関東学院大学文学部 紀要 第109号(2006) “ideas are bullet proof” ――仮面のアナキズム―― 島 村 宣 男 Abstract : 仮想された近未来の「ファシズム国家イギリス」を舞台にした大人向けのグ ラフィック・ノベル(劇画)の傑作に、A. Moore & D. Lloyd, V for Vendetta (1989)がある。その独特の世界観に共感をもつファンも少なくない。1980年代 は Margaret Thatcher の超保守的な政権下にあって、社会全体に閉塞感の漂う時 代が生んだ作品で、その下敷きになったのは、17世紀初頭の帝都ロンドンで未 遂に終わった爆弾テロ事件、所謂「火薬陰謀事件」である。このグラフィック・ ノベルの力強い語りの世界を、映画 Matrix Trilogy(1999/ 2003)の脚本・監 督・製作で広く知られる Wachowski 兄弟による脚本をもとに映像化したのが、 Matrix 三部作で撮影監督をつとめた James McTeigue による同名の近作(日本 公開は2006年)である。この作品の特徴は、そのスタイリッシュな映像はもと より、メッセージ豊かな物語性にある。 「血肉」を超える「理念」の強靭さを謳 いあげ、2006年度の映画界を代表する一作となった。本稿は、このほど公刊さ れたシューティング・スクリプトの有意味的な台詞の分析を中心に、 V for Vendetta の特異で重厚な物語世界を読み解く試論である。 Key words : V for Vendetta、ファシズム、アナキズム、報復、理念、自由 肉体の卑小さを精神の高潔さによって贖わなければ、人間というものはなんと つまらぬ動物、いや、それどころか、いかに惨めで浅ましい動物であることか。 ――フランチェスコ・ペトラルカ ¿ 「ファシズム国家と化した近未来のイギリス」を仮想して発表されたグラ フィック・ノベル(以下、GN)に、Alan Moore & David Lloyd の傑作 V for Vendetta(1989)がある。1980年代はイギリス史上初の女性首相 Margaret ― ― 133 “ideas are bullet proof” Thatcher の超保守的な政権下にあって社会全体に閉塞感の漂う時代が生ん だ作品であり、17世紀初頭の帝都ロンドンで未遂に終わった爆弾テロ事件、 所謂「火薬陰謀事件」(The Gunpowder Plot)がその下敷きになっている。 この総ページ数300に近い GN 版 V for Vendetta の力強い語りの世界を、 アメリカ映画は Matrix Trilogy(1999/ 2003)の脚本・監督・製作で広く知 られる Wachowski 兄弟による入魂の脚本をもとに映像化したのが、Matrix 三部作で撮影監督をつとめた James McTeigue による同名の近作である。 ヒロインのイーヴィにハリウッドを代表する若手女優 Natalie Portman (Leon)を、非人間的な国家悪への「報復」 (vendetta)に燃える異形のテロリスト“V” に Hugo Weaving(Matrix )を、怪事件の 謎を追う篤実な警視フィンチにアイルラン ドの名優 Stephen Rea(The Crying Game) を、そして「独裁者」のサトラーにこれも イギリス屈指の名優 John Hurt(Nineteen Eighty-Four)をキャスティング、同じくア メリカのグラフィック・ノベルをもとにし た Batman Begins とともに、2005年度を代 表する題作となった(日本公開は2006年)。 とりわけ、可憐な Portman の体当たりの熱 演に加え、全編にわたって仮面を外さない 舞台出身の Weaving の怪演は見もので、そ の迫力ある台詞はスタイリッシュな映像を より鮮烈なものにしている(画像 1 )。 画像¿ 映画 V for Vendetta (Warner Bros. 配給)劇場広告 ところで、問題の1605年に起きた「火薬陰謀事件」は、イギリスの国教 会体制(Anglicanism)に対して、カトリック信者たちの鬱積した不満が爆 発した(実際に火薬は「爆発」しなかったが)宗教=政治的事件である。 カトリック信仰から見れば、国教会体制はカトリシズムの遺制を残してい たとはいえ、新興のプロテスタンティズムに他ならなかった。後年成立す る10年間わたる共和制(the Commonwealth)時代にあって、護国卿 Oliver Cromwell や詩人 John Milton のようなピューリタニズム(Puritanism)を 標榜する者たちから見れば、国教会体制が「カトリシズム」にすぎなかっ たこととは全く逆の意味においてである。世の常として、宗教的熱狂は中 ― ― 134 関東学院大学文学部 紀要 第109号(2006) 道を許さず、極端に走って歯止めが効かない。 敬虔なカトリック信者であったがために陰謀の先棒を担がされ、先の国 王 Elizabeth に疎まれて処刑されたスコットランド女王 Mary Stuart の長子 であったこともあり、処女王を襲った新国王 James の政策転換に、多くの カトリック信者たちが少なからざる期待を寄せたであろうことは想像に難 くない。ところが、この「神学者」を自認する「いとも賢明なる愚帝」James は、国是の「中道政策」を遵守して動かなかった。 この未遂事件は、イギリスでは Guy Hawkes の名が冠された11月 5 日の 祝日(Guy Hawkes Day)とともに広く知られており、本稿が扱う映像作品 の冒頭で描かれるのは、決行前夜に現場で官憲に逮捕され、絞首台で処刑 される謀反人 Hawkes の非業の死である(悲嘆にくれる彼の恋人らしき女 性が一瞬映し出される) 。いっぽう、歴史学の明らかにするところでは、こ のテロリズムの首謀者は Robert Catesby であった。この人物、由緒ある旧 家の出であったばかりか、人柄も良く長身の美男子であり、歴史家の Fraser 女史によれば、 「同時代の男性の理想像」 (the contemporary male ideal)で 1) あったという。 この間、事件の陰で執拗な糸を引くカトリック大国スペイ ンの影が見え隠れするが、本稿ではこの事件にまつわる複雑な歴史的問題 については、これ以上は深入りしない。 “Remember, remember, the fifth of November, the gunpowder treason and plot. I know of no reason why the gunpowder treason should ever be forgot.” ( 「11月 5 日のことを、火薬陰謀事件のことを記憶にとどめよう。ど うして忘れていいものか。」)という、若い女性の回想(O. S.)から、この 映画は始まる。時代はアメリカ合衆国が崩壊した「第三次世界大戦」直後、 場所はその渦中のロンドンで、この女性の名はイーヴィ・ハモンド(Evey Hammond)、この物語のヒロインである。これは、彼女がこの 1 年前に運 命的な出会いをした“V”という仮面の男が残したことばで、最初はその過 激な「テロリズム」(terrorism)の思想に反撥しながらも、幾多の「試練」 を乗り越えることによって、彼女は次第に師父としての V に魅かれていく。 À この映画は、原作の GN 版に忠実にイーヴィの、若い女性の意識の「覚 醒」を描いて、思想的なメッセージ性をもつ特異な作品と言うことができ ― ― 135 “ideas are bullet proof” る。イーヴィの「覚醒」を促す人物が、自ら V と名乗る仮面の男である。こ れまでも、一組の男女の切なくも仄かな「愛」の芽生えを描いた「師弟関 係」は、古くは My Fair Lady(1964)の女性嫌いの音声学者ヘンリー・ヒギ ンズと貧しい花売り娘イライザの関係に、新しくは The Phantom of the Opera(2004)の鬱屈した仮面の怪人ファントムと美しい新人歌手クリステ ィーヌの関係にも見られる。あるいは Léon(1994)における一匹狼の殺し 屋レオンと親兄弟を殺された少女マチルダの関係もそれに近いと言える。2 ) しかしながら、本作 V for Vendetta の世界に描かれた二人の関係には、 「ファ ンタジー」としての重厚な構成がかえって思想のダイナミクスを生んで独 特の緊張感がある。 タイトルに見える記号化された人物名“V”――アラビア数字の 5 に代わ るローマ数字は、偶然にも英語のローマン・アルファベット最後から 5 番 目の文字でもある。名詞“vendetta”は、19世紀半ばのイタリア語 vendetta からの借用語、語源はラテン語 vindicta‘vengeance’に帰着する。 