〈論文〉 算数の授業創り観に関する縦断的調査の試み(1) 正 田 良 1.はじめに 算数の授業創り観に関する質問紙の開発・試行を,正田(2013)に,また,それを 改訂した効果を中心に正田(2014)で報告した。本号では,その改訂版の 2 か年に及 ぶ実施に伴って得た情報から,本専攻での 1 年半に及ぶ算数の授業創りに関する学習 が学生にどのような影響を及ぼしたのかについて,縦断的調査を試みる。 2.調査の時期と被験者数 表 2 - 1 に示すように,2 つの大学でこの調査を行っている。10 月とは,明星学園 小学校での公開授業研究会の見学の後,12 月とは,秋期科目の受講を殆ど終えた後で ある。それぞれ,表示の翌月に調査したものも含めた。 表 2 - 1 回答数 A大学 2012 年 7 月 2012 年 9 月 ’ 12 年 10 月 ’ 12 年 12 月 2013 年 4 月 2013 年 7 月 2013 年 9 月 ’ 13 年 10 月 ’ 13 年 12 月 ’ 11 年度入学 85 名★ 21 名★ 38 名 34 名 35 名 84 名 B大学 ’ 12 年度入学 ’ 13 年度入学 34 名 22 名 42 名 38 名 53 名 48 名 54 名 30 名 未調査 B 大学とは本専攻での算数に関する教科のための科目,並びに,教科教育法履修者 である。他専攻履修者なども含めた。A 大学の学生も算数に関する教科のための履修 者に協力を求めたものだが,表にあるように調査は年度あたり 1 時期だけである。表 の人数の横に★を記したものは,回答者とのラポートが十分でないと判断し,無記名 で回答を求めたデータである。また,記名を求めても被験者が無記名で出した例もあ る。それらのデータも,因子分析の際に各質問項目への変動に関する情報を多く得る 1 ための標本とする。 表 2 - 2 データIDの付番 A大学 2012 年 7 月 2012 年 9 月 ’ 12 年 10 月 ’ 12 年 12 月 2013 年 4 月 2013 年 7 月 2013 年 9 月 ’ 13 年 10 月 ’ 13 年 12 月 ’ 11 年度入学 C 4 ★ C 5 C 6 C 7 A 4 ★ B 3 B大学 ’ 12 年度入学 ’ 13 年度入学 D 1 D 2 D 3 D 4 D 5 D 6 D 7 E 1 E 2 3. 因子得点の算出 正田(2014)での質問紙の実際を資料 A に,質問紙を構成した 25 問の一覧を,表 3‐1 に記す。小問群 a, cのそれぞれに関して確認的因子分析を行ったところ,それ ぞれに固有値が 1 を超える因子が 1 つしか見られず,それを構成する小問の因子負荷 量は,どれも正で,0.35 を超えていた。即ち妥当性が確認された。しかし,小問群b については, 「確認的因子分析としては課題を残す結果となった。 」としている。固有 値が 1 を超える因子は 2 個あり,それぞれ,4 つの小問,5 つの小問の因子負荷量の 絶対値が 0.35 を超えているが, 小問 13 がどちらの因子に関しても 0.35 を超えていた。 小問 02 の b2 に関する因子負荷量は- 0.326 と,どちらの因子に関しても因子負荷量 の絶対値は 0.35 を超えなかった。そこで,改めて,今回のデータによって,確認的因 子分析を試みた。 表 3 - 1 質問紙の構成 小問群の解釈 小問群a 教える 小問群 b b1:数学的活動, 小問群 c 勤勉 含まれる小問 01,11,12,22,23,25 b2:数学に対する積極性 03,04,05,06,16,17, b1:07,[13],14,15: b2:(02),08,09,10,[13],18 19,20,21,24 ※:2 重下線は反転項目であることを示す。 [ ]は重複して因子負荷量が大きいもの, ( )は, どちらの因子負荷量も絶対値が 0.35 未満であることを示している。 その結果, 小問群 a の 6 問に関して主因子法バリマックス回転による因子分析を行っ たところ固有値の絶対値が 1 を超える因子は 1 個のみであった。同様に,小問群 c の 2 算数の授業創り観に関する縦断的調査の試み(1) 10 問に関し,固有値の絶対値が 1 を超える因子も 1 個のみであった。 表 3 - 2 小問群 b に関する 9 問への因子負荷量 問\負荷量 7 14 15 8 9 10 18 2 13 共通性 0.237 0.605 0.618 0.205 0.461 0.362 0.300 0.243 0.273 独自性 0.763 0.395 0.382 0.795 0.539 0.638 0.700 0.757 0.727 因子 B1 因子 B2 0.088 0.117 0.036 0.451 0.677 -0.601 0.505 -0.458 0.423 -0.478 -0.769 -0.786 -0.032 0.052 0.020 -0.211 0.183 -0.306 また,小問群 b の 9 問に関して同様な因子分析を行ったところ,固有値の絶対値が 1 を超える因子は 2 個あって,因子負荷量は,表 3 - 2 に示す結果となった。その絶対 値が 0.35 を超えることを基準としてみると,固有値が大きな因子は,正田(2014)で, B2:「数学に対する積極性」と解釈した 4 問,並びに,小問 2,小問 13,合わせて 6 問への因子負荷量の絶対値が大きい。なお, ●問 2:数学は抽象的なもので,実際の生活には関係がない。 ○問 13:算数を私は将来教える対象として意識している。 ※:反転項目を●,それ以外を○として示している。 であるので,これまでと同じく,この因子は「数学に対する積極性」として解釈する。 また,固有値が 2 番目に大きな因子は,正田(2014)で B1: 「子どもの数学的活動 に配慮」に関するものとした 3 つの小問への因子負荷量の絶対値が大きく。そのどの 因子負荷量もマイナスであった。 要するに,今回のデータによっても確認的因子分析を為すことができ,課題を残す とした小問についても各々の因子に関わることが確認された。 小問群 a に関する因子の因子得点を A: 「教える」因子として, 小問群bのうち,7,14,15 の 3 つの小問に関する因子の因子得点の反数(符 号を変えた数)を B1: 「子どもの数学的活動に配慮」 , 小問群bのうち,2,8,9,10,13,18 の 6 つの小問に関する因子の因子得点を B2:「数学に対する積極性」, 小問群cに関する因子の因子得点を C: 「勤勉」因子として, 扱うこととする。 3 4.時期ごとの平均値の変化 表 2 - 2 の D1 から D7 と記された同じ回答者集団に関する異なる時期のデータに関 して,前節で述べた 4 つの因子得点の平均を求めた。その結果を図 4 - 1 ならびに表 4 - 1 へ記す。また, 隣接する時期に関する因子得点の平均値の差の検定 (MS-Excel のワー クシート関数 ttest(直前の時期 , 当該の時期 , 1, 3)による)の結果を表 4 - 2 に記す。 図 4 - 1: 平均値の変化 表 4 - 1: それぞれの時期での因子得点の平均値 因子 A 因子 B1 因子 B2 因子 C 時期 D1 -0.093 0.058 -0.007 0.093 1年9月 D2 0.142 0.038 0.001 -0.054 1 年 12 月 D3 -0.245 -0.419 0.092 -0.315 2年4月 D4 -0.105 0.054 0.133 0.300 2年7月 D5 -0.041 -0.061 0.205 0.156 2年9月 D6 D7 -0.043 0.033 -0.215 0.097 0.064 0.169 0.165 0.258 2 年 10 月 2 年 12 月 表 4 - 2: 隣接する時期に関しての差の検定(因子得点の平均値) 因子 A 因子 B1 因子 B2 因子 C D1toD2 0.127 0.470 0.485 0.257 D2toD3 0.035 0.048 0.339 0.129 D3toD4 0.231 0.013 0.414 0.001 D4toD5 0.345 0.243 0.328 0.219 D5toD6 0.496 0.185 0.192 0.479 D6toD7 0.310 0.019 0.260 0.271 因子 A(教える)に関して,図 4 - 1 のグラフから,時期 1 から時期 2 への増加, 4 算数の授業創り観に関する縦断的調査の試み(1) 時期 3 から時期 7 への漸次の増加, 時期 2 から時期 3 への減少を見取ることができる。 しかし,統計的に有意(危険率 5%,以下同様なので略す)であるのは,時期 2 から 時期 3 への減少のみであった。時期 2 から時期 3 に掛けては被験者が進級し学年が異 なることになる。表 4 - 3 に回答者の人数を記した。教育課程上 1 年生での科目が選 択で,2 年生での科目が必修あるいは免許必修となるので,D3 以降の人数が D2 まで に比べて多くなっている。 表 4 - 3: 回答者の人数 D1 D2 D3 D4 D5 D6 D7 31 21 36 37 40 41 43 一般に選択にもかかわらず履修するのは,目的意識が明確であったりまじめであったり する(α) 。また,履修の過程で熱心ではない学生が履修を放棄し脱落するので,同じ科 目で比べると履修前よりも履修後の方が,より積極的な回答に平均値が推移する(β)は ずである。時期 2 から時期 3 への変化は,講義が特に行われない時期であって,他に積 極的な理由が見られないので, 上述の一般的な傾向の前者(α)によるものと解釈できる。 因子 B1(子どもの数学的活動に配慮)に関して,図 4 - 1 のグラフから,時期 2 から時期 3 への減少が見られ,表 4 - 2 によれば統計的に有意であった。この現象は, 因子 A に関して述べたように,一般的な傾向αによるものと解釈できる。この他, 統計的に有意となったのは,時期 3 から時期 4 への,増加であった。この間では,算 数の教材に関する授業と学習指導案の添削指導とを行っているので,この成果が見ら れていると解釈ができるだろう。しかし,他の時期に関しては,統計的に有意ではな い不規則な増減があるだけであった。 因子 B2(数学に対する積極性)に関して,図 4 - 1 のグラフから,時期 1 から時 期 5 までの漸増を認められるが,統計的に有意な変化ではない。時期 5 から時期 6 に 掛けては減少がみられている。履修内容としては模擬授業が始まり数学的な内容より も授業の設計や授業でのパフォーマンスなどに関心が高まっている時期であった。し かし,これも統計的に有意ではない。なお,時期 6 から時期 7 に関しては,これも統 計的に有意ではない増加がみられている。 因子 C(勤勉)に関して,図 4 - 1 のグラフから,時期 1 から時期 3 に掛けての低 下し,時期 3 から時期 4 へ急激に増加し,時期 4 以降は比較的高い状態を保っている ことがわかる。この変化のうち, 時期 3 から時期 4 への増加が統計的に有意であった。 5 因子 B1 の変化に関して述べたように,学習指導案の添削指導の成果が見られている と解釈できる。 以上に述べた変化は,平均値の変化である。統計的に有意ではない変化が多くを占 めた。学習集団全体の傾向を見ることができるが,その集団の傾向とは別に,個性の ある個々の学習者が居て, そのそれぞれがいろいろな切っ掛けによって変化している。 5.学習者の変化 文系数学基礎という総合教育科目を履修することを強く勧めている。この科目を 1 年生のときに履修したかどうかがどのように影響したか,また 2 年次での学習の進展 によってどのような変化があったか。前節と同様に縦断的データを得た回答者集団 D に関してみる。表 5 - 1 は,文系数学基礎での質問紙は,D1 と D2 の 2 回回答する 機会があるが,そのうち何回回答しているかに関して,回答者集団 D を 3 つのグルー プに分けて,2 年次のはじめである D3 から 2 年次の最後である D7 への因子得点の 増加量を「2 年次での変化」として調べたものである。調査の日に欠席していたり, 回答者の同定のための記入欄を書き間違えたりしているために D3 もしくは D7 を欠 く被験者がいる。この場合, 「2 年次での変化」のデータとしては意味を持たないので, 回答者とはみなさなかった。その結果,D1・D2 での回答回数が 0 回,即ち履修して いないとみなされる者 6 人,1 回の者 12 人,2 回の者 13 人というグループに分ける こととなった。 表 5 - 1:文系数学基礎の履修と 2 年次での変化 D3 因子 A D7 D7 - D3 D3 因子 B1 D7 D7 - D3 D3 因子 B2 D7 D7 - D3 D3 因子 C D7 D7 - D3 該当者数 1 年次でのデータ 0回 1回 -0.379 -0.155 -0.193 0.467 0.187 0.622 0.033 -0.568 -0.060 0.190 -0.093 0.758 0.498 0.099 0.642 0.339 0.144 0.240 -0.280 -0.383 0.135 0.537 0.415 0.920 6 12 差の検定 2回 -0.287 -0.159 0.128 -0.380 0.184 0.575 -0.235 -0.144 0.091 -0.402 0.126 0.529 13 6 0 回と 1 回 0.314 0.027 0.135 0.080 0.201 0.018 0.148 0.172 0.379 0.404 0.070 0.127 1 回と 2 回 0 回とその他 0.368 0.353 0.139 0.019 0.104 0.297 0.351 0.076 0.491 0.151 0.354 0.013 0.184 0.050 0.060 0.019 0.308 0.470 0.480 0.349 0.060 0.192 0.157 0.208 算数の授業創り観に関する縦断的調査の試み(1) その結果,5%の危険率で統計的に有意となった差の検定(片側)は,表 5 - 1 で 太字として示した部分である。因子 A(教える)に関しては,2 年次 12 月(D7)の スコアが 1 年次のデータを 1 回のみ持つ集団の平均が顕著に高くなった。しかし 2 年 次での増加量に関しては統計的に有意ではない。1 年次のデータを 1 回のみ持つとい う特徴は,1 年次の科目の履修の有無に関しては関連がない。履修の有無については 0 回とそれ以外として区別するべきであるが,表にあるようにこちらの方は統計的な 有意差は無かった。また, 「教える」に関しては,算数関連以外の科目や履修以外の経 験の寄与も考慮するべきである。2 年次の最後に向けての何らかの要因に対して,教 えることについての感受性が他とは強い人たちがこのグループに集まったとしか,こ の原因は解釈できそうにない。 因子 B1(子どもの数学的活動に配慮)に関しては,統計的有意に D3 から D7 への 増加量に関して,1 年次での履修をした集団の方が履修をしていない集団に比べて平 均値が大きいという結果が出ている。文系数学基礎(正田担当分の固定クラス)では, 評価の対象となる作品課題で,子どもの数学的活動に配慮することを求めているし, 講義で用いるワークシートも,そう言った配慮の具体例となるよう意図している。そ のためいきなり 2 年生で実践的な課題に取り組むよりも,1 年次での経験を活かした 取り組みをすることが 2 年次での学習や知見の深化に役立ったものと解釈できる。 逆に,因子 B2(数学に対する積極性)に関しては,1 年次で履修した集団の方が 2 年次はじめでのスコアが低く,2 年次最後でのスコアも低いままとなった。しかし増 加量に関しては,他のグループとの有意差はなかった。入学前の数学に対する積極性 に関する傾向が強くグループ間の差としてあったことが原因と解釈できよう。 いく人かの学生の時期 7 での感想の要旨とその解説,ならびに因子の変化(因子名: (時期 1,時期 2,…,時期 7)として因子得点を列挙する。 「----」はその時期に回答 が無かったことを意味する。 )とを記す。 (学生 1) : 他の科目で模擬授業をやっているときに,児童役から自分の求めている ような発言がでない。そのような発言の引き出し方がとても難しいと感じたという。 その誘導に関して,ヒントや図を使うことがうまくいかない。その対策として, ・もっと経験が必要 ・教材研究を深いところまで行い教科内容をよく知る ことを挙げている。 7 明星学園小学校の公開授業研究会には行くことができなかった学生であったが,こ れからもっと現職の先生の授業を見に行きたいと述べた。公開授業研究会のあとでプ リントや電子掲示板などで,資料 B のように,ややしつこく授業研究会へ消極的なこ とに「お説教」をした甲斐はあったと思う。しかし,この学生の場合,一歩間違える と経験至上主義になってしまう危険もあるので,特に教科内容の理解に関して,実際 の授業と学部での授業とを関連させる「理論と実践との往還」が課題となるだろう。 B2: (- 1.804,- 1.222,- 0.925,- 1.186,- 1.432,+ 0.304,- 1.171) (学生 2) : 子どもに発言させることが大事であると述べ,教師がペラペラと語っても 単に先生の講演になってしまう。手を上げたくなる質問と,発言させたり質問させたり することで,子どもの学習が成り立ち理解が深まると述べた。模擬授業で多様に飛び出 る質問・発言によって,教師が予想している質問だけではなく,他の子どもが気付かな いところに気付いて質問してくる子どもへの返答も考えなければならないと述べた。 また,授業をビデオ記録や時間配分などを元に分析することで,違った目線でみる ことの大切さについて述べた。全般的に低調な中で,時期 7 での因子得点が特徴的で ある。子どもの予想は授業前の教材研究で重要であることは言うまでもない。算数の 場合,教材の構造からありうる解き方の場合分けができることが多い。模擬授業の後 の口頭でのコメントだけでは意を尽くせないので,やや詳しく模擬授業の後で教科内 容との関係について解説するプリント『ぶ~めらん』を毎回準備し配布した。この内 容からの学びが寄与しているとすれば喜ばしいことである。 B2:( ---- ,- 0.519,- 1.491,- 0.931, ---- ,- 0.266,+ 0.244) (学生 3) : 2 年前期(時期 3 と時期 4 の間)に学習指導案を初めて作った。じっく り考えて作ったものであったが,かなり細かく直すべきところを厳しく指導された。 「私はこれから指導案なんて作っていけるか」と不安になったが,個人面談風の解説 であったので,自分の指導案をどうすればよりよくなるか,先が見えた。 模擬授業での授業者ではなかったが,児童役として児童の目線に立って模擬授業に 参加できた。児童を理解するのは難しい。児童からどのような反応が返ってきても対 応できるように教師はその教科内容を十分に理解していることが大切だと思う。 係の分担として,時間係(学習指導案と模擬授業の実際とを比較するグラフをライ ブタイムに作成する係)を担当したが, 授業の形式的側面にだけしかとらえられなかっ た。どう授業が進められたか読み取れるような記録を示されたので参考にした。これ 8 算数の授業創り観に関する縦断的調査の試み(1) まで算数・数学を苦手としてきたが,もっと知識を深めていきたいと思う。このよう な感想に対して,時期 6・時期 7 での因子得点が高くなっていることが呼応しており, 望ましい結果となった。 B2:(- 0.326,- 1.342,- 0.578, ---- , ---- ,+ 0.404,+0.675) (学生 4) : 学生 2 についてのコメントで触れたプリント『ぶ~めらん』を毎回楽し みにしたという。教具を使った作業を通じて,子どもに考えさせる授業の具体を示し たことについて,すぐに使えるアイデアと記憶に残っていると肯定的に評価している。 児童役として参加した模擬授業について,その単元に即して,教科書の読み取りの 重要さ。特に教科書の著者の意図が理解できてないと授業内容が薄くなってしまうこ と。特に, 「時間が, (終了時刻)-(開始時刻)で求められる」という大学生にとっ て当然に思う事例に関して,なぜどうして?と掘り下げて,自分がまず理解し,説明 できる状態となってから児童へ発信することが必要と述べた。 当初からやや高いスコアを示していたが,その意欲を維持している。 B2: ( ---- , ---- ,---- ,+ 0.496,+ 0.117,+ 0.524,+ 0.598 ) B1: ( ---- , ---- ,---- ,+ 1.254,+ 1.295,+ 1.295,+ 1.255 ) 6.まとめと今後の課題 今回も,必ずしも 1 年次での履修者が多いわけでもなく,2 年次での回答率が低い 中で,充分なデータが得られている訳ではない。今後も調査を継続してデータを蓄積 することが課題として残る。しかし,取り急ぎの小括として次のことを指摘したい。 1 年次の文系数学基礎の履修は,子どもの数学的活動に配慮するべきことに関して, 学習者としての経験を提供し,そう配慮したワークシートの実例を示すものとなって いる。そのため,いきなり 2 年生で実践的な課題に取り組むよりも,1 年次での経験 が有利に働く。 その一方で数学に関する積極性を伸ばすことに明確なエビデンスを見いだせてはい ない。この点の改善に関しても今後の課題としたい。 [文献] 正田 良(2013) 「算数の授業創り観に関する質問紙の作成」 『初等教育論集』第 14 号 正田 良(2014) 「算数の授業創り観に関する質問紙の改訂」 『初等教育論集』第 15 号 9 [資料 A]質問紙の実際(A4 もしくは B5 に印刷して用いた) 次の 25 の文章それぞれに対して賛成か反対かを , 下の枠内の基準による 7 段階評価をして回答欄へ 記入して下さい。 7: 大変に同感する。6: 賛成。5: 微妙だけど , どちらかというと賛成。 4: どちらでもない。3: 微妙だけど , どちらかといえば反対。2: 反対 , 1: 大反対。 ○問 1 : 数学では , 例題の回答をよく覚えていると有利である。 ○間 2 : 数学は抽象的なもので , 実際の生活には関係がない。 ○間 3 : 算数・数学では , 計算を正確・迅速に行うことが大切である。 ○間 4 : 算教・数学では , つらい修練に打ち勝つことが大切である。 ○問 5 : 最先端の数学者以外 , 算数・数学の発見はできないものだ。 ○問 6 : 中学で数学は得意だった。 ○間 7 : 中学生のとき , 数学は好きだつた。 ○問 8 : 数学の問題から , 類似の問題を作ることがある。 ○問 9 : 身のまわりの事柄に私は算数・数学を使う方だと思う。 ○間 10 : 自分の学習として算教・数学の勉強は , できれば避けたい。 ○問 11 : 人にものを教えるのは得意だ。 ○間 12 : 人に算数を教えるのには , 工夫をする必要がある。 ○問 13 : 算数を私は将来教える紺象として意識している ○問 14 : 算数を教えるのに活動とうまく結びつけることが大切だ。 ○間 15 : 算数の授業を作るには , 算数・数学をよく勉強する必要がある。 ○問 16 : みんなと行事とかを作ることは好きだ。 ○間 17 : 行事やサークルなどで活躍できたと思う。 ○間 18 : 算数や算数を教えることに ,(大学での同級生や)同僚から頼りにされたいと思う。 ○問 19 : 算数の授業を作るには , 人や本から学ぶことが大切である。 ○間 20 : 学校の先生の仕事は , 校長・副校長などの管理職から信頼されることが大切だ。 ○間 21 : 算数の授業では , 決まった方法を学び , 正確に伝えることが大切だ。 ○問 22 : 授業では , 授業者が教材の面白さ感じて , それを子どもに伝えることが大切だ。 ○問 23 : 教師は授業という作品を日々創造する芸術家のような仕事だ。 ○問 24 : 教師は人の手本になることが大切だ。 ○問 25 : 教師はやりがいのある仕事だと思う。 【回答欄】 問 1 問 2 問 3 問 4 問 5 問 6 問 7 問 8 問 9 問 10 問 11 問 12 問 13 問 14 問 15 問 16 問 17 問 18 問 19 問 20 問 21 問 22 問 23 問 24 問 25 10 算数の授業創り観に関する縦断的調査の試み(1) [資料 B]公開授業を参観しただけで,全体会にも分科会にも出ていないことに関しての 「お説教プリント」の抄録 (前略)…(全体会は)いい話だったけど、君らを「がっかり」するのは、≪ちょっと≫にし た。教師の卵として是非聞いておいた方がよいなと思うのは、分科会の方だったから。たぶ んこの人たちは、食事をしにいったん外に行ったが、分科会が始まる 13:30 には戻ってくる のだろう。そうしたら、すごくがっかりした。体育の方は行けなかったけど、国語の方には、 私の他にはうちの学生はいなかった。繰り返し言うけど、がっかりした。…(中略)… あんたらは、何のために初等教育専攻に入ったの? 免許をとるためってだけの低レベルな 話ですか。教員採用試験に受かるためなんていう、くだらないことでベンキョウしているの ですか。ちゃんちゃらおかしい。 生涯通じての生き甲斐を 4 年間のうちに得て欲しい、得させたいと思っている。これって、 無駄ですか。迷惑ですか? 念のため言っておくけど、どんな商売に就くとしても、 「へ~え あんた小学校の教員免許もっていて、その勉強したんだ」ってことは、好むと好まらずに拘 わらず付いてくるし、卒業後の君らの個性のひとつになるんですよ。 これしか、最優先するべきことはない。教法算数ってのは、教えたいことの中から、45 分の 中で教えられることを選んで、さらに効率よくそれらを並べることを学ぶものです。それは、 君たちが生涯のうちに、あるいは、学生である 4 年間のうちにできることってことにも、応 用的に通ずることでしょ。 バイトで忙しい、他の勉強の課題がどうのこうの。理由はいろいろとあるでしょう。でもね。 優先順位ってこと考えて御覧。そしてそれを実行しなさいよ。それって、あ なたのこれからの生涯をどう充実できるかという切実な問題に直結していることですよ。 11 道徳教育と特別活動の協働 ─「徳目」を教える道徳と SEL ─ 菱 刈 晃 夫 はじめに 前号での締め括り部分を想起することから本論を開始しよう。そこでは,こう記さ れていた。 畢竟するに,最近導入されつつある SEL(Social and Emotional Learning : 社会性と 情動の学習)や CSS(Classroom Social Skills : 学級ソーシャルスキル)といった実践, そして特別活動の時間等を総動員して道徳教育に取り組みつつ,道徳を「教える」授 業を充実させ,より「人間らしい」生活を習慣化する努力を,学校教師は怠ってはな らない。道徳の教科化がこの嚆矢となるのであれば, その意義は大きいといえよう(1)。 小論はこれに引き続き,第 1 節では道徳を「教える」授業とするうえでの「徳目」 の意義とこれを積極的に「教える」ことについて,第 2 節ではあらためて西洋教育史 からの知見を基に「教え込み」の意義について,第 3 節では SEL に注目した特別活 動における徳目の習慣化について,考察を展開していきたい。 平成 26 年 10 月 21 日付で中央教育審議会は「道徳に係る教育課程の改善等について」 答申を行い(2), 道徳の教科化─「特別の教科 道徳」 (仮称)─は確実になりつつある(3)。 が,すでに何度も指摘しているように道徳とはその人の日常的な在り方・生き方の表出 ロゴス からだ であり(4), たとえ「徳目」を頭脳で知ってはいても身体がそれを常に実現しなければ(5), つまり習慣化していなければ無意味に等しい。こうしたモラルの習慣化にとって,かね てより学校現場でももっとも有効とされてきたのが,もちろん特別活動である(6)。ゆえ に,ここでは道徳教育と特別活動のより緊密な協働の仕方について探ることにしたい。 第 1 節 教科としての道徳における「徳目」の意義 現行の学習指導要領に明記されている通り,道徳教育は学校における教育活動全体を 通じて行われる。このことに異議を差し挟む者はほとんどいないであろう。学校教育そ 12 道徳教育と特別活動の協働 して学校生活そのものが,将来の「大人」としての在り方・生き方への準備に他ならな い(7)。とくに小学校や中学校といった義務教育には,未来の大人として必要不可欠な基 礎・基本を子どもに「教える」という仕事が課せられている。これを実行することで給 料をえて生活しているのが,ここでの教師たち〔教諭〕である。つまり,彼らには子ど もを「大人にする」ために「教える」義務が課せられているのと同時に, 彼らを「育てる」 という義務が課せられている。この点で,学校教師には「教・育」の義務と責任がある。 このことに間違いはない。しかも,これが彼らの「職業」 (生業)なのだから。 さて,未来の大人として必要不可欠な基礎・基本(minimum essentials)とは何か。 教育基礎論や教育原理を履修した学生であるならば,この問いに躊躇することはある まい(8)。それは「人間」としての道徳すなわちモラルであり,より具体的には礼儀や 作法といったものだ。ところが,実際に今の学校現場では,こうしたことがしっかり と「教えられて」いるであろうか。道徳の授業とはいっても, それはほとんど「 (道徳) 授業ごっこ」になっているのではないか(9)。真・善・美・正義に繋がる価値ある「価値」 を「教える」こと,さらには「教え込む」ことに対する及び腰。あるいは,いかなる 価値も子どもに押し付けてはならないというルサンチマン的「押し付け」を隠れ蓑に した職務怠慢。叱らずに褒めてさえいれば子どもは自然に善く育つであるとか,理性 も言葉ももたない子どもに常に「説得」が有効な教育手段であるとか,子どもの個性 や主体性,興味・意欲・関心を大切にとか,こうした「幻想」が蔓延ることにより, 「大 人にする」という「教」育の積極的な側面が疎かにされてきた。たとえば勉強もした くないし,みんなと行動するのも嫌だという一人の子どもの「学ばない主体性」まで, 教師は尊重しなければならないのか。これでは学校は崩壊してしまうし,将来一番困 ることになるのは当の「わがままな」子ども自身である。さらに派生してこうした「子 ども」から構成される社会全体である(10)。道徳教育の教科化の背景には,そうした 事情があることをわたしたちはすでに前号でも確認した。 道徳が「教科」となることについては,同じく前号でさまざまな問題が付きまとう 4 4 ことにも触れておいたが,ともかく「教える」科目─ 教育科目─ と「格上げ」され 4 4 るのであれば,ここで何かを子どもたちは明確に「学んだ」という知識が跡付けられ なくてはなるまい(11)。これは「評価」の対象となる。 しかし,はたして道徳に関する「知識」をえたところで,どうなるのか。たとえば アリストテレスやカントを熱心に読んで多くの知識をえたところで,その人はみな道 13 徳的大人であるといえるのか。哲学者に限らず神学者においても,たとえば聖書を熱 心に研究して多くの知識をえたところで,その人はみな素晴らしいクリスチャンであ るといえるのか。知や知識と身体とのあいだには大きな開きがあることも,わたした 4 4 4 4 4 4 ちはみな知っている。からだに身体化されて常に実現されてこないのは,まだ本当に 知らないからだともされる。否,いくら知っていてもからだのほうが先。頭もからだ の一部分なのだから,知ることにほとんど力はないともされる(12)。 こうしたことは古今東西に渡って繰り返されてきた議論であるが,とはいうものの 道徳に関する「知識」はまずもって教えられなければ,こうした議論を展開すること すら不可能である。たとえ知識と身体や生の習慣とのあいだに大きな隔たりがあるに せよ,ロゴスを受肉化するのは並大抵ではないにせよ(13),だからこそわたしたちは まずもって学校で,こうしたことについて教えなければならないし,子どもたちは学 ばなければならないのである。この教育原理については次節で詳述しよう。 では, 道徳についてどのような「知識」を「教える」のか。それが「徳目」である(14)。 長年にわたって小学校教諭を務めてきた野口芳宏が述べているように, 「 『徳目』こそ が道徳で教えるべき柱であり,価値である」(15)。徳目とは,野口にいわせればある種 の普遍性をもつものだという。 徳目は,年齢や学年に応じて変化するものではなく,いずれも人間としての根本的, 基本的な価値だ。本質,原点と言い換えてもいい。教えるべき価値というものは低 学年であろうと高学年であろうと大人であろうと全く変わらない。低学年を教える 場合でも,中学生を教える場合でも,徳目の根本的な意味を常に頭において教えな ければならない(16)。 こうした徳目を,まずは教師自身が自覚しておかなければ話にならないのであるが, じつはこの点がもっともあやしいところだ。というのも,わたしたちの世代は,とく に教育哲学や道徳教育さらに宗教教育の思想や歴史について研究するのでもない限 り,これについて深く思考する機会はほとんどなく,しかも学校教育のなかでも「道 徳の時間」はあってないかのごとく,あっても「授業ごっこ」として蔑ろにされてき たからである(17)。よって教師自身が「道徳」も「徳目」も知らないということにな る。知らないと断言してしまうのは行き過ぎにしても,少なくともよく反省し自覚す 14 道徳教育と特別活動の協働 るチャンスがほとんどなかったとはいえるであろう。そして児童や生徒に何か問題行 動が起きれば,すぐに対処療法的な生活指導や生徒指導に走ることになる。道徳の指 導とこれら日常の生活指導の違いについて,野口は次のように記している。 生活指導とは,一つの問題解決的な指導である。今,実際にこういう問題が起こっ ている。さてどうしたらよいかという解決に主眼が置かれる。これは生活指導も生 徒指導も同じだ。 道徳は,問題を解決すればいいというものではなく,もっと根本的に人間の生き 方,物の見方,考え方,そういった人間の心のありようを耕すものだ(18)。 現代の学校現場では,問題解決と称してやたらと対処療法ばかりに気をとられ,肝心 要となる道徳教育が疎かにされている。新任教師に対してさえ 「即戦力」 という始末だ。 すると,いくら生活指導や生徒指導によって一時しのぎで対応したとしても,すぐに モグラたたき状態に陥る。結果としては,つぎはぎだらけのパッチワークのように当 面をしのぎ,小学校を卒業すれば後はやれやれと知らんふりの責任放棄。こうしたこ とが慢性化している。挙句の果てに「大学」と称する場所において,義務教育を通過 してきたのかどうか疑いたくなるような「学生」に多数遭遇する羽目に陥る。こうし た学生には,まず「学ぶ」姿勢から教育し直し, 「学生」にする訓練をしていかなけ ればならないのだが,それだけでも全授業時間の半分を費やすことにもなりかねない。 カントが教育(Erziehung)を三層に分けて,養育 ─ 訓練(躾) ─ 教授としたのは周 知の通りであるが(19), 今や高等教育機関と呼ばれる段階でも悲しいことに「躾」 (Zucht) から始めなければならない。どうして小学生や中学生のうちから,そうした態度や礼 儀や作法といった「常識」を刷り込んでおいてくれなかったのだろう。だが現今の大 学ではまた奇妙なことに,こういう学生たちのために FD と称して,再び対処療法的 な取り組みに教員が忙殺される始末。根本がどこかおかしいと感じられるが,しかし, 常識は現代ではますます多様化し多元化しているようだ(20)。 行動は判断によって選ばれ,判断は価値観に支えられる。この価値観をさらに礎の ところで支えているのが人生観である(21)。 15 ともかく行動レベルで対処して問題解決しようとするのは生活指導や生徒指導である が,これはあくまでも現象的な「可視の世界」のみでの解決であり,こうした現象の 根源には, 判断や価値観, さらには人生観といったもっと深い「不可視の世界」がある, と野口は指摘している。 「道徳というものは,人間の深い層の部分に働きかけていく 教育だ」(22)と彼はいうが,たとえ人間の本質がそれほど見事なものではないという 人生観をもつ者もいるににせよ,道徳教育が不要であるという理由にはならない(23)。 