遊星より愛をこめて

科学と社会を考える土曜講座
どよう便り
というのは、やはりお互いの「おたく」たる所以でしょうね。
2000 年7月
そうこうしているうちに、「あの話を書いてみませんか?」と
の上田氏からの原稿依頼がありました。「どよう便り」のような雑
第 35 号 (特別号)
誌には似つかわしくない内容だと思い断ろうと思いましたが、
●発行者:「科学と社会を考える土曜講座」
やはり上田氏から紹介された氏の友人の田代氏(彼も私に負
●連絡:上田昌文(横浜市港北区太尾町 810 ソフィア大倉山 213)
けじ劣らじのアニメ・特撮マニアでした)の勧めもありましたし、
TEL & FAX:045-532-1958
「おたく」の上田さんが代表をやっているグループですから…。
[email protected]
●振替:00160—4—608503 土曜講座
それによくよく「どよう便り」の何号分かを読ませて頂いた処(正
●特別号特価:一部本体200円/送料込みで350円
直言って私の頭では良く判らなかったですけど)、どの人もとっ
ホームページ
ても優秀な論客なんだと思うのと同時に、要するにこのグルー
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/4190/
プは「科学と社会を“おたく”する土曜講座」だ、と思ったら少し
遊星より愛をこめて
気が楽になって「あの話」を書いてみることにしました。
私は科学の事などまるで判らないし、社会問題や市民運動
といった事にも全く縁の無い人間ですので、一人の「おたくの
~幻の「第12話」をもとめて
つぶやき」として、お話をさせて頂くことにします。
牧 史郎
●来たぞ我等の「ウルトラマン世代」
今回のお話は、前回の予告でもお知らせしたように、「ウル
●拝啓「科学と社会を“おたく”する土曜講座」様
トラマン」や「怪獣」にまつわる「あるお話」です。
所謂我々アニメ・特撮おたくの話題にのぼるヒーローやキャ
はじめまして。私はアニメ・特撮研究家の牧史郎といいます
ラクターは様々で、世代によってもかなり違いますが、我々の
(研究家といってもただの「おたく」です)。21世紀を目前に控え
世代はおたくでなくても「ウルトラマン世代」と呼ばれることがあ
た2000年の今日、いまだに「おたく」というだけで忌み嫌われて
る位(個人的には1958、9 年~1965、6 年生まれ位の世代だと
いるこの私が、何故この「どよう便り」という硬派な(?)研究雑誌
に拙文を載せる羽目になったのか、自分でも不思議であります。
思っています)、その手の話をすれば必ずといっていい程ウル
トラマンあるいはウルトラ怪獣の名が出てきます。シリーズの全
それは幸か不幸か、この「土曜講座」という研究会の代表者で
ての怪獣の名前はもちろん、身長、体重、必殺技、放映日、各
ある上田氏とふとした事から知り合い、氏の「おたく度」に共感
エピソードの監督、脚本、特技監督名などまで言える人。更に
したという事が大きかったと思います。
つわ者になると、その怪獣のシルエットを見ただけで名前が判
聞けば氏は、科学系の一流大学を卒業され、現在では優秀
ったり、目を閉じて怪獣のミニ人形を手で触って名前を当てると
なフリーランスの研究者だそうですが、それとは別に相当の
「音楽おたく」で(特にクラシック系)、そのクラシックに対する異
常なマニアぶりは、さすがの私も舌を巻きました。又、これほど
膨大な情報を入手して一体何に使おうというのか、と思う程科
学系はもとより、内外問わずあらゆる社会問題を含めた「情報
収集のおたく」でもありました(でも、その情報網羅力を駆使し
て、なにやら難しい研究論文を書く事をなりわいとしていらっし
ゃるのですから、私などに比べたらずっと生産的な「おたく」な
のだと思います)。
ともかく、こちらはアニメや特撮の話題、相手は音楽や科学
の話題と、全く話が噛み合っていないのに、お互い好きな事を
べらべらしゃべり合ったあげく、どこか共感できるものがあった
「ウルトラマン」より
1
いうマニアまで存在します(先日、「TVチャンピオン」という番
「ジェラシック・パーク」まで、怪獣映画はほとんどヒットを飛ばし
組の怪獣マニア・クイズで、そのような「つわ者」達の戦いぶりを
てきましたが、やはり子どもの集客数が多く、怪獣の人気が高
拝見いたしました)。「ウルトラ」はそれだけ恐ろしく影響力のあ
いのは万国共通なのでしょう。
るシリーズと言えるのでしょう。
言うまでもなく「ウルトラ」には多数の怪獣が登場します。こ
実際「ウルトラマン世代」でそれらの影響を受けたのは、個
の「ウルトラ怪獣」の中でも、特に人気のある怪獣、あるいは宇
人のみならず著名人にも多く、アニメ「新世紀エヴァンゲリオ
宙人が集中しているのは最初の3作品、つまり「ウルトラQ」
ン」の監督・庵野秀明氏(1960年生/氏は「帰ってきたウルトラ
(1966.1~7 放映)「ウルトラマン」(1966.7~1967.4放映)「ウル
マン」という8㎜映画を作り、自ら素顔でウルトラマンを演じた)
トラセブン」(1967.10 ~1968.9放映)という事が言えます。理由
やプロレスラーの前田日明氏(1958年生/ウルトラマンを倒し
はいろいろ考えられますが、まずこの3作品は、本放送時の視
たゼットンに復讐するという思いが、格闘技への道を開かせた)、
聴率が他のシリーズに比べて極めて高かった事。いずれも平
俳優の京本政樹氏(1959年生/ヒーロー研究家としても有名で、
均視聴率30%台、「ウルトラマン」などは40%を越えていた事も
美大出の彼はウルトラマンの変身用の小道具の複製を自前で
ありました。そして3作品とも日曜日の午後7時というゴールデ
制作したり、最近では初代仮面ライダー(近年“せがた三四郎”
ンタイムの放送という時間帯も良かったのでしょうし、1966年当
で再ブレイクした藤岡弘演じる)のサイクロン号を、8年の歳月
時、民放局としては日本最大のネットワーク数を誇る(約30局ネ
と500万円の経費を掛けて完全に復元させた)など数知れませ
ット)TBSによる全国放送というのも大きかったと思います。視
ん。
聴率1%に占める人口の割合が百万人と言われていますが、
最初のウルトラシリーズである「ウルトラQ」(1966年放映)か
ゴールデンタイムによる全国同時放送だった「ウルトラ」は、ほ
ら数えると今年は34年目。途中の中断はあっても、30年以上支
とんど日本中の子どもたちの大半が、地域差もなく同じ時間帯
持され続けているシリーズは、「サザエさん」と「水戸黄門」(い
で、毎週毎週それこそTVの宗教番組の福音の如く送られて来
ずれも1969年スタート)、そしてこの「ウルトラマン」くらいなもの
る怪獣達の洗礼を受けていたと言っても過言ではないでしょ
でしょう(「仮面ライダー」(1971年スタート)も、TVシリーズとし
う。
ては今年20年ぶりに「仮面ライダークウガ」としてリメイクされた
次に再放送の回数の多い事。最近はビデオソフトでほとん
ので、通算すると来年で30周年ということになります)。最近で
どのウルトラ作品が好きな時に観れるようになりましたが、それ
はビデオによる旧作の普及や、1980年放映の「ウルトラマン80」
まではTVの再放送を待つ以外、再度観る方法がなかったわ
以来15年ぶりに復活したTVシリーズ(外国製ウルトラマン「ウ
けです。それでも東京地区に限っては、1年に1回とか2年に1
ルトラマングレート」(1990年オーストラリア制作)、「ウルトラマン
回とかの割合で再放送されていましたので、地方も含めると一
パワード」(1992年アメリカ制作)は除く)、平成ウルトラマン三部
体どれだけの回数の再放送がなされていたか、調べようもない
作(ウルトラマンティガ、ウルトラマンダイナ、ウルトラマンガイア
程です。
と続く)の放送、そして世代交代も進み、それらを親子二代で楽
あとはヒーローや怪獣、宇宙人のデザインがビジュアル的
しむという時代に入り、世代を越えて支持されるヒーローとなっ
に個性的で、シャープで洗練されていた事。その後のウルトラ
ています。
怪獣のデザインの基本となるものが、この3作品で既に確立さ
れてしまったような感すらあります。勿論この初期の3作品の後
●我が愛しの「ウルトラ怪獣」
に続く「帰ってきたウルトラマン」(1971.4~1972.3放映)「ウルト
ラマンA」(1972.4~1973.3放映)「ウルトラマンタロウ」(1973.4
古今東西、ありとあらゆるドラマは、主人公以上に周りの脇
~1974.3放映)「ウルトラマンレオ」(1974.4~1975.3放映)「ウル
役、あるいは悪役が魅力的に描かれている時に厚みを増すと
トラマン80」(1980.4~1981.3放映)、そしてここ数年の「ティガ」
言われますが、「ウルトラ」の人気も同じことが言えます。ウルト
(1996.9~1997.8放映)「ダイナ」 (1997.9~1998.8)「ガイア」
ラマンやセブン、エース、タロウ、レオ、ゾフィ、80、ティガ、ダイ
(1998.9~1999.8放映)などに登場する怪獣や宇宙人もそれぞ
ナ、ガイアなどヒーローの魅力以上に「怪獣」の魅力が重要な
れに魅力あるものも多いのですけど、やはり最初の3作品に登
わけです。私自身もそうでしたが、子どもにとって未知なる恐怖、
場するバルタン星人、レッドキング、カネゴン、ダダ、ピグモン、
力の象徴である「怪獣」の魅力は底知れぬものがあると思いま
ゼットン、エレキング、ケムール人、メフィラス星人等(前回の予
す。アメリカでは1930年代の「キングコング」から、1990年代の
告用チラシ参照)の圧倒的な個性、インパクトには及ばないよう
2
な気がします。
獣の格闘を中心に据えており、そして「セブン」では、地球レベ
そしてこの3作品では(私見では「帰ってきたウルトラマン」ま
ルでは科学技術が飛躍的な進歩を遂げ、宇宙レベルでは惑
では)、こうした怪獣の魅力を十二分に支えるだけの卓越した
星間の侵略行為が激化してきた時代を1980年代に設定し、宇
脚本、演出、特撮技術の力がフルに発揮されており、トータル
宙人の侵略に備え組織された「地球防衛軍」及び「ウルトラ警
で優れた作品に仕上がっている事は言うまでもありません。
備隊」を助け、異星人の侵略から地球を守ろうとするM78星雲
からきた宇宙人・ウルトラセブン(地球名モロボシ・ダン=ウルト
●謎の永久欠番「12」
ラ警備隊員)と侵略宇宙人の戦いを描くという事が基本設定と
なっていました。
さて、このように根強い人気を誇る初期のウルトラ作品群で
すが、実はこの3作品の中で1話だけビデオ、LDにもなってお
らず、ここ15年位の間に出版されたウルトラ関連の資料本にも
全く登場しない話があるのをご存じでしょうか。これを聞いて
「ああ、あれか」とピンとこられる方は、明日から、いやたった今
から立派な「ウルトラおたく」の仲間入りです。何故なら、我々の
世代のマニアの間では良く知られている話だからです。これは、
30年前の「ある事件」がきっかけになって封印され、欠番となっ
てしまった、世に言う(?)「ウルトラセブン第12話」というもので
す。
近くにレンタルビデオ屋さんがあったら、足を運んでみて下
さい。ちょっとしたビデオ屋さんなら「ウルトラセブン」のビデオ
が置いてあると思います。そして第3巻目を手にとって見てみ
て下さい。第11話の「魔の山へ飛べ」の次はいきなり第13話の
「V3から来た男」になっているはずです。これは別にセレクト
「ウルトラセブン」より
版だからではありません。全集なのに「第12話」がないのです。
ではその「事件」とは何だったのでしょうか?それを語る前に、
問題の「第12話」ですが、サブタイトルは「遊星より愛をこめ
この「ウルトラセブン第12話」とはどのようなお話か、「ウルトラセ
て」。脚本は佐々木守、監督は実相寺昭雄、特技監督は大木
ブン」の作品世界を含めて、簡単にご説明いたします。
淳という顔ぶれで、1967年12月17日に放映されました。タイトル
「地球は狙われている!今……。宇宙にただよう幾千の星
は往年のアクション映画「007ロシアより愛をこめて」からとられ
から恐るべき、侵略の魔の手が伸びようとしているのだ。」第1
ています。科学の発達した地球では核兵器全廃も達成され、
話のこうした冒頭のナレーションから始まる「ウルトラセブン」は、
あれだけ行われていた核実験も過去の出来事…。しかし、地
「ウルトラQ」「ウルトラマン」に次ぐ“空想特撮シリーズ”第3弾と
球の外ではまだ飽くなき核実験が続けられており、今日も一つ
して、1967年10月1日よりTBS系全国30局ネットで約1年間放
の星が放射能の雤に見舞われていた。そのころ東京では、若
映されました。提供は武田薬品(オープニングが始まる前に、
い女性が突如倒れ意識不明になるという事件が頻発。原因は
空からの大阪武田薬品本社の俯瞰撮影にのって、タケダ、タケ
血液の減少であり、それらの女性は皆同じ時計をつけていた。
ダ、タケダ~♪のメロディが流れるCMを覚えている方も多い
しかもその時計は、スペリウムという地球外金属でできており、
のでは?)。「マン」に続き、カラーで制作されました(「Q」は白
その中には失われた血液の血痕が残されていたのだ。ウルト
黒作品)。
ラ警備隊の隊員アンヌの友人・早苗も同じ型の時計を持ってい
「Q」では、“もし、自然界のバランスが崩れたら?”というコン
た。それはボーイ・フレンドの佐竹から貰ったものだという。そし
