2 外部資金による研究

Ⅰ−2 外部資金による研究
2 外部資金による研究
[概 要]
外部資金の導入による研究の活性化は歴博が追求している課題のひとつであり,法人化以降は一段とその
必要性が高まっている。競争的研究資金である科学研究費補助金については,本年度も外部の専門家による
説明会を開催し,申請に努めた結果,継続分を除いて新たに 21 件の申請をおこない,そのうち 10 件が採
択された。継続分とあわせると,32 件になる。
これらの内,前年度に新規発足した学術創成研究「弥生農耕の起源と東アジア-炭素年代測定による高精
度編年体系の構築」(研究代表者 西本豊弘,2004 ~ 2008 年度)は,本年度が2年目であり,東アジアと
いう広い視座に立って,日本における水稲農耕の起源を実年代的に問い直し続けている。日本の歴史を総合
的,実証的に研究することをその役割とする歴博としては,まさに基盤的研究として推進すべき課題を外部
資金を導入することで進めているのである。
また科学研究費補助金以外には,民間からの奨学寄付金4件の導入をはかり,研究の推進に努めた。
研究委員会委員長 永 嶋 正 春
[採択課題一覧]
種 目
研 究 課 題
研究代表者
新
規
基盤研究
(B)
近世初期工芸にみる国際性-大航海時代の寄港地間における美術交
流に関する研究
研究部
日高 薫
基盤研究
(C)
高松宮家蔵書群の形成とその性格に関する総合的研究
研究部
吉岡眞之
基盤研究
(C)
漢代北方境界領域における地域動態の研究
研究部
上野祥史
基盤研究
(C)
AMS炭素 14年代測定を利用した東日本縄紋時代前半期の実年代の
研究
研究部
小林謙一
基盤研究
(C)
日本中世生業史の研究-
「農業/非農業」の二項対立論を超えて-
外来研究員
春田直紀
若手研究
(B)
胎土中ジルコンの測定および解析による陶磁器の産地推定
研究部
小瀬戸恵美
若手研究
(B)
戦前地域社会における独自の「軍神」像の形成と機能に関する研究
研究部
一ノ瀬俊也
若手研究
(B)
中国雲南省における少数民族の土地利用と市場経済への適応に関す
る研究
研究部
吉村郊子
81
種 目
新
規
継
続
82
研 究 課 題
研究代表者
若手研究
(B)
グローバリゼーションによるホロコースト表象の変容に関する博物
館人類学的研究
外来研究員
寺田匡宏
特別研究員奨励費
宮内庁書陵部蔵御所本を主対象とした近世禁裏仙洞における歌書の
書写史・蔵書史の研究
外来研究員
酒井茂幸
特定領域研究
分析化学的手法による鉄炮技術史の相関研究
研究部
宇田川武久
特定領域研究
画像資料自在閲覧方式による近世歴史資料の調査研究支援システム
の研究
研究部
安達文夫
特定領域研究
中世遺跡の保存と活用に関する基礎的研究
研究部
広瀬和雄
基盤研究
(A)
現代の宮座の総合的調査研究および宮座情報データベースの構築
研究部
上野和男
基盤研究
(A)
前近代の東アジア海域における唐物と南蛮物の交易とその意義
研究部
小野正敏
基盤研究
(B)
東アジア地域における青銅器文化の移入と変容および流通に関する
多角的比較研究
研究部
齋藤 努
基盤研究
(B)
平田国学の再検討─篤胤・銕胤・延胤・盛胤文書の史料学的研究─
研究部
樋口雄彦
基盤研究
(B)
近代大和地方のコレクション収集活動から見た「日本文化」形成過
程の研究
研究部
久留島 浩
基盤研究
(B)
神社資料の多面性に関する総合的研究-古社の伝存資料と神社機能
の分析を中心として-
研究部
新谷尚紀
基盤研究
(B)
呪術・呪法の系譜と実践に関する総合的調査研究
研究部
小池淳一
基盤研究
(B)
海外
実践としてのエスノサイエンスと環境利用の持続性─中国における
焼畑農耕の現在─
研究部
篠原 徹
基盤研究
(B)
海外
民俗信仰と創唱宗教の習合に関する比較民俗学的研究─フランス,
ブルターニュ地方の聖人信仰の調査分析を中心として─
研究部
新谷尚紀
基盤研究
(C)
日本中世債務史の基礎的研究
研究部
井原今朝男
基盤研究
(C)
日本歴史における水田環境の存在意義に関する民俗学的研究
研究部
安室 知
基盤研究
(C)
高齢化社会における隠居と定年をめぐる民俗学的研究
研究部
関沢まゆみ
若手研究
(B)
室町・桃山期小袖型服飾各類にみる衣材・染織技術・服飾観の相関
性に関する研究
研究部
澤田和人
若手研究
(B)
近現代の商家経営に関する民俗学的研究
研究部
青木隆浩
若手研究
(B)
国民国家形成と遺影の成立に関する民俗学的研究
研究部
山田慎也
Ⅰ−2 外部資金による研究
種 目
研 究 課 題
研究代表者
継
続
若手研究
(B)
日本近世城下町における武家の消費行動および家相続と都市社会
研究部
岩淵令治
若手研究
(B)
経塚・墓地・寺社が形成する宗教空間の考古学的研究
研究部
村木二郎
学術創成研究費
弥生農耕の起源と東アジア-炭素年代測定による高精度編年体系の
構築-
研究部
西本豊弘
特別研究員奨励費
日本絵画における風景表現の諸機能と社会的役割に関する研究
外来研究員
近藤(水野)僚子
(1)基盤研究
(B)
「近世初期工芸にみる国際性-大航海時代の寄港地間における美術交流に
関する研究」2005 ~ 2008 年度
(研究代表者 日高 薫)
1.目 的
本研究は,16 世紀後半から 17 世紀初めにかけて日本を訪れた西洋人との交流によって生み出された工
芸品
(いわゆる「南蛮工芸」)および同時代の日本において制作された国内向け工芸品を対象とし,これらを
ヨーロッパ地域のみならず,貿易船の停泊地周辺域(アフリカ・インド・東南アジア・中国南部・琉球・ヌ
エバエスパーニャなど)で制作された諸美術工芸との関係性の中でとらえようとするものである。さまざま
な素材・技法による輸出工芸品や南蛮趣味の国内向け工芸品,もしくは外来影響が想定される新傾向を示す
工芸品にみられる技法・モティーフ・表現様式上の交流を明らかにすることに重点をおき,そのほか舶載品
の受容の様態や,装飾文様にみられる異文化表象(異人・異国像)についても検討を加える。多岐にわたる問
題点のうち,研究期間中(4年間)に達成したい当面の中心課題を以下の通り設定した。
① 南蛮漆器に関連する国籍不明の漆器群(マカオ製・琉球製などの説があるもの)の調査と位置づけ
② 南蛮輸出漆器の新出作品および珍しい作品の調査と紹介
③ 南米経由でスペインに至る交易ルートによる交流の解明とその影響
④ 初期洋風画と諸外国(中国・インド・南米など)の洋風画との比較
⑤ キリスト教関係の工芸品・キリスト教モティーフに関する諸問題と諸外国との比較
⑥ 近世初期の国内向け工芸品への外来影響の諸相と影響度
これらの研究により,日本近世初期工芸のインターナショナルな性格を浮き彫りにする。
2.経 過
平成 17 年度は,本研究組織による共同研究の初年度であったため,各専門分野の研究状況や視点を確認
し合うことから始まった。工芸の諸分野の研究者が議論し合う機会は意外と少ないからである。
具体的な成果は,ピーボディ・エセックス博物館(アメリカ・セーラム),ボストン美術館,イサベラ・ス
83
チュアート・ガードナー美術館(アメリカ・ボストン)の所蔵品の調査を行い,日本および他地域の多彩な輸
出工芸の様相を概観したことである。
主要訪問先であったピーボディ・エセックス博物館においては,南蛮漆器をはじめとする輸出工芸品のほ
か,中国の輸出工芸(漆器・象牙細工・家具・陶磁器など),南蛮漆器の様式に影響を与えたと推測されるイ
ンド・グジャラート製の螺鈿細工などを調査した。とくに,台座付螺鈿蒔絵書簞笥・キオスク型オラトリオ・
衿用容器など近年知られるようになった珍しい南蛮漆器について,これらが当初からの形態か,あるいは後
世の手が加わったものかどうかを確認することができたことは有意義であった。
あわせてモースコレクション中の漆器および陶磁器,染織品の調査も行い,所蔵機関の学芸員と意見を交
換することができた。
3.研究組織(◎は研究代表者)
荒 川 正 明 出光美術館 岩 崎 均 史 たばこと塩の博物館
岡 泰 正 神戸市立博物館 丸 山 伸 彦 武蔵大学人文学部
山 崎 剛 金沢美術工芸大学美術工芸学部 坂 本 満 本館・名誉教授
澤 田 和 人 本館・研究部 ◎日 高 薫 本館・研究部
(2)基盤研究
(C)
「高松宮家蔵書群の形成とその性格に関する総合的研究」
2005 〜 2007 年度
(研究代表者 吉岡眞之)
1.目 的
国立歴史民俗博物館所蔵『高松宮家伝来禁裏本』
(以下,高松宮本と略称)は旧有栖川宮家・高松宮家に伝
来した古典籍群であり,かつては禁裏本(天皇家の蔵書群)の一角を形成していたものである。その内容は(1)
公家から借用し,もしくは献上させた書籍群,(2)近世前期の主として後西・霊元両天皇の宮廷において
書写された書籍群(禁裏本),(3)有栖川宮家歴代親王の収集した書籍群,などに大別される。
本研究においては高松宮本の個別研究によって識語・印記の収集,書物の装丁,表紙の紋様,筆跡およ
び料紙の検討などを行い,これら3種類の書籍群を識別するとともに,特に(2)に関しては,近世前期の公
家日記の関連記事を収集することによって,その形成の過程を解明する。また他の宮家,公家,武家などの
文庫と高松宮家蔵書群の関連を追求し,それらの間に形成されていた情報ネットワーク(書籍の貸借,書写,
書籍情報の交換など)についても検討を加える。
以上を通じて,高松宮家蔵書群の形成過程とその性格を解明することを目的とする。
2.経 過
2003 年度に開始した本館の共同研究「高松宮家伝来禁裏本の基礎研究」におけるこれまでの蓄積を基礎
に,本年度は特に近世前期の公家日記の関連記事を収集・検討するとともに,前田綱紀(金沢藩第五代藩主)
が公家諸家から入手した書籍,もしくは公家の蔵書を書写した写本を中心に,綱紀の蔵書を今に伝える前田
育徳会尊経閣文庫において調査を行った。
84
Ⅰ−2 外部資金による研究
3.成 果
前記の前田綱紀の収集した和漢の書籍は,綱紀独自の分類にしたがって整理・収蔵されていたが,その後
いつしかこの分類は解体され,現在ではその全貌を窺うことはできなくなっている。ただしその痕跡は偶然
に伝来した
「分類目録」の断片の中にわずかに残されている。これをたどることにより,綱紀の情報ネットワー
クの一端を捉えることが可能である。そのために,現在この「分類目録」に著録されている書籍名と,尊経
閣文庫その他に現存する書籍との同定作業を実施中であり,その結果について報告する準備を進めている。
4.研究組織(◎は研究代表者)
井原今朝男 本館・研究部 高 橋 一 樹 本館・研究部
◎吉 岡 眞 之 本館・研究部 酒 井 茂 幸 本館・外来研究員(研究協力者)
(3)基盤研究
(C)
「漢代北方境界領域における地域動態の研究」2005 〜 2007 年度
(研究代表者 上野祥史)
1.目 的
現在の中国山西省から内蒙古自治区にかけての地域は,漢代において匈奴などの北方異民族と漢民族の境
界領域であった。この地域は抗争の場であったとともに,両世界をつなぐ物資・情報の伝達ルートでもあっ
た。これまで,漢的世界と非漢的世界の接点として,両世界の変容過程を解明する上で注目されてきたが,
境界領域に注目した検討は必ずしも十分とはいえないと考えられる。すなわち,この境界領域に存在した地
域および地域集団が,中原を中心とする漢の中核的世界とどのような関係にあり,隣接する非漢的世界とど
のような関係をもっていたのか,二つの視点から検討する必要があると考えられる。本研究では,地理学的
分析,考古学的分析,文献史学的分析を複合させ,歴史地理環境の復原と境界領域社会の諸様相の検討を通
じて,非漢的世界―境界領域―漢的中核世界の関係性を再評価しようするものである。そして,境界領域の
動態研究から,漢代という時代・社会構造の特質に迫るとともに,漢代という個別事象論を超えて,境界領
域がもつ社会的あるいは史的意義の追究へ論を進めたいと考える。
2.経 過
本年度は,各視点での問題点の整理と共有化に重点を置き,研究会を 3 回開催し,中国山西省での現地
調査をおこなった。具体的な関係性と観念的なイメージを対比しつつ,境界領域における交流の実態把握に
努めた。交流を具体的に示す交通路については,文献資料にみえる交易ルート,あるいは戦争時の漢あるい
は北方異民族の侵入経路の復元に取り組み,地理環境との比較検討を進めた。また,当該地域の地域区分に
ついて,地理環境や生業などからブロックとしての小地域の抽出に取り組むとともに,両世界の境界線の変
遷についても検討を進めた。また,漢民族世界の地域集団の核となる城郭の立地や周辺環境を検討し,その
指向性や領域認識について検討を進めた。これは盆地を単位とした雁門郡や代郡などの地域内部における,
マクロなレベルでの地域間ネットワーク復元への取り組みへの序章と考えている。漢代史研究における,県
レベルでの社会動向の解明への取組みとも位置付けることができよう。また,当地域出土の性格の異なる遺
物群を対象として,その生産と流通状況を比較対照することにより,境界領域地域で活動した集団の出自や
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帰属意識に注目し,地理・政治とは異次元での両世界の境界線のあり方について検討を進めた。
3.研究組織(◎は研究代表者)
阿子島 功 山形大学人文学部 大 川 裕 子 日本学術振興会特別研究員
杉 本 憲 司 仏教大学文学部 ◎上 野 祥 史 本館・研究部
(4)基盤研究
(C)
「AMS炭素 14 年代測定を利用した東日本縄紋時代前半期の実年代の研
究」2005 〜 2006 年度
(研究代表者 小林謙一)
1.目 的
世界史的に日本先史時代を評価するためには,土器型式編年を実年代で位置づけ,東アジアの歴史に組み
入れる必要がある。それには,縄紋時代の炭素 14 年代測定研究を合理的に進めていく必要がある。その一
環として縄紋時代前半期(草創期から中期)を対象とし,関東・東北地方の土器型式ごとに数十点の土器付
着物・共伴炭化物の炭素 14 年代測定を行い,暦年較正年代を計算し統計的に処理することで,年代的枠組
みを作り,土器型式ごとの継続期間を検討する。また,年代測定研究を当初から取り入れた発掘調査を行い,
出土状況とリンクさせた年代測定を行うことで,年代測定と考古学的調査とがフィードバックできる調査研
究のモデルを構築する。縄紋竪穴住居の層位的な出土試料に対し年代測定を行うことで,竪穴住居の居住や
廃棄後の埋没期間などのライフサイクルに関わる年数の実証的解明をめざす。
2.経 過
平成 17 年度は,西日本の縄紋時代草創期から縄紋時代中期を中心に,土器付着炭化物・木炭・種子など
約 200 点の資料を収集した。年代測定は,住居覆土中の資料や層位的資料を含む 30 点を選び 30 測定を実
施した。17 年度の研究成果は以下の通りである。
1.縄紋時代の始まりは,世界基準の較正曲線が 2004 年版(IntCal04)に訂正されたことにより,約1万
年前以前はこれまでの較正年代より正確になった。東京都御殿山遺跡などの草創期の土器付着物・共伴
炭化物の測定により,東日本の隆線文最初頭の資料で,約 15,000 年以上前に遡ることが確認できた。
2.縄紋時代早期・前期の資料について,土器付着物の採取を行った。そのうち,富士見市水子貝塚の竪