子どもたちには,あくまでもこの世の中で,他の人々とともにある社会において,そ して国民として生きていくうえで「駄目なことは駄目」といった物事の本質的価値観 を教え押し付けていくべきなのである。 まだ自分の確たる価値観を持たない子どもたちに,物事の本質的な価値観を教え,身 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 に付けさせる基礎指導が道徳だ。正しいことは教えこんでよいのだ。生きていく上で 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 基本となる正しい価値観は,教え押し付けていくべきなのだ。 「駄目なものは駄目な のだ」という根本的な価値の教育が必要なのである。人を欺くこと,困らせること, 殺すことなどは, 状況や場合に関係なく断じて許せない悪と教えるのが当然である(24)。 教育を何か子どもにとって優しく心地よい活動のように誤解する教師も少なからずいる ようであるが,教育とは「一つの積極的なおせっかいであり,それを受ける側からは, 必ずしも楽しいことばかりとは言えないものなのだ」(25)という現実を,教育関係者は 再確認しておく必要があろう。そうした 「おせっかい」 を生業としているのが教師なのだ。 では,徳目にはどのようなものがあけられるであろうか。野口の提案を次に掲げて おきたい(26)。現行の「道徳の時間」にも, よく考えられた「内容」が示されているが, そこに「教える柱」としての徳目を各項目の冒頭にコジック太字で付加してみる。 道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行う道徳教育の内容は,次のと おりとする。 〔第 1 学年及び第 2 学年〕 1.主として自分自身に関すること。 (1)節度・節制 健康や安全に気を付け,物や金銭を大切にし,身の回りを整え, わがままをしないで,規則正しい生活をする。 16 道徳教育と特別活動の協働 (2)意志・実行 自分がやらなければならない勉強や仕事は,しっかりと行う。 (3)善悪・自律 よいことと悪いことの区別をし,よいと思うことを進んで行う。 (4) 明朗・誠実 うそをついたりごまかしをしたりしないで, 素直に伸び伸びと生活する。 2.主として他の人とのかかわりに関すること。 (1)礼儀・作法 気持ちのよいあいさつ,言葉遣い,動作などに心掛けて,明るく接する。 (2)親切・利他 幼い人や高齢者など身近にいる人に温かい心で接し,親切にする。 (3)友情・信頼 友達と仲よくし,助け合う。 (4)感謝・報恩 日ごろ世話になっている人々に感謝する。 3.主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること。 (1)生命尊重 生きることを喜び,生命を大切にする心をもつ。 (2)自然愛護 身近な自然に親しみ,動植物に優しい心で接する。 (3)憧憬・畏敬 美しいものに触れ,すがすがしい心をもつ。 4.主として集団や社会とのかかわりに関すること。 (1)遵法・公徳 約束やきまりを守り,みんなが使う物を大切にする。 (2)勤労・協力 働くことのよさを感じて,みんなのために働く。 (3)孝行・崇祖 父母,祖父母を敬愛し,進んで家の手伝いなどをして,家族の役 に立つ喜びを知る。 (4)敬愛・愛校 先生を敬愛し, 学校の人々に親しんで, 学級や学校の生活を楽しくする。 (5)愛郷・尚古・伝統・文化・愛国・国際 郷土の文化や生活に親しみ,愛着をもつ。 〔第 3 学年及び第 4 学年〕 1.主として自分自身に関すること。 (1)節度・節制 自分でできることは自分でやり,よく考えて行動し,節度のある 生活をする。 (2)意志・実行 自分でやろうと決めたことは,粘り強くやり遂げる。 (3)善悪・自律 正しいと判断したことは,勇気をもって行う。 (4)明朗・誠実 過ちは素直に改め,正直に明るい心で元気よく生活する。 (5)個性・内省 自分の特徴に気付き,よい所を伸ばす。 2.主として他の人とのかかわりに関すること。 (1)礼儀・作法 礼儀の大切さを知り,だれに対しても真心をもって接する。 (2)親切・利他 相手のことを思いやり,進んで親切にする。 17 (3)友情・信頼 友達と互いに理解し,信頼し,助け合う。 (4) 感謝・報恩 生活を支えている人々や高齢者に, 尊敬と感謝の気持ちをもって接する。 3.主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること。 (1)生命尊重 生命の尊さを感じ取り,生命あるものを大切にする。 (2)自然愛護 自然のすばらしさや不思議さに感動し,自然や動植物を大切にする。 (3)憧憬・畏敬 美しいものや気高いものに感動する心をもつ。 4.主として集団や社会とのかかわりに関すること。 (1)遵法・公徳 約束や社会のきまりを守り,公徳心をもつ。 (2)勤労・協力 働くことの大切さを知り,進んでみんなのために働く。 (3)孝行・崇祖 父母, 祖父母を敬愛し, 家族みんなで協力し合って楽しい家庭をつくる。 (4) 敬愛・愛校 先生や学校の人々を敬愛し, みんなで協力し合って楽しい学級をつくる。 (5)愛郷・尚古 郷土の伝統と文化を大切にし,郷土を愛する心をもつ。 (6)伝統・文化・愛国・国際 我が国の伝統と文化に親しみ,国を愛する心をもつ とともに,外国の人々や文化に関心をもつ。 〔第 5 学年及び第 6 学年〕 1.主として自分自身に関すること。 (1)節度・節制 生活習慣の大切さを知り,自分の生活を見直し,節度を守り節制 に心掛ける。 (2)意志・実行 より高い目標を立て,希望と勇気をもってくじけないで努力する。 (3)善悪・自律 自由を大切にし,自律的で責任のある行動をする。 (4)明朗・誠実 誠実に,明るい心で楽しく生活する。 (5)真理・理想 真理を大切にし,進んで新しいものを求め,工夫して生活をより よくする。 (6)個性・内省 自分の特徴を知って,悪い所を改めよい所を積極的に伸ばす。 2.主として他の人とのかかわりに関すること。 (1)礼儀・作法 時と場をわきまえて,礼儀正しく真心をもって接する。 (2)親切・利他 だれに対しても思いやりの心をもち,相手の立場に立って親切にする。 (3)友情・信頼 互いに信頼し,学び合って友情を深め,男女仲よく協力し助け合う。 (4)謙虚・寛容 謙虚な心をもち,広い心で自分と異なる意見や立場を大切にする。 (5)感謝・報恩 日々の生活が人々の支え合いや助け合いで成り立っていることに 18 道徳教育と特別活動の協働 感謝し,それにこたえる。 3.主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること。 (1)生命尊重 生命がかけがえのないものであることを知り, 自他の生命を尊重する。 (2)自然愛護 自然の偉大さを知り,自然環境を大切にする。 (3)憧憬・畏敬 美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の 念をもつ。 4.主として集団や社会とのかかわりに関すること。 (1)遵法・公徳 公徳心をもって法やきまりを守り,自他の権利を大切にし進んで 義務を果たす。 (2)公正・公平 だれに対しても差別をすることや偏見をもつことなく公正,公平 にし,正義の実現に努める。 (3)公正・公平 身近な集団に進んで参加し,自分の役割を自覚し,協力して主体 的に責任を果たす。 (4)勤労・協力 働くことの意義を理解し,社会に奉仕する喜びを知って公共のた めに役に立つことをする。 (5)孝行・崇祖 父母,祖父母を敬愛し,家族の幸せを求めて,進んで役に立つこ とをする。 (6)敬愛・愛校 先生や学校の人々への敬愛を深め,みんなで協力し合いよりよい 校風をつくる。 (7)愛郷・尚古・伝統・文化 郷土や我が国の伝統と文化を大切にし,先人の努力 を知り,郷土や国を愛する心をもつ。 (8)愛国・国際 外国の人々や文化を大切にする心をもち,日本人としての自覚を もって世界の人々と親善に努める。 周知の通り現行の学習指導要領では 4 つの視点から道徳の内容が定められている。まずは 自分自身に関するところからすべてが出発している点など,これは極めてよくできた内容 であると思われる。大人となって自分の人生にまず責任を負うべきは自己である。そこか らどれをとっても人間として生きていくうえで大切な「徳目」が列挙されている(27)。 さて,これらの徳目を教えるに当たってもっとも重要なのは,他ならぬ教師自身が これらの徳目を深く理解しておくことであった。野口の言葉を用いれば,指導者自身 19 が「主徳観」や「元徳観」をもつことが重要である(28)。いずれの徳目も年齢や学年, 子ども大人に限らず,日本に生きて暮らす人々すべてに通用するある種の一般性を備 えている。またその多くは全人類に共通の価値―普遍性をもつ―といってよいかもし れない。教師はこれら徳目の内容理解を常に実人生においても受肉・深化させるとと もに,これを子どもに教える努力を,学校教育全体の活動を通じて,そして教科とし ての道徳の時間のなかで,より積極的かつ意図的に実践していかなければならない。 徳目はその柱となる。それでは,これは何を通じて実現されるのか。資料や教材は。 『心のノート』はもとより,平成 26 年すでに文部科学省は教科化も見据えた『わたし たちの道徳』という教材を低学年・中学年・高学年用に三冊発行している(中学生用も 含めれば四冊) 。とりあえずはこれらを用いた授業が考えられるが(29),しかし,教科と なれば従来の「授業ごっこ」や「教えない教育」から一歩踏み込んで, 徳目を「教え込む」 というところにまで,つまり正しいことは正しい,誤りは誤りだといったことを「押し 付ける」ところにまで踏み込まねばなるまい。さまざまな物語や人物伝などによる資料 や教材,さらに「教科書」も検討されているようであるが,徳目を教えるという点では, 野口による音読用 『美しい日本の言葉と作法』 なども優れた一例としてあげられよう(30)。 また,道徳授業に以前から積極的な教師グループによるさまざまな試みもある(31)。 ところで, 「教え込み」や「押し付け」としての教育は,とくに戦後日本では必要以 上に大きな批判にさらされてきた。比するに新教育運動に見られる児童中心主義教育観 は,いかにも見た目はソフトで教師にとっては楽なように見えても,内実これを真に駆 動させていくには,教師側に相当の力量と努力とを要求することは忘れられがちであ る。 「総合的な学習」と呼ばれる時間もしかり(32)。まずは「教える」という前提があっ て子どもたちはある程度の「知識」を習得できるのだ。その後「学んだ力」としての「学 力」を多少とも具えたところに,これらの知識としての学力を道具に自発的な学習は効 果的に発現してくる。何も教えられていない知らない子どもに自発的な学習を促すとい うのでは「教」師の職務放棄としかいう他はない。子どもの「学ぼうとする力」 (関心・ 意欲・態度)としての「学力」を大切にするのは当然のことであるが,これを真に育む 4 4 4 には「学ぶ力」としての「学力」を,まず身に付けさせておかねばならない。 このように「学力」と一言しても,そこには①「学ぼうとする力」としての学力, ②「学ぶ力」としての学力, ③「学んだ力」としての学力の三つが区別可能であるが(33), とくに学校教育で第一にトレーニングしなければならないのは②の学力である。これ 20 道徳教育と特別活動の協働 は①の学力を自然発生的に野放しにしておいても育たない。むろん①も②も欠いては ③という果実は豊かに実りえない。いわゆる「学力テスト」で測定できる元来の③ ─ 「見える学力」─だけを求めても(34), その根幹となる②や①の学力 ─「見えない学力」 ─ が貧弱では,まさに将来に渡って「自ら学び考える」ような「生きる力」にも毛頭 おぼつかないのは必至である。 「学ぶ力」を付けるには, それ相応の「態度」や「姿勢」が学習者には求められる。 「覚悟」 といってもよい。これには日々の根気強い「教え込み」や「押し付け」による習慣化が 欠かせない。学ぶ姿勢や態度の訓練すなわち躾である。つまりモラルの身体化。子ども にとっては決して楽しいことばかりとは限らず,むしろ苦痛であろう。が,この苦労を 無理やりにでも経なければ「学ぶ力」としての「学力」は, そう簡単に獲得できない(35)。 かつての学校では当たり前のことであったが, 「学ぶ力」としての学力は,まずは 教室内での「作法」 (決まりごと)によって,子どもたちの身体をある型へと強制的 に馴致することによって可能となる。ここでは「教え込み」と「押し付け」 ,さらに 規律と訓練が必須となる。先の徳目でいえば,節度・節制,意志・実行,礼儀・作法, からだ 謙虚・寛容といったものを,身体で実践させるのである─ この点で必修化された武道 などが有効に作用してくれればよいのだが─ 。いうまでもなく学力を支えているのは, やはり道徳であり人間としての在り方・生き方としてのモラルである。これについて は後に触れるとし,先に「教え込み」の意義について簡単に再考しておこう。 第 2 節 「教え込み」の教育的意義 ─ ルターのカテキズムを手がかりに─ 西洋教育史を振り返るに,とくに宗教改革の時代ルターが教育の積極的意味を説い て回ったことは有名である。彼はとりわけ初等教育機関の整備に尽力するが,ここで はキリスト教の正しい理解,すなわちルター神学に基づくキリスト教信仰への教導が 重要と見なされた(36)。 一言でキリスト教といっても多様であるが, 聖典としての聖書は神による「律法」 (lex Dei)とイエス・キリストによる「福音」(Evangelium)の大きく二部から成り立ち, 旧約と新約に相当する。まずは神による「法」の理解が先決で,その後ようやく「罪の 赦し」としてのキリストを通じた「福音」が続くという順序になっている。決してその 逆─「赦し」が先─ではない。基本的に人間の「罪深さ」─端的にいうと自己中心性 や歯止めの利かない我欲─ はイエスをキリスト(救い主)とする「福音」のみを通じ 21 しゅくあ てしか,赦され癒されない「宿痾」 (病気)である。キリスト教とはイエスをキリスト として信じる宗教であり,このなかでわたしたち人類は全員が生まれつき「病人」で あって「病気」に罹っている。この悔い改めは人間の生涯に渡って繰り返されるプロセ スであり,キリスト者の「再生」の道のりと重なり合っている(37)。ルターは 1529 年 に『大教理問答書』 (Der Grosse Katechismus)と『小教理問答書』と呼ばれる手引書 (Enchiridion)を記している。 『大教理問答書』の序文は,次のように始まる。 この説教は子供たちや単純な人たちのための教育(vnterricht)となるように順序だ てて着手されたものである。それゆえ,この種のものは昔からギリシア語でカテキス ムスとも呼ばれている。すなわち子供たちの教理問答書である。これはキリスト者の 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 ひとりひとりが必ず知っていなければならないものであり,したがって,これを知っ ていない者はキリスト者の中に数えられず,礼典にあずかることもゆるされない。そ れはちょうど自分の職業の法規や慣習を知らない職人がしりぞけられ,不適格とみな されるのと同じである。それゆえに,若い人たちにこの教理問答,すなわち児童説教 4 4 4 4 4 4 に属する各条を完全に学ばせ(fertig lernen lassen) ,熱心にこれの訓練と督励(vben vnd treiben)とを与えることが肝要である。だから家長たる者には,少なくとも週に 一回は子供たちや使用人たちに順を追うて質問して,彼らがどの程度にそれを知り, また学んでいるか(was sie Davon wissen odder lernen)を吟味し,もし彼らが会得 4 4 4 4 4 理解していないならば,真剣に督励指導すべき義務がある(schüldig ist)(38)。 教理問答の内容として,十戒すなわち律法,使徒信条,主の祈りの三部分が最重要部 4 4 4 4 とされているが,これらを絶えず繰り返し唱える習慣づけがここで強調されている。 以上はっとも緊要な部門であって,まず第一に一語一語唱えるように教えなけれ ばならない。すなわち,子供たちが朝起きるとき,食卓につくとき,そして夜寝 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 るときに,必ずこれを唱えるという習慣を日ごとにつけさせ(sol die kinder dazu gewehnen / teglich),子供たちがそれを唱えなければ,食べ物も飲み物も与えては ならない。同様に家長たる者には,また使用人,下男下女に対しても,もし彼らが これを知らず,あるいは学ぼうとしないならば手もとにおかないぐらいにする義 務がある。この三部門の中には聖書にあることのすべてが手短にわかりやすく要約 22 道徳教育と特別活動の協働 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 されているのであるから,これを学ぼうとしないほどに人間が粗野であること(so 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 rohe vnd wilde sey)は断じて許容さるべきではない(nichte zuleiden)(39)。 このように,使徒信条や主の祈りなどは一日のなかで繰り返し唱えることを習慣化し, さらに十戒の意味についても教えることの義務をルターは強く説いている。とりわけ十 戒は神の律法でもあり,人間と神との関係についての事項―あなたは他の神々をもって はならい等─と人間と人間との関係についての事項─あなたの父と母を敬え─から成 り立っている。ちなみにここで「他の神々」というのは,ルターによれば人がもっとも 信頼を寄せ頼りにするもの。大方の人間にとっては「金銭」が「神」となっているとい う。これはいつの時代や社会においても同様であり,そうしたモノではなく,もっと大 切な 「価値」 があることの重要性に気づかせようとルターはしている。それは前節での 「徳 目」とも通底するであろう。いくら金があっても,先の徳目を蔑ろにしていて,はたし て人間社会さらに国際社会は存続していけるであろうか。 「金銭」 というマモンを神とし, これを信仰するのではなく,さらに大切な心の魂の価値についてルターは説いている。 これは現代日本人にもそのまま当てはまる普遍的な内容とも思われる。 そこで,こうした重要事項をまずは繰り返し「唱えさせる」ことで習慣にしてしま うことの意義をルターは強調する。つまり「教え込み」と「押し付け」の極致として の身体というテキストへの刷り込みである。こうした方法は,まさに前近代的だとし て,とくに戦後は衰退の一途を辿る旧式の古臭い教育術のように見受けられるかもし れないが,芸術,技芸,スポーツしかり,まずは無味乾燥とも思える基本的な型の修 得と訓練を通過しなければ,その後の応用や発展には至れない。近世では素読による 学びの文化が日本には存在していた(40)。とりわけ道徳教育に関しては,少なくとも 4 4 4 4 「授業ごっこ」ではない授業時間に,そうした徳目 ─先のルターの言葉では「必ず知っ 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 ていなければならないもの」 ─ を中心にした「テキスト」 (教科書)を「唱えさせる」 ─ 声に出して何度も音読させる ─ ことも,今後はより強力に推奨されてよいのでは なかろうか(41)。音読の姿勢 ─ 背筋を伸ばして書物に向かい声を出すこと─ そのもの が,基本的なモラルの修得と直結するのである。 すると徳目だけを覚えていても意味がないとか,そういう皮相なことではなくと いった反論がすぐに起こりそうであるが,しかし,徳目すら知らない,表面も取り繕 えないような人間の現状が一番の問題なのだ。この点,現代のわたしたちよりもより 23 4 4 4 4 4 4 強力に「信仰」へと導こうとするルターではあるが,彼自身は信仰を教育できないも のとしている。つまり,教師や親たちによる習慣化という努力は最大限にすべきであ り,これこそがわたしたちの義務に他ならないとするが,現実に子どもやわたしたち の「内面」に信仰といった現象が引き起こされるのは「神のわざ」 (opus Dei)による。 わたしたちは子どもに教えようと最大限の努力をすべきであるし,またそうしなけれ ばならないのだが,実際に「変わる」のは子ども自身である。究極的に,人間の心と 魂と精神と身体の全体を含めた全人的な「変容」は,わたしたちの与り知りえない力 によって成し遂げられるという「神秘」を教師は忘れてはならない。 ただし,これは宗教から見た人間存在の最深の層における話である。ルールやマ ナー,礼儀・作法といった先の基本的な「徳目」を子どもに教え込んだり押し付けた りするのに 「大人」 が躊躇すること自体, 「常識」 的に見てもどこかおかしい。 「教え込み」 の教育的意義は古今東西の教育史を顧みても大きいといわねばならない。ただし,そ の内容については常に自戒し吟味しておかなければなるまい。 第 3 節 SEL を用いた「徳目」の習慣化 ─ 特別活動との協働 ― いわば「徳目」はその人の「常識」となって人生全体に渡って具体化されるもので ロゴス からだ あってほしい。徳目という言葉を身体に「受肉」させなければならない。習慣化しな ければならない。これには訓練や練習が必要である。道徳の内容や徳目は,いずれも 「かかわり」のなかで必然的に生じてきたものだ(42)。とりわけ「人間関係」は道徳の 内容や徳目のなかでも最重要の「かかわり」であることはいうまでもなかろう。この 点で特別活動は「よりよい人間関係の育成」に力を注いできた。特別活動とは,まさ に道徳と徳目の実践的訓練すなわち練習の場といっても過言ではない。小学校学習指 導要領の目標には,こうある。 望ましい集団活動を通して,心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図り,集団の 一員としてよりよい生活や人間関係を築こうとする自主的,実践的な態度を育てる とともに,自己の生き方についての考えを深め,自己を生かす能力を養う。 「望ましい集団活動」という身体的な現実の活動を通じて「よりよい人間関係を築こう とする自主的, 実践的な態度」 を育てるという箇所が重要である。 「活動」 を通じての 「態 24 道徳教育と特別活動の協働 度」の育成である。このための特別活動には「学級活動」 「 ,児童会活動」 「 ,クラブ活動」 , 「学校行事」という 4 つの領域があるが,とりわけ「学級活動」は学級会の時間とさ れるものの,その基本的なねらいは学習集団としての「よりよい学級づくり」にある。 当たり前のことであるが,担任教師にとって学級とはすでにそこにあるものではない。 それは常に「作る」ものであって,学級とすべく形成していくものである。ゆえに学 級活動の内容には「基本的生活習慣の形成」や「望ましい人間関係の形成」といった 共通事項が含まれている。 ところが現代では,すでに学級崩壊という言葉が陳腐と思われるほど,もはや多く の学級が学習集団としての学級ではないことも周知のようになってきている。確かに 大人も子どももヒトは動物であるから,どのような環境に置かれていても,そこから 4 4 4 4 4 4 何がしかは学ぶ。すると「よりよい学級」が成立していない学校での「望ましくない」 集団活動からは, 「いじめ」の陰湿な喜びや生きがいのようなものさえ学習してしま う。先に人間は元来病気に罹っているというキリスト教の人間観に言及したが,じつ は「悪いこと」 (悪・悪行)に染まったり,転落したり,堕落したりすることは,こ の見地からすれば人間という生き物にとって生来的な傾向とさえいえるのだ(43)。何 4 4 4 4 事においても水準や基準を下げる向下は容易であるが,逆に自己を高め向上しようと するのは極めて困難であり,大きな労苦を必然的に伴う。これはだれしも自己の経験 を振り返りさえすれば自ずと分かる共通感覚(常識)であろう。よって,すでに古代 ローマでのクインティリアヌスの時代から,子どもを学校に通わせることの是非が問 題にされてきた(44)。悪い習慣 ─ 悪習 ─ に汚染されてしまう虞があるからだ。現代で はたとえ学校に通わなくとも,もっと恐ろしいことに SNS などの最新のメディアを 介して「望ましくない集団活動」という悪習に拍車がかけられている。ここでは「仲 間はずれ」 , 「無視」 , 「誹謗中傷」 , 「悪口」など,挙句の果てには「傷害」や「殺人」 にまで至るところの,病気に罹った醜悪な人間たちの「悪」が無限に渦巻いている。 このなかにすでに大人も子どももどっぷり浸かりつつあるといっては過言かもしれな いが,少なくともこうした「かかわり」と完全に無縁であることは,社会のなかで生 きざるをえない,とくに子どもたちにとっては困難となりつつあるとはいえよう。今 の子どもや若者たちにとってスマホなどを通じた「友だち」との「つながり」は死活 問題である (45)。いずれにせよ現代ほど至るところで人間のモラルが問われている時 代はない。 25 学校教育現場を取り囲むこうした社会的・物理的・心理的状況を見るに,学校での 道徳教育や特別活動にもどれほどの効力があるものかと,すでに徒労感に襲われそう であるが,それでも学校教育にできることはまだ残されているし,またよりよい人間 の在り方・生き方を目指して教師は職務放棄するわけにはいかない。そこでモラルの 身体化もしくは徳目の受肉化 ─総じて習慣化 ─のための一つの方法として,特別活動 における学級活動の時間や道徳の時間などを用いての SEL があげられる(46)。 SEL((Social and Emotional Learning : 社会性と情動の学習)には 8S(8 Abilities at the School)が付加されている。つまり「学校における 8 つの社会的能力育成のた めの社会性と情動の学習」SEL-8S(セルはちエス)というのが正式名称である。8 つ の社会的能力すなわち社会のなかで人が人間として生きていくうえで必要とされる能 力を,基礎的社会的能力 5 つと応用的社会的能力 3 つの二層に分け,これらを学校で 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 の授業を中心とした教育活動を通じてスキルとして学ばせる試みである。 基礎的社会的能力には次の 5 つあるが,そのポイントを列挙する(47)。 ① 自己への気づき…自己の感情への気づき ② 他者への気づき…他者の感情への気づき ③ 自己のコントロール…自己の情動のコントロール ④ 対人関係…情動をコントロールしながらの協力,援助,悪い誘いの拒絶など ⑤ 責任ある意思決定…他者を尊重しながら自己の決定には責任をもつ 応用的社会的能力には次の 3 つあるが,そのポイントを列挙する(48)。 ⑥ 生活上の問題防止のスキル…アルコールやタバコ,薬物乱用の防止や性教育 など健康に必要なスキル ⑦ 人生の重要事態に対処する能力…進路指導,家族内での大きな問題や死別な どへの対処 ⑧ 積極的・貢献的な奉仕活動…ボランティア精神の育成や活動への意欲と実践 これらの計 8 つの能力を,同じく 8 つの学習単元で学ばせようと試みる(49)。 (A)基本的生活習慣 (B)自己・他者への気づき,聞く (C)伝える (D)関係づくり (E)ストレスマネジメント 26 道徳教育と特別活動の協働 (F)問題防止 (G)環境変化への対応 (H)ボランティア 以上 8 つの能力を 8 つの単元において小学校 6 年間のあいだに,学級活動や道徳の時 間や総合的な学習の時間を用いて,1 単位時間(45 分)1 ユニットのなかで,スキル として学ばせようとするのが SEL-8S である。その全体的実施計画例や実践例は『社 会性と情動の学習(SEL-8S)の進め方 小学校編』に詳しく紹介されている。 一例として(A)基本的生活習慣は,低学年―社会性の基礎形成期―,中学年―対 人関係の拡大期―,高学年―社会性の充実期―のそれぞれの段階でユニットとして展 開される。それぞれのユニットにテーマ, ねらいとする能力, 意義, 目的が明示される。 (A)については(A1)から(A9)までのユニットが提案されている(50)。 (A1) あいさつ「おはようございます」 (A2) 生活リズム「チャイムの合図」 (A3) 整理整頓「自分のもちもの」 (A4) 食生活「何でも食べよう」 (A5) あいさつ「おはよう,こんにちは,さようなら」 (A6) 生活リズム「早寝早起き朝ご飯」 (A7) 整理整頓「忘れ物」 (A8) あいさつ「こんにちは」 (A9) 金銭管理「おこづかい」 (A1)から(A4)までが低学年, (A5)から(A7)までが中学年, (A8)から(A9) までが高学年に相当する。 これは一例であるが,こうした実践を教員養成の段階にある学生を相手に実践体験 させてみても意味があるかもしれない。ともかく SEL-8S は未だ進化の途上にある実 践例ではあるが(51),具体的に学校での授業時間を用いて「スキル」として学ばせる 試みである点が重要である。ここでは具体的な活動が行われているわけで, これと「徳 からだ 目」を教える道徳授業が協働すれば,ロゴスにも多少なりとも血肉化された身体が伴 うことが期待できよう。 教える道徳の授業方法や評価ならびに SEL やその他「作法」を身に付けるための トレーニングの内容と評価など(52),さらに詳述が必要とされる事柄については,紙 27 幅の関係より別稿で扱うことにしたい。 おわりに 道徳教育と特別活動とのより緊密な協働の仕方について SEL を中心に瞥見してき た。小学校教育は「教科」 , 「道徳」 , 「総合的な学習の時間」 , 「外国語活動」 , 「特別活動」 という 5 つの柱から成り立ち,これらを総合した全体が「学習指導」と「生活(生徒) 指導」という 2 つの機能に抽象的には分けられる。しかし,学習指導の時間において も基本となるのはモラルであり,何か問題が起これば即時「生活指導」の時間に早変 わりせざるをえない。学校生活全体が子どもを大人とすべく「道徳」すなわちモラル を身に付けさせる場であるとする根本さえ間違わなければ, 「学校の教育活動全体を 通じて,道徳的な心情,判断力,実践意欲と態度などの道徳性を養う」という学習指 ロゴス 導要領における道徳の目標は,まさに正鵠を射たものだ。 「学習」といういわば頭 脳 からだ の機能と「生活」といういわば身体の機能とは観念的には分離できるが,実際には頭 とからだが別々の人間であってほしくはない。ロゴスとからだを結び付けているもの こそがモラルである。 しかるに学校現場では日々の度重なる問題や課題の噴出を前に,対処療法的な生活 指導や,さらになかにはモンスターともいわれるほどの保護者との対応などにエネル ギーを傾けることで疲れ切ってしまう教師たちが多い。学校教育の先の 5 つの柱も相 互の有機的関連性が薄れ,全人的なモラルの育成や道徳の教育が手薄にならざるをえ ない。教科教育等の研究についても細分化専門化が著しい。とりわけ義務教育段階に おける学校教育のベースにはすべからく道徳教育があることを,教員養成に関わる教 育関係者も含めすべての教師や親が再認識すべきときである。 自戒を込めて今問われているのは他ならぬわたしたち教育関係者のモラルでもあり 価値観かもしれない。真に価値ある「価値」を不問にしたままで教育という営みは元 来成立しえないのだから。 注 (1) 国士舘大学初等教育学会編『初等教育論集』第 15 号,2014 年,42 頁。 (2) 文部科学省ホームページ http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/__ icsFiles/afieldfile/2014/10/21/1352890_1.pdf(2014 年 11 月 4 日閲覧) 以下は目次。 28 道徳教育と特別活動の協働 道徳に係る教育課程の改善等について(答申) <目次> はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1 道徳教育の改善の方向性 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 (1)道徳教育の使命 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 (2)道徳教育のねらいを実現するための教育課程の改善 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 2 道徳に係る教育課程の改善方策 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 (1)道徳の時間を「特別の教科 道徳」 (仮称)として位置付ける ・・・・・・・・・・ 5 (2)目標を明確で理解しやすいものに改善する ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 ①道徳教育の目標と「特別の教科 道徳」 (仮称)の目標の関係について ・・ 6 ②道徳教育の目標について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 ③「特別の教科 道徳」 (仮称)の目標について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 (3)道徳の内容をより発達の段階を踏まえた体系的なものに改善する ・・・・・・・9 ①内容の位置付けについて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9 ②四つの視点について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9 ③内容項目について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10 (4)多様で効果的な道徳教育の指導方法へと改善する ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11 ①多様で効果的な指導方法の積極的な導入について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11 ②道徳の指導計画の改善について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12 ③学校における指導体制の充実について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13 ④学校と家庭や地域との連携の強化について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13 (5) 「特別の教科 道徳」 (仮称)に検定教科書を導入する ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14 (6)一人一人のよさを伸ばし、成長を促すための評価を充実する ・・・・・・・・・・・15 ①評価に当たっての基本的な考え方について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16 ②指導要録について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17 3 その他改善が求められる事項 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18 (1)教員の指導力向上 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18 (2)教員免許や大学の教員養成課程の改善 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・19 (3)幼稚園、高等学校、特別支援学校における道徳教育の充実 ・・・・・・・・・・・・・19 参考資料 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21 (3) 押谷由夫・柳沼良太編『道徳の時代をつくる ! ─道徳教科化への始動─ 』 (教育出版,2014 年) , 参照。 (4) 端的にいえば習慣だということ。詳しくは,拙著『習慣の教育学 ─ 思想・歴史・実践 ─ 』 (知 泉書館,2013 年) ,参照。 29 (5) アリストテレスは『ニコマコス倫理学』のなかで「徳は単に正しい理りに基づいた性向である ばかりではなく, 正しい理りを携えた性向である」 ( 『アリストテレス全集 15』 岩波書店, 2014 年, 260 頁)としている。 (6) 文部科学省『小学校学習指導要領解説 道徳編』 (東洋館出版社,2008 年) ,108-111 頁参照。 (7) 野口芳宏『道徳授業の教科書─ 授業づくりの教科書 ─ 』 (さくら社,2014 年) ,26 頁以下参照。 (8) 拙著『教育にできないこと,できること─教育の基礎・歴史・実践・探究 ─ 【第 3 版】 』 (成文堂, 2013 年),参照。 (9) 野口前掲書,38 頁以下参照。 (10)これらについては,すでに拙著前掲『教育にできないこと,できること』とくに第 I 部で取り 扱ったので参照。 (11)むろん知識にもさまざまものがあるが,これについては稿を改めて論じたい。差し当たり,拙 著『からだで感じるモラリティ─ 情念の教育思想史 ─ 』 (成文堂,2011 年)では,情動知能 等を含めたインテリジェンスや道徳における知識の問題にも言及しているので参照。 (12)同上書参照。 (13)ロゴスの受肉化について詳しくは,教育哲学会編『教育哲学研究』 (第 110 号,2014 年,102- 108 頁)掲載のアウグスティヌスに関する著書への拙評を参照。 (14)前掲『初等教育論集』 ,37-39 頁参照。 (15)野口前掲書,71 頁。 (16)同上。 (17)同上書,22 頁参照。 (18)同上書,78 頁。 (19)拙著前掲『教育にできないこと,できること』 ,17-18 頁参照。 (20)拙著前掲『習慣の教育学』 ,239 頁以降参照。 (21)野口前掲書,79 頁。 (22)同上。 (23)だからこそ道徳教育が必要とされる。西洋教育史の知見からは,拙著『ルターとメランヒトン の教育思想研究序説』 (溪水社,2001 年) ,参照。 (24)野口前掲書,73 頁。傍点引用者。 (25)同上書,29 頁。 (26)同上書,67-70 頁参照。 (27)同上書,56-66 頁参照。 (28)同上書,71 頁以降参照。 (29)文部科学省教育課程課・幼児教育課編『初等教育資料』7,2014 年,参照。 (30)野口芳宏『日本の美しい言葉と作法─ 幼児から大人まで ─ 【改訂版】 』 (登龍館,2012 年) , 30 道徳教育と特別活動の協働 ,八木秀次監 道徳教育をすすめる有識者の会編『はじめての道徳教科書』 (育鵬社,2013 年) 修『明治・大正・昭和…親子で読みたい精撰「尋常小學修身書」 』 (小学館文庫,2002 年) ,参照。 (31)小学校教諭・佐藤幸司らによる「道徳のチカラ」の試みなど参照。http://www12.wind.ne.jp/ kaikaku/ (2014 年 11 月 4 日閲覧) あわせて佐藤幸司『スペシャリスト直伝 ! 小学校道徳 授業成功の極意』 (明治図書,2014 年)も参照されたい。 (32)拙著前掲『教育にできないこと,できること』 ,7 頁以下参照。 (33)同上書,153 頁以下参照。学力の構造については,さらに志水宏吉『 「つながり格差」が学力 格差を生む』 (亜紀書房,2014 年) ,80 頁以下参照。 (34)同上書,7 頁参照。 (35)全国学力調査ではかねてより福井県が上位にあがるが, なぜか。志水は, こう指摘している。 「歴 史的に見ると,学力下位からトップに躍り出た秋田とは異なり,福井は以前から今にいたるま で学力上位をキープしており,教育県としての自負も強いように見受けられる。主観的な印象 にとどまるが, 『授業の力』で B 学力を伸ばしている秋田とは対照的に,福井では,そのベー スになる『学習規律の徹底』と『何事にもがんばる精神の育成』を通じて,結果的に高学力の 水準を維持してきているように見受けられる。教育社会学的に言うなら,学校文化のなかに いい意味での『きびしさ』が充満しているように見受けられるのである」 (志水前掲書,133- 134 頁)。福井県内の小中学校での「無言清掃」や「雑巾がけ」に「遠泳大会」など,その「仕 事ぶり」に舌を巻いたと志水は述べている。ちなみに A 学力 = 知識・技能,B 学力 = 思考力・ 判断力,C 学力 = 意欲・関心・態度。これらは「学力の樹」に例えられる。A 学力は葉,B 学力は幹,C 学力は根。根としての C 学力がしっかりしていなければ B 学力も太くはならず C 学力という豊かな葉も茂ることはない。あるいは A の学力はテストで測定して数字として「見 える学力」 ,B と C の学力は「見えない学力」 。A 学力 =「学んだ力」 ,B 学力 =「学ぶ力」 ,C 学力 =「学ぼうとする力」に相当する。私的な話であるが,小生も福井市で生まれ育った。振 り返るに「登山マラソン」と称する苦行が月一回は実践されていた。そのほか数々の苦行があっ たが,先に述べたように,いずれも「苦痛」であった。ゆえにわたしは学校が大嫌いであった。 現代なら不登校にもなりかねない。しかし,おかげである種の学力は身に付けさせてもらえた のだと,今では感謝している。掃除と水泳は今も好きである。教育には当の子どもには分から 4 4 4 4 4 4 4 4 4 ないはずの「厳しさ」が伴うものだ。それは当人が大人なってはじめて分かることである。子 どもにはよく分からなくて当然だ。だから「子ども」なのであり教育が必要なのである。志水 前掲書,134-135 頁の「遠泳大会」エピソードも参照(将来船が沈没して自力で分の命を守ら なければならないようなこともあるかもしれないとして,かなり厳しいトレーニングが課せら れている様子) 。ともかく「学力」を育む厳しい姿勢や態度そして規律の重要性は指摘できよう。 だが,これを効果的に実現するには福井のように親や地域を含めた賛同とサポート,つまり「つ ながり」が必要である。大都市部で実践するのは困難かもしれない。 31 (36)拙著前掲『ルターとメランヒトンの教育思想研究序説』 ,参照。 (37)拙著『近代教育思想の源流 ─ スピリチュアリティと教育』 (成文堂,2005 年) ,10 章および 16 章参照。 (38) 『ルター著作集 第 1 集 第 8 巻』 (聖文舎,1971 年) ,381 頁。O. Clemen(Hg.): Luthers Werke. Bd.4. Berlin 1959. S.1.( )内および傍点は引用者。 (39)同上書,383 頁。Ibid., S.3. (40)拙著前掲『習慣の教育学』 ,205 頁以降参照。 (41)野口前掲書,84-86 頁参照。ちなみに西洋教育史を振り返るならば,18 世紀のエルヴェシウ スが『人間論』のなかで,キリスト教のカテキズムに代わって,道徳についてもある明確な観 念を,教理問答書を用いて子どもの記憶のなかに刻み込むことができると主張している(エル ヴェシウス『人間論』根岸国孝訳,明治図書,1966 年,164-172 頁参照) 。習俗(ムール)に ついての学(道徳学)の根本原理は肉体的感受性という簡単な事実に還元できるとするエルヴェ シウスによれば「青年に道徳についての明白な,健全な観念を与えることができる。公正につ いての道理問答書の助けをかりて,教育のこの部分を最高度の完成に達せしめることができる」 (173 頁) 。エルヴェシウスの教育思想について詳しくは稿を改めて取り上げることにしたい。 (42)宮野安治・山﨑洋子・菱刈晃夫『教育原論 ─ 人間・歴史・道徳 ─ 』 (成文堂,2011 年) ,223 頁参照。 (43)拙著前掲『からだで感じるモラリティ』 ,参照。 (44)拙著前掲『習慣の教育学』 ,58 頁以降参照。 (45)土井隆義『つながりを煽られる子どもたち─ ネット依存といじめ問題を考える─ 』 (岩波ブッ クレット,2014 年) ,本田由紀『学校の「空気」 ─若者の気分 ─ 』 (岩波書店,2011 年) ,参照。 (46)SEL に関しては,次の文献に依拠している。小泉令三『社会性と情動の学習(SEL-8S)の導 入と実践』 (ミネルヴァ書房,2011 年) ,小泉令三・山田洋平『社会性と情動の学習(SEL-8S) の進め方 ─小学校編 ─』 (ミネルヴァ書房,2011 年) 。 (47)小泉前掲書,19 頁参照。 (48)同上。 (49)同上書,21-22 頁参照。 (50)同上書,25 頁参照。 (51)研 究 会 や 研 修 会 な ど が 福 岡 教 育 大 学 を 中 心 に 行 わ れ て い る。https://www.fukuoka-edu. ac.jp/~koizumi/ (2014 年 8 月 20 日閲覧) (52)野口芳宏『野口流 教室で教える小学生の作法』 (学陽書房,2008 年) ,参照。 32 理科授業における教授学習の過程の可視化 小 野 瀬 倫 也 1.はじめに 2014 年 11 月,新しい時代にふさわしい学習指導要領等の在り方について文部科学 大臣より中央教育審議会に対して諮問が出された(下村,2014) 。今回特に,注目す べきことは,答申の 3 つの柱の一つである「教育目標 ・ 内容と学習 ・ 指導方法,学習 評価の在り方を一体として捉えた,新しい時代にふさわしい学習指導要領等の基本的 な考え方について」において「アクティブ・ラーニング」を具体的指導方法として取 り上げていることである。アクティブ・ラーニングとは,従来のような知識の伝達・ 注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢 磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見 し解を見いだしていく能動的学修を意味している(文部科学省,2012) 。 上述のような授業場面に見られるように,教授学習活動は,教師,子ども,学級集団, 教材など様々な構成要素が複雑に関係しあった動的な営みであると言い換えられる。 その本質的な意味や効果を捉える上で,教授学習活動の内実を可視化することは有用 である。本研究では,教授学習活動の内実を可視化することを試みるものである。 知識の伝達・注入では無い授業展開の志向は, 「生きる力」 「目標に準拠した評価」 「指導と評価の一体化」をキーワードに作成された教育課程審議会答申(文部科学省 , 2000)と軌を一にする。これは,指導と評価の一体化概念をベースに授業を展開し, 個人内評価を工夫して,生きる力を育むという段階的な流れとして読み取ることがで きる。本答申では特に指導と評価の一体化について,以下の点が強調されている。 ・評価の結果によって後の指導を改善し,さらに新しい指導の成果を再度評価する という,指導に生かす評価を充実させることが重要である。 ・評価は,学習の結果に対して行うだけでなく,学習指導の過程における評価の工 夫を一層進めることが大切である。 ・児童生徒にとって評価は,自らの学習状況に気付き,自分を見つめ直すきっかけ となり,その後の学習や発達を促すという意義がある。 このように,指導と評価の一体化概念は,現代においては教師の指導改善,教授学習 33 過程の重視,子どものメタ認知から構成されているのが明らかである。こうした指導 と評価の一体化は,形成的評価への注視と言い換えられる。それは,形成的評価の核 心はまさに,学習の過程に視点を当てたものであり,この過程で得られた情報こそが 教師の指導改善,子どものメタ認知の促進に寄与する中心的役割を果たすと考えられ るからである。つまり, 学習の過程の中で, 自ら学び自ら考えるプロセスが具現化され, それを支援,促進するための形成的評価がなされなければならないのである。言い換 えれば,子どもによる科学概念の構築過程における即時的な評価がその中心として位 置づけられるのである。本研究が目的とする 「教授学習活動の内実の可視化」 の中心は, この形成的評価と子どもの学習の過程にある。 2.教授学習過程の可視化 前述の指導と評価の一体化が実現されるとき,子どもにとって,問題を明確化し, それを追究する意志をもつこと,そうした場が保証されることとなるのである(森本 , 1999)。そして,こうした子どもの学びを保証,支援する評価こそ,子どもの学びにとっ て「真正」なものとなるのである。このような視点に基づいた「評価」を「真正のア セスメント」という。つまり,指導と評価の一体化とは,真正のアセスメントの具現 化と言い換えることができるのである。 「アセスメント」とは, その語源はラテン語の“sit beside” (一緒に側に座る)であり, 日本ではあまり浸透していない。しかし,その中核にある意味は,値踏みや熟考後の 意見形成といった重たい意味での評価(evaluation)ではなく, 「周到な観察」である (OECD 教育研究革新センター,2008) 。 (注:ラテン語で「側に座る」は assideo と 表記する) 高浦は, こうした評価とアセスメントの関係について次のように規定する。すなわち, 「ア セスメントは子どもがなすことができることに関する証拠を収集する過程である。評価は その証拠を解釈し,その証拠に基づいて判断や決定をなす過程である(高浦 , 1998) 」 。 真正のアセスメントとは,言い換えれば,アセスメントとその過程をも含めた,教 師による価値づけ(エヴァリュエーション)の連鎖による子どもへの学びの保証と支 援の過程なのである。本論では,子どもが自分の考えを様々な表現活動によって表出 し,教師がそれを情報として収集する過程をアセスメントとよぶ。そして,教師がア セスメントによって得られた情報,すなわち,子どもによって表出された多様な考え 34 理科授業における教授学習の過程の可視化 の意味を解釈・判断し,それを価値づける過程を評価と考える。 アセスメントと評価は,連鎖であると同時に即時的,すなわち表裏一体をなすもの である。前述したように,指導と評価の一体化とは,まさしく,真正のアセスメント の具現化であった。そこで,指導と評価の一体化概念について具体的な授業場面を前 提に検討を加える。 図 1 は,理科授業における教師と子どもの関係を表したものである。授業において, 教師は, 子どもの考えを解釈し, それを判断・価値づけて子どもに返していく。 子どもは, 教師の価値づけによって自分の考えの意味を実感する。自分の考えの意味を実感する ことは,すなわち,メタ認知の機能である。前述の答申(文部科学省,2000)にならっ ていうならば,学習状況への気づき,自分を見つめ直すきっかけ,そしてその後の発 達を促すことにつながることである。また,クラスメイトとの考えの交流の場面を作 ることも教師の重要な役割となる。 アセスメント 子どもの考えの解釈 多様な考えの表出 教師 子ども 判断・価値づけ 考えの意味の実感 エヴァリュエーション 図 1 理科授業におけるアセスメントとエヴァリュエーション このように,授業をサイクルとして考えると,必然的に教師と子どもの対話が連続的 に行われることになる。よって,理科授業の中で,アセスメントとエヴァリュエーション の実態を明らかにすることは,教授学習の過程を明らかにすることにつながると考えられ る。そこで,図 1 をベースとして理科授業における教授学習過程を見とるための方策,即 ち可視化の書式を考えた。それが,次章で提案する「教授学習プロセスマップ」である。 35 3.教授学習プロセスマップ 前章で議論したように,実際に授業において起きていることを見とることには意味 がある。授業プロセスマップは,それを具現化するものであり,教授学習の内実を可 視化することを意図している。本章では,その構造について述べる。 3.1 教授学習プロセスマップの構造 前章の「理科授業におけるアセスメントとエヴァリュエーション(図 1) 」をもとに, 授業の構造を見とる視点を定め, 可視化のための様式を定めた (図 2) 。左の列から時間, 教師の活動,教師と子どもの相互連関と教材,子どもの学習,を配置した。教師と子 どもの相互連関と教材については,教師から意図的に提示される教材,それについて の子どもの解釈などが含まれる。また,そうした授業を構成する要因の関係,すなわ ち相互連関を矢印で繋いでいくことで授業で生起する事象を可視化するのである。 時間 教師の活動 教師と子どもの相互連関と 教材の機能 子どもの学習状況 アセスメント 多様な考えの表出 子どもの考えの解釈 教師 子ども 判断・価値づけ 考えの意味の実感 エヴァリュエーション 見とりの視点の例(各項目の説明) ・子どもの考えを見とり解 ・教師と子どもの発言の繋がり ・教材(自然事象)など,教師 釈して価値づける過程 ・教師による意図的な教材の からの提示物等の意味を捉 ・教授ストラティジーの使 提示と機能(結果) え,多様な考えを表出する 用 ・子どもによる教材の意味の ・自分の考えに対する,教師の 解釈 価値付けから,自らの考えの 意味を実感する。 図 2 授業の構造を見とる視点 図 2 の下段(見とりの視点の例)は, 「教師の活動」 「教師と子どもの相互連関と教材」 「子どもの学習」を見とる視点についての説明である。詳細は事例をもとに後述する。 36 理科授業における教授学習の過程の可視化 3.2 教師の教授ストラティジーの前提 教師が授業で用いる教授方略を本研究においては教授ストラティジーと呼ぶ。教師が 教授ストラティジーをどんな場面でどのように使用するのかについては,後述する。こ こでは,教師が用いる教授ストラティジー使用の判断に影響を与える要因を挙げる。教 師はいくつかの前提に基づいて教授ストラティジーを使用していると考えられる(森本 ・ 小野瀬, 2004)。以下の(1)~(3)は,その例であり,表 1 はそれをまとめたものである。 表 1 教授ストラティジー使用の判断に影響を与える要因 (1)専門的な知識 ・学習指導要領などの顕在的カリキュラムの内容と構造 ・顕在的カリキュラムに基づく授業計画 ・子どもの科学概念構築プロセスに関する理解 (2)科学観 ・教師の科学に対する捉え。 (例:相対主義的科学観,経験主義的科学観など) (3)実践知 ・教授学習過程の経験からもたらされる知識 ・子どもの素朴な考え方への理解 (1)専門的な知識 学習指導要領などの顕在的なカリキュラムであり,それに基づく授業計画への理解 である。また,授業の対象とする子どもに科学概念を構築させる際に,参考となる子 どもの認知的な側面に関する知識である。 (2)科学観 教師が持つ科学観である。例えば,経験主義的科学観に従えば,理科授業を一般的 に正しいとされている「科学的知識」の教授を中心に考える。一方,科学は相互の理 解とコミュニティーによる承認によって成り立っていると考える相対主義的科学観に よる理科授業では,自ずと重要視される内容や活動が変わってくる。 (3)実践知 教師の授業経験,教師が被授業者であったときの経験等である。実践知の内実は, 教師個々の経験の蓄積ということになるが,授業を通して,授業が改善されていく, というようにループで考えるならば, 「授業の反省的見直しと再構成」と言い換える ことができる。それは,表 2 のような教師の活動が考えられる。 表 2 実践知の要素 授業の反省的見直し と再構成 ・学習目標と子どもが構築した科学概念との照合 ・科学概念構築のプロセスと科学の体系,系統性との照合 ・教授ストラティジーの有効性の検討 37 3.3 教授ストラティジー 教師は授業の中で, 教授ストラティジーを駆使している。表 3 は, 理科授業において, 教師が用いる教授ストラティジーとその説明である。 表 3 教師の教授ストラティジーとその説明 教授ストラティジー 説 明 子どもの学習実態の把握 ・子どもの考え,経験を表現させる ・既有の経験,知識,概念の把握 ・コミットメント,プリコンセプションなどの発見 ・教授ストラティジーの使用についての判断,構成 (学びの見通しの分析) ・学習内容の選定 子どもの考えの引き出し ・子どもの考えを選別する ・子どもの考えの価値を見いだす ・子どもの考えの履歴を抽出する 子どもの考えの顕在化 ・子どもの考え方を具体的に演示してみる ・考え方を色々な視点から分析する ・対照的な考え方を提示する ・比喩的な表現をさせる ・考えの創造を支援 子どもの考え方の再認 ・子どもの考え方を繰り返し言う ・子どもの考え方(表現)を言いかえる ・視点の転換や議論の焦点化をする ・子どもの論理の修正,補強,拡大をする ・意図的な情報提供をする 知識共有化の促進 ・子どもの考え方をクラス全体へ提示する ・個々の考え方をクラス全体で共有する ・グループ毎の考え方をクラス全体で共有する ・知識を導入,補強する 学習の振り返り ・学習のプロセスを振りかえる ・新たな疑問を導出する 3.4 子どもの概念変容とその過程 子どもの概念変換においては,学習動機としての意図(intention)の役割が重要で ある。このことは,子どもが学習目標を明確に意識し,学習を自ら調整しつつ進める 様態に関連する。Pintrich,R. は上述の学習動機を 「学習を動機づける信念 (Motivational Beliefs)」とし,それを具体的に実現するものとして「自己調整学習のストラティジー (Self-Regulated Learning Strategies) 」として措定した。表 4 は,Pintrich,R. の指摘 のうち,理科学習に関係が深いと考えられる子どもが自己調整学習を行う際に用いる ストラティジーを挙げたものである(小野瀬 ・ 森本,2005) 。 38 理科授業における教授学習の過程の可視化 表 4 子どもの自己調整学習のストラティジー 子どもの自己調整学習のストラティジー (Self-Regulated Learning Strategies) 認知的方略の使用 ・自分の言葉に言い換える (Cognitive Strategy Use) ・情報を結合しようとする ・記憶しやすくするように学習したことを復唱する ・学習を概括する 学習の進捗状況の調整 (Self-Regulation) ・学習課題を自問自答する ・学習課題を遂行するために受容すべき情報の質について考える。 ・学習課題を遂行するために必要な情報を吟味する。 子どもが意図的に概念を変換する学習場面では,認知的方略の使用や,学習の進捗状 況の調整を行いながら進めるといった様態が見られるということである。 3.5 教師と子どもの相互連関と教材の機能 図 2 において,教師と子どもの間に「教師と子どもの相互連関と教材の機能」の列 を配した。ここには,授業で起こる様々な内容の関係や,焦点化されている内容を示 すこととした。以下にその内容を示す ・教師と子どもの発言の繋がりを矢印で示す ・教師による意図的な教材の提示と,結果としてそのことが授業の中でどのように機 能したかという見とりの視点 ・子どもによる教材の意味の解釈 ・教材が教師のねらい(意図)に照らして適当かという視点 ・教材が子どもの発達の最近接領域の視点からみて機能しているかという視点 ・子どもの自己効力感,自尊感情,学習動機の見とり ・議論の焦点の明示 4.教授学習プロセスマップの事例 前章までの議論に従って,授業のプロトコルについて分析を試みることにする。以 下に示す事例 1,事例 2 は,中学校理科の授業の一部であり,共に,授業開始から本 時の学習課題が成立するまでの教師と子どもの対話の過程である。典型的な例を示す ために,事例 1 は,ベテランの教師の授業,事例 2 は教員として採用されて経験が浅 い教師のものである。図 2 に示した書式から時間を省略してあるが,どちらも授業開 39 始から 10 分程度であり,本時の課題を提示するまでのものである。指導単元はそれ ぞれ異なっている。 4.1 事例 1 (1)授業概要 S 県内公立中学校第 1 学年 単元「溶解」 本授業では,子どもに食塩水の水溶液の提示(場面 1) ,小麦粉の懸濁液の提示 (場面 2)を観察させ,食塩は「溶けている」 , 「小麦粉」は濁っていることから「溶 けたかどうか不明」といった意見が出された後に教師から子どもに「どろ水」が 提示された場面である。その意図は「にごり」 「沈殿」 「均一性」へ着目させるこ とであった。 (2)授業プロセスマップ 教師の活動 M くん,これとけますか? 何で? ああ,石が残っているから?石 は取り除いたよ,え,小さい小 石があるから?砂みたいだか ら?全部取り除けたよ。だから, 泥だよ。 教師と子どもの相互連関と 教材の機能 素材の提示:どろ 粒子への着目 (こだわり) 子どもの学習状況 S1: とけない 石が残っているから S2: 小石 S3: 砂が残っているから S4: えー ちがう 子どもの考えの再認 子どもの考えの引き出し じゃあ,はい。 (指名) えーじゃちょっとまって。石 じゃなくて泥だよ。 ちょっとまって。石は沈んじゃ うな,じゃあどろは? M 君 対照的な考え方を提示する S5: 小さな,小さな,小さな, 小さな石が入っているから S6: 沈んじゃう,え? 粒子の浮き沈み (均一性) 上に浮かべる。泥はとける。 子どもの考えを繰り返し言う Y くん どろは沈んでる。重みがあるか ら沈んでる。とける?とけな い? どろはとける? 上に浮かべる (学習) 課題を自問自答する S7: 沈んでる とける・とけない S8: とけない。だって,水たま りとか,透き通ってることある。 だからとけない。 エピソード,既有概念の想起 40 理科授業における教授学習の過程の可視化 O くんとけるよな? S9: とけない とけない。あそーわかった。 コミットメントの確認 じゃあさ,みんなが今,この 2 つはとけないと思ってる? とけたり,とけなかったりする のはなぜ? じゃあ,なんでとける,とけな いって言うの? 根拠,判断,基準は? よしわかった。じゃあ戻ろう (席へ) 自分の考えの明確化 今日,実はとけるってどんな こ と を 言 う ん だ ろ う? と け るっていったいどんな現象を 言うのか考えてもらいたい。 S10:アトムが残ってる S11:とけてないように見える から,石とか。見た目で… うーん,何だろ? 学習課題の成立 学習課題の把握 (3)授業プロセスマップの解釈 教師は子どもに「どろ水」を提示した。その意図は「にごり」 「沈殿」 「均一性」への 着目である。子どもは「どろ水はとけない」と主張し,教師は一貫して石は取り除いた と主張する。そして,なぜ「とけない」と判断するのか根拠を求めた。子どもは,ふる いにかけた土は小石が混ざっているから「とけない」ことにこだわりを見せた。そして, 小石は取り除いたという教師の一貫した主張に,時間が経てば沈んでしまうから, 「と けない」と。どろ水の観察を通して学習課題「実はとけるって,どんなことを言うんだ ろう?とけるっていったいどんな現象を言うのか考えてもらいたい」が成立した。 教師は, 「子どもの考えの引き出し」等の教授ストラティジーを多用しながら素材 である「どろ水」がとけていると言えるか否か,その判断基準を問うていった。この ことで,子どもが自分の考えを明確にしていくことで,学習課題が成立したのである。 4.2 事例 2 (1)授業概要 都内公立中学校 第 2 学年 単元「動物の生活と生物の変遷」 本授業の目標は, 「ヒトの骨格について理解させる」 「ヒトの筋肉の付き方について 理解させる」 である。主な評価の観点は 「骨格と筋肉を関連づけて捉えることができる」 である。 41 (2)授業プロセスマップ 教師の活動 教師と子どもの相互連関と 教材の機能 T1: えー、まずは初歩的なところからいこうと 思いますが、人間の指は何本ありますか? 子どもの学習状況 S1:10 T2:10 じゃないね S2:20 T3: そうですね。手足で五本五本、五本五 本で 20 本ですね。 骨の数への着目 既有の知識の確認 T4: 今日はこの骨についてやっていくので すが、少し質問を変えていきたいと思い ます。じゃあ、指の骨は何本? S3: 分かんない T5: 一本につきでもいいよ。まあ、場所によっ S4:3 本 て少し違うけど 既有の知識の確認 T6: 三本、そうですね。えっと、指だと人 差し指から薬指まで計三本ずつくっつい てます。 S5:2 本 じゃあ、親指どうですか? T7: うん、そうですね。二本になってます。 既有の知識の確認 T8: 親指だけ手、見てもらうとわかると思 うんですけど(手を見せながら)関節が 一本なさそうですね。で、指に対して、 それだけ骨がくっついているんですけ ど、えー、じゃあ人の体、どれだけ骨が あるでしょうか。 既有の知識の確認 T9: 分かんないよね。これはもう直感で行 くしかないと思います。 S6:分かんない S7:50 本 T10:50 本くらい? 50 本くらいですか…… (あばら骨をさすりながら)どうですか、 ○○。 S8:80 本くらい T11:80 本くらい。ちょっと増やしたね。 T12:150 T13:100 ? 200 ? S9:150 S10:200 T14: ああ、200。そうとういい線行きましたね。 だいたい、大人の成人男性で約 200 本と 言われています。で、赤ちゃんの方が、 実は多いんです。骨が。赤ちゃんだいた い 300 から 350 ぐらいと言われています。 42 理科授業における教授学習の過程の可視化 T15: で、今日はその骨がどうして動い 課題 1 学習課題の把握 1 ていくのか。というところについて やっていきます。 T16: 一応ですね、プリント、骨格のプリン トをひとつ用意したので配りますね。 人間の人体模型的なやつに似てます。 (プリント配布) T17: はい。ということで今配ったプリント 見てもらって、人の骨格なんですが、こ んな感じでいろんな名前がついていま す。で、この骨の本数がだいたい成人 で約 200 から 206 本あると言われてい ます。細かくいくと。まあ個人差があ るそうなので必ずしも全員が全員いっ しょであるとは限らないし、もしかし たらみんなも今まだ成長期の過程なの で、この本数が異なってくるかもしれ ない。 T18: で、そうですね、じゃあ次。どうして 骨が動くのかというところですが、な んでだと思います? S11: 関節 T19: 関節があるから、はい。 関節があると…関節どこにあります? 関節への着目 (肘 S12: ここらへん。 のあたりをさし ながら) 既有の知識の確認 T20: うん。この辺ね。(肘のあたりをさし ながら) T21: 他にある? T22: 骨と骨の間。 S13: 骨と骨の間 子どもの考えを繰り返し言う そうですね。指とかも関節があること でこのようになってますね。 (指を曲げ ながら) 筋肉への着目 T23: 他にどうですか? T24: 筋肉ですね。 S14: 筋肉 子どもの考えを繰り返し言う 既有の知識の確認 T25: 今日は、この骨と筋肉、そして関節 課題 2 の動きから、体がどのように動いて いくのか。というのをやっていきま す。ということで、ノートを開いて ください。 (板書へ) 43 学習課題の把握 2 (3)授業プロセスマップの解釈 ①授業開始から課題 1 まで 教師の発問 T1 から T8 において,見た目の体の形(指)から骨格(骨)へと子ども の視点を移した。更に T8 から T14 において, 体全体の骨格(数)へと拡大した。そして, 課題 1 として, 「今日はその骨がどうして動いていくのか」 という学習課題が提示された。 しかし,ここまでの議論は,骨の数についての議論であり,T15 課題 1 は,子ども にとって,唐突に出てきたという受け止められ方がされることが考えられる。 ② T16 から 課題 2 まで T16 ~ T17 において,資料を使って人間の骨格の様子について確認した。T18 において, 教師から「どうして骨が動くのか」と発問される。S11 は小学校での既習事項である「関節」 の存在を返す。以後,T22 まで関節が存在する場所が確認された。T23 により, 「どうして 骨が動くのか」に対する他の意見が求められた。S14 の「筋肉」という発言を受けて,課 題 2 である T25「骨と筋肉、そして関節の動きから、体がどのように動いていくのか」が 示された。課題 2 の導出までの過程で教師が用いた教授ストラティジーは「既有の知識の 確認」と「子どもの考えを繰り返し言う」である。本時の課題が,これから学習すべき内 容を言い当てるものだと考えるならば,子どもが学習してきた内容を聞き出すことは出来 ているが, 「学ぶべき内容」 が導出されていないため, 学習課題の成立が不十分と考えられる。 4.3 事例が示唆するもの 前述のように,事例 1 はベテラン教師,事例 2 は経験が浅い教師であった。それぞれ の解釈について比較する。 (以下, 事例 1 の教師を教師 1, 事例 2 の教師を教師 2 とする。 ) まず,教師 1 が「子どもの考えの引き出し」 「コミットメントの確認」など教授ス トラティジーを使っている。その結果,子どもは,自分の考えを明確化したり,疑問 点を明らかにしながら学習課題を成立させている。 一方,教師 2 は, 「子どもの既有知識の確認・引き出し」を行っているが,根拠を 求めたりすることが無く,一問一答式のやりとりに終止している。よって,事例 2 に おける学習課題の把握 1 及び 2 が成立したのかは疑問であり,不十分な導入になって しまったと考えられる。また,教師 2 は,既有の知識の確認は行っているが, 「子ど もの考え方」に影響を与えるような教授ストラティジーを使用していない。結果とし て,骨,関節,筋肉の存在を確認することのみを行って,課題 2 を導出している。課 44 理科授業における教授学習の過程の可視化 題 2 では,骨の仕組み(関節の存在)と筋肉の作用(伸縮)によって体が動く仕組み について考えることが課題になるべきである。よって,学習課題の成立過程と課題の 内容の繋がりが薄いと考えられる。 本項では,ベテラン教師と経験が浅い教師を事例として比較した。しかし,3.2 で 示した,教授ストラティジーの使用の判断に影響を与える要因は特定していないので, ここでの比較は一般化できないと考えている。 5.おわりに 本研究では,理科授業における教授学習過程を見とるための基本的な視点を定め, 「授業プロセスマップ」を構想し,実際の授業場面のプロトコルに適用して,分析を 試みた。前章における 2 つの事例分析の比較から,教授学習プロセスマップを用いて 教授学習過程の内実が明らかになったと考えられる。 授業は定式化されるべきものでは無いし,それを試みたとしても,状況が変わるの で再現性は見込めない。教授学習プロセスマップの手法を精緻化していくとともに, 多くの事例を積み重ねることで,具体的な理科授業の改善につなげたい。 附記 本研究は JSPS 科研費 24531150(研究代表:小野瀬倫也)の成果の一部である。また, 本研究における授業実践の記録,プロトコル作成に関して国士舘大学文学部教育学科初等 教育専攻 3 年 窪田 楓 氏の協力があった。感謝したい。 引用・参考文献 ・OECD 教育研究革新センター(2008) 「形成的アセスメントと学力」監訳:有本昌弘 p.274 ・下村博文(2014) 「初等中等教育における教育課程の基準等のあり方について」 (諮問) ・高浦勝義(1998) 『総合学習の理論・実践・評価』 ,p.210,黎明書房 ・森本信也(1999) 『子どもの学びにそくした理科授業のデザイン』 ,p.134,東洋館出版社 ・森本信也・小野瀬倫也(2004) 「子どもの論理構築を志向した理科の教授スキームの分析 とその検証」理科教育学研究,Vol.44,No.2,59-70,日本理科教育学会 ・森本信也・小野瀬倫也(2005) 「理科授業における子どもの概念プロフィールの変換に関 する一考察」理科教育学研究,Vol.46,No.1,1-14,日本理科教育学会 「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて(答申) 」 ,中 ・文部科学省(2012) 央教育審議会答申,p.3,p.4,p.9, (用語集 p.37) ・文部科学省(2000) 『児童生徒の学習と教育課程の実施状況の評価の在り方について(答申) 』 45 〈翻訳〉 メランヒトン『神学要覧』(1559 年)─ その 3 ─ (Loci praecipui theologici. 