Title セルゲイ・プロコフィエフの声楽作品 : みにくいあひるの子>>に関

Title
セルゲイ・プロコフィエフの声楽作品 : <<みにくいあひるの子>>に関
する一考察
Author(s)
服部, 麻実
Citation
北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編, 66(1): 225-240
Issue Date
2015-08
URL
http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/7839
Rights
Hokkaido University of Education
北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第66巻 第1号
Journal of Hokkaido University of Education(Humanities and Social Sciences)Vol. 66, No.1
平 成 27 年 8 月
August, 2015
セルゲイ・プロコフィエフの声楽作品
―《みにくいあひるの子》に関する一考察 ―
服 部 麻 実
北海道教育大学岩見沢校 声楽第3研究室
The songs of Sergei Sergeevich Prokofiev
― A study of “The Ugly Duckling” ―
HATTORI Asami
Department of Music (vocal), Iwamizawa Campus, Hokkaido University of Education
概 要
プロコフィエフの声楽作品はその生涯に渡り作曲され,そこには多くの試みがなされている。
本論文はプロコフィエフの声楽作品の全体像から,初期の作品である《みにくいあひるの子》
に焦点をあて,彼の声楽作品の特徴の一旦を探るものである。この作品の声楽パートにおける
言葉と音楽の関係については,ロシア歌曲の分野でその先駆者である作曲家ムソルグスキイや
その他のロシアの作曲家との比較も行いながら,その特徴を示した。この作品の描写表現につ
いては,ピアノパートと声楽パートの相互関係によって表現を高めていること,また特徴的な
表現の分類を行い,簡素でありながら詳細な描写表現を用いていることを示した。
はじめに
近年我が国において,19世紀以降のロシア歌曲が演奏される機会が増えてきた。だがセルゲイ・プロコ
フィエフ(Сергей Сергеевич Прокофьев 1891~1953)の歌曲は,日本での出版の事情もあり,ロシア歌
曲の中でも演奏されることは少ない。
本 稿 で 取 り 上 げ る《 み に く い あ ひ る の 子 Гадкий утёнок соч.18》(1914) は, ア ン デ ル セ ン(Hans
Christian Andersen 1805~1875)の物語を原作に「音楽的おとぎ話」iというスタイルで作曲されている。そ
の書法と表現において,ユニークであり,この作品を考察することによって,プロコフィエフの歌曲の特徴
を知ることができるものと考える。
プロコフィエフの音楽は力強く鋭いリズムが大きな特徴である。それはまるで20世紀という時代のエネル
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ギーの奔流と躍動感,そして内なる激しい感情を感じさせる。一方で叙情性については,彼の作曲信条iiに
よれば,声楽作品の中に豊かに表現されている。その叙情性は彼独自のものであり,単に優美なだけではな
く時には甘美さやユーモアも包含している。それはP.チャイコフスキイ(Пётр Ильич Чайковский 1840
~1893)やS.ラフマニノフ(Сергей Васильвич Рахманинов 1873~1943)に見られるような,ロシアの
大地を感じさせる,うねるような旋律線から生れる叙情性とは異なり,プロコフィエフに於いては繊細で色
彩的な表現である。また彼は作曲家でありピアニストであるという二元的な資質を有している為,歌曲にお
けるピアノパートに多くの内面的な感情表現を演奏者に求めていると言える。
筆者はモスクワ国立音楽院在学中,ガリーナ・ピサレンコ教授(Галина Алексеевна Писаренко 1934
~)iiiのもとでプロコフィエフの声楽作品を数多く勉強した。教授は詩の内容を深く掘り下げ,的確に,また
時代背景もふまえ懇切に指導された。そのことは筆者がプロコフィエフの作品をより深く理解する上で大き
な力となった。そして没後50周年にモスクワで開催されたプロコフィエフの音楽フェスティバルで,筆者は
《みにくいあひるの子》を演奏した。またモスクワ音楽院大学院の修士課程ではプロコフィエフの歌曲の演
奏法をテーマに考察を行なってきた。
今回はモスクワ音楽院大学院時代にまとめたКамерно-Вокальное творчество С.С.Прокофьева(по
Произведениям «Гадкий утёнок», «Пять стихотворений А.Ахматвой», «Болтунья». Обучение
исполнительскому искусству в школе Н.Дорлиак, Г.Писаренко)
(「セルゲイ・プロコフィエフの声楽
作品『みにくいあひるの子』『A.アフマートヴァによる5つの詩』『おしゃべり娘』についてのN.ドルリア
ク教授とG.ピサレンコ教授による解釈と演奏法についての考察」)の内容をさらに発展させて,《みにくい
