俺の旅 初めての海外旅行

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初めての海外旅行
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初めての海外旅行
ヨーロッパ7カ国
1970 年 1 月初め店舗デザイン社の社長から呼び出され、ヨーロッパに行かないかと誘わ
れた。雑誌で募集していたのでタダで行けるのかとおもっていたのに参加人数が少ないか
ら行ってくれないかという、参加費用は 58 万円、当時大学出の初任給は2万円位カメラマ
ンになって 3 年行けるわけが無い、即座に断り他のカメラマンに聞いたのだが皆同じ返事
たっだ。それからしばらくして 3 月の初め頃社長から、旅費はいいからその代わり皆のス
ナップ写真と各地の見本市の取材を頼むと言う事で参加する事にした。
1970 年 4 月 14 日羽田空港に集合、参加人員 16 名、添乗員 1 人の計 17 名、空港ターミ
ナルから外へてで歩いて飛行機まで、タラップの前で記念写真を撮り機内へ、飛行機は
DC-8 だ、SAS スカンジナビア航空はアラスカのアンカレッジ迄約 8 時間のフライトだ。
飛行機が動き始めるとパンナムのジャンボ機が見えた,乗客は皆でかい、凄いと感激し
ていた。乗務員は 3 人背が高く皆美人だ、40 歳位に見えたが実際はもっと若いのかも知れ
ない、髪の毛は金、銀混ざってる今まで見たことが無い。機内食がでた、冷たい骨付きチ
キンと炒めた野菜、パンにビール。食事が終わるとトイレへ行ったり通路に立って向かい
の人とタバコを吸いながら話をしている外人が多かった。今では考えられない、タバコは
吸えないし通路に立っていたらすぐに注意される。
アンカレッジに着く、タラップを降りる、寒い、雪が舞っている、ターミナルビル 2 階
の待合室へ。免税店で酒を見ていると帰りに買えるからうどんを食べようと添乗員が言っ
てきた、かけうどん 5 ドルと書いてある、5 ドルといえば 360 円の 5 倍 1800 円だ、食べる
のをやめた。白熊の剥製の前ですごいなーと感激していた。
飛行機はアンカレッジ空港を飛び立つとすぐに北極点の真上を通過、乗務員が北極点通
ご過書を皆に配り始めた、機長のサインがして有った。コペンハーゲン迄約 8 時間のフラ
イトだ、映画も無い、雑誌新聞は英語、退屈した、通路で 3 列前に座っている添乗員とタ
バコをすいながら話し込んだ。朝6時頃コペンハーゲンに到着、タラップを降りると空気
が冷たい、とっても気持ちが良かった、ターミナルビルに入り待合室の前を通ると 10 数人
の人がいすに毛布をかけて寝ていた、驚いた。
この後 11 時の飛行機でスエーデンのイエーデボリに行くのに時間があるからコペンハー
ゲン市内で朝食を食べることになった、バスに乗って SAS ホテルへ、レストランに入ると
バイキングだ。日本ではまだバイキング料理は無かった。後に帝国ホテルが日本で始めた。
生ハム、生鮭、にしんのスズケ、野菜サラダ、紅茶にオレンジジュースとパン初めての外
国で食べる朝食は旨かった。
スエーデンのイエーデボリ空港に到着、寒い、空港周辺、道路が雪で真っ白、街迄行く
途中に川があり、日本郵船の船が停泊していた、日の丸と郵船の旗がかっこよく見えた。
バスはホテルに行かず小高い丘で止まる、古い教会があり、川には郵船の船が見える、街
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全体見渡せる。夕食が終わってホテルの近所をウインドショッピングする、夕方の 7 時だ
というのに店は全部閉まっている、ウィンドウの明かりの中で日本とまったく違うマネキ
ンがあった。
翌朝国際見本市会場にスカンジナビア家具を見に行く、珍しい家具や斬新なデザインの
照明器具など取材撮影していると、イエーテボリの新聞社が我々を取材しに来た、
翌朝ホテルに掲載された新聞を持ってきてくれた。1 面に写真と記事が載っていた。午後
の飛行機でロンドンへ、スコットランドヤード警察の前のホテルだ。2 泊したが観光だけ、
ロンドンヒースロウ空港から BE でパリオルリー空港へ、タラップを降りるときなんでいう