セプトで、ある種自然破壊への警告も含めながら怪獣を登場さ
てその時計を持ち出した早苗の弟・伸一は、貧血のため学校
せ、「マン」では、凶悪な宇宙怪獣を追ってM78星雲から地球
で倒れてしまった。佐竹が怪しいとにらんだダンとアンヌは佐
にやって来た宇宙人が、地球の平和を脅かすあらゆるもの(怪
竹を尾行。佐竹はとある洋館に入る。実は佐竹はスペル星から
獣)から地球を防衛するために地球に残るという、宇宙人と怪
やってきた宇宙人だった。スペリウム爆弾による自らの核実験
3
のため、放射能により血液を汚染されたスペル星人は、生きの
んでそんなサブタイトルまで正確に把握していたかというと、縮
びるために新鮮な血を求めて地球に侵入していたのだ。洋館
刷版のチェックもありましたが、子ども心にすごくかっこいいタ
は彼らの実験室だった。地球の子どもの血液がより新鮮である
イトルだと思って記憶していたからだと思います)。そのことを
と知ったスペル星人たちは「ロケットの絵を描いて宇宙時計をも
一緒にTVを観ていた兄に言うと、兄は「何か被爆者を馬鹿に
らおう」という広告を出し、子どもを大量に集めようとした。洋館
したとかで放送できないんじゃなかったかな」というように言っ
に群がる子どもたち。間一髪、その企みを阻止しようと洋館に
たと思います。4つ上の兄は、それこそインターネットなど存在
突入したウルトラ警備隊の前に、正体を現したスペル星人が立
しないあの当時、一体どこから仕入れてくるのか、いつも様々
ちはだかった。応戦するウルトラ警備隊。ダンはウルトラセブン
な情報をつかんでおりましたので、意味するところは良く判らな
に変身し、激しい死闘の末スペル星人を倒す…。というのが第
かったものの、妙に納得したのを覚えています。
12話の大まかな粗筊です。
その後、この事件は、或る雑誌の怪獣特集でスペル星人を
紹介した際「ひばく星人」というキャプションをつけた事で、被
●小さな“おたく”の図書館日記
爆者の方々の猛烈な抗議を受け、放送を取り止める事にした
のだという話を誰かに聞きました。多分その人もマニア系の人
これを読まれて、「どうしてこの話が?」と思われる方もいる
だったと思いますが、詳しい事は知らないとの事でした。しかし、
かもしれませんし、「これじゃあ放送禁止になって当然」と思わ
雑誌が問題だったのなら、何も作品まで封印してしまう事はな
れる方もいるかもしれません。一応申し上げておきますと、この
いじゃないか?というのが素朴な疑問でしたが、私は2度観た
作品は東京地区では本放送(1967.12.17)の後、1969年6月19
といってもいずれも6歳までで、本当にその作品自体が被爆者
日(木)の午後6時から6時30分まで、TBS系で一度再放映さ
を馬鹿にしたものだったのか、そうではなかったのか、調べる
れており、放映された際、作品自体が問題とされて欠番とされ
術もなく、ずっと判らずじまいでした。
たわけではなく、別の事件が発端となったのです。ではそれは、
一体どんな事件だったのでしょうか?
しかし5年前の1995年、三一書房から「故郷は地球」と題す
る分厚い本が出版されました。「ウルトラおたく」を自称する人
私自身「ウルトラセブン」の第12話が放送されなくなった事
で、この本の題名を見てピンとこない人はもぐりです(理由は後
に気づいたのは、小学校六年生位の頃でした。当時の私の楽
述します)。思った通りこの本は脚本家・佐々木守のシナリオ集
しみといえば、マンガを描いたり、読んだりする事と、TVを観る
でした。もしかして、と思い書店で見つけて手にとってみると、
事、新聞の縮刷版を見る事。何故縮刷版を見ていたかというと、
ビックリ仰天!何と封印されていた「遊星より愛をこめて」のシ
自分の好きなアニメや特撮ドラマのサブタイトルを調べ、さらに
ナリオが掲載されているではありませんか。その場でむさぼる
そうした番組が日本のどこで放送されていたかを調べるのが好
ように私は読みました。何度も何度も。そしてその結果、どう読
きだったという、“元祖おたく”のような少年でした。だから学校
み込んでみても、この作品は被爆者を馬鹿にしているどころか、
の帰りなど、まっすぐ図書館の縮刷版コーナーに日の暮れるま
ストレートではありませんが、ある意味淡々と核の問題を扱って
で入り浸り、ウルトラマンやエイトマン、サイボーグ009等の本
いる事が判りました。前述のあらすじはこのシナリオから要約し
放送当時のTV欄をめくってはメモをとり、東京版が終わると地
たものです。更に最近、この事件が1970年10月に起こった事
方版という感じで、調べものに明け暮れていたのです。おかげ
が、あるウルトラ系の本で判りました。そこで向かったのが、国
で、小学校四年生くらいの頃には社会とかの試験は0点とかの
立国会図書館。12歳の時初めて訪れ、年齢制限にひっかかっ
くせに、全国の都道府県の名前と位置、県庁所在地及び民放
て門前払いを食わされてから20数年目にして、ようやく入館を
TV局の全ての名前を把握しておりました。それがどうしたと言
許されたわけで感慨もひとしおでした。マイクロフィルムを見る
われそうですが…。
のも初めての経験。そこで調べた新聞から、おおよその事件の
とにかく、ウルトラセブンが全49話あるという事は割と早くか
全容が判りました。
らつかんでおりました。そして、小六くらいの頃の再放送だった
●ある少女の疑問
と思いますが、セブンを見ながらタイトルをチェックしていると、
一話足りない事に気づいたのです。よくよく考えてみるとあの
「遊星より愛をこめて」のスペル星人の話がないではありません
今から約30年前、1970年10月10日の朝日新聞の朝刊にこ
か(本放送の時は4歳、再放送で観た時は6歳だったのに、な
んな記事が載っていました。『被爆者の怪獣マンガ~小学館の
4
「小学二年生」に掲載~「残酷」と中学生が指摘』の見出しで始
聞、東京タイムズの6紙が報じていますので、その後の経過を
まる記事でした。以下少し長いですが、そのまま転載いたしま
各誌の記事から抜粋する形で見てみましょう。
す。
『「原爆の被爆者を怪獣にみたてるなんて、被爆者がかわい
そう」~小学館発行の「小学二年生」十一月号に掲載された一
枚の怪獣漫画が、一女子中学生の指摘から問題になっている。
問題の漫画は、怪獣特集として折り込みになっている「かいじ
ゅうせっけんカード」のうちの一枚。切取って勝ち負けのカード
遊びができるようにつくられている。四十五の怪獣が並んでい
る中で、人間の格好をした「スペル星人」は、「ひばく星人」との
説明書きがあり、全身にケロイド状の模様が描かれている。こ
の怪獣をみて最初に疑問を感じたのは、東京都世田谷区のN
さん(42)の長女Yさん(13)。弟が毎月買って読む「小学二年
生」をめくっているうち、「ひばくせい人」の「ひばく」ということば
が気になった。Nさん一家は原爆の被爆者ではないが、Nさん
が東京都原爆被害者団体協議会の専門委員をしている関係
から、日ごろ家庭内で原爆問題を話合うことが多かった。Yさん
「ひばく星人」スペル星人
は「実際に被爆した人たちがからだにケロイドを持っているから
●「被爆怪獣」攻撃命令
といって、怪獣扱いされたのではたまらない」と思った。その晩、
父親のNさんにその漫画をみせ、疑問を話した。Nさんはその
場で「小学二年生」の編集長にあてて手紙を書いた。「現実に
『秋田書店でも被爆怪獣~広島被団協と原水禁が抗議~
生存している被爆者をどう考えているのか。子どもたちの疑問
原爆の被爆者を怪獣にみたて問題になっている小学館発行の
にどう答えるのか」と。同社からの返事はまだこない。このため
「小学二年生」十一月号の怪獣漫画と同じものが、秋田書店発
都原爆被害者団体協議会、原爆文献を読む会などは同社に
行の「怪獣ウルトラ図鑑」にも掲載されていることが十二日わか
対し、正式に抗議文を手渡すことを近く検討する。「小学二年
った。このため広島被団協、原水禁日本国民会議は同日「いま
生」編集部の説明だと、この怪獣漫画は、映画の特殊撮影で知
なお苦しんでいる多数の被爆者を傷つけるものだ」と両方の発
られる世田谷区砧七丁目、円谷プロダクションで制作した、とい
行元などに強く抗議することをきめた。ウルトラ図鑑に掲載され
う。円谷プロの話では、「ひばくせい人」は架空の宇宙人として
ているのは、放射能におかされた「スペル星人」を「被爆星人」
設定したといい、四十二年十二月十七日にTBSで一日だけ放
とし、全身にケロイドの傷が描かれた絵に「地球人と同じ格好に
送したが、別に問題にならなかったという。しかし「格好も人間
化け、目から発するスペル光線で一万人が死ぬ。新鮮な地球
そっくり、そのうえケロイドまで描いた点はたしかにまずかった。
の子どもの血をとる」などの説明がついている。(中略)この図
被爆者の方たちに不快な気持ちを抱かせたことは反省する」と
鑑はほかに百余の怪獣を紹介、中学生向きに二年前の初版以
円谷プロ営業部長はいっている。(以下略)』(1970年10月10日
来すでに十五版を重ねている。(以下略)』(1970.10.13/朝
/朝日・朝刊)
日・朝刊)
この記事が、「第12話」事件を最初に報じたものと思われま
『被爆者を怪獣扱い~原水禁会議が抗議~。(一部略)広
す。要するにスペル星人を載せたのは、教育雑誌「小学二年
島県被爆教師の会も「教育雑誌がこんなものをのせるとは、人
生」で、しかも付録に付いていた「かいじゅうせっけんカード」の
道上も問題だ」と近日中に出版社へ質問状をだす。問題の怪
中の一枚として。そしてそのカードに「ひばくせい人」というキャ
獣マンガは、折り込み特集ページ「かいじゅう せっけんカー
プションがつけられており、それを都被団協の委員をやってい
ド」にある四十種の怪獣の一つ「スペル星人」。人間の姿をし、
らっしゃった方の中学一年生になるお嬢さんが見つけ、「被爆
頭、手、腹、足に大きなケロイドがあり「ひばくせい人(おもさ・
者を怪獣扱いしている」と憤ったのが発端という事になります。
百・ー1まんとん)、目からあやしい光を出す」と説明がついて
この事件は、この後朝日に続き、毎日、読売、産経、西日本新
いる。ー広島県被爆教師の会会長の話「教育雑誌がなぜこん
5
な興味本位のまんがをのせたのか。編集者、作者の原爆につ
にも「怪獣ウルトラ図鑑」(秋田書店)その他の本にも「被爆星
いての認識が問題だ。へたをすると、小さなこどもたちに被爆
人」と命名されたスペル星人が掲載され、物議を醸し、各被爆
者に特殊な遺伝があるように想定させ、被爆者への差別感情
者団体から抗議を受けた3社(小学館、秋田書店、円谷プロ)そ
をつくるなど教育上の危険がある」ー小学館学年誌編集部次
の他が年内中に謝罪をし、秋田書店は「怪獣ウルトラ図鑑」の
長の話「ひばくせい人ということばは小学館がつくったもので
絶版、円谷プロはスペル星人関連資料及び作品の再放送の
はなく、これまで円谷プロが制作した“怪獣シリーズ”の一つと
凍結、小学館は翌1971年二月号の「小学二年生」に改めて謝
して一般にも知られているので使った。このシリーズには宇宙
罪広告を出し、それまで毎月のように掲載していたウルトラ怪
星人がたくさん登場しており、形も人間より大きいので人間をも
獣関連の特集を自粛し、更に翌三月号から「ヒロシマ」関連の
じったものではない。また、ストーリーも地球の平和と原水爆の
小説を沢山書いてきた、児童文学者の今西祐行氏による絵小
恐ろしさを訴えているもので、被爆者をぼうとくするとは思って
説「ゆみことつばめのおはか」の連載をスタートさせる、という
もいなかった。しかし全体のストーリーを説明しないで一部を取
形をもってこの事件は一応決着したようです。
り上げ、誤解を招いたことはこちらの手落ちなので、反省して
私にとっても、今まで良く判らなかった真相(?)が明らかに
いる」』(1970.10.13/産経、東京タイムス、西日本)
なり、ようやく霧がはれたような気分に、と言いたいところです
『小学館が謝罪~ケロイドの怪人マンガ~日本原水協の被
が、未だ釈然としない、幾つかの疑問も残りました。それにつ
爆者対策担当常任理事S氏とI氏は、十四日午前、東京千代田
いて述べてみたいのですが、以下の部分は、私の個人的な想
区一ツ橋の小学館を訪れ、同社発行の「小学二年生」十一月
像、独断と偏見に基づいた感想ですので、予めお断りしておき
に掲載した怪獣特集で、全身ケロイドでおおわれた“怪人”を
ます。
「ひばくせい人」として紹介した問題について厳重に抗議した。
●幻の「怪獣カード」
席上、S氏は「全国にいる被爆者はいまなお原爆の悪夢に苦し
んでいる。それを純粋な子供の雑誌に、怪獣としてあつかって
いることはあまりに非常識」と申し入れた。これに対し小学館の
私が最も疑問に感じていた事は、単純に何故「ウルトラセブ
H第一編集部長は「被爆の恐ろしさを怪人を通して教えようとし
ン第12話」が欠番となり放送できなくなったのか、という事でし
たにしても軽率だった」と答え、日本原水協の申入れを全面的
たので、雑誌の掲載についての問題は聞いてはおりましたが、
に受入れ謝罪した。』(1970.10.15/毎日・朝刊)
特に重要視はしていませんでした。しかし、一連の流れをみる
『「被爆星人」で円谷プロ謝罪~原爆の被害者を怪獣にみ
とその事も考えざるをえませんので、その辺で疑問に思った事
たて問題になっている小学館発行の「小学二年生」十一月号と
を述べてみますと、まず、この事件の発端になった中学一年生
