わたしは白と黒に順番に入れ替わる空(カント)の下で、何不

 11 「モノクロームカント」
わたしは白と黒に順番に入れ替わる空(カント)の下で、何不自由なく暮らしている
一人の小さな女の子でした。わたしには父も母も兄弟姉妹もいませんでしたが、そのこ
とに気づいたのはだいぶあとになってからです。「ク・ウヌ(わたしのお母さん)はど
こにいるの? ク・オナ(わたしのお父さん)はどこにいるの?」わたしはだれかれと
なく尋ねたものです。「わたしにはサポ(お姉さん)もマタキ(妹)もいないの?」だ
れも気にしないそんなことにどうしてそんなにこだわったのか、今ではよく覚えていま
せん。
「なんで、そんなものが必要かね?」ウタリ(仲間)の一人がそう言いました。「お
まえを生んでくれたウヌはたしかにいるが、それがだれかはわからない。だれでも構わ
ないだろう。みんながおまえの面倒を見てくれる。みんながおまえと遊んでくれる。ウ
タリはこんなにたくさんいるから、みんながおまえの家族だと思えばいい」
わたしたちが暮らしていたのは、四方を切り立った絶壁で取り囲まれた狭い土地でし
た。小高い丘やこんもりした森、小さな池があるほかは完全に真っ平らで、そこに小さ
なチセをたくさん建てて、数えきれないほどのウタリが押し合いへし合いしていまし
た。道を歩けばだれかにぶつかり、どの方角を見てもウタリの姿が目に入らないことは
ありません。寝そべりながら食事をするウタリ、気持ちよさそうに歌うウタリ、道の真
ん中で相撲を取るウタリ、イビキをかいて寝転がっているウタリ、チセをこつこつ組み
立てるウタリ。下を見ても、そこには赤ん坊が笑っていて、何人もが這い這いしなが
ら、わたしの足の間を擦り抜けていきます。ウタリが見えないのは頭上だけ。ツルンと
した平らな空が広がって、昼は一面真っ白に輝き、夜は黒々と塗りこめられるのです。
「昔はこんなじゃなかった」とエカシ(おじいさん)やフチ(おばあさん)はよく
言ったものでした。「昼は明るく、夜は暗い。それだけは昔から変わらないが、その間
には長い移ろいの期間があった。朝と言い、夕と言う、そのあわいを指す言葉こそまだ
残っているが、あくまでも言葉だけだ。刃物でぶった切ったように一瞬にして、白から
黒、黒から白に変わったわけじゃなかったんだ。空もこんな、壁と見分けがつかないよ
うな真っ平らなものじゃなかった」
わたしにはわからないことばかりでした。
「だったら、朝と夕は黒と白を混ぜたような感じだったの?」
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「混ざり具合が少しずつ変化したのさ。朝はお散歩するような速さで明るくなった。
山のむこう、海のむこうから、お日様がえっちらおっちらのぼりだしての」
ヌプリ(山)。アトゥイ(海)。チュ
(お日様)。それはいったいなんでしょう?
「さあて」エカシとフチは首をひねります。「わしも知らん。とんとお目にかかった
ことがないからの。そういうウパ
クマ(言い伝え)なんだ」
わたしたちの朝は黒い空がいきなり白く輝くことではじまるのでした。山というもの
のむこうから、お日様というものが現れるのではなく、絶壁の上のほうに設けられた
窓、カムイ・プヤ
(カムイの窓)から、大きなカムイがぬうっと顔をのぞかせるので
す。
「起きろ! 起きろ! チビカスども!」わたしたちをギロリと見渡して、いつも大
声の挨拶でした。「今日も元気か? 生きてるか? とっとと巣穴から這い出てこい! エサの時間だ! 食いやがれ!」
そして、絶壁の低いところにまた別の窓が割れて、そこからアエ
(食べ物)が大量
に放りこまれるのです。わたしたちの頭上から降ってきて、チセとチセの間を満たし、
チセが埋もれてしまうほどうずたかく積もるのです。アエ
はぼそぼそした舌触りの不
揃いな粒で、格別おいしいと思ったことはないものの、少なくとも飽きのこない味では
ありました。全員に行き渡るだけの量はあったので、焦って食べる必要はなかったので
すが、カムイたちの喜ぶ姿が見たくて、わたしたちは先を争うように一所懸命に食べる
のでした。
「食ってる食ってる!」「こいつら、本当に意地汚いな!」カムイは何人もいて、
次々とカムイ・プヤ
からのぞきこみます。「プールがだいぶ濁ってきたな。底が見え
ないじゃないか。そろそろ掃除しないとヤバい」「ゴミも片付けてしまわないと。メシ
が終わったら掃除機かけるか。むこうの隅にたまってるものな」
このカムイたちは全員が食べ物を司るアエ
・コ
・カムイでありましたが、濁った
水を新しいものに替えたり、たまったゴミを吸い上げてくれたり、大きな手で地面や森
を整えたりしてくれるのでした。
「おい、そっちのケージはどうだ?」別のカムイの声がします。「新しいエサの評判
はどうだ? 食ってるか?」
「はい、工場長。普段と変わりなく食ってますね。いつものコーン、フスマ、魚粉に
大麦を加えたんですよね?」「味が良くなったという話ですけど、見たところ違いは分
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かりませんね」
「どれ?」カムイ・プヤ
からのぞきこんだのは、カムイたちの中でも一番偉いカム
イ、カムイ・トノ(カムイの大将)でした。ぷっくらまんまるに肥え太り、まだ若く見
えましたが、すべてのカムイに命令できる立場にありました。「たしかに景気よくがっ
ついちゃいるが、これは成功ってことでいいのか? どうだ、うまいか? いけてる
か? なんか言ってみろ、ムシケラどもが!」
「おいしいです!」「おいしいです!」わたしたちは声を限りと叫びます。カムイの
言葉は全部わかるわけではありませんが、おおまかなところは理解していました。「い
つもありがとう、アエ
・コ
・カムイ!」「カムイ! カムイ!」「カムイ・トノ、
ばんざい!」
「それにしても、こいつら、いつもなにをキュルキュル言ってるんだろうな?」カム
イ・トノは首をかしげます。
「結構耳障りですよね。ずっと聞いてると頭が痛くなる」「意味はないでしょう。た
だの鳴き声にすぎませんよ」
「だけど、ときどき単語が聞き取れたりするんだよな。空耳なのか?」
「カムイと言ってますよ」そう口をはさんだのは、最近見かけるようになったカムイ
でした。珍しく顎髭を生やしているので強く印象に残っていたのです。髭の生えている
カムイということで、わたしたちはレ
・ウ
・カムイと呼んでいました。
「つまり、わたしたちを神様だと思っているんですよ。中でも工場長が一番偉いこと
はわかっているようです」
「神様だって?」カムイ・トノは驚き、そして笑いだしました。「そりゃいい、ハハ
ハ! おれも偉くなったもんだな。工場長様から神様に出世か。だったら、言って聞か
せよう。生めよ、増えよ、地に満てよ! さあ、こいつを通訳してやれ、ヒゲ面野
郎!」
「いえ、自分は言葉がわかるわけじゃなくて」レ
・ウ
・カムイはやんわりと断り
ます。カムイ・トノよりは年上のようでしたが、それでもまだ若いカムイです。「た
だ、聞きおぼえのある単語があっただけで。まあ、これも空耳かもしれませんが」
「生めよ、増えよ、地に満てよ、か!」カムイ・トノは満足そうに繰り返します。
「自分で言って気に入った。まさにこいつらのためにあるような言葉じゃないか。こい
つをスローガンにしてやるか。ケージにでかでかと貼りつけるのさ。おっと、こいつら
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は字が読めないか。ハハハハハハハ!」
ありあまるほどのアエ
をもらって、わたしたちは毎日楽しく遊び暮らしていまし
た。歌いたい者は歌い、踊りたい者は踊り、眠りたい者は眠ります。追いかけっこし、
相撲を取り、木切れや泥をいじっていれば、一日はあっという間に終わるのです。大き
くなった男女には別の楽しみもありました。林に入っていちゃいちゃして、子作りに励
むことです。赤ちゃんができればできただけ、カムイたちは喜びました。赤ちゃんを産
み育てることはわたしたちの聖なる義務なのです。たくさんの子どもを生んだメノコに
は「ボーナス」と称して、とても甘い「アメダマ」や、噛みごたえ抜群の「ビーフ
ジャーキー」などが贈らます。だれもがそれを羨ましがり、またがんばって子作りしよ
うという気にさせるのでした。「そのようにしてわしらは生きてきたんだ」エカシとフ
チは語ります。「そして、それはこれからも変わらないのさ」
けれど、夜には悪夢を見ました。尖った歯を持つ巨大な魔物、ニッネカムイが迫って
きて、切り立った断崖に挟まれた隘路の奥へ、わたしたちを追いこむ夢です。結末はい
つも同じでした。道は次第にせばまって、ついに行き止まりになってしまい、逃げ場を
失ったわたしたちは、ニッネカムイのどす黒い口の中に次から次と呑みこまれてしまう
のです。あああっ! きゃああっ! わああああっ! そして、わたしたちは絶叫とと
もに目覚めるのでした。
全身には水を浴びたような汗をかいていますが、それでも朝はいつも明るくて、カム
イたちは元気いっぱいの挨拶でした。「起きろ! エサだぞ! 食え! 太れ!」。ウ
タリはいつもたくさんいたし、食べきれないほどのアエ
もありました。なんの不満が
あるでしょう?
「そうとも。不満を言ってはバチが当たる」フチとエカシはつぶやきます。「六方を
塞がれて、一生どこにも出て行けないが、しっかり食って生きている。これでいいと思
わにゃならん。大事なのは生き延びることだ。わしらは生き延びることに成功したん
だ」
けれど、あの絶壁のむこうにはいったいなにがあるのでしょう?
「チカ
・サ
・モシ
、鳥も棲まない土地だと聞く。ノパンヌ・モシ
、荒れ果て
た土地だとも聞く。わしらはこの安全な場所にかくまってもらったんだ。詳しいことは
知らないよ。わしらもまた先代のエカシやフチから聞いたにすぎない。そのエカシやフ
チもまた、先代のエカシやフチから聞いたんだ。昔の話だよ。ずっと昔の」
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七日目ごとに「出籠式」と呼ばれる行事がありました。カムイ・トノがとりわけ上機
嫌にカムイ・プヤ
から顔を出し、コタンにずらりと整列したわたしたちに告げるので
す。「さあさ、今週もやってきたよ! 麗しい天国への旅立ちだ。階段下ろすから登っ
ておいで!」下のプヤ
からはゆるやかに傾斜する階段が地面までまっすぐ延ばされ
て、立派に成長したウタリがそこへ殺到します。「押さない押さない! まだ余裕はあ
るよ。このケージ、今日は千匹様で打ち止めだが、明日は社長が来るからね。追加で招
集があるかもよ! 新しいレシピを試したいんだ。まるまる太ったやつが優先! ガリ
ガリの痩せっぽちはお断り! ジジババはそもそも論外だ! さあさ、ドンドン登って
こい!」
あの階段のむこうにはいったいなにがあるのでしょう? テンゴクというのはなんで
しょう?