あひるの子》における言葉と音楽の関係と,情景や心情の描写法を中心に考察する。
第1章 プロコフィエフの歌曲
プロコフィエフの歌曲は全部で60曲ほどになりiv,大作の傍ら生涯に渡ってコンスタントに作曲し続けて
いたことが窺え,そこから彼の創作の変遷を辿ることができる。
その作曲年代は次の2つに分けられるv。第1期間1910年~1921年に6作品集(23作品が含まれる),第2
期間1930年~1950年に7作品集と1作品(35作品)と,それ以外の作品番号のない1作品集と2作品,初期
の未出版の5作品がある。
第1期の作品には今回取り上げる《みにくいあひるの子》のほかに,詩人K.バリモント(Константин
Дмитриевич Бальмонт 1867~1942)に強い影響を受けた《2つの詩Два стихотворения соч.9》(1910~
1911)と,後に《5つの詩 Пять стихотворений к Больмонта соч.36》(1921)を作曲している。彼はバリ
モントの詩が魅力的で芸術性が豊かであり,すぐれた音楽的な要素のある言葉で書かれていると賞賛してい
る。プロコフィエフの音楽は,バリモントの詩の夢想性や,遠い惑星,過ぎゆく春などを詩的に豊かに表現
しており,詩全体の雰囲気を捉え,それぞれの作品の性格を的確に表現している。さらにはバリモントとの
交友から《歌詞のない歌 Пять песен без слов соч.35》(1921)を作曲している。先駆的にはラフマニノフ
の《ヴォカリーズ Вокализ》(1915)と,演奏の形態は同様ではあるが,ラフマニノフは曲名を《ヴォカリー
ズ》としたのに対し,プロコフィエフが《歌詞のない歌》としたところに,この様式の声楽作品への詩的な
深い思いがあったのではないかと窺える。また女流詩人A.アフマートヴァ(Анна Андреевна Ахматова
1889~1966)の詩による《A.アフマートヴァによる5つの詩 Пять стихотворений А.Ахматвой соч.27》
(1916)を作曲している。これは5曲全体で8分程度の短い曲であるが,アフマートヴァが書き上げた愛の
感情の高揚やその失望などを,プロコフィエフは良く捉え,無駄のない簡潔とした書法で作曲している。詩
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の言葉については叙述的,朗唱法的な様式をバランスよく用いている。またピアノパートは描写的であり,
非常に繊細な心理描写を行なっている作品である。
第2期にあたる1930年以降にプロコフィエフがロシアに再び戻り,活動を始めてからの声楽曲において,
創作の方向性がそれ以前と異なっている。その要因としては1917年に起きたロシア革命以降,祖国はソビエ
ト連邦共和国となり,社会主義体制へと変化していたことも大きい。彼はソビエト連邦の作曲家として,ロ
シア民族の持つ文化的な特徴に強い興味を抱き創作をはじめた。この時にはソビエト作曲者同盟viが設立さ
れ,ソ連国内の音楽団体は全て政府の下に統制されることになり,政府が作曲家達に作曲の一般方針を示す
ことになった。つまり音楽にはプロパガンダとしての役割があり,音楽は一般市民に広く訴えかけること,
また作曲様式については過去の伝統やソ連の民族的な要素を用いることが求められた。そのような時代の
中,1936年には「プラブダ紙」はD.ショスタコーヴィチ(Дмитрий Дмитриевич Шостакович 1906~
1975)を公然と批判する。そのような批判がいつ,誰の身に起こるのか分からない時代となった。そのこと
がプロコフィエフに直接影響したかどうかは分からないが,1936年頃には彼は子供のための作品を多く書い
ているvii。それは多分,時代的な背景や外的な要因から作られた作品ではあったのかもしれないが,彼はそ
れに主体的に,また意欲的に取り組み作曲している。《3つの子供の歌 Три детские песен соч.68》(1936)
の中でも《おしゃべり娘》は,A.バルトー(Агния Барто 1906~1981)が子供を主人公として描いた詩で
はあり,
ユーモアを交えながら時には皮肉が込められた内容である。この詩をプロコフィエフはシンプルで,
子供でも歌えるような旋律を用い,速度や調性,アーティキュレーションを自在に変化させ,詩の主人公の
心情の変化を表現豊かに描いている。また同年のA.プーシキン(Александр Сергеевич Пушкин 1799~
1837)の詩による《3つのロマンス Три романса на слова А.Пушкина соч.73》(1936)は,プーシキン
の没後100年を記念したフェスティバルの時に作曲された。
《12のロシア民謡 Обработки русских народных песен соч.104》
(1944)は彼の第2期の作品の中でも,
時代的な背景から生み出された。彼はこの曲集をソ連芸術委員会によるロシア民謡編曲コンクールの応募の
為に作曲したviii。それは民謡収集家や民族学者等によって採譜され,提供された民謡をもとに編曲されてい
る。彼は提供されたこの民謡の新鮮さに強く引きつけられたと語っており,「民謡のメロディを使って発展
させること,それがあたかも自分自身のオリジナルのものであるようにix」と若き作曲家D.カバレフスキー
(Домитрий Борисович Кабалевский 1904~1987)にアドヴァイスをしている。プロコフィエフは曲の
