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うりずん79号 - 自立生活センター・北

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1998 年 10 月9日第三種郵便物認可 (毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行 SSKU 増刊通巻第4644号
SSKU
自立生活センター・北(CIL・北)通信
NO.
79
2013 年 11月 号
堀船小学校の
報告
“うりずん”とは、沖縄の方言(ウチナーグチ)で、冬が終わって草木が緑を増し、
大地が潤いだす頃の気候のことをいいます。「CIL・北」も、これからの活動を通して、
みんなが「潤い」を感じられるようになりたいという意味が込められています。
1
1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
うりずん No.79(2013年11月号)
イチモト日記
3
堀船小学校の
報告
THE車椅子体
験
呼ネット通信
8
6
ワタシの時間
イベントがした
い!
イベントがした
い!
森下貴史
釣りへ行こう!
10
アイドルが
やってきた
堀河洋平
(せきど)
12
書評
活動経過報告
加辺正憲
16
18
19
2
ディズニーシー
♪
14
1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
市川 幹の
『 言葉のない世界で
第
十
四
回
』
バックボーンについて話したいと思う。バックボーン(生い立ち)が自分と同じような人には話がすん
なり通じるが、まるで異なるバックボーンを持つ人にはなかなか話が通じなかったりする。あるいは、
自分と同じような立場にいる人々の思考や感性は自然と理解できるのに、違う立場どうしだとなかなか
感覚がかみ合わず、理解できないままだったりする。これは誰にでもあることだろう。
ぼくのバックボーンについて話したいと思う。それによってこれを読んだ人に、様々なバックボーン
を持った人が社会にはいて、一見理解しがたいキャラクターや行動の中にも理由というものがあり、そ
んな他人をできれば理解してほしいと思うからだ。
小学生、中学生、高校生の頃、親とはどんな存在だっただのろうか。この質問の答えは、ほぼ毎日母
親と話をすることができた大半の人とそうでない人との間に間に大きな隔たりを産むだろう。
ぼくには<頼れる人>がいなかった。日々の悩みや疑問や話を聴いてくれて、
〈親のように〉、自分と
いう存在を受け止めてくれるような人がいなかった。4 才から 18 才までの話だ。親元を離れ、施設で
は 100 人ほどの障がい児が共同生活をしていた。
生活面を看てくれる職員には、保母さん、看護婦さんが総勢 30 人ほどがいた。30 人で昼勤、夜勤の
ローテーションを回して、常時 10 人ほどの体制で 100 人の面倒をみている。心配してくれる看護婦さ
んもいた。彼女は、ぼくが、自分の気持ちに応えてくれる人がいないので気持ちを表に出さないように
していることを見抜き、気にかけてくれているようだった。10 才くらいのある夜の寝る前から、数ヶ
月、注意深く彼女の接し方・話す内容・振る舞いを観察して、「あの人はぼくのことを心配してくれて
いる」と気づいたのだった。話してみたいと思った。
個人的なことを話せるような時間は就寝後の 15 分程度。ぼくたちは 8 部屋に分けられて、それぞれ
の部屋に看護婦さんがつく。どの部屋にどの看護婦さんがつくのかは分からない。看護婦さんは夜勤と
昼勤のローテーションで、持ち場も変わるので、夜、その看護婦さんがぼくの部屋にいてくれるのは 1
~2 ヶ月に 1 度くらいの割合であり、また集団生活なので、周りにはいつも人がいて、二人だけで落ち
着いて話ができるような場所も時間も、施設の中にはなかったのだ。だから叶わなかった。
誰かに話を聞いてもらいたかったし、ときに優しく励まし、誉めてくれて、ときに厳しく教えてくれ
るような人がほしかった。施設で得たものもたくさんあったが、得られなかったものも多かった。施設
には 15 年間いた。もっとも多感な 10 代の大半を過ごしたことになる。
文化祭や運動会、キャンプ、修学旅行といったイベントが近づくと、実行委員会に選ばれることが多
かった。他の生徒に比べるとぼくの障がい程度が比較的軽く、体が動き、比較的理路整然と喋れたから
だ。ポスター作り、パンフレット作り、班決め、役割分担、余興で誰を呼ぶか、どこに行きたいか、当
日のスケジュールなど、実行委員で集まり 5~10 人で話し合う。皆の意見を聴き、上手く言葉で自分の
3
1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
考えを表現できない人に対してはできるだけたくさん話を聴いて、何が言いたいのか理解し、意見を調
整して、最後に職員にそれを伝えに行く。
職員に伝えるときにはいつも緊張してしまう。ぼくたちの思いを分かろうと努めるよりも早く「危な
い」
「時間がかかる」
「ダメだ」と職員から言われればそれで終わり。ぼくたちに決定権は少しもなかっ
たし、上手くみんなの気持ちを説明することもできない。
