小松陽介、「異性装音楽業界∼ヴィジュアル系とトランスジェンダー∼」

論文要旨:小松陽介、「異性装音楽業界〜ヴィジュアル系とトランスジェンダー〜」
序章
性の越境
1990 年代、派手な化粧と衣装のバンドが日本のポピュラー音楽シーンに数多く登場した。そ
うしたバンドは「ヴィジュアル系」と称され、お茶の間をにぎわせ、若者文化に影響を与えた。
ヴィジュアル系は単なる一過性の流行として捉えられるものではないと考えた私は、それを
日本のロック界の歴史的変遷の中に位置付け、更にそれがどのような形で「サブカルチャー」
として根付いているのか、その社会的背景や、意義を探ろうと思う。また、ヴィジュアル系の
多くは化粧や衣装といったものに依存している部分が大きいため、ジェンダーという視点から
の分析も考えられる。なぜ、男性が化粧をし始めたのか、それはロックとどのような関連性が
あるのか、トランスジェンダー的な見かけは社会にどう影響を与えるのか、ヴィジュアル系音
楽を探ることで見えてくるのではないだろうか。
もっともヴィジュアル・ロック自体が、ステレオタイプの男らしさ、女らしさからいつもい
つも解放されたりするわけではないが、ライブの時だけでも自分を表現できるのであれば、異
性装への社会の甘受もこれから考えられるのかもしれない。だからこそ、私はヴィジュアル系
を今回取り上げようと思ったのである。
第1章 異性装業界・ヴィジュアル系バンド
英国のロックの場合、ロックは男らしさの象徴であり、ヤンキーである。女性を排除、もし
くは無視している。つまり女性嫌悪(ミソジニー)と性差別主義(セクシズム)が男らしさと
の深い関わりを持って存在している。日本も例外ではない。ロックは近代という自らが創造さ
れた時代における「近代化」の産物の流用による、西洋自身による<男らしさ>の<反近代>・
非理性的表象であると捉えられる。つまり、
「近代化」によって失われてしまったと感じられる
原初の<男らしさ>を自ら取り戻そうとする試みの一つであり、したがって、けっしてジェンダ
ーの不平等な二項対立に挑戦しているわけではない。
俗にヴィジュアル系といわれるようになったのは、1989 年にメジャーデビューした X
(JAPAN)が用いたキャッチコピーから由来するといわれる。さらに X に続くバンドの人気に
伴って、90 年から音楽専社から発行された「SHOXX」の「鮮烈なヴィジュアル&ハードショ
ック」というキャッチコピーによって、ヴィジュアル・ロックなるカテゴリが広まった。音楽
的にも幅広いジャンルに通じており、オリジナリティー溢れる表現を築き上げた。例えば、ス
ラッシュ・メタル・ニューウェイブ・歌謡曲・パンク・クラシック・テクノ・R&R などで、ロ
ックの百貨店と呼ばれるほどのジャンルの広さを誇る。外見的側面はミュージシャンによる、
意図的に構築された身体的表象、つまり化粧と衣装に力を注いでいる、という点が一番であろ
う。<男らしさ>を捏造しようとしているはずのロックミュージシャンがなぜ化粧をするのか。
実は、この考え自体がおかしい。ロックミュージシャンの場合、そのパフォーマンスは自己表
現の一部であり、演じられる「拡張された自己」あるいは「もう一つの自己」であるとみなす
ことができる。
日本の場合 2 種類に化粧が分けられる。
鬼メイクという KISS のような化粧で、日本では聖飢魔 II やカブキロックスの化粧と、美形
メイクというグラム・LA メタルなど女っぽいとみなされる化粧で、美形メイクは、ニューウ
ェイヴ/テクノポップの流行時にこぞってこのような化粧をした。YMO やRCセクションがそ
の代表である。ヴィジュアル系のバンドは 80 年代のメタルブーム時の影響が大きいため、グラ
ムの流れは直接的には汲んではいないと考えられる。
現代の状況として、ロック=男性性、化粧=女性性という認識があまりに強く確立されすぎ
