5. 古 墳 時 代

こ
ふ
ん
じ
だ
い
5. 古墳時代
こ
ふ
ん
1. どうして大きな古墳がつくられたの?
や よい
ふ ん きゅう
弥生時代にも墳丘をもつ墓はつくられました。弥生時代の墓と古墳をどう区別するかについては
意見がわかれていますが、3世紀の終わりごろに奈良県を中心として大型の古墳がつくられるよう
になりました。これから 300 年あまりを古墳時代といいます。
世界の歴史のなかで大きな墓といえば、すぐ思いつくのがエジプトのピラミッドです。ピラミッ
ドをつくるためには、作業を行う多くの人をピラミッドの近くに住まわせ、彼らの食料や生活用品
せ い じ け ん りょく
の準備もしなければなりませんでした。つまり、大きな墓をつくるには、強大な政治権力と富が必
要です。日本の大型古墳も同じことで、強大な政治権力と富をもつ王や有力者が出現したというこ
とです。
たてあなしきせきしつ
よこあなしきせきしつ
日本の古墳にはいろいろな形があり、内部の構造も竪穴式石室や横穴式石室など多くの種類が見
はに わ
えんとう
られます。また、古墳の上やまわりに埴輪が並べられました。4世紀ごろの古墳には円筒形の埴輪
がよく見られます。5世紀ごろになると、人物、動物、武器などの埴輪も多くつくられました。また、
そうしん ぐ
ふくそう
古墳には鏡や装身具、馬具や武器・武具などが副葬されました。このようなことから、古墳からは
当時の高度な土木技術を知ることもできますし、埴輪や副葬品からは当時の人々の生活のようすが
わかります。
ほ たてがいしき こ ふん
えんぷん
帆立貝式古墳
円墳
ぜんぽうこうえんふん
前方後円墳
はちかくけいふん
八角形墳
ほうふん
方墳
ぜんぽうこうほうふん
前方後方墳
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古墳と副葬品のうつりかわり
時期
古墳の形のうつりかわり
副葬品のうつりかわり
てん り
天理市
下池山古墳、鏡
前期
きゅう りょう
丘 陵 部や山のふもとにつくられ、円
墳、方墳、前方後円墳が多くつくら
かわにし
れた。
しゃりんせき
川西町 島の山古墳 車輪石
う
だ
宇陀市
うしろ で
後出 3 号墳、鏡
中期
巨大な前方後円墳が多くつくられた。
橿原市 新沢千塚古墳群 武器と武具
おおよど
こし べ
大淀町 越部古墳
かんとう た
ち
つ か がしら
環頭大刀の柄 頭
後期
ぐ ん しゅう ふ ん
各地に群 集 墳がつくられる。
かつら ぎ
しばつか
け ん び し が た ぎょう よ う
城市 芝塚 2 号墳 剣菱形 杏 葉
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ま
き
む
く
い
せ
き
い
せ
き
2. 纒向遺跡はどんな遺跡なの?
まきむく い せき
み
わ
まきむく
せ ん じょう ち
こ ふん
しょとう
纒向遺跡は、三輪山の北西方向にひろがる巻向川の扇 状 地上につくられた古墳時代初頭の遺跡で
はん
い
き
ぼ
やま
と
す。その範囲は約 2㎞四方にもおよぶ大規模なものです。集落内部には大和ではじめてつくられた
ふん ぼ
いしづか
はしはか
ぜんぽうこうえんふん
大きな墳墓である纒向石塚古墳やホケノ山古墳をはじめ、箸墓古墳などの初期の前方後円墳が集中
しています。
から こ
かぎ
かんごう
纒向遺跡では、唐古・鍵遺跡のような集落を囲む環濠はつくられていませんが、用水路もしくは
うん が
みぞ
運河として使用されたと考えられる幅5m、深さ 1.2 mもある大きな溝がつくられていました。こ
ご がん
こ
の溝の両岸には護岸のための板が打ち込まれており、大規模な土木工事が行われていたことが想像
できます。また、祭殿と考えられるような建物群や、祭りに使ったと考えられる道具をすてた穴な
ども検出されています。
出土した土器には、中国地方や中部地方などの他の地域から運ばれてきたものがたくさんありま
す。このことから、纒向遺跡が普通の集落とは異なる性格を持つものと考えることができます。こ
や
ま たいこく
の纒向遺跡を邪馬台国と考える説もあります。
纒向遺跡の想像復原図
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さんいん
山陰・北陸系
き
び
吉備系
お わり
尾張系
纒向遺跡に運ばれてきた土器
板で護岸された大きな溝
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こ
ふ
ん
3. 奈良県で古墳はどのように出現したの?
