オリンピックへ行こう アテネ編②

【退職のち放浪】ライブ 63: オリンピックへ行こう∼アテネ編②∼
先に日本選手の活躍編のレポートをお伝えしたが、今回はアテネに行くところから。
アテネへ
ハンガリー ⇒ クロアチア ⇒ イタリアと移動してきた。
イタリアからの船が着く街がギリシャで 3 番目に大きいパトラスという都市である。ここは典型
的な商業都市で、観光客は船に乗る人以外はほとんどいない。
これまでいろいろな情報を見聞きするに、どうもやはりアテネで安い宿を捜すのは難しい様だ。
全くないという訳ではないとも聞いた。ただ、一番安いケースで、27 ユーロ(3730 円)、かなり
苦労して探したという話だったから、私の場合、大きな荷物を抱えて右往左往し、挙げ句の果て
に 50 ユーロ程度の宿に落ち着く、ということにもなりかねない。オリンピックのチケット代を
考えると、それはつらい。
そこで、このパトラスという街に拠点を置くことにした。ここの宿は 1 泊 10 ユーロ(1380 円)
と割安である。
このパトラスから朝 6 時の電車に乗り、4 時間弱かけてアテネの主要駅に着くと、これが本当に
アテネ駅?というほど寂れたものだった。今までのヨーロッパの首都にある駅の中で一番規模が
小さく、人も少ない。それどころかオリンピックの客など誰もいないぞ。
ただ、インフォメーションだけはきちんと整備されていて、駅には駅員とボランティアの通訳の
女性がいる。早速『オリンピックが見たいのだけど』
、と言うとメトロの Panepistimio という駅
へ行くように指示された。
オリンピックのチケットを持っていると、メトロ等の公共機関が無料になる、という噂を聞いて
いたが、それは事実でオリンピックのチケットを買いに行く一回目だけ、0.7 ユーロ(95 円)を払
い、インフォメーションの案内に従ってアテネ中心部のチケット売り場を目指す。
その駅を出ると、直ぐにチケット売り場が見つかった。というのも、すごいたくさんの人が並ん
でいるのである。
チケットの販売は 10 時から。私がここに到着
したもの 10 時。既に長い行列。
そこから並び始めて 2 時間でようやくチケット
が買える。何といっても、その売り場はブース
が 2 個しかない。そこへ 150 人からの人がいろ
いろな競技のチケットを買い求めるのだった。
1 人に対し 1 分はかかっている。歩みはのろい。
私の後ろには賑やかな連中がいて、ダフ屋をか
らかっている。試しにダフ屋に聞くとチケット
を何故か正規料金で売っている。テニスに至っ
街の中心にあるチケットオフィス。見たい競技のチケットが買えな
い、あっても高い、やけに待たせるなどで殺気立つ場面も。
ては、窓口では既に売り切れにもかかわらず、
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40 ユーロのチケットを 35 ユーロで売ろうとしている。
これ、サギじゃないかと警戒した。もしくはギリシャ人しか入れないとか。
いきなりアテネについて、悪い輩に騙されるのはつらい。テニスのチケットは欲しかったが諦め
ることにした。
チケットを買えた人が、まだ並んでいるその賑やかな連中に見せている。私がその連中に『何の
チケットだったの?』と聞くと、
『どうもメトロのチケットしか買えなかったみたいよ』とジョー
クを飛ばす。しかし実はあまり笑えない。現に私の目の前人は二人とも、望みのチケットを買え
ず、2 時間並んでも諦めていたのだ。
私の場合、1 枚ではなくいろいろな競技のチケット買おうと思っているので、紙にたくさんの希
望を書いていると、後ろの人から、
『頼むから MAX で 10 分にしてくれよ』と懇願された。
体操、シンクロナイズドスイミング、テニス、サイクリング、ビーチバレー、トライアスロンを
トップに挙げていたのだが、ことごとく売り切れだそうだ。その他の競技で興味がある野球、ハ
ンドボール、ソフトボールはチケットが買えた。ホットした。
そしてオリンピックの花、アスレチックスは 25 日だけ、しかも40、60 ユーロのチケットは売
り切れで、残っているのは 90 ユーロ(12,420 円)だけ。躊躇したが買う事にした。
しかし、2 時間も並んでいたせいで、本日の野球、せっかくの台湾戦は終わってしまっていた(因
みに日本のサヨナラ勝ち)。
実はこのチケット売り場に並んだのはとんだ間違いだったのだ。
各スタジアムでも、すべての競技が購入できたのだった。しかもほとんど並ばずに。
このチケット売り場を案内した駅のインフォメーションも恨めしいが、その事を知らずにこんな
場所に延々と並ぶアテネ市民もどうかしている。
