Chapter Five: Storytelling 170 171 『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』と『ヴィクトリアン・エイジ:ヴァン パイア』に、他はともかくストーリーテリングの章をわざわざ独立して作 るほどの違いがあるのかと思われるかもしれないが、違いは確かに存在す る。『ヴィクトリアン・エイジ:ヴァンパイア』は、上級者向きのストー リーテリングゲームである。いわゆる 夜のスーパーヒーロー を演じる ゲームではない。ダイスを振って敵をやっつけるゲームでもない。想像力 と語りを駆使して、もうひとつの、より闇の深い別世界の雰囲気に浸る ゲームである。これは大人のためのストーリーテリングゲームなのだ。 『ヴィクトリアン・エイジ:ヴァンパイア』の狙いは、ロールプレイにゴ シック文学感覚をもたせることである。荷が重いと感じる人もいるだろう が、ストーリーテリング体験にいっそう没頭することで、より大きな充実 感が得られるはずだ――なんといっても、ゴシック文学はそれまで血に飢 えた妖怪でしかなかったヴァンパイアに新しい見方を与えた文学なのだ。 本章は、簡単なゴシック文学入門と、 『ヴィクトリアン・エイジ』の史劇 に古きよきゴシックホラーをとりいれるための手法の紹介にあてることに する。 ヴィクトリア朝時代の人々は、現代人よりも恐怖と近しい間柄にあっ た。そうでないほうがおかしい、というべきだろう。どんなに紳士淑女ぶ りや慎み深さをひけらかしてみたところで、彼らと夜の闇を隔ててくれる のは、炎やガス灯の光だけなのだ。啓蒙思想はまだまだ現れたばかりで、 民衆の頭から古く、かたくなで、根深い迷信の力を拭い去るには至ってい ない。ドイツで最後に魔女が処刑されたのは 1793 年、ほんの 100 年前の ことである。 最初のゴシック小説は 1765 年に出版されたホレース・ウォルポールの 『オトラント城綺譚』だった。これは不気味で、心かき乱す、怪奇な作品 だ。紳士淑女にあるまじき感情や状況を扱っている。筋のほうも恐ろしげ でおどろおどろしかったが、驚いたことに、めざましい成功をおさめた。 続く数十年間がゴシック小説の全盛期である。 『オトラント城綺譚』の後に 続々と発表されたゴシック小説は、いずれも現在ではこの怪奇な文学ジャ ンルの古典の座を占めている。グレゴリー・ルイスのスキャンダラスな『マ ンク』、アン・ラドクリフの『ウドルフォの秘密』や『イタリアの惨劇』、 チャールズ・マチューリンの『放浪者メルモス』、ウィリアム・ベック フォードの『ヴァテック』。どれも何百という類似作を生んだ作品である。 1765年からヴィクトリア朝時代の終わりにかけては、時々でも本を買う習 慣のある人なら、恐怖、狂気、怪物、死、病、戦慄、邪悪、性倒錯にまつ わる話をひとつぐらいは読んだことがあるといっても過言ではなかった。 ゴシック文学はそれほどもてはやされていたのだ。 ヴィクトリア朝時代は、正確には1837年のヴィクトリア女王即位から始 まって、1901 年の女王崩御で終わる。政治的にも、産業的にも、経済的に も、文化的にも著しい変化が起きた時代であり、激動の時期の常として、 恐怖とまではいかないまでも不穏な空気が漂いがちだった。だが、怖いも の見たさという言葉もある。だからこそゴシック文学――暗黒と怪奇の文 学――が当代屈指の人気ジャンルとなったわけだ。ゴシック小説はヴィク トリア朝時代の「上品な」人々があえて話題にしなかった事柄――残酷、近 親相姦、病気、恐怖、そして狂気を正面からとりあげた。また、幽霊、悪 魔、魔女、そしてヴァンパイアといった、当時卑しく無教養な人々だけが 信じるものとされていた妖怪たちへの言及が散りばめられている。舞台は CHAPTER FIVE 異国情緒漂う外国の土地や、朽ち果てた館、はたまた 不気味な廃城。そういう物語を読んでヴィクトリア朝 時代の人々は育ったのである。もともとこうした怪奇 趣味の素地があった彼らが、ヴァンパイアを熱狂的に 受け入れるようになるには、ほんの一歩踏み出すだけ でことたりた。 (少なくとも今日知られているような)ヴァンパイア は、ヴィクトリア朝時代に初登場して以来、とてもポ ピュラーな怪物となったようだ。血を吸う死者につい てのまことしやかなニュースが東欧からはるばる流れ てきてイギリスのタブロイド紙を飾った。そうした ニュースを下敷きとして、1819 年にジョン・ポリドリ の『吸血鬼』が出版されたわけだ。カール・マルクスは 資本家を労働者の生き血を啜り取るヴァンパイアにな ぞらえた。彼のたとえでは、平民がイギリスの貴族を 吸血鬼めと糾弾する一方、貴族は手に手に松明をかざ して団結した平民を暴徒めと非難する(これもまたフ ランケンシュタインのおかげでゴシック小説を彷彿と させるようになってしまったが)。吸血鬼に対する大衆 の関心は飽くことを知らないようにみえ、19 世紀を通 じて、書き手側もまた大喜びで吸血鬼譚を提供しつづ けた。