「米国公衆衛生大学院と公衆衛生学修士」について 2014 年 Beth Israel

「米国公衆衛生大学院と公衆衛生学修士」について
2014 年 Beth Israel Medical Center
内科レジデント
石川源太
<初めに>
2014 年 7 月より Beth Israel Medical Center 内科レジデントとして入職予定の石川源太と申します。
高校 3 年間をヨーロッパのスイスで暮らし、帰国後その影響もあり、海外留学にずっと興味が
ありました。2007 年 3 月に医学部を卒業し、順天堂大学付属順天堂医院にて初期研修、その後
聖路加国際病院(以下聖路加)で内科専門研修(主に呼吸器内科専攻)を行いました。2013 年
8 月より米国 Georgia 州 Atlanta にある Emory 大学公衆衛生大学院(Rollins School of Public Health)
に入学し、主に疫学・生物統計学を学んでおります。2 年間のプログラムなのでレジデンシー
期間は一旦休学し、3 年後復学予定です。
これまでの留学記念エッセイ集で多くの先輩方に大変有用な情報を残していただきましたので、
私も皆さんにお役に立つ情報を提供できればと考えています。2 年前に米国大学院受験を志し、
インターネットや文献を調べた際、公衆衛生大学院の実際に関して簡単に理解できる情報がほ
とんどなく、大変困った経験があります。今回は、私自身が 1 年間在籍した「米国公衆衛生大
学院」について自身の経験に基づき情報提供させていただきたいと思います。エッセイ後半で、
Emory 以外の大学院についても少しだけ触れさせていただく予定です。
<米国公衆衛生大学院について>
まず概要についてです。公衆衛生学とは「集団の健康の分析に基づき地域全体の健康増進を扱
う学問」です。簡単に申し上げますと、集団の健康増進を行う学問といった所でしょうか。個々
の症例を扱う日常臨床とは異なります。公衆衛生大学院では公衆衛生を体系的に学べ、公衆衛
生学修士(Master of Public Health: MPH)を取得する事ができます。米国公衆衛生大学院は、ハー
バード大学に 1960 年代に開校して以来、全米で 30 以上がこれまでに開校しています。日本で
は 2000 年に京都大学が初めて開校、2011 年に帝京大学が開校を迎え計 6 校となっています。
トップスクール(上位 10 校以内)に位置付けられる大学院(米国)として、Johns Hopkins、
University of North Carolina、Harvard、University of Michigan、Columbia、Emory、University of
Washington、University of California (Berkeley)、University of Minnesota、University of California (Los
Angeles)などがあげられます
(U.S.News2011)
。
米国の MPH プログラムは 1 年プログラム(Harvard、
Johns Hopkins、Yale などで実施)と 2 年プログラム(Emory を含め大多数)に分けられます。
学ぶ分野は疫学や生物統計学の他に、環境衛生学、行動科学・健康教育学、医療管理学など幅
広です。医療関係者(医師、看護師など)が通う専門職大学院という印象が日本では強いので
すが、米国では、化学、生物、数学などの他分野を学部で専攻した後大学院に入学する人、NGO
から国際保健を勉強しに来る人、厚生労働省から医療政策を勉強しに来る人、医学部やレジデ
ンシーに入る前の transition 目的で入学する学生もいて、バックグラウンドは非常に多彩です。
年齢層は学校によって様々ですが、Emory では 22 歳から 70 歳くらいまでの学生が集います(平
均年齢:26 歳)
。MPH を取得した後の進路も非常に多様で、元々勤務していた医療機関に戻る
人、州の Department of Public Health、NGO、大学、研究機関、医療コンサルティング会社に就
職する人、疫学者育成フェローシップに進む人、博士課程に進む人、レジデンシーや医学部に
入学する人もいます。日本では MPH はあまり認知されていませんが、米国では MD(医師免許)