さらに落ち込むのは、皆、会議では別の意見を言っていたはずなのに、発言力がある職員が他の意見
を言うと多くの生徒がそれに賛成して即座に決定してしまうという毎度の光景に対してだった。障がい
を持つ多くの生徒が、自分の意見を自分の言葉で整理して人に分かるように説明するということができ
ないがために、「正しいことを言っている職員」というイメージだけに流されてすぐに賛成してしまう
のだ、、、それは見ていて悲しく、気が滅入るような光景だった。
皆の総意を喋っているのに、職員の言葉に同調して、今度はぼくのことを批判しにかかってきたりす
ることも度々あった。
ぼくにとって施設とは、「言葉で何かを説明することができない」空間のことだ。それは、ぼくたち
生徒の言語能力の未熟さだけが原因でなく、職員たちの方でも、言葉で何かをぼくらに説明したり伝え
ようとはしなかった、ということだ。言葉を介して、相手の思いをなんとか受け取ろうとし、分かろう
とし、相手に思いを伝えようとするコミュニケーションは、管理する側の多忙な少数の職員と、安全管
理される 100 人の生徒という間柄では時間的にも人員的にも無理なため「しなくていい」から、やがて
施設は、「言葉で何かを説明することはできない」空間へ変わるのだった。
ぼくらを指導する職員の言葉はいつも、
「危ないから」か「自立のために」かのどちらかだけだった。
一時間半かけて靴下をはいていると、
「自立のためには時間管理も大切だ。人に頼むことも覚えなさい」
と言われて、また別の日に、時間がかかりそうなので手伝いを頼んだら「自立のために一人でやりなさ
い」と言われてしまう。それぞれの職員がそれぞれに別のことを言う。それがぼくらの生活だった。
施設ではいつも「自立のために」と言われる。そのために何かが禁止され、そのために努力や我慢や
成長が求められた。まるで万能の魔法の言葉のようだった。
「自立のために」リハビリを頑張り、ぼくは多くのことが出来るようになった。特に 10 才から 12
才にかけて、読み書き、着替え、箸やスプーンの扱い、車椅子やベットへの移乗など、自力でできる範
囲が拡大した。これについて、ぼくは施設にとても感謝している。
残念だったのは、施設では、リハビリで出来るようになったスキルで、例えば隣に座る友達にスプー
ンを取ってあげようとしても、
「危ない」
「本人の自立のために良くない」と言われて職員からすぐ止め
られてしまうことだ。何かが出来るようになっても、それを人のために使う場所や場面がない。いつも
「危ない」だけで、褒められもせずに「ダメだ」と言われ、「人の役にたちたい」という自分の思いを
伝えることもできない。
では、いったいぼくらは何のために日々リハビリを行なっているのか? ぼくは努力の先の目標を見
失い、「努力する」という行為自体に対しても欺瞞的なものを感じ、冷ややかな距離を置いて見るよう
になってしまった。
誰かに聞いてほしかったし、教えて欲しかったなと思う。ぼくらには〈頼れる人〉がいなかったのだ。
思いが伝わらない、叶わない、という挫折感が生徒たちに溜まっていく。
自分の思いを満足に受け止めてくれる人がいないので、あたかも自分が存在していないかのような不
安な気持ちになり、自己防衛的に(自分を守るために)、自分よりも弱い立場にいる相手に対して横暴に
ふるまい、命令し、従わせ、それにより、「自分は存在している」という安心感を得ようとする。いじ
めが起こる。
自分より話すことが下手な生徒に、自分より体が動かない生徒に、自分よりクラスで人気じゃないと
思える相手に――。
話すのが不得意で、体も小さく、あまり手足も動かないような「弱い」生徒は、一番優しそうな職員
にわざとわがままを言い、怒ってみせて、困ってくれるのを見て安心する。何でも言うことを聞いてく
4
1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
れそうな優しい職員がいじめのターゲットになりやすい構造が施設にはあるのだ(ぼくはこれを「とば
っちり」と呼んでいる。介助業界では施設以外でもよく起こることでもある)。
「もっと受け止めて欲しい。もっと愛して欲しい」という欠乏感がいじめを生んでいる。いじめを、
暴力反対という側面だけで批判しても、いじめを語ったことには少しもならないと思う理由がここにあ
る。
言葉がなかった。言葉が何かを伝えてくれるものとは思えなかった。その感覚は、30 代半ばにさし
かかった現在のぼくにも色濃く残っていて、たぶんずっと消えないだろう。
僕の手首にアザができていることについて看護婦さんから質問されて、リハビリでできたアザだと答
えた。PT(理学療法士)の先生がリハビリの指導をしてくれるのだが、歩行の補助としてぼくの手首を持
っている際に、ぼくの方がバランスを崩したり思わぬ力が入ったりしてアザになることが稀にあるのだ。
そのまま授業に出て、後日、PT の主任に調書を取られ、そこでも「何とも思っていないですよ」と言
葉を添えて、また後日、リハビリ室でいつもの準備をしていると、PT の先生から詰問され、主任を含
めて他に 4,5 人の PT の男性職員に囲まれ、上半身の服を脱がされ、車イスなので特に逃げることもで
きず、何が起きているのかよく分からなかった。
「告げ口」をしたつもりは無かった。そもそも PT の先
生のミスだと思っていないし、悪意でつけられたアザだとも思っていない。ぼくを囲む PT の職員たち
