フランスにおける議院の委員会(1)

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フランスにおける議院の委員会(1)
-1969年国民議会議事規則改正を機縁として港
室
真教
学
腰
野律
高
次
目
第1葦 現行委員会制度序論
-委員会法源の検討(ll 1958年10月4日憲法
(2)組織法
(3)議院規則(以上、本号)
第2葦 委員会の構成
(1)委員会の設置
(21委員の任命
(3)委員会理事部
第3章 委員会の活動
(11会 議
(2)審 禿
第1章現行委員会制度序論
-委員会法源の検討本稿は、フランス第5共和制の議院の委員会の地位、構成及び機能の諸側面の解明を通して、
現代フランスの議会制に加えられた政治的脆弱化と合理化をその制度と実際について検討しよう
とするものである(1)
。まず、本章では、1958年憲法の下での議院の委員会に関する法的規制の
態様を考察する。
(1)1958年10月4日憲法
lo憲法の委員会条項
1958年10月4日憲法第43条は、議院の委員会について次のように規定している。
「政府提出の法律案及び議員提出の法律案は、政府又はこれを審議中の議院の要求に基づき、
そのた馴こ特に指名された委員会に審査のために付託される。
右の要求がなされなかった法律案は常任委員会の一に付託される。各議院の常任委員会の数は
六とする。」
上の条文にも明らかなように、1958年憲法における委員会制度の基本的特質は、次の二点に求
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フランスにおけ
tLt轟野上
められる。以下、夫々について検討を加えることにする。
第一に、憲法は、先行制度と同様、常任委員会と特別委員会の二元主義を維持しつつも、特に
指名された委員会、即ち特別委員会(Commissions speciales)に法案を優先付託させる原則を
とっている(43条1項) 。そして、この特別委員会による審査の原則は議院規則によってさらに
具体化される。即ち、議院規則は「特別委員会」の規定(国民議会規則30-35条)を「常任委員
会」の規定(国規36条以下)の前におき、法律案の特別委員会手続の実行を政府の主導の下に促
進せしめ、一定の期間内に特別委員会が設置されない場合にのみ法律案を常任委員会に付託審査
させることとしている。従って、この方式はある法案が常任委員会の主管に属しない場合に議院
が特別の委員会を設けて審査を委ねるのとは異なり、特別委員会付託の手続を原則とし常任委員
会への付託を例外とする点に大きな特色がある。フランスの憲法史上、共和暦3 (1795)年か
ら19檀紀末期に至る長い間、革命期の公安委員会(comit′e de salut public)等の行政干渉的
逸脱川 に対する反動が訪れ、特別委員会の一元主義が行なわれたことがあるO しかし、これは
20世紀初薗新時代の需要に対処するために委員会制慶が整備され本格的な発展をみることになる
以前の段階である。換言すれば、フランスの立法府は、アメリカの連邦議会と同様、諸国の議会
が行政府との関係において立法権の退潮をみた趨勢に対し例外の地位を維持し間、 1902年に代議
院で常任委員会の原則(5'が確立して以後、常に、かかる強い議会の下での弓釦、委員会の嬰を代
表してきた。しかし、 1958年憲法は、執行権の強化と行政府の行動の自由を保障するために常置
委員会の専門性を抑制し、法案審査における特別委員会の有効性を高めることにしたのである。
けれども、かような憲法で意図された原則は付託手続の運用において実現されず、大勢において
依然伝統的な常任委員会中心主義が行なわれている。かくの如く、われわれは憲法上の制度と政
治生活の実際の間の著しい帝離を第5共和制の議院の委員会に見ることができるのであるが、こ
の現象の究明は後述に譲ることにしたい(後出第2章1)
第二に、憲法は常任委員会の数を各議院について六に制限していることである1958年以前は
どうであったかというと、第3共和制の委員会では代議院常任委員会20、元老院常任委員会12
(代議院規則11条、 1920年1月27日決議、元老院規則15条、 1921年1月18日決議) 、第4共和制
の常任委員会は各議院19 (国民議会規則30条、共和国参議院規則20条)であった。これらに較べ
て、現行の六というのはまさに著しい縮少というほかはない.第4共和制(1946年)憲法は、国
民議会の委員会を憲法上の存在としたが、その数については議会の決定に蚕していた(15条) 0
これに反して、この憲法では特別委員会付託の原則と常任委員会の数を憲法で直接規定している
わけで、これは立法例としても殆んど諸国に例をみないものであるo委員会限定主義はフランス
