パラリンピックにおけるオットーボック社の活動 1988 ソウル、韓国 Seoul, Korea 修理技術者 : 4 名 参加国 : 61 ヵ国 夏季大会 参加競技者 : 3,057 名 観客動員 : 75,000 名 * * 開会式の観客動員数のみ オットーボック オーストラリアから 4 名の義肢装具士が参加。小さなパビリオンを設営して、選手に無料で修理サービスを提供しました。 1988 年ソウルパラリンピック競技大会はその当時では史上最大の規模で、万全の設備が完備された大会でした。オリンピックで使用された重厚で 素晴らしい競技場において、パラリンピックの選手も競技をすることができるという新しい時代が開かれました。この大会において、オットーボッ クは初めて全ての競技者に無料で修理サービスを提供しました。 1992 アルベールビル、フランス Albertville, France 修理技術者 : 7 名 参加国 : 24 ヵ国 冬季大会 参加競技者 : 365 名 観客動員 : - * * 観客動員数に関してのデータなし 1992 年のティーニュ、アルベールビル冬季大会では 365 名のうち女性競技者は 77 名だけでした。 ティーニュ、アルベールビル冬季パラリンピック競技大会は、オリンピックの開催地と同じ場所で開催された最初の冬季大会でした。オットーボッ クはこの大会で冬季大会としては初めて修理サービスを提供しました。 1992 バルセロナ、スペイン Barcelona, Spain 修理技術者 : 12 名 参加国 : 83 ヵ国 夏季大会 参加競技者 : 3,001 名 観客動員 : 65,000 名 * * 開会式の観客動員数のみ オットーボック社は 3,001 名の競技者が滞在していたパラリンピック村に移動式の修理サービス用のワークショップを設営しました。 前回のソウル大会は重要な節目となる競技大会でした。そこでは競技者と熟練した義肢装具技術者が密接に連携して、素晴らしい成果を得ること ができました。バルセロナではオットーボックはフル装備の移動式の義肢装具ワークショップを設置し、パラリンピアンが初めて熟練した技術者 のもとを直接訪れることができるようになりました。 1996 アトランタ、アメリカ合衆国 Atlanta, USA 修理技術者 : 25 名 参加国 : 104 ヵ国 夏季大会 参加競技者 : 3,259 名 観客動員 : 388,373 名 修理サービス用のワークショップでは、25 名の義肢装具技術者が 1,100 の修理を提供するまでの規模に拡大しました。 アトランタにおいてもパラリンピックは拡大の一歩をたどり、前回より多くの競技者が参加しました。世間の興味も高まり、40 万人に近い人々と 2,000 以上のメディアが競技場に足を運んで観戦しました。オットーボックのワークショップにおいても、しなければならない修理が増えてゆき ました。 1998 長野、日本 Nagano, Japan 修理技術者 : 20 名 参加国 : 31 ヵ国 冬季大会 参加競技者 : 561 名 観客動員 : 151,376 名 1998 年には日本の長野において、ヨーロッパ以外で行なわれる初めての冬季大会が開催されました。 若いカナダ人の下腿切断者 Mark Ludbrook はトレーニング中に義足足部のアルミニウムでできた接合部分を壊してしまいました。ワークショップ で 5 時間に及ぶ修理の結果、義足はほとんど新品の状態になり、Mark は競技コースに戻って行きました。この長野でのオットーボックの修理サー ビスチームはドイツと日本の義肢装具士の資格を持つ月城慶一氏によって統率されました。 2000 シドニー、オーストラリア Sydney, Australia 修理技術者 : 60 名 参加国 : 122 ヵ国 夏季大会 参加競技者 : 3,881 名 観客動員 : 1,200,000 名 オットーボックの修理サービスチームは 11 カ国から参加した 60 名の義肢装具技術者で構成されました。 南アフリカから参加した Fanie Lombard は 5 種競技の首位に立っていましたが、膝継手のアンカーが外れ義足が壊れてしまいました。試合会場に おいて直ちにオットーボックの技術者が修理にあたった結果、彼は競技に戻り金メダルを獲得することができました。この大会では観客動員数は 120 万人に上り、アトランタの 2 倍以上の数になりました。 