加え,
「清水建設
・信頼性がある 20.4% → 36.9%
のしごと」にフォーカスし,社会との関
・地球環境に配慮している 12.6% → 20.5%
係性を伝えている。
また,海外・アジア向けには海外向け
< 日経 BP 企業メッセージ調査 2012>
コーポレートメッセージである「Today’s
子どもたちに誇れるしごとを。
Work, Tomorrow’s Heritage」 を テ ー マ
想起率 8.1% (企業平均想起率 4.2%)
としたテレビ CM を継続して行っている。
「企業の姿を素直に表現したメッセージが
③ 複数の発信チャネルをミックスしている
評価された」(2012.10.26 日経産業新聞)
当然ではあるが,発信チャネルである
各媒体の特性を踏まえてコーポレート
< ゼネコンランキング調査 2015>
メッセージを発信している。それは,テ
(全国 20 歳以上の建設業界・不動産業界の関
レビ CM,ラジオCMなどの認知促進媒体,
係者を対象とした調査 エヌ・アンド・シー)
新聞・雑誌などの理解促進媒体,イベン
・テレビ CM や広告が斬新だと思う会社
トなどの体験促進媒体,等々媒体ごとに
総合 1 位 清水建設(34.0%)
表現の仕方に変化をもたせている。特に,
男性 1 位 清水建設(35.0%)
工事現場の養生シートは,しばしば一般
女性 1 位 清水建設(29.3%)
消費者の SNS などで話題になるほどであ
り,一定のアピール力があると考えられ
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・学生に入社を薦めたい会社
の体質化」がなされているのである。
「シミズ
総合 1 位 清水建設(36.5%)
らしい活動とは何か」「他社ならこうするとこ
男性 1 位 清水建設(38.6%)
ろ,シミズならこうする」
「お客様の期待を超
女性 1 位 清水建設(27.4%)
えるためには,シミズはこうする」という思考
がなされている。
「いくら広告などで『子ども
・女性が活躍していると思う会社
たちに誇れるしごとを。
』と謳っても,社員が
総合 1 位 清水建設(29.1%)
それに反する行動をしていては,ブランドを構
男性 1 位 清水建設(30.4%)
築することはできない。そういう意味では,シ
女性 1 位 清水建設(23.0.%)
ミズバリュー,シミズブランドを発信するため
の最も大切なメディアは清水建設の社員自身で
〈マイナビ 2017 就職企業ランキング
ある」(同社コーポレート企画室 伊藤氏)
―理系総合ランキング―〉
清水建設らしい活動を表すエピソードを紹
・第 38 位 清水建設
介したい。
(ゼネコン 1 位)
―1. ある大学病院の話
ある大学病院の新生児のための集中治療管
② 対内的な活動とその成果
理室と回復治療室の増床改修工事を行った。
先に「シミズバリュー推進活動」とは,
「事
しかし,その工事現場の近くには新生児施設
業活動の推進 & そのアピールと社会からの
がある。工事の騒音などが新生児に響くこと
評価の好循環」が狙いであると述べた。外部
を懸念した現場社員。
「壁の向こうは命の現
からの評価を得るだけではなく,清水建設で
場」をスローガンに,契約にはない特別な防
は,社内の意識を高める活動も併せて行って
音壁と目隠しを既存の新生児室境界バルコ
いる。入社 6 年目を対象とした「ものづくり
ニーに自主的に設置。作業員一同がきめ細か
塾」では,「シミズバリュー」
「シミズブラン
く配慮しながら無事竣工した。工事終了後,
ド」について互いに議論を交わす。また,新
バルコニー上の境界壁を撤去したところ,そ
入社員,中途社員の研修においてもそれは同
こに病院関係者や子どもたちからの「ありが
様に行われる。コーポレートメッセージに流
とう。工事お疲れ様でした」という感謝のメッ
れる清水建設の価値観について,歴史から学
セージが窓一面に貼られていた。
び,先輩社員から問いかけられ,仲間どうし
―2. ある幼稚園の話
で話し合われる。外部からの評価が高まって
幼稚園の先生から「清水建設の CM ソング
も,社員一人ひとりがそれを損なっては「事
が好きで園児のお遊戯会に使いたい」という
業活動の推進と社会からの評価の好循環」は
メールが入った。そこで,CM ソングのフル
完成しない。
コーラス DVD とピアノ伴奏ができるように
こうした取り組みは確実に社員の意識に働き
楽譜を送った。その後,子どもたちからのお
かけている。つまり「ブランドコンセプト思考
礼の絵がたくさん送られてきた。
(CM ソン
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ブランドコンセプトをいかに発信するか,浸透させるか。
グを送って欲しいという申し入れはこれ以外
ショベルなどの分野で確固たる地位を占めてい
にも数多くあり,それに対して DVD,楽譜
る。
を送付している)
「ナブコ」ブランドも自動ドアの分野では国
内シェア NO.1 の実績を獲得している。しかし
* 清水建設のシミズバリュー推進活動の概
ながら,その実績とは裏腹に,一般の認知はき
要,および成果に関しては,同社コーポレー
わめて限られている。三代氏が述べているよう
ト企画室コーポレート・コミュニケーション
に,
「日常的に接してはいるが,それと気づか
部の伊藤篤氏への取材をもとに構成した。
れない存在」であった。
「ナブコ」ブランドの歴史は日本の自動ドア
Ⅲ. 自動ドアの「ナブコ」ブランドのケース
の歴史でもある。1956 年,ナブコの前身の「日
―着実な社内浸透活動によりブランドコンセ
国産 1 号機を設置した。その後,日本経済の伸
プトを体質化させている事例―
張とともに数々のオフィス,各種商業施設,鉄
道施設,空港,テーマパーク,スタジアムなど
1.「ナブコ」ブランドの沿革
に自動ドアを設置してきた。なお,ナブコの名
「
『ナブコ(NABCO)
』ほど,実はほぼ日常
称は,大正時代に設立された「日本エヤーブレー
的に接しているが,それと気づかれていないブ
キ 株 式 会 社(=Nippon Air Brake Co., Ltd.)」
ランドもないのではないか」
,2010 年,
「ナブコ」
の略称として「NABCO」が定められロゴマー
の製造元であるナブテスコの役員で同社住環境
ク化されたものである。
カンパニーの三代洋右社長(当時)はそう語っ
2010 年,日本における自動ドアの第一人者的
た。
存在ではあるが,存在感が欠ける「ナブコ」ブ
ナブテスコとは,モーションコントロール技
ランドに対し,ナブテスコの住環境カンパニー
術を駆使して様々な事業を展開している企業で
社長の三代氏は地域統括販売会社 3 社のトップ
あり,各事業特性に合わせてカンパニー制を
に働きかけ,自らが推進役となり本格的なブラ
採っている。精密機器を扱う精機カンパニー,
ンディングに着手した。
油圧機器などを扱うパワーコントロールカンパ
ニー,航空機器などを扱う航空宇宙カンパニー,
< 三代氏の認識(ブランディング開始時)>
鉄道機器を扱う鉄道カンパニー,海運機器を扱
・
「ナブコ」は歴史が 50 年以上もあり,シェ
本エヤーブレーキ」が建築用空気圧式自動ドア
う舶用カンパニー,そして主として自動ドアを
アは 50% 以上のブランドである。
扱う住環境カンパニーである。同社はいくつか
・
「ナブコ」は,メーカーとしてのナブテス
の分野で国内シェア NO.1 の実績を挙げている。
コ,販売・メンテナンスを行う全国 3 社の
産業用ロボット,新幹線などの車両機器,商用
販売会社,そのほかに代理店各社がある。
車のエアブレーキなどの自動車機器,大型船舶
・こ れまで,自分たちの商品に自信をもっ
の制御システム,航空機の制御システム,パワー
て活動してきたが,グループ間の認識の
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違いとか,世代間の意識の違いを感じる
・
「ナブコ」が確固たるブランドになること
ようになってきた。
により,建物の価値が上がる,たとえば
・こ の状況を何とかしたいと思い,注目し
マンションなどの資産価値が上がる,そ
たものが「ナブコ」ブランドである。こ
ういう存在になりたい。
のブランドこそがグループ各社,グルー
プ社員が共通に持っている財産である。
三代氏の認識はブランディングにより,
「ナ
そこで,グループのベクトルを合わせる
ブコ」の固有の価値・
「あるべき姿」を明確に
ために,「ナブコ」ブランドについて考え
し(= ブランドコンセプトの明確化)
,それを
ることを決めた。
共通目的にして,
「ナブコ」ブランドに関わる
・この機に,「ナブコ」としてお客様に提供
社員ひとり一人が自らの行動基準として活動
できる価値は何か,将来像・未来像をど
することにより,ステークホルダー(BtoB,
う描くか,グループ社員ひとり一人が「ナ
BtoC)から選ばれる存在になる,というもの
ブコ」ブランドの強化のために,
「自分事」
である。
として何ができるかを考える必要がある。
こうして,初の試みであるブランディングが
・
「ナブコ」はトップブランドであるが一般
開始された。
生活者からの認知が低く,意識されてい
ない存在である。また,一般には「自動
2.「ナブコ」ブランドの基盤づくり
ドアはどこも同じ」というイメージがあ
① コンセプト立案に向けて
り,差別化がされていない。
「ナブコ」のブランディングを始めるに当
・しかし,「ナブコ」ブランドは歴史,実績
たり,まず,メーカー,販売会社のキーパー
(日本で最も多くの人々が「ナブコ」自動
ソンに対してのデプスインタビューを行っ
ドアを通っている)
,メンテナンス体制な
た。自動ドアに求められる社会的な意味,
「ナ
どは他社より優れている自信がある。つ
ブコ」ブランドの強みと弱みの意識,などキー
まり,ブランドとしての能力が高い。
パーソンの認識を聞き出した。
・ブ ランド化とは,建築関係者,一般生活
さらに,グループ各社から現場の第一線
者から「他と異なる存在である」と認識
で活動しているメンバーが選ばれ集中討議が
されることにより,選ばれ,愛用されつ
行われた。これは,メーカー,販売会社が一
づけ,価格が高くてもそれに見合う価値
体となったものである。この背景には,グルー
を見出してもらえることだと思う。
プ社員が立場を超え,一体となって,「ナブ
・また,
「ナブコ」を扱っていることが,メー
コ 」 の価値を再発掘しようという意図があ
カー社員,販売会社社員など「ナブコ」
る。
に関わる全ての人たちの誇りにつながる
彼らは,一堂に会し,
「ナブコ」ブランド
ようにしたい。その思いが,他社との違
についての議論を行った。ブランドが置かれ
いを生むことになる。
ている状況の把握,ステークホルダーの認識
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ブランドコンセプトをいかに発信するか,浸透させるか。
についての議論,ブランドの強みと弱みの確
つねに新しいドアの可能性に挑戦してき
認,など,グループ社員の代表メンバーとし
た革新の精神
て突っ込んだ話し合いを行った。議論のま
The only one with all the NO.1s.(NO.1 の結
とめとして,「ナブコ」ブランドの現在の姿,
晶こそは Only One の証である)
目指すべき姿を別なブランドに例えるという
投影法により明らかにしていった。
「現在の姿」…業界の代表であり,品質も
―2.ブランドステートメント(ブランドコン
良いが「定番」であるが故の「古さ」
。
セプト)
「目指すべき姿」…単なるモノを超えた,
「哲学」「価値観」が窺えるブランド。時代の
さあ,これからの“だれでもドア”をつくろう。
ニーズを先取りしたブランド。
これらの,「ナブコ」ブランドに対するグ
< ブランドコンセプトに込めた意味 >
ループ会社が一体となった「価値発掘」活動
これまでの「ナブコ」は“どこでもドア”で
の結果,「ナブコ」ブランドの基盤が明確に
あった。あらゆる場所に,ハードとして開口部
された。
ニーズ応えてきた。しかしこれは,メーカー発
想である。これからの「ナブコ」は“だれでも
②「ナブコ」ブランドのコンセプトの策定
ドア”を目指す。それは,あらゆる人々のニー
―1.「ナブコ」
のベースとなる価値=
‘NABCO
ズに応えるという,より革新的な“ドア”を創
Value Diamond’
造する。これはお客様視点の発想である。
最初 :History
日本で最初に自動ドアを実現化
③ ブランド説明会
最多 :Share
ブランドの基盤となる考え方を設定した
日 本で最も多くの人が通るドア。国内
後,メーカーの事務局がグループ社員に対し
シェア NO.1
これからの「ナブコ」の目指す姿を説明する
最大 :Coverage
活動を推進した。そのために,ブランドブッ
日本全国すみずみまで対応するサポート
ク,ブランドムービーなどを制作し,各拠点
エリア
に赴き,ほぼすべての社員に対して説明を
最良 :Support
行った。しかし,これではまだまだ不十分で
24 時間・365 日,どこよりも短時間で対
あることは言うまでもない。ブランドコンセ
応するサービス & メンテナンス
プトを浸透させ,
「思考の体質化」を図るた
最適 :Line-up
めには,通り一遍の説明で終わらせるのでは
必要とされる場所に世界中から集まった
なく,継続的な意識づけが必要であるという
開口部・製品・技術の対応力
認識のもと,
「ナブコ」ブランドとして本格
最新 :Innovation
的な社内浸透活動をスタートさせた。ブラン
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ド説明会を行い,浸透活動と称しているケー
プトに基づき,自分たちがどのような活動をす
スが時々見られるが,概要説明だけではブラ
ることがブランドの価値を高めることになるの
ンドが目指す本質は,到底理解されないと考
かについて「自分事」として考え,実施してき
える。
た。各社のブランド担当者が推進役となって進
めてきたものであるが,組織によっては自発的
3. 活動マネジメント会議体における意志決定
に活動を進めているケースも少なくない。 「ナブコ」グループには,メーカー,販売会
社の経営幹部による会議体がある。それは,従
ここでは「ナブコ」グループで行われている
前より定期的に行われてきた。通常は,主とし
社内浸透活動の主な進め方を紹介したい。
て経営環境,販売状況などの意見交換などが行
① ブランドリーダーの選出と組織化
われるが,ブランディング推進においては,活
メーカー,販売会社の組織単位でブラン
動を全グループ視点に立って判断し,方向性を
ドリーダーを選出。そのメンバーは「ブラン
検討する役割を負った。この会議体の意味は大
ドコンセプト」に基づく活動を職場で行う(タ
きい。参加各社が,企業の枠を超えて,
「ブラ
テへの伝播)際のリーダーであり,活動がス
ンド」について共通認識をもち,互いに活動状
ムーズに行われるようにするマネジメントの
況を報告し合い,
学び合うのである。いわば,
「ナ
役割も負う。また,他のブランドリーダーと