穴住居内出土種子類の測定より,黒浜式古段階の年代をえることができ,約 7500 ~ 7000 年前と推定
できた。同様に山形県の資料で大木4~6式について約 6000 年~ 5500 年前と推定できた。
3.縄紋時代前期・中期の住居覆土の炭化物を多数採取した。このうち,目黒区大橋遺跡の加曽利E式期
の竪穴住居や,東京都西東京市下野谷遺跡の中期住居の炭化物で,約 5000 ~ 4500 年前の年代を測定
することができた。また,山梨県梅之木遺跡や千葉県野田貝塚では,住居覆土中の炭化材について,細
かな位置情報や層位の内容・共伴貝殻などの状況とともに直接に遺構から測定試料を採取した。今後そ
れらの資料を年代測定し,さらに住居内の出土位置毎の細かい年代測定を行うことで,住居の堆積状況
や改築のサイクルを年代的に検討したい。
3.成 果
86
Ⅰ−2 外部資金による研究
今年度に行った研究成果の一部については,関連する報告書にレポートを掲載した。
・小林謙一・新免歳靖・坂本稔・松崎浩之・村本周三・早坂廣人「埼玉県富士見市水子貝塚出土堅果類の
14C 年代測定」『富士見市立資料館要覧』2005 年度,2005 年 12 月
・小林謙一「西東京市下野谷遺跡における 14C 年代測定」『下野谷遺跡-第 12 次調査報告書-』,pp.98
~ 100,西東京市教育委員会,2006 年 3 月
・小林謙一「静岡県大鹿窪遺跡出土炭化材の 14C 年代測定」『大鹿窪遺跡窪 B 遺跡』芝川町教育委員
会,pp.295 ~ 296,2006 年 3 月
4.研究組織(◎は研究代表者)
松 崎 浩 之 東京大学大学院工学研究系 ◎小 林 謙 一 本館・研究部
坂 本 稔 本館・研究部 尾 嵜 大 真 本館・科研費支援研究員
宮 田 桂 樹 本館・科研費支援研究員
(5)若手研究
(B)
「胎土中ジルコンの測定および解析による陶磁器の産地推定」
2005 〜 2007 年度
(研究代表者 小瀬戸恵美)
1.目 的
本研究は,火成岩で安定に析出する鉱物のひとつであり,化学反応性が低く,地質学的な変成や変質を受
けにくく,また二次的な化成作用によっても変化しにくい特性をもつジルコンに注目して,ジルコン含有元
素の測定,解析により陶磁器の原材料産地推定を試みるものである。
2.経 過
平成 17 年度は胎土中に含まれるアクセサリー鉱物であるジルコンのジルコニウム,ハフニウム,鉄,珪
素の含有量比較による産地推定の試みを行った。その結果,韓国全羅道の康津地域 4 窯址,高敞地域 1 窯址,
扶安地域 2 窯址,海南地域 2 窯址から出土した高麗青磁各 5 点ずつ,計 45 点を対象とし,波長分散型検
出器を付設した EPMA(電子線マイクロアナライザ)を用いて,その胎土中ジルコンの成分組成を分析した。
ハフニウムと鉄,ジルコニウムとケイ素の関係をみることによって,「康津窯址グループ」「高敞窯址グルー
プ」
「扶安・海南窯址グループ」の 3 グループにわけることができた。
また,この結果をもとに全羅南道務安道里浦から引揚げられた 14 世紀後半の高麗青磁資料 4 点について
胎土中のジルコンの成分組成を測定・比較したところ,「康津窯址グループ」のものである可能性がもっと
も高いという結果を得た。これは,務安道里浦海底遺跡出土青磁が,全羅南道康津郡大口面沙堂里 10 号で
生産されたものではないかという考古学の研究結果と一致するものである。
上記に加えて,本手法と従来の自然科学的手法との関係を確認するために,蛍光X線分析や ICP 発光分光
による胎土全体の元素分析に着手した。
3.成 果
小瀬戸恵美「韓国全羅道出土青磁に含まれるジルコンを用いた産地推定の試み」『国立歴史民俗博物館研
87
究報告』130,pp.119 ~ 139(2006)
小瀬戸恵美,韓盛旭,斉藤努「ジルコンの成分組成による韓国務安道里浦海底遺跡引揚げ青磁の産地推定」
『考古学と自然科学』52,pp.67 ~ 74(2006)
4.研究組織
小瀬戸恵美 本館・研究部
(6)若手研究
(B)
「戦前地域社会における独自の
「軍神」像の形成と機能に関する研究」
2005 〜 2007 年度
(研究代表者 一ノ瀬俊也)
1.目 的
全国各地
(現在のところ,岩手県盛岡市,静岡県沼津市,熊本県熊本市,福井県三方郡など)
における日清・
日露戦争以降の 「 郷土の軍神 」 たちの評伝,銅像,唱歌・琵琶歌,郷土史中の記述を現地調査も行いつつ網
羅的に収集,彼ら戦没者たちがいかなる政治的・社会的背景により 「 軍神 」 と称されるに至ったのか,彼ら
が大正後期~昭和初年の郷土史教育などのなかで郷土の偉人として語り継がれたことは,人々の戦争観にい
かなる影響を与えたのかを分析し,戦前の地域社会ではなぜ戦争が “正しい” ものとして受容されていった
のか,その過程と理由についてのより精緻かつ説得的な説明を行うことである。
2.経 過
本年度は,京都,名古屋などで上記の課題に関連する軍人墓地,史跡,銅像跡などの調査や,各地の図書
館などで自治体史,戦後刊行された各種の部隊史などの資料収集を行った。さらに中華人民共和国東北部に
存在する,いわゆる烈士記念館の調査を行い,銅像が建設されたり,戦争博物館の有力な展示物とされるな
ど,戦前の日本ときわめてよく似た顕彰がなされている事例を多数発見することができた。
3.成 果
初年度であるため,活字化して公開できたものはとくにないが,ある部隊の将校が火砲を敵に奪われたこ
とを恥じ,自殺同然に戦死したため,戦後に至っても「軍神」として顕彰されているという事例を発見する
ことができた。この点は,戦前と戦後における軍人たちの「価値観」や戦死者追悼の論理の連続性を考える
うえで興味深いと考える。同様の事例はほかにも存在する可能性があるので,継続して調査を行いたい。
4.研究組織
一ノ瀬俊也 本館・研究部
88
Ⅰ−2 外部資金による研究
(7)若手研究
(B)
「中国雲南省における少数民族の土地利用と市場経済への適応に関する研
究」2005 ~ 2007 年度
(研究代表者 吉村郊子)
1.目 的
本研究課題は,中国雲南省南部に暮らす少数民族の土地利用の変遷と現状を,生業や経済・政治的状況の
変化,周辺民族との社会関係,人口変動との関連から実態にそくしてとらえなおし,各少数民族の市場経済
への適応の過程や多様性を明らかにして,さらには同地域における土地利用の特質を把握することを目的と
する。
2.経 過
今年度は,国内および中国において,調査地(元陽県)の衛星データの入手・分析,および中国雲南省等に
おける土地利用と生業や,同地周辺における経済・政治状況にかんする文献資料の収集と分析をおこなった。
衛星データからは,畑地,水田稲作地,林地等が識別でき,さらに休耕田の一部では,作物の栽培がおこ
なわれていることがわかった。調査地は,高度 1300 メートルから 2000 メートル付近に位置しており,お
もにトウモロコシ,ダイズ,カボチャ,イネ等が栽培されている。これらは自給的な消費を主としているが,
一部は換金されて,ときおりの現金収入源となっている。また,林地の一部は茶畑になっており,茶葉が換
金作物として栽培されていた。
雲南省においては,文化大革命後の農業政策転換によって,栽培作物の品目が大きく変化した地域がある
一方で,調査地である元陽県のように,茶葉のほかには,ダイズ・イネ等の自給的作物の栽培に主をおきつ
づけている地域もみられる。後者では,主たる換金作物がなくとも,自給的作物の一部を換金するほか,消
し炭や家禽類等を売買したり,出稼ぎ等によって現金を得ていると思われる。その詳細については,次年度
以降に把握につとめたい。
3.研究組織
吉 村 郊 子
本館・研究部
(8)特定領域
「分析化学的手法による鉄炮技術史の相関研究」2004 〜 2005 年度
(研究代表者 宇田川武久)
1.目 的
本研究の目的は,1)各地の博物館が所蔵する銃砲類について,文献史料と実物の調査とデータの集積を
行う。2)銃砲の運用機能の検証として,火薬の化学組成と性能や腐食性との関連性,撃発装置の化学組成
と弾性力や機能との関連性を調べる,の 2 点である。
2.経 過
1)については前年度に引き続き所在情報と学術情報を蒐集し,集積した。2)については,弾速測定装
89
置と遮蔽物を通して弾道ゼラチンに打ち込む実験によって弾丸の威力測定を行った。撃発装置の化学組成は
蛍光X線分析装置で分析し,2 種類の組成のものに大別できることがわかった。
3.成 果
各地の博物館等が所蔵する前近代の銃砲類の所在を追跡し,個々の資料の詳細情報を蒐集した。収集した
情報から時代的あるいは地域的特徴を把握し,対象とする銃砲を選定して,それらの文献的研究および自然
科学的調査を行い,銃砲類を科学技術史の資料としての意義付けを行った。具体的には下記の通りである。
・ 伝来後,日本で独自に作られるようになった鉄炮は通常,口径 1cm,全長 1m20cm,銃身長 65cm, 有効射程 200m,最大射程 500m であった。しかし,戦国時代になると,まず最大射程数 km に達する大
口径で長銃身の火縄式大鉄砲が,次いで火縄の日を手で直接,あるいは棒先につけて火門に点火させる指
火式の大筒と石火矢が出現した。これらの出現と普及の状況を資料調査から明らかにすることで,これま
ではあまり知られていなかったこれらの存在について再評価を行い,また石火矢の系譜を追い,こうし大
型砲の普及が城郭の構造に影響を与えた可能性を指摘した。
・ 幕末維新期に洋式銃が知られるようになり,日本の銃もその影響を受けて発火方式やそれに伴う各部構
造の改良を余儀なくされたが,その技術の落差が大きく,すぐには自国の技術になり得なかったことを,
小銃の発火機の移り変わりという,実資料の調査結果から明らかにした。
・ 各所の資料調査から,特に岸和田硫秘伝書の諸本について集成をおこない,砲術流派について復元を行っ
た。
・ 鉄炮銃身の素材として使用された,きわめて低炭素で砂鉄由来の鉄-チタン酸化物鉱物の含まれていな
い包丁鉄
(軟鉄)の製法として,現在技術伝承が途絶えてしまった「大鍛冶」の工程を復元することを目標
に,過去の文献を参考に予備的な実験を試み,短時間の操業で高炭素の銑鉄からきわめて低炭素の鉄を作
ることに成功した。
・ 国立歴史民俗博物館が所蔵する和流砲術秘伝書について整理を行い,目録を作成した。
4.研究組織(◎は研究代表者)
◎宇田川武久 本館・研究部
齋 藤 努 本館・研究部
小瀬戸恵美 本館・研究部
(9)特定領域
「画像資料自在閲覧方式による近世歴史資料の調査研究支援システムの研究」
2004 〜 2005 年度
(研究代表者 安達文夫)
1.目 的
歴史資料には,数 100 点から数 1000 点のコレクションをなす資料群がある。この資料群の中から研究
の対象とする資料を探し出すには,目録情報を基にしたデータベースの検索が利用されるが,絵画資料や形
状に特徴のあるモノ資料では,目視による探索が必要となる。この目視による探索の一手段として,これま
でに画像資料自在閲覧方式を適用して,資料群の画像を見かけ上一つの画像に配列し,連続的に拡大しなが
90
Ⅰ−2 外部資金による研究
ら資料を探索する方法を提案してきた。使いやすいシステムとするためには,1000 を越える画像の適切な
提示方式を明らかにするとともに,多くの場面で利用できるようにするため,様々な条件で撮影された大き
さの異なる画像を対象とできるようにする必要がある。前年度に明らかにした多数の画像を展示した際の利
用特性を参考にし,大きさの異なる画像を表示する基本方法を発展させ,多数で多様な歴史資料の中から,
画像をもとに研究の対象とする資料を探し出し,詳細な画像による観察や関連する資料との比較ができる調
査研究支援システムの実現を図る。
2.実施事項
多数の資料画像の中から目的とする資料を探し出すために適した画像提示方式について明らかにするた
め,本館所蔵の錦絵コレクションの中の 2000 枚程を画像資料自在閲覧システムによって表示する系を構成
し,画像の配列形状や同時表示枚数,画像の送り方による探索のしやすさについて,実験的な評価を実施し
検討を行った。また,探索した画像を詳細に観察したり関連資料と比較できる調査研究支援システムとして
のソフトウェアのプロトタイピングを,大きさの異なる画像の自動判定による表示を含めて行った。これま
での成果を国際会議で発表するとともに,特定領域研究「江戸のモノづくり」の研究者集会において報告した。
3.成 果
多数の資料の中から目的とする資料を探し出すための画像提示方式について,被験者 15 人程による評価
実験とその分析により,以下を明らかにし,その成果を学会の大会において発表した。
2000 枚程の画像について,画像表示領域の縦横比である 1 対 2 に合わせた通常型の配列と,縦の段数を
高々 10 とした横長型の配列について比較すると,目的とする資料を所定の時間内に見出すことができたか
の発見率では有意な差は見られないが,被験者の意見と利用記録の分析から得た探索軌跡の分析より,規則
的に探索できる横長型が組織的な探索に適する。
横長型の画像をドラグまたはボタンによるスクロールにより画像を動かして探索する横送り方法と,縦の
段数は横長型と同一とし,そのとき画像表示領域に表示できる資料画像の枚数で区切って,ページを切り替
えるように表示する頁送り方法について比較すると,発見率には両者の差を認められないが,画像を読み進
める速度の点で頁送り方法が早く,探索効率の点で有利である。
同時に表示する資料画像の枚数を,探し易さの点から,被験者が選択できるようにした実験より,縦の段
数について,5 段を中心に広く分布し,利用者により適する枚数に幅がある。探索を目的とした調査研究支
援システムとして,同時表示枚数を選択できることが望まれる。
様々な条件で撮影された多様な資料を対象に,複数配列して探索,閲覧したり,相互に比較することを可
能とすることを目的に,異なる大きさの画像を画面上で同等の大きさで表示する方式について,階層画像の
有無の判別を取り入れ,表示の自由度が高まることを確認した。画像表示領域全体に表示するモードと2つ
に分割して比較表示するモードの遷移に関する利用者インタフェースを検討し,これを実現して調査研究支
援システムとしての確立を図った。
4.研究組織(◎は研究代表者)
◎安 達 文 夫 本館・研究部
宮 田 公 佳 本館・研究部
鈴 木 卓 治 本館・研究部
徳 永 幸 生 芝浦工業大学工学部
91
(10)特定領域
「中世遺跡の保存と活用に関する基礎的研究」2004 〜 2005 年度
(研究代表者 広瀬和雄)
1.目 的
考古学研究と埋蔵文化財行政は,知識・技術・思考などの諸側面で不即不離の関係にあるが,ここ 20 ~
30 年の記録保存のための発掘調査の進展で,日本考古学はいちじるしい情報過多に陥っている。それは中
世資料に関してもなんら例外ではない。行政機関やその外郭団体などによって掘り出された考古資料は,急
速な発掘調査の進展状況に整理や分析が追いついていない情況にあって,中世考古学をはじめとした考古学
研究や学校教育などへの活用が容易な保管状況にあるとはかならずしも言い難い。したがって,埋蔵文化財
行政・博物館・研究所・大学等が各々の環境に基づいた研究を進め,総体としての国民の豊かな生活,いい
