73号

「唐丹希望基金 2016」EEC 通信 73 号
2016-8
長善寺
仏教婦人会研修会
1,日 時
2016 年 7 月 6 日(水)10 時~12 時
2,会 場
長善寺(盛岡市上飯岡 15-2
3,講 演
「東日本大震災 5 年を振り返る」~ハソウと共に鎮魂の歌を歌う~
4,講 師
Tel:019-659-2550)
・高舘 千枝子
唐丹希望基金代表
・坂口 憲一郎
岡山市・ハソウを楽しむ会
講演と「鎮魂の歌」の流れ
時
間
10;00~
内
次
11:30 ~
11:45 ~
司会 中村 美智子
1、開会の辞
晴山 明子
2、お経・法話
長善寺 方丈
3、会長挨拶
藤沢 拓子
講
10:30~
11:00~
第
容
演
1、
「唐丹希望基金」の危機を救った数々の奇跡
高舘 千枝子
2、
「鎮魂の歌」と共に歩む
坂口 憲一郎
「鎮魂の歌」リハーサル
ハソウと共に
(休憩)
担当者
1、 ピアノ(鎮魂の歌:ワンフレーズ弾く)
「鎮魂の歌」を歌う ・曲紹介(2012 年 9 月→エス版翻訳→世界へ)
ピアノ:豊巻 敏子
高舘千枝子
・ハソウへの想いを語る。
2、 「エス版:鎮魂の歌」 1 番
高舘 千枝子
・ハソウ(黙祷)が消えたら、歌い始める。
ハ ソ ウ 入 る
・最終小節
laani moien
paradiz
ハソウ
坂口 憲一郎
3、ハソウ消→ピアノ(鎮魂の歌:ワンフレーズ) 堀 泰雄
「東日本大震災の想いを世界へ発信」 (メッセージ) 中村 美智子
4、 ハソウ→ピアノ→1 番、2 番まで歌う
坂口 憲一郎
5、 ピアノ(鎮魂の歌:ワンフレーズ弾く)
堀 泰雄
「鎮魂の歌への想いを語る」
(メッセージ)
歌 全員
赤澤 典子
6、 ハソウ→ピアノ→3 番を歌う→ハソウ(黙祷) 坂口 憲一郎
堀 泰雄
歌 全員
12:00
閉会の辞
才川 洋子
仏教婦人会研修会を終えて
藤沢拓子(長善寺仏教婦人会長)
過日、7 月 6 日の仏教婦人会研修会の
際は、ご多忙の折にもかかわらず快くお
引き受け下さいまして、今迄にない新し
い型の研修、講演会になりました。坂口
氏の「ハソウ」の、もの悲しさの中に
も、亡くなられた多くの尊い人達への心
の底からの悲しみ、悼みを存分に鎮魂の
歌と共に演奏して下さったあの感動は、
会場一体となって、全会員の心の奥深
く、しっかりと刻みこまれたものと信じ
ております。高舘さんの素晴らしいお話
しと歌唱指導、皆をしっかりとらえて離
さないお力には感服いたしました。後方
の席の方たちはハンカチで涙をおさえていた会員も数名いらした、ということでした。‶鎮魂の歌″の大合唱に
は、大災害から立ち直ってほしいという勇気と力をも合わせ、私たちに大きな力を与えてくれた心の底からの
思いがこめられていて、終わった後感激致しました。ありがとうございます。
「鎮魂の歌」への登録を希望します。参加人数は約 75 名程でした。
唐丹希望基金代表 高舘千枝子さんの講演会、企画・実行・当日を迎えるまでの感想を綴ります。
○研修会趣旨、企画
2011 年 3 月 11 日「東日本大震災」から今年で 5 年余りの時間が流れようとしています。今尚、大変な生活
を余儀なくされている方々が沢山おられることは、新聞、ラジオ、テレビ等で皆様よく、ご承知おきのとおり
であります。こうした中で、特にも大震災で大切な親を亡くした災害遺児への皆さんへの励ましの為に、釜石
市唐丹小・中学校の子供たちへの「希望基金」を立ち上げたり、又、復興への道のりが途切れないように、と
の祈りを込めて、犠牲者に捧げる歌‶鎮魂の歌″を、世界中に呼びかけて広めている高舘千枝子さんに復興への
思い等について、記念講演をしていただき、会員の見聞を広める機会としたい。
○実行
事前の式典として、講演会に入る前に、和尚様から般若心経唱和と追悼に寄せる法話(お話し)を頂戴す
る。加えて、熊本・大分地震の犠牲者と被災者に追悼の祈りを捧げた。
○当日を迎えるまでの感想
当日講演して下さる高舘千枝子さんが、
「岡山ハソウを楽しむ会」代表の坂口憲一郎氏をお連れしますの
で・・・。という知らせに、びっくり致しました。実は、坂口氏は、今年 3 月 3 日の NHK ラジオ深夜便の放
送午前 4 時から 40 分間「明日への言葉」の放送で、デイレクターとして出演なさっており、高舘さんとの 40
分間の対談の中で実に、東日本大震災の事でくわしく、良いお話を高館さんと交わしたデイレクターさんだっ
たのです。そして、いよいよ前日、ご挨拶にということで我が家に夕方来られました。高舘さん、坂口氏、堀
さん、伊藤さん、等々が見えられ、お茶でひとやすみの後、ピアノに合わせて「鎮魂の歌」と「ハソウ」を合
わせ、リハーサルを行いました。初めて拝見した備前焼の「ハソウ」という器にふれ、音を出してもらい、何
とも表現しがたい心の底に静かに、しみわたる、もの悲しくも荘厳な響きに感動を覚えました。
講演会当日は、多くの仏教婦人会員が出席致しましたので皆さん「ハソウ」には、少々、驚かれたのではと
思っています。でも高舘さんによる全体合唱指導はとても感動を覚えました。会員一人一人の胸の中に、しっ
かりと「鎮魂の歌」が刻みこまれたと信じています。そして、ピアノの BGM の流れる中での唐丹希望関係者
のお一人、赤澤典子さんからのメッセージ朗読、呼びかけ、仏教婦人会を代表して副会長の中村美智子さんか
らのメッセージ、共に胸にぐっと来るものがありました。「私達は今も、これからも、この悲しみを忘れること
はありません。そして、この悲しみの中から得た教訓を長く後世に伝えていくことを、ここにお誓いします。
残された人々に、勇気と力が与えられますように」そして、3 番の歌詞を歌い、終了いたしました。
当日は唐丹基金関係者が遠く、岡山、群馬、仙台、盛岡、矢巾町などから約十名の方々がご来場下さり、大
変、心強く、うれしく感じました。皆様、本当にありがとうございました。何のおもてなしも出来ず、行き届
かなかった事を、紙面をお借りしてお詫び申し上げます。
今回の研修会は会員の見聞を広め、未曽有の東日本大震災について考える良い機会だったと思っています。
子供を産み、育て、世話をして社会に出してやるのは女性の力、平和な家庭づくりの礎をつくるのは女性で
す。高舘さんの心の底に流れている将来ある子供たちへの思い、愛情がこの大きな希望基金となって花開いて
いるのだと深く感じました。
岩手県盛岡市長善寺演奏
ハソウと共に歌う「鎮魂の歌」
~鎮魂の笛壺・平和の笛壺を吹き鳴らそう~
坂口
憲一郎(岡山 ハソウを楽しむ会)
盛岡、東京から岡山に帰り、7月12日1本の映画を見た。30年近く取材をさせて戴いた倉敷市在住の永瀬 隆
さんのドキュメンタリー映画「クワイ河に虹をかけた男」である。クワイ河は、タイ国に流れる川。映画「戦場
にかける橋」のモデルになった所である。
日本軍は、タイとビルマを結ぶ重要なルートとして415キロの区間を、わずか1年3ケ月ほどで完成させた鉄
道で、動員された英連邦の捕虜6万8000人と20万とも30万ともいわれるアジア各地の労務者が建設にあ
たり、焦熱地獄の過酷な気象条件とマラリアやチフスが、人々を襲い、鉄道の枕木1本に、一人が亡くなり「死
の鉄道」といわれた。
永瀬
隆さんは、憲兵隊通訳として捕虜の取り調べに立ち会った。日本軍降伏後、連合軍の案内役を命令され、
沿線の墓地埋葬調査に同行。現場で、初めて日本軍の行った行為、戦争のむごたらしさを知ることになる。さら
