エディット・シュタインの「教育」と 「女性」の理念

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エディット・シュタインの「教育」と
「女性」の理念について
関 口 なほ子
序
エディット・シュタイン(Edith Stein, 1891-1942)は,ドイツ第二帝政期,南ドイツ・ブ
レスラウ(Breslau)で生を受け,51 年後アウシュヴィッツ強制収容所のガス室で殺害された
ユダヤ人女性,正確には,カトリックに改宗したユダヤ人女性である。シュタインの経歴は
多岐にわたり,おもに哲学,教育,宗教の分野で多くの学術的業績を残している。シュタイ
ンが大学生として,学問の情熱に献身した時期には,また,その後 20 世紀の偉大なる哲学
者の一人として知られるエドムント・フッサール(Edmund Husserl, 1859 -1938)の助手を務
め,彼の著作編纂に並々ならぬ労力を費やしていた時期(1916 -18)には,第一次世界大戦
とドイツ第二帝政崩壊という歴史的な事件が重なっている。
それまで学んでいた心理学の限界を乗り越える,新しい認識の可能性をフッサール現象学
に見いだし 1),その衝撃的な出会いから,哲学の道へ転向したシュタインは,混迷する不安
定な社会情勢のなかで,また,男性により多くの可能性が開かれていた学問の世界で,旧弊
を脱しきれない価値観に翻弄され,苦悩しながら,自分の内なる声(本性)にしたがって,
現象学とは異なる新しい認識方法を追求していく。その軌跡はやがて,社会との関わりのな
かで自立した生き方を求める女性の,女性であるがゆえの
藤から生まれた問題意識の発展
段階に応じて,哲学の領域だけでなく,教育,宗教の分野にも波及し,それぞれの分野の相
互的,有機的な連関を求めるように交差しながら,シュタイン独自の方法で描かれていく。
これらの三つの領域にわたる,シュタインの膨大な研究成果を構成する主要な問題設定を
明らかにし,それらを彼女の思考過程のなかで捉え直し,連関づけることが論者の関心であ
るが,本稿ではこのような要求の端緒として,これらの分野のいずれにも関わる「女性性」
の問題を教育という観点から取り上げ,シュタインの女性観の特徴を考察し,ドイツ女子教
育の歴史的経緯のなかで,シュタインの求める「女性」と「教育」の関係性を明らかにする。
1 シュタインの教育に対する関心は,彼女が,哲学の入門教育,歴史,ドイツ語の教員資格
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を得たのち(1915 年),フッサールの助手時代(1916 -18)−それは,将来大学教授の資格を
得るために,彼女が研究を続けていた時期にあたる−を経て,1919 年その資格申請が拒否さ
れたため,シュパイアー(Speyer)の女子リツェウム(Mädchenlyzeum)や女性教員ゼミナー
ル(ドミニコ会修道女の教員養成ゼミナール)で,教師として働きはじめてから深められて
いる(1922-32)
。時を同じくして,シュタインは信仰告白を通じてカトリックへの帰依を
果たし(1922 年 1 月 1 日改宗),教員生活の傍ら,トマス・アクィナス(Thomas Aquinas,
1225 -74)の翻訳研究に従事する。そのため,カトリック教義あるいはカトリック的な思想が,
シュタインの教育観にある程度の影響を及ぼしているであろうことは想像に難くない。
シュタインがカトリックの教えに対して近親性を抱く契機は,彼女の幼年時代にすでに見
られる。シュタインは材木業を営むユダヤ人家庭に育ち,父親の死後,自身の神への揺るぎ
ない帰依と同時に他の宗教に対して寛容な母親によって,ユダヤ的な生活習慣のなかで育て
られるが,13歳のある時期から無神論を表明し,それは21歳まで続いている。少女時代のシュ
タインは利発で,自意識と自立心がことさら強く,11 番目の子供ということもあり,母親や
年長の姉から深い愛情を受けていたが,それにもかかわらず,その内面に周囲の者からは察
することのできない,孤独な「隠された世界」をもっていたと言われている 2)。これらの伝
記的記述からは,将来自身が求める真の神との出会いを可能にする心霊性や感受性を,彼女
が生来備えていた,あるいは,彼女の成長過程のなかで,しだいにそのような感覚を胚胎し,
不可視なものを受容する内的空間が形成されていったと推察される。だが,それ以上に,思
春期の少女エディットを無神論へと向かわせ,やがて成人した彼女を異教へと結びつけた精
神的背景を考えるとき,彼女が幼少の頃から抱き続けたという未来への夢想や心身の危機的
状態 3),内面と外界との均衡をめぐる
藤が,いかに彼女の心の空洞を満たしていたかを考
慮せずにはいられない。それらは,彼女にとってあまりに狭隘に感じられていた市民社会の
さまざまな束縛から,自己を解き放ち,自分が「なにか偉大なるもの」へ召命されているか
のような感覚を,すでにシュタインに与えていた 4)。
また,子供時代の近親者の死の体験は,彼女にユダヤ教の戒律の厳格さとそれに由来する
死生観,
「此岸的な生の救済」に重点を置く信仰への疑いを抱かせている。それゆえ,
「永遠
の生」,すなわち,個人の魂の不死性を約束するカトリックの教えに,この世に投げ入れら
れた人間の生の有限性への不安を解きほぐす神の慈愛を,いわば本能的に感じ取り,シュタ
インは,そこに内的
藤からの解放を求めたのかもしれない。事実,少女時代のシュタイン
の死生観をめぐる心的苦悩は,この当時,すでにキリスト教の精神性によって心の平安へと
吸収されている。
エディット・シュタインの改宗は,彼女の活動範囲を,哲学の分野だけでなく,教育の実
践現場へ,また宗教哲学的な研究対象へ彼女を導くことになるが,すでに冒頭で触れたよう
に,このような異なる領域での活動へ関心が拡大していく要因に,次のような彼女の現実体
験が指摘できる。それは,キリスト教を信奉するフッサール門下生との交流から得た宗教世
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界への視野の拡大,第一次世界大戦時,積極的に参加した赤十字野戦病院での支援奉仕活動
(1915 年)
,そのとき直面した無数の無名の死,そして,結ばれることのないローマン・イ
ンガルデン(Roman Ingarden,1893-1970)5)とハンス・リップス(Hans Lipps, 1891-1941)
(東
部戦線にて戦死)への愛の挫折である。
愛の挫折と並び,とりわけシュタインの心に多くの陰影を残した出来事として,フライブ
6)
ルクの助手時代の教授フッサールとの確執が挙げられる。助手就任当初(1916年10月 1 日)
シュタインが抱いていた,偉大なる哲学者によって共同研究者として選ばれたという誇り
が,彼女の一方的な思い込みであること,それにもかかわらず,無秩序で膨大なフッサール
の哲学的思考の断片を秩序づけ,有機的に再構成し,体系化する能力と忍耐を要求する専門
的な仕事を一手に引き受け,こなしていくシュタインに対する敬意のなさに,彼女は一人の
人間の,あるいは男性の傲慢さに気づかされるにつれて,「だれかの意のままになる」とい
う生き方に耐え難い苦痛を覚え,異議を申し立てている 7)。
「私はある要件のために尽くすことや,一人の人間のためにさまざまな助力をするこ
とはできますが,ある人に仕えること,簡単に言えば,従属することはできません。
」8)
元来,他人のために尽くす性向を備え,つねに献身的にフッサールの研究活動への助力を
惜しまなかったシュタインの希望は,互いの敬意の上に成り立つ対等な関係性である。社会
的序列のなかに位置づけられねばならない人間同士の関係のなかにさえ,許容されねばなら
ないものは精神の自由である。
「例外的に」一部の女性 9)を除いて,まだ開かれていなかった学術的領域でのキャリアの
道は,1919 年 8 月 11 日に制定されたワイマール憲法によって,本来該当するすべての女性
の権利であらねばならないにもかかわらず,同年非公式に無視されたシュタインの大学教授
資格申請 10)は,男性社会の恣意的な,不当な圧力と女性の自立の不可能性を彼女に痛感さ
せることになる。尊敬する指導者によって,大学教授資格申請が阻止された 11)という見方は,