に加え MPH を取得すれば、1 人で研究を立案し実行できる(1 人前)とみなされ、Physician
Scientist としてある一定の評価を得る事ができます。日本では MD に加え PhD(博士課程)を
取得する人が多いのに対し、米国では PhD を取得する医師はほとんどいません。
<私が公衆衛生大学院への進学を決めた理由>
もともと私にとっての「公衆衛生学」は最も疎遠な学問でした。医学部在学中に同科目を履修
したのですが、人体を学ぶために医学部に入学したのに、それとは関係のない医療政策や医療
統計をなぜやるのか全く理解できず、授業も片手で数えるくらいしか出席したことがない怠け
者でした。国家試験直前も予備校のビデオ講義を嫌々聞いていた記憶があります。
そんな私が公衆衛生学(特に疫学や統計学)に興味を抱き始めたのは聖路加時代でした。さす
が聖路加です。勉強熱心な研修医の間で日常から「○○年の NEJM では~」
、なんて会話が病
棟で飛び交っていました。チーフレジデントの先生方も、毎日気になる論文を解説付きで院内
メーリングリストで回して下さるなど、当時の私にとっては「息切れする」くらいの環境でし
た。周りに影響されやすい私も、後輩レジデントに「□□年△月号の JAMA を読んでみなよ。
」
なんて得意気にレクチャーしていました。ところが医師 5 年目くらいからでしょうか、何とな
く私の中で「実臨床」と「論文知識」のギャップを感じ始めたのです。エビデンス通りの治療
が個々の患者さんにフィットしない感覚を持ち始めたのです。同時に日本で行われている臨床
研究に対して疑問も生まれました。そして忙しいことを理由に、論文知識より経験だけを頼り
に診療した時期もありました。しかし、
「思いて学ばざれば則ち殆し」です。最終的には自分自
身で論文を含めたエビデンスを正確に消化し、それを日常臨床で個々の患者さんに適用する能
力を身に付けたいと切に思うようになったのです。そして、疫学や生物統計学をしっかり学べ
る公衆衛生大学院で MPH を取得するという選択肢に辿り着きました。聖路加には疫学センタ
ーが付属しているので公衆衛生大学院の情報が多く入って来たのも大きな環境要因でした。そ
の他の理由として、自身で臨床研究を行い何度か国際学会で発表した経験も要因としてあげら
れます。日常臨床から涌いてきた疑問を臨床研究として客観的に表現する重要性を知り、臨床
研究を主導する際の基礎知識を学びたかったのも理由の 1 つです。
日本ではなく米国の大学院進学を目指した理由は、少々打算的だったかもしれませんが、卒業
後、米国で臨床研修を行いたいという一種の Transition 的な要素も少なからずありました。米国
で生活経験もなく、非常に拙い英語で、いきなり臨床医として働く事に強い抵抗感を当時抱い
ておりましたし、同時に自分のキャリアプランについて日本から離れ腰を据えてゆっくりと考
えたかったのも正直な気持ちです。
<Atlanta!>
そんな訳で 2013 年 2 月末に Emory から合格通知をいただき、同年 8 月 9 日に Atlanta 空港に降
り立ちました。
Atlanta は米国南部に位置する Georgia 州の州都で人口約 500 万人の大都会です。
古くは鉄道交通のハブとして綿花産業の中心地として栄えましたが、1860 年代に勃発した南北
戦争で激戦地区となりました(映画「風と共に去りぬ」の舞台です)
。北軍に敗戦後、奇跡的な
復興を遂げ、現在は南部の中心都市として栄えています。CNN、コカコーラ、デルタ航空の本
社もありますし、1996 年の Atlanta 五輪はまだ皆様の記憶に新しいと思います。キング牧師の
出生地で公民権運動の中心地でもありました。特有の夏の蒸し暑さと冬の温暖さから、
「ホット
ランタ」なんていう異名も付けられております。
<CNN の前で>
<Rollins School of Public Health>
Emory 大学は Atlanta 市中心部から北東に約 10km の場所に位置し周囲を森で囲まれた風光明媚
な場所です。第 39 代アメリカ合衆国大統領であるジミー・カーターの出身校として有名です。
Rollins School はエモリ―公衆衛生大学院の別名で、
もともとはある殺虫剤の会社名だそうです。