ブコ」ブランディングを全体でマネジメントす
の情報交換(ヨコの連携)を行う。
る会議体である。
② ブランドリーダー研修
ブランドリーダーは各職場において中心
4. 社内浸透活動の本格推進
的な位置づけであるため,その意識を高める
「ナブコ」ブランドの社内浸透活動は徹底し
ことを目的としてブランドリーダー研修を行
ている。それは,面的に広く,時間的に長く,
う。そこでは,「ナブコ」ブランドの価値に
質的に深い。つまり,全国の全てのグループ会
ついて再度確認するとともに,ワークショッ
社が参加しており,日常的にブランドの確認作
プを行い,どのような活動を行うことが,
「ナ
業を行い,その内容も年々深化させている。
ブコ」らしいのか,
「ナブコ」ブランドの価
ブランディングを本格的に開始した 2011 年
値を高めることになるのかを互いに議論す
以降,
「ナブコ」ブランドとしてグループが一
る。この場合,ブランドリーダーは自分の職
体となった浸透活動を行なってきた。グループ
場の代表者ではなく,
「ナブコ」ブランドを
は大きく二つに分けられる。ひとつは,メー
支える一員としてブランド全体の視点に立っ
カー・ナブテスコとして「ナブコ」ブランドを
て議論に臨む。研修後は,その研修と同じ内
扱う住環境カンパニー。もうひとつは全国に 3
容を各職場で自らが中心となって行う。
社ある販売会社である。この 3 社が全国,北か
③ ブランドリーダー各職場ミーティング
ら南までの全てのエリアをカバーしている。そ
研修から戻ったブランドリーダーは,職
れらの組織では,
「ナブコ」ブランドのコンセ
場においてブランドミーティングを行う。そ
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ブランドコンセプトをいかに発信するか,浸透させるか。
こでは,ブランドコンセプトを実現するため
のモチベーションを高める施策も併せて行わ
に,職場では,自分では具体的に何をすれば
れる。
良いかが話し合われる。リーダーは自らが
ファシリテーションする存在になることによ
5. 活動の成果
り,ブランドリーダーとしての資質がいっそ
過去 5 年間の浸透活動の成果として,以下の
う磨かれることになる。
点が挙げられる。
④ 職場ミーティング集約
①「ナブコ」ブランドの価値についての共通
各職場のミーティングの結果は集約され,
理解
その職場の「約束」として定められる。何を
「ナブコ」ブランドの価値を明確にするこ
すべきか,の正解は無い。何がブランドに適
とにより,グループ各社のベクトルを合わせ
しているか,その議論が大事であり,絶えず
るという当初の目的は既に達成された。ナ
ブランドを自分事として意識することが最大
ブ コ の ベ ー ス と な る 価 値 で あ る‘NABCO
の目的である。これは,社長の三代氏の「グ
Value Diamond’はすべての社員がその意味
ループ社員一人一人が『ナブコ』ブランドの
を答えることができる。また,ブランドステー
強化のために,『自分事』として何ができる
トメントである「さあ,これからの‘だれで
かを考える必要がある」
(前述)という意図
もドア’をつくろう」については,どうすれ
を反映したものである。
ばそれが達成できるかが日常的に議論のテー
⑤ グループ全社で活動共有
マとなることが多い。
各職場ミーティングの内容は,その後行
② リーディングブランドとしての誇り
われるメーカー,販売会社によるグループ会
シェア 50% 以上のブランドとしての誇り,
議にて全体に共有される。これは各職場のブ
NO.1 ブランドとしての自覚が生まれている。
ランド推進の具体的な「約束」を共有し,理
それは,単に量的台数によるものではなく,
解する意味がある。
責任感として認識されるようになっている。
⑥ 各部署,各職場での活動
リーディングブランドとして,自社だけでは
各部署,各職場ではブランドリーダーが
なく,
「自動ドア業界」はどうあるべきか,
中心になって,具体的な活動を行う。一定期
という視点で物事をとらえるようになってき
間を経た後,いったんその間の活動内容の成
ている。
果,課題点,改善点などをまとめる。
③ グ ループの各機能のブランドにおける役
⑦ 全社フィードバック会議
割認識
各職場の活動結果は,再度グループ会議に
グループ各社はバリューチェーンを構成
てフィードバックがなされる。ここでは,他の
している。研究開発→生産→販売→保守・メ
職場の成果,問題点,課題点などが話し合わ
ンテナンス→‥,その連鎖の中に各社,各組
れるが,良好なケースの場合は他の職場でも
織は属している。その過程の中で,ブランド
導入される。また,表彰なども行い,参加者
としてどう関わるべきかの役割認識がなされ
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 117
ている。ブランドにより,企業の枠,組織の
1. ブランドとしての活動の軸が明確
枠を超えて仕事が進められているのである。
活動の軸となるブランドコンセプトが明快で
④ 深くブランド価値を考える習慣
ある。ブランドコンセプトは「あれもこれも」
「ナブコ」ブランドのベースとなる価値を
ではなく,
「これ !」に絞られていることが肝要
表現した‘NABCO Value Diamond’である
である。そして,それはその企業が掲げること
が,これはあくまでも,
「ナブコ」の価値を
がふさわしいということを社員が納得できるこ
確認したものであり,共通理解を得るための
とが必要である。どの企業でも言えてしまう汎
ものである。現在は,この価値をベースにこ
用性のあるコンセプトは,コンセプトとは言い
れからの時代に求められる「ナブコ」ブラン
難い。
「子どもたちに誇れるしごとを」
(清水建
ドの新しい価値とは何かを深く考える議論が
設)は,同社の「論語と算盤」という経営の基
行われている。
本理念に基づくものである。
「さあ,これから
⑤ 意識の変化
の‘だれでもドア’をつくろう。
」
(ナブコ)も
ブランディング前までは,各社経営幹部
これまでの自動ドアの長い時間をかけて積み重
ねられた実績を踏まえたものである。
による会議においても「販売台数」
「業績」
に関する議題が中心であったが,現在の議論
は「ブランド」である。
「ブランド」として
2. トップの関与,意志の強さ
どのような活動が必要か,これからの社会に
ブランディングには経営陣,経営トップの関
おいてどのような「ブランド」であるべきか,
与が必須である。筆者の経験では,経営トップ
という議論が多くなった。経営に携わるキー
の関与が希薄な場合,推進は頓挫するか遅々と
パーソンの意識の変化は,当然,各組織の意
して進まないことが多い。トップの意志の強さ
識の変化につながっている。
はブランディングの推進力となる。清水建設の
「シミズバリュー推進活動」には経営陣の強い
*本レポートの内容は,ブランディングの責
意志が感じられる。また「ナブコ」ブランドに
任者である住環境カンパニーの三代社長(当
おいては,関係各社の経営トップが先頭に立っ
時)ほか,推進に関係したキーパーソンへの
て推進している。
取材に基づく。
3. 社員の意識への働きかけ
Ⅳ. 二つの事例から言えること
社員ひとり一人の意識を変革させること,こ
以上,二つの BtoB 企業におけるブランドコ
コミュニケーション活動で出来上がるものでは
ンセプトの発信,社内浸透活動についてレポー
なく,企業の事業活動すべてにより作られるも
トしたが,この事例からどのような示唆がある
のである。そのためには,事業をつかさどる社
か考えてみたい。
員ひとり一人の活動こそが大事な‘要素’であ
れがブランドを強くする。ブランドは広告活動,
る。清水建設は「社員の士気高揚によるシミズ
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ブランドコンセプトをいかに発信するか,浸透させるか。
らしい活動と外部の評価の好循環」を狙い,
「ナ
ブランドコンセプトを策定し,ブランドの基盤
ブコ」はグループ社員の意識の変革に向けて地
となるバリュー,パーソナリティ,などを規定
道な活動を続けている。
し,それらをガイドライン化するというステッ
プまではいわば定型的であり,ある程度は進め
4. 活動の継続と進化のためのストーリー
ることはできる。
ブランド発信・浸透活動の継続はやがて企業
問題は,その後である。その後の,ブランド
の文化のひとつになると考えられる。二つの事
発信・浸透(エンゲージメント)はその企業の
例は,一つの活動を時間をかけて継続的に行う
文化が色濃く表れる。正解が一つだけの進め方
ことの重要性を示している。ブランディングは
は存在しない。それぞれの企業の風土,文化に
企業にとって‘流行’で行うものではない。ブ
合わせるように進め方を工夫する必要がある。
ランド浸透・発信活動においては単発イベント
ここに挙げた企業の例は,BtoB 事業にあっ
のように,最初は勢いが見られるがやがて縮小
て自分たちの企業(グループ)に合わせた展開
し,いつのまにか消えていくケースが見られる。
をしている事例である。進め方の正解は確かに
この原因はブランド発信と浸透活動の長期的な
ひとつではないが,スタートラインは同じであ
ストーリーが描けていないところにあると考え
る。企業が置かれている環境への問題意識に加
る。
え,なにより大事なことは,自分たちの「ブラ
「ナブコ」のケースでは,当初は「
『ナブコ』
ンド」に対して改めて関心をもつこと,価値を
ブランドの価値にまず気づく,確認する」から
再確認しようという意志を持つことである。
始まり,時間をかけてそのブランドの価値をグ
自分たちのブランドはともすれば日常の仕事
ループ社員で認識し,その後,
「これからの時
の中で,忘れられがちな存在であるかも知れな
代にブランドがどうあるべきか,各自が考える」
い。それに対して,何が自分たちの会社を存在
という形に進化をしていった。
させているか,存在意義とは何か,という問い
清水建設のケースでは,
「子どもたちに誇れ
かけこそが,ブランドをよりよく生き続けさ
るしごとを。」というテーマを継続しつつ,時
せ,社会の中で確固たる存在感を得るための
間の経過,社会環境の変化とともに訴求ストー
きっかけであると思われる。
リーを少しずつ変えてきている。
事例の清水建設も「ナブコ」ブランドも,ブ
ランドの基本的な価値を探り,それを定め,全
Ⅵ . 結びにかえて
社員で共有化するところから始まった。自分自
身を知ること,ブランディングはまずそこから
ブランディングにおいて,ブランドコンセプ
始まる。
トを社員が理解し,思考を体質化させる試みは
以上
大変重要である。しかし,冒頭でも述べたが,
それは困難が伴う作業でもある。ブランディン
グを開始するところまではなんとかこぎつけ,
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 117
上條 憲二(かみじょう けんじ)
1976 年早稲田大学第一文学部社会学専攻課程卒業。
その後,第一広告社(現 I&SBBDO)において,マー
ケティングプランナー,SP プランナーとして企業の
広告コミュニケーション戦略立案。その後,ブラン
ドコンサルティングファーム・インターブランドジャ
パンにおいて企業のブランド戦略をディレクション。
現在は愛知東邦大学経営学部教授。
著書に「ブランディング 7 つの原則」(日本経済新聞
出版社 / 共著),「21 世紀のマスコミ―広告―」(大月
書店 / 共著)
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2015)
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 118
ファイナンス発想に基づく
医療マーケティングの革新
─ 株式会社エーエヌディー ─
九州大学大学院 経済学研究院 専任講師
早稲田大学 商学学術院 教授
岩下 仁
恩藏 直人
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 118
カルいつき」という医療機関がある。1 階には
Ⅰ. はじめに
カフェと外来診療,2 階には血液透析センター,
超高齢化社会の到来そして診療報酬の改定な
け住宅,5 階にはフィットネスクラブ,6 階に
ど,今日の医療業界を取り巻く環境はダイナ
はデイケア施設,そして7階にはリハビリステー
ミックに変化している。さらに,国民皆保険制
ションとレストランが入っている。
度やフリーアクセス制度といった様々な規制,
「レストランを備えた医療機関は少なからず
あるいは医療を目的とした外国人渡航者の増加
あるが,フィットネスセンター,介護施設,さ
など,医療業界の環境は複雑さを増している。
らには高齢者向け住宅までを複合した医療機関
このような激動の医療業界において,変革をも
はないでしょう。我々の事業の潜在性をみて,
たらしているベンチャーがある。福岡県博多区
AND の久保田社長は建物の融資を決断してく
に本社を構える株式会社エーエヌディー(以下,
れた。そして我々は,リハビリステーションの
AND に略)である。
ようなこれまで携わったことのない事業にまで
医療機関の経営を左右する要因の 1 つに,先
乗り出せるようになりました」と,メディカル
端医療機器の購入があげられる。先端医療機器
いつきを保有するいつき会佐藤正樹理事長は述
の導入は多額の初期投資を必要とする一方,患
べている。
者数の大幅な増加に結びつくことがある。その
いつき会のように,介護施設と医療施設を同
ため,購入可否の意思決定は,その後の医業収
時に展開した組織は十分な医業収益を見込めな
益を大きく左右する。循環器疾患を専門とする
いため,金融機関はそうした医療機関への投資
東京ハートセンターでは,不整脈の診断に使
を躊躇する傾向にある。しかしながら AND は,
用する「CARTO3」という先端医療機器の導
いつき会のモットーに共鳴し,
「メディカルい
入を決定した。磁気を利用した立体画像は心
つき」という複合施設に融資を決めたのである。
臓の細部までを映し出し,より細かな手術を
AND が医療業界にもたらす変革は,医療機
可能とする。ところが,金融機関はこの機器へ
関だけに留まらない。医療機関が医療資材を仕
の融資に難色を示した。約 5,000 万円という高
入れるディーラーにも革新をもたらしている。
額な医療機器であるため,費用対効果が十分に
診療報酬の低下で,医療機関の医業収益が先細
見込めないと判断したからだ。そのようなと
るなか,ディーラーの受注額も年々減少してい
き,AND は東京ハートセンターへの資金援助
る。ディーラーは通常,医療機関に医療資材を
を決めた。CARTO3 の導入によって,患者数
現金で販売している。現金での支払いとなると,
を投資以上に増やせると見込んだからである。
ディーラーは医療資材を医療機関に納入してか
結果として,東京ハートセンターの医業収益は
ら数カ月後にキャッシュを受け取ることにな
2015 年,前年比 200%を達成した。
る。だが,ディーラーは少しでも早く医療機関
名古屋屈指の高級住宅地石川橋に,一見する
