1.マンガの名作『PINK

現代の日本マンガに見る社会問題
オールウィン・スピーズ(立命館大学)
1.マンガの名作『PINK』
近頃、日本のマンガが世界で爆発的な人気を得ている。それが一つの原因となり、日本
のポップカルチャーを勉強したいと思っている人も増加している。また、北アメリカやヨ
ーロッパの大学では、原作でマンガを読みたいがために、日本語を勉強し始めた生徒も少
なくない。大学で大衆文化を研究することの良し悪しをここで論じるつもりはないが、マ
ンガを読むことは、日本の社会を考えるための一つの方法であると私は考える。ここでは、
日本のマンガ界の現状やマンガという媒体の視覚的な構造を紹介するにはスペースに限り
があるので、一つだけマンガのストーリを取り上げてご紹介したい。日本という国、そし
てこの国が今抱えている社会問題などを考え、また議論するためのテキストとして、日本
でも物議を醸していた岡崎京子のマンガ『PINK』を選んだ。
岡崎京子のマンガ『PINK』は、1989 年2月から7月まで『NEW パンチザウルス』という
雑誌に連載された。その後、1989 年9月に単行本として刊行されたが、2002 年9月まで
に、38 回も増刷した。作品の舞台は 80 年代の東京と設定しているが、今日の日本にもつ
ながりのある作品である。岡崎京子は 1996 年に事故に遭って以来、執筆を中止している
が、その人気は未だに衰えを見せていない。
単行本の帯に書いてある「愛と資本主義」からも窺えるように、『PINK』はジェンダー
と日本の消費文化をテーマにした作品である。岡崎氏は後書きにも明白に書いているが、
『PINK』のテーマは「すべての仕事は売春である」と言うことだ。一見、『PINK』は現実
では起こりえない、エログロの大衆娯楽作品に過ぎないと思われがちだが、よく読めば、
岡崎氏はこの作品を通して、愛と売春と「女」とはどういう関係にあるのか、どういう意
味を持っているのか、などの疑問をわれわれの前に突き付けているのである。さらに、資
本主義が日常生活やアイデンティティとどう関係しているのかを問い掛けているようにも
思える。
主人公ユミは 23 歳の OL で、東京で生まれ育った裕福な家庭のお嬢さんである。子ども
の頃に母親を亡くし、継母(ままはは)とは不仲のため、一人暮らしをしている。バブル
の時代だったので、そこそこの給料をもらっているし、父親からの仕送りもある。しかし
欲しいものを買うのに、また可愛がっているワニを飼うには相当な経済力を必要とする。
そのために、ユミは夜のホテトル嬢のアルバイトもしている。岡崎氏の言う「愛と資本主
義」はユミのワニに食べさせる肉を買うため、自分の肉体を売る行為にも反映している。
ここで言う「資本主義」とは「肉」の循環や消費のことを指している。資本主義を「肉の
循環」として考えるなら、「すべての仕事は売春」になる、と岡崎氏はほのめかしている
ように思われる。
例えば、ユミの彼氏―ハルヲは小説家を目指しているが、金銭の必需性からユミの継母
(ままはは)の愛人になる。ユミは最初継母(ままはは)を嫌がらせるためにハルヲを誘
ったが、その内に、本気でハルヲに惚れてしまう。ハルヲはお金のために継母(ままはは)
とセックスし、またその継母(ままはは)はお金のためにユミの父親と結婚する。つまり
二人とも自分の肉体を金銭に換えているのである。そして結婚はその取引のための市場に
なる。ユミは毎月継母(ままはは)からお金をもらいに行くたびに、結婚しろとうるさく
勧められる。だが、ユミはいつもそれを拒み、自分の肉を売り続ける。継母(ままはは)
から見れば、ユミは「煮ても焼いても食えない娘」
(『PINK』37 頁)である。
作品の中で、「肉」を巡るシーンがいくつかある。例えばクライマクスのところで、ハ
ルヲがやっと小説を完成し、ユミと一緒に豪華なレストランへステーキを食べに行く。留
守中に、継母(ままはは)に雇われたチンピラ達がユミのワニを盗む。継母(ままはは)
が自分のペット―ハルヲをユミに取られたことの復讐として、ユミのワニをカバンにする。
数日後、ユミがそのカバンを受け取り、これで「肉」の消費周期を終えることになる。
ここからストーリーが雪崩のように展開していく。ハルヲは文学賞を取り、ユミと南の
島へ脱出しようとする。ユミは会社とホテトル嬢のバイトを辞めるが資本主義の循環から
結局脱出することができず、その上に愛するハルヲを交通事故で失う。ハルヲの事故をま
だ知らないユミがワニのカバンを持ち、空港でハルヲを待つのが作品の最後のシーン<画
像>となる。
このように、『PINK』は極めてアンハッピーな結末として設定されている。しかし、雑
誌バージョンでは単行本とは全く相反するハッピーエンドになっていた。岡崎京子はなぜ
単行本でこのような結末に変えたのかは不明であるが、このアンハッピーエンドにはいく
つかの意味があると考えられる。例えば:
1) ユミはあまりにも男に依存しているので、その彼女を戒める。
2) 資本主義社会は男社会なので、女性が不運になるのが当然である。
3) 社会が制御できない性行為を許せないことを読者に思い知らせる。
4) 従来のラブストーリを批判する。
5) 従来の漫画ジャンルの区分けに異議を唱える。
6) 資本主義の消費周期の無限性をより露呈させる。
そして作品の結末に対する描き方の変化によって、ピンクという色の象徴的意味も変化
する。単行本におけるピンクは、女性性(女らしさ)
、女性労働(OL、売春、人妻)
、その
労働の結果(花、肉)、女性の経済力、女性の欲望(性的、経済的、感情的)、自己愛、自
信、あるいは、女性の肉体などを意味するものと考えられる。
このように、一つの解釈に固定されず、また一つのジャンルに固定されないことは
『PINK』という作品の魅力であり、空間を超越し、いつの時代でも論議される作品となり
得た原因でもある。これこそ、名作の力であると私は思う。