「それはまあ、カムイモシ
のことかのう」フチの一人が教えてくれます。「魂の行
き着くところ。祖先の地。下の地、ポ
ナモシ
とも言う。どんなところ? さかさま
の世界だな。こっちが昼なら、むこうは夜。だが、基本的にはこちらと同じなんじゃ」
「壁のむこうに行けるの?」わたしは興奮しました。行ってみたい!
「わたしも! わたしも!」怒濤のように階段に詰めかけるウタリに混ざって、わた
しも階段にむかおうとしますが、エカシやフチがそれを止めます。「行くな!」「おま
えはまだ早い!」
「わたしだってカムイモシ
に行きたいもの!」わたしは叫びます。「ここを出たい
の!」
別にここが嫌いというわけではなかったのですが、こことは違う景色を見たくてしょ
うがなかったのでした。
けれど、ウタリとウタリの間を縫って階段をなかばまで登ったところで、カムイ・ト
ノに見つかりました。「チビはいらん!」と一言叫ぶや、わたしを指で弾き飛ばしま
す。「大きくなってから出直してきやがれ!」
顔見知りのウタリたちが喜び勇みながら階段のむこうに消えるのを、わたしはただ眺
めるしかなかったのでした。隣り合って眠ったウラ
ペ(おばさん)や、一緒にコタン
を駆けまわったサポ、転んで泣いていたとき助け起こしてくれたユポ、彼らとはもう二
度と会うことはないのです。カムイモシ
に行ったら会えると言いますが、それはいっ
たいいつになることか。
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コタンの中でも最年長のカボ・エカシは毎日のように池に出かけました。長い棒の先
に長い糸をつけて水面に垂らして、日がな一日ボウッとしているのです。なにをしてい
るのかと尋ねると、「釣りだよ」という返事です。「チェ
(魚)を釣ろうと思って
の」
チェ
って?
「水の中を泳ぎまわるものさ。水面でチャプチャプ跳ねるものさ。いや、わしも見た
ことはない。釣れないこともわかっている。この池にはそもそもチェ
なんかいないん
だからな。なら、なんでこんなことをしてるのか? ふむ。そうせずにはいられないか
らだ。いないはずのものが出てくる。思いがけないものが現れる。そういったことを期
待しているのかもしれん。こんなちっぽけな池でも、あらゆる場所が見通せるわけじゃ
ないからね」
「エカシはカムイモシ
に行かないの? フチはカムイモシ
に行かないの?」
「行くとも。ただ階段をのぼるんじゃなくて、寿命が尽きるのを待つのさ。こういう
生き方もあるってことさ。痩せっぽちでのらりくらりとやり過ごして、好奇心旺盛なヘ
カッタ
にウパ
クマを聞かせたり、釣り糸を垂れたりしながら、のんびり最後の時を
待つ」
「でも、わたしはやっぱり壁を越えたい」
「おまえは気持ちの強いマッカチだ」
そして、その夜のことでした。いつものように空が唐突に暗転して、わたしたちが眠
りに落ちたか落ちないかのころ、空はふたたび明るくなったのです。こんなことはつい
ぞなかったことです。わたしたちは一人また一人と寝床から這い出ました。
カムイ・プヤ
レ
・ウ
が音もなく開くと、そこから顔をのぞかせたのは、あの鬚を生やした
・カムイでした。「イランカラ
ウェン、オッカヨ、ク・ネ、コ
テ」小さな声でつぶやきます。「カニ、
カ……えーと、コリパ
、コ
カ……」
「普通に話してください」だれかが口をはさみました。「わたしたち、ニホン語わか
ります」これまで聞いたことがないほど、ゆっくりとした話し方でした。
「そうだったんですか?」カムイはひどく驚いたようです。「だったら、話は早い。
わたしはイヨチ出身のホクトと申す者です。はなはだつまらない者ではございますが、
このコタンの長、コタン・コ
・ク
にご相談があって参りました」
折り目正しい挨拶でした。このカムイはカムイ・トノに顎でこき使われたり、怒鳴ら
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れたりしているものの、本当はとても偉いカムイなのかも知れません。
「ご丁寧な挨拶、ありがとうございます」カボ・エカシが前に出ます。「このコタン
にコタン・コ
・ク
はおりませんが、わたしが最年長ということで、話をさせていた
だきましょう。カボと申します」
「カボ・エカシ、本日は大変重大なことをお伝えしたく参りました。あなたがたの行
く末についてです。あなたがたはこのケージで、たっぷり太らされ、繁殖させられ、そ
の後どこに連れていかれるかご存知ですか?」
「カムイモシ
」カボ・エカシは即答します。「それ以上のことは知らない」
「本当ですか? 知りたくないだけでは? それとも知らないふりをしていると
か?」
「知らない」
「失礼いたしました。時間がありませんので、単刀直入に行きたいと思います。あな
たがたの行く末はこれです!」
レ
・ウ
・カムイが下のプヤ
から突き出したものは、カムイが片手で持てるほど
の大きさの円筒でした。あとで聞いたところによりますと、それは缶詰というもので、
ラベルにはかわいらしいイラストとともに「コロボックル印のカントリー・アマム」と
記されていたということです。
「販促資料によると、こうです。『伝説の小人コロボックルが主食にしていた、あの
幻の穀物 アマム がついに現代によみがえりました! 厳選されたアマム豆より作られ
た栄養満点、低カロリー、あっさり味の高タンパク質食品です。野菜炒め、ラーメン、
お弁当、おにぎりと用途も多彩。あとはあなたの工夫次第!』。会社としては沖縄のい
わゆる『ポーク』、ポーク・ランチョン・ミートのような扱いを期待しているようです
が、要するに豆から作ったヘルシーな代用肉だと説明しているわけです」
「アマ
?」カボ・エカシが首をひねります。「それはもともとアワ、ヒエのこと
だ。広い意味ではコメもそうだが。ポロク
の言葉であって、必ずしもわしらの食べ物
というわけではない」
「そう、あなたがたの食べ物ではない。あなたがたを食い物にしているんです! あ
なたがたをミンチして加工して売り出している!」レ
・ウ
・カムイは激しく声を震
わせます。「どのような経緯でこのような事態に立ち至ったのか、詳しいことはわかり
ません。ただ一つ確かなことは、北の故郷を追われたあなたがたの先祖と、片田舎で食
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品業を営んでいるここの社長が出会ってしまったということです。失礼ながら、あなた
がたを知性ある生き物とは見なかったのでしょう」
「恐ろしいニッネカムイに追われて逃げこんだ谷間がここだというウパ
クマは残っ
ているが」
「自分は学もなく才もなく、職を転々としながらあちこちをさまよってきた身ではあ
りますが、『コロボックル』なるブランド名に故郷やウタリを思い出して、このニシ
ネ・フーズに職を得ました。家族もいない、親戚とも音信不通、連絡を取り合っている
友人もいないということで、配属されたのがこの工場です。次世代の食材として全国展
開を狙っているという代用肉。その実態がまさかこんなおぞましいものだったとは! 自分はこの残虐にはもう耐えられないのです。一時はこのままであなたがたは幸せなん
だと思いこもうとしました。なにも知らないで毎日たらふく食べて、楽しく遊び暮らし
た末に、カムイモシ
に旅立てると思って死んでいく。しかし!」レ
・ウ
・カムイ
はだいぶ興奮してきたようです。「暖かい日の光を浴びないで、風のそよぎを感じない
で、野山を駆けまわらないで、それがいったいなんの生か? ここのどこに自由がある
のか? あなたがたは生き延びることにはとりあえずは成功した。今度は次の一歩を踏
み出すときです。新たな冒険を受け入れるべきときです。わたしに考えがあります。や
らせてください」
「なにをしようとされるか?」
「このホロコーストを企んだ者たちに相応の報いを受けてもらいます。明日は社長が
この工場を訪れるというので、あなたがたが被ってきた苦しみの一端だけでも味わって
もらう。わたしの手ですべてを行なうことは可能ですが、ここはぜひあなたがたにも一
枚噛んでいただきたい。これはあなたがたの反撃でもあるのですから。これを使おうと
思っています」
レ
・ウ
・カムイが窓から突き出してみせたのは、わたしたちの背丈ほどの高さの
透明な瓶でした。中にはきれいな紫色の水が入っています。
「ス
クです。自分たちアイヌが伝統的に使った毒」
「アイヌ!」エカシやフチたちがざわめきます。「なんという懐かしい響き」「久し
ぶりに聞いた」「聞いたことがないのに、こんなに懐かしいのはなぜだろう?」
「最初に断るべきでしたね。自分はアイヌであって、あなたがたが勘違いしていたよ
うなカムイではありません。工場長や社員ももちろんカムイではなく、ただのニンゲ
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ン。欲に駆られた浅ましいシャモどもです。明日はこのトリカブトをやつらに見舞って
やるんです」
「わたしが! わたしが! おにいさん!」わたしはピョンピョン飛び跳ねて叫びま
した。たとえカムイでないにしても、カムイのように美しく立派なこのアイヌ青年に、
わたしはすっかり夢中になってしまったのでした。「わたしがやります! なんでもや
ります! わたし、お役に立ちたいんです、カムイ・ユポ!」
「なんですか、この子どもは?」カムイ・ユポは驚いています。「いくらなんでも子
どもを使うわけには」
「よろしかったら使ってやってください」カボ・エカシも頼んでくれました。「役に
立ちたい者が役に立つ。それが一番いいことですから」
カムイ・トノならぬシャモ工場長は翌朝、「追加招集だ!」と叫んでやってきまし
た。「親爺は昼に来るってよ。グウグウ腹ぺこで飛んでくるぞ。おれは調理主任と相談
して、格別うまい煮込み料理を作ったさ。無農薬野菜と旬の果物をたっぷり使って、
スープはもうグツグツうまそうに煮立ってやがる。あとは肉を放りこむだけ。二百匹も
あれば十分だろう。さあ来い! 早くこの天国への階段を上ってこい!」
打ち合わせ通り、真っ先にわたしが階段を駆けあがると、工場長は「またおまえ
か!」と呆れ返りました。「痩せっぽちのチビチビに用はないってのに!」
わたしを弾き飛ばそうとしたその指先に、わたしは胸の下に隠し持っていた針を思い
切り突き刺してやりました。てーっ! 「こいつ、噛みつきやがった!」叫んで工場長
はプヤ
のむこうに消えました。
それはス
クのなかでも最も効果の著しいケレ
・ノイェ。触れた者はたちまちねじ
伏せられ、二度と立ちあがることができないのです。
「工場長、どうしました?」壁のむこうでホクト・ユポの声がします。「立ちくらみ
ですか。医務室に行きましょうか。このところフル稼働だったんで、過労かもしれませ
んね。社長に跡継ぎをアピールしようと無理をしすぎたんじゃないですか? 親爺を案
内しなくちゃいけない? その体では無理でしょう。わたしが代わりを務めさせてもら
いますよ。キーの類は預かりますね。医務室はこちら。おやおや、どこへ行くんです。
医務室の場所もわからなくなっているんですか。こっちです。こっちの暗がりです。重
症だな。手術をする必要がありますね。メスがないので、代わりにマキリを使いましょ
う。この、魚をバッサバッサさばくのに最適なナイフを自分たちはこう呼ぶんです。安
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心してください。よく研いでありますから。切れたことすら気づかないかもしれません
よ。あっ、死んでしまったらもう、気づくもなにもないか。こいつはおかしい! アハ
ハハハハハ!」
その後の経緯はあとで聞きました。
腹を空かせて到着した社長は、息子が出迎えに来なかったことに怒り心頭でした。
「けしからん! 最近は真面目にやっていると聞いてたが、なんだ、このていたらく
は! おまえなんぞより弟のほうがはるかに優秀だってのに! こんなんじゃ会社をま
かせられないぞ! キーッ!」
「大変真面目にやっておられますよ、工場長は」ホクト・ユポが弁護をします。「た
だ、社長を喜ばせようと無理を重ねてしまわれたようで。料理のほうは完成してます
よ。この日のために特別に考案した料理を楽しんでくださいとの伝言です」
「そうだ、メシだ!」社長が叫びます。「わがニシネ・フーズの目玉商品カント
リー・アマムにはさらなる飛躍が必要なんだ! ガキが喜んでがっつくような、主婦が
鼻歌まじりで作れるような、若僧が片手間に食えるような、サラリーマンが居酒屋でつ
まめるような、そんな画期的な食品、レシピ、料理の数々が! この片田舎から華麗に
全国へ羽ばたくのだ! とにかくメシだ! 腹減った!」
ホクト・ユポは、息子と同様にぷっくら膨らんだ社長のもとに、ぐつぐつ踊る煮込み
料理を運びます。
「ほほう、いい匂いだ! これが息子の作った料理なのか?」
「息子さんの料理に間違いありません。どうぞお召し上がりください」
「ふむ。ビーフシチューの味わいか。味つけはいささか薄めだな。ずいぶんトロトロ
に煮込んであるじゃないか。形がほとんど残っていない。うまいというより、懐かしい
味だな。親しみ深い味だ。親しいぞ、これは。卑猥なぐらいに親しい気がする。うん、
こいつはおれ自身の味じゃないか? おれの味がする。おれの味がする。はて、これ
は?」
不審そうにのぞいたスープ皿の底から、工場長の二つの目玉が父親を見あげていまし
た。ぎゃああああああっ!!