外出禁止令(curfew)の発令された夜11時過ぎ、上司のゴードン・ディ ートリッチ(Gordon Deitrich)とのデートのために外出したうら若きイー ヴィ、人気の途絶えた裏通りで権力を傘に着る秘密警察(Fingermen)の 手から救った彼女の名を聞き出して、 「ガイ・ホークスの仮面」を被った黒 3) 衣の V はかく言う。 V Evey? E-vey. Of course you are. 「イーヴィ?イー・ヴィか。なるほど。 」 Evey What do you mean? 「なるほど、って?」 V It means that I, like god, do not play with dice, and do not believe in coincidence. Are you hurt? 「つまり、私は神を真似てサイコロ遊びなどはしないのだ。 したがって偶然というものは信じない。怪我はないかね?」 “Evey”という固有名詞の第一成分“E”は、英語のアルファベットでは b b b 最初の文字 A から数えて 5 番目の文字、そして第二成分の -vey は文字 V の 音価に等しい。V はイーヴィとの邂逅が偶然のものではないと言う。どう ― ― 136 関東学院大学文学部 紀要 第109号(2006) やら、V は「無神論者」(atheist)のようである。しかし、これには深く、 そして重い理由がある。いっぽう、このヒロインの名を Eve-y と形態分析す るならば、その名は Milton, Paradise Lost のいう“the mother of mankind” (I . 36) 、あるいは“mother of human race” (IV. 475) 、あるいは“the fairest of her daughters” (IV. 324)としての、原初の女性“Eve”を連想させる。確 かに、イーヴィは Milton の言う美しい「イーヴの娘たち」(“her daughters” )の一人ではある。 ところで、これに先立つ V の自己紹介の台詞がふるっている(以下、ト 書きの箇所は省略、イタリック部分は筆者)。フランス語の間投詞 voila か ら始まって自分の仮名 V で終わる長いせりふ回しの圧巻は、子音〔v〕の連 弾による比類ないその饒舌振りにある。 Evey Who――who are you? 「あなた、誰?」 V Who? Who is but the form following the function of what, and what I am is a man in a mask. 「これは異なことを。誰かとは、何がしかの働きの 次にくる形式にすぎない。私が何者かといえば、 仮面の男ということだ。 」 Evey I can see that. 「そのくらいは分かるわ。 」 V Of course you can. I am not questioning your powers of observation, I am merely remarking upon the paradox of asking a masked man who he is. 「もちろん、お分かりだろう。私は君の観察眼を 云々してはいない。仮面の男に誰かと尋ねる矛盾を 言ったまでのこと。」 Evey Oh, right. 「あら、そう。」 V But on this most auspicious of nights permit me then, in lieu of the ― ― 137 “ideas are bullet proof” more commonplace sobriquet to suggest the character of this Dramatis Persona. Voila! In view, a humble vaudevillian veteran, cast vicariously as both victim and villain by the vicissitudes of Fate. This visage, no mere veneer of vanity, it is a vestige of the vox populi, now vacant, vanished, as the once vital voice of the verisimilitude now venerates what once they vilified . . . . . . . However, this valorous visitation of a by-gone vexation, stands vivified, and has vowed to vanquish these venal and virulent vermin vanguarding vice and vouchsafing the violently vicious and voracious violation of volition . . . . . . The only verdict is vengeance; a vendetta, held as a votive, not on vain, for the value and veracity of such shall one day vindicate the vigilant and the virtuous. Verily, this vichyssoise of verbiage veers most verbose, so let me simply add that it is my very good honor to meet you and you may call me V. 「とはいえ、いと晴れがましきこの夜に、かかる芝居仕立ての 人物を想起願いたく、ありふれた戯名を騙るのを許されたい。 ご覧のとおり!見たところ、卑しき大道芸より退場したる者、 天の転変により振り当てられた被害者と加害者の二役、その代 役を買ってでたという次第。この容貌、虚栄を張る虚飾に非 ず、かつては真実の生の声、かつて難じたものをいま尊ぶがご とく、近時儚くも消滅したる民の声の名残 . . . しかしながら、 過去の塗炭の苦しみのかかる果敢な天恵ここに蘇えって、悪の 先鋒を担ぎ、人間の意志を暴虐の悪意と貪婪なる侵犯に供する がごとき、かかる金の亡者の下司どもに正義の制裁を加えんと 誓約したばかり。げに、かかる駄弁も饒舌の度を超えては冷製 のポタージュも同然。ついでながら、君との邂逅はひとえに私 の名誉とするところ、私をVと呼んで頂こう。 」 これには、イーヴィも「あなた、オカシイんじゃないの?」 (Are you like, a crazy person?)と反応せざるをえない。しかし、これは決してノンセンス (nonsense)な言辞を弄する言語遊戯(word play)であるわけではない。 むしろ、少し芝居がかっている(theatrical)にすぎない。後述するように、 この仮面の男 V には“v”に固執せざるをえない、深く重い理由がある。 ― ― 138 関東学院大学文学部 紀要 第109号(2006) そもそもV の登場は、漆黒の闇(a pitched darkness)の奥から、すぐれて 演劇的に、シェイクスピア劇の引喩をもって始まる。 V “The multiplying villainies of nature do swarm upon him.” 「積もり積もりし奸佞邪智の雲霞のごとく脳髄に満つ。 」 これは Macbeth, I . ii . 11−12からの引用で、激戦の趨勢をスコットランド王 ダンカン(Duncan)に報告する隊長(Captain)が叛徒マクドンワルド(the merciless Macdonwald)を形容する句である。これは、公権力を傘にきて うら若い女性を手篭めにしようとする不埒なフィンガーマンには暗く、ま さに「馬の耳に念仏」を唱えるに等しかろう。さらに続いて―― V “Disdaining fortune with his brandished steel, which smoked with bloody execution.” 「天運を下に見て、血潮に染まる太刀を奮いぬ。」 これも Macbeth( I . ii . 17−18)からの引用で、戦場における「天晴れなマ クベス」(brave Macbeth)の闘いぶりを活写する句である。さらに追い討 ちをかけて、 V “We are oft to blame in this, ’ Tis too much proved, that with devotion’ s visage, and pious action we do sugar o’ er the devil himself.” 「咎あるべきは先刻承知、さも敬虔な顔つきと振舞い によって、悪魔の機嫌をとるは世の習い。 」 これは Hamlet(III . i . 