において1930年代のLeon Blumの国家改造案榊に現われていた。この憲法の実質的起草者と
目されるミシェル・ドプレ(Michel Debre)は後に示すように1950年代に委員会数の制限を表
明していた。彼の見解はのちU・N・Rの主張に影響を与えるのである川。憲法第43条はこれら
の先行思想を背景として成ったものと言えようOかくて、憲法制定の際、政府の起草した憲法前
案(Avant-projet de Constitution)は特別委員会付託の原則と常任委員会を六に制限する旨を
明記した(政府前案38条)。これは、のち憲法諮問委員会(Comit色 consultatif constitutionnel)によって常任委員会手続の原則,それに委員会の数を制限しないものに修正された(C ・
C ・ C案38条) 。が、確定案はこれを覆えして政府の基本方針通り先の政府前案に倣うことにし
たのである。周知の通り、従来の第3 ・ 4共和制の常任委員会は、大体行政各省別に常置きれ、
各委員会は所管に関わる法案の予備審査に関して独立的・専門的な権限を与えられていた。が、
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安定した政党勢力を背景とした強力な内閣制度を持たないフランスの政治生活において、議院の
インタミツタント
委員会は、ブローガンの指摘するように、自ら不可避的に間欠的な内閣に代る存在たらしめら
れ糾、その赴くところ政府の政策を制肘・牽制し各省の活動に関与・介入する等制度上与えられ
た強力な権限を政治的統制に利用するに至って国政上にいわゆる委員会政治を現出した。フラン
スの委員会制度が20世紀初頭(常任委員会の原則は代議院で1902年11月17日、元老院では1911年
12月7日の決議により確立した)に成立して後、かような政治的役割を肥大化しその権限を強大
化することになった原因には、おそらく次のような複合的な要因が考えられる。第一に、政治の
運用面で客観的に安定した政党勢力がなく、政府・議会間に協同関係の恒常的な不毛性があった
こと、第二に、制度上委員会が行政各省に対応する専門委員会として設置され強力な権限が与え
られていたこと、第三に、委員会の運用面での変動が少ないことから結果する委員会の人的固定
性、国民議会財務委員会における委員長以下委員の席の政治的重要性と同委員会が機構上英米と
異なり歳入と歳出を併合して扱うものとされかつ財政(finance)を主管することに基づく政治
的権限の掌握これであり、第四に、革命以釆の主権的議会制の伝統に潜む行政権に対する恒常的
不信感が存在すること等、である。従って、旧制下の委員会の政治的逸脱は、これらの諸要因が
夫々もしくは相互に作用し合った産物というべきで、ここにフランスの委員会がアメリカに見ら
れるような立法部の権力中心的地位を越えて全国家権力のf」'D>に迄到達するに至った特殊性があ
るのである。かくして、意法制定者は、大統領を頂点とした執行権を議会制の枠内で強化する体
制、即ち「執行権(pouvoir executif)優位の議会制」桝を憲法の指導原理として指定したので
ある。そして、議会に許容されないことは禁止されるの立場から、国会主権の原理とその議会主
義的歪曲としての議会政治制(gouvernement d′assemblee)を否定し(10)、国政の決定におけ
る政府の指導と責任の原則(憲法20条)を明示して国会立法に対する政府の主導権を確立した。
このような新たな議会制の構想の下で議事手続改革(合理化)の直接の対象とされたものは委員
会構成の制度であったことは当然である。即ち、強力な権限を有する専門委員会が各省に対応し
て設置され、院内機関として存在したことが、小党分立と脆弱な行政府との関係において前者の
政治化を促がすに至ったという事実である。ドプレは、既に、 1943年の「研究一般委員会」
(Comite General d′Etudes)の憲法案において、解散権の不行使、小党分立、議院委員会の
越権に見られる執行権の立法権に対する隷属の方向に歪曲きれた議会制を匡正して、首相の地位
の強化と相侯って立法・執行両権力の均衡したイギリス流の真正議会制の再生を主張してい
たt川。また、彼の1955年の論文においては、 「余りにも数の多い委員会と権限の強大な委員会は
議会制に両立しない二つの現象である」 `1"と述べている。憲法の改革はこのような見解を継承
するものである`川。
これを要するに、ドプレを中心とする議会制の構想を要約すれば、政府と国会の間に適正な権
限が分配され相互の抑制が図られる議会制(regime parlementaire)の下で政府(内閣)が立
法に責任をもち立法手続を指導することと(国会運営のレベルでの執行権の介入は共和国大統領