それぞれによく精通しており,そこに自分の解釈,独自の感情,美意識を用いて発展させた。これは新しい
歌への再生の試みでもあり,無名の民謡作曲家と彼との共同作業から生まれた作品である。
プロコフィエフの声楽作品には,詩と音楽の結びつきについての特徴がある。それは自らの作品を「歌曲」
(романс)ではなく「詩」
(стихотворение)と名付けていることであるx。これは20世紀のロシア歌曲の
傾向であり,彼の作品は初期から多くが「詩」(стихотворение)と名付けられている。彼は詩の選択にお
いて韻をふむもの,またふまないもの,散文詩,また言葉のない声楽作品を書いている。これはプロコフィ
エフが様々な詩の形態に対する音楽の様式の試みを積極的に行なっており,詩と音楽のより密接な結びつき
を求めていたと考えられる。音楽は簡潔でありながら,詩のイントネーションに基づいて表現していると言
える。
さらに歌曲におけるピアノ伴奏は,情景や心情の描写的な表現のために重要な役割を担っているが,それ
はまるでオーケストラ,または室内楽のような音色と表現力が要求される。非常に繊細でありながら,かつ
ダイナミックな表現が必要であると言える。
今回は《みにくいあひるの子》を取り上げ,作品の中での言葉と音楽の関係,また音楽の描写や表現方法
を論じる。
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服 部 麻 実
第2章 作品の特徴
第1節 作曲の背景
この作品は1914年に作曲されたが,後に1932年に第2版として一部分,声楽パートの音域が高く書き直さ
れ,
オーケストラ版として発表された。今回は,現在演奏されることの多い第2版のピアノ版で考察を行う。
この作品はアンデルセンのお伽噺を原作としプロコフィエフが自ら散文詩を書いた。彼は創作の初期にお
いて作曲だけではなく,短編小説もいくつか書いており,この時代,彼が文学を創作することにも興味があっ
たことが窺えるxi。そのことから自作の詩や散文にオペラを作るという構想を,この時既に持っていたので
はないかと推測できる。実際に《賭博者 Игрок соч.24》(1915~17)をはじめ,オペラの台本の多くをプロ
コフィエフ自身が手掛けているxii。
彼は原作のお伽噺の中からドラマの要素を上手く取り上げ,この作品は数ヶ月に渡るあひるの子に起こっ
た出来事を詩的な表現で作曲しているxiii。そのためこの声楽作品は300小節以上の長い作品ではあるが,非
常に簡潔した構成と作曲手法で書かれており,物語の進行が非常に明瞭であり,あひるの子の運命や心情が
はっきりと表現されている。
また作品の題材の選び方について,彼はむしろ「醜悪」とも言えるものを選ぶことがある。彼は作曲信
条xivの中で「グロテスクであること」とあげており,それを自身の音楽の中では「冗談」や「諧謔」ととら
え表現している。
「醜悪」なものが美しく変身を遂げること,つまり《みにくいあひるの子》のように最後
には白鳥のような「美しいもの」に変化を遂げることをテーマに作品を書いているxv。プロコフィエフは作
品23の歌曲の中にもそのような題材の作品を作曲しているxvi。
第2節ではこの作品の声楽パートの特徴を,第3節では情景や心情表現の特徴を具体的に取り上げる。
第2節 声楽パートの特徴
この作品はプロコフィエフ自身の散文詩に作曲しており,言葉と音楽の関係は非常に密接に表現されてい
るxvii。先駆的には同じように自作の散文詩に作曲しているムソルグスキイの歌曲集《子供部屋 Детская》
(1868~1870)との類似がみられる。
《子供部屋》は,特に子供の会話を自ら散文詩としてテキストを書い
た作品である。ムソルグスキイは言葉のイントネーションを音楽化することに特に研究と実践を行いxviii,
それについて次のように述べている。
・・・私は人間の会話を研究していますが,その結果,私はこの会話によって作られた旋律に到達すると共
に,旋律の中でレシタティーヴォを生かすことが出来るようになりました・・・・・私はこれを認識された
旋律(是認され得る旋律)と名づけたいと思いますxix。
つまり《子供部屋》では子供の語り口調をリズムとイントネーションの点から旋律に結びつけ,言葉が旋
律の中でより密接になるように,また言葉が自然に響くようにと模索した作品といえる。
そして言葉のリズムをより的確に表現する手法としてムソルグスキイは散文詩のような一定の韻律を持た
ない詩へ作曲する場合,作品のなかで度々拍子を変化させていることが分かる。一曲目の《ばあやと
с няней》では,子供がばあやにお話しのおねだりをする口調が中心に運ばれていき,その様子が見事に描
かれている。この曲では27回も拍子を変化させ,そのことにより登場人物の生きた言葉のリズムが的確に音
楽で表現していると言える。(譜例1)
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セルゲイ・プロコフィエフの声楽作品
譜例1
M.ムソルグスキイ《子供部屋 Детская》
〈ばあやと с няней〉
拍子について《みにくいあひるの子》を見てみると,全曲中で24回変化させている。それは場面の変化や,
あひるの子の口調を表現することによるものであるが,そのことによってこの散文詩の言葉のリズムが作品
のなかで,より自然に表されている。
そしてこの曲に度々現れる動物達のセリフを,ロシア語の口調によって生まれたリズムと旋律によって,
言葉と音楽が途切れることなく作曲している。(譜例2 84小節~103小節)
“Держитесь, дети, прямо, лапки врозь.