かえれば歴史のストックを活かした町づくりに,考古資料を十分に活用できるような体制づくりが急務に
なっている。そして,そのための調査・研究とそれに基づいた政策提言が不可欠になっている。
いっぽう,記録保存のために投下された費用に対して,その効果が十分に表れているかというと,こちら
もそうとは言えないような状況にある。国民が歴史像を形づくっていく拠点としての史跡公園や歴史博物館
が,わかりやすい歴史情報を提供しているかどうかも,いま一度再検討する必要にせまられている。つまり,
国民の意識形成のための考古学研究という視座に立った体系的歴史像の樹立,考古学研究をとおしての体系
的歴史像の提示という形での,国民の知的要求に応えることがいま急務になっている。そして,現代を理解
していくばくかの未来への見通しに寄与する研究が求められている。そうした状況をふまえた遺跡の保存と
活用に関する基礎的研究が,この研究の目的である。
2.経 過
1年目は,日本各地の自治体における埋蔵文化財行政の現状,ならびに史跡公園の現状についての調査を
実施した。またヴェトナム社会主義共和国の埋蔵文化財調査と保護の課題についても検討した。2年目も日
本各地やイギリスなどについての調査を継続しながらいくつかの課題を抽出し,具体的な方策を提言として
報告書にまとめた。
3.成 果
2年間の研究成果は,つぎのような項目で報告書にまとめた。
第1部・埋蔵文化財行政の現状と課題。第1章 現状分析。第1節 発掘調査と埋蔵文化財行政(1)発
掘調査と行政(a)不動産文化財(b)文化財保護と行政権力(c)史跡と「指導委員会」(2)行政の事前調
査(a)周知の遺跡(b)事前協議(c)発掘調査(d)資料管理。第2節 発掘調査の成果と資料化(1)調
査成果(a)科学的資料(b)基礎能力(2)成果の資料化(a)成果の非公開(b)報告書の質。第3節 調
査成果の活用(1)調査成果の活用(a)現地説明会(b)生涯教育(2)調査資料の活用(a)地方自治体史
(b)
「発掘調査技師」の研究。第2章 提言 第1節 埋蔵文化財の活用(1)資料館・博物館の活用~子
供でにぎわう博物館~(a)日本の博物館から消えた子供の声(b)学芸員の資質(2)史跡指定地の活用~
史跡整備業者の追放~(a)金太郎飴の史跡整備(b)工事と発想(c)孤立した史跡(3)
史
跡
ネ
ッ
ト
ワ
ー
ク
~伊勢国を事例として~(4)史跡語り部の養成。第2節 考古学資料論の確立~行政権力からの独立~(1)
発掘調査成果の公開と共有化(2)考古学の資料としての発掘調査成果。第3節 世界的視野からの埋蔵文
92
Ⅰ−2 外部資金による研究
化財(1)東アジア的視点からの対応(a)東アジアの埋蔵文化財行政(b)東アジアにおける埋蔵文化財発
掘調査に日本が果たす役割 @ ヴェトナム社会主義共和国の埋蔵文化財調査と保護の課題 A 中華人民共和国
の埋蔵文化財調査と保護の課題(2)世界の中の日本の文化財行政。おわりに~埋蔵文化財行政の新たな展
開に向けて~。付載『ヴェトナム社会主義共和国「文化遺産法」
(2001 年6月 29 日施行)』
第2部 史跡公園の整備と活用。第1章 いままでの史跡公園。(1)現行の史跡公園 ① 周知度の低い史跡
公園 ② 史跡公園はその魅力を伝えているか ③〈 自治体主義〉の史跡公園(2)活用度の低い史跡公園(3)
賑わう史跡公園。第2章 これからの史跡公園-活用のための方途を探る-(1)ゆとりの地域社会づくり
への貢献 ① 史跡をもった公園 ② 異次元空間としての史跡公園③環境に適応した史跡公園(2)ネットワー
ク型の史跡公園①〈 目で見る日本史〉としての史跡公園ネットワーク②史跡公園を中核にした全県歴史博物
館構想(3)観光資源としての史跡公園①史跡公園の観光化②観光化された史跡公園。第3章 埋蔵文化財
行政と考古学研究(1)行政の役割と課題① 自治体の役割②文化庁の役割(2)考古学界の役割と課題 ① 埋
蔵文化財行政と考古学研究 ② 考古学研究の現代的意義。第4章 理念としての史跡公園
4.出版物など 広瀬和雄「歴史のストックを活かした街づくり」
(『しまねの古代文化』第 12 号,島根古代文化センター,
pp.69 ~ 85,2005.3
広瀬和雄「日本の遺跡活用と観光」
(『シンポジウム記録集・観光考古学-記録と展望・日本の遺跡の活用
と観光を考える 2005』 国際航業株式会社文化事業部,pp. 2~9,2005.3
広瀬和雄・山中章『中世遺跡の保存と活用に関する基礎的研究(課題番号 16019102)平成 16 年度~平成
17 年度科学研究費補助金(特定領域研究)研究成果報告書』
5.研究組織(◎は研究代表者)
◎広 瀬 和 雄 本館・研究部 山 中 章 三重大学・人文学部文化学科教授
(11)基盤研究
(A)
「現代の宮座の総合的調査研究および宮座情報のデータベースの構築」
2003 〜 2005 年度
(研究代表者 上野和男)
1.目 的
本研究の全体的な目的は以下のとおりである。中世に成立した神社祭祀組織としての宮座は,現在,大き
な変貌のさなかにある。宮座は当屋制を原理とする神社祭祀組織であり,神事当番や神主を交代で勤める当
屋を設定し,当屋を中心に祭祀を行なう組織であるが,これまでにも歴史的にいくつかの大きな変化を経験
してきた。ひとつは,藩制村と家制度の成立に伴う中世から近世にかけての変化であり,この時期に,村落
連合的な宮座から村落単位の宮座に変化するとともに,個人単位の宮座から家を単位とする宮座に変化した。
いまひとつは,明治以降における株座から村座への変化,すなわち,村落の上層が祭祀を独占する形態から,
全戸による対等的な祭祀への変化である。さらに現代では,村座化がいっそう急激に進行するとともに,宮
座組織や儀礼・芸能も激しく変化しつつある。なかには,宮座そのものが消滅して一般的な神社祭祀形態に
93
変化した例もしばしばみられる。このような激しく変化しつつある現代の宮座を広範な地域について,体系
的に調査し,現代における宮座の変動を明らかにするとともに,宮座に関するデータベースを構築した研究
はこれまでになかった。この意味において,現代の宮座の体系的な調査研究は,人類学,民俗学,歴史学な
どの宮座研究の緊急の課題である。
本研究は,これまでの各分野における宮座研究の成果をふまえながら,現代の宮座に注目し,宮座の今日
的状況について広範な調査を実施し,現代の宮座の総体的な構造を明らかにするとともに,それをもとにし
てデータベースを作成する一つの試みである。
本研究で試みる研究は,つぎの二つである。ひとつは,現代の宮座の体系的な調査研究である。この調査
においては,広範な地域の宮座を多角的に調査する。これまでの宮座の研究は,近畿地方を中心に行なわれ
てきたが,本研究では近畿地方以外の関東,中部,中国・四国,九州の宮座についても調査を実施し,近畿
地方の宮座と比較しながら,全体として宮座の構造とその変化を明らかにしたい。また調査にあたっては,
組織,儀礼,芸能の三つの視点から多角的に調査し,宮座の歴史的展開にも注目する。また,近畿地方の宮
座については,昭和初期に宮座の総合的な調査を実施した歴史民俗学者・肥後和男が残した「肥後和男宮座
調査資料」
(国立歴史民俗博物館マイクロ・フィルム資料)を基礎として実施し,昭和初期以降の変化を詳細
に追跡調査する。いまひとつは,宮座データベースの作成である。宮座データベースはつぎの三つの部分か
らなる。第一は,本研究の調査にもとづく現代の宮座のデータベースである。このデータベースでは,過去
の調査データがある宮座については,過去のデータも加えて,変化が明らかにできるように作成する。第二
は,
「肥後和男宮座調査資料」のデータベース化である。この資料は,これまで宮座研究者に公開されなかっ
たが,本研究においてデータベースとして公開したい。第三は,宮座研究の論文データベースである。この
データベースには,宮座研究の中核部分をなす人類学,民俗学,歴史学以外の分野の研究,すなわち,宗教学,
社会学,芸能史などの論文も含める。現在,宮座研究はやや停滞しているといえる。宮座の本質の解明が一
段落したことが大きな要因と考えられる。しかしながら,宮座の変化については多くの課題が残されている。
今後の宮座研究の展開のためには,宮座研究者の共通財産となりうる現代の宮座の体系的な調査と,宮座デー
タベースの構築が緊急に求められている。この意味において,本研究は,今後の宮座研究の展開のためのあ
らたな重要な基礎を提供し得る研究である。
本研究は,国立歴史民俗博物館共同研究「宮座と社会:その歴史と構造」
(研究代表者・八木透)と一体を
なしながら,科学研究費の経費によって現地調査や文書資料撮影などを実施して,共同研究をより充実させ
る為の研究プロジェクトである。第 3 年度にあたる 2005 年度は,各地の宮座,とくに中国地方や九州地
方の現状調査と宮座関係資料の調査,写真撮影に基づくCD 化および紙焼き本の制作,宮座研究文献デー
タベースの公開準備などを中心に研究を実施することにした。
2.経過と成果
(1)宮座の儀礼と組織,および関係文書の調査は以下の地域で実施した。
・ 秋田県潟上市の東湖八幡神社の統人行事の調査
・ 福井県三方上中郡若狭町の宇波西神社の宮座調査
・ 滋賀県野洲郡野洲町の御上神社の宮座および秋祭の調査
・ 滋賀県北部地域のオコナイの調査(米原市ほか)
・ 滋賀県東近江市妹の春日神社の宮座儀礼調査
94
Ⅰ−2 外部資金による研究
・ 兵庫県加東市の上鴨川住吉神社の宮座儀礼の調査
・ 岡山県新見市の宮座調査
・ 広島県久井稲生神社の宮座,および宮座関係文書の調査
・ 山口県防府市における宮座調査
(2)宮座関係文書の資料化として,以下の文書の撮影,CD 化を行った。
・ 滋賀県日野町熊野の宮座文書
・ 広島県三原市の山科家文書
・ 山国荘宮座関係文書
(3)宮座研究文献目録のデータ補充と公開準備を行ない,国立歴史民俗博物館の公開データベースとし
て 2006 年4月に一般公開された。
(4)以下の論文を収めた成果報告書を刊行した。
稲 雄 次 東湖八坂神社祭統人行事 真 野 純 子 若狭宇波西神社の祭りにおける海山地区の神事と役割 八 木 透
近江湖東平野の宮座(調査報告) 市 川 秀 之 志賀谷の宮座 段 上 達 雄 志賀谷の華の頭の絵画資料 橋 本 章 湖北のオコナイと宮座
斉 藤 利 彦 京都府福知山市北部地域の村落社会と芸能関係史料集 森 本 一 彦 堂座の開放性と閉鎖性-和歌山県橋本市の事例- 崔 杉 昌 新見市倉嶋神社の宮座の構成と特徴 上 野 和 男 久井稲生神社の宮座組織 小笠原尚宏 久井稲生神社の御当行事
〈文書調査概要〉
薗 部 寿 樹 聖心女子大学文書について 薗 部 寿 樹 美作国弓削荘名主座の史料について(付 : 史料集) 小栗栖健治 三田地域の宮座資料について-山田感神社・貴志御霊神社- 埴 岡 真 弓 新宮地域の宮座資料について-越部屋綿神社・香山大歳神社- 薗 部 寿 樹 久井稲生神社文書について 薗 部 寿 樹 安芸国久島郷小田家文書の調査について 3年間の研究によって,近畿地方以外の宮座についても本格的な調査が進行し,近畿地方の宮座との差異
を踏まえて,宮座の新たな一般論構築のための基礎が確立し得た。また,近畿地方以西の文書調査も進展し,
これまで収集し得なかった文書資料も収集することができた。さらに宮座データベースのうち,これまでの
宮座研究報告・論文を網羅した宮座論文データベースを構築し,一般公開した。このデータベースは今後の
宮座研究の重要な基礎となるものと考えられる。
3.研究組織
(◎は研究代表者)
笹 原 亮 二 国立民族学博物館助教授
薗 部 寿 樹 山形県立米沢女子短期大学教授
段 上 達 雄 別府大学文学部教授
福田アジオ 神奈川大学外国語学部教授
95
政 岡 伸 洋 東北学院大学文学部助教授
宮 家 準 國學院大學神道文化学部教授
八 木 透 佛教大学文学部教授
青 木 隆 浩 本館・研究部
◎上 野 和 男 本館・研究部
松 尾 恒 一 本館・研究部
安 室 知 本館・研究部
[研究協力者]
市 川 秀 之 大阪狭山市教育委員会
小栗栖健治 兵庫県立歴史博物館
坂 田 聡 中央大学文学部
橋 本 章 長浜市史編纂室
埴 岡 真 弓 学識経験者
真 野 純 子 学識経験者
森 本 一 彦 京都文教女子高校
宇 野 功 一 科学研究費支援研究員
小笠原尚宏 総合研究大学院大学日本歴史研究専攻院生 (12)基盤研究
(A)
「前近代の東アジア海域における唐物と南蛮物の交易とその意義」
2002 〜 2005 年度
(研究代表者 小野正敏)
1.目 的
東アジア海域において,海を共有の舞台として交易,交流が急速に発展,整備された中世の交流の実態を,
「唐物」
「南蛮物」をキーワードに,1)具体的なモノ資料の分析,2)交流の場の景観・機能,3)人や組織
の研究を通して明らかにする。そこでは,海を共有する地域ネットワークという時代の特性に注目しつつ,
狭義の中世日本とともに独自の歴史的位置づけや文化をもつ琉球や蝦夷地などの諸地域を含めて,その役割
や文化的様相を,文献や伝世品に偏らず考古学資料の特性である普遍性をもつモノ資料などを利用して具体
的に検討することを目指した。
2.経 過
2005 年度の主たるフィールド調査では,城館遺跡を中心にさらに寺院からの出土品の調査を継続した。
特に本年度の重点は,東シナ海の島嶼部や交易の拠点となった港湾遺跡の調査であった。島嶼部では,鹿児
島県奄美大島,沖永良部島,喜界島,長崎県対馬など,港湾遺跡関連として,長崎県長崎遺跡群,平戸,青
森県十三湊遺跡を実地調査した。
城館等の遺跡では,東北の安藤氏に関連した檜山城,脇本城や浪岡城の調査,また越前では,戦国城下町
一乗谷とともに平泉寺,豊原寺,吉崎御坊など地域内の城館と寺院の比較調査を実施した。同様な地域内比
較を目的とした調査は,伊豆においても実施した。
海外では,韓国木浦の国立海洋遺物展示館収蔵の沈没船出土の遺物見学を行った。
3.成 果
最終年度であり,本年までの調査研究のまとめとして,国立歴史民俗博物館において国際シンポジウム「中
世東シナ海と交易」
(2005 年 12 月 24,25 日,国立歴史民俗博物館)を開催した。このシンポジウムの詳細
は別項にゆずるが,大きくは2部より構成され,東シナ海島嶼部の問題とモノと流通の問題から,東シナ海
96
Ⅰ−2 外部資金による研究
の島々がもつ機能や唐物・南蛮物をめぐる交易の実態,その背景にある東アジアの政治や経済の問題などに
ついて議論した。
また,それらのシンポジウムの成果を含む,研究成果報告書をまとめた。そこには,研究協力者を含む
15 編の論文がまとめられた。内容的には,唐物,香料,銭などのモノ資料研究からの交易交流問題,製鉄
製塩などの技術問題,東アジア,東南アジア地域の交流問題,中世アイヌに関連した北方交流の問題など,
課題に相応しい多様なテーマを収録した。
また,この研究の成果公開として位置づけた企画展示「東アジア中世海道-海商・港・沈没船」は,別項
に詳述したように,佐倉会場・国立歴史民俗博物館につづき,大阪会場・大阪歴史博物館,萩会場・山口県
立萩美術館・浦上記念館を巡回し,終了した。
4.出版物など
小野正敏ほか「前近代の東アジア海域における唐物と南蛮物の交易とその意義」
(科学研究費研究成果報
告書)
,152 頁,2006 年3月