一作また一作とその荒唐無稽さは増していき、つ いに『吸血鬼ドラキュラ』という形で結晶するのが1897 年──『ヴィクトリアン・エイジ:ヴァンパイア』が扱 う時期の最後の年である。 い。戦闘以外に関心がないとか、スーパーキャラクター を育てるためだけにプレイするとか、なにかロマン チックな出会いを期待して他人についてまわるだけと かいう人は、ゴシック風史劇のプレイヤーには不向き である。雰囲気を保つのに欠かせない細やかなロール プレイや、じわじわとサスペンスで攻めるシナリオや、 ときにはまったくなすすべもないキャラクターという のは、そういう人たちの関心を長くはひきつけておけ ないだろう。 またプレイヤーが陰謀や確執を演じることに抵抗が ないというのは必須条件だ。ゴシック小説は、奇怪な 事件に巻きこまれ、事件がますます錯綜を深めていく 中、なんとか無事に(魂だけでも)そこから抜け出そう とあがく物語である。ロンドンの街路を闊歩して、サ バトの悪党と見れば火炙りにし、合間に娼婦の血で喉 を潤す話ではない。本質的に、ゴシック小説とは、英雄 ではなく被害者の物語なのだ。従って、史劇を始める 前には、プレイヤーキャラクターが悲惨な目にあう可 能性があるとプレイヤーに知らせておいたほうがいい。 ゴシック小説では、主人公が拷問を受けたり、発狂し たり、恐ろしい呪いをかけられたり、死んだりするの はよくあることだ。ゴシック文学のかなめは恐怖であ り、ストーリーテラーが生々しい恐怖を演出するため には、キャラクターがおぞましい最期をとげる可能性 がなくてはならないのだ。 ゴシック文学とは、何よりもまず、不気味なもの、恐 ろしいものを扱うジャンルだ。だからストーリーテ ラーも、自分の創った舞台設定や、キャラクターや、事 件を駆使して、この不気味さ、恐ろしさを、ムードとし て演出しなければならない。ゴシックパンクではなく 純然たるゴシックの世界を舞台にしたゲームを運営す る上でいちばんの難関は、たえまない息詰まるような 恐怖をいかに演出し維持するか、という問題だろう。 そうは思えないかもしれないが、1 セッションの 間じゅう暗い雰囲気を保ち続けるというのは簡単で はない。 友達を何人か誘って、お菓子やジュースをつまみな がら、ダイスを振ってキャラクターを活躍させる――こ こまでは簡単だ。和気あいあいとやれるし、みんなの 自尊心をくすぐるから、荷が重すぎることはないはず だ。それに日常生活とひどくかけ離れたことでもない し、なにも芸術としてやろうというわけでもないだろ う。 だが我々の経験からいって、ゴシック風ストーリー テリングは難しい。どちらかというと、やる気のある ストーリーテラーが、やる気のある少人数のプレイ ヤーと遊ぶのに向いている。プレイヤーは 2 〜 4 人ぐら いで、自制のきいたロールプレイができる人が望まし ゴシック小説が読み手に訴えかけるために多用する 要素や手法はおおむね似通っている。独特のムードや サスペンスを盛りあげるための、いわば定石があるわ けだ。この章では、ゴシック小説の主な要素と、それを 『ヴィクトリアン・エイジ:ヴァンパイア』の史劇に組 み込んでゴシック小説の雰囲気を再現する――プレイ ヤーにぞくぞくする恐怖をかきたてるにはどうすれば よいかを紹介する。 ゴシック風ストーリーテリングは雰囲気がすべてだ。 ゴシックを形容するのによく使われる言葉は色々ある が、それを並べあげるのはある病気を症状だけで説明 しようとするようなものだ。漠然とどのような状態か はわかっても、その原因となっている現象そのものに ついては何もわからない。 これから紹介していく、ゴシック小説風の筋書きを 組み立てるのに使う要素には、とりたてて変わったも のは何もないが、いずれも過去に名だたるゴシック小 説家たちが使ってすばらしい効果をあげたものだ。あ る批評家は言う――小説がゴシックと呼ばれるには、 「歴史の重み」と「息詰まる閉塞感」を組み合わせる必 要がある。このふたつの特質が互いに補いあって、じ りじりと破滅に向かって滑り落ちていく印象を生み出 STORYTELLING 172 すのだ、と。これは要点をかなり簡潔にまとめた言葉 だが、もう少し噛み砕かないとわかりづらいかもしれ ない。とにかくゴシック文学においてはムードが何よ り重視され、どんな設定や筋書きであれ、それが陰鬱 でおどろおどろしいムードを醸し出し維持するのに役 立つものなら史劇を充実させるし、参加したプレイ ヤーにとって、他のゲームを遊んだ思い出が薄れてし まった後もなお、いつまでも記憶に残るセッションを もたらしてくれるだろう。 ゴシック小説が存在するのは、あらゆる点で歴史の おかげである。そもそもゴシック建築への憧れがホ レース・ウォルポールに『オトラント城綺譚』を書かせ たのであり、以後この分野で著された作品は必ずと いっていいほど歴史の重みを感じさせるものになって いる。