「性」を理由にした留保条件付きの,熱意を欠いた,当たり障りのないフッサールの推薦状
(1919 年 2 月 16 日付)12)からも容易に看取できる。
さらに 1921 年の夏に,シュタインが書物(自伝)を介して偶然知ったカトリック・カルメ
ル会の女性神秘家アヴィラの聖テレサ(Teresa de Ávila, 1515-82)は,社会の不正と人間へ
の不信によって,心身の危機的状態に陥っていたシュタインを,大きな力で信仰の道へ牽引
することになる。アヴィラの聖テレサは,伝統的カルメル会から離反し(1593 年最終的に分
離)
,古い規則を改革して,新しいカルメルのカルメル会(テレジア的カルメル)を創設した
女性である。その目的は,12 世紀にカルメルの最初の修道士たちが行っていた「純粋な観想
的生活」へ回帰し,なおざりにされてきた「隠修士的生活と共同体的生活との,使徒的課題
と観想的隠遁との創造的」均衡を求めることであると言われている 13)。
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シュタインの関心は,宗教上の対立を強いられた過去の苦難の時代に,一人の女性が自由
意志に基づいて,自分の信仰を糧として神への祈り 14)に立ち返り,そのなかで成し遂げた
宗教的な成熟の過程にあるのではないかと思われる。それは,個人的な人格上の発展だけを
目指す独善的な行為でも,また観想的な生活にのみ没頭し,外界との関わりを遮断すること
でもなく,同じ志をもつ者たちとの共同体(的な生活形態)を形成し,内面に蓄えた信仰の
力を外界へ働きかける力に変えていくような,内界と外界への相互的・補完的作用を可能に
する宗教的な実践である。テレサの実例は,後に観想的生活に入る(1933年10月14日ケルン・
カルメル修道会入会)決意をすることになるシュタイン自身の人生の選択における具体的な
指標になっている。
テレサに関する哲学的研究において,J.A. マルコス(J.A.Marcos)は祈りによる神との神秘
的体験のもつ意味をこのように説明する。
「
(テレサの)神秘的な経験は,救済,統合,解放の長い過程の暗喩である。過去の魂
の傷から人格を救済すること,自己の中心で生きることを妨げている,かつてのさまざ
まな力の分裂から人格を統合すること,我々を不自由にさせた依存や束縛から解放する
15)
ことである。
」
テレサにおいては,
「内的な祈りと考察」
(das innere Beten und die Betrachtung, 84)のな
かで,神との合一の体験によって,肉体と魂を調和させ,二元論を克服することが求められ
ているように,心身の危機的状態に陥っていたシュタインもまた,神に向かうことで分裂し
た自身の魂(人格)の調和を求めたのではないかと推定される。
改宗後の教員時代に着手した聖トマス・アクィナスの『真理について』
(De Veritate,
1256 -1259)の翻訳と研究(1922-32)は,フッサールとトマス哲学の比較研究として結実し,
シュタインの教育実践上,不可欠な人間理解をめぐる宗教的・哲学的思索へと深められてい
る(1929 年)。
フッサールは自我(主観)を認識の中心に据えているが,それに対して,トマスは神を絶
対的真理として据えている。超越論的自我の本質直観によって,客体の認識が得られるとし
たフッサールの認識方法(判断停止による現象学的還元)は,スコラ学的方法のように,経
験によって得られたものを比較,分析,複合,抽出,判断して,なんらかの明証性を導き出
す論理的な推論方法とは対蹠的である。人間は知的推論の過程で,誤謬を犯す可能性もあり
うるので,その認識能力には限界があるとするトマスの見解は,シュタインのそれと一致す
る。現象学的還元の後に,得られるとするすべての本質的な真理の明証性はどこに求められ
るのか,現象学的判断停止の後に残されるものは何か―それは,ほかならぬ意識の主体と意
識が志向する客体としての対象自体であると考えられるが―このような現象学に対する一般
的な疑問に対して,現象学は「これらの本質的真理を存在論的なものとして」問うのではな
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く,つまり主体と客体の相関的な関係性や人間の現実存在を問うのではなく,本質の記述を
意識の対象的側面(ノエシス的なもの)だけに限定していると,シュタインは述べている 16)。
「我々のような,心的な構造を有している存在は,いかなる仕方で,神の認識に,あ
るいは自分自身の認識に,あるいは他の被造物の認識に至ることができるのか」
,「全て
の問いは存在論へと還元されている。
」17)
確かに,フッサールの「超越論的現象学」もまた,意識に対して世界がどのように樹立さ
れるのかを問題視しているので,
「一般存在論」という位置づけがシュタインによってなさ
れているが,自我(主観)のみを認識の中心に据える以上,世界は主観に対する世界にとど
まり,客観性の獲得には至らないと,シュタインは批判的に述べている 18)。
認識の獲得をめぐり,主体と客体の一致を求めるこの問題に対して,トマス同様,神に絶
対的価値を置き,人間を魂と肉体の統一的存在と見なすシュタインの見解は,まず「意志」
(我意)を断念し,「我々の魂全体を神意に委ね」
,自己譲渡(自己の明け渡し)という意味で
の魂の「無化」
(Still- und Leerwerden)を行い,そこに神の「恩寵」という超自然的な作用を
介在させる 19)。このような形で行われる主体の客体化,すなわち,魂の無化と関わる行為が,
シュタインの考える認識方法の基軸である。シュタインはここに,いわゆる判断停止による
本質直観を認識の根拠とする現象学の矛盾を解く論拠を見いだしていると考えられる。この
点に関しては,後にまたシュタインの「魂」や「人格」の概念について考察する際に取り上げ
る。
さらに,シュタインは,現象学的存在論の中心概念を構成する時間と「現存在」の関わ
りについて,宗教的な領野をその哲学的論考から排除するハイデガー(Martin Heidegger,
1889-1976)の方法に疑問を発している。ハイデガーのように,「現存在」を論じる上で「永
遠性」の問題をあえて度外視する場合,
「世界内存在」
,すなわち,時間性のなかに,投げ込
まれた存在として規定されている「現存在」の由来や存在の根拠は,どこに求められるのか,
「投げられた者」を「投げる一者」との関わりにおいて,被投性への問いを捉え直すことが,
人間存在を理解する上で必要不可欠であると,シュタインは理解する 20)。人間存在を,時間
性のなかにこのように位置づけるシュタインの存在論的関心は,被造物としての人間にとっ
てもちうる神的存在の意味の検証なのである。
以上の考察から,シュタインが問題にしたことは,人為(他者の意志)によって制限され
た社会的活動領域のなかで,人間の精神的な自由を尊重する限りにおいて,支配することが
許されない人間の人格と存在の意味であると考えられる。シュタインは宗教哲学的な視点か
ら,また教育者としての視点から,この問題を掘り下げていくことになるが,教育,哲学,
宗教,それぞれの分野にわたる活動と思索をとおして得た,シュタインの人間理解の独自性
は,神的存在を絶対的な価値基準として措定する一方で,そこから人間を異なる人格をもつ,
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生成途上の個体性として捉えるという点にある。この点を踏まえて,シュタインの女性理解
について考察することにする。
2
1928 年以降,教員生活の傍ら,シュタインは当時の女性としては珍しく,ドイツ,オー
ストリア,スイスにおいて,カトリック女性団体や機関等から多くの依頼を受けて,女性論
に関するいくつもの講演や執筆,ラジオでの発言を行っている。その際,女性問題,とくに
近年の女性解放運動や女子教育改革の動向を受けて,職業,教育,女性性に関する項目が,
テーマに選ばれている(
「女性の職業倫理」,
「女子教育の諸原則」
(その方法とあり方)や「諸
問題」,「女性の特性」や「使命」
(女性性),「カトリックの女性の生」など)
。教育のあり方や
