きづくことで 変 えられる 、日 常 から未 来 まで 。 vo l . 24 2014 March 2 014 追悼:永田昌民 住まいとは、 「外との関係」 を考えること [連載] 建築と私/澤岡清秀 Oh!ノンシャランス/オーツノコ オリーブオイルがくれたもの/朝倉玲子 住まいと道具/真島俊一 愉しい非電化/藤村靖之 身体と心の知られざる関係/山口創 たて糸とよこ糸の物語/箕輪直子 New! 2014年3月1日発行(隔月・奇数月発行) 24 Ma rc h 編集・発行 OMソーラー株式会社 〒431-1207 静岡県浜松市西区村櫛町4601 TEL.053-488-1700 FAX.053-488-1701 http://omsolar.jp 制作・印刷 有限会社ジィータ vo l . Ma rc h 2014 ブルーダークラウス野の礼拝堂 澤岡清秀 04 [ 連 載 ]O h !ノンシャランス オーツノコ 地に立つ小さな塔 状の礼 拝 堂 。地 主の ケルンの南 約 ㎞。 ヴァヘンドルフの農 して、 世 紀のスイスの隠 者 、 フリュー リートから脱型したという。 し 、トウヒ材 を 乾 燥 収 縮させてコンク の塔は、空 と疎 林 を背 景にひっそり 佇 シャイトヴァイラーは神 と大 地に感 謝 延々と続く畑 地の先に、その薄 茶 色 な塔の壁 面には、細かく波 打つ水 平 線 んでいた。近づいていくと、その無 表 情 が等 間 隔にストライプを描 き 、直 径1 にこれ を 捧 げ 、設 計 をペーター・ツム トーに依 頼した。1 1 2 本のトウヒ材 た。窓はない。建 物の周 りを 半 周 する ㎝ほどの小さな孔がポツポツと開いてい エの聖ニコラウス ︵ブルーダー・クラウス︶ 枠 とし 、外 形の五 角 柱 を 形 成 する 型 があった。その上の小さな十 字 架が、 こ と入口らしき二等 辺 三 角 形の金 属 扉 をテント状に建てかけて内 部の曲 面 型 層 枠 の 間 に1 層 ㎝ ずつ分 厚 くコンク リートを流し込み、 1年かけて の塔の血統を語っていた。 木 製テント 内 部で3週 間 木 炭 を 燃や 一歩 中に入ると、とたんに暗い闇の世 m 高の中 空の塔 を 打 設した。その後 、 て身体の中を静かに満たしていった。 やがて私の中に熱いものがこみあげてき 年夫婦。 その傍らにじっと座っていると、 簡素なベンチに腰掛けて瞑想にふける中 その空 間に暖かい色あいを加えていた。 クリートの燭 台 上の蝋 燭の灯りが唯一 栓だった。鉛の床に置かれたランプとコン 通 する孔の先に嵌められたガラス玉の 面に点々と光っているのは、外 壁から貫 瞑想のシンボル、真鍮の車輪。暗い壁面一 いた。壁には彼が隠 遁 場 所に飾っていた ブロンズ像が細い支柱の上に掲げられて は、両の手に納まるほどの聖ニコラウスの 界に引き込 まれた。洞 窟のような暗が 数 人 入れば一杯になりそうな主 室に りに鈍い鉛 色の床 面がかすかに光を受 けて奥へ誘う。 ごつごつした手 触りのコン 込んで、身 体 を両 側から挟み込 む。曲 クリ ート 壁 面は 上の方で 斜 めに倒 れ をたよりに進んでいくと、まるで食 道 がりくねった通 路の先のわずかな明り からストンと 胃 袋に達したように、急 に壁に包み込 まれた広がりに出た。 一組 ち尽くしていた。 の中 年 夫 婦が静かに上 を 見 上げて立 の縦 線は視 線 を 上へ上へと 導 く 。その 壁 面 をびっしり 覆 う 煤けた突 起 状 先にぽっかりと開いた奇 妙 な 形の穴か 真島俊一 来た通 路 を 辿 り 重い扉 を 開けて外に か?閉ざされた洞 窟からゆっくりもと 出 た。晴 れ 渡った青 空 と 野 原は、前に 藤村靖之 35 [ 連 載 ]身体と心の知られざる関係 山口創 36 News & Information 38 [ 新 連 載]たて糸とよこ糸の物語 箕輪直子 39 [ 連 載 ] も増して穏やかに眼前に広がっていた。 34 [ 連 載 ]愉しい非 電 化 02 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 03 聖ニコラウスのブロンズ像。 33 [ 連 載 ]住まいと道 具 ブルーダークラウス野の礼 拝 堂 02 [ 連 載 ]建 築と私 頭上からは自然光が降りそそいでいる。 12 ら見 上げると、青 空に雲が静かに流れ どれく らいそこに座っていただろう 蓮見邸〈山梨県〉 23 vol. i n d e x 窓のない外観。扉の上の十字架のみが この建物が何であるかを語っている。 そぎ、神の恩 寵のように洞 窟の底に光 29 [ 連 載 ]ソーラーハウスを楽しもう通信 建築と私 さ わおかき よひで / 工 学 院 大 学 建 築 学 部 建 築デザイン学 科 教 授 24 壁を貫く細い孔を塞ぐガラス玉が、外光 を受けて点々と光っている。 24 ていた。自 然 光が縦 筋に沿ってふり そ 永田邸 きづき . 2 014. Marc h 50 50 を届ける。耳を澄 ますと遠くに風の音 楽しもう通 信・スペシャル版 25 たまごの今&パブリシティ 15 朝倉玲子 「ブルーダークラウス野の礼拝堂」遠景。 06 [ 連 載 ]追 悼 / 永 田昌民 ・我が家のこと ・永田昌民/住宅設計作法 ・永田昌民を偲ぶ ・対談/大橋歩×永田昌民 がかすかに聞こえた。 24 [ 連 載 ]オリーブオイルがくれたもの [連載] 澤岡清秀 vol. [連載 ] 世の中のほとんどの人が携 帯 電 話 を 持って いる 。携 帯 電 話 所 持 率っていうのが1 0 0% を 超 えているらしいので、ま 、そ ういうこと な イラストレーター。OMソーラーの住まい手。雑誌を中心 に、広告、CM、TVオープニングタイトル等のイラストを手 がける。東京から家族で移住して、現在は山梨県北杜市 で"天然生活"を満喫中。Webサイト「nonchalance」にて、 ブログやハンドメイドのお店も展開中。 http://www.nonchalance.net/ 本連載のタイトルにもなっているnonshalance( ノンシャ ランス)は、 「のんきな」 「気取らない」 「平然と」といった意 味がある。 わけで す 。で 、最 近 はスマートフォンな わけで す 。う ちでは 夫 婦二人 と も 普 通の携 帯 電 話 で す 。ガラケー と もいう そ うで す が 、そ れは 負 の イ メ ー ジ が あ る ら し く 、最 近 はフィー チャーフォンという らしいで す 。どっちの呼 び 方 もしないので 、ど うでもいいのですけ ど 、ガ ラケーって、てっきりモバゲーみたいなゲームの ことだとばかり 思ってました。 いろいろ呼 び名 を変 えてご苦 労 なこってす 。 中 学 の 娘には 今 は ま だ 持 たせていま せん が、高 校になったらやっぱり 必 要 なんでしょう ね 。で 、絶 対﹁スマホがいい﹂ って 言 う んでしょ う ね 。最 近 高 校では黒 板 をノートに写 すって こ と をせ ずに、生 徒 が一斉にカメラ を 向 けて 撮 るんだそ うです 。ひえ∼い。なんだかとって も 異 様 な 光 景 と し か 思 え ないので す け ど 、 時 代は確 実にそっち 向 きに流 れているんです ね。 レシート を 写 真 で 撮 る と 、そ れが家 計 簿 のデ ータ と なった り 、買い物 で き た り 電 車に 乗 れたり 、しゃべったり 、︵ ド キッ︶た くさん 便 利が詰 まっている 携 帯 電 話 、 スマフォなのだけ れ ど 、﹁ なんだかなぁ。﹂と 思ってし ま うのは 、 私 が古い人 間 と なってし まった ということ な んでしょう か? 私 た ち 夫 婦 は二人 と も 通 話 とメールの機 能しか使っていません。確 固 たる 信 念 みたいな ものがあってそ うしてる わけで は全 然 ないのですけど 、単 純にそれ以 外 必 要 04 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 05 きづき . 2 014. Marc h がないんで。 以 前 家 族 で 外 食 した 時 、通 路 を 挟 んで 隣 のテーブルに、お父 さんは一人 で ち び ち び 、男 の子はケイタイでゲーム、お母さんはメールの 早 打 ちっていう 会 話 なしのびっく り 家 族 がい ま した 。う ちの夫 は 我 慢 た ま らん! といった 感じで﹁ あの親 父の代 わりに注 意して来る﹂ っ て立 ち 上がり そ うだったのですが、 ホント 、ど う な んでしょう 。便 利にな れば な るほ ど 、代 わりに失ってく ものもありそ う な 気がするん ですけど ⋮ 。ま 、視 力は確 実に。 【プロフィール】オーツノコ 月号より︶。 めに僕と片 山 和 俊さん ︵現藝大助教授︶ 邸です 。今 住んでいるこの家は、友 人のた ﹁ 我が家 ﹂とは僕が設 計した借 家の自 おっと忘 れていました、庭の水 瓶に金 魚 た 子メダカ 数 十 匹 が 定 住の家 族です 。 思っています ︶ が八匹と、 この夏に生まれ てはま た 機 会 があ れ ば 述べてみたいと している 黒メダカの子 孫 ⋮メダカに関し ビが二匹 、 そして黒メダカ ︵ 事 務 所で飼 育 この家の外 壁の半 分 を 覆 う 夏 蔦 とヘデ なぜこんな 訪 問 者がいるかといえば、 く共生しています。 ともありましたが、 この頃はまあ 何とな 対してキャーキャー大 騒 ぎをしていたこ に住みついた当 初は、 これらの訪 問 者に 落ちた食べ物に集まるアリンコ等々。 ここ んがそうではありません。都心から約一時 山の中のように思 わ れるかも 知 れませ こういうふうに書いていくと 、さぞや 者 たちは す ばらしく 換 気のいい木 製 建 るからです 。そんな 環 境ですから、訪 問 てしまいました︶ が彼らの棲 家になってい らず 、物 干し場 を 屋 上に移 すことになっ 間 、少々敷 地は広めですが周りに家の建 時々の家族になるというわけです 。 のコナラの樹︵お蔭 様で陽が充 分に当 た 06 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 追 悼 永田昌 民 住 まいとは、 ﹁ 外 との関 係 ﹂を 考 えること 月に逝 去 されました。永 田 氏は生 涯 住 宅 設 計の名 手 と 呼 ばれ 、O Mソーラーの普 及にも 尽 力 された 建 築 家・永 田 昌 民 氏が昨 年 代の設計である最初の自邸についてご自身が綴 月号より、写真と図面﹃共有﹄2003年 が共 同で設 計したものです 。施 主である が十 匹 、 ザリガニが二匹とボウフラ少々。 長して8メートル余になってしまった三本 ラ、何の手 入 れ もしないのですっかり 成 具の隙 間 を 利 用して自 由に出 入 りし、 友 人 夫 婦は、設 計に問 題があったわけで き 天 井からポトッと 落 ちてくるヤモリ 、 春から夏にかけての訪 問 者の毛 虫 、床に その他に季 節 的な家 族がいます 。 ときど んなことから設 計 者 自 身が借 り 受 けて 住むことになったわけです 。 ひょんなこと というのは、弟さん一家が引っ越 すことに なり 、誰かに貸 すつもりだったのですが、 普 通の人 はとても 借 りてく れ ないだろ 年 うとのことで、僕のほうに話がまわってき たというわけです 。住みついてもう んだと思っています。 様々な同居者 そ れ では 我 が 家 の 家 族 を 紹 介 しま しょう 。妻ひとり 、高 三の娘 と 中一の娘 、 五 月に拾 われてきたのでメイと呼んでい る雌 猫とその娘のトラと息 子のコロ、 そし て庭に住 みついている 野 良 猫のマーちゃ ん、金 魚と鮒と鯉とドジョウがそれぞれ一 永田家家族構成。 の弟さん一家が住んでいたのですが、 ひょ 住みつきませんでした。しばらくは友 人 12 はないと 思 うのですが、何 故かこの家に 我が家のこと 年 られた文 章を再 編 集して紹 介します︵ 文と絵﹃ 月 刊 O M ﹄1 9 9 1 まずは永田昌民 原 点や残された言葉を辿りつつ、故 人を偲びたいと思います。 多 くのファンがいました。今 回の特 集では、亡き永 田 昌 民 氏の設 計の りの協 力 者である工務 店 、職 人などからも 尊 敬を集め、業 界 内 外に や 普 遍 的 な デザイン思 想は同 業 者である多 くの建 築 家 や 、家 づく 最 適な解を模 索されてきました。そして、建 築に対 する真 摯な姿 勢 にわたり ﹁ 心 地よい空 間 ﹂を 追 求し続け、住む人とその場 所にとって 12 にも なる わけですから自 邸のような も 14 07 きづき . 2 014. Marc h 20 匹、 タナゴが七 匹 、 クチボソが二匹 、 カワエ 永田家家族構成(ひと以外)。 11 住まいとは、 「 外との関係」 を考えること 追悼:永田昌民 いるとすれば、周りの手 入れされた庭 木 て込んだ分 譲 地の一画です 。少し変わって 二 階 にのっかってい ま す 。平 面 は 8・ してもらった木 造の子ども 部 屋が、今は そこで、恐る恐る大 家さんに頼んで増 築 間一階に避 難し、絨 毯の上に花むしろを す 。しかたがないので子 ど も たちは夏の ですが、子 ど も 部 屋の夏 は 灼 熱 地 獄で 続ける衣 類や雑 物 。 おまけに天井が低い です 、本 箱です 。そして、だんだんと増え なるともういけません。またまた勉 強 机 を 主とする庭に対して、茂るにまかせた 坪 ︶、台 起きの度に天 井の吹きつけリシンで擦り 所 、玄 関 、浴 室 洗 面 所 を一列にまとめ 、 う状 態になってしまいました。男はつらい かつ無 責 任な言 葉に、もうお手 上げとい 1 m×8・1 mの正 方 形︵ 約 残っているところは三 十 畳のワンルーム、 を述べてみましょう。移った当 初はまだ上 雑 木と草 花の庭になっていることぐらい です 。落 葉では近 所の方々にご迷 惑 をか ワンルームは真ん中にある壁に両 側から の娘が幼 稚 園の頃だったので、我々のベッ うは寝 室で使っています 。強 引にワンルー ケースを 台にしてコンパネを 置き、 その上 ドの横にビール瓶 を 入 れるプラスチック たると一大 決 心 、前 述しましたように恐 ものです 。手 をこまねいていては男がす 始 末 。なんとかしろという妻や娘の切 実 傷 をつくるというアクシデントも 起こる けていると思います 。 つい最 近 、あまりの 引 き 込 まれる 襖で仕 切 れるようにして 蔭 様ですっきりして、床 屋 さんに行った ムにしたのは、夫 婦二 人 だけの住 まいな 年 間の住 まい方の変 遷 茂 り 方のひどさに反 省して植 木 屋 さん いま す 。広いほうは居 間 食 堂に、狭いほ あとの気 分です 。因みにこの家には塀が 子ども部 屋が完 成したわけです 。 その結 る 恐る 大 家 さんに交 渉し無 事に二階の 果 、今では収 納スペースも 何 とかまとめ た。 やがて下の娘が産まれ、物心がつくま ではベビーベッドで済ませていました。 ここ て二階に確 保できましたし、階 段 下には に布 団 を 敷いて簡 易ベッドにしていまし いがあったのだと思います 。なにしろこの までが第一段 階です 。