からキャッシュを受け取りたいと考える。早く
と高級マンションかホテルを思わせる「メディ
受け取った分のキャッシュを他の投資に回せる
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3 階には介護老人保健施設,4 階には高齢者向
120
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ファイナンス発想に基づく医療マーケティングの革新
からだ。そこで,AND は売掛債権をディーラー
超高齢化社会を迎えたわが国では,医療費が
から肩代わりし,ディーラーにキャッシュをよ
2001 年度に 30 兆円を,2010 年度に 40 兆円をそ
り早く渡すサービスを始めた。AND はキャッ
れぞれ超え,国民所得を上回るペースで増加し
シュの支払いを短縮する見返りとして,ディー
ている( 図表− 1)1)。その結果 ,2002 年度には
ラーより手数料を得る。アステム株式会社吉村
診療報酬を過去最大の 2.7%も引き下げた。診
恭彰社長は,「ディーラーにはない知恵を AND
療報酬の引き下げはその後も続き,医療機関の
はもっている」と述べている。
収益を圧迫していく。医療機関 1 施設当たりの
AND は単に医療機関に融資するだけでなく,
平均赤字額は,2014 年度に過去最大の 1 億 1178
ディーラーの売掛債権の短縮化など,医療業界
万円となる 。休廃業や解散の件数についても,
のプレイヤーのニーズを的確にとらえ,マーケ
2007 年度の 121 件から,2014 年度には 347 件と
ティング発想によって革新的なビジネスを展開
3 倍近くにまで増加した 3)。地域経済活性化支
している。本稿では,AND のマーケティング・
援機構によると,医療機関が経営不振に陥った
エクセレンスについて探究してみた。
理由は,過去の大規模投資,医療人材の流出,
医業収益力の低下,そして建物の老朽化の 5 つ
2)
Ⅱ. 医療業界の現状
であるという 4)。
さらに 2012 年,閣議決定された「2025 年度
図表 —— 1 わが国の国民医療費の推移
出典)厚生労働省 『平成 25 年度国民医療費の概況』
121
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 118
までの医療提供体制」において,5 年ごとの医
関では 2025 年度に向けて,どの機能の医療機
療計画が見直された。そこで国は2014年,
医療・
関に移行するかを意思決定しなければならない
介護一体化法を立法し,
「病床機能情報の報告
(図表− 2)
。
制度」を導入した。この制度は,医療機関から
なるべく多くの看者が医療機関を受診できる
の機能報告に基づいて医療機関を分類し,その
ように,国は様々な医療制度を設けている。
分類に基づいて診療報酬を決定するというもの
代表的な医療制度には国民皆保険制度があ
である。厚生労働省は 2025 年度までに医療機
る。国民皆保険制度とは,わが国の全国民が強
関を,高度急性期,一般急性期,亜急性期,長
制的に医療保険に加入することで,被保険者ま
期療養,介護施設,居住系サービス,在宅サー
たは世帯主が保険料を支払う。その代わりに,
ビスの 7 段階に分類すると発表した(日経ヘル
保険者が医療費の多くを負担するので,保険加
スケア 2013)
。医療機関はこの制度に対応すべ
入者が病気になった際には高額の自己負担なく
く,
2025年度までに
「病床転換」
を迫られている。
医療サービスを受けられる制度である(土田
病床転換とは病床数で,医療機関を上記の 7 段
2011)。
階の機能に分け,看護師一人当たりの看者の割
医療保険が適用される医療行為は保険診療と
合を決めることである。例えば看護師 1 名に対
いわれ,医業収益の大半を占める。保険診療は,
して,最も高度な医療をおこなう高度急性期の
自己負担金が3割,診療報酬が7割で構成される。
医療機関では 7 名の看者を,一般急性期の医療
自己負担金については患者が診察時に医療機関
機関では 10 名の看者を割り当てる。各医療機
で支払う一方,診療報酬に関しては保険者が 3
図表 ——2 2025 年度に向けての病床機能の再編
単位:床
※看護師1名に対して,患者7名を割り当てる医療機関
N/A:公表資料に記載なし
出典)厚生労働省の資料をもとに,筆者作成
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ファイナンス発想に基づく医療マーケティングの革新
カ月後に医療機関に支払う。診療報酬は,厚生
益に占める割合は小さい。
労働省が定める公定価格によって 2 年に 1 度改
日本では 1 つの病気を治療する際,保険診療
定される。公定価格は医療行為ごとに診療点数
と自由診療を同時にうける混合診療は禁止され
が決まっており,1 点が 10 円で算出される。
ている。もし,がん患者が未承認の抗がん剤を
公定価格改定の際には,社会情勢や賃金水準
試そうとすると,それは自由診療となり,がん
が反映されるだけでなく,国が政策上充実させ
に関わる全ての検査や治療費は混合診療になる
たい医療項目の診療点数を意図的に高く設定す
ため,全額自己負担となってしまう。
る。これにより,医療機関を強化したい診療科
自由診療と保険診療から得られた医業収益か
に誘導できる。例えばリハビリテーション科の
ら,医療スタッフの人件費,医療機器や医薬品
治療に高い診療点数を付与すると,医療機関の
の購入といった材料費,減価償却費や修繕費な
多くはリハビリテーション科の設備やスタッフ
どの設備関係費,そして,消耗品費や通信費な
を充実させたいと考える。他の診療科よりも,
どの経費といった医業費用を差し引いた額が医
リハビリテーション科に投資した方が診療点数
業利益となる 5)。図表− 3 には,医業収益の構造
を多く得られ,収入を増やせるからだ。
が示されている。
他方,医療保険が適用されない医療行為は自
Ⅲ. 医療機関を取り巻く環境 由診療(または自費診療)といわれ,医療機関
が自由に料金を決められる。自由診療は自然分
娩による出産,放射線治療,あるいは美容整形
医療機関を取り巻く環境は今日,どのように
といった需要の少ない疾患が多いため,医業収
なっているのだろうか。医療機関そのものとと
図表 ——3 医業収益の構造
出典)公表資料をもとに,筆者作成
123
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 118
もに,患者,サプライヤー,そして今後注目す
7)
15%以上を占めなければならない 。そこで高
るべき要因について見ていこう。
度急性期医療機関の一部は,一般急性期医療機
毎年,診療報酬が引き下げられるなかで,医
関への病床転換が余儀なくされる。結果として,
療機関どうしの競争は厳しさを増している。主
一般急性期や亜急性期といった中規模医療機関
たる競争次元はできるかぎり多くの患者に通院
の競争はますます激化している。
や入院してもらうという集患であり,今後は低
2 つ目の「フリーアクセス制度」とは,保険
侵襲医療と再生医療が鍵となる。
証をもつ患者が希望する医療機関を自由に受診
低侵襲医療とは,手術や検査に伴う痛みをで
できる制度である。だが一方,この制度は医療
きるだけ少なくする医療である。代表的なもの
機関の効率面でデメリットを有する。日本人は
として,内視鏡手術があげられる。例えば,胆
大規模医療機関を好む傾向が強いため,風邪な
のうを摘出する手術では,これまでメスによっ
どのささいな病気でも,大規模医療機関を受診
て体に 20cm ほどの傷がつくことは当り前で
してしまう。結果として,大規模医療機関の稼
あった。さらに手術後,腸閉塞に悩まされる患
働率は上昇する一方,中小規模医療機関の稼働
者も少なくなかった。だが今日では内視鏡を利
率は低下する。フリーアクセス制度は,結果的
用することで,手術後の傷は数ミリとほとんど
に中小規模医療機関の競争を激化させている。
なく,早ければ 2 ~ 3 日後には退院できる 。
そこで国は 2002 年,紹介状をもたない初診患
再生医療とは,神経や骨などを人工的に作り,
者が 200 床以上の医療機関を受診する際には,
組織や臓器を修復する医療である。米国ウイス
選定療養費を課すことを取り決めた。
コンシン大学の研究グループが 1998 年,ES 細
次に,患者についてみていこう。患者が医療
胞(胚性幹細胞)を開発して脚光を浴び始めた
機関を選択する目は以前にも増して厳しくなっ
医療分野である。わが国では 2006 年に,京都
ている。理由としては,以下の2点があげられる。
大学再生医科学研究所山中伸弥教授の研究グ
第一に,インターネットの普及で,医療機関に
ループが,iPS 細胞(人工多能性幹細胞)を生
関する情報を消費者が入手しやすくなった点で
成し,話題となった。
ある。例えば,インターネットで「頼れる病院
医療機関どうしの競争に影響する要因には,
ランキング」という情報を参考にすれば,都道
6)
「2025 年度までの医療提供体制」と「フリーア
府県別に病状や先端医療に強い医療機関を即座
クセス制度」という 2 つの制度もあげられる。
に検索できる 8)。あるいは,日経ビジネスオン
1 つ目の「2025 年度までの医療提供体制」で
ラインで「病院経営力ランキング」をみれば,
は前述のとおり,
7対1の医療機関を減らす一方,
優れた医療機関を一目で見つけられる 9)。医療
介護患者を収容する医療機関を増やす方針がと
機関は患者によって格付けがなされ,明確な優
られている。 劣がつけられつつある。
このため,最も高度な医療を提供する高度急
第二に,セカンドオピニオン制度があげられ
性期医療機関に属する条件がいっそう厳しく
る。この制度では,重篤な病気の治療が必要と
なっており,入院患者のうち重症者の割合が
されたとき,患者が主治医と別の医師の意見と
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ファイナンス発想に基づく医療マーケティングの革新
を比較検討したうえで,治療を選択できるとい
本の医療業界では今後,予防医療がより重視さ
う制度である。少しでも不安や疑問を抱いたと
れるといわれる。予防医療とは,発病前に原因
きに,主治医に加え,ほかの医師の診断を受け
の除去を目的とする医学の一分野である。具体
られる。一昔前には当たり前であった,医師と
的には,生活習慣を改善する,あるいは適度な
患者との間に存在した情報の非対称性が格段に
運動をおこなう,などがあげられる。予防医療
低くなっている。
が注目されている背景には,日本人の死亡原因
医療業界には,医療機関の他にも重要なプレ
の上位 3 つを占める生活習慣病の存在がある。
イヤーがいる。医療機関に医療資材といった製
すなわち,がん,心疾患,脳血管疾患である。
品を供給する,あるいは給食,清掃または警備
第二に,自由診療がある。患者が増え続ける
といったサービスを提供するサプライヤーの存
がん治療では,自由診療になるケースが多くみ
在だ。サプライヤーには,医療資材を供給する
られている。未承認の抗がん剤治療が代表例だ。
ディーラー,給食や衣類を提供するサービス関
海外では承認される一方で,国内では承認され
連企業,医療機関から委託された医療資材の
ない抗がん剤が多く存在している。このこと
在庫管理をおこなう SPD 専門業者があげられ
は「ドラッグ・ラグ」と呼ばれ,米国と比べ日
る。SPD とは,材料物流(Supply Processing
本では 2.5 ~ 4 年,厚生労働省の承認が遅れて
Distribution)を略した言葉である。サプライ
いる(堀田 2009)
。欧米では承認されても,日
ヤーについては,次章で詳しく説明していく。
本では承認されない抗がん剤が年々増えている
最後に,医療機関に今後影響を与える 3 つの
(図表− 4)
。
要因についてふれておこう。第一に,予防医療
近年では,自由診療によるロボット手術が注
(セルフメディケーション)があげられる。日
目されている 10)。手術支援ロボット「ダヴィン
図表 ——4 欧米で承認,日本では未承認の抗がん剤数の推移
単位:個
出典)独立行政法人医薬品医療機器総合機構「未承認薬データベース」をもとに,筆者作成
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 118
チ」では,専用のコンソールに座った執刀医が,
プライヤーは 1985 年以前,ディーラーのみで
立体的に映される術部の拡大画像をみながら,
あった。ディーラーは,医療資材が収納された
ハンドルを操作して手術をおこなう。
「ダヴィ
段ボールを医療機関の倉庫に運び,医療機関の
ンチ」であれば,人間の手では困難な繊細な動
担当者が段ボールから 1 つひとつ医療資材を取
きが可能となり,患部に不要な傷がつきにくい
り出し,診療室や手術室へと置いていた。
ため,患者の負担を低減できる。
だが,転機が訪れた。1985 年の一次医療法
自由診療では,自由に価格を決められるため,
の改定である。この法改正では,医療機関の病
医療機関は高い利益率に設定できる。また患者
床数が増え,医療費が増大するのを抑制するた
は,金額に見合った治療を受けられるため,よ
めに,国は総病床数の上限を規制した。医療機
り質の高い医療が受けられる。今後は医療機関
関は病床数を増やせなくなり,医療収入がそれ
がどのように,自由診療に対応していけるかが
まで以上に増えなくなった。そこで米国より,
経営を左右するだろう。
医療資材の在庫管理費削減を図る SPD の概念
医療機関を取り巻く環境は脅威ばかりではな
が入ってきた。SPD とは,医療機関内において,
い。追い風となる要因もある。医療を目的とし
特定の棚に医療資材を置く行為を意味する。特
た外国人医療渡航者の増加である。日本政策
定の棚で医療資材を整理することで,在庫状況
投資銀行によれば,2020 年には年間,43 万人
を一目で管理できるようになる。ただし当時,
程度の外国人医療渡航者が来日し,経済波及
SPD 専門業者は存在しておらず,医療機関は
効果は約 2,800 億円に及ぶと試算されている 。
ディーラーから医療資材を仕入れていた。
政府はこれに対応すべく 2011 年,外国人医療
1990 年に入ると,サプライヤーにディーラー
渡航者の長期滞在を可能にする「医療滞在ビ
だけでなく,SPD 専門業者という新たなプレ
ザ」を発行しはじめた。さらに,経済産業省
イヤーが加わった。SPD 専門業者の役割は,医
は彼らを受け入れる組織「Medical Excellence
療機関から委託を受け,倉庫まででなく医療機
JAPAN(MEJ)
」を創設した 。今後,外国人
関にまで入り込み,特定の棚に医療資材を配置
医療渡航者をいかに取り込めるかが集患の 1 つ
する。そして過剰在庫や欠品を防止することに
の鍵となる。
あった。そこでディーラーは,SPD 専門業者
に在庫や出庫の管理をアウトソーシングするよ
11)
12)
Ⅳ. 医療業界におけるサプライヤーの変遷
うになった。結果として,ディーラーが医療資
前述のように,激変する医療業界の中で,
