創 立 50 周 年 記 念 号 ■ 2011年9月15日 № 74 退職後の生活の安定と生きがいを高めよう 財団法人 岩手県退職教職員互助会 〠020−0022 ☎019(623)3300㈹ 盛岡市大通一丁目1−16 教育会館 発行・編集責任者 加 藤 正 好 「田水張る頃」 森越 康雄 元理事長 画 もくじ 理事長挨拶・全教互会長祝辞 ………………………2 創立50周年に寄せて(前理事長・前専務理事から) 3 法人移行に関わって(現専務理事) …………………5 全教互と加盟団体から義援金/地区連絡会/ 退教互の年譜(50年の歩み) …………………………6 現行給付一覧 …………………………………………9 創立50周年に寄せて(会員の皆様から) ……………10 東日本大震災で亡くなられた会員の方々 ………19 被災地からのおたより…………………………………16 会員の被災状況 ……………………………………17 おくやみ ……………………………………………18 罹災による一部負担金免除者への年会費返金/ あとがき ……………………………………………20 退教互会報・創立50周年記念号 (第74号) 創立50周年に寄せて 2011年9月15日 祝 辞 財団法人 岩手県退職職員互助会 全国教職員互助団体協議会 理事長 会 長 豊 巻 浩 也 久保田 柾 博 退教互は、満50歳を迎えました。当時、現職に 財団法人岩手県退職教職員互助会がこの度、創 は教職員互助会があり、医療給付をはじめとした 立50周年を迎えられることを全国教職員互助団体 いろいろな福利厚生事業が実施されていました。 協議会を代表し、心からお祝い申し上げます。 「退職後も安心して生活ができるように」との思 何よりも、3月11日、岩手県を始め突如東日本 いから設立へと準備が進められました。資料収集 を襲った大震災でお亡くなりになった方々へ心か や内部討議に一年以上の時間を要したことは、日 らご冥福をお祈りします。また被災された方々の 本国内はもちろん世界にも前例のない制度発足の ご病気やおけがの回復と、今後できるだけ早く元 ためでした。1961年10月1日、退職後の年金生活 の生活に戻りますよう、心からお祈りします。 を補完する互助制度として、個人負担となる部分 その時私は、テレビの映像を、ただただ驚きで の医療費を生涯にわたり全額給付するという素晴 見つめておりました。次々と惨状が映し出される らしい制度が発足しました。先輩方の先見性と創 なか、ひとりでも多くの人の助かることを願うこ 造性、そしてそのご苦労に敬意を表します。岩手 としかできない現実に気づかされました。 県内の全病院・医院、医療局や医師会、歯科医師 その後、毎日の報道から次第に被災された方々 会、薬剤師会、柔道整復師会等の医療関係機関の の苦しみや悲しみが伝えられると同時に厳しい状 ご理解、ご協力をいただきながら、 「窓口会計な 況の中、必死に頑張っている姿を目にするように し」の制度とすることもできました。改めて、こ なりました。その光景はそれまでとは違い、かえ の素晴らしい制度に感謝いたします。 ってその姿から生きることの意義を考え、命と助 現在、現職会員は7,253人、退職会員は15,637人 となっており、昨年度は、10億7,700万円余りの け合うことの大切さを気づかせられることとなり ました。 医療費の支払いを行っています。個人で多額の療 最近の日本は自由競争社会のもと、自己実現が 養費用を準備する必要はありません。また、準会 優先され、失敗したら自己責任の名の下に葬り去 員を認定できる制度ともなっており、感謝の言葉 られることもやむなしとされつつありました。共 が寄せられています。公益文化事業や教育文化事 に助け合い、支え合う日本の地域社会の良さが失 業、地区を中心とする福利厚生事業も実施してい われ、人間同士の絆が薄れ「無縁社会」が出現し ます。18地区においては、毎年の地区連絡会が盛 ようとしております。大震災は、私たちに助け合 大に行われ、班組織による連携や会報による情報 うことによってのみ生きることができ、支え合い 交換など孤立感を感じさせない心身ともに健康な だけが生きる勇気と希望を与えてくれることを改 生活の交流の場ともなっています。 めて思い起こさせてくれました。今、全国の互助 退教互は、政府の医療保障制度も映し出してき 団体はその根本理念にもとづき、希薄となる人間 ました。近年では、社会保険本人1割負担が1997 関係社会に警鐘を鳴らし、相互信頼の上に豊かな 年9月から2割負担に、2003年4月から3割負担 社会の実現をめざすことも大切な役割のひとつで に引き上げられました。さらなる改悪も予定され あると思います。 ています。また、公益法人改革により保険業法の 岩手県退職教職員互助会が創立50周年を機にこ 適用などの新たな課題が生じています。多くの現 れまでの成果と実績をさらに発展させ、教職員の 職会員が入会し、現職・退職会員が一体となって 相互扶助と学校・地域社会の教育振興に寄与され 退教互を維持・発展させ、退職後の大きな安心を ることを祈念し祝辞と致します。 つくることを祈念し、ご挨拶といたします。 ─2─ 退教互会報・創立50周年記念号 2011年9月15日 (第74号) 創 立 50 周 年 に 寄 せ て 30周年以降の元・前理事長から 今や退教互の恩恵を人一倍実感している。 更なる発展にむけて 高金利時代に発足した退教互も超低金利時代、 高齢化社会の進行のもとで医療費削減、自己負担 第9代理事長 率の上昇という困難な情況下にある。更に国家財 千 葉 和 夫 政の悪化とともに法人への課税が強化されようと あれから50年。時の流れは早い。全国学力テス ト阻止にむけ討議を重ねるかたわら、退教互設立 し、退教互を維持する基礎条件が一層厳しさを増 しているようだ。 の方針が論議された。生活向上の闘いとともに退 困難を乗り越えて50年を迎えた今、退教互の制度 職後の健康を自らの力で守ろうというものだ。当 充実を祝うとともに、 改めて今後の50年を展望した 時20歳台だった私は、社会保障制度の確立こそ先 い。岩教組運動と教職員福祉のあり方を根本的に大 行すべきだ。など青臭い意見をのべたものだが、 胆に論議する必要があろう。現退心を一つにして! しかし当時は、「福祉の充実を勝ち取るのが教 厳しいときこそ 助け合い 職員組合」といった原則論によって、自ら互助制 度を持つことには多くが批判的だったそうです。 第11代理事長(現教職員共済理事長) 私が現在籍を置く教職員共済(かつての日教済) 森 越 康 雄 も発足当時の歴史を紐解くと、共助である共済制 新幹線で、ある自治体の教育長をされている先 度を巡って同様の大激論が展開されていました。 一進一退しながらも要求が実現していった時代 輩と偶然隣り合わせました。開口一番、「いやぁ、 退教互で助かっているよ。安心して病院に通え から労働運動の冬の時代へ、公助である医療・福 る。 」 祉制度は次々と改悪されてきました。 『現職時代積み立てた原資で、退職後は医療費 それらの改悪は退教互の財政をも圧迫してお の心配がない』という岩手県退教互の制度は、発 り、今が踏ん張り時です。諸先輩、そして私の先 足も内容も全国の先駆けでした。 代の理事長であった故村上熙さんの志を継いで。 います。 退職教職員互助会 50周年を祝って 互助の心が、この制度の根幹です。ひとりひと りが不慮の事故や思わぬ病に遭遇しても、助け合 第12代理事長(現連合岩手会長) いの心で保障しあう点で、今の日本で最も進んだ 砂 金 文 昭 仕組みでしょう。小さな力の集まりが大きな力と 退職教職員互助会(退教互)の50周年を心から なって、全体の幸せに貢献するのです。この制度 が末永く組合運動の原点として存在していくこと お祝い申し上げます。 1961年スタート以来、自主的社会保障のしくみ を願っています。 役職員の皆様方、これまで大変ご苦労様でした。 は医療保険制度が今もって不十分な中、先駆的な 取り組みとして全国から依然高く評価され続けて 50年という節目に、立ち会えて本当に幸せです。 ─3─ (第74号) 退教互会報・創立50周年記念号 2011年9月15日 創 立 50 周 年 に 寄 せ て 30周年以降の元・前専務理事から 者の場合、その配偶者は掛金なしで慶弔を除く医 創立50周年に寄せて 療給付を受けられることとした。真に、組合団結 第5代専務理事 は、精神論を無視して動く。掛金期間の延長・慶 木 村 哲 夫 の究極の相互扶助であった。しかし、こと経済 弔規程内容の縮小、定額控除の導入。配偶者掛金 退教互の番頭と自ら呼んだ期間は、たしか8期 の制度化。ついには、年額1万円の会費納入制度 8年と記憶している。