一般論文 平成 18 年5月 18 日受理 あいまいな「不条理」 ベケット批評と主体性の問題 The Ambiguous Absurd : Criticism of Samuel Beckett and the Problem of Subjectivity ● 深谷公宣/富山大学芸術文化学部 FUKAYA Kiminori / The Faculty of Art and Design, University of Toyama ● Key Words: the Theatre of the Absurd, Existentialism, Subjectivity, the Japanese Underground Theatre 要旨 だが、不条理の語でベケットの作品の特質を説明す 英国の演劇評論家マーティン・エスリンは、サミュ る際、そこに実存主義の要素(上記2)を含めるべき エル・ベケットの戯曲を「不条理演劇」の範疇に組み ではない。それは、実存主義が人間存在の主体性を強 入れた。エスリンの言う不条理演劇とは、従来の物語 調するのに対し、ベケットの戯曲は、人物の主体性が 構造を否定し、人間存在の主体性やその形而上学的根 保証されない状況を描いているからである。 拠が崩壊した状況を描く戯曲である。だが、エスリン しかし実際には、(1)(2)の区別をあいまいに の議論は、ベケットの戯曲の特徴を、主体性を肯定す したまま、それらを総合的に捉えて「不条理演劇」と る実存主義の視点から照射するため、あいまいさを残 呼ぶのが一般的である。ベケットを実存主義から区別 している。また、エスリン以来、ベケット批評の領域 し、ベケットの戯曲の特徴を(1)に限定しようとし では不条理演劇という名称がひとり歩きし、この名が た議論はあるが、「不条理演劇」というレッテルはそ はらむあいまいさは解消されていない。エスリンと異 うした議論を覆い隠している。 なり、ベケットの作品における主体性の崩壊現象を的 この現状に鑑みて、前者のような総合的な用法と、 確に捉えた論者/演劇人が存在してはいるものの、彼 後者のような限定的な用法の違いを、いま一度見極め らの考えはあまり議論されずにいる。以上を踏まえ、 ておく必要がある。 本論では、エスリンを含む主な論者/演劇人の議論を そこで本稿では、マーティン・エスリン(Martin 主体性というモチーフの面から再検証し、ベケット批 Esslin)以降の「不条理演劇」に関わる議論を再検討 評の領域で展開されてきた不条理をめぐる諸説の整理 し、この名称に実存主義的な主体性の概念を含める立 を行う。その結果、ベケットの作品解釈において、登 場と、そうではない立場の差異を浮き彫りにする。 場人物の主体性を否定しきれないエスリン以来の議論 結論を先に記せば、マーティン・エスリン、ス と、主体性を否定する議論との差異を明らかにし、不 ティーヴン・コナー(Steven Connor)、別役実が前 条理演劇という語の持つ意味に新たな認識の枠組みを 者、テオドール・アドルノ(Theodore Adorno)、鈴 提示する。 木忠志が後者となる。 1. はじめに 2. 問題の所在̶̶不条理演劇と実存主義 サミュエル・ベケット(Samuel Beckett)の戯曲 1961年、マーティン・エスリンは評論集、『不条理 は、「不条理演劇(the theatre of the absurd)」と称 の演劇(The Theatre of the Absurd )』を発表し、『ゴ される。「不条理演劇」とは何か。 ドーを待ちながら(Waiting for Godot )』(以下『ゴ (1)それは、因果性を備えた「物語」の構造に忠実 ドー』)をはじめとするベケットの作品を「不条理」 な近代劇の枠組みに捉われない劇を指している。この という範疇に組み入れた。エスリンのこの著作によ 場合、物語という意味体系が成り立たない状態が不条 り、不条理という形容が『ゴドー』やベケットの他の 理と呼ばれる。 戯曲への評価軸として定着した。 (2)さらにこの名称は、ジャン=ポール・サルトル しかしエスリンによる不条理の定義は、以下に示す (Jean-Paul Sartre)に代表される実存主義演劇にも適 ふたつの異なった論点を含んでいるため、あいまいな 用される。この場合、人間が依拠する超越的な存在根 ものとなっている。*1 拠が失われた「無」の世界が不条理と呼ばれる。 122 G E I B U N 0 0 1 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第1巻 平成18年12月 2. 1 第一の論点̶̶物語の崩壊 2. 2 第二の論点̶̶不条理演劇の実存主義的側面 近代劇においては、行為や状況の因果的な連関が前 一方、エスリンは「不条理」の説明に際し、イヨネ 提とされるが、不条理演劇は、近代劇の世界で用いら スコ(Eugene Ionesco)のカフカ(Franz Kafka)論に れてきた物事を因果的に説明する言語体系̶̶ある種 おける定義を参照する。 の構造を持った物語̶̶に揺さぶりをかける。 最も単純に言って、 We are waiting for Godot とい Absurd is that which is devoid of purpose....Cut off from うせりふの繰り返しにもかかわらず当のゴドーがやっ his religious, metaphysical, and transcendental roots, て来ない、という状況が、物語への揺さぶりと考えら man is lost; all his actions become senseless, absurd, れる。それは言明の妥当性に疑問を投げかけ、論理的 and useless.*3 な矛盾をも示唆する。 エスリンはベケットの作品に見られる物語の崩壊過 この定義は、「人間の本性は存在しない。その本 程を、「伝達不可能なものを伝達する」と表現してい 性を考える神が存在しないからである」と言ったサ る。そのような「逆説」が、因果的な行為や状況を成 ルトルの考えに近い。「形而上学的・超越的根拠 り立たせる意味体系を崩壊させ、不条理な状態をあら (metaphysical, and transcendental roots)」は、サル わにする。 トルの言う「神」に相当するだろう。 形而上学的・超越的な根拠、あるいは「神」を失っ ...his continued use of language must, paradoxically, た人間について、上記の引用にサルトルの次の言葉を be regarded as an attempt to communicate on his つなげても違和感はない。「人間は、みずからそう考 own part, to communicate the incommunicable. えるところのものであるのみならず、みずから望むと Such an undertaking may be a paradox, but it makes ころのものでもあり、実存してのちにみずから考える sense nevertheless: it attacks the cheap and facile ところのもの、実存への飛躍ののちにみずから望むと complacency of those who believe that to name a ころのもの、であるにすぎない。人間は、みずからつ problem is to solve it, that the world can be mastered くるところのもの以外の何ものでもない。以上が実存 b y n e a t c l a ssification and formulation s . S u c h 主義の第一原理なのである。」この第一原理は、サル complacency is the basis of a continuous process of トルによれば、「主体性」である。神という形而上学 frustration. The recognition of the illusoriness and 的・超越的根拠が失われた不条理な世界に、サルトル absurdity of ready-made solutions and prefabricated はその根拠の代わりとなる「第一原理」として「主体 meanings, far from ending in despair, is the starting 性」の概念を導入する。 point of a new kind of consciousness, which faces エスリンによる以下の文章は、そうしたサルトルの the mystery and terror of the human condition in the 思想をベケットにも当てはめようとしたものである。 exhilaration of a new-found freedom:*2 If, for Beckett as for Sartre, man has the duty of facing 伝達不可能なものを伝達すること。ベケットの戯曲 the human condition as a recognition that at the root の言語は、問題を挙げただけでそれを解決したと信じ of our being there is nothingness, liberty, and the need 込むものたち、分類と定式化によって世界に習熟でき of constantly creating ourselves in a succession of ると信じ込むものたちの自己満足を攻撃する。分類と choices, then Godot might well become an image of 定式化によって世界に習熟できるという考えは、言語 what Sartre calls bad faith ─ The first act of bad faith によって因果的な物語世界を構築する近代劇が依拠す consists in evading what one cannot evade, in evading るものであった。そうした考えの不十分さを暴くため what one is. *4 に、伝達不可能なものの伝達が試みられ、既知の言語 体系が揺さぶられる。 実存主義的な観点からすれば、われわれは、世界の 物語的な因果性や論理的な整合性に反するベケット 外部より到来する救世主の救済という物語を̶̶すな の演劇を、エスリンは「不条理演劇」というカテゴ わち有意味な何かを̶̶想定することはできない。 リーに組み入れる。エスリンの提示したこの解釈枠組 サルトルの用語を使えば、人間は自分の進む道を選 みは、ベケットの作品について叙述するための定式と 択し、自らを「投企」する。そして自分自身がその全 なり、その後、多くの論者が繰り返し利用した。 責任を負う。自分自身が全責任を負うのであるから、 そこには救済への希望はない。 Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 1, December 2006 123 「われわれの存在の根にあるのは無(nothingness)」 うる、ということになる。それゆえ、実存主義的な思 である。無が「人間の条件」であり、そこから逃れよ 考のプロセスにおいては、ふたつの論点にある程度の うとすることは bad faith である。エスリンはサルト 関連性がある。 ルを援用しつつそのように述べる。そして、超越的根 しかしベケットの作品を解釈するとき、両者の接続 拠を失った無の世界で「みずからをつくる(creating には慎重でなければならない。 ourselves)」人間存在を表現する点に、不条理演劇と 実存主義は、物語の崩壊の原因に根拠喪失を想定 実存主義との類似性を見出す。 し、その喪失状況を埋めあわせるべく人間存在の主体 エスリンの指摘を『ゴドー』に即して敷衍すれば、 性を肯定する。そしてそのことで形而上学的苦境への ゴドーがやって来ないという状況は、神という「形而 解決策を提供する。だが、この側面が、ベケットの作 上学的・超越的根拠」喪失の比喩的表現となろう。ま 品の特質と相容れない。ベケットの作品には、主体性 た、ゴドーを待ち続けているディディとゴゴは、根拠 の肯定はない。*7 が喪失した不条理な世界に投げ出された実存というこ 意味体系としての物語が無効化した世界で強調され とになる。 る実存は、人間の行為や状況に統一的な秩序を与える このような類推は、エスリンの専売特許ではなかっ 新たな形而上学的根拠となりうる。実存とは、この世 た。当時、エスリンの他にも多くの論者がベケットの 界に埋め込まれた具体的な個々の存在のことである 不条理を実存主義と結びつけて解釈した。よく知られ が、サルトルのように実存を普遍化するなら、*8 それは るところでは、フランスのヌーヴォー・ロマン作家、 ひとつの観念として機能し始めるだろう。 アラン・ロブ=グリエ(Alain Robbe-Grillet)のベケッ 観念と化した実存は、無意味に思われた人間存在に ト論がある。この論文の冒頭ではハイデガー(Martin 意味を付与する。そして、神に代わって主体性が、意 Heidegger)が引き合いに出され、次のような説明がな 味のはっきりしたまどかな世界から疎外された人間を される。すなわち、演劇の登場人物について本質的な 救済するということになる。 ことは彼が「その場に(on the scene)」いることであ ベケットの作品においては、そうした主体性が絶対 る、『ゴドー』のポッツォやラッキーは演じる役割も 的・肯定的なものとして描かれてはいない。それゆ なしに、ただそこに存在している(to be there)だけ え、ベケットの作品について叙述する場合は、上記ふ のようにみえるがゆえに、人物が「その場に」いるこ たつの論点は区別すべきである。だが、エスリンはこ とを表現する演劇の特質をよく表している。ここでロ の区別をあいまいにしたまま議論を展開している。 ブ=グリエは、ベケットの戯曲における人物の「プレ 第二の論点において、エスリンは不条理演劇と実存 ザンス(現前性)」に注目し、物理的な存在=身体に 主義の類似性を指摘したが、物語の崩壊について示唆 焦点を合わせ、実存を強調する。*5 する第一の論点にも、実存主義的な思潮への傾きが伺 エスリンによって言及された無も、ロブ=グリエが える。 問題にしたプレザンスも実存主義的な概念であるが、 両者に共通しているのは、それらが人間存在を決定す The recognition of the illusoriness and absurdity of る形而上学的・超越的根拠の崩壊したところに措定さ ready-made solutions and prefabricated meanings, far れる、ということである。ベケットの作品に無やプレ from ending in despair, is the starting point of a new ザンスへの志向を見出し、それを実存主義的と捉える kind of consciousness, which faces the mystery and 論者/演劇人は、多かれ少なかれ、エスリン、ロブ= terror of the human condition in the exhilaration of a グリエらの認識を共有していよう。*6 new-found freedom: 3. ヨーロッパにおける不条理演劇と主体性をめぐる解 エスリンによれば、不条理の認識は新たな意識の出 釈の考察 発点である。人はその新たな意識のなかで、意味や物 3. 1 マーティン・エスリンのあいまいさ 語が覆い隠してきた人間の条件の謎・恐怖に向き合 サルトルが言うように、神のような、形而上学的・ う。 超越的根拠が無効であるなら、それについて語られた 「人間の条件」や「自由」という語が使用されてい 物語(例えばキリスト教における救済のそれ)もまた ることからもわかるとおり、ここでエスリンは明らか 無効である。 に実存主義的な思考のプロセスを辿っている。 その意味では、実存主義においては上記第二の論点 しかしそうした思考のプロセスにおいては、意識や (根拠喪失)が、第一の論点(物語の崩壊)を帰結し 自由という観念が、状況の「不条理」を解消してしま 124 G E I B U N 0 0 1 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第1巻 平成18年12月 う。意識や自由を肯定的に捉える思考は、意識を断片 リンは、前者と後者を混同している。 化し、人間の不自由さを表現することで主体性を否定 そうした論点の混同を回避したのが、ドイツの社会 的に描くベケットの作風とは相容れない。だが、エス 学者テオドール・アドルノである。アドルノは、ベ リンはこれらを厳密には区別せず、包括的に捉えてし ケットの作品と実存主義との違いをはっきりと区別し まう。ここにエスリンの議論のあいまいさがある。 た。小論「『勝負の終わり』を理解する(Trying to 不条理演劇と実存主義者(サルトル、カミュ、アヌ understand Endgame )」でアドルノは、実存主義的 イら)による演劇作品の違いを指摘しようとしている な主体性を抽象的な観念であるとし、ベケットの戯曲 箇所においてさえ、エスリンは両者を混同している。 『勝負の終わり(Endgame )』がそうした主体性を打 エスリンによれば、実存主義者たちの演劇は人間の条 ち砕く、と述べる。* 10 実存主義では、主体性は時間 件の不合理さを論理的な推論形式によって提示する 性を超越した全体的・統一的な観念として暗黙のうち が、不条理演劇はそうした手段を断念している。実存 に想定されている。その意味で、主体性は安定的に確 主義者には、論理的な言説が妥当な解決法を提供する 保されている。ベケットの『勝負の終わり』はそのよ という信念があるが、不条理演劇の作家たちは、本能 うな安定した主体性を放棄する、というわけである。 (instinct)と直観(intuition)で、不条理な人間の状 ベケットの作品は、登場人物の意識の統一性を、すな 況を、舞台上の形象において提示するという。*9 わち主体性を、ばらばらの要素に切り離す。結果とし だが、本能も直観も、論理では捉えがたい何ものか て、人物は自己の同一性を維持できなくなる。アドル を名指す観念である。これらの観念は、意味や価値を ノは、そうしたベケットの作品の特徴を、自らの「非 失ってさまよう存在者に、別の形式で意味・価値を与 同一性思考」に引きつけて捉えている。 えうる。つまりエスリンは、「伝達不可能なものを 伝達する」ベケットの作品に、本能・直観というカテ The catastrophies that inspire Endgame have exploded ゴリーである種の「形而上学的根拠」をもたらしてし the individual whose substantiality and absoluteness まっているのである。自らが指摘した意味の矛盾は置 was the common element between Kierkegaard, き去りにしたまま、無意識のうちに辻褄を合わせてい Jaspers, and the Sartrian version of existentialism. The るのだ。第一の論点において意味を失っていた人間 individual as a historical category, as the result of the は、第二の論点においては、本能や直観力を備えた実 capitalist process of alienation and as a defiant protest 存という意味を与えられ、安堵することになろう。 against it, has itself become openly transitory. The individualist position belonged, as polar opposite, to 3. 2 テオドール・アドルノによる主体性の否定 the ontological tendency of every existentialism, even 上記ふたつの論点を、実存主義が肯定する主体性を that of Being and Time . Beckett s dramaturgy abandons めぐる違いとしてまとめると、こういうことになる。 it like an obsolete bunker.*11 第一の論点では、主体(客観的世界に対する主観と しての自己、あるいは「私」という存在)を主体たら ここで言われている「個体の破裂」は、実存主義的 しめる形而上学的な根拠の否定が徹底される。その結 な思考と一線を画す事柄である。アドルノは個体を絶 果、「私」という存在(主体)の明証性が不確かと 対的なもの(absoluteness)とする実存主義的な思考を なり、「私は私ではない」という矛盾を抱え込みなが 手厳しく批判し、それをベケットの作品から完全に切 ら、生が続いていくことになる。そうした生において り離す。アドルノは、ベケットの作品の特徴として上 は、神同様、本能も直観も、主体を主体たらしめる根 記「第一の論点」のみが妥当すると言っているのであ 拠として有効性を持ち得ない。 る。 第二の論点では、仮に形而上学的・超越的根拠が喪 absurdityという語でベケットの作風を叙述する際 失しても、人物は実存という存在根拠を与えられる。 も、アドルノは実存主義的なabsurdityとの差別化を それゆえ、私は私ではない、という矛盾は解消される 図っている。 べきものと考えられる。そのために、エスリンが言っ たような本能や直観、あるいはロブ=グリエが言うプ Absurdity in Beckett is no longer a state of human レザンスのような、主体を主体たらしめる観念が、物 existence thinned out to a mere idea and then 語のための言語の代理として提供されるのである。 expressed in images...Absurdity is divested of that 第一の論点と第二の論点は、明らかに異なった内容 generality of doctrine which existentialism, that creed を含んでいる。それらをただちにつなげてしまうエス of the permanence of individual existence, nonetheless Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 1, December 2006 125 combines with Western pathos of the universal and the な記述がわかりやすい。 Being, for Beckett, is not immutable.*12 something which lies behind or beyond the chaos of experience, not something essential, ultimate, or other. 不条理という観念の一般性をも奪われた不条理、こ *13 れがベケットにおける不条理である、とアドルノは言 ベケットにとって存在は経験のカオスの背後にある う。実存主義の場合、不条理な世界に投げ出された人 本質ではない、というこの記述は、形而上学的な存在 間の存在は暗黙のうちに普遍的/不変的なものにされ の原理を否定しようとするものである。 てしまう。その結果、そこで強調される主体性も抽象 さらにコナーはベケットにとっての存在をハイデ 的な観念となる。ベケットはそうした観念を否定し、 ガーの「世界−内−存在(being-in-the-world)」に 私は私ではない、という自己同一性における矛盾をそ 引き寄せて「時間内存在(being in time)」であると のまま投げ出すようにして表現する。 述べる。* 14 それは簡単にいえば、次のようなことで ベケットが表現する「私」、すなわち人物の主体性 ある。すなわち、今日の私は昨日の私ではない。存在 は、その要素が統一化されない状態として描かれる。 は時間性を伴って常に変化し続けるのであり、本質的 それは、アドルノの比喩を使えば、「文化のゴミ屑 な(essential)存在や主体などない。本来の「私」な (culture-trash)」である。実存主義は、不条理な状 ど、どこにもいはしない。*15 況にある人間存在を「主体性」という普遍的な概念と このようなポストモダニスト的解釈は(コナー してひとつの文化的なイデオロギーにまとめてしまう が参照するハイデガーやデリダ、ドゥルーズ[Gilles が、ベケットの戯曲に登場する人間の主体性はそうし Deleuze]の議論より単純化されているとはいえ)たし たイデオロギーになりえないもの、文化という範疇か かにある種の妥当性を持つ。しかしそのような解釈を らこぼれ落ちたゴミ屑なのだ。屑の残骸は一掃されな 展開する場合、「《今日の私は昨日の私ではない》と いまま、瓦礫となって横たわる。こうしたイメージこ 考える私」といったメタ言語への注意が、常に必要で そ、一般化できない、ベケットの不条理だ。アドルノ ある。いうまでもなく、この言明がひとつの意味作用 はそう言うのである。 として固定されると、「…と考える私」が主体として の統一性を表すことになるからである。 3. 3 スティーヴン・コナーによるポストモダニスト コナーがこのことを自覚したうえで議論しているか 的解釈への疑問 どうか。アドルノやデリダは晦渋的な文体を用いたこ 現前性や自己同一性という統一的な観念の崩壊は、 とで知られるが、その背景には、メタ言語の固定化を いわゆるポストモダニズムの思想や芸術が取り上げた 回避する意図があったと考えられる。だがコナーの場 モチーフでもあった。たとえば、しばしばポストモダ 合、メタ言語への注意の甘さがところどころに見え隠 ニズム的な思想の参照先となったジャック・デリダ れする。 (Jacques Derrida)は、現象学や実存主義が現前性・ 例えばコナーは、第5章 Presence and Repetition in 自己の同一性を暗に想定している点でプラトニズムの Beckett s Theatre で、先に見たロブ=グリエのプレザ 変奏でしかないことを批判した。その点でデリダは、 ンスを、時間性の観点から捉えなおそうとする。 アドルノと同じ路線で思考を展開しつつ、時間性を 伴った差異や反復のプロセスを強調して主体を構成す ...what Robbe-Grillet doesn t explore are the る現象のダイナミズムを描き出したといえる。 implications of the fact that, as Vivian Mercier puts it, 上記のようなポストモダニスト的な観点を経由した this is a play in which nothing happens, twice, in which あと、アドルノが指摘していたベケットの作品と実存 Vladimir and Estragon undergo the ordeal of their 主義との相違は自明の事実のごとく扱われるように sheer presence on stage, twice. It is a repetition that なった。しかしポストモダニスト的なベケットの作品 makes all the difference, for it demonstrates to us that 解釈には、実存主義的な主体性を批判したつもりであ the sense of absolute presence is itself dependent upon りながら、それを批判しきれていないものもあった。 memory and anticipation.*16 例として、スティーヴン・コナーのSamuel Beckett: Repetition, Theory and Text を取り上げてみよう。 『ゴドー』の特徴はプレザンスではなく、そのプレ コナーは同書で、ポストモダニスト的な視点から、 ザンスが依存する記憶や予期、またそうした時間概 ベケットの作品における現前性や自己同一性の崩壊 念によって差異を作り出す反復である、とコナーは といったモチーフを追究している。例えば次のよう 言う。この観点からすれば、今日の私が昨日の私では 126 G E I B U N 0 0 1 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第1巻 平成18年12月 ないのと同様、第二幕のディディ、ゴゴは、第一幕の の舞台作品が身体を断片的に見せる演出を施している ディディ、ゴゴとは違う、ということになる。結果、 ことに対し、コナーは次のように言う。 Undeniably, ここでのディディとゴゴは、絶対的現前(absolute this narrowing down of the body could be seen as a presence)ではなく、常に再−現前された存在(re- powerfully metonymic device, since it requires of the presentation)となる。記憶や予期といった、言語・イ viewer an imaginary filling out of the missing body. *18 メージの再−現前(反復)があってはじめて、一幕と ベケットの後期の舞台で、断片化された身体が表現 二幕で異なる存在(差異)の同定が可能となるわけで され、主体性の崩壊が描かれているのは事実である。 ある。 しかしコナーが言うように、身体の見えない部分を観 こうした指摘は、ベケットの作品における存在を 客がimaginaryに補完してしまうのであれば、それは、 being in timeだとするコナー自身の考えに対応してい 結果的には、断片化されていないのと同じである。 るが、さらにコナーはこの考え方を舞台空間一般に適 コナーがしばしば参照しているデリダやドゥルーズ 用する。 はたしかに差異・反復といった現象のダイナミズムを 描き出したが、それらは想像という範疇に収斂されは ...stage-space still requires representation of some kind. しなかった。コナーは、ベケットの主体性崩壊モチー Even if it represents itself alone, the stage is still an フを理解してはいたものの、想像によって主体性が回 imaginary place, which is different from the actual 復され差異と反復のダイナミズムが解消されてしまう stage known during the day by cleaners, scene-shifters 危険性には無自覚であったようだ。 and rehearsing actors.*17 ポストモダニスト的な立場から議論を展開する論者 は、実存主義を既に終わった思潮とみなしている。し 「現実の(actual)」ものというよりも「想像的な かし、コナーの例のように、主体性を否定しきれない (imaginary)」ものである舞台空間は̶̶無媒介的な (それゆえ本来ならポストモダニスト的と呼ぶべきで 現前性(presence)の場ではなく̶̶繰り返し再現前 はない)議論もある。そうした議論は、実存主義的要 されるもの(representation)、というわけだ。 素を取り入れながら最終的には形而上学的根拠を肯定 だが、ここで注意しなければならないことがある。 してしまうエスリンの議論と変わらない。一見ポスト それはimaginaryという語の捉え方である。コナーは人 モダニスト的な議論にも、エスリンの、あるいは実存 間の統一的な意識、ないしは人間の主観=主体を、暗 主義の亡霊が取り憑いている。ベケットの作品に見ら に前提として、この語を用いているようにみえるので れる主体性の崩壊というモチーフを論じるとしたら、 ある。 少なくともアドルノやデリダ、ドゥルーズが展開した せりふや身振り等の記号によって表象される舞台 水準での議論が必要であろう。*19 をimaginaryなものとして捉えれば、たしかに空間 しかし、そのような議論は十分に行われないま のactualityが減じると言える。しかしそれは結局の ま̶̶冷戦の終わりと軌を一にするようにして̶̶ポ ところ、認識対象を捉える人間の参照枠組が、物理 ストモダニスト的な思考は影をひそめるようになっ 的・感覚的なものから想像的なそれへと移った(から た。民族紛争の激化などから政治的な危機意識が蔓延 actualityが減じた)ということでしかない。つまり、 するようになると、物語や自己同一性の崩壊よりも、 客体としての舞台空間を肌で感じる主体が、それを頭 主体的な責任のあり方を問題にし、政治上の実践を重 の中で想像して経験する主体にとって代わったにすぎ 要視する風潮が強まる。スーザン・ソンタグ(Susan ないのである。この点で、コナーの議論は不十分であ Sontag)によるサラエヴォでの『ゴドー』演出(1993 る。舞台空間がimaginaryな場であるとすれば、二幕 年)が象徴的だろう。* 20 デリダやドゥルーズ、そし と一幕のディディ、ゴゴのそれぞれの差異は、すべて てある程度までソンタグ自身が展開していた抽象的な imaginaryな領域の事柄として処理されることになる。 思考から、実証的な議論やその政治性に力点が移って 「《今日の私は昨日の私とは違う》と考える私」とい いったのである。 うメタ言語の固定が主体の崩壊を阻むように、「《二 幕のディディ、ゴゴと一幕のディディ、ゴゴは違う》 4. 日本における不条理演劇と主体性をめぐる解釈の考 と想像する観客」というメタ言語が、対象言語の言 察 及している一幕と二幕の差異を抹消してしまうのであ ベケットの不条理演劇とサルトルの戯曲に代表され る。 る実存主義演劇は、日本では特に1960年あたりから登 似たような誤解は他にも見られる。ベケットの後期 場してきたアングラ演劇の活動に大きな影響を及ぼし Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 1, December 2006 127 た。*21 自己を、したがって一貫した自我を持つ主体を、取り アングラ演劇といえば、疎外された自己(従)が本 戻そうとするときに落ち込む罠である。 来の自己(主)への回復を望む実存主義的なロマン主 これまで述べてきたように、ベケットは主体性とい 義や、自我イメージにとらわれ、問題を自分のなかだ う観念を無条件には肯定していない。そして鈴木もま けで解決しようとする青年のナルシシズムを連想させ たそうした方向には行かなかった。このことは、上記 る。*22 引用の後半部分を読めばわかる。「そのためには俳優 例えば八木柊一郎の小論「『新劇』と演劇との関 は自己を物化しなければならない。」疎外状況に不条 係」は次のような逸話を紹介している。「いまごろア 理さを感じた人間がそれを克服しようとするなら、そ ングラにかぶれる者が出るようでは、私としては恥ず の疎外感を埋めるべく自己の回復に努めるだろう。し かしくてならない。いまの お悩み時代 を反映して、 かしそれは結果として、自己を自我イメージのなかに 挫折とか情念を主観的に出す心情劇で、こんなものは 閉じ込めることでしかない。鈴木の方法は逆である。 昔もあったし、先行きの見通しもなく、建設的でもな イメージのなかに自己を回復させるのではなく、自己 い」という俳優座の千田是也の談話に、俳優座の若手 を「物化」するのだ。 が「最近の千田演出は社会の仕組みを啓蒙的公式的に 自己の物化を実現するために鈴木は、イメージに回 説明するだけだ。自分の解釈の構図の中に俳優を強引 収されない俳優の身体存在を重視した。ただしこれ に押し込み、役者の主体性を一向にかえりみない」と を、《個人の内面の葛藤を描く近代心理劇に対抗した 反応したというのである。「アングラにかぶれる者」 肉体の強調》という通俗的な理解に還元してはならな を批判する千田に対抗して「役者の主体性」を強調す い。またそれは、ロブ=グリエがハイデガーを引き合 るこの若手の反応こそ、実存主義的ロマン主義の典型 いに出して言うようなプレザンスという特質に限定し 例だろう。*23 てもいけない。そうした還元や限定は、肉体を主体と しかしここでは、そのような一般的な事象におさま いう統一的な観念に閉じ込めることにつながるからで りきらない演劇人の事例を考察しておきたい。アング ある。そしてそのような観念にとらわれているかぎ ラ演劇出身者のなかでも理論と方法に自覚的な鈴木忠 り、疎外された自己をイメージのなかで回復しようと 志と別役実である。彼らの理論や方法を検証すること する運動からは逃れられないだろう。鈴木の「物化」 で、ある程度の水準で、不条理演劇と実存主義演劇の はそのようなナルシシズム的な運動の否定である。 類似性や差異がどのように考えられたかを知ることが アングラ演劇を「新劇の文学性=言葉重視の演劇に できる。 対する、肉体性=俳優の演技の重視」とする見方は 「表面的」だと鈴木は言う。アングラ演劇の「肝心な 4. 1 鈴木忠志と一回性の演劇 ところ」は「演劇集団をほかならぬ演劇集団として在 鈴木は不条理演劇について、このように言ってい らしめている本質は何かということを提起した演劇運 る。「ある時間が流れ終った瞬間に、作家の危機感な 動だった」点にある。「だから、肉体というような言 り疎外感なり、アイデンティティーの亀裂といったも 葉が提出されたとしても、それは集団というものの本 のの信憑性を観客に信じさせること、これが不條理演 質を象徴する観念として語られていたので、言葉に対 劇が狙ったことである。そのためには俳優は自己を物 立するだけの観念としてもちだされたのではなかっ 化しなければならない。」*24 た。」*25 ここには、不条理演劇への鈴木の理解が端的に表れ 鈴木が演劇を集団の協働作業と捉えるのは、集団に ている。「作家の…疎外感」「アイデンティティーの おいて個人が他者との関係のなかに位置づけられるか 亀裂」は、世界を秩序立てて記述する手段としての言 らである。個々が独自に持っている内面は、他者との 語への信頼性が失われる状況から生じるものだろう。 関わりのなかでその独自性(主体性)を失うだろう。 その意味で鈴木は、上記で指摘したエスリンの解釈と これは自己の物化がたどるひとつのプロセスである。 ほぼ同じことを言っている。 鈴木が解釈する不条理演劇は、内面を削ぎ落としたと だが、言語が必ずしも世界を正確に表象しないこと ころにあらわになる人間の「感覚」を暴き出すもので から疎外感を感じた作家(ないしは演者)が、疎外状 ある。 況からの回復を目論んだとすれば、実存主義的なロマ その鈴木は『ゴドー』について次のように言ってい ン主義の罠に落ち込んでしまうだろう。これを主体性 る。 の概念に引き寄せて言えば、私が私であるという明証 性への疑義が生じさせる自己疎外の状況から、本来の 128 G E I B U N 0 0 1 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第1巻 平成18年12月 言葉も行為も断片的で、論理的な整合性はありませ ん。ですから、そこで語られる言葉は方向性をもって 破壊する。当該作品のなかで安定性を保っていた言葉 いません。欲望の反映でも、欲望の挫折がもたらす内 や身振りは引き剥がされることで安定性を失う。そし 面的感情の表出でもなく、すべてが自分自身にのみ語 てそれらを、今度はその場にいる俳優に接ぎ木し、俳 りかける遊びになってしまうのです。そこに最低の対 優に新たな身体感覚を表現させることで、鈴木は作品 象や方向があるとすれば、「待つ」という行為それ自 を「創造」するのである。「肉体と同時に言葉という 体であって、言葉やしぐさはすべてこの状態を生きて ものも惰性態だから、その両方に一度抵抗を入れる。 いるという証以外のなにものでもなくなっています。 そしてその抵抗を、総合化してフォルムに仕上げる。 (中略)田舎道と一本の木と、その前で繰り広げられ (中略)その意味で、コラージュとかデペーズマンと る二人の浮浪者の言動が、複雑になった環境を生きて いう方法が要請される。」「本歌どりという言葉で私 いるわれわれの日常的な感覚を見事に感じさせるので がいいたいことは、多くの人々に共有されたと思われ す。*26 る言葉を踏襲しているようにみせながら同時に、それ を破壊してまったく自立した舞台の世界をつくる、と 「自分自身にのみ語りかける」という行為は、俳優 いうようなことがらなのである。」*29 が自分の内面に向き合うこととは違う。内面に向き合 それゆえ鈴木にとって、引用は、既存の言語の単な うのは、自分の欲望を都合のいい物語に仕立て上げ、 る模倣ではない。言語の使用される場が一回ごとに異 それを誰かに告白し、安心するためだ。『ゴドー』の なるからだ。鈴木が演劇の一回性や現場に立ち会う俳 人物の会話には、内面や告白を成立させようとする試 優の身体存在を重要視するのは、この点を踏まえての みはない。語りは単なる「遊び」として、断片的にな ことである。こうした鈴木の考えは、いうまでもなく されている。 アルトー(Antonin Artaud)を連想させる。*30 内面の告白は、外側の世界に向けられるがゆえに、 しかし一回性や身体存在の重要視は、俳優という主 身体の感覚を鈍らせる。外的な対象に投射される意識 体を絶対化する方向に転じる危険性を常にはらんでい の煙幕が、自己の物化を妨げるのである。一方、『ゴ る。自己の物化ではなく、自己の自己化あるいは主体 ドー』の断片化された言葉は、自分の身体にある種の 化である。それをロブ=グリエが言ったようなプレザ 感覚を発生させるために、自分自身に向けてつぶやか ンスに結びつけ、現象学や実存主義が陥った観念論・ れる。「ゴドーとはそれを待っている自分たちじしん 疎外論との類似点を見出すことも困難ではない。 のことであり、待っている自分たちの方に何ごとかが 例えば鈴木は、メルロ=ポンティ(Maurice 起こってしまう、それがこの戯曲の場合、登場人物た Merleau-Ponty)に依拠しつつ、次のように述べてい ちのおしゃべり、つまりことばになる。」「この何ご る。「自己を了解する行為とは、自己を統一し、形成 とかは、自分のからだのうちに起こるのである。自分 していくことなのであり、そのとき自己とは、他者と のからだのうちに、不思議な感覚が発生するというこ ひとつの全体性を構成するなかでの、絶えざる投企と とである。無意識のうちに反復したり、条件反射的な しての存在でしかあり得ないということに気づくこと 行為にみちみちている日常の時間を、まず削ぎおとし だからである。」*31 鈴木のこの言葉は《疎外された て、このからだを何ごとかが起こる不思議の場所にす 自己は「投企」によってその自己を取り戻すことがで るために、俳優はじっと待つ。」*27 きる》と解釈される可能性がある。「投企」という語 ベケット的な言葉の断片化は、身体存在を自我イ は、自己疎外からの回復へと向かう実存主義的飛躍を メージから解き放ち、物化するための手段である。鈴 思い起こさせる。「自己を統一」「他者とひとつの全 木は『劇的なるものをめぐって』シリーズでコラー 体性を構成」といった表現も、疎外を克服した自己の ジュ(鈴木の好む表現では「本歌どり」)を実践し 絶対化を意味するように読める。 た。演劇における言語の断片的使用という点でこの作 しかしそのような読み方で片付けてしまえるほど、 品は、鈴木自身が見出した『ゴドー』の特質を実現さ 鈴木の考えは単純ではない。鈴木の投企はあくまで せたものといえる。シリーズのIとIIでは、まさに『ゴ も、他者との関係のなかで行われる「絶えざる」投企 ドー』そのものからせりふが引用され、鶴屋南北や泉 である。それはいわば終わりなき弁証法(アドルノ風 鏡花の戯曲の言葉にぶつけられた。*28 に言えば、「否定弁証法」)である。この点で、鈴木 鈴木の引用は単に既存の作品の言葉や身振りを切り は主体存在を絶対化する誤謬を回避している。 取ってつなぎ合わせ、弄ぶ種類のものではない。鈴木 だがそうなれば、俳優が絶対的な主体存在となるべ は言葉や身振りといった記号を当の作品が想定したの き一回性の実現は困難を極めることになる。デリダに とは違った場に持ってくることで、まずはそれらを よれば、鈴木と同じように演劇の一回性を標榜したア Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 1, December 2006 129 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ルトーは、その不可能性に気づいていた。「現代の演 得し、ベ ケット言語における非論理的ダイアローグの 劇世界にはアルトーの願望に応えるものはない。しか メカニズムについて、我々は会得しようとした。そし も、この見方からすれば、アルトー自身の試みについ て、空間機能と言語機能を、従来の「演劇」がそうし てさえ、例外は見出せないことだろう。アルトーが誰 ていたものからベ ケットふうに逆転させることによ よりも良くその事を知っていたのだ。」*32 り、観客に対する「演劇」のいわば直接性とでも言う どのような言語も身振りも、それが反復可能でなけ べきものが、純粋に抽出される予感を持った。従来の れば使用することはできず、したがって、存在するこ 「演劇」が、「文学か演劇か」というレベルで確かめ ともできない。他者に認識され共有される前に消滅す られていたのに比較して、その時から「演劇」は、 るような一回限りの言語・身振りは、(言語・身振り 「意味か演劇か」というレベルで確かめるべきものに が他者とのコミュニケーションの媒体であるという) なりつつあったような気がしたのである。*35(傍点は 定義上、言語でも身振りでもない。鈴木は『劇的なる 別役) ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ものをめぐって』で、歌舞伎の台本から流行歌までの 引用のコラージュを提示したが、それに限らず、言語 「非論理的ダイアローグのメカニズム」という言い の使用は原理的にすべて引用であり、反復であらざる 方は、例えばエスリンが指摘した「伝達不可能なもの をえない。このことにおける困難は、おそらく鈴木も を伝達する」のような、論理的矛盾を生じさせる類の 自覚している。「反復を基本としつつ絶対的に反復不 メカニズムだと考えることができる。エスリンはそう 可能な行為、また反復に従いながらも一回性として意 した言語体系への揺さぶりのかわりに不条理演劇が本 識できなければ失敗であるような行為に支えられる舞 能や直観で状況を提示すると述べ、形而上学的な根拠 台、この辺をどう考えるかというのが演出家に課せら を与えていた。同じことが別役にも言えるかもしれな れた一番やっかいな問題である。」*33 い。「観客に対する『演劇』のいわば直接性」が「純 言葉や身振りの断片を組み合わせて(反復)、一回 粋に抽出される」という言い方は、言語という媒体 限りの場の創出の実現(反復不可能な行為)を目指す が機能不全に陥った結果、舞台空間の生の状況が無媒 こと。それは他者の言葉を媒体としながら自己を直接 介的=直接的に伝わるのではないか、ということであ 的に提示しようとすることだが、この矛盾に身を任せ る。しかし直接性や純粋という概念は、エスリンが用 ながら、それでもなお「絶えざる投企」を続けるこ いた本能・直観と同じように、それ自体が形而上学的 と̶̶自己の自己化ではなく、自己に向いながらもそ な根拠になりえてしまう。*36 れに抵抗する(物化)ような矛盾をはらんだ反復運 別役は、意識のうえでは、不条理演劇と実存主義を 動̶̶が、鈴木の方法を支える理論であろう。この理 区別していた。1982年に『ユリイカ』誌上で行われた 論は、主体の絶対化の手前で常に他者の言葉の断片で 高橋康也との対談に、次のようなやりとりがある。 「遊び」続ける(ドゥルーズ流に言えば、可能性を 「消尽」し続ける)ベケットの作品の特徴と通底す 高橋 ……もう一つ的確だとぼくが思うのは、ロブ= る。その意味で鈴木は、実存主義のように主体性を肯 グリエの「プレザンス」という言い方ですね。 定することのないベケット演劇の特質を高度な水準で つまり舞台上の現前、そこにいるということ、 共有している数少ない演劇人だということができる。 まあ日本語でわかりやすく言うと「存在感」と かいうことになるんでしょうが、そういう存在 4. 2 別役実と無為の存在 感そのものを与える芝居というのは、考えてみ 1966年、鈴木忠志とともに「早稲田小劇場」を設立 るとそれまでになかったんじゃないですか。 した別役実は、ベケットからの影響を各所で明らかに 別役 なかったですね。 している。だが別役によれば、彼を含めてベケットの 高橋 たとえばサルトルやカミュの芝居ならあった。 影響を受けた演劇人たちが「一目散にベケットから逃 げ出した」時期があった。「六十年代から七十年代へ かけて」である。*34 別役をはじめとする演劇人がベケットから逃げ出す 前の状況について、別役はこのように述べる。 不条理の哲学に基づいた演劇。 別役 ただ舞台の展開のしかたは、要するに論理の展 開というかたちで展開してましたからね。 高橋 そうですね。芝居の作りは古典的ですよね。ア リストテレス的というか、初めがあって真ん中 があって終わりがある。そこのところが決定的 我々はこぞってベケットに夢中になった。(中略) ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ベ ケット空間における演技者のたたずまいについて会 130 G E I B U N 0 0 1 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第1巻 平成18年12月 にベケットの芝居は違ってきた。不条理の哲学 なんてことはそもそもベケットはいわないわけ ですけども、サルトルやカミュが論じたところ 言語の意味体系が失われることで人物の存在、すなわ の不条理の思想が、手触りそのものとして舞台 ち実存が浮かび上がってくる、という解釈である。 に出てきたということでしょうね。*37 ベケットの戯曲の「言葉」に関して、別役は、多く の論者や演劇人同様、論理的一貫性の欠如=因果的連 高橋はロブ=グリエのプレザンスと、サルトル、カ 鎖の崩壊=断片化、と捉えている。例えば「少なくと ミュの「不条理」を引合いに出し、ベケットの舞台に も言葉というものが、人間の内側からつむぎ出されて も「存在感」を与えるような「手触り」があるとして くるように出てくるということではなくて、むしろわ いる。これに対して別役は、カミュやサルトルの演劇 れわれの外側にあって、それが人間を襲う、人間に取 には「論理の展開」がある、と述べ、ベケットの方法 り憑く」* 40 と別役が言うとき、それは人間の意識の との違いに言及している。 なかに言いたいことが先にあって、それを順序よく、 しかしここでの別役の発言は「実存主義演劇は論理 論理的につなげて表現する言葉のことではない。言葉 的な推論形式によって作品を提示する」と語ったエス の断片が人間の外部にあり、言葉のほうが人間に「取 リンのそれと同種のものである。そしてエスリンが、 り憑」いて(というのはあくまで別役のイメージだ 本能や直観という実存主義に親和性の高い形而上学的 が)、人間は否応なしにしゃべらなければならなくな な概念で不条理演劇を説明したように、別役もまた、 る、ということである。 多くの箇所で、形而上学や実存主義の範疇に回収され しかしながら別役は、その断片の背後に主体存在 てしまいがちな表現を用いているのである。 を̶̶鈴木のように「絶えざる投企」としてではな 例えば、評論集『言葉への戦術』で別役は述べる。 く、全体的な観念としての主体存在(らしきもの) を̶̶前提してしまう。例えば1980年代の日本社会 「不条理劇」と云うのは、日常的状況と極限的状況 における対人関係について、別役は「東京の子はどん が並存する中に舞台空間の(つまり役者の)実存を垣 どんおしゃべりになっていって、しゃべって自己正 間見ると云う手法であり、作家の体質によって、ヨネ 当化しなければ自分自身の周囲との関係が形づくれな スコ風に日常的状況を恰も極限的状況の如く展開した い」が、「天草の子どもは田んぼの中にぼんやり坐っ り、ベケット風に極限的状況を恰も日常的状況の如 て一日中無為に過ごすことができる」というたとえ話 く展開したりする。(中略)従来の演劇においては、 をしている。* 41 現代(1980年代)は、言葉が「人 ドラマに関する主動的な要素は形象が代表してそれを 間を襲う」がゆえに、「おしゃべり」せざるを得ない 把握していたのであるが、不条理劇にあっては、その 時代である。しかし、そうではない時代、「『沈黙の フォルムが代表するのである。「形象演劇」ではなく 時代』、要するに言葉というものにまだ襲われていな 「状況演劇」であると云うのはそのためだ。*38 い時代」があった。天草のような地方にはまだそうし た時代の名残がある。その時代の人間は別役によれば ここでは不条理演劇は、「実存を垣間見る」「状況 「無為の存在」である。* 42 こうして言葉の外部に 演劇」と言われている。直接性、純粋といった用語の 「存在」を前提とする別役のここでの思考過程は、実 使い方も合わせて考えれば、別役が実存主義的な視点 存主義のそれと重なっている。 からベケットの方法を解釈していることは明らかであ また、別役は、ベケットの初期の作品と後期の作品 る。 の関係を、それらの連続性、非連続性の両面から捉え 『言葉への戦術』は1970年代初期に出された評論集 ているが、一見して異なった様相を見せるそれらふた だが、別役の立場は1980年代になっても変わらない。 つの議論も、その底流に実存主義的な観点があるた 後期ベケットの小品、『息(Breath )』について、別 め、最終的には同じ結論に達する。 役は次のように言う。「少なくとも、この場合の主体 連続性について、別役はこう述べる。言語体系の否 は『私』として限定されることはありませんし、この 定によって存在の手触りが確かめられた初期作品と同 受け手の方も、もし存在するとしても、『あなた』と 様、後期作品は、視覚による認知システムの否定に は限定出来ない。(中略)『話される言葉』を無意味 よって存在の手触りを確かめるものである。「つまり にすることによって、独立した存在である『話し手』 彼[ベケット]は、それらを『見え』なくすることによ のほうの存在感を縦軸で持続させる、『聴き手』のほ り、逆に『在る』ことを感じさせようとしたのであ うの存在感も縦軸に持続させる、これが一つの方法で り、独立した個体であることを否定することにより、 す。これをこの『息』という芝居で、ベケットが確か 逆にその量を感じとらせようとしたのである。」*43 後 めているわけです。」*39これは、作品世界を構成する 期作品では、初期の作品と同じ定式で「存在」が温存 Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 1, December 2006 131 されている。ここに両者の連続性がある。 果、そうした解釈が、主体性という観念を否定しきれ 一方、非連続性について別役はこう述べる。後期作 ず、結果的にベケットの作品の特徴を捉え損ねている 品では、舞台空間から視覚の対象となるべきものが削 議論(エスリン、コナー、別役)と、ベケットの作品 りとられていき、人物が内面に自閉する。こうした作 においては主体性が否定されていることを一貫した 品は、演劇に必要な外在化された認識対象を失ってい パースペクティヴのもとで捉える議論(アドルノ、鈴 る。初期作品では、言葉の意味を失わせることによっ 木)に分けられた。 て逆に、認識対象を浮き立たせた。そのことは、物理 ベケットの作品やその特徴を論じるもののなかに 的な空間経験という演劇のひとつの特質を逆説的に証 は、いまだに人物の主体性を所与としているものが多 明しうるものだった。しかし後期作品になると、人物 い。しかし、本論で述べてきたとおり、主体性を肯定 の足元だけが照らされるなどの設定からもわかるとお するような説明は、ベケットの「不条理」の説明とし り、言葉だけでなく存在そのものが認識不可能な状態 ては適切ではない。今後、ベケットの作品を不条理と に置かれる。もはや物理的な空間で経験可能、とさえ 呼ぶのであれば、それは主体性の否定を含意している 言えない。その意味で、初期作品と後期作品は非連続 のだ、との認識が必要であろう。 的である。 別役が指摘する後期作品の特徴は、エスリンが指摘 していた形而上学的根拠の揺らぎやアドルノが否定し 注釈 た実存主義的な主体性の崩壊を表現するものと考えて *1 エ ス リ ン の 議 論 の あ い ま い さ は 、 例 え ば P e t e r よいだろう。別役自身、こう述べている。「創造主体 Boxall, Samuel Beckett: Waiting for Godot / としての『私』はもはや『私』ではあり得ないこと Endgame A reader s guide to essential criticism を、ベケットは、『崩壊した私』によって体現してみ (New York: Palgrave Macmillan, 2000)が指摘して せているのでもあるだろう。」 いる。本稿は、エスリンの議論の不十分さや、ア この点だけを見れば、別役は、主体を肯定的に捉え ドルノとの差異についても、同書の認識を概ね共 る実存主義的存在論からベケットの作品の特徴を区別 有している。 