在庫や出庫の管理をおこなうという分業体制が
AND は ど の よ う に 誕 生 し た の だ ろ う か。 本
構築された。
章ではサプライヤーに特に光をあてながら,
ここで 1 つ疑問が浮上する。経営体力のある
AND 設立までの経緯を探っていこう。
ディーラーはなぜ,自ら SPD ビジネスを行わ
医療業界におけるサプライヤーの歴史をみる
なかったのだろうか。理由として,以下の 2 点
と,1985 年が大きな転換点となっている。サ
があげられる。第一に,SPD ビジネスはディー
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材の購買管理を,SPD 専門業者が医療資材の
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ラー・ビジネスと比較すると,売上規模が非常
ジネスとの垣根が徐々になくなっていった(図
に小さく,ビジネスとしての魅力に欠けていた
。
表− 5)
点である。第二に,ディーラーは高度なファイ
2002 年以降は前述のとおり,医療機関に対
ナンス機能を有しておらず,金融をおこなうノ
して保険から支払われる診療報酬が連続してマ
ウハウや人材が不足していた点である。
イナス改定となり,医療機関の経営状況はます
1990 年代後半には,新たな SPD 専門業者が
ます厳しくなっていく。医療機関の医業収入が
参入し競争が激化したため,SPD 専門業者は
減少するなか,ディーラーや SPD 専門業者は
それぞれサービス範囲を拡充していった。1990
新たなビジネスを模索せねばならなくなる。こ
年代初頭には在庫や出庫の最適化のみに従事し
のような過渡期を逆に商機ととらえ,AND は
ていたが,医療機関職員の業務効率化,さらに
誕生した。
は医療機関の管理業務までを担うようになっ
Ⅴ. AND の沿革と概要
た。あるいは,POS を利用した購買管理ソフト
の開発など,
SPDビジネスを高度化していった。
結果として,SPD 専門業者は医療機関の購買
1. 沿革
管理業務を兼ねるようになり,ディーラー・ビ
AND は 2013 年,創業者である久保田洋充社
図表 ——5 SPD 専門業者の業務領域の変遷
出典)インタビューをもとに,筆者作成
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 118
長により設立された。当初は,久保田社長の
リーキャッシュフローとは医療機関が自由に使
前職であったクオンシステムでの SPD 経験を
える手元資金である。そこで AND 設立にあた
活かしたビジネスだった。2013 年には SPD ビ
り久保田社長は,医療資材の「経費削減」に加
ジネスのみを行ない,約 1 億円を売り上げた。
え,
「フリーキャッシュフローの増加」を支援
2014 年からは新たに購買代行サービスを開始
する企業を目指した。
し 12 億円を,2015 年には約 45 億円を達成して
いる。売上高を時系列でみると,AND が急成
2. 事業概要
長しているかがわかる(図表− 6)
。
図表− 7 には,2015 年の AND の売上高構成比
急成長の秘密は,久保田社長の過去の苦い経
が示されている。主な事業領域は,13%を占め
験にある。久保田社長は AND を設立する前,
る SPD ビジネスと,87% を占める購買代行ビ
クオンシステムにおいて陸上自衛隊時代に培っ
ジネスである。
たインターネット技術を駆使して,独自に SPD
システムを開発した。システム自体は技術的に
1)SPD ビジネス
優れたものであったが,当初の予想よりも売れ
AND は,SPD ビジネスを第一の柱に掲げて
「経費削減」
なかった 。医療機関のニーズは,
いる。SPD ビジネスではまず,医療資材を管
だけでなく,「フリーキャッシュフローの増加」
理するためのクラウド型の専用システムを導入
にもあることを見落としていたのである。経費
する。続いてこのシステムを通して,医療資材
とは在庫管理費にはじまり,コピー代,事務用
の使用状況を,SPD専門業者がモニタリングし,
品あるいは光熱費といった事務経費であり,フ
過剰在庫や欠品を回避する。そして,在庫コス
13)
図表 ——6 AND 売上高の推移
単位:億円
出典)AND 提供資料もとに,筆者作成
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図表 ——7 2015 年 AND の売上構成
単位:億円
出典)AND 提供資料もとに,筆者作成
トを削減していく。医療資材の過去情報を利用
ターのサーバーに管理されるため,個人情報の
して,医療機関がディーラーとの値引き交渉に
漏えいといったセキュリティ上の問題もない。
のぞむこともある。
ISIS や SAVE-X にはユニークな機能も備わっ
SPD 専門業者の多くはこのようなビジネス
ている。第一に,診療科別あるいはドクター別
を手掛けているが,AND が他社と大きく異な
に,医療資材の出庫と在庫の状況を把握でき
る点はターゲットの幅にある。通常,ターゲッ
る。どの診療科やドクターが利益を上げている
トは 300 ~ 400 床の大規模医療機関である。だ
のか,あるいは損失を出しているのかが一目瞭
がこれは,
医療機関全体の8 ~ 10%にすぎない。
然となる。その結果は,組織の再編や人員の再
一方,AND のターゲットは 100 ~ 200 床の中
配置に利用できる。第二に,電子カルテとの連
小医療機関までを含み,全体の 70 ~ 80%まで
携を可能とするため,全患者の個人情報にはじ
をカバーする。AND はなぜ,ターゲットの大
まり,診療点数,処方箋そして医療費までを一
幅な拡張に成功したのだろうか。
元管理する。
一番大きな理由は,医療機関の規模に関わ
らず導入できるクラウド型システム「ISIS」や
2)購買代行ビジネス 「SAVE-X」を導入した点にある。クラウド型
2 つ目が,売上のおよそ 9 割を占める購買代
にすることで,システムの購入費を大幅に抑え
行ビジネスである。前職で久保田社長が,医
るとともに,自前でサーバーを管理する固定費
療機関のニーズが経費削減とともに,フリー
を削減できる。中小規模の医療機関でも,初期
キャッシュフローの増加にあると気付き,はじ
費用とランニングコストの面で手が届く価格設
めたビジネスである。
定にしたのだ。さらに情報が全て,データセン
購買代行ビジネスでは,PET(陽電子放射
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 118
断層撮影法)や MRI(磁気共鳴映像法)といっ
延長手数料がかかるが,5%の医療資材費を削
た高額な医療機器などの固定資産から,電子カ
減できると提案する。医療資材費削減分の方が
ルテなどの無形資産に至るすべてを医療機関
支払い延長手数料よりも多額になるため,医療
に代わり,AND による一括購入が行なわれる。
機関は当該サービスを利用することのメリット
AND がすべての医療資材を医療機関より買い
を理解できる。
取ることで在庫費用をなくし,使用した医療資
購買代行ビジネスでは,医療機関は使用した
材費に,支払い延長手数料を加算し,後日まと
分である医療資材費を後日,支払い延長手数料
めて請求する。100 ~ 200 床程度の医療機関の
とともに AND に支払うことになる。そのため
場合,年間 2,000 万円程度の在庫費用を圧縮で
支払い期日までは手元にキャッシュが残る。こ
きるため,フリーキャッシュフローが改善され,
こに,
「フリーキャッシュフローの増加」とい
資金余力が高まる。
うニーズが潜んでいる。キャッシュの支払いを
購買代行ビジネスの利用により,医療機関は
先延ばすことで,浮いた分のキャッシュを他の
ディーラーとの価格交渉に臨まなくてもよくな
投資に回せるのだ。例えば優秀な医師を医療機
る。医療機関はこれまで医療資材を発注する際
関に招聘する,あるいは新たな設備の建設と
には,ディーラー十数社から見積りを取ってい
いったことに投資できる。一方,AND は支払
た。だが当該ビジネスを利用すれば,AND1 社
い期日を延ばせば延ばすほど,その期間分の支
とのやりとりで医療資材の発注が可能となる。
払い延長手数料をより多くえられる。
最も安い価格を示したディーラーの医療資材
医療機関は資金余力を高められるため,金融
が,AND から医療機関に提案されることにな
機関からの信用が向上する。金融機関からは通
る。取引を全て AND が代行するため,ディー
常,過大な設備投資の融資をしてもらえないが,
ラーとの契約管理や請求管理といった業務が大
資金余力が高まると,高額医療機器の購入や老
幅に削減される。
朽化のための建築費といった大型融資を受けや
契約する医療機関にとって,特に AND の購
すくなる。
買代行ビジネスを利用するメリットはどこにあ
Ⅵ . 革新的なビジネスモデル
るのだろうか。仮に AND と他社で,購買代行
手数料が同額であったとしたら,どちらのビジ
ネスを利用したとしても医療資材費は変わらな
創業以来,急成長を遂げた AND であるが,
いはずだ。
前述した 2 つのビジネスをどのように展開して
AND では唐突に,医療機関に購買代行ビジ
きたのだろうか。従来の医療業界の常識を覆す
ネスを進めることはしない。まず,医療機関に
ビジネスモデルについて,理論的背景に基づき
医療資材費を下げられる余地があるかを確認す
ながら見ていこう。
る。医療機関から 1 ~ 2 年分の材料データを借
り,分析するのである。その上で例えば,購買
1. 医療機関おける情報ハブ 代行サービスを利用することで年間 2%の支払
医療機関では通常,複数の委託業者が絡む事
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ファイナンス発想に基づく医療マーケティングの革新
象が生じた場合,委託業務ごとに縦割りで組織
すぐに AND が清掃業者に連絡を行ない,その
が仕切られるため,情報伝達プロセスが複雑に
清掃業者がコンビニエンスストアに出向き清掃
なり業務が迅速に遂行されにくい。例えば,院
がなされる(図表− 8 右図 矢印①〜②順)
。医療
内のコンビニエンスストアでごみが落ちていた
機関の担当者に確認が必要な場合には,AND
場合,患者がその場で苦情を店員に伝えてもす
がその都度連絡をとる。
ぐには清掃されない。店員はまず医療機関のコ
医療機関の担当者は,多くの日常業務を抱え
ンビニエンスストア担当者に連絡する。続いて,
ているため,突然の要望や苦情に迅速な対応を
その担当者が清掃委託業者に連絡をとる。その
しづらい。そのため,解決までに時間を要する
後,医療機関の清掃担当者に確認をとり,やっ
だけでなく,場当たり的な対応をしがちである。
と店内の清掃に取りかかる(図表− 8 左図 矢印
一方,医療機関に AND のビジネスでは専任マ
。コンビニエンスストア委託業者か
①〜④順 )
ネジャー 1 名を常駐させ,委託業者間の調整を
ら,コンビニエンスストア担当医療機関担当者,
行うので,患者の要望や苦情にスピーディーか
清掃委託業者,そして清掃担当医療機関担当者
つきめ細かに対応している。
という 4 つの情報伝達プロセスを要するため,
AND では,単に委託業者間の調整を実現す
顧客の要望に迅速に対応しているとは到底いえ
るのみならず,医療機関経営者の満足度が向上
ない。医療機関の業務はコンビニエンスストア
するように,委託業者との契約条件変更もサ
にはじまり,給食,リネン洗濯,駐車場管理,
ポートしている。医療機関と警備会社との間で
さらにはドクターヘリまでと広範囲に及ぶ。
取り交わされる契約が好例といえる。医療機関
そこで AND は,医療機関の委託業務を一括
では夜中,電話がかかってきた場合,夜間勤務
管理し,委託業者と医療機関の情報ハブになる
の事務スタッフが電話にでられないことが多
ことで,時間ロスの原因となる複雑な情報伝達
い。そこで AND は,夜間の電話に関しては警
プロセスを整理した。コンビニエンスストアで
備会社が対応するように契約内容を変更するの
ごみが落ちていたら,患者が店員に苦情を伝え
である。
ると,その情報が AND に連絡される。すると
さらに契約見直しの際には,無駄なコストを
図表 ——8 情報ハブとしての AND
131
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2015)
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 118
なるべく削減し,業務効率の向上を目指す。警
ず,最適な取引の組み合わせ,さらには支払
備会社の場合ならば,警備だけでなく,院内で
い期日の延長や条件の改善までを提案してい
汚れている場所のリストを作成してもらえるよ
る。医療機関のキャッシュフローの数値が悪い
うに契約内容を変更する。すると清掃会社の担
と AND が判断した場合には,顧客と協議のう
当者は,AND の担当者から受け取ったリスト
え,購買代行手数料の支払い期日を延期し,一
をもとに,汚れている場所を重点的に清掃する
定のキャッシュが医療機関に残るよう調整して
ようになる。清掃員は午前中,汚れているとこ
いる。そして,「SAVE-X」という専用ソフト
ろのみを効率的に清掃する。そして午後には別
を導入すれば,一年中休むことなくシステムが
の清掃をおこなう。結果として,4 名必要だっ
稼働し,いつでも購買代行サービスが受けら
た清掃員が 2 名で済み,清掃会社に支払ってい
れる。AND は医療機関のニーズの束を見つけ,
た人件費は削減される。
顧客ソリューション型モデルを確立したのであ
このような医療以外の業務負荷の軽減は,医
る(Slywotzky and Morrison 1997)。
療従事者により多くの時間を本業に専念させ
図表− 9 のとおり,購買代行のみでは,得ら
る。床の汚れに関して過去には,医療の専門家
れる手数料はかぎられるため,収益はあまりあ
である看護師や薬剤師が対応しており,彼らの
がらない。さらに,売掛債権としてあらかじめ
離職やモチベーション低下の原因にもなってい
医療資材をすべて買いとることになり,その債
た。
権を回収できないリスクを抱える。あるいは,
体力がある競合他社が模倣し,利益を消滅させ
2. 顧客ソリューション型モデル てしまうかもしれない。AND にとって,購買
AND の現在の主力事業である購買代行サー
代行サービスという箱はどちらかというとデメ
ビスでは,医療資材を一括購入するに留まら
リットの方が大きい。
図表 ——9 AND の顧客ソリューション型モデル
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132
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ファイナンス発想に基づく医療マーケティングの革新
しかしながら AND は,現在の医療機関が抱
療資材を仕入れるからである。九州ではアス
える問題解決をプロフィット・ゾーンと捉え,