Rollins の強みは感染症を中心とした世界有数の疫学センターである Centers for Disease Control
and Prevention (CDC)に併設された大学院である事です。CDC から多くの講師が Rollins に来る
ので、感染症疫学を学ぶには世界最高の環境と言えます。その他に Carter Center や American
Cancer Society など公衆衛生をリードする機関が Atlanta に本部を置いているので公衆衛生学一
般を学ぶにも絶好の環境です。多くの卒業生が CDC や WHO へ就職します。Emory 大学医学部
との Joint Program があり、MPH 人気からか医学生の約 20%が医学部在籍中に MPH を取得しま
す。Rollins は 1 学年約 600 人で内 100 人が国外からの留学生です。中国人が 40-50 人、その
他インド、ナイジェリア、韓国、カザフスタン、カナダ、サウジアラビアなど全世界から学生
が集います。日本人は私 1 人でこの 1 年間大変寂しい思いをしました。
<オリエンテーション>
<Centers for Disease Control and Prevention>
<Volunteer Work>
入学後(オリエンテーション中)初めに課されたのがボランティアワークでした。Atlanta で不
要になった医療機器を発展途上国の医療機関に無償で提供する NGO の事務所で 1 日働きまし
た。当初は課された授業の一貫としてあまり考えずにボランティアに参加していたのですが、
米国人をはじめ周りの人々から助けられる事が多く、約 1 年米国で暮らした今、ボランティア
精神が米国で生き抜く上で大変重要である事がわかりました。米国では、その人個人の能力よ
りもむしろ他者への貢献が評価される社会なのです(勿論、最低限の個人能力は必要ですが)
。
「個人主義」というレッテルが米国人に貼られがちですがこれも少し違った見方だと個人的に
は思っています。様々な人はいますが全体的にみると、特に「well educated」された人々は、他
者の発言に良く耳を傾け、寛容で、ボランティア精神に充ち溢れています(少なくともそのよ
うに振る舞うように教育されています)
。このボランティア精神という米国文化を入学早々に経
験させるのはさすが米国の大学院だと思います。私もこの 1 年クラスメートを含め多くの方々
のお世話になりました。
<ボランティア会場>
<Emory 大学医学部正面玄関>
<履修科目の実際>
実際の履修科目についてです。必修科目(疫学、生物統計学、環境衛生学、行動科学・健康教
育学、医療管理学)を含む 42 単位を 2 年間で取得します。私は疫学の部門にいたので、疫学や
生物統計学を比較的多く取らなければなりませんでした。それに加え、公衆衛生学では現場で
の経験が非常に重視されるため、在学中に CDC などで公衆衛生分野の職業経験を積む事
(Practicum)が卒業条件として要求されます。Practicum として、アフリカ各国やインドなどで
1-2 ヵ月間、感染症サーベイランスなどのインターンを行う事も可能です。別に卒業論文作成も
義務づけられております。
授業は 1 コマ 1 時間 20 分-1 時間 50 分で、
週平均 10 コマ履修します。
1 年目は必修科目がほとんどですが、2 年目は興味がある科目を多く取ることができます。英語
が母国語ではない日本人にとって授業について行くのは決して簡単ではなく、学期末試験に追
われ、膨大な宿題も出されるので息を付く暇がありませんでした。座学だけではなく、LAB と
言われる少人数クラスでグループディスカッションが課されるので初めは緊張の毎日でした。
具体的にどのような勉強をするのかイメージが付きにくいと思いますので、コアな履修科目の
様子を下記に記載させていただきます。私自身 1 年を残しており全てをお伝えする事はできま
せん(特に国際保健と行動科学・健康教育学)のであしからず。多少専門的な内容なので興味
がなければ読み飛ばして頂いて結構です。
Epidemiologic Methods
まず初回講義で Epidemiology(疫学)の定義 ‘The study of the distribution and determinants of
