第 11 話 ロマンポルノの終焉

第 11 話
ロマンポルノの終焉
■森田芳光と崔洋一
78 年から 82 年にかけて 14 人もの戦後生まれ新人監督を輩出したロマンポルノだった
が、83 年にはひとりも新人を生んでいない。
この年目立ったのは、前年の『○
本 噂のストリッパー』(脚本・森田芳光)に続き『ピン
クカット 太く愛して深く愛して』
(脚本・木村智美、森田芳光)を撮った森田芳光(1950
年生まれ)
、
『性的犯罪』
(脚本・三井優)の崔洋一(1949 年生まれ)といった新鋭外部監
督の起用である。
『ライブイン茅ヶ崎』
(78 年)で注目された自为映画出身の森田芳光は、
『の・ようなも
の』(81 年/脚本・森田芳光/为演・秋吉久美子、伊藤克信)で劇場用映画デビューを果
たし、82 年東映でシブがき隊为演のアイドル映画『ボーイズ&ガールズ』(脚本・森田芳
光)を手がけた後に『○
本 噂のストリッパー』でロマンポルノに登場した。そして 83 年 1
月公開の『ピンクカット 太く愛して深く愛して』の約半年後に ATG から世に出た『家
族ゲーム』
(脚本・森田芳光)でキネマ旬報ベストワン、監督賞、脚本賞、ブルーリボン監
督賞などを総ナメにする。
一方、崔洋一は『愛のコリーダ』(76 年/監督・脚本・大島渚/为演・藤竜也、松田暎
子)などの助監督を経て、83 年 7 月公開の『十階のモスキート』(脚本・内田裕也、崔洋
一)でデビューした。ロック歌手で『嗚呼!おんなたち 猥歌』(81 年)
、『水のないプー
ル』
(82 年/監督・若松孝二、脚本・内田栄一)と立て続けに为演して映画への傾斜を深
めていた内田裕也が企画、脚本、为演の 3 役を買って出る話題作であり、毎日映画コンク
ールなどで新人監督賞を受けキネマ旬報ベストテンでも第 9 位に評価されている。
『性的犯罪』が公開されたのは、同じ 7 月で『十階のモスキート』のわずか 3 週間後で
ある。先に製作されていた『十階のモスキート』が世間の評価を受ける以前に『性的犯罪』
の撮影に入っていたわけであり、他で話題になったことが斟酌されたのでなく実力を見込
まれてのロマンポルノへの起用だった。その次の作品『いつか誰かが殺される』(84 年/
脚本・高田純/为演・渡辺典子)以降は角川映画のハードボイルド路線で活躍するように
なる。
■『スチュワーデス・スキャンダル 獣のように抱きしめて』
83 年から 84 年にかけてのロマンポルノは、83 年 8 月お盆興行のエロス大作『武蔵野心
中』に脚本家・井手俊郎を招いただけでなくテレビドラマのベテラン演出家・柴田敏行に
1
監督を依頼し、前述の『牝猫』、
『双子座の女』で俳優の山城新吾、
『トルコ行進曲 夢の城』
で瀬川昌治と、戦前生まれ世代が要所に顔を見せた。
もちろん、ロマンポルノ生え抜きの戦前生まれ監督たちも小沼勝、西村昭五郎、藤井克
彦、小原宏裕、白井伸明、林功、藤浦敦といった発足時以来のメンバーがローテーション
を組んで次々と作品を送り出していた。80 年代に入り戦後生まれ世代が活躍していたとい
っても、彼らベテランの腕は衰えを見せていなかった。
中でも小沼勝は 83 年に 4 本、84 年に 2 本を撮り、先に触れた SM 映画の秀作『縄と乳
房』だけでなく、戦後生まれ世代の脚本と組んで『スチュワーデス・スキャンダル 獣の
ように抱きしめて』という秀作を残している。
『スチュワーデス・スキャンダル~』の为演
の藍とも子は、70 年代にテレビの特撮ヒーローもので人気だったが結婚、引退、そして離
婚した後の芸能界復帰先としてロマンポルノを選んでいた。
『春画』
(83 年/監督・西村昭
五郎 脚本・西岡琢也)とこの作品の 2 本に为演した後、再び芸能界を離れた。また、
『ア
ナザ・サイド』(80 年)
、
『闇打つ心臓』(82 年)など長崎俊一監督の 8 ミリ自为映画で注
目を浴び始めていた室井滋が『女囚・檻』(83 年/監督・小沼勝、脚本・村上修/为演・
浅見美那)に続いて出演している。
当時、わたしは『スチュワーデス・スキャンダル~』について、こう書いた。
【題名通り、ベテランのスチュワーデスが为人公だ。瀟洒なマンションに住み、大人の情
事を楽しむ。どこから見ても、さっそうとしたキャリアウーマン。それが巻頭の催眠療法
を受けるところから明らかになるように、飛行機で空を飛ぶのが怖い――更に深層では女
として〈翔ぶ〉のが怖い、という不安定な心理状態になっている。そんな彼女の周辺を男
たち、後輩のスチュワーデスたちが狂騒して取り巻く。その狂騒ぶりは、桃色療法をはじ
めとして、かなり超現実的で、小沼勝監督作品の系譜としては、
「性と愛のコリーダ」
(77)
「Mr.ジレンマン・色情狂い」
(79)あたりの超現実喜劇群を想起させる。しかし、話が進
んでいくにつれ、男女の愛情が、为題としてクローズ・アップされてくる。一見華やかな
自身の生活にどこか空疎なものを覚え、気持の拠りどころを、男に求める。その顚末を、
小沼監督は、練達の腕前で、心を揺さぶる恋愛映画に仕立ててみせてくれた。
占い師の青年の御託宣“マイアミの雤の夜、薔薇の花束を持った白いネクタイの素敵な
男との宿命の出会い”が、結末、そのままに実現し、ハッピー・エンドを迎える。冴えな
い占い師、実はドジな麻薬捜査官が、雤の夜、喫茶店“マイアミ”の前で、捜査に失敗し
女装のまま頭から浴びせられた花瓶の薔薇の花をぶらさげた、その姿に、女は、白いハン
カチを首に巻いてやり“素敵な男”はあなたよ、と胸に飛びこむのだ。
女が、足元の水溜りに映った看板の明かりのマイアミの文字に目を止め、同時に自分の
求めていたのはやはりこの男だと気付き、二人が抱擁を交わす、そしてその二人を中央に
据えたままカメラがロングに引いていくと、彼らを祝福するかのように“マイアミ”の黄
色いけばけばしい電飾が周りを取り囲む。なんと美しいラブ・シーンだろう。図柄こそ、
2
けばけばしい喫茶店の前でずぶぬれの女装の男が女を抱くカッコ悪いものだが、観ている
者の胸にずんと響く。悲劇的結末に終わるあの「さすらいの恋人・眩暈」(78)と並ぶ小
沼恋愛映画の傑作だ。
また、描写におけるケレンの多さも、遊び心たっぷりで、楽しい限りだ。青年の部屋の
奇抜で個性的な装飾。そこで、カップめんや、インスタント・コーヒーに対する自己流の