その間に30周年記念行事が へと、健全化のための方策が相次いで打ち出され あったが、創設に関わった役員の方々の多くが健 た。退教互の番頭さんは、代を追うごと厳しい局 在であった。 面に立たされ続けている。 あれから20年が経った。ご健在だったお顔を見 福利厚生制度は、社会構造の変化と無関係では ることのできない方も多くなっているという。未 いられない。雇用や労働環境の変化の影響も直に だご健在の方も高齢期を迎えられたはずだ。はる 受ける。法定福利厚生制度が厳しさを増せば、法 か後輩の私でさえも喜寿だと言ってくれる人がい 定外福利厚生制度の保護施策は打ち消される。 昭和40年代、公益法人資格取得勧告を受けて許 るのだから。 岩手県退職教職員互助会の発足は、昭和36年 可された非課税の財団法人は、2年後の11月まで (1961年) 。現役中は、公立学校共済組合と戦後間 には、課税一般財団法人への変更を余儀なくされ をおかず誕生した教職員互助会との手厚い医療給 ている。加えて「掛金と給付」の相互扶助制度が 「保険契約」に改めることを求められている。友 付もあって、健康維持が図られた。 他方、退職するや5割負担(当時)の国保への 加入となった。高額療養費制度も未だ整備され 愛と信義の互助制度が経済原則に基づく保険契約 に生まれ変わるのだ。 退教互50年の歴史は、戦後日本の社会とその構 ず、年金生活者の医療費負担は、生活に重くのし かかっていた。こうした状況下で退職後の負担を 造の変遷の縮図のように私には見える。 時代の変化はともあれ、退職教職員の心の拠り 相互扶助で軽くしようと討議を重ね発足したの 所として現職中から期待を集める退職教職員互助 が、全国唯一の退職教職員互助会であった。 夫婦共に30歳以上の岩教組組合員である教職員 はそれぞれが掛金会員となり、一方のみが有資格 会の維持発展は、番頭さんへの期待でもある。番 頭さん、本当にごくろう様です。 たかわかりません。 退教互50周年に あたって 私が退教互を担当したのは、1996年度からで す。退職会員も1万人をはるかに超え、医療費も 第6代専務理事 膨大に膨れ上がっていました。老人医療費(当時 髙 橋 政 一 の名称)の度重なる負担増がはかられ、69歳以下 1961年10月に退教互が発足して以来50年を迎え の負担割合も1997年から5年半で1割から3割に ました。先輩の皆さんは、全国に先駆けて大した 引き上げられました。1億円を超える正味財産の 制度をつくったものだと、改めて感服します。何 減少が1996年度、1997年度と続くことが明らかに 人の退職会員の方々がこの制度によって助けられ なり、このままでは、今後10数年で正味財産が枯 ─4─ 2011年9月15日 退教互会報・創立50周年記念号 (第74号) 渇してしまうため、制度の変更をせざるを得ませ 職だけに負担を強いる訳にはいかない。退職会員 んでした。 も応分の負担をすべきだとの強い意見があり、こ 1997年度に組織財政検討委員会を設置し、医療 の内容になりました。この制度での運営は当面3 給付がどこまで削減できるか、現職・退職会員の 年と考えていましたが、結果として10年間運営が 負担を、どこまで引き上げることができるのかが できました。 大きな検討内容でした。組織財政検討委員会で資 2008年度から、また大きく制度を変更し現行制 料を検討して、第一次制度変更案を作成しまし 度となりました。要因は後期高齢者医療制度の導 た。第一次変更案の説明会を県内16地区、東京、 入とともに、年収により70歳以上の2割負担者が 仙台と合わせて18地区で開催し、様々な意見を伺 3割負担に、1割負担者が3割負担になったこと いました。 が大きく影響しています。突然、70歳以上の1割 その結果、現職会員については掛金期間を1年 間延長し28年に、退職会員については1診療科に 負担者が3,500人増加したのと同じ給付増となっ たからです。 ついて月1,000円を控除し(薬局は除く)、年会費 それでも、退教互の現行給付内容は退職後の生 10,000円を納入するというものでした。退教互史 活の安心と安定に大きく貢献する制度であるとい 上初めての給付の足切り、年会費の導入をするこ えます。これまでもそうであったように、現職・ とになりました。組織財政検討委員会では現職会 退職会員の英知を結集して何としても退教互を守 員の掛金期間を3年延長し60歳まで掛ける案を提 り抜き、誇れる制度として発展させていかなけれ 示しましたが、退職会員検討委員会からいつも現 ばならないと考えます。 真面目に運営してきた退教互のような法人が 法人移行に 関わって 同列に扱われてしまいがちです。 様々ある法人移行の課題ですが、ここでは 2点のみ述べます。1点目は、一般に移行す 専務理事 る法人は公益目的支出計画を作成しなければ 加 藤 正 好 ならないことです。公益法人として集めた財 産は公益に還元しなさいという訳です。退教 挨拶にいらっしゃった証券会社の支店長さ 互は一般財団への移行を既に決めていますか んから前の職業を尋ねられ、「小学3年生の ら、正味財産のほとんどを公益に回す必要が 担任」と答えると、「そういう人事ってあり 出てきます。それは会費の積み立てだと私た ですか」と驚かれたことがあります。債券の ちが言っても、行政庁からすると税制の恩恵 売買で付き合っていることからすれば、元教 を受けてきただろうという論理になります。 員とは思いつかないし、この人事も彼らには 2点目は、平行して保険業法の適用を受け ありえない訳です。つまり、退教互は官庁に ることになり、保険契約者(退教互の場合は 巣食う補助金頼みの公益法人の類で、私のこ 会員)保護を理由に責任準備金を積む義務が とはと言うと天下りの役人とでも勘違いした 生じることです。一見いいように見えて、そ のでしょう。むしろ、狭い私たちの世界の感 の額によっては掛け金や給付額を変更する必 覚より彼等の方が一般的な認識に近いかも知 要が出てきます。保険業法については、小泉 れません。 構造改革と外圧の中で、共済事業が狙い撃ち 法人改革は、「民でやれることは民で」を された結果だと思っています。 退教互は、これまで幾多の試練を乗り越え 掛け声に始まりましたが、それとは裏腹に移 行への道筋は相当に厳しい状況です。私は、 て50年を迎えました。医療費無償化は私たち その背景に前述のような法人に対する誤認が の願いです。そのためにも、この試練を乗り あるように思えてなりません。相撲協会の不 越えて退教互を維持発展していかなければな 祥事や天下りのことが話題に上れば上る程、 りません。 ─5─ (第74号) 退教互会報・創立50周年記念号 2011年9月15日 1年以内 3万円→4万円 2年以内 2万円→3万円 3年以内 1万円→2万円 1966年7月31日 ・県歯科医師会と診療契約を締結。 1967年2月6日 ・校長会と福利厚生団体利用につ いて協定し、協力金150円の拠 出を決める。 1967年2月25日 ・県薬剤師会と調剤契約を締結。 1967年3月16日 ・独身退職会員の直系一親等内の 被扶養者1名を、同居を条件に 特認することを決める。 1967年7月24日 ・県柔道整復師会と施術契約を締 結。 1968年12月23日 ・退教互組織全国で14県に及び、 退教互東北会を結成。 ・教頭会と福利厚生団体利用につ いて協定し、岩手教育会館の福 利厚生全部門の加入を決定。 ・高教組組合員の特別加入を承認。 1969年1月25日 ・県立学校事務職組組合員の特別 加入を承認。 盟。退教部会の代表幹事県に選 出される。 1970年12月3∼4日 ・全教互退教部会研修会で「岩手 10年のあゆみ」を発表。 1971年5月12日 ・不具廃疾者の被扶養者特別認定 を決定。 1971年10月20日 ・創立10周年記念式典を岩手教育 会館で行う。 1972年3月8日 ・療養給付額から医療費助成等に よって給付される額を除くこと を決定。 退教互の年譜 全国に先駆けて 1961年に発足 1961年10月1日 ・事務局職員2名で事業開始。 1962年2月22日 ・夫婦共に教員の場合、双方共に 加入することとし、未加入配偶 者の被扶養者認定を行わないこ とを決定。 ・配偶者の認定は戸籍上の配偶者 に限定することを決定。 1962年3月 ・盛岡赤十字病院、岩手県医療局 (県立病院、同附属診療所)と 診療契約を締結。 「窓口負担なし」が実現 1962年5月24日 ・理事定数の増員を決める。 1963年3月9日 ・退職後、退職会員を希望しない 場合は、掛金相当額を退会金と して給付することを決定。 1963年8月1日 ・県医師会と診療契約を締結。 1963年10月10日 ・配偶者弔慰金を改定。 2万円→3万円 ・退職会員の香奠料を新設し、3 千円給付を決定。 