流通科学大学卒業論文 - NIKKEIBP Blog

流通科学大学卒業論文
崔
相鐡ゼミ
世界ラリー選手権(WRC)の研究
―興行としての WRC とプロモーション戦略としての WRC−
学籍番号
氏
名
提出日
0
35011912
山田隆史
第Ⅰ章
WRC の概要
1. WRC とは
2. WRC の競技運営方法・レギュレーション(規定)の解説
(1)
ラリー競技とは
(2)
(3)
SS(スペシャルステージ)
公式車両検査
(4)勝敗・順位決定方法
(5)ホモロゲーション
(6)競技クラス分け
①
ワールドラリーカー(WRカー)
③
ジュニアWRC(JWRC)
②
PCWRC(グループN)
3. 現在参戦メーカー
(1)
SUBARU
(3)
FORD
(2)MITSUBISHI MOTORS
(4)Peugeout
(5)Citoroen
4. 日本のラリーの歴史
(1)
国内ラリー競技の歴史
(2)
日本の自動車メーカーのラリー参戦の歴史
①日産
第Ⅱ章
②トヨタ
③マツダ
④三菱自動車
④スバル
⑤スズキ
⑥ダイハツ
ラリージャパンに見る興行としてのWRC
1. ラリージャパンの歴史
(1)
「ラリー・イン北海道」創設
(2)
APRCへ昇格
(3)
ついにWRCへ昇格
2. ラリージャパン成功への経緯
(1)
①
(2)
WRC開催への土壌作り
許認可問題
②規制緩和要綱
③ラリージャパン開催条件整う
ラリージャパン成功要因
①海外からの経験者招聘
②好転が続いた
③地元の受け入れ態勢
④観客のマナー
3.観客動員・経済効果
(1)
ラリージャパンの経済効果
①
宿泊施設
②各商業施設
③足寄町の直接経済効果
④陸別町の経済効果
⑤十勝管区(主に帯広)
(2)
ラリージャパンの観客動員
4.来年開催への課題
(1)
①
地域観光アンケート調査結果
旅行目的
②十勝の評価
③宿泊施設評価
⑤十勝の総合的な評価
1
④WRC開催地としての評価
(2)
①
(3)
大会運営上の課題
観客の扱い
②観戦ツアーに対する提言
③専門家から指摘
④報道体制
モータースポーツ特区
5.地域振興政策としてのラリー
(1)
①
(2)
ラリージャパンでの町興し
陸別町
②足寄町
③新得町
新城ラリー2004
①日本初の行政改革特区制度を利用したモータースポーツイベント
②新城ラリー開催の経緯
③日本初の自治体主催のラリー
④地方ラリーイベントの新たな方向性
第Ⅲ章
自動車メーカーとWRCの関係
1. 自動車メーカーがWRCに参戦する意義
(1)
ブランドイメージ向上効果
(2)
モータースポーツ参戦による拡販効果
(3)
スバルのブランド戦略としてのWRC
①
スバルのWRC参戦意義
②WRC参戦で拡販
2. WRCのレギュレーション変更の歴史と理由
(1)
①
車両レギュレーションについて
ラリー過当競争時代―グループB規定―
③グループA規定の問題点
④
②
グループA規定へ移行
WRカー規定導入へ(現行規定へ)
(2)競技レギュレーションについて
第Ⅳ章
①
90 年代のFIAのWRC改革の背景
③
FIAのWRC改革の内容・効果
②FIA のWRC改革以前の参戦メーカーの体制
WRCの将来展望
1. 不安定なWRCの将来
(1)
①
(2)
参戦メーカーが抱える問題
モータースポーツ活動継続が困難に
②
WRC が不成立になる可能性
PSAグループの撤退
②ラリー撤退をめぐる PSA の内部事情
①
突然の撤退表明
③
シトロエン活動継続の可能性
④ラリー界共通の問題点
2.再び改革期を迎えているWRC
(1)新規定の提案
(2)各参戦メーカーの反応
(3)新規定に関する動き
3. 予測困難な WRC の今後
*参考文献一覧、付録*
2
・付録
本論文の内容を読むにあたり、文中で補いきれなかった WRC の規約などについての点を以下に補足する。
(1)
路面の用語
WRC は様々な路面で争う自動車競技である。主に未舗装路、舗装路、雪道があり、それらはそれぞれ具ラベル、ター
マック、スノーと呼ばれている。
(2)
WRCの日程
WRCのスケジュールは通常一週間で組まれる。水曜日と木曜日にそれぞれレッキが行われ、木曜日の午後にシェイ
クダウンと車検、夜にはセレモニアルスタートが行われる。本格的な協議は金曜から日曜までの3日間で、日曜日夕方
のセレモニアルフィニッシュ後の暫定表彰で最も早かったクルーに栄冠が贈られる。
(3)
レグ/LEG
レグは区切りと言う意味で、WRC においては基本的に1大会を3つに区切って競技が行われる。殆どの大会では1日
を区切りに競技が行われている事から、競技開始初日の金曜日がレグ1、土曜日がレグ2、日曜日がレグ3とされる。
(4)
レッキ
レッキとはコースの下見のこと。特に SS を走る時は主催者が定めた速度での走行が義務付けられていて、路面の状態
やコーナーの深さなどをコ・ドライバー(ナビゲーター)はノートにメモをしてゆく。これをまとめたものがペースノ
ートで、本番ではコ・ドライバーが読み上げるペースノートを頼りにドライバーは全開走行を行っている。他の多くのモ
ータースポーツではドライバー1 人が競技車に搭乗して競われるのに対して、ラリーではドライバーとコ・ドライバーが
2 人 1 組(=1 クルー)で搭乗して競技を行なう。
(5)
シェイクダウン
レッキ終了後、レッキで得た情報をベースに主催者が用意したコースを使ってマシンの最終調整を行うこと。一般に
ラリースタートの直前や車検前にスケージューリングされる。シェイクダウンテストは同じコースを何度も走って行わ
れるが、一般にも公開される場合も多い。
(6)
リエゾン
(ロードセクション)
ホストタウンやサービスパークから SS や、SS から SS の間を繋ぐ一般道を走る区間のこと。走行時は開催国の法規制
に従って走行する必要があり、守らなければもちろん道路交通法違反ということになる。また、SS の前後やリエゾンの
途中には時間を計測するポイントが設けられ、競技者の通過をチェックしている。ロードセクションとも呼ばれ、指定
ルートを指定時間で走らないと、早くても遅くてもペナルティーが課せられる。特に早くついた場合のペナルティーが
大きい。これは、一般道での競技車両の暴走を防ぐためである。
(7)
ラリーと時間
3つのレグで構成される競技走行全体のスタートがラリースタート、ゴールがラリーフィニッシュと呼ばれる。ラリ
ー競技車は全号車が一斉にスタートせず、競技車両は 1 分おき(ラリージャパンの場合は最初の 20 台は 2 分おき)にス
タートする。
TC(タイムコントロール)は競技車両の通過を時刻とともにタイムカードに記録してTC間の移動時間をチェック
している。TC 間の移動時間は日程表にもターゲットタイムが記載されており、TC 間の移動時間がこの時間より速くても
遅くてもペナルティーの対象となる。ターゲットタイムに対し早着1分 60 点、遅着 1 分 10 点換算で減点する。SS のタ
イムは 0.1 秒 0.1 点換算でその全てが減点対象になって、最終的に総減点数が少なかったクルーが優勝する。
3
(8)
車両整備・保管方法
車両の整備などを「サービス」と呼び、サービスのためにラリールート上に設けられた場所を「サービスパーク」と
呼ぶ。通常 1 つのラリーにおいて 1 箇所、全競技車が駐車できる広い敷地に設定されている。競技車両はサービスパー
ク以外の場所でチーム員やその他のいかなる援助も受けることはできない。
例えば SS(=スペシャルステージ)を走行中に車両にトラブルがあった場合、選手は自らのみで修理作業を行うこと
は許さるが、もし他者の手を借りれば失格となってしまう事となる。作業のみならず部品や工具を受け取ることも違反
である。またサービスエリア内であっても、予めサービスのために登録されたチーム員でなければ作業を行うことはで
きない。サービスに係る違反がないかどうかはオフィシャル(技術委員)によって監視されており、1 回のサービス所
要時間は原則として20分に制限されていている。また、サービスパークの入口と出口には TC(=タイムコントロール)
が設置されており、指定時間内に作業を終えサービスパークを出ることができないと減点の対象となる。
大きな車両トラブルがあったとき等は、メカニックスタッフがいかに迅速に作業をできるかといったチーム能力も勝
敗を決める要因の 1 つになるのである。車両保管場所はパルクフェルメと呼ばれる場所にまとめて保管され、窓の交換
を除き一切の作業が禁止されている。それぞれ決められているスタート時刻10分前まで選手は立ち入る事ができない。
(9)ラリーの形態
かつてのラリーは毎日のように場所を変えて、スタート&フィニッシュを繰り返し、現在のようなサービスパークも
無く、ワークスチームが納屋を借りるなど独自の場所で行っていた。現在のような一般に公開するサービスパークの形
態になった背景は、TV放映やメディアの露出の増加を考慮したためである。
(10)ラリー全 16 戦の開催地
(図:三菱自動車HPよりhttp://www.mitsubishi-motors.com/motorsports/j/04wrc/schedule/index.html)
1.
モンテカルロラリー
1月
2.
スウェディッシュラリー
2月
3.
ラリー・メキシコ
3月
4.
ラリー・ニュージーランド
4月
5.
キプロスラリー
5月
6.
アクロポリス・ラリー
6月
7.
ラリー・オブ・トルコ
6月
8.
ラリー・アルゼンチン
7月
9.
ラリー・フィンランド
8月
10.
ラリー・ドイツ
8月
12.
グレートブリテンラリー
9月
11.
ラリー・ジャパン
9月
13.
ラリー・イタリア
10 月
14.
ラリー・フランス
10 月
15.
ラリー・スペイン
10 月
16.
ラリー・オーストラリア
11 月
4
第1章
1.