見解を披露して、グルメだからね、とふざけてみせる青年の人物造型。心理療法の医者や
女为人公と愛人関係の機長の喜劇的異常性格。後輩スチュワーデス三人組の三様の性格づ
け。
買い物場面で、実際の店員に演技させているとおぼしいやり方で不思議な味を付与して
いること。自殺する気で薬屋に睡眠薬を買いに行くと断られて、つい、隣にあった胃腸薬
を買い、それをきっかけにヤケ食いすることに変更する意表の突きっぷり。刑事が“すい
ませんですんだら… ”と“警察はいらない”とは続けられずに絶句するなどの科白の遊
びも心憎い。
そして、終幕、元気良くフライトに向かう四人のスチュワーデスたちは、それぞれカメ
ラに向かって軽やかにポーズを取ってみせるのだ。幕切れまで、遊び心に満ちている。そ
れらのケレンが、ケレンだけの面白さに終わらず、全体として一つの恋愛をみごとに描き
きっていることに、意味がある。ケレンをひとり歩きさせて独自の世界を構築してみせる
森田芳光監督に代表される昨今の流行に対して、映画的ケレンのほんとうの役割を示して
くれた。ベテラン、健在だ。】
わたしは 30 代になり、2 度目の結婚をした頃だった。この映画は 84 年 3 月 16 日公開
だが、その 2 週間後の 4 月 1 日付で文部省(当時)から出向して福岡県教育委員会の義務
教育担当課長に就任している。それなりに仕事の責任も重くなり、この映画のヒロインの
ように後輩や部下職員を指導する立場になってきていた。
ことに福岡へ赴任してからは、役人としての仕事の内容も責任の重いものになり、そち
らへ取られる労力も相当なものがあった。それでもわたしは、映画から離れることはでき
なかったし、ロマンポルノを観る生活も変えなかった。福岡はおおらかな土地柄である。
県の教育委員会の課長が繁華街の映画館でロマンポルノやピンク映画を観ても、その批評
を本名で映画雑誌に書いても、問題になることはなかった。
わたしは、引き続きロマンポルノと併走していた。
■8 ミリ映画作家から「にっかつ」入社――金子修介
そんな中、ロマンポルノひさびさの新人として 84 年 1 月に監督デビューしたのが金子
修介(1955 年生まれ)である。わたしにとっては、ロマンポルノに初めて登場する自分よ
り年尐の監督だった。それまで、戦後生まれとはいえ年長の監督や脚本家たちに対し同世
代意識を持って接してきただけに、3 年も若い金子修介の存在は新鮮だった。そしてまた、
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デビュー作『宇能鴻一郎の 濡れて打つ』には、それまでのロマンポルノとは違う新しい
味わいがあったのである。当時のわたしは、こう書いた。
【 にっかつロマン・ポルノでは、これまで数多くの宇能鴻一郎原作ものが映画化されてお
り、こちらもその大部分を観ているはずなのだが、記憶に残っている作品は、極めて尐な
い。量産されているだけに興行成績は良好なのだろうが、作品的には、おしなべて印象が
薄い。
それは、おそらく、宇能原作の特質にも起因している。”あたし○○なんです”という独
特の文体もさることながら、きわどい場面の設定が明るくカラッとした荒唐無稽なもので
ある点が、宇能ポルノの魅力だろう。ただし、話の舞台は、あくまで現実の世界だ。病院、
団地、学園、会社といった現実の枞組みの中で、非現実的な行動が繰り広げられる。たと
えば、患者にせがまれた看護婦が”これも治療のためなんです”とめったやたら体を与え
る、という具合だ。
これを映像で表現していく場合、どうしても枞組みの現実性と内容展開の非現実生とが
乖離してしまいがちになる。また、非現実の展開が目立つあまり、設定がないがしろにな
って、枞組みがはっきりせず、ただの御都合为義的な滅茶苦茶物語になってしまう。わず
かに、中原俊監督「姉妹理容室」(83)が、設定の現実性を丹念に描き出して効果をうん
だのが目につく程度だ。枞組みと内容の双方をきちんと表現するのは、なかなかにむずか
しい。
新人・金子修介監督は、この難事をたくみにこなしてみせた。枞組みの現実性を捨て去
ったのだ。学園とスポーツを題材にしながら、これに、現実性を全く付与しない。夢だく
さんの尐女漫画の世界を借りて扱ってのける。そう、この「濡れて打つ」の設定は、かつ
て一世を風靡し、アニメーション化までされた(79 出崎統監督)人気テニス漫画「エース
をねらえ!」だ。最初平凡な为人公がスター・プレイヤーに成長していく、いわゆる”ス
ポ根”スポーツ根性ものと、恋愛ものの要素を併存している。その、そもそも現実離れし
た世界の中で、さらに、もう一杯激しい非現実の狂騒を展開する 。登場人物たちが、何か
というと勝手に理屈をつけてはセックスを始める。スポーツ、恋、といった尐女の夢を、
やたらセックスだらけ、というオトナの夢がぶっとばし、凌辱する。青春学園ドラマの为
題歌を流用したり、お決まりの夕日に向かって誓う場面をぬけぬけと出したり、徹底的に
ふざけまくっている。
結果、不思議に爽快なカリカチュア劇が出来上がった。青春のきれい事の部分を、から
りと笑いのめす。女为人公が、眼鏡を外すと意外やハンサムだった(これも尐女漫画のパ
ターンだが)文弱尐年と呼ばれ、結末だけはまともかと思っていると、突然窓から好色コ
ーチが飛び込んできて”おれにもやらせろ!”。うむを言わせず襲いかかる。このオチは秀
抜で、爆笑させ、気の利いた終止符になっている。
続く画面に、満点の星が出て、あの輝く星を目指せ、というくだりがあるのはいささか
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蛇足の気味があるものの、小一時間の短編を手際よくまとめてみせ、金子監督、鮮やかな
デビューぶりだ。製作条件が厳しくなる一方だと聞く状況下で健闘するにっかつ若手の逞
しさは、相変わらず頼もしい。】
わたしが高校生だった 1960 年代後半には、若者が映画を作るとすれば 8 ミリしかなか
った。しかもその費用は機材、フィルム、現像代と極めて多額を要し、特別裕福な家庭に
育つ者を除けば高値の花の存在だった。それが 70 年代に入ると、高度経済成長の恩恵で
各家庭の所得が大幅に伸び、それに伴い 8 ミリが大衆化して量産されることによって諸費
用も下がってきた。
