2013 年度 調査報告書 地域文化政策研究 第9号 2014 年 3 月 高崎経済大学地域政策学部 友岡研究室 地域文化政策研究 第9号 高崎経済大学地域政策学部 友岡研究室 はしがき 友岡邦之 本報告書『地域文化政策研究』は,高崎経済大学地域政策学部・友岡研究室所属学生 の卒業論文を元にした論文と,3 年次生の進級論文(演習Ⅰにおける課題)とをあわせ て収録したものである. 友岡研究室の開室から時が経つにつれ,最近では,「地域政策学」に取り組む際の本 研究室なりの視点も定まってきたように思われる.その視点は,主に「コモンズ」「ソ ーシャル・キャピタル」 「コミュニタリアニズム」 「ガバナンス」 「アーキテクチャ」の 5 つの要素によって支えられている. すなわち,他者との関係性の問題が深く関わる物的・人的資源としての「コモンズ」 「ソーシャル・キャピタル」,社会制度を構想する上での理論的根拠としての「コミュ ニタリアニズム」 (あるいはリベラリズムやリバタリアニズム等の公共哲学),社会の統 治に関するエージェントと制度設計の問題としての「ガバナンス」「アーキテクチャ」. これらのことが,地域社会における文化活動と文化政策のあり方の検討をメインテーマ とする本研究室でも,積極的に議論されるようになっていったのである. 学生たちは,就職活動をはじめさまざまな活動に追われる中,なんとか自身の思考を 形にしていった.私見では,論文を執筆し,研究を発表するための一連の作業は,就職 活動をはじめとするさまざまな社会活動に応用できる重要な経験である.この作業を計 画的かつ着実にこなすことは,人生における他の活動にもプラスに作用すると確信して いる.率直に言って,本報告書所収の論稿の中には論証に不備があったり,体裁が整っ ていなかったり,文章表現に違和感を抱かずにはおれないものも含まれている.しかし そうしたものについても,各学生の成長段階の足跡として寛容な気持ちでご一読いただ ければ幸いである. なお各稿の執筆過程では,多くの方々に様々な形で御協力いただきました.ここにあ らためて,心より御礼申し上げます. 目次 はしがき 友岡邦之 私欲から生まれる公共 ―民間主導による公共性実現の可能性― ………………………堀込翔平 -7ソーシャル・キャピタルと文化継承 ―地域で文化をつなぐために―…………………………………要藤貴幸 -20育てる鑑賞 ―日本の美術館鑑賞教育から考える―…………………………小玉悠太 図書館の創りだす居場所 ―利用者のための地域図書館―…………………………………石原和樹 地域社会がスポーツ選手を活用していく上での課題 ―セカンドキャリア問題を通して見えてくるもの―…………庄子倫弘 山に学ぶリスク ―登山と現代社会の比較に見る豊かな暮らしの見直し―……柴田圭祐 武道とスポーツの狭間で ―学生武道の実態を探る―………………………………………笹川諒平 リメンバー3・11 ―日本におけるダークツーリズムの可能性を探る― ………阿部裕美 文化外交の在り方 ―クールジャパン戦略の蹉跌― ………………………………伊藤拓哉 ゴッフマンの社会学から考える音楽的趣味の隠蔽 ……………吉羽侑稀 視覚に頼らない美術鑑賞の可能性 ―視覚障害者への美術鑑賞支援― …………………………森谷奈央子 これからの地域博物館の可能性 ―榛東村立耳飾り館を事例に― …………………………………坂庭萌 地域映画の可能性 ―コミュニティ・フィルムという視点― ……………………中村尚道 「人」を使った観光地の可能性 ―忍城おもてなし甲冑隊の事例― ……………………………中村可奈 “音楽都市”という選択 …………………………………………渡部翔太 -32-47-61-81-94-112-125-139- -154-164-172-183-199- 都市アイデンティティの創造と文化享受 ―政令指定都市の文化政策を比較して― ……………………蜂巣直之 教育機関としての「駄菓子屋」の価値 ―現代で消えつつあるこどもの居場所― ……………………山本凌平 生涯学習化する合唱コミュニティ ………………………………平澤亜弥 混乱する個人とネット社会 ―ハンドルネームによる二次的アイデンティティの創造―…柳澤祐也 進むカラオケ私化 ―究極の自己完結音楽形態― …………………………………湯浅諒祐 キャラクターの権力関係と棲み分けについて …………………高橋世羅 異性友人関係の成立 ―性別の違いにおける心理的差異― …………………………松本理奈 ウェブコミックからみるネーム至上主義 ………………………坂本敦史 -208-220-226-235-246-255-263-274- Ⅰ 第 8 期生 卒業論文 私欲から生まれる公共 ―民間主導による公共性実現の可能性― 堀込 翔平 はじめに 「中心街に新しい風」,平成 25 年 6 月 8 日付の上毛新聞に踊った見出しである.記事の内 容は,同年 6 月 1 日に群馬県前橋市の国際交流広場にて開催された公開座談会における議論 の様子を報じるものだ.この座談会は上毛新聞の連載企画「えにし再生 第 2 部・シャッタ ーの向こうに」に関連し,少子高齢化とそれに伴い人口減少化する地域社会の在り方を考え る目的で開催された.パネリストには前橋○○部部長藤沢陽氏,マエバシ・クリエイターズ・ アクト(MCA)代表手島彰氏,前橋中心商店街協同組合理事長植木修氏,前橋市長山本龍氏, 群馬大学社会情報学部准教授小竹裕人氏を迎え,前橋市街を中心に巻き起こりつつある新し いコミュニティの隆盛とその波及効果について活発な議論が交わされた. 前橋○○部,MCA の活動目的はまちの活性化ではない.活動の結果として公共的な効果が 期待されているとはいえ,あくまでもそれは副作用であり,本来の目的は別に存在する.今,彼 らのようなまちづくりを第 1 の目的としていないコミュニティ活動の副産物として,活動の 場となる「まち」に公共的な効果が発生するケースが増えつつある.特に前橋市はその傾向 が顕著であり,全国的に見ても注目するに値する地域といえるだろう. 私欲の追求という個人的な活動と,まちの活性化という公共性の高い効果,一見相反する 二つの要素の間にはどのようなメカニズムが存在しているのだろうか.本稿では「まち」で 派生する新たなコミュニティとそれがもたらす波及効果について,できるだけ学術的な視点 から捉え,今後の展望を考察していくこととする. 1 公共性の概念 本章ではそもそも公共性とは何か,その概念が人々の間でどう捉えられ理解されてきたの だろうか,という基本的な疑問についてその歴史的背景とバックボーンとなるいくつかの学 説や思想を紹介したい. 1-1. 公共性とは 「公共性」という言葉は昨今政治・経済分野をはじめ非常に多くの場面で目にする言葉で あるが,概念を表す言葉である故にその正確な意味を把握しにくい.そこでまずはこの言葉 の定義と,本稿で用いる「公共性」という言葉の意味するところを簡単に提示しておくこと とする. 「公共性」は,本来「個人の自由」や「人権」という言葉の対極に位置する言葉である.つ -7- まり「人権」という言葉に代表されるように,人間が持つ基本的な権利の否定が公共であり, それぞれが自己を抑制することによって集団(国家)の利益が保たれるという理解である. この考え方は特に社会主義思想国家において顕著に表れている.『公共性』を記した早稲田 大学教授の齋藤純一(2000)も注意を促しているように,つい最近まで要警戒の言葉として 扱われていたのである. しかし,現在上記のような意味で「公共性」という言葉を用いる場面は少ない.この言葉に ついてもう少し単純な説明を試みてみよう.齋藤(2000)は「公共性」という言葉の意味に ついて次のように語っている. 一般に「公共性」という言葉が用いられる際の主要な意味合いは,つぎの三つに大 別できるのではないかと思う. 第一に,国家に関係する公的な(official)ものという意味この意味での「公共性」 は,国家が法や政策などを通じて国民に対しておこなう活動を指す. 第二に,特定の誰かにではなく,すべての人びとに関係する共通のもの(common) という意味.この意味での「公共性」は,共通の利益・財産,共通に妥当すべき規範,共 通の関心事などを指す. 第三に,誰に対しても開かれている(open)という意味.この意味での「公共性」 は,誰もがアクセスすることを拒まれない空間や情報などを指す. 本稿で用いられる「公共性」は,特に後半の群馬県の例において,この第二の意味での公共 性である.つまり,人々の活動や選択の結果として得られる共通の便益(benefit)や,幸福 (happiness)のことを指していると理解した上で読み進めていただきたい. 1-2. 利己主義の批判 人間は一個人だけでは最大限の幸福を得ることはできない.集落や村といった全体の利益 を尊重する集団を形成し始めた時から,人々の間に公共性というものが意識され始めていた といえる.あるときは王の統治によって,またあるときは宗教の教えの下に公共性は実現さ れてきた. 公共性の実現を図るためには「自己犠牲」が不可欠であるという考えが生まれたのは,17 世紀以前のヨーロッパにおける封建制の時代である.当時の社会は血統と家柄に裏打ちされ た貴族に代表される支配階級と,それに仕える農奴とに二分された階級社会であった.社会 機能の面からみても,自由市民による議論の場であり政治的な結社を意味する「ポリス」と, 主に農奴による生産・消費の場であり家という単位をベースにした人々の諸関係を意味す る「オイコス」には明確な区分が存在した.前者は極めて公的な場,後者は私的な場と捉えら れ,政治的な決定事項や政策の制定などは全て支配層である特権階級の仕事とされていたの である.彼らは公共の場(ポリス)における行為は私欲の満足を排除したものでなくてはな -8- らず,私欲の抑制こそが普遍性や人間としての理想像に近づく為の必要条件であるという考 えを持っていた.つまり,公共性というものは思慮分別を持った人間としての行為・判断によ ってのみ生成されるものであり,自己の欲求だけを追求していたのでは理想の社会を実現す ることはできないと考えられていたのである.私的な存在が公務から排除されていたこの時 代において,公共性と自由市民の権力は同義であったということができる.つまり,自由市民 という存在自体が公共性のシンボルとなっていたということである.このことをドイツの哲 学ハーバーマス(Jürgen Habermas, 1929-)は,代表的具現の公共性と呼んでいる. 「公共的な活動にはしばしば自己犠牲や欲望の制御が付きまとう」という考え方は『リヴ ァイアサン』 (1651)を記したホッブズ(Thomas Hobbes, 1588-1679)の思想である.人間 が個々人バラバラな状態(自然状態)において自らの理想や欲望を追求しようとすると,同 じく自己の欲望に従って行動する他者と必ず衝突し抗争が起きる.このことを彼は自著の中 で「万人の万人に対する闘争状態」と表現しており,それを抑制するために大きな政府の必 要性を説いた.明治大学経営学部教授の八田隆司(2004)は「他者とのかかわりである『共 同存在』,『公共性』は『強力な主権』がなければ,維持されない限り,公共性の担い手は『強 力な政府』でなければならない.『官』による『公共性』への支配がなければ,『公共性』は もはや混乱し,秩序が保てず,『万人の万人に対する戦い』が展開されるだけなのである.」と 説明している.封建制の時代においては絶対的な権力を有する一握りの特権階級,つまり自 由市民が大きな政府の役割を担っていたのである. 1-3. 思想の転換期 当時の特権階級に着目し,理想的な社会を実現させるためにホッブズは自己犠牲の必要性 を説いた.しかし 17 世紀後半,公共性に対する思想は大きな転換期を迎える. ホッブズが利己主義を批判し特権階級における自己犠牲を評価していたのに対し,農奴の 身分(被支配階級)における「労働」や「生産活動」といった利己的な要素に着目し評価し たのがロック(John Locke, 1632-1704)である.彼は利己主義というものは本当に公共の利 益に反するものなのだろうかという疑問を元に農奴による活動,言い換えれば「オイコス」 における市場原理主義的な活動に対し積極的な評価を行った. あらためて当時の時代背景を整理してみよう.支配階級とそれに仕える農奴階級の間には 明確な線引きがされており,政治的な活動を行うためには私欲の抑制が不可欠とされていた ことは前項で述べた通りであり,この点をホッブズは高く評価していた.しかし,実際にはも う一方で支配階級が明日の糧を心配することなく,議論や戦争という公共性の高い活動に従 事できたのは,農奴の生産活動とその労働成果を享受できる立場だったからであるという事 実も並存していたのである.つまり,私的な存在として区別されていた農奴という存在が,公 共性を実現させる上で必要条件だったというパラドックスがここで生じている.ロックはこ の事実を踏まえ,「人間は利己的に行動する生き物であり,どんなに利他的に見える行為も,そ の根底は自己愛である」とした上で,ホッブズの言う自己犠牲とは,あくまでも自己維持を合 -9- 理的に成し遂げるための理性にすぎないと批判している.「労働」・「生産活動」という極め て私的な要素を内包し,人々の間で公共性が自律的に展開されるようになったとき,欲望は もはや抑制されるべき否定的なものではなく,われわれに「快」をもたらす肯定されるべき ものへと転換されたのである(八田 2004).この頃から代表的具現の公共性の崩壊が始まる こととなる. 2 自生的秩序 前章では公共性の概念を提示した上で,人々の間でそれがどう捉えられ,どのような思想 に則って実現しようとされてきたかということを,中世ヨーロッパの例を中心に時代を追っ て説明してきた.では,近代日本における公共性を支える仕組みというものは,前章で述べた ような思想・学説を補完するものとなっていたのであろうか. 本章では主に行政への市民参加による公共性の実現という側面に焦点を当てて検証して いくこととする. 2-1. 「御上」による公共性の実現 元来日本の社会は,中世ヨーロッパと同様に一部の特権階級が政治的判断・政策実行を行 う,いわゆる官尊民卑の社会であった.公共性を担う権力を表すシンボルとして代表的具現 という言葉を用いるならば,日本においてもそれは例外なく存在していた.その最たる例が 「御上」の存在である. 御上とは辞書によると,①天皇の敬称であると同時に,②時の権力者・朝廷を指す言葉でも ある.現在でも警察を指す俗称として使われることもあり,要するに強い公権力を持った人 物・組織のことを指す用語だとイメージしていただければ問題ない.特に第 2 次世界大戦以 前の日本において,御上の権力は強大である.飛鳥時代後期から平安時代にかけては都と呼 ばれる拠点を中心に天皇による統治が,鎌倉・室町時代においては幕府が強大な権力を所持 し,戦国・安土桃山時代には武士たちが領土とその支配権獲得を目的として日々戦いを繰り 広げた.ホッブズが『リヴァイアサン』を世に送り出すのとほぼ同時期には江戸幕府が創設 され,以来 260 年,15 代という長きに渡り徳川家一家系が国を治めてきた.明治以降,大政奉還 により再び権力を手にした天皇の下,日本は文明開化から第 2 次世界大戦という激動の時代 に突入していくこととなる. このように日本ではかなり古い時代から公共性というものを御上の統治によって実現さ せてきた.場合によっては存在に頼ってきたといえるかもしれない.戦後 GHQ によって非軍 事化が進められ,戦艦や兵器の物理的なはく奪が進められたが,天皇制は日本国の象徴とし て残されることとなった.敗戦の兆しが色濃くなっても,なお戦闘を続ける日本軍の徹底し た天皇崇拝思想を目の当たりにした GHQ が,なぜ天皇制を排除しようとせず継続させたの であろうか.それは常に天皇が国民の心のよりどころとなっており,戦後日本の社会の統一 性と公共性を保つためであったことに他ならない. - 10 - 2-2. 行政のスリム化 しかし,現代へと時代が移り変わるにつれ,御上の力だけで公共性を実現することが困難 な状況が発生することとなる.つまり,公共性を実現させるために市民や一般企業の行政へ の参加が求められる時代がやってくることとなったのである.行政への市民参加に関しては, その象徴となる出来事がいくつかあるが,本項では代表的な 3 つの事例を提示してみよう. まず 1 つ目は三公社民営化である.三公社とは日本国有鉄道,日本専売公社,日本電信電話 公社の事を指す.いずれも日本の高度経済成長に大きく貢献し,地方における重要な雇用主 体としての役割を担っていた国有公社である.しかし,高度経済成長期の終焉とともに組織 の硬質さや当時の産業構造への転換がうまくいかなかったことなどが指摘され,1984 年か ら 1987 年の間に民営化された. 2 つ目は郵政民営化である.これは従来国の仕事として行政組織内に組み込まれていた郵 政事業を,組織構造の改革に伴い民間企業へと改編することである.2001 年に発足した小泉 政権下の目玉事業として掲げられていたことは記憶に新しい.ユニバーサルサービスの拡充 や,貯金・保険部門の一体化などを目的として,2007 年の郵政グループ発足とともに民営化 が実現された. 最後に指定管理者制度の導入である.指定管理者制度とは,国や地方公共団体が所有する 公共施設(道路,水道なども含む)の運営を,条例に従って選定された民間企業をはじめとす る営利企業や各種法人に代行させ,施設におけるサービスの向上を図るというものであ る.2003 年の地方自治法一部改正に伴い公布された.完全に民間手法で運営がなされるのか, 行政が運営の最終決定権を有するのかなどは契約ごとに違いがあるが,現在では主に文化施 設や図書館などの公共施設に導入され,その成果が期待されている. 上記の三例に共通するのは,いずれも行政のスリム化を目的とした政策であるということ である.人員及び予算の削減などのコスト面や,高品質なサービスを提供するための運営面 から考えても,これらの市民参加政策は当時の日本にとって必要不可欠な流れであったに違 いない.このように歴史の過程においてごく当然に,自然発生的に形成される秩序や規則の ことを,経済学者であり哲学者でもあるハイエク(Friedrich August von Hayek,1899-1992) は「自制的秩序」と呼んだ.上記の例はいずれも自制的秩序によって打ち出された市民参加 政策なのである. 2-3. NPM にみる市民参加の必要性 行政への市民参加という話題を提供するにあたり,一つ言及しておきたい考え方がある. それが NPM(New Public Management)である. NPM とは,主に民間企業において培われた経営手法を行政などの公共的な機関が取り入 れることで,そのマネジメント能力を増長させ,運営の効率化や活性化を図るという考え方 である.1980 年代にイギリスやニュージーランドなどの国々で形成されたもので,日本では - 11 - 小泉政権発足に際し取り入れられた.経済財政諮問会議iはこの NPM に基づいて,①徹底し た競争原理の導入,②業績・成果による評価,③政策の計画立案と実施施行の分離を図り,行政 活動の透明性を高め,従来よりも効率的で高品質な行政サービスの提供を目指すとしている. 現在までの成果としては,国公立大学の独立行政法人化や,行政活動への PDC サイクルの導 入などが挙げられる. NPM の例をみればわかるように,行政は積極的に民間の力を活用しようとしている.もは や御上だけが公共性の担い手になる時代は終わりを告げたのだ. 3 licolita が生み出す新しい公共性 行政のスリム化によって組織規模の縮小が図られたということは,行政組織だけでは対応 できない地域課題や市民のニーズに対応するため,NPO をはじめとした市民団体や地域住 民の手による公共的サービスが必要な時代が到来したということを意味する.そのような現 状を鑑みた上で,筆者は群馬県において活動を展開する 2 つのコミュニティに着目した. 3-1. 群馬県における新しいコミュニティの隆盛 市民による公共性の実現を図る上で,そのパイオニア的な存在となっているコミュニティ がある.それが群馬県前橋市を拠点に活動する前橋○○部と,群馬県全域を活動範囲とする ジョウモウ大学である.まずはこの二つの団体がどういう組織であるかを述べておきたい. 3-1-1. 前橋○○部 前橋○○部は,2012 年に発足した「地域部活」と呼ばれるジャンルのコミュニティである. 建設会社常務であり,アートディレクターとしても活躍する藤沢陽氏を中心に,「前橋の新し いコミュニケーションの構築.圧倒的な興隆.」をミッションとして掲げ,前橋市内で活動を展 開している.メンバーの招集から活動までのプロセスは以下の通りである. 前橋○○部のメンバー招集及び活動に至るまでのコミュニケーションは,SNS サイト FaceBook を利用して行われる.メンバーはサイト上で「前橋市内で○○がしたい」という参 加者を募り,部活と称した個々のコミュニティを形成する.○○の部分に当てはまるものが その部活の名称となり,前橋○○部というコミュニティに帰属するである.例えば「前橋ラン チ部」や「前橋自転車通勤部」,「前橋パフェ部」など,バラエティ豊かな部活が結成されて おり,その活動内容は参加メンバー同士一緒に昼食を食べるというものから,独自のラジオ 放送をするものまで多岐に及ぶ. 彼らの活動のキーワードとして「地企地遊」という言葉がある.これは地域で自ら計画し 地域で遊ぼうという意味の言葉である.代表の藤沢は「人が自発的に動くのは自分が好きだ ったり得意なこと」であるという理念を元に,自分で遊びを計画して遊ぶ場所を提供するシ i 経済運営や財政運営の基本方針,予算編成の方針を決めることを任務として,2001 年の省 庁再編とともに,内閣府に新設された諮問会議のこと. - 12 - ステムやプラットフォームとなる機関が必要であると考え,前橋○○部を設立した. 3-1-2. ジョウモウ大学 ジョウモウ大学は,「世代を問わず,興味ある分野や志で場を共有し,安心して心豊かに暮ら せる顔の見えるコミュニティの構築を目指す.生涯に渡り学び続ける機会の創出により,い きいきとした生活を送れる社会の実現に寄与する」ことを活動目的として,2011 年に設立さ れた NPO 法人である.有限会社高崎エージェンシー代表取締役の橋爪光年氏を中心に,群馬 県内で活動を展開している.月に一度,県内の様々な場所を教室に見立て,授業と称したワー クショップを開催することがこのコミュニティの主な活動である.教師となるのは大学の教 授や教員免許を持った者ではない.活動に参加する者であれば誰もが教師となることができ, また生徒となることもできる.授業の内容も学校の講義のような大仰なものではない.これ まで編み物から日本酒の試飲会,東日本大震災でバラバラになってしまった印刷用の活字を 棚に戻す作業などの復興支援活動まで,バラエティに富んだ授業が展開されてきた. 月に一度の授業活動に加え,MOTOKONYA と呼ばれる群馬県高崎市内の活動拠点を利用 したカフェ事業や,各種展示会なども行っている.MOTOKONYA は以前染物屋として使用 されていた建物をリノベーションしたオープンスペースであり,事前に希望を出せば誰でも スペースを利用することができる.まちの人びとが自由に利用できる交流空間としての役割 が期待されている. 3-2. licolita の精神 前橋○○部とジョウモウ大学は,運営方法や活動規模などに違いがあるが,ある共通点を 持ち合わせている.それは licolita の精神を持っていることである. licolita とは前橋○○部部長の藤沢が 2007 年に設立した NPO 法人の名称であるii.法人名 の由来は,「 “利己(リコ)的な活動”=“自分の好きな事”をしていると,いつのまにか“利 他(リタ)的な活動”=“社会の為になる活動”をしている」というところから来ている.法 人の前衛となった 2004 年夏の「うち水っ娘大集合!」という活動では,参加者が秋葉原のメ イドと打ち水をするというシンプルな活動を通して,参加者はメイドと遊びたいという自ら の欲求を満たし,活動の結果として路上の温度を下げるという公共性を実現した.つまり 「licolita」とは「利己利他」であり,私欲の追及を目的とする活動を行っていく上で,自分で も気がつかないうちに公共性を生み出している活動の事を指すのである .筆者はこの licolita の精神を持つ活動,またはその活動主体の事を licolita 的活動と呼ぶことにしたい. このことを踏まえた上で改めて前橋○○部とジョウモウ大学の活動の例を一例ずつ挙げ てみよう. 例えば,パフェ好きが集い,様々なお店のパフェを食べることが目的の前橋パフェ部が,前 橋市内で新しいお店を開拓したとする.すると FaceBook を通して新店舗に関する情報の流 ii 法人の正式名称はカタカナ表記で「リコリタ」である. - 13 - れが発生し,さらに実際に活動の場所となる市内の店舗にメンバーが集まれば人の流れが発 生する.当然参加者は前橋市外からも集まってくることもあるだろう.お店のパフェを食べ ることで活動の目的を達成すれば,その対価として代金がお店に支払われ,金の流れが発生 する.参加者たちは「仲間とパフェを食べたい」という欲求を満たす行動をとるだけで,情報 の流れ,人の流れ,金の流れという,この活動がなければ存在しえなかった三つの公共性を知 らぬ間に実現していたことになるのである. ではジョウモウ大学ではどうだろうか.ジョウモウ大学では,まちの散策を伴う授業が過 去に何度も開講されている.富岡市を舞台に超芸術トマソンiiiを探索する授業や,伊勢崎市内 を巡り俳句を詠む授業などがそれに当たり,これらに代表されるまち歩きの授業は,ジョウ モウ大学の王道の授業と呼ぶことができる.これらは意図的に人の流れを作り出しているこ とから,前橋○○部に比べると利他的な結果を望む節がないわけではない.しかしジョウモ ウ大学では常に群馬県の魅力を発信していきたい,まちをもっと楽しみたいというスタンス で授業が計画されている.一義的な目的はあくまで群馬を楽しむことであり,授業による伝 統文化の伝達や,授業に参加したことによって発生する人の流入・消費活動などは,授業を楽 しんだ結果の副産物として捉える事ができる.iv 3-3. 意図的な共感の創出 前橋○○部とジョウモウ大学は,ともに自己の意図しない所で公共性を生み出しているこ とから,前述の自制的秩序による行政活動への参加,あるいは行政活動と言えないレベルの 公共性実現手法であるということができる.しかし,上記の活動は第 2 章で述べた市民参加と は明らかに一線を画している点がある.それは第 2 章で述べた市民参加が行政ベースで図ら れたものであったのに対し,前橋○○部やジョウモウ大学の活動は完全に民間の手によって 誕生し,継続されてきたという点である. ではなぜこのような活動が生まれ,継続していくことができているのだろうか.筆者はそ の疑問に対しある概念を提唱したい.それは 18 世紀のイギリスで活躍した哲学者,ヒューム (David Hume,1711-1776)が唱えた「共感」という概念である. ヒュームは共感という概念を,彼の著書『人生論』第二編の「情念について」という項目 において,人性の重要な原理として説明している.彼が言う「情念」とは,簡単に説明してしま えば人間が何かをしたいと思う気持ち,すなわち欲望や欲求のことである.彼は人間の集団, すなわち社会においてある人間の心の中に情念が生まれたとき,その人間の行動や自らが発 する声によってその情念を外部に発信し,それを別の人間が享受し,自らの心の中で再現す iii 赤瀬川原平らによって提唱された芸術的概念.建物などに付属する無用の長物に芸術的な 魅力・美を感じること. iv どこまでが利己的でどこまでが利他的なのかという境界の問題については,紙幅の都合に より割愛させていただく.本稿ではあくまでも活動の第一の目的が自分の為であるならば利 己的な活動,恣意的に公共性を生み出そうとしているのであれば利他的な活動と捉える事に する. - 14 - る際に発生する作用のことを共感と呼んだ.この共感という作用によって人間は他者との間 に価値観を共有し,そこに新たな倫理が生まれるのである.上記のコミュニティは,この共感 という作用を独自の仕組みによって上手く具現化することに成功している.つまり前橋○○ 部もジョウモウ大学も,同じ情念を持つ人間同士を結び付け,部活や授業といったシステム を通して共感という作用を引き起こしやすくしているのである.これは licolita 的活動が持 つ大きなメリットといえる.また,共感は情念の内容が近ければ近いほど強固になる性質を 持つため,部活や授業のように自由で細かな目的設定を行える小さなコミュニティほど,そ の連帯感と継続性はより強固なものになっているのだと筆者は考える. 4 licolita の限界 第 3 章では licolita 的活動の例を挙げた上で,活動が持つメリットと継続性について述べ た.本章ではそれに対して licolita 的活動が抱えているデメリットや問題点について述べて いきたい. 4-1. 効果の不平等性 licolita 的活動の限界を考えたとき,まず最初に挙げられるのが,活動の結果として得られ る公共的な効果の不平等性である.国または地方公共団体の政策によって公共性の実現が図 られるとき,その効果にはある程度の公平性が期待される.なぜならばそれは始めから公共 性の実現を第一の目的として据えているため,政策の計画段階や実行方法の選択によって, ある程度の地域差の相殺や効果の大きさをコントロールすることが可能だからである.郵政 民営化などの例を考えてみるとその事実はわかりやすい.郵政サービスは言うまでもなく全 国共通のサービスであり,その仕組みを改編するということは行政にしかできないことであ る.民間に任せる業務範囲の制定なども行政の裁量によるものであり,その効果を実情に合 わせある程度コントロールすることは十分可能である. それに対し licolita 的活動によってもたらされる公共性は,私欲の追求という第一の目的 を達成する過程で得られる,いわば副産物である.その効果をコントロールすることはおろ か,目的の内容によっては公共性の実現など全く期待できない可能性も十分に存在する.前 橋○○部とジョウモウ大学では活動の範囲にもある程度の制約がある為,全国規模のような 広域的な公共性の実現が期待できるとは言い難い,現在までの活動を振り返ってみても,未 だその恩恵を享受していない人々や地域も存在するだろう.これは licolita 的活動の特徴か ら考えていたしかたないことかもしれないが,公共性という言葉の持つ意味を考えれば,触 れておかなければならない事項である. 4-2. 名誉の壁 もうひとつ licolita 的活動の問題点として筆者が挙げておきたいことは,活動に参加する 上での「名誉の壁」の存在である. - 15 - 「名誉の壁」という言葉は筆者が考えた造語であるが,この場合の名誉とは,ヒュームが唱 えた名誉のことである.ヒュームが唱える名誉とは,旧来の英雄主義や軍事的な美徳に結び 付けられるものではなく,「慈愛」や「寛大さ」によって修正された名誉である.しかもこの 新しい名誉は,学術や趣味を理解できる人々によって,加えて広い視野から物事を判断する ことができる人々から評価される,非常に洗練された名誉でなければならない(八田 2004). この「学術や趣味を理解できる人々」という言葉が,licolita 的活動を通して共感を引き起こ す為に集まる人々のことを指しているとすると,他者の情念を理解するためにはある一定以 上のレベルの知識や,学力を備えている必要があるのではないかと筆者は考えたのである. 俗な言い方をしてしまえば,ある程度「学がある人」,「意識が高い人」でなければ,共感を引 き起こすことが難しいのではないかということである.これらを踏まえた上で,筆者自身初 めて活動に参加したときに抱いた目に見えない疎外感や,言い知れぬ劣等感を筆者は「名誉 の壁」と名付けた. 17 世紀の市民的公共性形成過程の時代においては,この名誉というものが市民の討論の 場に参加するチケットのような存在であった.この時代において文芸的・政治的な議論を交 わす公共的空間の役割を担っていたのは,喫茶店やサロンであった.議論の中心となったの は貴族や知識人(ブルジョワ)であり,名誉を持たない一般市民は議論に参加することも許 されなかったのである.しかし licolita 的活動は,本来 17 世紀の喫茶店やサロンでの討論と は違う,オープンなコミュニティのはずである.名誉の壁の払しょくは,活動の継続に際して 大きな課題点といえるだろう. しかしながら第3章で挙げた licolita 的な活動の事例は,いずれも活動開始から日が浅い こともあり,今はまだニッチな存在である.それ故参加者も,日ごろからアンテナを広くめぐ らしている情報ツウや知識人が多く,名誉の壁が余計に目立っている現状があるのかもしれ ない.しかし,今後さらに大きく活動を展開していく上で,参加のしやすさ,新参者に対する敷 居の低さというものが重要な課題となっていくのではないかと筆者は考える. 5 ペイフォワード 本稿のまとめの章となる.市民の手による公共性の実現に関して,もうひとつのモデルを 提紹介した上で,今後の展望を述べたい. 5-1. 恩返しから恩送りへ 『ペイフォワード』という映画がある.2000 年に公開されたアメリカ映画で,監督は『ディ ープ・インパクト』のミミ・レダー,主演を『シックス・センス』や『A・I』が代表作のハ ーレイ・ジョエル・オスメントが務めた.物語の簡単なあらすじは以下の通りである. ラスベガスに住む中学 1 年生の主人公トレバーは,社会科教師であり担任のシモネット先 生から,「自分の力で世界を変えるために,あなたなら何をするか」という課題を出される.そ れに対する答えとして,彼が提示したシステムこそがペイフォワードだった.ペイフォワー - 16 - ドとは,自分が誰かから受け取った善意や思いやりを,善意を受けた相手とは別の 3 人に渡し ていくというものである.トレバーは麻薬中毒のホームレスや,シモネット先生,いじめられ っ子の友人などに次々と善意を渡していく.なかなか成果の上がらない活動に,トレバー自 身は自信を失っていくが,物語の後半では彼の努力が実を結び,ついにはテレビ局の取材を 受けるまでのムーブメントに成長していく. ペイフォワードは日本語に訳すと「恩送り」という言葉が適訳となる.システムは至って シンプルであり,前述の通り自分の受けた善意を他の相手vに渡していくだけである(図 1 参 照).重要なのはペイバック(恩返し)ではないということだ.なぜならペイフォワードでは 善意の伝達は不特定多数の人々へネズミ算式に広がっていくのに対し,ペイバックでは自分 と相手,双方向の善意の行き来で関係が終息してしまうからである. ペイフォワードは仕組みこそ簡単なものだが,実際に実現し継続していくことは容易なこ とではない.それは自分一人だけで実践していても効果が見えづらく,ただのいい人に留ま ってしまう可能性が大いに考えられるからである.ペイフォワードという考え方自体なじみ の薄い日本においてはなおさらだろう.しかし,同じ価値観を持つコミュニティに参加し,目 的を共有して行動すれば結果も見えやすく実感もわくのではないだろうか.筆者が最後の章 でペイフォワードを扱った理由がここにある.つまり自制的秩序によって公共性を生み出し ている licolita 的活動は,ペイフォワードを無意識的に行っているのではないかと考えたの である. 出典:~あなたにも世界は変えられます~ペイフォワード web サイト(http://www.awajinet.com/pay-forward/) 図 1 ペイフォワードのシステム それを考慮した上で改めて licolita 的活動を見直してみると,ジョウモウ大学などはまさ にペイフォワードを実現するシステムを作り上げているといえる.例えばジョウモウ大学で v 劇中では 3 人となっていたが,実際はそれより多くても少なくても問題ない. - 17 - は先生と生徒という境界線を設けていないため,授業を受けた生徒が別の授業の先生になる ことがある.このとき自分の受けた善意(この場合は恩恵や文化,まちの魅力など)を他者に 伝える手段として,ジョウモウ大学は授業という形でその機会を提供する仕組みを持ってい るのである. 5-2. まとめ イギリスの思想家マンデヴィル(Bernard de Mandeville,1670-1733)は,彼の著書『蜂の 寓話』の副題として「私悪すなわち公益」という言葉を残している.欲求による浪費や欺瞞 といった一見社会にとって不必要であるかに見えることでもときにはそれも必要であり,ホ ッブズが唱えたような理想の人間像では社会がうまく機能しないことを表した言葉である. 彼は社会を蜂の巣,人間を働き蜂に例え,個人のエゴイズムは公共性を損なうのではなく,む しろ何らかの形で公共性に結びつくのだという理論を自著の中で展開した. licolita 的活動は,参加者にパブリックとプライベートの境をほとんど意識させることな く,無意識的に公共性を生み出すシステムを構築することに成功している.それこそが今ま でにない斬新な発想であり,最も評価に値する点である.すでに広がりを見せつつあるこの 活動は,行政への市民参加の手法,新たな公共性を生み出す方法として新たな活路を見出し たのではないだろうか. 昨今,本稿で取り上げた licolita 的活動以外にも,公共性の実現に向けた行政への市民参加 の場は増えてきている.その例としてはオープンガバメント viやフューチャーセンターviiな どを挙げることができる.市民による公共性の創出活動は今後ますます大きな意味を持つこ とは間違いない. おわりに 筆者が licolita 的活動に初めて参加したのは,2012 年 10 月のことだった.MOTOKONYA で開かれたワークショップに参加し,第 4 章で述べた「名誉の壁」の存在を若干意識しつつ も,それ以上に心に残っているのは参加者の郷土愛の強さだった.自分たちの住むまちをど う生かしていくかを本気で考えている姿に感銘を受けたことを覚えている. 筆者はそんな licolita 的活動にスポットを当て,学術的な考察や歴史的背景の検証などか ら活動の今後の展望を伝えることを目的として本稿を執筆した.しかし,学術的な考察,特に ヒュームの思想,ハーバーマスの理論に関しては,不勉強な部分も多く物足りなくなってし まった箇所もある.その点に関しては機会があれば次回に筆を譲ることにしたい. 奇しくも大学進学のため訪れた高崎の地で,全国的にも例を見ない前衛的な活動に出会え vi インターネットを活用し,行政をより開かれた透明性の高いものにしようという取り組 み.現代の目安箱の役割も担っている. vii 市民,自治体,企業などの垣根を超え,地域問題について話し合いの場を設けることで,問題 の解決策を探り,実践していこうとする施設のこと. - 18 - たことを心から幸せに感じている. 文献 齋藤純一,2000,『公共性』,岩波書店 重田園江,2013,『社会契約論――ホッブズ,ヒューム,ルソー,ロールズ』,ちくま新書 稲葉振一郎,2008,『 「公共性」論』,NTT 出版 中才敏郎,2005,『ヒューム読本』,法政大学出版局 杖下隆英,1994,『ヒューム』,勁草書房 宮本憲一,1998,『公共政策のすすめ』,有斐閣 ユルゲン・ハーバーマス著,細谷貞雄・山田正行訳,1994,『第2版公共性の構造転換 市民社 会の一カテゴリーについての探求』,未来社 八田隆司,2004,「 『公共性』の概念の展開」,明治大学人文科学研究所紀要第 54 冊,369-382 糸林誉史,2007,「ソーシャル・キャピタルと新しい公共性」,文化女子大学紀要人文・社会科 学研究 15,75-85 前橋○○部 FaceBookweb ページ(https://ja-jp.facebook.com/maebashiooclub) ジョウモウ大学 web ページ(http://jomo-univ.net/) NPO 法人リコリタ web ページ(http://licolita.org/) 群馬県特定非営利活動法人ジョウモウ・ユニバーシティ・ネットワーク web ページ (http://www.pref.gunma.jp/04/b1500082.html) 内閣府 web ページ(http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/) - 19 - ソーシャル・キャピタルと文化継承 ―地域で文化をつなぐために― 要藤 貴幸 はじめに 近年,少子高齢化や技術の進化による文化の変容によって地域で継承されてきた文化が後継 者不足に悩み,勢いが衰えているという事例が各地で話題になっている.文化と一口に言っても, 郷土料理や方言,習慣や祭事など切り口は様々であるが,日本人が日本人であるため,地域住民 がその地域の住民であるためのアイデンティティーを持つためには,文化について知ること,そ の文化を後世に伝えて育てていくことは重要な要素であると筆者は考えている. 筆者は以前ソーシャル・キャピタルについて少し研究したことがある.社会学や政治学で注目 を浴びている人間の間に形成される実体のない資本であるソーシャル・キャピタルであるが,地 域の治安,福祉,健康,経済などについて言及している論文は数多く見かけるのに対して文化に 関する論文が比較的少ないことに着目し,ソーシャル・キャピタルを論じる多くの論文の中での 位置づけとして,文化面を論ずる論文の一端となるべく,この論文をしたためる.筆者は様々な 効果が提唱されるソーシャル・キャピタルの効果をもってすれば文化継承に関しても好ましい 影響を与え得るのではないかと仮定した.ソーシャル・キャピタルの概要とその役割を再調査し た上でこの概念と文化とのつながりを明らかにし,ソーシャル・キャピタルが文化継承という行 為にどのような影響を与えるのかを考察する. 1 ソーシャル・キャピタルとは 1-1. ソーシャル・キャピタルの定義 ソーシャル・キャピタルを日本語に直訳すると社会資本となるが,これは日本国内において一 般的に経済学で語られる公共施設などのインフラストラクチャーのことを指す言葉であるため, 日本語では社会関係資本と訳す.「関係」という言葉が入るのはこの資本がまさに人間関係の中 で形成される資本であるからという理由がある.19 世紀からその定義が示唆され,見ず知らず の人への「信頼」や「お互い様」という言葉からわかる互酬性の規範,人間同士の絆を資本とし て捉えたものがソーシャル・キャピタルである.具体的に目に見えたり触ったりできない資本で あり,数値化も難しい概念的資本であるが,昨今注目される考え方である.ソーシャル・キャピ タルについての著名な研究家として,パットナム(1940-,アメリカ)やコールマン(1926-1995,ア メリカ)が挙げられる.公的な財であるか私的な財であるかは論者によって意見が分かれており, 両方の性質を持つという意見もある.研究の第一人者であるパットナムは社会やコミュニティ に帰属する財であると論じている. パットナムはソーシャル・キャピタルの蓄積はその地域の歴史的背景に大きく影響されると - 20 - 指摘しており,百年単位で増減するものと主張している.その国や地域で昔から行われている習 慣や特定の世代,人物への一方的な固定概念の押し付けが信頼だけでなく,逆に不信という負の ソーシャル・キャピタルを形成してしまうこともある. 近年の日本では各家庭へのインターネット回線,パーソナルコンピューターの普及によって 電子掲示板や SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)と呼ばれるコミュニティサイトで 独自の文化やコミュニティが作られている.もちろん人間同士の交流であるため,そこにはソー シャル・キャピタルが生まれる.先述した,地域で生まれるソーシャル・キャピタルと全く同じ とはいかないものの,現実のコミュニケーションとつながる契機になるなど,その存在は無視で きない. また,ソーシャル・キャピタルを前提に作られているシステムもあり,臓器移植ドナーカード などがそれにあたる.このシステムはドナーとなる人間の厚意や社会への信頼に基づいて運営 されており,まさにソーシャル・キャピタルを現在進行形で醸成・使用しているシステムだ.効 率などを考えれば臓器の市場を作ることも考えられるが,そこには金銭の受け渡しの信頼しか 存在せず,ソーシャル・キャピタルが育まれる場にはならない.これに限らず,他人からの厚意 にすぐに金銭を払おうとすれば,それは単純に商業行為であり,そこにソーシャル・キャピタル の醸成は行われない.ソーシャル・キャピタルを醸成するためには厚意を厚意で返す必要がある. これは厚意を与えた人間本人ではなく,関係のない第三者に厚意を与えてもよい.これが地域社 会で育まれるソーシャル・キャピタルの一例であり, 「情けは人の為ならず」の言葉で表される 形態である. ソーシャル・キャピタルの計量方法については諸説あるが,紙幅の都合によりここでは割愛さ せていただく. 1-2. ソーシャル・キャピタルの効果と役割 ソーシャル・キャピタルには大きく分けて二つの形があるとされている.異質な者同士を結び つけるブリッジング型(Bridging)と同質な者同士を結びつけるボンディング型(Bonding)の 2 種 類である.ブリッジングで作られるコミュニティとしては,ある目的のために各地から人が集ま った NPO などがそれにあたる.ボンディングで作られるコミュニティとしては地縁で集まる町 内会や学校の同窓会など,共通のステータスを持つ人が集まるコミュニティがそれにあたる.ボ ンディング型はそのコミュニティ内の結束力が高まりやすく,ブリッジングはそのコミュニテ ィ内外で情報の入出力の外部性が高い.コールマンはさらに「閉じたネットワーク」 「開いたネ ットワーク」について言及しており,閉じたネットワークであるボンディング型は互酬性が高い と指摘している. ソーシャル・キャピタルの効果は様々であるが,代表的な例を挙げると, 「治安の向上」 「福祉 の効果増強」「公務の効率改善」などが挙げられる. 「治安の向上」については,パットナムがアメリカ合衆国各州の社会関係資本指数の高い地域 ほど殺人などの凶悪事件が少ないことを指摘している.これは地域住民同士が顔見知りで,互い - 21 - によく交流を持っている地域ほど住民自身が周囲の目を気にして犯罪を自重したり,少年グル ープなどの行動にも目が行き届いて注意ができたり,見知らぬ人間の地域への侵入を察知でき るという効果のためである. 「福祉の効果増強」は,先述の地域住民同士が互いに交流を持つという点に意味がある.俗に いう井戸端会議などの交流の場に普段よく来ている人物がなんの連絡もなく欠席していると不 審に思い,安否を確かめる行動を取る.これが昨今ニュースなどでよく取り上げられる孤独死を 防いだり,病気の介護などをすることによって地域の福祉・健康の向上につながる.公務は常に 公平性・平等性が求められ,情報も開示しなければならないため,なんでもできるわけではない. 福祉などのデリケートな問題は市民自身や市民が作った組織が対応した方がよい場合もあり, ソーシャル・キャピタルはこうした行政の仕事の穴を埋める役割も持つ. 「公務の効率改善」については,アメリカの経済学者ラ・ポルタが 1997 年の論文の中で「他 人が信頼できる人間が多い国ほど腐敗政治が少なく,法律が効果を発揮し,納税率も高い」とい う研究結果を記した.また,先述の「行政の仕事の穴を埋める」ことに関係が深いことであるが, 地域レベルで見るならば自治体が市町村の問題点をくまなく見ることは難しい.しかし,その地 域に住む住民ならば細かい問題に気がつき,その問題の改善という志のもとブリッジング型の 市民団体が組織されたり,単に近所のコミュニティの中で問題が重要視されれば自治体に訴え に行く人物が現れるかもしれない.また,自治体の人間が普段から公務で地域住民に頻繁に交流 するようであれば地域住民と自治体の間にソーシャル・キャピタルが醸成され,住民の協力が得 やすくなる.このように,住民側からの働きかけ,自治体側からの働きかけの両方が公務の効率 を上げる効果をもたらすのである. しかし,こうしたソーシャル・キャピタルの効果は良いものばかりではない.ボンディング型 のコミュニティの中の「ご近所付き合い」には「しがらみ」という言葉も付きまとう.そのコミ ュニティの中でソーシャル・キャピタルを維持することを強制されるのがしがらみである.これ を拒否した場合,拒否した者はコミュニティの外に置かれ,便益を享受できなくなることがある. 閉鎖的,コネクションが重んじられるボンディング型コミュニティにみられるもので,その中と 外では待遇が大きく異なる.全体の和を重んじる日本においては集落や友人関係でも特にこの 傾向が強い.人によってはこのソーシャル・キャピタルを維持するために我慢をしなければなら ず,苦痛を感じる人もいるだろう.教育の現場での最重要課題のひとつである「いじめ」もこう したソーシャル・キャピタルの負の面が関係している可能性が高い.パットナムもこの点につい ては「社会関係資本はコミュニティの不寛容性を促進してしまう」と論じている.ブリッジング 型のコミュニティの場合,開かれたコミュニティ独特の「志を同じくする者なら誰でも参加可能」 であることが多いが,抜けることも容易であり,協調性を強要されないことが逆に仇になるケー スがある. このような例から,ソーシャル・キャピタルは好ましい効果のみをもたらすとは言いがたいこ とがわかる. - 22 - 2 ソーシャル・キャピタルと文化の関わり 2-1. 地域で文化資本を共有する ここまで一番重要な文化の継承について何も触れてこなかったが,この章でフランスの社会 学者であるブルデュー(1930-2002)と,氏の提唱した概念を紹介したい.その名も「文化資本」 という概念であり,書物や資格,言葉遣いやマナーなど,その人が持つ知識・教養・品性などを 資本ととらえたものである.これらの獲得や蓄積には独特のプロセスがあり,わかりやすい例を 出すならば,親が本を数多く持つ読書家であったならば,その子も幼少の頃から本を読む機会に 恵まれ,読書家になりやすくなるという例がある.これを文化資本の再生産と呼び,持つ者と持 たざる者は代を重ねても変化しにくく,古来より貴族が貴族たりえたのはこの再生産の効果が あったためとされている.この言葉がソーシャル・キャピタルと何の関係があるのだろうか. ソーシャル・キャピタルが豊富な地域では地域住民間の交流が盛んで,ボランティア活動や公 民館を利用した生涯学習の場も盛んに設けられる傾向にある.そうした交流活動の中では自然 と地域のことを話し合う機会が多くなり,知識の交換,つまり他人の文化資本に触れる機会が多 くなるのではないと筆者は考えた.実際,コールマンなどは 1988 年に発表した論文の中でソー シャル・キャピタルと教育には深い関係があると主張している.イギリスの Halpern は社会への 信頼が高い国ほど識字率が高いという調査結果(2005)を報告している.識字力は広義の文化資 本の一部と捉えてもいいだろう. 何かを広める際によく使われる「知る機会」という言葉.ソーシャル・キャピタルがこの「知 る機会」を提供する力となり得る.本来,その一族や特に親しい間柄の中で行われる文化資本の 継承を,ソーシャル・キャピタルが地域住民を家族のように結びつけることで,地域全体で共有 することができるという仮説である.筆者はこれを「地域家族論」と名付けたい. 問題なのは文化資本を持たず,そしてこれからも自分には必要無いと考えている人は地域の 中に少なからず存在するということである.確かに地域の伝統文化が廃れてしまうことでけが 人や死人は出ない.新しい文化創造の起点になればと自治体が美術館や文化施設の建設を計画 すると, 「そんなものより優先すべき税金の使い道は山ほどある」と反対する人が必ずいるのも 事実であり,見方によっては正しい意見であるため全否定もできない.この論文の課題のひとつ に,こうした人々といかに関わり,地域で継承すべき文化や文化政策について理解してもらうこ とがあると筆者は考える.以下に記す文化への関わり方などはその課題に対する取り組み方の 方針を模索するものである. 2-2. 人の文化への関わり方 地域で文化に触れる機会といっても広く存在する.地域の博物館・美術館へ赴くこと,公共施 設を使った料理教室や将棋大会,祭事や行事も地域の文化に触れる機会である.次世代を担う子 供や若者がこれらの機会に触れ,次の世代に教えることで日本の文化,地域の文化が継承されて いく.しかし,若者のコミュニティの作り方,維持のされ方は高度経済成長,IT 革命などを堺 にして刻々と変化している.交通や通信技術の進化で人々の生活様式は変わっていき,同じ地域 - 23 - 内でも古い街並みと新興住宅地が分かれて存在する地域などは昨今珍しいものではなく,核家 族化の進行やプライバシー保護の厳格化によって「無縁社会」なる造語も生まれた.現代の若者 は早いうちからインターネットに触れ,インターネット上でのコミュニティの形成も盛んだ.そ もそも少子高齢化が数値で明確にわかる現在,若者の絶対数自体が少ない.そうした理由もあっ て,先述の文化活動に自主的に参加する(=地域のコミュニティに積極的に参加する)若者の数は 減少傾向にある. ソーシャル・キャピタルの 2 つの形であるボンディング,ブリッジングの両方の面から地域家 族論を論じる.ソーシャル・キャピタルの豊富なコミュニティの中では情報の共有・交換が頻繁 に行われ,そのコミュニティ独自の価値観の創造が行われる.そのコミュニティの単位のひとつ である家庭は血縁というボンディング型で形成されたコミュニティの好例であり,習慣や価値 観も各家庭ごとに独自性が強い.その家庭内で創造されたものもあるだろうし,両親のどちらか の家庭から受け継いだものもあるだろう.そういう意味では,地域で文化を創造・継承する上で の簡易なモデルとして考えることもできる. 昨今,町おこしが各自治体の中でブームとなっており,一部の成功例がマスコミで報道される とそれを一斉に模倣し,町おこしというもの自体が手法の画一化され,地域の没個性化が進んで いるという指摘がある(久繁,2010).一度成功した例を自らの地域の特性などを考慮せず同じ手 法を導入すればそのまま成功例どおりの成果を得られるわけではなく,さらに同じ手法が各地 で広まることによってオリジナルの手法を確立した地域の独自性すらも薄め,結局は共倒れに なってしまうこともある.B 級グルメや各地の「ゆるキャラ」などが一部の成功例を除いて,ど こも金太郎飴のように似たようなものに見えることは市民も薄々感じていることである.地域 家族論は,そうした地域の没個性化を防ぐためにも,地域を家族のように結束させ,その地域独 自の情報,つまり文化資本を創造・継承させ,独自の文化資本を伝えることの重要性を伝播する ことを目的とした論である. 3 ソーシャル・キャピタルの二つの面から 3-1. 地域住民は地域の文化をどう思っているか 富山県高岡市福岡町(旧・西砺波郡福岡町)で継承されている文化のひとつに,地域の祭りの 「つくりもんまつり」で披露される「菅笠音頭」がある.福岡町の特産物である菅笠を使った踊 りで,祭りの際には町民や地元の小学生が参加して街の中で踊るものである.福岡町唯一の小学 校である福岡小学校では,授業の一環としてこの踊りを継承することが取り入れられており,高 学年の児童が下学年に指導を行う授業がある.授業として場を設けているのは学校側であるが, 指導などは高学年の児童に一任されており,ある意味児童の自主性を育てる授業とも言えなく はない.下学年は高学年に教わった踊りを秋の「つくりもんまつり」で披露する.これも授業の 一環であり,踊りに参加する児童は強制参加である.児童らが踊る菅笠音頭は町民には毎年好評 であり,祭りの中のメインイベントのひとつに据えられている.しかしこの文化には大きな欠点 があり,継承が学校の中で完結してしまっていることがそれだ.高学年が低学年に指導し,その - 24 - 後発表するだけで,ほとんど学芸会の伝統と何ら変わりない.地域住民がこの踊りに関わるのは 祭りのイベントの中のみで,地域住民間でこの踊りの保存会などが存在するわけでもなく,自治 体のインターネット上のホームページにすらわずかに記述があるのみで,自治体も伝統文化と して大々的に売り出す意識は低いようである.コミュニティの規模を家庭,地域,教育現場と分 けたときに,これでは三者間の連携がとれておらず,教育現場のみが独立して関わっている状況 である.Berry(1993)や Bellah(1985)によれば,顔と顔を突き合わせた(Face to Face)自由な討 論が可能な機会で地域住民が政策について話し合う場が地域政策にとって非常に重要な位置に あるという指摘をしている.これは政治参加とソーシャル・キャピタルに関する論文の中で述べ られたものであるが,これを地域の文化に当てはめることも十分に可能であると筆者は考える. この論文の中で政治は地域(共同体)に住む市民本人が自ら法づくりに参加して行うべきもので あると述べられている.地域の文化に関しても,その地域に住む市民が定義,体系づけを決定す べき事柄であり,先述の共同体としてならば学校(教員)・地域(市民)・家庭(保護者)が Face to Face で一堂に会する場が必要である.文化の形態やその地域にとって好ましい形の継承の方法 はそれこそ地域によって千差万別であり,それをボンディングによって形成されたコミュニテ ィによって話し合って決めることに意義がある.公立の一条校ならば学校内で行っている教育 を秘匿してはいないが,こうした場を設けている学校は多くない.文化の継承・発展において重 要な位置を占める教育の場にこそメスを入れ,教員独自の判断でなく,保護者の押し付けでなく, 地域住民のエゴイズムでもなく,それら三者三様の考え方を Face to Face で自由に討論する場 の導入が地域家族論にとって 1 本の柱となる考え方であることをここに主張したい. 話は変わるが,2011 年に,長らくテレビ番組での所謂ゴールデンタイムに放送されてきた「水 戸黄門」の放送が終了し,今までも傾向はあったが民放では新規に時代劇を制作する動きがさら に減少しつつある.筆者が幼少の頃に見たテレビ番組で,とても印象に残っているものがある. 市原悦子,常田富士男が語るアニメ作品の「まんが日本昔ばなし」である.1975 年に放送が開 始されたこの番組は 1994 年まで放送されており,独特の語りと親しみやすい作画などから好評 を博したため,一部再放送が行われる地域もあった.筆者は保育園,幼稚園でこの作品を鑑賞し た記憶がある.さらに,筆者は三世代が同居する家庭であったため,幼少の頃は祖父母からこれ に類するお伽話,昔話,戦争体験談等を聞いて育った.そうした体験からか,本を読むことが好 きで,小学校の頃から図書室に通って様々な本を読んだ.昔話については当時は深く考えずに聞 いていたが,大学に入ってから先述の「まんが日本昔ばなし」を再度視聴する機会があった.こ の番組で題材とされているのは日本各地に伝わる伝承や民話,仏教の法話や神話などであり,単 純な笑い話から道徳教育めいたものまで様々である.元を辿ると中国やインドから伝わった話 もあるものの,その多くは日本で生まれた物語であり,昔の日本人の生活様式,倫理観をベース に組み立てられている.これを幼少の児童が読んだり聞いたりすることで,日本人やその地域の 住民としてのアイデンティティや道徳観を育てることができるのである.イギリスの歴史学者 Toynbee(1889-1975)は,「児童期に民族の神話を学ばない民族は滅ぶ」と主張している.例えば 祖国の無いユダヤ人が民族として団結し,誇りを失わなかったのはユダヤ神話を信じ,民族とし - 25 - てのアイデンティティを保ってきたからである.また,欧米のキリスト教徒は例外なく神話じみ た聖書を読む.聖書は長らくキリスト教徒の精神の拠り所となり,道徳観を育ててきたものであ る.筆者はまんが日本昔ばなしを視聴しながら,日本,ひいては日本の各地域でこのユダヤ神話 や聖書に相当するものがこの「昔話」であり,口承文学として立派な文化資本の一部だといえる のではないかと考えた. 実際に児童に民話を伝えることの重要性を早くから意識し,活動している団体が各地に存在 する.長野県大町市では「大町民話の里づくり もんぺの会」と称して市内福祉施設や小中学校 での語り,観光者向けに民話にゆかりのある地のガイドを行っている.東京都に本拠地を置く 「日本民話の会」は民話の研究や民話の語り部の勉強会などを行っている.福島市の「ふくしま 民話茶屋の会」は小中学校への講演以外にも,地域の民話を冊子化して小学校へ寄贈するなどの 活動を行っている.岩手県遠野市では,1970 年代から「民話のふるさと」という地域イメージ づくりを行い,地域づくりの一環として認知されている.遠野市内の一部の宿泊施設ではいろり 火の会という主婦からなる昔話を伝えることを目的とする団体に所属する語り部から昔話を聞 くことができる. こうした団体はブリッジング型で作られたコミュニティであり,特定の目的にのみ特化した士 気を見せる.先に述べたように規模はその団体によって様々であり,コールマンが述べる論に準 拠するならば,大きな団体になるほど単純にマンパワーは増えるものの,意志の統一は難しく, 柔軟に動くことができなくなるため,一概に大きな団体ほど目的の遂行に適しているとは言い 難い.しかしこの例は地域住民が子供の頃から触れている地域の文化を地域内,もしくは地域を 訪れた観光客に対して伝える活動を自発的に行っている例であり,教育現場,家庭の各コミュニ ティと繋がってもいる. 地域住民のこうした団体への参加はやはりその地域に対する印象の良し悪し,もしくは「自分 たちが何か行動せねば」という使命感,焦燥感が左右する.「継がされる文化」の項目でも述べ たが,こうした団体の活動力の源である使命感・焦燥感も結局は「その文化を失うことが惜しい」 と思う人間が存在するからこそ生まれるものである.では,極論を述べるならば今この瞬間にも 失われつつある地域の文化は誰もが失ったとしても惜しくないと感じている文化であろうか. 筆者はそうは思わない.その文化の価値を見出す人間がその地域内に存在しないだけであり,そ の文化の存在を知り,内容を正しく理解して価値を見出す人間が存在すればその文化を守る力 ははたらくはずである.しかし,地域の文化を守るとは言っても,その地域に住む人間ではなく 外部の人間がその地域の文化を守るとなると話はややこしくなる.その文化の種類にもよるが, 地域の文化はその地域の中で,その地域に住む人間が継承することに意味がある.例えば先述の 高岡市福岡町の菅笠音頭は,昔から福岡町において菅笠の生産が盛んだったことに由来する節 があるため,例えば東京で福岡町の住民以外の人間が普及活動を行ったとしても「地域で継ぐ文 化」としてはさほど意味がない.沖縄県で米軍排斥活動を行っているのが県外の人間ばかりであ るという事実と同じで,地域とそこに住む人々の実情を考えずに無理矢理「この文化は残さなけ ればならない」という主張を押し付けているだけだ.これでは実際に地域に住む住民の文化への - 26 - 印象はますます悪くなってしまう.外部の人間の関わり方としては,その地域で失われつつある 文化を再び光のあたるところにピックアップすること,他の地域での保護活動の情報を伝える ことなど,実際の保護活動に関わる範囲は限定的であるべきだ.地域文化を紡いできたであろう 地域住民の主体性なく外部の人間に任せっきりで保護した地域の文化など,その文化自体,ひい ては地域住民にとってもなんの価値もないだろう.しかし,地方の少子高齢化,過疎化などは深 刻な問題であり,「発信力の格差」というものは確実に存在する.そうした意味では,外部の人 間の協力を否定する旨の論ではないことを記しておく. 3-2.外部から文化資本を取り込む 地域で文化を守る力を働かせるためにはどうしたらよいのか.前章で述べた討論の場を設け るという案ももちろんなのだが,ここで NPO 団体などを絡めて話をすると, 「小さな政府」論が ある.NPO 団体に政府(地方自治体)の仕事の一端を担う形で業務を任せ,小さな政府を目指すと いうものである(松永 2005).文化の保護事業に関して,自治体にもよるが自治体自身が大きく 関わりすぎているせいで,市民が地域文化の保護を「自分達がやらなくても自治体がやってくれ るだろう」という他人任せな考えを持っているうちは先述した危機感・焦燥感が生まれず,市民 に自発的な行動を起こさせることを阻害してしまっていると考える.ただし,この論をソーシャ ル・キャピタルの観点から考えた場合,「ソーシャル・キャピタルが豊富だから NPO 団体の活動 が活発であり,効率化が進む」ととらえるのか「市民や NPO 団体に任せるからソーシャル・キャ ピタルが豊富になる」ととらえるのかで論の前提が変わってくるが,鶏が先か卵が先かというジ レンマに陥るためここでは述べないこととする. 突き放すようではあるが,自治体が文化の継承に対して手を加えなくなり,その上でその地域 の住民が地域文化を失うことを惜しいと考えて行動を起こさなければ,先の文章で否定しては いるものの,その文化に価値を見いだせないとされても仕方のないことである.しかし,そうし て地域から文化が,ひいては文化資本が失われ,地域を「ただ住むだけ」の無味乾燥な共同体の 集まりにしてしまって良いはずがない.誰も継承することに価値を感じないというのは,解釈の 仕方は多々あれど,時代や世相にそぐわない文化とみなされたということである.そうした地域 では新たな文化の創造が行われることが望ましい.継承された文化,新たに創造された文化は地 域住民自身がそれに価値を認め,次の世代に伝えたいと思うならば両者に高尚も低俗もないと 筆者は考えている.ブリッジング型ソーシャル・キャピタルで作られたコミュニティの特性のひ とつとして,情報の外部生がある.異質な者同士を結びつける開かれたコミュニティでは,ボン ディング型コミュニティと比較して外部からの情報に対して寛容である.個人の持つステータ スが違う者同士が集まる集団では,その集団自体にもたらされる情報が個人にとっても異質な 情報であることが多く,その情報がコミュニティ内に新しい価値観や風潮をもたらすことがあ る.家庭においても親が老人会,子が同好会,孫が部活動などの別々のボンディング型コミュニ ティに属し,家庭に異質な情報(文化資本)を持ち込むことがある.さらに近年ではインターネッ ト上で SNS など,異質な者同士を結びつけるボンディング型コミュニティが築きやすい下地が - 27 - 発達してきているため,そうした面から見た場合にはこの特性はより発揮しやすくなっている といえる.誰かがコミュニティの中に新しい文化資本を投入する機会があれば,新しい文化の創 造の契機になり,地域の文化を枯れさせることを防ぐことにつながる可能性がある. 徳島県神山町は,人口 1 万人にも満たない山間の小さな町である.長年過疎化と高齢化に悩ま されていたが,なんと 2011 年度の人口動態調査で転入者が転出者を上回ったのだ.町内の実業 家らが中心になって 1999 年から静かで自然あふれる環境を売りに芸術家を招聘.その団体は 2004 年に名をグリーンバレーと改め,NPO 法人として「アーティスト・イン・レジデンス」(各 種の芸術制作を行う人物を一定期間ある土地に招聘し,その土地に滞在しながらの作品制作を 行わせる事業のこと)を本格的に開始した.IT インフラの整備を行って企業を誘致し,古民家を 再生して芸術家以外の移住も歓迎した.人がある程度集まり,芸術家達の成果を発表する展覧会 などのイベントも開催されている.世間に「芸術家が集う町」として認められ,NPO 団体の能力, 新たな地域文化の創造が不可能でないことを証明してみせたのである.もちろん全ての地域が NPO さえあれば神山町のようになるわけではない.しかし,NPO 団体グリーンバレーはその活動 によって神山町に文化資本を集約させることに成功し,新しい世代が神山町で生まれることに よってその文化資本を継承するという見通しも立てている.これは紛れも無く自治体どうこう ではなく市民の側から行われた文化の創造であるといえる.地方自治体があえて手を出さない 「小さな政府」状態の中で教員,地域住民,保護者の討論の場を設けることができるならば,そ れがきっかけとなって有志が集まり,こうした NPO 団体が設立される機会も増え,その NPO 団体 がある意味家族のように市民同士を結びつけることで文化資本の共有・継承・創造が行われてい くのである. 4 地域家族論における課題 ここまで地域家族論について考えてきたが,この論を考えるにあたって課題点もあることを 指摘された.ソーシャル・キャピタルの性質自体にも関わることであるが,まずこの論に対して 住民全員が諸手を挙げて参加するということは現実的ではないということである.なぜかとい えば,仮に地域や教育現場が家族ぐるみの付き合いをした場合,息苦しさを感じる人が少なから ずいるということである.教育現場の実態が必要以上にオープンに地域住民や家庭に公開され, さらにそこから気兼ねなく意見が飛んでくるとなれば,教育現場にいる人間は文部科学省の告 示する学習指導要領と地域住民や保護者からの意見を擦り合わせることに今まで以上に苦労せ ねばならず,ただでさえ教員の負担が大きいといわれる現状にさらに重荷を課すことになる.こ れはソーシャル・キャピタルの負の側面である不寛容性を高めるはたらきの一部である.ソーシ ャル・キャピタルが豊富で,個人間の交流が盛んになると,より一体感を高めようと相手の情報 を何でもかんでも収集し,生活に干渉して価値観や習慣を押し付けてしまうことがあり,これが 大きな単位で見た場合,教育現場,地域,家庭にそれぞれ深入りしすぎてしまう.こうなるとソ ーシャル・キャピタルの維持は押し付けがましい印象となり,むしろ他人への嫌悪感を育ててし まう可能性すらある.また,地域でも住民全員が知り合いということはまずなく(大学周辺のア - 28 - パート街や古い集落と新興住宅地が混在する地域など),そうした地域で家族ぐるみの付き合い などはそもそも望まれていない. また,ブリッジング型コミュニティで流入する情報にも様々な種類がある.良い情報もあれば, 悪い情報もあり,むしろ悪い情報の方が人々の興味を引く場合があることは珍しくない.反社会 的な内容の情報や,誤情報が地域に流入してくれば,コミュニティ間での不信感を高めてしまう. これに関しては, 「ソーシャル・キャピタル」という考え方自体を地域に広める必要がある. 現在,地域づくりは政治・経済の分野を中心に大きなテーマとなっており,各地で地域づくりセ ミナーやシンポジウムが積極的に開催されている.こうした中,ソーシャル・キャピタルという 考え方は地域づくりの手法の基礎をつくっていることはあるものの,概念それ自体は市民の間 にさほど広まっているようには思えない.それは,新聞記事やニュース番組などでソーシャル・ キャピタルや社会関係資本といった語はほとんど聞かないこと,大学で学んでからこの考え方 を知ったという個人的な事情から筆者が感じている主観ではあるものの,あながちどこでもだ れでも知っている考え方であるとも言えないことは事実である.だからこそ,先述のセミナーや シンポジウムでこのソーシャル・キャピタルの良し悪しを地域住民に広く知らしめることによ って負の側面の発生を各自がある程度自制できるようになれば,その地域ごとに最適なソーシ ャル・キャピタルの形に近づけるのではないかと思う. 5 ソーシャル・キャピタルがつくる文化のかたち 近年の日本の風潮では個人の自由やプライバシーの権利などが重視される傾向にあり,確か にそうした権利も重要ではある.しかし, 「個」に執着するあまり,全体(地域)が衰退して「全 体の中の個の間」にある伝統や価値観などという文化を押し流してしまってもよいのだろうか. 各家庭を細胞に例えるならば,その細胞同士を繋げ,栄養(文化資本)を行き来させる細胞膜や細 胞間物質こそが地域で紡がれた文化であり,それを正しく機能させるためにソーシャル・キャピ タルという作用が必要なのである.少子化によって子供の絶対数は減少しているものの,地域家 族論によって文化資本が次世代に継承されていくならば,むしろその文化資本の濃縮が行われ, 一人あたりの持つ文化資本を増やすことに繋がる可能性もある.所謂ゆとり教育によって学力 の低下が叫ばれる昨今であるが,ゆとり教育の本当の目的は何だったのであろうか.学校週 5 日 制,総合的な学習の時間の導入,経験重視型の教育方針などは,まさに子供達にテストの解答を 暗記させるためではなく,家族間,地域住民間で文化資本の継承を行わせるための時間をとるも のではなかったのだろうか.現在,学習指導要領が見直され,脱ゆとり教育の新しい方針が模索 されているが,週 5 日制や総合的な学習の時間は残っている.筆者が思うに,政府やマスコミが ゆとり教育について,国民にあまり上手く要旨を伝えられなかったのではないかと思っている. 政府は小難しい話をし,マスコミは学力にしか焦点を当てていない.どちらも話す対象のことを 把握できていないのである.それによって国民は正しい理解ができず,機会は与えられていたの に文化資本の継承や創造については歪んだかたちの解釈しかされなかった.ゆとり教育が実施 されていたこの 10 年間は文化面での「失われた 10 年」であると言っても過言ではないだろう. - 29 - ゆとり教育という制度の中でこそ,教員は子供達の住む地域のことを詳しく調べ,地域住民は危 機意識・焦燥感を持ち,保護者は子供に昔話を聞かせ,地域が家族のように繋がる必要があった のである.政府ばかりが批判の的になるが,意図を正しく汲み取ろうとしなかった市民の側にも 問題はあるのである.市民の間に十分なソーシャル・キャピタルが醸成されていたとしたら,市 民同士はもっと話し合いの場を持ち,地域や教育の問題点が討論され,団体を結成していたであ ろう. その地域独自のソーシャル・キャピタルによって形成された団体が他のコミュニティからの 文化資本を取り込む際には,多少なりともその文化資本にも手が加えられるだろう.その文化資 本の背景や事情がその地域独自のものであるとこを理解し,自分の地域に合った形に変えてい かなければその文化資本は地域にうまくフィットしないことはこの論文で述べてきたことであ る.ソーシャル・キャピタルの概念が地域に広まった後の NPO などのボンディング型コミュニテ ィの地域に対しての価値は,この文化資本の変換と地域への内包がいかに行われるかが重要な 判断基準となっていくことだろう おわりに 本稿ではソーシャル・キャピタルという社会学上で扱われる資本の考え方を中心に,文化資本, 共同体,教育論などを絡めて地域の文化について述べた.ソーシャル・キャピタル自体が政治・ 福祉・教育など多岐にわたって応用可能な考え方であるため,近年社会学者を中心に論壇で頻繁 に議論されている.文化に関する論文も多少は見受けられたのだが,どうもソーシャル・キャピ タル論の王道にはなっていない印象を受けたため,筆者が「地域家族論」という考え方を新たに 提唱した.研究・調査不足のため粗が目立つが,この論がソーシャル・キャピタル論に多少なり とも影響を与えられたならば筆者としては本望である. この論文を書くにあたって本稿をめぐるソーシャル・キャピタルにも感謝したい.論文の全体 的な指導をしていただいた友岡邦之教授,内容に関するアドバイスを数多く頂いた研究室の同 期生や後輩にも心から御礼を申し上げたい. 本論文では調査不足によりソーシャル・キャピタルの醸成について述べることができなかっ たことが心残りであるが,この点に関しては他日に期すことにしたい. 文献 稲葉陽二 2011 『ソーシャル・キャピタル入門』 中央公論新社 伊多波良雄 2012 『ソーシャル・キャピタルとしてのまつりの可能性』 要藤正任 2005 『ソーシャル・キャピタルは地域の経済成長を高めるか?』 佐藤一子 2012 『昔話の口承と地域学習の展開』 外池智 2013 『戦争体験「語り」の継承プログラムに関する研究』 柄田明美 2009 『団地にみる地域コミュニティの現状』 石塚優 2007 『地域というソーシャル・キャピタルの現状と課題』 - 30 - 長澤壮平 2011 『地域の伝統宗教文化におけるソーシャル・キャピタル』 山内直人・伊吹英子 2005 『日本のソーシャル・キャピタル』 橋野晶寛 2010 『コールマンの教育政策研究における方法と制度構想』 永島剛 2010 『ソーシャル・キャピタル論と歴史研究』 桜井政成 2007 『ボランティア・NPO とソーシャル・キャピタル』 竹下修子 2007 『ムスリム家族における国境を超えた家族形成:教育戦略に対する社会関係資 本の影響を中心にして』 大前敦巳 2005 『今日の大学生における文化資本の社会的意味』 宗野隆俊 2009 『参加デモクラシーと「近隣の自治」 』 時津啓 2010 『参加と制度:「なぜ島嶼部児童は体力があるのか」をめぐる理論的試論』 原田博夫 2010 『政策論としての社会関係資本』 久繁哲之介 2010 『地域再生の罠』 日経ビジネスオンライン 奇跡の NPO,グリーンバレーの創造的奇跡 - 31 - 育てる鑑賞 ―日本の美術館鑑賞教育から考える― 小玉 悠太 はじめに 日本は海外と比較して芸術を美術館に行き鑑賞する割合が低いと言われている.日本人の多く は芸術に対し無関心であったり,興味を抱かないという人が多い.平成 24年度に文化庁より発行 された文化芸術関連データ集には,1 年間に美術館,博物館で鑑賞した国民は約4割程度しかいな いという統計も発表されている.しかし日本人は芸術鑑賞する機会や場所が少ないというわけで はない.日本ではゆとり教育の教育政策の一つとして初等教育から鑑賞教育を教育カリキュラム の中に積極的に組み込みはじめ,特に近年では鑑賞教育の教育的効果が注目され多くの自治体で 鑑賞教育が行われている.我々は子どもの頃から鑑賞する機会を設けられているのだ.しかしな がら現状は鑑賞教育を受けた子ども達は大人になっても美術館に行くことはなく,美術館離れと いうべき事態が発生している.筆者も小中学生の時,実際に鑑賞教育の授業の中で美術館に訪れ ている.しかし,その際の鑑賞教育の記憶はただ教育の一貫としてそうした場所に訪れ,漫然と学 芸員の方を聞いているだけという,美術を見る意識も低くただつまらない授業で終わってしまっ た記憶しかなかった.大学生となった今も美術館に訪れることはほとんどない.そうした筆者の 美術嫌いがあるからこそ,日本の美術館鑑賞教育の中でも鑑賞教育に焦点を当て,子どもにとっ て鑑賞教育とは何のために,どういう意義があって行われているのか,そして鑑賞教育によって 子ども達を育てることの最終目標とは何かを研究をしたいと考えた. まず1章では鑑賞という行為,そして鑑賞教育を行う意義について論じる.2章では日本の鑑 賞教育の取り組みを時系列で追いながら,現在の鑑賞教育の問題点を考察する.3章では2章で 考察した問題の解決策として学校と美術館のつながりを挙げ,その可能性と問題を論じる.そし て4章では世田谷美術館の美術鑑賞教育から日本の鑑賞教育の模索を図り,最後に5章で子ども 達にとって育てる鑑賞とはどういうことなのかについて論じていきたい. 1 鑑賞教育とは 1-1. 美術鑑賞とは 鑑賞教育を論じる前に,美術鑑賞という行為について考察していこうと思う.米澤有恒は,鑑賞 は作品を見分け聴き分けて味わい評価することと論じた.芸術作品に目が利き耳が利くというこ とだが,目利き(connaisseur)であるためには,何らかの判定基準がなければならない.この基準 を「鑑・かがみ」という.これに照らして,照らされたものの意義や価値を判定する行為である(米 澤 2001).また芸術鑑賞はただ芸術作品を見て楽しむという行為のみにとどまらない.そのこと について奥本素子は広辞苑の広義を引用しながら,鑑賞とは「教養とは単なる学殖・多識とは異 - 32 - なり,一定の文化理想を体得し,それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識のこと」で あり,我々が自分なりの哲学や見方というものを獲得するためには一定の文化や理想を知り世界 観を広げ,それを応用して創造的な自分の見方というものを生み出すものだと論じている(奥本 2005).美術鑑賞という行為は芸術作品を見て楽しむだけでなく,加えてその行為によって芸術作 品の中にあるメッセージを読み取ることによって正しい解釈と理解力,想像力を高め,それを問 題解決の能力として身につけることなのである. しかし一方で,これらの美術鑑賞の意義を別の視点から捉える見方もある.構造主義の代表的 な人物,ミシェル・フーコー(1926-84)らの考えによれば,美術館は視覚的な価値を人々に顕示す るため一種の権力装置として,権威的で排外的な施設として存在してきたという.そして,そこで 目にするのは,整然と分類され,陳列された美的価値の体系であり,そうした意味を受け取ること こそが鑑賞という行為の目的となる(北村 2006:62)というのだ.フーコーの論じる美術館での 鑑賞の行為とは,美術館などの市民に広く開かれた社会施設から,一定の文化や社会の価値観を 市民に再生産させ,美術の見方というものを規定していくといものだ.つまりフーコーは美術鑑 賞という行為を市民に一定の価値観を植え付け,美術とはこういうものだというイデオロギーを 構築するための行為だと論じたのである. 確かに美術鑑賞という行為は民主化が進んだ近代以降の大衆社会の中において,美術館におけ る教育的啓蒙活動や美術における一定のイデオロギー形成という社会構築装置として機能し,そ して今なお美術鑑賞はそうした側面を持っていることは否定できない.しかし私はフーコーらの 論じるような権力論的,社会装置的側面から根底的なレベルで鑑賞教育を否定するのではなく, そこから転じて教育的,社会実践的な側面から美術鑑賞という行為を肯定的に捉える立場から考 察していきたい. 1-2. 鑑賞教育の意義 鑑賞教育は鑑賞の人間性の形成と育成を促すという特性を活かし,美術教育の中で鑑賞を教育 として指導することである.では鑑賞を学校教育の中で取り扱うことにどのような意義があるの だろうか.美術教育という言葉には,厳密に言えば二つの意味を担っている.一つは美術の教育,す なわち美術能力の育成,特に専門家養成としての教育である.もう一つは美術を通しての教育,す なわち美術を通じての人間形成である.美術を通しての教育において美術能力養成が不要という ことはないが,美術の創作,鑑賞の全活動は自己の表現活動でもある.それは人間性の問題と深く 関係を持ち,美術の能力育成は人間性の育成にも機能するのだ.松井清人はこのことについて「美 術の鑑賞教育―美術教育学の構想,その3」のなかで以下のように論じている. 鑑賞教育の根本は,感性的,情緒的な面と知識的,論理的な面の両者が,うまくかみ合い,助け 合い,溶け合ってこそ,本当の鑑賞能力になるのである.一般的に鑑賞は,見ると云う視覚上の 働きが優先し,基底をなすものである.知る働きも,鑑賞にとって重要な働きを示すが,知的理 解は,むしろ補助的,第二次的であると考えるべきで,知ることを先行させたり,重要な位置づ - 33 - けを与えると,知的理解をそのまま鑑賞力と解釈して,鑑賞教育を大変ゆがめられたものに する.このことは,鑑賞教育の中に,かなり支配的に行われていただけに,思い切った反省と訂 正をして行わなければならない.(橋本 1968:5) 小中学校の普通教育の場に於ける鑑賞指導は,鑑賞のための鑑賞ではなく,常に作品や対 象の中に,美しいものを自分の目で捉え,自分の心で感じ取る美的鑑賞,直感的鑑賞の態度を 培うことである.見ることを通して,対象の中に感動やイメージを呼びさまし,自己の美的生 命を追求することである.(橋本 1968:5) また,平成 20 年度の改定鑑賞指導要領美術編においても鑑賞について「よさや美しさを鑑賞す る喜びを味わうようにするとともに,感じ取る力や思考する力を一層豊かに育てるために,自分 の思いを語り合ったり,自分の価値意識をもって批評し合ったりするなど,鑑賞の指導を重視す る」とあり(福本ほか編 2010:138),鑑賞教育における人間性を育てる教育を重視している.文 中において「感じ取る力や思考する力」とあるが,これは子供たちの感性と情操を育てることで ある.感性とは様々な形や色のもつ対象や事象を心に感じ取る働きであり,情操とはこのような 感性が蓄積され習慣化され,一定の心情的な傾向性をもった状態のことである(福本ほか編 2010:5).感性と情操を育てることは,理性的で感性的な全人的な人間形成の一翼を担っており,美 術教育のみならず,様々な分野でこの思考する力を養うことをその目的としているのである.近 年では対話による意味生成的な鑑賞教育も脚光を浴びている.鑑賞教育とは仲間との協働活動, コミュニケーションを通じて作品の見方をより豊かにする教育でもある.意見の交流を通して自 己の相対化や他者理解が促されること,そしてそのような経験が心の教育や人々の相互理解が求 められるようになった今の教育現場において,極めて重要な教育的経験であり,鑑賞教育におけ る美術を通しての人間形成が注目されているのである(上野 2012:79). 2 日本における鑑賞教育の発展と問題 2-1. 従来の日本の鑑賞教育 日本において鑑賞教育はどのように受容されてきたのであろうか.戦後から現在までの日本の 鑑賞教育の推移から確認していく.昭和 22 年度版の学習指導要領図画工作編(試案) (一)指導 目標には「1.日本及び世界各国の美術品を,年代順に鑑賞させ,美術に対する関心を深めると ともに,その美術品と,それを産んだ時代の動きとの関係を理解させる」とあり(隅 2009:34), 戦後から美術科において鑑賞は美術教育として扱われていた.しかしいままでの鑑賞は,創造的 自己表現を主眼とした教育課程の陰に隠れて,従属的な位置づけである場合や,相対的に低立場 に置かれ,近年までその教育的価値が見出されないままであった.美術館においては,その活動の 中心は作品や文化財に対する保護・保管や,調査・研究にあるとされてきたのに対し,教育普及活 動においては作品を展示室に陳列するだけの展示活動で十分であると見なされ,鑑賞者の主体的 な鑑賞活動を促すような教育実践が行われることはほとんどなかったのである. - 34 - また,学校の美術教育では 20 世紀初頭以来の経験主義・児童中心主義に基づく創造主義的な 美術教育が大部分を占めていた.そのため表現・制作活動が学習の中心に据えられ,鑑賞活動はそ れに従属するものと捉えられてきた.子ども達の発達の道筋に合わせ,低学年での,自己を中心と した表現活動の中で自分や友達の絵のよさを認めたりすることを出発点として,発展的に芸術作 品へ向かうという鑑賞が考慮されていたが,あくまで表現活動につなげることが前提であった. 子どもの視点に立とうとするあまり,造形学習においては自己表現に価値が置かれ,見ることや 知覚偏重の学習は避けられてきた.そこには言語を主体とした美術作品の鑑賞活動は知識学習に つながるという見方があったことに加え,かつての学習指導要領にみられた「造形作品のよさや 美しさなどを感じ取り」という表現によって鑑賞の質的側面が情緒的で感性的なものだと短絡 的に認識されていたという当時の状況があったのである. こうした状況は長期間にわたり自明 のものとされ,そのため鑑賞については議論の余地すら与えられない,いわば鑑賞の抑圧状態に 置かれたのであるi. 2-2. 新たな鑑賞教育の登場 しかし 1990 年代から鑑賞教育のあり方が変化し始めた.平成 10 年度の学習指導要領の改訂に よって,鑑賞指導を従来と同じように表現との関連を図って行うことを原則としつつも,全学年 で発達や地域の実態に応じて独立した指導ができるようになった.また欧米の美術館教育に触発 されて日本でも美術館教育が 1990 年代に急速に発展し,各地の美術館においてワークシート,セ ルフガイド,ワークショップなどの開発が進んだ.また教育普及活動が活発化したことにより美 術館との連携を図ることが示され,積極的で多面的な意義を鑑賞教育に認めようとする動きが見 られるようになったのである(福本 2001). 加えて,新たな鑑賞教育の実践が試みられるようになった.アメリカで新たな鑑賞教育の実践 が行われ,アメリカの認知心理学者アビゲイル・ハウゼンらの長年の鑑賞者に対する調査研究を もとにした美術鑑賞に関する実験カリキュラム Visual Thinking Curriculum(VTC)を 1990 年代に開発し,元ニューヨーク近代美術館学芸員アメリア・アナレスの紹介によって美術館や学 校などの教育機関で用いられるようになった.その鑑賞教育の特徴としては鑑賞者が作品に対し て受動的ではなく,学芸員やスタッフといったトーカー,または鑑賞者同士とコミュニケーショ ンの中で作品の意義,解釈を読み解いていく形式である.日本ではアメリア・アナレスが著した 『なぜ,これがアートなの?』を 1998 年に日本語訳されて出版したことが契機でこの鑑賞教育 の方法が伝わり,対話型鑑賞教育と訳され日本中に広まった. この対話型鑑賞教育の形式で注目すべき点は,鑑賞者と作品,鑑賞者とナビゲーターii,そして鑑 賞者同士が言葉によって結ばれるという点である.たったひとつの作品について,互いの発見や 価値観に基づく意見を表明し,見解の相違や一致を認識し,さらなる観察や議論によって各自の 理解を深める作業を行う.すなわちこれは純粋なコミュニケーション行為であり,非常に社会的 i北村(2006:64),福本(2001)より参照. ii ナビゲーターとは対話型鑑賞教育の進行役・解説役のことである.トーカーとも呼ばれる. - 35 - な関係構築の作業といえるのである(北村 2006:68).対話型鑑賞教育は子どもの判断力,コミ ュニケーション能力を養うのに効果的であり,学習指導要領図画工作編・美術編に示された目標 に大きく合致している.この教育実践は多くの小中学校,美術館で持て囃されるようになり,対話 による意味生成的な鑑賞教育の実践として注目された.このことによって従来の経験主義的な美 術教育ではなく,既存の知識や価値観にとらわれず自由にコミュニケーションができる美術教育 が目指されたのである. 表 1 従来の鑑賞教育と新しい鑑賞教育の比較 従来の鑑賞教育 新しい鑑賞教育 教育目標 自己表現としての表現活動 社会関係構築としての表現活動 鑑賞教育の捉え方 創造的自己表現 コミュニケーション行為 鑑賞の立場 従属的 主体的 美術館 展示活動のみ トーカー,ナビゲーターとして積極 的に関わる 学校 主に造形活動のみの経験的,児 美術館で芸術作品を見ながらの実 童主義的な美術教育 践的な鑑賞活動 筆者作成(2013) 2-3. アメリア・アナレス問題 対話型鑑賞教育は『なぜ,これがアートなの?』