は、君のために一生懸命やっているのにどうして汚い告げ口をするのか、というようなことを言ってい
たように思う(記憶は定かではない)。
看護婦さんはぼくの言葉をどう受け取ってしまったのか。そしてどう PT の主任に伝え、ぼくの言葉
は主任になぜ誤解され、主任はぼくの担当 PT にどう伝えて、彼はどう受け取ってしまったのか。ぼく
には知るよしもなかったし、どうすることもできないことだった。
上半身にマジックで「へのへのもへじ」などの他愛もない落書きをされた。裸のまま、誤解を解くに
はどう説明すれば良いのかと考える気持ちにすらならなかった。無理だと思ったからだ。
5 人に囲まれて、はやし立てられ、車イスを回されて、ちなみに普段は、彼ら PT の先生たちは特に
問題を起こすような人たちではなかった。暴力的でもなければ、ちゃらんぽらんでもない。だから余計
に、いま自分が受けているのが虐待なのかどうか分からなかったし、それは今でも分からない。
リハビリの 40 分間が過ぎて、授業があるのでぼくは裸のまま車イスに乗って教室に帰った。そして
学校の先生がぼくの裸の落書きに気づき、リハビリ室に怒鳴りに行き、その声がすこし聞こえ、また先
生が戻ってきて、服を着て、その後どうなったのかは分からない。そんなことはそれっきりだったが、
その事件は「言葉への恐怖感」をそれ以来ずっと抱かせるに足るトラウマにはなったのだ。
ぼくにとって施設とは「言葉で何かを説明することができない」空間のことだ。
話を誰かに聞いてほしかったし、教えて欲しかったな、親のように、一日の終わりにいつも、と思う。
でも、仕方ない。もう生きた 10 代だから、変えられることと、変え難いことがある。
「言葉への恐怖感、
不信感」はずっと消えない気がするが、それがぼくだと思うしかない。
この文章を読んでいる限り信じにくいかもしれないが、ぼくは人に何かを説明することが極度に苦手
で、喋りすぎたり、堂々めぐりするだけで要点を忘れたり、喋らなかったり、顔色を見ながら慌てて話
したりしてしまう。
だから人からよくこう注意される。
「もっと自信を持って喋ればいいじゃないですか」
「慌てずにしっ
かりと喋れば通じますよ」「丁寧に説明すればきっと理解されると信じればいいんですよ」。
でも、それは無理だ。人には人の、それぞれのバックボーン(生い立ち)というものがあって、トラウ
マも、ある人にはあるのだから。
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1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
堀船小学校の報告
市川幹
9 月下旬に小学校で授業をしました。ぼくが授業をするのは 3 年目になります。
小学 5 年生を相手に、障がいというものについて、色々な側面か
ら話す。ぼくから話を聴くグループ、重田さんから話を聴くグルー
プ、小林さんから話を聴くグループと 3 グル―プに生徒を分けて、
20 分程度、早足に、出来るだけ分かりやすく大事なことが伝わる
ように喋り通しました。
「喋り通した」というのは同じ構成の話を 4 回繰り返したからで
す。堀船小学校には 5 年生のクラスが 2 クラスあって、1 クラス目
は 5 限目に授業をして、2 クラス目は 6 限目に授業をする。さらに
1 クラスを、授業の前半に車イス体験をして後半に話を聴くグループと、前半に話を聴いて後半に車イ
ス体験をするグループとに分けているので、5 限目の前半・後半、6 限目の前半・後半で同じ話を別々
の子供たちに 4 回繰り返したのでした。
脳性マヒとはどんな障がいなのか、普段の生活の様子はどんなふう
なのか、自分の障がいの特徴は何か、障がい者とどうコミュニケーシ
ョンを取るべきなのか、、、。
事前に何を話すか決めていた。一字一句文章にまとめてそのまま喋
るというやり方ではなく、話の要点を 4 つくらいに絞って、その 4 つ
の事柄については必ず話すというやり方で。
もっとも重要な、伝わってほしいと思っていつも最後に話したのは、障がい者の意志を確認すること
の大切さについて。まず、子供たちの前にウェストポーチを落として、
「どうすれば良いと思いますか?」
と質問する。子供たちは「拾ってあげる」と答える。それでもいいんだけど、もっといいのは「拾いま
しょうか?」と相手に訊いてみることだよ、と話した。車イスに乗っている人でも自分で物を拾いたい
人もいるからね。自分で拾いたかったのに、横から拾われたら「自分で拾えたのにな」と思うこともあ
るんだよ、と。「拾ってください」と言われれば拾ってあげて、「自分でできます」と言われたら本人に
任せるべきなんだ。って。
4 回も話すと、どんどん話が上手くなって
くる。時間内に話を終わらせるのが上手くなっていって、面白
かった。これからも色々な子供たちに何かを伝えていきたいと
思っています。
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1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
北沢 岳哲
実際に車椅子に乗ったり、押したりしてもらいました
初めに注意事項、操作方法を説明後、これから仕様
が異なる車椅子を使い体験開始!