社長が一種の共食いをしていたその同じ時刻、わたしたちは集団でケージを抜け出し
て、ホクト・ユポがあらかじめ用意しておいたトラックに待機していました。「天国へ
の階段」をのぼり、垂らした糸を伝って下に降りて、チョークで記された矢印に従っ
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て、工場の裏口にくっつけてあったトラックへ、わらわらと乗りこんだのです。ほかの
ケージからもひっきりなしにウタリがおりてきて、たがいに重なりあうようにして道を
急いでいました。わたしたちのコタンにも相当数のウタリがいましたが、同じような
ケージはなお十個もあったのです。板の傾斜をのぼって辿り着いたトラックの中には、
運搬用のケージが積み重なっていて、中は通常のケージに比べて狭いものの、衝撃を和
らげるための処置が施されてありました。わたしたちが群れをなして裏口に殺到してい
るあいだ、社員たちは一人も見えませんでしたが、工場長特製の煮込み料理をおいしく
いただいていたということです。ホクト・ユポが付け加えた隠し味によって、全員がビ
リビリしびれて身動きできなかったのです。
「パイェ・アン、ロー(行くぞ)!」ホクト・ユポが運転席に飛びこんで、トラック
は勢いよく出発いたしました。「トゥ・ピンナイ、カマ! レ・ピンナイ、カマ! テ
ケ・ア
、カネ!(二つの谷、三つの谷を飛び越えて!)」
それからの七転八倒の苦しみは思い出したくもありません。舗装されているとは言
え、山中の田舎道を大慌てで駆け抜けたのです。ポロク
は、わたしたちポンク
にとってさえきつい上下動
にとっては致命的とも言えるものでした。天井に投げ出され、
床にたたきつけられ、たがいに衝突を繰り返して、狭いケージにギュウギュウ詰めに
なった何万ものウタリは嘔吐し、骨折し、失神しました。道は舗装されていない山道に
入って、振動は一層激しくなります。体力のないエカシやフチ、赤ん坊はおろか、立派
なオッカヨ、メノコまでが、朽ち木のようにバッタバッタ倒れていったのでした。
永遠とも思えるほど長い時間ののち、トラックはようやく停車しました。扉が開い
て、息も絶え絶えのわたしたちの前に現れたのは大きな光のかたまりです。これまで見
たことがないほど大きな光の玉。カムイ・チュ
しに叫びます。そう、これがウパ
そのチュ
! チュ
・カムイ! だれかれとな
クマに聞くお日様にほかならないのです!
のまわりでは空が次第に明るんでいきました。「これが本当の朝なんだ」
エカシやフチが涙ぐみます。「優しく近づいてくるんだよ。わたしらを驚かさないよう
にね。少しずつ暖めてくれる。母親のように。そう、これがモシ
なんだ。わたしらを
優しく包みこむ」
道のむこうに目をやると、二つの山、三つの山のむこうからは黒々と煙が上がってい
ました。工場が火事になったことはあとで知りました。施設がほぼ全焼という惨事にも
関わらず、死者は奇跡的に一名にとどまったということです。ただ、その亡くなった社
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長の死因は窒息死でも焼死でもなく、自身の吐いたおびただしい血反吐の中での溺死と
いうのが不思議といえば不思議でした。工場長は行方不明でしたが、「生きてはいない
でしょう」ということで、かろうじて助け出された従業員の意見は一致していました。
「ここは自分が山歩きしていたときに見つけた山です」ホクト・ユポが説明しまし
た。「かろうじて車の入れる道はありましたが、しばらく使われた様子がありませんで
した。ヒトはあまり寄りつかないようです。秋にはドングリが大量に落ちますが、これ
は食糧にできるのではないでしょうか。当座の食糧は自分が調達いたしますが、なんと
か自活の道を探ってください」
その夜、慣れない土地でなかなか寝付かれないだろうと思っていたのが、おなじみの
悪夢を見ることもなく、安らかな眠りをむさぼりました。ただひとつ納得できなかった
のは、あの工場長と社長が夢の中に現れなかったことです。これまで重ねてきた悪行を
悔い、許しを得ないことには、魂は地面の下の湿った土地、テイネ・ポ
ナ・モシ
に
落ちてしまうのではないでしょうか?
「シャモは夢を見ないんです」ホクト・ユポは蔑むように言います。「夢を通じて世
界とつながることができない。夢というものをただのデタラメ、嘘っぱち、願望と思い
こんでいるんですよ。なんと薄っぺらな連中なのか」
では、あの親子はやはりテイネ・ポ
ナ・モシ
に落ちて、泥にまみれてのたうつこ
とになるのでしょうか?
「彼らは彼らの信じるところの場所に行くんです。彼らはそこを地獄と呼んで、わた
したちには到底思いつかないような恐ろしい責め苦を用意している。今頃はその自前の
責め苦をたっぷり食らっていることでしょう」
「あなたにはいくら感謝してもしきれない」ウタリを代表してカボ・エカシが挨拶し
ます。「そばにいてくだされば嬉しくもあり心強くもあるのですが、決意は変わりませ
んか? 本当に旅立たれると?」
「ニンゲンたちとつきあって、あなたがたに得はないでしょう。このドングリ山で静
かに暮らす道を探ったほうがよろしいかと思います。というわけで、このおチビさんは
引き取ってください」
髪の毛に引っついて離れないわたしを、ホクト・ユポはそっとつまんで、ウタリの元
に戻しました。
「待って待って! わたしも行く!」
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泣き叫ぶわたしを尻目に、わたしの恋人は立ち去ってしまいました。けれど、わたし
はあきらめません。あのヒトが地の果てに行ってしまおうが、必ずや追いついてみせま
す。あのヒトが大きな歩幅で山と谷を跨いでいくなら、わたしは空飛ぶ鳥になって、あ
のヒトを追うでしょう。高い木はひらりと飛び越え、低い木は梢とすれすれに飛んで、
あのヒトの肩先に止まってささやくのです。「ほら! ほら! わたしはあなた恋しさ
のあまり、風となって鳥となって飛んできましたよ!」
そのとき、あなたはなんと答えるでしょう?
「だから、今いるコ
ポック
たちよ。見たことのない景色が見たい、愛しいヒトと
一緒にいたい、そういった強い気持ちを持つことが生きることの原動力なんですよ」
と、白と黒に替わる空の下で暮らしていたコ
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ポック
の女の子は語りました。
12 路上戦
曲の問題はすんなり解決した。フラグランスが自らオリジナル曲を持ってきたのだ。
タイトルは「おまじないパルンペ」。「パルンペ」とはアイヌ語で「舌」のことを意味
し、歌詞は基本的にはニホン語ながら、ところどころに耳慣れないアイヌ語が混ざって
いた。
ヒトというものを造りました
パルンペ唱えるおまじない
(ユ
ユ
カ
ヤン)
新天地を前にして コタンカ
カムイ澄まし顔
こっそり斜め前のやつ いきなりなにかこねくってるぞ
仲良くできないよ アイヌのミニミニ劣化版
軽快なバンドサウンドに乗って、ワイポッドから聞こえてくる声は確かにフラグラン
スの三人のものだ。三人の息のあったコーラスもあれば、それぞれの張り切ったソロも
あった。
それでは自己紹介です
一人一人地上に降りて
キムンカムイです ヒグマです フウェー フウェー!
レプンカムイです シャチです フム フム!
ホ
ケウカムイです オオカミです ウォー ウォー!
ヒグマの役がアチャポ、シャチ役がカ
ユケ、オオカミがノンノというのが、微妙に
イメージとかぶっておかしかった。アチャポには堂々とした風格と余裕があり、カ
ユ
ケにはかの有名な「海の殺し屋」と通底するなまめかしさと賢さがあった。ノンノは時
に見せる野性味と凛々しさがオオカミを思わせると言えるだろうか。
歌詞は微妙に意味不明だった。いろんな動物が現れて、なにやらゴチャゴチャ揉めて
いたのが、だれにも相手にされなかったオコジョの主張が最終的には通るらしい。
14
ヒトというものを 造りたかったけれど
指が震えて 大変でした
ここまで造って 止められない
どうかよろしく お願いしますよ
あー OK OK!
「昔から伝わるお話を題材にしてるんです」カ
ユケが説明してくれた。「神話です
ね。創世神話。結構長いものなんで、適当にツギハギしましたが、意味が通じてないで
すか? でも、しょうがないですよね。お話を全部歌詞にしたら五分十分じゃききませ
んもん」
曲の最後は三人の名前で締めくくりだった。
二度とない日を 大好きな仲間と
新しい仲間と がんばりたい
アチャポだよ! カ
ユケです! ノンノです!