テムというディーラーと業務提携したが,九
購買代行サービスを展開したのである。問題
州以外の地域では他のディーラーとも手を組
解決の部分は,購買代行サービスで利用する
める。実際,関東・中京地域では,メディア
「SAVE-X」の管理手数料,取引オプションの
ス・ホールディングス株式会社などと業務提携
最適化,そして支払い期日の延長や条件の改善
をしている。したがって AND は,複数の医療
であったりする。これらの付加的なサービスで
メーカーの医療資材を扱えるため,ある医療機
顧客ニーズを満たし,手数料を獲得することで
関から手術用具をほしいといわれた時には,複
利益を生みだしているのである。
数のディーラーから仕入れた手術用具を医療機
関に提案できる。医療機関は複数のディーラー
3. 医療流通プロセスにおける新たなポジショ
とのやりとりを要しないばかりか,もっとも気
に入った手術用具を容易に購入できるようにな
ニング 医療業界には特殊な商習慣がある。医療メー
る。例えば, 図表− 10 上図 に示される,医療
カーがディーラーに対してある既得権を発動し
機関 K がマスクを購入するとき,従来は九州の
ている点である。その既得権とは,ディーラー
メーカー A,B,C が扱うマスクしか入手でき
が限られた医療メーカーとしか取引できないこ
ず,関東・中京地域のメーカーのマスクを手に
とである。突発的な事故が生じたときに,必要
入れられなかった。だが AND を介することで,
となる医療資材を即座に医療機関に運ぶ必要が
例えば関東・中京にあるメーカー D からもマ
あるため,医療メーカーは地理的に近くて,融
スクを購入できる(図表− 10 下図)。 通の利くディーラーのみと取引をおこなう。医
ディーラーからすると,AND は脅威になり
療メーカーは地元のディーラーとの関係を構築
そうである。だがそうではない。ディーラーは
するため,地域ごとに寡占市場を形成している。
通常,既得権を有する医療メーカーの縛りを受
医療機関が効率的な購買決定をする上で,こ
けるため,地元の医療機関としか取引できない
の既得権は妨げとなる。例えば,ある医療機関
が,AND を介することで,地元以外の医療機
が手術用具を扱うディーラーと取引する際に
関とも取引を可能とする。アステムは従来,九
は,当該ディーラーは既得権を有する医療メー
州にある医療機関 K,L,M としか取引ができ
カーの手術用具しか購入できない。他の医療
なかった(図表− 10 上図)
。だが AND を介する
メーカーの手術用具を手に入れたい場合には,
ことで医療資材を医療機関に運ぶ必要がなくな
一から他のディーラーと交渉しなければならな
るため,遠い距離に位置する医療機関 N,O,
。
い(図表− 10 上図)
。
P とも取引が可能となる(図表− 10 下図)
このディーラーと医療機関の間に入りこんだ
AND は,ディーラーと医療機関の間という
のが AND である(図表− 10 下図)
。AND は医
全くプレイヤーが存在しなかった流通プロセス
療メーカーが有する既得権から影響を受けな
に絶妙なポジションを築いたのである。
い。医療メーカーではなく,ディーラーから医
133
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 118
4. グローバル展開 る。今後も福岡を拠点に,アジア市場をメイン
AND の社名には,
2 つの意味がある
(表紙図)
。
に事業展開をしたい」と久保田氏は述べている。
1 つ目は「&」で,消費者や企業そして医療機
AND は 2015 年より,アジアの医療業界のマー
関が発信した様々な情報を活用しながら,顧客
ケティング・リサーチを開始しており,2016
に新たな価値を提供するという姿勢である。2
年には中国香港に海外拠点を新設し,4 つの柱
つ目は「Asian Next Distribution」の略称で,
「ア
で海外ビジネスを展開する。
ジアにおいて,未来の医療物流を実現する」と
第一が,中国における医療機器の購買代行
いう意志である。社名には,創業者久保田社長
サービスである。経済発展が進む中国では,農
の強い思いが込められているのだ。
「将来的に
村部の都市化に伴い,医療費が急速に高騰して
医療ビジネスが盛んになるのはアジア諸国であ
いる。そこで AND は 2016 年,中国の医療機関
図表 ——10 医療流通プロセスにおける AND のポジショニング
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134
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ファイナンス発想に基づく医療マーケティングの革新
と多くのネットワークをもつエム・シー・ヘル
ネスを開始した。アリババジダンが保有する企
スケア株式会社と提携し,中国の医療機関向け
業情報を活用し,日本のサプライヤーとアジア
に医療機器の購買代行サービスを計画してい
地域のバイヤーとのマッチングを計画してい
る。
る。
第二が,日本のサプライヤーとアジア地域の
第三が,医療を受けることができない世界の
バイヤー間において,医療資材の仲介をすると
貧困層に向けた予防医療サービスである。世界
いうビジネスである。AND の役割は,アジア
の総人口の約 69%に当たる約 40 億人は,Bottom
地域で不足している医療資材を日本のサプライ
of Pyramid(BOP)といわれる年間所得が 3,000
ヤーに伝えることである。ターゲットは,アジ
ドルに満たない貧困層である(Hammond et al.
アでビジネスをしている 2,500 万名以上のバイ
2007)。AND は,バングラディッシュにある医
ヤーとなる。AND は 2015 年,中国の企業間電
療機関との共同研究により,貧困層向けの医療
子商取引を運営するアリババジダン(阿里巴巴
セットを開発している。
集団)のインターネットサイトを利用したビジ
第四が,GION Japan というプライベート・
135
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 118
ブランドでアジア地域に医療資材を販売するビ
間もない企業には通常,銀行が融資を行わない。
ジネスである。手袋やマスクの包装単位,カ
そこで AND では 2015 年 7 月,与信に要する財
ラー,入り数をアジア地域ごとのニーズに合わ
源を確保するため,合同会社「スマイルにじゅ
せてリ・パッケージを実施する。
う第一号」という特別目的会社をわが国ではじ
AND は今後,海外のクライアントがニーズ
めて創設し,ストラクチャード・ファイナンス
に合致した医療資材を見つけやすくするため,
によって与信枠の確保を実現した。この特別目
本社が入る福岡県のビルの 1 フロアに最先端の
的会社は AND の保有する医療機関の「売掛債
医療機器や介護設備の常設展示場を設置する。
権」を買い取る。AND は出資者として実質的
その際,単に展示するだけではなく,顧客に触
にこの特別目的会社を管理する。仮に売掛債権
れてもらうという触覚の視点を取り入れる。医
を回収する前に医療機関が倒産しても,特別目
療機器の場合,手術室や緊急救命室など,感覚
的会社の資本が毀損するだけであり,AND 本
の微妙な違いが治療の成果を左右するからだ。
体が債務を負うことはない。
3D プリンターで再現した臓器モデルを使った
次に外部環境については,知名度の低さであ
手術ロボットのシミュレーション体験や,医療
る。創業間もないベンチャーである AND を知
の現場で活躍するロボットの使用体験ができ
る人はほとんどいない。AND はこの対応策と
る。ほかにも,手術室,ICU,背景ユニット,
してプライベート・ブランドの開発を検討して
病棟のセンサー,そしてエアカーテンなどに直
いる。社名を冠したプライベート・ブランドを
接触れることができる。AND は,単に医療資
医療従事者に販売することで,AND の名前を
材・機器の物流を支援するだけでなく,医療や
知ってもらう。プライベート・ブランド開発の
介護の現場で活躍する人材育成にも目を向けて
際に AND は,医療機関の現場に出向くだけで
いる。
なく,SPD システムを通じて,医療機関の情報
を獲得する。したがって,医療機関のニーズに
Ⅶ . 課題に対する取り組み
応えたより顧客志向のプラーベート・ブランド
AND は設立から急成長を遂げているが,課
るため,AND は 2016 年 3 月,パナソニック ES
題がないというわけではない。本章では,課題
建設エンジニアリング株式会社と業務提携を行
に対する AND の対応について,内部環境と外
なっている。
部環境という 2 つの視点から論じていく。
を開発しやすい。商品開発のノウハウを蓄積す
Ⅷ . おわりに
まず,内部環境に関しては,医療機関に対す
る与信枠の限界があげられる。購買代行サービ
スをおこなう際,医療資材の在庫を無料にする
「経費削減」や「フリーキャッシュフローの
ため,AND は多額の買掛債権を買い取ること
増加」といったファイナンスに関する医療機関
になる。しかし,与信枠の限界を超えて債権を
のニーズを捉え,AND は急成長を遂げている。
肩代わりすることはできない。さらに創業から
このことは,本事例の中核となるエクセレンス
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136
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ファイナンス発想に基づく医療マーケティングの革新
にほかならない。しかし本稿ではあえて,顧客
積極的に取り入れている。
ニーズを明確化し,それに対して的確に対応し
今世紀に入り,社内だけでなく社外の人間が
ただけで,AND が成長したわけではないこと
持つアイデアや技術から,革新的なビジネスモ
を強調したい。
デルを生みだす「オープン・イノベーション」
「我々の中核事業である購買代行サービスは,
が注目されている(Chesbrough 2003)。AND
多くの流通網を有する総合商社が取り組めない
は,規制が多くクローズドになりがちな医療業
ビジネスではありません。しかし購買代行サー
界で,まさにオープン・イノベーションを実践
ビスでは,医療機関との日々の折衝やディー
している企業である。日々厳しさを増す医療業
ラーとの細かな需給調整といった,複数の人間
界において,新たなビジネスへの着手に躊躇し
が絡む泥臭い作業が非常に多いのです。たとえ
がちな市場環境をむしろ逆手にとり,AND は
総合商社であっても,購買代行サービスに着手
ネットワーク俊敏性とオープン・イノベーショ
するには相当の業務負荷を覚悟しなければなり
ンを武器に急成長を遂げたのである。
ません。そのような腰の引けるビジネスだから
こそ,我々のようなベンチャーに勝算があると
考えています」と,久保田社長は述べている。
謝辞
マーケティング研究には「ネットワーク俊敏
本稿の作成にあたり,以下の方々にインタ
性(Network Agility)
」という概念がある(Chen
ビ ュ ー を 通 し て ご 協 力 を 頂 い た。 株 式 会 社
and Chiang 2011)
。これは,取引先とのやりと
AND 代表取締役社長 久保田洋充氏,専務取締
りをスピーディーに実行していく組織能力を表
役 福本和生氏,常務取締役 島津克典氏,社長
している。AND には,顧客ニーズを単に捉え
室室長 佐々木彩氏,アドバイザー 塩田哲也氏,
るだけでなく,顧客ニーズを満たすための仕組
金子浩一氏。医療法人いつき会グループ理事長・
みづくりを素早く実行していくネットワーク俊
院長 佐藤正樹氏,本部長 大附香一氏,経理・
敏性が備わっているのである。
財務部長 原克行氏,名駅健診センター 大谷内
久保田社長は,
「我々は生まれて間もないベ
良太氏。
ンチャーであり,大手企業のように人材が豊富
ここに記して,心より感謝申し上げたい。
なわけではありません。自分達にない知見につ
いては,臆することなく外部の専門家に意見を
伺います」とも述べている。外部の専門家を社
内に入れることに躊躇する企業は少なくない。
社内情報が外部に漏えいするリスクや,異文化
が組織内に持ち込まれることへのアレルギーが
あったりするからだ。だが AND は,金融コン
サルタントから,医療従事者,そして大学教授
に至るまで外部の専門家を招き,彼らの知見を
137
注
1)厚生労働省『平成 25 年度国民医療費の概況』を参
考にしている。
2)厚生労働省『第 20 回医療経済実態調査』を参考に
している。
3)帝国データバンク『2014 年 医療機関・老人福祉事
業者の倒産動向調査』を参考にしている。
4)帝国データバンク『2014 年 TDB Watching 特別企画:
医療機関・老人福祉事業者の倒産動向調査』を参考
にしている。
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取材レポート ─ マーケティング・エクセレンスを求めて 118
5)医療機関の損益計算書に関しては,公益社団法人全
日本病院協会のホームページを参考にしている。
http://www.ajha.or.jp/guide/7.html(2016 年 4 月 8
日時点)
6)国立大学法人九州大学病院の以下のホームページを
参考にしている。http://www.camit.org/treatment/
(2016 年 4 月 9 日時点)
7)高度急性期の医療機関の要件については,リクルー
トドクターズキャリアの以下のホームページを参考
に し て い る。https://www.recruit-dc.co.jp/rdc/
feature/rdc_survive-conditions/(2016 年 4 月 8 日
時点)
8)ダイヤモンド社『保存版 頼れる病院 2014 年版』
を参考にしている。
9)
『病院経営力ランキング』に関しては,以下のホーム
ページを参考にしている。日経ビジネスオンライン
『2015 年 病院経営力ランキング』
。http://business.
nikkeibp.co.jp/article/research/20150603/283868/
(2016 年 4 月 8 日時点)
10)
「 ダヴィンチ手術」については,以下の東京医科歯
科 大 学 ホ ー ム ペ ー ジ を 参 考 に し て い る。http://
hospinfo.tokyo-med.ac.jp/davinci/top/(2016 年 4 月
8 日時点)
11)次の資料を参考にしている。
日本政策投資銀行(2010)『進む医療の国際化~医
療ツーリズムの動向』。
12)
「Medical Excellent Japan」については,以下のホー
ムページを参考にしている。http://www.medicalexcellence-japan.org/jp/(2016 年 4 月 10 日時点)
13)久保田社長の発言は,以下の資料を参考にしている。
BizFukoka(2015),
『Marketing EYE』,vol.28, p.22.