Поклонитесь низко той старой утке
Она испанской породы.
Видите у ней на лапке красную тесёмку?
Это высший знак отличия для утки!“
「さあさあ 皆しっかりと真直ぐに交互に足を出して
この先輩のあひるさんに低くお辞儀をするのよ
彼女はスペインの品種なのよ
御覧なさい 彼女の足には赤いリボンが付いているでしょう
それは位が高い印なのよ」
譜例2
このようにプロコフィエフの歌曲には,度々,語りや会話が含まれることがある。彼は言葉のリズム,イ
ントネーションを作品に活かす試みについて,ムソルグスキイからの影響があったのではないかと窺える。
また言葉のイントネーションを音楽化した感情表現という点から見てみると,両者には更に共通点がみら
れる。ムソルグスキイの《子供部屋》は,音に起伏が多く躍動感の多いフレーズが特徴である。これはこの
曲集全体に言えることではあるが,子供の言い回しを,それに適した音の抑揚を用いて,喜び,悲しみ,驚
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き,不安などの感情を表現している。1曲目の《ばあやと》では,お話をねだる子供の様子が描かれている
が,思わず自分で「про буку страшного」(恐ろしいおばけについてお話をして)と言ってしまう。その言
葉の表現を見てみると,ここでは特に大きな跳躍音程を用い,また二分音符で強調されている。それによっ
てここでは初めておばけの様子を恐る恐る言う,子供の不安な様子を音に表現されている。(譜例1 4~
5小節)
《みにくいあひるの子》でもこれと同じように,言葉のイントネーションを音楽化していることがみられ
る。23小節からの部分では,あひるの村でののどかな様子が描かれているが,ここでこの曲の主人公である
「утка」
(あひる)という言葉が初めて登場する。この場面では「утка」(あひる)を1オクターブの音程
を用いて表現することによって,あひるの登場を強調し,そのことを生き生きと描いている。(譜例3)
В зелёном уголке, среди лопухов,
Утка сидела на яйцах.
緑の片隅の牛蒡の草の真ん中で
一羽のお母さんあひるが卵を温めていました
譜例3
また303小節からの曲のクライマックスでは,あひるの子が自殺をしようとする場面で,言葉のイントネー
ションを音楽化しながら,緊張感のある上行音型であひるの子の絶望感を表現している。(譜例4)
Если он приблизится к ним,
Они, конечно, его убьют,
Потому что он такой гадкий…
もし彼が白鳥達に近づいたのなら
彼らは勿論 あひるの子を殺すでしょう
何故なら彼はこんなにみにくいのだから
譜例4
ロシア歌曲の変遷をたどってみても,このような言葉のイントネーションを音楽化する表現はM.グリン
カ(Михаил Иванович Глинка 1804~1857)やP.チャイコフスキイにはあまりみられない。ロシア歌曲
の作曲家として重要な位置を占めるグリンカには叙情的な歌曲が多く,詩全体的ニュアンスを表現している。
それは声楽的なフレーズの中で情感を表現しており,詩全体の雰囲気をうまく捉えることに成功していると
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言える。
(譜例5)またチャイコフスキイの歌曲もその流れを汲んでいると考えられるxx。
譜例5
M.グリンカ:
《私はあの素晴らしいひと時を覚えている Я помню чудное мгновение》(1840)
このように《子供部屋》と《みにくいあひるの子》の作品における言葉と音のイントネーションの関係を
見たときに,両者の類似性がみられることが分かる。ロシア歌曲の変遷から考えてみると,その点において
プロコフィエフはムソルグスキイの影響をうけていると言える。つまり散文詩のリズムの扱い,また言葉の
イントネーションを音楽化し,言葉のもつ意味合い,心情も表現している点においてである。そうすること
によって,言葉と音が一体となり,説得力のある豊かな表現となっている。このことが,この作品を演奏者
や聴衆により深い共感をもたらしていることにつながっていると言える。
またプロコフィエフは後のオペラ《セミョーン・コトコ Семён Котко》(1939)を作曲した時に,言葉と
音楽の関係について自ら次のように述べている。
レチタティーヴォはオペラで面白くない要素なので避けた。より感情的な場面では,物語るようなメロディ
に作り上げながら,レチタティーヴォを旋律的にするように試みた。一方,より“現実的”な場面では,リ
ズム感に富む話し方を使った。オペラで話すのはとても古い伝統である。・・・歌う間に話すのはいつも快
いわけではないだろうと思い,わたしは,朗唱の性質を持ったリズム感のあるスピーチを入れることにした。
各箇所で,歌から話への変化が自然に聞こえるようにわたしは努力をしたxxi。
この中でプロコフィエフはオペラでの言葉の扱いにおいて,明らかに自らの考えを持っていたことが分か
る。
《みにくいあひるの子》は,叙述的な部分にも朗唱的な要素を用いて作曲されている。散文詩のこのよ
うなテキストでは,出来事を叙述する部分をレチタティーヴォに,また心情描写は朗唱的にと分けて作曲さ
れることも考えられる。だがこの作品ではレチタティーヴォと朗唱的な歌唱というように分けて作曲されて
はおらず,
両者は切れ目なく自然な流れで用いられている。叙述的な語り口調はテンポが速くリズム的であっ
ても,それは声楽的な旋律にのせられて朗唱されると言える。
第3節 この作品の描写的表現について
この作品はピアノパートが単に歌唱の旋律に伴奏をするのではなく,そこには心情や情景の描写的な表現
が込められているxxii。
それと類似性のあるムソルグスキイの《子供部屋》の作品をみているとxxiii,ピアノパートと声楽パート
には同じような動きのリズムや音型がみられ,密接な関係があり一体感が感じられる。(譜例1)また情景
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や心情表現において,ピアノパートに描写的,絵画的な手法を用いている。
《みにくいあひるの子》に於いても,ピアノパートは単に声楽パートの背景的な役割だけでなく,歌詞の
ニュアンスを先取りし,その心情や情景を表現し声楽パートを導いている。そしてピアノパートと歌唱は互
いに詩のニュアンスを読み取り表現を補い合うことによって,独創的な作品となっている。
またいくつかの主題または動機を,情景に合わせて変化させながら繰り返し用いている。そのことによっ
て,この作品は簡潔に分かりやすく親しみ易い印象を与えている。
次に以上のことを,具体的に考察してみる。
1)ピアノパートにおける情景の描写について
①156小節からは鳥が飛んでいる情景が,装飾音で軽やかに描写されている。(譜例6)
Птички, сидевшие в кустах,
Вспорхнули с испугу.