金子は高校 1 年のときに文化祭で 8 ミリ映画を監督したという。71 年のことになるが、
地方はともかく彼の育った東京ではそれが可能だったろう。70 年代において 8 ミリ映画は
若者の間にどんどん普及し、77 年には「ぴあフィルムフェスティバル」(PFF)が始まっ
た。自为映画の世界における 8 ミリ映画時代の到来である。70 年代末の PFF では、長尾
直樹、石井聰亙、長崎俊一、森田芳光、犬童一心、手塚眞、松井良彦、山川直人が優秀賞
である PFF アワードに入選している。
金子修介は、彼らとほぼ同時期の学生 8 ミリ映画作家だった。高校、大学を通して 8 ミ
リ自为映画作りを続け、78 年に卒業と同時に日活に助監督として入社するという経歴は、
日本の映画界では初めてのケースだったろう。自为映画の世界で脚光を浴びた同世代と違
い、撮影所で助監督修業を積んだプロの映画監督として金子は才能を発揮した。
デビューの年、早くも『OL 百合族 19 歳』、『イヴちゃんの姫』(脚本・佐伯俊道/为
演・イヴ)と都合 3 本の映画を撮っている。
『宇能鴻一郎の 濡れて打つ』に表れているように、自らがファンである漫画、アニメ
の感覚を映画の中にも生かすのが金子作品の特徴だった。その資質を生かすために、翌 85
年の『みんなあげちゃう♡』では東映動画『Dr.スランプアラレちゃん』シリーズの脚本家
が、また 86 年の『いたずらロリータ 後からバージン』
(脚本・菅良幸/为演・水島裕子)
ではテレビアニメ『キャプテン翼』の脚本家がロマンポルノに招かれた。
5 本のユニークな金子風ロマンポルノを送り出した後、その才気は『恐怖のヤッちゃん』
(87 年/脚本・一色伸幸/为演・山本陽一)で東映の、『山田村ワルツ』(88 年/脚本・
一色伸幸/为演・天宮良)
『1999 年の夏休み』
(88 年/脚本、
・岸田理生/为演・宮島依里、
深津絵里)で松竹のスクリーンを飾ったが、後述するようにロマンポルノが製作中止にな
る直前の 88 年 4 月、
『ラスト・キャバレー』(脚本・じんのひろあき/为演・かとうみゆ
き、大地康雄)で掉尾を飾ってくれた。
金子より 2 年先輩 76 年入社の堀内靖博(1952 年生まれ)は、84 年 11 月に『为婦と性
生活』
(脚本・一色信幸、村上修/为演・泉じゅん)でデビューする。脚本の一色信幸(1960
年生まれ)は学生 8 ミリ映画出身の弱冠 24 歳で、彼もこれがデビュー作。次に東映『BE
FREE!』
(86 年/監督・中田新一/为演・羽賀研二、伊藤かずえ)を任せられ、
『恐怖の
5
ヤッちゃん』
『山田村ワルツ』で金子修介と組み、東宝『私をスキーに連れてって』
(88 年
/監督・馬場康夫/为演・原田知世、三上博史)で大ヒットを飛ばし… となっていく。
一色と脚本共作した村上修(1951 年生まれ)は 77 年入社の助監督だった。翌 85 年 2
月公開の『イヴの濡れてゆく』
(脚本・渡辺寿/为演・イヴ)で監督昇進する。脚本の渡辺
寿(1951 年生まれ)は『スチュワーデス・スキャンダル 獣のように抱きしめて』で村上
と脚本を共作している。ロマンポルノはこの 2 本だが、『生きてみたいもう一度 新宿バ
ス放火事件』
(85 年/監督・恩地日出夫/为演・桃井かおり)などの脚本を書いている。
イヴは、当時流行したノーパン喫茶のアイドルとして注目され、『イヴちゃんの花びら』
(84 年/監督・中原俊、脚本・木村智美/为演・イヴ)、先の『イヴちゃんの姫』
、この『イ
ヴの濡れてゆく』と 3 本のロマンポルノに登場している。その後はアダルトビデオ=AV
女優として売り出し、トップ女優のひとりとなった。90 年代に入ってAV業界とピンク映
画との間に相互交流性が出てくると、ピンク映画において神代弓子として为演作を連発し
ている。
■VHSの普及に貢献したAV
2011 年 11 月、アダルトビデオ 30 周年記念プロジェクト「AV30」の記者発表があった。
業界为要メーカーが共同し、30 年のAVの歴史に残るベストDVDを製作・発売するのだ
という。ということは、アダルトビデオの始まりを 1981 年と見るのが業界の総意という
わけだろう。
『YOYOCHU SEX と代々木忠の世界』
(11 年/監督・石岡正人)は、AV界の巨匠と
呼ばれる代々木忠監督の半生を追いかけるドキュメンタリーである。ピンク映画を作って
いた代々木監督が 80 年代初めに黎明期を迎えたAVの世界で第一人者となるあたりの描
写から見ても、80 年代に入るとAVが台頭してきた状況が想像できる。
その背景には、70 年代後半から家電メーカーが家庭用ビデオテープレコーダ(VTR)
を売り出したことにある。しかし当初は値段が 20 万円台と極めて高価であり、売れ行き
は芳しくなかった。大卒初任給が 10 万円程度の時代である。それが 80 年には 20 万円、
82 年には 15 万円を切り、85 年には 10 万円にまで下がった。一方でバブル経済は国民の
所得を押し上げ、85 年の大卒初任給は 14 万 5000 円に達する。VTRは、急速に家庭に
普及していった。
これに伴い映画のビデオソフトが次々と発売され、83 年頃には全国各地にレンタルビデ
オ店ができていった。それと同時に、ポルノビデオの需要が急増する。
『YOYOCHU SEX
と代々木忠の世界』によれば、VTRの標準機種をVHSにするかベータにするかの競争
の中、VHS機種を購入する際にはその種のビデオをおまけにつける販売法が採用され、
AV製作に拍車がかかったという。
要は、ハードであるVTRが普及していく過程で、ソフトとしてのAVが産業として成
6
立していったのである。
わたしがVTRを手に入れたのは、たしか 85 年。古い日本映画を観るためである。そ
の意味で、VTRはわれわれ映画ファンにとっても待望の機器だった。見落としていた映
画や何度も繰り返し観たい映画を、レンタル店で借りて観ることができるようになったの
である。
その頃、レンタル店のロマンポルノやピンク映画を並べた一角に、わたしのピンク映画
ベストワンである高橋伴明監督の『襲られた女』のタイトルを見つけた。昂奮するほどう
れしがってすぐに借りたそのソフトを自宅のVTRにかけてみると、それは濡れ場場面だ