ゴシック小説の中で起きる事件は、しばしば何 年も(場合によっては何世紀も)前に起きた恐ろしい 事件に端を発しており、その真相を解明し、いまなお 祟りつづける過去の亡霊に――それが実在するものであ れ比喩的な存在であれ――安息をもたらすことが主人 公の役割だ。 こうした歴史の重みが小説中で果たす役割は、作品 によってさまざまである。ときには、それは伝統の重 み、あるいは古い名家の一員としての義務感として現 れる。ときには、現代に生きる者たちの願いに反して 繰り返される陰惨な歴史ともなる。あるいは、単なる 比較対象として、現代の人々がいかに退廃してしまっ たかを示すために用いられる。『アッシャー家の崩壊』 に登場するアッシャー家は(建物も家系も)古い由緒 ある名門だが、館も一族も見るからに落ちぶれている。 ポーはアッシャー家の華やかなりし時代と歴史に何度 も言及しながらストーリーを進め、そして締めくくり に一族と館の両方を破滅に陥れる。 史劇に歴史の重みをどの程度加えるかは、ストー リーテラー次第だ。たとえば、キャラクターたちがた またま数百年前の悲劇の再現に立ち会うことになると いうのはどうだろう。ある公子が因襲に逆らえず恐ろ しい所業に手を染めてしまうというのもいい。キャラ クターのひとりが恋する女性が、実は古代の強大な ヴァンパイアの死んだ花嫁の生まれ変わりだったとい うのはどうか。 『ヴィクトリアン・エイジ:ヴァンパイア』のストーリー テラーには、歴史の重みや因果を扱うにあたって明ら かな利点がある。ヴァンパイアは年をとらないため、歴 史に埋もれたはるか昔の事件当時を知っていても不思 議ではない。これほどまでに時間と歴史と腐敗による 破壊に苦しめられることが似合う存在は、ヴァンパイ アを置いてほかにない。ここに焦点を当てるのがス トーリーテラーの仕事だ。 CHAPTER FIVE 173 ヴァンパイアは肉体的に強くなっていくかもしれな いが、同時に良心をすり減らしていく。長老ヴァンパ イアと幼童とが同じ見かけであろうはずがない。歴史 の重みは、質量すら感じさせる。ヴァンパイアは過去 からの諍いを大量に抱えているし、抜け目ない長老 ヴァンパイアが夜ごと繰り広げている抗争を想えば、 大昔からの敵対者がいつ現れても不思議ではない。 やる気があるなら、歴史を遊び尽くすこともできる。 まず『ダークエイジ:ヴァンパイア』で歴史上の重大事 件をプレイし、次に『ヴィクトリアン・エイジ:ヴァン パイア』でその結果をプレイする。 『ダークエイジ』で はプレイヤーはヴィクトリア朝時代のキャラクターの 祖父を演じ、次のセッションでは、引き起こされた歴 史上の出来事がヴィクトリア朝時代に恐ろしい余波を もたらすのだ。徹底的にストーリーテリングの経験を 積みたければ、 『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』を 使って第三のセッションを行うこともできる。そのと きプレイヤーは『ヴィクトリアン・エイジ:ヴァンパイ ア』のキャラクターの子を演じることになる。 歴史が史劇中にどのような役割を担うのか、よく自 問しておく必要があるだろう。プレイヤーたちに無理 矢理押しつけてはならない。ゴシック小説の手法を真 似て、プレイヤーが史劇の背景にある歴史を組み立て られるように些細なヒントを頻繁に与えるとよい。プ レイヤーに見せるヒントの一部は、歴史がキャラク ターのいる現状にどれほど衝撃を与えているかを認識 させるものであるべきだ。 ストーリーテラーは過去に何が起こったのかを正確 に設定しておくべきである。事件は唐突に発生したの だろうか? それはいつごろ起こったのか? 誰が犠牲 者で誰が主犯なのか? 隠蔽されたか? そうでないな ら、それはなぜか? 過去の出来事は現在の事件に関わ りがあるか? プレイヤーキャラクターとの関わりは? 複雑すぎるくらいのほうがいい、と言っておこう。歴 史の設定が難解になればなるほど、史劇が進むに連れ て謎を解き明かすプレイヤーの楽しみが増し、ゴシッ ク小説の趣旨にも沿うというものだ。 ゴシック小説の先駆けとなった諸作品は、神話的と さえいえるゲルマンの蛮族であるゴート族(Goths)を が闊歩していた時代に建てられたと標榜される陰鬱な 城を舞台にしたため、それがジャンルの呼称となった。 そうした城には大量の甲冑、錆ついた秘密、亡霊、鉄の 意志で城を支配する酷薄な領主がワンセットになって いる。ゴシック調の城はときに修道院や大邸宅といっ た時代遅れの豪勢な不動産に姿を変え、ゴシック小説 が生まれてから数十年のあいだ舞台として用いられつ づけた。 孤独で不気味な舞台設定がゴシック小説の恐怖の大 部分を形成しているのだから、ゴシック史劇中に起こ る事件を構築したあとは、舞台となる場所にこだわろ う。初期のゴシック小説の多くは、舞台となる荒れ果 てた場所を題名としている。 