方法に関して,シュタインは,エレン・ケイ(Ellen Key, 1849 -1926)やマリア・モンテッソー
リ(Maria Montessori, 1870-1952)の改革教育学に見られるように,児童教育も重視し,子
供から成人して就業するまでの長い過程で,成長段階に応じて検討されるべき課題と見なし
ている 21)。ここではおもに,女子学校教育や女性教育について取り上げるが,シュタインの
教育理念の基本的な骨子は,被教育者によって左右されることはない。
シュタインの女性観を考察する際に,その前提として,この章では既存の伝統的な女性観
や女子教育の歴史的経緯を見ることにする。1872 年,ワイマールで「高等女子学校指導者・
教員の第一回総会」
(164 名参加,その内,女性教員は 54 名)が開催されているが,そこでの
眼目は,
「成長過程にある高等女子学校生徒に,彼女たちにふさわしい,一般的な精神教育
を施すために(これはギムナジウムや実科学校の男子生徒にもあてはまるが)」,
「男子校の
模倣ではない,女性の本性と使命を顧慮した教育機関」を創設することに置かれている 22)。
第二帝政時代以前のドイツ女子教育の状況とは異なり,ここでは「精神教育」に着目し,女
性の本性を発展させるために適した教育機関の創設が要請され,1873 年 8 月に開催されたプ
ロイセン授業担当省(Unterrichtsministerium)会議における高等女子学校の構造と組織につ
いての具体的な提言へと結びついている 23)。
17 世紀から 18 世紀末におけるドイツでは,上流階級の子女を対象にしたフランス社交界
の模倣の時代を経て,やがて市民階級にまで教育の門戸を開いた付属の実科学校(18 世紀)
や高等女子学校の創設 (18 世紀末 ) へと教育施設は拡大されたが,この間の教育内容は,宗
教教育や家政管理能力向上に重点が置かれ,それ以外の教養(語学,芸能,手芸など)は,
あくまでも淑女のたしなみの一助として補足されるにすぎず(17 世紀)
,知的関心を高める
教育内容は,よき結婚の条件でもある「有能な主婦,品位ある妻,模範的な母親」を育成す
るという教育観(18 世紀)に抵触しない範囲内に限られていた 24)。だが,最下層の女子に対
しては,19 世紀末頃まで,
「本来的な意味での教育の機会は話題にされず」
,彼らの教育は,
「読み書きと計算」に限定されており,いずれの時代も,「教育の目標」が「子女の関心や能
力の促進」に向けられていたのではなく,ましてや子女の「人格」とは無関係に,女性が「家
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族のための存在」,ひいては「未来の夫」のための存在として見なされていたのである 25)。
このような事情から,既存の女性像が社会構造や時代の要請によって,男性の視点から作
られた理想のプロトタイプであると理解される。
「肝要なことは,ドイツの男性が,その妻の精神的な視野の狭さと心情の狭さによっ
て,家庭の炉辺で退屈にさせられたり,より高級な関心事に没頭する際に,その活動力
を奪われることのないように,一般的な事柄や関心事において,女性 ( 妻 ) に男性 ( 夫 )
の精神教養と同等な教養を身につけさせることである。しかも,妻が夫の関心を理解し,
温かい気持ちで,夫の傍らに寄り添うことである。
」26)
ワイマールにおける高等女子学校の未来を模索するための提言は,中央政府に出された上
記の請願書(Weimarer Denkschrift)に集約された真意を度外視する限りにおいては,つまり,
女性教育における男女同権を前提とし,
「理解」と「共感」という,女性の特質としての愛他
心への着目や女性の精神性を育成するさまざまな可能性を期待するという意味では,なるほ
どシュタインの教育理念に通じるものである。だが,ワイマール請願書においても,家に帰
属する「女」という生物学的な性の持ち主をいかに啓蒙し,その属性を共通の価値観へ当て
はめるかが問題であり,夫である「男」を精神的上位者として,男性に追従する模範的な女
性を作るというこの人間関係の構図は,
「夫と妻との間にある支配・服従関係」27)をむしろ浮
き彫りにする結果になっている。
性差を問題にする限り,異性の視点を媒介することは不可避であり,また不可欠であると
思われるが,その際要求されるべきは,中立的で公平な視点である。その場合,高等女子学
校教育における男女同権の理想は,女性の本性をその本来的な目的に即した形で,あるいは
幼児教育家であるヘンリエッテ・シュラーダー - ブライマン (Henriette Schrader-Breymann,
1827-1899) の要請 28)のように,女性性という性の特質である「精神的母性」を,男性には代
替不可能なものとして,家庭の内外にかかわらず,社会貢献という拡大された領域で,最大
限に発展させることにあるのでなければ,特定の人間にとって都合のいい教育目的への退行
に等しいことになりかねない。1848 年の 3 月革命以降開始された市民女性運動の牽引者であ
るヘレーネ・ランゲ(Helene Lange, 1848 -1930)もまた,ワイマール請願書を受けて,1887
年に「黄色いパンフレット」
(Gelbe Broschüre)を通じて,男性との性差に基づき,「精神的
母性」の公的領域への拡大によって,
「男性によって刻印された文化と教育」の脱却を図るた
めに,プロイセン政府による女子学校の規格化に異議を唱え,女子教育の改善や女性教員の
雇用を訴えている 29)。
性差を顧慮することなく男女「同権」を優先させるのか,それとも男女間の相違,あるいは,
「男女の非対称性」30)に依拠した教育の立場をとるのか,二律背反的な価値のいずれをより重
視した教育理念を打ち出すのかという問いに対する答えは,容易には見いだされえない。
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1890 年代の女性運動では,教育機会均等の促進によって,性差に着目する教育の方向性
は後退したという指摘 31)や男女間の自然な性差を維持するために,女性の家庭内における
地位を認めたうえで 32),教育内容を制限し,女性の大学進学や職業選択の自由を阻止する意
向(1902 年,文部大臣シュトットによる)も出されている 33)。
「高等女子学校制度の新体制
に関する規定」公布(1908 年)を受けて,1911 年にようやく女子教育機関の整備と充実が図
られ,大学進学に至るまでの道筋がつけられることになる。
その後の女子教育内容の典型的なイメージ(1929 年)は,リツェウムの責任者であるアル
ノルト・クノーケ(Arnold Knoke)の指摘のように,母性の涵養を第一の教育課題として,
母性の社会化によって,知性と感性の両面で期待される女性の精神的自立を,最終的な目標
に据えるというものである。
「母(母性・主婦・母親)としての教育課題のために,女性を我々の時代の精神的な仕
事のなかへ,また公的生活の特異な関係のなかへ,美的感性の発展のなかへ導入するた
めに,なんらかの自立した職業を得るという目標を設定した特別な準備のために,女性
性の教育を要求する。
」34)
この発言と関連して,母性の社会化に対する反応を挙げてみると 35),就業による母性の
社会化構想に対する男性の反応は,特に市民階級では社会的認知を得たといわれている。他
方,女性解放運動反対派は,女性解放の要求を実現することによって,女性本来の特質と努
め,すなわち妻として夫に仕え,母として子を養うという本来の役割が危険にさらされると
いう理由から,男性の領域に女性が参入することを否定している。またカトリックの女性運
動に対する批判的な見方もある 36)。それは,
「女性性」という性の特性と「倫理性」には,
「社
会的解放を要求する権利」を「カトリック的な秩序の観念」と結合させる「修辞的・戦略的な
地平」が含まれているため,カトリック教徒は宗教を介して,社会的認知がもたらす利権(社
会的・政治的活動領域の拡大や諸権利の獲得)を得ることになるという見方である。いずれ
にしても,女性教育の展望を期待させるクノーケの発言を,数年後の政治状況と重ね合わせ
ると,イデオロギーしだいで,母性の社会化は「母性の組織化」37)に変質する可能性もあり,