しえているように思われる。だが別役にとって「これ *2 Books, 1991), 88. は演劇ではない」。 なぜなら「どう考えてもこれは、ベケット自身の内 Martin Esslin, The Theatre of the Absurd (Penguin *3 Ibid. 23 Esslin, The Theatre of the Absurd , 61. 側に開かれた空間での事象と考えるからである。ここ *4 には、外在する空間において言語を言語として確定す *5 Alain Robbe-Grillet, trans.Barbara Bray, Samuel ることに虚偽を感じた意識が、その意識内部における Beckett, or Presence in the Theatre in Martin 生起と消滅を、冷静に確かめている作業を感ずる。そ Esslin eds. Samuel Beckett: A Collection of Critical れらの言語と生起と消滅に関わる、創造主体(私)が Essays (New Jersey: Prentice-Hall, Inc., 1965), 108. 確かめられているのである。」*44 *6 ベケット自身は、あるインタヴューで自らの小説 アドルノはベケットの主体性崩壊モチーフを芸術の と実存主義との関連性を問われ、それを否定して 最後の可能性として評価したが、対照的に、別役は、 いる。インタヴュアーの people have wondered そうしたモチーフの展開を演劇として受け入れること if the existentialists problem of being may afford を拒否してしまう。別役の考える演劇には、「私」な a key to your works というコメントに対してベ り「あなた」なり、主体として外在化された認識可能 ケットは There s no key or problem. と答えてい な対象が必要なのだ。換言すれば、別役にとっての演 る。 Interviews with Beckett (1961) 劇の可能性の条件は、なお実存や現前性なのである。 Graver and Raymond Federman ed. Samuel それらに依拠しえなくなった瞬間、ベケットの戯曲 Beckett: The Critical Heritage (London: Routledge は、別役にとってもはや演劇ではなくなってしまうの and Kegan Paul Ltd., 1979), 217. また、別のイン だ。*45 タヴューでは、ハイデガーやサルトルについて次 in Lawrence のように述べている。 When Heidegger and Sartre 5. 終わりに speak of a contrast between being and existence, 以上、本稿では、ベケットについて論じる西洋と日 they may be right, I don t know, but their language 本の論者/演劇人が、不条理や主体性といった概念を is too philosophical for me. I am not a philosopher. どのように解釈したかについて再検討した。その結 One can only speak of what is in front of him, 132 G E I B U N 0 0 1 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第1巻 平成18年12月 and that now is simply the mess. Graver and Federman, 219. 2000), 328. *12 Ibid., 321. *7 ベケットの作品と実存主義との相違を指摘するこ *13 Steven Connor, Samuel Beckett: Repetition, Theory and Text (Oxford: Basil Blackwell Ltd., 1988), 44. とに新しさはない。例えば加藤行夫は、「サルト ルは素朴に主体性というものを信じ」ているが、 *14 Ibid., 45. 「ベケットでは、『主体』そのものの揺らぎが問 *15 Ibid., 119 題にされる」と述べたうえで、サルトルをオプ *16 Ibid. ティミスト、ベケットをペシミストとしている。 *17 Ibid., 142. 加藤行夫「ベケット劇の〈場〉」『文藝言語研 *18 Ibid., 161. 究』第23号(筑波大学文芸言語学系、1993年)。 *19 守中高明は、ドゥルーズやデリダが解体した西欧 ただし、この加藤の小文では、なぜ前者がオプ ヒューマニズム的な思考のプロセスが現在、「い ティミスト、後者がペシミストと言えるのかにつ まだに生き延びている」ことへの苛立ちを表明し いての分析・論証はなされていない。そのため、 ている。こうした状況にあって、守中がフランス ここでの加藤の指摘は主観的な印象の域を出てい の事情を踏まえながら肯定的に評価している演劇 ない。 は、例えばロバート・ウィルソン演出のヴァーグ *8 「われわれが、人間はみずからを選択するという ナー『ニーベルングの指環』四部作であり、フレ とき、われわれが意味するのは、各人がそれぞれ デリック・ワイズマン演出のサミュエル・ベケッ 自分自身を選択するということであるが、しかし ト『おお、美しき日々よ』である。守中は徹底 また、各人はみずからを選ぶことによって、全人 して形式化・抽象化されたウィルソンの演出に注 類を選択するということをも意味している。じっ 目し、安易な「人間」形象の回復に慎重なその手 さい、われわれのなす行為のうち、われわれがあ 法を「少なくとも時代の文脈を読み間違えてはお ろうと望む人間をつくることによって、同時に、 らず、オペラに新しい文法を導入することに成功 人間はまさにかくあるべきだとわれわれの考える している」と評価する。また、ウィルソンにとっ ような、そのような人間像をつくらない行為は一 て利賀や静岡(舞台芸術センター)で鈴木忠志の つとしてない。あれかこれか、そのいずれかであ 舞台と出会ったことが大きかったと推測してもい ることを選ぶのは、われわれが選ぶそのものの価 る。「鈴木忠志と白石加代子の記憶がなければ、 値を同時に肯定することである。というのは、わ 今回のウィルソンの演出は不可能であったはず れわれはけっして悪を選びえないからである。わ だ。この『形式化への意志』においてSCOT(鈴木 れわれが選ぶものはつねに善であり、何ものも、 の劇団Suzuki Company of Toga̶̶引用者注)と われわれにとって善でありながら万人にとって善 ウィルソンは通底し合っている。」次節で見るよ でない、ということはありえないのである。」こ うに、鈴木がベケットの戯曲の言語を内面とは関 こでは、「実存」としての各人の「選択」が「全 係のない「遊び」と捉えていることを考えれば、 人類」の選択でもあるとされ、しかもその選択に 「形式化への意志」(=人間主義批判)という点 は「善」という価値が、普遍的なものとして付与 にウィルソンと鈴木の共通性を見る守中の記述は される。そこには、実存を普遍化する思考のプロ 本論の論旨とオーヴァーラップする。こうした視 セスが表現されている。ジャン=ポール・サルト 点から見れば、上記ワイズマンの演出に関する守 ル(伊吹武彦訳)『実存主義とは何か』(東京、 中の以下の指摘も興味深い。「徐々に事物の堅固 人文書院、1955)、19−20頁。 な現前性が崩れていき、時間と空間の概念がある *9 Esslin, The Theatre of the Absurd , 24-25. かなきかの空隙へと縮減されていくベケットのテ *10 アドルノのベケット解釈については、拙論「アド クストを実際に上演するためには、高度な技術を ルノの読んだベケット̶̶『勝負の終わり』とア 必要とする。だが、現実にも高齢であるカトリー ウシュヴィッツ以後の芸術」『伝統と革新̶̶高柳 ヌ・サミーとイヴ・ガスクは、次第に非現実的に 俊一教授古希記念英文学論集』(東京、研究社、 なり、時空も定かでなくなっていく場面を実に巧 2002)参照。 みに出現させて見せてくれた。『今? もう今な *11 T h e o d o r e A d o r n o , Trying to Understand んてないわ』̶̶『そうだったってことになるの Endgame , in Brian O Connor eds, The Adorno かしら』……ここには、人間的心理の入り込む余 Reader (Massachusetts: Blackwell Publishers Inc., 地のない、『非固有なるもの』への深淵がぱっく Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 1, December 2006 133 りと口を開けている。」守中高明「『人間』とい 八木柊一郎「『新劇』と演劇との関係」、早稲田 う形象とその現在̶̶2006年1月、パリの舞台か 小劇場+工作舎編『劇的なるものをめぐって̶̶ ら」『演劇人』第22号(2006年)、122−123。 鈴木忠志とその世界』(東京、工作舎、1977 *20 スーザン・ソンタグ「サラエヴォでゴドーを待ち ながら」(木幡和枝訳)『この時代に想うテロへ の眼差し』(東京、NTT出版、2002)。 年)、193-197頁。 *24 『劇的なるものをめぐって̶̶鈴木忠志とその世 界』、20頁。 *21 『ゴドーを待ちながら』はフランスでの初演(ロ *25 鈴木忠志「集団的発想への示唆」『演出家の発 ジェ・ブラン演出、1953年)を見た安堂信也が 想』(東京、太田出版、1994年)、166-167頁。 1955年に翻訳。1960年に文学座が日本での初公 本文でも述べたとおり、鈴木のこの言い方が一種 演を行っている。これを出発点として、ベケット の疎外論と受け止められる可能性は大きい。そし の戯曲は日本の演劇人に理論面・実践面での素材 てその場合鈴木の言う「集団」もまた、共同体的 を提供していくが、その展開について簡単にまと な疎外克服の装置とみなされてしまうだろう。高 めたものとして、扇田昭彦『舞台は語る』(東 橋宏幸は述べている。「後に鈴木は利賀村で演 京、集英社新書、2002)を参照。 劇活動を行うようになって、日本的なものとして *22 「実存主義的なロマン主義」という表現は、本 『足の文法』や自らの集団を維持する理念として 稿では「実存主義が持つロマン主義的側面」と の共同体論を作りあげていく。そこには、近代を いう意味で使用している。そして、そのなかの 打破するために前近代を志向することと、疎外さ 「ロマン主義」という語もまた、「ドイツ観念 れた精神と肉体を取り戻すという六〇年代から引 論哲学の∼」「イギリス文学の∼」といった特 き継がれた疎外論的要素が色濃く表れている。」 定の思潮としてではなく、以下のような広義の 高橋宏幸「演出論を読む」、日本演出者協会+西 意味で用いている。「人間が自己と自然との本質 堂行人編『演出家の仕事̶̶六〇年代・アングラ・ 的統一を主張したり、その知的諸能力と情緒的 演劇革命』(東京、れんが書房新社、2006年)、 諸能力との、意識と無意識との、事実と価値と 221頁。高橋のこの読み方は、本文で引用した鈴木 の統合を求めたり、主観と客観を一体化しようと の説明に照らし合わせれば絶対に不可能な読み方 するときにはいつも、(中略)こうした世界観 というわけではない。しかし後述のとおり、本論 (Weltanschauung)を共有する人々に対して『ロ では鈴木の理論を疎外論として読まない立場をと マン主義的』(romantic)という語が用いられて きた。」(「ロマン主義(カント以後の哲学にお ける)」『西洋思想大事典』、平凡社)とはい る。 *26 鈴木忠志『演劇とは何か』(東京、岩波新書、 1988年)、34-35頁。 え、「実存主義的なロマン主義」の表現は哲学史 *27 鈴木忠志「待つ̶̶ゴドーを待ちながら」『内角の 的な観点からは逸脱していると思われるため、こ 和II』(東京、而立書房、2003年)、185頁。 こでその使用意図を簡潔に述べておく。第一に、 *28 鈴木はベケットからの影響について、次のように ヘーゲルに端を発する「自己疎外−自己回復」の 語っている。「ヨーロッパの劇作家でわたしが好 プロセスが、「統一」「一体化」を求める運動で きなのはエウリピデス、シェイクスピア、チェー ある限りにおいて(上記のような一般的な意味 ホフ、ベケットである。実際、日本人以外の劇 で)ロマン主義的と考えられること。第二に、主 作家の作品では、この四人以外のものをほとんど 体性を強調し本来性を取り戻そうとするサルトル 演出したことがないが、一番影響を受けたのはベ の実存主義やその影響を強く受けた日本のアング ケットである。ベケットの作品は、人間の不確定 ラ演劇にも類似の思考プロセスが見られること。 性からくる深い孤独とそれゆえに訪れる狂気が、 以上の二点から、本稿では、アングラ演劇に典型 シンプルでさりげない形式に凝縮されている。」 的に見られる思考のプロセスに対する形容とし (「追悼̶̶高橋康也」『内角の和II』、223頁) て、「実存主義的なロマン主義」の語を採用し *29 『劇的なるものをめぐって̶̶鈴木忠志とその世 界』、20頁。 た。 *23 八木は続けて、もしも鈴木忠志や唐十郎、佐藤信 *30 渡辺守章は『劇的なるものをめぐって』を評し に、千田、反千田のどちらの立場につくかと質問 て、鈴木の用いた、当代の観客にとっては「意味 したなら、彼らは「俳優座においては千田是也の 内容の希薄な言語」を「ほとんど、アルトーの ほうがまっとうだ」と答えるだろうとしている。 夢想したあの直接的で全的な生きた象形文字に近 134 G E I B U N 0 0 1 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第1巻 平成18年12月 い」としている。渡辺守章「舞台で何が試行され 起点に志向するようにみえる「全体性」への「回 たか」『劇的なるものをめぐって̶̶鈴木忠志とそ 路」を探るためでなく、物語の終わった後の「人 の世界』、188頁。 間の条件」に「反省的に向き合う」ためであろう *31 鈴木忠志「離見の見」『内角の和I』(東京、而立 と述べている。内野儀「ベケットは必要か?̶̶ 書房、1973年)、62-63頁。 別役実著『ベケットといじめ』再読」『國文学』 *32 ジャック・デリダ(若桑毅訳)「残酷劇と上演の 第50巻11号(2005年)、28−34。 封鎖」『エクリチュールと差異(下)』(東京、 *43 『台詞の風景』、220頁。 法政大学出版局、1983年)、149頁。 *44 同書、224頁。鈴木忠志が「自分自身に語りかけ *33 『劇的なるものをめぐって̶̶鈴木忠志とその世 る」ベケットの戯曲の言語をその人物の内面とは 界』、23頁。 関係のない断片的な「遊び」と捉えたのに対し、 *34 別役実「ベケット空間の解体」『台詞の風景』白 別役がそれを「内側に開かれた空間での事象」と 水社、203頁。その後、1980年代になると別役は しているのは興味深い。ここには、ベケット的不 再びベケットについて言及し始め、1987年には、 条理に対する両者の姿勢の違いが明確に示されて 日本社会におけるコミュニケーション形態の変容 いる。 とベケットの不条理劇の方法論との関係について *45 アングラ演劇のムーヴメントが一段落したあとの 述べた『ベケットと「いじめ」』を上梓する。 状況について簡単に触れておく。1980年代以降 *35 同書、202頁。 の日本の演劇の流れは、バブル期に盛んとなった *36 岡室美奈子は別役実の作品の特徴を「縦への志 商業演劇からバブル以後の静かな演劇への転換、 向」と捉えている。それは正しい認識であろう。 などと整理される。80年代、大衆消費文化の展開 しかし岡室の議論は別役のベケット受容を「不 を背景にして商業資本が祝祭的=非日常的空間を 条理」概念の検証抜きで説明し、それを肯定的に 演出し、多くの観客を集めた小劇場ブーム(野田 評価しているため、別役による「縦への志向」モ 秀樹、鴻上尚史らに代表される)も、バブル崩壊 チーフがベケットの作風からの継承であるかのよ や冷戦構造の終焉とともに過ぎ去り、日常のリア うな印象を与えるおそれもある。「 Make sense ルな生を表現する手法がとられるようになった。 who may. ̶̶別役実のベケット受容に関する一考 代表的な作家として、(野田秀樹に憧れつつも異 察」『演劇学論集̶̶日本演劇学会紀要』第41号 なる手法を模索していった)平田オリザがいる。 (2003年)、21−40。 (もっとも、小劇場ブームの観客動員数は他の業 *37 高橋康也・別役実「対話 ベケット的円環̶̶現代 界[音楽など]と比較すれば相対的には少なかったと 演劇とベケット」『ユリイカ』(特集:サミュエ いう佐藤郁哉『現代演劇のフィールドワーク』の ル・ベケット̶̶意味の不在、不在の意味)、第 調査結果がある。) 14巻11号(1982年)、76。 こうした流れのなかで、ベケットの作品は、それ *38 別役実『言葉への戦術』(東京、鳥書房、1972 年)、96頁。 ほど大きな影響を与えてはいない。アングラ演劇 のムーヴメントが一段落して以降、日本における *39 別役実『ベケットと「いじめ」̶̶ドラマツルギー 演劇作品の多くは(それが祝祭的空間の表現であ の現在』(東京、岩波書店、1987年)、159頁。 ろうと日常生活の表現であろうと)従来の物語構 本書は2005年白水社Uブックスより再刊された。 造に忠実な作品となっている。言語や身体は模倣 *40 同書、184頁。 のための道具として、舞台空間は認識のための場 *41 同書、185頁。 としてそれぞれ分かりやすい位置づけを獲得して *42 別役は、言語による伝達という手段への信頼(あ いる。多くの作品が、程度の差はあれ予定調和的 るいは「リアリズム」への信頼)が弱まった時代 となっており、不条理の要素は影を潜めている。 の表現形態として「局部的リアリズム」を提唱し しかし一方で、ダムタイプのようなメディア・ ている。内野儀はこうした別役の思考が、大きな アート集団がストロボの多用や複数の映像の並置 物語を描くのではなく、日常のリアルな状況を表 により、言語や演者の身体を断片化してみせると 現する傾向の強い1990年代以降の日本の演劇作品 き、主体性崩壊のモチーフは、別のかたちで継承 の特質を、少なくとも予見するものではあったと されているようにもみえる。後期のベケットが している。ただし内野は、今後「局部的リアリズ 映像メディアへの関心を高めていたことを考えれ ム」の実践が必要であるとすれば、別役がそこを ば、ダムタイプの用いるような手法が(彼らのパ Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 1, December 2006 135 フォーマンスを「演劇」というジャンルの枠組み のなかで捉えてよいかどうかは微妙な問題だが) 日本の演劇界においてベケットの作品の要素を展 開させる可能性をいちばん持っているという見方 もできる。 京、而立書房、2003年。 16.鈴木忠志「待つ̶̶ゴドーを待ちながら」『内角 の和II』東京、而立書房、2003年。 17.鈴木忠志「離見の見」『内角の和I』東京、而立書 房、1973年。 18.扇田昭彦『舞台は語る』東京、集英社新書、2002 参考文献 年。 1.Adorno, Theodore. Trying to Understand 19.ソンタグ、スーザン「サラエヴォでゴドーを待ち Endgame. The Adorno Reader. Ed. Brian O ながら」『この時代に想うテロへの眼差し』木幡 Connor. Massachusetts: Blackwell Publishers Inc., 2000. 和枝訳 東京、NTT出版、2002年。 20.高橋康也・別役実「対話 ベケット的円環̶̶現 2. Boxall, Peter. Samuel Beckett: Waiting for Godot 代演劇とベケット」『ユリイカ』(特集:サミュ / Endgame A reader s guide to essential criticism . エル・ベケット̶̶意味の不在、不在の意味)、 New York: Palgrave Macmillan, 2000. 第14巻第11号(1982年)、74−95。 3. Connor, Steven. Samuel Beckett: Repetition, 21.デリダ、ジャック「残酷劇と上演の封鎖」『エク Theory and Text. Oxford: Basil Blackwell Ltd., リチュールと差異(下)』若桑毅他訳 東京、法 1988. 政大学出版局、1983年。 4. Esslin, Martin. The Theatre of the Absurd . Third Edition. Penguin Books, 1991. 5. Graver, Lawrence and Raymond Federman Ed. Samuel Beckett: The Critical Heritage . London: Routledge and Kegan Paul Ltd., 1979. 6. Robbe-Grillet, Alain. Samuel Beckett, or Presence in the Theatre. Translated by Barbara Bray. 22.日本演出者協会+西堂行人編『演出家の仕事̶̶ 六〇年代・アングラ・演劇革命』東京、れんが書 房新社、2006年。 23.深谷公宣「アドルノの読んだベケット̶̶『勝負 の終わり』とアウシュヴィッツ以後の芸術」『伝 統と革新̶̶高柳俊一教授古希記念英文学論集』 東京、研究社、2002年。 Samuel Beckett: A Collection of Critical Essays . 24.別役実『言葉への戦術』東京、鳥書房、1972年。 Ed. Martin Esslin. New Jersey: Prentice-Hall, Inc., 25.別役実「ベケット空間の解体」『台詞の風景』東 1965. 7. ウィーナー、フィリップ編『西洋思想大事典4』 東京、平凡社、1990年。 京、白水社Uブックス、1991年。 26.別役実『ベケットと「いじめ」̶̶ドラマツル ギーの現在』東京、岩波書店、1987年。 8. 内野儀「ベケットは必要か?̶̶別役実著『ベ 27.守中高明「『人間』という形象とその現在̶̶ ケットといじめ』再読」『國文学』第50巻11号 2006年1月、パリの舞台から」『演劇人』第22号 (2005年)、28−34。 (2006年)、116−123。 9. 岡室美奈子「 Make sense who may. ̶̶別役実の 28.八木柊一郎「『新劇』と演劇との関係」『劇的な ベケット受容に関する一考察」『演劇学論集̶̶ るものをめぐって̶̶鈴木忠志とその世界』早稲 日本演劇学会』第41号(2003年)、21−40。 田小劇場+工作舎編 東京、工作舎、1977年。 10.加藤行夫「ベケット劇の〈場〉」『文藝言語研 究』第23号、1993年。 11.佐藤郁哉『現代演劇のフィールドワーク̶̶芸術 生産の文化社会学』東京、東京大学出版会、1999 年。 12.サルトル、ジャン=ポール『実存主義とは何か』 伊吹武彦訳 東京、人文書院、1955年。 13.鈴木忠志『演劇とは何か』東京、岩波新書、1988 年。 14.鈴木忠志「集団的発想への示唆」『演出家の発 想』東京、太田出版、1994年。 15.鈴木忠志「追悼̶̶高橋康也」『内角の和II』東 136 G E I B U N 0 0 1 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第1巻 平成18年12月 29.渡辺守章「舞台で何が試行されたか」『劇的なる ものをめぐって̶̶鈴木忠志とその世界』早稲田 小劇場+工作舎編 東京、工作舎、1977年。 一般論文 平成 20 年8月7日受理 On Beckett's Film Close-up, the Affection-Image, and Comedians *1 ベケットの『フィルム』―クロースアップ、情動イメージ、喜劇役者 ● 深谷公宣*/富山大学芸術文化学部 FUKAYA Kiminori / University of Toyama Faculty of Art and Design ● Key Words: Film, Close-up, the Affection-Image, Comedians Introduction Film is a motion picture whose script was written by (1) In the last scene where the perceiving subject is Samuel Beckett, and directed by Alan Schneider. The found the perceived object, what is Beckett trying to theme is from George Berkeley's dictum, “ Esse est express? percipi, ” which means “ being is perceived. ” If “ being is perceived, ” the world outside the (2) How is the last scene of Film related with film as “ perception ” would be a state of “ non-being. ” Is it a media genre? Is there any quality in film that other possible? Beckett's Film tries to pursue this problem. media do not have when dealing with the “ alter ego ” In this Film, a man (who is called “ Object ” in the motif? script, and played by Buster Keaton) tries to flee from the perception and reach a state of non-being; however, (3) With what method and by what kind of person he fails in the end, because he cannot evade perceiving should the motif be embodied? himself. This “ alter ego ” type of motif seems common, The following sections 1 and 2 will give an answer to especially in modern literature; it is taken in many (1), and the section 3, (2). The section 4 will describe different works, such as Edgar Alan Poe's The Crowd. about (3). In this short novel, the protagonist sees a mysterious man, and follows him all through the night in London; 1. Reality as a Criticism of Realism finally, he discovers the man is himself; the protagonist In ordinary experiences, people are not confused about who has been watching the man proves to be the man the difference between the act of perceiving and the himself. In other words, the perceiving subject is the perceived object. They keep switching their position perceived object at the same time. between them. If so, when those two are integrated, is it not an ordinary experience? The similar motif is also frequent in Beckett's works. For example, in a later play, A Piece of We may be able to refer to Kantian philosophy, Monologue, a man on stage talks about himself in both which makes a difference between the transcendental the first and the third person narrative. He is a talking subject and the empirical one, but here instead, subject, and at the same time, he is the object that his Beckett's own idea about the integration of subject and talk focuses on. object must be followed. Although this seemingly common motif in In his “ Proust, ” Beckett talks about the Beckett's novel and play has been studied in various identification between the present experience and the ways so far, it is not deeply analyzed concerning Film. past one. In everyday life, people differentiate their Therefore, in this paper, I will describe how this motif subjectivity from the objective life world, as Beckett is expressed, and in what sense, by focusing on the last describes: scene of the film, in which the pursuing camera proves to be the man's alter ego. It will be described from …there is not “ any direct and purely experimental three different perspectives: contact possible between subject and object, because 128 GE I B UN 0 0 3 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第 3 巻 平成 21年 2月 they are automatically separated by the subject's man does not completely evade perception itself, consciousness of perception, and the object loses its because the eye has a potentiality of perception, which purity and becomes a mere intellectual pretext or would start working in another way. motive (Proust 74). Concerning the relationship of perception with the “ reality ” Beckett describes, by referring to Baudlaire: To the contrary, when action and reaction in the past are represented in the present, the difference between the two disappears because of their cooperation. At Baudlaire's definition of reality as ‘ the adequate union that moment, according to Beckett, the “ essential of subject and object ’, and more clearly than ever the reality ” is liberated: grotesque fallacy of a realistic art― ‘ the miserable And he (Proust) understands the meaning of statement of line and surface ’, and the penny-a-line The identification of immediate with past experience, vulgarity of a literature of notations. (76) the recurrence of past action or reaction in the present, amounts to a participation between the ideal and the Here, it is clear that Beckett criticizes realism in art and real, imagination and direct apprehension, symbol and literature. Realism distorts the objective world through substance. Such participation frees the essential reality. the prejudiced, subjective perception. (74) 2. Close-up and the “ Affection-image ” The “ essential reality ” does not appear under our Self-perception, which is the main theme of Film, is usual perception, in which past and present, the ideal impossible to experience directly, or immediately. We and the real, are separated. Such perception must be can perceive ourselves only when using such media “ disarmed ” in order to make the “ essential reality ” as a mirror and a camera. These media can be tools of appear. This “ essential reality ” emerges in Film , imitation, so they tend to create an image of “ realism. ” because in the very last scene, Beckett tries to disarm In this sense, Film denies “ realism ” which distorts the the perception and identify subject (the perceiver, or objective world by imitating things, and it pursues the the camera) and object (the perceived, or Keaton). “ essential reality. ” Gilles Deleuze describes the identification between subject and object in Film as “ affection-image ” in his Cinema. Deleuze's ideas help us interpret Beckett's Film from the perspective of film theory. Deleuze refers to Henri Bergson's Matter and Memory , and creates two notions: movement-image and time-image. He divides the movement-image into three categories: perception-image, action-image, and affection-image. Deleuze sees a world as the accumulation of such images: in his view, image is not a delusion but a matter created by optical particles. It is not idea but substance. In this accumulation of images Figure 1. The eye in the last scene of Film particles appear and disappear; they are organized and disorganized themselves. This process is what Deleuze In the last scene, the image of an eye is the last calls the movement-image. shot (Figure 1). The audience cannot tell whether it is the perceiver's eye or the perceived one's. This last shot in which they try to be engaged in such an image- suggests the identification, the essential reality being accumulated world. The perception image makes revealed. The eye in this shot seems not related with the world transform, and the world also influences the general perceptive faculty of human being because the perception itself. Deleuze calls this process an there is no object that the eye can see. However, the “ incurvation ” of the world. Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 3, February 2009 The perception-image is an act of human being, 129 The action-image is the relationship between by self, affection-image. (67-68) human behavior and environment. Human behavior influences their situation, and vice versa. In film, the action image is expressed in the coordinate of fixed time and space. The affection-image is positioned in the interval between the perception image and the action image. It appears without the coordinate of time and space. As an example, Deleuze takes a close-up shot of a face. The close-up face is not related with an individual personality. It is a surface. However, it is not an indifferent, empty phenomenon, either. Affects are not individuated like people and things, Figure 2. The man going along the street but nevertheless they do not blend into the indifference of the world. They have singularities which enter into virtual conjunction and each time constitute a complex entity. It is like points of melting, of boiling, of condensation, of coagulation, etc. This is why faces which express various affects, or the various points of the same affect, do not merge into a single fear which would obliterate them (obliterating fear is merely a limit-case). (Cinema 1 103) If a close-up face is a typical expression of “ affection, ” as Deleuze says, the close-up shot of Buster Keaton in the last scene of Film is its perfect Figure 3. The stairs example. Naturally, Deleuze considers that Beckett's Film embodies his own taxonomy. According to Deleuze, the street and stairs scenes correspond to an actionimage (Figures 2-3). The room scene corresponds to a perception-image, in which the man tries to hide from the eyes of animals or pictures (Figure 4). The last scene corresponds to an affection-image, in which the man is duplicated by switching the camera, or the subject and the object are overlapped. The character O is thus now seen from the front,[…] the camera OE is the double of O, the same Figure 4. The man is trying to get the cat out of the room. face, a patch over one eye (monocular vision), with the single difference that O has an anguished expression Affection is a kind of uncertainty where perception and OE has an attentive expression: the impotent motor does not work and any action does not come out effort of the one, the sensitive surface of the other. We yet (98). It is very similar to Beckett's notion of the are in the domain of the perception of affection, the “ essential reality ” in which the usual perception of most terrifying, that which still survives when all the subject becomes impossible. others have been destroyed: it is the perception of self 130 GE I B UN 0 0 3 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第 3 巻 平成 21年 2月 According to the script, the theme of Film is “ the anguish of being perceived. ” It might be possible to or less. Then, does film as a mode of expression make say that the last scene, which Deleuze calls affection, any difference from other genres when expressing the is the ultimate form of its anguish. This anguish motif of the subject-object identification and going probably comes from an uncomfortable feeling people against “ realism ” ? have when they find themselves not only perceiving something but also being perceived. Beckett's script genres do not have. First, in film, close-up shots can describes: “ All persons in opening scene to be shown focus on one's facial expression. In that sense, it is in some way perceiving – one another, an object, a shop easier for film to express what Deleuze calls “ affection ” window, a poster, etc., i.e., all contentedly in percipere than other genres. In film, there may be two features that other and percipi ” (Beckett Film 12). This scene is edited in the film, but it implies that all the scenes are aiming and a camera's, are functioning; sometimes they are Second, in film, two types of “ eyes, ” a character's at the last one, in which the “ contented ” perception distanced, and sometimes they are overlapped. While breaks down and the ultimate anguish appears. in novels the narrator's narrative tend to unify the The “ anguish ” theme reminds us of Henri different perspectives of characters (and in plays Bergson's Matter and Memory. Bergson asks in this book a person would do the same thing), in film, plural how affection comes from perception, and he takes perspectives tend to be disclosed. This indicates anguish, or pain, as an example. “ Every pain, then, that film is appropriate for expressing the “ essential must consist in an effort, -- an effort which is doomed reality ” or “ affection ” caused by the duality of the to be unavailing. Every pain is a local effort, and in its subject's and the object's eyes. very isolation lies the cause of its impotence ” (56). Organism is struggling to erase the stimulation coming 3.1 Close-up Face from the outside; however, our organic body sometimes A film theorist Béla Balázs describes a close-up method cannot erase it but absorb it. Bergson sees the cause as follows: human face has a combination of “ destiny ” of affection in such a state of organic body which fails and “ soul, ” type and personality, the native and the in rejecting the stimulation. In that sense, the affection acquired, fate and will, Es and Ich, and they are fighting in Film appears when the organic circulation of the against each other on the face. The profound secret of perceiving - perceived relationship is broken by the his/her internal life would appear on it. camera. Bergson says, “ Suppose the distance [between our internal feeling on it. That is why, Balázs says, the perception of an object and our body] reduced to zero, motif of the alter ego leads to a true “ reality ” when it that is to say that the object to be perceived coincides is expressed in film. In film, through visual images, the with our body, that is to say again, that our body is audience can see one's plural “ selves ” reflecting their the object to be perceived. Then it is no longer virtual different feelings on his / her face. action, but real action, that this specialized perception will express: and this is exactly what affection is ” (58). “ essential reality ” and Deleuze's notion “ affection- This statement is exactly true of the last scene of Film. image. ” Film can visualize self and other at the same Thus, what Beckett tried to express in that scene time. Balázs points out that film shares one of depth is, in his own term, the “ essential reality ” ; according psychology's themes: how one can be oneself, as well to Deleuze's concept, it is the “ affection-image, ” which as the other. This is very similar to Film's motif: how is originated in Bergsonian “ pain ” or “ real action. ” one can be seen by oneself, as well as the other. Face has not only an outside feature but also an Balázs's theory would support Beckett's idea According to Balázs, facial expression is 3. Film as a mode expressing the “ identification ” polyphonic. One's various inner feelings emerge on motif face at one time. A close-up face in film expresses The identification between subject (the perceiver) and those feelings, or affection. In novels, words have to object (the perceived) is not uncommon in Beckett's treat characters ’ feelings one by one, so they need works, nor is his objection to “ realism. ” His novels, consecutiveness rather than simultaneity. In plays, face plays, or radio plays take such motif and method more cannot be seen close-up, so feelings expressed on it Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 3, February 2009 131 are hard to reach the audience without words or body and the main character's eyes express the doubled movement. In this sense, film is more appropriate than perspectives of the same man. other media to express the motif of the identification between the perceiver and the perceived. The plural as the man's view, the lens is filtered. When the aspects on a close-up of a face make it possible to camera functions as a camera (which later proves to describe the struggle between the perceiver and the be the man's other self's eye), the filter is revealed. perceived, or subject and object. Even in the last scene where the perceiving camera Technically, in Film, when the camera functions and the perceived man are being identified, the 3.2 Distanced Eyes distance between them is kept by changing their facial The audience is used to filling the gap between a expression (Figures 5-6). camera's eye and a character's point of view; watching a screen, they switch their perspectives one after the other and apply them to the world within it. In other words, the audience is conditioned to see things in the “ realist ” perspective or adjust themselves to the “ realist ” frame of reference. As described above, Beckett suggested that in Proust there is an anti-realist point of view, and such a view is embodied in Beckett's own works. In order to take an anti-realist view, a seamless perspective must be broken in some way. In Film, Beckett tried to break it in the last scene by overlapping the camera eye and the protagonist's. The audience is forced to be conscious Figure 5. The man finds he has been chased by himself. of the existence of the camera from the opening scene, and they keep feeling the distance between the camera eye and the protagonist's all through the film. Is this kind of experience unusual in cinema history? Of course not. We can keep track of the genealogy of works which take an anti-realist view and make the audience conscious of the camera eye, such as Dziga Vertov's The Man with a Movie Camera.