誰がチェを殺 した? CIA の完全犯罪

誰がチェを殺
した? CIA
の完全犯罪
デモクラシー・ナウ!
動画字幕
[2012.02.07]
ボリビア軍に捕らえられ翌日に処刑されてし
まったチェ・ゲバラ。CIA は殺害への関与を
否定しましたが、実は影の主役だったことが
公文書の開示で明らかになりました。処刑さ
れたチェの姿をマスコミにさらせば革命勢力
の士気が衰えると米国政府は踏んでいたので
すが、この作戦は完全に裏目に出てしまい、
チェは革命のキリストとして永遠のシンボル
になってしまいました。
エイミー・グッドマン(AG):
キューバの話題です
フィデル・カストロ前議長が8カ月ぶりに公の場で
シリアなど世界情勢を論じました
回顧録の出版記念会で発言です
回顧録は 米国が支援する独裁者を
革命で追放するまでを描きます
マイケル・ラトナーさんは
憲法上の権利センター名誉会長
封鎖に反対し続けています
マイケル・S・スミスさんは同センター理事です
共著『誰がチェを殺したのか─CIA の完全犯罪』で
ゲバラ殺害への米国の関与を立証しました
マイケル・ラトナーさん
キューバ制裁は50年目ですね
革命直後から米国は
キューバ制裁を続けています
2012年2月7日で禁輸措置は
50年目を迎えます
世界最長の記録です
1962年2月7日にジョン・F・ケネディ大統領が
キューバとの通商を禁止して以来
民主党も共和党も賛成してきました
1996年には制裁強化の法案が
共和党が多数の議会を通過し
民主党の大統領が署名しました
マイケル・ラトナー(MR): 50周年に気づいたのは
報道機関ではエイミーだけかも
ケネディ大統領が1962年に
全面的な経済封鎖に踏み切った
でも すでに一部は実施されていました
キューバ革命政府は大土地資産を接収しました
1954年のグアテマラと同じ政策です
米国は報復として砂糖の輸入をやめ
米国の石油精製所はソ連の原油を扱わなくなった
キューバ制裁は国際的に非難され
国連総会の解除勧告決議は
昨年で連続20回です
投票結果は186対2
反対は米国とイスラエルのみ
キューバ外相は国連総会で
過去半世紀の経済損失は
1兆ドルに迫ると述べました
米国のゴダード国連大使は
総会決議を批難しました
それが経済封鎖の始まりです
1961年にピッグス湾事件が起きると
商業 金融 渡航を含む
全面的な封鎖に拡大しました
世界で最も長く続く経済封鎖です
なぜ今も続いているのか 成果はあるのか
キューバ国民を苦しめるだけだ
米国の人や物や金だけでなく
第三国も巻き込みます
最新の世論調査では米国人の過半数が
政府のキューバ政策に反対です
62%が外交関係再開を支持し
半数が封鎖解除に賛成しています
半世紀を迎えたキューバ封鎖について
二人のゲストと話します
キューバに寄港した外国籍の船は
6カ月間は米国に入港できません
キューバが医療機器を英国から買おうとしても
部品の1割以上が米国製だと買えません
食料や薬品まで禁輸対象です
1
AG:オバマ大統領も最初は
開放政策への転換を語り
渡航制限を緩和したけれど
民主化の停滞を理由に立場をひるがえし
封鎖を延長しました
2004年には封鎖は失敗だとして
解除を主張していました
ルムンバ首相が
米国の暗躍で暗殺に倒れた歴史を語りました
その後ボリビアに渡り
親米政権への反乱を支援しましたが
CIA と協力するボリビア軍の
捕虜となって 処刑されました
『誰がチェを殺したのか
─CIA の完全犯罪』は
新たに公開された政府文書を基に
CIA の重大な関与を論じています
どんな事実が判明したのですか
MR:彼はいつも発言と行動が違います
グアンタナモ収容所も閉鎖しない