ている。ある特定の行為が、ある特定のジェンダーと結びつくこと自体、きわめて恣意的なも
のに過ぎないにもかかわらず、あまりにも当然のこととして定着し、内面化されてしまってい
るために、無意識のうちにこの手の議論の暗黙の前提とされてしまいがちである。たとえば、
ヴィジュアル・ロックブームは男性の支配に対する危機と捉えたり、更には化粧する男はホモ
セクシュアルだと決めてかかり、そうした感覚でヴィジュアル・ロックを捉えたりするマスコ
ミや一般世間の論調があげられるだろう。
海外のメタルはすぐに細分化され、化粧も止めてしまったけれど、日本のヴィジュアル・ロ
ックは 1990 年代を通してブームを保ちつづけ、その結果、男の子文化そのものに目に見える形
で直接的な影響を与えることとなった。ロックバンドをやっていない男の子までが、髪を染め
て、眉を整え、ピアスをし、化粧品を購入し、スキンケアに気を使い、あげくは男性用エステ
までできあがるほどに外見を非常に気にするようになったのである。さらに、オヤジまでが若
者の真似をしはじめたことには驚きであるが、それほどまでにヴィジュアル・ロックが与えた
影響は音楽の分野にとどまらず広く男の子文化全体を変えるものであったといえる。世紀を越
える頃になると、こういったヴィジュアル・ロックは「ヴィジュアル系」=「見掛け倒しのバ
ンド」というイメージを伴って使われるようになり、多くのメジャーなヴィジュアル系バンド
がカジュアル化し、化粧が薄くなっていった。さらに、ブームは過ぎ去り、ブラウン管からも
姿を消していくこととなる。しかし、メジャーなシーンであまり注目されなくなったとしても
現在もこのようなバンドは数多く存在し、彼らを扱う音楽雑誌は確実に売れつづけている。ラ
イブ会場に脚を運べば、多くのファンたちが集り、日曜日に原宿の神宮橋前を歩けば、コスプ
レの集団がわんさと集会を行なっている。このような状況から、ヴィジュアル・ロックは一種
のサブカルチャーとして、ロックの1ジャンルとして定着したといえるであろう。
*PIERROT・Dir〜en〜grey考証*
第 3 世代の代表として、
「ヴィジュアル系最後の砦」とうたわれたこの 2 バンドは、ほぼ同時
期にチャートに進出するようになったためか、対照的に捉えられることが多い。というのも、
この 2 バンドはともに、まったく逆ベクトルへの動きをみせてきたからである。Dir〜en〜gray
が X の YOSHIKI のプロデュースのもとでメジャーへ進出したのに対し、PIERROT は精力的な
ライブ活動で認知度を上げた。デビューしてからの動きも、Dir〜en〜gray は本来のゴス路線を
一切変えることなく、寧ろどんどんマニアックなグロテスクさを増したのに対し、PIERROT は
パンク精神・カウンターカルチャー精神を貫きながらも、自らのファッションや、歌詞は大衆
に解り良い雰囲気へと転換していったという、相違点が見つかる。ともに、メジャーへの思考
は強かった。
*Psycho・ムック考証*
2004 年現在、特に目立ってメジャーシーンで活躍しているバンドは、これまでこのヴィジュ
アル・ロック界全体の市場規模が縮小した中でのし上がってきたPIERROTやDirを除
くと、せいぜいPSYCHO
LE CEMU(サイコルシェイム、以下Psychoと略す)
くらいであろう。それも、知名度的にはそこまで皆さんが知っていらっしゃるというような、
第1世代第 2 世代に活躍したバンドほどではない。しかし、彼らは着実にヴィジュアル・ロッ
クファンの中では多くの人気を集めているのは確実である。
PSYCHO を表、もしくは光とするならば、ムックは裏、闇であろう存在である。かといって
PIERROTやDirのように正面を切ってお互いが対抗しているわけではない。2003 年現
在では、様々なヴィジュアル系のバンドが乱立し、解散し、ソロ活動をし、音楽業界全体の売
上を伸ばしている。