か自分の空気にあっている気持ちのよさが伝わってきた、税関を通る時パスポートを手に
持って見せるだけ、ロンドンとは大違い、出口を出るとなんか見たようなこうけいだ、一
緒に旅してるインテリアデザイナーの尾嶋さんに話しをするとフランス映画によく使われ
る場所なんだよ、だから俺も感激しているんだといった。階段を下りようとしたら映画館
があるではないか、空港内に映画館か。空港からバスでブーロウニュの森を通りビクトリ
ーューゴ通りを抜け凱旋門に出た、バスは止まってくれて 10 分の時間をくれたので車の多
い通りを横切り凱旋門の下まで行った、すごいなーの一言、シャンゼリゼー、マドレーヌ
寺院を通りホテルへ。
夕食後皆でマドレーヌ寺院付近を散歩する、17 人が一緒に散歩する姿は怖いもの知らず
だ、そういう団体さんにきれいなお姉さんたちが声をかけてくる、車の中から、歩道でカ
モを探しているお姉さんたち、グループの何人かは一人抜け、二人抜けてオペラ座の近く
まで行くと 5,6 人になっていた、グランドホテルにあるグランドカフェで道行く人達を見
ながらビールを飲み時間のたつのを忘れてしまった。気がつくと 11 時、あわててホテルモ
ンソウーで働いているムっシュ酒井に電話する、12 時まで仕事だから終わったらホテルに
来てくれるという、ホテルに帰るといなくなった人たちが、部屋でワインを飲んでいた、
我々も一緒に仲間に入り飲んでいるとムっシュ酒井がきた、始めて会うのに気さくな人だ、
ムっシュ酒井はこれからシャンゼリーゼに案内してくれるというと、皆行くという、
17 人ムっシュ酒井の後ろを歩く、シャンゼリーゼのある 2 階に行くとムっシュ酒井は受
付の人と話をして中に入れてもらう、カジノだ、台は 1 台だけしかなく玉突きのボールが
ある、台の前には先客が頑張っている、我々はひな壇になっているいすに座る、初めての
カジノでルールがわからない、酒井さんがルールを教えてくれた。玉を打つとぐるりと回
り数字の書いてある場所に玉は落ちる、数字で賭けるのと赤と黒の色で賭ける 2 種類があ
る、ルールがわかったのでとりあえず赤に 100 フラン賭けてみた、赤が来て 200 フランに
なった、次に 200 フラン赤に賭けたが黒に来た、勝ったり負けたりして 4 時過ぎに帰るこ
とになり最後に 200 フラン赤に賭け 400 フランになった、500 フラン使って帰るときには
500 フランが手元にあった、勝ち負けなしで遊んだたけ得、ヵフエで勝った人がビールをご
馳走してくれた。
翌日オペラ座、モンマルトルのサクレクール寺院、テルトル広場では日本人が似顔絵を描
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いていた、カルチェラタンの学生街、ソルボンヌ大学、リュクセンブルグ公園、この半日
でパリという街が好きになった。天気は青空、空気がうまい、街行く人皆明るい、パンが
うまい、何食べてもうまい、モンパルナス近くの日本レストラン東京でカツどんを食べ、
近くのキャフエでビールをみんなで飲んでいるとトイレから帰ってきたグループの一人が
階段の途中に藤田嗣治の写真があるよというとみんないっせいに写真を見に行った。ポー
ルドヴェルサイユ国際家具展示会に行きヨーロッパ家具を見る、写真を撮ったり、してる
とタバコ見本を配っているきれいなお嬢さんたちが 20 本入りのタバコとタバコケースをく
れた、展示会を見ての帰りオペラ通りにあるお土産やで香水やネクタイをたくさん買わさ
れてしまった、あとて分かったことたがお土産やから添乗員にバックがあり添乗員を 3 年
やったら家が建つといわれていたらしい、
お土産やを出て近くのフランス料理に行く、レストランに入ると今まで引いていたピア
ノが急に上を向いて歩こうの曲に変わった。食べ終わってホテルに帰り 12 時から始まるム
ーランルージュにいくしたくをしてバスに乗る、ショウを観ながらシャンパンを飲む、舞
台はとても切れいだが睡魔が襲ってきて起きているのがつらかった。
翌日オルリー空港からフランクフルトに飛ぶ、空港から見本市会場に直行、夕方まで見
る、ホテルに入りホテルのレストランで食事、食べ終わって添乗員がアップルワインの有
名な店があるから行かないかとみんなに誘う、みんな行く事になりホテルからフランクフ