を 1998 年に日本語訳され出版されたことを契 機に全国の美術館に急速に広まり,その教育実践がなされた.しかし,対話型鑑賞教育が日本で普 及するに当たって様々な問題が生じるようになった.それがアメリア・アナレス問題である.以下 の文章は『美術館教育における Visual Thinking 問題について』を依拠しながらその問題点を三 つに分けて論述する. まず一つ目に,対話型という鑑賞教育だけがもてはやされ,作品の味わいや背景を説明せず,形 式だけを真似るだけという状況が生まれてきた.対話型鑑賞教育には新しい知識や見方を修得す ることが難しいという欠点があり,作品の背景や意図などを理解せずに独りよがりの鑑賞になり やすいという問題を抱えている. 二つ目に,作品を十分に理解し,それを鑑賞者側にうまく議論させる指導者が不足し,満足な対 話型鑑賞が行われない現状が発生した.対話型鑑賞教育には芸術作品の知識,背景などを熟知す ると同時に,鑑賞者に芸術作品に対する意見,感想を引き出し,そして議論させるというファシリ テーターiiiとしての能力を要求される.この 2 つの能力を持つ指導者は少なく,アメリア・アナレ スのような理想的な対話型鑑賞教育を行うのは困難である. 三つ目に,対話型鑑賞教育の日本での明確な教育メソットが確定しておらず,様々な解釈の中 iii ファシリテーターとは,集団行動そのものには参加せず,中立的な立場から活動や議論を円滑 に進める進行役のことである. - 36 - で対話型鑑賞教育が行われてしまった.対話型鑑賞教育はアビゲイル・ハウゼンらの長年の鑑賞 者に対する調査研究は厳格なルールに基づき,そのルールに則った実験を何回も試みることによ って確立した.しかし日本ではそうした実験を行わないまま導入したため,どういう意図で,どう いう裏付けがあって,そのプログラムが行われているのかそれが判然としないまま受容されてし まったのである. 対話型鑑賞教育の認識不足 日本での対話型鑑賞教育 のメソッドの研究不足 ファシリテーターの人 材不足 筆者作成(2013) 図1 アメリア・アナレス問題の 3 つの原因 日本の美術教育はケータイ同様,ガラパゴス的状況にあり,欧米から見ても独自の発展をして きている.アメリア・アレナスの対話型鑑賞のメソッドを美術の教育者達がそれを唯一絶対のも のとして信奉してしまったことに問題がある.アメリア・アナレス問題の根本的な課題は,対話型 鑑賞教育そのものの形式の欠点というより,日本の風土,文化,価値観に合致した教育実践がうま く行われていないという現状にあるのだ. 3 これからの日本の鑑賞教育の模索 3-1. 学校と美術館 こうした対話型鑑賞教育の問題を浮き彫りにした上で見えてくる課題は芸術作品を正確に理 解し,その上で子どもの理解と発言を促す指導者的存在と,子ども達に興味・関心・感動を促す鑑 賞体験をもたらすことができる場所である.対話型鑑賞教育のメソッドを確立するにはやはり学 校での美術教育の拡充が必須であるし,数多くの美術作品を展示し,その作品について知識を持 つ学芸員を持つ美術館での鑑賞教育がより効果的である.実際に平成 20 年度の学習指導要領に は,小学校では「美術館などを利用したり連携を図ったりすること」,中学校では「美術館・博物 - 37 - 館等の施設や文化財などを積極的に活用すること」と書かれており,学校と美術館との連携を推 奨している(福本ほか編 2011:152).これからの日本の鑑賞教育を考える上で,やはり学校と美 術館のつながり必要不可欠である. 実際,学校と美術館の両者の連携を双方共に強く求めている.学校側では平成 10 年度の学習指 導要領改訂により,完全週5日制の実施や総合的な学習の時間の導入によって教科書的な均質性 とは一線を画す個性的な指導を可能となった.そのため,学校外の地域や社会に総合的な学習の 時間の中で指導することのできる場所を積極的に求めるようになった(北村 2006:65).その教 育のひとつとして,社会教育機関として機能している美術館での指導を求めているのである.ま た学習指導要綱図画工作編・美術編の改訂により,美術科の時間において鑑賞の授業の確保や効 果的な鑑賞実践の場として本物の芸術作品を扱う美術館施設で指導したいという学校側の要請 も強まっている. また美術館も 1990 年代以降の開かれた美術館の動きから,幼児からシニア層までの地域コミ ュニティ内での教育普及プログラムや,地域との連携や活性化などで地域社会に大きく貢献する ことが命題となっている.作品を展示する機能に留まっていた閉じられた美術館施設からの転換 が求められる中,地域貢献の一つとして学校から要請される鑑賞教育を教育普及活動として積極 的に受け入れるようになったのである.また,自治体の財政難によって,聖域と呼ばれていた地方 美術館までも予算縮減が進行する中,財源確保のために美術館は館内での展示活動にとどまらず, 積極的な広報活動,地域貢献活動を行わなければならなくなった.その活動のために学校からの 教育普及活動を美術館から要請するケースも少なくない.つまり,双方の要請が一致しているの である.そのため数多くの自治体で学校と美術館の連携が図られている. 3-2. 学校と美術館が抱える問題 しかしこの学校と美術館との連携は様々な問題を抱えている.それは学校と美術館の圧倒的な 施設数の差である.学校(小・中約3万4千校)と美術館(約1千館)には絶対的で圧倒的な差が ある.少子化が進行しているとはいえ,小・中学生は 1,000 万人以上に及ぶ.単純計算でも,1つの 美術館は 35 の学校,1万人の児童・生徒をカバーしなければならない.日本国内有数の規模を誇 る美術館である東京国立近代美術館では,2004 年度においては延べ 25 件,572 名の小・中・高校 生を受け入れたという(本館・工芸館の合計).学校の休み期間中のプログラムや教員への研修 などを合わせると,児童・生徒は 898 名,教職員が 275 名であったということである.この数字は, 先に挙げた単純計算から考えても,明らかに少ないiv(北村 2006:65).国内有数の規模の美術館 でさえ足りないのだから,地方の美術館の少ない自治体では到底この施設数の差を是正すること はできない.また美術館は地域の子ども達の鑑賞教育のためのスタッフをその人数分動員しなけ ればならないが,美術館のみではその人数を確保し,子どもに鑑賞教育を指導するに足る水準ま でスタッフを指導する時間も予算もない.また学校と美術館が近接した距離にあるかどうかで財 北村はこの統計を文部科学省「平成 17 年度学校基本調査」及び「平成 14 年度社会教育調 査」より参照している. iv - 38 - 政的,時間的な非平等が発生してしまうケースも存在する.美術館保有率の絶対数で都市と地方 で格差が生じてしまい,公平的な教育を行うことができないという問題を抱えている. もう一つの問題として,鑑賞教育を行う上の学校側,美術館側の財政的,政策的エゴが絡んでし まいかねないという問題である.学校側は学習指導要綱美術編の改訂によって鑑賞教育の時間の 確保と効果的で実践的な対話型鑑賞の教育実践を行うことを余儀なくされた.前述したように, 日本では対話型鑑賞教育の教育メソッドはいまだ確立されていない.そのため学校側は学習指導 要綱美術編の教育指針を満たすためだけに子ども達を美術館に連れて行くという事態が発生し てしまう.一方美術館側では自治体の財政難によって美術館までも予算の縮減に及び,収益性,集 客性のある美術館をもとめられるようになった.そのため収益性を上げるためや,教育普及活動 を行うことにより国や自治体から受け取ることのできる助成金を目当てにしてとりおえず鑑賞 教育を行おうとする美術館が現れ始めたのである. 4 世田谷美術館の事例 そうした学校と美術館の連携の課題,そして現在の鑑賞教育の課題の解決の一つの事例として, 世田谷美術館の例を紹介する.世田谷美術館は,1985 年に開館した美術館である.日本で初めて鑑 賞教育としてワークショップを取り入れた美術館であり,開館当初から子どもと美術館のつなが りについて積極的に取り組み続けている美術館である. 世田谷美術館では開館当初から世田谷区教育委員会の要請により世田谷区全校の小,中学校を 対象とした美術鑑賞教室を 1986 年から行っている.美術鑑賞教室とは,学校単位の団体鑑賞から 年度内であれば好きな時期に来れば自由に鑑賞教育を受けることができるというものである.ま た,学校の図工の時間を使って美術鑑賞教室の事前授業を行う特別プログラムもあり,これらの 鑑賞教育を受ける区内の小中学生は 8000 人にも及ぶ.東京国立近代美術館の人数 898 人と比べ れば,その受け入れ人数がどれだけ多いかがわかるだろう. 世田谷美術館で注目すべき点は,鑑賞リーダーの存在である.前述した通り,美術館の学校の受 け入れはスタッフ不足等の問題を抱えている.世田谷美術館はその問題を鑑賞リーダーによるボ ランティアによって克服している.鑑賞リーダーとは,美術鑑賞教室の際子ども達の鑑賞をサポ ートする指導者的役割を担うボランティアである.美術鑑賞教室のプログラムを始めて約 10 年 後にあたる 1997 年に発足した.鑑賞リーダーの登録人数は約 400 人,年間延 1500 人もの鑑賞リ ーダーが子ども達の鑑賞体験を支えているのである.鑑賞リーダーのほとんどは世田谷美術館が 独自で行っている芸術大学と呼ばれる年間講座を修了した受講生だ.しかも受講生のほとんどは 区内の地域住民である.つまり地域住民が地域の子ども達の鑑賞教育を支えているのであるv. また,約 25 年という美術鑑賞教室の長い取り組みのなかで,世田谷美術館は多くの世田谷区の 小中学生を受け入れてきた.世田谷美術館学芸員である東谷千恵子氏の話によれば世田谷区の子 ども達の 8 人に 1 人は美術鑑賞教室を経験し,世田谷区の人口の 1000 人に 1 人は鑑賞リーダー v 高橋直裕『美術館のワークショップ 世田谷美術館 25 年の軌跡』(2011 年)より. - 39 - を経験しているvi.世田谷美術館はそれほどまでに地域に根ざした教育普及活動を行ってきたの である.ここまで地域に密着した美術館は県レベルの美術館では不可能であり,むしろ地域性の 高い地方美術館だからこそ成し得たことなのである. 4-1. 美術鑑賞教室の一日の流れ それでは美術鑑賞教室とは具代的にどのような活動なのだろうか.以下では実際に筆者が参加 させていただいた体験をふまえ,その概要を紹介する.美術鑑賞教室は 10:00 に開始されるが,15 分ほど前に館内ホールにて鑑賞リーダー12 人との間で事前のミーティングが行われ,展示物の注 意事項,子ども達の誘導などの打ち合わせが行われる.10:00 になると館内ホールに子ども達が来 館する.この時の美術鑑賞教室を受講する子ども達は区内の小学校の生徒 60 人.子ども達がホー ル内に集まると作品を見る前に注意事項が説明されることになるが,この説明の際鑑賞リーダー から詳しい説明をされることはない.「美術館で作品を見るとき,注意しなくちゃいけないことは 何だと思う?」と子ども達に問いかけ,子ども達に注意すべきこととその理由を考えさせ,そして 答えを出させるように仕向けるのである.鑑賞リーダーは美術鑑賞教室の際,子ども達に事前に 答えを教えるということは一切しない.常に子ども達に作品を見て何を感じ,何を考えたかを導 くことが鑑賞リーダーの使命なのである.ここから子ども達を1グループ 5 人に分け,そのグルー プ 1 つごとに鑑賞リーダーが一人ずつ付いた.鑑賞リーダーは基本的に 1 人につき子ども 5~6 人を担当することとなっている.子ども達を少人数に分け,子どもひとりひとりの声に耳を傾け られるようにするためである. そして注意事項の確認が終わり,90 分間の鑑賞体験となるのだが,この際美術館を歩くルート は何も決められていない.企画展,収蔵品展だけでなく,ライブラリー,区民ギャラリー,創作室,屋 内外常設展示,中庭,エントランスホールまでありとあらゆる場所を子ども達が行きたいと思っ た場所に行かせてあげるのである.必要最低限の誘導,注意はもちろんあるものの,子供の行きた い場所,鑑賞リーダーが見せたい場所に移動するため,グループによって鑑賞するルートは全く 異なったものになるのである. 企画展,収蔵品展へと入り,子ども達が芸術作品を鑑賞する際も,グループだからといって規定 のルートを周り,みんなで一つの作品を見るということはない.鑑賞リーダーの目が届く範囲で, 子ども達は自分の見たい作品を一人でじっくり見たり,友達とあれこれと会話しながら鑑賞する のである.時には子ども達はしゃがんだり,座ったり,寝転がって作品を見ることもある.そのこと に関して鑑賞リーダーは一切注意することはない.子どもが楽しんで鑑賞することを何よりも大 事にしているからだ.一人が前の作品を見直したいと言えば,一緒にその展示されている場所ま で戻ることもある.子ども達が作品を鑑賞している間,鑑賞リーダーは,子ども達の作品の質問に 答えたり,抽象的な作品を見る際の手助けや問いかけをすることはあるものの,鑑賞リーダーは 先立って作品の意図・技巧の説明をすることは一切ない.子ども達が感じたままを受け取り,ささ いな疑問にまで答えていく.時には一緒に作品の意図を考えることもある.そのため,グループの vi 世田谷区の人口は 2013 年時点で約 83 万人. - 40 - なかで発言や質問をしない子どもや,つまらなそうにしている子どもは見受けられない.子ども 達には鑑賞をやらされているという気配はなく,むしろ鑑賞リーダーと美術館に一緒に遊びに来 ているという感覚の子ども達がほとんどであった. 11:30 頃になると美術鑑賞教室も終わりとなり,館外のエントランスに集合となる.子ども達が 帰った後は 10 分前後の反省会が開かれる.私がいた際は展示物の誘導の際に子ども達が渋滞し てしまったなどの話し合いが行われ,お互いに次への注意喚起が行われた.また,子ども達のこう いうところが良かった,楽しかったと言ったことも話し合われ,鑑賞リーダーの活動は終了とな る. 4-2. 鑑賞リーダーの大きなつながりの輪 鑑賞リーダーの活動の意義を運営の責任者はどのように考えているのだろうか.その点につい て以下では世田谷美術館の教育普及課の職員で鑑賞リーダーを統括している東谷千恵子氏,そし て私が参加させていただいた際の鑑賞リーダーとの聞き取り調査を元に論述していく.東谷氏は, 年間約 8000 人という膨大な人数の子ども達の鑑賞教育を維持できる理由として,鑑賞リーダー 同士の密接なつながりがあるからこそであると語った.鑑賞リーダーは増加しつつけ今や 400 人 もの鑑賞リーダーが在籍している.その管理をどのようにしているかいうと,その管理をほとん どしていないというのである.美術鑑賞教室のための人員の割り振りのスケジュールは勿論ある ものの,病欠などで発生する人員の不足の調整は鑑賞リーダーに任せているというのだ.それは どういうことかというと,鑑賞リーダー側が,「今日は忙しいから人員不足が発生するかもしれな い」 「今日は天気が荒れているから来られない人が出るかもしれない」と事前に察知し,当日欠員 のある可能性がある日に飛び入りでヘルプとして参加してくれたり,東谷氏の呼びかけで集まっ てくれる人が多いのだ.これは美術大学のつながりあるからこそ可能なのである.そもそも美術 鑑賞教室の中で鑑賞リーダーをボランティアとして採用しているのは,世田谷美術館が開講して いる美術大学の受講生からの要請があったからだという.美術大学の受講生のほとんどは世田谷 区出身であり,世田谷美術館が好きな人達の集まりであった.また,受講生同士のつながりは深く, 年間講座が終わった後も違う期生同士での集まりが行われるほど付き合いが長く,友達感覚のよ うな絆が存在していた.しかし,美術大学は年間講座に過ぎず,その講座期間が過ぎれば世田谷美 術館との関わり合いが少なくなる.またせっかく美術大学が培った知識と経験を振るう場所が一 般生活の中ではほとんどないという問題もあった.美術大学で学んだことを世田谷美術館で使い たい,まだ世田谷美術館で活躍したいという願いのもと美術大学第 10 期生が鑑賞リーダーを立 ち上げたのである. そのため世田谷美術館の鑑賞リーダーは他の美術館のボランティアと違い公的機関の監視員 のような雰囲気の堅いといったものはなく,ある人は美術大学の勉強の延長線上として,ある人 は美術大学のメンバーとの遊びの延長線上としてボランティアを行っているのである.また美術 大学以外が鑑賞リーダーに参加する場合も「世田谷美術館が好き」 「美術館でのマナーを知って いる」という二つの条件さえ満たしていれば簡単に鑑賞リーダーになることができる.私が会っ - 41 - た鑑賞リーダーの方で公募から鑑賞リーダーとなった方がいたが,その方は「鑑賞ボランティア をしているというより,子どものお守りをしている感覚だ」と語っていた.つまり,美術館特有のお 堅いイメージはなく,美術大学で培った知識,または長年の鑑賞リーダーで子ども達との接し方 を会得した人々が美術鑑賞教室を楽しみながら鑑賞リーダーを行っているという点に大きな特 徴があるのだ.東谷氏は子ども達が鑑賞する際大人達が楽しんでいるということは大きなメリッ トになると語っている.大人が子どもに教えることを楽しんでいるからこそ,子ども達は鑑賞す る際に気負いすることがないのだ.こうした鑑賞リーダーのつながりが,芸術作品を正確に理解 し,その上で子どもの理解と発言を促す指導者的存在と,子ども達に興味・関心・感動を促す鑑賞 体験をもたらすができる場所を実現しているのである. 4-3. 美術鑑賞教室の課題 しかし課題も存在する.世田谷美術館の美術鑑賞教室の目標は美術や美術館に対する親しみと 理解である.つまり教育的アプローチから子どもに接することはないため,対話型鑑賞教育のナ ビゲーターのようにそれほど教育的役割を担ってはいない.そのため,生徒間同士の積極的な討 論のようなコミュニケーションが行われない場合や,美術作品ひとつひとつの念入りな打ち合わ せがないため鑑賞の気づきに対する深い議論がなされないこともある.また鑑賞リーダーの人員 確保も常に完璧な人員の確保をすることはやはり難しく,時には子ども 10 人に対して 1~2 人の 少数体制で臨まなければならない時もあり,その際は子ども達が満足な鑑賞体験ができない危険 性もある. 鑑賞リーダーの運営についても,発足してから 15 年経った今,鑑賞リーダーは一つの岐路に立 っている.それは鑑賞リーダーのベテランがほとんどいなくなってきているという事態だ.鑑賞 リーダーの登録数は約 400 人だが,実質の稼働人数は 250 人,そして美術鑑賞教室に頻繁に参加 するベテランの方々の人数は約 50 人だ.鑑賞リーダーの活動を積極的に参加している方は高齢 の方が多く,最高齢で 80 歳の方もいるという.そのため,鑑賞リーダーを引退してしまったり,亡 くなってしまったりしていままで鑑賞リーダーを支えてきた層が少なくなってしまっているの である.今までその人達が経験年数や年齢関係なく対等な立場でいようと接してくれたからこそ, 鑑賞リーダーの親友のようなつながりを維持することができていると東谷氏は語っている.そう したベテランの方々が少なくなり,このまま対等な立場のままでいられるかどうかが,今後の鑑 賞リーダーの存続する上で大きな焦点となるだろう. 5 育てる鑑賞とは 5-1. 子ども達と教育者との意識の乖離 私は現在の鑑賞教育のあり方について,現在の鑑賞教育は鑑賞のもつ教育的・社会的命題に目 が向けられるばかりで,子供の鑑賞する行為そのものに目が向けられていないのではないかと考 えている.2章で論じた鑑賞教育の問題の根幹にあるものは,実際の子ども達が受けている鑑賞 教育と,教育者側が研究し実践している鑑賞教育に意識のズレのようなものが生じてきているの - 42 - ではないかと考えている.奥本素子は現在の美術鑑賞についての以下のよう論述している. 美術に触れなくても,何の支障もなく生きている.それなのに我々は義務教育のカリキュ ラムに美術鑑賞を組み込み,社会教育機関として美術館を税金で運営し続けている.美術に 興味がない人にとって,それは時間と金の無駄である.だから現実には不況にあえぐ現在美 術館の閉館が相次ぎ,学力低下に悩む教育界では美術鑑賞の授業数を減らしていく.しかし 大義名分としてだけ美術館が存在し,美術鑑賞が国民の権利として保障されている. 自由に感性を使って美術を見せるという幻想が,このような一部の人だけの楽しみのために 美術館や美術鑑賞教育が保障されているという状況を生み出したのである.美術館を保護し, 美術鑑賞教育を唱える人は,概して美術鑑賞が好きで,それにいたく感動している人々であ る.しかしこの世に美術が好きな人もいれば音楽が好きな人もいて,歴史が好きな人がいて 科学が好きな人がいるように,美術を好き嫌いで語るとそれは個人の資質に関わる問題にな ってくる.全員に真っ白な状態で美術を好きになれというのは無理であるし,美術作品を自 己の感性を働かせ自由に見るべきだと教えても,美術に対して感性が働かない人もいるので ある.(奥本 2005) 子ども達にとって美術科における鑑賞教育は必ずしも楽しい体験ではなく,時に退屈でつまら ないものでもある.子ども達がみな楽しめる鑑賞教育にするべきだという楽観的な教育論を展開 しようと思っているわけではないが,美術教育における鑑賞教育は,近年は特に感性や情操を育 てるということに重点が置かれているということは先に述べた.豊かな感性や情操を育てるには 直に芸術作品に触れる直接体験や,人との共同作業や思いやりのある活動などで養われる.そう した社交性や実体験での感動が伴う鑑賞教育が退屈でつまらないものであった場合,その教育的 効果は十分に発揮できないだろう.特に小学校の鑑賞教育の学習内容には「よさや美しさ」を感 じるだけでなく,「楽しさ,面白さ」も学習指導も重要さを示している.そうしたものなしにただ鑑 賞教育の教育論を子ども達に押し付けてしまえば,子ども達に鑑賞の所作や,芸術作品とはこう いうものだという規定概念を植え付ける行為に留まってしまい,フーコーの論じたような権力論 的,社会規定装置的な美術鑑賞に陥ってしまう危険性もある.子ども達が受け身になることなく, 主体的に鑑賞ができなければ,鑑賞教育を行う意味はないのである. 5-2. 聞き役という存在 東谷氏は,美術鑑賞教室で一番大切にしていることは子ども達が「自分が何かを感じること」 を大切にすることであると語った.鑑賞によって作品から何を感じ取ったかはひとりひとり違い, そしてその感じ取ったものに正解はない.正解がないものだからこそ,自分が何を感じ取ったの かということを,絵の技術論的なものは二の次で,まず誰かが聞いてあげる.そしてその感じたこ とをしっかりと自分自身が気づくように我々大人達が導くことが大切だと語った.鑑賞教育で重 要なことは,常に子ども達に作品を見て何を感じ,何を考えたかを導くことに加え,子どもが楽し - 43 - んで鑑賞をすることができるように聞き役に徹することである.美術鑑賞を深く豊かにするため には,外部から与えられた知識を増やしていくのではなく,鑑賞者自らが作品というものを理解 し,その自分の解釈というものを発展させ,知識としていくことでしか達成されない.しかし,知識 の獲得というものは,たった一人で行えるものではない.学習者自身の学習と共に,大人や熟練者 が学習者を支援する相互協力的な学習も必要である.これは社会構築主義的な相互作用的学習で あり,対話型鑑賞教育を普及させたアメリア・アナレスが自らのギャラリートークで行った方法 の一つでもあったvii.聞き役というファシリテーターの存在がこれからの鑑賞教育においてより 重要な意義をもってくるのではないだろうか. 5-3. 鑑賞教育の終着点 しかし筆者は鑑賞教育の終着点は美術を通じての人間形成という教育的意義のみではないと 考えている.公立美術館の学芸員である齋正弘は,美術館における教育がほとんどの部分を造形 教育とイコールで考え続けられてきた日本の美術教育を批判し,美術という,勉強すればするほ ど,個別で曖昧な状況を明確にしてゆくものを,楽しんで使える大人になるために,始めるべきだ という美術鑑賞の原理に立ち返った姿を提示している(北村 2006:60).また,奥本は美術鑑賞 を教育として捉えるのは,美術に触手が伸びない人にも美術の存在意義というものを知ってもら い,美術作品の保護や創造に理解を示してもらうためであると述べている(奥本 2005).つまり 鑑賞教育の最終目的は子どもの能力の向上だけでなく,美術に対する理解とその創造,そして何 より大人になっても美術に興味を持ち続けることができるほど,子どもを美術というものを好き になってもらうことなのではないだろうか. 世田谷美術館が鑑賞教育を行う理由も,日常と美術という水と油のようなかけ離れた存在をよ り身近に感じ,子ども達が将来大人になっても美術と関わって欲しいという想いがあるからだ. その結果として,子供の頃世田谷美術館を訪れた子ども達が,大人になってまた世田谷美術館に 戻ってくるという好循環が発生している.美大の美術館実習として美術大学や鑑賞リーダーを受 講している実習生のほとんどはかつて美術鑑賞教室を受講したことのある子ども達であるし,ま た社会人として仕事をしているため美術鑑賞教室に参加できないものの,美術鑑賞教室の鑑賞リ ーダーの記憶を思い出し自分も鑑賞リーダーになりたいと名前だけでも在籍している方も多い という.子どもの頃美術鑑賞教育を受けた子ども達が,大人となり自らが鑑賞リーダーとなって 子ども達に美術の楽しさを教える鑑賞の継承ともいえるようなことができるかもしれない.美術 によって育つだけでなく,美術と共に育つ.このことこそが,本当の意味での「育てる」鑑賞なので はないだろうか. おわりに 本稿を書くにあたり世田谷美術館まで行き,実際に美術鑑賞教室に参加させていただく機会を 得て,鑑賞教育の現場を見させていただいた際に感じたことは,子ども達の作品に対する真摯さ, vii 奥本(2006:96-97)より参照. - 44 - そしてなにより美術館を楽しむ子ども達の姿が印象的だったが,それ以上に印象的だったのが, 世田谷美術館の大人達が美術鑑賞教室に来ていた子ども達と同等,いやそれ以上に美術館にいる ことを楽しんでいる姿であった.筆者が世田谷美術館に訪れた日が丁度美術大学の手の造形品を ギャラリーに展示する日であった.その際芸術大学の受講生の方々はエントランス近くで集合写 真を撮ったり,創作室に皆で移動するなどまるで美術館内をもう一つの居場所のように歩き回っ ていたのである.筆者にとって美術館は芸術作品を見に行く場という認識しかなく,こうした光 景は非常に新鮮であり,大人になっても芸術を楽しむということはこういうことなのだと目の当 たりにした瞬間であった. 近年の美術館は開かれた美術館の流れを受け,市民の居場所としての美術館としての役割を担 っている.展示活動としての美術館のみでなく,子どもから大人まで自分の鑑賞活動や芸術活動 を,のびのびと楽しくできる美術館が求められているのだ.また,館内にカフェやレストランを作 り,生活の安らぎの場としての空間の演出や,館内に託児所を設け小さな子供を連れている家族 の配慮を行うなど,市民の生活に密着した創造の場としての美術館が増えてきている.世田谷美 術館もそうした居場所としての美術館を目指してきたその完成形の一つなのかもしれない. 美術館は市民のための,そして鑑賞者のための環境を整える努力を重ねている.もし筆者と同 じように小学校の鑑賞教室で美術に興味が持てかったという方がいれば,この論文をきっかけに 是非とも美術館を訪れ,作品を鑑賞してみて欲しい. 謝辞 この論文を執筆するにあたり,世田谷美術教育普及課の学芸員である東谷千恵子氏ならびに鑑 賞リーダーの方々より美術鑑賞教室に関する情報収集・聞き取り調査等で助言・ご協力いただき ました.この場で御礼申し上げます. 文献 松井清人,1968,「美術の鑑賞教育(美術教育学の構想,その3) 」,『京都教育大学研究所所報』 福田降眞,福本謹一,茂木一司 編集,2010,『美術科教育の基礎知識』建帛社. 高橋直裕,2011,『美術館のワークショップ 世田谷美術館 25 年の軌跡』武蔵野美術大学出版局. 奥本素子,2006,『協調的対話式美術鑑賞法 対話式美術鑑賞法の認知心理学分析を加えた新仮説』 美術科教育学会. 上野行一,2012,『対話による美術鑑賞教育の日本における受容について』,帝京科学大学紀要. 北村英之,2006,『美術鑑賞教育の意義と実践』,同志社政策科学研究. 隅敦,2009,『美術教育における“「日本美術」の位置”に関する考察』,富山大学人間発達科学部 紀要. 米 澤 有 恒 ,2001, 「「 鑑 賞 」 に 思 う 」 , 『 web AE 芸 術 と 教 育 』( http://www.art.hyogo- u.ac.jp/fukumo/WebJournal/Kanshosite/Kansho.html) 福本謹一,2001,「学校教育における鑑賞学習と美術館の連携」,『web AE - 45 - 芸術と教育』 (http://www.art.hyogo-u.ac.jp/fukumo/WebJournal/Kanshosite/renkei.html) 奥 本 素 子 ,2005, 「 日 本 美 術 の 鑑 賞 」 , 『 web AE 芸 術 と 教 育 』( http://www.art.hyogo- u.ac.jp/fukumo/WebJournal/Kanshosite/Guest/Okumoto.html) 平野智紀,2010,「美術館教育における Visual Thinking 問題について」,『tomokihirano.com』 (http://www.tomokihirano.com/blog/2010/11/visual-thinking-problem.html) 文化庁,2012,『文化芸術関連データ集』 (http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/50/pdf/shiryo_10.pdf) - 46 - 図書館の創りだす居場所 ―利用者のための地域図書館― 石原 和樹 はじめに 近年日本の各自治体における地域図書館は,すでに訪れている情報化の波や時代の流れなど 対応するために様々な,取り組みを進めている.その中で重視されているのが,図書の貸出や保 存以外の図書館の利用者を見据えたサービスである.特に,彼らの多様なニーズに答えるサービ スや,利用するにあたっての居心地の良さや滞在性を重視したサービスを積極的に行う図書館 は多い.本稿では,そうした図書館の利用者のニーズへの対応や居心地の良さから生み出される 内面的な役割を「居場所としての役割」としてとらえ,それらが地域図書館にどのような効果を 与え,課題を持っているかを考察し,より利用者にとって役立つ図書館運営のあり方を探ってい く. なお本稿は,特に筆者が示さない限り,各地方自治体や法人が地域利用者の為に設立した地域 図書館の役割に限定して論述していく. 1 現代の図書館の課題 近年,日本の公共図書館は大きな転機を迎え,それに対応する為に各地域の図書館は努力を 求められている.2006 年に文部科学省により「これからの図書館の在り方協力者検討会議」 が設置され,その報告書として『これからの図書館像――地域を支える情報拠点をめざして― ―(報告) 』が公表された.この報告書は, 「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」 (平成 13 年文部科学省告示第 132 号)施 行後の社会や制度の変化,新たな課題等に対応して,これからの図書館運営に必要な新たな 視点や方策等について提言を行う.i と「はじめに」の前文に書かれてあるとおり,図書館の設置する地方公共団体や図書館員などに 向けて,今後の図書館に求められるサービスや運営の新たな視点を提起し,改革の指針として活 用されるよう努力を促すものである.塩見昇(2008)では,現在の図書館をめぐる現状が,時代 による運営や社会の変化から整理され,図書館法で掲げられていながら未だ十分とはいえない 調査研究への支援やレファレンスサービス,時事情報の提供などを,従来のサービスに加えて行 なっていくことで地域の課題解決や地域振興を図ることの必要性を指摘している.また,この報 告の元となった「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」も 2012 年には全面的に改正さ i これからの図書館の在り方協力者検討会議 2006: 第 1 段落 - 47 - れ, 「図書館に対するニーズや地域課題の複雑化・多様化に対する規定の整備」として,上記の ような内容も踏まえたより現代的で具体的な基準が打ち出されたii. これらの報告にあるような図書館に与えられた課題は,その多くが最終的には図書館利用者 にとっての利用促進,図書館振興につながるものであることは言うまでもなく,今後に向けた重 要な要素になっている.では具体的に現在における図書館のサービスはどのようなものである だろうか.まず次章では図書館サービスの概要と,その中でも図書館特有のサービスであるレフ ァレンスサービスの内容に注目してみたい. 2 図書館サービスと図書館の役割 2-1. 図書館の行うサービスとその中のレファレンスサービスの役割 まず図書館の行うサービスをおおまかに分類するならば, ①資料保存活動 ②資料提供活動 ③ニーズによる利用対象者別の活動 ④広報・集会・読書推進活動 ⑤相互協力活動 の5つで表すことができるiii.これらのサービスの具体的な内容は,公共図書館であるか,学校 図書館であるかなどの種類によって細かな違いは出てくるものの,閲覧・貸出といった資料の保 存や提供に関するサービスが根本的なものとして成り立っている.詳しく見ると,資料保存活動 には郷土資料や貴重な書物の保存だけでなく,蔵書の選書や管理など,資料提供のための準備と なる活動が含まれており,資料提供活動には一般的な貸出サービスのほか利用者の要望に応じ た資料の検索や調査,資料の複写といったサービスも含まれている.なお,レファレンスサービ スの扱う範囲はこれらのうちのおよそ①から③の中に該当すると考えられる. レファレンスサービスとは,参考業務などとも呼ばれ,図書館が利用者の求めている資料や情 報などを提供または提示することによって利用者を支援・援助すること,及びそのための業務の ことを指す.前者は受動的・人的援助であるサービスであるのに対し,後者は図書館の計画に基 づいて行われる能動的な,物的援助サービスである.一般的にレファレンスサービスと呼ばれて 認識されるのは前者であり,利用者の支援という観点から見ても,こちらが本質的な部分といえ るだろう.前章で述べた『これからの図書館』でも,レファレンスサービスは図書館に不可欠の サービスと位置づけ,現状の認知度の低さと利用者の少なさを指摘し,利用促進と内容の充実を 目指すよう求めている. このレファレンスサービスは,利用者にとってコミュニケーション能力を前提としたサービ スであると思われやすいが,文書や FAX に加え,電子メールやチャットなどを利用した対面で ないコミュニケーションの中でもサービスを受けることができる. ii iii 文部科学省生涯学習政策局社会教育課,2012, 前園主計(2009)を参照. - 48 - こうした図書館のサービスを改めて確認すると,図書館は単に本を読んだり借りたりする場 所にとどまらず,図書館員とのコミュニケーションを介したひとつの情報拠点として利用され る場所であることが分かるだろう.しかし,図書館の役割とは果たしてこのような外面的なもの にとどまるものであろうか. 2-2. 図書館の役割と「居場所」 図書館は公共施設として,基本的にあらゆる利用者に対し,自由にサービスを利用できる施設 として成り立っている.その一方で,図書館では個人の活動の妨げとなるような騒音を禁止した り,資料の検索内容についての情報を守ったりといった,個人の活動とプライバシーの保護を重 視した規則を備えている.図書館は検索履歴・貸出情報などよって,その利用者の目的や思想と いった個人的な情報が他人に知られてしまう危険性があるからである.また,図書館を利用しや すく滞在しやすい環境を維持するためでもある.利用者一人ひとりが他人の目を気にすること 無く自由に利用できる環境づくりは,図書館を個人の空間としての役割を果たしている. また,これからの図書館の社会的役割として現代の図書館の主な役割について,大串夏身(2011) は次の 4 つを挙げている. ①地域の情報拠点として人と本(資料)・知識・情報を結びつけ,知的想像を促す役割 ②住民の読書施設として読書を促進する役割 ③住民の生涯学習活動を支援する役割 ④地域の知的遺産を保存して,その活用を促進する役割 大串はこれらの役割を公立図書館の役割として挙げているが,各地域に存在する私立図書館や 地域住民にも開かれている大学図書館などにも当てはまるだろう.つまり,図書館は利用者の自 発的な利用と読書を通じた,膨大な知識の共有と学習の機能を担う地域文化施設だといえる.そ してそれらを目的に集う利用者たちの,交流の場としての役割も持っていることが考えられる. こうした図書館のサービスや役割を見ていくと,図書館にはこれらによって内面的な役割が成 立しているように思われる.それは「居場所」としての役割である. 「居場所」という概念は, 1990 年代から一般的になった子どもたちのいじめによる自殺や不登校児童,ひきこもりといっ た社会現象の増加によって,議論が進められてきた.その定義についてはさまざまであるが,藤 竹暁(2000)によれば, 「居場所」とは自分がそこにいることを他人によって必要とされている 場所である,またそこにいると(そこに帰ると)安らぎを覚えほっとすることのできる,本来の 自分を取り戻すことのできる場所でもあるとも指摘している. 図書館は,ほかの利用者に囲まれながら時には他人との関係を隔絶し,安らぎと落ち着きを取 り戻すことができる場所である.また,自分の活動に適切な支援やサービスが受けられ,満足の 行く時間を過ごす事ができる空間でもある.そこに見えるのはまぎれもなく自分の居場所とし ての図書館の役割であり,利用者にとってのもうひとつの図書館の利用価値といえる.この内面 - 49 - 的な役割をさらにクローズアップさせ,図書館サービスを充実させることで,これからの図書館 はより地域に必要とされる施設になるだろう.奇しくも,近年新しい図書館の役割を見出す考え 方として「居場所としての図書館」論が生まれ始めているiv.そこで次章ではいくつかの地方図 書館における注目的なサービスや機能を例に,居場所としての役割を果たすための工夫や問題 を指摘し,これからの図書館の運営のありかたを考察してみることにした.すると,その中で図 書館の行なう居場所づくりには3つの傾向による分類ができると考えられる.それは利便性重 視の居場所づくり,地域性重視の居場所づくり,雰囲気重視の居場所づくりである.ただしこれ らは筆者が独自に分類分けしたものであり,その妥当性については今後も考えていく必要があ るだろう.そしてそれらはあくまでも「重視」であり,それだけを集中的に取り組んでいるもの ではないことを付け加えておきたい.では,その解説とともに詳しく事例を見ていく. 3 地域図書館に見られる居場所づくりとその比較 3-1. 高崎市立中央図書館に見られる多様な別室 利便性重視の居場所づくりは,利用者に多様なサービスをはたらきかけることで,図書館 の施設や機能の活用しやすさによって利用者を増やそうとする傾向である.自動貸出機の 設置やインターネットを通じた貸出予約など,工夫の中には利用者にとってだけでなく,図 書館側にとっても仕事の効率を上げるうえで役立つものもある.こうした図書館づくりの 例として挙げるのが,高崎市立中央図書館である. 高崎市立中央図書館は,群馬県高崎市に設立された公立図書館である.この図書館は,『あら ゆる市民に配慮した図書館』,『市図書館サービスの中枢としての図書館』,『個性のある図書館』 の 3 つのコンセプトのもとサービスを行なっている.図書・視聴覚資料は約 60 万点を蔵してお り,そのうち開架資料は合わせて約 35 万点ほどである.そのなかには点字図書や朗読図書の郵 送貸出や,大活字本といった特定の利用者を目的とした図書も用意されており,また映像・音楽 に専門のレファレンスカウンターを設置するなど,文献意外の資料の貸出にも力を注いでいる. また,周辺自治体および各公立図書館との連携し,住民が双方の図書館を自由に利用できるよう にしている.v この図書館において注目すべき点は,コンセプトの 1 つである, 『あらゆる市民に配慮した図 書館』に沿ったサービスとして,通常の閲覧席以外に個人利用者を目的とした多くの別室を設け ていることである.まず,窓際に並ぶ閲覧席の小さな区画を, 「静寂読書室」としてガラス張り のスペースとして設置しており,多くの利用者の集う図書館内でも集中して読書ができる空間 を確保している.また,地域資料などが置かれたエリアの側には,大学院生や研究者などを主な 対象にした「研究個室」が設けられており,密室での閲覧や文献調査を行うことができる. さらに,ハンディキャップを持つ利用者に対する朗読サービスを受ける事ができる「対面朗読 iv 根本暁(2011)を参照. 高崎市立図書館(2013)を参照.および映像資料として高崎市広報広聴課・高崎市立中 央図書館(2012)を参考にした. v - 50 - 室」 ,自動販売機が隣接した飲食コーナーがそれぞれ設置されているほか,学習室,視聴覚コー ナーや多目的室などといった,他の図書館でも見られるような別室も各所に存在している.また, 部屋としてのくくりはないが,一般の閲覧席には学生の勉強利用を禁じ,席の利用を読書に限定 した「社会人席」を別に設けたり,パソコンが利用できるデータベースコーナーを設置したりし ている.こうした数多くの別室や閲覧スペースの存在は,市の人口が多く,様々なニーズを持っ た利用者が大勢利用する地域性を考慮し,その中であらかじめより多くの種類や人数のニーズ に対応し,活動に集中できる環境を整えておく必要性があったからだと考えられる.また,勉強 は学習室で,食事は飲食コーナーでといった図書館の利用のルールやマナーを目に見える別室 という形で表し,部屋を活用することでそれらを自然に守らせる役割を持っている.図書館側の 働きかけが利用者それぞれの居場所を提供し,各個人が過ごしやすい利用空間を提供している 例といえるだろう. しかし,こうした働きかけは利用に際し不自由なことも起こると考えられる.図書館側による 個人向けの多様な別室の設置は,複数人からなるグループの利用にとって重要な,コミュニケー ションを取り合う空間が制限されるからである. 例えば,ある友人たちが共同研究のために図書館を訪れたとする.会話や談笑をするための別 室が指定されていると,お互いが調べた情報の交換に際しても別室に移動することが暗黙のう ちに強制されてしまい,効率的に研究が進めにくくなる.極端になれば,その場の簡単なやりと りでさえも窮屈さを感じてしまうかもしれない.また,個別に別れた閲覧席ばかりが並ぶ空間で は,ひとつの資料を一堂に会して参照できる空間が確保できず,資料も一度に多くのものを参照 することが難しくなる.こうした団体的な活動のしづらさは利用者側にとって個別的な活動を 迫ることになりかねない.図書館が皆の居場所となるには一人ひとりにとっての過ごしやすさ だけではなく,家族や集団を一個人として見たときの団体での使いやすさ,不都合も考えていく 必要もあるのだ.そこには利便性の追求の難しさが現れている. このように,図書館の側による積極的な利用空間の形成は,図書館の秩序を守り充実した環境 を作るうえで必要な活動であるが,それが過剰なものになると利用者の活動を束縛する危険性 がある.そしてそれは図書館の空間によるものだけではなく,図書館が定める規則や運営そのも のによっても生じる可能性が否定できない.次に取り上げるのは地域性を重視した居場所づく りの事例である千代田区立千代田図書館(千代田図書館)だが,その危険性についても注目して みたいと思う. 3-2. 千代田図書館の地域と利用者目線の運営 地域性重視の居場所づくりとは,施設の設置されている地域や地域の利用者の特性を把握し, それに適したサービスを行なっていくことで図書館と地域との関係性をより深め存在感を発し, 住民など地域利用者にとっての居場所として利用されやすくしようとする傾向を表したもので ある.地域住民を優遇したサービスなどの他に,積極的な地域の情報発信や,学校などの教育施 設への協力・交流なども図書館の地域へのアピールとして有効である.なぜなら地域性を把握す - 51 - るためには,まず地域住民に図書館を利用してもらうことが前提になるからである. 千代田図書館は区役所庁舎内にあり,蔵書数約 16 万 5 千点と資料の数は少ないながらも,従 来から続く図書館サービスの現状に対し,5つのコンセプトに基づいた先進的な取り組みを数 多く行なっているvi.それらのコンセプトとは,情報発信・地域連携のための『千代田ゲートウ ェイ』 ,ビジネスパーソンに向けた支援を行うための『創造と語らいのセカンドオフィス』vii,図 書館の利用環境・読書空間の整備を内容とする『区民の書斎』,歴史的資料や地域資料を発信す る『歴史探求のジャングル』viii,そして,積極的な児童サービスと保護者のための学習環境整備 を目的とする『キッズセミナーフィールドix』である.本節ではこのうちの『セカンドオフィス』 と『区民の書斎』について触れていく. 『セカンドオフィス』のコンセプトは,ビジネスパーソンのニーズを把握し,新たなサービス を作り出していくために,彼らにとって快適で長期間滞在しやすい空間を目指すというもので ある.そのため,コンセプトを反映したサービスにはネットワーク環境の整備,オンラインデー タベースによる情報検索サービス,少人数向けの会議室の設置といった,ビジネスパーソンの利 用を念頭に置いたものが多い.館の運営についても,会社帰りの遅い時間帯でも利用しやすくす るために平日は夜 10 時まで開館し,利用者の長時間の滞在がしやすいようにペットボトル容器 に限った飲用を認め,携帯電話をかけられるコーナーを設置するなど,多くのビジネスパーソン が活動する千代田区の地域性とその特徴を理解した効果的な運営を行なっていることが分かる. 一方『区民の書斎』というコンセプトは,主に一般閲覧席の並ぶ「一般開架ゾーン」に与えられ たものだが,そのコンセプト名の通り,書斎のように落ち着きのある空間を形成することを目的 とするものである.余裕ある間隔を持たせた低書架を配置し,開架書数を増やすことよりも明る く悠然とした雰囲気づくりを優先している.また,このコンセプトに伴って,館内の雰囲気を保 ち公正な利用環境を構築するために,利用に関する明確かつ厳密な利用規定を打ち出して公開 しているx.その中には禁止行為として,迷惑行為や危険物の持ち込みはもちろん,研究や読書 目的以外での席の占有や居眠り,汚臭なども含まれている.そして,その規定にそぐわない利用 者には直接注意を促し,場合によっては利用を禁止するなどといった,徹底的な対処を行なって いる.これは,従来の図書館があまり積極的にならなかった図書館の利用マナーの向上や,サー ビスの妨げとなる不適切な利用を防止する目的などとともに,図書館がどのような利用者を求 め,どういった利用を期待しているかを示すものでもあるだろう. こうした千代田図書館の運営に見出だせることは,千代田図書館が利用者を分類し,そのなか vi 本節における千代田図書館サービスの内容は柳与志夫(2010)および千代田区立図書館 ホームページを参照している. vii 現在では『ビジネスを発想するセカンドオフィス』と改訂されている. viii 現在では『クリエイトする書庫』と改訂. ix 『ファミリーフィールド』に改訂.なお,脚注ⅶ,ⅷと合わせ,サービス内容に大幅な 変更は見られない. x 千代田区立図書館(2007) 『千代田区立図書館利用規程』参照. - 52 - に明確なターゲットを定めて,そこを優先としたサービスを行っていることであるxi.それは主 に,千代田図書館のサービスを最も有効に利用しその恩恵を受けられるビジネスパーソンと,サ ービスに共感を抱き,マナーを守って利用できる人物である. しかし,こうした運営は結果としてすべての住民に利用されるべき公共図書館が,利用者の潜 在的な差別と利用の制限につながってはいないか.端的な例として挙がるのは,ホームレスなど を含む浮浪者へのサービス提供である.なぜなら,経済的に余裕のない浮浪者にとって図書館は 無料で情報を収集できる数少ない場所であり,利用を制限すれば彼らの生活に影響を与えるこ とも想定できるからだ.従来の図書館はそこを懸念して積極的に注意をしてこなかったのかも しれない.もちろんほかにも多くのサービスを提供しているように,ターゲット外の全ての利用 者をないがしろにしているものではないと理解できるが,そういった特殊な利用者にとっては, 公立図書館の対応として疑問の生じる部分であるだろう. ここで筆者が千代田図書館の運営に是非を示すことは難しい.たとえ従来の図書館機能サー ビスを期待する利用者にとって使いにくい環境だったとしても,千代田図書館のサービスに共 感を持つ利用者にとっては利用しやすい環境であり,彼らの居場所となりえる.そしてターゲッ トを絞ったサービスが,必ずしも利用者を限定する要因になるとも限らないからである.ともあ れ,千代田図書館の例から学ぶべきことは,これからの図書館は利用者個人のニーズだけでなく, 地域の特性や利用者層を考えて,それに適したサービスを兼ね備えていく必要性にあるだろう. そうしたサービスの今後の可能性にも期待していきたい. さて,次に見ていくのは雰囲気を重視した居場所づくりの例である.今まで 2 つの図書館を 例に取り上げてきたが,それらはどちらも図書館側の活発的な居場所づくりとサービスが行な われており,おおむね他者との関係性から離れた,個人としての自分の居場所を大事にできるよ うに考えた工夫が見られた.しかしその反対に,集団の中での他者との関係性の中で自分の居場 所を見つけ出すことができる図書館も存在している.次節ではその例として高崎市中央図書館 と同じく,群馬県高崎市内にある私立図書館,山田文庫のサービスや空間づくりを紹介する. 3-3. 山田文庫の作り出すサロン的空間 図書館の居心地の良さや快適性,居住性などを考慮した施設の工夫やサービスを行なってい くことで,利用者の施設の滞在時間や空間を確保・向上させることで利用者の有意義な居場所を 提供しようとするのが,雰囲気重視の居場所づくりである.滞在性を意識した図書館は近年も数 多く見られるが,山田文庫は独特なサービスによって居場所づくりをしている. 山田文庫は 1974 年に山田勝次郎・とく夫妻によって財団法人として設立され,現在では公益 財団法人として運営している私立図書館である.その外観は,私邸を改装した木造施設であり, 趣ある景観を作り出している.所蔵図書は約 5 万冊で,その内 2 万 2 千冊を一般公開している ほか,創立以来県内の小中学校に対し,学校図書館の図書購入費用を助成する事業を続けている. また,初めて言葉を身に付ける就学前の子どもたちが本と関わり言葉と触れ合う機会として,読 xi 詳細は分類やターゲット層については柳(2010)を参照されたい. - 53 - み聞かせやおはなしの会などの活動も行なわれている.図書館の規模としては小さく全体的な 利用者数も高崎市立図書館に比べれば少ない.情報化の波などといった時代の変化の影響も受 けてはいるが,ボランティア職員などの協力のもとで対応が進められているxii. この山田文庫には特に注目すべき点として掲げたい特徴的なサービスがある.それは,訪れた 利用者に対するもてなしである.具体的に説明すると,来館した利用者に職員がコーヒーや菓子 を提供しており,利用者はそれを飲んだり食べたりしながら館内で時間を過ごすことができる のである.一般的な図書館は図書の清潔な保存のためにも飲食を禁止しているか,飲食のできる スペースを用意する場合がほとんどである.では,山田文庫が飲食を可能としているのは一体な ぜなのだろうか. このもてなしのサービスについて職員の方に話を伺ったところ,計画として始めたものでは なく利用者との間で自然に発生したものであるという.山田文庫はそれほど大きな施設ではな く,目立つような場所に立地しているわけでもないため,訪れる利用者は主婦や会社員といった 地域住民などの常連が多い.そうした利用者たちが職員への差し入れとして持ってきた品を,利 用者へ分配し還元する形で提供するようになったそうだ. また,加えて説明したいのが山田文庫の閲覧スペースである.山田文庫の閲覧室はその規模に 相応して小さく,ひとつの部屋に一箇所の大きな机を囲んで席が備えられている程度である.も ともと施設が住居であった関係もあり,学習室などといった別室はなく,開架スペースに関して もあまり開放的ではない.つまり読書や閲覧以外の長時間の滞在には基本的に不向きであり,ほ かの利用者の目の届く環境で過ごさねばならないのである. これらのことから考察してみると,山田文庫は同じ市内にある高崎市立中央図書館に比べて 一般的には利用しづらい環境だからこそ,利用者や職員との間に親密なコミュニケーションが 発生しているのだと考えられる.個人の利用を目的とした環境では感じ難い,他人との交流の楽 しさを見つけることができ,またそれを求めて利用者は繰り返し山田文庫を訪れるのだろう.住 民による差し入れと,それを還元するもてなしのサービスは,そのコミュニケーションや雰囲気 を支える道具として役割を果たしており,飲食もまたその一部であることが理解できる.山田文 庫は図書館の持つ交流の場としての役割を活かし,サロン的な役割を持ったコミュニティスペ ースとしても地域利用者に活用されているのである.しかし,山田文庫のこうしたサービスや役 割にも,上述した閲覧スペースの問題に関連して,いくつかの弊害も考えられる. ひとつは,発生したコミュニティが閉鎖的な環境に陥ることへの懸念である.常連が集まるサ ロン的な空間では,お互いが知り合いの人間関係によってコミュニティが築かれ,仲間内でのコ ミュニケーションが育まれる.そういった場所へ見知らぬ人間が新しく参加することは難しく, 彼らが利用しやすくなるような工夫をしなければ,図書館自体も閉鎖的で排他的なイメージを 持たれかねない.これは山田文庫に限った話ではなく,あらゆるコミュニティにおいてその維持 と発展のために対策しなければならないことでもある. xii (財)山田文庫(2005) ,および同図書館発行資料『和風図書館 山田文庫の概要』を 参考にした. - 54 - もうひとつは,利用者が自分だけの居場所として活用することが難しいことである.他者を意 識しやすい空間的問題を持ち,またそれを利用したコミュニケーションのとりやすい環境は,視 点を変えれば他者によって束縛された環境になっているということである.利用者は自分の活 動にいつも他者の目を意識しなければならず,匿名の一個人として大勢の利用者の中で埋もれ ることもできない.このような環境では空間を活用することができる利用者と,活用できず最低 限の利用でとどまってしまう利用者を生むことにつながり,結果として公平なサービスが与え られなくなる.雰囲気重視の図書館はその施設の滞在性への意識から,施設内の開放的なスペー スや座り心地の良いソファなど空間や調度への工夫が見られるが,施設自体が文化財としての 価値を持つ山田文庫においては難しい課題であるだろう. これらの問題の改善には,図書館側の対策だけでなく,コミュニティを作る利用者の側が,新 たな利用者たちを受け入れ,各個人の活動を尊重していこうとする意識を持つことが重要であ る.山田文庫は地域に根ざす図書館として,利用者にとって身近で親しみやすい空間づくりを行 なっており,他者との関係の中で自分の存在を実感できるもうひとつの居場所を提供している. だからこそ,地域利用者の協力が不可欠なのである. 今までの例を振り返ると,それぞれの図書館に利用者の居場所として利用してもらうことを 意識した工夫があり,その一方で普遍的なサービスの難しさを感じるいくつかの問題を指摘す ることができた.そのなかでこれらの図書館の 3 つの居場所づくりの傾向は図書館の運営にお いて,空間の居心地,サービスの利便性,それに加えて地域性を考えたサービスの提供という 3 つの要素としてまとめることができる.そしてそれらは重要度の違いはあるものの,それぞれの 図書館でも共通して考慮され,サービスに取り入れられている要素でもあった.では,それらの 要素を効果的に活かしていくうえで大切なものとは何だろうか.次章からは現在注目が集まる 佐賀県の武雄市図書館を題材に取り上げながら考察していきたいと思う.同図書館は 2013 年 4 月から指定管理者制度の導入とともに運営の全面的にリニューアルして開館した.そういった 意味では現在最も新しい図書館であるといえる. 4 武雄市図書館のサービスから見る居場所づくり 4-1. 武雄市図書館の運営とサービス 武雄市図書館は運営を任せる指定管理者に,書籍・CD・映像ソフトのレンタル・販売事業を 行う「TSUTAYA(蔦屋書店) 」を全国で経営する CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ) を指定し,その経営手法を大幅に取り入れることで,従来の公共図書館の枠にとらわれないサー ビスを行なっている.その特徴のひとつは,TSUTAYA との連携を活かした利便性の向上とサー ビスの拡大が挙げられる. まず,TSUTAYA の店舗を館内に併設し,新品図書の販売や CD・DVD などの有料貸出事業 を行なっており,図書館で借りた図書も有料の返却サービスを利用することによって全国のど こからでも返却を可能としている.また,新しい図書カードには TSUTAYA が発行するポイン トカード「T カード」の機能を追加でき,書籍の貸し出しに自動貸出機を利用した場合に限りポ - 55 - イントが付与される仕組みをとっている.これは貸出業務の負担を減らしながら,他のサービス の充実を図る工夫である.開館時間も午後 9 時まで延長し,休館日も廃止して利用者がいつで も利用できるよう年中無休の施設になった.こうした特徴から,傾向として分類すると,利便性 重視の居場所づくりを行なっている図書館であるといえる. さらにもうひとつの特徴として,館内の空間作りにも力を入れている.館内にはスターバック スの店舗も併設しており,借りた図書や読みたい本をカフェスペースでコーヒーを飲みながら 閲覧をすることができる.館内には BGM が流れ,会話も自由いないため,子どもも連れていき やすく,談笑を交えた交流の場としての地域住民が利用することも可能である.また大型の書架 を設け蔵書数に対する開架図書を増やすことで,利用者の知的探究心を刺激する空間を作る狙 いもあるようだ.この図書館,書店とカフェを一体にしたデザインは 2013 年のグッドデザイン 賞において「金賞」を獲得しており,地域の文化度を高め,官民の連携の可能性を示すものとし て,評価されているxiii.つまり,武雄市図書館は利便性と滞在性の双方を居場所づくりに重視し ているのである. しかし,こうした数々の特殊なサービスを取り入れた運営は,地元の利用者や全国の図書館愛 好者,研究者たちなどによって,リニューアルが始まる前から様々な問題の指摘と賛否を招いて おり,現在もその議論は続いているとみられる.筆者はこの武雄市図書館のサービスについても, 利用者の居場所という役割の視点から考えてみたい.実はこのようなサービスのうちのいくつ かは,それ以前の図書館でもすでに取り入れられている.そのひとつが,前章で扱った千代田図 書館である.実は,千代田図書館も 2007 年から指定管理者制度を導入しており,先に述べたコ ンセプトやサービスは,指定管理者となった企業からの提案が根本になっているものが多い.で は 2 つの図書館の違いはどういったところにあるのだろうか. 4-2. 千代田図書館と比べる図書館サービスの方向性に違い 現在の図書館への強い改革思考を持つ 2 つの図書館の違いは,地域に対するサービスの考え 方と,それに伴うサービスの提供の仕方にあるだろう.千代田図書館が利用者の中にターゲット を定めてサービスを行った目的には,地域の利用者のニーズに答えることが前提にある.その中 でより個別なニーズに対応していくために,利用者の種類をグループ分けし,地域の実情に合っ た人たちを中心的なサービス対象にしている.つまり千代田図書館のサービスは,ビジネス街が 近くそこに働く人々も多いという,千代田区の地域性を考えて進められているものであり,そこ を重視することで,図書館の全体的な利用者を増やす事につなげているのである.また,指定管 理者についても 3 社による共同管理運営であるところは注目すべきだろう. ここで先ほどは触れなかった千代田図書館のコンセプトについて説明すれば, 「千代田ゲート ウェイ」は古書店が並ぶ同区神保町や区内にある書店と協力することで,新品図書の購入情報や 地域文化の発信に役割を果たしている.また,その担い手となるコンシェルジュという役職は, レファレンスサービスから分離された利用案内サービスとしてその能力や専門性を高め,図書 xiii カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社図書館カンパニー(2013)より. - 56 - と地域の積極的な情報発信を行なっている.武雄市図書館も同様にコンシェルジュを採用して いるが,その内容は主に書籍の推薦が中心であるようだが,具体的な業務内容を指す情報は見つ からなかったxiv. そのほか, 「歴史探求のジャングル」は,蔵書されていた地域の貴重な歴史資料を積極的に 活用することで館内展示イベントに,「キッズセミナーフィールド」のコンセプトは区立全 ての保育園や小学校の図書室に司書を派遣し,ノウハウの伝授を通じて各施設のネットワ ーク構築を視野に入れた,地域の読書推進事業などに生かされている.その一方,武雄市図 書館ではリニューアル以前に地域の歴史資料として展示してきた館内施設「蘭学館」を縮小, 移動してそのスペースを TSUTAYA の有料レンタルコーナーに利用しているほか,地域と 連携した文化的・教育的活動が未だ乏しいのが現状である. 武雄市図書館のサービスには,同社が東京で運営する「代官山 蔦屋書店」のサービスが流用 されている.しかし,東京の都心部で成功したサービスが地方で,まして図書館に当てはめて同 等の成果を得られるとは限らない.千代田図書館と同じように利用者を増やそうとする狙いは あるが,こちらは地域資源や図書館の内面的な魅力の活用よりも書店やカフェといった図書館 以外のコンテンツによって,本来の図書館の利用が目的でない人たちも呼び込もうとしている ことが理解できる.具体的には,読書や図書の貸出,研究や学習などを目的とせず,書店に本を 購入するためだけ,カフェを利用するためだけに来る人,あるいは観光目的で見物に来る人など である.図書館の利用者が増えること自体は悪いことではなく,地域経済の立て直しや活性化に も期待ができるだろう.しかし,現在の武雄市図書館には本来の図書館利用者への居場所として の配慮に問題がある. 4-3.図書館の居場所を守るのはだれか 千代田図書館の厳しいマナー順守の啓発は,利用者の過ごしやすい空間の維持に役立ってい ることは先述したとおりである.利用者の質を高めて図書館のイメージを向上させること目的 としており,利用者にとって図書館全体の居心地が悪くなるものではない.しかし,武雄市図書 館の設置した書店・カフェの店舗と図書館との空間には境界がなく,実質的に図書館サービスの 一環になっている.そのため基本的に館内はカフェの客の会話や館内 BGM で騒がしく,私語も 禁止されていないため注意も行われない.さらに,いくつかの席はカフェの利用客の専用席とな っているほか,静寂が確保できる学習室も席の数が限られている.図書館であるにもかかわらず, 最も不自由な思いをしているのが本来の図書館利用者であるというおかしな現状だといえるだ ろう.山田文庫のような小さな図書館であるならば,会話などはさほど気にはならないし,むし ろ地域の利用者にとっての語らいと憩いの場として利用される.しかし,大きな図書館であるほ ど利用者一人ひとりに対するニーズの対応や空間の配慮が必要であり,従来の図書館とは大き xivなお,TSUTAYA のホームページ(ツタヤオンライン, http://www.tsutaya.co.jp/mobile/conc/)に「ツタヤコンシェルジュ」と呼ばれるサービス の紹介があることから,それを流用したサービスであると考えられる. - 57 - く異なる空間を取り入れようとするならば,それはなおさらのことである.このような場面でこ そ高崎市立図書館のような,利用者の目的に応じた空間の明確な区分が必要になるのではない だろうか. 以上のように現在の武雄市図書館は,利用者を増やそうとするあまり,反対に本来積極的に活 用してきた利用者にとっては不便で,居場所としての役割も果たされにくい環境を作り出して いると考察することができる.では,そのような図書館の環境を改善に導いていけるのは誰なの か.それは当然のことながら本来における図書館の利用者たちであり,特に,その地域に暮らす 住民たちである.彼らこそが地域図書館の最大の利用者であり,将来にわたって地方図書館を支 えていかねばならない存在だからだ.彼らが問題解決への意識を持ち,自分たちから行動を起こ すことで問題は改善し,図書館サービスも効果的に生かされていくのである. また,図書館側の人間もサービスの提供者という立場にあぐらをかいて,地域に取っての本当 のニーズを無視した一方的なサービスの押しつけとなってはいけない.地域図書館をより発展 させていくためには,図書館側だけの計画に任せるのではなく,利用者のからの積極的なアプロ ーチのもと,文字通り官民一体となった活発な議論と協力が他の行政と同じように必要である. その結果生まれたサービスこそが,図書館を誰もが望んだ自分たちの居場所と変えてくれるだ ろう. おわりに 今回の研究では地域図書館の居場所づくりに注目し,主に市町村における図書館につい て言及してきた.しかし,図書館には県立・国立図書館や学校図書館,電子図書館など様々 な種類があり,それぞれに応じた活用のされ方や図書館の仕事,サービスの工夫もある.そ れらについて論じられなかったのは筆者としては残念である.また, 「滞在型図書館」の考 え方の発展形として,観光と図書館の関係などといった分野についても関連が見出せそう である.これらを今後の研究の課題としたいと思う. 図書館が行ないだした利用者目線のサービスを「居場所としての役割」として表したとき, そのサービスの違いは図書館のアイデンティティの表れとして確認することができた.こ れは筆者には驚くべきことに感じられた.なぜなら,今まで普遍的で凡庸だと感じていた図 書館の運営が,今回の研究によって突然に様々な工夫や魅力にあふれていると知ることが できたからである. パソコンが普及し,誰もがスマートフォンを持ち歩く時代になっても,図書館は必要とさ れており,利用され続けている.それは図書館に本があり,場所があるからである.本を読 んだり借りたりすることができる場所でもあるし,自習できる場所でもある.そして,集う 人たちが自分だけの空間を共有できる場所である.我々は,もっと図書館に対する知識を深 め,利用していくべきだろう.何気ないサービス,空間や間取りの中に工夫を見出した時, 我々には新たな発見が待っているはずである. - 58 - 謝辞 本稿を作成するにあたり,ご多忙の中心よく質問に応じてくださった,公益財団法人山田 文庫理事長,松浦幸雄様ならびに職員の方に深く感謝し,この場を借りて御礼申し上げます. 文献 大串夏身,2011, 『これからの図書館・増補版――21 世紀・知識創造の基板組織』青弓社. カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社図書館カンパニー,2013,「武雄市図書 館・歴史資料館 2013 年度グッドデザイン賞『金賞』を受賞――『公共のためサ ービス・システム』分類にて図書館初の特別賞受賞」,(2013 年 12 月 21 日取得, http://www.ccc.co.jp/fileupload/pdf/news/20131107-TakeoLibrary-GooddesignGOLD.pdf) . これからの図書館の在り方協力者検討会議,2006, 『これからの図書館像――地域を支える情報 拠点をめざして――(報告)』,文部科学省ホームページ, (2013 年 10 月 20 日取得, http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/286184/www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/0 4/06032701/009.pdf). 塩見昇,2008, 「公共図書館の動向と日本図書館協会」日本図書館情報学会研究委員会編, 『変革の時代の公共図書館』,39-56. 高崎市立図書館,2013, 「平成 25 年度 高崎市立図書館の概要」 ,高崎市立図書館ホームページ, (2013 年 12 月 21 日取得, https://lib.city.takasaki.gunma.jp/contents/files/25gaiyou.pdf) . 高崎市広報広聴課・高崎市立中央図書館,2012,『吾輩は本である』群馬テレビエンタープ ライズ. 千代田区立図書館,2007, 『千代田区立図書館利用規程』,千代田区立図書館ホームページ, (2013 年 12 月 21 日取得,http://www.library.chiyoda.tokyo.jp/about/rule/). ――――,2013, 「千代田図書館」 ,千代田区立図書館ホームページ, (2013 年 12 月 21 日取 得,http://www.library.chiyoda.tokyo.jp/facilities/chiyoda/) . ――――,2012,「指定管理者制度での運営“2 期目”に入りました. 千代田区立図書館」, (2013 年 12 月 21 日取得, http://www.library.chiyoda.tokyo.jp/files/press-release/120501.pdf). 根本彰,2011, 『理想の図書館とは何か―― 知の公共性をめぐって』ミネルヴァ書房. 藤竹暁編,2000, 『現代のエスプリ別冊 生活文化シリーズ 3 現代人の居場所』至文堂. 前園主計編,2009, 『新 現代図書館学講座 4 新訂 図書館サービス論』東京書籍. 文部科学省生涯学習政策局社会教育課,2012, 「図書館の設置及び運営上の望ましい基準(平成 24 年文部科学省告示第 172 号)について」,文部科学省ホームページ, (2013 年 10 月 20 日取得, http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/tosho/001/__icsFiles/afieldfile/2013/01/31/1 - 59 - 330295.pdf). 柳与志夫,2010,『千代田図書館とはなにか――新しい公共空間の形成』ポット出版. (財)山田文庫,2005,『(財)山田文庫 30 年の歩み』あさを社. ――――, 『和風図書館 山田文庫の概要』 (財)山田文庫. - 60 - 地域社会がスポーツ選手を活用していく上での課題 ―セカンドキャリア問題を通して見えてくるもの― 庄子 倫弘 はじめに 2013 年はスポーツの世界において様々な記憶に残る出来事があった. 野球界においては WBC の開催,シーズン最多 60 本塁打や先発投手の 24 勝 0 敗という驚異的な記録が次々と打ちたて られ,日本シリーズでは東北楽天が球団創立 9 年目にして初優勝を達成するなど例年以上に盛 り上がりを見せた.サッカー界においても日本代表が 2014 年のワールドカップブラジル大会に 出場を決め,国内で盛り上がりを見せている.そしてもっとも印象的な出来事とは,2020 年の 夏季オリンピック・パラリンピックが東京開催に決定したことであろう.今後ますます国内でス ポーツへの関心は高まっていき,活躍するスポーツ選手に日本中が歓喜に沸くことは間違いな いであろう. そしてそのような第一線級で活躍するようなスポーツ選手は一般の人々に対しプレーを通じ て感動や夢を与えてくれる.また技術だけではなくスポーツ選手のスポーツに取り組む姿勢な どからも我々一般人は強く影響を受けることも多い.その貴重な人材ともいえるスポーツ選手 を地域社会が活用していくことは,地域社会及びスポーツ選手,両方にとってとても有益なこと であると考えられる.しかし,実際に自治体などを通してスポーツ教室が行われているものの, 単発に終わっているものなども多く見受けられ,地域社会との関わりは薄く,上手く選手を活用 しきれていないのではないかと考える. そこで本稿ではこの問題を「スポーツ選手のセカンドキャリア問題」を通じて考察していく. スポーツ選手のセカンドキャリア問題の現状を分析し,問題点を明らかにしていくことで,今後 の地域社会がスポーツ選手を上手く活用していく上での検討課題を考察していくことが本稿の ねらいである.よって,本稿はスポーツ選手の活用の方法論を安易に提言していくというもので はない.また,本稿で対象となるスポーツ選手というものは,優れた能力を持つ一部のスポーツ 選手だけではなく,一般的なスポーツ選手も対象となる. 1 日本のスポーツ行政 まず,本稿で重要なキーワードであるセカンドキャリアの定義について確認をしておきたい. セカンドキャリアとは,広義では一般のサラリーマンの定年退職後や女性の子育て後の職業の ことなど意味する.特に本稿におけるセカンドキャリアの定義については大竹弘和(2013)を参 照した.大竹弘和によれば,スポーツの世界では,プロ選手・トップアスリートとしてのキャリ アをファーストキャリアとしたうえで,引退後の第二の職業をセカンドキャリアとしている(大 竹 2013).よって本稿ではとくに断りがない限り,セカンドキャリアとは,スポーツ選手の引 - 61 - 退後の第二の職業と定義する. 1-1. 日本のスポーツ行政の変遷 まず初めに,日本のスポーツ振興の基本法といえるスポーツ振興法の成り立ちについて述べ ていきたい.1961 年にスポーツ振興法が制定された.この法律が制定された契機として,戦後 間もない時期からスポーツは国会での重要な議題の 1 つであったということがまず挙げられる. また,戦後復興の助けとなる上でのスポーツの普及,戦後の生活水準と産業の近代化によ る余 暇の増大などによるスポーツに対する国民の関心の向上,1964 年の東京オリンピック開催決定 などもスポーツ振興法制定の大きな要因であった. また,スポーツ振興法において,スポーツ選手のセカンドキャリアに関係すると考えられる 条文が 2 つ確認できる. (指導者の充実) 第 11 条 国及び地方公共団体は,スポーツの指導者の養成及びその資質の向上のた め,講習会,研究集会等の開催その他の必要な措置を講ずるよう努めなければならな い. (プロスポーツの選手の競技技術の活用) 第 16 条の 2 国及び地方公共団体は,スポーツの振興のための措置を講ずるに当た つては,プロスポーツの選手の高度な競技技術が我が国におけるスポーツに関する競 技水準の向上及びスポーツの普及に重要な役割を果たしていることにかんがみ,その 活用について適切な配慮をするよう努めなければならない. 第 11 条は指導者の育成についての条文であり,第 16 条はスポーツ振興のためのプロスポー ツ選手の技術活用方についての条文となっている.しかし,後述するスポーツ基本法に比べ,ど ちらの条文もセカンドキャリア支援に関しては具体的には明記されておらず,法律が制定され た当時の状況を考慮しても,スポーツ選手のセカンドキャリア支援に関しては不十分な条文で あると考えられる. 繰り返しになるが,このスポーツ振興法は日本におけるスポーツ振興の基本法というべきも のであり,この法律の下,日本のスポーツは国民の身近なものとなり,国民のスポーツ普及に大 きくに寄与した.しかし,時代が経過するにつれてスポーツを取り巻く社会状況変化(スポーツ 人口の変化,プロとアマの関係など)に伴い,新たな課題が生まれ,スポーツ振興法は時代に合 わない法律となっていった.具体的な問題点としては,プロスポーツを対象としていない,地域 のスポーツクラブの育成,ドーピング防止活動支援,競技者育成などに関する規定がない,スポ ーツ権の概念やスポーツ仲裁についての言及がない,国や地方公共団体に具体的な行動を義務 付けることができていないということなどが挙げられた.東京オリンピックを控えた時期に作 - 62 - られた「スポーツ振興法」が社会におけるスポーツのあり方にそぐわないとする主張は,時代背 景による論点の違いこそあったが,1970 年代から法律改定に至るまで,繰り返し行われてきた のであった. そして 2009 年の政権交代後,文部科学省は,有識者からのヒアリングや中央教育審議会スポ ーツ・青少年分科会からの意見聴取, 「熟議カケアイ」による一般国民からの意見募集等を重ね, 2010 年 8 月,今後概ね 10 年間のスポーツ政策の方向性を示す「スポーツ立国戦略」を策定し た.この中では,今後概ね 10 年間で実施すべき,次の 5 つの重点戦略が挙げられている. ・ライフステージに応じたスポーツ機会の創造 ・世界で競い合うトップアスリートの育成・強化 ・スポーツ界の連携・協働による「好循環」の創出 ・スポーツ界における透明性や公平・公正性の向上 ・社会全体でスポーツを支える基盤の整備 また, 「スポーツ立国戦略実現のための国の体制整備と今後の進め方」の中では, 「現場の視点 に立った総合的なスポーツ振興施策を実行するため,関係省庁が相互連携する連絡会議を新設」 するとともに「スポーツ庁」等の在り方について検討する」ことや, 「スポーツ振興法を半世紀 ぶりに見直し,新しい政策の拠り所となる「スポーツ基本法」を検討する」こと等が挙げられて いた. そして 2011 年 6 月,日本の社会現状や国際的な環境変化を踏まえて,スポーツ界における新 たな課題に対応するため,半世紀を経てスポーツ振興法は改定され, 「スポーツ基本法」が公布 された.前文には「スポーツ立国の実現を目指す国家戦略」としてスポーツの推進が位置づけら れており,条文では競技スポーツと地域スポーツの両面において,国の責務と,地方公共団体や スポーツ関係団体,学校,民間事業者等が果たすべき役割を記している.また,障害者スポーツ の推進やドーピング防止,スポーツに関する紛争の解決など, 「スポーツ振興法」にはなかった 論点も盛り込まれているi. さらに本法律では,スポーツ選手のセカンドキャリア等に関する項目として注目すべき 2 つの 条文が制定されている. 第三章 基本施策 第一節 スポーツの推進のための基礎的条件の整備等 (指導者等の育成等) 第十一条 国及び地方公共団体は,スポーツの指導者その他スポーツの推進に寄与す i澤田大祐,2011,『スポーツ政策の現状と課題―「スポーツ基本法」の成立をめぐって―』国 立国会図書館:1-6 より - 63 - る人材(以下「指導者」という.)の養成及び資質の向上並びにその活用をするため, 系統的な養成システムの開発又は利用への支援,研究集会又は講習会(以下「研修会」 という. )の開催その他の必要な施策を講ずるよう努めなければならない. 第三節 競技水準の向上 (優秀なスポーツ選手の育成等) 第二十五条 優秀なスポーツ選手を確保し,及び育成するため,スポーツ団体が行う 合宿,国際競技大会又は全国的な規模のスポーツの競技会へのスポーツ選手 及び指 導者等の派遣,優れた資質を有する青少年に対する指導その他の活動への支援,スポ ーツ選手の競技技術の向上及びその効果の十分な発揮を図る上で必要な環境の整備 その他の必要な施策を講ずるものとする. 2 国は,優秀なスポーツ選手及び指導者等が,生涯にわたりその有する能力を幅広く 社会に生かすことができるよう,社会の各分野で活躍できる知識及び技能の習得に対 する支援並びに活躍できる環境の整備の促進その他の必要な施策を講ずるものとする. スポーツ基本法第十一条は,スポーツ指導者の養成についての条文である.中村(2011)に よれば,スポーツ振興法では, 「スポーツ指導者」のみであったのが,基本法では「スポーツの 指導者その他スポーツの推進に寄与する人材」といったように,指導者の対象を大きく広げた. スポーツの推進に寄与する人材」にはたとえ指導者として活動していなくても,ボランティア 活動としてスポーツ大会の運営を手伝ったり,練習を支援したりといった人々も含まれる.あ るいはスポーツ活動そのものには関わっていなくても,スポーツ推進のために寄付を行う人々 など,金銭提供などを通じてスポーツに対する側面支援を行う人々も含まれるとし,スポーツ に関わる全てに人々でスポーツを支えていこうとする意図が強く込められていると解説してい る(中村 2011:124-5). スポーツ基本法第二十五条では,ただ単にスポーツ選手の育成だけにとどまらず,スポーツ選手 の引退後の支援,つまりセカンドキャリアへの配慮を明文化している.井上洋一(2011)によれ ば,条文の後半部分では優秀なアスリートや指導者がスポーツの活動を生かし,それを社会に還 元しながらその後の人生を豊かにおくれるような好循環なシステムを今後の社会に位置づけら れないかという試みであると解説する(井上 2011:176-7). 以上のように,スポーツ基本法では現役のスポーツ選手のみならず,スポーツ選手のセカン ドキャリアに関する支援策を盛り込んだ法律であるといえる. 1-2. 日本のスポーツ行政のセカンドキャリア支援に対する問題点 1-1 では日本のスポーツ行政,スポーツ基本法の特徴を述べ,その中にはスポーツ選手のセカ ンドキャリアに関する条文も明記されていることを確認した.しかし,基本法などで明記はさ - 64 - れているものの,実際のところスポーツ基本法を中心にセカンドキャリアの支援はしっかりと 行われているのだろうか. 菊幸一(2012)によれば,トップレベル競技者は,今日においても自らのキャリア形成を直 接生かすことができるスポーツ指導者への需要がきわめて高く, 「スポーツ基本計画」において もこの需要に応えるべく指導者としての活用については, 「好循環」というフレーズによって強 くこの方針を打ち出している.しかし,今日まで都道府県における中高の教員採用枠は少子化 と団塊世代教員との需給バランスから極端に抑えられるとともに,国民体育大会の「教員の部」 廃止等の影響も重なり,トップレベル競技者のスポーツキャリアを指導者として生かす道は, むしろ徐々に狭められてきていると指摘する(菊 2012). 総合型地域スポーツクラブにおいてもスポーツ選手のセカンドキャリア支援に関する問題が 見受けられる.総合型地域スポーツクラブとは,1995 年から始まった文部科学省が実施する新 興施策の一つであり,人々が身近な地域でスポ-ツに親しむことのできる新しいタイプのスポ ーツクラブで,幅広い世代の人々が,様々な競技において,初心者からトップレベルまでそれぞ れの志向・レベルに合わせて参加できるという特徴を持つ地域住民により自主的・主体的に運営 されるスポーツクラブのことである.菊によれば,これまで地域の生涯スポーツ振興の中心的施 策の1つとして推進されてきた総合型地域スポーツクラブでは,確かに指導者登録を拡大した り,専任指導者を雇用する体制を進めたりしようとしているクラブが見受けられるようになっ てきている.しかし,全般的にはトップアスリートの指導者としての影響力の大きさは認めつつ も,まだまだ財政的に安定した専任スポーツ指導者の雇用を実現するには至っていない状況が あると指摘する(菊 2012). また,スポーツ選手のセカンドキャリア支援として,文部科学省による,平成 25 年度競技者・ 指導者等のスポーツキャリア形成支援事業キャリアデザイン形成支援プログラムにおける「デ ュアルキャリア に関する調査研究」(事業期間 2013 年 6 月 11 日か 2014 年 1 月 31 日まで)が ある.これはスポーツ基本計画の事業の一つであり,独立行政法人日本スポーツ振興センター に事業を委託し,日本における「デュアルキャリア」の環境整備を含めたアスリートへのキャリ ア形成支援の確立を図るために,現状における課題や必要な要素を整理するとともに,トップ アスリートへの望ましい支援の在り方を調査研究するというものであるii.このようにスポーツ 戦手に対する支援は行われつつあるものの,この計画は 2013 年 6 月に開始されたばかりのも のであり,まだしっかり確立した支援策になってはいないというのが現状である. 以上のことをまとめて,これまでの日本のスポーツ行政において,スポーツ基本法において スポーツ選手のセカンドキャリア支援について明確に取り上げられるようになったが,人気が 高いスポーツ指導者への就業の困難性,デュアルキャリアに関する調査研究は行われつつある ものの,いまだ日本はスポーツ選手のセカンドキャリア支援に関して課題を残しているではな いかと考える. ii 文部科学省より http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/25/06/1336042.htm - 65 - 1-3. 地域社会でスポーツ選手を活用していくことの意義 前節まではスポーツ振興法,スポーツ基本法を中心に,セカンドキャリアに対するこれまでの 日本のスポーツ行政の変遷,その中でのセカンドキャリア支援の問題点について論じてきた.そ れでは本稿の主題でもある地域社会でスポーツ選手を活用していくことへのメリットとは何だ ろうか.筆者は,それは地域でスポーツ選手を生かしていくことは地域社会におけるスポーツ振 興に寄与することだと考える.そのような点から,スポーツ基本計画を根拠に策定された地方自 治体のスポーツ振興施策の中でも実際に掲げられているスポーツの意義などを元に以下のよう な効果があると考える. ①地域経済の発展 スポーツを振興することは,スポーツ産業の広がりとそれに伴う雇用創出等の経済効果を生 み出すことが期待できる. ②地域コミュニティの活性化 スポーツを通じて地域の人々との交流を深めることで,地域住民の連携が促進されるととも に地域に愛着を感じ,地域の一体感を生み出すことが期待できる. ③地域の人々の健康増進 スポーツをすることで爽快感や達成感を得ることで,ストレス解消や体力の向上,生活習慣 病などの予防が期待できる. ④地域のスポーツ文化の普及 地域社会においてスポーツ選手がスポーツ教室や講演会,スポーツの試合などを行うことに よってスポーツの技術向上だけではなく,地域にスポーツ文化を根付かせ普及させることが 期待できる. このように地域社会でスポーツ選手を活用していくことは地域社会におけるスポーツ振興に 寄与し,地域社会において様々な効果をもたらすものだと考える. 2 セカンドキャリア問題から見えてくるもの 1 章の 1-3 において地域社会においてスポーツ選手を活用していくことの意義を論じた.しか し,スポーツ選手を地域社会が活用していくに当たっていくつかクリアしていけなければなら ない課題がある.それはスポーツ選手が一般の人々に対してスポーツに関するある程度必要な 技術などを身につけていることももちろんではあるが,一人の社会人として必要な最低限のマ ナーや社会常識を身につけていなくてはならないということである.この必要最低限のマナー とは,本当に基礎的ともいえる人との時間を守るということや身だしなみを整えること,人との コミュニケーション能力を含んでいる.この社会人としての必要最低限のマナーや社会常識が 身についてこそ,ようやく地域社会においてスポーツ選手を上手く活用していくことができる のではないかと考える. - 66 - しかし,このような必要最低限のマナーや社会常識をスポーツ選手は現状どのくらい身に付 いているのだろうか.次にスポーツ選手をとりまく現状を論じたうえで,J リーグなどの各組織 のセカンドキャリア支援の現状分析から地域社会でスポーツ選手を活用していくうえで必要と される必要最低限のマナーや社会常識がどれほど教育されているのかを確認していく. 2-1. セカンドキャリア支援の現状 まずプロスポーツ選手をとりまく現状について,日本のプロ野球選手を一例に述べていきた い. 一見華やかな世界のイメージがあるプロスポーツ界であるが,プロスポーツ選手は,競争の 激しさから早期にドロップアウトしてしまうケースも多い.スポーツ選手は遅くて 30 代,早い 選手であれば 20 代前半で引退をせまられる.一般の企業などに勤務しているサラリーマンの定 年退職が 60~65 歳であるとすると,プロスポーツ選手の引退年齢がいかに早いかということが 分かるであろう.また,監督・コーチ・チームの職員として一部の選手は所属組織に残って仕事 ができるが,その数はごくわずかに限られており,その他多くの選手は引退後に第 2 の就職先 を求めなくてはならないというのが現状である. NPB が行った戦力外/現役引退選手の進路調査(2012)の結果によると,2012 年度自由契 約となった現役引退選手合計 101 人のうちコーチ契約,球団職員など NPB に残ることができた のは 59 人(全体の 58%)となった.そして BC リーグに移籍,社会人野球のなど日本の独立リ ーグ(6 人),社会人野球(4 人)を含めると 76%に当たる 77 人が野球関係に進んだ.残りの 24%は一般会社就職・自営等(8%) ,未定・不明(16%)という結果になっている.また 2008 年 ~2012 年までの NPB の戦力外選手/引退選手の進路状況をまとめたものが図 1 である(『2008 ~2012 年戦力外選手/現役引退選手の進路調査結果』).これによれば,他球団との選手契約や コーチ,球団職員として NPB の球団に残れるのは過去 5 年間平均して 57%となっている.以 上のような調査からも引退後,所属する球団のコーチ・職員となって働いていくことは容易では ないということが伺える. 次にオリンピックや世界選手権を目指すアスリートの現状について述べていきたい. 大竹弘和によれば,オリンピックや世界選手権を目指すトップアスリートは,引退後の仕事探 しもさることながら,活動中の収入確保といった問題が深刻である.実業団選手としての従来型 の活動形態は,選手が企業に所属し広告塔として競技活動を行っていた.プロ選手のような派手 さはないが,引退後も企業の社員として雇用が継続され,将来に不安を感じないまま選手活動に 専念できた.