よりも内閣総理大臣を中心とする政府gouvernement の万が直接的であることを考慮すべきで
ある) 、立法過程の一部を担当する常任委員会の設置を行政各省別から事項別に改めることによ
ってその数を縮減し、而して委員会を「余り専門化きれずかつ付託法案について意見を与えると
いう条件において審査し監督する機関」 <14)たらしめることにある。そして、内閣が国政の中核
を占めて国会立法を支配する政治体制は近時のイギリスに行なわれているものであり、委員会を
事項別に設けてその権限において非専門的な機関たらしめる原型もイギリスに淵源し現に実践さ
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れている。この意味で、憲法制定者の基本的な構想はイギリスの現代議会制と強い政府の下での
弱い委員会制を範型とし、前に述べた特別委員会の積極的活用と相侯って委員会制度を全体とし
て合理化することにおかれているとみることができる。第5共和制憲法の委員会条項はこれを広
く憲法申第4章国会の諸条項との関連において考察しなければならない所以はここにある。
20 フランス的解決の特色と限界
しかし、何といっても委員会は議院の内部機構の-であり、憲法の規定する議会制度の一部分
に過ぎない。委員会は何れの国でも議院の立法活動を促進する技術的・実際的必要に基づいて生
れたにしても、その国政に占める役割においては、国によって著しいヴァラエティがある。学者
は、委員会を専門的権限の有無や議院との関係における地位いかんによって、専門委員会をもち
常任委員会中心をとるアメリカ型と非専門委員会と議院中心主義をとるイギリス型の二つの類型
に分けている。これによれば、 1958年以前のフランスはアメリカ型に属し、 1958年以後のフラン
スはイギリス型に近いものになったと言うことができる。しかし、ここでのわれわれの関心はむ
しろ広く国政において占める委員会の地位にある。委員会の性格乃至地位は、憲法の規定する統
治機構、就中国会がどのような基本的性格を与えられているか(政府と国会との関係、国会の地
位) 、又憲法の下で政治がいかに運用されているか(政治的伝統と政治生活の進化) 、更には政
府、議院、政党政派、各省官僚が委員会をいかに運用しこれにどのような関係において影響を及
ぼしているか(委員会運用の実際)等によって規定されるからである。この意味で、 1958年憲法
によって規定された議会制とその下での委員会制度のフランス的解決の特質と問題点を、次に指
摘しておきたいと思う0
第一点。 1958年憲法は、先に触れたように、 「執行権優位の議会制」を指導原理としている。
憲法はこの原理に立脚して、国政の決定における政府の指導と責任の原則を明示し(20条) 、法
律案の作成,委員会の審査,議院の審議に至る全立法手続に対する政府の主導権を確立した。政
府と国会の権力関係の結節点に立つ委員会はこの憲法的変革によって根本的な改革を要請される
ようになったのは当然である。ただ、その際に、ドゴオル体制のフランスが先例としたものは進
化した二党制、政府の強力、国会の脆弱及び官僚の発言力等によって国政の現実的権力が既に国
王-国会一内閣に移行を遂げている「イギリス型議会主義」 (parlementarisme de type
britannique)-学者はこのようなイギリス型議会制を≪内閣政治制≫ gouvernement de
cabinet と呼ぶ-とその下での政府による立法指導体制である。そして、フランスが従来の伝
統的な議会政治制をイギリス流の内閣政治制に転換させるに当っては、イギリスの統治構造の基
本的な枠的-二覚制を前提として国会多数派の指導者が政府の首長となる体制-を顧りみる
ことなく、専ら「憲法上の手続という遠廻しな方法によって」 `15㌧ いわば表面的な立法的操作
だけで対処せんとするところにフランス的解決の大きな特色と同時にその限界が見出される。
第二点。しかしながら、他面,フランスには大革命以来の国会主権の原理に基礎をおく議会主
義の伝統-長年に亘って培かわれてきた政治的・公法的枠組-や共和主義的観念が広くかつ
根深く社会に残されている。特にかかるものに対する愛執において国会議員の心情は極めて強烈
なものがある。また慣行に基礎をおく議事手続の諸原則は禁止きれないことは許容されるの公理
に従がい依然制度の強い活力源となっている。これらは憲法上の統治機構の変更に拘らずむしろ
それに反挽する要因とさえ見ることができる。まさに、「伝統を尊重し急激な変化を好まない」`川
という本性は議会従って又委員会を見る場合に決して無視し得ない要因といわねばならない。実
際にも、 1958年の憲法制定者が内閣統治制下のイギリス型議会主義と議事手続の諸原則を立法的