「いいぞ、これは!」オクタが拳を握りしめて叫ぶ。「曲調はベタベタのアイドル歌
謡だけど、ビートがきいててダンサブルだ。踊れて、乗れて、なによりも楽しい。ソロ
部分が設けられているから、しっかりコールもできるじゃないか。アチャポ! カ
ユ
ケ! ノンノ! って。いいぞいいぞ! フラにふさわしい曲じゃないだろうか」
「どこで作ってもらったの?」ハカタが当然の疑問を口にする。「やや新鮮みが乏し
い嫌いはあるけど、がっちり隙なく作られて遊び心にも欠けていない。音はクリアで、
録音バランスがいいから、それなりの機材を使って、ちゃんとしたスタジオで録ったん
だろう。きみたちが手配したわけじゃないよね? 作曲もしたわけはないし」
「作曲家のヒトを見つけたんですよ」アチャポが自慢するように答える。「パンパカ
とかいうヒト。昔、バンドを組んでたと言ってました。幕府? トランプ? そういう
名前の」
それは一昔前に『Ranger』『ああ!葡萄缶』『バラ・ゾリ』などのヒットを飛
ばした著名なロックバンドのメンバーだった。音楽プロデューサーとしても、テレビ番
15
組の企画ユニットであるポロットビリケッツの一連のヒットで名高い。
「本当かい」ハカタが驚く。「そりゃすごい。どういう経緯でまた」
「わたしたちにもそれなりのアレがあるんですよ」ノンノが得意そうに口をはさむ。
「コナ? コネ? ネコではないな」
「ということはだよ。れっきとしたプロが咬んでるなら、CDの発売もあるのか
い?」
「レーペルを作ったんです」そこへすかさず口をはさんできたのは、カ
というコ
ポック
だった。「流通はインデーズですけど、モシ
ユケの兄だ
・レーペルって名付
けました」
フラのライブの曲間に投げ銭を集めてまわった兄とは別人で、カネランと自己紹介し
た。今回はフラの三人と一緒にライブ現場にやってきたのだ。
「とりあえず百枚売ってみようって話になってます。好評だったらまた百枚。歌詞
カードもちゃんとつけますし、カラオケ版も入ってるから自宅で歌えますよ。税込みで
千五十円。予約しますか? 受け付けますよ」
わあっ! この知らせにオクタが驚喜した。「買う買う! まず握手会を開こう! CDの手売りと握手会! アイドルってのはそうでなくちゃ! とりあえず百枚売り切
るぞ! おーっ!」
おまえはフラを潰す気かと、オクタはみんなの袋だたきにあった。こんなに小さな彼
女たちに握手なんかできるわけがない! 「だけど、だけどさ」オクタは懲りない。
「なんらかの温もりのある接触ってやつはほしいじゃないか? だって、そっちのほう
が絶対売れるよ!」
「売れる?」カネラン・ユポが食いついてきた。「それなら考えないこともないです
よ」
フラグランスが初披露したパフォーマンスにはサポユポたちも満足だった。歌はフラ
グランスの普段の声域に合わせてあり、高音は抑え気味ながら、三人は無理なく発声し
ていた。なじみ深い神話を題材にしているからか、踊りもごく自然になじんでいた。晴
れのデビュー曲ということで、アイヌ紋様をあしらいつつも今風の衣装を新調してき
て、これが三人の晴朗な魅力を引き出していた。「かわいい! 最高!」「ウキウキす
るね!」「これぞフラグランスって感じの曲じゃないか!」「応援するよ!」
「よし、場所を設けるか!」俄然張り切ったのはゴウダだった。「このデビュー曲を
16
引っさげて、繁華街へ堂々の殴りこみだ! アチャ、カシュ、ノンノ、きみらの圧倒的
なパフォーマンスを市井の連中に見せつけてやるんだ!」
フラグランスがデビュー曲を披露できる場所を求めて、サポユポたちは駆けずりま
わった。ちょっとした時間で構わない、どんな場所でも構わないと、猛烈にアピールす
る。「ほんの十分でいいんです。パッと初めて、パッと終わりますから」「二曲三曲や
らせてもらえれば、それで結構です」と言って説得する。「場所は全然とりませんよ」
「ほんのちょっとのスペースがあればいいんですから」「そうですね。十センチかける
の十センチ。そう、豆腐二丁分の広さがあれば!」
「豆腐二丁」はさすがに言いすぎだった。フラグランスが持てる力を存分に発揮する
ためには、できればコタツ板くらいの広さがほしい。もちろん不可能というわけではな
い。だてにライブを重ねているわけではないのだ。どんな場面にも対処できるだけの柔
軟性は持っていた。だから「豆腐二丁で大丈夫」というのは決して間違いではない。宣
伝文句として考えるなら十分に効果的だった。豆腐二丁で歌って踊るアイドル! すば
らしいではないか!
CDショップの片隅で、商店街のカラオケ・ステージで、デパートの屋上でフラグラ
ンスはライブをした。スーパーの駐車場、区民プールのプールサイド、ボーリング場の
レーン、画廊の小さなテーブルの上でさえ、パフォーマンスするのをためらわなかっ
た。
ライブ告知のポスターは広告制作が本業のコグレが請け負ったが、力が入りすぎて、
どこの海外有名アーティストの来日公演かと勘違いされそうだった。そこに掲載された
ライブ写真は、ユウリが地面に這いつくばって一眼レフで撮りまくったもので、接写に
よる迫力満点のものだったが、これではフラグランスがコ
ポック
であることがわか
らないので、かたわらに比較のためにタバコの写真を添えなければならなかった。ナリ
タは在留外国人のネットワークとつながっていて、「これ、おもしろいよ」「ニホンの
オルタナティブなポップスね」「見て損はないね」「絶対見るね!」と、盛んに宣伝し
てくれた。おかげでフラのライブには必ずと言っていいほど、ブラジル人、スペイン
人、チリ人、メキシコ人、アメリカ人、オーストラリア人、台湾人が一人二人三人と混
じることになった。
握手会は実現不可能だったが、「温もりのある接触」は形を変えて取り入れられた。C
D購入者が差し出した手のひらに飛び乗って、ペコリとお辞儀するというものだ。握手
17
会ならぬ手乗り会だった。次のメンバーと入れ替わる前に、客は二言三言会話すること
ができるのだ。
「今日はどちらからいらっしゃいましたか?」「いい曲なんで、せめて三回は聞いて
ください」「またお会いできたらいいですね」と、アチャポはしっかりと相手の目を見
て笑顔全開で話した。
「今日は暖かくていいですね」「CD出せて、ソンノうれしいんですよ」「今度はむ
かいのカフェでライブするので、よかったら来てください」と、カ
ユケはやや伏し目
がちに、それでも相手とていねいに受け答えしていた。
「元気ですか?」「CD買ってくれてどうも」「次のライブ? 来週かな?」と、人
見知りのノンノはどこを見ているかわからない目をして、ややぶっきらぼうな応対だっ
た。
「わたしたち、フラグランスと言います」「名前だけでもおぼえて帰ってください」
「今日は本当にありがとうございました!」
ライブはおおむね好評だった。通行人はしばしば足を止めて興味津々眺めてくれた
し、終わったあとの拍手も温かかった。もっとも珍奇な見世物として扱われることもな
いではなかった。商店街のイベントに呼ばれたときは、実際に豆腐二丁の上でのライブ
を要求されたし、熱帯魚店では熱帯魚の水槽に浮かべられた発泡スチロールの上で歌う
羽目に陥った。けれど、フラの三人はそんなことでめげたりしない。きっかけは興味半
分で構わないのだ。今はフラのために熱心に駆けずりまわっているこのサポユポたち
も、ファンになるきっかけはごく些細なことだったのだから。
CDの売れ行きも好調だった。サポユポは予約ですでに二枚三枚と購入していたし、
手乗せ会があるたびに参加して、新たにCDを買い足したりした。とりわけ熱心なオク
タなりゴウダなどは競い合うように二十枚三十枚は買っただろう。そのほとんどは「布
教」用として知人友人に配り、あるいはライブで初めて会ったヒトにさえ惜しみなくあ
げてしまう。だから、初回の百枚はあっという間にはけて、百枚、さらに百枚と追加生
産された。
「歌手ってのは儲かるんだなあ!」カネラン・ユポはこまめにライブに顔を出した。
肩書きはモシ
・レーベルの販促部長だったが、フラグランスのマネージャーのような
役割も果たしていたようだ。警戒心の強いコ
ポック
の中にあって、これほど馴れ馴
れしい者も珍しい。「あいつが歌手をやるって言いだしたときは、とんでもないハイタ
18
ク
(馬鹿者)だと思ってたんだ。だってさ、歌って金をもらえるんだったら、だれ
だって歌うじゃないか。そうだろう?」
「だれでも稼げるわけじゃないですよ」ハギノがていねいに説明する。「なにか惹き
つける要素がないとだれも聴いてくれませんし、ましてCDなんか買いません。あの子
たちのパフォーマスンスには、それだけの魅力があるってことです。妹さんはお金を
払っても聴きたい見たいだけのものを持ってるんです。自慢の妹さんじゃないですか」
「うん。要は金になるってことだよね?」
フラグランスのライブ活動が軌道に乗りはじめると、それまで見かけなかった種類の
者が出没するようになった。路上にハンカチやビニールシートを広げて、商売を始める
ヒトたちだった。彼らは全員がコ
ポック
だった。品物はアイヌの人たちが作ること
で有名な、木彫りの彫刻、鉢巻き、紋様入りの衣類が多かったが、当然はるかに小さな
ものだ。非常に繊細な手仕事と見えたが、単に小さすぎるせいで粗が目立たないだけか
もしれない。たくさんの文字が刻まれた米粒や、まとまった文章が綴られた豆本も「世
紀の希少品!」「マニア垂涎!」などという煽り文句で売られていたが、身長五センチ
の小人たちにしてみれば、なんの雑作もない仕事だろう。ジャガイモで作られた揚げた
てのシトも売り出されて結構繁盛していた。一個がコ
ポック
の頭ぐらいの大きさが
あったが、ニンゲンは口の中に十個かそこら放りこんでも、あまり食べた気はしなかっ
たろう。物珍しさで売れていたのだ。
「いらっしゃい、いらっしゃい!」「安いよ! 買ってって!」「よそじゃ手に入ら
ないよ!」「三個で百円!」と、毎回何組も並ぶそれらの露店は縁日のようににぎやか
だった。それは純粋に楽しめたし、フラのコ
ポック
性をいい意味で強調する効果も
あって、サポユポたちは歓迎していた。しかし、それらの露店業者を仕切っていたの
が、カネラン・ユポであることがじきに判明した。出店の許可を与え、ちゃっかり場所
代を徴収しているのだ。「こいつはちょっと良くないんじゃないの?」「露骨に金儲け
の仕掛けが見えると、しらけちゃうんだよね」
「彼らは基本は山暮らしでして、常識が多少欠けているんですよ」モトヤマはそう説
明した。NAMのモトヤマはこまめにライブに足を運んで、サポユポの大半とはすでに
顔見知りだった。「今度注意しておきましょう」
いろんな場所に首を突っこんだので、それだけトラブルも多かった。スーパーマー
ケットではコロッケのタイムサービス品とともにパックにされそうになったし、玩具店
19
では店内を運転中だったSLに危うく轢かれそうになった。洋食レストランでは着替え