45−47)から、デンマーク王クローディアスが密か に王子ハムレットとオフィーリアとが偶然出会うように仕組む戯曲前半の 山場にあって、大臣ポローニアスが娘オフィーリアに噛んで含める台詞の 引用である。当然、これを耳にした相手は「意味が…意味がかいもく分か ― ― 139 “ideas are bullet proof” らねえ」 (Wha . . . whats that mean?)という次第となる。ベルトが切断され てズボンがずり落ち、恐怖を募らせ必死で這いずり回る木っ端役人の一人 に V は注釈を加えて曰く、 V Spare the rod. 「甘やかすな、ということだ。 」 「鞭」ならぬ、奪った「警棒」 (baton)が容赦なく相手の剥き出しの尻め がけて鉄槌のごとく振り下ろされる。これは、彼らがイーヴィを弄ぼうと するさいに発した戯言「子供を甘やかすな」(Spare the rod, spoil the children)を逆手にとったものである。 一連のシェイクスピアの引喩には、格別に深い意味が隠蔽されているわ けではない。V の知性の所在を明かすだけのものである。閉鎖されて久し い地下鉄構内に、V は自ら「シャドー・ギャラリー」 (the Shadow Gallery) と呼ぶ隠れ家をかまえ、そこに夥しい量の書物や美術工藝品、果ては骨董 品( 「ジューク・ボックス」 !)まで、秘匿の対象としている。 「まともじゃ ないわ。」 (You are insane.)と呆れかえるイーヴィに、V は平然と応じる。 V “I dare do all that may become a man, who dares more is none.” 「男たらんと欲するからには、 いかなることをも為すのがこの私だ。 」 これまた Macbeth(I . vii . 46−47)からの引用。紛れもない「男性原理」の標 榜である。こうして、前半には Richard III(I . III. 3. 335−37)からも 1 例が、 さらに後半には、Twelfth Night(I . ii . 53−55)からの引用も一箇所拾える。 いかにも、V は初期近代のロンドンからおよそ400年を隔てて甦った「怪物」 (monster)と思しい。 イーヴィと出会った11月 4 日から 5 日にかけての深夜、街頭に設置され ている拡声器から流した Tchaikovsky,“1812”(祝典序曲)をBGMに、彼 女を導いたV は中央刑事裁判所(通称“the Old Bailey”は建造物のある通り の名称に由来して、正式には“the Central Criminal Court”と称する)を、 ― ― 140 関東学院大学文学部 紀要 第109号(2006) その屋根高く聳える「正義の像」 (Madame Justice)もろとも一気に爆破し てみせる。V に言わせれば、この像は「大理石でできた詐称のシンボル」 (a marbleized symbol of imperviousness)でしかない。星一つ見えない夜 空に V 字型の軌跡を描いて火炎が打ち上げ花火のごとくに舞い上がる。そ れを呆然と眺めるイーヴィに V は「美しい…とは思わないかね?」 (“Beautiful . . . is it not?”) と同意を求める。 これこそ、政治と宗教 の分離がなされていない 時代に、信教の自由を求 めて絞首台に上った叛逆 の徒の、 「抵抗の精神」を 万人に敢えて想起させる べく、V のとる示威行動の 「序曲」 (overture)であっ た(画像À)。 画像À “First the overture.” Á イーヴィは「イギリス国営テレビ局」(BTN: British Television Network) の職員、日常の業務は郵便物の分別とか上司へのお茶汲み程度の雑用しか 任されていない。悲惨なことに、少女期の彼女は政府主導の生物兵器開発 によるウイルス感染によって幼い弟を、反政府運動によって両親を相次い で失い、 「未成年矯正施設」 (Juvenile Reclamation Project)で 5 年間を過し たのち、現在は安アパートの孤独な生活をおくっている。 V の周到な「報復」の次の対象は国営テレビ局。忽然と現れた V の目的 は、放送局を占拠して全館爆破をほのめかしつつ、かねて用意の時局演説 を市内に独占放映するという権力者側の意表をつく行動に出る。 V Good evening, London . . . Allow me to first apologize for this interruption . . . . . . Words offer the means to meaning and for those who will listen, the enunciation of truth . . . The truth is there is some― ― 141 “ideas are bullet proof” thing terribly wrong with this country, isn’ t there? Cruelty and injustice――intolerance and oppression . . . . . . . How did this happen? Who is to blame? . . . . . . If you are looking for the guilty, you need only look into a mirror. 「こんばんは、ロンドンの皆さん。先ず、私のかかる狼藉をお 許し頂きたいと存じます . . . 言葉というものは意味に手段を提 供します。聞く耳をお持ちの方には、真実の声ともなります。 真実は、この国には何かおそろしく間違っているものが存在す るということです。そうではありませんか?残虐行為と不正― ―不寛容と弾圧 . . . なぜこのような事態になったのでしょう? 誰が悪いのでしょう? . . . 罪の所在をお探しならば、誰でも鏡 をのぞいてみる必要がありましょう。 」 言い知れぬ「恐怖」 (fear)から、ファシズム国家の出現を黙認し、ついに は最高会議の終身議長アダム・サトラー(Chancellor Adam Sutler)という 独裁者を生んだ国民の責任を V は問いかける。この「サトラー」 、20世紀前 半に実在したドイツ第三帝国の総統 Adolf Hitler(1889−1945)のパロディ であることは明らかであろう。 V War, terror, disease, food, and water shortages. There were a myriad of problems――Which conspired to corrupt your reason and rob you of your common sense. Fear got the best of you and in your panic you turned to now High Chancellor Adam Sutler, with his gleaming boots of polished leather and his garrison of goons. He promised you order. He promised you peace. And all he demanded in return was your silent, obedient, consent. Last night, I sought to end the silence. Last night, I destroyed the Old Bailey to remind this country of what it has forgotten. 「戦争、テロ、病気、食料、水不足。さまざまな問題がありま した――それが皆さんの理性の頽落を図り、良識を奪ったので す。恐怖が皆さんをいいように利用したために、パニックに陥 った皆さんは、ピカピカの革靴を履き、ならず者の衛兵たちを ― ― 142 関東学院大学文学部 紀要 第109号(2006) 引き連れた最高会議議長のアダム・サトラーに盲従したので す。彼は皆さんに秩序を約束しました。平和を約束しました。 そして、彼が見返りに要求したのは、皆さんの沈黙の、従順な 同意でありました。昨夜、私はその沈黙を破ろうと決意しまし た。昨夜、私が中央刑事裁判所を破壊したのも、忘れ去られて いるものをこの国に思い出して欲しかったのです。」 堂々と披瀝した見解への共感を求めこそすれ、それを決して市民に強要 するわけではない。むしろ、真摯に人間的な「自然」 (nature)に訴えかけ る。「自然発生的運動の形態を肯定するところにこそ、アナキズムがある」 (柄谷行人)とすれば、V のメンタリティはまさしくアナキスト(anarchist) のそれであると言ってよいだろう。