生徒さん達はワクワク・ドキドキ!?・・・なのかな。
カラーコーンを使い、廊下にスラロームを作り走行
中!
この後は、教室の中に入りさらに車椅子がぎりぎりの
場所を走行体験。
乗っている人に対して声掛けを行いながら体験しても
らいました。
実際当事者が乗っている車椅子を押しています。
簡易電動車椅子の
操作方法を教わり、
体験してみました。
見ると触るでは全
然違うでしょう。
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1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
呼ネット通信
呼ネットとは、人工呼吸器を使っていても地域で当たり前に暮らせる社会を実現するため
に、人工呼吸器使用者で立ち上げた団体です。(事務局メンバーは人工呼吸器使用当事者
です)
先日 9 月 14 日、毎年恒例の交流会を呼ネットでは開催しました。
今年で第 5 回目になります。
会場は、都庁第1庁舎 45 階の南展望台にある喫茶店「Tokyo Cafe 202」をお借りしまし
た。
呼ネットの会員は、人工呼吸器使用者やその家族、関係者で成り立っています。
全国に、約 130 人の会員がいて、そのうち人工呼吸器を使用している者は、約 60 人いま
す。
普段はメーリングリストを使って、交流や情報交換をしていますが、実際に会っての交流
や情報交換ができる場を設ける為に、「呼ネットカフェ」と
めいうって、喫茶店にいて話すような感覚の交流会に毎年し
ています。
さらに今回は展示コーナーを設け、
アイ・エム・アイ株式会社様のご協力により、人工呼吸器や
視線入力伝達装置、足踏み式吸引器などの展示
株式会社クマザキエイム様のご協力により、持ち運びできる
ソーラーバッテリー日本プランニングセンター様のご協力
により、「難病と在宅ケア」
などの展示が行う事が出来き、実
際に見て触れて読めての情報提
供をする事が出来ました。
参加人数は25人で、事務局メン
バーが9人、総勢34名の交流会
になりました。
今年は呼ネットにとって、悲しく淋しい出来事があり、事務局
メンバーを2人も失いました。落合勇平さんと小日向一弘さん
です。毎年2人とも参加して呼ネット Café を盛り上げてくれ
ていました。今回は、追悼スライドショーという形で映像での
参加をしてもらいました。
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1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
普段、顔の見えないメーリング
リストでの交流のためか、最初
はみんなの距離が遠かったもの
の時間が経つに連れて距離が縮
まり、同じ人工呼吸器を付けて
いる者同士、普段気にかけてい
る事も同じ話題となって、普段
会えない者同士でも会話が弾み、
和やかな雰囲気になりました。
昨年は、声が上手く通らなかっ
たという反省点があったが、今
年は反省を生かしてスピーカー
を用意し全体に声を送る事が出来た。
最後に、集合写真を撮って今年の「呼ネットカフェ」の幕を閉じました。
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(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
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1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
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事
次
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釣りに行きました。
当日は晴天に恵まれて楽しみに行くこと出来ました♪しかし、日焼け
対策が不十分で…泉谷 君に T シャツ、小野寺君にタオルを貸して頂
きひどい紫外線から守る事出来ました♪最初は近藤さんに全部用意し
てもらいながら釣りました。後から自分で調整しながら釣ること出来
て楽しさも倍になり、初めての釣りを堪能する事出来ました♪来年は
紫外線対策をバッチリして行きたいと思います(o^-^o)幹事の近藤さ
ん市川君そして、おばさん肌を守ってくれた泉谷君に小野寺君本当に
ありがとうございました〓F.mayumi 追記…いわし、あじ、サッ
パはお刺身、天婦羅、フライで美味しく食べました♪
せ
ん
か
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浦
光
明
メ
な
方
、
次
回
は
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緒
に
行
き
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人
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頻
繁
に
変
え
る
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短
く
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。
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の
短
い
人
こ
そ
向
思
う
。
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は
気
の
長
い
人
は
向
い
11
の
性
格
分
析
を
し
て
み
た
い
と
回
は
魚
釣
り
に
向
い
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い
る
人
公
園
で
の
釣
り
大
会
で
あ
る
。
今
今
回
で
二
回
目
の
大
黒
海
つ
り
釣
り
の
ス
ス
メ
と
数
匹
の
ア
ジ
が
っ
!