そしてこれだけ人が来る場所に、ブースが 2 つはないだろうよ、オリンピック委員会さん。
ハンドボール女子
中学も高校も、何故かハンドボール部が強かった。だから球技大会なんかでもハンドボールをや
っていて、人通りのルールは何となく覚えていたので是非見たい競技の 1 つだった。
まだ予選である。チケットは 10 ユーロ(1380
円)で 2 試合を見る事が出来る。
1 試合目はフランス対アンゴラ、2 試合目はギ
リシャ対ウクライナ。
フランス対アンゴラは、体力、作戦に勝るフラ
ンスが、アフリカの小国アンゴラをいじめる構
図、という感じ。もちろんフランスの勝ち。た
だ両国とも応援はほとんどなし。
一方、2 試合目のギリシャ対ウクライナは、何
時の間にこんなに客が、というほど混んで来て、
女子のハンドボール、ギリシャ対ウクライナ。美人の多いウクライ
ナ、でも選手はすごく恐い感じ。
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応援合戦も含めて楽しかった。
ウクライナのパワーがすごい。身長も高い。体もでかい。結局ウクライナがギリシャが圧倒して
勝った。応援席のギリシャ人からも、こりゃ無理だな、という雰囲気が感じられた。
正規のチケット売り場では、売り切れ続出となっているが、会場ではたくさんの空席が目立つ。
チケットがどこかにかなり余っているようだ。
さらに、このチケットの仕組みがよくない。2 試合見れるのは嬉しいのだが、人によっては目当
ての試合が終わると、さっさと会場を出てしまう。もしくは最初の試合は見ない。
結果としてさらに空席が目立つ。価格を半分にして、1 試合だけにしてくれればもっとたくさん
の人が楽しめるのに。
ホッケー
ハンドボールを見た後、近くにあるビーチバレーの会場に移動。
しかしチケットはやはり売りきれ。ダフ屋を探したがいなかった。ギリシャでも相当に人気が高
い種目のようだ。
仕方なく、今日これからやるいろいろな競技のチケットの有無を聞いてみたが、各種目ともにだ
んだんと決勝が近づいてきたせいか、ほとんどが売り切れ。
重量挙げやレスリングはあったが興味無し。
ただホッケーがまだあるという。そこでバスで移動。
対戦は、イギリス対ドイツ。
ホッケーという競技を生で初めて見た。サッカ
ーに似た競技だが、スティック?を使うだけに
スピード感がある。
またすごい運動量。サッカーに引けを取らない。
ボール(と呼ぶのかな?)のスピードも半端じゃ
ない。ゴールの真後ろに陣取っていたが、よく
もまあ、キーパーはあれだけ速く反応できるも
のだと感心。
新しいスポーツを見ると、自分でもやってみた
くなる。日本でホッケーをやるにはどうしたら
ドイツの応援がものすごい。見てるだけで楽しい。結果は、ドイツ
4対イギリス1で、ドイツの圧勝。
いいんだろうなあ。
この試合が相当に盛り上がり、会場を出たのは 11 時過ぎ。もはやパトラスに帰る電車はない。
野宿する場所を探す事に。
会場の案内係に聞くと、
『ここは警察が許可しないので駄目。あのトラムに乗って南に下れば海岸があるから』
というアドバイスをもらってトラムに乗ってみる。
確かに海岸沿を走っている様だが、果たして野宿できるのか、う∼ん、この辺はうるさそうだな、
なんて考えていると終点に着いてしまった。仕方なく降りる。
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終着駅の近くの港には、幾らでも寝る為の場所があった。もちろんコンクリートの床だが(さすが
に係留している豪華船には入らなかった)。
きちんと整備されている港らしく、係留している船の為の水道があって、顔を洗い、歯を磨くこ
とも出来た。
もっと悲惨なことになると思っていたが、まあまあの野宿生活である(夜中になって、蚊がたくさ
んでて困ったけど)。
次の日、ソフト→野球→ソフト→女子マラソンを見終えた私は、アテネ駅 23 時発のパトラス行
きに乗る為に駅へ急いだ(またもや走っている私)。
パトラスに着いたのは午前 3 時。宿に戻って寝たのが 4 時である。次の日はさすがにアテネに行
けなかった。
パトラスで 1 日休養。早朝 6 時の電車に乗るのはもう辛かったので、次の9時の電車でアテネに
行く事にした。
ところが切符が売り切れだという。アテネに向かう列車は 1 日に 8 本ぐらいある。その内 6 本が
エクスプレスなのだが、そのエクスプレスには立ち席がないそうだ。何てこった。
取りあえず、その次の 12 時の普通列車の切符を買い、密かに 9 時の列車に乗り込む。
列車が出発。5 分しないうちに車掌が来る。