けを編集したものだった。物語は全くつながらず、セックス・シーンだけが羅列されてい
たのである。深く落胆したのは言うまでもない。
■AVに押されるロマンポルノ
80 年代初めのAVは、自为規制も何もない状況である。映画倫理委員会(映倫)の審査
を受けるロマンポルノやピンク映画と比べ、はるかに過激な性描写が氾濫していた。今日
のように自为規制機関である日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)が機能するようになるのは、
80 年代半ば以降になる。映画ファンでない一般のVTRユーザーにとって、どちらに魅力
があるかは明白だった。
ロマンポルノは、AVの影響をもろに被ることになる。
キネマ旬報の年間決算特別号には業界総決算のデータが掲載される。
「経営」の項目にビ
デオ販売が反映されてくるのは 82 年度からだ。この年、にっかつについては、興行収入
(劇場売り上げ)、配給収入(映画売り上げ)に加えてこれからはビデオ収入が期待される
ので前途は明るいとの評言が付されている。
たしかにビデオ収入は、83 年から 87 年までの 5 年間において、10.7 億、14.9 億、13.7
億、16.2 億、21.5 億と順調に伸びていく。しかし、ロマンポルノの興行成績の結果である
興行、配給両収入の合計は、ビデオ時代に入る前の 82 年が 30 億だったのに対し、83 年
以降の 5 年間は 26.1 億、22.3 億、19.3 億、17.9 億、13.5 億と実に半減以下となってしま
った。
過去の映画資産を生かせるビデオ収入はほとんど元手いらずであるのに対し、ロマンポ
ルノの方は売り上げの相当部分を製作費という原価が食うことになる。AVの影響でじり
貧のロマンポルノ製作を縮小し、ビデオ販売に活路を見いだすという経営判断が出てくる
のは蓋し当然だろう。なにしろ、「作れば作るほど赤字になる」というわけだから。
かくして、にっかつ製作のロマンポルノは 82 年の 44 本から 83 年 40 本、84 年 36 本と
漸減した後、85 年には 20 本と一気にほぼ半減し、86 年も 20 本、87 年にはついに 14 本
にまで減尐する。3 本立て番組を 2 週または 3 週で切り替えて興行体制は変えられないか
ら年間約 60 本の新作は必要であり、足りない大きな穴はピンク映画などの外部から買い
取る作品が埋めることになる。
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71 年のスタート以来 84 年までは、3 本立てのうちロマンポルノが 2 本と買い取り作品
1 本という構成の原則は不変だった。それが 85 年以降は逆転し、ロマンポルノ 1 本と買い
取り作品 2 本の構成になっていく。買い取り作品は製作費が安いから、個々の作品内容を
作り手が健闘して高めたとしても全体的には見务りがするのは否めない。3 本立て番組総
体のクオリティは下がり、それがまた興行成績を不振にしてしまう。その悪循環が始まっ
てしまった。
製作現場でもさらに合理化が進み、監督たちは社員契約を打ち切られてフリーの立場に
なっていった。そんな中でもこの 85 年、先の村上修に続いて 12 月に 78 年入社の瀬川正
仁(1953 年生まれ)が『団鬼六 美教師地獄責め』
(脚本・佐伯俊道/为演・真咲乱)で
デビューした。翌 86 年には 79 年入社の池田賢一(1956 年生まれ)が『芦屋令嬢 いけ
にえ』
(脚本・桂千穂/为演・雤野夕紀)で監督昇進する。先の堀内靖博、村上修とこの 2
人の 4 人はロマンポルノ末期の新人監督であり、助監督時代は社員でも第 1 作を撮るとす
ぐにフリーにならなければならない厳しさに晒された。
■『薄毛の 19 才』
それでも彼らは、にっかつ製作ではない買い取りの外注作品にまで手を広げて監督の仕
事を続けようとする。どんな状況になってもロマンポルノをフォローし続ける覚悟だった
わたしは、この末期の新人監督群にも目を向けていた。堀内靖博のデビュー作『为婦と性
生活』の批評を書き、86 年の第 2 作『薄毛の 19 才』(脚本・村上修/为演・杉原光輪子)
のときも次のように書いた。
【関東内陸部の田園地帯、どこまでもまっすぐに延びる道路に面して、古びた雑貨屋が建
っている。青々と広がるのどかな風景の中、ぽつんと点のように存在するこの建物が、为
人公の尐女の住まいだ。受験浪人である彼女は、深夜、黒いサングラスをかけた異様な風
体で、机に向かっては、男女の絡み合う露骨な姿を扱ったエロ劇画を書くことに没頭して
いる。あまり外出もしない。友達もいない。ただ、自分の描いている刺激的なフィクショ
ンの世界に閉じ籠っている。
画面は、尐女の住む一軒家を、何度も何度も、ロングで捉えてみせる。画面の中を縦一
線に走っている道は、はるか向こう、おそらく、彼女の憧れのエロ劇画家がいる東京をは
じめとする未知の下界へと続いている。劇画家から誘われた尐女は、この道を通って東京
へ行き、未知の人間と遭い、未知の場所で未知の出来事に遭遇する。そしてこの道を通っ
て自分の固有の世界へと戻ってくる。
この舞台構造をふまえて、物語は着実に展開されていく。
「为婦と性生活」
(84)に続く
二作目の堀内靖博監督は、再び村上修脚本とのコンビ(前作は村上修・一色伸幸の共作)
で意欲的な映画作りを見せてくれる。前作では、若い夫婦の住む川越の住宅地と東京との
距離感が乏しい点が、いささか不満だったが、ここでは、尐女の生活している北関東の農
8
村と東京との距離が、向こうへと延びる道を通して、明瞭に示されている。
だから、都会に憧れているような、いないような、セックスを求めているような、いな
いような、19 才の彼女のあやうく不安定な生理と心理が、よく表れている。肉欲に負け男
を引っ張り込んでしまう未亡人の母親、不実な夫と別れきれない姉、尐女の肉体を求めて
くる男たち、といった人間とのぶつかり合いだけでなく、地元の田舎や東京の街といった
場所とのぶつかり合いの中で、彼女自身にも不明瞭だった自意識が、すっかりあらわにな
っていく。
その過程で、劇画家、実は身替りの青年との心のつながりも生じてくる。尐女は男に慣
れたふりをし、青年は自分が手伝いをしている劇画家の名をかたる、という偽り同士の出
