1月号(1) (PDF 429.9KB)

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平成 27年 1 月8日
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17歳の少女に世界が学ぶ
校長
村下
俊文
パキスタンで凶弾に倒れた後、奇跡的に回復し、その後も女子教育の権利を訴え続けてきたマララ・ユスフザ
イさん(17)が、昨年12月10日、史上最年少でノーベル平和賞を授賞しました。授賞式での記念講演の内
容は、同日の日本のノーベル物理学賞の授賞式に臨んだ3人が霞んでしまうほどの感銘を私に与えるものでした。
テレビ画面で世界中に流れた彼女の記念講演のスピーチのあの言葉が今でも鮮明に蘇ってきます。
「……大人たちは理解するでしょうが、私たち子供には分かりません。
「強い」といわれる国々は、戦争を起こす
上では非常に力強いのに、なぜ平和をもたらす上ではあまりに弱いのか。銃を渡すことはとても簡単なのに、な
ぜ本を与えるのはそれほど大変なのか。戦車を造るのは極めて易しいのに、なぜ学校を建てるのはそんなに難し
いのか。……」
彼女の主張は一貫しています。そして、極めてシンプルです。――
「私たちはすべての子供たちの明るい未来のために、学校と教育を求めます。私たちは、
「平和」と「すべての人
に教育を」という目的地に到達するための旅を続けます」
(2013年7月12日国連本部での演説の一節)
それにしても、なぜ彼女は自身の生命を賭してまでそのような主張をするのか? それは彼女の生い立ちを見
ればわかります。彼女はオスロで開かれた受賞記念スピーチの中で述べています。(以下講演抜粋=オスロ共同)
「10歳の時、美と観光の地であった(故郷)スワートが、突如としてテロリズムの地と化しました。400を
超える学校が破壊され、女子は学校に行くことを禁じられました。女性はむちで打たれ、罪なき人々が殺されま
した。みんなが苦しみ、私たちの美しい夢は悪夢に変わりました。教育は権利から犯罪に変わりました」
この一文からもわかるとおり、日本の中にいては想像すらできないことが世界にはたくさんあります。今どき
あり得ないと思うような悲惨な実態がまだまだ残存しているのです。彼女の講演の中にはこんな言葉も見えます。
「私と同い年のとても仲のよい級友の1人は、勇敢で自信に満ちた少女で、医者になることを夢見ていました。
しかし、彼女の夢は夢のままで終わりました。12歳で結婚させられ、彼女自身がまだ子供だった時に息子を産
みました。わずか14歳の時です。彼女はとても良い医者になっただろうと思います。でも、それはかないませ
んでした。彼女が女の子だったからです」
(2014年12月10日オスロでの受賞記念講演の一節)
突如としてテロリズムの地と化した故郷スワートの地で、彼女は苦悩し、やがて次のような結論を出します。
「私には2つの選択肢しかありませんでした。1つは、声を上げずに殺されること。もう1つは、声を上げて殺
されること。私は後者を選びました。当時はテロがあり、女性は家の外に出ることを許されず、女子教育は完全
に禁止され、人々は殺されていました」
(2014年12月10日オスロでの受賞記念講演の一節)
声を上げることを決意した彼女は、はたして覚悟していた通りテロリストに至近距離から頭部を撃たれ、瀕死
の重傷を負います。奇跡的に助かった彼女はその時のことを次のように語っています。
「2012年10月9日、タリバンは私の額の左側を銃で撃ちました。私の友人も撃たれました。彼らは銃弾で
私たちを黙らせようと考えたのです。でも失敗しました。私たちが沈黙したそのとき、数えきれないほどの声が
上がったのです。テロリストたちは私たちの目的を変更させ、志を阻止しようと考えたのでしょう。しかし、私
の人生で変わったものは何一つありません。次のものを除いてです。私の中で弱さ、恐怖、絶望が死にました。
そして、強さと力、勇気が生まれたのです」
(2013年7月12日国連本部での演説の一節)
彼女は周囲の不安と懸念を押しのけるようにして再び立ち上がりました。彼女を殺そうと企んだ人々は、彼女
が生き延びたらもう一度、今度は確実に殺害すると全世界に向けて明確に予告しています。世界中の人々が彼女
のことを心配しています。しかし彼女はひるみません。同じく国連での講演の中で次のように言っています。
「何百人もの人権活動家、そしてソーシャルワーカーたちがいます。彼らは人権について訴えるだけではなく、