『この切符は次の列車だよ、次の駅で降りなさい』とやけに冷たい。
14:30 からのハンドボールの試合にどうしても行かなきゃいけないんです、と情に訴えると共に、
後輩にもらったアンチドーピング機構の帽子をさりげなく見せていると、特急料金を払えばその
まま乗って良いという事に。
『ただし、誰かが席に来たら空けなきゃいけないよ』と。
ところが結局は席は満席なんかではなかったのだった。そのおかげでずっと座れたが、ギリシャ
の鉄道会社、もっとしっかり考えてくれよ。
そもそもエクスプレスといいながら、山の手線ぐらいのスピードじゃんか。単線だからよく停ま
るし。
ハンドボール男子
再びハンドボールの会場へ。
ところがここでもハンドボールのチケットが売り切れ。
第一試合は韓国対ハンガリーで、第二試合が地元ギリシャ対クロアチアだったのだ。でもチケッ
ト売り場にはたくさんのダフ屋がいて定価の15ユーロ(2070 円)で買えた。しかし、何でいつ
も定価で売ってくれるんだろう。
試合は、ハンガリーが点を取れば、韓国がすかさず点を取るという接近戦。
後半まで、なかなか韓国はリードできなかったが、後半開始 10 分にようやく逆転し、2点差と
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なる。
ガンバレ韓国。
ハンガリーの選手は、かなりのガタイのでかい選手を集めているのに対し、韓国は逆で、小粒が
多いのが不思議だった。私よりも小さな選手が 7 人中3人もいる。
応援席では、何故かハンガリーの選手が無茶苦茶多かった。50%以上の人がハンガリーを応援し
ていた。韓国の応援は 3%くらい(アジアって辛い)。後の人たちは、次のギリシャ戦を待っている
だけという具合。
会場にはためく国旗が如実にそれを表している。大きな国旗の数は韓国が5枚、一方ハンガリー
は 150 枚ぐらい。どんどんと足を踏みならしたり、国歌を歌ったりで、その応援はものすごい。
アジア人の私としては、せりながらもこのまま韓国に頑張って欲しかったが、後半 20 分に、韓
国にとっては悪夢の 10 分が待っていた。
打つシュートは入らない、相手のシュートはかろうじて入る、反則を取られるのは常に韓国側と
いう事が続く。
そしてアッという間に逆転され、じりじりと離
されていく。
ゲームの流れというのは本当に恐ろしい。実力
は互角ながら、結局 25 対 30 の大差でハンガ
リーの勝ち。
会場を出ると、ハンガリーサポーターによるお
祭りの様な盛り上がり。場所が違えば、反政府
デモかと思うほどの熱狂ぶり。何だかあの盛り
上がり方うらやましいぜ。
韓国に勝ち、会場の外でさらに盛りあがっているハンガリー応援
団。こんなに盛り上がるなんてうらやましい。
アスレチックス(陸上)
クロアチア対ギリシャのハンドボールも同じチケットで見れるのだが、陸上の方が大事なので移
動することに。会場と会場を結ぶバスで1本。
ただ数十分は移動するほどの遠い会場である。
そ し て そ こ が Athenes Olympic Sports
Complex だ。さすがメイン会場だけあって立派
なスタジアムと周辺施設がある。
時間があったのでこのスポーツコンプレックス
を散策することに。
大きなオリンピックショップがあった。まった
くすごい商業主義である。
Tシャツごときが 40 ユーロ(5520 円)と信じ
られないほど高かったので何も買えない。
バッジでさえ 7 ユーロ(966 円)である。
オリンピックのメイン会場。大型のオリンピックグッズのお店やス
ポンサーのお店が並ぶ。
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ようやく6時半になり、競技場のゲートが開く。
会場に入るとすごいきれいなスタジアムで驚いた。さすがオリンピックをやるだけある。という
か、その為に作ったんだろうな、きっと。
7時半になり競技開始。まずは男子槍投げ、男子幅跳び、女子棒高跳びが始まった。
陸上競技はいろいろな種目が同時並行で始まるのが面白い。
これからスタートという時に、他の競技で良い記録が出て、観客がどっと沸くなんてこともあっ
て、どこまでメンタルなコントロールができるか、集中できるかが重要みたいだ。
400 メートルハードル。この日、唯一出場の日
本人、為末選手。
スタートは悪くなかったが、1 つめのハードル
を越えた時点で他の選手に遅れた。何だかよく
分からないが少し良くない感じ。
風の影響かもしれない。この日はとても強い横
風が吹いていて、いつもは暑い夜なのに、むし
ろ寒いくらいだった。それでも横風なので電光
掲示板に表示される風は【+0.5】程度であ