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に移植し法的規制による合理化を徹底せんとした結果は政治生活の進展につれ議事法や議事慣行
の次元でまた国会議員の議且か理との関係で諸種の不協和を生みだすことになったのであるo先
に触れた特別委員会手続の低調はその-であるが,委員会の大幅な縮少が各委員会の委員定数の
過大を生み所管の膨脹を来してかえって運営の不合理を招いたため委員会の内部にいわゆる小委
員会の設置-これは常任委員会の専門分化を意味する-を許さざるを得ない事態となってい
るが如き、これである。この意味で、われわれが1958年の立法手続の一要素をなす審議(delibと・
レジ-ム トラデイ
ration)の過程を占める議院委員会の組織・活動を検討する際に、こうした体制的なものと伝統
シオン
的なものとの交錯と緊張関係に特に大きな考慮を払う必要を痛感させられる。
(2)組織法
国会の主権を否定する憲法の下で、国会の立法手続に対する政府の干渉が著しく強化されたの
は当然である。従って、第5共和制の委員会制度は、憲法43条(委員会条項)のほか、第4章国
会中の諸規定による規制を見る必要があり、とりわけ憲法42条、 44条及び48条は重要であるo
また、委員会の組織及び運営に関しては、憲法第7華麗法院及び第15葦経過規定の諸条項とこれ
に関連する憲法附属法がとりわけ重要な意味をもっている。
lo 国会各議院の運用に関する1958年11月17日オルドナンス(58-1100号)
本オルドナンスは、第5共和制発足当初「諸制度の創設に必要な立法措置」として憲法92条に
オルドナンス・オルガニク
基づいて制定された組織命令の-(17)であって、憲法を補充するいわゆる組織法(loi
organique)(り に属し、通常法に優位する形式的効力を与えられ、規定内容からいっても新制
度の国会法法源として重要である。その内容は、議長の秩序保持権、軍隊要請権、議院の財務、
請願、議院の財政自主権について規定するほか、委員会についても、次の事項を定める.まず、
憲法の規定する特別・常任委員会についてその構成、委員任命の方法及び委員会の運用に関する
定めを議院規則の所管事項として指定している(5条)。次に、憲法43条の規定する委員会のはか
に、各議院が必要により設置することのできる委員会として調査委員会及び統制委員会の二極の
委員会を挙げ、その設置、権限、委員選任の方法、活動及び報告書の公表に関する原則を定める
(6条)。これによれば次の通りである.調査委員会(Commissions d′enquete)は一般に政治
的、財政的な醜悪事態に関し情報資料を蒐集・調査しその結果を議院に報告することを任務とす
る。当該事実に関し司法上の訴追が行なわれる場合委員会を設けることができない。統制委員会
(Commissions de controle)は公役務もしくは公企業の行.財政上の管理を監督・検査しそ
の結果を議院に報告する。何れの委員会も臨時のものであるが、委員は多数投票で指名され氏名
は外部に知らされない。活動期間は4カ月を超えることができない。報告書は議院の議長もしく
は委員会の特別多数の提案ある場合にのみ公表される。
議院規則は上記オルドナンスの定めを承けて、各委員会設置の手続、委員の定数、委員会の審
議、報告書の提出等運用上の細則を定める(国規140-144条)0
2。憲法院に関する1958年11月7日オルドナンス(58-ユ067号)
本オルドナンスは、憲法59条が国会議員の選挙争訟の裁決権を、憲法63条が議院規則の合憲性
審査権を憲法院(Conseil constitutionnel)に委ねたことに基づいて、同院の構成、権限及び
手続を具体化するもので、前記1958年11月17日オルドナンス同様、組織法に属する。中でも、憲
法61条が、両議院の議院規則はその施行前に憲法院の適意性についての審決を経なければならな
いとしたことは重要である。
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かようにして、委員会の組織及び運用に関する議院の自主権は、憲法及び組織法によって内容
(規則事項)と形式(規則制定の手続)の両面で、重大な法的規制を受けることとなった。
(3)議院規則
lo 憲法と議院嬢則
フランスにおいては、革命期以釆、共和暦3年、第2帝制の二つの時期を除いて、議院は「自己
の規則の主人」であるということばの示すように、立法団体(議院)は自ら内部組織、議事手続及
び会議の規律に必要なすべての規則を定めるのを例としてきた。そして、議院規則(r色glement
des assemblies)は、かような議院の自主制定権-フランスにおいてこれは共和制の伝統の
一部をなすものと考えられているt川-の結果として、単に議事運営の細目規定たるに止まら