しかしプロ化の推進(サッカー・バレー・バスケット等のプロリーグ化や個人での プロ活動宣言)や景気低迷などから企業がチームや選手を抱え込むことが極めて減少し,スポン サーや支援企業の獲得などを選手自身が行わなくてはならない状況が増えてきている(大竹 2012). - 67 - 2008年(93人) 52% 2009年(90人) 57% 2010年(103人) 58% 2011年(146人) 60% 2012年(101人) 58% 0% 20% 40% 60% 80% NPB(選手契約,コーチ,球団職員等) その他野球関係(独立リーグ等) 野球解説者 一般会社就職等 未定・不明 異業種スポーツ 100% 大学・専門学校入学 出典:『2008~2012 年戦力外選手/現役引退選手の進路調査結果』をもとに筆者作成 図1 2008~2012 年における NPB の戦力外選手/引退選手の進路状況(括弧内の数字は全体の人 数) 次に各組織によるセカンドキャリア支援の状況について論じていきたい. J リーグではどのスポーツ組織よりも早く選手のセカンドキャリア支援対策として,2002 年 にキャリアサポートセンター(CSC)を立ち上げた.現役ならびに引退間際の選手を対象に就職 情報の提供,語学や PC スキル習得(金銭的補助含む),インターンシップの機会を創出すると いった活動を通じ,サッカー以外の就業に向けた具体的なサポートを実施している.CSC は現 在,主に「若手選手教育」を中心に取り組んでいる.新加入直後の「新人研修」に始まり,同年 中のフォローアップ研修(Jクラブの導入研修など)2 年目,3 年目の選手に対するリフレッシ ュ研修(キャリアデザイン研修,プロ意識啓発研修など)を実施しているiii. NPB では,2007 年にセカンドキャリアサポートが設立された.主な取り組みとしては,株式 会社リクルートキャリアと協力して,先に取り上げた戦力外選手/現役引退選手の進路調査や 若手選手を対象としたセカンドキャリアの意識調査,引退選手の進路相談や職業紹介,セカンド キャリアに関する冊子の作成・配布などによる現役選手に対するセカンドキャリアへの啓もう 活動などがあるiv. 女子プロ野球では,セカンドキャリア支援の一環として,全選手に対し,柔道整復師の資格取 得研修費用を球団が負担する形がとられているv. 2008 年には JOC(日本オリンピック委員会)に現役時代からのキャリアプラン設計を支援す iii iv v J リーグキャリアサポートセンターより http://www.j-league.or.jp/csc/about/ リクルートキャリアより http://www.recruitcareer.co.jp/company/csr/athlete/ 日本女子プロ野球リーグ公式ホームページより http://www.jwbl.jp/news/detail/id/1368 - 68 - るキャリアアカデミーが誕生し,2010 年にはトップアスリートの就職支援ナビゲーションの「ア スナビ」を導入し,オリンピックを目指すアスリートが競技に集中できるような環境作りを進 めている.キャリアカデミーでは,現役時代から先々のキャリアについて考えを持たせる 「キャリアアカデミーガイダンス」やインタビュー対応力などを磨く「スキルアップセミナー」 などを行っている.アスナビでは,主に選手に対し就職先の斡旋などを行ってオリンピック候補 選手の就職支援を行っている. 各組織のセカンドキャリア支援の取り組みをまとめてみると,J リーグは,インターシップの 機会を創出,JOC ではスキルアップセミナーといったセカンドキャリア支援を通じて社会人と して必要なマナーや社会常識を教育できているといえるかもしれない.しかし,NPB や女子プ ロ野球のセカンドキャリア支援は選手の意識調査や資格取得などにとどまっており,十分に社 会人としてのマナーや社会常識などを教育することができていないと考える. 2-2. スポーツ選手のセカンドキャリアに対する意識 本節では,主にスポーツ選手がセカンドキャリアに対してどのような考えを持っているのか についてアンケート調査をもとに論じる.ここでスポーツ選手のセカンドキャリアに対する意 識を論じていく意義は,セカンドキャリアを支援する側の対応策でだけではなく,その当事者で あるスポーツ選手の考え・意識を取り扱うことによって,今後地域社会がスポーツ選手を活用し ていく上で何が重要課題であるかのヒントとなりうると考えるからである. 2012 年 10 月に NPB(日本野球機構)が現役若手プロ野球選手 246 名を対象にセカンドキャ リアに関する意識調査のアンケートviを行った.アンケートの主要な質問内容は,①現役引退後 の意識について「現役引退後の生活に,不安を持っていますか?不安があるとすればどのような 点ですか?」 ,②引退後の就職意識について「プロ野球選手を引退した後,どのような仕事をし てみたいとおもいますか?」,③引退後の野球普及活動について「現役を引退した後,野球普及 活動に関してのご意見をお聞きします」という内容のものであった.この質問に対して,現役若 手選手は以下のように回答している. ①現役後の意識についての質問事項には,不安があると答えたのは 71.5%であった.そして 「不安がある」と答えた選手にその理由を尋ねると, 「生活していけるか」といった収入面での 不安(44.5%), 「引退後,何をやっていけばいいのかわからない」といった進路面での不安(46.7%) を挙げる選手で合わせて 91.2%となった(図 2). ②引退後の就職意識についての質問事項については, 「やってみたい」 「興味あり」の合計で順 位をつけると,野球指導者の道を希望する者が多いことが分かる(図 3).しかし, 「引退後一番や ってみたい仕事」については過去の調査で一番であった「高校野球指導者」が 2 位(15%)とな り,飲食店開業(17.8%)がトップとなった(図 4) . ③引退後の野球普及活動についての質問事項については, 「はい」と答えたのは全体の 70.4% となった(図 5).さらにその「はい」と答えた選手に対して, 「どのような関わりをしたいです vi 2012 年現役若手プロ野球選手「セカンドキャリア」に関するアンケート - 69 - か?」という質問を加えたところ, 「余暇を利用して」という回答が 38.3%で一番多く,次に「先 方に望まれるとき」が 36.5%となった.さらに「技術を生かすに当たり,どのようなクラスで行 いたいですか?」という質問に対しては,高校野球が他の回答に差をつけて一番となった(図 6). 不安の有無 いいえ 21.5% はい 71.5% やりがい 7% 世間体 1.8% 不安の要素 進路 46.7% 収入 44.5% 出典 2012 年現役若手プロ野球選手「セカンドキャリア」に関するアンケート 図2 現役引退後の不安の有無と不安の要素 - 70 - やってみたい 興味ある 競輪・格闘技等他競技 2.5 9.9 マッサージや医療関係 37.9 42.8 一般企業で会社員 2.9 プロ野球解説者 4.1 スカウト・スコアラー等球団フロント 球団バッティングピッチャー等裏方 7.4 11 教員資格をとり、野球指導 11.9 Jrアカデミーや私塾等子供指導 22.7 出典 図3 7.4 42.8 11.5 16.1 13.1 40.6 46.9 13.9 32.2 54.1 9.8 25.8 45.9 8.2 36.5 44.4 9.8 34.2 33.2 独立リーグ 1.2 11.9 海外球団 12.7 33.2 38.1 13.6 社会人クラブチーム 3.3 38.1 57 7.8 プロ野球監督コーチ 16.8 42.6 11.1 大学・社会人の野球指導者 48.4 39.8 9.4 絶対さけたい 49.8 29.5 5.3 飲食店などを開業 あまりやりたくない 38.9 7.8 24.6 46.3 40.6 25.1 47.7 19.8 2012 年現役若手プロ野球選手「セカンドキャリア」に関するアンケート プロ野球を引退後どのような仕事をしてみたいか,それぞれの仕事に対する意識調査 プロ野球解説者 3.1% 社会人クラブチーム 4.3% Jrアカデミーや 私塾等子供指導 4.3% 競輪・格闘技等他競 技 1.2% 医療関係 4.9 飲食店開業 17.8% 球団バッティン グピッチャー等 裏方 5.5% 教員資格をとり, 野球指導 15% 一般企業で会社員 6.1% スカウト・スコ アラー等球団フ ロント 8% 出典 独立リーグ 0.6% 海外球団 6.7% 大学・社 会人の野 球指導 8.6% プロ野球監督 コーチ 13.5% 2012 年現役若手プロ野球選手「セカンドキャリア」に関するアンケート 図4 引退後一番やってみたい仕事の調査 - 71 - 1.野球普及活動をしたいですか? 2.(はいと答えた方に対して)どのよう に関わりたいですか? 定期的に 25.1% いいえ 29.6% はい 70.4% 出典 余暇を利 用して 38.3% 先方に望 まれると き 36.5% 2012 年現役若手プロ野球選手「セカンドキャリア」に関するアンケート 図5 引退後の野球普及活動についての調査 3.技術を生かしていきたい層 4.(高校野球と答えた方に対して)どのよう な関わり方をしたいですか? 社会人 居住地の 高校球児 にアドバ イス 5.7% 大学野 野球 球 3.5% 10.6% 先輩・後 輩が監督 している 球児にア ドバイス 8.2% 高校野 球 64.1% 少年野 球(小 中学 母校の球 児にアド バイス 86.1% 校) 22% 出典 2012 年現役若手プロ野球選手「セカンドキャリア」に関するアンケート 図6 技術を活かしていきたい層とその関わり方の調査 この調査結果を通じて分かることは,まず若手選手の大多数が現役引退後に不安を抱えてお り,NPB のセカンドキャリア支援はまだ問題があるのだと考えられる.またプロ野球の世界で - 72 - このような調査結果なのであるから,他のスポーツ選手ならさらに不安を抱えているというこ とも十分に考えられる.また,引退後一番やってみたい仕事が高校野球指導者やプロ野球の監 督・コーチなどの野球関係の仕事ではなく,「飲食店開業」というのは,このアンケート調査が プロアマ規定viiの緩和前に行われたものであるということも 1 つの要因だと考えられ,2013 年 度における調査結果は野球指導者がトップになるのではないかと考える. また,技術を生かしていきたい層とその関わり方の調査から,プロ野球選手の指導者としての 理想像とは,母校の高校野球の指導者であり,プロ野球選手にとって高校野球とはとても影響力 の大きいものだと分かる. 2-3. セカンドキャリアを巡る議論 前節ではセカンドキャリア支援と選手のセカンドキャリアに対する意識を論じてきた.上述 のようにセカンドキャリア支援の現状には大きな問題が認められるが,これについてはどのよ うな議論が行われてきただろうか.各組織が行っているセカンドキャリア支援に関しては疑問 を抱く意見も出てきている.セカンドキャリア支援について大竹弘和(2013)は次のように主張 する. 各組織が個別に実施しているセカンドキャリア対策は,パソコンスキルや税務,ホス ピタリティ研修,インターンシップ実習などに集約され,目立った特徴が感じられず, 十分な実績は確認されなかった.今まで勉強してこなかった人間(選手)に,引退間際 (30 歳近く)に急遽教育してもどれだけ効果があるのであろうか.やらないよりマシ であるが本質は別にある.競争社会の中,厳しい就職戦線を勝ち抜くために日々勉強 している学生と比べ,どれだけ戦力になるか疑問だ.過去の栄光を勲章として就職し ても自身の能力(知識・学力)がないと社会では通用しないのである.(大竹 2013) このように論じており,各組織が行っているセカンドキャリア支援を必ずしもプラスの効果 があるとはいえないという議論も存在する. また,セカンドキャリア支援に対して疑問を抱くような事例が存在する.2013 年の日本女子 プロ野球開幕日の前日である 3 月 29 日に,女子プロ野球公式ホームページにおいて,「セカン ドキャリアサポートに関連する公式戦出場選手登録について」と題された情報が発表された.内 容は,選手のセカンドキャリアサポートの取り組みとして実施してきた柔道整復師の資格に関 して,専門学校を卒業できなかった 8 人の選手に対し,細かい条件などがあるもののスターテ ィングメンバーでの出場禁止,出場選手登録の禁止という形でペナルティを課すというもので あった.この措置について日本女子プロ野球は,リーグ発足当初からリーグの活動方針として重 元プロ野球選手が高校で指導教員になるには,教員免許の取得と 2 年以上の教員実績が条件 であったが,2013 年 1 月に緩和規制が緩和され NPB と学生野球が設ける両方の研修と適性検 査を受ければ指導教員になれることができるようになった. vii - 73 - 要視してきたセカンドキャリアサポートについて,試験に合格するなど個々の能力云々ではな く,取り組む姿勢を基準としており決定したと見解しているviii.またこの 8 人の選手の中には, 女子プロ野球 PR のチラシに掲載されるようなリーグの顔ともいえる選手も含まれていた.この ペナルティの措置により,女子プロ野球リーグはファンから怒りを買ってしまい,一部のファン にはこの件を自身の Facebook で問題として取り上げ,署名活動を訴えたったものもいるix.女 子プロ野球はこの年から全国各地で試合を行う大会を開催しており,女子プロ野球の認知度向 上とファン獲得を狙っていた.しかし,ペナルティの措置によりリーグの顔ともいえる選手は試 合当初から出場することができず,女子プロ野球リーグが「東西を二分する女子プロ野球最高峰 の戦い」と謳った女子プロ野球のオールスター試合でも最高峰ではない試合を結果としてファ ンに見せてしまうという事態に陥ってしまった. この問題については賛否の意見があり,本稿でその是非については明言しない.しかし,セカ ンドキャリアを重視するあまり,本業であるはずのファーストキャリアが疎かになるという本 末転倒なことがセカンドキャリア支援を行っていくうえで発生してしまうことがあるというこ とを十分考慮していかなければならない. 2-4. 日本におけるセカンドキャリア問題の背景 前節では日本におけるセカンドキャリア支援を巡る議論を紹介した.その中には必ずしもセ カンドキャリア支援が選手にとって役立つものではないという議論や事例が存在するというこ とも確認できた.ところで日本では先に述べたようにセカンドキャリア支援に関して各組織が 取り組んでいるものの,まだ確固たるものではないということがセカンドキャリア支援の開始 年度や取り組みの内容などから分かる.それでは諸外国ではスポーツ選手のセカンドキャリア 支援の現状はどうなっているのだろうか.一例としてイギリスのセカンドキャリア支援の状況 を紹介したい. イギリスには「ナショナル・オリエンテーション・キャンプ」という,14~17 歳のユース・ エリートを対象としたキャリア支援発達プログラムがある.ユース・エリートを対象としており, そのユース達がその後のアスリートとして挑戦していくライフコースの選択をサポートしてい る.また,このキャンプではいくつかのロールモデルを示すためにメダリストやオリンピック選 手を招き,各競技団体のスタッフ,コーチからも指導を受けるx.このように,イギリスでは, 自身の競技生活に教育や人生のプランも含めた「アスリート・ライフデザイン」を行うことがユ ース・エリートの段階から求められており,10 代のころからセカンドキャリアを考える機会を 与えることが重視されている.このイギリスの取り組みをはじめヨーロッパ圏では比較的早い 年齢の段階からセカンドキャリアへの準備をおこなっており,現役引退後のセカンドキャリア http://www.jwbl.jp/news/detail/id/1368 2013.4.1Yahoo! JAPAN ニュースより http://bylines.news.yahoo.co.jp/okabemitsuyo/20130401-00024176/ x トップアスリートのためのセカンドキャリア Web より http://www.shp.taiiku.otsuka.tsukuba.ac.jp/scweb/everything/taisaku/interview04.html viii日本女子プロ野球リーグ公式ホームページより ix - 74 - 問題が発生するのを極力防いでいるのである. なぜ日本ではこのようなスポーツ選手のセカンドキャリア問題への対処の仕方ができないの だろうか.セカンドキャリア支援がまだ確立したものではないというのも 1 つの要因であると 考えられるが,筆者はマーティ・キナート(2003)が主張する議論をもとに日本のセカンドキャ リア問題の背景について考えてみたい.キーナートは自身の著書で以下のように主張している. 相撲力士の,朝は苦痛のうめき声を上げて稽古し,昼と夜は食べまくる「ひと筋」美 徳は,もはやあまり魅力的ではない.ほとんど一年中,夜明けから日暮れまで練習する 野球選手や,ほかのチームスポーツも同じだ.彼らの人生で,教育にできることは何か ないだろうか.スポーツ競技で力を発揮できなくなったら,彼らは何をするのだろう か. (キーナート 2003:124-5) 以上のようにキーナートは日本特有の教育制度の問題点を指摘し,スポーツ選手の文武両道 の重要性を強く主張している.日本のスポーツ選手のセカンドキャリア問題の要因についてこ の日本特有の教育制度がすべてとはいいきれない.しかし,1 つのスポーツを極めるという一見 素晴らしく思われることが,かえって選手の引退後の進路を狭めているということは事実であ り,日本のスポーツ選手のセカンドキャリア問題に少なからず起因しているのではないかと考 えられる. 3 事例の研究 2 章では日本のセカンドキャリア支援の現状やそれを取り巻く議論,セカンドキャリア問題の 要因について論じた.ファーストキャリアにおけるセカンドキャリアに対する準備,またそれに 関する教育の欠如が日本のセカンドキャリア問題に起因しているということが分かった.この ようにまだまだ日本においてはセカンドキャリア支援の不備でスポーツ選手を地域社会におい て有効活用できていないというのが現状である.しかし,独自にセカンドキャリア支援を行い, 地域社会においてスポーツ選手を有効に活用できている事例も存在すると考える.次にそのよ うなセカンドキャリア支援に関する個別の事例研究を行い,選手への技術や社会人としての必 要最低限のマナーなどは教育されているのか,またそのような取り組みが地域社会においてど のような影響を持つのかを確認していく. 3-1-1. 群馬ダイヤモンドペガサスの事例 まず,簡単にではあるが群馬ダイヤモンドペガサスが所属するプロ野球独立リーグであるベ ースボールチャレンジリーグ(以下 BC リーグと省略する)について解説したい. BC リーグとは四国アイランドリーグ plus に続いて 2006 年に設立された,日本で 2 番目と なる野球の独立リーグである.地域におけるスポーツの活性化と NPB を目指す選手の指導・マ - 75 - ネジメントを事業目的に,野球興行や各種スポーツの企画運営などを行っているxi. その BC リーグの上信越地区に所属する群馬ダイヤモンドペガサスは,2007 年に設立された群 馬県のプロ野球チームである.チームの運営方針としては,地域との共生,地域活性化を目的と しており,地域の野球教室だけではなく,地域振興のイベントやボランティア活動などにも積極 的に参加し,「県民球団」としての認知度向上を図っている. それでは,セカンドキャリアに対しての取り組みについて述べていきたい.群馬ダイヤモンド ペガサスはセカンドキャリア支援の取り組みとしてまず,BC リーグ全体の取り組みでもあるキ ャリアサポーター制度xiiもあるが,選手が球団を退団した後どのような職業についても必要であ る社会人としての最低限のマナー(煙草も禁止,茶髪の禁止,時間を守るなど)や社会人として の心構えなどを教えることに重点を置いているという.このマナーを身につけることは全ての 職業に就職するときの根底にあるものだと球団が考えているからである.また,引退後群馬県で の就職を希望する選手には,引退後主に群馬県内の企業への就職保証を行っているという. 地域貢献活動についても論じていきたい.地域貢献活動の一つとして各行政機関と連携して 行う群馬県内の小中学生を対象とした野球教室がある.具体的な展開としては,前橋市・伊勢崎 市・藤岡市の 3 地区を中心に,球団のコーチと選手がその地区に出向き,野球の楽しさの再認識 と,技術向上へのスキルアップを目的に直接指導し,同時に日頃指導に当たる指導者の方々への 指導も行っているxiii.他の取り組みとしては,球場に子供を招待する,群馬県の PR 活動,選挙 投票の啓蒙活動,いじめ撲滅運動などを行っている.また,近年では,所属選手が NPB にもド ラフト指名されるなど選手への技術指導に関してもある程度の結果が残せていると考える. そして群馬ダイヤモンドペガサスは,これらの地域貢献活動の根底にあるものとして,群馬の 野球レベルを高め,尚且つ野球教室などを通して野球の競技人口底上げを目的としている.2013 年の夏の甲子園では群馬県代表の前橋育英高校が甲子園初出場・初優勝を成し遂げた.直接的に 前橋育英高校に指導してきたわけではないが,このような結果を今後も群馬県から出していけ るようにと県内の野球技術向上に努めているという. 3-1-2. 事例の考察 群馬ダイヤモンドペガサスの注目すべき点として,上述したようにセカンドキャリア支援と して,社会人として必要な最低限のマナーなどを選手に教育することに重点を置いているとい うところである.このような社会人としてのマナーが備わっていれば,人とのコミュニケーショ ン能力が求められる野球教室や,その他のボランティア活動などの場面において地域社会が選 手を有効に活用できることが期待できるであろう.また群馬ダイヤモンドペガサスに限らない xi株式会社群馬スポーツマネジメント,2013, 『群馬ダイヤモンドペガサス 公式イヤーブック 2013』:31 より xii セカンドキャリアへの準備として,シーズンオフ期間に提携する人材派遣会社を通じて,地 元の球団スポンサー企業に就業し,生活費を稼ぎながら社会経験を積ませる取り組み. xiii 群馬ダイヤモンドペガサス公式ホームページ 地域貢献プロジェクト 2012 より http://dpegasus.com/chiiki_kouken.html - 76 - が,独立リーグの監督やコーチには NPB 経験者も数多く在籍しており,技術指導などを通じて 選手が NPB を目指すことを後押ししている.しかし,実情としてほとんどの選手は NPB には いけず,引退後そのまま民間企業などに就職するというのがほとんどである.そのためこれまで 野球にしか専念してこなかったような選手が球団を退団後民間企業などに就職しても円滑にセ カンドキャリアを歩んでいくことは難しいであろう.そのような選手が円滑にセカンドキャリ アを歩んでいくためにも,社会人としてのマナーや社会常識をファーストキャリアの段階で教 育していくことは選手だけではなく選手を雇用する企業側にとっても有益なことだと考える. このように群馬ダイヤモンドペガサスにおける社会人として必要なマナーなどを教育するこ とは,地域社会とスポーツ選手の両方にとって有益な取り組みであると考える. 3-2-1. スポーツ選手活用体力向上事業の事例 スポーツ選手活用体力向上事業とは,文部科学省が展開している「子どもの体力向上啓発事業」 の一環として財団法人日本体育協会が委託を受けて平成 21 年から開始された事業である.幼稚 園・保育所,小学校,中学校における体育の授業及び,市区町村スポーツ少年団等が主催するイ ベントに対し,トップアスリートを派遣し,体を動かすことの楽しさや正しい生活習慣を身につ けることの大切さ,スポーツの素晴らしさなどを子どもたちに伝え,スポーツ選手の豊かな経験 と卓越した技術をもとに実技を中心とした指導を行うことにより,子どもたちが主体的にスポ ーツに親しむ態度や習慣を身につけようとする態度を養うことを目的としているxiv.平成 22 年 度に 796 件,平成 23 年度には 793 件の講演会が各自治体などで実施された. 3-2-2. 事例の考察 このセカンドキャリア支援の取り組みは基本的に 1 人の選手が 1 日のみスポーツ教室などを 行うというものであり,選手と地域社会は深く関係を築くことができないかもしれない.しかし, 様々な競技のスポーツ選手から技術指導やスポーツそのものの楽しさや選手のこれまでスポー ツを通じて得た貴重な経験を聞く機会を得ることができるなど,子供たちにとって役立つこと とは間違いないであろう.また選手側も地域と接点ができ,この事業を通じて自身のこれまで培 ってきた技術,経験を地域社会に還元することができると考えられる.しかし,この取り組みの 目的はあくまで地域の子供達のスポーツへの関心とスポーツをする習慣を高めることであり, スポーツ選手が事業を通じて社会的なマナーなどを学ぶことができるかは不確実であるといえ る. 4 地域社会でスポーツ選手を有効に活用していく上で検討される今後の課題 ここまで 1 章ではセカンドキャリア支援に関する日本のスポーツ行政の変遷,またそれにつ いての問題点,2 章ではスポーツ選手を取り巻く環境,セカンドキャリア支援の現状とそれに関 公益法人日本体育協会公式ホームページより http://www.japansports.or.jp/index/news/tabid/92/Default.aspx?itemid=546 xiv - 77 - する議論,セカンドキャリア問題の要因,3 章でセカンドキャリア支援の事例研究をそれぞれ論 じてきた.以上これまでの議論を整理し,地域社会でスポーツ選手を有効に活用していくにあた って検討されうる今後の課題を以下のようにまとめた. (1)地域社会における指導者としてのスポーツ選手のセカンドキャリア活用 2 章の 2-2 の表 4 などで提示した NPB の引退後のやりたい仕事の調査結果から読み取れるよ うに,引退後の指導者という仕事は多くの現役選手にとって興味・関心のあるものであり,また 選手自身がスポーツを通じてこれまで培ってきた技術・経験をより確実に活かせていける仕事 でもある.このようにスポーツ選手の要望・能力に合致するセカンドキャリアとしての指導者と いう進路選択を地域社会が支援し,選手を活用していくことが重要である. (2)官民のセカンドキャリア問題に対する意識の向上及びセカンドキャリア支援システムの確立 今後のスポーツ界発展のために,行政だけではなく民間企業をはじめ,スポーツに関係する全 ての団体・関係者がセカンドキャリア問題に対しての認識を高めていかなくてはならないであ ろう.そして NPB などをはじめとする組織が,選手を現役並びに引退後不安に陥らせることの ないような選手側も納得するセカンドキャリア支援システムを構築していくことが必要であろ う. (3)スポーツ選手の現役時におけるセカンドキャリアに対する認識の向上および引退後を踏まえ ての教育 今後は競技団体が現役の選手に対してセカンドキャリア問題に対する認識を高めていくこと が重要である.そして引退後どのような職業についても大丈夫なように,社会人として必要なマ ナーや社会常識を教育していく支援体制を整備していくことも不可欠である.またトップアス リートを目指しているようなジュニア期の選手にも,競技引退後までのキャリアデザインを教 育していくことが求められていくであろう. おわりに ここまで地域社会がスポーツ選手を有効に活用していく上での検討課題を,セカンドキャリ ア問題を通じて確認してきた.だが現状では地域社会におけるスポーツ選手の活用策やセカン ドキャリア問題などに関する研究活動はそれほどまで多く行われておらず,また筆者の調査不 足などのため本稿における研究は満足のいくようなものではないのかもしれない.しかし,先に 述べた検討課題を解決することができれば,スポーツ選手の持つ卓越した技術や経験が地域社 会において還元され,地域社会がよりよいものになることは間違いないであろう. 最後に,本稿における議論がスポーツ選手の活用策やセカンドキャリア問題を考察・議論して いく上で何かしら寄与することになれば筆者の幸いである. - 78 - 謝辞 本稿執筆にあたり,群馬ダイヤモンドペガサスの糸井丈之代表取締役会長にはお忙しい中ヒ アリング調査をご協力していただきました.甚だ簡単ではありますが,この場をお借りて感謝を 申し上げます. 文献 澤田大祐,2011, 『スポーツ政策の現状と課題―「スポーツ基本法」の成立をめぐって―』,国立 国会図書館. 吉田章編,2012, 『トップアスリートのセカンドキャリア「問題」の構造ととらえ方』平成 22・ 23・24 年度科学研究費補助金基盤トップアスリートのセカンドキャリア開発支援シス テムの構築に関する研究,筑波大学. 中村祐司,2011, 「第 6 節指導者の養成等,スポーツ推進委員」日本スポーツ法学会『詳解スポ ーツ基本法』,成文堂,124-5. 井上洋一,2011, 「第 2 節優秀なアスリートの育成および支援」日本スポーツ法学会『詳解スポ ーツ基本法』,成文堂,176-7. Marty Kuehnert,2003,Where Are the Scholar-Athletes?(=2003,加賀山卓朗訳『文武両 道,日本になし―世界の秀才アスリートと日本のど根性スポーツマン』早川書房. 株式会社群馬スポーツマネジメント,2013,『群馬ダイヤモンドペガサス公式イヤーブック 2013』 大竹弘和,2013, 「スポーツ選手のセカンドキャリア問題(1) 」,信州スポーツ CoCo だけ,(2013 年 12 月 8 日取得, http://www.shinspococo.com/column/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E9%81%B 8%E6%89%8B%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%89 %E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%95%8F%E9%A1%8C %EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89/). ――――,2013,「スポーツ選手のセカンドキャリア問題(2)」,信州スポーツ CoCo だけ, (2013 年 12 月 8 日取得,http://www.shinspococo.com/column/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E9%81% B8%E6%89%8B%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83% 89%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%95%8F%E9%A1%8 C%EF%BC%88%EF%BC%92%EF%BC%89/). 文部科学省(2013 年 12 月 23 日取得, http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/25/06/1336042.htm). 岡部充代,2013,「ファンの気持ちを“置き去り”に女子プロ野球リーグが開幕」,Yahoo! JAPAN ニュース, (http://bylines.news.yahoo.co.jp/okabemitsuyo/2013040100024176/). トップアスリートのためのセカンドキャリア Web,2007,諸外国のセカンドキャリア対策状況 Column No.4 ユース・エリートの育成, (2013 年 12 月 15 日取得, - 79 - http://www.shp.taiiku.otsuka.tsukuba.ac.jp/scweb/everything/taisaku/interview04. html) 群馬ダイヤモンドペガサス公式ホームページ地域貢献プロジェクト(2013 年 12 月 8 日取得, http://d-pegasus.com/chiiki_kouken.html). J リーグキャリアサポートセンター(2013 年 12 月 9 日取得,http://www.jleague.or.jp/csc/about/) リクルートキャリア(2013 年 12 月 9 日取得, http://www.recruitcareer.co.jp/company/csr/athlete/). 日本女子プロ野球リーグ公式ホームページ(2013 年 12 月 9 日取得, http://www.jwbl.jp/news/detail/id/1368). 公益財団法人日本体育協会『2013 年 12 月 23 日取得,http://www.japansports.or.jp/index/news/tabid/92/Default.aspx?itemid=546). - 80 - 山に学ぶリスク ―登山と現代社会の比較に見る豊かな暮らしの見直し― 柴田 圭祐 はじめに 今回筆者が「山」をテーマに選んだきっかけは,自身が大学のワンダーフォーゲル部に所属し, 登山の中での苦楽を経験したことにある.当初はハイキングの感覚で始めたこともあり,荷物の 重量,悪天候,5~6 日間数人のパーティメンバーとの長期間の山歩きなど,日常のありふれた ものからかけ離れた行動に嫌気がさすこともであった.しかし,4 年間の経験する中で学んだこ と,感慨深いことは非常に多かった.自然の景色や山頂での達成感は言うまでもなく,今振り返 って強く感じるのは,「コミュニティで生活するために行動している」という実感である.登山 では,円滑で安全に行うために,全員で計画を立て,危険なところは互いに注意しあう環境があ り,自然や山小屋等の数少ない施設を大切にすることが当たり前となっている.こうしたモノや インフラが限られ,決して快適でも楽しくもない状況下で生活していくことは,現代において見 過ごされている,もしくは敬遠されているものであり,登山文化は現代の文化と対照的な良いサ ンプルとなるのではないかと筆者は考えた.しかし,利便性が向上していく中で登山も迎合しな くなっているのではないか,という懸念もある.本論文では,本来の登山のあり方とは何かを考 えるところから始め,登山文化が社会に良い影響を与えていく可能性を考えていきたい. 1 人と山との関わり方 1-1.なぜ人は山に登るのか 登山は,スポーツとして,絶景を求めるレジャーや観光として多様な目的をもって世界中で親 しまれている.しかし,高尾山や筑波山のように,ハイキング感覚で気軽に登ることのできる低 山は別として,高い山脈の登山においては,食料や装備,インフラが限られ,かなりの危険が伴 う状況下におかれる.なぜ人々は自らそういった環境下でも山に登ろうとするのか.本章では, 現代までの登山の歴史を人々の意識に着目しながら振り返り,登山文化がもたらすもの,それら が現代以降の人々に影響を与える可能性について言及する.なお,本項の登山の歴史に関連する 言及は山崎安治の『日本登山史』に依拠している. 日本の登山は,紀元前 3 世紀頃の稲作の開始以降,自然崇拝の概念が生まれたところから始 まった.稲作によって人間が自然の力を利用させてもらうこと,日照や降雨量は人間ではどうす ることもできないことから,自然に対して大きな威圧感を覚えたことにより,崇める文化が芽生 えたのである.その後,農耕が始まり,人々が低地に生活拠点を移すと,山を生活に必要不可欠 な河川が始まるところとして,また時には増水し,被害を与える脅威の存在として尊敬と畏怖の 思いが生まれ,本格的な山岳信仰が始まった.平安時代以降は,外来の密教,儒教,道教などの - 81 - 影響を受け,修験道と呼ばれる宗教体系が生まれた.修験道はそれまでの山を遠くから拝むとい う崇拝から,実際に登山を行って山の神を参拝するスタイルへと変化していった.しかし,はじ めは現代の登山者と同じように物見遊山的な雰囲気で行われており,山での修行の概念は平安 時代の末期から広がっていった.その後しばらく信仰登山は続き,登山が物見遊山としての性格 を強めたのが江戸時代後期に入ってからである.その背景には,庶民の経済力の向上により,旅 行が容易になったことがあるが,まだ主に地元住民の通過儀礼の一つとしての登山が多かった. 日本の近代登山の始まりは諸説あり,六甲山における,ガウランド,アトキンソン,サトウの 3 人の外国人パーティによるピッケルとナーゲルを用いた西洋風の本格的な登山の開始(明治 7 年)が始まりとするものと日本山岳会の発足(明治 38 年)が始まりとする説がある. いずれにせよ,これまで山とあまり縁の無い地域の人々が注目し,登山への興味を抱き始めた ことが分かる.以上のことから,人が山に登るのは, 「自然への尊敬と畏怖」 「好奇心」の二つが 古くから大きな要因となっている.前者は文明,宗教が,後者は人間の本能的な欲求が起因とな っているようであるが,こうした人の山に対する価値観は,近代以降になってどのように変化し ていったのであろうか.後の項で詳しく考察したい. 1-2.登山ブームの変遷にみる現代の登山 ヨーロッパの器具を用いた登山,また日本山岳会の発足によって日本の近代登山が始まった. 元々山脈や渓流,渓谷の景観が豊富なこともあり,多くの人々が山に目を向け,二度の大戦前後 から,庶民の経済がさらに向上すると,大衆登山と呼ばれるスポーツ的,競技的な色が強かった ヨーロッパの登山と一線を画した登山文化が生まれた.大衆登山において,現在までに何度かの 登山ブームがあり,新たな登山者層を獲得していった.登山ブームの変遷の中で人々の山への価 値観はどのように移り変わったのだろうか. 小泉(2001)の著書を参考に登山ブームの概要を振り返りたい.日本での大衆登山の始まり は,第一次世界大戦前後の大正から昭和時代初期にさかのぼる.戦争の影響で様々な物資を輸出 し,国全体の経済並びに国民の生活水準が向上したことが影響し,大学生や社会人の間登山とス キーが広まり,日本アルプスに注目が集まった.また,上越線の開通(1931 年)により,谷川岳 が脚光をあび,休日に会社員が山に向かうなど,山へのアクセスの利便性が向上したことも登山 者増加の背景にある.しかし,登山者が増えたとはいえ,まだ裕福なサラリーマン,学生,貴族 のスポーツであり,地元の学校登山や古くからの慣習を除けば,エリートしかできないものであ った. 第二次大戦中から戦後,登山は停滞したが,1960 年前後に本格的に復活する.これが第 1 次 登山ブームと呼ばれるもので,このブームの火付け役となったのが大学生を中心とする若者で, 大学の山岳部やワンダーフォーゲル部は 100 人を越える部員を抱えるところもあった.経済が 高度成長期に入り,国民の生活が安定したこと,国民主権や基本的人権が確立して精神的に自立 したことが大きな要因となっている.このブームは 1970 年代まで続いたが,テレビやテレビゲ ームの人気が若者の山への好奇心が奪っていき,次第に陰りを見せた. - 82 - 1990 年代に入って現在の中高年を中心とする第 2 次登山ブームが起こった.このブームはバ ブルがはじけて経済が不調になった頃に始まった.これは,それまでのようなぜいたくなレジャ ーができなくなったことが背景にあると考えられる.金銭的な余裕がなくなってきたために,登 山やキャンプ,ハイキング,あるいは潮干狩り,海水浴などといった,金のかからない野外活動 が見直された.この頃の登山は,かつての高貴なスポーツといったイメージは払拭され,日常生 活のストレスの解消や気分転換の目的で行われる人が非常に増えた.登山が純粋に山の景色や 高山植物を楽しむというよりも,心身の不健康の改善の手段の一つとして捉えられ始めたこと が窺える.また,深田久弥の著書「日本百名山」 (1964 年)が登山者の間で人気が再燃し,百名 山を踏破することを目標とする人が増えたことも大きい. しかし,登山文化が再び大衆に受け入れられていく一方で,菊地は百名山を起点とした第 2 次 登山ブームの弊害を提示している. 1.美ヶ原(長野県 最高点 2,034m)は,百名山に選出された後,頂上近くの台地まで有 料道路ビーナスラインや林道が設けられた.この道は放牧やテレビ塔建設に利用され,結果的 に本来の美ヶ原の景観,風情は「なぜ百名山に選ばれたのか」という疑問を抱く程まで失われ てしまった.他にも,筑波山や蔵王などもロープウェイが架けられるなどで,本来の山の景観 を損なう結果となった. 2.第 2 次登山ブーム以降,旅行会社が企画する山岳ツアーが急増し,50 歳代以上の高齢者 を中心に人気を博した.それに伴い,遭難や捻挫,骨折事故が多発した.菊地はそうした事態 の背景に,大人数でのツアーという安心感から,山の厳しさや参加者が自身の体力に認識の甘 さを生み,急造且つ大人数のパーティ編成による相互認識や統率が希薄化したことを挙げて いる(菊地 2001). 第 3 次登山ブームは,その起源には諸説あるが,i雑誌『山と渓谷』編集長によると,2007 年 頃から現在まで若年者の登山客が増加しており,第 3 次登山ブームと定義づけている.かつて の登山装備にはなかった派手なウインドブレーカーや山スカートを身につけるなど,ファッシ ョンが登山への入り口となっており,特に富士山は世界遺産登録の勢いも受け,過去 10 年で 10 万人以上増加している.しかし,装備の機能面の知識が浅く,登山に適さない装備をする人も増 加した.また,マナーの悪さなども指摘され,山ガールの世代には,山に対するこだわりを持っ ていない人が少なからず存在し,それらが原因の遭難事故も多発している.ブーム後には登山か ら離れ,今後の登山文化の理解,継承の役割に不安がある.ブームが進み,年が経過する毎に本 来の山岳文化から離れていっていることが懸念される. i http://number.bunshun.jp/articles/-/127071 より抜粋 - 83 - 表 1:富士山の登山者数の推移 H17 年 H18 年 H19 年 H20 年 H21 年 H22 年 H23 年 H24 年 H25 年 200,292 221,010 231,542 305,350 292,058 320,975 293,416 318,565 310,721 (人) 関東地方環境事務所,報道発表資料より作成 出典:ii富士山事故・遭難メモ 1-3.現代の登山の意義とは ここまでの人が山を目指す理由をまとめると,自然への好奇心,恩恵といった山に対する尊敬, 憧れの意識があったことが挙げられる.ここには人間が自然を知り,理解,共通の空間を作り上 げようとする意識が強く表れていたのではないか.しかし 90 年代以降,こうした意識は希薄に なり,自身の向上,満足感といった意識が強くなる.現代の生活とのギャップ,ファッション的 な意味合いを持つことによる自然への威厳や危険リスクへの認識の希薄化が進み,自然より自 分達を優先した考え方が強くなっているように感じる. しかし,筆者は,登山文化にはコミュニティまたは人間と自然が共生するための要素があると 考える.例えば,登山者と山小屋の人々とのつながりである.例えば,山でジュースや食べ物を 買う時,また山小屋に宿泊する時,かなり高い金額が設定されており,初めて知る人は驚くと思 う.しかし,登山者と山小屋の管理者は,お金が山,または山小屋のために使われているという 共通認識があり,損得ではなく,空間の自治のための等価交換に公平な共存関係が成り立つ. 「消 費者にとって安い方がいいに決まっている」経済体制が当たり前になっている.経営者も宿泊者 も,利益やサービスの享受のためにそこにいない.ここで生活するための対価であると理解の上 ii http://accident.fuji3776.net/より - 84 - で生活空間が存在している.また,集団での登山(特に複数泊する縦走での登山)においては, それぞれの仕事の分担,体力などの能力の共通認識が必要になる.さらに,危険で険しい道,過 酷な気候,体調不良者のケアなど,リスクや危険を乗り越えていくことを集団で共有し合い,そ の中で生まれる信頼関係がある. 登山文化は,iii下界のような経済体制やインフラが確立しておらず,限られたものとなってい る.また,悪天候や険しい道などの障害の中で行動や生活を行っていくので,かなり不便でリス クや危険が伴う文化であるといえる.こうした背景が,現代の若者が本来の登山文化に迎合しき れない状況にしている可能性が高い.しかし,筆者は登山文化が前時代のものであるとは決して 思わない.登山には,「リスクや危険を共有し,認識する」文化があり,それは人と人同士だけ ではなく自然と人との付き合い方を社会に提示出来るものがあるのではないか. 現代は東日本大震災という大きな災害に見舞われ,今まで身近にあった生活基盤が失われる 危険を多くの人が認識した.山における危険と現代社会の危険は必ずしも同一のものではない が,当たり前のようにあった生活環境から離れた状況下で人々は結束し,理想的なコミュニティ づくりを行えるのではないか.次章以降で,リスクコミュニティ論などの社会学理論と登山文化 の関係性を検討し,登山の現代社会における有効性を考察していきたい. 2 リスクに見る登山文化の優位性 前章において,筆者は登山文化の魅力の一つとして,リスクとうまく向き合いながら文化内の コミュニティと付き合うことが出来る点を挙げた.東日本大震災という大きな災害を経験した 今,起こり得るリスクに対抗するコミュニティづくりの重要性は増し,筆者は登山におけるリス クを回避する問題解決は多くの共通点があると感じた.本章では,リスクコミュニティの理論に 着目し,登山文化がリスクと向き合う現代社会にどのような影響を与えるのかを考察し,さらに, 近代以降の都市社会が現在までどのようにリスクと向き合ってきたかを調査し,比較していき たい. 2-1.リスクコミュニティの可能性 はじめに,リスクとコミュニティの二つの意義を明らかにする.山下佑介は,人間のコミュニ ティは起きてしまったことを振り返り,反省的コミュニティであると述べる.また,反省的コミ ュニティには実態と理念の二つの側面がある.実態としてのコミュニティは,現実にそこにある ものであり,そこから反省することによって現れるものが理念である,とした.その実態と理念 を繋げるものとして問題解決の過程(プロセス)が存在し,問題とコミュニティは不可分である. つまり,コミュニティは問題解決過程の中に生じるセットの概念であると考えることが出来る. 災害は,問題が完全に露呈した状態であり,このような問題群を「顕在的問題」,反対に問題が 完全に現れていない状態の問題群を「潜在的問題」と表現でき,これがリスクと呼ばれるもので iii 本論文における下界は,一般的なインフラ,設備が整い,現代的な生活が出来る市町村 を指す. - 85 - ある.顕在的問題では,目の前で危険な事象が発生しており,問題が発生しているのでコミュニ ティの形成は容易に行われるが,潜在的問題はリスク問題の持つ特質によって,異なった問題解 決過程を生じさせる(山下 2008). つまりリスクとは,それが人為的自然的に関わらず,危険が起きる前に想像し得る事象の可能 性を示す概念であり,コミュニティ内でリスクを共有することで,今現在顕在化していない危険 を回避する特性を持つことが出来る.リスクコミュニティは,発生してしまった問題に解決策を 講じるのではなく,明らかになった問題からこの先発生するリスクに気付き,共有化して考えて いくプロセスを持ったコミュニティである. 登山文化と照らし合わせると,特に学生のワンダーフォーゲル部でよくみられるパーティ編 成の登山は,絶えず現状から目標(≒理念)を目指し,反省を繰り返し続けるコミュニティが存在 する.山行,ルート計画,食料など,あらゆる場面において危険を伴うリスクが内在している. 1 人でもリスクの共有を怠ってしまうと危険が現実となる可能性が高くなる.リスク問題をパー ティのメンバーが共有し,継続して取り組むことで実態と理念が生まれ,コミュニティを形成す るプロセスが存在出来る空間があるといえる. 山下は,現代社会はリスクの大きさに対して人々が小さく構え,孤立して何も手が出せないこ とから発生する不安に苛まれている不安社会であると述べる.しかし,リスクへの共同の取り組 みの実践が実現することで,安定した人間関係が作り出されて蓄積され,人々に安心をもたらす. これこそリスクコミュニティ形成のもたらす効果であり,リスク不安社会から,リスクを共有化 して真正面から取り組むリスク共存社会への道筋となる(山下 2008). さらに山下は,リスクコミュニティ形成が持つ意義について論じる際に,ルーマンの地球環境 問題についての以下のような言葉を引用している. 地球環境問題は日常生活に直結した問題だと言われている.しかしながら,事が大きす ぎて,我々はそれを十分に自分の生活に身近な問題として認識することが出来ない.それ どころか,これらの問題の成立に関わる変数があまりにも多岐にわたり,因果関係が複雑 すぎて,実際のところ,我々の生活のどの部分がどのように個々の問題に直接関係してい るのか,科学的に示すことは困難である(N.ルーマン 1992=2003). つまり,リスクコミュニティにおける諸活動は社会に大きな貢献をするとは限らず,問題が解 決されたかどうかもはっきりしないまま徒労に終わることも多いということである.しかし,筆 者は,リスクコミュニティはコミュニティ内部を変革する力を持っていると考える.登山におい ては自然環境に配慮すべき多くのマナーが存在し,例えばゴミはすべて登山者自身が管理しな ければならないのは勿論,トイレはチップ制でほとんどの山小屋では有料となっている.これら の背景には,ゴミを山の中では処理出来ないため,管理者やボランティアが物資を山に引き上げ る,もしくはごみやし尿を人力で下界に降ろさなければならない,というリスクがある.また, 筆者の経験では,パーティ編成の登山では,段差,岩場など,歩行の障害となりそうなポイント - 86 - を先頭の人が注意を促し,それを後ろまでバケツリレーのように伝達していくものがあり,これ も集団内でリスクを共有し,回避するために行われ,リスクを意識した行動の一つといえる.こ ういったリスクを意識したマナーは,一見面倒なものであり,マナーを守らないからといって山 頂を目指すこと,自然を満喫すること自体に影響を受けないかもしれない.しかし,こうした行 動は,共同で登山を行うこと,自然への恩恵を受けているという意識がコミュニティ内で高まり, 集団でリスクを回避し乗り越えていく力を強めることに繋がっているのではないか.以上のこ とから,登山文化はリスクとうまく共存し,コミュニティに必要な意識の共有を実践している文 化であると考えられる. 2-2.都市社会における豊かさの代償 災害など,我々が日常生活に支障をきたすような状態に陥った場合にコミュニティは力を発 揮し,問題を現実的に,真剣に捉えたうえで解決の糸口を見つけることが出来ることを示した. では,我々が普段暮らしている社会では,豊かな暮らしをしていく一方で,どのようにリスクが 捉えられてきたのだろうか.本項では,登山とは対極的に,下界(都市社会)がこれまでどのよう なリスクを背負い,解決をしようとしてきたのか,またその解決策は正しいものであったかを考 察していきたい.また,都市の問題点は様々な角度から研究されているが,本文では横田が論じ た, 「豊かさの代償としての環境破壊」という着眼点に注目し,以下に要約する. 現代都市はモノと情報に溢れており,iv「情報化消費化社会」の中枢を構成しており,現代文 明が豊かなものとなっている象徴となっている.しかし,狭い空間への人口集中という都市の特 性により,資源の大量使用による自然環境の改変や廃棄物処理を始めとする環境問題が,歴史を 積み重ねるうちに悪化し,産業革命後には産業廃棄物や公害により,深刻なものとなった.都市 は,高度成長期後半の 1960 年代後半以降,エネルギー資源の供給や廃棄物の大量処理を「外部」 (地方農山村や第三世界諸国など)に押しつけ,表面的な豊かさを維持していった.こうして,廃 棄物処理などを外部にいる専門的な業者などに委ねることによって,都市の住民はリスクや問 題を外部化し,最終的には不可視化され,リスクへの意識が希薄化していくプロセスが出来あが ってしまった.この受益と受苦の関係を解消するべく,「循環型社会」の提唱が推し進められ, 1990 年代以降法整備が始まり,現在までリサイクルは誰もが認知する共通の概念となった(横田 2005). 循環型社会がごく当たり前になっているとはいえ,豊かになることに対する欲求は人々のほ とんどが持っており,モノへの依存を断ち切ることは非常に困難である.いかに資源を大切にす る意識を人々が持っていても,より便利な設備,モノを求める意欲は変わらず,前述のようにリ スクが不可視化され,薄々認識したとしても見て見ぬふりをしてしまうというジレンマが生じ る.つまり,都市社会においては,目の前の問題を知っていても個人の豊かさが脅かされるため にリスクを回避することになり,問題を共有し,コミュニティ形成の妨げの一因となっているの ではないか. iv見田(1996)『現代社会の理論』岩波書店 - 87 - 2-3.社会的ジレンマ 前節の環境問題,その背景にある人々のリスク回避に関連して,山岸の社会的ジレンマの事例 を取り上げ,もう少し詳しく都市社会と登山文化の社会学的な捉えられ方を考えていきたい.こ の事例では,豊かな暮らしをひたすら求める生き物と,最小限のモノ,インフラで生活しようと する生き物が対比され,文明の発達だけを考えることの危険性を明らかにしている. はじめに,山岸は,社会的ジレンマの定義を以下のように述べている. 社会的ジレンマでは, ①一人一人の人間が,協力行動か非協力行動のどちらかを取る. ②そして,一人一人の人間にとっては,協力行動よりも非協力行動を取る方が,望まし い結果を得ることが出来る. ③しかし,全員がじぶんにとって個人的に有利な非協力行動を取ると,全員が協力行 動を取った場合よりも,誰にとっても望ましくない結果が生まれてしまう.逆に言え ば,全員が自分個人にとっては不利な協力行動を取れば,全員が非協力行動を取って いる場合よりも,誰にとっても望ましい結果が得られる.(山岸 2000) また,山岸は社会的ジレンマが現実問題との関係性,自然界との対比関係に関する言及を 行っているので以下に要約する. 我々は,環境にやさしい行動を取るか,環境を無視した行動を取るか,という形で協力行 動か非協力行動かの選択をしている.自分一人が環境にやさしい行動を取らなくても環境破 壊の被害がすぐに返ってくるわけではないが,あらゆる人々が自分と同じように環境にやさ しくない行動を取ると望ましくない事態に陥る.地球温暖化が典型的な例で,一人一人の人 間は車に乗って排気ガスを出すか,森林を焼き払って農地にするかの選択を迫られるが,個 人にとっては車に乗ること,農地を開拓することは利益に繋がる.しかし,目先の利益を考 えた選択をする人が増えれば増えるほど最終的に地球温暖化という大きなリスクを背負うこ とになる. また,環境問題とは異なったカテゴリになるが,周囲の誰もが大衆車に乗っているような 状況の時,少し上級の国産車を購入すれば目立つが,みんなが上級車に乗ると,より高級な 外国車に乗らなければ目立つことが出来なくなり,目立つためのコスト(リスク)が上がってし まい,結局誰のためにもならない結果を生み出す「出し抜き」型の社会的ジレンマの例もあ る. 以上のように,社会的ジレンマは近現代の文明が発達した時代に住む人々に顕著となった, 自己の利益を最優先する精神,状況を上に見せることで自分のプライドを守る自己防衛的な 心構えを浮き彫りにする.しかし,社会的ジレンマは最近出来た問題ではなく,自然動物の 世界にも重要になっている.鷲や鷹など,強い存在の接近に気付いた鳥が,警戒音を発して - 88 - 群れの仲間に知らせる行為は,発した鳥は敵に気付かれる可能性が高くなる.それにもかか わらず,1 羽が危険を冒したことで群れが全滅する危険を回避出来た,という社会的ジレン マを回避する例は,動物は勿論,古くからの人間社会にも存在していた.(山岸 2000). これらの例を見ると,小さな共同体においては,社会的ジレンマはうまく解決される特性 があるように思う.登山文化においても例外ではなく,同じパーティの仲間が集団のために 与えられた仕事は全うし,注意やアドバイス,緊急時の判断などを行う.また,山小屋など 山域の管理者や自治体の交通機関の協力があって登ることが出来る山がほとんどであるので, 登山は信頼関係や様々な恩恵によって成立している. 以上のことから,現代社会は豊かな暮らしと引き換えに,リスクが見えなくなる,もしく は見て見ぬふりをすることによって多くの危険が潜む社会となり,それに対して登山文化に 危険やリスクの中でそれらを解決していくプロセスを作りやすい特性を見出す可能性が複数 の理論から示唆された. 3 登山文化を取り巻く現状,見える課題 これまでに,登山文化がどのように育まれ,人々に影響を与えてきたか,そして登山文化の特 性が社会学的にどのような意義があったかを考察してきた.1 章において伝統的な集団登山は自 然への畏怖,感謝,強い危機管理意識の強さがコミュニティに良い影響を与えることが考えられ た.しかし,そうした要素が 1990 年代以降の登山ブーム以降,登山の危険やリスクを受け入れ ながらも乗り越えていく意識が薄れてきている,という見解に至った.また,2 章では伝統的な 集団登山のコミュニティの利点を,社会学的理論を用いて考察し,リスクを可視化,共有化する 力,現代社会に存在する社会的ジレンマの解消の可能性があると考えた. これらの考察から筆者は,登山文化は社会に良い影響を与える要素を持っており,便利な設備 やリスクのない安心がある程度保障された状況が人間にとって良いことばかりではない,と考 えた.具体的には,人と人を信頼とコミュニケーションによって繋げ,協力し合う環境を生み出 すことに特化している文化と考えられる.本章では,まず二つの登山道整備に関する事例を取り 上げ,現代の山の管理に対する考え方はどのようになっているのか,次に 1 章の言及を振り返 りながら現代人の登山に対する考え方をまとめ,今の登山文化が置かれている現状,社会的意義 を明らかにしたい. 3-1-1.登山道整備の問題(長野県の事例) 本項では,長野県の信州山岳環境保全のあり方研究会の報告書と富士山の登山環境に対する 問題点を比較する. 信州山岳環境保全のあり方研究会は,登山の大衆化が進む中で,自然保護への理解不足,山の ルールやマナーについて教育や訓練を受けていない登山者が増え,山岳環境へ及ぼす影響が懸 念されている昨今,v長野県の山岳環境保全の総合的なあり方について研究していくため,平成 v 長野県は日本アルプス,八ヶ岳といった,連峰が非常に多く,独立峰である富士山とは - 89 - 13 年に県が設置した団体である.2006 年に発表した報告書に登山道整備が今後どうあるべき か,という議論を交わした. 長野県は,毎年多くの登山者を迎え入れている状況の中,利用者の集中による山岳環境への悪 影響や遭難・事故等の問題が顕在化しており,登山道の整備面からも山岳環境の保全や安全対策 が課題となっている. しかし,登山道の多くは維持・管理主体が不明確で,地形的条件の厳し い山岳地域にあるため,継続的・安定的な整備には課題が多い.実際に,自然公園内(自然歩道) の木柵の損壊による死亡事故によって,登山道管理の責任を問われる判例も生じている.こうし た現状を踏まえながらも研究会構成員は,登山道整備に対する基本的な考え方を次のようにま とめた. 「登山行為は自己責任のもと困難を克服する行為といった考え方を基本認識としつつ, 山岳県長野として,貴重な山岳環境を保全し次世代に引き継いでいくため,また全国から訪れる 多くの登山者を今後とも迎え入れていくため,最低限の継続的な登山道の維持・管理は必要であ る(信州山岳環境保全のあり方研究会(登山道問題) 報告書 2006).」 さらに,類似した事例を付け加えたい.鬼無観光振興会の堂津岳登山道整備プロジェクトにて, 登山道整備のあり方について以下のように述べている. 登山道とは, 「地形条件,気象条件が極めて厳しい場所に設置されることが多い.一般的には 距離は長く,傾斜もきつく,場合によっては岩稜をよじ登る部分もある.究極的には利用者 (登山者)が能力を発揮して進行できればよい」 (環境省「自然公園等事業技術指針(試行版)」 より抜粋)とされます.したがって,過度の登山道整備は「登山」の面白さを半減させてしま うことになってしまいます. 堂津岳登山道整備プロジェクトはボランティアが中心となって 行う事業です.したがって,刈り払いなどは自分たちのできる範囲で必要最低限とする方向 です.必要な装備や経験を有しない,安易な入山は厳に謹んでいただきますようお願い申し 上げます. こうした意見から,危険やリスクにある程度の理解を示す姿勢を見せる山の管理団体も存在 し,登山道整備を最小限にする努力がなされていることが分かった.そして,登山者と共に, 自然環境への配慮を考える理念が,人間の都合によるリスクの排除による大きな弊害を防いで いる.こうした意見を持っているのが連峰形式の山が多い地域の管理団体であることを念頭に 置きながら,富士山の事例も考えていきたい. 3-1-2.登山道整備の問題(富士山の事例) 富士山は,2013 年 6 月 22 日にユネスコの世界文化遺産として認定された.しかし,当初は 自然遺産としての登録を検討していたが,登山者や山小屋から排出されるし尿やゴミによる環 境汚染により,国が推薦を見送った.その後,富士山の普遍的価値は「信仰の対象」, 「芸術の源 泉」にある,という内容の世界遺産推薦書が承認され,世界文化遺産としての登録が決定した. 対照的に二泊以上の登山を行う登山者がいる. - 90 - 環境汚染問題は登録に向けた美化活動により,以前より大幅な改善がみられるようであるが, 自然としての美しさの評価に関しては,このような世界遺産登録の過程から見てとれるように 今一つ芳しくない印象を受ける. 1 章でも触れたが,富士山は山梨県南都留郡富士河口湖町から五合目付近まで,有料道路で ある「富士スバルライン」で結ばれており,終点である五合目は,近代的な建物が立ち並んでい る.売店や食堂,郵便局,ATM にシャワーなどの設備があり,電気は自家発電,水は給水車に よって賄っている.また,五合目以降も山小屋が登山道沿いに点在しており,景観を損ねてい る. 登山道も,落石被害を防ぐ大きなフェンスが頂上付近まで設置され,遠目から見てもジグザ グ状の登山道が鮮明に見える.登山者は年々増加しており,そのニーズと安全性を考慮すれば このようなフェンスを作ることはやむを得ないことである.しかし,自然を崩さずにリスクや 危険の存在を踏まえて最小限の登山道整備を心がける長野県の事例と比べて,自然への配慮は 薄く,人々の観光目的によるリスクの排除は環境や景観の破壊に繋がり,人々に過剰な安心を 与えてしまう.その結果,登山マナーの悪化や準備不足による遭難事故の多発に繋がってしま うのではないだろうか.自分達の危険やリスクの排除を最優先にしてしまうことで,結果的に 現代の登山文化は,自らを危機的状況に誘導される構図が生まれてしまっているのである. 3-2.現代人の登山に対する意識 1990 年代以降の第二次登山ブームは,雑誌やテレビ番組といったメディアが火付け役となっ た.1994 年から翌年にかけて,viNHK 衛星第二テレビジョンにて『日本百名山』という 10 分 間の番組が放送され,百名山が再び広く知れ渡るようになり,番組に影響されて多くの中高年者 が百名山制覇を目指すようになった.第三次登山ブームにおいても,山ガールという言葉は vii2009 年ごろからテレビや雑誌,インターネットで使われ始めたようである. これに加えて小泉は,現代の登山者の特徴について次のように述べている. 現代の登山の特徴は,日常生活のストレスの解消や気分転換のために山に登っている 人が非常に多いということである.かつては単純に,山が好き,あるいは高山植物が見た い,山頂に立って周りの山々を見回してみたい,などということが,登山の動機であった が,現代においてはこういう感覚の登山者はむしろ少数派になっている(小泉 2001). このことから,登山がかつて持っていた魅力が現代になって薄れていっていると考える.かつ ては未知の自然に立ち向かい,その過程で自然の厳しさに触れ,インフラが限られた条件下で生 NHK アーカイブスホームページ http://cgi2.nhk.or.jp/chronicle/list.cgi?q=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%99%BE%E5% 90%8D%E5%B1%B1&fy=1994&ty=1995&o=61&np=20&or=t vii 土方幸子,2010,マイナビニュース‐"山ガール"はじめました - 運動音痴でも安心な 登山のススメ‐http://news.mynavi.jp/articles/2010/09/15/yamagirl/index.html vi - 91 - 活するために人と人とが結束し,そのうえで登頂や踏破といった目的を達成するという心構え が主流であった.しかし,それに取って代わり,メディアや流行の流れに乗って,憧れのような 感情に動かされ,自分や身内だけで充足を得ようとするような「自己目的の達成」に比重が置か れ始めたのである.例えば,山ガールの場合,服装への憧れから始まり,山そのものに対して興 味は(勿論人それぞれではあるが)薄い人も多く,山への危険認識の低さが懸念される(1 章第 2 節参照) .また,時代による変化は人々の価値観だけでなく,登山道やそこまでのアクセスの 利便性の向上も大きく関わっており,山へ向かうリスクの排除が進みすぎ,不可視化により危機 管理の甘さに繋がり,事故や遭難が増えている(こちらも 1 章第 2 節参照). おわりに 現代の登山文化の魅力は,リスクに向き合い,自然の在り方を考え敬う気持ちを持つ,という 姿勢をとっていた本来の登山が持っていたそれとは相反するものになっている.こうした登山 文化の在り方の矛盾を改めて見つめ直すことによって,登山の本質を再確認するきっかけにな って欲しい.それだけでなく,便利なモノに慣れ親しんだ下界の社会においても,ただ利便性を 求めた発展ではなく,危険やリスクを共有出来るコミュニティの重要性を再考してもらえたら 幸いである. 文献 山下祐介,2008,『リスクコミュニティ論』 ,弘文堂 ―,1996, 「コミュニティ災害の社会学的意味」, 『社会分析』23 号,59-72 頁,社会分析 研究会 小泉武栄,2001,『登山の誕生』,中公新書 山崎安治,1969,『日本登山史』,白水社 安川茂雄,1976,『増補 近代日本登山史』 ,四季書館 山岸俊男,2000,『社会的ジレンマ』 ,PHP 新書 N.ルーマン,1992-2003,『近代の観察』 ,馬場靖雄訳,法政大学出版局 横田尚俊,2005, 「豊かさの代償―環境問題―」 ,藤田弘夫・浦野雅樹編 2005『都市社会とリ スク』,205-226 頁,東信堂 見田宗介,1996, 『現代社会の理論』 ,岩波書店 NHK アーカイブス (http://cgi2.nhk.or.jp/chronicle/list.cgi?q=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%99%BE %E5%90%8D%E5%B1%B1&fy=1994&ty=1995&o=61&np=20&or=t) 土方幸子,2010 年 9 月 15 日,マイナビニュース (http://news.mynavi.jp/articles/2010/09/15/yamagirl/index.html) 富士山遭難・事故メモ,2010 年 6 月 21 日(http://accident.fuji3776.net/) Number Web,神谷有二「山ブームに思うこと」2011 年 5 月 26 日 - 92 - (http://number.bunshun.jp/articles/-/127071) GIGAZINE,富士山の過剰に連なる山小屋の実態,商行為と自然保護が決して結ばれない現実 2012 年 9 月 9 日,(http://gigazine.net/news/20120909-yamakoya-world-heritage/) 関東地方環境事務所,報道発表資料,2013 年 9 月 10 日 (http://kanto.env.go.jp/pre_2013/0910a.html) フジヤマ NAVI,富士山に登ろう,2013 (http://www.fujiyama-navi.jp/fujitozan/appeal/page/heritage/) 山梨日日新聞社・山梨放送,富士山 NET,2011 年 7 月 (http://www.fujisan-net.jp/RENSAI/0A2_07.html) - 93 - 武道とスポーツの狭間で ―学生武道の実態を探る― 笹川 諒平 はじめに 「武道のスポーツ化」という言葉をご存じだろうか.本来武道とスポーツはその本質や目的が 異なるものであり,両者が交わることはなかったと言っていい.しかし,時代の変容,人々への 武道の普及が進み,武道自身も,競技化・体系化等の変化を経て,スポーツとして楽しむと言っ た新しい要素が出てきた.だが,スポーツ武道が人々に浸透していく中で,修練の手段~純粋に 勝敗を争うスポーツとしての側面が生まれる半面,本来の武道の良さが失われてしまうのでは ないかという危惧の声も上がってきたのである.そこで本論文では,スポーツ武道の場,そして 武道自体の入門の場でもある「学生武道」に焦点を当てることで,スポーツ武道に対する議論の 解決の糸口を見つけていこうと筆者は考えている. まず第1章では,武道のスポーツ化問題がどのようなものなのかということと,その原因を武 道の時代的背景から考察した.第2章では,学生武道の現状を解説し,武道・スポーツそれぞれ の特徴から学生武道の特徴を論じた.第3章では,実際に武道を行う学生にアンケート調査を行 い,その結果から今の学生武道にどのようなことが推測できるのかを考えた.第4章では,学生 武道における目標について,先行研究と心理的見地から論じた.この論文を通じて,人々の武道 とスポーツに対する疑問,そして武道を部活動で行うことについて,考えを持っていただければ 幸いである. 1 なぜ,武道のスポーツ化議論は起こるのか はじめに,武道のスポーツ化について具体的に考察していきたい.武道が一般社会に広まるに つれ,スポーツのような性質を持ったのが今日の武道である.この「スポーツ武道」に対する意 見は賛否両論である.スポーツ武道がなぜ議論の的になっているのかを考えていきたい. 1-1. 武道のスポーツ化 はじめに,武道のスポーツ化とは一体どのようなことなのかを述べていきたい.人々が武道と いう言葉を聞くと,日本古来の伝統芸能のような側面や,武士の修練の手段といったイメージを 思い浮かべることが少なくないのではないのだろうか.柔道や剣道,弓道などの多くの武道の設 立に,武士の時代からの歴史的背景を伴っていることは確かなことだが,現在行われている武道 の多くはその武道的要素が変容し,スポーツとしての武道,つまり「武道のスポーツ化」という 現象が起こっているのである. なぜ現代武道がスポーツ的だといえるのか.近代スポーツの特質と照らし合わせながら説明 していきたい.玉木(1999)は自身の著書「スポーツとは何か」において,アレン・グットマン - 94 - の「近代スポーツの 7 つの特質」を引用している.グットマンは近代スポーツiの特質を,次の 7 つに要約した. ①世俗性:近代スポーツは儀礼的側面を持ち,強烈な感情を生起させるが,霊的なものや聖なる ものといった超自然現象的領域には関与しない. ②平等性:人種や民族といった個人の属性によって参加を拒否されず,ルールが全ての参加者に 共通している. ③官僚化:近代スポーツは,国家的もしくは国際的な官僚的機構によって運営されている. ④専門化:競技も競技における選手の役割も,専門分化している. ⑤合理化:科学的トレーニングを積み,最新の技術を駆使した用具を使用し,自らの技量を最も 効率的に発揮できるよう努力する. ⑥数量化:統計(記録)がゲームにとって不可欠となった(玉木 1999). ⑦記録の固執:記録への挑戦が,近代スポーツの大きな目標になった(玉木 1999). 武道と西洋スポーツでは内容や創立背景に違いがあるため,全てが当てはまるとは言い難い が,この 7 つの特質は,現代武道でも内包しているのではないだろうか.明治時代以降,武士の ものであった各武術が一般人に広まるとともに競技化が進み,運営も各流派から全日本連盟な どへの統一が行われた.それに伴い,戦術面・技術面の研究なども進み,近代スポーツの多くの 特質を共有するまでになった.こうして武道は内面的なスポーツ化に至ったのである. 1-2. 武道とスポーツをめぐる議論 武道のスポーツ化が叫ばれる中,具体的に議論の中心となっているものはいったい何なのだ ろうか.スポーツ武道に賛成する意見,反対する意見を両方考えていこう.近代武道において挙 がる主要な問題は「礼儀の喪失」と「武道の固有性」である.柔道の国際試合を観戦するとわか ることだが,試合の際に行われる「礼」がなおざりになる,選手が勝ったときにガッツポーズを するなどといった場面が多々ある.筆者がかかわっていた大学弓道においても,的中後にガッツ ポーズをしている選手をみたことがある.剣道など,過度のパフォーマンスが勝敗に影響を与え る種目もあるため一概には言えないが,武道のスポーツ化がもたらした問題だといえるだろう. また,武道のスポーツ化は武道自体の固有性についての議論を生み出した.この議論について南 郷(1977)は,武道の本質を「生命賭けの勝負」であるとし,武道とスポーツの根本的な違いを 指摘している.一方,南郷の主張と正反対の立場をとっているのが阿部(1966)の主張だ.武道 とスポーツの関連性について,阿部は次のように述べている. i グットマンは,ルールの整備,運営組織の創立等が行われ,人々の間で盛んにおこなわ れるようになったスポーツを「近代スポーツ」と称し,それ以前の「民族伝統スポーツと 対比した. - 95 - スポーツの中には,自主的に運動を楽しむといった娯楽的要素がある.しかしただそれだけで はない.烈しい肉体的苦痛を伴う練習を通しての技術の追求.練習や試合の場における,自他相 互肯定的な人間関係に支えられた闘争性.自主性,協力,礼儀,公正などの社会性の育成.こう した要素がすべてスポーツには包含されているのである(阿部 1966). 阿部は,現在の武道においてもこれらの要素は含まれており,武道はスポーツのカテゴリーに 含まれることを主張している. また阿部によると,武道とスポーツの同義性に否定的な人の考えには, ①武道には,スポーツ以上の深遠的な何かがある. ②封建主義的武士道精神が,現代のスポーツ教育を脅かすのではないかと危惧している. 以上の2パターンがあるとされている.確かに,武道は過去に武士道精神に支えられた封建的な 倫理観(献身の徳,義理を尽くすなど)を内包し,日中・日露戦争の勝利によるナショナリズム の高揚とともにその武士道精神が皇道主義に利用され,積極的に推進されたという事実がある. だが阿部は,武道がスポーツ化された要因は封建主義性の除去とスポーツとしての大衆化にあ るとしている.競技規則・審判規則の改定により,民族文化としての武道は単なる生命賭けの勝 負(と,そのための精神修練)から,勝負や技術追求への面白さ等の側面を含んだ現代武道へと 変化していったのである. 1-3. なぜ反対意見は起こるのか 阿部の主張通り,スポーツ武道に対する反対意見は多く,また類型化が可能である.なぜここ まで反対意見が生まれてくるのだろうか.それを探るために,現代武道の成り立ちを,柔道,剣 道,弓道の事例を用いてみていきたい. 1-3-1. 柔道の歴史 柔道は明治時代,嘉納治五郎により創立された.嘉納は旧東京帝国大学在学中,固技に優れる 天神真楊流と,投技に優れる起倒流の柔術を学んだ.そして明治 15 年,既存の柔術に改良と創 意工夫を加え, 「体育」 「勝負」 「修心」を目的として講道館を創設した.これが現在の柔道の大 本となっている. 創始者の嘉納の働きもあり,柔道は他の武道と比べて比較的早い段階で世界へ広まっていっ た.1941 年には小学校 5 年生以上の必修教材となり,43 年にイギリスに欧州柔道連盟が設立さ れた.終戦後,GHQの指導の下,学校柔道が廃止されたが,1950 年,柔道が「競技スポーツ」 として行うことを制約して復活.58~60 年に中学校や高校で剣道・柔道・相撲を合わせて「格 技」として学校体育に復活した.結果柔道は世界規模で普及し,階級制のような競技システムの 形式化・画一化が進展していったのである(全日本柔道連盟 2007). - 96 - 1-3-2. 剣道の歴史 次に,剣道の歴史を見てみよう.近代剣道が始まったのは江戸時代とされている.江戸幕府の 下,武士の時代が終わりつつある中,直心影流の山田左衛門,長沼四郎左衛門国郷らにより,防 具と竹刀を用いて行う剣道のスタイルが確立した(三橋 1972).その後戦時教育体制が形作ら れ,剣道も正課として国民学校において行われ,戦技的性格が強調されていったが,敗戦後 GHQ により,学校の武道教育は「軍事技術」とみなされて廃止されたが,一般社会人の剣道は禁止さ れるには至らず,武道としてではなく,あくまで竹刀を扱う競技(しない競技)の一環として残 ることになった.昭和 26 年に講和条約が成立し,27 年文部省により学校の正課体育として組み 込まれることとなった.しかし,文部省の剣道取扱いの方針が,「全日本剣道連盟がスポーツ団 体として民主的に運用され」,武道としてではなく「スポーツの一種目としての性格を明らかに してすること」を要求したため,全日本剣道連盟はルールや審判法などをスポーツ的見地から改 正し,「剣道はスポーツとしていく」方針を決定した(全日本剣道連盟 2007). 1-3-3. 弓道の歴史 最後に,弓道の歴史を振り返ってみよう.弓矢の発生は遠く原始の時代までさかのぼるが,日 本の弓矢は独特で,縄文・弥生時代から,約 2 メートルの長弓が使われてきた.その芸術性か ら,時代を経るにつれて,戦いの場だけでなく,祭事や朝廷行事にも使われるようになった.そ の後,室町時代,戦国時代を経て,戦の主要武器は鉄砲に取って代わり,弓術は武士の精神鍛錬 の手段として残ることとなった.それにつれて,小笠原流,日置流という現代弓道の大本となる 流派も誕生するに至った. 徳川幕府が終わり,明治・大正期になるにつれて,弓の大衆化・娯楽化が進み,それに伴い弓 道は衰退の一途をたどった.一時期は現代でいうところの的当てゲーム程度にまで堕ち込んだ が,阿波研造により,テクニックとしての弓術を否定し,道(精神修養)としての弓道が確立し た. 戦後,日本弓道連盟が成立,のち全日本弓道連盟に改称し,新時代に適応するスポーツとして, 諸派の教えの統合,形式化が進展した.学校弓道も,武道から個人種目として解禁されることと なった(全日本弓道連盟 2007). 1-3-4. 武道の歴史的変容と人々の認識との齟齬 柔道・剣道・弓道の発生から現代までを振り返ってきたが,その歴史には, ①武士の時代の衰退による,精神修練の道としての武道の確立 ②軍国主義への武道の利用 ③前時代かつ封建主義的な側面からの脱却,武道の特色と競技性を兼ね備えた,スポーツとして の武道の発展 という共通した流れがあるのがわかる.この流れを考慮すると,現代武道は人々にスポーツとし て認識されてしかるべきなのである.しかし,現代の日本において,武道をスポーツとしてとら - 97 - えている人は多くないのではないだろうか.スポーツへの転化はあくまで形式的なものであり, 競技化は進んだものの,その元となっているものは,長い時間の中で武士が確立した技能・精神 修練の手段であり,自らが生き残るための技法や相手に対する礼儀,古来の教えなどの要素を含 んだ日本独特の理念である.そのような要素が根幹にある限り,日本人にとって,武道がどれだ けスポーツ化されたとしても,それが武道であることには変わりなく,武道の変化と人々の認識 に齟齬が生まれるのは逃れられないことである.そのような状況で,武道のアイデンティティを 再認識した人が,試合における礼儀の損失やルールの画一化に疑問を感じ,武道のスポーツ化に 対して問題提起するのではないだろうか. また,日本人はスポーツを武道的にとらえる気質がある.海外からスポーツが流入してきたと き,日本人はそれを,日本固有の身体運動文化,つまり求道的な身体運動文化を用いて取り込も うとしてきたのである.この身体運動文化は日本人的感覚によるところが多く,身近すぎて説明 困難なほどに無意識的なものとして,日本人に浸透している(吉田 2002).このような過程にお いて日本でのスポーツ運動は,一旦「武道」となったといえるだろう.国際的な情報社会化が進 み,多くのスポーツに対する認識は,求道的な修練主義からスポーツそのものを楽しむものに改 められた.しかし武道に関しては,競技面の強調等によってスポーツ的要素を充分内包している にもかかわらず,ある種前時代的な身体,または精神修養主義の側面ばかりが認識されたまま, 今日まで続いているのではないかと筆者は考える.こうした武道的身体運動主義は,武道だけで なく戦後の日本におけるスポーツの強化・活性化に大きく貢献してきた.だが,武道の競技化が 進展する現代社会において,人々が武道のスポーツ的要素を正しく認識することは,これからの 武道の発展に不可欠なことである. 2 学生武道とは何か ―武道・スポーツの違いから考える― 前章では,阿部の見解と武道の歴史的推移から,武道・スポーツをめぐる議論の正体と背景を 明らかにした.ちなみに,筆者自身はスポーツ武道に反対の立場ではない.スポーツと武道の両 方の要素を有している学生武道には,様々な可能性があると考えている.それでは,筆者の考え る学生武道とはどのようなものなのだろうか.スポーツ・武道の本質を明らかにしていきながら 考察していきたいと思う. 2-1. 現代学生武道の実態 本論文における学生武道とは,小・中学校や高等学校,大学の学生が部活動で行う武道のこと を指す.その特徴として,競技人口の多さが挙げられる.たとえば弓道では,競技人口 126,836 人に対し,中学生が 11,362 人,高校生が 61,721 人,大学生が 9,700 人であり,競技人口の 65% を占めることになるii.柔道においても同様で,競技人口 203,038 人に対し,中学生 48,630 人, 高校生 37,326 人,大学生 14,286 人であり,全体の 49%を占めている(全日本柔道連盟 2007). 学校の部活動が武道入門としての役割を果たしているとともに,武道という競技を支える基盤 ii http://ecoecoman.com/kyudo/faq/01_006_kyudo_jinko_2003.html より抜粋 - 98 - となっていることが分かる. また学生武道では,各武道を統括する連盟以外にも独自の連盟に加入することが多い.例えば 弓道では,全競技者を対象とする全日本弓道連盟のほかに,高等学校における高校体育連盟,大 学における全日本学生弓道連盟並びに各地方の学生弓道連盟に所属し,大会などの独自の活動 を行うことになる.基本的に全日本弓道連盟は昇段審査や講習会,全国選抜大会等を運営し,高 校体育連盟や学生弓道連盟などは各種大会や学校同士の交流を運営している.両者の役割は比 較的独立しており,学校生徒や大学生の武道の幅広い側面を経験することに繋がっているので はないかと筆者は考えている. 以上の理由により,学生武道は武道でありながらも競技的側面が強い.ここが,学生武道をス ポーツ武道の場として考えるポイントとなるのだ.それでは,学生武道の武道らしさ,スポーツ らしさとは一体どのようなものなのだろうか.次節以降でスポーツと武道の実体を明らかにし たうえで考察していきたい. 2-2. スポーツと武道では何が違うのか 1章における阿部の指摘のように,今日の武道と近代スポーツには様々な共通点が見られる. 武道が近代競技として復活する過程で,様々な民族色・文化色をそぎ落とした結果,武道がスポ ーツのような要素を生み出したことが考えられるが,はたして武道とスポーツはまったく同一 のものとして扱われるべきなのだろうか.競技色の増した近代武道だが,その本質と目的はスポ ーツとは異質のものであると筆者は考える.武道とスポーツを比較しながら考察していこう. スポーツの本質はいったい何なのだろうか.筆者は,スポーツの定義を考察していくことでそ れは明らかになると考えている.学者によってスポーツの定義は異なるが,多くは「遊び」とい う概念を前提としているものが多い(小崎 2010).この遊びについて,グットマンは「非実用的 でそれ自身のために追及される肉体的・精神的な遊び」と定義し,その「遊び」を分類化するこ とによって,スポーツとはどのようなものなのかを説明している.まず「遊び」とは,「自然発 生的な遊び」と「組織化された遊び」に分けられ,後者を「ゲーム」と呼ぶ.次に「ゲーム」を 「競争するゲーム」と「競争しないゲーム」に分け,前者を「競技(コンテスト)」と呼ぶ.「競 技」は「主に頭を使う競技」と「主に身体を使う競技」に分かれ,後者に当てはまるものを「スポ ーツ」とした(玉木 1999).つまりスポーツとは, 「自由な領域での遊びを前提とした,主に身 体を使った組織的な競技」ということになるだろう.筆者なりに解釈するとしたら,人々の遊戯 から始まった様々な競技が,その普及とともに体系化と組織化が進み,勝敗面等の競技性にも重 点が置かれるようになったもの,それがスポーツといえるのではないだろうか.以上のように, グットマンの「遊び」の分類からは,近代スポーツにはどのような本質があるのかが浮かび上が ってくるのである. それでは,近代スポーツにグットマンの分類が適応されるとしたら,スポーツの目的とは一体 何なのだろうか.スポーツにおけるプレイヤーの目標についても考察していきたい.筆者の意見 として,スポーツの目的は「試合(game)」に勝つことが挙げられる.純粋な娯楽としてのスポ - 99 - ーツを除けば,多くのスポーツは勝負に勝つことを前提としている.これは単なる勝利至上主義 の精神が生み出した側面ではない.勝利を目指す中から,トレーニングやゲームでの新しい発見 や工夫が生まれ,驚きや喜び等の感情も生じる.そういった意味で,勝利を目的にすることは当 然のことであり,意義のあることといえるだろう(玉木 1999). 次に武道に焦点を当ててみよう.武道の本質と目的は,スポーツのそれとは大きく異なってい るといえる. まず指摘しておきたい点が,武道という種目の生まれた経緯にある.1 章でもふれたことだが, 武道の大本となったものは武士の技術,つまり殺し合いの技術である.南郷(1977)は,その殺 し合いの技術に由来する武道の本質を, 「生命賭け」の勝負と定義した.この「生命賭け」の勝 負に基づく武道観について,南郷は次のように述べている. このような類の「生命賭け」の勝負を「刀」 「棒」 「弓矢」 「投技」 「突技」 「関節技」 「締技」等 の武技を用いて行うのが, 「実体」としての武道であり,それらの武技を己がものとして作り, かつ使用に耐えうるように仕上げていく修行が,「過程」としてとらえた武道なのである(南郷 1977). 弓道や剣道,柔道など, 「武道」のカテゴリーに属する種目は多く存在するが,それらは皆武 士が命のやり取りをし,その中で生き残るために生み出された技術である.やがてそれらは人々 が自らの心身を修練するための「武術」となり,それ自身が伝統を持ちながらも統合・体系化し た「武道」に発展していったのである. それでは,本来武道の目的とは何なのだろうか.武士の時代においては「殺し合い」が目的と なる.それは現代の武道・スポーツでの「試合」に相当するものである.たしかに,命のやり取 りが日常であった時代は,そのような勝負が目的であることは問題ではない.だが,時代の大き な変容とともに,その目的も変化してきているのではないか.ここで,武道の目的について次の 条文を見てみよう. 武道憲章(昭和 62 年制定) 第 1 条:武道は,武技による心身の鍛練を通じて人格を磨き,識見を高め,有為の人物を育成す ることを目的とする. 武道の目的は,活動する中での心身の鍛練や人間形成にあるということが分かる.武道の成立 過程はスポーツと異なり,戦技として生まれた武術が,歴史的経過からその意味合いが薄れ,人 間形成を目的とした心身修練法として変化し,現在にいたっているのである(太田・千住・吉田 1994).スポーツでは試合自身が目標となるが,武道において試合は修練の達成度を測る指標の ような役割がある.つまり,武道で重要なのは試合よりもむしろ練習にあり,スポーツの目的が 結果重視的であるのに対し,武道の目的は過程重視的であるといえる.過程重視的なものの例え - 100 - として,武道における「型」がある.「型」は長い武道の歴史の中で作られてきた規範であり, プレイヤーはまずこの「型」を模倣することから始まり,その繰り返しを経て,模倣を超えた自 由で個性的な,創造的な動作に繋がるのである(古市・横山 1996). 2-3. 学生武道の現状 前節での武道らしさ,スポーツらしさを,大学弓道を参考にして当てはめてみよう.平成 25 年度の高崎経済大学弓道部における,連盟主催の主な大会を抜粋した. ・春季トーナメント北関東予選 ・春季トーナメント決勝大会 ・全関東学生弓道選手権大会 ・全日本学生弓道選手権大会 ・秋季リーグ北関東ブロック大会 このほかに他大学との練習試合など,実戦を経験する機会が数多く設けられている.ちなみに 勝敗は完全的中制で,本来武道で重要とされる「型」の美しさのような,過程的な要因は考慮さ れない.試合のみを考慮すると,現代の弓道は非常にスポーツ的だといえるだろう.だが,武道 的要素が無いわけではなく,弓道を始めるにあたって「型」の習得は最優先せねばならないこと である.そして「型」の熟練度を確かめる機会として,昇段審査が年 4 回ある.当大学弓道部で は,審査受験者の費用を一部負担するなど,段位の獲得を目指す部員のサポートも行っている. このように,学生武道では, 「結果」と「過程」という異なる 2 つの目標を成し遂げる環境が あるといえる.どちらを目標にするかは学生個人の判断にゆだねられるのだが,実際に武道を行 っている学生はどちらを優先しているのだろうか.次章で明らかにしていきたい. 3 学生武道の実態の考察 ―アンケートを通して― この章では,武道を行う学生が実際にはどのような意識を持って部活動を行っているのかを,ア ンケートを用いて考察した.