小野「武家にみる唐物威信財の創出と変容についての素描」・上田秀夫「龍泉東区BY24出土青磁碗
と日本出土の龍泉窯系青磁碗」・大庭康時「博多遺跡群出土の考古資料からみた中世貿易の諸相(研究
メモ)
」
・関周一「香料の道-再考」
・中島圭一「夢にまで見た和同開珎」
・嶋谷和彦「中世日本におけ る大銭の出土状況」・大澤研一「二つの出土事情にみる高麗時代の出土中国銭」・村木二郎「対馬の中世 鏡」
・新田栄治「南海貿易史料にみる南宋~元の東南アジアと塩鉄」・齋藤努「タイの精錬関連遺跡出土 資料および青銅資料の自然科学的分析結果」・福島金治「梵鐘・諫草・渡唐船-地震・火災と鎌倉寺院 の復興」
・金沢陽「ナカノハマ採集遺物を加えて構築される中世東シナ海民間貿易航路の実像」・池田榮 史「琉球王国成立以前-奄美諸島の位置づけをめぐって」・阿部百合子・菊池誠一「ベトナムの対外貿 易港-日本に輸出されたベトナム陶磁器の積出港を探る」・右代啓視「中世アイヌ文化の北方交流-古 代~中世の要害遺跡」
小野正敏「発掘陶磁器からみた脇本城」『海と城の中世』高志書院,pp.29 ~ 52,2005 年 12 月
小野正敏「貿易陶磁と中世陶磁組成」『中世の伊豆・駿河・遠江』高志書院,pp.223 ~ 248,2005 年
11 月
福島金治「鎌倉松谷正法蔵寺小考」『年報中世史研究』30 号,pp.51 ~ 62,2005 年 12 月
大庭康時「鴻臚館」『人と物の移動』列島の古代史4,岩波書店,pp.299 ~ 310,2005 年 12 月
関 周一「中世における日本海漂流民」『歴史と地理』582 号,pp.1 ~ 15,2005 年 3 月
5.研究組織(◎は研究代表者)
右 代 啓 視 北海道開拓記念館
菊 池 誠 一 昭和女子大学人間文化学部 佐 伯 弘 次 九州大学文学部 中 島 圭 一 慶應義塾大学文学部 福 島 金 治 愛知学院大学文学部
宋 建 中華人民共和国上海博物館
黄 建 秋 中華人民共和国南京大学歴史系
小瀨戸恵美 本館・研究部
齋 藤 努 本館・研究部
阿 部 義 平 本館・研究部
上 野 祥 史 本館・研究部
◎小 野 正 敏 本館・研究部
西 谷 大 本館・研究部
藤尾慎一郎 本館・研究部 村 木 二 郎 本館・研究部
篠 原 徹 本館・研究部
97
(13)基盤研究
(B)
「東アジア地域における青銅器文化の移入と変容および流通に関する多角
的比較研究」2003 〜 2005 年度
(研究代表者 齋藤 努)
1.目 的
古代中国が漢~南北朝時代(紀元前 3 ~紀元後 6 世紀)にかけてその文化的世界を拡大していくのに伴っ
て,周辺地域で生じたさまざまな文化的変容の実態を追究するために,青銅器を対象資料に,原料の産地と
資料の流通,製作技術の相違などを解析し,文化の移入と変容について明らかにすることを目的とする。対
象地域として,日本,朝鮮半島,中国雲南周辺を取り上げる。それぞれの地域の青銅器について,各年代の
基準資料となるものを考古学的な考察に基づいて選定し,中国中原地域の比較対照資料と併せて,時間軸の
基準となる基準資料群をつくっておく。次に,これらの資料の自然科学的分析(鉛同位体比,主成分・微量
元素分析,金属組織分析)により,原料の産地推定,製錬技術・鋳造技術の評価を行い,製品の製作地に関
する考察と総合することによって,各年代,各地域における原材料入手,製作技術,製品の流通状況につい
て三地域間の比較を行う。
2.経 過
2005 年度は最終年度であるので,報告書作成にむけた研究の収斂を行った。2005 年 6 月,日本側研究
者
(齋藤,藤尾,亀田,鄭)が韓国東國大學校,福泉博物館,慶尚大學校へ行って,試料採取を行い,また関
連遺跡・資料を調査した。日本国内では東京大学,宮内庁で試料採取を行った。2005 年 8 月,韓国側研究
者
(趙,尹,申)
が来日して,日本側研究者とともに研究会を開催し,また日本国内の関連遺跡・資料の調査
を行った。韓国関連資料・古墳資料の調査経験が豊富な研究者(宮内庁・福尾正彦調査官,岡山大学・高田
貫太助手)に加わっていただいた。さらに,韓国出土資料では,特に筒形銅器と馬形帯鉤に重点をおいて調
査を進めたので,本研究をまとめるにあたり,馬形帯鉤の調査研究を行っていた長野市教育委員会・風間栄
一氏に加わっていただいた。
3.成 果
古代の朝鮮半島における青銅資料などの原料産地と,朝鮮半島と日本との交流関係を明らかにするため,
韓国慶尚道・釜山地域出土資料,楽浪土城出土資料,宮内庁所蔵の青銅製品・金銅製品,長野市教育委員会
所蔵・国立歴史民俗博物館所蔵の青銅製品,また一部銀製品を対象として鉛同位体比測定を行った。資料点
数は 240 点である。この結果,特にデータの集中する「A」と「B」の2つのグループを見出すことができた。
グループAは,韓国出土資料中では良洞里,福泉洞,亀旨路の3遺跡から抽出された。数値の一致性がきわ
めて高く,日本で出土した「規格品の原料」と称される近畿式・三遠式銅鐸の鉛同位体比とよく一致してい
ること,楽浪出土資料 44 点中 8 点の数値がこれと重なり,また 28 点がこの周辺の数値領域に分布してい
ること,宮内庁所蔵資料からもこれと一致,もしくは近似した数値を示すものが検出されたことなど,韓国
青銅器の原料産地や日韓の交流を考える上で注目すべきデータ群である。このグループに属する資料の年代
はいずれも紀元前 2 〜紀元後 4 世紀の範囲内にある。グループBはAに比べて分布に多少広がりがあるが,
測定を行った韓国出土青銅製品 143 点中 43 点,宮内庁所蔵資料 34 点中 13 点,歴博所蔵馬形帯鉤 6 点中
5 点と多くの資料がここに含まれており,この時期の韓国青銅製品の鉛原料の主要な産地の一つと推測でき
98
Ⅰ−2 外部資金による研究
る。年代は 4 〜 7 世紀初と,Aよりも全体として新しい。原料産地の候補として,Aについては中国の鉱
床がまずあげられる。またBについては,これまでの鉛同位体比研究の結果に従えば,中国の華中〜華南産
原料の数値範囲内にあるため中国の鉱床の可能性が考えられるが,一方で,慶尚北道の漆谷鉱山の数値がこ
れと近接していることや,その周辺の地質状況などから,原料が朝鮮半島南部地域の鉱床からもたらされた
可能性についても考慮する必要がある。
4.研究組織(◎は研究代表者)
亀 田 修 一 岡山理科大学総合情報学部 高 田 貫 太 岡山大学埋蔵文化財調査センター
福 尾 正 彦 宮内庁書陵部 土生田純之 専修大学文学部
今 村 峯 雄 本館・研究部
◎齋 藤 努 本館・研究部
西 谷 大 本館・研究部
藤尾慎一郎 本館・研究部
(14)基盤研究
(B)
「平田国学の再検討-篤胤・銕胤・延胤・盛胤文書の史料学的研究-」
2003 〜 2006 年度
(研究代表者 樋口雄彦)
1.目 的
平田篤胤直系の子孫が宮司をつとめる平田神社(東京都渋谷区代々木)に伝来した平田国学関係の史料を
整理・目録化し,公開するための基礎作業を行う。当該資料は,篤胤・銕胤・延胤・盛胤の平田家4代にわ
たる近世・近代文書(草稿・日記・書簡等),書籍,書画,物品等であるが,ほとんど未整理のまま残されて
いた。本館では,予備調査を経た上で,2002 年度から 2003 年度にかけ当該資料を購入し,一括保存する
こととした。そこで,次の段階として,資料の全貌を明らかにすべく,詳細目録の作成に取り掛かるととも
に,一部の基礎的資料の翻刻を行う。
2.本年度の研究目的
館内の個別共同研究としては最終年度にあたる本年度は,詳細目録の完成を目指すとともに,日記・書簡
といった基礎的資料の翻刻・刊行を行う。あわせて,各地の門人調査についても実施する。
3.経 過
2005 年4月5~7日 中津川中仙道歴史資料館資料調査
2005 年5月 31 ~6月2日 秋田県立図書館資料調査
2005 年6月1日 千葉県夷隅郡岬町・弓削家資料調査
2005 年6月9日 千葉県夷隅郡岬町・弓削家資料調査
2005 年6月9~ 10 日 国立歴史民俗博物館・平田家資料調査
2005 年6月 18 ~ 19 日 長野県下伊那郡大鹿村・前島家資料調査
2005 年7月5日 中津川中仙道歴史資料館資料調査
2005 年7月9~ 10 日 長野県下伊那郡大鹿村・前島家資料調査
2005 年7月 27 日 国立歴史民俗博物館・平田家資料調査
99
2005 年8月8日 国立歴史民俗博物館・平田家資料調査
2005 年9月 12 日 中津川中仙道歴史資料館資料調査
※他に毎月1回平田神社を会場に史料解読作業
※補助作業により本館所蔵・平田家資料の詳細目録作成
4.成 果
『国立歴史民俗博物館研究報告』第 128 集・平田国学の再検討(二)を刊行した。これにより,前年度刊行
の『国立歴史民俗博物館研究報告』第 122 集・平田国学の再検討(一)に引き続き,平田家資料の基幹をな
す史料群ともいうべき日記類について,ほぼ翻刻を完了したことになる。過去,一部の研究者しか目にした
ことがなく,その全体像が詳らかになっていなかった平田家資料のすべてについて整理を行い,さらに重要
度の高い資料について翻刻を行えたことの意味は大きい。今後,篤胤研究はもとより,篤胤没後から幕末維
新期における一族・門人等の動向を把握する上で,この翻刻が大いに役立つものと考える。
館内の共同研究としては終了となるが,科研費による共同研究は 2006 年度までであり,主要資料の翻刻
を続けるとともに,詳細目録を最終報告書として完成させる予定である。
※本研究は科研の基盤研究(B)の補助を受け,2003 年度から4年間の研究期間をもつものである。館蔵
資料に関わる史料学的研究であるため,歴博の3年期限の個別共同研究に応募した(ただし経費は不要)。科
研費による共同研究では,吉田麻子・中川和明の2名が研究協力者として参加していることを付言しておく。
5.研究組織(◎は研究代表者,○は管理進行者)
熊澤恵里子 東京農業大学 遠 藤 潤 国学院大学日本文化研究所
◎○樋 口 雄 彦 本館・研究部(研究代表者は8月館長宮地正人から交替)
(15)基盤研究
(B)
「近代大和地方のコレクション収集活動から見た「日本文化」形成過程の
研究」2003 〜 2006 年度
(研究代表者 久留島 浩)
1.目 的
本研究は,
明治 20 年代から昭和 10 年代にかけて大和地方の歴史・考古・地誌の研究活動を進めるかたわら,
大和古寺の瓦や経典,中世・近世文書,典籍や写本のほか,近世の刊本・刷り物や絵地図・暦本・著名文化
人の書簡などを収集した,水木要太郎の膨大なコレクションを復元することを通じて,コレクションの形成
過程や収集意図のもつ歴史的意義について解明することを目的とする。多分野に及ぶ水木コレクションの全
体像と歴史的背景を学際的な共同研究体制によって復元・分析し,その成果を資料内在的な専門研究とあわ
せて学界に広く公開する。
2.経過・成果
本研究は,本館の共同研究(個別共同研究)
「水木コレクションの形成過程とその史的意義」として遂行し
ているため,研究活動の経過および成果の報告はそちらで行う。本年報 47 頁を参照いただきたい。
3.研究組織(◎は研究代表者)
100
Ⅰ−2 外部資金による研究
小 倉 実 子 京都国立近代美術館
鈴 木 健 一 学習院大学文学部
高 木 博 志 京都大学人文科学研究所
田 中 康 二 神戸大学文学部
中 井 精 一 富山大学人文学部
丸 山 宏 名城大学農学部
吉 井 敏 幸 天理大学文学部
大久保純一 本館・研究部
青 山 宏 夫 本館・研究部
岩 淵 令 治 本館・研究部
◎久留島 浩 本館・研究部
高 橋 一 樹 本館・研究部
仁 藤 敦 史 本館・研究部
村 木 二 郎 本館・研究部
(16)基盤研究
(B)
「神社資料の多面性に関する総合的研究-古社の伝存資料と神社機能の分
析を中心として-」2003 〜 2005 年度
(研究代表者 新谷尚紀)
1.目 的
本研究は,神社を宗教的機能の面からとらえると同時に,その立地や環境から環境保存機能や公園的機能,
自然動植物園的機能,また建築美術工芸の上からは博物館・美術館的機能,また歴史資料館・図書館的機
能,そして観光資源としての機能など,多面的な機能を有する有機的構造物とみることにより,神社資料の
有機的な相互関連性や歴史的構造物としての神社全体の文化的資料価値を検証し,神社という構造物が古代
から現代まで長い歴史の展開の中で存続しえてきた意義とその存続を支えた神社機能の深層の意味を明らか
にすることを目的とする。2000 ~ 2002 年度に採択された科学研究費補助金により,京畿の都市における
古社の代表例としての祇園八坂神社,大陸へと開かれた中国地方の古社の代表例としての出雲大社と厳島神
社の三社を対象とする調査研究により豊富な情報が得られた。そして,あらためて研究の展開の必要性が確
認されたのは次の三点である。第一に,厳島神社では末だ学術的調査が十分でない貴重資料が武器武具類と
近代文書の中に存在することが判明しその調査の継続である。第二に,祇園社と祇園信仰は神仏習合の典型
例であると同時に複雑で重層的な信仰形態が全国的規模で展開しており,神社の属性としての勧請の歴史と
それに伴う祭礼の伝播と受容の地域差の比較に関する研究である。第三に,全国的に勧請され展開している
典型例の一つが八幡信仰であるが,前回の科研費による神社の資料論的研究を継続し発展させるものとして,
新たに宇佐八幡宮,石清水八幡宮,鶴岡八幡宮の三社を中心とする学際的研究である。以上三点を 2003 ~
2005 年度の研究目的とする。
2.経 過
今年度は,第一に,昨年度作成した『文献目録-宇佐八幡宮・石清水八幡宮・鶴岡八幡宮-』をもとに八
幡信仰に関する補遺の集成と研究動向の分析作業を行った。第二は,本館の特別企画展示「日本の神々と祭
り-神社とは何か?-」
(平成 18 年 3 月~ 5 月)において,出雲大社,厳島神社,祇園八坂神社,伊勢神宮のケー
ススタディにより本研究成果の具体的社会還元を試みた。記紀神話に登場して日本の神社の代表的なものと
位置づけられている出雲大社,また平氏の篤い信仰をあつめて寝殿造りの建築様式を今日まで伝えるととも
に,海上交通の要衝に立地して,多くの神社が衰亡する南北朝期,戦国期においても,社殿を維持して多く
101
の奉納品を保存し貴重な文化財として今日まで伝世させた典型的な神社としての厳島神社,古代都市におけ
る疫病や怨霊を鎮める信仰を基盤とする幅広い神仏習合の信仰と華麗な都市祭礼とでその典型的な例とされ
る祇園八坂神社,そして 20 年に一度の式年遷宮を現在にいたるまで伝え,その度ごとに御神宝の奉納が繰
り返し行われている伊勢神宮,という四社について,研究成果の展示を行った。そして,建築史学の見地か
らは,厳島神社の防災の知識と技能,植生変遷史の見地からは,神社の杜の樹種の遷移,有職故実の見地か
らは,狭義の神宝(武具,紡績具,琴),他に,祇園信仰の広がりや各神社の古伝祭について各分野の調査結
果を展示に反映することができた。
3.成 果
各位による資料調査を推進し,また,本科研の研究成果の一部は展示図録『日本の神々と祭り-神社とは
何か?-』に紹介した。
4.研究組織(◎は研究代表者)
小 椋 純 一 京都精華大学人文学部
三 浦 正 幸 広島大学大学院文学研究科
三 橋 健 國學院大學神道文化学部
宇田川武久 本館・研究部