下の娘が大 きくな だけ 広々と使ってもらいたいとの強い思 年 前 、大 学 家 を 設 計したのは 今から 台 ︶も 取り 返 すことができ、物 事 全てま かみさんの仕 事 机︵ 現 状 は 単 なる 物 置 ので、部 屋の用 途 を 限 定しないで出 来る ワンルームの魅力 なってきました。それに上の娘 も 小 学 校 院の頃 で 頭 でっかち 、生 意 気 盛 りの時 だったからでしょう。 ですから、勉 強 机というものが必 要にな 自 分で設 計した家に住 んでみての感 家 族 構 成やプライバシーの点で問 題が 想 をいくつか述べてみましょう。 ともかく り、色々と問 題︵ 後で述べます ︶ が出てき 問題の多い家です。 りま す 。机のほうは僕の仕 事 机 を 提 供 登 場です 。将 来 を 見 越してセパレート型 その一つ、何 故かこの家は南に面してい あるとはいえ、 ワンルームの考え方は今も のパネルで簡 単に仕 切 り をして使ってい を 選んだので増 築した子 ども 部 屋でも ません。東に面していま す 。冬の午 前 中 ましたので、 とても一階のワンルームだけで ます 。部 屋の前は一階の陸 屋 根 、 ここは物 利 用できました。先 見の明ありというと はまだ陽が部 屋にさしますが、お昼から 環境順応型住宅 干し場でも あり 屋 上テラスでも あり ま 広いのですが、倉 庫のようになってきまし ころです 。寝 室にしていた場 所はけっこう することで解 決しましたが、寝るほうは す 。もちろん手 摺などはありません。床 そうもいきません。 いよいよ二段ベッドの は非 歩 行 用の塗 防 水だけなので、そのう ければ寒くてやりきれません。夏は朝 早 は陽がさしませんのでストーブをつけな ちすり 減って雨 漏り するのではないかと 心 配しています 。断 熱 材は入 れてあるの ところが、下の娘が小 学 校に上がると た。 ここまでが第二段階。 魅 力 あるものだと思っていま す 。増 築し るく納まったと思っています。 るにつれてベビーベッドでは間に合 わなく ありません。子どもたちや犬や猫 、時に 移 り 住んで く﹁こりゃ山の中よりひどいよ﹂ の一言 。 お に入ってもらいました。植 木 屋 さんいわ 家族の成長に合わせた対応 16 08 敷地を北西方向より見る。建物の存在が分 からないほど茂った木々。 北東方向から見た敷地。庭というよりも森と いう雰囲気。 庭の様子。竣工当時生えていたのはササくらいだったという。 しかし、 前の住人がコナラやツツジ、サツキ、キンモクセイなどの幼木を植 え、 その後は風や鳥などが運んできた種が根付いたり、植物好きの 奥様が人からもらった苗を植えるなどして植生が豊かになっていっ た。野草などを含めると植物の種類は250種以上とのこと。 ので、上 段に寝ている娘は寝 ︵ 2・ m ︶ 藝大大学院生だった頃に設計した旧自邸。 「コンクリートの箱」 は、宮脇檀、東孝光、 そして師 である吉村順三など、70年代の建築界の流行だった。特に吉村順三の「御蔵山の家」 を意 識したと後に語っている。 ( 写真は全て2003年「永田設計塾」にて撮影したもの) 敷いて寝ています。 東久留米の家(旧永田邸)平面図。 は大人たちも庭を横断していきます。 14 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 09 きづき . 2 014. Marc h 20 た二階の子 ども 部 屋 もワンルーム、可 動 た。というのは 、子 ど も たちが大 き く な この家はコンクリートの平 屋 建てでし 22 生 活 するのがむつかしくなってきました。 玄関前のカツラの木は木曾三岳奥 村設計所からいただいたもの。 ん。 どうして東に面しているのかよく思い くから日がさし込み暑くてやりきれませ その良 時は大 変です 。便 器は石 鹸の泡だらけ、 三つ目はワンルームの功 罪です 。 は洋 風ですが、風 呂は和 風ですので入 浴 風 呂 もいっしょくたというやつです 。形 式 常的になりました。 今や﹁ 入るよ ﹂﹁どうぞ﹂という関 係が日 です 。 いくつもの問 題 をかかえてはいま 家は、 どちらかといえば環 境 順 応 型 住 宅 暑 さ 寒 さに対してとても 敏 感 なこの 出せませんが、南に向けると敷 地の引き すが、 でも僕はこの家が好きです。 放 的であることです 。開 放 的であること は 人 の 気 持 ち も 開 放 的 に す る よ うで さは、なによりも 部 屋が広々と使えて開 す 。その証 拠に、うちの娘どもは風 呂 上 具 合になります 。 でもこの頃は入 浴 作 法 がとても 上 手になりました。 一番 具 合の りの裸のままで平 気で部 屋を歩いたりし トイレットペーパーはびしょびしょという 悪いのは誰かが入 浴 中に便 意 を 催した ております。 がなくなるので、引きのある東に向けた おまけに内 外ともコンクリート打ち放 ときです 。我 慢ができる場 合もあります のだと思います 。 しという 仕 上 げですから、夏は暑 く 、冬 が、 いつもいつも我 慢できるとは限りませ プライバシーがない んから、 つい失 礼ということになります 。 ワンルームの欠点は、 なるべく 近 寄 ら ず 、部 屋の真 ん 中のス ことです 。我が家の例でいいますと、毎 朝 物 との 応 答の 中 か ら は﹁ 時 間 ﹂との が そ れ ぞ れ 独 立 し た 生 活 を 送って た 。例 え ば﹁ 食 卓 ﹂ で す 。最 近 は 家 族 果い ろ ん な こ と が 分 かって き ま し 合 致 して 、東 久 留 米の 家 は 上 手 く ば 、頭でっか ち な 時に 考 え たこ と と 中 に は あった こ と で す が 、今 思 え がいる 。その 鳥 がフン を して 、ま た には昆虫がいて、それを餌にする鳥 いえば当たり前ですが、問題が起こ こ と ﹂だ と 思いま し た 。当 た り 前 と り 返 り 、大 事 なの は﹁ 学 習 していく 結 局 、こ れ までの 設 計 活 動 を 振 です。昔は皆、使えるもの、使えない で学びました。素材に関しても同じ 考えてなかったけれど、住まうこ と で 設 計 し た と きに は そ ん なに 深 く いうことも学習した結果です。 歳 す 。こ れ は 常 に そ ういっ た 意 識 を その 場 所に 馴 染 んでいる もので す 。 ていました。やっぱり、﹁いいもの﹂は 10 は 寒いのです 。特に冬 は 、壁のそばには トーブの周りに家 族 全 員が集まります 。 片や入 浴 中 、片や用 便 中という場 面が一 と娘たちの口争いです。 おちおち寝ている でも 慣 れてみれ ばそ れはそ れで過 ごせ 家族、 しかも 年 頃の娘がいるのですから こともできません。 ああ、閉じこもれる自 といっていいほど繰り広げられるかみさん その二つめは水 廻りです 。面 積 を 最 小 目のやり 場に困ることもありましたが、 分の部屋が欲しいなとつくづく思います。 つの空 間に生じるわけです 。うちは女 系 にしてコンパクト化 するため洋 風バスルー 必 然 性というものは恐ろしいものです 。 関 係について 考 え さ せ ら れ まし た 。 違うところに植物が生えていく。自 れ ば そ れ は ど う して 起 き たの か 自 もの と を 学 習 し な が ら 、近 く に あ 持っていないとすぐにできることで そして、それらの総体としての建築 20 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h るものです 。 ムの形 式 をとっています 。便 所 も 洗 面 も 実 生 か ら 成 木へ 。木 々の 様 相 も 変 間のこ と を 考 え る ﹂というの は 、僕 設 計 に おいて 、﹁ こ れ か らの 長い時 がモノ をつ くっていく プロセスの 中 いったのかなあと思います。そして、 な 中で 、ご 飯 を 食べる 時 間 は 、家 族 合 わ せ る 機 会 が あ り ま せ ん 。そ ん が 集 ま る 重 要 な 時 間で す 。だ か ら 今 まで 設 計し た 家 は 1 2 0 軒 を 超 でバック ボーンに なって き ま し た 。 いるので 、同じ 家で も な か な か 顔 を まい と 強 く 関 わってい る こ と を あ で す 。その 長い時 間 という もの が 住 こ そ 、食 卓 は 外の 景 色 が 見 え る 、家 わって はいま せ ん 。あ ま り 進 歩 が な の中で一番いいところに置く。サイズ いともいえますが⋮。 ら た めて 実 感 し ま し た 。家 づ く り くいることができるからです。普通 は 短い時 間の 話で は な く 、 一生 そ こ よ り 3㎝ 程 度 高 さ を 抑 え れ ば そ う 田設 計 塾 ﹂ にて︶ ︵ 永 田 昌 民 談 。2 0 0 3 年 9 月 え た ぐ らいで す が 基 本 的 な 考 え 方 と を 想 定 し な け れ ばい け ま せ ん 。 大 き く は 見 え ま せ ん 。ま た 、小 さ な は 東 久 留 米の 家 か ら そ ん な に 変 そして、どんなに優れたデザインで 家で ど う やって 広 く 暮 ら す か 。その も 小 さ な もの よ り 大 き な もの がい 人の生活と関わっているのかという も 、建 物 は そ れ だ けでは 良 く なって た め に は 間 仕 切 り は ないほ う がい い。食 事 以 外に も 使 えて 、そこに 長 こ と を 教 え ら れ ま し た 。小 さ な 庭 いき ま せ ん 。外 との 関 係 が 重 要で 、 い。実 際に 自 分 が 住 み 、その 生 活 経 す 。そこに 何 が 起こ るの か 、先のこ で もいいか ら 、 できる限り自然な形 その多くを司っているのが自然との 然 界 に あ る サ イ クルを 自 分の 目の 分で 考 え る 。良いこ と も 悪いこ と も る 適 し た 材 料 を 選 んで 家 をつ くっ 家の 中のこ と だ け を 考 えて し ま う がやがて風景になっていくのです。 日﹁ 永 で 手 を か け る 。そ ん な こ と が 生 活 関係なのです。 に住んでいくという長い時間の話で わっていき ま す 。 一日 、 一年 、四 季の 変 永 田 昌 民(ながた・まさひと) す 。木 が あ る 、草 が あ る 、その 周 り 前の庭から見つけ、感じることが大 自 分の 頭 や 身 体で 考 え るこ とで 何 坪で 十 分 と 事 な の で は ないで しょ う か 。そ し が 本 当 にいいの か が 分 かって き ま 験 か ら四 人 家 族 な ら き るかで す 。家 を 建て る と きはつい のですが、本当は﹁外との関係﹂が大 識の も と 、 年 近 く 設 計 を 続 け て はないかもしれません。そういう意 こういったことは若い頃から頭の 事なんです。庭は自分たちの庭でも き ま し た が 、学 習 を 積 み 重 ね た 結 問題の浴室。 【プロフィール】 使い勝手の良さそうな台所。 化もそうですが、もう少し長い時間 コンパクトに納められた書斎。 の 上で す ご く 大 事 なの だ と 思いま 庭 か ら 、植 物 という もの が 、ど う 階段下には奥様のための仕事机が見える。 て 、そ ういう 話 を 住 まい手 と 共 感で 28 11 学んだこと あ り な が ら 、外の 人 た ち が 見 た と 26 きづき . 2 014. Marc h 「 我が 家 」から 建築家。N設計室主宰。1941年生まれ。大阪府出身。 1967年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1968年 東京藝術大学美術部建築科修士課程修了(吉村順 三研究室)。1969∼73年東京藝術大学美術部建築 科奥村昭雄研究室にて愛知芸大キャンパス計画に参 加。1976年益子義弘氏とM&N設計室を設立。1984 年N設計室へと改称。以後、パッシブソーラーシステム 普及のため、 OMソーラー協会設立に参加。元OM研 究所所長。代表作に「東久留米の家」、 「自邸下里の 家」、 「ソーラータウンの団地計画」 「 OMソーラー本社 屋・地球のたまご」ほか。著作に 「大きな暮らしができる 小さな家」 (オーエス出版)、 「 住宅設計作法」 ( 建築資 料研究社) など。 33年ぶりに訪れたという施工を担当された広・佐藤工務店の佐藤社長 (当時) と共に。 居間に設けられたコーナーの出窓は外との関係を促進する装置。 column き は 風 景に も な るので す 。ま た 、植 30 住まいとは、 「 外との関係」 を考えること 追悼:永田昌民 1998年夏号no.32』 ( 発行:OM研究所)に寄 稿された内容を再編集して紹介します) Q 1・あ なた が 設 計 する 上で、﹁ 原 点 とし Q 2・戦 後 点にあるのではないか。 だけ 省いた 結 果なのかもしれないが、小 さ ハウスとしての評 価 。省 けるものはできる コンクリ ート造のローコストベーシック ての 住 宅 ﹂という ものがあれ ば 、それは ど なたにとって﹁ベーシックハウス﹂と 呼べる Q 3・ 世 紀 に 向 けての﹁ベー シックハウ くてもとても広い家 。 年の日 本の住 宅 史の中で、あ のようなものか教えてください。 内︶。また、その理 由をお書きください。 も の が あ れ ば 教 え て く だ さい。 ︵三軒以 間 、かまどのある土 間の台 所 、薄 暗 くて少 ないほ どコンパクトに 納 められた 家 。しか 三 間 四 方の中にこれ以 上 は 単 純 化でき を 下げないでコストを 下げていくことが大 やはり、建 築コストの問 題 は 大 きい。質 件があげられるでしょうか? ス﹂の条 件 を 探すとすれば 、どのよ うな 条 し 恐かった 便 所 、陽 だまりの縁 側 、子 ども ◎A・レーモンド﹁ベーシックハウス﹂ も端正で豊かな空 間を持っている。 生 活の 場 としての 総 体である﹁ 家 ﹂という 思いを 込めながら 。居 心 地のよさというこ 住まいづくりのスタンダードになればとの ありながら住まいとしての機 能がちゃんと いかと 感 じ る 。それは﹁ 住 宅 ﹂というよ り、 ローコスト住 宅のお手 本 。ローコストで さを運んでくる。風は香りとともに季 節を 風は新鮮な外気を運んでくる。風は涼し ︻ 風と 光 ︼ ︵ 生 活 が 充 足 され 得 る ︶をつくり 出してい 事 。材 料 、工 法の 見 直し を 含 め 、単 純 な 箱 とを意味するのではなく、 ある段階︵壁紙を 一個人が黙々とつくり上げていくというこ 運んでくる 。光は 明 暗を 演 出する 。光は 暖 明るいところと 暗いところ 、狭いところ ︻ 居 心 地のよい場 所 ︼ が均一でないことがその条 件 。 いること 、そしてそれぞれの場 所のもつ質 ろと閉じるところなどがちゃんと納まって ろ 、低いところと 高いところ 、抜 けたとこ と 広いところ 、開けたところとこもるとこ ︻シンプルで大きな構 成︼ れる。 かさをもたらす。光もまた季 節を 伝えてく してそれは鳥や昆 虫たちの棲み家。 それは近 隣のランドマーク、 それは風 景 、 そ 貼ったり、 ペンキを 塗ったり、棚をつくった り等 ︶ で住み手 自 身が家づくりに参 加でき とについては 、あいまいで抽 象 的に 受 けと られがち だが、必 ずしもそうではなく 、具 体的なものだと僕は思っている。 