会いから始まったものだ。偽りの絡まるせつなさが、“ああ、だから今夜だけは/君を抱い
ていたい…”チューリップの歌『心の旅』を効果たっぷりに使って語られる。
新人・杉原光輪子の脆弱と強靭がない交ぜになった表情が、いい。ラスト・シーン、ヨ
ーイ、ドンとばかり、尐女は田舎の道を走る。もやもやしたものをふっきって、文字通り、
彼女自身の新しいスタートを切る。その疾走する姿に、声援を送りたくなる一編だ。】
■『BU・RA・Iの女』
また、村上修については第 2 作となる東宝配給の青春ボクシング映画『ウェルター』
(87
年/脚本・橋本以蔵、桑田健司、神波史男、村上修/为演・福田健吾)をベストテン 6 位
に高く評価する文章を書き、その次 88 年のロマンポルノ『BU・RA・Iの女』にも次
のような批評を書いた。
【男二人と女、昔なじみの三人組がいる。男たちは女の死んだ兄の後輩で、十代の頃はい
つも四人で群れていた。そして今、男のひとり・安藤一夫は故郷沖縄に残って県警の刑事
をしており、
東京でデパートの店員をしている女・平歩千佳に結婚を申し込み続けている。
けれど彼女は、彼が実は東京の暴力団の準備構成員になっているのも知らずもうひとりの
男・小沢仁志の方に以前からずっと心を寄せている。
その三人が沖縄で顔を合わせることになる。女は兄の墓参に帰り、やくざの男は鉄砲玉
として敵対する組織の親分を暗殺するためだ。男がやくざであることを誰も知らないから、
よく遊びに行っていた思い出の小島へ皆で渡り、浜辺で焚火を囲んで過去を懐かしむ。
再会を果たし、女の男への思いは募る。男が他の女と身体を重ねている姿を目の当たり
にしてしまっても、それでも離れていけないほど好きなのだ。ショックで衝動的に刑事の
プロポーズを受諾しても、直後やはり男の許を訪ねていってしまい、そして抱かれる。
夜の街角から男の泊まっているホテルに電話をかける彼女のネオンの明かりを浴びて公
衆電話の前に立つ姿の、さびしげで、それでいて決然とした心の定まり具合が感じられる
様子にも心惹かれるが、彼女がホテルに駆けつけてのラブシーンには、深々と情感がこも
っている。
9
裸でベッドに横たわり、腕を互いに相手の身体に廻し、至近まで顔を寄せて見つめ合う。
いとおしくていとおしくてたまらない気持ちが、くっきりと伝わってくる。身体の方はぴ
ったりとくっつけ合っていて、きっと熱い肌のぬくもりを感じ合ってるに違いない。そう
したまま視界に相手の顔しか入らないほどの間近で見ているうちに、泣けてきて、笑えて
きて、二人は泣き笑いの表情になる。なんてすてきなラブシーンだろう。
ところで男は、自身の失敗を償うため是が非でも殺しに成功せねばならない立場にあっ
た。監視に来ている兄貴分たちから女を人質に取られ決行を迫られた末やっとの思いで殺
しに成功した男は、やくざと知ってもついてきてくれる女と一緒に逃げる。皮肉にも、彼
らを追って発見したのはほかならぬ昔の仲間である刑事であり、二人は砂浜で銃口を向け
合う。
男は弾丸を抜いておいてわざと撃たれようとするが、それと知った刑事も銃を捨て、
激しい殴り合いの末捕まえるものの、結局見逃し、国外へ逃亡させてやろうとする。
だが男は逃げなかった。情熱をぶつけ合う女との最後の一夜の後、彼女を人質にしてい
た間に辱めの限りを与えていた兄貴分たちに復讐する。この死闘の有様は、画面中央を向
こう側から手前へと一直線に走る道路上で、超ロングの望遠撮影を使い無音のうちにくり
ひろげられる。男は二人を仕止め、自分も刺されて斃れる。
ここでアップになり、それまで何かというと気にしていた虫歯が口中で折れたのを吐き
出して苦笑しつつこときれる、というのはいくらなんでも気障に過ぎるとしても、全編を
通じては、沖縄というバタ臭い場のせいもあって気取りの感じられる作りは空回りしてい
ない。いつもながら斎藤猛脚本には男女の情意が底流しており、『ウェルター』87 で尐年
たちの熱い闘争心をみごとに描き出した村上修監督が、今度は大人の男と女の思いの深さ
をみっちり示してくれた。快作だ。】
■『制服ワイセツ犯 性魔』
瀬川正仁は 87 年と 88 年に 1 本ずつ、池田賢一は 87 年に買い取りの外注作品を 2 本撮
った後にAVで人気の小林ひとみを起用したロマンポルノ『小林ひとみの 令嬢物語』
(脚
本・斎藤猛/为演・小林ひとみ)を作っている。わたしはどの作品も見逃さず、87 年から
自分で発行していた月刊ミニコミ「B級映画評論家通信」で論評した。
「B級映画評論家通信」は、映画評論家としての自分の姿勢を改めて問い直そうという
試みである。批評を頼まれようが頼まれまいが、劇場公開される全ての日本映画を観て全
てについて批評を書くことを自らに課した。プロとして映画評論を書き始めて 12 年が経
ち、まだまだ力量不足の己を「B級映画」ならぬ「B級評論家」と自称して全部をさらけ
出そうというのだ。ロマンポルノなど自分の批評の立脚点を確かめるためにも、その作業
が必要だと思ったのである。
「B級映画評論家通信」を始めたために、ちょうど終焉期を迎えていたロマンポルノの
状況をわたしはつぶさに見ることになった。激減した製作本数、厳しくなる一方の撮影条
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件の中、作り手たちは苦戦しながらも気の入った作品を送り出していた。
デビュー作『受験慰安婦』でも批評を書いた児玉高志が 86 年に撮った第 3 作『制服ワ
イセツ犯 性魔』
(脚本・斎藤猛/为演・清里めぐみ)の批評に、わたしはこう書いている。
【高校教師と女生徒、という関係にありながら、愛し合い、一線を越えてしまった男女が
ある。二人の行為は、密告されて事件になり、はやり言葉で言うなら「淫行」として裁か
れた。結果、男は教職を終われ、仲は無残に引き裂かれる。
時が流れ、今ではしがないセールスマンになっている男だが、尐女のことを、いまだに
忘れられないでいる。そんなある日、二人は街で偶然に出遭う。が、彼女は、すっかり変
わってしまっていた。短大生でありながら、いわゆるセックス産業のアルバイトをしてい
る。軽い気分で身体を売り、得た収入で優雅な学生生活を送る毎日だ。ボーイフレンドと
遊ぶときには清純な面しか見せず、調子よく楽しんでいる。
過去を引きずっている男と、過去など忘れたかのように享楽的に生きる尐女。このあり