堀田知光 (2009)「わが国における未承認薬・未承認適
応の現状と課題」Capsule,第 87 号,1-6 頁。
日経ヘルスケア(2013)「迫る病棟選択のとき」,2013
年 4 月号,日経 BP。
Slywotzky, Adrian J. and David J. Morrison (1997), The
Profit Zone, Times Books( 恩 藏 直 人, 石 塚 浩 訳
(1999)『プロフィット・ゾーン経営戦略』ダイヤ
モンド社).
岩下 仁(いわした ひとし)
九州大学大学院経済学研究院 専任講師。
専攻は,マーケティング戦略,製品戦略。
主な業績として,「市場志向が商品開発優位性に及ぼ
すメカニズム―ナレッジマネジメント・アクティビ
ティの効果―」
『流通研究』第 16 巻第4号 13-34 頁(共
著 , 2014 年),
“Key Product Design Elements for Successful
Product Development: An Exploratory Study of the
Automotive Industry,”Proceedings of the American
Marketing Association's 2015 Summer Marketing
Educators' Conference(共著 , 2015 年)などがある。
恩藏 直人(おんぞう なおと)
早稲田大学商学学術院教授。
専攻は,マーケティング戦略
参考文献
Cher and Chang (2011),“Network Agility as a trigger for
enhancing Firm Per formance A Case Study of a
High-tech Firm implementing the mixed Channel
Strafegy”
, Industrial Marketing Managemment Vol.
40. No.4, pp. 643-651.
Hammond, Allen, William J. Kramer, Julia Tran, Rob
Katz, and Cour tland Walker (2007), The Next 4
Billion: Market Size and Business Strategy at the Base
of the Pyramid, World Resources Institute(世界資源
研究所・国際金融公社(2007)
『次なる 40 億人―ピ
ラミッドの底辺(BOP)の市場規模とビジネス戦
略』).
土田武史 (2011)「国民皆保険 50 年の」『社会保険研究』
第 47 巻,第 3 号,244-256 頁。
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2015)
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Japan Marketing Academy
テーマ書評 ─ シリーズ 100
最低価格保証に関わる研究の整理
宮城学院女子大学 現代ビジネス学部 准教授
兼子良久
要約
自店舗よりも競合店の方が同じ商品を安値で提供していた場合,それに応じて返金する(もしくは値
引きする)サービスは,最低価格保証と呼ばれる。最低価格保証は,経済学分野において企業が最低価
格保証を実施する意味について戦略的側面から検討され,その後,マーケティング分野において最低価
格保証に対する消費者反応という側面から検討されるようになった。最低価格保証は一時的なプロモー
ションとして行われるものではなく,中・長期的に適用されるものなので,企業はその効果をよく理解
しておく必要がある。本稿ではマーケティング分野における既存研究を中心に知見を整理するとともに,
今後の研究の方向性を提示する。
キーワード
価格保証,最低価格保証,プライスマッチング型保証、プライスビーティング型保証
格保証を実施する企業も増えつつある。例えば,
Ⅰ. はじめに
西友は『青果の同額保証プログラム』として,
自店舗よりも競合店の方が同じ商品を安値
産 / 輸入の事項が同じ商品が競合店でさらに安
で提供していた場合に,それに応じて返金す
く販売されていた場合,競合店のチラシを持参
る(もしくは値引きする)サービスは,最低
すると同額で販売するとしている。ジェットス
価格保証(Low Price Guarantee/Lowest Price
ターは,他社の料金がジェットスターの料金よ
Guarantee)と呼ばれる。最低価格保証は,海
り安いことが確認できるウェブサイトのアドレ
外ではウォルマート(ディスカウントストア)
,
スを伝えれば,その料金から,さらに 10%引き
ターゲット(ディスカウントストア)
,ベスト
で提供するとしている。エクスペディアでは,ホ
バイ(家電量販),シアーズ(量販)など大手
テルの予約後,同じホテルをより安い金額で予
小売で一般化しており,アメリカでは大手小売
約できる他の旅行サイトを見つけた場合,2 万
の約半数が最低価格保証を実施しているとされ
円を上限として差額の 2 倍を返金するとしてい
る(Borges and Babin 2012)
。国内においても,
る。
大塚家具(家具販売)
,エディオン(家電量販)
,
最低価格保証は一時的なプロモーションとし
ヤマダ電機(家電量販)
,
西友(スーパー)
,
ジェッ
て行われるものではなく,中・長期的に適用さ
トスター(航空),エクスペディア(旅行予約
れるものなので,最低価格保証を実施する企業
サイト),トイザらス(玩具販売)
,リラックス
は,その効果をよく理解しておく必要があるだ
(高級ホテル・旅館予約サイト)など,最低価
ろう。最低価格保証については,現在まで多く
マーケティングジャーナル Vol.36 No.1(2016)
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取扱いの野菜・果物と商品名・容量・規格・国
140
Japan Marketing Academy
最低価格保証に関わる研究の整理
の研究がなされている。最低価格保証が持つ効
おいて 10 万円でパソコンを購買した消費者が,
果については,経済学分野において企業の戦略
同じパソコンが競合店で 8 万円で売られている
的側面から検討され,その後,マーケティング
ことを知り,それを PMG 実施店舗に伝えれば
分野において最低価格保証に対する消費者反応
差額の 2 万円が返金される。プライスビーティ
という側面から検討されるようになった。本稿
ング型保証(以下,PBG)とは,競合店よりも
ではマーケティング分野における既存研究を中
安い価格で販売する方式である。先の例で言え
心に知見を整理し,今後の研究の方向性を提示
ば,差額の 2 万円を超える金額が返金される。
する。
ジェットスターやエクスペディアは PBG の適
用例である。また,LPG は範囲や期間で様々な
Ⅱ. 最低価格保証のタイプ
制約が設けられる。LPG の範囲とは,価格の
「最低価格保証(以下,LPG)
」は,商品購買
高級ホテル・旅館予約サイトのリラックスは,
後,そのパフォーマンスに満足がいかなったな
比較対象がインターネット専業の宿泊予約サ
どの場合に返金を約束する「返金保証」ととも
イトであることを LPG 適用の条件としている。
に,価格保証(Price Guarantee)という制度
LPGの期間とは,保証が適用される期間を指す。
に含まれる(eg., Lin 2015)
(図− 1)
。本稿がテー
LPGが適用されるには,チラシを持参するなど,
マとする LPG には大きく 2 つのタイプがあり,
競合店で同じ商品がより安い価格で販売されて
プライスマッチング型保証とプライスビーティ
いることの証明が必要とされるが,商品購買後
ング型保証に分類される(eg., 若山 2014)
。プ
〇日以内に証明が必要という猶予期間が設けら
ライスマッチング型保証(以下,PMG)とは,
れることもあるし,商品購買時点で証明が必要
返金や値引きによって競合店と同じ価格で販
とされる場合もある。例えば,旅行予約サイト
売する方式である。例えば,PMG 実施店舗に
のエクスペディアでは,予約後 24 時間以内に
比較対象とする競合店の条件を指す。例えば,
図 —— 1 価格保証のタイプ
価格保証
(Price Guarantee)
最低価格保証
(Low Price Guarantee
/Lowest Price Guarantee)
プライスマッチング型保証
(Price Matching Guarantee)
返金保証
(Money Back Guarantee)
プライスビーティング型保証
(Price Beating Guarantee)
141
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テーマ書評 ─ シリーズ 100
LPG 適用の申請を行うことを条件としている。
合店において当該商品が価格プロモーションの
近年では新たな形態の LPG も登場している。
対象ではないなどの制約条件が加えられるし,
例えば,
APP(Automatic Price Protection)は,
競合店のチラシを持っていくといった証明が必
店舗自らが競合店の低価格の商品を探し,より
要となる。また,価格探索に要する手間など,
安い商品を見つけた場合に商品購買者に返金す
LPGが適用されるには付加的なコストが発生す
る方式であり,消費者は価格探索をする必要は
る。このようなコストを踏まえれば,価格水準
ない。ウォルマートが行っているセービングス・
が高止まりする可能性は低くなる(eg., Hviid
キャッチャー(Savings Catcher)はこの例に
and Shaffer 1999)。先の例で言えば,店舗 B の
当てはまる。このシステムは,レシートの QR
値引き額が大きくない限り,LPG 適用に必要な
コードをアプリに読み込ませると,競合店の広
手間を考えると,店舗 A に LPG の適用を要求
告価格と比較をして,競合店の方が安ければ差
する消費者は多くはないかもしれない。そのた
額が払い戻される仕組みとなっている。
め,店舗 A が LPG を実施したとしても,店舗
B にはシェアを奪うために値引きをする動機が
Ⅲ. 企業視点の最低価格保証研究
働くことになる。2 つ目は,LPG は消費者間の
経済学分野における LPG 研究は,大きく 2
Png and Hirshleifer 1987; Corts 1996; Shaffer
つの議論に分類できる。1 つ目は,LPG は囚人
and Zhang 2000)。LPG は価格感度の高い消費
のジレンマ的な状況を回避し,売り手間の協
者(LPG の情報を持つ消費者)と価格感度の低
調 を 促 す と い う 議 論 で あ る(eg., Salop 1986;
い消費者(LPG の情報を持たない消費者)で価
Hess and Gerstner 1991; Baye and Kovenock
格差別化を可能にする。市場において,相対的
1994)
。ある売り手が LPG を実施するならば,
に価格感度の低い消費者グループが多い場合に
その競合が値引きをするメリットは少なくな
は,LPG を実施しない場合よりも売り手は多く
る。例えば,店舗 A と店舗 B があるとした場合,
の利益を得ることが出来る。
店舗 A が LPG を実施したとする。店舗 B は値
店舗側が LPG を実施する背景については,
引きをすると,店舗 A も同じ額(もしくはそ
協調を促したり,差別価格を課すということよ
れ以下の価格)で販売する可能性が高くなるた
り,実際には集客を目的としている事の方が多
め,店舗 B は積極的に値引きをしようとはしな
い。先に述べたように,経済学分野における一
くなる。結果として,LPG が実施されると価
連の議論は,売り手の戦略的側面から LPG を
格競争は緩和され,高価格水準の維持に結び付
実施する意味について検討しており,LPG が消
く。経済学分野における研究の多くは,LPG が
費者反応に与える影響については検討の対象外
価格競争を抑制し,価格水準の上昇に導くか否
としている。そのため,マーケティング分野で
かを主要なテーマとしているが,市場の状況や
は,好ましい消費者反応を促す LPG とは何か
考慮される条件次第であることが指摘されてい
を主テーマとして研究がなされている。
差別価格を可能にするという議論である(eg.,
る。例えば,LPG が適用されるには,通常,競
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る消費者よりも多くなる。商品購買前には,あ
Ⅳ. 消費者視点の最低価格保証研究
らゆる努力が低価格の商品を見つけるために支
払われるため,それらは購買に必要なコストと
して知覚されるが,購買後には店舗へ戻って金
1. 購買前の評価・行動に与える影響
(1)最低価格保証の主な効果
銭を要求するといった手間が必要となるためで
特定の条件下において LPG は店舗間の協調
ある。特に探索コストが低い場合には,LPG は
を促し,価格を高水準に維持する効果があると
商品購買前の価格探索の傾向を強めることにな
されてきた。一方,
多くの店舗は低価格をアピー
る(eg., Ho et al., 2011)。
ルする手段として LPG を活用している。その
ため,LPG は相反する 2 つのシグナルを消費者
(2)最低価格保証のタイプの影響
に対して発信する。一方は店舗間の協調による
LPG は,PMG(価格差を返金する)と PBG(価
高価格のシグナルであり,他方は低価格のシグ
格差以上を返金する)に分類できる。Desmet
ナルである。Chatterjee and Roy(1997)は,
and Nagard(2005)は,PBG は PMG よりも店
LPGが消費者にどちらのシグナルとして解釈さ
舗が販売する商品の値ごろ感を高め,当該店舗
れやすいのかを検証するため,2 つの店舗があ
における購買意向を高めやすい事を明らかにし
る町で互いに LPG を実施しているシナリオと
ている。ただし,極端な条件として消費者に
実施していないシナリオを被験者に示し,商品
判断された場合には逆効果となる。Desmet et
の購買意向と推定される価格水準を測定してい
al.,(2012)は,PMG・適度な PBG(価格差の 3 倍)
・
る。結果からは,実験参加者の多くが LPG を
極端な PBG(価格差の 10 倍)に分類し,適度
実施している町での購買意向を示し,また,そ
な PBG は最もポジティブな効果を生むが,極
ちらの町の方が低価格で販売していると推測し
端な PBG は信頼性を低下させ,LPG 実施店舗
やすいことが示されており,LPG は主に低価格
への来店意向はむしろ低下することを明らかに
のシグナルとして受け取られる傾向にあること
している。Borges and Babin(2012)は,LPG
が明らかにされている。同じように,Jain and
の深さと 2 種類の LPG の方式の効果を検討して
Srivastava(2000)もまた,LPG は消費者が知
いる。LPG の多くは消費者自らがより安い商品
覚する商品の値ごろ感を高め,当該店舗におけ
を探す事を前提とするが,先に述べたように,
る購買意向を高めることを明らかにしている。
店舗側が競合店の低価格商品を探して差額を支
Srivastava and Lurie(2001) は,LPG が 発
払う方式を採用するケースもある。結果からは,
する低価格のシグナルによって,商品購買前の
PMG の場合には店舗自らが探す方式の方が購
価格探索の傾向が弱められることを明らかにし
買意向は高くなること,PBG の場合には消費
て い る。 た だ し,Kukar-Kinney(2005) の 研
者が探す方式の方が購買意向は高くなることが