WRCの概要
WRCとは
FIA(国際自動車連盟)が認める 2 つの世界選手権の 1 つが F1(Formula1)であり、もう一つがこの WRC
(World Rally Championship)世界ラリー選手権である。競技車両は市販車がベースであり、サーキット
ではなく公道が競技の舞台であり、欧州では F1 と並ぶ人気である。
公道を競技の場とするため、砂利道・雪道などの様々な状況の路面を走るため、4 輪駆動技術の高さな
どが求められるので、技術的にもマシンの耐久性においても F1 より過酷であるといえる。欧州などを中心
に世界各地を転戦し、主に製造部門とドライバーに与えられる 2 つのタイトルを争われる。
F1 などのレースではクローズされたサーキットを数台のマシンで走り、競争を制してトップでゴールし
たドライバーの勝利であるが、ラリーは基本的に一般道を舞台に一台ずつタイムアタックを行い、その合
計所要時間が最も少ないものが勝者となる。また、ドライバーだけでなくコ・ドライバーと呼ばれるナビ
ゲーター役と二人一組で戦うのもレースとは異なる点である。
日常生活のすぐ隣で行われるのがラリーの特徴であり、観客と選手の距離はサーキットと比べて極めて
近い。世界最高峰の走りを目の前で堪能できることも WRC の大きな魅力のひとつである。
ラリーというと、パリダカなどのように砂漠を走る競技をイメージされがちであるが、WRC とは方向性
が少々違う。パリダカは冒険・及び耐久ラリー的な要素が強いのに対し、WRC はスピード競技である。WRC
は走行距離・走行日数ともにパリダカに比べてずっと短いが、パリダカが秒単位までしか計測しないのに
対し、WRC ではコンマ1秒まで計測することから、競い合いの激しさが異なる事がわかる。
しかも WRC は未舗装路(グラベル)だけでなく舗装路(ターマック)や雪の上を走ることになり、路面
の状況は常に一定ではない。世界のありとあらゆる条件の道で最速を競うモータースポーツが WRC である。
WRCの歴史は1973年にさかのぼる。各ラリーはそれまでも、単独あるいは地域選手権として行わ
れていた。それらのうち、13戦を世界選手権にして、World Championship For Rallies として開催され
た。当時はメーカーにのみタイトルが冠されていた。以後、数々のレギュレーション変更を経てドライバ
ータイトルの制定や、イベント数の増減などを経て 2004 年は昨年より 2 戦(日本とメキシコ)増え全 16 戦
で争われている。
2.WRCの競技運営方法・レギュレーション(規定)の解説
(1)
ラリー競技とは
広義では「ラリー」という競技も自動車レースのうちに含まれるが、モータースポーツ界においては「ラ
リー」と「レース」をそれぞれ別々の競技種別として捉える。サーキットを周回して走行タイムを計測す
るのがレースである。レースの最高峰である F1 は日本でもよく知られている。
一方、ラリーの最高峰は WRC(World Rally Championship =世界ラリー選手権)である。ラリーはレー
スとは異なり、サーキットのような固定の「競技場」を持たない。ラリーは一般公道上で行われる競技(ロ
ードイベント)なのである。
ラリー競技の流れの例を挙げると、ラリー競技車は A 町をスタートし、一般公道を道路交通法遵守で走
行して B 町の B 山へと向かい、完全クローズドされた林道やクローズドサーキットなどでタイムトライア
5
ルを行う。その後、C 村の C 山まで再び道路交通法遵守で走行した後、C 村の C 山で次のタイムトライアル
を行い、また最初の A 町へ戻ってゴールするといったように、走行ルートはいくつもの町を超え山を超え
る。(下図参照)また、その走行距離は数百∼数千 km にも及ぶこととなる。
(参考図:ラリージャパン支援実行委員会 HP より)
WRCの場合はひとつの大会が1週間にわたって行われ、これをヨーロッパを中心とした世界各国で1
6戦開催し、各大会で成績順に選手とメーカーに与えられるポイントの合計によって、年間の王者が決ま
るという形態をとっている。
(2)
公式車両検査
マシンが車両レギュレーションに合致しているかを確認するのが公式車検である。この時には構造や改
造の仕方、重量、排ガスなどがチェックされる他、分解や交換が許されないパーツや使える数が制限され
るパーツ(タイヤなど)にマーキングやシーリングが行われる。その他、
●競技車が安全に走行するため車両構造上に問題がないか
●定められた車両重量よりも軽量化しすぎていないか
●排出するガスは道路車両運送法の基準以内か
●規定に定められた範囲で的確な改造が行われているか
●定められた消火器や救急用具などが搭載されているか
●レーシングスーツやヘルメットといった備品は規格に合致したものか
など多数の項目が検査される。
(3)
SS(スペシャルステージ)
クローズされた林道や一般道などで行われるタイムトライアル区間のことである。数キロ∼数十キロに
設定されるひとつの SS の前後のロードセクションも含めてステージと呼ぶ事もある。SS はひとつのレグ
に 4∼8 箇所が設定され、光電管などの計時システムによって 1/100 秒単位の計測が行われている。
(4)
勝敗・順位決定方法
全ての SS(公道などを、競技のために全面閉鎖してタイムアタックを行う区間)を走り終えての合計タ
イムに、ペナルティータイムも含んだものが全てのドライバーの中で最も少なかったものが勝者とされる。
ラリー終了後には再車検が行われ、ここで違反が発覚した場合は優勝が取り消される事もある。
年間チャンピオンを決定する方法は年間 16 戦で獲得したポイントの数で競われる。ポイントの獲得数は
順位ごとに以下の表の通りである。マニュファクチャラーズポイント(製造者部門)は、出場したクルー
の 1 位∼8 位が獲得できる。ファーストカーは年間通じて同じドライバーである事、セカンドカーはラリ
ーごとにドライバーを変更してよいと規定されている。
順位
1位
2位
3位
4位
5位
6位
7位
8位
ポイント
10
8
6
5
4
3
2
1
6
(5)
ホモロゲーション
いわゆる公認のことであり、これを取得していない車両は出場できない。WRカー、PCWRC、JWRCの規定に準
拠し、その生産台数が規定数に達していることを公認書(ホモロゲーションフォーム)としてFIAから証明
されてはじめてWRCに出場できるのである。
WRC をはじめとした国際格式の競技に出場するには、FIA(国際自動車連盟)から公認された車両とし、
その公認書を参加者側で準備することが義務付けられている。この公認書には車両に対すること細かなス
ペック(車体の大きさ、形状、エンジンのカム形状、トランスミッションのギア比などの細かい部分まで)
が記載されており、車検時には車検員がこの公認書をもとに、参加競技車両を確認する。当然 WR カーとし
て公認された車は WR カークラスにしか出場できない。
またこの公認には期限があり、生産終了後 7 年間まで有効なものとして取り扱われる。
(6)
競技クラス分け
WRCは、参戦する車の性能や仕様に応じて、クラスが分けられている。車両に関する規定は、同じク
ラス内での戦力が拮抗するように、非常に細かく改造に関するレギュレーション(規定)が定められてい
る。これらのレギュレーションは FIA(国際自動車連盟)が定めたもので、違反があった場合は失格とな
るなど、公正な協議が行われるように厳しく運用されている。特に安全のための車体剛性確保は FIA の規
定でも年々厳しくなっている。現在は以下の 3 グループで行われている。
①ワールドラリーカー (WRカー)
1997 年に出来たグループでラリーのトップカテゴリー。年間 2 万 5000 台以上生産される2000CC 以
下の市販乗用車のグループで、生産台数は直接のベースとなるモデルだけでなく、同モデルを含む
ミリー
ファ
としてクリアされれば良い、とされている。大幅な改造が可能で、FIA が規則に従って 2WD(2 輪
駆動)の車を 4WD 化することもでき、 NA(自然吸気)のエンジンをターボ化することも可能である。 た
だし、競技車最低生産台数 20 台を必要とし、最低重量1,230kgと定められている。この規定の導入
により 97 年以降、
2WD しか生産していないメーカーなども積極的に WRC に参加できるようになった。
現在、
WRC と言えば基本的にこのクラスの事を言う。主にメディアで取り上げられるのもこのクラスである。
②PCWRC(グループ N)
2000CC 以下の乗用車のグループで、連続した 12 ヶ月間で2500台以上生産された市販車をベー
スとする。WRカーとは違い、改造は大幅に制限され基本的には安全装備をメインとしてボディ補強とサ
スペンションの改造程度が認められたカテゴリーで、最も市販車に近いグループである。つまり市販車の
性能が直接反映されるため、その戦闘能力が最も重要となる。以前のトップカテゴリであるグループA規
定に近いものがあるが、それよりも更に改造可能範囲が狭くなったものと解釈できる。現在はほぼ三菱の
ランサーエボリューションとスバルのインプレッサ STi の2車種のみが出場するクラスとなっている。
③ジュニア WRC(JWRC)
WRC の入門カテゴリとして位置づけられており、2001 年から始まった 1600cc の FF(前輪駆動)ラリー
カーによる「スーパー1600」が、2002 年から「FIA ジュニア世界ラリー選手権」に模様変えしたものであ
る。駆動方式は前輪駆動、エンジン搭載位置も前部、総排気量制限が 1600CC に制限されたものである。ま
た、マシンコスト削減と過剰な性能競争を抑えるため、改造内容が最大 10 箇所に制限されている。
7
しかし JWRC へのメーカーの直接参加は認められていない。メーカーはドライバーへのサポートという形
になる。2005 年規定では7戦中6戦に出場すれば良いとされており、タイトルはドライバーのみに掛かる。
現在、フォード、オペル、シトロエン、ルノー、フィアット、プジョー等、ヨーロッパのメーカーの車
が主に使用されている。日本メーカーの車ではスズキのイグニス(日本名スイフト)が出場している。し
かし、スズキがのイグニスが圧倒的な強さを誇り、他のメーカーは次第に撤退しつつある。
3.現在参戦メーカー
以下に紹介するメーカーは、2004年の製造者部門選手権(マニュファクチャラーズチャンピオンシ
ップ)に登録しているメーカーである。そのため、スポット参戦しているスコダや、JWRC のみに参戦して
いるスズキなどは除外した。
(1) SUBARU(スバル)
インプレッサで参戦する日本メーカー。1980年から参戦している。水平対向エンジン、左右対称レ
イアウトという車の技術アドバンテージを生かし、これまでマニュファクチャラー選手権とドライバー選
手権を3度づつ獲得した。三菱自動車とはラリー参戦以来のライバルで、特に90年代後半の日本メーカ
ーの黄金期はスバルと三菱自動車で激しく競い合った。2003年はペター・ソルベルグがドライバー選
手権を制覇している。
スバルは WRC 参戦チームとして SWRT(スバル・ワールド・ラリー・チーム)を設立している。STI(スバル・テクニカ・
インターナショナル社)と英国のモータースポーツ専門会社プロドライブが共同で運営し、STI がエンジンを、プロド
ライブが車体技術とシャシー技術、そしてチーム運営を担当している。スバルの研究開発部門が STI を通じ、ラリー
カーの開発や改良、新技術のテストなどに関与している。また、ラリーカーの性能向上を主目的とするものの、今後
量産車種へのフィードバックも視野に入れられたチーム編成となっている。
(2) MITSUBISHI
MOTORS(ミツビシ)
1973 年から WRC に参戦し続け、日本メーカーで最もラリーへの取り組みの歴史が長く、高い技術力を持
つメーカーと言われている。参戦車両はランサーエボリューション。
かつてはランサーで 96∼99 年にかけてドライバー選手権 4 連覇を達成するなど大記録を残したが、FIA(国際自
動車連盟)がトップカテゴリをグループ A からWRカーへ変更したことにより、そのアドバンテージを失ってしまった。
2002年シーズンは1勝も挙げることができずにシーズンを終え、WRC参戦休止の発表をした。2003年はチーム
の体制変更、マシンの開発に全エネルギーを注ぎ、2004年はWRCに復帰したものの成績が振るわなかった事と、
三菱自動車のリコール隠し問題の影響もあり、再び休戦した。2005年からは再びフル参戦する予定である。
2002 年に三菱自動車はモータースポーツ活動全てに責任をもち、チーム運営と戦略を統括する会社とし
て、MMSP GmbH(MMSP は Mitsubishi Motors Motor Sports の略)をドイツに設立して WRC チームの運営を
行っている。出場車両の設計、開発、運営の全責任を負い、さらに米国における三菱自動車のラリー活動
にも取り組んでいる。また MMSP は三菱のモータースポーツブランドであるラリーアートの欧州での運営も
行い、一般ユーザーによるモータースポーツ活動支援と、そのアクセサリー類も管理している。
(3)
Ford(フォード)
世界第2位の自動車メーカーであるこのチームのラリー活動の歴史は長く、30年以上にも及ぶ。現在
8
の参戦マシンであるフォーカスは99年のデビュー。市販車の売上でも成功を収めたこのマシンは、デビ
ュー年に勝利を挙げるとコンスタントに勝利を重ねていった。
Fordも日本メーカー同様、モータースポーツ活動のための会社であるMスポーツ社を設立している。
Mスポーツ社はラリー活動とF1を行っていたが、近年Ford社の成績不振によりモータースポーツ活
動費用が大幅に削減され、MスポーツはジャガーF1チーム活動から撤退する事となり、オーストラリア
の健康飲料メーカーであるレッドブルにチームを売却した。
(4)
Peugeot(プジョー)
最近日本でも自動車販売シェアを伸ばしているフランスのメーカー。1985年、86年のグループB
時代に205T16で選手権制覇したものの、速すぎるグループBが安全面の問題で廃止になると同時に、
WRCの舞台から一時姿を消した。
しかし、FIA(国際自動車連盟)のWRカー規定の導入により、206で本格的に再参戦。2000
年から3年連続で製造者部門選手権を制覇。2000年と02年にはグロンホルムがドライバーチャンピ