health-related states or events in specified populations and the application of this study to control health
problems’と共に、19 世紀ロンドンで発生したコレラの outbreak について紹介されました。感染
源同定(井戸水)に至るまでの過程と、それに準じた予防策で何千何万人の命を救った疫学
(Epidemiology)にこの時強く興味を抱きました。コースは週 4 時間の講義と 2 時間の LAB か
ら成っています。具体的には、1 年目秋学期に Risk と Rate の違い、記述疫学と分析疫学の違い、
研究デザイン(コホート研究、症例対照研究、臨床試験、横断研究)
、感度・特異度、バイアス
(選択バイアス、情報バイアス、交絡因子)、交互作用について学びました。1 年目春学期には
Modeling、多変量ロジスティック回帰分析などより実践的な解析手法を学習し、1 年が終わる
頃には、ある程度理論を理解した上で簡単な多変量解析を自分自身で行えるようになりました。
渡米前は risk と rate の違いもわからず、記述疫学をすっ飛ばし分析疫学にこだわり(有意差を
出すことにこだわり)
、各研究デザインの長所・短所も知らず、Random Error と Systematic Error
の違いもわからない状態で日常臨床、抄読会、臨床研究を行っていました。今考えれば自分が
本当に恥ずかしいと思います。
Application of Epidemiologic Methods
上記 Epidemiologic Methods で学んだ内容を応用し与えられたデータセットを用い解析を行う演
習(Project)タイプの授業でした。具体的には、実際のデータ(National Center for Health Statistics
2006)を用い、妊娠早期の妊婦健診が早産のリスクを軽減するかどうかについて解析を行いま
した。データを整理するデータクリーニングから始まり、交絡因子でコントロールしない状態
での相対危険度(crude relative risk)とオッズ比(crude odds ratio)の計算、交絡因子によるコ
ントロール、交互作用の考察、感度分析、最後に Abstract と表を作成し課題が終了します。特
にデータクリーニングに膨大な時間を要し、解析用データを作成するのがいかに大変か身を持
って経験しました。かなり労を要する課題で、週末のほとんどをパソコンの前で格闘しており
ました。また、Publishable(出版に値する)な Abstract や図表の作成方法をかなり詳細に教えて
頂けたのは大きな財産となりました。例えば、Abstract の各項目(Background、Methods、Results、
Discussion)に盛り込むべき内容について、細かい点では、論文の英語は出来るだけ受動態は避
ける、などかなり厳しく細かく指導されました。
Biostatistics Methods
統計学に近い分野です。大学教養課程で統計学を履修しましたが、あれから 10 年以上がたって
おり大変苦労しました。しかし、米国の学生さんは更に苦しんでおられたと思います(やはり
理数系の初期教育は米国よりも日本に軍配が上がるようです)。1 年目秋学期は確率、確率変数、
ベルヌーイ試行、ポアソン分布、正規分布、サンプリング、95%信頼区間、p 値の定義、t-検定、
ANOVA、χ2 乗検定について週 3 時間の講義を受講し、週 2 時間の LAB で SAS(統計ソフト)を
使用しながらデータ整理、分析を行いました。1 年目春学期は多重線形回帰分析をメインに学
習しました(幾分 Epidemiologic Methods の講義と重複)
。日本で統計ソフトをほとんど使用し
たことがなかったので授業に付いていけるか心配でしたが、基礎の基から教えて貰えたので、
入学前に勉強しておく必要は全くありませんでした。それよりも、p 値の定義を念仏のように
暗唱し、t-検定や ANOVA を手計算でやらされたのは苦い経験です。今の世の中には SPSS など
素晴らしい統計ソフトが数多くあるので、理論抜きで統計的処理を行う事は可能です。ただし、