*2 One good example is Jean-Luc Godard's 2 ou 3 choses que je sais d'elle, although it does not exactly take an alter-ego motif; the main character is both a housewife and a fancy woman. She plays two social roles. Playing several roles in a society is not strange, Figure 6. “The other self” who has chased the man himself. but in this movie, it becomes more complicated because the movie reveals in the opening scene the fact that an actress plays the role of the housewife. After that, the doubled in his work of film. Why? It is because he audience cannot help being conscious of the distance tries not to make such different eyes unified in the between the character and the actress herself. They perceiver's own perspective. If they are unified, the cannot identify themselves with the woman either, perspective would be a “ realist ” one in which the because they would hesitate to choose which one they perceived object is reduced to the perceiver's subject. are going for, the housewife, the fancy lady, or the In Balázs's terms, the unification disturbs “ polyphonic ” actress. perspectives which should be presented in Film. *3 Beckett's Film also belongs to this type of camera- conscious works. Repeatedly, in Film, the camera eye 132 GE I B UN 0 0 3 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第 3 巻 平成 21年 2月 Thus, Beckett as well as Godard makes eyes Beckett originally had an intention of using film technology in order to realize such polyphony. The script says: “ Throughout first two parts all perception is E's. E is the camera. But in the third part there is O's diversity of original physiognomic characters. As a perception of room and contents and at the same time whole and in its parts the world still has a distinctive E's continued perception of O. This poses a problem of face, which may be apprehended at any moment as a images which I cannot solve without technical help ” totality and can never be dissolved into mere universal (11-12). In order to show in the film that E and O configurations, into geometrical and objective lines and which seem to have different eyes are actually from the shapes. ” Such reality is, according to Cassirer, “ a vast same man, he suggested as follows: “ This difference of quality might perhaps be sought in different degrees of development, the passage from the one to the other being from greater to lesser and lesser to greater definition or luminosity ” (58). In this way, film has its own method of expressing the alter-ego type of scenes: the camera. Beckett positively attempted to make use of it in order to reach the “ essential reality, ” which can be paraphrased as “ affection image ” or is almost equated with “ the ultimate anguish of being perceived. ” In novels and plays, such thing can be expressed in their own ways, but Film dealt with it in a different form. Figure 7. The gentleman with moustache is about to speak. 4. Facial Expression in Silent Film : Charlie Chaplin and Buster Keaton To reach an anti-realist realm, or express an affectionimage, Beckett did two important things. One is to make the film silent. The other is to star a genius comedy actor. Why was the film made silent? It is because words uttered by a character would conceal the “ essential reality ” or “ affection. ” Flight from perception would fail if words were uttered, because the function of words is to keep things in order from a certain perspective. In order to be free from the perception and Figure 8. The lady stops the man uttering his voice. reach the realm of “ essential reality, ” words can be a disturbance. Therefore, in the middle of the film, there What breaks and destroys this totality is language. is a scene in which one character prevents another Cassirer describes this as a move from “ the sphere of from uttering his voice (Figures7-8). expression to that of representation. ” Silence is closely related with Keaton's facial expression as the embodiment of the “ essential reality ” or “ affection. ” Here, we may refer to Ernst differentiation and articulation, we find ourselves Cassirer's theory of myth and expression in The led beyond the sphere of expression to that of Philosophy of Symbolic Forms. He describes myth as a representation, beyond the spiritual region in which state of fluidity not being divided into subject, object, myth is preeminently at home, into the region of and other categories. In the mythical world, “ a reality language. Only in the medium of language do the is not “ actualized ” through the mediation of the infinite diversity, the surging multiformity of expressive phenomenon but is present in full actuality in the experiences begin to be fixated; only in language do phenomenon ” (68). they take on “ name and shape. ” The proper name Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 3, February 2009 If we seek the origin of this breakdown, of this 133 of the god becomes the origin of the personal figure of the god; and through its mediation, through the If Balázs's idea is true, it is clear that Chaplin is representation of the personal god, the representation appropriate for playing the role of the man in Film. of man's own I, of his “ self ” is first found and secured. (77) in casting Chaplin, because Keaton's poker face is Chaplin's mask cannot coexist with his voice. However, it might have been fortunate to fail considered more appropriate to be “ against the As is well known, Keaton hardly expresses Cassirer's idea of myth accounts for Keaton's talkie. ” expression of “ essential reality ” from the perspective his feeling on his face, while we often see Chaplin's of symbolic theory. According to Cassirer, language mask reflecting his sentimentality and it sometimes organizes chaotic world of myth, by which the takes the “ grotesque ” form, as Balázs pointed out. personality of god appears and his “ self ” or subject is Feeling and sentimentality are the products of one's established. inner mind, so they are inclined to be subjective. The What Beckett made Keaton express in the last inclination to subject would prevent Film from reaching scene of Film can be considered as a chaos before this the realm of “ essential reality ” where subject-object organizing process, which Cassirer called myth. That relationship exists no longer. In this sense, Keaton's is why this film should be silent. The use of language frozen expression seems to embody the realm better, makes it hard for the protagonist to reach the chaos, and in Film, it actually does. *4 and if he speaks, then, his self is found. It is far from the “ essential reality ” in which subject - object Conclusion relationship is dissolved. The “ alter-ego ” motif is often seen in both literature In this sense, starring a comedian / comedienne and cinema; the problem is how Beckett expressed is effective, because their expression and body action such motif or what kind of mode or method he took are inclined to break up the cosmos, in which the to do so. As described above, he expressed the motif perceiver and the perceived, or subject and object as embodying his idea of “ essential reality, ” which relationship is in order. Historically, the origin of is contrary to an ordinary perspective of realism. In a such comic expression and action is considered to realist worldview, the subject perceives, and the object be in Italian commedia dell ’ arte. It made use of the is perceived. Such dichotomy must be denied to grab masks on characters ’ faces and exaggerate their body the “ essential reality. ” This is what Beckett tried to movement, because they acted and became popular express in the mode of film, as he did in other works, mainly in France, where their Italian language could too. not be conveyed to the audience. Beckett might have recognized this comedian's non-verbal function. In fact, “ affection, ” which Bergson described as pain in a in his plays, characters always fail in making logical body. Gilles Deleuze extended this Bergson's idea to his and rhetorical sentences, and they are regarded as film theory as an affection-image. The affection is not a vaudevillians. subjective feeling or sentiment, but a state of jolting in For Film, as is well known, it was expected that The essential reality can be paraphrased as one's body. Charlie Chaplin would play the man fleeing from the camera. As a result, they could not cast him, but it was of being perceived. This anguish is not from an inner natural for them to ask for Chaplin because his origin feeling. It is embodied in the main character's fleeing was in silent films, and even in English music hall, from the camera and their overlapped “ eye ” in the although he appeared in talkie films in his late carreer. very last scene. Balázs describes about Chaplin's being “ against the talkie ” before Modern Times. “ Charlie had to be silent, has a unique method: close-up. In the last scene of In Film, Bergson's pain is expressed as an anguish In order to present such image of affection, film for he was locked into his own grotesque mask, a mask Film, this technique is effectively used. Balázs sees the which he had invented for himself and the success and technique as a method of effacing the line between popularity of which imprisoned him like an iron mask self and other, or subject and object; a close-up face and would not let him go (238) ” . expresses both. We cannot tell whether he/she is 134 GE I B UN 0 0 3 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第 3 巻 平成 21年 2月 perceiving or perceived. The close-up face is both the Ralph Manheim. New Haven and London: Yale perceiving subject and the perceived object. Balázs University, 1985. calls this pluralist mode of expression as polyphonic. Critchley, Simon. “ To be or not to be is not the What is more, Beckett took another method of question: On Beckett's Film . ” Film-Philosophy , vol.11 no.2: pp. 108-121, 2007. reaching the sphere of the “ essential reality ” : making the film silent. As indicated in Cassirer's symbolic Deleuze, Gilles. Cinema 1: The Movement-Image . theory, language helps establish one's self, or subject. Translated by Hugh Tomlinson and Barbara In that sense, a voice prevents the man from becoming Habberjam. Minneapolis: University of Minnesota “ non-being. ” That is why Beckett and his coworkers Press, 2006. tried to cast an experienced comedian in silent film, Deleuze, Gilles. Cinema 2: The Movement-Image . such as Charlie Chaplin or Buster Keaton, who were Translated by Hugh Tomlinson and Robert Galeta. both more skilled in controlling the face and body Minneapolis: University of Minnesota Press, 2007. movement than in the use of language. Thus, Beckett's idea of the “ essential reality ” is embodied with the help of close-up technique which is Filmography Godard, Jean-Luc. 2 ou 3 choses que je sais d’elle [2 or 3 unique to film, and the comedian whose face is never things I know about her], 1967. influenced by any language or sentimental feeling, but Schneider, Alan. Film, 1965. just expresses the “ affection. ” Vertov, Dziga. Chelovek s kino-apparatom [The Man with a Movie Camera], 1929. Notes *1. This paper is based on the oral presentation “ On Film , ” delivered for the symposium “ Beckett and Media ” in IASIL Japan 24 th International Conference at Kobe Shinwa Women's University, Oct 27th, 2007. *2. It seems not coincident that Boris Kaufman, Vertov's brother, is the director of photography in Film. *3. The similarity between Beckett and Godard is analyzed in Deleuze's Cinema 2: The Time-Image. *4. In this sense, Simon Critchley's phrase, “ sadness of aging face, ” is not appropriate for describing Keaton in Film. Bibliography Balázs, Béla. Theory of the Film: Character and Growth of a New Art. New York: Dover Publication Inc., 1970. Beckett, Samuel. Film: Complete Scenario / Illustrations / Production Shots. New York: Grove Press Inc., 1969. ---. Proust and Three Dialogues with George Duthuit. London: John Calder Publishers, 1999. Bergson, Henri. Matter and Memory. Translated by N. M. Paul and W. S. Palmer. New York: Cosimo Inc., 2007. Cassirer, Ernst. The Philosophy of Symbolic Forms. Vol.3: The Phenomenology of Knowledge . Translated by Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 3, February 2009 135 一般論文 平成 21 年 10 月 21 日受理 ミュージック・ホール、モダニズム、映画 T・S・エリオットとサミュエル・ベケットにおける神話とポピュラー文化 Music Hall, Modernism and Cinema: Myth and Popular Culture in T.S. Eliot and Samuel Beckett ● 深谷公宣/富山大学芸術文化学部 FUKAYA Kiminori / University of Toyama Faculty of Art and Design ● Key Words: Music Hall, Modernism, Cinema, T.S. Eliot, Samuel Beckett, Myth, Popular Culture 要旨 一掃し、ポピュラーな文化を正当化しようとする試みだ T・S・エリオットとサミュエル・ベケットは、頽廃 が、モダニズム文学は、アヴァン=ギャルドのような非 した近代社会の不毛な状況を背景に自律した作品世界を 形式的な表現形態をひとつの脅威として退け、形式的で 創造し、そのことによって、 「神話」を構築したことで *1 自律的な作品世界のなかに閉じこもる傾向がある。 知られている。 それは言い換えれば、頽廃した近代社会のなかに、ひ 大衆による安易な解釈を寄せ付けない自律的な作品は とつの統一的な世界観、すなわち近代における「神話」 モダニズム文学の特徴だが、 その一方で両者の作品には、 を構築しようとする創作態度である。ここでいう神話と モダニズムの持つ高級文化的な装いに加えて、ポピュ は、時代を超えて適用しうる観念を伝える物語世界のこ ラー文化の要素も見られる。 とである。それは、普遍性・自律性を持つ。エリオット 本稿では、そうしたふたつの相異なる要素をエリオッ やベケットの作品は、他のモダニズム文学の作品同様そ トとベケットがどのように結び付けていたのかについ うした神話を形作っている。 て、特にミュージック・ホールと映画に対する両者のア 他方、エリオットやベケットの作品には、うつろいや プローチの仕方を辿りながら分析する。 すい流行に左右されるポピュラー文化の要素も多く見ら れる。それは、モダニズム特有の自律した、普遍的・統 1 はじめに 一的世界観を伝える神話とは異質の、世俗的要素であ T・S・エリオット( T.S. Eliot )とサミュエル・ベケッ る。このことは、彼らが実際に活動していた時分から指 ト( Samuel Beckett )には、常にある種のしかつめら 摘されてきた。 『荒地』にはジャズの要素があるとか『ゴ しさがつきまとう。 ドー』はヴォードヴィルに影響を受けているなどの解説 エ リ オ ッ ト の 詩 作 品『 荒 地 』 ( The Waste Land, はもはや定番である。特にエリオットに関しては「文学 1922 ) や ベ ケ ッ ト の 戯 曲『 ゴ ド ー を 待 ち な が ら 』 においては古典主義、政治においては王党派、宗教にお )に見られ ( Waiting for Godot, 1952、以下『ゴドー』 いてはアングロ・カトリック」というしかつめらしさの る廃墟のイメージは、 近代という時代のネガを写し出し、 印象が強く支配的であったため、近年カルチュラル・ス 作者のしかつめらしさを裏付ける。 タディーズ的な立場からポピュラー文化の要素を掘り起 さらに、近代における社会的流動性の高まりが生み出 *2 こす作業が散見されるようになっている。 した個人主義を退け、集団や地域主義の重要性を説くエ モダニズム文学に特徴的な自律性を持った神話と、世 リオットや、戯曲の舞台化に際して原典への忠実さを強 俗的なポピュラー文化のあいだの関係性は、記号論や く求めたベケットの保守的な姿勢は、しかつめらしさの フォルマリズム、原型・神話批評といった 20 世紀文学 裏付けを補強する。 批評の方法論を適用すれば把握可能である。しかしなが そうした保守性は、ある面ではモダニズム作品の持 らそうした方法論は形式的に、両者の相対的な関係性を つ自律的世界観を象徴するものかもしれない。パウン 明らかにするに留まるだろう。本稿では、そのような形 、 ジ ョ イ ス( James Joyce ) 、ウルフ ド( Ezra Pound ) 式的で相対的な把握のしかたから零れ落ちる要素も考慮 ( Virginia Woolf )など、モダニズム文学の作品には難 しつつ――作者中心主義的な批評的アプローチの方法を 解な表現で大衆を退け、高級文化的雰囲気を身にまとう 排除せずに――エリオットとベケットが神話的自律性と ものが多い。 ポピュラー文化的要素を結びつけるに至った背景、意図、 ダダやシュルレアリスムに代表されるアヴァン=ギャ それに基づいて彼らがなした選択、といった事柄を素描 ルドは難解でありながらもそうした高級文化的雰囲気を し、そのうえで、このふたりの作家の世界観を比較して 130 GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月 みる。具体的には、ミュージック・ホールと映画という、 ボードレール時代への所属、「生活の形式」を求める 両者との関連性が比較的よく指摘される文化産業形態を 姿勢は、芸術の自律性を攻撃し、創作活動を日常生活の 軸に据え、両者がこのふたつの文化形態にどのようにア 文化形態と結びつけ、ポピュラーなものを正当化しよう プローチしたのか、彼らの残した言説や作品を通して検 とした後世のアヴァン=ギャルド芸術の姿勢と相通ずる 討する。 ものがある。しかし、アヴァン=ギャルドがモダニズム を転覆しようとする過激さを持っているのに対し、ボー 2 「現代生活の画家」――モダニズムにおけるロマン ティシズムの残骸 *3 モダニズムは一般に、19 世紀後半から 20 世紀初頭 ドレールが「生活の形式」を求めたのは、モダンという 時代を突き放すのではなく、その内部にいることを自覚 していたためである。彼の美術批評「現代生活の画家」 にかけて起こった芸術運動、などと定義されるが、文 (“ Le Peintre de la vie moderne ”)にはそのことがよく 学 に お い て は、 そ の 端 緒 を ボ ー ド レ ー ル( Charles 表われている。彼にとって、現代性(モデルニテ)とは「一 Baudelaire )のような 19 世紀半ばのフランス象徴派詩 時的なもの、うつろい易いもの、偶発的なもので、これ 人に見出すのが慣例である。 が芸術の半分をなし、他の半分が、永遠なもの、不易な 知られるとおり、ボードレールはうつろいやすさを特 ものである。」(『ボードレール批評2』169 )普遍的な 徴とする「現代性(モデルニテ) 」に関心を寄せていた。 もの、永遠なものを求めるにあたっても、人は、時代の 本節では、ボードレールの思想に対するエリオットの評 制約から逃れることはできない。 価を再考し、モダニズム的世界観やポピュラー文化的要 素へのエリオットの態度がどのようなものだったのかを 普遍的な生を愛する者は、電流の巨大な貯蔵器に入って 浮かび上がらせてみたい。 行くかのごとくに、群衆の中へと入って行く。この人を エ リ オ ッ ト は 1930 年に発表した「ボード レ ー ル 」 また、相手の群衆と同じほど巨大な鏡になぞらえること (“ Baudelaire ”)のある箇所で、ボードレールが「時代 もできる。また、意識をそなえたカレイドスコープ、ひ のなかの、はっきりとしたある場所」に所属していると と動きごとに、多面的なる生を、生のあらゆる要素の動 指摘している。 的な魅力を表象するようなカレイドスコープにも。これ ・ ・ ・ ・ は飽くことなく非我を求める自我であって、この自我は、 …compare with Dante or Shakespeare, for what such 各瞬間ごとに、非我を、いつも不安定でうつろい易い生 a comparison is worth, and he is found not only a much そのものより一段と生気ある影像にして、再現し、表現 smaller poet, but one in whose work much more that is する。「誰でも」と、ある日G氏は言ったものだ、 「誰で perishable has entered. も、あらゆる能力を呑みこんでしまわずにはおかぬほど To say this is only to say that Baudelaire belongs 明確な性質の悩み、ああいう悩みの一つにうちのめされ to a definite place in time. Inevitably the offspring of ているわけでもないのに、群衆のさなかにいて退屈する romanticism, and by his nature the first counter-romantic ような人間は、馬鹿だ! 馬鹿だ! 私はそんな人間を in poetry, he could, like any one else, only work with the materials which were there.( Selected Essays 340 ) 軽蔑する!」と。( 164-165 ) イマージュ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 普遍性を求めるために、うつろいやすい「群衆」のな 時代への所属は、ダンテのように時代を超えて評価しう かへと入っていかねばならない。それが、ボードレール る普遍性を持たないボードレールの詩人としての限界で にとっての現代性(モデルニテ)である。その意味で彼 ある。それは、彼の詩作品における「古典的な形式」が、 はたしかに、エリオットが言うように、純粋な形式では 表面上のものにすぎない、ということである。 なく「生活の形式」を求めたのである。 普遍性とうつろいやすさ、すなわち、永遠不変のもの Their excellence of form, their perfection of phrasing, と過渡的なものという相反する概念を組み合わせる思 and their superficial coherence, may give them the 考法は、ドイツ・ロマン主義的なイロニーの典型であ appearance of presenting a definite and final state of る。これは上記の引用で、エリオットがボードレールを mind. In reality, they seem to me to have the external romanticism と anti-romantic という相反する表現で形容 but not the internal classic form of art … Now the true した点にも表われている。その意味で、文学的なモダニ claim of Baudlaire as an artist is not that he found a ズムの源泉には、普遍性や自律性に還元されない時代性、 superficial form, but that he was searching for a form of life.( Selected Essays 339 )*4 うつろいやすさ、生活、といったいわゆる非形式的なも の、そこから導き出されるロマンティシズムの残骸が横 Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010 131 たわっている、ということができる。だがエリオットは、 ないとは言い切れないのである。果たして、エリオット 先のボードレール論で、ボードレールのロマン主義への 自身、古典的な普遍性・自律性とポピュラー文化的な一 志向やそこから導き出される彼の倦怠( ennui )を批判 過性・世俗性の関係をどのように捉えていたのか。 *5 的に捉えている。 エリオットは当時下火であったとはいえイギリスのポ ピュラー文化を代表するミュージック・ホールに関する There is in his statements a good deal of romantic detritus; ses ailes de géant l’empêchent de marcher, 小文をいくつか残している。代表的なものに、「ロマン he says of the Poet and of the Albatross, but not の機能」(“ The Romantic Englishman, the Comic Spirit, convincingly; but there is also truth about himself and about the world. His ennui may of course be explained, and the Function of Criticism ”)と、「マリー・ロイド」 (“ Marie Lloyd ”)がある。このふたつの小文、特に後者 as everything can be explained in psychological or が、エリオットの普遍性と世俗性の捉え方をよく示して pathological terms; but it is also, from the opposite point of view a true form of acedia, arising from the いる。 unsuccessful struggle towards the spiritual life.( 339 ) の前年、1921 年に発表された短いエッセイである。こ ティックなイングランド人、喜劇的精神、そして批評 「ロマンティックなイングランド人」は『荒地』発表 のエッセイでエリオットは、自分達の時代が「神話の不 ロマン主義的イロニーは、普遍性を求めながらも、そ 毛」 ( barren of myths )の時代だという『荒地』のモチー の獲得が不可能であることを知っているためにそれを断 フでもある話題を俎上に載せている。「神話の不毛」と 念する思考法である。そしてそれでもなお、普遍性を いう言葉は、神話を構成するフィクションの力が信じら 求めるかのように振舞う。ボードレールにおいて憂愁 れなくなった、と言い換えればわかりやすい。神話にとっ ( spleen )や倦怠、ダンディズム( dandism )が見られ て最高の場所である劇場も、観客に影響を及ぼすような るのはそうしたイロニーの結果である。イロニーとは自 フィクションの力を失っている。そのため、現実世界に 己を貶める修辞である。普遍性の獲得を断念し、自己を はない理想を求めて劇場にやってくるロマンティックな 卑下する精神状態が憂愁や倦怠であり、その反動から普 イングランド人は、深刻な事態に陥っている。 遍性を獲得できるかのようにあえて貴族的な振舞いをす そうしたロマンティックなイングランド人の理想を部 るのがダンディズムである。それらはいずれも、 「古典 分的にでも満たしてくれるのが、ミュージック・ホール 的な形式」が持つような安定性を欠いた、うつろいやす の喜劇人たちである、とエリオットは言う。神話を一部 い時代を反映している。エリオットはそうしたロマン主 実現する手段として、うつろいやすいポピュラー文化の 義的なイロニーを、すなわち、古典的秩序や普遍性への 代表であるミュージック・ホールの喜劇が有効とされる 断念を、ボードレールの時代への拘泥、うつろいやす のだ。 さへの志向性に見て取り、 「 (普遍的な)精神生活に到 この時期は、エリオットが近代における神話再生の手 達しようとする闘争に失敗したことから来る『無関心』」 段を模索していた時期である。本来なら、祭儀を起源と ( acedia, arising from the unsuccessful struggle towards the spiritual life )だと批判する。 する演劇が、その役目を果たすべきであろう。しかし、 このエッセイにおいて「まじめな演劇」( serious stage ) は否定的に捉えられている。 3 「ロマンティックなイングランド人」と「マリー・ ロイド」――「神話の不毛」とミュージック・ホール The character of the serious stage, when he is not simply しかしながら、文学におけるモダニズムの源泉にあっ a dull ordinary person, is confected of abstract qualities, たロマンティシズムの残骸を批判したエリオットは、創 作においてロマン主義的要素を一切排除したわけではな as loyalty, greed, and so on, to which we are supposed to respond with the proper abstract emotions. ( The かった。*6 古典文学作品からジャズに至るまでの引用が Annotated Waste Land 142 ) 散りばめられている『荒地』は、廃墟となった近代の都 市にひとつの神話世界を構築したとみなせば普遍的・自 「まじめな演劇」では、登場人物は抽象的な性質(忠実、 律的な形式を持つといえるが、一方でその神話世界は古 強欲など)を与えられ、観客もそれに対して抽象的な感 典主義的形式とは無縁の、非形式的なものの羅列によっ 情で反応するにすぎない。神話は、抽象的な性質から成 て構成されている。ボードレールは普遍的なものを求め り立つものではない。エリオットによれば神話は、具体 るのにうつろいやすい時代のなかへと入って行ったが、 的な要素( the actual =現実態)を変形させることから エリオットの作品にも、そうしたロマン主義的な傾向が 生み出されるものである。 132 GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月 …the myth is not composed of abstract qualities; it is a ホールのスター、マリー・ロイドを賞賛するエリオット point of view, transmuted to importance; it is made by の身振りに、どれだけの違いがあるのだろうか。 the transformation of the actual by imaginative genius. ボードレールとの違いがあるとすれば、それは、エリ ( 142 ) オットがミュージック・ホールを賞賛するとき、ロマン 主義との距離を置こうという姿勢が見られることであ 抽象的な性質に囚われている「まじめな演劇」はその点 る。たとえば「ロマンティックなイングランド人」のな で、神話再生の手段としての有効性を持ち得ない。 かにある次のような表現が示唆的である。“ The myth is ミュージック・ホールがなぜ部分的な神話再生に有効 based upon reality, but does not alter it ”( 143 ). 神話 なのか、はっきりとした理由はこのエッセイには書かれ とは、あくまでも想像力を媒介として実現する世界の産 ていないが、それはもうひとつの小文「マリー・ロイド」 物である。それは現実世界に基づいてはいるが、現実世 を読むと明らかになる。この小文はミュージック・ホー 界に取って代わるわけではない。もちろん、エリオット ルのスターだったマリー・ロイドの追悼文であり、『荒 は想像的な世界を理想とする人間を「ロマンティックな 地』 出版の翌年に発表されている。 この追悼文でエリオッ イングランド人」と呼んでいるのだが、想像と現実を結 トは、マリー・ロイドの大衆的人気( popularity )を彼 びつけるロマン主義的な発想に対してエリオット自身、 女の成功以上の何事かであるとし、その要因について次 距離を置いていることが、この一文から読み取れる。 のように述べている。 神話は想像力の産物として、自律的である。 「マリー・ ロイドは観客の日常生活に表現を与える」とエリオット …whereas other comedians amuse their audiences as が言うとき、それは、現実の日常を想像力によって魅力 much and sometimes more than Marie Lloyd, no other 的に装飾するということではなく、あくまでその場に創 comedian succeeded so well in giving expression to 造された想像世界のなかで生きる方法を与えるというこ the life of that audience, in raising it to a kind of art. It was, I think, this capacity for expressing the soul of the となのである。そのような想像世界と現実世界の区別を、 「ロマンティックなイングランド人」のなかでエリオッ people that made Marie Lloyd unique, and that made her トはこう表現している。 audiences, even when they joined in the chorus, not so much hilarious as happy. ( Selected Essays 370 ) Only unconsciously, however, is the Englishman willing to accept his own ideal. If he were aware that the fun of マリー・ロイドが人気を博したのは、観客の「日常生活」 the comedian was more than fun he would be unable to ( art )に ( life )に表現を与え、それを一種の「芸術」 accept it; just as, in all probability, if the comedian were まで高めたからである。ロイドは、想像的独創性によっ aware that his fun was more than fun he might be able to て、現実態を変形させ、ひとつの世界観たる神話を具象 perform it. ( 142 ) 化したのである。登場人物に抽象的な性質が与えられ、 観客もまた抽象的な感情でそれを受け取る「まじめな演 観客も喜劇役者も、想像された神話世界に遊んでいると 劇」には、それは不可能である。 きは、意識的になってはいけない。意識すれば、現実世 このように、エリオットはミュージック・ホールに神 界に引き戻されてしまうからである。 話再生の力を見出そうとした。神話という自律的な世界 ボードレールが詩作において「生活の形式」を求めた 観を、ミュージック・ホールという世俗的な文化を通し と言うとき、エリオットはそこに、普遍性を持ちうる自 て体現できるものとみなした。 律的想像世界と世俗的な現実世界の境界線を曖昧にす しかしながら、神話のような普遍的で自律的な世界観 るロマン主義を見ていた。一方、エリオット自身は少 が、大衆が主役のミュージック・ホールにおいて体現さ なくとも理論的には、両者を区別した。先の引用 “ The れるという考えは、普遍性を求めて群衆に入っていく myth is based upon reality ” に引き付けて言うなら、エ ボードレールのロマン主義的イロニーと、あまりにも似 リオットの重視する「形式」は「生活の形式」( a form 「現代生活の画家」で、しば すぎているようにみえる。 of life ) で は な く、「 生 活 に 基 づ い た 形 式 」( a form しば同時代の風俗を作品のモチーフにしたコンスタンタ based on life )、すなわち、現実に基づいた自律的想像 ン・ギース( Constantin Guys )のモデルニテを賞賛す 世界であった。 るボードレールの身振りと、19 世紀半ばにパブのコン しかしながら、以上はあくまでも理論的立場について サート・ルームから独立して誕生し、労働者階級を中心 の話である。では創作においては、エリオットはどうい とするポピュラー文化の象徴となったミュージック・ う姿勢をとったのだろうか。 Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010 133 4 『荒地』――近代都市、ジャズ、パブの終わりの時間 Unreal City, 先にも触れたように、創作において、エリオットは想 Under the brown fog of a winter dawn, 像世界たる神話の普遍性と現実の世俗性を区別したわけ A crowd flowed over London Bridge, so many, ではなかった。