SPAIN YaYa の面白エッセイ プロローグ ヨーロッパ 「すべてダイナミック」 「センス」 「コンセントレーション・キャンプ」 「完璧ヨーロピアン」 祭り 「ドイツとスペインの祭り」 「ノーチェ・デ・サンファン」 「お祭り大好きエスパーニャ」 出会い 「人の出会い」 「インターネットブラインドデート」 「殺人犯と会った」 「おかしな日本人」 「ちょっと変な」 「エブリバディニーズサムバディ」 映画・ドラマ感 「HOW TO DIE」 「南米ドラマが熱い!」 「南米ドラマ中毒」 ダンス 「意外性」 「フラメンコドレス」 「ディスコの中の孤独」 「勘違い人間」 人間模様 「シングルのメリット・デメリット」 「欧米男性から見た日本女性」 「この親にして」 「ビックリ紳士に老レディ!」 「トライアングル」 スパニッシュライフ 「スキャンダル」 「巷の商売」 「ビーチ模様」 「犯罪海岸」 「人の顔と中身」 「日本語の語彙」 「スパニッシュ・ウェディング」 「徒然」 エピローグ 著者 Data SPAIN YaYa の面白エッセイ 第一弾 「プロローグ」 海外での生活-何がこれほどまで私を魅了するのだろうか?子供の頃からの夢を実現させるべく、 スペインに来て現在アンダルシア地方の小都市で暮らしている。日本を脱出したくてこちらに来る前の 10年間は、安住の地を求めて様々な国を訪れ旅して来た。特にヨーロッパに魅せられたのは、単に 歴史や文化の違いというだけではなく、人々の人生に対しての根本的な捉え方と言えるかもしれない。 日本にいれば仕事も生活も、ある意味では安定した生活が送れていたけれど、私はあえてその生活 を捨ててここスペインまでやって来た。海外に出るといつも一体日本と何が違うのだろう、と思う。それ は人々の人生の楽しみ方、人生の中の時間のとらえ方、感じていることの表現の仕方等、どちらが良 いとか悪いとかではなく、たまたま私は海外にいる方が居心地よく、またより自分らしく生きられると感 じるから日本を出たのだ。 たとえどこにいても私はまぎれもなく日本人だし、日本の歴史や文化で世界に誇れるものは、決して 少なくないと思っている。こちらでの生活や訪れた他の国で見たこと、感じたこと、日本にいたら見え なかったものや気がつかなかったことなど、いろいろ書き記したものを選んでエッセイ風にしたもの の第一弾である。 2014 年 9 月 幸多 魅瑠 ヨーロッパ 「すべてダイナミック」 海外にいて普通のレストランで食事をしていつも感じる事、とにかく量が多い。まずはスターター、スー プ又は前菜から始まりメイン料理にパン、私など少食のほうなのでスープとパン、あるいはサラダで、 メイン料理が来る前にお腹いっぱいになってしまうことがある。食事だけに限らずこちらではすべてが ダイナミックだ。 女性のバストも豊満だし男性も女性も中年を過ぎると大きなお腹で太っている人もかなり多い。こちら に来てしばらくは道行く女性や、ビーチでトップレスになっている女性たちのバストに目がいってしまい、 何度自分の貧弱なバストにため息をついたことか。またヨーロッパのどの国にもある古い教会を訪れ るたびに、そのスケールの大きさに圧倒されてしまう。必ずしも大きいことが良いことだとは思わない けれど、ヨーロッパは長い間の侵略と攻防の繰り返し国境が地続きである点、やはり考え方もどちら かというと大陸的な気がする。 以前湾岸戦争の時日本の反応の遅さについて書かれたコラムを思い出した。人々の反応は農耕民 族と狩猟民族によって違ってくるという。農耕民族は、畑に種を蒔いてそのまま収穫の時を待てばよく、 狩猟民族のようにその場で判断を下さなければ命に関わるというようなことはない。だからYES・NO の判断も、その場ですぐ何かを即決することも苦手なのだ。狩猟民族の場合は即決判断して行動しな ければ獲物に逃げられてしまうことを考えると、根本的に持っている両者の民族性の違いは明らかだ。 人間は皆同じと言っても国柄・土地柄・歴史的文化の違いから、それぞれの国によって国民性の違い はあると思う。そんな観点で自分の国を違った角度から見るのも面白いのではないだろうか。 「センス」 ドイツから車でパリに向かう途中ストラスブルグに立ち寄った。その時はまだハンガリーから南のヨー ロッパへは一度も訪れたことがなかった私は、何とかブルグと付く地名はドイツだとばかり思っていた。 EU統合後ヨーロッパに国境がなくなり、気付けば道路標識はいつのまにかフランス語になっていた。 ストラスブルグはフランスの田舎とは言えウィンドーディスプレイは明らかにドイツとは趣きが異なって いた。現地の道行く人々も、さすがフランス人と納得させられるような粋なセンスで服を着こなしている。 センスというものは着こなしにしろ、ユーモアにしろ、ある意味では持って生まれたものだと私は思って いる。センスのない人はどんなに良い服を着てもどこかしっくりこない。以前ある日曜日の午後東京の 新宿南口を歩いていてびっくりしたことがある。何より若い人が多かったこと、歩いている若い子たち の着こなしのチグハグさに思わず私はため息をついた。びっくりするような色の組合わせや、思い切り シックなスカートにスニーカーだったり、ジーンズに白のソックスに黒のハイヒールだったり、(そんなの が流行とは言ってほしくないな)そういう格好をしている若い子たちを見ると、センスという言葉知って いるんだろうかと思ってしまう。 どんなに高価な物やブランド品を身につけても、洗練さやエレガントさはお金では買えない。その人が 持っているセンスは、人生の生き方すべてに通用すると思う。ドイツでは思わず見とれてしまうような 着こなしの人には残念ながら会わなかったけれど、フランスではたとえ年配のご婦人にしてもスカーフ の巻き方ひとつからどこか違っていた。若い人から年配者まで基本的に服を楽しんで着こなしている ように思う。 今私が住んでいるスペインはまたちょっと一味ちがったセンスになるのだけれど、さすがフラメンコと 情熱の国、女性はめいっぱい男性を挑発するような刺激的で、よりセクシーに見せるような服を好ん で着ている。そして町を歩いていてもテレビを見ても本当に見とれてしまうような美男美女がいるのだ。 友人のスコティッシュ男性によると色々な国を見てきたけれどスペインはどの国より美人が多いと感 心していた。おそらく長い歴史のなかで侵略と攻防が繰り返され、特に中近東アラブとジプシーそして 純粋なスペイン人の血が混じり合って美形が造られていったのだろう。イスラムやトルコの侵略を受け てきたルーマニアやハンガリーもやはり美形が多い。 そう考えると日本を初め他国から侵略されずにきた単一民族の場合美の形態が違うのも納得できる。 でもオリエンタルの美しさはやはり独特なものだと思う。それにしても日本の若い人にはセンスもう少 し磨いてほしいな。 「コンセントレーション・キャンプ」 それはドイツハイデルベルグから車でパリに向かう途中だった。フランスの小都市ストラスブール近郊 のホテルに行く前にドイツ人の彼が案内してくれたところだ。単に観光で見る為の何かの施設だろう、 ぐらいにしか思っていなかった私は、彼が言ったコンセントレーションキャンプという言葉の意味がすぐ にはわからなかった。そこはゆるやかな山の頂きに位置していて、数棟の建物がある以外周囲には 何もない、フランスにもあったナチスの強制収容所で、当時の状況そのままで残されていた。中に入っ てみると当時収容されていた人々がどれ程苛酷な状況にあったかが、写真と文章で説明されていた。 アウシュビッツやダッハウを私は訪れたことはないけれど、そこはそのまま規模を小さくしたものとい えるだろう。そのフランスの収容所には、ユダヤ人よりもフランス人レジスタンスやジプシー達が多く収 容されていたようだ。説明は英文ではなかったので詳しい内容はわからなくても、残されていた道具 や写真を見るだけで、どのような残酷なことが行われ人々を悲惨な状態に追い込んでいたかは容易 に想像でき、私たちはただただ無言で一通り施設を見てまわった。見終わったあとドイツ人の彼が突 然泣き出した。一瞬私はそれが彼の笑い声かと思ったほどの激しい慟哭だった。収容されていた人々 に残酷な仕打ちをしたのが、同じドイツ人としてつらかったのだろう。同じ人間がなぜこんな酷いことが 出来るのかと言って彼は声をあげて泣いた。 