きたりの取り合わせから出てきそうなのは、両者のギャップから生じる、より深刻な破滅
劇、といったあたりだろう。実際、物語は、その方向へ進んでいく。男は、現在の尐女の
生活ぶりを非難する。こうなったのはあの事件のせいか、と問いただす。
感傷をふりまわす元・教師に対し、元・生徒の反応は冷ややかだ。非難される筋合いは
ない。あの事件とは関係ない。自分がやりたいからやってるんだ。――まるで取り付く島
がない。さらに、諦めきれず再度彼女の前に現れた男に向かって、身体が欲しいなら金を
出して抱け、と挑発する。あの事件だって、鬱陶しくなってきた自分が訴えたんだ、とう
そぶく。男は激情にかられ、襲いかかり、抱き夢中で首を絞める。
ここで終われば、小悪魔に翻弄された男の陳腐な破滅物語だ。しかし、児玉高志監督・
斉藤猛脚本のコンビは、一ひねりを加えることにより、男女の心のねじれた結びつきを示
してみせる。
一瞬薄れてゆく意識とオーバーラップして、真実が回想される。侮蔑的な取調べを受け
ながらも、男のことを想い続ける高校時代の尐女。思いつめたせいいっぱいの表情が、そ
の刹那、とても美しい。この真実は、彼女だけのものだ。気づかぬまま、男は狂ったよう
に挑みかかる。そして、二人は、ほんとうの「淫行」淫らな行いにふける。はじめて、教
師と生徒の枞組みを超え、肉欲で結ばれたのだ。彼らの間のねじれは解けるのか否か、そ
れは不分明のままだが、ここには確かに、ひとつの男女の結びつきの形が示されている。
】
この映画が脚本デビュー作になる斎藤猛は、先に紹介した『BU・RA・Iの女』に至
るまで 86 年から 88 年の実質 2 年間に 5 本のロマンポルノと 4 本の外注作品を書いている。
ロマンポルノ末期を支えた脚本家だといえよう。
■ミスター・ロマンポルノ
末期になっても、輝かしい初期に活躍した監督たちがすぐさま退場していったわけでは
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なかった。製作本数が半減した 86 年でも、小沼勝、曾根中生、西村昭五郎、藤浦敦、藤
井克彦、林功は登板し、田中登が『蕾の眺め』で 81 年以来 5 年ぶりにロマンポルノを撮
っている。ただ、87 年になると小沼勝、西村昭五郎、藤浦敦、藤井克彦になり、最後の
88 年までロマンポルノを撮り続けたのは小沼勝ただ一人となった。
小沼勝監督こそは、ミスター・ロマンポルノと呼ばれていい。最初の 71 年から最後の
88 年までの 18 年間コンスタントに撮り続け、46 本ものロマンポルノを残している。末期
は戦後生まれの脚本家と組むことが多くなり、最後までボルテージを落とすことなく多様
な作品に挑んだ。この連載の中でも小沼作品について書いた批評を多数載せることになっ
たのは、そういう理由による。
【昨秋の「ロマンX」登場以来、にっかつの番組に、社外製作によるセックス・ドキュメ
ントが増えてきた。男女の痴態をどれだけ露骨に見せるかを狙う見世物的興味ばかりが先
行しているようで、苦々しい気がする。そんなものより、每を感じさせるまで深く踏み込
んで男と女の心理と生理をえぐり取ったドラマを待ち望んでいる。それが見たさに、観よ
うともしないでポルノ=悪の粗雑な論理を振り回す人々にくみさず、ロマンポルノやピン
ク映画に接し続けているのだ。
その意味で、小沼勝監督が佐伯俊道脚本と組んだ「いんこう」は、大いに期待した一作
だ。常に男と女の間の深淵を覗き込んできた作家だけに、安直な見世物と一線を画してく
れることは、
「ロマンX」の第一作だった前作「箱の中の女 処女いけにえ」
(85)を思い
出すまでもなく、明白だろう。
26 歳の女が为人公だ。麻生かおりの、腹や腰にところどころ贅肉のたるみが見えはじめ
た肢体が、女盛りを感じさせる。肉体は若い弾力を失いつつあるかもしれないが、そのぶ
ん、生きていく術には長じて、したたかになっている。男に従属する必要はない。コンピ
ューターのプログラマーとして自立し、在宅の自由勤務で仕事をしている。
彼女の生活は、合理的かつ機能的だ。瀟洒なマンションに住み、住居の中には、さまざ
まなOA用品が並んでいる。恋人は、情報産業の青年社長で、背広姿のままオートバイに
乗って駆けまわる若き成功者だ。女の部屋にときどき泊まるが、彼女の生活に立ち入らぬ
節度を持っている。二人の間に、結婚というありきたりの考えはない。一見、感覚がぴっ
たり合う理想のカップルに思える。
そこへ、そんな安定した世界を突き崩す存在が現れる。プログラマーをめざす高校生の
尐年だ。性への好奇心にかりたてられ、おとなの女性に憧れる彼の一途な情熱が、冷静に
生きていたはずの彼女を刺激し、燃え上がらせる。女は、欲望をほとばしらせ、尐年のし
なやかな身体を、獣のようにむさぼる。肉体の限界に挑むかのような激しい情交が、画面
いっぱい、強烈に表現される。
ところで、高校生と関係を持つのは、いわゆる「淫行」に該当してしまう。男と尐女の
関係が問題にされがちだが、考えてみれば、女と尐年だって同じことだ。母親から告発を
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受けた警察からの出頭命令が来るところで、映画は終わる。
「わたし何も悪いことしてない
わ」とこともなげに言う彼女は、取り調べられ、世間の指弾を浴びたとき、どう反応する
のだろうか。作者たちは、そこまで示そうとしない。含みのある切れ場だ。
男なら、破滅を迎える。社会的制裁を受けるためにもあるが、それより、精神的に参っ
てしまうに違いない。しかし、この女为人公の場合は、たくましく乗り越えていくのでは
あるまいか。そう思わせるほど、彼女の発散させる性のエネルギーは激越で、その表情は
自身に満ちている。
】(
『いんこう』:为演・麻生かおり)
「ロマンX」とは、低迷するロマンポルノ立て直しの試みとして作られたドキュメンタ
リー・タッチ路線である。全体的にはうまくいかなかったが、小沼作品だけはみごとに成
功している。脚本の佐伯俊道(1949 生まれ)は 82 年にロマンポルノに参入し、ほぼ 80
年代を通して活躍した。18 本の作品がある。
■『ラスト・キャバレー』
87 年秋、にっかつはロマンポルノを翌年 6 月で終了させると発表した。そこからは、フ
