新年のご挨拶

新年 の ご 挨 拶
青山同窓会会長
長谷川 義明(
回) 株式会社第一印刷所
員)の国土交通省事務次官就任
実に多くの分野で青山同窓生
が活躍しておられると青山同窓
ました。
回卒の渡
青山同窓会新年会のお知らせ
青山同窓会会長 長谷川義明
とながら、漁港の岸壁の沈下や
以来の快挙であり、財務省では
生の一人として大変嬉しく思い
回を迎え、昨年は
北地方の水産漁業に与えた影響
明けましておめでとうございます。恒例の青山同窓会の新年会を開催いたします。
普段会えない方々と大いに歓談して頂きたいと存じます。
開催要領は下記のとおりです。各期幹事の皆様からも同期の方々に連絡をしていただきたいと存じます。
また参加を希望される方はお誘い合わせて事務局までご一報ください。
水産加工施設なども破壊されて
予算を上回るご寄付を頂き誠に
初めてのことであります。国債
ます。
難関大学と言われる大学への多
部終五氏と 回卒の齋藤正行氏
とその復興への困難な状況など
※平成 26 年2月 10 日(月)~ 12 日(水)は推薦入試の為、事務局はお休みします。
おり、復興には大変な時間と費
有難う御座いました。事業実施
残高も膨大で財政状況厳しい中
数の合格、中でも全国の大学医
にお願いすることが出来まし
子部門での優勝、全国高校写真
について説明がありました。確
記
日時:平成 26 年2月 21 日(金)
受付 午後6時
《新年会は生徒の吹奏楽の演奏はありません》
開宴 午後6時 30 分
会場:ホテルイタリア軒 TEL 025 - 224 - 5111
会費:6,000 円
申し込み締め切り:平成 26 年2月 17 日(月)
用がかかることが理解できま
継続してこられました。新潟の
に要した費用を上回る部分につ
でのご就任でまことにご苦労の
学部への合格者数は全国公立高
た。渡部終五氏は東京大学名誉
展第2席など目を見張るものが
かに漁場の荒れた状況もさるこ
青山同窓会事務局:TEL / FAX 025 - 266 - 5268
青山同窓会電子メール アドレス [email protected]
す。一方の齋藤正行氏は新潟に
を背景に貴重なお話をいただき
いては今後の学習設備の維持管
校の中でも2番目の成績だった
教授で水産学会の会長も務めて
記念演奏、教室の学習環 境 整 備
ありました。今後とも文武両道
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
市民の力で自分達の見たい映画
を上映する運動を展開され、シ
年という永い期間活動を
ネウインドという映画館を経営
ました。かつての新潟の懐かし
して
同窓生の中から 回卒の木下
康司氏が財務省事務次官という
い映画館の数々の写真も披露さ
理に要する費用などについて順
多さがしのばれますが大いにご
れ、映画界の変化も実感いたし
次学校側に寄付を行っていくこ
お過ごしのこととお慶び申し
とのことですし、文化スポーツ
居られる方で、東北大震災が東
事業そして 年史編纂と 同 窓 会
を目指す青山の伝統を承継いで
しまいました。式典、記念講演、 子
メートルとフエンシング女
74
の分野でも全国大会での陸上女
76
10
頂く、青山学術文化講演会も第
あげます。
周年のお 祝 い 行
月日の経つのは実に早 い も の
で同窓の皆様のご協力を 頂 い て
挙行した母校
映画文化を支えてこられた実績
官界のトップに就任される嬉し
ます。
回
欲 しいものと期待いたして居り
〒950-8724 新潟市中央区和合町2-4-18
いニュースもありました。
83
寄 付 を お 願 い い た し ま し た が、 卒業の佐藤信秋氏(現参議院議
費について同窓の皆様からのご
〒951-8127 新潟市中央区関屋下川原町2-635
活躍いただきたいと思います。
新 年 お め で と う 御 座 い ま す 。 とと致して居ります。
昨年は現役の生徒達の活躍に
毎年同窓生の中から各界で活
青山同窓会会員の皆様におか
も 目 覚 し い も の が あ り ま し た。 躍しておられる皆様にご講演を
れましてはお健やかに新春を
’
53
卒
名簿の発行などの諸事業 を 実 施
120
28
TEL 0 2 5 - 2 8 5 - 7 1 6 1
FAX 0 2 5 - 2 8 2 - 1 7 7 6
74
61
事ももう一昨年のことと な っ て
120
させていただきました。 必 要 経
800
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
第 98 号
(1)
新年のご挨拶
れは中長期にわたり低迷を繰り
政治が足元しか見ないとき、そ
磨し国家国民に寄与することが
抗する中で競争によって切磋琢
今年こそ日本の雇用、経済が 議においても国民生活の向上を が競争により切磋琢磨しあうよ
再生し、
デフレ脱却するように、 主 眼 と し て 取 り 組 ん で い ま す。 うに、政党もお互いに勢力が拮
ポ焼きもこんなにうまいものは
ありませんが、残念ながら全国
そしてふる里新潟が日本海側の
極めて重要と考えます。
拠点として大きく飛躍する幸多
返す結果となる心配もあると思
られて無い。私も新潟の宣伝マ
われます。ただ、なかんずく新
の人には全くと言って良い程知
き年となるよう心から祈念致し
参議院議員
ます。
佐藤のぶあき(
新潟づくりの為に活動します。
ンとして、また一層の魅力ある
回) 潟はこんなに良いところがある
混 迷 の 時 代 で す が、 丈 夫 健
児 と し て 恥 ず か し く な い よ う、
な」と気がつく機会が増えてき
潟にも影響が必至である農業政
精一杯努力して参りたいと存
新春ごあいさつ
ました。いくつかここに上げて、
じます。
いて海水浴場に行けるのは新潟
例えば海の身近さです。県庁
所在地でまちのまん中から、歩
続可能性が担保されるのか、政
を及ぼすか、社会保障制度は持
おり、どのような経済的な影響
来年4月の消費増税が決まって
処してまいります。
疑問をもっており、これにも対
国益を守ることにつながるのか
げ、新年の挨拶といたします。
ますよう衷心より祈念申し上
みなさまにとって佳き年になり
衆議院議員
行している中で、急激なる変革
平成 年が青山同窓会のみな
案は、
現場での混乱はもちろん、 さま並びに新潟高校に関係する
策は、大転換が見込まれ、逆に
皆様と共に更に新潟の良いとこ
ろを見つけ出し、つくり出して
だ け で す。 新 潟 市 民 に と っ て、
政治リーダーの役割は今こそ
高まっていると思います。混迷
いきたいものです。
青山同窓会の皆様、明 け ま し
ておめでとうございます 。 今 年
治の課題は多くあります。
ころ、国家観・歴史観・教養・
こ の 間 の 為 替 市 場 や 株 高 は、 の時代にあっては本物が必要で
国際情勢の落ち着きによるもの す。政治家の仕事は、詰まると
るよう祈りながら、年頭の所感、 が、新潟以外の人達にとっては、
にわかには信じがたい話なので
が大きく、ちょうど一年前、米
ご挨拶を申し上げます。
す。そして佐渡を望む海岸に多
くの眺望客達が集う風景も他の
をベースとした全国区の 議 員 と
りに汗をかいてきました 。 新 潟
て国土、ふる里のインフ ラ づ く
比例区で2期目に入り、 一 貫 し
経て、お陰様で、参議院 の 全 国
この間、建設省、国土交 通 省 を
立する訳は無く、漁業組合は自
ません。もちろん漁業として成
知っている方が少ないかも知れ
こ と は、 む し ろ 新 潟 市 民 で も
財政難は未だに重要な課題のま
東京都オリンピックの開催決
定や、円安・株高の傾向によっ
の政治的安定を見ております。
近年になく持続しており、一応
さて、政権再交代を経て一年
が経過し、安倍内閣の支持率は
そんな中、経済構造の転換は
中長期的な経済成長に必須であ
更 に 食 物 の 豊 富 さ と う ま さ。 て経済の先行きに曙光を感じつ 頼るのではなく、自律的な経済
新潟のカニはうまくて安い、味 つも、足元の高齢化・少子化・ 成長を行わねばなりません。
然保護のボランティアです。
まです。また、税と社会保障の
中で、日本は海外の政策要因に
を与えます。そのような状況の
債券市場にそれぞれ大きな影響
リカの無期限の金融緩和がどの
もに、一定期間の時間も必要と
てる為により多くの本物の政治
一時の感情や空気で政治を選
んでしまっては、政治は漂流し
は、一定期間が必要です。
功 す る の か が 日 本 の 為 替、 株、 ながら漸進的な改革を行う為に
ような出口戦略を持つのか、奏
考えております。一般企業同士
に暇がありません。構造を変え
国債残高、原発政策、社会保
障制度、領土問題・・・・枚挙
ついてから、 年を越えま し た 。 活 動 、 繁 殖 事 業 が 営 ま れ て い る
して、全国を訪ね、その ま ち づ
は越前ガニと一緒ですよ、
と言っ
一 体 改 革 の プ ロ グ ラ ム に よ り、 りますが、次年度の予算編成審
家を議会に出していただくとと
てしまいます。政治や政党を育
くりや災害からの復旧、 復 興 を
とが多い。ル・レクチェも、ポッ
ても「ホント?」と疑われるこ
とだと考えております。
家としての決断を行い続けるこ
胆力・人脈を備えた上で、どん
新潟地震で避難生活を 経 験 し
たのは、今から 年前、 高 校 2
大都市には珍しい、自然に恵ま
国議会にて財政の崖が問題とな
年生の時でした。それ以 来 、 災
な状況においても冷静沈着に国
害に強いふる里をつくろ う 、 ふ
れている姿です。
青山同窓会のみなさまにおか メリカのドル高、株高に引きず
また自然の恵みです。信濃川、 れましては、日々益々ご清祥の られる形で日本の円安、株高も
阿賀野川でも鮭が遡上し、漁業 段、心からお慶び申し上げます。 維持された感があります。アメ
るも危機を回避したが故に、ア
新年あけましておめでとうご
ざいます。
あまりにもあたり前のことです
26
こそ明るい希望の見える 年 と な
鷲尾 英一郎(
今まで、静かなる構造改革が進
回) ’
95
卒
支援し、国政に反映させ て い ま
みやすく、と国土建設の 仕 事 に
る里をもっと安全に、も っ と 住
50
す。 全 国 を 回 る と、「 あ あ、 新
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
74
’
66
卒
103
(2)
40
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
第 98 号
て、食文化の分野で登録いただ
正念場となります。日本で初め
―2014年は節目の年
山同窓生として頑張らんきゃな
段階を迎えています。かなりの
くよう準備を進めており、最終
らんよ!」と励ましの言葉を数
多く頂戴し心からの励みとなっ
お約束の仕上げに全力―
自信を持って、結果を待ちたい
おります。
私にできることを一つ一つ積み
よ り 一 層、 気 持 ち を 引 き 締 め、
動を行っておりますが、今年も
組みです。日本海国土軸の整備
国土強靱化政策に呼応した取り
て機能したことを踏まえ、国の
日本最大級の救援センターとし
導をいただきながら、新潟のま
今年も皆さんからご助言・ご指
制 を 全 国 で 初 め て 導 入 し ま す。
6人から9人に増員し、担当区
区長を登用します。教育委員を
と思います。
また、私の古巣でございます
財務省の木下康司事務次官は青
上げていきたいと存じます。
大震災で新潟が
山OBであり、様々な新潟の陳
’
67
卒
情を気軽にお願いできる状況に
75
した。こうして新しい年 を 希 望
国会議員となり、1年が 過 ぎ ま
動に取り組んでいきたいと考え
とも一致団結しながら、国政活
き続き、東京青山同窓会の皆様
に恵まれた状況にあります。引
青山同窓会の皆様、新 年 明 け あ り 、 新 潟 に と っ て 「 今 で
ま し て お め で と う ご ざ い ま す。 しょ!」という非常にチャンス
拶とさせていただきます。今年
うお願い申し上げ、新年のご挨
ぬご指導とご鞭撻を賜りますよ
申し上げます。引き続き変わら
年となりますよう衷心より祈念
最後になりますが、青山同窓
会の皆様にとって素晴らしい一
づくりの柱となってきた合併建
新潟市が大合併して今年で
年になります。これまでのまち
もよろしくお願いいたします。
青山の皆さま、新年明けまし
ておめでとうございます。今年
方 か ら ご 利 用 い た だ き ま し た。
はお陰様で早々と
に 整 備 中 の「 い く と ぴ あ 食 花 」
「 食 と 花 の 政 令 市 」の 都 市 像
も明確化します。鳥屋野潟南部
全力を尽くします。
戦略特区に地域指定されるよう
万 人を超す
ちづくりを前進させていきます
に満ちて迎えられますの も 、 皆
ております。
設計画も新年度が仕上げの年と
も進み出しました。今後は列島
様のご支援とご協力の賜 物 と 改
なります。今後のまちづくりの
ので、よろしくお願いします。
めて感謝申し上げます。
地元活動では、支援者とのふ 一年、どうぞ宜しくお願い申し
れ あ い を 重 視 し、 語 ら い の 場、 上げます。
ま す。 新 潟 市 の 国 家 戦 略 特 区
どの仕事に尽力いたしており
策 定、 資 源 エ ネ ル ギ ー 戦 略 な
を積極的につくり、新潟高校の
幅広い世代の方々と語らう機会
語 ろ う 」 を コ ン セ プ ト と し て、
し て い ま す。「 代 議 士 と 気 軽 に
競 争 力 の 強 化 や、 成 長 戦 略 の “ 潟 R I B A ” を 定 期 的 に 開 催
まいります。
ことなく、まちづくりを進めて
を今年中に組み立て、途切れる
基本方針となる新しい総合計画
ランなどができ、グランド・オー
こだわりの食材を使ったレスト
6月には民活ゾーンに直売所や
新潟経済同友会と協議を重ね
ました。新潟各地の多くのお祭
政について多くの意見を頂戴し
会いし、地域の色々な課題、国
拓く
大プロジェクト」を良い
マニフェストや「新潟の明日を
で、市民の皆さんにお約束した
う新潟発の日本で初めての取り
食育と農業体験を味わってもら
これを機に、すべての小学生に
プンとなります。同じ頃、南区
提 案 に つ き ま し て は、 数 か 月
た 結 果、 首 相 官 邸 に て 菅 官 房
11
長官に国家戦略特区の要望に
を か け て 関 係 省 庁 、 新 潟 市 、 関係の皆様含め多くの方々とお
私にとっても今年 月で3期 には宿泊型の農業体験学習施設
目の任期が終了します。これま 「アグリパーク」
が整備されます。
100
10
横断軸を強化すると共に、国家
こ の 1 年 間、 私 も 衆 議 院 経
済産業委員の立場から産業の
11
新年のご挨拶
衆議院議員
ています。
もう一度、新潟と日本に希望
と自信を取り戻したい、新潟の
ものを紹介します。第1が「防
自治制度も進化させます。行
災首都・救援拠点」の構築です。 政区の裁量権を大きくし、公募
回) 皆様が明るく前向きな気持ちで
3年前の3・
石﨑 とおる(
め て も ら い、 新 潟 が 全 国 の 成
生きていける地域・国にしたい
回)
長を引っ張って行けるような
という目標を掲げて精力的に活
新潟市長 篠田 昭(
地域にしていきたいと考えて
’
02
卒
年 明 け に は、 地 域 選 定 が 行 わ
加させていただいております
こ ぎ つ け る こ と が で き ま し た 。 りや各種イベントに積極的に参
力で取り組みます。
なりますので、任期いっぱい全
形で仕上げることが私の責務と
新潟の食のレベルを国際標準
で評価いただくユネスコ創造都
組みが新年度から始まります。
市ネットワークの登録も今年が
が、様々な場所で新潟高校の関
大プロジェクトのうち主な
れ る 運 び で す が、 新 潟 も 少 な
係 の 皆 様 に お 会 い し、「 若 手 青
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
110
くとも構造改革特区として認
10
10
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
第 98 号
(3)
同窓会副会長に就任して
退任のご挨拶
足の方が距離が出るようにな
りました。
現に同窓会から発表の日の何
時までに学校に集合するよう
同窓会名簿の作成にも係り
ましたが、個人情報について
ことを実感しました。
年の歴史、伝統の重みである
とを期待しましょう。
夏の甲子園出場を勝ち取るこ
らは野球部に奮起してもらい
し か る に 結 果 は 選 に 漏 れ、
淡い夢と消えました。これか
連絡がありました。
の個人の考えも時代と共に変
回)
り ま せ ん。 ゴ ー ル へ 蹴 っ た
今後の新潟高校と青山同窓
会の発展を祈念します。
風間 士郎(
ボールが自分の懐に入ってく
化するものだと認識しました。
楽 苦 備 と ブ レ ー ク ス ル ー、
人生に通じるものがありま
ました。ルールも知らずにと
ることもあれば、相手の手の
を 迎 え ま す。 新 潟 高 校 O B、
回) び込んだものですから、ラン
内に入ることもあります。で
OGは、全国でいや世界的に
ラグビー部の門をたたいてい
が、 入 学 式 の 日 に は 退 部 し、 4 ラグビーボールは楕円球で
す。どっちへ転がるか、わか
すね。
ニングパスに入っても前でパ
も、追いかけていかなくては
平成 年度青山同窓会総会を
もって8年間の副会長を退任致
ら野球部に入った私でした
スを受けようとする始末。ス
入るものも入りません。諦め
しました。在任期間中、地元新
ながら尽力してまいり た い と
て、同窓会の発展のた め 微 力
た。
〝楽苦備〟と字を当てま
3 ラグビーは、何とか3年間
続け、キャプテンも務めまし
長をフォローして、頑張りた
ました。キャプテン長谷川会
同窓会の会務とは、あまり
関係のない話になってしまい
援歌を声の限りに歌った感動は、
も親しく盃を交わし、校歌や応
とができました。先輩や後輩と
の同窓の方々とも交流を持つこ
潟はもとより東京、関西、東北
思われます。
時代の先端をゆく各分野の
講演を聴くことは大変有益と
が多くおられます。
も各分野で活躍されている方
ランドをながめて見る と 、 激
いました。休み時間に ふ と グ
昭和 年3月、 歳 の 私 は
新潟高校の入学試験を 受 け て
蹴り続けるのですが、芯を外
カーゴールのネットめがけて
夏 合 宿 の 全 体 練 習 後、 サ ッ
左 足 が な か な か 当 た ら な い。
足 は 何 と か い け る の で す が、
全ての行事を無事盛大に終
えることができましたときは
した。
私は、総務委員長として組
織全体の企画運営を担当しま
況でした。
実して続けられるよう期待し
ます。
3 淡く消えた春の夢
平成 年春の甲子園選抜野
球大会出場が実現しそうな状
を感じました。これが121
の深さ、暖かさ、そして愛情
道 さ れ て い ま し た し、 ま た、
ぼ間違いないとマスコミに報
推 薦 枠 で は な く、 実 力 で 春、
ローフォワードですよね。早
ずに信じて追いかける、それ
思います。どうぞ、ご 指 導 ご
い と 思 い ま す。 ど う ぞ よ ろ
我々卒業生は、この講演会
の講師に招かれることが何よ
すが、本当に楽あれば苦あり、
在任期間中の特に印象に残って
いつ ま で も 忘 れ 難 い も の で す。
りの誇りと感じられるような
苦あれば楽ありの部活でし
ク の ブ レ ー ク ス ル ー で し た。
いることは以下の通りです。
月生 ま れ 、
私は、昭和 年
スタンドオフやセンターを
鞭撻のほどよろしくお 願 い 申
やっていましたので、キック
しい雨の中、ラグビー 部 が 練
青山同窓生はもとより、学校
れるこの行事も更に内容を充
習していました。こん な 日 に
れる。しかし、合宿の最終日、
あふれるボールが飛んだので
が飛ばないといけません。右
も練習をするのか、す ご い も
した。
前年の北信越地区野球で好
成績を残し、甲子園出場がほ
20
教職員の方々、保護者の方々
11
の新潟高校に対する思い入れ
会にすべく、毎年秋に開催さ
歳になり、今年は還 暦 を 迎
しく。
11
た。一番の思い出は、左足キッ
りました。
2 青山学術文化講演会
長谷川義明会長就任後、こ
の行事が始まり次回で 回目
速、先輩の指導を受け、前に
が肝心ですよね。
’
56
卒
パスしてはいけないことを知
砂田 徹也(
1 皆さん、こんにちは 。 昨 年
7 月 の 同 窓 会 総 会 に お い て、
同窓会副会長に選任さ れ ま し
64
し上げます。
た。長谷川義明会長を 補 佐 し
25
24
それはやってきました。左足
えます。
10
15
でボールの芯をとらえ、力感
29
んだなぁと感心したもので
2
’
73
卒
す。それからというもの、左
22
45
それが縁だったのでしょ
う。入試の合格発表の 翌 日 か
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
81
1 平成 年 月 日挙行され
た記念式典、祝賀会
59
(4)
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
第 98 号
回) 年度青山同窓会総会
同 窓 会 総 会 報 告
平成
現職員 堀越 康裕(
ました。
で乾杯、賑やかな歓談が始まり
歓談の合間には、最多出席回
の表彰、お楽しみ抽選会などが
実施され、回を超えた交流に一
層の花を添えました。会の締め
平成
平成
450余名の同窓生の方 々 が 集
が進められたことなど、すべて
すらお」斉唱、さらに山内副会
代の応援団OBが登壇して「ま (
年度東京青山同窓会総会報告
年 月
日
(金)於ANAインターコンチネンタルホテル東京
回)
、
砂田徹也副会長
(
回) 盤、敗者復活戦という救済策で
大いに盛り上がり、活況のうち
に終了しました。上品な司会を
の方々に厚く御礼を申し上げま
景品を提供してくれた 回有志
はじめお手伝いの皆さん、快く
してくれた有薗さん、時間内で
壇上には豪華な景品が並んでい
す。最後にホテル側担当の田邉
富
・ 山 幹 事 長 ご 子 息 ) 館美術館入場券、ワイ
ン、篠田市長の著作と
回
で進められ、総会議事、長谷川
徐々にグレードが上
ん(
会長の祝辞、新任の砂田副会長
イのチャンピオンが誕生した
最近の学内の様子やインターハ
味 津 津 で あ る。 当 日、
登り、何が貰えるか興
ち残った 名は壇上に
の ご 挨 拶、 草 間 学 校 長 か ら は、 がっていく。最後に勝
ニュースなどのご報告がありま
回渡邊さんからのこ
回) ワ イ ン + 美 術 館 入 場
回)にバトンタッチし、 が ね 餅 セ ッ ト も 加 え、
した。第二部の司会を有薗順子
さん(
今回参加者中、
最高学年(
です。途中、古川恒一さん(
版画、森副知事からの
ガ ー デ ニ ン グ セ ッ ト、
券、高級玄関マット+
回)の著書紹介、石﨑徹衆議院
中国工芸品など豪華景
牛木素吉郎さんの乾杯で幕開け
議員( 回)の飛び入りスピー
回の企画、全員参加で「大ジャ
チと続き、いよいよ当番幹事
1番は和田郁さん(
品 を 狙 う 激 戦 を 経 て、
回 )、 選 ん だ も の が 版
(
回 ) と な り、 中 国
(事務局 記) 画、2番は会田俊貴君
ンケン大会」の始まりです。
ピタリと納めた進行役の曽我君
る。初戦で敗退した人達にもポ
様には、宅配された荷物の仕分
回)
、草間
長 の ご 発 声 に よ り「 万 歳 三 唱 」 俊 之 学 校 長、 櫻 井 麻 利 子 先 生
が出席された方々全員で声高ら (
れポッポ焼き、新潟弁日めくり
い、「 平 成
迎えして賑やかに開催されまし
い、 新 副 会 長 に 砂 田
(高橋 記)
事に対し感謝申し上げます。
ました。また、今年度は役員改
かに行われ、大盛会となった同
カレンダー、三菱一号
徹 也 さ ん(
が沸いてくる。勝ち上がるにつ
選の年にあたりましたが、長谷
た。第一部の進行は富山聡仁さ
周年記念式典においてパ イ プ オ
選出されました。
回
総会に先立ち、恒例と な っ た
吹奏楽部の生徒によるミ ニ コ ン
川会長、敦井栄一副会長( 回)、 窓会総会・懇親会の幕が下りま
ルガンで演奏された「百 里 流 れ
校
・ 内幹事)の5名をお
サートが催され、後輩た ち の 繊
て~新旧2つの校歌と8 つ の 応
続 く 懇親 会は、渡
邉毅 実行 委員長(
した。
山内春夫副会長( 回)の留任
回) 回)、 ストカードなどが配られる。主
けなど御面倒をおかけしました
恒例の東京青山同窓会総会
は、 新 潟 か ら 長 谷 川 義 明 会 長
こまだ貰ってないぞー」と会場
催の 回生も一緒になって「こ
当番幹事 高 橋 正(
事 務
局 日下部 朋子(
15
富 山 修 一 幹 事 長(
の事業が滞りなく進められたこ
去る平成 年7月 日(金)、 からの協力に対する謝辞に加え には元応援団長行田充さん、渡
ホ テ ル オ ー ク ラ 新 潟 を 会 場 に て、「 世紀型学習環境の整備」 辺政次さん( 回)を筆頭に歴
11
25
25
が 承 認 さ れ、 風 間 士 郎 副 会 長
援歌によるコラージュ風幻想曲
の 司 会 の も とで 進 み
佐藤信秋参議院議員
回 )か らの メッ
69
94
「 は い 皆 さ ん! 隣 の 人 と じ ゃ 工芸(黒陶)という何
んけんしまーす、
最初はグー…」 とも渋いチョイス。終
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
’
89
卒
細かつ力感あふれる音色 に 多 く
回)の退任に伴
~」
(後藤丹上越教育大学大学
村山朋彦さん( 回)
回)の開会宣言の後、
メロディーの数々にとりわけ大
ました。長谷川会長、
回 )、 西 村 正 徳 東 京 青
回 )、 渡 辺 (
回 )の 指 揮
16
られました。特に一昨年 百 二 十 (
院教授
( 回)
作曲)
の吹奏楽バー
回)が
ジョンが初披露され、懐かしい
きな拍手が送られていました。
総 会 は、 行 田 充 さ ん( 回 ) 来 賓 の 石 﨑 徹 衆 議 院
の司会のもと、長谷川義明同窓 議員( 回)の挨拶、
会 長(
山 同 窓 会 副 会 長(