「ドイツ民族の担い手」として,次世代を生み育てることが女性の美徳であり,社会的責務
であるという極論へ向かう危険を孕んでいる。
3
女性性をめぐる評価は,1920 年代頃まで支配的であった「女性は家に帰属する」という考
えや,
「弱く美しい性」という理想的な女性像の投影から導き出されたロマン主義的な観念
に,あるいは逆に,楽園追放の原因を作った「愚かな」
「汚れた性」という根強い宗教的解釈
などに表れている 38)。ワイマール時代の女性の「性」への評価には,働く自立した女性のシ
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ンボルとしての「新しい女」像も加えられるが,その背後には依然として,抽象的思考や判
断力,創造的・生産的能力を欠く劣性としての評価がある。このような過小評価に対して,
ワイマール時代のような,憲法(ワイマール憲法は 1919 年 8 月 11 日認証)で男女同権と母
性の権限が,その内実は別として明文化された 39)時代の女性運動では,性差のなかに固有
性の根拠を置き,異他性(他者性)としての女性性がクローズアップされることになった。
だがこれは,結局,男性と女性の生物学的な差異,つまり女性に特徴的な身体的機能から抽
出された母としての特性が,女性の固有性として置き換えられただけにすぎないともいえ
る。
このような社会の固定的な思考のメカニズムが招来する論理の矛盾のなかで,女性性をめ
ぐる議論と向かうべき方向性は,依然として変わらない。急進派のフェミニスト運動家ヘト
ヴィヒ・ドーム(Hedwig Dohm, 1833-1919)は,このメカニズム自体を問題にしている 40)。
伝統的な思考の枠組みが変更不可能であるとすれば,そしてそのなかで,女性の性差に対す
るこのような認知,あるいは自己理解のもとに,家庭と社会における「母性」の役割のみが
要求され続けるとすれば,同権という権利が認められたとき,どのような形で女性は普遍的
な母性の要求から自己を解放し,社会的な権利を行使していくのかという問題に直面するは
ずである。
シュタインは創世記の記述(I 26/29)に基づき,男性と女性の位置価値は,神の前では同
等であると見なしている。そのため,楽園追放によって負わされた女性のさまざまなイメー
ジ,あるいは性差における女性の劣性評価に対して,つまり男性を女性の模範に据え,女性
を欠落した性とする見方には異論を唱え,そこから派生する既存の女性像を,男性優位な社
会によって恣意的に作り上げられたものとしている 41)。 確かに,シュタインは懐胎という
身体上の特有なメカニズムを理由に,女性の方が男性よりも肉体との結びつきが平均的に強
いと考え 42),そこから「母性」の社会的役割が女性に付加されることを肯定的に捉えている
が,彼女の関心は,生物学的な種というカテゴリーにのみしたがって性差を扱い,そこから
社会的な機能や役割を一面的に導き出すことではない。
女性解放運動に対しては,シュタインは,女性の職業上の教育や活動を阻む軛を取り除
き,男性に認められている教育や職業を開放することが,女性解放運動の要求にあると理解
を示し 43),公的な領域における女性の就業の可能性と職業選択の自由(個人の自由意志)を
積極的に主張している。だが,彼女自身は,女性解放運動からは距離を置き,
「自分のため」
の労働対価と自由な時間を得ることで,精神の自由を得られるとする社会的な権利要求に,
別の価値観を対置する 44)。シュタインによると,「男性も女性も個人性を有した生き物 であ
り,その個人性(Individualität)は教育という仕事(Bildungsarbeit)において顧慮」されなけ
ればならず,
「男性,女性ともに人間 として共通の教育目標(Bildungsziel)が与えられてい
る」45)。つまり,男性性と女性性,生物学的にも,社会学的な意味でも,その双方の相違と
価値をその個人性において公正に認めたうえで,シュタインは,男女の性質や影響力の違い
50
エディット・シュタインの「教育」と「女性」の理念について
を,女性の独自性を導き出す手掛かりにするのである。
「人間の魂は,それぞれ神によって創られ,その一つ一つは,他者から区別される特
別の刻印をもっている。この魂の個性は,その人間性と女性性とともに,魂の教育過程
を通じて展開されねばならない。
」46)
従来の女子教育論争において話題にされていたように,
「身体的母性」と「精神的母性」の
どちらか一方に与することなく,
「人間の精神性」自体を「魂」や「人格」と密接に関わるも
のと見なし,男性性にはない女性の「本性」としての「性」
(そこには母性も統合されている)
と「個人」の「性」
(
「魂」や「人格」という表現においても置換可能な個人性)をともに,女性
一人一人の発展段階ごとに,最大限開花させることが問題視されている。つまり,教育の任
務は,「魂」のさまざまな営みを通じて,
「魂」が変容を遂げる可能性を追求することなので
ある。
そのあとに続く段階として,就業の意志をもつ女性には,男性と同じ領域で個人の意志の
力と責任能力を前提に,「女性の特性」を社会化する機会が必要であり,そのための環境整
備をシュタインは求めている。女性は男性とは異質の性質をもちながら,能力の点では男性
と同等であると考えられているので,
「女性の特性」を社会化するための前提として解放さ
47)
れるべきは,「女性がもつ個人の(persönlich)さまざまな能力と力」
ということになる。
「教育(Bildung)は外的な知識を所有することではなく,人間の人格が多様な諸力の
影響を取り入れてできる具体的な形態(Gestalt)
,または,この形成の過程である。
(・・・)
その最初の基本的な形成は,内側から生じる。植物の種子のなかに,<内的形式>(eine
,,innere Form“)が備わっているように,人間の内部にも同様の,目には見えない力が
48)
内在している。」
「人格」の形成という教育目標を見据えて,シュタインは女性性の意味を,宗教哲学的な
視点で,存在論的に捉え直そうと試みている。その際,家庭,社会,宗教,それぞれの領域
における女性の担うべき役割が,同じ時間と空間を共有する他者との「精神的な諸力の関係」
のなかで問題にされていく。それは,男性と女性の「肉体上の異なる構成,個々の生理学上
の諸機能」の違いだけでなく,
「肉体的な生の総体」すなわち「魂と肉体の関係」,「魂の内部
での,精神と感覚の関係」において 49),人間を把握するということなのである。前掲引用の
「目には見えない力」は,<内的な形式>の言い換えである。その力によって,植物の種子が,
品種ごとに成長の形態と過程を変えるように,人間も特定の方向や目標に向かって,盲目的
に努力するなかで,特定の<形態>を目指していくというのである 50)。
人間には,本性にしたがって自己を形成する力がある。その力は,おそらく,自分を取り
エディット・シュタインの「教育」と「女性」の理念について
51
巻く外界(の事物・事象)に影響を与え,それを時に変容する力となる。このような相互作
用をもたらし,形態化する不可視な潜在力が想定されている。シュタインは,この人間に内
在する力を基に,人間の認識能力について考察する。人間は身体をとおして世界を知覚する
が,身体を媒介するだけでは,知覚された事物や事象を統覚し,そこから認識を導き出すこ
とはできない。感覚(感性)と思考(悟性)
,肉体と魂がなんらかの形で統合されることで,
「私」は「経験する主体」として,知覚経験から得た諸感覚を,悟性の必要な作用を経て,比
較や区別,分類や総合,そして判断するというさまざまな精神的な力へ高めていくことがで
きるのである。その時々の成長段階や人格に適応した教育過程のなかで,
「魂」は「その正し
いあり方」51)において,つまり「個人的特性と性質」52)を損なうことなく,構成されることが
求められている。
「教育とは,他の人間を,彼らがそうあるように定められているものになるように導
くことである。それは,その人間が何ものか,どんな人間か,どこへ導かれているのか,
どれが可能な方法かを知らずにはできないことだ。かくして,我々の信仰が,人間につ
いて述べていることは,実践的な教育課題のための不可欠な理論的基礎である。我々の