そして、そうした区別をする必要はない I had not thought death had undone so many. とも考えていたようである。 ジェイムズ・ジョイスの『ユ Sighs, short and infrequent, were exhaled, 「 『ユリシーズ』 、秩序、 リシーズ』 ( Ulysses, 1922 )論、 And each man fixed his eyes before his feet. ( The Annotated Waste Land 59 ) 神話」 ( Ulysses, Order, and Myth )でエリオットはこう 述べている。 空虚の都市 It is much easier to be a classicist in literary criticism 冬の夜明け、鳶色の霧の中を than in creative art – because in criticism you are ロンドン・ブリッジの橋の上を群衆が responsible only for what you want, and in creation you 流れたのだ、あの沢山の人が、 are responsible for what you can do with material which 死がこれほど沢山の人を破滅させたとは思わなかった。 you must simply accept. And in this material I include たまに短い溜息がつかれた。 the emotions and feelings of the writer himself, which, どの人も足もとをじっと見ながら歩いた。 for that writer, are simply material which he must accept – not virtues to be enlarged or vices to be diminished. ( Modernism: An Anthology of Sources and Documents (『エリオット詩集』57 ) ここでは、ロンドンのシティという現実世界における群 衆( crowd )がひとつの虚像( Unreal )として描写さ 372 ) れている。ため息をつき、足元を見ながら霧の中を歩く エリオットはここで、創作活動においては批評活動にお 群衆は、虚像ではあるが、近代(モダン)の都市生活の いてよりも古典主義者になることが難しいと述べてい イメージをヴィヴィッドに表している。 る。それは、創作によって普遍的・自律的な神話世界を そのイメージは、ボードレールが「現代生活の画家」 構築する際、現実の世俗的な要素をまったく使用しない で述べたような、うつろいやすい群衆のなかに非我を見 わけにはいかない、ということだろう。 る自我よりも、さらに頽廃的である。ボードレールの群 それゆえ、実際に彼が創作を行う場合は、批評におけ 衆は、自分を映す鏡でもあった。エリオットが参照した る古典主義、ロマン主義とはまた別の価値基準が採用さ 「七人の老爺」の書き出しは、次のようになっている。 ( material )とロマ れる。それは、古典主義的「材料」 ン主義的「材料」である。エリオットは批評の水準と創 Fourmillante cité, cité pleine de rêves, 作の水準を区別する。作品にロマン主義的材料が多く Où le spectre en plein jour raccroche le passant! ( Les Fleurs du Mal 134 ) あったからといって、作品自体がロマン主義的であるこ とには必ずしもならない。ロマン主義的要素が多数あっ たとしても、それが均衡のとれたかたちで使われていた 雑踏する大都会、妄想で一ぱいな大都会、 ら、作品としては古典主義的という批評が成り立つかも ここでは幽霊が真昼間現われて、道行く人の袖をひく! しれない。 (『ボードレール詩集』101 ) したがって、批評としては古典主義的立場を推奨する エリオット自身、創作においてはロマン主義的な要素を 幽霊は、道行く人自身の自我が反射される非我、自分自 「材料」として利用することを辞さない。普遍的な価値 身の分身を映し出す幻影とも捉えられる。これは、エ を持つものと、うつろいやすい世俗のポピュラー文化的 ド ガ ー・ ア ラ ン・ ポ ー( Edgar Allan Poe ) が ロ ン ド 要素を組み合わせるというエリオットの創作態度はロマ ンを舞台に描いた小説『群衆の人』( The Man of The ン主義的イロニーに通ずるものがあるが、それはあくま Crowd )で、主人公が追跡していた男が自分自身だった、 でエリオットが神話を形作るためにとった「手段」だと というモチーフにも相通ずる。 言うことができる。 一方、エリオットの「空虚の都市」では、人々は視線 以上の点を、 『荒地』における著名な場面から改めて を自分の足元に向けている。せわしない都市生活が人間 検討してみよう。周知のとおり、 『荒地』にはボードレー の精神を荒廃させ、非我、あるいは自分の分身を見出す ルの詩、 「七人の老爺」 (“ Les Sept Vieillards ”)から借 欲望すら失っているかのようである。 こうしたイメージは、 用したイメージがある。 神をさし措いて自ら作り出した社会に自らが疲弊させら 134 GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月 れてしまう近代人の卑俗さ、世俗性を象徴している。 おー、おー、おー、おー、あのシェイクスピヒーア的ジャ ところが一方で、エリオットの「空虚の都市」にはダ ズは ンテの『神聖喜劇』 ( La Divina Commedia, 1321 )に とても優美だ おける地獄の風景も反響している。 とても知的だ (『エリオット詩集』62 ) e dietro le venia sì lunga tratta この歌が歌われている場所では、女性がふたり、話をし di gente, chʼ i ʼ non averei creduto ている。そこがパブであることは、次の呼びかけの繰り che morte tanta nʼ avesse disfatta. 返しからわかる。 Poscia chʼ io vʼ ebbi alcun riconosciuto, vidi e conobbi lʼ ombra di colui HURRY UP PLEASE IT ʼS TIME ( 61 ) che fece per viltade il gran rifiuto. Incontanente intesi e certo fui 時間ですお早く願います( 63 ) che questa era la setta dʼ i cattivi, a Dio spiacenti e aʼ nemici sui. ( Inferno 22 ) 言うまでもなく、これはパブの主人が閉店間際に客に 言う決まり文句である。 女のひとりは、軍人の妾であるらしい。こうして『荒 その後からは長蛇の列をした群衆が従っていたが、 地』には、ポピュラー・ソングが流れる場末のパブで話 その数は非常に多かったので、死がかくも をする、恵まれない境遇の人々という世俗的な空間が出 多くの人を滅ぼしたとは信じられないほどだった。 現する。だが、この空間は次のような古典文学作品の引 私は五、六人知った顔を見つけたあとで怯惰ゆえに 用で締めくくられる。 大切な地位を辞退した人の影をみて、 それが誰であるかを見てとった。 Good night, ladies, good night, sweet ladies, good night, 私はそれをすぐ覚り、間違いなかった。 good night.( 62 ) それが神にも、神の敵にも嫌われている 卑しいものの一団であることが。 (『ダンテ』12 ) お休みなさい、皆さん、お休み なさい奥様方、皆さん、お休みなさい お休みなさい。( 66 ) エリオットはダンテの作品を普遍的な価値を持つものと して評価している。ボードレールに始まり、エリオット これはシェイクスピア( William Shakespeare )の戯曲 に至って世俗化した近代の都市は、ダンテを参照するこ 『ハムレット』( Hamlet, 1601 )で父親殺害を知り狂乱 とにより、普遍的な価値を帯びる。近代における群衆 したオフィーリアが舞台をあとにするときの台詞の引用 は、ダンテの地獄において行列をなす人々をひとつの原 である。とってつけたような引用にも見えるし、引用で 型(アーキタイプ)としている。このようにして、エリ あることを知らなくとも、ごくふつうの別れの挨拶とし オットは普遍的なものと世俗的なものを結びつける。神 て捉えればよいようにも思える。 話の普遍性が、普遍的であるがゆえに、現実の世俗的な しかし、結婚するはずだったハムレットに裏切られた もののなかにも反響し、反復することを示しているので オフィーリアの境遇は、妻の立場になりえない妾の存在 *7 ある。 と重なり合う。それは「シェイクスピヒーア的ジャズ」*8 もうひとつの分かりやすい例は、 「チェス遊び」( A という言葉とともに、(エリオットの基準によれば『神 Game of Chess )に描かれたイメージである。ここでは、 聖喜劇』ほどではないにせよ)古典的価値を持つ『ハム ニューヨークのブロードウェイに端を発するレヴュー、 レット』の自律的世界と、秩序を持たない、うつろいや 「 ジ ー ク フ ェ ル ト・ フ ォ ー リ ー ズ 」 ( the Ziegfeld Follies )用に作られたポピュラー・ソングが歌われる。 すいポピュラー文化的要素を結びつけるのである。 このように、『荒地』において、荒廃した近代社会を 浮かび上がらせるとき、エリオットは「ロマン主義の残 O O O O that Shakespeherian Rag— 骸がある」と言って自ら批判的に捉えたボードレールの Itʼs so elegant 手法と、そう大きくは異ならない手法を用いていた。そ So intelligent ( The Annotated Waste Land 61 ) れはあくまでも実践上の「手段」であったかもしれない。 だが、こうしてみると、マリー・ロイドのミュージック・ Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010 135 ホールに見られるような神話世界の実現は、 『荒地』に リオットの『荒地』においてロンドン橋の行列となって おいては中途半端なものに終っているようにも思える。 現れるのとよく似ている。「悲喜劇」としての『ゴドー』 ロイドの舞台が「現実に基づいた神話」すなわち「生活 もまた、そのような反復性を備えた神話だということが に基づいた形式」 であったのに対し、 『荒地』 はボードレー *9 できる。 ル流の「生活の形式」を超えていないからである。 『ゴドー』における「茶番」、すなわち「悲喜劇」のう ただし、先にも述べたように、理論的にはエリオット ちの「喜劇」のほうの側面については、発表当初から盛 は古典主義とロマン主義を区別していたし、ボードレー んに指摘されていた。たとえば劇作家のジャン・アヌイ ルのような「生活の形式」ならぬ「生活に基づいた形式」、 ( Jean Anouilh )は『ゴドー』を評して “ The music-hall 以後、エリオットが詩劇( Verse Drama )というジャン sketch of Pascal ʼs ʻ Pensées ʼ as played by the Fratellini clowns ”( Samuel Beckett: The Critical Heritage 92 ) ルで創作活動を模索し始めることになるのも、そうした と述べている。また、フランスで『ゴドー』の初演を演 神話世界を実現するためである。 出した演出家のロジェ・ブラン( Roget Blin )は、彼 もっとも、注意しておかなければならないのは、エリ 自身がバスター・キートン( Buster Keaton )やチャー オットは祭儀性の強いマリー・ロイドの神話世界は評価 リー・チャップリン( Charlie Chaplin )を好んでいた したが、ポピュラー文化全般を支持していたわけではな こともあり、ヴラディミール(ディディ)の役に実際に いということである。知られるとおり、当時ミュージッ ミュージック・ホール出身の俳優を起用している。 ク・ホールに取って代わりつつあった映画に関してエリ エリオットにとってミュージック・ホールが神話構築 オットは否定的だった。そのことについては第 6 節で述 のための手段であったように、ベケットの用いる喜劇的 べよう。 世俗性は、反復をモチーフとする『ゴドー』という神話 「現実に基づいた神話」の創造を理想としていた。 『荒地』 を構築するための手段であろう。ここではミュージッ 5 『ゴドーを待ちながら』――茶番としての歴史 ク・ホールに関連するふたつの場面を例にそのことを再 荒廃した近代社会に神話を再構築したといわれる点 確認してみる。ひとつは、ヴラディミールとエストラゴ で、 『荒地』 と 『ゴドー』 には共通するものがあるが、 ベケッ ン(ゴゴ)が、ポッツォの様子を滑稽だと指摘する場面 トはエリオットのように古典主義やロマン主義というイ である。 デオロギー的な発想はほとんど口にしていない。しかし ながら、自ら演出しない場合も戯曲の上演に細かく指示 V: Charming evening we ʼre having. や注文を出した、小説の舞台化などの翻案には慎重だっ E: Unforgettable. た、といった伝記的事実から、ベケットは自らの作品を V: And it ʼs not over. 必然的な言葉によって構成された自律的世界とみなして E: Apparently not. いた、と推測できる。それをひとつの神話と呼ぶとした V: It ʼs only beginning. ら、その神話はどのように構成されているのだろうか。 E: It ʼs awful. また、そこには、ポピュラー文化的な世俗性が、どのよ V: Worse than the pantomime. うに関わってくるのだろうか。 E: The circus. 周知のとおり、 『ゴドー』は第2幕が第1幕の、 (差異 V: The music-hall. を伴った)反復になっている。すなわち、1幕が2幕を、 E: The circus. 2幕が1幕を相互照射することによって自己完結するよ P: What can I have done with that briar? うな自律的な構造になっているのである。歴史の反復に E: He ʼs a scream. He ʼs lost his dudeen. ついてヘーゲル( G.W.F. Hegel )を引き合いに出しな [Laughs noisily.] がら述べたマルクス( Karl Marx )の有名な言葉はこの V: I ʼll be back. [He hastens towards wings.] 戯曲の構成を言い表すのにふさわしい。 「1度目は悲劇 E: End of corridor, on the left. として、2 度目は茶番として。 」 『ゴドー』の英語版の冒 頭に掲げられている「悲喜劇」 ( tragecomedy )という V: Keep my seat. [Exit VLADIMIR.] ( The Complete Dramatic Works 34-35 ) 但し書きは、このマルクスの言葉に驚くほど符合する。 ヘーゲル=マルクスの言う歴史の反復は必然的な法則 ヴ すばらしい晩だ。 性を示すものであろうが、時代を超えて、1度目と2度 エ 忘れがたいね。 目に共通する観念が存在するという意味では神話的であ ヴ しかもまだ終わったわけじゃない。 る。それは『神聖喜劇』における地獄行きの行列が、エ エ どうやら、そうらしい。 136 GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月 ヴ 始まったばかりだ。 Estragon ʼs hat in place of Lucky ʼs which he hands to エ 全くたまらない。 ESTRAGON. ESTRAGON takes Luckyʼs hat. ( 67 ) エ パントマイムよりひどいね。 ヴ サーカスだ。 エストラゴンは、ヴラジーミルの帽子を受け取る。ヴラ エ ミュージック・ホールか。 ジーミルは、両手でラッキーの帽子を合わせる。エスト ヴ サーカスだ。 ラゴンは、自分の帽子の代わりに、ヴラジーミルの帽子 ポ どうしたんだろう、あのブライヤーを! をかぶり、自分のをヴラジーミルに差し出す。ヴラジー エ 傑作だね、あのでかいぱいパイプをなくしてや ミルは、それを受け取る。エストラゴンは、両手でヴラ がった!(大声で笑う) ジーミルの帽子を合わせる。ヴラジーミルは、ラッキー ヴ すぐ戻るからな。 (舞台袖へと急ぐ) の帽子の代わりにエストラゴンの帽子をかぶり、ラッ エ 廊下の奥の突き当たり、左側だ。 キーのをエストラゴンに差し出す。( 124 )*11 ヴ 席をとっといてくれよ。 (出て行く) *10 ( 『ゴドーを待ちながら』54-55 ) このようなミュージック・ホ ー ル 的 な 動 作 の ル ー ティーンに代表される喜劇的な繰り返しが、 『ゴドー』 (や ここでは、ディディとゴゴがおもむろに、芝居の観客 ベケットの他の作品)では「歴史の反復」を寓意的に示 を演じている。そのことは、最後の 3 行の台詞から見て す。 『ゴドー』は、 「何もするべきことがない」 ( Nothing 取れる。 「すぐ戻るからな」 「廊下の奥の突き当たり、左 to be done )という台詞で始まる不毛な世界を描いてい 側だ」 「席をとっといてくれよ」 。これは劇場でトイレに る。それはかつて神々や英雄がいた時代から頽落した世 行くときによく行われる会話である。このような世俗的 界だといえるのかもしれない。世界は袋小路に突き当たっ 要素の導入は、暴君として奴隷のラッキーを支配する ている。残された手段は、もう一度その世界をなぞって ポッツォを、何か政治的なものの象徴としてみなす見方 生きることである。しかし、それは 2 度目の繰り返しで を退ける。暴君は突如、ミュージック・ホールの喜劇芝 あるがゆえに茶番であるよりほかない。2 度目の世界が 居の役者のような滑稽さをもって現れる。 茶番であることを示すために、ベケットは世俗的なミュー そうしたポピュラー文化的な要素は、ベケットにおい ジック・ホールのギャグを取り入れる。歴史の反復は必 ては、神話のパロディを構成する。つまり、自律した作 然的な法則であり、その反復が普遍性を持つ神話の構造 品の内部で、その自律性を換骨奪胎しているのである。 を支えているが、内実は、喜劇芝居の繰り返しなのである。 『ゴドー』には創造から黙示までキリスト教への引喩が 以上のような普遍性と世俗性の関係性は、エリオット 散在するが、聖書の描くような神話世界が、サーカスや のそれとどのように異なっているだろうか。それはおそ ミュージック・ホールの喜劇芝居のようなものとして写 らく、反復の徹底性である。『荒地』においては、ダン し出される。聖書の歴史が 1 度目の歴史だとすれば、わ テのイメージが近代のロンドンに反復される。しかしそ れわれはそれを茶番として、喜劇芝居として生きている れは、古典主義的普遍性とそれに対するロマン主義的 のだ、というわけである。 イロニーというふたつの極のあいだに見られる現象であ ふたつめの場面は、第2幕にある帽子の交換の場面で る。一方、『ゴドー』においては、そうした反復はより ある。 それは喜劇の特徴である反復を体現している。ノー 多元的である。普遍性に対するイロニッシュな見方がな スロップ・フライ( Northrop Frye )によれば、「あま いわけではないが、そうしたイロニーも反復されること りにも多すぎるくりかえし、どこへ行くとも知れぬあて でパロディ化され意義を失っていく。そのような反復の のないくりかえしは喜劇の領域に属している。というの 徹底性が、新たな世界を出現させる可能性を切り拓くの は、笑いはある点で反射運動であり、他の反射運動と同 である。 じように、単純なくりかえしの図式によって促されるか らだ。 」 ( 『批評の解剖』232 )以下の場面は、そうした 6 映画――モダニズムの荒地に咲く(偽りの)花 喜劇的反射運動そのものである。 そうしたエリオットとベケットの違いは、ポピュラー 文化としての映画に対するアプローチのしかたにも現わ ESTRAOGON takes Vladimirʼs hat. VLADIMIR adjusts れている。前述のとおり、エリオットは基本的にはレ Luckyʼs hat on his head. ESTRAGON puts on Vladimirʼs ヴューや映画に対して否定的であったが、ベケットは自 hat in place of his own which he hands to VLADMIR. らシナリオを書くというかたちで映画製作に携わった。 VLADIMIR takes Estragonʼs hat. ESTRAGON adjusts 1921 年4月の「ロマンティックなイングランド人」 Vladimir ʼ s hat on his head. VLADIMIR puts on でエリオットは、観客に理想的な想像世界を提供する Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010 137 手段としてミュージック・ホールとともに映画を挙げ どころか、ミュージック・ホールの観客の中心層だった ているが、同年5月の「ロンドン・レター」 (“ London 労働者階級の人々もまた入場料の安い映画に行くように Letter ”)では一転、マリー・ロイドを引き合いに出し なると中産階級に同化し、生への関心を失って、退屈さ ながら、映画について否定的な見解を示している。 で死ぬことになるという。*12 As the smaller provincial or suburban hall disappears, In England, at any rate, the revue expresses almost supplanted by the more lucrative Cinema, this type of comedian disappears with it.( The Annotated Waste nothing. With the decay of the music-hall, with the Land 168 ) the lower classes will tend to drop into the same state of encroachment of the cheap and rapid-breeding cinema, protoplasm as the bourgeoisie. The working man who ミュージック・ホールの良さは、喜劇役者の強烈な個性 went to the music-hall and saw Marie Lloyd and joined と観客のそれに対する反応によって生み出される、両者 in the chorus was himself performing part of act; he was の直接的な関係性にある。しかし、ミュージック・ホー engaged in that collaboration of the audience with the ルが映画に取って代わられるようになると、そうした関 artist which is necessary in all art and most obviously 係性は終わり、喜劇役者たちは消えていってしまうだろ in dramatic art. He will now go to the cinema, where う。なぜなら、映画においては観客は演者に対して直接 his mind is lulled by continuous senseless music and 的に反応を返すことができないからである。エリオット continuous action too rapid for the brain to act upon, and は、芸術の最高の形式は、祭儀に見られるように、表現 will receive, without giving, in that same listless apathy 者と享受者が一体化することだと考えていた。しかしな with which the middle and upper classes regard any がら映画においては、享受者である観客は常に映画の世 entertainment for the nature of art. He will also have lost 界から締め出されれしまう。マイケル・ウッド( Michael some of his interest in life. Perhaps this will be the only Wood )は述べている。 solution…They are dying from pure boredom. ( Selected Essays 371 ) 映画は、われわれが物事を見ているということ、世界を 見ているということ、そして、われわれがそこに存在し それゆえエリオットは『荒地』以後、そうした映画と ているという 幻 想 に、非常に大きく依存している。そ は異なる方向へ、すなわち、観客との一体化を体現する のため、映画のもっとも豊かな効果は、偉大なリアリズ のにふさわしいジャンルである演劇へ、向かうことにな ム小説や演劇の効果とは異なっている。リアリズム小説 *13 それはもちろん、プロセニアム型の舞台でわれわ る。 や演劇では、われわれが不在であることで、提示された れの生とそっくりの生を再現してみせ、観客が受動的に 世界を受け入れて再構成し、そこに住まうことが、われ それを享受するリアリズム演劇ではない。ミュージッ われには許されている。一方、モダニズム映画や、モダ ク・ホールにおいてマリー・ロイドと労働者階級が行っ ニズム的な可能性を記憶するどんな映画においても、わ た「共同作業」( collaboration )に見られるような、あ れわれの不在は、われわれがそれに対してどれほど心構 るいは祭祀や宗教的儀礼に見られるような、人々の参加 えをしていようと、ひとつの衝撃である。われわれのい が可能であり、参加した人の原初的感情を刺激する「詩 ないところで、なぜそんなにリアルな世界がそんなにう 劇」である。*14 まく進行しうるのか。われわれの世界と細部まで類似す 映画が観客の参加を阻むジャンルであるというエリ る世界に、われわれがたどり着くことができないのはな オットの考えにも、たしかに納得できる部分はある。け ぜか。直接的な現実がもたらす影響と同じで、否定され、 れども一方で、それとは異なった見方をすることも可能 拒絶された結果としてのわれわれの不在は、 「テクノロ である。ノースロップ・フライは『批評の解剖』で祭儀 ジーの国の青い花」である。これは、モダニズムの荒地 と夢を統一し、反復される象徴的イメージを伝達するも に咲く偽りの花である。 ( 『モダニズムとは何か』475 ) のを「神話」と呼んでいるが、そのうち祭儀性の強い文 イリュージョン 学ジャンルが「劇」であるとし、次のように述べている。 エリオットが映画を否定するもうひとつの理由は、レ ヴューや映画が、ミュージック・ホールの観客のように それは文学における劇が宗教における祭儀のように、本 自己表現することなく金を落としていく中産階級向けの 来は社会的、ないし集団的演技だからである。(中略) 商業的な娯楽でしかない、ということである。それゆえ、 祭儀との類似性とは、教養ある観客と常設劇場の芝居で レヴューにも映画にも、神話を構築する力はない。それ はなく、素朴劇ないし見世物(スペクタクル)劇、つま 138 GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月 り民俗劇、人形劇、パントマイム、笑劇(ファルス)、 ることを知っており、カメラという「視線」から逃れよ 山車芝居およびそれらから伝来した仮面劇(マスク)、 うとする。その意味で、男はカメラを意識している。通 喜歌劇、商業映画、それにレビューなどに最も容易に見 常の物語映画では、登場人物はカメラを意識しない。そ られる。 ( 148 ) れゆえ、観客は物語の自律的な世界からは疎外されてい る。しかし『フィルム』では、カメラそのものが登場人 ここでは商業映画が、社会的、集団的演技である現代の 物であるため、登場人物とそれを見る観客の視線が一致 祭儀に含まれるジャンルとして挙げられている。「社会」 する。すなわち、ある程度まで観客は映画という神話劇 や「集団」に、観客は直接参加するわけではないが、感 の世界に参加することが可能なのである。 情の分有(同一化、とまでは言わないでおく)による間 映画の最後には、追いかけていた E が実は O と同一人 接的な参加は可能である。フライは同書の後半で、劇の 物であったことが明らかになる。見る者(自我)が同時 諸形式のなかに映画が占める位置づけをもう少し細かく に見られる者(非我)でもあった、というわけである。 説明している。 これは、都市のなかの見知らぬ他人に非我を求めるとい うボードレール的な――あるいはポーの『群衆の人』に 喜劇がアイロニーを離れ、幸福な社会の自由な活動を楽 見られるような――分身(ドッペルゲンガー)のモチー しむにつれて、音楽と舞踏を使うことがますます容易に フそのものである。 なってくる。 (中略)理想的喜劇は境界線を越えてスペ 興味深いことは、このモチーフが「観客が同時に演者 クタクル劇の領域に入り、仮面劇(マスク)となる。 (中 でもある」という祭儀的な演劇の寓意と考えられること 略)仮面劇の片側には音楽を中心にしてできた劇—歌 である。カメラ( E =追う男)の視線と自らの視線を重 劇(オペラ)があり、もう一方の側には視覚中心にでき ねて、ある程度まで映画に参加していた観客が、実は登 た劇があるが、これは今では映画という形式におさまっ 場人物(O=追われる男)から見られる対象でもあった ている。(中略)映画もオペラも華美を惜しまぬ点で定 という構成である。観客はこのようにして映画の世界に 評があるが、映画に関してこのような現象が起こる理由 巻き込まれていく。 は、その多くが実際には中産階級の神話劇であるからで ジル・ドゥルーズ( Gilles Deleuze )は、ベケットの ある。 ( 406-409 ) 『フィルム』における見る者と見られる者の一致を「情 ( the affection image )と呼んだが、それは、 動イメージ」 映画はもともと、アイロニーに満ちた不条理な社会や、 主観的な知覚イメージ( the perceptive image )が解消 それを反映する劇作品から離れ、幸福で自由な社会を楽 されたところに現れる。そうした情動を、近代社会とい しむための喜劇の系列に属する、というわけである。 う文脈のなかで観客が共有しうるとすれば、それはひと フライは、エリオットが退けたような中産階級の「華 *15 つの神話となろう。 美」な娯楽志向をも肯定的に捉える。エリオットは観客 『フィルム』において注目すべきふたつめの点は、 『ゴ の参加が不可能な映画を否定したが、フライのようにそ ドー』同様、この映画にも、ミュージック・ホール的な れを社会的な文脈のなかへ位置づければ、映画にも観客 喜劇的反復の要素が見られることである。ある場面で の参加を促す潜在的な要素が見出せる。マリー・ロイド は、部屋に入ったバスター・キートン( O )が、その部 と観客が共同作業によってひとつの想像世界としての神 屋にいた犬と猫を追い出そうとするにもかかわらず代わ 話を形作ったように、映画とそれを観る観客もまた、社 るがわる戻ってきてしまい、なかなかドアを閉められな 会という文脈のなかでひとつの神話世界を形作ることが い、というミュージック・ホール的なギャグが描かれて できるかもしれない。そうした社会包摂的な特徴は、フ いる。これは『ゴドー』にも、それ以前のベケットの小 ライも言うように、喜劇というジャンルの第一の特徴で 説にも見られる、同じ行為の繰り返しを基盤とする喜劇 ある。 である。マイケル・ノース( Michael North )は述べて フライが述べたような映画の喜劇性をうまく利用して いる。 いるのが、ベケットが製作に携わった映画『フィルム』 ( Film, 1964 )である。 この作品において、注目すべき点はふたつある。ひと Comic acts that rely heavily on apparently mindless repetition, such as Laurel and Hardy, often seem to つは、この作品が観客の参加しやすい設定を取り入れ frustrate contemporary audiences, as do similar routines ていることである。それは撮影カメラ( E as Eye )が、 帽子をかぶり黒いマントを羽織った男( O as Object ) in Beckett ʼs fiction, including the famous stone-sucking passage in Molloy. And though this can be puzzling to を追いかけていく、という設定である。男は追われてい dedicated fans of these great artists, it does seem a more Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010 139 sensible reaction, especially in the case of repetition protracted to the degree it often is in Beckett ʼs works. ( The Machine-Age Comedy 157-158 ) み、そこに生み出される喜劇性を活かして、神話構築の 手段としたのである。 7 終わりに ノースは、機械的反復が笑いを生み出すというベルクソ ミュージック・ホールは、エリオットにとっては演者 ン( Henri Bergson )的な観点を批判的に継承し、閉じ と観客が一体化する場であり、頽廃した近代の不毛の られた体系内での反復と開かれた体系における反復を区 地にひとつの神話を形作る理想的な手段であった。ベ 別している。開かれた体系における反復とは、反復を徹 ケットもまた若い頃の鑑賞体験に基づき、*16 反復される 底した結果、新たな様相が立ち現われ、その新しさへの ミュージック・ホール的な喜劇のモチーフを、作品のな 驚きが笑いを生み出すような類のものである。 かに取り入れた。 フライによれば、喜劇というジャンルは社会のある局 一方、映画への距離のとり方には、両者に顕著な違い 面から別の局面への移行を描く。主人公に困難が降りか が見られる。エリオットは、観客が参加できない、単な かることによってドラマが生まれ、その困難が取り除か る商業主義でしかないレヴューや映画を退け、詩劇へと れることによってドラマが終焉し、別の局面へと移行す 向かう。ベケットは『ゴドー』以後、いくつかの演劇と ふつう、 るのが喜劇である。 「まず第一に喜劇の動きとは、 ラジオドラマの製作を経て、映画へと向かう。 (中略)主人 ある種の社会から別種の社会への移行だ。 映画は、観客の参加を許さないという点でモダニズム 公の願いを阻むものが喜劇の筋をつくり、この障碍の排 的な自律性を維持している。しかしながら、映画にはス 除が喜劇の解決をつくり出す」 ( 『批評の解剖』 、225 ~ ペクタクル劇や仮面劇といった祭儀性の強い演劇に通ず 226 頁) 。 る特徴を見出せる。ベケットはその特徴(見る―見られ 反復の喜劇性も、そうしたフライのジャンル論から捉 るの相互互換性や、喜劇性)を利用することで映画とい えることができるかもしれない。反復は、登場人物にお う媒体を用い、ひとつの神話を形作った。 そいかかる困難から生じる。先へ進もうと思っても進む エリオットが映画を拒否したのは、事態を回復させる ことのできない状況(困難)が発生すると、同じことを よりも事態を存続させる傾向の強い機械的再生産が彼の 繰り返さざるを得なくなる。しかしその反復が極限まで 尊重する「秩序」に見合わなかったからだということも 繰り返されると、突如新たな局面が出現する。これはま できる。一方、頽廃した状況のなかで、喜劇的な反復に さにフライの言う喜劇である。 ベケットの 『フィルム』は、 よってあわよくば袋小路を突き抜け、別の局面へと移行 ノース流に言うなら、別の局面への移行へと開かれた反 することを狙うベケットにとっては、機械的再生産であ 復が内在しているという点で、喜劇的なのである。 る映画というメディアを利用することに、それほど抵抗 このように『フィルム』において映画というジャンル はなかったであろう。 は、社会包摂的な喜劇性を帯びる。その意味では、エリ こうした映画への姿勢の違いは、端的にいえば「反 オットが否定したような観客の参加を阻むジャンルとい 復」を徹底するか否かの違いである。エリオットの場合、 う側面とは違った面を体現している。ベケットは、そう ダンテの世界を近代都市に再現し、神話世界として反復 した映画の持つ喜劇的な性質を活かし、神話を構築した するにしても、それはあくまで無秩序な社会に秩序を回 のである。 復するための手段である。エリオットにとっては、反復 エリオットは散文的な世俗性からある程度距離をと そのものが目的なのではない。マリー・ロイドのミュー り、詩劇へと向かったが、 知られるとおり、 そのねらいは、 ジック・ホールに見られる神話世界の創出は、映画のよ 近代における祭儀の復活であった。そうしたエリオット うな同じ事象の反復ではなくその都度一回きりの体験と のねらいは、スペクタクル劇や仮面劇にも連なる社会包 して立ち現れるという点で、エリオットの理想に適って 摂的な映画の祭儀的特徴を、喜劇的反復を媒介にするこ いる。一方、あらゆる時間・空間において同じ事象を反 とによって巧みに利用したベケットの創作の方向性と、 復させることが可能な映画は、人々の感情を結びつける 大きな違いはないと考えることもできる。 原初的なもの(神話)への関心を薄れさせ、興味を拡散 しかし、エリオットにとってはおそらく、映画は無機 させてしまうがゆえに、秩序回復に最適のメディアとは 質な自動機械であり、単に観客を受動的存在にするメ 言えない。 ディアでしかなかった。それゆえ、そうした機械が普遍 対照的にベケットは、ひとつの表現手段であったはず 的価値を持ち、時を超えて共通する観念を伝達する神話 の反復を徹底し、自己目的化させる。それはエリオット を形成する力はないとみなした。一方、ベケットは、無 のように無秩序な社会に秩序を取り戻そうとするための 機質な自動機械が織り成す反復の世界に観客を巻き込 ものではない。反復の徹底により秩序—無秩序の関係性 140 GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月 をも破壊し、その後に立ち現れてくる世界を待つのであ る。そこでは、ミュージック・ホールのギャグの反復で ダニズムとは何か』90‐91 頁) *2 代表的な研究書として、2003 年に発表された T.S. Eliot: The Cultural Divide がある。日本では、荒 あれ、映画のような機械的再生産装置によるイメージの 反復であれ、反復そのものが新たな世界を生み出す原動 木映子「マリー・ロイドとW・H・R・リヴァー 力となる。 ズ」『第一次世界大戦とモダニズム――数の衝撃』 ショック (東京:世界思想社、2008 年)が挙げられる。 このように、エリオットにおいてポピュラー文化の要 素は、ロマン主義的「材料」を利用して制作した『荒地』 * 3 「現代」という訳語は moderne に対する阿部良 から「詩劇」への転換に至るまで、神話再生のための手 雄氏の訳である。本エッセイに関わる文脈では、 段であった。一方、ベケットの作品においては、普遍性・ 本稿でも阿部氏の訳を尊重し、「現代」という 自律性を備えた神話の内部で反復行為が自己目的的に作 表記を使用するが、それ以外の箇所では英語の 動し、自律的な神話の構造を支える。しかしそれは同時 modern に対する訳語として「近代」という語を に、その構造を切り崩し、新たな世界を出現させようと 用いている。 するものでもある。モダニズム的な普遍性・自律性を備 *4 本論ではこれ以降、エリオットとベケットの言説 えた神話と世俗的なポピュラー文化の要素を作品に取り については第 1 次資料として原典を引用する。第 入れることに関して、エリオットとベケットのあいだに 2 次資料については邦訳書のあるものはその邦訳 はそのような差異があったと、ひとまずは言うことがで を引用する(但し注釈においてはこの限りではな きる。 い)が、邦訳書のないものは原典をそのまま引用 する。 注釈 *1 *5 エリオットの「ボードレール」は 1926 年に「ラ ロ レ ン ス・ レ イ ニ ー( Lawrence Rainey ) は ンスロット・アンドルーズのために」(“ Lancelot Andreas Huyssan, After the Great Divide: Modernism, Mass Culture, Postmodernism においては王党派、宗教においてはアングロ・カ ( Bloomington: Indiana University Press, 1986 ) トリック」と述べたあとに書かれたものだから当 などを参照しながら、モダニズムと大衆文化に関 然のように思われるかもしれない。けれども、ロ する近年の捉え方を紹介している(なお、レイニー マン主義的な想像力への批判は「客観的相関物」 Andrews ”)で「文学においては古典主義、政治 は mass culture と popular culture の両方の用語を ( objective correlative )の必要性を説く「ハムレッ 用いているが、特に両者を区別している様子はな ト」 (“ Hamlet and His Problem ”)、詩人の「個性」 い。以下の引用ではそれを踏まえて両者とも「大 ( personality )を否定する「伝統と個人の才能」 衆文化」と訳されているが、ここでこの訳を「ポ 『荒 (“ Tradition and the Individual Talent ”)など、 ピュラー文化」と置き換えても議論の本質は変わ 地』以前の初期の評論においても見られる特徴で らないと思われる) 。すなわち、モダニズムの企 ある。1930 年のボードレール論も、そのような ては、 「大衆文化を女性的なものと位置づけ、芸 一貫したロマン主義批判の流れのなかに位置づけ られる。 術と真正でない大衆文化とのあいだの境界を再確 認・再強化することにより、大衆文化を寄せ付け *6 高柳俊一『T・S・エリオットの思想形成』には ないようにする」ものだという見方である。本来、 次のように記されている。「しかし、彼の初期の 芸術上の革新や実験性を特徴とするモダニズムに 詩と『荒地』は古典主義的な原理によって書かれ、 もそのような保守的な側面がある、というわけで 古典主義を表現したものなのであろうか。すでに あるが、こうした見方は、ロレンスの言うように フランク・カーモードはエリオットの詩の技法と Huyssan を初めとする論者がしばしば指摘すると ロマン主義詩論の結びつきを指摘しているが、特 ころである。しかしロレンスによれば、このよう にロナルド・ブッシュが一九八四年『T・S・エ にしてモダニズムを「反動的な恐怖心」とみなす リオット――特質と文体の研究』を世に問うて以 見方の背後には大衆文化を正当化したいという衝 来、エリオットの詩を読む場合には彼が置かれた 動がある。そうした見方は、結局のところ高級文 ロマン主義出現以後の、ポスト・ロマン主義的状 化と低級文化のあいだの対立を想定してしまって 況を念頭に置かねばならないということが共通理 いる。そのような想定のもとでは近代社会におけ 解となり始めている」(『T・S・エリオットの思 る文化交流の複雑さを説明することはできない、 想形成』251 )。他方、西脇順三郎はある座談会 とロレンスは言う。 ( 「モダニズムと文化経済」 『モ のなかで、エリオットの『四つの四重奏』 ( Four Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010 141 Quartets, 1943 )をロマン主義的だと強く主張し ク 』Finnegans Wake, 1939 ) に つ い て「 ダ ン ている。 テ・・・ ブ ル ー ノ・ ヴ ィ ー コ・・ ジ ョ イ ス 」 西脇 いや、それは「四つの四重奏」はおそろし くロマンティックですからね。あれはロマンティッ き、ヴィーコ( Giambattista Vico )の循環史観 クの古い筋が入っているんです。そしてもちろん とジョイスの小説の構造を重ね合わせたが、 『ゴ 宗教的です。宗教詩といえば宗教詩、哲学詩と ドー』における反復構造も、ヴィーコ的な歴史の いえば哲学詩。その哲学はロマンティックの哲学 循環という視点から捉えることが可能であろう。 です。あれは絶対を書いているでしょう。アブソ * 10 邦訳掲載に際し、安堂信也・高橋康也訳『ベスト・ リュートのことを非常に書いている。そして時間 オブ・ベケット 1 ゴドーを待ちながら』54-55 の問題がない。時間のない時間、タイムレスであ 頁を参照したが、本訳書がフランス語版に基づく るということが本当のタイムであるとか、ああい ものであるため、英語版に照らして一部改変した。 う理屈を言うのですけれども、あれは哲学です。 (中略) *7 142 * 11 こうした「あてのない」動作の繰り返しは、ミュー ジック・ホールやヴォードヴィルのコメディの 西脇 思想的にいうとあれは純然たるロマンティ 定番である。ベケットは若い頃、演劇や映画と シズムです。アブソリュートというのは、あの時 ともにミュージック・ホールの喜劇をよく鑑賞 間論などは、ロマン主義の原則なんですよ。 しており、その影響が『ゴドー』に現われてい 中桐 西脇さんは何かアブソリュートなものを、 る の だ と 伝 記 作 家 た ち は 口 を 揃 え る。 “ The これがあったとか、これをみつけたとか、いいと Gaiety, the Olympia or the Theatre Royal put him か、そういう詩を書くと、ロマンティックだと断 in touch with a lighter kind of theatre that grew 定されるけど…… out of the revues and music-hall sketches of the 西脇 だって僕は詩論を知っているんだもの。そ ʻ illegitimate ʼ theatre or the circus and that differed れはマラルメでもそうだし、ランボーやボード entirely from the realistic style that was currently レールでもそうです。アブソリュートの考え方が holding sway at the Abbey. At the same time, he なければロマンティシズムは成立しない。 篠田 ロマン派はアブソリュートは探求したけれ continued to go to the cinema, enjoying the early silent feature films of Buster Keaton: Sherlock ども、アブソリュートをつかまえましたか。 Jr, The Navigator, Go West, Battling Butler, 西脇 つかまえない。しかしポウなんかは大体ね and the famous The General, as well as some of …。 his earlier shorts. He also saw a lot of Charlie 中桐 姿勢ですよ。姿勢というのは、アブソリュー トに向ったけれども、つかんだといったら、それ Chaplin films at this time, enjoying particularly The Kid, The Pilgrim and The Gold Rush. This は即ロマンティックでだめだと……。 (笑) love of old music-hall and circus routines was to 西脇 だめだと言っているんじゃないんです。ロ マン主義になったというんです。 「四つの四重奏」 remain with him and resurface later in the tricks to which the tramp-clowns of Waiting for Godot は完全に……。だからああいうものを求めていた have recourse in a desperate attempt at ʻ holding から、結局はロマンティックになってしまった。 the terrible silence at bay ʼ and in the precisely ロマンティックじゃないようにしようとしても、 timed comedy routine with the cat and dog in 結局なってしまった。 ( 『無限』242 ) the film that he made with Buster Keaton called Film. ”( Damned to Fame 57 ) ここでいう「普遍的」とはダンテの作品に歴史を 超えた意義があるということであり、彼が作品を “ …he had also become a regular attender at the 地方語(俗語)で著したことはまた別の問題であ places where ʻ variety ʼ , as it was called in Dublin, る。 was on offer; developing a taste for it which never * 8 「シェイクスピヒーア的ジャズ」の「ヒー」の音 *9 (“ Dante...Bruno.Viko..Joyce ”) と い う 小 論 を 書 left him … The dialogue between straight man について、Chinitz は、ジャズのシンコペーショ and funny man was known as ʻ cross-talk ʼ and ンとの関連性を指摘している。 ( T. S. Eliot and they often indulged in ʻ turns ʼ , borrowing each the Cultural Divide 48. ) other ʼs hats, boots and even trousers, or doing ベケットは、ジョイスの「進行中の作品」 (“ Work slapstick with ladders and charis. The influence in Progress ”)( 後 の『 フ ィ ネ ガ ン ズ・ ウ ェ イ of such comedians on Beckett ʼ s own work is GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月 obvious.( Samuel Beckett: The Last Modernist トをそうしたプリミティヴィズムと同一視するこ 58 ) とに対しては、より慎重でなければならないだろ * 12 もっとも、エリオットの時代、ミュージック・ホー う。 ルもまたロンドンのような大都市では中産階級の * 15 ベケットの『フィルム』における情動イメージ 娯楽に過ぎなくなっていた。このことは、しばし についての分析は拙論、“ On Film: Close-up, the ば指摘されるところである。それゆえエリオット が理想としていたのは、観客と演者とのやりとり Affection Image, and Comedians. ” Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama. がまだ可能な、比較的小さな地方のミュージッ 3( 2009 ): 128-135 を参照。 ク・ホールである。 * 16 注 11 を参照。 ( Murder * 13 エリオットの作品では戯曲『寺院の殺人』 in the Cathedral, 1935 )が映画化されているが、 その際、エリオットは台本に寄せた序文で「観客 参考文献 は劇の進行の際よりも、画面に対してより受け身 1. 2006. にならざるをえず、積極的に劇に参加することは ない点を挙げて、映画が劇と異なるメディアで 2. Beckett, Samuel. The Complete Dramatic Works. 3. London: Faber and Faber Limited., 1986. Beckett, Samuel. Film: Complete Scenario / あることを指摘している」という。 ( 『T・S・ エリオットの思想形成』298 )また、エリオッ Illustrations / Production Notes., New York: Grove トの演劇的な特質を、エドマンド・ウィルソン Press Inc., 1969. ( Edmund Wilson )は『荒地』において見出し、 次 の よ う に 述 べ て い た。“ Another factor which 4. has probably contributed to Eliot ʼs extraordinary 5. 6. London: Macmillan Education Ltd., 1987. Cronin, Anthony. Samuel Beckett: The Last preoccupation with the possibilities of a modern poetic drama – that is to say, of modern drama in Modernist. London: Flamingo, 1997. verse. Why, we wonder, should he worry about drama in verse – why, after Ibsen, Hauptmann, Chinitz, David E., T. S. Eliot and the Cultural Divide. Chicago and London: The University of Chicago Press, 2003. Cohn, Ruby, ed. Beckett: Waiting for Godot. success is the essentially dramatic character of his imagination. We may be puzzled by his continual Baudelaire, Charles. Les Fleurs du Mal. Larousse, 7. Deleuze, Gille. Cinema 1: The Movement-Image. Shaw and Chekov, should he be dissatisfied Translated by Hugh Tomlinson and Barbara with plays in prose? We may put it down to an Habberjam. Minneapolis: University of Minnesota academic assumption that English drama ended Press, 2006. 8. Eliot, T. S., Selected Essays: 1917-1932. New York: when the blank verse of the Elizabethans ran into the sands, until it occurs to us that Eliot himself is Eliot ʼs poems are based on unexpected dramatic Harcourt, Brace and Company, 1932. Fukaya, Kiminori. “ On Film: Close-up, the Affection Image, and Comedians. ” Bulletin of the contrasts: “ The Waste Land ” especially, I am Faculty of Art and Design, University of Toyama. 3 really a dramatic poet … And most of the best of 9. sure, owes a large part of its power to its dramatic quality, which makes it peculiarly effective read aloud.