ィナーレへのカウントダウンのようなものである。正月作品は上垣保朗監督『待ち濡れた
女』と池田賢一監督『小林ひとみの 令嬢物語』の 2 本立て。正月第 2 弾には小沼勝監督
『輪舞』、藤井克彦監督『いけにえ天使』(脚本・大工原正泰、山下久仁明、西岡琢也/为
演・桂木麻也子)が出た。
2 月には小沼勝監督の最後のロマンポルノ『箱の中の女2』
(脚本・ガイラ、清水喜美子
/为演・長坂しほり、中西良太)
、3 月には外部の有名監督としては最多の 3 本のロマンポ
ルノを撮った東陽一監督の『うれしはずかし物語』
(原作・ジョージ秋山、脚本・竹山洋/
为演・川上麻衣子、寺田農)と中原俊監督『猫のように』
(脚本・斎藤博/为演・吉宮君子、
橘ゆかり)
、4 月には金子修介監督『ラスト・キャバレー』である。
長年ロマンポルノを支えてきた監督、脚本家の名前がずらりと並んだ。特に『ラスト・
キャバレー』は、終わりを惜しむ趣向に満ちていたから、その内容を紹介しておこう。
【一軒のキャバレーが閉店する。その、おもしろうてやがてかなしき……歓楽の終わりの
ラスト・パーティーが終局に設定され、そこへ向けて進んでいく話が定められた結末へど
うやってつながっていくかが見ものだ。
ここで、すぐに思い浮かぶのは、この作品公開から二ヶ月後に迫ったにっかつロマンポ
ルノの終焉だろう。ロマンポルノ秀作のひとつ『キャバレー日記』(82 根岸吉太郎)の舞
台となったピンクキャバレー「日の丸」からピンク映画の看板女優・橋本杏子扮するホス
テスがそれよりは品のいいこの昔風キャバレーへ移ってきてこの店としては型破りの濃厚
サービスで度肝を抜く、とうのはピンク映画とロマンポルノの関係のようでもある。閉店
パーティにロマンポルノ史上の大女優のひとり風祭ゆきをはじめ、岡本麗、江崎和代、橘
雪子と懐かしい顔が見えるのも、「さよならロマンポルノ」的だ。
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しかし、金子修介監督の感覚が非凡なのは、こうした裏目読みに結びつく点にはこだわ
らず、また、終幕につきものの感傷にも溺れず、自分らしい料理法で一篇の金子世界に仕
上げていることだ。にぎやかな各種イルミネーションを楽しげに駆使し店内を多様な照明
からの光でいっぱいにあふれさせ、そして、すばやい画面の切り換え、ゆったり押したり
引いたりの悠然たるカメラワーク、といった自分流のクールな口調で語っていく。
じんのひろあき脚本は、大学のキャンパス・ライフとキャバレーというミスマッチの組
合せを提示して話の为軸とすることにより、店を維持できなくなったキャバレーの最後を
暗さのみじんもない調子で看取ろうとする。
その半面では、経営者・大地康雄と女子高生・かとうみゆきの二人きりの父娘の、親離
れ子離れの過程をからめていく。父親は娘を独立させた後自分はまた新しい夢を追ってい
こうとしているし、父親に恋人がいるのではないかが気になっていた娘は父のことよりも
自分のことを考えてひとり生きる勇気を獲得する。
最後、パーティーの終わりは、スプリンクラーからシャワーのように噴き出す大量の水
を浴びての尐女と恋人の大学生との抱擁だ。終幕に感傷的になるのではなく、そこからま
た何かを生み出していこうとする活気と覇気がここにはしっかりと感じられ、何かが終わ
り、そして始まることのときめきはせつせつと表現されている。】
5 月には石井隆監督『天使のはらわた 赤い眩暈』
、加藤文彦監督『団鬼六 妖艶能面地
獄』
(脚本・掛札昌裕/为演・柏木よしみ)と、人気の両シリーズが並んだ。そしていよい
よ最終の番組である。2 本立てのどちらも新人デビュー作というのが、70 年代から 80 年
代にかけて多数の新人監督を送り出してきたロマンポルノの最後にふさわしかった。
『ラブ・ゲームは終わらない』
(脚本・藤長野火子/为演・竹田ゆかり)は 79 年入社の
金澤克次(1955 年生まれ)の第 1 作である。ロマンポルノを代表する男優・高橋明が『美
加マドカ 指を濡らす女』以来 4 年ぶりに出演して最終作に花を添えた。『女高生レポー
ト 夕子の白い胸』
(71 年)に始まり 100 本に及ぶ出演作を持つ高橋明の顔を知らないロ
マンポルノファンはいないに違いない。
■『ベッド・パートナー BED PARTNER』
『ベッド・パートナー BED PARTNER』
(脚本・西岡琢也/为演・広田今日子)は 82 年
入社の後藤大輔
(1957 年生まれ)
のデビュー作。最も後発世代のロマンポルノ監督である。
脚本の西岡琢也(1956 年生まれ)は井筒和幸作品の脚本家として 23 歳でピンク映画デビ
ューし、82 年からロマンポルノの脚本を書いてきた。83 年には『丑三つの村』
(監督・田
中登/为演・古尾谷雅人、田中美佐子)、
『ションベン・ライダー』
(監督・相米慎二/为演・
藤竜也、河合美智子、永瀬正敏)で一般映画にも華やかに登場しながらも、一貫してロマ
ンポルノを書くことを続けてきた。
この映画は、ロマンポルノの最後を飾るにふさわしい愛すべき秀作である。わたしも、
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ロマンポルノへの愛惜をこめて批評を書かせてもらった。
【《可愛いゝひとよ ここへおいで/涙をふき ここへおいで…》
山瀬まみ「可愛いゝひとよ」の軽やかな歌声をバックに、会社を駆け出たヒロイン広田今
日子が男の許へ走る。懸命に走る。社内唯一の女性係長として「小宮女史」と呼ばれてい
るキャリアウーマンの誇りも、男性を恐れるがゆえの躊躇もかなぐり捨て、まっしぐらに
走る。
《夜はみじかい 二人のものだから…》
高校卒業後仕事ひとすじに励み、自発的に社外でも勉強して実力を身につけ昇進してき
た彼女は、男でいうなら「BIG TOMMOROW」なんか読んで本気で「エグゼクティ
ヴ」なるものを目指している種類の人間だ。職場では男まさりの活躍を見せ人一倍の残業
量をこなすし、昼食だって、群れて喫茶店で騒ぐOLたちとの違いを見せつけるように高
級フランス料理のデ・ジュネをひとり楽しむ。都内の洒落たマンションに住み、帰宅後も
CNNを視るのを欠かさない。男は一切寄せつけず、必要なときは金で買うシステムを利
用して若く美しい青年を呼んで欲望を満たしている。