に10万人の日本兵が日本に引き揚げる時、タイ国政府が、一人一人の飯盒に、コメと砂糖を支給してくれたこ
とを責任者の永井海軍少佐から打ち明けられる。日本兵が国に帰っても、食べる物もない状態だろうからとタイ
国が支給してくれたという。このことは永瀬さんしか知らないこととなる。というのは、永井海軍少佐は、最後
の引き揚げ船で帰る時、多くの兵を死なせた責任を取り、船から身を投げたと戦友から聞かされ、あれは永井海
軍少佐の自分に託した遺言なのだと思う。
その後、タイ国への恩返しと慰霊のため、海外渡航が許されるようになった1964年以降、135回、タイを
訪れ、貧しい子供たちへの教育支援を行ってきた。また、現地にタイ式の寺院を建立し、敵味方を超え、戦争で
亡くなった方の慰霊を続けてきた。
永瀬さんも、2011年6月、93歳で亡くなられた。
戦後50年の1995年、永瀬隆さん、青山学院大
学教授の雨宮剛さん、国際基督教大学副学長の斉藤
和明さんの3人が呼びかけて始まった「英連邦戦没
捕虜追悼礼拝」が、今年も、8月6日(土)午前11
時から、横浜市保土ヶ谷区狩場町の英連邦戦死者墓
地で行われ、永瀬
隆さんから託された「平和と和
解のメッセージ」が、世界へ発信される。映画「ク
ワイ河に虹をかけた男」は、東京では、8月下旬か
ら上映される予定。
映画の後半部分、永瀬さんの葬儀に寄せられたイギ
リス人捕虜で、和解して親友となったエリック・ロ
マックスさんの弔電代読をしている私もまさか出て
くるとは思いもよらずびっくりしました。
備前焼 須恵「ハソウ」
石川勲子(岩手県盛岡市)
2016.3.3 NHK 深夜便を偶然、聴きました。そして、心を込めた美しい歌声が流れてきました。
みひかりの国
安らぎたまえ
うるわしの花
ひらかせたまえ
みたまよ みたま 安らかにあれ 安らかにあれ と
私は、すぐ NHK に電話をして唐丹希望基金に協力したいと、高舘さんの電話番号を教えてもらいました。
7 月 6 日、坂口デイレクタ-が来県して、備前焼のル-ツである須恵器で出来たハソウという楽器と共に
「鎮魂の歌」を歌いましょう、と お誘いを受けました。私はその当日、雨がザア-、ザア- ふる日でした
が、前夜、地図で目的地である長善寺をしっかり見て、手書きをして車を走らせたのですが、信号を間違え
たようで、湯沢団地に行ってしまいました。開始 5 分前に到着して皆さんと揃って、黙祷出来てほっとしま
した。それから、会が進み、いよいよテーブルの上に不思議な形のハソウが 6 つ飾られ、いよいよ初めての
体験です。
どんな音かな、どんな響きかな、と待ちました。それは、私の耳に神秘的に心に深く浸み込まれるようで
した。いにしえの空間に誘われて精神的に満たされた気持ちになりました。この音は、悠久の世界へ誘って
くれました。そして、鎮魂歌は一層、高尚なものとなりました。
ありがとう高舘さん、私も歌えました。
高舘さんが、皆を魔法にかけたみたいに、歌いあげるために全員の心と心、一人一人をまとめてくれました。
合唱の経験者は、ポツリ、ポツリしかいないのに「さあ、その方はみんなをリードして下さい」と言いなが
ら、高舘さんは、グイ、グイと皆を集中させて指導していきました。あっという間の本番です。そこで、も
っとすごい事が・・・・全世界共通語であるエスペラント語で高舘さんが独唱したのです。私はすごいと思
いました。また、メッセージが合間に二度入ります。これまでの道、今を生きている事への感謝、追悼の言
葉を・・・。そして、ゆったりと祈りを込めて、静かにハソウの響きが・・・。
こうした構成は歌う人、聴く人の心を捉えています。
すごい と思いました。 私でも歌えました。
高館さん、仲間に入れて頂いてありがとう!
こうして、天におられる方々に、歌とハソウを通して届いた
ことでしょう。
歌い終わって、とても、達成感で胸があつくなりました。
盛岡市長善寺仏教婦人会研修会
2016 年7月6日
堀 泰雄(群馬県前橋市)
7月6日、盛岡市の郊外、上飯岡町にある長善寺で、仏教婦人会研修会が行われ、そこへ高舘さんと NHK ラ
ジオ深夜便のディレクター坂口健一郎さんが招かれて話をすることになった。ついこの間も岩手に行ったばかり
なので、初めは参加する気持ちはなかったのだが、盛岡市で親しかった佐藤勝一さんの遺品の整理もしたいと、
二つの用事を合わせて参加することにした。
「研修会」のテーマは「東日本大震災5年を振り返る ―ハソウとともに『鎮魂の歌』を歌う―」である。
講演する高舘千枝子さん
「鎮魂の歌」は、岩手県公立学校退職校長会が募集した歌詞の中から、千葉隆男さんの歌詞が選ばれ、それに
太田代政男さんが曲をつけ発表されたものである。これが新聞で発表されたころは、
「唐丹希望基金」の募金額も
激減し、大ぶろしきで始めたこの運動もこのままこのようなみじめな状態で終わってしまうのかと、高舘千枝子
さんは大いに悩んでいた。
「お金が集まらないのなら、せめて大震災を忘れないようにこの歌を広めよう」と考
え、私に楽譜を手渡したのが 2012 年の秋だった。
私は楽譜が読めないので、良い歌かどうかの判断が出来ず、それを 10 月の北海道エスペラント大会の時に合
唱運動をやっている牧野三男さんに手渡した。牧野さんは良い歌だと思ったのであろう、エスぺラントの歌の翻
訳で有名な大阪の小西岳さんにすぐ送った。すると、数日も経たないうちに、歌詞のエスペラント訳が送り返さ
れてきて、更に、今は亡き西川悟さんが、初音ミクという楽譜から歌に変換するソフトで You Tube に掲載し、
そのことを私がエスペラントで世界中の友人に送ったので、たちまち世界の人の知るところとなった。一つの流
れは、カナダの日系人でエスぺランチストのイシュトク幸子さんから、日系人の大正琴グループに渡り、それが
今度は京都の大正琴グループに伝わっていった。その流れは、今は、合唱、オカリナ、更には交響楽の楽譜にし
ようか、などという拡がりになっている。
もう一つの奇跡的なつながりは、岡山県の赤穂線から始まった。2013 年秋、岡山県に住む NHK ラジオ深夜便
のディレクター坂口憲一郎さんは、好きな備前焼の窯元を訪れたあと、赤穂線に乗った。空いていた席は、ボッ
クスシートの一つで、残りの 3 つの席には年配の女性が何やら楽しそうに話していた。彼女たちは、岡山市での
エスペラント例会からの帰り道で、エスペラントを話題にしていたのだ。深夜便への出演者をいつも探している
坂口さんは、
「もしかしたら誰か該当する人がいるかも」と思ったのであろう。2 人が降りて一人残った島津泰子
さんに「誰か良い人を紹介してほしい」と頼んだ。
「それなら堀さんでしょう」と、島津さんは私の名前を挙げ、
坂口さんは 2013 年 10 月の第 100 回日本エスペラント大会(東京江戸川区)に私を訪ねてきた。
その後、坂口さんは、編集会議に、私を出すべく企画書を出したのだが、継続審議に。しかし翌年、再提案し
て、今度は採用されて、2015 年 1 月 7 日、私は「ラジオ深夜便」に出ることが出来た。一年遅れになったが、そ
れはまた良かった。というのは、その間に唐丹支援の運動も発展したし、父の戦争体験の新しい事実を発掘でき
たりしたので、内容がだいぶ濃くなった。
しばらく経って、坂口さんからメールが来て「高舘さんを出したい」という。
「大歓迎です!」と、高舘さんの