第2章 オーディエンス心理とトランスジェンダー
1998 年の調査によれば、男子高校生はバンドを結成してヴィジュアル・ロックのコピーを行
なっていたのに対し、女子高校生はヴィジュアル・ロックバンドのコスプレというオルタナティ
ブ・カルチャーを展開していたことが、ファン行動のジェンダー分化として明らかになってい
る。コスプレの始まりは、
「崇拝するメンバーの存在に少しでも近づきたい」という願いからで
ある。ところが、現在はその逆の「コスプレが先でバンドのファンになるのはその後」という
現象もある。ヴィジュアル・コス・カルチャーは、ジェンダー・ステレオタイプな「少女のフ
ァッション志向」という切り口だけでは語り尽くせない。若い女性がロックバンドの男性メン
バーの格好をするからといってそれは本人達のセクシュアリティとはひとまず切り離された行
為であり、けしてトランスヴェスティズムと同一視されるものではない。メンバー自身が中性
的、もしくはトランスヴェスティズムであるからといって、ただの少女ファッションと受け取
れるわけでもない。しかし一概には言えないものの、ヴィジュアル・コス・カルチャーには少
女達に少なくとも、自分のセクシュアリティや性指向を問い正す環境が存在している。トラン
スジェンダーが行なわれることが彼らにとって、満足感を得られる手段であるならば、性同一
性障害者がそこから輩出されてもおかしな話ではない。もちろん、その逆に性同一性障害者が
カモフラージュ的にヴィジュアル・コス界に存在することで、なんとか自分の居場所を確保し
ているという例も無きにしも非ずであろう。
コスプレの時代的特徴をまとめると、第1次バンド・コス・ブームは80年代後半からのバ
ンドブームの延長によって92年から起こり、96年に第2次バンド・コス・ブームが、ヴィ
ジュアル系がテレビをとおして、様々な人の目に触れたために、ロック・ファン以外のコスプ
レファンが素材としてのヴィジュアル系に、目を向けたことからはじまったといえる。
第 1 次バンド・コス・ブームの主な特徴としては、細部まで徹底的で、メンバー崇拝の思い
が強いために、憧れからコスプレを行い、厳格で、メンバーが[絶対]であるという点。第 2 次
バンド・コス・ブームの主な特徴には、クロスオーバーする二つのルーツがある。
「ヴィジュア
ル系の父」XJAPANを皮切りに、その継承者達を追いかける形でバンドファンの文化とし
て、
「ウォナビーズ」と呼ばれるものと、アニメのコスプレファン文化として表現系オタクの二
つである。前者は第 1 次バンド・コス・ブームのファンの流れを汲んだ人々である。したがっ
て、にわかファンの「ちょっとやってみました」というコスプレイヤーへはレベルが低いと軽
蔑視することが多い。後者は、彼女等は「ヴィジュアル系」という枠組みにはまるかどうかで、
アーティストを評価する。自分達が抱く、
「ダーク」で「神秘的な」キャラクターを求めている。
バンドのコスプレ・ファン 7 名に聞き取り調査を行なったところ、主にコスプレをはじめる
きっかけとしては友達や・恋人から勧められる・誘われるタイプと、メンバーが好きだから、
憧れだから、というものに分かれる。コスプレをする場合、メンバーが好きな場合と、自分が
似せることのできるメンバーを選ぶ場合と分かれるようである。特に、FTM や、女性性を否定
している人は後者を選ぶ傾向にあるようだ。ヴィジュアル・ロックに没頭し始める時期はおお
よそ10代前半からであり、コスプレを行ない始めるのが10代後半からという事が読み取れ
る。この時期は少女にとって、
「女性としての性」を自覚せざるを得ない時期であろう。彼女達
は自分が「女性」であること、
「女性としての身体を引き受けること」を乗り越えるために、フ
ァンタジー世界に逃避する。自分の居場所探し=コスプレとなるのである。
また、男性中心のロック界で身体的に抑圧された経験を持つ少女たちが、コスプレの実践を