山の頂きから建物全体を見渡すとそこは本当に閑静なところで、そのような悲惨な目的で使われてい なければとても美しいところだった。でも周囲には何もなく、冬の寒さや厳しさまた寂しさを想像し当時 の人々を思うと心が痛んだ。人間はずっと昔から同じ過ちを繰り返してきている。残酷なことができる のはドイツ人に限ったことではなく、世界中で人間は同じ人間に対し酷い行為を繰り返してきた。一体 いつになったら私たち人間はもう少し利口になるのだろうか?いつになったら争いのない地球ですべ ての人々が平和に生活できるようになるのだろうか? 「完璧ヨーロピアン」 こちらのスペイン語学校に置いてあったパンフレット、そこには「完璧なヨーロッパ人になるには」という タイトルで、以下の文が書いてあった。 *ポルトガル人のように器用で *スペイン人のように謙虚で *イギリス人のように料理上手で *ベルギ-人のように役に立って *イタリア人のように抑制がきき *オランダ人のように気前良く *ギリシャ人のように能率良く *オーストリア人のように忍耐強く *ルクセンブルク人のように有名で *アイルランド人のようにしらふで *フィンランド人のように話好きで *デンマ-ク人のように品行方正で *スウェーデン人のように融通が利いて *フランス人のように運転マナ-が良く *ドイツ人のようにユ-モアのセンスがあり (上記すべて反対の意味で皮肉ってある) 世界中、どこの国の人間も基本的には同じだけれどでもお国柄というか、国民性の違いはあると思う。 特にコスタ・デル・ソルは、ヨ-ロッパ近隣諸国からの観光客や入植者が多いので上記のような国民 性の特徴は、普通に街中で日常垣間見ることができる。その特質をすべて逆手にとって、そうしたら 完璧なヨ-ロッパ人になるという発想が何とも面白い。 祭り 「ドイツとスペインの祭り」 ドイツハイデルベルグのフェスティバルと、スペインアンダルシアのフェリアを見る機会を得た。どちら も年間で何度かある祭りのうちでは大規模なもので他国からの観光客も多い祭りだ。ハイデルベルグ はドイツで一番長いと言われている商店街の店頭に様々な商品を並べ、ひとつ裏の通りではフリーマ ーケットでいろいろ面白い物が安い値段で売られている。周辺の広場ではライブ演奏があったり、中 世の生活を紹介した展示があったりで通りも広場も人であふれていた。催しは深夜過ぎまで続き、道 路はゴミが散乱していたけれどさすがドイツ、翌日にはすっかりきれいに片付けられ普段とおりに戻っ ていた。 スペインのフェリアは宗教に関係したものが多く今回はバージンカルメンとサンロザリオの祭りでカル メンの祭りは7月中旬、漁師を守ると伝えられているバージンカルメンの像が、教会から水兵たちにか つがれ町中をゆっくりねり歩き最後に海に入って行く。すっかり日が暮れた海には、何十隻もの漁船 が聖像を迎えるべく灯りをともし待っている光景は、それは美しいものだ。砂浜は沢山の人々で埋まり 何人かは海に入って待っている。もう一つのサンロザリオの祭りは10月初旬1週間開催される。フラ メンコミサから始まりやはり聖像が男たちによって担がれ一定のコースを練り歩く。それを守るように 着飾った老若男女が馬や馬車でパレードしていく。日本の神輿のような賑やかな掛け声があるわけで はなく、極めて静かにゆっくり進んで行く。 またフェリア用の広大な敷地には臨時の移動遊園地のアトラクションが組立てられ20以上ある建物 はそれぞれ違ったライブ演奏やフラメンコハウスがあり、また色々な料理や飲み物も売られている。フ ェリアの期間中は深夜2時3時をまわっても子供たちの歓声がとぎれることはなく、ここスペインは子 供たちの天国だ。フェリアの間は幼子からお年寄りに至るまでが、色とりどりのフラメンコドレスやカバ レロスーツに身を包み、普段はどこにでもいるような普通のおばさん、おじさんがとっても魅力的に見 える。昔からの伝統がそのまま引継がれてきているのだろう。ただカラフルでセクシーなフラメンコドレ スにサングラスや、粋なスーツに帽子で馬に跨った青年が携帯電話で話している図は、なんとなくミス マッチで現代を象徴しているようで面白い。夜ともなれば会場には多くの人々が集まり若者はアトラク ションやディスコで、年配者はフェリアカセタでセビジャーナスやパソドブレなど、ダンスを踊って楽しむ。 日本だと何かというと「年寄りのくせに」とか言われて、社会も若者主体の傾向が強く年配者の方が、 小さくなっていることが多いが、こちらは全くそんなことはない。昼間の海辺でもフェリアでも年配者も 若者と同じように楽しんでいてそれは当然の権利なのだ。それにしても朝の4~5時までの饗宴が1 週間続くのだから人々のスタミナもたいしたものだ。こちらの人々は人生の楽しみに関して貪欲だ。食 事でもレジャーでも目一杯楽しもうとする。やっぱりここでもパワーの違いを感じてしまう。 ドイツではライブ演奏の前で誰も踊っていなかったけれど、スペインでは音楽があれば必ず何人かは 踊っているのはラテンの血のせいだろうか?私自身2つの国での生活を比べてみてもここスペインで は長い夏の夜を部屋で一人過ごすのは難しかった。情熱の国スペインの土地が持っている何かが私 を狂わせ身体の中の血が騒いでいるような気がしていたけれど、ドイツに行った途端にそれは消えて 静かで落着いた生活を楽しむことができた。それぞれの国が持っている独特の雰囲気を比べてみる のも楽しみである。 「ノーチェ・デ・サンファン」 夏至の6月24日聖ヨハネの日としてサン・ファンの火祭りが各地で行われる。ここアンダルシア地方 はあちらこちらの海岸で火がたかれ、夜中12時を過ぎたら人々が後ろ向きに海に入る(膝上までつ かればOK)・出るを7回繰り返す。それまでの過去を全て海に流し、新しい自分が始まるのだそうな。 その後、人々は浜辺でバーベキューをしたり飲めや唄えの大騒ぎで、そのまま夜明けを迎える。私も スパニッシュの友人と行って来た。午前零時より30分ほど早く浜辺に着くと、ちょうど目の前に上下を 雲にはさまれて大きな月が上がるのが見えた。それも火祭りにふさわしく赤い色の月で、そのうち上 下の雲も消えて快晴ではなかったけれど、海の上に美しい姿を現した赤い月に私たちはしばし見とれ ていた。友人の談によれば、火祭りの夜に月が見えることはあまりないと言う。ラッキー!今年はいい ことあるかも。そして12時をまわったので私達(おばさん3人)は、スカートをたくし上げ、太ももあらわ にキャーキャー言いながら後ろ向きに海に入ること7回を終了。とてもいい気分で本当何だか新しい 自分になったみたい。良いことではとくに暗示にかかりやすい私です。 「お祭り大好きエスパーニャ」 スペインは1年中、どこかしらでさまざまな祭り行事がある。その地独特のものもあれば、国中統一し た同じ祭りもあるけれど、大体はキリスト教関連の祭りが多い。ここフエンヒロ-ラでの年間祭事だけ でも以下になる。 *1月・REYES(3Kings)/キリスト生誕を祝いに東方から訪れた3人の王にちなんだ祭り。(全国) *2月・Carnaval/各地で趣向をこらした衣装でパレ-ドとオリジナルの物語を唄う。(全国) *4月・Semana Santa/復活祭ともいわれキリストの生誕から磔死までの場面パレ-ド。(全国) *5月・Feria de Los Pueblos/インタ-ナショナルフェリア33ヶ国参加の各国衣装をつけたパレ-ドと お国自慢の料理とお酒、ライブミュージックとダンス。 *7月・Birgen Carmen/海と漁師を守護する聖母カルメンの祭り(アンダルシア地方のみ) *8月・Malaga Feria/年間最大のマラガフェリア *10月・San Rosario/フエンヒロ-ラサンロサリオ祭 *11月・Vispera de Todos los Santos/ハロウィン *12月・Navidad/クリスマス その他、バレンシアの火祭り・コルドバのパティオ祭パンプロ-ナの牛追い祭り・トマト投げ祭り・ぶど う 収穫祭・サラゴザのピラ-ル祭・バルセロナのメルセド祭・サンセバスチャンの太鼓祭等、それに小 さな地方都市のフェリアを加えたら数えきれない。お金に不自由なく、お祭り大好きだったら、国中の 祭りを渡り歩く 1 年も面白いかもしれない。 出会い 「人の出会い」 人生には様々な出会いがある。そしてそれは不思議なものだ。