素敵なイメージを坂口さんに刷り込み、2016 年 3 月 3 日に、高舘さんの声と歌声が全国に響いていった。高舘さ
んの放送内容は、直接震災支援に関係していたので反響が大きく、支援者がまた増えた。今回の「研修会」への
講師要請も、盛岡市上飯岡の藤沢拓子さんがこれを聞いたことがきっかけである。彼女は、録音したものを暗記
するほど毎日聞いているという。
その後、研修会の内容を決める段階で、高
舘さんの講演、
「『鎮魂の歌』を全員で歌う」
ことのほか、坂口さんを呼んでの講演、更に
「合唱」にハソウの演奏も加えるというこ
とになった。ハソウというのは、5~6世紀
の須恵器の焼き物で、主に西日本の古墳か
ら出土する。写真は、ハソウを紹介する坂口
さんだが、手に持っているのがハソウで、変
なところに穴がある。考古学者の間では「酒
器」ということが定説になっているが、この
穴に口を付けて吹くとホラ貝のような音が出る。松本清張小説には「笛壺」という名前で出てくるという。備前
焼の陶工好本敦郎さんがこれを復元し、坂口さんが「岡山はそうの会」を作りこの普及に取り組んでいる。高舘
さんは、岡山に行ったときにこのことを知り、いたく感激、
「鎮魂の歌」にこれを取り入れることを思いついた。
さっそく好本さんに注文し、世界の笛演奏者の私も 2 万円で一つ購入した。そして、この「研修会」での「鎮魂
の歌」合唱に、2 人で吹くことになったのである。
「研修会」では、高舘さんが「
『唐丹希望基金』の危機を救った数々の奇跡」と題して、エスペラントとのつな
がり、深夜便とのつながりなどを話し、坂口さんは「『鎮魂の歌」とともに歩むハソウ」と題して、赤穂線での出
会い、ラジオ深夜便出演者からもらった良い言葉などを話した。その後、参加者全員で歌の練習をし、YouTube
へ載せるための映像をビデオで撮った。この撮影をしてくれたのは、群馬県高崎市の社会福祉法人「新生会」の
職員の柳沢智弘(ちひろ)さんである。新生会の理事長は原慶子さんと言い、群馬で結成された反原発の組織の
結成準備会で私が出会ったのがきっかけで、その後機関誌の「新生」に、唐丹支援のことなど 2 回書かせてもら
った。その縁で、若い職員の柳沢さんに、唐丹の DVD などの製作をお願いしている。先日その新生会に高舘さ
んが訪問し、原理事長にも会ったのだが、その時知った驚くべきことは、柳沢さんが「仕事として」唐丹の DVD
を作っているということだ。おまけに「人間を大きくするために『研修会』に出張で行ってきなさい」と言われ、
理事長の甥の原孝洋さんと一緒にこの研修会に参加したことだ。今ブラック企業がはびこり、労働者を削り取り、
死に至るまで搾取し尽しているが、
「大きくなるように」と、新生会の仕事に直接関係ないような DVD 作りを仕
事としてやらせてくれ、
「研修会」に出張させてくれる会社があるのは信じられないことで、これには本当にびっ
くりするし、感動もした。こんな会社が増えれば、日本も本当に善循環社会になるのだが。
その他、この研修会には参加できなかったが、朝日新聞釜石市局長の山浦さんが、前の日の高舘邸での懇親会
に参加してくれたことや、やはり前の日のリハーサルで仏教婦人会の藤沢さんの家で旦那さんと出会ったこと、
藤沢さんの岩手弁のきれいだったことなど、様々な新しい出会いが生まれている。
「唐丹希望基金」は、連続的に奇跡的が起こり生き残って、2020 年までの支援を確実なものにしているが、こ
れに関わったことで、関わった人たちの人生を本当に大きくしている。
「希望基金」は善循環の基地(埼玉県幸手
西中学校校歌の歌詞の中の言葉、エスぺランチスト安積得也作詞)になっている。最近下の標語を作ったが、ま
すますこれが本当になってきた。
唐丹希望基金は「愛のあいうえお運動」だ。
世の中に あいの花を咲かせる運動だ。
子どもたちに いきる力を与える運動だ。
震災を忘れないために うたを広げる運動だ。
素晴らしい えがおを広げる運動だ。
世界に広がる おおきな運動だ。
盛岡市長善寺奉納:ハソウと共に「鎮魂の歌」
(水色の○をクリックしてきいてください。
)
「東日本大震災5年を振り返る」
ハソウと共に鎮魂の歌を歌う
赤澤典子(盛岡市)
この度は、長善寺さんの仏教婦人会研修会に参加させて頂きましてありがとうございました。
皆様とともに集い、平安を祈ることが出来ましたことを、大変有難く思っております。
被災された人を見過ごす事のできない 高舘さんの熱い心からの行動は、多くの周りの人を動かし、
その輪は大きくなっているように思います。
支援して下さる方への感謝の気持ちが、さらに交流を広げているように思います。
想えば、平成 23 年の 3 月 11 日、思いもかけない激震は「命」を身近に感じた瞬間であったと昨日のよ
うに思い起こされます。打ちのめされたようなあの時、
「日本ガンバレ」,「東北を、岩手を応援します」と
いう力強いメッセージを知り、勇気を与えられたことを想いだします。
「鎮魂の歌」からは、御霊よ、安らかにという願いと震災当時の情景と想いとを忘れずに伝えて行こうとい
う願いが、強く伝わって参ります。今日は、坂口憲一郎様、堀 泰雄様の「ハソウ」という楽器の演奏が加
わり「鎮魂の歌」は、さらに想いが深くなったように感じられました。
これからも支援の輪が広がり、世界との交流が出来るようになるならば、世界の平和につながる事が出来る
のではないかと思いました。
人は、支援してくれる人がいると思うことで、心が強くなるように思います。
唐丹中学校の生徒さんを「彼ら自身が、明日へ向かって歩む後押しになれば」と支援している人たちが
多くおられることを思うと心が励まされます。
今日は、素晴らしい出会いを頂きまして、ありがとうございました。
この会では、藤澤拓子様とお目にかかれ、懐かしくお話をさせて頂きました。
また、唐丹希望基金の方々と、少しの時間ですが、お目にかかることが出来ましたこと嬉しく思いました。
お集まりの皆様も、お元気でお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。
「ハ ソ ウ と 歌 う」
伊藤富美子(群馬県高崎市)
初めて「鎮魂の歌」を歌ったのは、2012 年 3 月 13 日釜石市唐丹町の盛岩寺の本堂でした。
☆「鎮魂の歌」釜石市唐丹町盛岩寺演奏、横浜演奏 牧野 三男
・http://youtu.be/vfiqSJchsdQ(盛岩寺演奏)
☆2013年「鎮魂の歌を歌おう」特集Ⅲ
「3・11に鎮魂の歌を歌おう」演奏会場
―2013・02・24 現在(登録順に掲載)―
・http://www10.plala.or.jp/yasnoli/eec/requiem_003.pdf
震災 1 年目。半壊した本堂が修復半ばでしたが、合唱するだけの人数が入れるようになり、海に向かって亡
き人の魂を鎮めようと「鎮魂の歌」を歌いました。
今回、7 月 6 日には 5 年目の今年、創建 500 余年の古刹 長善寺で古楽器 ハソウと共に歌いました。合
唱した婦人部のメンバーもお訪ねした私達も復興に向けて前進する力をいただいた合唱でした。
長善寺婦人会のご尽力で準備された会場。高舘千枝子氏は講話で「『唐丹希望基金』を 2020 年まで続けよ
う」と呼びかけ、その強い意志と希いは聞く人々の胸にひびきました。
「ハソウ」について坂口氏が自作のハソウを使いながらご説明下さり、次に、堀氏と二重奏を示して、同じ