群馬県の高校・大学を中心に,部活動の中でも「武道系iii」と呼ば れる部活動の所属部員100人を対象に書類でのアンケート調査を行った.武道の経験年数が 浅い学生は,武道に対してどのような考えを持っているのかを明らかにしていきたい. 3-1. アンケートの内容と結果 今回のアンケートは学生に対し,武道に対する印象と,武道を行う上での考えを中心に調査し た.主な質問内容は以下のとおりである. iii 今回は,弓道部・剣道部・柔道部・空手道部に所属する学生にアンケート調査をお願い した. - 101 - 1.○○iv道を,武道ととらえているか,スポーツととらえているか. 2.1の理由 3.1において自分と反対の意見をどう思うか. 4.○○道における目標は何か. 5.○○道において最も大切なものは何か. 6.昇段審査を積極的に受験するか. 7.6の理由 1から3の質問で,学生が武道をどのようにとらえているのかを調査し,4と5の質問では, 武道を行う上で学生自身がどのような姿勢で臨んでいるのかを調査した.6と7の質問に関し ては,武道特有の制度である段位を,学生がどのようにとらえているかを探るために設けた.質 問は1と6を除いて,自分の考えを記述してもらう形式にした.それでは順番に結果を見てみよ う.まず,「○○道を,武道ととらえているか,スポーツでとらえているか」という質問に対し て,次のような結果になった. 1.○○道を,武道ととらえているか,スポーツととらえているか. 今回の調査では,多くの学生が 「武道」だと回答した.その理由は スポー ツ 17% 以下の2のとおりである. 武道 83% 2.武道である理由 以下のグラフのように,回答から,武道である理由の大きな特徴として,学生は「礼儀作法」 が重要だと考えていることが分かる.このほかにも伝統やイメージなど,武道がほかのスポーツ とは違った要素を持っていると考えている学生が多くいた.次に,スポーツについてみてみよう. iv ○○には,対象者の行う武道の種目が入る. - 102 - 礼儀を重視するから イメージ 精神面が重要だから 伝統があるから 型を重視するから 0 10 20 30 40 50 3.スポーツである理由 結果重視だから 競技性があるから ほかのスポーツと似て いる イメージ 0 10 20 一番多かった回答が, 「結果重視だから」というものだった.次いで, 「スポーツのような競技 性がある」という意見も目立った.現代武道をスポーツだととらえている人の多くは,武道の競 技的変容によるスポーツ化に着目しているということが推測される. それでは,学生は「自分と反対の意見をどう思うか」という質問に対し,どのように答えたの だろうか.武道派・スポーツ派ともに多かった意見は「考え方は人それぞれなので仕方ないと思 う」というものだった.学生自身も,現代武道の多様性を認識し,かつ容認していることがうか がわれる.だが,武道派の中から否定的な意見もあったので,一部抜粋したい. - 103 - ・よく勉強すれば,武道であることに気づくはず(弓道) ・根本としてはやはり武道なのではないだろうか(柔道) ・今一度,柔道の意味・意義を確認すべきだ(柔道) 全体的にみれば少数の意見ではあったが,武道をスポーツとしてとらえることに危機感を持 つ学生が存在することが分かった.個人的な見解だが,剣道や弓道といった競技よりも,柔道の ような国際的に成功しているといえるような競技の部員が,人一倍柔道のあり方に意見を出し ていた.世界的に広まった競技であるからこそ,武道としての柔道を行いたいという気持ちが感 じられた. 次に, 「武道における目標は何か」という質問の答えを見ていこう. 4.武道を行う上での目標は何か 大会・試合での勝利 技術面の向上 技術面の向上と結果 段位の獲得 大会勝利と昇段 メンタル面の向上 型とメンタル面の向上 0 10 20 30 40 50 この質問に対する回答の大きな特徴として,「大会・試合での勝利」と答えた学生が著しく多 い事が挙げられる.実に半数近くの学生が,試合での勝利を目標に挙げる結果となった.学生武 道において試合がいかに重要な要素になっているかが推測できる.もうひとつの特徴として,二 つの目標をあげる学生が多かったことである.第2章でも述べたことだが,スポーツ的な目標と 武道的な目標,この二つの目標を選択できるのが学生武道の大きな特徴である.この回答は,学 生武道独自のものといえるだろう. 次に, 「武道において最も大切なものは何か」という質問の回答を見ていこう. - 104 - 5.武道において最も大切なものは何か 精神面 礼儀作法 技術面 結果 努力 0 10 20 30 40 最多となる意見が, 「精神・メンタル面」 ,次いで「礼儀作法」という回答が挙がった.のよう な,ある意味武道的な要素を重要視する声は大きかった. 最後に,「昇段審査を積極的に受験するか」という質問を見ていこう.結果は以下のようにな った. 6.昇段審査を積極的に受験するか 受験し ない 29% 受験す る 71% - 105 - 多くの学生が受験の意欲を見せた.受験する理由は様々だったが,主な理由としては ・今の実力を知るため ・モチベーションの向上 ・資格として今後役立てたい といった意見が挙げられた.一方,受験しないと回答した学生の理由としては, ・今の段位に満足している ・段位の必要性を感じない といった意見が多くみられた.段位は武道特有のものにもかかわらず,それ自体に興味がないと いうのも,今の学生武道の現状を表しているのかもしれないと感じた. 3-2. アンケート結果から考えられること 今回の調査において,「武道」ととらえている学生がかなりの人数存在することが分かった. しかし,これら全員が,真の意味で武道だと考えているわけではないのではないだろうか.武道 である理由として,礼儀作法について言及する学生が多かったが,それと同時に,武道の目標の 項目で「大会・試合での勝利」を目標にしている学生も多くいた.この結果には多少の矛盾が伴 っていると筆者は考えている.繰り返しになるが,本来の武道の理念からすれば,修練の具合を 測る手段である「段位の獲得」を目標にする意見が著しく少ないといえる.この理由として,武 道における表面的なイメージが先行しすぎていて,実体としての武道の現状(スポーツとしての 武道)を把握している学生が少ないのではないかと筆者は考えている.本来方や一つ一つの動作 などの武道的な要素は,武道において重要なものとして存在してきた.種目によって差はあるも のの,現代の学生武道の試合においてこのような武道的な要素は勝敗にかかわることがほぼな くなってしまった.このような現状があるからこそ,今回のような調査結果の矛盾が生じてしま うのではないだろうか.学生武道の目標については,次章にて詳しく考察していきたい. 4 学生武道の目指すべきもの ―スポーツ武道における目標を考える― 部活動において,目標を掲げて活動することは非常に大切であるということはいうまでもな い.これは学生武道に限らず,どのような競技を行う場合でもいえることで,プレイヤー一人ひ とりが自分自身の目標を設定することが必要である.学生武道も例外ではない.第三章の,学生 に対するアンケートの質問「武道における目標とは」に対する回答を見てみると,学生ごとに多 様な目標を掲げていることがわかる.しかしそれら多くの目標は「大会・試合での勝利」と「段 位の獲得」という二つの内容に分類することが可能だ.確かに学生武道では,大会などで上位の 成績を上げること,昇段審査に合格して,より高い段位を獲得すること,この内容の異なる二つ - 106 - の目標を目指すことが可能な環境がある.だがアンケートの結果では, 「大会・試合での勝利」を 目標とした学生が半数近くになったことに比べ,「段位の獲得」と回答した学生はわずかであっ た.このような偏りが生じるのはなぜなのだろうか.この章では,学生武道において生じる目標 と,それを掲げる学生の内面的側面について考察していきたい. 4-1. 勝負論と上達論 まず,多くの学生が回答した「大会・試合での勝利」と「段位の獲得」という目標が,学生武 道の中でどのような意味を持つのかを考察していきたい.それぞれの目標の性質から考えてみ よう.実際の試合において,「大会・試合での勝利」という目標を掲げる学生が,競技性を重視 して勝敗自体に着目する傾向がある一方, 「段位の獲得」 ,つまり「技の習熟」を目標とする学生 は,試合の内容(動作や型,礼儀作法など)に着目する傾向にある.このような観点から,前者 の目標はスポーツ的であり,後者の目標は武道的であるといえるだろう.では,スポーツ武道と しての学生武道において,これらはどのように適用されるべきなのだろうか.南郷(1977)の提 唱する「勝負論」と「上達論」を用いて考察していきたい. 南郷は,武道の本質を「生命を賭けた勝負」と定義している.命のやり取りの機会がほぼ存在 しない現代においては,この言葉は比喩的表現へと変貌している.つまり,勝負において負けな いために,技術を極限のレベルにまで磨きあげなければならないということである.そして最高 の技術を会得した達人同士による試合のことを,南郷は「勝負論の見地からの試合」だと指摘し た.つまり南郷は,純粋な“勝った負けた”の試合は最高レベルの技術を持つ武道家同士でこそ, その真価が表れると主張している.一方,技術が発展途上にある武道家の試合は,「上達論の見 地からの試合」によって行われるべきだと指摘している. 「勝負論の試合」が技術力のある武道 家同士の戦い,つまり純粋に「どちらが一番強いのか」を決めるものだとするならば,「上達論 の試合」は,技術をどれほど上達させたか,どのような上達の過程を踏んでいるのかといった総 合的な判定による試合のことである.なぜ,試合に上達のレベルを加味しないといけないのか. それは「武道」としての強さと,「喧嘩」としての強さはのものとして扱われなくてはならない からだ.武道における「技」とは一般の身体能力とは別の技術として習得されるものであり,そ れらの技が高度な領域にある武道家による勝負ならば純粋な武道の優劣が付けられるが,技術 が発展途上にある者同士の勝負では,武道としての「技」の習熟度と人間の身体能力の優劣が混 在する中での勝負となってしまう.ゆえに技術が発展途上な武道家同士の勝ち負けは,技術の上 達具合や達成度を加味することによって公正な判定が出るのではないだろうか(南郷 1977). 剣道における「気剣体の一致」による判定や,弓道の昇段審査に見られるような動作の総合的な 採点も「上達論」によるものだと筆者は考えている.本来の武道の理念である「心身の修練」を 考えれば,武道の場における勝ち負けに「上達論」が加味されることは妥当なことであり,比較 的武道経験が浅い人間が多く在籍する学生武道では,総合的な達成度という指標は理にかなっ ているのではないだろうか. ここで断わっておきたいことは,筆者が武道における“勝った負けた”といった競技的側面を - 107 - 批判したいというわけではないということだ. 「上達論」による技術の総合的判定だけでなく, , 「勝負論」によるところの学生による武道の競技的,スポーツ的側面の享受もまた重要な要素で あるということを強調したい.ここで, 「勝負論」と「上達論」をそれぞれ二つの目標に当ては めてみよう.学生武道の現状を考慮すると,以下のようになる. 勝負論: (結果論・スポーツ論による)大会・試合での勝利 上達論: (過程論・武道論による)昇段審査での段位の獲得,技能賞の獲得 種目によって多少の違いは存在するが,動作の全体的な技量が判断基準になる審査と違い,多 くの大会は「勝ったか,負けたか」の二者択一である.それゆえに,学生が武道のスポーツ的な ところを優先するか,武道的なところを優先するかで,目指すものが大きく変わってしまうのが 現状である. 4-2. 二つの目標の裏に存在するもの ―防衛機制の適応― 前節にて説明した,スポーツ的な側面を持つ目標と武道的な側面を持つ武道論だが,学生武道 においてはどちらの目標をも目指せる環境があり,またどちらの目標を選択するのかは学生次 第である.では,学生たちは実際にはどのような心境で目標を定めているのだろうか.筆者が長 年経験してきた弓道の事例を参考に,話を続けていきたい. 筆者が学生として弓道部で活動しているとき,周りの学生と目標の話題になった所,ほかの学 生が挙げる意見をまとめてみると次のように分けることができた. ①「弓道は武道とはいえ,的中を争う競技なのだから,自分はより多く的中させることが大切だ と思っているし,それを目標としていきたい」 ②「いくら的中率が高くても,弓道が武道であることに変わりがないのだから,自分は射形や動 作・礼儀など,武道としての弓道を目標としていきたい」 まず,①のような意見の学生の特徴として,どうしたらより多くの的中が出るのかを考え,試合 などでの的中を重視し,大会,試合においては積極的ではあるものの,昇段審査を受験しない学 生も多いといった点が挙げられる.一方,②のような学生は,練習などでも礼儀や動作の成熟さ に重きを置き,試合などでは結果よりむしろ自分の試合内容などに着目するという点が挙げら れる.的あての要素が強い弓道という種目の性質上,ほかの武道よりも上記の考えに分かれるこ とが多いようである.本論文では,①のような意見を持つ学生をスポーツ論者,②のような意見 を持つ学生を武道論者と定義したい.意見の内容はともかく,スポーツ武道の場で学生が各々目 標を設定して活動しているのは大切なことなのは疑いようがない.ただ,筆者はここで一つの疑 問を投げかけたい. 「彼らは本当に純粋な気持ちで目標を定めているのか」ということだ.上記 のようなスポーツ論者や武道論者の目標の裏にあるものを考えていきたい. - 108 - A・フロイト(1936)の提唱する概念の中に,防衛機制というものがある.これは,感情・考 え・記憶といったものを無意識あるいは意識的な心理操作によって,無意識下に押しやったり, 歪めたり,変更したりして,欲求不満な状態を緩和したり,回避させたりして,自らが傷つくの を防衛している自我の機能のことである(山本 2001).この防衛機制自体は日常生活において も発生しうるものなのだが,今回の事例に限って考えれば,その防衛機制の中でも, 「合理化」 という概念が機能しているのではないかと筆者は考える. 「合理化(rationalization)」とは,自 分の行為の本当の動機を隠して,もっともらしい意味づけを行うことによって,自らを正当化し たり,罪悪感から逃れるための仕組みのことvで,俗にいうところの「高いところにあるブドウ は酸っぱい」という論理に代表されるような考えのことである.上記したような学生の意見に対 して,この「合理化」という考えを踏まえたうえで考察してみると, ①「(自分自身は武道的な要素ができているとは言えないけれども,)的中を争う競技なのだから, 自分はより多く的中させることが大切だと思っているし,それを目標としていきたい」 ②「(自分の的中率はあまりよくはないけれども, )いくら的中率が高くても,弓道が武道である ことに変わりがないのだから,自分は射形や動作・礼儀など,武道としての弓道を目標としてい きたい」 といったような,片方の目標を声高に叫び対となる目標を低く捉えることで,アイデンティティ の確立につながっているのではないだろうか.自らが,両方の目標を達成する自信がないからこ そ,スポーツ的目標あるいは武道的目標を重視し,もう片方には目をつぶったままでいるという 現象が,学生弓道をはじめとする武道界に蔓延していることが考えられる. 4-3. スポーツ論者・武道論者は対等な関係にあるか ここで一つの疑問が浮かび上がる.学生武道において,スポーツ論者と武道論者,両者は果た して対等な関係なのだろうか.筆者は,そこには何らかのヒエラルキーが働いているように感じ ているのである.部活動のようなコミュニティの中ではスポーツ論者に対して,主に二つの点で 優位性が存在する.一つ目は数の優位性だ.学生に対するアンケートでは,「大会・試合での勝 利」という回答が非常に多く集まった.スポーツ武道の場において,このようなスポーツ論的目 標に収束することが多いといえる.二つ目は地位の優位性だ.たとえば,スポーツ論者の意見と 武道論者の意見が衝突するような場合,前者の意見が優先されたり,部内の役割でも,スポーツ 論者が優先されるような配役になったりなど,コミュニティ内にスポーツ論者に対する優位性 という,暗黙の了解のようなものが存在するように筆者は感じている. このような現状になった要因を考察してみよう.はじめに挙げられるのが,それぞれの目標達 成の場の違いである.繰り返しになるが,スポーツ論者の目標とは大会・試合での勝利であり, 武道論者の目標とは昇段審査である.一見どちらも公平に目標達成の環境が整えられているよ v http://www.sendai-shinri.com/blog/2010/10/post-148.html より抜粋 - 109 - うに見えるが,実際は的中重視派が優遇されているという現状がある.学生弓道の一年間におけ る大会・試合数と昇段審査の数を比較してみると,前者の機会の方が多いという現状がある.つ まり大会や試合でいい成績を残すほうが,弓道社会的に認められる機会が多いのである.また, 昇段審査などはそもそも個人の競技であるのに対し,多くの大会・試合は団体戦としての側面を 持つ.学生弓道として,部全体に求められるのは団体戦での勝利,つまり的中の多さであり,個 人的な目標は二の次のような扱いになってしまうことが非常に多い.これらのことから,スポー ツ論者が結果を残せば多くの評価が生まれるが,武道論者が自分の場で結果を残したとしても, 周囲の評価は限定的になるという図式が成り立つ.ゆえに武道論者は淘汰され,スポーツ論者は さらに勢いを増していくというのが学生弓道の現状である.筆者は,このような状況は弓道に限 ったことではないと考えている.どれだけ型の美しさ,礼儀の大切さを訴えていても,勝負に勝 つ者がより認められるような, 「喧嘩武道」がのさばってしまう現状を否定することはできない. スポーツ論者と武道論者の相互理解が増し,総合的な武道の魅力が学生の皆に広まることを,筆 者は願ってやまない. おわりに 本稿では,「武道のスポーツ化」と「学生武道の実態」の2つを柱として,議論を展開してき た.その中で読者に留意していただきたいことは,筆者は決して,スポーツとして行う武道,勝 利を目的とした武道,または型や動作の上達を目的とした武道,これらいずれ も否定的な考えを持っているわけではないということだ.武士の時代はすでに数百年前のこと であり,武道がスポーツとしての楽しさ,勝利に対する執念といった新しい要素を内包すること は当然のことである.ましてや学生武道の主役は言うまでもなく学生自身であり,勝利をむやみ に否定することは行うべきではないとも考えている.だが,武道が武道である要素は,勝負の中 での動作や相手への尊敬の念を込めた礼儀作法に代表されるような,多くの学生が目標に挙げ ることのなかった過程的な要素なのである.そのような側面を重要視することは,決して勝負の 邪魔にはならないと筆者は信じている. 今や武道においても国際化の一途をたどっている.柔道においては何年も前から日本は常勝 国ではなくなり,弓道においては世界各地に弓道連盟ができ,世界大会も開催された.こうした 武道の国際化には,武道がスポーツとして楽しまれているだけでなく,武道独特の過程的な美し さ,動作を完璧に行うことのむずかしさが世界中の人々に受け入れられているという背景があ るのではないだろうか.学生武道は武道の入門の場という側面のみならず,武道という日本文化 を後世へ伝える後継者育成の場としての側面も持ち合わせている.将来世界中の学生たちが,単 なる小手先の勝負を超えた,完成された武道を用いての交流が交わされることを筆者は願って いる. 最後になるが,本論文を執筆するにあたり,弓道の事例が大多数を占めてしまったことをお詫 びしたい.学生武道という大きなくくりの中で,各種目に対しなるべく公正な執筆に努めたが, 本論文の議題とするところの多くの起因が筆者の経験に基づくものであったため,必然的に弓 - 110 - 道が中心の展開になってしまったことをご理解いただきたく思う. 謝辞 この論文を執筆するにあたり,アンケート調査において多くの高校・大学の学生並びに顧問の 先生方にご協力いただきました.この場にて御礼申し上げます. 文献 阿部忍,1990,『体育・スポーツ哲学論・武道論』不味堂出版 太田順康・千住真智子・吉田雅行,1994, 「武道・舞踊・スポーツの技術習得に関する研究(1): 特に武道と舞踊の稽古における技術習得過程を中心に」『大阪教育大学紀要 第 IV 部 門』42(2):305-315 小 崎 竜 也 ,「 現 代 ス ポ ー ツ の ビ ジ ネ ス 化 」( 2013 年 11 月 4 日 取 得 , http://www.kyotogakuen.ac.jp/~o_human/pdf/association/p2010_02.pdf) デビール田中,2007, 「平成 15 年度 地連別登録人口」デビール田中の弓道のすすめ(2013 年 12 月 22 日取得, http://ecoecoman.com/kyudo/faq/01_006_kyudo_jinko_2003.html) 玉木正之,1999,『スポーツとは何か』講談社 南郷継正,1977,『武道とは何か』三一書房 日本武道館編,2007,『日本の武道』日本武道館 古市久子・横山勝彦,1996, 「身体学習における『模倣』の構造」 『大阪教育大学紀要 第 IV 部 門』45(1):59-72 山本都久,2002,「自我防衛機制と性格特徴の関係」 『富山大学教育学部紀要』56:137-143 吉田雅行,2002,「武道・舞踊・スポーツにおける技術習得に関する研究(V)―スポーツの技 術のとらえ方について―」 『大阪教育大学紀要 2013, 「仙台カウンセリング 第 IV 部門』51(1):229-246 仙台心理カウンセリング」2010 年 10 月 11 日(2013 年 12 月 22 日取得,http://www.sendai-shinri.com/blog/2010/10/post-148.html) - 111 - リメンバー3・11 ―日本におけるダークツーリズムの可能性を探る― 阿部 裕美 はじめに 国連教育科学文化機関は 6 月 26 日,富士山を世界文化遺産に登録した.富士山は 古来より,日本のシンボルとして日本人の山岳信仰や葛飾北斎の浮世絵の題材にもな り,文化的な意義が評価された.世界遺産は,公式上では自然遺産,文化遺産,複合 遺産の 3 つに分類される.しかし,世界遺産には非公式に使われている分類がある. それは,負の世界遺産である.代表的な物として,原爆ドーム,アウシュビッツ=ビル ケナウ強制収容所が挙げられる.しかし,世界遺産に登録されていない,負の歴史を 抱えた物件も多くある. 本稿では,そのような負の歴史を抱える物件に焦点を当て,日本におけるダークツ ーリズムの可能性について論じていきたい. 1 ダークツーリズム 1-1.負の遺産 負の世界遺産という言葉がある.これは,世界遺産の中でも人類が犯した悲惨な出来 事や,自然災害による惨事を後世に伝え,そうした悲劇を二度と起こさないための戒 めとなる物件のことを指す.しかし,こうした負の歴史を抱えながらも遺産として登 録されず,ほぼ野放し状態になっている物件もある.群馬県高崎市にある岩鼻火薬製 造所がそれにあたる. 岩鼻火薬製造所は 1945 年まで軍用火薬,民間用の産業火薬の生産,供給を行っていた日 本の火薬製造所である.火薬を製造するにあたり,明治期に 10 回,大正期 13 回,昭和期 8 回の大爆発事故が発生していた.この事故により陸軍の火薬製造所の中では最悪記録の合 計 47 名の犠牲者が出ており,それだけでなく,火薬製造で戦争にも協力していた.この歴 史を後世に伝えるために,当時の関係者たちがダイナマイト碑を建てたものの,岩鼻火薬製 造所の歴史を知る人も今では年配の近隣住民だけで,風化しかけているのが現状である. このように,負の世界遺産として登録はされていないが,戦争,自然災害などといった負 の歴史を抱えた物件のことをすべて含めて本稿では負の遺産と呼ぶこととする. 1-2.伝えるという事 先ほど,筆者にとって身近な負の遺産である岩鼻火薬製造所を紹介したが,筆者は負の 遺産を風化させないために,後世に伝える事が大切であると考える.では,後世へ伝えるた - 112 - めにはどうすべきか. まず,負の歴史を持った遺産を遺す事である.負の歴史を抱えた物件は, 「暗い過去を思 い出すから」という地元住民の意見から取り壊されてしまうこともしばしばある.しかし, 取り壊してしまうのではなく,チェルノブイリや広島の原爆ドームのように博物館や記念 公園という形でしっかりと遺し,整備することにより,その場所でどのような事が起こった のかという事を思い出す事ができる. そして,もうひとつは博物館等のような形で遺した遺産へ実際に訪れる,つまり,観光す ることが大切であると考える.このように考えるようになったきっかけは筆者が実際に高 校時代,修学旅行で沖縄に訪れた経験からだ.中学,高校時代の歴史の教科書には必ず沖縄 戦が記載されている.だが,沖縄戦に関する情報は写真と文字で記載されていたものの,あ まりピンとこなかったのが実情であった.しかし,修学旅行で実際に沖縄戦の戦跡やひめゆ りの塔に訪れ,実際にひめゆりの隊員として活動されていた女性の話を聞いた事により,沖 縄戦に対する印象は 180 度変わったのである. この経験から,筆者は「百聞は一見に如かず」という言葉のとおり,文字や写真だけでは なく実際にその地に観光と言う形で訪れる事により,強い印象を与える事ができるのでは ないかと考える. 負の遺産を後世に伝えるための手段として筆者はダークツーリズムという言葉に着目し た.次章から,このキーワードをもとに論じていきたい. 2 ダークツーリズム 2-1.ダークツーリズムとは 直訳すると「暗い観光」となるダークツーリズムは,広島の原爆ドームやアウシュビッ ツ収容所のような,歴史上の悲劇の地に訪れる旅のスタイルをさす.1990 年代にグラス ゴーカレドニアン大学のジョン=レノン教授とマルコム=フォーリー教授によって提唱さ れ,現在,観光学の最先端で注目を浴びつつある概念であり,戦争や災害と言った人類の 負の足跡をたどりつつ,死者に悼みを捧げるとともに,地域の悲しみを共有しようとする 観光の新しい考え方である.ツーリズムというとレジャーの一種として捉えられ,娯楽的 な印象を受けるが,ダークツーリズムはレジャーや娯楽とは対極の意味に位置している. この概念は,初期の頃は第二次世界大戦に関連した地域が多く取り上げられてきたが,近 年,ニューヨークのグラウンド・ゼロなどにも研究の幅が広がりつつある.日本では沖縄の 戦跡や広島の原爆ドームへの修学旅行など,学習観光の一環としてなじみの深い旅行形態 である.ただ,ダークツーリズムの根源的意義は,悲しみの承継にあるため,学習そのもの が目的ではないことにも注意が必要である.訪問地に存在する悲しみを知ることで,学びは 必然的に達せられることになる.そのため,井出明氏によれば,はじめから何かを学ばなけ ればならないという気負いを持って旅立つ必要はなく,その場所に自分の関心に触れるよ うな何らかの事柄があれば,その場所に訪れたいという素直な気持ちに従ってよいとして - 113 - いる. 2-2.廃墟マニア 先ほど紹介したダークツーリズムとあわせて筆者が注目したいものは,廃墟マニアであ る.1990 年代以降,廃墟となった施設,学校,病院,鉱山などの跡を訪ねて回る廃墟マニア と呼ばれる者が増えてきており, 『廃墟の歩き方』 (2002 年)といったマニュアル本やなど も,人気を得ている.彼らは,廃墟化した建物が持つ特有の雰囲気に魅力を感じる者,廃墟 となった施設が使われていた頃の様子を想像し,愛着を感じる者,探検感覚で廃墟を探索す る者,など様々だ.廃墟ブームを生む下地として,赤瀬川原平らによる超芸術トマソンから 路上観察学への活動も存在した.日本の場合,特に都市部では廃墟が長期間そのまま残され ることは少ない.バブル時期に何らかの計画が立ち上がったが,バブル崩壊とともに消滅し たものなど,都市開発の計画が中止になった場所などに建物などが廃墟状態になることも ある.また,北海道など地価が安価で土地に余裕のある地域などでは,撤去費用がかさむの を回避し,古い建屋を撤去せず近くに新たに建てるなどすることが多く,廃屋,廃墟などが 多く見られる.近年,廃墟ブームはさらに広がりを見せ,軍艦島をはじめとした人気の廃墟 は観光スポットとなり,観光ツアーが企画されて多くの人々が廃墟を訪れる現象が起きて いる. 3 事例 3-1.概要,後世へ伝えるための取り組み 本章では,日本国内,そして海外の負の遺産を事故,戦争,公害の3つに分類し,それぞ れの概要,後世へ伝えるための取り組みを紹介したうえで,3-2 では,それぞれの負の遺産 の相違点・共通点を比較していきたい. ①事故 チェルノブイリ原子力発電所事故 福島第一原子力発電所事故 ②戦争 アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所 原爆ドーム ③公害 水俣病 エムシャーパーク 3-1-1.チェルノブイリ原子力発電所事故 チェルノブイリ原子力発電所事故(以下,チェルノブイリ原発事故と呼ぶ)とは,1986 年 4 月 26 日,ソビエト連邦(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号機にて発生した 大規模な原子力事故である.放射性物質は広域に拡散し,現在のウクライナ,ベラルーシ, ロシアの 3 カ国にあたる地域で,およそ 40 万人の人々が立ち退きを迫られた.被害者の数 は約 4 千人~1 万 6 千人など,さまざまな説がある. 当時,チェルノブイリ原発では 4 基の原子炉が稼働しており,5 号機,6 号機の建設も進め られていた.事故前日,4 号機では停電時の電力供給実験が予定されていたが,制御棒の設 - 114 - 計ミスと操作ミスが重なり,炉内でメルトダウンが発生する.続けて2度の水蒸気爆発が起 こり,炎がしずめられる 10 日間にわたって放射性物質が吹き上げ続けた.事故に対応した 作業員のうち 28 人が急性放射線障害によりまもなく息を引き取った.そして,事故は 28 日にようやく公表され,またたく間に世界中で報道された.放射性物質の放出を抑えるため, 4号機はコンクリートと鉄板による石棺で覆われた. 「ゾーン」と呼ばれる半径 30km 圏内 は,現在も原則立ち入りは禁止されている. この事故を後世に伝えるための取り組みは現在,積極的に行われている.その例として, 博物館の建設,記念公園の建設,そしてチェルノブイリ観光ツアー等が挙げられる. チェルノブイリ博物館は,展示方法を印象的なものにすることで,若者に興味を持っても らい,この問題をタブー化させることなく次世代にチェルノブイリ問題を語り継いでいこ うとしている.具体的には,当時の貴重な資料である防護服は展示ケースに入れずそのまま 天井から吊るし,博物館のメインホールを教会のような,インパクトのあるつくりにしてい るのである.チェルノブイリ博物館の建設に携わったデザイナーのアナトーリ・ハイダマカ 氏によれば,事故当時のありのままの事実を文字や写真で淡々と紹介していくだけでは歴 史の重みを伝える事は難しいと考え,来館者の感情に直接訴えかけるような展示をしたい と考えた結果,このような展示方法が編み出されたとのことだ.そして,この博物館には日 本のコーナーもあり,広島の原爆で被爆した少女が折った千羽鶴が展示されており,博物館 の入口には福島第一原発事故のドキュメンタリーが流れるモニターがあり,日本へのメッ セージが流れている. この博物館でもう一つ注目すべき点は,若者のデートスポットになっている点である.な ぜ,デートスポットとなりえるのか.それは,先ほど述べた,独特な展示方法にある.通常, こうしたダークツーリズムの博物館においては,エンターテインメント性を排除したドキ ュメンタリーなアーカイブが中心となっている.しかし,チェルノブイリ博物館はそうした ドキュメンタリーな展示の要素は3割程度であり,残りの7割は哲学的な問いかけを行う ものとなっている. そして,もうひとつ紹介したいものがチェルノブイリ見学ツアーである.現在,チェルノ ブイリ見学ツアーは数多くの旅行会社が実施している.ツアーの萌芽は 1990 年代後半から 2000 年代前半にあるといわれている.そして,2006 年頃を境にNGOやNPOが主催する 形で事実上のツアーが生まれ,2011 年 12 月,見学ツアーが政府に公認される.これにより, 全世界からのツアーの申し込みが殺到し,多いときで一日約 20 組,約 300 人がゾーンを訪 れている.チェルノブイリ見学ツアーを実施している会社のひとつである「Tour 2 Kiev」 を経営しているアンドリ・ヴァシリョヴィチ・ジャチェンコ氏は,自信が運営するツアーに ついて,それぞれのツアーの行程に違いは無いが,参加者との積極的な対話を心がけている と述べている.そして,参加者には国に帰ったら自分が目にしてきたものについて,それが いかに恐ろしい現実をもたらし得るのかを語ってもらうよう,頼んでいるという.また,外 国から訪れた観光客向けに英語が堪能なガイドも用意しているとのことである. - 115 - これらのチェルノブイリツアーを人気にした理由として全世界で 200 万本以上の売り上 げを記録したPC用ゲーム「S.T.A.L.K.E.R」が挙げられる.このゲームは 2007 年 3 月に発売され,チェルノブイリ原発事故を元にして作られており,チェルノブイリの 「ゾーン」と呼ばれる立ち入り禁止区域が舞台となっている.ゲームのあらすじを簡単に紹 介したい.1986 年以降,2006 年に再び原因不明の大爆発が起きる.この影響により半径 30km が放射線汚染の被害に遭う.そして 2012 年,汚染された跡地一帯は,放射線の影響によっ て突然変異をおこした生物の生息する「ゾーン」と呼ばれる危険地帯と化した.生死に関わ るような過酷な依頼を請け負い,その見返りとして多額の報酬を受け取り生計をたてる「ス トーカー」と呼ばれる者達がゾーン周辺で暮らし始めるようになる.プレイヤーはストーカ ーとして多くの任務をこなしながら,原子力発電所の大爆発の謎, 「ゾーン」の真の姿,そ して自分が何者なのかを解き明かしていくストーリーとなっている. このゲームのヒットをきっかけにゾーン内に侵入するストーカーになった若者が増えた のである.ここでのストーカーとは,立ち入り禁止区域であるゾーンへの「案内人」と「旅 人」の両方を指す.ゲームと現実でのストーカーの共通点は「リスクを追いながら,人類の 未知の遺産を探検している」という点である. 娯楽ゲームによってチェルノブイリに興味をもつ若者が増えたことについて,元内務省 勤務の警察官で,チェルノブイリ原発直後に原発の警備を担当する警察部隊の隊長を務め たアレクサンドル・ナウーモフ氏は, 「ゲームを通してであっても若い人がチェルノブイリ の土地がどうなってしまったのか目のあたりにすることには意味が在ると思っている」と 肯定的な感想を述べている. 3-1-2.福島第一原発事故 2011 年 3 月 11 日に起こった私たちにとってもまだ記憶に新しい事故である.この事故は 原発を襲った大津波が原因とされている.福島第一原発を 15m 以上の大津波が襲ったと見 られており,この津波で非常用電源装置が損壊,原子炉の全交流電源停止など引き起こした. この影響で 1 号機,2 号機,3 号機は原子炉内燃料棒が冷却できなくなり,原子炉内部の気 圧の異常な上昇,水素爆発,炉心溶融などが起き,大気中や海水に大量の放射性物質が放出 されたと見られている.この放射性物質が大気中や海水に漏れた量は 5.2 メガベクレル程 度と思われており,チェルノブイリ原子力発電所事故のおよそ 1 割に相当する量である.こ れらの事故から国際原子力事象評価尺度,国際原子力事象評価宅度(INES)において"レ ベル 7 の深刻な事故" に分類されている.これは 1986 年のチェルノブイリ原子力発電所事 故以降 2 回目,国内外でも屈指の原発事故ということになった.この事故は未だに収束して おらず,福島第一原発から半径 20 km 圏内は,現在に至るまで一般市民の立入りが原則禁 止されている. この事故からまだ日は浅いが,水面下ではすでにこの事故を後世に伝えようと,ある組織 がすすめている計画がある.それは,「福島第一原発観光地化計画」である. - 116 - 2012 年秋,株式会社ゲンロン代表・東浩紀の呼び掛けのもと,東氏の趣旨に賛同する経 営者,社会学者,ジャーナリスト,建築家,美術家らが集まってチームが結成された.この チームが推し進めているのが「福島第一原発観光地化計画」である.25 年後の 2036 年の福 島第一原発跡地の未来を見据えて,どのようにひとを集め,どのような施設を作り,なにを 展示しなにを伝えるべきなのか,それをいまから検討し,そのビジョンを中心に被災地の復 興を考えるというのが,計画の主旨である. 今後,そのチームを中心に,官民学の多方面,および被災地の方々と連携しつつ,書籍や 展覧会のかたちで成果が発表されていく予定で,最終的には,民間発のユニークな復興案の ひとつとして,現実の復興計画に活かされることを目的としている. 3-1-3.アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所 アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所は,ドイツが第二次世界大戦中に国家をあげて 推進した人種差別的な抑圧政策により,最大級の惨劇が生まれたとされる強制収容所であ る.収容されたのは,ユダヤ人,政治犯,ロマ・シンティ(ジプシー),精神障害者,身体 障害者,同性愛者,捕虜,聖職者,さらにはこれらを匿った者など.その出身国は 28 カ国 に及ぶ.収容される際に, 「収容理由」「思想」「職能」「人種」「宗教」「性別」「健康状態」 などの情報をもとに「労働者」 「人体実験の検体」 ,そして「価値なし」などに分けられた. 価値なしと判断された被収容者はガス室などで処分となる.その多くが女性,子供,老人で あったとされる.ここで言う「子供」とは身長 120cm 以下の者を指すが,学校や孤児院から 集団で送られて来ていた子供たちは審査もなく,引率の教師とともにガス室へ送られた.た とえ労働力として認められ,収容されたとしても多くは使い捨てであり,劣悪な住環境の中, 非常に過酷な労働を強いられた.ユネスコの世界遺産委員会は,二度と同じような過ちが起 こらないようにとの願いを込めて,1979 年に世界遺産リストに登録した.死亡者数につい ては諸説あるが,正確な人数は未だに特定されていない.しかし,膨大な人数であった事は 確かであり,海を越えた日本でさえ教科書に大々的に取り上げられるほどの悲劇であった 事に違いは無い.この悲劇を2度と繰り返さないため,後世に伝えるための取り組みは積極 的に行われている. まず,博物館の設立である.1947 年 7 月 2 日にポーランド国会は,元収容所の敷地,物 件の保護,そして国立オシフィエンチム・ブジェジンカ博物館設立法を決議した.そして, 1991 年,その名義は,国立アウシュビッツ=ビルケナウ博物館に変更された.博物館設立の 背景には,ポーランド人の元囚人が深くかかわっており,第二次世界大戦が終結したわずか 数カ月後にアウシュビッツ収容所の犠牲者を追悼するアイディアを公言し始めたのがきっ かけであった.この博物館には収容所での当時の様子を写した貴重な写真や,当時の重要書 類が展示されている.また,囚人の毛髪や,ガス室で実際に使用されたガス缶なども展示さ れている.この博物館の特徴は,収容所そのものが博物館になっているという点である.そ のため,訪問者にはインパクトのある構成になっており,当時そこでどんなことが行われて - 117 - いたのか,ということを実感することができるのである.また,アウシュビッツ強制収容所 の悲劇を伝えるための博物館は日本にもある.それは,福島県にある,アウシュビッツ平和 博物館である.この博物館では,ユネスコの世界遺産アウシュビッツ収容所跡を保存するポ ーランド国立オシフィエンチム博物館の協力のもと,「人間が人間に対して行った殺戮行為 の極限」といえる「アウシュビッツ」の事実を語り継ぐ活動を通して,命の尊厳と平和の価値 について,現代に生きる私たちに伝えるために設立された.また,見学ツアーも挙げられる. このツアーはアウシュビッツの悲劇を世界中の人々に伝えるため,英語,ポーランド語のみ ならず,フランス語,イタリア語,ドイツ語,スペイン語,そして日本語など様々な国に対 応したものとなっている. 3-1-4.原爆ドーム 原爆ドームは日本人にとって負の世界遺産として馴染み深い物件である.1945 年 8 月 6 日,広島県広島市に世界最初の核兵器である原子爆弾が投下された.原子爆弾と いうたったひとつの兵器により当時の広島市の推定人口 35 万人のうち 9 万~16 万 6 千人が被爆し,2~4 カ月以内に死亡したとされる.原爆による被害の特質は,大量破 壊,大量殺りくが瞬時に,かつ無差別に引き起こされたこと,放射線による障害がそ の後も長期間にわたり人々を苦しめたことにある.この悲劇を伝えるための取り組み は,民間企業にとどまらず,行政も積極的に推し進めており,原爆ドームの保全,広 島平和記念資料館の設立,観光ツアーの実施など多くの取り組みが挙げられる. そのうちのひとつが,原爆ドームの保全である.「保全」といっても,原爆ドーム 自体もとは,別の用途で建てられた物件であった.原爆ドームは戦時中,広島産業奨 励館と呼ばれていた.県内の物産の展示や即売,商工業に関する調査・相談などの業 務を行っており,美術展や博覧会などの文化事業の会場としても利用されていた.そ して戦争末期である 1944 年からは内務省中国四国土木出張所,広島県地方木材株式 会社など官公庁等の事務所として使用されるようになったが,原子爆弾が投下された ことにより,建物自体が被爆してしまった.しかし,被爆当時の姿のまま建ち続けて いた広島産業奨励館は,核兵器の惨禍を伝えるものとして,保存されることとなった のである.時代を超えて核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける思いが 込められている. また,平和祈念資料館の設立も挙げられる.この資料館は本館と東館に分かれてお り,本館は被爆者の遺品などの被爆資料を展示し,東館には被爆を受けながらも大き な倒壊を免れた,原爆ドーム,広島市役所,広島赤十字病院の3つの模型が展示され ている.この博物館において目玉であった展示物は,来館者の多くが必ずと言ってい いほど足を止める「被爆再現人形」であった.しかし,広島市は,平和記念資料館の リニューアルに伴い,原子爆弾による熱線で火傷を負った被爆者の姿を再現した人形 - 118 - を,平和記念資料館の展示品から撤去する方針を示している.この撤去に関して,広 島市は次のように述べている. 凄惨な被爆の惨状を伝える資料については基本的にありのままで見ていただくべきと いう方針の下,この度被爆再現人形を撤去することとしたものであり,残虐な印象を 与えることなどを危惧するものではありません.(http://www.city.hiroshima. lg.jp/www/contents/0000000000000/1371543633862/ 広島市公式ホームページ) こうした広島市の方針に対して,市民の間では人形の展示を存続させようと署名運動 が起きており,2013 年 6 月末の時点で 6042 人分の署名が集まっている.発起人の会 社員,勝部晶博氏は次のように述べている. 子供たちに原爆の怖さを伝える手掛かりとして,強いインパクトを与える人形はこれ からも必要.1 万人などの節目で署名を届け,決定を覆したい. (http://www.huffingtonpost.jp/2013/08/07/hibaku_ningyo_n_3717489.html The Huffington Post 2013 安藤健二) また,TBS が広島市内で行ったアンケートでも 9 割が撤去に反対.ネット上でも被爆 人形の撤去に反対する声が圧倒的に多いのが現状である. 3-1-5.水俣病 水俣病は,化学工場,工場排水から排水されるメチル水銀化合物に汚染された魚介 類を長期間,大量に食べることによって発生する中毒性の神経系疾患である.熊本県 水俣湾周辺を中心とする八代海沿岸で発生し,始めは原因不明の神経疾患としてあつ かわれていたが,その後,新潟県阿賀野川流域においても発生が確認された. 水俣湾周辺の水俣病については,1956 年 5 月,初めて患者の発生が報告され,その年 の末には,52 人の患者が確認され,この疾患は 1957 年以降「水俣病」と呼ばれるよ うになった.水俣病の主な症状としては,手足の感覚障害をはじめ,運動失調,平衡 機能障害,聴力障害などが挙げられる. この悲劇を後世に伝えるために行われている取り組みとしては,資料館の設立,環境学習 ツアーや講演会の実施,水俣病の概要を綴った出版物の発行が挙げられる.その中でも,新 潟水俣病資料館,阿賀野川環境学習ツアーを紹介していく. 新潟水俣病資料館では,常設展や当時の様子を写す映像上映の他に,新潟水俣病の被害者 の方から実際に話を聴く事ができるプログラムが用意されている.さらに,「水の実験」とい う,来館者が持ちこんだ水の水質調査を行う,「来館者参加型」のプログラムも用意されて おり,とても充実した内容となっている. - 119 - (http://www.fureaikan.net/plan/より参照) 図1 新潟水俣病資料館 環境学習に関する取り組み 次に,阿賀野川環境学習ツアーを紹介したい.このツアーは,新潟県が環境NPO,まち づくり団体を巻き込んでつくられたものである.水俣病について知ってもらうためのツア ーとして「旧昭和電工㈱鹿瀬工場の光と影をたどるプログラム」, 「草倉銅山の光と影をた どるプログラム」 , 「被害者が現地で語るプログラム」の3つが用意されている. まず, 「旧昭和電工㈱鹿瀬工場の光と影をたどるプログラム」では,当時の様子につい て実感を伴って知るため,映像作品を中心としたユニークな座学を体験し,専門ガイドの 丁寧な案内のもと,工場跡や社宅・映画館・デパート・排水口跡などの現地を実際に巡る ことで,当時の工場内部の目線や地域の人々の生活感覚を追体験しながら,公害発生に至 る経緯が学ぶことができるしくみとなっている.次に,「被害者が現地で語るプログラ ム」では,新潟水俣病の被害者から直接話を聴く事ができるプログラムとなっている.そ して,「草倉銅山の光と影をたどるプログラム」では,「公害の原点」とも呼ばれている草 倉銅山について,紙芝居などを通じて全体像を参加者に伝えた後,100 年以上たった今も 存在感が残る草倉銅山本山を環境ガイドが案内し,自然との共生や資源の枯渇,真の地域 づくりとは何かについて学びとるツアーとなっている. 3-1-6.エムシャーパーク 最後に,エムシャーパークの事例を紹介する.ドイツ北西部に位置するルール地方を西流 しライン川に合流するエムシャー川流域は,石炭鉱業・鉄鋼業・化学工業などが最も密集し た鉱工業地帯を形成していた.しかし,1970 年代を境とする産業構造の転換により,従来 までこの地域を支えていた重化学工業が衰退し,経済活動の低迷や人口の減少が見られる ようになった.その一方で,重化学工業化と引き替えに汚染された自然環境や破壊された景 観が,負の遺産として残されてしまったのである. この負の遺産を後世に伝えようとするための取り組みとして,遺産の保全,ガイドツアー の実施,また,観光客を積極的に招き入れるため,遺産をそのままコンサートホールにして いる点が挙げられる.そして,このエムシャーパークの特筆すべき点は,歴史的遺産を保全 - 120 - 活用しつつ,緑地帯の再生を行っている点である. まず,ガスタンクをそのまま展示施設にしたユニークな例として,オーバーハウゼン産 業史博物館がある.この博物館は,1929 年に建てられた高さ117.5mの巨大なガス貯留 施設を,オーバーハウゼン市が1990 年代始めに壮大な展覧施設へと転換したものであ る.現在では,年間280 万人を超える来館者を迎え入れている. ティッセン社の製鉄所跡を活用したデュイスブルグ北景観公園がある.これは,デュイス ブルグ市にある操業を中止した製鉄所を,高炉など稼働時の機械設備・建屋をモニュメン トとして全て保存したまま,公園化したものである.面積は200haに及ぶ広大なもので, 風致公園としてだけではなく,バザーやコンサートの会場,構築物を利用したウェールク ライミングなどに用いられている.公園は現在,年間55万人の来場者を迎えており,頻 繁に学生などの視察が訪れている.園内では,ビジターセンター以外にも元製鉄所職員が ボランティアでガイドなどの活動をしている.OB の実体験を交えたボランティアガイド により,操業していた当時の面影を訪れた人々に感じさせる歴史・産業テーマパークとな っている. 3-2.取り組みの分析 3-1 で挙げた負の遺産の事例を,比較していき,相違点,共通点や,そこから見える課題 を考察していきたい. まず,①の事故に分類したチェルノブイリ原発事故と,②の戦争に分類した広島の原爆の 博物館(資料館に)における展示方法を比較したい.チェルノブイリ博物館は,貴重な資料で ある防護服を展示ケースに収納せず,天上からそのまま吊るしあげるなど,奇抜な展示方法 である.一方で,広島平和記念資料館は来館者にとって目玉ともなっていた被爆再現人形の 展示をとりやめる方針をかためるなど,奇抜な展示を好まない傾向にある.両者の大きな違 いは, 「伝える側のスタンス」であると考える.チェルノブイリ博物館は,来館者の意識に 直接問いかけることを目的としている.つまり, 「不謹慎」という言葉で断罪してしまうの ではなく, 「もし,わたしがこのような立場に立ったら」と哲学的に問いかけるきっかけを 与え, 「当事者意識」を持ってもらうことを重要視している.一方で,広島の平和記念資料 館の場合,「凄惨な被爆の惨状を伝える資料については基本的にありのままで見ていただく べき」としているように,ただ,真実をつたえること「だけ」を重要視しているのである. その結果,抑制的な物を好む傾向にあるのではないかと考えられる. また,共通点としては,3-1 で挙げた事例のほとんどが,行政ではなく,一般人や民間企 業がいち早く動いた事がきっかけとなり,観光地化したという点である.チェルノブイリに 関しては,ストーカーと呼ばれる, 「案内人」 「旅人」が出現し,立ち入り禁止区域であるゾ ーン内に侵入する者が増えてきた事に目を付けた民間企業がチェルノブイリ見学ツアーを 始めたことがきっかけである.また,アウシュビッツ博物館がつくられたきっかけは,元囚 人が犠牲者の追悼のため,収容所の保存を呼び掛けた事に端を発する.そして,福島に関し - 121 - ても,まだ事故から日が浅いとはいえ,行政ではなく,民間が動き出しているという点にお いて共通している. 4 日本のダークツーリズムの可能性 本章では,日本でのダークツーリズムの可能性を,福島第一原発を例にとって考察して いきたい. 4-1.好奇心を入り口としてのダークツーリズム 3-2 で,広島平和記念資料館の事例から,日本ではダークツーリズム的なものの展示は, 過剰に抑制的になる傾向があると分析した.しかし,日本における展示手法として,チェル ノブイリのような哲学的な問いかけが日本人になじまないというわけではない.その根拠 として 2012 年 3 月から 6 月まで日本科学未来館で開催された『世界の終わりのものがたり もはや逃げられない 73 の問い』という企画展での事例を紹介したい. この企画展は, 「永遠の生を手にいれることができるなら,ほしいですか」 「どこまで『わ たし』なのでしょう」といった来場者への哲学的な問いかけ「のみ」で構成される,日本で はあまり見られない珍しい企画展であった.目玉となる展示物がなかったため,来館者数も 危ぶまれたが,SNSや口コミを通して話題を呼び,見事に大成功を収めた.そして,同企 画展においてキュレーターを務めた荻田麻子氏にとって予想外であったのは,若者のカッ プルが多く来場したという事だ. 「職員も目のやり場に困るくらいカップルが盛り上がって ましたね. 『あなたは細く長く生きたい?太く短く生きたい?』なんて言ってキャッキャし てました.日常で普段されることがない哲学的な問いをされることで,相手の知らなかった 一面が見える.そんなきっかけ作りになっているような気がします」(2013 東浩紀)と語っ た.この現象は,チェルノブイリ博物館が若者のデートスポットとなっていることにも符合 する.参加者に対して哲学的でエモーショナルな問いかけをすることは,優れたドキュメン タリーを見せる以上に人にものを考えさせる良い機会となるのではないだろうか. また,先ほど述べた「デートスポット現象」と,チェルノブイリゾーン内に侵入する「ス トーカー」の出現と日本における「廃墟マニア」の出現は,三者とも似た現象ではないかと 考える.デートスポット現象は,チェルノブイリ博物館のエンターテインメント性によるも のであり,ストーカーの出現は,娯楽ゲーム「S.T.A.L.K.E.R」がきっかけで ある.そして,廃墟マニアは,人それぞれではあるが,負の遺産の「見ため」という表面的 な物に惹かれているのである.この三者に共通するのは, 「好奇心」がきっかけとなって負 の遺産に足を踏み入れているという点である. 現在,戦争体験をしらない世代は多くなってきている.だから,ありのままの「事実」を 写真や文字で正確に伝えることはもちろん大切である.しかし,ただ,淡々と文字と写真の みで事実を知るだけでは,イメージをしにくいのが現状なのである.戦争体験を知らない世 代が多くなってきている, 「だからこそ」 ,相手の意識に直接訴えるような「インパクト」の - 122 - ある展示が必要なのではないだろうか. 負の遺産は時が経つにつれて,その悲しみは薄れてしまいがちである.それゆえ,訪れる 理由が無くなるため,訪れるきっかけというものが必要になってくる.しかし,先ほど述べ た,廃墟マニア,デートスポット現象,ストーカーのようなものが負の遺産の学習につなが るきっかけとなるのであれば,好奇心をきっかけとした観光がもっと広まればよいと考え る. 4-2.地域住民との関わり方 「原発と観光」というと,もしかしたら,嫌悪感を抱く人が多いであろう.娯楽としての 意味を持つ観光という言葉には軽薄な印象がつきまとう故に,原発事故から日の浅い日本 では,その反応はやむをえない.被災した建物を震災遺構として残すかという事に関しても, 被災地においては議論が二分している.保存派は震災の記録をアーカイブとして残す事で 後世の住民の津波防災意識を高める事,あるいは遺構を観光資源にすることで経済効果を 期待している.一方解体派は,見るたびに震災の事を思い出してつらいため,早急な撤去を 希望する. 3 月 11 日,宮城県三陸町の防災対策庁舎にて若い女性の町職員が,津波が到達するまで 防災無線で住民に避難を呼びかけた結果,津波にのまれて亡くなるという悲劇が起こった. 地元ではこの庁舎を遺構として遺すかどうかの議論が早い段階で行われていたが,遺族か らの強い解体希望で一度は取り壊しが決定した.しかし,住民から「震災遺構として残すべ き」という声が相次ぎ結局,取り壊すか,保存するか決まらず, 「凍結状態」となってしま ったのである. しかし,広島の原爆ドームの保全や観光地化は,終戦当時,地域住民の解体を希望する声 が強く,困難であった.しかし,時間が経つにつれ,保存の動きが強まった.これにより, 今もなお,原爆ドームは大切に保存され,多くの観光客が訪れているのである.東浩紀氏は 「震災直後は圧倒的に解体派が優勢だが,時を経るごとに保存派が増えていく」と述べてい る. 何十年もの長いスパンで福島の未来を考えた時,福島で起こった悲劇を伝えようと, 「震 災遺構を遺したい」 「観光地化したい」という人が多く出てくると考えられる.それは民間 企業かもしれないし,学者かもしれない.しかし,その希望を実現するにあたって目をそら してはいけない事は,地域住民の存在である. では,どうすべきか.地域住民との話し合いの場を設け,住民と積極的に話し合う事が 大切であると考える.このとき,解体派,保存派の両方の意見を平等にしっかりと聞くこと が大切である.また,震災遺構を保存して,どうしたいのか,どのように活用していきたい のか具体的な案も提示することで,説得力を持たせることも大切である.しかし,かつて広 島の原爆ドームもそうだったように, 「今すぐ」というわけにはいかないかもしれない.何 年,何十年と時間をかけて地域住民と話し合い,防護服を着用せずに安心してゾーン内に入 - 123 - る事ができる日が来たら,悲劇の歴史を学ぶ場所として受け入れられるのではないだろう か. おわりに 先日,広島の原爆ドーム,アウシュビッツ強制収容所に並び,チェルノブイリも世界三大 負の世界遺産として,登録したいという個人ブログを目にした.確かに,チェルノブイリは 海を越えた日本でさえ,知っている人がほとんどである負の遺産である.しかし,筆者が本 論文を書く最初のきっかけとなった岩鼻火薬製造所の存在も忘れて欲しくない.私たちの 周りには,普段あまり意識していないものの,実は数多くの負の遺産が存在しているのであ る.私たちは,それらの遺産をしっかりと認識していく必要がある.観光と言えば,例えば 京都のお寺巡り,リゾート地であるハワイを思い浮かべるであろう.しかし,京都のお寺も 戦国時代は数多くの尊い命が犠牲になっている.ハワイに関しても第二次世界大戦時は真 珠湾攻撃により,多くの兵士の命が犠牲になっている.見方を変えれば,私たちのまわりに は負の遺産だらけなのである.きっかけは, 「好奇心」でいい.だが,ただ「楽しかった」 で終わるのではなく,その地で何があったのかを知り, 「自分がもしこの立場だったら」と 自分に結び付けて考えてみて欲しい. 文献 荻野昌弘 2002『文化遺産の社会学―ルーヴル美術館から原爆ドームまで―』光明社 株式会社学芸出版社編集部 2011『東日本大震災・原発事故―復興まちづくりに向けて―』 株式会社学芸出版社 東浩紀 2013 『チェルノブイリ・ダークツーリズムガイド 思想地図βvol.4-1』株式会社 ゲンロン 菊池実・原田雅純 2007『陸軍岩鼻火薬製造所の歴史』みやま文庫 アウシュビッツ=ビルケナウ その歴史と今 http://pl.auschwitz.org/m/index2.php?option=com_docman&task=doc_view&gi d=274&Itemid=82 広島市公式ホームページ http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1359531556848/ index.html The Huffington Post 安藤健二 http://www.huffingtonpost.jp/2013/08/07/hibaku_ningyo_n_3717489.html 阿 賀 野 川 え ~ と こ だ プ ロ ジ ェ ク ト 公 式 ホ ー ム ペ ー ジ http://aganogawa.or.jp/project/gakusyu/ 福島第一原発観光地化計画 http://fukuichikankoproject.jp/project/ - 124 - 文化外交の在り方 ―クールジャパン戦略の蹉跌― 伊藤 拓哉 はじめに 昨今,2012 年に発足した第二次安倍晋三内閣によって打ち出された,成長戦略の一環としての 「クールジャパン戦略」により,ポピュラーカルチャーを中核に据えた文化外交に注目が集まっ ている.様々な施策が実行,検討される中で,文化はどのように提供され,また享受されるべきなの か.本稿では,中でもアニメを中心に,様々な事例を検討しつつ,その在り方について言及して行き たい. 1 評価される文化とその活用 1-1. クールジャパン 冒頭でも述べたように,昨今文化外交への注目を集めることの大きな起因となったクールジャ パン戦略であるが,まずはそもそもそれが何なのであるか始めに触れておきたい. クールジャパンとは,1990 年代にイギリスのトニー・ブレア政権が推し進めた文化政策である 「クール・ブリタニア」が語源であり,日本の文化面でのソフト領域が国際的に評価されている 現象や,それらコンテンツそのもの,または日本政府による対外文化宣伝・輸出政策に用いられる 用語である.多くの場合,ゲーム・漫画・アニメや,J-POP・アイドルなどのポピュラーカルチャー を指すが,自動車や電気機器などの日本製品,現代の食文化やファッション,更には武道や茶道・華 道・日本舞踊といった伝統的な文化も含まれ,日本に関するあらゆる事象が対象となる. この用語は,2002 年にジャーナリストのダグラス・マッグレイの記した論文iの中で使用され, ポケモン,宮崎アニメに始まり,建築,ファッション,アート,食べ物,一般電子機器などの文化の領 域において,世界に対し大きな影響力を及ぼしているとし,日本が高度な「グロス・ナショナル・ クール(=国民総クール度)」を有した文化大国の地位を獲得したと指摘している.同論文が 2003 年に日本で翻訳されたことを機に,この語は加速度的な認知の広まりを見せ,注目されることと なった. 1-2. 文化外交の意義 このような動きを経て,2002 年には,国家のブランディングを検討する「知的財産戦略会議」が 設けられ,その議論をもとに「知的財産基本法」が作成され,また同時に知的財産戦略本部も内閣 に設置された.これに続き,2006 年「コンテンツ・日本ブランド専門調査会」の設置,2008 年「ア ニメ文化大使」の任命,2010 年に「クールジャパン室」が設置され,そして前述したような第二次 i ダグラス・マッグレイ,2002,『Japan’s Gross National Cool』 - 125 - 安部晋三政権によるクールジャパン戦略へと受け継がれるのである. なぜこのような取り組みが国家によってなされるのか,これには大きく 2 つの理由がある.1 つ 目に,大きな経済的効果が見込めることがある.アニメや漫画といったコンテンツ産業には,コン テンツそのものや関連商品による直接的な経済効果のみならず,日本に対する好感度を上昇させ たり,憧れを抱かせたりといったようなブランドイメージの向上にも繋がり,家電・食品・観光な どの他の産業における収益の増加のような外部的な効果も見込むことができる. 2 つ目に,ソフトパワーの活用という点が挙げられる.ソフトパワーとは,軍事力や経済力による 強制や報酬でなく,その国の持つ文化や政治的価値観,政治制度の魅力,正当性があり倫理的に正 しいとされる政策などにより,支持や共感を得ることで,国際社会からの信頼や,発言力を獲得し, 他国を無理やり従わせるのではなく,自国の望む結果を他国も望むようにすることで味方につけ, 自らの望む結果を得る力のことである(ナイ 2004:26-34).このように,経済的側面,政治的側面の 2 つの側面において大きな意義を持つ. 1-3. 日本アニメの魅力 このような意義を持つために,政府により文化外交が推し進められることとなり,また前述し たクールジャパン現象により,その対象としてアニメが用いられることとなるわけであるが,そ のアニメにはどういった魅力があり,どういった点が海外において評価されたのであろうか. 日本アニメの魅力に言及するに当たって,先にその起こりについて触れておきたい.1963 年,後 の日本アニメの基本形となる作品『鉄腕アトム』が,手塚治虫の指揮によって作られた.本作では, 当時の主流であった,ウォルト・ディズニー・カンパニー等の作品に見られる 24 コマ/秒のフル・ アニメーションの形式によらず,8 コマ/秒のリミテッド・アニメーションの形式を採用した他,止 め絵や引き絵,部分アニメ,バンクシステムといった様々な工夫や技術を取り入れられた.このこ とによって,技術的,制作費用的に実現困難とされていた連続テレビアニメを独自のスタイルに よって実現した(津堅 2004:120-190).こういった背景から,日本アニメでは海外には見られない独 自の表現技法が醸成され,それが作品のクオリティの高さとして評価されている. また,アメリカでは,レイティングなどの規制が厳しかったため,暴力的な表現や性的な表現が 規制され,ストーリーも勧善懲悪やギャグといった比較的平易な作品が多かったのに対し,日本 ではそういった規制が緩かったこともあり,様々な表現が織り交ぜられた,複雑で多様性に富ん だ,文芸性のある作品が多く生まれることとなった(大塚 2004:29).こういった点が,前述の内容と 並んで日本アニメの持つ特徴的な魅力として評価されている. 2 日本アニメの受容と供給 1 章では,日本アニメは独自の表現技法からなるクオリティの高さと,子どもから大人まで楽し むことのできる多種多様な作品群による魅力から世界で評価されてきたと述べた.本章では,そ の日本アニメを文化外交の戦略として政府がどういった作品を選定しているのか.また,実際に 海外ではどのような作品が受容されているのかについて言及していく. - 126 - また,本章では論を進めていくに当たり,作品をジャンル毎に分類していくこととなるが,ジャ ンル分けにおける明確な定義が存在しないことから,著者の独自の視点に基づいた分類により議 論を進めていく. 2-1. 文化庁メディア芸術祭の事例に見る供給作品 本節では,政府によるアニメを対象とした政策として,文化庁メディア芸術祭を例に挙げて論 じてゆく.文化庁メディア芸術祭とは,文化庁の主催により,メディア芸術の創造と発展を図るこ とを目的として,優れた作品を顕彰し,その受賞作品の鑑賞機会を提供するメディア芸術の総合 フェスティバルである.アート,エンターテインメント,アニメーション,マンガの 4 部門において 審査が行われ,大賞と優秀賞を選定している.また,選定された作品は,国内外において文化庁の 様々な事業を通して広く紹介されることとなる. 1997 年から開催され本年 2013 年で第 17 回を迎えた本祭典であるが,第 15 回の大賞を受賞し た『魔法少女まどかマギカ』 (萌えii/セカイ系iii)や,第 17 回の優秀賞を受賞した『ヱヴァンゲリ ヲン新劇場版:Q』 (セカイ系)などのごく一部を除いた,これまでの大賞及び優秀賞受賞作のほと んど全てがファミリー向け,一般向け作品に偏っており,いわゆるオタク向けivとされる作品が見 られることはほぼなかった.ただし,それらとは別に設けられている審査委員会推薦作品の枠組 内であれば,第 10 回受賞作の『涼宮ハルヒの憂鬱』 (萌え)や第 13 回受賞作の『とらドラ!』 (萌 え)などのオタク向けとされる作品も散見される.しかし,文化庁が海外において様々な事業を行 う際に用いる,大賞~審査委員会推薦作品から選定したいくつかの作品による上映・展示プログ ラムにおいて,2013 年に使用されたものでは,数パターンあるプログラムのいずれにおいても,短 編作がその中心となっているため,大賞受賞作を除いてテレビアニメから選定されることはなく, 上記のような作品がプログラムに組みこまれることはなかった. 2-2. 海外メディアに見る作品需要 ここでは,海外の様々なメディアを通して,どのような作品が受容されているのか探っていく. まず,海外のオンデマンドサイト Crunchyroll の例を見てみる.Crunchyroll は,日本のアニメやド ラマ,漫画を中心に配信を行う動画共有サイトである.日本のアニメ会社と提携を結び,日本での 放送 1 時間後には字幕付きで配信が行われる仕組みを構築した.北米を中心に,欧州,東南アジア, 中南米等で配信され,また 2013 年 3 月時点で有料会員数が 20 万人を突破するなど,広い地域で 多くの人々に利用されている.2013 年 9 月時点での日本との同時配信作品数も,日本での放送本 ii おおむね魅力的な女性キャラクターが大勢登場する作品を指す.性的な描写を含むこともある. ≒ハーレム,アダルト. iii 「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性( 「きみとぼく」 )の問題が, 具体的な中間項を挟むことなく,「世界の危機」 「この世の終わり」などといった抽象的な大問 題に直結する作品群のこと」(東 2007:96-97) iv 「それはひとことで言えば,コミック,アニメ,ゲーム,パーソナル・コンピュータ,SF,特撮,フィ ギュアそのほか,たがいに深く結び付いた一群のサブカルチャーに耽溺する人々の総称であ る.」(東 2008:8) - 127 - 数約 50 タイトルに対し,約 40 タイトル近くの配信が行われており,非常に多くの作品が配信さ れていることがわかる.本サイトでは,基本的に作品別の視聴数やそれに基づいたランキングと いったものは公表していないが,2010 年 10 月時のみ Twitter の公式アカウントにてランキング の公表が行われたものがあったため,それを参照することとするv. 表1 Crunchyroll 2010 年 10 月 ランキング 1 神のみぞ知るセカイ 萌え 2 おとめ妖怪ざくろ 女性向け 3 そらのおとしもの f 萌え 4 スーパーロボット大戦 OG ジ・インスペクター ロボット 5 Fortune Arterial 萌え 6 侵略!イカ娘 ギャグ 7 夢色パティシエール 女児向け 8 パンティ&ストッキング with ガーターベルト ギャグ 9 テガミバチ Reverse 少年向け 10 探偵オペラミルキィホームズ 萌え 出典:著者作成(2013) 上記のランキングを見るに,4 作の萌えアニメを皮切りに様々なジャンルの作品が見て取れる. また,同サイトにおける人気作を表示する Popular のカテゴリーでは,海外で絶大な人気を誇る 『NARUTO-ナルト-』や,『HUNTER×HUNTER』などといった少年誌を原作とした少年向け vi作品と並び,『俺の妹がこんなにかわいいわけがない.』をはじめとした,萌えを中心としたジャ ンルに分類される,オタク向けとされる作品も多く見られた(図 1). 次に,アニメを主に扱った海外の雑誌を見てみる(図 2,図 3).ここでは,アメリカの大手雑誌 OTAKU USA とフランスの大手雑誌 Anime Land を例として用いる.いずれも,その刊に特集の 組まれた作品が表紙を飾ることとなるのだが,両書共『ONE PIECE』をはじめとした,少年向け 作品を取り上げているのと同時に,『ガールズ&パンツァー』や『ラブライブ』といった,萌えを 中心としたオタク向け作品も多く取り上げられており,Cruncyroll に見られたものと同様の特徴 が見て取れた. Mania.com,2010,「Crunchyroll Simulcasts Ranking Teased」 (http://www.mania.com/crunchyroll-simulcasts-rankings-teased_article_125747.html) v vi 主に小学生高学年から高校生までの青年が見ることを想定し,制作されたアニメのこと. 男性向け作品と兼ねる作品も多い. - 128 - 出典:Crunchyroll(http://www.crunchyroll.com/) 図1 Crunchyroll の Popular カテゴリー 出展:OTAKU USA(http://otakuusamagazine.com/) 図2 OTAKU USA のバックナンバー - 129 - 出典:Anime Land(http://www.animeland.com/) 図3 Anime Land のバックナンバー 2-3. 需要と供給の溝 政府の文化外交戦略である文化庁メディア芸術祭での選定作品は,ファミリー向け,一般向け 作品に偏っていたのに対し,オンデマンドサイトや雑誌といったメディアに見る,実際に海外で 受容されている作品には,多種多様な作品が存在し,その中には萌えを中心としたオタク向け作 品も少なくなかった.このように,政府が文化外交の戦略として事業を行う際に選定する作品と, 実際に海外で受容されている作品の間には,差異が見られることがわかった. ファミリー向け,一般向け作品は,幅広い層を対象とする作品であることからも,オタク向け作 品らと比較しても,海外でも大きな需要が存在し,実際に多くの人々に受容されている.しかし,オ タク向けアニメも,今や日本アニメというコンテンツの魅力を語るにおいて,無視することので きない重要な一部となっており,多くの需要が存在している.日本アニメが多種多様な作品群か らなる多様性によって評価されてきたという背景を鑑みれば,文化外交戦略において偏った作品 群のみを推し進めることは,尚更不適切なものであると思われる.そういった作品が,文化庁メデ ィア芸術祭の選定基準にそぐわないのであったとするのであれば,別の選定基準を設けた新たな 事業を行うなど,何かしらの策を講じ,目を向けて行く必要があると考える. 3 受け入れられるイベントと受け入れられないイベント 2 章では,政府による文化外交戦略において選定される作品と,海外で実際に受容されている作 品とを比較し,その差異を浮き彫りにした.本章では,日本を取り扱ったイベントに焦点を当て,日 本主導によるイベントと,海外主導によるイベントでは,どのような差異が見られるのか,2 章に 引き続き事例の比較を行っていく. 3-1. JAPAN EXPO の例―フランス主導によるイベント― 本節では,海外でのイベントの事例として,フランスで行われている Japan Expo を例に挙げ て論じていく.Japan Expo とは,漫画やアニメ,音楽,ファッション等の現代文化や,武道や書道を - 130 - はじめとした伝統文化といった日本文化を紹介する祭典である.日本文化に関連する様々なブー スが出展される他,ファッションショーやライブコンサート,上映会,ビデオゲームのトーナメン ト,コスプレやカラオケ等のコンクール,伝統文化のデモンストレーションやイニシエーション, ゲストによるトークショーやサイン会と様々なコンテンツが見られる.このイベントは,1999 年 にジャン=フランソワ・デュフールをはじめとしたフランス人の手によって始まり,現在もジャ ンが代表を務める JTS GROUP COMPANY というフランスの企業によって運営されている. 今年開催された第 14 回目のイベントでは,日本からの出展 78 を含む,713 ものブースが出展 され,4 日間で 23 万人を超える来場者を得た.主催企業,出展ブース全体における日本からの出展 ブースの割合から見て,現地フランスの主導によるイベントであることが分かる. 3-2. Tokyo Crazy Kawaii Paris の例―日本主導によるイベント― 次に,政府による文化外交戦略における事業として,Tokyo Crazy Kawaii Paris の例を見て行 く.Tokyo Crazy Kawaii Paris とは,カワイイvii文化を世界でローカライズするイベントという コンセプトの下,ファッション,音楽,グルメ,アニメ&ゲーム,キャラクターなどのコンテンツを中 心に日本文化を宣伝するイベントである.中心に挙げた 5 つのコンテンツを,Shibuya をはじめ とした,東京の地名の付けられたエリアに区分し,様々なブースを出展した他,ライブコンサート やファッションショー,忍者による殺陣のパフォーマンス,ロリータファッションやコスプレの コンテスト,マグロの解体ショー,コスプレに関するワークショップやトークショー,アーティス トによるワークショップなどステージでは,様々な催しが行われた.このイベントは,外務省,東京 都からの後援を得,経済産業省によるジャパン・コンテンツローカライズ&プロモーション支援 助成金(J-LOP)からの助成を受け行われた. このイベントには,ほとんどが日本企業からなる 70 社が出展し,3 日間で約 2 万人の来場者を 得た.このイベントについて,実行委員会側は,公式サイト内の News に掲載されている記事viiiの 大盛況の見出しに分かるように,おおむね成功したものと見ていると思われる.しかし,同じフラ ンスで行われた,日本のポピュラーカルチャーを対象としたイベントである先述の Japan Expo と比較すると,開催回数の差による認知度の差を考慮したとしても,合計来場者数が 10 分の 1 以 下とお世辞にも成功と呼ぶには程遠い結果であったと考えられる.このイベントの初日に実際に 参加したパキゴールによるレポートixを見ても,明らかに人出が少なく,閑散とした状況であった vii現代日本的で小さくて愛らしいという意味で用いるのが主な用法であり,「日本」 「東 京」チックなものに対する評価が含まれた語.また,漫画やアニメ等などの日本文化が輸出 された際に,その作品内のキャラクターに対して,海外の受容者が用いる場合もある.(櫻井 2009) viii Tokyo Crazy Kawaii Paris,2013,「Tokyo Crazy Kawaii Paris 大盛況のうちに第 1 回 目終了!初代クールジャパン戦略担当の稲田朋美内閣府特命大臣が本イベントを視 察!!」 (http://www.crazykawaii.com/topics_list1/) ix togetter,2013,「フランスのクールジャパンなイベント Tokyo Crazy Kawaii が悲惨な状 況に」(http://togetter.com/li/567177) - 131 - ことが伺える.また,Livedoor NEWS 記者の加藤亨延のレポートxによっても,閑散としていた初 日と比べ,土曜日と日曜日にはある程度のにぎわいを見せたとはしているものの,Japan Expo と 比較すると,明らかに人出は少なかったとしている. 出展:togetter,2013(http://togetter.com/li/567177) 図4 Tokyo Crazy Kawaii Paris の様子 3-3. 求められるイベント像 受容する側のフランスが自らの手によって立ち上げ運営を行った Japan Expo と,日本が文化 外交戦略における事業として行った Tokyo Crazy Kawaii Paris では,合計来場者数に開きがあ り,イベントの結果には大きな差異が見られた.言わば,イベントの成功例と失敗例である Japan Expo と Tokyo Crazy Kawaii Paris の違いは,どのような要因によって生まれたのだろうか. これには,前述した加藤亨延のレポートでも指摘されているように,これまでに 14 度も開催さ れ長い歴史を持つ Japan Expo に対し,今回が初開催であった Tokyo Crazy Kawaii Paris の認 知度が及ばなかった点や,Japan Expo と比較した際の Tokyo Crazy Kawaii Paris の出展企業の 少なさ,またその内に占める大企業の少なさといった内容的不充実,フランス語対応の不行き届 きといったサービス的不充実があった点など,様々な原因が考えられる. しかし,そういった面で考えられる原因とは別に,イベント自体から見えるテーマの違いとい う原因があるのではないかと考える.その例として,両イベントにおけるゲストを比較してみた い.第 14 回の Japan Expo では,原哲夫や小梅けいとらをはじめとした多くの漫画家や,河森正治 や田中達之らアニメ監督,秋赤音やシイタケらイラストレーター,橋本真司を中心としたゲーム 制作会社スクウェアエニックス,℃-ute やでんぱ組.inc らアイドル,angela や May’n らアニメソ ング歌手といったような,オタク的コンテンツに関わる多くのアーティストを招聘した.これに 対し,Tokyo Crazy Kawaii Paris では,アパレルブランドとのコラボレーションやアートショー 等を行うイラストレーターの Chocomoo やフォトグラファーの Julie Watai,読者モデル兼クリ Livedoor NEWS,2013,「日本人の手による「カワイイ」イベントはフランス人にウケた のか」(http://news.livedoor.com/article/detail/8103792/) x - 132 - エイターの木村優,本イベントの公式キャラクターのデザインも手掛けたクリエイターである shojonotomo,土屋アンナや Shonen Knife らミュージシャンといった,アートやファッションに 関わるアーティストが中心に招かれた. このように両者には,オタク的コンテンツを中心としたイベントであるか,アートやファッシ ョンを中心としたイベントであるかといった違いが見られた.Tokyo Crazy Kawaii Paris がイ ベントの中心として推し進めようとしたアートやファッションといった分野も,日本のポップカ ルチャーにおいて重要な魅力の一部であり,世界に発信してゆくべき文化である.しかし,オタク 的コンテンツをイベントの中心に据えた Japan Expo の成功から考えるに,オタク的コンテンツ は,海外で評価されている日本のポピュラーカルチャーの核であるといえる.そういったオタク 的コンテンツのイベントでの取り入れ方の違いが,2 つのイベントの結果の開きに繋がったと考 えられる.海外において,日本のポップカルチャーのどういった分野が評価され,求められている のかという点を考慮し,適切なテーマの選定を行い,他の分野もうまく織り交ぜながらバランス の取れたイベントを打ち出して行くことが必要である. 4 呈示する自己の選択 ここまで 2 章と 3 章の 2 つの章に渡って,日本アニメにおける政府による文化外交戦略と海外 での実際の受容状況との比較を行い,それぞれの章で,その 2 つの間に見られる差異を明らかに した.本章では,このような言わば需要と供給のギャップといえるものが,どういった理由によっ て生まれるのかということについて考察していく. 4-1. 文化ヒエラルキー こうした需要と供給のギャップの発生要因について考察する前に,文化の区分とそれらの位置 付け,認識について言及しておきたい.文化は大きく,オペラや歌舞伎,クラシック音楽,純文学等が 分類される芸術的な文化であるハイカルチャーと,映画や大衆演劇,歌謡曲,大衆小説等が分類さ れるエンターテインメント的な文化であるポピュラーカルチャーの 2 つに区分される.これら は,単に均等に二分されている訳ではなく,一方が肯定的で他方が否定的である,差別的な要因と なる差異が存在する.文化に水準が求められていた時代には,文化という言葉は,ハイカルチャー を意味しており,「最良のものと考えられ語り継がれたもの」であった.こうした枠組みの中で, ポピュラーカルチャーは必然的に低級且つ粗悪なものとして位置付けられていた.こういった状 況から,カルチュラルスタディーズの代表的理論家であるスチュアート・ホールは,「これらの 言葉は概して,ハイ=良い,ポピュラー=卑しいというように強烈に評価的な説示を持つ.」xiと述 べている.このように過去においてポピュラーカルチャーは,文化として取り上げられてこなか った経緯がある(中本 2003). 現代社会においては,ポピュラーカルチャーは,必ずしもハイカルチャーに劣るものではない スチュアート・ホール,1997,「Representation:Curutural Representations and Signifying Practices」 xi - 133 - とされる.しかし,クラシック音楽と歌謡曲,純文学と大衆小説といったように単語を並べた際に, クラシック音楽や純文学には,高尚で近づきがたい印象を持つのに対し,歌謡曲や大衆小説には, 親しみ深い印象を受ける.このように様々な文化を,それぞれ「ハイ(高級)/ロウ(低級)」あるいは 「芸術/娯楽」といった価値ヒエラルキーに基づいて区分してしまう姿勢が存在し,現代におい ても人々の文化への評価に対し大きな影響力を残していると考えられる(吹上 2005). これは,ハイカルチャーとポピュラーカルチャーの間に限ったことではなく,ポピュラーカル チャー内の様々な文化の間においても同様のことがいえる.中でも,特にオタク文化は,2000 年代 入り徐々に認知が進んだことから,それまで持たれていた極度に否定的なイメージxiiから好転し たとはいえ,未だに他の分野の文化と比較してネガティブなイメージを持たれがちであり,ロウ (低級)に当たる位置付けがなされることが多いと考えられる.こうした理由から,2 章と 3 章の事 例では,よりオタク的でないものが政府の文化外交戦略の対象として選択されたのだと推測する ことができる. 4-2. 自己呈示の機能 このように,政府による文化外交戦略では,ポピュラーカルチャーという括りにおいては,漫画 やアニメよりもアートやファッション,アニメという括りにおいては,萌えアニメよりも一般向 けアニメといったように,比較的ネガティブなイメージを持たれることが多く,文化ヒエラルキ ーにおいて低級(ロウ)に当たる位置付けがなされると考えられるオタク的なものは意図的に避 けられ,同じ括り内の他の文化が優先して対象とされてきたと推察した.ここでは,こういった事 象について,社会学者のアーヴィング・ゴッフマンの論を用いて考察を行っていく. 前述したような,他者に見てもらいたい自己の姿をイメージし,その姿通りに見てもらえるよ うに,様々な自己の側面のうち,特定の側面を選んで見せ,他の部分を見せないよう自らの振舞い を組み立てる行為を自己呈示と呼ぶ.この自己呈示には,主に 3 つの機能がある. 1 つ目が,「報酬の獲得と損失の回避」である.自己呈示を行うことで,広い意味での報酬を得 ることができる.例えば,面接試験を例に考えてみると,志願者が面接者に対して自己呈示によっ て適切な印象を与えることに成功すれば,「合格」という形の報酬を得ることができる.このよ うな明確な報酬に限らず,特定の領域において自己呈示によって,自分の能力の高さを印象づけ られれば,「尊敬」という形の報酬が得られるなど,報酬に当たるものには,様々なものがある.こ のように,自己呈示によって,他者に対する勢力を増大させたり,それを失いそうなときに損失を 最低限にすることができる機能が「報酬の獲得と損失の回避」である. 2 つ目に,「自尊心の高揚・維持」がある.私たちは,自己の様々な側面に対し,自分なりの評価 を行っている.こうした評価的な感情を自尊心と呼び,多くの人々はこれを維持・高揚させよう と努めている.この自尊心を形作る様々な要因の内,大きな一部を占めるのが,他者の評判である. xii 宮崎勤の連続少女誘拐殺人事件に基づく,「非社会的で倒錯的な性格」や「アニメやマ ンガに執着する,非社交的で空想と現実の区別がつかない過度に自己の肥大した反社会的或 いは犯罪性向のある人物」といったイメージ(東 2001:10,森 2004). - 134 - 他者から称賛されることは,多くの場合,自身が行う評価を高めることになり,また反対に,他者か ら非難されれば,一時的に自尊心は低下することになる.自己呈示には,こういった称賛を他者か ら引き出したり,また他者からの非難を避けたりする機能がある. 3 つ目に,「アイデンティティの確立」がある.自らの捉える自分の姿と,他者の捉える自分の 姿に差があるということが往々にして存在する.そういった際に,自己の公的な印象と自己概念 を一致させるような自己呈示を行うことが,アイデンティティを確立する重要な手段となる(安 藤 1994:126-130). では,この 3 つの機能の内,政府による文化外交戦略で行われた自己呈示は,どういった機能に 期待したものであったのだろうか.これら 3 つの機能は,相互に密接に関連しており,特定の自己 呈示行動がただ 1 つの機能を果たすことは稀であることから,どれか 1 つの機能に期待して行わ れたと断定することはできないが,1 章で述べたとおり,文化外交とは,コンテンツ産業自体によ る直接的な経済効果,及びそれに伴った日本の好感度やブランドイメージの向上による外部的な 経済効果と,ソフトパワーの活用による,対外関係の向上といった政治的効果を期待して行われ る.つまり,ここでの自己呈示の例をゴッフマンの論に当て嵌めて考えると,日本が外国に対し,魅 力的な文化を持つ国であるという印象を与えることによって,経済的利益や政治的利益といった 報酬を得るために行ったものであり,最も期待された効果は,「報酬の獲得と損失の回避」であ ると考えられる. 4-3. 自己呈示に伴うリスク このような機能に期待して,政府による文化外交戦略という自己呈示が行われた.その際,政府 が外国に対し,印象付けを行うに当たり,文化的ヒエラルキーにおいて低級(ロウ)に位置付けされ ることなどから,オタク的なものは,政府の与えたいイメージに合致しないものとして,非優先的 に扱われてきた.このように,他者に見てもらいたい自己の姿をイメージし,その姿通りに見ても らえるように,様々な自己の側面のうち,特定の側面を選んで見せ,他の部分を見せないように振 舞う自己呈示は,成功すれば他者に対して強い影響力を獲得することができる.しかし,同時にこ れに失敗すると,他者との間に大きな悪影響が生じることとなる. 自己呈示には,様々な方略が存在し,大きく 5 つに区分される.また,それらはさらに,社会的な意 味で苦境に陥った状況から,自己のイメージを回復することを目的とした「防衛的な自己呈示」 と,より積極的に,特定のイメージを相手に与えることを目的とした「主張的な自己呈示」との 2 つに区分される.この内,政府による文化外交戦略の目的と近似している「主張的な自己呈示」 には,5 つの内から「取り入り」,「自己宣伝」,「示範」の 3 つが分類される.それぞれ,この自己 呈示に成功した際には,目的を達成できるのに対し,失敗した場合には,意図しない印象を与えて しまうことになる.他者から好意的な印象で見られることを目的とした「取り入り」では,成功 した場合には,好感が持たれるのに対し,失敗した場合には,追従者や同調者,卑屈な人間といった 印象を与えることとなる.同様に,自分が有能な人間であると他者から見られることを目的とし た「自己宣伝」では,成功した場合には,能力のある人間とみなされるのに対し,失敗した場合に - 135 - は,不誠実な人間,自惚れた人間といった印象を与えることとなるし,自分は道徳的価値があり完 璧な人間であるという印象を他者に与えることを目的とした「示範」では,成功した場合には, 価値ある人間,立派な人間と認識されるのに対し,失敗した場合には,偽善者や信心ぶった人間で あるといった印象を与えることとなる(安藤 1994:137-172). このように,自己呈示を行う際に,それが失敗に終わった場合,意図しない形で相手に対し,悪印 象を抱かせることとなってしまう.