オンに輝く。特に02年には206が年間8勝を挙げ、他のどのマシンもその速さを止めることはできな
かった。04年からは307へマシンを変え、タイトル奪還に挑んでいた。運営会社はプジョー・スポー
ルで、同じ企業グループであるシトロエンとは別の体制で参戦している。
(5)
Citroen(シトロエン)
プジョーとPSAグループを形成するフランスのメーカー。参戦マシンはクサラ WRC。
ターマック(舗装路)での強さはクサラでWRCに参戦し始めた当初から秀でていたが、本格参戦を開
始した昨年はグラベル(未舗装路)でも勝利を上げ、見事マニュファクチャラー選手権を制覇。今年はド
ライバー選手権・マニュファクチャラー選手権の両方を制覇した。しかしながら、プジョーとともに形成
するPSAグループは、突然2005年限りでのWRC撤退を表明。今後の動向が注目されている。
上段左より:スバル、フォード、シトロエン
下段左より:ミツビシ、プジョー
(画像:Yahoo!ニュース世界ラリー選手権 11 月3日記事、WRC 公式 HP、PeugeoutJaponHP より)
9
4.日本のラリーの歴史
(1)
国内ラリー競技の歴史
日本国内の自動車ラリー競技の幕開けは、1957 年7 月10 日の第1 回目のアルペンラリーであった。こ
の大会は、4 日間かけて、東京−日本アルプスの往復1000km を走破するものであったが、選手にとっては、
集中豪雨や、当時の悪条件のコースに耐え抜かねばならない過酷な競技であった。注目に値するのは、プ
リンス(現:日産)のスカイラインが強豪の輸入車を抑え勝利を収めた事だ。このイベントは18 年間にわ
たり毎年開催され、日本のラリー競技の基盤を形成していき、篠塚健次郎選手をはじめとした国際的にも
有能なラリードライバーを育てていった。
国内にはラリーに適したコースが豊富とは言えなかったにもかかわらず、年間400 以上を数えるラリー
競技が行われ、ラリー競技は日本国内で力強く成長していった。そして年月を重ねるにつれて日本のラリ
ーシーンは、藤本吉郎(1995 年サファリラリー優勝および1998 年APRC チャンピオン)、田口勝彦(1999
年APRC チャンピオン)や新井敏弘(2000 年WRC チームカップ優勝および2001 年キプロスラリー4 位)な
どの多くの有能なドライバーを輩出してきた。
(2)
日本の自動車メーカーのラリー参戦の歴史
①日産
日産のラリー活動はダットサン210による1958 年のラリーオーストラリアへの挑戦に始まった。見事な
クラス優勝でデビューを飾ったこの挑戦に続いて、日産は本格的に1960 年代のモンテカルロやサファリラ
リーなどに参戦し、1970 年から1983 年にかけて、ラリー競技での黄金期を迎えた。
特に70 年代および80 年代初頭は、1600SSS、240Z、スタンザやバイオレットなどでサファリラリーで連
勝しつづけ、一時代を築き上げた。現在もパリ・ダカールラリーに参戦を続けている。
②トヨタ
トヨタの国際ラリー参戦は、欧州トヨタチーム創始者であるオヴェ・アンダーソン選手が運転するトヨ
タセリカでの1972 年RAC ラリーへのエントリーで始まった。2年半後、ハンヌ・ミッコラ選手が1600cc の
カローラレビンに乗り、当時のWRCで中最も速く熾烈なラウンドといわれた1000 湖ラリーで優勝を果たし
てラリー界に衝撃を与えた。また、1984 年には新型セリカターボ2WDでサファリラリーに初挑戦した。参
戦当初から勝利を収め、FIAによるグループB規定まで毎年勝ち続けていった。
また、セリカ4WD は、トヨタのラリー競技の主力商品でありつづけ、1990 年にはカルロス・サインツ選
手を初のドライバーズチャンピオンに導く事となった(1992 年にも獲得)。また、トヨタはマニュファク
チャラ−ズチャンピオンシップを、1999 年のカローラWR カーを含め1990 年代には3 度も手にしている。
99年以降はモータースポーツへの取り組みの中でF1に専念するためにラリーからは撤退している。
③マツダ
1984 年のモンテカルロラリーでは、マツダチームがクラス優勝を収め、それから2 年後には、車両をそ
れまでのRX7 から323 4WD に変え、RAC ラリーのグループA部門にてイングヴァル・カールソン選手が初の
勝利を収めた。それから5 年間は、カールソン選手とティモ・サロネン選手に委ねられ、マツダを多くの
勝利に導いた。そして1989 年、マツダはマニュファクチャラ−ズ選手権第3 位の座に輝き脚光を浴びるこ
ととなった。グループN ではプライベーターが1988年および1991 年のドライバーズ選手権タイトルおよび
10
1989 年のマニュファクチャラータイトルをマツダにもたらした。
④三菱自動車
三菱は、日本の自動車メーカーの中でも国際ラリーにおいて最も成功を収めたメーカーの一つに数えら
れる。1974 年のWRCデビュー以来、1998 年のFIA 世界ラリー選手権(マニュファクチャラー)を勝ち取り、
また1996 年からはドライバーズタイトルの4 連覇という記録を達成した。グループN においては、ランサ
ーエボリューションが世界中で圧倒的な優位に立ち10 年以上にわたり不動の地位を占めていた。
⑤スバル
スバルも世界ラリー選手権に深く関わってきたメーカーである。他のメーカーもモータースポーツを効
果的なアピールの手段として利用してきたが、ラリー参戦と商業的成功との関係を直接的に印象付けた企
業はスバルをおいてほかにはない。1985 年のサファリラリー参戦よりWRC の舞台に上がり、1993 年のシ
ーズン後半、新しく発表したばかりのインプレッサを初公開し、新たにWRC の参戦を開始した。インプレ
ッサは、90 年代には、日本車初の3 年間連続マニュファクチャラータイトルを獲得し、その独自の水平対
抗エンジンを搭載したスポーツセダンが、ラリーで成功を収め世界的な評価に繋がることとなった。
⑥スズキ
86 年にアメリカで開催されたオリンパス・ラリーでカルタスで海外ラリーに初参戦した。終始一貫して
前輪駆動車での活動を続けてきた。2002年からJWRCに参戦し、イグニス(日本名スイフト)で圧
倒的な強さを誇っている。2005 年からは、WRC の選手権登録外であるが WRC 全 16 戦に参戦する。
⑦ダイハツ
ダイハツはサファリラリーのみの参戦であったが、1300ccのシャレードを走らせた。93 年には 4 台の
トヨタセリカに続く、総合 5 位∼7 位を占めるという快挙を成し遂げている。
11
第Ⅱ章
ラリー・ジャパンに見る興行としてのWRC
1.ラリージャパンの歴史
(1)「ラリー・イン北海道」創設
「ラリージャパン」の原型は、2001年9月に北海道・十勝で行われたインターナショナルラリー「ラ
リー・イン北海道」である。01年は、日本ラリー界にとって画期的な年であった。長く「ラリー不毛の
国」といわれてきた日本で、初めて本格的な国際ラリーが、北海道と群馬(日本アルペン・ラリー)で一
気に2つも開催されたのだ。
北海道の国際ラリーは、地元札幌のオーガナイザー(競技主催者)であるAGメンバース・モータース
ポーツクラブが長年抱いてきた「長大なルートを必要とするWRCの開催地は、日本では北海道しかない」
との信念が実った結果だった。また毎日新聞社などイベント主催者は、厳しい経済環境下にある北海道の
振興を大きな柱に据えていた。構想の具体化は、1999年から競技の生命線ともいえる道路使用許可な
ど、環境整備に2年近くを要し、ようやくこぎ着けた開催だった。
(2)APRCへ昇格
02年、大会は大きなステップを登った。この年のアジア・パシフイックラリー選手権(APRC)の
第4戦に組み込まれた。FIA(国際自動車連盟)公認国際タイトルが懸かった事で、大会名称も「ラリ
ー北海道」に改められる。この02年ラリー北海道が、ラリージャパンの母体となったといえる。ラリー・
ジャパンでの帯広市郊外・北愛国へのサービスパーク設営など大会の基礎部分は、この年に固まった。出
走台数も61台チームを数え、海外からも8カ国13チームが参戦。名実ともに国際ラリーへと成長した。
(3)ついにWRCへ昇格
北海道ラリー創設時からFIAに対してWRC開催立候補を表明してきたが、第3回大会もAPRCで
開催となった。03年の出走は62チームだった。大会終了からほぼ1ヶ月後の10月16日、ラリー北
海道にパリで開かれたFIA総会から待ちに待った知らせが届いた。通算3回目、国際選手権として2回
目のラリー運営は、非常に高い評価を受け、歴史の浅いラリーとして異例の早さでWRC昇格が認められ
たのである。
2.ラリージャパン成功への経緯
(1)ラリー開催への土壌作り
以前から日本では、モータースポーツファンから根強くWRC開催を期待する声はあったものの、不可
能であるといわれてきた。WRCを開催するには国土が狭く、交通規則が厳しく、世界選手権レベルのイ
ベントを受け入れる体制が整っていないなど様々な理由が挙げられていた。
①許認可問題
最も懸念されていたのが道路の使用許可をはじめとした許認可問題であった。特に競技が行われる林道
の利用も含め、そこでの観戦に容易に許可するほどのラリーに対する理解度はなかった。しかしこれは、
2003年に北海道十勝支庁でのWRC開催が決定して以降、北海道開発局や地元警察の協力で徐々にク
リアされていくこととなった。その中でも特にWRC開催へ前進したのが警察庁の規制緩和であった。
2004年3月、警察庁は道路でのカーレース、ラリー実施を可能とする通達「カーレースに伴う道路
12
使用許可の取り扱いについて」を各都道府県警察本部長などに行った。この規制緩和によって地元住民・
関係団体との合意形成など一定の条件を満たせば、これまで実施できなかった公道でのレース、ラリーが
開催できるようになった。通達に盛り込まれた条件を満たせるまでに体制が整うラリー大会として、9月
に十勝で開催されるWRC(世界ラリー選手権)第 11 戦ラリー・ジャパン2004が国内初の適用となっ
たのである。
②規制緩和要綱
この規制緩和は、国が進めている構造改革特別区域の認定と、地域再生推進プログラムで愛知県新城市
などから出されたラリー大会などに伴う道路使用許可の円滑化の規制緩和提案について、規制の特例措置
は「地域を限定することなく全国において実施する」と評価が下されたことに基づき警察庁が3月 18 日付
で出した。その内容は道路使用許可は警察署長が道交法に基づいて行うが、カーレース(ラリーを含む)
の実施は通行止めを行い危険を及ぼす可能性や騒音などが生じることから、影響を受ける地域住民、道路
利用者などの合意形成に慎重に留意することを求めるものであった。
主催者には、
1)コースの構造をFIA(国際自動車連盟)及びJAF(日本自動車連盟)の安全基準を満たすように
する
2)地方公共団体、地域住民、沿道の医療機関・福祉施設、地元運送事業者、沿道の大型商業施設などと
協議の場を設ける
3)通行規制や安全確保のため自主警備体制を確立する
4)競技中の事故に備えて緊急医療体制を確立する
などの条件を示した。
③ラリージャパン開催条件整う
この条件は、規制を緩和する一方で民間側に相応の責任を求める内容であった。この事から、ラリー・
ジャパンでは主催者がFIAの指導で自主警備や緊急医療体制を整え、地元との協議も進めた。使用コー
スは林道(道路交通法で規定した道路ではない)を主体としながらも、より安全で自然環境との共生の面
でも利用が望まれる公道(町道)の利用も取り入れたため、今回の規制緩和の初適用のケースとなった。
競技区間で速度無制限の走行を行うラリーは、これまで公道での実施は不可能で、JAFも競技規定で
道路使用を禁じてきた。しかし、この規制緩和によりラリージャパンがラリーの世界選手権として相応し
い競技を行える体制を整えるために大きく前進したのであった。
(2)ラリージャパン成功要因
①海外からの経験者招聘
主催者サイドは 2004 年のWRC開催が決定して喜ぶ一方、
国際形式のラリー運営経験が 2 回しか無く、
ましてWRCという世界規模のラリーに対処できる能力が無く運営しきれないという事を自覚していた。
そのため、WRCが開催決定する以前から主催者はさまざまな組織に協力を要請し、ラリーオーストラ
リアの主催者グループの協力を得た。経験豊富なメンバーがコースの計画から報道体制、競技者の受け入
れ窓口等を手伝った。これから新しいラリーイベントを作り上げていかなければならないラリージャパン
主催者にとっては、すでに成功してきたラリー主催者の支援を得ることは不可欠な事であった。
13
②好天が続いた
主催者・関係者・地元住民などのさまざまな努力が身を結び、ラリージャパンは見事大成功を収めた。
この成功の大きな要因の一つとして、雨が降らなかった事が挙げられている。雨天の場合は集客に大きく
影響するほか、SS(競技区間)の安全性確保が難しくなることによる一部競技中止、そして雨でコンデ
ィションが悪くなることにより競技中の事故や、観戦客のアクシデントが考えられる。ラリー成功におい
て、雨は想像以上に大きな影響を及ぼすのである。
③地元の受け入れ体制
何よりも最も大きな成功要因となったのは、地元住民を初めとした、主催者・関係者・地元行政機関な
どのラリーを受け入れる人達の献身的なアシストであった。私が十勝地方に入って、まず驚いたのが地元
の盛り上がりであった。街じゅうの至る所にラリージャパンを歓迎する旗や看板などが多数設置されてい
た。また十勝バスでは日本メーカーの参戦車種であるスバルのインプレッサと、スズキのイグニスのラッ
ピングが施されたバスが多数走っていた。これは、昨年ラリー北海道が開催される直前に私が十勝地方を
訪れた時とは大きく様変わりしていた。
(写真左・中:街中のラリー歓迎の旗など 写真右:十勝バスにラッピングされたラリーカー
撮影者・山田隆史)
また、地元住民に加えて日本中から800名のボランティアスタッフが、ラリージャパン大会運営本部
のオフィシャルスタッフとして活躍していた。その対応が非常に良く、事前の説明会や講習会を何度も重
ねた成果であったと感じた。
④観客のマナー
次に大きな成功要因となったのは、観客のマナーの良さであった。観戦中に酒に酔って他人に迷惑をか
けたり、ラリーを観戦した客が一般道で無理な運転を行うなどのトラブルが一部で懸念されていた。また、
ラリーに反対する自然保護団体からも観戦客が貴重な自然を踏み荒らす、ゴミの放置などが懸念されてい
た。私が観戦した時も、観客は皆驚くほどマナーが良かった。
(左:コース内でのラリー観戦者の様子