茂みにいた鳥達は
驚いて飛び去りました
譜例6
②221小節からでは,狩人の銃声が響きわたる様子をピアノパートが1拍目の16分音符のアクセントの音型
で描写している。(譜例7)
А выстрелы охотников раздавались по всему лесу.
そして狩人の銃声が森中に響き渡っていました
譜例7
③230小節からでは,湖が凍りつき,全が停滞している様子を印象主義的な手法で表している。(譜例8)
Становилось холодней.
Озеро постепенно затягивалось льдом.
寒くなってゆきました
湖はだんだん氷に覆われてゆきました
譜例8
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2)ピアノパートにおける心情の描写について
①116小節からは,みにくいあひるの子が周囲の鳥達にいじめられる場面である。ここでは声楽パートをう
けて,ピアノパートが(120小節~,124小節~)2オクターブを一気に下降し,切迫感,絶望感を表現し
ている。
(譜例9)他には146小節~,227小節~,312小節~のピアノパートに同様の下降の音型が用いら
れている。
Плохо пришлось только бедному некрасивому
утёнку
Над ним все смеялись,
Гнали его отовсюду,
Желали, чтобы кошка съела скорее его.
しかし哀れなみにくいあひるの子だけは
辛い思いをしました
皆が彼を笑い あらゆる所から彼を追い立て
猫が早く彼を食べてしまえばいいのに
と願っていました
譜例9
②176小節からはあひるの子が,野生のかもに出会う場面である。左のピアノパートのアクセントのついた二
度音程の和音が8分音符の鋭い音で繰り返され,かもの攻撃性を感じさせる。その後,181小節からあひる
の子がうろたえている様子が,
声楽パートとピアノパートの音型に現れている。その後185小節からもう一度,
野生のかもとあひるの子のやり取りが行われる。音型による両者の異なる心情が表現されている。
(譜例10)
Ты что за птица?”
Утёнок поворачивался на все стороны.
“Ты ужасно гадок!” Утёнок кланялся как только мог ниже.
“Не вздумай жениться на ком-нибудь из нас”
「お前は何ていう鳥なんだい」
あひるの子はうろたえてぐるぐると向きを変えました
「お前はなんてみにくい奴だ」
あひるの子はできるだけ低くお辞儀をしました
「間違っても俺達の誰かと結婚するなよ」
譜例10
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③214小節からは,あひるの子が放浪している場面である。色々な不安や恐怖に遭遇する心情をオスティナー
トの短前打音で表現している。(譜11)このようなオスティナートの表現は204小節~,そして233小節か
らは継続して音を変化させながら258小節まで用いられている。
Иногда он часами сидел в камышах,
Замирая от страха, дрожа от испуга,
А выстрелы охотников раздавались
по всему лесу.
時々長いこと葦の茂みの中に座っていました
恐怖におののき 驚きに震えながら
そして狩人の銃声が森中に
響き渡っていました
譜例11
④299小節からは白鳥に出会い,あひるの子の気持ちが動揺している場面である。ピアノパートが2度の音
程で16分音符の細かい早い動きを繰り返し,気持ちの動揺を表している。(譜例12)
Непонятная сила привлекала утёнка
к этим царственным птицам
自分でも何か判らない力があひるの子を
この鳥の王者達に引き寄せました
譜例12
⑤323小節からは,自らを白鳥だと知り喜びに満ちた生き生きとした場面である。ピアノパートでは左手に
3連符,右手に7連符を用い,声楽パートは力強く朗唱的に喜びを歌いあげている。(譜例13)
Но он был теперь не гадкой серой птицей,
А прекрасным лебедем.
Не беда в гнезде утином родится,
Было б яйцо лебединое!