市民が過去の何処かに置き忘れた「公 平さ」 (fairness)、 「正義」 (justice)、そして「自由」 (freedom)を、たんな る「言葉を超えるもの」(more than words)として市民に想起させようと する。V は落ち着いた口調で、次のように市民に呼びかける。 V Then I ask you to stand beside me, one year from tonight outside the gates of Parliament…And together, we shall give them a fifth of November that shall never, ever be forgot. 「そういう次第で、今夜から一年後、国会議事堂の門の外で皆 さんには私のかたわらに立って頂きたいのです . . . そして、決 して忘れるべきでない、11月 5 日に起きたことを彼らに思い 起こさせようではありませんか。」 このように、V の人間像はかなり特異で、アメリカの数あるGNにそれに 対応するものを見出すことは難しいだろう。例えば、「闇の騎士」Batman や「鉄の男」Superman とも、また現代の先端科学への呪詛さえ垣間見える 「クモ人間」Spider-man や「超人」Hulk などとも大きく異なっている。超 能力者ではないという点では、やや Batman に近いとも言えるが、この文化 英雄の行動は、 「善行」を施すという宗教的に敬虔な個人原理に基づいてい る。4 )いっぽう、「過ぎし日の降誕節の亡霊」 (the Ghost of Christmas past) としての行動の全ては、国家犯罪への「報復」という一点にあり、思想的 ― ― 143 “ideas are bullet proof” な深度はより大きい。V の行動が促すものは、「声なき多数者」(the silent majority)たる一般市民の団結と決起であり、先に私が本作を「メッセージ 性の強い特異な映画」と評した所以もここにある。 Â V の国営テレビ局占拠のさいに、テレビに映った V の談話に心を動かさ れたイーヴィはその脱出につい手を貸してしまい、V を追う警視エリック・ フィンチ(Eric Finch)の部下ドミニク(Dominic)に殴打されて気を失う。 前夜の V による秘密警察への「公務」執行妨害の一部始終がすでに監視カ メラに収められ、そこにイーヴィの姿も映っていたから、彼女自身も重要 参考人として警察の捜査圏内に入っている。やむを得ず、V は意識を失っ たイーヴィを「シャドー・ギャラリー」にかくまう。 翌朝、仮面を被ったまま鼻歌まじりにキッチンで朝食の支度をしている V の両手を見て、イーヴィは驚く。赤く焼け爛れているのだ。すぐさま V はそれを手袋で隠すが、彼女はその経緯の詳細を V の口から直接聞くこと はついにない。個人的な「経験」のもつ、重く深い意味がここに隠されて いる。 シャドー・ギャラリーで交わされる V とイーヴィの対話のなかで、もっ とも重要なのは、以下に引く V の「破壊の論理」であろう。 V People should not be afraid of their governments. Governments should be afraid of their people. 「市民は政府を恐れるべきではない。 政府が市民を恐れるべきなのだ。」 Evey And you’ re going to make that happen by blowing up a building? 「だから、建物を爆破してそれを示そうと いうわけ?」 V The building is a symbol, as is the act of destroying it. ― ― 144 関東学院大学文学部 紀要 第109号(2006) Symbols are given power by people. Alone a symbol is meaningless, but enough people, blowing up a building, can change the world. 「建物はシンボルだ、破壊行為がそうであるようにね。どんな シンボルも、その力は市民が与えるものだ。だから、ただのシ ンボルなら意味がない。結束した市民が建物を爆破すること で、世界を変えることもできる。」 V の「報復」の次なる標的は国営テレビ局のニュース番組「ロンドンの 声」(the Voice of London)の看板キャスター、ルイス・プロセロ(Lewis Prothero)である。 「統一によって力を!信仰によって統一を!」 (Strength through unity, unity through faith!)をスローガンとするファシズム国家 の走狗であり、 「私は神を畏れるイギリス人です。それを何よりも誇りにし ています。 」 ( “I am a God-fearing Englishman and I am God-damned proud of it!)と豪語して憚らない軍人出身のこの男、かつて「国家犯罪者」を拘禁 する「ラークヒル収容所」 (Larkhill Detention Centre)の所長(Commander) の地位にあった人物である。すでに言及したように、その収容所には国家 統制による生物兵器の研究施設があり、人間の尊厳を踏みにじる生体実験 が行われていたという設定で、これもナチス・ドイツの「アウシュビッツ 収容所」のパロディである。 プロセロを殺害した事実を他ならぬ V 自身の口から知らされて動揺する イーヴィに、V は説く。 V Violence can be used for good. 「暴力も使い方次第。」 Evey What are you talking about? 「どういうこと?」 V Justice. 「正義のためなら。」 これには、気丈なイーヴィも絶句するしかない。V の「正義」とは、この 国家における法では裁くことのできない「犯罪」に対して行われるべきも のの謂いである。V が求めるものは、 「報復」という名の公平さであり、 「暴 ― ― 145 “ideas are bullet proof” 力」はそのための手段であっても目的ではない、というわけである。 この間、 「シャドー・ギャラリー」に置かれてある古鏡の上面を刻むラテ ン語詩句“Vi, Veri, Veniversum Vinus Vici.” ( 「真理ノ力ニヨリテ、ワレ生キ ナガラ世界ヲ征ス。」)の意味をイーヴィに問われたVは、「あなたのモット ーなの?」(personal motto?)という問いには答えず、「『ファウスト』だ ね。 」 ( “From Faust” )とその典拠を明かし、 「それって、悪魔を騙す話でし ょ?」 ( “That’ s about cheating the Devil, isn’ t it?” )と返す彼女の利発な反応 5) に V は相槌を打つ。 次に血祭りに上げられるのが、かつてラークヒル収容所付きの神父で、 現在は主教(Bishop)の地位に登りつめたリリマン(Lilliman)である。こ の老聖職者には美少女趣味の不健全な性癖があり、V はこれを利用してイ ーヴィを「報復」に加担させるが、彼女は V の容赦のない暴力に怖気をな し、これを契機に V の庇護のもとを去る。 続いて、同じくラークヒル収容所で研究職にあった植物学者ダナ・スタ ントン(Dana Stanton)への「報復」が実行される。現在、彼女は改名し てデライア・サリッジ博士(Doctor Delia Surridge)を名乗る検視官であ る。観客に V の正体――ラークヒルにおける生体実験の唯一の生存者―― が浮き彫りになるのはこの時点である。研究者として良心の呵責に苦しみ、 長年のあいだ耐えてきたサリッジは、旧知のプロセロとリリマンの変死事 件から、自分にも V の「報復」が及ぶことを察知して、その来るべき結末 を静かに受け入れる。 Surridge It’ s you, isn’ t it? You’ ve come to kill me. 「あなた、でしょう? 私を殺しに来たのね。 」 V Yes. 「そうだ。」 Surridge Thank God . . . 「神に感謝を…」 20年前のラークヒル収容所で一被験者――後年の V ――が引き起こした 爆発事件によって生じた火炎地獄(a howling inferno of flame)のなかで、 全身焼け爛れて顔のない(faceless)巨躯が咆哮するイメジは、まさに「悪 ― ― 146 関東学院大学文学部 紀要 第109号(2006) 魔の化身」 (the Devil incarnated)のごとく、彼等 3 人の脳裏に焼きついて離 れていないのだ。ところで GN 版はより詳細で、苦しみのない死を受け入 れたサリッジから「あなたの顔をもう一度見せてもらえない?」