私は解除を期待していました
米国のキューバ人社会も同じです
米国の農業関係者も輸出したい
大統領の行動を期待しましたが
マイケル・スティーブン・スミス(MSS)
彼は無策のままで
最近4冊のゲバラ伝が出て
キューバ系米国人の帰郷制限を
新事実が明らかになりました
少し緩和しただけです
ラトナーが情報公開請求で
入手した情報のおかげです
封鎖が続いた50年の間には
共著の半分は その情報です
行動した大統領もいました
カーター政権の時代には
米国の公式な立場は「ボリビア軍が勝手に殺した」
渡航禁止が解除されましたが
これはウソです
べつに天地はひっくり返らず
ホワイトハウスが作戦全体を指揮していた
人々は革命の真の姿を見に行けた
CIA はこの頃には準軍事組織になっていて
簡単なことです
大筋の指令を受けるだけで
まず渡航を解禁し 次に禁輸を解除する
大統領には報告しない
バレたら聞こえが悪いから
AG:ゲストの2人は共著で
チェ・ゲバラ殺害への米国の関与を語っています
チェ・ゲバラはアルゼンチンに生まれ
キューバ革命の指導者として
国際的な名声を得ました
革命政権の要職に就いた後
世界を舞台に革命を目指しました
1965年にコンゴ反乱軍を支援する
秘密作戦を指導しました
前年の国連演説では
コンゴ民主共和国で初めて民主的に選ばれた
ホワイトハウスの指令は
「ゲバラをしとめろ」でした
ゲバラ伝を書いたメキシコ外交官で
歴史家のカスタニェダが
元 CIA 工作員の証言を取りました
この絵の人物です
彼はボリビアの親米独裁者
バリエントスのもとに急ぎ
「ゲバラ捕獲に全面協力する
捕えたらすぐ殺せ」と伝えた
2
バリエントス大統領は
特に中南米の革命が不可欠と思ったのです
必ず実行すると約束しました
ボリビアには革命のチャンスがあると見た
2世紀の間に無数の政変が起き
ゲバラ暗殺計画はそれ以前もあり
米国が独裁政権を支援して
カストロ暗殺には602回も失敗した
大多数を占める貧農を搾取した
ルムンバを殺したのも
故国アルゼンチンの革命を夢見たゲバラは
死体を運んだのも CIA です
米国の搾取が続く中南米で
まさに殺人会社
革命運動の屋台骨になるのはボリビアだと見た
体制転換がその動機です
AG:CIA の関与の証拠は?
キューバ革命では民衆が勝利し
米国に亡命した1%の特権階級は
資本主義の復活を夢見ています
MR:大統領補佐官だった
それがキューバ封鎖の目標です
ウォルト・ロストウのメモです
ジョンソン大統領の安全保障担当補佐官です
AG:チェ・ゲバラの役割について
お話しください
彼の報告はすべて CIA が情報源でした
CIA が上げた情報では
何もかもがゲバラの仕業だった
MR:キューバ革命と
ロストウが表向き否定しても
中南米の解放運動の英雄です
彼のメモで明らかです
米国は1960~70年代に中南米で
ゲバラ殺害は米国の希望だった
次々に政権を転覆しました
中南米や世界の革命気運に
チリの歌手ビクトル・ハラも
とどめを刺そうとしたのです
米国が支援したクーデターで
AG:チェ・ゲバラの最後について
お話しください
処刑されました
ゲバラとキューバ革命は
中南米の革命運動の象徴であり
それは今も変わりません
MR:1967年10月8日
ウォール街でもカイロでも
イゲラ村の近くで捕まった時
ゲバラのTシャツを目にします
銃撃で負傷していました
1%と戦うことの必要性を
彼の銃はまだ熱かった
理解している印です
村に連行され 監禁されて
今日デモをする人々にとって
いろんな人に尋問された
ゲバラは永遠の英雄なのです
CIA の現地工作員フェリックス・ロドリゲスは
翌日に面会したようです
AG:なぜゲバラはボリビアへ?