もう今やみにくい灰色の鳥ではなく
美しい白鳥だったのです
もしそれが白鳥の卵であったのなら
あひるの巣に生まれることは災難ではなかった
のです
譜例13
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3)主題,または動機を用いた表現法について
①あひる達の様子を描いた主題が声楽パートに現れる。(23小節~,80小節~,105小節~)この3回の主題
は幾分状況に応じて変化しているが,
全て6/8の拍子でのどかで牧歌的なあひるの日常の情景を表している。
В зелёном уголке, среди лопухов,
Утка сидела на яйцах
緑の片隅の牛蒡の草の真ん中で
一羽のお母さんあひるが卵を温めていました
譜例3
②卵から雛がかえる情景は2度出てくるが,1度目の37小節からのピアノパートでは,スタッカートが卵の
殻を割ることを表現しており,雛が生まれてくる期待感を予感させる。(譜例14)2度目の51小節からは
同じリズムパターンで音型を変化させ10度下げており,みにくいあひるの子が生まれる不安気な様子をピ
アノパートで予感している。
(譜例15)1回目と2回目のピアノパートの動機は10度の音程差があり,そ
れぞれの場面と情景と心情を上手く音に表現している。
Наконец, затрещали скорлупки одна за другой.
Утята вылезли на свет.
“Как велик божий мир! Как велик божий мир!”
やっと殻が次から次へと割れてゆきました
雛たちが生まれ出てきました
「世界は何て大きいのかしら」
譜例14
Последний утёнок был очень некрасив,
Без перьев, на длинных ногах.
最後に生まれたあひるの子は全く美しくなく
羽毛もなく長い足をしていました
譜例15
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③「あひるの子」の心情を表した主題は,4回現れる。(161小節~,198小節~,307小節~,353小節~)
これは毎回少しずつ異なるが,その情景によって情感のこもった表現を必要とされる。(譜例16)
«Это оттого что я такой гадкий»
「どうせ自分はみにくいあひるの子だから」
譜例16
④放浪が始まる場面での主題である。ピアノパートの左手が4分音符で低い抑えた響きでd-mollの和音を弾
く。重苦しい辛いあひるの子の心情を予感させる表現である。(譜例17)
Так начались его странствования.
Чего только не вытерпел он
за эту страшную осень!
そうして彼の放浪が始まりました
彼はこの秋の恐ろしい出来事に必死に
耐えました
譜例17
その後245小節からは,再びあひるの子の放浪の主題が現れる。譜例17より3度低い音から始まり,ピア
ノパートの左手が以前と同様のスタッカートではなく,テヌートで演奏され,あひるの子の一層辛い心情を
表現している。
(譜例18)
Было б слишком грустно рассказывать
О тех лишеньях, какие вынес он
в эту зиму!
語るにはあまりにも辛いのです
彼がこの冬に耐え忍んでいたこんなに多くの困
難のことを
譜例18
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セルゲイ・プロコフィエフの声楽作品
⑤作品の冒頭の7小節~のピアノパートにみられる動機(譜例19)が,259小節に再び現れる。(譜例20)こ
の場面では耐え忍んだ冬が終わり,春がやってきて陽の光が明るく輝く様子を表している。ピアノパート
は前打音が分散和音の音型へと変化し,声楽パートでは段々とフレーズが大きくなり朗唱的になり,春の
喜びを表している。
Солнце весело сияло,
Рожь золотилась, душистое сено
Лежало в стогах!
麦太陽が明るく輝き
畑が金色に色づき 芳しい干草が
山と積まれていました
譜例19
Однажды солнышко пригрело землю
Своими тёплыми лучами,
Жаворонки запели, кусты зацвели Пришла
весна!
ある日 太陽が大地を優しい光で暖め
雲雀が歌い 低木には花が咲き
春が訪れました
譜例20
⑥320小節からは,あひるの子が水に写った自分の姿をみて白鳥だと知る場面である。(譜例21)このピアノ
の動機は,曲の最後(356小節~)でまた用いられている。(譜例22)
Но что он увидел в чистой воде?
Своё отражение!