1 度理論に触れておく事は、データに流されず正確な情報を読み取る際に非常に大事だと思い
ます。
<Biostatistics Methods のノートより>
Case Studies in Infectious Disease
実際米国で起きた感染症 outbreak(HIV、サルモネラ、麻疹、黄熱病、インフルエンザなど)の
情報に基づき、感染症疫学の基礎を週 2 時間の講義で勉強します。Emory の特長なのですが、
CDC から多くの講師がいらっしゃいました。具体的には、サーベイランス、感染症 outbreak へ
の対応(原因究明、記述疫学、優先順位、仮説検定、感染予防策など)についてです。ワクチ
ン(efficacy や efficiency)についてもある程度深く学びます。よく混同されがちな感染症内科
と感染症疫学は大きな違いがあり、感染症疫学は原因が不明な状況から研究が始まります(感
染症内科は基本的には原因が特定された状態から始まる事が多い)。最近アフリカのギニアでエ
ボラ出血熱の outbreak が起きましたが、最初は「原因不明の感染症」と報道されていました。
その際、WHO などから人員を派遣し原因究明を行い、感染拡大防止を行うなど、感染症疫学
は大変重要な役目を担っています。私はもともと呼吸器を専門にしており、今後市中で原因不
明の呼吸器疾患の outbreak が起こる可能性は十分考えられます。その際、病院だけで治療する
のではなく、サーベイランスを含め公衆衛生機関と密な連携を取り迅速に対応する事が多くの
患者の命を救う事になるのではないかと信じております。授業外で週 8-10 時間くらいの読書、
宿題に追われましたがこの講義は大変勉強になりました。
Epidemiology of Respiratory Infections
日本で呼吸器内科医として 2 年間働いていた経験から、呼吸器感染症に興味がありこのコース
を受講しました。主に米国と発展途上国における呼吸器感染症(肺炎球菌、インフルエンザ、
レジオネラ、MERS、ワクチン、結核、etc)の疫学について体系的に学びます。肺炎による死
亡は発展途上国では下痢に次いで小児の死因第 3 位に位置づけられており、先進国以上に公衆
衛生的に大きな問題となっています。これまでは肺炎=高齢者の病気という認識しかありませ
んでしたので大変良い勉強になりました。また、講師陣もほぼ全員 CDC からいらしていたので、
インフルエンザや新型コロナウイルス感染症(MERS)などについて Timely な情報を提供して
いただけました。
Environmental Health
私たちを取り巻いている環境と健康の関連について週 2 時間の講義で学んでいきました。具体
的には近年問題となる地球温暖化、隣中国で深刻化する大気汚染、中毒学などについて体系的
に勉強します。日本で臨床をしていた頃は診療の環境は院内に限定されていましたが、病気の
原因は主に院外(患者さんの居住環境)や日常使用している殺虫剤、洗剤などにあり、ありと
あらゆる物が人体に影響を与えている可能性があります。医師として物事を俯瞰から見る事の
重要性を気付く事ができました。
Health Policy Management
米国の医療制度、世界各国の医療制度について週 2 時間の講義を受けました。米国医療制度の
具体例として、今旬のオバマケア、メディケア、メディケイド、民間保険制度についてかなり
細かく勉強します。日本の国民皆保険制度と異なり、米国の保険制度は民間に委託されている
部分が多く、そこに連邦や州が主導するメディケアやメディケイドが絡み合って非常に複雑で
す。また医療費も日本の倍以上でとにかくお金がかかります。日本のようにいつでもどこでも
病院を受診する事は不可能で、町のクリニックを受診する際、腹痛や急性上気道炎などでも下
手をすれば数日待たされることもあります。日本の医療制度(ビスマルク・モデル)について
も授業で取り上げられ、米国医療制度と比べて、その長所や短所について議論したりもしまし
た。米国人の学生が日本の医療制度(特に病院へのアクセスの良さ)を非常に感心していたの
が心に残っています。この講義を受講し、自国の医療制度について深く考える事ができました。
さて、ここまでお話したように、大学院でこの 1 年多くの事を学習しました。一見臨床とは関