室でネズミと遭遇して、命からがら逃げだしたことがあったし、行く先々でイヌ、ハ
ト、スズメ、ゴキブリと要注意動物は多かった。掃除機に吸いこまれたり、逆に扇風機
で飛ばされたり、コンクリートの割れ目にはまったり、毛足の長い絨毯の森で迷ったり
と、どれもこれもコ
ポック
ならでは災難ばかりだ。
保育園のお楽しみ会に招かれたのは、保育士をしているサポユポの紹介によるもの
だった。子どもが好きなアチャポは大いに喜んだものだが、もちろん、コ
ポック
の
子どもとニンゲンの子どもでは勝手が違う。というか大きさが桁違いだ。むき出しの好
奇心が、フラの三人にとっては命取りになりかねなかった。ウキャウキャ笑いながら何
人もがステージに詰めかけてきたとき、三人は死を覚悟したほどだ。
日系ブラジル人のナリタは仲間内のパーティーに招いてくれた。狭い部屋にひしめき
合うブラジル人、メキシコ人、スペイン人はみんな陽気でノリがよかった。浴びるよう
に酒を食らっては、全身を揺すって笑い、汗を飛び散らせながら踊り狂う。楽しんでも
らえることは結構だったが、コ
ポック
の体力は残念ながら非常にお粗末なものだ。
通常の路上ライブでも毎回死にそうなくらい疲れるのに、このラテン系のヒトたちと来
たら疲労を海の彼方に置いてきたかのようだ。ぶっ倒れてしまう前に早々と退散しなく
てはならなかった。
懇意にしているブレーメンズのメンバーも自身のコミュニティに招聘してくれたが、
ここのノリはまた特殊だった。イヌ、ネコ、ブタ、ウマ、インコ、オウムがそれぞれ異
なる声で吠え、鳴き、あたりをうろつき、飛びまわり、いっときたりと落ち着かない。
盛り上がっているのか、単に騒いでいるだけなのか、判断に苦しんだ。ステージ近くで
観覧する一部の肉食獣たちが熱い視線を送ってくるのも、落ち着かない気分にさせられ
た。熱い視線ばかりではない。熱いよだれをダラダラ流していたのである。
最年少のサポユポであるソノミのお誕生日会は、ケーキ、フライドチキン、アップル
パイ、マカロニサラダ等々、たくさんのおいしいものに囲まれて、クラッカーは鳴る
は、手品、紙芝居、合唱、クイズ大会はあるは、ソノミのプレゼント着替えコーナーは
あるはで、楽しいことこの上なかった。フラの三人もちょっとふざけてみたくなって、
蠟人形のふりをしてケーキの上に立って、みんなが「どこ行ったの?」「帰っちゃった
かな」「出てこないとケーキあげないよ!」と騒ぐのを見て笑っていたが、ライターで
火をつけられそうになって死ぬほどあわてた。
20
しかし、中でも一番のトラブルと言えば三人が監禁されたことだろう。個人宅でのプ
ライベート・ライブの話が来たとき、サポユポたちは乗り気ではなかった。「それはい
くらなんでもやりすぎだろう」「羨ましいって言えば羨ましい。それが許されるんだっ
たら、ぼくんちでやってほしいもの」「相手がどんなヒトかによるよ。ものの道理をわ
きまえた、ちゃんとした紳士淑女でないと」
依頼者はオクタの友人だった。「いや、アマニは別に悪いやつじゃないんだ。自分の
好きなことになると度をすぎる嫌いはあるけど。最近はフィギュアに凝っているとか」
「フィギュアだと?」ゴウダが食ってかかる。「そいつはもちろん、あの氷上の爽や
かなスポーツのほうじゃないだろうな」
「正確に言えば、どっちも好きなんだ。人形もスケートも。どっちも同じ目で見てる
のさ」
「変態! 下劣! 豚野郎! だれがそんなやつの家にフラを送れるか!」
しかし、CDを五十枚買うという条件で、カネラン・ユポはあっさり依頼を受けてし
まった。「なにをそんなに心配してる?」カネラン・ユポは不思議がる。「一時間ばか
りライブして、それから帰ってくるだけだよ」
あわててアマニの自宅に押しかけると、当人はいたって涼しい顔だ。「あの子たちな
ら帰ったよ」インターフォンごしにアマニは言う。「たった一時間で五万円も稼いだん
だ。もう喜んで喜んで、ノミみたいに跳ねていったよ。十分くらい前だったかな」
部屋を見せろと要求するが、当然のごとく断られた。門を乗り越え、玄関のドアを乱
打すると、チェーンのかかった状態でドアは開いた。中に入れろと再度要求すると、
「そりゃ困る」という返事。「だって、こんなもんばっかりあるんだぜ。さすがにぼく
も恥ずかしいよ」と言いながら、アマニがドアの隙間から突き出したのは、あられもな
い姿態を見せる裸体のフィギュアだった。「ちょっと!」「最低」「死ねばいいのに!」
女性陣は悪態をつく。ゴウダは無理矢理押し入ろうとしたが、ドアは鼻先で閉められて
しまった。
どうしてくれようと思案しながら、アマニ宅の前にたむろしていると、玄関のポスト
穴からコ
ポック
が数人顔を出した。ぐったりしているフラの三人が運び出されて、
サポユポたちは身も凍るような思いだったが、単に気絶しているだけらしい。「気付け
薬を飲ませましたから、もう目がさめるはずです」精悍な顔をしたコ
する。現にアチャポがすぐに目覚めた。「ク・シ
21
ポック
が説明
ヌ、シリ・ネ・ヤ(わたし、生きて
る)?」
アマニはフラグランスに特別な形態のライブを要求した。オルゴール箱の中で待機し
て、オルゴールの蓋を開かれると同時に歌いだすという趣向だった。木製のオルゴール
箱の中は狭い上に暗くて、かなりの緊張を強いられた。歌っている間、さしでビデオ撮
影されるのも気まずいことこの上ない。三度開けられ三曲歌った後で、オルゴール箱の
蓋は開かなくなった。フラの三人がいくら呼びかけても返事はないし、箱に体当たりし
ても蓋はぴくりとも動かない。と思うと、いきなり激しく揺さぶられて、三人は気を失
いかけた。もうろうとした意識の中で、透明なアクリル・ケースに三人がバラバラに放
りこまれたことがわかった。アマニの巨大な顔がにやつきながら近寄ってくる。「さあ
て、次はなにをやってもらおうかな!」。危機一髪だったのだ。
「ソヤポ・ウタリ」、ニホン語で「ハチの子隊」と呼ばれる警護隊は、フラグランス
から常に目を離さなかった。人目を避けて物陰に潜み、三人に危機が迫ったときはいつ
でも飛び出していけるよう待機していた。普通のコ
ろを、ソヤポたちは鋭く尖ったオ
侵入した。アマニにオ
ポック
がクワ(杖)を持つとこ
(槍)を持つ。アマニの自宅には浴室の換気口から
を突きつけて、アクリル・ケースを開けるよう要求したが、な
かなか従わないので実力行使に出た。指を一本刺したのだ。フラの三人を回収し終えて
も、まだ怒りはおさまらなかった。本来はそのようなことはすべきではなかったが、
フィギュアを十体ばかり破壊して、命に別状はないものの数日間は高熱に悩まされる毒
を血管に注入してやった。これで少しは懲りるだろう。
「わたしたちは平和主義者です」イクレスイェと名乗るソヤポが語る。「よっぽど追
いつめられないかぎりは暴力行為を働きません。今回は、そのよっぽどのことだったと
ご理解ください」
「ほらね?」カネラン・ユポはしたり顔だった。「こいつらがいるから、安心してど
こにだって送り出せるのさ」
安心だと? サポユポたちははらわたの煮えくり返る思いだった。こいつが身内でさ
えなかったら、指パッチンぐらいしてやるのに!
22
13 「ピ
カトカ
」
わたしはアイヌ同胞の互助組織、ニホン・アイヌ・ムーヴメント、通称NAMの某支
局に勤めるアイヌの男でありました。ニホン国籍を持って現代ニホン国に暮らし、言葉
もニホン語しか話せない身ではありますが、わたしの前に連なるたくさんのヒトたちが
違った景色の中で違った暮らしを送り、違った言葉を話していたことは知っておりま
す。今では今では容易に触れることのできない、そのたたずまい、響き、肌合いは決し
て忘れてはならないものだと心を定めて、わたしはこの仕事に従事しているのです。
その電話があったのは、まだ蒸し暑さの残る夏の終わりのことでした。受話器を取
り、「ニホン・アイヌ・ムーヴメントです」と名乗る前に、わたしの耳には「エヘン」
という軽い咳払いが聞こえました。一瞬の間を置いて、ふたたび「エヘン、エヘン」。
即座に「ウタリだ」と思いましたが、もちろんその挨拶は古い時代のものであり、かつ
また電話で使われるという話は聞いたことがありません。とすると、いたずらか。たち
の悪い。しかし、次に続いたのは「失礼いたしました」という言葉です。少なくとも、
たちは悪くない。
「コ
ポック
のことで相談したことがあるのです」受話器のむこうから聞こえる声
は、おそらくは三十がらみの男です。「そちらにうかがってよろしいでしょうか」
コ
ポック
! その言葉で思い出されるのは数年前の出来事です。北関東の一部で
販売されていた「カントリー・アマム」なる食品が支局で話題になったことがありまし
た。現物を目にしてはいませんでしたが、その必要もなかろうとわたしたちは思ってい
ました。「伝説のコロボックルの幻の主食と来たか! こりゃまたたまげたね」「デタ
ラメばかりで、いったいどこから先に突っこんだらいいか逆に困ってしまいますね」
「それでも、正確な知識のない者はこんなウソ八百でもうっかり信じこんでしまいかね
ませんよ。どうします? 抗議しますか?」「と言っても、ダシにされているのはコロ
ボックルですからね。抗議すべき主体がそもそも存在しないし」「それでも、アマ
は
わたしたちの言葉です。誤用は指摘すべきですよ」
なんらかの意思表明を検討していた矢先、当のアマム工場における例の事件が起こっ
たのでした。謎の多い事件でした。経営者は血反吐を吐いて失血死していて、その吐瀉
物には息子である工場長の遺体の一部が混ざっていました。郊外にあった工場は全焼
で、製品のみならず原材料までが一切合切燃えつきたといいます。ただ、十名ほどいた
23
従業員は全員無事で、火傷一つ負っていませんでした。彼らはまるで示し合わせたかの
ように、この事件の原因が父子間の確執にあったと証言しました。「早く会社をおれに
譲れ」「いいや、おまえにはまかせられん」と、小さな会社で大騒ぎしていたというの
です。「弟さんのほうがはるかに優秀で、社長はそっちのほうを跡継ぎにと思ってたん
ですが、その弟というのが兄を立てて自分は身を引いたんですよ」「なにがあったかは
知りませんよ。わたしたちは昼飯に睡眠薬を盛られて、外におっ放り出されてたんです
から」「もう勘弁してくださいよ。こんな忌まわしい事件のことは一刻も早く忘れてし
まいたい」「カントリー・アマム? ああ、あれはただの大豆食品ですよ。たいしてう
まいわけでもないのに、社運をかけていたようでバカみたいでしたよ」「この辺で失礼
いたします。面接の時間が迫ってるもので。早く次の勤め先を見つけないと!」
局長に面会希望者があることを告げると、内容も聞かずに「いいよ」という返事でし
た。「いつも言っているだろう。来たい者は来ればいい。入りたい者は入ればいいの
だ」
しかし、今回は事情が違います。
「コ