居 心 地のよい住まいの要 因のいくつかを あげてみる。 生 活の変 化に 応 じて区 切 ること ができ る シンプルな間 取りで広々と 住まう魅 力 、 方 位 、隣 家の状 態 、道 路の取 り 付 き 、陽 ︻敷地︼ 体 的 なイメージが 計 画のは じ めから あ る 窓 や 扉 がバランスよく 納 ま る と こ ろに 納 ︻ 納 まり ︼ 軽 減 、ランニングコストの経 済 性 。 たとえば 納 ま りは 寸 法 。納 ま りはバランス。壁 や 田の字 形 平 面の ﹁ 熱 海の家︵ 1 9 9 0 ︶﹂。 パッシブシステムの基 本 条 件である負 荷の 得 る 限 りの敷 地の状 況 を 読みとることか ︻植栽︼ フレキシビ リ ティ 、建 設 コストの 経 済 性 、 ちら かといえば 受 け 身の 姿 勢で計 画 をス えていえば 、敷 地 が持っている 場 所の力を ら計 画の手がかりを見つけ出す。言 葉をか たとえば一本の大きな落 葉 樹 、新 緑は春 け、視 界の広がり、地 面のレベルなど 、あり タートさせる。充たすべき 要 素を試 行 錯 誤 見 出 すことで、お ぼろ げではあ る が、その り、落 葉は冬の訪れ。それは家のシンボル、 の訪れ 、木 陰は 夏の涼しさ 、紅 葉は 秋の実 のあたり 方 、風の通 り、 一本の樹 、視 線の抜 しながら 組み立てていったその結 果 が、ひ 家 固 有の在り方が浮かびあがる。 たとえば わけではなく 、住 まい手の夢 や 希 望 、生 活 とつの家 族にとって居 心 地のよい住まいで 南の庭と北の庭をもつ ﹁ 永福 町の家 ﹂。 が僕のベーシック。 12 「ベーシックハウス」 平面図(A・レーモンド、1954) ︵ 永田 昌 民 ︶ 居 心 地のよい住まいをつくること 、それ まっていること。 あることをいつも 考えるようにしている 。 の具 体 性 、敷 地の条 件 等を 手がかりに、ど 僕の場 合 、こんな家をつくろうという 具 ﹁居心地のよい住まい﹂ のヒント 意味を設計者が住み手に伝えていく努力。 ・セルフビルドであること ビリティを持っていること。 から 住 む 人 が 自 由 に 選 択でき るフレキシ 用していくかということ 。多 様な 手 法の中 O Mを 含めて自 然エネルギ ーを どう 活 ・パッシブであること くことになるのか。 「増沢洵自邸」平面図(増沢洵、1952) るような状 態をつくることと 、家づくりの ・ローコストであること が入れなかった客 間 e t c ⋮ 。今 考えてみ ◎増沢洵﹁自 邸 ﹂ 21 ると特 徴のある場が豊かにあったのではな いと 思う。家 族の団らんの場としての茶の ︵ 小 学 生 時 代 ︶に住んでいた 家の印 象 が強 充 足 されており、考え 抜かれたディテール 田氏の設計思想に触れてみたいと思います。 がそれを裏付けしている。 (『ソーラーキャット1 9 9 5 年 春 号 n o . 2 0 』 『同 概 念 だと 言った ほ う がいいのか もし れ な き要素についてなど、過去に語った言葉から永 い。住 宅 設 計をする立 場からは 、多 様な 生 ラーと出会って以降はとくに、 「 小さな家」に磨 ◎吉村 順三﹁ 御 蔵 山の家﹂︵ 1 9 6 6 ︶ きがかかっていきました。 「 大きな暮らしができる 活の場をどのように構 築していくかという 「住まい」 を得意とする永田氏ですが、OMソー 振 り 返ってみ れ ば 、や は り 子 ど もの 頃 私にとっての ﹁ベーシックハウス﹂ 小さな家」に至る背景や、そのために考えるべ 50 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 13 きづき . 2 014. Marc h 永田昌民が考える 「居心地のよい住まい」 そしてそんな 結 果の積み 重ねが、 いつかは 「永福町の家」平面図(永田昌民、1994) 「御蔵山の家」平面図(吉村順三、1966) 「熱海の家」平面図(永田昌民、1990) 特集:永田住宅設計作法 いたずら目つきで 薄笑い 永田さん。 こういう日がいつかくる と 思っていま し た 。昭 雄 さ ん が﹁ よ く きたね﹂と言って、永田さんが﹁やっと きたよ﹂と言いながら、ふたりで仲良 い。我慢できなくなって吹き出してい 方 を している 。爆 発 す る よ う な 大 笑 民家の風景が浮かんでくる。 かった 。目 を 閉 じると 、緑 濃い山 河 と が あ り 、農 村 と 自 然の 佇 まいが 美 し ね り に 周 囲 を 巻 込 んでいく 永 田 。そ 熱 的 に な り 時 に ふ さ ぎ 込 み 、その う うに燃えるものを抱えていて、時に情 永田がいたようだ。一人はマグマのよ 思い出してみると、永田には二人の る。 いた ず ら 目つきで 薄 笑い。や さ し い笑顔。 *お宝というのは正 月の二日の夜 、枕の下に入れて ねるとよい初 夢が見られる、という 絵です 。必 ず 書 なみのりふねのおとのよきかな﹂という回文 。 いてあるのが ﹁なかきよのとおのねふりのみなめさめ 奥村まこと してもう一人ははじめから住宅設計 く 猪 口で 酌 み 交 わ している﹁ お 宝 ﹂* がで き ま し た 。船 は ゆ ら ゆ ら と 波 間 に関心を抱き、それが変わらなかった 永田だ。大学院の課題で小さな﹁十坪 に揺れて、見渡す限りの広い海。遠く の家﹂を計画していた。当時は高度経 事﹂︵住宅建築別冊 設計作法 永 田 昌 民・N 設 計 室の 仕 遠野の馬付住宅︵2006︶ の仕事で な住宅設計に向かっていた。同じ風景 に向かっている時に 一 人 黙 々 と 小 さ 関心がアーバンデザイン、再開発など 略 す ︶との 付 合いは 芸 大 建 築 科 に 入 を見て歩き、共に庶民の日常、暮らし をテーマとしたが、僕が小さな集落に るこ と を 嫌い、 マグマを 外の 問 題に対 ぐに意気投合し、 いつも一緒に行動し 峙 さ せていた 学 生 時 代 か ら 、実 際の 関 心 を 抱いたの に 対 して 、永 田 は 住 見 るべき だ と 意 見 が 一 致 し た 。伊 藤 仕事を通じて内に宿していた住宅設 宅自体に向かった。そして権力に委ね 鄭爾著﹁民家が生きている﹂を携えて 計と正面から向きあった。それからの は じ め た 強 が り か ら か 、ま ず 日 本 を 夏休み二人で東北を回った。福島から 恩 師の 吉 村 順 三 先 生 は 、大 学 院 時 会津、鶴岡、田麦俣、花巻、遠野、松島、 て歩く安宿に泊まる旅だった。当時は 考えていたことなんだよ﹂と言われ に ﹁僕が今やっているのは学生時代に 永田は強かった。 各地の民家に生き生きとした暮らし がないことだ。 月に二、三度は話していた。間が少 し た 地 域の 空 間 再 生につな がる仕 事 今 や 建 材 砂 漠 化 し た 都 市 や 、疲 弊 こに行ったの?﹂とひつこく聞くのよ と分かる電話が鳴る。不在の時は﹁ど け れ ど 、多 くは な ん と な く 永 田から し開く時はこちらからも掛けていた を もっと もっと 、 いっぱいご 一 緒 し た 年を越える。 立ではなかったから、実際の仕事にな 二 人 と も 特 別 な 当て が あっての 独 になる。 年間がその後の関わりや活動の基点 人で 起こ し たM&N設 計 室 時 代の 8 て日々を共に過ごす同僚になった。二 輩後輩という間柄だったけれど、やが 初めはわずかこちらが上級生の先 時代から数えれば 永 田 との 付 き 合いは 、上 野の 藝 大 話を切る。それが今はない。 ビールでも飲もうやと互いに言って電 く ら か は 声 に も 張 り が 出 て 、ま た しばらく取りとめなく話すうちにい 近の出だしは以前の勢いがなく、 でも ことや体調のことがいつもだった。最 用件と言っても特にはなくて、仕事の と 、代 わ りに出 た 家 内 が笑っていた 。 田瀬理夫 かった。 つくづく残念です。 ションが常にありました。 もに、社 会 性 や 地 域 性への プロジェク 永 田 さ んの 仕 事 には 、日 常 性 と と まだ貧しかったけれども、皆な親切で 仙台まで鉄道やバスを乗り継ぎ、歩い ていた 。そ して 遅 れて 建 築 を 勉 強 し 学した時にはじまった。共に二浪で直 振り返ると、永田昌民君︵以下君を だろうか。 済 成 長 がは じ ま り 、建 築 界 や 学 生の は じめての 旅から にはいろんな山々。富士山もある。空 は 、学 生 時 代 に 始 ま る 住 まいの 設 計 さ ん は﹁ 私 がいわ ゆ る 住 宅 作 品 に 期 涯164棟︶ の住宅を設計されました 協 働 さ せていた だ き ま し た 。内 外 一 偶 然 だ ろ う か 、く さ れ 縁 というの はあくまで青く、鳥が飛び魚が泳ぐ。 にあったようだ。一筋通った見事な軌 待 を 寄 せ 、関 心 を 抱 く 一 点 と は 何 が、私には﹁200棟はいくよ﹂とおっ 住むシングルのための居心地のいい住 永田昌民君が逝ってひと月余が経つ。 さ さ や か な 仕 事 に 真 摯 に 向 かい、ぼ 葛 藤 が なかった とは 言 わ ない。 でも、 つい日 常の 中で 互いの 感 情の ず れ や るような依頼は少なかった。そんなき る 感 じ が あ る 。た ぶ ん 彼 か らの 電 話 ぼ くの 日 々にふと 何かが欠 けてい 14 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 船 に は 一 升 瓶 がいっぱ い 。鯛 も 大 根 も 刺 身 も あ る 。目 をつぶる と 永 田 さ ん がいつも 笑っている。 いろ ん な 笑い 永田さんの第一作から所沢の家ま た。2001年でした。 作 品 を み る と 、ま さ に 恩 師の 言 わ れ で、 棟近くの仕事をまとめた﹁住宅 た 。永 田の 残 し た 1 6 0 軒 もの 住 宅 た通りであった。永田の真のくされ縁 跡だ。僕は永田が好きだったハリー・ベ か ? といえ ば 難 しいこ とで は ない。 ︶ の中で、松山巌 を口ずさみ、君を偲ぶこととするよ。 その住宅作品が住み手を街に住まわ せるために、なんらかの契機をもって かというこ とに尽 きる﹂と して 、最 新 いる か 、そ して そ れ が 普 遍 性 を もつ 作の﹁ 所 沢の 家 ﹂に新 しい都 市 住 宅の 一つのモデルとなる可能性を見て、高 く評価されていました。﹁閉じた箱か でした。 ら﹁ 庭 ﹂ への 目 覚 め ﹂と 題 し た 巻 頭 文 年間サ ﹁所沢の家﹂︵1999︶ です。 建主夫人が私の事務所で 設 計 を 依 頼 する際に相 談に乗った と 永田さんはその後、さらに いう間接的な始まりです。翌年、私が しゃっていました。 下里の自邸を含め、 まいづくり﹂を企画しOM研究所︵永 出来ました。 毎 回 、ほ ん と う に 楽 し く 庭づ く り が 式の す まい﹂と 呼 んでいま し た 。毎 回 体の 立 体 的 な 住 宅 を 私 は﹁ 庭 園 回 遊 しました。 式で 初めて 永 田 さ んにお会いし ま し ﹁日常の場﹂ への 熱き想い いろいろなプロジェクトで協働してい 棟︵生 永田さんとのかかわりの始まりは 永田さんとの仕事 サヨナラ。 片山和俊 ラフォンテの ジャマイカ・フェア ウエル 宝船。 ( 画:奥村まこと) の住宅と、 地球のたまご ︵2004︶ 、 80 15 きづき . 2 014. Marc h 49 田 さ ん + 谷 英 樹 さ ん ︶に設 計 を 依 頼 12 50 80 る会社が ﹁所沢の家﹂を知って﹁都心に ポー ト して く れ た 人で 、永 田 さ ん に 10 その小さな旗竿敷地の住宅の上棟 「所沢の家(1999)」外観。緑豊かな外構は住まいを開かせ、都 市の景観を向上させる。 ( 撮影:岩為) 永 田 昌 民を 偲 ぶ く ら 共 通の 視 界に映るもの を 探って ぼくらの無念でもある。 に 話 していた と 聞 く 。永 田の 無 念 は 益子義弘 今は心から冥福を祈るしかない。 いたことは間違いなく言える。そこか ら その 後 多 くのお世 話になる人 との 弔辞 縁 や 建 築への 取 組みの 方 向 が 拓かれ て行った。 彼は 自 己の 感 性にとて も 忠 実 だっ た。浮かぶイメージを理屈や概念に整 三週間ほど前に、 貴方は突然、 倒れ、 え よ う と す る よ り も 、心 に 映 る 情 景 を 直 に 追い、そ れ を 空 間 的 な 脈 絡 に 虎ノ門病院での検査の後、二人で落 危 篤 状 態 に な り ま し た 。その と き す 貴 方の 意 識 は あ り ま せ んで し た 。し ち合って新橋で呑んだこと。 カラオケ 乗せる場のかた ち をいつも 模 索 して 支える場への熱い思いであり、住まい かし翌日には意識も戻ったと聞き、や に も 行 き ま し た ね 。東 久 留 米の 家で ぐ に 私 は 病 院 に 駆 けつけ ま し た が 、 のかた ち を 通 して 生 活の 自 然 を 探る は り 生 命 力の 強い人 だ が ら 、一 か 月 必 ず 呼 んで く れ たこ と 。広 島 に 二 人 のバーベキューと事務所の忘年会には いた。その芯にあるのは人々の日常を 姿勢だったと思う。 交わすことができると信じておりま で 出 か け たこ と 。そ して 修 復 し た 熱 も す れ ば 、ま た 元 気になって 、冗 談 を した。それがこのような結果になり、 海の家にご家族と所員を連れて遊び 彼の進め方がやがて確かな骨格に向 かい、含 みの あ る 空 間 に ま と ま り を 残念で仕方ありません。 机を並べ脇に居て、 多分に情緒的な 持つ展開をぼくは興味深く見ていた。 熱海の家は貴方が芸大の大学院の ありませんでした。 に 来て く れ たこ と 。思い出 は 切 り が ときに設計した家ですね。あの当時、 貴分でした。 私は貴方が初めて設計し た、 熱海の家を譲り受け、 ここ七、 八年 三 年 後 輩の 私 は 、あの 家 は 吉 村 順 三 貴方は私にとって欠けがいのない兄 が浮かんでいたのだったろう。その感 ほど、二カ月に一度ぐらいですが、寝 先生の真似じゃないか、と陰口をつき 歌 がそ して 唄 うこ と が好 き だった 彼 性に忠実な、 ブレのない取組みがやが さんが亡くなり、 混乱して何もできず、 泊まりしております。 ここ数日、永田 の 中 に 一 種の 旋 律の よ う なイメージ 法 を 生み だ し 、広 く 共 感 を 呼 ぶ作 品 て 永 田 流 と 呼べるあの 独 自の 創 作 作 う 。回 復の 兆 し が 少 し 見 え た 折 り に ま だ ま だ や り たいこ と が あったろ みながら改めて噛みしめました。 方との様々な思い出を、 独りで酒を呑 て一昨日、熱海の家で一晩過ごし、貴 ぼーっと しており ま し た が、思い切っ かりです。今時分は、遠く望める初島 て求めた設計手法に気づかされるば 暮 ら し 続 けて み る と 、貴 方 が 一 貫 し ました。 怒らないで下さい、永田さん。 群に結実して行った。 訪ねてきた人に、設計への想いを熱心 けていた、と夫人から聞きました。猿 ありがとうございました。 も同じ思いではないかと思います。 永田さん、貴方は、 いつも人を楽し の 脇の 海から 昇る日の 出 を 拝 むこ と ませることに気を遣う人だった。