音は二つとないと実演して下さいました。ハソウは古のひびき、法螺貝の音に似ていると思います。
合唱とハソウの音色がアクセントになり、それをピアノが盛り上げて、互いに響き合い会場を満たしたので
す。
座主の法話にありましたが「一人一人が声を掛け合って」各自が復興の力に少しでもなれたらとの思いを
改めて後押しされた感激の一時でした。
長善寺の皆さま、ありがとうございました。
☆三瓶
圭子(仙台市)
盛岡長善寺に於いての二つの講演と仏教婦人会による「鎮魂の歌」合唱、どちらも大変感動的でした、そして
そこに至るまでの人と人との出会いを知ることとなり、胸の高鳴りを抑えることが出来ませんでした。
あの3.11後の新聞記事により高舘千枝子さんの活動を知り、目を奪われ、以後彼女を支え続ける一人のエス
ぺランチスト堀泰雄さんに繋がったのでした。国際語エスペラントによってすでに広く世界に繋がっていた堀さ
んは、さらにその稀有な能力をはばたかせました。
方や、瀬戸内海に面した赤穂線に於いての地元エスペランチストとNHK坂口憲一郎さんの出会いがあり、そこ
から堀泰雄さんへと繋がり、ラジオ深夜便登場となったということでした。さらにその後、同じ番組に高舘さん
も登場、多くの人が「唐丹」を知ることとなりました。
人と人との出会い、そして今日のお寺での歌声が豊かな「ハソウ」の響きの中に、深く溶け込んでゆくのでした。
☆牧野
三男(横浜市)
素晴らしい新聞記事、涙ながらに拝見しました。
人の一念の偉大な力を感じ、励まされました。堀さんの力が高館さんの強力な支えになっていることが良く判り
ました。
「鎮魂の歌」は人の心を結ぶ「虹の懸け橋」に昇華しつつあります。
今後のご発展をお祈り申し上げます。
牧野三男
☆中村 美名子(盛岡市)
長善寺 仏教婦人会研修会に参加させていただきありがとうございました。高舘千枝子様の講演にはとても感動
し、鎮魂の歌を歌っては涙し、本当にすばらしい一日でした。
私達の代表 中村 美智子さんのナレーションはその当時のシーンがよみがえり、またしても涙が出ました。いい
機会をいただきました事、心か感謝いたします。
☆鈴木 千絵(盛岡市)
今回、飛び入りで参加しましたが、活動されている姿にとても感動しました。‶鎮魂の歌″YOU TUBE で初音ミ
クも歌っているのには驚きました。応援しています。これからも頑張って、子供達の未来の為にご尽力下さい。
☆中村 美話子(盛岡市)
エネルギッシュな高舘先生のお話。
鎮魂の気持ちをのせて運んでくれるハソウの音色。涙をこらえきれない鎮魂の歌。
全て感動の時間でした。ありがとうございました。
☆才川 洋子(盛岡市)
しばらくぶりに大きい声を出しました。
☆高舘
千枝子(岩手県矢巾町)
―我が家の「ゲストブック」から―
◆坂口 憲一郎(岡山
(7 月 5 日、我が家に宿泊した二人のメッセージ。
)
を楽しむ会)
(ハソウ)を吹きに盛岡に伺いました。
35.2 度が 2 日連続の岡山から矢巾駅に降りたら、なんと、サワヤカな風を感じた事か。
この風に乗って
の音色がみなさんの胸に残ってくれますように、あすは心を込めて息を吹き込みます。
鎮魂の笛壺(きょうから)をこれからも平安を願い吹き鳴らしていきたいと思います。
高舘さん、堀さんとお知り合いになれて心豊かになりました。ありがとうございました。
◆柳澤 智弘(群馬県高崎市新生会)
― 3 人の子供の親だから ―
唐丹希望基金が子供の支援でなかったら、ここまで親身になれなかったと思います。
DVDを作成していて印象的なのは、やっぱり子供の「笑顔」です。大人は子供を守っていくのが当たり前だけ
ど、大人は子どもから沢山の力をもらっている。人から必要とされることが大きな力となる。
生活のための仕事でなく、心を満たす仕事を与えて下さることに感謝します。
今日は心もお腹もいっぱいです。晩ご飯、本当に美味しかったです。
堀さんの‶アトラクション〟も最高でした。多くの出会いをありがとうございます。
“ I, You, We ”の 誕生に寄せて
キャロル・サック(東京都三鷹市在住)
https://www.youtube.com/watch?v=GWBlO7Lgrt8
2011 年から三年間、私は毎年 12 月 13 日に唐丹町を訪れる事が許
されました。それには色々な事情が関係しています。その一つが、ス
ウェーデン国の文化です。スウェーデンでは、12 月 13 日に「ルチア
祭」を祝います。一年中で一番、最も寒くて暗い日に「光」と「希望」
の象徴とされるルチア女神の到来を皆で喜びあいます。
そこで、三年間「希望」のテーマを持って、他の支援者の方々と共
に12月13日 に唐丹町を訪ねてきました。毎年たくさんのろう
そくの 灯の中で、 ハープの音色と歌声で祈り、世界中の支援者か
ら祈りと共に編まれたプレヤー・ショール(祈りのショール)を携
えて、静かな祈りの一時を過ごさせて頂きました。
この3年間の行事は、私の64年間の人生の中の最も意味深い,有
り難いことでした。唐丹町の皆様にこうして歓迎していただけたこ
とを非常に光栄に思っています。
2013年,三回目に呼ばれて、胸がいっぱいになり、何か自分の感謝の気持ちを唐丹町の皆さんに伝え
たくなりました。何ができるだろうかと考え、「そう!小さな歌を誕生させよう!」そして「どういうメ
ッセージを皆さんに伝えようか」と思案しました。
すると、15分の間に「I, YOU, WE」の歌詞とメロディーが天から降りて来ました。
昨年の唐丹サンタルチアで一度だけ、私は皆様の前で歌うつもりでいました。 ところが、 ありがたいこ
とに、色々の方々の温かい心と努力のお陰で、驚く事にこのような「素晴らしい本物の歌」になりまし
た。そして、唐丹町の生徒さん達に歌われる運びとなりました。びっくり!と共に感謝、感謝です。
私はこの歌に、自分の思いを託しました。それは、この世界の生きとし生けるものは 神さまに作られてい
るという事です。また、全ての人が神さまに愛されています。従って、 命を与えて下さった親が同じであ
れば、私達は皆兄弟姉妹です。兄弟姉妹はみなそれぞれ異なる顔や性格をもつように、私たち人間も国が
違い,言葉も,文化も、食べ物や着るものも違います。(でないと、つまらないですね!)けれども、
「親」が同じですから皆、神さまの子どもとしての「家族」なのです。
表面的な違いはたくさんあっても、皆一人一人に共通するところがあると思います:You need to
know you are loved, the same is true for me(英語版の5節). 私も、あなたも,私達も,皆は
「愛されている,尊敬されている,大事にされている」ということに気付いてほしいと思います。
戦争のとき, または、だれかとけんかしたと
き、そのことを忘れがちになります。「向こ
うが違う!私だけが正しい!」と考えてしま
います。しかし、それは悲しいことにつなが
ります。
本来、全ての国,全ての文化,全ての人は大
切であり、愛されています。 私も,あなた
も、私達も。
I, YOU, WE.この小さな歌を 通して、誰もが
「皆、友達であり、兄弟姉妹であり、家族
だ!」と 実感してくだされば、私は嬉しく思
います。
歌
Carol Sack
詞
I, You, We
I am American, you are Japanese, My home is farmland, yours is by the sea.