前述した自己呈示の方略は,あくまで人対人におけるもので あり,政府による文化外交戦略の事例に直接的に当て嵌めることはできない.しかし,自己呈示を 行う際には,成功した場合に,目的の達成というリターンを得られるのと同時に,失敗に終わった 場合には,相手に意図しない形で悪印象を与えてしまうといったような,何らかのリスクが伴っ ているという点は,政府による文化外交戦略の事例にも同様のことがいえると考えてよいだろ う.3 章で紹介した Tokyo Crazy Kawaii Paris の事例においても,自己呈示を行うに当たって,印 象を操作しようとする意図を相手に悟られるなど,何らかの形で不信や敵意といった悪印象を持 たせることとなり,その結果として,イベントが失敗に終わったのではないかと考えられる. 5 文化外交に望まれる姿 このように,政府による文化外交戦略は,海外での日本文化の実際の受容状況が正しく調査,考 慮されないまま,コンテンツ産業を通した経済的・政治的効果という利益を得るために,それに 都合のいいように,自己の側面の一部を切り取り,また一部を隠匿する形で呈示がなされてきた. 一例である Tokyo Crazy Kawaii Paris では,その自己呈示の過程において,相手に悪印象を与え ることとなり,イベントの失敗へと繋がった. 社会学者で,日本のポピュラーカルチャー研究の第一人者である,岩渕功一によっても,日本の 文化がどのように海外に流通し消費されているのかについての精緻な調査や研究はまったくと いっていいほどなされておらず,いくつかの機関が行った国のイメージに関する調査の都合のい い結果や,経済効果の試算にのみ言及して,日本のブランド力が強化していることをことさら強 調するにとどまり,多様な主体による動的な文化の受容過程の複雑さの重要性への配慮や,消費 文化が受容されることで,どのような日本のイメージが多様な主体によって認識されているのか といった質的調査が蔑ろにされている点について指摘している.また,文化を商品化して,ナショ ナルなブランドの刻印を押すとき,クリエーターにとっては自分が面白いものを制作すること が,企業にとっては利潤を上げることが最大の目的であり,国家が関心を示すようなナショナ ル・ブランドの強化がそうした目的に適っておらず,むしろ障碍となるなら,両者の間で思惑と 実践の祖語が生まれる可能性は常にあるとし,政策論の在り方に疑問を投げかけている(岩渕 2007:94-98). 本稿は,あくまで政府による文化外交戦略の有用性及び必要性を否定するものではない.しか し,自己呈示の失敗が,相手との関係の悪化をもたらしたように,政府が文化に対する関与の強さ や手法を誤ると,その文化が本来持つ魅力を低減することに繋がる.したがって,文化を外交戦略 に用いるに際には,その文化に関する知識や,受容状況など様々な点において十分な調査を行い, - 136 - それらを考慮した上で,適切な距離感を保ち,的確な手法によって政府の介入が行われていくこ とが,文化にとっても,政府にとっても望ましい結果を導くこととなる. おわりに 本稿では,日本のポピュラーカルチャーを取り巻く事例を通し,政府による文化外交戦略の望 まれる姿について言及してきた.海外における実際の受容状況を調査,考慮した政策を行うこと は,文化自体の魅力を活かすためにも,政府が目的とする報酬を得るためにも非常に重要である が,もう 1 つ,人々の文化を楽しみたいという欲求という観点においても重要な役割を果たす.日 本アニメが,放送直後に字幕付きでインターネット上にアップロードされ,様々な国で視聴され ているといった例がある.もちろん,著作者の権利や法的な観点から容認されることではないが, 様々な国の多くの人々の間に日本アニメという文化を楽しみたいという欲求が存在しているこ とは事実である.人々の文化を楽しみたいという欲求は,尊重されるべきものであり,何者によっ ても妨げられるべきものではない.こういった欲求を満たすため,物理的な壁やレイティングの ような規制などの様々なしがらみを越えて,世界中の多くの人々に文化を届けるためにこそ,文 化政策の介入が必要不可欠であり,そこに文化政策の求められる真の姿があるのではないだろう か. 文献 ダグラス・マッグレイ,2002「Japan’s Gross National Cool」(=神山京子訳,2003,「ナショナル・ クールという新たな国力 世界を闊歩する日本のカッコよさ」) ジョセフ・ナイ,2004,『SOFT POWER The Means to Success in Politics』(=山岡洋一訳,2004, 『ソフトパワー 21 世紀国際社会を制する見えざる力』) 津堅信之,2004,『日本アニメーションの力 85 年の歴史を貫く 2 つの軸』 大塚康生,2004,『リトル・ニモの野望』 文化庁メディア芸術祭(http://j-mediaarts.jp/) 東浩紀,2007,『ゲーム的リアリズムの誕生』 東浩紀,2008,『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』 Crunchyroll(http://www.crunchyroll.com/) Mania.com,2010,「Crunchyroll Simulcasts Ranking Teased」 (http://www.mania.com/crunchyroll-simulcasts-rankingsteased_article_125747.html) OTAKU USA(http://otakuusamagazine.com/) Anime Land(http://www.anirmeland.com/) Japan Expo(http://nihongo.japan-expo.com/) 第 14 回 Japan Expo 開催報告,2013(http://nihongo.japan-expo.com/pdf/JE14_Report_JP.pdf) Tokyo Crazy Kawaii Paris(http://www.crazykawaii.com/) - 137 - 櫻井孝昌,2009,『世界カワイイ革命 なぜ彼女たちは「日本人になりたい」と叫ぶのか』 msn 産経ニュース,2013,「【Tokyo Crazy Kawaii Paris】大盛況のうちに第 1 回終了!」 (http://sankei.jp.msn.com/economy/news/131003/prl13100318380100-n1.htm) Tokyo Crazy Kawaii Paris,2013,「Tokyo Crazy Kawaii Paris 大盛況のうちに第 1 回目終 了!初代クールジャパン戦略担当の稲田朋美内閣府特命大臣が本イベントを視 察!!」(http://www.crazykawaii.com/topics_list1/) Togetter,2013,「フランスのクールジャパンなイベント Tokyo Crazy Kawaii が悲惨な状況 に」(http://togetter.com/li/567177) Livedoor NEWS,2013,「日本人の手による「カワイイ」イベントはフランス人にウケたの か」(http://news.livedoor.com/article/detail/8103792/) スチュアート・ホール,1997,『Representation:Curutural Representations and Signifying Practices』 中本進一,2003,「ハイ・カルチャー/ポピュラー・カルチャーにおけるヘゲモニーの転換と 領有に関する一考察」(http://hermes-ir.lib.hitu.ac.jp/rs/bitstream/10086/8752/1/hogaku0020301030.pdf) 吹上祐樹,2005,「文化区分の形成とその変容―ハイカルチャー研究における新たな課題を 問うために―」 (http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/7201/1/20110420-4-8.pdf) 東浩紀,2001,『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』 森有礼,2004,「現代表象文化論(1)「ハリーポッター」の秘密の部屋:オタク文化とハーマイ オニの受容」 (http://ci.nii.ac.jp/els/110006200705.pdf?id=ART0008219225&type=pdf&lang=j p&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1387231100&cp=) アーヴィング・ゴッフマン,1959,『The Presentation of Self in Everyday Life』(=石黒毅 訳,1974,『行為と演技 日常生活における自己呈示』) 安藤清志,1994,『見せる自分/見せない自分 自己呈示の社会心理学』 岩渕功一,2007,『文化の対話力 ソフト・パワーとブランド・ナショナリズムを越えて』 - 138 - ゴッフマンの社会学から考える音楽的趣味の隠蔽 吉羽 侑稀 はじめに 私達は常に何かしらの制約を受けている.法令のような明文化されたものだけではなく, 不文律や慣習,場の空気のように文章で表されないものによって私達の行動が制限される こともある.例えば友人とカラオケに行ったときに自分の好きな曲や本当に歌いたい曲を 唄わずに,友人にもわかる有名で無難に思える曲を唄った経験がある人は多いのではない だろうか.本稿ではこのような目に見えない制約により発生する「音楽的趣味の隠蔽」につ いて焦点を当て,そのメカニズムをゴッフマンの社会学の考え方を元に考察したい. 1 音楽的趣味の建て前と本音 1-1. 趣味を隠蔽する若者 趣味は本来,対象の持つおもむき,味わい,おもしろさをいう審美的な概念であったが, そこから美的な要素と関わる鑑賞や制作行為を余技として行うことを指す用法も生まれた. また,趣味を似たような意味を持つ「娯楽」と比較した場合,娯楽が欲望を肯定する大衆的 なイメージを持つのに対し,趣味は上品な個人的余暇活動であり,それは人々の個性を表現 する.人々の生活において余暇が重要視されるにつれて,趣味は現代人に必須の教養の一つ として扱われるようになってきた(薗田 1993).実際に趣味は自己紹介の際に人に教えた り,趣味の項目がある履歴書が存在するように,現代社会において趣味は自己を他者に知ら せるツールとしての役割を担うこともあれば,一種の教養のように他者からの評価の対象 にもなるといえるだろう. しかし評価の対象となった以上,誰もが気軽に趣味を他者に知らせることができないの ではないだろうか.小泉(2007)は高校生の音楽文化をインタビュー調査することで,空間 によって聞き取り対象の語り口が異なることを指摘した.また,小泉はこの調査で音楽と空 間をそれぞれ 3 つに分類した.音楽の分類は「スタンダードな音楽」 , 「コモン・ミュージッ ク」 , 「パーソナル・ミュージック」の 3 つである. スタンダードな音楽とは異世代にも通じる音楽のことである.具体例としてはクラシッ クや民謡,SMAP の「世界に一つだけの花」や山口百恵の「いい日旅立ち」のような往年の 名曲とされる一部のポップミュージックなどが挙げられる.このような曲は教科書に掲載 され,学校で正統な知識として扱わることがある.コモン・ミュージックとは同世代間で伝 わる流行歌のことである.近年では「嵐」,「AKB48」,「ゴールデンボンバー」,「EXILE」 などが挙げられるだろう.パーソナル・ミュージックは本当に自分が好きな音楽であり,こ れは人によって異なる. - 139 - また,空間の分類は「フォーマルな空間」, 「セミ・フォーマルな空間」, 「インフォーマル な空間」の 3 つである.フォーマルな空間とは音楽の授業中やクラシック音楽系の部活の ように,学校で正統化された知識を扱い評価を伴う空間のことである.一方,セミ・フォー マルな空間とはポピュラー音楽系の部活動,学校外のバンドコンテストのように,ポピュラ ー音楽が日常知識として存在する反面,演奏や作曲の技能による順序付けという学校のよ うな評価を伴う空間のことである.また,インフォーマルな空間とはライブハウスやレコー ド店,ヴィジュアル系のコスプレ集会iのような日常知識を扱い評価は伴わない空間のこと である. 小泉の調査によると「どんな音楽が好きか」という問いに対して高校生はフォーマルな空 間ではスタンダードな音楽を,セミ・フォーマルな空間ではコモン・ミュージックを,イン フォーマルな空間ではパーソナル・ミュージックを回答する傾向が見られた.特に男子は仲 間内で流行をわかった上で自分の好きな音楽を語り差異化を計ることもあるが,女子は自 分の好きな音楽を隠し無難な回答をした.このように高校生は自分の好きな音楽を積極的 に明かさず,教師に理解を得やすいスタンダードな音楽や,友人の理解を得やすいコモン・ ミュージックによりパーソナル・ミュージックを隠蔽している. 何度もある 3.3% たまにある 23% 全くない 73.3% 「出典:HMV ONLINE(2009)」 図 1 モテるため,もしくは異性に敬遠されないために好きな音楽を偽ったことがあります か. i ヴィジュアル系のファンが好きなグループのメンバーと同じ様な格好をして集まるこ と.集会の場所として原宿の神宮橋前が有名である. - 140 - また,HMV ONLINE のインターネット調査iiによると「モテるため,もしくは異性に敬 遠されないために好きな音楽を偽ったことがありますか.」という質問に対し回答者の 26.3%が「偽ったことがある」と答えた. 以上のように他者の目を気にして音楽の趣味を偽るということは珍しいことではないと いえるだろう. 1-2. 音楽的趣味による差別 それでは隠蔽していた趣味が他者に知られるということはどんなことを引き起こすのだ ろうか.HMV ONLINE のアンケートではモテるため,もしくは異性に敬遠されないため に音楽的趣味を隠蔽したという人がいることが明らかにされたが,若者の音楽的趣味が他 者へ露呈され,問題となった事例として,ウェスリアン大学iiiの学生コラムニスト,スティ ーブン・オーブリーが報告した事例について紹介したい. アップル社の iTunesivではローカルネットワークを通じて音楽コレクションを共有でき, ウェスリアン大学のネットワークでは約 2,000 人がこれを共有していた.つまり 2,000 人 もの学生の音楽センスを知ることができたのだ.そこで発生したのが「プレイリスティズム」 と呼ばれる差別である.プレイリスティズムは,人種や性別,宗教ではなく,iTunes の音 楽ライブラリーで露呈した音楽の趣味の悪さを基準に差別することであり,オーブリーに よると iTunes の音楽ライブラリーからは,着ている服や持ち歩いている本を見るよりもそ の人についてはるかに多くのことがわかるという(ケイニー 2003) . この差別が発生した後に,学生たちは自分のイメージを保つために音楽コレクションに 気を遣い楽曲を削除・追加し,センスの良いとされる人のプレイリストを真似した.つまり 自らのパーソナル・ミュージックを隠蔽したのである.また自分のプレイリストが公開され てからプレイリストに変更を加えた者は,変更を加えない状態のパーソナル・ミュージック が含まれているプレイリストが公開されることで自己のイメージが壊れることを恐れてい るため,プレイリストが公開される前から自己の音楽的趣味を隠蔽していた可能性がある だろう. これは海外での一例にすぎないが,このように隠蔽していた音楽の趣味が他者に知られ ることで自己のイメージが崩れる,差別を受けるなどの不都合が起きることがあり,そうな らないために人は音楽的趣味の隠蔽を続ける. 調査名:音楽とモテに関する意識調査,対象:20~30 代 全国男女 400 名(インターネ ットにて) ,調査期間:2009 年 7 月 21 日(火)~7 月 23 日(木) iii 米国コネチカット州ミドルタウンに本部を置く大学. iv アップル社が開発・配布している音楽や動画などを管理・再生できるソフト. ii - 141 - 2 ゴッフマンの社会学と音楽的趣味の隠蔽 2-1. 隠蔽されたスティグマと印象操作 隠蔽するということはそれを他者に知られることで何か不都合が起こることを表してお り,前述したいくつかの事例では自己の音楽的趣味が「モテない」, 「敬遠される」, 「自己の イメージを損なう」 , 「差別される」といった不都合を引き起こす可能性を察知したため隠蔽 という行為に至っていた.第 2 章ではこの事象を社会学者 E.ゴッフマンの考えを踏まえ つつ説明したい. まず隠蔽対象であり,個人の音楽的趣味であるパーソナル・ミュージックについて考えて みると,パーソナル・ミュージックは「スティグマ」として扱われる可能性があると思われ る.スティグマとはもともと,奴隷や犯罪者であることを示すための刺青や烙印を指す言葉 であった.つまり穢れた者,忌むべき者,避けられるべき者を知らせるためのものであった. このことから社会学では差別や排除,逸脱現象を捉える概念として用いられてきたが,ゴッ フマンはスティグマを単に差別される固定的な属性としてではなく,対面的場面での関係 性として捉えた. ゴッフマン(1963)はスティグマを「肉体の持つ様々な醜悪さ」, 「個々の性格上の欠点」, 「人種,民族,宗教などの集団的スティグマ」の 3 つに分類している. また,ゴッフマンは「スティグマのある人」を 2 つに分類している.1 つは出会った瞬間 に「スティグマのある人」であると認識されるような個人であり,これを「信頼を失った者」 としている.前述したスティグマの分類における「肉体の持つ様々な醜悪さ」や,「人種, 民族,宗教などの集団的スティグマ」に含まれる人種や民族による外見的特徴がスティグマ と判断されるような人のことを指す. もう 1 つは, 「信頼を失う可能性のある者」である.これは,出会った瞬間には「スティ グマのある者」であると判断できないが,他者に知られると「一個人」としての敬意が払わ れなくなるような情報がその生活史に含まれている個人である.上記に示したスティグマ の分類での「個々の性格上の欠点」や宗教など内面的なスティグマを持つ者がこれにあたる. しかし,何をスティグマと判断するかは個人によって異なる.人々は無意識に他者に対し て「こういう人でなければならない」という要求をしている.この要求は個人の生活史に密 接に関連した生得的な期待であり,この要求にそぐわない個人に対しては「スティグマのあ る人」と判断する.一方,ある人から「スティグマのある人」と判断された人でも,違った 要求持つ別の人にとっては「スティグマのある人」と判断されないこともある.このように スティグマとは固定された属性を表す言葉ではなく,人々の関係を指す言葉である. 次に隠蔽について考えてみると,これはゴッフマンの提唱した「印象操作」と考えるこ とができる.ゴッフマン(1959)によると人々の行為とは「パフォーマー」としての行為者 が「オーディエンス」である他者の前で演じる「パフォーマンス」である. パフォーマーは話し方・表情・身振り・しぐさ・服装などによって,たえず自分はこう いう人物であるということをオーディエンスに対して示す「自己呈示」を行っている.それ - 142 - により相手に提示している自己のイメージを維持するために,それと矛盾するような都合 の悪い情報を隠したり,都合の良い情報を与えたりしている.このようにパフォーマーが自 分のパフォーマンスをコントロールすることによって,オーディエンスに与える印象を操 作することを「印象操作」と呼ぶ. 先の事例での隠蔽者は「パーソナル・ミュージック」というスティグマが普段の自分のイ メージを損ねる可能性のある都合の悪い情報であるため隠し,代わりに都合の良い情報で ある「コモン・ミュージック」や「スタンダードな音楽」が好きだという情報を与えること でオーディエンスへの印象を操作している.それは「フォーマルな空間」や「セミ・フォー マルな空間」では顕著に表れているが, 「インフォーマルな空間」でも私達は常に「自己呈 示」を行っており,それに伴い「印象操作」をすることがあることを忘れてはならない. 2-2. スティグマになりうる音楽 それではスティグマになりうるパーソナル・ミュージックとはどのようなものだろうか. 前述した通り,スティグマとは固定的な属性ではなく関係を表す言葉であるため,具体例を 挙げることは難しい.しかし,筆者がこれまでの人生で自己の音楽的趣味をスティグマと感 じる場面もあったためその一例を紹介したい. 筆者は 2008 年頃からアイドルグループの AKB48 が好きである.2008 年頃の AKB48 は 一般的にあまり知られておらず,筆者が高校時代に教室で友人と音楽について話すときに は AKB48 の名を出すことはなく, 代わりに AKB48 以外の好きなアーティストである Mr. Children や BUMP OF CHICKEN が好きだと語った.これは筆者のパーソナル・ミュージ ックであると同時に,同年代での知名度と人気が高いコモン・ミュージックにも該当する Mr.Children や BUMP OF CHICKEN の方が友人からの共感が得られることや,仮に相 手が AKB48 を知っていても筆者に対し「アイドルソングが好き」という印象を持つことで, ある種の差別が起きるのではないかということを考えたからだ.つまり筆者は自分の好き な「アイドルソング」が同世代の友人との間ではスティグマになると感じ,それを隠し,差 別されないために,同じく好きであったアーティストの中でより知名度が高く,人気もある Mr.Children や BUMP OF CHICKEN が好きと言うことで印象操作を行っていたのであ る. 2010 年頃から AKB48 の知名度は拡大し同世代で AKB48 を知らないものはほとんどい なくなったように思える.その頃から筆者は AKB48 のファンであることを大学の吹奏楽部 というフォーマルな空間でも隠さなくなった.吹奏楽部はクラシック系の音楽を扱い,コン クールなどでは評価も伴うため小泉の分類に従うとフォーマルな空間ではあるが,共に活 動している部員と音楽の話をするときにはクラシックだけではなく日常的にポピュラー音 楽の話題も出ており,また外部から演奏の指導者を招いているが,顧問の先生が常に部活に いるわけではなく,感覚としてはセミ・フォーマルな場に近いと筆者は感じた. しかし同世代の人からの共感を得られないことも多々あり,AKB48 を含めたアイドルが - 143 - 好きということがスティグマになりえないとは言えない.AKB48 に限らずアイドルのコン サートや握手会,商業施設で行われるインストアイベントなどに行くと他の通行人や買い 物客から冷ややかな視線や嘲笑の対象にされていると感じることもあり,アイドルやアイ ドルソングが好きな事がスティグマであることを思い知らされる.また知名度の上がった AKB48 などの流行しているアーティストや音楽を好きだと言うことで,一部の人からは 「ミ ーハー」という印象を持たれ,コモン・ミュージックといえるような音楽を好きであること がスティグマであると感じることもある. それでも AKB48 が好きだと友人に言えるようになったのは「スティグマのある人」と認 識されることのデメリット以上に筆者の音楽的趣味に共感できる他者と出会えたときの喜 びが大きいからである.筆者のように自己を「スティグマのある人」だと認識する個人にと ってこの世の中で自分の立場を十分に理解してくれ,自分と共感する他者の存在はきわめ て大きい.このような他者をゴッフマンは自分と同じスティグマを持つ「同類」と,ノーマ ルな人ではあるがスティグマのある人の生活に個人的に深く関わり共感する「訳知り」の 2 つに分類している(ゴッフマン 1963).つまり,筆者は自己の音楽的趣味をスティグマで あると感じながら,AKB48 がある程度の知名度を獲得し,増えたであろう同類と出会う喜 びのために自己のスティグマをさらけ出すことにしたのである. 3 SNS におけるスティグマ これまでは小泉の調査やゴッフマンの考え方を基に音楽的趣味の隠蔽について考察して きた.しかし現在は小泉の調査の当時には無かった SNS という学校のようなフォーマルな 空間でも,CD ショップやライブハウスのようなインフォーマルな空間でもないインターネ ット上の空間が出現した.いつ,どんな場所からでもアクセスすることができる SNS とは 本音が書ける空間なのだろうか.第 3 章では SNS 内においてスティグマを持つ者がどのよ うな行動を取るのか考察したい. 3-1. SNS という空間 Social Networking Service(SNS)とは,コミュニティを形成するウェブサイトであり,人 と人とのつながりを促進・サポートすることができる会員制サービスのことである.SNS では既に見知っている人だけでなく,趣味や嗜好,居住地,出身校などのつながりを通じて 新たな人間関係を構築でき,SNS 内ではお互いのメールアドレスを知らなくても会員同士 でメッセージを送信したり,書き込みやプロフィールを会員や特定の友人にのみ公開する ことができる機能などを持つ(蛭子井ほか 2009) . ICT 総研(2013)の SNS 利用動向に関する調査vによると 2012 年 12 月末時点での国内 調査名:2013 年 SNS 利用動向に関する調査,対象:SNS 関連企業への取材結果に加 え,インターネットユーザー12,000 人への web アンケート調査,各種公開資料などをま とめて分析している.またこの調査における SNS とは,不特定多数のネットユーザー間 v - 144 - ネットユーザーが 9,556 万人なのに対し,SNS 利用者はそのうち約 52%にあたる 4,965 万 人であった.また,サービスへの登録件数は 2012 年末で重複登録分も含め 2 億 2,000 万件 超であり,SNS 利用者 1 人あたり平均で 4.5 件の SNS に登録していることになる. 一方で,トレンド総研(2013)が行った何らかの SNS のアカウントを持っている 20~ 30 代の男女 300 名を対象にした調査では「友人や知人に,利用していることを知らせてい ないソーシャルメディアviはありますか?」という質問に対し,37.3%の人が「友人・知人 の誰にも知らせていないメディアがある」と回答している. 友人・知人に知 らせていないメ ディアはない 27.3% 友人・知人の誰 にも知らせてい ないメディアが ある 37.3% 一部の友人・知 人にしかあ知ら せていないメ ディアがある 35.3% 「出典:トレンド総研(2013)」 図 2 友人や知人に,利用していることを知らせていないソーシャルメディアはあります か? また,「あなたは SNS(Facebook,Twitter,mixi,ブログなど)上とリアル上(実際) で,キャラクター(人格)を使い分けていますか?」という質問に対しては「意識的に使い 分けている」という人が 25.3%, 「無意識のうちに変わっている」という人が 16.3%となり, 4 割以上の人が人格を使い分けているという結果が出ており,「匿名で登録しているメディ の交流を促進する商用サービスと定義しており,狭義の SNS(友人知人間のコミュニケー ション交流サービス)と比べ広義の SNS となっている. vi ソーシャルメディアが指す範囲は SNS,ブログ,動画共有サイトなど幅広く考えられ, トレンド総研の文献にはその具体的内容は示されていなかった.しかし以降の質問におい て『SNS(Facebook,Twitter,mixi,ブログなど)』という表現があるためトレンド総研 の調査においてはこれらを主な対象にしていると考えられる. - 145 - アと実名で登録しているメディアとでは投稿内容を変えていますか ?」という質問に対して 52.7%が「投稿内容を変えている」と回答しており,その理由については「仕事関係のもの と趣味のものをわけたいので」という公私の使い分けや,「自分だとバレたくないので」と いうように現実とは異なるネット上の自分を持つためという考えが多く見られた. 変えていない 47.3% 変えている 52.7% 「出典:トレンド総研(2013)」 図 3 匿名で登録しているメディアと実名で登録しているメディアとでは投稿内容を変え ていますか? さらに「あなたは SNS の種類ごとにネット上の人格を使い分けていますか?」という質 問に対しては「使い分けている」という回答が 66.7%にも上った. 前述した事例で高校生がフォーマルな空間,セミ・フォーマルな空間,インフォーマルな 空間の 3 つの空間で異なる音楽が好きだと主張したように,SNS の利用者の中には対面で のコミュニケーションと SNS 上でのコミュニケーション,または SNS ごとで人格を使い 分けている人が存在する.つまり一見インフォーマルな空間に見えるような SNS は「友人・ 知人に見られているか」 , 「実名とハンドルネーム」などの違いによりフォーマルな空間,セ ミ・フォーマルな空間,インフォーマルな空間のどれにでもなりうる空間である. 3-2. 投影による同類への嫌悪 それでは友人や知人に知らせず,ハンドルネームを使用することでインフォーマルな空 間を作り,現実世界では全く繋がりのない人となら本音でコミュニケーションをすること ができるのだろうか.そもそも人々は SNS をどういった目的で利用しているのだろうか. - 146 - 総務省の調査によると,ソーシャルメディアviiの利用目的に関しては「知りたいことについ ての情報を探すため」が 44.7%と最も多く,次いで「同じ趣味・嗜好を持つ人を探すため」 が 35.9%であった(図 4) .また,ソーシャルメディアにより実現したことに関しては「知 りたいことについての情報を得られた」が 84.1%で最も多く, 「同じ趣味・嗜好を持つ人と 交流できた」が 73.7%と 2 番目に多かった(図 5) .これらのことから SNS を含むソーシャ ルメディアによって趣味を共有する人と出会い,交流するということは多くの人が行って いるといえるだろう. しかしこのように趣味の合う人と出会えたとしても人が無意識下において他者に対し 「こういう人間でなければならない」という要求をすることや,行動などによる自己呈示を するというゴッフマンの理論は SNS でも通用するのではないかと筆者は考える.SNS のユ ーザー同士の関係性においても現実世界と同じようにスティグマは生まれ,それを隠しコ ミュニケーションをとることも行われているだろう.むしろ趣味の近い者同士の方が互い に期待値が高く,厳しく評価しあう関係にあり,結果的に「同属嫌悪」という状態に陥る可 能性もある. 人は自我を「まとまりを持った統一体」であると把握しており,それと相容れない傾向を 抑圧することで,その人によって生きられなかった反面をユングは「影」と呼んでいる(河 合 1976) .スティグマと影は異なる概念ではあるが,これまでゴッフマンの社会学を基に 論じてきた音楽的な趣味の隠蔽をユング心理学における「影」と照らし合わせて考えてみる と,日常での演技と異なってしまい,印象操作により隠された「スティグマ」は「影」と似 た性質を持っているだろう. SNS において隠していた趣味,つまり日常での「スティグマ」や「影」をさらけ出し, 同じような趣味を持つ他者と出会えた場合,ゴッフマンの主張ではその他者を「同類」と呼 び,スティグマを持つ者同士は良き理解者になるとしている.しかし,もしスティグマを持 つ他者が意識的に,あるいは無意識的にスティグマを持たない「ノーマルな人」を SNS 上 で演じるということがあれば,その人と繋がりを持つ「スティグマのある人」はその人に対 して嫌悪感を抱くことになる. 一方でユング心理学の観点から見ると,その他者は自分がこれまで人前で抑圧し自己か ら切り離していた性質を持っており,自己の「影」と非常に似た存在である.このように自 己の影を他者に投げかけることをユングは「投影」と呼んでいる.自分の中で社会に受け容 れられるために捨て,ある意味「悪」とみなした性質を持つ者に対しては必要以上に嫌悪感 を抱くことになる. vii 総務省の調査におけるソーシャルメディアの定義では「マスメディア」に対し,主にイ ンターネットを用いて利用者が情報を発信し,発信された情報に対して人と人,人とモノ の相互のコミュニケーションを促進する仕組みを有する Web サービスとしており,代表的 なものとして SNS,ブログ,Twitter,動画投稿サイトが挙げられている. - 147 - 「出典:総務省(2011)」 図 4:ソーシャルメディアの利用目的を教えて下さい. - 148 - 「出典:総務省(2011)」 図 5 ソーシャルメディアを利用して実現したことについて教えて下さい. - 149 - 以上のように同じスティグマを持つ者の中でノーマルな人を演じることや,同じ趣味で ある者に自己の影を投影することは同属嫌悪の原因になると筆者は考える.その結果 SNS 上での言い争いや, 「フレンド」 , 「フォロー」を解除し繋がりの遮断に繋がる.それを避け るためにはたとえハンドルネームを使用し,友人に知らせておらず,同じ趣味を持つ者だけ との繋がりであっても細心の注意を払わなければならない.小泉の行った空間の分類にお いて自己の趣味を露呈することのできる「インフォーマルな空間」とは学校で習うような知 識ではなく日常知識を扱い,評価を伴わない空間のことであった.しかし無意識下の評価が どの空間でも行われ,更に人が自己と同類の者すら嫌う性質を持つ以上,真の本音というも のがさらけ出される空間というものは存在しないのではないか. 4 これからの趣味と人付き合い これまではゴッフマンやユングの考えを借り,音楽的趣味の隠蔽のメカニズムや SNS 上 での人付き合いの難しさについて述べてきた.現実においても SNS 上においてもありのま まの自分というものを表現することはなかなかできない. このような社会の中で少しずつ趣味の楽しみ方も変容している. その代表的なものが 1 人 でカラオケをするヒトカラだろう.ヒトカラをする人は以前から存在していたが,現在増え ているヒトカラは性格が異なる.従来のヒトカラは 1 人で歌を練習し,その後みんなの前 で披露するための個人練習としての性格が強かった.人に唄っているところを見せて,聴か せて,あるいは人が唄っているところを見て,聴いて楽しむのがカラオケの楽しさの醍醐味 だと考えられていたからである.しかし現在増えているヒトカラは自分で好きな曲を周り の目を気にせず,好きなだけ唄うことで満足したり,大声を出しストレスを解消するために 行われているという(前川 2009).この背景としては SNS などのインターネットを通じ た繋がりの濃密化により時間や場所を問わずに友達との繋がりが増え,気を遣わずに自由 に行動したい欲求が高まったことが指摘されている(大西 2012).一方で歌ったり演奏し た様子を録音・録画し,それを通信カラオケ「DAM」と連携した SNS である「DAM★と も」や「JOYSOUND」と連携した SNS である「うたスキ」を代表とするようなカラオケ 専門の SNS や「YouTube」や「ニコニコ動画」のような動画共有サイトへアップロードす る.あるいは「TwitCasting」や「ニコニコ生放送」,「USTREAM」のようなライブ配信 サイトを利用することで自分の唄っている姿や演奏している姿を見せることで,似た趣味 を持つ人と交流し,評価されることを楽しむ人もおり,趣味の楽しみ方の個人化が進みなが らも,趣味を楽しみつつ他者と繋がる方法も世の中に生まれている. また SNS においても「Twitter」や「Facebook」のような世界中にいる不特定多数と繋 がることのできるものとは対照的に,繋がれる人数が制限されているクローズド SNS が注 目されている(大山 2013).クローズド SNS には繋がれる人数が 150 人に制限されてい る「Path」やフレンドの上限が 20 人の「Close」,恋人との間でのみ利用できる「Between」, 「Couple」,「Pairy」などが存在する.これらのクローズド SNS の多くはサービス開始 - 150 - から日が浅く,ユーザー数が拡大しているとは言いがたいが,世界中からアクセスできる多 くの SNS とは違い,恋人や親しい仲間,趣味の合う人だけなど自分の投稿を見られる相手 が限定されるためより気軽に,ストレスも少なくコミュニケーションがとれるサービスで ある. 以上のようにヒトカラをするようになってもネット上で交流をする人がいたり,SNS 疲 れがあっても SNS をやめるのではなくクローズド SNS を利用する人がいるように,人々 は孤独というものを避けている.その中で新しい趣味の楽しみ方,人との繋がり方が世の中 に生まれ,趣味を楽しみながらも自分にとって居心地の良い空間,悪く言うと都合の良い空 間を求め続けている. おわりに 音楽の個人化の最大の要因とも言われるウォークマンの誕生から 30 年以上が経った.し かし大勢とカラオケに行った場合にはそのほとんどが知っている曲を選ばなければならな いと考える人もいるだろう.初対面の人に「普段,どんな音楽を聴きますか.」と尋ねられ た場合は自分の好きな音楽の中でも広く知られており,マイナスなイメージを持たれにく い音楽を相手に告げるだろう.音楽の個人化が進んだとしても衝突や差別を避けるため,自 己のイメージを保つために我々はその個人化された音楽を隠さなければならないことがあ る. これまで述べてきたとおり,人が真の本音を明かせる場所を見つけることは容易ではな い.もちろん学校の中で自己の音楽的趣味について語る者もいる.学校では本音で話せずと もライブハウスなどで同じ趣味を持つ者と音楽を共に楽しむ人もおり,それができなくて も SNS の中で音楽的趣味について語る人がいる.その人達の中には,仲間とうまく関係を 作り,それを保つことができる人が大勢いるだろう.それができない者にとってもヒトカラ やクローズド SNS のような居心地のよい空間が生まれたことで,ストレスが少なく趣味を 楽しめるようになったのかもしれない.とはいえ現実での知り合いに対して演技を続ける ことや,人との繋がりを縮小させていることも考慮し肯定的に捉えるか,否定的に捉えるか は人により異なるだろう.個人の趣味というものが認められる社会になることが望ましい が,それが進まないのも現実である以上,居心地の良い空間で趣味を楽しむことを否定する ことはできないと筆者は考える. 文献 薗田碩哉,1993, 「趣味」森岡清見・塩原勉・本間康平編, 『新社会学辞典』,有斐閣,719 小泉恭子,2007, 『音楽をまとう若者』 ,勁草書房 HMV ONLINE,2009, 『音楽とモテに関する意識調査発表!』 ,HMV ONLINE (2013 年 8 月 26 日 取得, http://www.hmv.co.jp/news/article/908110047) Leander Kahney, 2003, ITunes Undermines Social Security, WIRED.com, (2013 年 12 - 151 - 月 17 日取得,http://www.wired.com/gadgets/mac/news/2003/11/61177) (=2003, 遠山美智子・高森郁哉, 「『iTunes』のプレイリスト共有機能で問われる音楽セン ス」 ,WIRED.JP,2013 年 12 月 17 日取得, http://wired.jp/2003/11/14/%E3%80%8Eitunes%E3%80%8F%E3%81%AE%E3 %83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88% E5%85%B1%E6%9C%89%E6%A9%9F%E8%83%BD%E3%81%A7%E5%95%8 F%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%82 %BB/) ) Erving Goffman, 1963, Stigma: Notes on the Management of Spoiled Identity, Prentice- Hall.(= 2001,石黒毅, 『スティグマの社会学――烙印を押されたアイデンティ ティ改訂版』 , )せりか書房. Erving Goffman, 1959, The Presentation of Self in Everyday Life, Doubleday.(=1974, 石黒毅『行為と演技――日常生活における自己呈示』 ,誠信書房. 蛭子井純・白石幸・木村浩章・中島達夫,2009, 『SNS を用いたユーザの情報共有による節 約行動の動機付け校歌の検証』 ,情報処理学会 ICT 総研,2013「SNS 利用動向に関する調査」 ,ICT 総研,(2013 年 12 月 18 日取得, http://www.ictr.co.jp/report/20130530000039.html) トレンド総研,2013, 「 『SNS 上の人格事情』に関する調査」 ,トレンド総研,(2013 年 12 月 18 日取得,http://www.trendsoken.com/lifestyle/l20130419-2.pdf) 総務省,2011, 「次世代 ICT 社会の実現がもたらす可能性に関する調査」,総務省情報通信 統計データベース, (2013 年 12 月 17 日取得, http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/linkdata/h23_05_houkoku.pdf) 河合隼雄,1976, 『影の現象学』 ,思索社 前川洋一郎,2009, 『カラオケ進化論――カラオケはなぜ流行り続けるのか』,廣済堂出版 大西康平,2012, 「気疲れイヤ, 『1 人カラオケ』若い世代で増加」,日経電子版, (2013 年 12 月 17 日取得, http://www.nikkei.com/article/DGXBZO45049820W2A810C1HP0A00/) 大山貴弘,2012, 「 【SNS】Facebook に疲れた? クローズド“少人数”SNS が広まる理由」, ウレぴあ総研, (2013 年 12 月 16 日取得,http://ure.pia.co.jp/articles/-/5716) - 152 - Ⅱ 第 9 期生 進級論文 - 153 - 視覚に頼らない美術鑑賞の可能性 ―視覚障害者への美術鑑賞支援― 森谷 奈央子 はじめに 美術鑑賞を楽しむときに,絵画であっても彫刻であっても私たちはほとんどの場合視覚を使 って鑑賞する.それは当然のことと思うかもしれないが,仮に視覚を使うことが困難な状態にあ るとするならば,美術鑑賞は不可能だといえるのだろうか. 今,視覚障害者による美術鑑賞の機会が増えつつある.このことから視覚を使うことが難しい 彼らにも美術鑑賞が可能であり,またニーズがあるといえるだろう.では果たして彼らのような 人々にとって,現在の美術鑑賞の環境は整っているものといえるのだろうか.少なくとも美術館 等を訪れた際に彼らの姿を見かけることがそう多くないことは確かである.そもそも人口全体 から見て視覚障害者の割合が少ないというのももちろんあるが,理由はそれだけではないよう に思う. 文化芸術の振興に当たっては,文化芸術を創造し,享受することが人々の生まれながらの 権利であることにかんがみ,国民がその居住する地域にかかわらず等しく,文化芸術を鑑賞 し,これに参加し,又はこれを創造することができるような環境の整備が図られなければな らない. (文化芸術振興基本法 第一章 第二条) とあるように視覚障害者も晴眼者と変わりなく芸術鑑賞をすることができなければならない はずである.本稿では視覚障害者への美術鑑賞支援の取組みに注目し,「見る」ことが難しい彼 らと美術とのつながりにも触れながら,彼らが障害の有無にかかわらず気軽に美術鑑賞を楽し むことができるような環境をつくっていくために,どのような支援のあり方が望ましいのかを 考えていく. 1 視覚障害者と美術 美術鑑賞に不可欠といってもよい視覚であるが,それゆえ視覚障害者は美術から縁遠い存在 と感じる人も多いだろう.しかし,決してそんなことはないのだということができる.ここでは 視覚障害者がどのように美術と関わってきたのかについて述べる. 1-1. 視覚障害者への造形教育 美術に触れるということは鑑賞だけを指すわけでないことは明らかだ.鑑賞するには何より もまず作品がなくてはならないが,その作品の作り手に視覚障害者もなり得るのだということ - 154 - を述べたい.現在でこそ特別支援学校(盲学校)のカリキュラムに美術が組み込まれているが, 過去に遡れば,ある時期まで視覚障害者への美術教育がされることはなかった.視覚障害者が鑑 賞,ましてや美術作品を作るなど誰も想像さえしなかったためだろう.福来(2003)によれば, 視覚障害者に対しての造形教育が開始されたのは 1950 年のことである.当時神戸市立盲学校で 教壇に立っていた福来が視覚障害児たちに対して造形の指導を始めたことがきっかけであった. 当時,国内はおろか海外でさえも視覚障害者に対する造形教育はされることはなかったようで ある.福来は当時の神戸市立盲学校長の「あなたの創造力と情熱をもって新しい道を開いてはく れまいか」(福来 2003:16)という言葉に応え,前例もなく手さぐり状態の中,生徒たちに造形 教育を開始することとなった.造形の教材として福来が選んだものは手に優しく,変形すること も容易な粘土であった.生徒たちは目が見えない自分たちに作品をつくることを強いる福来に 反発し,最初の授業で粘土に触れるものはいなかった.しかしながら彼の根気強い指導もあり, 次第にその成果が明らかになっていった.1956 年に開催された美術展では晴眼者と対等に作品 が審査され,生徒の全作品が入選することとなった.このことは海外でも報道されたようである. 福来の造形教育指導は,視覚障害者に美術作品を作ることはできないとされてきたそれまでの 状況を大きく変化させたといえる. 1-2. 視覚障害者による美術鑑賞 視覚障害を持っていても美術作品を生み出すことが可能だということが明らかになった.そ れでは作品を鑑賞するという点についてはどうだろうか.視覚障害者の美術鑑賞に大きな影響 をもたらした存在といえるのがギャラリーTOM だろう. ギャラリーTOM は 1984 年,視覚障害者が彫刻に触って鑑賞できる場所として村山亜土・治江 夫妻によって東京渋谷につくられた私立の小さな美術館である.おそらくギャラリーTOM 設立以 前は視覚障害者が鑑賞を楽しむための美術館は存在しなかっただろう.そのため,視覚障害者が 美術鑑賞できることを知る人はほとんどいなかったのではないだろうか.ギャラリーTOM を訪れ た人には視覚障害者が鑑賞できる場所があると知り,障害を発症して初めて美術鑑賞をしてみ ようと足を運んだ人や,もともと美術に興味があった人など様々いるが,この美術館ができたこ とにより,視覚障害者だけでなく他の美術館からも視覚障害者による美術鑑賞に注目を集める こととなった.また,障害保健福祉研究情報システム DINFiによれば 1988 年には「盲人と造形芸 術」をテーマにした芸術祭も開催されており,この芸術祭の開催も視覚障害者の芸術活動に影響 をもたらしたといえるだろう. 視覚障害者にも美術作品を創作,鑑賞できるということが明らかになった.しかし彼らの芸術 活動が広まっているとは言い難い.これはギャラリーTOM を訪れた人の中に視覚障害者でも鑑賞 できるのだということを初めて知った人がいるように,視覚障害者の間でも創作や鑑賞が可能 であることを知らない人がまだ大多数を占めているせいではないだろうか.彼らの中だけでも i 公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会が運営する情報サイト.国内外の障害者の 福祉,保健に関する情報が広く集められている. - 155 - 広く知られているわけではなく,ましてや晴眼者においてはほとんどの人が知らないのが現状 だろう.だからといって活動を行っている人々がいる以上,その活動に対し何らかの支援がなさ れなければならない.障害を持つ彼らが芸術活動を行っていく上では,サポートが必要になって くるはずである.近年ではアウトサイダーアートと呼ばれるような障害者等により生み出され た作品への関心が高まり,障害者の創作活動への支援は行われるようになってきている.しかし 鑑賞という点では支援が進んでいるといえるのだろうか.2 章では視覚障害者に対しどのような 支援が行われてきたのかについて見ていきたい. 2 視覚障害者への支援状況 2-1. 行政の取組み 視覚障害者を含む身体障害者に対しては彼らの生活を支援するために 1949 年に身体障害者福 祉法が制定されたのを皮切りに 1993 年には障害者基本法,また 2006 年にはバリアフリー新法 が制定されるなど着実に彼らの生活に対し支援が進められているといえる.バリアフリーとい う言葉も今では珍しいものではなくなった.街に出ればいたるところに点字ブロックや音響信 号機が設置されており,またアルコール飲料の缶やシャンプーの容器,駅の券売機の回り等にも 点字が施されていることに気づくだろう.こうした生活空間の整備もあり,現在では彼らの内, 週に 2,3 回以上外出するという人は全体の半数以上にものぼる.(厚生労働省 2006) 1 章では視覚障害を持つ人々が美術と切り離された存在ではないということを述べたが,障害 を持つ彼らが満足に芸術活動を行っていくためには生活の支援と同様に,周囲からの支援が無 くてはならないだろう. 厚生労働省では障害者の芸術活動への支援として以下のようにまとめている. 1. 全国障害者芸術・文化祭の開催 2. 芸術・文化講座開催等事業(地域生活支援事業) 3. 国際障害者交流センター(ビッグ・アイ)による障害者の芸術文化の発信 4. 障害者総合福祉推進事業(18 年~21 年度は障害者自立支援研究プロジェクトとして実 施) 5. 障害者自立支援対策臨時特例交付金の交付(厚生労働省 2013) これらの支援は視覚障害者のみに適用されるものではなく,身体障害や精神障害を含む障害 者とされる人全体に向けたものである.また,国際障害者交流センターが実施した全国の障がい 者芸術・文化活動の調査(2010)を見ると平成 22 年度に茨城県で行われた自治体が関与する取 組みは 1 件であったのに対し,神奈川県では 8 件の取組みが見られるなど,地域によりバラつき が生じていて,各自治体で満足な支援がされているとは言い難いのが現状である. - 156 - 2-2. 美術館による取組み 我が国の美術館では視覚障害者の鑑賞という点でどの程度支援がされているのだろうか.厚 生労働省による「障害者アート推進のための懇談会」報告書(2008)によれば既にいくつかの美 術館では視覚障害者に対する鑑賞支援が始まっているという.山梨県立美術館の「手で見るミレ ー」や静岡県立美術館のロダン彫刻の触察,千葉県立美術館の「触れる彫刻のコーナー」,川越 市立美術館の「タッチアートコーナー」など展示作品の一部ではあるが視覚障害者が触って鑑賞 するための作品を用意している美術館がある.また,愛知県美術館では毎年「視覚に障害のある 方へのプログラム」を開催している.ここでは彫刻作品だけではなく絵画作品の鑑賞も行われて いる.絵画作品に関しては図柄が盛り上がった立体コピーを使用しているという.しかし,こう した鑑賞方法には触ることにより作品が劣化することが懸念される.だからこそ美術館側も,触 って鑑賞するために用いる作品は劣化の可能性が低い一部の彫刻作品等に留めているのだろう. 兵庫県立近代美術館では 1989 年以降,毎年「美術の中のかたち―手で見る造形」展を開催.2002 年以降も兵庫県立美術館で踏襲しているということだが,これまでに触る鑑賞によってダメー ジを受けた作品は一点に留まっているというデータもある. 視覚障害者に向けた美術館としては,第 1 章でも取り上げたギャラリーTOM,また桜井博物館 (岩手県盛岡市)といずれも私立の美術館となっている. 日本博物館協会が 2004 年に実施した博物館における障害者対応に関するアンケート調査では 視覚以外の方法で観察・鑑賞できる展示物について「ある」と回答した館は 873 館中 382 館で, 全体の 43.8%に留まった.また「ない」と回答した館は 484 館で全体の 55.4%であった. 「ある」 と回答した館についてその内容は「手で触る」と回答した館が 295 館, 「体験する」が 103 館で ある.さらに「視覚に障害のある人が展示物を観察・鑑賞するための支援を行っていますか」と いう問いに対し, 「支援をしている」と回答した館は 187 館(21.4%)で, 「していない」と回答 した館は 636 館(72.9%)にも上った.(文部科学省 2004)この結果を見ると,支援を行ってい る館はあるものの,多くの博物館ではまだ支援が進んでいないのが現状であることがわかる.場 所によっては視覚以外の鑑賞方法の質が必ずしも高いとは言えないものも存在するだろう.ま た,このアンケートは博物館全体について調査しているものであり,美術館に限定していないこ とから,視覚以外の鑑賞方法が用意された美術館はさらに少ないといえる.現在,とりわけ多く の公立美術館では資金面で問題を抱えているが,そうしたことも視覚障害者への鑑賞の取組み が進まない要因の一つと考えられる. 2-3. 民間団体による支援 視覚障害者の鑑賞支援を NPO 等の民間組織が行っている例もある.ひとつは NPO 法人のエイ ブル・アート・ジャパンである.エイブル・アート・ジャパンは障害者が芸術活動を通して自ら を表現し,また彼らの社会的イメージの向上をめざし,障害者の様々な芸術活動を支えている NPO 法人である.エイブル・アート・ジャパンでは鑑賞支援も行っていて,かつては MAR という グループが組織内に存在しており,鑑賞ツアーの開催など視覚障害者への鑑賞支援が早い段階 - 157 - から行われていた.また関西ではミュージアム・アクセス・ビュー(京都)や名古屋 YWCA が同 じように鑑賞支援やワークショップの開催を定期的に行っている. しかしこうした団体においては支援活動をいかに継続していけるかが問題となってくる.先 述した MAR についても現在は活動が停止しているようである.それでもこうした活動がさらな る支援活動を生んでいることは間違いないだろう. 3 美術鑑賞支援の事例 3-1. 対話という鑑賞方法 視覚障害者の美術鑑賞が広まるためには触る鑑賞が有効であるが,2-2 に書いたように問題が あることも事実である.そこで対話型鑑賞に注目すべきではないだろうか.artscapeiiによれば, 対話型鑑賞とは「子供の思考能力,対話能力の向上を目的に実践される対話による美術作品の鑑 賞を指す」ものである.この方法は,1984 年から 96 年までニューヨーク近代美術館で学芸員を していたアメリア・アレナスにより実践された鑑賞方法の一つだ.従来は作品の作者の経歴や, 歴史的事実を基に考察された作品の価値,作者の意図などを鑑賞者に一方的に説明するという かたちが一般的であった.しかしアメリアは「作品の意味は作者の責任外の問題である」 (アメ リア 1998:41)として,美術史的な知識や解釈を押し付けるのではなく,鑑賞者が作品と,また 他者との対話の中でどのように思考するのかということを重視している.鑑賞は美術を学ぶの ではなく「美術を通して他の「何か」を学ぶということが大事」 (上野 2001:30)なのである. この対話型鑑賞は日本の鑑賞教育の分野でも大きく注目され,美術館や学校等で取り入れよう とする動きが出ている.対話型鑑賞は鑑賞教育という分野において用いられることが多いが,本 稿では鑑賞教育としてではなく視覚に頼らない鑑賞のための一つのメソッドとして,対話型鑑 賞という言葉を用いることとする.鑑賞に対話を用いれば,作品に触れ劣化させることも,また 触れる鑑賞のために作品を購入することもなく,導入の費用も抑えることができるだろう.さら には美術館という場所に限定されず,彫刻から絵画まで様々な作品を視覚障害者が鑑賞できる と考えられる.現在いくつかの美術館や民間団体でも視覚障害者の鑑賞支援に用いられている. 次節からその事例を見ていく. 3-2. 視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ 3-2-1. 団体の概要 「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」はあらゆる人が一緒に美術鑑賞を楽しむこと を目的に,2012 年 6 月に任意団体として活動を開始した.メンバーは代表の林建太氏を中心に 彼を含む晴眼者 2 名と視覚障害者 2 名の計 4 名である.団体の主な活動として,月に 1 度,都内 近郊の美術館を中心に開催するワークショップがある.ホームページでもワークショップは月 ii 大日本印刷株式会社が運営する美術情報を配信する web マガジンである. - 158 - に 1 度としているが 2,3 回開催する月もあるようだ.一回のワークショップでは 15~30 名の 参加者を募集している.参加者に年齢や障害の有無による制限はない.参加費は一人につき 500 円(開催されるワークショップによっては異なる)で,参加者は美術館の入館料を別途支払う. 3-2-2. ワークショップの詳細 ワークショップ全体の流れは以下のとおりである.尚,このワークショップの詳細は筆者が実 際に参加した回を参考にしている. ① 全員が集合したところでグループごとに自己紹介をする.グループは予め決められており 受付を行った時点で伝えられる.この回は 2 グループで行われ,一つのグループの人数は スタッフを含め 10 名程度であった. ② 鑑賞を始める前に作品を写した写真を見ながら,作品の印象を視覚障害者に伝えるために どのように表現すればいいのかを確認する. ③ 展示室に入り予め決められていた作品を 3~4 点鑑賞する.残りの時間をグループで好きな 作品を 1~2 点選び鑑賞.鑑賞はそれぞれが意見を述べながら行う. ④ 最後にグループのメンバー一人一人が感想を述べ終了.所要時間は約 2 時間であった. 鑑賞は対話によって行われる対話型鑑賞である.晴眼者が作品の印象を伝え視覚障害者はそ の作品がどのようなものか,晴眼者の意見を参考にイメージする.イメージし辛い部分があれば それを伝え,晴眼者はさらに詳細に説明する.作品の説明は「明るい」「暗い」「硬い」「やわら かい」「男性」など視覚障害者が具体的にイメージできそうな言葉で行い,色を伝えることは少 なかった.また,説明が難しいポーズをとった人物の作品を鑑賞した際には視覚障害者に同じポ ーズを取ってもらうことで伝えるようにした.鑑賞の際スタッフは参加者がうまく対話に参加 できるように言葉を引き出す役割を担っていた.ワークショップは毎回異なるテーマが設けら れており,筆者が参加した回は「その作品を買いたいかどうか」であった. 3-3. 横浜美術館 3-3-1. 美術館概要 横浜美術館は 1989 年に横浜博覧会施設として開館した,みなとみらい地区の中心部に位置す る横浜市立の美術館である.近年は鑑賞支援にも力を入れており視覚障害者や聴覚障害者を対 象としたワークショップを開催している.視覚障害者を対象としたワークショップは「視覚に障 がいのある人とない人が共に楽しむ鑑賞会」というもので,常設展示の展示替えごとに開催して いる.各回 20 名程度を募集しており,参加費は無料であるが別途観覧料が必要である. - 159 - 3-3-2. ワークショップの詳細 視覚に障がいのある人とない人が共に楽しむ鑑賞会の流れは以下のとおりである.このワー クショップの詳細についても筆者が実際に参加した回を参考にしている. ① 受付を済ませた後,美術館の一室に集合しグループごとに集まる.一つのグループは 4~5 名で,筆者が参加した回は 6 グループあった.グループの内一人は鑑賞パートナーと呼ば れる美術館のボランティアである.参加者がそろうとまず自己紹介をし,その後学芸員が全 体の流れを説明する. ② 作品鑑賞のヒントとなるポイントが書かれた紙が配られる.ポイントとして作品のある場 所,大きさ,重さ,形,肌触り,色が挙げられていた. ③ この回ではブロンズ作品の鑑賞がメインだったので,集合している一室に,一つのブロンズ 作品とその作品が制作される過程で使われる型や材料が用意されていた.視覚障害者を中 心に参加者がそれらに触れてその材質などを確かめた. ④ 展示室に入り,一つの作品を学芸員が解説する. ⑤ その後グループごとに予め指定されていた作品を 1 作品鑑賞し,残りの時間でグループで 選んだ作品を 2~3 点鑑賞した. ⑥ 最後に一つの部屋に集合し,グループの代表が感想を述べて終了.所要時間は約 2 時間で あった. 鑑賞は対話によって行われる対話型鑑賞である.先述したワークショップの例と同様に,色よ りも作品から受ける印象を中心に説明した.また鑑賞の際にサポートを行う鑑賞パートナーは 20 名ほどおり,視覚障害者のサポートや作品解説を行うための講習も受けている. 4 考察 第 3 章では二つの団体による鑑賞支援について取り上げた.この二つの団体を比較したときに 見えてくる共通点として,鑑賞の形態がグループで行う対話型鑑賞であるという点が挙げられ るだろう.鑑賞がグループで行われることについて,一度に多くの人が鑑賞に参加できるためと いう他にも対話による鑑賞をスムーズにするという点でグループ鑑賞が用いられていると考え られる.グループ鑑賞のメリットは多くの人の意見が出るという点である.仮に晴眼者と視覚障 害者が一対一で鑑賞を行えば視覚障害者は一人の意見しか参考にすることができない.対話型鑑 賞が成り立たないわけではないが,視覚障害者は相手の晴眼者ただ一人の意見を参考にするこ とになり,相手の見方や感じ方に偏りがあれば,視覚障害者がイメージする作品像も偏ってしま う可能性がある.しかしグループによる鑑賞では複数の意見を参考にできるため,視覚障害者が 様々な意見を通して作品のイメージをつくることができる.視覚障害者との対話型鑑賞が効果を 発揮するためには,対話に参加する人数も関係してくるといえるだろう.今回の二つのワークシ - 160 - ョップではグループの人数が異なっていた.視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップでは一 つのグループに 10 名程度,横浜美術館では 4~5 名であった.筆者の印象として前者のほうがよ り活発に意見がでていたように感じられた.しかし,10 名を超えるグループになると対話の輪か ら外れてしまう人が出てくる可能性も考えられる.グループでの鑑賞は 5~10 名程度で行うこと で効果を発揮するのではないだろうか.また鑑賞の際,晴眼者の割合が多い方が視覚障害者に対 して視覚的な情報を多く伝えることができることは言うまでもないだろう. 相違点としては横浜美術館の方が細かなプログラムを組み,美術館ならではの強みを生かし た仕掛けをしているという点である.美術館にはワークショップで使うことのできる資料も多く, 実際に作品や材料に触れる時間も設けられていた.また,学芸員が企画していることもあり,作 品の解説も学芸員から詳しく聞くことができる.作品の背景を知ることは視覚障害者が作品のイ メージをつかむのに必要な要素といえるだろう.しかし,美術館が主催のワークショップではそ うした鑑賞教育的な側面が強く出てしまうこともあり,全体で集合する時間が多くなるため,グ ループで作品を鑑賞する時間が短くなっているように感じられた.また全体での行動が多い分, もう一方のワークショップと比べ自由度が低いように感じられた. 二つの具体事例を見てきたが,多くの場所で簡単に実施できる鑑賞支援としては視覚障害者 とつくる美術鑑賞ワークショップのかたちが応用しやすいように思う.横浜美術館のような学習 の要素も取り入れたワークショップを望む人々は多いだろう.作品に対する知識を得ることは 美術鑑賞の意義の一つであるし,作品を自分なりに考察し,解釈するためにも必要なものである と思う.しかし,横浜美術館の例は美術館という施設や学芸員という存在がいてこそ成り立つも ので,小規模の美術館や他の鑑賞の場面で応用するには難しい面もあるのではないだろうか. 今回取り上げた二つの取り組みはワークショップ形式でのグループ鑑賞であった.しかし,複 数人で行動することに抵抗がある人もいるだろう.現在,美術館によっては事前申し込みにより 学芸員から解説を受けることが可能である場所や,NPO などの団体にも一人から鑑賞のサポート を行っているようなところもある.グループでの鑑賞はどうしても自分のペースで鑑賞すること が難しいという欠点があるが,こうした個人に対する鑑賞支援もさらに活用されていくべきで はないだろうか.視覚障害者への鑑賞支援が進んでいないように見えるのは第 2 章にも書いたよ うに多くの人が,視覚障害者が鑑賞できることを知らないことにも起因するだろう.いずれの取 組みもまだ試験的な部分があるように感じられたが,こうした取り組みが増えていくことで視 覚障害者の美術鑑賞の環境が改善されていくことは間違いないのである. おわりに 本稿では視覚障害者と美術の関係を通して,彼らに対しどのような鑑賞の支援がされていく べきなのかを見てきたが,調査を進めていくうちに明らかになっていったのは視覚障害を持つ 人々が予想していたよりもずっと美術との関わりを持っているということだった.既に何度か 名前が挙がっているギャラリーTOM では毎年夏休みに特別支援学校の生徒作品の展示も行って いて,親子で鑑賞に訪れる人も多いそうだ.今回の調査を通して,作品の制作から鑑賞まで,美 - 161 - 術を楽しむには視覚障害の有無は関係ないのだということに気付かされると同時に,改めて支 援の必要性を感じた.また,ワークショップに参加してみて,触れることや,対話を通しての鑑 賞方法が確立されていくことは視覚障害者にとってだけではなく,晴眼者にとっても新たな鑑 賞方法が開拓されるという点でメリットとなるのではないかという思いが生まれた.視覚障害 者への鑑賞支援は十分成されているとは言い難いが,彼らが美術と関わる機会は確実に増えて きている.少しでも早く視覚障害の有無に関わらず美術鑑賞が楽しめる環境になってくれるこ とを願う. 文献 アメリア・アレナス,1998,『なぜ,これがアートなの?』(福のり子訳,淡交社) . artscape,2013,artscape ホームページ(2013 年 12 月 30 日取得, http://artscape.jp/artword/index.php/%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E5%9E%8B%E9%91%91%E8 %B3%9E) . エイブル・アート・ジャパン,2013,エイブル・アート・ジャパン ホームページ(2013 年 12 月 30 日取得,http://www.ableart.org/) . 上野行一,2001, 『まなざしの共有 アメリア・アレナスの鑑賞教育に学ぶ』淡交社. ギャラリーTOM,2013,ギャラリーTOM ホームページ(2013 年 12 月 30 日取得, http://www.gallerytom.co.jp/). 公益財団法人日本博物館協会,2013,公益財団法人日本博物館協会ホームページ(2013 年 12 月 30 日取得,http://www.j-muse.or.jp/index.php). 厚生労働省,2006,『身体障害児・者等実態調査』 (2013 年 12 月 30 日取得, http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001059905). ――――,2008,『障害者アート推進のための懇談会報告書』(2013 年 12 月 30 日取得, http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/sanka/dl/bunka01.pdf). ――――,2013, 『第1回障害者の芸術活動への支援を推進するための懇談会資料 資料 7』 (2013 年 12 月 30 日取得, http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000034efw-att/2r98520000034em4.pdf ). 国際障害者交流センター,2010, 『全国の障がい者芸術・文化活動の調査』 (2014 年 2 月 11 日取 得,https://big-i.jp/art/activity/investigation/inv3.php) . 視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ,2013,視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショッ プホームページ(2013 年 12 月 30 日取得,http://kansho-ws.jugem.jp/). 障害保健福祉研究情報システム DINF,1994, 『平成 6 年度障害者文化芸術振興に関する実証的研 究事業報告』(2013 年 12 月 30 日取得, http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/other/z00017/z0001701.html) . 福来四郎,2003, 『盲人に造形はできる―盲人造形教育 30 年の記録―』個人出版. 文化庁,2001,文化芸術振興基本法(2013 年 12 月 30 日取得, - 162 - http://www.bunka.go.jp/bunka_gyousei/kihonhou/kihonhou.html) . 文部科学省,2004 , 『誰にもやさしい博物館づくり事業』 (2013 年 12 月 30 日取得, http://www.mext.go.jp/a_menu/01_l/08052911/1298784.htm) . 横浜美術館,2013,横浜美術館ホームページ(2013 年 12 月 30 日取得, http://www.yaf.or.jp/yma/index.php). - 163 - これからの地域博物館の可能性 ―榛東村立耳飾り館を事例に― 坂庭 萌 はじめに 近年,博物館施設では指定管理者制度の導入などの影響により内容の面でそれぞれの個性,特 色あるものを企画,実施することに力を入れだしている.しかし,財政,組織や体制,施設設備 の関係などの制約により博物館特有の問題が起こっている.その上,地域や他の機関・団体等と の連携の不調により,博物館特有の孤立性,閉鎖性が解消されているとは言い難い状況にある. しかし公立博物館は地域の人々にも日常的に活用されるべきであり,このような公立博物館の 現状に疑問を感じ研究したい. まず1章では公立博物館の現状について論じる.2章では実際に運営している地域博物館の 取り組みを追いながら問題点について考察し,3章で榛東村立耳飾り館を例に挙げて地域の中 の博物館の可能性について考えていく. 1 公立博物館の現状 1-1. 博学連携 小学校学習指導要領・生きる力第 2 章には社会科の目標として「社会生活についての理解を図 り,我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て,国際社会に生きる平和で民主的な国家・社 会の形成者として必要な公民的資質の基.礎を養う. 」とあり,その指導計画の作成と内容の取 扱いでは「博物館や郷土資料館等の施設の活用を図るとともに,身近な地域及び国土の遺跡や文 化財などの観察や調査を取り入れるようにすること」とある.また,総合的な学習の時間などに おいても博物館の教育的機能が注目されている.これを受けて現在,日本中で「博学連携」が行 われている.しかし,遠足や授業の一環としての博物館の見学がほとんどであり,利用は一般観 覧の範ちゅうにとどまる.最近では,学芸員による館内外での指導や,教員向けの講習も段々と 増えてきていることは確かであるが学習指導要領にあるような教育的目的を十分に果たしてい るとは言い難い状況にある. また,学校連携を行う博物館は増加しているが,博物館全体の入館者数は年々減少傾向にある. これは,博学連携の仕組みやカリキュラム事態がまだ不十分であるが,博学連携という活動に傾 倒するあまりに幅広い年齢層の生涯学習支援施設としての役割を果たしきれていないという現 状を表したものであるといえる. 1-2. 生涯学習の場として 2006 年の教育基本法の改正で「国民一人一人が,自己の人格を磨き,豊かな人生を送ること - 164 - ができるよう,その生涯にわたって,あらゆる機会に,あらゆる場所において学習することがで き,その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない(第 3 条) 」と 初めて生涯学習の理念が明文化され,第 2 条では「五.伝統と文化を尊重し,それらをはぐくん できた我が国と郷土を愛するとともに,他国を尊重し,国際社会の平和と発展に寄与する態度を 養うこと」とある.このことから生涯学習に対する欲求を持つ人が増え,生涯学習の場のひとつ として博物館が求められていると考えられる.その一方で年々博物館の入館者が減少し,合併や 廃館をする博物館も少なくない. 伊藤寿朗は「地域の課題に博物館機能を通して市民と答えていく場でなければならない」や 「地域博物館は地域に生活する市民自身の自己学習能力を刺激し,育み,自分で自分 の学習を発展させていく力量(自己教育力)の形成を図ることを課題としている」 (伊藤 1991) と述べている.地域博物館は学芸員だけで作り上げることができるものではなく,受け身ではな く積極的な市民の活動によって作り上げられるものである. 2003 年の地方自治法改正により導入された指定管理者制度の影響もあり,ボランティアや友 の会の導入などそれぞれ個性のある活動をしようという意欲を持つ地域住民による博物館での 活動が増えてきていることも確かである.日本博物館協会の報告書「博物館の望ましい姿」では 市民の視点に立ち,市民と共に創る博物館をこれからの博物館のあり方としてマネージメント・ コレクション・コミュニケーションの 3 つを重視しており,主にコミュニケーションを地域住民 に期待するものである. しかし,現状では博物館内での来館者に対する案内,学芸員の指示による作業等が大半を占め ており,地域住民の自主的な学習活動の場であるとは言い難い. 地域の資源を皆で守り,次の世代に伝えていくという段階において,博学連携は重要な意味を 持つことは確かであるが,地域を構成するすべての人々の生涯学習の場として博物館が存在し ている以上,大人たちを博物館に引き寄せ,継続的な利用者であり学習者にしていく必要がある. 2 地域の中の公立博物館 2-1. 野田市郷土博物館i 野田市郷土博物館は 1951 年に博物館法が制定されてから,千葉県内で初の登録博物館である. 市民・行政・企業が一体となって建設がすすめられたが,行政改革の流れで十分な人員が確保で きなかったことや事業を縮小せざるを得なかったことなどが原因となり年間入館者数が大幅に 減少したことなどから 2007 年 4 月から地元NPO法人野田文化広場が運営をしている.指定管 理者制度を導入することでもちろんデメリットがあることは確かであるが,行政の直轄ではな く,NPO だからこそできることも少なくない. 野田市郷土博物館の新たなミッションとして野田文化広場は「地域の資源を掘り起こし,活用す る博物館,人やコミュニティが集い交流する博物館,人びとの生き方や成長を支援して,キャリ アデザインをはかる博物館」の 3 つを挙げている.これからの博物館は博物館が本来果たすべき i 金山 2012 に依拠する. - 165 - である「歴史,芸術,民俗,産業,自然科学等に関する資料を収集し,保管(育成を含む.以下 同じ.)し,展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し,その教養,調査研究,レクリエ ーション等に資するために必要な事業を行い,あわせてこれらの資料に関する調査研究をする ことを目的とする機関(第 2 条)」に加え,生涯学習の場として地域に生きる人々を支援してい くべき施設であることは先に述べたとおりである. 野田市郷土博物館では市民団体である「むらさきの里 野田ガイドの会」をはじめとするいく つかの団体の活動拠点となっている.ガイドの会は野田市内を観光客のニーズに沿って案内す る団体である.国内に今現在いくつもの街のガイド団体は存在するが,博物館を拠点にしたガイ ド団体は数少ない.ガイドの会は博物館直属のボランティアではないため,ガイドとして博物館 を案内するため地域外の人の意見に間近で触れることになる.また地域の一員としての立場か ら,博物館に対する意見を表しやすい関係にある.など地域内外両者の意見・提案は博物館にと って良い刺激になる. そのほかにも地域住民が主体となって様々な活動が行われている.寺子屋講座もその 1 つで ある.7年間月に1度行われてきた「まちの仕事人講和」と「芸道文化講座」である.これらの 活動により,参加者は講座に対する知識や技術を得るだけでなく意見交換によって更なるコミ ュニケーションの発展や自己のキャリアデザインの段階において刺激を受けることになる.そ こからまた新たな学びが始まることも少なくないだろう.また,講師側からしてみても講座をき っかけに自己を見つめなおし,意見交換によって新たな交流をもたらすこともできるだろう. 金山は地域博物館の理念を(1) 地域を理解する,(2) 住民同士のコミュニケーションづくり, (3) 地域の文化や生活を保護・育成する(金山 1999)としている.これらの活動は金山の掲げ る理念をもとにしたものになっているといえるだろう. 2-2. 平塚市博物館ii 平塚市博物館は地域と市民を結ぶ博物館として 1976 年に開館した.博物館が扱う地域的な範 囲を明確にすることで,各分野の調査研究に共通のフィールドを作り,情報交換や共同作業の基 盤を用意したいこと,自然や文化は現在の行政区画で発達してきたものではなく,自然地形を基 盤にした広い視野で把握しなければならないという」考え方からテーマは「相模川流域の自然と 文化」に設定された.この当時,博物館の活動のフィールドを明記するということは非常に画期 的であった.平塚市に居住する人,働いている人に何度も足を運んでもらうためさまざまな行事 が行われている.土曜観察会は 2 回の野外観察の後,3 回目に館に集まり参加者それぞれが発見 したことについて自然新聞として作成するという活動は現在も『ゆりのき』と名前を変えて発行 されている.通常の募集では市の中心部からの参加が多いという情報から移動博物館と位置付 け,市内の各地区の市民に限定して開催している. 漂流物を拾う会は,海と川の常設展示を充実させたいという学芸員の思いから,市民とともに 海へ行き,浜にうちあがっているおもしろいと思われる漂流物を持ち寄り,それに関する意見や ii 浜口 2000 に依拠する. - 166 - 情報を交換し,館に持ち帰ってストックし,展示するという一連の作業すべてに市民が携わって いる.このビーチコーミングと呼ばれる活動は全国のさまざまなところで行われており,全国の ビーチコーマーと交流も行われている. また,平塚市博物館では何に3回ほど特別展が行われており,日ごろの研究の結果や集めた資 料を使っての研究発表を行うオリジナルで,地域に根差した内容であることも特徴的である.漂 流物を拾う会の成果を発表する一環として特別展「砂浜の発見」が開催された. 近年,全国の博物館で博物館ボランティアを採用しているということは前述したとおりであ るが,平塚市博物館ではボランティアという形ではなく,行事を通して博物館と関わるうちに自 然と手伝うようになった市民が多く存在している.強制的にではなく,やりたいときにやれるこ とだけをやりやすい環境になっていることも多くの市民が博物館に関わりやすい要因の 1 つで ある.学芸員の浜口哲一は博物館を遠足博物館と放課後博物館の 2 種類に分けられるとしてい る.遠足博物館とは非日常的な体験ができる博物館でありそう何度も訪れる場所ではないだろ う.放課後博物館とは伊藤寿朗による博物館の 3 つの分類における地域志向型博物館と非常に 近い考え方である.この場合,放課後とは学校の放課後だけを意味するものではなく,勤め人の アフターファイブであり,定年後の人生においての活動なども含まれる.展示物は珍しいモノに 出会うという感覚よりは日ごろ見慣れたモノの価値を再発見するということに重点が置かれて おり,気軽に疑問や質問を聞きに行けたり,様々な行事に参加するなど日常的に博物館に立ち寄 ることができるような場所が放課後博物館には求められる. 表1 博物館の特徴に見る遠足博物館・放課後博物館の分類 遠足博物館 放課後博物館 市民との距離 遠い 近い 得られる体験 非日常的 日常的 国立・県立 市町村立 数回程度 何度も 文化財など珍しいもの 日ごろ見慣れたモノの価値 に を 出会う 再発見する 規模 来館頻度 展示物 出典:『放課後博物館へようこそ―地域と市民を結ぶ博物館 』を参考に筆者作成 3 榛東村耳飾り館を事例に挙げたこれからの地域博物館 3-1. 榛東村耳飾り館の活動 榛東村耳飾り館は縄文時代後晩期の集落である茅野遺跡から,多数の土製耳飾りが出土した ことから,これを展示・紹介することを目的として開館した博物館施設である.この博物館では, 予算もほとんどついておらず,展示内容もほとんど変化がないという.しかし,入館者は年々増 - 167 - 加している.それには学芸員を中心とした村民との関わりが関係している.まず,『ふるさと学 芸員認定証』がある.これは年に 1 度,全 4 回構成で開催されるふるさと歴史講座を受講すると 認定されるものである.ふるさと歴史講座は榛東村の歴史などを,講師を招いて学んだあとでコ ーヒーを飲みながら意見交換や談笑などが行われるというものである.この4回の講座に参加 すると,ふるさと学芸員に認定される.これは,榛東村の古いモノ・面白いモノを拾い集めて地 図を作りたい,一人ではできないことをみんなでやろうという学芸員の思いから始まったもの である. 現在 10 数人で月に 1 度活動している.ボランティアでもなく友の会でもないという立 場が自分たちから行動を起こそうとしやすいのだろう.以前,道祖神のふるさと学芸員の一人が 柏木宿付近の道標が崩れているのを見つけ,それを建て直そうという提案があった.それを建て 直すために歴史的な価値や意味などを皆で調べ,その際に使用する道具や材料などを皆で持ち 寄り,建て直したということがあったそうだ.その様子が上毛新聞に掲載された.そのことでよ り多くの人にしてもらうきっかけになり,またその記事を見た周囲の人から声をかけられたこ とによって,活動の張り合いになり面白みにもつながり,もっと自分たちの活動を知ってほしい, 村の歴史を知ってほしいという思いが芽生え,地元の人が日ごろから慣れ親しんでいる柏木宿 を歴史の観点からみながら散歩するという企画も行われた.これらは,自発的に活動を持ちかけ ることや支え合うことができるものとなっている. また,春と秋には手作りマーケットが行われている.これは,縄文時代はすべてのものが手づ くりであったことから参加者がそれぞれすべて手作りであるということにこだわって行われる フリーマーケットである.出品される物は盆栽や手芸品,木工など多岐にわたり,趣味の交流の 場にもなっている.年に 2 回ほど開催されており,徐々に来場者は増えている.最近では出品者 同士での物々交換を進めており,それぞれのコミュニケーションをより盛んにしようというも のである.このように小さな地域だからこそできることを模索し,様々な活動が行われている. 3-2. 榛東村耳飾り館の現状と課題 耳飾り館では新規の資料購入の予算はついていない.そればかりか数年前までは村議会で必 要性について問われることもしばしばであった. 図1にあるように入館者数は徐々にではあるが増加しており,今では村議会の理解も得られ るようになってきてはいるそうだ.ここで筆者が注目したいのは,展示室の観覧者がその他利用 者数に比べて少ないということである.耳飾り館は約 3000 年前の縄文時代後晩期の集落である 茅野遺跡から,多数の土製耳飾りが出土したことから,国の重要文化財である 577 個の土製耳 飾りを中心に展示・紹介することを目的として開館したものである.今では茅野遺跡は公園とし て整備されてしまったため,村内外の人に確かに存在していた茅野遺跡というものを守り伝え ていく場になるべき場所である.しかし,耳飾り館を訪れるきっかけとしての村内在住のアーテ ィストによる個展や手作りマーケット,子供向けに行われている様々な行事などにとどまって いるのが現状である.実際,展示室閲覧者は地元の幼稚園生や小学生,近隣の介護施設や養護学 校や,伊香保温泉の宿泊客などが多い.このことからも地域の人びとの学びの場として存在して - 168 - いるかということには疑問が生じる.地域博物館とは展示室の展示物をただ受動的に見学観察 する場ではなく,市民が博物館の行事や展示物などに積極的にかかわり,よくしていくためには どうすればよいか試行錯誤していく場であるのではないだろうか.耳飾り館を訪れる人々は年々 増加しているのだから,その受動的な行事の参加者を,地域博物館を動かしていく原動力の一部 として取り込むことが地域博物館としての第一歩である.そのためには展示室に人々を寄せつ けることである.今現在,耳飾り館発信で行われている行事やふるさと学芸員の活動を考えてみ ると,その活動を紹介する場が,新聞であったり広報であったりと記事として取り上げてもらう というものがほとんどである.これらの活動は非常に魅力的なものであり,自分も参加してみた いという人が増えたとしてもそれは単純に行事に対する興味関心にとどまり,耳飾り館に対す る興味とは結び付きにくい状況にある. 図 1 耳飾り館の利用者数iii 3-3. これからの地域博物館 様々な地域博物館が様々な行事を行っている問ことは前述したとおりであるが,市民として どのような関わり方ができるのであろうか.榛東村耳飾り館では実際に様々な活動が行われて おり,学芸員はこうした行事などで人を集めることは簡単であるが,その行事を行う際の動機づ けやタイミングが重要であり,そこで出会った市民との縁を切らないことが難しいと言った.広 く広報すれば多くの人は集めることができるがその行事事態が魅力的なものなになるかどうか が重要になってくる.人々が博物館に対してどのようなイメージを持っているのかをかんがえ iii 展示室観覧者を除く貸室見学者,ロビー利用者,体験コーナー利用者などをその他利用 者数とする. - 169 - てみると,普段あまり博物館を訪れない人は,珍しいものがたくさんあるから大きな声でしゃべ ってはいけないなどおといったような物々しい雰囲気であるといったような学校の遠足などで 訪れたときのままのイメージを持っているだろう.しかし,地域に根差した博物館は物々しいと いった雰囲気はほとんどなく,皆が生き生きと思い思いの意見を言い合うような場面も見られ た.このように博物館がいかにその人にとって親しみやすいかによって,利用方法が異なってく るのである.市民を博物館の活動に引き寄せるには博物館からの宣伝だけでは不十分である.そ れにはやはり市民同士の口コミや注目を集めるような行動をすることが重要である.耳飾り館 で行われている行事などは地域を実際に歩き,実際に復元作業を行うなど市民の目が届きやす い活動が行われている.しかし,それが博物館への入館に結びつきにくい状況にあることも確か である. これらのことから,従来の歴史的価値を守り伝えていく場としての博物館だけではなく,展示 室を利用して,市民の学びの成果を展示し,市民と共に文化を再発見し,守り育てていく場が共 存する形での博物館を作り上げていくことが望ましいのではないだろうか.公立博物館は市民 の税金によって運営されているのだから,その地域の人びとに利用されて行くのが当然のこと である.もちろん赤字で当然というわけではないが,黒字にすることが目的ではないのだから, むやみやたらに珍しいモノを飾って見てもらうことを目的としないのが地域博物館である.何 よりも重要なのは人々の目をいかに博物館に向けるかということである.地域の人々の生涯学 習の拠点であるためには多くの予算を投じる必要も目新しいモノに頼る必要もない.今在るモ ノを活かし,ほんの少し切り口を変えてできる限りのことを地域の人びと主体となって行いう ことが地域博物館であることにつながるだろう. おわりに 本稿では,榛東村耳飾り館が,地域博物館が地域住民の生涯学習の拠点になるためにはどのよ うなことができるのかを野田市郷土博物館と平塚市博物館という積極的な活動が行われている 2館の事例をもとに述べてきた.今回は文献に頼っての事例となったが,今後様々な公立博物館 について実際に調査してみたいと思う.また,筆者は積極的に市民に活用され,また活動拠点と されているであろう市町村立規模の博物館を地域博物館と位置づけて本論文を作成した.今後, 全国の公立博物館が地域博物館として地域の生涯学習拠点となることを願っている. 文献 金山喜昭, 2012『公立博物館を NPO に任せたら: 市民・自治体・地域の連携』同成社 ――――, 2003『博物館学入門‐地域博物館学への提唱‐』慶友社 浜口哲一, 2000『放課後博物館へようこそ―地域と市民を結ぶ博物館 』地人書館 伊藤寿朗,1993『市民のなかの博物館』吉川弘文館 文部科学省,2006『教育基本法』 ―――――,2008a『小学校学習指導要領』 - 170 - ―――――,2008b『日本の博物館総合調査研究報告書』 ―――――,2011『生涯学習センター・社会教育施設の状況及び課題分析等に関する調査』 野田市郷土博物館・市民会館ホームページ,http://noda-muse.or.jp/ 平塚市博物館ホームページ,http://www.hirahaku.jp/ - 171 - 地域映画の可能性 ―コミュニティ・フィルムという視点― 中村 尚道 はじめに 近年,映画やドラマなどの映像コンテンツを利用した地域活性化は,全国的なブームとな っている.