信仰が,見定めているものへ人間を導くことを,我々が教育の目標と見なすならば。
」53)
「人間の内部の不可視な力」には,人間に理性的本性にしたがった自然認識を与える力だ
けでなく,自然を超え出るかのような知の領域へ,人間を導く力が認められている。この認
識は,人間の認識能力の限界に対する,シュタインの深い洞察に由来するものである。人間
は自分自身を知ることも,ましてや「内的形式」と言われた「魂」の本質について,現象学的
方法が要求したように,普遍妥当な記述もできないとすれば(シュタインの場合は,ここに
個別的記述という表現も加えたい)
,人間が(神によって)定められている本来的な存在(形
姿)へと,自己や他者を導くことは誰にできるのか,という真摯な問いがここにはある。シュ
タインにとって,事象そのものへ向かう現象学的認識方法(本質直観・観照)の限界を意味
するこの問いの彼方に,唯一の答えとして,彼女が見いだしたものは,すでに述べたように,
絶対的基準としての神である。人間に,存在と超越の臨界に触れる可能性があると仮定する
ならば,それは,神への信仰(神の恩寵という超自然的な現象)をおいてほかにはないとい
う確信が,シュタインを貫いているのである。
「人間は,神をとおしてのみある。そして,神をとおして,本来あるところのものとな
る。
」54)
ここまで見てくると,シュタインの人間観や教育観の根底には,所々にトマス・アクィナ
スの宗教哲学が看て取れる。トマスは,人間の人格を「自存する関係」として,つまり,自
52
エディット・シュタインの「教育」と「女性」の理念について
らにおいて存在する「自存性」と他者との関わりにおいて存在する「関係性」という二つの側
面から特徴づけている 55)。すでにシュタインの「魂」に関する見解において指摘したように,
人間の人格もまた,他者との関わりのなかで,なんらかの変容を遂げることが期待されてい
る。これは,トマスにおいても,シュタインにおいても,自分以外の人間との関わりにおい
てだけでなく,究極的には「経験する主体」である「私」が,
「神へ向かう動き」,すなわち,
善き行いの実践において,追求されるべき変容である。
隣人である他者と,被造物である人間にとって,終局的な目標である神と自己との関係
性において,善行がなされうるのは,端的に言えば「愛」の実践においてである。トマスに
おいては,他者との関わりのなかで,存在自体を「愛する」という徳(
「愛徳」)は,「政治共
同体を構成するすべての人間の,人間としての真の幸福の実現」を追求することを意味する
ので,このような倫理観は,
「一般的正義」,
「社会的徳」,
「共通善愛」とも呼ばれている 56)。
ここで重要なのは,「隣人」
(他者の存在)
,ならびに,創造主である「神」を愛するという徳
の実践をとおして,「神の恩寵を受けるにふさわしい状態」へと,自己存在を高めていく「努
力」が,人間を善き存在(理想的な人格)へ導くと考えられていることである 57)。
シュタインの諸見解からも分かるように,創造主から,その似姿として創造されている人
間には,本来あるべき理想的な人格の完成へと,自己を変容する力が備わっている。これは,
トマスの人格論とともに,神との関係性に置き換えて言えば,人間は神を受容する能力 58)と,
そこからさらに自己を創造し,あるいは自己を超越する力をも有しているということにな
る。人間が「本来あるところのもの」
,すなわち,人格的な完成へと近づくためには,神の
似姿としての「自己へと立ち返り」,存在の根源である神へと向かう努力のなかで,超自然
的な知(恩寵による神の知)に触れ,人間の理性による知の限界を乗り越える可能性へと自
己を開いていくこと,そして信仰によって「神に触れ」
,
「神を観る」可能性を求め続ける「意
志」の決定が必要となる 59)。このようなトマスの宗教哲学の精神は,シュタインの信仰に基
づく人間理解を核とした教育論に,多くの影響を与えていると推定される。
4
「女性のさまざまな能力と力」の解放を目指すということは,例えば,
「教育における男女
の非対称的な構造」のなかで指摘されるような,一般に女性に固有な属性と見なされている
「母性」や「愛」のみを強調して,それを男性(夫)の「権威」や「支配」に代えることでもなく,
さらにそれによって,家族構成員の間の「重層的な服従関係」を形成していく「母親の支配
力」を固持することでもなく,女性独自の本性が,男性性に欠落している部分を補完するこ
とによって,家族や社会あるいは共同体に,精神的に貢献するという意味である。創造時の
人類の父祖とその妻のように,また救済時の神の子とその母のように,男性と女性の間に相
補的な関係を構築し,人間的な連帯を結ぶために,シュタインが重視するものは,女性に特
有の能力として提示された「感情移入」の力(1907 年シュタインの博士論文テーマ)である。
エディット・シュタインの「教育」と「女性」の理念について
53
これは,人間が「意味の諸連関」
(Sinnzusammenhänge)や「さまざまな価値」,「人格を構成
する相関的な層」,つまり人間の内面を形成する深い次元を理解し,「未知なる人格」の核に
突き進むことができる力と推定される 60)。
感情移入において求められているのは,五感による知覚経験をとおして,異質なる他者(異
他性・差異性)を,共感覚において体感することである。それは主体の一方的な,独断的判
断に陥ることなく,客体の身体をとおして表出された現象から,主体の感覚と意識に依存し
つつ,「意識から独立」したものを,心霊的に把握する試みである。シュタインは「世界の現
象は,個人の意識に依存していても,現出の世界は,だれに,どのように現れているにせよ,
同じ世界のままであり,意識から独立している」61)と考えている。つまり,主体の見る世界
と見られた世界は異なり,意識に依存する限り,また,意識から独立する限り,主体の内部
での双方の一致は,厳密には起こりえない,起こるとしても意識化できない,ということで
ある。だが,この試みの意味の一つは,主体である自己(seelisches Ich)を客体化し,可能
な限り,客体化された自己(あるいは他者)の内面に関与することにある。
「未知の個人」
(ein
fremdes Individuum)の知覚に関して,このように述べられている。
「私は,私と同じものとして,未知の個人を理解する(auffassen)ことによって,自
己を客体(ein Objekt)として考察するに至る。<省察的な共感>(reflexive Sympathie)
のなかで,感情移入しながら,そのなかで,私という個体(mein Individuum)が,他者
に対して構成される行為を把握(理解)しながら。私という個体の<立脚点>(引用者
補足:いわば客体化された立脚点)から,自分の身体的表現をとおして,私のまなざし
が向かう先は,あの<より高い魂の内なる生>(höhere(s) Seelenleben)と魂のさまざ
まな特性である。その[身体的表現の]
(leiblicher Ausdruck)なかで,それらは告知され,
魂の片鱗が密かに明かされる。そうして,私が獲得するのは,他者が私から得る<像>
(Bild)であり,より正確に言えば,他者に対して,そのなかで私(自己)をさらしだす
ことになる諸現象(Erscheinungen)である。
」62)
シュタインの理解によると,人間は「人格」を備えた「個人」であり,
「意味のある全体」
(Sinnganze)として自己を体験する者のみが,他者(の未知なる人格)を理解することがで
きる 63)。いわば,判断停止状態において,自己の客体化が成し遂げられるとき,主体が体験
するのは,主体の「何か」―それは,シュタインの説明する「内的形式」
(魂)を構成するも
のと符号すると思われる―が,他者の「魂」に「触れる」瞬間であり,そのとき,他者(客体)
の内部へ移された主体は,自己の未知なる部分,思考では解明できない,意識されざる部分
を,他者の未知なる「何か」によって置換,あるいは充填すると推定される。それが感情移
入という,いわば自己の明け渡しによって可能になる共感覚であると考えられる。この感覚
の内実は,すでに述べたように,必ずしも主体と客体で同一の体感であるとは限らないが,
54