ポック
?」局長はとまどい、次におもしろがりました。「なんだろうね? けど、それはあとでわかることだ。客人を待たせてはいけません。取り急ぎ返事をしな
さい。どうぞ、いつでもいらっしゃいと」
「午後早くにうかがいます」男は言いました。「先ほどは申し忘れましたが、コ
ポック
の代表団も同行しています。一緒にうかがってよろしいですね? もちろん場
所はとりませんので」
続く小一時間、職員一同はその話題で盛り上がりました。
「その彼はアニメの話でもしているんでしょうか?」「元になった童話のほうかも知
れませんよ。矢印の先っぽの国でしたっけ? あれには夢中になりましたね。どこかの
小山に隠れていないかと、家の近所をずいぶん探検してまわったものです」「わたしも
読みました! 本当にいるの? って父さんに聞いたら、鼻で笑われて結構傷つきまし
たけど」「漫画では鼻輪数一のものがおもしろいですよ。景色がまるで生きているよう
でね、その世界を本当に歩いてるようなリアリティがあるんです。あっ、これは関係な
いか」
もちろん結論は一つでした。コ
ン・ク
ポック
、正式な言い方ではコ
コニ・ポ
・ウ
、蕗の下の小人。「そんなもの、いるわけない!」と、そういうことです。
24
「少なくとも漫画に描かれているような五センチ十センチのニンゲンはいない。それ
だけは断言できます」「ホッカイドウの蕗は大きいもので二メートルにもなるんで
しょ? 別に小人でなくても余裕に隠れられるって話ですが」「背の低い種族がいたの
は事実では? 大人になっても今の小学生くらいしかないような。それがいつから、こ
んなに小さいものとされたのか不思議なところではありますね」「わたしは正解を知っ
てますよ。コ
ポック
というのはそもそも、蕗の下に隠れてモジモジしているような
小心者のことを言うんです。そんなやつを指差して、やーいやーいコ
ポック
! と
からかったわけです。間違いありません。ものの本にちゃんと書いてありました」
リュック一つを背負って、支局にふらりとやって来た男は顎髭を生やし、たった今、
山から下りてきたかのように野性的な風貌でした。「ホクトと申します」と名乗りまし
たが、それ以外のことは一切言いません。局長と向かい合って、応接コーナーのソファ
に座ると、たちまち寛いだように見えました。あまり広くないフロア内に話は筒抜けで
したが、それも気にならないようです。
ホクト氏が語ったのは、数年前の「カントリー・アマム」事件についての恐るべき真
相でした。「カントリー・アマム」の正体が実はコ
ポック
の肉だったというので
す。
「カントリー・アマム?」局長が首をひねります。「はて、あなたはあの事件の関係
者なので?」
ホクト氏はそれには答えません。
「食品として大々的に生産販売しようという試みは、かろうじて阻止することができ
ましたが、それでコ
ポック
の安全が保証されたわけではありません。彼らはあまり
にも小さすぎ、世界はあまりにも大きすぎるのです。彼らは庇護を求めています。同じ
北の大地を故郷とする者として、ここは力を貸してしかるべきではないでしょうか。わ
たしたちはしょっぱい川を渡って、すでに長い時間をこのシサムモシ
ます。彼らもアイヌモシ
で過ごしており
を出てから、かなりの世代を経ているようです。その意味で
は似たような境遇と言えましょう。彼らには事実上、わたしたちのほかに頼れるものが
いないのです」
そして興奮したのか、いきなり早口になりました。
「すまないが、最後のところは聞き取れなかった」局長が口をはさみます。「なんと
おっしゃったか?」
25
「ソンノ、ク・ヤヤパプ、ナ! ゆっくりしゃべりますね」甲高い声で叫んで、ホク
ト氏の胸ポケットから小人が顔をのぞかせました。「イランカラ
テ! トンテと申し
ます」
ホクト氏の手によって、テーブルの上におかれたそのコ
ポック
は、アイヌ衣装に
身を包んだエカシの姿をしていました。
「わたしたちポンク
は太古の昔から、あなたがたポロク
のモシ
せていただいておりました。しかし、時代が変わって、別のポロク
の片隅に住まわ
がモシ
に押し寄
せてくるにおよんで、あなたがたが居場所を失うと同時に、わたしたちも居場所を失っ
たのです。片隅で生きてきたとは言え、わたしたちはあくまでも、あなたがたの片隅で
生きていたのですから。ウタリは離散の憂き目に遭い、食肉として飼われる身にまで落
ちぶれてしまいましたが、そこを救ってくれたのがこの勇気あるアイヌの若者でした」
開襟シャツの胸ポケットと、ジャケットの左右のポケットから、ホクト氏は全部で六
人のコ
ポック
を取り出しました。先に出されたコ
ポック
が最年長で、禿頭に白
い立派なひげを蓄えています。隣に立っている、唇のまわりに黒い入れ墨のあるフチが
同じくらいの年格好に見えるほかは、異なる世代で構成されていました。威厳のある四
十代の男性と、穏やかな顔立ちの三十代の女性、きりりとひきしまった二十代の若者
と、まだ幼さのうかがえる十代の娘。全員がアイヌの伝統的な衣装を身に着け、頭には
男性がサパウンペ、女性がマタンプ
をかぶっていました。
わたしたちは心の底から感嘆しました。
「こりゃ驚いた!」「よくできてるな!」職員全員が応接コーナーに身を乗り出し
て、普段の慎みを忘れるほどの驚きぶりです。「表情がいいですね! まるで生きてい
るみたいじゃないですか」「衣裳もなかなか凝ってますよ。手作りですか? まさか本
当に樹皮や削りかけでできているわけではないでしょうが、特徴はよくとらえている」
「これはあなたのオリジナルですか? この精緻さはもはや芸術ですね。いやはやたい
したものだ」
「人目につかない山中に長年匿っていたのですが」ホクト氏が続けます。「果たして
このままでいいのかと疑問を感じてきたのです。永遠に安全な隠れ里など存在するわけ
がありません。心ない者にまた目をつけられて食い物にされるよりは、あえて時代の渦
中に飛びこんで、そこになんとか居場所を見つけられないかと考えたわけです。もとも
と隙間を見つけるのが得意な彼らのことですから、適切な援護を受けられたなら、思い
26
のほかうまくやれるのじゃないかと期待しているのですが」
「勝手に押しかけて本当に申し訳ない」フチが頭を下げて言います。「ですが、わた
したちが心から信頼できるものと言えば、あなたがたのほかにはないのです。こちらか
らなにもお返しするものがないのが心苦しいところですが」
「多くのことは望んでおりません」四十代らしい男性のコ
ポック
が言います。
「わたしたちの存在を認めてほしいということと、世に知らしめてほしいということ。
突き詰めて言えば、その二点だけです。お願いいたします」
わたしたちはうなりました。
「本当にしゃべってるみたいだぞ! 声はどこから出てるんです?」「テープなんで
しょう? ずいぶん長い文章を言ってますが」「口がちゃんと動いてましたよ。一体ど
ういう仕組みなんですか? すごい技術だ」「まさか腹話術とか使っているわけじゃない
でしょうね?」
ホクト氏はいささか憮然としているようです。
「この人形を売りだすにあたって、わたしたちの許可を得たいということですか
な?」スズサワ局長がもの柔らかに尋ねます。「コ
ポック
の商品化にあたって、そ
のような打診があったという例はありませんが、わたしたちのお墨付きを得たいと申さ
れるのならば慎重に検討いたしましょう。できればサンプルを何体かお貸し願いたい。
コ
ポック
なる小人が架空の存在であることは間違いありませんが、わたしたちのア
イヌ文化を世に知らしめるために、まあ、言葉はよろしくないにしても、格好のマス
コットたりえることも事実です。これは本当によくできている! 造形はいきいきとし
て生気にあふれ、衣裳もこれほどの小ささにしては手がこんでいる。動力は電池です
か? 音声はテープですか? 最初に口にしたのはアイヌ語でしょう? 『ごめんなさ
い』と言ったのですね? ほかのアイヌ語もしゃべれるんですか? 何語くらい録音可
能ですか? 使い方によっては、アイヌ語教育に活用できるかもしれませんね」
「普段はもっぱらニホン語で話しておりますが」ホクト氏はやや気の抜けたような口
ぶりです。「その気になれば結構アイヌ語を使えるようです」
六人のコ
ポック
は顔をつきあわせて、早口でなにかを話しあっていました。それ
は複数のテープを早送りしたかのようで、意味ある言葉を聞き取ることは不可能でし
た。そこへホクト氏が耳を傾けて、二度三度とうなずきます。
「まだよくご理解いただけないようですので、じっくりと腰を据えて交渉を続けたい
27
と彼らは申しております。どこか寝泊まりできるような片隅をお貸し願えませんか?」
ホクト氏は背負ってきたリュックをテーブルの上に置きました。「食事のほうはご心配
なく。食糧は三ヶ月分持参いたしました。寝床は部屋の一画なり、机の引き出しなりで
十分です。段ボール箱や硬めの紙をいただければ、それでチセをこしらえて、あとは勝
手にやるそうです。ただ、鍵のかかる部屋とか密閉された箱はご勘弁願いたいそうで
す。忌まわしい記憶がよみがえってくるそうで。それと、ここにネズミは出ますか? ネズミが出るなら、見張りを強化したりしないといけませんし。出ませんか? それな
ら結構」
それでは、と一礼して、ホクト氏は身を翻してドアから消えました。
「本当にいい青年だな」「いくら感謝してもしたりませんね」コ
ポック
たちはに
こやかに会話をかわしています。「今日は記念すべき日ですよ」「ソンノ、ピ
カ
カ・ト
(本当にいい日)!」
「彼を呼び戻せ!」
スズサワ局長が叫んで、わたしたちは一斉に駆けだしました。表に飛びだし、道の左
右をうかがいましたが、ホクト氏らしき姿はありません。まるで風と消えてしまったか
のようです。そんなに遠くに行ってしまったはずはない。わたしたちは右と左、そして
道路を隔てた向かいの路地へと別れました。午後もなかばを過ぎたあたりでしたが、オ
フィス街はそれなりに人通りがあって、これをかき分けて進むのは容易なことではない
はずです。わたしは次のブロックに到達する前に立ち止まりました。いや、この先に
行っても無駄だ。
振り返ると、西に傾いた日の光が目に入り、顔を背けたその場所に当のホクト氏の顔
がありました。喫茶店の二階の窓からこちらを見下ろして、ホットドッグをむしゃむ
しゃ食べているのです。なんてやつ! わたしたちが路上で右往左往しているのを見
て、おもしろがっていたのです。
喫茶店の階段を駆けあがってハアハア息を切らしているわたしに、「腹が減りまして
ね」とホクト氏はのんびり言いました。「ひとつ食います?」と言いながら、別のホッ
トドッグが載っている皿を差し出してよこしましたが、首を振って断りました。
「彼らは本当に本当にコ
ポック
なんですか?」わたしは尋ねます。
「どうでしょう」ホクト氏は曖昧にほほ笑みます。「アマム工場ではじめて見たと