本当 になった 私は 今 思 案に暮 れていま す 馴染みのあるものです。そうしたディ に優しい人だった。その思いは貴方が そういえば、 貴方は工夫した建築金 が心身共に温かく包みこんでくれま テールへの配慮は実に何気ないけれど 亡くなっても、貴方が設計した多くの が出来ます。夏は朝日がダイニングの し た 。翌 日 は 晴 れて 広い窓 か ら 見 え さえ感じました。 この思いは永田さん も私は、一昨日改めて見て回り、凄み 住 ま いに 今 後 も 生 き 続 け るこ と で が、 でも、貴方が最後まで私の名を呼 る丘の風景を、朝からの騒がしいほど と共に仕事をした多くの職人さんも しょう。 んで く れ たのは 、本 当に嬉 しかった 。 の 小 鳥 た ちの 囀 り を 、十 分 に 楽 し み 同 じ だ と 思いま す 。貴 方はローコスト 合掌。 物の 絵 を 自 分で 描いた 手ぬぐいも く 多くの私の友人たちも熱海の家に 快な家を生みだそうとより頑張った。 の家だと採算を度外視して、 楽しく愉 平成二十五年十二月二十二日。 れましたね。 どの金物も熱海の家でも 訪 れ 、小 さ くつま し く 見 え る 外 観 か その姿勢が住み手にどれほど信頼さ は風も強く、寒い日でしたが、床暖房 ら 一 歩 居 間 に 入 る と 、誰 も が あの 大 れたかは、 リピーターが多かったこと、 テーブルを明るく照らします。一昨日 きな丸い天井に驚き、やがて、落ち着 生涯に設計した住宅が百六十軒を超 見つけ買ってきた者もいます。芸大の 集された雑誌﹁住宅特集﹂を古書店で ま す 。な かには 永 田 さ んの 作 品 が 特 娘 た ち が 新 しいの を 買って く れ たか 揃いだといって、また夏のパナマ帽は、 ります。小さな肩掛け鞄は、自分とお 貴方が私にくれたものは他にもあ ました。 くなあ、と呟き、床に寝ころんでしま える多さでもよくわかります。 若い後輩たちは、夜になって丸屋根に ら 古いの を お 前 に や る よ 、といって 、 松山巖 来 たいと 呟 き 、家 との 別 れ を 惜 し み 登り、仰向けになり、ずっと星空を眺 手渡してくれた。どちらも大事に使っ 16 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 17 きづき . 2 014. Marc h 「熱海の家(1969)」東側外観。両親のために初めて設計 した家。ゆるくRを描く屋根は当時関わっていた愛知芸大の 屋根に倣ったという。 ( 撮影:鈴木悠) います。彼らが家を出るときは、また め続けておりました。 癌で入院する前に贈った、小さな猿の 縫いぐ るみ だ けで し た 。そ れで も 今 ています。 私が逆に貴方にあげたのは、 です。それが私にとって何よりの貴方 回の 入 院で も 、最 後の 最 後 まで 貴 方 実感させ、 多くの友を呼び集めるよう からの贈り物だと、 いま改めて感じて な がら 、おい松 山 、おい松 山 と 語 りか はその縫いぐるみに手許に置き、触れ どうやらあの家は大自然の恵みを に暮らす、 全国の多くの住み手の方々 います。永田さん、貴方が設計した家 永田昌民/享年74(満72歳)。 写真は 「奥村昭雄さんを思い出す会」 で唄を披露した永田氏(2013年)。 「 第 7 回 O M 地 域 建 築 賞 」の審 査員を務められた片山 氏( 写 真 左) と益子氏(写真右) と共に。永田氏と益子氏の間は基調講演 を行った藤森照信氏(2007年)。 師である吉村順三設計の軽井沢山荘にて(OM永 田設計塾/2006年)。 OMソーラー社屋「地球のたまご」落成式に造園設計、 建築設計の担当者として出席する田瀬氏(写真中央) と永田氏。写真左には奥村昭雄氏の顔も (2004年)。 「 地 球のたまご」落 成 式で挨 拶する永 田 氏の後ろ姿 (2004年)。 設計コンペ「OMの街角」で審査員を務めた 松山氏と永田氏(2006年)。 大 橋 歩 対 談 ながら子 どもに 〝 あやとり 〟を 教 えたり れていて、うちのカミさんがその本 を 見 き、子どもの遊びの本 を 大 橋さんが書か す 。最 初の子 ど も が 生 ま れて三つのと 永 田 う ちには 高 校 生の娘 がいる んで も遊びにできましたよね。虫だって遊びの れば上々だったんです 。昔は自 然が何で かありません。お手 玉でも 作ってもらえ 葉っぱが遊びの道具でした。 おもちゃなん もモノがなかったから、石ころとか土とか 大 橋 草 相 撲とか、私が育った時 代は何 手玉だとか⋮。 永 田 イラストで、笹 笛 をつくるとか、お 大橋 時代もありますね。 洗っている風 景 、 ザリガニやトンボを 捕ま じゃなく 、本 当に白 砂 青 松で、農 耕 馬 を 捕りにいったり、泳いだり⋮ 。 テトラポット するかというと、海がそばだったから魚を 記 憶にないけれど、学 校から帰って何 を の頃は運 動 靴 だったのか裸 足 だったのか ものがそこにあるように思 うのです 。あ は建 築 をやっていて、 一つの原 点みたいな 歳 をとった証 拠かもしれないけれど、僕 永 田 昔のことを 思い出したり するのは のが最 初でした。私 も 何となく都 会の中 はあの辺りだとすごく 便 利だね、という れるんです 。主 人が彫 刻をするので老 後 大 橋 熱 海から近い真 鶴で小 松の石が採 どうして熱海を選ばれたのですか。 ︱ 今 度のお宅は東 京ではないですよね。 くしました。 大 事にしようという、そんな感じがすご そりとした感じで、自 分 たちのペースを 橋さんの住まい方というのは、すごくひっ のは、勝 手 な 解 釈かもしれませんが、大 永 田 大 橋 さんの家 を 頼 ま れて最 初に 鬱 蒼とした自 然な感じのほうが強い。大 山の中 。軽 井 沢といったイメージではなく 永田 ミカン畑のある、どちらかというと OMソーラー社屋「地球のたまご (設計:永田昌民+OM研究所)」落成式(2004年6月)の際のツーショット写真。 永田昌 民 田さんに設 計を依 頼 するのか、永 田さん を 大 切にされている大 橋さんが何 故 、永 など、大の永 田ファンです 。日々の暮らし さんに設計を依頼して三軒も家を建てる イラストレーターの大橋歩さんは、永田 住 まいとは、 誰 もが住みこなせる 、 癖のない空 間で あるべき 。 対 談﹁ 大 橋 歩×永 田昌 民 ﹂より で二軒 目となる﹁ 熱 海の家︵ 1 9 9 0 ︶﹂ を建てられる際の、貴 重なお二人の対 談 記 事 をあらためて紐 解き 、大 橋さん、永 田さんの生き方やその器となる住まいの 考え方を探ってみたいと思います。 していました。 相 手でした。きれいな長い毛 糸 を もらう えたり、 イナゴが稲 穂にいる風 景です 。 そ があって、代 官 山にあった仕 事 場 を 処 分 ではなく地 道に絵 を 描きたいなというの OMソーラー協会︶ の対談記事を元に再編集 ※﹃ソーラーキャット1989 No・3﹄︵発行 大 橋 子 ど もの本はあ れっきりですが、 と嬉しくって、 それであやとりしたり。 ういう 海や自 然が、 モノをつくる 原 点に 子どもの頃の風景 ︱建築の原点 あのときはまだ子 どもと一緒に遊んでい なったということがあります。 し、たまたま 見つけた熱 海の土 地 を 買っ 永田 たしか大 橋さんの生まれは三重 県 ︱大橋さんが東京に出て来られたのは? てしまったんです 。永 田さんがさっき仰っ でしたよね。僕も小 学 校三年 生から六年 生まで三 重 県の津に親 父の仕 事の関 係 大 橋 大学受験のときです。私、若いとき きにやりたいことを 本にさせてもらって いるから。 で住んでいました。 たように、 やっぱり小さい頃に育った環 境 伺ったとき 、木 造の二 階 建てだったけ れ 18 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 19 きづき . 2 014. Marc h たから 出せたんです 。私って割 とそのと 永 田 あのテーマは 、大 橋 さんが生 ま れ に帰っていくのかもしれません。土があっ て木があって、風 通しのいい家が欲しかっ 学 くらいから憧 れて、大 学はどうしても 東 京の大 学に行きたいと思っていました。 た。それで永 田さんにお願いすることに には東 京にすごく 憧 れていたんです 。中 でも 実 際に来て住んでみると、都 会っぽ したんです 。 も上 野 毛だったし、最 初の下 宿 先は下 北 沢の奥のほうで、次に経 堂 、世 田 谷の中 ど、 なかなかいい家だと思いました。 橋さんは平らですよというけれど、地 面 を転々として、今は砧公園のそばです。 大橋 埃がいっぱいでしたでしょ。 NAGATA Masahito はうねっていて、真 ん中に木が何 本かあ × 永田 何 回かお話 する機 会があって思う ﹁台所﹂ を上手につくる くないところにしか住んでいなくて、学校 大橋 そうですってね。 OHASHI Ayumi 育った環 境と、時 代もあったでしょう。 対談時の永田さん。 りました。はらおうか聞 くと﹁ 基 本 的に 大 橋 私は、子どもがいることも、主 婦で 住まいに対 する要求はありますか。 私には分かりません。ただ 、自 分には仕 はいいです ﹂という返 事でしたが、次の電 事 も 子 ども もうちの中のことも 大 切で あることも すごく 自 然なので、あらため れた人の住 まいというのは、壊 すのが大 す。 その三つを何とか上 手くやっていくに 話では﹁ 伐るのが可 愛そう﹂と仰った。僕 変苦 痛なんです 。 は、家の周 りがどうあればいいかはあり す 。どんな 住 まいが子 育てにいいかとか 大橋 そうでしょうね。 て考えようとしてもなかなか難しいんで 永田 必 ずしも 良くなるかどうか分から ます 。今の家 をつくってもらったとき、子 なんかも頼まれて古い家を壊さなきゃな ないし、住 んでる 人が壊 されるのはいや どもは中 学 生で少し反 抗 期でした。 こう らない時がありますが、とくに住み込ま だろうなと 思 うのは 、器 だけじゃな く 、 らうことが一番じゃないかなという気がし なということがあって、私はフリーなので 良かったと思います 。前の家では台 所一つ ま す 。働いているから家のことをしなく いうときは母 親はそばにいないとだめだ 普 通に働いている 人とはちょっと違いま でおばあちゃんが全 部 台 所 を 仕 切ってい 住まいというのは生 活が染み込んでいる 寄りと同 居している人は、新しくなるの すけど、家の中に仕 事 場 をつくってもら からです 。そのことを 大 事に思う人や年 はいいけれど 、その一方で、積み重 ねてき ことも すごく大 切ですから、奥さんが居 心 地のいい家 をつくるというのは、台 所 ていいわけではないと思うのです 。食べる んです 。私 、料 理は下 手 だけど 好 きで、 を 上 手 くつくることかもしれません。私 たので可 愛そうでした。主 婦をやっている きに覗けるようにとか、あるいは入って来 母のじゃなく自 分の台 所を持てたのが嬉 は女だからそう思うけど、永田さんも す と、自 分の台 所というのはすごく大 事な しまいます 。 れるようにということです 。子どもはも しかったんです 。お手 伝いの人にも﹁ 台 所 ごく言いますよね。 んです 。誰が来ても階 段を上っていったと 大 橋 でも 、前の家ではなく 、今の家︵ 世 う 大 きくなりましたからいいとして、次 をつけないでください﹂とお願いしていま は掃 除しないでください。洗 濯 物にも 手 いました。そして、そこはドアなしにした 田谷 大 蔵の家 / 設 計 永田昌 民 ︶ で母は めに同じフロアに部 屋 をつくってもらいま は母のことです 。母が寝 込んだときのた 縮めてしまうことにならないかと 思って す ご く 元 気 にな り ました 。台 所 が一緒 た記 憶 を 断ってしまうのは、少し寿 命 を じゃないことがとてもいいみたい。私が働 した。 ドアを 開けておけば母の様 子が分 までお手 伝いさんにしてもらうと、家の す 。それは私の仕 事だと思っていて、そこ ﹁人﹂ が映える建築 いているから、食べる 時 間 帯 も 違いま す かるわけです 。設 計はすごくよくできて いるところです 。上の娘がいるから ﹁お前 し、台 所が一緒だと余 分 なことをしなく をやっていかなければならないとしたら、 なんか一緒に行 けばいいんだ ﹂と 言ってい 永田 今 、 うちのかみさんと子どもがアメ 大 橋 家 を 建てるときに、 そういったこと 主 婦の仕 事の周りをちゃんとつくっても われます 。とくに言 葉が強 烈だったので リカに行っているから、料 理 をやらされて を 考えてもらって建てられたのでとても リなのかもしれないし、 これでいいのか、 た 覚えていますが、﹁お宅 、夫 婦 仲が悪いん 中が違ってきちゃうんじゃないかと考えて 育て経 験はいかがでしょう。最 近では一般 んだから、住むために癖がない、 いやだな だの癖なのか、その人の生 活 を 、決してコ じゃない﹂ と言うんです 。﹁どうして﹂ と言 しまうんです 。主 婦 、仕 事 、子 育ての三つ 的 なのかも 知 れませんが、その辺 りでの と 思 わないものを どうやってつくるかで ペルニクス的に転 換させることは僕にはで 満 足 するわけがない﹂家 庭 的じゃないと うと、﹁こんな何もないところでご主 人が 永田 ありがとうございます。 るけれど 、やりゃやれるんだという 話 を すね。住む人がつくっていけばいいという 必 ず あるらしくって、それがともかくど きないという気がします 。 どこかに何かが いますよね。 してね。 でも、料 理ができないと台 所が設 気がします。 永田 仕 事を持ちながらの大 橋さんの子 計できないということでもないような気 大橋 私もそう思う。 ちゃならないわけです。 も、 ﹁ 何 も な くて広 々していれ ばいいで がしま す 。大 橋 さんの家 をやったときに 言うんです 。﹁じゃあ、家 庭 的なのはどん た。 でも別の人がうちに来ると ﹁お宅はい こかで仕事になる、頼まれる、何らかの形 うでしょうというふうな中に、分かっちゃ いわね、気 持 ちがいい、また来たい﹂と言 永 田 癖 も 何 も なくて、﹁これは誰が設 うみたいなところがあるわけですよね。 く 違 うもんだなと思いま す 。人によって う人 もいます 。人の感 覚というのはえら す ﹂という答えだったと記 憶しています 。 大 橋 永 田さんは割りとそういうところ 大 橋 二軒目をお願いするについて思った ななの﹂と聞 くと、﹁うちみたいのが家 庭 が強い。 つくり過ぎている家って結 構あり のは、私たちがいっぱい文 句 を 言ったこと 住まい方は違うでしょう。 でどこかに接 点があるのね 。これから頑 ますよね。見ていてきれいだけど、ああい 永田 違います 。 でも 、 だから面 白いと思 計したの?﹂みたいなことでいいんじゃな う 家で自 分が生 活 する 気にはなれませ を 知っててく れる 人にもう一度お願いす うのね。 この人のためにつくったんだけれ 住む人がいろいろなことをやれればいい ん。私の友だちがある建 築 家に頼んだの れば、 一から説 明しなくても済むんじゃな ども 、違う人がきたらその人なりに住め 的﹂ だと言う。彼 女の家に行くとグチャグ ですが、台 所が使い物にならなくて、私の 合わなかったら絶対に頼みませんけどね。 