右:移動区間の沿道でのラリーカーの応援
14
撮影者:山田隆史)
しかし、警察の発表では懸念されていたようなトラブルは一切なかったとされている。特に、警察で最
も懸念されていたステージ終了後にシャトルバスに観客が殺到して混雑が起きるのでは、とされていた問
題にも、観客は素直にオフィシャルの指示どうりに動いていた。
これは、大会運営本部のボランティアのオフィシャルスタッフが何としてもラリージャパンを成功させ
たい、という信念が強くあった上で一生懸命がんばっていた事と、その趣旨に観客が皆共感して、ラリー
ジャパンを関係者も観戦客も協力して成功させようというアピールがしっかりなされていたためであった。
観戦客も運営本部もしっかりとラリーの趣旨を理解し、行動していたことがラリージャパンの最も大き
な成功要因である。
3.観客動員数・経済効果
(1)ラリージャパンの経済効果
北海道の十勝管区の観光政策は、主に自然の景色や、酪農品を中心とした特産物を中心として展開して
いる。しかし、十勝支庁の東側に位置する道東の釧路支庁・根室支庁・網走支庁と比べると、世界遺産に登録され
る予定の知床国定公園や、ラムサール条約に登録された釧路湿原、霧の摩周湖として有名な観光地を抱える弟子
屈周辺と比べると、十勝管区の観光資源の少なさ、アピール力の弱さは否めない。また、西側には富良野・トマムと
いった北海道の中でも有数の観光地が存在し、道央の十勝支庁は観光地としては空白といっても過言ではないほ
どであった。実際、大手旅行会社のパックツアーでも十勝管区の観光地を訪れるプランはあまり見られない。そんな
中、先述のとおりラリージャパンの前身となる「ラリー北海道」が 2001 年から開催されてきた。厳しい経済環境化にあ
る北海道で、更に観光資源にも乏しい十勝管区の経済効果に対する期待は非常に大きいものであった。
昨年9月に十勝で開催されたアジア・パシフィックラリー選手権(APRC)「ラリー北海道2003」
では競技3日間で4万400人の観客を動員し、広報宣伝効果を含めた総合波及効果は 23 億8900万円
とされている。そのAPRCをもはるかにしのぎ、世界の頂点に立つWRCである。その経済効果はAP
RCの2∼3倍以上の90億円前後、観客動員数も10万∼15万人と予想されていた。
結果は観客動員数延べ21万5000人とされ、経済効果もおよそ100億円程度と予想されている(公
式発表はまだされていない)
。予想以上の経済効果となったが、公式発表が未だされていない為、新聞から
集めた情報と、私が実際に訪れた時の状況を元に以下の項目について述べる。
①宿泊施設
日本銀行帯広事務所(秋元和夫所長)は4日午後、9月の十勝金融経済動向を発表した。管内景気につ
いて「総じて横ばい圏内の動き」としたが、9月のWRC(世界ラリー選手権)開催で市内ホテルの宿泊
者が前年同期に比べ7%上回った。
主要小売店(9社)売上高は同比2・2%減の70億5300万円。9月に入っても気温が高く推移し
たため、秋物衣料が低調だった。新車登録台数は同比5.7%減の815台。3カ月連続の前年割れ。
観光では、とかち帯広空港利用者数が台風による欠航便多発で4%減の6万4300人。十勝川温泉宿
泊客数(4社)は本州から訪れる団体客が減少しており、2・6%減の3万1000人で4カ月連続の前
年割れ。ただ、市内ホテル(5社)宿泊者は2万8000人となり、ラリー効果もあって2カ月連続で増
えた。
(上記記事:十勝毎日新聞11月5日)
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私が利用したのは帯広市の北に位置する音更町のオサルシナイ林間公園キャンプ場だった。市
街15キロほど離れており、キャンプ場までのアクセス道路が未舗装で近くに商店も無い等、宿
泊地の条件として良くない事から、例年は9月になると利用者が殆ど居ないとキャンプ場の管理
人が話していた。しかし、同キャンプ場管理人によると9月2日の利用者は60人を超えており、
その殆どがラリージャパン観戦客であった。
また、帯広市内には市営体育館を開放した無料宿泊所が開設されており、一日300人程の利用者がい
たほか、ホテル以外の格安の宿泊施設(キャンプ場・ライダーハウス)が多数あったため、これらを利用
した観戦客が多かった。一般のホテルは5社と数も少なく、観戦ツアーの客や関係者の利用が多かったと
言われている。
上記の9月の利用者が7%増加したとの記事は1ヶ月単位の事であり、ラリージャパン開催1週間前ほ
どから開催終了後数日間は市内のホテルは全て満室となっていた。その影響もあってか、ツアー客や個人
観戦客の一部は開催地から100キロ以上離れた富良野やトマムの宿泊施設から訪れている人も多かった。
非常に短期間ではあるが、ラリージャパン開催による特需で各宿泊施設が受けた利益は大きかったと言
える。
②各商業施設
このビジネスチャンスに敏感だったのが大手コンビニ各店だった。帯広駅前を初めとして、開催地付近
の店舗前にラリー・ジャパンの「のぼり」をいくつも立てていた。ローソンは大会協賛にも加盟しており、
全国的な知名度と主要幹線沿いの立地条件も最大限活用していた。
「期間中の売り上げは、幹線沿いの店舗
で1・2―1・3倍。観戦客に一般開放された帯広市総合体育館前の店舗では2倍前後にもなった。大幅
に予測を上回り、品切れが続出した」。ローソン帯広地区事務所の滝本明裕釧路帯広地区統括責任者は当時
の盛況ぶりを振り返った。また、
「観戦客は管内を広く移動することは予測できた。大手の利を生かし、こ
れに合わせた仕入れや販売体制を綿密に整えてきた」と、ある市内店の店長。期待以上の特需にあずかっ
ていた。これに対して道内最大手のセイコーマートは特にラリージャパンに関連するキャンペーン等は行
っていなかったが、各自治体と連携した対応(店内で観戦ガイド・道路規制マップの配布など)をしてい
た。
16
(左:セイコーマートで配布されていた道路規制マップ
右:札内スーパーSS 内の出店ブース)
十勝管内大手スーパーの福原は、総菜コーナーに十勝の味覚「豚丼」
(注:大手牛丼チェーン店で販売さ
れている物とは全く違う)を大量に仕入れ、これが大当たりだった。北愛国サービスパークや札内スーパ
ーSSに出店した飲食店も、ぶた丼やゆでトウモロコシ、ふかしイモなどの十勝名産物は終日、長蛇の列
ができていた。私が札内スーパーSSを訪れた時は、出店していた飲食店ではそれぞれ15分待ち以上と
なる程の盛況ぶりだった。いずれをとっても道外から訪れた観戦客にとっては初めて食べる味のメニュー
が多く、しかも大変好評だったこともあり、非常に良い北海道らしい食のアピールになっていた。
さらに、帯広市内の百貨店、藤丸の地下食品売り場でも、十勝産のチーズやハムなどが大人気だった。
その他にもラリージャパン特設コーナーを設けて、ラリージャパンのオフィシャルグッズの販売を行い、
連日にぎわっていた。
地方発送も好調で、十勝物産協会によると昨年のアジア・パシフィックラリー選手権の約2倍の売上を
見込んでいたが、今回は全体で5、6倍を売り上げており、経済効果は前回の10倍は固いとしている。
また、夜は市内繁華街がにぎわい、帯広市内の「北の屋台」ではラリージャパン期間中の1日平均入店者
数600人で普段の1・5倍と大盛況だった。
ただ、業界では「特需は予想以上」と受け止める一方、
「ものにしきれなかった面もある」とみる向きが
強い。駐車場を観戦客の宿泊場として24時間一般開放したスーパー福原の販売促進室によると「特需と
は言い切れなかった。観戦客のほとんどが管外で、開放などの情報が浸透していなかった。管外客への情
報発信の必要性を感じた」としている。
大会運営本部のとかちプラザに近い長崎屋帯広店では食品や衣料品の売り上げが1.1∼1.2倍となっ
たものの、例年にならって9月から午後9時の閉店時間を平常の同8時に戻した経緯がある。
「これだけ人
が多いのなら、特別な営業時間を設定して販売促進につなげるべきだった」と佐藤栄総務次長。
「来年以降、
協賛も視野にWRCに積極関与する必要がある」と反省点を挙げている。
こういった事は、WRCといイベントに対する知識・理解がまだまだ足りなかったためであると考えら
れる。日本国内でのラリーという競技のマイナーさがこのような事態に繋がった。ただ、実際にラリージ
ャパン全体に対してであるが、観戦者向けへの情報が非常に不足していたのは事実である。
日本銀行帯広事務所の秋元和夫所長は「地域にもたらされた直接消費と波及効果は計り知れないものと
なった。しかし、地域にとって世界大会は初経験。慎重に構えたり、しっかり予測し切れなかったり、恩
恵を受け切れなかった面もある」と分析する。
「経済効果を考える上で地域にとって大きな経験となったは
17
ず」と付け加える。
(十勝毎日新聞9月8日記事より加筆・編集)
③足寄町の直接経済効果
足寄町商工会(加藤晴敏会長)は、3−5日に足寄町などで開かれたラリー・ジャパン2004での、
町内における直接的な経済効果を1789万円と算出した。コンビニエンスストア、ガソリンスタンドな
どで利用の伸びが顕著だった。
同商工会が独自に、主な旅館12軒、飲食小売り15軒、ガソリンスタ
ンド7軒から聞き取りで調査。3日間で純粋にラリー関連の観戦客などの利用で増となった売り上げを業
種別に集計した。波及効果は含めていない。
それによると、飲食小売りは1034万円と効果が大きかった。ピークは3日夜から足寄で競技が行わ
れた4日まで。国道沿道のコンビニエンスストアの売り上げが大きく伸びたほか、スーパーも弁当や飲料
を求める人でにぎわった。飲食店は夜間よりも昼間の利用が多かった。
町内に大規模なホテルなどがない旅館業の経済効果は265万円で、2−4日の3日間で延べ718人
が宿泊。道外からの観戦客が圧倒的で、早朝や深夜の移動が多かったため素泊まりの客がほとんどだった
という。
ガソリンスタンドは一部で開店時間を早め、午前3時すぎから営業を開始。通常の2、3倍の売り上げ
があり、ハイオクガソリンの需要も高かった。
今回調査を行ったのは各主要店舗のみで、町全体への波及効果はさらに大きかったと見られる。商工会
では「限定された業種ではあるが、町に大きな経済効果をもたらした。来年も歓迎ムードをつくることが
大事」としている。
(十勝毎日新聞9月17日)
④陸別町の経済効果
十勝管内陸別町の「陸別・ラリージャパンを成功させる会」は16日夜、同町内で、世界ラリー選手権
(WRC)第11戦「ラリー・ジャパン」の報告会を開いた。陸別の名が世界に発信された宣伝効果など
で約1億7000万円の経済効果があったことが報告された。
この報告会には町民ら約30人が参加。尾崎光弘会長が「大成功のうちに終わることができた」とあいさ
つした後、観戦場所の写真などを使いながら報告した。陸別町は1、2日目の会場で、2日間で約4万8
000人が訪れた。経済効果は、宿泊や食事などで約1億3900万円に上り、宣伝効果などを合わせる
と約1億7000万円に達したという。
(十勝毎日新聞9月17日)
⑤
十勝管区(主に帯広)
ラリージャパン開催前の算出では、
「最大に見積もって直接消費は33億円、経済波及効果は全体で12
0億円」と推定されていた。これまでのアジア・パシフィックラリー選手権(推定経済効果23億円超)
を基に算出して、03年に十勝を会場に開かれた同選手権の2―5倍と予測されていた。02年2月のと
かち青空国体(推定経済効果10億円)の12倍に匹敵する数字である。実際には予測以上の観客動員と
なり、その経済効果も期待通り100億円以上となったであろうと言われている。
12月10日現在、十勝地方にどれだけの経済効果があったかは現時点では発表されていないが、飲食
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店やコンビニ、ガソリンスタンド、観光スポットなどは連日にぎわっていた。私は毎年旅行で帯広市を訪
れているが、今年の帯広市内の人・車の多さは、空きテナントが目立ち、道を行き交う人も決して多くな
い帯広市内中心部の普段の状況を知っている者から見れば驚くべきものであった。
チームやオフィシャル(主催者)、観客の足になったのが主にレンタカーだった。公式スポンサーのニッ
ポンレンタカーは約1000台をラリー関係車として使った。また、一般客からの需要もピーク時で例年
の3倍近い予約があり、帯広空港に専用窓口を設けて対応していた。
十勝地区ハイヤー協会(加盟27社)によると、期間中、北愛国サービスパークと札内スーパーSSに
専用の乗り場を設け、北愛国で1日50台、札内で200台の需要があった。全体の利用者は平日の2割
増であった。
また、観客の観戦場所への移動には貸切のシャトルバスが使われていた。十勝地区バス協
会(加盟10社)によると、期間中は8社が計約180台、延べ342台を出して対応した。これには、
釧路や網走、札幌方面の多数のバス会社からも応援があった。
(2)ラリー・ジャパンの観客動員
管内人口
期間中観客
観客動員延べ人数
*約 36 万 7000 人
21 万 1500 人
サービスパーク入場者
(帯広市内)
17 万 2935 人
15 万 9500 人
札内スーパーSS 入場者
(帯広市内)
17 万 2935 人
6 万 9000 人
セレモニアルスタート観客(帯広市内)
17 万 2935 人
5 万 2000 人
陸別町
2日間観客数
3402 人
4 万 8000 人
足寄町
1日間観客数
9530 人
1万 2000 人
新得町
1日間観客数
7426 人
7000 人
2003 年ラリー北海道延べ観客
*
4 万 4000 人
・・・ラリージャパンでSS・イベントが設定された市町村の人口の合計
帯広市の北愛国サービスパークの3日間の入場者数は延べ15万9500人。2台のラリーカーが並走
する札内スーパーSSには延べ6万9000人が来場した。また、大会開催前夜の9月2日のセレモニア
ルスタートには5万2000人が詰め掛け、これらを合わせた帯広市内の延べ入場者数は28万500人
に上った。
(左:セレモニアルスタートの様子 右:三菱自動車のラリービレッジの様子
撮影者:山田隆史)
競技会場の十勝管内足寄町・新得町が企画したラリーパークも人気で、ラリー観戦客も含めて足寄町は
約1万2000人、新得町には約7000人が1日で集まった。他にも音更町でも三菱自動車の十勝研究
所でラリービレッジというイベントが開催され、こちらも3日間で1000人が訪れた。
19