しかし彼は澄んだ水の中に何を見たのでしょうか
自分の姿をみたではありませんか
譜例21
237
服 部 麻 実
譜例22
おわりに
プロコフィエフは生涯に渡り声楽作品を作曲しており,《みにくいあひるの子》の作品は初期にあたる第
1期の作品であり,意欲的な創作の試みの多い時代に書かれている。その中でもこの作品はアンデルセンの
物語を原作とし,プロコフィエフ自身の散文詩による作品という点でも,彼の声楽作品では特別な位置に置
かれていると言える。後にはオペラにおいて自ら台本作成を行なった彼にとって,《みにくいあひるの子》
は大きな足掛かりとなる自身のあゆみであったと言える。つまり彼の声楽作品の創作にとって,テキストと
音楽は常に密接である必要性があったことが読み取れる。
第2章ではこの作品の散文詩を音楽でどのように表現をしたのか,作品の背景,言葉と音楽の関係,また
描写的表現の視点から考察を行なった。声楽パートは,散文詩を再現する方法として拍子の変化を用いてい
ること,また動物達の口調のイントネーションを旋律とリズムで音楽に表現し,音楽と言葉が声楽的な旋律
によって流れるように作曲されていること,そして表現に適した音の抑揚を用いることによってその心情を
豊かに表現しており,それはムソルグスキイの影響がみられることを本論では述べた。
描写的な表現についてはピアノパートに非常に多くの役割があり,単に声楽パートを支えるだけではなく,
詩の意味合いをピアノパートも担い,ピアノパートと声楽パートが互いの相互関係によってこの曲の表現を
高めているということを考察した。更に1)情景の描写,2)心情の表現,3)主題,または動機を用いた
表現法の3つの視点に分けて,具体的にどのような表現を行なっているのか考察をおこなった。そのことか
らプロコフィエフはこの作品を簡素でありながら,詳細な描写的手法を用いていることが分かった。
作品のテーマ,またその題材の扱い,表現においても,《みにくいあひるの子》の作品はプロコフィエフ
の作品において,非常にユニークなものであり,また彼がその後の作品を手がけてゆく上で,大きな指針の
一つとなったと言えるのではないか。
今後はこの作品が,後のプロコフィエフの作品にどのように影響を与えたのかを,具体的に考察すること
によって彼の歌曲作品の特徴が一層,明らかになるものと思う。
注
ⅰ Н.Рогожина, Романсы и пнсни С.С.Прокофьева .,Советский композитор, 1971, стр.21
ⅱ С.Прокофьев, Прокофьев о Прокофьеве:Статьи и интервью , Советский композитор, 1991, Стр24 :Из
«Автобиографии»Прокофьева
プロコフィエフの自伝で,プロコフィエフは創作における自分の信条を次のように述べている。
①古典的であること ②革新的であること ③即興的であること また動的であること ④叙情的であること ⑤番目を
言うのであれば,グロテスクであること。不快感という意味もあるが,私の音楽の中ではむしろ「冗談」
「諧謔」などの意
味を好んでいた。
ⅲ ガリーナ・ピサレンコ教授は,ロシア人民芸術家の肩書きを持つモスクワ国立音楽院の教授である。1974年に初めて来日
し東京でリサイタルを開いた。1977年にはモスクワ・オペラと共に再来日し《エフゲニ・オネーギン》のタチアーナ役と《イ
238
セルゲイ・プロコフィエフの声楽作品
オランタ》の主役を演じた。教授はかつてスタニスラフスキー・ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念モスクワ・アカデミー音
楽劇場の花形歌手であり,又オペラだけではなく室内声楽曲の歌手として,ロシア・ソビエトの歌曲を始め古典から現代に
至る各国の多彩な作品をレパートリーとしている。教授はプロコフィエフ作曲のオペラに於いては《修道院の結婚 op86》
(1940~41)リーザ役,
《マッダレーナ op.13》(1911~13)の主役,
《戦争と平和 op.91)
》
(1941~43)のハイライトとア
リア,
《賭博者 op.24》(1915~17)のテレビ映像用録音,歌曲では《みにくいあひるの子》,《A.アフマートヴァによる5
つの詩》,またロシアでも稀にしか演奏されることのない《K.バリモントによる5つの詩》など演奏の経験を豊富に持って
いる。特に《みにくいあひるの子》と《A.アフマートヴァによる5つの詩》の解釈,演奏は特筆すべきものがある。また
モスクワ国立音楽院の学生時代に晩年のプロコフィエフと同時代に生きたニーナ・ドルリアク教授から,それらの演奏につ
いての伝統,解釈,表現を学び,それを確実に次の世代の演奏家達に伝えている。
ⅳ プロコフィエフの声楽作品の年代をС.Прокофьев, Вокальные сочинения Том1, Том2 «Музыка» Москва 1976 と
ニューグローヴ世界音楽大事典 第15巻,(The New GROVE Dictionary of Music and Musicians)講談社,文献社1994~
1997の資料より,1910年~1950年とした。
ⅴ .Н.Рогожина, op.cit., p.9
ⅵ 1932年に設立され,後にソ連全土に組織化される。これにより音楽の全てが中央集権化され,作曲家達は創作の経過を
会議に提出し,報告を義務付けられる。社会主義イデオロギーの路線に沿った創作活動が求められ,形式主義的な作品や体
制のイデオロギーに従わなかった場合には批判にさらされることになる。
ⅶ ピアノ作品《子供の音楽op.65》(1935),《3つの子供の歌 op.68》
(1936)
,
《ピーターと狼 op.67》
(1936)
ⅷ Н.Рогожина, op.cit.,p157 注2 コンクールにはこの曲集から2曲 «В лете калина»,«Зеленая рощица»を応募し,
それぞれ1等賞と2等賞を受け取る。
ⅸ Н.Рогожина, op.cit., p.159
ⅹ Н.Рогожина, op.cit., p.5
ⅺ セルゲイ・プロコフィエフ(サブリナ・レオノーラ/豊田菜穂子訳)
『プロコフィエフ短編集』群像社 2009年
これらの短編小説は,プロコフィエフの創造力が異常な高揚を見せた時期に書かれた。オペラ《賭博者 op.24)》
(1915
~17),《三つのオレンジへの恋 op.33》(1919),革新的な《スキタイ組曲(アラとロリ)op.20》
(1915)
,
《彼らは七人
op.30》
(1917~18),さらに《交響曲第1番『古典的』op.25》
(1917~21)や《ピアノ協奏曲第三番 op.26》
(1917~21)といっ
た傑作の数々も,また《みにくいあひるの子》と同時期に作曲された。
ⅻ 台本をプロコフィエフ自身が書いたのは次の4作品。そのほかに未完の1作品がある。
《セミョーン・コトコop.81》
(1939),
《修道院での結婚》(1940~1941),《戦争と平和》
(1941~43)
,
《真実の人間の物語り op.117》
(1947~48)そのことにつ
いてプロコフィエフは「私は台本を自分で書いた。話の筋をオペラに適応させたので,数箇所を私なりに変更させてもらっ
た」と言っている。
ⅹ
ⅲ プロコフィエフは物語の一部分を削除している。あひるの子が百姓家に辿りつく場面は声楽曲には書かれていない。
ⅹ
ⅳ С.Прокофьев, Прокофьев о Прокофьеве:Статьи и интервью , Советский композитор, 1991. P.24 Из
«Автобиографии»Прокофьева, op.cit.