究によれば,商品購買時点で LPG 適用の要求
示されている。PBG は店舗にとって金銭的リ
が可能であれば,商品購買時に LPG 適用を要
スクが大きいため,それに加えた店舗自らが探
求する消費者は,購買後に LPG 適用を要求す
す方式の採用は極端な好条件として消費者に捉
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えられ,信頼性の低下を招くためである。
Dutta(2012)・Hardesty et al.,(2012) は,
Kukar-Kinney and Walter(2003) は,LPG
知覚する過払いリスク(LPG 実施店舗の商品価
の深さと範囲が,LPG に対して知覚する信頼
格が競合店舗よりも高いと推測する程度)を踏
性と価値に与える影響を検討している。プリン
まえた検討をしている。Dutta(2012)は,製
ター購買を前提として,深さ(PMG vs 価格差
品カテゴリーに対する価格知識が少ない場合や
の 120%を支払う PBG)
,範囲(地域の事務用
購買関与が低い場合には,LPG は知覚する過
品店 vs 全ての店舗)に関して検証を行った結
払いリスクを低下させ購買意向を高めることを
果,保証額の増加は信頼性を低下させるが,範
明らかにしている。一方,価格知識がある場合
囲を広げても信頼性は低下しないこと,知覚価
や購買関与が高い場合には,自身の知識を使お
値には深さ・範囲とも正の影響を与えることを
うとするため,LPG は購買意向には影響しな
明らかにしている。
い。Hardesty et al.,(2012)は,制御焦点理論
(Regulatory focus theory)に従い,促進焦点
(3)消費者特性の影響
型の消費者(望ましい目標状態との一致を目指
Chatterjee et al.,(2003)・Kukar-Kinney et
す消費者)と予防焦点型の消費者(望ましい目
al.,(2007)は,消費者特性と LPG が発するシ
標状態との不一致を回避しようとする消費者)
グナルとの関係性を検討している。Chatterjee
に分類して検証している。結果からは,LPG
et al.,(2003)は,消費者の認知欲求との関係
は過払いリスクの回避を訴求する手法であるた
を検討している。認知欲求の高い消費者(物事
め,LPG によって予防焦点型の消費者の店舗評
を深く考える傾向を持つ消費者)は LPG の意
価は促進焦点型の消費者よりも向上しやすいこ
味を十分に考慮するため,店舗間協調を促す
と,また,促進焦点型の消費者については,
「損
シグナルとして LPG を解釈するかもしれない。
をしないようにしよう」といったニュアンスよ
しかしながら,結果からは,認知的欲求の高い
りも,
「町で一番良い買い物をしよう」といっ
消費者も低価格のシグナルとして LPG を解釈
たように促進焦点で訴求の仕方を工夫すること
するとともに,認知的欲求の高低に関わらず
で評価が高まることが示されている。
LPGを実施する店舗を好む傾向があることが示
されている。一方,Kukar-Kinney et al.,(2007)
(4)市場・製品特性の影響
は,PBG のように保証される額が大きい場合
Srivastava and Lurie(2004)は,価格比較
には,価格意識の高い消費者は高価格のシグナ
がしやすい市場かどうかについての消費者の知
ルとして解釈する傾向があることを明らかにし
覚との関係を検討している。結果からは,価格
ている。この点について,価格意識の高い消
比較がしやすい市場では,LPG を通じた低価
費者は価格に関する情報や意味を深く考える。
格のシグナルは信頼性が高いと消費者に判断さ
PBG は店舗にとって大きいコストとなるので,
れるため,そのような市場ほど LPG は店舗が
予め高い価格設定をすることでリスク回避をし
提供する商品の値ごろ感を高めやすいことが示
ていると推測するためとしている。
されている。Lurie and Srivastava(2005)は,
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LPGの対象となる商品価格との関係を検討して
結果からは,LPG は低価格のシグナルを発信
おり,LPG の対象となる商品の価格が高い時ほ
するものであり,店舗の評判と適度な不一致が
ど値ごろ感を感じやすいことを明らかにしてい
生じる場合において店舗評価は高まることが示
る。ただし,消費者に価格知識がある場合には,
されている。具体的には,低価格ではない店
価格の高低に関わらず効果は生じない。
舗(価格に関する評判が悪い店舗)
,サービス
White and Yuan(2012)は,販売される商
品質の良い店舗(サービス品質に関する評判が
品の価格幅との関係から,LPG とエブリデイ・
良い店舗)での LPG 実施は店舗評価を向上さ
ロー・プライス(以下,EDLP)の効果を検討
せる。Kukar-Kinney and Grewal(2007)・Lin
している。店舗によって販売価格に幅がある商
(2015)は,インターネット店舗に着目している。
品に対して LPG を適用することは,消費者に
Kukar-Kinney and Grewal(2007)は,消費者
とっても利益が大きく,価格差を縮小させよう
が知覚する商品の値ごろ感は,LPG よってイン
とする努力が消費者に伝わる。一方,価格幅が
ターネット店舗よりも実店舗で強まりやすいこ
狭い商品の場合には価格探索のメリットは薄
とを明らかにしている。消費者とインターネッ
く,特に EDLP は価格探索の必要性を縮小させ
ト店舗は間接的なコミュニケーションになりや
る。結果からは,購買意向は,その商品の価格
すいため,実店舗と比較するとインターネッ
幅が広い場合には LPG を実施する店舗で高く
ト店舗は LPG 適用を要求するハードルが高い
なり,価格幅が狭い場合には EDLP を実施する
と消費者に判断されるためである。Lin(2015)
店舗で高くなることが示されている。ただし,
はオンラインショップを前提として,購買意
Biswas et al.,(2006)の研究では,LPG を実施
向に LPG が与える影響を検討している。結果,
する際に販売する商品が低価格であるというこ
LPG の深さ(保証額)
・範囲(価格比較の対象
とを強調するならば,価格幅が広い商品の場合
となる店舗)は購買意向に正の影響を与えるこ
には,低価格であるという点に消費者は懐疑的
とが示されている。著者は LPG 適用期間につ
になり購買意向はむしろ低下することを指摘し
いては影響がなかった点に関し,期間は消費者
ている。
が支払う金額に影響しないこと,オンライン上
では価格情報を簡単に検索できることが背景に
(5)店舗特性の影響
あるとしている。
Biswas et al.,(2002)は,店舗の価格イメー
ジとの関係を検討している。高価格イメージ
2. 購買後の評価・行動に与える影響
を持つ店舗が LPG を実施する場合,商品の購
(1)再購買・価格探索への影響
買意向は高まるが,低価格イメージを持つ店
Kukar-Kinney(2006) は,LPG 実 施 店 舗 に
舗の場合には,購買意向が高まることはない。
おける再購買について検討している。LPG 実
Roggeveen et al.,(2014)は,店舗の評判(価
施の背景に関して,販売促進よりも顧客の利益
格に関する評判,サービス品質に関する評判)
を踏まえた顧客志向の表れとして認識されるの
と LPG 間の適合度の視点から検討している。
であれば,消費者は LPG 実施店舗へのロイヤ
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ルティを高め,再購買意向を高めることにな
発見することは,消費者の不満に繋がりやすい。
る。結果からは,価格比較対象となる競合店
Estelami and Bergstein(2006)は,商品購買
舗が多いほど(LPG の範囲が広いほど)再購
後に安い商品を発見することの影響は,商品の
買意向が高くなること,保証額の大きさ(LPG
価格幅次第でもあることを指摘している。店舗
の深さ)は再購買意向に影響しないことが示
によって販売価格に幅がある商品の場合,商品
されている。Biswas et al.,(2002)
・Dutta and
購買後に競合店で安い商品を発見しても,消費
Biswas(2005)は,商品購買後の価格探索行
者は店舗よりも市場環境にその理由を帰属させ
動への影響を検討しており,LPG 適用の要求
る。そのため,ネガティブな効果は価格幅が
が商品購買後に必要とされる場合には,商品購
広い商品の場合には軽減される。Dutta et al.,
買後の価格探索傾向は強まることを指摘してい
(2007)は,購買した商品との間に大きな価格
る。Biswas et al.,(2002)は,高価格イメージ
差があった場合には,LPG 実施店舗に対する
を持つ店舗が LPG を実施する場合には価格探
再購買意向を低下させることを明らかにしてい
索傾向は強まること,Dutta and Biswas(2005)
る。さらに,LPG 実施の背景として店舗の顧客
は,価値意識(品質と価格のバランスを重視す
志向が認識されているならば,購買後に安い商
る程度)の高い消費者において価格探索傾向は
品を発見した際に生じるネガティブな効果は緩
強まることを明らかにしている。
和されることを明らかにしている。
(2)購買価格を下回る価格を発見することの影
(3)消 費者が LPG 適用を要求する際の店舗側
響
の対応の影響
Kukar-Kinney(2005) は, 再 購 買 意 向 と
LPG 適用の要求に対する店舗側の対応は,
LPG適用を要求するタイミングとの関係を検討
LPG を適用する / 適用期限を過ぎているなど,
し,
商品購買時にLPG適用を要求する消費者は,
提示している LPG 適用の条件から外れている
当該店舗での再購買意向を高めやすいことを明
ために適用されない / 競合店でさらに安い価格
らかにしている。消費者が商品購買前に当該店
で販売されているという証明が不十分である
舗で販売されている商品よりも安い価格で商品
と店舗側が判断したために適用されない,と
を販売している店舗を見つけ,商品購買時に
いったパターンが考えられる。Estelami et al.,
LPG を要求するのであれば,その時点で低価格
(2007)は,消費者が LPG 適用を要求しても何
店舗ではないと判断している。そのため,消費
かしらの理由で LPG が適用されなかった場合
者はLPGを顧客志向のシグナルとしてポジティ
には,消費者の店舗評価は低下することを明ら
ブに解釈する。対して,商品購買後により安い
かにしている。さらに,LPG が適用されない場
価格で販売している店舗を見つけた場合,消費
合,証明が不十分であることが理由とされる方
者は誤ったシグナルを発信していると認識し,
が,店舗評価はより低下しやすいことが示され
過払いリスクの高い店舗であると知覚する。そ
ている。
のため,商品購買後に購買価格を下回る価格を
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しても,商品購買後に安い商品を発見すること
Ⅴ. まとめと研究課題
は消費者の不満を生みやすい。また,消費者が
LPGに関わる一連の研究の主な結果を整理す
いなど何かしらの理由でLPGが適用されなかっ
る。(1)LPG は店舗間協調を促し高価格へ導
た場合には,消費者の店舗評価は低下する。(9)
く可能性が指摘されているが,多くの消費者は
価格比較をしやすい市場や店舗によって販売価
LPG を高価格のシグナルではなく,低価格のシ
格に幅がある商品に関しては,消費者は LPG
グナルとして解釈し,LPG 実施店舗での商品
のメリットを享受しやすいため好意的に捉えや
購買が促される。
(2)LPG により,LPG 対象
すい。商品購買後に安い商品を発見したとして
商品や店舗が提供する商品全体に対する消費者
も,価格幅が広い商品の場合にはネガティブな
の値ごろ感は高まる。また,インターネット店
効果は軽減される。ただし,競合店で発見した
舗より実店舗で値ごろ感は高まりやすい。
(3)
商品の価格が購入価格と大きな差がある場合に
商品購買時に LPG 適用の要求が可能であれば,
は,店舗評価は低下する。
(10)消費者が LPG
価格探索は商品購買前に行われやすい。LPG
実施の背景をどのように解釈するかによって,
適用の要求が商品購買後でなければならない場
特に商品購買後の効果は変わってくる。LPG 実
合,商品購買前の価格探索傾向は軽減されるが,
施の背景について,販売促進よりも顧客志向の
商品購買後の価格探索傾向は強まる。
(4)LPG
表れとして認識されるならば,商品購買後に安
が極端な条件と捉えられた時,LPG に対して
い商品を発見する際に生じるネガティブな効果
知覚する信頼性は低下し効果は減少する。PBG
は緩和される。また,LPG の範囲の拡大は顧客
を実施することは,PMG よりも値ごろ感を強
志向の表れとして捉えられ,当該店舗での再購
め,当該店舗における購買意向を高めやすい
買意向を高める。
が,保証額を極端に大きくすることは逆効果と
以上,現在までの LPG 研究について述べて
なる。
(5)LPG の範囲を広げることのネガティ
きたが,今後の課題として以下を挙げたい。ま
ブな効果は少ない。保証額を大きくすることは
ず,LPG は範囲や期間以外にも,詳細な制約
LPG の信頼性を低下させるが,価格比較対象と
が加えられることが一般的である。例えば,航
なる店舗を拡大しても信頼性を低下させずに購
空会社のジェットスターは,比較対象価格が会
買意向を高めることが出来る。
(6)LPG は,高
員限定の運賃ではないこと等を LPG 適用の条
価格商品や高価格イメージを持たれている店舗
件としている。制約の増加によって探索コス
で実施する方が効果的である。
(7)価格知識の
トは増加するため,LPG に対する消費者反応
高い消費者は自身の知識から判断をするため,
も異なってくると考えられる。このような制約
LPG が発するシグナルは機能せず効果を持ち
の量や種類と LPG の効果について,さらなる
づらい。
(8)商品購買前に安い商品を発見し,
検討が必要であろう。2 点目に,探索コストに
LPG適用を要求する場合には消費者のポジティ
関連するが,インターネット店舗と実店舗の特
ブな態度を生む。対して,LPG が適用されたと
性を踏まえた比較検討がさらに必要である。一
LPG 適用を要求しても,適用条件に合致しな
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連の研究の多くは実店舗で実施される LPG を
前提としており,インターネット店舗の特性に
着目している研究はわずかである。近年ではイ
ンターネット店舗での LPG も一般化している。
実店舗に対して価格探索のための移動コストの
低さなどの違いも多く,必ずしも一連の研究結
果が,インターネット店舗に当てはまるとは限
らない。3 点目に,LPG 研究は家電等の耐久品
を主な対象としており,検討される製品カテゴ
リーに偏りがある。実際に LPG はサービスや
食料品などにも適用されており,製品カテゴ
リー特性を踏まえた分析も必要となるだろう。
最後に,マーケティング分野における LPG 研
究は調査票による実験がほとんどであり,店舗
実験や購買データによる効果測定はほとんどな
されていない。例えば,LPG の実施によるリ
ピート購買の有無などを検証することで,LPG
の効果はより明確になるはずである。
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Psychology, 22(3), pp. 384-394.