秋田書店発行の「怪獣ウルトラ図鑑」の怪獣漫画「被爆星人」に
のYさんが、弟さん(この方は恐らく私と同じ歳で、この年度の
ついて広島被団協は両方の発行元や制作をした円谷プロに
「小学二年生」を私も読んでいました)の持っていた「小学二年
謝罪や制作の中止を求める抗議文を先月十八日出していたが、
生」十一月号の「かいじゅうせっけんカード」の中に、「ひばく星
このほど円谷プロ、円谷一代表取締役名で同協議会へ謝罪文
人」のキャプションのついた「スペル星人」の「怪獣漫画」を見て
が寄せられた。それによると、被爆者に不快な思いをさせたこ
憤ったという件。私はこの記事を読んだ時に「怪獣漫画」とあり
とを十分反省し、今後一切、「スペル星人」に関する資料の提
ましたので、てっきりスペル星人をうんと誇張して描いたストー
供を差控える、としている。』(1970.11.3 /朝日・朝刊)
リーマンガが載っていて、それこそ「被爆者」を嘲るような内容
『朝日ソノラマなどにも抗議~被爆者を怪獣扱い~さる十月、
があったのかと思ったわけです。そこで、当時の「小学二年生」
児童学習雑誌が原爆被害者を怪獣扱いにしたが、その後、同
1970年十一月号の現物を、同じ国会図書館で調べたところ、
様の“被爆星人”を児童用絵本に載せていることがわかり、長
何とその怪獣カードのページ(3ページ分)がそっくり抜き取ら
崎原爆被災者協議会は抗議運動を始めることになった。問題
れてしまっているではありませんか。一体誰の仕業なのでしょ
の絵本は黒崎出版がさる七月に発行した「ウルトラ怪獣写真絵
う?やはり物議を醸した問題のページは一般の閲覧にふさわ
本」と朝日ソノラマ社が先月十五日で発行した「ウルトラ大怪
しくないと判断し、図書館自らこの部分を破棄してしまったので
獣」。』(1970.12.10/読売・朝刊)
しょうか?あるいは出版社に抗議された方々の関係者でしょう
以上、主な関連記事を抜粋してみましたが、70年の10月に
か?あるいは単なる私的な欲望に走ったマニアの仕業でしょう
始まったこの「被爆怪獣」事件は「小学二年生」(小学館)以外
か?真相は「藪の中」です。仲間のおたく関係者にあたりまし
6
たが、さすがに「小学二年生」のバックナンバーまでコレクショ
影響を与えたとされる「ゴジラ」の、本多猪四郎氏、円谷英二氏
ンしている者はおらず、結局問題の「怪獣漫画」の現物を確か
を初めとする制作スタッフ達の「反核」への“想い”にあてられた
める事はできませんでした。
のかもしれませんが、私はその時、TVの前で明らかに「被爆
しかし、それは意外と近くにありました。先述した6紙の記事
者」を「ゴジラ」という「怪獣」とみなしていた筈です。そして「ゴ
をチェックしていたら、例の「怪獣漫画」の写真が、産経、西日
ジラ」は“被爆者の象徴”であるという想いは作り手の中にも確
本新聞、東京タイムズの3紙に出ていたのです。ところが…そ
実にあったのだと思います。そうした「元祖・被爆怪獣」である
れは所謂「マンガ」ではなく、私も何度も見た記憶のある、当時
ゴジラは公開当時、あるいはその後「被爆者を怪獣扱いした」と
よく出回っていたタイプのスペル星人の写真でした。マイクロフ
いう非難を受けたのでしょうか。私の知る限りそういう事はなか
ィルムですので不鮮明ではありますが、おそらく写真を使った
ったと記憶しております。では、ゴジラの場合とスペル星人の
カードを作り、その裏に「ひばくせい人」というキャプションをつ
場合の違いは何だったのでしょうか?その点から、Yさん及び
けていたのでしょう。でも、今の時代ならどんなジャーナリストで
被爆者の方々の気持ちを考えてみましょう。
も、唯の怪獣の写真のついたカードを「怪獣漫画」と表現する
一つには「言葉」の違いがあります。ゴジラは公開当時の宣
人は誰もいないと思います。「漫画」というのであれば、少なくと
伝文句で「水爆大怪獣」という風に謳われていました。「水爆」と
も「絵」で描かれていなければ「漫画」とは言えないわけですか
「被爆」というキャプション(言葉)を比べると、それらから受ける
ら。つまり、当時は雑誌の漫画もTVのアニメや特撮も、内容も
イメージはかなりの隔たりがありましょう。実際「被爆」された
見ずに「子どもの物」として馬鹿にされ、低俗・俗悪の代名詞で
方々にとって、「被爆」という言葉を聞いた時にイメージするも
ある「マンガ」という言葉でひとくくりにされていたわけです。本
のは様々だと思います。そしてそのほとんどが、差別、偏見、
来、意味的に間違いがあるにもかかわらず、「怪獣(宇宙人)の
傷、ガンなどといったネガティブな物であるに違いなく、少なく
写真」というだけでれっきとした「写真」を、「漫画」という誤った
ともポジティブなイメージが持てない事は間違いないでしょう。
表現で「どうせ子どもの物だから」と何の躊躇もなく表現して憚
それだけ当事者の方々にとっては、「被爆」という言葉は強烈
らないような無知なマスコミが幅をきかせていた(今も余り変わ
な意味を持っているし、その言葉の違いは歴然としていると思
りませんが)のです。特にこの頃は「活字」偏重の子ども文化受
われます。
難の時代であった事がわかります。
又、ヴィジュアル的な違いも大きいでしょう。ゴジラは明らか
では絵もストーリーも何もない、「マンガ」でもないのなら尚
に人間とは全く違う「怪獣」の姿です。スペル星人の方は宇宙
のこと、何故Yさんは写真とキャプションだけを見て「被爆者を
人ですので、ゴジラに比べたらずっと人間に近い姿をしていま
怪獣扱いした」と思ったのでしょう?私自身スペル星人の姿は、
す。ヴィジュアル(絵や写真)というのは、特に人間ではない異
ストーリーはともかく鮮明に記憶していましたので、「被爆怪獣」
形のものが写っていたり、描かれていたりしても、大抵の場合
の事を初めて知った時(中学位の頃)も、スペル星人と「被爆」
それだけで意味を持つものではありません。それが何かを示
という事が全く結びつきませんでした。
す記号(言葉)があって初めて、意味を持つ場合がほとんどで
す。
●「被爆怪獣」第1号
今回の場合も、写真とキャプション(言葉)の組み合わせに
よって起こった事件と言えるでしょう。勿論その組み合わせにど
個人的には、「被爆怪獣」と聞いてすぐ頭に浮かんだのは
ういう意味を感じるか、という事は個人によって違いますが…。
「ゴジラ」でした。言うまでもなく水爆実験によって太古の眠りを
例えばもしこの「スペル星人」のキャプションが、「ひばく星人」
さまされた怪獣で、私は小学校五年生の時にTVで初めてこの
でなく「すいばく星人」となっていたら、全く印象は変わってい
「ゴジラ」(1954年公開/監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英
たかもしれません。逆に「ゴジラ」のキャプションが「水爆大怪
二)を観ましたが、「ひろしま」とか「ひばくしゃ」といった言葉は
獣」ではなく「被爆大怪獣」となっていたら、物議を醸す事にな
なんとなく聞いていた私には、水爆によって「被爆した」怪獣ゴ
っていたのかも。それは今となっては想像でしかないのですが
ジラが東京を暴れまわる姿は、「怪獣」を越えた「被爆した」生き
…。
物の怨念みたいなものが感じられ、それまで聞いていた広島
や長崎の被爆者のイメージと妙にダブった記憶があります。
制作当時(1954年)に起こった「第五福竜丸事件」が大きな
7
●総天然色怪獣写真
ではどうして問題にならなったのでしょうか?考えられる事
は二つです。この本を手にしていた子どもたちの多くは「ウルト
ヴィジュアルという事について、もう一つ大切な事を考えて
ラセブン第12話」を観ており、「被爆星人」という意識をほとんど
おかなければなりません。これも一連の記事の中で感じた事な
持たずに(「被爆星人」という言葉は、劇中に一切出てきていま
のですが、スペル星人のデザインについてです。既にお気づ
せんので)この本を愛読していた事(私もその一人です)。もう
きの方もいらっしゃるかと思いますが、前号の予告用チラシに
一つはさっきと同じ理由ですが、この本に使用されている写真
何体か載せておいた怪獣・宇宙人の中にスペル星人が入って
はやはり白黒で、ヴィジュアル的にもケロイドという雰囲気が薄
いるのです。何故チラシをこのようなデザインにしたのかという
く、「被爆者=宇宙人」という風に結びつきにくかったという事が
と、ただの“おたく”の酔狂と思ってもらっても構わないのです
考えられます(もちろんカラーであったとしても、そのように受
が、前述した問題の「怪獣カード」の形をなるべく再現しようと思
け取られたかどうかは判りませんが)。
ったのです。現物こそ発見できませんでしたが、新聞でカード
●パーソナルなもの
の写真を見た時に、だいたいどのようになっていたのかは見当
がつきました。新聞に「45枚のカードからなる」というような事が
書かれてあったので、何者かによって抜き取られた3ページ分
しかしながら、ヴィジュアル的な事やキャプション(言葉)な
には、1ページ15枚×3ページ分のカード、つまり横3枚縦5枚
ど、こうした要因はあるにしても、やはり物事を左右するのは、
のカードからなるページになっていたのだろうと思われます。
最終的には個人の価値観という事になるでしょう。ある物事を
チラシには12体しか載せられませんでしたが、切り離しも可能
白とみるか黒とみるか、正義か悪か、これらは時代や個人個人
なように作ったわけです。そしてその中に「ひばく星人」のキャ
の生活環境によって大きく変わります。このYさんのお父さん
プションをつけたスペル星人をさりげなく入れ込み(写真は現
は都被団協の委員であられたという事ですので、Yさん自身の
物と同じタイプのものです)、何か感じられる方がいらっしゃる
核に対する意識も、とても高いものをお持ちであるに違いあり
かどうか試したかったわけです。
ません。だからYさんが今回の事を問題にしたのも当然の事と
しかしながら、前回のチラシと現物の「怪獣カード」とは、決
言えます。逆に言えば、Yさんがこの「怪獣カード」をもし見て
定的に違うところがあるのです。それは紙の厚さでも色でもあり
いなかったら、この事件は起こらなかったかもしれません。
ません。実は現物のカードはカラー印刷されており、スペル星
それに、新聞記事にも再三にわたって「教育雑誌にこのよう
人の特徴である体中にあるケロイドを思わせる模様がクリアに
な…」という表現が出てきている事でも判るように、このカード
写っているという点です。
が教育雑誌として広く認知された「小学二年生」に載った、とい
恐らくYさんが「被爆者を怪獣扱いしている」と思った一番の
う事も問題を大きくさせた原因の一つでしょう。逆にいうと、マス
根拠は、この事ではないかと思われます。このカラーで写され
コミや当時の大人達の多くが軽視していた「少年マガジン」や
た、人間ではないが明らかにケロイドを思わせるような模様の
「少年サンデー」といった純粋な漫画雑誌(漫画という媒体をど
ある生き物に、「ひばく星人」とつけられたキャプション。チラシ
うみるかという事も、個人の価値観によりますが)に最初から載
は白黒でよく判らないかもしれませんが、最近私が入手した、
っていたら「低俗な漫画雑誌ならやりそうな事」と、全くかどうか
同じタイプのスペル星人のカラー写真を見ると、確かにそう思う
は判りませんが、少なくともこれ程の騒ぎにはならなかった可
人もいるかもしれない、と言えなくもない代物です。記事の抜
能性もあります。良くも悪くも、物事の本質よりも「見た目」や「入
粋にもありましたが、「怪獣カード」に使われたものと同じ写真
れ物」によって物事の善し悪しが判断される場合も多いですか
が「怪獣ウルトラ図鑑」にも掲載されていて問題とされましたが、
ら。勿論、これらの事とは関係なく、またYさん以外の人が「カ
これなどは事件の2年以上も前に発行され、15刷を重ねるロン
ード」を見つけて、問題にしていたかもしれません。
グセラーの本でした。かくいう私も一時この本をバイブルとして
いずれにしろこの出版物に関する事柄は、個人の価値観に
いた時期があったので、記事を読んだ時は驚いたものです。と
よる見解の相違があるにしても、また仮にそれが出版社の全く
にかく「被爆星人」のキャプションを載せたまま2年以上もロング
の過失であり(私は出版社の“過失”であったと思いますが)悪
セラーになっており、その間何の問題もなかったわけです。そ
気は無かったにしても、結果的に心が傷つき、不快な思いをさ
れは、被爆者団体の方々がこの事件が起きて初めてこの本の
れた被爆者の方は大勢いらっしゃったでしょうから、最終的に
存在を知り、抗議した事からも明らかです。
出版社による謝罪及び、写真の掲載・重版の差し止め等の処
8
置は致し方のない事だったでしょう。
粛をしてしまったのでしょうか?まがりなりにも円谷プロは、TV
作品が中心とはいえ、れっきとした映画を作っている独立プロ
●「ひばく星人」の名付親
です。抗議されただけで、自信を持って送りだした筈の作品を
簡単に自粛してしまうとは考え難いものです。
さて、事の起こりが雑誌媒体だっただけに、印刷物に関す
それに、この事件の成り行きを新聞等でみる限りにおいて、
る最終的な措置はやむをえなかったにしても、今度は実際の
マスコミを含め各団体の関係者が、映像作品の方もきちんと検
映像作品を封印してしまった事をどう見たらよいのでしょうか?