(Chorus:)
But we are friends, but we are friends, Friends in the human family.
I have the Grand Canyon, you have Mount Fuji, I write with alphabet, you write with kanji. But we are
friends, but we are friends, Friends in the human family.
I eat with spoon and fork, you use o-hashi, I like a hamburger, you like o-sushi. But we are friends,
but we are friends, Friends in the human family.
Once our countries were at war,
Each side thinking we were “more.”
Looking over there as “Other,” Now we know we’re sister, brother~~~
You need to know you are loved, the same is true for me. We all love to sing a song, music makes us free. So we
are family, yes, we are family, Together in the human family.
You all sing in chorus, making harmony.
I love to play the harp, and you have welcomed me Into your family, your lovely family, Of Tonicho in
Kamaishi.
Thank you so much, I am so happy.
私、あなた、私たち
私はアメリカ人、あなたは日本人私は農村、あなたは漁村。
(コーラス:)だけどみんな友達なんだ、同じ地球(星)に生まれた。
私はグランドキャニオン、あなたは富士山。
私は ABC, あなたは漢字。だけどみんな友達なんだ、同じ地球(星)に生まれた。
私はフォーク、あなたはお箸
私は反バーガー、あなたはお寿司。
だけどみんな友達なんだ、同じ地球(星)に生まれた。
昔、戦争のとき、自分だけが正しいと信じ、あなたの国と戦った、でも知った僕らは兄弟と
私を歌で迎えてくれた。歌は素敵、仲良くなれる。そうしてみんな家族なる。同じ地球(星)の家族に。
みんなが、ハープ聞かせてくれた。
ハープは素敵、自由になれる。そうしてみんな家族なる。同じ地球(星)の家族に。
ありがとう、うれしい。
“ I, You, We ”初演に寄せて
唐丹町片岸地区交流会に参加して
常陸 奈緒子(唐丹町)
片岸地区交流会には、今回初めて参加させていただきました。
昼間の短い時間の中に、ふれあい茶会や講話、リラ・プ
レカリアなど盛りだくさんのプログラムで、みなさん
と楽しい時間を過ごすことが出来ました。ハープの演
奏を目の前で聴くのは初めての体験でしたが、綺麗な
音色とキャロルさんの歌声は、自然とリラックスでき
るような気持ちになりました。また腹話術も初めてで
した。お話の内容も、宮沢賢治の生涯やエスペラント語
の釜石線の駅名など、岩手の私たちにとって身近に感
じられるもので、伺っていて勉強になるものでした。
東日本大震災から 5 年以上が経過し、またその後も日
本各地で様々な災害が起きている状況で、支援や継続
的な地域内外の交流は減少傾向にあります。そんな中
で、唐丹の子どもたちや地域に対して長期的な目線で関わりを持たれようとする「唐丹の子どもたちを支援する
希望基金」の皆さまの活動は、貴重な存在だと思います。ありがとうございました。
☆大場
満(横浜市)
高舘さん、いつも精力的なご活動を拝見し頼もしく思っております。
6月25日に受信したメールの「キャロルさんから届いた唐丹町片川交流会:感想」を拝見しました。写真
も添付されていましたので、唐丹の被災者の方々と、Carol Sack さんの温かい交流の様子がとても良く伝わ
って来ました。Carol Sack さんの文章の中には初めて目にする言葉などがあり、ネット検索した結果、その
意味が理解出来ました。有難うございました。Carol Sack さんは日本語が随分お出来になるのですね。
びっくりポンです。
・海外お土産:スウェーデンの「ダーラ馬」|オンリーアパートメントのブログ
・スウェーデンのダラ馬 の画像検索結果
・聖ルチア祭 – Wikipedia
・聖ルチア祭 の画像検索結果
・聖ルシア祭のおはなし norrsken
・パストラル・ハープとは - リラ・プレカリア(Lyra Precaria)
・パストラル・ハープの歴史 - リラ・プレカリア(Lyra Precaria) – きぼうのいえ
「岩 手 訪 問 記」
後藤義治さんは、5 月 15 日~17 日まで岩手県を訪問しました。
「岩手訪問記」を寄稿していただきましたので、3 回シリーズで掲載します。
1、
「釜石市立唐丹小学校の今」
EEC 通信 72 号(7 月号)
2、
「旅での出会い」
EEC 通信 73 号(8 月号)
3、
「旅の路すじ」
EEC 通信 74 号(9 月)
後藤 義治 (北海道札幌市在住)
○出発
空港のロビーはいつもより空いている。すらりと背の高い地上勤務のアデンダントが笑顔で迎えてくれ
た。胸には「実習生○○」の名札をつけている。質問するまでもなく、登場手続や手順を淀みなく丁寧に説
明してくれる。何ともチャーミングだ。やっかいな年寄りが来たなと思っているかもしれないが、そんな素
振りは全くなく私としては実に心地よい。
まだ、男のカケラが残っているのかな?と下らん事を考えてしまう。
○秋田の夜は更けて
秋田の夜も長年の習慣通りホテルを飛び出
し居酒屋へ。店は思ったより広々としている。
大きな厨房をカウンターがぐるりと取りま
き、一方はテーブル席、もう一方は畳敷の小上
がりという佇まいだ。満席なら 50 人位は入れ
そう。私は友人らが「イモ男爵」と言う程ジャ
ガ芋料理が好きだ。特に肉ジャガ、丸ごとバタ
ー焼き、ポテトフライには目がない。例によっ
て熱燗と肉ジャガを注文する。カウンターの
中では板前さんが 2 人、オバサンが何人か甲
斐甲斐しく働いている。フロアには若い娘さ
んが数人、赤い印半天を羽織って客へのサービスをしている。半天の背には大きな○(マル)の中に竈と盡
の字が染め抜かれている。野次馬根性が頭をもたげる。ウエイトレスの手がすいた所を見計らって、背中の
印は何を意味しているのかと聞くと、かなり昔になるが竈は厨房内の人が着て、盡は接客係の人が羽織った
と教えてくれた。その他にも折りにふれて聞いて見たが、驚いたことにどれも即座に納得できる答えが返っ
てくる。彼女は秋田大学の学生で、ここでのアルバイトは、もう、2 年になるとの事だった。この才嬢、将
来は何になるのかなあ~などと想像しながら、旅の晩酌を楽しんだ。ついでながら肉ジャガの芋は北海道に
比べて格段落ちるが、お酒の高清水は燗も味も第一級だった。
○オレは芸術家だぞ
秋田でのお目当ては県立美術館での絵画鑑賞だ。
藤田嗣治が描いた大壁画「秋田の行事」は圧巻とい
う外に適当な言葉が見つからない。他に客がいない
のをいいことに、入口の側で静かに座っている観視
員(これは私の造語)に声をかけた。彼女の説明で
は昭和 12 年頃、秋田の夏の竿燈や冬の梵天祭りの