( Axel’s Castle 112-113 ) ( 2009 ): 128-135. 10. Glaver, Lawrence and Raymond Federman ed. Samuel Beckett: The Critical Heritage. London: Routledge & Kegan Paul Ltd., 1979. * 14 ただし注意しなければならないことは、そうした エリオットの姿勢をすぐさまプリミティヴィズム 11. Knowlson, James. Damned to Fame: The Life of Samuel Beckett. London: Bloomsbury, 1996. への回帰と解してはならない、ということであ る。上記に引用したエリオットの言葉 “ the myth 12. Kolocotroni, Vassiliki, Jane Goldman, Olga is based upon reality, but does not alter it ” が示唆 Taxidou, ed. Modernism: An Anthology of Sources and Documents. Chicago: The University of しているように、祭儀が神話的世界を出現させる にしても、それが現実を変えるわけではない。プ リミティヴィズムの芸術は、それ自体が現実とし Chicago Press, 1998. 13. North, Michael. Machine-Age Comedy. Oxford: て体感されることを目的としているが、エリオッ Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010 Oxford University Press, 2009. 143 14. Rainey, Lawrence, ed. The Annotated Waste Land with Eliot’s Contemporary Prose. 2 nd ed. New Haven and London: Yale University Press, 2005. 15. Wilson, Edmund. Axel’s Castle: A Study in the Imaginative Literature of 1870 to 1930. New York: Charles Scribner ʼs Sons, 1931. 16. Inferno: The Divine Comedy of Dante Alighieri. Translated by Allen Mandelbaum. New York: Bantem Books, 1982. 17. 荒木映子『第一次世界大戦とモダニズム――数の ショック 衝撃』東京:世界思想社、2008 年。 18. エリオット、T・S『文芸批評論』岩波文庫 矢本 貞幹訳 東京:岩波書店、1938 年。 19. 高柳俊一『T・S・エリオットの思想形成』東京: 南窓社、1990 年。 20. 田村隆一編『世界の詩 43 エリオット詩集』東京: 彌生書房、1967 年。 野上素一訳 東 21. ダンテ『世界文学大系 ダンテ』 京:筑摩書房、1962 年。 22. 西脇順三郎『ボードレールと私』講談社文芸文庫 東京:講談社、2005 年。 23. フライ、ノースロップ『批評の解剖』海老根宏他訳 東京:法政大学出版局、1980 年。 24. ベケット、サミュエル『ベスト・オブ・ベケット 1 ゴドーを待ちながら』安堂信也・高橋康也訳 東 京:白水社、1990 年。 25. ボードレール、シャルル『ボードレール詩集』新潮 文庫 堀口大學訳 東京:新潮社、1951 年。 26. ボードレール、シャルル『ボードレール批評 2 』 ちくま学芸文庫 阿部良雄訳 東京:筑摩書房、 1999 年。 27. レヴァンソン、マイケル編『モダニズムとは何か』 荻野勝・下楠昌哉監訳 東京:松柏社、2002 年。 28.『無限』第 19 号 東京:政治公論社、1965 年。 144 GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月 資料 平成 21 年 10 月 21 日受理 イギリス・アイルランドにおける映画関連機関について *1 Film Organizations in UK and Ireland ● 深谷公宣/富山大学芸術文化学部 FUKAYA Kiminori / University of Toyama Faculty of Art and Design ● Key Words: BFI, UK Film Council, Scottish Screen, Northern Irish Screen, IFI, IFB 要旨 される映像の提供と、そのための映像収集・保存であっ ・アイ 本稿のねらいはイギリス( United Kingdom ) た。設立の2年後、1935 年には早くも「ナショナル・ ルランド( Republic of Ireland )における映画支援事業 フィルム・ライブラリー」( National Film Library )が の全体像を把握することである。日本ではあまり言及さ 作られている。これは現在、「 BFI ナショナル・アーカ れることのないスコットランドとアイルランドの映画に イヴ」( BFI National Archive )という名前に変わって 関する産業・文化振興についても取り扱っている。 いるが、映像資料のアーカイヴとしては世界最大級の規 イギリスは周知のとおり、イングランド、スコットラ 模を誇る。 ンド、ウェールズ、北アイルランドの4つの地域から成 BFI の現在の事業目的は次のようなものである。 The り立っている。これらの地域は、映画に関してそれぞれ BFI( British Film Institute )promotes understanding 独自の文化を形成している。1949 年に独立国家となっ たアイルランドでも、固有の映画・映像文化を発展させ and appreciation of Britain's rich film and television heritage and culture. ( What We Do BFI )(「映画やテ ている。そうした文化が、それぞれの地域・国家でどの レビなどの映像に関する遺産・文化への理解・評価を高 ように支援されているのか。本稿では特に映画関連の支 めること。」)映像の理解と評価には「教育」と「保存」 援機関について紹介しながら、 各地域の事情を概観する。 が重要な役目を果たす。この2つの事業は設立以来今日 まで BFI の主軸を成すものであり続けている。 1 イングランドの映画関連機関 イギリスにおける最初の本格的な映画上映は 1896 教育事業 トンで映像技師たちが様々な作品を製作し始めて以来、 BFI は『 BFI スクリーン・オンライン』( BFI Screen Online )というウェブ・サイトを通し、イギリス国内 イングランドは長らくイギリス映画産業の中心であり続 の教育・研究者や学生が BFI ナショナル・アーカイヴに けている。 保存されている映像クリップを無料で利用することを許 年、ロンドンで行われた。その後ロンドン近郊のブライ イギリス映画・映像事業を包括的に取り扱う機関もま 「英国映 たイングランド、ロンドンを拠点にしている。 可している(登録制)。 そうした利用の便をはかるため、このウェブ・サイト 画協会」 ( British Film Institute, 以下 BFI )と「 UK フィ には Education という教育専用のページが設けてある。 ルム・カウンシル」 ( UK Film Council, 以下 UKFC )で そのページを訪れれば、教員は授業のスパイスや Show ある。これらは日本でもよく知られているが、ここでは The Encyclopedia of British Film( 85, 220 ) と公式サ and Tell の題材等のために用意された映像を利用する ことができる。( Education BFI Screen Online ) イト BFI, UKFC を参考にしながら、改めてその設置形 日本では昨今、文化庁が行ってきた「『日本映画・映 *2 態と事業内容について整理しておきたい。 像』振興プラン」において、BFI の教育事業が参考にさ 1.1 英国映画協会 合隼雄)の裁定により設置された「映画振興に関する懇 設置形態と事業内容 「イ 談会」 (高野悦子座長)の議事要旨(第 12 回)には、 れている。たとえば、平成 14 年度に当時の文化庁長官(河 BFI は 1933 年、 国 家 に よ る 資 金 援 助 を も と に 設 ギリスの BFI( British Film Institute: 英国映画協会)で 立 さ れ た。 設 立 当 初 の 設 置 形 態 は 私 企 業( private は小学校から映像の作成の授業を取り入れている。映画 company )であったが、1983 年からは国王特許状( Royal のできるまでを分かりやすく教えていけば、映画という Charter )によって認可される公益団体というかたちを ものが美術や音楽よりも、積極的に意味のあるものであ とっている。 ることが理解できると感じる」との記録がある。(「映画 設立当初想定された主な事業は、教育研究目的で利用 174 GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月 振興に関する懇談会(第 12 回)議事要旨」『文化庁』 ) 受付で氏名と利用時間を申告すると利用ブースを指示 されるので、そこへ行って好きな映像を観る。実際に 2時間ほど利用してみたが、平日の昼間という時間帯 に、約 20 台ほどのブースの半数が埋まるほどの利用者 があった。 映像以外の保存資料に関しては、ロンドンの地下鉄ト テナム・コート・ロード駅近くに「 BFI ナショナル・ラ イブラリー」( BFI National Library )という専用の図 書館がある。こちらは会員制で、有料となっている。実 際に利用してみたところ、映画・テレビ研究を専門とす る学生らしき若い人々の姿が多くあった。 写真1 ロンドン・サウスバンク地区にある複合映画施設 「BFI サウスバンク」(著者撮影) この記録が示唆するように、 (映像制作・映像リテラ シーのどちらに関しても) 日本の場合イギリスと比べ「教 育」の視点が非常に弱い。たとえば、映画もその一部に 含まれるメディア産業の振興に関し、日本で国策として 構想された「国立メディア芸術総合センター(仮称)」 の設置は平成 21 年度の政権交代により撤回(予算執行 停止)されたが、この構想案でも、産業振興を重視する あまり人材育成が疎かにされている印象があった。あく までも印象論だが、 《教育に関しては現場の仕事であり 国の関与するところではない》との認識が、いまだ支配 的なのではないか。そうした認識がもしあるとすれば、 写真2 BFI サウスバンク内にある映像視聴施設 「メディアテーク」(著者撮影) それは今後の文化行政において改めていくべきだろう。 その際、BFI を初めとするイギリスの映画関連機関の教 1.2 UK フィルム・カウンシル 育事業はある程度まで参考になる。 設置形態と事業内容 UKFC は、2000 年、 映 画 産 業 の 振 興 と 映 像 文 化 の 保存事業――アーカイヴとアクセス 一般に、教育用の映像利用を円滑に進めるためには、 発展を目的として設立された機関である。設置形態は、 非省庁公的機関( non-departmental public body )であ 保存事業を充実させ、映像アクセスの自由度を高める る。非省庁公的機関とは、government organisations that 必要があるが、世界最大級の規模を誇る BFI のナショナ are not part of any department. This means they operate ル・アーカイヴには劇映画が 50000 本以上、ノンフィ クション映画が 100000 本以上、テレビ番組が 625000 at an arm s length from ministers ( Departments, agencies and NDPBs UK Civil Service )すなわち、中 点 ほ ど 収 蔵 さ れ て い る と い う( 2007 年 時 )。( BFI 央政府の作業過程において役割を演じるが、政府の省庁 National Archive BFI ) でもその一部でもなく、大臣とはある程度一定の距離を 前述のとおり、アーカイヴへのアクセスは教育利用が 主であるが、イギリスの学校教育機関に所属していない 置いて運営される機関である。後述するスコットランド の映画機関などもこれに相当する。 UKFC の主な事業は映画製作や映画関連団体への公 一般市民でも、地域の図書館などからアクセスし、映像 クリップを見ることが可能である。 的助成である。 ま た、 複 合 映 画 施 設「 BFI サ ウ ス バ ン ク 」( BFI UKFC には毎年、政府と「ナショナル・ロッタリー」 Southbank、 前・ 国 立 フ ィ ル ム・ シ ア タ ー[National ( National Lottery )の基金から資金が提供されており、 Film Theatre] ) に は「 BFI メ デ ィ ア テ ー ク 」( BFI それが映画製作やシナリオ作成、映画教育、映画祭等 Mediatheque )という設備が設けられており、一部のデ への助成金として配分される仕組みになっている。映 ジタル化されたアーカイヴ映像を無料で視聴することが 画関連の公的助成は以前、芸術支援機関である「アー できる。 ツ・カウンシル・オブ・イングランド」( Arts Council Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010 175 of England )のロッタリー映画部門が行っていたが、 Strategy UKFC ) 2000 年以降は UKFC がそれを引き継いでいる。 言い換えれば、UKFC は、公的資金を映画産業界へと 後者については BFI の事業目的とも合致しており、批 判すべき点はないだろう。資金の配分方法を痛烈に批判 流すパイプ役である。なお、前出の BFI も、後述するイ したコックスも、UKFC の存在意義そのものは認めて ギリス各地域の映画機関とともに、UKFC とロッタリー いる。肝心なのは、公的資金が上記のような事業に向け 基金による資金援助を受けている。 て具体的にどう利用されるかである。 事業内容への批判 1.3 今後の展開 しかしながら、公的資金の映画産業への投入には賛否 イギリス全体の映画支援事業を行う組織として、文 化面(教育・保存)においては BFI が、産業面(資金 がある。 たとえば、独立系の映画作家アレックス・コックス 提供)においては UKFC が、それぞれの役割を果たし ( Alex Cox )は、UKFC がロンドン中心に機能してお ているが、2009 年 8 月、イギリス文化メディアスポー り、地域で活動する作家への支援を行っていないことや、 ツ大臣シオン・サイモン( Siôn Simon )が、この2つ その一方で、ハリウッドをベースに活動する人員が役員 の機関の合併を勧告し、波紋を呼んでいる。( Merger 職に配置され、ハリウッド映画の製作資金まで UKFC proposed for flagship film bodies UKFC ) から提供できるように試みている点などを厳しく批判 イギリス・アイルランドにおいてはここ数十年、映 している。また、ケン・ローチ( Ken Loach )やティ 画・映像事業をめぐる関連機関の再編がかまびすしい ルダ・スウィントン( Tilda Swinton )ら、商業的な成 が、この合併を求める勧告などは象徴的といえよう。 功よりも芸術文化的な達成を主眼とする「アート・シ ネマ」( Art Cinema )のジャンルで活躍してきた映画監 スコットランドでも類似の動きがあるが、それについ ては後述する。 督や俳優も、同様の主旨の批判を行っている。 ( Casey Benyahia 24 ) 2 スコットランドの映画関連機関と映画祭 商業的な成功を二の次とする独立系、アート・シネマ 系の映画人は大手の映画会社からの資本提供が望めない 2.1 スコティッシュ・スクリーン 前述したとおり、イギリスの映画製作はイングランド ため、公的助成は重要な資金源である。しかし UKFC が、 中心に行われてきた。そのため、イギリス映画を包括的 彼らのような少数派ではなくハリウッドも含めた商業映 に扱う BFI や UKFC のような機関もまたイングランド 画への支援を重視するなら、彼らの側から批判が起こっ に拠点を持つこととなった。 しかし一方で、スコットランドと、1949 年に独立 てくるのも無理はない。 『ベッカ とはいえ、UKFC が資金提供した作品には、 国家となったアイルランド共和国でも 1970 年代から ムに恋して』 ( Bend It Like Beckham, 2002 )のように 1980 年代にかけて、映画産業の支援体制が整い始めた。 商業的に成功したもの以外にも、ヴェネチア映画祭金 スコットランドの映画を産業面・文化面から支える機 獅子賞を受賞した『マグダレンの祈り』 ( Magdalene 関に「スコティッシュ・スクリーン」( Scottish Screen、 Sisters, 2002 )など作品自体に高い評価を与えられた 以下 SS )がある。これは、1970 年代終わりごろから ものがあり、公的助成が産業面だけでなく文化的な面で 設立が続いたスコットランドの各種映画機関を統合し、 貢献している例が見られるのも事実である。 ( Ibid 26 ) 1997 年に設立された新しい機関である。 そうした産業促進と文化的発展のバランスを取ることが 以下、設立に到るまでの歴史的経緯を、Duncan Petrie 著 Screening Scotland と公式サイト Scottish Screen を参 重要であろう。 事業運営面において、両者のバランスはどのように 考に、簡単に振り返っておく。 なっているだろうか。公式サイトにおける strategy のページには「イギリス映画を国際的に競争力のあるも 設立までの経緯 のにする」 「イギリスにおける観客の関心を刺激する」 1970 年代、イギリスでは労働党政権により「権限委 など、 産業的な側面を強調する戦略が立てられているが、 譲」( devolution )による地方分権化が構想され、79 年 反 面、 policy priorities にはスコットランドとウェールズでその是非を問う住民 の ペ ー ジ に media literacy の項目があり、 funding priorities としてデジタル・ アーカイヴ支援事業への予算 100 万ポンドが計上され 投票が行われた。しかし、賛成票の割合が規定の数字に 届かず、分権化は日の目を見ずに終わった。 るなど、 「教育」 「保存」の2大事業に代表される文化的 この分権化構想の背後には特にスコットランドにおけ 側面も決して疎かにされているわけではない。 ( About る民族意識の高まりがあったが、スコットランド独自の 176 GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月 映画産業支援体制が整い始めるのはそうした時期と重 Image Education )という学校教育における映像リテラ なる。1979 年、 「スコットランド・フィルム・カウン シーのためのパイロット・プログラムを開始。Create, シル」 ( the Scottish Film Council、以下、SFC )は「ス Explore, Analyse の 三 本 柱( 理 念 的 に は そ れ ぞ れ が コットランド・アーツ・カウンシル」 ( the Scottish Arts Creative, Cultural, Critical に対応するものと捉えられ、 Council )の協力を得て、5000 ポンドの映画製作資金 SS ではこれを 3C と呼んでいる)を軸にした教育を行い を充当した。このことをきっかけに、1982 年、 「スコッ 成果を上げている。 トランド映画製作基金」 ( the Scottish Film Production 映像教育のためのアーカイヴ利用、という点でも SS Fund、以下、SFPF )が設立される。また、1993 年に は積極的である。SS は独自にアーカイヴ( the Scottish は、グラスゴーやその周辺での映画製作を奨励するた Screen Archive )を所有しているが、2008 年度、その めに「グラスゴー映画基金」 ( the Glasgow Film Fund、 アーカイヴと「ナショナル・ライブラリー・オブ・ス ( Petrie 173以下、GFF )が作られ、資金提供を開始。 、学 コットランド」( the National Library of Scotland ) 176 )ダニー・ボイル( Danny Boyle )の『シャロウ・ 校教育カリキュラム向上のための非省庁公的機関「ス グレイヴ』 ( Shallow Grave, 1995 )やケン・ローチの『カ コ ッ ト ラ ン ド 学 習・ 教 育 」( Learning and Teaching 、 『マイ・ネーム・イ ルラの歌』 ( Carla’s Song, 1997 ) Scotland )が協力し、 「スコットランド・オン・スクリー ズ・ジョー』 ( My Name is Joe, 1998 )など、グラスゴー ン」( Scotland on Screen )なるパイロット・プロジェ を舞台とする著名な映画が、GFF の資金を利用して生 クトを実施。映像リテラシー教育における包括的・持続 まれることとなった。 的な映像利用を目指して活動を続けている。( Moving スティーヴ・ブランドフォード( Steve Blandford ) Image Education in Scotland Scottish Screen ) は Petrie に依拠しながら、1990 年代半ばのスコットラ 一方、SS は映画産業全体の改善も主眼に置いている。 ンド映画ブームの根幹に、権限委譲と、上記のような映 公式サイトには「製作会社の育成」や「短編・長編映 画産業支援体制の整備があったことを次のように指摘し 画の開発と製作」「観客、市場の開発と配給の主導」な ている。 ど、映画産業を活性化するための仕事が掲げられている。 ( About Us Scottish Screen ) For Petrie, this boom has clear foundations in a number of strategic decisions made by those in a 今後の展開 position to secure investment in Scottish film production. 1997 年に実現した権限委譲により、スコットランド These include the expansion of the Scottish Film は独自のネーションとして今まで以上に結束し、発展し Production Fund, the introduction by the City Council ていかなければならなくなった。映画産業の活性化は、 of the Glasgow Film Fund and the establishment of イギリス映画の一部門ではなく独立した「スコットラン Scottish Screen which now administers both Lottery ド映画」をひとつの領域として確立することで、 ネーショ funds and the Film Production Fund itself( Petrie 2000: ンの結束・発展の象徴となる可能性を秘めている。 173-80 ). In British terms this represented a genuinely スコットランド議会は 2008 年3月、現在の SS とス concerted effort to establish a production base in コットランド・アーツ・カウンシルを統廃合し、新たな Scotland that was clearly linked to a wider devolutionary 芸術発展のための機関として「クリエイティヴ・スコッ impulse.( Blandford 65 ) ト ラ ン ド 」( Creative Scotland ) を 設 立 す る 法 案 を 提 出。2010 年には設立が実現する予定である。 ( Creative このように、スコットランドを舞台とする映画製作の Scotland Scottish Screen ) イングランドでは BFI と UKFC の合併を求める声が 隆盛は、権限委譲という政治的な動きやそれに付随する ナショナリズム的な思惑と結びついていた。 その意味で、 出ているが、スコットランドでは既に政府が機関の統合 SFC と SFPF ほか既存のアーカイヴ組織等が統合されて を進めている。こうした状況には、権限委譲によるネー SS が誕生した 1997 年が権限委譲実現の年であったこ ションの結束を文化産業が後押しせねばならないという とは象徴的である。 発想が垣間見える。 事業内容 2.2 スコットランドの映画祭 BFI や UKFC が教育事業を柱としていたのと同様、 映画・映像文化発展のための事業として、映画関連機 SS もまた、映像リテラシー教育を重要なものと位置づ 関の充実とともに映画祭の主催がある。スコットランド けている。たとえば 2004 年に SS は、 MIE ( Moving でもそうした事業が行われているが、ここでは歴史のあ Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010 177 る映画祭と――現地取材の報告も兼ね――新興の映画祭 について、ひとつずつ概観してみたい。 2.2. 1 エディンバラ国際映画祭 スコットランドには世界的に有名な「エディンバラ国 際芸術祭」 ( Edinburgh International Festival )があるが、 「エディンバラ国際映画祭」 ( Edinburgh International Film Festival、以下、EIFF )は芸術祭が誕生したのと 同じ 1947 年、それと平行するようなかたちで始まった。 EIFF は当初、イギリスにおけるドキュメンタリー映 画運動を広く一般に知らしめることを目的としたもので あった。 写真3 グラスゴー映画祭のメイン会場である「グラスゴー・ ドキュメンタリー映画運動は 1930 年代にスコットラ フィルム・シアター」(著者撮影) ンド出身のジョン・グリアスン( John Grierson )が主 導した運動である。エディンバラには早くから「フィ にある映画館やライブハウスなどを会場とし、オード ルム・ギルド」 ( the Edinburgh Film Guild )という映 リー・ヘップバーン( Audrey Hepburn )回顧特集など 画上映団体があり、映画鑑賞の機会を提供するととも の企画上映が行われていた。 に、このギルドの活動の中から『シネマ・クォータリー』 メインとなる映画館、「グラスゴー・フィルム・シ ( Cinema Quaterly )という雑誌が生まれ、ドキュメン ア タ ー」( Glasgow Film Theatre ) で は 是 枝 裕 和 監 督 タリー運動に関わったポール・ローサ( Paul Rotha )や 『歩いても、歩いても』が上映ラインナップに名を連ね バジル・ライト( Basil Wright )が寄稿するなど、運動 ていたが、筆者はアイルランド映画の『 32A 』( 32A, の批評基盤を形成していた。EIFF の立ち上げに尽力し 2008 )を鑑賞した。鑑賞前には映画祭主催者による舞 たのは、この雑誌の編集者だったノーマン・ウィルソン 台挨拶が行われた。 ( Norman Wilson )とフォーサイス・ハーディ( Forsyth 平日の午前中だったこと、作品が小品であったことか Hardy )である。そうしたことから、ドキュメンタリー ら、鑑賞者の数はそれほど多くはなかったが、期間中(10 運動が EIFF の主要なプログラムに据えられたのは自然 日間)20000 人以上が足を運んだという。 ( Glasgow な流れであった。第 1 回の EIFF では、フィルム・ギル Film Festival 2009 Eye for Film )上映作品は100 本を ドによってドキュメンタリー映画が上映された。 ( Petrie 越え、 規模としては申し分ない。 今後の展開が期待される。 110 ) その後、映画祭の認知度が高まるにつれて海外の劇映 画の紹介や回顧上映などの企画が行われるようになって 3 ウェールズと北アイルランドの映画関連機関 3.1 ウェールズ映画庁 いる。1970 年代にはドイツ映画の新しい潮流やアメリ ウェールズの場合、スコットランドとは異なり、地方 カの独立系の作家たちの作品、さらには日本の巨匠たち 分権化への意志は比較的穏健だった。けれども、1997 の作品などが特集上映された。近年は新たな才能を発掘 年に権限委譲が実現したころスコットランドを舞台にし するためのプログラムにも力を入れている。 ( History た映画が数多く作られたのと同様に、ウェールズを舞 Edinburgh International Film Festival ) 台とする映画もまた立て続けに登場した。『ツイン・タ ウン』( Twin Town, 1997 )、『ハウス・オブ・アメリカ』 2.2. 2 グラスゴー映画祭 グラスゴーは、 過去に何度も映画の舞台になってきた。 ( House of America, 1997 )などである。 オリエンタリズム的な見方を引き付ける要素はあるも 1930 年代、1940 年代には盛んだった造船業をモチー のの、ナショナリティを意識させるそうした作品群の登 フにした映画がいくつか作られている。 ( Petrie 79-87 ) 場のおかげで、それまで不安定だったウェールズの映画 前述のとおり、1993 年には GFF のような基金整備も 文化が確立し始めたとも考えられる。 行われるなど、映画産業基盤が充実してきたかにみえ しかし、そのような文化的風土を支える支援基盤 るグラスゴーだが、グラスゴー映画祭が始まったのは は、ウェールズではいまだ安定しているとは言い難 2005 年のことである。 い。ウェールズ映画の文化・産業を推進するための機 2009 年 2 月に第 5 回の映画祭が開催されたので、そ の様子を見にグラスゴーを訪れた。グラスゴーの中心部 178 GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月 関「ウェールズ映画庁」 ( Film Agency for Wales、以下、 FAW )が設立されたのは、2006 年と比較的最近のこと である。 FAW は、ウェールズ議会や「アーツ・カウンシル・ オ ブ・ ウ ェ ー ル ズ 」 ( Arts Council of Wales )、UKFC big breakthrough came when British Lottery money was made available in 1995 and Europearn money in 1997 ( McLoone 117 ). などの支援を得て、映画製作、公開、教育などの分野に NIFC はロッタリーの基金をもとにし、BBC 北アイル 資金提供を行っている。特にウェールズから新しい才能 ランド放送局と共同で「ノーザン・ライト」( Northern を持った映画人を発掘することに力を注いでいるよう Light )という支援枠組みを作って資金提供を実行。そ だ。 ( Film Agency News 18 Nov. 2009 Film Agency の資金提供の恩恵を受けた『ダンス・レキシー・ダン for Wales ) ス』( Dance Lexie Dance, 1996 )は米アカデミー賞短 保 存 事 業 に つ い て は、FAW と は 別 の 機 関 で あ る 「ウェールズ映像音声アーカイヴ」 ( National Screen and 編実写映画賞にノミネートされ、成功を収めた。 ( The Encyclopedia of British Film 490 ) Sound Archive of Wales )が行っている。これは 2001 NIFC はその後、デジタル化への対応などの理由から 年、既存の「ウェールズ映画テレビ・アーカイヴ」 ( Wales 2002 年に現在の NIS となって再出発し、活動を続けて Film and Television Archive )と、「ナショナル・ライ いる。 ブラリー・オブ・ウェールズ」 ( The National Library of Wales )にあった「音声映像コレクション」を統合す 事業内容 NIS は北アイルランドにおける映画産業の発展や才能 るかたちで作られたものである。 このほか、ウェールズには議会が主導する「ウェール ある映画人の発掘、映像文化の発信を目的としているが、 ズ映画コミッション」 ( Wales Film Commission )なる 他地域の機関同様「教育」と「保存」にも力を注いでい 組織もあるが、映画映像文化、映画産業の本格的な発展 る。教育に関しては BFI と提携し、映像リテラシー教育 にはもう少し時間がかかりそうである。 のポリシーとして MIE の推進をうたう「より幅広いリ テラシー」 ( A Wider Literacy )なる文書を公表している。 3. 2 北アイルランド・スクリーン スコットランドやウェールズと比べ、北アイルランド は政治的・宗教的な紛争対立が続いてきた特異な地域で ( A Wider Literacy Northern Ireland Screen. )そうし た教育には、デジタル・アーカイヴに保存整理された映 像が利用されることになる。 ある。 しかし紆余曲折を経ながらも 1998 年に和平交渉が成 4 アイルランド共和国の映画関連機関 立、同年、権限委譲が行われると、そうした情勢の変化 1970 年代ごろまで、アイルランド映画はほとんどが と平行するように、この地域の映画支援事業も充実して 外国(主にイギリスとアメリカ)の映画会社によって作 きた。 現在中心となる機関は 「北アイルランド・スクリー られていた。 ン」 ( Northern Ireland Screen、以下、NIS )である。 土着の映画作家が登場するのは 1973 年、「芸術法」 ( Arts Act )の修正法が可決して以降である。この修正 設立までの経緯 北アイルランドは 1930 年代に一度映画製作が盛んに なり、1940 年代にはキャロル・リード( Carol Reed ) によって「芸術」のカテゴリーに「映画」が加わり、アー ツ・カウンシルの基金が映画にも適用できるようになっ た。( Kevin et al. 128 ) の『邪魔者は殺せ』 ( Odd Man Out, 1947 )によって重 アートカレッジの卒業生やテレビ業界でキャリアを積 要なモチーフにもされたが、その後、映画史上において んだ人々がそうした基金を利用して映画を作り始め、映 長らく周縁の位置にあった。 画作家として育っていったのが 1970 年代後半である。 北アイルランドで再び映画製作が盛んになるのは 代表格として、アーツ・カウンシルの第1回映画シナリ 1980 年代になってからである。状況好転を受け、1989 オ賞( Film Script Award )を獲得したボブ・クィン( Bob 年には現在の NIS の前身「北アイルランド・フィルム・ Quinn )などが挙げられる。 カウンシル」 ( Northern Ireland Film Council、 以 下、 そ う し た 流 れ の な か、1980 年 代 に な る と ア イ ル NIFC )が設立される。 ラ ン ド は 文 化 政 策 を 推 進 し、1987 年 に ア イ ル ラ ン NIFC は 1995 年からロッタリーの基金を利用し、地 ド初の文化政策白書『アクセスと機会』( Access and 域の映画製作、特にショート・フィルムの製作を奨励し Opportunity )を発表。この白書が「アイルランド映画 た。これが北アイルランドの映画映像文化・産業を推し センター」( the Irish Film Centre、以下、IFC )と「ア 進めるひとつの大きなきっかけになったと、マーティ イルランド映画委員会」( the Irish Film Board、以下、 ン・マクルーン( Martin McLoone )は指摘する。 The IFB )の必要性・重要性を説き、映画産業・文化振興の Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010 179 ための土壌が固められていくことになった。 ( Kevin et ショート・フィルムの企画開発、製作、公開のための資 al. 121 ) 金提供を行うとともに、海外からの映画製作者がアイル ランドで映画製作を行うのに必要な情報を包括的に提供 4.1. アイルランド映画協会 する役割などを担っている。 「アイルランド映画協会」 ( the Irish Film Institute、以 しかしながら、IFB は政府(芸術・スポーツ・観光庁) 下、IFI )は、1945 年に創設された「アイルランド国 の下部組織という位置づけになっているため、政府によ 民映画協会」 ( the National Film Institute of Ireland )が るコストカットが運営の存続に直接的に影響する面もあ 前身である。映画は人々の道徳心を育てるために奉仕す るようで、1987 年には一度閉鎖されている。1992 年 べきだという理念のもとで、教育映画を製作・配給・興 に復活し、現在に至るが、2009 年夏には政府が芸術に 行することが当初の事業だった。 関する経費節減の観点から IFB の経営を再検討すべきだ しかし、時がたつにつれそうした理念がそれほど確固 たるものではなくなっていき、1980 年代になるとアー との勧告を行い、議論を呼んでいる。 ( Ted Sheehy Irish Film Board under Threat Screen Daily.Com. ) ツ・カウンシルの支援を受けながら新たな役割が模索さ れるようになる。その結果、1992 年に IFC がオープン 5 まとめ し、アーカイヴ( the Irish National Archive )が設立さ れて再スタートを切った。 イギリスの映画機関について改めて、ごく大雑把にま とめてみると、BFI、SS、FAW、NIS の4つが文化・ その後、IFC が 2003 年に改名され、現在の IFI となっ 産業支援を具体的に実行している事業支援型の機関。そ ている。映像資料の公開により若い観客に広い映画経験 れらの機関の活動を金銭的に補強している助成型の機関 「教育」 を提供する目的の教育部門もあり、他地域同様、 が UKFC である。 と「保存」が事業の鍵である。また、近年は商業ベース アイルランドにおいては、事業支援型に相当するのが に乗らなかった映画作品の上映を行う一方、アイルラン IFI、助成型に相当するのが IFB であると、ひとまずは ド映画の海外プロモーションなども活動の中心に据えて いうことができる。 いずれの機関にも共通して言えることは、デジタル時 いる。 代の到来を踏まえつつ、映像を初めとするメディア・リ 4.2 アイルランド映画委員会 アイルランドには、独立後まもなく、国内初めての映 画会社、アードモア・スタジオ( Ardmore Studio )が テラシー教育の開発に力を入れていること、そのために デジタル・アーカイヴの整備や公開に積極的に取り組ん でいることである。 設立されたが、このスタジオは外国資本を呼び込もうと ただし、全体を通してみるとイギリス・アイルランド する傾向が強かったため、土着の映画人の活動の中心と の映画支援事業は文化・産業の両面で多様な様相を呈し はならなかった。 ており、変化の過程にあることがわかる。事態は流動的 そこで、そうした土着の映画人の活動を金銭的に支援 であり、今後も様々なかたちでの展開が予想される。 する IFB の設立の必要性が説かれるようになり、1980 年に設立のための法案が可決された。 しかし肝心の委員のメンバーがなかなか決まらないな 注釈 *1 本稿は、学内公募研究費(平成 20 年度若手研究 ど、機関の立ち上がりは不安定であった。最初の助成と 者支援経費)採択課題「イギリス映画史研究」の してニール・ジョーダン( Neil Jordan )の『エンジェル』 成果の一部を「資料」として報告するものである。 ( Angel, 1982 )に高額な充当金が提供されると批判も *2 起こった。( Ibid 119 ) 括弧内は頁数を示す。以後、出典については書籍 の場合、参照した文献の作者と頁数を、ウェブ・ けれどもその後この委員会の支援で成功する作品も出 サイトについてはウェブ・ページの見出しとその 現し、IFB は存在意義を示していく。最近では『麦の穂 ページを含むサイト名(加えて、著者の明確なも をゆらす風』 ( The Wind that Shakes the Barley, 2006 ) のは著者名) を、 それぞれ括弧内に示すものとする。 ( Once, 2007 )がこの や、『 Once ダブリンの街角で』 委員会の支援をあおぎ、成功している。 IFI が「教育」や「保存」を行う機関であるのに対し、 引用・参考文献 1. About Strategy UKFC. 7 Dec. 2009 <http:// 2. www.ukfilmcouncil.org.uk/aboutstrategy> About Us Scottish Screen. 7 Dec. 2009 <http:// IFB は資金援助や、ロケーションへの誘致などを行う フィルム・コミッション的な性格を持つ機関であるとい える。長編映画、テレビ、アニメ、ドキュメンタリー、 180 GE I B UN 0 0 4 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第4巻 平成22年2月 www.scottishscreen.com/content/main_page. and Ireland. New York: Syracuse University Press, php?page_id=12> 3. BFI National Archive BFI. 7 Dec 2009 <http:// www.bfi.org.uk/nftva/> 4. 5. 6. 1987. 21. Sheehy, Ted. Irish Film Board under Threat 20 Departments, agencies and NDPBs UK Civil Service. 7 Dec 2009 <http://www.civilservice.gov. 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Cinema Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 4, February 2010 181 一般論文 平成 23 年 10 月 19 日受理 Quota Quickies ― British B Movie's Narrative Style and the Problem of Nationality in the 1930s ― クォータ・クィッキーズ ―1930 年代におけるイギリス B 級映画の語りの文体とナショナリ ティの問題 ● 深谷公宣/富山大学芸術文化学部 Kiminori Fukaya / University of Toyama Faculty of Art and Design ● Key Words: Quota Quickies, British National Cinema, Classical Hollywood Cinema, Narrative, Music Hall, Gracie Fields Introduction its cultural aspect is featured. Next, the roles of This paper will explore the meaning and function of narrative for constructing national identity in terms a narrative style in the 1930s British film culture of culture are reviewed. The last section examines the constructing national consciousness. Around 1930, British-particular narrative style depending on its the British government and film industry tried to cultural tradition taking two representative quickies protect themselves from the excessive amount of as examples, Say It With Flowers and Sing As We Go! Hollywood films imported from the United States, and to reconstruct the national film culture. The paper 1. Quota Quickie as an Illegitimate Child: the will reconsider the idea of national cinema, especially Formation of a British National Cinema from cultural perspective, and examine the roles of Quota quickies are a series of films produced under narrative in the creation of nationally conscious films. the regulation of the 1927 Cinematograph Films Act, It is in the United States, or more precisely, in which assigned renters and exhibiters the minimum Hollywood, that the narrative “structure” (not “style”) numbers of British native films they should deal of film was established in such a work as Cecil De w i t h . ※1 T h e m i n i m u m q u o t a w a s 7 . 5 % f o r Mille’s The Birth of Nation (1916), as David Bordwell distribution and 5 % for exhibition. This means that later defined this as “classical Hollywood cinema.” before that Act, British native films shared less than Around World War I, Britain declined and gave way 5 % in the British film domestic market.※2 It had been to Germany and the U.S. in cinema as well as in dominated by Hollywood major studios such as Fox, politics and industry. Especially, in 1920s, a surge of MGM, Columbia and others, since around 1920. Hollywood films put British cinema industry and The Films Act was the first government culture to the peripheral. Politically, economically intervention to the British film industry. It was and culturally, Britain had to recover herself. introduced on the basis of economic protectionism; From the perspective of cinema industry or however, in reality, “many quota quickies were government policy, how Britain managed to deal with produced by American companies setting up in such a critical situation has been studied so far; Britain to avoid the tacit restriction on American therefore, the paper will shed light on much more imports” (Brandford, Grant and Hillier 192). As a cultural aspect than industrial or political, especially consequence, film companies including Hollywood in terms of the formation of national consciousness major studios created and distributed films just to through the British-particular narrative “style” (not meet the obligations assigned by the British “structure”). The key to this argument is the “quota government, with relatively lower budget, in a short, quickie,” which was accepted mainly by lower-middle limited period of time. It often led to the production of class or senior citizens who were likely to feel low quality films. nostalgia for the old, regional and national Thus, at least economically, it was hard for British community. In the following, first, the historical cinema to get out of the influence of Hollywood, background of the rise of the quickie is described, and because the film industry at that time was already 124 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月 globalized to some extent. Therefore, it is in the realm British film history. The former represents the of culture that British cinema would find the contemporary British, especially working class people, possibility for establishing its national identity, in a strictly realist touch that seems to succeed the representing “Britishness” in a film, in order to traditional, British empiricist perspective. A story ※3 emulate Hollywood. tends to be told in narrative form that is relatively Andrew Higson refers to the two forms of loose, in comparison with the fixed frame of classical representation of culture in the formation of a Hollywood cinema. Heritage cinema, on the other national cinema: hand, takes the form of a fixed narrative, being close to that of Hollywood; however, it features the British The concept of national cinema when used in a traditional nature and culture, often in the setting cultural as opposed an economic sense, equally with aristocratic or intellectual atmosphere, which involves the assumption that a particular body of can hardly be seen in the Hollywood entertainment films shares a coherent and unique identity and a films. A story is often based on classical novels by stable set of meanings, at the expense of other Jane Austin or E.M. Foster, or on the history of glory possible identities and meanings. This process of of the Elizabethan or Victorian age. negotiation takes two forms. On the one hand, the In similar to documentary films and heritage films potential coherence and unity of a national cinema quota quickies were one of the cinema genres, which depends upon an affirmation of self-identity: a represented culture specific to Britain to be distinctive cinema is national in so far as it draws on already from Hollywood with its own narrative style, and existing, indigenous cultural traditions. Of course, established the consciousness of nationality in British this will very often mean that the interests and cinema, because, as will be described later, it drew “on traditions of a specific social group are represented already existing, indigenous cultural traditions” in as in