1559)翻訳 ─メランヒトン邦訳ノート(10)─ 菱 刈 晃 夫 前回に引き続き, 今回は「自然法について」から「貧困について」までの試訳を掲載する。 (SA Bd.1. 346-372.) * * * 自然法について ちょうど光が神によって目のなかに置かれているように,ある種の知〔観念〕 (notitiae) が人間の精神には植え付けられています。この知によって〔ものごとの〕大部分が認識され 判断されます。哲学者たちはこの光を原理的な知と呼びます。共通観念〔共通の知・共知〕 (κοινᾶς ἐννοίας)そして公理〔先立つ知〕 (προλήψεις)です(1)。そして,一般には数の観 念といった目に見える〔考察できるような〕原理(principia speculabilia) ,秩序, 〔論理的 な〕三段論法,幾何学の原理,自然学という区別があるのは知られています。これらすべて は,生においてもっとも確かなものであり,最大に役立つものの源泉であることは認められ ています。というのも,数なしの生活,秩序なき生とは,どのようなものといえるでしょう か。自然の本性的な〔もともとの〕高潔さと醜さを全体として区別するといった,実践の原 理(principia practica)はまた別のものです。そのうえ, 神には服従しなければなりません。 そして,確かにこの実践原理は数の観念と同じ程度にわたしたちにとって明瞭で強固なもの でなければならなかったのですが, しかし, 原欠陥〔原罪〕によりある種の暗闇が増し加わり, 高潔と醜悪とを区別するのに心は相反する衝動をもつようになり,こうして人間はこうした 次のような知に継続的に賛同しなくなります。すなわち,神には従わなければならない,姦 通は避けなければならない,高潔な婚約は守られなければならない。これらは,ちょうど 2 × 4=8 といった知と同じなのです 〔が, こうしたものに賛同しなくなっています〕 。律法の 〔法 の〕観念も留まってはいますが,しかし,心の強情さ〔不服従〕 (contumacia)によってこ れへの賛同は脆弱です。この知〔律法の観念〕はわたしたちが神に由来していて,しかも神 に従わなければならないことを証言しています。そして,不服従を咎めます。その一方で, 疑いと強情さは人間の本性が完全ではないことの明らかな印です。死と人類の無限の災難と 多くの驚くべき悪徳が同じことを表しています。このことをパウロはローマの信徒への手紙 46 メランヒトン『神学要覧』 (1559 年)─ その 3 ─ (2) 「不義によって真理の働きを妨げる人間」 , 1 章で次のような言葉によって説明しています。 つまり,たとえ人間には真の知,すなわち永遠の精神であるといった唯一の神が存在するこ とや,事物の作り主と守り主,知恵,善,正義などが存在するという知,さらに高潔なもの と醜悪なものとの区別に従ってこの神に服従しなければならないという知が刻印されている にしても,つまり,これは捕らわれたままであり, 〔わたしたちを〕支配しているのではなく, これらの知と争う不正が〔わたしたちを〕支配しているのです。すなわち,神からの意志の 離反,神への軽蔑,自分固有の力への信頼,要するに精神に植え付けられている神的な光と 争うさまざまな衝動です。したがって, これへの賛同は脆弱となります。そして, 次のように。 御者は手綱を引き締めてもむなしく,馬の力に運ばれていき,戦車を引く馬どもは制御に耳 を貸そうとしない(3)。 したがって,哲学者たちは賛同が脆弱であり,人間が巨大な衝動によってさまざまな快楽 に駆り立てられるのを見て, 正と不正とは自然本性(natura)によってか, それとも意見〔見解〕 (opinio)によって区別されるのか,と探究してきました。こうしたことについて疑うのは だれであれ恥ずかしく不品行なことです。ちょうどだれかが,2×4=8 となるのは自然本性 によるのか,それとも偶然によるのかと探究するように。精神のなかの神による光は消され てはなりません。むしろより力強く駆り立てられるべきですし,魂は,実践の原理を認識し, それを喜んで受け入れ,目に見えるのと同様に,それが実は確実であり堅固なものであると 主張し,それどころか同様に神の不変性ははっきりしている,と言うために強められなけれ ばなりません。パウロがローマの信徒への手紙 1 章でこう言いながら熱弁をふるうように。 「神がそれを示されたのです」(4)。同じく 2 章。 「こういう人々は,律法の要求する事柄がそ の心に記されていることを示しています」(5)。同じく彼はこうした知のことをローマの信徒 への手紙 1 章で神の法(ius divinum)と呼んでいます。神の法とともに認識する者。ゆえ に自然法の真の定義とは,自然法とは人間の本性に植え付けられている神の律法の知〔観念〕 ということになります。というわけで,人間は神の像に向けて作られていると言われるわけ です。というのも,人間の内には像(imago)が輝いていたからです。これは神の知であり, 神の精神へのある種の似姿(similitudo)です。つまり,高潔なものと醜悪なものとを区別 する知であり,こうした知と人間の力とは一致・調和していました。堕罪以前,意志は神の ほうを向いていました。精神においては真の知が,意志においては神への愛が燃え上がって 〔輝いて〕いました。心は何ら疑いもなく真の知に賛同していました。そして,この知はわ たしたちが神を認識し賛美することへと,この主に従うことに向けて作られていると定めて いました。主なる神はわたしたちを作り,養い,自らの像を刻印しました。それは正義を要 請し祝福していました。反対に不正を真に弾劾し罰します。しかし,この本性の破壊によっ て損なわれた神の像のなかで,そうした知はもはや輝いてはいないものの,それにもかかわ 47 らず(tamen)それは残ってはいますが,しかし,心は抗い,このような知と争うかのよう に見えるもののゆえに,疑いが生じてくるのです。というのも,罰は延期され,善は悪くな り,悪は善くなり,理性は神の摂理(providentia) ,つまり,最初の律法そのものについて, 神は善きものには親しく臨み,悪を罰するということを疑うからです。同じく,すべての者 は祈りにおいて自らが聞き入れられていることを本来的に疑うのです。 それにもかかわらず, 神に関する自然の知は完全には決して消え去ってはいません。したがって,第一の自然法は それ自体で,次のことを認識します。すなわち,神が一つであり,永遠の精神であり,知恵 であり,正しさであり,善であり,世界の創造者であり,正しい者には親しく臨み,不正な 者は罰する,ということ。これによってわたしたちの内に高潔なものと醜悪なものとの区別 が生まれ,この区別に従って神に服従すべきであり,この神に祈るべきであり,この神から 善を望むべきである,ということを。こうした自然法をパウロは引き合いに出し,そのよう にローマの信徒への手紙 1 章で説明しています(6)。そして, これが第一の戒め〔あなたには, わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない〕と 一致することは明白です。すでにこれには事実,クセノフォン,キケローやその類似者たち によって言及されています。彼らは自然の判断に従い,この律法を無神論者に対抗してしば しば教え込み,これを守るのです。 第二の戒め〔あなたの神,主の名をみだりに唱えてはならない〕には,誓約についての律 法や命令,そして偽証についての,同じく神に反抗して悪口を言う者たちの罰が関わってい ます。というのも,理性は罰が付随すると判断し,あらゆる時代の経験は,ある実例といっ たものを明らかにするからです。ここには数限りない言説が偽証の罰について向けられてい ます。ティブッルスにあるように(7)。 ああ,可哀そうに。初めは偽誓を隠していても,おそまきながら 復讐の女神は足音も立てずに来るものだ。 第三の戒め〔安息日を心に留め,これを聖別せよ〕には,高潔な儀式についての賞賛に値 する言説が関わっています。アテナイの市民が誓ったように。わたしは聖なるもののために 一人でも,また他者の助けによってでも戦います。なぜなら,およそこれらは父からのもの であると考えるべきだから。彼らは神によって伝えられた儀式に関して,このように誓いを 理解していたからです。次いで不敬な無謀さが新しい儀式と新しい臆見を捏造しました。そ の結果,人間は天からの規則をそのとき失います。それは人間の権威による新しい宗教儀式 を立てるのを禁止していました。このような不敬な儀式のために,古代の言説が利用される べきではありません。 ここまで第一の板と適合する自然法について検討してきましたが,これは続く市民社会に ついて語られるものよりも曖昧です。理性は自然〔生来的〕に(naturaliter)人間と家畜〔動 48 メランヒトン『神学要覧』 (1559 年)─ その 3 ─ 物〕とのあいだに区別があるのを理解し,正しさ,貞潔,真理,中庸,礼儀正しさ,親切, そしてその他の徳を理解します。同じく人類は社会の掟〔法で定められた慣習〕 (legitima) に向けて作られていることを理解しますし,徳が神のために耕されるべきであることを理解 します。たとえ有用性によって動かされることはないにしても,それにもかかわらず神は, 明白にさらに利益をこの社会に付加しています。 したがって, 理性はこの社会のなかに秩序(ordo)と支配〔舵を取ること・指揮〕 (gubernatio) が必要であることを認識します。そして,支配の最初の源泉は両親の権威にあります。この 像に対して後に当局の力が伝えられますが〔家父長制的国家観〕 ,それは社会全体を支配し 保護します。 第五の戒め〔殺してはならない〕には,すべての不正な暴力を禁止する言説が関わってい ます。だれも傷つけてはならない。ところで,たとえもしこのことにおける有用性は紛れの ないことであるにしても(というのも,もし罰もなしに暴れ回ることが許させるなら,生活 の無事は保たれなくなりますから) ,それにもかかわらず理性は,これらの不正が有用性の ために避けられるべきであることを教えるのみならず,正しさのためにも,そうあるべきこ とを教えます。そうした知性が人間には植え付けられているのです。そして,正義は罪のな い人々すべてを守ることを命じるように,そのように当局を通じて悪事を働く構成員が懲罰 を受け片づけられるのを命じます。賢明な者にとってこうした考えには多くの自然の理由が あると考えることは決して難しくありませんが,数の観念のように,神的な正しさの理解が 人間には植え付けられていていることは顕著です。たとえ, これへの賛同が, 憎しみ, 復讐心, 燃え盛る怒りによって理性の助言を聞き入れず,心の強情さによってより脆弱になっている にせよ。不正な殺人をしてはならないということに関するこうした律法は,最初にモーセの 板に書かれているわけではありませんが,しかし,直ちに初めに神は自然の判断によって, カインが兄弟を殺したがゆえに非難され罰せられることで(8),明確な証言を付加しました。 後に創世記 9 章で律法が公示されますが(9),それは殺人とそれへの罰を,当局が命じてい ます。 というのも,これは原文にある言葉だからです。 「人の血を流す者は,人によって自分の 血を流される」 , つまり, 当局によって。確かに神の像に向けて(ad)人間は作られています。 つまり,神を理解し,神に祈り,神を賛美し,正しい者であるように。こうした神の崇拝や 司祭職が冒涜されることを神は望みません。むしろこれが守られ,助けられるのを望んでい ます。神を崇拝し神に祈るようになるために。そして,神自身が冒涜された像の,冒涜され た崇拝と司祭職の復讐者なのです。それゆえに,すぐその後に神は自然法に対して明確な証 言を付加し,この人間の心の暗闇のなかでこれが消え去らないようにしたのです。 第六の戒め〔姦淫してはならない〕には,理性の判断に関わりますが,それは人間と動物 の生とを区別して,人間に確かな結婚に関する法を結ぶことを命じています。そして,さま ざまなものとの性交と姦通とを禁じています。こうした判断が理性のなかにあることは結婚 49 によって証されています。たとえこの秩序に反して,この自然本性の破壊のなかでさまざま な仕方で罪が犯されるにせよ,しかし,神は楽園のなかで結婚に関する律法を確かに定めて いるのです。そして後にさまざまな性欲を洪水や他の実例によって罰しますが,それはこの 自然の法をわたしたちに教えるためなのです。 第七の戒め〔盗んではならない〕には,自分の財産はその各自にという言説と関わってい ます。理性は所有の区別がこうした人間の本性にふさわしいことを知っており,財産は契約 を通じて伝達されなければなりません。その結果,数多くの人間の義務が各自のあいだに課 されることになり,正義と善行が行使されるようになるのです。この自然本性による判断を 哲学者たちは自然の律法あるいは自然法と呼びますが,これには長い説明の蓄積と多くの段 階が含まれています。したがって,法律家は少し違うように語ります。たとえ異邦人の法が, 共通の人間による判断(commune hominium iudicium) ,つまり,実践上の原理やこれを 縮めたものからの説明以外の何ものをも意味しないにしても。プラトン的なそうした混乱は, この人間の自然本性にはふさわしくありません。この本性においては明確な命令と明確な市 民の身分が存在する必要があります。それは悪が抑制されるようになり,それによって財産 が区別されなければならないためです。ところで,こうした義務を遂行するなかで,わたし たとはただその有用性を考慮するのを学ぶだけではなく,むしろ神によって立てられた秩序 と自然本性に明示された秩序を学びます。神によって正しい契約の目標を守り,他者を欺く ことなく, むしろ自分のものを保つことができるように, 彼らをわたしたちが助けるように。 こうした平等性については,哲学者や法律家によるもっとも学術的な議論のなかに明らかに されていて,これは自然法の証言でもあり,つまり,こうしたことがらに関する自然本性に よる判断ということなのです。 第八の戒め〔隣人に関して偽証してはならない〕に関しては,真理を愛し保つべきである こと,そして嘘を避けるべきであることを定めた判断が,人間の理性には植え付けられてい ることを明示しています。ここでは再び,この律法とその義務は一般共通に有用であること は明らかです。というのも, 〔これがなければ〕契約は常に存続されないことになり,契約 への信頼が取り去られて,いかなる調印も平和の鎖もなくなり,裁判は根拠なく行使され, 学芸や医学やその他の分野においても,真理は探究されなくなってしまうからです。虚偽の ほうが真理よりも前に伝えられるとは,薬の代わりに毒が勧められるとは,何とも真実の破 滅ではないでしょうか。つまり無限の有用性を神は常にその律法に対して付加しています。 わたしたちはその有用性だけを考察するのではなく,神によって立てられたより大きな秩序 を考慮します。すなわち真理を保護するこの秩序を,わたしたちは神のゆえに愛し,止むこ となく見守る〔大事に保護する〕のです。 自然法を十戒の系列に従って検討してきました。というのも,この系列は明白であり,理 性が明示し,正しくそれに従う道理だからです。しかしながら,もし他のものが混入されな ければ,どのような仕方であれ, 〔この両者が〕事実そのものと一致するのが列挙されます。 50 メランヒトン『神学要覧』 (1559 年)─ その 3 ─ 次いで,この秩序に従うことは,自然法と十戒との一致が明らかであることを示すのに有効 です。数多くの理由によってこれを考察することは極めて有益です。第一に,わたしたちが 自然法そのものが神的であることを理解するのに,そして哲学者や立法家の著作においてこ れらを真に説明し,明示し,その内容と一致しているのを重んじ,反対のものを避けるよう にするのに〔有益です〕 。したがって,神の律法は天から鳴り響いています。その結果,神 自身が自然の知〔観念〕の作者であり,その知に従って服従することを命じ,強情のゆえに 人類を咎めることは,明白となります。というのも,神は罪に抗して〔神の〕審判の声が明 らかとなるのを望んでいるからです。さらにこうして聖人たちが神の確かな証言を明らかに するのに役立つことになります。聖人による行いは,人間のこの弱さのなかにあって,ちょ うど多くの立法家が逸脱して,法の悪徳といったものに陥ったように,そのように理性が逸 脱しないように求め勧めています。 律法の用法 神の律法によって完全な内的服従が要請されていることには疑いの余地はありません。 次のように「あなたは心を尽くし,魂を尽くし,力を尽くして,あなたの神,主を愛しなさ い」(10)。しかし,人間のこの破壊された本性は完全な服従を実行することができません。 パウロがローマの信徒への手紙 7 章と 8 章ではっきりと告白している通りです。そこでこ の世の生においては罪が止まることになります。すなわち,疑い,不信,神を十分に恐れも せず愛しもしないこと, 神の律法に逆らって誤る不安定な情動〔心の動き〕 。こうした人間は, 判決を下された義人,つまり神の前で律法のゆえに受け入れられた者には従いません。した がってパウロはこうした議論についてもっとも厳しく討論し,律法を義認から引き離しまし た。ところで,たとえ人間の理性が罪に関して,正しさに関して異なって判断するにして も,こうした人間の判断による相違から福音についての議論が生じてくることになります。 それにもかかわらず,わたしたちは福音の声を聞かなくてはなりません。これは始めからず っと人間の罪が贖われること,そして回復された者あるいは義人は神に喜ばれることを宣言 しているのです。ローマの信徒への手紙 5 章で言われているように 「このキリストのお陰で, 今の恵みに信仰によって導き入れられ」(11)。 ゆえに次のような問いが生じてきます。律法の用法〔用途(usus Legis) 〕とは何か。もし, 律法による行い(Legis opera)が罪の贖いに役立たないとしたら。あるいは律法によって わたしたちは義とされないとしたら。ここでわたしたちは律法の務め(Legis officia)には 三つあること,あるいは三種類の用法があることを知らなければなりません。 第一は,教育的(paedagogicus)もしくは政治的(politicus)な用法です。というのも, 神はすべての人間が規律(disciplina)によって強制され,再生していない者でも,外的な 過失を犯さないように望んでいるからです。この用法についてパウロはテモテへの手紙一 1 51 (12) 章で語っています。 「律法は, 正しい者のために与えられているのではなく」 , すなわち, 〔不 正な者が〕抑制されるために与えられているということです。こうしてこの規律は厳格に守 られます。神は人類を管理するものを制定し,人間が律法と教えとによって支配されるのを 望み, 人間の狂乱が抑制され, 当局による罰によって懲らしめられるのを望んでいるのです。 申命記 19 章にあるように「彼が同胞に対してたくらんだ事を彼自身に報い,あなたの中か ら悪を取り除かねばならない。ほかの者たちは聞いて恐れを抱き,このような悪事をあなた の中で二度と繰り返すことはないであろう」(13)。そして,これ以前に神はより大きな不幸 な囚人を付加しています。すなわち,人類に普遍的な災難です。詩編が人間の災難の原因に ついて語るように「分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを 抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな」(14)。とくに熱心に人間は規律 について教えられなければなりませんし,それには次の四つの理由が説明されなければなり ません。 第一に,神の掟ゆえにこれは明らかにされなければなりません。それには従わなければな りません。 第二に,罰を回避するため。当局もしくは神は,わたしたちの酷い過失に対して罰を下し ます。 第三に,公共の平和のため。というのも,わたしたちが他人の身体や財産に襲いかからな いように,神は規律を求めているからです。神は平和と平穏が守られるのを望み,こうして 人間は制御され教授されるようになります。そして,ここで人間の生とわたしたちの道徳は, わたしたちのためだけではなく,他者のためにも奉仕するものでなければならないことを覚 えておかなくてはなりません。さらに,数多くの悪行は他者の身体と財産とを傷つけるだけ ではなく,他者の精神すらも汚すことを覚えておかなければなりません。この損害は償われ ることはありませんが,しかし,神による罰がそれに続きます。 第四に,規律はキリストへの教育係(paedagogia in Christum)であるからです。より規 律正しい異邦人は,その他の理由を見出しもしますが,大きな狂乱は災難や罰の恐怖によっ て駆り立てられるわけではありません。しかし,第四の理由はより重要ですし,大きな賞賛 が規律にはあります。それはキリストへの教育係と言われています。すなわち,良心に反す る悪行によって自らを汚すのを止めない者のなかにおいてそうであるということで,こう いう者たちのなかでキリストは力を発揮はしません。コリントの信徒への手紙一 6 章では っきりと述べられているように「みだらな者,偶像を崇拝する者,姦通する者,男娼,男 色をする者,泥棒,強欲な者,酒におぼれる者,人を悪く言う者,人の物を奪う者は,決 して神の国を受け継ぐことができません」(15)。さらに同じ意味においてヨハネはこう言い ます。 「罪を犯す者は悪魔に属します」(16)。したがって,情欲に馬勒をつけること(frenare cupiditates)が必要であり,聖霊によって駆り立てられている心に反抗しないようにするの です。ここに規律は福音を聞き学ぶことの一部分である,というのが付け加わり,これによ 52 メランヒトン『神学要覧』 (1559 年)─ その 3 ─ って聖霊は力を発揮するのです。この規律の有用性を何度でも心に留めておくことを言いた いものです。しかし,それにもかかわらず次のような誤りが付加されてはなりません。それ は,この規律が罪の贖いに役立つとか,罪を無にするとか,律法を成就するとか,神の前に 義とするとかいう間違いです。 ここまで律法の政治的あるいは教育的用法について語ってきました。今や第二の用法につ いて語られねばなりませんが,これについてはとくにパウロが熱く語っています。それは罪 と正しさとに関する人間の誤りを正すためです。したがって,これは律法のもう一つの神的 用法であり,とりわけ罪を明らかに示し,糾弾し,こうした堕落した本性にあるすべての人 間をひどく恐れさせ,そして断罪するものです。というのも律法とは,全人類における罪を 断罪する,神による永遠の裁きであり,人間に明示されているからです。さらに,生来的に 律法の観念〔本性による律法の知〕 (notitia Legis naturae)は精神の内に入れ込まれていて, 繰り返し声や実例によってさまざまな仕方で明らかにされているので,たとえば楽園におい て神が不服従を咎めて罰を加えたように,すなわち死とその他の災難を与えたように,それ は罪に対する裁きの証言となるためなのです。その後,カイン,洪水,ソドムの破滅と等々 といった,数多くの警告と実例が続きます。神の不変の裁きは永遠の怒りによって,神の子 を認識して逃れない,すべてのものに襲いかかります。したがって,神の律法は,ラコーニ アの法のように,軽微で変わりやすいものだと思われてはなりません。そういうわけでラコ ーニアの土地では鉄の貨幣だけが用いられていました。しかるに神の裁きは,このなかで罪 に対する神の恐ろしい怒りがすべての時代に明らかに示され,これは確かに他の世界よりも 教会において,常により大きく輝き感じられるのです。ちょうど初めから直ちに楽園におい て,その後は族長たちによる熱弁のなかで,罪を咎め罰を預言する律法の声が響き渡ったよ うに。そしてパウロはローマの信徒への手紙 1 章で,こう言います。 「不義によって真理の 働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して,神は天から怒りを現されます」(17)。 これは,神の怒りが人間の罪に対して布告する天の声が,教会で響き渡っていることを証し ています。 したがって,述べてきたように,教会においては律法の声が響き渡り,さのうえさらに教 会では雷鳴も味わわされます。アダム,アブラハム,ヤコブ,ダビデ,ゼカリヤ,パウロは 自身の罪を認識するなかで恐怖を感じました。 「獅子に砕かれるように,わたしの骨はこと ごとく砕かれてしまう」(18)。詩編はこうした悲嘆で満ち溢れています。こうした裁きが感 じられ罪が認識されるように,教会は十字架に服しています。そのあいだ盲目で狂乱した世 界は神の裁きを侮っています。したがって,罪を糾弾するこうした律法の声が教会で永遠に 差し出され述べ伝えられなければならないということは,疑いようもありません。それどこ ろか,神の裁きと罪に対する怒りを布告する声を聞こえなくしてしまうことほど,もっとも 酷い悪事はありません。エレミヤ書 1 章で言われているように 「見よ, わたしはあなたの口に, わたしの言葉を授ける。見よ, 今日, あなたに, 諸国民, 諸国王に対する権威をゆだねる」(19)。 53 しかし,教会には次のような議論があります。偽善者たちは律法が和解に役立ち,罪を払拭 するために立てられていると考えます。こうした誤りに対してパウロは声高に抗議し,人間 の判断とは異なる内容を伝えます。それどころか,こう述べます。 「律法によっては,罪の 自覚しか生じないのです」(20)。まるで,こう言うように。それゆえに,罪を糾弾し断罪す るために律法は置かれているのであり,これを無にするためではない,と。同じく「律法は (21) (22) 怒りを招くもの」 , 同じく「罪は限りなく邪悪ものであることが, 掟を通して示された」 , 同じく「死のとげは罪であり,罪の力は律法です」(23)。こうした言説を政治的なことがら に当てはめるのは全くばかげていますが,これは国家の道徳について熱く語っているのでは なく,神の裁きについて熱弁をふるっているのです。これをわたしたちは真の恐怖と真の罰 のなかで感じ取るのです。というのも,この律法の用法は人間の内では権力をもたないから (24) です。パウロが述べたように「わたしは, かつては律法とかかわりなく生きていました」 。 つまり,平穏で,神の裁きを感じてはいなかったということです。その後ひどく恐れさせら れて,わたしは自分の弱さと罪などを認識したということです。律法はこの用法をダビデの なかに用いましたが,それは預言者から姦通のゆえに咎められてひどく恐れさせられたとき でした。次いで,彼が悲嘆と呼ぶところのものは,悔悛のなかで明確に理解されることがで きますが,それはわたしたちがこうした種類の真の恐怖があるということを知る場合に。し かし,福音の声が付加されなければなりません。これは罪を拭い去る神の子羊を明らかにし, 言い表し難い神の憐れみを啓示します。神は罪によって真に怒らされるとき,確かに罪に対 して判決を下しますが,それにもかかわらず, 〔そうした人間のために〕犠牲にされた子を 信じている者たちを解放しようと望んでいます。したがって,パウロは,わたしたちは滅び るためではなく,仲介者へと逃れるために脅えさせられると言います。 「神はすべての人を (25) 不従順の状態に閉じ込められましたが, それは, すべての人を憐れむためだったのです」 。 第三に, 再生した者における(in renatis)律法の用法について探究しましょう。ところで, 信仰によって再生させられ義とされた者は律法から自由となっていますが,これはここで言 っておかなくてはなりません。というのも,彼らは律法から解き放たれて〔自由に〕なって います。つまり,その呪いや断罪あるいは神の怒りから。これらは律法のなかに置かれてあ るものです。すなわち,もし彼らが信仰を保ち,神の子への信頼によって罪と戦い,罪の狂 乱に打ち勝てれば。それにもかかわらず,やはり律法は教えられなければなりません。これ は残る罪を指示し,それによって罪と悔悛の認識は大きくなりますし,同時にキリストに関 する福音は響き渡り,信仰も成長することになります。同じく,したがって律法は再生した 者にも差し出されなければなりませんが,それは確たる行いを教えるためであり,そのなか で神はわたしたちが服従の訓練(exercere obedientiam)をすることを欲しているのです。 というのも,神はわたしたちが自分たちの考慮によって行いや儀式を考案することを望んで はおらず,わたしたちが神の言葉によって支配されることを望んでいるからです。こう記さ れているように「人間の戒めを教えとしておしえ,むなしくわたしをあがめている」(26)。 54 メランヒトン『神学要覧』 (1559 年)─ その 3 ─ 同じく「あなたの御言葉は,わたしの道の光,わたしの歩みを照らす灯」(27)など。そして, 人間の理性は神の言葉によって制御されない場合,簡単に道から外れて〔誤りを犯して〕し まいます。というのも, 〔そうでない場合には〕堕落した情欲によって捕えられて邪悪な行 いに賛同し,異邦人の法におけるようになってしまうからです。それどころか,わたしたち が神に従うために,この神の秩序は不変のものに止まっています。したがって,たとえわた したちが律法から自由であり,すなわち断罪から解放されているにしても,神の子ゆえの信 仰によって正しいものであるにしても,それにもかかわらず服従するために律法は残るので す。すなわち,義とされた者たちが神に従うために,神の秩序は止まるのであり,確かに服 従の始まりをもち,それがどれだけ神に喜ばれるか,その場所に来たらわたしたちは語るこ とにしましょう。ここでは律法の三つの用法について,簡略ではありますが十分に示されま した。というのも,第二と第三の用法については,後に再び語られるからです。 助言と命令の違い 信仰による正しさを知らないことは,数多くの過ちを引き起こしました。さらに,ここか ら福音には三つの助言が伝えられていとでっちあげる想像が流れ出しました。つまり,罰し てはならないことについて,財力の放棄もしくは貧困について,ちょうどそう言われている ように,そして処女性〔貞節〕について。しかし,このばかげたことに含まれている,すべ ての過ちを列挙するのは冗長です。したがって,重要なことにだけ言及しておきましょう。 まず,神の律法を軽んずる盲目を嘆かなければなりません。乞食やそれに似た,命じられ てもいない行いを,神の律法よりもより大きな名誉で飾るようなことです。第一の戒めで何 度も要求されている,偉大な創造といったものの他に考えられるような行いはありえないに もかかわらず。 「あなたは心を尽くし,魂を尽くし,力を尽くして,あなたの神,主を愛し なさい」(28)。次いで,その完成について,そうしたばかげた考えから多くの言説が存在す ることになります。 さらに,それは神の律法が,ただ外的な規律についてのみ強いられるものと誤って見なし ます。この律法のように「殺してはならない」は,不正な殺人は禁じられていて,私的な復 讐の欲望,悪意,不正な憎しみやそのような悪徳の情念は禁じられていない,と。したがっ て,キリストはマタイによる福音書 5 章で(29),こうした誤りを咎めています。そして,神 の律法に全体的に完全に従うことと正しい秩序とが,すべての人間の内的かつ外的行いの力 にもとめられている,と教えます。それゆえに,律法によって人間の本性が不潔である〔汚 れている〕 (immunditia)ことが明らかにされ断罪されるのだ,と。それゆえにキリストは 内的な邪悪〔腐敗〕 (pravitas)についても罰を加えます。 「兄弟に腹を立てる者はだれでも 裁きを受ける」(30)。同じく「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも,既に心の中で その女を犯したのである」(31)。この言葉は,多くの人々が思うように,生きるなかでの行 55 為についても,神の怒りについても何も意味することはない,無益な考えでしかないストア 派による誇張では,決してありません。そうではなく,このキリストによる言説は,神が真 に人間の自然本性の邪悪に怒らされ,それがまさに罪であることを証しているのです。それ ゆえに,キリストはわたしたちが律法を満たすことはなく,仲介者に対して憐れみを冀うべ きであり,そこに逃れるべきである,と述べるのです。 復讐について 復讐に関しては,その他の場所で至る所で語られていますが,それは命令(praecepta) です。しかし,あるものはその義務について当局に向けられて語られていますし,あるもの は私的な復讐,悪意,破滅的な戦いについて語っています。これはとくに復讐の欲望に発す る激しく強い性向のなかで生じてきます。ちょうどマリウス,スッラ,カエサル,そしてポ ンペイウスの激情において燃え上がったように。そして,教会においても,その他の領域に 比べて劣らずそうした事例は少なくはありません。多くの悪意と復讐の欲望とが激しい論争 を突き動かしましたが,それはとくにアリウスについて記されています。したがって,復讐 は区別されなければなりません。 ひとつは公的なもので,神の命令によって当局から課せられます。これについてはローマ の信徒への手紙 13 章に「権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく,神に仕える者と して,悪を行う者に怒りをもって報いるのです」(32)と言われています。当局が神の命令に よって誤りを罰するよう強制されていることを疑うべきではありません。さらにいずれも神 に服従しなければならないことを知るべきです。当局は私的な欲望によって罰するのではな く,神の意志のゆえにそうするのです。 罪人は,誤りが罰せられるように命じる神の命令に従うように,罰を被ります。福音はこう した公的な復讐もしくは当局による務めを禁じたりしませんし,それが中止されるように助言 したりもしません。それどころか福音は当局の職務を促し強めるのであり,それが不活発であ ったり,その職務が軽視されたりすることを望んでもいません。とりわけこれは神によるもの だからです。しかし,この務めの尊厳と神の意志についてわたしたちはそれほど考えることが ないがゆえに,偽善者たちは復讐をしてはならないなどとばかげたことをでっちあげる始末で す。その源は同じであり,それは人間の強情にあります。したがって,当局にも罪人にも等し く命じる神の命令を考慮していないがゆえに,人間はいやいや罰に従うのです。 次の復讐は私的なものです。つまり,当局や律法によって行われるものではありません。 この私的な復讐についてはマタイによる福音書 5 章とローマの信徒への手紙 12 章で語られ (33) ています。 「自分で復讐せず, 神の怒りに任せなさい」 。この見解は真の教えでもあります。 というのも,神は律法と裁きが存在するように秩序を制定したからです。これに人類は従う のです。したがって,これら復讐するものが存在するのを神は欲しています。この秩序が混 56 メランヒトン『神学要覧』 (1559 年)─ その 3 ─ 乱させられるのを望んではいません。それゆえに神は私的な復讐を外的にも内的にも禁止し ています。あなたが真の魂をもって神と律法および裁きとの復讐に譲るのを望んでいるので す。この秩序についてキリストは,律法について語り,こうした秩序の混乱が人間のなかで 明らかであるにもかかわらず,自らが神の律法を成就していると見なす偽善者を論駁しなが ら,マタイによる福音書 5 章で熱く語っています(34)。風刺詩では,こう述べられています。 それでも復讐のほうがいい。生かしておくより,いっそう胸がすくのだ(35)。 キリストはこうした混乱が認識され,私的な復讐の欲望が抑制されるのを望んでいます。 とりわけ人間の自然本性は罪深く,死と罰とに服しているからです。それゆえに困難な状況 において,他者の罪を眺めるだけでなく,わたしたちは自分たちの罪を責めましょう。ちょ うどダビデがシムイについて言うように 「勝手にさせておけ。主の御命令で呪っているのだ。 主がわたしの苦しみを御覧になり,今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれ ない」(36)。そして,復讐の欲望を抑制する魂の顕著な実例があります。それはダビデがサ ウルを放し赦したときです。彼は何の動揺もなく彼を殺すことができましたが,しかし,神 から与えられるのでなければその王国を支配しようとは望みませんでした。