風景を地元篤志家の倉の中で描いたという。藤田は
1886 年生まれだから 51 歳頃の作品になる。タテ 3,
65mの布カンバスを 4 枚合わせてヨコ 20,5mの大
作だ。地元の工務店が作った額縁がこれまた、ダイ
ナミックだ。この大きさはエルミタージュでもルーブルでも見た覚えがない。東京生まれの藤田がなぜ秋田
で、しかも寒い倉の中でこのような絵を描く気になったのか聞いて見たが私には答えの理解ができないが、
食い下がる筋でもない。安藤忠雄の設計したこの美術館は作品を展示するというより、鑑賞優先に造られて
いる。この地の人々は親切もさりながら親身になって応対してくれ、とても心が休まる思いがした。
○高舘千枝子さんに会う
今回の旅では唐丹基金の代表者 高舘千枝子さんにお会いすることが主要な目的のひとつだった。事前に
盛岡駅の南口にある交番の前で会う約束をしていた。例へ暗かろうと交番前は安全だし、警官と爺様とは間
違えられる心配はないからだ。でも改札口を通り抜けようとした所で、ご婦人から声がかかった。
「後藤さ
んですか?」ちょっと驚いたが、多分僕の胸につけていた Esperanto のバッジが目に入ったからか。今だこ
んなに手間の省けた初対面は始めてだ。高舘さんは感性の鋭い人だから、一目で見抜いたのだろうか。
駅を出ると、まだ少し早いからドライブでもしませんかと誘ってくれた。二つ返事で同意する。高舘さんは
ハンドルを取ると暫くして郊外へ出る。ゆるいカーブの丘陵を道なりに行けば左は放牧場、右手にはアトラ
クション広場やレストハウスなどの遊園施設が散在する。ここは小岩井牧場だ。牧場と言えば北海道も負け
てはいない。でも小岩井牧場の製品は品質の高さと市場の知名度で群を抜いている。今は農場見学のドライ
ブ中だが。本当の目的は高舘さんとお話に来たはずだ。だが、なかなか言葉にならない。一方、高舘さんは
運転をし、周囲の情景の説明をし、そして唐丹の子供達にふれ、その上募金の現状を話す。子供達への想い
が、救援活動への取り組みとなる。次から次へと言葉が機関銃のようにほとばしる。ひとかけら位の愚痴が
こぼれるかと思いきや、一点の曇りもない。
○晩ご飯を楽しむ
1 時間程ドライブをしたであろうか、ホテルに帰り着い
た時は十年来の知己になっていた。ホテルのレストランに
は落ち付いた和食の店があった。僕は勝手に晩酌をする、
彼女は菜食のメニューを選ぶ。話はざっくばらんで尽きる
事はない。食事が終える頃、EEC通信(タイトル「唐丹
希望基金 2016」)の原稿を依頼される。すでにサンプルは
用意されていた。色々な人たちが感想や意見をまとめて書
いている。メインは高舘さんの「鎮魂の歌巡礼の旅」の報
告文、古代の楽器
(ハソウ)の探訪記と内容がユニー
クでバラエテイに富んだ編集だ。結局 9 時半過ぎまで話し
込んでしまった。事前に電話で1~2度話したことがあったから、かしこまった話にはならないと思ってい
たがその通りだったし、参考になる事が多かった。おまけに晩ご飯まで奢って戴いた。ごちそう様でした。
○旅は道づれ
朝早く盛岡を立って釜石へ向かう、同席者は若い女の子、「お嬢様」と言うべきだが感じがピッタリなの
で女の子と書いてしまった。東京の有名私大の学生だった。東京へ帰る所だという。綺麗だ、可愛いいでは
なくて「はつらつとした」が近い。しばらくは他人行儀だったが、あるきっかけで「オジサン、家の爺ちゃ
んより年上だあー、ウソー」から話がはずむ。彼氏がしみったれだったり、運動部の監督が間違った振りし
てお尻に触るとか、イケメンの男の子達と酒屋に入れば飲み代を払わされたなど、話題は尽きない。軽い下
ネタも含んで話は面白いんだが。時には理解できない現代語がはさまるとタイミングがずれる。花巻で彼女
は下車、居た時は少しうるさいなと思ったが、居なくなるとちょっと寂しい。退屈しのぎに本を読み始めた
が、すぐ眠気が差して寝てしまった。
(唐丹小学校の事は前回書いたので省きます。
)
小学校への行きは三陸鉄道南リアス線だったが帰りはバスだ。客は僕の他に 2 人だけ、雨のせいだろう
か。途中、平田のあたりか、仮設住宅が並んでいる。入口のグランド跡に仮のバス停が立っている。折から
の雨、あたり一面水たまりだ。運転手はバスを前後させて水たまりのない所にバスを停める。70 前後の女
性が杖をついてドッコイショの言葉通りの動作で乗り込んで来た、近くの席についたので「大変ですね!」
と声を掛けると顔がゆがんだ、多分ニッコリ笑った様に思う。これから病院に行くという。病名も言ったが
聞き取れなかった。病院のついでに釜石の大きなスーパーに寄って買い物をするそうだ。彼女が乗ったバス
停のすぐ側にコンビニの様な店を見た様な気がしたので、近所で買い物をした方が大変な思いをして持ち
帰らなくてもすむんじゃないですか、と言うと、あそこは物が選べないという。この逆襲にはまいった。
「男
は選ばないでさっさと買って来るけど選んでこそ買い物だ、選ばないで買うなんてお金が可愛そうだ、あん
ただって奥さんをもらう時、ちゃんと選んだでしょう。」と、時には怒ったように、又とつとつと問い詰め
られた。被災者住宅に住んでいるというから寂しかったのでしょう。彼女は私より二つ前のバス停で下車し
た。夕方、ホテル近くの居酒屋で一人酒を飲んで居た時、彼女が離れて行った事を思い出し、ホッとした自
分を恥じた。不用意な言葉に腹を立てたなら罪だが、もし彼女が私にうっ憤を晴らし、胸の張が下りたのな
ら功だったかも知れない、でも残念ながら私には女心は読めない。もう少し、優しくして上げる度量を持た
なければと反省したが、後の祭りだった。
○花巻の出会い
30 年以上前の話しだが、私は花巻出身の上司の下で 5 年間仕事をした。同じ上司の下で 5 年間も働いた
のは、これが最初で最後だ。さぞかし息があったと思うでしょうがそうではなかった。彼の自慢は花巻城と
宮沢賢治だった。時間もあり、まずは一見して置こうと花巻城跡へ向かった。西御門と円城寺門を見学した
所で大雨になった。慌てて近くの武徳殿(武道場で城跡ではない)へ走った。立派な造り、まるで城閣だ。
玄関で雨宿りをしていると、中から職員らしき人が見えて、入れと言う。お言葉に甘えて上がらせてもらっ
た。寒かったでしょう、と言って中にいたもう 1 人の方が熱いコーヒーを入れてくれた。恐縮していると、
いやいや、私も飲みたかったと言う。ここで、この方は剣道を教え、誘ってくれた人は柔道を指導している
と言う。二人共定年後の第 2 の職場だそうだ。世間話をしている内に小沢一郎の話になる。一昔前はきっと
総理大臣になると思っていたし、岩手の誇りでもあったが、道草が過ぎた、ムム・・・。話ははずんでブル
ドーザー宰相田中角栄へ、そしてアベノミクスに飛ぶ。てっきり政治談議になるかと思えば、
「男の生き様」
に発展した。政治談議なら事と次第によっては険悪にもなろうが、男の生き様なら時には逞しく或いは艶っ
ぽく、雨宿りの暇つぶしには打ってつけかも知れない。さすが二人共人生の達人だ。1時間後には意気投合
して別れた。コーヒーと爆笑に感謝。雨は上がっていた。
花巻空港は羽田と違って、ゆったりとして騒々しさはない。ここで迎えてくれたのは「実習生○○○」と
名札も新しいアテンダント。秋田美人か色白だ。出発時の千歳空港と同じ案内を受ける。実習生だからこの
春入社したのだろう。唐丹小の一年生だってあんなに立派なあいさつができるのだから、彼女は大人、当然
かも知れない。同じ日航、千歳の女性と机を並べて新人講習を受けたのかも知れない。東北旅の終わりを祝
してビールで乾杯。窓際のカウンターで空港前に広がる田園風景をスケッチする。
「鎮魂の歌」10,000 人 登録まで
残り、223 人となりました!