とおして、自らの身体をポジティブに再確認している。こうしたコスプレ少女達は、音世界の
再現ではなく、視覚世界の再現を通して、男性中心主義なロックの世界を「脅かさない」よう
な手段をとり、また、コスプレの対象としてのバンドを転々とし、複数のバンドの掛け持ちコ
スプレという離れ業をやってのけることで男性サブカルチャーとは異質な、少女サブカルチャ
ーの創造に成功している。ヴィジュアル・ロックの重要な貢献の一つは、従来、少年が大半を
占めていたロックの世界に、このような少女を中心とした、ロックファン・カルチャーを切り
開いたことにある。
コスプレの実践は「女性という性」を受け入れるために、自分の身体を用いて「男性化」す
ることで、自分の女性性を再確認する。同じようにジェンダー・アイデンティティで悩む同年
代の少女と仲間意識を共有することで理解しあうことができたときに、そこに恋愛感情が生ま
れたとしてもおかしくはあるまい。したがって、コスプレ同士、もしくはバンドファン同士で
の同性愛は存在するといえる。また、こうしたファンタジー世界を追求するバンドファンは、
やおい文化を享受している場合が多いために、そうしたメンバーを素材とした少年愛を自分で
体現したいという欲求から、コスプレ同士での肉体関係を創ろうとする場合もあるだろう。こ
れは一時的な形だけの同性愛として見受けられるために、真の同性愛者からは非常に忌み嫌わ
れる行為として扱われ、本当の恋愛ではないとされる。同性愛経験のある、ヴィジュアル・ロ
ックファンの間では、そういった形だけの同性愛に対しては「なんちゃって同性愛」と呼ばれ
る。
「なんちゃって同性愛」の人々は、肉体関係までは持とうとせず、一緒に歩くだけや、
「妻」
「旦那」「愛人」などという肩書きを用いて、
「家族」を構成する。一種のおままごとである。
反して、憧れだけではなく、理解し合える友達(
「相方」ともいう)から恋人へ発展する場合
もある。
たまたま好きになった相手が同性だった、という理由付けをし、男女の恋愛と同じように、
わかりあい、愛し合い、喧嘩をし、仲直りし、別れる。また、自分を女性と認めたがらない、
女性性を否定したがる、もしくは自分は男性であることを誇示したいという FTMTG、TV もそ
こには存在している。ヴィジュアル系でコスプレイヤーであるから、という口実で、男装をす
ることで満足感を得て、なんとか自分を保とうとしている。
ヴィジュアル・ロックのファンたちは性的葛藤の只中にいる故に、性に関して非常に敏感で
且つ寛容であるということであろう。大概は、本当に同性愛であるわけではなく、同性愛経験
をすることによって、自分が何者であるかをはっきりさせたいという気持ちから、同性との恋
愛を経験しようとしているに過ぎないのかもしれない。直接的にヴィジュアル系が同性愛と関
係しているのではなく、ヴィジュアル・ロックファンの女性達が、擬似恋愛の場所としてコス
プレ界へと進出し、やがては普通の男女の恋愛へと発展するための踏み台となっているのでは
ないか。そのまま同性愛に目覚めて、同性愛者として生きる人もいるのだろうけれども、多く
のコスプレイヤーはステージ上のメンバー(男)に恋をしているのであって、手が届く位置に
いるコスプレイヤー(女)を彼の代わりとしているにすぎない。コスプレイヤーに男性(それ
もメンバーに近い状態の綺麗な男性)がもっと多く進出してくれば、ヴィジュアル界の同性愛
率は減るかもしれない。
しかし、彼女達の性に対する寛容さは失って欲しくないものである。ここまであっさりと同
性愛を認められる人々は、他のジャンルをみても希少なのではないだろうか。もし、ヴィジュ
アル・ロック界がセクシュアリティに対する意識を変えるとしたならば、ヴィジュアル・ロッ
クファンはジェンダーフリー社会に大いに貢献することとなるだろう。
第3章 社会影響
ジェンダー秩序崩壊か?