や よい
かん
し せき
弥生時代、北部九州では、「かめ棺墓」「支石
ぼ
墓」などの墓がつくられていました。これらの
特徴は、どのかめ棺も支石墓も構造あるいは大
きさは同じようなものなのですが、副葬品に量
的、質的な差が見られることでした。古墳が出
しゅう こ う
ぼ
現する前の時代に奈良県では方形 周 溝 墓 がつ
くられていましたが、これは構造あるいは大き
ふくそうひん
さも、副葬品の量、質ともに同じようなもので
した。つまり、当時の奈良では特定の人物のた
めの墓はつくられなかったと考えられるのです。
ぼん
ち
それが 3 世紀の終わりころ、奈良盆 地 の東南
とつぜん
ぜんぽうこうえんふん
部に、まさに突然、大型の前方後円墳が出現す
るようになります。
柏木遺跡の方形周溝墓群
ホケノ山古墳
まいそう し せつ
も けい
ホケノ山古墳の埋葬施設の復元模型
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お う
ぼ
王墓出現
まきむく い せき
弥生時代の終わりごろ、奈良盆地東南部に位置する纒向遺跡のなかにいきなり全長が 100 m以上
ある前方後円墳が出現します。そして、引き続いてこの地域に集中して前方後円墳は築かれていき
こう ほ
ました。このことから、纒向遺跡はヤマト王権の中心地の候補となっています。
お お やまと
大和古墳群
やなぎ も と
柳本古墳群
ま き む く
纒向古墳群
出現期の古墳
古墳時代前期の古墳
奈良盆地東南部の前期古墳の分布図
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こ
ふ
ん
4. 初期のヤマト王権ではどのような古墳がつくられたの?
ま き む く い し づ か
纒向石塚古墳
さくら い
桜 井 市の纒向遺跡の中にある古墳の一つで、
ぜん ぽう こう えん ふん
最古の前 方 後 円 墳 の一つと考えられています。
全長約 93 mで、後円部に対して小さな前方部
と く ちょう
がつくという特徴があります。
ほり
古墳の濠 の調査で、古墳時代のはじめの土
こ もんえん
器とともに複雑な文様をきざんだ円板(弧文円
ばん
板)やにわとり形の木製品、柱に使った多くの
すき
くわ
はっくつ
木材、鋤や鍬などの木製農具が発掘されていま
す。柱材が出土していることから、この古墳に
かかわる建物があったのか、あるいは古墳の周
りに柱を立てて祭りが行われていたのか、いろ
纒向石塚古墳
いろなことが想像できます。
にわとり形の木製品
弧文円板の復元品
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は し は か
箸墓古墳
み
わ
桜井市にある三輪山のふもとにつくられた箸墓古
墳は最古の大型前方後円墳といわれています。大き
さ は、 全 長 276 m、 高 さ 25 m で、 右 の 図 を 見 る
とわかるように、前方部が4段、後円部が5段の構
せんたん
造になっています。また、前方部が先端にいくにし
と く ちょう
たがって高くなっているのが特徴です。この古墳が
ふ ん きゅう
築かれた時期については、墳 丘 上から採集された
はっくつ
り、周辺の発掘調査で出土した土器などから3世紀
おう
ぼ
後半と考えられており、ヤマト王権の最初の王墓と
する説があります。また、箸墓古墳の北にひろがる
や
ま
たいこく
こう
ほ
ち
纏向遺跡が邪馬台国の候補地のひとつであることか
ひ
み
こ
ら、邪馬台国の女王、卑弥呼の墓とする説もあります。
箸墓古墳
発掘された箸墓古墳のふき石
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さくら
い
ち ゃ う す や ま
桜井茶臼山古墳
桜井市南部に位置し、北への
きゅうりょう
びる自然の丘陵を利用してつく
られた古墳です。全長 207 m
あります。右の写真を見ると、
せんたん
せつだん
この古墳は丘陵の先端部を切断
