フィッツジェラルドの短編再評価:再評価には何が必要なのか

No.25
October 2010
日本スコット・フィッツジェラルド協会 2009 年度総会(10 月 10 日、秋田大学手形キャンパス)
<ミニ・シンポジウム再録>
「フィッツジェラルドの短編再評価:再評価には何が必要なのか」
目 次 新訳の仕掛け―再評価のために
<ミニ・シンポジウム再録>
「フィッツジェラルドの短編再評価:再評価には何が必要なのか」
● 新訳の仕掛け―再評価のために
小川高義 ...1
● 秋田で考えたこと―
小川高義氏の講演を聞いて
宮脇俊文 ...2
<マンダム社の男性化粧品ブランド
「ギャツビー」
命名の由来を探る>
● マンダムとギャツビー―小説『ギャツビー』
との関連性をめぐって
関戸冬彦 ...4
● マンダム訪問記―『グレート・ギャツビー』
はみんなのもの―
宮脇俊文 ...5
<研究発表要旨>
● Swimmer から Diver へ―F. Scott Fitzgerald の
“The Swimmers”を Tender Is the Night の
序章として読む―
高橋美知子 ...7
● トウェインとフィッツジェラルドを結ぶもの
―ノスタルジアと女性をめぐって
関戸冬彦 ...7
● Fitzgerald と空間の比喩―Tender Is the Night
における旅と精神分析
井出達郎 ...8
● Hemingway は The Great Gatsby をどう読んだのか?
―The Sun Also Rises はその後の Gatsby なのか? 関戸冬彦 ...9
● その他の研究発表
...10
<映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
劇場用プログラムより 解説再録>
● 繁栄のこちら側
―若さと喪失とジャズ・エイジ―
宮脇俊文 ...11
小川高義
(東京工業大学)
あたえられたテーマは「フィッツジェラルドの短篇
再評価――再評価には何が必要なのか」であった。新
訳に携わる者としては、ちょうどよかったかもしれな
い。ある作家を、もう一度読み直し、その結果を日本
語で書いてみよう、ということで、新訳とはまさに再
評価を試みる企画なのである。以下、この作家はどの
ように面白いのか、どうすれば面白さを引き出せるの
か、という観点から、訳者として気づいた二、三の例
を挙げる。もちろん既訳を否定するものではなく、過
去に対して「賞味期限」という言葉を投げつけようと
も思わないが、もし直すべき点があれば直すことはあ
り得よう。複数の訳が、いわば共同作業の形で積み重
なり、次第に作品への理解が深まればよいのである。
おそらく、翻訳も論文も、目標は同じだろう。
だが、どういう現象があれば「再評価」と言えるの
<コラム>
● 翻訳と原文の間―翻訳は恐ろしい― 泉澤みゆき ...12
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か。専門家によって最先端の議論が行われるだけでは
なく、もし作家の魅力が広く一般に認識されるという
...15
ことまで含むのなら、何らかの仕掛けが要る。教室で
−1−
学生を鍛えて、しっかりした鑑賞能力のある読者を育
“When Jordan Baker had finished telling all this we
てる、ということも遠大な(最も本質的な、かもしれ
had left the Plaza for half an hour and were driving
ない)仕掛けである。
in a Victoria through Central Park. ”
では、そうやって伝えるべき魅力とはどのようなも
ここで問題にしたいのは太字にした箇所なのだが、
のか。たとえば「冬の夢」のジュディ・ジョーンズに
leaveとforを組み合わせた時間表現は、
「半時間前も前
月夜の湖で泳がせるべく作者が指定した水着は、「ピ
にプラザホテルを出て」
(野崎訳)の意味にはならない
ンク色で、ロンパースのような仕立て」だった。現代
だろう(half an hour earlier と書かれているのではな
人の目にはそれほどセクシーなものではないかもしれ
い)
。たとえば、適当な例として、
“They left the house
ないが、当時の風俗に対する興味はかき立てられよ
for ten minutes (e.g., to mail a letter)
”だったら、ま
う。つまり時代物としての面白さがある。しかし、
「ク
ず誤解は生じないと思う。10 分だけ留守にしたのであ
ルミの色に日焼けした腕が、鈍いプラチナの小波を立
る。NickとJordanもそうだったのではないか。だとす
てて」いたかと思うと、まもなくサーフボードに全身
れば、馬車が遊覧用の乗り物である(ホテルを出る交通
が立ち上がり、腕を広げて月を見る。それだけの短い
の便ではない)ことも、この章が濃厚な文章で終わる
時間に、デクスターのみならず現代の読者も十二分に
(座席の二人が密着する)ことも、すんなり了解される
魅了されている。つまり時代を突き抜けて面白い。
だろう。
「プラザ・ホテルをあとにして(中略)セント
訳者の立場として、読者に届けるべき面白さには、
ラル・パークを抜けている」
(村上訳)のではなくて、こ
そんな二種類があると思う。そして時代考証の面白さ
の夜は二人でホテルへ戻った可能性が高い。
を基盤としつつも、どちらかというと時代を超えた面
翻訳者が仕掛けるべきなのは、そのような効果だと
白さを前面に出すほうが、作家の再評価には有効であ
思う。読者に鮮やかな記憶が残れば、それだけ「わか
ろう。情景や人物のイメージが、どれだけ読者の脳内
りやすい訳」になる。ただの言い換え(一般に「意訳」
に浮かんでくるか。そういう仕掛けの出来が、翻訳批
と呼ばれ、
「こなれた訳」として賞められる)が産み出
評の基準となることを願う。イメージづくりを邪魔す
す擬似的なわかりやすさでは、作品のあるべき姿を再
る表現が「誤訳」なのだ。
現することにはならない。しかるべき再評価は、もう
たとえば“Absolution”の Carl Miller の髭につい
一度読み直すところから始まる。
て、過去には「ごま塩」と書いた訳もあるが(原文で
