牧師のデスクより ローマ書 11 章 25〜36 節 神の選びと救いの確かさ 使徒パウロは 11:29 で「神の賜物と招き(召命)とは取り消されることはな い」と力強く宣言する。神は、ご自身の意志と計画によって選ばれた民を決して 捨てることはなさらない、ということは、神の選民イスラエルに対する使徒パウロ の確信であった(11:2)。 イスラエルは、主イエスをメシアとして受け入れることを拒み、その心の頑な さと罪の故に、今、神の裁きの下にある。そして今、彼らは神に捨てられている ように見える。しかし、彼らの不従順は、決して彼らの究極的な遺棄、最後的な 滅びを意味しない。神は選民イスラエルを完全に捨てられたのではない。彼ら が今倒れているのは、彼らの不従順と罪過によって、かえって、救いが異邦人 に及び、更にそれによって、イスラエルを奮起させるためなのである。神はイス ラエルの罪を世界の祝福に変え、彼らの失敗を異邦人の祝福に変え給うた。 その神は、やがて背信のイスラエルをも再び恵みの中に回復されるであろう、と パウロは言う(11:11〜12、25〜26 節)。 パウロは、歴史におけるこの神の不思議な救いの御業を「神の秘められた計 画(奥義)」と呼ぶ(11:24、エフェソ 1:10、3:3〜6)。この世界と人類に対する 神の深遠な救いのご計画である。使徒はパウロは、ローマの異邦人キリスト者 たちに、歴史に展開されていくこの神の不思議な摂理のみ業を悟るようにと言 う。 確かに、今のところ、多くのユダヤ人は福音に対して敵対している。しかし、 それはいつまでも続くのではない。それは異邦人の救いの完成するときまでの ことである。キリストの福音が全世界に宣べ伝えられ、多くの異邦人がキリストの 恵みにあずかり、その救いが完成するとき、その時、イスラエルもまた、神の民 として回復され救われるのである、とパウロは言う(11:25〜26)。こうして彼は、 預言者としての透徹した霊的洞察力をもって神の歴史支配の不思議さ、世界 救済の御業を認識し、それを私たちに開いて見せるのである。 この神の歴史支配、救済のみ業の不思議さを悟ったとき、人は、使徒パウロ と共に深い感動をもってこう叫ぶ以外にない。「ああ、神の富と知恵と知識のな んと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう」 (33 節)。使徒が続けて語るように、実に「すべてのものは、神から出て、神によ って保たれ、神に向っている」のである(36 節)。この世界も歴史も神の摂理の 御手の中にあり、この私という存在の救いも、この私の人生もその恵みの御手 の中にある! この神こそ、イエス・キリストにおいてご自身を啓示された神であり、私たちの 罪の「贖い主」また人生の「主」であられ、その聖にして善なる主権をもって、私 たちを日々守り導いてくださるお方であろ、ということを悟るとき、私たちはいか なる時にも喜びと平安、希望と確信をもって生きることができる、この確信こそ 人生の揺るがない土台となるのである。 第9章から 11 章にわたって記されている同胞イスラエルの罪と救いに対する 使徒パウロの情熱を込めた陳述は、世界の創造者であられ、歴史の支配者で あられ、また世界の救済者であられるこの神への熱烈な頌栄の言葉でおわる。 「この神に、栄光がとこしえにあるように。アーメン!」(36 節)。
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