してつくられていることがよく
わかります。そのために前方部
があまり開かない形をしている
のが特徴です。後円部から出土
つぼ
あな
した壺は、底に孔をもつことが
と く ちょう
大きな特徴の一つです。この孔
だんかい
は土器の製作の段階からあけら
れており、はじめから古墳で使
用することを目的に製作されて
います。したがって、この壺は
はに わ
土器ではなく、埴輪なのかもし
れません。
桜井茶臼山古墳
に じゅう こ う え ん つ ぼ
底に穴の開いた二 重 口縁壺
たてあな
竪穴式石室内部
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ぼん
メスリ山古墳
ち
さくら い
ぜん ぽう こう えん
奈良盆 地 の東南部、桜 井 市にある全長 230 mの大型前 方 後 円
ふん
たてあなしき
墳です。後円部中央にある竪穴式石室のまわりには長方形に大型
えんとうはに わ
円筒埴輪や円筒埴輪などを二重にめぐらせていました。大型の円
筒埴輪は高さ 242cm、直径 90cm もあり、日本最大のものです。石室は二つありましたが、一つ
とうくつ
やりさき
どうぞく
は盗掘されていました。もう一つの石室には、鉄製弓矢や 200 本を超す鉄製槍先、236 本の銅鏃、
せきせいぞく
おさ
50 本の石製鏃などが納められており、お墓というよりも、まるで武器の倉庫のようでした。
大型の円筒埴輪
メスリ山古墳
石室と埴輪の配列の復元図
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こ
ふ
ん
ま
い
そ
う
6. 古墳にはどんなものが埋葬されたの?
ほうむ
ふくそうひん
よ
おさ
そうしん ぐ
古墳には死者を葬るだけでなく、副葬品と呼ばれる品物が納められました。副葬品には、装身具
や鏡をはじめ、武器や武具、馬具などたくさんの種類がありました。土器をはじめ、石製品、金属
製品など材質もさまざまなものがあります。
うで わ
い
ぎ
ぐ
けん い
古墳時代の前期には鏡や石製の腕輪が多く副葬されました。また、威儀具と呼ばれる権威のシン
くろつか
ボルとなるものも副葬されました。なかには、黒塚古墳のように鏡を 30 面以上納めたものや、島
の山古墳のように石製の腕輪を 130 個以上納めたものも発見されています。
ぞく
よろい
かぶと
中期になると、鉄製の刀や鏃などの武器や、甲や冑などの武具、農具や工具を納める例がたくさ
ん見られるようになります。後期には、武器だけでなく馬具も納められる例も見られるようになり
す
え
き
ます。また、須恵器などの土器もたくさん納められるようになります。
これらの副葬品をよく見ると、その古墳に葬られた人が、男性であるか女性であるかがわかった
すいてい
り、どのような身分で、どのような仕事をしていたかが推定できることもあります。
まがたま
勾玉(橿原市新沢 500 号墳)
かわにし
石製品の出土状況(川西町島の山古墳)
ぎょくじょう
玉 杖(桜井茶臼山古墳)
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甲冑(新沢 139 号墳)
か っ ちゅう
かしはら
にいざわ
かつら ぎ
甲冑と刀(橿原市新沢 115・281・109 号墳)
かがみ い た
かつら ぎ
f字形鏡 板(
し ん よ う け い ぎょう よ う
さくら い
しばつか
くら
城市芝塚 2 号墳)
ひょう げ
甲冑( 城市兵 家 12 号墳)
わ
てん り
とうだい じ やま
鞍金具・前輪(天理市東大寺山 6 号墳)
たま き やま
心葉形 杏 葉(桜井市珠城山 3 号墳)
つ ぼ あぶみ
てん り
とうだい じ やま
壷鐙(天理市東大寺山 6 号墳)
かざ
み や け
いわ み
飾り馬(三宅町石見遺跡)
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は
に
わ
7. どうして「埴輪」がつくられたの?