はdapple)、この人の髪は“yellow-grey”なのだから、
髭だけに白黒の色彩感を持ち込むのは、訳者によほど
秋田で考えたこと
―小川高義氏の講演を聞いて
の確信がある場合に限られよう。またギャッツビー邸
の上空に出ている月について、原文に“wafer”と書
宮脇俊文
いてあるからといって、ここで「ウエハース」と表記
(成蹊大学)
するのはどうだろうか。甘いお菓子の語感をあたえる
意図があれば別だが、それが上策だとは言えまい。薄
い円盤が冴え冴えとして夜空にへばりついているイ
一度出来上がってしまったイメージを消し去り、新
メージは、「ウエハース」からは遠いものである。
たに構築し直すことは難しい。しかし、もしかしたら、
もう一つ、秋田の会合では触れなかった例を挙げ
われわれはこれまでの先入観を捨てて、The Great
る。
『グレート・ギャッツビー』で気になっている点な
Gatsbyを真っ白な状態から読み直すべきなのかもしれ
のだが、Nick と Jordan の関係を、基本文法から見直
ない。この作品が優れた作品であることには何の疑い
したい。
もない。ただ、われわれはこの作品の色調のようなも
第 4 章で、この二人が午後のプラザホテルで語り
のをじっくりと見つめ直すべきなのだろう。
たとえば、
合ってから、宵闇のセントラルパークで馬車に乗る。
その根底にある中西部的野暮ったさのようなものだ。
−2−
かつて知り合いの編集者が酒の席でこんな意見を聞
がいつしか、作品の読後感と混同されていったのだ。
かせてくれた。「ぼくは前から思ってるんですけど、
この作品はこのように素晴らしいのだと、あとから自
『ギャツビー』はどうも過大評価されているんじゃない
分の読後感や解釈を作っていったのだ。今思えば、何
かって。面白い作品であることは認めますけど、それほ
もわかっていなかったにもかかわらず、わかったよう
ど大したもんですか?アメリカ文学の代表の一つに挙
なふりをして卒論まで書いてしまったのだ。
げられるほど」
。それに対して僕はちょっと向きになっ
野崎孝訳、村上春樹訳に続く、小川氏の新訳を最初
て反論したように記憶しているが、反面、彼の言うこと
に読んだときには、これまでとは何かが違うと感じ
にも一理あるかもしれないとどこかで認める自分がい
た。そもそも文体からしてイメージが違っていた。野
たような気もする。それ以降、彼はなぜそう思うのかに
崎訳ではなんといっても「僕」という一人称が全体の
ついて、また同時に、その意見にどこかで同意している
イメージを大きく左右している。これは村上訳にも受
自分自身について、心の片隅で常に考えてきた。
け継がれているが、小川訳では「私」になっている。こ
そして、秋田で一つの結論が出たように思う。光文
れは従来のイメージをがらりと変えている。また村上
社文庫から『グレート・ギャッツビー』を出された小
訳で話題になった「オールド・スポート」も、小川訳
川高義氏の講演がきっかけだった。僕なりの結論とは
ではすっきりと処理されている。どの訳が原作に最も
つまり、作品の本質と研究者の評価の間に、何か微妙
忠実なのかは特定しがたい。しかし、秋田での小川氏
なずれが生じていたのではないかといったようなこと
の講演、質疑応答を聞いて、はたと気がついたのだっ
だ。それは間違った研究がなされてきたというのでは
た。少なくとも僕がそれまで描いてきたイメージには
ない。そうではなく、もっと単純なことだ。作品の「色」
何かしら問題があったのだと。
を違った色に塗り替えてしまうような、過剰に美化し
わかっていたつもりがいつの間にかこの主人公をど
ようとする無意識的行動。そんなものがその編集者に
こかで美化していた。そのことに改めて気づかせても
そう言わせたのではないか。言い換えれば、まわりが
らったことは本当によかった。これで今まで腑に落ち
華美な色をつけて見せようとするから、その本質が見
なかったこともいくつか解決できた。たとえば、ミネ
えなくなってしまっているのだ。
ソタの人たちと Gatsby 論を戦わすとき、どうしても
そうして振り返ってみると、僕自身、もっともそう
どこかで話が食い違ってくることが多かった。その理
いうことをしてきたと思う。一度恋に落ちると、その
由も今にして思えば、彼らと比べて僕のこの作品への
対象を超えて、自分の恋心だけが独り歩きを始め、そ
色づけが派手すぎたのだろう。
れはいつしか祭壇に祀り上げられているといった感じ
あれから今一度気持ちを新たにこの作品を読み直し
だ。それにしても、いつの間に Gatsby をこんなヒー
てみようと考えるようになった。すべての先入観を拭
ローに仕立てあげてしまったのだろう。
い去ることは決して容易ではないが、今はできるだけ
正直に告白すれば、僕が最初にこの作品を読んだと
それを試みてみようと思っている。「空気が読めない
きは、それほど感動はしなかった。
「ううん、どこがそ
ギャツビー」、「服装のセンスがまるで駄目なギャツ
んなにいいんだろう?」そんなふうに思ったと記憶し
ビー」など、そういった特性を素直に受け入れたうえ
ている。最初に読んだのは新潮文庫版で、原書で読ん
で、この作品の良さはどこにあるのかを見直してみた
でその文体の美しさに感動したなどといった嘘はつけ
い。
また実際とは違った色をつけたくさせるところに、
ない。もう一つ告白すれば、フィッツジェラルドの文
この作品の魅力と本質があるようにも思えてきた。小
体の美しさがわかったような気になれたのは、なんと
川氏の話はそんなことを考える機会を与えてくれた。
40 歳を過ぎてからであった。
それにしても、面白い話を聞かせてもらったと感謝し
ではなぜ僕はこの作品に惹かれたのだろう?それは
ている。まるで大学院のゼミのような 90 分であった。
批評だ。いくつかの批評を読むことで、この作品のイ
最後にもう一つ。僕はこれを機に Gatsby の表記を
メージが出来上がっていったのだと思う。そしてそれ
「ギャツビー」から「ギャッツビー」に戻そうと思って
−3−
いる。かつてはそれで頑張っていたのだが、いつしか
う。小川氏もこちらを採用されている。見た目も少し
まわりの大きな力に屈してしまっていた。しかしこれ
野暮ったい感じでぴったりだ。だから僕はもう一度こ
はどう考えても、やはり発音に忠実にいけば後者だろ
ちらに戻したい。皆さんもそうしてみませんか?