ず実質的に憲法の規定を吸収・補完し又はこれを変更し得る効力が認められておりHo) 少くと
も議院規則が憲法規範に対する関係における重要性において選挙法や療法慣習に匹敵すると考え
られてきた。ところが、第5共和制下、議院規則は内部事項の定立において憲法及び組織法によ
って相当細部に至る迄規制されかつ制定の手続においてその施行前に憲法院の合憲性審査に服す
スヴレエニテ
る二重の制約を受けることになった。このような規則制定における議院の主権性の喪失は、政府
の議事運営に対する監督が強化された王制復古期や皇帝のデクレが議事規則にとって代った第2
市制期の例外を除いて、フランス憲法史上殆んど例のないものであり、比較法的にも-例えば
アイスランドやスペインでは議事規則は国会が政府の同意を得て法律により定めるとしてい
る(21) 極めて異例に属するものといわねばならない0
第5共和制下の国民議会規則(Le rとglement de I′Assembl色e Nationale)は、 1959年6月
3日、国民議会により確定的に議決され、同年7月21日憲法院の合憲審決により成立した。元老
院規則(Le rdglement du Sとnat)は、 1959年1月16日の暫定規則、同年7月9日及び1960年10
月27日の修正決議を経て、 1960年11月18日憲法院の合憲審決により成立をみた(22)。これら両院
議事規則の成立の過程で、両議院は夫々議事規則に対する内閣総理大臣の声明を聴取した(1959
年5月26日国民議会、同年6月2日元老院) 。両院議事規則はその後度々修正を施されてきて
いるが、中でも以下にみる「1969年10月23日国民議会議決146号」による国民議会規則の改正は
規模と内容において特に注目に価いする。
1969年国民議会規則の改正
もともと、 1959年国民議会規則は、制度の性質上国会の地位及び権限を脆弱化し政府と国会と
の対話を拒絶しようとした憲法の精神を、議院法体系において強める形で洲、多数党の行過ぎ
を是正する`2日 ことによって全立法活動における行政府の支配権を確立することを立法精神とし
て制定された(26)。従って、国会立法に対する政府主導性の確立は、院内多数派に議事運営上の
優越性を与える結果本会議や委員会における反対派の行動の自由を著しく減殺し、議院の統制機
能を殆んど剥奪せしめた脚'のみならず、全体としての議院そのものの立法機能-法律案の起
草活動、発議及び修正権の行使-を衰退せしめ、委員会及び本会議における議員の無気力と倦
怠を大きくし国会審議を活気のない低調なものにさせていた。又、行政を担当する各省官僚の実
力は国会議員の立法能力を造かに凌駕し国会の立法機能を益々退潮に押しやる有力な要因ともな
っていた.かかる条件の下で、国会の役割と国会議員の使命を問い正す声`川 が上がるのも蓋し
当然である.しかも、他方では、フランスの政治生活において新たな注目すべき現象が起ってい
た。即ち、政府にとっては第2回総選挙(1962年11月)以後政権を担当した第2次ボンピドゥ内
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閣(第2立法期)は国会多数派の結束した支持によってとにかくいかなる危機もなしに立法期を
もちこたえ得るいわゆる立法期政府(gouvernement legislature)を実現することができ、政
府にとってかつて例のないメリットを得た。それに上の第2回総選挙(1962年)及び第3回総選
挙(1967年)の結果は在釆政党の左右ブロックへの再編成いわゆる両極分化(bipolarisation)
の傾向を促進させるに至ったのである。かかるイギリス型多数派議会主義(parlementansme
majoritaire)の方向に政治的局面が移ってきたに伴い、一方では第3立法期(1967年以後)の
立法活動は政府と国会多数派との親密化による結束の強化、対話の促進が希求され、他方では国
会における政府多数派(majorite)と反対派(opposition)との二元的対立の形での「審議の可
能性」(川が期待される状況となったのである。
かくて、国民議会議長Chaban-Delmasは、 1967年6月、従来の議会活動の経験に徴して議
事規則を再検討する意向を表明した.この時期には関係議員の意見をアンケートして解答を蒐集
し、 Jacques Duhamelの名で「議事活動の改革のための諸提案」 (proposition visant a
am色riorer le travail parlementaire)が公表された`…。提案は七に分れるが、委員会に関し
てみると、提案I 「委員会の活動」 (travail des commissions)として、 (i)委員会の審議に
おける公開性を強めること、委員会の結論をもっと強制力あるものにすること、 (ii)特別委員会