こ ふん
ほうむ
古墳は、王や支配者を葬るためのお墓ですが、
まいそう
ぎ しき
また一方で、その埋葬の儀式が、次の王や支配
けん い
者の権威を示す場ともなりました。したがって、
古墳の上で行われる儀式には重要な意味があ
り、この儀式に関連する道具である「埴輪」も
大きな役割をもっていたと考えられます。例え
えんとう
あ く りょう
し ん にゅう
ば、円筒埴輪には、古墳への悪霊の侵入を防い
せいいき
だり、聖域を区画する意味があったかもしれま
き ざい
せん。器財埴輪や人物埴輪は古墳と王や有力者
の死後の世界を守ったのかもしれません。
古墳の儀礼
は に
わ
埴輪の種類
埴輪には土製のものと木製のものがあ
ります。
え ん と う は に
わ
円筒埴輪
円筒埴輪は丸い筒形をしています。帯
とっ
き
状の突 起 がめぐり、三角形や四角形、
丸形のすかし穴があいています。
円筒埴輪
は に
わ
家形埴輪
住居や倉庫をあらわしています。古墳時代の建物の構造がよ
さいでん
くわかります。中には祭殿と考えられる立派なものもあります。
さまざまな家形埴輪
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は に
わ
人物埴輪
当時の人々の姿が服装や持ち物がくわしく表現
されていて、その人の身分や役割がわかります。
いれずみのある人
は に
いすに座る人
弓をもつ人
巫女
わ
動物埴輪
しか
馬や鹿、いのしし、犬、鳥な
どさまざまな動物が表現され
ています。
はに わ
鳥
は に
飾り馬とその他の動物埴輪
わ
器財埴輪
たて
かぶとや盾などの戦いに使う武器、武具やきぬがさ、
ぎ しき
さしばなど儀式の道具をあらわしています。
かぶとと盾
きぬがさ
さしば(右)など儀式の道具
ゆぎ(矢を入れる道具)
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ふ
じ
の
き
こ
ふ
ん
ほ う む
13. 藤ノ木古墳に葬られたのはだれ?
いかる が
奈良県斑 鳩町の藤ノ木古墳は直径 48 m、高
さ 9 mの円墳で、6 世紀後半に築かれたと考
よこあなしきせきしつ
えられています。全長 14 mの横穴式石室の奥
せっ かん
には赤くぬられた家形石 棺 が置かれていまし
とう くつ
ひ
がい
た。古墳の多くは盗 掘 の被 害 をうけています
き
せき てき
が、藤ノ木古墳は奇 跡 的 に盗掘をうけていま
せんでした。
ごう か
石棺の奥には豪華な馬具や武具、武器などが
せっかん
置かれていました。石棺内には、2体の男性の
くつ
人骨とともに鏡、大刀、剣、冠、履、装身具な
おさ
い ぶつ
どが納められていました。これらの遺物のなか
ぞう
し
し
うさぎ
した
で注目されたのは、象・獅子・兎・舌を出した
おに
りゅう
ほうおう
めずら
す
ぼ
鬼・龍・鳳凰などの珍しい文様を透かし彫りに
こんどうせい
した金銅製の馬具で、当時の東アジアの金属工
横穴式石室と家形石棺
芸品のなかでも一級品と言われ、当時の海外との交流もうかがえます。石棺内の 2 人の男性のうち、
すいてい
ひとりは 17 ∼ 25 歳くらいの男性で身長は 170㎝と推定され、もうひとりは残された骨の数は少
ふくそうひん
てんのう
ごう
ないものの男性と考えられています。第一級の副葬品から考えて、天皇の一族かこの地の有力な豪
ぞく
族などが考えられていますが、確定はしていません。
石室内の遺物の出土状況
石室内の被葬者想定図
金銅製冠(復元品)
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金銅製鞍金具の象の文様
くら
しず わ
金銅製鞍金具 後輪
金銅製馬具の鳳凰の文様
まえ わ
金銅製鞍金具 前輪
金銅製馬具の龍の文様
くつ
金銅製履(復元品)
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