私にも何度か心に残る出会いがあっ た。心に残っているのはその出会いが一度きりでその後発展を見なかったからに他ならない。出会い から何かが始まって継続していけば出会いはスタートでそこから先の発展があり、関係がある形態に 収まった時、あるいはその関係が終了してしまえば出会い自体も忘れてしまうだろう。私の心に残って いる出会いはもっと先に進めば良かったのにという、何かを成遂げなかった後悔のせいで、より鮮明 に生きているのだ。一度きりだったからこそ、その思い出が輝いているのだろう。 それはどれも異国の男達との出会いだった。彼らは目や身体で話をすることができるのだ。なかでも 最も印象深かったのは何年も前東京の電車の中、私が乗った時同じ車両から彼も乗り込んだ。ホー ムで電車を待っている時から強い視線は感じていたけれど、その時間電車はすいていて彼は私の斜 め前の席に座った。ラテン系のハンサムというだけでは言いつくせないような良い男だった。そのあま りの男前の良さに私はたじろいでしまった。ほんの一瞬見つめただけであとは読まなくてもよい本など 出して、そのくせ何一つ文字は頭に入ってこないのにただ読んでいるフリをした。そうしていても彼の 視線は感じていたけれど、私はとうとう目を上げて見つめ返すことができないまま乗り換え予定の駅 で降りた。内心彼も降りること期待しつつ、そのくせ一分の隙も見せなかったのだろうと思う。あの時 少しでも目を合わせていたら、と後になって何度後悔したことだろう。 私は何かをしなかった後悔よりも、何かをしてしまった後悔を選ぶ。なぜなら後者の場合その経験が 大したものでなければ容易く忘れられるから。でも何かをしなかったという悔やみは、いつまでも心に 残って消えることはない。もしそこから何かが始まっていればいずれ出会いは忘却という引出しの中 にしまわれてしまっていることだろう。心に残っている出会いは、どれも一瞬まるで時間が停止したか の様に瞬間で終わってしまっただけに鮮明で、今なお私の心の中で輝いているのだ。逆に考えたら、 そこから何も始まらなくて良かったのかもしれないけれど。 「インターネットブラインドデート」 インターネットが普及して昨今、本当に世界は狭くなり一段と便利になって来た。その反面ある意味で は昔の、今よりも色々不便だった頃の、逆の意味での良さが失われつつあるような気がする。携帯電 話でどこにいても誰とでも話しが出来、インターネットで瞬時のうちに情報交換が可能な時代だ。昔は 待つことの苦しみがあった。でも苦しんで待った後に得た楽しみはまた格別のものだった。手紙や電 話が来るのを待ちながら、人生は必ずしもすべてが自分の思い通りにはならないのだということを学 ばせてもらった。生活がより便利になってそれはとても歓迎すべきことだけれど、同時に何か大切な もの失なっているのではないだろうか。 インターネットを通じ人との出会いも簡単になった。かくいう私もかってインターネットの出会い系サイト は利用したことがある。以前パートナー募集でアメリカのサイトに登録した。多い時には一日に何通も 世界中からリスポンスがあり内容を見て面白そうな相手に返信し、その後何度かメールのやりとりをし て実際に会った人も、何人かいる。その時はわからなかったけれど、今考えてみると殆どのパターン が共通している。インターネットを通じたメールの中では、誰でもが自分が作る物語のヒーローやヒロ インになることが出来る。たとえ事実と違うことを書いていても、いつのまにかその本人の中ではそれ が真実となってしまう。メールでは幾らでも良いことが書けるし、ファンタジーを作り上げるのは簡単だ。 かつてブラインドデートをした相手で私の想像以上だった人は一人もいない。それは私が相手の文章 を読みながら勝手に相手のイメージを作り上げてしまうからだ。相手がたとえ写真を送ってきたとして もそれは同じことで、写真以上のイメージがどんどん膨らんでいく。中には何年か前の写真を送ってき て会って見たら、お腹は出てるわ、髪はうすくなってるわで、もうがっかりということもあったけれど、私 の場合は私自身の相手に対しての勝手な思い込みが先行してしまい、思っていたよりずっと素敵な 人などという経験は皆無だった。 また本当に文章がうまくていつも私が望んでいる返事をそのまま送ってきて、実際会ってみたら、この 男のどこからあんな素敵な文が出てくるのだろうと思う相手もいたり、メールと実際のあまりの落差に がっかりしたことのほうが多い。まあ相手も同じようにがっかりしていたかもしれないから、一方的に 相手を責めることはできないけれど。おそらく思い入れの深さに比例して期待も大きくなっていたのだ ろう。そんな訳でイリュージョンを体験したければ出会い系サイトは最適かもしれない。でも私はたとえ シビアでも真実を伴った現実の中で生きていきたいし、やっぱり自然な形での出会いが理想だと思う ので、もうインターネットブラインドデートは卒業です。 「殺人犯と会った」 イギリス人の元彼と付き合っていた時のこと、ある日地方版新聞で18才のスペイン娘を強姦して殺し た男が逮捕された記事を見て、その犯人の顔に見覚えがあった。確かにどこかで会って話をしている んだけれど思い出せない。その男はトニー・キングという30代後半のイギリス人で私の中のイメージ では黒のスラックスで上半身は裸、ん?ということは海辺かな?でもそれだったら下は海パンのはず、 う~んどうしても出てこない。そして翌日元恋人に会った時「トニー覚えてるか?ほら僕の顧客のガー デンパーティーで会っただろう?一時僕も一緒に仕事してたことがあるあのトニーだよ」ひぇ~、思わ ず膝をたたいた私。 そうだ!夏の日のプールサイドパーティーだったので、着ていたシャツを脱いで裸になり筋肉モリモリ の身体をこれ見よがしに歩き回っていたその時話をしたんだ!元彼によれば、一緒に仕事していた時 の会話はほとんどがセックスか女のことだったとか。記事によると今回の逮捕はそのパーティーの2 週間後、フェリアから深夜帰宅途中の若い娘への犯行で、2年前の夏別の女性に対する強姦殺人で も容疑者となっているらしい。少なくとも私が言葉を交わした時点では、特別の邪気のようなものは感 じられなかったけれど。それにしてもねぇ、人生で有名人にあったりとかたまにあるけれど、殺人犯と 会うなんて何とも形容しがたい不思議な気分だ。 「おかしな日本人」 ダンスのレッスンを受けている同じ市のセンターのサロンで絵画の展示があったので、レッスン後スペ イン人のダンス仲間と立ち寄った。日本の役所等の公的機関で市民が安く学べる色々なコースがあ るのと同様この町でもダンス・語学・絵画・陶芸・ピアノ・コーラス・ギター・刺繍・写真等の教室があり、 年に何回かそれぞれの作品をサロンで展示即売している。たぶん日本と違うのは見に来た人達に無 料でビールやソフトドリンクやカナッペが振舞われる事だろうか。さて、その展示会で一人の日本人女 性を見た。たぶん私と同年代と思われるその女性は不思議なことにすれ違っていても一度も私のこと を見なかった。 大都市とは違いローカルなこの町に住んでいる日本人って私を含めたぶん2~3人だと思う。だから 私にしても他の日本人に会うのはすごく珍しく、好奇心旺盛な私としては話をしたかったのだけれど。 友人が「彼女日本人だよね。何で話しないの?」というから「だって一度も私と目を合わせようとしない んだもの。話しかけるきっかけがないじゃない。肩たたいて話しましょっていうもんでもないでしょ」と私。 そのサロンで何度かすれ違い明らかに先方は私に気が付いているはすだ。なのに目を会わせないと いうのは、私にしてみれば不可解だしとても不自然なことだ。海外いろんな国に行って同様の体験を したことがある。外人同士他国のストリートで会うと気軽に挨拶して話をするのが普通だ。でも日本人 って無視するケースが多い。特に女性は海外に住んでいても狭い日本をそのまま持ち越してきている 狭量な人や、変に意地悪な女性が多いようだけれど何故だろう? 「ちょっと変な」 以前パーティーで会って話をしたことのある男性、その後何度が友人達と行くバーやディスコで見か けた。いつも彼は一人、誰かと一緒にいるのは見たことない。どこでも席には座らずビール片手に立 って、ただ黙って飲んでいる。見た目ちょっとニヒルな感じかな。目が合っても笑って見せるわけでもな く、う~ん取っ付きにくいな。