いかということです 。もちろん、もし全 然 チャで、長 く 居 るとイライラしてきまし 家に来たとき台 所に入って ﹁ 私 もう 我 慢 る、 それなりに住みこなしていく。違う形 張らなきゃいけないんだけど 、大 橋 さん できない﹂ って、結 局 台 所 をつくり替えた 永田 大 橋さんのご主 人の生 活 を 見てい ではあるけれど 、何かが成 り 立っていく にも 、木 造で、 こんな感じで、 こんなのど そうです 。 ると、割と規 則 正しいんだよね 。僕みた どね。 永田 出 会いによって、 この人たちは多 分 空間というのは面白いと思います。 アアル がホールに集 まってくると建 物が映 えて いに怠 惰じゃない。朝 起 きて仕 事 場には くる、 というより人が映えてくる、 みたい 何 もしなくてもちゃんと生 活される、使 化しているというか、す ごく 自 然 だとい なことを 言 う 人がいま す 。建 築ってそん 風 景でどうってことないと言いますが、人 う 気がしま す 。だから、知らない人は大 なものなんじゃないかと感じま す 。建 物 トの建 物 を 見ても 、人がいないときは殺 ありますね。 橋さんの家に来ても 何 も 置いてないから 行 くけれど 、 一つの生 活のリズムがきちっ 大 橋 相 手によるのよね、きっと。私が知 驚くでしょう。 としています 。生 活の仕 方がかなり 胎 内 る限り 、 そういうお客さん ︵ 住みこなす ︶ 自 体はなんてことない、 でも 、人がいるこ れるという 、ある 種の勘みたいな ものが が多いですよね、永田さんの場合は。 大 橋 普 通の主 婦が来ると﹁ よくこんな いこな す というか、自 分 たちのものにさ 永 田 モノをつくるってどういうことなの と、そこに座ることによってはじめて何か NAGATA Masahito に何 もないところに住んでるわね﹂と言 × かと悩んじゃうところはあります 。 マンネ OHASHI Ayumi 20 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 21 きづき . 2 014. Marc h 対談時の大橋さん。大橋歩(おおはし・あゆみ) イラストレーター。 1 9 4 0 年 、三 重 県 生まれ。1 9 6 4 年 多 摩 美 術 大 学 油 絵 科を卒 業。同年『平凡パンチ』の表紙でデビュー。1971年まで同誌の 表紙を飾り、当時の若者たちに鮮烈でさわやかな印象を送った。 フリーのイラストレーターとして雑誌や銀行、企業などの仕事を手 掛けている (1990年代にはOMソーラーのプロモーションも)。 2 0 0 2 年 には企 画から取 材 、編 集まで全て自身で手 掛ける 『Arne(アルネ)』 を創刊。2009年30号まで発行し終了。著書 に『トマトジュース』 ( 講談社)、 『 大橋歩の生活術』 (マガジンハウ ス)、 『おいしい おいしい』 『日々が大切』 ( 共に集英社) など。 いかな 。実はそこがす ごく 難しいんだけ 「熱海の家(1990)」外観。 ( 撮影:鈴木悠) が感じられる。そういうのってやっぱりあ るんだと思います。 大 橋 絶 対ありますよ。 住みやすさとは ﹁総体﹂ 永 田 今かみさんがいないでしょう。猫が 三 匹いるんですが、やっぱり 昼 間 人がい ないと落ち着かないらしいです 。すり寄っ てきたりして。 大 橋 あんまり放っておくと怒っちゃうん りして行っちゃう。 です 。寄ってこなくなる。 フンと知らんぷ 永田 だから家というのは、人が住み、動 物が住むのでないと、まったく意 味のない 家にはソーラーを導入する予定です。 ものなんです 。それから、今 度の熱 海の 大 橋 今の家には床 暖 房が入っていてと ても 快 適です 。光 熱 費 を 深 く 考 えなけ ぎない。 でも 機 械であっちゃ困るのであっ 体 だという 気がしま す 。だから、ある 意 いとか⋮ 、住 みや す さとは 、そういう 総 たとか、全 体としてこうだから気 持 ちい つの家 とか空 間 となったとき 、それらを て、家の中の骨 格である 必 要 があ り ま 味では住みにく くてもいい、などという ど、集 熱 温 度が1 0 0 ℃ありました。 で でしたが、大体シミュレーション通りという す 。そういう 意 味でいろいろなことを 考 い暖 房 ということではないですが、大 変 ことで、目に見 えるわけではないですが えるきっかけになりました。風がこう動く ればですが⋮ 。 エネルギーのことも 問 題 いんですが、都 会 生 活が長かったので、そ 感じられました。自 分でもやってみて感 主 張 もありますがそうは思いません。 い 部 分 部 分で感じることは多 分できませ の辺が割り切れなくて。そのことを 永田 激したのは、冬にお湯が採れたことです 。 から窓はこう開けなくちゃ通らないだろ つも 考 えているのは、自 分が住んだらど ん。 この窓は、 この樹を見せるために開け さんに話したら、 こういうのがあると仰っ うとか、至 極 当たり前のことですが⋮ 。 一 の意 思じゃなく 、全 然 違うところで殺さ 示することになるんです。 一種の機械に過 た。本 当に快 適かどうかは住んでみなく 太 陽ってすごいなと。 この前 、横 浜の僕が テーブルがあって⋮。台所は低いから、台所 れるのはいやだから、 じゃあ、 クーラーがだ も、住む人が実感しないと過剰反応を提 ちゃ分からないけれど。 設 計した家には 大 橋 さんもいらしたけ を使う部分だけ掘ったらだめなんですか。 めか。次に何があるのか。照 明は一部 屋一つ 安 定していて自 然な形で成り 立っている 永 田 釧 路の家 を 見てきましたが、すご 学 校にいる 頃 、吉 村 先 生の新 宮 殿がす 永田 そういう方法もありますね。 ことじゃなく 、 一つ一つやってみるよりしょ でも 住めなくはない。決してもとへ戻る のは分かりました。晴 天の日が少ない冬 うなるか、 ここまで明るくしないほうがい ごくいいなと思ったのは天 井に何 もない 大 橋 土 間が好 きなんです 。あと 、柱の 舎だから吹き曝しでもいいと思えればい い、もう少し暗いところがあったほうがい んだよね 。考 えてみれば、昔の家には天 下に石⋮。何石というんですか。 だと思っています 。私は反 原 発なので。田 いとか、 いろいろなことを 考えながらやっ 井に何 も なかった。だからす ごくきれい うがない。太 陽はこれだけあるんだから に見える。そんな話 をしていて、 一度そう 永 田 礎 石 、柱 を 立てる 。割 りと 好みが たり前だと思っていましたが、今はそのこ いうのをやってみるとどうかというのが ています 。日 向 水が温かくなることは当 とがす ごい驚 異 なんです 。ところで、大 使ってみる。確 実にできなくとも 、やって 知 識 を 持っていたでしょう。今 、自 分でつ 具体的なんですね。 くれとは言 わないけれど、そこに参 加し あった。夜は夜の生 活で、昼 間 と 同じ必 知らないよ。 たりして、 できるものを一つ一つ取り戻して 橋さんは割りと住まいや仕 事 場 を 転々 永田 昔の家は下 屋みたいなのがあって、 いくしかないんじゃないですか。特に東 京 る。 かつての年 寄りは、割りに家に対 する ろだけ 明るけれ ばいいんだから、上から 庭の礎石みたいなところに柱があって、庇 みて改 良 を 加 えつつ取 り 戻 す 方 法があ 明 る く す る 必 要 はないです よ ね 。昨 日 が掛かっているでしょうとか、非 常に断 片 大 橋 そういうのが好き、 とか言えるから 買ったから移 動できませんでした。 だから 行ったKさんのところは、電 気 を 部 分 的 いいんです 。どんどん言っちゃってあとは 垣 根 をつくったり 、椅 子の配 置 を 変えて にしか使わないから、 みんなと話している に住んでいる人たちのほとんどは、まず一 要は全然ないんじゃないかと思います。 みたりして動かさないと、部 屋が動けな 的だけど⋮。 生 家 を 持つことが不 可 能 だと す ると 、 大 橋 照 明なんて、自 分で本 を 読むとこ かったでしょう。 とどんどん 暗 く なっちゃう 。蝋 燭が一本 大橋 全部断片的でしかないんです。 大 橋 昔 からで す ね 。世 田 谷の大 蔵 は 永 田 何よりもそういうことができる広 パッてなったりとか、中 庭に大きな蝋 燭が じゃあ 、どうやって住むことを 取 り 戻 す とされていますよね。 さが欲しいですよね。贅 沢といえば贅 沢 かが大 きな 課 題です よね 。さっきの明か りの話ですが、子どもたちとパラオに行っ 永 田 そう す ると 、こういう 感じかなと るかとか、原 発の問 題 をどうするかがあ た と き 、小 さ な 島 に 渡って﹁ 帰 ら な く 想 像 を 働かせる。さっきの電 気 をどうす 永田 一度伺います。 りますが、 かといって、 こういう文 明 社 会 ちゃ﹂ といった途 端にモーターボートのエン 立ててあってすごくいいですよ。面 白い住 ていなかったから。 大 橋 す ごく 暗いけど 、暗がりがきれい に生きていて電 気はなしというわけには まい方だから見てあげて。 永田 雑 然としないことも広々と住む一つ なんです。 大 橋 あそこは小さかったけれど、仕 切っ 「熱海の家(1990)」1階土間。 ( 撮影:鈴木悠) ですが。 の方 法ですね。大 橋さんのおばさんの家 たら海 上が全くの月 明かり、 それがすご た。迎えの船がやってきて、 それに乗ってい く 明るかった。子 どもたちは初めてだと ジンが故 障して一時 海 上が真っ暗になっ ればクーラーが使 えないなら、別の方 法 思 う 。本 当に本が読めるんじゃないかと やっていくよりしょうがない。原 発がなけ でやってみるよりしょうがない。どっち を 思うくらいの明るさでした。自 然の力って いきません。 でも 、 一つ一つやれるところを 大橋 土間に憧れていたんです︵笑︶。 取るかという話でしょう。 永 田 それと、今 度の大 橋 さんの家には 永田 土 間というのは本 当は土かもしれ 大橋 そうです。 憧れの土間があります。 ないけれども 、そのまま靴で歩けるよう すごいと思いました。 大 橋 そうなんですよ。 な平瓦を敷いたような。 永田 一瞬の間に死んじゃうようなものは は天井に照明がないんですよね。 永 田 フロアスタンドだけだから暗いとこ 大 橋 玄 関から入ってきて、裏口にそのま 一つ、 一つ取り戻していく ろもあるんだけど、 でも 、ないのもいいも いやだ。まだ死にたくないし、 それも自ら NAGATA Masahito ま 抜 けられる よ うになっていて、そこに × んだという話 を 大 橋さんにもしました。 OHASHI Ayumi 22 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 23 きづき . 2 014. Marc h 「熱海の家(1990)」2階居間から台所を見る。 ( 撮影:鈴木悠) 心が満ち足りていれば、 それ以上、必要なものは何もない。 そんな家を、つくり続けてきた。 ひがし く る め し [連載] ソーラー ハウスを 楽しもう 通 信 vol. 24 心があたたかくなる記憶を、家族みんなで育む家。 東京都東久留米市 [連載] 永田さんの家 第 4 回 オリー ブ オイ ル が くれ たもの 全国に広がるOMソーラーの 家と暮らしを紹介 朝倉玲子 イタリア料理といえば何を思い浮かべるでしょう?パ す。 暖炉のある家も多いイタリア。 薪の火でテラコッタの スタやオリーブオイルでしょうか?私は断然パスタにか 壷でコトコト長時間かけて煮たそれらは本当に美味。生 らんだ真っ赤なソース。 その原材料、 トマトこそイタリア のバジリコや乾燥のオレガノなどハーブで風味付けをす 料理に欠かせないイタリア料理のシンボルではないかと るだけ。もちろんどの料理にもたっぷりのオリーブオイ 思っています。 ルを加えるのは言うまでもありません。 日本では生食が当たり前のトマトですが、原産地の南 あったかい煮込み料理の香りが家中に漂う、冬のイタ アメリカ・アンデス地方では意外や意外、 生で食べる習慣 リア家庭料理の必須アイテムがトマト水煮の瓶詰めな は殆どないそうです。 必ず加熱して食べ、 トマト自体も火 のです。冬の為の保存食であると言ってもいいかもしれ を通すことを前提とした皮がしっかりして水分の少ない ません。 品種が主です。日本は殆どが生食なので皮の薄い酸味の 旬のおいしい熟したトマトさえあれば手軽にご家庭で 少ないみずみずしい品種が主流です。加熱トマトは火を も調理することが出来ます。今年のトマトシーズンはト 通すことにより甘みが増し、生食用とは比べられないほ マト水煮の自家製に挑戦してみてはいかがでしょう。 どの旨みの強さです。 家庭では一年分のトマトソースを夏の真っ盛りに作り ます。何百キロと大量のトマトを外で大鍋を使い家族総 出で煮ます。そして瓶詰めにし密封し長期保存できるよ うにします。作り方が興味深く日本人には考え付かない 方法です。トマトに水を一滴も加えずトマトの水分で煮 る、いわゆるトマト水煮なのですが、にんにくや塩味、玉 葱などの野菜なども一切加えません。トマトだけで煮て 皮と種を取り除き水分を分離させ果肉部分だけをトロト ロにします。 一年分仕込み、 冬のトマトのないシーズンに 大活躍します。 豆や野菜と煮込んだり、 手軽にオリーブオ イルとだけあわせてパスタソースにしたり。ラザーニャ 用のラグーや肉の塊を煮込んだり、となんにでも使いま 【プロフィール】 朝 倉 玲 子( あさくら・れいこ) 会津若松在住。1996年よりイタリアに渡り南部を中心にオリーブ農家アグリ トゥリズモ(農家民宿)にて郷土料理を学ぶ。リストランテDon Alfonsoを経 て1999年帰国。2000年オリーブオイル輸入販売開始。全国各地で「オリーブオ イル使い方講習」を行いオリーブオイルその使い方とおいしさを普及。20 06 年よりアブルッツォ州にて自然栽培のアサクラオイル製造開始、現在に至る。 きづき . 2 014. Marc h 25 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 24 O Mソーラーハウスを数 多 く 手 掛けて きた建 築 家 、永田昌 民︵まさひと︶ さんの ご自 宅は、東 京 都 東 久 留 米 市 内にあり ます 。武 蔵 野の面 影がそこここに残る中 の住 宅 地の一角 、O Mソーラーの家が4 棟 永 田 さ ん がこの 家 を 建 て た の は 建つ中の1棟が、永田さんのご自宅です。 2 0 0 3 年のことです。 それ以前は同 市 代の頃 、大 学 内のコンクリート 造の家にお住 まいでし た。その家は永 田さんが 時 、若くて余 裕がなかったものですから、 ん。 ﹁ 設 計 を 依 頼 したお施 主さんは、当 しかし問 題がなかったわけではありませ すよ。部 屋が広いからお友だちもたくさん 育 ちました 。佑 子 さんによると 、 ﹁ 松と の成 長 と 歩 調 を 合 わせるように大 きく います 。その頃にはすでに大 学 時 代の恩 永 田さんは佑 子さんにそう宣 言したとい O Mソーラーの家が4 棟 建ち並ぶ中の かもしれません。 で、永田さんとしては、﹁ 想 定 内 ﹂だったの 方 法を工 夫することで収まったそうなの ﹁ 小さい家 ﹂といえるのかもしれませんが、 坪ほどの家です 。