証した上で抗議したとは考えられません。それならそれで「作
記事によると、各被爆者団体が秋田書店、小学館、そして円谷
品をみて判断して下さい」という選択肢もありえたはずです。
プロの3社に対し抗議を行い、謝罪、自粛という事になったわ
実は東京地区に関しては、この騒動が起こっているまさにこ
けですけれど、出版社の責任は判るとして、「円谷プロ」の側に
の頃、作品をみて判断してもらうチャンスがあったのです。各
は一体どのような責任が考えられるのでしょう?
出版社が謝罪を始めていた頃の1970.10.28日から、TBS系に
敢えて考えてみますと、とりあえず作品自体の評価はおくと
て「ウルトラセブン」の再放送がスタートしていたのです。TVの
して、雑誌媒体に怪獣写真を提供し「ひばく星人」というキャプ
再放送というのは通常、その作品の本放送終了後3年間位は、
ションがついていた事実を、知ってか知らずか黙認していた
局がその作品の放送権を保有する事ができ、その間は局が自
(問題意識を持って差し止めていなかった)、あるいは気づか
由に再放送のプログラムを組めますので、この時の再放送は、
なかった、という点は問題にされるかもしれません。なぜなら
この事件が起きる前からすでに予定されていた事でしょう。だ
「怪獣ウルトラ図鑑」はもとより、雑誌媒体等に使用されている
から全くの偶然であったと言えます。問題のスペル星人の回は
怪獣の写真には必ずⓒ(著作権者)の所に「円谷プロ」と明記さ
第十二話ですから、そのまま順番通りに放送していけば、翌月
れているはずで、そうである以上、何らかの不都合・トラブルが
の11.12 日に放送となった筈です。
あった場合、利益を受ける場合も損なわれる場合も、著作権者
新聞記事によると11.3日の記事の段階で、当時の円谷プロ
としての責任を問われるのは仕方のない事だからです。
の社長であった円谷一氏(特技監督・円谷英二氏の長男。TB
しかしながらこのケースの場合は、黙認とかいう以前に放送
S演出部から本家・円谷プロの監督へ。初期ウルトラ・シリーズ
時に何の問題もなかったわけですから、ごく自然に、そこに出
で数々の優れた作品を演出。「東京一」の名前で、幾つもの「ウ
てくるキャラクターにしかるべきキャプションをつけて(勿論作
ルトラ」の主題歌の作詩も手掛ける。1970年1月、円谷英二氏
品のテーマにあった)雑誌に載せる事は普通に考えられる行
死去に伴い、円谷プロ二代目社長に就任)が各被爆者団体に
為です。でも、復刻されたシナリオのどこに目を通しても「被
回答文を送り、謝罪と今後スペル星人に関する一切の資料・作
爆」などという言葉は一言も出てきませんから、このキャプショ
品を外に出さない旨を公言されていたようです。氏も社長であ
ンを円谷プロ自身がつけたものなのか、最も早くこのキャプショ
る以上に映像作家であるわけですから、安易に作品の自粛を
ンを使って本を出した秋田書店がつけたものなのか、今となっ
行ったとは思えません。「とにかくこの機会に作品をみてもらっ
ては判りません。もしこれが、秋田書店がつけていたものなら
て」という事も当然考えたでしょう。その辺の氏の心の内は後で
ば、「黙認(?)」していたという円谷プロの責任は皆無とは言え
検証するとして、とにかくこの数週間の間の円谷氏は、目前に
ないまでも、少なくとも大幅に軽減される事は間違いないでしょ
迫った「第12話」の再放送をどうするか、相当悩まれた事は想
う。円谷プロの方も、まさかこんな大騒ぎになるとは!という感
像できます。まさにポツダム宣言を受諾するかどうかの瀬戸際
覚だったと思います。とにかく雑誌の件についての謝罪、写真
に立った鈴木貫太郎の心境だったのではないでしょうか。オー
等の引き上げという処置は、各出版社同様、円谷プロに対して
バーではありません。クリエーターというのはそういうものだと
も妥当性があると考えてよいでしょう。
思います。とにもかくにもこの時の「第12話」の再放送は見送ら
れ、以後のスペル星人の封印は決定してしまったのです。
●円谷プロ的本土決戦
しかし、封印の理由は本当に何だったのでしょうか?私なり
に検証もしてみたこと述べさせて頂きたいと思いますが、その
では、問題の「映像作品の封印」という事についてはどうな
前に、ここで少々TVの映像作品の自粛・放送禁止という事に
のでしょう。各団体からの抗議の中に、今後の放送を差し止め
ついて考えてみたいと思います。
ろという要求があったのでしょうか?それを受けて一方的に自
9
●“お蔵入り作品”の秘密
た赤子はもはや人間とは言えない状態で捨てられるが、寿光と
いう医師に助けられ、作り物の体を与えられ、百鬼丸として成
TV番組というもの、特にドラマ(アニメ・特撮物を含む)とい
長。奪われた体を取り返すべく、48体の魔物と戦っていく。これ
うものが放送禁止になる理由としては、所謂「放送コード」から
だけでも十分おわかりのように、主人公が目も鼻も口も手足も
みて“言葉の表現”が不適切である場合か、“ヴィジュアルとし
作りものという所謂「かたわ」として登場するわけですから、これ
ての表現”が不適切である場合か、大半がこのいずれかである
は「佐武と市」の比ではありません。毎回毎回「かたわ」「めくら」
と思われます。元々映像というものは、視覚と聴覚しか伴わな
「つんぼ」「おし」といった放送禁止用語の連続で、全26回全て
いわけですから当たり前といえば当たり前なのですが、ではこ
の「不適切」な言葉を消していったら、それこそ48箇所ではとう
の「不適切な表現」とは一体どのようなものなのでしょうか?そ
てい済まないといういわくつきの作品です。これも白黒作品で、
もそもTVというものがマス・メディアである以上、そういった「不
LDのみで全巻復刻されています。
適切」に当たるかどうかという基準が、時代とともに、あるいはそ
の場の状況で変わる事は当然と言えますが、実は他のアニメ
や特撮物にも、スペル星人同様放送できないもの、或いはシ
ーンを削除して流されているものが多数あるのです。参考まで
に例をいくつ挙げてみたいと思います。
●禁じられた言葉
「佐武と市捕物控」(1968年制作/石森章太郎・原作)江戸
の下町を背景に下っ匹の若者・佐武と、居合の達人である盲の
市のコンビが活躍する捕物帳。白黒作品という事もありますが、
「どろろ」より
市というキャラクターが盲人であるという事で、毎回「めくら」「ど
めくら」という台詞の連発で、差別用語多しという理由で再放送
「タイガーマスク・第19話~試合開始2時間前~」(1970年制
されず。もっとも最近LDやビデオで全巻発売されていますが、
作/梶原一騎・原作)これはかなり有名な本格プロレスアニメ。
ビデオ版は近年公共性が上がっているためか、不適切な台詞
悪役レスラー専門の養成組織「虎の穴」の優等生・伊達直人こ
は全て音が消されています。
とタイガーマスクは、自分が育った孤児院「ちびっこハウス」の
子どもたちや、全国の恵まれない孤児達を救うため、組織と手
を切り、裏切り者として「虎の穴」の殺し屋レスラーと戦い続ける。
この作品は「みなしご」(この言葉も死語となりましたが)と主人
公との交流が一つのテーマになっていましたので、毎回それ
ら孤児達の背景にある社会-交通戦争、四日市喘息、過疎の
村、登校拒否、被爆等-に鋭く切り込んでゆく、単なるスポ根
ではなく、社会派のヒューマン・ドラマとしても一級の作品でし
た。その中の第19話。これはタイガーがある試合の巡業先で知
り合った、父親をなくし病気の母を助けて廃品回収業を手伝っ
ている少年の物語。本作(第19話)は、東京地区では1973年の
再放送までは放送されており、1980年に7年ぶりに再放送され
「佐武と市捕物控」より
た時には外されておりました。その時TV局(日本テレビ)に問
「どろろ」(1969年制作/手塚治虫・原作)これは比較的有名
い合わせた処、その少年の仕事(廃品回収業)と彼が住んでい
な手塚作品のアニメ化。時は戦国時代。地侍・醍醐景光は天下
る長屋の描写が、どうも「部落」を思わせるという事でこのエピソ
をとるという野望を叶えたいがため、生まれてくるわが子を生贄
ードだけ放送できないという事でした。しかしLD全集ではきち
として48体の魔物に捧げる。身体中の48箇所を魔物に奪われ
んと第19話は収録されていたので、チェックも可能です。
10
●「刑法39条」
以上は全てアニメ作品ですが、特撮作品も数本挙げておき
ます。
「怪奇大作戦・第24話~狂鬼人間~」(1969年制作/円谷プ
ロ)科学を悪に利用しようとする犯罪者に立ち向かうSRI(科学
捜査研究所)のメンバー達の活躍を描く。「ウルトラセブン」の
後番組として、日曜夜7時のタケダ・アワーから放映され「ゲゲ
ゲの鬼太郎」「河童の三平・妖怪大作戦」「妖怪人間ベム」「バン
パイヤ」などといった怪奇色の強いアニメ・特撮作品がオン・エ
「タイガーマスク」より
アされていた1968~1969年当時の怪奇ブームの中で、科学犯
「超電磁マシーン・ボルテスV」(1977年制作/八手三郎・原
罪の裏に潜む抑圧された人間の悲しい怨念、業などを描いた
作)角のあるものがないものを支配するボアザン星の人種差別
極めて社会性の強い作品でした。さてこの第24話「狂鬼人間」。
を逃れ、地球人となったボアザン星人こと剛健太郎は、いずれ
精神病院を脱走した心神喪失者によって夫と子どもを殺害され
行われるであろうボアザン星の地球侵略に備え、巨大ロボ・ボ
たある女性科学者が、刑法39条(精神鑑定)により犯人を無罪
ルテスVを完成。地球人との混血である5人のわが子をパイロ
にしたこの社会に復讐するため、自ら発明した「脳波変調機」
ットとして育てあげる。そしてボアザンの攻撃から地球を守るボ
(一時的に人間の脳波を狂わせる装置)を使って人を狂わせ、
ルテスVが起動する。ロボット・アニメ全盛の頃に作られた根強
犯罪を犯させていく“狂わせ屋”の物語。最近の少年犯罪には
いファンを持つ作品ですが、角のあるボアザン星人がそれを
必ずといっていい程問題となる「精神鑑定」や刑法39条の矛盾
持たない同胞を奴隷にしているという描写や、劇中の「剣奴」と
を先取りするような内容でしたが、東京地区では1992年にBS
いう言葉がやはり「奴隷」を思わせるという理由で今は放送でき
で1973年以来20年ぶりの再放送がなされ、脳波を狂わせられ
ないそうです。ビデオはセレクトされたものが3本発売されてい
た人間の、殺人シーンを含めた描写が「不適切」としてオクラ入
ますが、全部見たいという方は是非フィリピンへ。ご存じの方も
りに。その後発売されたビデオやLDからも第24話は削除され