さ ん(
操関西青山同窓会会長( 回)、 セー ジ 披 露、藤 田 実
倉茂周典東北青山同窓会顧問
( 回)の挨拶をいただいた後、 による「旧校歌」
「新
校 歌 」 の 斉 唱 の 後、
59
76
85
107
75
81
風 間 副 会 長 のご 発 声
76
75
95
議 事 が 進 め ら れ ま し た。 創 立
121
110
68
110
64
74
84
66
84
118
72
百二十周年にあたっての 同 窓 生
61
75
97
の参加者の方々が聞き入 っ て お
75
21
82 75
’
74 ’
67
卒 卒
81
12
年度青山同窓会総
61
25
25
会・懇親会」が開催されました。 とが、長谷川会長より報告され
75
86
25
79
61
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
第 98 号
(5)
日時:平成 26 年2月 22 日(土)午後7時から(受付開始午後6時 30 分から)
会場:ウェスティンホテル大阪
問い合せ先:松本登記測量事務所 電話 072-286-0012 FAX 072-286-0021
E-mail [email protected]
回・ 現 役 当 時 は 応 援 団 副 団
★関西青山同窓会総会のお知らせ★
校 歌 の 大 合 唱。 小 池 修 治 団 長
会場:ANAクラウンプラザホテル新潟
(
長)を筆頭に、出席者全員があ
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
らん限りの声を張り上げ、パー
問い合せ先:笹川 090-6272-7939 岡田 080-5450-5493
ティーは盛会裏に終了。
来年も楽天イーグルスの二連
覇と合わせて開催できることを
午後6時 30 分~ 懇親会
東北青 山 同 窓 会 第 3 回 総 会 を 開 催
懇親パーティーでは、来賓の
山内副会長から、創立 周年記
騒然となりまし
会費:6,000 円
回) 平成 年 月に発足し た 東 北
青山同窓会は、東北楽天 ゴ ー ル
念事業への協力に対する御礼等
るスピーチで
会場:新潟東映ホテル 新潟市中央区弁天 2-1-6 TEL 025-244-7101
東北青山同窓会 神田 貴生(
デンイーグルス日本一の 興 奮 冷
の挨拶を、本間校内幹事からは、 祈念するとともに、若手の同窓
月9日
最 近 の 在 校 生 の 活 躍 ぶ り な ど、 生も多数参加されることを願っ
年
した。
は、化学、医療、
ています。
めやらぬ平成
学校の近況をご紹介いただきま
総会後は、初の試みと し て 高
橋園美さん( 回)より 「 ソ ー
Ⅰ T、 エ ネ ル
行われ、懇親の
日時:平成 26 年7月 11 日(金)
85
(土)、仙台市で第3回総会を開
にも多数進学す
した。難関大学
催しました。
る現役の活躍ぶ
推奨服)が導入
シャルメディアの活用」 に つ い
た。出席者によ
て講演いただきました。 講 師 の
場は和やかな学
まな分野の話に
大 役 を 務 め た〝 そ の み ん 〟 は 、 ギ ー な ど さ ま ざ
北青山における「フェイ ス ブ ッ
術会議さながら
楽天イーグルスの本拠地 、 通 称
ク」の更なる活用を呼び か け ま
の雰囲気となり
華が咲いて想定
した。東北青山のメンバ ー と の
ました。
外の意見交換も
フェイスブックによる交 流 エ ピ
ンのシステムを制作した 方 。 東
ソードも交えた内容に一 同 は 引
最後はお待ち
か ね の 応 援 歌・
「Kスタ宮城」のオーロラビジョ
き込まれ、最後は出席者 全 員 の
拍手喝采で講演は終了。
日時:平成 26 年6月 28 日(土)午後2時~
’
95
卒
120
当日は、東北6県在住の同窓
生約 名のほか、本部から山内
我が母校に女子
年度収支決算報告の後、 平 成
されたという話
制服(正しくは
会計年度収支予算と会則 改 正 を
には会場が一時
24
― 予定 ―
★青山同窓会通信制恩師を囲む会のお知らせ★
103
副会長、富山幹事長、本間校内
総会では、濱田敏克会 長 (
回)が議長を務め、平成 会 計
幹事にもお越しいただきました。 りを喜び、遂に
30
審議し、満場一致で承認 さ れ ま
71
25
総 会
午後6時~
11
10
95
― 予定 ―
★青山同窓会総会のお知らせ★
25
23
(6)
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
第 98 号
(7)
青山同窓会報
第 98 号
平成 26 年1月1日
平成 24 年度青山同窓会収支決算書
平成 25 年度青山同窓会会務計画
(自 平成 24 年4月1日 至 平成 25 年3月 31 日)
平成 25 年  7月 12 日(金)
総会
平成 25 年 11 月 16 日(土)
青山学術文化講演会
平成 26 年  2月 21 日(金)
新年会
(単位:円)
科 目
予算額
決算額
4,751,422
4,751,422
入会金収入
743,400
739,200
会 費 収 入
6,500,000
6,918,480
総 会 収 入
3,900,000
2,916,000
984,000
新年会収入
660,000
598,000
62,000
前期繰越金
差 異
備 考
0 前年度繰越金
Ⅰ収入の部
雑
収
4,200
平成 25 年度青山同窓会収支予算書
1年生 1人 800 円× 360 人
2・3年生 1人 600 円× 752 人
(自 平成 25 年4月1日 至 平成 26 年3月 31 日)
(単位:円)
△ 418,480 同窓会年会費1口 1,000 円
科 目
本年度予算額 前年度予算額
増 減
備 考
Ⅰ収入の部
繰
校 歌・ 応 援 歌 CD 校 章 バ ッ チ 代 金、
△ 25,522
預金利子
越
金
4,079,710
4,751,422
入会金収入
724,800
743,400
△ 671,712 前年度繰越金
1年生 1人 800 円× 366 人
2・3年生 1人 600 円× 720 人
入
1,000
26,522
当期収入合計
11,804,400
11,198,202
606,198
会 費 収 入
6,500,000
6,500,000
0 同窓会年会費 1口 1,000 円
合
16,555,822
15,949,624
606,198
総 会 収 入
3,900,000
3,900,000
0 1人 6,000 円× 650 人
新年会収入
660,000
660,000
0 1人 6,000 円× 110 人
入
1,000
1,000
計
Ⅱ支出の部
総
会
費
新 年 会 費
雑
3,900,000
845,717
収 入 合 計
11,785,800
11,804,400
△ 18,600
111,500
合
15,865,510
16,555,822
△ 690,312
費
3,900,000
3,900,000
0
新 年 会 費
660,000
660,000
0
660,000
548,500
件
費
1,140,000
1,130,700
通
信
費
1,500,000
1,542,575
△ 42,575
会報発送、
総会、
役員会案内郵便料金、
振替料負担金、電話料金
印
刷
費
500,000
601,029
△ 101,029
封筒、振替用紙、総会案内状、はが
き印刷代
弔
費
150,000
報
費
1,150,000
1,610,979
会
議
△ 781 離任職員餞別、弔電
年2回発行会報印刷代、学校案内掲
△ 460,979
載広告代、百二十周年記念広告
費
600,000
529,591
70,409
講 演 会 費
250,000
175,516
74,484 学術文化講演会
旅
費
600,000
345,365
254,635
卒業生記念品費
300,000
285,600
14,400
1,400,000
1,221,715
178,285
助
費
母校支援費
20,000
12,050
退職積立預金
100,000
100,000
諸
予
費
備
400,000
561,230
光熱水費、消耗品費、会報バックナ
△ 161,230
ンバースキャン代金
3,885,822
0
3,885,822
16,555,822
11,869,914
4,685,908
合
計
0
16,555,822
Ⅱ支出の部
総
会
人
件
費
1,140,000
1,140,000
0 職員1人給料、交通費
通
信
費
1,500,000
1,500,000
0
会報発送、
総会、
役員会案内郵便料金
振替料負担金、電話料金
印
刷
費
500,000
500,000
0
封筒、振替用紙、案内状印刷代、デー
タメンテナンス代
慶
弔
費
150,000
150,000
0 会員慶弔電報、香華料、離任職員餞別
広
報
費
1,200,000
1,150,000
50,000
会
議
△ 671,712 △ 4,079,710
4,079,710 △ 4,079,710
費
600,000
600,000
0
250,000
250,000
0 学術文化講演会
旅
費
600,000
600,000
0 東京、
関西、
東北同窓会総会出席旅費
卒業生記念品費
300,000
300,000
0
1,400,000
1,400,000
0
15,949,624
補
助
606,198
20,000
20,000
退職積立預金
100,000
100,000
1,700,000
400,000
予
備
費
1,845,510
計
15,865,510
東京同窓会補助 500,000、関西同窓会
補助 100,000、
東北同窓会補助 100,000、
通信制部会 50,000、
クラブ OB 会補助、
青陵祭補助、学校行事補助
0 卒業生連絡はがき代
0
光熱水費、消耗品費、シュレッダー
1,300,000 代金、
『青山百二十年史』
『百二十周
年 DVD』代金
3,885,822 △ 2,040,312
16,555,822
△ 690,312
青山同窓会役員名簿
回)
回)
回)
回)
回)
回)
回)
回)
回)
88 88 85 84 83 82 82 79 78 76 75 74 75 81 76 69 61
回)
回)
回)
回)
役 名
氏 名
(回)
会
長 長谷川義明( 回)
副 会 長 敦井 栄一( 回)
山内 春夫( 回)
砂田 徹也( 回)
幹 事 長 富山 修一( 回)
副幹事長 河崎 順昭( 回)
小島富美子( 回)
北村 幸輝(
小林 敬直(
白井 行雄(
栗原 道平(
小林しほり(
(校内幹事)
吉田 徳治(
行田
充(
渡邉
毅(
渋谷
聡(
本間
茂
(
(
櫻井麻利子
(校内幹事)
監
事 江口 良助(
渡辺 国夫(
72 61 94
費
合
監事
費
母校支援費
諸
平成 25 年4月5日 上記の通り相違ないことを確認します。 監事
年2回発行会報印刷代、学校案内掲
載広告代
講 演 会 費
0
費
次期繰越金
東京同窓会補助 500,000、東北青山同
窓会 100,000、通信制部会補助 50,000、
クラブ OB 会補助、青陵祭補助、学
校行事補助
7,950 卒業生連絡ハガキ
当期支出合計
当期収支差額 △ 4,751,422
計
9,300 職員1名、給料、交通費
150,781
広
補
0 預金利子
3,054,283
人
慶
収
△ 18,600
★青山同窓会の書籍等のご案内★
創立百二十周年記念事業の一環として作成しました書籍等を、ご希望の同窓の皆様にお分けいたしております。
また、校歌・応援歌を収めた CD もございます。
ご希望の方は同窓会事務局までご連絡ください。
『青山百二十年史』書籍(CD-ROM 付き)
10,000 円(送料・振込手数料別途)
創立百二十周年記念式典 DVD  2,500 円(送料・振込手数料別途)
『青山同窓会 百二十周年名簿』
  5,000 円(送料・振込手数料込み)
校歌・応援歌 CD  1,000 円(送料・振込手数料別途)
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
第 98 号
青山同窓会報
ものと、他の学会等と連携して行うものとの2本立て
を考える。具体的内容として次のものを考える。詳細
な内容や、実施の形式(誰がどのような形で行うの
か、また依頼するのか)については今後の検討課題と
する。
⑴広 報:これまで学会として行った復興支援活動の
報告を行う(例:HPその他で義捐金支援の報告、
成果報告等を掲載)。
⑵科学的根拠に基づいた情報の提供:世の中が少しず
つ落ち着きを取り戻していること、少しずつデータ
が積み重なってきたことを受け、現段階において全
体を見渡したレヴューを行う。形としてはシンポジ
ウム、和文機関誌での特集、本(報告書)、論文等。
⑶一般に対する啓蒙:パンフレット等の印刷物の作成
また、東京電力福島第一発電所の放射能汚染事故と水産
業についても、会員がさまざまな調査・対策を行っている。
福島県においては、震災直後はヒラメ、アイナメなど海
底近くに棲む底魚において100ベクレル/㎏を超過する検
体が高い割合で出現した。時間の経過とともに、全般的に
100ベクレル/㎏を超過する検体の割合は低下する傾向に
ある。
私たちは食品のセシウムの濃度を気にしがちだが、実
は、私たちが食品から自然に摂取する物質としては放射性
カリウムの濃度のほうが高い。それを科学的にどう判断し
講演2
「安吾とシネ・ウインド」
齋藤正行さん(76 回)
私と坂口安吾との出会いは高
校 の 時 でし た。 国 語 の 授 業 で、
安吾が新潟高校出身の作家とい
うことを耳にし、図書館で安吾
の作品を手に取ったことが全て
の始まりでした。最初に読んだ
作品は「風博士」と「吹雪物語」
。読んだ時の率直な感想
としては、内容が余りにもエキセントリック過ぎて、全く理
解出来ませんでした。しかし理解出来なかっただけではな
く、あまりの衝撃に勉強が手につかなくなり、その不思議
な魅力に取りつかれてしまいました。何度も読んでいるう
ちに、頭がおかしくなってきたように感じてきたほどです。
社会人となった後は新潟に戻ってきて、しばらくは一般
の企業で働いていました。そんな中で耳に入ってきたのが、
当時古町にあった映画館・ライフの閉館のニュースです。
最盛期には東映、東邦、松竹、グランド、大竹座はじめ数々
の映画館が軒を連ねていた新潟市内も、この頃には徐々に
映画の灯りが消えつつありました。学生時代から足繁く
通っていたライフが閉館すると聞き、自分たちで映画館を
起ち上げようと決意しました。
とはいっても、決して簡単なことではありませんでした。
新潟市民の皆さんに新しい映画館設立の趣旨をご理解い
ただき、出資をお願いするために駆け回りました。お陰様
で、ご賛同いただいた皆さんから出資してもらうことにな
り、1985 年 12 月、新潟市は万代に市民映画館シネ・ウ
インドが開館しました。こんな風に、何もない一般の市民
たちが中心となって資金を集め、映画館を経営していると
いうのは世界初の試みでした。ちなみに、名前についてい
るウインドとは英語で風の意味。坂口安吾の作品のテーマ
でもある風から採った名前です。
シネ・ウインド開館から 28 年が経った今年、従来使っ
ていた 35㎜映写機に加え、デジタル映写機も導入しまし
た。
「35㎜映写機を廃棄しないとデジタルシネマを卸さな
い」というハリウッドの方針に反対し、両方とも対応でき
る映画館となりました。これについても市民や協力者の皆
平成 26 年1月1日
(8)
て対応するかは水産業の課題である。
震災前、福島県には若い漁業従事者が多くいたが、魚を
買う人がいなければ漁業は成立しない。被害の連鎖を防ぐ
ことを第一に、福島の漁業の今後について考えていかなけ
ればならない。
Ⅳ.水産業の復興と日本の水産業が抱える問題
近年、日本の漁獲量は大幅に減っており、漁業従事者
も、特に若い人が減ってきている。日本人の食生活の変化
によって、魚介類より肉類の摂取量が増えている。
日本の水産業が抱える問題には、東日本大震災によっ
て生じた問題と、震災が起こる前から潜在的にあった問題
があるが、今後の課題としては以下のような内容が挙げら
れる。
・若者の魚離れの阻止
・漁業従事者の減少の阻止と重労働、コスト高の改善
・自給率の上昇および国際競争力の促進
・漁場の保全と魚介類の持続的利用
・低・未利用海洋生物資源の活用
・効率的養殖の確立
・東日本大震災からの復興
東日本大震災からの復興をバネとして、日本の水産業が
抱える問題をいかに解決していくかが重要である。
(樋口真佑子)
さんに根強くご協力とご理解をお願いさせていただき、最
終的には 2,000 万円もの募金を集めることができました。
シネ・ウインドが皆さんから愛され続けていることを、と
ても嬉しく感じています。
さて、安吾の会についてですが、こちらは 1987 年 10
月に設立しました。私が世話役代表人に就任し、シネ・ウ
インドと安吾の会、2足のわらじを履くこととなりました。
とはいえ2つは表裏一体のものです。どちらかを切り離す
ことなんてできません。
会場の皆さんに坂口安吾とはどのような人物だったのか
を知っていただくため、坂口安吾記念館「安吾・風の館」
で放映されている、
彼の足跡をたどった映像「安吾の暗号」
をご覧ください。
(会場にて DVD 上映 以下にその内容
をご紹介させていただきます。
)
明治 39 年 10 月 20 日に中央区西大畑町に生まれた安
吾は、
破天荒な少年時代を過ごし、
昭和6年に文壇デビュー
を果たしました。学生時代に「余は偉大なる落伍者となっ
て、いつの日か歴史の中によみがえるであろう」と学校の
き よ ほう へん
机に彫り込んだ安吾は、毀 誉 褒 貶 の中で数々の強烈な文
学作品を世に放ちます。終戦直後の昭和 21 年に発表した
「堕落論」
「白痴」の2作は、
「一切の無駄なき必然の美」
「生
きよ、堕ちよ」
「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必
要なのだ」などの数々の名文句に代表される凄まじい内容
から、戦後の日本に大きな衝撃を与えました。これが坂口
安吾という人間であり、彼をこよなく愛し研究しているの
が安吾の会です。最近では新潟市でも坂口安吾にスポット
を当てるようになり、2006 年に安吾生誕 100 周年を記念
して安吾賞を設立したほか、西大畑町にあった旧市長公邸
を「安吾・風の館」とし、安吾の足跡や資料を設置した場
所として生まれ変わらせました。郷土新潟が生んだ偉大な
る文学者・安吾が、21 世紀の新潟に再び姿を現したかの
ように感じています。
会場では新潟市の古き時代の懐かしい映画館の写真も
スライドで紹介されました。
新潟高校の偉大なる先輩にして奇人・坂口安吾。皆様
も近くにお立ち寄りの際には、
「安吾・風の館」
、そして新
潟が誇るべき映画館「シネ・ウインド」にお立ち寄りにな
られてはいかがでしょうか。
(五十嵐悠介)
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
(9)
青山同窓会報
第 98 号
平成 26 年1月1日
第 10 回 青山学術文化講演会開催報告
会報編集委員 五十嵐 悠介(107 回)
会報編集委員 樋口 真佑子(113 回)
平成 25 年 11 月 16 日第 10 回青山学術文化講演会が、
新潟高校視聴覚ホールで開催されました。
今回の講師は次の方々です。
1 渡部終五さん(74 回)
北里大学海洋生命科学部教授、
東京大学名誉教授、日本水産学会会長
2 齋藤正行さん(76 回)
新潟・市民映画館シネ・ウインド代表、
安吾の会世話人代表
以下、それぞれのご講演について要旨を報告します。
講演1
「東日本大震災からの
沿岸地域の再生の課題
―水産業を中心にして―」
渡部終五さん(74 回)
Ⅰ.北 里大学三陸キャン パス周
辺の被災状況
東日本大震災により校舎が大
きな被害を受けて半分以上使え
なくなり、教職員や学生は非常に大変な思いをした。公表
されているデータによると、最も高い津波は岩手県の釜石
と大船渡にきており、地盤沈下は釜石市、大船渡市、陸前
高田市で6~7mに達した。岩手県の漁港の被害総額は
3,000億円近くで、ほとんどの水産加工施設が被害を受け
た。大船渡漁港市場は地盤が約7m下がって水揚場が海
面すれすれとなった。現在ではだいぶ復旧が進んでいる。
市場の建屋内部は修復されていないが、新しい市場の建
設が進んでいる。
Ⅱ.日本学術会議における取り組み
日本学術会議では東日本大震災復興支援委員会を震災
後すぐに発足させ、各分科会が活動に取り組んでいる。
①産 業振興・就業支援委員会(本年度からは渡部さんが
副委員長を務めている)
昨年2月23日に宮城県気仙沼市で現地調査を行い、
気仙沼漁業協同組合との意見交換会を実施した。気仙
沼は、震災前はカツオの水揚げ量が日本一であったが、
最大の課題は5月からのカツオ漁の操業と8月下旬から
入るサンマ漁に対応することとのこと。漁獲物の陸揚げ
ができても冷蔵庫など貯蔵施設がないと水産加工がで
きない(水産物のサプライチェーンの問題、図参照)。
漁場・漁船
漁獲物
製品輸送
水揚げ
流通
冷蔵冷凍施設・加工場
消費者
水産物のサプライチェーン
貯蔵施設や水産加工場の復旧には沈下した土地の嵩上
げが必要となる。漁港区域の復旧は農水省の水産庁が、
市街地は国交省がそれぞれ管轄しているが、気仙沼は
漁港の後背地が狭く、町の中に加工工場を建てたため、
工場がある区域は漁港区域としてみなされない。市街化
区域の復旧工事が遅れているため、このままでは復興す
るまでに5年以上かかってしまい、水産業関連の企業は
ほとんどが倒産してしまうだろう。頑張っているところ
は自己資金で復旧を行っているが、本格的な復旧には
至っていない。もともとあった沿岸漁業の問題が、震災
を機に浮かび上がったといえる。国としては、このよう
な大きな被害の際の緊急ルールをつくるといった対応が
求められる。
②東 日本大震災に係る食料問題分科会(渡部さんが委員
長を務めている)
大地震・巨大津波の直撃を受けて漏洩した東京電力
福島第一原子力発電所の放射能は、農林水産業に対し
て広域にわたって長期的に多大な影響をもたらすことが
危惧されている。このような背景のもと、農林水産業に
おいては安全な食料の早急な供給回復が求められてい
る。さらに、長期的な視野に立つ食料の安全対策も重要
な課題となっている。これらの問題に対して、食料科学
の立場から解決策を協議している。食料だけでなく、サ
プライチェーンも含めて問題の解決に取り組んでいる。
③食 料科学委員会水産学分科会(渡部さんが委員長を務
めている)
主に水産業中心の提言を行っている。東北地方の復
興は単に、漁船、漁港、増養殖、加工、流通などを個別
に復興させるのではなく、これらの施設・設備や業種を
互いに連携させた総合的な復興の取り組みが必要であ
る。復興に際して、格差是正や漁村・漁港の淘汰などの
問題は深刻である。水産業の多面的利用を含めた提言
が必要となる。また、放射能汚染の影響は風評被害をも
たらしている。外洋調査や定点観測(生態系モニタリン
グを含め)など、どのような機関が取りまとめるのがよ
いのかを検討すべきである。海がどういう被害を受けて
いるのかを調べることがとても重要である。
Ⅲ.日本水産学会における取り組み
(公社)日本水産学会・東日本大震災災害復興支援検討
委員会(特別委員会)(渡部さんが委員長を務めている)
では、以下のような取り組みを行っている。
①津波被害からの復旧・復興(漁協問題、漁獲物サプライ
チェーンなど)
・2011年8月に、日本水産学会から9機関に対して、1
件あたり5万~78万円の義捐金を配分した。この資金
を用いて活動した結果を報告してもらい、これを日本
水産学会から広報することが合意された(前会長のと
きの活動)。
②放射能汚染問題(モニタリング、全量検査、汚染物質処
理など)
・福島県では漁業が中断しているが、再開に向けた検討
が福島県漁連を中心になされていることに関する情報
提供があった。日本水産学会としては、水産物が安全
かどうかを直接消費者に向かってアナウンスするより
も、ある水産物のセシウム濃度が高い(または低い)
理由を、魚類生理学や魚類生息域回遊経路などから説
明する役割がある点が指摘された。
・お 米では放射性物質をベルトコンベア式の機材で検
査する方法が開発されていることを紹介。日本水産学
会としては、水産物の安全性が確保されたものとそう
でないものが市場流通過程で混合しないような方法を
助言する等の活動ができるであろう。
③広報活動について
・本委員会の活動については、日本水産学会独自で行う
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
回) に入られたのですか?
会報編集委員 坂井 奈津子(
新春特別鼎談「新潟を、青山を語る。」
出席者略歴
ませんね。
かったと言うだけの事かもしれ
試験に落ちて、国家公務員に受
思っていたのは事実です。司法
たのですね。
長谷川 そしてこのたび地元新
潟に副知事としてお見えになっ
ますね。
長 谷 川 国 家 公 務 員 に な っ て、 花角 地元に行くのは稀な例で
国の施策に自分のやりたい思い す。むしろ、地元には行かせら
いたのですけど、水俣病などの
花角 そんな立派な気持ちでは
ないです。学園紛争は終わって
ですからね。
になろうとは思っていなかった
れない事が多いですから。
試験というのもあまりない時代
森 邦雄( 回
卒)
・・・・
もり くにお
昭和 年3月 中央 大 法 学
部卒、同4月新潟県 庁 入 庁
ああいう風になるのかなぁと
は東京も面白いけれど、いずれ
酔っ払いの姿を見て、若いうち
学生の時に山手線に乗っている
救える、そんな意識でした。青
組織として制度で多くの人達を
のだけども、国家公務員は国家
そういう人たちをミクロで救う
歳過ぎ位まで予
まには大卒も入れてみようと放
上げの人ばかりだったので、た
配属になりました。昔はたたき
森 私は予算の担当がずっと長
あったのも事実ですね。
法曹は、 かったのですよ。まず財政課に
震に地滑り地帯も多いでしょ
系の治水の関係も大変だし、地
が長いでしょう?大河信濃川水
長谷川 新潟県というのは土地
の状況が厳しいですね。海岸線
森 花角さんが国交省にいる
時、まさか一緒に仕事すること
でしたからね。私は新潟県と東
お考えだったのでは?