AG:後にイラン・コントラ事件で
有名になった人ですね
MR:キューバ革命が生き残るには
他国で革命を起こす必要がある
3
MR:ええ ニカラグアの革命政権を
AG:本の中で興味深いのは元 CIA で
今は批判者のエイジー氏の話です
ゲバラのボリビア入国を阻止し
捕える任務を与えられましたが
ゲバラは実業家に化けて
堂々と空港から入国しました
つぶす工作でした
今は我々の血税で楽隠居の身ですよ
彼は1967年10月9日
イゲラ村でゲバラの部屋にいた
ことの経緯については これまで諸説ありました
有力なのはロドリゲスの証言です
「殺すなと指令されたが
ボリビア政府が処刑命令を出し」
MR:入国時のチェの写真は傑作です
「米国は手出しができなかった」
エイジーが配った人相書きとは
こんなデタラメが
似ても似つかない
何十年も通用してきたのが驚きだ
ボリビアで ばら撒いたのです
これじゃ 何でもありだ
空港とか そこら中に
でもゲバラは普通に通り抜けた
新たな情報開示でロドリゲス証言のウソが判明した
もちろん偽名です
ゲバラ殺害の指令は受けていないと
厚い眼鏡で アルゼンチンの実業家に見えた
米国の直接関与を否定し
妻子に別れを告げに行った時
現地の指揮官に責任を押しつけた
子供たちも気づかなかったそうです
大事な点は この頃の米国はまだ
そうやって入国しました
捕虜を殺したり公人を暗殺していることが
ばれないよう気遣っていたのです
カストロ議長と対立して
ルムンバはじめ多数の人を
ボリビアに行ったと言われるが
暗殺していたのですけどね
じつは何年もかけて準備していた
先遣隊を送り込み 5年も前から
AG:ゲバラはボリビアのどこに?
なぜ捕まったのですか
地下組織を築き 訓練を積んでいた
カストロはゲバラの動静を常に把握しており
双方向無線で交信していました
MR:彼はボリビアで革命を起こすため
私はチェの戦友と話をしたことがあります
現地人やキューバ人の手引きで
故障した無線機を交換しようと
入国しましたが
彼がボリビアを離れた間に
もくろみは外れ 1年近い戦闘で
ゲバラが殺されたのです
多くの部下を失いました
本人も言っています
対立説は根拠がない
「革命か 死か」
当時ソ連はコスイギンの時代でした
突き進むしかないのです
キューバが中南米で革命を煽るのをやめさせようと
米国もボリビア政府もゲバラが脅威だと考えました
ソ連はカストロに圧力を掛けました
ボリビア政府は米国に支援を乞い
各国共産党が革命路線を
両国は共同安全保障条約を結びました
放棄することを望んでいたのです
4
でもカストロは圧力をはね退けゲバラを守りました
圧倒的な圧力に抗して
2人の間に対立などなかった
キューバが生き残るためには
ゲバラのその後についてはマイクが話します
革命の拡散しかないとゲバラは考えた
中南米ではボリビアが最も
MSS:なにもかも うまくいかなかった
見込みがあると思ったのですが
ゲバラが設けたボリビアの訓練拠点は
すべて裏目に出たのです
すぐに発見され
本ではこの悲劇を詳述しました
彼は持病の薬を奪われました
包囲 武装解除 捕縛
隊はバラバラになってしまい
そして処刑されるまでの経緯です
二度と合流できませんでした
AG:『誰がチェを殺したのか
─CIA の完全犯罪』の中に