いるかもしれませんが、この作品はフィリピンではすごい人気
ていました。
で、視聴率80%とも90%とも言われており、国民の大半がフィリ
●特撮ドラマと少年
ピン・バージョンに加えて日本語バージョンの主題歌まで歌え
てしまうという、もの凄いフィーバーぶりなのです。恐らく権力に
対抗していくというテーマが受けたのか、15年程前反マルコス
「超人バロム1」(1972年制作/さいとうたかお・原作)全宇宙
運動のテーマ・ソングにも主題歌が使われ、これを恐れたマル
の悪の化身・ドルゲを追って地球にやってきた宇宙の正義の
コス大統領が元首自ら「ボルテスV」の放送を禁止した、という
象徴・コプーは、木戸猛、白鳥健太郎の二人の少年にバロム1
エピソードまである程です。近年、放送禁止は解除となり、以前
の力を与えた。コプーのエージェント・バロム1となった猛と健
と変わらぬ絶大な人気を誇っているという事です。
太郎の二人は、地球の平和を脅かすドルゲに敢然と立ち向
かってゆく…。「ゴルゴ13」で知られるさいとうたかお原作の数
少ない変身ヒーロー物。これは実は再放送不可能な作品では
ないのですが、ある物議を醸した事件がありました。それは当
時、巷では「ドルゲ事件」(ゾルゲ事件ではありません)と言わ
れ(?)概要を説明すると、兵庫県に在日ドイツ人で「ドルゲ」と
いう姓を持つ「少年」がいまして、「バロム1」のヒットでドルゲの
悪役ぶりが認知されていたためでしょう、ドルゲ君は、学校で
友達から「や~い、ドルゲ」といじめられたわけのです。そこで
怒ったドルゲ君の父親が、番組の差し止めを裁判所に訴えた
という事件なのです。その父親によれば、ドイツ人は「姓」という
「ボルテスV」より
11
ものに誇りを持ち、それを汚される事を極度に嫌い、場合によ
ディテール全てを覚えているわけではありませんし、実際に仕
っては決闘にも及ぶという事らしく(ドイツ人全員がそうなのか、
上がった映像は、細かい部分でシナリオ段階にあったシーン
「ドルゲ氏」だけがそうなのか判りませんが)、名誉を傷つけら
等が、変わっている場合もなかったとは言いきれません。だか
れたと大変な騒ぎだったそうです。結局シリーズの途中から番
らヴィジュアルにおける「不適切な表現」があったのかなかった
組の最後に「ドルゲという悪者はフィクションの中のものであっ
のか、確かな処は今一度作品を観てみない限り確かめようがな
て、実際は存在しないものです」というテロップを流すという事
いという事です。
で騒ぎは納まったそうですが、その事件が影響したのか、その
ただし「第12話」の監督である実相寺昭雄氏の持つ独特の
後の視聴率ははかばかしくなく、結局一年放送の予定が八ヵ
映像表現が「誤解」を招く原因になった可能性はあるかもしれ
月で終了することになりました。もし「セブン・第12話」も本放送
ません。知っている方は十分御承知の通り、実相寺氏はTBS
時にクレームをつけられていたら、「セブン」は打ち切りとなり、
の演出家から初期ウルトラ・シリーズの監督となり、芸術性の強
その後のウルトラ・シリーズも存在せず、今日のような息の長い
いATG映画の監督をやり、CMの演出や文筆、そしてその屈
シリーズにはならなかったかもしれない、と思わせるような事件
指の音楽的造詣の深さから東京芸大の教授にまでなり、最近
でした。LDで全巻、ビデオでセレクトされたものが発売され
ではオペラの演出も多数手掛けるという多彩・鬼才ぶりを発揮
ています。
しています。氏の映像というのは、広角レンズの多用による極
「エコエコアザラク」(1997年制作/古賀新一・原作)黒魔術
端なまでに人物や背景を歪めた撮影、逆光によるシルエット撮
を操る黒井ミサが人間の世界で遭遇する様々な事件。本格オ
影、ほとんど人物の輪郭位しか判別できない程のアンダーな
カルト・ホラー物として制作され、人間のエゴや欲望、怨念とい
照明、超クローズ・アップ撮影など、その凄まじい絵作りは、ど
ったテーマも盛り込まれ、人間ドラマとしても見応えがあり、土
んな絵を撮っても異質な世界を紡ぎ出してしまうという強烈なも
曜の深夜2時台の放送というマニア向けの作品。これも「バロ
の。特にその超クローズ・アップ撮影などは、氏がTBSの演出
ム1」同様「少年」がらみの事件が問題となりました。1997年に
家の頃担当した「美空ひばりショー」の中継番組で、歌うシーン
世間を騒然とさせた「酒鬼薔薇」事件がそれで、リアルなスプラ
そっちのけで、それこそ毛穴や化粧の塗りムラまで見えるかと
ッター(血しぶき)描写も多い本作は放送中止に。未放送分を
思われるようなクローズ・アップによる絵を撮りまくり、局の上層
含めたビデオが全巻発売されています。なお国産ではありま
部や「美空ひばり」ファンの怒りを買い、演出部からほされたと
せんが、現在でも米国で放送中の人気シリーズ「Xファイル」
いう伝説がある程で(氏によると、自分独自の美空ひばりへの
(1993~)も同時期に日本でも放送されていましたが、その過
愛情を表現したものだったそうですが、それが世に受け入れら
激な描写のため、やはり「エコエコ」と全く同じ理由で放送中止
れなかったとの事)、少年時代に「ウルトラ」などで氏の異常な
となってしまいました。
映像の洗礼を受けた我々の中には、私も含め未だにそれが激
かなり趣味に走って長々と紹介させて頂きましたが、以上の
しいトラウマとなっている人も少なくありません。
ようにほとんどの作品が「ヴィジュアル」か「言葉」の問題でオク
こうした映像を作る実相寺氏が監督をしたわけですから「第
ラ入りになってしまっています。話を戻して、「第12話」の場合を
12話」の場合も、その絵作りによって極端に意味が誇張された
考えてみましょう。もしかしたら円谷一氏は、上のいずれかの問
り、観る人に一種の不安を与えるような映像になっていたのな
題が作品にあると判断して封印したのかもしれないからです。
ら(私の記憶の中でも「第12話」のシーンの幾つかは、他のエ
ピソードに比べて、子ども心にも極めて異様な感じがした事を
●迷走!?実相寺マジック!
覚えています)、もしかしたら(美空ひばりショーの時のように)
氏も全く意図しなかったような印象を観客に与えていたかもし
まず「言葉の表現」に関してみると、既に述べたようにシナリ
れません。そして、この事件以降この作品を観る人々に、テー
オを読む限りにおいて、所謂「放送コード」に引っ掛かるような
マが歪められて伝わってしまうかもしれない、との判断が円谷
言葉、差別語等を使っているとは思えないし、勿論「被爆星人」
氏によってなされたという事もあり得るかもしれません。特に映
などという言葉は一言も出てきません。だから「言葉」の問題は
像表現というのは(先のキャプション(言葉)付きの写真以上に)
なかったと思われます。
いかなる場合でも、最終的には個人(視聴者)の主観に左右さ
では「ヴィジュアル面での表現」はどうなのかというと、これ
れる要素が多いので、何の客観性もなく賞賛されたり攻撃され
に関しては何とも言えないというしかありません。映像の細かい
たりという宿命を持った表現ですから尚更です。しかし、そうし
12
た理由でプロダクションにとって財産ともいうべき映像作品を封
「ウルトラマン」の一エピソード「故郷は地球」(監督・実相寺
印してしまうという事は、個人的にはやはり考えにくいのですが
昭雄/シナリオ集のタイトルにもなった程、作者のお気に入り
…。しかし、これも判りません。
のタイトル)もそうした作品の一つです。米ソの宇宙開発が進む
他に「ヴィジュアル」面で強いて考えられる事があるとすれ
時代、アメリカを思わせる某超大国の宇宙ロケットが突如消息
ば、写真の方で問題になったと思われる「ケロイド」状のデザイ
を絶った。その某国は国家の威信が失墜するのを恐れ、その
ンです。監督の実相寺氏は、このようなデザインは全くイメージ
事実を隠蔽したのだが、ロケットのパイロット・ジャミラ(ちなみに
していなかったらしく(毛細血管が透けて見えるようなデザイン
ジャミラというネーミングは、アルジェリア独立戦争で死んだ少
を注文していたそうですが)、恐らく脚本を読んだイメージから、
女・ジャミラからとられています)は、自分を見捨てた地球へ怪
美術部サイドで独自にデザインした物だと思われます。しかし
獣となって帰還。復讐の鬼となって暴れまわるジャミラを、無残
ながらこれにしても、スペル星人の写真が「ひばく星人」という
にもウルトラマンは倒してしまう…。勧善懲悪のウルトラマンや
キャプションと一緒になって初めて「特殊な」意味を持ったのと
科学特捜隊の“正義”に初めて疑問を投げかけたという意味で
同じように、「私はひばく星人である」というような台詞と共に「ケ
私たちの心が強く掴まれるような作品でした。
ロイド」状の模様を持ったスペル星人が登場するといったような
そして「ウルトラセブン」を経て、「怪奇大作戦」へと続きま
シーンがあれば別ですが、少なくともシナリオ上では全くありえ
す。
ませんから、実際の映像作品ではこのデザインに関しても問題
●「怪奇大作戦」参上!
はなかったと思われます。放送時及び再放送時にその手のク
レームが一切なかったという事が、それを裏付けていると考え
て良いでしょう。しかし今後、被爆者団体の関係者あるいは一
ここで簡単に「怪奇大作戦」成立についての話をする必要
般の人でも、仮にこの事件の事を知った上で「第12話」を観た
があると思うのですが、「マン」や「セブン」の前半の頃までは、
場合、恐らく何らかの先入観なしには観る事が難しくなってくる
“ウルトラの正義”に疑問を投げかけていたのは佐々木=実相
可能性があり「やはり被爆者を怪獣扱いしている」とみる人もい
寺コンビだけでしたが、TBSの反骨プロデューサー・橋本洋二
るかもしれませんが。
氏が「セブン」の後半から参加したあたりから、やはり沖縄出身
で金城氏の盟友であった上原正三氏、若き日の市川森一氏な
●崩れゆく正義
どといった他のライター達も“ウルトラの正義”に疑問を持ち始
めていました。1968年当時、時代はベトナム戦争真っ盛りの頃。
ではもしも「ヴィジュアル」面の問題もなかったとすると、残る
心あるライター達の中に「いつまでも勧善懲悪のドラマなんか
は作品の「テーマ」の問題という事でしょうか?つまり新聞記事
やっていていいのか?」といった思いが湧き上がっても不思議
でも広島被爆教師の会の会長さんが「作者の原爆への認識が
はありません。「セブン」の後半の頃は「ウルトラ警備隊は自衛
問題だ」と仰っていたように、円谷一氏自身も作者である佐々
隊で、ウルトラセブンは日本を守るアメリカ軍、怪獣や宇宙人は
木守氏の、「原爆に対する認識」を疑ったという事でしょうか?