これらの数字は昨年のラリー北海道と比較すると、爆発的な観客動員増となっている。通常 10 万人∼80
万人程度である他のWRCイベントと比較しても、北海道という人口も少なく不便な土地ながら、初開催
で 21 万人を集めた事からもラリージャパンの成功ぶりがうかがえる。今後の北海道の十勝地方の観光・地
域活性化の起爆剤としての地元自治体の期待も高まっている。
特に足寄町・陸別町は人口の何倍もの観客が訪れることなり、過疎化が進行し基幹産業や観光資源に乏
しい自治体としては非常に大きな経済効果をもたらした。その他の自治体にも人口に匹敵するほどの観客
が訪れ、ラリーの期間だけではあるが非常に街に活気があった。
4.来年開催への課題
(1)地域観光アンケート調査結果
帯広開発建設部が10月13日にラリー・ジャパンの観戦客らを対象に実施した「地域観光アンケート」
の結果を発表した。実施要領は以下の通りである。
・実施期間
・8月24日∼9月6日の期間、旅行者と会場での観戦者を対象として実施。
・配布及び回収枚数
・配布枚数は、15,000枚(日本語版及び英語版を各々、7,500枚。)
・回収枚数は、2,577枚(日本語版、2,552枚・英語版、25枚。)
・外国人25人を含む2577人(男性82・9%、女性17・1%)から回答が
あった。回収率は約17%。
・配布先
・十勝管区とトマムの旅館・ホテル。及びラリーの各会場。
※解答結果・分析※
①旅行目的
(帯広開発建設局発表データを元に作成)
アンケートは国内の回答者のうち北海道以外70.4%、北海道内の十勝管区以外が24.4%、十勝管区
内5.2%。旅行目的は「WRC観戦」が87.3%と大半だった。アンケート配布先が殆どラリー観戦者向
けだった事もあるが、ラリージャパンが観光・宿泊施設に与えた影響は大きかったと見ることができる。
しかし、ラリージャパンの時期に十勝管区内の各宿泊施設が飽和状態であったことを考えると、WRC
観戦が宿泊客の80%以上を占めていたという事は、他の目的で訪れる来訪者が宿泊する場を失っていた
可能性も否定できない。宿泊施設の不足問題は、今後のWRC開催において非常に大きな問題である。
②十勝の評価
20
(グラフ・http://www.rallynews.jp/より転載)
「十勝を訪れて特によかったもの」について、
「自然環境」(45.4%)、「農村景観」
(20.4%)で6
割以上を占め、十勝の景観に対する評価が高かった。豊かな自然環境が評価され、十勝地区の観光地とし
ての知名度・イメージの向上につながった。
これに対し、「悪かったもの」は、「宿泊施設」(34.2%)が最多になった。宿泊施設不足で開催前か
ら飽和状態となったことが、悪印象につながったようだと帯広開発建設部は分析している。先ほども述べ
たが、この問題は今後も来年以降に開催するラリージャパンでの大きな問題となってくると推測される。
③宿泊施設評価
(帯広開発建設局発表データを元に作成)
宿泊施設利用者からは「施設」
「食事」
「もてなし」のいずれも「よい」
「大変よい」とする回答が4割以
上と、「悪い」
「大変悪い」の1割前後を大きく上回った。しかし、観光情報の少なさが目立ち、ホスピタ
リティーにおいても非常に良い評価とは言い難い。この2点の課題を解決する必要がある。
④WRC開催地としての評価
21
(帯広開発建設局発表データを元に作成)
WRC開催地の評価を「コース条件」「地域の受け入れ態勢」
「ホテルや街の演出」の項目別に聞いたと
ころ、
「よい」とする回答はそれぞれ64%、57.4%、32%。高い評価の一方、地域や街の演出不足も
うかがえた。地域や街の演出不足がうかがえる結果が出た原因は、ラリージャパンを開催しているエリア
が広範囲に及んだこともあり、ラリー観戦車向けのイベントが効果的・集中的に実施することができなか
った為であると分析する。
また、三菱自動車・足寄町・陸別町が開催していたラリー関連イベントも、観光・イベントの情報提供
不足により、観戦車にあまり知られていなかったという事実がある。私が現地でラリー観戦のために帯広
に滞在していたときも、ラリー関連の情報が現地で初めて入手出来ることも少なくなかった。大会運営本
部の情報提供の量と質の向上は今後、最も重要な課題である。
⑤十勝の総合的な評価
(帯広開発建設部発表データを元に作成)
十勝での滞在日数は平均2.6泊、旅行費用は平均9万3671円だった。ラリー開催日程は前日のセレ
モニアルスタートを含めて3日間で競技開催日は金曜日∼日曜日の3日間である。また、3日間の全ての
競技を見る人は少ないので平均滞在日数がこの数字になったと思われる。旅行費用は北海道の中でも交通
が不便な土地であることや、ラリーのSS観戦費用が5000円からと高かった事によりこの金額となり、
価格の評価も「少し高い」とした人が多かった。
開催地にもよるが、海外の他のWRCイベントでは観
戦料が無料という場合もある事を考えると、ラリージャパンの観戦費用は極めて高額であると言える。
管内での移動手段は「レンタカー」
(46%)、
「友人・知人の車」
(24.4%)で大半を占め、
「バス」
(2
2.3%)、「タクシー」(1.1%)。
北海道は札幌周辺の都市部を除いて、鉄道をはじめとした公共交通機
関が非常に不便であるので、レンタカー利用が多かった。主な観光地やラリーの競技開催地へのアクセス
も公共交通機関の利用だと極めて不便な場所が多く、公共交通機関の運行情報などを含めたアクセス情報
も少なかった事から、最も便利なレンタカーの利用が一番多かった。
観光情報の入手手段は、インターネット(48.6%)、専門情報誌(29.3%)、テレビ・ラジオ(10.
22
2%)の順。十勝観光の魅力を高めるために必要なことについては、29.5%が「観光情報」と答えた。
この結果からも、今回のラリージャパンで一番不足していたのは情報発信だったことが良くわかる。
ラリージャパンに限らず、これまで十勝管区内の観光の情報が不足していた事により、もともと自然景
観や特産物などの観光資源が豊富にあるにも関わらず認知されておらず、観光の空白地とされていた感は
否めない。今後の十勝管区の魅力をいっそう高めるためにも、このアンケートの結果は非常に重要である。
そして来年開催への最も大きな問題点は、情報発信と宿泊設備不足をどう解決するか、である。
(2)大会運営上の課題
①観客の扱い
長い競技区間の中でも、観戦エリアが非常に限られて狭い範囲に多くの観客が詰め込まれていた点は、
一部の観客や、海外のWRCジャーナリスト達から非常に評判が悪かった。特に、最もWRCらしい魅力
を伝えられるような場所に観戦ポイントが設定されていなかったのは非常に残念である。
しかもそのチケットが非常に少なく、街中で開催されたサーキット形式の札内スーパーSSを除いた林
道SSのチケットは、当日券も無く販売開始直後に売り切れとなってしまっていた。非常に高価な観戦費
用に対して、その期待に十分に応えられないものとなってしまっていた。
しかし、これらの問題はある程度仕方ないと言わざるを得ない。環境に配慮し、自然を極力痛めない大
会運営をしなければならない状況では、むやみに林道脇に観戦客を入れることも出来ないし、その為に木
を伐採し自然を破壊する事も出来ない。また、観戦客輸送のシャトルバスが往来できるようにするための
アクセス路を確保することや、自家用車で観戦場所まで行けるような大規模な駐車場も難しい。
また、非常に高価だと言われた観戦チケットの売上も、実際はシャトルバスの運行や観戦エリアの整備
により、残金が67万円しか残らなかった事を踏まえると、これ以上の観戦の便利さの向上は見込めない。
さらに、観戦エリアや札内スーパーSS等の特設コースは、自然環境保護の観点から大会終了後は元の状
態に戻さなければいけない為、年々チケット販売利益により設備が改善されていくことも見込みにくい。
結局は、ラリージャパンの観戦上の問題として指摘されたことは、ラリーがこのような観戦スタイルで
あるという文化が定着するのを期待するしかない。日本での本格的なラリー開催が初めてだったからこそ
指摘された問題であるが、ラリーの本場であるヨーロッパでも、ほぼ同じような観戦スタイルである。日
本のWRCは始まったばかりでまだまだ未熟である。しかし、今後ラリーがメジャーイベントとして認知
されていくと、現在問題とされていることも自然に解決すると推測できる。
②観戦ツアーに対する提言
将来に渡りWRCを北海道に根付かせるには、新たなアプローチが必要という提言もされている。特に、
早い時期から観客のためのインフォメーションをリリースする事が重要である。今年はステージごとの詳
細な情報が少なすぎたために、混乱が起きる事があった。それを避けるためにも、ツアーのバリエーショ
ンを充実させて、各ツアーに独自性を持たせて専門ガイドを同行させる方法などが専門誌で提案されてい
た。ラリー観戦はエンターテイメントとしてはまだまだ非常に素朴であるが、それだけに開発の余地が十
分ある商品であるといえる。その事実には、今回ツアーを開催していた各旅行会社も十分認知しているは
ずであるので、その可能性に期待したい。
③専門家から指摘
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WRC専門誌『ラリーX』の平松秀樹編集長は「ラリー・ジャパンは各チームの評判が良かった。あえ
て次回に向けて心配する点は、F1日本グランプリ(鈴鹿サーキット)が来年はラリー・ジャパンの1週
間後の10月9日になったこと。雑誌は2つの大イベントでページの取り合いになるだろう。今年以上に
ラリー・ジャパンのPRに力を入れないと埋没する恐れがある」と話す。
同じく『WRCプラス』の松沼猛編集長は「ラリー・ジャパンは素晴らしいイベントだったが、チーム
からは参戦コストが海外より1・5倍から2倍掛かったという声があった。来年のラリー・ジャパンでW
RCと併催のPCWRCは、全8戦のうち6戦に出ればよい仕組みなので、コストの掛かる日本にPC参
戦チームは出ない可能性もある。PCWRCが不成立となると、水準の高い走りを期待するファンにはつ
らいことになる。海外からの参戦をコスト面でサポートすることができたら」と指摘する。
(十勝毎日新聞11月5日より引用)
④報道体制
今回のラリージャパンのオブザーバーは毎日新聞・十勝毎日新聞であった。スポンサーとなる企業は他
にも多数あったものの、毎日新聞がメインのスポンサーとなり、開催に必要な多くの費用を出した。その
ためか、各メディアの対応を見てもWRCの報道体制に大きな差があった。毎日新聞系ではラリー開催前
から大きく特集を組んだり、紙面を大きく割いてラリー関連記事を載せていたものの、朝日新聞など他紙
ではその扱いは非常に小さなものであった。もともと、新聞社主催のイベントや野球チームに関する扱い
は、他紙では基本的にされない事が多い。
ラリージャパンを日本に定着させるためにはスポンサーの拠出のバランスを考え、メディア全体でラリ
ージャパンの取り上げ方について再考する必要がある。
(3)モータースポーツ特区
帯広市は道路使用許可などの手続きの円滑化に向け国が支援する「モータースポーツ特区」について検
討していく。16日午後1時半から開かれた帯広市議会の産業経済委員会(渡辺和寛委員長)で示した。
有城正憲議員(市政クラブ)の質問に、山本雅雄商工観光部次長が「実際に(特区に)なってみるメリ
ットがどれだけ発生するか、検討、研究していきたい」と述べた。
内閣官房によると、国道や道道、市
町村道でレースを行う際、警察や道路管理者との協議が必要となる。自治体が地域再生計画と呼ばれる構
想を国に提出、認定されれば、国が協議の場を設けるなど手続きが円滑に進む。小樽市が今年6月、認定
を受けた。
山本次長は「更別村のモーターパークで、GT選手権、24時間レース、市内、十勝管内全域では世界
ラリー選手権が行われている。特区に相当する実績はある」との見解を示した。
(十勝毎日新聞9月17日より引用)
5.地域振興政策としてのラリー
(1)ラリージャパンでの町興し
国内はもとより、世界各地から集まった大会関係者や観戦者をもてなすため、開催地となった陸別、足
寄、新得の3町では住民組織の「ラリージャパンを成功させる会」が中心となり、町を挙げての歓迎を果
たした。町の知名度アップや産業、観光への好影響が見られた一方で、各自治体にはこうしたメリットを
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さらに生かすための地域活性策も求められている。
①陸別町
陸別町は20年以上も前から、オフロードレースの開催を通じて町の知名度を上げる取り組みを進めて
きた管内唯一の自治体である。また、2000年からWRC誘致陸別準備会を結成して町を挙げて大会実
現に取り組んできた。そうした取り組みの一環として、町を代表する滞在型観光の拠点である銀河の森天
文台も期間中の9月3、4の両日、通常午後2時の開館時間を午前10時に繰り上げて対応した。また、
観戦者向けのシャトルバスも運行した結果、2日間の入場者数は約250人に上り、大会との連動を見事
に果たした。その他にも英語版を含めたホームページでの情報提供も行い、町内の事業所、飲食店はこぞ
ってラリー歓迎のステッカー、ポスターが張られていた。大会期間中は9月3、4日の午前0時から、町
民スケート場で「朝までラリーシアター」というイベントを実施して、住民やラリー観戦客で野外でラリ
ーの映像を見て盛り上がった。
陸別町は「豊かな自然環境も含めて町の知名度が上がったことで、旅行会社がラリー以外の陸別観光ツ
アーを企画してくれるかも知れない。そのためには、こちらから新たな売り込みを展開する必要もある」
としている。また、
「陸別は地理的な面で阿寒観光の線上に乗るのは難しく、目的を持った滞在型観光を独
自に打ち出さざるを得ない。世界規模のラリージャパンは最大の強み」としている。
「オフロードの町」と
して地域振興に取り組んできた陸別町は、
「WRCの町」として世界中に有名な街となるように、ラリージ
ャパンを最大限に活用していた。
(一部
十勝毎日新聞9月6日より引用)
②足寄町
足寄町は、今回のラリージャパンをきっかけに、ラリーでの地域活性化の取り組みをスタートさせたば
かりである。町内のスタンドや飲食店、旅館などへの経済効果を認めた上で、
「足寄町ラリー・ジャパンを
成功させる会」は「この町を通過する多くの客を引き留めるような工夫が必要になる。既存イベントとの
連携も1つの方法」としている。