<マンダム社の男性化粧品ブランド「ギャツビー」命名の由来を探る>
なぜ男性用ヘアケア製品の名前が「ギャツビー」なのか。小説『ギャツビー』との関連はあるのか。そ
のような素朴な疑問から、当協会事務局の関戸冬彦氏が電話取材を行い、続いて、会長の宮脇俊文氏
がマンダム社に直接出向きインタビューを試みました。
年、当初は別名での販売が決まりかけていたが、当時の
マンダムとギャツビー
社長が小説『ギャツビー』を読み、主人公ギャツビーの
―作品
『ギャツビー』
との関連性をめぐって
生き方に共感、決まりかけていた名称からの変更を決
断したという。もちろん、
「ギャツビー」という名称を
関戸冬彦
使用するには諸々の許諾が必要であったのだが、それ
(立教大学・非)
らを見事に乗り越えられ、許諾を得るに至ったとのこ
とであった。つまり、関係があるかないかでいえば、あ
教室で『ギャツビー』というと必ずや聞かれるのが、
るということになり、また 1978 年はすでにロバート・
「それって化粧品の名前でしょ?」。村上春樹が翻訳し
レッドフォード主演の映画が1974年に公開された後で
たことで『グレート・ギャツビー』が話題にのぼった
もあるので、映画も合わせてご覧になっていたのかも
時期もあったが、いわゆる一般の、しかも大学生の知
しれない。いずれにせよ、フィッツジェラルドの『ギャ
識となると、やはり小説以前に男性化粧品の名前が頭
ツビー』がその礎になっていたことはこれで明らかと
に浮かぶらしい。確かに、
「ギャツビー」という名前は
なった。
「ジョン」や「ポール」のようにありふれているわけで
販売当初の「ギャツビー」はヘアケアやスキンケア
はないので、インパクトがある。そう考えると小説
などの商品を中心に、ガラスボトルを使用した香水の
『ギャツビー』と化粧品『ギャツビー』、何らかの関係
ようなものであったという。イメージとしては高級感
性はあるのだろうかという疑問がどうしても湧く。
にあふれ、その点では映画でのレッドフォードやギャ
Wikipediaを見ればそんなようなことが書いてはある
ツビー邸を彷彿とさせる。以来、ムースやジェルのよ
ものの、特段証拠があるわけでもない。ということで、
うな商品を加えながら、現在のワックス「ムービング
その真相を確かめるべく、化粧品『ギャツビー』を製
ラバー」まで、7 代にわたるモデルチェンジを行いつ
造・販売しているマンダム社に直接問い合わせてみる
つ、今日に至っている。
ことにした。以下は、マンダム社広報IR室に問い合わ
そのモデルチェンジの際に合わせて話題となるの
せた際に、お電話での取材に応じてくださった内容を
が、コマーシャル、そしてそのイメージキャラクター
記事として誌上再録したものである。
であろう。「ギャツビー」の CM にはこれまで萩原健
最初にうかがったのは、商品を「ギャツビー」と名づ
一、松田優作、a-ha、吉田栄作&森脇健児、本木雅弘
けたいきさつで、こちらとしては小説あるいは映画
らが登場し、そして現在はご存知、木村拓哉である。そ
『ギャツビー』と関係があるのだろうか、という点だっ
ういう意味では時の「理想的男性像」を起用し、ブラ
た。商品「ギャツビー」の販売が開始されたのは 1978
ンド作りをしてきたと言える。実際、商品「ギャツ
−4−
ビー」はいつの時代も若者をターゲットにしており、
またその戦略通り、発売開始から30年が過ぎた今も変
マンダム訪問記
わらず若者たちに愛用されている。実はこうしたロン
―『グレート・ギャツビー』
はみんなのもの―
グセラーは珍しいことだそうで、大抵の商品は発売当
初、もしくはその商品がヒットした際の年齢層が年を
宮脇俊文
取っていくにつれ、商品もその層に合わせて上がって
(成蹊大学)
いく、つまり若者からスタートしたならば段々と中高
年へとそのターゲットが商品も伴ってシフトしていく
ある時、会員で事務局の運営に携わってくれている
のだという。そんな中で「ギャツビー」だけが絶えず
関戸冬彦氏から、
「マンダム」と男性用の化粧品「ギャ
若者に浸透しているというのは、今日でも教室で大学
ツビー」との関係を調べてみたいのだがどうかという
生に読み続けられている小説『ギャツビー』と通じる
話を持ちかけられた。ぼく自身、なぜ化粧品の商品名に
ものがあるように思えた。要するに、どちらも永遠の
「ギャツビー」などという名前を付けたのだろうと以前
若さを保っているということになるのだろう。なお、
から漠然と思ってはいたが、それ以上深く足を踏み入
今後もイメージキャラクター、木村拓哉、はしばらく
れることは考えもしなかった。そこでこの話を聞いた
踏襲されるとのことなので、可能ならば個人的には彼
とき、小規模であるとはいえ、学会という組織では今ま
を主演にした、小説・映画『ギャツビー』を何がしか
でにない発想で、少し調べてみると面白いかもしれな
意識した CM など製作していただけたらと願うし、見
いと思うと答えた。その後彼は株式会社マンダムの広
てみたいと思う。2009 年 1 月時点での情報では、レオ
報部と密に連絡を取り、実にいろいろな情報を手に入
ナルド・デュカプリオ主演の『ロミオ+ジュリエット』
れてくれた。その詳しい内容は彼本人による手記を読
を撮ったバズ・ラーマン監督が『ギャツビー』のリメ
んでいただくとして、今回僕はフィッツジェラルド協
イク版を製作する予定だそうなので、もしも映画が本
会会長として、いわば表敬訪問という形で本社を訪れ
当に完成し日本にて公開、ヒットしたならば、小説
ることになった。われわれ学会としても、そのネーミン
『ギャツビー』も化粧品『ギャツビー』もまた大いにそ
グの由来等に素直な興味を抱いているということを伝
の名にあやかって注目されることとなるだろう。
えたかったわけだ。残念ながら、関戸氏は急用で一緒に
今回の取材を通して感じたのは、やはり『ギャツ
行けないことになり、代わりに新入会員で僕の同僚で
ビー』という名前の持つイメージが限りなく「かっこ
もある挾本佳代さんに同行してもらうことになった。
いい」ということであった。小説の原題が The Great
約束当日の5月28日は、広報室長の鈴木良彦氏をは
Gatsby であるように、化粧品『ギャツビー』もそうし
じめ、主任の菊地賢治氏と西村旨宏氏がわれわれを迎
た Great な部分を持ち合わせていたからこそ、長きに
えてくださった。会社の歴史や「ギャツビー」ブラン
渡って若者に愛用されてきたはずである。Great の邦