エディット・シュタインの「教育」と「女性」の理念について
主体にとっての,他者の未知なる部分だけでなく,主体自身の未知なる部分がともに現れ出
ると考えられ,その意味で主体は,自己を「意味のある全体」として体験するのである。
これは,神(絶対的な原理)によって創られた人間を,その本来的存在において把握する,
一つの方法として理解できるのではないかと思われる。これを「魂の修練」を目的にした教
育において実践する場合,
「死んだ素材」ではなく,
「生きた素材」,つまり「五感,記憶,悟性,
意志,心情(Gemüt)
」を鍛える題材をもちいて,諸器官を有機的に関連づけて錬成すると
いう方法が有効になる。
「霊」と「肉」からなる「全的な人間」を創り上げるうえで,
「存在す
64)
る者をその全体性と固有性において把握する」ために必要な器官と見なされている「心情」
の育成は,とりわけ重視されている。魂の内へ受容されたもの(
「存在」,,Sein“)が,それを
受け入れる空間としての魂(
「本質」,,Wesen“)とともに,変容するその過程において,精神的,
心霊的な感受能力の拡大が要請されているからである。
アリストテレス哲学とスコラ学,さらにトマスの宗教哲学に基づき,シュタインが人間の
成長や発展の核と見なした,あの未知なる「内的形式」
(魂)への関与は,トマスの霊肉一致
の見解と結びつき,彼女の教育,宗教哲学,認識論の基底を形成する,自然を越える次元へ
の積極的な関与である。その意味で,この関与はトマスの求める自己創造と自己超越の契機
と見なされると思われる。
このように,シュタインの教育論の中心にある人間観は,現象学や存在論への関心に端を
発し,現象や存在をその全体において捉えるうえで,現象学が提示する方法の不十分さに対
して,
「感情移入」という心的な現象の研究を始めとして,現象学的還元の後に残存すると
いう不可侵な超越論的(先験的)意識の領域へ関わるすべを問題にしている。それは,トマ
ス研究,実践的な教育活動,宗教的な生と活動をとおして,人間の「魂」や「人格」を問題視
するなかで深められ,人間の「心」の領野へあえて「立ちかえる」という道を辿り,それを掘
り下げ,
「自己現出」という己れの知られざる内面を開いていく方法へ発展している。人間
の「魂」や「人格」の意味と価値を新たに提示するうえで,トマスの人格論における自己創造
や自己超越の可能性は,シュタインの場合,神と隣人に対して,
「無私の献身」
(自己の無化,
自己の明け渡し)という究極的な「愛」が果たされるときに生起すると考えられる 65)。この
「愛」は,全的存在としての人間の「心」を理解するために,不可欠な心的な諸力である。こ
のような「心情」の力による,全的な人間理解の実践を,シュタインは教育の課題として,
とりわけ女性性の特質を発揮するものとして捉え直している。
確かに,このような心情の力が女性に秀でた特有の能力として見なされている根拠とし
て,シュタインによる聖書理解を挙げるだけでは不十分であり,シュタインによるトマス受
容や彼女自身の宗教哲学,ならびにその受容と影響について,さらなる考察が必要になるが,
ここで言えることは,認識の限界を知る者が,神と人間との関係性から導き出した「全的な
人間の形成」という教育理念が,シュタインにとって他者への愛と畏敬を失うことなく,自
エディット・シュタインの「教育」と「女性」の理念について
55
己と他者とを有機的に結びつける源泉であり,それが,20 世紀前半の,人間性への畏敬を失
い,合理主義的な,排他的な,独断的な時代の価値観が許すことになる社会の主義思潮や全
体主義的イデオロギーに対抗する英知として,もう一つの性をもつ者たちに対して,強く説
かれている点である。シュタインの聖書解釈に基づく独自な女性理解は,信仰と理性の調和
を図り,社会における女性の位置価値を改めて刻印する一つの指標となっている。「全的な
人間の形成」が,男性を補完し,助力する半身としての,心霊的な潜在力を信頼する女性に
こそ,果たされうる使命であるという認識が,シュタインの女性学を創り上げているのであ
る。
注
1)Reiner Wimmer: Vier jüdische Philosophinnen, Reclam Leipzig,1999, S.230.
その他,シュタインの伝記に関する参考文献として,おもに以下のものを参照した。Christian
Feldmann: Edith Stein, Rowohlt Taschenbuch Verlag, Reinbeck bei Hamburg, 2004. ヴァルトラ
ウト・ヘルプシュトリット「付論エディット・シュタインの歩んだ道」,『現象学からスコラ学
へ』中山善樹訳,九州大学出版会,1996 年,259-320 頁所収。
2)Vier jüdische Philosophinnen, a.a.O., S.224.
3)A.a.O., S.224.
4)A.a.O., S.225f.
5)Edith Stein Gesamtausgabe ( = ESGA), Bd.4. Selbstbildnis in Briefen III, Briefe an Roman
Ingarden, eingel. v. H.-B. Gerl-Falkovitz, bearb. u. Anm. v. M.A.Neyer OCD, Herder, Freiburg im
Breisgau, 2005, S.67f., S.133ff., S.165f., S.168.
6)ESGA 4, a.a.O., S.34.
7)ESGA 4, a .a.O., S.72f. Brief an Ingarden vom 19.2.1918.
8)ESGA 4, a .a.O., S.73.
9)Theresa Wobbe:Aufbrüche, Umbrüche, Einschnitte. Die Hürde der Habilitation und die Hochschullehrerinnenlaufbahn. In : Geschichte der Mädchen- und Frauenbildung. Vom Vormärz bis zur
Gegenwart. Bd. 2. Elke Kleinau, Claudia Opitz (Hg.), Frankfurt am Main, Campus Verlag, 1996,
S.342-353. Hier, S.345f.
10)Brief an Fritz Kaufmann vom 8.11.1919. In: Selbstbildnis in Briefen I (1916-1933), ESGA 2,
eingel. v. H.-B. Gerl-Falkovitz, bearb. u. Anm. v. M.A.Neyer OCD, Herder, Freiburg im Breisgau,
2005, S.46ff.
11)Brief an Ingarden vom 16.9.1919. ESGA 4, a.a.O., S.123f.
12)Waltraud Herbstrith (Hg.): Edith Stein, Ein neues Lebensbild in Zeugnissen und Selbstzeugnissen,
Herderbücherei, 1983, S.77.
13)カルメル会は現在カトリック信仰最大の観想修道会として知られる。女性神秘家であり宗教
的な著述家であるアヴィラの聖テレサは,1580 年「跣足の」カルメル会の管区を設立する。テ
レサは 1970 年に女性として初めての教会博士に列せられている。P. ディンツェルバッハー・
J.L. ホッグ編:『修道院文化事典』,朝倉文市監訳,八坂書房,2008 年,390-396 頁参照。
『現象
56
エディット・シュタインの「教育」と「女性」の理念について
学からスコラ学へ』前掲書 278 頁。
14)
「内的な祈り」は,テレサにとって「学び」を意味する。それは,
「生のすべて」を「神との対話」
として「理解すること」である。Teresa von Ávila: Wohnung der Inneren Burg, Herder, Freiburg
im Breisgau, 2010, S.107 (Anmerkung 8).