地域への撮影誘致活動を行うフィルム・コミッションは,2001 年の 11 団体から 2009 年には 101 団体へと増加i.また,映画や映像に接する多様な機会を提供すること目的 とした,コミュニティシネマの全国的な活発化からも,このことは明らかである.地方にお ける映画制作と上映の支援が活発になる中で,地方自治体,経済界の協力による,地域映画 の製作が行われるようになった.地域映画とは,フィルム・コミッションを通した間接的な PRではなく,地域の特色を反映した作品を全国に発信し,直接的なPRをするために制作 される映画である. しかし,多くの地域映画の製作は,地域内での自己満足で終わっていることが多く,本来 の目的である地域PRに貢献でない事例も見られる.こうした現状の課題を解決策するた め,まず,マートンの機能概念を用いて,地域映画の潜在的な機能を分析する.その上で, コミュニティの活性化に映画制作の価値を見出す,コミュニティ・フィルムという概念につ いて定義する.コミュニティ・フィルムの特徴,課題,事例を考察し,従来の映画製作の在 り方とは異なる,地域映画の可能性について論じる. 1 地域映画について 1-1. 地域映画とは 地域映画は,自治体や地方の経済界が出資し,その地域を舞台に映画制作を行う.そして, まず,地方を中心に公開し,やがて全国展開をするという,従来とは異なった興行形態で制 作される映画である.地域映画の定義は,「特定の地域で大半のシーンが撮影され,かつ, その地方でしか作れない設定の映画」(中村,他 2007)である. 地域映画の製作背景には,フィルム・コミッション(以下,FC)の活動と,商業映画にお ける地域の扱われ方が影響している.FCが地域に撮影を誘致することで,その地域の人々 は,撮影でどのように地域を活用すれば良いのかを学ぶことができ,映画作りへの土壌が作 られる.ロケ地誘致を行う主なメリットは,撮影隊の宿泊費や食費などの直接的な経済効果 や,映画やドラマに取り上げられたことによる,地域のPR効果等である. しかし,実際には,作品の内容を尊重した結果,ロケ地として取り上げられた地域名が積 i中村恵二/有地智恵子(2007)『映画産業の動向とカラクリがよ~くわかる本』 ,秀和システ ム - 172 - 極的に公表されず,地域のPR活動に繋がらないなど,製作側と地域側との間に溝が生まれ る. 地域映画には,こうした制作側と地域側の溝を埋めるために,地域住民が主体となって, 地域住民目線で地域の魅力を描くため,観光映像的な要素が強いという特徴がある.このよ うな類の映画は当初,ご当地映画とも呼ばれ,商業映画とは一線を引かれている. 1-2. 地域映画の理想と現実 地域映画による地域PRの理想的な展開は,制作された作品が全国で劇場公開され,多く の人たちに作品を鑑賞してもらい,地域の存在が周知されることである.また,地域PRの 他にも,制作される過程で生まれる直接的な経済効果,地域の文化や魅力の発見,地域コミ ュニティの活性化などの効果が見込まれる. しかし,地域映画が全国の劇場で公開されるには,作品のクオリティが一定基準を満たさ なければいけないことはもちろん,出演者や原作等の話題性,プロデューサーもしくは配給 会社の宣伝力など,様々な条件が必要である.配給会社は興行による利益を見込めなければ, 上映には踏み込めない.地域映画の製作費は,商業映画と比較するとかなり少なく,有名な 役者の起用や,大々的な宣伝をするのが難しい.多くの地域映画は全国公開まで展開するこ とができず,地域内における一過性の盛り上がりで終わってしまい,本来の目的である地域 のPRを果たせないことが多い.地域映画製作の興行の失敗は,その効果に期待をしていた 市民の士気の低下につながる.その結果,映画による地域の活性化に後ろ向きになるに留ま らず,自分たちの地域の魅力に自信を無くしてしまうことも考えられる. 1-3. 地域映画の潜在的機能 地域映画の興行的な失敗は,地域映画製作事業全般の失敗になってしまうのだろうか.商 業映画では,興行的な失敗にも関わらず,作品の芸術性を評価されたり,熱狂的な支持者が 現れたりなど,異なる角度から評価されることもある.ここでは,地域映画を異なる視点か ら評価するにあたり,マートンの機能概念を用いる. マートンの機能概念は,ある事象の,定義された社会システムに対する(反)貢献作用が, 成員によって体験(意図・認知)されていない場合,その作用を潜在的機能といい,成員によ って体験されている場合,顕在的機能と,定義されているii. 地域映画の顕在的な機能とは,制作した映画が興行的に成功し,全国的な展開をされるこ とによって,地域PRに貢献することである.それに対して,地域映画の潜在的な機能は, 制作過程における,地域コミュニティの活性化にあると考える.地域映画は,商業映画とは 異なり,制作の過程に地域住民が深く関わっており,映画制作が地域住民同士の交流を活性 化させている.そこで,地域映画の事業としての成功を,興行的な面からではなく,映画制 作の過程における地域コミュニティの活性化に焦点をあて,捉え直す. ii見田宗介/栗原彬/田中義久(1995)『社会学辞典』 ,弘文堂 - 173 - 2 コミュニティ・フィルム 2-1. コミュニティ・アート 創作活動において,その目的にコミュニティの活性化を掲げている活動として,コミュニ ティ・アートというものがある.その特徴は, 「市民参加型プログラムであること」や「プ ロセスを重視すること」などが挙げられる.音楽や文学,映像など,さまざまな表現がコミ ュニティから発信され,それが表現者・参加者とともに,コミュニティ内に還元されていく 過程が重要であり,具体的には,次のような効果が考えられるiii. 1)コミュニティ内の文化表現が豊かになる 2)コミュニティが,外部に開かれ,アートを通して外部との交流をはかることができる 3)アートに参加することでコミュニティ意識が高まる 4)内外ともにコミュニティの新たな側面を発見できる コミュニティ・アートの始まりは,1960 年代のイギリス・ロンドンにおけるプロジェク トに遡り,国内では 1990 年代後半あたりから, 「芸術が創出される過程の段階から関与す る存在としての市民」を,意識したプロジェクトが多く立ち上げられた.活動の視点には, アーティストと市民の「協働」が含まれており,芸術表現そのものが目的であると同時に, 芸術表現を手段とした,街の活性化や社会・環境などの種々の問題解決を図っている. 2-2. コミュニティ・フィルムの定義 こうしたコミュニティ・アートの特徴を踏まえて,地域映画をコミュニティ・フィルムと して捉え直す. 従来の地域映画における「市民参加」は,地域住民が映画制作の応援スタッフとして参加 するに留まっており,映画の核となる部分は,プロの撮影スタッフが手掛けていることが多 い.出演者としての参加も,ほとんどはエキストラとしての参加である.主演級の役者には, ある程度の知名度がある人物や,芸能事務所に所属している役者,アイドルなどが当てられ ている.地域住民から選ばれた人が,主演級として映画に出演することは稀である.故に, 地域映画をコミュニティ・アートとして定義する1つの条件としては, 「地域住民が,映画 制作の核となる部分に関わっている」ことが挙げられる. また,コミュニティの新たな側面の発見や,外部への交流のきっかけ作りなどは,制作に 関わる地域住民が,制作の過程において,地域の魅力を再確認することや,事業を宣伝する ことによる,外部へのPR活動によって行われる. コミュニティ・アートの「市民参加」や「プロセス重視」という特徴,また,その効果を, 1-1.で述べた地域映画の定義に加えて,コミュニティ・フィルムを定義すると,以下のよ iii金淳植,他(2012)『アメリカのコミュニティ開発』 ,ミネルヴァ書房 - 174 - p.242 うになる. コミュニティ・フィルムとは 1)特定の地域で撮影され,その地方でしか作れない設定である. 2)興業的な成功のみでなく,制作の過程に重点を置いている. 3)地域住民が作品の核となる部分に参加することで,コミュニティの活性化を促す. これらの条件を全て満たした映画制作である. さらにここからは,コミュニティ・フィルムの果たす役割や捉え方について,地域コミュ ニティの活性化と文化振興の二つの視点から述べていく. 2-3. コミュニティデザインiv コミュニティの活性化を促す取り組みとして,コミュニティデザインという活動が注目 を集めている.この言葉は,NPO 法人 studio-L の代表,山崎亮氏による造語であり,山崎 氏は,自らの肩書をコミュニティデザイナーと称し,人がつながる仕組みを作る活動(コミ ュニティデザイン)を,全国的に行っている. 従来の地域活性化は,定住人口の減少を危惧し,交流人口を増やすことを考えたものであ り,地域を訪ねる客を増やそうとするものだ.フィルム・コミッションのロケ地誘致活動は, 基本的に交流人口の増加を目的としている.しかし,交流人口の増加による地域の活性化は 一過性のものが多い. コミュニティデザインの目的は,地縁型コミュニティに変わる,テーマ型コミュニティを 活性化することによって,地域の活動人口を増加させることである.活動人口とは,市民活 動や,地域のイベントに参加する人たちのことであり,活動人口の増加は,人と人のつなが りを作りだす.そのつながりは,地縁的な関係ほど縛りが強くなく,無縁というほど離れて もいない,ほどよい距離感の関係であり,地域での暮らしやすさを向上させるきっかけと考 えられている. コミュニティ・フィルムは, 「地域映画制作」というテーマ型のコミュニティを活用した, コミュニティデザインであると考えられる.映画制作を行うことが,活動人口を増加させ, 映画製作スタッフ,または,出演者として参加した人たちは,そこで出会った人たちとつな がりを作る.最大の特徴は,そのつながりの集大成が映画として外部に発信され,半永久的 に残り続けることにある. 映像というメディアを用いた活動は,記録と発信に強みを発揮するという点で,他のテー マ型コミュニティとは異なるアプローチができる.デジタル化とネットの普及が進んだ今, 映像メディアの活用方法は,コミュニティの活性化においても,さらに多様化していくだろ う. iv山崎亮(2012)『コミュニティデザインの時代』 ,中央公論新社 - 175 - 2-4. 文化の裾野の拡大 コミュニティ・フィルムの役割は,文化政策の対象領域における「文化の振興と普及」に 含まれ,文化政策の機能における「文化の裾野の拡大」に分類できる(図1参照). 「文化の裾 野の拡大」は, 「文化の普及」の役割を果たす.その実態は,地域文化の振興,地域間にお ける文化格差を是正によって,地域の平均的な文化水準を維持・確保することや,独自性を 持った特色ある文化を創造し,地域文化の自立性を確立していくことである コミュニティ・フィルムで制作される作品の内容には,その地方でしか作れない設定が盛 り込まれることが条件である.地方に存在する独自の文化が,映画というツールを用いて再 活用され,制作に関わった人たちが,その魅力を再確認するのである.こうした過程を経る ことは,地域文化のアイデンティーを確立していくことに繋がる. コミュニティ・フィルムは,地域文化の普及のみでなく,映画文化の普及にも貢献する. 商業映画は,プロのスタッフや役者による,エンターテイメント性,興業性,作家性を重視 した映画作りによって,映画文化の頂点を伸長する.それに対して,コミュニティ・フィル ムは,地域住民にスタッフや役者としての参加を促すことによって,映画制作や演技を身近 に感じてもらうことで,映画文化に親しむ人たちの領域を広げる役割を果たす. 図1 文化政策の対象領域と機能の相関関係 3 コミュニティ・フィルムの課題 3-1. コミュニティ・フィルムの課題 コミュニティ・フィルムの課題を整理する上で,改めて商業映画における資金調達の方法 と,制作方式について整理する.1940~70 年代の商業映画は,各映画会社が自社の資金を 投資し,企画,制作,編集,上映までを一貫して行っていた.その後,テレビの台頭やその 他娯楽の振興により,システムは崩壊し,現在は,配給会社,テレビ局,広告代理店,芸能 事務所などがそれぞれ出資をする,製作委員会方式が取られている.この方法は,興業リス クの分散や制作費の調達の簡易さというメリットがあるが,多くの会社の出資による版権 の複雑さ,責任の所在の不明さという問題や,人気小説や漫画の実写化など,作品の傾向が - 176 - 偏るといったデメリットがある.制作方式も,興業形態の変遷と同様で,当初は,映画会社 がスタッフや役者を社員として雇っていたが,現在,スタッフは制作会社やフリーランスか ら雇い,役者は芸能事務所から調達している. コミュニティ・フィルムは,地域と地域住民が映画制作の核となるため,資金調達の方法 や,スタッフと出演者の確保なども,独自の方法が必要となる. 3-2. 資金集めについて コミュニティ・フィルムは,商業映画のように,原作や出演者の話題性で興行を見込めな いため,大手の配給会社,テレビ局,広告代理店からの多額な出資を得ることはできない. そのため,コミュニティ・フィルムの製作費は主に,地元有志,商工会議所,行政などから の協賛金や助成金によって賄われる.形式としては製作委員会方式と同じ手法になるが,大 きく異なる点もある.まず,コミュニティ・フィルムの出資者は,興行収入による資金の配 当を目的としているのではなく,コミュニティ・フィルムの活動内容に共感し,支援を目的 としているという点,そして,一人一人の個人からの出資を募っているため,どんなに少額 な支援であっても,気持ちさえあれば作品を応援する存在になりえる点だ. こうした資金調達の方法は,NPO の資金調達の方法と共通の部分が多い.以下は,NP Oの資金調達の分類である(図2). 名目 寄付金 会費 助成金 補助金 内容 特徴 NPO のミッションや活動内容に「共感」し 1件あたりの額は小さいが,使い方の自 て提供される資金 由度は高い NPO のミッションや活動内容に「共感」し いつ・いくら入るかが明確で「安定資金」と て提供される資金 なる 民間財団から NPO 活動を支援するため 1件当たりの調達金額が大きいが,使途 に提供される資金 は限定 行政機関から NPO 活動を支援するため 1件当たりの調達金額が大きいが,使途 に提供される資金 は限定 委託金・ 企業や行政から委託される事業について 受託金 くる資金 事業収 自分たちの商品やサービスの提供の対 収入が大きくなりすぎると,出資者から批 入 価 判の可能性 資金規模は大きいが,使途は限定的, 図2 NPO 資金調達の分類 図2を参考に,改めてコミュニティ・フィルムの資金分類を行うと,寄付金,助成金,補 助金からの資金調達が主な方法であると考えられる.コミュニティ・フィルムの資金調達は, - 177 - 活動の目的と成果を,映画制作と作品上映という明確なコンテンツで示せるという強みが ある.しかし,興行目的ではなく,映画制作における,地域コミュニティの活性化を重視す るという考え方に,理解を得られなければならない. 活動の内容理解と,資金規模の小ささを解消する手段として,クラウドファンディングと いう,Web を活用した資金調達の方法がある.クラウドファンディングは,資金を調達し たい個人や組織が,クラウドファンディングを運営しているサイトに申請をし,その活動内 容の妥当性や調達したい資金等を審査され,承認されれば契約を結ぶ.そして,運営サイト に活動内容を掲載し,宣伝・告知を行い,Web を通して世界中から資金を調達する.クラ ウドファンディングは,寄付型,購入型,投資型の3パターンがあり,寄付型は慈善活動へ の寄付が多く,購入型や投資型は,企業やクリエイティブな活動など,何かを作り出す活動 が多い. 最近のクラウドファンディングの特徴は,All or Nothing方式と,SNS との連携である.All or Nothing方式では,資金調達をしたい各プロジェク トが,設定した期間内に,設定した目標金額に達した場合に限り,プロジェクトは成立する. 目標金額が達成されなかった場合は,プロジェクト不成立とみなされ,集まっていた資金は, 資金提供者に返還される. 資金調達に期間と成立の可否を設けることで,資金調達者や活動に共感している資金提 供者は,SNS を使って資金調達の宣伝をし,単純に資金の提供という形での協力ではなく, 共にプロジェクト成立までの過程をたどることで,制作活動に参加しているという意識が 芽生える.資金調達のための活動参加が,そのまま作品や活動内容の宣伝に繋がるのである. 3-3. スタッフについて 商業映画において,スタッフの中で一般的に広く認知されるのは,制作現場の責任者であ る,ディレクターだ.作品の特色や雰囲気などは,ディレクターの演出によって全く異なる ものになるため,その存在が注目されることが多い.しかし,映像制作において,ディレク ターと同等に大切な存在が,プロデューサーである. ディレクターとプロデューサーの役割の違いは, 「制作」と「製作」の意味の違いを理解 するとわかりやすいv.経済産業省「映像コンテンツを活用した地域プロデュースプログラ ム」viでは,地域の特色を活用し,その魅力を映像メディアで発信するには, 「地域プロデュ v 「制作」とは,映画を撮影する作業など,作品が出来上がるまでの実作業の工程全体を 言う. 「製作」とは,企画立案や製作費集め,配給,興行など(映画の制作を含める),映画 の全過程を言う.つまり,ディレクターはコンテンツの内容やクオリティの責任者であ り,プロデューサーは,コンテンツを企画して流通をするまでの全体の責任者である. vi経済産業省「映像コンテンツを活用した地域プロデュースプログラム」平成 22 年度 産業 技術人材育成支援事業(地域映像クリエイター等人材育成事業) http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/contents/downloadfiles/chiikieizo_curric - 178 - ーサー」 , 「コンテンツプロデューサー」, 「ディレクター」という,3つの役割が必要である と述べている.図3は,その役割のまとめである. 図3 映像コンテンツを活用した地域プロデュースにおける役割と内容 コミュニティ・フィルムにおける地域プロデューサーの役割は,地域住民をうまく巻き込 み,活動への機運を高めることである.その点を満たさなければ,地域を活性化させるはず の活動が,プロデューサーやディレクターの自己満足になってしまう.そこで重要になるの は,活動内容の具体性,実現性,魅力を,いかに地域住民に浸透させられるかである.活動 の具体性や,実現性を高めるためには,地域住民参加型の映像制作に理解のあるディレクタ ーが必要である.理想的なのは,地域における映像制作を,専門的に行っているディレクタ ーといえるだろう. しかし,現実的には,映像ディレクターの数は都内の方が圧倒的に多い.それは,テレビ 局,番組制作会社,CM 制作会社などの主要な映像制作政策会社が,東京都内に集中してい るからである.地方にもローカル局は存在するが,多くはキー局からの番組を購入したもの であり,自社制作の番組は少ないことが多い. 人材が多く集まる東京都内では,分業化が図られ,映像制作における専門性の高い人材が 多く存在し,一本の作品に多くの専門家の技術や知識が集約される.それをまとめ上げるの ulum.pdf - 179 - がディレクターの役割である.そのため,地域映画を制作してもらうために,東京都内から ディレクターを調達するには,ディレクターを単独で迎え入れるというわけにはいかず,多 くは,複数人のチームで制作にあたることになり,コミュニティ・フィルムの「地域住民が 作品の核となる部分に参加する」という条件を,満たせなくなる可能性が高い. 4 まち映画製作事務所 4-1. まち映画制作事務所 ここからは,地域での映像制作活動の具体例として,まち映画制作事務所代表の映像ディ レクター藤橋誠氏の活動について紹介する.以下の内容は,筆者が行った藤橋氏へのインタ ビューに基づいたものである. 「まち映画」とは,藤橋氏が自ら製作するジャンルとして名付けたもので,地域住民がス タッフとして映画制作に参加し,特に,主演級の出演者をオーディションで選び,制作され る映画である. 藤橋氏のまち映画の制作は,2002 年の太田青年会議所の事業で,映画を一般の方と作る という企画があり,それに応募したことから始まった.藤橋氏は,まち映画の制作を始めた きっかけを,こう語っている. 当然,素人なので,プロと比べると演技のレベル,何を持ってレベルというかは,当時 はわかっていなかったが,作っている段階では,レベルが落ちると思っており,クオリ ティも低いと感じていた.制作した作品を上映するときに,映画にはあまり興味がない という人でも多くの人が見に来てくれて,地元の誰々さんが出ているとか,どこが映っ ているなどの声があがっていた.自分は実際に見たことないが,全盛期の寅さんが浅草 でやっていた時に,浅草の映画館の中でも,地元の誰々が写っているや,どこが映って いるなど,観客がワーワーすごかったらしい.私は浅草が出身なので,父親などからそ ういうことを聞いたときに,きっと寅さんなどの映画の黄金期の時代は,こういう風な 声が上映会場では上がっていたのではないかなと,2002 年の上映会で感じ,こういう 事業が面白いなと思って今に至る. まち映画では,オーディション,演技合宿,少数精鋭のスタッフなどの特徴がある.以下 は,実際に制作に参加した,筆者の経験も踏まえながら,まち映画の特徴をより詳細に論じ る. 4-2. まち映画の特徴 まち映画の出演者は,オーディションで選出する.オーディションに合格した人は,選ば れたという自信と責任感を感じ,その後のステップへと進む.とはいえ,合格の基準は,そ の人がいかに完成されているかではなく,いかに伸び白があるかで選ばれる.演技未経験の - 180 - 人がどのように成長するのかがわからないため,その成長が作品にどのように影響を与え, どんな完成を迎えるのかも読めない.作品の完成が予測しづらいとうのは,一見,デメリッ トにも思える.しかし,有名な役者を起用し,既存の原作がある映画制作という,ある意味, 作業のような商業映画の制作とは異なり,制作の過程にも,完成にも,大きな楽しみが生ま れる.オーディションを行う理由は,出演者を選ぶという理由だけではない.地域を題材に した作品のオーディションに参加することが,住民の地域活動への参加機会の創出や,自分 たちが住む地域への関心の向上に繋がるのである.藤橋氏は,オーディションを受け,まち 映画に出演する子どもたちの変化について,こう語っている. きっかけのところでも話したが,子どもが参加してくれて,一生懸命演技をしていく中 で,明らかに成長している.オーディションで来たときは,震えていたような子が,舞 台挨拶で堂々と人前で話せるようになる.人としてある程度,年齢がいった人は,未来 の宝である子どもたちに,自分の人生の一部を与え続けなければならないというもの が,自分はポリシーとしてあります.そう考えたら,まち映画の効果はまさに,子ども たちの成長のきっかけだと思います.誰とは言えないですけど,ずっと引きこもりだっ た子が,映画に出て,制作に参加し,いつの間にか学校で演技をし,カメラの前で芝居 をして,1本の映画が完成した時に,自己肯定感を感じ,自分はけっこう頑張れるのだ と思い,そこからは普通に学校に通いだした.どちらかというと,こういう映画に参加 する子は,勉強も運動もさほど得意ではないという人が集まる.それはきっと,何か自 分には何かの取り柄があるのか,もしくは無いかもしれないという,中には,助けを求 めて,自分の居場所,可能性を,見出したいという気持ちを持って参加している子がけ っこういる.なので,そういった子が,映画が終わるころには,確実にみんな殻をやぶ ったり,ハードルを越えたりしているので,それは大きな効果だと考えています.何百 万人の人が見て,見たものに対して,頑張らなきゃと思うようなことは,商業映画に任 せておいて,自分がやっているこれは,参加してくれた子が,一人でも,俺,頑張ろう かなと思えれば,一人の子が救える,というとちょっと違うのかもしれませんが,一人 の子でもそういった気持ちになれるというのは,すごく大きいことですね.たかだか何 百万円で一人の子が救えるというのは,すごいと思います. また,商業映画の場合は,志願者による,脚本,もしくは原作本があって始まるという形 が主流であるが,藤橋氏は,オーディションをして,どういう子が集まったかによって,初 めて脚本を書くという形を取っている.作品の大テーマはある程度決めるが,そのテーマは オーディションで集まって選ばれた子によって大きく変わることも十分ありえるという. おわりに 藤橋氏は,まち映画制作について,こう述べている. - 181 - 「まち映画」で一番大切なことは,映画の内容や技術ではなく,人と人との出逢いとコ ミュニケーションである.結果として「映画」が生まれた,ということであり, 「映画 製作」がメインの目的ではない,と念頭に置きながら地域の人たちと協同していけば, 自ずと良い作品になると思う. 現在の商業映画の手法は,多くの業界人たちが,いかに多くの人たちに映画を見てもらう かを考え抜いた上で,積み重ねてきたものである.事実その手法に映画業界は支えられ,こ こまでの発展を迎えた.しかし,文化は時代に沿って絶えず変化を続けなければ衰退してし まう.映画業界や映画文化もその例外ではない.娯楽が多様化し,情報が大量に手に入る今, 地域の魅力と映画の魅力を身近に体感できるコミュニティ・フィルムは,コミュニティの活 性化という機能に留まらず,映画文化の新たな可能性として,大いに期待できるものだろう. 参考文献 中村恵二/有地智恵子, 2007, 『映画産業の動向とカラクリがよ~くわかる本』秀和システム 山崎茂雄/立岡浩, 2006, 『映像コンテンツ産業の政策と経営-行政・NPO・企業の協働創造 システム』中央経済社 山崎亮, 2012, 『コミュニティデザインの時代』中央公論新社 見田宗介/栗原彬/田中義久, 1995, 『社会学辞典』弘文堂 金淳植,他, 2012, 『アメリカのコミュニティ開発』ミネルヴァ書房 上野征洋, 2002, 『文化政策を学ぶ人のために』世界思想社 竹内晋平, 2011, 「日本におけるアートマネジメントの現代的諸相」『佛教大学教育学部論集 第 22 号』http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/KO/0022/KO00220L097.pdf 経済産業省「映像コンテンツを活用した地域プロデュースプログラム」平成 22 年度 産業 技術人材育成支援事業(地域映像クリエイター等人材育成事業) http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/contents/downloadfiles/chiikieizo_curric ulum.pdf 米良はるか/稲蔭正彦, 2011, 『クラウドファンディング:ウェブ上の新しいコミュティの形』 人工知能学会 http://ymatsuo.com/papers/jsai11crowdfunding.pdf - 182 - 「人」を使った観光地の可能性 ―忍城おもてなし甲冑隊の事例― 中村 可奈 はじめに 観光地というと京都のような歴史ある建造物や街並み,富士山や草津温泉のような自然, スカイツリーやディズニーランドといったレジャー施設が思いつくのではないだろうか. だが,自然物は地域の風土が強く影響する.また,街並み整備や新たな施設をつくるにも地 域の財政力が問われる.すなわち地域の観光地化にははじめから優劣があるといえる.しか しどこにでも必ず存在し,反面同じものは一つもない観光資源がある.それは「人」である. 地域にいる人は,その地域に行かないと出会うことができない.さらに,方言や習慣,その 背景にある物語などその地域特有の性質を持っている.そこにしかないものは,先に述べた 観光地と同じように人を魅了し,集客力を持つのではないだろうか.そこで本稿では,地域 の魅力につながる「人」の役割について考察していく. 現在「おもてなし武将隊(以下,武将隊と略す)」が全国で増え続けており,活動の幅を 広げている.武将隊とは各地域の観光 PR 隊として結成されたもので,歴史上の人物に扮し 演舞披露や写真撮影などおもてなしを行っている.自治体運営,ボランティアを合わせて現 在少なくとも 23 の団体 iが存在している(表 1).武将隊ブームのきっかけとなった,名古屋 おもてなし武将隊(名古屋おもてなし武将隊オフィシャルブログ 2013)の生産誘発額は約 27 億円(月刊地域づくり第 278 号 2012)といわれ,2010 年と 2012 年には「世界 SAMURAI サミット」と題し全国の武将隊が一か所に大集合し,賑わいをみせた.今年の 2 月には選抜 十隊が集い,総選挙ならぬ「第弐回 武将隊天下統一決定戦 宴」が名古屋で行われるなど話 題を集めている.「人」による観光において最前線を走る,各地域を盛り上げるために結成 ぎょうだ おしじょう された武将隊に注目する.特に 2 章では筆者の地元である埼玉県行田 市で活躍する「忍 城 かっちゅうたい おもてなし 甲 冑 隊 」を具体例として取り上げる. 1 地域キャラクター 1-1. キャラクター研究 まずは観光と人の関係を探るために地域に根差すキャラクター,地域キャラクターにつ いて先行研究を見ていく.また,本稿ではキャラクターを人の性格を表すもの,またそれが i 各武将隊ホームページの武将隊紹介リンクを参考に一覧を作成.現在筆者が把握して いるのは 23 団体であるが,リンクにないものは把握できないため実際の数はこれを 上回ると予想される. - 183 - 表 1「おもてなし武将隊一覧」 名古屋おもてなし武将隊 おもてなしキャラバン隊 ふくしま八重 隊 山形おきたま愛の武将隊 グレート家康公 葵武将隊 奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊 あいち戦国姫隊 白石戦国武将隊 奥州片倉組 長久手歴史トラベラーズ(活動終了) 越後上越 上杉おもてなし武将隊 関ヶ原東西武将隊(活動終了) 金澤百万石武将隊 岐阜武将隊 後三年合戦絵詞 土佐おもてなし勤皇党 尾張一宮武将隊 熊本城おもてなし武将隊 忍城おもてなし甲冑隊 おもてなし武将隊 JAPAN 丸亀城バサラ京極隊 岐阜城盛り上げ隊 風林火山 甲斐の虎武将隊 まつえ舞姫隊(活動終了) 信 州 上 田 お も て な し 武将隊 真 田 幸 村 と 十勇 福岡黒田武将隊 士 神戸・清盛隊 安芸ひろしま武将隊 (各武将隊のホームページを参考に作成) 人だけでなく二次元の登場人物やマスコットなどに反映され,性格をより象徴的に描写し たものと定義したい. 現在キャラクターについての研究は数多くされている.その背景には,キャラクター iiビ ジネス市場が毎年 2 兆円を超える規模を保持しているという状況がある(株式会社矢野経 済研究所 2013).キャラクター研究は対象自体も幅広く,なお調査視点も異なっているため 完全に共通する観点は見受けられなかった.そこで筆者が目を通したキャラクター研究書 を参考にキャラクター研究を架空のキャラクター,実在するキャラクター,人のキャラクタ ーの 3 つに分類し下記の表(表 2)にまとめる. 地域キャラクターは地域で実際に活躍し,地域に根差したキャラクターだと考えられる ため,3 つのうち実在するキャラクターに含まれる.しかし,実在するキャラクターについ ての研究は他 2 つと比較すると著しく少なく,特に地域キャラクターに関するものはほと んどがゆるキャラであった.本稿で取り上げる武将隊について書かれたものは,雑誌記 事 iii (杉本政光 2012)とインタビュー記事 iv(ウレぴあ総研 2012)であった. ii iii iv ここでのキャラクターとはアニメーション・漫画・ゲーム・イラスト等のことである (株式会社矢野経済研究所 2013) . 「うちのまちのキャラクター」というコラムで名古屋おもてなし武将隊が 2 か月に わたり紹介された.武将隊の経済効果や武将隊の裏話にも触れている. 2012 年の神宮外苑花火大会ステージ前のおもてなし武将隊 JAPAN へのロングインタ - 184 - 地域キャラクターというと一般的にゆるキャラが取り上げられる傾向にある.確かにゆ るキャラは地域をモチーフにした着ぐるみ vであり(ORICONSTYLE 2009),代表的な地域キャ ラクターといえる.各研究によってゆるキャラと観光の結びつきが論じられているが,ゆる キャラの見た目や設定への言及が多く人ではなくキャラクターとしての面が強い.本稿で 取り上げるのは人を使った観光であり,ゆるキャラのように人がキャラクターにのまれて いては人の魅力と働きが存分に発揮されない.そこで,今まで取り上げられなかった人が地 域キャラクターとなった武将隊に焦点を当てその役割や魅力を言及することとする. 表 2「キャラクター研究の傾向」 性格を象徴的に示したキャラクター 架空のキャラクター 主な研究対象 漫画,アニメ,ゲーム, AKB48,アイドル,ゆるき ライトノベル など 主な研究内容 実在するキャラクター 人の性格 人のキャラクター 個人,社会,集団 など ゃらなど 人気の背景,オタク心 商品としての戦略,愛さ 性格,人格,集団の中 理,対象が持つ魅力 れる秘密 での役割 (筆者作成) 1-2. おもてなし武将隊の出現 上述したように,地域キャラクターとは地域を代表するキャラクターと いえる.ただし, ここで注目するのは人による地域キャラクターである.その一例として近年確実に力を伸 ばしているおもてなし武将隊を取り上げていく.今なぜ武将隊の人気が高まりつつあるの か,まずは現在までの地域キャラクターの変遷を見ていく. 明確な地域キャラクターのはじまりは 2006 年 5 月,滋賀県彦根市のひこにゃんだと思わ れる.ここからはじまるゆるキャラブームは現在も衰えず,昨年度行われた「ゆるキャラサ ミット 2013」では 1580 のキャラクターが参加した(羽生市 2013).ひこにゃんのプロフィ ールを例にとると,「彦根藩二代藩主である井伊直孝公をお寺の門前で手招きして雷雨から 救ったと伝えられる“招き猫”と,井伊軍団のシンボルともいえる赤備えの兜を合体させて 生まれたキャラクター」(ひこにゃん公式サイト 2014: ひこにゃんプロフィール)とあり, 地域の物語と特徴を混ぜ合わせキャラクターを作り出していることがわかる.また,ゆるキ ャラの名付け親であるみうらじゅんによると,ゆるキャラとは「 全国各地で開催される地方 v ビュー.フリートークに近く,武将隊の素顔を垣間見ることができる. ゆるキャラの名付け親であるみうらじゅんは『ゆるキャラ』を,全国各地で開催され る地方自治体主催のイベントや村おこし,名産品などの PR のために作られたキャラ クターであり,特に着ぐるみとなったキャラクターと言っている.また, 『ゆるキャ ラ』の三か条とは,郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること・立ち居振る舞 いが不安定かつユニークであること・愛すべき,ゆるさを持ち合わせている事である (ORICONSTYLE 2009 ) . - 185 - 自治体主催のイベントや村おこし,名産品などの PR のために作られたキャラクター 」 (ORICONSTYLE 2009)と定義されており,ゆるキャラのモチーフは地域そのものと いえる. ゆるキャラは地域との関係が非常に深いキャラクターであり,地域キャラクターの先駆け である. 次に頭角を現したのがご当地アイドルである.全国で AKB48 を模した“会いに行けるアイ ドル”が流行した.それは,アイドルたちが地域でお客様を歓迎するというものである.今 までアイドルはテレビで見るもの,ライブで会うもの,CD や写真集などグッズを入手し遠 くから応援するものというイメージがあった.しかし,身近なアイドルが急増し,本来はみ んなのものであるはずのアイドルが個人単位で対応する時代となった .その地域に行かな いと会うことはできないが,行くことさえできればアイドルと直接話すことができる.限ら れた地域でのみ直接会えるご当地アイドルは,ファンとの距離がちかい地域キャラクター といえる. ゆるキャラは地域に根差したモチーフ,物語を持ったキャラクターであった.そして,ご 当地アイドルは地域限定ではあるが,いつでも会えるという特徴を持った地域キャラクタ ーであった.この 2 つの流れを汲んでいるのが武将隊である.地域の物語を形だけ盛り付け ただけのキャラクターでは,たくさん存在するゆるキャラの中に埋もれることになるのは 明白である.一方,ご当地アイドルは人物重視の傾向が強く,地域色が比較的薄くなってい る.ゆるキャラのように地域のアピールをミッションとしながらも,ご当地アイドルのよう に身近な存在を目指しているのが武将隊である.ただし,両者の長所を吸収している一方, 増えすぎることによって目新しさの軽減,人件費がかかるというそれぞれが持つ問題点も 併せ持っているといえる. 図 1 「地域キャラクターの流れ」(筆者作成) 1-3. 地域キャラクターの可能性 ここで一つ確認しておきたいのがキャラクターの立ち位置である.地域キャラクターに ついて次のような記述がある. キャラクターが注目を集めることは地域資源にとっても喜ばしいことではあるが, - 186 - キャラクターばかりが注目されて,肝心の特産品などにあまり目が向けられなくては 元も子もなくなる.あくまでキャラクターは地域資源を売り込むための手段であって 目的ではないのだ.(田村秀 2012: 3) 確かにその地域に興味を持ってもらわなくては地域キャラクターとしての役割を果たせ ないが,キャラクターをただの手段とみなしてしまうのも問題があるように感じる.ゆるキ ャラもご当地アイドルも,その地域で生まれた理由がある.そのため,キャラクター自身が 少なからず地域の物語を有していることになる.よって,キャラクターが多くの人に知られ, 人気になれば自然とその地域を売り込むことができるはずである.確かにキャラクターが 地域をアピールする手段の一つであることは間違いない.しかし,キャラクターが手段とい う枠を超えるときがあるのではないだろうか.たとえば「熊本」と聞いてあなたは何をイメ ージするだろうか.様々なことが浮かぶだろうが,くまモンを思い浮かべた人は少なくない はずである.これは熊本とくまモンを反対にしても成立しうる.つまり,地域の魅力とキャ ラクターが同じ注目度で,同じ土俵にのっていることになる.このように,地域とキャラク ターが相互にイメージされるとき,キャラクターは手段を超えて目的に昇格する可能性も ある.また,おもてなし武将隊の始まりは 2009 年 11 月「名古屋おもてなし武将隊」である が,当時名古屋は開府 400 年に合わせて名古屋の魅力を全国に伝えるために武将隊を結成 した(地方財務 2012 年 7 月号: 229).その「名古屋開府 400 年祭公式記録」の中で当時の 河村たかし名古屋市長は次のように語っている. 名古屋開府 400 年祭という事業について,特に誇るべきなのは,これを記念したパビ リオンや記念館など,いわゆる「ハコモノ」が一切造られていないことです.みんなで 楽しむことに徹し,建物は残らないけれど,その代わり,心の中に「思い出」というモ ニュメントが残せるように取り組んできたことは,本当に良かったと思っております. また,昨今の歴史ブーム・歴女ブームも相まって「名古屋おもてなし武将隊」が大ブレ イク.彼らをきっかけに多くの方が名古屋の歴史に目を向けてくださった一年でもあり ました.(名古屋開府 400 年祭公式記録 2011: 2) このように,河村市長は武将隊を名古屋の新しい魅力すなわち名古屋のアイデンティティ vi として捉え発足したのである.そして彼らを理由に名古屋に訪れる人がいることを表して いる.すなわち,武将隊が新たな地域の魅力となり集客力を持ったのである.このことから, キャラクターは目的にならないと断定するには根拠が薄く ,それはキャラクターの可能性 を狭めているといえるのではないだろうか.観光 PR の手段ではなく,観光の目的となる「地 vi 河村市長はインタビューで,名古屋に住む人にとって自分と都市の精神的柱,アイ デンティティが必要であり,それは侍の街であると語っている(Network2010 2010) . - 187 - 域キャラクター」の形が現在求められているのかもしれない. 2 おしじょう かっちゅうたい ぎょうだ 忍 城 おもてなし 甲 冑 隊 の効果 ―埼玉県行田 市の観光― 2-1. 行田市の観光と忍城おもてなし甲冑隊 埼玉県の北部に位置する人口約 85000 人の行田市は自然と歴史に恵まれた町である.主 さきたま な観光地は国宝の鉄剣が出土した「埼玉 古墳群」,難攻不落の城と言われた「忍城」,約 3000 年の眠りから目覚めたと言われる蓮(行田市観光振興基本計画 2008)がある「古代ハスの 里」の 3 点である.これら 3 つの観光地にはそれぞれ埼玉県立さきたま史跡の博物館,行田 市立郷土博物館,古代ハス会館が併設している. 各施設入館者数を見ると(表 3),すべての施設で入館者数が増加していることがわかる. さきたま史跡の博物館は小中学生の社会科見学が多く他の 2 つに比べ入館者数は高い水準 を保っている.注目すべきは忍城にある郷土博物館である.郷土博物館入館者数は順調に右 肩上がりを続け,4 年間で約 3 倍に増えている.2012 年度には 3 施設の中で一番の集客と なった.郷土博物館に訪れる人の急増理由に 2012 年に忍城を舞台にした映画「のぼうの城」 の公開が挙げられる.それを受けて商店街のメイン通りにはのぼうの城のポスターが貼られ, 「落ちないお守り」など関連商品も開発された.また,市内循環バスのルートに観光拠点循環コ ースも新設された. 映画の元になる和田竜の同名歴史小説は 2007 年に刊行されている.行田の取り組みにつ いて月刊地域づくりの中で福田透による記述がある. 行田市では 2010 年に「埼玉県ふるさと雇用再生基金市町村補助事業」を活用し,失業者 の雇用を創出しつつ,行田市を訪れる観光客に対して「おもてなし」と行田市の魅力をア ピールするため, 「 『のぼうの城』を核とした行田市魅力アップ事業」を実施することとし, 行田市観光PR隊「忍城おもてなし甲冑隊」を結成した. (福田透 2012: 1) 「忍城おもてなし甲冑隊(以下,甲冑隊と略す)」は小説のキャラクターをモチーフにし,戦 な り た ながちか か い まさき 国時代石田三成の水攻めに屈しなかった成田家大将の成田長親,甲斐姫,成田家三家老の正木 たんば しばさき い ず み さかまきゆきえ 丹波,柴崎和泉,酒巻靭負,そしてサポート役の足軽たちが活動している.具体的には土日を中 心に忍城での演舞披露やおもてなし,ホームページでの行田の観光スポットやお店などの紹介, 「行田市グルメ&見処マップ」の作成などを行っている.甲冑隊の活動は演舞,おもてなし,情 報発信,甲冑隊主催イベントとしての体験事業という主に 4 つに分けられる(表 4) .甲冑隊と いう地域キャラクターの特徴は無料の演舞披露と個人的に接することができるおもてなし時間 だといえる.演舞では表情が見えるほど近い距離で刀や槍を使ったパフォーマンスを見ること ができ,おもてなし時間は直接話し,写真を撮ることができるため顔見知りの関係になることが できる.映画効果もあるが甲冑隊はテレビなどのマスコミに多く取り上げられ,広告換算金額で - 188 - 3 億円の宣伝効果 があったとされている(福田 2012). 表 3「行田市観光地施設の入館者数」 140000 120000 120220 113690 111355 111831 101467 100000 91943 80000 60000 40000 73091 76473 63324 53402 54107 46305 44777 45157 40504 さきたま史跡 の博物館(埼 玉古墳群) 郷土博物館 (忍城) 古代蓮会館 (古代ハスの 里) 20000 0 (「平成 25 年度版統計ぎょうだ」を参考に作成) 表 4「忍城おもてなし甲冑隊 4 つの活動と魅力」 魅力①演舞 魅力②おもてなし ●戦シーン,稽古模様,名札を使った自己 ●演舞時間以外はおもてなし時間 紹介など ●観光客との記念写真撮影 ●1 つの演舞は 5 分程で,1 日に 2~5 種披 ●姫,武将,足軽誰でも気がるに話ができ 露される る ●忍城では毎回約 200 人の観客 た ●写真撮影は場所や恰好まで細やかな対応 て ●舞台用の刀や槍を使用した殺陣 を至近距 がされる 離で披露 →・積極的な声掛けがされる ●表情にまでこだわった演技 ・話すのも写真を撮るのも自由 ●時々あるハプニングや特殊バージョン ・一度行っただけでも覚えてもらえる ●期間限定演舞,新演舞披露が定期的に ・相槌など話しやすい環境 →・小説の人物や場面を忠実に再現 ・友達のような関係が築ける ・短時間でありながら迫力があり種類豊 富な演舞 - 189 - 魅力③情報発信 魅力④甲冑隊と○○体験 ●ブログ ●勾玉・はにわづくり →・毎日必ず更新される ●ブラタナリ(まちあるき) ・隠れた名所・お店,行田の歴史の紹介, ●忍城時代祭では一緒に寸劇に参加できる 甲冑隊による小説などバラエティーに ●ファンから募集した写真で写真展が開か 富む れる ●ツイッター ●年末「忍城師走絵巻」では甲冑隊からの →・遠征時の報告や日常の出来事など不定 期に クリスマスプレゼントも →・甲冑隊とより近くで接する機会となる ●行田市紹介冊子 ・甲冑隊とはもちろん,ファン同士でも →・甲冑隊がデザインされ行田の観光地な 仲間意識をもちやすくなる どを紹介 (筆者作成) 2-2. 忍城おもてなし甲冑隊の魅力 忍城おもてなし甲冑隊の魅力とはなんなのだろうか.ここでは,キャラクターに注目し考 察を行う.1 章で記したように本稿ではキャラクターを 2 つの意味で定義している.人の性 格としてのキャラクターと,アニメや漫画の登場人物といった,性格をより象徴的なものと して描写したものである.各視点から忍城おもてなし甲冑隊を捉えていく. (1)性格を象徴的に描写したキャラクターという視点から 忍城おもてなし甲冑隊は小説が原型となって生まれた武将隊である.歴史上の人物かつ, 物語上の人物になるが,甲冑隊はより小説的な傾向が強いように思う.甲冑隊に会いに行く ことは,聖地巡礼というアニメの舞台になった場所に訪れる行為に非常に近い心理状況が うかがえる.聖地巡礼は,アニメや漫画といった現実世界では決して会えないものたちを少 しでも近くに感じたいという熱意から二次元と三次元の溝を埋めようとする行為といえる. 歴史上の人物は存在していたとはいえ,現在では歴史資料からしかその人物像を垣間見る ことができず,アニメや漫画のキャラクターと同じ「会えない」存在である. また,小説は漫画とは違い絵はほとんどない.つまり,登場人物や場面ごとのイメージは 人によって様々である.絵による制限がないため,アニメや漫画以上に自由に想像を膨らま せることができる.歴史的人物であり,小説の登場人物でもある甲冑隊は私たちの「会いた い」衝動を掻き立てやすい.また,市も小説での人物描写(表 5)を念頭に入れつつ募集を かけていることがうかがえ,イメージに近い人が採用されているようである.もちろん甲冑 隊としてのキャラクター設定もこれを参考につくり込まれている. しかし,見た目に関してはイメージと違うということは少なからず起こりうる.その場合 - 190 - の補修作業の役目を担っているのが演舞である.小説の場面をもとにしながら構成された 演舞は,戦シーンなど小説中に描かれているものもあるが,稽古模様など物語から容易に想 像される日常生活での様子も組み合わされている.また,演舞曲を和ロックや洋楽を選曲し ている点から,ただ忠実に場面を再現するのではなく現在との調和を考え,あえてイメージ と現実が互いに許容し合える範囲が広くなるよう工夫がみられる. 表 5「小説『のぼうの城』に見られる登場人物のキャラクター設定」 登場人物 小説内描写(頁) 備考 成田長親 「対面した誰もが,この男が絶えずへらへら笑ってい ・忍城攻防戦時総大 るかのような印象を受けた」(28) 将を務め,田楽踊 「『のぼう様』忍領全体の者が,長親をこう呼んだ」 りで水攻めを破る (29) ・百姓仕事愛好家 「馬だけでなく,あらゆる運動ができなかった」 (40) ・皆に愛されている 正木丹波 「黒目の光をみれば,猛将であるとひと目でわかる. ・成田家一の家老 一見すると細いその体躯は……動けばぴしりと音が ・皆朱の槍を持つ 鳴りそうなしなやかな筋肉で形作られていた」(24) ・戦場での働きから 柴崎和泉 「四十を過ぎたが……三十前半にしか見えない」 「漆黒の魔人」と (45) 呼ばれた 「身体全体を骨格筋の鎧でかためたその体躯は,巨大 ・年下の妻と子供 な岩石を思わせた」(48) ・丹波をライバル視 「針金のような髯が顔の下半分を覆い,……ほとんど ・荒くれ者の腕自慢 鬼の形相である」(48) 酒巻靭負 甲斐姫 「背は小さく……目は涼しげで,鼻筋も通ったその顔 ・兵書を愛読し,自 は清げではあったが,……女のような顔であった」 らを「戦の天才」 (47) と名乗るが戦の経 「家老になってまだ一年足らずで,年も若く二十二歳 験なし であった」(44) ・甲斐姫に憧れ 「齢十八のこの姫は傾城の容色として,忍領内はおろ ・城主の娘 か,他領にも知れ渡っていた」(58) ・長親へ思いを寄せ 「大いに武技を好み始終場内を駆け回りながら成長 る した」(61) ・のち秀吉の側室と 「刃物のように鋭く,それでいて清流のように澄んだ なる 声」(58) (小説「のぼうの城」を参考に作成) - 191 - (2)人の性格としてのキャラクターから 「忍城おもてなし甲冑隊」である間,彼らは自分の本来のキャラクター をまったく見せず に,小説上のキャラクターを演じることができるのだろうか.確かにドラマや映画に出演し ている俳優はその映像の中ではその人物になりきっている.しかしそれは限られた時間の 中であり,また演じている時の相手は俳優など同じ演じている者である.テレビの俳優と甲 冑隊との決定的な違いは,演じている時間とファンとの関係である. 小説をもとにした演舞の最中はそのキャラクターを演じるが,その他 1 日当たり約 4 時 間のおもてなし時間中ずっと演じ続けていられるとは限らない.初めて来た人はもちろん 小説や映画のイメージをもって訪れるため,そのような態度で応じるが,常連客には素の彼 らを出していることも多い.もてなす側という意識は忘れないとしても,イメージのキャラ クターを演じ続けるという固いルールは甲冑隊内には存在しないように思う.また,ファン との距離感もこの風潮に影響している.甲冑隊とファンの距離は非常に近い.ファンとの関 係は顔見知りというより友達または仲間という感覚に似ているのではないだろうか.これ を可能にしているのが「個の時間」である.一般的な芸能人の場合は大多数のファンの一人 として一方的に応援することになる.しかし甲冑隊の場合 はファン一人一人への対応がさ れる.ファンにとっては応援している人から反応が返ってくることは嬉しく大きな励みに なり,応援したいという気持ちが強くなる.その中で彼らの「普段」に近いキャラクターが 見られる.たとえば,少し時間が空いてしまい,どんなふうに対応されるか不安に思いなが らも会いに行くと「久しぶりですね」と甲冑隊の方から歓迎してくれるのである.だからこ そ,常連と呼ばれる人たちとの会話では車や料理といった趣味の話,最近の出来事など個人 的なものにも及ぶ. このように 2 つのキャラクターの差異から,演じられるキャラクターがその人本来のキ ャラクターと掛け合わされることによって,新たな魅力を生み出しているとうかがえる.す なわち,小説のキャラクターを忠実に演じる演舞時と,彼ら自身のキャラクターが垣間見え るおもてなし時の間に見えるキャラクターにはギャップが生じる.個人のキャラクターが 見えるのはおもてなし中であり,それは基本的に一対一で話す個人的な時間である.そのた め,そのギャップこそが自分だけの「知る」につながる.もとのイメージがあるからこそ, そのギャップは非常に生かされる.また,自分だけが知っている新たな顔の発見,それが 日々の積み重ねで少しずつ明らかになっていくことで親しくなっていくことを実感でき, 同時によりその人のことを知りたいという気持ちになる.このように甲冑隊はキャラクタ ーを利用して人々を虜にしていくのだ. - 192 - 図 2 魅力づくりの流れ (筆者作成) 2-3. 地域へのリピーターづくり ここまで甲冑隊の魅力づくりを見てきたが,それが地域に活かされなければ地域キャラク ターの役割を果たさない.行田に来てもらい,そしてもう一度行きたいと思わせ,さらにお 気に入りの場所を見つけてもらうことで地域へのリピーターを増やしてい く.甲冑隊によ るその仕組みを明らかにしていく. (1)地域に行くきっかけ まず,地域に来てもらうことだが,先述したように行田にはいくつか観光スポットがある ため行田に行くきっかけは様々である.しかしその一つに甲冑隊というコンテンツも含ま れるだろう.歴女,全国の武将隊ファン,映画「のぼうの城」など甲冑隊目的の観光客は比 較的多いといえる.甲冑隊は全国的に PR 活動も行っており,また関東では忍城おもてなし 甲冑隊が唯一の武将隊であるため興味を持つきっかっけになることは十分考えられる.ブ ログでの地域の魅力発信も毎日行っており,甲冑隊はきっかけづくりとして大きな役割を 担っているといえる. (2)もう一度行きたいと思わせる仕組み ここでは,観光地としての在り方に注目する.一般的に観光地とは「見てもらう」もので あり,受動的である傾向が強い.しかし,甲冑隊によるおもてなしは,甲冑隊から積極的に 話しかけられるなど,観光側からのアプローチがされる.その目新しさで良い印象を与え, - 193 - 今後の旅行目的地の選択肢に入りやすくなる. (3)地域のファンにする 甲冑隊以外の地域のお気に入りを見つけてもらうことにも,甲冑隊の魅力が活かされる. 甲冑隊のことをもっと知りたいという気持ちから積極的に情報収集がされ,甲冑隊の公式 ホームページで紹介されたお店に出かける,甲冑隊が企画するまち歩きイベントに参加す るなど地域へ出ることが多くなる.甲冑隊の出陣も午前から午後まであり,お昼を挟む.そ の時間に忍城で仲良くなったファン仲間で行田にあるお店にご飯を食べに行くのも定番と なっている.また,甲冑隊は SAMURAI サミットのような大きなイベントにも,近所の小さな 神社のお祭りにも出陣する.普段の出陣時にはない企画を見ることができ,なおかつ遠征に 行けるファンは減少するため甲冑隊とたくさん話せるチャンスになり,甲冑隊が地域イベ ントや遠征出陣する際にもおっかけファンは必ずいる.また,忍城に通っている人たちが甲 冑隊の公式ブログで紹介されたお店に行ってきたという話もよく耳にする.また,これも有 名な話だが甲冑隊は一度会った人は必ず覚えているという.それがたとえ関西方面などほ とんど行かない遠征地だとしても変わらない.甲冑隊メンバーにも会った人とのつながり を大切にしようとするおもてなしの意識がうかがえる. このように,最初は地域に興味がなく,ただ甲冑隊に会うことだけが目的だとしても,地 域に何らかの形で参加していることには変わらない.甲冑隊の魅力にはまるほど,地域に関 わる機会は多くなる.甲冑隊を追っているうちにその地域に詳しくなっている自分に気付 くのである.地元の人ならなおさら自分が住むまちを好きになる.筆者も今まで知らなかっ た行田の魅力を発見し,地元に誇りを持ち行田をもっと多くの人に知って欲しいという思 いを持つようになった.「甲冑隊が好き」は無意識のうちに「地域に愛着をもつ」につなが るのである. 例)行田市へのリピーターづくり (1 回目) ナルケーキを食べる 小説・映画「のぼうの城」の舞台が見たい お店の人とも仲良くなった 行田市に訪れる ↓ ↓ (3 回目以降) 甲冑隊の演舞やおもてなしを楽しむ 次回以降も甲冑隊とそのカフェを目的に行 ↓ 田市へ (2 回目) 甲冑隊によるお店紹介やイベント出陣によ 再び行田に訪れる り地域のお店やイベントなどの知識を深め 歓迎され,ついでに近くのカフェでオリジ 愛着が増していく - 194 - 3 観光地と「観光人物」 3-1. 非日常空間とはどこか 観光の最大のキーワードは非日常体験と言われる.例えば,普段見られない美しい景色を 見る,その地域で取れる新鮮な食材を使った料理を 味わうというように日常から一時的に 解放され,新しい体験をすることが観光の目的である.非日常体験をするためには,そうい った体験ができる非日常的な空間すなわち生活圏から離れた場所に出向く必要がある.例 えば「温泉に入りたいから草津に行こう」であれば温泉という非日常的な体験ができる草津 に行くことになる.それでは,「甲冑隊に会いたいから行田に行こう」の場合は甲冑隊がい る行田を言うことになるのだろうか.しかし,甲冑隊は人であるため年中いつでも行田で会 えるわけではない.基本的には忍城にいるが,行田だけではなく埼玉県全域を はじめ,全国 に出陣機会があるため一概に目的地を断定することができない.すなわち,甲冑隊に会うこ とが目的ならば,甲冑隊がいる場所がいつでもどこでも非日常空間となる.よって,観光地 が無限に広がり彼らがいる地域を観光地に変えることができるのである. 移動可能そして 毎回異なるサービス空間を提供できるのが“観光人物”である. しかし,観光人物による非日常空間の提供には制限がある.人であるため出陣時間や,移 動時間など縛られるのは時間である.出陣日や出陣場所は1か月ごとに細かなスケジュー ルが組まれる.土日を中心に活動しているため月に平均 10 回の出陣になる.一般的な忍城 出陣時間は午前中 1 時間 30 分,午後 2 時間 30 分の計 4 時間である.単純計算だが,甲冑 隊による非日常空間は月に 40 時間,年に 480 時間である.他の観光地と比べると「観光地」 として機能する時間が非常に短いといえる.忍城おもてなし甲冑隊の場合,甲冑隊が結成さ れてから 4 年目の時点で,忍城址で披露した演舞は 370 回を超え観光 PR 隊として訪れた地 は 9 都県 32 区市町である(忍城おもてなし甲冑隊公式ブログ 2013).そして 2014 年 3 月に は「忍城武将隊と行くホノルル」と題し,ついに海外進出を果たすことになった. 3-2. 「観光人物」のオタク的要素 「観光人物」は,自由度が高いことが特徴である.移動範囲が広くまた一対一のおもてな しや,間近での演舞披露など甲冑隊との距離は非常に近い.それは,武将隊が人を魅了する 仕組みでもあるが,しかしこの近さゆえの問題も発生する.例えば他のファンがいるにも関 わらず武将隊を長時間独占する行為である.武将隊との個の時間には少なからず長短があ る.しかし,時間が限られているからこそみんなで楽しい空間づくりを心がけるべきである. また,イベントのために無理に仕事を休むという行為も見られる.忍城おもてなし甲冑隊の 例を挙げると,甲冑隊のスケジュールは 1 か月ごとの発表だが公開はあまり早くない.そし て急遽入る遠征もある.毎年年末に行われる「忍城師走絵巻」というイベントはほとんどす べての演舞を 1 日で披露する特別な日である.同時にクリスマスプレゼントとして武将隊 が身につけているもの,演舞で使用したもの,手作り品などが当たる大抽選会も行われる. 会社員にとって年末は仕事納めで忙しい時期だが,この日の集客力は普通のおもてなし日 - 195 - の比ではない.無理をしてでも休んでしまうくらい甲冑隊中 心の生活に変わってしまって いる.ファンの熱い気持ちがマイナスに働くさらに顕著な例 が年度末でのメンバー交代で ある.芸能人のファンの場合は一方的に応援する形が一般的であるが,武将隊のファンの場 合は個の時間を持ち,直接的な関係を築くことができるがゆえ,悲しみは非常に大きい.特 定の人への思いが強くなりすぎ,この感傷が強くなるとお気に入りのメンバーが抜けたこ とによって武将隊のファンをやめてしまう例が 見られる.武将隊のファンでなくなるとい うことは地域に行く機会も減ってしまうのである.このように,武将隊との距離が近いとい うことは感情移入がしやすい.それはつまりアイドルが容易に手の届く存在になることを 意味する.一度彼らの魅力に取り付かれるとそれが生活の大部分を占めるようになってし まう可能性がある. おわりに 本稿では, 「人」を使った観光という論点でここまで展開してきたが,おもてなし武将隊, 特に忍城おもてなし甲冑隊に話が集中してしまったことは否めない.しかし,今まであまり 取り上げられていなかった武将隊に注目することで観光の新たな可能性が見いだせたのは 大きな成果だと思われる. 1 章では,武将隊はゆるキャラとご当地アイドルの流れを汲み地域性とファンとの関係を 重視していることを紹介した.また,キャラクターは地域を知るための手段という固定概念 に疑問を投げかけた.2 章では,忍城おもてなし甲冑隊という具体な例を取り上げながら, 彼らの魅力は演じているキャラクターと演じる人自身のキャラクター間に生まれるギャッ プであると推察した.そして 3 章では,武将隊のような「人」による移動可能な観光地づく りを行うものを「観光人物」と名付けそのメリットとデメリットを上げつつ,観光人物に夢 中になるがゆえの問題を考察した. 武将隊は地域に行くきっかけから,地域に行く目的になり,そして地域を知る手段になる. 人は地域にあるものの中でも自由性が高く,活動の幅も広いため観光地に負けない魅力を 持つ.よって「人」が目的の観光の形も成立すると考えられる.「地域に在るもの」だけで はなく「地域に居るもの」も観光につながる.そして,人の活かし方によって気候,自然, 街並みなどに根差した地域差を補完することも可能である.人は観光客へのおもてなしや 地域 PR の原点である.しかし,人はどこにでもある観光資源であるため,個性のアピール, 認知度を上げることが課題である.また,運営面の問題もある.武将隊はほとんどが補助金 を使ってスタートしている.そのため,その補助金が切れてしまった後どこが運営を行って いくのかが問われるのである.市民の声に応え存続がされているところも多い.民間へと移 行したところもある.しかしそれもいつまで続くかわからない.地域活性化に寄与し,ここ までファンとの関係を築いてきた武将隊を解散させてしまうのは非常にもったいないこと である.これからも存続していくためには明白な地域貢献の結果が必要である.だが,おも - 196 - てなしも演舞もすべてサービス iであり来場者を毎回チェックできるようなシステムはない. 観光客やファン,地域のお店とのつながりは数字や形で簡単に目に見えるものではない.そ れらを把握するためにきっちりとした決まりや料金システムを作ってしまっては今のよう な近い関係は成立しにくくなる.そのため,ただ資金援助だけの上下関係でなく,運営する ものと観光人物が分かり合うことが必要である.現在は NHK の大河ドラマを武将隊化する ことが増えている.しかし単なる流行で人を利用しても,おもてなしの仕方や運営のシステ ムを考慮しないと長く続かない危険をはらんでいる.最初の武将隊が生まれて今年で 5 年 目になり,観光の一部として存続するか,一過性のブームで終わってしまうのか今岐路に立 っている.それでも「人」は観光資源になるのだ.このことが世間に認知されるためにどれ ほどの結果を残せるかが勝負になりそうだ. 文献 ウレぴあ総研,2012,「いざ東京出陣!『おもてなし武将隊 JAPAN』ロングインタビュー& 神宮ライブレポ」,(2014 年 1 月 7 日取得, HTTP ://URE .PIA .CO .JP / ARTICLES/-/8335). 忍城おもてなし甲冑隊,2014,「 忍城おもてなし甲冑隊公式ホームページ」 , (2014 年 1 月 7 日取得, http://oshijo-omotenashi.com/oshijo/) . 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JP /BOOK / MONTHLY /1208/HTML /F 04.HTM ) . 平成 25 年度版統計ぎょうだ,2013 , 「18-5 古代蓮会館入館者数の推移」 (2014,1 月 7 日 取得, http://www.city.gyoda.lg.jp/11/02/12/documents/2013_tokeigyoda_1.pdf#search ='25%E7%B5%B1%E8%A8%88%E8%A1%8C%E7%94%B0). ――――2013 , 「18-6 埼玉県立さきたま史跡の博物館入館者数の推移」 (2014,1 月 7 日 取 得, http://www.city.gyoda.lg.jp/11/02/12/documents/2013_tokeigyoda_1.pdf#search ='25%E7%B5%B1%E8%A8%88%E8%A1%8C%E7%94%B0). ――――2013 , 「18-8 郷土博物館入館者数の推移」 (2014,1 月 7 日 取得, http://www.city.gyoda.lg.jp/11/02/12/documents/2013_tokeigyoda_1.pdf#search ='25%E7%B5%B1%E8%A8%88%E8%A1%8C%E7%94%B0). 矢野経済研究所,2013,「キャラクタービジネスに関する調査結果」,(2014,1 月 7 日取 得, WWW .YANO. CO .JP /PRESS/ PDF /1127. PDF). 和田竜,2008,『のぼうの城』小学館. - 198 - “音楽都市”という選択 渡部 翔太 はじめに 地方都市における地域づくりは様々な手法を用いて実践されている.とりわけ,文化というコ ンテンツが重要な位置を占めている.その中でも音楽を利用した文化政策がここ近年,活発に見 られる.中核市iに属する群馬県高崎市もその 1 つである.高崎市では“音楽のある街 高崎”と いうコンセプトの元,様々な施策・イベントが行われている. 本書では,音楽による地域づくりの有用性を第 1 章で説くとともに,第 2 章では,音楽をまち づくりの一環として導入している地域の実例を紹介していくことで,音楽の有用性の下,自治体 はどうあるべき姿を考察していく.第 3 章ではこれらのこと踏まえた上で,高崎市における音楽 の立場,また, “音楽のある街 高崎”を支える団体やイベントについても紹介していくと共に, 高崎市における音楽の有用性を説いていく.そこに加え,高崎市の今後の音楽にまつわる動向を 考察し,今後の展望についても言及していきたい. 1 音楽の有用性 1-1. 音楽がもたらすもの 音楽は空気を振動させることによって刺激として享受できる.一般的に音楽は聴くことによ って,リラックス効果やストレス解消,また,妊婦にとっては胎教に良いものとして認識されて いる.そのことに加え,近年では,音楽療法というものが注目されている.日本音楽療法学会 (JMTA)によれば,音楽療法は痴呆症の予防・維持・改善回想効果,リハビリテーション,生き がい再生・支援レクリエーションと言った点で効果があると言う.また,音楽は聴くことにより, 情緒や感受性が豊かになることから教育と言う面でもその効力を発揮する. 以上のことのことを踏まえた上で,音楽を利用したことによる地域づくりを実践している自 治体がいくつかある.ここからは地域づくりにおいてなぜ音楽が用いられるのか,その有用性に ついて説いていきたい. 1-2. 地域づくりにおける音楽の有用性 ここからは地域づくりにおいて,音楽を用いることの有用性について説く.本章では「都市活 性化の核となる文化政策―その魅力を生かした行政―」(1989)を参照しつつ,神奈川県横浜市の 例を例に音楽の有用性を考察していきたい. まず,横浜の音楽にまつわる歴史的背景であるが,横浜は江戸時代末期,開国によって開港さ 人口 30 万人以上,イメージとしては県庁所在地(学陽書房 平谷英明著 『一番やさしい 地方自治の本』より抜粋).高崎市の人口は 375,192 人(2013 年 4 月 30 日時点) i - 199 - れた港である.横浜が開港されたことを機に西洋音楽が伝播してきた.東日本では初めて西洋音 楽が息づく土地となった.横浜には外国人居留地もあったことから,横浜の人々は西洋人と同じ ように日常生活において音楽を楽しむようになっていった. そのような歴史的背景がある中,横浜市は音楽による文化政策を行っている.なぜ音楽による 文化政策を行うのか. それは,音楽がボーダレスであるという特性を持ち合わせているためである. 特性の 1 つとして挙げられるのが,音楽が言語を超越することができるという点である.音 楽はいわば世界共通語である.そのため,異文化との交流もできるという強みを持つ. また,音楽は世代を超えて享受できるという点である.高齢社会が問題となる現代,高齢者も 地域づくりにおいて重要な存在となる.そうした中で,前章で提示した音楽療法という点からも, 音楽が高齢者の生活を豊かにするものと言っても過言ではない.そして,音楽は世代というボー ダーラインを超えることができるため,若い世代との交流も図れる. 横浜市の音楽の文化政策はこの 2 つの点を重点的に取り上げ, 音楽の有用性を説いているが, なにより,音楽の特性はその,公聴性にあるものと筆者は考える.音楽は空気を振動させて伝え る芸術手段であるため,ある空間にいるだけでも享受できてしまう特性を持つ.また,音楽はそ の空間を空気によって振動させることにより,日常を非日常のものに変えてしまう.この 2 点 から,音楽は享受する人を選ばず,享受する者とそうでない者のボーダーを取り払うことのでき るコンテンツであるともいえる.これを利用することで,人を選ばず,日常を非日常にすること は,イベントにも繋がり,観光資源ともなりえる. 以上,これら述べてきたことは地域づくりに繋がる音楽の有用性といえる. 本章では地域づくりにおける音楽の有用性を説いてきた.それを受け,次章では実際に音楽を 利用した地域づくりを実践している地方都市を紹介していき,その自治体がどのようなあり方 であるのかを考察していく. 2 “音楽都市”での自治体のあり方 2-1. “音楽都市”とは “音楽都市”の定義は定かになっていないが,一般的に,音楽文化が特に豊かな都市,音楽が 住民の日常生活にすっかり溶け込んでいる都市,あるいは音楽産業が非常に栄えている都市の ことを指している.例としては,フランスのパリ,ドイツのベルリン,オーストリアのウィーン, 神奈川県川崎市,静岡県浜松市,福島県郡山市が挙げられる. ここでは,地域づくりを実践している地方都市を一貫して, “音楽都市”と呼称するとともに, 郡山市を例に挙げて“音楽都市”における自治体のあり方について考察していきたい. 2-2. 福島県郡山市の例 福島県郡山市は福島県のほぼ中心に位置しており,高崎市と同じく中核市に指定されている 市である.県庁所在地ではないものの,交通網の発達によって流通が発達していることに加え, - 200 - 県内放送のテレビ・ラジオ局が立地しているため,県内の情報集散地でもあるため,福島県内最 大の経済圏を形成している.これらのことから,高崎市と類似している箇所が多々見受けられる. 郡山市は 1998 年 3 月 24 日に“音楽都市”を宣言した.このことにより,郡山市の音楽によ る地域づくりが全国的に有名となった. 郡山市の”音楽都市”としての活動の中,市と市民の関係を表すものとして,「協働」と言う ものがある. 「協働」とは, 「市民等及び市が,対等の立場でそれぞれの役割を担い,責任を認識 しながら,公共的な課題の解決のためともに取り組むこと」(郡山市協働のまちづくり推進条例 第 2 条より抜粋)を指している. 具体的に郡山市はどのような形で協働を行っているのか.大きく,①「市民等が中心となり, 市の協力を得て行う領域」,②「市民等と市が連携・協力して行う領域」,③「市が中心となり, 市民等の協力を得て行う領域」の 3 つに分類される. ①の分野では,市が事業に協力する形で市民活動をサポートすることをはじめ,後援という形 をとって,市民活動団体の公益性を認識し市の名義使用を承認すること,また,市民活動団体等 が行う公共的課題解決に向けた事業に対して財政的な支援を行うもの,がその内容として挙げ られる. ②の分野の内容は,市民活動団体等や市が事業の主催者となり協働で実施する「共催」や,市 民活動団体,事業者等がお互いに持つ情報を提供するなどして情報交換等が挙げられる. ③の分野では,郡山市民文化センター等の公の施設を営利団体や財団法人,NPO 法人が代行 する指定管理者制度が代表的例として挙げられる. この 3 つの領域の内,音楽によるイベントを例に,①の市が事業に協力する形で市民活動を サポートする,という領域に注目したい.この領域の内容として,例に挙げるのは,「SMILE SOUND FESTIVAL」というイベントである.このイベントは, 「音楽都市こおりやま」の発展 を目指し,市内で演奏活動を行っている市民や郡山出身のプロの演奏家による音楽祭のことで ある.主催は郡山青年会議所であるが,市民活動サポート職員バンク事業ii の登録職員がボラン ティアで当日の会場準備・運営に協力している. 市が音楽事業を行っていく上で,市民のまたは活動団体のアクションが重要となってくる.そ れに伴い,市民と市のかかわり方もまた重要であるといえる.郡山市の実践している「協働」と いう行政のスタイルからも分かる通り市と市民が,相互に作用し合い,地域づくりがなされてい ることがこれからの地域づくりにおいては重要なことであるといえる. ここまで,音楽の地域づくりの有用性から,自治体のあるべき姿を論じてきた.次章では,高 崎市における“音楽都市”について考察していく. ii 市民活動団体が行うイベントなどの地域活動を支援する活動に意欲のある市職員が,ボラン ティア登録を行い自発的に参加して支援を行う事業のこと. - 201 - 3 “音楽のある街 高崎”における音楽 3-1. 高崎市における音楽の立場 群馬県高崎市では,戦後の荒廃の中,文化を通じた復興を目指すため, 「群馬交響楽団」の前 身である 1945 年, 「高崎市民オーケストラ」が創設された.高崎市の音楽に関する活動が活発 になる.それらの動きを受けて,群馬県は 1956 年に当時の文部省から全国で初の「音楽モデル 県」に指定された.市の活動がきっかけとなり,県が全国のモデルとなるようになった.以上の ことを受け,高崎市は「音楽のある街 高崎」と銘打っている. 「音楽のある街」高崎市では,音楽を中心市街地の活性化という目標の達成のためにも利用し ている. 「高崎市中心市街地活性化基本計画」(2013)において『高崎の活力と新しい文化を創造・ 発信する“賑わい・交流・文化都心”』という中心市街地の活性化の基本理念を示している.こ れに基づき,3 つの目標像が提示されている.その 1 つが『音楽を中心とした“高崎文化”を創 造・発信するまち~文化が薫るまちづくり~』iii というものだ.この目標像は, 「群馬交響楽団 の創立にはじまる,本市の文化の象徴であり市民の誇りでもある“音楽文化”の基盤の上に立っ た独自の“高崎文化”を創造・発信し,その文化を楽しむ目的で人が集まる,文化が薫る中心市 街地の形成をめざす」という内容である. この目標を見る限りでも,高崎市における音楽への期待値は高いものであると共に,地域の活 性化にとって重要なコンテンツであるということが分かる.ここからは高崎市の音楽活動を支 えているものについて紹介していく. 3-2. 高崎市の音楽を支えるもの ここでは“音楽都市”高崎を支えている団体・施設・イベントを紹介していきたい. 3-2-1. 群馬交響楽団の存在 「群馬交響楽団」iv は戦後の復興を目指す「高崎市民オーケストラ」が「群馬フィルハーモニ ー楽団」, 「財団法人群馬交響楽団」と経て現在に至る.通称「群響」 (以下群馬交響楽団を群響 とする)と呼ばれる楽団の設立の目的は, 文化的社会を建設するため,会員および主として群馬県内における 児童,生徒,学生その 他一般に対し, 音楽による情操教育の向上および普及を図り, もって音楽の発展に寄与す ることを目的とする. (群馬交響楽団ホームページより抜粋) 残りの 2 つは『高崎都市圏の地域活性化を牽引する,経済活力に満ちたまち~“商都・高 崎”の再生~』 ,『市民の出会いと交流の舞台となる,賑わいあふれるまち~広域交流拠点づく り~』である.本書には関係ないと判断したため割愛した. iv 正式名称は「公益財団法人群馬交響楽団」.ファンの間では「群響」と呼ばれる. iii - 202 - このことに基づき, 「群響」は,様々な活動を行っている.定期演奏会をはじめとし,移動教 室等地域に根ざした活動の他,レコーディングや文化庁の本物の舞台芸術体験事業等,全国各地 での活動も盛んである.その中でも,教育・社会貢献の一環として次代担う児童・生徒を対象に した移動音楽教室や,地域に密着した楽団である特性を生かし,老人介護施設・養護学校への訪 問演奏などは地域との結びつきを強めていくものである.この活動は,地域づくりという観点か らも重要であるといえる. 群響はまさに地域に密着している地方オーケストラの特性を持ち,高崎市の音楽ブランドを 高めていく重要な存在であるといえる. 3-2-2. 群馬音楽センターの存在 「群響」の音楽活動が注目され,全国で初めて群馬県が「音楽モデル県」として文部省から指 定された.このことを契機に「高崎に音楽センターを」の気運が高まり,直ちに高崎青年会議所 が「音楽センター設立促進大会」を主催した.翌年に「音楽センター建設促進委員会事務局」を 開設・「音楽センター建設委員会」が結成された.昭和 34 年 1 月の市議会で建設案が可決され るも,市財政が厳しいことから,寄付金を 1 億円募り,うち 3 千万円を市内一世帯平均 1,200 円の募金に頼ることとした.市民の理解と協力により市財政の困難を克服することができた. 1959 年 9 月に着工し,1961 年 7 月に最終総工費 3 億 3,500 万円で竣工した.全席 1960 席と 1 つのステージとした. この「群馬音楽センター」は「群響」の拠点であり,高崎市の中心市街地に建てられているこ とから,高崎市の音楽の重要な発信口であるといえる.それに加えて,行政と市民が一体となっ て建設運動が展開されたことで完成されたホールということもあり,音楽に対する高崎市の総 意の象徴とも言えよう. 3-2-3. 2 つの大型音楽イベント ここでは高崎市で行われる 2 つの大型音楽イベントを紹介していく.2 つのイベントは何れも 高崎市が何らかの形で携わっている. ■高崎音楽祭 高崎音楽祭は 1990 年,群馬音楽センターと高崎市文化会館で開催された.そもそも高崎市市 制施行 90 周年の記念行事として企画したものでありその目的は,地方オーケストラ発祥の地で ある高崎市をアピールし,市民の芸術文化に対する関心を高めようという狙いがあった.当初は 2 つのホールに限られたものであったが,近年はホール内に留まらず,高崎駅西口駅前の特設ス テージ・市内のライブハウス・大型店・ホテル・結婚式場・映画館などで行われている. このイベントは高崎市民と音楽がより身近に感じることのできる機会であるといえる.何よ りもこのイベントは約 1 ヶ月強の期間をかけて行うものであり,その期間中は高崎市の中心市 - 203 - 街地は音楽があふれるようになっている.この長い期間を掛けて行えるのも地元企業の協力が あってのことで,この点からも企業の音楽における理解も深いものといえる. ■高崎マーチングフェスティバル 高崎マーチングフェスティバルは毎年 10 月の土曜日・日曜日に開催しているもので,高崎青 年会議所が主体となり,1990 年から毎年行っている.このイベントは, ①市民総参加のイベントを市民自身の手で運営すること ②子どもたちに貴重な体験をさせる ③「音楽のある街 高崎」のイメージを高める ④音楽を媒体とした交流拠点都市の具現化を行う という 4 つの事業目的を持つ. 高崎市内のスクールバンドの参加が中心のため,若々しい音楽を育てるまちのイメージを与 え,都市が明るく,活気のあるイメージを人々に与え,「音楽文化都市・高崎」のイメージを鮮 烈に PR することができる.大空の下,子ども達に多くの人達が,拍手・喝采を与えることは, 豊かな情操教育を育て,教育的効果も高いことがいえる.また,市外からも,国内外の有名バン ドを招致している.音楽はボーダレスであるため,広域的かつ国際的な人・ものの交流を促進で き,また,内外との交流により,演奏技術も育むことも可能である.これが高崎市における音楽 のレベル向上につながり,全国的に有名になっていくことにつながっていく. 3-3. 高崎市の音楽の有用性と今後の展望 3-3-1. 高崎市における音楽の有用性 以上で述べた代表的な団体・施設・イベントを見ても,まちづくりにおける音楽の役割は有効 的であることが分かる.まず,第1に「群響」という団体は,地方オーケストラの先駆けとなっ た存在であり,地域ブランドを高めるものとして一役買っている.また,地元密着型の楽団とい う立場を利用し,老人介護施設等への訪問演奏等,地域社会への貢献も行っている.第 2 に, 「群馬音楽センター」という施設は,「高崎に音楽センターを」という住民の声によって生まれ たホールであり,住民と音楽を結びつけるものとして重要な役割を持つ.第 3 に,2 つの大型音 楽イベントである.これら大型イベントは様々な音楽に触れ合うことのできるものだ.本来音楽 ホールのような閉ざされた空間でしか享受できないと思われがちだが,この 2 つイベントでは このようなイメージを払拭するとともに,いつもの生活では味わえない体験を享受できる.これ も音楽のもつ,聴覚という特殊な感覚刺激することによる公聴性,また,言語・世代を超越でき るボーダレスの力によるものである.それに加え,この音楽体験が子どもの感受性を豊かにし, 成長させていくことに繋がる.以上で述べたような音楽の有用性を高崎市は兼ね備えている. 以上のように,高崎市における音楽の有用性は,地域活性化・地域社会貢献・教育・交流とい - 204 - った,多岐の分野に渡っていることが分かる. 3-3-2. 今後の展望 高崎市は「高崎市都市集客施設基本計画―人々の都・高崎に新しいパブリックセンターを―」 (2013)において,高崎駅東口への都市集客施設の構想を記している.この構想では都市集客施設 を「高崎パブリックセンター」と呼称している. 「高崎パブリックセンター」は, 『上信越と首都 圏を結ぶ高崎の文化都心・商都としての中心性や集積度を高め,「創造・交流・発信」をテーマ に,高崎がいつも新しい文化とビジネスをエキサイティングに生み出していく拠点となる都市 集客施設』と,構想の中で述べられている.交通の便と高崎市の持つ文化運動のポテンシャルを 生かした施設をつくり,中心市街地である駅周辺の経済の活性化を目指しているものといえる. この施設には大きく 2 つの機能がある.1 つは,高崎市の産業経済活動のイノベーション,イン キュベーションを支援し,高崎市のビジネスと文化創造を融合させ,これを高崎発展の力として いく「創造・文化・発信」の場としての機能を持った「パブリックゾーン(高崎経済文化活動ス ペース) 」である.そして,もう 1 つが,音楽を中心とした高崎の芸術文化の創造と情報発信の 拠点としての機能を持った, 「音楽ホールゾーン(高崎文化芸術センター)」である.ここでは「音 楽ホールゾーン」に注目していきたい. 前からも述べている通り,高崎市の中心市街地には「群馬音楽センター」が存在している.し かし,「群馬音楽センター」は竣工から約 60 年経つため,老朽化や,また,施設の規模の関係 上,楽屋の不足,ロビーの狭さ,また,演奏者から共感を得ることができる残響音 2.0 秒v を実 現できていないという現実があるといった諸問題を現在抱えている. しかし,この「高崎パブリックセンター」の「音楽ホールゾーン」では「群馬音楽センター」 では実現できない舞台の広さや残響音のような性能,楽屋やスタジオ,リハーサル室など,従来 はバックヤード機能として扱われていたものを中心的施設として位置づけ,利用者・演奏者・主 催者の共感を得られる音楽ホールを整備することを目標としている.このことから, 「高崎パブ リックセンター」は「群響」の芸術性・創造性を高めていく本拠地ホールとしての役割を担って いくとともに,エンターテイメント性の高い幅広いジャンルの音楽や舞台芸術の公演を提供す る一方,時代を先取りした新しい音楽の発信もしていくという役割を果たすものとなる.施設の 都合上で公演できなかった演奏も高崎で聞けるようになるという. また,これからの時代は産業を生み出す文化の熟成,そして文化を生み出す感性が重要であり, その感性を共有するまちづくりが,これからの集客のうえでの土台となりうるとも記している. 高崎市が展開するこれからの集客戦略は, 「共感によって人が主体的に係わる(集まる) 」という 基本構造を根本とし,都市集客施設では,主体的に人々が集まる,共感を創り出していくことを 目標としている. この「高崎パブリックセンター」,特に「音楽ホールゾーン」は, “音楽都市”高崎に新たなも v オーケストラでの演奏の場合,最適な残響の時間は 1.6~2.0 秒の間と言われている - 205 - のを与えると期待する.まず期待の 1 つとして,オペラやミュージカルといった場所の制約に より体験できなかった音楽に触れることができる点が上げられる.また,市民に開けた空間を目 指しており,これまでよりも音楽を身近に,そして市民同士が触れ合えることのできる空間にな れるものだと考える. おわりに ここまで,音楽の有用性,自治体のあり方を述べてきた.音楽の与える効果は人の心身に作用 するものである.数あるコンテンツの中で音楽を選択し,それを利用することによって地域を活 性化させる“音楽都市”は様々な利点を持つ.今回は音楽を地域づくりのコンテンツとして選択 した高崎市をメインとし,音楽に関わる団体・施設・イベントを紹介してきた.しかし,ここで は紹介しきれない市民の活動もある.郡山市の実例を紹介したときも触れたが,これからの地域 づくりは市民が積極的に行動していくことが重要であると考える. 高崎市での市民の活動は活発な方であると,筆者は感じる.ではこれまで以上の“音楽都市” になるためにはどうすべきか.それは自治体の市民の活動に対するフォローである.市民の活動 を理解した上でサポートしていくことが重要であると考える. 高崎市は「群響」や「群馬音楽センター」など,音楽の土壌はしっかりしている.また,これ から建設される「高崎パブリックセンター」はこのしっかりした土壌を引き継ぎ,新たなアクシ ョンを起こすことによって, “音楽のある街 高崎”は次世代の“音楽都市”を牽引していけるも のになるだろうと大いに期待する. 本書を受け,今後は実地調査を行い,高崎市の音楽都市に向けた動きをより詳細に研究し,紹 介していきたい. 文献 坂下正幸,2004,音楽療法の有効性と今後の課題 第2回 Body and Society 発表レジュメ, 2013 年 12 月 29 日取得(http://www.livingroom.ne.jp/e/0405sm.htm) 長谷川秀・篠原一義・青木直人・金田竜生・松岡文和・犬塚 克・小室敏勝,1989, 『都市活性化 の核となる文化政策―音楽-その魅力を生かした行政―』 ,調査季報 102 号 2013 年 12 月 4 日取得 郡山市ホームページ(http://www.city.koriyama.fukushima.jp/index.html) 郡山市,2011,郡山市協働推進基本計画,2013 年 12 月 29 日取得 (http://www.city.koriyama.fukushima.jp/upload/1/3471_kihonkeikaku.pdf) 高崎市ホームページ(http://www.city.takasaki.gunma.jp/) 2013 年 12 月 25 日取得 高崎市,2013,高崎市都市集客施設基本計画―人々の都・高崎に新しいパブリックセンターを ―,2014 年 1 月 2 日取得 公益財団法人群馬交響楽団ホームページ(http://gunkyo.com/),2013 年 12 月 25 日取得 高崎音楽祭 2013 ホームページ(http://www.takasakiongakusai.jp/),2013 年 12 月 25 日取得 - 206 - 高崎マーチングフェスティバルホームページ(http://www.takasakimarching.com/),2013 年 12 月 25 日取得 - 207 - 都市アイデンティティの創造と文化享受 ―政令指定都市の文化政策を比較して― 蜂巣 直之 はじめに 現在,日本ではインターネットや携帯端末の普及により音楽や映像などの文化に接すること がより簡単になった.しかしながら特定の会場やホールにいかないと享受できない文化も存在す る.そのため,日本全国どこでも一定水準の文化が享受できるわけではなく,地域によって文化 格差が生じる.この論文では特徴的な都市を比較することで文化に対する行政の取り組みや市民 の取り組みについて考察していく.そして文化を取り巻く状況が文化享受,政策にどのような影 響を与えるか論じていく. 1 政令指定都市をコンサートホールから見た比較 1-1. コンサートホールを一つの基準として選択する理由 まず調査対象として政令指定都市のコンサートホールiを選択する.政令指定都市を選択する理 由は日本全国にあること,また同じ政令指定都市内で人口規模や経済規模が比較しやすいこと が挙げられる.コンサートホールを選択する理由としてはまず公演回数があげられる. コンサー トホールを利用して行われるクラシック,オペラといった音楽の公演回数は他のポピュラー音 楽,日本の伝統音楽よりも多い(表 1). 表1 平成22年度音楽ジャンルの公演回数 出典:文化庁HP - 208 - 次にコンサートホールの成立の歴史についてみていく.コンサートホールができる以前,音楽 は市民に開かれたものではなく一部の王侯貴族の間でのみ,楽しまれていた.一方で一般市民は 当時音楽を聴く機会はほとんどなかった.しかし,コンサートホールが建設されたことによって お金さえ払えばだれでも音楽を享受できるようになった.このようにコンサートホールの成立過 程には文化が市民に開かれた歴史がある. 以上の理由から私は政令指定都市のコンサートホールを一つの基準としてこの論文で取り上 げていく.