係ないように見えますが、標準的臨床レベル(ORDINARY LEVEL)を更なる高み(SUPERIOR
LEVEL)にまで引き上げてくれるヒントが公衆衛生大学院には数多くあると思います。そして、
米国で暮らしこちらの学生と切磋琢磨頑できるので、真剣に公衆衛生の勉強に取り組む機会が
得られると同時に、英語環境に身をさらすことも出来ます。将来レジデンシーへのアプライを
考えている方も、大学病院が隣接しているので、大学院と並行して病棟でのオブザーバーシッ
プのチャンスもあります。実際、私も 1 ヶ月程 Emory 大学病院の ICU 回診に付かせて頂きまし
た。熱心に研修すれば推薦状を上級医から書いていただける可能性もあると思います。医学部
で各専門科の教育カンファレンス(Ground Rounds)を毎週行っているので、臨床知識をアップ
デートしていく事も可能です。
ただし、ここで申し上げておきたい事が 1 つあります。何となく留学したかった、臨床に疲れ
たので少し休養したかった、など中途半端な気持ちで公衆衛生大学院に入学するのは控えた方
が宜しいと思います。毎晩夜遅くまで勉強しなければいけませんし、週末のほとんどが宿題に
追われます。英語も大変です。米国の学生は勉強熱心で授業中寝ている人なんていません。学
期中は忙しくて旅行にも行けません。ある程度の覚悟を持って入学される事をお勧めします。
<その他の米国公衆衛生大学院>
私と同時期に米国公衆衛生大学院に御留学されていた先生方に直接連絡を取り、他大学院の情
報を以下に記載させていただきます。ご参考になれば幸甚です。情報提供いただいた先生方に
はこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。
Harvard School of Public Health (Boston)
Harvard 大学の長所は、世界でもその分野の第一人者であるファカルティが多い他に、他学部や
MIT、Tafts などボスト近郊の大学とのコラボレーションがしやすい点にあります。世界中から
優秀でモチベーションが高く、将来各国でリーダーになる学生が集まっており、ネットワーク
が作りやすい点も魅力の 1 つでしょう。しかし、大人数の講義型授業が比較的多く、MPH は 9
ヵ月と短いので深く理解する前に卒業になってしまう、学生が多くファカルティと親しくなる
のが難しいなどの短所もあります。また、ボストンは治安が良い反面、家賃などの生活費が高
いのも有名です。
University of Texas School of Public Health (Huston)
長所としては、Texas Medical Center に近く、テキサス大学の関連医療機関であれば学生は簡単
に研究者として入り込めることです。MPH では少ないですが、博士課程などでは、大学院に行
きながら MD Anderson などどこかの医療機関でリサーチアシスタントとして働いてアカデミッ
クな経歴も作れるというメリットもあります。短所としてはプログラム自体がオーソドックス
でこれといった特徴がない事があげられます。
Yale School of Public Health (New Haven)
生物統計の PhD などが充実している点が特長の1つとしてあげられます。1 学年 125 名程度(う
ち 1 年過程 MPH コースが 20 名)と小規模なので非常に家族的な雰囲気があり、大学院全体と
してのコミュニティが非常に充実しています。図書館やビジネススクールも含め他学部の授業
を含めリソースが非常に豊かという長所もあります。物価は New York や Boston よりは大分安
く、NY に近い(100 マイル、電車で 2 時間程度、車で 90 分程度)のに、家賃等は Boston や
New York の 2/3〜1/2 程度で大変住みやすい街です。また、Joint Degree が充実しており、特に
経営学との Joint Degree は今年から新設され、頑張れば 2 年で MPH/MBA を取得できるので医
師の方におすすめです。大学内ではシャトルバスや公共交通機関が充実しているので、独身で
あれば車は必須ではないのも特徴です。短所としては、New Haven の治安が全米で 2 番目にラ
ンクされている点(ただし大学内のセキュリティはしっかりしている)、小規模校ゆえに公衆衛