数 字の上から見れば、 25 26 時 代の友 人に頼まれて設 計したもので、 子 をお話 してくれたのは奥 様の佑 子さ 大 使 館 勤 務 という 仕 事 柄 来 客が多 く 、 仕 切りを開けるとリビングと寝 室がつな ん。借り手がつかない原 因だったワンルーム タイプも、佑 子さんはメリットとして捉え がって広く使えるよう設 計されたワンルー ムタイプの家でした。 すが、 その借 家 人が出てからは、 ワンルーム の家に住むことなく 人に貸していたので 断 熱 材を入れていなかったのです。だから ていたようです。 タイプという当 時としては特 異な間 取り 夏は暑く、冬は寒くて、朝 起きると家の 設 計を依 頼した家 主は、事 情によりそ から、 なかなか借り手がつかなかったといい 中でも息が白いほどでした﹂ と佑子さん。 増え、2 階を増 築したその家で、 年ほ 永田さんご家 族はその後 、娘さんが一人 住 まいだった永 田さんご家 族が暮らすこ 佑子さんが仕事に使っている2階の部屋。 ます。 そこで家 主から頼まれて、 マンション とになったのです。 ﹁ 上の娘がまだ小さい頃で、 ワンルームの 遊びに来てくれましたしね﹂ と、当 時の様 ら、間 違いなどないと考えていたのでしょ 子さんが家の周 囲に植えた樹 木が、家 族 設計を通じて家とともにある ど暮らしました。 その間に植 物 好きな佑 との関 係 性を考えながら空 間の広がりを 家は子どもを育てる環 境として、どこに チューリップぐらいしか知 らなかったので 記憶を残していきたい。 う。 でも 引っ越してみたら台 所に鍋が全 意 識するという、永田さんの基 本 的な設 部 入らなかったんです。 それで入らない鍋 所 有していた土 地に建てたのが、現 在の 師であり、O Mソーラーシステムの考 案 者 見せました﹂ と佑 子さん。結 局 、鍋の収 納 春は芽 吹き、夏は緑の葉を広げて木 陰 ご自 宅です。﹁ 引っ越しをしなければなら である奥 村 昭 雄 氏に誘 われて、O Mソー を台 所に並べて、入らないわよって永 田に をつくり、秋は紅 葉し、冬は葉を落として もに同じ年 月を過ごしてきた木々を手 放 ないのは仕 方がないとしても 、家 族 とと いちばん奥 、旗 竿 敷 地に建てられた永 田 な家になるぞ﹂。新しい自宅づくりに際し、 日差しを通す。時 間とともに家 族が成 長 ラーハウスの普 及に努めていた永田さん。 ご さんのO Mの家は、1 階がリビングダイニ ﹁ 今 度の家は冬 暖かく、夏 涼しい快 適 していくように、植 物 も 、鳥 も 、虫 も 、自 さなければいけないのかと、本 当に気 落ち 自宅はもちろんOMソーラーの家です。 ざるをえなくなり、知り合いの工 務 店が 然も、様々に変 化を遂げていきます。 それ しました﹂ という佑 子さん。樹 木を表土ご その家を家 主さんの事 情により退 去せ らの様 子を家の中から眺める事により、 も要 望を聞くことなく進められていきま 永 田さんによる設 計は、佑 子さんに何 ング、2階が2部屋と浴室の延床面積 家への引っ越しは、大 切な植 物と一緒に臨 と移 植することが可 能だと知り、新しい づき始めました。 さえも変えてしまう 影 響の大きさに、気 は﹂と、最 初は植 物に興 味がなかった永田 長年使い続けている奥村氏作のテーブルとハンペンチェアー のある1階リビングダイニング。開口部の建具は木製。 計 姿 勢が築かれていきました。 愛された建 築 家 。 さんも、次 第に樹 木が家の佇まいや風 景 いても目が行き届くのでとても良かったで 25 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 20 した。﹁ 建 築 家が自 分の家をつくるのだか 2階と1階を緩やかにつなぐ回り階段。 27 きづき . 2 014. Marc h 同 業者など多く 業 者など多くの人々から 視 線が外に伸びて空 間が広がるだけでな みました。 永田さんの家はOMの家が建ち並ぶ 奥にある。 旗 竿 敷 地の竿の部 分は緑のアプ ローチ。 本棚が仕切りとなっている2階寝室。 玄関を入りリビングダイニングを見る。 住まい手や職 方さん、 く 、暮らしの彩りにもなっていく 。永 田さ んはそこで暮らす 月日の間に、家と周 囲 テラスで猫を抱いて日向ぼっこする佑子さん。 います 。今 年の初め、永 田さんが 代の 頃に手 掛けた 家が取 り 壊 しになるから る家をつくり続けた永田さん。﹁ 家は家 族 を 結 びつける場 。住 まいを 設 計 すること と 、築 無 駄 も 不 足 もないすっきりとした潔さ、 上 質な空 間 、 これこそ永田さんの建 築 家 を通じて、家とともにある記 憶を残して 年の家の﹁お別れ見 学 会 ﹂が開 としての神髄といえるものでしょう。 んな恐れすら覚えたほど、新しい家は快 しまうのではないかと思いましたよ﹂、そ 住んでいたら、 かえって人 間がダメになって でしたから、 こんなに快 適 な 環 境の中に 新しい自 宅は確かに快 適でした。﹁ 前が前 ﹁ 暖かい家になるぞ ﹂との宣 言 どおり、 た。 ホームページを持たなかったため、永田 ﹁また一緒に仕 事をしたい﹂と慕 われまし かったという 永 田さん。職 方 さんからも で、現 場に出かける日は朝から機 嫌が良 の人 生を歩み続けました。現 場が大 好き いきたい﹂との信 念のもと、建 築 家として かおうとしていた 永 田さん。愛 用の鞄を 大 好 きな 仕 事 場に、病 床から何 度 も 向 ど 、多 くの人々から 愛された 永 田さん。 まい手や 工 務 店 、職 方 さん 、同 業 者 な に、1 7 0 人 近い人々が集まったほど、住 かれました。取り壊しになる家の見 学 会 アプローチ 携 えて、足 早に新 たな 現 場へと 旅 立って ポーチ さんに設 計を依 頼したいと望む施 主を、 ホール 適そのものだという 佑 子さん。永 田さん 子供室 30 行きました。 ベランダ 37 右往左往させたりもしました。 に、建 築 家としての心 根を丁 寧に植え続 永 田さんは 1 6 0 棟 、その1 棟 ずつ 28 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 29 きづき . 2 014. Marc h 2階 1階 浴室 洗面所 納戸 玄関 けていきました 。住 まい手 もその心 根を 夏は緑が迎える玄関アプローチ。 も、 ご自 身がO Mの家に暮らすことで、 ま 全国に広がるOMソーラーの 家と暮らしを紹介 建物概要/木造在来軸組工法 敷地面積/127.28㎡ 延床面積/85.4㎡ 竣 工/2003年 設 計/永田昌民 施 工/相羽建設株式会社 写 真/上田明 キッチン 寝室 ダイニング すますその良さを実 感し、O Mソーラー 心に従って暮らしていこう。 庭 テラス の普 及に力を注いでいきました。 これからは、心の声に耳を傾け、 緑と共存している1階のテラス。 階段に置かれたN設計室の標柱。 年 間に、遺 作となっ お気に入りの小物が飾られた棚。 建 築 家としての ソーラー ハウスを 楽しもう 通 信 vol. 25 懸命に走り続けた半生。 受け止めて、大 切に育て続けて暮らして 寝室に設けられた永田さんの仕事スペース。 44 た2 棟を 加え、全 国に1 6 0 棟を 超え ほく と し 蓮見さんの家 山梨県北杜市 [連載] 仕事に、子育てに、 会 社 勤めに子 育てにと、結 婚 生 活の大 半を都 内のご主 人の実 家で過ごしてきた 蓮 見さんご夫 妻 。定 年が目 前に見えてき 開 放されて、 のびのびと暮らしたい﹂とい り合う場所に巡り合ったことで、定年後に 雄大な自然に包まれた蓮見さんのOMの家。 た時 、 ふと、﹁ 定 年 後はいろいろなものから う思いが、胸を占めるようになりました。 年を経た実 家の建て替えや、 マンショ 定 年 後の計 画として、現 在 住んでいる 築 ンの購 入 などを 検 討してはみましたが、 ﹁ 窓を開けると見えるのは隣の家 ﹂という 密 集した都 会の生 活ではなく、﹁ 自 然を がしたい﹂との思いが、次 第に抑えきれな と考えていた家づくりは、定年まで3年ほ 感じられるような、開 放 感のある暮らし くなってきたのです。 の家を﹂ と考えていたそうで、 ネットで調べ ど残し前倒しで進められていきました。 ていく中からO Mソーラーの家を知りま そこで都 会から地 方へと目を向けるの 自 動 車 免 許のない奥 様が徒 歩で生 活で した。﹁ 局 所 的な暖 房ではなく、 パッシブな は、以前から ﹁ 家を建てるなら、環 境 共 生 きる場 所でありたい、自 然が豊かであり 手 法で開 放 的な空 間を空 気で暖めると 都 内で設 計の仕 事をされているご主 人 ながらそこそこの便 利さも 必 要 、となる ころ﹂ がO Mを選んだ理 由だというご主 ですが、 ご夫 妻それぞれのお母 様の家か と場 所はある程 度 限られてきます。都 内 らそれほど遠くない場 所でありたい、 また からそれほど遠くなく、自 然の豊かさも ﹁ 周 囲の自 然を 活かしたシンプルな 家 人は、 ご自 身で基 本 設 計を行い山 梨 県で 東京から車で2時間あまり。 八ヶ岳、甲 を ﹂と 望んだ 蓮 見さんのO Mの家は、天 感じられる場 所として、栃 木 県や千 葉 県 斐駒ケ岳などに囲まれた自然豊かな場所 井の高いリビングダイニングを中 心に、寝 O Mの家を建ててくれる会 員 工 務 店を で、 しかも蓮 見さんが掲げた条 件にぴった ﹁ O Mのおかげで床が暖かくて気 持ち など関 東 周 辺を見て回る中で、最 終 的に 間だけ、 ご夫妻と愛犬ゴブちゃんと過ごす がいいから、 ソファは置いていません﹂という 探して、家づくりを託します。 週末住宅のOMクワトロソーラーの家。﹁エ 奥 様は、﹁シンプルに生きたいので、 この家 選んだのが山梨県の北杜市でした。 ネルギー自 給 率が最 初に想 像していたよ も立ち座りが大 変になって必 要になってき にあるのは必 要 最 小 限のモノだけ。 ソファ 都会で忙しく りもずっと高く、週 末だけしか暮らさない 2 4 0 坪 ほどの土 地に建てられていま 室と和 室を加えたシンプルな間 取りの木 のはもったいないぐらい﹂という奥 様は、東 たら、 その時は気に入ったモノをじっくりと 暮らしてきた日々にはなかった 定 年 後にと計 画したものの、予 定より 京からここに来ると 、外が寒 くても 家の 選びたいと思っています﹂ と話します。 造 平 屋 建てで、北 側に八ヶ岳 、西 側に甲 す。 この辺りは環 境 省 選 定の日本の名 水 も早く家づくりが実 現したため、しばら 中はほんのり暖かく、 やさしく迎えてくれ 新たな価値観が生まれる。 百 選に選ばれるほど 水の美 味 しい地 域 くは東 京と山 梨を往 復する生 活が続き ﹁ 今までは時 間も余 裕もなかった﹂とい 斐 駒ケ岳が見 渡せる田 園 風 景の中の、 で、蓮 見さんの家の周りにも、勢いよく流 ることが、 なにより嬉しいのだといいます。 30 45 ます。仕 事を終えた金 曜日から日曜日の 住まい手のいない平日もOMクワトロソーラーは家の温熱環境を調整している。 れる水の音が絶えず聞こえています。 ﹁ 私たちにとっては初めて建てる家なの で、 ぜひ何か環 境にやさしい仕 組みを取り 入 れてみたかった ﹂と 振 り 返 る 奥 様 は 、 O Mソーラーのことはご主 人から聞いて 初めて知ったのだといいます。﹁それまでは 太 陽 光 発 電のことしか知りませんでした が、太 陽 光で発 電 するだけではなく 、太 陽 熱を使って床 暖 房したり、換 気をした り、 お湯 採りまでできる、本 当にそんなこ とができる家があるのかと、びっくりしま した﹂ と奥 様 。 してみると、太 陽 光で発 電するだけでな 実 際にO Mクワトロソーラーの家に暮ら く、冬でもO Mの床 暖 房だけでほとんど 暖 房 器 具を使 うことがないそう 。 さらに 夏 場のお風 呂はO Mのお湯 採りだけで賄 光 も熱 も積 極 的に取り入れる工 夫をす えるといい、太 陽 という 自 然エネルギーの ることで、今までにはなかった暮らしが広 床が暖かくて気持ちが良いとソファを置いていないリビング。 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 31 きづき . 2 014. Marc h 週 末だけしか暮らさないのはもったいない。 がっていきました。 育てた野菜はつまみ菜も捨てられない。 家庭菜園で育てた葉っぱも立派な大根。 開放的でシンプルな間取り。 東側の落ち着いた畳敷きの和室。 リビングの西側にある寝室。 こんなにエネルギー自給 率の高い家に、 こんなにエネルギー自給率の高い家に、 うご主 人は、念 願の家 庭 菜 園 を 敷 地の 北 側につくり、畑 仕 事に夢 中です。大 根 、 ●住まいと洗濯という家事 台所 洗面 脱衣室 玄関 スロープ していると考えられるのです。 そし があるため、住 まいを 手 狭 状 態に デッキ 蕪 、白 菜 、 キャベツ、 ブロッコリー、 キュウリに ナスと、近 所の農 家の方に教えを受けな がら、栽 培 、収 穫に励んでいます。 畑 仕 事 1 年 生とは思えないほど、種 類 豊 富な野 菜がたくさん収 穫されている家 庭 菜 園 。﹁ 主 人が育てた野 菜を使ったお 料 理を考えるのが楽しいの﹂という 奥 様 は、﹁ 間 引いたつまみ菜さえも、もったいな に出 す ものになり ます 。 これら 衣 風呂場から見る山並みがご主人のお気に入り。 ンス、プラ行 李︵こう り ︶ に入 れる ます。普 段 着は夏 冬ごとに整 理ダ う一連の家 事は 、汚 れた 衣 類の収 など家によって様々です。洗 濯とい 洗 面 所 、風 呂 場 、脱 衣 室 、 ベランダ 蛇口、排 水 溝 が 有 る 場 所であ り 、 などからみる近 代 的な住まいの間 始 まるのです 。同 時に家 事の中か 買い込 む 、衣の使い捨ての時 代が が安 価になります。沢 山の衣 料を 整い大 量 生 産されて、多 彩な衣 類 いに溢れるように衣 類がある時 代 るものもあるのです 。 つまり 、住 ま 壁 際などに吊るし置きで並んでい から 受け取ったまま 居 間 、玄 関の の外 出 着 などは 、クリーニング 店 状 態で寝 室 、子 供 室 、食 堂に、 一部 段 ボール入 れ 、 ビニール袋 入 りの 脱 水が仕 事です。前 後の作 業は主 きも有りますが主として、洗うと 意 味します 。洗 濯 機は 乾 燥 機 付 屋の間 を 何 度 も 行 き 来 する事 を の中 を 物 干 場︵ 屋 外 ︶と色々な部 ります。 この主 婦の行 動は、住まい む 、仕 分 け 、仕 舞 うという 順にな 使われない状 態で収 納されている 贈 答 品といったモノは、新 品のまま かった大仕事といってよいでしょう。 け作 業 などは洗 濯 機 以 前にはな 類 を 干 場へ運ぶ作 業 、畳 む 、仕 分 把に区 分 けすると 普 段 着 、外 出 ります。 こうした使っていない衣 類 いった野外での仕事でした。洗濯機 成 長して小さくなった新 古 品もあ 昔の洗 濯 は 井 戸 端 、外 水 道 と ないのです。 といった関 係は、 いまだに良 好では 取とモノ、道具の納まり、使い勝手 半の普 段 着 は 住 まいの中で 、チョ などは箪 笥 、洋ダンス類に納 まり 洗 濯 機の置 き 場は 、 コンセント 、 て恐ろしいことに、洗濯という行為 類の置き 方ですが、外 出 着・晴 着 シューズBOX のはよい方です 。