ルト駅を通り川を渡り結構歩く、近くに来ると飲み屋街らしくバーとかパブみたいな店が
多い、一軒のバーに入りアップルワインを頼む、カウンターだけのいすテーブルなし、み
んな立って飲んでいる、我々もグラスを持ちソーセイジを立って食べる。
翌日フランクフルトのホテルを出てライン川をバスごと一緒に対岸に渡り、田舎道を走
る、昼前まで走りついたところは大きな庭園の中にあるレストランで席に着くと日本人の
ウエイターが来て日本語で接客、みんな安心したらしくウエイターに話しかけるドイツの
田舎料理を食べ庭園でビールを飲みくつろぐ。
バスはドイツとスイスの国境に着く、バスを降りるのかと思っていたら税関員がバスに
乗り込んできてパスポートを見せるだけで終わる、少し走るとスイスの税関員が乗ってき
てパスポートを見せ終わった、チューリッヒのホテルに到着、夕食まで時間があるのでチ
ューリッヒの駅へけんがく、そして駅前のバンホッフ・ストラッセ通り駅前通りをショッ
ピング、タバコを 1 カートンを買うと1パっヶジつぃて来た、チューリヒの朝早く街を散
歩、川沿いを歩いているとオールト・タウンみたいなところに出た、店は閉まっていたが
こんなところはいつ来ても楽しくなる。
ホテルに戻り朝食、バスに乗りチューリッヒ市内観光途中で銀行に立ち寄る、両替をし
たら銀行のカレンダーをくれた、ついでに口座を作りたいといったらみんな笑った、添乗
員が聞いたくれた外国人は 50 フラン約 5000 円から住所は日本でもかまわない、利息はな
しパスポートだけでよし、新潟の関口さんが俺が作るといって申し込む、しばらくして紙
切れ一枚が来た、名前と日本の住所と銀行の口座番号だけ、この口座番号だけで日本から
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取引できますと通訳してくれた。
チューリッヒを離れジュネーブにむかう。ジュネーブのホテルに入り夕食まで自由行動
だ、駅に近いホテルでレマン湖まで下り坂、店を探索しながらレマン湖に出る、レマン湖
に面したところでめがね屋があった、ショウウインドウにあったフレームが気に入った、
店に入り値段を聞く 500 スイスフランだ、レンズを入れると 700 スイスフランだ、ほしか
った、今日中に出来るか聞くと明日の朝なら何とかできる、9 時に出発するからそれまでに
何とかできないかと頼む、9 時開店だから無理、押し問答の末に本当にこのフレームがすき
なのか何とか間に合わせてあげようといって作ってくれることになった。
翌朝添乗員に 10 分遅らせてくれと頼みめがねやに行く、5 分前に店の前に居たがシャッ
ターが閉まっていた、9 時になり 9 時 5 分になってもあかない、ヤバイ、と思っていたら急
ぎ足で来る人が居た、めがねやの主人だ、助かった、めがねをかけ人が変わったように見
えた、変更フイルターですぐ茶色に変わった、すぐにホテルに戻りバスに乗り込む。バス
はシャモニーに向かう。
シャモニーに着く、メインストリートにバスが置けないのではずれにある駐車場まで連
れて行かれた、駐車場から歩いてシャモニーの駅前を通り商店街に入る、これがヨーロッ
パの山岳地帯の町かと思った、山小屋風のコーヒーショップ、鳩時計を売っている店が多
い、絵葉書を見ながら通り抜け、ロープウエイに乗って山上見晴台に行く、見晴台に着く
と寒い、富士山より高いと聞いてびっくり、晴天で空が真っ青、モンブランに連なる山々、
遠くにシャモニーの町が見える。下りてきて遅い食事、そしてまたバスに乗りミラノに向
かう。スイス、イタリア国境を越え太陽の道高速道路に乗りコモ湖に遅い時間に着く、ミ
ラノまで行く予定だがミラノでレストランのストライキで食事が出来ないということで、
急遽コモ湖になったようだ、あるレストランに入るとイタリアバイキング料理だった、み
んなバイキング料理を知らなかった、スパゲッテイを皿いっぱい盛り食べきれず次の料理
も皿いっぱい盛りまた残す、レストランのマネージャーが怒ってしまった、とりあえずお
腹いっぱいに成りコーヒーを飲んでミラノに向け出発。ミラノに着いたのは 12 時過ぎだ、
翌朝モーニングコールで起こされる、朝食は食べたくない、コーヒーだけ飲んでミラノ
国際インテリア展に行く、日本にないすばらしいデザインの照明器具、家具、見ていて楽