15)Teresa von Ávila: Wohnung der Inneren Burg, a.a.O., Einführung, S.11-70, hier S.55.
神を経験するときの,女性の方法や女性的な性質が,男性における神の経験を補完し,修正
する機能をもつということが,テレサを例に解説されている(S.63)
。シュタインも女性の特
質として,
「神の作用を魂へ受け入れる特別な力」を挙げている(Der Eigenwert der Frau in
seiner Bedeutung für das Leben des Volkes, ESGA 13, S.7)。シュタインにとって,人間の理想
的な形姿はイエス・キリスト(の自己犠牲の実践)である。神の子であり,人の子であるキリ
ストと信者である女性のあるべき関係性は,男性の場合とは異なり,
「愛」
(性愛というニュ
アンスを含む)という観点から捉えられている。男性のように,司祭になることが認められ
ていない女性は,キリストの代弁者になるのではなく,キリストに寄り添うもっとも身近な
隣人(いわば母や妻)として,その苦しみをともに分かち合うことができると理解し,この点
にシュタインは,女性の最大の使命と力を見いだしている。この女性の役割が,隣人愛の実
践として,キリストと人間全般の関係性,ひいては人間同士の関係性においても敷衍されて
いる。Vgl. Edith Stein: Berufung zum Priestertum im Verhältnis zur bräutlichen Liebe, in: Dein
Herz verlangt nach mehr Betrachtungen und Gebete, Patmos, Düsseldorf, 2009, S.48.
16)Edith Stein: Husserls Phänomenologie und Philosophie des hl. Thomas von Aquino. Versuch
einer Gegenüberstellung. In: Festschrift Edmund Husserl zum 70. Gebur tstag gewidmet.
Ergänzungsband zum Jahrbuch für Philosophie und phänomenologische Forschung, Halle a. S.,
1929, S. 315-338. 17)A.a.O., S. 315-338.
18)A.a.O., S. 315-338.
19)Edith Stein:Grundlagen der Frauenbildung, in: Die Frau, Fragestellungen und Reflexionen.
Eingel. v. S. Binggeli, bearb. v. M.N.Neyer OCD, ESGA 13, Herder, Freiburg im Breisgau, 2000,
S.43.
20)Dies.: Martin Heideggers Existenzphilosophie, in: Endliches und ewiges Sein, Versuch eines
Aufstiegs zum Sinn des Seins, eingef. v. u. bearb. v. Andreas Uwe Müller, ESGA 11/12, Herder,
Freiburg im Breisgau, 2006, S.465.
21)Dies.: Grundlagen der Frauenbildung, a.a.O., S.41. 尤も,子供の個性や意志,自発性や主体性を重視する点では,シュタインの見解は彼らと共
通するが,
「外的強制を与えずに,子供の内的衝動に応じて,自由に,自主的な活動をさせ
る」モンテソーリ教育法に対しては,批判的な見解も述べている(Wahrheit und Klarheit im
Unterschied und in der Erziehung, in: Bildung und Entfaltung der Individualität, Beiträge zum
christlichen Erziehungsauftrag, eingel. v. Beate Beckmann-Zöller, bearb. v. M.A.Neyer OCD,
ESGA 16, Herder, Freiburg im Breisgau, 2001, S.6f.)
。シュタインは肉体と精神の両面において,
「魂」を形成することに教育の目標を置き,
「魂」の形成過程には,人間(児童であれ生徒であれ)
と人間(指導者)との関係性,あるいは,関わりをとおしたさまざまな作用や影響が,重要な
役割を果たすと考えているので,モンテソーリ教育法の中心にある指導法,つまり,教育者
エディット・シュタインの「教育」と「女性」の理念について
57
をいわば道具としての観察者に位置づけ,子供の知的好奇心に,もっぱら行動の主体性を委
ねる点に,彼女は異論を唱えている。
22)Elke Kleinau: Gleichheit oder Differenz? Theorien zur höheren Mädchenbildung, in: Geschichte
der Mädchen- und Frauenbildung. Vom Vormärz bis zur Gegenwart, a.a.O., S.113-128. Hier S.116.
23)Martina Nieswandt: Lehrerinnenseminare. Sonder weg zum Abitur der Bestandteil höherer
Mädchenbildung, in: Geschichte der Mädchen- und Frauenbildung., a.a.O., S.180.
24)梅根 悟(監修)
:
『世界教育史大系 34 女子教育史』世界教育史研究会編,講談社,1977 年。「第
5 章女子中等学校の成立,第 3 節ドイツ」163-178 頁参照。
25)Elisabeth Beck-Gernsheim: Vom >Dasein für andere<, zum Anspruch auf ein Stück >eigenes
Leben<: Individualisierungsprozeß im weblichen Lebenszusammenhang, in: Soziale Welt, 34 /3,
1983, S.306-340. Hier S.311.
26)Vgl. Edith Stein: Probleme der neueren Mädchenbildung, ESGA 13, a.a.O., S.144.
27)小玉亮子:
「ジェンダーと教育」
『ドイツ近現代ジェンダー史入門』姫岡とし子・川越 修編,
青木書店,2009 年,103-124 頁所収,110 頁。
28)小玉亮子:
「ジェンダーと教育」前掲書所収,119 頁。
29)Elke Kleinau: Gleichheit oder Dif ferenz? A.a.O., S.113- 128, u. Mar tina Nieswandt:
Lehrerinnenseminare, a.a.O., S.180.
1848 年 3 月革命以降開始されたフェミニズム運動は,初期組織「一般ドイツ女性協会」(1865
年結成 ) の活動を経て,ヘレーネ・ランゲに至り,「全ドイツ女教員同盟」
(1890 年)において,
高等女子学校における男女教員の同権化を求める闘いへと発展する。男性中心的な教育理念
に強く反発したランゲは,女性教員による女子教育の必然性を要求し,また教育機関の整備
にも貢献した。
30)小玉亮子:「ジェンダーと教育」前掲書所収,108 頁。
31)Elke Kleinau, a.a.O., S.118.
32)斎藤 哲:
『消費生活と女性 ドイツ社会史 (1920 ∼ 70 年 ) の一側面』明治大学社会科学研究
叢書,日本経済評論社,2007 年,83 頁。「19 世紀以来ドイツの市民的女性解放運動の多数派は,
女性が家庭のための存在であることに女性の社会的な意味を見いだし,その点で男性と女性
との価値的同等性を確認してきた。」
33)
『世界教育史大系 34 女子教育史』前掲書,174 頁参照。
34)Arnold Knoke: Was kann unsere Tochter werden? Frauenbildung – Frauenberufe, Leipzig, 1929, S.9.
35)この段落の参考文献は,Cordula Haderlein, Individuelles Mensch-Sein in Freiheit und Verantwortung,
Die Bildungsidee Edith Steins, University of Bamberg Press, 2009, S.174.
36)Edtih Stein: Das Eigenwert der Frau in seiner Bedeutung für das Leben des Volkes, ESGA 13,
a.a.O., S.2.
37)Cordula Haderlein, a.a.O., S.173.
38)Edtih Stein: Das Eigenwert der Frau in seiner Bedeutung für das Leben des Volkes, a.a.O., S.2.