どこかの仮想敵国(ベトナムのような国)や罪のない民衆」とい
でもそれは最も考えにくい事です。
った気分が円谷プロの中にすっかり蔓延して、視聴率も落ちて
脚本家の佐々木守氏は「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「怪
いき「セブン」の4クール目あたりは、かなり重々しく暗い雰囲気
奇大作戦」等で、監督の実相寺昭雄氏との名コンビで数々の
の作品が多くなってしまったのです(このあたりの事情は1993
傑作を発表してきました。「ウルトラ」の事実上の原作者であり、
年にNHKで放送された「私が愛したウルトラセブン」(作・市川
メイン・ライターでもあった沖縄出身の脚本家・金城哲夫氏が、
森一)というドラマで、フィクションを交えながら寓話的に描かれ
主にコンビを組んだ監督だった頃の円谷一氏と共に発表した
ています。ビデオでも観られるので、興味のある方は是非)。そ
作品群が、本来の「ウルトラ」の骨格である勧善懲悪、正義のヒ
ういう状態の中で終了した「セブン」の後番組として放送された
ーロー像を中心に据えたようなオーソドックスな直球的なもの
「怪奇大作戦」は、橋本洋二プロデューサーの指揮の元、従来
が多かった(「ウルトラQ」を除いて)のに比べ、佐々木=実相
のウルトラシリーズのメイン・ライターだった金城氏に代わり、上
寺コンビの作品は、怪獣は悪者ではなく、虐げられた者たちで
原正三氏、佐々木守氏等が中心となって進められました。この
あり、ウルトラマンや地球防衛軍の考える「正義」自体が問われ
作品は彼らが描いてきた、虐げられ抑圧されてきた怪獣の姿
るような、社会性の強い変化球的なものが多かったのです。
は、実は我々人間の姿だったんだという事を吐露してしまった
13
シリーズだったのです。
しくはテーマの描き方において何かしら視聴者からクレームが
そんな「怪奇」の中の一エピソード「死神の子守唄」(監督・
つけられるとすれば、一つだけ考えられなくもない事がありま
実相寺昭雄)は、佐々木守氏が「セブン・第12話」に続き、再び
す。それはこの「第12話」事件についてほとんど沈黙している
「核」というテーマに取り組みました。体内被爆で白血病となり
佐々木氏が残した、後に紹介する数少ない発言からも読み取
余命いくばくも無い妹の命を救いたい一心で、天才科学者・吉
れるのですが、この作品において、氏が最も描きたかった事に
野は破壊された血液を再生させる「スペクトルG線」完成のため、
かかわる事だと考えられるのです。
若い女性に次々と人体実験していく。実験をやめさせようと同
●「平和な国」の住人
じ科学者の立場で説得を試みるSRI。「科学者が何をした。原
爆や水爆を作っただけじゃないか。誰だ!誰が妹をこんな目
にあわせた!答えられるか君に…。」吉野の叫びに沈黙するし
「第12話」が放送された1967年は、太平洋戦争の終結、そし
かないSRIを尻目に、非情な警官隊は吉野に襲いかかり、袋
て「史上最大の殺戮」である広島・長崎への原爆投下から22年
叩きにしたあげく手錠をかける。法を犯した唯の犯罪者として
目の年で、もはや「戦後ではない」と言われ、所得倍増、高度
…。恐らく「セブン・第12話」よりもっとハードに、もっと露骨に、
経済成長真っ只中。地方から多くの人が都会に出て、我も我も
単なる「核」問題を扱ったドラマを越えて「科学の犯罪」というテ
と現代の3C(カラー・テレビ、カー(車)、クーラー)を買い求め
ーマにまで鋭く切り込んでいたのです。
るようなイケイケの時代でした。あの忌まわしい戦争の事など一
刻も早く忘れてしまいたいと、過去を振り返らず前だけを見て
●佐々木守の目
生きてきた多くの戦後日本人のその姿勢や思いが、世界中が
驚くような速さで国を復興させ、このような繁栄をもたらしたの
この他にも佐々木氏は、父の発明した光子ロケットの秘密を
だとも言えます。そんな時代、当事者以外は、恐らく日本人の
体に隠された春日五兄弟が、その完成を阻止しようとする宇宙
多くが自分の国に原爆が落とされたという事実など、遠い昔の
人達に狙われ(宇宙人は、地球人が光子ロケットを使って宇宙
話であるかの如く振る舞っていたと思われるこの時代に「遊星
を侵略しようとしていると考えている)、秘密を解くために協力を
より愛をこめて」は放送されました。
仰いだ科学者とその家族にも危険が及び、逆に行く先々で阻
人間の英智により(?)核兵器全廃を成し遂げたとされる
害されるという、主人公が人間社会から追われるというアンチ・
1980年代の世界を舞台にした「セブン」の時代は、まさに多くの
ヒーローを描いた「シルバー仮面」(1971.11~1972.5放映/監
人が核戦争などどこ吹く風という気分でいたであろう、平和な
督・実相寺昭雄/ちなみにこの作品の主題歌名、第一話のサ
(?)1967年当時の日本と重なります。そんな天下泰平の時代
ブ・タイトルはいずれも「故郷は地球」)。ロボットを使って国土
に、突然他の国(星)から核実験によって被爆した人(宇宙人)
の奪還と大和民族への復讐をもくろむ日本の先住民族の末
が現れ、しかも日本人の血があれば彼らは生きられるため、そ
裔・不知火一族と、日本国家警察機構の密使・静弦太郎及び
の血を盗みに来たとしたら…。日本はパニックに陥るでしょうが、
彼を助ける霧島五郎との戦いを描いた「アイアンキング」
それでも尚多くの日本人は、よその星の核戦争、被爆者の事
(1972.10 ~1973.4放映)、などといった異色特撮ドラマを再び
など、被爆国であるにもかかわらず、自分や自分の国とは全く
タケダ・アワーから送り出し、又、ATGで大島渚監督の一連の
「無関係」な(無関心な)事としかとらえられないかもしれません。
社会派映画の脚本を担当するなど、数々の力作・問題作を発
佐々木氏は、スペル星人という架空の被爆者(あえてこう呼び
表しています(現在は「知ってるつもり」全シリーズの総監修を
ます)を、ブラウン管を通じて我々の目の前に登場させる事で、
担当)。
そうした「平和ぼけ」した「無関心」な我々を痛烈に批判し、敢え
こうした佐々木氏の視点が、一貫して被抑圧者の視点に立
て「寝た子を起こす」ような行為をしてみせようとしたのだと思い
っていた事はこれらの作品をみても明らかな事であって、改め
ます。
て言いますが同時期に金城哲夫氏と共に、初期のウルトラ作
●“差別”の条件
品の総監修・監督を務め、佐々木氏の仕事を知り尽くしている
円谷一氏が、氏の「原爆への認識」を疑ったという事とは考えに
くいという事です。
この「セブン・第12話」を本放送でみた頃、私はまだ4歳の
しかし、仮にもし「遊星より愛をこめて」という作品が、内容も
子どもでしたから、勿論作者のこのような思いなど判ろう筈があ
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りません。でもこの日本人の持つ、自分達の身近な問題への
ませんでしたから、当然といえば当然だったかもしれません
「無関心」というのは、思い起こせばあったのだと思います。「広
(自分の無知を親や教師のせいにしても仕方がないのです
島被爆教師の会」の会長さんが記事の中で仰っていた言葉
が)。
をもう一度思い返してみましょう。「教育雑誌がなぜこんな興味
●ドント・ルック・バック
本位のまんがをのせたのか。編集者、作者の原爆についての
認識が問題だ。へたをすると、小さなこどもたちに被爆者に特
殊な遺伝があるように想定させ、被爆者への差別感情をつくる
そして、それは意外に多くの同世代の友人がそうだったよう
など教育上の危険がある」との発言。この方は勿論教師の方で
に思います。学年が上になり進学していく度に、「ゴジラ」や「ス
すから、「教育雑誌」にまんが(写真)をのせた事、「教育上」の
ペル星人」の話をかなりの人としましたが、「被爆者」について
問題がある、という事を最も留意されていますので、この段階
の認識や情報は言うまでもなく、「スペル星人」の事を知ってい
で作品自体の問題点も指摘していたかどうか定かではありませ
る人は大学に上がるまで一人も会った事がなかったのです。
んが、とにかくこの「まんが」によって、被爆者に対する「無理
仮にそれを、かろうじて知っている人でも「ひばく星人」のキャ
解」からくる差別意識が、子どもたちの中に生まれる事を最も強
プションの事を知っている人は、所謂おたく仲間ができるまで
く懸念されています(でも、この「無関心・無理解」に対する懸念
は皆無でした。私自身が社会的な問題とは縁遠い人生を送っ
は、佐々木氏が「第12話」で描きたかった事とある意味で繋が
て来たため、“類は友を呼ぶ”で極端にそういう「問題意識の低
るのですが…)。
い人」としかめぐり合わなかったのかもしれませんが、とにかく
しかしながら私個人の少年時代で言うと、それは杞憂である
自分も含め私の周りは、常に自分に興味のある事以外は「無関
といわざるをえない状態でした。なぜなら、私は当時「ひろし
心」という人の溜まり場だったのです。先の先生の場合は、広
ま」や「核兵器」の事、そして「被爆者」の事など全く知らなかっ
島の先生ですから、生徒も含めて当然そうした意識は高いわ
たし、「ゴジラ」をTVで観るあたりまでは情報としてもゼロでした。
けで、「被爆者」の問題など知り尽くしているであろう子どもにと
だから、仮に劇中で「私は被爆宇宙人スペル星人である」と言
っては、「ひばく星人」の問題は「無関心」などではいられない
われたとしても、この場合「被爆」という言葉の正確な情報は勿
筈です。先生が憤ったのも当然であると思います。
論、最低限の情報(差別する側が当然持っていなければなら
しかしながら、大学時代にこんな事がありました。当時、何
ない知識)ーつまり「被爆者」という言葉の「一面的」で「歪曲」さ
故か広島出身の友人が何人かいたのですが、ある時「スペル
れた情報(例えば、被爆者に触るとガンになる、ケロイドが移る
星人」の話をした事がありました。彼らはそろって「ウルトラ」の
などといった事等)を持っていなかったわけですから、仮に身
ファンだったのですが、「ひばく星人」の事件を知っていたのは
近に「被爆者」の方がいたとしても差別のしようがなかったと思
5人中1人でした。そして「核兵器」や「被爆者」についても、そ
います。
れほど問題意識があるわけではなかったようです。その中の一
そして、そういった「ある種の“情報”による差別」とは別に、
人がこんな事を話していました。彼によると「自分たちの親は疎
「見た目による差別」というものもあります。これは最も簡単で典
開していたので、被爆しなかった。だから被爆しなかった事を
型的な「差別」の在り方として今も昔も行われていますが(体型
感謝して、“過去を振り帰らず”とにかく前だけを見て働いてき
が太っているとか、容姿に問題があるとか等)、例えばもし、当
た。おかげで、今の豊かな生活がある。親には感謝している。
時の私の身近に「ケロイド」を持つ人がいたとしても、「ケロイド」
反核運動をやっている人も知っているけど、被爆者の人が多
についての情報が全くなければ、唯の「火傷のひどいもの」と
いと思う。彼らには気の毒だけど、親がもし反核とかやっていた
思ったでしょう。それ程「無知」だったのです。その事で「いじ
ら今のような生活はできなかったと思うし。戦争や原爆の話は
め」をしたかどうか判りませんが(勿論私は“差別”や“いじめ”
親からほとんど聞いた事がない。親も早く忘れたいと思ってい
は肯定しませんが)、私個人の少年時代は人並み外れて「無
るみたい…。」というような内容だったと思います。彼の名前も
知」「無関心」の典型のような子どもでしたので、「差別」もしなか
良く覚えていないのですけど、彼は更に「こういう家庭は、広島
った代わりに、「思いやり」も持っていなかったと思います。考え
でも少なくないのではないか」と言っていました。“広島にも
てみれば、学校の先生もましてや両親も、皆戦前もしくは戦中
色々な考えの人が入るんだ”と思わされるような話でした。
派の世代で、ほぼ全員が戦争体験者だった筈ですが、「被爆
彼や彼の家族を「無関心」と言えるかどうかは判りませんが、
者」の話は勿論、ある年齢までは戦争の事さえ全く教えてくれ
しかしながら彼の言葉は、広島だけに限った事ではないので
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はないかと思います。私の親も九州で戦争末期に何度も空襲
子どもに我々の代わりに宮崎さんに怒ってもらいたいんです」
に見舞われていますので「あの頃の事は思い出したくない」よ
と、異口同音に語っていましたが、これも子どもに「無関心」な
うですし、友人の親も含め、何らかのトラウマを抱えながら「あ
親たちの、映画によって“免罪されたい”という事の表れかもし
の戦争を早く忘れたい」と思っている戦前戦中派の人に何人も
れません)。
あった事があります。だから余程戦争でひどい目に逢い、ある
●「ひばく星人」の真相?