(“Can I see your face again?)と請われて、V はその仮面を外している。彼女が残す ことばは「美しい…」(“It’ s beautiful”)の一言で、それと同時にスカーレ ット・カースンが彼女の手からすべり落ちる様子が描かれている。V が他 者にその顔を晒す唯一の場面である。 彼らの死体の上には、それぞれ一輪の赤薔薇、 「スカーレット・カースン」 (Scarlet Carson)が「手向け」 (a farewell gift)として添えられる。これは架 空の花の名であるが、周知のように、 「赤薔薇」は16世紀のテューダー朝の 成立以来、イギリスの象徴である。これには V の「報復」の表徴を超える 有意味的な機能があって、物語の後半へとつながっているが、これについ ては後述する。 V のもとを去って孤立無援になったイーヴィは、ディートリッチを頼る しか方法がない。しかし、禁書『コーラン』の稀覯版を秘蔵する同性愛者 (gay)ディートリッチは、サトラーを痛烈に諷刺するショー番組を制作し たために、たちまち官憲に逮捕され、時をおかずに銃殺されてしまう。イ ーヴィも必死の逃亡を試みるが拘束され、いずことも知れぬ独房に監禁さ れる。物語の後半は、GN 版のプロットに忠実に、この「イーヴィの試練」 からその核心に入る。 粗末な囚人服を着せられたうえ髪の毛を切られ、拷問を受けるイーヴィ、 食事も喉を通らぬまま、彼女は「尋問者」の脅迫に対して徹底した抵抗の 姿勢を貫く。この間、彼女において肉体の衰弱は明らかに進行するが、精 神の耐性は却って強化されていく。 Interrogator You have one chance and only one chance to save your life. You must tell us the identity or the information of code name“V.”If the information leads to his capture you will be immediately released from this facility. Do you understand what I’ m telling you? . . . You can return to your life, Miss Hammond, and all you have to do is cooperate. 「君が助かる方法は一つ。コード・ネーム“V”の正体を明か ― ― 147 “ideas are bullet proof” すか、情報を提供するかのいずれかだ。彼奴を拘束できれば、 君はここから直ちに解放される。言っていることがお分かりか な?普段の生活に戻れるのだ、ミス・ハモンド。君のなすべき ことは我々に協力することだ。 」 この間、牢獄の残飯を漁りにくるネズミの巣穴の奥から、イーヴィはト イレット・ペーパーに書き留められた長文のメモを発見する。そこには、 女優ヴァレリー(Valerie)の生涯――美の追求が「同性愛」(lesbianism) というかたちをとって現れるしかなかった、生の真実を愛する彼女の精神 の歴史が、自伝のかたちで連綿と綴られてあった。自分が自分であること への信念を貫いたために、収容所で悲劇的な生涯を終えた女性の獄中手記 である。「ヴァレリーの挿話」は、GN 版の「物語内物語」(a story within a story)を忠実に復元した「映画内映画」(a film within a film)となってい る。ここでは、最後の箇所のみを引こう。 . . . I shall die here. Every inch of me shall perish . . . Every inch, but one. An inch. It is small and fragile and it is the only thing in the world worth having. We must never lose it or give it away. We must never let them take it from us . . . I hope that whoever you are, you escape this place. I hope most of all is that you understand what I mean when I tell you that even though I do not know, and even though I may never meet you, laugh with you, cry with you, or kiss you . . . With all my heart. I love you. Valerie. 「私はここで死ぬことになるでしょう。少しずつ滅びへと向か っています。でも、最後の一インチだけは。最後の一インチ、 そう、それは小さくて、今にも壊れそうなものです。でも、そ れは大切にする価値のある唯一つのもの、なくしたり捨てたり してはならないものです。他人に奪われたりしてはならないも のです…あなたなららきっとここから抜け出せます。世の中が 変わり、事態が良くなりますように。でも、私はあなたのこと を知らないし、あなたに会ったり、いっしょに笑ったり泣いた り、またあなたにキスすることもないでしょうが、私が一番期 ― ― 148 関東学院大学文学部 紀要 第109号(2006) 待しているのは、私の言っていることを理解してほしいという ことです… 心からあなたを愛しています。 ヴァレリー」 「スカーレット・カースン」は、このヴァレリーがこよなく愛した花であ った。信念、あるいは「理念」のために、死の恐怖を超克することの意味 をイーヴィはこの未知の女性の手記のなかにしっかりと読みとり、心を打 たれて涙する。ヴァレリーの運命と自分の運命とを重ね合わせるのである。 この「イーヴィの試練」という中心的なエピソードは、GN 版に忠実に、 しかし映画版ではより劇的に、物語展開上の所謂「ヒネリ」 (twist)を利か b b b b した部分で、V が仕組んだからくりである。ディートリッチ邸から逃走し ようとしたイーヴィの身柄を拘束したのも、官憲側ではなく、この V に他 ならない。 黙秘の代わりに「死」を甘んじて受け入れたイーヴィは、なぜか独房か ら解放される。独房を出て廊下の先にあるドアを開けると、そこは V のシ ャドー・ギャラリーであった。 Evey You got to me? You did this to me? . . . You cut my hair . . . You tortured me? You tortured me? . . . Why? God, why? 「あなたなの? わたしをこんな目に会わせたのは?. .. 私の髪を切り、拷問にかけたのは? 酷いわ、どうして?」 V You said you wished to live without fear. I wish there was an easier way but there wasn’ t. 「恐怖なしに生きたいと君は言っていたね。もっと容易な方法 があればよかったのだが、それが見つからなかった。 」 Evey Oh my God . . . 「信じられない...」 V I know you may never forgive me. Nor will you ever understand how hard It was for me to do what I did. Every day I saw in myself everything you see in me now. ― ― 149 “ideas are bullet proof” Every day I wanted to end it but each time you refused to give in, I knew I couldn’ t. 「君は私を許してはくれまい。あんなことをするのがどれほど 私の胸を痛めたか、分かってはもらえまい。毎日気も狂わんば かりだった。やめようと思わぬ日はなかったが、その都度、君 は屈することを拒んだ。どうしようもなかったのだ。」 Evey You are sick! You’ re evil! 「狂ってる! あなたは悪魔よ!」 V You could have ended it Evey. You could have given in, but you didn’ t. Why? 「君は終わりにできたはずだ、イーヴィ。降参することもでき たはずだが、君は屈しなかった。なぜだね?」 Evey Leave me alone! I hate you! 「ほっといてよ!あなたなんか大嫌い!」 