井原今朝男 本館・研究部
吉 岡 眞 之 本館・研究部
◎新 谷 尚 紀 本館・研究部
関沢まゆみ 本館・研究部
(17)基盤研究
(B)
「呪術・呪法の系譜と実践に関する総合的調査研究」2004 〜 2006 年度
(研究代表者 小池淳一)
1.目 的
本研究は呪術及び呪法が日本列島とその周辺においてどのように展開し,変遷を遂げてきたかを考古学・
歴史学・民俗学の方法と知見とを総合することで明らかにしようとするものである。古代における木簡や墨
書土器,中近世における呪術書や呪法の記録,民俗文化における儀礼や行事に使用される守札や祭文等を通
して,それら相互の系譜関係と実際の使用状況を把握し,呪術・呪法の史的な位相を解明しようとする。こ
れらの史資料はそれぞれの学問分野において,注意され,データとしては蓄積されてきているが,統一した
視点からの把握,分析は充分におこなわれているとは言い難い。本研究は呪術・呪法を積極的に核として位
置づけ,総合的に把握することで文化史に新たな知見を付け加えようとするものでもある。
考古学及び古代史においては呪符,呪具と判断される多くの出土品が見いだされてきており,さらに墨書
土器の中には呪術に関連するであろうと推測される記号や絵画が残されている例は数多い。これらは個々の
呪術の使用状況や環境を具体的に示すとともに地域的な偏りや特徴も存するところから,呪術の実践と古代
における様相を示すものということができる。古代史研究において本館が中核となって進めてきた赤外線映
像等による解読分析をさらに進めることで,こうした断片的な資料の位置づけをさらに明確なものとしてい
くことが可能である。
中世史,近世史においては,陰陽道,宿曜道,仏教,神祇等に関連して多くの呪術・呪法が行われ,貴族
のみならず,武士や庶民などの日常生活においてもそれらが盛んに用いられていたことが判明している。本
102
Ⅰ−2 外部資金による研究
研究では特に陰陽道書及び密教の作法書等に注目し,そこで用いられている神仏や精霊の呼称と性格を明ら
かにして,中近世における呪術・呪法の規範を確定したい。それに次いで,私文書や記録類あるいは紙以外
の文字記録
(石塔,板碑,棟札等)などに記されている呪術・呪法の実際の用例を検討する。こうした作業によっ
て,漠然と「まじない」関連の資料とされてきたものを宗教史的社会史的な位置づけを施していくことが可
能になっていくと考えられる。
近現代の民俗儀礼や行事にも呪術・呪法は数多く見いだすことができ,それらの実践の様相を探るために
は大きな課題とヒントとを提示してくれている。こうした民俗データの多くは呪術・呪法が社会的にどういっ
たコンテクストのもとに実施され,影響や緊張を生じさせたかを示すとともに,秘匿され権威づけられる傾
向をも併せて考慮することによって,系譜的相承的な視点からの考究も可能にする。さらには過去の史資料
の解釈にも有力なヒントとなるので,民俗事象の歴史研究への適用の一つのケースとして位置づけることも
可能である。特に具体的な身体所作や葬送儀礼などにおける呪術・呪法の問題をこうした観点から見直すこ
とは,従来の儀礼,俗信研究に新しい視点を付け加えることにつながるものといえよう。
全体として,この研究は,これまでその重要性は繰り返し確認され,データそのものの蓄積が行われてき
た呪術・呪法について,その歴史と具体的な使用の様態とを把握することを主眼とし,さらにその知見を総
合することを通して,呪術・呪法研究の基礎を固め,新たな方法論を練り上げていくことを目指している。
2.経 過
・研究集会を 2 回,当館において開催した。
第 1 回 4 月 2 日~ 3 日 昨年度の成果を確認するとともに,今年度の調査研究方針及び新規研究分担者の研究内容の紹介,意
見交換を行った。
第 2 回 7 月 10 日 研究の進展状況を確認するとともに,研究分担者各自の調査,研究成果の報告,討議を行った。
増尾伸一郎「道教の受容と疑偽経典」,久野俊彦「修験道の聖教における呪術書-龍蔵院〈福島県
只見町〉の書誌的階層から-」,ほか。
・九州地方における呪術・呪法を含む民俗芸能及び考古資料に関する合同調査を実施した。
11 月 23 日~ 25 日 予備調査(宮崎県西都市銀鏡神社ほか)
12 月 14 日~ 16 日 調査・見学(宮崎県西都市銀鏡神社,佐賀県唐津市中原遺跡ほか)
・各研究分担者が調査,研究を個別に実施し,また資料分析を行った。
(1)高知県下における呪術・呪法の調査(松尾恒一)
(2)九州地方における呪術・呪法の調査(松尾恒一,小池淳一)
(3)寺院関係の儀礼・呪術資料の収集(松尾恒一,小池淳一)
(4)古代における呪術・呪法の場に関する調査と討論(平川南,鐘江宏之,三上喜孝)
(5)近世~近現代における陰陽道関連資料の整理と撮影(鈴木一馨)
(6)近現代儀礼書の収集と分析(山田慎也)
(7)近世まじない本の翻刻と内容の検討(小池淳一ほか)
(8)呪符木簡の集成と内容の検討(小池淳一ほか)
3.成 果
103
第2年度は参加者各自の調査,資料収集,分析を進めたことに加えて,呪符木簡の集成作業を新たに開始
し,研究補助者の浅野啓介氏(東京大学大学院博士課程)が主としてそれに従事した。昨年度以来の近世呪術
書の翻刻作業も同じく井上綾子氏(國學院大學大学院博士課程前期修了)が主としてこれに携わって進める
ことができた。これら以外にもおおまかに 2 つの成果を挙げることができる。
第 1 に,12 月に九州山間地帯における民俗芸能である神楽の合同調査を実施したことである。これまで
の研究会等において,具体的に呪術が行われる空間や場に注目して,分析を進める必要性が確認されてきた。
その際には異なる専門領域に属する研究者が同一の対象を実地に調査して,互いの知見を交換し,討論を行
うことが重要である。今年度はそうした趣旨にもとづいて,宮崎県の銀鏡神楽における呪術・呪法の様相と,
佐賀県唐津市の中原遺跡における呪符木簡の現地見学を実施した。具体的な呪術的要素を現地で確認し得た
とともに,考古学及び古代史,民俗学の方法を差異を実際に見学し,了解したことが大きな成果である。
第 2 に,共同研究に新たなメンバーの参加を得て,呪術の系譜や実践の様相を宗教教理と在地社会の動
向に即して検討することが可能になったことが挙げられる。新たに道教関連の専門家として増尾伸一郎氏に
研究分担者として参加を要請し,快諾を得た。同氏の参加によって,道教とその周辺のまじない及びその典
拠の解析が可能になったとともに関連文献の教示を広く得ることができるようになった。また修験道につい
ては,久野俊彦氏(栃木県立栃木南高校・国立民族学博物館共同研究員)に研究補助者として参加を要請し,
同じく快諾を得た。同氏によって福島県奥会津地方の里修験が中世~近世前半に多様な宗教的知識を蓄積,
再編していたことが解明された。
4.研究組織(◎は研究代表者)
鐘 江 宏 之 学習院大学文学部
鈴 木 一 馨 財団法人東方研究会
三 上 喜 孝 山形大学人文学部
増尾伸一郎 東京成徳大学人文学部
村 木 二 郎 本館・研究部
平 川 南 本館・館長
◎小 池 淳 一 本館・研究部
松 尾 恒 一 本館・研究部
常 光 徹 本館・研究部
山 田 慎 也 本館・研究部
(18)基盤研究
(B)
海外
「実践としてのエスノサイエンスと環境利用の持続性-中国における焼畑
農耕の現在-」2003 〜 2006 年度
(研究代表者 篠原 徹)
1.目 的
中国の周辺地域には,多様な焼畑農耕民が暮らし,彼らはそれぞれ固有なエスノサイエンスの論理をもち,
それらを実践してきた。しかしながら,中国政府による環境保全政策や開発の中で,これまで環境利用を支
えてきた農耕民のエスノサイエンスもまた,今日,変容を余儀なくされている。
本研究は,雲南省および海南省で焼畑耕作をおこなってきた複数のエスニック・グループの人びとが,中
国政府の政策や開発の中で,どのような生活適応戦略をもって対応しようとしているのかを明らかにするも
のである。そうした彼らのエスノサイエンスの論理と実践から,環境利用と生業の両立の可能性を探り,さ
104
Ⅰ−2 外部資金による研究
らには,中国の周辺地域における豊かな自然の保全と焼畑農耕の両立させるモデルを提示する。
2.経緯と成果
雲南省金平県者米ラフ族郷・老集寨郷内では昨年度のハニ族,アールー族,ヤオ族に加えて今年度はタイ
族,クーツォン族の村で調査を実施した。村落の生業変化をさぐるため,衛星画像を活用しながら土地利用
のデータを収集した。この地域では9民族が,伝統的に焼畑,棚田,狩猟採集という生業を複合的に行って
きた。現在,政府の政策によって山の焼畑は禁止され,棚田や換金作物畑への転換が進んでおり,焼畑農耕
の重要度は低下しつつあるようにみえる。しかし,昨年度までの調査で,山の斜面地で生産性を高めるには
伝統的な焼畑,棚田を組み合わせた複合的な土地利用の方法と技術が不可欠なことが明らかになった。今年
度は各民族の生業の差異化と生活レベルでの同質化が表裏一体となって進行していることが抽出でき,河谷
平野でたつ定期市が重要な役割をはたしてきたことが明らかになった。
海南島においては,保力村を中心に現地調査を実施した。具体的には,保力村における各世帯の過去
20 年間の土地利用の変化,それにともなう人口および食料供給のデータを収集した。保力村においては,
1980 年代半ばから換金作物が導入されて以来,その開発状況は大きく2つの段階に分けることができる。
最初の成功世帯が現れるまでの第1期(1985 ~ 1994),それが現れた後の第2期(1995 ~ 2005)である。
第1期においては,政府が積極的に換金作物を奨励しようとしたが,村人は積極的に参加せず,余剰米を多
くもつ世帯ほど広い面積の焼畑を換金作物畑に転換した。この時期には各世帯の労働力は換金作物の導入に
影響をあたえなかった。一方,第2期に入ると第1期とは異なり換金作物の導入は盛んに行われるようなっ
た。余剰米の影響がなくなり,労働力は換金作物導入にポジティブな影響を与えていた。労働時間および栄
養状態の分析では,水田稲作の集約化による労働時間の軽減および米の増産が換金作物によって労働負担を
緩和するとともに,換金作物の導入初期に起こる栄養負荷も軽減した。これらの分析によって,中国におけ
る政府主導の農村開発のもとでの人びとの生業戦略を明らかにした。
3.研究組織(◎は研究代表者)
大 場 秀 章 東京大学総合研究博物館 梅 崎 昌 裕 東京大学大学院医学研究科人類生態学
吉 村 郊 子 本館・研究部
西 谷 大 本館・研究部
◎篠 原 徹 本館・研究部
[研究協力者]
津 村 宏 臣 同志社大学講師
宮 崎 卓 東京農工大学外来研究員
葉 山 茂 総合研究大学院大学院生
蒋 宏 偉 東京大学大学院医学研究科院生
(19)基盤研究
(B)
海外
「民俗信仰と創唱宗教の習合に関する比較民俗学的研究-フランス,ブル
ターニュ地方の聖人信仰の調査分析を中心として-」2003 〜 2005 年度
(研究代表者 新谷尚紀)
1.目 的
ブルターニュ地方を対象としてキリスト教的,ケルト的,ケルト以前と推定されるもの,の三者の重層性
105
に注目した 2000 ~ 2002 年度の海外科研の調査研究により,カトリックの篤い信仰に覆いつくされている
かのようなブルターニュの生活文化の中にも,太陽と火,奇跡の泉水,土と巨石に対する伝統的な民俗信仰
が習合しながら根強く伝えられていることが明らかとなった。そのなかで,第一に,ブルターニュ地方の民
俗信仰とカトリック信仰との習合の接点に位置する聖人信仰に関する調査研究の必要性が確認された。第二
に,19 世紀末から 20 世紀にかけてブルターニュ地方の聖人伝説の収集と祭礼行事の調査を行ったブラズ
Anatole Le Braz
(1859 ~ 1925)のフィールドノートの発見に伴うその資料論的分析研究の必要性が確認さ
れた。本研究では,ブルターニュ各地の聖人信仰についてブラズのノートをもとにした追跡調査により 20
世紀初頭の聖人信仰と現在のそれとの比較研究を行うこと,そしてその比較研究にもとづく民俗信仰とカト
リック信仰との習合の実態についての時代差を含めたその特徴の分析を試みることを目的とする。
2.経 過
今年度は,昨年の予備調査にもとづき,聖アンヌ(Sainte Anne)と聖ロック(Saint Rock)そして聖エロワ
(Saint Eloi)
などの聖人を対象とした信仰行事の調査と分析を推進した。
3.成 果
第一に,ブルターニュ地方における最大の巡礼地,サンターヌドレー(Sainte-Anne-d’ Auray)において毎
年 7 月 25 ~ 26 日に行われる聖アンヌをまつる大パルドン祭りの実地調査を行った。フランス各地より
約 20.000 人の巡礼者が訪れる大規模な祭りで,シャペルでのミサ,屋外の祭壇におけるミサと聖アンヌの
聖像を担いで行われるプロセシオン(宗教行列)などについて,地元の参加者と遠方からの巡礼者からの聞
き取り調査と写真撮影およびビデオ撮影を行った。また『サンターヌドレー大史』“Le grande histoire de
Sainte-Anne-d’ Auray” Patrick Huchet(1996)の翻訳を行い簡易製本をした(180 頁)。また同地で 1623 ~
25 年に農夫 Yves Nicolazic が奇跡の体験をし,土中より聖アンヌの聖像を発見したという伝説の追跡調査
を行った。第二に,フィニステール地方のサンターヌラパルー(Sainte-Anne-de-la-Palud)において 7 月 31
日に行われた小パルドン祭りの実地調査を行った。ここではシャペルにおけるミサの後,シャペルより約
50m 離れた聖アンヌの泉水までプロセシオンを行い,神父が小枝で聖なる泉水を人々にかける儀礼が特徴
的である。さらに第三に,ブルターニュ半島の西部に位置するプルアルザル(Plouarzal)で 6 月最終日曜日(以
前は 24 日)に行われる聖エロワ(Saint Eloi)のパルドン祭りについて調査を行った。馬へのべネディクショ
ンがそのパルドン祭りの最大の特徴であるが,それも神父によって泉水が用いられるのが特徴的である。昨
年,プロヴァンス地方における聖エロワにちなむ馬かけ祭りの調査を集中的に行ったが,ブルターニュ地方
の祭りにおいては儀礼に泉水への信仰的要素が強く見られる点が特徴であることがわかった。なお研究者各
位によってこのほかにも聖ロック(Saint Rock)など個別の聖人に注目した情報資料の収集が進められた。
4.研究組織(◎は研究代表者)
比 嘉 政 夫 沖縄大学法経学部
三 橋 健 國學院大學神道文化学部
◎新 谷 尚 紀 本館・研究部
関沢まゆみ 本館・研究部
106
Ⅰ−2 外部資金による研究
(20)基盤研究
(C)
「日本中世債務史の基礎的研究」2002 〜 2005 年度
(研究代表者 井原今朝男)
1.目 的
(1)日本における債務史研究という新しい研究分野を開拓する第一歩とする。
是まで,私は物々交換から貨幣経済への中間過程として債務契約による経済活動の独自世界=質経済圏を
設定することが必要だとする仮説を提起した。その具体化のため,債務史という新しい研究領域の創造を進
めている。現代社会においても,債権債務処理問題は未解決な難問であり,債務に関する専門的な歴史学的