長谷川 義明( 回
卒)
・・
はせがわ よしあき
昭和 年3月 京大 工 学 部
卒、同4月建設省入 省
長谷川 森さんもやはり県庁の
中を色々回られたのですか?
平成 年4月より新 潟 県 副
思ったら、ぎりぎりまで悩みま
り込まれて、
長谷川 まだ、県庁には大卒は
少なかった頃でしょう?今では
仕事が出来るという事がありま
森 県とか市町村の公務員とい
うのは、事務屋の場合、色々な
く言われます。しかし、県民の
森 そうですね。県土が広い分
投資額が多くて大変だねってよ
に三分されていました。そのど
務員を目指す人、企業に行く人
周りは法曹を目指す人、国家公
行きました。ぐるぐる回ってい
ましたし、自動車や海運局にも
局に配属され、航空局にも行き
の臨調答申が出た頃の鉄道監督
花 角 副 知 事( 以 下 敬 称 略 ) 私 花角 私はまんべんなく回りま
は 進 学 先 が 法 学 部 で し た か ら、 したね。最初は国鉄分割民営化
員の一つの魅力ですよね。
んな仕事が出来るのは地方公務
いう面で、 歳位近くまでいろ
をする事になったりとか、そう
をしていたのが農地の用地買収
例えば辞令一つで昨日まで福祉
長谷川 その点、
新潟市の場合、
一級河川は国の管理だし、国道
くかという事が課題ですね。
ね。どういう風に割り振ってい
話ししていると出てきますから
まだ足りないという気持ちがお
状況があるのではないですか?
ければいいと思います。
すね。国家公務員がその道のエ
うから、県財政にとって厳しい
投資にウェイトがかかってしま
算ばかりでした。
大卒が当たり前になっているけ
したけれど、新潟県を選んでい
二 本 で す か ら ね。( も う 一 名 は
花角 英世( 回
卒)
・・・
はなずみ ひでよ
昭和 年3月 東大 法 学 部 う 事 は 大 変 め で た い こ と だ と 思
卒、同4月運輸省( 現 国 土 い ま す 。 県 政 を 支 え る 三 本 柱 の
れど。
長谷川 運輸省には局がたくさ
んありますけど、どこの局にな
キ ス パ ー ト で 行 く の と 違 っ て、 皆さんの実感からすると、まだ
よね。
臭い書生論ですが。
知事就任
池 田 千 絵 子 さ ん。) 本 当 に 心 強
ました。
交通省)入省
い限りだと思います。今日はお
議官
話し出来る範囲で結構ですの
で、県政の課題なども交えてお
平成 年4月より新 潟 県 副
知事就任
りましたか?
れ か に な る ん だ ろ う な あ、 と
長谷川 花角さんは、運輸省に
入られたのですよね。
長谷川 まず、現在のご職業に
就かれるきっかけですが、森さ
いましてありがとうございま
本日は大変お忙しい中 、 青 山
同窓会の座談会にお越し く だ さ
んは大学を卒業してすぐに県庁
聞き出来たらと思っています。
30
す。青山の同窓生が二人 も 揃 っ
長谷川同窓会会長(以下敬称略)
人位でしたでしょ
前国土交通省大臣官房審
’
77
森 はい、
うかね。
85
て新潟県副知事になられ る と い
仕事を選んだきっかけと
やりがい
花角 若い時のそういう気持ち
は大切です。純粋に伸ばしてい
長谷川 財政課ですか。予算担 う?しかも平野というと農地で
当 を そ れ だ け 長 く や ら れ た ら、 しょ。土地の安全など相当公共
き な 理 由 が あ る わ け で は な く、 ない人達を救う、という感情が
れていまして、オープンな就職
平成2年 月より平 成 年
公害訴訟の熱気が残っている時
森副知事(以下敬称略) はい、 を発言する機会を持ちたいとの
そうです。当時は就職先も限ら
’
88
卒
長谷川 若い頃は、みんな少な
からずそういう気持ちは持って
14
県政の隅々までわかってきます
’
67
月まで新潟市長
11
75
いますよね。
20
57
25
30
40
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
96
代で、社会的弱者や光が当たら
’
53
京都の両方の公務員試験を受け
61
ました。新潟を選んだのは、大
33
46
青山同窓会会長
11
(10)
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
第 98 号
は国や県がしてくれので 、 市 の
やってくれるしね。大き な 事 業
も 国 管 理 で し ょ。 港 湾 も 県 が
花角 私も父が転勤族でしたか
ら、小学校は佐渡の金井小学校
関屋中学校に戻ってきました。
少子化に
歯止めをかけたい
をあたえていて、結局自然減が
世代が抜ける事で自然増に影響
時期にごそっと抜けます。若い
い。新潟市は県の中では比較的
街を歩いている人を見かけな
し た の は、 人 が い な い 事 で す。
帰って来て、とにかくびっくり
に人口を維持しているのに。都
1万1千人くらいになります。
長谷川 県政の問題で、これだ
けは青山の同窓生に理解しても
と両津の加茂小学校で、4年生
時代に よ っ て 違 う
少年の 夢
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
財政としては非常に助か る 事 が
多かったですね。それにしても、 か ら 新 潟 市 の 有 明 台 小 学 校 で
市の外縁が広がってきて、モー
~
タリゼーションで歩かずに車を
らいたい、というものがあった
歳くらいで、もう
ら、 お 話 し 頂 き た い の で す が。 やはり
森 県外に出た若い世代が、新
潟に戻りたいなあと気付くのが
す。中学は引っ越して住んでい
使って買い物に行っている事
る地域が変わってしまったの
や、中心部が空洞化してきてい
県民の安心安全とか、経 済 成 長
生活の基盤が出来てしまってい
とかの期待は大きいですから
るから戻る事はなかなか出来な
る事もあるのかもしれませんけ
どうですか?
が減ってきているという事も考
で、仲の良い友達と附属新潟中
いですよね。
えられますね。
学校に行きました。
長谷川 新潟県の子育ての環境
は ど う な の で し ょ う か? 例 え
ね。期待に答えていくと い う 意
ば、横浜などでは保育園が無い
限りは、人のネットワークの中
味においては両副知事さ ん の 手
森 まあ、青山の同窓生の皆さ
んには早く結婚して子供をたく
事 が 問 題 に な っ て い ま す よ ね。 長谷川 これは地方都市共通の
悩みだと思います。商店街の商
で仕事をするので、大きな仕事
森 一時期、企画力だとか斬新
な発想力とかがもてはやされた
森 新潟では保育園に関しては
大丈夫ですね。
事ですかね?
寛の活動で古町の人と関わって
ど、高齢化する中で出歩く回数
さん作って頂きたいって事です
店主さえも店を人に貸して郊外
をしたいと思ったら人との関係
森・ 花 角 う ー ん、 そ う で す
ねぇ・・・
森 夢ですか、どうだったかな
あ。私は一番にグラウンドを取
かね。余りに単刀直入で冗談に
に住むようになってきています
長谷川 どんな夢を持った少年
時代だったのですか?
るのを争って野球するような子
少子化の問題が新潟県でも大き
からね。商店街に対する愛着心
を 築 く 事 が ま ず 大 切 だ。
」 と、
腕が色々と期待されると こ ろ で
長谷川 ところで、お二人とも、 供でしたからね。落ち着かない
も と も と 新 潟 の ご 出 身 な の で 子だから書道でもやれという事
いですからね。女性の方の負担
申し上げました。
すね。
で書道を始めたのだと親が冗談
も無くなってきているのではな
聞 こ え る か も し れ ま せ ん け ど、 新潟の状況は良い方なのですか?
すか?
いかな?と思いますね。私も良
年は長野で過ごして中学 3 年 で
いますが、一生懸命に活動して
花角 そうですね。私も人口問
題が最大の課題だと思います
花角 労働者の所得でも首都圏
に較べれば、一人当たりの勤労
ね。新潟県の人口は、平成9年
けれど、結局それだけでは仕事
いたりしました。
は出来ないですからね。
のピーク時249万人から
いるのは、やはり古町に住んで
232万人になっています。直
いる人ですよね。
花角 私は、今では死語になっ
ているかも知れませんが、特派
あらわせない新潟県の魅力をア
者所得がずっと低いですから
員という職業に憧れていた時期
近だと年間1万5千人余り減っ
ピール出来るといいんですけど
新潟高校出身者は、同じ青山同
ね。だからこそ、金額などでは
がありました。海外でリポート
ね。 自 然 環 境 や 食 の 魅 力 な ど、
花角 信頼関係のないところに
大きな仕事は出来ないですよ。
する仕事に憧れていた時期があ
ています。これ、4年間で村上
在校生へのメッセージ
市が消える勢いです。大変深刻
るというのは、アドバンテージ
りましたね。
23
窓生という事で信頼関係を持て
長谷川 最後に在校生に伝えた
い言葉として何かありましたら
色々あると思うんですよね。
ですよね。
な状況だと思います。
長谷川 特派員ですか。すでに
国際性に目覚めていたんです
よろしくお願いします。
長谷川 私が市長に当選した時
も、同期が応援してくれたので
森 同期の友人でもリタイアし
て新潟で今までの経験を生かし
花角 以前、研修会でお話しさ
せて頂く機会があった時に、「一
て第二の人生を送りたいと思っ
人 で 仕 事 を す る 事 は 出 来 な い、 す が、 当 選 後 に 恩 師 の 先 生 が、
長 谷 川 「 県 民 歌 」 で「 県 民
二百五十万~」と歌っているの
ている方が結構いますよ。そう
年ぶりに新潟に
いう人材をうまく活用出来れば
私が
同期の仲間達に「長谷川君に物
を頼まないのが最大の応援だ
花角
常に誰かと一緒に誰かの力を借
にね。
4~5千人くらい。 歳の大学
18
歳の就職の
りないといけない。組織で働く
ね。僕らの時代は山本五十六元
年 団 に 入 っ て い ま し た か ら ね。 花角 若い世代が県外に出るん
ですよね。社会減と言いますが
やっぱり時代時代の影響を受け
進学の時と、 ~
いいなとも思います。
帥になりたいとか言って海洋少
入って良寛の拓本をやらせて頂
が大きいという事で、子供を作 長谷川 新潟に戻ってこないと
りづらい環境を変えていきたい。 いう事は、いい仕事がないって
40
森 は い。 転 勤 族 で し た の で 、 交 じ り で 話 し て い ま し た よ 。 そ
浜浦小学校を出て、中学 1 ~ 2 ん な 事 で 、 高 校 で は 書 道 部 に
50
36
全く時代が違いますよ。子供は
ざるを得ませんよ。
22
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
(11) 第 98 号
だから誰も私的な事を 頼 ま な
か っ た で す ね。 利 己 的 な 人 間
よ。」と言ってくださった。
な目で見ている世の中があるの
うけれど、一方でその事を色々
するのは素晴らしい事だとは思
本日は大変ありがとうござい
ました。お二人の益々のご活躍
校生にはそう期待しています。
人物になってほしいですね。在
た。2年の秋のラグビーの大会
人たちと夜遅くまで語り合っ
えたのもこの頃で、座を囲み友
期の小沼君沖野君達と麻雀を覚
年で 年目。主計局 年、銀行 「 何 の 前 例 も 通 じ な い 」 時 代 に
思いは強く持っていました。本
のある良い仕事をしようという
多い方でした。世の中に影響力
時です。当時主計局筆頭次長で
2番目は平成 年秋自民党か
ら民主党に政権交代が行われた
関 係 で な く て い い で す よ ね 。 も事実だから、そこは自制しな
では当時連戦連勝の新潟工業に
外関係(国際局長、EU代表部
局関連5年、大臣官房6年、海
な時代でも当時の藤井大臣、野
予算編成に関わりました。そん
さいよ、と言いたいですね。
勝ち大喜びしたが次の春には大
青山は。
をご祈念いたします。
森 私が感ずるに、青山 同 窓 生
は余りつるまないですよ ね 。 い
然体で付き合っていると い う の
い意味でも、悪い意味で も 。 自
長谷川 青山の同窓生は常に周
りから注目されているという意 (取材同席 富山幹事長
識を持たないとですね。
石井編集長
坂井編集委員
2013. .7)
て、是非新潟の地域に貢献する
そして、周りとの信頼関係を
大切に大きな仕事を成し遂げ
長谷川 仲良く集まった り し て
いても、利害のために集 ま っ て
が多いですからね。
いるわけではないですか ら ね 。
同 窓 生 訪 問
森 社会に出てから、色 ん な と
ころに先輩や同窓生がいる事
は、とても心強いし、す ご い 財
産だと思います。
花角 私は新潟に戻って 来 て 初
めて、高校というものを 意 識 し
ました。正直、東京で仕 事 を し
ていて高校を意識するこ と は な
場した。新潟高校のラグビー部
慶応早稲田との練習試合にも出
もラグビー部に入部し1年生で
( 法 学 部 ) を 目 指 し た。 東 大 で
京に出たかったので東大の文一
父が医者であり、兄も医学部
だったので文系を選択した。東
現在の進路に進むきっかけは
集中して勉強をしました。
が昼休み練習だけになり、夜は
勉強は一生懸命した。普段は
勿論だが試験の前はクラブ活動
人生訓を得た。
敗し、勝って兜の緒を締めよの
結果 年には公的資金注入が実
金注入法案等を担当し毎日が地
3番目は平成 年夏、国際局
獄 の よ う に 忙 し い 日 々 で し た。 長時代に欧州債務危機が起こっ
正、預金全額保護法案、公的資
危機の時代で、預金保険制度改
山一證券の破綻など金融機関の
経験しました。
中川、福田の三氏)の秘書官を
して頂き、政権を支えながら主
小 泉 内 閣 で 各 官 房 長 官( 青 木、 出になります。国家予算年内編
秘書官は3年で中曽根内閣の秘
計局も協力し予算編成作業を行
1番は ― 年銀行局信用機 たった歳出削減が急激には進み
構室室長時代。
北海道拓殖銀行、 きらない事を民主党からも理解
仕事できつかった思い出は
いました。
参事官(ブリュッセル)
)4年、 田、峰崎両副大臣の理解を得ら
書 官 補 佐、 小 渕 内 閣、 森 内 閣、 た。これは苦しくも嬉しい思い
成の国民生活における重要性は
大きく、民主党も意思決定の仕
組みが整備しきれておらず慣れ
ていない中、マニフェストでう
た時です。ドル円は一時 円に
智裕(
財務省 財務事務次官
木下康司さん( 回)
れ、予算の年内編成ができまし
下康司さんをお訪ね致しまし
のレベルが高いということを実
回)
との交流を欠かさない木
た。今でも新潟高校時代の旧友
会報編集長 石井
東京霞ヶ関、歴史を感じる建
物の財務省に財務事務次官の木
迫り、円高阻止のため、8月と
月にかけ 兆円以
でした。ラグビー部に所
高校時代は人生で最も
楽しく思い出深い3年間
高校時代の思い出について
し た。
(次官はさらりとお話さ
け、この道に進むことになりま
省の面接で入省のお誘いを受
向かう気風があり、当時の大蔵
活になった。文一は行政司法に
た。自然と勉学と麻雀の学生生
法案3法、新法2法の立案に関
時代に成立しました。結局改正
金融再生法という形で小渕内閣
支える方策を練り、後にこれは
ブリッジバンク法案などで国が
に貸付けたり、IMFに対して
高緊急ファシリティとして企業
融 危 機 が 再 燃 し、 騒 然 と な り、 の時手元に入ったドル資金は円
長銀(長期信用銀行)危機で金
貸付けたりして活用しました。
月末から
行され、ジャパンプレミアムは
属し、勉強とラグビーを
れましたが相当の努力の結果と
く役人人生で一番辛い時代で
した。
財務省にも来訪します。現在同
後輩や在校生への人生のアドバ
上の為替介入を行いました。こ
一生懸命やり、青陵祭の
年入省。同期は
年)の平日は
イスとして
昭和
名で
与し、この夏(
た。旧制高校を思わせる
自由な校風で先生方も暖
入省後の進路は
自宅で寝る時間は2時間しかな
一 時 お さ ま り ま し た が、 直 後、
75
13
いうことは理解ができます)
のお話をお伺いしました。 ビ ー は 中 断 せ ざ る を 得 な か っ
感 し た。 し か し 体 を 壊 し ラ グ
97
下さんに思い出やお仕事
’
71
卒
応援歌の練習も楽しかっ
11
かったです。こちらに来 て 、 同
10
79
新潟高校は先生に引率され在
校生が先輩を訪ねる企画が有り
10
窓生が多くて仕事がやり 易 い と
い う か、 心 強 さ を 感 じ ま す ね 。
ただ、後輩たちに言うとしたら、
青山同窓生は群れない、 つ る ま
ないとおっしゃったんですけ
ど、周りはすごく新潟高 校 出 身
者に対して意識している と 感 じ
ます。新潟高校を卒業し た と い
う事を誇りに思うべきだ と は 思
15
21
23
98
98
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
35
98
’
75
卒
かく見守ってくれた。同
28
いますが、それが功利的 な 意 味
で言いますと、実利で役 立 つ 事
が 世 の 中 で い っ ぱ い あ る の で、
誇りを大切に友人知人を 大 切 に
54
83
(12)
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
第 98 号
窓生は財務省に3人いま す 。 ど
論 説 委 員、 T V キ ャ ス タ ー 等、 た。 メ デ タ イ! 盛 大 に 祝 お う。 酸水ボトル2本づつ皆がお土産
だ け で な く 映 画 監 督、 小 説 家、 いろあったが、今年喜寿を迎え
でない豊かな人間性を養って欲
でやろうと盛り上った。
す。 3、4 人 で「 コ ー ヒ ー を 飲
明るく、古町通りをブラ〳〵流
にいただく。6時近くだがまだ
規開店された、という事で、炭
の業界でも通用すること と し て
多様性を備えている。勉強だけ
しい。
才に因んで7月7日に鍋茶屋
いくつか挙げてみます。
養う。
1.スポーツをして体力胆力を
「青山
会展」終了
若松 昌弘( 回)
もう」と白十字へ入ると、何と
回目を迎えた
「青山 会展」 ない同期生も手伝う。なんだか
先 客 が 6、7 人 い て「 ヤ ア ~」 は昨年9月8日無事終了。 年 んだと言いながらも高校時代に
’
60
卒
ないと今の豊かさは維持 で き な
うとしている。日本人も 頑 張 ら
り、アセアンもこれに追 い つ こ
の人はハングリー精神で頑張
かないと思えます。中国 、 韓 国
日本国、日本人の将来 を 考 え
ると成長する海外で活躍 す る し
2.英語、外国語を学ぶ 。
養ってください。
成感に熱くなれることの 快 感 を
盤を磐石にさせる道筋に邁進さ
為替、金利、経済、財政をしっ
かりさせ民需拡大による経済基
取り組まれています。
で次年度予算編成、税制改革に
両輪をしっかり運営させる方向
め、経済回復と財政規律遵守の
の円滑なる実施。デフレ脱却た
ます。消費税率引き上げ、転嫁
るミッションに取り組まれてい
次官は現在は財務省全体とし
てアベノミクスを支え実現させ
山弘義君の乾杯発声で
し 訳 な く、 残 念。
」村
り、出席が0!誠に申
…結局2名申し込んだ
いう会になりましたが
う声が強かったので
出にくいから昼の会にしてとい
過報告「女性メンバーが、夜は
当日、まず例によって和田君
に記念写真を撮ってもらう。経
なった。
まりましょう。
を目指す。皆さん元気でまた集
米寿、白寿と目指す目標は遠
い が、 ま ず は 2、3 年 先 の 傘 寿
とまたまた盛り上る。
開こう」と話しがまとまり早速
いる。これらを集めて作品展を
開いたりしている同期生が結構
の展覧会で入選したり、個展を
前の2月に「絵画や写真で公募
場者から楽しんでもらえた。
無料サービスも実施。大勢の来
会場を移した7回目からはM
君と同期生の社中による抹茶の
戻った気分で実施。
方もキャンセルとな
ゼロ
宴が始まる。新潟きれ
では県民会館1階の展示コー
その年の9月に第1回の作品
展を開催。1回目から6回目ま
度 マ ン ネ リ 化 し た こ と も あ り、
のぼる。 回も続けるとある程
でも出品した同期生は
弾んでいた。この作品展に1回
人にも
ナーで開催。出品者や出品作品
回目の今回までNST
ギャラリーで開催。
に厚くお礼申し上げます。
で会場へ足を運んでくれた方々
今回で一応終了とした。これま
50
最初は1回か2回ぐらい開催
すればやめる予定が 回まで続
から
も多くなり会場を変更。7回目
実行に移る。
くなる日が来る。新潟高 校 に は
れておられます。
いどころの踊り、山田
10
時開宴と
希望者にアメリカ研修の プ ロ グ
豊君のフルート演奏と
回卒
会」の会
68
作業は出展者だけでなく出品し
急便で作品を送ってくる。展示
出品者は新潟在住者だけでな
く、関東方面の同期生からも宅
し。楽しければそれでよし。
長。しかも上手・下手は関係な
てみれば学生時代の文化祭の延
収集品などなんでも結構。言っ
は絵画・写真・工芸・文芸作品・
員か、会員の夫または妻。作品
業生で作った「青山
あったと思う。出品者は
いた。出品条件が単純なことも
10
68
ぎやかだ。希望多数で
椅子テーブル式にして
交流も盛んな様子。吉
田君の中〆の後、会場
を変えて、今度は庭の
見える座敷で大テーブ
野崎君の〆でお開きと
会場では作品を見ながら久し
ぶりに会う同期生同士の会話が
ラムもあると聞くが活用して
帰りに際し、次官はとても丁
寧にご挨拶をしてくださいまし
(
※特別寄稿に関連投稿あり)
た。今後の木下様の益々のご活
名と
最優先に予定して欲しくて
新 年 早 々 に 流 し、 途 中 追 伸 を
68
欲しい。
いれて…最終参加決定
68
3.よく遊びよく学べ。
同 期 会 報 告
青山六三会「喜寿を祝う会」
ルを囲んで 名程が座
なる。今井亘君御親族
く九州大分から参加の
ヤ板で仕切った教室で授業。大
の方が日銀支店前に新
10
12
り話がはずむ。最も遠
20
年の新潟大
30
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
68
横田君の応援指導とに
勉強以外にクラブ活動 な ど を
通して組織人として頑張 り 、 達
10
躍をご祈念申し上げます。
63
新潟高校は多方面に多 彩 な 人
材を出している。役人、 経 済 人
11
77
火。 年の新潟大地震…といろ
赤羽 良樹( 回) ’
55
卒
学入学した昭和
63
我々 期生は小学3年 時 に 終
戦。高校の修学旅行中に 母 校 が
63
火災。焼け残った体育館 を ベ ニ
39
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
(13) 第 98 号
を寄せて下さり、おかげさまで
わらず、100名の方がカンパ
平成 年 月 日、雲 一 つ な を す ご し ま し た 。
い秋晴れにめぐまれた気 持 ち の
また案内文にカンパをお願い
良 い 日 に、 回( 昭 和 年 卒 ) し た と こ ろ 、 参 加 不 参 加 に か か
れました。
は弾み、お酌もすすむ。時を忘
なつかしいね、楽しいね、お
いしいね、うれしいねと、会話
いに喜ばれました。
だんに雰囲気が盛り上がり、大
ベルで用意した大吟醸は、かく
が、特別に青山のマーク入りラ
理のおいしさはもちろんです
ました。
ア軒へ、さらに楽しい夜は続き
おひらきの後、大挙してイタリ
潟高校の記憶と直結して、歌う
を抜かれたことや、青陵祭や新
恒例の丈夫は、入学直後の上
級生指導の応援歌練習で、度肝
幹事クラスも無事針にかかっ
DVDに皆が見入った。次回主
私 た ち の 誇 り そ の も の で す ね。 映された新校舎を案内する創作
度にあの時代に戻れる。丈夫は
た。最後は、DVDで流されて
が会場を包んだ。スクリーンに
み、あちらこちらで湧く笑い声
挨拶があり、心地良い酔いが進
も、先生方(4名)の温かいご
と、訃報が相次いだ。同期生名
いた最新の青陵祭における高音
のそれ(黄色い――)とはまっ
たく異なるバンカラな「アオヤ
マ」をがなりたてて、5年ぶり
の宴の幕を閉じた。
行きがかり上幹事代表的な立
場に立たされてプレッシャーを
年の再
会を心待ちにする日々である。
期同窓会伝説「知命の祝い」編
田邊 靖貴( 回)
裕美( 回)
念なことに 年2月
中でも重きを担ってきたが、残
を務めており、 期幹事全体の
康 で 出 席 で き る 幸 せ 」 初から、真壁弘君がクラス幹事
黙とうで会が始まった。
は、
鎮魂と追憶を一要素とする。 発破をかけられ、初代幹事代表
日本大震災が発生した。同期会
回と今回のほぼ半ばの時期に東
袖山敏明君と山田修敬君という
前、学年主任の上杉雅之先生に
日に行われた。遡ること
年
天命を知る歳ともいわれる
歳記念同窓会は、平成 年 月
校時代の思い出を収めたDV
を越える住所録ファイル」
と「高
回の同窓会によって「 期三種
で再び大盛会となった。この2
行い、150名を越える参加者
や2年の文化祭映画の上映」を
文彦君を中心に「3年の青陵祭
日に急逝
50
10 10
は幹事代表の池元太郎君、坂田
を感じました。
した。幹事全体、中でも主幹事
を集め大成功を収めた。第2回
し か し、 そ れ は そ れ と し て、 英傑の大活躍により、第1回同
同期会は楽しくなければならな 窓会が180名を越える参加者
組幹事団の衝撃は大きかっ
13
実行委員長 大塚
簿の中にも「逝去」の記載がち
若手芸妓総出演の祝
舞が、これから始まる
い。懐かしい顔と顔が、互いの
93
25
9
47
笑顔を誘い合う方が良い。今回
充実した内容のおもてなしがで
る華やぎのひとときです。お料
の同期会を開催しました 。
きました。ありがとうございま
還暦同期会
会場の古町花街の香り を 残 す
木造三階建ての鍋茶屋は 、 文 化
した。感謝いたします。
回) 感じてきたが、楽しく責めを塞
年の宴会で見事釣り上げら
らほら見える。そういえば、前
いで解放された。全幹事の協力
きた。
伊藤 秀夫(
2013年6月 日、ANA
クラウンプラザホテルに、卒業
年当
組 が、 今 回 そ の 大 任 を
宴への期待感を高めま
の
の神器」ともいえる「400名
90
青山
庁の保存文化財に登録さ れ て お
回)
り、現代建築にはない空 間 の 贅
前回は卒業以来 年で初めて
でしたが、 年ぶり2回目の今
善紀(
を堪能することができま す 。 そ
回は還暦を祝い、 年走り続け
時代の友人たちと旧交
に感謝しつつ、早くも
クラス担任
日)
、松沢昭
然先生(世界史・ 年3月 日)
年6月
年4月7日)
、遠藤久雄先生
載は志賀哲夫先生(英語)のみ
名中「逝去」の記
り と 楽 し み ま し ょ う。 まった。
だったが、
小泉英雄先生(体育・
思えば、この5年間、悲しい
知らせが目についた。前回まで
人 生 の 節 目 の 年 で す。
期は、 年から5年ごとに
同期会を開催してきた。同期会
お祝いしましょう。こ
の際に、エビで鯛を釣るような
回
「 く じ 引 き 的 」 な 方 法 で 次 回 の (国語・
れた
10
たが、結束して準備に当たって
20
81
10
10
の三階の二百畳の大広間 で 、 円
てきた人生をふりかえり、高校
周年アラ還同期会
―懐旧と追憶と新たな友情と―
卓椅子席7名掛け、 卓 1 2 6
を温めながら、ゆった
周年の同期生104名が集
81
13 22
れが実行委員会のテー
滝沢強一先生のご挨
拶 に あ り ま し た、「 無
負っていた。 組では、
主幹事クラスを決めており、前
事に生きて来てほどほ
11
18
25
22
後
’
73
卒
29
マでした。
10
93
す。乾杯のあとは祝宴
90
40
40
81
08
10
10
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
’
72
卒
名の大盛況で、本当に楽 し い 時
18
30
60
どの生活ができて、健
’
82 ’
82
卒 卒
80
12
の始まり。情緒あふれ
90 90
80
11
80
(14)
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
第 98 号
D 」、「
数 名 の C o r e 幹 事 」 恩師の近況報告では、上杉先生
新 メ ン バ ー を 加 え た「
半世紀前をふり返る
年前の
となりました。全日制進学を断
しております。新潟高校通信制
者たちが減っていないかと心配
念せざるを得なかった
時 代 と は 隔 世 の 感 が あ り ま す。 から、教育の原点を教えていた
とともに、社会全体の閉塞感か
労している若者が増加している
人と人との会話や人間関係で苦
す。皆様のご健勝をご祈念いた
めたいと念じつつ筆をおきま
たちに少しでも役立つように努
反 面、 情 報 化 社 会 と 相 ま っ て、 だいたことをこれからの若い人
が大きな課題でした。
します。
行われた。会を中断する こ と 無
会場シルバーホテル万代 の 間 で
はさみ、 時半の閉会ま で 同 一
会から中締め&集合写真 撮 影 を
が出席した。今回は 時 半 の 開
終盤の青陵祭と文化祭映画の
上映では、皆がそれまでの話を
も忘れられない思い出になった。
ことができた。どの先生のお話
の奥底に響き渡る激励」も伺う
た、
た。平成 年暮れ、恩師山田源
新潟高校通信制を卒業して早
や半世紀余りが過ぎ去りまし
までも脳裏に染みついておりま
通信ならではの光景としていつ
で祝杯をあげていただいたのも
与えていただきました。昭和
あり、私共に大きな希望の光を
年春、上重・田中氏の卒業が
村長生先生のご逝去があり、闘
らか将来への夢や希望を語る若
く、5時間という充分な 時 間 を
中断して見入っていた。最後は
行 先 生 が ご 逝 去 さ れ、
「山田先
年春、卒業式後先生方から麦酒
青山体友会の集い
中川 弘( 回)
継 が れ る。「 三
回新幹事に引き
期同窓会伝
説はこうして次
締めた。
が斉唱して会を
かに越える全員
を経て、日本経済は高度成長路
クタールほどの水田と果樹園を
私は、西蒲原(現在南区)で
農家の長男として生まれ、2ヘ
こしているところです。
あらためて当時のことを思い起
自分自身の学習意欲を持ち、そ
何なる苦境や混乱に陥ろうとも
なことはありませんでした。如
りますが、私には幸いそのよう
だという声を耳にすることがあ
写真をとり、乾杯の音頭と共に (
楽しみである。始まる前に記念
え、なつかしい顔に会えるのが
が開かれた。1年に1度とは言
す 月
不思議である。恒例の渋谷興司
が、ありありと眼に浮かぶから
議なものだ。瞬時に、当時の事
をかけめぐる。記憶とは、不思
戦後復興から朝鮮戦争の
「特需」 対して誠実であり、自分の学習
耕 作 す る 農 家 で し た。 当 時 は、 れを発展させるために、周囲に
の白井の出現に体操界は又一段
世界一の実力まで成長し、
大会は開かれた。日本の体操は
目 の 前 に 練 習 す る。 出 来 た!