!
と
十
数
秒
、
リ
ー
ル
を
巻
く
釣
り
糸
を
垂
ら
し
て
待
つ
こ
1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
森下貴史
『 ぼくの映画史 』
昔、『ブルータス』で「世界の映画監督たちに聞く映画史のベスト 10」という企画があって、当時高校生
だったぼくは熱心な映画少年だったから、興味津々に読んで、読みながら首をかしげ、読み終わった頃には
ついに世界の映画監督たちの態度に呆れてしまった。
雑誌の企画とは生半可な気持ちでやっているわけではないだろう。そこには編集者の様々な期待やコンセ
プトや野心があり、特にその号の『ブルータス』が気合いが入ったものだと分かるのは、企画タイトルに少
しも負けない豪華な顔ぶれの巨匠たちを実際に揃えていたことだ。ピーター・グリーナウェイ、タヴィアー
ニ兄弟、デニス・ホッパー、エルマン・オノミ、スティーブン・スピルバーグ、デビィッド・リンチ、ピー
ター・ボクダノビッチ、、、。記憶は定かではないが、世界を代表する映画監督たちがベスト 10 を列挙して、
質問に答えていたのである。
多くの監督が、エイゼンシュタインの『戦艦ポチョムキン』を挙げ、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』
を挙げ、ヒッチコックの『めまい』を挙げ、グリフィスの『イントレランス』を挙げ、ジャン=リュック・
ゴダールの『勝手にしやがれ』を挙げていた。しかしそれらは、既に誰もが、何十年も前からあらゆるイン
タビューや本の中で度々ベスト 10 に挙げている作品なのである。
そこに何の意味があるのだろうか。当時高校生だったぼくは不満げに首をかしげ、ついには世界の映画監
督たちの「面白みのない」態度に呆れてしまったわけである。
その点、素晴らしかったのはデビッド・リンチで、彼は映画史ベスト 10 に『ベイブ』をあげていた。選
出の理由は「豚がしゃべる映画を始めて観た」。ぼくは大笑いしたし、今でも思い出すたびにニヤリとして
しまう。彼のクリエイティビィティ(創造性)は、「豚がしゃべる」という驚きに対してだれよりも率直に反
応したのだ。彼の最良のユーモアだと思う。
ぼくはいま、ほとんど映画を観ない。かつては熱狂していたが、様々なことがあって、気持ちが変化し、
何かがきっかけで映画をかつてのようには観なくなった。それでも「よく思い出す映画は?」と訊かれたら、
とっさに思いつく映画史トップ 10 は以下の通り。
リトルブッダ (ベルトリッチ)
ナッシュ・ビル (ロバート・アルトマン)
クーリンチェ少年殺人事件 (エドワード・ヤン)
リフ・ラフ (ケン・ローチ)
レディバード・レディバード (ケン・ローチ)
エレファント (ガス・ヴァン・サント)
旅立ちのとき (シドニー・ルメット)
ギャラクシー・クエスト (‘99 年公開の SF 大作コメディ)
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1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
イヤー・オブ・ザ・ドラゴン (マイケル・チミノ)
アメリカの友人 (ヴィム・ヴェンダース)
霧の中の風景 (テオ・アンゲロプロス)
ウェディング・バンケット (アン・リー)
ノーマ・レイ (マーティン・リット)
もちろん順不同である。あっという間に 50 本くらい選んでしまうので、「映画マニアじゃない人が観ても
素晴らしいと思えるもの」を基準に加えて、無理やり 10 本に絞ってみた。それでも 10 本に絞るのは難しく、
こっそりと 13 本挙げている。
今日ここでトップ 10 を挙げて、「この 10 本だけは一生のうちに必ず観てほしい。その価値は十分にあり
ます」とぼくが言いたい理由は、最近友人からこんなことを聞かれ、驚愕したからだ。
数日前のこと。友人からメールで、「『霧の中の風景』の DVD って TSUTAYA でレンタルできるよね?」と尋
ねられて、当たり前だと思って「できるよ」と即答したあとに念のためネットで調べてみると『霧の中の風
景』の DVD は店頭販売だけで TSUTAYA レンタルされていないことが分かって呆然としてしまった。
『霧の中の風景』は 80 年代の世界映画史を代表する、かつ最も有名なアンゲロプロス作品である。これ
ほど高名でかつメジャーな作品ですら、DVD 時代には観ることができなくなっている。2000 年代、VHS ビデ