しい、午後からホテルで食事、食べ終わってバスに乗ろうとしたがバスがない、運転手も
ここに居るのに、、
、、
、
、
、
、とりあえずホテルのロビーで待っていた、警察署から電話があっ
た、バスが何とかという通りある取りに行けと連絡が入った、この時から自由行動になり
ドウモウ広場までタクシーで行く事になった、ヴィザを食べコーヒーを飲み、ソフトクリ
ームを食べながら通りを散策しているとバスが来た、バスの中に戻るとみんな唖然とする、
カメラやお土産品が無くなっていたのだ、俺はカメラバッグごと持っていたのでたすかっ
た、添乗員が真っ青、東京に電話したり警察に行ったりして、我々はホテルに戻り添乗員
がもとってくるのを待つ、夕食時間に添乗員が戻りみんなに被害届けを出すようにと書類
を持ってきた。被害額の多い人はカメラとバックに入れていたお金 30 万円、その人はドル
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と日本円とトラベルチェックを身につけていたのでとりあえずは何とか旅にししょうは無
いと、みんなが一番困ったことは今まで撮影したフイルムが無いこと、旅の思い出が無く
なってしまったことだ。日本に帰ったら俺の写真を皆に提供することで落ち着いてもらっ
た、
翌日ミラノを後にして太陽の道をベニスに向かう、午後の早い時間にベニスに到着ベニ
ス駅でバスから降りる、街中に車が入れないためここから水上バスに乗り換えホテルへ、
細い路を歩きいくつかの橋を渡りお土産やの通りを歩いてホテルに着く、ホテルで昼食後
観光に出かける、サンピエトロ寺院の前でコーヒーをカプチーノ、エスプレッソを楽しむ、
夕食を早めに食べてホテルの横からゴンドラに乗る、夕暮れの運河にゴンドラが走り船頭
が歌い両側のアパートの窓から手を振っている、なかなか良い光景だ。思い出に残る一場
面だ、1 時間のゴンドラのたびを終え興奮した我々はホテルのバーでワインとビールでバー
が終わるまで飲んでいた。
朝 5 時に起こされ早めの食事、荷物を持って船着場へ船に乗って移動、ベニス駅にはバ
スが待っていた、バスに乗り換えローマに向かって走る、途中フィレンチェに立ち寄り街
の中を散策、ローマに着くとホテルのレストランが終わっていて飯が食べられない、駅に
近いレストランで軽い食事、食事が終わる頃には夜中の 12 時を回っていた、みんなホテル
に戻らずスペイン広場まで歩いていく、暗い道を歩いていると日本人ですかと声がする、
見るとあまり身なりの良くない外人が日本人友達この人知っていますかと名刺を見せ飲み
屋に誘うとする、断ってスペイン広場にたとりつく、階段には何組かのカップルが抱き合
ってる、階段を上がりアメリカ大使館の前を通りホテルに帰る。
次の日一日観光バスであっちこっち、バチカン、トレビの泉いろんなところをみるだけ、
憶える時間も無い忙しい観光でした。翌日一日自由行動、ナポリ、ボンペイへ行くかロー
マ市内の観光か。翌朝食のとき 10 人がボンペイへ、添乗員も行く事になった、ローマ終着
駅テルミネー駅から列車に乗りイタリアの列車を楽しむ、ボンペイの遺跡に着くイタリア
人の遺跡案内人が英語で説明、添乗員が日本語で通訳、まだ 3 分の 1 しかほれていない完
全に掘り起こすのに後何年かかるか分からないという、うずもれている遺跡を見ながら歓
心。今度来るときにはきれいに整備されていることだろう。外に出る、サンドウィチ、ソ
ーセージ、お土産や、屋台の店が並んでいる、そこの一軒でラザーニアを買い歩きながら
食べ坂道を下る、おいしかった、もうひとつ食べたい、戻って買うか駅にいくまでに打っ
ているか、戻るには坂道をあがらねば、駅に向かうことにした、駅までに売っている店が
無かった。ナポリに下りる、期待していた駅ではなく小さい田舎町の駅舎だ、駅前は小さ
なロータリーがあり小さな車が猛スピードで走っている、駅舎の周りにはレストランもお
土産やも何もない、お腹がすいているのに国道を歩くことにした、海を見ながら 20 分ぐら
い歩く、小さなシーフードの店があった、ビールを飲みスパゲッテイ、シーフードサラダ、
とパン一気に食べる。ローマに戻りテルミネー駅を散策、夜の食事はショーを見ながらイ
タリア料理を食べるらしい、