1964年3月5日 ・現職会員が40歳以上で死亡した 場合、退職会員被扶養者として 配偶者の認定を決定。 県下全病院・医院との 診療契約を完了 1965年12月 ・県下全病院、医院(歯科医を除 く)との医療契約を完了。 1966年3月14日 ・配偶者弔慰金を改定。 3万円→4万円 ・現職会員の本人弔慰金を改定。 5年未満 2万円→3万円 5∼10年 4万円→6万円 10∼15年 6万円→8万円 15年以上 10万円 ・退職会員の埋葬料補助金を改定。 1969年4月 高校会員一斉加入 1970年3月24日 ・高校長協会、高校教頭協議会の 特別加入を承認。(1970年4月 1日加入) ・配偶者弔慰金を改定。 4万円→6万円 ・本人弔慰金を改定。 6年未満3万円→3年未満3万 円、5∼10年6万円→7年未満 5万円、10∼15年8万円→10年 未満8万円、15年未満12万円、 15年以上10万円→15万円。 ・埋葬料補助金を3年以内一律4 万円に改定。 ・長寿の祝を新設。 77歳2万円、83歳3万円、88歳 5万円 1970年10月1日 ・全国教職員互助団体協議会に加 ─6─ 1973年 財団法人認可 1973年3月22日 ・老人医療費無料化により療養給 付のない高齢者会員と被扶養者 に部屋料差額に応じて入院費補 助費の給付を決定。 日額無料∼200円未満は200円、 200円以上は600円を限度に実費 額。 ・新規事業として、互助年金制度 の実施を決定。1973年4月1日 から募集開始。 ・退教互の財団法人化を決定。 1973年4月24日 ・財団法人格取得の申請を県教育 委員会へ提出。 1973年7月3日 ・財団法人設立認可になる。 1973年9月 ・第1次財政分析が完了。 諸給付を増額改定 1974年5月10日 ・療養給付のない高齢者会員と被 扶養者に付添料補助費の給付新 設を決定。 給付額は1日1,000円 ・入院料補助費を改定。 無料又は300円未満は300円 300円以上は1,000円を限度に実 費額を補助。 ・配偶者弔慰金を改定。 4万円→10万円 ・現職会員弔慰金を改定。 2011年9月15日 退教互会報・創立50周年記念号 (第74号) 退教互の年譜 3年未満 3万円→5万円 7年未満 5万円→7万円 10年未満 8万円→10万円 15年未満 12万円→15万円 15年以上 15万円→20万円 ・埋葬料補助金を改定。 4万円→7万円 ・香奠の贈呈を改定。 3千円→5千円 ・長寿の祝を改定。 77歳 2万円→5万円 83歳 3万円→7万円 88歳 5万円→10万円 1975年7月 ・第2次財政分析を行う。 1976年5月18日 ・退教互財政検討委員会を設置。 掛年数を25年に延長 1976年9月20日 ・掛金納入期間の延長を決定。 15年→25年(経過措置あり) 1976年10月1日から適用。 1976年10月 ・岩手教育芸術祭の共催団体とし て参加。退職会員の出品を促す。 1977年10月2∼9日 ・新規事業として、国内研修旅行 を実施。(九州一周の旅・参加 者48人) 1978年3月25日 ・現職会員弔慰金の給付額を定額 制から、定率付加制に改め、掛 金 額 に15%を 付 加 し た 額 と 改 定。 1979年3月 ・第3次財政分析を行う。 1980年5月19日 ・副理事長2名→3名に変更。 ・餞別金を退会金に包合。 1980年12月17日 ・日教済退職者共済の発足に伴 い、退職会員の加入促進を図る ことを決定。 1980年3月28日 ・香奠の贈呈を改定。 5,000円→1万円 ・創立20周年記念行事実行委員会 設置を決める。 1981年5月8日 ・理事13名以上15名以内を理事15 名以上20名以内に変更。 1981年5∼6月 ・各地区毎に創立20周年記念講演 会を開く。 1981年9月20日∼10月1日 ・新規事業として海外研修旅行を 実施。(中国の旅・参加者14名) 1981年10月20日 ・創立20周年記念式典を盛岡会館 で行う。 1983年5月17日 ・香奠の贈呈を改定。 1万円→2万円 1984年12月10日 ・全国教職員囲碁大会岩手県予選 を開催。(新規事業) 退職会員の資格取得 年齢を45歳以上に 1987年5月20日 ・退職会員資格取得年齢を改定。 満40歳以上→満45歳以上 ・療養費給付条件を満45歳以上に 変更。 ・退会金の給付条件を満45歳未満 と変更。 ・入院料補助費・付添料補助費の 給付条件を公費負担医療によ り、本会から療養給付のない退 職会員と被扶養者に変更。 ・老人保健法一部負担金の給付を 決定。 1988年4月30日 ・資金運用委員会で検討の結果、 高率運用の答申を得る。 1989年3月24日 ・退職時一時掛金の納入期限を退 職後「3か月以内」→「2か月 以内」に変更。 1989年11月24日 ・夫婦会員弔慰金の給付条件を 「夫婦共退職会員で何れか一方 が死亡した場合」に変更。 1990年3月26日 ・退職会員組織強化検討委員会を 設置し、地区組織の強化と退職 者組織及び事業の統一化につい て協議。 掛金収納、療養給付の 電算処理を開始 1990年11月 ・掛金引去収納事務の電算処理を ─7─ 開始。 1991年3月16日 ・30周年記念企画委員会を開く。 1991年4月 ・療養費の支払給付事務の電算処 理を開始。 1991年10月6日 ・創立30周年記念式典をホテルロ イヤル盛岡で行う。 1992年3月25日 ・新規事業として、ドリーム積立 事業の開発と92年度中の募集開 始を決定。 1994年5月18日 ・退教互組織・財政検討委員会の 設置を決定。 掛年数を27年に延長 1994年12月20日 ・掛金納入期間の延長を決定。 25年→27年 ・配偶者掛金の新設を決定。 会員本人の掛金累計額の1/2額 を納入。 (上限額45万円) ・夫婦会員弔慰金の廃止を決定 ・長寿祝金の減額を決定。 満77・83・88歳に達した場合 1995年度=5万円 1996年度=3万円 1997年度以降=2万円 ・県立学校会員に対する貸付制度 の新設を決定。 1996年11月20日 ・医療費助成対象者への給付方法 を請求方式とすることを決定。 1997年3月25日 ・退教互組織・財政検討委員会の 設置を決定。 1997年5月20日 ・ドリーム積立にリビングリスク 補償特約(普通傷害保険)の導 入を決定。 1997年8月23日 ・9月から新設される薬剤費一部 負担金を給付対象としないこと を決定。 療養費の給付に 受診者負担を導入 1998年1月28日 ・4月1日からの制度変更を決定。 〔退職会員〕 (第74号) 退教互会報・創立50周年記念号 2011年9月15日 退教互の年譜 ・療養費に控除額を新設。 1診療科1,000円までを受診者 負担とする。 ・年会費を新設。 会員本人・被扶養者それぞれか ら1人1万円徴収。但し、医療費 の全額が助成される会員は免除。 ・入院料補助費について、1日 300円 か ら1,000円 ま で の 給 付 を、1日1,000円の定額に改定 し、付添料補助費を廃止。 ・ 「被扶養者」の呼称を「準会員」 と改める。 ・年会費及び療養費控除額を個人 口座からの引き落としとする 為、退職会員全員に口座振替依 頼書の提出を義務付ける。 〔現職会員〕 ・掛金納入期間の延長を決定。 27年→28年(経過措置あり) ・配偶者の準会員掛金を決定。 本人掛金総額の50%額→70%額 (経過措置あり) 1998年5月18日 ・1,000円控除を「1診療科」から、 「1療養取扱機関」と改める。 1998年8月10日 ・退職会員の退会に対して、退会 金の新設を決定。 給付額は定額2万円。資格取得 後3年以内の退会には、特別加 算額7万円を付加。 1998年8月26日 ・調剤薬局分を控除対象から除外 することを決定。 ・国保と社保継続療養での受診分 を合算して1,000円控除とする ことを決定。 1998年3月24日 ・外部監事1名の増員を決定。 1999年5月25日 ・情報公開規程を定める。 1999年5月25日 ・死亡届出書への死亡診断書の添 付を廃止し、手続きの簡素化を 決定。 1999年9月24日 ・資金運用検討委員会の設置を決 定。 2000年5月18日 ・貸付金利引き下げを決定。 年利5.76%→年利5.00% 2000年11月22日 ・全教互傷害補償制度へ加入を決 定。 2001年3月1日 ・県立病院で老健法該当者につい ても退教互の取り扱い開始。 2001年5月16日 ・組織財政検討委員会の設置を決 定。 2001年11月21日 ・現職中途退会者の退会金給付 を、退職時から退会時に改定。 2003年3月25日 ・貸付保険適用のため、貸付規程 を一部改正。 2003年11月21日 ・貸付利率の改定を決定。 年利5.00%→年利4.00% ・組織財政検討委員会の設置を決 定。 