日常 使っている大 ら消 失していったのは、繕いやボタ イと 置 く 、吊るし置 き 、積み 置 き 、 集 、分 別 、洗 う 、脱 水 、干 す 、たた ン掛け、雑 巾つくりや、 ミシン作 業 婦︵ 主 夫か? ︶ の仕 事になり ます 。 ロの再 生 、お譲 りの習 慣 も 同 時に ものがあ り ます 。あるいは子 供が シーツ、下 着 、 洗 濯 機から 水 を 含んだ大 量の衣 いの技 法から発 達した美 意 識やボ 驚くことにタオル、 消え始めます。 着 、晴 着となります 。洗 濯 機のお なりました。現代の住まいにはモノ 洗 濯 機 を 中 心とした室 内の家 事 や道 具が沢 山 あり 、 これに加えて の登 場で物 干 以 外は室 内 仕 事と 態、 ストック 状 態で大 量にあるこ が、使い終わった学用品、玩具類な シーツ、 パジャマ、靴 下 、運 動 着 な とが、問題なのです。 32 くて捨てられない﹂と、 ご主 人が育てた野 菜のイノチを無 駄にすることなく、 いただ く工夫をしているといいます。 ﹁ 自 然を感じながらのびのびと暮らし たい﹂と、自 然の懐に抱かれながら、自 然 の恵みを取り入れたO Mクワトロソーラー の家を建てた蓮 見さん。そこには都 会で 忙しく暮らしてきた日々にはなかった、新 たな価 値 観が生まれています。 定 年まであと少し。定 年を過ぎてもし ません。 それでも少しずつ都 会からこちら ばらくは仕 事から離れられないかもしれ の暮らしへとシフトしていくつもり。畑もも う 少し広げたい。近くの山々や遺 跡など 行ってみたいところもたくさんあります。 今は週 末だけの住まいだけれど、 一日も早 くこの家で暮らすことを、楽しみにしてい 電 気 洗 濯 機と 大 量の衣 類 ●普段着・ 大量の衣類のストック デッキ 世 話になるのは、 この普 段 着 類で どでしょうか。他はクリーニング屋 ソファが洗濯物置き場になっ ていませんか。 る蓮 見さんです。 回 建物概要/木造在来軸組工法 平屋建て 敷地面積/811.73㎡ 延床面積/96.53㎡ 竣工/2012年10月 基本設計/蓮見さん 実施設計/山口工務店 施工/山口工務店 写真/上田明 1階 ポーチ 押入 物入 家庭菜園はさらに拡張も計画されている。 和室 寝室 ベンチ 食堂 北 側の勝 手 口は畑 作 業を する時に便利。 愛犬ゴブちゃんと一緒に仲 良く近所を散歩。 家の南側のデッキに座るご 夫妻。 になったのです。 年代以降、衣の工業化が 配置図 などですが、 パッチワークという 繕 昭和 車での移動中には富士山もきれいに見える。 す 。シャツ 、ズボン、下 着 、タオル、 どとともに、住まいにチョイ置き状 住まいにある衣 料 、布 類を大 雑 納戸 【プロフィール】 真 島 俊 一( まじま・しゅん いち ) [連載] 第 住まい と 道 具 TEM 研 究 所 真 島 俊一 土間 浴室 食品庫 勝手口 トイレ きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 33 きづき . 2 014. Marc h 40 居間 1947年栃木県生まれ。1970年武蔵野美術大学建築学科卒業。 1974年(株)TEM研究所代表に就任。現在に至る。日本生活 学会前副会長、道具学会理事、トヨタ財団研究助成団体審査 委員など歴 任。主な著書と論文は、 『 南佐渡の漁村と漁業』 (共著、小木町/第一回日本生活学会賞受賞)、 『 世界の建築 術』 ( 共著、彰国社/日刊工業新聞社第三回技術図書文化賞 受賞)、 『 台所の百年(生活学23)』 ( 共編著、ドメス出版、2000 年神戸賞受賞)、 『棚田の謎』 (共編著、農文協、2005年棚田学 会賞受賞)、 『生活空間論(講座生活学6)』 (共編著、光生舘)、 『生活学事典』 (共編著、TBSブリタニカ)ほか。 2 身体と心の 回 知られざる 第 くては な ら ないの だ !・・・という 雰 囲 気 くて 、省エネで 、長 持 ち す る か ら 、買 わ な この頃 L E D 照 明 が 大 流 行 り だ 。明る 藤村靖之 セと 僕は思うのだけど 、どうだろうか。 す ら 漂って く る 。ちょっと 待っていた だい ガラス瓶 ランプ 非 電 化 製 品 をつく るワークショップを する 。 レイ ア ウ ト が 済 ん だ ら 植 物 油で 瓶 採ってき た 植 物 を 瓶の中にレイ ア ウ ト たい。もっと 大 事 な ものが 抜 けていないだ 回 開 催 するこ と が 多い。例 えば 非 電 化 冷 蔵 を 満 た す 。も ち ろ ん 自 分 た ちで 作った 油 第 庫つく りのワークショップ 。﹁ 文 化 系のお だ 。搾 油 機 さ え あ れ ば 、植 物 油 をつ く る ろ うか 。 人が 文 化 系のお 母 さんで埋 まった 。制 作 中 、お して終 了 。 のは 簡 単 だ 。全 員 が 完 成した ら 点 火 式 を 母 さ ん 優 先 ﹂と 募 集 し た ら 、定 員 母 さ ん た ちの 顔 は 輝いていた 。半 数の お るのが 照 明 だ と 、僕は 思 う 。明 る くて、省 の時 を 過 ご す 。 この 安 ら ぎの 時 を 演 出 す 昼 間は 汗 を 流して生 産し 、夜は 安 ら ぎ 母 さんは 完 成した 時に涙ぐんでいた 。 ス瓶 ランプに 、た まには 火 を 灯してみる 。 ない。L E D 照 明 は 、な ぜ か イ ラ イ ラ す エネで、長 持 ち すればいいという ものでは ワークショップで作って持 ち 帰ったガラ ただの灯に見 えるだろうか 。 ワークショッ 科 系 だ ろ う が 、本 当 はモノツ ク リ が 好 き プの 時の 美 しい風 景 や 、満 た さ れ た 情 感 女 だって 男 だって 、文 化 系 だ ろ う が 理 化 系 だ か らモノはつ く れ ない・・・と 思い で た ま ら ない。そ れ なのに 、女 だ か ら 、文 です 。 いろいろ な 理 由があ りま す 。たと 一般 的に日 本 人はスキンシップが苦 手 たりするものです。 ですから夫 婦のスキ な く﹁ 愛 着 ﹂ の 関 係 を 築いた り 維 持 し 役 割 も あるのです 。それは﹁ 愛 情 ﹂ では しかしスキンシップにはも う少し違 う は、 この連 載の3 回 目に紹 介した﹁オキ まで 下 がったので す 。このよ う な 効 果 事のストレスが減 り 、高血圧の人は血圧 シップ強 化グループ﹂ の方は、特に夫の仕 ん な 変 化が 現 れたでしょうか。﹁スキン るから 、僕は 嫌いだ 。 や 、温 も りのあ る 人 間 関 係 が 蘇って く る に違いない。 込 ま さ れて 専 業 消 費 者に 甘 んじている 。 誰かの罠かもしれない。 いただきたい。ガラスびんの中に本 物の植 例 え ば﹁ ガラス瓶 ランプ ﹂。写 真 を 見て 物 と 、植 物 油 が 入っている 。 これ をワーク ショップで 作 る 。参 加 者 は 、要 ら な く なっ た ガ ラス瓶 を 持って く る 。加 熱 して 平 ら に す る か 、溶 か して 新 しい 瓶 を 作 る か 、 割って混 ぜて溶かして瓶にする。 次 に 、思いき り 美 しい野 山 に 行って 植 物 採 集 を す る 。ガラス瓶の 中に 美 し く 入 れること をイメージしての植 物 採 集 だか 合 うこ とに な る 。﹁ 感 性 を 高 めて 、五 感で ら 、普 段 よりは 感 性 を 高めて自 然 と 付 き 味 わ う 自 然 ﹂というのは 最 高 級のシ アワ え ば 挨 拶では 欧 米では 握 手 やハグをし シトシン﹂ の影 響によるものです。 オキシ 創 ま すが、 日本 人はお辞 儀です 。 これでは ンシップがなく なると、 お互いに無 関 心 トシンは、女 性は普 段から出やすいです 山口 なかなか親しい関 係にな りにくいです になった り 、心の拠 り 所 を 夫 婦 関 係よ が、男 性は 出にくいからこそ 、意 識して 男 女のスキンシップ ね 。ま た 男 女でもかな り 違いがみ られ り も 子 ど も に 求 める よ うに な るので 病が 蔓 延しつつあ る 現 代の時 代 、お 金 しょうか。 ですから結 婚 前はお互いに愛 愛 情の表 現 と 考 えているのでは ないで いま す。多くの日本 人は、 スキンシップを 寝 室を 夫 婦同室にする、 ソファーで近づ ループ﹂ としま す。たとえば手をつなぐ、 を 増 やしても らう﹁スキンシップ強 化グ ま す 。1つは 夫 婦で日 常のスキンシップ 参 加しても らい、 2つのグループに分 け 34 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 35 非電化 工房代表。日本大学工学部 教授(工学 博士)。発明家。 194 4年、福岡県生まれ。大阪大学大学院基礎工学科修了。大 学院修了後、メーカーの研究者を経て、1984年に「カンキョー」 関係 す。 ですから 特に子ど もが生 ま れた 夫 触れると効果が高いのです。 ないだ り 腕を 組んで歩いているのは、女 婦が、 スキンシップが少 なく なる 傾 向が ま す 。私の勤めている 大 学でも 、手 をつ 性ばかりです 。 も かか ら ず 手 軽にで き る﹁いいこと ず 夫 婦の 離 婚 率 が 高 ま り 、生 活 習 慣 シップがストレスを 減 らし 、、健 康 を 増 さらに米 国の研 究では、夫 婦のスキン くめの﹂夫 婦のスキンシップを 見 直して あ りま す 。 く 触れ合っているのに、結 婚した 途 端に 日本 人のカップルは、結 婚 する前はよ 進するといった効果があることもわかっ みませんか? それでは夫婦関係ではどうでしょうか。 お互い触 れ な く な るという データがあ ていま す 。実 験ではま ず 、 組の夫 婦に 情 を 表 現し、確 認 する 必 要 性から触れ いて 座 るといったこと を 1 日 やってもらいま す 。 それを 1ヶ月 続けま 山 口 創( やまぐち・はじめ ) りま す 。 これも日 本 文 化の影 響だと思 合いま すが、結 婚 後はわざ わざ 表 現 す 分だけ るのが 照 れ く さいと 思ってし ま うよ う です 。お 互い、﹁ あ 、うん ﹂ の呼 吸で分か りに生活してもらいま す。1ヶ月後にど 桜美林大学准教授。臨床発達心理士。1967年 静岡県 生れ。早 稲田大学 大学院人間科学 研 究 科博士 課 程 修了 。専 攻は「 身体 心 理 学 」、 「健康心理学」 「臨床心理学」など。聖徳大学人 文学部講師を経て、現職。主な著書に『愛無・ 人の心に触れる力』 ( NHKブックス)、 『 子供の 「脳」は肌にある』 (光文社)、 『皮膚感覚の不思 議』 ( 講談社ブルーバックス)、 『 手の治癒力』 (草思社)、 『幸せになる脳はだっこで育つ』 (廣 済堂出版)ほか多数。 きづき . 2 014. Marc h ガラス瓶ランプ 20 す 。も う1つのグループは 、そ れ まで通 しれません。 【プロフィール】 36 を設立。専門は非電化による環境技術の開発。栃木県那須町 で非電化工房、地方で仕事を創る塾などを主宰し、科学技術 庁長官賞、発明功労賞などを受賞。 『 愉しい非電化』 ( 洋泉社)、 『非電化思考のすすめ』 (WAVE出版)など著書多数。 4 5 り 合 うのが理 想 だと考 えているのかも 30 [連載] 【プロフィール】 藤 村 靖 之( ふじむら・や すゆき) [連載] 箕 輪 直 子 さんより﹁ タデアイ﹂のタネ、 で使う﹂﹁広い畑があるので﹂など大量の O Mソーラーが 導 入 された 今 号 よ り ス タ ー ト し た 連 載﹁ た て 糸 プレゼントのお 知 らせ! 況 が 表 示 されていまし た 。 タ ネ を 希 望 さ れ る 方 は ご 遠 慮 いた だ け ﹁ 慶 應 型 共 進 化 住 宅 ﹂が 優 秀 賞 を 受 賞! 1 / ︵ 水 ︶∼ ︵ 金 ︶の 3 日 間 、東 京 ︶の 筆 者 で あ る 2 0 1 4 ﹂にて 、慶 應 義 塾 大 学 S F C 研 さ れ た イ ベ ン ト﹁ エ ネ マ ネ ハ ウ ス 築され、引き続きデータ取りが続けられ 慶 大 S F C︵ 湘 南 藤 沢 キャンパス ︶に 移 が 、慶 應 型 共 進 化 住 宅 モ デ ルハウ ス は 、 た 。以 下 、箕 輪 さ ん か ら の メッセ ー ジを ト し たいと 嬉 しい申 し 出 を 受 け ま し る こ と が で き ま す ︶﹂の タ ネ を プレゼ ン 読 者 の 皆 さ ん に﹁ タ デ アイ︵ 青 色 に 染 め 染 織 家 の 箕 輪 直 子 さ ん よ り 、﹃ き づ き ﹄ 自分で増やしてください。︵箕輪直子︶ ば 秋 には 多 く の タ ネ が 手 に入 る の で ご 変 わ り ま せ ん 。水 や り を 欠 か さ な け れ も ち ろ ん 、ど な た で も お 送 り す る 量 は れ ば と 思 いま す。予 め ご 了 承 く だ さ い。 と よ こ 糸 の 物 語 ﹂︵ P 究 所 が 提 案 す る﹁ 慶 應 型 共 進 化 住 宅 ﹂が る 予 定 です。移 築 後 はコンクリート 基 礎 記しますので、是非お申込みください。 残念ながら最優秀賞は逃しました 優秀賞を受賞しまし た 。 ラーの本領も発揮されそうです。OM以 の上に建 てら れる とのこ と で 、O Mソー ビッグサイ ト・東 雲 臨 時 駐 車 場にて 開 催 エネマネハウスと は 、2 0 3 0 年の家 外の技術を含め、移築後の様子も本誌で 方 は 、 円 切 手 を 貼 り 、送 り 先 の 住 所 を こ の よ う な 状 態 に な り ま す 。ご 希 望 の 明 書 付 き で す 。う ま く 育 て れ ば 夏 に は ンター一つ分 で す。育 て 方 や 染 め 方 の 説 す るのは タデ科のタデアイのタネ、プラ の プレゼ ント を し ていま す。プレゼ ント ︵ 有 ︶ア・ウィークでは 、毎 年 、藍のタネ 藍 の タ ネ を ご 希 望 の み な さ まへ を テ ーマにエ ネ ル ギ ー 、ラ イ フ、ア ジ ア の3つのコンセ プトの下 、先 進 的 な 技 術 お 伝 え す る 予 定 で す の で 、引 き 続 き﹁ 慶 日から2014年3月 日 の 間 に竣工 さ れ 日に竣工 し た 記入し た返信用封筒を下記の住所まで お 送 り く だ さ い 。そ の 封 筒 に タ ネ と 簡 単な説明書を添えた小袋を入れて折り 返しお送りします。 意 し ま し た 。な く な り 次 第 終 了 と な り 因みに、2013年度は1000袋用 ま す。ま た 、こ の プレゼ ント は よ り 多 く 感 じ て い た だ く の が 目 的 の ボ ラ ンティ の方の手にお届けし、草木染めを身近に ア 活 動 の一環 で す の で 、﹁ 学 校 等 の 行 事 大 阪にて設 計 事 務 所 ガイダンスを 開 催しました! ガイダンスを開催し、OMの最新情報をお伝 去る2/6︵木︶、大阪にて設計事務所向け え す る と と も にゲ ス ト 講 師 と し て 三 澤 文 子 氏 を お 招 き し 、﹁ 木 構 造 と パッシブデ ザイ ン﹂ とに解 説いた だ について実例をも 名を超える参 き ま し た 。