き、彼らは甲高い声で鳴きながら駆けずりまわる、謎めいた小人でした。『虫だ』と説
28
明を受けましたが、もちろん虫のわけがない。ニンゲンと同じ姿形をして、二本足で歩
き、器用に手を使う。そんな虫がいるわけないですから。言葉が、ニホン語が通じると
わかったとき、コ
ポック
かと尋ねましたが、キョトンとしていました。彼らは首を
かしげて、『それはなんですか?』と逆に尋ねてきたんです。わたしが知っているかぎ
りのことを説明しました。アイヌの昔語りに出てくる伝説の小人だと。アイヌと軋轢が
生じて、それ以来どこかに消えてしまったとか、実際は言われるほど詳しい話は残って
いないとか。しばらくたってから、彼らがなんと言ったと思います?」
わたしは首を振りました。
「それです、と言ったんです。『わたしたちはコ
ポック
なんです』『思い出しま
した』と。山中になんとかコタンを築き、曲がりなりにも身辺の安全が確保されると、
今度はアイヌ語を勉強したいと言ってきました。それも正確にはアイヌ語を『思い出し
たい』と言いましたね」
ホクト氏はアイヌ語に通じているわけではなかったので、アイヌ語を独学している従
姉を紹介したそうです。その女性の自宅に何十人かが寄宿して、集中して学習し、その
成果を仲間のもとに持ち帰ったとか。
「すごいわよ、あの子たち」ホクト氏の従姉は笑いながら、そう語ったと言います。
「やっと思い出したんだって。『先祖代々伝わるいろんな言い伝えをやっと思い出すこ
とができました』って。あなたもあとで聞かせてもらいなさい。傑作だから! コ
ポック
版の創世神話もあれば、アイヌラック
ヌとのいろいろな関わり合いを語るウエペケ
ポック
が活躍するカムイユカ
がある。アイ
だってあるの。あなた、オコジョがコ
の創造主だってことを知ってた? 少なくともわたしは初耳だわ。ものすごい
おっちょこちょいのカムイでね! あの子たちもそれをおもしろがってるみたい」
「あまりこの方面には明るくないのですが」ホクト氏は続けます。「彼らの語るお話
はアイヌのお話からの借用が相当混ざっているように思われます。昔語りという自体が
もともともと様式的なものですから、必ずしもパクリだとは言い切れませんが」
「ということは」わたしは頭を巡らしました。「自分たちなりに神話伝承を作りだし
たということですか? 創世神話を新たに創作したと?」
「自分たちがなんであるのか、どこから来て、どこへ行くのか、それを解き明かすも
のが神話だとしたら、彼らはまさにそれを持っているわけです。生きるよすがとして神
話をね。彼らの正体がなんなのか、本当にコ
29
ポック
かどうかなんて、どうでもいい
と思いますね。少なくとも、わたしは興味がない」
「ぼくらはどうすればいいんですか?」
「彼らが庇護を求めていることは紛れもない事実です。アイヌの統括団体があること
はわたしが彼らに話しました。あなたがたならきっと助けてくれると、彼らは信じてい
るんですよ」
「わかりました。あなたの今の言葉はみんなに伝えてよろしいですね? 連絡先をお
教え下さい」
「あとは彼らと直接話しあってください。自分はちょっと遠くに行ってしまうもの
で」
どこに? ホクト氏は隣町に行くような口調でグリーンランドに行ってみると語りま
した。
「あのあたりにはまだ狩猟で暮らしているヒトがごまんといると聞きましてね。風の
噂で、そこに日系のイヌイットがいるというんで、なんとか頼みこんで弟子入りさせて
もらえないかと思いまして。まあ、このニホンにも狩猟暮らしをしているヒトがいるに
はいますが、アイヌが狩猟のことでシサムに教えを請うのはなんとなくバツが悪くて。
ニホン人だって元を正せば狩猟民族ですし、無用なこだわりだとはわかっていますが、
自分はまだ未熟者ですね」
そして、最高に臭くて最高にうまい、キビアという鳥の発酵食品のことを熱く語り、
紙ナフキンにボールペンで、スズメの死骸のような絵を描いてみせました。「こいつを
食わないことには死んでも死にきれないんですよ!」
わたしたちはコ
ポック
の代表団と夜を徹して話し合い、翌日には国内主要メディ
アにむけて声明を発表しました。
「今はホッカイドウと呼ばれている、あの静かな大地をともに分かち合ってきた、
コ
ポック
の方々を皆様に紹介できることを、わたしたちは大きな喜びとするもので
あります」疲れきっているはずが妙に生き生きしながら、スズサワ局長が語ります。
「人目を避けてひっそり暮らしてきた彼らですが、このたび諸々の事情から社会の表舞
台に出てくる決意を固めました。もちろん、わたしたちのこの小さな友人たちにとっ
て、現代社会ははなはだ危険なものであります。住処を得るにしても、職を持つにして
も、なにをするのも難しい。わたしたち、ニホン・アイヌ・ムーヴメントは可能な限
り、彼らを援護する所存でおります。ええ、間違いなく援護するつもりではあります
30
が、はて、どこに消えたやら。おーい! おーい! 出ておいで!」
予想以上に集まった新聞雑誌テレビの記者たち、テレビカメラ、カメラのフラッシュ
に怯えて、コ
ポック
たちは逃げだしてしまったのでした。
「ちょっとお待ちください。ちょっと探しておりますので。まさか、あなたがたをか
ついだわけでは! おーい、このヒトたちは危険じゃないよ! きみたちを全国に紹介
してくれるんだ! モトヤマくん、まだ見つからないか?」
続く一時間というもの、わたしたちは小さな友人たちを探して、ソファの下、棚の
裏、コピー機の中、冷蔵庫、ゴミ箱に首を突っこむことになりました。それからも多少
の紆余曲折はありましたが、コ
ポック
の存在は大過なく認知されたと言えるでしょ
う。
「だから、今いるウタリたちよ。はるばるわたしたちを頼ってやってきた小さなお友
達を追い返すような真似だけはしていけませんよ」と、以後コ
合うことになるアイヌの若者は語りました。
31
ポック
と深く関わり
14 インディーズ・デイ
さほど間をおかずに新曲が発売になった。作曲者は同じパンパカ可愛で、タイトルは
「カル
採集中」。「カル
」とはアイヌ語でキノコのことを意味し、これは前作とは
打って変わって、スティールパンドラムが刻むスカ調のリズムにどぎつい演歌風の歌唱
が乗るという、コミック・ソングと言われてもおかしくないような曲だった。内容は
コ
ポック
たちがキノコを求めて山林に分け入り、「ソフトで優しい味わいのカル
がいい」「外見よりも中身で勝負のカル
ル
がいい」、いやいや「お金になるようなカ
がいい」などと言っては、ランランはしゃぎながら探しまわるという、単純ながら
楽しいものだった。
ランランラン ハプ
ペ ランラン
いまどこにあるんだろう
ランランラン ケラアンペ ランラン
わたしのうまいカル
早く 早く 見つけたい
パフォーマンスはいささかふざけすぎの嫌いはあったが、うきうきとしたハイキング
気分が横溢して歌詞内容に合っていた。衣装は驚いたことに浴衣で、ややミスマッチの
観はあったが、前回がアイヌ風だったから今回はニホン風にしようという、彼女たちな
りのバランス感覚なのだろう。
CDの出荷枚数は二百枚だという。「上の連中は融通が利かない」カネラン・ユポは
サポユポたちにぼやいた。「ここは一気に攻めの姿勢で千枚出せって言ってんのに、前
のやつがまだ全部はけてないからって、たった二百枚だ! これじゃ、いざというとき
品切れってことになりかねないぞ。みすみす商機を逃すことになるよ。ところで、みな
さん、予約はしますよね? 今日は予約用紙を持ってきました。逸早く確実に手に入り
ますよ!」
予約用紙はカネラン・ユポが手書きで作った、メモ用紙大のものだった。こんな小さ
な紙切れに住所氏名連絡先予約枚数を書けというのか? 「拡大コピーできるんで
しょ? それに一枚しかないし。だれか百枚くらいコピーしてきてよ。急いでね!」
32
この新曲ができたおかげで、スーパー、八百屋、商店街の営業が楽になった。フラグ
ランスの三人がシイタケ、マイタケ、シメジ、エリンギの間を軽快に跳ねまわるさまは
見ていて非常に心がなごんだ。商店側にとってもいい販促になったし、CDも結構さば
けた。
「これだ!」カネラン・ユポは飛び上がって喜んだものだ。「宣伝の曲をどしどし
作って、商品と抱き合わせで売るんだ。タイアップ? そう言うの? 次はお菓子の曲
とかどうだろう? ドーナッツとかチョコレートとか。食べ物でなくたっていけるぞ。
タイアップで売り上げアップ!」
カネラン・ユポは本気だった。続くライブでさっそく、これまでレパートリーにな
かった「スーパーフライシューズ」という既製曲を押しこんできたくらいだ。場所は安
売り量販店のシューズ売り場で、曲は初めての都会生活の浮かれた気分を無重力の
シューズに託して歌うというもの。あまりにも狙いすぎた選曲だったが、フラグランス
のパフォーマンスがそれなりに楽しいのが困る。シューズが脱げて前につんのめった
り、画鋲を踏んで飛び上がったりといったコミカルな小芝居には、アイドル的な魅力が
あふれていた。客受けもかなりよくて、売り上げにも多大な貢献をした。
それでも、「これはない」というのがサポユポたち共通の意見だった。フラグランス
をコマーシャル・ソング専門の安っぽい歌手にしていいわけがないのだ。「ある程度の
ヒットは望めるだろう。だけど、一発屋で終わる可能性も高くなる」「フラのためにな
らないよ。スッピンドーに憧れてこの世界に入ったのに、ラーメン大好きだの、焼き肉
のタレだの歌ってもうれしくはないだろ?」
そのころ、路上仲間のカッパたち、しりこだまのライブに一度、前座として招かれ
た。「たまにはさ、違った環境でライブするのもいいと思うよ」と、リーダーのクチが
声をかけてくれたのだ。「のんびりやってるからさ。遊びに来る感じで気楽にやって
よ。ビールもあるよ! あっ、未成年?」
三百人ほどが入るライブハウスは、しりこだまの固定ファンで埋まっていた。「す
ごーい!」「超満員!」「緊張する!」フラの三人は興奮しつつも、自分たちの立場を
わきまえていた。フラグランスの客ではないのだから、でしゃばりすぎないにしようと
いうことだ。朝礼台ほどの高さの台に乗って、持ち歌の「おまじないパルンペ」「カ
ル
採集中」のほか、カバー曲の「リカもご機嫌ななめ」「スーパーフライシューズ」
を披露した。反応はいたって冷ややかだった。拍手も歓声もなければ、ブーイングすら
33
起こらない。場内が暗いこともあって、まるでお通夜のようだった。少しでも場を盛り
上げようと、サポユポたちが「ノンノーッ!」「アチャポアチャポアチャポ!」「カ
シューちゃん!」とコールするのが異様に浮いた。「ちょっと」と、さすがに注意を受
けた。「うちのライブはそんなものじゃないから。騒ぐ必要ないんです。楽しんでない
わけじゃないですから。頼むから静かに聞いてください」
実際、しりこだまのライブはお通夜のような雰囲気で淡々と進むのが常だったのだ。