2004年8月27日 ・重度心身障がい者等医療費助成 制度の改正に伴い、患者負担の 発生する受給者に対して、療養 費の給付再開を決定。 給付額は、実質負担額から1医 療機関毎に月1,000円を控除し た額。入院料補助費の給付は従 来同様に給付を継続。 2005年4月1日 ・個人情報保護方針並びに個人情 報管理規程を制定。 2006年4月1日 ・新公益法人会計基準の全面改定 により会計処理規程を一部変更。 2006年度の支払医療費 ついに10億円を超える 2007年3月28日 ・組織財政検討委員会の設置を決 定。 2007年11月5日 ・組織財政検討委員会の答申に基 づき制度変更案を組織討議に付 すことを決定。 負担割合に応じた 控除額に改定 2008年1月22日 ・療養費控除額を一部負担金の負 担割合に応じて改定。 1割負担者=月1,000円 ─8─ (月合計控除限度額5,000円) 2割負担者=月2,000円 (月合計控除限度額7,000円) 3割負担者=月3,000円 (月合計控除限度額9,000円) ※70∼74歳の中低所得者の負担割 合の引き上げ(1割→2割)が 凍結されている為、凍結解除ま で次の経過措置を現在も継続中。 1割負担者=月1,000円 (月合計控除限度額3,000円) 3割負担者=月3,000円 (月合計控除限度額6,000円) ・長寿祝金を77歳、88歳共に定額 1万円に改定。 83歳については廃止を決定。 ・配偶者の準会員掛金を改定。 本人掛金総額の70%額→85%額 (経過措置あり) 2008年3月27日 ・年会費の免除者の適用範囲を重 度心身障がい者等で医療費の一 部が控除され助成される会員に も拡大することを決定。 2009年5月29日 ・新公益法人制度にかかわる移行 検討員会の設置を決定。 2009年11月25日 ・一般財団法人への移行を決定。 2010年11月24日 ・互助年金事業の廃止を決定。 (廃止予定日2011年9月27日) 2011年3月11日 ・東日本大震災が発生し、会員の 方々にも多数の犠牲者が出る。 2011年5月30日 ・創立50周年記念行事実行委員会 の設置を決定。 ・東日本大震災により亡くなられ た退職会員のご遺族へ、特別罹 災見舞金の給付を決定。 退職会員本人死亡 3万円 準会員死亡 2万円 2011年8月4日 ・東日本大震災による医療費一部 負担金免除者へ2011年度分年会 費の返金と免除期間中の入院に 対して入院料補助費を給付する ことを決定。 2011年10月1日 ・創立50周年記念式典をサンセー ル盛岡で行う(予定)。 退教互会報・創立50周年記念号 2011年9月15日 (第74号) 現 行 給 付 一 覧 給付区分 給 付 額 条 件 「保険診療の一部負担金」から、1医療機関について、 1 退職会員本人並びに準会 員として認定を受けた配偶 入院・外来別(調剤分については院外処方箋の発行医 者が退職した翌日から死亡 療機関別)に、それぞれ次の金額を控除した額。 までの期間とする。 ⑴ 1割負担者の場合 控除額 月 1,000円、月合計控除限度額 3,000円 2 準会員として特別に認定 された独身会員の被扶養者 ⑵ 3割負担者の場合 療 養 費 は、会員死亡又は細則に欠 控除額 月 3,000円、月合計控除限度額 6,000円 落する日までとする。 但し、高額療養費や附加給付及びその他助成等によ って、被保険者又は受給者に払い戻される額がある場 合は、その金額も控除する。 なお、身障者、母子家庭等公費によって医療費が助 成される者についての控除額は、別枠に定める。 医療費の全額又は一部が公費 入院料補助費 日額 1,000円 によって助成される退職会員 本人と準会員とする。 1 現職会員 1 満45歳未満で退職した場 掛金額と同額 合。 2 県外へ転出した場合。 3 退会した場合。 退 会 金 1 会員本人が退会した場合 2 退職会員 2 資格取得後、満3年以内 定額 20,000円 に退会した場合は、特別加 特別加算額 算額を付加する。 定額 70,000円 現 職 会 員 掛金額に15%を付加した額。 現職会員が死亡した場合。 弔 慰 金 但し、1,000円未満の端数は1,000円に切り上げる。 退職会員の資格取得後、満3 特別埋葬料 定額 70,000円 補 助 金 年以内に死亡した場合。 香 奠 料 定額 20,000円 退職会員が死亡した場合。 退職会員が次の満年齢に達し た場合。 77歳、88歳 長 寿 祝 金 定額 10,000円 ◎公費によって医療費が助成される者についての控除額の特例 1 重度心身障がい者、中度身体障がい者、母子家庭、寡婦等の医療費受給者については、一部負担 金の負担割合にかかわりなく、次の金額を控除額とする。 控除額 月 1,000円、月合計控除限度額 3,000円 但し、市町村等が実施する医療費助成の控除額が、前述の控除額より少額又は同額である場合及 び一部負担金の負担割合が1割で、その内の5割が助成される者については、次の金額を控除額と する。 控除額 月 500円、月合計控除限度額 1,500円 2 西和賀町老人医療費受給者の西和賀町内の医療機関での受診分については、一部負担金の負担割 合にかかわりなく、次の金額を控除額とする。 控除額 月 1,000円、月合計控除限度額 3,000円 但し、西和賀町外の医療機関での受診分を合わせた月合計控除限度額については、負担割合別の 月合計控除限度額のとおりとする。 ─9─ 退教互会報・創立50周年記念号 (第74号) 創 立 50 周 年 に 寄 せ て 2011年9月15日 会員の皆様から 退教互に関して全く無知であった。盛岡地区の役 私は無知であった 員の仕事に関わるようになった2007年度は、制度 変更の年であり退教互の歴史を学ぶ機会があった 盛岡地区 佐々木平子 ことで認識が一変した。50年前岩手の退教互は全 50代 国にさきがけて設立され、生涯にわたって医療費 退職4年前、集団検診結果通知のそれまでにな の給付を享受できるすばらしい制度であったこ いぶ厚い封筒を受け取ってから始まった胃カメラ と。社会保障制度の後退が私たちの負担増をまね とのつき合いは10年目を迎える。3か月に1回が いていることを知った。そして、今は公益法人制 ここ数年は年2回になっているので、あとは2か 度改革による課題が浮上している。先輩が創り守 月毎に投薬を受けるための通院である。しっかり ってきたこの制度の維持に向けて、仲間と共に取 退教互のお世話になっている。 り組んでいかなければならないと痛感している。 しかし、現職時代はもとより、退職後も私は、 る。それでいて、水 退職したら青年部 をつくるのだ。 大豆の残りがあると納豆をつくり、酒が飲みたく 岩手地区 福本 昭雄 が食べたいと言っては、大 麦を育てはじめる。麦芽から水 なると「どぶろく」をつくる。持病まで自分の力 60代 で直そうとする。一から始めて完結するまでこだ 平成18年、盛岡市と合併した旧玉山村の退教互 わりを持って自分の手でやり抜こうとする。退教 玉山会は、そのまま岩手地区に留まるという選択 互について損得を考えたとき「基本は助け合いだ をした。昔からの仲間であった事だけでなく、独 ろう」彼のこの一言は心に染みた。こんな生き様 自の工夫ある活動を展開しようとする気概が感じ は退教互玉山会の活動エネルギーとちょっと似て られる。隣人であるK氏はそのような雰囲気を持 いる。 退職後、この仲間達から学ぶ事が多く、まさに つ一人である。彼は法学部の出で、法律にやたら 詳しく、年金・保険制度などに極めて精通してい 退教互青年部の心境で毎日を過ごしている。 図って、財政的にも将来の見通しが出来る様に念 私と退教互 願します。 また、研修企画旅行も大変嬉しい事で、毎年 紫波地区 長谷川弘子 参加しています。退職して20年以上になります 70代 が国内外問わず、計画は退職者の年齢に合った行 紫波地区の連絡会で加藤専務から、退教互は結 程でとても気に入ってます。今年も北海道利尻礼 成から50年が経過する事や特に医療給付について 文の旅に出かけ3度目で念願の白いアツモリソウ は他にはない制度である事などの話を伺いまし の群落に た。病院を利用している私は会員になっていてよ 感激しました。今でも目に焼付き忘れる事はない かったと実感しました。年を増す毎に薬を手放せ でしょう。また来年の計画が待ち遠しいくらい って来ました。山一面に花が咲き乱れ なくなり、今後3割負担がどうなるのかが心配で です。体力の続く限り退教互の行事には参加し す。現職の先生方の加入を更に促進し、会員増を たいと思っています。 ─ 10 ─ 退教互会報・創立50周年記念号 2011年9月15日 (第74号) 会員の皆様から 地区連絡会では地区会員5名の出席、本部からは 退教互で楽しく 健康な生活 来賓5名で皆が苦笑したこともあります。設立15 年後の昭和50年頃でも地区の集まりには4、5名 貫地区 梅原 章 しか顔を見せず会議室の隅の方で健康や医療器具 70代 について話し合っていたことを思い出します。 現在では地区連絡会は毎年約300名、旅行・講 貫の会館で小川仁一さんに「現職中に1億円 を積立て、その利息で退職後の医療給付をする」 演会・スポーツ・レク等の行事にもいつも30名以 という退教互設立の話を聞いたのは昭和36年のこ 上の会員が参加しています。設立目的の病院支払 とでした。 い無しの医療給付に加え、年3回発行の 貫会報 当時の私は若くクラブ指導に夢中で退教互には や各種行事を楽しみながら、会員の親睦を深めて 全く関心が無かったのですが、今は退教互様様で います。退教互への期待はますます大きくなって 十分過ぎるほど恩恵に浴しています。 います。 しかし、設立時は皆同様で昭和36年第1回 貫 まだ若造だった私は、それ程の関心も期待も持た 寄りかかりっぱなし の50年 ないで先輩の話を聞いているのが実情だったと思 う。だが、たまたま実家に帰省した折、それが話 和賀地区 阿部 則子 題になった。山形の高校の教師をしていた義弟が 80代 最近、色んな場所で旧知にお会いしたりする と、「お変わりありませんでしたか」と声をかけ 「ウヮー岩手ではそんなすごいことをやるんだ」 と驚いたのだ。そして初めて私も〝すごい事〟を 実感したわけである。 ていただくようになった(ような気がする) 。そ 以来50年私は、「お変わりありませんか」と問 して一瞬戸惑いながら納得するのだ。 「そうだ、こ われるようになった今まで、退教互に寄り掛かり の年になったら何か変わっていて当然なのだ」と。 っぱなしで生かされているわけである。途中退会 私が岩教組の仲間に入れていただいた頃、岩手 県退教互設立のことが盛んに話題になっていた。 された方々の後悔話など耳にする時、会員である ことへの感謝の念でいっぱいになる。 評議員会、理事会で幾度となく討議を重ねた結 苦境を克服して 果、医療費の月1,000円までの負担、長寿祝金の 減額、年会費の拠出と大きな制度の変更が行われ 胆沢地区 高橋 満 ました。胆沢地区の会員の皆様には、ご協力、ご 80代 理解を戴き本当に有難く思いました。 退教互創立50周年を心よりお祝い申し上げます。 負担増にはなったのですが、病院に行くのにお 現在私達は、医療費を心配なく生活出来ます。 金を持たず、窓口払いをすることなく大助かりで そして、50年前の先輩の偉業に対し、唯々感謝致 す。その上、親睦、旅行等の楽しみもあります。 今のところ、通院もせず薬も服用せず厳しい八 すのみです。 私は平成3年に退職し、翌年から胆沢地区会の 十路を歩み、元気で50周年を迎えることができ、 事務局に入りました。それから10年間、政府の低 大変嬉しく思います。今後も退教互が苦境に遭お 金利政策の下、利息収入の落ち込み、新入会員の うと克服し、先輩の残した互助の精神を百周年に 減少により、退教互が窮境に立たされました。 向かって前進することを切に祈ります。 ─ 11 ─ 退教互会報・創立50周年記念号 (第74号) 2011年9月15日 会員の皆様から 仲間の皆さんの支えがあってのことと感謝してお 退職教職員互助会と 出会って ります。 さて、私の体、ひざが痛くなり、目まいがした 江刺地区 高橋芙美子 り、直ったと思うと手首が痛い。落ち着くと今度 60代 は胃のあたりがおかしい。退職後は、アレルギー 大川目中で30歳を迎えた私に「退教互に加入し 対策の点眼薬と慢性胃炎の薬を毎月投薬していた た方がいいよ」と言ってくれる人があり、すぐに だく羽目になりました。退職して2年後からは窓 加入しました。事務職のいない職場で給料計算は 口で現金を出さなくてもよいことになり、とても 私の仕事でした。山口教頭先生の指導で全員分の 楽になりました。夫も準会員として、恩恵に浴し 諸経費の引去等を計算しました。それから25年過 ており2人とも大変感謝しております。今後共退 ぎたら会費納入完了の印のある個人カードが届き 教互の運営がスムーズに行われますように願って ました。出産、子育てと仕事に追われつつも、い やみません。 つの間にか定年退職を迎えることができました。 おります。 生きる支えの退教互 これはバブル崩壊以後続く超低金利時代の中に あって人件費削減、給付内容の見直し、運営の効 西磐井地区 熊谷 隆造 率 化 等 の 経 営 努 力 に つ と め ら れ た 役 ・職 員 の 80代 この度の大震災で犠牲になられた退教互会員、 方々、年会費、療養費控除などに対する会員の理 解、協力の賜物であります。 一方下部組織である地区会の活動も大切です。 準会員の皆様に衷心から哀悼のまことを捧げま す。皆様と共に創立50周年を迎えたかったと、そ 総会、懇親会、健康講演会、囲碁大会、レク活動 れだけが残念です。 などの事業を通して、親睦と連帯の輪を拡げるこ 医療機関での窓口支払いなしが退教互の根幹を なす制度であり、退職後の年金生活を補完するも とが、退職後の生活を支える退教互の制度維持と ますますの発展につながると思うのです。 のとして、退職会員等しくその恩恵にあずかって また、現職会員の加入促進のため退教互職員と 制度の素晴らしさ を実感 分会オルグに取組み、県立学校会員の加入者が増 加したことを思い出します。そして、退教互の制 西磐井地区 小野寺育郎 度の素晴らしさが未加入者には十分に伝わってな 60代 かったことも分かりました。 今、退職会員として給付を受けてみて、改めて 退職教職員互助会の創立50周年に感慨深いもの があります。私が高教組の書記長・委員長の頃、 この制度の素晴らしさを実感しています。年金満 いかにこの退教互の財政を安定させ、継続させて 額支給前の退職者にはちょっとした医療費でも大 いくのかという議論に関わったことが思い出され きな負担で、給付は大変ありがたいものです。今 ます。 後、年金支給開始年齢も上がります。そうした 療養費の一部控除の導入では各地区会員からの 時、退教互は退職者にとって大きな力になりま 多くの意見が寄せられる中、現在の制度につなが す。退教互のさらなる財政の確立と安定継続を切 る確認がされました。 に願うものです。 ─ 12 ─ 退教互会報・創立50周年記念号 2011年9月15日 (第74号) 会員の皆様から 「退教互」いつまでも 続くことを願って 東磐井地区 小山 弘子 の時の医療費は高額療養費として大金を退教互の お世話になりました。自費での支払いは室料等で 済み、大変ありがたく思いました。それ以来、持 病の狭心症と仲よくしながら定期的に診療の都 70代 度、会のお世話になり助かっております。 平成6年退職以来、通院の度に退教互の恩恵を 50年前、将来の高齢化社会の医療制度を見越 受けられる事に感謝しながら暮らしております。 し、安心して医療が受けられる様にと、当会の設 50歳頃から高血圧で体調を気にし始め、退職後 立に尽力下さった先輩の皆様に心より感謝しお礼 は晴耕雨読の生活を楽しみ張り切っておりまし 申し上げます。そしてこの会が末永く継続してい た。57歳の時、心臓発作で病院へ。検査のため岩 けるように、今後とも皆さんと共に協力していこ 手医大へ入院(心臓カテーテル等)結果、狭心症 うと思います。 と診断されましたが手術せずに20日位で退院。そ 分会オルグをしました。懐かしいです。 「退教互」と私 〈壮大な構想(夢?)〉 今は亡き先輩が熱く語ってくれました。労働者 気仙地区 佐藤 浩一 の病院を「日教済」。退職後の養護施設を「退教 70代 互」 。金融機関を「労働金庫」 。今も頭に強烈に残っ ています。 〈同じ誕生日〉 退教互設立1961年、小生教員として採用1961 〈尊敬します〉 50年前、20年後、30年後の社会保障制度につい 年、同じ時代を生きて50年。「縁」の不思議を感 て激論を交わし全国に先駆けて結成された「退教 じます。 互」。今も寄せられる、多くの会員からの感謝の 〈歌の文句じゃないけれど〉 分会を回って退教互加入のオルグ。♪30過ぎた 言葉。現在の医療保険制度の中で、退教互の存在 ら薬はゴルフ♪のコマーシャルソングの替え歌 は大きなものがあります。先輩方の勇気と先見の で、♪30過ぎたら退職互助会♪良く口にしながら 明に敬意を表します。 あり、退職後のことはあまり考えないという空 退教互50周年 おめでとう 論?も多かったと思います。結果として数名の頑 固者はおりましたが、その後医療費はどんどん上 遠野地区 京谷 敬典 昇しましたから、将来に向けてとても良い事だと 80代 思いました。当時は55歳定年でした。