足寄町ではコースの一部に町道が使われた。国の規制緩和で実現したことだが、その前提は地元の合意
であった。地域活性化のため、との町の尽力で地権者の協力も取り付けて開催することが出来た。
また、足寄町が企画し、ラリー観戦者のために「ラリーパーク足寄」を開催した。ラリーを町おこしの
題材として、次のステップにつなげるために、選手の歓迎や、林道観戦で午前4時ごろから足寄に来る観
客向けにおにぎりやサンドイッチなどの提供を、町企画観光課が中心に住民と協力して行った。
(一部
十勝毎日新聞9月6日より引用)
③新得町
新得町役場観光課の貴戸延之課長も「地元住民はラリーへの理解、関心がある。町の知名度アップ、活
性化のためにも、
『ラリーの町』として定着できれば」と期待。かつての森林産業を支えた林道網が新たな
形で生み出した経済効果を目の当たりにした今、ラリーを通じた地域活性化に希望を見いだそうとしてい
る。32年前からラリーの道選手権、全国大会を開き続けてきたラリーの町・新得。
「新得ラリージャパン
を成功させる会」
(竹浦隆会長)が活動を展開、屈足総合会館駐車場で9月5日午前7時―午後3時に「ラ
リーパークしんとく」を開いて選手を歓迎した。
「ラリーは世界的なお祭り。五輪のように、開催地に選ば
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れることは名誉なことだ」と町観光課の貴戸延之課長。広場では食べ物や地元物産を売る屋台が並び、子
供の塗り絵で作った小旗が沿道で振られた。
「WRCはこれからずっと続くものと思っている。子供のうち
からラリーを好きになってほしい」と期待している。
(十勝毎日新聞9月6日より編集・加筆)
(2)新城ラリー2004
①日本初の行政改革特区制度を利用したモータースポーツイベント
愛知県新城市で10月上旬に開催された「新城ラリー」は JAF(日本自動車連盟のカレンダーでは中部
ラリー選手権第3戦という位置付けのラリーイベントである。その一方で、日本初の「構造改革特別区域
法」による内閣府の「地域再生計画」の認定を受け、新城市という自治体が積極的に参加する形で開催さ
れたラリーである。構造改革特別区域法には地域再生のための特例(規制緩和など)が盛り込まれている
が、それがモータースポーツに初めて適用されたものである。これをみた北海道後志支庁小樽市が公道レ
ースの開催に意欲を見せているなど、波及効果も小さくはなさそうである。
②新城ラリー開催の経緯
これまで新城市はモータースポーツとは殆ど無関係であった。新城市はもともとハングライダー・カヌ
ーといったアウトドアスポーツ愛好家が集まる土地として有名であったため、これらを活かした地域再生
プランとして「Do Outdoor Sports」を内閣府に提出して認可を受けたところから、新城市とラリーの関わ
りが始まった。ラリーもこの地域再生プランの一環として開催されるのでは、という意見が新城市総務部
企画課より発案され、もともと新城市には日本最長の全長33Km の林道があることから、実現可能なプ
ランとして具体化される事となった。
③日本初の自治体主催のラリー
自治体がラリーを手がけるという事は初めての試みであるが、いざ実行するとなるとモータースポーツ
を誤解している人も少なくなく、必ず反対や反発の動きが出る。
地方でラリーの開催となるとまず経済効果が第一に取り上げられる事が多いが、モータースポーツも社
会の役に立ち、貢献できるのだという新城市の方針に理解を求めるため、交通安全という側面から理解を
得ていくという方針で開催された。そのため、ラリー開催への土台作りとして安全運転体験講習会を開催
し、それに積極的に市民を招待した。公衆に参加してもらうことにより車の限界を知ればより安全運転に
つながるという事を伝えることにより、ラリーへの理解を求めていった。
自治体が主催のラリーイベントという事で、道路許可を中心とした警察との折衝では非常に慎重に行わ
れ、水源地を一周するSSでは万一の転落に備えてオイルフェンスまで用意していた。特に安全や環境保
護に関して細部まで妥協無く詰めていく必要があった。しかし、何よりも公道を使うということで周辺住
民の理解やラリーそのものに関しての理解を求めるのが最も苦労した点として挙げられていた。これはラ
リージャパンとも同じであるが、ラリーという競技自体のマイナーさも手伝って苦労も多い分、協力体制
が整えばスムーズにラリーイベントは開催できるという事が証明されたと言える。
④地方ラリーイベントの新たな方向性
新城市という自治体そのものがラリーイベントに協賛すること自体、日本でも珍しいことである。さら
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に市内のボーイスカウトや観光協会、商工会や農業協同組合、自動車関連企業、ホテルなどが「新城ラリ
ー支援実行委員会」を設立し、ラリーをバックアップする体制作りをした。これらの成果が実り、雨天な
がら地方ラリーイベントとして異例の観客2000人を集め、競技参加車も地域戦では異例の60台とな
り、大成功を収めた。
新城ラリーは地域活性化という面に加えて、新城市の名が全国に知れ渡るという波及効果が期待でき、
モータースポーツ専門誌を中心にではあったが非常に良い印象で新城ラリーは認知されていった。来年以
降も新城市内で年に一回のラリーの開催を計画している。日本国内でも各地で同じような規模のラリーイ
ベントは多数開催されているが、通常はJAFに登録している各地方の自動車クラブチームが主催して大
会運営をしている。また、住民や一般市民に迷惑をかけないようにと、あまり大々的なイベントとして開
催することはないのが一般的であった。
しかし、今回の新城ラリーは、従来のラリーイベントの開催方法とは全く逆のアプローチから開催され
て成功している。また、構造改革特別区域法による内閣府の地域再生計画の認定を受けた初めてのモータ
ースポーツイベントとしても、日本のラリーの新たな方向性を示すイベントとして大変注目されている。
27
Ⅲ章 自動車メーカーと WRC の関係
1.自動車メーカーがモータースポーツに参戦する意義
F1やWRCといったモータースポーツは、参戦する自動車メーカーにとって、ライバルメーカーに勝
つことによるイメージ向上や、技術陣の人材育成の効果がある。また、モータースポーツの過酷な条件下
で培われた技術を、市販車へと還元することは参戦しているメーカー共通の意義としてあげられている。
しかし、各自動車メーカーは、これらの目標を掲げてモータースポーツに挑戦することで世界的なブラ
ンドイメージを向上させる事を、何より大きな目的としている。また、モータースポーツに参戦する目的
は各メーカーの戦略によりそれぞれであるが、特に日本メーカーで WRC に参戦している三菱自動車、ス
バル(富士重工)について述べる。
(1)ブランドイメージ向上効果
WRC に参戦しているスバル、三菱自動車、スズキは、ブランドイメージ向上が最大の狙いである。特に
スバルや三菱は日本の自動車業界の中では地位が低く、特徴あるプロモーション戦略が非常に重要となる。
そのために、モータースポーツは世界規模で自社製品の魅力を訴求できる媒体として非常に有効である。
三菱自動車のパリ・ダカールラリーでの圧倒的な強さやスバルの WRC での実力は誰もが知るところであ
り、そのイメージは市販車にも反映される。これらの長年にわたるモータースポーツへの取り組みは、そ
の企業のイメージを代表するものとして誰もに認知されることなる。
特に三菱自動車においてはモータースポーツによる企業ブランドイメージ構築は重要なものとなってい
る。三菱自動車の2005年度モータースポーツ活動計画によると、
「三菱自動車にとってモータースポー
ツ活動は単なるプロモーション活動ではなく、三菱自動車ブランドの原点です。我々は、クルマの限界性
能を追求するモータースポーツを通じて得られた技術やノウハウを、
『スポーティ DNA』
『SUV DNA』と
して、全ての市販車へフィードバックし、耐久性・安全性はもとより、走行性・走破性を高めるというク
ルマ作りに取り組んでいます。三菱自動車が本来持つ『丈夫で長持ち』
『質実剛健』いう価値は、モーター
スポーツを通じて培われてきたもので、今後もモータースポーツ活動体制を強化し、三菱車の価値を高め
てまいります。」として三菱自動車の今後の再建計画の基本として「スポーティ&SUV」に特化したカー
ラインナップを宣言している。
また、スバルの紙面広告は WRC での成功を全面的に押し出したものとなっているうえに、この技術力
をアピールする広告が最近まで目立った。現在はそれを背景に新型車のCM活動に力を入れている。
これらの事から、この2社においては WRC をはじめとしたモータースポーツへの取り組みが、両社の
ブランドイメージを確立する非常に重要なもであると言える。
(2)モータースポーツ参戦による拡販効果
モータースポーツは欧州で人気が高く、販売台数増に貢献できる。下にも述べるが、スバルは WRC 参
戦により、参戦車両である「インプレッサ」の欧州での人気が高まっている。
また、三菱自動車もWRC参戦車両である「ランサーエボリューション」の欧州での販売開始により、
技術力の評価やブランドイメージが向上した事もあり、
「ランサーエボリューション」がフランスの専門誌
「Echappement(エシャップマン)」誌が選ぶ「スポーツカー・オブ・ザ・イヤー」を受賞したと発表した
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他、ドイツで三菱自動車の「コルト」が「ゴールデンステアリング賞」を受賞する他、ルーマニアで販売
された最も優れた車に与えられる「2005年カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。
コルトは欧州各
国で高い走行性能や広い室内空間などが評価されており、欧州での最優秀車賞受賞はオランダ、デンマー
ク、ドイツに次いで4カ国目。ラリー参戦メーカーの車としての評価が、高い走行性能の評価に繋がって
いるとされている。これらの事から、三菱自動車のラリー参戦が三菱自動車全体のイメージの向上に繋が
っていると言える。
また、国内でもこの2社の参戦車両はモータースポーツファンに支持されている。特に注目したいのは、
三菱自動車の欠陥隠し事件が社会問題にまで発展していた最中である2004年2月に発売された、三菱
の「ランサーエボリューションⅧ MR」は300万円を越す値段ながら、一ヶ月で限定生産台数の300
0台を売り切っている事である。この事からも、自動車メーカーのモータスポーツの取り組みは販売面で
も少なからず影響があると言える。
近年はF1・WRC 共に開催地が世界各地へ分散し、開催回数も増加傾向にある。FIA(世界自動車連盟)
の主導によるメーカーの為のマーケティング戦略の一環であるが、これから自動車拡販が見込める国での
開催が、参戦メーカーにとって非常に大きなブランドイメージ向上効果を及ぼすのを期待しているのであ
る。この一環として F1は今年、中国の上海でも開催され、特にトヨタは「中国でブランドイメージを構
築するのに大きな役割を期待している」としている。また、WRCは今年からメキシコと日本でも開催さ
れ、欧州メーカーにとっても日本メーカーにとっても未開拓市場でアピールできる機会が広がり、モータ
ースポーツの経済効果が世界規模に広がりつつあると言える。
(3)スバルのブランド戦略としてのWRC
スバルはモータースポーツの中でもWRCに特化したモータースポーツ活動に取り組んでいる。その成
果が企業活動に大きく影響している例として、以下に述べる。
①スバルのWRC参戦意義
スバルの竹中恭二社長は、「WRCへの参戦のおかげで、今日のスバルがあると言っても言い過ぎでは
ない。ブランド向上に果たす役割は大きい」としている。スバルは80年代末に水平対向エンジンなど独自
技術を採用したツーリングワゴン「レガシィ」を発売し、スバルの従来の大衆車ブランドから、走りと安全性を
売りにした「高性能ブランド」に転換を目指した。このブランドイメージを伝えるためには、市販車に近いモ
デルで公道を走るWRCはうってつけであった。
WRC参戦は車両開発などに年間50億円とも言われる巨額の資金が必要で、参戦メーカーにとっても
簡単に維持できるものではない。しかし、ブランド価値の向上やレースで培った技術を市販車の開発に活
用できるなど、金銭に換算できないメリットがある。日本ではラリーの認知度も人気も低いが、欧州では
ラリーに参戦する効果が非常に大きい。
販売面でも、スバルのチームドライバーの出身国であるノルウェーで2004年の販売が昨年比2倍以
上と好調で、WRCが人気の欧州で販売増につながっている。高価格車の販売構成比が高まるなど、ラリ
ーによるイメージ向上が利益面でも貢献している。
②WRC参戦で拡販
国内販売でもWRC参戦のレースマシンのベースとなる市販車「インプレッサ」の新車販売が、予想以
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上の売れ行きを示している。インプレッサはセダン、ワゴンで構成する小型車で、シリーズの新車販売が
今年度上期(4−9月)で前年同期比36%増加した。 また、インプレッサには、ラリー・ジャパン参戦
を記念した特別仕様車「WR−Limited2004」を7−11月の期間限定で設定し、拡販に取り
組んでいるが、00年の登場後から約4年が経過したモデルとしては異例の販売状況といえる。来年はラ
リー人気の高い欧州の3拠点のほか、ロシア、豪州、南米でも競技車販売拠点を設け、シェアを広げる計
画も示している。
それに伴いスバルでは、WRCへの取り組みが、消費者にどんな心理的影響を与えるのかを探る独自調
査を行うと発表した。今のところ、スバルはこれについて「はっきりとした理由は分からない」としてい
るが、
「ラリー・ジャパンの開催や優勝が、ユーザーの購入動機になった可能性もある」とみて、インプレ
ッサを購入した顧客を対象に直接聞き取り調査をしてはっきりとした購入動機を確かめる、としている。
これらの因果関係を調べ、そこで得たノウハウを今後のレース活動や新車販売に活用する予定である。
自動車メーカーは、ブランドの向上を主目的に各種レースに取り組んでいるものの、本業である新車販
売との因果関係をつかむのは難しい。しかし、WRCは公道を舞台にした自動車レースで、マシンは原則