the collective national interest. Higson’s terms. On the other hand, a national cinema only takes However, the quickie followed a different process on meaning in so far as it is caught up in a system from the above two genres to the formation of national of differences; British cinema is what it is by virtue consciousness. Both documentary film movement and of its difference from American cinema or French heritage cinema were products of the British govern- cinema. A national cinema may appeal only to ment protectionist strategies; the former was directed specific sections of the national community - that by GPO Film Unit, a government organization led by is, it may start to unravel that sense of a shared John Grierson, and the latter emerged in accordance culture. But it can also be presented in the with the “Heritage Industry,” Margaret Thatcher’s international arena as part of a strategy of cultural cultural policy based upon the slogan “go back to the and economical resistance, a means of asserting Victorian age”. On the other hand, the quota quickie national autonomy in the face of (usually) was an unexpected result from the 1927 Films Act. It Hollywood’s international domination. (7-8) was beyond the government’s intention that the lowbudget, quickly taken films could be permeated The consciousness of nation is not given, but formed through the nation so much; it can be even called an out of the tradition and difference from other nations. illegitimate child for the parental government, in the When representing a “national” culture in a film, the sense that, at least economically, and also culturally imagery of “already existing indigenous traditions” to a degree, it was still under the influence of another will be chosen to delineate the cultural area of family, Hollywood. national community. The “traditions” or other Documentary film and heritage cinema, as Higson customary things that tend to be characteristically suggested, focused on the limited part of the society national would determine the film’s narrative style. and represented it as a whole national characteristic. Documentary film movement in the 1930s and Their ways of establishing national imagery reflect heritage cinema in the 1980s are two main genres for the interests of the specific group of the society, such such a representation of national culture in the as the government or the bourgeois, capital holders, Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012 125 who would like to protect their field of behavior as a “fiction.”) safe district. It is therefore likely to be connected with This fundamental definition of narrative, sequence such a paternalist view of popular education as and causality, suggests that it has a common Grierson had, or cultural elitism. structure in any nation or region. Above all, it is The quickies also “appeal only to specific sections of universal especially within the modern Western type the national community,” but they were not really of epistemological scheme in which things are related with the interests of those sections. Of course, interpreted in the temporal or logical frame of economically, they were means for the benefits of both reference. Roland Barthes or Tzvetan Todorov, as is British and American film studios, but in terms of well known, tried to bring this universal aspect of cultural representation, making quickies was narrative to the foreground, based upon the formalist relatively far from political ideologies, economical and semiotic views of Vladimir Propp or A. J. interests, and cultural elitism. Greimas; Todorov integrated this genealogy into a As to the quota quickies, therefore, we should find comprehensive perspective and called it “narratology.” the motive for a national cinema in the film’s Afterwards, Seymore Chatman, Mieke Bal and others discourse itself, especially, in its narrative style. have contributed to the development of this study. Narrative “style” is different from narrative If narrative structure is universal, it is applicable “structure”; while the latter refers to the relation or anywhere, regardless of nationality. On the other function of characters and events, the former focuses hand, however, narrative is also used to establish on how the author or director arranges and decorates national identity or protect national culture, typically them. Quickies, as well as heritage cinema, are seen in creation myths. Myth is also considered to similar to Hollywood in terms of narrative structure have a universal structure, but no one insists that it (and all the more similar than heritage cinema in that is not concerned with nation, because it explains the they are far from cultural elitism), but different in birth of nation itself and provides the spiritual or terms of its style. ideal basis for a national community. It is only the Then, how is narrative style connected with the structure that is universally common, but outside the formation of national consciousness? Before structure, narrative works to maintain things proceeding to the survey of the quickies’ narrative particular to the community and its culture. style, the next section will quickly review the Frank Kermode’s view of narrative interpretation is functions of narrative, based upon the study of suggestive about its “community maintenance” narratology. aspect. In his Genesis of Secrecy, Kermode refers to Mark’s episode of Jesus Christ’s use of parables. 2. This Side of Narrative: Community Maintenance Narrative is a type of discourse, which is based And he said unto them, Unto you it is given to upon sequence and causality. It narrates events in a know the mystery of the kingdom of God: but unto temporal order, and it also has a cause, which brings them that are without, all these things are done in up the events, and some actions are taken to manage parables. / That seeing they may see, and not and conclude them. The situation would be different perceive; and hearing they may hear, and not after the events and people engaged in them would understand; lest at any time they should be change as a result of them. converted, and their sins should be forgiven them. Narrative is a term for an act of expression; it is (Mark 4:11-12) often applied to create a world of fiction such as novel or film, and identified with a literary or art genre. In And with many such parables spake he the word addition, historiography is largely dependent upon unto them, as they were able to hear it. / But this narrative mode, so if things described are without a parable spake he not unto them: and sequential, or causal, they can be called a narrative, when they were alone, he expounded all things to even if they are not seen as a fiction. (Or his disciples. (Mark 4:33-34) epistemologically, history itself can be taken as a 126 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月 This episode represents Christ’s attempts to punished, because they do not “perceive” or maintain a good community; those who tried to “understand” and their behavior is inappropriate for “perceive” and “understand” the word of God are only the community. In other words, the community needs acceptable to it. Parables are used to screen the specific codes — frequently composed of their own acceptable, or chosen, from those who cannot perceive discourse — to allow those who perceive and and understand them, as Kermode states, “When understand them to be in, and reject those who do Jesus was asked to explain the purpose of his not. parables, he described them as stories told to them In similar to the Christian parables or trusting without – to outsiders – with the express purpose of others in driving, narratives have ever been created concealing a mystery that was to be understood only and told repeatedly to demarcate and maintain the by insiders” (2). He continues: “The discovery of latent community. This would be true of the 1930s British senses may appear to be a spontaneous, individual national cinema, which produced such community- achievement, but it is privileged and constrained by based narratives to rebel against the surge of classical the community of the ear, whether tertiary or Hollywood cinema being already international, highly circumcised. (5)” sophisticated, popular enough to be distributed Parables are told with the words that can be anywhere. understood by the insiders of the community. They As indicated above, there are some elements that are often told in narrative form, with a certain cannot be reduced to the structure of narrative such structure of sequence or causality, but some elements as figures of speech, thought, habits particular to a beyond the structure prevent them from being certain community, or a nation state as an imagined universal: figures of speech such as metaphors known community. In those elements, we may find some only to the members of the community or traditional potentialities for a narrative style. In the 1930s thought and habits handed down to them; in other British cinema, quota quickies as well as words, the interpretation of parables are highly documentary films tried to be differentiated from contextually based. Hollywood, by establishing their own narrative “style” Anthony Easthope’s analysis of English national resisting Hollywood’s universal and international culture and discourse also discusses the similar issue narrative “structure,” which led to the formation of from a different angle. He takes an example of driving British cinema’s national consciousness. a car to describe “a spontaneous, individual achievement” as “constrained by the community.” 3. Shibboleth: the British ‘Voice and Sound’Tradition Driving a car is possible with an “exceptional The idea of narrative as “community maintenance” individual mastery.” On the other hand, Easthope can be reactionary to the creation of a new vocabulary says: or a work of art. Even if novelists or artists can create a world composed of new vocabularies, materials, or …car driving is a stunning instance of the compositions, the new world, in turn, could be an dependence of the self on other people. To drive “interpretative community,” which is exclusive to means that every micro-second I consign my life to those who have been used to the conventional scheme the rationality, competence and good intentions of of reading or observation, as seen in some modernist, the Other. I have to trust that they will read the enigmatic works. When we see the function of narra- signs, obey the rules and observe the conventions as tive in terms of the formation or maintenance of much as they trust I will do the same, checking the national community or identity, we should be careful mirror before pulling out, stopping at red lights, about this reactionary aspect and the excluded people and so on” (4). ※4 outside the interpretative community. Narrative style, however, opens the possibility for In order to drive, people have to understand the being distanced from the reactionary and exclusive “signs,” “rules” and “conventions” of the community. If aspect of narrative and could even deconstruct it. they ignore those, they would be arrested and Style is defined as the individual characteristics of a Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012 127 piece of work, so that, to some extent, the author or or melodrama. director can choose whether to be community-friendly Above all, comedy, the most popular genre in the or not, or both of them. 1930s Britain, was supported and reinforced by the Although style is basically individual, as David arrival of sound cinema in 1929. Since it was based Bordwell suggested in The Classical Hollywood upon the music-hall tradition, songs and gags that Cinema, if many similar styles accumulate and seem could be directly perceived through actors’ voices to be common, they can also refer to a collective made films lively, and it became easier for the movement under the name of “group style,” such as audience to sympathize with them. Sarah Street German Expressionism, Russian montage cinema and describes as follows: French New Wave. The 1930s British “quota quickies” are not exactly a movement nor did they create any Comedy was the most popular and prolific genre school, but they can be taken as having a group style in the 1930s. Its success depended on the with some common traits. longstanding tradition in film comedy of featuring The group style as a collection of individual styles music-hall/variety performers and well-known West can be a source of a “genre,” so that discussing genre End stage personalities. The arrival of sound films might be a starting point to examine the encouraged exploitation of the comic opportunities ※5 quickie’s narrative style. presented by verbal repartee, singing and regional The most popular and important genre of the accents, as an addition to the slapstick and quickies was comedy. According to Chibnall, from situational nature of silent comedy. (46) 1928 to 37, the total numbers of comedy films were 287, which is followed by 205 of crime films. Drama is It can be said that not only regional accents, but the ranked the third, whose number is 96 and musical overall British speech was helpful in creating national and romance were 76 and 52 respectively (94). atmosphere in a film. Many film critics recognize how These genres are of course common to those in big the role of the speech was in the 1930s British Hollywood, where a huge amount of genre films have cinema. According to Chibnall, West End actors’ been produced because of mainly economical and delivery of the King’s English made British cinema industrial reasons; settings, costumes, and even different from American. actors can be re-used, and a story does not have to be creative, which means that genre films are easier to The stalwarts of the West End stage could make with little time and money. Re-used actors can usually be relied upon to deliver the King’s English grow up to be stars, who make an effective as it should be spoken, and this, in itself, was advertisement possible by appealing to the mass enough to evoke the sympathy of many critics. audience, featured in the film company’s campaign. Their elocution might be thought to give a degree of This somewhat repetitive process of genre-film (and sophistication to British attempts to emulate money) making became possible by the establishment American genres…(38) of a common narrative structure, which was to be called “classical Hollywood cinema.” It is certain that That language functions to protect a community is comedy was really popular with the 1930s audience, also described in a much harsher tone in the Bible; but it was not exclusive to British cinema. ※6 The Book of Judges’ episode of Shibboleth reads: Therefore, what differentiated British genres from “Then said they unto him, Say now Shibboleth: and Hollywood ones should be considered in terms of he said Sibboleth: for he could not frame to pronounce “already existing, indigenous cultural traditions” it right. Then they took him, and slew him at the expressed in a film. For instance, comedy and musical passages of Jordan” (12:6). In film making, a director’s are in the genealogy of the nineteenth century British choice of language would be related with what kind of popular culture, music hall. Crime and drama are audience the film aims at; it is one of the important considered to take over some plots and ways of elements that determines the film’s narrative style. A grotesque description from Victorian popular fiction director’s choice of the King’s or Queen’s English 128 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月 means that the film would be targeted for the British, preference for the regional accent of Gracie Fields educated people. seems to appeal to older, and mainly working class As Sarah Street pointed out, in addition to such a people, living outside the sophisticated culture of standard language, regional dialects also made the London, but still feeling the sign of a big wave of 1930s British cinema variant from Hollywood. This is industrialization and Americanization. Gracie’s also supported by the music-hall cultural tradition, accent works as a guard for such a regional because it was much more popular in the northern, community, which was the base for being against the working class people. ※7 This speech-influenced American industrial and cultural invasion. The cultural environment could be called the British ‘voice typical scene emphasizing the relationship between and sound’ tradition. the regional community and the music hall culture is The typical examples of films based upon this that of Gracie running away from a police officer in an tradition would be Say It With Flowers (1933) and amusement park, and disguising herself as a Sing As We Go! (1934). The former, directed by John character animal, “Lancashire Spider.” Although Baxter, is considered homage to music hall culture; Matthew Coniam is critical about the film, which the story is too simple to say it has a fixed narrative “unconditionally embraces modernity” and “exudes structure. The old couple who sell flowers in the optimism,” Sing As We Go! seems to have chosen a market get in health and financial troubles, and their narrative style which evokes a regional sense of friends plan to hold a benefit concert for them. The nostalgia particular to the British Isles, and confirms earlier part, almost one-third of the film describes human bondage derived from that sense. ※8 various types of people from different backgrounds in Thus, the British ‘voice and sound’ tradition, in the market, greeting, talking, selling and buying; the other words, “already existing, indigenous cultural story does not make any progress, but people appear traditions,” contributed to making a British-specific one after another and have different talks so that the narrative style of films, particularly functioning well film can keep drawing the audience’s attention. The in the formation of a characteristic comedy in the last 20 minutes are allocated to the concert sequence, 1930s Britain. It can be taken as a birth process of a where singers and dancers entertain the couple, and new British national cinema, derived from within the their friends who get together for them. The finale of act of narration, in the condition that American film the show is left to Florrie Forde, who was one of the industry was expanding its share in the British actual, popular music hall stars and sang her own domestic film market. songs. In this way, Say It With Flowers is full of British traditional voices and sounds. Conclusion Sing As We Go!, directed by Basil Dean, also The dependence on the ‘voice and sound’ tradition features a music hall star, Gracie Fields. It is can be easily connected with conservative nationalism composed of a series of episodes in which Fields as a or regionalism as a political ideology. However, as to main character talks, sings and moves, changing her the quota quickie, it has little thing to do with such jobs one after another. She looks for a job and works an “ideology,” even though the director’s choice of in Blackpool, a British seaside resort which would music-hall motifs could be called ‘political’ as a have appealed to the middle class, but her regional strategy of film-making; as described above, it a cc e nt a s a working class woman ma ke s he r emerged beyond the government’s intention, being distinctive, compared to a modern London girl, who, different from documentary films and heritage while winning a beauty competition, sometimes loses cinema. morality and politeness. This contrast would Economically, even after the Films Act was carried correspond to that of the country and the city; the out, the subsidiaries of Hollywood companies in former reminds people of good old days or a serene Britain engaged in the production or distribution of life, and the latter, industrialized with the British films. It means that the government’s sophisticated culture, contains the inferiority complex conservative, protectionist policy did not work well as for or threat to Americanization. The film narrative’s a protection. Of course, the quota quickie was Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012 129 constrained by the economical and industrial Hills’ support for constructing national identity condition to a degree; however, it actually appeared through film production. “In discussions of British outside the political intention, and large economic cinema it is taken for granted both that the link interests were not really expected of it. In such a [of British film production with the question of situation, the quickie innovated a narrative act of national identity] exists and that it is a politically film; it can be seen as an aesthetic movement important one — it often seems as if the cinema differentiating itself from Hollywood, which already is the key tool for the construction of British gained a formulated pattern or a fixed structure of national identity. At present, the belief in the narrative. Making use of the narrative’s function as importance of the link seems to depend heavily community maintenance, directors of the quickies on the unacknowledged acceptance of the old looked to the traditional assets of British culture, view of the cinema as having magical powers of such as melodrama, popular fiction and the West End expression” (“The British Cinema: The Known theatre. Above all, music hall, which had been Cinema?” in The British Cinema Book 205). decaying because of the rise of film industry itself, Another issue would be about British regional provided good motifs, making the audience feel culture, with the rise of Scottish and Welsh films nostalgia for good old days and constructing national in the 1990s. Hill describes as follows, drawing consciousness in a film; as a consequence, the quota on Paul Willemen’s view: “…the idea of British quickie, while of course having been influenced by the national cinema has often been linked, virtually Hollywood narrative structure, still created an own by definition, to discourses of nationalism and narrative style, which could be alternative to myths of national unity. However, this Hollywood and led to the birth of a British national formulation of a national cinema underestimates cinema. the possibilities for a national cinema to reimagine the nation, or rather nations within Notes Britain, and also to address the specificities of a ※1 The conditions that make a film British native national culture in a way which does not presume are as follows: “A British film was defined as one a homogeneous or ‘pure’ national identity. Indeed, made by a British subject or company, but the as Paul Willemen has argued, the national definition did not specify that control had to be in cinema which genuinely addressed national British hands, only that the majority of the specificity will actually be odd with the company directors should be British. All studio ‘homogenising project’ of nationalism insofar as scenes had to be shot within the Empire, and not this entails a critical engagement with ‘the less than 75 percent of the labour costs incurred complex, multidimensional and multidirectional in a film’s production, excluding payments for tensions that characterise and shape a social copyright and to one foreign actor, actress or formation’s cultural configurations’” (“British director, had to be paid to British subjects, or to Cinema as National Cinema” in The British persons domiciled in the Empire. The scenario had to be written by a British author, and the ※2 ※3 Cinema Book 212). ※4 The difference between narrative structure and [1927 Films] Act attempted to abolish blind and style I present in this paper is equivalent to, in block booking.” (Street 7) Easthope’s terms, the difference between According to Dickinson and Street, in 1926, just a language and discourse, which corresponds to year before the Films Act was introduced, 83.5 % Ferdinand de Saussure’s dichotomy “langue” and of British domestic film market was occupied by “parole.” Easthope analyzes the relationship the U.S. companies, while British was only 4.8%. between identity and discourse, and insists that (42) there is no way to avoid the “insiderism” in the The argument about the relationship between construction of national identity, to the same British cinema and national identity is not so extent as the process of the construction cannot simple, of course. Alan Lovall criticizes John be completed. “If identity is understood as an 130 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第6巻 平成 24 年 2月 effect of discourse, national identity in a national Works Cited culture can never achieve the unified Bordwell, David, Janet Staiger and Kristin homogeneity it wishes for itself. It may be less Thompson. The Classical Hollywood Cinema: heartening to admit that the same line of Film Style & Mode of Production to 1960. London: argument entails there can be no escape from Routledge, 1985. identity (except into psychosis or death); and Brandford, Steve, Barry Keith Grant and Jim Hillier, further that all identity defines itself precisely by ed. The Film Studies Dictionary. London: Arnold, establishing an inside and an outside so that all 2001. identity to a degree practises insiderism together ※5 Coniam, Matthew. “Sing As We Go! (1934)” BFI with an exclusionary force” (24). S c r e e n o n l i n e . 