これまで見てきたように、ヴィジュアル・ロックは 90 年代の日本のロック界とメディアに大
きな影響を与えた。現在は、前ほどの波力はないものの、男性ファンを直実に増やしているバ
ンドは多々見受けられる。女性ファンばかりだったヴィジュアル・ロックに男性が進出し始め
たことは、ヴィジュアル・ロックがロックの一つとして認められ始めていることと同義と捉え
てよい。
こうしてみると、ヴィジュアル系バンドは既存の「男らしさ」から随分と逸脱しているよう
に見受けられる。社会的には中年世代から批判を受けつつも、多くの人々からは「そういう趣
味」で片付けられるようになった。これは大きな業績であろう。ヴィジュアル系は音楽界だけ
ではなく、日本の男の子文化・若者文化に、色濃く足跡を残したといえる。
メディアで取り上げられるようになってから、性同一性障害への偏見は確実に減っている。
しかし、同性愛に対する偏見は未だに残っているのではないだろうか。勿論、今回取り上げた
ヴィジュアル系の間では極普通なこととして受け入れてもらえるのだけれども、その親は娘が
同性愛者であることを知らない場合が多い。親には言わないという子が多数、ということだ。
女の子の場合、
「仲いいわね」で済まされることもあるために、言う必要もなかったりする。ク
ローゼット状態でも特に問題がないために、親世代、中年世代への浸透率は非常に低いのであ
る。したがって、中年世代は自分のこどもが同性愛であることを一生知らないために、そうい
った知識は全く持たないことになり、いつまでも偏見が抜けないのである。誰でも、
「まさか自
分の子が」という気持ちがあるから、同性愛は一種の気の迷いや、ブラウン管の中の「お笑い」
なのであろう。
だからといって、いつまでも同性愛が認められない社会でもない。現在社会の中心にいる 30
〜40 代でも同性愛者や性同一性障害者は、マイノリティといえども、現に存在するのである。
おおっぴらでもないが、カミングアウトする人々も増えている。家族にはいえないけれども、
職場や友人には言える人々や、雰囲気で同性愛者であるということが周りにばれてしまってい
る人々がいる。こうした人々が、社会から偏見を無くしつつある。セクシュアルマイノリティ
ーは、少しづつ、社会の中で認められつつあるようだ。次の世代になる頃には、今よりもずっ
と、寛容な社会になっていると思いたい。
ヴィジュアル・ロックによって、これまでの「男らしさ」
「女らしさ」は変化した。もちろん、
他の要素も相まっているけれども、一因を背負ったといえる。しかし、相変わらず、異性愛主
義は蔓延している。ジェンダー秩序は崩壊ならず、
「男らしさ」
が極僅かに広がった程度である。
「女らしさ」はコス界において、一時的に表面からは見えない状態になるものの、メンバーに
ついて会話をする彼女達や、ロリータの存在を見ると、
「メンバーに恋する女の子」に変わりは
ない。コスプレ自体も、舞台上のメンバーに見てもらいたいがために行なっている感もある。
また、メンバーが一般に「男らしくない」行為をした際にはやはり普通の女の子同様、ファン
は引いてしまうこともある。もっとも、その「男らしさ」は一般よりも多少幅広い域を持って
いるのだけれども。
ヴィジュアル・ロック界は、セクシュアルマイノリティーに関しては、日本の音楽界切って
の寛容さを持つ。そのため、私は、ジェンダー秩序は崩壊されたのではないかと考えたのだけ
れども、それは違っていた。これまで見てきたことから結果を出すとするのであれば、
「ジェン
ダー秩序の拡張」がぴったりと当てはまるのではないだろうか。
第4章 終わりに
私にとって、ヴィジュアル・ロックは青春の一ページでもある。そして現在もヴィジュアル・
ロック界という環境から逃れられずにいる。この論文では、ヴィジュアル系とトランスジェン
ダー世界が完全にリンクした、ということを言いたかったのではない。今までのヴィジュアル・
ロックと現在のそれを見つづけてきた私にとって、この世界は非常に居心地がよく、いい研究
材料だった。ここで私が明らかにしたかったのは、ヴィジュアル系世界を一度、セクシュアル
マイノリティーやトランスジェンダー的観点から眺めてみて、どういう結果が出るのかという
ことだった。せっかく、大学でジェンダーを学んだのであるから、もっともっと柔軟に、寛容
にものごとを捉えていきたいものである。そして、これからも性別に寛容なヴィジュアル・ロ
ック界に、ファンとしても、もしくはメンバーとしても存在するつもりであるから、こういっ
たことをもっと、他の人々にも考えて欲しいと訴えていくことは可能である。性別に拘らない
社会、ジェンダーフリーの社会を目指すために、こういった形で貢献できたら嬉しい。