2002 ソルトレイクシティ、アメリカ合衆国 Salt Lake City, USA 修理技術者 : 24 名 参加国 : 36 ヵ国 冬季大会 参加競技者 : 416 名 観客動員 : 211,790 名 この大会ではパラリンピックに対する人気が高まり、初めて観戦チケットの予定販売数を増やすことになりました。 スロバキアの選手 Iveta Chlebakova はスキー大回転の競技の前日に、オットーボックの修理サービスワークショップに義手を持ってやってきまし た。コスメチックグローブの中の義手は粉々に壊れていましたが、チームは一晩掛けて全く新しい義手を作り上げました。次の日、銅メダルを獲 得した Iveta はワークショップに戻って来て、技術者の Robert Laermann にメダルを見せ、お礼の印として自分のゼッケンを手渡しました。 2004 アテネ、ギリシャ Athens, Greece 修理技術者 : 68 名 参加国 : 135 ヵ国 夏季大会 参加競技者 : 3,808 名 観客動員 : 850,000 名 68 名の技術者が修理サービスセンターで 2,000 件以上の修理サービスを提供しました。 イランの車椅子バスケットボールチームの願いはパラリンピックで競技をすることでしたが、アテネに到着した時にその願いは危うく消えるとこ ろでした。非常に重要な小さなワッシャーが無くなってしまい、車椅子で競技できない状態になってしまいました。イランの選手たちは翌日に試 合を控えており、充分な時間が取れない状況の中、チーム全員の車椅子のパーツを付け替えるのは非常に時間のかかる作業でした。「とにかく速 く即席で仕上げる。」はその日の合言葉になりました。 2006 トリノ、イタリア Torino, Italy 修理技術者 : 32 名 参加国 : 38 ヵ国 冬季大会 参加競技者 : 474 名 観客動員 : 162,974 名 トリノ冬季パラリンピック大会から車椅子カーリングが競技種目に加わりました。 ベラルーシの Liudmila Vauchok とアメリカの Greta Khndzrtsyan は開会式の旗手を務めることになっていました。開会式が始まる数時間前に両名の 車椅子の旗を取付ける部分の金具が壊れてしまいました。直ちにセストリエーレにあるオットーボックの修理ワークショップで新しい金具が溶接 され、両名は開会式が始まるまでにトリノのオリンピックスタジアムに到着することができました。 2008 北京、中国 Beijing, China 修理技術者 : 86 名 参加国 : 146 ヵ国 夏季大会 参加競技者 : 3,951 名 観客動員 : 1,820,000 名 オットーボックの技術者は大会期間中、夜昼なしで働き、2,188 件の修理サービスをこなしました。 マダガスカルからやって来た Josefa Harijaona はアルミニウムと革で作られた古い義足を修理してもらいにやって来ましたが、オットーボックの 技術者は時代遅れの義足を治すのは難しいと判断し、新しい義足を作ることを提案しました。Josefa はお金がなかったので、この申し出を断りま したが、お金を払う必要がないと言われた時には耳を疑うばかりでした。 2010 バンクーバー、カナダ Vancouver, Canada 修理技術者 : - 参加国 : 44 ヵ国 冬季大会 参加競技者 : 502 名 観客動員 : 230,000 名 「1 人の力が皆を動かす」というテーマのもと、バンクーバーでの開催式には 5,000 名以上の現地のパフォーマーが参加しました。 国際パラリンピック委員会との共催で、オットーボックは「モーション スピリット - 私たちを動かしているものを見てみよう」という一般公開 の展示会をウィスラーの中心部で開催しました。約 25,000 人もの人々が会場の呼称になった「スノードーム」を訪れ障害者スポーツの競技の歴史 や背景にある技術に大きな興味を示しました。 2012 ロンドン、英国 London, Great Britain 修理技術者 : 88 名 夏季大会 参加競技者 : 4,200 名以上 * 観客動員 : 2,000,000 名以上 * 参加国 : 150 ヵ国以上 * * 予測数 80 名以上の義肢装具の技術者がパラリンピック村にあるオットーボック修理サービスセンターで修理サービスを提供します。 2012 年オットーボックは再びパラリンピアンに対し、義肢、装具、車椅子の修理サービスを提供します。3 ヶ所のパラリンピック村に修理センター を設営するだけでなく、幾つかの競技会場でも修理ワークショップが設営される予定です。
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