として市販車をベースにしているため、ユーザーに購入意欲を抱かせたかどうかは、F1などに比べると
把握しやすいと言える。
2.WRCのレギュレーション変更の歴史と理由
WRCのレギュレーションは、ラリーが大量生産車両をベースとしたモータースポーツでありながら、
性能本位に走った時代があり、その反省から車両規則を厳密に運用した時代があった。その他にも、石油
危機や環境問題に関連したエネルギー消費の再考、安全思想が重んじられる時代となってきた事もあり、
WRC開始以降非常に多くの変化があった。その大きな流れとしてグループ4、グループB、グループA、
WRカーと大きく4つがあった。これらの事についてグループB時代以降の車両レギュレーション・競技
レギュレーションそれぞれについてその歴史と背景を述べる。
(1)車両レギュレーションについて
①ラリー過当競争時代
--グループB規定--
グループBの時代は、1982年から市販用の最小生産台数200台、そして競技参戦用車両20台を
作ればどんなスーパーカーでも参戦可能というレギュレーションであった。そのため一般大衆車とはかけ
離れたラリーカーが参戦することとなった。ラリーは市販生産車両を使用するモータースポーツであるこ
とを常に認識しておく事が大切であり、この時代のラリーカーはWRCの主旨である「市販生産車両」で
競技を行うとの主旨に合致せずしないものとなってしまっていた。更に技術競争が激化して、ラリーカー
の性能もエスカレートし事故も頻発するようになってきた。
この時代のエンジンパワーは約450−500馬力(当時の日本の市販車は120∼200馬力程、現
在の国産車も280馬力までに自主規制されている)前後と言われていたが、競技中の事故死が頻発した
事により、グループBは危険すぎるとのFIA判断によりグループBは終了とされた。
②グループA規定へ移行
グループB時代のエスカレート現象に歯止めをかけるべく出て来たのが、1987年からの新レギュレ
30
ーションである、グループA及びNである。この規定は、最小生産台数を年間〈連続する 12 ヶ月と規定〉
5000台としたことにより、一般の市販車とはかけ離れた非常に特殊な車両を作ることが避けられた。
自動車会社は製造する車両を売らなければならないので、一般のユーザーに対する品質保証は重要な項
目である。それに一般の車両法規の適合、安全法規、排気ガス規定の適合等々の基本要素をクリアする必
要がある。一方、ラリースポーツの目的を突詰めて行くと一般車両に必要な要素と相反するものが多く発
生する。これらが車両の基本設計から発生するのが、ラリーカーにとって大きな悩みとなる。スポーツ最
適車は必ずしも一般ユーザーには最適ではないのである。
スポーツカーの設計の基本である重心を低く、ホイールベースの中心近くに持ってくることは市販車両
の基本要求から見て大変無理がある。WRCに参戦する自動車会社は、販売企画部門とスポーツ部門の間
で、このジレンマと戦いながら結果を残すために、大きな努力が必要となってきた。
しかし、メーカーにとって5000台という台数は実に中途半端で、工場の片隅で作るには多すぎ、生
産ラインに乗せるには少なすぎる数字であった。更に海外活動では左ハンドル車も作る必要があり、年間
10万台の車も5000台の車も開発の段階では衝突安全、排気規制、日本および諸外国の型式登録の取得
等々の手間は同じだけかかる事となり、結局参戦コストが高くなってしまった。その後5000台の最小
生産台数は2500台に緩和されたが、結局はメーカーにとって困難さは余り変わらなかった。 特にこの
問題は主にヨーロッパのメーカーで大きな問題とされた。
③グループA規定の問題点
1980年代後半は日本車が世界ラリー界に進出し、一方WRCの本場であるヨーロッパではグループ
A以前に活躍した伝統あるチームのオペル、アウディ、プジョーなどが活動をとりやめていた。日本メー
カーと、それに次いでランチア、フォードが強い時代であった。
その大きな原因は、4輪駆動とターボの問題であった。日本車は既に4輪駆動車を大々的に商品化して
いた。更にターボも元来ヨーロッパ車が先駆けて導入したものであったが、信頼性に欠け撤退した後を受
けて、日本メーカーは十分に熟成して信頼性を保ちつつ完全に実用化して商品化していた。この結果WR
Cは日本車ほぼ独占の時代になったのある。
この状態に対して、欧州メーカーはフランスを中心に、日本車独占の傾向を打破すべくWRCのレギュ
レーションを排気量1.6㍑∼2.0㍑でノンターボ車両にするべくFIAに対し強力な運動を開始した。
その主張は「世界中のメーカーで2リッタークラスの前輪駆動車両を生産販売していないメーカーは存在
しない。一番底辺の広い車でやるべきだ。」として、レギュレーション改正を要求したのである。この主張
は大きな反響があり、それまでの2㍑ターボがターボ無しの2㍑になれば競技の迫力に乏しいとか、いま
まで努力してきた日本車を中心にした4駆、ターボに対する長年の努力を無にすることができない等、大
議論を呼んだ。その結果、フランス派に対してはターボ無しのカテゴリーのタイトルを併設する等の処置
をとることとなったのである。
④WRカー規定導入(現行規定へ)
グループA末期の日本車偏重は長い目で見て好ましくなく、欧州メーカもフォードが本格的に 4 駆ター
ボで活動を継続していたが、参戦するメーカーが激減すればシリーズは継続できなくなる。また、勝つた
めの市販車の販売や、勝つための技術的敷居が高いため容易に新規参戦しにくくなっていた。勝てる見込
31
みが無い自動車競技に参戦する事ほど無駄なプロモーション戦略はない。勝てる見込みが無い=参戦する
意味が無い、ということである。
それを改善するために提案されたのがWRカー構想である。その基本は以下の通りである。
・2輪駆動を 4 駆に改造してもよい
・大量生産型自社エンジンに、改造してターボを搭載してよい
・性能規制は現行グループAのまま
・WRCフル参戦を約束するメーカーのみがWRカーを製造することができる
この議論は再び大変大きな反響を呼んだ。ラリーは市販生産車両によるモータースポーツという主旨か
ら考えると、WRカーは再び市販車から大きくかけ離れたものとなる意見が当然あった。生産車両でやる
からラリーは大衆に受け入れられると言う、三菱自動車の主張は正論であったが、一方このWRカー構想
を導入しなければ参戦メーカー不足によりWRCが成り立たなくなる可能性が高かった。結局、議論を重ね
た上でWRカー構想は97年より導入されることとなった。
WRカー構想導入後、セアト(その後撤退)、ヒュンダイが新規参入し、フォードがフォーカスを開発し、
スコダもWRカーに移行し、プジョーもフル参戦し、シトロエンも2003年より全戦参加するなど、W
Rカー検討当時の目的は成功したと言える。加えて1600ccのグループAもJWRCとして世界タイ
トルに加えられ、車両カテゴリーは安定期に入った。
(2)競技レギュレーションについて
①90年代のFIAのWRC改革の背景
1990年代前半に、WRCは当時参戦していたメーカーから起きた様々な問題に対応するため、大規
模なレギュレーション改正を行った。また世界的な景気の下降が鮮明になってきた時であり、エネルギー
節約、公害、安全問題等の社会的テーマを取り組むことが自動車メーカーに求められ始めた時代であった。
当時は参戦しているメーカーも多く、日本メーカーが力を増してきて競争が非常に激しくなってきてい
た。そのため各メーカーは、勝つために可能なことは全て行う体制を整えるために人員、体制、装備などが
膨張して経費も莫大なものとなり、結果として再び過当競争時代を作り出すこととなってしまった。
結果、特に欧州勢のメーカーは、トップクラスの活動を行うには企業の能力を超えた努力が必要である
状態になってきた。4駆ターボのグループA車両の新規開発は不可能となり、ラリーはどこのメーカーで
も作れる 1.6-2.0 リッターの前輪駆動とすべきとの強い意見がフランスメーカー中心に出てきた。これら
の事からメーカー本社の側では膨張する規模に対応が難しくなり、WRC開催数を減らすことが望まれた。
②FIAのWRC改革以前の参戦メーカーの体制
タイヤ(競技車両3台分)
2500本
サービスポイント
3日間延べ74箇所
サービスバン(サポート用品をフル装備したもの)
12台
タイヤ輸送車
6台
アライメント測定用トレーラー
2台
クイックサービス車(応急修理用車)
3台
32
チェイスカー
2台
モーターホーム
2台
アイスクルー車
6台
監督車
3台
車両合計
36台
1990年代初期のモンテカルロラリーのトヨタのサービスプランによると、モンテカルロラリーの為
にトヨタが持ち込んだ装備は上の表の通りとなっている。これにドクターカー・ドライバー送迎用車両・
広報担当者車両を加えると、1度のラリーのために必要となった車の台数だけでも大変な数になる。サー
ビスに関しては特に制限が無かったため、一基数百万円するターボやトランスミッション、デフ類はどこ
でも交換できるように全サービスカーに搭載されていた。また、サーキットレースで使用されているタイ
ヤウォーマーも百枚以上で、更にそれを山の中でもそれが使えるように、タイヤカーには電源用発電機も
搭載されていた。
体制がここまで肥大してくると、これから新規に参入しようとするチームは体制を整える意欲を失って
しまう程、膨大な準備を迫られることとなっていた。現在は定められているサービスポイントしか認めら
れていないので1箇所∼2箇所ほどしか無いのに対し、その数が極めて多いのは各SSの前後にポイント
を設置しているからである。特に問題を起こしやすいSSをフィニシュした直後に車をチェックして、何
も無ければ数キロ離れたメジャーサービスポイントまで直接行く事となり、何もトラブルが無ければこの
サービスポイントは無駄になっていた。
このようにして、フル体制ではチームがラリーに準備する部品の価格だけでも数億円になるという事態
になってしまっていた。
③FIAのWRC改革の内容・効果
上記の状況を改善するため全体をスリム化しコストを削減し、資金力により勝敗が決まるのではなく、
限られた資源の中でなるべく公平に競技を行うために様々な対応策が協議された。長い間、メーカーポイ
ントは1−10位に与えられ、メーカーは何台出場させても良いとなっていた。そして財政豊富なメーカ
ーは有力ドライバーを多数確保して圧倒的優位を保ってきたのである。
又、10戦中ベスト8戦の結果で年間表彰を行う制度となっていた。更にメーカーの都合で参戦希望しな
いラリーは参戦しないでも良く、全部参戦してポイントを得る事もできた。これでは世界選手権を全て同
じ条件で戦うと言う意味では、好ましくない状況であった。
一方、過当競争による費用の高騰で全戦参加義務を無理やりに押し付けることも出来なかったので、F
IAはレギュレーションの大幅な改正を行い、下記の目的達成を目指すこととなった。その目的は以下の
通りである。
1) F1と共に世界最高峰の選手権としての権威の保持。
2) 参加メーカー数減少を防ぎ、メーカー数の増加を目指す。
3) 分かり易いポイント制、全戦参加義務の付与。
4) 経費削減のためのレギュレーションの変更と、不正の防止策の検討。
5) 社会的認知を高めるための努力、特に安全問題等。
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そして、上記の目的を達成するために以下の改革が検討された。
1)特に不必要なタイヤ交換を避けるため、使用できるタイヤの本数を制限する。一般大衆に無駄使いの印象を与える
こと避けるべき。
2)ターボやギアボックス類の交換制限。
3)WRC開催数の再検討
4)ラリー公式日程の短縮化, )レッキの短縮化
5)サービスポイントに変わりサービスパークの設置、その他の場所での一切のサービスはドライバーが自ら行う作業
を除き禁止, 外部からのサービス、助力禁止
6)新規参入を期待して2㍑前輪駆動車のWRCシリーズ参入の検討、実施。WRカーレギュレーションの検討、実施。
7)ラリーコースの短縮化、サービスパーク二箇所以内(一箇所を強く推奨)、その結果サービスパークを中心にクローバ
ー型コース設定が一般化
8)グラベル、ターマック混合ラリーの路面の統一(スペイン、イタリア)
一連の大幅改正は、まずサービスに関する項目から入った。ラリーカーのトラブルで交換する部品として
最も高価な物であるターボと、ギアボックスの交換回数を制限することとなった。これらの交換場所は各
レグの最終サービスのみとなり、現場に持ち込む高額部品の量は激減し、大幅なコストダウンを図った。
更にサービスパークの設定と、サービスパーク以外でのサービスを禁止した。サービスパーク以外の場
所では選手だけが応急修理をすることが出来る規定とした。また、サービスパークの出と入りにタイムコ
ントロールを設定することにより、サービス時間が限定された。これにより時間内に出来ることも限られ、
タイヤの交換回数も格段に減ってきた。その後タイヤにはさらに規制がかかり、使用するタイヤの種類も
制限されることとなった。次に、日程も改正する事になり、ラリー公式日程を短縮しレグ数を3とし、レ
ッキも短くし、表彰式もラリー終了後その日の内に行う等の標準日程が作成された。
一方で、FIAは経費の削減を目指しつつ、合理化で稼ぎ出した財源で世界選手権全戦参戦義務を課し、
ラリーの数は減らさず、逆に増やしてきた。メーカーは年間8戦程度がチームの能力からみて適当と考え
ていたが、逆に8→10→12→14→16と増えてきており、今後更に増える可能性すらある。
これらの改革の結果、WRCに参戦するメーカーの数が増えることとなった。FIAの思惑の通り、お
およそ上記のような改革によりチームの予算の膨張を防ぐ効果があった上に、非常にフェアな競技とする
ことができ、意欲的にWRCに取り組むメーカーが増えたのである。しかし、その代わりとして参戦メー
カーには全戦参加を義務としたのであった。
このようにして、過去10年間は毎年のように規則の改定続けながら、現在の形になってきたのである。
しかし、今後もWRCは市場の状況や参戦するメーカーの状況、また興行としてのWRCの成功のために
大幅にレギュレーションが変更されることも予想される。
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第Ⅳ章 WRC の将来展望
1.不安定なWRCの将来
(1)参戦メーカーが抱える問題
①モータースポーツ活動維持が困難に