V That’ s it. At first I thought it was hate too. Hate was all I knew. Hate had built my world, imprisoned me, taught me how to eat, how to drink, how to breathe. I thought I would die from the hate in my veins. But something happened. It happened to me just as it happened to you . . . . . . Listen to me, Evey. This may be the most important moment of your life. Commit to it. 「それだ。私も最初はそれが憎しみだと思った。憎しみが私の 知る全てだった。憎しみが私の世界を築き、私を拘束し、もの の食べ方、水の飲み方、息の仕方を教えてくれたのだ。血のな かに流れる憎しみで、私は死ぬかと思った。しかし、何かが起 きたのだ。君に起きたように、私にも起きたのだ…イーヴィ、 私の言うことをよく聞くのだ。これは君の人生で一番大切な瞬 間かもしれない。それと向かいあうのだ。 」 ― ― 150 関東学院大学文学部 紀要 第109号(2006) 画像Á “Commit to it.” この間の V の台詞は、やや執拗な GN 版から変更されてかなり簡潔なもの になっている。GN 版でとりわけ重要なのは、「君はこれまでの人生をずっ と牢獄のなかで送ってきたのだ。」(“You’ ve been in prison all your life.”) という一文である。 イーヴィに起きたものは、 「死(の恐怖)からの逃避」から、自分の「運 命」から逃避しない「死(の恐怖)の超克」への意識の変革である。その 根底には、人間には、「命よりも大事なもの」(something that mattered more to you than life itself)があるという認識がある。おのれの「死」に直面 しても、心の平静を保つことのできる絶対的な意識であると言ってもよい (画像Á)。 イーヴィはベランダに出て、そぼ降る雨のなかにその全身を、全霊を解 き放つ。高速度撮影で映し出される浄化の雨がイーヴィに降り注ぎ、背後 から彼女を眺める V の眼に、火の海のなかに立つ20年前の自分の姿が二重 写しとなる。 来るべき11月 5 日に先立つ再会を約して、V はイーヴィをシャドー・ギ ャラリーから解放する。最後の闘いの日はいよいよ近い。 Ã 「理念(ideas)は銃弾を通さない」 、すなわち「理念は死なない」――こ の作品が発する思想的なメッセージは導入部とクライマックスにおいて、 イーヴィと V によってそれぞれ繰り返されて強い印象を残す。 ― ― 151 “ideas are bullet proof” Evey (V.O.) “Remember, remember, the fifth of November, the gunpowder treason and plot. I know of no reason why the gunpowder treason should ever be forgot . . . I know his name was Guy Hawkes and I know in 1605 he attempted to blow up the Houses of Parliament . . . . But who was he really? . . . We are told to remember the idea and not the man because a man can fail . . . But four hundred years later, an idea can still change the world. I have witnessed first hand the power of ideas . . . Ideas do not bleed . . .” 「11月 5 日のことを、火薬陰謀事件のことを記憶にとどめよう。 どうして忘れていいものか…その人の名はガイ・ホークス、 1605年のこと国会議事堂の爆破を試みた人…でも、彼はいっ たいどういう人だったのだろう?…その人間ではなく、その理 念を記憶するように言われる。人間に失敗はつきものだから… 400年の後にあっても、一つの理念が世界を変えることもある。 私は理念の力を目の当たりに目撃した…理念は血を流さない。 」 言うまでもなく、この映画は「革命」とか「体制の変革」を徒に喧伝す るものではない。ましてそれを強制するものではない。むしろ、 「イーヴィ の試練」はもとより、最終的には V 自身をも巻き込む人間的な「意識の変 革」の可能性を深く、そして重く響かせる。 映画の魅力を十二分に味あわせてくれるものに、シャドー・ギャラリー におけるV の「ドミノ倒し」 (dominoes fall)のシーンがある。一つの赤いド ミノが倒されると、無数のドミノがその運動を加速させ、あたかも生き物 のように幾何学模様を描いて、赤い円弧のなかに浮かぶ赤い“V”字の「文 字」が浮かび上がる仕組み。これは、V の「報復」の最終的な手段と目的 を含意する点で、すぐれて予兆的(typological)なシーンでもある。最初 のドミノは V 自身を、これに連動して津波のように加速度を増す無数のド ミノは市民そのものを意味するだろう。 いっぽう、V は議長サトラーの腹心で、秘密警察を率いる公安トップの ピーター・クリーディ(Peter Creedy)に揺さぶりをかけ、自分自身とサ トラーの身柄との交換条件(bargain)を提示する。自己を犠牲にする心理 作戦である。 ― ― 152 関東学院大学文学部 紀要 第109号(2006) 11月 4 日、V との約束を守って、イーヴィはシャドー・ギャラリーを訪 ねる。 V Would you…dance with me? 「私とダンスをして…もらえないかね?」 Evey Now? On the eve of your revolution? 「いま?革命前夜というのに?」 V A revolution without dancing is a revolution not worth having. 「ダンスのない革命など、革命の名に値しない。」 仮面の下の顔を見たいイーヴィは、V の仮面を外そうとするが、V はそれ を押しとどめて言う。 「イーヴィ、お願いだ。この仮面に下には顔があるに はあるが、それは私ではない。もはや人間の顔ではないのだ。」(“Evey, please. There is a face beneath this mask, but it is not me. I am no longer that face than I am the muscles beneath it or the bones beneath that.” )この ことばは、後述するように、V の正体の「無名性」(anonymity)とつなが っている。 V はイーヴィを伴って閉鎖された地下鉄へ入り、10年をかけて自力で補 修した線路と一台の車輌が用意されている構内へとイーヴィを導く。 V This is my gift to you, Evey. Everything that I have, my home, my books, the gallery, this train. I am leaving to you to do with what you will. 「イーヴィ、これは君への贈り物だ。私の家、書物、ギャラリ ー、この列車、私の持っているもの全てだ。どう使おうと君の 自由だ。」 Evey Is this another trick, V? 「Vったら、またトリック?」 ― ― 153 “ideas are bullet proof” V No. No more trick. No more lies. Only truth. The truth is that you made me understand that I was wrong. That the choice to pull this lever is not mine to make. 「いや。トリックや嘘はなしだ。本当のことだ。君は私の間違 いを分からせてくれた。このレバーを押すのが私ではないこと をね。」 Evey Why? 「どういうこと?」 V Because this world, the world I am a part of and that I helped shape, will end tonight. Tomorrow a different world will begin, that different people will shape and this choice belongs to them. 