る。
為末選手は、徐々にスピードをあげていって最
後の方ではかなり追い上げた。
満員御礼の競技場。約 4 万 5 千人。写真は、男子 200 メートル
のセミファイナル。
がしかし結局は 8 人中で3番。トータルでは 10 番となり、零秒 22 の差で決勝に進めなかった。
ハードル競技というのは、ひたすら走る 100 メートル走や 200 メートル走と違い、ずいぶんと
繊細で難しいみたいだ。どの選手も簡単に飛び越えているが、ぎりぎりを跳んでいるように見え
る。選手によっては何台目かでハードルを倒してしまい。バランスを崩したまま次のハードルも
倒して棄権する選手もいた。それどころか、選手がハードルで転んで隣の選手と接触、その選手
も転んでしまうというケースがあった。
でも勝負には一切考慮されない。問答無用。他の選手の影響が嫌なら、スタート時点から先頭を
走れ、という勝負の厳しさがあるようだった。
3000 メートル障害。
これはハードルだけではなく、ハードルの下に張った水を飛び越えるコーナーがある。そのプー
ルの長さは 5 メートルくらいあるので、当然選手は水をバシャバシャやる。これがこのレースの
特徴のようで、また映像的にも映えるのでカメラマンがたくさんそのプールに集まっていた。
球技と違い陸上競技は、本当に黒人が多い。アメリカの黒人もさることながら、ケニア、キュー
バ、バハマ、ジャマイカなどなど。ジャマイカなどは、電光掲示版に【JAM】と表示される。
私の席からは掲示板がとても遠いので、一瞬【JPN】に見えてしまうのだが、常にジャマイカ
人が競技していてがっかりするのだった。
このレース勝ったのはケニア、2位もケニア、3位もケニア。前半から先頭集団でレースを引っ
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張る 3 人。圧倒的な強さ。もう観客席総立ちで、ほぼ全員がケニアを応援していた。そしてワン・
ツー・スリーフィニッシュ。感動的だった。
そしてこの日、最も注目を集め、そして私も楽しんだのが、女子棒高跳びである。
棒高跳びという競技はすごく時間がかかるみたいだ。まず競技開始の 7 時半から予選を始めて、
この日終わったのが零時 10 分。優勝したロシアの選手は 5 時間近くも会場にいた訳で、これも
すごい精神力と体力が必要だろう。
決勝に進むには 4m20cm を飛ぶ必要がある。オリンピックレコード(OR)は 4m70cm、ワール
ドレコードに至っては 4m90cm である。しかし 4m20cm だってすごい。この世の誰がさらに
70cm も高く跳んだんだろうという感じで、4m20cm をクリアするのも各選手ともにたいへん
そうだった。
実は私の席は、この棒高跳びが一番よく見える場所なのだった。
その反面、走る競技のゴールからは遠い。また槍投げの選手など米粒くらい。まして走り幅跳び
に至っては、ほとんど選手が確認できないという場所。それだけスタジアムが広いからなのだが、
よりによって棒高跳びか、と最初は残念に思っていたのだが、いやいやこの日最大のドラマがあ
ったのだ。
他の競技が進んでいる時も、女子棒高跳びは淡々と進む。
徐々に脱落する選手が出て、最後の最後にロシア勢の一騎打ちとなった。
4m65cm、4m70cm、と息詰まる戦い。その時点で、既に OR に届いている。電光掲示板には
派手にその案内が出て、その度に会場が盛り上がる。
結局一人の選手が 4m75cm、4m80cm を跳び、もう一人の選手はこれを両方とも飛ばすにパス
した(棒高跳びでは通常 3 回のトライが許されているが、パスすると次ぎはその回数が減る)。そ
して 4m85cm で一発勝負を挑む作戦を選ぶ。
一方、それまで順調に跳んできた選手は、全身をバスタオルで覆い、見ざる言わざる聞かざる状
態で集中している。
コールが掛かると、
おもむろに立ち上がりチャレンジ。
そして一発で 4m85cm
を跳び、またもや新しい OR を出す。
一方パスし続けた選手は、貴重な一回を失敗。その時点で跳んだ選手のゴールドメダル確定。観
客の大声援を受ける。
実はこの時点でもう午前零時。
他の競技は全て終了。でもほとんどの観客が残っている。もう競争相手がいないので、この段階
で終えても良いのだが、彼女は 4m91cm の新 WR に挑むことにしたようだ。残っている約 4 万
人の会場の視線を一点に集める。
そしてこれを一発でクリア。会場が揺れるばかりにどよめき、歓声をあげた。
いやぁ、全くすごい。
つづく
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