下さいとの一品に、各自自分で
と。これ一つだけ憶えておいて
回)と片桐靖孝
回)のハーモニカ
回 ) の 二 人 の 指 導 を き き、 本とり出し音程が全部違ってい
は本格的だ。ケースより5―6
味方繁夫(
も の、 一 瞬 に 手 品 教 室 に 戻 る。
忘れて、
見入る。「不思議だなあ」
に対しての理解と協力を得るこ
と叫ぶもの、もたもたしている
歳
とが学習を長続きさせるもとだ
と盛り上がりを見せ、2020
奉職させていただきました。現 (
と「商業」の教員として
る味方繁夫(
など夢を与えるような出来事も
年間
ありました。私にとっての通教
67
17
私はその後大学で学び、卒業 楽しみである。今回は鳥屋野体
池田内閣の
「国民所得倍増計画」 後 は 公 立 高 校 で「 社 会・ 政 経 」 育館で少年の体操を指導してい
「笑顔」
とともに。 殿 下 と 美 智 子 妃 殿 下 の ご 成 婚、
年の東京オリンピックは今から
27
67
春のことである。
そのために、通信の学習は思
うように進まないというのが実
とって「過去を振り返る だ け で
壇上で応援団とラグビー部が
種の神器」に加
線へと歩み始め、農村や農業に
ということを学びました。
日、第 回青山体友会
えて、今回の素
も明るさがありました。皇太子
回 ) の 手 品 の 演 技 に、 我 を
晴らしい皆の
53
25
45
はなく、未来への希望を も 語 り
’
50
卒
例 年 に な い 台 風 の 多 い 今 年、 賑やかになっていく。○十年前
台風 号が連日、テレビを賑わ の事が走馬灯のように、頭の中
58
37
34
生を偲ぶ文集」
を手にしながら、 す。通教生は地元や職場で孤独
22
O B 会 報 告
状でした。そのような時、昭和
近藤 一弥(通4回) 50
歳を迎えた我々への「心
24
第3回同窓会は7名の 先 生 を 病 中 の 「 手 紙 の み 」 の や り 取 り
含めた総勢166名(女子 名) を通じた見舞い方のお話や、ま
に一同驚いた。本年6月には上
年 物 」 とを知り、その「雄々しい若さ」
の幹事会が発足した。平 成 年
10
田邊靖貴を代表・副代表として、 引退後の生活を送られているこ
が生まれた。第三回は斎藤隆君・ を始め其々の先生が溌剌とした
10
17
12
50
合 う 会 」 に す る た め で あ っ た。 「 丈 夫 」 を リ ー ド し、 百 名 を 遥
27
10
活動等)といかに両立させるか
会の活動(青年団・4Hクラブ
もに、当時盛んであった農村社
生活は、学習と勤労の両立とと
富であり、何でも手に入る時代
代は、経済はデフレ化、物は豊
成に関わっております。今の時
在、専門学校で若い職業人の育
述 べ ら れ、 ビ ー ル の 量 が 減 り、 合唱し、呼吸が一つになる。青
る。各人の近況が次から次へと
びるのだと皆感心してきいてい
こういう人がいるからこそ、伸
と 応 援 歌「 青 山 青 山 …。」 に 皆
潟中学校の校歌「玲瓏の天…。
」
るらしい。リクエストに旧制新
68
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
’
62
卒
34
90
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
(15) 第 98 号
靖孝(
回 )。 来 年 の 開 会 を
回)磯部博( 回)出
沢先生及び現役の3年生が2
顧問の渡辺先生、竹内先生、宮
く 語 ら れ、 夜 遅 く ま で 盛 り 上
段学校では聞けない話が熱っぽ
ズとなり、ビジネスベースでは
も・て・な・し」は流行のフレー
ばらしさに幸福感を覚えるので
る祭典にスポーツの力とそのす
ある。この開催決定は、招致委
口 卓 哉(
勝ち取ったものと賞賛され、そ
山昭郎( 回)の川田節 が 会 場
「おもてなし企画」なる事業が
だった。しかし、本当の「チー
になりひびく。柳江苑の 女 子 従
翌 日 は 4 時 起 床 で 天 候 不 順、 業種を問わず立ち上がっている
名参加して行われた。OBは馬
回 ) は じ め、 風雨のなか、巻機山登山を行う という。
ムニッポン」は、これからため
回)
、 曽 田 修 吉(
水 野 泰 隆(
(
回)が参加したが、石
に送り届けたものの急用ができ
①原稿は校正段階
②寄付金募集中
年度報告
副幹事長
儀同 政宏( 回)
青山柔道部ОB会平成
の笑顔はどれもすてきなもの
のチームプレーのすばらしさで
オリンピックで観るスポーツ
は、種目別の世界選手権(ワー
されるのである。
がっていた。
ルドカップ等)とは違ったもの
名、2年生が6名、1年生が2
がある。国旗を胸につけ、国の
今度は、バスケットボールを
本会場で観てみたい。7年の間
約 束 し て 閉 会 に な る。 外 は 雨
べく出発した。OBは当初巻機
威信を背負って戦う選手の姿
にどんなスターがあらわれるの
だった。
回)
、山際岩雄
山登山の予定であったが悪天候
に、多くの観衆は惜しみない拍
かも楽しみである。クラブ活動
業員になかなか、みなさ ん 芸 人
回)
、石
のため登山を中止した。
手を送る。オリンピック憲章の
の思い出がよみがえり、7年後、
場 泰 O B 会 長(
沢浩(
なお、馬場OB会長から山岳
部OB会創部 周年行事の説明
精神の詳細は理解していなくと
あの感動がまた日本にやって
ですねとおほめの言葉を い た だ
く。健康でなごやか
沢君は水野先輩を律儀に目的地
があり、内容は次の通り。
も、自然と醸し出される雰囲気
自から贈る言葉が披露され、そ
れに答えて3年生が送られる気
持、将来の抱負、
決意表明を行っ
青山バスケットボールクラブ 和澄 孝男( 回)
一 現役激励会
二 東京青山柔道部OB会総会
7月 日(土)三宝飯店
月1日(火)東海大学交友
3 年 生 の 公 式 戦 が 全 て 終 了 会館 「諏訪の間」
し、 部 の 活 動 は 1、2 年 生 に 託
東京会長佐藤信秋参議院議員
され、3年生は目標に向かって ( 回 ) の 2 期 目 の 当 選 を 祝 う
日程で行われることになった。
した声を聞いた瞬間、一気に熱
う一度、あの感動を日本開催で 「 T O K Y O!」 と 無 表 情 で 発
9月8日、ブエノスアイレス
でのIOC総会の動向には誰も
すでに感動は体中を駆け巡り始
り、
全国大会も夢ではない。
正々 (
県新人大会でも上位入賞してお
向かった。今年の成績も北信越
忘れ楽しい雰囲気でごちそうに
出席者 村
: 山 健( 回 )、 内
田定寛( 回)、堀清忠( 回)
ロゲIOC会長が、開催地の 進 む べ く、 激 励 会 を 開 催 し た。 会を兼ねなごやかなうちに近況
書 か れ た 封 筒 を 仰 々 し く 開 き、 道場での顔とは異なり、減量を 報告をしながら盃を重ねた。
しっかり覚えている。
いつものように巻機山の山小
屋で交流会を行う予定にしてい
体験したい」と・・・
めていた。会場の招致委員会メ
が 注 目 し て い た で あ ろ う。
「も
たが、山小屋にスズメバチの大
1964年の東京オリンピッ
ク の と き、 私 は 8 歳 の 少 年 で
磯部晃人
(
清(
き西日本では集中豪雨が 予 想 さ
きな巣ができていたため、近く
あったが、小さな白黒テレビの
堂々とした青山柔道で頑張って
れるなか、巻機山で現役 ・ O B
のキャンプ場でテント設営して
ンバーのみならず、日本中が湧
交流会兼3年生追い出し コ ン パ
交流会を開くことに急遽変更と
き上がった瞬間であった。「お・ ほしい。
と登山が行われた。毎年 9 月 の
画面の中で繰り広げられる競技
第二週目の土曜日、日曜 日 に 行
に高揚する胸の高鳴りを今でも
今回は旧顧問の藤田先生、現
い も の が こ み 上 げ る と 同 時 に、 大 会 に 出 場 し 活 躍 し て く れ た。 斎 藤 俊 正、 立 川 克 雄(
回)
、
回)
、豊田
回 )、 成 海 孝 二
回)成田昌稔(
佐 藤 信 秋(
回 )、
回)、
名塚聡( 回)
、
回)
、 吉 田 真 吾(
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
に、体友会は、進行
帰宅してしまった。
が私は好きである。スポーツを
くる!
76
74
た。顧問の先生やOBからは普
通して平和を感じることができ
72
東京オリンピック開催決定!
以上
交流会では現役1年生から順 (1)祝賀会
①日時: 平成 年1月3日(金)
番に自己紹介で山岳部入部動
機、 一 番 好 き な 山 な ど を 和 気
午後3時~6時
藹々と話し合った。3年生追い
②場所:万代シルバーホテル
出しコンパでは1年生2年生各 (2)記念誌「ふくろうⅢ」発刊
79
していく。いつもの
ことながら、母校に
体操部がないこと
が、くやまれるがい
つの日か、復興する
ことを願うものであ
る。当日の出席者は
板谷啓司( 回)上
田卯八郎( 回)渋
谷興司( 回)青山
昭郎( 回)青山茂
回)安倍豊
回)中川弘( 回)
郎(
(
川上忠男( 回)味
方繁夫( 回)片桐
曽田 修吉( 回) 山岳部現役・OB交流会
~創部 周年に向けて~
94
68
なった。
89 84
平 成 年 8 月 日( 土 )、 9
月 1 日( 日 )、 台 風 号 が 近 づ
20
60
26
76
73
’
68
卒
’
82
卒
71
72
61
82
76
90
74
15
われていた交流会が諸般 の 事 情
74
81
58
31
10
83
67
で今年は8月 日、9月 1 日 の
’
75
卒
55
55
25
25
66
87
60
55
51 51
53
59
31
83
58
(16)
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
第 98 号
儀 同 政 宏、 齋 藤 俊 弘(
回)
、 山 際 昇(
盟会長の宗岡正二キャプテンを
井狩歩( 回)
、
森克也(
澤 巧(
中心とした東京大学との決勝戦
西 山 勇 治(
勝で優勝したそうである。今後
回)
、(
回)
、
回)
、名
回)
、
小田将之
(
回)
、 渡 邊 久 雄(
回)
、 竹石健、目黒孝之(顧問)
回)
、 塚武史
(
93 90 89
た3年生4人を含め
名の現役
母校ラグビー部は部員の拡大が
前青山ラガークラブ
部 員 と の 交 流 戦 で す。 や は り、
会 長・ 加 藤 吉 策 先 輩
( 回)を悼む
21
回)
、福田仁史
永遠の課題であるようで、怪我
前青山ラガークラブ会長であ
人が出るとメンバーはぎりぎり り、 元 新 潟 県 ラ グ ビ ー フ ッ ト
となるようです。今年の現役高
ボール協会会長の加藤吉策先輩
校生チームは1チームでしたの
( 回 ) が、 去 る 平 成 年 7 月
で、若手OBと 分2本、オー
日にご逝去されました。新潟
青山ラガークラブ 幹事 ルドOBと 分1本、真剣勝負
高校のラグビー部の発展のみな
小見 毅( 回) をいたしました。毎年思うので
らず、新潟県におけるラグビー
すが、OBと現役高校生との交
競技の発展に多大なる貢献をさ
毎年、青山ラガークラブ 流試合という伝統は、新潟高校
れ、平成 年春の叙勲・褒章で
( 新 潟 高 校 ラ グ ビ ー 部 O B ラグビー部の良き伝統を創って
は、
『旭日双光章』を受章され
会)の恒例のイベントであ くれていて、これからも大切に
ました。長年のご尽力に心より
る、
夏の
「青山ラガー祭」
を、 すべき行事だと実感しました。
尊敬の念と感謝の意を表しま
昨年は8月 日(土)に新
試合終了後はこれも恒例の懇
す。 あ り が と う ご ざ い ま し た。
親会で、
OB同士の懇親を深め、
加藤先輩のご冥福をお祈り申し
において、佐藤議員の貴重な一
長田充( 回)、上杉恒彦( 回) 京都大学時代、現全日本柔道連
三 青山柔道部OB会総 会
月 日(土)
総会に先立ちOB会稽古会
は、 1 時 半 か ら 母 校 道 場 で 始
もどもお力をいただきたい。佐
ま っ た。 立 技、 寝 技 の 乱 取 に 、 の 柔 道 発 展 に 宗 岡 全 柔 連 会 長 と
OBは年を忘れ息を切ら し 、 頼
藤議員にはご多忙の中参加いた
だき感謝する次第である。続い
もしい後輩に不覚を取り な が ら
も青山柔道を伝えていた 。
石監督からの現役の活動状況の
報告の後、村田紀夫先輩( 回)
て、事業・会計等報告、母校竹
総会は6時に、これも 恒 例 と
なった会場、東堀通八「 海 鮮 亭
羅言」で開催された。
開会のあいさつの後、 東 京 会 の 音 頭 で 声 高 ら か に 乾 杯 し 懇 親
長 佐 藤 信 秋 参 議 院 議 員( 回 ) 会 が 始 ま っ た 。
そして、例年のごとく年齢差
など全く感じることなく楽しく
の2期目の当選報告及び 全 日 本
柔道連盟の正常化につい て 尽 力
飲み且つ語った。
回)
100
2013年 青山ラガークラブ
『青山ラガー祭』
現役高校生を激励する、楽しく
潟高校のグラウンドで無事
とり行うことができまし
も素晴らしい時間となりました。
回定
エコ・スタジアムにて開催され
・
7 度、 グ ラ ウ ン ド レ ベ ル で は
年 連 続 三 回 目。 最 高 気 温 は
スタで開催されるのは今回で三
この定期戦は毎年お盆の 日
回 の 田 村 君、
に開催されているもので、エコ
名のOB・O
あげます。
青山野球倶楽部事務局長 小沢 謙一( 回)
青山野球倶楽部
た。例年ですと真夏の照り
つける太陽の中で、老いも
を汗と土にまみれて追いか
(?) 若 き も 楕 円 の ボ ー ル
けるのですが、昨年は前日
まで雨天の予報と新潟まつ
B会の葦原倶楽部との第
りの開催日であり、参加人
新潟高校野球部OB会の青山
数 の 心 配 を し て い ま し た。 野球倶楽部と新潟商業野球部O
ところが当日ふたを開けて
日、ハードオフ・
期戦が8月
加メンバーも
ました。
回の丹羽正
みると心地よい晴天で、参
之先輩、折戸明先輩から昨
年卒業した
柄澤君まで
Gが集ってくれました。感
今年は花園に向けて残っ
18
94
91
16
していることなど興味あ る 話 を
閉 会 は 佐 藤 成 昭 先 輩(
の万歳、その後はこ
20
11
伺った。ちなみに、佐藤 議 員 は
れも例によって会場
を学校町の「佐和村」
97
謝です。
度 を 超 え る 酷 暑 の 中、 現 役
とOBが揃って整列して開会
式を挙行。
午前中は現役新チームが来春
のセンバツ出場を目指して初の
対戦。前半は新潟高校がリード
したものの、スタミナ切れから
か終盤八回裏一挙6失点して逆
転を喫し5対9で惜敗。
午後からは後輩の敵討ちをと
臨んだ青山対葦原のOB戦。当
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
56
96
’
84
卒
88
92
95
25
’
85
卒
に移し再び気勢を上
げ来年の再開を約束
した。
村
: 田紀夫
回 )、 佐 藤 成 昭、
回 )、 立 川 克 雄
出席者
(
(
佐藤信秋、小川もり
と、古寺吉和( 回)、
回 )、 広 井 俊 隆
相 澤 裕 吉、 齋 藤 斉
(
回)、大沢満(
回)、須田剛(
回 )、 伊 藤 龍 也 哉
(
(
回 )、 小 林 久 哉、 中
93
92
10
92
74
56
13
45
20
15
70
73
74
37
15
34
84
87
72
33121
72 67
82 78
85
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
(17) 第 98 号
7 歳 と 大 変 な オ ー ル ド チ ー ム。 ぞれの想いを胸にエコスタでの
先発メンバーの平均年齢が
OBらは硬球に触れる年に一
が一番セカンドで先発す る な ど
・ 度の機会で、老いも若きもそれ
方の最年長の大橋恒夫氏( 回) ました。
受ける現役も、どちらも負けら
を押し付けるOBも、苦笑いで
りに大人気なく無理なハンディ
差は歴然ですが、勝ちたいばか
の対戦はOBチームに花を持た
レー。さすが3年の広田君、こ
よる200mの変則個人メド
遊びに来ていた3年の広田君に
泳ぐ175mリレー、対するは
は両チームとも堅守にて 5 回 ま
の乱戦を予想したものの 、 今 年
序盤から毎年恒例の二ケ タ 得 点
高橋昇( 回)、藤縄利勝( 回)、 谷 川 さ ん(
当 日 の 参 加 者 は 以 下 の 名。
初戦は150mリレー。OB
大橋恒夫( 回)、中野久( 回)、 チ ー ム は 津 野 さ ん( 回 )
、長
プレーに興じていました。
青山バドミントンクラブ
バーベキュー大会
回)がそ ( 1 年 ) に よ る 2 0 0 m バ タ フ
そして第3戦。第2戦と同じ
メンバーのOBチーム対石黒君
会場は我々が現役時代トレー
ニングを行っていた(たまにサ
と合同で開催しました。
ラブのバーベキュー大会を現役
例となった青山バドミントンク
暑い夏も終わりを告げ、秋の
空気が流れ込んだ 月5日、恒
況などを報告しました。その中
会の終盤、OB全員と現役の
代表がそれぞれ挨拶を行い、近
義な会だと思っています。
をとれる機会として、大変有意
堂に会してコミュニケーション
ることのない現役とOBが、一
渡辺 吉雄( 回)
OBチームでしたが、連戦の疲
ボっていた?)関屋浜にある海
回 )、 白 井 行 雄(
大 塚 忠 雄(
回 )、 平
回 )、 藤 原 正 博
が
m と 松 木 さ ん(
回)
、山際さん(
れぞれ
ましたが、6回、葦原が体力・ 丸山明男( 回)、宇貝孝( 回)、 (
実力とも勝る社会人チー ム 新 潟
コンマーシャル倶楽部のメン (
副会長
(
回 ) ライ。最後の最後まで諦めない
25 63
回)
の両先輩が加わっ
で現役から、シャトルが足りな
1勝2敗という成績でした。
我々OBにとってはうれしい
話で、今年は1年生が多く入部
した。
参加をいただき盛会となりま
3名、現役生
こともヘビー級。結局、無条件
す! との大胆発言。食いっぷ
りも大したものでしたが、言う
の 援 助 を お 願 い し ま す!