ⅹ
ⅴ Н.Рогожина, op.cit.,p21 批評家アサフィエフ(Борис Владимирович Асафьев 1884~1949)は,この作品を1917年2月
に初めて聴き,「・・・この作品はプロコフィエフ自身のことを描いている」と言っている。
ⅹ
ⅵ Н.Рогожина, op.cit., p22~23 要約 この中では「醜悪」なもののテーマとして作品23-1《屋根の下で》(1915),バレエ
音楽《シンデレラ》(1940~44)の作品をあげている。
ⅹ
ⅶ Н.Рогожина, op.cit., p.24
ⅹ
ⅷ ロシア語のデクラメーション(音楽的抑揚)はダルゴムィシスキイ(Александр Сергеевич Даргомыжский 1813~
1869)のオペラ《石の客人》(1872,キュイやリムスキー=コルサコフによって補完)によって確立された。音楽は抑揚を
伴う芸術であり,この点においては言語と同じものであり,それらが必然的に結びつき,影響を与えたのは当然と言える。
人間の会話から音楽的な旋律へと表現の可能性を広げていったのは,時代的な必然性であると言える。
ⅹ
ⅸ ヴェー・ヴェー・スターソフ宛てムソルグスキイの手紙「ロシア音楽新聞」社版p106(アサフィエフ「ロシア音楽」よ
り抜粋)
ⅹ
ⅹ 伊東一郎,一柳富美子 『ムソルグスキイ歌曲歌詞対訳全集』
,新期社 p.328
ⅹ
ⅺ S. プロコフィエフ著 田代薫訳 プロコフィエフ 自伝/随想集 2010年 P194 引用 スタニスラフスキー劇場制作の
オペラのシンポジウムのために書かれた原稿から 1904
ⅹ
ⅻ Мартынов «С.Прокофьев жизнь и творчество» москва 1974 стр.124 要約
ⅹ ⅹⅲ Н.Рогожина, op.cit., p. 27 ピアノパートとレチタティーヴォの関係において,ムソルグスキイ《子供部屋》との作曲の
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服 部 麻 実
類似性がみられる。《みにくいあひるの子》ではピアノパートは単に伴奏という関係ではなく,ピアノと歌は相互関係を補
い合うものである,と述べている。
参考文献
ニューグローヴ世界音楽大事典 第15巻,(The New GROVE Dictionary of Music and Musicians) 講談社,文献社1994~
1997
伊東一郎,一柳富美子 『ムーソルグスキイ歌曲歌詞対訳全集』
,新期社
大畑末吉 『完訳アンデルセン童話集(二)』,岩波書店,1988年
セルゲイ・プロコフィエフ(サブリナ・レオノーラ/豊田菜穂子訳)
『プロコフィエフ短編集』群像社 2009年
S. プロコフィエフ著 田代薫訳 『プロコフィエフ 自伝/随想集』 2010年
Мартынов, С.Прокофьев жизнь и творчество , музыка, 1974
Н.Рогожина, Романсы и песни С.С.Прокофьева ., Советский композито p,1971
С.Прокофьев, Материалы, Документы, Воспоминания , Музгиз, 1961
С.Прокофьев, Статьи и материалы. 1953-1963 , Советский композито p,1962
С.Прокофьев, Прокофьев о Прокофьеве:Статьи и интервью , Советский композитор, 1991.
楽 譜
С.Прокофьев, Вокальные сочинения Том1, Том2 «Музыка» Москва 1976
С.Прокофьев, Гадкий утёнок Сказка Г.Х.Андерсена ,(Вторая редакция)Ор.18 Композитор-Санкт-Петербург 20022005
М.Мусоргский,Романсы и песни Том1, «Музыка» москва, 1976
グリンカ歌曲集,川本信子,全音出版,1994
(岩見沢校准教授)
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