ゲバラ殺害作戦の中心人物
ウォルト・ロストウ氏の発言があります
「ロマンチックな革命家を殺し
ゲリラの士気をくじけ」
「ゲバラを捕えるだけで
ゲリラ撲滅作戦にはプラスだが」
「彼が死ねば 効果は百倍だ」
チェを生かしておきたいと
米国が思ったはずがないと分析していますね
「国益」に反するからです
革命運動への大打撃を期待して
チェの死をマスコミに知らせたのだと
半数は農民の密告で 川で襲われ
タニアも殺されました
AG:タニアとは誰ですか
MSS:東ドイツ出身の革命家で
両親が共産主義者でした
ゲバラとは東ベルリンで知り合い 意気投合して
地下組織を作るため ボリビアに潜入しましたが
ゲバラの意に反し
野営地にジープでやってきた
政府軍がジープを発見し
車内の資料から作戦を嗅ぎつけ
米軍と CIA の介入が始まりました
この本で公表した米政府の覚え書によれば
「ベトナム帰りの特殊部隊を送り
MSS:報道発表では
現地兵を訓練しよう 直接 手を下すのはまずい」
グスタボ・ビジョルドがこのように
チェの死体の後ろに立っていた
AG:ジョンソン政権は
ベトナム戦争を拡大中だったのに
白黒写真が残っています
AG:本の表紙は油彩画ですね
MSS:ボリビアにも干渉したのです
ボリビアの民主政権は とても弱い立場でした
MSS:彼はキューバの大富豪の一族の出で
マイケルが言ったように
GM工場や400平米の大農園を
ボリビア ブラジル ウルグアイ
革命ですべて失いました
チリ アルゼンチンと
CIA に雇われ
キューバ支持の民主政権は次々つぶされ
この作戦を指揮しました
持ちこたえたのはメキシコのみ
ロドリゲスは彼の部下です
5
AG:ボリビアで?
この本で本当に伝えたいのは
米国が世界で何をしているのか
MSS:─ええ
政府の説明は まず疑えということ
チェの遺体をヘリコプターに縛りつけ
シリアでもリビヤでも 1973年のチリでも
バジェグランデの町に運び
キューバ封鎖の継続についての
病院の地下にあったセメントの台に置きました
オバマの説明についてもです
報道陣を集めて写真を撮らせたが
残念ながら米国のメディアは過去から学びません
遺体を公開したのは大失敗でした
政府の発表を たれ流して 人々を誘導するだけだ
誇らしげに付き添ったビジョルドは
AG:チェは負傷して捕らえられ
ほどなく処刑されました
殺しに来た兵士に言った最後の言葉は
「お前は人間を殺すのだ」
報道発表が済むと
遺体の両手を切り落として CIA 本部に送りました
本部は指紋を照合し
ゲバラ本人であると確認しました
ところが結果的にはチェ・ゲバラの殺害を
宣伝したのは逆効果でした
MR:推測でしかないですが
チェは社会変革を求める民衆の
その言葉の意図はたぶん
永遠の英雄になりました
「私は他の皆と同じ人間だ」
「それをお前は殺そうとしている」
AG:本の取材でいちばん驚いたことは?
「私は人間だ」と言いたかったのでしょう
MSS:米国政府が非常に強固な
MSS:このボリビア人の軍曹は
反革命の意志を持っていた点です
ゲバラを殺す栄誉をクジで引き当てたものの
それをとても手際よく実行する
最初に部屋に入った時は 緊張のあまり退散した
自分たちの利益を正確に知り
AG:チェは横になっていた?