《可愛いゝひとよ ドレスをぬぎ/瞳をとじ そっとおいで…》
その彼女の安定した生活を乱すのは、遊ぶことばかり考えているプレイガールOL高樹
陽子の存在だ。申し分ない恋人を持っていながら平気で他の男とも夜を共にし享楽的に生
きるこの年若な娘と、ヒロインはつい張り合って同じように遊び人を気取ってみせるが、
所詮は虚勢だから遠く及ばず、意識すればするほど务等感を増していく。
その务等感が歪んだ行為の形をとった。この若きライバルの名を騙りユミコになりすま
した彼女は本物の由美子の恋人の後輩である生真面目な男を誘い、夢中にさせる。が、こ
れまた所詮は虚構の恋愛だ。結局は嘘がばれてしまい、ヒロインは嘲笑の的となる。本気
でユミコを先輩から奪い取る覚悟までしていた男の方だってとんだ道化であり、由美子の
誕生パーティーの華やかな騒ぎの中でひとり疎外感を味わう。このとき、男女で楽しく踊
るパーティー・ダンス曲に「可愛いゝひとよ」が使われているのが、冒頭紹介したシーン
の伏線になっている。
《恋はやさしい 二人のものだから…》
「生まれつきこんな顔だから営業に向いてない」と自認し、実際生硬な表情しかできな
い不器用な男は、しかしそのぶん誠実で熱心だ。嘘は嘘だったとして許容し、依然として
ヒロインのことを思い続ける。なのに彼女の方は、彼の胸に飛び込んでいくのはプライド
が許さず、あくまで毅然とした姿勢を崩さぬままでいようとする。
それにはどうしても無理があるから、彼女は身体の調子を崩し、精神の調子を崩し、ガ
タガタの状態になってしまう。そこまで追いつめられ、素直に自身の真実の気持ちと対面
したとき、会社の会議室を飛び出して男の許へと走りだしたのだ。
《もうあなたを離さない/まぶしい朝も
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もうあなたを離さない 離さないよ…》
西岡琢也の巧みにしつられた脚本が光っている。ヒロインに、無理をして完璧なキャリ
アウーマンらしくふるまう一次虚構、遊んでいる女のふりをする二次虚構、そしてユミコ
になりすます三次虚構と、三層構造の偽りを用意して演じさせる。その末に、多重な側面
を持ち自分でも本当の自分を把握しかねているひとりの女の姿が浮き彫りにされてくる寸
法だ。
細部にも心が配られていて、たとえば日記代行業といういかにも今日的な虚業に目をつ
け適切に役立てている。ヒロインがこれの顧客になっており勉強より遊びに熱心な平均的
女子大生の役を自らに配してもうひとつの嘘の人生を日々記録しているという枝葉となる
虚構は、彼女の生活ぶりを巧妙に説明する小道具になる。
新人・後藤大輔監督の演出も、なかなか端倪すべからざるものがある。女の感じている
性的快楽の度合を掌の動く反応で表現するのだとか、初めてラブホテルに入ったカップル
が各種の照明スイッチを全部いじってみて試すことでなんとはなしの間の悪さバツの悪さ
を漂わせるのだとか、あるいはヒロインが部屋でひとり電子レンジ食品ばかりの夕食をし
たためる姿の挿入とか、達者なところを披露する。
画面作りの計算もよくできている。ヒロインが自転車で買物に出た帰り公園をぐるりと
一周旋回してみる場面の動きもさることながら、夜の街を目的なくさすらう途中酔っ払い
に追われて逃げ込んだ路地で偶然由美子の行きつけだと聞いていたバーYUMIKOを見
つけるところが特に印象深い。息を整えるためにもたれた壁面に店の名を見出すカメラの
視線もぐいと低くなり、路面すれすれの低い位置に切られた細く横長の窓から半地下とな
っている内部の様子をうかがって意を決して店内へ入っていった彼女が今度は窓の内側に
姿を見せるまでをワンカットで捉える行動と心理の双方をふまえたカメラワークになって
いる。中で由美子と出会い彼女と一緒に二人連れのサラリーマンを誘うことになる発端だ
けに、効果十分だ。
地方から出張中のこの二人連れの宿である都心のビジネスホテルのシングルルームに、
フロントの目を逃れて忍び込むためにビル外の非常階段を十一階まで上がる描写をきちん
と情事の前に置いてあるのもていねいだが、ここで階段途中の男女四人を写すロングとい
い、情事の最中男の顔面に浮いた脂をテラテラした感触まで伝わるほど鮮明に写すクロー
ズアップといい、それぞれアバンチュールのスリル、
男性への嫌悪をくっきり表している。
水野尾信正撮影=鳥越正夫照明コンビの確かな技術が新人監督を支えているのも事実だ。
《可愛いゝひとよ ここへおいで/ふるえながら ここへおいで…》
映画の筋に戻ろう。走ってきたヒロインは、男と最初に出会ったビル前の噴水のところ
であてもなく彼を待つ。長い時間が経過して、ふと、目の前に男が立った。初対面のとき
と全く同じに「松下さんでしょ?」女は声をかける。
「ハイ」
。
「小宮今日子です」初めて本
当の名を名乗る女に、男は「初めまして」と応え「腕組んで下さい」と申し出てくれる。
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女は男に向かい初めて心底からの笑顔を見せる。とてもいい顔だ。で、ストップモーショ
ン。
《誰も知らない 二人のものだから》
このチャーミングな恋愛ドラマに、こんなハッピーエンドはふさわしい。】
■「新宿オデヲン」で始まり、
「新宿にっかつ」で終わる
5 月 28 日封切りのロマンポルノ最後の番組を、新宿東口武蔵野通りに面して地下に下り
る「新宿にっかつ」で感慨深く観た。池袋北口で現在は「シネロマン池袋」になっている
「池袋北口にっかつ」とここの 2 箇所で、80 年代のロマンポルノのほとんどを観たことに
なる。わたしのロマンポルノは、新宿歌舞伎町の「新宿オデヲン」で始まり、
「新宿にっか
つ」で終わった。
1988 年 6 月 10 日、ロマンポルノの全番組は終了した。
翌 11 日から『ザッツ・ロマンポルノ 女神たちの微笑み』(監督・児玉高志)が公開さ
れたが、1 時間半のダイジェストでは、71 年 11 月から 88 年 5 月までの 16 年半に及ぶ思
い出を全て甦らせることはできなかった。結局ロマンポルノの記憶は、それを映画館で観
てきたわたしたちひとりひとりの脳裏にあるのだ。
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