100本もらったら優勝しま
い の で 1 0 0 本( 1 2 0 0 個 )
楽しいひと時を過ごすことがで
の中でのBBQで現役部員との
た美味しいソーセージ等、自然
ん(
回)が差し入れて下さっ
ソーセージの店ラインの高橋さ
なくなってしまい、現役男
した食材があっという間に
のいい食べっぷりに、用意
たものの、あまりの気持ち
席しました。予想はしてい
名、合計
レースの後は、こちらも恒例
のOBによる現役部員激励BB
名の
名、顧問の先生
すが、普段ほとんど顔を合わせ
回 )、 江 口
れから最後には力尽きて僅差で
回)
、中戸さん
mを、対する現役チームは
惜 敗、 平 田 会 長(
せてくれました。
れない真剣勝負です。
では1対3と接戦で推移 し て い
mずつ泳ぎま
83
一歩及ばず現役チームの勝利。
84
84
を加えた7名がそれぞれ mを
Q大会が開催され、
手作りハム・ し、食べ盛りの現役生が多く出
26 14
25
58
浜公園。OB
尾俊彦( 回)、八巻修一( 回)、 1年女子3名が
回 )、 廣 橋
恒例になっている現役部員と
O B の 交 流 戦。「 ま だ ま だ 若 い
るさ、そして美しい関川村の自
いる姿や高校生の溌剌とした明
が、先輩方の活き活きと泳いで
は諸事情により戦力外でした
参加したOBの中では一番若
かったにも関わらず、交流戦で
きました。
りました。
す、というハプニングもあ
とか若者たちの腹を満た
怪 し ま れ ま し た が。) な ん
公園への大量注文でかなり
し、
( ピ ザ 店 か ら は、 海 浜
子が肉を取り合う状態に
現役生は無料招待なの
で、OB会としては赤字で
…… 急 遽 宅 配 ピ ザ を 手 配
然に、たくさんの元気をもらっ
た合宿でした。
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
’
91
卒
星野紹英( 回)、浅井寛( 回)、 す。接戦になりましたが、あと
航(
去る8月4日、大先輩 の 皆 様
とともに、総勢 名で現 役 水 泳
毎日泳いでいる高校生では力の
43
佐 藤 雄 一 郎(
で開催され、新潟、新潟南、
新 津、 柏 崎 の O B チ ー ム が
参 加。 新 潟 高 校 は 初 戦 新 津
高 校 に 勝 利 し た も の の、 決
勝 戦 で 新 潟 南 に 惜 敗。 準 優
勝となりました。
’
86
卒
青山水友会 柳本 和貴( 回)
関川村合宿に参加して
60
83
回)、小沢謙一( 回)、
第2戦はOBチームが小熊さ ていれば展開も変わったかもし
ん( 回 )
、 山 田 さ ん( 回 ) れませんが、残念ながら今回は
回 )、 松 岡 功
118
10
な お、 8 月 日 に も 高 校
野球OB大会が鳥屋野球場
回)、
回 )、 安 藤 旭 広
回)、斎藤了一(
太 郎(
茂 澤 昌 宏(
107
清水健介( 回)。
(
113
94
77
92
118
93
118
77
もんには負けん」というOBと
ただきました。
61
79
90
50
77 75 71 21
84 86
77
75
79
84
50
73
61
99
バーに切り替わり一挙6 失 点 し
85
て9対2でコールド敗け を 喫 し
10
79
60
部の関川村合宿に参加さ せ て い
10
(18)
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
第 98 号
の演奏会が始まった時点で、私
と不安だったのですが、一日目
抱いていました。そして弦楽器
でも私は自分で直接被災地で
援助をしたいという思いを強く
何回か参加しました。
回)
私も楽しんで聴くことができま
結論に達した訳ですが、では誰
バイオリンを寄付しようという
ガロの結婚」でオペラに出演い
王立歌劇場指揮者のもと、「フィ
ギー・ブルージュで、ベルギー
たしました。
ニューヨークでは、
思った我々が逆に子供たちから
子供たちに元気を与えようと
めたのです。
り着き、そこに寄付しようと決
る宮古ジュニア弦楽合奏団に辿
ある梅村圭一さんが主宰してい
者や、佐渡裕さんとも共演させ
後、メトロポリタン歌劇場指揮
に出演させて頂きました。その
若き才能を紹介するテレビ番組
元気をもらったのは、嬉しい計
起 き て い る か ら テ レ ビ を 見 て 」 す。 梅 村 さ ん の お 宅 に 伺 っ て、 し ま し た。 パ リ を 選 ん だ の は、 1度、リサイタルを開催してお
義理の妹から「日本で大地震が
セット送らせていただくことに
の結果子供用のバイオリンを4
私の考えを聞いてもらって、そ
す。2年在学しまして、ディプ
とても好きだったことが理由で
楽や、フランス語の持つ響きが
ドビュッシーなどのフランス音
します。今年は、特にフランス
オペラアリア等より、選曲いた
曲、フランス歌曲、ドイツ歌曲、
ります。テーマを設け、日本歌
と思い、2011年より、年に
市、釜石市、それにいわき市の
なりました。
会」と銘打って、被災地 の 子 供
それは昨年7月初めに 「 東 北
被災地復興支援のための演奏
ノフ樹里亜さんを軸に、遠野市
ストで作曲もする赤津ストヤー
る光景だったのです。その映像
ちょうど津波の第一波が東北
の海岸に襲いかかろうとしてい
それから日本に行く度に、必
ず宮古を訪れ、梅村さんご夫妻
後の2年はマンハッタン音楽院
ました。4年間研鑽を積み、最
し、ニューヨークに拠点を移し
ロマ・スペリエルを1位で取得
んなに心強いことかと存じま
にお越しいただけましたら、ど
おります。その際は同窓の皆様
をテーマにリサイタルを考えて
お越しいただけますよう、どう
と一緒に食事をしながら、いろ
ぞよろしくお願いいたします。
に釘付けになり、信じられない
た。その間、コンクールに出場
在住で被災地でチャリティーコ
し、 優 勝 や 入 賞 を 重 ね、 ベ ル
たちに元気になってもら お う と
て来ています。
音楽会を企画したのです 。 宮 古
その後も津波の被害を受けて
使用不能となっている「宮古市
す。 皆 様 お 誘 い 合 わ せ の う え、
ていました。
民文化ホール」の復興を待って
に在籍し、修士号を取得しまし
その日から「これはただ事で
はない。何かしなければ」とい
行なわれる予定の記念のイベン
いろ現状や将来の見通しなどを
スト伊禮しおりさ
う気持ちで胸が張り裂けるよう
トに向けて、私もいくつかの企
話し合って、絆も徐々に強まっ
んとパリ在住の声
な状態でした。それからしばら
画を提案しようと頭を捻ってい
映像を目で追い、興奮したアナ
楽家浦田典子さん
くして、あちらこちらでチャリ
る今日この頃です。
ウンサーの声をただ呆然と聞い
の三人を選びま
ティーコンサートなどで義援金
学で音楽学を専攻し、 世紀の
関本 菜穂子(
新潟高校を卒業したのは
1998年。その後東京芸術大
’
98
卒
フランス音楽理論研究のために
18
海外で故郷を思う
した。
を集めていることを知り、私も
回)
まだ顔も合わせ
たことのない三人
いるヴァイオリニ
のスイッ
NHK WORLD
チを入れて目を疑いました。
カントルム音楽学校へ留学いた
三都市で、週末を跨いで一週間
な
演奏者には一昨年 月、これ
も縁があって知り合ったピアニ
さんを訪ねることになったので
平成 年5月1日に 歳 に な
りました。昔風に言えば 、 古 稀
勉強するため、パリのスコラ・ 楽性を、新潟に広げていきたい
ていただく機会に恵まれまし
た。現在パリを拠点に活動中で
算違いでした。
今井あいと申します。新潟高
校卒業後、学習院大学法学部を
すが、海外で得た演奏技術・音
早速梅村さん宛に手紙を出
し、届いた頃を見計らって梅村
日 の 朝( フ ラ ン ス 時 間 )
、 さんに電話をして、宮古に梅村
卒業しまして、声楽を本格的に
フランスに住んでから 年ほ
どになりますが、2011年3
演奏会は成功と言っていいも に 寄 付 す る の か と い う こ と で、
の と 自 負 し て い ま す。 そ し て、 いろいろ調べた結果、宮古市に
した。
今井 あい(
「熱き想い」が届くように
の危惧が全く必要なかったと分
商をやっている関係で、やはり
した。
りました。それからは気分も爽
満額回答とはいきません で し た
が、 ま ず は そ の 半 分 を 提 供 し 、
現役生へ。OB会は皆さんを
甘やかしはしませんが、皆さん
やかになり、その後の演奏会は
現役生のやる気を見極め た う え
します。吉報を待っています!
で、 最 大 1 0 0 本 を 援 助 す る 、 の や る 気 に 対 し て は 喜 ん で 応 援
という出来高払の決着と な り ま
海外 の同窓生だより
海外で活動され る 同 窓 生 の 方 々 も 多 く な り 、 い た だ
くお便りを掲載 す る コ ラ ム を 設 定 し ま し た 。 初 回 は
フランスからの お 便 り で す 。 初 回 の 今 号 は 3 点 掲 載
いたします。
古希の震災復興支援活動
’
97
卒
の演奏者でちょっ
106
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
105
と連絡があり、眠い目をこすり
月
40
ながら
11
弱の日程で合計6校の小、中学
’
63
卒
校を訪れ、演奏会をしました。
三村 兼哉( 回)
71
年の私の人生で、昨 年 は 忘
69
を迎えたことになります 。 そ ん
25
れられない年になりまし た 。
69
ンサートなどを数多く手がけて
11
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
(19) 第 98 号
つも、生誕300周年を 迎 え る
昨年は9月に第1子出 産 予 定
でしたので重たいお腹を 抱 え つ
持ってまいりました。
頂いたりと、日本とも繋 が り を
新潟の中小企業の通訳を さ せ て
空宇宙機器の見本市で新 潟 市 や
を出版する機会を頂いた り 、 航
共 訳 書( 春 秋 社、 2 0 1 2 年 )
づく音楽理論と実践の基 礎 』 の
ベールの『ラモー氏の原 理 に 基
代の重要な音楽書である ダ ラ ン
なります。その間、バロ ッ ク 時
して以来、パリ生活は早 9 年 に
ソルボンヌ大学博士課程 に 留 学
な故郷の思い出を語り合える場
しく思い出します。海外でそん
た松林や海岸の情景なども懐か
をサボって)ふらふらと散歩し
み時間や放課後に(時には授業
なっているように思います。休
中力は今でも代えがたい財産と
んでしたが、あの頃に培った集
できるような生徒ではありませ
私の高校時代はピアノや和声
法の習得に夢中で、とても自慢
伺いました。
り上げていきたいという抱負を
在学生や卒業生の海外交流も盛
お会いし、これを機に新潟高校
大先輩の小林亨さん( 回)に
れました。その際に青山同窓会
思い返せば、9年 前のシー ズ
ンは、 勝 敗1分けで、首位
かえった。
ズに出て欲しいと思っていた
なんとかクライマックスシリー
東日本大震災という未曾有の
災害に見舞われた東北、いまだ
大記録につながった節目の試合)
本一になった。
シーズン当初は、 し、結果として、
とうとう、東北楽天ゴールデ
ンイーグルスが創設9年目で日
もいる。
月3日の夜は、仙台、宮城、 に仮設住宅等で生活している被
いや、東北全体が、歓喜に沸き 災 者 は 万 人( 原 発 関 連 含 む )
が、まさかの日本一である。
楽天の選手は、被災者を訪問
し勇気づけ、本拠地での最初の
プ、状況判断等どれをとっても
の一人だ。パスワーク、ステッ
レーヤーが多い。木下康司もそ
終えた。
ならず、対戦戦績を一勝一敗で
だが、新人戦に続いての勝利は
特 別 寄 稿
百科全書派のディドロに つ い て
ができればどんなにすばらしい
を見せましょう」と挨拶した。
と ・5ゲームの差をつけられた。 試合で、嶋捕手は「東北の底力
仏 政 府 給 費 奨 学 生 と し て パ リ・ 設立記念パーティがパリで行わ
の国際シンポジウムで研 究 発 表
でしょう。その実現のために協
勝因はいろいろある。
勝0敗1セーブという前人
未踏の成績を残した「神様」田
ざるを得ない。
本当にいい思いをさせても
今回の優勝ほど、「強い希望」 らった。
と「たち向かう意志」の大切さ
月 日 は、 仙 台 で 優 勝 パ
レードが予定されており、最高
をさせてもらったり、音 楽 関 係
力させていただけることがあれ
中投手の存在、新人・則本投手
(田中投手が抜けると言われ
ている)来シーズンは、そんな
の盛り上がりとなろう。
とって逆転勝ちしたのがいい例
スと地域の絆は、そう簡単には
し、一度築かれた楽天イーグル
夢 は 実 現 す る た め に あ る、
強い意志と希望をもち続けて
次なる夢は、母校の甲子園出
場である。
である。
(この試合は田中が完投
になりそうで本当に連帯感が強
両外国人の活躍、
嶋捕手の存在、 首位に立った頃から、夢が現実
若手の活躍、
ジョーンズ・マギー
く な っ て、 K ス タ は 連 日 満 員
い声援を送り続け、今年7月に
一 昨 年、 昨 年 と 結 果 は 出 な
かったが、東北のファンは温か
これ以来、楽天の選手と地域
は一体となった。
育大会決勝戦、新潟工業はその
国一と言われた。そして総合体
のチーム。後にフォワードは全
になった新潟工業史上最高戦績
業高校は、国体3位、花園3位
だった。当時のライバル新潟工
る。彼自身の筆による自らの課
そ し て、 大 蔵 省( 現 財 務 省 )
に入省後もその勇気を持ち続け
て一年で退部。
袖を通す。残念ながら肩を痛め
ジャージー(黒と緑の段縞)に
申し分なかった。しかし、彼が
東 京 大 学 法 学 部 入 学、 ラ グ
もっとも秀でていたのは
「勇気」 ビ ー 部 入 部。 伝 統 の ス イ カ
長補佐時代を振り返った文章を
等々である。
フォワードでスクラムサイドを
日フォーラム「課長補佐時代」
)
だった。
日 本 一 に な っ た 月 3 日 は、 突破しようとしてきた。勝つた
く し く も、 大 震 災 の あ っ た 3 めには徹底的だった。彼はその
そこにも彼の勇気があった。
ネットで見ることができる。(毎
巨漢フォワードに対して膝めが
勇気の蓄積の先にあったもの
は人気だった。彼は毎年、旧交
たい」という強い意志が一番で
ある。
けて、いや足首めがけて勇気の
を温めに新潟を訪れる。大量の
日とひっくり返しの月日
である。
タックルを続けた。そのタック
月
いい証拠に、今シーズンは逆
転勝ちが多かった。
ル(=勇気)は劣勢なチームの
し か し、 何 と 言 っ て も、
「勝
つことで東北の人々を勇気づけ
新 潟 高 校 ラ グ ビ ー 部 で は、 唯一の攻撃のようであった。そ
代 々、 ス ク ラ ム ハ ー フ に 名 プ れは、
チームの士気をも高めた。
’
75
卒
連勝という
小沼 進一( 回)
勇気の先にあるものは
欲しい。
に多くは期待していない。しか
24
壊れないと思っている。
中村 功(
を感じたことはない。
の物書きの仕事をしたり 、 は た
ば幸いに存じます。これからも
や星野監督が育てた銀次選手等
11
ここにも、東北に愛される楽
天イーグルスの存在意義を感ぜ
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
見せた!東北の底力
また夏にはユネスコ世界 遺 産 の
青山同窓会の皆様にお会いする
回)
ロワール渓谷のとある村 で 宅 地
時を楽しみにしております。
’
64
卒
建設反対の住民運動を立 ち 上 げ
72
たりと、我ながら苦笑し て し ま
うほどの「何
でも屋業」を
営みながら暮
83
24
11
らしておりま
した。
20
7月 日のロッテ戦で、1―
2で負けていた9回裏に2点を
11
平成 年6
月に新潟フラ
ンス協会パリ
支部および新
潟日報欧州国
際交流拠点の
97
11
51
24
38
26
13
(20)
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
第 98 号
60
さらに人数を増やして語り合
ビーではなくゴルフをし 、 夜 は
に 必 要 だ。 だ か ら 友 人 と ラ グ
笑いと少しの感傷は勇気 の 充 電
その人気で、さらにその先に向
人 気 は 人 の 気 を 集 め る 人 気 だ。
ついに、平成 年6月、彼は
財務事務次官に就任した。彼の
ばれる人気だ。
追 悼 文
回)
気安く参加できるというお気持
ただいて居りました。先生にも
や東京での同期会にもご参加い
長谷川 義明(
追悼 大橋禎助先生
う。相変わらず彼だけは 、 小 学
かう彼に声援を送りたい。
回青山ゴルフ会(報告)
校の時からのニックネー ム で 呼
第
年を越す長い
ちがおありだったようです。振
り返って見れば
恩師松澤先生を偲ぶ
今野 公和(
回)
年まで新潟
ろあって、インド哲学を専攻さ
れ、昭和 年から
高校で世界史の教鞭を執られた。
昭和 年3月卒業の3年G組
は、男子生徒ばかりのため、潤
いにかけるところあり、松澤先
生の手をわずらわせるところ多
ご自宅に何台もの碁盤を用意
されて、いつでも打ちに来て下
県内各地から併せて、
ものは仙台から車いすで、また
去る平成 年9月7日午後2
時、あるものは東京から、ある
平成
慕 い 申 し 上 げ る 者 が 多 か っ た。
かったと思うが、団結力は堅く、
さいと歓迎して頂きました。強
お付き合いとなっていました。
豪であられた先生に勝てるよう
年にも、
有志一同 人が、
温厚で真面目な先生を心からお
元新潟高校教師大橋禎助先生
は去る 月3日享年 歳でご逝
229
れ、実に多くの同窓生がお世話
学の教師としてお勤めになら
いう長きにわたり新潟高校の数
大橋先生は昭和 年4月から
昭和 年3月まで実に 年間と
を捧げます。
のように元気で過ごしたいもの
元気なご様子に、みんなが先生
したが、先生の卒寿にしてなお
う会合を行形亭で開催いたしま
生の卒寿とわれわれの傘寿を祝
成りました。昨年の4月には先
したし、奥様にも大変御世話に
になりたいと通った友人もいま
めであった。その日は、温厚な
仏前で、ご冥福をお祈りするた
亡くなられた恩師松澤先生のご
平成
昭和 年度(青山 回生)3
年G組の有志が、当時の担任で
結した。
人か?)が、五泉市浄林寺に集
老の男たち(
の歓談の時を過ごした。そのと
だった松澤先生を訪れ、しばし
五 泉 市 浄 林 寺 に、 当 時 お 元 気
に成りました。当時は国公立大
だと人生の目標だなどと話し
先生の面影を偲びつつ、ご子息
年3月 日に享年
才で
才だから老
学の理数系に進学するには特に
か
数学は重要な鍵となる科目であ
合っていたことでした。
ますと共に、安らかなご冥福を
浄林寺は、五百年に及ぶ浄土
真宗大谷派の名刹で、松澤昭然
先生は、昭和3年1月7日そこ
で産声を上げられ、新潟高校教
師を退職後、二十二世の住職を
務められたのである。東大理Ⅱ
から医学部に進まれ、思うとこ
じょうりんじ しょう昭
松澤先生のご冥福を心よりお
祈り申し上げます。 合掌
「井の中の蛙に似たり
老いの身は
南無阿弥陀仏と
啼くばかりなり」
お寺様からいただいた香典返
しの手ぬぐいのお歌は、
そうにしておられた。
きの松澤先生は、本当にうれし
りましたが、先生は大変分りや
人の初
去されました。謹んで哀悼の意
います。)
’
60
卒
18
第 回青山ゴルフ会は 月
日(日)紫雲ゴルフ倶楽 部 で 開
68
56
回)、5
平成 23 年9月 11 日
五泉市浄林寺にて
すく教えてくださり、苦手意識
います。
心から祈念申しあげます。
程度の差しかなかったこともあ
り、卒業後も友人感覚で交流を
続けさせて頂きました。毎年の
新潟での同期会や時には月例会
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
’
53
卒
個人の部の成績は、優勝 廣
瀬 雄 一( 回 )、 準 優 勝 武 田
回 )、 3 位 福 島 英 樹
回)4位中村峻(
浩 昭(
た が、 時 折 雨 の 混 じ る 強 風 の (
位北村誠作( 回)でした。
す。 電 話 0 2 5
225
23
催されました。前日に台 風 号
26
35
61
60
はじめての生徒であったわれ
われ 回生とは年齢的にも 歳
を払拭して受験できたように思
31
が通過し好天候が期待さ れ ま し
91
人生の先達としてご指導いた ( ご 住 職 ) 孝 然 様 の 重 厚 な 読 経
だいた先生に深く感謝申しあげ に頭を垂れた。
21
86
72
68
中、 選手が激戦を繰り 広 げ ま
25
71
29
34
25
した。
青山ゴルフ会のご案内をご希
同期出場者上位3人の ネ ッ ト 望 の 方 は 、 青 山 ゴ ル フ 会 事 務 局
スコアで争う団体戦は、 回(北
脇 坂 一 郎( 回 )、 本 間 正 隆
村誠作、菅又滋、渡辺国 夫 、 井 ( 回 ) へ ご 連 絡 を お 願 い し ま
海明)が優勝されました 。 団 体
025
7164(㈱本間組内)
-
-
89
Fax
24
88
107
戦の出場チームは、 回 、 回 、 8 2 0 0 /
回、 回、 回の5チ ー ム で
した。どうやら団体戦の 賞
金は手厚い模様で、優勝 さ
れたチームは、その賞金 で
回の同期諸兄 と
2次会に繰り出せるよう で
す。私も
つの日か勝利の美酒を味 わ
うことを夢見て参加を続 け
て行きたいと思っており ま
す。( 次 回 の 開 催 は 本 年 5
11
25
廣瀬 雄一( 回) ’
99
卒
111
27
27
107
72
10
72
69
91
-
61
月 日(日)に予定され て
10
84
共にこの団体戦に挑み、 い
107
-
上村会長と団体賞優勝の 72 回の皆さん
84
36
36
43
79
55
61
72
25
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
(21) 第 98 号
青山同窓会報
第 98 号
平成 26 年1月1日
(22)
平成 25 年度 部活動大会結果報告
陸上競技
全国高等学校総合体育大会陸上競技大会
800 m 1位 広田有紀 2分 05 秒 65(新潟県高校記録/県記録/北信越高校記録)
新潟県陸上競技選手権大会
男子 400 mH 3位 本間健太郎