ドのことなど、いろいろとお話を伺った後、会社の資
訳が「偉大な」や「華麗なる」であるように、化粧品
も男性の「華麗」な部分を間違いなくこの 30 年、演出
してきた。そうしたことを念頭におくと、今後フィッ
ツジェラルド協会とマンダム社が『ギャツビー』の名
のもとに何がしかの連携が出来たならば、ほかの学会
にも会社にもまねができないような独自で楽しい企画
が出来るかもしれない、などと思ってしまった。
付記:今回の化粧品『ギャツビー』の名前の由来は
2009 年 12 月 5 日の朝日新聞土曜版 BE にも掲載され
ました。
−5−
料室に案内してもらい、ゆっくりと時間をかけて見学
もしれないが、この男の熱い生き方、人生に対するロ
させていただいた。新製品の発売前に急きょ名前を
マンチックな心構えという点ではまさにぴったり当て
「ギャツビー」に変えられた二代目の社長の西村彦次
はまっているのではないかと思った。あくまでもイ
氏の意気込みを伺って、この方はきっと『グレート・
メージという範囲の話ではあるが。
ギャツビー』がお好きなだけではなく、ギャツビーと
今回の訪問を終えてあらためて思うことは、
『グレー
いう男の生き方、あるいは生きざまに共感を覚えられ
ト・ギャツビー』はわれわれだけのものではないという
たのだろうと想像しながら、会社の歴史を感慨深く見
ことだ。研究者のあいだだけに留めて、あれこれ議論す
て回った。なんといってもわれわれフィッツジェラル
るのではなく、もっともっとその輪を広げていくべき
ドの愛読者たちにとっての驚きは、こうした思い入れ
だ。一般読者にとっての『ギャツビー』もあれば、今回
がひとつの企業を支えているということだろう。
のように企業にとっての『ギャツビー』もあるというこ
読者によってそれぞれ解釈が違うものの、ギャツ
となのだ。それはみんなのものなのだということを忘
ビーという男には実は田舎くさい野暮ったさのような
れてはいけない。僕が会長に就任した際に書いた挨拶
ものが備わっていることは事実で、決してきらびやか
文の中に、確かこうした公約を掲げていたと思うが、今
で華やかなだけではないのだ。その点においては、こ
回それが実現できたことは本当によかったと思う。
の商品の目指すイメージとは少々食い違っているのか
付記:なお関戸氏は、その後8月に再度マンダム社を訪問されまし
た。たびたびの訪問にご協力くださったマンダム社広報室長の鈴木
良彦氏、主任の菊池賢治氏、西村旨宏氏に、この場をお借りして御
礼申し上げます。(事務局)
−6−
<研究発表要旨>
日本アメリカ文学会第 47 回全国大会(2008 年 10 月 11 日、於西南学院大学)発表要旨
Swimmer から Diver へ
――F. Scott Fitzgerald の“The Swimmers”を
Tender Is the Night の序章として読む――
高橋美知子
(福岡大学)
Tender Is the Nightを完成させるまでの道のりが、
と前進の舞台として設定されていることを指摘した。
フィッツジェラルドにとって苦労の多いものであった
続けて、二つの作品に共通する、金は人間に与えられ
ことは良く知られている。収入確保のために短編小説
たヒレである、というイメージや主人公の前に現れる
を濫作しつつ、彼は長編に集中できないことに苛立っ
少女(“The Swimmers”の無名の泳ぎ手と Tender の
ていた。短編小説執筆を作家本来の仕事として評価し
ローズマリー)の比較を通じ、“The Swimmers”と
ていなかった彼は、長編執筆に際し、それまでに発表
Tender の間にある共通項と相違点に触れながら、困
した短編をなるべく利用しようと試みた。
難な状況から鮮やかに抜け出す“swimmer” (ヘン
ジョージ・アンダーソンの分析によれば、Tender 執
リー)が、そこから抜け出せずに下降していく“diver”
筆に際し、フィッツジェラルドは37もの短編小説から
(ディック)へと変貌する軌跡の一端を考察した。
部分的な抜粋(“stripping”)を行ない、テクストに取
二つの作品を対比させてみれば、1929 年から 1934
り込んでいる。1 9 2 9 年 1 0 月に発表された“T h e
年の間に襲った大恐慌や妻ゼルダの発病などの影響を
Swimmers”もその一つであるが、
“stripping”が行な
受けながらも、
“The Swimmers” に萌芽がみられる
われた箇所は計 150 語程度であり、Tender への影響
テーマやイメージが Tender に結実している様子が浮
がこれまで詳細に論じられることは少なかった。だが
き彫りとなってくる。この短編は Tender の成立過程
わずか 20 ページほどのこの作品に詰め込まれたテー
を検証する上で重要な作品であると言えよう。
マやイメージは、Tender 完成への道程をたどる上で、
非常に興味深い素材を提供してくれる。
付記:本口頭発表の内容は後日“From a Swimmer to
今回の発表では、二つの作品全体に満ちる海や水の
a Diver: Reading F. Scott Fitzgerald’s ‘The Swimmers’
イメージを分析し、Tender では、海がディックの凋落
as a Prologue to Tender Is the Night”として論文にま
とニコルの回復の背景として位置づけられており、
とめ、福岡大学『人文論叢』第 41巻第2 号に発表した。
“The Swimmers”ではヘンリーの新たな自我の目覚め
日本マーク・トウェイン協会第 13 回研究発表会(2009 年 10 月 9 日、於秋田・明徳館ビルカレッジプラザ)発表要旨
トウェインとフィッツジェラルドを結ぶもの
――ノスタルジアと女性をめぐって――
関戸冬彦
(立教大学・非)
本発表ではフィッツジェラルドに与えたトウェインの
集『ジャズ・エイジの物語』
(Tales of Jazz Age)や、サ
影響について考察した。トウェインに対するフィッツ
ム・クレメンズ生誕 100 周年に際して、また“10 Best
ジェラルドの発言は、
「ベンジャミン・バトン」
(
“The
Books I Have Read”で確認できる。こうした関係を最初
Curious Case of Benjamin Button”
)を収録してある短編
に詳しく論じたのはロバート・スクラーで、1967年に F.