教育、平和、そして平等という目標を達成するために闘っています。 何千もの人々がテロリストに命を奪われ、
何百万もの人たちが傷つけられています。私もその 1 人です。そして、私はここに立っています。傷ついた数多
くの人たちの中の一人の少女です。私は訴えます。自分自身のためではありません。すべての少年少女のために
です。私は声を上げます。といっても声高に叫ぶ私の声を届けるためではありません。声が聞こえてこない「声
なき人々」のためにです。それは、自分たちの権利のために闘っている人たちのことです。平和に生活する権利、
尊厳をもって扱われる権利、均等な機会の権利、そして教育を受ける権利です。
『ペンは剣よりも強し“The pen is mightier than sword”』という諺があります。これは真実です。過激派は本とペンを恐
れます。教育の力が彼らを恐れさせます。彼らは女性を恐れています。女性の声の力が彼らを恐れさせるのです。
親愛なる少年少女のみなさん、私たちは今もなお何百万人もの人たちが貧困、不当な扱い、そして無学に苦し
められていることを忘れてはなりません。何百万人もの子供たちが学校に行っていないことを忘れてはなりませ
ん。少女たち、少年たちが明るい平和な未来を待ち望んでいることを忘れてはなりません。
無学、貧困、そしてテロリズムと闘いましょう。本を手に取り、ペンを握りましょう。それが私たちにとって
もっとも強力な武器なのです」
(2013年7月12日国連本部での演説の一節)
何と勇気に満ち、何と純粋で、魂の底から湧き出る力強い言葉でしょう。
そして彼女は、同日(彼女の満16歳の誕生日の当日)の国連での演説の最後を次の言葉で締めくくるのです。
「1 人の子供、1 人の教師、1 冊の本、そして 1 本のペン、それで世界を変えられます。教育こそがただ一つの解
決策です。エデュケーション・ファースト“Education First”(教育を第一に)。ありがとうございました」
彼女が指摘したことを私達も襟を正して直視しなければなりません。いまだに5700万人もの子供たちが教
育を受けられず、小学校にすら通えていない事実。そのうちの3分の2が女性である事実。この事実を踏まえた
上で聞く彼女の言葉には、何にも勝る重みがあります。
最後に引用するのは、ノーベル賞授賞式の当日、受賞記念講演の最後で、彼女が世界に発したメッセージです。
「私の仲間である子供たちに、世界中で立ち上がるよう求めます。
親愛なる姉妹、兄弟たちよ。最後になることを決める最初の世代になりましょう。
空っぽの教室、失われた子供時代、生かされなかった可能性。これらを私たちでもう終わりにしましょう。
少年や少女が子供時代を工場で過ごすのは、もう終わりにしましょう。
少女が児童婚を強いられるのは、もう終わりにしましょう。
純真な子供が戦争で命を落とすのは、もう終わりにしましょう。
教室が空っぽのままであり続けるのは、もう終わりにしましょう。
教育は権利ではなく犯罪だと少女が言われるのは、もう終わりにしましょう。
「なぜ銃をばらまくのはそんなに簡単で
本を配るのはむずかしいのでしょうか」
ノーベル平和賞受賞祈念講演で訴える
終わりにすることを始めましょう。私たちで終わりにしましょう。
マララ・ユスフザイさん
今ここで、より良い未来を築きましょう。 (記念講演抜粋=オスロ共同)
」 (2014.12.10 スウェーデン オスロ市庁舎にて NHK映像)
子供が学校に行けない状況は、もう終わりにしましょう。
このたび同賞を受賞したもう一人のサティヤルティさんがインド人であることを、彼女は好機ととらえました。
理由は明白です。最近国境が緊張し状況が望ましいものでなくなりつつあるパキスタン・インド両国が良い関係
になることを望む彼女は、この受賞が両国の対話、平和への歩み寄り、前進への緒となるよう期待したのです。
二人は相談し合い、熱い思いを共有し合う中で、サティヤルティさんがインドのモディ首相に、また彼女がパ
キスタンのシャリフ首相に、それぞれノーベル平和賞授賞式への出席を依頼することにしました。
残念ながら、様々な事情もあってこればかりは今回は叶いませんでしたが、近い将来、彼女の願うとおりに両
国を含む世界の全ての国々が人種や宗教の違いを乗り越え、男女の差別なく全ての人々が平等に教育の機会を与
えられ、平和に暮らしていける日が訪れるようにと、同じ地球上に住む一人として切に願わずにはいられません。