こうした実例は 熱心に考察されなければなません。そうすることで,わたしたちは神の律法を正しく理解し, わたしたちの弱さを認識し,大きく制御することを学ぶようになるのです。そして,これは 聖霊による特別な教えでもあります。というのも,異邦人の歴史には,ダビデに似たような 実例はないからです。 ゆえにこの原則(regula)は,律法に従って復讐をするよう,当局にも命じられているこ とをしっかり覚えておきましょう。そして,職務においてこれを蔑ろにするのは神に喜ばれ ないことを。申命記 19 章にあるように「あなたの中から悪を取り除かねばならない。ほか の者たちは聞いて恐れを抱き,このような悪事をあなたの中で二度と繰り返すことはないで あろう。あなたは憐れみをかけてはならない」(37)。反対にまさに個人に対しては,手によ っても魂の活動によっても,決して復讐を行ってはならず,神によって立てられた秩序を乱 してはならないことが命じられています。この原則はわたしたちの生活にとって有益であり, 支配と平和の防塁を堅固なものにします。次のように理解される修道士の言うことは,なん とバカな戯言であることでしょう。復讐の禁止に関する助言がある場合には,当局に従い悪 漢を罰せず, 他方ではさらに個人には復讐の原因によって動乱を引き起こすのを認める, と。 したがって,こうした狂乱した空想は誤りであり有害であるので,これらは教会からすっ かり放逐してしまいましょう。それはなぜキリストがしばしば復讐を禁止したかという理由 でした。キリストは使徒たちを誤った確信から解放しようと欲したのです。それはメシアの 王国がこの世のものとして実現し,異邦人は武力でもって制圧されるべきであると見なすも のでした。それに対して使徒たちは武器を手に取るべきではなく,福音を述べ伝えるべきで 57 あるとキリストは教え込みました。人間による防護や武力なしに教会が集合させられるべき である,と。こうして残酷な支配に服することになるでしょうが,それにもかかわらず神的 な自由をもつことになるであろう,と。このようにキリストはすべての時代の教師たちを教 え,正しく伝えられた彼らの職務が遂行され,その危険は神に委ねられました。人間の保護 に頼ってはならず,自身の召命の柵から飛び出してはならず,ミュンスターの再洗礼派のよ うに自分たちの王国を,福音を口実にして建ててはならないのです。 しばしば,この言説に関しては一般に論じられています。力には力で追い返すことは自然 法に適っている。ここで言われている意味について,まず考察されなければなりません。と いうのも,もしこれが自然の知(naturalis nototia)もしくは愛〔情念〕 (στοργή)であるな ら,その秩序がどのようになっているかが探究されねばなないからです。それによって何ら かの口実や混合した不正な情欲によって歪曲させられなくなるからです。というのも,自然 法はうろつき回る衝動(vagabundi impetus)ではなく,自然のなかに秩序づけられた確か な何かであるからです。したがって法律に精通した者は,この言説に対してある境界線を正 しく引きます。ゆえに明白な暴力や突然の暴力に対して防衛する必要性について,これは理 解されることになります。たとえば盗賊が平安な旅人を道中で襲撃したり,ある国が不正な 戦争をしかけてきたり,だれか暴動を引き起こす者たちが他人の家を襲ってきたりする場合 です。このときは審判者も当局も不在ですから,したがって防衛は認められます。そして, 防衛と報復もしくは悪行に対する罰とのあいだには違いがあります。だれも傷つけるべきで はないと判断するような正しい理性は,自分の身体を不正な暴力に対して,秩序をもって法 的な職権によって防御すべきであると判断します。ちょうど正しい戦争において,当局が援 助することができない場合に,自己防衛によってそれを行うように。すなわち自然本性には 正しい愛が内在しているからです。それは不正な暴力に対する自分自身の保存の強い欲望 (appetitio conservationis)です。 ゆえに明白な暴力を避けることに関する言説が,ちょうど正しい理性が認め,律法そのも のが明らかにするような秩序と仕方によって理解される場合には,力に対して力で駆逐する という見解は正しいものです。福音や「敵を愛しなさい」(38)といった声とも相争うことはあ りません。というのも,福音は自然法や政治社会の鎖〔拘束〕 (vincula)を破棄したりしな いからです。つまり,律法は正しい理性と一致するのです。それどころか,まさにこの理由 によって,神は人間をこうした社会における実にさまざまな務めへと集めているのです。そ れは,信仰,服従そして愛を訓練し明らかにする機会とするためです。家父は自身の妻や子 どもを守らなければなりません。ゆえに家族が襲撃された場合には愛の務めを果たします。 その結果, 魂においてその信仰を輝かせることになります。このように支配者〔指導者〕 (dux) は臣民を正しい場合には守らなければなりません。それゆえに正しい戦争を行う場合には, 愛の務めを果たしているのであり,危険のなかで神への祈りを輝かせていることになるので す。 58 メランヒトン『神学要覧』 (1559 年)─ その 3 ─ こうした行いは福音と相争うことはなく,各人が合法的な召命に従うのを望んでいるの であり, 「敵を愛しなさい」という言説と矛盾することはありません。なぜなら,愛,防衛, そして懲罰は,そのあいだで決して相争うことはないからです。というのも,愛の目的は, 神ゆえにわたしたちが愛し,神の愛をわたしたちが優先することのなかに立てられるからで す。アサ王は神ゆえに偶像を崇拝する母を愛することができず,彼女に罰を与えました。こ のように,もしコンスタンティヌスが教会におけるリキニウスの攻撃を甘受していたなら, 彼は神には喜ばれることのない務めを果たしていたことなるでしょう。それゆえに彼は武力 で抑止しました。 力には力で追い払うことが許されている,というこうした見解について述べてきました。 それはどの程度までこれが通用するか,勉学する者たちが考察するためでした。というの も,これを源泉にして戦争の法が主張されるからです。しかし,わたしたちは「剣を取る者 は皆,剣で滅びる」(39)という言説とも比較しなければなりせん。剣を取るというのは律法 によって剣をさやから抜くのを許されているということではありません。すなわち不正な暴 力を引き起こす者は,剣を取るのです(accipit gladium) 。反対に,まさに正当な防衛のた めにこれを用いる者は,剣を取るのではありません。そうではなく律法によって認められて さやから剣を抜いている(stringere)のです。さらにキリストはここで当局の責務(officia magistratum)と福音の務め(ministerium Evangelii)とをとくに区別しています。当局に 対して神は剣を与えましたが,それは責務において法に従って(legitimo)それを用いるた めです。もし私的な怒りや激情の言いなりになってネロのようにこれを用いるなら,それは 誤用していることになり,罪を犯しているということになります。反対にまさに福音の務め がこの世の王国になるのを神は望んではいません。それゆえに使徒には戦うことを禁じまし た。この言説において務めは区別されています。この区別は熱心に考察されなければなりま せん。それは教会の教師たちが人間の援助に依存することのないように,自分たちの当局に 対して武器を取るようなことのないように学ぶためです。こうしてそうすることなく,教会 は神が気遣っているのを知り,神から助けを期待するようになるのです。ちょうど神は教会 をファラオ,カルデア人,マクセンティウスやその他の暴君から解放したように。そしてこ のように,この言説においてはさまざまな務めについての教えが伝えられているばかりでな く,教会が神から守られていて自由にされていることがまさに示されているのです。こうし た見解は敬虔な者たちに大きな慰めをもたらしてくれます。以上,ここまでは復讐について 語ってきました。 貧困について 福音の承認が多くの危険を人間の生と運命にもたらし,福音への熱意が嫌われ,有利では ない場合,要するにこの生において,その他に共通の災難のあいだで皆にとって一般的に重 59 荷になるのは,やはり貧困です。これはしばしばとくに教会を厳しく苦しめます。このよう なとき,わたしたちは貧困のゆえに神から見放されていると思わないように,教えと慰めが 必要となります。それゆえに使徒と福音には貧困に関する数多くの言説があります。うんざ りするような貧困によってわたしたが福音から離れてしまうことのないように,貪欲によっ て努力と能力とをなるにまかせてしまわないように,わたしたちが悪い事柄の社会へと引っ 張って行かれないように,一貫性についての教えが伝えられています。貧しい者には神から の助けがあるという約束のなかに,慰めが伝えられています。ちょうど「わたしたちの名の ために,家,兄弟,姉妹,父,母,子供,畑を捨てた者は皆,その百倍もの報いを受け,永 (40) 遠の命を受け継ぐ」 など。しかし 「苦しい試練とともに」 (cum tribulatione) が加わります。 こうした重大な事柄について福音の言説は大いに語っています。しかも,信仰や他の徳を 大いに訓練すること(exercitus)に関する有益な教えを含んでいます。これは修道士的な 偽善や財産の放棄や政治的な秩序の混乱へと歪められてはなりません。というのも,もし奪 い去られるのでなければ,福音は財産から遠ざかるのを命じたりも勧めたりもしていないか らです。しかも財産を共通に与えるのを命じたり勧めたりもしていません。それどころか支 配者と所有権の区別が神によって秩序づけられているのは確かなのですから,敬虔な人々は 所有権が神の意に適い,すべてのこうした合法的な財産の区別と交換があるのを知りましょ う。というのも,神はこの市民的な務めのなかで,わたしたちの信仰が見出され,愛とその 他の徳が訓練されるのを望んでいるからです。 要するに,財産から離れること自体は,それどころか乞食を生じさせるのです。これは健 康で暇な人々においては盗みの形なのです。修道院においては,それどころかよりよい食事 を望んでいるのであり,それは確かに財産をもっていることにもなるのです。というのも, 自分のもの〔財産〕なしに生きていけるような集まり〔社会〕 (coetus)はないからです。 他の言葉が作り出されるのも可能ですが,しかし,事柄は変化させられません。さらに,福 音は支配と財産と富との区別に賛同していて, その複数の証言があります。第一の律法は「盗 んではならない」(41)と言います。ここで神自身がその声によって支配の区別を定め認めて いるのです。同じように,王や元首が永遠の命に止まりうること,さらにある者は正しくそ の支配において神に喜ばれることは,極めて確実なことです。ヨセフ,ダニエル,ネブカド ネザル,キュールス,コルネリウス,百人隊長やその他がそうであったように。何とも王国 は財産なしには維持されないのです。同じくコロサイの信徒への手紙一 7 章で買うことと 売ることが認められています(42)。 しかし,いずれの行いも大きな技術,大きな気遣いそして徳を求めます。すなわち,財 産を正しく保ち,貧困を正しく耐えることには。あなたが財産を正しく保つには,よい良心 が必要です。この良心は,この秩序が神のわざであることを知るものです。その結果,財産 には区別があることになります。そして,これを他から奪い取ることで混乱させてはなりま せん。しばしば不平等な実行によって富が増大するように。そうではなく,公平性を神のゆ 60 メランヒトン『神学要覧』 (1559 年)─ その 3 ─ えに保たなければなりません。これはあなたが他の財産から遠ざかっているのを命じていま す。それゆえに公平性を保つことにおいてあなたの感謝を明らかにし, 神に感謝すべきです。 (43) これはあなたに財産を与え, これを保持します。 「人間を豊かにするのは主の祝福である」 と記されているように。 次に,貧困者は大いに助けられることをあなたは知るべきです。しばしばキリストが命じ ているように「与えなさい。そうすれば,あなたがたも与えられる」(44)。約束は二つの理由 により付加されねばなりません。すなわち,わたしたちが敬虔な者は自由に報酬を受けるに 値するのを知るがゆえに,またこの務めを神が強く要求しているのをわたしたちが知るがゆ えに。その結果,信仰は報酬への期待によって訓練されることになります。二つの理由はサ レプタのやもめの例において明らかです(45)。彼女はエリヤに食物を与え,神から食物を期待 しました。そしてこのようにして神は女の暮らしを支え,他の多くの報酬で飾りました。そ して彼女自身は,もっていたすべての残りをエリヤに与えたとき,見事に信仰を訓練しまし た。分かち合うことの確かな方法がコリントの信徒への手紙二 8 章に記されています。 「釣 り合いがとれるようにするわけです。あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば,い つか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり,こうして釣り合いがとれるので す」(46)。 所有権(proprietas)と施し(liberalitas)そして報酬(praemium)の種類に関するもっと も愛らしい文章は,箴言のなかにあります。 「あなた自身の井戸から水を汲み,あなた自身 の泉から湧く水を飲め。その源は溢れ出て,広場に幾筋もの流れができるであろう。その水 をあなただけのものにせよ。あなたのもとにいるよその者に渡すな。あなたの水は祝福され よ」(47)。この掟は,極めて甘美な言葉の形を与えてくれる,秩序立っていてもっとも重要な 教えです。他者から奪うことを禁止しています。したがって,こう言われています。 「あなた 自身の泉から湧く水を飲め」 。そして,所有権をよしとしています。 「あなたはその主人とな りなさい」 。そして,施しについての命令を加えます。 「その源は溢れ出て,広場に幾筋もの 流れができるであろう」 。つまり,あなたの収入から他者に注ぎ与えるということです。施し の仕方を彼は明らかに示します。わたしは欲しない,と彼は言います。財産が使い果たされ, あなたの基礎から追い払われてしまうのを。これが,正しい仕方です。つまり,あなたは基 礎を保ち,子どもと国家のために財産を守るのです。しかし,困っている者には親切に収入 によって助けなさい。これは所有権についてとともに施しの務めについて語っているのです。 最後に,報酬と信仰に関する教えが加わります。すなわち,あなたはこの務めのなかで信仰 を訓練しなさい(In his officiis exerceto fidem) 。もし,あなたが財力とその保持が神からの 贈与であることを認識するなら,あなたはだれからも騙し取ることなく,寛大でいて,神か らの祝福を期待できるでしょう。これがこの問題に関する真の教会によるキリストによる教 えなのです。そして,次のようなたわごとからは逃れなければなりません。つまり,それは プラトン的な財産の共有が福音のなかに命じられ賛美されているとでっちあげるのです。 61 しかし,正しく財産を保持することは大きな術であるように,貧困に耐えることもまた大 きな術であり徳です。これについてはまず,以下のようにこれらが神の意志であることを認 識しなければなりません。つまり,神はわたしたちが病,死,そして貧困といった,このよ うな共通の苦しみに従うのを望んでいます。そして,こうした苦しみは神によって断念され るような,敬虔の印ではありません。そうではなく,これは自然本性が死に服しているがゆ えに,わたしたちが罪について気づくようさせる訓練(exercitia)なのです。悔悛と祈りに ついて同様に,これは訓練です。したがって,あなたがこのように訓練させられるのを望む 神にあなたは従わなければならないことを学びましょう。こうした神の意志への服従は一般 に苦難〔労苦〕 (aerumna)において求められています。次に従って「神の力強い御手の下 で自分を低くしなさい」(48)。 次に,一貫性が加わります。貧困である理由から逃れるのに,だれも神に逆らって対抗し たりはしません。この一貫性のことをキリストはこういうときに命じています。 「心の貧し い人は,幸いである」(49)。というのも,彼らはもたらされた貧困において神に服従していて, 欠乏を伴う貧困やその他の困難を弱めようとして神に逆らうこともないからです。なぜなら ば,近づいてくるもので軽い重荷はないからです。それは力によってわたしたちを押さえつ け蔑ろにします。不正と虐待に晒され,哀れな子どもを見ることになります。こうした悪の なかにあって魂の一貫性を保ち,人々や力による悪い助言を求めないこと,窮乏によって国 家を揺るがせないこと。こうした苦難のなかにあって,このように魂が高潔に輝くことは大 きな徳です。こように,貧しいエレミヤや多くの預言者たち,洗礼者ヨハネ,キリスト,使 徒たちや多くの殉教者たちは,ちょうどアッタルスのように,最高の場所に生まれながらも その財力から払い落とされたのでした(50)。同じ仕方で財力をもっていた者たちは敬虔な者 として扱われました。ヨブ,ダビデやそれに似た者たちです。彼らはある者たちは金持ちで なければならないのを知っていました。そして,自らの召命に従っていました。それにもか かわらず,富を信仰告白の前に置くことはありませんでした。そして,失うときは,その召 命において神の意志に従ったのでした。こうした服従,同じく一貫性は信仰告白において賞 賛され,神を礼拝していることになります。 しかし,修道士たちは自身の偽善を口実にして,キリストの言葉に対して明らかな不正を 働きます。それはマタイによる福音書 19 章を引き合いに出します。 「わたしの名のために, 家, 兄弟,姉妹,父,母,子供,畑を捨てた者は皆,その百倍もの報いを受け,永遠の命を受け 継ぐ」(51)。ここでの放棄は二重です。ひとつは信仰告白もしくは召命における神の命令に よって生じるもので,暴政が,福音を捨て所有することから離れるのを命じるとき。もうひ とつは,教会を支配するように呼んでいるのを疑うときで,危険や憎悪を被るか,もしくは むしろ家族の財産に仕えるときです。このような場合には, 放棄は賞賛されます。というのも, 福音を告白し教えるための召命は,命や財産よりも,人間のすべての事柄に勝って優先され なければならないからです。 62 メランヒトン『神学要覧』 (1559 年)─ その 3 ─ こうした考えが福音のなかでこれほどしばしば繰り返されるのには,軽くはない理由があ ります。というのも,信仰告白が財産を放棄することを考えるだけではなく,より厄介な災 難をもたらすので,さらにもっとも高価なもの,大いなる意志や賞賛者の命令や他の卓越し た人間を損なうと考え,そうした判断を無視することは難しいからです。祖国において証人 の不一致とわたしたちが語られることは困難です。魂を激しくなく締め付けることはできな いので,しばしば神はわたしたちに,福音を優先するように命じるのです。そして,わたし たちは慰められ,援助と報酬を約束するのです。 このように申命記 33 章でレビ族が祝福されるなかで,名指しして贈り物が与えられまし た。それは正しい教えを伝えたからで,危険に関する演説と約束が付加されます。同じくこ れはレビへの言葉です。 「あなたのトンミムとウリムを,あなたの慈しみに生きる者に授け てください。あなたがマサで試し,メリバの泉で争ったとき」(52)。これはレビの家族にある 確かな種類の教えを命じている最初の箇所であり,その他の仮説を教えることを禁じていま す。あなたはもつ,と言います。モーセより伝えられた律法を。これを純粋に教え,決して 新しい意見や新しい儀式を付け加えてはならない,と。続いて彼は危険における一貫性につ いての命令を付加します。 「彼は自分の父母について, 「わたしは彼らを顧みない」と言い, 兄弟を認めず,自分の子さえ無視し,あなたの仰せに従い,契約を守ったからです。彼らは あなたの裁きをヤコブに,あなたの教えをイスラエルに示し,御前に香をたき,祭壇に完全 に焼き尽くす捧げ物をささげます」(53)。これは教師たちに敬虔な教えを防御するなかでは巨 大な戦い,危険,憎しみと耐えなければならない罰があることを警告しています。これが確 かに両親や, 祖国や, 子どもに対して「わたしはあなたを知らない」ということは過酷であり, 祖国に敵対し対立することを行っているようにも見えます。しかし,預言者や使徒たちには 同じ非難が負わせられているのが分かります。それゆえにわたしたちは魂を意気阻喪させる ことなく,次の約束が付加されることになるのです。 「主よ,彼の力を祝福し,その手の業 を受け入れてください。彼に立ち向かう者の腰を砕き,彼を憎む者が再び立てぬようにして ください」(54)。つまり,神よ,助けてください,正しく教える者たちを。その使命を力ある ものにとし,安全なものとしてください。そして,不敬虔な教えと暴政とを抑えてください。 このモーセの言説からキリストは言葉を取り入れたのです。そして,賢明な読者は容易に判 断できるように,両者とも非常に重要な事柄について熱弁しています。それゆえにこのもっ とも重要な見解は全く根拠のない修道士の仮説に転じられてはならないのです。 わたしはこうした言説を引用しましたが,それは敬虔な学者たちにこれが見えるようにな るためです。その多くは真の教えを研究しているがゆえにさまざまな苦難に見舞われていま す。こうした言説によって彼らは元気になり,正しい研究を放棄することなく,神の援助が あることを知ります。キリストがいうように「何よりもまず, 神の国と神の義を求めなさい。 そうすれば,これらのものはみな加えて与えられる」(55)。さらに詩編 84 編「主に逆らう者 の天幕で長らえるよりは,わたしの神の家の門口に立っているのを選びます」(56)。イザヤ 63 書 30 章「わが主はあなたたちに,災いのパンと苦しみの水を与えられた。あなたを導かれ る方は,もはや隠れておられることなく,あなたの目は常に,あなたを導かれる方を見る。 あなたの耳は,背後から語られる言葉を聞く。 『これが行くべき道だ,ここを歩け,右に行け, 左に行け』と」(57)。こうした見解によってわたしたちは元気になり,真の教えを広めるな かで神に仕えましょう。そして,それをわたしたちの誘惑によってだめにしないように警戒 しましょう。 他にも召命なしの財力の放棄がありますが,迷信かがったものです。これは供物と赤貧が 神の礼拝であるとでっちあげるときにそうなります。そうした放棄は決して賞賛されたもの ではなく,むしろ迷信による意見であるがゆえに不敬虔な異教徒のものであります。こう言 (58) われているように。 「人間の戒めを教えとして教え, むなしくわたしをあがめている」 など。 注 (教文館,2003 年)所収『神学要綱』 ,214 頁参照。 (1) 『宗教改革著作集 4 ルターとその周辺 II』 (2) ローマの信徒への手紙,1:18。 (小川正廣訳,京都大学学術出版,2004 年) ,106 頁。 (3) ウェルギリウス『牧歌 農耕詩』 (4) ローマの信徒への手紙,1:19。 (5) ローマの信徒への手紙,2:15。 (6) ローマの信徒への手紙,1:19 以下。 (国文社,1985 年) ,87 頁参照。 (7) ティッブルス詩集 1,9:3 以下。中山恒夫編訳『ローマ恋愛詩人集』 (8) 創世記,4:11 以下。 (9) 創世記,9:6。 (10) 申命記,6:5。 (11) ローマの信徒への手紙,5:2。 (12) テモテへの手紙一,1:9。 (13) 申命記,19:19 以下。 (14) 詩編,32:9。 (15) コリントの信徒への手紙一,6:9 以下。 (16) ヨハネの手紙一,3:8。 (17) ローマの信徒への手紙,1:18。 (18) イザヤ書,38:13。 (19) エレミヤ書,1:9 以下。 (20) ローマの信徒への手紙,3:20。 (21) ローマの信徒への手紙,4:15。 (22) ローマの信徒への手紙,7:13。 (23) コリントの信徒への手紙一,15:56。 (24) ローマの信徒への手紙,7:9。 64 メランヒトン『神学要覧』 (1559 年)─ その 3 ─ (25) ローマの信徒への手紙,11:32。 (26) マルコによる福音書,7:7。 (27) 詩編,119:105。 (28) 申命記,6:5。 (29) マタイによる福音書,5:21 以下。 (30) マタイによる福音書,5:22。 (31) マタイによる福音書,5:22。 (32) ローマの信徒への手紙,13:4。 (33) ローマの信徒への手紙,12:19。 (34) ローマの信徒への手紙,5:21 以下。 (ペルシウス/ユウェナーリス『ローマ風刺詩集』国原吉之助訳, 岩波文庫, (35) ユウェナーリス『風刺詩』 2012 年),291 頁。 (36) サムエル記下,16:11 以下。 (37) 申命記,19:19 以下。 (38) マタイによる福音書,5:44。 (39) マタイによる福音書,26:52。 (40) マタイによる福音書,19:29。 (41) 出エジプト記,20:15。 (42) コロサイの信徒への手紙一,7:30。 (43) 箴言,10:22。 (44) ルカによる福音書,6:38。 (45) 列王記上,17:8 以下。 (46) コリントの信徒への手紙二,8:13 以下。 (47) 箴言,5:15 以下。 (48) ペトロの手紙一,5:6。 (49) マタイによる福音書,5:3。 (上) 』 (秦剛平訳,講談社学術文庫,2010 年) ,277 頁以降参照。 (50)『エウセビオス「教会史」 (51) マタイによる福音書,19:29。 (52) 申命記,33:8。 (53) 申命記,33:9 以下。 (54) 申命記,33:11。 (55) マタイによる福音書,6:33。 (56) 詩編,84:11。 (57) イザヤ書,30:20 以下。 (58) マタイによる福音書,15:9。 65 平成 26 年度卒業論文 働きの合成を援用した分数乗法 二 ノ 宮 夏 奈 1 分数のかけ算を教える過程 1.1 分数のかけ算の学年配当 分数のかけ算は周知のように小学校高学年の算数で学習する。現行(平成 20 年告示)の学 習指導要領での分数に関する学年配当を表 1-1-1 にまとめた。 表 1-1-1 分数に関する学年配当 学年 2年 内容 簡単な分数 3年 真分数±真分数 (同分母) 4年 帯分数±帯分数 (同分母) 5年 分数±分数(異分母) 分数×整数, 分数÷整数 6年 分数×分数 分数÷分数 これから,次の特徴を見出すことができる。 (1) 分数の加減は,異分母と同分母とが 4・5 年を境として分かれている。 (2) 分数に関する乗除に関しては,5 年で「分数 × 整数」 , 「分数 ÷ 整数」で,6 年で「分 数×分数,分数÷分数」と分割されている。 (3) 同分母の分数の加減は,真分数のものは小 3,帯分数は,小 4 と分割されている。 そのそれぞれについて,他の学年配当との関係を述べる。 (3)は,あまりのある割り算が 3 年であるので,仮分数を帯分数に直すときに,必要な計算が既習となった 4 年に帯分数を配 置した結果である。 (1)に関しては,5 年に約数・倍数が配当されている。約分・通分が必要 となる計算が 5 年以降となっているのも, (3)で述べたようなこれらを既習事項とできるよ うな配当としたことによるものである。 (2)に関しては,過去の歴代の学習指導要領の学年 配当では,必ずしも一般的ではない。理由としては次の 2 つを考えることができる。第 1 は, 分数×分数などを 5 年とすると,5 年の学習内容が多くなりすぎるので,6 年に回したこと。 第 2 は,分数×整数は,分数の累加によって説明できるので,量 × 量の形の文章題からの 立式の困難さを,5 年生で回避することができることである。 1.2 分数のかけ算の単元構成 一般的な算数の授業の分数×分数の単元はどのような流れで学習されているのかの一例と して東京書籍版の検定済教科書(6 年上)の単元構成を表 1-2-1 に記す。 66 働きの合成を援用した分数乗法 表 1- 2 - 1 分数のかけ算 分数のかけ算を考えよう 学習指導計画 小単元 1 分数のかけ算 時 1 2 3 4 5 6 7 8 9 2 まとめ おもな学習内容 分数をかけることの意味 真分数×真分数の計算の仕方 真分数×真分数の計算の途中で約分すること 整数×分数,帯分数の乗法計算 辺の長さが分数のときの面積公式の適用 分数の連乗の計算 分数の場合の交換法則,結合法則,分配法則 逆数の意味と求め方 学習内容の熟練(力をつけるもんだい) 学習内容の理解(しあげのもんだい) これは,小学校 6 年の学習単元構成であるが,当然 5 年までの既習事項が利用される。 後の章で述べることになるが,これらの他に,既習関連事項として「商分数」が重要である。 2 分数,例えば,─ は,1 として考えているもの(例えば,折 2 1 3 1 → ÷3 →─ → ×2 → ─ 3 3 り紙 1 枚や,ピザ 1 枚などの 1 の具体物にあたるものである) 2 1 → ×2 → 2 → ÷3 → X を 3 等分して,それを 2 つ合わせたものである。これが ─ 3 2 の定義である。その一方で,1 の 2 つ分である 2 を 3 等分 図 1-2-1 ─ は X と一致する 3 した量がある。これを X と記せば,この X は図 1-2-1 のよ 2 うに生成の仕方が異なるので,─ とは区別されるべきである。 3 それを概念としては区別されても,数の大きさとしては同じであると考えるのが, 「商分数」 の考え方である。 1.3 現行教科書にみる「導入」と「展開」 近年の算数の授業創りでは,「 問題解決型学習 」 の形式をとることが,大切とされている(1)。 授業の段落を, ・問題をつかむ ・自力解決(机間指導) ・練り上げ ・まとめ などを軸とする数個にわけるものである。分数×分数の単元の一番初めの授業についても例 外ではない。 たとえば東京書籍の教科書(小学校 6 年上 p.23)を使った授業では次のようになるだろう。 次のような文章題が提示される。 4 5 1dL で,板を ─ ㎡ぬれるペンキがあります。 2 このペンキ ─ dL では,板を何㎡ぬれますか。 3 次に教師は式がどうなるかを問う。 4 2 児童は ─ × ─ と答えるだろう。ただ,この問 5 3 答は,分数×分数の場合は,整数×整数の 67 それに比べればかなり難しい。教科書では, ・ たくみさんの考え(何個分かと考える) ・ しんじさんの考え(言葉の式, (1dL でぬれる面積)×(使う量)に当てはめる) , ・ かおりさんの考え(平行な 2 本の数直線の図によって考える) の 3 者を紹介している。この他にも「分からない」という子どもも実際の教室ではいるのだ ろうが,こうした代表的な考えを他の児童の発表を聞くことによって理解して自分の考えと する。ここで分数×分数を使う場面が提示されたことになる。 さらに教師は「答えは何ですか」と問う。ここまでが問題解決型学習でいう「問題をつかむ」 である。 次に授業の段落は「自力解決」へと進む。児童それぞれが,教師に投げかけられた問いであ る「答えは何ですか」を考え始める。このときに子どもがどのように考えるかについては,子 ども次第であるので予想はしにくい。しかし,教科書の記述ではまた「~ さんの考えとして, 典型的なクラスでは,このような方法で子どもが考えるといった例が示されている。前述の東 書の教科書についていえば, 「ゆみさんの考え」と「ひろきさんの考え」の 2 つである。 【ゆみさんの考え】東書 6 上 p.24 教科書の吹き出しとして次のように記されている。 「ま 1 1 。この,─ dL でぬ ず,─ dL でぬれる面積を求めて…」 3 3 4 れる面積とは,1dL の 3 分の 1 であるので,─ ㎡の 3 5 分の 1,つまり,これを 3 等分した面積である。この 吹き出しの中の図は,この考えを進める補助となる 4 ように記されている。正方形の縦の長さの─の部分が 5 着色されている。1dL でかべをぬることができる面積 を縦の長さとしてあらわしていることになる。濃い薄いを無視すれば,着色部分の面積が 1dL 1 1 でかべをぬることができる面積を表している。そして,これの左の─ の部分が,─ dL でぬれる 3 3 面積となる。ここで, 正方形の横の長さがペンキの分量を表すことになる。この図をかくことで, (1dL でぬれる面積)×(使う量) という言葉の式で表せる量を,正方形の中の部分である長方形の面積として表した。つまり, 長方形の面積を求める問題に帰着させたことになる。 そのような図は面積図(2)と呼ばれている。 【ひろきさんの考え】 2 2 かける数である ─を整数になおして考える方法である。この問題の場合 ─(かける数)を 3 倍 3 3 して,積を 3 でわることになる。これは,5 年生で学習した分数 × 整数と小数のかけ算のと きに学習した「かける数を○倍すると,積も○倍になる」という計算のきまりをもとに考え ている。教科書では,それぞれの答えにむかって考えを進めた記述もなされている。 68 働きの合成を援用した分数乗法 【ほかの考え】 教科書の例以外の考えとして次のものが考えられる。もとにしている考えは「ひろきさんの 考えと同様に「かける数を○倍すると,積も○倍になる」であるが,被乗数と乗数に分母(こ こでは 5 と 3)の最小公倍数である 15 をかけて答えを 15 でわるという方法も考えられる。 dL を mL や L にかえて考える方法もあるが,これは小数になってしまうのでこの問題の場 合使えない。また,通分して考えた場合も結局分数 × 分数の式になってしまうので解法には 適していない。 このようにして,いろいろな考えがでることとなる。これらを,クラス全体で共有しようと するのが「練り上げ」の段階である。代表的ないくつかの考え方を教師は子どもを指名して発 表させる。そのそれぞれについて意見を出させて,よりよいものを目指させるのが,この段階 である。 8 答えは,─ である。しかし,この問題の答えを得たからといって,分数 × 分数を計算する 15 一般的な方法,つまり 「分母どうし,分子どうしをそれぞれかける」 を,子どもが習得しているとはいえない。 教科書はさらに記述を進めている。しかし,この問題固有の数値で途中の計算過程を振り 返ったとしても答えを出す時点になると,15 が,5×3 であるとか,8 が 2×4 であることは, 子どもの記憶から消えている可能性が濃厚であるからだ。たとえば,ほかの数値の問題。 1 3 3 ─ × ─ の答えが ─ であること 2 4 8 の説明を全員ができるとは限らない。また,数値も単位も異なる場合に同じ方法で解けると いう考えを子どもがもつとは言い切れない。 教科書では,答えが出たあとに分数×分数の計算の仕方は「分母どうし,分子どうしをそれ ぞれかける」 とまとめている。しかし, これを導き出す過程は単純ではなく, 理解するのも難しい。 現行の教科書の多くは分数のかけ算を量×量で導入している。しかし, 「まとめ」の段階で 計算の手順を一般化して考えることがよく理解できないままだと,計算方法だけを丸暗記して しまうことになるだろう。また,式を立てる過程で,複数の考えを理解して自分の考えとして いく過程について記したが,必ずしもこうした過程が円滑に行われるとは限らないし,はじめ の 1 題についてできたとしても,以降の問題に転移しているかどうかは完全に保証されている とは限らない。このような場合,文章題が出てくるたびに立式でつまずくことになる。 1.4 本研究の目標 以上 1.1 から 1.3 で,分数×分数での既習事項を含め学習内容や学習の流れをみてきた。 ここから分数×分数を導入する授業で 2 つの問題点が見出された。 (1)分数×分数の計算方法についての指導はなされているが,分数 × 分数の型の式と, それによって表される文章問題との対応が付けにくい。 69 (2)分数×の計算は, 「分母が,分母×分母,分子が,分子×分子である分数を作ればよい」 となる理由の説明が,すべての児童にとって理解しやすく,納得のいくものである保 証はない。 本研究では, (2)について考察し,その具体的な改善策の一例を示すことを目標としたい。 (1)については,既に成城学園初等学校による研究(3)が為されている。