種の怨念を抱えている人か、価値観のレベルで本当に「核」や
「戦争」に対する問題意識の高い大人でなければ、子どもにそ
ういう事を教える事はできないのではないかとさえ思ってしまい
そして佐々木氏は、自分の狙いをより強く表現しようと、毎
ます。恐らく自分の親も含め、「無関心」と言われようと何だろう
度の事ながら鋭い変化球を投げています。先に氏の批判は、
と、多くの戦争体験者は“過去を振り返らず”走り続ける以外、こ
平和なこの日本人(地球人)が、自分たちの過去の過ちと、宇
の厳しい戦後を生き抜く術がなかったのではないでしょうか?
宙人が自らの過ちによって起こしてしまった現在の悲劇(核実
験)とを、全く無関係のものとしかとらえられない「無関心」さに
●日本人の一番みたくないもの
向けられていると述べましたが、この「第12話」ではそれだけ氏
は強い主張を持っていながら、主人公のモロボシ・ダンがそう
とにかく、理由はともあれ佐々木氏が批判しようとしているそ
いう地球人の無関心さを批判するとか、あるいは他の隊員もし
ういった事に「無関心」な人々は、恐らく日本に大勢存在すると
くは登場人物が、自らの無関心さに気づいて悩むとかいった、
思われます(私自身は勿論、戦争を知らないし佐々木氏程強く
氏の主張を直截的に描いているシーンがひとつも出てきませ
もないので、自分を棚に上げてこうした人々を批判するなどと
ん。つまり作者の気持ちを代弁したり、視聴者が感情移入でき
いう事もできよう筈がありませんが)。それ故、そういう「寝た子
るようなキャラクターが全く存在しないという事なのです。その
を起こす」的な「臭い物のふたを取る」ような内容の作品は、当
事についてあるインタビュアーが氏に質問した処、氏は「そうい
然支持され難いでしょうし、あるいはそれだけで攻撃の対象に
う場合にね、安易に感情移入できるキャラクターというのは出
なるかもしれません。
すべきではないと思うんですよ。そうすると、そのキャラクター
我々日本人にとって一番観たくないものは、自分(日本人)
が苦しむことによって、視聴者は免罪されたような気になって、
の身近な-今尚解決できない-問題(姿)、つまり「日本人そ
それっきりで忘れてしまうこともあるんじゃないですか?」と言っ
のものの姿」という事が言えるからです。その好例が、「火垂る
ています。
の墓」(1988年公開/監督・高畑勲/スタジオ・ジブリ制作)で
確かにちょっとテーマ性の強い反核映画や反戦映画といっ
す。終戦直後の関西を舞台にした野坂昭如氏の自伝的小説の
たものは、主人公もしくは登場人物が、声高に主張(テーマ)を
アニメ化ですが、絶対に忘れてはならない戦争、その極限下
叫んだり号泣したりと、観客が感情移入し易い作りのものが多く、
の日本人の姿を、もうこれ以上はないという位の悲惨な描写で
そしてその余韻はあるものの、映画が終わると全てを忘れ、又
描ききっており、「もう二度と観たくない」というような光景をわざ
何事も無かったように日常に戻る、というパターンがほとんどで
わざ見せる高畑氏の凄さに圧倒されます。そして「火垂る」と共
す。何故なら、そうでない、起承転結やテーマがはっきりしない
に同時公開された、この作品の対極にあるファンタジーの傑作
ようなものは、ある種「映像」という倒錯した世界でカタルシスを
「となりのトトロ」(監督・宮崎駿)が、宮崎氏の懸念をよそに、一
昇華させたいと思っている、大多数のお客さんは観たくもない
年に100 回以上もビデオで子どもに観せている親がザラにい
し観てくれないからです(映像というのは良くも悪くも「現実逃
るのに対し、「最も観たくない日本人の姿」を描いた「火垂る」が
避」に最も最適な手段と言える代物ですから)。
恐らく5年あるいは10年(あるいは一生かもしれない)に一度子
だから氏のこのような視点で作られた「第12話」は、並の想
ども見せる親がいればいい方という、この現実がその事を如実
像力の人が観たら感情移入もできず、テーマもはっきりしない、
に物語っていると言えます(近年、テーマ的に既に破綻してい
全くわけの判らない作品とみなされたでしょう。また各被爆者団
る筈の「もののけ姫」が、日本映画興行記録を塗りかえる程のヒ
体の方が、もし事件直後に予定されていた再放送を観ていたと
ットになり、究極のファンタジーを指向している宮崎氏の作品の
しても、やはり正確には氏の意図は伝わらず、結果は同じだっ
世間での認知度は不動のものとなりました。それらのヒットを支
たかもしれません。仮に視聴者がその意図を理解できたとして
えた“子どもを怒れない”数多くの親たちが「この映画を観せて、
も、氏の狙い通り心に深く「核」の問題が刻まれるようなインパク
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トを受けたとしても、そうした問題を自分の問題として「受け入
金で一本につき一千万円の予算を組んだ「マイティジャック」が
れる」覚悟がなければ、ある種の(免罪されない)気まずさを感
それで、鳴り物入りで1968年4月より午後八時から放送がスタ
じつつ、完全に無視するか、あるいは攻撃するかといった事に
ートしたのです。しかし、視聴率は関係者の期待を大きく下回り、
なってしまうでしょう。つまり自分を守るにはそうする事でしかな
毎回10%前後という円谷プロとしては極めて不名誉な成績のま
いのだと思います。“過去を振り返らない”で進んできた我々の
ま、1クールで終了。その後路線変更し、従来の円谷テイストに
親達のように。
近い子ども向けの30分番組「戦え!マイティジャック」としてリニ
こうしてある種の崖っぷちに立たされていた当時の円谷氏
ューアルされ、時間帯も午後七時からの放送に切り替わりまし
が、こうした佐々木氏の独特の視点や意図、表現スタイルによ
たが、これでも人気は上がらずこれも2クールで終了してしまい
って生まれた「第12話」をもう一度自ら検証し、この事件以降の
ました。更にこの「時代」。ベトナム戦争の影響で厭世的なムー
再放送による予測できない影響を危惧し、やむをえず封印とい
ドが蔓延していたこの「時代」。先述のように、円谷プロの看板
う事を考えたのかもしれません。仮にそれが理由の一つだった
番組「セブン」も4クール目の暗く重たい作品群の影響で視聴
とすれば、それだけ佐々木氏の仕掛けた爆弾は、被爆者のみ
率も下がっていき、歯止めがかからないまま1968年9月に終了
ならず普通の人達の逃げ道を塞ぎ、否応なく現実に向かわせ
しました。以後3年余「ウルトラ」は我々の前から姿を消してしま
るという、強烈な破壊力を持っていたのだと言えます。でも氏は、
ったのです。「ウルトラ」の産みの親で、これらのメインライター
抗議された被爆者団体の方々について「この問題に関しては、
だった金城哲夫氏も、責任を感じて円谷プロを辞め(これだけ
抗弁する気はありません。虐待された人々がとる抗議行動は、
が理由ではありませんでしたが)、ウルトラマンのように身も心も
たとえそれがどんなものであれ、すべて正当だと思います。
傷つき、沖縄に帰って行ってしまいました。
なぜなら差別された人の気持ちは、そうでない人には絶対に
わからないですから」と言っており、今後もこの事件についての
真相、自分自身の思いについては、氏の口から語られる事は
ないでしょう。
●さらばウルトラマン
これまで「言葉」「ヴィジュアル」「テーマ」等といった面から、
“何故「第12話」が封印されたか”という理由について考えられ
る限りの想像、仮説に基づく検証を行ってきましたが、最後に
最も現実的な面からみた検証をしてみたいと思います。
それは「ウルトラマン」を復活させるという理由から、という事
「帰ってきたウルトラマン」より ラインの二重線に注目
です。これはどういう事かを説明する前に、この頃の円谷プロ
●スポ根時代到来!
の状況について、少々ご説明しましょう。
実は、この「第12話」の事件が持ち上がった前後の1969年
~1970年頃の円谷プロは深刻な経営難に直面していたので
やがて「セブン」の後オンエアされた「怪奇大作戦」が、1969
す。無数のキャラクターを保有し、何百本というウルトラ作品を
年3月で終了すると、各TV局からの同プロへの番組の発注が
制作し、グッズ、ビデオ、LD、DVD等の売上などで年商何十
なくなってしまったのです。「時代」はモーレツ時代。「巨人の
億(何百億かも?)を誇る現在の状況からは考えられない事で
星」「あしたのジョー」といった、梶原一騎(高森朝雄)原作によ
すが、当時は壁がありました。
る熱血スポ根漫画全盛の時代に入っていたからです。TVのア
「時代」という壁です。
ニメも「巨人の星」(1968.3~1971.9放映) 「タイガーマスク」
1967年10月に「ウルトラセブン」がTBSのタケダ・アワーから
(1969.10~1971.9放映) 「アタック・1」(1969.12~1971.11 放映)
がスタートしましたが、それに対抗して今度はフジテレビが、我
「あしたのジョー」(1970.4~1971.9放映)「赤き血のイレブン」
が局にも「円谷特撮」をと子どもだけでなく大人も楽しめるような
(1970.4~1971.4放映)「キックの鬼」(1970.10~1971.3放映) 、
一時間物の特撮ドラマを、円谷プロに発注しました。当時のお
実写では「怪奇」終了後のタケダ・アワーから「柔道一直線」
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(1969.6~1971.4放映/後の「仮面ライダー」で数多く見られる
が埋まるかどうか(勿論人気がなければ売れませんが)、視聴
アクション中心の特撮技術が駆使された)「サインはV」
率が良くてその他のグッズやおもちゃ、関連商品がうんと売れ
(1969.10~1970.9放映) などといった、毎週日替わりで違った
れば黒字が見込めるという、これら副次収入をあてにせざるを
スポ根ものが放送されているといった時期でした。怪獣の人気
えない状況で、各プロダクションは番組を作っていかなければ
は過去のものとなり、金のかかる特 撮は敬遠され、TV局の間
ならないというのが現状なのです。
で「円谷プロの作品は、金をかけてももう受けない」というジンク
まして、当時は余り「二次収入」という感覚のない時代でした
スができてしまった時代だったのです。
から(勿論、作品制作のみできちんと収入が得られるというのが、
本来のまっとうな映像制作のあり方ではありますが)尚更大変
●日本の伝統芸能「特撮」
でしたが、それにしても、特に「ウルトラ」の場合は30分物一本
につき直接制作費が平均750 万円、ひどい時で1000万円かか
言うまでもなく「怪獣」の登場する日本の特撮は、「ゴジラ」の
っていたそうで、それに対してTV局の買い取り価格は約550万
時代から今も昔も余り変わらない、着ぐるみ(の中に人が入り)
円位ですから、一本につき約200万円、一年間(約50本)続け
とミニチュア(模型)ワークを駆使し、それに合成技術を加味す
たら約一億円の赤字が出るという状態でした。
るという日本独特の「伝統芸能」です。能役者が「お面」を被っ
●天然色映画防衛指令
て舞を舞う事と役者がウルトラマンや怪獣の「着ぐるみ」の中に
入って暴れまわる事は、「被りもの」を手先の器用な日本人の
職人芸で作り、それを使って役者が芸を披露するという点では
それとこれも丁度「時代」の表れですが、当時の円谷作品の
同じと言えます(アメリカあたりの特撮「SFX」では、超リアルな
全てが「カラー作品」であった事も、家計を圧迫する一つの大
CGによるミニチュアと実写の緻密なる合成技術が中心で、着
きな原因でした。今ではドラマやバラティ番組の再現シーン等
ぐるみに人が入るという事はほとんどありません)。そして他国
を除けば、TV番組は全て「カラー」が当たり前で、映画にして
では見られない日本独自の文化を日本の特撮は切り開いたの
も白黒フィルムを使用して制作する方が高くつくという時代で
です(1985年に、映画-ハリウッド映画や、特に日本の特撮映
すが、私と同世代かそれより上の方は良くご存じの通り、当時
画-の熱狂的な「おたく」である金正日氏が、自ら制作総指揮