何が必要か露骨な意見を交換する
資料を読むと恐ろしい
本の半分は資料の引用です
MSS:腰かけていましたが
軍曹を見て立ち上がりました
MR:私は若い頃から
「座れ」と言われて
自国政府を信用したことがないので
「立ったままがいい」と答えた
私の「いちばん驚いたこと」は
運命を知っていたのです
ゲバラを扱う作家がほぼ全員
軍曹は殺意が失せて処刑ができませんでした
ロドリゲスの説明を受け入れたことです
一度外に出て 酒を飲んで戻った軍曹に
「米国はゲバラの生存を望んだ」
ケリをつけさせるため諭すように言いました
なんて よくも信じたものです
「いいか お前は人間を殺すのだ」
最近のシリアなどをみても
顔は撃つなと命じられていたのに
米国の説明はウソだらけです
軍曹は緊張のあまり銃を乱射した
ゲバラは肺の出血で絶命しました
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軍曹については後日談があります
チェは3人目の隊員で 役割は軍医のはずでした
後年視力を失い 首都に住んでいました
伝説となった船のグランマ号は
キューバはボリビアに多くの医師を派遣しています
このスタジオくらいの大きさです
キューバの医療チームの手術で
荒海を渡り キューバに着いたのは
男は視力を回復しました
1日遅れで 接岸の場所も間違え
マングローブの湿地で立ち往生し
AG:今も存命ですか
バチスタ軍の待ち伏せを受けました
80人中60人が殺されたり捕らえられ
MSS:生きています
残った20人は山地に入り
エルアルトの病院に行き
キューバ革命が始まりました
キューバ人医師の治療を受けた
驚いた話だ
沼地で機銃掃射を受けたチェ・ゲバラは
機関銃の弾薬と医薬品の
AG:彼は今 どんな思いで?
どちらを取るかの選択を迫られ
弾薬を選んだのです
MR:さあ… 知ってる?
山岳地帯でのゲバラは
優秀な兵士として能力を発揮し
MSS:後悔のためか 酒に溺れ
フィデルによって 第4大隊長に任命されました
恥辱の中で生きています
本当は2隊しかなかったけれど
第4大隊と名付けたのです
AG:チェ・ゲバラが殺害された時の
フィデル・カストロ氏の反応は?
ゲバラとシエンフエゴスが
サンタクララの戦いに勝つと
MSS:打ちのめされていました
バチスタはマイアミに亡命し
メキシコ以来の盟友ですから
ゲバラは革命の英雄になりました
カストロは恩赦で釈放され
メキシコに渡り再起を図りました
権力を握ったゲリラたちが最初に制定した法律は
生かしておいたのが
首相の資格年齢の引き下げでした
独裁者バチスタの誤算でした
カストロは弱冠33歳でしたから
後にバチスタ政権を倒すことになるグループの
ゲバラはもっと若く
3人目の参加者がゲバラでした
2番目の法律で キューバ人になりました
モンカダ兵営襲撃の時に
AG:もとはアルゼンチン人ですね
カストロと一緒に戦ったニコ・ロペスに誘われ
チェとカストロは夕食を共にし
即座に意気投合しました
MSS:3番目が大農地改革法で
一晩中 語り明かし チェは約束しました
これで米国のトラの尾を踏んだ
「どんな独裁者とでも戦う」と
ユナイテッド・フルーツ社の資産を
国有化したからです
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CIA 長官アレン・ダレスは同社の大株主でした
アレンの兄で国務長官のジョン・F・ダレスもです
AG:彼は同社の顧問弁護士でしたね
MR:ええ ゲバラはその5年前に
グアテマラを訪れています
アルベンス政権の転覆に抵抗して
戦って 敗れました
民主的に選ばれた政権が倒されたのは
ユナイテッド・フルーツ社の土地を
接収したためです
全部つながっている
その後メキシコでカストロと出会った
まだあります ゲバラとカストロが
キューバ入りの前に軍事訓練を受けたのは
スペイン内戦を経験した年配の将軍でした
共和国側で戦ったアルベルト・バジョです
歴史は更に遡ります
ダレス兄弟は自ら糸を引いたグアテマラ政変の
直前の1953年に
セオドア・ルーズベルトの孫をイランに送り込んで
民主的に選ばれたモサデク大統領を倒しました
この「楽勝」に味をしめた米国政府は
次の標的をグアテマラに定めました
でもルーズベルトの孫は
任務の途中で降りてしまった
現在のグアテマラとイランの政権が
米国に対して抱く不審の源には
1950年代の政変があります
これは中東と中南米の理解に
非常に重要な視点です
©Democracy Now Japan 2012
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