『オトラント城奇譚』、 『ウ ドルフォの秘密』、『嵐が丘』などが舞台を際立たせて 描いた例である。 伝統的なゴシック小説のおどろおどろしい舞台設定 を借りてきて史劇のムードを盛り上げるのは簡単だが、 初めからそこを舞台にせず、安全かつ特徴のない場所 から史劇を始めるべきだ。キャラクターには簡単な揉 め事を解決させて自信をつけさせておいて(場合に よっては自信過剰を助長してもよい)、程よく心地よい ヴィクトリア朝社会から物語の流れが遠ざかっていく ことをゆっくりと明らかにすればよい。キャラクター が向かわねばならない場所については前兆だけに止め ることだ。その場所には行くべきでないと警告すると 同時に、キャラクターが敢えて危険を冒して訪れざる を得ないような、神秘的かつ魅力的な不可避の舞台と して描写しよう。 旅行 ゴシックの地へ向かうキャラクターにとって、旅行 の過程は重要である。行く先は隣町ではなく数百マイ ル離れたおそらくは見知らぬ異国の地であり、線路も 繋がってはいない(少なくとも全旅程は)。1888 年の旅 はゆっくりとしたものだ。旅する時間そのものが一種 の体験であり、現代のような出発地と目的地のあいだ に存在するちょっとした煩わしい時間とは意味が違う。 船で旅する場面もあり得るだろう。 どのような手段であれ、目的地への旅には不吉な影 がつきまとう。 《先覚》を持つ者には目的地に関わる悪 夢や幻影を見せるとよい。 〈霊媒〉の【長所】は、これ から起こる事件について幽霊の警告を与えるにはもっ てこいだ。とりわけ、狂気に仕えるマルカヴィアンは 来るべき出来事に戦慄し、この先のヒント(あるいは 偽情報)を包み隠した恐ろしい幻覚に襲われることだ ろう。あるいは精霊や幽霊の警告を聞いたり、トラン ス状態に陥って旅程や目的地に関する恐るべき予言を 自動筆記したりするかもしれない。願わくば、旅行の 過程がムードと事件に満ちた史劇の序章となり、その 史劇のトーンを醸し出せるとよい。恐怖へと滑り落ち る感覚をキャラクターに抱かせよう。ゴシック文学を 探せば描写例には事欠かない。狼が跋扈するトランシ ルヴァニアの片田舎を通ってドラキュラ城へと向かう ジョナサン・ハーカーの旅は、 『ドラキュラ』のムード を構築するうえで重大な役割を果たしている。最近の 映画で日常世界からゴシックへの旅を取り上げている 例としては、ジョセフ・コンラッドのゴシック精神が 込められた『闇の奥』を下敷きにしている『地獄の黙示 録』がある。 STORYTELLING 174 孤立 恐怖を醸し出すうえで、孤立は不可欠な要素である。 ゴシック文学には打ち捨てられて人跡まれな城や修道 院、療養所、寄宿学校、狩猟小屋、病院、旅館などがい くらでもでてくる。とにかく、孤独で人里離れている 舞台が理想的だ。プレイヤーたちを便利な救援先から 遠ざけることができるからだ。携帯電話がないことに 困り果て、最も近い協力者のところまで四日もかかる なんてとんでもないと思うプレイヤーもいることだろ う。プレイヤーの孤立感を煽り立てよう。自分たちが いかに孤立した頼りない立場にあるかをやんわりとわ からせてやろう。 ここでも、ゴシック文学に多くの描写例を見出せる。 フランケンシュタイン博士とその怪物は、これ以上ない というくらい孤立した北極の地に行き着いている。小説 名となったオトラント城は、イタリアの寂れた片田舎に 位置する――小説が書かれた当時としては、孤立感と異 国情緒の両方を満たす設定であった。だが、小説で使い 古された設定にこだわる必要はない。ゴーストタウン、 救護院、無人島、灯台、鉱山なども、そこらじゅうにあ る修道院や先祖代々の邸宅に劣らず効果的であろう。 ワールド・オブ・ダークネスにおいては、人影まばら な未開の土地は別の意味で恐怖をかきたてる。そうし た場所には狼憑きが徘徊しているのだ。ヴァンパイア に根源的な恐怖を喚起させるものがあるとすれば、そ れはワーウルフの存在にほかならない。 廃墟の重要性について言及しない限り、 ゴシック史劇の 舞台に関する議論は完全ではない。ローマの廃墟、 ゴート人 の遺跡、 ゴーストタウン、人里離れた身の毛もよだつような崩 れかけた邸宅――どれもみなよい舞台だ。ゴシック文学は廃 墟に満ちている。そこではゴシックの起源に耳を傾けるのみ ならず、歴史の流れと滅びの宿命とを他のどんな舞台よりも 想起することができる。 さらに廃墟は、亡霊や、放棄される以 前の記憶に取り憑かれていることが多く、史劇のムードを創 りだす助けとなるだろう。 廃墟を描写するときは、寂寥感と荒廃の様子を強調する とよい。建設された当初の様子や放棄された理由について キャラクターが思いを馳せるように導く。放棄された理由のほ うは、 その舞台に設定した歴史に関わり、史劇の中で特に不 穏な意味を持つことになるだろう。 ヒント:ゴシック小説に登場 する廃墟は、非常によくでき、 かつきわめて気味の悪い理由 によって放棄されているものだ。