発足以来直 岩教組50年史によれば、勤評闘争以来の組織の ちに朗報が参りました。町内の高校退職の方のご 困難を克服するための新たな視点の論議の結果、 家族から、循環器系の手術で「お金がかからず大 「退職後も医療給付が受けられる制度」を自主的 変ありがたかった」と感謝されました。同様の声 に設立するということで、職場討議に付されまし はその他多くの方から寄せられました。小生も循 た。その結果、全国に先駆けて1961年10月に発足 環器から消化器系と、年を取れば致し方なく皆様 しました。 のやっかいになっております。一般財団法人移行 当時分会での話し合いでは異論は出ませんでし たが支部幹事会では、池田内閣後の経済成長期で への政府の攻撃もありますが、先ずは現職の加入 促進が大事に思われます。 ─ 13 ─ 退教互会報・創立50周年記念号 (第74号) 2011年9月15日 会員の皆様から 瓦礫の山に茫然とし、犠牲になられた方々に心よ 東日本大震災・ 被災地から りご冥福をお祈りするばかりです。被災した子ど もたちの姿には、胸が痛みますが、そのような環 宮古地区 大久保祥子 境の中でも時おり見せる笑顔に希望を感じており 60代 ます。 3月11日、東日本を襲った大地震による大津波 また、会員の方々が、会員の安否確認のために が風光明媚な海岸線を根こそぎ消滅させてしまっ 走り回っておられたり、ボランティアをなさって た。退教互50年の歩みの中でこれほど悲惨な出来 いる等には、頭が下がります。わたしも、友だち 事があったでしょうか。家族が、教え子が、元同 に呼びかけ、送られてきた品物や家にある物を被 僚が、同級生が、親類が、あまりにも多くの尊い 災した方々に届けています。 復興へは時間がかかりそうですが、力強く歩み 生命が奪われてしまいました。多くの家屋も倒壊 し、会員の方々に深い悲しみをもたらしました。 続けてほしいと祈っております。 今もって所在不明の方がおありです。ただ、ただ いに満ち 機関紙「下北」を 軸として 区の悪夢のような写真掲載となった。機関紙「下 下北地区 大澤東一郎 れた「下北」になっている。今年の15号 は「3・11東日本大震災」となり、海に面した地 北」は今では我々の歴史そのものになっている。 70代 会員数53名うち、新入会員1名(2年ぶり)。 今回の津波により盛岡や久慈に住所を変えた会 員も含め、一人ひとりがかつてない強い絆を感じ 下北地区退職教職員互助会の23年度の現状です。 ている。それぞれが退職教職員互助会50周年と同 下北地区会では学習会や研修旅行等をやってき じ年月をこの下北で歩んできた数々の思いと重ね ており、更に平成9年からは機関紙「下北」を発 ながら新たな頑張りを続けていけそうです。 刊してきている。5号から「ここにも学校があっ 50周年おめでとうございます。益々の充実発展 た」を特集として各地区を取り上げてきた。この をお祈りし下北地区会員を代表してお祝い申し上 創刊は広い地域に住む会員の皆さんの心の響き合 げます。 た。小泉政権の非道さも思い知らされた出来事で 退教互に守られて した。私は、つくづく退教互に守られているのだ と思い感謝しました。 九戸地区 関上 房子 次に嬉しいのは、「企画旅行」です。数多くの 70代 私が一番有難いと思うのは「療養費給付制度」 国内外の旅行の中でも、特に外国旅行は私を育て てくれたものです。他国の風土や人々と触れ、文 付く体に、一昨年の冬転倒して 化の違いに気付かされ納得し、反省もさせられま 片腕を骨折し入院しました。不自由な暮らしの中 した。もし、現職中に行くことが出来たら、私の で心まで沈んで(うつ状態)しまいましたが、入 授業は違ったものになっていたと思われるので 院費の悩み事は有りませんでした。 す。 です。年と共に 退教互は50年の歴史を第一歩として、次への更 同室の人達は「会計」を心配し、ある母親は、 見舞いに来た息子から「俺は今失業中で、金が無 なる第二歩を輝かせるよう、この老いは見守って いからババア払っておけ」と言われ泣いていまし います。 ─ 14 ─ 退教互会報・創立50周年記念号 2011年9月15日 (第74号) 会員の皆様から 退教互誕生 50周年記念に思う! 二戸地区 三上 候夫 う音声を聞くたびに「なんかわるいなあ!」とい う気持ちにさせられます。反面、この制度があっ て「本当にありがたい!助かるなあ!」という感 謝の思いにかられます。 70代 私は、平成9年3月に定年退職し、これから は、自分の好きな道を歩もうと考えておりました また、医療面だけではなく、毎年開かれる地区 連絡会では、会員の方々と一年ぶりに再会し、 「お互いに元気で、無事を確認し合ったり、お互 が、数年後に体調を崩し、たびたび病院のお世話 いの悩みや今後の生き方など」を話し合う中で、 になるようになりました。現在も毎月のように通 会員同士の親睦も深まります。退教互という組織 院しています。その度に自動支払機で会計を済ま があってこそ、「互助の精神」を学べる機会に せますが、毎回「ゼロ円です。今日のお支払いは もなります。 この制度が永遠に続けられますように、会員同 ございません。ご確認下さい。」と表示されます。 隣の方の「今日は、○○円お支払下さい。 」とい 退職後充実した組織の中で 過ごせた事に感謝して 東京地区 木村 玲子 士手を携えて協力していきたいと思います。 研修旅行を最後に、2008年度より芸術鑑賞を取り 入れました。行事には多くの方々の参加を望みな がら、その都度電話かけをしましたが、 「先日兄 が亡くなりそれどころではありません」とか「母 80代 は寝たきりですから何の連絡も必要ありません。 1972年夫の転勤で42歳で退職上京。長女の小中 年金さえ頂ければ」と迷惑がられたかと思えば、 高時代はPTA 活動に熱中し、埼玉に越してから 逆に近況を次々と話して下さる方、いろいろと聞 は、埼玉桐の会に参加して、数年間活動しまし きたがる望郷の念の熱い方の多い事に気付きまし た。その後、退教互東京地区会事務局の一員とし た。早速東京地区の会報「みちのおく」に全会員 て理事をしていた2002年3月29日、刈屋事務局長 の近況やメッセージを載せるようにしました。 が急逝され、遊佐会長より急遽会計事務をとのお 〈短歌一首〉 メーデーに 仲間と腕を組み合いて 話を受け、6年間事務局長を務めました。 気勢を挙げし 若き日思い 年々地区活動への参加者が減り、小江戸川越の 退教互で医療費を補助し合おう」と説いた。 一人はみんなの為に、 みんなは一人の為に 年が明けて、若い人達の賛成も増え、分会の賛 成率は53%を越えた。佂石支部の賛成率は50何% 仙台地区 柳澤 信一 かであった。昭和36年5月17日、県本部定期大会 80代 の評決の結果は、賛成率50%を数%上回り退教互 県本部から退教互設立の原案が各支部に提示さ の設立方針が決定された。先見の明ある大先輩の れたのは昭和35年のことだった。分会幹事の私は 方々の叡智と献身的な努力が開花した瞬間であっ 分会討議で退教互設立の趣旨やメリットを説明。 た。 開花後50年間、多数の方々への医療費補助とい 若い人達は病気への心配など殆どなく、「将来、 医療費は無料になるから」などと言って無関心。 私は、 「我々は、友愛と信義によって結ばれた 仲間なのだから、もし仲間が病気になった時には、 う果実を実らせ続けてきた退教互の活動実績を顧 みた時、私はしみじみと思うのである。 「一人は みんなの為に、みんなは一人の為に」……と。 ─ 15 ─ 退教互会報・創立50周年記念号 (第74号) 2011年9月15日 被災地からのおたより 時代から続く白竜神社からの沢水が3か所の家庭 私の震災から復興まで で今でも使っている事を知っていたので心配して いなかったが、その3か所に長い行列ができるよ 佂石地区 西川三千男 うになり、中には車で来たり小さな子供連れの人 60代 も来て、皆にもっと水が得られるように、新しい 2011年3月11日午後2時46分に起きた巨大地震 沢水取水口の開拓を始めた。色々ご近所で聞い と津波により、我が家のある佂石の上平田地区 て、高橋園芸の湧水、元佂石商業高のグラウンド も、ライフライン(生命線!)が寸断された。私 の蛇口、戦後の開拓地桃山の小川等と訪ね歩き、 はその時、家から車で20分程離れた新市街の甲子 3月末には合計8か所の取水口を見つけ、ご近所 公民館の2階ホールで、25日の特養「仙人の里」 や水 3月例会の歌声練習を終わったところだった。4 も考えて、ペットボトルに入った飲み水の「上 人の女性と一緒で「大丈夫!大丈夫!」と励まし 水」、沢水は「中水」で沸かせば飲める、妻が庭 ながらホールの床をころげまわっていた。