とは言え、しりこだま往年のヒット曲「でめきん」をフラグランスとコラボしたとき
は、会場もそこそこ沸いた。歌詞に合わせてフラの三人が湧きあがる水に慌てふためい
たり、割り箸で作った鉄棒で斜め懸垂したり、しりこだまに負けじと奇矯な声を張りあ
げたりするさまが、しりこだまのファンにも受けたのだ。アンコールの「夜のカーテ
ン」「もののけ市街地」のときもフラグランスは再度登場し、ピョンピョン楽しげにメ
ンバーの間を跳ねまわって場を盛り上げた。サポユポたちも満足だった。「なんだかほ
んわかした気分になったよ」「やっぱり童謡調の曲が合っているんじゃないかな」
「あっちがちょっと不気味だった分、フラがよけいかわいく見えたよ」等々、特に女性
陣は絶賛だ。「この方向で行くのもいいかも」
では、いっそしりこだまに曲を提供してもらっては? しりこだまが路上でライブを
していたときに、ネリマがその件で探りを入れた。「このコラボ、一回きりで終わるの
はもったいないと思うんですよ。ちゃんと形あるものにできますよ、これは。えーと、
つまりフラに曲を書いてもらったりはできないのかなと。CD出すときは、わたし、
ジャケット書きますよ!」
メンバーのハラヤナギはあさっての方向を見ているような目つきで、「あの三人のた
めにならないでしょ」とやんわり断ってきた。「ぼくらはこれからも地味にやっていけ
ばいいけど、あの子たちは違うもの。大きな目標があるじゃないの。表舞台にバアンと
出ていきたいんだよ。だから、ぼくらとはあまり関わらないほうがいいと思うよ」
ハカタの紹介で、とあるミュージシャンの結婚披露宴でミニライブをすることになっ
た。「ニューウェーヴ夫婦歌謡」として売り出し中の「浪漫帆流瀬」のヴォーカル兼説
教担当のオキヤ帆流瀬と、ディレイ兼ツッコミ担当の浪漫ユーコの結婚式だ。夫婦歌謡
と称してはいたものの、これまで籍は入れてなかったのだ。披露宴はテレビでよく見か
けるタレント、ミュージシャン、芸人のほかに、どこに生息しているかもわからない、
怪しげなパフォーマー、DJ、職業不詳者で大盛況だった。サブカル方面に強い贅肉少
34
女帯の肉付ケンヂ、独特な自虐漫画で有名な漫画家の硝酸なめ子、海外でも活躍する特
異なパフォーマンス集団の田楽ネットワーク等々、一筋縄ではいかない連中ばかりだ。
オキヤはもともとアイドル好きとして有名だったが、インディーズで細々と活動して
いたフラグンランスは未チェックだった。浪漫帆流瀬の代表作である「男は箸を使わな
い」をフラがカバーしていると聞いて、俄然興味を持ったようだ。披露宴の前にライブ
現場を一度訪れたが、そのときは件の曲はやらなかった。アンコールの際、「男は箸を
使わない!」とリクエストしたら、「なにバカなこと言ってんですか!」とアチャポが
怒りだした。「だったら自分でやってくださいよ!」。その日のライブはしゃぶしゃぶ
用肉のセールスのための実演売り場で行なわれていたのだ。「いや、すばらしい反射神
でした」その発言でオキヤはフラグランスが気に入ったらしい。「お客さんに対してあ
んなに真剣に怒るなんてたいしたものです。ぐらぐら煮立った鍋に手を突っこんで、手
本を見せてあげようかと思ったくらいですよ!」
自分たちの結婚披露宴であるにも関わらず、浪漫帆流瀬自身もライブを決行した。無
口な恋人のことを歌った「彼氏はサイレント」、とある暗殺者に関わる女性を扱ったら
しい「チャップマンの女」に続いて、例の曲でフラグランスとのコラボが実現した。オ
キヤが「男は箸を使わない!」と大見得を切れば、ユーコは「バカ言ってんじゃない
よ」とツッコミを入れ、オキヤの発言が度を過ぎると、声に過度のエフェクトをかけて
ごまかす。フラグランスの三人は両者の前ではじけるように踊り、ユーコのツッコミに
コーラスを付けたした。フラグランス単体のミニライブでは「おまじないパルンペ」
「カル
採集中」のほか、オキヤのフェイバリット・ソングである「地球の破滅」をパ
フォーマンスした。
「今度、曲を書きますよ」オキヤは上機嫌で三人にそう申し出たらしい。「エレクト
ロな打ち込み歌謡で、ノリノリなやつがいいかな? まあ、わたしの曲なんぞいらない
とは思いますがね。エヘ、エヘ、エヘヘ!」
「まったくだ」サポユポたちも同感だった。「冗談じゃないよ。完全に色物に走っ
ちゃうじゃないか」「あいつはビーンズ工房の追っかけともやってるんだぜ。むこうの
ファンにうざがられている。フラに寄りつかれたら迷惑だよ」
「ヒトは見かけで判断しちゃいけない」弁護にまわったのは、オキヤと現場で出くわ
すことが多いオクタだった。「オキヤ氏はしっかりと距離感のある、男気あふれる真の
アイドル・ファンなんだ。遠くのほうからこっそり愛でて、必要以上に近づこうとしな
35
い。味方につけて彼ほど心強いヒトはいないよ。気に入られたことを素直に喜ぼうじゃ
ないか。彼が曲を提供? やめろ! それだけは絶対まずい!」
とある駅に隣接した商店街でライブしたあと、近くに有名なアイヌ料理店があると聞
いて、サポユポたちは夕食に訪れた。二階の座敷で、ほっとするような優しい味の汁物
「オハウ」や、意外なあっさり味の鹿肉ステーキ、どこか異世界に迷いこんでしまった
かのような不思議な苦みのある木の実「シケ
ペ」を堪能したが、一緒にくっついてき
たカネラン・ユポがいつの間にかいない。一階の厨房で店長と話しこんでいるのをサポ
ユポの一人が目撃した。「だからさ、宣伝効果抜群だってば! キュートなコ
ク
ポッ
三人娘が、『おいしい』『おいしい』って連呼しながら料理を食べてくれるんだ
ぜ。こりゃ、レラ・チャシさんが繁盛しないわけないよ!」
店の名前は「レラ・チャシ」。「風の城」という意味だった。
「ぼくとしてはもっと伝統に根ざしたものをやってほしいと思うんですよ」食事をし
ながらキンダイチ少年はそう漏らした。「アイヌのヒトたちの豊かな音楽伝統を、コ
ポック
たちも受け継いでいるでしょうから。彼女たちもそれが一番、自然なんじゃな
いでしょうか」
それは具体的にはどんなものか? 「このような場所でぼくが説明するのもおこがま
しいですが」キンダイチ少年は恐縮する。歌舞伎座にやって来たアメリカの高校生が
得々と歌舞伎の説明をするようなものだというのだ。「あくまでも本とCDで得た知識
ですよ。それでよかったら参考までに」
歌は一般に「ウポポ」といった。座り歌がウポポで、踊り歌がリ
セ、あるいはホ
リッパだという地方もあるが、もとはみんなウポポらしい。座ってシントコ(行器)を
たたきながら歌っていたのが、興に乗ると立って踊りだすというのがよく見る展開であ
り、そこにとりたてて区別は必要ないからだ。
ウポポが複人数で行う儀式や娯楽の歌であるのに対し、「ヤイサマ」は個人が自らの
心情をなかば即興的に吐露するもので、痛切な歌いまわしが胸を打つ。遠くにいる恋人
を思って歌う「チカ
・タ・クネ、レラ・タ・クネ」、つまり「鳥になりたい、風にな
りたい」というフレーズが最も有名なものだった。
「ユーカラも歌じゃないの?」とだれかが尋ねる。
有名な「ユーカラ」、つまり「ユカ
」は独特の節回しが耳をそばだてさせるもの
の、その本質は物語にある。少年英雄ポイヤウンペが悪者退治に駆けずりまわる、荒唐
36
無稽なヒーローものであり、時に幾夜にもわたって繰り広げられる連続活劇ドラマだっ
た。レ
ニと呼ばれる拍子木でリズムが取られ、観客も掛け声をかけるものの、基本的
には達意の語り手が一人で演じる壮大なオペラなのだ。
「カムイユカ
」も物語だが、こちらのほうがはるかに歌に近い。主人公は種々のカ
ムイであり、長さも短いもので数分程度。カムイの自分語りによって物語が進行し、生
きていく上で欠かせない、なんらかの教訓的な内容を含んでいることが多い。
「フラの三人は『みんなの歌々』が好きだって言ってましたよね? このカムイユ
カ
がたぶん、その世界に一番近いものだと思います。ウサギやらカエルやらウバユリ
やら鍋やら舟やらのカムイが登場して、なにかしら問題は起こるものの、最後はおさま
るべきところにきちんとおさまる。悪者がこらしめられて終わるだけの話もあります
が、本人が夢の中でしおらしく反省するので、後味はいたって爽やかです。融和的な世
界観ですね。ニホン語に書き直されたものを読むだけでも、心がすんなり落ち着くんで
すよ」
次にフラグランスが持ってきた新曲のタイトルを聞いて、サポユポたちは愕然とし
た。「おいしいレラ・チャシ」。なんてこった! これはあのアイヌ料理店の名前では
ないか! フラグランスはついに露骨なコマーシャル・ソングに手を染めたのか。
「これはちょっとした冒険でした」フラグランスの三人もどことなく不安そうだ。
「新規蒔き直しって感じの曲で、どう受け止めてもらえるのか」「まあ、聴いてもらわ
なくちゃしょうがないですよね。最初に曲だけ。二度目でわたしたちがパフォーマンス
します」
一聴して、サポユポたちは再度愕然とした。なんだ、これは? 胸騒ぎをかき立てる
ような性急なビートに乗って、フラの三人の早口言葉めいたヴォーカルが疾駆する。
おいしいレラ・チャシ ありあまる食材に
一方的では 満腹は遠い
曲は全編がシンセの打ち込みで、分厚い低音、強いキックが鮮烈な印象を与える。声
には加工が施され、時にバックの音に埋もれてしまう。三人のパフォーマンスは近作の
傾向を引き継いだような、コミカルで軽妙なものだったが、曲に触発されたのかシャー
プさが際立っていた。さらに目をひく特徴は、三人が直接声を出して歌っていないこと
37
だ。これほど激しく踊りながら歌うのは事実上無理だという判断だろう。
わたしたちのパルンペをいつも調理
揚げたり茹でたりしてください
「これは作者が変わっただろ?」ハカタが即座に指摘する。「音色がきらびやかで心
地よい。なによりも若々しい勢いがある。軽快なテクノポップ! いい曲だよ、これ
は。だれが作ったの?」
「内緒ですよ。いい機械を手に入れたんです」アチャポが声を潜めて話しだす。「音
楽を自動的に作ってくれる、すごい便利な機械でしてね。中古は中古なんですけど、ほ
とんど新品同様ですよ。歌詞を適当にぶちこめば、あ∼ら不思議! なんとかかんとか
して、たちまち曲を作ってくれる。略してナカタ2号」
「略して?」
なんとか
かんとか
たちまち
「で、ナカタ? なんて略し方だ!」ハカタがあきれる。「でも、2号? ってこと
は1号もあるのか?」
「1号は使い物にならなかったみたい。2号でやっと使えるようになったんだって。
すごいんだよ。最新型のマシンだから電池なんかじゃ動かなくて、ちゃんと実のあるも
のを充填しなくちゃいけないの。カツ丼、カレーライス、タコライス、ロコモコ、ビビ
ンバ」
「へえ?」
サポユポたちがポカンとしているなかで、ノンノだけが一人、爆笑していた。「スン
ケ! スンケ! アッチャ、スンケ!」
38