放棄の理由をはっきりと設 定できなかったとしても、 非常によくでき、 かつきわめて気味 の悪い理由 があることを暗示するだけでもよい。史劇の中 で恐怖感を持続させることができるだろう。 CHAPTER FIVE 175 閉所恐怖 ゴシック文学では頻繁に 囚われる 状況が描写さ れる。比喩的な場合もあるが(因習や義務に囚われた 一家など)、迷宮や洞窟、土牢、地下牢などに物理的に 囚われる場面はゴシック文学において重要な役割を持 つ。幽閉、生き埋め、サバトの創成の儀式などはこうし た状況を作り出すにあたって有用だ。史劇の舞台を設 定するときやプレイ中に忘れてはならないのは、移動 が困難であることをプレイヤーに意識させることだ。 何度も低い天井に頭をぶつけさせたり、とり囲まれた 圧迫感を描写したりすれば、プレイヤーも舞台の様子 を感じ取るようになるだろう。 舞台が移り変わる中で閉所恐怖を強調するひとつの 手法は、史劇の舞台の一部を地下に配置することだ。洞 窟や地下墓地、地下倉庫、地下牢などは、ゴシック史劇 を展開させるにはうってつけである。話が迷宮探索の 方向へ進まないように気をつけねばゲームのムードは 失われてしまうが、ちょっとした地下旅行を織り交ぜ れば不気味な雰囲気を簡単に盛り上げることができる。 上述以外の舞台でも、ゴシック的なムードを纏うこ とはできる。研究所や精神病院や鉱坑などもよいが、舞 台を誇張するあまりゲームを滑稽に堕さしめないよう 注意してほしい。 『ヴィクトリアン・エイジ:ヴァンパイア』の物語を 進めるうえで、ストーリーテラーはキャラクター間の 権力関係に気を配ることになるだろう。権力と無権力 は代表的なゴシック諸作品における主題のひとつであ る。ゴシック的な伝統を分析すれば、占有、所有、義 務、支配、隷属といった要素が頻繁に出てくる。ゴシッ ク文学の中で多くのヴァンパイアが貴族として描かれ ていることは驚くにあたらないし、ヴァンパイアは従 者の意志を奪い去り、レンフィールドのような嫌らし い太鼓持にするとも言われていた。 ゴシック文学に登場する権力者たちは、必ずと言っ ていいほど権力を濫用する。何かしら高貴な血を引い ていても、部下に酷薄な仕打ちをせずにはいられない のだ。同様に、持たざる者たちも常に権力を追い求め るが、その分不相応ゆえに権力を手に入れたとしても 上手くいかず、すぐに失ってしまうことが多い。 一座のキャラクター間での力関係と同時に、部外者 との力関係にも気を配るべきである。ストーリーテ ラーとして、権力格差を強調するのは容易なことだ (キャラクターの社会的立場を引き出す、キャラクター を文化的に追放する、名誉ある氏族と卑しい氏族を争 わせるなど)。どうぞ自由にやってほしい。だが、キャ ラクターに権力格差を意識させる必要がないのであれ ば、一行の中で比較的権力を持つキャラクターとそれ 以外との格差を強調しないようにすべきである。 ゴシックの敵役 だが、卒倒して幻覚を見たり、阿片を吸って意味あり 権力は、敵役が持つことに重大な意味がある。敵役 げな幻に襲われたり、病気や強いショックを受けて高 はたいてい絶大な権力を有しているばかりか、十中八 熱にうなされ、予言めいた幻視を経験するのも珍しい 九それを悪用して周囲に被害を振りまくのだ。ゴシッ ことではない。 ク小説の敵役は物語の舞台となる土地の支配者である 史劇の中でどのように情報を伝えるかはストーリー というのが典型的である。その言葉は法であり、異議 テラーの裁量次第だ。 〈悪夢〉や〈予知能力〉といった を唱える者は罰せられるか殺される。権力に裏打ちさ 【長所】と【短所】は、こうした幻覚を見せるのに都合 れた残酷さは留まるところを知らない。 がいい。 だが注意すべきは、ゴシックの敵役はスナイドリー・ 同様の現象である前兆を使うのも有効である。何か ウィップラッシュ(訳註:コメディー映画『ダドリーの の前触れとして使うにせよ、プレイヤーに対する遠ま 大冒険』に登場する悪役)ではないということだ。ゴ わしの注文にするにせよ、物語中に前兆を使う機会は シックの敵役は、メロドラマから飛び出してきたよう 多い。しかしながら、あまりに頻繁かつ露骨に用いる な、口髭をひねる単調な悪役ではない。彼は何かしら と、意図せずとも滑稽になるので注意が必要だ。キャ 賞賛されるべき人物でなければならない。悪意に満ち ラクターのあとをついてくる黒い鳥や、影から飛び出 た行いをする一方で、心の中で激しく対立する相容れ してきて反時計回りに三回回り、キャラクターの足元 ない感情に駆り立てられている。複雑で、矛盾してい で死んでしまう鼠など、どんなものでも前兆となる。前 て、葛藤を抱え込んでいるのだ。典型的なゴシックの 兆がどんな形をとるにせよ、警告(あるいはそうした 敵役は、絶大な優位性と力と決断力を持った、賞賛に ければ吉報)の骨子を誤解されないようにすべきだ。 値する人物である。彼は高潔で高貴な君主であったは ずだ……が、どこかで何かが狂ってしまった。