でもまぁ以前話したこともあるし、そこは持ち前の好奇心からとにかく私の 方から話かけてみた。彼は40ちょっと前のイギリス人ぽくないイギリス人で話してみたら以外と良くし ゃべる、あいかわらずニヒルな感じは崩さないけれど。その時はそれきりで昨夜再度ディスコで会った のでこれまた私のほうからハイと言って挨拶の頬キスをしてどうしてた?と聞いた途端、彼が今抱えて いる問題について話し始めた、まるでその時を待っていたかのごとく。ゆっくり話を聞いてあげたいの はやまやまだったけれど、そんな雰囲気の場所でもないし友人も離れて待っていたので切り上げた。 たとえ一人で来ていても全然寂しさ感じさせない人もいるけれど、彼からは寂オーラがいっぱい出て いた。たぶん彼は自分を素直に表現できない人で、ものすごく虚勢を張って生きているんだと思う。そ してニヒルな男のポーズをとっている彼(それがまた結構似合ってもいるんだけれど)と、抱えている 問題をしゃべりまくる彼のイメージは一致しない。きっと彼は過去からの心の傷も引きずっていて、だ から自分の周りに強烈なバリアも張っているのだろう。自覚はしていないだろうけれど、このリゾート地 で幸せ満喫のバカンス客の中での孤独はより強烈なものかもしれない。もっと自分を素直に出して開 放してあげたら、ずっと楽になるのに。様ざまな人たちの人生に触れそこから学ばせてもらっているこ とは沢山ある。ありのままの自分を見つめて、受け入れて、そのままの自分を表現して生きていくこと を改めて考えた。 「エブリバディ ニーズ サムバディ」 こちらの人気のTV番組でパートナー探しのプログラムがある。ウィークデーの午後毎日パートナー募 集中の男女3人が出演して、一人に30分位かけて司会者が個人的な質問をしながらその人となりを 紹介し、それを見ている興味を持った視聴者から電話がかかって会話がそのままオンされる。マッチ メーキング番組は他にもいくつかあるけれど、この番組が人気なのは出演者の年齢層が高いことに ある。若い人はいくらでも出会いのチャンスがあるのに比べると、年齢が高くなるにつれ相手探しは難 しくなるのかもしれない。 季節ごとに一度その番組で結ばれたカップルの紹介があり、先日も3組のカップルが出演していた。 そのうちの1組は男性が82歳で相手募集で出演したのに対し、番組終了後何と30人もの女性から 交際したいという電話があり、その中から選んだ75歳の女性と3ヵ月後に結婚したとのこと。他は50 代でそれまで独身で結婚歴なしの男性が、離婚した子連れ35歳の女性と結ばれたりで、全員それま でのいきさつと結婚後の新居での生活とかが画面で紹介される。どのカップルも共通して口にするの が、それ迄の人生で今が一番幸せだという感想だ。それなりの年代で様ざまな人生の経験から、酸い も甘いもかみわけた人たちの言葉だけに説得力もあるし、とても微笑ましい。特に年配のカップルを 見ていると人生の最後のパートで最高の時間がもてて本当に良かったね、と何だかこちらまでうれしく なって暖かな気持ちにさせられる。 やっぱり人間一人では生きていけないし、年齢に関係なく人生で誰もが誰かを求めているのはごくごく 自然なことなんだと思う。シングルのスパニッシュの女友達と、いつか私たちも出演しようかしらねなど ど言い合ったりしている昨今である。 映画・ドラマ感 「HOW TO DIE」 スペインのテレビで印象的な映画を見た。アメリカ映画のスペイン語吹き替えで字幕もなかったので、 細部まではわからなかったけれど内容は充分理解することが出来、非常に考えさせられる映画だっ た。話は、愛し合い共に何年か同棲していたゲイのカップルがある日ちょっとした感情的な行き違いか ら別々の人生を歩んでいく。その後、片方がエイズに感染していることがわかり先が長くないことを知 った彼は愛する人々、家族と友人を集めパーティーを開く。彼は知り合いの何人かがエイズで悲惨な 最期を迎えたことを思い自分は同じ道は辿らないと決心し、パーティーの後自らの死を決めている。 パーティーに訪れた家族も友人も勿論それが最後の別れのときだということは知っている。パーティー は3日間続き、彼を愛した人々はその間に充分な別れを告げるのだ。けんか別れした彼のかつての 恋人も、気をきかせた友人が彼に内緒で招待し最後はその本当に愛していた男と家族に見とられ、 彼は薬を飲み眠るように死んでいって映画は幕を閉じた。 見終わって私はなんて魅力的な死に方だろうと思った。私自身両親をガンで亡くしているけれど、発 病時まわりの家族で散々話し合い悩んだ末、結局本人には告知をしないという結論を出したため、二 人とも自分の人生なのに自分で選択することなく死に至り、それはとてもつらい体験だった。私は少な くとも自分が死ぬ時は病気だったら、治療法なり死にゆく方法なりすべて自分で決めたい。自分の人 生は最後まで自分で結論を出したい。もし助かる可能性が低い病気であれば手術も延命装置も選ぶ つもりはないし、私も映画の彼のように愛した人々に招待状を送り、別れのパーティーを開いて心ゆく まで思い出を語りながら別れを告げて、眠るように死んで行けたら最高だろうな。 「南米ドラマが熱い!」 スペインの TV で南米ドラマは結構人気がある。日本で韓国ドラマがはやるのと同じかもしれない。こ ちらでは何局かで、お昼過ぎから夕方までの時間帯で放映されている。一度見始めるとなんかクセに なって、ついつい毎日チャンネルをあわせてしまう。恋愛ものがほとんどだけれど、舞台はアメリカの マイアミだったり、コロンビアだったりで、出演俳優陣は、ベネズエラ・アルゼンチン・コロンビア・メキシ コ・などで、南米全地域を管理しているプロダクションがあって、いくつかのドラマを掛け持ちしている 俳優も多い。 だから私も南米俳優陣、お馴染みになってしまっている。物語はすれ違いや出来すぎた偶然とか多く て、まるで昔の日本の昼メロみたいだけれど、ラテンアメリカ気質が色濃く出ている点は大きく違う。ど のドラマでも共通して見えるのが、人々の情熱の激しさ執着心の強さ、嫉妬深さなどだけれど、スペイ ン人の友人によれば同じラテンでも、南米ラテンとヨ-ロッパラテンとは違うのだそうで、南米人の方 が、気性はずっと激しいと強調していた。 ドラマは良い人はものすごく良い人、悪い人は徹底的に悪く、主役が苛められたりの定番で、進んで 行くのだけれど最後は、私が大好きな勧善懲悪の大ハッピ-エンドだから、それも私がはまっている 理由で、どのドラマでも最後はいつも、TV 前で大拍手である。 「南米ドラマ中毒」 今回中毒になっているドラマは制作も舞台もメキシコで、主演はヒロインにメキシコ生まれの今人気の 若手女優と相手役にキューバ生まれで南米各地でドラマ俳優として人気の男優、超可愛いヒロインと 超イイ男の組合わせだ。物語は他の南米ドラマと同じ、相変わらずのすれ違いとあり得ない偶然の積 み重ねの中で、愛し合う主役の二人に執着しながら彼らに敵対する、悪役男女との絡みを軸に繰り広 げられる、定番の愛憎ドラマである。 今までの経験から言うと,特にメキシコドラマだと劇中の主役たちをはじめ、演じている役の言動にお バカが多いのと、ヒロインの上に次から次へとビックリするような出来事が降りかかるのと(それに比 べたら私の波乱万丈人生なんて波までもいかないくらい)そして悪役達の悪さが「そこまでする?」と いうくらいにあくどいのと、それはないでしょうと思うような、どちらかというと、ツッコミどころ満載のドラ マでもある。それなのになぜ私がはまっているかというと、そんなバカなというセリフを役者達はまじめ に演じ、それを一生懸命撮っているという製作者サイドの姿勢も感じられるから、見ているこちらもツッ コミなど忘れて、自然に熱が入ってしまうのである。それに加えてドラマの中でヒロインを愛する男性 が、彼女に言う言葉の幾つかが本当に心憎いのである。たぶん日本語だったらとても恥ずかしくて言 えないし聞けないというようなセリフも、スペイン語だと心地よく響いて私もニンマリ聞いているくらいだ から、たぶんヒロインを自分に置き換えてうっとりと見ている女性もきっと多いことだろう。 今回の分は YouTube で見られることを発見、スペインTV放送分よりもずっと先を行っていて、私は好 きなときにドラマの最終回分まで見ることができるのである。