のTV番組は大半が白黒作品及び白黒放送で、TVも白黒TV
(エグゼクティブ・プロデューサー)を行い、日本からゴジラ俳
が普通、カラーTVのある家庭はお金持ち、という感じでした
優とそのスタッフを招き、莫大な資金と人を投入して北朝鮮初
(先述した“現代の3C”の一つがカラーTVだったというのは、
の怪獣特撮映画「伝説の大怪獣・プルガサリ」という映画を制作。
まさに時代です)。
当時、日本で特撮映画が撮れないでいたスタッフ達の優れた
ただしアニメや特撮作品は、カラーTVを各家庭に普及させ
職人技が、かつての「ゴジラ」時代の迫力を北朝鮮で復活させ
ようとする家電メーカーの要請で(「ジャングル大帝」(1965.10~
ていたというのも奇妙な話ですが、この作品は金氏の円谷英二
1966.9放映/手塚治虫・原作)を日本初のカラーによるTVア
に対するオマージュが随所に込められ、数年前日本でも公開
ニメとして虫プロに作らせた三洋電気がその先駆け)、割と早
され大ヒットを記録しました)。
い時期にカラー化が進められ、1966年頃には全てのTVのア
ニメ・特撮作品全17本中、カラー作品は「ウルトラマン」など5本
●大恐慌・円谷プロ
程度だったのが、翌1967年にはカラー作品は「ウルトラセブン」
を含め、全22本中なんと13本にまで膨れ上がっているのです。
この様な世界に誇る日本の特撮映画(J・ルーカスやS・スピ
しかし、先程も申し上げたように、アニメや特撮というのは恐
ルバーグも、円谷英二氏を“神様”のように尊敬している)も、そ
ろしく人と金を喰う代物で、しかもカラーにすると、当時は白黒
うした手作業中心の特性から普通のTV番組以上に、当然の事
作品の倍の予算が必要という事になり、各プロダクションの経
ながら人手とお金を喰う事になります。他番組もそうですが、一
営を圧迫していきました。必然的に翌年1968年には各プロがカ
般的にプロダクションで実際にかかった制作費よりもTV局の
ラーから撤退していき、カラー作品は全19本中7本にまで激減
買い取り価格の方が安く、特に予算を喰うアニメや特撮といっ
していったのです(翌1969年からは又カラーが増えてきました
た番組は一本作るごとに確実に赤字が増えていくという事にな
が)。そんな中、日本初のカラーによるTV特撮作品「ウルトラマ
るわけです。だから最近ではビデオの販売収入でようやく赤字
ン」を送りだした円谷プロだけは-放送は「マグマ大使」(手塚
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治虫・原作/カラー作品)の方が先でしたが-、業界の期待も
事はできるでしょう。
あってカラーで特撮物を作り続けなければなりませんでした。
しかしながらその後のウルトラ・シリーズ、今日のキャラクター
そういう状態でしたから作品発注の止まった円谷プロにとって
グッズ中心の、「ウルトラ帝国」の繁栄があるという事を考えると、
は、まさに台所は火の車だったわけです。
その事が良かったのか悪かったのか判りません。こんな事で葛
藤しているのは私だけかもしれませんが、でもそれは、円谷プ
●帰ってくるか!?ウルトラマン
ロにとっては間違いなく、「尊い犠牲」であった事は確かなので
す。
その後円谷プロは、借金返済と経営維持の為に積極的に
●拝啓・スペル星人様
マーチャンを展開し始めました。ⓒをつけた怪獣のおもちゃや
グッズ、後に問題化する雑誌媒体への積極的な怪獣キャラクタ
ーの売り込み等は、この頃から本格的に始まったのです。また
以上、私個人の全くの想像、独断と偏見によって、封印され
「ウルトラQ」や「ウルトラマン」などの旧作を、TBS以外の局(日
た「ウルトラセブン・第12話」の真相に迫ろうと試みましたが。や
本テレビ、フジテレビ)にも(放送権を)売りに出し、いずれも午
はり決め手に欠けた状態のまま、この拙文に幕を降ろす事とな
後六時台の再放送としてはかなり高い20%前後の視聴率を稼
りました。私の力不足で読者の方々も、色々と釈然としない思
ぎ出し、さらに本家TBSでは、再放送等で復活してきた怪獣人
い、多数の疑問を持たれた事と思います。しかしながら、最初
気を睨み、1970年頃位からTBSプロデューサー・橋本洋二氏
にこの事を問題にしたYさんや欠番にされた円谷一氏の心の
と円谷一氏との間で、いよいよ新しい「ウルトラマン」の企画の
内、監督の実相寺昭雄氏、そして作者の佐々木守氏のこの作
検討が始まっていました。
品に込めた想いなどを、写真や活字、言葉、ビジュアル、円谷
そして、ようやく来年春(1971年4月)から「帰ってきたウルト
プロの歴史等の裏にあるものを探りながら、自分なりにできるだ
ラマン」として新作を放送する(スポ根アニメ「キックの鬼」の後
け理解し、それを皆様にお伝えしようと努めたつもりです。
番組として)めどがついた頃(1970年10月)、この「スペル星人」
唯私個人としては、殊更この事件の是非を問うたり、何らか
の事件が持ち上がってしまったのです。新作を取るか旧作を
の問題提起をするつもりはさらさらありません。私の願いは唯
取るか、クリエーターの意地を取るか、社長として新たなウルト
一つ、“「第12話」をもう一度観たい”という事、それだけです。
ラマンの復活にかけるか。円谷氏はきわめて辛い選択を迫ら
事件から30年。直接の当事者であった円谷一氏は、この事
れていました。
件から3年後の1973年に亡くなり、一氏の実弟であり、円谷プロ
のマーチャンの基礎を作り経営を建て直した三代目社長の円
●円谷一の決断
谷皐氏も1995年に他界。関係者の方達の多くは鬼籍に入られ、
歴史の彼方に「セブン・第12話」が消えようとしている(既に消え
ちょっと判断を誤ったら企画が無くなってしまうかもしれませ
ている)現在でも、まだ封印が解かれる気配がありません。今
ん。TBSの方だってそんな面倒に巻き込まれたくはないでしょ
年3月、東京・品川のアートスフィアという劇場で、実相寺昭雄
うし、それにこの当時は特に、右から左から様々な(圧力)団体
氏の監督作品や氏の所属事務所・コダイの関連作品、氏構成・
がスキを見てはTV局に難癖をつけて、恐喝まがいの事を随分
演出によるクラシック・コンサートなどを交えた催し「ファンタス
やっていたような時代でした(この時の「第12話」の再放送だっ
マ」が行われました。ウルトラ作品は勿論、ATG映画や滅多に
て、むしろTV局の方が、そうした圧力を恐れて、自ら自粛して
観られない氏のTVドラマやCM作品の上映など、ファンには
しまった可能性だってあります)。つまり、僅かなボタンの掛け
生唾ものの企画でしたが、ここでも「第12話」は上映されません
違いで、新しいウルトラマンはおろか、もしかしたら円谷プロ自
でした。“やはり外に出すのは問題がある”との事で、この封印
体だって存続が危うくなるかもしれない状況だったわけです。
はほとんど理由の有無を問わず習慣化しているとさえ思えま
円谷氏は考え抜いた末、苦渋の決断により「スペル星人」を
す。
犠牲にして、新しいウルトラマンを選択しました。しかしそのお
そうなると、正規ルートが駄目なら裏ルート(?)で観る方法
かげ(と言っていいかどうか判りませんが)で傑作「帰ってきたウ
が無くもありません。入手経路は不明ですが、実は「第12話」の
ルトラマン」が生まれた事を考えると、この決断はベストとは言
裏ビデオが存在し、マニアの間でもある時期出回っていたので
えないまでも、この時点で考えられる最良の方法だったと言う
す(私はまだ見た事はありません)。とにかく、これを探すという
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手があります。でも最も所在がハッキリしているものは警視庁。
・故郷は地球(佐々木守・著/三一書房・絶版)
ここに一本保管されています。実はこれは、10年前の「幼女連
・夢回路(市川森一・著/柿の葉会・絶版)
続バラバラ事件」の犯人・宮崎勤氏が所有していたものを証拠
・映画宝島「異人たちのハリウッド」(JICC出版局)
品として押収したもの。「おたくは怖い」と、殊更に我々“おたく”
・映画宝島「怪獣学・入門!」(JICC出版局)
に対する恐怖心を煽りまくったマスコミの過剰報道と共に、彼の
・メーキング・オブ・円谷ヒーロー(講談社・絶版)
自室に所狭しと積み上げられていた、6000本とも言われるビデ
・ウルトラマン大全集(講談社)
オの山の映像を記憶されている方もいらっしゃるでしょう。あの
・ウルトラマン99の謎(青柳宇井郎、赤星政尚/二見書房)
山の中にあったわけです。警視庁の知り合いをつくってこっそ
・ウルトラマン特撮99の謎(青柳宇井郎、赤星政尚/二見書房)
りダビングしてもらうという手もあります。それもだめなら、最後
・ウルトラ怪獣99の謎(青柳宇井郎、赤星政尚/二見書房)
の手段は、ファンを装って円谷プロへ侵入し、フィルムを持ち
・大怪獣ゴジラ99の謎(青柳宇井郎、赤星政尚/二見書房)
出してしまうという事くらいしか手がないかもしれませんね。
・帰ってきた帰ってきたウルトラマン(辰巳出版)
でもやっぱりこの「第12話」は、観るなら陽の当たる場所で、
・円谷英二の映像世界(実業之日本社)■
正式に封印が解かれた上で堂々と観たいと思います。佐々木
守氏に先述のような意図があったのなら、尚更の事。今一度、
★参考作品★ (ビデオレンタル可能なもの)
日本の皆が観るべき作品ではないかと思います。「スペル星
・ウルトラQ(全巻)
人」は、氏が一貫して描いてきた他の怪獣・宇宙人と同じように、
・ウルトラマン(全巻)
最後の最後まで人間の手により抑圧・差別されて封印されてし
・ウルトラセブン(第12話を除く全巻)
まいましたが、いつの日にか「名誉回復」できる日が来るかもし
・マイティジャック(全巻・希少/LD全巻)
れません。21世紀はそんな世紀であって欲しいと思います。
・戦え!マイティジャック(全巻/希少/LD全巻)
・怪奇大作戦(第24話を除く全巻・希少)
最後に、このような拙い文章に最後まで付き合って下さった
・帰ってきたウルトラマン(全巻)
皆様に心からお礼申し上げます。「第12話」や事件に関する情
・シルバー仮面(全巻・希少)
報、(裏)ビデオの所在、又、御意見、御感想などありましたらど
・ウルトラマンA(全巻)
しどしお寄せ下さい(土曜講座まで)。どうも有り難うございまし
・超人バロム1(セレクト版・希少/LD全巻)
た。■
・アイアンキング(全巻・希少)
・ウルトラマンタロウ(全巻)
★参考文献★
・ウルトラマンレオ(全巻)
・怪獣使いと少年(切通理作・著/宝島社)
・ウルトラマン80(全巻)
・テレビヒーローの創造(樋口尚文・著/筑摩書房)
・ウルトラマンティガ(全巻)
・星の林に月の船(実相寺昭雄・著/大和書房)
・ウルトラマンダイナ(全巻)
・夜ごとの円盤(実相寺昭雄・著/大和書房・絶版)
・ウルトラマンガイア(全巻)
・ウルトラマンのできるまで(実相寺昭雄・著/筑摩書房)
・エコエコアザラク(全巻・希少)
・ウルトラマンに夢見た男たち(実相寺昭雄・著/筑摩書房)
・佐武と市捕物控(全巻/希少)
・ウルトラマンの東京(実相寺昭雄・著/筑摩書房)
・どろろ(セレクト版・希少/LD全巻)
・ウルトラマン昇天(山田輝子・著/朝日新聞社)
・タイガーマスク(セレクト版・希少/LD全巻)
・イカす!おたく天国(宅八郎・著/太田出版)
・超電磁マシーン・ボルテスV(セレクト版・希少/LD全巻)■
・円谷皐 ウルトラマンを語る(円谷皐・著/中経出版)
・バルタンの星のもとに(飯島敏宏・著/風塵社)
このエッセイに対する皆様のご意見・ご感想を心からお待ちし
・宇宙からの贈り物(金城哲夫・著/朝日ソノラマ・絶版)
ています。あて先は土曜講座・上田です。どうかよろしくお願い
・ノンマルトの使者(金城哲夫・著/朝日ソノラマ・絶版)
します。(「どよう便り」編集部より)
・24年目の復讐(上原正三・著/朝日ソノラマ・絶版)
・ウルトラマン怪獣墓場(佐々木守・著/大和書房・絶版)
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