研究は見られない。現在では知られていない質契約に関する独自の法理が機能していた史実を発見すること
を目的とする。
(2)日本中世債務史の研究領域をまず専門的に立ち上げる。
私は,中世貨幣経済の時代的特質は,債務契約が不可欠な物として組み込まれており,質契約と貨幣経済
との結合関係にあったものと考えている。この質経済論の仮説にもとづいて,中世の貸借・売買・寄進・勧
進など物権の移動という社会現象を歴史的に再検討し,中世の債務処理や高利貸をめぐる多様な具体像をあ
きらかにしたい。本研究はその未開拓な分野の考察である。
2.調査箇所
最終年度になったため,史料整理とこれまでの研究整理を中心に検討をすすめ,研究成果の報告や批判
を受ける機会を多くするように努めた。日銀貨幣博物館貨幣史セミナー(6 月 10 日),古代中世史研究会・
信州大学教育学部(6 月 25 日~ 26 日),千曲市武水別神社文書調査(7 月 1 日~ 2 日),東大寺図書館(8 月
28 日~ 8 月 31 日),古代中世史研究会・信州大学教育学部(9 月 3 日~ 4 日),内地遺跡研究会・帝京大学
山梨文化財研究所(11 月 18 日~ 21 日)ほか
3.東大寺文書の債務関係文書調査
(1)文書集合の古文書学
[紙縒群は元巻子本であった]
昨年の調査で,B 1群の切紙が紙縒でまとめられているもののうち,789 から 797 号までの9通が連券
の可能性が出てきた。今年はこれらの原本に当たって,虫食跡,継目花押の位置などが無理なく連続するか
否かの詳細調査を実施した。
その結果,継ぎ目裏花押が同一人物R氏によるもので,下行の分量・品目事項・花押・支給月日を同一筆
跡で「勘合裏書」していることや,糊代跡が一致することから,中世社会において連券となって機能してい
たことが判明した。その年次は康永二年六月五日から同三年六月二十三日までの期間にあたっている。
なお,これ以外にもこれらに連続するとみられる史料がみつかった。
⑩ 3 - 10 - 210 号康永三年卯月十一日了賢・幸尊・幸廣・賢尊・了専・賢与連署請取状の裏花押
⑪ 1 - 8 - 103 康永二年九月二十五日請取状にある継目裏花押
⑫ 1 - 8 - 104 康永二年十二月廿二日請取状にある継目裏花押
3 - 10 - 210 号や 1 - 8 - 103 / 104 という別の綴りの文書もかつては連券であり,それが散在して
しまったことがわかる。したがって,現状の文書集合は,3 - 10 にまとめられている文書群と 1 - 8 など
107
として荘園別にまとめられている文書群とは本来いっしょに連券文書群になっており,それらが劣化によっ
て糊代が剥がれて分散してしまい,現状のような分離した文書群として伝来したことがわかる。この結果,
第三部にまとめられている請取状の文書群と第一部として荘園別にまとめられている文書群はかつては一括
して連券となっていた文書群を含んでいることが判明した。これこそ,古文書調査一通ごとの文書として分
析してきたこれまでの古文書学の限界を示すものである。あらためて,伝来過程の復原によって,どのよう
な文書群として伝来したのかを文書群として検討することが重要であることがわかる。こうした文書群とし
ての伝来を復原し,文書群としての文書機能を探る古文書学を文書習合の古文書学と呼ぶことにした。
[勘合の裏花押の人物特定]
昨年までの調査で,旧来,『東大寺文書目録』などで継目裏書とされたものは,実際に下行分の量と題目
と花押と日付を記載したもので,通常の「端裏書」とは区別して,切符の内容を間違いなく下行したことを
再確認するために継ぎ目裏の部分に書かれた文字と花押であり,「勘合裏書」と呼ぶべきことを主張した。
今年の調査では,この勘合裏花押のR氏がどの人物であるか特定するための調査課題をもって望んだ。 ヒントは,3 - 10 - 789 ~ 796 までの請取状と 1 - 8 - 103 / 104 とが連券になっていたことの発
見である。したがって,これらは大和国河上荘の関係文書であった可能性が高いことがわかった。そのため,
第一部の河上荘の文書群を調査すると,⑬ 1 - 8 - 27 号に康永三年六月二十六日付の河上荘五名三斗米結
解状が存在することがわかった。それは
康永三年甲六月二十六日 五名納所清円(花押)
とある。この花押が,継ぎ目裏花押とされた「勘合裏書の花押」と完全に一致する。これまでR氏として
きた勘合裏花押がこの五名納所の清円のものとすべてと一致した。
したがって,康永三年六月二十六日の五名納所清円の結解状には,そのあとに最低①から⑫までの切符と
請取状が連券になって古文書群として接続していたことが判明した。
[納所貞信による勘合裏書と連券文書]
以上の発見の方法を逆にたどると,一連の連券を発見することができた。昨年度の調査で 3 - 10 - 788
でT氏とした花押は,大和国河上荘六名納所貞信のものであることが判明した。
(2)切符・請取状の機能論的検討
では,東大寺では,抹消された切符や請取状をわざわざ,連券にして裏花押まで据えて何故保存しておく
必要があったのであろうか。その文書群の機能論的検討をおこなった。
東大寺に大量に残された請取状・返抄が寺院経済の結解に関係し,さらに算用・勘合・勘算などの監査手
続きに関与するものとみて間違いなかろう。ただ,すでにみたように巻子状の連券にしたてた文書が切符や
請取状がセットで組み込まれていることは,それ以外の理由を考えなければ説明がつかない。とりわけ,切
符は支給を約束した文書でいわば請求書である。それに対して請取状は通説では受領書とされており,両者
の機能を同一の原理で説明しえない。
その中で注目すべき史料が 3 - 10 - 733 号新袈裟用途惣請取状である。そこにはつぎのようにある。
「新袈裟惣請取案文 応永六己卯十九」
請取 新袈裟用途事
合 参拾四貫文者 卯年分
合 年々未進数拾貫文者 漸々納了
108
Ⅰ−2 外部資金による研究
右当年所出之分皆納了,再年々未進遂結解悉令皆納了,随而破請取了,於向後者当年以前之請取千万雖有
之不可挟引候者也請取如件
応永六年己卯十月九日 学侶年預清覚判」
ここから,中世東大寺においては,個々の請取状とは別に「惣請取」なる文書が皆納の際に発給されてお
り,その際に「随而請取を破り了,向後においては当年以前の請取千万これ有るといえども,挟引すべから
ず候者也」と記されており,請取状の機能が破棄されていることがわかる。これは,拙稿で指摘したごとく,
個々の請取状は一時的な仮請取状であり,残っている未納分に対する請求書の意味も含んでおり,最終的な
年貢皆納とともに皆納請取状が発給されて,仮請取状の機能が消滅することになったとする拙論を裏付ける
史料である。
さらに 3 - 10 - 718 号・永享二年庚戌六月五日妙舜房割分請取状を見いだした。
「妙舜房割分請取」
請取 妙舜房割分料足事
合拾弐貫文者
右越中国高瀬荘年貢之内,自応永参十壱年至永享元年六箇年之分従者東大寺之納所方所請取状如件
永享二年庚戌六月五日 源英花押
この文書はこれまでの解釈では,源英が 12 貫文を受け取った領収書と判断されるがそうではない。こ
れは源英が東大寺の納所に対して 12 貫文の支払いを命じた切符であり,東大寺の納所はこの請取状をみて
12 貫文を支出したのである。ここから,越中国高瀬荘年貢が応永 31 年から永享元年まで六箇年分をまと
めて納所から支払われたことがわかる。
これに関連する史料が 3 - 10 - 739 号の正長元年戌申二月日越中国高瀬荘年貢請取案文である。
「高瀬荘年貢請取案文拾弐通分」端裏書
請取 手掻殿御供物用途事
中略
以上,都合百卅四貫四百十八文歟
自応永卅一年辰至当年申五箇年之間被直務,仍五百余貫文歟 綿以下
此請取并叡春之目安沙汰衆方牒状,正長二年正月廿八日及晩到来候了,目安并此請取正本ハ,同廿九
日返牒ニ加之,返遣候了
とある。ここには応永廿七年七月九日より同卅年十二月十九日までの請取状十二通が抄写されている。し
たがって,この文書の内容と,718 号永享二年の妙舜房割分請取状とが内容的に連続することがわかる。
以上から,東大寺において,年預五師の発行した切符や請取状が,東大寺領荘園や名ごとに任命された納
所に示されて,下行命令書となって機能し,請求書として記載額が支払われる。その際,名や荘園ごとの納
所は,この請求書としての切符・請取状をまとめて連券にして,その継ぎ目裏に支払い額と自分の花押と支
払い年月日を裏書していく。それによって,請求書としての切符・請取状にしたがって,実際に支払った額
と日時をチェックし勘合裏花押をすえたのである。東大寺では,年預五師の発給した切符・請取状を受け取っ
た僧侶が,寺領の荘園や名ごとの納所に提示して初めてその記載額の支払いを受け取ることができたのであ
る。名納所や荘納所は,名ごとに,或は荘園ごとに結解状を作成し,そこに下行者や下行額,日時を示す証
拠書類として切符や請取状を添付して連券として出納帳簿を作成したことが判明した。東大寺では,下行命
109
令書とその受領書群とをセットとして古文書群をつくり一括して保存し,さらに勘合を行っていたことが判
明した。
(3)押書の機能論的検討
なお,今回の原本調査の中で,荘園関係文書においても押書が存在することを確認することができた。3
- 10 - 706 号文書とこれに関連する文書が 1 - 25 - 581 号であることが判明した。竹内理三『鎌倉遺文』
にも未掲載であり,『鎌倉遺文研究』に公開することにした。
4.鎌倉遺文の債務関係資料のデーターベース
これまで作成したものの誤字類のチェックと関係資料の打ち出しを行い,報告書に掲載するデーターを整
理した。報告書の原稿について書誌データーとの対比・校正などを行い,印刷原稿の作成を行った。
5.研究組織(◎は研究代表者)
◎井原今朝男 本館・研究部 菱 沼 一 憲 研究補助員
(21)基盤研究
(C)
「日本歴史における水田環境の存在意義に関する民俗学的研究」
2003 〜 2006 年度
(研究代表者 安室 知)
1.目 的
近代以前において日本の稲作は生業として強い特化傾向を示し,結果として高度に水田化されたいわゆる
稲作単作地が各地に形成された。しかし,実際の耕作者の視点に立ってみるとき,そうした水田およびそれ
を取り巻く環境は稲作のためだけに利用されてきたわけではなかった。その背景として,農薬や化学肥料が
大量使用される以前の水田が,多様な動植物にとって棲息の場でありかつ繁殖の場となっていたことが挙げ
られる。
これまでの研究により,水田環境を利用する生業活動として,「水田漁撈」が提唱されるに至っている。
しかし,それ以外には,水田環境を利用した生業活動の実態はほとんど解明されていないといってよい。日
本列島の場合,人工的な湿地ともいえる水田地帯にはガン・カモ科を中心とした渡り鳥が毎年訪れるが,断
片的な資史料からは,そうした鳥類を対象とした狩猟が稲作民によっておこなわれていたと推察される。
そこで,まずはじめに,日本各地において水田環境を利用しておこなわれてきたガン・カモ科を対象とし
た狩猟活動の実態を聞き取り調査により資料化する。それにより,水田狩猟のあり方を考察しつつ,近代以
前の水田が有していた潜在力を明らかにし,またそうした潜在力を狩猟というかたちで利用する稲作民の生
計維持のあり方を究明する。
2.経 過
本年度も平成 16 年度に引き続き,伝統的な狩猟技術が伝承される地域について,日本列島内を広範囲に
まわり概観調査をおこなった。また,とくに石川県加賀市大聖寺(片野鴨池)に調査地を絞って,水田生態系
が大きく変貌する以前の昭和初期に時間軸を設定し,当時の生業とくに水田稲作を復元するとともに,そこ
に伝承されるサカアミ(1辺2メートルほどの三角網)を用いた伝統カモ猟について写真および聞き取りによ
110
Ⅰ−2 外部資金による研究
り記録した。また,加賀市役所や大聖寺捕鴨組合に残される文献資料や統計資料を収集し分類整理した。
3.成 果
石川県加賀市大聖寺(片野鴨池)を中心とした民俗調査の結果,現在はまったく経済性を持たず趣味的に行
われるだけのサカアミによる伝統カモ猟が近代においては重要な経済活動とくに農家における現金収入源と
して行われていたこと,またそうした伝統カモ猟が大聖寺捕鴨組合という任意の団体により狩猟者数や猟具・
猟場が厳しく管理されていたことが分かった。
さらには,そうしたカモ猟に関して当該地域における厳しい自主規制があったからこそ,片野鴨池の自然
環境が維持されてきた面のあることも分かった。ただし伝統カモ猟が自然保護思想にいうワイズ・ユースで
あったと一概に結論づけることはできない。サカアミのように地域に長く伝承されてきた民俗技術と自然環
境との関わりについては,保全機能だけでなく,客観性を持ってさまざまな視点から調査分析する必要があ
る
(この点は平成 18 年度の課題とする)。
4.研究組織
安 室 知 本館・研究部
(22)基盤研究
(C)
「高齢化社会における隠居と定年をめぐる民俗学的研究」
2003 〜 2005 年度
(研究代表者 関沢まゆみ)
1.目 的
本研究は,現代日本社会における定年後の老いの人生の充実がどのようにして図られているか,その問題
に注目し,民俗学の立場から伝統的な村落社会における隠居の慣行と近代社会で導入された定年制との両者
を射程におきながら,加齢(aging)とそれに伴う社会的な役割変化の関係性について調査,分析を試みるも
のである。この研究によって明らかにしようとしている課題は以下の通りである。第一に,日本の村落社会
における隠居の慣行に仕組まれてきた伝統の知恵についての分析,第二に,都市社会におけるサラリーマン
の定年後の生活の充実への努力をめぐる具体的な事例分析,第三に,定年帰農・定年帰郷といわれる故郷へ
の回帰の動向に関する実態分析である。そして,これらを通して伝統と変革の中にある現代日本の老年世代
の生きがい獲得へ向けての試練と克服に関する民俗学的な分析結果を提示できるものと考える。
2.経 過
先に,定年後の充実には,仕事,趣味,ボランティアという 3 つの選択肢があることを指摘したが(拙著
『隠居と定年-老いの民俗学的考察-』臨川書店,2003 年),今年度は都市部における定年後のサラリーマ
ンの聞き取り調査を集中的に行った。
3.成 果
現在,2007 年から始まる団塊の世代の定年問題が社会的関心を集めているが,いわばその団塊の「兄」
世代
(1930 年代生まれ)で,大学卒業後,鉄鋼,造船,自動車,電機,石油化学などいわゆる「重厚長大」
産業に従事した男性を主な対象とした(具体的には石川島播磨重工業(IHI),日産自動車,昭和電工,東燃化学,
111
日立製作所など)。高度成長期においてこれらの産業は,技術革新による発展,内需拡大型の成長から輸出
主導型の成長への転換をはかったことが共通しており,調査対象者はそれぞれの企業の躍進の中で好況不況
の「波」を体験してきた。また,彼らは東京近郊にマイホームを購入し,核家族の形態の生活を営んできた。
60 ~ 65 歳の頃に定年退職し,現在 70 歳代である。彼らの定年後の活動には,JICA のシニアボランティ
アへの参加,専門知識と経験を生かした顧問的な仕事,囲碁やゴルフ,テニスなどの趣味,マンション管理
組合の活動,田舎暮らしの実践など,多様なものがあることがあらためて確認された。定年後のつき合いに