の設置を活発化して憲法の規定と精神を生かすようにすること、 (iii)常任委員会の数-現行は
六-を増やすこと、が示される。上記のうち、常任委員会の数を変更することは憲法の改正を
必要とするので、差当っては常任委員会の所管事項と定数の変更が提案される。そして、本格的
な審議は1968年度春の会期から開始された。まず、規則改正決議案が発議され、特別委員会(委
員長Michel Habib Deloncle)の審査に付託された。改正案はJean Philippe Lecat を報
告者として国民議会で審議、国民議会は1969年10月23日委員会案の採択を決議し、ここに大規模
かつかなり長期に亘った改革作業は結了した(sI)。この1969年10月23日の決議は新規則の制定で
はないが、その内容は1959年規則に対する修正・追加合わせて56ヵ条を含むものではぼ全面改正
に近い実質をもつものである。その改正趣旨は、 Chaban-Delmas国民議会議長の提案『現代に
コンセルタシオン デイアログ
おける国会の役割と国会議員の使命』に表明された<政府と国会の協 調 と 対話の促進≫を
基調として、憲法の枠内において、主として立法手続を単純・明確化し、全体として立法活動の
近代化と有効化を図ること、その他10年に及ぶ経験上の欠陥を補正することにある。ただ、今回
の規則の改正を動機づけたところの、立法活動を活気あるものにしたいとする国会議員の要求
が、立法についての政府の指導と責任を定めている憲法上の既定の原則の中でどれだけ取入れら
れ調整されることになったかについては疑問がある。 「委員会の構成及び活動」の分野について
みても-この部分が今次改正中の重要事項の-であることは多言を要しない-、委員会の構
成では常任委員の指名方法、特別委員会手続即ち設置請求の時期及び期間、設置請求に対する異
議申立権者の範囲、異議ある場合の討論等、その他特別委員、常任委員の定数等、又委員会の活
動では活動形態、招集、会議、常任委員長の権限等の事項に、改正が加えられている。そして、
常任委員長、会派の長の権限の強化、委員会の立法審査の進捗と権限の拡大が図られようとして
いる。この改正とは別に、近時の論者もつとに国会脆弱化の是正策として、政府の一括投票付託
要求権を定めた憲法の規定の廃止、議事手続に関しては議事日程、調査委員会及び常任委員会の
組織、反対派議員の地位について制度の改革を衝いていた(相。政治情勢においても、第3次及び
第4次ボンピドゥ内閣以後、とりわけ「ドゴオル以後」 (1969年4月285、ドゴオルは大統領の
職務を停止した) 、政府と国会の間の諸関係は将軍の時代より遥かに親密になったこと、換言す
1) (高野)
フランスにおけ
100
デイアルシ-
れば、執行権の両頭制における内閣総理大臣の地位の高揚-最高権力は国家元首にあるとして
も諸々の改革の動力(impulsions novatrices)は首相から発する-という現象が現われてき
ているようにみえる。この事態は、 1958年以降の制度自体の貧血症と政治的現実から、今一度国
会の役割と国会議員の使命を省察し全体としての国会の復権を図る機運を醸成させているとも言
える.しかし、以上のような立法手続の改革や処方葺も、 A. Duhamelの言うように、政府と
国会の間の政治的従属関係自体の貧血症を大して変えることはできないであろう`岬、と思われ
る。この意味で、実質的な立法権が政府に与えられる集権的な行政国家(フランスも例外でな
い)の下において、議院の委員会に期待される役割、従って委員会制度の改革にも一定の限界が
あるように思われるのである。
なお, 1969年の改正決議は,憲法61条の規定により(憲法院の組織法を定める1958年11月7日
オルドナンス58-1067号参照) 、その施行前、意法院の審査に付託された(1969年10月28日) 。
憲法院は同年11月20日審決を行い、国民議会が採択した条項のうち31条4項、 33条2項、 34条1
項(特別委員会の設置及び委員の定数) 、 41条1項(委員会の活動) 、 133条1項(口頚質問)、
147条3項4項及び5項(請願)の諸規定を違憲と裁決した`川。憲法院が規則中に違憲の条項を
含むと裁決した場合は関係条項は施行されることはできないので(憲法62条) 、国民議会は当該
裁決を考慮し関係条項を修正した。憲法院の審決は、司法審査権の発動の形式をとりながらも、
前記1969年11月20日付審決の基調は、政府と国会の関係(委員会事項はこの関係において重要事
項である)について前者の権限を伸長させる(従って国会権限の縮少の方向へ)というかなり政
治的な立場を示していることが指摘されてよい(35)。
註
(1) 1958年憲法下の委員会制度についてはこれ迄フランスにおいてもまとまった研究がなされていない状