ジョン・ワインガーズ:
『女性はなぜ司祭になれないのか カトリック教会における女性の人
権』
(世界人権問題叢書 53 伊従直子訳,明石書店,2005 年,50-54 頁)によると,中世以来,
司祭は<聖なる者>と考えられており,
「女性は社会的条件や文化的偏見のために,奉仕職か
ら排除されていた」
。「女性司祭に反対する伝統的議論は,いまだにローマ教理省の公式見解
58
エディット・シュタインの「教育」と「女性」の理念について
である。
」
39)小玉亮子:
「ヴァイマル憲法 119 条の成立―国制に家族はどう位置づけられたのか―」
『比較家
族史研究』第 21 号,2007 年所収,比較家族史学会編集・発行,弘文堂,1-23 頁。フランクフル
ト憲法では扱われなかった,ヴァイマル憲法への「母性」,
「男女同権」という文言の組み入れ
について,その歴史的経緯が詳細に説明されている。その際,カトリック中央党の寄与が注
目に値する。女性議員たちの提案により,二転三転する議論の過程のなかで,最終的に憲法
制定国民会議において,
「男女同権」
,「母性」という文言が組み込まれることになる。
「母性」
が加えられた背景には,婚外子を保護する条文を組み込むかどうかの議論の結果,反対意見
もあり,
「母性」という言葉を持ち出すことで,そこに婚外子の保護も含意された。なお,カ
トリック中央党は,1919 年 1 月 19 日帝国議会選挙時点で 421 議席中 91 議席獲得,第二党になっ
ている。1930 年には第四党に後退し,ナチ党が第二党に躍進する。この数値に関する参考文
献については,中重芳美:
「ワイマール期における諸政党の消長とナチズム―ハミルトン説・
チルダース説の検討を中心として―」36 頁参照。
40)Hedwig Dohm: der Frauen Natur und Recht, Berlin 2. Aufl. o. J., 1894, S.109.
41)Edith Stein: Christliches Frauenleben, ESGA 13, a.a.O., S. 79f. Probleme der neueren
Mädchenbildung, ESGA 13, S.143. ジョン・ワインガーズ:前掲書,50-54 頁参照。
42)Edith Stein: Christliches Frauenleben, ESGA 13, a.a.O., S.86.
43)Dies.: Probleme der neueren Mädchenbildung, ESGA 13, a.a.O., S.142ff.
44)就業や婚姻の有無を問わず,家事労働を一般的に女性が担うという現実から,女性(若い女性)
にとって(Vgl. Stefan Bajohr, Die Hälfte der Fabrik. Geschichte der Frauenarbeit in Deutschland
1914 bis 1945, Marburg,1979, S. 18),その独立性あるいは自立性を得るためには,経済力と「余
暇」の時間,つまり,職場での労働と家事からの自由を可能にする物理的条件が,第一要件
であるという見方がある。その根底には,「他者」のためにではなく,「自分自身」のための生
活を確立する環境の基盤をいかに作るかによって,精神的解放も成し遂げられるというもの
である。女性の「解放」に不可欠な条件は,
「自分の時間」すなわち「日常の中の小さな自由(自
己の創意と独立性を発展させるような自由[Beck-Gernheim, a.a.O., S.321])を作り出す」こと
である。斎藤 哲:『消費生活と女性 ドイツ社会史(1920 ∼ 70 年)の一側面』34,42 頁参照。
Stefan Bajohr のように,社会学的な視点からさまざまなデータに基づいて,女性の就労にか
かわる問題を研究する方法とは異なり,シュタインの女性論をめぐる取り組み方は,徹底し
たキリスト教的人間観に基づいている。シュタインは,女性性の固有性の本質を,他者のた
めに自分を無にする奉仕の魂(心)に求めているが,「新しい女子教育の問題」
(Probleme der
neueren Mädchenbildung, 1932)を論じるうえで,1908 年にアリス・サロモン(Alich Salomon,
1872-1948)によって設立された教育機関である,社会的・教育的な女性の仕事のためのベル
リンアカデミー(Berliner Akademie für soziale und pädagogische Frauenarbeit)が出版した「現
代の家族生活」
(Das Familienleben in der Gegenwart, 1930)報告を俎上に乗せ,次のような検
討課題を提示している。限定された分類項目(大部分は労働者,事務員,小規模な公務員を対
象)のなかで,家族形態・構成,年齢,職業,収入源,住宅事情などの外的事実から,家族の
実態を考察するだけでなく,家族構成員の結束力の強弱などの内的要因が,各自に与える影
響をも考慮し,家庭毎の年次的な検討が要請される。そのうえで,家庭内における女性の位
置価値が問われるべきであるとしている(S.129ff.)。
エディット・シュタインの「教育」と「女性」の理念について
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45)Edith Stein: Grundlagen der Frauenbildung, ESGA 13, a.a.O., S.42.
46)Dies.: Probleme der neueren Mädchenbildung, ESGA 13, a.a.O., S.179f.
47)Dies.: Der Eigenwert der Frau in seiner Bedeutung für das Leben des Volkes, ESGA 13, a.a.O.,
S.2.
48)Dies.: Grundlagen der Frauenbildung, ESGA 13, a.a.O., S.32.
49)Dies.: Probleme der neueren Mädchenbildung, ESGA 13, a.a.O., S. 167.
50)Dies.: Grundlagen der Frauenbildung, ESGA 13, a.a.O., S.32.
51)A.a.O., S.37.
52)Edith Stein: Das Ethos der Frauenberufe, ESGA 13, a.a.O., S.22.
53)Dies.: Der Aufbau der menschlichen Person. Vorlesung zur philosophischen Anthropologie, neu
bearb. u. eingel. v. B. Beckmann-Zöller, ESGA 14, Herder, Freiburg im Breisgau, 2010, S.161.
54)A.a.O., S.9.
55)稲垣良典:
『人格<ペルソナ>の哲学』創文社,2009 年,119 頁。
56)同上:前掲書,120 頁,124-126 頁。
57)稲垣良典:『トマス・アクィナス』勁草書房,2007 年,218 頁。
58)佐々木亘:『トマス・アクィナスの人間論』知泉書館,2005 年,155 頁。
59)稲垣良典:『トマス・アクィナス』217 頁,『人格<ペルソナ>の哲学』129 頁, 142 頁。稲垣良
典:
『トマス・アクィナス』講談社学術文庫 1377,2009 年,393 頁,394 頁。山田 晶:
『トマス・
アクィナス』中央公論社,昭和 59 年,54 頁,59 頁。
60)Christian Feldmann: Edith Stein, Rowohlt Taschenbuch Verlag, Reinbeck bei Hamburg, 2004,
S.35. Edith Stein: Zum Problem der Einfühlung, S.129 (ESGA 5, eingef. u.bearb. v. Maria Antonia
Sondermann OCD, Herder, Freiburg im Breisgau, 2010, S. 133).
61)Edith Stein, a.a.O., S.72 (ESGA 5, S. 81f.).
62)A.a.O., S.100 (ESGA 5, S. 106f.).
63)A.a.O., S.129 (ESGA 5, S. 133).
64)Edith Stein:Zur Idee der Bildung, ESGA 16, Herder, Freiburg im Breisgau, 2001, S.42.
65)注 15)参照。
参考文献
須沢かおり『愛のおもむくままに―エディット・シュタインの女性像』新世社,1999 年。
ジョン・サリバン編『聖なる住まいにふさわしき人』木鎌耕一郎訳,聖母文庫,2004 年。
エマニュエル・ルノー『アヴィラの聖テレサ―神秘的体験の証人―』前田和子訳,中央出版社,昭
和 56 年。
エレン・ケイ『児童の世紀』小野寺信・小野寺百合子訳,冨山房百科文庫 24,1983 年。
Bärbel Clemens, ,,Menschenrechte haben kein Geschlecht!“ Zum Politikverständnis der bürgerlichen
Frauenbewegung, Centaurus, Pfaffenweiler, 1988.
Barbara Greven-Aschoff, Die bürgerliche Frauenbewegung in Deutschland 1894-1933, Vandenhoeck
& Ruprecht, Göttingen,1981.
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