定 員 の 加 申 込 み をいた だ き 、関 西 で も パッシブデ ザイ ン とが伺えました。 への関心が高いこ ■ 次 回 O Mソーラー 岡山県の学校法人尾形学園 施 設 見 学 会 のお 知 らせ ﹁しらゆり幼稚園﹂ ∼ に て 施 設 見 学 会 を 開 催 い た し ま す。 ︻日 時 ︼3 / ︵ 土 ︶ 岡山県倉敷市中庄団地5番4号 ︻住 所︼ 児 童 施 設 関 係 者 、自 治 体 、設 計 者 等 ︻対 象︼ 36 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 應型共進化住宅﹂にご期待ください。 東大チームが最優秀賞に選ばれた。 や 新 た な 住 ま い方 を 提 案 す る 住 宅 を 5 優秀賞の表彰を受ける慶大チームの リーダーである池田先生(写真右)。 つの大 学 が 競い合 う もので 、慶 大 チーム 入 さ れ て い ま し た 。会 場 が 駐 車 場 と い 慶大チームのモデルハウス。 の モ デ ル ハ ウ ス に は O M ソー ラ ー が 導 う こ と か ら ア ス ファル ト に 敷 か れ た 鉄 板 の 上 に モ デ ルハ ウ ス が 建 て ら れ る と O M工 事 を 担 当 さ れ た 相 羽 建 設 さ ん を いう O Mにとって は 不 向 き な 条 件 の 中 、 は じ め 、チーム 関 係 者の協 力によ り 5つ の 大 学 の 中 で も 常 に一番 室 温 が 高 い 状 早大チームのモデルハウス。 ﹁OMソーラー建築デザイン賞2014﹂作 品 募 集! 2006年8月 た O M ソ ー ラ ー の 家 を 対 象 に﹁ O M ソ ー ラ ー 建 築 デ ザ イ ン 賞 2014﹂を開催 す る こ とにな り ま し た 。 OMソーラーの家が目指すのは、 日 々の生 活 を 営 む た めの快 適 な 住 空 間の創 造 です。そ し て 、そ れを 実 現 す る た めには 、意 匠・温 熱 環 境・経 済 性のバランスを 考 えた デザインが 求 め ら れま す。本 か ら 先 進 的 な 取 り 組 み は も ち ろ ん 、後 世に残 し たい家 づく り、周 コンペティションで は 、実 際に建 て ら れ た O Mソーラーの 家 の 中 辺 環 境 を 巧に活 か し た 家 づく り な ど 、多 彩 な 事 例 の 応 募 を 期 待 し ています。また 、 コンペ終了後には、応募作品による実例集も作 日︵ 水 ︶ 日︵ 金 ︶ 成する予定です。多くの皆さんからの応募をお待ちしています。 ・エントリー締切 2 0 1 4 年 4 月 ・応募締切 20 1 4 年 4 月 日から2014年3月 ※ 専 用﹁エント リーシート ﹂を O MソーラーW e b サイ ト よ り ダウンロード し てご 使用 く ださい。 ︻募集内容︼ 2006年8月 O M ソ ー ラ ー の 住 宅 、お よ び 施 設 建 築︵ 新 築 と 改 修 事 例 ︶ ︻審査委員︼ 野沢正光︵建築家︶、 前真之︵ 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻准教授︶、 伊礼智︵ 建 築家︶ ︻賞 品︼ 入 賞 5 点︵ 記 念 盾 ︶ 大 賞 1 点︵ 記 念 盾 、実 例 集 表 紙 お よ び 巻 頭 に 作 品 掲 載 ︶、 ︻主 催 ︼O M ソ ー ラ ー 株 式 会 社 ︻ 参 加 費 ︼無 料 大阪でのガイダンスの様子 芝浦工大チームは来場者から最も支持を集めた。 ﹁ O M ソー ラ ー 建 築 デ ザ イ ン 賞 2 0 1 4 ﹂事 務 局 ︻ 問 合 せ ︼O M ソ ー ラ ー 株 式 会 社 O M ソー ラ ー We b サ イ ト よ り ︻申込方法︼ メ ー ル に て お 申 し 込 み く だ さ い。 30 90 タネの量はこれくらい。 〒140-0031 東京都品川区西五反田6-24-15 Y.BLDG1∼2階 (有)ア・ウィーク 藍のタネ係 15 31 30 31 送り先 30 18 3月頃に蒔けば夏にはこのような状態に。 13 30 37 30 千葉大チームのモデルハウス。 31 31 〒431 1 20 7 静 岡 県 浜 松 市 西 区 村 櫛 町 4 6 0 1 29 きづき . 2 014. Marc h 38 29 T EL . 053- 48 8 -1 7︵ 0 0代 ︶、 FAX . 0 5 3 -4 8 8 -1 7 0、 1 E メ ー ル com pe@ om s o la r.j p - News & Information News & Information たて 糸 と オ フル ー ム ︵ 簡 単にでき ま す 。 ︶ off loom ま だ 子 供 の 頃 、偶 然 機 織 り 機 織り︵はた おり ︶というと 、 くで見 たこと が あり ま す 。大 小 す る 人 が 多いと 思いま す が 、織 だ け れ ど 木 片 や 動 物 の 骨 でで ていた り 、写 真のカ ー ド は 紙 製 昔 話 の 鶴 の 恩 返 し を イ メ ー ジ この はど れ も 最 近 off loom の 方 法 では な く 、 エジ プ トのミ の木 材の組 み合 わせででき てい 機 を 使 わ な いで 布 を つ く る 方 りに は off loom ︵ルーム=織 機 のこ と ︶と い う 分 野 、つ ま り 織 糸 が 開 く 。その隙 間に よこ 糸 を な ど 、織 機 が 存 在 する以前から き た カード な ど も 発 掘 さ れる イラがスプラングの布に包 ま れ り 、織り 人 が 足 元の木 を 踏 む と 通 し 、トン トン と 打 ち 込 む 。非 た と えば﹁カード 織り ﹂。織 機 受け継 がれてき た 手 技です 。 たて糸 を 通 し 、よこ 糸 を 入 れて 機 織 り と い う と 自 分 で す る の代 わりに穴の空いた カードに には敷 居の高いイメージも あり 常に 単 調 で 原 始 的 な 作 業の繰 は その カ ー ド を 回 転 さ せ る こ ど 、ど れ も 家の中のもので代 用 り あ がっていくさ まは見 飽 き る 糸の両 端 を 棒 な どで支 え、糸 を た 。少 し 成 長 し て 、そ ろ そ ろ 自 た と え ば﹁スプラング ﹂。たて でき る ものば か り 。布 をつく る とで布に仕 上 げていく方 法 。 分の進 路 を 考 えないといけない 絡めて両 端 同 時に 織 る 、簡 単に こ と のない 不 思 議 な 光 景 でし 時 期にふと すっかり 忘 れていた 楽 し みは 意 外 と 身 近 な と こ ろ 掛 けて 揃 え た たて 糸 を 指で 交 言 うと ネットのよ うな もの。 受 けて暮 ら している け れ ど 、何 互 に 拾って 糸 を 通 し て 布 に す 不 思 議 な 光 景 を 思い出し 、も ち か一つく らい自 分の手で作 る も る 。残 り 糸 を 束 ねて太い糸に す に潜んでいるかもしれません。 の が あって もいいのでは ないか れ ばふわふわのマフラー く らい 制 度で す 。美 し く 魅 力 あふれる んなでほめる市 民 参 加 型の表 彰 〝 看 板 〟を 、みんなでみつけて、み いた だ き 受 賞いた し ま し た 。デ 田 瀬 理 夫 氏 、山 本 幸 子 氏 、施 工 ザインは 株 式 会 社 プ ランタ ゴ・ は 須 山 建 設 株 式 会 社 によ る も のです 。 越しください。 まご﹂ へ、ぜひお える﹁ 地 球のた 周年を迎 だきました。 品である。﹂との受 賞 講 評 をいた との関わりを表 現した秀 逸な作 として 、ナイーブな 自 然 や 環 境 のまち をステキに彩る〝お店 〟や ﹁ 環 境 型 建 築 設 備を扱 う 業 種 ﹁はままつ広 告 景 観 賞 ﹂ は浜 松 門 賞 ﹂を受 賞しました。 まつ広 告 景 観 賞 ﹂で﹁かんばん部 まご﹂ の入口看 板が ﹁ 第 1 回はま O Mソーラー社 屋﹁ 地 球 のた ﹁ かんばん 部 門 賞 ﹂ 広告景観賞で 第 1 回 はままつ と 思って今に至っていま す。 ろ ん 日 々 、文 明の 恩 恵 を一身 に そ して﹁ ゆ び 織 り ﹂。棒に 引っ ま す よね。 off loom も 全く道具 を 使 わ ないわ けでは ないけ れ り返しだけれど 、 一段一段布 が織 法 が あり ま す 。 る織機にはたて糸 が張られてお ︵ は た お り ︶を し ている 姿 を 近 よこ 糸の 物語 第一回 なること を 期 待 して 、創 設 さ れ まちをみんなでつくるきっかけに 件︶ の応 募 薦 合 わせて1 5 0 件︵お店 部 門 ました。第 1 回 目の今 回は、自 他 件、 かんばん部 門 で構 成された審 査 委 員 会におい ■ 永 田 先 生が設 計したほとんどの住 宅にO Mが 導 入 さ れている 。そ れ を と て も 誇 りに 思 う し 、 O Mの技 術 的 な 正しさ を 思 う 。そして、﹁ 誰が住 住まいの本 質 を 感じる。家というのは誰が住んで んでも 住みこなせる癖のなさ﹂という 言 葉からは も﹁ 住 む ﹂ ことができ なければならないと 常々感 じている。ところが、現 実には ﹁ その家 族らしさ ﹂ 素が多ければ多いほど感動的であり、価値がある が大事にされ、﹁その家族のため﹂という個別の要 入るとなれば、なおさらその傾 向は強まり、 つく よ うに思 われている。注 文 住 宅 や 設 計 事 務 所が 家 づくりは、 いわばその真 逆である。言い過 ぎか り手 も そのことをアピールしている。永 田 先 生の も し れ ないが 、誰 が 住 も う が﹁ 人 と そ の場 所 に とって最 適 な 解 ﹂を 導こうとする。とても 地 味だ ながらの民 家 や 町 家 だ 。世 代 を 超 えて住み継が が、実はそれが一番 難しい。でもヒントがある。昔 をつくってこられたのではないかと 思 う 。誰が住 れてきた家だ。永 田 先 生は、現 代 版の民 家や町 家 んでも 住むことができる。住みこな すことができ 本当の住まいの価値ではないだろうか。︵K.M︶ る。住まい手 を 選 ばない快 適 な 住まい︱ 。それが 年ぶりですが、劇 的 な ■ 流 行り病にかかってしまいました。インフルエン ザのことです 。かれこれ 度 近い熱 と 関 節の痛 みに苦 しん 医 療の変 化に驚いていま す 。前にかかったときに は、3 日ほど 後の熱 と 関 節の痛 みが 発 症 時にありましたが 、 投 薬の後は熱 も 痛みもありません。体が楽という キー!﹂とさえ思えるほど気 持ちにゆとりがあり のは す ごいこ と で﹁ 家 で のん び り で き る 、ラッ 菌はしているため約 1 週 間 、外に出られないので ま す 。しかし、 いいことばかりでも ありません。保 す 。仕 事 大 好 き&人 恋しい性 格の私にとって﹁ 自 宅ひきこもり﹂ほど 苦 痛 なことはありませんが、 除 と 家 事 を 念 入りに過 ごすことにしました 。部 この状 況は変えられません。 しかたなく 部 屋の掃 屋が片 付 くにつれて体 も 軽 く なるのを 実 感して います。︵M.G︶ 38 きづき . 2 0 1 4 . M a rc h 39 きづき . 2 014. Marc h カード織り。布の幅はカードの枚数で調整。 ゆび織り。棒さえあれば誰でもできる。 だ記 憶があります 。それに比べて今 回は、 度 前 37 の中から 、様々な 分 野の専 門 家 て、 一次 審 査︵ 書 類 審 査 ︶、 二次 審 査︵ 現 地 審 査 ︶、市 民 投 票︵ イン ターネット、 パネル展 示 ︶、最 終 審 査が 実 施 さ れ 、大 賞 1 点 、部 門 賞各3点が選ばれました。 20 箕 輪 直 子( みのわ・なおこ) [新連載] O Mソーラー社 屋﹁ 地 球 のた 第1回はままつ広告景観賞受賞作品ページ ht tp://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/tochi/city/toshikai/koukoku/keikanshou_jushou.html 染織家(せんしょくか)。東京都千代田 区出身・品川区在住。共立女子大学 家政学部生活美術学科染織専攻卒 業。 日本染織協会会長。AJCクリエー ターコレクション展招待作家。 オールア バウト手織り・草木染めガイド。品川区 西五反田で手織りと草木染めのショッ プ Studio A Week主宰。 著書に 『草木染め大全』 『 手織り大全』 『 手 織りを楽しむ・まきものデ ザイン 150』 ( 以上、誠文堂新光社) 『ゆび織り でつくる・マフラー&ショール』 ( 河出書 房新社) 『 おうちで草木染め』 ( パッチ ワーク通信社)ほか多数。 NHK 「すて きにハンドメイド」 ほか各方面で活躍中。 40 22 回 第 まご ﹂の入口看 板は市 民 投 票 で OMソーラー社屋「地球のたまご」入口看板。 雑誌 166P たまごの 今 【プロフィール】 集合住宅特集にて、 ソーラー 「家づくりの必修科目20」中 タウン府中を紹介。 ソーラー 「17 省エネ・創エネ設備の タウン府中は、設計を野沢正 最先端」の④にて、OMクワ 光建築工房、 プロデュースお トロソーラーが 採 用された よび施工をOM会員工務店 ソーラータウン府中の写真と である相羽建設により行った ともに、太陽熱利用システム 東京都府中市にある住宅群。OMクワトロソーラーの採用 を紹介。 その他、建築家・伊礼智氏の「小さな家のつくり により、長期優良住宅認定、CASBEE戸建住宅Sランク、 かた、 すまいかた」、OM会員工務店である相羽建設と夏 LCCM住宅の認定(緑☆4つ) を取得している。 水組とのリノベーション事例も掲載。 巻頭スペシャルレポートにて、 OMソーラーシステムが導入 された愛 農 学 園 農 業 高 校 (三重県伊賀市) を紹介。創 立 5 0 周 年 事 業で建 築 家・ 野 沢 正 光 氏により築 4 6 年 のRC造校舎の減築&木造校舎の増築を行われた。地元 材を使用した温かみのある校舎、 そして関係者それぞれ のこの事業への愛着などを紹介する。 雑誌 124∼129P 雑誌 10 http : // o mso lar. jp / tamago / たまごの取り組みは、地球のたまごサイトで公開中! [連載] の各 方 面 の皆 さ ま より 応 援 も 発 行:新建築社 掲載号:2014 2 発行日:2014年2月1日 発 行:エクスナレッジ 掲載号:NO.15 発行日:2013年11月27日 *すまいの手引き *新建築 *建築知識ビルダーズ 59 編 集:新建新聞社 発 行:アース工房 掲載号:vol.53 発行日:2013年12月18日 11∼15P 最近OMソーラーの家やOMソーラーに関して取り上げられた雑誌・新聞・書籍などをご紹介します。 O M PUBL IC ITY 91 箕輪直子 O Mソーラー(株)の社 屋「地球のたまご」の取り組みをご紹 介。
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