オから DVD に完全に移行し、「レンタルビデオ」という呼称もいまでは内実がないものとなっている。全て
の VHS ビデオが DVD 化されたわけではない。むしろ最悪なことに、歴史的価値はあっても売上には貢献しな
い「渋い作品」たちは DVD 化されることなく大量に捨てられて、かつてレンタルビデオで観ることができた
映画史の傑作群は、かつての 20 分の 1 も、いまでは観られないような気がする。
2013 年の現在、映画監督を目指す若者は、古い映画ばかりをやるような名画座系の映画館に通わない限り、
TSUTAYA に通うだけでは映画を観る力は全く養われないということだ。そのことを単純にかわいそうだな、
と思う。と、同時に、そういう時代にどんどんなっていくのかな、とも思う。映画史的な教養が一切なくな
って己の感性だけで映画を作りまくろうとする若者たち以外、地球上にはいなくなる。
『リフ・ラフ』で「恋人のライブに行ってみると実は歌がとんでもなく下手だった」あの感動的なシーン
を知らずに。『霧の中の風景』の列車に乗れない兄弟たちの後ろ姿も見ずに。『クーリンチェ少年殺人事件』
の、吹奏楽部の演奏がどんどんうるさくなる中での告白も、少年が歌うプレスリーも、『旅立ちのとき』の
お散歩デートも母親の誕生会も、『レディバード・レディバード』で描かれた、人間性が未熟なゆえに怒り
の衝動を抑えられない女性の罵倒とその直後の後悔の表情も見ずに、知らずに、映画を撮る。
1000 本観ろとは言わない。せめてこの 10 本くらいは観て欲しいものだ。
ふと思い出したのだが、ぼくが大学時代にいかに映画が好きだったのか物語るエピソードがあって、こん
なことをよく言っていた記憶がある。「もし天国というものが存在したとして、そこが、自分がやりたいこ
とが何でもできる場所だとしたらぼくは一日中映画を観てると思うけど、実際にぼくは今、毎日 2、3 本の
映画を観ているので、ということは、今の生活と天国の生活とを比べても、ぼくにとっては変わらないこと
になる」。ぼくはこれを大真面目に言っていたのだ。
時間というのは恐ろしいものだな。いったいいつから、ぼくは映画をそれほど面白いとは感じなくなって
しまったのだろうか?
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1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
ディズニシー♪
平成25年9月28日
二回目のディズニー!!今回は SEA に14人総出
で行きました♪
去年に引き続き参加してくれた方や、今回がディズ
ニー初めての方もいましたし、イベント自体はじめ
てな方もいて、とても楽しみにしていてくれたよう
です!
皆で写真を撮りました(*^_^* )
ハイチーズ!!
舞浜駅に集合し いざ SEA へ
皆でリゾートラインに乗りました!!
行った時期がハロウィンのイベントをやっていたので、
スペシャルイベント「ハロウィーン・デイドリーム
ースケルトンズ・サプライズ」を鑑賞!!
キャラクターや、ダンサーの方がそばまできてくれて、
女子の皆様「キァキァー」と大興奮!
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1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
下調べでは、ここにはいないと思っていた場所に、飴を持ったお兄さんがなんといるではあ
りませんか!! 皆で、「トリック・ア・トリート」とお兄さんに言い「ハッピーハロウィ
ン」と飴をもらいました。
やったね\(^o^)/
次に、お昼ご飯を軽く食べようっと、集合時間を決め、各自で軽食(みんな今限定のホッ
トドック(笑))をとったあと、近くのショップで、お土産を見る人や散策する方もいました。
余談ですが・・・・ハロウィンだからかホットドックのソーセージが黒でした。(笑)
軽食後、ショウを見ようとしたら混んでいてダメかと思っていたら、私(伊藤)を覚えてい
てくれたキャストさんがいて「大丈夫ですよ。」と言ってくれて皆で見る事が出来ました。☺
ショウを見た後、移動してマジックランプ
シアターへ…。
行ったら雨がポツポツ…。
このまま雨が降るのかと思ったら、雨が止
みました。
マジックランプシアターの時間まで自由。
雨も降ったのもあり寒くなってきて皆、上
着を着て防寒対策!