女子 800 m 1位 広田有紀
国民体育大会陸上競技新潟県予選
少年男子B 110 mJH 1位 安立悠紀(国体出場)
少年男子B 走幅跳 1位 稲川尚汰(国体出場)
北信越高等学校新人陸上競技大会
男子5000 m 5位 岸本克佳
110 mH 6位 安立悠紀
走幅跳
3位 稲川尚汰
円盤投
8位 大橋 悟
女子1500 m 4位 榎 千遥
3000 m 1位 榎 千遥
柔道
BSN 高等学校柔道選手権大会
男子個人戦 81kg 3位 加藤稜大
男子個人戦 73kg 5位 真藤俊平
女子テニス 第 36 回全国選抜新潟県大会 女子団体 3位
フェンシング 第 59 回全国高等学校フェンシング選手権大会
女子個人フルーレ 第4位 古俣潮里
女子個人エペ 優勝 古俣潮里
平成 25 年度新潟県高等学校秋季体育大会フェンシング競技大会
男子学校対抗戦 2位
女子学校対抗戦 優勝(北信越新人大会出場)
男子個人サーブル 3位 高島 望
女子個人フルーレ 優勝 大内 唯 2位 大澤ひかる 3位 小林千紗
女子個人エペ 優勝 松木美生 2位 坂井 鮎
女子個人サーブル 2位 平賀有紗
ボート
平成 25 年度新潟県高等学校秋季ボート競技大会
男子ダブルスカル 2位 新潟高等学校高校A(野村大樹・本間智洋)
(中部選抜大会出場)
女子ダブルスカル 2位 新潟高等学校高校(狩谷幸子・坂井桃花)
(中部選抜大会出場)
男子舵手付クォドルプル 2位 新潟高等学校A(高橋 哲・石田琳太郎・遠山文也・竹田卓真・生越瑞揮)
(中部選抜大会出場)
空手道
第 47 回新潟県空手道選手権大会
兼 第 41 回全日本空手道選手権大会新潟県予選会 少年女子形 3位 山賀みのり
第 33 回全国高等学校空手道選抜大会新潟県予選会 男子個人組手 1位 篠原寛弥
(全国選抜大会および北信越大会出場)
第 27 回北信越高等学校空手道新人大会
兼 平成 25 年度全国高等学校空手道選抜大会北信越地区予選会 男子個人組手 3位 篠原寛弥
(全国選抜大会出場)
放送
第 33 回QK杯校内放送コンクール
朗読部門3位 藻谷美月
テレビ番組部門3位 熱き鋼の伝承者(あつきはがねのでんしょうしゃ)
ラジオ番組部門3位 come!(こめかむ)
写真
第 37 回全国高等学校総合文化祭写真部門 最優秀賞・文化庁長官賞 大嶋和海
第 27 回新潟県高等学校総合文化祭写真専門部展 優秀賞 稲田有花 (第 38 回全国高等学校総合文化祭出場)
吹奏楽
第 37 回新潟県アンサンブルコンテスト高等学校の部 金管8重奏 金賞
囲碁
第 37 回文部科学大臣杯全国高等学校囲碁選手権大会 女子団体 7位
(莪山叶実、曽川マリー、山田果歩、大野李奈)
第 37 回全国高等学校総合文化祭長崎大会 男子個人 8位 小林賢登
秋季囲碁大会
個人戦Aブロック 1位 小林賢登 2位 三輪龍大 4位 曽川マリー 5位 松村朋直
Bブロック 3位 山田果歩 5位 大野李奈 以上6名(北信越大会出場)
書道
全国高校総合文化祭長崎大会参加 関 春菜
将棋
新潟県高等学校文化連盟将棋新人大会 男子個人戦 2位 橋本 颯
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
母 校 は 今
3年目のインターハイ
陸上競技部 3年 広田 有紀
インターハイを終えて
ていただきました。私は 、 中 学
大変貴重な経験をたくさ ん さ せ
文祭への参加など写真部 と し て
あけましておめでとう ご ざ い
ます。昨年は、長崎しお か ぜ 総
表あいさつを務めさせていただ
校総合文化祭開会式での生徒代
の秋には、その縁で第 回県高
最優秀賞に選ばれました。昨年
た写真が長崎しおかぜ総文祭で
3年生最後の夏に、私が出品し
くご指導いただきました。
た練習を考えてもらい、根気よ
く意欲、回復後の設定を見据え
中、顧問の和田先生から前を向
しい日々が続きました。そんな
うような練習も出来ず、もどか
ます。
からも夢を追い続けたいと思い
うな貴重な経験をばねに、これ
当に感謝しております。このよ
か支えてくれた仲間、家族に本
怪我が治らない時期、自暴自
棄になりそうな気持ちをなんと
した。
したが、優勝できてほっとしま
日本高校記録には届きませんで
今後への手応えを感じました。
さを保った試合ができたことに
したが、熱くなりすぎずに冷静
対戦だったこともあり緊張しま
す。決勝が前回敗れた相手との
きな自信になったと思っていま
安心するとともに今後に続く大
優勝という実績を残せたことは
目にして最後のインターハイで
1年目、2年目ともに悔しい
結果に終わっていたため、3年
と思います。
に、より一層努力していきたい
舞台で結果を残していけるよう
く、次は大学という一段階上の
イトへの感謝を忘れることな
や学校の先生、家族やチームメ
ものだと思っています。コーチ
力添えがあったからこそ出せた
今回の結果は、私をこれまで
支え続けてくれた多くの方々の
フェンシング部 3年 古俣 潮里
校までは競泳をしており 、 ま さ
きました。今思えばあのときの
そうして、迎えたインターハ
イ。「 周 り の ひ と の 喜 ぶ 顔 が 見
部活動を通じて
か自分が写真部に入ると は 想 像
友人の誘いがなければ、私は全
たい」ただ、そういう気持ちが
湧いてきました。結果は目標の
もしていませんでした。 そ ん な
く違う高校生活を送っていたの
今シーズンは、怪我との戦い
で始まりました。少し回復して
私を写真部に誘ったのは 友 人 で
だと思います。卒業が近づくに
写真部 3年 大嶋 和海
し た。「 男 子 一 人 じ ゃ 心 細 い か
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
へ 入 部。 そ れ か ら 2 年 が 経 ち、 はまた悪化という繰り返し。思
ら一緒に入らない?」そ し て 私
つれ、写真部に入って良かった
会封筒を人数分用意しておきます。よろしくお願いします。
会費納入のお願い・振込用紙そしてA4サイズが入る角2の同窓
同期会の開催に合わせて、是非、会費納入者の拡大にご協力下
さい。早めに、開催の期日を連絡頂ければ、事務局で、同窓会報・
同期会を開催される期の幹事の方へお願い
は友人に言われるがまま 写 真 部
なという思い
が強くなって
いくのを感じ
ます。お世話
になった顧問
じ写真部の仲
間に感謝して
会報へ寄稿される方へ、原稿字数のお願い
68
います。あり
原稿の字数は800字から1,000字の間で書いて下さるよ
うお願いします。1,000字以上ですと紙面の関係で載せられ
なくなることがありますのでよろしくお願いします。原稿につい
回)
イラスト…池主 憲夫( 回)
ては掲載時期や紙面制限の関係で、字句文章の修正、割愛をさせ
小川 和恵(
101
ていただくことがあります。
表紙題字
:
がとうござい
ました。
左上より フェンシング部顧問・佐藤真先生 草間俊之学校長 陸上部顧問・和田紀明先生
左下より フェンシング部・古俣潮里さん 陸上競技部・広田有紀さん
27
の先生方、同
「ふたつの世界」 大嶋和海さん受賞作品
平成 26 年1月1日
青山同窓会報
(23) 第 98 号
青山同窓会報
第 98 号
(24)
平成 26 年1月1日
104回H8年
長谷川 創
中 澤 佑 介
10回S43年
喜多村 勇 夫
五十嵐 タツミ
陽 田 ナツ子
渡 辺 むつ子
40回H10年
大 谷 茂
原 太 一
平 倉 春 香
阿 部 恭 平
小 島 英 二
太 田 光 雄
30回S63年
34回H4年
曽 我 昭 仁
川 端 周
樋 口 真佑子
渡 邉 広 樹
今 井 明 子
嶋 田 博
片 桐 登
小 川 春 世
関 川 亮 子
永 原 正 朋
鈴 木 貴 裕
真 壁 枝 里
渡 邉 公 則
吉 楽 政 子
清 野 喜美男
中 野 藤 美
長 濱 隆 道
田 中 博 子
星 恒 市
濱 勇
元 井 太 朗
渡 辺 優 香
木ノ下 健 次
宮 尾 正 一
24回S57年
本 多 孝 一
米 山 賢 治
41回H11年
105回H9年
渡 邉 綾 子
121回H25年
佐 藤 イチ子
21回S54年
今 井 榮 作
増 田 朋 子
35回H5年
本 間 明 子
磯 野 寿 育
114回H18年
齋 藤 愛
佐 藤 達 夫
阿 部 洋 一
須 貝 幹 雄
丸 山 弘
伊 藤 歌余子
42回H12年
遠 藤 尚 史
楠 慧 子
佐 藤 も も
山 田 一 夫
清 野 義 昭
26回S59年
31回H1年
小 林 直 樹
畔 柳 圭
小 松 絵理子
佐 野 満実子
田 中 博
渡 辺 洋 子
22回S55年
近 藤 英 子
石 井 幸 代
福 田 知恵子
大 滝 智
田 中 健 一
115回H19年
鶴 巻 瑛
11回S44年
小 島 瑠美子
清 田 輝 雄
金 子 よ う
36回H6年
岡 田 武 雄
寺 尾 仁
枝 並 直 樹
中 村 美 貴
小 林 幸 子
佐々木 浩 之
南 雲 トミイ
関 テル子
椎 谷 郁 子
永 田 裕 子
成 澤 良
小 山 貴 之
長谷川 巧
牧 野 榮 策
佐 藤 マツイ
山 崎 喜 男
滝 澤 公 晴
37回H7年
星 野 レン子
渡 邉 千 絵
郷 慎久朗
伴 田 基 拓
12回S45年
田 村 和 男
27回S60年
田 中 麻紀子
神 林 早 苗
43回H13年
106回H10年
高 橋 茉 那
山 縣 香 奈
阿 部 勇太郎
戸 嶋 孝
阿 部 幸 一
田 巻 ナホ子
笹 川 薫
鶴 巻 新太郎
齋 藤 健太郎
戸 田 史 織
山 田 恭 巳
小野塚 操
外 山 トミヱ
安 倍 武 勇
32回H2年
38回H8年
44回H14年
107回H11年
長谷川 宝 史
余 湖 未 笛
小 林 京 子
小 林 サチ子
岡 田 忠 雄
菊 地 光 子
柿 崎 フミ子
石 原 マサ子
阿 部 剛
林 康 貴
斉 藤 平三郎
藤 田 栄 六
熊 田 照 子
武 正 志
轡 田 敏 春
近 雄 介
関 裕 子
116回H20年
通信制
田 辺 辰 次
藤 田 キミエ
栗 原 隆
山 賀 利 夫
成 田 二 郎
45回H15年
真 柄 望
久須美 智 子
1回S34年
田 村 幸 栄
松 原 俊 昭
永 野 正 人
33回H3年
古 瀬 勝 人
大 杉 貴美枝
眞 柄 洋 平
長谷川 絵 理
上 重 正 一
中 屋 春 美
丸 山 秋 一
28回S61年
蕪 木 フ ミ
39回H9年
46回H16年
山 田 大 史
服 部 宏 紀
2回S35年
三 國 昤 子
向 川 幸 子
渡 辺 ハ マ
桑 原 恒 夫
小 林 弘
大 崎 シ ズ
108回H12年
元 井 快
桜 井 修
吉 野 久美子
山 本 ヤヨイ
渡 辺 久 子
駒 沢 聡
小 林 優喜江
小 桺 トミエ
井 上 勉
若 林 拓 哉
3回S36年
13回S46年
23回S56年
29回S62年
丸 田 賢 一
樋 口 節 子
丹 後 沙穂子
山 田 清 達
117回H21年
川 端 欽 吾
中 山 雅 之
青 木 和 枝
竹 内 正 朋
渡 辺 作 司
109回H13年
大 塚 拓
4回S37年
服 部 栄 子
遠 藤 公 太
吉 瀬 璃 子
大 谷 孝 二
本 保 勝 晴
坂 上 悠 太
坂 上 真帆子
加 藤 守
目 崎 町 子
高 口 均
宮 前 巧
近 藤 一 弥
八 木 清 宣
藤 田 智 之
118回H22年
5回S38年
吉 沢 利 子
山 際 章
会 田 俊 貴
高 橋 一 夫
14回S47年
110回H14年
大 嶋 拓 実
6回S39年
高 橋 ユリ子
石 﨑 徹
笹 川 健 太
井 村 助 治
宮 澤 洋 子
清 野 豊
白 井 雄 介
髙 橋 富 榮
矢 口 和三郎
富 田 基 史
髙 野 真 行
本 保 銀 一
渡 辺 恵 子
由 比 克 憲
千 代 透
山 川 春 雄
15回S48年
岡 拓 磨
養 田 太一郎
小 松 朝 子
佐 藤 キヨ子
111回H15年
齋 藤 真 理
119回H23年
7回S40年
種 田 純 郎
河 村 醇
天 野 昭 治
16回S49年
堀 あ い
木 村 亮 太
内 山 紀 子
梅 田 和 恵
三 浦 千 晶
久保田 彩 織
片 原 裕 子
小 川 栄
村 川 陽太郎
小 島 知 之
8回S41年
小 黒 恒 雄
横 井 大 樹
佐久間 菜 月
小 林 勝 代
古 川 と み
112回H16年
島 垣 朔 歩
高 橋 榮 治
横 山 まゆみ
佐 藤 朋 弥
高 須 保 紘
間 島 キソ子
17回S50年
戸谷田 貴 志
宮 島 謙 太
松 縄 清
大 橋 恒 次
野々村 頼 子
山 口 彩
9回S42年
水 品 と い
吉 田 丈 夫
渡 邉 緑
木 村 美 枝
18回S51年
113回H17年
120回H24年
橘 栄 子
渋 谷 治 紀
大 塚 智
大 沼 萌 子
田 村 清三郎
矢 部 恵三子
川 村 望
坂 詰 博 仁
田 村 三 男
19回S52年
佐 藤 あずさ
髙 橋 杏 奈
角 田 清 宣
勝 島 テル子
清 野 智
田 中 文 彬
寺 尾 ヒデ子
若 林 道 子
関 本 智 美
田 原 正 崇
松 澤 美知子
土 田 純 子
手 塚 朱 映
全日制
31 回
32 回
33 回
34 回
35 回
36 回
37 回
38 回
39 回
40 回
41 回
42 回
43 回
44 回
45 回
46 回
47 回
48 回
49 回
50 回
51 回
52 回
53 回
卒業年
T 13 年 1924 年
T 14 年 1925 年
T 15 年 1926 年
S2年
1927 年
S3年
1928 年
S4年
1929 年
S5年
1930 年
S6年
1931 年
S7年
1932 年
S8年
1933 年
S9年
1934 年
S 10 年 1935 年
S 11 年 1936 年
S 12 年 1937 年
S 13 年 1938 年
S 14 年 1939 年
S 15 年 1940 年
S 16 年 1941 年
S 17 年 1942 年
S 18 年 1943 年
S 19 年 1944 年
S 20 年 1945 年
S 20 年 1945 年
通信制
20回S53年
猪 口 鈴 枝
全日制
54 回
55 回
56 回
57 回
58 回
59 回
60 回
61 回
62 回
63 回
64 回
65 回
66 回
67 回
68 回
69 回
70 回
71 回
72 回
73 回
74 回
75 回
76 回
卒業年
S 21 年 1946 年
S 22 年 1947 年
S 23 年 1948 年
S 24 年 1949 年
S 25 年 1950 年
S 26 年 1951 年
S 27 年 1952 年
S 28 年 1953 年
S 29 年 1954 年
S 30 年 1955 年
S 31 年 1956 年
S 32 年 1957 年
S 33 年 1958 年
S 34 年 1959 年
S 35 年 1960 年
S 36 年 1961 年
S 37 年 1962 年
S 38 年 1963 年
S 39 年 1964 年
S 40 年 1965 年
S 41 年 1966 年
S 42 年 1967 年
S 43 年 1968 年
通信制
1回
2回
3回
4回
5回
6回
7回
8回
9回
10 回
全日制
77 回
78 回
79 回
80 回
81 回
82 回
83 回
84 回
85 回
86 回
87 回
88 回
89 回
90 回
91 回
92 回
93 回
94 回
95 回
96 回
97 回
98 回
99 回
卒業年
S 44 年 1969 年
S 45 年 1970 年
S 46 年 1971 年
S 47 年 1972 年
S 48 年 1973 年
S 49 年 1974 年
S 50 年 1975 年
S 51 年 1976 年
S 52 年 1977 年
S 53 年 1978 年
S 54 年 1979 年
S 55 年 1980 年
S 56 年 1981 年
S 57 年 1982 年
S 58 年 1983 年
S 59 年 1984 年
S 60 年 1985 年
S 61 年 1986 年
S 62 年 1987 年
S 63 年 1988 年
H1年
1989 年
H2年
1990 年
H3年
1991 年
通信制
11 回
12 回
13 回
14 回
15 回
16 回
17 回
18 回
19 回
20 回
21 回
22 回
23 回
24 回
25 回
26 回
27 回
28 回
29 回
30 回
31 回
32 回
33 回
全日制
100 回
101 回
102 回
103 回
104 回
105 回
106 回
107 回
108 回
109 回
110 回
111 回
112 回
113 回
114 回
115 回
116 回
117 回
118 回
119 回
120 回
121 回
卒業年
H4年
1992 年
H5年
1993 年
H6年
1994 年
H7年
1995 年
H8年
1996 年
H9年
1997 年
H 10 年 1998 年
H 11 年 1999 年
H 12 年 2000 年
H 13 年 2001 年
H 14 年 2002 年
H 15 年 2003 年
H 16 年 2004 年
H 17 年 2005 年
H 18 年 2006 年
H 19 年 2007 年
H 20 年 2008 年
H 21 年 2009 年
H 22 年 2010 年
H 23 年 2011 年
H 24 年 2012 年
H 25 年 2013 年
通信制
34 回
35 回
36 回
37 回
38 回
39 回
40 回
41 回
42 回
43 回
44 回
45 回
46 回
47 回
48 回
卒業年一覧表
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青山同窓会報
(25) 第 98 号
平成 26 年1月1日
佐 藤 晃 一
小 林 亮 介
平 田 栄 子
米 持 洋 介
荒 川 朋 明
広 瀬 通 子
山 岸 毅
樋 口 正 史
小 林 茂 子
佐 藤 たつ子
小 山 晃
広 島 勉
渡 辺 健 一
荒 木 泰 次
藤 田 郁 代
山 村 要 一
本 間 洋
小 山 直 久
佐 藤 俊 夫
近 藤 康 之
深 津 茂 夫
渡 辺 宣 昭
五十嵐 英 一
藤 田 信 也
渡 辺 政 城
前 川 信 介
関 川 茂 樹
佐 藤 富士夫
斎 藤 秀 利
藤 沢 直 子
83回S50年
石 井 史 郎
星 山 松太郎
88回S55年
宮 北 靖
武 直 子
佐 藤 玲 子
坂 上 富士男
藤 村 修
相 沢 秀 幸
今 井 康 晴
細 川 晃 二
五十嵐 修 一
宮 腰 貴和子
田 村 要 介
三 膳 義 久
坂 上 郁 代
藤 森 克 彦
青 木 忠 信
岩 崎 孝 秋
宮 村 一 明
池 田 全 之
村 上 恭 子
土 田 圭 一
渋 谷 強 志
櫻 井 優
本 間 大
浅 間 芳 朗
遠 藤 和 彦
森 知 之
池 田 寛 雄
村 上 肇
中 村 有 里
渋 谷 昇
佐 藤 信 也
松 崎 美 郎
安 宅 賢 秀
大 澤 満
若 林 昌 哉
石 原 基 規
横 井 義 彦
福 田 仁 史
庄 司 義 興
佐 藤 文 彦
丸 山 晋 司
阿 部 和 弥
小 黒 志津江
渡 邉 毅
今 井 信一郎
渡 部 幸之助
町 田 一 越
白 井 行 雄
佐 藤 正 昭
宮 里 圭 一
石 本 真 琴
勝 山 綾 子
渡 辺 靖
江 波 恒 夫
91回S58年
吉 中 淳
杉 山 順 爾
白 井 一 栄
山 田 徹
今 井 英 雄
加 藤 雅 一
86回S53年
長 田 裕
五百川 裕
96回S63年
関 川 孝 子
鈴 木 努
鷲 沢 直 也
植 木 秀 功
加 藤 佳 彦
阿 保 聖 子
岸 亮 子
市 川 健
石 賀 洋 介
瀬 戸 聡 和
鈴 木 紀 子
鷲 津 勇
梅 津 雅 之
小 林 和 幸
五十嵐 実
君 伸一郎
出 塚 次 郎
猪 又 尚 子
髙 橋 淳 二
清 野 高 志
渡 辺 昭 雄
枝 並 幸 男
小 林 正 史
伊 賀 敏 朗
木 村 裕 毅
上 野 伸 二
江 口 直
竹 田 篤 英
高 橋 克 巳
渡 辺 真
遠 藤 光 郎
小 林 みどり
伊 藤 健 一
草 間 博 子
長 田 充
江 部 則 行
武 田 邦 彦
竹 本 泰 子
82回S49年
大 関 友 博
小松原 宏
稲 田 秀 一
小 池 真 理
梶 慎一郎
小 栗 友美子
田 阪 憲 昭
棚 橋 忠
青 木 定 夫
大 関 文 雄
小 山 芳 明
稲 月 原
小 林 久 哉
梶 谷 敬 子
鈴 木 周
田 中 隆
田 邉 肇
青 瀬 芳 紀
岡 田 潔
近 藤 公 男
岡 田 修 司
渋 谷 聡
小 竹 聖 一
中 島 正 好
玉 井 美 穂
田 巻 明 恒
朝 倉 孝 英
荻 荘 則 幸
郷 秀 人
小野島 惠 次
白 井 栄 一
小 林 裕 之
橋 本 薫
戸 枝 誠
田 巻 雅 彦
荒 川 育 子
小 越 恵 次
郷 扶二子
加賀田 豊
武 田 浩 昭
小 林 康 子
浜 田 恒 平
豊 島 宗 厚
玉 木 友 二
石 崎 昂 一
川 上 孝 子
齋 藤 忠 志
小 林 正 明
種 村 潔
後 藤 透
林 正 子
内 藤 真 一
田 宮 強 志
宇佐美 明 男
河 原 貢 司
斎 藤 正 志
小 山 妙 子
常 木 郁之輔
後 藤 寛 志
山 岸 義 晃
野 島 常 雄
田 村 祐 子
江 畑 徹
木 下 康 司
坂 井 朋 之
斎 藤 健
遠 山 斉
齋 藤 天
97回H1年
野 村 正 史
津 野 正 裕
大 石 昌 幸
窪 田 久
坂 井 玲 子
桜 井 素 子
戸 松 康 雄
佐 藤 弥 生
阿 部 圭 子
長谷川 和 彦
遠 山 知香子
太 田 宏 信
熊 谷 康 夫
佐 藤 輝
佐々木 元
成 田 小夜子
塩 田 博 幸
伊 藤 泰次郎
長谷川 宏 昭
中 澤 秀 栄
大 塚 英 明
熊 木 みや子
白 倉 雅 晴
佐 藤 朗
南 場 充
真 保 恵美子
遠 藤 啓 一
林 睦
長 崎 清 一
大 村 篤 子
栗 林 仁
高 橋 建 造
渋 木 義 春
林 岳 人
関 恵
桑 野 一 美
伴 至
長 沼 正 昭
小 川 雅 博
小 松 茂 樹
高 橋 裕 之
白 倉 俊 隆
古 澤 俊 明
西 倉 健
佐 藤 愛
葊 嶋 顯
成 田 幸 穂
小野本 美奈子
駒 村 繁
高 山 有 子
瀬 谷 信一郎
本 間 候
野 沢 雅 行
名 塚 武 史
藤 井 大三郎
長谷川 祐 一
日下部 朋 子
小 山 隆 夫
田 崎 和 之
高 橋 聡 子
本 間 茂
藤 中 秀 彦