−7−
Scott Fitzgerald The Last Laocoön を出版した。スクラー
おいても顕著に見られる主題であり、言うまでもなく
後は、エドワード・ジリンが1987年にブラウン大学に提
それは『ギャツビー』にも通じている。よって、トウェ
出した博士論文、Re-sounding the River: Mark Twain
インとフィッツジェラルドにとっての「ノスタルジア
Currents in F. Scott Fitzgerald がある。スクラーによる
と女性」とは、忘れがたき恋、忘れがたき女性との関
と、フィッツジェラルドの作品にトウェイン的な要素が
係を切り離しては考えられない。フィッツジェラルド
色濃く見られるのは 1921 年から 22 年にかけて書かれた
の『ギャツビー』のデイジーにも、ジネヴラ・キング
作品群であるという。彼が最も詳しく論じるのは、
「リッ
というモデルが存在する。つまり、彼らはノスタルジ
ツ・ホテル程もある超特大のダイヤモンド」
(
“The Dia-
アを感じ、その気持ちを駆り立てた女性の記憶を頼り
mond as Big as the Ritz”
)であり、トウェインの実際の
に作品に書いたという点においては一致している。さ
作品だけでなく、トウェインの人生からも影響を受けた
らにもう一点、両者にとっての妻、しかも創作活動へ
一端がこの作品に見える、と論じる。ジリンはスクラー
の影響を含めた存在としての妻、に関して両者は共通
の研究の上に論を展開、例えば『不思議な少年』ロマン
性を持つ。それはジリンが指摘したような憧れの存在
ス版(The Mysterious Stranger : A Romance)が『グレー
ではなく、障害としての妻という点においてである。
ト・ギャツビー』
(The Great Gatsby)に影響を与えたと
こうしたことを含めつつ両者の女性関係をまとめる
して、主題のillusion の喪失をトウェインと結びつける。
と、彼らにとってのひとつの存在としての女性は、ノス
ジリンの結論は、フィッジェラルドはギャツビーをト
タルジックな想いをかきたてられる遠く叶わぬ恋の相手
ウェインとして描いた、そして、クレメンズがオリビア
であり、それは後に作品創作の原動力となった。もうひ
を追いかけたようにフィッツジェラルドもゼルダを追い
とつの存在としての女性は現実に共に暮らす妻であり、
かけたと考え、ギャツビーのデイジーへの憧れにトウェ
ある意味作品創作に逆に制限をかける役目をしていた、
インのオリビアへの憧れを重ねるが、この考えは無理が
という二つのフレームを持っていたと言える。
それはつ
ある。この点への考察が、本発表での「ノスタルジアと
まり、両者とも作品創作においては「憧れの女性」とい
女性」という点とつながってくる。
う存在、イメージが不可欠であったと言える。そしてそ
「ノスタルジアと女性」
を視座に据えてトウェインと
の「憧れの女性」は常にノスタルジックなのである。ス
フィッツジェラルドを見る場合、両者の叶わなかった
クラーやジリンはこの共通性には触れなかったが、
作家
恋という共通点がある。これに関するトウェインの作
というスタンスにおいてはこれらもまたパラレルな関係
品として、生前は未発表であった短篇、「わが夢の恋
を二人は描き、つながっているのではないだろうか。
人」
(
“My Platonic Sweetheart”
)がある。この作品の
少女には実在のモデル、ローラ・ライトがおり、この
*加筆・訂正の上、
『マーク・トウェイン 研究と批評』
忘れがたき恋へのこだわりは、フィッツジェラルドに
に投稿予定である。
日本アメリカ文学会第 48 回全国大会(2009 年 10 月 10 日、於秋田大学)発表要旨
Fitzgerald と空間の比喩
――Tender Is the Night における旅と精神分析――
井出達郎
(北海道大学・院)
本発表は、Fitzgerald の Tender Is the Night
(1934, 1951)における旅と精神分析というモチーフ
目指した「時代のモデル」としてのこの作品の意義を、
空間という主題から照らし出す試みである。
を、空間の比喩という視点から考察する。特に、20 世
もともと Fitzgerald は、The Great Gatsby(1926)
紀全体における空間の想像力の変容を補助線に、彼の
や“The Swimmers”
(1929)にみるように、アメリカ
−8−
の象徴としての西部が生み出した、まだ見ぬ彼方の土
じ過程を内面的世界において進行させていく。それは、
地を目指して進み続けるという心象風景に魅せられて
異常な精神状態、Dickの言う「意識のフロンティア」を
きた作家だった。しかし、この作品が生まれた当時は、
越えた領域を探求する一方で、彼の症例の実践的分類
そうした「彼方の土地」を急速に消滅させていく時代
の研究にみるように、そうした未知の場所を、ひとつの
にほかならなかった。フロンティアの消滅、交通手段
体系化された全体へと収束させていこうとする。
やメディアの発達、
第一次世界大戦といった出来事が、
しかし、まさにこの遠くを幻視することができない
かつては彼方であった場所を一挙に接続させ、世界は
状況から、空間の比喩の新しい可能性が押し出される
ひとつの移動可能な領域へと変容した。そこではもは
ようにして現れてくる。主人公 Dick の転落の物語は、
や、到達すべき彼方の土地という空間の比喩が、実際
旅と精神分析の両方から切り離される過程として描か
の地理的状況においても、それを思う心理的状況にお
れるのだが、同時に、それらが行使する力の圏内をはみ
いても、意味をなさなくなり始めていたのである。
だすような運動がほのめかされていく。それは、遠くの
Fitzgeraldは、こうした空間の想像力の変容を、旅と
場所を目指すという水平的な移動とは対照的な、拡が
精神分析という題材を通して描き込んでいく。Rose-
りを失った「いま・ここ」という場所を、いわば垂直に
mary Hoyt に代表される作中の旅行者は、発達した乗
貫く運動である。同一の場所に違う次元を見出してい
り物の恩恵を享受し、どこへでも行けるという恵まれ
くこの運動は、あたかもエピグラムのキーツの詩の引
た状況にある。しかし彼らは、商品の世界的な流通、ハ
用をなぞるかのように、遠くを幻視する視力を奪われ
リウッド映画のイメージの蔓延、明確な国民意識の薄
た空間の中にあって、なお垂直の方向から感じられる
れなど、距離を飛び越えて働く想像の共同体の中に閉
何かのように、時代の要求する想像力を超えていく、空
じ込められ、遠くに来たという感覚を持てないままで
間の比喩の新しい次元を予感させるものである。
いる。他方、主人公Dick Diverが携わる精神分析は、同
日本ヘミングウェイ協会第 20 回記念大会(2009 年 12 月 19 日、於関東学院大学)ワーク・イン・プログレス発表要旨
Hemingway は The Great Gatsby をどう読んだのか?