兼子 良久(かねこ よしひさ)
宮城学院女子大学 現代ビジネス学部 准教授。
学習院大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。
博士(経営学)。
マーケティング会社に勤務後,鹿児島国際大学経済
学部専任講師,准教授を経て,2016 年より現職。
JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016)
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ブックレビュー ─ シリーズ 86
ネットワークと消費者行動
斉藤 嘉一 著
千倉書房 2015 年
2015 年 1 月に刊行された本書は,著者である
して登場する。
斉藤氏によってこれまでに行われてきたいくつ
第 2 章では,製品間の競争・共生関係を「ス
かの研究成果を,「製品の同質化とソーシャル
タティックな競争・共生関係」と「ダイナミッ
メディアの浸透が進んだ現代的環境における消
クな競争・共生関係」とに識別し,論じている。
費者の意思決定を説明する」
(p. 8)というテー
前者はある1時点における製品間の購買の関連
マのもとに,各章に体系的に配置することに
性であるのに対して後者は,時点間にまたがっ
よって構成されている。各章を構成する精緻な
た購買の関連性であり,例えば,ある時点で製
実証研究は実に興味深いものであり,また同書
品 A を購買することによって,以降製品 B が購
全体を貫く上記のテーマは,まさに今日のマー
買されにくくなるときに,製品 A と B はダイナ
ケティングにおいて求められているものであ
ミックな競争関係にあるとする。本書では,こ
る。全体を一読した印象として,本書が提示す
のような製品間の競争・共生関係は消費者が購
るマーケティング実務への示唆は大変有益であ
買意思決定プロセスにおいて形成する考慮集合
り,また本書の学術的な位置づけも極めて重要
のあり様によって規定することによって,マー
であると確信する。以下では,各章で展開され
ケティングと消費者行動とが結びつけられてい
ている諸研究を紹介しながら,あわせて筆者の
る。
感想を述べていきたい。
2.第 3 章と第 4 章:ブランド・コミットメン
1.第 1 章と第 2 章:スタティック/ダイナミッ
トを生み出す変数
第 3 章と第 4 章では,前章で規定された考慮
クな競争・共生関係
第 1 章では,消費者意思決定プロセスを概観
集合において,
「当該製品だけが考慮される」
した上で,消費者の意思決定に影響を及ぼす消
状態を作り出すきわめて重要な概念として,ブ
費者知識のネットワークと消費者相互作用の
ランド ・ コミットメントを取り上げ,これを生
ネットワークについて考察が行われている。こ
み出す 3 つの要因として「ノスタルジックな結
れらの中で,第 4 節「消費者相互作用のネット
びつき」
「自己とブランドとの結びつき」
「ブラ
ワーク」で提起されている「未経験 WOM」と「経
ンド・ラブ」を提示した上で,これらとブランド・
験 WOM」の概念がユニークである。前者は受
コミットメントとの関係を,iPod と SONY を
信者が WOM 対象製品の未採用者であるような
刺激として収集したサンプルデータにより,構
WOM であり,他方後者は受信者が WOM 対象
造方程式モデル,および消費者間の異質性を考
製品の採用者である。これらの区別は,本書後
慮するために潜在クラス回帰分析を併用して,
半で紹介される実証研究において重要な変数と
極めて精緻に分析している。これら2つの章は,
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ネットワークと消費者行動
ここだけ取り出して読むだけでも価値がある,
有益かつ有意義な研究報告である。
4.第 7 章から第 10 章:消費者間相互作用と
WOM に関する実証研究
第 7 章からは第 IV 部として「消費者相互作
3.第 5 章と第 6 章:ダイナミックな競争・共
用によるネットワーク」としてまとめられてお
生関係と本書の問題意識
第 5 章,第 6 章では,どのようなときにダイ
り,ここが本書の中核部分となる。まず第 7 章
ナミックな競争・共生関係が成立するか,とい
で消費者相互作用に関する従来の研究を概観し
う命題のもとに,2 つの IT 製品の組み合わせが
た上で,第 8 章では非耐久財のリピート購買に
生成する 4 パターンの機能的便益(各製品の単
経験 WOM がもたらす影響に焦点を当て,具体
体の機能的便益,共通の機能的便益,併用の機
的には発泡酒とヨーグルトを刺激として収集し
能的便益)を識別し,耐久財を刺激として用い
た回答データを用いて,重要他者から発信され
て収集したデータをもとに,共通便益がダイナ
た経験 WOM が当該製品の考慮に影響を及ぼす
ミックな共生関係を作り出すことを実証してい
(スタティックな競争から回避させる)ことを
る。なお,第 6 章では,以下のような本書の 1
実証している。
つの問題意識が明示されている。
第 9 章では,消費者がなぜ WOM を発信する
(1)新製品の普及・採用に関する初期の研究は,
のかという問題意識のもとに,
「市場反応予測」
冷蔵庫や洗濯機などのように画期的であり,か
(自分以外の不特定多数の消費者が将来その製
つ相互に便益が完全に独立した耐久財を前提に
品どの程度支持するかについての予測)という
していたため,消費者間の相互作用によってよ
新たな概念を提示した上で,従来から提示され
く説明できた。(2)1980 年代半ば以降に登場
ているある製品に関する満足,知覚された新し
したネットワーク製品の普及にはネットワーク
さといった概念を加えた構造方程式モデルによ
外部性の概念がよくあてはまった。
(3)しか
り,ノンアルコールビールに関する調査データ
し今日の特に IT 製品は機能的便益が共通する
を用いて分析を行っている。結果として「市
という従来にない特徴を有しているため,これ
場反応予測」変数が未経験 WOM の発信意図に
らの概念では十分にその普及を説明できないた
影響を及ぼすこと,および他の変数から未経
め,各消費者による機能的便益を共有する他の
験 WOM の発信意図に及ぼす影響を媒介するこ
製品の先行採用の効果を考慮できる普及モデル
と,などが示されている。市場反応予測とは,
が必要である。
本書で新たに提示されたユニークな概念であ
以上のような問題意識にもとづき,第 6 章の
り,本書の1つの学術的貢献であると同時にマー
実証研究では,IT 製品の採用のしやすさは,
ケティング実務への貢献も大きい。
ある消費者がこれまでにどんな IT 製品を先行
第 10 章では,新製品の採用に関する従来の
採用・使用してきたかに影響されることが示さ
研究では主に耐久財を対象とした研究が行われ
れており,極めてユニークかつ興味深い。
てきた一方で,非耐久財でかつ漸次的に改良が
加えられる連続的新製品を対象とした検討はほ
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とんど行われてこなかった,という問題意識の
イシューとして取り上げられている製品間のス
もとに,ビールや発泡酒などの新製品に関する
タティック/ダイナミックな競争・共生関係や
購買履歴データを用いて,
「どのような消費者
これを導く製品間の共通便益に関する知見は,
がフォローされやすいか」という命題に関する
第 IV 部ではさほど重要な役割を果たしていな
実証分析を行っている。本章がユニークなの
い,等々。
は,ここで提示された(ある採用者に対する)
しかしこのような章間の連携はさておくとし
「フォロー」とは,
「当該採用者よりも時間的に
ても,各章に配置された特に実証研究は実に精
遅れて対象製品を採用すること」とのみ規定さ
緻に行われており,またその分析結果は示唆に
れていることである。このため,
(自分より後の)
富んでいる。その中でも,冒頭で紹介した「経
他者の購買に関する予測であった「市場反応予
験 WOM」と「未経験 WOM」との識別,およ
測」の精度が高い消費者ほど,フォロワー数が
び第 9 章で導入された「市場反応予測」の概念
増えることとなり,本章の分析は前章で提示さ
は,実務のみならず学術上も極めてユニークか
れた概念と有機的に結びつけられている。ただ
つ意義があるものであり,本書の1つの(2つ
し実際の分析モデル(ガンマ回帰モデル)には,
の)貢献であると思う。また日頃ブランドの「エ
この概念がそのまま取り入れられているわけで
ンゲージメント」をいかに高めるかに苦労して
はない。分析の結果,
魅力度が高く(フォロワー
いるマーケティング実務の方々には,ブランド・
と類似したブランドを身につけている消費者と
コミットメントについて極めて精緻に設計され
して定義されている)頻繁にリピート購買を行
分析された第 3 章・第 4 章だけでも一読の価値
う消費者や,魅力度が高いマーケット・メイブ
があり,有益な示唆を得られることを確信する。
ンなどが多くのフォロワーを生み出すことが示
されている。なお第10章のタイトルは
「よくフォ
評者:学習院大学 国際社会科学部 教授 澁
ローされるのはどんな消費者か」とつけられて
谷覚
いるが,本章で規定する独自の「フォロー」の
定義からは,このタイトルはややミスリーディ
ングかもしれない。
5.まとめ
本書は別々に行われたいくつかの研究を体系
的にまとめたものであるため,章間の連携には
やや弱い面もある。例えば第 4 章で精緻に分析
された「ブランド・コミットメント」をもたら
す 3 つの構成概念は示唆に富むが,特にその後
の章で用いられるわけではない。また本書の冒
頭で問題提起され,第 6 章までにおいて重要な
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編集後記
今回は『ブランド研究の再興』というテーマで げてきましたが,いよいよ我が国の実務の世界で
特集を組みました。巻頭言でも書きましたが,
『再 もそのような意識を共有するトップが増えてきた
興』という言葉を使った背景には,2000 年代の ことを嬉しく思います。そして,このようにブラ
後半に一時的に冷え込んだブランドに対する企業 ンドに対する取り組みが一歩踏み込んだフェーズ
の関心が,ここ最近非常に高まっていると強く感 に移行できているのは,長年に渡り実務家と研究
じていたことがあります。さらに肌感覚としても, 者がブランドの本質を考え続け,ブランド・マネ
企業が抱えるブランド戦略に関わる課題が,これ ジメントに関する知見を蓄積し,洞察を深化させ
までのものとは質的に変わってきているというこ てきたことの結果であると思っています。 とを感じていました。この変化は,従来はマーケ 本号の編集を通して改めて強く感じたのは,一
ティング戦略の一部として捉えられてきたブラン つ一つの研究知見や実務的なノウハウを日々積み
ドに対する認識が,昨今はブランド戦略を事業戦 重ねていくことの大切さです。個々の知見の貢献
略や全社戦略の中心に据えるべきものとして捉え はそれほど大きくなくとも,それらを愚直にコツ
られるようになってきていることに起因している コツと積み上げていくことが,長期的なマーケ
のではないかと考えます。
ティング研究の発展につながります。そうした取
私自身,ブランドは本来,企業の最も高次な戦 り組みの一つとして読者の皆さんのお役に立てる
略の中心に置かれるべきものだと長いこと申し上 ことを期待しつつ,本号をお届けします。
本誌編集委員 ——— 阿久津 聡
マーケティングジャーナル
第 36 巻第 1 号(通巻第 141 号)
2016 SUMMER
2016 年 6 月 3 0 日−発行
Online edition ー ISSN 2188 -1669
編集者−池尾恭一
発行者−石井淳藏
発行所・電子版発売元−−−−日本マーケティング学会
〒106-0032/東京都港区六本木3-5-27/六本木山田ビル・9F
(公益社団法人 日本マーケティング協会内)
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