堀 越 康 裕
藤 巻 則 夫
羽 鳥 敬 彦
熊 谷 実
近 藤 周 子
田 沢 博
髙 橋 みどり
三 木 公 一
本 間 和 子
三 浦 一 人
藤 原 明
福 田 勉
栗 原 道 平
後 藤 泉
知 野 猛
田 辺 慶 直
宗 村 信 明
本 間 正 隆
矢 部 正 浩
保 苅 俊 治
藤 原 幸 和
小 島 由紀夫
桜 井 秀 昭
中 村 恵 子
坪 野 俊 広
八 木 博 徳
松 永 恵
渡 部 公 正
本 間 義 康
本 間 知
小 林 しおり
佐 藤 悌二郎
野 口 和 子
戸 松 茂 雄
吉 岡 潤
横 堀 真 弓
98回H2年
前 田 和 夫
本 間 政 子
小 林 茂 広
塩 谷 暢 夫
日野浦 雄 治
中 川 佳代子
吉 田 巌
渡 辺 輝 浩
鈴 木 広 樹
丸 潟 孝
前 田 義 憲
小 林 孝
島 田 茂
藤 岡 近 子
中 山 均
渡 辺 徳 昭
渡 部 美 紀
高 橋 信 太
南 多喜雄
前 田 啓 二
小 林 立 彦
清 水 孝 祐
星 野 紹 英
林 光 洋
渡 邉 治 夫
92回S59年
敦 井 一 友
三 保 恵美子
枡 山 康 二
小 針 隆
関 矢 孫 史
本 間 新 哉
樋 口 敬 和
89回S56年
大 野 潮 子
登 坂 覚
村 井 圭 子
森 岡 一 彦
小 亦 斉
高 橋 克 人
丸 山 正 行
広 沢 利 幸
相 場 恵美子
小野島 あゆみ
丸 山 貴 広
役 山 孝 志
柳 澤 秀 樹
斎 藤 滋
高 山 郁 男
三 浦 仁
本 間 祐 子
石 栗 健 一
金 井 利 郎
渡 邊 隆 興
山 田 正
山 井 健 介
斎 藤 朋 子
高 山 佳 郎
宮 崎 清 也
宮 腰 重三郎
市 原 綾 子
河 内 康 志
99回H3年
山 田 文 宗
米 川 宏 一
斎 藤 直 子
田 中 英 之
村 上 誠
森 屋 剛
今 井 あかね
菊 池 芳 裕
遠 藤 剛 史
山 本 純 司
81回S48年
坂 上 極
玉 木 慎 一
森 岡 哲 夫
山 田 規 夫
加 島 彰 二
北 尾 彰 朗
鈴 木 信 行
山 本 伸 司
相 場 剛
笹 川 稔 郎
田 宮 浩
山 岡 比呂志
山 本 泰 明
川 嶋 薫
小 林 朋 子
遠 山 剛 志
横 川 憲 司
朝 井 豊
笹 川 義 仁
塚 本 裕 二
山 口 義 弘
米 山 文 子
神 林 正 浩
小 見 毅
西 山 浩 美
横 山 由美子
荒 川 洋
佐々木 広 介
登 石 守
山 崎 元 彦
渡 辺 昭 夫
倉 田 裕 一
近 藤 善 龍
100回H4年
吉 田 至 夫
石 川 正 記
佐 藤 佳 彦
富 山 武 美
行 田 充
渡 辺 彩 子
佐々木 裕 道
笹 崎 幹
安 藤 栄 吾
吉 成 潤
大 塚 明
澤 田 俊 明
豊 岡 幹 也
芳 川 敦 子
渡 辺 政 次
佐 野 義 孝
真 田 一 宏
岩 城 孝 和
渡 辺 英 吉
勝 山 新 弥
紫 竹 伸 子
豊 田 清
85回S52年
87回S54年
関 康 弘
島 田 稚
加 藤 貴 之
渡 部 高 士
GARMORY 真理子
七 里 佳 代
Dougan 知 子
浅 田 浩 義
青 柳 正 俊
田 村 雅 彦
清 野 美 保
門 田 美保子
80回S47年
桑 原 隆
白 倉 真 澄
中 戸 雅 博
安 沢 智
荒 川 一 成
栃 原 真与子
中 島 貴 子
木ノ下 智 弘
安 住 利恵子
小 出 千 秋
尻 江 重 徳
中 野 和 男
石 田 富美子
五十嵐 昌 子
遁 所 直 樹
野 沢 孝 広
小 林 一 大
足 立 亘 宏
鴻 田 利 治
高 橋 英 明
仲 村 スイ子
石 山 長 尚
伊 藤 聡
中 山 望
畑 野 晋 一
中 村 竹 志
阿 部 郁 男
斎 藤 直
田 中 仁
中 村 昌 子
伊 藤 正 尚
伊 藤 量
長谷川 雄 一
藤 嶋 尚 美
沼 宏一郎
安 沢 美和子
斎 藤 俊 至
谷 長 行
長 澤 恵依子
大 沼 文 男
今 西 博 一
ハドリー 浩美
本 多 久 子
濱 ひとみ
池 淳 一
坂 井 浩
津 野 吉 裕
成 田 美和子
奥 村 基
内 柴 晴 子
星 井 利 樹
前 田 光 俊
若 槻 良 宏
板 井 茂 行
坂 田 光 子
戸 田 史 朗
西 田 博 子
加 野 貴 志
遠 藤 聡 一
山 上 浩 志
丸 山 まさみ
101回H5年
伊 藤 明
桜 井 仰 介
富 川 拓 朗
橋 本 多佳子
河 治 政 俊
大 森 克 利
山 田 敏 昭
渡 二三枝
荒 井 康 弘
伊 藤 俊 輔
佐 藤 宏 晃
内 藤 理
平 松 健 二
川 村 和 忠
荻 荘 誠
渡 邊 克 彦
93回S60年
今 井 慶 貴
今 井 敏 明
佐 藤 弘
中 林 昭 裕
藤 崎 直 美
栗 林 直 樹
奥 村 克 彦
90回S57年
行 形 和 滋
小 川 和 恵
岩 崎 泰 則
佐 藤 弥 生
中 林 二 郎
藤 田 祐 子
桑 原 敦 志
小 野 和 宏
五百川 浩
金 子 奈々子
片 桐 朋 美
植 木 邦 彦
佐 野 恭 子
南 雲 郁 子
古 川 靖
小 林 孝 平
笠 原 正 弘
伊 藤 寿
金 子 真奈美
小 林 史 佳
内 山 政 二
佐 野 裕
南 雲 建 男
本 間 憲 之
小 林 敬
加 藤 真理子
勝 山 達 志
川 嶋 大 介
鈴 木 由貴子
及 川 純 子
澤 口 昭 一
成 田 昌 稔
町 田 昇
小 山 朗
北 尾 嘉 朗
加 藤 公 則
川 村 仁 誠
柳 下 史 織
扇 嘉 明
島 垣 斎
野 崎 秀 明
水 原 章 貴
佐 藤 敬以子
駒 村 美佐子
神 田 武
齋 藤 義 之
山 口 久美子
太 田 啓 子
白 石 義 人
生 野 隆 史
村 尾 弘 子
佐 藤 隆 司
斎 藤 武
儀 同 政 宏
鈴 木 利 枝
横 井 巨 人
大 竹 尚 毅
杉 本 年 行
福 嶋 元
最 上 正 人
佐 藤 やよい
斎 藤 光 雄
斎 藤 俊 弘
横 山 桂 子
若 山 裕 伸
大 塚 善 紀
砂 田 徹 也
藤 井 彰 子
森 平 淳 子
志 村 芳 之
佐 野 佳 男
斎 藤 浩 子
94回S61年
和 賀 諭
小 片 守
高 木 実
藤 井 昌 幸
山 際 和 明
清 野 泰 之
清 水 忠 明
斎 藤 道 明
阿 部 素 子
102回H6年
長 正 子
滝 上 由 行
不二崎 正 人
山 口 虎 彦
園 田 裕 久
須 田 剛
斎 藤 結 花
小 柳 聡
佐 藤 邦 栄
金 子 正 弘
田 口 祐 子
藤 田 博 久
山 作 房 彦
高 須 洋 子
Saltzgaber 純子
佐 藤 雄一郎
櫻 井 麻利子
佐 藤 宗 広
神 原 誠
竹 石 邦 夫
真 谷 誠 祐
吉 澤 篤
高 野 裕 久
高 橋 直 樹
白 須 洋 二
佐 藤 元
髙 橋 謙 介
上 村 諭
竹 内 淳
松 浦 恵 子
吉 田 徳 治
竹 内 一 彦
田 崎 新
菅 井 修
佐 藤 孝 幸
松 澤 陽 子
菊 池 隆 宣
武 田 正 之
松 田 正 史
吉 田 友 章
田 中 清
土 屋 真 規
隅 木 信 利
濱 藤 直 人
宮 崎 立 子
菊 池 のぞみ
田 尻 美砂子
宮 島 一 敏
吉 田 信 男
田 村 誠
長 場 秀 彦
高 橋 美 和
柳 本 和 貴
103回H7年
岸 直 毅
田 中 秀 人
宮 島 静 一
吉 水 敦
筒 井 敦 子
林 恭 弘
田 辺 文
山 口 博 之
阿 部 司
木 村 章 夫
茅 原 保
宮 島 とも子
若 杉 忍
戸 枝 秋 夫
藤 木 達 広
田 辺 裕 美
遊 佐 浩 子
小 林 聡
桑 田 正 栄
張 高 明
目 黒 茂 樹
渡 邉 卓
苫米地 令
藤 本 健 介
田 辺 靖 貴
渡 辺 康 明
小 林 義 雄
小 池 雅 彦
冨 井 信 喜
八藤後 茂 樹
渡 辺 友 昭
富 山 泰 男
本 多 剛
土 屋 亨
95回S62年
細 川 陽 祐
国 領 保 則
長 井 智 子
山 崎 小夜子
84回S51年
長 野 曜 子
松 田 幸 治
富 山 栄 子
浅 岡 俊 宏
若 林 健 一
小 林 栄 思
長 北 敏 弥
山 下 とも子
相 田 百合子
成 田 一 衛
松 本 俊 輔
中 原 久 子
池 田 里 実
鷲 尾 英一郎
小 林 好 樹
成 澤 林太郎
山 本 剛 史
阿 部 俊 幸
長谷川 亮 子
宮 田 佳 則
中 村 泰
上 杉 知 之
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
青山同窓会報
第 98 号
平成 26 年1月1日
(26)
塩 原 聰
熊 倉 哲
斎 藤 古 志
高 崎 進
西 脇 雄 一
鈴 木 正 夫
小 島 隆 平
斎 藤 繁 夫
須 田 幸 子
志 賀 安 雄
小 池 敏 正
齊 藤 俊 正
高 島 敬 二
沼 田 清
曽 我 正 男
小 林 博
桜 井 宗 一
関 尚 久
品 田 悦 孝
小 泉 淑 子
佐々木 勝
高 橋 昇
番 場 清
高 橋 清 一
近 藤 壽 邦
佐 藤 茂
曽 根 正
菅 原 一 雄
小 杉 修 三
佐 野 正 俊
田 澤 純 一
樋 口 豊
高 橋 正
斎 藤 栄 路
佐 藤 壽 秀
高 橋 綾 子
鈴 木 恵美子
木 間 勝 正
篠 原 一 博
田 島 健 三
広 神 俊 彦
高 橋 正 明
斎 藤 治
瀬 賀 孝 子
高 橋 隆
須 藤 寛 人
小 林 軍一郎
渋 井 和 夫
田 中 光 二
広 野 光 子
高 橋 美 樹
齊 藤 幸 治
瀬 野 正 英
高 橋 千 洋
関 根 俊 明
小 林 昭 衛
渋 井 保 之
田 辺 研 吉
福 田 善 規
多 賀 美代蔵
齋 藤 正 行
曽 我 恒 有
高 橋 豊
高 野 義 樹
小 林 碧
菅 又 滋
鶴 木 秀 司
藤 田 文 子
田 中 章
佐 藤 俊 雄
高 野 孝 治
田 崎 大 喜
髙 橋 治 夫
小松原 秀 一
鈴 木 彪
豊 岡 示 朗
古 川 兵 衛
田 中 純 夫
佐 藤 悠
高 橋 雅 文
田 辺 堪
高 見 健
近 藤 昌 敏
鈴 木 理 子
中 野 治
本 間 正一郎
田 中 壮太郎
菅 原 正 廣
高 橋 康 夫
田 原 次 夫
瀧 波 祐 助
近 野 茂
祖父江 邦 子
中 原 和 之
本 間 裕
田 辺 英 志
鈴 木 茂 夫
田 中 悦 子
土 谷 厚
田 中 信
佐 藤 彬
高 橋 悦 子
南 波 祐 二
松 田 邦 宏
田 辺 静 幸
鈴 木 隆 雄
田 辺 悦 雄
寺 尾 綾
田 辺 豊
佐 藤 伸 郎
高 橋 祐 介
野 城 眞 理
松 田 博 人
谷 澤 悦 子
鈴 木 正 博
田 邉 重 幸
寺 尾 英 明
田 村 信 昭
菅 原 宗 人
立 川 克 雄
樋 口 正 昭
水 本 直 弥
谷 澤 隆 邦
曽 田 修 吉
田 原 隆 夫
永 橋 真理子
鶴 木 勇 夫
鈴 木 孝 一
玉 木 功
平 川 博
宮 嶋 良 夫
玉 井 正 光
髙 倉 まち子
椿 秀 美
長谷川 多 鶴
弦 巻 関 川 正 利
塚 原 弘 二
藤 田 慶一郎
村 山 績
玉 木 正 一
竹 内 誠 司
富 樫 章 雄
長谷川 まこと
戸 田 礼 子
関 屋 真 彦
戸 田 滿 弘
本 間 憲 治
森 澤 盾
富 山 修 一
竹 内 正
富 田 正 博
福 原 等
内 藤 榮 樹
高 橋 ク ニ
冨 田 由 李
丸 山 澄 夫
谷内田 健 次
永 井 博 子
武 田 英 徳
永 井 恵 一
細 島 博 志
中 村 啓 二
高 橋 健 造
富 取 健 彦
皆 川 雅 朋
柳 川 紘 三
永 井 道 夫
田 中 明
永 井 透
前 田 長 生
中 村 重 樹
高 橋 紘 生
内 藤 豊 明
南 英 雄
吉 川 明
野 上 紀 雄
棚 橋 定 衛
西 山 達 士
松 田 由紀夫
新 田 誠 一
高 橋 豊
中 島 彰
森 敬 治
若 林 学
橋 爪 博 美
田 巻 俊 一
生 野 勝
水 野 亨
野 川 晃 一
田 中 眞 人
中 戸 義 興
山 崎 一 徳
渡 辺 弘 美
服 部 昭
田 宮 洋 一
萩 野 一 廣
水 本 秀 樹
橋 本 修
田 辺 龍 治
中 村 功
山 下 俊 彦
75回S42年
馬 場 俊 博
田 村 俊 作
長谷川 次 郎
皆 川 信 子
花 輪 治
中 島 正 春
中 村 民 子
74回S41年
青 柳 豊
檜ケ谷 正 道
戸 枝 哲 郎
長谷川 実
向 井 美夜子
馬 場 照 惠
中 野 久
西 村 正 徳
藍 沢 幹 人
阿 部 秀 作
樋 口 秀 夫
栃 倉 幸 一
波田野 明
村 田 光 男
日江井 敦 子
中 野 洋 子
丹 羽 正 之
相 場 哲 朗
阿 部 恒 久
廣 川 均
中 俣 正 美
波田野 節 子
矢 沢 公 一
伏 見 省 三
中 村 英 一
根 布 秀 子
相 場 文 夫
有 薗 順 子
藤 井 建 一
中 山 三喜栄
日野浦 広 昭
八 幡 和 明
藤 井 朝 子
長 井 義 輝
橋 本 俊 彦
青 海 潔
安 藤 裕 司
藤 井 春 恵
長 沢 菊 男
藤 崎 克 己
山 崎 一 正
藤 井 保 男
西 尾 レ ン
早 川 武 美
井 海 範 子
五十嵐 正
藤 田 治 作
西 沢 芳 樹
藤 吉 康 志
横 山 泰 裕
本 田 正 樹
西 埜 孝 樹
樋 浦 孟
五十嵐 由 之
石 川 茂
藤 縄 利 勝
根 津 則 子
藤 原 正 博
吉 川 康 三
本 間 裕 弼
二 宮 武 彦
船 岡 信 雄
石 本 陽 子
石 川 忍
星 野 雅 博
浜 倉 義 昭
枡 山 健 一
吉 澤 哲 彦
増 田 勝 弥
韮 澤 孝 二
古 山 恒 夫
和 泉 潤
石 澤 政 夫
堀 一
浜 田 正 継
松 崎 澄 義
若 月 秀 男
松 原 紘
野 沢 正 樹
堀 川 武
伊 藤 幸 司
石 田 彰
本 田 晴 久
林 誠
丸 山 修 史
脇 川 弥寿彦
丸 山 正
長谷川 周 壽
本 間 政 春
伊 藤 宏
石 田 博 樹
本 間 均
廣 川 直 紀
三井田 実
渡 辺 茂
右 田 洋
長谷川 守
真 柄 頴 一
稲 葉 伸 雄
石 橋 正 利
松 井 幸 博
不二崎 順 二
水 野 義 行
渡 辺 美 映
三 国 政 勝
濱 田 敏 克
牧 野 秀 樹
薄 田 祥 子
伊 藤 啓 司
松 田 清
古 川 恒 一
宮 田 純 一
79回S46年
水 野 邦 生
福 井 明 子
松 永 宏 五
江 口 則 男
伊 藤 哲 夫
松 村 泰 夫
星 野 洋 子
武 藤 敏 明
会 田 立 人
南 貞 嘉
藤 田 昭 彦
松 原 和 子
大 石 憲 一
岩 崎 義 則
三 冨 修
細 谷 洋 一
山 崎 健
青 山 義 明
三 原 邦 夫
本 間 恒 子
丸 田 堯
大 田 正 孝
上 田 茂
皆 川 信
本 間 村 紀
山 田 恆 樹
浅 間 恒 雄
宮 原 卓
真 柄 成 一
丸 山 武 志
大 滝 均
上 原 恒
宮 純 一
三 浦 まゆみ
山 田 俊 郎
阿 部 毅
村 田 紀 夫
松 原 要 一
三 国 正 昭
大 森 寛
薄 井 勇
宮 永 進
水 間 秀 一
大 和 裕 子
阿 部 正 弘
村 松 信 輔
松 谷 邦 憲
宮 村 晋
岡 村 健 吉
江 口 芳 春
武 藤 芳 郎
箕 輪 光 泰
78回S45年
五十嵐 康 之
山 岸 恒 夫
丸 山 紀 子
吉 澤 篤 子
尾 崎 俊 彦
大 瀧 丈 司
村 山 勝
村 山 裕 一
相 沢 裕 吉
石 井 智 裕
山 岸 憲 安
宮 川 善 徳
吉 田 秀 穂
小 原 俊 雄
大 塚 惠 子
室 塚 泰 二
安 田 充 年
相 田 浩 輔
石 田 まさ子
山 口 セ ツ
宮 下 育 子
和久井 和 彦
風 間 悦 男
大 野 道 子
百 都 健
山 田 俊 郎
青 木 孝 一
伊 藤 毅
山 宮 士 郎
宮 村 達 男
渡 辺 一 重
鹿 島 正 裕
大 原 哲 三
八 木 健
山 内 春 夫
明田川 耕 治
伊 藤 直 人
横 山 治 夫
村 山 薫
渡 辺 国 夫
金 井 隆 夫
岡 田 政 文
山 上 卓 夫
湯 本 雅 恵
雨 森 和 夫
井 上 隆 二
吉 川 正 孝
村 山 克 夫
渡 辺 玄 弥
川 上 耕
尾 形 幸 生
山 﨑 信 行
吉 岡 俊
五十嵐 祐 司
猪 股 裕紀洋
吉 田 豊
山 内 幹 夫
渡 辺 毅 之
河 崎 順 昭
小 籏 一 男
山 田 宏 明
鷲 尾 栄 作
板 井 一 彦
今 井 誠
鷲 頭 宏 二
山 田 耕 司
渡 部 正 敏
河 原 一 彦
小 柳 幹 夫
山 田 優
渡 辺 薫
伊 東 真知子
今 井 幹 文
渡 部 坦
山 田 征二郎
73回S40年
木 村 和 彦
笠 井 忠
山 根 英 郎
渡 辺 力
今 井 高 二
植 木 秀 任
渡 辺 允 雄
山 本 俊 介
足 立 幹 夫
倉 島 敬 雄
勝 見 敏 雄
結 城 隆 行
渡 辺 拡
岩 瀬 耕 一
内 山 修
渡 辺 麗 子
若 林 忠
阿 部 達 也
桑 原 三 恵
加 藤 博
渡 辺 新
渡 辺 雅 夫
遠 藤 和 男
江 花 和 郎
渡 部 美那実
渡 辺 清 雄
雨 宮 則 夫
解 良 和 郎
川 上 滋
渡 邊 研 二
渡 辺 友 一
大 串 達 夫
大 野 俊 治
71回S38年
渡 部 一 成
飯 村 修
小 池 哲 雄
神 田 正 一
渡 邊 勝 斗
77回S44年
大 坂 寿 男
岡 島 初
相 田 康 夫
72回S39年
石 黒 久
小 出 信 治
北 村 順 作
渡 邉 令 子
阿 部 悦 雄
太 田 秀 樹
岡 田 均
青 柳 吉 治
青 海 道 寛
石 田 レイ子
古 賀 良 生
木 村 陽 子
渡 部 一 俊
荒 川 恭 延
太 田 祐 一
小 田 章 治
阿 部 尚 平
阿 部 勲
稲 野 和 夫
小 菅 大 介
小 泉 慈 行
渡 部 信 子
安 藤 徹
小 田 勇 司
小 野 章
阿 部 二 郎
阿 部 雅 子
茨 木 憲 一
小 竹 孝 之
小 出 公 平
76回S43年
石 川 彰
金 沢 宏
梶 島 秀 雄
五十嵐 和 朗
阿 部 道 行
大 沢 義 弘
笹 川 久 男
小 島 秀 男
相 沢 初 美
石 川 鋭 一
金 沢 泰 子
片 岡 道 夫
碇 谷 正 洋
荒 井 龍 二
大 塚 正 夫
笹 川 雅 之
小 島 富美子
相 田 光 治
井 上 博 夫
木 村 和 夫
勝 山 照
五十嵐 敦 子
井 海 明
岡 村 繁
佐 藤 俊 栄
小 林 剛
青 山 耕 一
猪 股 律 子
木 杢 恭 一
勝 山 昇
五十嵐 修
石 黒 義 裕
小 川 幹 夫
佐 藤 信 秋
小 林 正 美
飯 田 基 一
遠 藤 修 司
熊 谷 克 巳
河 正 子
伊 藤 邦 彦
石 田 庄
尾 口 基
志 田 常 弘
駒 村 利 晴
五十嵐 博 喜
大 嶋 彰
熊 木 徳次郎
川 合 千 尋
今 井 清 治
今 井 美知子
小野塚 眞 一
鈴 木 勝 紀
小 山 隆
石 田 芳 博
大 塚 忠 雄
倉 井 敏 磨
川 合 由美子
植 木 巌 根
植 木 和 美
笠 井 隆
関 憲一郎
小 山 良 一
伊 奈 良 重
小 澤 俊 雄
倉 田 龍 彦
河 野 雅 子
内 山 博 勝
上 沼 歓 子
片 桐 利 雄
関 川 修 一
近 藤 信 義
稲 葉 徹
甲 斐 元 久
小 泉 隆 晴
北 原 宏 一
大 竹 純 夫
上 松 正 次
解 良 都代子
高 木 顕
斎 藤 昭 雄
遠 藤 元 信
風 間 誠
小 泉 雅 義
木 村 泰 博
大 野 武 男
内 山 正 義
小 林 桂 子
高 橋 保
斎 藤 謙 二
大井戸 佐紀夫
片 山 等
小 出 隆 之
久保田 愛 子
大 野 義 彰
追 手 巍
小 山 昭 彦
髙 橋 信 郎
坂 井 克 夫
大 橋 誠 五
金 井 知 郎
高 坂 謙 一
倉 田 由 美
大 場 邦 雄
大 野 博
近 藤 束 穂
高 橋 秀 憲
坂 井 啓 二
小 田 高 久
川 崎 俊 一
小 竹 豊
小 泉 仲 之
大 湊 幸 二
大 野 義 彦
齊 藤 昭 治
高 橋 典 久
坂 元 正 広
尾 張 明 美
川 島 了
児 玉 英 樹
小飯塚 稔
小 川 義 一
奥 山 守
齋 藤 信 昭
竹之内 明
佐々木 珠 夫
恩 田 雅 和
神 部 昭
小 林 辰 次
高 坂 浩 子
小 黒 俊 彦
落 田 真 一
篠 川 和
田 中 秀 明
佐 藤 邦 雄
加 澤 正 樹
北 村 一 雄
小 林 直 毅
児 玉 美智子
尾 崎 恵美子
金 子 由 征
佐 野 修
塚 野 憲 一
佐 藤 啓 介
梶 井 直 文
黒 山 薫
小 林 雅 暢
小 林 春 治
小田嶋 壽 葊
上 村 典 子
佐 野 重 雄
堤 芳 夫
佐 藤 静 一
金 子 義 伸
桑 原 彰 子
コブリー 雅美
後 藤 丹
風 間 英 昭
神 林 賢 治
篠 田 孝
戸 枝 一 明
佐 野 幹 雄
加 野 裕 資
小 林 悟
斎 藤 庫之丞
坂 井 豊 明
柄 沢 卓
賀 井 寛
鈴 木 厚 人
富 樫 孝 一
佐 野 康 子
吉 川 洋 志
小 林 敬 明
齋 藤 美智子
笹 川 浩 一
刈 田 耕 嗣
北 村 誠 作
鈴 木 淳
殿 内 重 政
澤 田 俊 朗
桐 生 和 男
近 藤 敬
佐々木 巌
笹 川 富士雄
川 上 紘 平
黒 木 トシ子
関 伶 子
富 澤 慶 栄
篠 田 昭
櫛 谷 さわ子
斎 数 義 博
篠 田 敏 朗
佐々木 隆 輔
河 村 直 美
小 松 久 義
關 野 弘 賢
中 野 克 之
清 水 純
久 住 治
斉 藤 厚
清 水 幸 栄
佐 藤 和 明
久保田 明 子
近 藤 正
袖 山 要 一
永 井 明 彦
白 玉 謙 一
蔵 持 典 与
齋 藤 憲
鈴 木 隆
佐 藤 久 一
URL http://www.aoyama-dosokai.com/ E-mail [email protected]
青山同窓会報
(27) 第 98 号
平成 26 年1月1日
北 村 富士雄
梶 井 啓 右
石 渡 利 男
和 田 和 男
池 隆 史
内 田 定 寛
鍵 冨 靖 雄
加 藤 ト モ
斉 藤 正 夫
木 村 昇
加 藤 美 明
泉 均
64回S31年
石 黒 元
榎 並 義 允
片 山 忠 一
加 藤 雄
坂 爪 征 基
木 村 政 雄
角 家 孝 之
市 井 吉三郎
青 木 信 道
石 田 三 郎
江 村 聖 治
加 藤 弘
上 村 敦 子
佐々木 忠
草 間 光 俊
神 成 粛 一
市 川 瑞 夫
石 山 宏 治
伊 藤 不二男
太 田 信 浩
川 口 襄
上 村 晃 一
佐 藤 孝 靖
熊 谷 隆 幸
小 池 健 治
伊 藤 寿 介
植 村 鞆 音
岩 崎 荘一郎
小 川 亮 一
川 崎 ヒロ子
上 村 嶺 子
塩 沢 拓 夫
倉 茂 周 典
河 野 開
伊 南 純 雄
内 海 公 子
岩 野 一 郎
小 木 順一郎
岸 田 興 治
神 田 性以智
清 水 一 男
小 池 弘
近 綾 子
今 井 幸 雄
江 口 一 弥
植 木 昭 彦
乙 川 正 次
北 川 寛