なお,この論文では正確な基準を設けるためコンサートホールを「客席数 1000 席以 上,ステージ面積が 150 ㎡以上」(上野 2012)であることを条件とする. 1-2. 各政令指定都市のコンサートホールの傾向 仮説を立てつつ,各政令指定都市iiを比較していく.始めに各政令指定都市の経済規模に注目す る.経済規模が大きい政令指定都市ほど,コンサートホールを建設する予算的余裕があると仮定 する.各政令指定都市の経済規模を比較(表 2)すると,大きい順に大阪,名古屋,福岡,横浜と なっている.ホールを 4 施設以上所有する都市は経済規模がいずれも上位 10 番以内に入ってい るためホール数と経済規模には関連性があると考える. - 209 - 続いて人口とコンサートホール数について比較する.人口が多い都市ほど,文化享受への需要 が高まり,コンサートホール数は多くなると仮定する.実際に政令指定都市の人口を調べると, 特に人口が多い市は横浜市であり,次いで大阪市,名古屋市の順になっている.一方,コンサー トホール数を比べると人口が多い政令指定都市ほどホールが多いとは限らないことがわかる.ホ ール数が一番多いのは人口第 2 位の大阪市で,コンサートホールを7施設保有している.人口第 1位の横浜市は大阪市より少ない5施設である(表 3).この値は人口第 4 位の札幌市と同一の 値である.次に各政令指定都市のコンサートホールに対する人口の平均を求める.そして平均と 各政令指定都市のコンサートホール 1 施設当たりの人口について比較していく.コンサートホー ル,1 施設に対する各政令指定都市の人数は約 454,378 人となる.この値に対して,各政令指定 都市の 1 施設に対する人数を比較していくと,全政令指定都市の中で 7 都市が平均より 1 施設 当たりの人口が多い.つまり,人口に比べてコンサートホール数が不足している可能性がある.平 均より人口の多い 7 都市の中で 5 都市が政令指定都市の中でも特に人口の多い都市 10 都市に集 中しておりこの都市の中には横浜,名古屋,京都など人口が特に多い都市も含まれている.一方 で 20 ある政令指定都市のうち 13 の都市が平均の値より多くのコンサートホールを保有してい る.これらの点から,私は人口が多い都市ほどホールの保有数が多いとは限らず,逆に人口が少 ない都市でも多くのホールを保有している都市があると考える. - 210 - まとめると経済規模とコンサートホール数は互いに関連しているが,人口とコンサートホー ル数は関連しているとは限らない.つまりコンサートホールが人口に対して不足しており,適切 に設置されていない,またはコンサートホールは設置されているがそれに見合うだけのコンサ ートや公演が行われていない可能性が考えられる.実際に各都道府県の年間のオーケストラ公演 回数(文化庁 HP 2010)を比較すると,公演回数が 100 回を超える都道府県は 47 都道府県中, 17 都道府県に留まり,各政令指定都市のコンサートホールが適切に利用されているとは限らな い.加えて,国民の意識も変化していることがわかる.平成 8 年から 21 年までの「文化に関する 世論調査」 (内閣府 HP 2009)を比較すると文化的環境の項目のうちホールなどの文化施設の必 要性は低下傾向にある. 1-3. 特徴的な二つの都市の選択 今回の論文では調査対象として京都市と浜松市について取り上げる.調査に取り上げる主な理 由は1章の政令指定都市の人口に対するコンサートホール数の比較にある.表 3 を見て分かるよ うに人口に対して特にホール数の少ない都市が京都市であり,特に多い都市が浜松市であった. 調査対象とする理由はそれだけではない.それぞれの都市を拠点とするオーケストラ団体につ いて比較すると,浜松市を拠点としているプロのオーケストラは 2 団体,アマチュアのオーケ ストラは 5 団体であるのに対して,京都市はプロのオーケストラが 1 団体,アマチュアのオー ケストラが 12 団体であることがわかる.ホールの少ない京都市がより多くの演奏団体を抱えて いる点も比較対象として浜松市と京都市を選択する理由の一つである.加えて,それぞれの都市 のコンサートホールの管理団体に焦点を当てる.浜松市のコンサートホールの管理団体は公益財 団法人浜松市文化振興財団iiiであり,筆頭出資者は浜松市である.一方,京都もコンサートホール の管理団体である,公益財団法人京都市文化芸術振興財団ivの筆頭出資者は京都市である.しかし ながら,出資額の内訳をみると浜松市は全体の 93.5%を出資しているのに対して京都市は全体 の 53.4%に留まっている.以上の理由から浜松市と京都市を選択し音楽に対する文化政策とその 背景について詳しく見ていく. 2 MK モデルの視点を取り入れての二つの都市の比較 2-1.MK モデルとは 京都市と浜松市の文化政策の違いを比較するために中川幾郎氏の作成した MK モデル (表 4) を用いる.MK モデルとは自治体が目指す文化政策において必要とされる項目をモデル化したも のである.MK モデルには文化政策を多面的な方向から考察するための 3 つの視点が置かれる.3 つの視点はそれぞれ「市民の文化振興・条件整備」, 「地域・都市文化の創造」そして「行政の文 化化」である. - 211 - 表4 MKモデル 表現 交流 蓄積 市民文化の活性化 市民の表現の機会・場の 市民交流、市民参加の 提供 場・機会の提供 市民の研究,学習,鑑賞機 会の提供 地域・都市の文化創造 地域・都市情報の発信 行政の文化化 政策研究蓄積,技術開発 行政風土,行政実現の改 自治体交流の推進,職員 研究推進,職員研修の推 革,情報公開 と市民の交流 進 水・緑の保全,都市デザイ 地域間交流の推進・国際 ン・景観整備,文化・学術 交流の推進 情報 出典:自治体基本政策の基本戦略マトリクス(2001) さらにこの MK モデルでは文化政策を深く考察するために「文化政策の進展」についても触 れられている.文化政策の進展には 3 つの要素がある.まず文化を表現する機会,場所が求められ る.続いてその表現を互いに評価する交流の機会が置かれなければならない.そして,その反省が 次に活かせるように文化を蓄積することが求められる.これらはモデルの中では表現(パフォー マンス)交流(コミュニケーション)そして蓄積(ストック)と区分されている.加えて文化行政 の資源の視点も取り入れられる.文化行政の資源も同じく,3 つの要素に分けられる.3 つの要素 はそれぞれヒューマンウェア,ソフトウェアそしてハードウェアと名付けられている.ソフトウ ェアとハードウェアは名前の通り文化行政の制度,仕組みとハコモノと呼ばれる施設,設備のこ とである.これに対しヒューマンウェアには文化に対する志や思い,文化行政の理念が含まれる. 今回,使用する MK モデルは「市民の文化振興・条件整備」 (表 5)と「地域・都市文化の創造」 (表 6)である.この 2 つの MK モデルにはそれぞれ特徴があり.「市民の文化振興・条件整備」 のモデルは都市内での文化を創造し育てることに重点を置いたモデルである.それに対して「地 域・都市文化の創造」は文化を発信し,都市のアイデンティティを育てる側面の強いモデルであ る.それぞれのモデルは 3 つの文化資源と同じく,3 つの文化発展のプロセスによって 9 つの項 目に分けられる.本論文では特に音楽の文化政策の特徴的な項目について MK モデルを通してみ ていく. - 212 - 表5 「市民文化の振興条件」のMKモデル ヒューマンウェア ソフトウェア 表現 交流 市民、文化団体の公共的な文化 多世代、異業種、職種間の市民 活動への支援、助成 交流の推進 市民参加、市民企画への啓発 市民団体の文化ネットワークの形 成 学習・蓄積 芸術、芸能、学術、スポーツ学習 におけるリーダー、ボランティアの 育成 人材リストの充実 市民プロデューサー、市民演出 家、市民技術スタッフの養成 市民の芸術、学術発表の場づくり 市民交流事業の充実 市民参加、企画事業の充実 公民文化情報、施設ネットワーク 文化施設情報の発信 の形成と充実 市民の文化活動に関わる文化情 報誌の発行 市民の各学習機会の充実 市民の芸術鑑賞機会の充実 市民の文化活動情報の集積、充 実 公民文化施設情報の集積、充実 文化施設配置計画の策定 文化条例・ビジョンの策定 文化表現の場となる施設づくり 公共施設の多目的利用の促進 広場、公共空間の利用 市民の交流の場となる施設づくり 市民の学習、研究の場となる施 公共施設、民間施設での市民交 設づくり 流機能の強化 博物館、美術館の設置 ハードウェア 出典:分権時代の自治体文化政策(2001) 表6 「地域・都市文化の創造」のMKモデル 表現 交流 地域・都市にかかわりのある芸 地域、都市を超えた人材交流の 術、芸能、スポーツなどの代表的 推進 な人材や団体の活用、支援 市民主体の地域交流、国際交流 の推進 ヒューマンウェア ソフトウェア 地域、都市の情報発信 都市アイデンティティ発信型イベ ントの開発 地域・都市の歴史公開、無形文 化財の公開 伝統的な祭り、行事の実施 地域、都市の情報発信 拠点の整備 有形文化財の公開 ハードウェア 学習・蓄積 都市文化を担う人材の開発、登 用 地域・都市の過去、現在の芸術・ 芸能、学術、スポーツなどの代表 的な人材の顕彰、記録の収集 文化的人材データバンクの作成 地域、都市のテーマに基づくネッ トワークづくり 地域・都市間交流イベント開催 地域・都市が主体となる国際交流 の推進 地域・都市情報の収集 地域・都市の歴史保全、無形文 化財の保護、保全 都市デザイン、景観形成ルール の確立 大型文化施設の配置計画策定 文化条例ビジョンの策定 コンベンションホール、ターミナル ホテルなどの整備 駅舎、駅前広場、公開空地の活 用 国際交流センターなどの交流施 設の整備 人権や環境の視点に配慮したま ちづくりの推進 地域特性を活かしたまちづくりの 推進 緑、水の保全、緑のネットワーク づくり 地域、都市の歴史的建造物、街 並み整備、有形文化財の保護 出典:分権時代の自治体文化政策(2001) - 213 - 2-2.MK モデルを通してみたときの京都市の文化政策 2-2-1.「市民の文化振興・条件整備」のモデルに当てはめたとき 京都市の文化政策の特徴的な点として挙げられるのは市民オーケストラが非常に早い段階で 結成されている点である.1956 年に結成された京都交響楽団vは初の自治体直営の楽団であった. 楽団の誕生は市民が参加し発表する場を提供し,MK モデルの表現(パフォーマンス)の項目に おいて大きな意味をもつ.また実際に演奏には参加しない市民にも音楽文化に触れる機会が与え られるため,ソフトウェアのストックとしても意味をもつ.加えて 1959 年には巡回コンサート が始められ市民参加への啓発が促された.1968 年には京都市民管弦楽団viが結成されている.この 楽団は京都市文化観光局文化課が中心となって始めた楽団であり,完全に市民から立ち上げら れた楽団ではない.しかしながらこの楽団は演奏場所が限られているなか,土曜コンサート viiを 行い,室内楽でありながら丸山音楽堂viiiの野外ステージで演奏を行っていた.「コンサートホー ルなどハードウェアが整ってない中でこのような演奏会が開催されていた理由は市民の文化活 動に対する関心が強く,ヒューマンウェアが潤沢にあったためである.このような京都市の文化 活動に敏感な気風は古代より文化の中心地であったことが起因している.しかしながら,京都市 が早い段階からコンサートを実施し,ヒューマンウェアから始まった文化活動を政策というソ フトウェアの土壌を用い育てていったことが多くの市民楽団を生み出すきっかけになったと考 えられる.この土壌は MK モデルのストックに位置付けられ,文化都市としての京都市の特徴と いえる. 2-2-2.「地域・都市文化の創造」のモデルに当てはめたとき 京都市の文化政策を見ると,積極的に他国の都市と交流をしていることがわかる.最初に姉妹 都市盟約を交わしたのはボストンであり 1959 年のことであった.直近では 1996 年にプラハと盟 約を交わし約 40 年の間に 6 つの都市と盟約を交わしている.MK モデルにおいて国際交流は交 流(コミュ二ケーション)に分類され重要な項目である.しかしながら,都市間交流イベントな どをみると音楽においての交流イベントは少なく,文化財や美術品の交換展示などが多くを占 めている.また演奏施設といったハードウェアの側面から見たとき京都コンサートホールが完成 したのは 1995 年のことである.これは京都市交響楽団が成立してから 40 年後のことであった. 京都コンサートホールの開館によりハードウェアとしての有形文化財を得ることができ,京都 市の音楽文化がここで確立された. 2-3.MK モデルを通してみたときの浜松市の文化政策 2-3-1.「市民の文化振興・条件整備」のモデルに当てはめたとき 現在,浜松市が進めている文化政策は 1981 年から始まった.この年の第二次浜松市総合計画 - 214 - 基本構想によって「音楽のまちづくり」というビジョンが掲げられた.この政策は MK モデルの 中ではソフトウェアの文化条例・ビジョンの策定に区分される.加えて浜松市の音楽文化政策は 市民に開けた活動が多いという特徴がある.1989 年には「ガーデンコンサートix」が開始され, 音楽鑑賞を気軽に楽しんでもらえるような政策がなされた.そして市制 90 周年の節目の年であ る 2002 年には公募で集められた市民 400 人による「カルミナブラーナx」の合唱が行われた.そ して翌年の 2002 年には「街角コンサートxi」が実施されている.これらの活動は行政が中心とな って行っているためソフトウェアの音楽機会の充実の項目に区分される.浜松市の文化政策はソ フトウェアの側面が多く,政策として音楽文化を発展させようとする働きが強いという特徴が ある. 2-3-2.「地域・都市文化の創造」のモデルに当てはめたとき まず浜松市の音楽文化政策を見たとき特徴的なのは政策として「音楽のまちづくり」を推進し, 都市アイデンティティxiiを発信している点である.浜松市の都市アイデンティティは浜松市総合 計画新基本計画の中で掲げられ,1981 年の第二次基本計画から 2001 年の第四次基本計画全て において「音楽によるまちづくり」を掲げている.また国際ピアノコンクールを積極的に行い, 2009 年までに 7 回のコンクールを開催している.加えて,1990 年にワルシャワ市,1996 年には アメリカのロチェスター市と音楽文化友好交流協定を締結している.これら一連の出来事は MK モデルのソフトウェアの表現から交流の文化進展の項目に当てはめることができる. 2-4.MK モデルを通しての両都市の考察の比較 2-4-1.「市民の文化振興・条件整備」の MK モデルからの比較 この MK モデルから京都市と浜松市の文化政策を比べたとき,注目すべきはそれぞれの都市 がもつ文化行政の資源の差である.京都市の場合,考察でも述べたように京都市には文化の発信 地としての気風が強い.そのため早い段階から京都交響楽団や市民管弦楽団といった市民参加 型の団体が結成された.結果,文化的資源の中のヒューマンウェアが京都の文化政策では中心と なった.そしてそのヒューマンウェアを支える,もしくは拡充するという形でソフトウェアとハ ードウェアが発展していった.このように京都市の音楽に関する文化政策はヒューマンウェアの あり方が特徴としてあげられる. 京都市がヒューマンウェアを中心に文化政策を進めているのに対して浜松市はソフトウェア から文化政策が発展していったことがわかる.1981 年の第二次浜松市総合計画新基本計画にお いて「音楽のまちづくり」が掲げられた後,市民が気軽に参加もしくは鑑賞できるイベントを実 施し,ソフトウェアからの働きかけが行われている.加えて同時に国際ピアノコンクールといっ た都市内に留まらないイベントを企画し,多くの市民の交流を促した.これらは文化進展の「蓄 積」 「発表」 「交流」の一連の流れである.行政のイベントが MK モデルの文化進展の流れに沿っ - 215 - ている点が浜松市の文化政策の特徴といえる. 2-4-2.「地域・都市文化の創造」の MK モデルからの比較 「地域・都市文化の創造」の MK モデルを用いて京都市と浜松市の音楽文化政策を比較する. この MK モデルは前章でも述べたように都市のアイデンティティを発信することに重点をおい た構成になっている.MK モデルを基に両都市を比較すると特にソフトウェアの表現(パフォー マンス)の点で大きな違いがみられる.浜松市の考察からわかるように浜松市は「音楽のまちづ くり」を掲げ,自治体が率先して都市アイデンティティの発信を行っている.一方,京都市は音 楽に関する文化政策としてコンサートや演奏会を開催するも,音楽を都市のアイデンティティ として活用する取り組みに積極的ではない.また国際交流についてみると浜松市が友好交流協定 を結んでいる都市が 2 都市なのに対し,京都市は 6 つの都市と盟約を結んでいる.しかしながら, 音楽に関する都市間の交流イベントは浜松市よりも少ない.このように京都市は文化を創造する 点で音楽に対して政策を行っている一方,音楽を都市のアイデンティティに活用することにつ いては積極的でないと考えられる. 2-5.MK モデルからわかる両都市の音楽に関する文化政策の背景 2-5-1.京都市の音楽文化政策の背景 MK モデルから京都市の音楽に関する文化政策は市民オーケストラが活発に活動するなどヒ ューマンウェアに恵まれている.しかしながら「地域・都市文化の創造」では積極的に音楽を文 化アイデンティティとして発信していないことがわかった.その理由を考察するために京都文化 芸術都市創生計画(京都市文化政策史研究会,2012)についてみていく.創生計画の第一章,計画 策定の背景では京都市の 1200 年に及ぶ歴史について触れ,京都市には長い時間をかけて培った 文化的資源や美しい景観があることが述べられている.このように京都市には音楽的文化資源の 他にも 1200 年の歴史を誇る文化芸術や歴史的文化財といった文化資源が豊富に存在する.実際 に創生計画の第二章では伝統的な文化芸術の継承や文化芸術を都市と結びつけるための社会的 基盤の整備について述べられている.確かに京都市は市民楽団や京都交響楽団など音楽に関する 文化的資源が豊富にある.しかし「地域・都市文化の創造」において,京都市は他の都市では類 を見ない古都としての都市アイデンティティに注目している. 2-5-2.浜松市の音楽文化政策の背景 MK モデルから浜松市の文化政策は自治体の進める政策,企画といったソフトウェアの側面 が強いことがわかった.都市のアイデンティティでは「音楽のまちづくり」を発信し,自治体行 政が中心となってまちづくりを進めていることがわかる.浜松市の地域的特徴は YAMAHAxiii, 河合楽器xivといった世界有数の楽器メーカーの本社が集中している点である.加えて浜松市のホ - 216 - ームページでは「特に楽器産業の集積を背景として,四半世紀にわたり音楽のまちづくりに取り 組み,音楽文化という都市ブランドが形成されてきています.」 (浜松市 HP,2013)と語られてお り企業と文化政策が密接に関わってきたことがわかる.浜松市が文化ビジョンなどソフトウェア を中心に文化政策を進める背景には企業を活用して都市アイデンティティを形成しようという 意図があると考えられる. 3 都市アイデンティティの創造と文化享受 3-1 浜松市と京都市を考察して 第一章ではコンサートホール数と人口の比較を行い,文化享受のためのホールが不足してい る都市,もしくはホールが十分に機能していない都市があるという仮説を立てて考察の対象を 浜松市と京都市に決定した.しかしながら,実際に第二章で MK モデルに当てはめながら考察し ていくと文化享受の側面はその都市が行っている政策の面が強く関係していることがわかった. この章では2つの都市の考察をさらに掘り下げていく. 3-2.文化享受の格差 第 2 章では浜松市と京都市の音楽文化政策を比較し考察した.次にこの二つの都市を文化享受 という観点から考察していく.本論文の 1 章では文化の中心地となる都市は人口が多く経済規模 が多い都市であると仮定した.しかしながら,音楽ジャンルに焦点を当てたとき浜松市と京都市 ではホール数や文化政策に大きな差が生まれる.つまり同じ政令指定都市でも文化享受という点 で差が生まれているのである.文化を発信し,都市のアイデンティティを育てる「地域・都市文 化の創造」を見たとき音楽文化を享受しやすいのは浜松市である.なぜなら都市の政策として「音 楽のまちづくり」を掲げているからである.確かに MK モデルの「市民の文化振興・条件整備」 の観点から見たとき京都市もヒューマンウェアなど文化資源は豊富にある.しかしながら,京都 市は 2 章の政策の背景を見ても分かるように都市アイデンティティの創造において音楽文化で はなく古都としての京都を活用している.これらのことから実際に音楽の文化資源に焦点を当て て,その資源を都市アイデンティティの創造に活用して政策を進めている浜松市の方が音楽文 化を享受しやすい環境が整っていると考える. 文化享受の観点から都市を見たとき,やはり人口規模や経済規模が多い都市の方が文化的資 源の蓄積は多いと考える.しかしながら,文化的な資源が潤沢にあってもそれを活用できなけれ ば多くの人に文化を享受してもらうことはできない.文化活動に焦点を当て「発表」 「交流」の文 化進展の流れにつなげる政策を打ち出すことによりはじめて多くの人に文化を享受してもらえ ると考える. 3-3.都市アイデンティティの創造の危険性 文化享受の格差から見てもわかる通り都市のアイデンティティの創造は重要な問題であ る.MK モデルの比較対象として取り上げた京都市と浜松市も都市の風土を見直しその文化的資 - 217 - 源を生かす形で都市のアイデンティティを打ち出している.しかしながら,都市のアイデンティ ティの形成は,形成に役立つ文化的資源は注目され政策も進んで行われるが,政策にそぐわない 文化資源は政策の対応が満足に行われない場合があると考える.政策が満足に行われなければ文 化的資源があるのにも関わらず享受できなくなりかねない.そのため自治体は都市にどのような 文化資源があるのかを見極める必要がある.そして一つの文化に傾倒するのではなく幅広い視野 を持ち,広く文化に対応した政策を行う必要がある. 3-4.都市アイデンティティの創造と文化政策 グローバル化xvが進展し,国の枠組みが弱くなる一方,都市についてはより一層の国際競争力 が求められている.日本においても東京,愛知,大阪といった大都市の競争力を高めるための政 策が提起されている.このように局所的にヒト,モノ,カネが集まる中で日本の都市全体として 都市間の競争が強まっている.また,文化享受の観点から見ても文化的資源が都市部に集中して いるのは事実である. このような流れの中で文化政策により都市が自らのアイデンティティを発信し,特色ある都 市を創造することは競争力を強める点から見ても重要である.今回,考察で挙げてきた京都市と 浜松市の例からも分かるように文化を育て発信することは都市を特色づけ,文化享受の機会を 増やす機能があると考える.しかしながら,都市アイデンティティのことのみを考え,例えば音 楽文化にのみ文化政策を行ったとするならば他の文化や新しい文化が衰退し,都市もその後の 成長は望めないと考える.都市の風土にあった文化政策を中心に据え,都市のアイデンティティ を創造することは都市間競争が強まる現代で重要なことである.しかし同時に都市を見直し,市 民がさまざまな文化を享受できる機会を整え,新たな文化を創造していくことも重要である. おわりに 今回の論文では文化享受の差は何を原因として生まれるのかという点に注目して考察を行っ た.当初は人口規模や経済規模が主な原因と考えていたが,京都市と浜松市について MK モデル を用いて比較するとその都市の風土や文化政策の方法によるところが大きいことがわかった.特 に文化を創造しても実際に発信しないと都市の見え方は全く違うものになると考える.最後の章 では文化政策の重要性を踏まえた上で都市間競争が激しくなるなかでの都市の在り方について 触れた.グローバル化が進展する中で都市のアイデンティティの創造はより重要なものになって いくと考える. 文献 中川幾郎,2001,「分権時代の自治体文化政策 ―ハコモノづくりから総合政策評価に向けて―」,日 本:勁草書房. 山北一司,2011,「浜松市の合併と文化政策 地域文化の継承と創造」,日本:水曜社. 京都市文化政策史研究会,2012,「京都の文化と市政 守り,育て,創るための取組」,日本:山代印刷 - 218 - 株式会社出版部. 上野佳奈子,2012,「コンサートホールの科学 形と音のハーモニー」,日本:コロナ社. 内閣府,2009,「文化に関する世論調査」 (2013 年 6 月 12 日取得 www8.cao.go.jp/survey/h15/h15bunka/) 文化庁,2010,「オーケストラの公演回数」 (2013 年 6 月 12 日取得 www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/.../sankoshiryo_04_ver03.pdf) 地域創造,2011,「地域の公立文化施設実態調査」 (2013 年 6 月 12 日取得 www.jafra.or.jp/j/library/investigation/022-2/index.php) 経済産業省,2012,「政令指定都市の経済規模」(2013 年 6 月 12 日取得 www.meti.go.jp) クラシック音楽情報,2013,「全国アマチュアオーケストラ」(2013 年 6 月 12 日取得 tuhanshop.net/classic/) - 219 - 教育機関としての「駄菓子屋」の価値 ―現代で消えつつあるこどもの居場所― 山本 凌平 はじめに 幼少期に駄菓子屋を利用した経験のある人は少なくないだろう.低価格で統一されてお り,高くとも 100 円を超えず,また原材料は曖昧かつ見慣れない・聞いたこともないもの が多数を占めている.現代では,不信感の対象となっており,保護者からはこどもに何か良 くない影響を及ぼすかもしれないと懸念されている.人間は,自身の知らないものに対し ては一歩引いた距離から接してしまう.その一つの例としても駄菓子屋は候補に挙がるこ とであろう.そして,上記の怪しさを拭いきれないが故の利用者の減少していることやこ どもの行動パターンの変化などに伴い年々店舗数が減少してきている事実が存在する.行 動パターンの具体例を挙げるとなれば,コンビニエンスストアや大型モールの普及によっ てニーズを奪われ,家庭用ゲーム機器・携帯電話などの電子端末の発達も含めてこどもの 嗜好における変化が適当であろう. しかし,現代に生きるこどもに今「駄菓子屋」という場所が,成長過程で必要とされる 教育の一端を担っている可能性も存在しうると考え,家庭や学校では得られない何かがあ るとして,現代に「駄菓子屋」が教育機関として機能し,こどもにとって必要か否かにつ いて考察を進めていく. 1 駄菓子屋である所以 1-1. 駄菓子屋の立ち位置 前提としての「駄菓子屋」とは,主に小中学生ないしそれ以下の年齢層の児童を対象と した駄菓子・玩具の小売販売店の形態である.おこづかいの少ないこどもたちでも気軽に 利用できる場所でもあるが,娯楽の少なかった以前に比べ,格段に娯楽が溢れてしまって いる現代においてはその存在が認知されていない場合もある.それは,利用者の減少と経 営者の事情によるものであることが多数を占めている.利用者の減少は売り上げの減少に もイコールで繋がっているのはもとより,モチベーションの低下や売り上げの結果に悩み 「駄菓子屋」を経営する意義を失ってしまう経営者も多く存在している. 1-2.駄菓子屋である意義 かつての「駄菓子屋」のあった姿としては,こどもたちが学校帰りや遊びに集まる目的 地の一つとなっており,友人や同じ学校の子,異なる学校の子が集うたまり場であった. そのように,多くの子供たちが一堂に会し,交流を図ることのできる場所としてのコミュ - 220 - ニティが形成されていたのである.そのコミュニティこそが「駄菓子屋」の姿かもしれな い. 1-3.教育的意義 駄菓子屋には,いくつかの役割があると考えている.その一つとして,教育的意義の役 割を担っていると思う.なぜならば,駄菓子屋というコミュニティを通して,児童期の成 長過程に何らかの影響を及ぼしたからである.現に,筆者の経験があるのと同時に,この 説が世間でも同様であることが示されているのである. 松田は,著書『駄菓子屋楽校』 (2008 年)にて駄菓子屋に教育的意義があると語ってい る. 「人は人と関わって生きている.人はモノを生かして生きている.人は自由に創造し て生きている.人はいつでもどこでも学んで生きている」とあるように,かつておばあち ゃんなどが自力でひっそりのんびりと営んでいた駄菓子屋という小さな店とその周辺で遊 んだ人間(子ども)の活動と,それを取り巻いていた地域社会の共同的な人間関係原理を 基に,駄菓子屋には教育的意義があるのではないかと考察している.この関係性が,駄菓 子屋の価値を見出しているのではないだろうか. また,木金は「いかに社会が変化しようと,自ら課題を見つけ,自ら考え,主体的に判 断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力であり,また,自ら律しつつ,他人と 共に協調し,他人を思いやる心や感動する心など豊かな人間性」を育むことが教育的意義 の最終目標だとしている. 2 駄菓子屋の語る本音 2-1.実際の駄菓子屋「もんじゃのん」 栃木県足利市堀込町にある駄菓子屋「もんじゃのん」 (に取材を行った H24,12 月 10 日,店内で,インタビュー方式).ここは筆者の幼少期によくお世話になった場所でもあ り,店主は快く取材に応じてくれたのである.立地としては,近辺に小学校が 3 つ,中学 校が 1 つ,高等学校が 1 つあり,さらに低所得者向けの団地が隣接しており,メインは中 学生以下と定めているが,様々な客層にもなじみ深い.また,もんじゃ焼きも販売してお り,ここでランチを過ごす大人も少なくはないという. 2-2.インタビュー 筆者は,駄菓子屋の本音を知る為に店主にインタビューを行った.いくつかの質問に分 けて記していくことにした. ① 駄菓子屋を始めようと思った理由 幼少期,近所に駄菓子屋があり,良く通っていたこともあって,その思い出が忘れら れず駄菓子屋を営んでみたいと感じていた.また,母子家庭や共働きで寂しい思いをし - 221 - ているこどもたちに,人の暖かみを感じていてほしかった.コンビニのような,便利で あるためにこどもの目に触れさせたくない物がある場所に行くべきでないと常々悩んで いたことも,決意を固める理由となり,そして第一にこどもたちの為になるような憩い の場を提供してあげたかった. ② 経営上気をつけている事 こどもと同じ目線に立ち, 「店員と客」としてではなく「大人と子供」の関係で接す ることを意識している.時に優しく時に厳しく,こどもたちの見本になれればいいと思 っている.そして最も重要なのは,お店に 1 回でも来たこどもの顔をよく観察して,覚 えることである.次回,来てくれた時に顔を覚えてもらえていると親しみやすくなるか らである. ③ 客層の広げ方 親子で来て,親がここでなら安心してこどもを任せられると思ってもらい,その後は こども一人だけで来ていいとしている.また,子供同士で来て,親に話をして,親が来 てその安全性を確認する場合もあり,彼氏彼女や友達を連れてくることもある.不良な どの,こどもたちに悪影響を及ぼす可能性のある人が来ないように常に細心の注意を払 っている. ④ 今までで嬉しかった事 成長して大きくなっても,駄菓子屋に来て顔を見せてくれることが最も嬉しかった. いくつになっても,ここのことを忘れず覚えていて,こどもたちの思い出の一つになっ てくれることがなによりの喜びである. ⑤ 近辺の駄菓子屋との繋がり ケースバイケースかもしれないが,ここの場合,当店より新しく出来た駄菓子屋との 繋がりはなく,客層も異なっていて関係は特にない.しかし,親戚や知り合いの場合に は繋がりも存在し得るかもしれない. ⑥ 友達同士でなくても会話は成立するか 会話は成立し,ここで仲良くなるケースも多い.もんじゃ焼きを作る時に,店内の席 が少ないために相席になることがあり,偶然相席した知らない人同士でも,どちらから ともなく会話がおこり,友達になることもある.それも駄菓子屋を営んでいる上での目 標でもある. - 222 - ⑦ 決まり事・ルール 店内では携帯禁止で,お喋りなどのコミュニケーションを図ることに重きを置いてい る.対象はこどもたちだけにとどまらず,親も含まれており,団欒を最大限に楽しんで もらうことを決まり事としている. ⑧ 悩みやこれからの不安 駄菓子の仕入れには消費税がかかるが,お店で販売する時にはこどもたちのことを考 えて消費税をかけないようにしている.しかし,これから消費税が 8%になるにあた り,この形態を維持できるかが最大の悩みであり,不安の種である.そして周りにたく さんあった駄菓子屋が店をたたんでいく中,いつまで続けることができるのか不安で仕 方ない. 2-3.取材を通した見解 駄菓子屋への取材を通して,駄菓子屋の意義が憩いの場であるとともに,教育上にお いて家庭で得られない経験が出来る場所でもある.また,親や兄弟姉妹などの親族に相 談できない事も,お喋りを交えて行っているという.つまり,学校と家のどちらにも属 さない第三の場所だといえるだろう.尚且つ,この場所の存在が必要性の高いものだと すると,駄菓子屋はあるべき場所となる.しかし,年々減少していく駄菓子屋には教育 的価値があるのか否かを明確に出来ないからかもしれない.こどもたちにとって駄菓子 屋は楽しい場所であることは変わらないが,それと同等以上の娯楽が増えてきた現代に おいて多重の意味を持つ娯楽はそう多くはないと感じた. 3 駄菓子屋の明日 3-1.現代でも通じる価値 1 と 2 で示してきた駄菓子屋を通して,駄菓子屋の持つ価値とは「相互学習」「人生経 験」 「安心の共感」 「人間関係の構築」「人間性の成長」である. 「相互学習」……学校や家庭で行われる一方通行的なものではなく,双方的なものであ り,どちらの立場も上や下もなく対等な存在としてある.つまりお互いが教える側と教 えられる側両方になれるということである.その敷居の低さから学ぶこともあると考え た. 「人生経験」……少ないおこづかいの中で計算して買い物をするという経験にもなれ ば,上下関係の末端に触れて社会的な常識も幼いうちに経験できる機会はそうそうない といえるだろう.コンビニや大型モールなどで行われる簡略化された取引が人生におけ る経験になるとはあまり思えない. - 223 - 「安心の共感」……共働きの家庭が多く,学校が終わっても家には誰もいなくて孤独を 味わっているこどもが多い.その孤独感を打ち消すのが,駄菓子屋という存在ではない だろうか.そこに行けば,店員が暖かく迎えてくれて,更には友達や友達になるかもし れない同じ思いをしているこどもがいるはずである.人の暖かみは不安や孤独感を打ち 消すなによりの解消法のひとつであり,決してなくしてはならないものである. 「人間関係の構築」……成長していく過程で,必要なもののひとつとして人間関係の構 築がある.これは,自分ではない他人とのコミュニケーションを図り,意思疎通を行う といった,お互いの位置付けをする大事なことである.形成に失敗してしまうと,孤独 感を他人以上に味わってしまうことや仲間外れの対象になってしまうといった人格形成 にも多大な影響を及ぼす可能性がある.よって,駄菓子を買ったりお喋りをしたりする といった同じ目的で話題にもなれる駄菓子屋という空間は人間関係の構築にも一役買っ ているといえるだろう. 「人間性の成長」……人格ともいい,その人間の本質を形作る重要なものだともいえる だろう.その成長が滞ると,社会的な関係や親密な関係を形成するために必要な信頼や 意思疎通に支障をきたしてしまう可能性がある.優しさや素直さ,人間であるために必 要な感情の制御の仕方などの訓練を行える場としても,駄菓子屋は有効であると考え た.つまり,人としての尊厳とは何かを学べる場としての役割もあるのだろう. 3-2.失くしてはならない学び舎 これまでに示してきたことから,駄菓子屋は数の減少した現代であってもこどもたちに とって必要とされる場所でなければならないと感じた.替えの効くものではなく,その役 割が分散化されているだけなのだと思う.しかし,駄菓子屋に行った経験がなくとも人は 成長し,社会に出ていく.それは,駄菓子屋の持つ役割が現代の何かに引き継がれている という可能性も捨てきれない.つまり,代替先が存在しているということなのであるが駄 菓子屋という明確な形を持っておらず,曖昧で形のないものなのかもしれないということ である.明確に形のある学び舎として駄菓子屋は機能し,こどもたちに何らかの影響を及 ぼしていることは明らかとなった.その存在の有無においては,あるべきである.需要と 供給のバランスが上手く取れていないためだと感じた. おわりに 以上の考察から,駄菓子屋は失くしてはならない学び舎としてこれからもあり続ける が,移り往く時代のあおりを受けてしまい,人間の成長過程で通るルートから外れがちに なってしまっている.勿論,必ず通らなければならない訳ではないが,その有無で人生が 多少とはいえ左右されることもあるはずである.有無は問わないが,あればあったのなら - 224 - ば人よりほんの少しでも人間らしく生きることができるかもしれない寄り道としてこれか らもこどもたちに必要とされることを願うばかりである. 文献 松田道雄,1998,『駄菓子屋の教育的意義』 ――――,2008, 『駄菓子屋楽校』 木金力夫,『家庭・地域に於ける「子どもの居場所」の教育的意義』 - 225 - 生涯学習化する合唱コミュニティ 平澤 亜弥 はじめに 現代は地域とのつながりが希薄化した時代だといわれている.過疎化や高齢化,住宅の郊外化 に伴って,人と人とが直接コミュニケーションをとる機会が減少したというのである.この一方, 生涯学習活動によって意欲的に自らの社会的ネットワークを拡大していく住民の姿がみられる. 生涯学習活動はいきがいの創出や地域課題の解決だけに留まらず,地域のコミュニティ形成の きっかけとしての側面を担っているのである.このような住民の活動によるコミュニティの醸 成は地域において正の影響をもたらす可能性が大きく,無視できないものとなっている.地域と のつながりは地縁的コミュニティからのみ感じられるものではなく,生涯学習活動をはじめと した地域活動を発端に形成される可能性をもつといえるだろう. 本稿では合唱コミュニティに注目し,合唱活動を通じて形成される社会的ネットワークの現 状と課題を明らかにしていく.なお本稿で取り上げる合唱コミュニティは,音楽を学んだ人に参 加を限定した団体ではなく,地域を活動の拠点とし住民が気軽に参加できる合唱団を中心とし たものを指す.合唱活動はより広い住民同士の交流が可能となるはずの条件を含んだ文化活動 であるものの,現状としては閉鎖的な印象を受ける団体が多いといえよう.地域における合唱コ ミュニティを生涯学習や社会的ネットワークの観点から捉え直し,本来の合唱活動がもつ広い コミュニティとしての可能性を考察していく. 1 生涯学習活動による地域ネットワーク創出 1-1.地域における生涯学習活動 まちづくりについての議論の盛り上がりは未だ衰えることなく継続している.各地では高齢 化や地域住民とのつながりの希薄化といった問題の解決を図ろうと,まちづくりを通じた地域 の再生を試みる事例が多く見られる.生涯学習の観点からもまちづくりは関心を集めるテーマ のひとつである.生涯学習を通じた人材の育成はまちづくりに深く関与する可能性が高く,NPO や市民団体が発達してきた現代において,生涯学習とまちづくりは切り離せない関係にあると いえる. はじめに生涯学習活動について整理したい.中央教育審議会答申「生涯教育について」をもと すると,日本における生涯学習とは「人々が自発的意思に基づいて, 『自己の充足』, 『生活の向 上』, 『職業能力の向上』のために,自ら学ぶ内容を選び取り,充実した人生を送ることを目指し て生涯にわたって行う学習(香川ほか編 2008: 3) 」と簡単に定義できる.つまり生涯学習とは 変化する社会への適応や,生きがいの獲得を目指した自発的な学びを指す.さらに,全国各地で 行われているまちづくりには住民の積極的な参加が欠かせないとした上で,そのために住民自 - 226 - 身の成長を促す講座の開発や住民参加の機会の整備の必要であるという(香川ほか編 2008) .住 民自身が成長できる機会をより多く設ける,すなわち生涯学習の基盤整備をすることがまちづ くりにつながるのである.また,生涯学習活動を通じて形成された人的ネットワークは地域行政 に関しても積極的な働きを見せる可能性が大きい.パットナム(1993)によれば,社会的な信用, 規範,ネットワークなどソーシャル・キャピタルのストックが多い地域においては,公共政策が 円滑に遂行されるという.生涯学習活動は地域においてネットワークを新たに構築,または再構 築する可能性をもつことから,活動の内容を問わずまちづくりに影響を与えるものといえる. 1-2.生涯学習活動に参加する住民 生涯学習活動への参加には,まちづくりに限らない高齢者の生きがい創出や地域の課題解決, 趣味活動など様々な目的が存在する.まちづくりと生涯学習活動の関係を整理するなかで,生涯 学習活動が地域に正の影響を与えることが明らかになった.では次に,生涯学習活動と住民との 関係を整理したい.生涯学習は前述したとおり,自発的な意思に基づく学習である.自主学習集 団は二つの類型に分けることができる(香川ほか編 2008) .学級,講座,あるいはカルチャーセ ンターなどの各種講座から発展し独自の学習団体を形成したものと,特別な母体をもたず,共通 の関心・ニーズに基づいて形成された学習集団である.いずれも個人の自己実現や人間的成長を 果たす点では共通している.団体の成立過程に関わらずこうした団体に所属する個人の成長は 地域にとって無視できない影響を及ぼすことがある.パットナム(2006)は社会的つながりにお けるフォーマルとインフォーマルを区別する「マッハー」と「シュムーザー」という二種類の住 民に関して言及している.マッハーとはフォーマルな組織に多くの時間を費やし,コミュニティ においてなにかを起こす人を指す.コミュニティの中心人物的役割を果たすようなマッハーは 自身の活動のみに関わらず,政治的地域的な問題にも積極的という特徴をもつ.こうしたことか らマッハーは<コミュニティにおける万能のよき市民>と呼ぶことができる.一方,シュムーザー はインフォーマルな会話や親交に多くの時間を使い,活動的かつ自然発生的でフレキシブルな 住民を指す.おしゃべり・口達者とされるシュムーザーと万能の良き市民であるマッハーは対照 的に映るが,この二種類の社会的関与には一定の重なり合いがあるという.すなわち,コミュニ ティに関わる市民が活動に必要な役割を担う中で,シュムーザーがマッハーになっていくよう な変容があり得るのである.加えて「個人の成長,発達は,個人のなかだけにとどまっているこ とは少ない(瀬沼 1998) 」とし,個人の成長がコミュニティの場に還元されることでより良いコ ミュニティに向かうとしている. このように生涯学習の成果として個々の人間的成長を導くことができれば,たとえ自分の楽 しみだけの活動であったとしても,自然にコミュニティ内の住民からアクションがあらわれる 可能性は大きい.同時にコミュニティや地域に対するアクションが可能になればなるほど,個人 としての自己実現や生きがいの満足度は高まるのである. - 227 - 2 合唱コミュニティの現状 2-1.生涯学習における音楽活動 「人々は所得を増大させるよりも家庭生活や休日の過ごし方など,個々の生活の質(quality of life)をより問題にするようになった(香川ほか編 2008: 78) 」と示されるように高度経済 成長以降,余暇時間の増大に伴って心の豊かさを求める動きが広がってきた.その中でも音楽活 動は全生涯にわたって関わる身近な活動の一つとして挙げられるであろう.「生涯学習振興のた めの施策の推進体制等の整備に関する法律」は生涯学習の視点から音楽活動を捉えなおす契機 として働き,1994 年には「音楽文化の振興のための学習環境の整備等に関する法律」が制定さ れた.この法律の中で,国及び地方公共団体は,音楽に関する自発的な活動に協力し,あらゆる 機会と場所において音楽学習を行うことができるよう体系的な整備に努めるものとされている. 法律を背景とする行政側の後押しもあり,公民館や音楽ホールといった公的な学習施設での住 民の音楽活動が盛んになっている.また公的学習施設に留まらず,カルチャーセンターや音楽教 室のような民間施設での活動も展開されており,主に企業を中心とした文化・芸術の振興活動も その一環といえる. 生涯学習時代における音楽活動の範囲は広く,吹奏楽や和楽器,合唱,オーケストラの演奏だ けではなく,カラオケ,コンサートなどの音楽鑑賞などが挙げられる.また音楽はその役割の広 さも注目される.音楽は精神治療に有効とされ,環境を演出する効果をもち,共同的一体感の高 揚をもたらすのである.さらに,現在人口の約 25%を占めると言われる高齢者に目を向けると, 心の豊かさをもとめる観点から福祉関係施設において音楽需要の高まりが見られる.意欲的に 施設に出向いて音楽を学ぶ高齢者の姿も多くある.音楽に対する興味・関心によって生まれる楽 しみや生きがいが高齢者の前向きな人生を支えているといえるだろう.このように音楽は人々 の生活において欠かすことのできない分野として,生涯学習活動の一端を担っているのである. 2-2.合唱活動の立ち位置 本稿では音楽活動の中から合唱を取り上げることとする.合唱にはある程度の人数が必要と されるが,活動を始めるための楽器や道具を準備する必要がなく経済的負担がほとんどない活 動と位置付けられるであろう.ステージ上では車椅子や椅子に座って歌うことが可能であるた め,健常者と身体障碍者,そして老若男女を問わず平等に行うことのできる活動としての意義は 大きい.実際に家族ぐるみで同一の合唱団に所属している例や車いすを使用しての合唱コンク ール参加は珍しくない.さらには,学校教育の課程として誰もが一度は合唱を行っており経験を 多少なりとも積んでいることを踏まえれば,他の文化活動やスポーツ活動よりも,合唱に多数の 市民の参加が見られても不思議はない.しかし,地域の中で合唱を行う人数は決して多いとはい えないのが現状である.筆者の関わってきた高崎市の複数の合唱団では必ずといっていいほど 人数不足・若者不足の声が上がる.経済的負担もなく,年代や身体的不安に関わらず,未経験の 活動ではない.条件としてみれば,参加の敷居は低いといえる合唱活動であるが,現実としては 組織として多くの課題を抱えているのである. - 228 - 2-3.市民合唱活動の事例 ここで筆者が参加している高崎市の市民合唱団を具体的な例として挙げたい.それが「高崎第 九合唱団」である.高崎第九合唱団は 1974 年に第九iの愛好家が主体となって立ち上げた高崎の 市民合唱団であり,以来 40 年に渡って合唱活動を続けている.主な活動としては群馬交響楽団 と共に行う年に一度の第九演奏会をはじめ,メイコンサート,海外演奏会などがある.演奏のた めに訪問した国は 8 か国に及び,音楽による国際平和活動の功績が評価され群馬県国際交流賞 を受賞している.また,数年前には NPO 法人格を取得しており,対外的な合唱活動の活発さを示 す団体である. 現在の団員数は 100 名を超え,中学生から 70 代後半・80 代と幅広い世代が在籍しているが, 40 代後半から 60 代が大半を占める.親子や夫婦で参加する人も見られるほか,合唱団外では教 師と生徒,上司や部下といった関係の人々が一団員として所属している.このことから,高崎第 九が家庭と学校・職場以外の場としての役割を担っていることが分かる.さらに注目すべきこと として,合唱団員には群馬県や高崎市に知識が深く,地域政策や地域の活動に対して積極的関心 を示し,かつ行動している人が少なくないことがある.1章で述べた“良き市民”としての成長 をここに見てとることが可能であろう.つまり,群馬県高崎市に根ざして活動している高崎第九 は単なる生涯学習的な音楽活動の場としてだけでなく,希薄化している地域的なネットワーク の形成に一役買っているのである.加えて,共通の合唱という趣味を介して知り合った人々がま た新たな合唱団や合唱とは異なる趣味のサークルを形成していく様子も多々見られ,高崎第九 が単なるコミュニティとしてだけでなく,新たな地域ネットワークを育むための土壌として機 能していることも伺い知ることができる. 3 コミュニティと距離をおく人々 3-1.新規参加者の心的ハードル これまでの章では,市民の主体的な活動が地域コミュニティにおいて正の影響を与えること について市民合唱団の事例を用いて紹介してきた.しかし,理想的な住民団体であるはずの市民 合唱団では若い世代の参加が減少し,高齢化を招く事態となっている.ここにはどのような原因 があるのだろうか. 初めに新規参加者側の心的ハードルに注目したい.そもそも新規参加者が既存のコミュニテ ィに参加する理由としては,居住地変更に伴う職場や学校,自治会の変更が主として挙げられる. これらは受動的要素が強く,生活に必須かつ自らが選択することのできないコミュニティ参加 として考えられる.一方,能動的参加要因としては趣味の継続や自己実現達成,交友関係を広げ るためなどが想定できる.一般的にコミュニティへの能動的参加は友人や知人といった第三者 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調作品 125 を指す.特に第4楽 章は『歓喜の歌』として日本人に親しまれ,年末になると各地で演奏会が行われる作品であ る. i - 229 - を介したものが多く,そのため合唱団のような能動的参加を必要とする趣味のネットワークに おいては似通った背景をもつ人々が多く集まる傾向があるといえるだろう.能動的コミュニテ ィに参加する身近な関係者の存在の有無が参加のハードルに影響するのである.また,人がコミ ュニティの選択する際には世代の問題も関わってくる.前述した身近な友人・知人による紹介に も関与するが,同質のコミュニティを複数提示し選択可能であった場合,できるだけ年代の近し いコミュニティを選ぶ人が多いのである.よって,多世代参加可能な活動であったとしても,自 らと近しい年代の参加者が少ない場合そのコミュニティは選択対象から除外される.さらに現 状の技術,求めるレベルといった要素もコミュニティ選択においては検討されている.典型的な 生涯学習の音楽コミュニティでは技術に囚われず音楽を楽しみ,生涯にわたって長く続けるこ とを目標とする団体が多い.そういった団体が存在する一方で,音楽的技術を磨き質の高い演奏 を目標とする団体もある.両者は無意識的な棲み分けがなされているが,外部から区別すること は困難であるケースが多いといえる. ここまで例を挙げてきたように能動的にコミュニティを選択するにあたっては様々な比較要 素が存在する.しかしいずれも正確な内情を把握するためには関係者の友人・知人の存在が必要 となり,ゼロから既存のコミュニティに参加しようとする人にとっては参加のハードルが上が ってしまうという結果を招いているのである. 3-2.趣味としての合唱の弱さ 続けて合唱特有のコミュニティにおける弱さについて検証したい.公益財団法人日本生産性 本部が行った「余暇活動に関する調査」によれば,平成 23 年度の「コーラス」参加率は男性が 1.9%,女性が 6.2%となっている.調査対象の余暇活動全 91 項目中,男性では 74 位,女性 では 49 位にコーラスは位置しており,特に男性から支持を得られていない現状が顕著に表れた. さらに,趣味が与える印象へと視点を変えると「合唱」を趣味とする人の印象は決して良いとは 言えないことに気が付く.これは「吹奏楽」や「野球」「サッカー」の与える印象と比較すれば 容易にイメージできるだろう.合唱はその歴史性やコミュニティに与える影響を踏まえればよ り評価されても不思議はない余暇活動であるはずだが,正反対の現状が存在するのである. このずれは何故発生しているのだろうか.一般的に「合唱」と聞いて合唱を趣味としない人が 思い浮かべるのは,各々が体験したであろう小学校や中学校,高等学校などで行われる「クラス 合唱」である.このクラス合唱は学校教育活動の一環として,全員が強制的に偏った選曲のもと で行われるケースが多い.さらに協力的な参加が強制されることで負のイメージが伴いやすい. こうした活動や曲目だけを合唱と認識してしまえば,個々人の趣味のヒエラルキーにおいて下 層に位置してしまうのも仕方がないだろう.一方,合唱を趣味とする人の「合唱」の認識はクラ ス合唱とは大きく異なる.クラス合唱ではピアノ伴奏付き,混声 3 部合唱がメジャーであるが, 合唱全体から捉えると一部の形式に過ぎない.主流とされる合唱はグレゴリオ聖歌iiを起源とす る宗教音楽とされており,無伴奏の曲が多いことが特徴である.人数も数人から百数人,数百人 ii ローマ・カトリック教会の公式な聖歌であり,単旋律・無伴奏の宗教音楽を指す. - 230 - と規模にも制限がなく,指揮者の有無も自由に決定できる.音の重なりや言葉のフレーズなどそ れぞれが自由に楽しむことのできる音楽が,合唱を趣味とする人の「合唱」なのである.このよ うな合唱に対する認識のずれは,印象のずれに直接繋がると想定できる.歌うことは誰にでもで きる,という合唱を行う上でのハードルの低さが趣味として合唱を捉えた場合の印象のずれを 生み,結果として趣味における合唱を低い立場に追いやっているのである. 3-3.より音楽的な活動を求める人々とのずれ 合唱を趣味とする人々の割合の少なさや新規参加者の心的ハードルについて振り返ると,市 民合唱団を地域コミュニティの代替として見なすとすれば,参加者の裾野を広げる工夫は必要 であろう.そのため生涯学習的に音楽を楽しみ長期的に続けていくことを目的とする合唱団の 姿が理想だと考えることは自然である.しかしそのような生涯学習的な音楽活動ばかりが先行 した結果,合唱に好意的かつある一定の技術レベルを求める個人を遠ざけるという現象が起こ りうる.つまり,生涯学習化すればするほど,合唱に限らず対象の文化の技術的側面が弱くなる という負の側面が存在するのである.加えて文化・芸術活動の拡散は文化・芸術の質を低下させ, その価値を損なわせることになりかねない一方で,生涯学習社会において文化・芸術活動は大衆 化・民衆化をすることで高度なものとなるという主張がある(岡本ほか編 1992) .このような生 涯学習的な活動だけに留まらず,より音楽的な団体や活動へと広げていく動きは現状として不 十分といえる.生涯学習に理解を示し活動に協力的な指導者を育むことも生涯学習的活動の課 題であり,生涯学習活動と文化活動の双方の視点をもつことが今後地域を主体に活動する文化 団体には求められるであろう. 4 合唱コミュニティのゆくえ 4-1.生涯学習団体としての市民合唱団 これまで生涯学習団体という観点から市民合唱団を捉え,合唱コミュニティの内外それぞれ について事例をもとに考察してきた.こうした状況下で生涯学習団体としての市民合唱団が地 域にとってどういった役割を果たすことができるのだろうか.事例として挙げた高崎第九合唱 団の人的ネットワークに注目すると,メンバーのほとんどが高崎第九合唱団とは別になんらか の合唱団,または合唱に限らず職場以外の団体に所属していることがわかる.どちらが先かはと もかく「合唱」という共通の趣味の中で,一つのコミュニティに閉じこもることなく,複数の団 体を能動的に選択し所属することで自らのネットワークを広げているのである.生涯学習的な 市民合唱団はその敷居の低さが特徴のひとつであり,より多くの住民の参加を求めているため 積極的に情報を開示し募集を呼びかけているケースが多い.一方で小規模な団体であればある ほど,その情報は同種のコミュニティに所属しない限り得ることが難しい.市民合唱団は技術的 な面は優れているとは言い難い団体も多く存在するが,個人の好みに応じた団体の存在をより 多く知ることができるという点で見逃せない役割を果たしているといえるだろう. さらに生涯学習としての文化活動が心の豊かさを求めることに起因して行われているとすれ - 231 - ば,余暇を生かして地域社会に参加しようとする高齢者や子育て終了後の女性にとっても市民 合唱団はその役割を果たすことができるのではないだろうか.合唱に限らず連鎖的にネットワ ークが拡大する可能性はどの市民団体も秘めている.しかしながら,奥田(1993: 164)は「ク ラブ,サークルの小集団に共通する魅力は,個人としての生き方や価値観を比較的率直に反映で きる」と述べた上で,趣味を活動の核とした多様なクラブやサークルの誕生がそのままコミュニ ティ活動につながるものではないと指摘している.趣味的な活動団体は生きがいをもたらすが, 奥田が指摘するように全てがコミュニティ活動につながるとは言い切れない.生涯学習的に展 開・発達することがコミュニティ活動としての意味合いを強め,地域的なネットワークの土壌を 育むことにつながるだろう.趣味を地域社会参加の足掛かりとすることは,活動を通じて得られ る人間関係や達成感をはじめ,前述した地域・社会的な課題の解決にも影響を与えるのである. 4-2.多様な合唱活動の登場と意義 知人を介しての紹介無しに既存のコミュニティに参加するような心的負担の軽減には,常設 でない合唱団へ参加することが有効な方法の一つだろう.非常設合唱団は多くの場合公演の場 や目的,曲目などが予め提示され,趣旨に賛同した人々が集まり期間限定で結成される. 「サン トリー1 万人第九」, 「すみだ 5000 人の第九」といった年末を連想させるベートーヴェンの第九 を演奏するものや,東京シティオペラ協会をはじめとする各地の市民オペラといった非常設の 合唱団は珍しいものではない.こうした非常設合唱団による演奏会は打ち上げ花火のように単 なるイベントにすぎないのではという意見もあるだろう.文化的なイベントの実施の効果とし て,地域の地名度を向上のほかに関係者の連携や市民の芸術文化等に関しての見識が高まるこ と,人材の発掘,人的ネットワークの形成,地域のイメージアップ等が挙げられる(岡本ほか編 1992).非常設合唱団の場合でも事前練習を何度も行うことから,強固とは言い難いにしろ人的 ネットワークは形成されている. また近年話題となったものとして,Eric Whitacre による動画サイトを活用した合唱や,フラ ッシュ・モブiiiといった既存のクラシックの形に囚われない自由なスタイルの演奏が挙げられる. このような合唱活動の展開は,合唱やクラシックを敬遠しがちな若い世代にも比較的受け入れ やすくなると同時に,既に合唱に興味をもっている人の関心をより強く惹きつけ,より自由な文 化活動の展開を誘発するきっかけとなるだろう. 多様な合唱活動の登場は,個人個人の交流はもちろん普段は異なる場所で活動する合唱団同 士の交流を可能にする.人と人との交流が生まれることで更なる合唱プロジェクトや新規合唱 団が生まれるケースもしばしば見られ,非常設合唱団や自由なスタイルの演奏は新たな合唱コ ミュニティ,ひいては地域に積極的にアクションを起こす可能性をもつコミュニティを形成す る土台としての役割を担っているのである. iii 不特定多数の人々が集まり,公共の場でパフォーマンスを行う行為. - 232 - おわりに 本稿では対象を合唱に絞り,生涯学習の観点から地域の中の合唱を中心とした社会的ネット ワークについて考察した.合唱は趣味としての立ち位置の弱さが伴う一方で,教育現場では積極 的に活用されるなどその意義が一定程度認められている,文化の中でも特異な分野である.そう した合唱を共通の趣味として形成されるコミュニティはただ合唱を楽しむだけの集まりに留ま らず,社会的・地域的に正の影響を与えるだろうという仮定のもと,生涯学習的な視点から分析 を試みたのである. 合唱コミュニティだけに限らず,生涯学習は変化し続ける社会に対応するために個人として の自己実現や人間的成長を目指すものでありながら,結果的に地域に新たなネットワークを生 み出しまちづくりに貢献することが明らかとなった.個人本位の趣味から形成されたコミュニ ティであっても,それが生涯学習的に展開・成熟する過程のなかで,地域やまちづくりに積極的 に関与しうる主体的な住民が登場しうるのである.しかし,個人的な趣味や学びを問わず地域の コミュニティに関わろうとする住民は既に地域社会に対して積極的な住民であるのではないか, と指摘できるだろう.本稿ではあくまで地域貢献を意図しないながらも個人の趣味のネットワ ークが地域にとって正の影響を与える可能性をもつことを明らかにしたものである.そこには 関与する住民の地域貢献に対する意識の変化が生じており,この意識の差が結果として生涯学 習的な文化活動の成熟度合いや地域のネットワークの密度として影響するだろう. 合唱コミュニティはより生涯学習的な団体が地域において存在感を示している.地域に貢献 しうる団体であり続けるためには,より外へ開かれ気軽に多くの人が関われる団体としてネッ トワーク機能を発揮することが望ましい.合唱分野だけに限らず,そのような地域全体を見据え た生涯学習的な意識を地域の文化団体がもつことで,地域のつながりが生まれることに期待し たい. 文献 岡本包治編,1992,『現代生涯学習全集 7 まちづくりと文化――芸術の振興』ぎょうせい 奥田道大,1993, 『都市型社会のコミュニティ』勁草書房 香川正弘,2005, 「生涯学習による『まちづくり』」 『都市問題研究』57(5) 香川正弘・鈴木眞理・佐々木英和編,2008, 『やわらかアカデミズム<わかる>シリーズ よくわ かる生涯学習』ミネルヴァ書房 瀬沼克彰,1998, 『生涯学習と地域活性化』大明堂 瀬沼克彰,2012, 『生涯学習「知縁」コミュニティの創造』日本地域社会研究所 総務省統計局,2013, 「余暇活動の種目別参加率」 ,総務省統計局ホームページ,(2014 年 1 月 8 日取得, http://www.stat.go.jp/data/nenkan/zuhyou/y2326000.xls) 高萩保治・中嶋恒雄編,2000, 『音楽の生涯学習――理論と実際』玉川大学出版部 Putnam, Robert D. 2000, Bowling Alone: the Collapse and Revival of American Community, New York: Simon & Schuster.(=2006,柴内康文訳『孤独なボウリング――米国コミ - 233 - ュニティの崩壊と再生』柏書房.) 山田一隆,2001,「高齢者の社会参加からみた地域社会における生涯学習団体の現状と課題―― 京都府舞鶴市におけるケーススタディ」『政策科学』8(2): 151-168 - 234 - 混乱する個人とネット社会 ―ハンドルネームによる二次的アイデンティティの創造― 柳澤 祐也 はじめに 「もはやネットとリアルは断絶された世界ではない. 」――SNS(ソーシャルネットワーキ ングサービス)のなかで実名主義筆頭である Facebook の登場は,日本の SNS 界に大きな衝撃 をもたらした.これまで,日本におけるインターネット上での広域なコミュニケーションは匿 名主義がほとんどであり,個人情報をインターネット上に公開することは,ある一定の抵抗感 を皆が持っていた.その中で登場した Facebook は完全なる実名を使用することを義務付け た.これまでネットが持っていたアングラ感iを消し去り,より一般の市民に親しみやすく解放 したのだ.2013 年 7 月には,日本の Facebook ユーザー数はアジア 5 位の 1960 万人となって おり,日本最大手のソーシャルメディアである mixi のユーザー数は 2711 万人,Facebook ユ ーザー数を mixi と比較した割合では,72%にまで成長しているという.大学生の多くは写真を アップロードし共有しあい,またソーシャルメディアとして様々な情報を取得しているのだ. しかし,すべてが実名化されたわけではない.2011 年に行われた調査では,mixi,Twitter において実名を公開しているユーザーは 2 割ほどであり,多くの人々は匿名での利用を行って いる.進む現実世界とインターネットのボーダーレス化のなか,匿名,とりわけハンドルネー ムを用いた情報発信やコミュニケーションはいまだ存在し,また独自の発展を遂げた. 本稿は,このインターネット上におけるハンドルネームを用いた人々の行動に着目し,その 独自性を浮かび上げるとともに,「ハンドルネームを用いることで,趣味や関心に基づいた活 動,及び現実世界では不可能もしくは制限がある活動を可能にする新たな自己,すなわち二次 的アイデンティティの創造が行われる」という新たな命題について考察する.またこの命題を 用いて,近年インターネット上で生じる様々な事象(オンラインゲーム依存,ネットユーザー の暴走などの諸問題)を独自に展開する.その上で,今後のネット社会におけるハンドルネー ムの可能性を模索するとともに,一次的,二次的アイデンティティがどのようにかかわりあっ ていくのかを考察する.なお,本稿では一次的アイデンティティおよび二次的アイデンティテ ィを,それぞれ“一次的 ID”および“二次的 ID”と記述する.これは固有名詞としてのアイ デンティティと本来の意味を持つ名詞のアイデンティティとを明確に分けるためである. i 独自の文化を形成し,専門性の高い者や,その世界について一定の理解を示した者だけが存 在していた独特の雰囲気のことを指す造語. - 235 - 1 二次的アイデンティティの創造 1-1. 二次的アイデンティティの定義 まず本稿で議論の中核をなす二次的 ID について定義づける.二次的 ID とは,現実世界で生 活する我々が意思決定や行動,発言する際のアイデンティティ(一次的 ID)から離れた,イン ターネット上での意思決定や行動,発言をする際のアイデンティティのことである.アイデンテ ィティとは,自己が環境や時間の変化にかかわらず,連続する同一のものであることであり,主 体性や自己同一性などと訳されるii.本人が本人であるということの証明である場合や, 「自分ら しさ」, 「個性」などと捉えられることもある. これまで現実世界とインターネット上の本人性にかかわる議論は,現実世界の自分が本人で あり,ネット上での自分は架空の存在にすぎない,もしくはネット上では本性をさらけ出し,現 実世界では建前や表面上の行動しかできないなど,どちらか一方に本来の自己が存在し,もう一 方は自分ではないとするものが多かった.本稿では,自己をこのような「本当の自分/嘘の自分」 のように分けることなく,人々は相対する複数のアイデンティティを所持していると考える.す なわち,一次的,二次的 ID はお互いに独立した自己なのである.これについて,以下に二つの 例を挙げ,二次的 ID の創造されるプロセスを明らかにしその特徴を示しながら,説明を行う. 1-1-1. 行動型二次的アイデンティティ ここではハンドルネームを用いることが多い SNS について, その変遷を示していくとともに, ハンドルネームの定義の変化を示す.SNS はもともと知人などの招待メールによって登録がさ れていたため,現実世界のようなつながりが存在し,非匿名性が強かった.しかし,短期間で爆 発的に会員数が増えたことにより,赤の他人から検索されて個人情報が分かってしまうという 問題も発生し,本人の特定がされるような行為は避けられるようになった.インターネット上 (特に利用者登録制サイト)での行動では現実世界の本人を明らかにしないことが多く見られ るが,それは諸活動において匿名性を生じさせるためであり,そのなかでのハンドルネームは, 本来本名を隠すためのものであった.しかしながら,現在この状況が大きく変わってきている. 「ニコニコ動画」や「pixiv」などが代表する,ユーザーによってコンテンツが作られる(UGC) サイトでは,これまで同様一部を除き本名ではなく匿名で登録することがほとんどである.その 中で,クリエイターの多くは,ハンドルネームを単なる登録の名前だけではなく,一個人を特定 する「芸名」のように扱うことがある.ある行為(作品の投稿や投稿者としての発言)を行う際, 実名ではなくハンドルネームを用いて行動するようになったのだ. これより,「人々は,インターネット上で趣味や関心に基づいた行動や発言を行う際,ハンド ルネームを用いた二次アイデンティティを創造し,行為を行う」と考えた.ここで行動の動機づ けとして趣味や関心を挙げた理由は,ユーザークリエイター投稿されたコンテンツに商業的な goo 辞書, 「アイデンティティー【identity】の意味」 , (http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/1107/m0u/)より引用. ii - 236 - 意味を持つことがないからである(宣伝や商業目的の場合を除く).またこの場合,職業や性別, 年齢など本人が現実世界でどのような人間であるかということを重要視しておらず,人々の関 心はその作品においてが主である. 1-1-2. 発散型二次的アイデンティティ 先にも述べたように,Twitter 上でハンドルネームを用いる人の割合は高く,およそ 60%のユ ーザーが知人にわかるようなニックネーム,もしくは誰にもわからないような匿名で利用をし ている.また,東京工芸大学が 2012 年におこなった調査では,さまざまなソーシャルメディア において本音をさらせるかという問いに対し Twitter において 47.7%の回答が得られた (Facebook で 19.2%,mixi で 19.5%と 2 割を切る) .実際,実名主義の Facebook では,現実 世界での振る舞いなどをそのままネット上に持ち込まなければならず,自由さが奪われること もある(ネット疲れ).これに対し,匿名性を持つサイトでは自分の主張をしやすく,自由な発 言や行動を可能にする側面もある. この結果から, 「人々は,現実世界で規制が生じる,もしくは禁止されている行動や発言をイ ンターネット上で行う際,ハンドルネームを用いた二次的アイデンティティを創造し,その行為 を行う」と考えた.ある一定の距離がある二次的 ID での行為は,一次的 ID では行っていない という心理的な安堵感を生じさせている.一般的に「匿名性があるから好きなことをいえる」 , 「ネットでは現実世界の愚痴を言う人が多い」などと言われているのは,これによるところもあ る. 上記二つが二次的 ID の創造が行われるプロセスである.どちらにも共通した特徴は,それぞ れのアイデンティティは独立して存在し,一次的 ID,二次的 ID は心理的な距離が生じている. ただ,これらのアイデンティティは,解離性同一性障害(多重人格)のように,複数のアイデン ティティや人格状態の少なくとも二つが,個人の行動を繰り返し支配する,重要な個人情報を思 い出すことができず,その広がりは通常の健忘で説明できないなどのようなことはない.一次的, 二次的 ID は個人の中で顕在的,潜在的問わず切り替えが可能である.これにより,アイデンテ ィティはそれぞれ独立しているが,双方が互いにもたらす影響,結びつきも大きい. 二次的 ID はその形成プロセス上,一次的 ID が持つ現実世界での本人性(本名,年齢,性別, 職業,現住所,性格など)を必要としない.これにより,二次的 ID の振る舞いや性格などは現 実の自分にかかる制約から離れ,個人が自由に決定できる.これが二次的 ID を用いて行動する 最大の利点である.また,この際に使われるハンドルネームは,単に匿名性を利用し,その本人 性を希薄にするだけではなく,新たな個人としての確立のために用いられることもある.これは 行動型二次的 ID によく見られることだが,発言や発信に独自性を持つため,また行動に統一性 を持たせるために,二次的 ID を使用する.よってハンドルネームは単なる「登録名」ではなく, むしろ「芸名」に近い存在である. - 237 - 1-2. ユングの「個性化」と二次的アイデンティティ 1-1 で述べたように,二次的 ID は個人の内面的な思考や目的から創造されることがほとんど である.これまでの自己の内面・外面や自己実現について,心理学の見地から議論をしたのがス イスの心理学者のカール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)である.以下ユングの分析心 理学について,臨床心理学者の河合隼雄([1967]1994)の見解を参考とする. ユングは「個人に内在する可能性を実現し,その自我を高次の全体性へと志向せしめる努力の 過程」を,「個性化の過程」,あるいは「自己実現の過程」としている.また個性化とは, 「すべ ての生物が―単純な場合も複雑な場合もあるだろうが―そうなると最初から決められていたも のになっていく,あの生物的過程のひとつのあらわれである」と述べている.ここでは,我々の 心理にある自分の理想とする像や,潜在的な欲求に向かって自己実現に向かっていると解釈さ れる.しかし,現実世界では社会的,文化的に適応した表向きの顔(ペルソナ)の存在や不適応 やネガティブな性質を押し入ること(影)により,必ずしも完全に欲求が満たされるわけではな い.よって個性化は,無意識的な願望と社会に適応しようとする自己を見つめることが重要とし ている.人々は自己の中で様々な葛藤を経て成長し, 「個性化」をしていくのだとした. 二次的 ID は潜在的ではないにしろ,自己の欲求によるものが非常に強い.さらに,存在する のはインターネット上が主であり,また現実世界にあるような身分的制約や社会・コミュニティ 適合の強要が少ない.これにより,個性化のプロセスであるペルソナの消去や影の認知,無意識 の自己との折り合いなどを必要としないため,自己は葛藤や決断をせずに成長してしまう.つま り,二次的 ID は,自己実現へ向かう個性化の過程が一次的 ID に比べはるかに簡単である.一 方で,これによって自己のアイデンティティに優劣が生じてしまいバランスが崩壊すると,様々 な弊害が招かれる可能性が高いとも考えられる. 1-3. 二次的アイデンティティの欲求と成長 また二次的 ID は,一次的 ID より心理的成長が著しいとも考えられる.アメリカの心理学者・ アブラハム・マズロー(A H Maslow,1970=1987)は,人間の欲求を低次から高次の順で分類 し,5 段階のピラミッド型の欲求の階層によって示している.マズローによって階層化された欲 求とは,下階層より生理的欲求(食物,排泄,睡眠など,個体として生命を維持するために必要 な基本的な欲求) ,安全欲求(誰にも脅かされることなく,安全で安心した生活を望む欲求),愛 情欲求(集団に属する,仲間から愛情を得るなどの欲求),尊敬欲求(他者から,独立した個人 として認められる,尊敬されるという欲求),自己実現欲求(自分自身の持っている能力・可能 性を最大限に引き出し,創造的活動をする,目標を達成,自己成長を望む欲求)の 5 つであり, 下階層から欲求が満たされることで,自己実現が達成される.二次的 ID は自己の目標達成のよ って創造されるため,自己実現欲求,もしくは尊敬欲求が最も強く,また生理的欲求や安全欲求 は必要としない.このため,常に高次の欲求があり,その成長性が高いと考えられる. この成長性も, 様々な弊害を招きかねない. 二次的 ID の活動がインターネット上で評価され, 認められることや,創作活動によって自己の成長が行われると,より高次な欲求を満たそうとす - 238 - る.現実世界よりも制約が少なく,活動も自由に行われるため,行き過ぎた行動や問題視される 結果となることもある. 1-4. 二次的アイデンティティを取り巻く環境 二次的 ID の最大の特徴として,一次的 ID の様々な制約から逸脱し,自由な発言や行動が出 来ると先に示した.これは自己発信以外にも,幅広く他のユーザーとコミュニケーションをとる ことが出来るという利点がある.インターネット上では共通の趣味や目的が合致することで,容 易に他者とつながりを持つことが可能である.さらに同環境下では人々がおよそシームレスに コミュニケーションが出来るため,複数のユーザーが集まること新たなコミュニティが生じる. そして人々は,多種多様なコミュニティに自由に参加し情報を共有したり会話を楽しんだりす る.こういった状況は,昨今からある SNS やオンラインゲームなどでよくみられている. しかし近年では,これまでのクローズドな SNS から Twitter へとコミュニティのオープン化 が進んでいることや,自己発信の可能なサイトの発達によって,いちユーザーの行動や発言が不 特定多数の他者に公開されるようになった.これにより,アイデンティティの欲求や成長が容易 になった一方で,つながりのない他者が行動や発言を評価し,時にはユーザーが意図しない方向 へ評価が推し進められてしまう場合がある.一つのアカウントに多数のユーザーが集まり,一方 的な攻撃を受け,時にはアカウントが機能停止になってしまう,いわゆる「炎上」には,これが 関係していることもある.何気なく発した情報が,不特定の人物の目に触れ悪評を得てしまえば, 情報が拡散し更なる被害がもたらされてしまうこともある.一次的 ID の逸脱は発言の背景が伴 わないこともあるため, 二次的 ID が消失するほどのバッシングを受けてしまうこともあるのだ. 自己発信がよりオープンになることで,インターネット上で一個人が周りから受ける影響も 強くなっていることは事実である. 2 二次的アイデンティティの問題 2-1. 一次的アイデンティティと二次的アイデンティティの均衡 1-2. で述べた個性化について,ユングは「個性化は二つの主要な面を持っている.まず一つ は,内的・主観的な統合の過程であり,他の一つは同様に欠くことのできない客観的関係の過程 である.ときとして,どちらか一方が優勢となることもあるが,どちらも欠かすことができない」 とも述べている(河合隼雄[1967]1994).個性化は自己の内面的葛藤のほかに,社会的な側面 から自己をとらえ,客観視しながら成長をしていくことも必要としている. 前章で分化させたアイデンティティにこの主観的,客観的な統合の過程を当てはめると,一次 的 ID はそのどちらも含むが,二次的 ID は主観的な過程がおおよそを占める.二次的 ID は自 己の欲求や内面的主観によるものがほとんどであり,客観性は薄れがちであるためである. また同様に,二次的 ID の個性化や成長は,様々な葛藤や決断を必要とせず,容易に変化する. このため,二次的 ID はときに間違った方向へと進み,肥大化し,双方のバランスが取れなくな ると暴走さえすることもある. - 239 - 2-2. インターネット上の諸問題と二次的アイデンティティ アイデンティティの均衡と崩壊によって,インターネット上でみられる諸問題において 重要な役割を担っていると考え,以下で考察する.ここで取り上げる諸問題とは,「オンラ インゲーム依存症」と「ネットユーザーの暴走」である. 2-2-1. オンラインゲーム依存症―二次的アイデンティティの優位性 これまでインターネットに対する依存は,長時間の閲覧による身体的障害から社会復帰不可 能に陥るなどの精神的障害など,様々な問題があると報じられてきた.近年ではスマートフォ ンの普及やユーザーの低年齢化に伴って,中高生にまで依存が広がっている.このなかで,深 刻な問題として取り上げられることが多いのが,MMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game,規模多人数同時参加型オンライン RPG)を中心としたオンラインゲーム 依存である. 1-1. で述べたように,ハンドルネームはもともと本人性を希薄するために使われており,オ ンラインゲームではその傾向がいまだ健在であり,またオンラインゲーム上では一次的 ID か ら大きく切り離した自己(二次的 ID)が活動の中心を担っている.この際の形態は行動型・発 散型ともに存在する.行動型はオンラインゲームのプレイヤーのほぼそれにあたり,ゲームの 進行や情報共有,コミュニティでの活動の際に生じる.発散型においてはその典型であるよう に,自己の身分や性別を超えた発言や行動(ネカマiiiと呼ばれる性別逆転や,年齢や職業にと らわれない自由な主張)を行うことができる. ここで問題なのは,二次的 ID が持つ自由さによって,自己の中で選択するアイデンティティ に優位性が生じてしまう可能性があるということだ.性別や思考を自由に設定できる,他のプレ イヤーと制約なくコミュニケーションができるなどといった一次的 ID からの解放,ゲーム進行 や他のプレイヤーから得られる賞賛など,二次的 ID のもつ欲求を満たすことは非常に簡単であ る.これによって,欲求が満たされると二次的 ID は徐々に心理的に肥大化し,アイデンティテ ィの均衡が破られ,優劣が逆転する.こうして人々はオンラインゲームの依存へと進んでしまう のだ. 2-2-2. ネットユーザーの暴走―二次的アイデンティティの欲求 2013 年 12 月現在,滋賀県近江八幡市で中学 3 年の女子生徒(14)が自殺した事件がネット 上で波紋を広げている.自殺の一部始終が動画配信サイトで生中継されていた可能性が強まっ たためだ.同年 11 月 24 日午前 4 時ごろ,同市のマンション敷地内で倒れている女子生徒が新 iii ネットオカマの略であり,現実世界での男性が女性キャラクターを使用し,実際の性別など も女性を装う人の俗称.ゲーム内の性別による能力差などから単に女性キャラクターを使用す る場合と異なり,発言や行動も女性のように振る舞うことが特徴である. - 240 - 聞配達員によって発見され,約 3 時間後に搬送先の病院で死亡した.これに関し,事件の直 前,動画配信サービス「FC2 ライブ」では「自殺中継」を放送していた中学 3 年生を自称する ユーザーがいた.このユーザーは事件の約 1 週間前,某掲示板に「自殺配信がしたい.(中 略)伝説になるんです」などと自殺をほのめかす書き込みもしていた. ネットユーザーがインターネット上で自己発信を容易にできるようになった一方で,自己に 注目を集めるための過激な行動がしばしばみられるようになった.軽犯罪行為や差別的主張,時 には「バカッター」ivの冷蔵庫事件に代表されるように,ユーザーが現実世界で法的措置に課せ られるような事件も起きている.これらの行為にも,二次的 ID が大きく関わっていると考えら れる. ネットユーザーの暴走には,発散型二次的 ID によるところがある.現実世界では制約がかか り,社会から排除されるような行動でさえ,インターネット上では容認され,また話題となるよ うなこともある.発散型は「人々は,現実世界で規制が生じる,もしくは禁止されている行動や 発言をインターネット上で行う際,ハンドルネームを用いた二次的アイデンティティを創造し, その行為を行う」という性質上,行為を行うことだけが目的でもあるが,それに「注目」や「尊 敬」という欲求が付随することもある.ユーザーが注目され話題になると,より高次の欲求とし てさらに過激な行動が行われかねない.先例で挙げた少女の「伝説になる」という欲求と動画配 信はまさにこの典型であると考えられる. これら二つの諸問題から,二次的 ID は欲求という面で大きな問題を抱えていることは事実で あり,他のユーザーからこれを抑制すること,制約をかけることは難しい.また,この欲求を叶 えるのは特定のユーザーではなく, 「ネット住民」と呼ばれるような不特定多数の閲覧者であり, 排除は不可能である. 2-3. アイデンティティの崩壊 2-2. で示した「オンラインゲームの依存」, 「ネットユーザーの暴走」の例以外にも問題は存在 する.Twitter や SNS で複数のアカウントを使い分け,それぞれで異なる主張を行っていた結 果,本来の自分を見失い,自己の喪失につながるようなアイデンティティの混乱,ユーザークリ エイターがある一部分でのみ評価され,それを取り巻くユーザーが神格化vした結果,本人の欲 求や成長にかかわらずあたかも芸能人や著名人のように扱われてしまうアイデンティティの擬 似成長などがある.これらの果てとして,アイデンティティの崩壊が考えられる. 二次的 ID は欲求によって生じ,それが満たされることで成長,個性化する.このプロセスは 一次的 ID とあまり変わりないが,欲求を満たすまでの過程で生じる葛藤や決断が省略されやす 2013 年夏ごろにあるユーザーがコンビニエンスストアの冷蔵庫に入り画像を公開したこと が発端となり,以後様々な“バカ”行為がツイートされ問題となったことから,アップロード された行為に対して嘲笑する際に用いられる造語. iv v 一部の良好な情報から,容姿や性格など実際に表面化していない情報も含め,その本人 のすべてを良好化してみなす行為. - 241 - く,またその欲求が現実世界では社会的な側面から大きく阻害されても,インターネット上で満 たすことが可能である場合もある.そのため,二次的 ID の成長,個性化は一次的 ID よりはる かに早く簡単である. そして成長した二次的 ID に依存し,アイデンティティの優劣が崩れると, 本来の自己は二次的 ID にあると錯覚し,より一次的 ID を委縮させ二次的 ID を肥大化させて しまう.こうしてアイデンティティは崩壊してしまうのだ. 3 二次的アイデンティティの行く末 3-1. 二次的アイデンティティの行く末 前章では二次的 ID の危険性について述べた.では,一度出来てしまった二次的 ID はどうな ってしまうのだろうか.二次的 ID はハンドルネームによって生じるため,そのアカウントを 削除することで定義上は消去可能である.また,その登録したサイトを使わない,関連の情報 を取得しないなどの行為でも消去はできる.しかしこれはこれまでの発言や行動の否定や隠ぺ いであり,前向きな判断とは言い難く捉えられる. ここで小説家の平野啓一郎による「分人主義」という主張を取り上げる.平野(2013)は場 の空気に合わせたキャラを演じること,人間が他者とコミュニケーションする際に自然と様々 な人間となることを「本当の自分/ウソの自分」のモデルより,人間を「 (分裂不可能な)個人 ―individual」ではない「(分裂可能な)分人―dividual」とし,分人主義と言う概念を提唱し ている.人が他者や複数のコミュニティに対応するために,個人をさらに細分化することで, より自己と他者の関係性を明瞭にしようとした. 分人と二次的 ID はおよそ同一の性質が見受けられる.分人は他者とのコミュニケーション によって生じ,二次的 ID は自己の欲求によって生じるなど,差異もあるものの,一個人の中 に複数のアイデンティティが存在するという点においては共通性がある. 平野は同書内で,自己に複数存在する分人の最終的なありようとして,融合の必要性につい て取り上げているが,明確な見解を示してはいないものの,分人同士は互いに影響し,浸透し 合うとし,その可能性はあるとしている.これから,一部平野の提唱を基にし,以下に二次的 ID の行く末として指し示す.すなわち, 「二次的アイデンティティは一次的アイデンティティ とともに統合され,新たな自己が生まれる」ということである. 3-2. アイデンティティの内包―オフ会の存在 アイデンティティの統合を考えるうえで,オフ会の存在とその機能を取り上げる.オフ会と は,パソコン通信やインターネット上で活動するグループに所属するメンバーや,ネットワー ク上の特定の掲示板・チャットなどによく出入りする人々が,実際に集まって行う会合のこと であるvi.インターネット上,すなわち「オンライン」に対し,現実世界を「オフライン」と するため,このような呼び方がされている.ネットワーク上の知り合いが実際に顔を合わせる IT 用語辞典, 「オフ会とは【off-line meeting】」, (http://ewords.jp/w/E382AAE38395E4BC9A.html)より引用. vi - 242 - 数少ない機会の 1 つであり,主に談笑など,インフォーマルな催しとして行われる傾向が強 い. オフ会は完全な現実世界である一方,行動や発言はもともと二次的 ID によるところが多 い.しかし,完全な二次的 ID だけですべての行動を行うことは不可能である.二次的 ID はイ ンターネット上で活動するための個人である以上,現実世界では選択するアイデンティティに ある程度優位性が生じる.すなわち,現実世界では性別や年齢を超えた発言はしづらく,次第 にアイデンティティは一次的 ID によっていく.オフ会において二次的 ID は,一次的 ID に内 包された形へと変化していく.また一度内包された二次的 ID は,その後のアイデンティティ の優位性にも影響が生じ,完全に断絶していた個々のアイデンティティが融合するような状況 もしばしば見受けられる. このように,一次的 ID と二次的 ID はもともと独立した存在であったが,お互いが影響し合 うことで一つの個人へと形成されることが可能であるのだ. 3-3. 統合の過程 ではオフ会の事例のように,二次的 ID を一次的 ID に内包させることはどのような過程を経 ているのだろうか.以下にその過程を段階的に指し示す. 3-3-1. 二次的 ID の自覚 二次的 ID は自然発生をしない上,二次的 ID の発生直後は潜在的に使い分けていることが多 いものの,優位性の逆転や本人性の喪失などから,自己のアイデンティティは現在どちらにあ るのかを見失いやすい.Twitter や SNS などで発言した際や,作品の発表者となる際に,いま 自分はどのアイデンティティで活動しているのかを明確にすることが必要である. 3-3-2. 二次的 ID の受容 これまで二次的 ID で行ってきた発言や行動などを,一次的 ID から見直し,客観的に自己が 受容できるかを判断する.インターネット上で行ってきたさまざまな発言や行動が一次的 ID でも行えるか,それらに責任を持つことができるかなどが挙げられる.一次的 ID と二次的 ID の心理的距離を取り崩すことが必要である.ただし,その発言などが一次的 ID の制約から大 きくかけ離れていた場合,容易に受け止めることが出来なくなってしまうこともある.この場 合の多くは,受容が不可能になりこれまでの活動を全否定し,消し去りたい過去として扱って しまい,いわゆる黒歴史viiとなってしまう.そうならないために,二次的 ID で行われなかった 葛藤や決断をし直すことで,前向きに受容することが重要となる. vii 当事者が言及するのを避けている過去のことを示すネットスラング. - 243 - 3-3-3. 