「なぜなら、この世界、私がその一部であり、私がその形成の 手助けをした世界は今夜で終わりになる。明日は、違う人間が 作り上げる違う世界が始まる。どう選択するかは彼ら次第だ。 」 V の作戦どおり、疑心暗鬼に憑かれたクリーディは、サトラー議長を閉 鎖中のヴィクトリア駅(Victoria Station)構内に設定した「報復」の場に 引きずり出す。このサトラーに、V は「ありとあらゆる所業、そしてやり 残したことへの手向け」(a farewell gift for all you’ ve done, for the things you might have done, and for the only thing you have left)として一輪のスカ ーレット・カースンを奉げると、有無を言わさず、この独裁者をクリーデ ィに射殺させる。 クリーディの「さて、一つは片付いた…今度は貴様の顔を拝ませてもら おう。仮面を外せ。」(“Now that’ s done with . . . It’ s time to have a look at your face. Take off your mask.” )という要求を、V は言下に拒絶する。 Creedy What are you going to do? Huh? We’ ve swept this place! You’ ve got nothing! Nothing but your bloody knives and fancy karate gimmicks! And we have guns! 「さあ、どうする? もう逃げ場はない! 貴様には何も残って ― ― 154 関東学院大学文学部 紀要 第109号(2006) いない!貴様の武器は短剣といかさま空手だけだ! だが、我々 には銃がある!」 V No. You have guns. And the hope that when your guns are empty I am no longer standing, because if I am, you’ ll be all be dead before you’ ve be reloaded. 「いや、違うな。なるほど諸君には銃がある。銃を撃ち尽して、 私が倒れていたら話は別だが、そうでなければ、再装填する前 に諸君の命はなくなっているだろうな。」 Creedy That’ s impossible! Kill him! 「世迷言を! 殺せ!」 V は、クリーディが率 いる特殊部隊(sweepers) から激しい銃撃の洗礼を 受ける。しかし、V は平然 と向き直るや、「私の番 だ。」(“My turn.”)と呟 くが早いか、マントを翻 し、 「理念」の力で磨き上 げた短剣を自在に操り、 一気に10余名の敵を屠っ 画像Â “My turn.” てしまう。深く澱んだ地 下の闇を深く切り裂くように飛ぶ血潮、その高速度撮影が深手を負った V の悲壮感を漂わせて美しい(画像Â)。 ただ一人とり残されて、恐怖に慄くクリーディの、 「貴様、なぜ死なんの だ?」 (Why won’ t you die?)という問いかけに、V はこう応じる。 V Beneath this mask there is more than flesh. Beneath this mask there is an idea, Mr. Creedy . . . And ideas are bullet-proof. 「この仮面の下には血肉を超えるものがある。 ― ― 155 “ideas are bullet proof” この仮面の下にあるのは理念だ、クリーディ君… 理念は銃弾など通さんよ。 」 この銃撃シーンには、黒澤明『用心棒』 (1961)へのオマージュと思われ b b b b るからくりが用意されているが、今はこれを措く。ここに、カトリシズム に「煉獄」(Purgatory)思想のアナロジーを見ることはできないであろう か。V の「肉体」はすでにラークヒル収容所の生体実験と爆発火災のなか でほとんど滅しているが、なお「精神」は滅しきれずに生きている。 「理念」 の持つ力が、血肉の廃滅を辛うじて防いでいるのである。クリーディを誅 殺したのち、地下鉄のホームで待つイーヴィのもとに帰還した V は、彼女 の腕のなかで「理念」の運動を停止する。それは一人の若い女性の自由な 「意志」に委ねられるのである。 Evey Oh no . . . We have to stop your bleeding. 「まあ、たいへん…出血を止めなくては。」 V Please . . . don’ t . . . I’ m finished . . . and glad for it. 「いや……私の務めは終わった…満足だ。」 Evey Don’ t say that. 「そんなこと言わないで。」 V I told you . . . only truth . . . For twenty years I sought only this day . . . nothing else existed . . . until I saw you. Then everything changed . . . I fell in love with you, Evey . . . like I no longer believed I could. 「私は真実だけを…話した…20年間、この日のことだけを求め てきた…他には何もありえなかった…君に会うまでは。それか ら全てが一変した…イーヴィ、私は君を愛するようになってい た。ありえないことだった…」 Evey V . . . I don’ t want you to die. 「V…死なないで。」 ― ― 156 関東学院大学文学部 紀要 第109号(2006) V That’ s the most beautiful thing . . . you could’ ve ever given me. 「それは…君が私に与えてくれた… 最も美しいものだった。 」 なお、この V の最後の台詞については、Wachowski 兄弟の脚本に大きな 変更が加えられている。そこでは、 「報復」による「死」を表徴した赤い薔 薇、スカーレット・カースンの意味が、 「憎しみ」 (hate)から「愛」 (love) へ、さらには普遍的な「人間愛」 (roses for all of us)へと昇華すべきもので あることが、死に瀕したV自身によって語られている。以下、参考までに引 いておこう。 V . . . . and every day that drew this day closer made me understand it wasn’ t blood I wanted . . . it was another chance . . . 「この日が近づくにつれて、私の求めたものが 流血などでないことが分かった… それは全く別のものだった…」 Evey Chance for what? 「別のもの、って?」 V For roses…not for me . . . for all of us. 「薔薇だ…私のためでなく、皆のための…」 確かに、コンテクストから見るかぎり、感傷的に過ぎてくどいようにも思 われる。映画版では先に引いた変更があり、それがかえって深い余韻を残 すものとなった。このシーンに続いて大団円に至るイメジの圧倒的な力感 は創意に満ちていて、かなり複雑な構成を見せる GN 版を見事に換骨奪胎 してみせた映像作家 Wachowski 兄弟による脚色の手柄であると言ってよい だろう。 イーヴィは V の亡骸を地下鉄車内に安置すると、その柩をスカーレット・ カーソンで飾る。すでに、その車輌は国会議事堂へ向かうように設定され ― ― 157 “ideas are bullet proof” ている。GN 版では、V はイーヴィに「ヴァイキング葬」(a Viking funeral)、すなわち火葬を切望しているが、映像版にはそれへの言及はない。山 と積まれた爆薬ゼリグナイト(gelignite)がその副葬品であり、その爆発 と同時に V の遺体は木っ端微塵に消え去るであろう。あとに残ものは、Vと いう人物の記憶だけである。 実直に過去を手繰って、「真実」――全ての要素が結びつく「完璧な型」 (a perfect pattern)――に辿りついたフィンチも、イーヴィの自由意思か ら発した行動を黙認せざるをえない。フィンチにも「意識の変革」が起き ているのである。 Evey I’ m sorry but I’ ve made up my mind so the only way to stop me is to kill me. 「ごめんなさい。でも、私の決心は変わらない。 止めたければ、私を殺すしかないわ。 」 Finch Why are you doing this? 「なぜ、こんなことを?」 