現時点では数十回のエピソード分が残っ ているけれど、私は完全中毒になってしまいPC前にいる時間は見るのをやめられないほどだ。本当 インターネットさまさま、毎日感謝の心境である。 ダンス 「意外性」 ヨーロッパレトロダンス選手権に行って発見したこと。亡き母が社交ダンスをずっとやっていたのでデ モは良く私も見に行っていて、その頃から思っていたことがある。社交ダンスプロの場合は、それも特 に男性は一様に同じ雰囲気を漂わせている。髪の毛テカテカに整髪して選手権やデモの時など「僕を 見て!見て!」を身体中で表現し、それはこちらでも全く同じだったのがすごく印象的だった。こちらの 選手権参加者たちも皆スラッとしていて見栄えのいい人が多かったけれど、社交ダンスのプロってた ぶん踊ってない普段の時でも、いかにもそれらしく見えるんじゃないかと思う。その人の職業とかやっ てることって何となく面に出るものだし、銀行員は通り歩いていても銀行員らしい雰囲気を、魚屋のお じさんはやっぱり魚屋さんの雰囲気を漂わせているのではないだろうか。 それに比べ私が今こちらで楽しんでいるラテンサルサの場合、プロ・アマ問わず「えっこの人がサルサ 踊っちゃうの?」っていう人が結構いるんです、これが。一見しただけではとてもサルサの雰囲気と結 び付かない人が、すごいサルセロだったりして。私が習っているスペイン人教師もずんぐりむっくりで、 普段は普通のおじさんにしか見えないのに、それがラテンダンス、ものすごくうまくてフロアに出ると違 う人みたい。男性に限らず、女性もそう、こちらでは今サルサはとても流行っていて、三段腹のおばさ んとかも腰くねらせて踊ってしまう。趣味で好きでやってることだから、もちろんノープロブレムではあ るけれど、私が抱いているサルサのイメージからは遠くかけ離れてしまうのはちょっと残念だ。 「フラメンコドレス」 アンダルシア地方発祥のセビジャーナダンスを去年マスターしたのでその時フラメンコドレスを買った。 上半身サイズはピッタリだったけれど丈が長すぎたので、裾のフリルを1段取ってそれを肩と首廻りに 縫い付けオリジナルドレスにしたらすごく好評だった。さてフェリア当日、だいたい友人同士広場で待 ち合わせてそこからフェリア会場まで歩いて行くケースが多い。私も初ドレスを着て少し早めに広場に 行って友人を待っていた。様々なフォームの美しいドレスを着飾ったスペイン女性達が集まっているの を見ると、みんなハンドバッッグを持っていない。ん?何故だろう? 車で来てバッグは車に置いてきてるとか、う~んでもみんなってことはないだろうし?友人が来たので 早速聞いてみたら、何と裾のフリルの内側にポケットが付いていてそこに小銭や口紅や必要な小物を 入れるとのこと。わぁそれは気が付かなかったな。だからみんな(私を除いて)持っているのは扇子だ けで、余計なもの手にしてないから、曲がかかればすぐにどこでも踊れるんだ! ドレスに扇子だけだ とシンプルだし、全体のラインもドレスを引き立ててきれいに見える。素晴らしい生活の知恵! 「ディスコの中の孤独」 私の住んでいる地域は遊ぶところには事欠かない。ディスコも若い人だけでなく、大人が楽しめる処 がたくさんある。私は今でこそラテンサルサにはまっているけれど若い頃から踊りは大好きで、年齢を 重ねるにつれ日本では行く処がなくなってしまい本当つまらない思いをしていた。ここはそんな心配は 無用、若人だけが行く店もあれば年齢ミックスの店もあれば、隣町にはご老人専用かと思えるような、 客層すべて60代以上というディスコもあるからビックリだ。毎週1回は必ずスペイン人の友人たちと食 事をして、その後ディスコにというパターンが習慣となっている。 いつも行くのはアダルト対象の、客はスパニッシュと他の国籍ミックスで音楽もガンガンでない洋物と ラテン半々の店である。客は男性の方が少し多めで一人で来ている男性も女性も結構いる。女性は 一人で来ても必ずフロアに出るけれど、男性はカウンターかフロアの周りで踊りもせずただ見ている 人が半分、あとの半分は一人で踊るか、かた端から女性に声をかけている。ディスコって本来はダン スを楽しむところだけれど、来ている人たちの中から寂しい「気」がいっぱい出ている。私はどこに行っ ても人を見るの好きな方なので、勝手に観察・分析しているんだけど、そんな寂しい「気」を出している 人たちは踊っていても全然楽しそうじゃない。それは一人で来ている人に限らず二人で来ていても同 じ。孤独を紛らすため一人でいたくないからだろうけれど、その店は特にそんな人々が集まっているよ うだ。 たとえ言葉は交わさなくても自分と同じ孤独の匂いを発散している者同士きっとわかるんだろうし、同 じ様に寂しい人がいるということで安心するのだろう。特にバカンスで家族やグループで楽しみに来て いるリソート地での孤独感は、より強いものかもしれない。 「勘違い人間」 この世の中自分の本質をわきまえていない人間が結構多い。自分の内面にしろ外面にしろ全体的な 人間としてのスケールにしろ、実際を把握していないというより、大幅に勘違いしている人々。私の周 りで目に付くのはサルサおやじ達・サルサ踊ってなければきっと鼻もひっかけられないような醜いおや じ達はサルサが踊れるおかげで若いお姉ちゃん達には不自由しない。そういう輩に限って態度は横 柄、でも悲しいかなこちらのサルサ社界では圧倒的に女性の数が多いので、そんなおじさんでも踊っ てもらえたらうれしいっていう女性が後をたたない。私も習い始めの頃は誰でもいいから相手してほし い、と思ったけれど今はと~んでもない!うまいへたよりも気分良く楽しく踊れる人としか踊りたくない。 サルサに限らずまだ他にもいますね、勘違いしてる人・特別魅力的でもないのに自分がすごく可愛い と思ってる若いお嬢さん・単に肩書きがあるだけで実力が伴なわないのに自分はできると思っている 会社の上司・エトセトラ、エトセトラ。私は謙虚な人が好きだ、自分が本当にわかっているからこそ謙虚 になれるのだと思う。自分に自信を持つことは勿論必要だけれど、それは自分の本質を見極めた上 での自信、自分が人間としてどこまでの人間か常に自分と向き合って見つめている人は、それをわき まえている。この年になるとどんな人と見ても腹を立てることなく「あっそういう人ね」で、ただ距離を置 くようにしてるから実害はないものの、勘違い人間さんあまりそばで見たくはないわというのが本音だ。 人間模様 「シングルのメリット・デメリット」 平日はお客が来ても来なくても買い物以外は家に居るようにしているので、唯一夏の間日曜日は毎 週ビーチで午後いっぱいのんびり過ごすことにしている。そんな時間に考えたこと。シングル歴が長く なるとどうしても周りのカップルが目についてしまう。毎日の生活で何の不満もないけれど何か、何か が足りない感は否めない。私は一人暮らしは決して嫌いではない。独立心も人一倍ある方だしシング ルの気楽さをそれなりに楽しんでもいる。その反面カップルが目についてしまうのは、一人でいること が何となく不自然なような気がしているからだ。 以前恋人と一緒だった時、私にとって彼は誰よりも自分の一番近くにいた人だった。それは娘や親友 との距離とは比較できるものではない。娘や親友とは何があろうと深いところで繋がっているからそこ に距離感自体存在しないのだけれど、恋人との距離ってもっと現実的で生々しく、「ああこの人は私の 人生で誰よりも私の身近にいる」という実感を伴ったものだ。その親近感が私は今恋しい。それは彼 が恋しいのとは全く違う感覚で、ただただその現実の親近感がほしい。今の自分の生活に大きな不安 や不満はないし、もし何かあったら娘や友人たちが手をさしのべてくれるのはわかっている。でも恋人 がいた時って基本的に安心感があった。 友人のイギリス人男性は恋人に去られそのショックを癒すのに、毎晩名前も知らない違う女性と過ご している。ということは相手をする女性たちも一晩の遊び感覚で良いわけだ。でも私にとってセックス は、性愛であってただの性行為のみは何の意味もないしまた必要もない。たとえシングル歴を重ねて も妥協してという気は全くないし、別に淋しさを感じているわけではないから、私にとってのミスター・ラ イトの出現を待つことにしよう。 「欧米男性から見た日本女性」 先日ある男性からベッドのお誘いを受けた。彼は最近知り合った南米と混血の50代イギリス人、2回 お茶して1回ディナー招待された後のこと。