況であり、かかる事情の下で未熟な論稿を発表することに蹟蹄を感じながらもともかく稿を終えるこ
とができたが、たまたま稿了の時点で Dimitri-Georges Lavroff, Les commissions de
I′Assembl芭e nationale sous la Ve R色publique, Revue du droit public, 1971. N-6,
P.1426.に接することができた。本論稿は紙数制限のために分割して発表することになるが、この
Lavroff教授の論稿から得られた教示は従って以下続稿において検討・反映させていきたいと考えて
いる。
(2) David Ruzi6, Le nouveau r色glement de I′Assemblee Nationale, R.D.P., 1959, P.8
Nicolas
Denis,
L′Application
des
nouvelle
rdgles
de
procedure
Parlementaire
芭tablies par la Constitution de 1958, Revue francaise de science politique, 1960, P.903.
(3) Robert Villers, La Convention pratiqua-t-elle le gouvernement parlementaire?, R.D.
Pリ1951, P.375.
(4) K.C. Wheare, Legislatures, 1963, PP.222-224.
(5)常任委員会の原則の確立に至る経過、特に制度の創設、組織、運営の完成を求める諸鐙案の経過につ
いては、 Roger Bonnard, Les r色glements des Assemblies L芭gislatives de la France
depuis 1789, 1926, PP. 71, 72, 76, 81-95.参照。本書は金沢大学の野村敬造教授のご厚意により本
稿執筆に当り拝借させていただいたO ここに感謝の意を表したい0
Georges Burdeau, Trait色de science politique, 1957, t, ¥H, P. 390; Georges Galichon,
Aspects de la proc芭dure l6gislative en France, R.F.S.P,, 1954, N-4, P. 816.
フランスにおける議院の委員会(1) (高野)
101
(7) Pierre Avril, Le r色gime politique de la Ve R色publique, 1964, P.47.
D.W. Brogan, Comparison with American and French parliament, 1963, P. 76.
(9)高野真澄・フランス憲法における大臣と議員の兼職禁止-強力行政府の規範構造と議会制- 『神
戸法学雑誌』 19巻1 ・ 2合併号、昭和44年、 148頁o
Georges Berlia, La Constitution et les dSbats sur les r色glements des Assembl芭es
parlementaires,
R.D.P.,
1959,
P.
569;
Charles
Roig,
L′evolution
du
parlement
en
1959,宜tudes sur le parlement de la Ve Republique, 1965, P.55.
C.G.E.憲法案を分析するものとして.、 Hugues Taテ Le regime pr色sidentiel et la France,
1967, PP.131 et s.
Michel Debr色, Trois characteristiques du regime parlementaire fransais, R.F.S.P.,
1955, P. 21. cit色par P. Avril, op. cit., P. 47.
u3)コットレは、 C・G・Eの憲法案は第5共和制憲法の骨格を準備する意義をもった点を評価するo
Jean-Marie Cotteret, Le pouvoir l色gislatif en France, 1962, PP.90 et s.
M. Debre, Discours prononc色Ie 27 aoat 1958 devant I′Assemblee Gen色rale du Conseil
d'Etat, R. F. S. P., 1959, P. 13.
Maurice Duverger, Deux r色gime Parlementaires, Le Monde, 17-18 mai 1959.