2020 年 3 月まで登録を継続します。
「世界へ広まれ鎮魂の歌」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[ 東日本大震災 2011・3・11 ]を歌い継ぐ
♪♪♪♪・・・「鎮魂の歌」を歌おう・・・♪♪♪♪
作 詞 千葉 隆男
作 曲 太田代 政男
―参加登録募集(2020年まで)―
【2016 年 登 録 者 一 覧】
参加者 10,000 人目標!
参加者 9,777 名
毎月末に更新予定
(2016・7・31 現在)
登録 Mail-Address : [email protected]
7 月 19 日
藤沢拓子(盛岡市湯沢児童センター「ハッピータイム」)
今月のハッピータイムの集会で「鎮魂の歌」を 12 名で歌いました。
講演会の感動を思い出し、これからも歌いましょうと話し合いました。
7 月 15 日
町田浩子(紫蘭会山を歌うコーラス)
7 月 6 日、‶紫蘭会山を歌う会″の仲間 20 人が「鎮魂の歌」を歌いました。
7 月 15 日
トニー古森(カナダ バンクーバー)
去る 6 月 23 日、東日本大震災 5 周年メモリアル、熊本・エクアドル被災者支援山岸ルツ子チャリティ・ピアノ・
コンサートがバンクーバーで開催されました。今回も、会場の全員の黙祷に続いて、
「鎮魂の歌」を歌いました。
当日の写真などを共同主催者のうちのひとり、
「月刊ふれいざー」社から頂きましたのでお送りします。
聴衆数は 250 名とのことでした。取り敢えず報告させていただきます。
宮坂 まり 様
岩手から感謝の気持ちをお送りさせていただきます。
7月 15 日、16 日と続けて、トニー古森さんから「チャリテイーコンサートで「鎮魂の歌」を歌い(250 名の登
録)東日本大震災5年メモリアル・熊本地震支援に協力した」という報告をプログラム、演奏写真、7 月号の「月
刊フレイザー」の記事等を次々と届けて頂き、感謝と喜びに満ちております。特に、東日本大震災は5年が経過
していますので、日本国内でも、過去の出来事として支援の輪は薄れてしまいました。それなのに、フレイザー
では、まだまだつらい日々の現状を知り、エールを送って下さいました。しかも、遠い、遠いカナダから・・・。
古森さんに送った内容と同じになりますが、私の感謝の気持ちをお伝えしお礼とさせていただきます。
皆様の垣根を超える支援活動に深い愛と友情を感じます。
山岸ルツ子さん他の演奏者への花束は取り止めバラ 1 本を山岸さんに渡すだけにしたとの事、少しでも多く
のお金を熊本へ届けたいとの皆様の想いが、遠い、遠いバンクーバーから日本の皆様に、熊本に、東北に熱い
想いを寄せて頂いている事が、ひしひしと伝わってきました。
皆様のご厚意に対して「ありがとうございます」の言葉を贈る事しか出来ませんが、皆様の熱い想いに支えら
れ、日本にいる私たちは幾度となくやってくる災害にも負けず、元気に克服することができます。近年、日本
では地震の他に、異常気象の影響を受けた暴風雨で熊本が痛めつけられました。
その様子を、テレビでつぶさに見るにつけ、いたたまれなくなります。片や、東北はといえば、もう、5年も
過ぎているのにいまだ仮設住宅住まいの人が2万人ほど・・とも。唐丹小中学校も仮設校舎のまま、至る所に
痛みが生じているとの事です。なぜ、こんなに時間がかかるのでしょう。
一方、国はオリンピック成功の為、様々な意見が活発に出され、世界に日本の力を見せるために必死です。
まず、自分の国の復興が先でしょう・・・と多くの国民が声をあげ、至る所でその声は大きくなっています。
それでも子供達は明るく生活しています。5月に、震災後初めて運動会に行って来ました。今の学校の前の
校庭は新校舎建設のためほとんど使えないので、少し離れた場所にあった旧唐丹小学校跡地(学校は津波で流
されました。
)を整備して運動場として活用。この、運動場のすぐ後ろでは、防潮堤の工事の為、クレーン車が
置かれてありましたし、ダンプカーが土煙を上げながら往来していました。小中合わせても100人足らずの
小さな学校は後回し・・・でいいのかと腹立たしくなってきました。
震災の悲しみとそこに住む人々は政治のやり方に不満は山ほどあるが、ここで生きる事の方が大事で、不満
の声を届ける気力はありません。静かに耐え、身を寄せ合うようにして暮らしています。
だから、
「唐丹希望基金」は子供達の健やかな成長を願い、お金を送り続けていかなければならないと思ってい
ます。僅かなお金ですが、被災者に寄り添う熱い想いがこもっていることを伝える為です。
「唐丹希望基金」がラジオで取り上げられたことで、その活動がひろまり支援者も増え、2020年3月まで
継続できそうです。
簡単ですが現状を少しだけ書かせて頂きました。下記のメッセージは「鎮魂の歌の DVD」を制作した牧野三
男さんから届いたものです。沢山の資料のご提供に感謝いたします。月刊ふれいざー社によろしくお伝えくだ
さいますように。 高舘 千枝子
◆拝見しました。あまりにも素晴らしい写真記録に見とれてしまい、早速A4写真印画紙にプリントして私の
書斎に飾りました。ここまで大規模且つ荘厳な演奏会が開催されたとは、正に驚きしかありません。
今の日本では、未だ考えられません。カナダの皆様の純粋な祈りの心が、じかに伝わってきて胸が熱くなりま
した。青春時代、熊本で育った私は、熊本大地震被者支援の内容には特に敏感です。こうして鎮魂の歌を通
し、カナダの皆さま方と私たちの真心が大きな虹の橋となり、固く結ばれている現実に、心からの感謝を捧げ
ます。 牧野三男
高舘様
ご丁寧なメールをありがとうございました。
こちらでも、人々の気持ちはだんだん薄れて行っているのは事実です。
また、その後大きな災害や山火事などもあり、カナダ人の気持ちはすっかりそちらに切り替わってしまっている
感じです。それでも、私たちが続けることで少しは思い出してもらえるのではないか、と思って今回も石井さん
はじめボランティアの方々が頑張ってくださいました。高舘様はじめ、皆さまも本当に頑張っておいでで、頭が
下がります。今後ともご活躍くださいますよう。宮坂 まり(カナダ バンクーバー)
7 月 11 日(月)藤澤
拓子(盛岡市長善寺仏教婦人会)
7 月 6 日、長善寺仏教婦人会研修会で合唱しました「鎮魂の歌」への登録を希望します。
参加人数は約 75 名程でした。
‶鎮魂の歌″の大合唱には、大災害から立ち直ってほしいという勇気と力をも合わせ、私たちに大きな力を与
えてくれた心の底からの思いがこめられていて、終わった後感激致しました。ありがとうございます。
7 月 9 日(土)嶋澤
純子(京都アンサンブルコスモス代表)
本日18名で、鎮魂の歌 合唱しました。登録よろしくお願いします。
岩手の皆さんに思いを馳せ、又いろいろな災害で亡くなられた方にも思いをこめて・・・。
7 月 7 日(木)コカリナ鳰の会(道城
義子
滋賀県近江八幡市)
今日滋賀県東近江市の桜ヶ丘いきいきサロンで鎮魂の歌をコカリナと映像を見ながら集まって来ていた人達と
一緒に歌いました。
地元自治会とボランティアで運営されているサロンだそうですが、私達を入れたら 50 名近く参加されていたと
思います。初めての歌ですが、東日本大震災被災者に思いを寄せて皆さんで歌いました。また、これからも続け
て歌って欲しいと願いますので、楽譜を 10 枚置いてきました。
矢張り映像とピアノ伴奏と歌詞が付いているので初めての方でも何となくついて来てくれました。
私達は 2 番までコカリナで、3 番は一緒に歌いました。今回ビデオを撮ってもらうのを忘れました。残念!