新しい自己への変換 一次的 ID で二次的 ID の受容を行うことで,二つのアイデンティティにおける心理的距離や 断絶は小さくなり,次第に融合していく.インターネット上で隠していた自己を出していくよ うになる,あるいは所属するインターネット上のコミュニティでも一次的 ID でコミュニケー ションをとれるようになる,また二次的 ID の発言や行動を現実世界で明らかにすることさえ 可能になる.こうして,自己は二つのアイデンティティが混ざり合った新しい自己へと変換さ れるのである. ただ,これによってこれまでの一次的・二次的 ID が完全に消滅するわけではない.状況に よってお互いは使い分けられ,潜在的な優位性も大きく影響を受ける.また,二次的 ID は自 己の欲求によって次々に生じるため,新たな自己が一次的 ID となり,アイデンティティは増 えていくのである. インターネットが実名化へと進んでいく中,ハンドルネームを用いた活動が可能な限り,二 次的 ID は決してなくなりはしないだろう.アイデンティティの優位性を見つめ,葛藤のない 欲求と成長をしないように心掛ければ,二次的 ID は人々に自己発信やコミュニケーションの 幅広さや自由さをもたらすのだ. おわりに 本稿では「ハンドルネームを用いることで,趣味や関心に基づいた行動や発言,及び現実世界 では不可能,及び制限がある活動を可能にする新たな自分,すなわち二次的アイデンティティの 創造が行われる」という命題について考察した.その中で,本稿では二次的アイデンティティの もつ欲求と成長の問題に大きく着目した.確かに,葛藤のない成長は大きな問題を引き起こすも のの,自己の中でしっかりとした優位性を持つことで,二次的アイデンティティはインターネッ ト上での活動に幅広さと自由さをもたらす.危険性はハンドルネームを使用するユーザーひと りひとりにあるため,個人がそれぞれ自己のアイデンティティと向き合うことが二次的アイデ ンティティと上手に付き合うことである. 現在,ユーザーがコンテンツを作り上げる UGC サイトはインターネット上を超え,現実世界 でも大きな影響をもたらしている.ニコニコ動画主催のユーザー向け総合イベント「ニコニコ超 会議」は 2013 年 4 月に二回目が行われ,会場来場者数 10 万 3561 人,ネット来場者(中継の 観覧など)数 509 万 4944 人を記録し,現在の UGC サイトイベントをけん引しているviii.現実 世界とインターネットのボーダーレス化は,Facebook の実名主義により現実世界をインターネ ットに持ち込むこと以外にも,サイトやユーザークリエイターなどが現実世界に大きな影響を touge,2013,『ドワンゴ, 「ニコニコ超会議 2」の延べ来場者数を 10 万 3561 人と発表. 2014 年の「超会議 3」も開催決定』 ,4Gamer.net, (http://www.4gamer.net/games/140/G014059/20130429002/)よりデータを引用. viii - 244 - 与えられるような状況を作り上げている.その中で,ユーザーたちはハンドルネームをいまだに 使用し続けている.これは,本稿で示した通り,一次的アイデンティティからの解放によるもの や,だれでもユーザーとクリエイターの両側に立つことができるという利点があるためであろ う.筆者もまた,ハンドルネームを用いて,様々な人々とのコミュニケーションを行い,その利 便性や必要性を実感してきた一人である. ハンドルネームは決して古い概念ではなく,今でもあり続ける存在なのである.インターネッ トの実名化の波から,ハンドルネームは独自の発展をし,今後も必要とされる概念である.二次 的アイデンティティを用いることで,発達し続けるインターネットコミュニケーションをより よく行うことができることを忘れないでほしい. 文献 News2u Corp,2013,「米国では 94%の学生が Facebook を利用,日本の大学生のソーシャル メディア利用では,LINE,ニコニコ動画の利用が 50%を超える」ネット PR.JP, (http://netpr.jp/trend/overseas/3556/) マイナビニュース,2013, 「日本の Facebook ユーザー数は 1960 万人 - mixi ユーザー数の 72% にまで成長」, (http://news.mynavi.jp/news/2013/07/09/053/) MMD 研究所,2011, 「Facebook 利用者の約 8 割がプロフィールで実名を公開,mixi,Twitter では約 2 割」 (http://mmd.up-date.ne.jp/news/detail.php?news_id=784) 原田由里,2012,「第7回 ソーシャル・ネットワーキング・サービス①SNS の概要」, (http://www.kokusen.go.jp/wko/pdf/wko-201212_03.pdf) ,国民生活センター INTERNET Watch,2012,「Twitter で本音さらせる大学生,利用者の 47.7%,Facebook と mixi は 2 割弱」 , (http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20121217_579027.html) 山本和彦, 「解離性同一性障害」, (http://www.design.kyushu-u.ac.jp/~hoken/Shiori/97Kairisei.htm) 河合隼雄,1994,『河合隼雄著作集1 ユング心理学入門』岩波書店 A. H. Maslow, 1970, Motivation and Personality, second edition, Harper & row(=1987,小 口忠彦『人間性の心理学――モチベーションとパーソナリティ』産能大出版部) PRESIDENT Online , 2013 ,「 業 務 妨 害 - “ バ カ ッ タ ー ” の 出 現 を 防 ぐ に は 」, (http://president.jp/articles/-/11262) EX ドロイド,2013, 「中 3 少女が FC2 で“飛び降り自殺”を動画配信 10 代の悲痛な叫び」 ,(http://exdroid.jp/d/64830/) 平野啓一郎,2012,『私とは何か――「個人」から「分人」へ 』講談社 - 245 - ネットに救いを求める 進むカラオケ私化 ―究極の自己完結音楽形態― 湯浅 諒祐 はじめに 近年「ヒトカラ」といって,一人でカラオケを楽しむ人達が急増している.2011 年には株式 会社コシダカが「ヒトカラ専門店 ワンカラ」をオープンし,近年のカラオケ業界では異例の 高稼働率を叩き出した.その後,他会社もヒトカラに注目し,都内にはヒトカラ専門店が増え つつある.今,ヒトカラという文化は業界,消費者,互いから注目されているコンテンツなの である. しかし,そもそもカラオケとは集団で楽しむものだったのではないか.カラオケの歴史をみ ても,起源がスナックやパブにあることからそれは明らかである.それでは何故,「ヒトカラ」 という言葉が生まれ,専門店がオープンする程に流行しているのか.本文では,カラオケ個人 主義が生まれた要因だと思われる,従来のカラオケコミュニケーションをゴッフマンの視点か ら解説し,カラオケ個人主義の台頭からその形態までを,パットナムの理論を交えながら論じ ていく.最後に今後のヒトカラについての展望とヒトカラについての筆者の考えを述べていく 事とする. 1 これまでのカラオケコミュニケ―ションの在り方 1-1. コミュニティから見る振る舞いの違い 1980 年頃からスナックやパブで普及したカラオケは,宴会芸等に使用されたり,酒の場を盛 り上げるツールとして使われていた.その後,1990 年から,カラオケボックスの出現により多 くの年齢に受け入れられるようになった.今では若者から年配まで,世代を超えて交流ができ る場所としてカラオケボックスは活用されているが,そこにはコミュニティ別に自己の振る舞 いを変える瞬間が多く見られる.その過程では本当に自分が歌いたい曲を隠して違う曲を歌う ことも多い.自分の好きなアーティストの曲ではなく,他人の好きなアーティストの曲を歌っ たり,同じアーティストの曲を連続して歌わなかったり,オリコン上位の曲を歌ったり,バラ ードよりアップテンポの曲を入れたり,多くの場合は自分より周りを気にしながらの選曲が多 い.自分の本当に歌いたい曲は,比較的深い関係の人のみでカラオケに行った場合にのみ歌 い,比較的親密さが浅い者とカラオケをする場合は,自分の趣味を隠し,万人受けする曲を選 択する傾向にある.また,自分が歌っていない時でも,他人の曲を聴いている時のレスポンス もカラオケコミュニケーションには必要である.他の人が歌っている時に自分の携帯や音楽プ レイヤーやデンモクをいじらないようにしたり,ノッてる様に身体を揺らしてみたり,挙句の 果てにはトイレに行くタイミングにさえ気を使う.そんな人によってはわずらわしく感じるよ - 246 - うなカラオケコミュニケーションを円滑に行う術は,友人たちと楽しい空間を共有するため の,いわばカラオケの義務となっているのである. 図1.カラオケルーム内における人間関係とそれに伴う選曲の傾向(筆者作成) 1-2. ゴッフマンの視点から見るコミュニティを区別する思考 コミュニティを区別して歌い分けたり,振る舞いを変える思考をアーヴィン=ゴッフマンの スティグマ理論から述べる. スティグマ理論とは一体どのようなものとして,規定しているのだろうか.まずゴッフマン はスティグマには主に以下の三つの種類があるとしている. ①肉体のもつ様々な醜悪さ ②個人の性格上の様々な欠点 ③人種,民族,宗教といった集団的スティグマ これらの同一的特徴は,個人が,出会った者の顔を背けさせ,他の属性が我々に持つ要請は それがあるため無視されるような欠点であるという特徴である.つまり,「普通」では無い者は 周りから排除されるのである.そんなスティグマを持つ人達は,同じようなスティグマを持つ 人達と結集し,そこで自己の欲望を発散していく.そのような空間を「日陰の場」と呼ぶ.そ んな「惨め」で「仲間外れ」という印象の日陰から逃れるためにスティグマをできるだけ他者 の目から隠そうとする行為(=パッシング)や,露見しかけたスティグマを別の事柄で覆い隠 そうとする(=カヴァリング). つまりヒトカラを楽しむ人たちの思考に置き換えると,コミュニティに置ける自分の地位を - 247 - 守るために,あるいは他者が不快な思いを感じないための配慮によって,自分が本当に歌いた い歌(=スティグマ)を我慢して,周囲がよく知るポップスを選曲(=パッシング)するとい うことになる.さらに,同じ趣味を持つ者同士の集まり(=日影の場)では,スティグマを隠 ぺいすることなく気楽に交流することができる. そんな気負わない楽なコミュニティを選択していく人達がカラオケ個人主義者なのである. 2 カラオケ個人主義の台頭 2-1. コミュニケーションに疲れた人々 近年のカラオケ個人主義の台頭の要因として考えられるのは,前章で述べたコミュニケーシ ョン別の振る舞いに煩わしさを感じ,自分の楽しみたいように楽しみたいという思いが表面化 してきた事であろう.また,音楽のジャンルそのものが昔より多様化したことで個々人の嗜好 が著しく異なることが多くなり,周りの嗜好を配慮する手間が増えたことも要因として挙げら れると考える.カラオケ個人主義の最たる例として挙げられるのは,知り合いと集まってカラ オケに行ったにも関わらず,なんと別々の部屋に入っていくというものである.各々が各自の 部屋で自分の歌いたい曲を好きな様に歌い,時間になれば各自部屋から出て会計を済まし,一 緒に帰るのである.この事例は昔のカラオケボックスが持っていた「友達と楽しい空間を過ご すための場の提供」という能力と正反対の行為であり,消費者がカラオケに求めるものが昔と 変化しつつあることが分かる. i rTYPE[アイシェア],2010, 「女性は「ヒトカラ」がお好き?」,リサーチのアイシェア (2013 年 12 月 2 日取得,http://release.center.jp/2010/02/2501.html) i - 248 - <調査データ(アイシェア調べ)> どのくらいの頻度でカラオケに行っていますか?(n=555) 全体 答 回答 数 男性 割合 回答 回答 割合 数 20 代 女性 回答 割合 数 数 30 代 回答 割合 割合 数 40 代 回答 数 割合 1 年に 1 回 31 5.6% 17 5.6% 14 5.5% 13 6.8% 10 5.6% 8 4.3% 半年に 1 回 70 12.6% 37 12.3% 33 13.0% 33 17.4% 22 12.4% 15 8.0% 月に 1 回 42 7.6% 24 7.9% 18 7.1% 30 15.8% 5 2.8% 7 3.7% 週に 1 回 6 1.1% 2 0.7% 4 1.6% 4 2.1% 1 0.6% 1 0.5% ここ 1 年行 406 73.2% 222 73.5% 184 72.7% 110 57.9% 140 78.7% 156 83.4% っていない カラオケ店に「ひとりカラオケ」をしに行ったことはありますか?(n=555) 全体 答 回答 男性 割合 数 回答 数 20 代 女性 回答 割合 割合 数 回答 数 30 代 割合 回答 割合 数 40 代 回答 数 割合 有 75 13.5% 33 10.9% 42 16.6% 44 23.2% 23 12.9% 8 4.3% 無 480 86.5% 269 89.1% 211 83.4% 146 76.8% 155 87.1% 179 95.7% 「ひとりカラオケ」のために,ひとりでカラオケ店に入るのは抵抗がありますか?(n=75) 全体 答え 回答 数 とても抵抗 男性 割合 回答 数 割合 10 13.3% 2 6.1% 30 40.0% 16 抵抗はない 35 46.7% 15 がある 少し抵抗が ある 20 代 女性 回答 数 割合 回答 数 30 代 割合 回答 数 40 代 割合 回答 数 割合 19.0% 5 11.4% 4 17.4% 1 12.5% 48.5% 14 33.3% 18 40.9% 11 47.8% 1 12.5% 45.5% 20 47.6% 21 47.7% 8 34.8% 6 75.0% 8 - 249 - 【ひとりカラオケ未経験者】今後,カラオケ店で「ひとりカラオケ」をしてみたいと思います か?<必須・択一>(n=480) 全体 答え 回答 数 とてもし てみたい 少しして みたい したくな い 男性 割合 33 6.9% 134 313 回答 数 20 代 女性 割合 数 割合 回答 数 割合 回答 数 40 代 割合 数 割合 10.4% 12 8.2% 27.9% 61 22.7% 73 34.6% 46 31.5% 57 36.8% 31 17.3% 65.2% 197 73.2% 116 55.0% 88 60.3% 90 58.1% 135 75.4% 8 5.2% 回答 22 11 4.1% 回答 30 代 13 7.3% 上のアンケートのように,ヒトカラをする理由は多様化しており,まだまだ複数人でのカラ オケ利用が圧倒的に多いとはいえ,この需要は無視できない.知人によると「時間によっては ヒトカラの人しかいない時もある.朝方から昼にかけては 20 代~40 代男女問わずヒトカラを 楽しむ人がたくさんいる」とのことである. 2-2. パットナムの視点から見るカラオケ個人主義 パットナムの提唱したソーシャル・キャピタルの視点からカラオケ個人主義を考察する. ソーシャル・キャピタルとは,様々な定義,解釈の仕方があるが,大まかに述べると,規範や 価値観を共有する人々の間のネットワークを指すものである. 自分が馴染みづらいコミュニティとの結びつきを拒絶し,自分が存在しやすいコミュニティ または誰とも結びかないようにする人は,ソーシャル・キャピタルを形成することができな い.ソーシャル・キャピタルを形成することのできない人はコミュニティを介したネットワー クから得られる情報,アイデア,チャンス,協力,信頼を得ることができないのである.近 年,人口減少や高齢化,人口流動等の社会の変化に伴い,地域コミュニティの衰退が問題にな っているが,そんな地縁的な繋がりが生み出す地域の安全,発展力,活性化はまさにソーシャ ル・キャピタルの産物といえる.パットナムはソーシャル・キャピタルの衰退を語る上で,地 域のボウリングクラブに加入せず,一人でボウリングをするアメリカ人を取り上げ,その論文 を「ボウリングアローン(孤独なボウリング)」と称した.カラオケ個人主義はまさにコミュニ ティの崩壊を示す現象「孤独なカラオケ」であり,パットナムの視点から見たヒトカラは決し て肯定できたものではないと考える. - 250 - 3 音楽の究極の個人化――ヒトカラ 3-1. 自己完結趣味になり始めた音楽 昔のカラオケボックスのコミュニティ志向とは異なる,新たな流れを呼びつつあるヒトカラ だが,そもそも「音楽」というコンテンツの楽しみ方自体が,他者と共有することが本質にあ ったのではないか.昔,レコードやコンサートの数も少なく,テレビなど存在しなかった時代 の音楽というものは,町に出て,歌声喫茶や飲み屋で,友人知人だけでなく見知らぬ人とも肩 を組み,生の弾き流しを聞いて,歌い,語らうものであった.しかし,1979 年にソニーからウ ォークマンが発売し,大ヒットしてから音楽はいつでもどこでも好きな時に消費できる個人的 な経験となった.その後 90 年代初頭に大ヒットしたカラオケボックスはウォークマンとは逆 の非個人化の機能を担っていると思われたが,多くの場合は前述の通り,コミュニティ別の煩 わしさがあったり,人の曲の合間に自分の次に歌う曲を選んでいたりと,非個人化どころか, 音楽の個人化をさらに加速させていったのである.インターネットが普及した現代では,外に 出ずともパソコンとヘッドホンさえあれば世界中の音楽を取り寄せ,自分だけのコンサートを 開くことができるようになってしまった. また,2007 年に音声合成・DTM(デスクトップミュージック)ソフトの『VOCALOID 初 音ミク』が発売され,動画投稿サイトを中心に DTM がブームになった.今,音楽というコン テンツは,聞くことも,歌うことも,作ることも,自己の世界で完結するものになり,究極の 個人化の道を歩んでいる. 3-2. 他文化活動の個人化との比較 近年女性の「おひとりさまブーム」が注目されていて,カラオケを初め,映画館,ラーメン 屋,ボウリング,コンサート,旅行等一人での趣味活動への抵抗が年々減少しつつある.あら ゆる趣味活動は個人化の一途を辿っている中,カラオケ個人化の独自の特徴は何だろうか.そ れは供給側のカラオケ業界がお一人様利用に対して柔軟に対応しつつあることであると考え る. 趣味の個人化の多くは,元々一人での利用が一定数あり,業界側も個人化によって不利益が 生じることの無いため基本的に放置しているか,読書等最初から自己完結型の趣味の人口が増 えている場合がほとんどである. それに比べカラオケの場合は,元々一定数の利用はあったものの,ヒトカラ利用者の意図が 多様化した上,業界側も上記で述べたようにヒトカラ専門店をオープンする等,お一人様利用 に柔軟に対応しており,一つのコンテンツとして確立しようという動きがみえる. 都内の一人カラオケ専門店は,現在のヒトカラ需要に応えると共に,いまだ多くの人が持っ ているヒトカラに対する恥ずかしさや入りにくさを拭うために,入口を近未来風にしたり,女 性のみの区画を用意したり,普通のカラオケボックスには無いような高性能の機器を揃えたり と,様々な工夫を凝らしている. - 251 - ii 4 ユビキタス社会における今後のカラオケ個人主義 4-1. 技術革新がカラオケにもたらしたもの ネット社会がますます進化していく中で,ヒトカラが生まれた直後と今ではその在り方も短 い時期ではあるが変わりつつある. 一つはカラオケボックス以外でのカラオケサービスである.2008 年以降,携帯カラオケサー ビスが各社から配信されていて,月額料金さえ払えば,画面は小さくとも,歌詞が出て,文字 の色が変わっていく所や,キーやテンポを変えられる所など,ちょっと試しに歌ってみようと いう位なら十分な機能でどこでもカラオケを楽しむことができる.しかし,当然カラオケボッ クスでの臨場感は無く,肉声で歌っている感触が強くて満足度が得られないのか 2008 年以降 複数の会社から携帯カラオケサービスが配信されたが,現在ではその多くがサービスを終了し ている. もう一つは家庭用カラオケである.最近家庭用カラオケとして新たな可能性を秘めているの がネットと連動した Wii カラオケである.ネットサービスを利用し,期間ごとに区切られた歌 い放題チケットを購入することで,1 日 300 円で 3 万曲以上の楽曲を楽しむことが出来る.新 曲も業務用とほぼ同等の毎月約 1000 曲の追加があり,カラオケのヘビーユーザーから子供, シニアまで幅広い年齢層を想定している.Wii とマイクさえあれば誰でも簡単に自宅で本格的 なカラオケが楽しめるのである. カラオケボックスでも,カラオケ以外の新しい遊びの提供が始まっている.例えば,アニメ のアフレコを体験できるサービスである.JOYSOUND の機種 CROSSO では,会員登録をす るだけで数十種類のアニメのアフレコを体験することができる.従来のカラオケの範疇から超 えてはいるが,カラオケの楽しみ方の一つに「歌手になりきる」ということがあるのであれ ば,アニメの登場人物になりきることによる自己満足と自己表現という点では広義のカラオケ ii 宮本真紀,2011, 「テンションアゲアゲ!:ヒトカラってこんなに楽しいんですね! 神田の 1 人カラオケ専門店に潜入してみた」 ,ねとらぼ(2013 年 12 月 26 日取得, http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1111/22/news060.html#l_mmi_hitokara_02.jpg) - 252 - に当てはまるのかもしれない. 最後に,SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)である.例えば通信カラオケ DAM と連動した「DAM★とも」では,歌ったカラオケの音声を録音または動画を録画し,そ の中から希望するものを会員向けに公開できる.また,通常の SNS 同様,あしあと機能,友 達申請機能を始め,特定の会員に対して歌ってほしい曲をリクエストできる機能もある.さら に,公式サイトでは「今週の注目動画」, 「精密採点ランキング」,アーティストとのタイアップ 企画,声優等のオーディション企画等のコンテンツがある. このような録音サービスが,独立していたカラオケ個人主義者達を,歌を通して再び集めて いる. 「上手いですね」 「私もこれ歌います」と,見ず知らずの登録者がコメントを通じて声を掛け合 い,コミュニケーションが始まる.公式コンテンツも充実しているので,参加者が増えれば増 えるほど面白い遊びに繋がっていくだろう.インターネットの普及は,遠く離れた同じ趣味の 歌仲間を探すことを容易にし,一度バラバラになったカラオケ個人主義者を集めて繋ぐ新しい 出会いの場所としての機能を果たしている. 4-2. カラオケ個人主義の是非と未来 ヒトカラの需要が少しずつ増えるとともに,業界側がそれに応える形でカラオケ個人主義者 達をサポートする,そのサポート体制に興味を持った新規がヒトカラを始める.そんなサイク ルがまだ小規模ではあるものの,カラオケ業界に巻き起こりつつある.わずらわしいコミュニ ティを回避して自己世界に陶酔し,同じ自己世界にいる見知らぬ人との楽なコミュニティを選 択し続けていくことは,ソーシャル・キャピタルの視点では良いこととは言えないが,カラオ ケに限らずあらゆる活動が個人化の道を歩んでいることは確かである. この大きな流れは今後更に巨大化し,カラオケだけでなく,様々な業界を飲み込んでいくだ ろう.その中でヒトカラは供給側と消費者が手を放すことなく,ヒトカラの良い部分を肥大化 させていってほしいと願う. おわりに 本稿では,カラオケ個人主義者の心理や音楽そのもののコンテンツの流れ,供給側のサービ ス等を参考に,ヒトカラの現状と未来を考察してきた.まだまだマイノリティな趣味であり, ノーマルな人々にとってそれはスティグマとして受け取られてしまうことが多い.しかし,カ ラオケ個人主義の人々もヒトカラに対して少し見方を変えれば,今までとは違う資源を得るこ とができるのではないか.インターネットの良い部分を取り入れ,ヒトカラを日陰から脱出さ せていこうという企業の努力がヒトカラの将来を明るくしてくれることを期待したい. 文献 前川洋一郎,2009, 『カラオケ進化論――カラオケは何故流行り続けるのか』廣済堂出版. - 253 - ジョウ シュン・フランチェスカ タロッコ,2007,『カラオケ化する世界』青土社 福田優二,2008, 『大衆消費社会モデルの崩壊と「高密度表現社会」の展望』 (2013 年 10 月 20 日取得,http://ci.nii.ac.jp/naid/110007138605) Erving Goffman,1963,Stigma: Notes on the Management of Spoiled Identity,PrenticeHall(=1970,石黒毅訳『スティグマの社会学――烙印を押されたアイデンティティ』 せりか書房) 宮内洋,1995,『繋がらない個人のために: 「スティグマの社会学」再考』 (2013 年 11 月 28 日 取得,http://hdl.handle.net/2115/29454) Robert David Putnam,2000,Bowling Alone: the Collapse and Revival of American Community, Simon & Schuster(=2006,柴内康文訳『孤独なボウリング――米国コミュニティの 崩壊と再生』柏書房) 渡辺英男,2004, 『日本の成人の「カラオケ習い事」の持つ意味』 (2013 年 11 月 7 日取得, http://ci.nii.ac.jp/naid/110007409438) - 254 - キャラクターの権力関係と棲み分けについて 高橋 世羅 はじめに 学校や会社といった社会集団の中でコミュニティを形成するために,人間のキャラクター性, つまり個人の持つ人格や特徴が重要視される場面が非常に多い.とりわけ現代の日本の若者は, 他者を容姿や雰囲気からギャル系・オタク系等の様々なキャラクターにカテゴライズし,自分と 類似した小集団を作っているように思われる.しかし,これらの趣味・思考の異なるいくつかの 小集団が一つの空間に共存する事で,そこにはどのような権力関係が生じているのだろうか.本 稿では,スクールカーストの事例を用いながら分析するとともに,キャラクターの変化によって 起こり得るカースト制度の矛盾や反転の可能性を考える. また,周囲と円滑な人間関係を築くための自分自身のキャラクター化の必要性についても論 じたい. 1 キャラクターの権力関係 まず,本稿の中では繰り返しスクールカーストの事例を用いている.これは会社等の年齢や環 境が違う縦割り社会の中よりも,同一年齢や同一能力に均質化され,常に集団生活を強いられる ヨコ社会の教室という空間の方が人間のキャラクターが顕著にあらわれるのではないかと考え たためであり,本文中では家庭内や公な場のキャラ作りについては触れていない. 1-1. スクールカーストについて 現代の日本の学校社会において,SNS 等の影響により,友人を作る際には価値観の類似した 生徒同士のグループが形成され,その集団のみで人間関係が完結する現象がみられるようにな った.そして,これらの細分化されたグループは互いのコミュニティに殆ど干渉せず,各グルー プ毎に先輩・後輩の様な上下関係とは違った,見えない序列化を図っている.それらはピラミッ ド型の揺るぎない階級社会を成しており,この構造がスクールカーストと呼ばれている.スクー ルカースト内では,各グループは上から順に「1 軍・2 軍・3 軍」あるいは「A ランク・B ラン ク・C ランク」などと表現される(森口 2007). では,実際にスクールカーストの実態はどのようなものであるのか,いくつか例を挙げてみた い(スクールカースト 2012). ・教室や廊下では「上位」の生徒しか騒いでおらず, 「上位」の生徒が「下位」の生徒に嫌悪感 をあらわすと「下」のランクがさらに下がる.すなわち,教室内の人事権は「上位」が握ってい る. - 255 - ・放課後の掃除は雑巾がけ・箒がけ・机移動など完全分業制であり,真冬の寒い時期に行う雑巾 がけは「下位グループ」の人間が担当し, 「上位グループ」は負担の小さい箒掛けのみ行う. ・ 「下位」の生徒が化粧をしたり制服を着崩す際に, 「上位」の生徒に目を付けられないかを考え, 相応しくないと考えたらやめる. ・ 「上位」の生徒が「下位」の生徒に嫌悪感を表すと「下」のランクがさらに下がる.すなわち, 教室内の人事権は「上位」が握っている ・4 月のクラス替えが行われる際に,心機一転して「下位」が序列逆転を目指してキャラを変え ようとしても,学年で情報が共有されているため序列逆転は困難.また, 「下位」のものが一生 懸命努力するということ=カッコ悪いという認識があり,キャラクターチェンジに必死になる 姿は嘲笑の対象となる. ここで着目したいのは,上位層と下位層のグループが対立しあうわけではない.つまり,決して 喧嘩のような問題には繋がらないのである.しかし,生徒達は見えない地位の差を感じ取りなが ら過ごさなければならいことから,スクールカーストというものが非常に陰湿であるとわかる. また, 「スクールカースト」という名前の由来は,2000 年代後半に教室内で下位グループであ った子供たちがインドのカースト制度になぞらえて鬱積した不満をネット上に書き込んだこと で定着した.(鈴木翔 2012) 1-2. 一般的なキャラクターとランク付け キャラクターを用いたコミュニケーションが著しくあらわれる場として学校を例にあげたが, 教室内では生徒の持つ運動能力やルックスの良し悪し,コミュニケーション能力の有無等の要 因によって各々のキャラクターが無意識のうちに割り振られる.そこでの自分の持つキャラク ターや,類似した価値観を持つ友人とのグループ作りはスクールカースト内の序列に如実に影 響を及ぼす.そして,一度固定されたキャラクターは自分の身の周りの環境が変わらない限り変 化しにくく,仮に印象の悪いキャラを与えられた際にはカーストの底辺へ押し込まれ,さらには いじめの対象となる危険性をも含んでいる. では,具体的にどのようなキャラクターが存在しているのだろうか. 表 1 一般的なキャラクターのイメージとスクールカースト内の位置づけ 女性 キャラクター ファッション 芸能人 ギャル系 ViVi・egg 木下優樹菜 清楚系 CanCam・Anan 蛯原友里 中 カメレオン型(調整型) non-no・seventeen 本田翼 下 オタク系・地味系 特になし 特になし 上 - 256 - 男性 上 中 下 キャラクター ファッション 芸能人 ギャル男系 men's egg JOY 爽やか系 MEN'S NON-NO 速水もこみち カメレオン型(調整型) chokichoki 瑛太 地味系 特になし 特になし オタク系 バンダナ・アニメのシャツ 特になし (筆者作成) 上記の表は一般的なキャラクター像とカースト内での順位を分かりやすく示すために,比較 的知名度の高いファッション雑誌や芸能人と関連付けて作ったものである. しかし,これはあくまでも万人が想像しやすいキャラクターを挙げているためギャル系のグ ループに所属しているが,オタクでもあるという変則的な場合は除いている.また,一般的にオ タク系の人々はゴシックロリータ(ゴスロリ) ・ロリータ・パンクファッションを好む傾向にあ ると認識されがちだが,これらのファッションはコスプレ等とは別物であり,ファッションの一 例として捉えられているものなのでカースト内のどの位置にいても不思議ではない.そのため, 上記の表からは省くこととした. 反対に,容姿の観点だけではない部分がどれほどキャラクターの構成に関わっているのだろ うか.例えば,神奈川県の公立中学校(23 校)の中学 2 年生,計 2874 名に対して行った「神奈 川県の中学生の生活・意識・行動に関するアンケート」(東京大学教育学部比較教育社会学コー ス・Benesse 教育研究開発センター 2009-2010)の結果では,カーストの上位層の生徒らは運 動部に所属しており,尚且つ成果を発揮していて,発言権も強い.その逆に,下位層の生徒らは 文化部に所属し,尚且つ成果を発揮出来ていない.さらに教室内での発言権もほとんど与えられ ていない状況である.また,恋人の有無についてもカーストの位置付けによって大きく差がひら き,上位にいるほど付き合った経験が多い事がわかった. 1-3. 上下関係のメリット・デメリット スクールカースト内の上位層と下位層のあらゆる差異を示してきたが,上位と下位に位置づ けられる事でどのようなメリット・デメリットが発生するのだろうか. 例えば,上位グループの生徒達は他のグループから反抗される事がほぼ無いためクラス内で 最も発言権が強い上に,授業中や休み時間に教室内で騒ぐ権利が与えられる.さらに,教師達も クラスの明るい雰囲気を作り上げているのは上位グループであると理解しているため,彼らに 好意的な印象を抱いている.つまり,上位の生徒達は自分の思い通りに満足する学校生活を送る 事が出来るというメリットがある.しかし,教師からの信頼を得ているが故に,授業中やホーム ルームの際には場の空気を読んで無理に明るく努めたり,行事等の決め事には積極的に意見を 交わさねばならないというデメリットも存在する. - 257 - それとは逆に,下位グループの生徒達は上位グループのような強い発言権や教室内での目立 つ行動は全て剥奪され,際立ったメリットもほぼ無い様に思われる.ただし,授業中や行事等の 際には上位グループがリードしてくれるために,その指示に従っておくだけで良いという点も ある. 男子 学校生活がとても楽しい 上位層 学校生活にとても満足している 中位層 下位層 クラスの友達にとても満足している 0 10 20 30 40 50 60 女子 学校生活がとても楽しい 上位層 学校生活にとても満足している 中位層 下位層 クラスの友達にとても満足している。 0 10 20 30 40 50 60 出典:神奈川県の中学生の生活・意識・行動に関するアンケート(2009-2010) 図 1.「スクールカースト」地位と学校への適応感 この結果(図 1)を見ても男女ともに上位層に所属している生徒達の方がよりよい学校生活を 送れると感じており,各グループにみえない地位の差が存在していることは明らかである. 2 キャラ的コミュニケーション 2-1. キャラクター同士の棲み分け 1 章では,スクールカーストを用いたキャラクター同士の権力関係について考察したが,果た して全てのグループが一つ一つ順番通りに格付けされているとは言い難い.例えば,同じ上位層 に位置していてもグループが二分化されている可能性も考えられる.では,そのような際に彼ら はどのように互いの領域に干渉せず,横並びの様な状態を保っているのだろうか.少なくとも, 教室内ではいくつものグループが存在するため,あらゆる人々と学校生活を送らなければいけ - 258 - ない.それゆえに,自分が所属していないグループとの関わりを絶つ事は不可能だろう.そこで 対等の立場にあるグループ同士は互いに生ずる人間関係の摩擦を回避するために,場の空気を 壊さないようなキャラクターを演じてコミュニケーションを取ることがある. また,このような現象は対等なグループ同士の関わりの場だけでなく,同一グループ内でも起 こり得る.そこでは,出来る限り他人とキャラクターが重なり合うのを避け,個々人に対して, 「天然キャラ」 「毒舌キャラ」などの具体的な役割を割り振る.そして,それぞれのキャラクタ ーを確立させる事で周囲とうまく共存しているように思われる.従って,グループ内における各 自のキャラは自身の本来の性格というよりは普段行動をともにしているグループのリーダーや ほかのメンバーといった他者から自然発生的に与えられることが多く,場の空気による圧力と して本人の意図とは無関係に決定させられるのではないだろうか. このように,現代の日本の若者達の間ではその場の空気に合わせて「キャラ」と呼ばれる類型 的役割を演じるコミュニケーション作法が浸透しており,その現象・状況はキャラ的コミュニケ ーションと表現され,キャラ化・キャラ的コミュニケーション・キャラ的人間関係・キャラゲー ム・キャラ戦争等と言い換えられる場合もある(森 2005;荻上 2008). このキャラ的コミュニケーション内の人間関係に存在する暗黙の規範としては,他者との摩 擦を回避するために教室内,またはグループ内といった仲間内では上下関係をなるべくつけな いようにしており,スクールカーストの様な明確な上下関係や,同一グループ内でわずかに存在 している地位の差を,例えば「いじりキャラ」と「いじられキャラ」のような形で表面的にはフ ラットな関係に置き換える事によって上手く棲み分けていると考えられる. 2-2. キャラと演技性 人々が日常生活を送る上で,無意識に演技の切り替えを行っているという事は以前から社会 学者のアーウィン・ゴッフマンが指摘していたが,前節のように周囲から与えられる,または求 められるキャラに即した振る舞いをするという意味ではキャラ的コミュニケーションも演技性 を帯びたものであるといえるのではないだろうか. ただし,実際に若者を対象とした調査では必ずしも意識的にキャラを演じていると答える者 が多数派ではない.2009 年から 2010 年に実施された神奈川県の中学生の生活・意識・行動に 関するアンケート調査では, 「自分の気持ちと違っていても,人が求めるキャラを演じてしまう」 という項目に対する肯定的な回答はほぼ 1/3 である.この調査では,少数でない割合とはいえ 6 割以上はキャラをつくらずにコミュニケーションを行っていることになるため若者のキャラ演 出という現象を過剰に重視すべきではないだろう(本田 2012).また,若者への同様のインタビ ュー調査(瀬沼 2007)でも,キャラを演じている意識があると答えたのは 58 人中 10 人と少数で あった.しかし,2 つのアンケート調査は集団の中で行われたため,周囲の他者に配慮して「演 技をしていない」と答えた者が多かったとも推測でき,それ自体が場の空気を読んだ行動とも取 れるのではないだろうか. また,キャラクターを用いたコミュニケーションが興ざめする程わざとらしく,演技性が見え - 259 - 透いてしまうものは疎まれる傾向にある.そのため,若者達は演技性を帯びていないニュートラ ルな状態を素という言葉で表すことで,実際には素という演技しない状態を演技していたり,素 とキャラクターの両者の配分を調整しながら周囲と上手くコミュニケーションを取っていると 考えられる. 3 キャラクター間における権力関係の矛盾 3-1. 権力関係の反転 1 章で説明したスクールカースト内におけるキャラクター同士の権力関係は,どのような状況 下においても不変なものであるといえるのだろうか.実際は,時と場合によって逆転したり,自 分自身のキャラクターが変化することによってカーストの立ち位置に矛盾をきたす場合がある と考えられる.では,何故このような事が起こり得るのか,その様々な要因について考えていき たい. まず,1 つ目には個人にもたらす所属グループの変化である.これは,普段から日常生活をと もにしていた同集団の友人達からのいじめや自然淘汰等によって,今まで上位層に位置してい た者が中位層または下位層へと移行させられ,自分の意識とは無関係に所属グループを変更す ることとなる. 2 つ目には教室内のカースト制度自体の変動である.これは,SNS を利用する事でスクール カースト全体に権力関係の反転もしくは変動をもたらす可能性がある.例えば,現代の若者の間 では line や twitter 等のソーシャル・ネットワーキング・サービス(以下 SNS)を頻繁に活用 して他者とコミュニケーションを取っているように見られる.その中で特に中位層・下位層に所 属する生徒達は教室以外で,自分達が上位に位置出来る空間を作り出すために,line のグループ 内でクラスランキングというものを作成している.このランキングでは敢えて上位層を除外し, line に招待しない事で中位層と下位層が上位に,そして上位層が下位になるように格付けされ ている.つまり,一見すると教室内で最も権力を握っているように見える上位層は裏では排除さ れ,間接的にカーストが逆転した状態を作りあげるのである.また,この line に登録されてい るメンバーの中では,教室内での挨拶を直接ではなく line の中で交わす者も居る.これは,敢 えて line の中にしか存在しないメンバーに挨拶をする事でより互いの結びつきを強めているよ うに思われる.しかし,この SNS を用いた権力関係の反転は筆者の知人から調査した非常に特 殊な例であるため,必ずしも起こるわけではない. 最後に,3 つ目の変化としては環境の変化によって,グループが変わることである.特に顕著 に表れる例としては,学校のレベルによるカーストの変化である.今までは,中位層・下位層の 生徒であった者が進学校に通った場合,成績の良い生徒や真面目な生徒はカースト内の上位に 位置し,逆に不真面目で素行不良な生徒は疎まれる傾向にある.つまり,結果的に以前の学校で は下位層に位置していたものが自然と上位に変化しているのである.もしくは,自然的なカース トの変化を待つのではなく,敢えて同学年の生徒とは離れた高校や大学を受験し,キャラクター チェンジを果たすことで,自ら所属するグループを変えることも出来る.また,引っ越し等で自 - 260 - 分の置かれる環境が変わり,カーストが変化する可能性も考えられる. このように,様々な原因によってキャラクター間における権力関係に矛盾が起こるのではな いだろうか. 3-2. キャラクターの可変性 1-2 で取り上げたように個人に対するキャラクターが一度固定されてしまうと,学校を卒業す るまで,そのイメージを払拭することは難しい.しかし,キャラクター間の権力関係には矛盾や 反転が生ずる可能性があり,中位層や下位層に置かれた人々が現状を打破する方法がある.その 手段の一つが,自分自身のキャラクターを変えることではないだろうか.ここでは,前節でも触 れたキャラクターチェンジについて着目したい. まず,キャラクターを変える方法の一番の手段としては,周囲の環境を変えることである.た だし,引っ越しによって地域を変える事は容易ではない.そこで,中学から高校へ,または高校 から大学へと進学する際に敢えて自分を知る人物が居ない場所へ進学することで,高校デビュ ーや大学デビューを果たし,新たな自分のキャラクターを作りあげるのが良いのではないだろ うか. また,コミュニティが作られる場所というのは教室内だけではないため,部活やサークルもし くは塾といった個人の長所を引き出せるような場所に自発的に参加し,自分の居場所を見つけ ることである.さらに,運動・音楽・美術・勉強等といった特定の分野で他人より秀でるものが あれば,学校行事の際に注目を集められる可能性があり,そこから周囲に認めてもらいキャラ立 ちiすることで今までとは別のキャラクターへとシフトチェンジ出来るかもしれない. おわりに 本稿で取り上げてきたスクールカーストとキャラクターの権力関係について,多かれ少なか れ大半の人間が学生時代に体験したことがあるといえるのではないだろうか.このカーストや グループの派閥というものは学校や会社,ないしはインターネットの世界でさえ,人々がコミュ ニティを作る限り,如何なる時代でも生じる問題であり,今後もなくなることはないだろう.し かし,このように他人の目を気にする社会であるからこそ自分自身をキャラ化するということ が必要なのではないだろうか. 今回,本稿を執筆するにあたり参考にしたいくつかの文献では,昨今の若者がキャラクター化 するに至る経緯は,自分に確固たる自信がなく自己防衛として利用しているのであり,本来なら ばキャラクターを用いずに他者に自己を表現できる方が良いと捉えるものが多く,キャラ化に 対して否定的であった.しかし,キャラクターというものは今日のアイドルや芸人のキャラ作り からも見てとれるように,時代の変遷とともに自然に現代のコミュニケーションツールの一種 として組み込まれてしまったように思われる.つまり,コミュニティを作る上では切り離せない i キャラ立ちとは,自らの個性を際立たせ 1 つの独立したキャラクターとして他者に印象を強 化して認識させることである. - 261 - ものとなっているのではないだろうか.それならば,他者と一定の距離を保ち適度な演技(キャ ラ作り)をし,周囲との摩擦を回避することは悪くないだろう.寧ろ,社会に出て円滑な人間関 係を築くためには学校生活で学ぶべき必要不可欠なものなのではないだろうか. 文献 鷲田清一,2002,『「キャラ」で成り立つ寂しい関係』中央公論 森口朗,2007,『いじめの構造』新潮社 瀬沼文彰,2007,『キャラ論』STUDIO CELLO 荻上チキ,2008,『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」 』PHP 研究所 土井隆義,2009, 『キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像』岩波書 店 鈴木翔,本田由紀,2012,『スクールカースト』光文社新書 - 262 - 異性友人関係の成立 ―性別の違いにおける心理的差異― 松本 理奈 はじめに 人間は成長するに従い,様々な人とコミュニケーションをとる機会が増えてくる.特に, 青年期においては,同性だけでなく,異性と接することも多くなり,知り合っていく中で, 友人や恋人といった関係を築くようになる.そこで筆者は,思春期に入り,相手の性を意識 するようになった人間の異性友人関係の成立について関心を抱いた. 異性友人関係が成立するか否かというのは,古くから語られてきたテーマであり,現在で も時々雑誌やメディアなどでこのテーマについて特集を組んでいたりする.異性友人関係 の成立は,それだけ古くて新しく単純なようで複雑な話題であるということである.また, 社会科学者たちの間でも異性友人関係は,同性友人関係に比べて「社会科学において 1 つ の無視されたトピック」 (O’meara 1989)であったとされているが,近年では同性友人関係 とは異なる対人関係としての重要性に注目が集まり,多くの研究がなされるようになり, 様々な興味深い示唆が得られている.そこでは,同性友人とも恋人とも異なる異性友人の関 係性を言及している.これらの事から「異性友人関係のトピックは,もはや社会科学者にと って親密な対人関係において無視される次元であってはならない」(O'meara 1989)といえ る. 本稿では,異性友人関係を取り巻く環境要因の変化から,成立するための条件,また男性 視点での異性友人関係と女性視点での異性友人関係といったように,性別の違いにおいて の心理的差異についても深く触れていくこととする. 1 異性友人関係とは 1-1.友人関係の定義 まず,初めに友人関係の意味を明確にするために,本稿での「友人関係」について定義付 けを行うこととする. 友人関係とは,親しい情愛をもつ者同士の関係であり,アリストテレスは友人関係を次の三 つの類型に分類している. (1)愉快だが一時的な相互の友好行動 (2)未知の人またはちょっとした知り合いへの親切な行為ないし分離した援助の供与 (3)同等で相称的な地位の人々の間の相互性と拘束(アリストテレス 2002) - 263 - このように,一口に友人関係といっても発達過程や深度にいくつかの段階が区分されて いるのである.また,発達過程や深度に関しての序列が存在し,以下の通りである. ①偶然の知り合い ②社交上の知り合い ③よい友 ④身近な友 ⑤親友(辻 1999) 本稿では,偶然の知り合いや,社交上の知り合いといった比較的新密度の浅い人物までを 友人関係とみなしてしまうと,友人関係の範囲が膨大になり明確な分析が出来なくなるた め,お互いに気を使ってしまうような仲である①②の「知り合い」の段階は除き,ある程度 気軽にコミュニケーションをとることができるであろう③④⑤の「友」以上の段階を友人関 係として扱うこととする. 1-2.海外の学者間での異性友人関係 我が国での友人関係の研究に関しては, 『友達とのつきあい方』(岡田 1995)やその発達 の調査から比較的多くの結果がみられている.また,友人概念や友人に対する期待などの研 究も行われており,同性友人と異性友人を一括りにした「友人関係」という意味合いでの研 究においては貴重な功績を残している.しかし,友人関係においての同性友人関係と異性友 人関係をそれぞれ調査した研究は未だに少なく,ジェンダーに関する研究と同じ分類で,異 性友人関係が取り扱われている事もあるのが現状である.一方海外では,古くから異性友人 関係と同性友人関係の違いに関する研究が注目され,現在においても日本より海外の方が 盛んに行われている傾向にある.海外で実際に行われた以下 3 つの研究例を紹介する. 友人関係は, 「Acceptance」 「Help」 「Royalty」 「Availability」 「Recognition」 「Intimacy」 「Companionship」の7つの機能に分類され,異性友人関係と同性友人関係のそれぞれの 機能の差が存在する(Rose 1985).また,異性友人関係と同性友人関係のそれぞれにおけ る「Benefit」「Cost」が調査され,両者の類似点と相違点が明らかにされている(David M.Buss 2000) .他にも,異性友人関係と恋愛関係の概念について行われた調査では,項目内 容として多くの行動を含む「Affiliation」 「lntimacy」 「Commitment」 「Passion」という 4 つのカテゴリが分類されている(Connoly 1999) . このように,海外では同性友人関係と異性友人関係の違いについての研究だけでなく,異 性友人関係と恋愛関係の違いなどというように,異性友人関係に関する研究が様々な角度 から行われている.それだけ,異性友人関係は,単なる友人関係としてみなすことができな い,特殊な分野であるということがいえるのである.行われた研究や調査で具体的に判明し たことは,異性友人関係は同性友人関係と比べて,機能の差や相違点があるということであ - 264 - る.また,そのことから異性友人関係の成立にあたっては,特殊な条件が存在するのではな いかと筆者は考える. 2 異性友人関係の成立 2-1.3 つの環境要因 近年における様々な環境要因の変化は,異性友人関係の成立を容易なものにさせている. 環境要因の変化は大きく三つに分類される. 一つ目は,政治的要因であり,学校などで行われるジェンダーフリー教育が例として挙げ られる.ジェンダーという用語は,社会的に形成された性差をさす言葉であり,生まれつき ではなく家族や社会によって後天的に育てられる性差のことである.例えば日本では,「男 の子はスポーツが得意」 「女の子はお家で大人しく遊ぶ」というような固定概念が植えつい ているだろう.ジェンダーフリー教育とは,そのように性別によって生き方を決めることで, 個人がその力を発揮することが妨げられることを改善しようとしたために,男女共同参画 社会基本法iに基づいて実施されている教育なのである.性による社会的,文化的差別をな くし,それぞれの個性や資質に合った生き方を自分で決定できるようにすることが目標と されており,具体的には,学校教育での科目の共通性や衣服・教材の共通性,呼称の共通性, 呼び順の共通性などにより,両性の共通化を推し進め,男女の隔たりを無くすように義務付 けている.これらの学校教育で行われている取り組みは,男女の隔たりを小さくしているも のであるといえる. 二つ目は,技術的要因であり,情報化社会の象徴である携帯電話の普及が大きく関係する. 今では小学生の四人に一人iiが持っていると言われているほど,幅広い年代層の人々が持ち 歩いている携帯電話は 1996 年頃に普及が始まった.家庭の固定電話を使用しなくとも,誰 にも邪魔されることなくどこでも誰とでも気兼ねなく通話ができる点で多くの人々を魅了 した.また,メール機能を用いることで,相手のタイミングをうかがうことなく,自分のペ ースで文章を推敲することができ,電話の難点を解消した画期的なコミュニケーションツ ールとなり,たちまち急速な勢いで若年層の間に広まった.そして,現在ではソーシャルネ ットワーキングサービス(SNS)と呼ばれる自分の趣味,好み,友人,社会生活などのこと を公開することで,様々な人とコミュニケーションを取り合うことを目的としたコミュニ ティ型の Web サイトが流行している.具体的には, 「mixi」 「Facebook」 「Twitter」 「LINE」 「カカオトーク」などが挙げられ,今ではネットユーザーの半数以上がSNSの利用者iiiで i男女共同参画社会基本法 第一章 第三条(男女の人権の尊重)男女共同参画社会の形成 は,男女の個人としての尊厳が重んぜられること,男女が性別による差別的取扱いを受け ないこと,男女が個人として能力を発揮する機会が確保されることその他の男女の人権が 尊重されることを旨として,行われなければならない. ii平成 iii平成 24 年度内閣府「青少年のインターネット利用環境実態調査報告書」を参照. 23 年版総務省 情報通信統計データベース 「情報通信白書」を参照. - 265 - ある.このようなコミュニケーションツールが多様化したことで,コミュニケーションのハ ードルが大きく下がり,気軽に不特定多数の人とコミュニケーションをとることが可能に なった. 三つ目は,社会的要因であり,男らしさや女らしさといった従来の固定概念が,政治的な 面のみでなく社会的な面でも変わりつつある.変化する男性像の代表的な例が, 「草食男子」 という用語の台頭であり,日経ビジネスのオンライン版で連載している「U35 男子マーケ ティング図鑑iv」で用いられたのが始まりである. 「恋愛に縁がないわけではないのに積極的 ではない,肉欲に淡々とした草食男子」と定義している(深澤 2006) .この段階では,草食 男子という言葉はまだ世間に浸透していなかったものの,女性ファッション雑誌『non-no』 (2008 年 4 月 5 日発売号)において, 「出会い 4 月革命に勝利せよ!男の草食化でモテ基 準が変わった」という特集により,女性の「草食男子」の浸透率が一気に高まり,新たな男 性像が社会に認知されるきっかけとなった.また,2009 年の新語・流行語大賞に選ばれた 「女子力」という用語は,一般的には女性の生活力や身だしなみのレベル,モチベーション を表すが,ファッションに気を配ったり,料理上手な男性に向けて使われることもある用語 になっている.一方で,変化する女性像の代表的な例としては,ファッションの多様化では ないかと考える. 「ボーイッシュ」という言葉がファッション雑誌を中心に取り扱われてい るように,女性でも男性らしい服装をすることが社会的に認知されるようになった.また, ベリーショートと呼ばれる少年のような極端に短い髪型や,男の子っぽさを取り入れたよ うなメイクも流行した.これらのことをふまえて,近年では社会的な面においても,従来の 両者の領域へ気軽に足を踏み入れ,互いに親近感を覚えることができるようになり,異性と の友好関係は築きやすくなったのではないかと考える. 2-2.成立するパターン 1-1 でも述べたように,異性友人関係と同性友人関係は,機能の差や相違点があり,友人 関係の中でも全く同じ括りとして扱うことはできない.そこで,異性友人関係が成立し,そ れを長く継続させるにあたっては,同性友人関係にはみられない特殊な成立条件が存在し ているではないかと筆者は考え,そのパターンを次の三つに分類した. 一つ目は,意識的成立であり,異性友人の性を感じとらない場合である.異性友人を異性 として見ることができないほど,親密度がとても深い状態であったり,恋人にするには自分 の理想からかけはなれた年齢や外見,人柄である場合に当てはまるのではないだろうか.ま た,別の例としては,同性愛者である場合が挙げられる.全ての人間が持つ「性的指向v」 は,愛情を向ける対象が異性に限られるという単純な動物ではないという可能性を秘めて iv団塊ジュニアをはじめとする 1970 年以降に生まれた UNDER35 世代のこと. v人の恋愛や性愛がどういう対象に向かうのかを示す概念.具体的には,異性に向かう異性 愛(ヘテロセクシュアル) ,同性に向かう同性愛(ホモセクシュアル) ,男女両方に向かう 両性愛(バイセクシュアル)を指す. - 266 - いる.一人一人それぞれの「同性指向」と「異性指向」がある一定の割合で存在しているの が人間という種の基本的性質で,その割合は自分の意志では簡単に変えたり選んだりでき ないものとなっている.つまり, 「同性指向」の割合が高い人間であれば, 「同性愛者」にな る確率も高く,異性友人を異性と認識せずに友人関係を築きやすくなるということがいえ るのである. 二つ目は,障害的成立であり,異性友人に恋人が存在したり,ありは結婚していたり,恋 をすることが許されない環境におかれているなどと,何らかの障害が存在することで必然 的に友人関係を越える事が不可能な立場にある場合である.しかし,シェイクスピアの『ロ ミオとジュリエット』のように,何らかの障害が立ちはだかる方が,禁断の恋が盛り上がっ てしまう傾向の人間も存在するため,個人差が大きいのではないかと考える. 三つ目は,復元的成立であり,一度友人関係の状態を抜け出そうとし,または抜け出した が再び友人関係に戻ってくる場合である.例えば,異性友人へ告白したが,相手が断ったた め恋人にはなれず,友人関係を保つことになる場合が挙げられる.また,恋人としては自分 に合わなかったけれど,友人としてであれば全く問題なく仲良くできるといった理由で,恋 人であった相手と別れた後で,友人関係になる場合も該当する.しかし,破局をしたという ことは,相手の嫌な面に耐えきれなくなり,別々になりたいというケースが大半であるため, 別れた後も友人として交際を続けるメリットがなければ,わざわざ友人関係に戻るような ことはしないという人々が多いのではないかと考える. 以上三つのパターンから,同性友人関係には存在しない特殊な条件の元で,異性友人関係 が成立しているということを述べた.しかし,世の中には1人として同じ人間は存在しない ため,このパターンには個人差が大きく影響し,ケースバイケースで例外が発生する可能性 もあるということを理解し,承知していただきたい. 2-3.性別の違い 異性友人関係が成立するか否かにおいて,性別の違いはどのような影響を与えるのか. 「男女間の友情に関するアンケートvi」 (リクルート ブライダル総研 2012)によると, 「男 女の友情は成り立つかどうか」という問いに対して,「男女の友情は成り立つ」と考える人 は,男性は 44.6%であるが,女性では 57.9%と男性よりも女性の方が「男女の友情は成 り立つ」と考える人の割合が高いことが分かる.また, 「男女の友情は成り立たない」と考 える人は,男性が 21.7%であるのに対し,女性は 16.6%という結果が出ていることから も,男性よりも女性の方が「男女の友情は成り立つ」という考え方に肯定的であることが分 かる(図 1,図 2) .年齢別では,男性は年代層が上がるにつれて「男女の友情は成り立つ」 と考える人の割合は減少し,「男女の友情は成り立たない」と考える人の割合は増加する. 一方で,女性は年代層が上がるにつれて,「男女の友情は成り立つ」と考える人の割合が増 加し, 「男女の友情は成り立たない」と考える人の割合は減少するため,男性とは正反対の vi20 代から 40 代の未婚男女 2478 人に実施したアンケート. - 267 - 結果となっていることが分かる.年齢別という面を考えると,生きてきた時間が長い分,そ れだけ異性友人との関わりを多くしてきた年上の年齢層ほど,様々な実体験を踏まえて回 答しているため,男女の友情が成立するか否かという問いに関して,最も信憑性の高い回答 となってるのではないだろうか.このように,年代層ごとの結果に着眼点を置いても,異性 友人関係は男性よりも女性の方が成立しやすいと考える. 男女の友情は成立するか(男性視点) 凡例 男性 成り立たない 20代 男性 どちらとも言えない 30代 男性 成り立つ 40代 0% 20% 40% 60% 80% 100% 出典:リクルート ブライダル総研をもとに筆者作成 図 1 男女の友情は成立するか(男性視点) 男女の友情は成立するか(女性視点) 凡例 成り立たない 20代 どちらとも言えない 30代 成り立つ 40代 0% 20% 40% 60% 80% 100% 出典:リクルート ブライダル総研をもとに筆者作成 図 2 男女の友情は成立するか(女性視点) - 268 - 3 性別の違いにおける心理的差異 3-1.異性友人の必要性 自分にとって異性の友人が必要であると考えている人の割合はどのくらいだろうか.ま た,それは性別や年齢の違い,配偶者の有無によってどのように変化するのか. 「異性友人 の必要性vii」 (第一生命経済研究所 2007)の調査によると,自分にとって異性の友人が「絶 対に必要」と考えている人は 20.0%という結果が出ている.また, 「いたほうがよい」と 考えている人の割合は 42.3%であり,合計で 62.3%が異性友人を「必要」としているこ とが分かる.年齢層別にみると,中期年青年層(20 歳から 24 歳)の「必要」とした人が 69.2%と最も高く,後期青年層(25 歳から 29 歳)が 55.6%と最も低い.これは,後期 青年層になるにつれ,既婚者が増加する事が要因なのではないかと考える.未婚では「必要」 とした人が 66.9%であるのに対して,既婚者が 43.3%にとどまっていることからもあき らかである.この結果から分かることは,誰しもが多かれ少なかれ異性との関わりを必要と しているということである.そして,自分と同じ性別の人との関わりだけでは補えない面を もっているのではないかと筆者は考える.例えば,何か悩み事があった場合には,同性のみ に相談するよりも,異性にもあたってみた方が,内容によっては問題が上手く解決すること もある.また,女性が重い荷物を運ぶことが出来ずに,誰かに手伝ってもらおうとする時に は,女性よりも男性の手を借りたいと思うだろう.既婚者で異性友人が「必要」とした人が 少なかったのは,異性である配偶者との関わりが日常的に可能なため,上記の理由から他の 異性との関係をそこまで望んではいないのだろうと推測する.また,この調査からは性別の 違いによる大きな変化は見られていない.これらのことから,異性友人の必要性は,性別の 違いよりも配偶者の有無が大きく左右するということがいえる. 異性友人の必要性 男性 女性 前期青年層 絶対に… 必要 中期青年層 後期青年層 未婚 既婚 0% 20% 40% 60% 80% 出典:第一生命経済研究所をもとに筆者作成 図 3 異性友人の必要性 vii 16 歳から 29 歳の男女 710 人に実施したアンケート. - 269 - 3-2.性の意識 異性への性の意識は,男性と女性ではどのように異なるのだろうか. 「これまで好きにな った人数viii」 (リクルート ブライダル総研 2012)によると,平均が男性は 8.0 人という 結果に対し,女性は 6.1 人という結果が出ている.また,「付き合った人数」は男性が 4. 2 人,女性で 3.9 人と,それぞれ男性の方が多い結果となっている.つまり,男性は女性 よりも比較的に相手が異性であることを意識する傾向が強いため,惚れやすく交際経験も 多い恋愛体質であるということがいえるのではないだろうか.また,異性友人関係において も,関係を深めていくうちに,相手に好意を抱いてしまうという可能性が女性よりも高いの ではないかと考える.補足として,これはあくまで調査を分析し,そこから見出した傾向に すぎないということを念頭に置いていただきたい. このような人間の性の意識には,性的役割とジェンダー的役割の二種類の構成概念が存 在するix.性的役割には,性的な刺激に対する個人の相対的反応や,人が性的に惹きつけら れる相手の性別,生理的特徴などがある.例をあげると,男性が女性に好意を抱く,他人の 露出の多い格好を見てドキッとするといったような事である.これは,先天的資質であり, 生まれながらにして備わっているものといえる.一方で,ジェンダー的役割とは,典型的な 行為や態度,個人の好みに関連することである.これは,ステレオタイプな男らしさ,ある いは女らしさの意味をもった個人の属性であり,社会的・心理的起源によるものである.例 をあげると,男は青い服を着る,女はピンクの服を着る,などがあげられ,後天的資質であ り,環境の変化などにより変わるものであるということがいえる. これまで好きになった人数 これまで好きになった人 告白した人 女性 男性 告白された人 全体 付き合った人 0 2 4 6 8 単位: 出典:リクルートブライダル総研をもとに筆者作成 図 4 これまで好きになった人数 viii 20 代から 40 代の未婚男女 3096 人に実施したアンケート. ix日本心理学会ジェンダー研究会,2004, 『女性とジェンダーの心理学ハンドブック』 ,中 西 茂行,1998, 『生活と成熟の社会学』 - 270 - 3-3.異性友人に対する期待 前節で性の意識においての性別の違いについて述べたが,異性友人関係と同性友人関係 では,具体的にはそれぞれ相手に何を求めているのだろうか.また,その違いは何だろうか. 「大学生における同性友人,異性友人,恋人に対する期待の比較x」 (高坂 2010)では,同 性友人,異性友人,恋人に「信頼・支援」 「外見的魅力」 「他者配慮」 「積極的交流」 「相互向 上」の 5 つの期待項目を調査している(表 1) .同性友人,異性友人,恋人の 3 者がすべて 「いる」と回答した 115 名それぞれにどの程度期待するかについて,1「まったく期待しな い」 ,2「あまり期待しない」 ,3「どちらともいえない」 ,4「やや期待する」 ,5「とても期待 する」の 5 つの回答を求めている.調査の結果から,女性は男性と比較して,異性友人には 「信頼・支援」 「相互扶助」など内面的な面を大きく期待していることが分かる.また,恋 人には異性友人よりもさらに内面的な面を期待しているが,同性友人と異性友人の各項目 では大きな差はみられない.一方,男性は「外見的魅力」の項目から,異性友人に対して視 覚的な面で期待している人が多いようである.また,「相互向上」の期待は低く,異性友人 とは互いに切磋琢磨し合うことができるような関係を望む傾向はあまりないようにとれる. これらのことから,女性は,同性友人と異性友人を同じ友人関係という位置づけで捉えてい る傾向にあり,内面的なつながりを多く期待しているのに対し,男性は異性友人には,お洒 落であったり顔立ちが整っていたりなどと外見の魅力を期待している傾向にあることが分 かる. 表 1 異性友人に対する期待 同性友人(平均) 異性友人(平均) 恋人(平均) 「信頼・支援」 男性(40名) 女性(75名) 「外見的魅力」 男性(40名) 女性(75名) 「他者配慮」 男性(40名) 女性(75名) 「積極的交流」 男性(40名) 女性(75名) 「相互向上」 男性(40名) 女性(75名) 3.59 4.07 3.54 3.74 4.29 4.65 2.6 2.33 3.37 2.48 3.92 3.38 3.79 3.95 3.87 3.95 4.12 4.32 4.44 4.52 4.42 4.58 4.43 4.55 3.22 3.33 2.58 3.08 3.04 3.45 出典:大学生における同性友人,異性友人,恋人に対する期待の比較をもとに筆者作成 x 男性 40 名,女性 75 名,計 115 名に実施した調査. - 271 - おわりに 以上のことから,異性友人関係の成立においては,男性の考える異性友人と女性の考える 異性友人は,全く同じものではないことが分かる.男性は,異性友人に対して外見的な部分 で異性としての魅力を感じることが多く,恋人や配偶者の有無にかかわらず,異性友人にも 可能であるならば外見が良いに越したことはないと望む人が多いのではないかと考える. 一方で,女性は異性友人に対しては内面的な面を支えてもらいたいと考える人が多い傾向 にある.しかし,これらの主張は永久に変化することのない絶対的な結論というわけでない. 2-2 の異性友人関係を取り巻く環境要因の変化でも取り上げたように,時代が進むに従って 性別における性差は小さくなってきている.男性は男性らしい行動を,女性は女性らしい行 動をなどといった型にはまった風習はすでに通り過ようとし,現代では自分たちの資質に 合った生き方をするべきであるという教育を国自らが推進しているのである.そして,社会 的にも「女子力」や「草食系」などと言われる新しい男性像が出現したことで,以前の「男 は男らしくあるべきだ」とされていた男性像の固定概念から離脱し,一方で,女性は女性で あっても男性らしい格好をすることや,男性のようにバリバリと会社で働くことが社会に 認められているのである.もはや,男性と女性の在り様というものは可変的であり,その時 代に応じて日々変化しているのである.そして,これらの要因は,異性友人関係の成立にも 影響を与え,その時代の男性と女性の在り様が変化することによって,同様に変化していく ものではないかと筆者は考える. 文献 日本心理学会ジェンダー研究会,2004,『女性とジェンダーの心理学ハンドブック』 アリストテレス,2002, 『ニコマコス倫理学』京都大学学術出版会 中西茂行,1998, 『生活と成熟の社会学』 高坂康雅,2010, 『大学生における同性友人,異性友人,恋人に対する期待の比較』 大和早織,他,2010, 『新しい異性友情関係について』 すこたんソーシャルサービス http://www.sukotan.com/douseiai_04.html#Anchor283538 内閣府男女共同参画局 http://www.gender.go.jp/ 政府広報オンライン https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201303/3.html 共生社会政策 http://www8.cao.go.jp/youth/youth-harm/index.html 総務省 http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/h23.html 日経ビジネスオンライン,2006, 「U35 男子マーケティング図鑑」 http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20061005/111136/ 法務省 http://www.moj.go.jp/ リクルート ブライダル総研,2012, 「男女の友情は成り立つと思う人は男性 44.6%,女性 57.9%」http://bridal-souken.net/research_news/2012/09/120920.html - 272 - ――――,2012, 「男性の方が恋愛体質?これまで好きになった人数,男性のほうが多い」 http://bridal-souken.net/research_news/2012/10/121031.html 第一生命経済研究所,2007,「現代の青年層の恋人と異性の友人」http://group.dai-ichilife.co.jp/dlri/ldi/note/notes0711b.pdf#search='http%3A%2F%2Fgroup%EF%B C%8Edaiichilife%EF%BC%8Eco%EF%BC%8Ejp%2Fdlri%2Fldi%2Fnote%2Fn otes0711b%EF%BC%8Epdf' - 273 - ウェブコミックからみるネーム至上主義 坂本 敦史 はじめに デジタル化・ネットワーク化に伴い,誰もが自己の創作した著作物をネット上に公開すること が容易に可能となり,これまで主として著作物の受け手とされていた利用者が著作物の供給者 としてネット上に登場してきている.こうして個人の表現活動が容易になったことで,漫画分野 も例外ではなく,今ではプロ・アマチュアを問わず数多の漫画作品がネット上で公開されており, そのなかにはアマチュアの個人公開でありながら高い評価を得ている作品も多数存在する. こうした評価されているアマチュアの漫画作品のなかには,巧拙問わずネームiに近い状態で 公開されているものや,商業雑誌に掲載されているプロの漫画作品と比べて画力が劣るものは 決して少なくない.しかしこれは同時に,読者がその作品を「絵」以外の要素,つまりは「内容」 に着目して評価したということの表れでもある(本稿における漫画の「内容」は,漫画自体のス トーリーやテーマ性,キャラクター性,ユーモア性などを指す).商業雑誌に掲載され人気を博 した作品の多くが高い画力によって描き出されていたことからも,このようなネット上のアマ チュア漫画界隈でみられる「絵軽視・内容重視」ともいえる批評のあり方は異質であるといえる だろう. 本稿では,昨今の漫画批評の特異性とその所以はどこにあるのか,読者は漫画に何を求めるよ うになったのかを,ネット上における漫画読者の有り様や過去の漫画評論を交えながら考察し ていきたい. 1 ウェブコミックの発展 1-1. ウェブコミックとは ウェブコミック(ウェブ漫画,オンラインコミックとも呼ばれる)とは,ネット上で公開され ている漫画のことであり,自身の漫画作品を容易に発表できる手段として,アマチュア作家を中 心に利用されている.執筆形態は問わず,デジタル形式で描かれているものだけでなく,紙に描 いたものをスキャンした形式であっても,ネット上で公開されているものであれば,ウェブコミ ックに該当する.また,公開に利用されるサイトも様々であり,個人のウェブサイトやブログだ けでなく,pixiv やニコニコ静画といったユーザー投稿型サイトを利用して公開されている作品 も存在する.また,近年はプロの漫画家の作品が読める商業サイトを出版社などが開設する動き もみられている.商業ウェブコミックサイトは,ネット上で無料で最新話(または直近数話)を 公開し,過去話を非公開にしていくという形式が一般的である.雑誌として利益が無い分,単行 i 漫画のコマ割り,構図,台詞,キャラクターなどを大まかに描いたもの.ラフ描き,下 書き. - 274 - 本,アニメ化などのメディアミックス,電子マネーなどを利用した作品のデータ形式での販売と いった収益モデルが主流となっている. 1-2. ウェブコミックがもたらした変化 ウェブコミックの発展は,アマチュア漫画界隈に多大な変化をもたらしたといえるだろう.ネ ットが普及する以前は,アマチュアが自身の作品を不特定多数の人々に読んでもらうためには, 同人誌即売会(イベント)に参加するなどといった方法をとる他なく,発信(書き手)側も受信 (読み手)側も高いハードルを超えなければならなかった.しかし,ネットが普及した近年では, ウェブコミックによってそのハードルは大きく下がった.書き手は,作品をネット上で公開する ことで不特定多数の人々に読んでもらうことができ,読み手は,パソコンやスマホを通じていつ でも数多くの作品に触れることができるようになった. こうした変化によって,イベント自体の意味が変容している一面もある.世界最大の同人誌即 売会であるコミックマーケットなどを始めとしたイベントは,70 年代から 90 年代にかけて,数 少ないオタク文化の共有・交流機会として大きな意味を持っていた.現在も,コミックマーケッ トの参加人数自体は増加傾向にある.しかしながら,同人誌即売会などのイベントが従来持って いた発信や交流の場としての機能である同人誌の売買は通販を利用することで,作家や読者の 交流は SNS などを利用することで簡単に実現できるようになった.従来のイベントとしての意 味はあくまでネット上での創作活動の延長線となりつつあり,現在では,作家を直接会うことや イベント自体の持つ「祭り」的要素が目的となっていることも事実だろう.規模の拡大に対して, イベント自体の意義は狭義化傾向にある. また,アマチュア内の創作活動だけに留まらず,商業作家としてのデビューにも変化が生じて いる.従来は,出版社への持ち込みや投稿をきっかけに,漫画賞の受賞や雑誌に掲載した読切作 品が好評を博すことで雑誌への連載が決定するというのが商業作家としての基本的なデビュー 形式であった.しかし現在では,ウェブ上で公開した作品が人気を博すことによる出版社側から の単行本化の依頼や,作家としてのスカウトといった形式が珍しくなくなりつつある. 2 ネットでみられる読者意識の変化 2-1. 「感想」の共有とそれを助長するネット プロ・アマチュア問わず,ウェブマンガ自体が一般化しているとは未だに言い難いだろう. 雑誌で掲載されている商業漫画と異なり,特定のアマチュアのウェブコミックの存在またはそ の作品が投稿されている投稿型サイト自体の存在が他人に伝わるには,ブログや SNS,掲示板 などを通じた「口コミ」に近い手段に限られてしまう.商業漫画と異なり,雑誌でのアンケー トや単行本の売り上げなどといった明確な指標や,店頭で目にする・手に取る機会が無いため である.つまり,アマチュアのウェブコミックは,作品を認知してもらう手段として読者によ る感想(評価・紹介・批評)に依存している部分が非常に大きい.だからこそ,ネットにおけ るアマチュアの漫画作品において,感想や批評に直接結びつき易い「内容」は重要なファクタ - 275 - ーとなりえるのである.ストーリーやテーマ性,キャラクター性などが確固としている作品で あれば,読者が感想を抱くことで,ネット上で互いに評価・批評し合う機会が多く生じる.そ うした感想を目にし,興味を抱いた人々が新たな読者となるのである. また,ユーザー投稿型サイト内においても,サイト自体のシステムが内容偏重の流れを後押 ししている部分がある.ニコニコ静画や新都社iiを始めとしたウェブコミック投稿サイトの多 くには,コメント機能が存在している.ニコニコ静画は,ニコニコ動画同様に閲覧時にコメン トが流れてくるシステムを取っているように,コメント自体の形式はそれぞれのサイトで異な っている.しかし,コメント機能を持つサイトの多くに共通するのが,コメント数がランキン グに影響を与えるという点である. 「絵」の要素は読者に与える印象に影響を与える.しかし, 漫画作品として,コメントつまりは感想を継続的に集める要素は「内容」である.ユーザー投 稿型サイトの多くが,感想を多く集められる作品つまりは閲覧数やコメント数を多く集められ る作品ほど注目が集まり易くなるシステムを採用しているわけである. また,雑誌に掲載される商業漫画は,雑誌掲載までのハードルとして最低限の画力が求めら れることが多く,結果的に評価される商業漫画も高い画力によって描き出されているものが多 くなっている.対して,アマチュアのウェブコミックは,発信自体は完全に自由であり,画力 や内容は誰にも問われない.また,現在ウェブコミックを読んでいる層の多くは漫画に興味・ 関心が強い層が多く,漫画雑誌だけを読んでいる層に比べ,絵だけで読むのを敬遠する割合が 少ないと考えられる.従って,ウェブコミックは評価されるための「絵」のハードルは,商業 漫画と比較すると低くなっているといえるだろう. こうした一連の状況が,人気のアマチュアウェブコミックにみられる内容偏重ともいえる評 価を生み出している一因といえるだろう.つまり,ネットという新たな土壌が,感想を共有し 合えるだけの「内容」がある漫画に注目を集めさせている部分もあるのである. 2-2. 二次的享受による「孤独」からの解放 それでは何故,読者は感想を共有しようと考えるのだろうか.そもそも,どんなに売れている 漫画であれ,漫画を読むという行為自体は個人的なものであり,それに対する感想を持つのは孤 独な行為なのである.そして,批評とは読者が互いにそういった孤独から癒されようとする行為 なのである(夏目 2004:45).つまり,漫画を読むという行為は,自身がその漫画に対して抱い た感想を誰かに伝えたいという孤独な欲求が生じるものであり,漫画作品に対して感想を共有 する・批評するという行為は,そういった孤独からの解放を無意識化で求めている表れなのだ. だからこそ,作品自体を読む行為とは別に,孤独から解放されるための行為として二次的に享受 (感想や批評の発信及び受信)をしようとしているのである.そして,現在ではネットを利用す ることでアマチュアのウェブコミックを含むどんなにマイナーな漫画であっても,それを実現 できるようになった.2-1.にて,感想の共有や批評をしようとする読者の存在が,新たな読者を ii 投稿・閲覧の全てが非営利目的である,複数の有志によって運営されている 2 ちゃんねる発 のウェブコミック投稿サイト. - 276 - 生むと述べたが,まさに二次的享受を試みる読者の心理こそがアマチュアウェブコミックにお ける「内容重視」の評価を生み出しているといえるだろう. 表1 一次的享受と二次的享受 一次的享受 漫画作品を読み,楽しむ・感想を抱く (従来の漫画の読み方,孤独) その漫画作品に対する感想や批評を発信し,共有し合う 二次的享受 または,感想や批評を発信はせず,他者の意見を確認する (ネットの存在で容易になった漫画の読み方,孤独からの解放) また,作品を二次的に享受しようとする行為自体は,アマチュアのウェブコミック全体の傾向 として強くみられるものであるが,ウェブコミックだけに留まる話ではない.むしろ,プロの商 業作品のほうが作品の感想や批評の共有自体は容易である.アマチュアのウェブコミックはマ イナーであると,その作品を二次的享受ができる空間は作品自体が公開されているサイトのコ メント欄などに限られるのに対して,プロの商業漫画は,人気作品ならばその漫画を語り合うた めだけのコミュニティーが存在し,マイナーであっても作品タイトルで検索することで他人の 感想や批評を見つけ出すことができるからだ. インターネットの存在によって,誰もが容易に漫画家(描く側)にも読者(読む側)にもなれ るようになったと同時に,批評家(語る側)にもなれるようになった.共有の成立しやすいネッ トは,漫画が読者に生み出す孤独という名の共有欲を満たすには最高の空間なのである. 3 ネーム至上主義 3-1. ネーム至上主義 「内容」という言葉を用いてきたが,重厚なストーリーなどだけが「内容」に当てはまるわけ ではない.空気系(日常系)作品と呼ばれる作品群も,読者同士による二次的享受が目的となっ ているものの一つである.これらは物語性が希薄でありながらも,代わりにキャラクター性いわ ゆる「萌え」が強調されている.ストーリー漫画において,ストーリーが読者間で共有するため に十分な要素であるように, 「萌え」も共有するために十分な要素となりうるのである.つまり, その漫画に他人と共有したいと思える要素を読者が見出すことができるならば,漫画全体とし ての完成度を問わずに評価される時代が来つつあるといえるだろう. 共有し合えるだけの,批評するに値するだけの「内容」を漫画に求める読者が増えつつある. 読者は無意識に,共有できる要素があるかというメタ的視点から漫画を読んでいるのである.極 論ではなるが,メタ的視点を持つ読者の前であれば,漫画はネーム状態でも問題ではない.そこ には緻密な絵や高いデッサン力ではなく,読者に感想や批評を発信したいと思わせるだけの「表 現力」や「要素」が求められているのである.まさにネーム至上主義ともいえる読者のあり方が - 277 - 生まれようとしている. 出典:『ワンパンマンiii』(http://galaxyheavyblow.web.fc2.com/) 図1 ウェブコミック作品 3-2. コンテンツの二次的享受とその危うさ ネット上で作品の共有を行うという二次的な漫画の読み方が生まれたことで,共有し得る魅 力的な要素が漫画作品自体に求められるようになった.こういったネットでの共有の動きは漫 画だけに留まらず,それぞれ異なる形で音楽・小説・ドラマなどといった他のコンテンツに現れ つつある.ニコニコ動画上での配信を前提としたボーカロイド楽曲や,オタク文化共有の側面が 強いライトノベル作品などはまさにユーザー間での二次的享受を前提としたコンテンツの一種 であるといえる. 新たなコンテンツの形や才能が発掘される可能性を生み出したという点では,受信者がメタ 的視点を持ち出すネーム至上主義的動きは有意義なものであるといえるだろう.しかしながら, こうした二次的享受の中に危うさも感じざるを得ない.それは発信者と受信者それぞれの主体 2014 年 2 月現在 3500 万アクセスに達している人気ウェブコミック.村田雄介による作 画でリメイク版が商業作品として連載されている. iii - 278 - 性の喪失である. 発信者の主体性が喪失してしまうと二次的享受に依存する作品で溢れかえり,コンテンツ全 体のレベルが低下していく可能性がある.現に,コンテンツ自体が受信者による二次的享受を前 提にしてしまい,コンテンツとして完成度を放棄してしまっているものも存在する.そういった 作品は,そのコンテンツに精通していたり,二次的に享受しようとしなければ良さが分かりにく く,コンテンツ単体としてみた際に評価し難い.こうした作品が主流になってしまうということ は,漫画で例えるならば,ペン入れを放棄してネーム状態のままの作品が基本になってしまうよ うな状況である.それらがコンテンツ全体を支配してしまうことは,コンテンツ自体が本来持っ ていた要素が欠落した作品だけで溢れかえることになってしまうことでもある. また,多数派の評価に同調してしまう主体性を失った受信者が増えてしまうことも問題であ る.自身の意見や感想をネット上に発信しようとする積極的な二次的享受をする層は,二次的享 受によって自身の主体性をさらに確立できる場合もあるだろう.しかし,他者の意見や感想を確 認するだけに留める消極的な二次的享受をする層(ROM 層iv)は,多数派の意見に必要以上に影 響を受けてしまう恐れがある.読者が,自身がネットの意見における少数派であることに気付い てしまった時,孤独からの解放つまりは感想の共有を優先してしまい,自身の意見を曲げて多数 派に回ろうとしてしまうなどの事例である.これは,コンテンツ本来の楽しみ方を二次的享受に よって見失ってしまっており,楽しむ手段の一つである二次的享受が目的と化してしまってい るといえるだろう. おわりに 近年,電子書籍の台頭や商業ウェブコミックの誕生などから,ネット社会におけて漫画という コンテンツ全体が過渡期にあることを感じる.本稿は,漫画家や出版社だけに留まらず,読者自 身が新たな享受形態と視点を得ていると考え,こうした変化から素晴らしい漫画作品が誕生す ることへの期待も込めて,アマチュアウェブコミックを例に読者の変化を論じた. 自身を取り巻くコンテンツへの他人の感想や批評が気になる人間は決して少なくないだろう. 筆者自身,読み終えた漫画に対するネット上での評判などを確認するという経験は多々ある. 「面白い」と思った作品の評判を確認したら,反対の意見が多数であったために,「言われてみ れば,確かに面白くなかったかもしれない」と疑問が湧いてしまうことがあった.こうした経験 からも,二次的享受の可能性を論じつつも,3-2.において主体性を変質させてしまう危険性を示 したのである.ネーム至上主義的な共有ネットワークの中であっても,発信者も受信者も自身の 主体性とコンテンツ自体との関係を決して見失ってはならない. 文献 コミックマーケット年表(http://www.comiket.co.jp/archives/Chronology.html) Read Only Member の略称.ネット上のコミュニティにおいて,自身は書き込みをせ ず,他のユーザーの書き込みを読むだけのユーザーを指す. iv - 279 - 夏目房之介,2004, 『マンガ学への挑戦 進化する批評地図』 呉智英,1986, 『現代マンガの全体像』 - 280 - 《執筆者一覧》 阿部 石原 伊藤 小玉 笹川 柴田 庄子 堀込 裕美 和樹 拓哉 悠太 諒平 圭祐 倫弘 翔平 坂庭 坂本 高橋 中村 中村 蜂巣 平澤 松本 萌 敦史 世羅 可奈 尚道 直之 亜弥 理奈 要藤 吉羽 貴幸 侑稀 森谷 柳澤 山本 湯浅 渡部 奈央子 祐也 凌平 諒祐 翔太 友岡 邦之 調査報告書 地域文化政策研究 第 9 号 発行日 発行・編集者 発行所 2014 年 3 月 25 日 友岡 邦之 高崎経済大学地域政策学部友岡研究室 〒370-0801 群馬県高崎市上並榎町 1300 TEL 027-344-7595(直通) TEL 027-343-5417(代表) FAX 027-343-4840 http://www1.tcue.ac.jp/home1/ktomooka/ E-mail: [email protected] 非売品 無断転載・転用・電子媒体への入力を禁じます. C TOMOOKA seminar ○ 1000 席以上,ステージ面積が 150 ㎡以上のホール. 50 万人以上の都市のこと. iii浜松市が保有する文化施設の管理・運営,市からの受託による文化事業の実施,およびこれらに 付随する事業を業とする公益財団法人. i客席数 ii政令で指定する法定人口 iv京都市が保有する文化施設の管理・運営,市からの受託による文化事業の実施,およびこれらに 付随する事業を業とする公益財団法人. v 1956 年に結成された京都市の自治体直営の交響楽団. vi 1968 年に京都文化観光局の文化課が中心となって結成された管弦楽団. vii 土曜コンサートは 1995 年まで続けられた. viii 1927 年に京都市円山公園に開堂.収容客数約 3000 人. ix JR 浜松駅前サンクスガーデンステージで行われた. x 19 世紀のドイツでカール・オルフによって作曲された世俗カンタータ. xi 現在も浜松市内で続けられており,市内の「音楽工房」や「フォルテガーデン」で開催され ている. xii 本論文では都市の持つ固有の特色,風土のこと. xiii 楽器,半導体,自動車部品などを手掛ける日本のメーカー. xiv 日本の楽器メーカー.ピアノのシェアは世界第 2 位. xv 社会的,経済的な関連が地域や国家といった境界を越えてより大きな変化をもたらす現象.
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