――The Sun Also Rises はその後の Gatsby なのか?――
関戸冬彦
(立教大学・非)
Hemingway と Fitzgerald の交流は互いへの作品へ
ろう問いに対し、あえて様々な点から考察をしてみる
の影響など含めこれまでにも様々な考察がなされてき
というのが今回の発表の主旨である。そして、もしも
た。しかし、The Great Gatsby(以下、Gatsby)と
その痕跡を Hemingway の作品に探すならば、またお
いう作品を Hemingway がどのように読んだのか、
そらくそれが作品上に表れてもおかしくない作品を挙
はっきり断言することは可能だろうか?もちろん、本
げるならば、それはもちろん Gatsby 読書後すぐに書
人がどこかで言及していない限りそんなことはわから
かれた The Sun Also Rises である。よって本発表で
ず、また言及していたとしてもそれを言葉通りに受け
はまず、これまでに明らかにされてきた事実関係、
取っていいものかどうかは疑問が残るかもしれない。
Hemingway が Gatsby を読んだこと、それに対する
いずれにせよ、Hemingwayは Gatsby という作品を読
Hemingway の発言、さらには Fitzgerald の The Sun
んだことで何らか作品創作への影響を受けたのだろう
Also Rises への改訂の進言など、を確認し、その上で
か、あるいは Gatsby に何か反発を感じ、
「自分はそう
いくつかの先行研究の確認・検証を行う。次に The
はすまい」と逆の意味で影響を受けたのだろうか。こ
Sun Also Rises と Gatsby の作品内での類似性、物語
のように、なにを述べても憶測しか導きだせないであ
の構造や登場人物の類似性を指摘し、そこから恋愛の
−9−
不可能性というトピックへと発展したい。ここで恋愛
書いたのではないか、という新たな推測をも含めた提
の不可能性というトピックに言及する理由は、
Gatsby
示を行うものである。
へのアンサーストーリーとして、あるいはその後の
Gatsby として The Sun Also Rises を読めるかどうか
付記 1:
「ワーク・イン・プログレス」とは、学位論文
という点へとつながるからである。このように、本発
などを準備している大学院生や、文字通り研究途上の
表は、Hemingwayが Gatsby をどう読んだのかを検討
テーマを抱えている者が、たとえ仮説の段階であって
するために、また Hemingway の The Sun Also Rises
も、未完成の研究を未完成のまま披露し、他の会員た
執筆意図を従来とは違った視点から検討するために、
ちと問題を共有し、自由討論を通じて研究のさらなる
The Sun Also Rises はその後の Gatsby と読めるので
発展や完成に資する、という日本ヘミングウェイ協会
はないか、というインターテクスチャル的な検討を
独自の企画である。
し、そしてその視点から恋愛の不可能性を手がかりに
すると Hemingway は実は Gatsby をそのように読ん
付記 2:加筆・訂正の上、論集もしくは学会誌に投稿
でいたのではないか、そして The Sun Also Rises を
予定である。
<その他の研究発表>
●『夜はやさし』における人種と性 森慎一郎(京都大学)
発表場所: 日本英文学会第 81 回全国大会(2009 年 5 月 31 日、於東京大学駒場キャンパス)、シンポジウム第
7 部門「人種と性のクロスロード―アメリカとアメリカ文学」
付記:
『日本英文学会第 81 回全国大会 Proceedings』に掲載済み
●
工学部の学生を対象に The Great Gatsby を扱った授業実践報告 関戸冬彦(立教大学・非)
発表場所:日本英文学会第 81 回全国大会(2009 年 5 月 31 日、於東京大学駒場キャンパス)
付記:
『日本英文学会第 81 回全国大会 Proceedings』に掲載済み
− 10 −
<映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」劇場用プログラムより 解説再録>
繁栄のこちら側
――若さと喪失とジャズ・エイジ――
と、あまりにも速いスピードで時代は動いていった。
特に若者たちは必死でその流れについていこうとした
結果、途中で疲弊し、精神的に満たされなくなって
いった。いわゆる「喪失感」に苛まれる結果となった
宮脇俊文
のだ。しかし時代は無情にも経済を最優先に進んで
(成蹊大学)
いった。
フィッツジェラルドは、
「マイ・ロスト・シティー」
この映画の原作は、
『グレート・ギャツビー』の作者
というエッセイのなかでこの時代について振り返って
である F・スコット・フィッツジェラルドの“The
いる。タクシーでニューヨークのビルのあいだを進ん
Curious Case of Benjamin Button” という短編であ
でいる時、彼はこう確信したという――「すでに欲し
る。ただ、原作といっても内容的にはかなり違ってい
いものをすべて手に入れてしまった自分は、もうこれ
る。同じなのはそのタイトルと、老人から幼児へと逆
以上幸せにはなれない」と。この時代の特徴がここに
に年をとっていくという基本的な筋書きのみである。
集約されている。つまり、若者たちは人生のあまりに
したがって、この作品はフィッツジェラルドの短編に
も早い時期にその最高の部分を体験してしまったの
インスピレーションを得たというべきだろう。
だ。
この短編が雑誌に発表されたのは1922 年の5 月で、
フ ィ ッ ツ ジ ェ ラ ル ド 自 身 、『 楽 園 の こ ち ら 側 』
同じ年の9月に出版された『ジャズ・エイジの物語』と
(1920)で若くして作家デビューを果たし、
売れっ子と
いう短編集に収められている。作者自身、この作品を
なった彼はその後短い期間に次々と作品を発表して
ファンタジーとして分類しているが、のちに書かれた
いった。しかし、すでにあの『ギャツビー』
(1925)を
「リッツ・ホテルのような大きなダイアモンド」などに
境に、あとは下降線をたどっていったのだ。もちろん
比べ、取り立てて評価されてはこなかったものだ。
『夜はやさし』などのいい作品は残しているが、時代が
この物語は、南北戦争直前の 1860 年から 1920 年代
彼を見捨ててしまったというべきだろう。自身が名づ
の初めに設定されているが、読む場合に大切なのは、
けた「ジャズ・エイジ」とともに彼の人生はそのピー
作品が書かれた「ジャズ・エイジ」という時代背景だ
クを過ぎてしまったのだ。彼は「早すぎた成功」とい
ろう。これは第一次大戦が終了した翌年の 1919 年か
うエッセイにこう記している――「とても早くに成功
ら大恐慌の 1929 年までの 10 年間をさす。アメリカが
を収めることで、人は人生をロマンチックなものだと
史上もっとも好景気に沸いたあの狂乱の 20 年代のこ
確信するようになる。そして何よりも若さを保てる」。
とだ。文学史的には「失われた世代」とも呼ばれ、ヘ
「若さ」はこの時代を生きるための必須条件であっ
ミングウェイらがそこに分類されるが、
「ジャズ・エイ
たようだ。若くなければこの時代にはついてはいけな
ジ」とはまさにアメリカの強い経済力を基盤に華やか
かったのだろう。だから人々は必死で若さを保とうと
な文化が栄え、人々は飲んで踊って歌った。まさに繁
した。そんな時代の風潮をいち早く見抜いたフィッツ
栄と熱狂の時代だ。
ジェラルドは、風刺的にこの短編を書き記したかのよ
しかし、それは必ずしも光り輝くものだけを残さな
うだ。老いることへの不安がなくなればどんなに素晴
かった。その眩い光の背後には濃い影が形成されて
らしいだろう。そんな欲望をあざ笑うかのような作品
いった。このわずかな十年間にアメリカは天国と地獄
ともとれる。その意味でも、映画のベンジャミンがこ
を経験したのだ。経済的繁栄の頂点からその破綻へ
の時代の始まりとともにこの世に登場する設定は妥当
− 11 −
だといえる。原作では、どんどん若返っていくベン
て悲劇的に描かれている。
「流れに逆らう」生き方の代
ジャミンは周囲の子供たちと将来の夢を語り合うこと
償は決して小さくはないのだろう。それはギャツビー
ができなくなっていく。そして最後は記憶をも失って
が身をもって体験したことでもある。そしてそれはま
いく。人は多くの記憶を抱えて死んでいくはずだが、
た現代にも当てはまることのようだ。
ベンジャミンにはそれがない。空白の状態で死を迎え
シナリオ作家としてハリウッドに身を置いたことも
る。これを人生と呼ぶことができるだろうか? この奇
あるフィッツジェラルドだが、当時は考えられなかっ
妙なケースはまさに「数奇な人生」と呼ぶしかない。
た技術を駆使したこの映像に何を思うのだろうか?