ついては,大学時代の同期生の集りや大学時代に所属したクラブの集りなどが定期的に行われているケース
が少なくない。ここでは,彼らの長年つとめた会社への帰属意識に代わるものとして出身大学への帰属意識
を求める傾向性がうかがえた。以上,これまでの近畿地方と関東地方の農村部の事例に加えて,東京近郊の
都市部のサラリーマンを対象とする高齢世代の調査を進めることができた。
4.研究組織
関沢まゆみ 本館・研究部
(23)若手研究
(B)
「室町・桃山期小袖型服飾各類にみる衣材・染織技術・服飾観の相関性に
関する研究」2003 〜 2005 年度
(研究代表者 澤田和人)
1.目 的
本研究は,従来「小袖類」として一括して議論される傾向にある小袖・袷・単物・帷子など,小袖を典型
として類似する外形を備えた服飾群(本研究ではこれを「小袖型服飾」と呼ぶ)を個別に細分して扱い,歴史
的変遷を視野に入れつつ,室町・桃山期における基礎的な美的特質を服飾ごとに抽出することを目的として
いる。
現存遺品および文献を手掛かりに,衣材・染織技術・服飾観に関する情報を収集し,得られた情報を再び
各個別服飾に還元させて分析を行い,服飾としてのそれぞれの独自性や相互の異同を明示することを試みる。
また,データベースなど,広く利用され,かつ,客観的な分析が可能なかたちとなるよう,集積された情
報の公表方法についても検討を進める。
2.経 過
室町・桃山時代の記録日記類や文書など,当該期の文献資料を可能な限り猟渉し,小袖・袷・単物・帷子・
湯帷子など,小袖型服飾各類の記事を拾い出し,それらの色彩および装飾や材質についてのデータを集積し
た。また,染織品の現存遺例の調査や,画中服飾資料として服飾を描いた絵画の調査を行い,染織技術や服
飾に関するデータの集積を行った。
文献資料から得られたデータに分析を加えた結果,小袖・袷・単物と帷子・湯帷子との間では,およそ
15 世紀まででは画然とした相違があったが,16 世紀に入って特に中頃を過ぎると,その相違が少なくなり,
更に 17 世紀以降になると,ほとんど同化する道を辿ることが判明した。
特に材質の面では,両者間の相違の変遷を明瞭に示すことができる。すなわち,当初,小袖・袷・単物は
112
Ⅰ−2 外部資金による研究
絹物
(動物繊維)として,帷子・湯帷子は布物(植物繊維)として区別されていたのが,やがて交差してそうし
た区別が不明瞭になっていくこととなる。
染色技術についても,はじめは,小袖・袷・単物は絞染,帷子・湯帷子は糊染が多かったのが,材質面で
の区別が不明瞭になっていくことに伴い,そうした相違が解消される方向へと進むことが浮かび上がってき
た。
同時に,小袖のみ,もしくは,帷子のみにしか見られない染色の名称があることも判り,その詳細につい
て検討を進めている。
3.成 果
本年度は,
「経過」の項で記した材質の問題について,特に帷子に焦点を絞って論文にまとめた(「帷子
の基礎的研究-室町時代から江戸時代初期に於ける材質の変遷について」『国立歴史民俗博物館研究報告』
125,pp.69 ~ 99)。そこでは,文献に見える帷子の材質を網羅的に集めた一覧表を作成している。紙媒体
ではあるが,データベースとしての役割を担う情報を提供できたものと考えられる。同様の方法で,引き続
き,この度の研究で集積した各種小袖型服飾に関する情報を公表していきたいと考えている。
4.研究組織
澤 田 和 人 本館・研究部
(24)若手研究
(B)
「近現代の商家経営に関する民俗学的研究」2003 〜 2005 年度
(研究代表者 青木隆浩)
1.目 的
これまでの民俗学では,農家や漁家などの第一次産業に関心を集中させるあまり,商家についてあまり研
究をしてこなかった。だが,商家は,農家や漁家と同様に,家業を継続するうえで技術の継承と季節的変化
に伴う職業の複合性といった問題を抱えている。そこで本研究では,家業経営の比較研究を行う下地を築く
ため,商家経営の実態をおもに労働力編成と技術継承に重点を置いて調査を行う。
研究対象には,現在も数多く残っている伝統的な商家として関東地方の酒造家と醤油醸造家を選んだ。す
でに私は埼玉県と栃木県の酒造家を対象とした調査結果を部分的に紹介済みであるため,本研究では醤油醸
造家と醤油醸造を兼業している,あるいはかつて兼業していた酒造家,新潟県の酒造杜氏と醤油杜氏につい
て調査し,技術と労働の両面から家業の存続要因を比較検討するための材料集めをおもな課題とする。
2.経 過
まず,昨年度に引き続き,入間市博物館所蔵「友野家文書」の閲覧とデータの加工整理をおこなった。友
野家は,
平成5年前後まで営業していた小規模な酒造家であり,江戸末期から昭和 22 年ころまでの酒造経営,
酒造組合,税務署関連史料を数多く残している。今年度はとくに酒造組合と税務署関連の史料閲覧に力を入
れた。その結果,酒造講習会の内容や税務署の技術指導,酒類品評会の実施方法とその結果などについて詳
しいデータを収集することができた。
また,今年度は埼玉県深谷市の株式会社田中藤左衛門商店の史料を閲覧することができた。田中家は,平
113
成 16 年まで酒造業を経営していた近江日野商人であり,昭和 40 年代まで支配人制度を採用していた。支
配人制度とは,オーナーが日野の居宅に住んだまま,関東地方など遠方の店舗経営を支配人に任せる制度で
ある。田中家文書には,その様子を知ることのできる「店則」や「工場規定」が含まれていた。それらに加え,
「元
方帳」や「店卸帳」など酒造経営に関する史料も発見できた。現在,それらの一部を借り受け,分析を進め
ている。
上越市の頸城区総合事務所では,故坂口謹一郎氏(元東京大学教授)の残した資料を閲覧・撮影した。ここ
には,江戸~昭和初期における酒造技術の変化を確認できる資料が数多く残されている。また,坂口氏が酒
造技師の先輩から聞いた話のメモ書きや酒造組合から送られてきた清酒成分の分析値など,他では得られな
い情報があり,たいへん参考になった。
さらに,柏崎市立図書館では,越後杜氏の都道府県別出稼ぎ者数や出身村の分布を調査した。これにより,
平成 15 年度より続けている杜氏の研究がさらに進んだ。
3.成 果
昨年度に収集した越後杜氏関連史料に加え,おもに「友野家文書」の酒造組合,税務署関連史料を加工・
分析し,
「大正後期~昭和初期の北関東地方における産地間競争の激化と越後杜氏の採用動向」
(『酒史研究』
第 22 号,pp.1 ~ 11)をまとめた。これによって,明治時代まで技術開発に熱心だった酒造家が,大正時代
中頃から酒造りを杜氏任せにして,営業部門と製造部門を分離した経緯を明らかにした。
4.研究組織
青 木 隆 浩 本館・研究部 (25)若手研究
(B)
「国民国家形成と遺影の成立に関する民俗学的研究」2003 〜 2005 年度
(研究代表者 山田慎也)
1.目 的
近代の肖像写真と国民国家との関係については,天皇の御真影などを中心に研究が進められているが,一
般にもっとも普及している遺影については未だ研究が進んでいない。こうした遺影についての研究は,死者
儀礼や死生観の問題だけでなく,国民国家形成との関連もうかがわれ,その成立や歴史的展開について解明
が求められている。
本研究では,岩手県遠野市とその周辺部における,供養絵額,肖像画,遺影の奉納習俗の歴史的展開とそ
の地域的分布を調査することで,遺影の成立と戦争との関連を明らかにし,国民国家成立過程の影響と遺影
の成立を解明することを目的とする。
さらに死者表象の変化によって地域の霊魂観,死生観の変化が明らかになるとともに,民俗社会と写真と
の関連について歴史的展開を照射できる。こうした供養絵額から遺影の研究により,国民国家研究の視点が
加わるなど,新たな研究の展開をはかることができる。
2.経 過
(1)供養絵額・遺影奉納の分布の調査とその整理
114
Ⅰ−2 外部資金による研究
岩手県下の寺院約 600 軒について,遠野市を中心に岩手県中央部において供養絵額,肖像画,遺影
写真の奉納習俗がどの範囲で行われているかを知るため,岩手県下の寺院約 600 軒に習俗の有無のア
ンケート調査を行い,そのデータ整理を行った。
(2)供養絵額・遺影奉納の習俗の変遷調査
昨年より継続して寺院に対して奉納の習俗について調査するだけでなく,檀家など一般の人々が絵額
を奉納する契機や方法について聞き取り調査を継続して行っている。また遺影の使用状況など葬送儀礼
についても調査を行った。さらに戒名との関連なども調査している。
(3)供養のための奉納物の調査
昨年に継続してアンケートに並行して供養のための他の奉納物について調査を行っている。
3.成 果
今年度は最終年度であり,現在までの調査の総括と補足調査を行った。まず,2005 年9月に開催された
日本宗教学会学術大会において,パネル「死者の祭祀と供養-集団性と個人性の葛藤と共存」のなかで「死
者に対する慰撫と顕彰」というタイトルで発表した。
当該科研費の研究成果をふまえ,岩手県中部においては当初,哀れむべき慰撫される死者たちが来世の幸
福な姿として絵額にされたが,不幸な慰撫される存在の延長上にあった戦死者が,御真影等の肖像形式とな
り,顕彰として写真を使用するようになった。それ以降,不幸な死者だけでなく,天寿を全うした老人など
の遺影も奉納されるようになり,死者が顕彰される存在として捉えられるようになったことを報告した。
さらに今までの成果のうち,岩手県宮守村長泉寺の絵額・遺影調査の資料を整理し,「近代における遺影
の成立と死者表象」という論考をまとめ,『国立歴史民俗博物館研究報告』132 号に掲載された。ここでは
絵額の成立と特徴を詳細に検討し,絵額が供養を目的としていること,夭折の死者や連続して死亡した死者
など特に慰撫すべき存在であること,ある程度のパターンができていることなどが明らかになった。そうし
た絵額から遺影への変化は,戦死者において顕著であり,そこには顕彰のまなざしがあり,それ以降になる
と不幸な死者にも遺影を用いることがわかってきた。こうした遺影への変化は,表象のあり方が現世の記憶
を基盤にしただけでなく,写真それ自体が死者そのものの表象として使われるようになり,人々の遺影への
意味づけは多義的になっていた。こうして近代の国民国家形成の過程において,とくに戦死者の祭祀との関
連から,死者の表象のあり方が大きく変わるととともに,死の意味づけを変えていったこと明らかになった。
4.研究組織
山 田 慎 也 本館・研究部
(26)若研究手
(B)
「日本近世城下町における武家の消費行動および家相続と都市社会」
2004 〜 2006 年度
(研究代表者 岩淵令治)
1.目 的
現在の日本の大都市の多くは,世界の前近代都市の中でも特異な都市形態-近世城下町を淵源とする。
115
その最大の特徴は身分による居住地区分であり,とくに武家地は城下町成立の根幹にかかわり,最大の面
積を占めたという点できわめて重要である。しかし,1990 年代からはじまった武家地の研究蓄積はまだ浅
く,幕府の武家地の支配と実態,武家奉公人と都市下層社会の連関が検討されたものの,いまだに武家地
は都市社会の中に位置づけられていない。すでに,研究代表者は科学研究費補助金(特別研究員奨励費)
「日
本近世都市における武家地の研究」
〈1997 年度〉
・奨励研究 A「日本近世城下町における武家地の研究」
〈2001
~ 2002〉年度で都市史の視点からみた武家地の検討を行い,武家屋敷が果たす都市の機能(治安維持など),
武家地が町・寺社・近郊農村とむすぶ諸関係(地域論),藩邸の消費・生産が都市経済に及ぼす影響を検討し,
武家地を近世の都市社会に位置づけ,近世城下町の構造と特質を照射した。本研究では,上記の基礎的研
究を発展させ,藩主の分析も継続しつつ,a藩主家の女性および女中,b江戸詰藩士,c旗本・御家人を
とりあげる。そして,日記・小遣帳にみる生活・消費行動(購買行動,文化的消費〈信仰・遊山〉,ゴミの
廃棄や町人貸家等),江戸における身分・藩を越えた「家」の相続(主に b)等を検討し,より微細なレベル
で武家地を都市社会に位置づける。
2.経 過
初年度である本年度は,史料調査・収集を行い,収集資料の一部について分析を行った。調査を実施した
のは,A神宮文庫,B金刀比羅宮図書館である。Aでは幕府の火事場役人に関する史料,Bでは江戸藩邸の
神仏公開に関わる史料を写真で収集した。
3.成 果
① 武家火消・定火消,および現場で諸々の火消を指揮する幕府の火事場役人に関して史料を収集した。
そして,従来の町火消重視の江戸の火消研究に対して,武家火消・定火消,および現場で諸々の火消を
指揮する幕府の火事場役人を含めた「消防体制」を提起し,活字論文で公表した。
② 藩士の日記については,八戸藩士遠山家の江戸日記(約 40 冊)および小遣帳(八戸市立図書館)を素材
に,江戸における勤番武士の行動の詳細と関係する江戸の商人・職人の地域的な特質について分析をす
すめた。来年度は活字論文による公表を目指すとともに,江戸における居住地の異なる事例の比較検討
を行うため,他事例の調査の継続,また新たな事例の発掘にもつとめたい。
③ 藩士の江戸における参詣先となり,また武家屋敷と外部社会の関係を考える上でも重要な役割を果た
した武家屋敷内の神仏公開について,史料収集と検討をすすめた。来年度は活字論文として公表につと
めたい。
④ ゴミの廃棄については,廃棄物学会ごみ文化研究部会において「江戸のごみ処理再考」
[岩淵 2005. 4]
として報告し,現代のゴミ問題研究者に成果を還元するとともに,交流を図ることができた。
⑤ 旗本の史料については,都市江戸における行動にかかわる史料を検出しえなかったが,近代における
「江戸」像,
「武士」像の形成にかかわる史料の分析をすすめた。
4.研究組織
岩 淵 令 治 本館・研究部
116
Ⅰ−2 外部資金による研究
(27)若手研究
(B)
「経塚・墓地・寺社が形成する宗教空間の考古学的研究」
2004 〜 2006 年度
(研究代表者 村木二郎)
1.目 的
平安時代の後半に浄土信仰のもと全国各地でつくられ始める経塚は,中近世を経て,形態や背景を変えな
がらも,現代でもつくられ続けている日本特有の信仰遺跡である。経塚遺物は美術品として見られがちであ
ったため,銘文研究を除き,その歴史資料としての価値は見過ごされがちであった。しかし,近年の考古学
的手法による経塚研究は,経筒の型式分類化,共伴する陶磁器や鏡の年代観の確立をもたらし,今や経塚資
料は当時の社会の多様性,信仰のあり方といったさらに高次の位相にまで迫りうる絶好の資料となっている。
たとえば,近世の石塔が残る墓地に入ると,こういった経塚が入口や中央に配置されていることがある。そ
れは,経塚によって土地が聖域化し,またそれを手がかりに死者が成仏できるという意識があるからで,人々
にとって意外と身近な遺跡であったことがわかる。本研究では経塚・墓地・寺社を総体的に考証して,日本
人の基層信仰を探っていきたい。
2.経過および成果
今年度は,東北,関東,東海地方を中心に,経塚の現地踏査,および資料整理をおこなった。とくに,伊
豆地域では現地の教育委員会の方のご案内のもと,半島内の経塚を悉皆踏査すると共に,中世の石塔や寺社
等,信仰関連遺跡を調査した。これにより,経塚を単独の遺跡として把握するのではなく,総合的な地域信
仰の一要素として位置付け,ひとつのモデルケースを構築しうると考えた。また,経塚資料の中でも,鏡に