北 村 泰 作
朱 敏 秀
小 出 葊 記
近 藤 琢 也
江 口 律 子
大 石 正 晃
大 野 靖 雄
加 藤 孝 子
北 場 勝 也
草 野 佐
城 田 敬 子
小 杉 秀 一
近 藤 哲 朗
遠 藤 秀 男
大 倉 孝 男
大 橋 修 一
加 藤 靖 夫
君 英 夫
小 島 専 吉
菅 井 幹 夫
小 林 孝 司
斎 藤 隆 志
大 坂 敏
太 田 恵 子
大 堀 隆 夫
金 沢 幸 夫
木 村 美智子
駒 林 進四郎
菅 沼 浩
小 林 貞 夫
斎 藤 健
太 田 滋
小 川 伸 一
岡 村 嘉 雄
金 子 兼 三
倉 島 邦 彦
近 藤 義 雄
鈴 木 将 夫
小 林 元 雄
坂 井 幸 男
大 橋 道 雄
小 熊 甚 吉
小 川 正
金 子 義 信
桑 山 哲 治
今 野 公 和
曽 我 紘 一
小 山 達 人
佐 藤 勝 彦
小 畑 忠 夫
籠 島 葊
小 栗 政 夫
川 原 英 夫
小 林 晋 一
後 藤 林 八
高 橋 正 卓
齋 藤 義 明
佐 藤 晃一郎
柏 正 平
風 間 士 郎
笠 原 成 美
神 田 征 輝
近 藤 栄 子
齋 藤 重 信
高 橋 義 教
坂 田 安之輔
佐 藤 恰
片 田 宏 一
片 桐 彰 子
風 間 美 禰
熊 谷 國 男
斉 藤 久美子
齋 藤 正 果
高 柳 洋 夫
佐久間 洋 一
佐 藤 信 夫
金 川 博
柄 沢 茂
金 巻 啓司郎
小 泉 正 俊
佐 川 八重子
佐 藤 薫
玉 木 清
佐々木 繁
重 野 直 也
加 野 英 資
川 崎 明
川 合 英 次
小 出 秀 二
佐々木 邦 夫
佐 藤 広 則
田 巻 靖 雄
佐 藤 敏 夫
白 井 民 司
北 村 壽 一
菊 地 可寿子
神 林 純 夫
小 林 啓 志
佐 藤 豊
澤 田 勉
敦 井 栄 一
佐 藤 眞 武
新 保 利 博
栗 田 雄 三
桑 野 光 雄
神 林 恒 道
小 林 裕 子
塩 原 満
鈴 木 喜 也
寺 尾 芳 樹
塩 谷 明
杉 内 愛
計 良 伸 正
小 菅 秋
木 滑 孝 一
近 藤 宏 一
清 水 雄 伍
関 隆 二
富 所 忠 男
柴 野 良 一
鈴 木 哲 夫
小 島 不 二
小 林 脩
小 林 茂
合 田 春 美
白 井 節
関 川 利 男
堂垣内 亨
須 貝 伸 三
曽 我 健
小 林 章 営
近 信 雄
小 林 亘
里 村 和 彦
菅 沼 重 登
関 口 徹 雄
長 浜 勝 介
菅 原 和 明
髙 橋 健 一
小 林 俊 雄
近 藤 恭 一
近 藤 昭 雄
下 川 友 也
関 根 昭 一
関 根 紀一郎
新 田 公 子
巢 山 誠 之
立 川 国 臣
小 林 洋 一
斉 木 幸 彦
近 藤 良 雄
鈴 木 興 春
瀬 下 一 三
関 野 敏
野 崎 武 敏
関 根 理
田 中 昭 夫
小 林 洋 子
斉 藤 邦 男
佐 藤 勝 弘
鈴 木 幸
髙 野 宏 一
高 見 潔
長谷川 裕 之
高 浪 洋
田 中 毅
近 藤 昌 泰
坂 井 俊 一
佐 藤 貞 夫
鈴 木 滋 弥
高 橋 三 郎
竹 石 肇
樋 口 正 臣
髙 野 恒 行
田 村 貫次郎
白 倉 至
坂 井 敬
佐 藤 孝
鈴 木 隆
高 橋 直 也
田 中 康 一
平 野 光 一
滝 沢 哲 也
田 村 恭 子
杉 山 弘 道
佐 川 清 士
佐 藤 政 喜
関 篤 司
高 橋 信 夫
田 中 宣 男
細 野 義 彦
竹 尾 昇
土 橋 晃
鈴 木 恒 夫
佐 藤 明 雄
三 林 輝 夫
関 本 敏 雄
滝 沢 元
田 中 光 弥
本 間 禎 介
竹 山 恒 夫
遠 山 晴 夫
相 墨 直 彦
佐 藤 幸 治
三 林 美奈子
高 島 敬 子
竹 内 正 明
池 主 憲 夫
本 間 譲
田 中 宣
中 川 洋 吉
相 馬 潔
佐 藤 唯 司
柴 澤 大五郎
高 橋 卯喜男
田 中 収
土 田 正
松 岡 由紀子
田 中 忠 夫
中 村 洋二郎
高 木 研 三
柴 田 史 朗
清 水 薫
竹 石 健 一
田 中 直 史
中 島 輝 雄
的 場 義 夫
土 田 常 武
西 野 勲
高 木 章 介
清 水 裕 子
清 水 正 夫
田 村 元 吉
寺 井 宏
中 村 輝 夫
水 野 美智子
徳 田 晋 也
丹 羽 仁
髙 橋 知 義
清 水 良 男
白 井 三 雄
富 田 俊 枝
堂垣内 弘 一
中 村 秀 子
村 上 則 彦
富 川 龍 之
長谷川 舜 治
瀧 澤 一 彦
鈴 木 厚 生
鈴 木 達 昭
中 谷 藤太郎
中 野 仁
西 原 徹
矢 川 一 義
中 野 進
長谷川 慎
瀧 澤 正 元
鈴 木 喬
関 本 康
二 宮 靖 彦
西 章
畑 山 勉
吉 野 國 夫
中 村 雄 彦
長谷川 守 英
竹 山 行 三
鈴 木 悌 三
高 橋 貞 夫
野 水 雅 行
橋 本 秀 子
濱 田 庄 司
両 川 政 道
中 村 龍 雄
原 滋 郎
田 中 貞 夫
関 矢 忠 愛
滝 澤 敏 郎
乗 松 尋 道
濵 田 達 郎
広 川 忠 夫
渡 辺 国 正
長 沼 雄 峰
原 正 雄
土 田 浩 平
高 木 睦 弘
田 中 実
橋 本 誠
原 敬 治
福 田 良 子
70回S37年
南 波 誓 治
平 田 幸 男
土 屋 信 之
高 橋 俊之助
田 辺 建 一
橋 本 梁
原 敏 明
藤 崎 昌 彦
井 口 礼 里
庭 山 熙 彦
平 原 康 男
戸井田 一 美
高 橋 幸 雄
玉 木 政 美
長谷川 精 一
一 栁 肇
藤 田 実
池 田 好 正
野 俣 徹
広 野 耕 一
栂 坂 昌 言
田 才 邦 彦
富 永 聡
樋 口 博 行
廣 瀬 弘
堀 内 孝
石 井 幸 子
長谷川 義 明
福 田 生 一
中 村 瑛
田 代 壮治朗
中 野 三 義
平 田 孝 夫
広 野 達 彦
松 橋 英 夫
石 井 鐐 二
長谷部 良 雄
藤 木 茂
中 村 輝 一
立 川 實
中 谷 一 泰
葊 澤 憲 隆
星 允
松 原 伸 子
伊 藤 万 里
浜 口 福 寿
藤 巻 圭 介
中 村 道 衛
田 中 堅一郎
難 波 勝 平
福 地 利 明
堀 川 楊
丸 山 弘
伊 藤 善 允
番 場 道 夫
藤 山 陽 三
長 津 栄佐子
田 辺 元 彦
二 木 央
藤 田 佐津紀
本 間 寛
水 上 耕一郎
今 井 正 昭
藤 井 真 夫
藤 原 岑 子
二階堂 修
谷 久
根 津 重 行
古 沢 満
前 田 康 久
森 田 浩 二
岩 脇 秀 廸
藤 崎 隆 三
帆 苅 宏 典
二 木 信 行
田 巻 亮
野 崎 睦 美
堀 江 昭 雄
間 口 龍 郎
梁 取 健
歌 川 亨 一
藤 田 太 郎
星 野 陸 夫
西 村 允
田 村 康 一
波多野 庄 英
本 間 請 子
真 島 紘 一
若 松 昌 弘
江 口 光 夫
藤 田 宏
真 壁 伍 郎
庭 山 昌 明
田 村 進
樋 口 英 嗣
松 沢 孝
松 井 建 吾
69回S36年
大 塚 哲 夫
古 沢 善 文
枡 山 純
野 口 弘 二
千 原 久 人
樋 口 宜 久
松 本 瑞 夫
松 島 啓 二
阿 部 正 昭
岡 田 利 邦
本 間 淑 人
丸 田 康 雄
野 口 孝
塚 本 暉 磨
葊 瀬 啓 子
丸 岡 央
丸 山 英 治
伊海田 英 夫
小 川 弘 良
丸 山 建 吾
丸 田 宥 吉
長谷川 潤 治
坪 井 正 康
伏 見 勝 也
宮 沢 一 彦
見 田 進
池 田 正 夫
小 川 瑞 枝
丸 山 稔
三 國 龍 彦
長谷川 正
中 林 弘
藤 井 青
村 木 健 二
三 堀 浩
石 本 隆太郎
小 沢 欣 治
向 川 恒
水 野 一
馬 場 政 説
中 山 輝 也
本 田 紘 一
八 木 喬
村 山 実
今 井 昭 雄
小 幡 清 司
村 岡 公 夫
湊 一 子
平 原 正 男
西 野 貢 司
本 間 忠 彦
矢 崎 善 則
保 田 勲
入 山 哲 郎
笠 原 大 仙
村 山 国 弥
嶺 國 和
藤 井 尚 治
庭 山 暢 彦
松 木 美智子
矢 部 直 子
山 際 肇
岩 尾 信 宏
風 間 秋 利
村 山 健
村 上 年
保 苅 由紀子
畑 野 晋 也
丸 山 一 敏
山 口 喜 康
山 田 穣
内 山 康 雄
加 藤 邦 紘
矢 田 昌 三
村 木 修
星 鉄太郎
葊 川 祐 之
三 浦 進 次
山 口 信
渡 辺 脩
大 川 昭一郎
加 藤 清 策
横 村 一 郎
村 木 隆
本 田 良 二
藤 澤 靖 郎
水 野 左 敏
山 崎 稔
渡 部 透
大 関 久美子
金 子 健 三
吉 川 芳 生
村 山 悦 朗
牧 野 英 二
星 満
宮 川 忠 和
横 瀬 功
渡 部 康
大 谷 勝 美
金 子 正 史
若 林 瑞 穂
茂 木 敏 子
松 井 光 一
星 野 邦 彦
村 山 黄三郎
吉田 六左エ門
68回S35年
大 森 ゆかり
川 島 崎 夫
渡 辺 皐 哉
本 井 孝 至
松 岡 京 子
本 間 義 章
村 山 雅一郎
若 林 昭
青 木 彰
岡 田 尚 子
川 田 昌 人
和 田 照 子
守 口 隆 夫
松 本 欣 一
桝 潟 晴 夫
本 宮 憲 男
渡 辺 喜 光
赤 塚 五十二
小 川 敏 子
北 村 雅 英
62回S29年
山 越 寿 夫
眞 山 俊
松 田 勲
山 﨑 耕 一
渡 辺 正 弘
安 達 賢 司
小 黒 朋 弘
久 代 秀 雄
青 柳 正 男
山 本 眞 弓
三 浦 喜代次
松 原 迪 夫
山 田 松 寿
渡 辺 操
安 達 雅 巳
小 澤 武 文
栗 山 勝 博
五十嵐 昭 雄
吉 川 達 雄
水 落 義 樹
三日月 賢 二
山 本 和 親
67回S34年
安孫子 晋 治
鍵 富 雅 雄
栗 山 淳 一
五十嵐 邦 弥
渡 辺 順 司
南 満寿子
村 山 俊
鎗 居 成 治
赤 澤 宏
阿 部 俊 明
笠 原 弘
桑 原 和 雄
池 田 昌 之
渡 辺 真
村 田 正
森 田 一 郎
吉 井 士 郎
味 方 繁 夫
阿 部 尚 武
加 藤 滉
小 泉 和 代
石 黒 恒
和 田 斐 夫
村 山 弘 義
山 﨑 雅 司
吉 田 穂 積
阿 部 紘 一
阿 部 美和子
鴨 下 守 孝
小 嶋 桂 吾
石 崎 富士臣
63回S30年
山 田 惠 一
吉 川 要 輔
渡 辺 正 宣
阿 部 智
五十嵐 一 衛
菊 池 利 男
小 林 紀 昭
石 田 忠 郎
間 潔
山 田 力
若 槻 晃 一
66回S33年
池 隆 夫
伊佐早 幸 男
木 田 富士男
小 山 正 一
石 田 寛
赤 羽 良 樹
山 田 豊
65回S32年
青 木 一 男
石 井 恵 子
石 黒 正 子
木 戸 恵 子
近 藤 束
石 田 幸 夫
阿 部 聡
山 根 晴 子
相 田 稔
青 木 忠 允
石 井 幹 男
石 橋 輝 樹
久保田 昌 敏
近 藤 光 男
岩 渕 眞
阿 部 達
山 宮 英 樹
浅 田 和 之
阿 部 三 男
市 原 昭 一
礒 辺 潔
黒 井 幸 一
斉 木 孝 雄
上 原 明
荒 井 正
山 本 弘 司
安 食 悟 朗
行 形 和 也
伊 藤 紀 朗
岩 原 修 爾
小 出 紘
齋 藤 攻
内 山 一 雄
五十嵐 健 治
山 本 潤 一
安 宅 厚
池 政 男
大 高 道 夫
大 橋 昌 徳
小 島 健 二
斎 藤 忠 正
内 山 隆 之
五十嵐 信一郎
油 本 暢 勇
阿 部 直
池 田 葵
大 滝 正 通
岡 村 光 郎
小 林 勲
齋 藤 典 子
大 澤 澄 男
五十嵐 房 子
横 田 美 昭
荒 川 哲 夫
稲 月 喜 一
大 野 敏 昭
奥 村 ミ イ
後 藤 宏
齋 藤 弘 道
大 西 浩 介
池 治 男
吉 田 奎 介
飯 野 勝 栄
今 井 正 雄
岡 崎 功
河 西 厚
斎 藤 昭
坂 井 政 行
貝 津 徳 男
石 川 庄 吾
渡 辺 昌 夫
飯 村 厚
岩 橋 平 吉
小 川 宏
片 桐 靖 孝
斎 藤 国 雄
酒 井 ゆき子
貝 沼 由 紀
居 城 正 二
渡 辺 要一郎
五十嵐 徹
薄 田 芳 丸
奥 村 紀 男
加 藤 健 一
斎 藤 駿 介
佐 川 幹 恵
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青山同窓会報
第 98 号
(28)
平成 26 年1月1日
平成 25 年度 青山同窓会会費納入者
(H 25. 4. 1~H 26. 3.31)
4月より9月末まで納入いただいた方を掲載しております。10 月以降に納入された方は次号に掲載いたします。
会費を納入していただきますと「青山同窓会報」を毎号お届けいたします。申し訳ありませんが、
納入のない方には「会
報」をお送りすることができなくなってしまいます。本年度未納の方は是非3月までにお振り込みくださいますようお願
い申し上げます。
平成 26 年度会費納入のお願いと振込用紙は、平成 26 年度総会のご案内と一緒にご郵送いたします。
1口 1,000 円。できるだけ2口以上でお願いいたします。
振込先:郵便振替口座 全日制 00650-7-4455 青山同窓会 通信制 00530-1-74207 青山通教部会
全日制
土 田 節 也
野 瀬 弘 一
近 泰 男
常 木 剛
若 槻 馨
伊 藤 瑞
60回S27年
中 田 亨
31回T13年
葊 瀬 努
長谷川 直 大
坂 井 武 夫
富 所 壽 男
57回S24年
牛 木 素吉郎
阿 部 和 彦
中 村 信 夫
松 井 道 夫
49回S17年
波田野 勇 松
佐 藤 昭太郎
外 山 清
笹 川 孝 作
園 城 英 二
阿 部 康
中 山 弘
36回S4年
飯 島 三 良
花 澤 博
白 井 勇
中 田 繁 夫
室 谷 昇 平
大 石 正 夫
井 海 孝
長 橋 洸
風 間 忠 雄
池 田 眞 吾
樋 口 正 蔵
白 井 道 夫
星 井 正 春
網 干 道 雄
岡 田 久
五十嵐 邦 一
成 田 禎 作
40回S8年
稲 泉 武 男
藤 井 一 郎
高 橋 英 一
本 間 義 治
58回S25年
奥 村 繁 樹
五十嵐 健 一
野 村 保 夫
鈴 木 保 穂
梶 山 勝 清
藤 井 英 克
高 橋 勝 彦
前 田 利 雄
青 柳 廣 士
小 柳 佳一郎
五十嵐 弘
橋 本 行 雄
真 柄 慎 平
駒 林 行 弘
細 貝 繁 男
高 松 和 丸
眞 谷 誠 慧
赤 塚 行 司
笠 井 駸
伊 狩 三喜男
長谷川 秀 三
41回S9年
酒 井 忠 正
真 島 建
高 山 義一郎
松 浦 徳 雄
阿 部 隆
金 巻 久
池 浦 厚 司
長谷川 信 夫
阿 部 久 二
佐 藤 武 雄
真 野 量 次
田 崎 国 夫
宮 尾 益 敏
安 倍 豊
唐 津 和 雄
池 端 哲
濱 田 達 三
金 子 清
中 野 重 孝
三 村 一 郎
玉 木 將二郎
武 藤 輝 一
植 村 末 哉
河 合 德 壽
石 川 紀一郎
早 川 貞 夫
神 田 明
中 村 葊 德
八木野 恒 夫
丹 後 源太郎
山 崎 賢 二
内 山 準之助
川 上 昭八郎
石 黒 忠 士
早 武 正 博
高 田 弥 彦
仁 保 武 人
横 木 義 男
長 道 雄
山 田 甚 平
大 関 允 良
川 上 忠 男
泉 精 司
平 田 大 六
42回S10年
広 川 弘
52回S20年
津 野 務
吉 澤 有 介
大 山 芳 郎
菊 地 晴 彦
市 川 豊
廣 川 達 郎
広 沢 斉
弘 中 博 元
青 山 秀
手 島 修
吉 原 賢 二
岡 田 耕 衛
菊 池 裕
伊 藤 貞 夫
広 瀬 欽次郎
森 山 敏 雄
藤 田 芳 郎
阿 部 秋 由
寺 崎 哲 夫
56回S23年
小 熊 勇 司
清 野 孝 一
入 山 文 郎
藤 本 剛
43回S11年
舟 崎 裕二郎
安 藤 一 郎
中 村 弘 道
赤 坂 長 弥
笠 原 忠 克
倉 品 克 明
上 杉 雅 之
星 野 昭 夫
笹 川 謙 録
本 田 正 胤
安 東 道 夫
中 山 政 夫
朝比奈 和 三
風 間 庫一郎
栗 林 貞 夫
内 山 真 一
星 野 昇
早 船 春 洋
水 本 正 弥
石 崎 昭 一
長 場 雅
網 干 道 雄
片 桐 欣 哉
栗 林 重 夫
大 田 英 男
星 野 政 一
渡 部 一 郎
山 口 正十三
岡 崎 昭 兒
野 口 国 典
荒 川 昭 寿
加 藤 吉 策
栗 林 貞 一
大 橋 威
本 間 一 浩
44回S12年
50回S18年
奥 山 實
野 口 俊 作
飯 島 昌 弥
加 藤 高 弘
小 池 和 男
岡 村 嘉 志
牧 野 毅
小 泉 大 三
五十嵐 清
河 端 昭 二
野 田 栄次郎
猪 股 成 美
金 子 忠
小 城 一 廣
小 川 秋 実
丸 山 敏 視
近 藤 嘉 男
池 田 成 德
岸 田 二 郎
広 野 究
今 城 信 敬
木 村 善 章
小 林 圭 次
奥 田 達 也
水 野 哲 雄
高 野 伸 三
池 田 信 彦
木 村 元 衛
藤 田 英 治
上 田 宏
小 林 一 男
小松原 金 二
尾 嶋 静
向 井 和 夫
宮 川 一 郎
犬 井 政 榮
小 嶋 嘉 彦
本 田 正 英
浦 野 説 衛
小 林 正 吉
笹 川 一 雄
落 合 夏 樹
宗 村 健 吾
45回S13年
今 井 弘
齋 藤 泰五郎
本 間 敏 雄
江 口 直 禎
近 寅 彦
佐 藤 純 一
甲 斐 佐智男
矢 川 和 偉
笠 原 義 春
大 川 正 彦
佐 藤 秀 夫
正 木 宏
遠 藤 昭 伍
近 藤 信 夫
佐 藤 進
加賀田 實
矢 崎 芳 直
小 島 平 彌
勝 見 秀 也
佐 藤 陽 二
盛 山 淑 郎
大 田 宏
斉 木 利 雄
佐 藤 吉 雄
笠 原 功
山 崎 健
寺 山 恒 男
上 村 光 司
佐 藤 隆 三
諸 橋 莞 治
大竹 多計二郎
坂 井 熙 一
茂 泉 喜 彦
片 岡 眞
山 﨑 賢 隆
長谷川 渙
小 林 淳 郎
澤 田 義 郎
山 作 房之輔
大 沼 淳
佐 藤 俊 彦
品 田 茂 博
金 山 常 吉
山 崎 峯 平
円 山 哲四郎
渋 谷 武
柴 田 利一郎
山 﨑 典 夫
笠 原 健一郎
佐 藤 弘
渋 木 幸 三
河 田 鐡 雄
山 田 誠
綿 井 兵 衛
瀬 谷 誠
真 保 禎 二
山 田 豊
加 藤 勝 則
里 村 専 精
白 井 三 男
神 田 三 夫
山 本 淳 夫
46回S14年
髙 橋 忠 行
鈴 木 昭
渡 辺 義 隆
上 村 幹 雄
白 井 博
鈴 木 誠 一
熊 谷 忍
渡 邊 修
江 口 松 弘
寺 田 秀 夫
関 口 次 郎
54回S21年
岸 野 健 一
曽 我 浩
関 根 享
熊 倉 正 司
渡 辺 祐 吉
大 津 任
中 林 茂 之
坪 谷 誠
斎 藤 雅 彦
清 野 誠 二
高 田 龍 介
関 野 光 弘
熊 倉 登
61回S28年
鍵 冨 春 雄
長谷川 陽 三
冨 取 德 夫
佐 藤 壮 一
小 島 直 孝
種 村 祥 一
高 橋 正 利
小 石 光 夫
朝 日 明
熊 谷 大 輔
本 間 生
永 井 淳 一
保 倉 修
小 嶋 芳 郎
大 門 啓 治
高 橋 陽 一
小 出 直
浅 間 道 子
佐 藤 正 利
水 野 哲 郎
成 田 昭 一
55回S22年
小 林 隆太郎
中 川 弘
高 山 昇二郎
小 島 洋 吉
浅 見 昭 夫
下 勇
村 山 一
野 崎 一 朗
青 山 昭 郎
小 松 重 男
永 井 克 孝
田 辺 治
小 林 賢 一
安 宅 久 憲
高 橋 敬 吉
山 田 璋 治
能 登 彰 夫
阿 尻 威 吾
近 藤 源 也
早 川 哲 夫
種 岡 健
小 林 吾 郎
阿 部 亜 生
手 島 恵 昭
吉 澤 績
廣 川 勲
新 井 勝 龍
斎 藤 恒
平 田 次 彦
塚 田 俊 夫
小 林 庄一郎
阿 部 徳治郎
藤 巻 貫
吉 村 武 郎
廣 川 昭 二
伊 藤 健二郎
坂 井 恒 雄
福 島 惣 吉
中 野 文 郎
小 林 進一郎
安 藤 友 憲
横 山 隆 二
渡 辺 欣 次
藤 田 禮 一
今 井 兼 智
髙 塚 勝 吉
藤 崎 茂
長 島 一 郎
小 林 亨
池 田 元 嘉
米 原 進
51回S19年
古 川 幸 夫
今 湊 良 敬
高 橋 主 治
堀 内 俊 夫
納 谷 喜 郎
小 林 智 明
石 井 淳
47回S15年
青 木 智
三井田 彦 二
上 杉 伸 二
高 松 昭
本 間 庄 二
西 脇 諭
小 林 満
石 井 壯 一
岩 谷 又 武
青 木 博 夫
村 島 滋
大 島 壮 一
田 中 孝
前 田 三 郎
能 登 省 三
小 山 功
石 山 謹 治
小 川 俊 夫
荒 井 奥 弘
山 﨑 利兵衛
笠 原 孝 雄
中 山 昭 一
松 浦 祥 夫
井 進
齋 木 守 雄
居 城 慶 一
倉 井 整
今 泉 笑 顔
吉 田 片 岡 啓一郎
中 由 正 男
宮 川 幸 司
早 山 康 之
齊 藤 邦 夫
伊 藤 良 介
古 寺 鴻
歌 川 正 博
渡 邊 亘
金 井 良 司
南 雲 照 三
宮 沢 昭
藤 由 学
坂 口 英 一
稻 垣 甫 玄
斎 藤 良 介
大 関 雄 策
亘 隆
金 子 隆 弘
庭 山 六 郎
和 田 憲 雄
藤 原 幸 雄
佐々木 城
今 井 晃
志 賀 武 司
大 滝 映 夫
53回S20年
川 崎 貞 夫
野 沢 英 雄
59回S26年
堀 滋 久
佐 藤 孝
江 口 良 助
菅 井 隆 一
大 山 龍 蔵
阿 部 定 一
小 島 健 一
畠 山 茂
青 木 久 馬
宮 田 兼 好
佐 藤 忠 春
江 村 隆 三
杉 山 弘 治
岡 本 耕 治
荒 木 典 雄
笹 谷 哲 也
早 川 潔
青 柳 実
八 島 敏 弥
清 水 悌 作
太 田 賢 輔
中 野 忠 雄
小 野 芳 一
飯 島 鋕 良
渋 木 登
伴 昭 彦
旭 祐 善
山 田 一 介
杉 野 剛 博
太 田 二 郎
中 村 正 秀
金 巻 保 男
飯 田 洋 一
庄 司 元 一
深 滝 英 彦
安 食 裕 夫
山 宮 英 世
曽 我 忠 夫
大 野 恭 信
吉 田 富 忠
川 瀬 煕
飯 野 俊 栄
鈴 木 俊 雄
藤 井 泰 介
阿 部 進
吉 川 篤
高 城 英 雄
奥 村 啓 一
48回S16年
北 村 茂
稲 月 作之助
早 福 卓
松 井 昭 五
新 川 滋
吉 川 文 雄
田 辺 寛
加 藤 榮 一
秋 元 俊 明
小 宮 富 郎
上 杉 純 一
高 橋 輝 雄
三 崎 正 一
飯 村 康 一
吉 田 陽 吾
田 部 幸 夫
金 子 章
北 村 英 朗
笹 川 重 男
内 山 昭 三
高 橋 弘
村 川 順 三
五十嵐 哲 夫
渡 邉 敏 男
田 村 和 郎
神 山 治 郎
佐 藤 忠一郎
杉 山 久 雄
大 倉 憲 吾
高 橋 安
目 黒 剛
池 田 修 次
渡 辺 初 男
戸 川 正 弘
川 井 達 夫
諏 訪 宏
鈴 木 誠 二
大 滝 侃 市
千 葉 繁 治
山 崎 洪 二
石 山 芳 昌
渡 辺 満
徳 田 浩 一
川 崎 栄 一
髙 松 利 男
千 葉 繁 太
小 林 松 郎
土 田 達 禅
横 山 芳 郎
市 川 鉄 夫
富 山 佑 男
河 辺 明 彦
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