Evey Because he was right. 「 V が正しかったから。 」 Finch About what? 「どういうことだ?」 Evey That this country needs more than a building right now. It needs hope. 「この国はいま建物以上のものを必要としているわ。 それは希望よ。」 「パンドラの箱」 (Pandora’ s Box)に唯一つ残っていたはずの、いまは失 われた「希望」を、イーヴィは勇気をもって奪還しようというわけである。 彼女が発車レバーを押すと、V と爆薬を載せた列車はゆっくりと動き出す。 ― ― 158 関東学院大学文学部 紀要 第109号(2006) 画像Ã “A wave of Vs” 地上では、すでに V によって市内全域の住民に届けられた「ガイ・ホー クスの仮面」を被った群集が津波のようにトラファルガー広場(Trafalgar Square)に集結し、命令系統が完全に遮断された軍隊を尻目に、ウエスト ミンスター宮殿(the Palace of Westminster)へ向かって「ホワイトホール 大行進」(the Whitehall Procession)を開始する(画像Ã)。現実に生きて いる一般市民のドミノ現象である。1 年前の11月 5 日にテレビ局からなさ れた V の真摯な呼びかけに、彼らが大挙して応じたのである。やがて、議 事堂に連鎖状な大爆発が起こり、夜空を焦がす鮮やかな閃光が“V”の文字 を再び浮かび上がるスペクタクルを見せると、一斉に仮面を外して仰ぎ見 る人々の凱歌を高らかに謳いあげて暗転するや、The Rolling Stones,“Street Fighting Man”の演奏とともに 2 時間12分の映画はエンド・クレジットを 迎える。 V が誰であったのか、GN 版も映画版は明らかにはしていない。しかし、 それは無用な詮索というものだろう。V がシャドー・ギャラリーでイーヴ ィに見せるお気に入りのアメリカ映画の旧作に、Robert Donut 主演の The Count of Monte Cristo(1934)がある。原作は19世紀フランスの文豪 Alexandre Dumas pere の小説で、人生の全てを奪われた青年エドモン・ダン テス(Edmond Dantes)の復讐譚である。とはいえ、V の「報復」は、全 てを奪われた者による私怨を晴らす類いの勧善懲悪的な行動であるわけで はない。また、その動機は、驕り昂ぶって「悪魔との契約」を結んだ魔術 師ファウストのそれでもない。そこには毅然とした自己犠牲(self-sacrifice) の精神がある。その意味でも、V は無名のままでいい。フィンチの問いに ― ― 159 “ideas are bullet proof” 返すイーヴィの答えが、全てを物語っているだろう。 Finch Who was he? 「で、V の正体は?」 Evey He was Edmund Dantes . . . And he was my father, and my mother. My brother and my friend. He was you and me. He was all of us. 「彼はエドモン・ダンテス。そして私の父で、私の母。私の弟 で私の友だち。彼はあなたで私。彼は私たち皆だったのよ。 」 Vが「アナキスト」であったかどうかについてはどうでもいいことであ る。最後に、GN版の「無政府状態」(anarchy)の解釈を引いておこう。 “Anarchy wears two faces, both creator and destroyer. Thus destroyers topple empires, make a canvas of clean rubble where creators then can build a better world.”(p. 248) 「無政府状態には創造する者と破壊する者の二つの顔がある。 破壊する者は帝国を転覆させ、完全な瓦礫の山を築く。こうし て、創造する者はそこにより良い世界を建設することができる のだ。」 注 1 )Fraser, The Gunpowder Plot: Terror & Faith in 1605, p. 110. この歴史家の著 述には、Mary Queen of Scots, Cromwell: Our Chief of Men, King James VI of Scotland, I of England, King Charles II, The Six Wives of Henry VIII など、 初期近代に材をとった作品が多い。 2 )フランス人監督 Luc Besson によるこの名作で、親兄弟を殺されて孤児になっ た少女を演じて、主役の Jean Reno を「食う」演技を披露したのが、イスラ エル出身で当時13歳のNatalie Portman である。なお、GN 版ではイーヴィは 18歳の娼婦として登場するが、映画ではいまや知性派女優に成長したPortman の実年齢(撮影当時は満24歳)に合わせたこともあり、このヒロインの設定 ― ― 160 関東学院大学文学部 紀要 第109号(2006) を変えている。 3 )以下、撮影台本(shooting script)からの引用は、原則的に、Andy & Larry Wachowski の脚本に加え、スティル写真その他の映画情報を満載した V for Vendetta: from Script to Film, Rizzoli, 2006に拠ったが、公開時の映画から起こ した部分がある。 4 )この「アメリカ的表徴」(the American icon)としてのバットマンに関して は、拙稿「『バットマン』論」関東学院大学人文科学研究所第14号(1991) 「祝祭・叛乱・弾圧――バットマン再考」関東学院大学文学部紀要 pp. 3−30、 第66号(1992)pp. 3−49、 「バットマン余燼」関東学院大学文学部紀要第69号 (1994)pp. 175−86、「“a guy who dresses up like a bat clearly has issues” ――映画 Batman Begins の記号論」関東学院大学文学部紀要第106号(2006) pp. 73−107を参照。 5 )この〔w〕音の頭韻詩句“Vi Veri Veniversum Vivus Vici.”の典拠は不詳。16世 紀前半のドイツに実在したファウスト博士(Georg Faust)は、同じ世紀の後 半には早くも伝説化して、原典は散逸したもののラテン語による伝記が書か れ、そのドイツ語訳写本 Historia vund Geschicht Doktor Johannis Faustj (ヴォルフェンビュッテル図書館蔵)が現存しているが(小塩節『ファウスト ――ヨーロッパ的人間の原型』 、講談社学術文庫 1996)、爾来、民衆本の流 布や人形芝居などにより、その名は奇行に満ちた怪異な人物として人口に膾 炙している。この伝統的なファウスト伝説に材を得た代表的な文藝作品に、 初期近代はイギリスの Christopher Marlowe, The Tragicall History of Doctor Faustus(1604)があり、近代ドイツにあっては、Johann Wolfgang Goethe, Faust(1808, 1832)が、20世紀ドイツには Thomas Mann, Doktor Faustus (1947)がある。しかし、問題のラテン語詩句はこれらの作品中には見当た らない。 参考文献 Fraser, Antonia, The Gunpowder Plot: Terror & Faith in 1605, Phoenix Books, 2002. この邦訳に、加藤弘和訳『信仰とテロリズム――1605年火薬陰謀事件』 慶應義塾大学出版会、2003がある。 Lamm, Spencer et al.(eds.) , V for Vendetta: From Script to Film, Universe Pub, 2006. ― ― 161 “ideas are bullet proof” McTeigue, James(dir.), V for Vendetta, Two-Disk Special Edition, Warner Home Video, 2006. Moore, Alan & David Lloyd, V for Vendetta, Vertigo Comics, 1988. 越智道雄「ガイ・フォークスの仮面は近未来の何を象徴しているのか?」ワーナ ー・ブラザーズ配給『Vフォー・ヴェンデッタ』劇場用プログラム解説、pp. 24−25、2006. ― ― 162
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