マジックランプシアターは、二つのグルー
プに分かれて見ました。
四名が座席に移り、楽しかったぁと感想!
またまた、皆で移動して夕食へ!!
キャラクターが皆に会いに来てくれまし
た☺
皆、キュンキュン!!
日中は暑く、その後雨がポツポツと肌寒
くなるという変な天気でしたが、楽しか
ったね(^_-)皆様、ご参加ありがとうございました☆
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1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
「アイドルがやってきた」
堀河洋平 (せきど)
約 10 年ほど前、役者をして
いた頃のマネージャーから
久しぶりに連絡がありまし
た。取材させてほしいとの
こと。彼女は今、トーキョ
ーチアチアパーティーとい
うアイドルのマネージャー
をしています。
(チアチアと
は、頑張ってる人を応援す
る 天 然 純 情 派ア イ ド ルで
す)ヘルパーと、映画監督
の仕事を話してほしいと頼まれました。
せっかくなので事務所(自立生活センター・北)で取
材をした方が雰囲気が伝わっていいのでは?と思
い相談したら OK がでて、障がい者のこと、そして
ヘルパーのことを話すのだから、チアチアに車いす
に乗ってもらい街に出たら、より感じることが多い
のでは?と企画しました。その企画も通り、市川さ
ん・古谷さん・北沢さんが一緒に街に出てくれて、
チアチアと車いす体験を行いました。
歩道に止められた違法な自転車とプラ
ンターが置いてあり、通るのに悪戦苦闘。
段差や傾斜、エレベーターに車いすトイ
レの問題。そして災害時のこと。いろん
なことを詰め込んだ約 1 時間。急な坂道
に、車通りの激しい細い歩道を通ったり。
きっとチアチアは、普段気づかない様々
なことに意識が働いたはず。
この時の様子が 9 月に発売された「CD でーた」に載っています。まだ書店にあるかな?
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1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
あったらぜひ読んでみてください。(134 ページです)
僕のインタビューは 40 分ぐらいで 400 文字ほど掲載されています。
もっとバリアフリーや、障がい者スポーツのこと、そして被災地の障がい者施設の現状
など伝えていきたいことがたくさんあるので、40000 文字ぐらい載せていただけるよう、
映画の仕事は結果を出し頑張ります。ヘルパーの仕事はケアマネージャーの勉強と、手
話の習得を進めていきます。
初の全国紙デビュー、関係者のみなさま、そして今まで応援していただいたみなさ
ま、ありがとうございます。
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1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
書評
共生の障害学
堀 正嗣 編著
明石書店
加辺正憲
障害学という学問がある。障害者の自立生活運動の中から生み出されてきた学問である。「障害学とは、障害および障害
者を、医療、リハビリテ-ション、社会福祉、特殊教育等の専門分化された枠組みから研究するのではなく、それらを社会、
文化の視点から分析し、また障害を分析の切り口として社会、文化を研究していく学問」ということで、日本では、200
3年に障害学会が設立され、ようやく私たちのところにもその考え方が一部浸透してきている。障害学は、「障害の本質を
機能損傷を持つ人に対する社会的抑圧であると認識し、そこからの解放をめざして研究を行う」という立場で、既存の障害
者に対する抑圧的学問に対する批判も同時に展開されてきた。障害学は、歴史も浅くまだまだ発展途上であり、学問として
確立されているわけでもない。さまざまな分析視角があり、さまざまな立場が成立しうる。
世界的な流れからいえば、大きく二つに分かれる。一つは、イギリス障害学で、
「社会的障壁アプローチ」と呼ばれ、
「障
害をインペリアメントとディスアビリティに区別し、ディスアビリティを社会的抑圧ととらえ、さらにその原因を資本主義
の経済構造に求める」立場で社会の構造的変化を志向する。もう一つは、アメリカ障害学で、「マイノリティアプローチ」
と呼ばれ、「障害は、社会的相互作用の中で生成変化している否定的表象によって排除や隔離がもたらされる」ととらえ、
民主主義の徹底=公民権獲得を志向する。こうした障害学における二大アプローチが存在する中で、「共生の障害学」を提
唱する堀氏は、イギリス障害学を基盤として、その上でアメリカ障害学の成果を位置づけていく、そうしたスタンスが必要
であるという立場にたち、さらに、実践的課題として、
「共に生きる」
「共生」というアプローチが根源的かつ今日的な障害
学の課題であると指摘し、この「共生」というテーマが、日本における障害学の理論と実践を結び付けるキー概念だと断言
している。
この「共に生きる」というテーマは、1970年代日本での障害者運動の中心に据えられたスローガンであった。その後、
この「共生」は、1981年の国際障害者年を経て、政府の障害者施策にも使われるようになり、この言葉の中身が問われ
