落葉と人間 堤利夫=京都大学農学部教授 落葉は土壌と植生を一つに結ぶ できるのであって,この意味において,土は生きものである いまは紅葉のシーズンである.紅,黄,褐色と様々な色彩で といってよい. 人々を楽しませる紅葉も,やがて葉は落ちつくし,山は,新 よく発達した古い森林の表土は,耕しもしないのに概して軟 しい落葉のフトンを着て冬を迎える.落葉となってしまえば, らかい.歩くと足が沈むほどである.それは,よい腐植が土 人々の興味をひくことは少ない.街では,しばしば邪魔者扱 粒子を集めて構造が発達し,土に隙間ができているからであ いである.しかし,森の生きものたちにとってみれば,落葉 るが,土に隙間が多くなると,土壌生物の活動がさかんとな は,いろいろと大切な意味をもっている. り土が耕されるので,土のふわりとした構造はいつも維持さ 落葉は,土の中の生きものたちのエサである.落葉を食べる れることになる.このことは,植物にとっても都合のよいこ もの,落葉を食べる生きものを食べるものなど様々であるが, とである. 地上の動物たちが生きている植物を基礎とする食物連鎖で結 落葉は,植物と土壌とをわかちがたくむすびつけている.土 ばれているのと同様に,土の中では,落葉その他様々の生き 壌生物は,植物のつくった落葉・枯枝をエサとして生活し, ものの遺体を基礎とする食物連鎖で結ばれた生きものの社会 植物は,土壌生物のつくる土に依存して生活している. ができあがっているのである.土壌生物というのは,バクテ 落葉採取の影響は環境によりさまざまに異なる リアやカビなどの土壌微生物からトビムシやミミズといった 植物と土壌とは相互に物質の流れで結ばれているから,一方 土壌動物もあって,大変多様な生物社会である.その生活史 に変化があるとそれは他方にも伝えられていく.たとえば, や機能は種ごとに違う.土壌生物が落葉を食べる結果,落葉 毎年,新しく落ちた落葉を採取してしまうと,長い年月の間 は次第に腐って分解し無機化され,その中に含まれていた無 には土壌も植生も変ってしまう. 機養分は,土の中に放出される.植物は,土の中でつくられ 落葉は,つい最近までは燃料や堆肥の材料としてよく利用さ たこれらの養分を吸収して生活し,年々落葉・落枝をつくっ れてきた.落葉を長い間にわたってとりつづけ,さらに薪炭 ている. 用の樹木の伐採などが加わって,農村周辺の里山は次第にや 森林では,地表面が落葉でふわりとおおわれているおかげで, せていった.里山にアカマツが多いのはこの故である.タイ 土壌の水分や温度の変動が,森林の外部や裸地にくらべて安 国東北部などに広くみられる乾燥したフタバガキ科の貧弱な 定している.山で,落葉を上からそっとはがしていくと,表 落葉樹林は,毎年乾季にきまって入る野火の影響のもとにで 面の1〜2枚は乾いていても,その下はたっぷりと湿ってい きた植生である.野火は,直接火に弱い植物の生育を不可能 るのがわかる.落葉のあるなしは,土壌生物の生活環境をき にするが,同時に地表の落葉や植物を焼いてしまうので,土 めるうえで大変に大きな意味がある. はやせ,かたくしまってしまう.このことが,この特徴ある また,落葉や枯枝が腐り分解していく過程で,腐植とよばれ 景観をつくっているのである. る黒色の有機物ができる.これは,分解に抵抗的で,かなり 肥料が化学製品に代り,燃料がガスに代って農用林は不用と 長く土壌中に集積し,岩石が風化してできる粘土と結びつい なり,過疎化で山を看る人も少なくなった結果,里山は現在 て,土の物理・化学的ないろいろな性質をつくりあげるのに 急速に変りつつある.マツタケの減少はその一つのあらわれ 重要なものである.土というものは,単に岩石の風化したも であるという.京都の東山は,かつてアカマツの多い山であ のではない.それに植物の根の作用,落葉・落枝とそれにか った.明治以来,厳重な保護の下で土壌が次第に発達し,シ かわる土壌生物の多様な作用とが加えられて,土ははじめて イノキやヒノキなどが多くなった.