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ホテルに戻り一風呂浴びロビーで待っているとバスが着た、バスに乗って 30 分ぐらい走
る郊外にある店の入り口にたいまつの火が燃えている、ローマ時代の衣装をまとった案内
人に席まで連れて行かれる、300 人は入れるという、舞台の一番前の席に座る、ワインとオ
ートブルが出てきて照明が暗くなり、ショーガ始まったローマ時代の衣装を着たウエイタ
ー、ウエイトレスが食事を運んでくる、ワインを飲んでいたら舞台から声がかかり舞台に
引っ張り出された、いすに座されると二人の男性に持ち上げられ曲芸しにぐるぐる回され
てしまった、何がなんだか分からないうちに舞台から下ろされ席まで連れて行かれた。帰
りバスが走り始めると気分が悪くなった、ホテルの戻ってもなおらずすぐに寝てしまった。
朝モーニングコールで起こされる気分は悪くない、コーヒーとパンの朝食を取りホテル
を出発、ローマダヴィンチ空港へ、飛行機はオーストラリアのカンタス航空、なんでカン
タス航空なのか分からないがデンマークのコペンハーゲンまで乗せてもらう、タラップか
ら下りると雪がまだ残っていた、空港からホテルに移動夕食が終わって外に出る、コペン
ハーゲン駅を散策し駅の横に出るとそこはSEXSHOPの世界、通りをはさんでその手
の店が軒並み並んでいる、そのうちに一軒に入る、雑誌を見ていると気持ち悪くなる、の
ぞき窓にお金を入れると金髪の裸女性が棒にしがみつき、いろいろとボーズを取っている、
店を出るときお土産として雑誌 10 冊を買う、日本に持ち込めるだろうか。
朝早く目が覚め一人で街中を散歩、空気が冷たくうまい、ほとんどの店はまだ閉まって
いるがパンやさんが開いていて匂いがうまそうなので菓子パンを買い食べながらホテルに
戻る、まだ時間があったのでロビーで居眠りしていた、バスが来てみんなに起こされて出
発、アンデルセンの人魚姫の像、市庁舎横のメインストリートの商店街を散策、午後から
チボリ公園でのんびりと過ごす。
今夜が最後のコペンハーゲンなのでみんなと一緒にショーを観に行く事になった、何を
観に行くか分からなかったが添乗員が決めたらしい、バスに乗り郊外に山小屋風の建物が
ありバスや車が止まっている、中に入るとレストランらしく舞台がない、席に着き飲み物
が運ばれてきた、びっくりした運んできた女性はオッパイ丸出しミニスカート姿、そして
ショーが始まった、オッパイ丸出しの女性だちが通路と通路に集まり肩車をしテーブルに
座っているわれわれの上からオッパイが飛び込んでくる頭にオッパイが触り一番上にいた
女性がビールを飲ませてくれた。ただこれだけのショーでした。
翌朝コペンハーゲン空港からSAS航空にて帰国の途に、飛行機は席が自由なので早い
もの勝ちで好きな席が取れる、後ろの窓側の席に座るが飛行機が飛び立つと乗客が少ない 3
席が自分のものになった、ビールを頼む 2 ドル 50 セント取られる、イヤホーンを頼むこれ
も 2 ドル 50 セント取られる、ジュース類は無料でした。タシュケントに着くタラップを降
り始めたら臭い、トイレの臭いがこんな所までくるとは、ターミナルビルに入り免税の品
物を見ていたがここまで臭ってくる、早くここから出たい。
1 時間後タシュケントを飛び立つ、ヒマラヤ山脈を越えタイのバンコックに到着、タラッ
プを降りるととても暑い南国である、ターミナルビルに入りすぐバーに直行ビールを飲む、
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免税店を見ながら時間をつぶす、今度の飛行機はタイ航空ターミナルビルを出ると暑い、
タラップを駆け上がり窓側の席を取る、飛行機が飛び立つとすぐに寝てしまった、フィリ
ッピンのマニラ空港に着いたのも知らず起こされた、タラップを降りるときあまりにも暑
いので気持ちが悪くなった、ターミナルビルに入りロビーで寝てしまった、時間で起こさ
れ飛行機に乗り込む、4 時間後には東京だもうひと眠り、羽田空港に着く、税関手尽きが澄
み外に出ると雑誌社の人母兄が向かえに来ていた。終わり
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