(16)土屋 政三『委員会制度』昭和44年、教育出版、はしがき2頁。
(17)実質的には、 1950年1月6日法の後身であるO
(18) ≪組織法≫の意義につき、高野真澄・フランス憲法における≪loi organique≫についての覚え書き
『尾道短期大学研究紀要』 17集、 1968年、特に10、 11貢参照。
D. Ruzi色op. cit., P. 866.
R. Bonnard, op. cit., prるface.
但1) Michel Ameller, Parliament, 1962, P.95.
ea 1959年国民議会規則についてのD. Ruzieの解説・批評及び規則全文は、 R.D.P. 1959N-5, PP.863
et s.に、又、同年元老院規則についてのJ. Rocheの解説・批評及び規則全文はR.D.P. 1959 N-.6,
pP.1126 et s.に掲載されている。このうち、国民議会規則(1960年12月の改正迄を含む)の邦訳とし
て、下田久則・フランス第五共和国国民議会議事規則、上・下『レファレンス』 No.135、 136がある。
cz功 Marcel Pr芭Iot, Institutions politiques et droit constitutionnel, 1963, P. 726.
D. Ruzie, op. citリP.864.
Alain Duhamel, Quel est le role du parlement dans les democraties modernes? Le
Monde, du 3 au 9 dgcembre, 1970, P.8.
(26)議事運営、就中委員会に関する分野は、 Blamontの指摘によれば、議院法droit parlementaire
申最も多くの修正を施されたといわれる Emile Blamont, Le parlement dans la constitution
de 1958, Turis-classeur-Adlninistratif, 5, 1966, P.ll.
即 いわゆる政治的審議d色bat politiqueは完全に封殺されることになり、それが政府を不信任に追い込
む可能性は稀有となっtz。 Le Monde, du 22 au 28 decembre, 1966, P.5.
Andre Laurens, Le metier de d芭put色, Le Monde, du 12 au 18 oct., 1967, P.4.
M. Duverger, Institutions politiques et droit constitutionnel, 1968, PP.642, 643.
Chronique constitutionnelle et parlementaire franGaise, par L色o Hamon et Jacques
vaudiaux, R.D.P., 1967, N。5, Annexe N- IV.
(31)改正決議の内容を素描するものとして、 Chronique const, et parl. fra., par L. Hamon et J.
Manesse, R.D.P., 1969, N-5, PP.931-935,詳細な解説を行なうものとして、 Chron. const, et
parl. fra., par C.宜meri et J.-Louis Seurin, R.D.P., 1970, N-3, PP.655-686.があり、規則
102
フランスにおける議院の委員会(1) (高竪し
全文は後者PP.688-753.に掲載されている。
A. Duhamel, op. cit., Le Monde, P.6.
A. Duhamel, op. cit., Le Monde, P. 6.
(34)憲法院審決は、丘meri et Seurin, Chron., op. cit., R.D.P., 1970, PP. 753-757.に付録として
掲載されている。
(35)それ故に、われわれにとって、 1959年以降のフランス憲法院の議事規則審査をめぐる憲法上の関税の
検討は不可欠であるが、それはまた別の機会に譲りたく思う。
(未 完)
103
LES COMMISSISSIONS DES ASSEMBLÉES PARLEMENTAIRES
EN FRANCE (1)
Département de
MASUMI TAKANO
droit I'Uniaersité éducatif de Nara, Nara,
Japon.
Le système constitutionnel
parlementairespas d'une aussi grande liberté
ne
disposent
les assemblées
Actuellement,
-Les
qu'auparavant et ceci pour deux raisons: 1o la constitution de 1958 contient des
dispositions prêcises et dêtaillêes sur leur organisation et leur travaux (Const.,
arts. 20, 39, 40, 41, 42, 44 et 48.). 2o le Conseil constitutionnel est chargé de se
prononcer, avant la mise en application des règlements, sur leur conformité à la
constitution (art. 61). Spécialement, le principe constitutionnel nouveau tend à
limiter le rôle des commissions à I'examen des textes lêgislatifs et, pour éviter
que les commissions se transforment en organismes de contrôle, il donne la
prêf"êrence à des commissions spécialement désignêes pour I'examen de chaque
projet ou proposition de loi (art. 43).
(1) La Constitution du 4 octobre 1958-Const., art. 43.
Q\ Les lois organiques-lo Ordonnance n. 58-1100 du 17 novembre 1958 relative
au fonctionnement des assemblées parlementaires. 2" Ordonnance n. 58-1067
d.u 7 novembre 1958 portant loi organique sur le Conseil constitutionnel.
(3) Le règlement des assemblêes- 1o Le règlement de I'Assemblée Nationale
(rêsolution du 3 juin 1959) . 2o Le règlement de I'Assemblée Nationale
sources des commissions
(résolution du 23 octobre 1969).
(re72+5Æ308É4)