ここではごく簡単に その内容を以下に記しておきたい。それは,分数のかけ算と,小数のかけ算とを,一緒に教え ることによって両者の関連をとらえやすくする指導の提案である。検定済教科書の一例として 東京書籍での時間配当を 1.2 に記したが,表 1- 4-1 として成城学園のプランを示す。 表 1- 4 -1 成城学園 分数×分数 単元構成 小単元 小数×整数(2 時間) 学習内容 計算の意味と計算の仕方を考える。その際,整数 × 整数の計算に関連させ ながら計算の仕方を考える。 分数×分数の意味と計算の仕方を考える途中で約分して計算する問題を考 分数×分数(2 時間) える。 小数×小数の筆算を考える。 小数の筆算(1 時間) 帯分数の計算(1 時間) 帯分数×帯分数の計算の仕方を考える。 積と乗数の関係(1 時間)小数×小数,分数×分数の積と乗数の関係を考える。 小数×小数,分数×分数の計算を工夫して求める。 計算の工夫(1 時間) 小数×小数,分数×分数の倍の意味を考える。 倍とかけ算(1 時間) 練習,評価 練習と評価(3 時間) 検定済教科書に比べれば時間数が増えるが,小数での指導時間を考えると,合わせて教える ことによって却って時間数の消費が少なくて済む。このように第 1 の問題点(1)に関しては, 解決への見通しが比較的得やすいのではあるが,第 2 の問題点に関しては,落ち着いて検討す る必要があると判断した。そこで, (2)に関する改善策の提案を本研究の目標とする。 8 4 2 ここで,1.3 に見た問題点について,簡単に振り返っておこう。子どもは,─ ×─ の積が ─ 15 5 3 となることを,授業の中で説明したり,他の児童や教師の説明を聞いたりする学習を行う。そ の説明としては,面積図による方法や,かけ算の性質による方法が教科書などに示されていた。 この他の方法がありうるだろうか。また,小学校 6 年生の児童にとって,どれが分かりやすい 方法であろうか。これを第 1 の疑問としておこう。 4 2 8 次に─ ×─ = ─ という特殊な事実から,計算の一般的な方法としての, 5 3 15 分数×分数の積は,分子が,両方の分子×分子の積。 分母が両方の分母×分母の積。 ということを導くことである。教科書にその説明が記載されているが,ここでも同様に,こ の他の方法がありうるだろうか,どれが分かりやすい方法であろうかが問題となる。これを 第 2 の疑問としておく。 70 働きの合成を援用した分数乗法 これらの疑問を,先行事例などを参考にしながら,なるべく具体的な授業書の形で提案する ことが本研究の目標である。 【参考・引用文献】 (1)文部省『数と計算の指導』1.3 問題解決の指導 , 大日本図書 ,1986 (2)銀林浩・篠田幹男『かけ算とわり算』 (算数の本質がわかる授業 2)日本標準 ,2008 (3)成城学園初等学校数学研究部『成城学園の算数 だから「小数と分数」は一緒に教える』東洋館 出版社 ,2008 2 いくつかの先行事例から 2.1 倍概念の概要 倍操作は乗法(かけ算)と密接な関連を持ちながら,かけ算と区別するべき性質を持ってい る。この概略について述べる。かけ算は小学校 2 年生での学習内容であるが,一般的にかけ算 とは「1 つ分がわかっているときに,個数がわかっていれば数えなくても全体量がわかる」と いう性質をもっている。公式に表すとこのようになる。 (単位当たり量)×(その分量)=全体量 一方,N倍するという倍操作は一種の関数である。 平林一栄は, 「あるお金で同じ単価の鉛筆が何本買えるかというような計算を何回もくり返 していても『関数』概念は生まれてこないであろう。…(中略)…ブラックボックスまたは自 動販売機の模型が適切であろう。…新しい概念の導入ということは,ファン・ヒーレの理論で は学習水準の上昇ということに相当するであろうから,そのためにはなんらかの教具が有用で あり,ときには必要である」(1)と述べた。 これまでみたように, 「N倍する」を関数(機能)として考えるとき,次に列挙する性質は 基本性質,もしくは基本性質に準ずる性質として重要である。 (1)「N等分する」がその逆関数である。 (2)「M倍する」ことを行ってから, 「N倍する」ことを行った結果は,行う順を入れ替 えた「N倍する」をしてから「M倍する」ことと結果は同じとなる(可逆性) 。 (3)「M倍してからN倍する」という倍の合成は, 「M × N倍する」に一致する(合成の 結果が積となる) 。 (4)「N倍する」の逆関数は, 「N等分する逆関数」 (5)「N倍する」をしてから「M等分する」合成操作を≪操作甲≫ 「M等分する」をしてから「N倍する」という合成操作を≪操作乙≫とすると,この 両者,≪操作甲≫と≪操作乙≫とは同じ操作である。 71 最後にあげた性質(5)は,既に 1.2 に「商分数」として述べた内容である。 なお,これらは,必ずしも論理的に独立したものではない。例えば, (3)と整数の乗法の交 換法則を用いれば,次のように, (2)を証明することができる。 (証明) 「M倍する」ことを行ってから, 「N倍する」ことを行った結果は, (3)によって, A) 「M × N 倍する」である。 「N 倍する」ことを行ってから, 「M 倍する」ことを行った結果は, (3)によって, B) 「N × M 倍する」である。さらに整数の乗法の交換法則,M×N = N×M なので,これは 「M × N 倍する」ことと一致する。 「M倍する」ことを行ってから, 「N倍する」ことを行った結果と, 「N 倍する」 A),B)より, ことを行ってから, 「M 倍する」ことを行った結果とは,ともに「M×N 倍する」ことである ので一致する。この性質は(2)として述べた性質に他ならない。■(証明了) 2.2 統辞体系の指導 松下(野中)佳代は, 現実世界の事物と, 数学世界の記号とを結び付ける教具の機能に着目し, 事物と数学記号の間の仲介物という意味での「半具体物」として教具をとらえた(2)。また, 「記 号」の働きには,内容的な側面と統辞体系とがあるので,教具にはその両者を表現する可能性 があることを指摘した。ここでは, [現実世界の具体物]─(形態の類似)─[準具体物(内容的側面を表現) ] ─[半具体物]─(統辞体系を共通に持つ)─[数学世界の記号] の図式に従って, 「準具体物」と「半具体物」とを区別した。 たとえば,3 という数自体も 3 というものよりも,3 個のりんご,3 本の鉛筆などをまとめ て抽象化して 3 という概念が生まれているそこで教具であるタイルで 3 という内容的な側面 を表している。この意味でタイルは「準具体物」である。 関数に関して有名な教具としては「ブラックボックス」がある。100 円玉を入れると缶ジュ ースが出てくる自動販売機,電流を流すと光が出てくる電球など世の中には,ある一定の働き をもつものがたくさんある。それらの具体的なものを抽象化して働きをもつものとしての関数 を考えるために,上からカードを入れると下から別のものがかかれたカードが出てくるものが 「ブラックボックス」である。これは関数のもつ内容的な側面をあらわしているので, 関数の「準 具体物」として機能する教具である。 その一方で,数の統辞体系である 10 進位取り記数法もタイルは表す。バラのタイルを 10 個集めると,10 の位の 1 という数字に対応する 1 本のタイルに変身し,10 本のタイルは百の 位の 1 という数字に対応する 1 枚のタイルに変身する。この意味でタイルは,数に対する「半 具体物」としても機能するといえる。 72 働きの合成を援用した分数乗法 では,関数に対応する「半具体物」とはなにか。この教具が表すべき統辞体系として,前節 2.1 に述べた,関数の合成と逆とを考える。すると,次節 2.3 で紹介する DIME プロジェクト の旗の図は,この関数の「半具体物」として注目されるだろう。 2.3 DIME プロジェクトでのアプローチ DIME Project は,「草の根の教材開発」として有名なイギリスを中心に用いられた授業書群 である(3)。現代的な教材を子どもの作業を通じて分かりやすく教える手法が注目される。正 田良(4)に多くを負って,その様子を紹介する。DIME の授業書のそれぞれは,表紙,表紙裏 の「Start Here」のページ,裏表紙裏の見開きの Target Test,さらにその前のまとめのページ である「What have you learnt?」を合わせた 16 ページの小冊子となっている。 これらは 6 つの授業書群が扱われているが, ここで注目するのが 1 番最初にある「Operations 1:Flags」である。この中では,「旗の図」と「計算機(Number Machine)」のプログラムを, 言葉(Words)を使って表すこと,さらにそれを代数の文字を使って表すことという 3 通り の表現について扱われている。 「Operations 1:Flags」がどのような構成になっているかを表 2-3-1 として示す。 これらからわかるように,関数の基本的な文法である, 「合成」と「逆」を含んで「旗の図」 を主な表現手段として,数の対応としての関数を表すことを導入し,若干の練習ができるよう になっている。図 2-3-1 に Operations2 での旗の図の用例を示した。入力の数値例は,大きさ の順番でも等間隔でもなく記されている。 表 2-3-1 Operations 1:Flags の構成 頁 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 表題 (翻訳) Flags and Number Mappings(数の対応と旗の図) Double Flags(2 重に並んだ旗 ─合成関数の導入─) Three Number Machines(3 台の計算機 ─ 3 つの関数の合成─) Puzzle Page(旗の図に関するクイズ旗を並べる順─ ) Going Backwards(後戻り─逆関数の導入) Machines in reverse(機械の逆操作─旗の裏側) Inverse operations(操作と逆操作の関係) Two-stage Operations(2 段階の対応─その逆操作─ ) Understanding inverse(逆操作を理解する─卑近な例について─ ) Celsius and Fahrenheit(温度計の摂氏と華氏─対応の応用例として) 入力と出力との対応を示す線は互いに平 行な矢線であって,どのような機能の結 果であるかを示すのは単に添えられた旗 に記される[× 3] , [- 2]などの記号に よるのみとなっている。 図 2-3-1 旗の図の用例 73 2.4 道数協のプラン 酒井は,北海道地区数学教育協議会の授業プリントをもとに,授業書を作り,小学校 6 年生 の倍や比例などの既習の子どもたちに 15 時間の授業によって構成された単元を実施した。その 授業記録を論文(5)に報告している。その授業の各時間は, 表 2-4-1 のように構成されている。 表 2 - 4 -1 酒井による「倍と分布」指導計画 学習内容 倍の定義と拡張 倍の用法 歩合と百分率 分布 テスト ここに見られるのは,前節 2.3 でみたような,数 時間 6 時間 3 時間 2 時間 3 時間 1 時間 の対応(関数)に関する教材系列が,分数×分数 の算法への理解へと接近していく様子である。 「倍 と定義と拡張」の 6 時間分のプロセスを表 2- 4 -2 に示した。 表 2 - 4 - 2 倍の定義と拡張の構成 整数倍 分数倍 時 1 2 3 4 5 6 頁 1・2 3・4 4・5 7 8 9・10 学習内容 倍とは何か 倍の合成 関係の倍 分数倍 分数倍 線分の等分(単位分数倍のしかた) 単位分数倍 分数倍(整数倍と単位分数の合成) 分数倍の合成と逆オペレーター 倍をもとめる 2.3 で紹介した DIME プロジェクトと比較を表 2 - 4 - 3 に試みる。 表 2 - 4 - 3 DIME と酒井プランとの比較 DIME の内容 1:(数の対応と旗の図) 2:(2 重に並んだ旗 ―合成関数の導入―) 3:(3 台の計算機─ 3 つの関数の合成─) 4:(旗の図に関するクイズ─旗を並べる順─) 5:(後戻り─逆関数の導入─) 6:(機械の逆操作─旗の裏側─) 7:(操作と逆操作の関係) 8:(2 段階の対応─その逆操作─) 9:(逆操作を理解する─卑近な例について─) (温度計の摂氏と華氏─対応の応用例として) 10: 酒井プラン 1:倍とは何か 倍の合成 2:関係の倍 分数倍 3:分数倍 線分の等分(単位分数倍のしかた) 4:単位分数倍 5:分数倍(整数倍と単位分数の合成) 6:分数倍の合成と逆オペレーター 倍をもとめる 以上の比較から次の類似点と相違点をあげることができる。 74 働きの合成を援用した分数乗法 類似点 ・ある数を入れるとある数が出てくるような道具を用いて,計算を行っている。 (関数) ・~してから―するのような操作をしている。 (合成) 相違点 1 ・道数協では,逆操作を単位分数で扱っている。 (÷3 → × ─ ) 3 ・DIME では「+,-,×,÷」を扱っているが,道数協では「×,÷」のみの扱いである。 ・DIME では,3 つの関数の合成を扱っているが,道数協では 2 つの関数の合成までを扱う。 ・DIME では,入れた数と出てきた数をみて中の働きを考える,また中の働きの順番を考え るという演習も行っているが,道数協にはそれがない。 ・DIME では,2 段階の逆操作を扱っているが,道数協はそれがない。 ・DIME では,途中から箱に変わって旗の図になるが,道数協はずっと箱のままである。 DIME では整数の四則計算を扱い,関数の要素が多いことがわかる。一方,酒井のプランでは, 乗除の計算を主に扱い,量の整数倍の段階から分数倍まで倍の概念を拡張している。3 章以降 では,これらのプランの特徴を生かしながら具体的な授業書を作成していくことにする。 【参考・引用文献】 (1) 平林一栄「教具論」赤摂也(編著) 『算数・数学教育の理論と構造』 (教育学講座 11)学習研究 社 ,1980,p.301 (2) 野中佳代「教具の構成に関する一考察」 『教育方法学研究』第 11 巻 ,1986,pp.97-105 (3) 正田 良『DIME 授業書による楽しい数学』明治図書出版 ,1987 (4) 正田 良「2 数直線図の特徴とその利用」 『日本数学教育学会第 46 回秋期研究大会要領』口頭発表(宇 都宮大学) , 2013 (5) 酒井義信「学習プリント『倍と分布』と授業記録」 『教授学の探求』19, 北海道大学大学院教育学研究 院教育方法学研究室 , 2002,pp.25-75 3 倍の教育可能性についての調査 3.1 調査の概要 私たちの卒業研究の一環として「魔法の旗についてのクイズ」を企画し実施した。その内容 (2) や結果について正田(1) を参考にしながら述べる。 [目的] 関数の初歩としての倍に関する把握を狙ったプログラム学習を意図したプリント「魔 法の旗についてのクイズ」に関して, どのような子どもに関して学習が可能であるかを調べる。 [方法] 質問紙法によって,小学校 3 年から中学校 2 年までの子ども,239 名に対する調査 を実行し集計する。その質問紙は,学習を意図した本体の他に,被験者の特徴を調べる部分, 本体によって学習を行った感想を調べる部分によって構成されている。その構成の詳細に関 しては,表 3 -1 -1 に記す。被験者数に関しては,表 3 -1- 2 に記す。 75 表 3 -1-1 回答用紙の回答欄の構成 小問 問の名称 形態 万位 (5 桁を集計時付 千位 与する。各位は 百位 右記のように意 味づける) 下2桁 01 【1】① 正誤 ② 正誤 02 ③ 正誤 03 ④ 正誤 04 ⑤ 正誤 05 【2】 正誤 06 07 【3】ア 正誤 イ 正誤 08 ウ 正誤 09 10 【4】ア 正誤 イ 正誤 11 ウ 正誤 12 13 【5】ア 正誤 イ 正誤 14 ウ 正誤 15 16 【6】① 正誤 ② 正誤 17 ③ 正誤 18 【7】 正誤 19 20 【8】ア 正誤 イ 正誤 21 ウ 正誤 22 23 【9】ア 正誤 イ 正誤 24 ウ 正誤 25 26 【10】① 5 件法 ② 27 5 件法 ③ 28 5 件法 ④ 29 5 件法 ⑤ 30 5 件法 設問目的 回答の同定 回答の同定 回答の同定 回答の同定 回答者の特徴 回答者の特徴 回答者の特徴 回答者の特徴 回答者の特徴 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 教材本体 本体への感想 本体への感想 本体への感想 本体への感想 回答者の特徴 質問の内容 回答者の学年(小 3:3,小 4:4,…,中 2:8) 回答者の所属する学校(今回では常時 1 とする) 回答者の所属するクラス (以上の 3 桁をクラス ID とする) (2 桁)そのクラスの中での回収順の番号 求差の問題。藤村(1995)による 濃さの問題。前掲の藤村にあるものの類題。 「時速 30 ㎞」が,だいたい何の速さかの把握。 倍に関する問題(帰一算) 乗法の作問(6 × 3) 旗の表示[+ 2]から関数の機能(2 増やす)を答える。 加法を表す旗の入力から出力を答える。 加法を表す旗の入力から出力を答える。 加法を表す旗の出力から入力を答える。 乗法を表す旗の入力から出力を答える。 乗法を表す旗の出力から入力を答える。 乗法を表す旗の入力から出力を答える。 旗の表示を入出力の組から答える。 旗の表示を入出力の組から答える。 旗の表示を入出力の組から答える。 2 つの加法操作を合成した機能。 2 つの乗法操作を合成した機能。 乗・加法の合成(1 本の旗では表せない) 。 3 本の旗を並べかえて所与の機能を持たせる。 逆関数(逆移動で表示される旗の裏) 逆関数( 〃 〃 ) 逆関数。ただし, [× 0]の裏。 合成関数の逆関数。 [× 2]→[+ 3]の逆が, [ア:- 3]→[イ:÷ 2]である。 [× 2]→[+ 10]の逆が, [÷ 2]→[ウ:- 5] 。 新奇性(1:よくみる~ 5:めずらしい) 難易度(~ 5:すごく難しい) 算数・数学との関連(~ 5:すごく関係ある) 面白味(~ 5:すごく面白い) 算数・数学の得意不得意。 (~ 5:かなり得意) 表 3 -1- 2 回答者の人数 学年(学年番号) 小学校 3 年(3) 小学校 4 年(4) 小学校 5 年(5) 小学校 6 年(6) 中学校 1 年(7) 中学校 2 年(8) (大学生(9) ) 合 計 学級数 2 1 1 1 2 2 9 76 学級の人数 31 34 37 26 17 23 25 32 - - - 16 23 計 63 34 37 26 33 46 25 264 働きの合成を援用した分数乗法 2013(平成 25)年 9 月から 12 月にかけて,小学校 3 年生から中学校 2 年生の 9 学級,合 計 239 人から回答を得た。どの学年に関しても同じ学校の学級であった。また,中学校を除 き各学年が属する学校は互いに異なっている。実施時間は,45 ~ 50 分程度でそれぞれの学校 の時間に即して行われている。 3.2 調査の結果 各問の学年ごとの正答率を求めた。その結果のうち正誤を調べる小問 01 ~ 25 についての 結果を,表 3-2-1 に,5 件法による小問 26 ~ 30 の結果を表 3-2-2A~E に示す。 表 3 - 2 -1 各問の学年ごとの正答率 正答率 小3 小4 小5 小6 中1 中2 大学生 全体 1 94 91 97 96 88 96 96 93 12 小3 83 小4 91 小 5 100 小6 85 中1 97 中 2 100 大学生 100 全体 92 2 33 47 62 58 42 67 84 52 13 68 97 92 85 97 90 100 86 14 71 88 92 88 100 92 100 87 3 13 38 38 27 18 40 64 26 15 73 91 92 85 97 98 100 88 4 6 24 57 50 58 75 92 43 16 40 85 59 73 73 81 100 67 表 3 -2 - 2A: 小問 26 の回答数 学年 / 回答 1 2 3 4 5 小3 1 1 8 20 18 小4 1 4 3 13 11 小5 2 4 6 15 9 小6 0 0 7 11 7 中1 3 1 4 11 13 中2 1 2 7 18 19 大学生 1 2 3 11 8 全体 9 17 40 95 80 5 60 62 68 69 88 81 96 72 17 6 59 46 58 58 81 100 48 総数 63 34 37 26 33 48 25 264 6 67 74 84 69 79 90 92 77 18 29 91 70 54 55 75 100 58 19 19 53 65 62 55 69 92 52 7 86 97 97 92 97 100 100 94 8 86 97 100 85 97 100 100 94 20 11 82 59 58 64 81 100 57 21 2 76 57 54 58 79 96 51 9 86 97 100 85 100 100 100 94 22 5 41 49 38 45 65 80 39 10 86 94 100 88 91 100 100 93 23 2 12 5 12 9 35 56 13 24 2 9 14 12 9 35 56 13 表 3 -2 -2B: 小問 27 の回答数 学年 / 回答 1 2 3 4 5 小3 0 0 6 22 20 小4 1 6 11 9 5 小5 1 5 13 14 3 小6 1 1 4 11 8 中1 6 4 11 8 3 中2 1 18 16 8 4 大学生 0 12 7 5 1 全体 15 40 65 75 46 77 11 83 94 97 88 97 98 100 92 25 2 9 5 4 0 23 44 7 総数 63 34 37 26 33 48 25 264 表 3 -2- 2C: 小問 28 の回答数 学年 / 回答 1 2 3 4 5 小3 2 0 14 19 9 小4 0 0 5 20 7 小5 0 2 5 21 8 小6 0 0 6 14 5 中1 5 3 11 11 2 中2 4 3 3 24 13 大学生 0 0 0 14 11 全体 12 13 47 117 48 表 3 - 2-2E: 小問 30 の回答数 学年 / 回答 1 2 3 4 5 小3 9 8 9 14 6 小4 3 7 14 4 4 小5 1 7 14 11 3 小6 3 6 8 6 2 中1 12 8 6 4 1 中2 11 11 14 9 2 大学生 6 5 8 5 1 全体 43 51 71 52 21 総数 63 34 37 26 33 48 25 264 表 3-2 -2D: 小問 29 の回答数 学年 / 回答 1 2 3 4 5 小3 5 4 21 9 7 小4 1 0 5 12 14 小5 0 2 6 16 12 小6 3 3 8 6 5 中1 6 8 7 9 2 中2 2 3 9 15 18 大学生 0 0 4 7 14 全体 22 24 62 73 58 総数 63 34 37 26 33 48 25 264 総数 63 34 37 26 33 48 25 264 3.3 調査の分析 3.3.1 5 件法による問の分析 前節の結果について,大体の傾向を見るために,5 件法の選択肢である 1~5 を間隔尺度と みなし平均を計算してみた結果を,表 3 -3-1 に記す。 「どちらともいえない」のような中立的答えが 3 で, 最低を 1, 最高を 5 とする 5 件法である。 とりあえず 3.5 を超えているとその傾向があり,2.5 未満であるとその反対の傾向があるとみ て良いだろう。それぞれの小問について細かく見てみよう。 平均値 小3 小4 小5 小6 中1 中2 大学生 全体 表 3- 3 -1 5 件法による問の回答の平均値 小問 27 小問 28 小問 29 小問 26 4.10 3.91 3.69 3.85 3.94 4.11 3.92 3.90 4.29 3.34 3.36 3.81 2.94 2.91 2.80 3.39 3.75 4.06 3.97 3.81 3.06 3.83 4.41 3.73 3.20 4.19 4.06 3.15 2.78 3.94 4.40 3.49 小問 30 3.00 2.97 3.22 2.81 2.09 2.57 2.60 2.80 新奇性についての問い(小問 26)ではどの学年でも平均値が 3.5 を超えており,調査問題 について珍しいと思う傾向がある。難易度についての問い(小問 27)では,小 3,小 6 の学 級が 3.5 以上で難しいと感じ,それ以外の学級では,2.5 以上 3.5 未満の範囲に収まっている 78 働きの合成を援用した分数乗法 ので,どちらとも言えないという中立的な答えが多いと言える。小 4 と小 6 を例外として無 視すれば,学年が進むにつれて,平均値が減少しているので,学年が進むにつれてやさしいと 思えていると言える。 問 26 問 27 問 28 問 29 問 30 問 26 1.000 0.213 0.141 0.117 - 0.097 表 3-3 -2 5 つの問の間の相関係数 問 27 問 28 0.218 1.000 - 0.037 - 0.235 - 0.247 0.141 - 0.037 1.000 0.577 0.102 問 29 0.117 - 0.235 0.577 1.000 0.249 問 30 - 0.097 - 0.247 0.102 0.249 1.000 算数・数学との関連についての問い(小問 28)では, 中 1 の学級を除いては, 3.5 を超え,算数・ 数学について関連があると思う傾向がある。問題の面白味についての問い(小問 29)では,中 1 を例外として平均値が 3.0 を超えている。中 1 の値については,さらによく検討する必要が あろうが,全体的の平均値は,3.49 となっており面白いと感じる傾向にある。算数・数学の得 意・不得意についての問い(小問 30)では,これも中 1 を例外として,2.5 未満ではない。こ の中 1 での特徴に注目して,小問 29 と小問 30 との間の相関係数を,調べてみた。また他との 比較のために,この 5 問相互の 25 通りについて相関係数を調べた結果を表 3- 3-2 へ記す。 自分自身との相関係数は 1.000 となるのは当然であるが,その他で相関係数の絶対値が最大 となったのは,問 28 と問 29 の間の,+0.577 であった。算数・数学と関連があると思うことと, このクイズが面白いと思うこととは,関連が強いことを示している。つまり,算数と関係のな いクイズとして扱うよりも,算数の授業の一環として扱った方が,児童生徒の興味が持たれる と思われる。また,学年を追うごとの増減についても,問 28 と問 29 との間に共通な傾向がある ことも,この相関の強さから説明できることである。第 2 位は,+0.249 の問 29 と問 30 との間 の相関係数である。この相関は決して強くはないものの,算数・数学が得意な子どもがこのクイ ズを面白いと思う傾向にあるので,得意な子どもがやや少ない集団である中 1 では,面白いと 思う傾向が弱くなったと問 29 の中 1 での平均値が小さくなった原因を説明することができよう。 3.3.2 正誤による問いの分析 表 3- 2- 2 に記した小問 1 ~ 25 の各学年の正答率の傾向をみるために,80%以上を A,30 %以上・80%未満を B,30%未満を C として表 3- 2- 2 に記す。 これら 25 個をパターンに分類すると,以下の 6 つがあげられる。 ①すべての学年で A となるもの 小問 1,7,8,9,10,11,12 の 7 問 ②小 3 のみが B で,それ以外の学年は A となるもの 小問 13,14,15 の 3 問 ③小 3 が B で,他の少数の例外を除き B となるもの 79 小問 2,5,6,16 の 4 問 ④小 3 では C で,他の少数の例外を除き B となるもの 小問 3,4,17,18,19,20,21,22 の 8 問 ⑤中 2,大学生を除き C となるもの 小問 23,24 の 2 問 ⑥大学生を除き C となるもの 小問 25 の 1 問 表 3 -3-2 正答率の分類 小3 小4 小5 小6 中1 中2 大学 全体 1 A A A A A A A A 小3 小4 小5 小6 中1 中2 大学 全体 12 A A A A A A A A 2 B B B B B B A B 13 B A A A A A A A 3 C B B C C B B B 14 B A A A A A A A 15 B A A A A A A A 4 C C B B B B A B 16 B A B B B A A B 5 B B B B A A A B 17 C B B B B B A B 6 B B A B B A A B 18 C A B B B B A B 7 A A A A A A A A 19 C B B B B B B B 20 C A B B B A A B 8 A A A A A A A A 21 C B B B B B A B 9 A A A A A A A A 22 C B B B B B B B 10 A A A A A A A A 23 C C C C C B B C 11 A A A A A A A A 24 C C C C C B B C 25 C C C C C C B C この 6 つのパターンに属する小問のうち教材本体のものは,次のようなものである。 ①すべての学年で A となるもの: 旗の表示を知って,入力から出力,あるいは,出力 から入力を答える。 ②小 3 のみが B で, それ以外の学年は A となるもの: 入出力の組から旗の表示を答える。 ③少数の例外を除き B となるもの: 小問 6 と小問 16。 ④小 3 では C で,他の少数の例外を除き B となるもの: 関数の合成,逆。 ⑤,⑥少数の例外を除き C となるもの: 加法・乗法が混在した合成関数の逆。 ③の小問 6 は,正答である判定を厳しくした結果,B となったもので,ほとんど②と同等な ものである。小問 16 は,小 3 を「例外」の一部であると解釈すると,④と区別する根拠がな くなる。同様に⑤と⑥とも取り立てて区別する必要はない。そこで,分類を統合して,次の ような 4 つのタイプを考えることができる。 80 働きの合成を援用した分数乗法 【甲】 6,7,8,9,10,11,12 【乙】 【丙】 【丁】 13,14,15 16,17,18,19,20,21,22 23,24,25 旗の表示を知って,入力から出力,あるいは,出 力から入力を答える。 入出力の組から旗の表示を答える。 関数の合成,逆。 加法・乗法が混在した合成関数の逆 3.4 調査問題の結果から言えること 3.3 に述べたことをまず以下に箇条書きの形で抽出してみよう。 (1)難易度についての感想(小問 27)では,学年が進むにつれてやさしいと思えている 傾向があった。しかし小 4 と小 6 に関しては例外的な変化があった。 (2)この教材は,算数・数学に関係があると,子どもは感じた。また,算数・数学が得意(小 問 30)な子どもがこの教材を面白い(小問 29)と思う傾向にあった。 (3)旗の表示を知って,入力から出力,あるいは,出力から入力を答えるような,関数 の初歩に関する問題は,すべての学年で正答率が高かった。 (4)入出力の組から旗の表示を答える問題については,小学校 3 年を例外として,正答 率が高かった。 (5)関数の合成・逆について考える問題に関しては,中程度(30%~ 80%)の正答率で あった。 (6) 「加法・乗法が混在した合成関数の逆」の問題に関しては,正答率が低かった。 ただし, (1)から,小 4 の回答者に関しては算数が得意な被験者,中 1 に関しては逆に数学 を不得意とする被験者が多かったと推察できる。この傾向は中 1 に関しては表 3-3-1 のデータ によって支持される。また,小 4 については小問 29 の平均値が特異に高いことが表 3-3-1 に 見て取れる。直接には算数を得意とは言わなくとも, (2)の後半から得意と答える子どもと同 様な傾向があると推察できる。このため小 4 でのデータは小学校中学年の典型的なデータとみ るには慎重になるべきであろう。そこで,教材本体に関する傾向として, (3) ~(6)に対応する 次の 4 点を指摘する。 [ア]旗の表示を知って,入力から出力,あるいは,出力から入力を答えるような,関数 の初歩に関する問題は,すべての学年で正答率が高かった。 [イ]入出力の組から旗の表示を答える問題については,小学校高学年以降で,正答率が 高かった。 [ウ]関数の合成・逆について考える問題に関しては,中程度(30%~ 80%)の正答率で あった。 [エ] 「加法・乗法が混在した合成関数の逆」の問題に関しては,正答率が低かった。 このことから,入出力の組から旗の表示を答える問題について,小学校中学年での発達支援を 考えること,関数の合成・逆についてはすべての学年での発達支援を考えることが,課題となる。 81 【参考・引用文献】 (1) 正田良「 『魔法の旗についてのクイズ』作成」 『教育研究』,58, 青山学院大学教育学会 ,2014,pp.1-17 (2) 正田良「 『魔法の旗に関するクイズ』の試行報告」 『学芸大数学教育研究』,26, 東京学芸大学数学科教 育学研究室 ,2014,pp.39-48 4 具体的な学習指導計画の提案 4.1 授業書の目的とその構成 第 1 章では,分数のかけ算のアルゴリズムの根拠を教える際の困難性について触れた。第 2 章では,DIME や酒井のプランをもとに,関数の初歩や,倍についての授業書開発例をみた。 また第 3 章では,関数の初歩に関する子どもの発達支援に関して,あらたな教材開発の必要が あることを指摘した。そこで,ここでは分数のかけ算のアルゴリズムの根拠を子どもに理解さ せることを目標に,倍操作などの学習を組み立てていく指導計画を考える。 教材の学年配当の制約があるので,このプランが同一学年で連続して扱える保証はないが, 特設単元のような形で適宜このプランを順に進めていけば,既存の単元での子どもの学習に寄 与することが期待されるだろう。この節では授業書全体の構想を述べ,次節ではそのうちでや や具体的に授業書に記述するべき具体的内容を提案し,さらにその次の節である 4.3 では,現 行の学年配当に即した場合の扱いについて述べる。また,4.4 では,実際の(分数)×(分数) を導入する授業で,このような授業書がどのような寄与をするか学習指導案の形で述べるとと もに,まとめを試みたい。 Ⅰ 第 1 中単元 簡単な関数の導入 1.数の対応(2H) 単元の導入としてブラックボックスを用い,四則計算を行う。旗の図も使用する。単元開きの 意味もあるので,第 3 章で子どもの認識にとっては必ずしも必要ではないとした教具も,子ども の興味・関心を持たせる意味で, 授業に持ち込み, クイズの形式をとった楽しい授業を目指したい。 第 3 章での正答率のタイプが A である小問が多く含まれている。小問 6,7,8,9,10, 11,12,13,14,15 やこれらの類題によって自習可能な問題集の形の教材によって ・入力と操作から出力を当てる ・出力と操作から入力を当てる ことを扱う。 (1 / 2) ・限られた「操作」の候補の中から, {入力・出力の組}から,操作を選ぶ。 (2 / 2) II 第 2 中単元 関数の合成と関数の逆 2.倍の合成操作(4H) 第 3 章に述べたように,小学校中学年では,教材の自習によって学ぶことが困難な教材で 82 働きの合成を援用した分数乗法 ある。小問 16.17.18.19 に対応する部分であるが自習教材としてではなく,授業で扱いたい。 ブラックボックスと旗の図を使用。初めは,DIME のように「2 倍してから 5 を足す」という ような操作を扱う。例:3 を入れた場合,3 → × 2 → 6 → + 5 → 11 というような,途中の 数(この場合 6)も記述させる。その後酒井のプランのように「2 倍してから 3 倍する」よう な操作を扱う。DIME での学習のように途中の数の記述をすることで,2 倍してから 3 倍する ことは 5 倍ではなく,6 倍になるということを理解させる。 ・入力と複数の旗の並びから,出力を当てる ・複数の旗の並びと出力から,入力を当てる ・入力と出力の組と,一か所を欠いた旗の並びから,欠けた旗を当てる。 ・入力と出力の組となるように,並べるべき旗の組を,適切に並べ直す。 表 2-3-1 の中に紹介した,Puzzle Page(旗の図に関するクイズ ─ 旗を並べる順─ ) などを参考とする。 (1 / 4) 4.2.1 として具体的な授業書例を提案したい。 ・1 / 4 の内容を子ども同士で問題を出し合う。 (2 / 4) ・2 つの旗の並びと同じ機能を持つ 1 本の旗を答える。 (加法の合成と,乗法の合成) ・2 つの旗の合成について,法則を言語化する。 資料 A の調査問題の【5】①,②,③参照 (3 / 4) ・合成された旗と,2 本のうち欠いた 1 本とが,同じ機能を持つときについて,欠いた 1 本の 機能を当てる。 ・合成された旗と,3 本のうち欠いた 1 本とが,同じ機能を持つときについて,欠いた 1 本の 機能を当てる。 (4 / 4) 3.逆関数(2H) 逆移動で表示される旗の裏。小問 20.21 に対応する教材を扱う。 4.合成関数の逆(2H) [× 2]してから[+ 3]の逆は[- 3]してから[÷2]すること。小問 23.24.25 に対応 する教材を扱う。 III 第 3 中単元:加法と減法,そして,加法と乗法,さらに,乗法と除法 5.加法と減法の演算の旗の並び(4H) + 6 と- 2 とを並べる。それと同等な機能を持つ 1 本の旗はあるか? ・並びから,それと同等な 1 本を当てる。 ・同等な 1 本と,並びのうちの 1 本から,残りの 1 本を当てる。 ・旗の並びが, + M と -N の形のもののみのときには,旗の順を自由に入れ替えることが 83 できること 6.乗法と除法の合成(2)(4H) 1 [12 を 4 倍して ─ 倍したときの答えを出す。 (操作の順番を入れかえて考える。 ) ] 3 → ÷ M → × N → と → × N → ÷ M → とが, 同等な操作であることを,いくつかの入出力の組で,法則として感じさせる。商分数につい ても復習したい。 N その上で, それを, ×─ と書くこととすること。4.2.2 としてこの部分の授業書作成を試みる。 M 4.2.2 として具体的な授業書として提案する。 7.恒等操作(無機能な旗) ・ + 0 ,- 0 ,× 1 ,÷ 1 という旗の機能について。 1 M ・ ÷ M は,× ─ とも書けること。× M は,× ― とも書けること。 M 1 8.量分数(2H) 小数で表していた半端の表し方が,6. で述べた分数によっても表すことができることに触 れる。量分数を既に学んだ子どもに,倍操作としての意味付けを付与するところである。 9.約分(2H) 操作としての分数と,数としての分数(数直線で表す) 。素因数分解。 10.分数倍の合成(3H) この部分の授業書については,4.2.3 として別記する。 IV 第 4 中単元: 計算と文章題に関する練習 11.帯分数を掛けるということ(2H:計算練習も含める) 分数の乗法に関する文章題 (演算決定も含める) 12.分数で割るということ(3H) 13.分数で割ることに関する文章題(2H) 演算決定も含める。 4.2 具体的な授業書の提案 4.2.1 倍の合成操作(その 1) 84 働きの合成を援用した分数乗法 倍の合成操作 今までは 1 本の旗のときを考えてきました。旗が複数ある場合について考えていきましょう。 問題 1)○の中にあてはまる数を書きましょう。 ×2 +5 ×2 +5 3 このように間の数を 省いて書くことも 3 できます。 ×2 ×3 ×3 +2 3 14 +1 ×3 12 問題 2)下に 3 本の旗があります。この旗の順番を工夫して入力が 10 のとき出力を 28 にするに は旗をどのような順番に並べればよいでしょうか。また,入力が 10 のとき,出力を 27 にするこ とはできますか? +1 10 ×2 +3 28 85 問題 3) + 1 × 2 + 3 × 4 の 4 本の旗を並べます。5 を入力にして,次のそれぞれの数 が出力になるような,旗の順番を答えましょう。 (1) 60 (2) 44 (3) 65 (4) 51 [メモ欄] 上の(1)~(4)の中で,そのような出力になる旗のならべ方が一通りだけではないものもあります。 グループで話し合ってみましょう。 問題 4) 次は旗に何が書いてあるかを考えましょう。 +1 10 33 3 12 5 18 86 働きの合成を援用した分数乗法 4.2.2 掛けてから割るか,割ってから掛けるか 異演算の合成 2 前節までに,2 つの旗[+ 5]と[- 3]とを順に並べたものは, 2 つの旗[- 3]と[+ 5]とを順に並べたものと,同じ働きをしていること。 また,これらと,同じ働きをする 1 本の旗は, [+ 2]であることを学んできました。 ここでは, [× 6]とか[÷ 2]とか, 何倍かをしたり, 何等分かをしたりする旗の中から, 複数本とって, 順に並べたものの働きについて考えます。 1 [ 問題 1] それぞれの出力を書きましょう。 ×2 ×6 ×3 入力 入力 5 5 9 9 6 6 何か気付いたことは,ありますか? 別何か気付いたことは,ありますか? 別の何倍かする働き の 2 本の旗(例えば,4 倍する旗と,10 倍する旗の 1 本ずつの 2 本)についても,同じことが成 り立つかどうか,調べてみましょう。 [お話し 1] 4 年生のときに学んだように, (○×△)×◇=○ ×(△ × ◇)のような性質があります。 けつごうほうそく ちょっと難しい言葉で「結合法則」と呼びます。 上の図の左側の出力は,それぞれの入力を,□とかくと, (□ ×2)×3 と書くことができます。 右側の出力は,□× 6 ですね。これが,左側の入力が等しいものと,同じものになることを, 結合法則を使って説明することができます。 左の出力は, (□× 2)× 3。結合法則で, (□ ×2)×3 =□ ×(2×3) 一番右の括弧の中を計算すると…? [問題 2] 次の(1)~(5)について,2 本の旗で表わされた働きの合成が,1 本の旗で表わされ た働きになるように,空欄に旗の表示を補いましょう。 例 (1) (2) (3) (4) (5) ×2 ×5 ×8 ×7 2 本の旗 ×3 ×7 ×4 ×6 × 15 87 1 本の旗 ×6 × 21 × 30 × 45 2 [÷ 4] (4 等分する)の逆操作は, [× 4] (4 倍する) 。また, 「3 倍する」の逆操作は, 「3 等分する」 でした。この時間では,何等分かする複数の旗を並べたときの働きについて考えましょう。そして, もうひとつ,思い出しておきましょう。 「靴下をはいてから,靴をはく」の逆は? [問題 3] 左の 2 本の旗の働きと,右の 1 本の旗の働きが同じにするには,右の旗の表示をどうし たらよいでしょうか。左の入力と同じ入力を右に行った時に,右の出力が,それぞれ左の出力に等 しくなったように図に書きくわえてから考えましょう。 ÷4 ÷3 入力 入力 12 12 36 24 36 24 [お話し 2] ÷4 ÷3 ×4 ×3 の逆は ÷12 ↓ つまり ×12 ← もとのものは この逆なので (ことばと式でまとめましょう) ÷○ という働きと ÷△ という働きとの合成は,÷( )になります。 [問題 4]次の(1)~(5)について,2 本の旗で表わされた働きの合成が,1 本の旗で表わされた 働きになるように,空欄に旗の表示を補いましょう。 例 (1) (2) (3) (4) (5) ÷4 ÷6 ÷9 ÷6 2 本の旗 ÷3 ÷7 ÷8 ÷8 ÷ 12 88 1 本の旗 ÷ 12 ÷ 36 ÷ 40 ÷ 48 働きの合成を援用した分数乗法 3 [問題 5] 3 本の旗の合成を考えます。 ×3 ×2 ÷3 入力 5 2 7 それぞれの出力を計算しましょう。また,この 3 つの操作を合成したものを,1 つの旗で表わすこ とはできますか? そして,それはどうしてでしょう。 [問題 6]次の(1)~(5)について,複数の旗で表わされた働きの合成が,1 本の旗で表わされ た働きになるように,空欄に旗の表示を補いましょう。ただし,斜線のある行は 2 本の旗を合成し, 「例」のように「-------」のない行は 3 本の旗を合成します。 例 (1) (2) (3) (4) (5) ×3 ×4 ÷5 × 21 × 42 ÷ 13 複数の旗 ×2 ÷2 ×7 ÷3 ÷7 × 65 1 本の旗 ×2 ÷3 ×2 ×5 ------------------- [問題 7]次の(1)~(5)について,複数の旗で表された働きの合成が,1 本の旗で表された働 きになるように,空欄に旗の表示を補いましょう。 例 (1) (2) (3) (4) (5) ÷3 ÷5 ×4 ÷ 15 ÷ 48 ×7 複数の旗 ÷2 ×7 ÷3 ×3 ×8 ÷ 56 1 本の旗 ÷2 ×3 ÷7 ÷4 ------------------- 4 [問題 1]四角にあてはまる数をかきましょう。 入力 出力 12 → → 60 ÷6 ÷6 ×5 → → ×5 入力 出力 12 → → 60 → → [お話し]ここから×○ と書かれた旗と÷○ と書かれた旗は入れかえても答えが同じということ がわかりました。5 年生で商分数を学びました。× M → ÷N は,÷ N → × Mと同じ働きとなり M N ますが,これを「― 倍する」と言うのでした。 89 4.2.3 分数倍の合成 分数倍の合成 3 2 [問題 1] [× ─ ]の旗と[× ─ ]の旗の合成を考えます。 5 7 2 本の旗を 4 本の旗で表してみましょう。 (1) その 4 本の旗をもっと簡単にできますか。 (2) 3 2 旗の図を書く代わりに, [× ─ ]→[× ─ ]と矢印で合成を表すことにします。ここでは, 5 7 [× 6]→[÷ 35]と整数倍と整数等分それぞれ 1 本ずつの合計 2 本の旗で表せますね。 4 5 3 4 [問題 2] [× ─ ]→[× ─ ]を整数倍と整数等分それぞれ 1 本ずつの合計 2 本の旗で表しま しょう。 この問題を解く途中で, [÷ 5] → [× 4] → [÷4] → [×3] の形に変えることがで きますね。前のページの問題 7 の考えを使うことができますか。 [練習] 3 4 5 7 4 5 1 6 4 5 15 16 2 9 3 4 (1) [× ─ ] → [×─ ] (2) [× ─ ] → [× ─ ] (3) [× ─ ] → [× ─ ] (4) [× ─ ] → [× ─ ] 90 働きの合成を援用した分数乗法 4.3 授業書の学年配当 4.2 で述べた授業書は,合計 32 時間に及ぶ授業時間を用意することが求められる。現行の 教育課程での算数の授業時間でこれをまかなうことはかなり困難なものと言わざるを得ない。 しかし,この授業書をできる範囲で可能な学年での特設単元として扱って準備することは,考 えられないことでもないだろう。また逆に,既習の内容をなぞるだけのために扱うのではなく, 新しい学習内容の理解をより深めるための扱い方によって,授業書の価値を高めることができ よう。そこで,現行(平成 20 年改訂)の学習指導要領による学年配当での,授業書の取り扱 いについて表 4 - 3 -1 にまとめておく。 表 4- 3 -1 授業書での学習内容と学年配当 学年配当やこれまでの記述の概要 提案 第 3 章でみたように,特に乗法に関しての関数の導入に,4 年 以 降。 自 習 Ⅰ 第 1 中単元 簡単な関数の導入 小学校 3 年生ではやや困難が示されていた。数に関する操作 で扱ってもよい。 は,加減的なものと乗除的なものと両方を扱うことによって, 順序を入れ替えることができるかなどの考察が行えるので, 加減的なものだけでなく,乗除も扱える学年が望ましい 現行の学習指導要領では,あまり顕著には表れてはいない 4 年以降で自習 II 第 2 中単元 関数の合成と関数の逆 内容で,一部の検定済教科書での工夫として類似のものが扱 ではなく,授業 で扱う。 2.倍の合成操作(4H)われている内容である。 子どもにとっても新奇性のある内容である反面,クラスの中 3.逆関数(2H) 4.合成関数の逆(2H)での理解度にばらつきが起こる危険もあるので,授業で子ど もの様子をみながら扱う。 4.2 で見たように,乗除に関しての可換性(旗の順番を入 5 年以降 III 第 3 中単元 加法と減法,そして,れ替えることが可能であること)は,5 年生での商分数の扱 加法と乗法,さらに,いが前提となる。 乗法と除法 なお, 「IV 第 4 中単元:計算と文章題に関する練習」に関しては旗の図に関する授業書の範 囲ではない。現行の学習指導要領での学年配当が 6 年生であることを指摘するにとどめる。次の 4.4 で,この授業書が既習であることを前提とした「分数の乗法の授業」を提案する。この提案を 実現するために, 表 4 -3-1 の「提案」の項には, それぞれ「6 年までに」を付け加えるべきである。 また,特に第 3 中単元での「10.分数倍の合成 (3H) 」に関しては,4.4 で提案する授業 の直前で扱われている方が,子どもの印象が強く,多様な考えのひとつとして寄与することと なるので,現行の学年配当では 6 年で扱われる方がよいだろう。 そこで,表 4 -3 -2 のような学年において,授業書の「中単元」を,時間の余裕を作っての 特設単元として,各学年へ分割して扱うことを現実的な対処として提案する。 表 4‐3‐2 授業書の学年配当の提案 第 1 中単元(2H) 第 2 中単元(8H) 第 3 中単元(15H) 第 4 中単元(7H)は,通常 の分数の乗法に統合して扱う 小4 ○ → ← 小5 → ←○→ ← 小6 ○→ ○ 91 4.4 分数の乗法の授業 以上に提案した授業書が既習であることを前提にして, 分数 × 分数の授業を考えたい。まず, 学習指導案の形で提案する。 4.4.1 分数×分数の学習指導案 (ねらい)既習の分数の意味や,倍操作の働きの合成の性質などを用いて,分数 × 分数の計 算の仕方を理解する。 (本時の展開) 時間 0 学習活動 (○は教師の働きかけ, ・は子どもの予想) 課題をつかむ 留意点 既習事項の確認は,前時に行っておく。 3 5 4 のペンキ ─ dL では,板を何㎡ぬれますか。 5 1dL で,板を― ㎡ぬれるペンキがあります。こ ○ 「式は何ですか?」 ・2 つの分数がもし整数だったらと考える。 ・言葉の式にあてはめる。 ・数直線に書いて考える。 何算か?などと聞いて乗法の式であるこ とを確認する。 ○ 「では,この式の答えは何でしょう」 分数×分数の計算の仕方を考えよう。 1 10 ・ ─ dL でぬれる面積を求めてから考える。 5 ・かける数を整数になおしてから考える。 ) (P × Q = P ×(Q × M)÷ M の利用。 ・旗の図を利用する。 ・面積で考える。 ・小数に直して考える 練り上げ 20 ○自力解決で出た考えを発表する。 ○出てきた考えを比較する。 ) (詳細は,4.4.2 で述べる。 まとめ 40 分数×分数の計算の仕方についてまとめる。 45 分数どうしの計算は,分母どうし,分子どうしを かける。 b d b×d ─ ×─ = a c a×c 92 子どもの様子によって, 「見通し」とし て過去に類似の問題をどう解決したのか 振りかえってもよい。 働きの合成を援用した分数乗法 4.4.2 学習指導案の解説 成城学園初等学校の実践(1)や教科書の教師用資料(2)を参考に前項 4.4.1 に学習指導案を 提示した。そのやや詳細を以下に述べる。 この学習指導案は,問題解決型授業の形式となるように提案した。練り上げの段階で,子 どもの多様な考えを発表させることにより,同じ問題に対する多様な考え方に触れて,新し い概念を順次把握させることを目指している。 解決すべき問題として,成城学園初等学校のものを選んだ。乗法の対象である分数を小数 になおすことができるので,あとに述べる≪考え方 E ≫が出るように工夫したものである。 このような新しい演算の導入においては, [文章題の提示]─[式は何ですか]─[答えは何ですか]─[計算方法の抽出] の順番をもつ形式をとることが多いが,これもこの形式をとっている。まず, [式は何で すか]の問いによって,子どもは, (分数)×(分数)の式を立てることになる。そのよう な文章題を選んでいる。 文章題の「1dL で,板を○○ぬれる」で 1dL 当たりの量がわかっていて,さらに, 「この ペンキ○○」とペンキの量が示されて, 「板を何㎡ぬれますか。 」と全体量が聞かれているこ とから,ひとつ当たりの量に関連することがわかる。そこで子どもは,四則演算のうち,た し算,ひき算ではなく,かけ算,わり算であると判断する。さて次に,A×B = C の A,B, C の 3 者のどれが文章題の分数であるかを考えることになる。その考え方として次の 3 者 をあげている。 ・2 つの分数がもし整数だったらと考える。……① ・言葉の式にあてはめる。 ……② ・数直線に書いて考える。 ……③ この問題では,文章題に 2 つの分数が入っている。もし,これが整数であったら 1dL の ペンキでぬる動作を繰り返すことを考えて答えを出すことができるだろう。①は,このよう に累加に帰着させて式を導く方法である。以上のような仮に考えた整数を「擬変数」と呼ぶ ことがある(3)。 これを一般的な言葉にして公式のように書いたものが言葉の式である。この場合, (1dL でぬれる面積)×(使う量)=(ぬれる面積) となる。はじめから,この言葉の式を出すことができれば,①の段階を省略できる。 さて次に,③について考えよう。この考えは,学習指導要領でいう「簡単な比例関係」を 利用したもので,2 本の数直線のそれぞれに,ペンキをぬれる面積とペンキの量を対応させ, 3 4 2dL に対応するのが ─ ㎡であって,この関係のもとに ─ dL に対応する面積を求めるもの 5 4 5 (分数)×(分数)の式を導くことができる。 である。後者は, 前者の ─ 倍となっているので, 5 このように 2 本の数直線を用いる考え方では,倍を使う考え方が駆使されている。 次に「この答えは何ですか。 」の自力解決に入る。学習指導案には,5 通りの子どもの考 93 えの予想を記している。それぞれを見ることにしよう。 最初に, 「小数に直して考える」について述べる。成城学園初等学校(1)では, 『だから「小 数と分数」は一緒に教える』という書名のように分数のかけ算は,小数と関連づけて教えら れている。小数は,分数でも表わすことができ同じ数を表わしている。この問題の場合,出 てくる分数は,比較的容易に小数に直すことができる。この授業で準拠している教科書(2) 4 2 の問題は,─ × ─ であったのを乗数を小数に直せる形としたものである。この立式は,以 5 3 前に小数のかけ算として扱ったものであるので,かけ算としての意味がとらえやすく,また 積もどのような大きさか小数の計算によって求めることができる。ただし,必ずしも分数は 有限小数に直せるわけではないので完全な解決にはならない。 第二に, 「面積図で考える」について述べる。かけわり図で考えるとも言える。被乗数を 長方形のたての長さ,乗数をよこの長さとして表わして,その面積がどのようになるかを考 える方法である。実際に長方形を書いてみると,たての長さを 3 等分,よこの長さを 4 等 1 分すれば 1 辺の長さが ─ の正方形が 12 個並んでいることがわかる。これによって,積が 5 12 ─ であることを知るのである。この方法は,積の値を確実に出すことができ,しかもこれ 25 までのかけ算とこの計算が関連をもっていることを示す方法である。しかし,分母の 25 が あるいは分子の 12 がどのように出てきたのか考察を要する。 1 第三に, 「─ dL でぬれる面積を求めてから考える」について述べる。この方法では,図 5 としては 2 通りの方法が考えられる。面積図の方法と数直線による方法である。考え方と 4 1 してはどちらも大差がないので,詳細は省略するが,─ から ─ と乗数を変える考え方の中 5 5 に 4 等分という 4 倍の逆変換の考えが含まれている。この意味では,実際の量を少し離れ て操作に関する考え方を使っている方法である。 第四に, 「かける数を整数になおしてから考える」について述べる。この言葉のままでは, 意味が通じにくいので学習指導案では (P × Q = P× (Q×M) ÷M の利用。 ) として注記した。 4 この問題の場合,─ をかけている。分数をかけることは,未習である。しかし,分数に整数 5 3 をかけることは既習であるので,まず ─ に 4 をかけようとするのである。長方形の面積を 5 求めるにあたっては,考えつきにくい方法とも言えようが,ここでは数の性質 3 P × Q = P ×(Q × M)÷ M を利用しているのである。Pは被乗数 ─ であり,Qは乗数 5 4 ─ である。Mは,Qにかけて整数にする数であるので 5 である。これによって,分数をか 5 ける計算は 4 倍して 5 等分するという既習の計算の合成として扱えることになる。この方 法は,小学校 5 年生にとってやや高級な数の性質を用いるので意味がわかりにくいが計算 の方法としては単純であるので覚えやすい方法と言えるだろう。 最後に, 「旗の図を利用する」について述べる。この方法は,本研究で作成してきた授業 書の内容を活用する方法とも言える。授業書で示したことは,2 つの分数倍の合成はその 2 つの積倍となるという事実である。ここでは,2 つの分数の積を求めているので,この考え 方は逆の思考をしていると言える。この意味では,子どもにとって思いつきにくい方法であ 94 働きの合成を援用した分数乗法 るが,旗と旗のキャンセルなど約分に通じる動作が視覚化されるので計算の見通しが得やす い。 以上のように多様な考えが自力解決の場面で生ずることとなるが,それを集団解決の中で 交流させ練り上げていくこととなる。 4.4.3 提案した授業についての評価 前項 4.4.2 で提案した授業は,分数×分数の単元での,既習事項の復習を除けば一番初 めの授業であった。分数×分数は,言うまでもなく,かけ算である。これが出題され問題 解決に当たるには,どれくらいの大きさなのかを知ることが重要である。 その問題解決型授業の中での,自力解決中の子どもの予想として,表 4 - 4 -1 に掲げるよ うな考えを挙げた。この 5 通りの考えに対して, (1)一般性, (2) 「量感・自然な発想」 , (3)法則性の理解 という 3 つの観点で評価を加えている。 「 (1)一般性」に関して, 「小数に直して考える」 が劣るのは,必ずしもすべての分数が有限小数に直らないことを意味している。 量感・自然な発想に関しては, 「旗の図を利用する」は,乗法の問題を考えるのに,働き の合成を考えるのは,逆転の発想であって,かなりの飛躍があるように思われる。30 数人 のクラスの中で,多くて 2・3 人,ことによると誰も気付かない発想であるかもしれない。 ただ,その確率は,直前の単元で,4.2.3 に記した授業書で授業を行うことによって,幾分 か高まることになるだろう。 表 4- 4-1 自力解決での子どもの考えの予想としてあげた諸タイプ 4-4-2 での順 考えの概要 一般性 量感・自然な発想 法則性の理解 1)最初に 小数に直して考える × ○ × 2)第二に 面積図で考える ○ ○ △ 3)第三に ─ 1 dL でぬれる面積をまず考える 5 ○ ○ △ 4)第四に かける数を整数になおして考える ○ △ ○ 5)最後に 旗の図を利用する ○ × ○ 1 5 るために,乗数の分母等分している。一部分に関して求めるのは,自然な発想と言える。こ 3)の「 ─ dL でぬれる面積をまず考える」が,求めようとする一部分についてまず考え れに比べて,4)の「かける数を整数になおして考える」は,逆にいきなり乗数の分子倍を 行っている。乗数の分子倍と,乗数の分母等分とは,順番を入れ替えても操作としては同じ ことになるので,3)を自然な発想と認めた上で,4)が 3)での操作を逆の順番で行ったも のとして把握することで,4)の手続きが了解されることになる。この意味で,4.2 に記し 95 たような授業書を, 事前に行っていることによって, 上述の把握を助けることになるだろう。 また,5) 「旗の図を利用する」は,事前の授業書での学習なしに,子どもが発想するこ とは難しいだろう。しかし, 「分母どうしの積が積の分母で,分子どうしの積が積の分子に なる」ことをスムーズに把握するには,良い方法と言えるだろう。 問題解決型学習での集団解決の場面は,いろいろな思考タイプの子どもが意見交流をする ことによって,個々の子どもの理解を深化させる役割を持っている。 例えば,面積図で考えていた子どもが,旗の図の方法を知ることによって,出現している 数がどのように積に関わるのか知ることができるだろう。また反対に,旗の図の利用によっ て分数×分数の結果は出るものの,かけ算の結果出た数がどれくらいの大きさを理解する ことは難しい子ども,あるいは,塾でやり方だけ教わったものの,その数がなぜ出てくるの かわかっていない子どもにとっては,面積図の方法を知ることによってかけ算の結果出た答 えがどのくらいの大きさなのかをとらえることができるだろう。 このように様々な方法を交流させることによって,同じ計算に対して複数の意味づけをも たせ多面的な理解を導くことが可能となる。 「分数同士のかけ算は分母同士,分子同士をか けて計算する。 」という分数×分数の計算の方法として漠然としているまとめも,様々な考 え方と結び付けて考えることで理解が深まると考える。 このように,事前に 4.2 で述べたような授業書を扱っておくことは,自力解決での子ども の考えを多様にする利益の他に,他の考え方の理解にも寄与する。具体的に言えば,この場 合について特に,第四の考えをより自然な発想と思えるようにし,第三の考えに関する理解 の補助となっていると指摘することができよう。 4.4.4 まとめ 以上に述べてきたように,旗の図に関する授業書をつくり,それをもとにした授業を学習 指導案の形で,提案した。授業案を使った授業は,特設単元として延べ 25 時間に及ぶ時間 の工面を必要とするものであった。しかし,この活動を行うことによって,次の利点がある ことが指摘できる。 1. 分数×分数の授業において,その演算を関数の合成としてとらえる。その結果,問 題解決型授業の価値を高めることを,すでに,前項で述べた。 [+ 6]→[- 8] 2. 中学校での学習内容である正負の数の計算への素地となる。例えば, の旗の合成で,正負の数の足し算を学習することに対して,今回の学習指導案で見た ような計算の答えがでる根拠のうちの 1 つを提供し,多面的な理解を導けることが期 待される。 3. 関数の概念を明示的に教えることができる。小中高の算数・数学の中で,正比例,1 次関数,2 次関数,指数関数などの個々の関数は教えられているが,関数そのものに ついてまとまった扱いはあまり見られない。この意味で, 関数概念の見通しをもち先々 96 働きの合成を援用した分数乗法 の個々の関数の学習に資する。 このような利害得失を勘案してみると,そのクラスの置かれた状況によって判断がわかれ るところである。 以上に 4 章にわたって考察を続けてきた。授業書の具体を取り入れたこともあり,かな りのページ数に及ぶこととなった。分数の学習には,それなりの既習事項が必要であるとい うことがわかる。それらをふまえて授業を行うことは大変である。この授業書では,いくつ かの既習事項を系統的に並べることによって,その大変さが少し軽減されることが期待でき る。しかし,書いた本人である私でさえも実際の授業に当たっては,不安が残ることも確か であるが,全く考えなかったことに比べれば 2 年間にわたる卒業研究によって少しはその 不安が少なくなったと感じている。実際の子どもとの出会いによって確かめていきたい。 【参考・引用文献】 (1)第 1 章の参考・引用文献の(3) (2)藤井斉亮他「新しい算数 6 上」東京書籍 , 2011 (3)杉山吉茂『初等科数学科教育学序説』東洋館出版社 , 2008 97 平成 26 年度卒業論文概要 国語科 国語科における朗読指導の在り方を考える ― 小学校高学年の授業実践を踏まえて ― 荒 船 麿 教育実習の研究授業において,詩の朗読指導を実践した。 目指したものは,音読の充実した授業である。男女で交互に読む場面や,教師と児童が交互 で読む場面をつくり,音読に変化をつけ,テンポのよい授業作りを目指した。しかし,詩を声 に出して読む場面は確保できたが,詩の内容理解が不十分となり,作者の心情を理解させるこ とや情景の把握をさせることができなかった。その結果, 朗読指導としては不十分なものとなっ てしまった。これが,研究授業をしてわかった課題のひとつである。 このように,音読を充実させ,朗読指導を行うためには,ただ音読をさせればよい訳ではな いことがわかる。自分なりの読み(朗読)を生み出すために,作者の心情を理解させ,情景を 把握させることで,朗読指導がスタートできるのである。本論文では,朗読指導を展開してい く上での要点を確認し,児童自らの思いや考えを伝えるような朗読ができるようになり,かつ 楽しい朗読の授業を提案していく。 そこで第一章では,実践授業を行ったことで見えた反省点を考察し,朗読指導を成り立たせる ための課題を示した。そして第二章では,前章で明確にした課題を解決するための具体的な方法 を述べていき,理想とする朗読指導に必要なことをまとめた。それをふまえて第三章では,理想 とする朗読指導として,実際に指導案として提案し,より良い朗読指導のための手がかりとした。 沖縄方言(しまくとぅば)の今とこれから ― 小学 5,6 年生と現職教員への調査をもとに ― 田 平 紗 黄 生まれも育ちも沖縄の自分が大学進学と同時に本土にでてきた時に,初めて身近に共通語を 聞いた。沖縄と本土とでは,イントネーションが違い,伝わらない言葉もあった。同じ日本で ありながら,沖縄には独特の伝統文化や方言がある。沖縄の独特の文化は,琉球王国時代での 他国との交流を通し築き上げた文化と,第二次世界大戦後の 27 年間のアメリカ領であった時 代が合わったものである。その文化や言語は,日本の中でも一際目立つものだ。しかし現状で は,その沖縄の文化や方言の衰退が進んでおり,危機的状態に置かれている。沖縄県全体でも 文化や方言の衰退を見直し,対策を施していることを知った。 そこで,身近に触れてきた沖縄方言について卒業研究で取り組むことにした。教育実習先で ある沖縄県豊見城市上田小学校の児童や現職員へのアンケートを中心に,沖縄方言は学校教育 の中でどのように用いられているのか,そして児童,教員の方言に対する知識や関心はどのく 98 平成 26 年度卒業論文概要 らいあるのかを調査し,研究を深めた。 具体的には,第一章では,沖縄方言は様々な歴史に揉まれ,どのように現代に伝わってきて いるか,また沖縄本島と島々の方言の違いや共通語との発音の違いについて調べてまとめた。第 二, 三章では,教育実習校の小学校五, 六年生児童と現職教員に,沖縄方言に関するアンケートを 実施し,回答していただいたものの結果を取り上げ,考察を加えた。そして,最後の第四章では, 本研究で得たことや, 沖縄県での方言推進計画, 沖縄方言の未来について考えたことをまとめた。 言葉の重要性 ― 手話を通してコミュニケーションについて学ぶこと ― 木 内 砂 里 子どもたちが「言葉の重要性」に気づくにはどうしたらよいだろうか。また,その子どもた ち自身のコミュニケーション力を育成するためにはどうしたらよいだろうか。 本論文の執筆を通して,非日常的な体験や活動を取り入れた「手話」を取り上げよう,とい う考えに至った。世の中には話し言葉を喋れない人がいる。では,そのような人たちは,どの ように人とコミュニケーションをとっているのだろうか。聴覚障害者のコミュニケーション手 段の「手話」を体験し,話し言葉を喋れない大変さや難しさを身をもって感じることで, 「言 葉の重要性」や「いま自分にできること」を自身で考え,行動ができる子どもたちを育成させ たいと考えた。 そこで第 1 章では,手話の位置づけや,聴覚障害者のコミュニケーション手段(手話以外) について,また聴覚に障害をもった子どもが教育を受ける場について述べた。第 2 章では,教 育実習中に取り組んだ「手話」に対する認知・意識を調査したアンケートを集計し,学年別・ 性別から見えたことを述べた。第 3 章では,教育実習中に行った 1 時間分の授業の反省から, 総合的な学習の時間「福祉」の指導計画を作成し,一単元として「手話」を取り扱う授業を考 えた。第 4 章では, 「教科」として手話を取り入れた授業を展開したいと考え, 「国語科」とし て「手話」を取り上げる学習指導案を提案した。 国語教育における ICT の活用 野 口 由 夏 本論文は,ICT の教育分野への急速な進行を踏まえ,教員もしくは教員予備軍である学生の, ICT への意識が低いのではないかという問いのもと,ICT に関する詳しい内容や意識調査を 進めた。その調査の過程で,ICT の授業活用での有効性の期待度が, 「国語教育」で最も低い ということが判明した。そこで, 「国語教育」にどのように導入するべきかという問いを新た に据え,検討していった。そして,情報化社会においてこれからの子どもたちに求められる能 力を高めるために ICT を活用することが有効であるのは,中学年から高学年の子どもに対し てであるという結論に至った。 そこで本論文では,まず第一章では,ICT に関してその内容から学生への意識調査に関す 99 るアンケートの考察,ICT 機器に関するメリット・デメリットについて記述した。第二章で は,国語教育での ICT 導入の有効性に関する期待度の低さを知るに至った調査内容,それか ら見えてくる導入へ至るための問題,その解決策について記述した。第三章では,国語教育で の ICT を活用した実践例を紹介した。第四章では,第二~三章を踏まえての ICT を活用した 国語授業の提案として,実際に指導案を作成したものを載せた。 子どもたちが意欲的に取り組める説明文の授業 ― 小学校 4,5,6 年生を中心に ― 鴫 愛 里 菜 卒業論文で説明的文章教材を研究しようと思ったきっかけは,自らの小学生の頃の経験にあ る。入学したばかりの頃は,純粋に国語が楽しく,好んで勉強していたのに,中学年から高学 年を境に説明的文章を「おもしろい」と思えなくなってしまったのである。周りを見てみると, このことは自分だけではなく多くの級友に言えることであった。4 年間教員養成課程で学ぶ中 で,現在の子どもたちも同じような思いを抱えているのではないか,意欲をもって学ぶことが できる授業をしたい,と改めて思ったのである。 そして本研究の結論として,導入でまず子どもの興味をひきつけ,本文を読む段階までそれ を持続させることが何より大切であることを示した。合わせて,本文で学んだことを活動に活 かせるよう,学ばせることを明確にしておかなければならないことを示した。 具体的には,まず第一章では,明治期にさかのぼり,説明的文章教材のはじまりを挙げた。 現在の説明的文章とは大きく異なる点を述べた。そして,現在の子どもたちの国語に対する意 識について述べた。次に第二章では,教育出版・光村図書の小学校 4.5.6 年生の説明的文章教 材の教材分析を行い,難易度の基準を自分なりに設定した上で,最も難易度の高い教材を挙げ た。そして第三章では,二章で決めた難易度の高い教材について,それぞれ先行実践例を挙げ ながら,自らの単元指導計画を作成した。最後に第四章では,これまで教材となっていない文 章を自身で選び,それにおいて単元指導計画を作成した。 国語科におけるファンタジー教材の意味 ― ファンタジー教材を通して子ども達に伝えたいこと ― 荻 野 美 咲 現在, 「白いぼうし」や「注文の多い料理店」などの題名を聞くだけで内容を思い出すこと ができるファンタジー作品が多くある。しかし,実際に国語科の授業として何を児童に学ばせ たいのかが分かりにくい教材がある。 そこで本論文の執筆を通して,国語科におけるファンタジー教材の意味を,現実の世界から 非現実の世界に行き, 現実を逆照射することで自分を見つめ直すことであるという考えに至った。 その結論に至るために,第 1 章では,ファンタジーとは何かについて,一般的なファンタ 100 平成 26 年度卒業論文概要 ジーの定義と国語教育の中でのファンタジー論についてまとめた。