る時代になったと感じている。堀氏が指摘するように、政府のいう共生は、『構造改革による自由競争と個人主義化の進行
を自明のものとして、その中で失われかねない「他者への配慮や思いやり」を補完するものとして「共生社会政策」が構想
されている』というもので、いわゆるソーシャル・インクルージョンと呼ばれる政策に対しても、対峙しうる思想と政策を
構想するものとして「共生の障害学」を提唱している。
『政策化された共生社会/ソーシャル・インクルージョンは新自由主
義的な経済政策・社会政策を補完する側面を持ち、障害者排除の強化・固定化につながりかねないものである。「共生の障
害学」はこのような思想と政策に対峙できるものでなければならない。そのためには障害者排除の根本原因となっている経
済構造・社会構造を問うという視点が不可欠なのである。』と。
堀氏のいう「共生の障害学」は、わかるけど、ちょっとついていききれないもどかしさが残る。日々の介助生活に追いま
くられている私にとって、その通りだなと頷く反面、日常との接点を見失いがちになってしまう。理想と現実の乖離といっ
てもいい。本音と建前といおうか。
ソーシャル・インクルージョンに対する鋭い指摘も、共感しながら、実際はねーそうはいってもねーと対峙し続けるほど
まだ強固な思想と政策を持てないでいる自分がいます。いささか歯がゆい思いで日々をやり過ごしているというところが実
際のところでしょうか。
障害学という魅力的な学問は、自立生活運動にかかわった自分が今後も元気に生きていくために必要不可欠な興味の源と
いうべきか。今後、障害学からおおくの力を得て少しでも障害者の人たちが自分らしく地域で生きられるように日々の努力
を重ねていきたいと思っています。障害学に興味を持つ人が一人でも増えていくことを願って、今回の連載をいったん終り
にしたいと思います。まだまだ紹介したい本は沢山ありますが、「うりずん」編集長の市川君に5回連載でと約束してしま
ったので、やむなく終了いたします。これまで読みずらい文章を読んでくれた読者のみなさんに感謝いたします。ありがと
うございました。
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1998 年 10 月9日第三種郵便物認可
(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
自立生活センター・北 活動経過報告
(2013年8月1日~2013年9月30日)
8月 6日(火) イベント納涼船 於:竹芝桟橋
8月 9日(金) コーディネーター会議 於:東十条区民センター
8月16日(金) コーディネーター会議 於:東十条区民センター
8月27日(火) CIL会議
8月29日(木) くにたち援助為センター主催ピアカウンセリング長期講座参加
堀船小学校 交流についての打ち合わせ
8月30日(金) コーディネーター会議 於:東十条区民センター
9月 3日(火) 堀船小学校 交流についての打ち合わせ
9月 5日(木) くにたち援助為センター主催ピアカウンセリング長期講座参加
9月12日(木) くにたち援助為センター主催ピアカウンセリング長期講座参加
9月13日(金) コーディネーター会議 於:東十条区民センター
9月18日(水)、19日(木)、20日(金) 福祉機器展 於:国際展示場
9月19日(木) くにたち援助為センター主催ピアカウンセリング長期講座参加
バーベキュー下見 於:舎人公園
9月20日(金) コーディネーター会議 於:東十条区民センター
9月24日(火) 会計会議
CIL会議
9月30日(月) 北区立堀船小学校 「総合的な学習」 5年生43名が参加
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(毎月3回8の日発行)
2013年10月27日発行
SSKU 増刊通巻第4644号
忘年会のお知らせ
12 月 13 日(金曜日)
18:30~20:30
障害者スポーツセンター2 階
集会室
参加される方は事務所までお電話下さい。
TEL:03-5390-5565
参加お待ちしております!!
担当:古谷、市川
特
定
非
営
利
活
動
法
人
障
害
者
団
体
定
期
刊
行
物
協
会
定
価
一
〇
〇
円
編集後記
2020 年パラリンピックにボッチャで出場を目指します!(市川)
発行日 /
2013年10月27日(うりずん№79)
編集所 /
自立生活センター・北(CIL・北)
NPO 法人 ピアサポート・北
連絡先 /
〒114-0001 東京都北区東十条4-14-1 宇賀神ビル1F
電 話 /
03‐5390‐5639(自立生活センター・北)
03‐5390‐5565(ピアサポート・北)
Fax
発
行
所
/
03‐5390‐5624
E-mail /
[email protected]
U R L /
http://cil-kita.com
20
郵
便
番
号
一
五
七
―
〇
〇
七
三
東
京
都
世
田
谷
区
砧
六
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二
六
―
二
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