人間性 よりも権力に惹かれたのかもしれない。愛する人を奪 ゴシック文学の殿堂に最も相応しい超常の存在とい われたために、心の中の温かみや情け深さがまるごと えば、幽霊をおいてほかにはない。ヴァンパイアにも 癇癪に変わってしまったのかもしれない。ゴシックの 増して、幽霊と幽霊物語はゴシック文学の主題であり、 敵役の現代における最たる例は、ハンニバル・レクター 幽霊が登場しない史劇は何かが欠けたような気がする だ。そう、才気に溢れ、教養があり、洞察力を兼ね備え ものだ。 ているが、精神病質の人食いでもある。これぞゴシッ ワールド・オブ・ダークネスには幽霊に関するルー クの敵役というものだ。美徳は山のように持っている ルや設定資料が大量に存在するが、せいぜいワーウル が、それらは狂気と残忍さと権力への渇望に蝕まれて フの設定程度に気にしておけばいい。幽霊を、自らの いる。敵役を描くときは、必ず人格の両面を見せるよ 死の話を延々と繰り返すだけの意志のない人形として うにしよう。悪意に満ちているけれども、教養があり、 設定するならそれもいい。逆に、現実世界の住人に危 洗練されており、ときには驚くほど立派であるという 害を加えようとする強力で邪悪な精霊としたいなら、 ように。 それも可能だ。 ゴシック文学では女性の敵役が誇張されて登場する だが、幽霊を扱うなら目立たないようにするのが一 こともある。ともすれば、女は男よりも悪に馴染んで 番である。幻との境を曖昧にし、視界の隅でちらつい いる。権力への渇望は男にとっては自然なことだが、女 たり、キャラクターの目覚め前に束の間触れていった が持つのは珍しい。マクベス夫人はゴシック文学に二 りするような幻覚程度に演出するのだ。提言しよう。 世紀先んじているが、ゴシック物語に登場する女性の 『ねじの回転』を一方の端に、『ポルターガイスト』を 敵役が持つ権力への凄まじい執着心の典型例である。 もう一方の端に置くとしたら、後者ではなく前者に近 男は目的を達するのに野蛮と冷酷とをもってするが、 い立場をとることで、捉え難い恐怖の雰囲気を維持す ゴシック文学に登場する悪女は権力を握るために陰謀 るのが容易になる。M.R. ジェームスやアルジャナン・ と誘惑と嘘を用いる。 ブラックウッドの幽霊物語を参考にすれば、効果的に 安息なき死者 を演出する思いつきや手がかりを得ら れるだろう。 幽霊にまつわる民間伝承も密かに物語に取り入れる ゴシック文学では、夢や幻覚や幻影などが重要な役 ことができる。幽霊のいる部屋はだんだん寒くなる、幽 割を果たす。小説家が通常の方法では知り得ない情報 霊の手は氷水のように冷たい、幽霊は囁き声でしか話 を登場人物に伝えたいとき、夢などに頼るのは常套手 せない(会話できるとしてだが)、自分が殺された部屋 段だ。ゴシック文学の読者はありとあらゆる奇妙で不 を去ることができない、など。 思議な現象を読みたがっており、夢や幻覚は超常現象 一座の中に〈霊媒〉の【長所】や《死霊術》の【訓え】 を目立たせるにはうってつけである。 を持つキャラクターがいるなら、史劇中に幽霊を多用 プレイにそうした現象を持ち込むなら夢が最も簡単 STORYTELLING 176 することを承認されたようなものだ。むしろ幽霊を登 場させすぎて恐怖感が失われないように注意しよう。 とにかく最も重要なのは、幽霊はきわめて神秘的に 扱われるべきだということだ。曖昧さや神秘性こそが 肝要である。現実世界に力を振るいすぎたり、非常に はっきりと実体化したり、史劇にあまりにも重大な影 響を与える存在として設定されたりすれば、神秘的な 恐怖の使者であるはずの幽霊が、ストーリーテラーが 繰り出してくる「対処を要する悪役」となってしまう。 ゴシック小説では、決してこの世に存在してはなら ない もの がどういうわけか召喚されてしまうとい う事態が頻繁に起こる。力に飢え、人知を超えた存在 を従わせたいという誘惑に負けた神秘主義者によって、 人間が出会うべきではない悪魔や正体不明の存在が呼 び出されるのだ。これは変わることのないゴシックの 修辞であり、 『ヘルレイザー』やルイスの『マンク』が 好例である。 召喚された存在は、とりわけ『ヴァンパイア』の物語 に相応しい。 《魔術》や《死霊術》を使う悪賢い仇敵は、 必ずや あちらの世界の存在 を利用してくるだろう。 また、少し注意して即席のルールを付け加えれば、キャ ラクターに召喚させることもできる――あるいは、キャ ラクター自身が本物の 魔法使い に召喚されたこと にしてもよい。これはヴィクトリア朝時代のオカルト、 秘密結社、心霊論流行にピッタリとはまる。しかも、魔 法使いがキャラクターにテロを仕掛けるには打ってつ けの設定だ。 あちら側の世界の存在から可能な限りの恐怖を引き 出す最上の手段は、姿を見せないことだ。悪魔であれ、 幽霊であれ、それ以外の何かであれ、とにかくでき得 る限りプレイヤーがはっきりとその姿を見ないように しろ。