その上で第 2 章では,ファ ンタジー教材の「花いっぱいになあれ」 「つり橋わたれ」 「消しゴムころりん」 「海をかっとばせ」 「白いぼうし」 「雪わたり」 「注文の多い料理店」 「きつねの窓」の 8 つの教材を分析し,ファン タジー教材の特徴と分類を 4 つの観点で述べた。そして第 3 章では,ファンタジー教材を扱っ た単元指導計画を作成し,授業を提案した。その指導案から,ねらいとしていたことや課題に なることを見つけ論じた。そして最後に第 4 章で, 国語科におけるファンタジー教材の意味と, ファンタジー教材を通して子ども達に伝えたいことを述べた。 算数科 小 2 乗法での単位の記述 秋 葉 真 子 小学校 2 年のかけ算において,例えば「1 皿に 2 個ずつみかんがのっています。同じ個数ず つみかんがのった 3 枚の皿には全部で何個みかんがのっていますか。 」のような文章題を式に 表わすときに,次のような単位のつけ方がある。 (1)2[個]× 3[皿]= 6[個] (2)2[個/皿]× 3[皿〕= 6[個] (3)2[個]× 3 = 6[個] このそれぞれに一長一短があり,小学校 2 年生での指導はその意義と 3 年以降での指導の 系統によって検討が加えられるべきである。そこで,本研究では,以下のように章を追ってこ の問題を考察する。 第 1 章では,倍概念に関する先行研究を概観する。第 2 章では,かけ算に関する 2 つの対 立する考えを取り上げる。一方は,累加による乗法の意味づけであり,他方は,2 つの量のか け算としての意味づけである。第 3 章では,調査問題によって関数の初歩としての倍が学年に よってどのように把握されているのかをみる。そして,第 4 章では,文章題から乗法の立式を する際に小学校 2 年生はどのように単位を記すべきかという本来の問題を考察する。 働きの合成を援用した分数乗法 二 ノ 宮 夏 奈 関数概念の初歩として倍操作を見る授業書を作成し,分数乗法に援用する授業を構想した。 それによって,授業書の評価を試みた。その結果,従来のプランに比べて時間数がかかるもの の次の長所を見出せることがわかった。第一に,関数の概念を比較的早期に導入することがで き,第二に分数乗法の方法について,多様な考えのうちの 1 つが出せることである。 第 1 章では,小学校算数の学年配当での位置づけに関して述べた。第 2 章では,倍や操作 に関する先行事例として「ダイムプロジェクト」や「道数協プラン」などを概観した。第 3 章 101 では,調査問題によって子どもの倍概念の発達に関して調べた。第 4 章では,以上のことをも とに授業書を具体的に作成した。 理科 理科の視点から見た子どもの食事 ― 6 年「人や動物の体」の発展教材の可能性 ― 坂 本 朝 美 本研究のきっかけは,筆者自身幼少期に体型について悩んでいた時期があり,それについて からかわれた時期もあったことである。現代の子どもは自分自身のことをどう思っているのか, また,そういったことで筆者と同じように悩んでいる子どもがいれば,食事・運動・規則正し い生活の方法を指導し,改善点を提案したいと考えたからである。 第 1 章では, 本研究の問題の所在と目的を述べた。第 2 章では, 平均的な小学生の身長・体重・ 座高の数値を子どもに知ってもらい,それを基に自身がどのくらいプラスマイナスがあるのか, また,成長期真っ只中の子ども達が体に支障なく,健康的な体型になるにはどうすればよいの か考察した。第 3 章では, 学校給食をベースに, 家庭での食事・運動など, どのような生活を送っ ていけばよいのかを提案し,第 4 章では,実際に学習指導用案を作成し,提案した。 理科・生活科における形成的評価の研究 ― 低学年における運勢ライン法の活用を通して ― 出 口 祐 希 教師に子どもが求めるのはやはり楽しい授業だろう。では楽しい授業とは何なのか。楽しい 授業を行っていくためには,子どもの理解の実態を正しく把握し,わかりやすい授業を行うべ きだと考える。実態を正しく把握するためには,子どもを適切に評価しなければならない。楽 しい授業をつくるため,活動の中で表出する子どもの情意を見えるようにし,関心・意欲・態 度の評価として子どもをみとっていく必要があると考えた。 本研究では,楽しくわかりやすい理科・生活科の授業をするための評価の一つの方法として 運勢ライン法を活用することを目的とした。そのために,どのような方法で子どもたちにアプ ローチをしていけばよいかを明らかにしていく。 第 1 章では,小学校理科教育実態調査,学習指導と学習評価に対する意識調査から現場の 教員の評価に対する意識を読み取った。第 2 章では,子どもの認知や評価の種類についてまと めたうえで,運勢ライン法を使い,教師のアプローチ方法を検討した。第 3 章は,第 2 章で 提案したアプローチをもとに学習指導実践・ワークシートを作成・考察を行った。第 4 章では, この論文の総括として,楽しい理科・生活科の授業のあり方について自分の考えをまとめた。 102 平成 26 年度卒業論文概要 小学校第 3 学年理科「太陽と地面の様子」の構成と展開 ― コマ型日時計の教材化を通して ― 小 久 保 郁 美 この論文は『小学校第 3 学年理科「太陽と地面の様子」の構成と展開―コマ型日時計の教材 化を通して―』であり,児童がこの学習単元により一層興味・関心を持ち,意欲的に学習に取 り組んでもらうための教材開発を行い, その開発した教材を取り入れた指導案を提案したものだ。 まず第 1 章では,現代の理科教育の実態をとらえ,児童の理科学習に対する意識の低下や, 児童だけでなく教師の理科嫌いといった様々な問題を明らかにする。そして,明らかになった 問題を改善することが研究の目的であり,そのための教材を開発するとともに,授業に導入す る利点や欠点を述べ,実際に観察活動を行った結果と考察を述べたものが第 2 章となってい る。最後に第 3 章では, 開発した教材を取り入れた指導案を提案する。研究の目的を踏まえて, 児童を意欲的にさせるための工夫や,教材開発をした上でどの場面に教材を用いた観察活動を 導入していくかなどを深く追求していった。 社会科 石垣島の観光産業について考える ─ 新石垣空港建設をめぐって ─ 宇 保 亮 汰 石垣市には,日本全国や,近隣の台湾などの外国からも多くの人が観光に訪れる。石垣島を 支えている産業がこの観光業であるのは確かなことだ。そして,島のさらなる発展の期待を込 めて,昨年 3 月に石垣島新空港が開港された。この新空港建設によって,石垣島の観光面での 結果がどう表れてきているのだろうか,今後どのように発展していくのだろうか。という点を 知りたいと思ったことが,この論文を書くことの理由である。 研究の目的は,第一に, 「新空港建設の経緯を明らかにすること」第二に, 「新空港による利 点と問題点を明確にすること」にある。 論文の内容構成として,第 1 章では,石垣島の産業・観光や暮らし・地形の特徴についてま とめる。第 2 章では,石垣市の観光基本計画について考える。第 3 章では,新空港建設の経緯 について考える。第 4 章では,それらをふまえて,第 5 学年の「自然条件から見て特色ある地 域の人々の生活」の取り扱い方について,石垣島を事例として単元の指導計画を作成していく。 小・中学校における「自由民権運動」の取り扱い方について ─ 秩父事件を題材に ─ 笠 原 康 央 「社会科は暗記科目である」という意識が強く,社会科嫌いになる児童・生徒が多い。また, 歴史が身近に感じられず,興味・関心をもって学習することができない児童・生徒もいる。そ 103 こで,身近にある地域教材を活用することで,児童・生徒の学習意欲を喚起し,課題意識をも ちながら学習することができるのではないだろうか。小・中学校で一貫性をもたせた歴史教育 を展開することで,さらに意欲的に学習できるのではないだろうか,という考えが本研究の設 定理由である。 第 1 章では,歴史学習の問題と地域教材の重要性を明らかにするため,歴史学習の必要性, 問題点,地域教材の重要性について述べていく。第 2 章では,自由民権運動の始まりや概要, 政府の対応,関係した人物について調査する。また,小・中学校の学習指導要領や教科書にお いて自由民権運動がどのように取り扱われているのかを述べていく。第 3 章では,秩父事件に ついての概要や経過,自由民権運動との関連について述べていく。また,秩父事件が歴史的価 値のあるものとして再評価されていった経緯について考察していく。第 4 章では,今まで述べ てきたことを基に,小・中学校における自由民権運動,秩父事件を取り扱った単元指導計画の 作成をする。 大島町の観光産業と防災教育 木 村 一 斗 大島町は,伊豆諸島の最北にある島で,東京都にありながら豊かな自然を残しており,それ を保護・活用した観光産業が盛んである。1986 年には,島の中央に位置する三原山で噴火が 発生し,全島民が避難したことで知られる。私は大島町の出身であり,観光産業の状況や噴火 や台風に対する防災課の取り組みの必要性を感じていた。 そこで本論文では,東京都大島町を地域教材として活用する方法や実践例について研究し, 実際の学習指導案を作成する。また,火山島としての側面や 2013 年の台風 26 号の被害を踏 まえ,関連した総合的な学習として防災をテーマに行うことを目的としている。 第一章では,大島町の概要について調査した。第二章では,大島町の観光産業に関してより 詳しく調べ,今後の観光産業の発展に必要なものは何かを考察した。第三章では,大島町の防 災について調べ,今後どのような防災が求められているか考察した。最後に第四章では,これ までの章での調査・考察を基に実際の指導実践を研究し,大島町を教材とする地域学習の学習 指導案を考案した。 よりよい政治教育を目指して ─ 小・中・高の一貫性を求めて ─ 栗 田 光 初めて選挙に行ったとき,私は「若者の政治離れ」を体感した。若者にとって,政治はどこ か遠くで行われ,自分には関係のないこととして捉えられていることを問題視し,参政権を得 たときに突然政治に参加するのではなく,社会・政治参加の練習を学校教育で行う必要がある のではないかと考え,卒業研究のテーマにした。 この研究の目的は 4 点ある。第一に, 「若者の政治に関する意識のもち方」 ,第二に, 「学習 104 平成 26 年度卒業論文概要 指導要領や教科書での政治分野の取り扱い方」 ,第三に, 「他国と日本の政治教育や政治制度の 比較」 ,第四に, 「小・中・高と一貫した政治教育プランの作成」である。 第 1 章では,アンケート調査で青年・若者の政治意識のもち方を国際比較・分析していく。 第 2 章では,小・中・高の政治分野の学習指導要領,教科書の分析から,政治学習の指導方法 を分析し,それぞれの傾向をつかむ。第 3 章では,アメリカ・イギリス・日本の 3 か国の政 治教育を比較し,各国の背景や政治教育の工夫を分析し,取り入れたい考えをつくる。第 4 章 では,現行の政治教育の反省に立って,新たに学校現場で指導すべき政治参画の方法,あり方 の考察や実践分析を行い,小・中・高の一貫プランを作成,提示する。 玉川上水と玉川兄弟について ― 小川九朗兵衛を事例に ― 染 谷 優 実 この論文では,学習導要領 3,4 年生の内容にある「郷土を築いた人々」の中の「玉川上水 と玉川兄弟」の内容に着目して論じていく。 私の住む小平市には,玉川上水から分岐した小川分水を作った小川九朗兵衛という偉人が いる。この地域教材となる人物を玉川上水の学習に合わせて学ぶことができないかを考えてい く。第 1 章では,学習指導要領の「郷土を築いた人々」の内容の分析,第 2 章では玉川上水 と玉川兄弟について調べ,確かな知識を身に付けていく。第 3 章では,小川九朗兵衛につい て調べ,この人物がどんな人であり,どんな業績を残した人なのかを知り,授業として取り扱 える内容を探っていく。第 4 章ではそれまでに調べたことを踏まえて, 「玉川上水と玉川兄弟」 の内容に地域教材を交えて,小平市の子どもたちの地域に対する愛着を育てることができるよ うな,学習指導計画を作成していく。 日本の食料生産について ― TPP をめぐる課題 ― 守 屋 皓 海 本論文では TPP を取り入れた小学校の食料生産の単元について考察した。日本の食料生産 は食料自給率や輸入量,輸入先,安全性,環境保全などのさまざまな問題があり,さらに昨今 では盛んに TPP について論議されている。そこで時事問題を学習させるよい機会として,取 り上げることにした。確かに小学校で TPP を教えることは大変難しい。しかし適切な知識を 小学生から身に付けさせ,なぜ騒がれているのかという事実を理解し,TPP 導入についての 意見を持つことは重要であると考える。 研究目的としては小学校での食料生産の問題をどのように取り扱うのかを明らかにすること である。次に日本をめぐる TPP の問題,農業,産業などとの関わりをどう捉えたらよいか。 さらに,食料生産の中で TPP をどのように教えるか。の 3 点である。 第 1 章では小学校における産業学習と食料生産の取り扱い方を学習指導要領や教科書から 考える。第 2 章では TPP について調べ,日本の産業の問題,食料生産と TPP との関連につい 105 て考える。第 3 章では農業生産の動向を追い,実際に農家などへの取材を反映させ,悩める農 業をどのように明るく取り扱うか,TPP は各地でどのように受け止められているのかという ことをまとめる。そして第 4 章で指導案作成となる。 図工科 鑑賞教育の情操性についての研究 宮 川 あ つ み 筆者は 3 年次において「鑑賞教育を伴う浮世絵制作」という単元の制作を行った。その研 究では鑑賞対象となる作品を自己の作品として絵画化すること,つまり,制作によりその表現 の追体験を行うという,実践的要素を取り入れた。これは作品の感想を述べるという文章化の 鑑賞を更に深化させた取り組みである。 追体験とは自分を表現する場であり, 「個」を認められる場でもある。この経験は換言して, 他者の作品を自分のものとして捉えることに他ならない。つまり,受け身から能動的になる。 また,再創造という追体験は借りものを自分のものに変換する行為であり,他者の視点を契機 とした自己制作の観点がある, 自己の視野を広げることは新たな価値の樹立につながる。むろん, 鑑賞教育は時間や手間を要するが,学び得た感情や知識,経験は子どもにとって大きな糧とな る。このように鑑賞教育は児童の人間形成に大きく寄与すると考える。この鑑賞教育の情操性 に興味を抱き,その総体を掘り下げて考えていきたいと思い,本主題を設定した次第である。 本章は,鑑賞教育の目標と内容,鑑賞教育の多様性,鑑賞教育の授業試案という三つの構成 で論じ,鑑賞教育の理解に努めた。 体育科 人格形成を促すための運動部活動の役割 ─ 野球指導者の事例から探る ─ 高 橋 修 平 運動部活動は,生徒のスポーツ活動と人間形成を支援するものである。しかしながら,体罰 のような様々な問題点が存在しているのも事実である。本研究は,部活動における部員数,設 置率の高い野球をテーマに,プロ野球の名監督 3 人の「人物像」 「野球界に残した実績」 「監督 としての理念や指導法」を比較し,運動部活動の指導者の役割やあるべき姿について明らかに することを目的とした。その結果,以下のことが明らかとなった。 ・野村克也氏は弱いチームが勝つためには,頭(知恵)を使うべきだという考えのもとで, 自分の理論を選手に植え付けようとした。 ・落合博満氏は選手たちを迷子にしないために, 「日本一になる」という成果論と,12 球団 で最も厳しい 6 勤 1 休のキャンプなどで方法論を示した。 106 平成 26 年度卒業論文概要 ・権藤博氏は選手をプロとして扱い,扱う以上は自主性に任せ,任せる以上はダメだったら 責任を取ってもらおうとした。 本研究から,指導者のあるべき姿は「選手を同じ方向に導く意識改革を通じて,選手との信 頼関係を築き上げ,人間的な成長や技術的な進歩に貢献できる人物」であることがわかった。 さらに人格形成という観点から「選手が自立した人生を送れるように, “思考”を始めるきっ かけを与え,自分で物事を考え,判断する大切さに気付かせることができる人物」が求められ ることも明らかとなった。 日本サッカー界における少年サッカーの役割とその発展 ─ 日本と海外の育成システムの比較から人間教育と技術力向上を考える ─ 青 柳 雄 大 少年サッカーをはじめとする日本サッカーの現状として,世界で戦えるようなレベルになり つつあるが,2014 ブラジル W 杯のように未だ結果が出ているとは言えないであろう。 海外の育成機関と日本サッカーの育成機関との比較・検討を行うことで,日本の少年サッカー をはじめとした育成システムについて,サッカーの技術だけではなく人間教育という観点から どういった位置づけをすることが必要なのかを提案することを本研究では目的としている。 日本,ドイツ,オランダ,FC バルセロナの育成機関の比較から考察した結果,日本サッカー の今後やっていくべきことが 3 点あげられる。1 点目は,トレセン制度の見直しである。2 点 目は,育成機関・人間教育の場の数の充実である。3 点目は育成期の選手達の試合の年間のシー ズン化である。しかし,日本サッカーがこれらを全くしていないわけではない。今後海外サッ カーと渡り合えるようになるようにするためにトレセン制度の見直しによる少年サッカーから の選手のための環境を整えること,そのための指導者の充実,サッカーに限らず,一人の人間 として生きていくための教育を受けさせること(サッカーだけではない人間教育が)重要であ る。また,少年サッカーをはじめとした育成期からのシーズン化により,育成期の選手がサッ カーに集中できるようにすることで少年サッカーからのレベルアップを図ることができると考 えられる。 生涯スポーツを獲得するために幼少期に何をすべきか ─ 学校体育にできること・できないこと ─ 大 塚 一 輝 本研究は実際に大学生のアンケートを取り,体育嫌い・運動嫌いの原因を明らかにすること を目的に行った。その結果,体育嫌いの因子として以下のことが明らかになった。 ① 教師因子として,教師の言動 ② 授業因子として,授業内での怪我 ③ 家族因子として,家族内でのコミュニケーションの不足 107 ④ 体型因子として,痩せ型傾向の児童の体型と体の硬さなどの身体的特徴 以上の四つの因子を学校体育にできること・できないことに分けた。学校体育としてできる ことは,教師因子として児童を褒め認めるような言動を授業内に取り入れること,授業因子と して,体育中の怪我を未然に防ぐ手立てとして教師の安全面の配慮を徹底して行うことが挙げ られた。学校体育にできないこととして,家族因子の家族内のコミュニケーションの円滑化で ある。そして体型因子の痩せ型傾向児童の体型の改善については学校体育にはできないことで あるが,身体的特徴は学校経営の面と学校教師の面から見ると,できること・できないことが 変わってくると考えられる。これらの要因を改善することで学校体育の本来の目的を達成し, 生涯スポーツの獲得することができると考えられる。そして,生涯スポーツを獲得することで, 健康寿命を伸ばし,より良い生活が送れることを期待する。 家庭科 小学校家庭「家庭生活と家族」に関する研究 ─ 内容項目の変遷とその課題をふまえた授業実践の提案 ─ 積 田 沙 也 夏 本論文では,小学校家庭科における家族に関する内容項目が成立過程から現行に至るまでの 内容と課題を明らかにしたい。それをふまえ,子ども自身が家族の一員としての存在を理解し, 主体的な生活者の基盤となる授業を提案することを目的としている。 第一章では,学習指導要領および教科書の内容から戦後の家庭科の変遷を整理した。戦後, 民主的な家庭建設を目指した家庭科であったが,実質的には戦前の女子教育を引き継ぐもので あった。高度経済成長期以降は,家庭生活の維持のための子どもという位置づけから,子ども の自立や人権,個人の尊重が意識されている。社会状況の影響を受けやすい教科であり,家庭 を取り巻く状況は変化していることから(第 2 章) ,教科の特性と留意点を整理し,子どもたち 自身が家庭科の学習を通して家族と自分を見つめ,主体的に家庭生活に関わる力を育てること を目的とした学習指導案を作成した(第 3 章) 。今後は教員として,子どもが主体的に家庭生活 にかかわり,生活をより良くできるような教育活動を展開したい。またそれは社会をより良く することと密接に結びついていることを自覚できるような授業を設定していきたい。 生活科 特別支援学級に通う自閉症の児童と通常学級の児童との交流 及び共同学習の現状と課題 高 根 美 里 本研究には,以下の目的がある。第一に,特別支援学級に通う児童と通常学級に通う児童との交 108 平成 26 年度卒業論文概要 流及び共同学習が,特別支援学級に通う児童へどのような影響をもたらしているのかを明らかにす ることである。第二に,交流学習及び共同学習が,通常学級に通う児童にどのような影響をもたら しているのかを明らかにすることである。そのため,それぞれの児童の変化に焦点を当て,交流及 び共同学習の現状や課題について問う,小学校教諭を対象としたインタビュー調査を行った。 その結果,交流及び共同学習は,特別支援学級の自閉症の児童にとって,集団の中で生活す ることにより,他者と関わる貴重な機会となっていた。つまり,他者との関わりを通して,社 会の中で生きていくことを学んでいくことが示された。そして,通常学級の児童にとっては, 自閉症という障害についての理解が深まり,さまざまな個性をもった人がいるということを学 び,助け合いの心,思いやりの心を育むことができる機会となっていた。また,この交流及び 共同学習は,特別支援学級の教師,通常学級の教師,専科の教師,保護者,さまざまな大人が 連携を密に取ることで成立していることが確認された。 幼児は絵本の内容をどこまで信じるのか ─ 登場人物が実在するか・否かを判断する基準に着目して ─ 夏 目 侑 実 本研究は,幼児が絵本に出てくる登場人物の存在をどこまで信じるのかについて明らかに することを目的とする。4 ~ 5 歳児 9 名に『ようかいえんにいらっしゃい』 (新刊)を読み 聞かせ,妖怪に会えるか・会えないかとその根拠についてインタビュー調査を行った結果, 9 名中 2 名(2 名とも年長児)が絵本に出てくる妖怪たちに会えると答えた。会えると思う と答えた幼児たちの会えると思った理由は「夢で会えると思う。 」 「ろくろくびとじろりんく ん(ひとつめこぞう)は会えると思う。 」であった。妖怪たちに会えないと思う答えた幼児 は 9 名中 7 名であり,うち 1 名は「わからないが会えないと思う。 」と回答した。また,会 えないと思うと答えた幼児たちの中で一番多かった回答は「妖怪の国は遠いから(また,こ こは妖怪の世界ではないから) 。 」と, 「 (現実で)見たことないから。 」であり,会えないだ けで実はどこかにいる,と考えている可能性が示された。以上のことから,空想の存在に対 する子どもの認識は,4 歳から 6 歳の間に“本物-偽物”の次元を自らの認識に取り入れる ことによって,本物と偽物が未分化な状態から分化した状態へと発達的に変化することが確 認された。 幼児の言葉の獲得に影響を与える存在・影響を与えやすい言葉 ─ 幼児をもつ保護者へのインタビュー調査から ― 小 谷 沙 乙 里 本研究では,どのような存在が幼児期の言葉の獲得に大きく影響を与えるのか,どのような 言葉が影響を与えやすいのかを,3 ~ 6 歳児をもつ保護者にインタビュー調査をすることによ り,明らかにすることを目的とする。 109 調査の結果,幼児の言葉の獲得にはテレビ番組やきょうだいの影響が大きかった。きょう だいについては,特に上の子の影響が強く,上の子が言う言葉を下の子が真似して言ってい るという話や,言い方や動作までもお姉ちゃんの真似をして言っているという話を聞くこと ができた。 今回の調査では,テレビ番組の影響も含め,兄や姉が言っていた言葉を真似して言っている という結果が多かった。一方,父親・母親がよく言う言葉(口癖)は,自身の子どもが何か行 動をしたときに言う言葉ばかりであったため,対象児がその行動をしない限り,聞くことがな いということが分かった。また,幼稚園・保育園の先生が全体に向けて話すときの言葉は,何 度も耳にするため,影響を与えやすいことが分かった。 つまり,幼児の言葉の獲得には,きょうだいの影響や,繰り返し耳にする機会があるために 幼児の中で強く印象に残る言葉の影響が強いということが分かった。 幼児の公共の場でのしつけ方略としつけの厳しさ 恩 田 真 由 本研究の目的は,3 ~ 6 歳児の母親を対象にインタビュー調査を行い,公共の場でのしつけ 方略しつけの厳しさについて明らかにすることである。具体的には,①電車でお菓子を食べる 子ども,靴を履いたまま椅子に上がる子ども,大きな声で話している子ども,横になって寝て いる子ども。②スーパーで走り回っている子ども,試食を何回もする子ども,カートに足をか けたり押している子ども,購入前の商品を開けてしまっている子ども。③レストランで走り回 る子ども,食べこぼしや音をさせ食べている子ども。などが挙げられる。 10 つの場面絵を用意し,自分の子どもと同じくらいの子のこのような行動を目にしたとき, どのように感じるかと,もし,自分の子どもがこのような行動をとった場合にどのような対応 をとるか(あるいは,そのように行動させないためにどのようなしつけをしているか)を聞い た。その結果, しつけの方略として次のような項目が発見された。 「我慢させる, 恥じらい, 叱る, 放任型」等である。また,上記の他人の子どもと自分の子どもの違いはあるのかについて,違 いがあるということが「愛着関係」という言葉を通して見つけることができた。 空想の存在に対する幼児・児童の認識 ─ 実在の根拠に着目したインタビュー調査から ─ 篠 田 麻 梨 絵 本研究の目的は幼児・児童にインタビューを行うことにより,宇宙人や UFO という空想の存在 に対する認識や実在するか否かに対する認識を明らかにすることである。その際,日常的想像物 であるサンタクロースが実在するか否かについても調査を行い認識とその根拠の理由を比較する。 対象は 3 ~ 5 歳の幼児 7 名と 7 ~ 11 歳の児童 4 名の計 11 名とする。まず,不思議現象 の 1 つで,未だに存在の有無が 100%証明されていない空想の存在,宇宙人や UFO に対す 110 平成 26 年度卒業論文概要 る幼児・児童の認識を確認する為,絵を描いてもらった。その結果,彼らが考える宇宙人や UFO は様々であったが,知っている・いると思うと回答した幼児・児童は 11 人中 11 人の 100%であった。幼児の理由は「いるとおもう」などの曖昧な回答であったのに対し,6 歳 以上は自ら調べるなど,様々なメディアを通して宇宙人や UFO に関わっており, 「宇宙人 がらみの事件が起きているから」などの根拠や, 「見たことある」など本人の経験談を具体 的に述べていた。一方,日常的な想像物であるサンタクロースの存在を信じていると回答し たのは 11 人中 7 名の 64%で全員が幼児であり,信じるか否かに関しては家庭環境も強く 関わっていることが分かった。 総合的な学習の時間 世界と日本水資源の現状と未来 ─ バーチャルウォーターを軸に ─ 福 井 大 二 朗 20 世紀は「石油をめぐる時代」であった。しかし 21 世紀は「水をめぐる時代」である。地 球上には 14 億立方キロメートルもの資源がありながら,そのうち,淡水はわずか 2.5%に過 ぎない。さらに, その大半は極地などの氷や地下水であり, 我々が利用できる淡水は全体の 0.3% に過ぎないのである。貴重な水資源でありながら,世界には均等に分布されておらず,アフリ カや南米の地域では水不足に悩む地域も少なくない。日本国内に住む自分たちは,蛇口をひね れば水が出るという当たり前の感覚がある中で,世界を見ると多くの問題を抱えている。水を めぐる紛争,水質汚染,水ストレス,バーチャルウォーターなど,様々な問題を抱える中で, 水資源というのは地球規模で深刻な状況にある。しかし,現在の小学校教育において,水に関 する学習というのは,地域に立脚したものにとどまり,十分に行われていない現状がある。こ れだけ多くの問題を抱えていながら,現代の小学生はほとんどこの現状を知らず,生活をして いる。小学校の総合的な学習の時間において新たな環境教育の実践を提案するために研究テー マを「世界と日本の水資源の現状と未来」とした。その中でも特に,バーチャルウォーターを 軸に研究を進め,総合実践の提案を構成した。 111 国士舘大学初等教育学会・会則 第 1 条 本会は国士舘大学初等教育学会と称する。 第 2 条 本会は事務局を国士舘大学文学部初等教育専攻内に置く。 第 3 条 本会は初等教育の性質に鑑み,広く研究の場を提供すると共に,合わせて相互啓発の 場を提供することを目的とする。 第 4 条 本会は前条の目的を達成するために次の事業を行う。 1. 機関誌の発行。 2. 研究会・講演会の開催。 3. その他の必要な事業。 第 5 条 本会は総会を開催する。 第 6 条 本会の会員は次の通りとする。 1. 国士舘大学文学部初等教育専攻の専任教員。 2. 国士舘大学文学部初等教育専攻の学生。 3. その他,入会を希望して,初等教育専攻の承認を得た者。 第 7 条 本会に次の役員を置く。 1. 委員若干名。 2. 監査 2 名。 第 8 条 本会の役員の任期は一年間とする。ただし再任をさまたげない。 第 9 条 本会の経費は会費・助成金・寄付金その他をもって当てる。 第 10 条 本会の会計年度は 4 月 2 日に始まり,翌年 3 月 31 日をもって終わる。 付則 1. 本会則は総会に出席した会員の 3 分の 2 以上の賛成をもって変更することができる。 2. 細則は別に定める。 3. 本会則は平成 11 年 4 月 1 日より施行する。 所在地 〒 154 ― 8515 東京都世田谷区世田谷 4 ― 28 ― 1 国士舘大学文学部初等教育専攻 平成 25(2013)年度会計報告[平成 25 年 4 月 1 日 ~ 26 年 3 月 31 日] ◆収入の部 会費収入 郵便口座利子 前年度繰越金 ◆支出の部 456,000 円 『初等教育論集』第 15 号制作費 359 円 特別講座諸経費 1,201,557 円 次年度繰越金 郵送代 計 1,657,916 円 計 112 377,548 円 64,580 円 1,210,788 円 0円 1,657,916 円 国士舘大学初等教育論集投稿規定 国士舘大学初等教育学会は,その会則(以下「会則」と略記する)第 4 条第 1 項に定める機 関誌として, 『初等教育論集』 (以下「論集」と略記する)を発行しているが,その投稿並びに 編集の詳細に関して以下に定める。 1. 編集の担当者を,会則第 6 条の第 1 項による会員(専任教員)の互選により 1 名以上定める。 2.「論集」の記事は,目次や編集後記等,編集の過程で生ずるものの他,次のものとする。 (1)本会の会員による投稿のうち,初等教育専攻での承認を経て,編集担当者が適切と判断し たもの。 (2)会則第 6 条第 2 項による会員(学生)のうち,当該年度に執筆し,合格したすべての卒業 論文の概要。 (3)会則第 6 条第 2 項による会員の卒業論文のうち,別に定める規定による審査によって特に 優秀と判定されたものの全部,もしくは抄録。 (4)その他,会則・会計報告等,初等教育学会の運営に必要と思われる記事。 3. 前条の規定に拘わらず,編集の担当者は収録可能ページの判断により,記事の次号送りや収 録保留を判断することができる。 また,前条(3)による収録の分量についての判断は,初等教育専攻の意を尊重して編集の担 当者が行うこととする。抄録の方法は, 編集の担当者が箇所と字数を指示して著者本人が行うか, もしくは,編集担当者が行いそのような抄録であることを付記するかのどちらかを,著者が選 ぶこととする。 4.「論集」の発行は,冊子体,インターネットなどによる情報機器を利用する媒体,もしくは, その双方とする。2. に定めた記事に関して執筆者並びに著者は,その収録・公表および配付に 関して,投稿もしくは提出時に承諾したとみなす。 5. 前条の規定により,執筆者並びに著者は,その記事に関して著作権等の義務を正統に処理し た状態である義務を負う。特に初等教育学会の責を問われることのないよう誠実に対処する責 任を負うこととする。 6. 記事の提出は,原則として次の締め切りとする。第 2 条(3)の抄録を著者が著者自身で行 うこととした場合,当該年度の 1 月末日。その他の記事は,12 月 10 日。ただし,編集担当者 の判断によって,適宜その締め切りを後に延ばすこともできる。卒業研究の抄録は各卒業研究 科目ごとにまとめて提出するものとする。 7. 論集の発行は原則として,3 月 1 日とする。印刷所は校正に関して著者と直接連絡をとる。 そこで,原稿の提出時に,氏名・住所・メールアドレス・電話の連絡先を添付することとする。 8. 記事は,A5 版として,横書きの場合,原則全角 37 字を 1 行に含む 30 行を 1 ページとする。 縦書きの場合,20 字 28 行の 2 段を 1 ページとし,電子ファイルとその紙打ちとの両方を提出 するものとする。電子ファイルは当分の間 MS-Word の文書ファイルを原則とするが,TeX な どの写真製版可能な版下での提出も可とする(数式などが多いものへの対応) 。 9. 注等のポイントは MS-Word による場合,投稿時には落とさずに,校正時に適宜依頼するも のとする。また,注の形式は,既刊のものを参考に統一のとれるよう留意する。 付記 .2006(平成 18)年 1 月から施行する。2006 年 3 月に発行予定のものは, 執筆者にこれを, 投稿時にさかのぼって適用することの承諾をえるものとする。 113 編集後記 2014 年 4 月より,「特別の教育課程」が制度化されました。これは,義務教育諸学校にお ける日本語指導が必要な児童生徒の増加に対応し,彼/彼女らに対する日本語教育の充実を図 るための取組みの 1 つです。文部科学省の調査によれば,公立小中学校等に在籍する外国人児 童生徒のおよそ 4 割が,日本語で日常会話(=生活言語)が十分にできない,あるいは,日常 会話はできても,学年相当の学習言語が不足し,学習活動への参加に支障をきたしています。 さらに,日本語指導が必要な日本人児童生徒も増えています。つまり, 「不十分な日本語」ゆ えに教科科目の授業を十分に理解できない児童生徒が少なからずいると言うことです。 「特 当該制度を導入するかどうかは, 校長判断にゆだねられており, 導入 1 年目の 2014 年度に 別の教育課程」を編成・実施した学校(教育委員会)は少数であると報告されています。加え て,編成・実施したいと思っても,日本語指導を担当できる教員がいないために導入できない という現場の声をもあります。日本語指導が正規の教育課程に位置づけられた意義は大きいも のの,解決すべき課題はいまだ残されています。 社会は絶えず変化しています。地球規模での関係性がより深まっていくグローバル化の時代 において,社会の変化は加速化しています。学校教育を取り巻く状況も同様であり,前半で取 り上げたことがらはその一例です。ただし,社会の変化のはやさに比して,総じて制度の変更 には時間を要します。4 月から教員として教壇に立つ学生も,これから教員を目指す学生も, 不易な事象を大切にしつつ,常に広く社会に目を向け,自ら変化に気づき,いち早くそれに対 応できる教員になってほしいと切に願います。 編集担当 : 鈴木江理子 執筆者紹介(掲載順) 正 田 良 文学部 教授 菱 刈 晃 夫 文学部 教授 小野瀬 倫也 文学部 准教授 二ノ宮 夏奈 2014 年度卒業生 初等教育論集 第 16 号 発 行 平成 27(2015)年 3 月 15 日 発 行 所 〒 154 ― 8515 東京都世田谷区世田谷 4 ― 28 ―1 編集発行人 制 作 国士舘大学初等教育学会 山室和也(専攻主任) 国士舘大学初等教育学会 ゆうちょ銀行・郵便局から振り込む場合 (記号)10070(番号)9804211(名前)国士舘大学初等教育学会 他の金融機関から振り込む場合 (店名)〇〇八(店番)008(口座番号) 0980421(名前)国士舘大学初等教育学会 オリオン出版 114
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