2人を の水やりに使うために屋根からの水を受ける水槽 車に乗せて送り、家に帰るために駅近くまで来た を2か所用意していたが、この水を ら、津波が来たから通れないと警官に怒鳴られ、 浴槽に貯め水洗便所に使う「下水」の3種類に分 やむなく外泊した。翌朝、車を置いて徒歩で駅近 け、注意深く使った。夜の灯は、仏壇のローソク くまで来たら道路が無いから通れないと警官に言 と発電式の懐中電灯が大変重宝したが、灯油も貴 われた。大回りして被害状況をメモしたりカメラ 重なので、暗くなったら寝て明るくなったら起き で写したりしている関係者のような顔をして、建 る生活をした。と言っても、以前から午後8時に 物の残がいの中に沢山の車と船がごちゃごちゃし 寝て朝5時に起きていたから、ほとんど違いはな ている泥の中を進み、普段なら1時間の道程を3 かった。16∼18日と10㎝程の雪が降り、それを集 時間かけて家にたどり着いた。家が無事で妻が生 めてただの箱になった冷蔵庫に入れたり、ビール きていて、本当にほっとした。近所で3月11日に を冷やして飲んだ。疲れがとれる程美味かった。 みに並んでいる人達に教えた。水の使い方 んで風呂の 仕事や所用で街へ行って帰ってこれない人が8人 災害の復興は、「自助・共助・公助」が一体に ほど居て、中にはタグボートに乗って帰って来な なる必要があると、以前に誰かが言っていたが、 い人も居たが、私は一番早く帰宅し、残りの人た 食べ物は心配ないから、復旧は3月一杯までかか ちも3日以内に帰った。 ると予想し、毎日元気にキャンプ生活を楽しもう 私は、暖房と煮炊きに必要な古い灯油ストーブ 等と妻に言えたのも、貯蔵食料がかなりあったせ が2階の納戸にある事を思い出し、荷物が落ちて いだった。 「共助」としては、隣近所で食べ物や 中から戸を閉ざしている戸の破壊が最初の復興仕 ブタンガスボンベのやり取りと色々な情報交換、 事だった。ストーブを掘り出し、ボンベ数本のブ 近くの特養「あいぜんの里」でおむつやお尻拭き タンガスコンロと物置の隅に有った七厘で煮炊き が無いと聞き、作って持って行ったら以前にアコ を再開した。一番大切な飲み水については、江戸 ーディオンを弾きに来ていたことが分かり、頼ま 佂石市大渡町付近(3月16日撮影) 佂石市の市街地(6月26日撮影) ─ 16 ─ 2011年9月15日 退教互会報・創立50周年記念号 (第74号) 被災地からのおたより れて16日から二人で毎日出かけた。一人暮らしの 14日には駅から平田までのガレキが救急車両が 人や高齢夫婦、娘の親友が家を壊されて上平田の 通れる程片付けられ、17日には一般車両も通れる アパートに越して来るので……と、ほんの一寸の ようになった。8日目には電気が復旧し、9日目 気づかいやできる程度の世話をせっせとしてき には電話も復旧し、色々な友人・知人からの電話 た。これは、夫婦二人の心の平安と元気を取り戻 と家庭訪問ラッシュになった。26日には待望の水 すのにとても役立ったと思う。「公助」は、14日 道が復旧したが、茶色に汚れていたので風呂には か ら19日 ま で に 自 衛 隊 が 運 ん で き た 食 料 や 飲 入れたが飲み水は3日程 み水の配給がどれほど心丈夫だった事か。配給 は新聞も配達され、3日には最後のガスも復旧し 所ではお湯も配られ、多くの中学・高校生が慣 た。震災の復興は、私の楽天主義と夫婦の協力、 れない薪ストーブで湯沸かししているのに心う 友人やご近所の暖かい助け合いが、中心的な力に たれた。 なったと思う。深く感謝している。 んで来た。4月1日に 東日本大震災における 会員の被災状況(8月31日現在) 全教互と加盟互助団体から 本県に 553万4千円 亡くなられた方 本人会員 準 会 員 去る4月8日、退教互が加盟する全教互 計 (全国教職員互助団体協議会)と加盟55団体 57名 43名 100名 から、東日本大震災の被災地の方々に広く行 安否の確認が取れていない方 き届きますようにと、本県に553万4千円も 本人会員 20名 の災害見舞金を頂戴しました。 準 会 員 25名 計 45名 岩手県教職員互助会、岩手教育会館互助 部、退教互の加盟3団体は、早速協議の上、 家屋損壊の状況 岩手県災害義援金募集委員会へその全額を寄 流失・全壊・全焼 307件 付しました。 半壊・半焼 全国から寄せられる支援の輪。本当にあり 74件 一部損壊 159件 がたく感謝に堪えません。 復興は、まだまだ先のことと思われます ■70歳以上の皆様へ 事務局からのお願い が、被災された皆様には、どうか心を強くし て、この苦境に立ち向かっていただきたいと 願うものです。 70歳以上の方々は、毎年8月に前年の所得を基 に資格の更新が行われています。その更新によっ て、「一部負担金の割合」が変わられる方が少な からず発生します。高齢受給者証(70∼74歳の ■2011年度の地区連絡会 方)、後期高齢者医療被保険者証(75歳以上方) 本年度の地区連絡会は、東日本大震災で甚大な の負担割合をご確認いただき、負担割合が変わら 被害を受けた沿岸地域での開催が危ぶまれました れた方は、必ず退教互へコピーのご提出をお願い が、6月6日の紫波地区を皮切りに、7月15日の します。 また、負担割合が変わられた方は、診療報酬請 気仙地区まで、全18地区で無事開催しました。 出席者は、18地区合計で2,403名、出席率は、 20.29%とやや低調な出席状況となりました。 求書への記入箇所も変わります。正しい割合欄を ○で囲むようお願いします。 ─ 17 ─ 退教互会報・創立50周年記念号 (第74号) ■おくやみ申し上げます<敬称略> 【盛岡地区】 工藤 富惠 23年01月01日 宮永 龍馬 1月06日 2月09日 氏家 健 2月14日 岡田 豊 2月20日 真壁 次郎 2月28日 三浦 央 3月04日 加藤 泰治 3月05日 森田 キミ 3月13日 吉田たか子 3月24日 菅野 英夫 3月28日 山口 みつ 4月03日 岩井 ツネ 4月17日 小川みよ子 4月29日 下大澤欣一 5月08日 吉田 利夫 5月21日 兼平 隆雄 5月31日 沢 昇 6月07日 工藤 百代 6月18日 湊 稔 6月19日 中村 米蔵 6月21日 高橋 孝愛 7月17日 佐川 カツ 7月30日 舘藤 亮弌 8月10日 川村 幹 【岩手地区】 東根 和子 2月16日 高橋 成子 5月03日 5月26日 伊藤 恒延 8月05日 佐藤 義人 【紫波地区】 門前久之進 5月21日 福田 和夫 7月11日 長谷川 務 8月02日 【 貫地区】 昆野 美代 2月17日 伊藤 清 4月01日 4月30日 八重樫欣造 5月13日 松田 タキ 5月20日 塚本 ミヨ 6月17日 佐藤 貫一 6月24日 岩間 伸雄 【和賀地区】 新沼キヌ子 1月30日 今野 雄始 2月10日 93歳 80歳 73歳 80歳 87歳 79歳 85歳 97歳 85歳 79歳 84歳 86歳 88歳 79歳 78歳 86歳 85歳 93歳 82歳 80歳 81歳 89歳 81歳 78歳 81歳 85歳 68歳 79歳 81歳 85歳 79歳 93歳 86歳 84歳 101歳 73歳 88歳 90歳 99歳 76歳 会報73号掲載以降の方々です。退教互から 香奠を給付し、ご冥福をお祈りしました。 高橋 四郎 23年3月17日 90歳 八重樫嘉次郎 3月21日 82歳 鈴木 省次 3月30日 78歳 伊東 才紀 4月13日 74歳 菅原 達夫 4月26日 81歳 家子 昭(北上翔南高) 5月16日 57歳 松本 保一 5月25日 74歳 金田 正 6月23日 86歳 菊池ミサ子 7月13日 97歳 千田 祐吉 8月03日 88歳 【胆沢地区】 菅原 幸男 2月19日 80歳 高橋 康 2月21日 73歳 千田ミヤ子 2月23日 88歳 小野寺英二 3月01日 73歳 3月09日 81歳 高橋 薫 3月19日 86歳 千葉 幹雄 3月22日 84歳 伊藤 寅 4月07日 84歳 菅野 葭 4月17日 85歳 菅原 年男 4月21日 85歳 小林 東市 6月01日 84歳 猪狩カツ子 6月03日 91歳 千葉 武雄 6月22日 82歳 後藤 末廣 7月04日 82歳 佐々木敬夫 7月07日 100歳 松淵 章 7月11日 93歳 佐藤 初枝 8月09日 75歳 朴澤 正耕 【江刺地区】 岩崎 信吉 3月06日 85歳 小澤 良 3月14日 86歳 長野 好男 4月10日 59歳 小松原壽子 5月18日 90歳 5月18日 82歳 菊池 節子 【西磐井地区】 伊藤 善男 2月04日 89歳 鈴木 壽 2月19日 86歳 中村 昭三 3月05日 80歳 3月09日 96歳 鈴木 みな 3月21日 85歳 関宮 宮子 3月25日 81歳 及川美知子 4月21日 74歳 千葉 貞夫 5月04日 