アカマツは今日,尾根筋 URBAN KUBOTA NO.14|2 などに残るにすぎず,アカマツを育てるのに苦労しているよ てみても,悪名高い森林の大面積皆伐はその顕著な例である. うな状態となっている.落葉とそれによって生きている土壌 農業生産もまた,生産性の向上のため,育種,肥料の多投な 生物のはたらきが,山や森のありようにどれほど重要なかか どが行なわれてきた.堆肥などの有機質肥料から化学肥料に わりをもつかを示す一つの例である. 肥料が代ったことは,生物学的に重要な意味がある.有機質 温帯の落葉樹林では秋に落葉がおこり,つづいて冬の低温期 肥料は森林での落葉に相当しており,その施用によって土は に入る.こうした低温期には土壌生物も植物も,その活動を 育ち,成熟してきたのである.土つくりが米つくりの基本で ほぼ休止している.春,気温の上昇とともに植物が葉を開き あった.しかし考えてみると,植物が必要とするものは土の 活動を開始すると,土壌生物の活動もさかんとなり,夏を経 中で無機化した養分であって,有機物そのものではない.植 てつぎの秋を迎えることになる.南に下るに従い冬の寒さが 物は,無機の養分と水とがあれば土がなくても育つ.土をつ 緩和されてくると,土壌生物の活動も季節性がうすれてくる くり維持するという仕事は,厄介で時間と労力がかかる.そ が,同時に植物の方も常緑となる.季節性に極めて乏しい熱 れより植物が必要とする肥料を化学製品で与える方がずっと 帯の降雨林では,明らかな落葉期というものがなく,いつも 能率的で管理しやすい.堆肥から化学肥料への変化は,農業 同じぐらいの落葉がおこっているという.森林とそれをとり の「土ばなれ」を意味すると思う.作物を土から切りはなし, まく環境の違いに対応して,植生と土壌(直接には土壌生物) より人工管理の度を強めることになる.この場合,土は単に は,うまく調和できる形で変化しているようにみえる. 作物が肥料を吸収するための物理的な場であるにすぎない. 日本の山地は地形が複雑で,季節の変化もはげしい.だから もともと,単一作物の画一的栽培という形で生物相を単純化 斜面での環境は多様となり,植生は複雑で植物の種類も極め しているうえに,さらに土を切りはなしてしまえば,系は極 て多い.局地的にみても,谷筋と尾根筋,南斜面と北斜面で, めて単純化される.その結果,系は不安定となり,その保護 樹木の分布・生育は同じではなく,土壌の性質もまた違うの 管理のために農薬が多投される.収量を倍にするには,10倍 である.一口に山の緑といっても,その緑の森の内容は,決 の肥料と農薬を使わねばならないという.このことは,資源 して一様ではない.環境の違いに応じて植生と土壌の関係, とエネルギーの消費を拡大し,環境を汚染する.森林におい つまり両者の結びつきかたが一様ではないとすれば,たとえ ても,スギやヒノキの人工林の育成は,農業と同じ方向をも ば落葉採取や森林伐採の影響のあらわれ方も,一様ではあり っている. えないことになる. 自然に加える人間の干渉は,その環境における生物的自然の 生物的自然と人間 改変としてあらわれる.その改変が生物的自然の破壊につな 人間社会の発展は,必然的に自然を改変する.自然を自然の がる度合いを,今日では無視するわけにはいかないのではな ままに放置することが許されないとすれば,自然の合理的で かろうか.複雑で多様な自然の生態系は,それ自身で安定し 賢明な管理を目指すことが必要である.自然の生態系が成り 人間も含めたいろいろな生物の環境を維持してきた.自然は, たっている生物的な自然科学的な法則性と,人間の社会的経 自然であるからこそ私たち人間の環境として大切だと思うの 済的な法則性とが,今日,使いうる技術の下でうまく統一さ だが,人間と自然との関係が正しく樹立されてゆくためには れることが必要であるが,現実には,経済が優先し,その重 今日では,自然の,とりわけて生物的自然の生活のしくみに 圧の下で自然の法則性が押しつぶされているかにみえる.高 ついての理解がまずなければならないと思う. 度経済成長にともなう環境破壊はいうに及ばず,森林につい URBAN KUBOTA NO.14|3
© Copyright 2024 Paperzz