話はすごく面白く充分会話は楽しんだけれど、とても夜を 共にしたいという相手ではなかったので、お断りしたらなんと心外という顔をして「僕が以前付き合った 日本人女性は絶対ノーと言わなかった」とのたまった。そういえば知り合いの車椅子に乗った金持ち のドイツ人男性も、以前日本人の人妻と付き合っていて「彼女は僕が言うこと何でもやってくれた」そう な、だから共通して彼らの中には、日本人女性=ノーと言わず何でも言うこと聞くというステレオタイプ のイメージがあるようだ。 それで日本にいた時に会った外人男性2人を思い出した。一人はホストファミリーで3日間ショートス テイを受入れた40代のイギリス人。日本初体験は六本木の外人バーで、彼曰く日本人女性に声をか けて断られたことがなく、自分の国では考えられないといって、勿論日本滞在中毎晩六本木参りは言 うまでもない。そしてもう一人は当時私の友人だった40代のイタリア大使館員、背も低いしハンチング 帽を被らせたらPCゲームのスーパーマリオそっくりなので、私は心密かにマリオちゃんと呼んでいた。 その彼の豪華な官舎に招かれた時のこと(知り合った時点で、お友達以上には絶対ならないと線引き してあるのであくまでもお友達)「これ僕の日本でのコレクション」と言って見せてくれたのが何とラブホ テルのマッチの数々!「そしてこれが僕が付合った日本人ガールフレンド達の写真」そのアルバムに 写っていた数人の女性は誰もが若く美人だった! 前述の男性その誰もが私から見たら決してすごく魅力的でもハンサムでもなく、ベッドインしたいような 相手ではなかった。イイ人だけどごく普通の欧米男性たち、何でそんなドウデモ男達に麗しき日本女 性達が簡単になびいてしまうのか納得がいかない。単に外人というだけでノーも言わず自分を持たず ヒョコヒョコついて行ってしまうから、NYのブラックアメリカンに、ちょっと古いけど「簡単に乗れるイエロ ーキャブ」なんて言われてしまうんでしょ。最近の日本女性、もうそろそろそんな呼び名は返上してい ることを願ってやまない。 「この親にして」 こちらのTVで「グランエルマノ」(ビッグブラザー)という人気番組がある。年に一度応募者から局が選 んだ男女(20~30代)8人づつが一つ屋根の下で4ヶ月間共同生活をしてその様子をTVカメラが追 って毎日オンエアーされる。毎週木曜にそれぞれが共に生活したくない3人を選び、翌週今度は視聴 者から選ばれたその内の1人が去って行き、最終的には3人に絞られた内の一人が賞金を獲得する というシステム。調べてみたら世界中の 50ヶ国以上で同様の番組が制作されているみたい。 その大邸宅の中には何台ものカメラとクルーがいて、どこにいても何をしていても24時間、行動から 会話から全てカメラに収められ、カメラが入らないのはトイレとシャワーの使用中だけだ。元々そういう 設定がわかっているからか、出演者たちも全くカメラを意識せずに普段の自分そのままを出している ように見える。私がこちらに来て以来のおなじみ番組だからもう5シリーズ見ていることになるのだけ れど、近年特に感じるのが女の子達の横暴・わがままぶりだ。理不尽なことで怒り出すわ、ヒステリッ クにわめき散らすわ、自分が100%正しいと主張して譲らない。 こちらのTVでトークショーにしろワイドショーにしろ頻繁に「嘘つき」と「人を操っている」と言う言葉が出 てくるけれど、番組の女の子達も自分の思うように相手を操ろうとしていて、周りの男達はといえば、 それに反発するまともなのもいるけれど、中にはしっかり操られてしまう情けない男も多い。そんな自 己中の女の子たち見ていて、ったくどんな育てられ方をしたのだろうと思うが、これまたワイドショーで 毎日その番組が取上げられ彼らの親たちがコメンテーターとして出演している。その親たちを見てい ると納得するのだ、女も男もまともだと思える共同生活者たちの親はやっぱりまともだから。「子を見 れば親がわかる」よく言ったもんだ。それにしてもただただ自分の子は間違っていないし、当然のこと を言っているという親を見て、こういう親に育てられるとああいうどうしようもない子に育つという図式 が見えてくるにつけ、子供の育て方の大切さを痛感する。 ただ救われるのは番組を見ている視聴者からのメッセージや、共同生活から去っていく1人の選択結 果とか見ると、ちゃんと正しい眼でみている人もけっこういるようだから、この国もまだまだ捨てたもん じゃないかも。 「ビックリ紳士に老レディ!」 8月、半年ぶりに来たマッサージのお客さん、イギリス人男性で60才くらいなんだけど部屋に入って 来たその格好を見て目が点!薄いピンクのYシャツ、それも長袖で下は下着の細かい濃紺チェックの トランクスに白ソックスとサンダル。トランクス型の短パンもあるけどどう見ても彼が穿いていたのは下 着だ。それまたご丁寧にYシャツを下着の中にたくし込んでいる。車で来ているから運転しているぶん には問題ないけれど、駐車した所から私のマンションまでは当然歩いて来てるはずだからね。マッサ ージ終えて帰りがけに「ズボンは?」って何気に聞いてみたら「暑いからね、そんなもん穿かないよ」で すって!本人全然気にしてないみたいで、(気にしてたらもちろんそんな格好はしないけど)ドアを閉 めて思わず笑ってしまった私。 そしてもう一人、冬場1月に郵便局で見た老婦人。何十人か待っている人を見ると殆どの人がコートを 着ている中、真夏の格好をしている女性がいる。こちらの冬は日本よりは暖かいけれど、それでも外 出時コートは欠かせない。冬の晴天日に街を歩いている人の格好を見ると、観光客か居住者か大体 判断できる。天気が良い日にTシャツかタンクトップでいるのはイギリス人観光客、現地の人はいくら 暖かくてもこの時期は冬物を着ているし、冬の間はビーチで日光浴もしない。さてその女性、年は60 代・銀髪のショートカットでおそらくイギリス人。タンクトップ型紺のコットンワンピース・首には緑と青の 薄手のストライプスカーフに、何と両側に白とピンクの花飾りをつけている。静脈の浮き出た素足に黒 のハイヒール・両手3本の指に合計6個の指輪。手には白のカジュアルバッグと、スーパーのプラスチ ック袋(買った商品ではなく身の周り品が入ってる)を持っていた。 ただ一人完全に浮いていたけれど、当人も周りの人も別に意識していないみたいで私だけが好奇心 を持って見ていた。どんな格好をしているかでその人の全体的なセンスや生活レベルとか判断するこ とができると思う。その女性を見て一体どんな精神構造してるのかな、どんな人生歩んできたのかな って、決してお友達になりたいとは思わないけど、純粋に興味は持った。誰がどんな格好をしようが1 00%全く自由だけれど、服装だけに限らず何にでもTPOがあると思う。ただそれに気を使う人と気を 使わない人がいるし、気にする人と気にしない人がいる。たぶんその老婦人は彼女なりに精いっぱい 選んで満足して着ているんでしょうけれどね。 「トライアングル」 私の友人には十数年三角関係で付き合ってきた恋人がいる。そのこと自体は別に珍しいことでもなく、 太古の昔から男女関係トライアングルの中でもがいている人、悩んでいる人、あるいは全く割り切って 楽しんでいる人などいろいろいるはずだ。でもその友人の場合はちょっと異色のケースだ。 友人のA子は独身で五十代半ば、そして恋人の男性B氏は六十代前半で、その彼には二十年来連 れ添い最近入籍した女性C子さんがいる。商社勤務のため海外出張で日本を離れていることが多い B氏には、A子と知り合った当時既に内縁関係のC子さんがいたが、C子さんは四十代の頃関節リウ マチを患い今では第1級の身体障害者レベルまでに悪化している。さてそういう状況の中で保ってき た三角関係の話を、私はA子から折にふれ聞かされたきた。A子も知り合った当初は軽い気持ちでも 彼に惹かれる気持ちが強くなるにつれ、彼に対する要求も大きくなっていったようだ。でも彼の方はと いえばいくらA子に対しての気持ちがあろうとC子さんの面倒を見ていたため、病気が重くなるにつれ、 A子と過ごす時間の調整が難しくなり、A子の不満は常に自分が得ることができない彼との時間にあ った。C子さんのB氏に対しての執着はとても強いようだけれど、身体がきかなくなっているだけに反っ て女としての煩悩がより大きくなってしまうのかもしれない。