生大学院での選択科目としては大規模校よりは絞られる可能性がある点、各国政府から派遣さ
れている学生などはあまりおらず、海外出身の学生は 20-25%程度、2 年過程がメインなので比
較的学生は若いこと、などがあげられます。
Johns Hopkins Bloomberg School of Public Health (Baltimore)
長所としてはやはりブランド力でしょう
(MPH ランキングで全米 No1 にランクされています)
。
公衆衛生学領域では疫学や生物動態学が特に強く、それ以外では医学、生物工学、看護学など
はトップランクで知名度が高いです。リサーチ環境が大変整備されており、連邦の公衆衛生研
究関連予算の約 25%が流れています。学生の外国人比率が高く、多様性があり、専攻分野の選
択肢が多い(一般的な疫学等に加え、感染症、母子保健など様々)のも特色です。オンラインコ
ースも充実しています。また、DC エリアのネットワーク、卒業生ネットワーク、政府系機関、
国際機関、NGO とのネットワークが強固であり、ファカルティの数が多く、臨床研究では John’s
Hopkins 大学病院との提携が盛んである点も魅力的です。短所としては、Baltimore は治安が非
常に悪い点でしょうか。授業の選択肢がかえって多すぎて迷う、クオーター制なので常に試験
に追われる、日本人同窓生のネットワークがあまり強固でない、プログラム期間が 7-5 月の 11
ヶ月と短い点なども短所のようです(海外でのフィールド実習などにじっくり取り組みにくい)
。
<MPH 受験>
諸手続き
School of Public Health Application Service (SOPHAS)のサイト(http://www.sophas.org/)でまずア
カウントを作成します。ログインを行うと受験できる大学院の簡単な情報、必要書類、締切り
期日(多くは 12 月上旬~1 月中旬)の情報を得る事ができます。各々の大学院のウェブサイト
も参考にしながら、受験校を選択して下さい(基本的には複数の大学院にアプライする事、同
じ学校でも複数科を併願する事も可能)
。全ての受験手続きはこの SOPHAS サイトから行いま
す。ただし、Johns Hopkins など SOPHAS に加盟していない大学院もあるので、その場合は別途
アプリケーションが必要になります。医学部の成績証明書(英語)、推薦状(最低 3 通)、履歴
書、志望動機書、TOEFL スコア、Graduate Record Examination (GRE)スコアの提出が必要でした。
特に成績証明書は米国の World Education Service (WES)(https://www.wes.org/)という機関で
review を受け米国基準での Grade Average Point (GPA)に換算する必要があり 1-2 ヵ月時間を費や
す可能性があります。入学審査は全て書類審査のみで実際現地に行ってのインタビューなどは
一切ありません。
TOEFL 受験
全ての International Students に TOEFL もしくは ILETS スコアの提出が課せられます。
TOEFL(iBT)の基準点数は大学により異なります。多くは 80 点以上、トップスクールと言われ
る学校は 100 点近い点数を要求してきますが、多少これより低い点数でも合格は可能だと思い
ます。あくまで英語力、志望動機書、推薦状、履歴書の総合評価なので基準点に満たないから
即不合格という訳ではありません。ただし、100 点以上要求されているのに 90 点にも満たない
状況で受験するのはさすがにどうかとは思います。
GRE (General Test) 受験
GRE (The Graduate Record Examinations)とは米国やカナダの大学院へ進学するのに必要な共通
試験です。部門は Analytical Writing(論文)
、Verbal Reasoning(英語)
、Quantitative Reasoning(数
学)の 3 つです。私自身、仕事が忙しく GRE に時間を割く余裕がほとんどありませんでしたが、
数学の問題集(たしかカプランの NEW GRE MATH WORKBOOK)を 1 冊だけ 2 週間程で解い