不気味な瞬きであったり、半透明であったり、速 すぎてチラリとしか見えなかったりするのだ。いくつ かの手がかりを与え(異様で不気味な叫び声、滅茶苦 茶に引きちぎられた犠牲者、巨大な奇形の足跡)、プレ イヤーの想像力を味方につけろ。無知と半信半疑は恐 怖を生み出す。そして恐怖こそ、ゴシック・ストーリー テリングの代名詞である。 召喚された存在を用いるための筋書きはいくつかあ る。最も単純な筋は、敵役が異界から何かを召喚し、自 らの恐ろしい計画を妨害される前にキャラクターたち を殺そうとするというものだ。あるいは、キャラクター たちが傲慢や自暴自棄から召喚した存在が制御不能に なるのもありだ。そうなれば、キャラクターは本来の 敵役だけでなく、自分たちが呼び出したものにも対処 せねばならなくなる。派閥がこのオカルト事件に対し て調査員を送ったとキャラクターに教えてやれば、緊 張感がいや増すだろう。調査員が到着するまでに召喚 CHAPTER FIVE 177 したものを処分できなければ、禁じられた力に通じた 咎を受けることになる。キャラクターたちが舞台とな る場所に辿りついたとき、召喚された存在はとうの昔 にそこで自由を得ていたという話も可能だ。そもそも その土地が寂れた理由にもなる。何十年間も休眠また は不活動状態で時間とともに忘れ去られていた存在が、 同胞が到着したと同時に何かが起こって目覚め、恐怖 と悲劇が再び動き始めるという寸法だ。 自分の中に潜む、あるいは世に解き放たれた自身の 暗黒面というアイデアは、ゴシック文学の中心的命題 だ。分身は鏡像のように現れる。たとえばゴシック小 説には、不気味な肖像やドッペルゲンガーが登場する。 ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』、スティーブン スンの『ジキル博士とハイド氏』がよい例だ。分身の種 類は非常にさまざまであるが、史劇中に互いを組み合 わせれば多彩な効果を生み出す。いずれにせよ、分身 はキャラクターの邪悪な鏡像であり、それを見れば狼 狽どころでは済まないだろう。 不気味な肖像 蝋燭明かりを頼りに古城の画廊を通り過ぎるとき、 キャラクターは、抱擁どころか自分が生まれるより以 前に描かれた自分自身の絵(またはレリーフや彫像) を見つける。これはどういうことだ? どこから持ち 込まれたのか? これが自分でないとしたら、誰の絵 なんだ? ゴシック挿話の中ではそれほど異様な出来事という わけでもないが、不気味な肖像はキャラクターを完璧 に物語へ引き込むことができる。ゴシック小説では 少々度を越して使用されている技法であるが、巧妙な ストーリーテラーならば異様な脚色を施して史劇に用 いられるだろう。重要な問題は、不気味な肖像につい てすべてを明らかにするのか、あるいは不愉快な謎と してだけプレイヤーに与えたいのかということだ。 ドッペルゲンガー ドッペルゲンガーはどんな姿にでも変われる怪物で あり、史劇にこのうえない戦慄と怪異をもたらす。ドッ ペルゲンガーが姿を模す人物と何らかの関係があるか どうかはわからない。誰かひとりにしか変われないの かもしれないし、自由に姿を入れ替えられるのかもし れない。前者の場合、ドッペルゲンガーは姿を真似ら れたキャラクターにとって厄介きわまりない存在とな る。後者の場合、誰もがお互いの正体に疑心暗鬼にな り、プレイヤーたちは恐怖と戦慄に襲われることにな るだろう。 最も単純な筋書きは、ドッペルゲンガーはキャラク ターの 邪悪な双子 であるというものだ(すぐにス トーリーテラーの気が変わるかもしれないが)。キャラ クターには別の氏族に抱擁された双子がいて、憎き兄 弟に破滅と恥辱を与えるという生前からの望みを果た そうとしているのかもしれない。注意して巧妙に使わ なければ謀略の香りが醸し出されてしまうが、我々が 扱うゴシック文学ではそれもまた中心的な題材である。 また、キャラクターが精神分裂症であることも考え られる。ドッペルゲンガーはキャラクターの体を使い、 別人格として行動するわけだ。 あるいは、他者の外見を模すことができる《造躯》に 習熟したツィミーシィがドッペルゲンガーの正体であ るかもしれない。 自動人形 ゴシック文学に取り上げられる奇妙な題材のひとつ に、命の無い人の模造品がある。マネキン、等身大の人 形、からくり自動人形、ゴーレム、動く彫像などなど。 上述したふたつのように特定の個人に似ている必要は なく、人間との類似性(より正確に言えば、不完全な類 似性)こそが不気味さを演出する要素となる。ときに 自動人形に生命が宿るともなればさらに不気味だ。動 き出した人形が悪意を抱いている必要はない。命を得 たマネキンがキャラクターのひとりと 恋に落ちる な どという筋書きは、殺人に駆り立てられる人形と同じ くらい不気味ではないか? 生命を得た人の似姿として 最も有名なのは言うまでもなくフランケンシュタイン の怪物だが、E. T. A. ホフマンの『砂男』やゴーレム伝 説なども描写の参考になる。