この十年A子は満されない思いに耐え切 れなくなっては別れる・別れないを繰り返して現在に至っている。 私はといえば彼女の恋愛を通し、いろいろ考えさせられ、また人間の持つ心の不思議さから学ぶこと も多かった。そしてA子と共に改めて健康で生きていくことの幸せに感謝した次第である。 スパニッシュライフ 「スキャンダル」 こちらの5月は市長選の時期で日本のような選挙カーで演説というのはないけれど、スキャンダルは その市長選の直後に始まった。それは隣町のマルベヤの市長の奥方が再選が決まったすぐ後に、亭 主が国民的英雄の歌手とできてると暴露したのだ。奥方もさるもの、選挙が終ってご亭主の再選を見 るまでは黙っていたのだ。もちろん市長か普通の人かでは慰謝料の額も当然かわってくるだろうから。 そのお相手はスペインでも一番有名で人気のある40代後半の女性歌手だ。折りしも暴露されたのと 同じくしてマルベヤのフェリアが始まり、何とその市長はまるで開き直ったかのように連日その歌手を 公然と連れ歩き、報道陣の前で抱き合うわキスはするわでTVの視聴率アップにずいぶんと貢献した はずだ。まあ別居はしていたんだろうけれど、それでもまだ夫婦として籍はあるというのに、公の場に 堂々と手をつないで現れたりして、まるで新しいファーストレディのお披露目みたいだったのはあっぱ れといってもいい。 その市長は50代で貫禄もありちょっとセクシーな感じのまあまあの男前。さて爆弾を落とした奥方は といえば連日各局のTV番組に出演し、マスコミも比較的同情的な立場をとっていたのを幸いに、亭主 の相手の歌手のことを「彼の判断力を狂わせた乗っ取り女」と呼んだりして私には何だか言いたい放 題のように見えたけれど、また最近は20歳も年下の恋人を作ったりして、いやはやさすがしたたかだ。 もう一つは別のスキャンダルで、70代の女優の結婚だ。テレビで何度かその女優の若い頃の映画を 見たけれど、本当にきれいで顔もスタイルも抜群、女の私でさえ思わずうっとりしてしまうくらいの美貌 だった。それが今は顔は整形と厚化粧でかろうじて美貌を保っているものの、身体は昔の面影もない ほど太り、とても同じ人とは思えない。その女優が去年キューバ人の38歳の男性と結婚したのだ。幸 か不幸か現在は破局を迎えたようだけれど、彼女の若い頃は毎晩よりどりみどりで男をとっかえひっ かえしていたというから、いくら年を取っても女を捨て切れないんだろうと思う。でも私はジャンヌモロ ーのように整形もせず、堂々と皺を見せて年齢なりの美しさを感じさせるほうがずっと好きだな。 こちらのスキャンダルで面白いのは、浮気でも破局でも何かあると当事者だけでなく親類一族郎党が インタビューに出てくることだ。芸能番組のTV出演だったり電話でコメントしたり、なかには当事者の 甥・姪までもがコメントすることもある。それだけ一族の結束が固く、プイライベートなことでもあるとこ ろまではみんなが事情に精通しているということだろうか。こちらの人は芸能人に限らず一般人でもT Vでコメントするのを見ていると、みんなすごく自信満々に見える。言葉でいわなくても態度で「私の意 見は絶対間違っていない」が充分すぎるくらい伝わってくる。人間誰しも自信をもつことは必要だけど、 日常生活でも私にはこちらの人たちが自信過剰のように思えることもしばしばだ。 「巷の商売」 世界中どこの国でも必ずあるのがチャイニーズレストランだけれどこの地域もそこらじゅうにある。メニ ューオブザデイと称し、5~8ユーロで3品の他デザート付きという超リーズナブルメニューがあってこ れで儲けが出るんだろうかといつも不思議に思っている。値段が値段だけにおいしくなくても文句は言 えないけど。あとこの1年で急速に増えたのが、やはり中国人経営の衣料品店や雑貨店で100mに1 軒という位の驚くべき進出力。中国人ってだいたい結束も固いし雑草のように逞しいという印象がある けれど、恐らく仕入れも独自のルートがあってネットワークが徹底しているんだと思う。 レストランで食事中に来るのはまず花売り、昔はジプシーと相場が決まっていたらしいが、最近はこれ また中国人がとって変わって売り歩いている。他はアフリカ人の売り手がCDや時計・サングラス・木 彫りの置物、またアラブ人が敷物など入れ替わり立ち替わりにやって来る。そして様々なタイプのミュ ージシャンたちがいる。勿論一応プロだからそれなりに聞けるけれど、でも自分が聞きたくなくても、好 みでなくても演奏が終わるまでは聞かなければならない、というよりいやでも耳に入ってくるから。映 画で見る程ロマンチックでも何でもない。そして演奏が終わると帽子等をもって各テーブルにチップを 貰いに来る。必ずチップをという法律があるわけではないからあくまでも自由だけれど、断ったり無視 したりするのは結構勇気がいるものだ。 他にはお金恵んでの人たち、フェリアで人が集まるときには若い男女が(多くはジプシー)観光客目当 てにせびっているか、スーパーの入り口に座り込んでいるどこから見ても健康そうなおじさん(中には ビール片手に煙草まで吸っている人)もいる。やっていることは乞食だけれどそういう悲壮感は全くな い。どこも体悪くない成人がどうしてといつも思うけれど、お金をあげる人がいる以上商売としてりっぱ に成り立っているようだ。日本にホームレスはいてもそういう人たちがいないのは、日本人ってやっぱ り誇り高い民族なのではなかろうかと改めて思ってみたりしている。 「ビーチ模様」 日本にいたときから夏は日に焼けて黒くなってないと何か落ち着かない私は、大抵 5 月から 8 月ま時 間を見つけて少しでもビーチで過ごすのが習慣だ。さてこちらのビーチ、子供連れの家族とご老人カッ プルがすごく多い。若者もいるけれど日本のようにビーチが軟派のメッカには全然なっていない。それ と日本と違う点は、年齢に関係なくトップレスの女性が多いことだ。 前回日本に帰国して混浴露天風呂に行った時、先に入っていた男性グループのねっとり視線ビーム がすごくてバスタオル取れなかったけど、こちらの男性はトップレスの女性でも全然特別の視線で見 ていない。「セクシーさを感じる身体の部分」の国際比較によると日本を始めとするアジア諸国の男性 は胸、イタリア・ドイツ・スイス・東欧諸国はお尻、アメリカ・イギリス・北欧・オーストラリアは眼差し、ス ペイン・フランス・カナダは態度と姿勢となっている統計を見てすご~く納得した次第。 「犯罪海岸」 大都市だったらどこでもあるだろうけれど、私の住んでいるこのローカルなコスタ・デル・ソルでも、コス タ・デル・クライムと呼ばれるほど様々な犯罪がある。特にこの地域はヨーロッパ諸国からの金持ち入 植者が多く集まっているので、そのお金を目当てに他国から犯罪者も多く入国している。一番はやは りドラッグがらみの犯罪・ある時などビーチから舗道を見ていたら、不自然な組み合わせ(ともにいわく ありげな若者と中年男性)の二人が握手してたぶんドラッグをやりとりしているのを目撃したことあるけ れど、白昼堂々それも町中で、ここではそれほど珍しい光景ではないのかもしれない。一時刑務所に 入っていたボートオーナーでドラッグ運搬にボートを使って大金を稼いだイギリス人とかも身近にいる。 また私の知り合いがマーケットの駐車場で車のドアを開けた途端誰かに話かけられ、応対している隙 にその仲間からバッグを盗まれたという話や、新聞に書いてある注意によると夏場は窓を開け放して あるから、家人がいても窓から侵入するケースが激増しているとのこと。そういえば私のマンションで もつい先日、向かいの住人から私の部屋前の階段踊り場に南米系の若者が(明らかに私の顧客では ない)座っているの見たから、外出の際はダブルロックするように念を押されたばかりだ。 驚くことに地域の刑務所に収容されている犯罪者の半分以上がスペイン国籍でない外国人だというこ とだ。最近はロシアや東欧、そして中国マフィアなどの名前もよく聞かれる。マフィア絡みでも陰湿な殺 人事件とかはないけれど、単純に金銭目当ての様ざまな犯罪には事欠かない。 「人の顔と中身」 人間30過ぎると性格は顔に出ると私は思っている。特に女性は万国共通、顔の美醜に関係なくどん なに目鼻立ちが整っていても、心の醜さが顔に顕れている女性はいる。男性の場合は何故か面にで ていないことの方が多いような気がするが、早くから社会での顔というものを見せなければならないか らだろうか。