重点を置いて資料整理をおこなった。鏡は中世考古学の中でも,とくに信仰遺跡を研究するためには重要な
資料である。しかし,編年研究が必ずしも確立していないため,使いにくい資料でもある。経塚からは鏡が
多く出土するが,経塚にはほかにも陶磁器や紀年銘を記した経筒などの遺物が共伴することがあるため,基
準資料として位置付けうる。これらを丹念に整理していけば,中世前半の鏡編年に大きく寄与しうる。来年
度は経塚資料以外にも目を配りながら,鏡を編年するための基準資料の収集に努めたい。そのほかにも,近
世の墓地調査を継続しておこなっている。今年度は一箇所の墓地に集中して入るのではなく,千葉周辺の墓
地を巡見して,近世の経供養碑と墓地内の古手の石塔の把握に努めた。変容し,地域に溶け込んでいく経塚
の実態と,共同墓地の成立の関連を追っていきたい。
3.研究組織
村 木 二 郎 本館・研究部
117
(28)学術創成研究費
「弥生農耕の起源と東アジア-炭素年代測定による高精度編年体系の構築-」
2004〜2008 年度
(研究代表者 西本豊弘)
1.目 的
本研究の目的は,農耕の始まりについて,高精度炭素 14 年代測定法を用いて実年代を確定し,弥生農耕
の起源を再検討することである。
2.経 過
この研究の 2 年目である 2005 年度は,約 100 遺跡約 1000 点の年代測定用試料を収集した。そして,
これまでに収集した縄文時代から古墳時代までの試料の中から,約 1000 点を AMS 法により年代測定した。
さらに日本版較正曲線の作成のための樹林年輪の測定を進めた。
これまでの年代測定の結果,北部九州での弥生時代の水田稲作農耕の始まりは,紀元前 900 年ころと推
測された。その後,中国・四国地方には約 100 年遅れて伝わり,近畿地方には約 200 年遅れて紀元前 7 世
紀ころに水田稲作が伝わったと推測される。この研究活動により,日本への鉄器や青銅器などの伝来時期が
議論されるようになり,日本文化の起源について様々な分野で再検討が行われるようになった。
3.成 果
これらの研究成果は,考古学や年代測定関連の学会で報告された他,各地での現地説明会や歴博での公開
報告会などで公表され,歴博をはじめとした様々な企画展示でも速報されている。
4.研究組織(◎は研究代表者)
中 村 俊 夫 名古屋大学年代測定総合研究センター 松 崎 浩 之 東京大学原子力研究総合センター
宮 本 一 夫 九州大学人文科学府
平 川 南 人間文化研究機構理事
今 村 峯 雄 本館・研究部
本館館長併任(2005 年9月1日から)
坂 本 稔 本館・研究部
永 嶋 正 春 本館・研究部
◎西 本 豊 弘 本館・研究部
春 成 秀 樹 本館・研究部
広 瀬 和 雄 本館・研究部
藤尾慎一郎 本館・研究部
(29)基盤研究
(C)
「日本中世生業史の研究-
「農業/非農業」の二項対立論を超えて-」
2005 〜 2008 年度
(研究代表者 春田直紀)
1.目 的
生業という言葉は近年,「人と自然とのかかわり」や地域社会の形成原理を解く鍵として,おもに民俗学
の分野で再び脚光をあびているが,歴史学における生業論はいまだ確固たる理念や研究手法が示される段階
にはいたっていない。本研究の目的は,生業史の方法論を,日本中世を対象にしたいくつかのモノグラフを
118
Ⅰ−2 外部資金による研究
通して具体的に提示することにある。
2.経 過
(1)生業論の理論的検討
日本中世・近世史を中心に生業論の登場した背景と理論的な特徴・展開過程を明らかにした。また,環境
史と山村史についても,それぞれ生業論の観点を導入した研究の意義について考察を加えた。
(2)中世生業語彙の収集
12 世紀~ 13 世紀の公家の日記類を対象に,生業に関わる語彙を収集し,データベースを作成した。検
索した日記は 11 点で,データ化した記事数は 1209 件にのぼった。
(3)現地調査
7月に熊本市で阿蘇家文書の原本調査と肥後の地域史料収集をおこない,ついで熊本県宇土市で郡浦社領
の実地調査を実施した。つぎに8月には福井市で若狭湾の歴史・生業関係の文献収集,福井県小浜市で海村
調査を実施した。11 月には熊本県阿蘇市で阿蘇社領の地名調査をしたあと別府大学に移動し,九州の環境
利用について文献史学・考古学・民俗学・植物学の各研究者と意見交換をおこなった。さらに熊本市に移動
し,7月の調査に続く作業を実施した。
3.成 果
生業論の理論的検討に関しては,6月に国立歴史民俗博物館の基幹研究「中・近世における生業と技術・
呪術信仰」の第1回研究会で,「歴史学における生業論の登場と変遷」と題する報告をおこなった。また,
9月に発表した論文「文献史学からの環境史」
(『新しい歴史学のために』259 号),11 月発表の「歴史学的
山村論の方法について」
(『民衆史研究』70 号)でも生業論の観点を導入した研究の意義について考察を加え
ている。
現地調査の方法にもとづく歴史学の研究課題については,「歴史学における記憶と記録」
(『歴博』134 号,
2006 年1月)
で論究し,史料に記録された語彙から過去の記憶を読み取る作業の重要性を提起した。
4.研究組織
春 田 直 紀
本館・外来研究員
(30)若手研究
(B)
「グローバリゼーションによるホロコースト表象の変容に関する博物館人
類学的研究」2005 〜 2007 年度
(研究代表者 寺田匡宏)
1.目 的
この研究はホロコーストの記憶の伝え方を博物館人類学の手法で研究しようとするものである。
1990 年代以降,ホロコーストの伝え方については世界的に見て新しい動向が見られる。アメリカでは
1993 年ワシントンに「ホロコースト記念博物館」が開館し,ドイツにおいても 2001 年に「ベルリン・ユ
ダヤ博物館」が開館した。また,1947 年開設の国立アウシュヴィッツ - ビルケナウ博物館以来の伝統を有
するポーランドでも,冷戦崩壊やEU加盟などのグローバル化の進展をうけて 2000 年代に入って新たなホ
119
ロコースト・ミュージアムの建設の動きが見られる。ホロコーストの記憶のグローバル化が進んでいると言
える。これはグローバリゼーションによって「負の記憶」や「歴史」の語り方が変化してきた例である。
今回,これらを博物館人類学的手法によって分析し,各博物館の展示の具体像を調査し,それぞれの博物
館の思想の相違と影響関係を明らかにする。そして,グローバリゼーション下のホロコースト表象の特徴を
明らかにしたい。
2.経 過
今年度はポーランドとドイツにおいて調査を行い,個別の特徴を明らかにした。ポーランドでは,絶滅収
容所跡地がミュージアムになっている施設を調査した。調査対象は,アウシュヴィッツ,マイダネク,トレ
ブリンカ,ベウジェッツである。いずれもナチス・ドイツが第二次大戦中にユダヤ人などを大量に虐殺した
収容所である。ポーランドは,1989 年までは共産主義陣営の一員だったが,ベルリンの壁崩壊後,民主化
され,2005 年にはEUに加盟した。それに伴ってホロコーストの展示にも変化が見られることがわかった。
たとえばアウシュヴィッツ・ミュージアムは約 60 年の歴史があるが,近年,現代思想や現代アートの影響
を取り入れた展示技法が浸透しつつある。また,ベウジェッツ・ミュージアムは 2004 年に開設した新しい
ミュージアムだが,ここも同様に「再現」に関する批判的思想を考慮した展示技法を採用している。
ドイツでは,ベルリンのユダヤ博物館とホロコースト・メモリアル,ザクセンハウゼン収容所ミュージア
ムを調査した。いずれの施設も 1990 年代以降に建設されたか,リニューアルが行われたものである。ユダ
ヤ博物館とホロコースト・メモリアルは,建築が出来事の表現の不可能性を示唆する一方,展示では実証的
にホロコーストが描き出されるという特徴を持っている。これは「再現」を過剰に行う傾向への批判的姿勢
であり,いたずらに「再現」を行わないで,ホロコーストを後世に伝える方法を探るという思想に基づいて
いる。これはポーランドにおける展示とも共通しており,グローバリゼーション下におけるホロコースト表
象の特質のひとつであると思われる。
3.成 果
口頭発表「ミュージアム展示と負の記憶」
(国立歴史民俗博物館共同研究「人文・自然景観の開発・保全と
文化資源化に関する研究」2005 年 12 月 18 日)
4.研究組織
寺 田 匡 宏
本館・外来研究員
(31)特別研究員奨励費
「宮内庁書陵部蔵御所本を主対象とした近世禁裏仙洞における歌書の書写
史・蔵書史の研究」2005 〜 2007 年度
(研究代表者 酒井茂幸)
1.目 的
宮内庁書陵部蔵御所本(以下「御所本」と略称),及び国立歴史民俗博物館蔵高松宮家伝来禁裏本(以下「高
松宮本」と略称)などにより構成される禁裏本歌書の書写と収蔵の歴史を,当時の公家日記に見出される書
写事蹟の抽出や古歌書目録類の精査を通じて,近世公家社会の文化史として叙述するところにある。
120
Ⅰ−2 外部資金による研究
2.経 過
①従来,貞享年間(1684 ~ 1688)以降の事蹟が注目されてきた冷泉家本と近衛家本の禁裏における歌書
の書写活動を『基煕公記』の記載に依拠し,天和年間(1681 ~ 1684)あるいはそれ以前に行われていたこ
とを論証し,合わせて高松宮本『三代集 定家本』などの書写年次を明らかにした。②『光栄卿記』に見出
される霊元院とその近臣の古記録の書写活動の記載をもとに,高松宮本『伏見殿文庫記録目録』等の古記録
目録類の現存の禁裏本との同定や史料的意義付けを行い,享保7年(1722)以後に霊元院が伏見宮家本を書
写し仙洞の御文庫に収蔵していることを解明した。③館蔵の新出資料である田中本『広幢集』の精読を通じて,
広幢・顕天の時代の猪苗代家初期のあらゆる資料の,室町末期の転写本が,京都大学付属図書館谷村文庫に
まとまって所蔵されていること,そして,さらにその元禄期の転写本が御所本に含まれていることが確認さ
れた。なお,①②については 2006 年度前期の学会誌に採用・掲載され,③は 2005 年度の拙稿 「『広幢集』
考-猪苗代家の源流を求めて-」(『国立歴史民俗博物館研究報告』第 130 集)に一部を注記し,続稿の執筆
を検討している。
3.成 果
近世の禁裏本歌書の書写や蔵書の歴史を,高松宮本を中心として連携展示『うたのちから-和歌の時代
史-』の 「 七 泰平の世と文化 」 の中で追究することを試みた。近年の歴史学の禁裏文庫研究が明らかにし
ている,Ⅰ後陽成院の収書活動,Ⅱ後西院の副本作成事業と幸仁親王への遺物拝領(形見分け),Ⅲ万治4
年(1661)の火災による官本(禁裏御本)の多くの焼失,Ⅳ霊元院の書写活動と職仁親王への形見分け,Ⅴ旧
有栖川宮家蔵本の行方,の5点を和歌史研究の側から具体的な資料に基づき列品展示を展開した。展示資料
の一部の解説は 2 ①②の研究経過を踏まえており,今年度の研究成果の格好の中間報告の場となった一方,
連携展示の中テーマとしては残された課題は少なくない。なお,展示図録の記述について,和歌関連資料の
展観の意図や書誌的事柄の不十分な理解に基づく誤解や批判が,一部の歴史学者により成されており,今後,
学際的かつ生産的な論議を深めていく予定である。
4.研究組織
酒 井 茂 幸 本館・外来研究員
(32)特別研究員奨励費
「日本絵画における風景表現の諸機能と社会的役割に関する研究」
2004 〜 2006 年度
(研究代表者 水野僚子)
1.目 的
本研究は,具体的な土地の風景を描き出した日本の絵画作品を対象に,風景表現を歴史的事実としてでは
なく一つの表象として捉え,モチーフや表現など画面の構成要素を詳細に分析することで,古代から近世の
人々の「土地」や「風景」に対するイメージの受容の様相や展開を明らかにすることを目的とする。絵画の
調査を基礎とした,詳細な図様分析を通じて,図様の意味と機能を探るとともに,描かれた土地の踏査,文
献資料等の検討を通じて,イメージ生成の思想的・文化的社会背景を探る。また,ジェンダーやポストコロ
121
ニアルの視点を用いた分析も合わせて行い,表現に内在する権力構造を明らかにすることで,表象としての
風景を社会との関係の中で分析・解釈する。以上の検討を通して,様々な時代・階級・土地に帰属する人々
が,ある「土地」あるいはその「風景」に対していかなるイメージを描き,さらにその表象がどのように社
会に機能したのかを探ることを目的とする。
2.経 過
昨年度に引き続き,風景を描いた絵画作品や絵図等の現存遺品のリストアップと資料写真および関連文献
等の収集,データベースの作成,絵画の作品調査(国内および海外),景観に関する実地調査を実施した。
3.成 果
本年度も,まず,昨年度に引き続き,風景を描いた絵画作品や絵図等の現存遺品のリストアップと資料写
真および関連文献等の収集を行い,それに基づくデータベースの作成を行った。特に今年度は,植物や動物,
岩や雲といった景物のモチーフのデータ及び画像データの充実を図った。特に細部の画像をデータ化したこ
とにより,個々の作品の様式や技法の特徴だけでなく,作品間での様式の比較を行うことが可能となった。
作品調査も昨年に引き続き実施し,八幡関連では,志賀海神社縁起絵(3幅,志賀海神社蔵)の調査を行い,
縁起絵に描かれた志賀島と志賀海神社周辺の景観に関する実地調査も行った。熊野関連では,和歌山県立博
物館蔵熊野権現縁起絵巻と和歌山市立博物館蔵熊野権現縁起の調査を行い,併せて柳川家蔵・サントリー美
術館蔵・大阪杭全神社蔵の熊野権現縁起絵巻諸本との写真資料による比較検討を行った。これらの検討から,
中世から近世にかけて制作された熊野の本地物の中には,参詣曼荼羅の要素を取り込んだものにはじまり,
当初の物語の筋を離れて熊野へと至る参詣の道を視覚的に示すことに重点を置くもの,名所絵的な要素をも
つもの,視覚化された土地をめぐる物語を取り込み新たな物語を構築しているものなど,多様な展開がある
ことが理解された。
また,本年度は海外調査を実施し,当初実施する予定であったアメリカ・イギリスでの調査は行えなかっ
たものの,在ドイツ日本絵画,特に神道絵画及び物語絵巻の調査を実施した。ケルン東洋美術館では春日宮
曼荼羅・春日垂迹曼荼羅・大織冠絵・毘沙門の本地絵巻を,ベルリン国立東洋美術館では,春日宮曼荼羅・
十王図・天稚彦草紙絵巻の調査を行った。また,ベルリンの国立図書館において,極東部所蔵の蓬莱物語絵
巻・月王乙姫物語絵巻・元興寺縁起絵巻・役行者絵巻・落窪物語絵巻の計五点の絵巻の調査を行った。特に
中世から近世の物語絵巻の調査を集中して実施できたことは,本調査の大きな成果となった。
前年度から継続して行っている土地と物語との関係に関する検討では,今年度は特に中世の説話や僧伝に
登場する霊場や名所,また名所にまつわる伝説・霊験譚等に重点を置いて研究を行った。中世説話に関して
は,既に国文学研究において優れた成果が提出されており,諸文献を通読するとともに,説話のほか,随筆
や貴族・僧・女性等の紀行文に関する考察も試みた。これらの説話と物語絵画における風景表現との関係に
ついて,特に一遍聖絵(正安元年〈1299〉,清浄光寺蔵)に関しては,その成果を論文「『一遍聖絵』における
物語と視覚表象」
(『物語研究』6 号)にて発表した。
4.研究組織
水 野 僚 子 日本学術振興会特別研究員(PD)
(本館・外来研究員)
122