て対策をしました。真面目にやれば数学はほぼ満点近い点数を取れると思います。論文と英語
は私自身全く準備をせず受験したので散々でした。これらは米国人学生(Native English Speaker)
の英語力をみる試験なので、私たちのように英語が母国語ではない学生にとって非常に難しく、
1-2 ヵ月の付け焼刃の勉強でどうこうなるものではない印象でした。大学院側も International
Students の場合数学の点数以外はあまり重視しないという噂もあります。ただし、Verbal 用の単
語問題集は N プログラム 1 次選考会の単語テストの良い対策になるかもしれません。GRE の概
観を掴みたい方は、予備校 AGOS が出版している下記対策本を一読される事をお奨めします。
「大学院テスト対応版 大学院留学 GRE テスト 学習法と解法テクニック(アルク出版)」
推薦状
受験校と本当に強いコネクションがある方に書いてもらうのがベストだと思いますがほとんど
の方にとってそれは難しいのではないでしょうか。私自身は当時勤務していた病院の上司、院
長、理事長の 3 人(全員日本人)の先生方に書いていただきました。マッチングに提出する推
薦状と比較すると重要度が非常に高い印象はありませんが、それでも出来るだけ公衆衛生学の
バックグラウンドがあり米国人の方に書いて貰えるよう努力はすべきだと思います。
志望動機書
これが大学院受験で最も重要です。正確な英語を使用するのは勿論大事(教養のある米国人に
履歴書と共に何度も添削して貰って下さい)ですが、それ以上に内容が「make sense(筋が通っ
ている)
」しているかどうかが評価されます。個人の肩書よりも入学をして何をしたいのか、ま
た公衆衛生を学んでそれが将来のキャリアとどう結びつくのか、個人が大学院に何を貢献して
くれるのかを内容に盛り込む事が大事です。これは大学院受験のみならずマッチングも含め全
てに当てはまる気がします。自分自身を論理的に説明できるように準備しておく必要がありま
す。
学費
非常に高いです。2 年間プログラムで 5-6 万ドルが相場です。単身で渡米する場合は生活費を含
めると 10 万ドル(日本円で 1000 万円)必要です。ただし、多くの奨学金プログラムが日本に
はあるので、それを利用する手は十分あります。将来お金持ちになって高級車を 1 台買うと思
えば、米国での MPH 取得は大変意義がある自己投資ではないでしょうか。
<最後に>
臨床留学を志す若い先生方に MPH 取得をお勧めする理由として、疫学・統計学のバックグラ
ウンドや医療政策、環境医学、国際保健など、日常臨床と比べ広い視点で医療を概観する能力
は臨床医として成長していくためには必須であり、また日本人医師が米国で研修を終え、特に
上級医師として活躍するためのアカデミックキャリアにも生きると考えられるからです。米国
に来て何となく感じる事を申し上げると、米国での日本人医師像ですが、臨床は勿論のこと研
究を行える人材として期待されているようです。特に日本人研究者は真面目で精密で勤勉に仕
事をするので米国ではかなりリスペクトされています。公衆衛生大学院で学んだアカデミック
バックグラウンドは上級医として米国に残る際、皆さんの大きな武器になるかもしれません。
そして何より、医師だけではない様々な人種、年齢層、バックグラウンドの方々と知り合える
事は一生の財産になると思います。
<10K レース後>
<クリスマス食事会>
今回は USMLE 対策、英語勉強、マッチング対策について情報提供する事ができませんでした。
しかし、最後に 2 つだけお伝えしたい事があります。
①周りに流されずひた向きに(健康や家族など人間としてのバランスを失わない程度)頑張り
続けていれば、いつか誰かが必ず手を差し伸べてくれます。
②まずは渡米して下さい。色々な物が見えて来ると思います。
西元慶治先生にお会いし、N プログラムのおかげで自分はアメリカで医師として働くチャンス
を得る事ができました。私 1 人の力では到底なし得なかった事です。先生を含め色々な人から
のサポートがあり今の自分がある事を胆に銘じ、米国で一所懸命頑張って来ようと思います。
ありがとうございました。
何か御質問があれば以下まで御連絡下さい。
石川源太
[email protected]