映画は原作とは違い、ラブ・ストーリー仕立てに
(『ベンジャミン・バトン数奇な人生』劇場用プログラ
なっている。しかし結末のシーンは、まさにフィッツ
ムより転載)
ジェラルドの意図したところがある種の喜劇性を持っ
<コラム>
「翻訳と原文の間―翻訳は恐ろしい―」
泉澤みゆき
(下関市立大学・非)
梅光学院大学(下関市)の生涯学習センターでは、
とがある(様な気がする)、という方が少数いた程度で
1971 年より毎年、公開セミナー(通称「アルス梅光」)
ある。開講当初は、まだ小川高義訳が出る前で、村上
を開講している。子どもから、高齢の受講生の方々が、
春樹訳が最新ということもあり、それに先行する大貫
語学、歴史、文学などの約三十数講座を受講している。
三郎訳、野崎孝訳の三つの翻訳と、原文を比較しなが
講座の講師をつとめ、五回目となった 2009 年度の
ら読んでいった。また講座開始後に、小川訳が刊行さ
講座では「ぜひ、翻訳の講座をやって欲しい」との、事
れたので、途中からは計四つの翻訳を比較することと
務局からの要望があり、恐れ多くも承諾した。開講期
なった。
間は 2009 年 5 月から、2010 年 3 月まで、合計二十回
翻訳を比較して読むという行為のなかから、一体何
であった。ただし、翻訳の技術的な講座はできない、と
がみえるのか。講師をしている自分自身も手探りでス
あらかじめお断りをした上で、である。
タートしたため、講座の「目標」が分かりにくく、当
技術的なことをせずに、一体何をしようかと考えあ
初、受講生たちは疑心暗鬼であったと思う。とりあえ
ぐねた結果、
フィッツジェラルドのThe Great Gatsby
ずは、講座のスタイルを、主流である「講義形式」で
の原文と翻訳を比較してみよう、ということになっ
はなく、ゼミ形式にし、受講生自身の感想など、様々
た。受講生は学生(10 代)から最高齢が 80 歳の 15 名
なコメントを収集することから始めた。すると、早速
である。そのうち男性は50歳代と80歳。女性は10代、
厳しいご意見。
「翻訳は翻訳者の創作なのだから、それ
30 代、50 代、60 代、70 歳代の方々で、英語に関する
ぞれの翻訳の違いを検討することに意味があるの
知識や、背景もまちまちの受講生たちであった(ただ
か?」云々。全くおっしゃる通りである。後出しでは
し年齢は、一部推定。)Gatsby に関しては、タイトル
あるが、そういった受講生の疑問や感想などを掬い、
に聞き覚えはある、という方は何人かいたが、小説(翻
そこからスタートしていった。一体「翻訳」とは何か、
訳)を読んだことのある方はいなかった。ロバート・
どうあるべきなのか、そして「翻訳」という行為から
レッドフォード、ミア・ファロー主演の映画を観たこ
一体何がわかるのかを考えてみよう、ということで始
− 12 −
めてみたのである。
マトペはその典型である。翻訳者はそこで裸にされる
二十回の講座で、小説の全てを読むことは無理なの
のだ。
で、毎回、指定した箇所の原文と翻訳を受講生と読ん
「オールドスポート」問題にも挑戦したが、結局結論
でいった。例えば、第 1 章の最後、ニックがギャッツ
はでなかった。意見は大きく三つに分かれた。一つは
ビーをみかけた際の記述についてである。原文には
「オールドスポートとしか訳せない」
(村上派)、
「訳せ
“When I looked once more for Gatsby he had van-
なかったのであれば、オールドスポートと入れるべき
ished, and I was alone again in the unquiet
でない」
(強硬派・小川路線)、
「日本語でもいい訳を探
darkness.”
(下線は筆者)とある。この箇所は、カン
そう」
(中道派・大貫、野崎路線)講師自身は当初「中
マの位置のせいで思いのほか訳出しにくい、というこ
道派」寄りであった。しかし、村上派も小川路線も裏
とが分かった。下線部に関しての諸氏の訳は次の通り
を返せば、それに該当する日本語が思い浮かばなかっ
である。
「もう一度ギャツビーのほうを見ると、彼の姿
たという点で同じである。現在は、その事を重く受け
はもうそこになく、
」
(大貫)、
「もう一度ギャツビーの
止め、なぜ村上は「オールドスポート」と記述せざる
姿を探したときには、もう彼は姿を消していた。
」
(野
を得なかったのか、を考えている。
崎)、
「それから再びギャツビー氏の方に視線を戻した
このような調子で最終章まで進んでいった。講座が
とき、そこにはもう誰もいなかった。」
(村上)、
「私が
進むに連れ、徐々にこちらの意図するところを理解し
ギャッツビーに目を戻そうとすると、その姿は消えて
ていただくことがきたようである。和やかでありなが
いた。
」
(小川)どれもそれほどの違いがないように思
ら、かつ議論活発な講座が展開していった。
われるが、小川訳にはカンマの位置と、When の訳出
講座を通じて、受講生たちと考えてきた「翻訳とは
にこだわった工夫が感じられる。また、他の三名の訳
なにか」という問に、答えが出たわけではないが、
「翻
と、村上訳に大きな違いを感じた私は、受講生に「ど
訳は恐ろしい」という結論が出た。たとえば、前出の
“vanished”についていえば、村上訳は何より、その
こに違いがあると思うか」と質問をした。
私が感じた違いというのは“vanished”の訳出であ
全体の「リズム」を強調し、意味を違えない範囲で文
る。村上訳は、全体として意味をとらえているのだが、
章にしたのだろう。それは私が子供の頃に教えても
“vanished”という単語自体を訳出していないのであ
らった「スケッチ」の技法を思い出させる。スケッチ
る。この相違点について、受講生たちは特に気になら
する際に、そこに無いものを描いてはいけないが、あ
なかったようであり、それを「翻訳の範疇だ」と言い
るものを省略、あるいは並べかえるのは構わない、と
切る受講生もいた。むしろ、私自身のこだわりの理由
教えられた記憶がある。他の三名の訳に「リズム」が
が気になったようだが、まだ講座が始まったばかりと
ないのではない。恐らく、“vanished”という言葉を
いうこともあり、持論を抱えたまま先に進むこととし
おろそかに出来なかったのではないだろうか。
(私も、
た。
その一人であるが、ここでは詳細は省略する。
)恐ろし
更に回が進むにつれ、受講生の読みが深まり、訳さ
い、というのは、このように、
「なぜこの言葉を訳した
れた日本語について、「こんな日本語表現はないだろ
のか(訳さなかったのか)」を後に暴かれるからであ
う」などと辛らつな意見が飛び出し、日本語について