85歳 阿部智多子 5月07日 79歳 澤野 貞雄 ─ 18 ─ 2011年9月15日 増井 嘉一 23年7月21日 百々 正喜 7月23日 【東磐井地区】 亀卦川敬之 2月10日 尾形 暸一 3月10日 金野スミエ 3月20日 菅原 恭子 3月21日 千葉正七郎 6月20日 【気仙地区】 及川 秀男 2月12日 菊池 一郎 2月16日 尾形 勲 4月10日 【佂石地区】 萬 卓樹 3月07日 川端惣兵エ 3月30日 高橋 孝氏 4月11日 小野寺恵子 4月24日 菊池ミサ子 7月13日 【遠野地区】 菊池 サク 3月16日 【宮古地区】 小成德兵衞 3月03日 田畑美枝子 3月05日 6月21日 松田 宏 6月28日 谷上 實 【九戸地区】 若宮喜代治 2月07日 山口 弘志 8月14日 【二戸地区】 平栗 勝城 2月14日 野田 勝治 3月12日 内澤 脩一 6月11日 【東京地区】 佐藤 誠 2月25日 和田 昭吾 4月06日 5月11日 石井 吉子 【仙台地区】 藤原 昌子 22年11月10日 高橋 二郎 12月31日 吉田 末子 23年04月02日 4月18日 福島 定一 【愛知県豊橋市】 三田地テル 3月31日 90歳 84歳 87歳 77歳 85歳 88歳 87歳 81歳 76歳 68歳 80歳 86歳 82歳 65歳 98歳 84歳 85歳 80歳 73歳 82歳 90歳 88歳 85歳 74歳 85歳 83歳 84歳 92歳 86歳 84歳 81歳 76歳 98歳 退教互会報・創立50周年記念号 2011年9月15日 (第74号) 東日本大震災で亡くなられた退職会員の方々です。 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 ■ご遺族からお届けのあった方のみを掲載しております。(細字は準会員) 8月31日現在 【西磐井地区】 熊谷 陽子 23年03月11日 74歳 小国 テル 23年03月11日 83歳 澤部 ふみ 23年03月12日 79歳 千葉 忠信 3月11日 78歳 山﨑 靜子 3月11日 86歳 【気仙地区】 千葉 秀子 3月11日 76歳 花村 武 3月11日 86歳 大坂キヨシ 3月11日 100歳 鈴木 信子 3月11日 75歳 佐々木徳次郎 3月11日 86歳 村上ミヨノ 3月11日 94歳 河野 允幸 3月11日 73歳 佐藤 和生 3月11日 80歳 熊谷 敬一 3月11日 92歳 熊谷 出 3月11日 74歳 里舘 茂 3月11日 81歳 佐々木良男 3月11日 90歳 大友 隆美 3月11日 73歳 中居キウ子 3月11日 81歳 金 清子 3月11日 89歳 大友 孝子 3月11日 71歳 佐々木幸雄 3月11日 79歳 鷺 ヒメ 3月11日 88歳 吉田 正耕 3月11日 73歳 佐々木登志子 3月11日 74歳 佐々木昌子 3月11日 82歳 千田 壽行 3月11日 70歳 岡谷喜八郎 3月11日 79歳 佐藤 幸子 3月11日 80歳 佐藤 仁 3月11日 71歳 岡谷 孝子 3月11日 73歳 新沼 和子 3月11日 80歳 佐藤美貴子 3月11日 65歳 岡本 英夫 3月11日 62歳 村上辰三郎 3月11日 85歳 村上 熙 3月11日 69歳 袰屋 実 3月11日 82歳 村上トクヨ 3月11日 85歳 伊藤 壽 3月11日 65歳 袰屋 キリ 3月11日 79歳 大友ミノリ 3月11日 77歳 宗宮 政秀 3月11日 65歳 上澤 幸枝 3月11日 75歳 菅野 千代 3月11日 77歳 宗宮カヨ子 3月11日 63歳 長谷川泰三 3月11日 78歳 及川 功 3月11日 83歳 及川トキハ 3月11日 90歳 永澤 和彦 3月11日 64歳 村上 榮子 3月11日 80歳 吉田三四雄 3月11日 80歳 永澤むつ子 3月11日 61歳 佐々木誠志 3月11日 83歳 佐藤マツノ 3月11日 72歳 千田 榮喜 3月11日 83歳 吉田ケイ子 3月11日 67歳 千田美加子 3月11日 81歳 木村 忠亮 3月11日 67歳 村上 新 3月11日 86歳 木村喜枝子 3月11日 60歳 福田ミユキ 3月11日 94歳 松村 範子 3月11日 80歳 金野 要 3月11日 67歳 福士 健次 3月11日 90歳 松村 庄一 3月11日 81歳 金野きみえ 3月11日 67歳 昆 加代子 3月11日 74歳 小澤 勝夫 3月11日 81歳 小松 博子 3月11日 58歳 森 凌子 3月11日 69歳 佐々木 章 3月11日 81歳 平山 チヱ 3月13日 87歳 中島 光子 3月11日 78歳 佐々木隆子 3月11日 75歳 米沢 とし 3月11日 78歳 相模 洋 3月11日 78歳 伊藤美栄子 3月11日 91歳 佐々木静子 3月11日 75歳 相模 優子 3月11日 72歳 近藤 中三 3月11日 86歳 柿崎喜代子 3月11日 80歳 村上 力也 3月11日 79歳 濱田百合子 3月11日 89歳 佐々木宏子 4月7日 78歳 村上富喜子 3月11日 76歳 前川 陽子 3月11日 79歳 清水 ノブ 4月8日 89歳 菊池 公平 3月11日 79歳 前川 久雄 3月11日 79歳 舘洞 美代 4月8日 84歳 【佂石地区】 ─ 19 ─ 【遠野地区】 河村 和助 3月11日 80歳 【宮古地区】 (第74号) 退教互会報・創立50周年記念号 2011年9月15日 東日本大震災で被災し、一部負担金の支払いが 「免除」されている方々へ年会費を返金します ■返金にあたって、一部負担金の免除 者であることのお届けが必要です。 一部負担金が免除される方々 1.次の⑴∼⑸の何れかに該当する方々。 ⑴ 住家が全半壊、全半焼又はこれに準ずる この度の東日本大震災で被災し、右に該当され る方々は、来年2月29日まで医療費(一部負担 被災をした方 ⑵ 主たる生計維持者が死亡し、又は重篤な 傷病を負った方 金)の支払いが免除されています。 該当される方々には、ご加入の健康保険から ⑶ 主たる生計維持者が行方不明である方 ⑷ 主たる生計維持者が業務を廃止・休止し た方 「一部負担金等免除証明書」 (以下「免除証明書」 という)が交付されていると思いますので、その 「免除証明書」のコピーの提出を以って、お届け ⑸ 主たる生計維持者が失職し、現在収入が ない方 2.原子力発電所の事故に伴い、政府の避難指 とします。 なお、ご提出の際は、「免除証明書」の右上余 白に「会員証の記号・番号」のご記入をお願いし 示や屋内避難指示、計画的避難区域及び緊急 時避難準備区域に関する指示の対象となって いる方 ます。 ◎提出先、お問い合わせ先 〒020-0022 盛岡市大通一丁目1−16 財団法人 岩手県退職教職員互助会 TEL. 0 1 9 − 6 2 3 − 3 3 0 0 FAX. 0 1 9 − 6 2 3 − 3 3 4 9 (ご提出は、FAX でも結構です) 免除に該当しながら、未だ「免除証明書」の交 付を受けていないという方は、ご加入の健康保険 の保険者へ申請して交付を受けてください。 3.被災者生活再建支援法に規定する長期避難 世帯など、1又は2に準ずるものとして保険 者が認めた方 ■この免除期間中に入院された方々に は「入院料補助費」を給付します。 給付額は入院1日につき1,000円 申請用紙は、年会費の返金通知に添えて、お送 ■注意 免除期間中は、 会員証を使用しないでください。 りします。 但し、免除期間中のご入院であっても、退教互 の会員証、診療報酬請求書を使用して受診された 会員証・診療報酬請求書をお使いになると控除 為、退教互が病院へ医療費を支払った期間につい 額(受診者負担額)の請求が起こり、ご負担が生 ては、補助の対象から除かせていただくことにな じてしまいます。お気を付けください。 ります。予めご了承ください。 ▶退教互は本年10月1日、 教互会長の久保田様をはじめ、退教互会員の皆 創立50周年を迎えます。今 様に心から御礼申し上げます。なお、記念式 回の会報は、創立50周年記念号として、初めて 典・祝賀会は10月1日サンセール盛岡で行われ カラー印刷で発行しました。当初16頁での発行 ます。また、来年度上期には各地区での記念行 を予定しましたが、多くの皆さんの思いを載せ 事を予定しております。▶この度の東日本大震 たいということで、20頁での発行となりまし 災で犠牲になられた退職会員の方々が100人に た。今回は、現職・退職会員の皆様全員への配 達しました。非常に残念でなりません。心から 付となります。原稿をお寄せくださいました全 ご冥福をお祈り申し上げます。 ─ 20 ─
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