女性の場合、この人性格悪いだろうなと思う相手とは大抵2言3言話をしてみると、(あく までも個人的見解で)やっぱり思った通り性格良くないというケースが多い。もちろんそういう人とは絶 対お友達にはならない。 こちらでブルースの女王と言われているイギリス人のローカルシンガーがいるが、唄は抜群にうまい けれど強持ての中年歌手は、友人のミュージシャンにいわせるとかなり性格悪いそうだ。昔私が端唄 をやっていた時の姉弟子で、ものすごく唄がうまくしっとりと人に聞かせる唄を歌う女性も、意地悪で性 格良くなかったけれど、芸の秀逸と性格の良さは必ずしも比例しないものかもしれない。でもそんな私 が性格悪いと思っている人たちにもお友達や家族はいるわけだから、そういう事を気にしない人たち が集まっているんだろうなと思う。良きにつけ悪しきにつけことわざどおり「類は友を呼ぶ」から、今自 分の周りの良い仲間とだけ交わっていきたいと切に思っている。 「日本語の語彙」 私の語学レベル-英語は日常会話程度・スペイン語は英語よりちょっと落ちる(現在市のスペイン語中 級コース受講中)程度。英語の映画は英語字幕があれば問題ないけれど、字幕がないと耳をダンボ にしていないと聞き取れないセンテンスはいくつかある。そんなレベルでもこちらで生活していて特別 不自由は感じていない。例えたどたどしいスペイン語でも伝えたい意志があればどんな言い方にせよ 必ず伝わると思っている。同じ言葉を話す日本人同士だってどんな言葉を駆使しようが伝わらない相 手には伝わらない。 常日ごろ日本語でない言葉で生活していていつも驚くのは英語やスペイン語の語彙の多さだ。特に 感情を表現する言葉、例えば日本語の「素晴らしい」とか「素敵」にあたる単語少なくとも6~7語はあ る。以前外国映画を翻訳しているプロの日本人のコラムで「ののしり言葉とかは日本語での表現が少 ないので、翻訳には特に苦労している」というのを読んで、やはり日本人って良くも悪くも、感情をあま り表わさないから表現する言葉も少ないのかと思った。だから会話でも文章でも日本語で感情表現し たい時、ふと困ってしまうことがある。「素敵・素晴らしい」に匹敵する他の言葉何かなかったかしら? 「スパニッシュ・ウェディング」 親しくしているダンス友達夫婦の息子の結婚式に招かれ行ってきた、初めてのスパニッシュウエディ ング。式は正午過ぎから役所で行われ、披露宴は地元の小さな闘牛場にある老舗のレストランで行 われた。式は役所専門の担当官の仲介で宣誓と指輪交換に続いて署名で終わり、時間にしたら20 分くらい。こちらの結婚式は教会でする場合もあるけれど、教会の場合は時間もかかるし演出ももっと 派手だ。 式の後は場所を移動して披露宴のレストランへ、2時から会食が始まって終わったのが午後9時。列 席者は80人くらいで、私を含めた花婿の両親の友人3人以外は全部親族だ。私の友人夫婦はそれ ぞれ妻に6人夫に5人の兄弟姉妹がいて、列席者は花嫁側の両親の兄弟も含めその連れ合いと子 供(いとこ)達、親族の結束が固いスペインらしく親戚披露パーティーみたいだった。でも日本の披露 宴とちがい華美な演出も列席者の祝辞もなく至ってシンプルだ。2時から会食が始まり途中ケーキ入 刀の時も、乾杯の音頭を取る人もなく、乾杯だけしてその後4時頃からダンスタイムとなった。本当お 祭り好きなスペイン人にふさわしく老若男女入り乱れ、親族一同皆で8時まで踊りまくったという感じ。 私の友人の花婿の父親などはさすがダンス仲間だけあって、殆ど3時間踊りっぱなしだった。2人息 子のうちの長男に所帯を持たせるということで、一応の親の役目は終わりという安心感と開放感もあ ったのだろう、とても満足しているようだった。 宴会中のハプニングで、私は友人の8歳の息子と花嫁さんにレイキヒーリングを施す羽目になった。 二人とも急に胃が痛くなった為で男の子は多分急に沢山食べたからだろうけれど、痛いと言って涙を 流していたところ手を当てたら、ものの2~3分で痛みがなくなった。子供の場合レイキは特に素直に 受け取るので効くのが早いといわれているのが実証された。花嫁のほうは緊張からだろうけれど気分 が悪く2度吐いて胃痛があるというので、20分程手を当てていたら痛みが和らいだという。その男の 子は急に痛みが引いたのが不思議で、どうやったの?と聞くから「天の神様がね力を貸してくれたの よ」と言うと、ニッコリしてありがとうと言って頬にキスをしてくれた。そんな中、無事結婚式は終わり、 総体的な感想としてはシンプルだけど皆が心から二人を祝福し楽しんで、とても良い結婚式だったと 思う。う~ん私もいつかできるかしら?スパニッシュウェディング! 「徒然」 センターに出る時にちょっと遠回りして通る私が好きな小道がある。車の通りから少し奥に入るだけで そこはひっそりとした静寂と平和の空間になって心安らぐ場所だ。先日東京の友人とチャットで、学校 教育に道徳の時間が無くなったのはいつからだろうという話題になった。特に日本って無宗教の国だ し、人として生きて行く上で必要なモラルは子供達に教える必要があるよね、というのが共通の意見 だった。また別の友人からは「最近東京での生活は何もかも忙しい。ぐるぐる回って落ち着く暇が無い って言うより、落ち着いていたら置いてきぼりになってしまう。だから心も豊かじゃなくなってしまうの。 義理人情を大切にして生きて行きたいけど周りがそうじゃないから多々裏切られることがある。だから だんだん防衛本能が付いてくるの。小さなことが違うのよ、相手の気持ちになって物事を考えない人 が多すぎる様な気がするし、感謝の気持ちも不足してる。」というメールが来た。 東京に住んでいる同年代の友人たちは最近とくに自己中心の人間が増えてきたと嘆く。大都会、昔東 京砂漠なんて唄もあったけど現代人身体も心も忙し過ぎるのではないかしら。心に余裕がないと相手 の立場になって考えることはできないからね。ゆとりを持つってとても大切なことだと思う。 それともう一つ、悪いことをしている悪い人がいい思いをして、すごくいい善人が苦労したり嫌な目に あったりするのは何故なんだろう?という疑問に答えてくれた『法華経』の一説。「悪果未だ熟せざる 間は悪人も尚ほ幸に遭ふ。悪果の熟する時に至らば悪に遭ふ。善果未だ熟せざる間は善人も尚ほ 悪に遭ふ。善果の熟する時に至らば善に遭ふ。」と天地自然の理にかなっている言葉、そのときが来 れば、善悪は必ず調整されるということですごく納得。 「エピローグ」 人生は本当の自分の探しの旅だと思う。その旅の中で人は様ざまな体験をしながら、本当の自分を 思い出していく。こちらに来てからの数年間に出会った人々や体験からは、それまで人生で知った以 上のものを得ることができた。年を重ねるにつれ人生をより広く、深く見ることができるようになったし、 いくつになっても学ぶことは沢山ある。ありのままの自分でそして自分の感性に従い、これからも道の 途中で見たこと感じたこと書き続けていきたい。もう私も人生終盤の真っ最中、どうしても自分のさま ざまな思いを文章で残しておきたくて、今回の出版を思いたった。 現在、面白エッセイシリーズとして「男と女のダンス模様」「第二弾」を順次発行予定であり、また別冊 として「人生に疲れたとき開く本」全ページ写真入りで、世界の著名人の名言集作成に着手いたしまし たので、シリーズでお読みいただけたら、こんなにうれしいことはありません。 著者 幸多 魅瑠 1950 年代東京杉並に生まれる。2001 年東京からダイレクトにスペインアンダルシアの小都市を訪れ、 第 2 の故郷と決める。指圧マッサージとレイキヒーリングを仕事としながら、趣味のダンスが嵩じて始 めた「スペインでダンスレッスン」Dance 三昧 inSpain の企画と手配及びアテンドをする。後に日本から 来た一人娘と現地で生まれた孫娘と、現在共同生活中。 Data スペイン YaYa の面白エッセイ 発行日 2014 年 8 月 28 日 第 1 刷発行 著者 幸多 魅瑠(こうだ・みる) 発行者 高野 明子 ブログ/ 「FelizYaYa のスペイン便り」 Facebook / 「ダンス三昧 in Spain」 企画ページ/ 「スペインでダンスレッスン」
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