る。(墓場荒らしのように)もちろん、多くの読者に
の意見を戦わせることもあった。話し言葉であれば、
とっては、そのようなことは、ほとんど関係のないこ
アクセントやイントネーションで出身地などが明らか
とである。しかし、現実にこのような講座が行われた
になる。しかし、書き言葉であっても、実に微細な点
(行われてしまった、というべきか)のである。先行訳
から、その人が、生まれ育った地域や、長く住んだ地
のある名作は、かならず比較される。活字にされ、残っ
域が判明する場合がある。そうなると、おのずと根拠
ているからである。研究論文であれば「∼であると思
としている「日本語」自体、ヴァリエーションを含む
われる」、
「∼と考えられる」
、
「∼の可能性が出てきた」
こととなるのである。また、世代の相違があり、オノ
などの表記で逃げられるが、 例えば、
“old sport”は、
− 13 −
「オールドスポート」と記述したら、それがそのまま残
します、ということはあるにせよ。
)どの言葉にどの言
るのである。多くの翻訳者に弁明の機会はなく、意地
葉をあてるのか、を選ぶということは、すなわちそこ
の悪い批評家に「叩きのめされる」のだ。翻訳を始め
に自らの考えを挟まざるを得ないからだ。そういう意
たばかりの私は、自身がやってしまった講座に、内心
味でも、翻訳は恐ろしいのである。
「しまった」と思ったのである。
講座をゼミ形式で行ったために、コメントを発言す
また責任、という点でも恐ろしい。受講生から「こ
るのが苦痛なことを理由に、途中で断念された受講生
の話、どの翻訳を最初に読むかで、受ける印象が相当
が出てしまったのが悔やまれる。15名でスタートした
違いますね」との意見がでた。多くの人と、小説との
講座が、最終的にはレギュラーメンバーが 6 ∼ 7 名と
出会いに、翻訳は大きく関与しているのである。先ほ
なったのが残念ではあったが、自らアイデアや資料を
どの日本語との問題とも相俟って、その責任が重大な
提供して下さった受講生の方もいた。キリストの話か
のは間違いない。しかし、翻訳という行為は、苦しみ
らストア学派の話にまで及ぶなど、非常に内容の濃
ながらも同時に夢中になってしまうこともある。その
い、スリリングで充実した講座となった。これもひと
際に、翻訳者はどこまで作品に関与するのか。また、作
えに、拙い話に最後まで耳を傾けてくださった受講生
品を損ねず、日本語にするにはどうすればよいのか、
の方々のお陰であり、無事に講座を終了できたことを
ということを常に意識しなければならないのである。
感謝している。この講座を通じ、Gatsby が面白い、も
結局はそこに、作品に対する解釈を求められることに
う一度読みたい、とのコメントをいただけたのが何よ
なるだろう。
(もちろん、出版社から、∼路線でお願い
りである。
− 14 −
会員情報
■
新入会員
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さい。また、ホームページに掲載したい情報などございましたら、事務局までご連絡ください。
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既にメールにてご連絡しましたが、事務局のメールアドレスが以下の通り変更になりました。どうぞよろし
くお願いいたします。
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名簿からお名前を抹消させていただくことに決まりました。どうかご理解ください。
■
2004 年 4 月 1 日より、文献センターを下記に移転いたしました。2002 年 1 月以降の出版物はすべて新文献
センターにお送りくださいますようお願い申し上げます。
〒 180-8633 東京都武蔵野市吉祥寺北町 3-3-1 成蹊大学経済学部 宮脇俊文研究室
その際、お手数をおかけしますが、必ず下記の 5 項目をお知らせください。文献の整理を迅速、かつ正確に
行い、会員相互の情報交換を活発にするために、そしてフィッツジェラルド研究のデータベースを充実する
ために、どうかご協力くださいますようお願い申し上げます。
1. 著書、発表論文の標題(日本語と英語の両方でお願いします)
2. 出版社、掲載誌名(日本語と英語の両方でお願いします)
3. 掲載誌の巻、号、頁
4. 出版年
5. 著書、発表論文の要旨(日本語か英語のどちらかで結構ですが、できるだけ英語でお願いします。
日本語の場合は 200 字程度、英語の場合は 120 ∼ 150 語程度とします。)
■
ご勤務先、ご住所、メールアドレスの変更などがございましたら、事務局までお知らせください。
■
ニューズレターにぜひ原稿をお寄せください。詳細は事務局までお問い合わせください。また、フィッツジェ
ラルドに関連した著書の出版情報もお寄せください。ニューズレター誌上にてご紹介させていただきます。
■
本年度の総会、および懇親会は、アメリカ文学会(10 月 9 日、於立正大学)に合わせて開く予定です。
詳細につきましては、同封の別紙をご覧ください。
編集後記
ニューズレター第 25 号をお届けします。
今号では新しい企画として、マンダム社へのインタビューを
行いましたが、そういえば、
「ギャツビー」という名のついた商
品は、
マンダム以外にもちらほら目につくことに気づきました。
先日、
女性用ファッション雑誌をパラパラめくっていましたら、
ケート・スペードという女性用バッグのブランドから、 The
Great Gatsby のペーパーバックを持っているように見えるク
ラッチバッグ(掌に持つタイプのパーティー用小型バッグ)が
発売されていました。ペーパーバックのダストカバーをそのま
まバッグのデザインにあしらったようです。ただ、我々の間で
よく知られている、涙を流すデイジーの顔と遊園地の夜景をあ
しらった青いカバーではありませんでした。ご興味のある方は
ぜひチェックなさってください。ただ、お値段が高すぎてとて
も買う気にはなりませんでしたが・・・。
ご寄稿、フィッツジェラルド耳寄り情報、会の活動に関する
ご提案など、お待ち申し上げております。
− 15 −
日本スコット・フィッツジェラルド協会
ニューズレター 25 号
発行人:宮脇俊文
編集人:深谷素子・関戸冬彦
事務局:〒 180-8633 武蔵野市吉祥寺北町 3-3-1
成蹊大学経済学部 宮脇俊文研究室
tel 0422-37-3689
e-mail [email protected]
ホームページ:http://fitzgerald.exblog.jp/i6/
− 16 −