9 S e p t . 2 0 1 1 〈h t t p://www. Todorov states: “Genres are the meeting place screenonline.org.uk/film/id/451833/index.html〉 between general poetics and event-based literary Chibnall, Steve. Quota Quickies: The Birth of the history” (18). The former is “discursive reality”; British ‘B’ Film. London: British Film Institute, the latter is “historical reality,” which can form 2007. some groups such as symbolists, without Dickinson, Margaret and Sarah Street. Cinema and necessarily having exactly the same discursive State: The Film Industry and the British style. In the light of this classification, the Government 1927-1984. London: British Film individual style would be the former, and the group style can be the latter. Concerning British Institute, 1985. Easthope, Antony. Englishness and National Culture. genre cinema, Marcia Landy states: “British London: Routeledge, 1999. genres are more than an abstract system of Higson, Andrew. Waving the Flag: Constructing a formulas, conventions, and codes that are National Cinema in Britain. Oxford: Clarendon universally applicable. National identity, social history, and ideology play a central role in their Press, 1995. Kermode, Frank. The Genesis of Secrecy. London: formation” (11). ※6 Harvard University Press, 1979. Street points out that British films were under Landy, Marcia. British Genres: Cinema and Society, the influence of other national cinemas as follows, 1930-1960. Princeton: Princeton University although she seems not to separate structure Press, 1991. from style. “As far as artistic structures are McFarlane, Brian, ed. The Encyclopedia of British concerned, it is clear that British directors were Film. London: Methuen Publishing Limited, influenced by international styles ranging from 2003. Hollywood to Soviet cinema. The latter’s tradition Murphy, Robert, ed. The British Cinema Book. 2nd ed. London: British Film Institute, 2001. of montage was significant in the development of the Documentary style, while Hollywood Street, Sarah. British National Cinema. London: Routledge, 1997. contributed continuity principles and tightly organized narrative frameworks” (32) . ※7 Todorov, Tzvetan. Genres in Discourse. Trans. Critics often refer to the influence of music hall Catherine Porter. Cambridge: Cambridge on British cinema, or British culture. “Andy University Press, 1990. Medhurst has rightly concluded that ‘any history of British cinema that realizes the need to situate the cinematic institution within its shifting webs of social relationships needs to pay great attention to the legacies of music hall’” (Chibnall 95-6). ※8 Matthew Coniam, “Sing As We Go! (1934)” in BFI Screenonline. Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 6, February 2012 131 ノート 平成26年10月15日受理 On the Possibility of Film Stylistics 映画文体論の可能性について ● 深谷公宣/富山大学芸術文化学部 FUKAYA Kiminori / Faculty of Art and Design, University of Toyama ● Key Words: Narrative, Narratology, Stylistics, Cognitive Linguistics, Geoffrey Leech, Mick Short, Seymour Chatman, David Bordwell Introduction In the Bulletin of the Faculty of Art and Design of 1. Reconsideration of Literary Stylistics Style in Fiction by Leech and Short was first published University of Toyama vol. 6, I examine the “ narrative in 1981. While stylistics had been established in its own style ” of the 1930s British “ quota quickies. ” *1 In the right in Germany or France, their book was the first article I focus on the style rather than the “ narrative influential study on stylistics within the field of Anglo- structure, ” because the distinctive feature of the 1930s American linguistics or literature. British film trend seems to be found in its style while its structure resembles that of Hollywood films. They revised the book in 2007, adding two chapters. In one of these chapters, titled “ Stylistics and fiction 25 Because the term “ style ” is poorly defined in film years on, ” the authors consider the recent development theory, it is used in various ways. A theoretical definition of stylistics and re-examine their own theory and of film “ style ” is needed to help film theorists arrive methods. Reflection on the views presented in this at a common understanding. The definition of what the chapter can enhance our understanding of current issues film style is could provide the foundation for a new in literary stylistics, laying a foundation for exploring area of study: “ film stylistics. ” Scholars in the fields of the possibility of film stylistics. film semiotics and film narratology have provided clues Style in Fiction can be regarded as a companion for analyzing films in terms of linguistics; however, the to Leech’s study on stylistics in poetry, A Linguistic possibility of film stylistics has yet to be explored. This Guide to English Poetry, which was published in 1969. is the focus of this paper. According to Leech and Short, literary stylistics derives The development of stylistics has been drawing from Russian Formalism and Practical Criticism, as attention in literary studies. One of the most remarkable represented by I. A. Richards or William Empson. achievements in Anglo-American linguistics is Style in However, at the time when they published the first Fiction, published by Geoffrey Leech and Mick Short edition, most of the analysis focused on poetry. Style in in 1981, which has helped to advance the study of Fiction was the first fundamental theoretical approach to literary stylistics. The following discussion addresses the style of prose fiction (Leech and Short 282-283). its advancement based on the additional chapter that is At the beginning of Style in Fiction, Leech and Short included in the second edition (2007). In this chapter, refer to the idea of style as “ relational ” (10), and they titled “ Stylistics and fiction 25 years on, ” Leech and examine the domain to which the term style is applicable Short reconfigure the map of the discipline. and the perspective from which it is viewed. The object After surveying the trend of literary stylistics, I review of analysis is restricted to the style of “ texts ” separate the field of film narratology, the interests of which from the author’s personality, given that “ the more overlap with those of stylistics, by referring to the general the domain, the more general, selective and arguments of two major theorists: Seymour Chatman tentative are the statements about its style ” (11). On the and David Bordwell. After elucidating the difference basis of this analysis, they reflect upon two perspectives between their views regarding the components of film, I that had been observed in stylistic analysis: dualism, in conclude this paper by identifying important aspects to which the text is separated from the theme, and monism, consider in the exploration of film stylistics. which incorporates both the text and the theme. Leech 100 GE I B UN 0 0 9 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第9巻 平成27年2月 and Short reject neither. Instead, they adopt a more the development of film stylistics. pluralistic perspective, drawing on three representative Third, cognitive linguistics could open the possibility works, that treat language as multifunctional: Practical for elucidating the types of extra-textual aspects that Criticism by I. A. Richards, “ Linguistics and Poetics ” drew the interest of Leech and Short through Halliday by Roman Jacobson and Explorations in the Function and Fowler. In the second edition, Leech and Short of Language by M. A. Halliday (25). From these three refer to George Lakoff’s idea of cognitive metaphor and works, Leech and Short pay the most attention to the Gilles Fauconnier’s mental space or blending theory. three functions described by Halliday: Ideational, We should also not ignore the fact that the theory of Textual, and Interpersonal (26-27). narration constructed by David Bordwell draws upon It is interesting to note that their concern for Halliday’s theory includes such seemingly non-linguistic aspects cognitive psychology, although he is not actually concerned with linguistics. as Ideational or Interpersonal functions. This is because Considering the progress in stylistics, Leech and Halliday emphasizes the “ cognitive ” meaning of Short reorganize their subjects of study as follows: “ (i) language. Leech and Short associate this approach with style, (ii) point of view, (iii) story/plot, (iv) fictional Roger Fowler’s concept of “ mind style, ” reflecting the worlds, (v) character, (vi) theme and (vii) evaluation and worldview of the addresser (Chapter 6). As I argue later, appreciation ” (289). Although the subjects addressed in Leech and Short push this concern further, while the the first edition were largely related to (i) and (ii) Leech film theory of David Bordwell is affected by cognitive and Short argue that, in the future, stylistics should focus psychology. In any case, Leech and Short see styles of more on (iii) to (vii). fictional language from a multi-level perspective. As argued by Leech and Short, advancement has In the first edition, Style in Fiction analyzed literary occurred in literary stylistics. In the next section, we style according to the following aspects: fictional world, relate this new movement of stylistics to narratological discourse, the author / narrator / reader, along with their trend of film studies in order to reveal the possibility points of view: and rhetoric, speech and thought. These of film stylistics. We focus on two theorists, Seymour aspects can be considered the subjects of their study, Chatman and David Bordwell, each of whom adopts a which they examine according to various functions unique view of film style. of language: lexeme, grammar, figures of speech, and context/cohesion. The variety of subjects and functions reflects the authors’ tendency towards a multi-level 2. Film Narratology In this section, I review the representative theories on perspective. film narrative or narratology, as described in Seymour In the second edition, Leech and Short summarize the Chatman’s Story and Discourse and Coming to Terms, progress that occurred in the field of stylistics in the 25 as well as in David Bordwell’s Narration in the Fiction years after the publication of the first edition. Stylistics Film. To connect their narratological views to literary has prospered, extending beyond prose fiction to include stylistics, I examine their theories from three viewpoints even plays as an object of its analysis. In addition, the selected from the list compiled by Leech and Short: (i) field of stylistics has been influenced by its neighboring style, (ii) point of view, and (iii) story and plot. disciplines: pragmatism, narratology, critical discourse analysis, corpus linguistics, and cognitive linguistics. In terms of film stylistics, it is interesting to mention 2.1 Seymour Chatman Chatman’s two major works on literary or filmic narratology and cognitive linguistics for several reasons. narrative are Story and Discourse: Narrative Structure First, the subjects of stylistics often overlap with those in Fiction and Film and Coming to Terms: The Rhetoric of narratology. All of the abovementioned items that of Narrative in Fiction and Film. As suggested by the are included in the book by Leech and Short can be former title, Chatman’s theory tends to treat narrative covered in narratology. Second, some film theorists as a structure. Chatman draws on Jean Piaget to discuss (e.g., Seymour Chatman, David Bordwell, and Mieke structure as comprising three elements: wholeness, Bal) attach importance to the narrative aspects of film. transformation, and self-regulation (Story and Therefore, narratology could serve as a starting point for Discourse 20-21). In the paragraphs below, I discuss his Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 9, February 2015 101 theorizations of the three elements, style, point of view, Fellini’s, the puritanic and “ standing still ” slant of and story/plot. John Ford’s, the “ sexual buddy ” slant of Howard The title of Chatman’s work, Story and Discourse, also Hawks’s, the musing, environment-sensitive slant represents his attitude toward the relationship between of Michelangelo Antonioni’s, the heroic nationalist the story and the plot. According to Chatman, story slant of Leni Riefenstahl’s, and so on. (154) and discourse (not plot) are two major components of a narrative. He argues that the two should not be Here, the term style is used to represent the film artists’ conflated. A story is a set of events, characters, setting, “ ideological or psychological ” features as manifest in and all other items that are related to the narrative, and their expressions. This is the “ actualization ” of “ the discourse is a verbal method for expressing these items. more abstract levels of narrative. ” In other words, style In other words, story indicates the content of expression, is a means of bringing something that is extra-linguistic and discourse is the expression. To Chatman, plot is a or invisible (e.g., the artist’s idea or psyche) into the story rearranged by discourse, or “ story-as-discoursed ” linguistic or visible field. In this sense, Chatman treats (43). style as existing outside the narrative structure, being Chatman’s view of story and plot originates in employed only to complete the narrative. two schools of thought: Russian Formalism and Interestingly, however, Chatman’s idea of style Structuralism. The story/plot dichotomy is based on the presupposes his own method of organization and formalist ideas of fabula and syuzhet. In their second categorization, because it is captured according to his edition of Style in Fiction, Leech and Short describe the understanding of the terms that are alternative to the relative influence of these two lines of thought on Anglo- narrator’s “ point of view ” : slant, which he distinguishes American scholars exploring the story/plot structure: “… from the character’s “ point of view, ” filter. The former by the 1960s structural and formalist influences from lies with the implied author or the narrator’s intellectual outside the English-speaking world had brought a new perspective, which remains outside of the story. In interest in story structure ” (290). They count Chatman contrast, the latter reveals the character’s perspective among the literary theorists or critics adopting the within the story that the character actually experiences. structuralist view, particularly in terms of the story/plot Hence, style is considered as mediating between slant analysis, together with Barthes, Bal, Fludernik, Herman, and filter (or, in some cases, being wedged between Rimmon-Kenan, and Toolan (290). them). This can be categorized as the slant-style-filter Chatman’s view of the relationship between story and structure. Therefore, slant and filter are introduced as plot is obviously not a simple dichotomy. As stated in new categories in order to avoid such comprehensive Story and Discourse, story and discourse have their own and ambiguous ideas as “ point of view, ” “ perspective, ” respective materials and forms (26). However, he adopts and “ focalization. ” a method of organizing terminology and categorizing In comparing Chatman’s views on the three subjects ideas that allows him to avoid ambiguity in his narrative -- style, point of view, and story/plot -- with those theory. In this sense, his methodology is primarily expressed by Leech and Short, it is helpful to elucidate structuralist. the difference between the two disciplines of stylistics If style is “ relational, ” as described by Leech and film narratology in order to determine the possibility and Short, it seems to be at odds with any form of of film stylistics. organization or categorization. Chatman uses the term in (i) Style: While Leech and Short confine their object a different way. In Coming to Terms, he states, of analysis to texts, they are interested in Halliday’s idea of ideational function and cognitive linguistics, Slant has been found not only at the more abstract thus apparently including something that should be levels of narrative but also at that of actualization called “ extra-textual. ” Furthermore, Chatman refers or “ style. ” (…) At the level of individual style we to style as a means of actualizing the “ ideological find idiosyncratic ideological or psychological and psychological ” thought of the implied author slants: the typically pessimistic slant of Alfred or narrator. In this sense, their views of style are Hitchcock’s narrators, the buoyant slant of Federico similar. However, Chatman remains within the 102 GE I B UN 0 0 9 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第9巻 平成27年2月 formalist and structuralist tradition, showing no and plot. However, once its influence has weakened, interest in cognitive science as such. their focus shifts to inference, foregrounding, and other notions derived from pragmatism and (ii) Point of view: Both theories include extra-textual standpoints. In the first edition of their book, Leech cognitive linguistics. In contrast, Chatman’s view and Short introduce two conceptions: the fictional falls within the formalist and structuralist tradition, point of view and the discoursal point of view. which Leech and Short argue should be overcome The former is “ the viewpoint held by one or more by the cognitive approach. characters whose consciousness is represented Briefly stated, the difference between the stylistics through the fiction ” (298-299) and the latter is “ the of Leech and Short and the narratology of Chatman relationship between the teller (the ‘ implied author’ is reflected in their respective attitudes toward the or narrator) and the fiction being represented ” (299). cognitive aspects of linguistics. In terms of film style, These seem to correspond to Chatman’s “ filter ” the cognitive perspective seems to be useful, while the *2 and “ slant. ” However, the difference might seem formalist or structuralist appears nearly indispensable in larger, if we were to follow the transformation of the analysis of film structure. their theories. In the second edition, Leech and In the next section I examine the two standpoints Short redraw their conceptions about the “ point described above from a different angle. I do this by of view, ” with reference to Paul Simpson’s four reviewing David Bordwell’s theory, which employs the categories. They compare one of these categories, cognitive perspective while using the vocabulary of “ psychological viewpoint, ” to Chatman’s old Russian Formalism. notion of “ conceptual point of view, ” which had been employed before he invented the new term, “ slant. ” In other words, they feel it necessary to 2.2 David Bordwell David Bordwell’s view of story and plot in film is allow themselves to adopt various levels of “ point also based on the Russian Formalist ideas of fabula and of view. ” As they change their standpoints, they syuzhet, which are the two components of narration. also question the validity of such notions as the According to Bordwell, the fabula, or the story, “ implied author, ” “ reflector, ” or “ focalizer. ” These “ embodies the action as a chronological, cause-and- notions represent an agent of conveying a message effect chain of events occurring within a given duration from a certain “ point of view ” because they tend to and a spatial field ” (Narration in the Fiction Film enclose plural or multileveled perspectives within 49). In contrast, the syuzhet, or the plot, is “ the actual the restricted scope of the addresser. This leads arrangement and presentation of the fabula in the film ” Leech and Short to renew their evaluation of “ mind (50). style, ” in connection with Chatman’s “ conceptual Bordwell considers story as something that spectators viewpoint ” (301). Ironically, however, Chatman construct and complete through their “ inferences ” (30). changes his three categories on “ point of view ” The story is not given to them; it is a process in which ̶ perceptual, conceptual, and interest (152), as they also participate. This view of story differs from that presented in Story and Discourse ̶ into the new of Chatman, although it is similar to the recent attitude ones ̶ “ slant ” and “ filter ” ̶ which Leech and of Leech and Short. Bordwell draws on Constructivist Short do not seem to notice. In this terminological psychology (30). He is critical of mimetic tradition in renewal, Chatman does not relinquish the role Western literary and filmic art, which places its central of the agency ̶ the implied author or narrator. emphasis on the author or narrator, thus ignoring Instead, he strengthens it. While Leech and Short the faculty of the audience. Bordwell focuses on the are conscious of the plural dimensions of “ point spectator’s “ schemata, ” a set of knowledge that guides of view ” including its cognitive aspects, Chatman their “ hypothesis making ” (31), which makes them keeps attempting to place this idea into a strict search for a story. Thus, he rejects the term “ narrator ” category. or “ narrative ” which seems to presuppose a given story, (iii) Story/Plot: Leech and Short mention the influence of formalism and structuralism on the study of story and instead applies the term “ narration ” to represent the dynamics of the story-creation process. Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 9, February 2015 103 For Bordwell, style is another component of the the spectator ” (Coming to Terms 124). Chatman also narration. He argues that it is correlative with plot, which sees Bordwell’s definition of the terms, particularly shows us the progression or turning point of events and the relationship between plot and style, as somewhat scenes. In other words, it reveals a “ dramaturgical ” ambiguous. Chatman considers the categorization process of film. For Bordwell, style is a “ technical ” contained in Bordwell’s statement that the “ syuzhet process (50) through which the dramaturgy is realized. embodies the film as a ‘ dramaturgical’ process; style Style interacts with plot to offer hints to help the embodies it as a ‘ technical’ one ” (50) as insufficient: spectator make inferences regarding the story. Bordwell “ Applying the word ‘ embodies’ to both these levels is defines these three components of narration as follows: a bit problematic, however, unless the embodiment is “ In the fiction film, narration is the process whereby the understood to be layered ” (125). He insists that both plot film’s syuzhet and style interact in the course of cueing and style have unique, specific modes and roles: “ To my and channeling the spectator’s construction of the mind, it makes sense to say that the syuzhet ‘ arranges’ fabula ” (original emphasis, 53). the fabula into a text, but the style actualizes that In his refusal to position the narrator in a fixed place, arrangement; that is, it ‘ embodies’ the total narrative ” Bordwell also denies the existence of a subject who (original emphasis, 125-126). If Chatman adheres to the adopts a certain “ point of view. ” Establishing the formalist and structuralist tradition as described in the narrator’s point of view alienates the spectator which previous section, he would obviously not be satisfied Bordwell values. Chatman and the first edition of with Bordwell’s vagueness. Thus, concerning the issue Leech and Short adopt such conventional notion as the of the “ point of view ” and the agency of narration, the implied author, the narrator, the character, considering views that Leech and Short express in the second edition these points of view as a source of the message to the of Style in Fiction come closer to Bordwell’s theory of reader or the spectator. In contrast, Bordwell expresses narration, even as Chatman maintains such conventional doubts about a one-way flow of information from a fixed categories as the implied author and narrator. subject: The passivity of the spectator in diegetic theories 3. Conclusion and Prospect This paper opens with a discussion of the second generally is suggested not only by the extensive edition of the classical study of stylistics by Leech and borrowing of mimetic concepts of narration but Short, Style in Fiction, along with a survey of current also by the use of terms like the “ position ” or the issues in literary stylistics. According to Leech and “ place ” of the subject. Such metaphors lead us to Short, the subjects in stylistics (e.g., point of view or conceive of the perceiver as backed into a corner by story/plot structure) should be examined in more depth conventions of perspective, editing, narrative point than they had done in their first edition. They also of view, and psychic unity. A film, I suggest, does identify the possibility of the developing stylistics in not “ position ” anybody. A film cues the spectator to relation to cognitive linguistics. Even in the first edition, execute a definable variety of operations. (original they are concerned with the cognitive aspects, drawing emphasis, 29) on Halliday’s ideational function or Fowler’s mind style. However, in the second edition, they suggest that their Thus, Bordwell confines the use of the term, “ point of analysis is in need of further refinement with reference view, ” to the “ optical or auditory vantage point of a to pragmatism, cognitive metaphor theory, or other character ” (60). emerging linguistic trends. Although Chatman criticizes Bordwell’s views of style, In the second section of this paper, I attempt to connect point of view, and story/plot, he values Bordwell’s theory the views of Leech and Short regarding literary stylistics as a whole. First, Chatman calls Bordwell’s rejection to film studies, and particularly to film narratology, of the narrator into question: “ My only real criticism the analytical subjects of which are similar to those is that it goes too far in arguing that film has no agency of stylistics. Reviewing the two representative and corresponding to the narrator and that film narrative is somewhat opposing theories of Seymour Chatman and best considered as a kind of work wholly performed by David Bordwell, I demonstrate two different types of 104 GE I B UN 0 0 9 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第9巻 平成27年2月 film analysis: structuralism and cognitivism. This paper is intended to locate the notion of “ narrative Both Chatman and Bordwell are well known for their style ” within the context of film studies, given its fluid own theories, although they obviously cannot cover character relative to the idiom of “ narrative structure. ” all of the issues concerning film narrative or film style. Although Chatman takes style as one element of the Much work remains to be done for the establishment narrative structure, his view is not concerned with of film stylistics, including the re-examination of the cognitive science and it seems to presuppose that every Russian Formalist study of style, structuralist linguistics, element of film can be explained in language. If film the film semiotics of Christian Metz, and the influence image extends beyond language, his approach might be of Noam Chomsky’s transformational grammar on insufficient. In contrast, Bordwell’s cognitive approach cognitive linguistics. Nevertheless, I conclude this brief favors the audience’s faculty of interpretation over the paper by stating fundamental problems. linguistic analysis of film message. In this method, The first problem concerns the gap between literature/ understanding the components of film narrative (e.g., language and film. In other words, it involves the story, plot, and style) is at least partly dependent on their application of literary stylistics ̶ the linguistic study intuition, thus leaving a certain element of ambiguity. of style ̶ to the analysis of films, which contain an This ambiguity might be caused by Bordwell’s lack accumulation of both images and words. Leech and of concern for cognitive “ linguistics, ” in light of his Short refer to such linguistic functions as lexeme or interest in cognitive “ psychology. ” In this sense, when grammar to analyze the distinctive feature of literary considering the cognitive side of film, the possibility of style. Perhaps similar tools exist for film stylistics. film stylistics is likely to lie in blending cognitive and As noted by Robert Stam, the notion of film language linguistic approaches. Nevertheless, it should not simply has been used since the earliest stages in the history mediate between Chatman’s categories and Bordwell’s of cinema. *3 Film is composed of images, some of inference. which cannot be captured by language. They cannot be anything but metaphors when talking or writing about Notes them. In this sense, the cognitive approach that is used *1 Fukaya 124-131. by Leech and Short and by Bordwell might be helpful in *2 While Chatman’s “ slant ” concerns the narrator’s addressing the issues beyond language in film stylistics, “ ideological or psychological ” aspect, the although its validity in the practice of film analysis fictional point of view adopted by Leech and remains to be seen. Short is related to the “ consciousness ” of the The second problem derives from the first; as noted in Chatman’s criticism of Bordwell, such cognitive character. *3 notions as inference and schemata introduce ambiguity “ Indeed, the notion of FILM LANGUAGE was already a commonplace in the writings of into the act of interpretation. Warren Buckland, who some of the earliest theorists of cinema, even also adopts a cognitive approach, criticizes Bordwell those untouched by the theoretical movements for ruling out the possibility of the linguistic analysis of of schools of which we have spoken ” (original film and doubts the validity of his theory: “ The problem emphasis, 28). with Bordwell’s cognitivism is that he has rejected the communication model of narration, the role of the narrator, and has developed a disembodied theory of Works Cited Bordwell, David. Narration in the Fiction Film. schemata ” (ch. 2). Buckland attempts to restore the Madison: The University of Wisconsin Press, 1985. cognitivist approach to linguistics in a broad sense, Print. referring to the continental trend of film studies, which Buckland, Warren. The Cognitive Semiotics of Film. re-evaluates the achievements of semiotics or generative Cambridge University Press, 2000. Kindle file. grammar. Chatman, Seymour. Coming to Terms: The Rhetoric of Narrative in Fiction and Film. Ithaca and London: Thus, one issue that calls for further examination concerns whether film style should be analyzed from a linguistic perspective, a cognitive perspective, or both. Cornell University Press, 1990. Print. ̶ . Story and Discourse: Narrative Structure in Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 9, February 2015 105 Fiction and Film. Ithaca and London: Cornell University Press, 1978. Print. Fukaya, Kiminori. “ Quota Quickies: British B Movie’s Narrative Style and the Problem of Nationality in the 1930. ” Bulletin of the Faculty of Art and Design of University of Toyama vol. 6. Feb. 2012: 124-131. Print. Leech, Geoffrey and Mick Short. Style in Fiction: A Linguistic Introduction to English Fictional Prose. Second Edition. Harlow: Pearson Education Limited, 2007. Print. Stam, Robert, Robert Burgoyne, and Sandy FlittermanLewis. New Vocabularies in Film Semiotics. London and New York: Routledge, 1992. Print. 106 GE I B UN 0 0 9 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第9巻 平成27年2月 ノート 平成26年10月15日受理 芸術系学生のための海外研修のありかた ニュージーランド、ユニテック工科学校視察報告を兼ねて The Value of an Overseas Study Program for Art Students: Viewpoints from the Inspection of UNITEC in New Zealand ● 深谷公宣/富山大学芸術文化学部、小川太郎/富山大学芸術文化学部 FUKAYA Kiminori / Faculty of Art and Design, University of Toyama OGAWA Taro / Faculty of Art and Design, University of Toyama ● Key Words: 国際交流、英語教育、派遣留学、語学研修、ニュージーランド 1.視察の経緯と目的 か、についての調査を託された。 平成 25 年 10 月、富山大学国際交流センターが発足し、 事前打ち合わせのため、上記( 1 )( 2 )に基づいた 全学的な国際交流事業の推進体制が整備された。主たる 具体的な視察希望項目を小川、深谷両名でとりまとめ、 事業として、センターは海外交流協定及び短期派遣留学 1 月 22 日に電子メールで深谷から国際交流センターに (語学研修)制度(以下、語学研修)の拡充に着手した。 平成 26 年現在、本学は 3 つの語学研修を実施してい ユニテックとの調整を依頼した。項目は以下の 3 点であ る。 る。米ケンタッキー州のマーレイ州立大学、ハワイ大学 (内容は「芸 ( a )ユニテック言語学科責任者との会合。 マウイ校、ニュージーランドのユニテック工科学校(以 術系学生を対象とした研修プログラムの実施可能性」に 下、ユニテック)である。前 2 者は五福キャンパスの ついて) 複数の部局が、後者は杉谷キャンパス教養教育言語系 ( b )教育現場見学。見学希望先として、建築学科、景 *1 平 教員グループが企画・立案し、毎年実施してきた。 観建築学科、デザイン・視覚芸術学科、舞台・映像芸術 成 26 年度研修の実施時期はいずれも平成 27 年 2 ∼ 3 月 学科、建築技術学科(特に家具・キャビネット制作) で、日程と費用は以下のとおりである(平成 26 年 11 月 ( c )英語の授業見学 現在) 。 しかし国際交流センターによるその後の調整は滞り、こ ・マーレイ州立大学 ちらの希望をユニテックに伝えた旨の連絡はあったもの 日程:平成 27 年 2 月 11 日(水)∼ 3 月 15 日(日) の、結局会合日程や見学先の確定が出来ないまま渡航日 費用:約 53 万円 を迎えることとなった。このため、会合時間や見学先の ・ハワイ大学マウイ校 調整は最終的に小川、深谷が現地で行わなければならな 日程:平成 27 年 3 月 15 日(日)∼ 4 月 4 日(土) いという問題が生じた(第 6 節で後述)。こうした経緯 費用:約 40 万円 から、学部からの依頼事項( 2 ) 、またそれに基づく項 ・ユニテック工科学校 目( b )については今回、授業や学習環境の視察がほと 日程:平成 27 年 2 月 28 日(土)∼ 3 月 28 日(土) 費用:約 52 万円 んどできなかった。よって以下に述べるのは主として ( 1 )の調査についての報告とそれに基づく考察である。 芸術文化学部では、過去に学生がマーレイ州立大学の 語学研修に参加した実績がある。ただし学部としての組 2.日程 織的な関与は無く、あくまで学生個人の自主的な参加に 調査旅行期間は 2014(平成 26 )年 3 月 13 日(木) 留まっていた。ところが国際交流センター発足後、交流 から 3 月 19 日(水)の 1 週間であった。 事業拡充の視点から本学部にも組織的な関与が求められ ることとなり、平成 26 年 1 月 16 日、国際交流センター 3 月 13 日(木) 長から本学部に対して今後の語学研修プログラムへの関 午後、成田国際空港発。 与を見据えた現・研修先の視察依頼が出された。視察先 は、芸術系の教育組織を持つユニテックである。 3 月 14 日(金) これに伴い、派遣教員として小川・深谷の 2 名が選定 午前、ニュージーランド、オークランド国際空港着。 された。本学部からは視察の目的として、ユニテックが 午後、ユニテック、マウント・アルバート・キャンパ ( 1 )英語の語学研修先として相応しい環境か、 ( 2 )語 ス訪問。ユニテック側関係者との面会時間が不確定で 学研修以外の研修先として研修を行うのに適している あったため、その確認も兼ね、言語学科( Department 108 GE I B UN 0 0 9 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第9巻 平成27年2月 of Language Studies )の受付へ。事務職員を介し、急 3.訪問先国の概要 遽言語学科プログラム・リーダー、カースティ・ウィリ ニュージーランドは、オセアニア地区ポリネシアに位 アムソン( Kirsty Williamson )氏との面会が設定される。 置し、島国で火山、温泉、地震、四季があるなど、日本 ユニテックの英語教育制度や使用教材について説明を受 との類似点が多い。国土面積約 267,800 平方キロメー け、意見交換。 トルと北海道を除いた日本の面積に等しい土地に、僅か また、富山大学からの研修参加学生が出席する授業を 452 万人強の人口を有する人口密度が極めて低い国であ 参観。その後、キャンパスを案内される。学生生活の中 1) オーストラリアからの距離は 2,000 キロ以上で、 る。 心となる広場である HUB(ハブ)や、図書館の言語学 主に国土は東北∼南西に伸びる 2 つの大きな島により形 習設備を見学。 成されており、首都は南島にあるウェリントン。日本と の時差は +4 時間で、一年を通して激しい気温の変化も 3 月 15 日(土) 2) 無くとても穏やかである。 オークランド博物館訪問。マオリ族の遺した工芸品、建 本学学生が研修を行う 3 月は夏の盛りが落ち着いた頃 造物や、パフォーマンスを見学。 にあたり、最高気温も平均で 20℃強と過ごし易い。本 学の学生にとっては、体力的にも負荷が少なく勉学に専 3 月 16 日(日) 念出来る自然環境である。ただ今回の訪問中(週末)に、 オークランド・シティ・アートギャラリー訪問。近現代 巨大サイクロンがニュージーランド北島を直撃し、穏や の絵画、彫刻等を中心に見学。 かなだけではない一面も垣間見た。 ユニテック(マウント・アルバート・キャンパス)の 3 月 17 日(月) あるオークランドは北島の北方に細長く突き出たオーク 午 前 10 時 に ユ ニ テ ッ ク へ。 国 際 交 流 事 務 所 ランド半島の付け根に位置する人口 40 万人、国内最大 ( International Office )にて、国際マーケティング・マ の都市である。 (同じアメリカのオークランドとは発音、 ネジャー、ヴィヴィエン・キングスベリー( Vivienne 綴りが異なる。 )多様な民族が共存し、 治安は比較的良く、 Kingsbury )氏及び「デザイン・視覚芸術学科( Design とてもリラックスした雰囲気に包まれている。だが先進 and Visual Arts )」の教員 1 名と面会。ユニテックの学 国の首都などと比較しても物価は高い。 年制・学期制や、同学科の教育システム(学位を得るた 学校周辺の環境については 4.3 に詳しく記す。 めの教育課程等)について説明を受け、意見交換。 その後、ユニテックが雇用する国際コーディネーター、 4.視察教育機関ーユニテック工科学校について ティナ・アンジェローヴァ( Tina Angelova )氏と面会。 ユニテックは総合大学ではなく工科学校であり、専 ホームステイのマッチングや、富山大学が独自に依頼し 門的職業人育成を重視した教育が特徴である。ただし ている研修プログラム(学生の専門分野に見合った施設 ニュージーランドでは大学、工科学校、ポリテクニクを 訪問、講義等)の調整に関する説明を受け、意見交換。 含めた高等教育機関で授与される資格の基準が統一され 続 い て、言 語学科長ニック・シャックルフ ォ ード ており、工科学校でも認定証( Certificate )レベルから ( Nick Shackleford )氏と面会。芸術文化学部の学生が 博士の学位( Doctoral Degree )まで、大学と同等の資 研修に参加した場合のプログラムのあり方等について協 *2 格を受けることができる。 議。 ユニテックは工科学校としてはニュージーランド最大 午後、言語学科長の計らいにより授業見学。その後、 で、2014 年現在、80 カ国 23,000 人の学生が学んでい キャンパスを散策し 14 日に見られなかった施設等を見 る。3 つのキャンパスがあり、語学研修が行われる言語 学。 学科はマウント・アルバート・キャンパスに位置する。 3 月 18 日(火) スである。 14,000 人以上の学生が学ぶユニテック最大のキャンパ 正午、シャックルフォード言語学科長と会食。異文化環 境のなかで英語を学ぶ意義等について協議。 4.1 施設 夜、オークランド国際空港発。 本学学生が学習することになるマウント・アルバー ト・キャンパスはオークランドの郊外に位置し市内中心 3 月 19 日(水) 部からの直線距離で 7 キロ程度、電車、バスだと 40 ∼ 成田国際空港着。 50 分程かかる。実際、学生は郊外にホームステイする ケースが多いため、通学に要する時間は様々なようだ。 Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 9, February 2015 109 トは、参加学生には地域特有のマオリ文化に触れる機会 となるだろう。 4.2 英語教育 ユニテックの英語教育は言語学科でおこなわれる。 2014 年に入ってカリキュラム改革が実施され、 「ニュー ジ ー ラ ン ド 政 府 英 語 資 格 認 定 基 準( New Zealand Certificates in English Language、 通 称 NZCEL )」 が 採用されることとなった。これは達成レベルを 1 ∼ 5 (レベル 1 は 2 段階あるので合計 6 段階)に分けるもの 図1 マウント・アルバート・キャンパス外観 で、 「ヨーロッパ共通言語参照枠( Common European Framework of Reference for Languages、通称 CEFR )」 *3 私たち を参考に導入された全国共通の新基準である。 の訪問時は新基準に基づいたカリキュラム運用開始後最 初の学期であり、教職員が対応に追われていた。 ユニテックの英語教育は上記資格基準のレベル 2 ∼ レベル 5 に合わせておこなわれる(レベル 1 相当の教育 は実施していない) 。ブリティッシュ・カウンシルが主 導する英語能力試験アイエルツ( IELTS )のスコアに 換算すると、レベル 3 = IELTS 5.5、レベル 4 = IELTS 6.0、レベル 5 = IELTS 6.5 に相当するという。3 )アイエ ルツは英国文化圏への留学等に要求される英語の試験 だが、公益財団法人日本英語検定協会によれば、ユニ 図2 図書館の言語学習設備 テックの「レベル 4 」に相当する 6.0 点は「有能なユー ザー」 ( 「不正確さ、不適切さ、および誤解がいくらか見 キャンパスは広大であるが、言語学科は多くの共有施 られるものの、概して効果的に英語を駆使する能力を有 設が集まる HUB と呼ばれる区画に隣接しており、利便 4) 日本に馴染み深い評価 している」)と解釈されている。 性が高い。 基準で言えば、6.0 点は英検準 1 級程度、すなわち大学 HUB はカフェテリア、学務窓口、図書館、本屋、床屋、 生が有しておくべき「標準」の英語力と考えてよい。本 留学生相談窓口、売店、薬局、コンピュータ室、学生会 学の参加学生は例年、初日に実施されるクラス分けテス 本部、娯楽施設などが集まった一画であり、そこにある ト( Placement Test )の成績によって大学生の標準に当 カフェテリアの名称でもある。 たるレベル 4 を軸に、実力に合ったレベルに振り分けら 学生窓口は親切な個別対応をしており、利用し易い施 れるが、この点、無理のないクラス分けといえよう。ク 設であったように思う。床屋は市内の理容学校の研修を ラス分け後、学生は通常の学期( regular semester )16 兼ねており、安価である。本屋は必要なテキストと画材 週のうち、3 週間、当該クラスに合流するかたちで授業 などが売っているだけで本学の売店より遥かに広いもの を受けることとなる。 の極めて質素である。 今回の視察では 2 つの授業を参観した。 その他、電子レンジやポットが備え付けられた簡単な 1 回目( 3 月 14 日)に参観した授業には本学学生が 調理室も用意されていた。 参加しており、次週に行われる試験を想定した演習が 図書館には、言語学習設備がありテキストなどの開架 おこなわれていた。クラスサイズは 10 名ほどの少人数。 図書や視聴覚教材も多く充実していた。 演習内容は、ある文を別の構文を使って言い換える、パ また、学生が企画するイベントなども、HUB の広場 ラフレーズの練習である。2 人ずつペアを組み、予め用 でおこなわれるようだ。今回の訪問機会中にはクラフト 意された文章カードを用いて、ひとりが 1 文を発話し、 フェアがおこなわれていた。フェアの中ではマオリの伝 もう 1 人がその文を別の構文にして言い換える。表現力 統的な工芸品が印象的だった。マオリ学の先生がウッド の向上を意図していると思われる。本学の研修参加学生 カーヴィングの実演をされていたり、亜麻の葉を織り上 は、他の学生に比べてもペアワークの主旨をよく理解し げたバッグを販売する学生などがいた。こうしたイベン て演習に取り組んでいたようであった。パラフレーズに 110 GE I B UN 0 0 9 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第9巻 平成27年2月 はある程度の文法力が必要だが、当該学生の文法力が相 種」英語の話者によって支えられているという視点に立 対的に高かったのではないかという印象を持った。 ち、母語話者の少ないユニテックの環境を肯定的に捉え *4 本稿の筆者両名もこの考えに同意する。海外 ている。 語学研修の意義は、英語を媒体として多様な文化的背景 を持った人々と対話し、価値観を相対化しながら自分の 意見を構築する契機がもたらされる点にある。これが結 果として、英語表現能力の向上に繋がる。芸術文化学部 の学生にとってみても、たとえ「変種」英語であれ、多 様な文化的背景を持った人々との交流は好ましい。「芸 術」は新たな価値の創造行為であり、 「文化」はそうし た創造行為を支える教養を意味する。海外での他者との 交流を通して未知の価値観に触れ、新しい価値の創造の ために教養を積み重ねることは、「芸術」に関与するう えで極めて重要である。語学研修はそうした経験をもた 図3 授業の様子 らす絶好の機会であり、なかでも先住民マオリ、アジア 系を中心とした移民、 太平洋島嶼系 (トンガ、 サモア、フィ 2 回目( 3 月 17 日)に参観した授業では、使用教材 、さらには世 ジー等)の「パシフィック・ピープルズ」 に沿った授業が展開された。この日のトピックは “ Good 界各地からの留学生と英語で対話できるユニテックの環 Design ” であった。導入部で短い英文を参照した後に、 境は、本学部の学生にとって相応しいといえる。 関連する語彙の確認を行い、 「良いデザインとは何か」 について話し合う。ペアを組んで話し合った後、意見発 4.3 周辺環境 表、という流れで活動は進んだ。悪いデザインの例とし オークランドの街は坂が多く起伏にとんでおり、緑の て「戦争」という発言が聞かれるなど、日本の学生には 豊かな公園が多い。植物も亜熱帯特有の巨大なシダや、 あまりない視点からの意見もあり、文化の違いによって 固有種、大径木の松類、マングローブ、西洋の楢類など、 デザインという語へのイメージが異なる様子が伺えた。 我々が日常で目にするものと大きく異なり、興味が尽き そうした違いにより生まれる溝を、何度も意見を交わし ない。 ながら埋めて行く作業は、英語によるコミュニケーショ 多国籍文化を構築している国の中でもニュージーラン ン能力の向上にも繋がるであろう。授業はその後、文法 ドは差別のような、負の文化的摩擦が非常に少ない国で へと重心を移し、“ passive ”(受動態)の解説と、知識 ある。人種差別に関し、街で働く中国やインドからの移 定着のためのプリント演習がおこなわれた。 民に聞いても「特に差別は感じた事がない」との答えが 授業参観から感じたユニテックにおける英語教育の利 返って来た。 点は、( 1 )少人数クラスで教員と学生のやり取りが活 公共性の高い掲示板はマオリ語と英語の併記になって 発になされるため、英語での発言の機会が多く与えられ いるだけでなく、 移民の中に非英語話者が居る事もあり、 ること、( 2 )アジア系、アフリカ系、ヨーロッパ系な 街では至る所にピクトグラムなどの分かり易い表示があ ど、様々な地域の学生が受講しているため、文化的な差 る。様々な言語条件の人々とも情報共有が容易にはかれ 異を意識しながら英語を学べること、である。また、 (3) る仕組みが用意されている。 使用する英語の水準が高くなく、芸術文化学部の学生が 特に初めての海外体験をする学生たちにとって、自然 研修に参加した場合、英語が苦手な学生であっても、授 豊かで、人種偏見や差別による精神的なストレスが少な 業についていくのに大きな支障はないと思われる。 くリラックスした環境で勉学に勤しむ事が出来るのは、 ( 2 )について懸念があるとすれば、クラスメイトを かなりの好条件であろう。だがその反面、 「西欧先進諸 含めオークランド全体に移民が多いため、英語の母語話 国」から最も離れている地域であり、イギリスなどで観 者が教師やホームステイ先のホスト・ファミリーに限ら られるような、多様な文化が絡まり、積み重なった「深 れ、 ネイティヴの英語に触れる機会が少ないことである。 み」を体験する事は難しいと思われる。 この点に関しては杉谷キャンパス言語系教員グループに とは言うものの、もともとイギリスからの移民も多く よる「平成 19 年度ユニテック語学研修実施報告書」で さらに経済的にも文化的にもイギリスとの結びつきが強 も言及されている。この報告書では、現在の英語の広が かったため、イギリス連邦加盟国でもあるニュージーラ りが母語話者よりも第二言語としての英語、 あるいは 「変 ンドの言語や生活様式などの、基本的な要素はとても英 Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 9, February 2015 111 でも印象に強く残ったのはマオリをはじめとするポリネ シアの美的感覚が際立つ宝飾品、神具、道具類などだ。 それらは、非常に躍動的でありながら、均整の取れた静 けさをも持ち合わせた美しさがある。マオリ族による本 格的な歌やハカ(戦の舞)の披露も含め、展示資料の質 の高さと数量に圧倒される。 図6 オークランド博物館外観 図4 駅のホームに見られるピクトグラム ニュージーランドに人々が定住するのはポリネシア諸 、マルケサス 国の中でもかなり遅く( BC10 世紀前後) 諸島から折り返す様に移住してきたとされている。オー ストラリアのアボリジニ美術とマオリのそれに共通点が 少ないことにもうなずけた。 自然科学分野では自然災害や、地域特有の想像を超え る大きさ、美しさをもつ動植物など固有種が展示されて いる。 戦争関連の展示はとても充実しており、地理的に孤立 しているニュージーランドであっても現在まで西洋各国 と共に多くの戦争に参加し、地球の裏側にまで派兵して 来た事などが示されている。零式戦闘機(現存する唯一 のオリジナル 22 型機)やスピットファイア戦闘機、V1 図5 オークランド博物館の収蔵品 (左:マオリの集会場 右:伝統的な漁具) ロケット、第二次世界大戦での日本降伏文書など世界で も希有で見応えのある収蔵品や資料が、善悪でなく過去 国的である。 海外大手チェーン店などの出店が少なく抑えられてお り、独自の文化を守りながらも多国籍な文化と共存する 様は、まさにキウイスタイル(リラックスした、何事も 明るく捉えるニュージーランド特有の生活様式)と呼ぶ にふさわしいのかもしれない。 オークランドには、国立の博物館とアートギャラリー があり、ここでは世界の歴史や美術、ポリネシア固有の 文化、生物、美術などが学べる。 オークランド博物館では、芸術、民族学、自然科学、 戦争、歴史などがセクションごとに展示されている。中 112 GE I B UN 0 0 9 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第9巻 平成27年2月 図7 オークランド・シティ・アートギャラリー の傷として展示されている点が印象的であった。 5.2 芸術文化学部に相応しい海外研修のありかた アートギャラリーはヨーロッパを代表する作家の美術 ユ ニ テ ッ ク の 英 語 教 育 は「 総 合 英 語( General 作品が時代やムーブメントごとに並べてあり、美術の歴 English )」、「学術英語( Academic English )」、「職場英 史を一通り学べる構成になっているだけでなく、地元 」に分けられる。本学の語学 語( Workplace English ) アーティスト達の活躍、世界との接点、マオリアートな 研修は総合英語が中心である。学内には、学生が将来大 ども紹介しており、鑑賞し易い展示となっている。建築 学院に進んで英語で論文を書くという視点から学術英語 も 19 世紀に建造された古典的なビルに、近代的なエン を推す声もあると聞く。しかし芸術文化学部の学生の場 トランスが融合したもので、2013 年度 World Building 合は、論文執筆につながる専門英語よりも、異文化環境 of the Year を受賞している。 下での他者との対話、視野の拡大、自己表現方法の習得 5.交流事業 いっても、総合英語を学ぶのが妥当であろう。 5.1 「ニュージーランド短期英語研修プログラム」 もっとも総合英語を学ぶ過程で、芸術に関する題材を 5) といった点を重視すべきであり、研修期間の短さから (平成 18 年度〜) 扱う機会を増やせれば、それに越したことはない。芸術 ユニテックでの語学研修は「ニュージーランド短期英 文化学部の英語教育では、学生の動機付けや専門的な英 語研修プログラム」として、杉谷キャンパスの言語系教 語表現への関心を高める目的で、芸術関連の題材を多く 員グループが立案し、実施してきたものである。プログ 使用している。研修先で芸術に関する題材を取り上げて ラムの開始は平成 18( 2006 )年度である。クライスト・ もらえれば、本学部の英語教育と有機的な繋がりを持た チャーチ大地震の影響で中止の回もあったが、平成 25 せることができるのではないか。そうした視点から、ユ 年度のプログラムで 8 回目を数える。企画・立案、先方 ニテックの言語学科長、ニック・シャックルフォード氏 との交渉、事前研修、引率、報告会の実施、報告書の作 と協議した。 成等、仕事が多岐にわたるなかで、本プログラムは長き 芸術文化学部仕様の研修プログラムを組むことは可能 にわたって継続しており、杉谷キャンパス言語系教員の か、との問いには、シャックルフォード氏から「特別 熱意が伺える。 仕様( tailor made )のプログラム設計は可能であるが、 本研修には平成 25 年度から、五福キャンパスの学生 英語のクラスが富山大の学生で固まってしまうと異文化 も参加している。平成 26 年度プログラムからは他の 2 交流にならず、英語学習としての効果も上がらない」と つの語学研修とともに全学的に実施されることとなり、 の見解が示された。そのかわり、氏からは課外活動を利 芸術文化学部の学生も参加可能となった。 用した本学部学生独自のプログラムについて示唆があっ 実施時期は毎年 3 月、期間は約 1 か月である。そのう た。例えば、本学の語学研修がこれまでに行ってきてい ち 3 週間は前述のとおり、ユニテックの正規の英語授業 る「 3 週間通常授業+ 1 週間課外活動(富山大プログラ に富山大参加者が合流する。残りの 1 週間は、参加者の ム)」のスケジュールを踏襲し、課外活動の内容を、芸 専門性や興味関心に沿った「富山大プログラム」の実施 術関連の施設訪問や専門家による特別講義等にする、と をユニテック側に独自に依頼している。例年、杉谷キャ いう案である。また、「週 4 日通常授業+ 1 日課外活動」 ンパスの学生向けには「現地の医療機関、製薬会社への といったスケジュールの組み方があることについても示 訪問」等のプログラムが用意される。平成 25 年度に参 唆を受けた。ただしレベルによって授業の内容や進度が 加した五福キャンパスの学生向けには「現地高校の日本 異なるため、富山大生のみ週 1 日課外活動に出かけると 語授業参加や日本に本社をもつ会社への訪問」が手配さ レベルごとにフォローアップが必要となる等、課題もあ れた。 りそうである。 これまでの経緯から、本プログラムは医薬系の趣きが ユニテックが有する芸術系学科と連携した英語の課外 強く芸術系学生の参加に不向きではないかとの懸念もあ 活動の可能性はないか、という点についても協議した。 ろう。しかし既述のとおり、国際交流センター発足によ シャックルフォード氏によればユニテックも日本同様、 る語学研修プログラムの全学的拡大、ニュージーランド 学科同士の横の繋がりが薄い。それゆえ、言語学科で行 という多民族国家・多文化環境のなかで生きた英語との う語学研修の学生を、他学科の教育組織でも熱意を持っ 接触が可能な研修環境を考慮すると、本学部の学生が参 て受け入れてもらうためには、今後、国際交流センター 加してよい条件は揃っている。 を通じて交渉を積み重ねていかねばならない。 そこで次節では、学生参加のために今後本学部が、こ しかしそうした交渉には時間を要するため、当面は、 の研修プログラムに具体的にどのように関わっていくべ 芸術文化学部仕様のプログラムを依頼する場合、学外の きかについて考察しておく。 施設訪問や特別講義等の課外活動を軸にするのが無理の Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 9, February 2015 113 ないかたちだといえそうである。実際、オークランド市 6.今後の課題 内には芸術系学生の訪問に適した美術館やギャラリーが 国際交流センターが発足し、語学研修の整備が推進さ ある。 その他周辺地域にも、 芸術文化関連の施設やスポッ れつつある現況は芸術文化学部の学生にとっても好まし トを見出せるだろう。 いものであるが、長期的な展望に立つと課題も見えてく ただし課外活動には懸念材料もある。 ( 1 )施設訪問 る。最後に、( 1 )学部英語教育との関連性、 ( 2 )新規 や特別講義では、未習の語彙や表現が飛び交い、内容を 研修先開拓の可能性、 ( 3 )組織間交流円滑化の 3 点から、 理解できない可能性があること、 ( 2 )施設担当者や講 以下のような課題を挙げておきたい。 演者による一方通行の話を聴くかたちとなり、英語使用 機会が得られない可能性があることである。 ( 1 )学部英語教育との関連性 以上の点を、本学部の前身母体である高岡短期大学 既に述べたように、語学研修を有意義に進めるには学 の「海外研修」(米ウェスタンオレゴン大学、2003 年 部の教育に見合った現地プログラムの実施が重要であ ∼ 2005 年)と比較してみよう。この研修( 3 週間)では、 る。本学部の英語教育では芸術文化的な素材を多く用い 現地の英語教員( 2 名)とチューター学生( 2 名)以外 ており、研修先でもそれを活かせる教育内容の提供が望 すべて短期大学の学生であったため、教室内に異文化環 ましい。 境が生れにくかった。しかし一方では、研修プログラム 発展的な可能性として、語学研修を本学部の英語カ 自体に課外活動が頻繁に組み込まれ、学外での異文化体 リキュラムと関連づけることも考えられる。例えば 3 月 験の機会が設けられていた。産業博物館(織物工場を含 期にある語学研修を 1 年次英語教育の総仕上げと位置づ む)やステート・フェアの訪問、スポーツ観戦、野外コ け、学生参加を促す等である。関連する教務上の措置と ンサート、隣町でのショッピング、等である。ここで重 して、語学研修の授業化・単位化、または既存の科目に 要なのは、課外活動へ出かける際、必要な語彙や情報を よる単位互換・認定、等があり得る。 事前に教室で学習するカリキュラムになっていたことで しかし語学研修はあくまで大学英語教育の一部であ ある。実際の運用がうまくいったかどうかはともかく、 り、本学部の英語教育は学部独自の教育方針やカリキュ カリキュラム上、教室で学んだ語や表現を学外にある現 ラムのもとで展開するのが基本である。学部で実施する 実の場所で確認したり自ら使用したりするためのお膳立 英語教育の充実無しには、語学研修の授業化や単位認定 *5 てがあった。 への道は見えてこないだろう。このあたりが今後の課題 この点を踏まえると、ユニテックで芸術系学生が課外 である。 活動をおこなう場合も「事前学習」の時間が欲しい。そ 語学研修を学部教育の一環として持続させようとすれ うでなければ、学生たちは受け身のまま、施設訪問や特 ば、研修参加に足るだけの学生の英語学習動機の確保 別講義を英語学習と関連させずに受け流してしまう可能 や、決して安価とはいえない参加費用等、新たな問題も 性がある。そうした事態は避けねばならない。 生じて来る。動機付け確保のためには、学部に在籍する ユニテックではホームステイ担当職員(ティナ・アン 正規留学生との交流促進等、授業以外の工夫によって学 ジェローヴァ氏)が課外活動の手配も行っている。そう 生が英語や異文化に関心を持ちやすい環境作りも必要で いう意味では「窓口」がはっきりしており、交渉もしや ある。参加費用については、奨学金制度充実の他、五福・ すいであろう。言語学科長のシャックルフォード氏から 杉谷キャンパスのように教員から募った「基金」を一部 も、要望があれば連絡して欲しい旨の言葉を頂けた。本 利用する等の措置を講じていかねばならない。*6 学部から学生が参加する場合は、先方との交渉により、 課外活動での有効な英語使用も含めた研修環境整備を目 指したい。そのため、今回の視察で得られた人的な繋が ( 2 )新規研修先開拓の可能性 現在、本学の研修先は国別ではアメリカ 2 つ(マーレ りを生かしつつ、ユニテックとの交流を積み重ねてきた イ州立大、ハワイ大)、地域別ではポリネシア文化圏 2 杉谷キャンパスの関係教員とも連携しながら、今後、国 つ(ハワイ大、ユニテック)である。これらは総じて、 際交流センターを通じた交渉を進めていくべきである。 多民族が構築する異文化環境下、温和な雰囲気を持つ なお、広い意味での課外活動としては、 ホームステイ・ 人々に囲まれリラックスして英語を学べるという好条件 ファミリーとの対話や交流も貴重である。ユニテックで を備えている。他方、「西欧先進諸国」の伝統・歴史に はホームステイのマッチング専門の職員が配置されてい 関する知見を深め、北アメリカやポリネシアとは異質の るおかげで、ホームステイのケアに関する心配がない。 文化・風土を体験するという意味では、ヨーロッパ地域 これは大きな利点である。 に語学研修先を開拓する選択肢も無いわけではない。 芸術文化学部では既にイタリア、フランスを巡る「海 114 GE I B UN 0 0 9 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第9巻 平成27年2月 外研修旅行」を実施している。この研修はヨーロッパの 博志編著『オーストラリア・ニュージーランドの 歴史、伝統、文化、風土が体験できる好機である。この 教育――グローバル社会を生き抜く力の育成に向 研修旅行と、アメリカ、太平洋中心の語学研修で丁度良 く棲み分けがなされているとすれば、本学部としては既 けて』(東京、東信堂、2014 年)を参照。 *3 「ヨーロッパ言語共通参照枠( CEFR ) 」は、欧州 存の 3 つの語学研修制度を有効活用していくのが妥当で 評議会( Council of Europe )が言語教育におけ あろう。しかし英語学習それ自体はフランスやイタリア るカリキュラム指針や評価基準の共通化を図るた では無理である。その意味では、イギリスやアイルラン めに設けた枠組みである。1980 年代、ヨーロッ ド等、欧州英語圏での語学研修先開拓にも一考の価値は パ地域の諸言語を保護し、発展させ、言語教育関 ある。その場合には、欧州英語圏に詳しい関係教員の協 係者の域内での交流を円滑化する研究プロジェク 力のもと、芸術系の教育研究プログラムを備え語学研修 トが立ち上がり、その研究成果が今日のようなか に力を入れている候補先機関を複数選定したうえで、現 たちに結実している。CEFR は言語学習者の能力 地視察を行う必要があろう。また、視察の結果を元にし 評価のために 6 段階の基準を設けており、近年言 た学部内、学内での検証により、適切な研修先があるか 語教育界で注目を集めている。 否かの見極めも肝要となってくる。 ニュージーランドには英語学習者能力評価の基準 が複数あったが、2013 年、CEFR を基に政府機 関( New Zealand Qualifications Authority、通称 ( 3 )組織間交流円滑化 今回の視察では国際交流センターを通して現地との連 NZQA )が新たな全国共通の統一基準を設定し 絡を取ったが、事前に要求していた事項には一切答えを た。本文で触れた NZCEL である。ユニテックで は 2014 年 2 月からこの NZCEL を採用している。 貰えず、言語学科長との打ち合わせ予定 1 件だけの情報 を基に、ほぼ飛び込みに近いかたちで乗り込んでいった。 *4 「特に , 現在の英語の広がりは , 母語話者よりもむ その情報に関してもニュージーランドに向け飛び立った しろ 英語を第二言語として使用する話者と , 英語 頃に時間変更の連絡がなされ、私たちがユニテックに到 を外国語として使用する話者の存在によって支え 着後に追加詳細情報が発信されたようで、無論確認出来 られている . このことは , 必然的に , 日本人が一歩 たのは事後であった。 「アクティブメール」を学外で使 海外に出たときに遭遇する英語が , 決して学校で 用する場合、着信音で着信をリアルタイムで確認する機 学んだ「アメリカ英語」ではない確率が高い , と 能もないし、海外でのネットワーク環境も考慮していた いうことを意味する . 今回 ,5 名の参加者が体験し だきたいものだ。これは、こちらの事務方の責任だけで た英語も , 教員以外はすべて「変種」の英語であっ はなく先方の連絡体制においても問題がありそうだ。カ た . 急速に変容する世界の共通語としての英語の リキュラムの大幅改定中で多忙を極めていたことも一因 広がりは , 今はまだ「変種」に数えられていない と思われるが、センターのユニテック側との連絡がもう 外国語としての「日本英語( Japanese English )」 少しうまくいかないものだろうかという疑問も生じた。 を , インド英語やシンガポール英語のような第二 センターはユニテックとの連絡を経験のある杉谷キャン 言語としての「変種」の英語の地位 にまで引き パスの関係教員に一部依存しているようだが、情報の混 「 6. 引率教員の感 上げる可能性を秘めている .( 乱を避けるため、窓口を一本化して連絡をとるのが本来 想」 「平成 19( 2007 )年度 第 2 回富山大学杉 の在り方であり、その意味でもセンターとユニテックの 谷キャンパス ニュージーランド短期英語研修プ 連絡における責任体制を今後より明確にしてもらうよう 本学部からも要求していくべきであろう。 ログラム 実施報告書」 ) *5 高岡短期大学の「海外研修」については「英語教 育プログラムとしての海外研修̶̶第 2 回ウェス 注釈 *1 タンオレゴン大学夏季英語研修報告」 『高岡短期 大学紀要』vol.20 を参照。 ハワイ大学マウイ校とは平成 26 年 5 月に新たに 大学間交流協定が締結された。 (それ以前は部局 *6 間交流協定) *2 現在、文科省では留学生倍増計画を進めており、 「トビタテ!留学 JAPAN 」プログラムをおこなっ ユニテックは 1999 年に大学への昇格を申請した ている。2020 年までに大学生の海外留学を 12 万 が、政府の許可が下りず、果たせていない。な 人(現状 6 万人)にまで増やそうという計画だ。 お、ニュージーランドの高等教育制度やユニテッ そうした状況下、留学を希望する学生への援助は クについては福本みちよ「教育と労働の接続と教 手厚く、例えば留学に関する奨学金の条件も良く 育の質保証――高等教育制度」青木麻衣子・佐藤 なっている。 Bulletin of the Faculty of Art and Design, University of Toyama, Vol. 9, February 2015 115 富山大学の短期派遣留学(語学留学)では現在マー 日アクセス。 レイ州立大学のプログラムのみが日本学生支援機 <http://www.u-toyama.ac.jp/campuslife/study- 構の奨学金給付の対象となっている。短期の留学 abroad/short/pdf/NZ-2007report.pdf> に対する奨学金支給額は一ヶ月 8 万円、マーレイ 5. 「 IELTS バンドスコアの解釈について」公益財団法 州立大学への短期派遣留学は一ヶ月以上の滞在な 人日本英語検定協会ウェブサイト 2014 年 11 月 ので 16 万円が給付される。 25 日アクセス。 ただ、この奨学金給付条件の一つに留学で得た単 < h t t p : / / w w w. e i k e n . o r. j p / i e l t s / r e s u l t / p d f / 位を互換しなければならないという条件がある。 interpretation-of-ielts-bandscores-j.pdf> 「 6. 今後の課題」で述べたとおり、単位互換・認 6. “ Education and Languages, Language Policy. ” 定には課題が伴う。例えば 1 年生の 3 月に語学研 Council of Europe 4 Sep. 2014 修に参加し、奨学金給付を得た場合、本学部のカ <http://www.coe.int/t/dg 4 /linguistic/CADRE 1 _ リキュラム上その学生は 1 年生の必修科目での単 EN.asp> 位認定となる。これを認めるべきか否か。もちろ 7. “ New Zealand Certificates in English Language and ん、学部の英語教育を基本とするならば、必修科 English Language unit standards. ” NZQA 4 Sep. 目での単位認定は認めるべきではない。 2014 本学部としてはこうした課題を無視できないが、 <http://www.nzqa.govt.nz/qualifications-standards/ 今後は、富山大学でおこなっている全ての短期派 qualifications/english-language-qualifications/> 遣留学が奨学金受給の対象となるよう、取り組ん 8. Statistics New Zealand<http://www.stats.govt.nz> でいくことが決定されている。 9. Unitec International Prospectus 2014. Unitec Institute of Technology, 2013. 10. World buildings Directory Online Database 引用文献 1 ) Statistics New Zealand <http://www.stats.govt.nz> 2 ) 福井英一郎編『世界地理 第 11 巻 オセアニア』 (東京、朝倉書店、1972 年) 3 ) Unitec International Prospectus 2014, p. 12. 4 )「 IELTS バンドスコアの解釈について」公益財団 法人日本英語検定協会ウェブサイト <http://www. eiken.or.jp/ielts/result/pdf/interpretation-of-ieltsbandscores-j.pdf> 5 ) World buildings Directory Online Database <http://www.worldbuildingsdirectory.com/project. cfm?id=5116> 参考文献 1. 青 木 麻 衣 子・ 佐 藤 博 志 編 著『 オ ー ス ト ラ リ ア・ ニュージーランドの教育――グローバル社会を生き 抜く力の育成に向けて』東京、東信堂、2014 年。 2. 深谷公宣「英語教育プログラムとしての海外研修 ――第 2 回ウェスタンオレゴン大学夏季英語研修 報告」『高岡短期大学紀要』 (高岡短期大学)20 ( 2005 ):89-103 3. 福井英一郎編『世界地理 第 11 巻 オセアニア』 東京、朝倉書店、1972 年。 4. 「平成 19( 2007 )年度 第 2 回富山大学杉谷キャ ンパス ニュージーランド短期英語研修プログラム 実施報告書」富山大学ウェブサイト 2014 年 9 月 5 116 GE I B UN 0 0 9 : 富山大学 芸術文化学部紀要 第9巻 平成27年2月 <http://www.worldbuildingsdirectory.com/project. cfm?id=5116>
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