ラリージャパンが成功に終わり、日本にとってのWRCは新しい認識のもとにこれから発展していくこ
とが期待されている。しかし、WRCの現状は日本やメキシコなどの新たなラリーの成功を素直に喜べる
ものではない。次々と展開される華やかな舞台の裏では、多くの自動車メーカーがWRCのコストと宣伝
効果を天秤にかけて、WRCの世界からの去就を検討しているのである。近年、これまでにその危機は何
度もあった。昨年ヒュンダイが活動を突然取りやめた事や、スコダや三菱の活動縮小がその例である。
しかし、これからも WRC の置かれた状況は更に厳しさを増すことが予想されている。昨年来フォード
が撤退を検討されていたのがその象徴である。その原因は高騰するコストに見合う効果が得られないとす
るものである。この危機はフォードのモータースポーツ部門である M スポーツ社の大幅な予算縮小をする
ことと、更に今年 F1 ジャガーチームを売却したことにより乗り切り、何とか撤退を免れた。
この問題はラリーの費用対効果というレベルにとどまらず、世界的な企業であるフォードの深刻な経営
難が影響していると言われ、実際ラリーに限らずフォードはこれまで関わってきたモータースポーツ活動
を打ち切っている。
②WRC が不成立になる危険性
これらの最大の問題は、参加するチーム数である。多くのメーカーのチームが参加するからこその世界
選手権であり、多くのファンの注目を浴びてテレビ放映が成功し、スポンサーがつくのである。
来期から三菱・スコダが復帰するものの、プジョー・シトロエンが撤退する2006年シーズンからの
参戦メーカー数は僅か4チームでは世界選手権が成り立たなくなることは容易に想像できる。また、WRC
のテレビのプロモーターである ISC は、ワークスノミネートした自動車メーカーからの基金が重要な運営
資金である事を考えると、現状以下のチーム数では世界選手権としても、メーカーの重要なブランド戦略
としても破滅的であると言わざるを得ない。
(2)PSAグループの撤退
①突然の撤退表明
参戦継続が不安視されていたフォードが参戦継続を発表した2日後、PSA のプジョーとシトロエンが2
005年シーズンを以って WRC 参戦を撤退すると発表した。フォードのように財政的に苦しい企業が、
厳しい時期にこそ WRC 継続がブランドイメージ向上に欠かせないと考え、日本国内のリコール問題で大
幅な減収となっている三菱もフォードと同様の考えで WRC フル参戦を発表した。しかし、ここ数年最も
優れた成績を残しており、更にラリー活動の成果により非常に良いブランドイメージを得ている2メーカ
ーが撤退を発表したことは大きな波紋を呼んでいる。
その最も大きな原因は、ラリーで勝つために最も贅沢な資金を投入していた2大チームが、高コスト化
を理由に撤退を表明したことである。しかし、WRC の経費節減については2∼3年前から FIA は積極的
に様々なプランを打ち出している。この発表がなされたのも、コスト削減のための技術レギュレーション
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変更が WRC 運営委員会で承認された翌日であった。そのため、PSA の撤退発表の真相が非常に注目され
ることとなった。それだけに、PSA グループによる FIA への政治的な圧力ではないかとも言われている。
②ラリー撤退をめぐる PSA の内部事情
PSA 撤退表明の原因は、同じグループ内の2チームが争うことで年間予算がどんどん高騰していく事に
対して経営上思わしくないと考えているのではないか、言われている。事実近年のハイテクデバイス開発
の過当競争や、高価格素材を多用する WRC の現状を作り出したのは PSA である。これを企業経営の観点
から見ると良くないのは事実である。
また、PSA としては5年連続メーカー選手権を制覇しており、プロモーション戦略の一環としての目的
は達成した事と、プジョーがここ2年不振に終わっていた事からプジョーは撤退するとの憶測があった。
しかし、PSA としてはどちらか1チームがもう片方に敗れた形で WRC から去ることを避けたいと考え、
更に敗れるのがプジョーであったら、グループ内の勢力関係から考えてもそれは許されないとして、その
可能性を回避するために両方の撤退を発表したのではないか、というのが各メディアの見解である。
③シトロエン活動継続の可能性
しかし、PSA の発表によるとプジョー・シトロエンの両レース部門に対して今後のモータースポーツ活
動の方針として「タイトル獲得が期待されるカテゴリーへの参戦」
「過大な予算がかからない事」という指
示を出している。ここから予想されるのは、プジョーが別カテゴリーへ参戦を表明した後、シトロエンが
参戦継続する可能性である。
シトロエンは既に 2006 年シーズンに向けた新型ラリーカーの開発テストが進んでおり、フル参戦開始を
してから僅か 2 年でメーカータイトル 2 回、ドライバータイトル 1 回を獲得している。この事から、今後
シトロエンのラリー活動継続によるプロモーション効果は大きく、世界的なブランドイメージ向上の効果
も非常に期待できる。それだけに、今回の PSA の撤退表明には WRC を主催する FIA に対しての政治的圧
力であると考えられているのだ。
④ラリー界共通の問題点
しかし、参戦メーカーのコスト問題が深刻化しているのは事実である。シトロエンならずとも、他のメ
ーカーのラリー活動継続には FIA が現在の経費削減政策を更に進める必要がある。技術レギュレーション
面に関しては、現在でもかなりの効果を挙げているが、次の問題は運営部門でのコスト対策である。FIA
にしてもシトロエンが WRC 継続をするメリットは言うまでも無く、参戦メーカー数の維持である。もし
両メーカーが撤退した後、4 チームとなった WRC が今期の三菱のようにメーカー側の都合で撤退・休止し
た場合 WRC が成り立たなくなってしまうのである。これを避けるために、今後 FIA を初めとして WRC
参戦メーカー等がどういった動きを見せるかが非常に注目されている。
2.再び改革期を迎えている WRC
(1)新規定の提案
このような状況の中で、FIA は現在 WRC に参戦するメーカーに対して、現行の WR カーに代わる新規
定の S2000 を提案した。
現行の WR カーはパワーが全てだった時代に対して安全なマシンである。しかし、
2006 年以降 4 チームしか参戦しない可能性が濃厚で、今後の出場台数が増加する可能性がかなり低いこと
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を考えると、WR カーはマーケティング的に既にラリーカーとしての寿命に達していると言えなくもない。
(2)各参戦メーカーの反応
新規定の S2000 の提案に対してのメーカーの反応は様々で、財政難から存続危機に陥ったフォードは歓
迎したが、スバル・三菱・プジョー・シトロエンは猛反発であった。特に今の WRC では必須とされるハ
イテク4WD やターボを禁ずる事に関して、これまでその開発に力を注いできたメーカーから特に強い反
対意見が出された。
しかし、参戦各メーカーの抱える財政負担問題は深刻で、何らかのコスト削減の為の方策が求められ、
それが早急に必要なものとなっている。
(3)新規定に関する動き
そこで再び提案されたのが現行WRカー規定に高価な素材を利用した部品の規制や、電子制御を大幅に
制限した
デチューンWRカー
案である。現在、この案を軸に現在参戦しているメーカー同士で検討さ
れており、フォードを除いた現在三銭中のメーカーは S2000 構想に対して根強い反対意見を持っている。
しかし、FIA側はS2000 計画に強行に反対していたPSAが撤退を発表した事により S2000 計画を
再び提案する予定である。これは、S2000 計画に賛同する現在参戦していない自動車メーカーが多数存在
するからである。
FIA の発表によると、現在 S2000 を開発しているのはルノー・フィアット・ラーダの 3 メーカで、スズ
キもこれを歓迎するとしている。FIA は、WRC 参入の契機を模索している日産やマツダ、ポルシェなどを
WR カー規定から S2000 規定へ移行することにより潜在的な WRC 参戦需要を掘り起こすことを目的とし
ている。実際、スズキが将来 S2000 計画が導入されるとの目論見から、現在の JWRC クラスのラリーカ
ーで WRC 全 16 戦に参戦すると 12 月 14 日に発表した。
3.予測困難な WRC の今後
既存のメーカーが、突然提案されたレギュレーションに困惑するのは当然である。WRC のコストが高騰
したのは WR カーが高価なだけでなく、FIA がむやみに WRC の開催数を増やしつづけた事もその原因で
あるからである。しかも遠征費用が莫大にかかるヨーロッパ外での開催が増えているだけに、尚更である。
だが FIA には役員の選挙制度があり、その投票権は WRC を開催したい国の各自動車連盟が持っている
以上、その拡大政策は止まる事は無いと予想できる。
また、日本やメキシコなどマーケットとして重要な国での WRC 開催はメーカーにとっても悪い話では
ない。これから誘致活動を行うインドや中国での開催に肯定的なメーカーも、スズキや三菱をはじめとし
て存在する。
新規開催となったメキシコ・日本共に大成功を収めたうえに、その経済効果を期待して新規参入を目論
む国が後を絶たない。WRCは開催にかかる費用はオリンピックやF1など、開催の為に大規模な施設が
必要な他のスポーツイベントに比べてはるかに安い。さらに開催地の魅力や名前が全世界に発信され、短
期間で多くの観客が世界中から押し寄せる、非常に優良な観光資源なのである。それだけに、WRC開催
を希望する国はこれからも増えると予想される。
しかし、参戦メーカー増を目指して S2000 クラスを導入すると、現在の WR カーの性能を大幅に制限し
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たものとなり、ラリーらしい迫力に欠けたものとなってしまうのは明らかで、興行としての WRC の魅力
が大きく減る事となる。そうなるとラリー人気を世界的に拡大するために、世界の様々な地でWRCを開
催したりメディアと積極的に連携してラリーのプロモーションをしても無駄となりかねない。
また、現在参戦しているメーカー以外にもラリー関連のメディアやファン、そして参戦しているドライ
バー達からの反対意見も根強い。ラリーの人気を世界的に拡大し、自動車メーカーのプロモーションの場
としての魅力も大きくしたいと考えている FIA にとっては、非常に難しい問題である。
ラリーの興行としての魅力・プロモーションの場としての魅力を世界的に高めるためには、パフォーマ
ンスの高い車両で多くのメーカーが参戦し、世界各地で数多く開催する必要がある。しかし、そのコスト
は莫大で自動車メーカーにとって大きな負担となるうえ、参戦メーカー増が望めない現状に対応した規定
改正を行うと、WRC が世界最高峰の自動車競技としての魅力が失われる。WRC 界はこの大きなジレンマ
に悩まされて混沌とした状況になっているのである。
今後 WR カーに参戦するメーカーが増加すれば S2000 への移行は必要無いが、現状規定では新たな参戦
メーカーは期待できないだけに、今後が注目される。
FIAが 06 年からの規定を、今話し合っているという現状には無理があるのも事実である。しかし、こ
のまま 06 年も WR カー規定が続行されると参戦するチームは 4 チーム以下となり、WRC自体の存続が
危ぶまれることとなるだけにFIAは急を急いでいるのである。
WRC開催地の期待とは裏腹に、FIAや参戦メーカーの苦労はこれからも続くだろうと予想できる。
しかし、WRCの長い歴史とその人気は絶大である。あらゆる条件の中で最も強い市販車を競い合うWR
Cは、他のモータースポーツには無い素晴らしい魅力がある。また、WRCに関連したマーケットもまだ
まだ未開拓な部分が多く、これからの成長も期待できる。
WRCが更に発展し、世界中で人気となるスポーツに成っていく事を願う。
*参考文献*
・Rally Japan 公式ガイドブック
・WRC+2004(Racing on WRC Plus2004)Vol.4
・十勝毎日新聞報道記録集、及び 12 月 8 日、11 月 5・25・26 日、10 月・13・15 日、9 月 4・6・8・9・17・23・29
日、8 月 28・29 日の各記事
・Rally X
・月刊プレイドライブ 11 月号、12 月号
Vol,13,ITALY、Vol,15 CATALUNYA、 Vol,16 AUSTRALIA
・ベストカー 10 月 26 日号、11 月 10 日号、12 月 26 日号
・ベストカー9 月 5 日増刊号「ラリージャパンパーフェイクトガイド」
・毎日ラリー倶楽部HP http://www.mainichi.co.jp/sports/rally/
・Rally X
HP http://www.rallyx.net/
・Rallynews.JP http://www.rallynews.jp/
・WRC Official Web site http://www.wrc.com//・ラリージャパン公式HP http://www.rallyjapan.jp/
・ラリージャパン支援実行委員会HP http://love-tokachi.kir.jp/rally/
・スバルHP http://www.subaru-msm.com/・三菱自動車HP http://www.mitsubishi-motors.co.jp/japan/
・プジョージャポン
・CitoroenJapon
WRC リポート
MotorSports
・Ford MotorSports
http://www.peugeot.co.jp/discover/wrc/race.html
http://www.citroen.co.jp/motorsports/index.html
http://www.ford.co.jp/motorsports/wrc/index.htm
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文中写真撮影者は特記以外は山田隆史。文中図表は特記以外は参考文献を元に山田隆史が作成。
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