以上ご報告まで。 道城 義子
☆
[ 楽 譜 ] 「鎮魂の歌」日本語版
(.pdf requiem-japanese へのリンク)
「鎮魂の歌」エスペラント版 (.pdf reqiuem-esperanto へのリンク)
「鎮魂の歌」二部合唱譜
(.pdf requiem-japanese-two-parts へのリンク)
「鎮魂の歌」ピアノ伴奏付き楽譜(.pdf requiem000 へのリンク)
☆
初音ミクが歌う「鎮魂の歌」
日本語版 http://youtu.be/9inykwxk_CU (YouTube)
エスペラント版 http://youtu.be/07MY6_22nww (YouTube)
☆
登録と共に「鎮魂の歌」演奏者から届いた動画(2012 年 10 月以降の資料から)
☆「鎮魂の歌」オカリナ演奏:庄子春治
http://www.youtube.com/watch?v=_HpD_xHfmeA
☆サカイカラオケ教室「鎮魂の歌」:酒井清雄
http://www.youtube.com/watch?v=SFvrPS5eslY
☆「鎮魂の歌」カラオケ版:酒井清雄
http://www.youtube.com/watch?v=TXYGr7Fj38A
☆「鎮魂の歌」大正琴演奏:カナダ、Mary Hirtzel
http://youtu.be/XNQ0t4XHei8
☆京都から“鎮魂の歌”届けます:嶋澤純子
http://www.youtube.com/watch?v=r5avvAVG0IE
2013 年 3 月 9 日演奏:http://www.youtube.com/watch?v=S3w7w5zvjv0
2013 年 4 月 13 日演奏:http://www.youtube.com/watch?v=NN7DIQJCuxA
☆「鎮魂の歌」2012 年 2 月~3 月のリレー演奏:牧野三男
http://youtu.be/I8lVEFlzInE
・男声合唱団コールM鎮魂の祈りコンサート http://www.youtube.com/watch?v=DNXZl8OuNGc
☆USA ミシガン州フリモント Community choir:http://www.youtube.com/watch?v=EPbmruiX3H8
☆メリー・ハーツエル(カナダ在住):英語歌詞版譜 .pdf requiem_english_music2013_4_22
☆第 2 回山岸ルツ子東日本大震災チャリテイーコンサート(会場:カナダ バンクーバー クライスト・
チ
ャーチ大聖堂)http://www.youtube.com/watch?v=BLHrQIYoKnY&feature=youtu.be
☆東日本大震災復興支援コンサート「 想い出を彩る心の歌」平塚中央公民館大ホール(代表:岩崎由紀子)
http://youtu.be/GhgS8bQ8Nn4
☆【GUMI】東日本大震災犠牲者に捧げる「鎮魂の歌」: https://www.youtube.com/watch?v=9IDmSeWG8Rc
☆男声合唱団コールM第35回定期演奏会 指揮:太田代政男東日本大震災犠牲者に捧げる「鎮魂の歌」
昭和 8 年三陸大津波「復興の歌」http://www.youtube.com/watch?v=ifeCThRq-Is
☆Megpoid Engish による「鎮魂の歌(エスペラント)制作:ROKMSAI http://youtu.be/ubFqipTIFrg
☆[GUMI] "Rekviemo" al la viktimoj de la Granda Tertremo en la Orienta Japanio
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21232471
☆ 歌ソロサロン、第 2 回お披露目会:2013年8月2日 会場:Mount Olivet Lutheran Church, North Vancouver
歌:トニー古森・トランペット:前田卓哉・ピアノ:前田多枝
http://www.youtube.com/watch?v=wa79Tf9lyFw
☆3 月 16 日に城陽市で開催されました“大正琴の祭典”での鎮魂の歌の模様をお送りいたします。
http://www.youtube.com/watch?v=cKR4HcLtFyo
☆アンサンブルコスモス
-鎮魂の歌-2014/11/8
https://www.youtube.com/watch?v=HgtwAoaDnUc
☆アンサンブルコスモス
-鎮魂の歌-2014/12/13
https://www.youtube.com/watch?v=ohC6RnnTvG4
☆「鎮魂の歌」釜石市唐丹町盛岩寺演奏、横浜演奏
牧野
三男
2015 年 7 月 28 日
・http://youtu.be/vfiqSJchsdQ(盛岩寺演奏)
・http://youtu.be/yjWkdUVgTUU(横浜エスペラント会:日本語)
・http://youtu.be/axlOC60IiZk(横浜エスペラント会:エスペラント語)
・3 曲まとめたものは
http://esperas.info/index.php?QBlog-20150727-2 に載せました。
☆「鎮魂の歌」Esperanto 版 “Rekviemo”
指揮:牧野三男 演奏:ハマロンド歌唱グループ
https://youtu.be/FYy_khGt_Xk
☆京都 歌声コスモス「鎮魂の歌」
(2016 年 4 月 8 日)
KinkoMusicSchool : https://www.youtube.com/user/KinkoMusicSchool
☆コカリナ鳰の会「鎮魂の歌」 道城
義子:滋賀県近江八幡市 (2016 年 5 月 31 日)
https://m.youtube.com/watch?v=r8biU--GLcI
☆エスペラントで歌う日本の歌 第 102 回日本エスペラント大会(仙台)分科会より 指揮:牧野三男(2016 年 6 月 10 日)
https://youtu.be/1axfoXiuBtA
☆キャロル・サック:唐丹の子供達へ歌のプレゼント
“I, You, We ”(2016 年 7 月 7 日)
https://www.youtube.com/watch?v=GWBlO7Lgrt8&feature=youtu.be
東日本大震災に思いを重ねる歌シリーズ
作詞:堀泰雄
作曲:山田哲夫
歌:前橋女声合唱団
1、「唐丹の海から世界へ」"De la maro de Tooni al la tuta mondo"
https://www.youtube.com/watch?v=oCf_c7okiQU
2、「私はもう泣かない」https://www.youtube.com/watch?v=DrvpbbhFcBE
3、「希望の飲むヨーグルト」https://www.youtube.com/watch?v=PKnMcP0hNyU
4、「一生懸命私は生きる」https://www.youtube.com/watch?v=MM0PYDXwztQ
5、4曲公開版のリンクhttps://www.youtube.com/channel/UCGdxMHtOaBmdTXUZMMCUkKg