自動人形を使うコツは、 限りなく人間に近いがしかし人間ではない という不 気味さを強調してやることだ。 ゴシック文学は奇妙で常軌を逸した出来事であふれ かえっている。そうであったからこそ読者の目に触れ て読まれ始めたと言うこともできる。説明すると少々 複雑になってしまうが、超常の出来事を史劇に導入す るにあたって正しいゴシック精神に則ることができる よう、ここで再び述べることにしよう。 超常 とは、曖昧で説明ができない何かを指すこと もあれば(場合によってはゴシック物語の核心ともな る)、自然を超越したり逸脱したものを指す場合もある。 後者は、ゴシック小説の書き手が好むもうひとつの概 念、すなわち崇高さとぴったりかみ合っている。崇高と いう概念は、本質的には霊的な畏怖や感情の極みから現 れるものだ。ゴシック小説の著者たちはたびたび、異様 なまでに凄まじい経験に薙ぎ払われることによる圧倒的 で茫洋とした感覚を掴みとろうとした。ゴシック的な崇 高の扱いについては、1757年に出版されたエドマンド・ バークの『崇高と美の観念の起源』に詳しい。 ゴシック分野は、超常的な表現に飢えた観客によっ て大いに支えられた。合理主義と純粋な論理に基いた 啓蒙運動は、それまで主流であった宗教から感銘と畏 怖と霊感を奪い去ったが、より異常で驚異的な崇高や STORYTELLING 178 超常の観念には何ら影響を与えなかった。結果として、 もはや宗教が提供できなくなった霊的で不合理で畏怖 に満ちた感覚を求めて、多くの読者がゴシック小説を 読み耽ったのだ。 すなわち、史劇に超常の出来事を導入する理由は、 プレイヤーに畏怖の感情と崇高の経験を与えることに 尽きる。5 分おきのご登場では、超常の脅威が失われ る。畏怖の感覚と超常の神秘を深めつつ、これらを控 え目に用いれば、ゲームは引き締まりプレイに大いに 衝撃を与えられるだろう。 史劇に超常を導入することは、刺激の強いスパイス を使って料理するようなものだ。プレイヤーには風味 だけ味わわせるのがよい。さもなくば、料理はうんざ りするような味になり、晩餐会は早々に悲劇的な閉会 を迎えるだろう。 秘密は人を狂わせる。分かるようで分からない秘密を 明らかにしたいという願望は史劇に一貫した動機とな る。とりわけ敵役が秘密を固く守ろうとする場合には。 ゴシック小説は徹頭徹尾、秘密と隠匿と神秘を題材 にしている。ある意味で、神秘はゴシック文学の存在 理由である。啓蒙運動が世界の秘密を表面上は暴いて いったため、ほんの数時間だけでも読者は不確かな世 界に戻りたがったのだ。ゴシック小説は読者が求めて 止まない神秘的な出来事を供給しつづけた。不思議な 目的を持って未知の場所からやって来る、風変わりな 名前もわからない登場人物が通り相場となった。彼ら の正体は物語の最後までには明かされることが多いが、 謎のままの場合もあった。 史劇を設計するにあたって、秘密を出し惜しんでは ならない。秘密は何よりも上に置かれ、プレイヤーの 探究心を煽るべきだ。キャラクターたちにも互いに秘 密を与えよう。ゲームシステム上は【短所】の〈後ろ暗 い秘密〉を利用するのが最適だが、洗練された一座で あれば点数調整など不要で、一致協力してオカルト的 な背景設定を創り出すことができるはずだ。 ゴシック史劇では、明白なことなどほとんどない。社 会的な活動の裏にも必ず何かが隠れている。プレイ ヤーには常に疑惑を抱かせろ。嫌悪と憎悪がない交ぜ になった欲望で引き裂いてやれ。核となるストーリー テラーキャラクターは、残酷で恐ろしい人物であると 同時に、欲望や哀れみなど予期せぬ感情をキャラク ターたちに喚起させるべきだ。気をつけたまえ。こう した両義的なキャラクターを活躍させるにはストー リーテリングの腕前を要する。だが、史劇が終わった あともプレイヤーの記憶に残るキャラクターとなるだ ろう。 秘密結社 ヴィクトリア朝時代の社会規範はとりわけ保守的で CHAPTER FIVE 179 あった。誰もが厳しい社会規定に束縛されており、規 定にあからさまに逆らうような人物は社会との繋がり を次々に失ってしまうだろう。だが、個人の行動様式 が社会に馴染まなかったとしても、同好の士を探し出 して、関心を一にする小規模な社会を形成することは 必ずできる。ゆえに、ヴィクトリア朝時代には秘密結 社が流行したのだ。ヘルファイア・クラブ、魔術教団、 神秘主義結社、神知協会、モリー・ハウス、カバラ信徒 団、フェビアン協会、フリーメイソン、無政府主義者、 光明会、隠れカトリックなど、ありとあらゆる秘密ク ラブが部外者を遠ざけつつ密かに成長している。 非常に多くの人々が何らかの秘密結社に属している ため、大衆は疑心暗鬼にかかっている。黄金の夜明け 団に関する書物を読むのも結構なことだが、隣に住む 奇妙な若者が教団の現構成員かもしれないという可能 性のほうが気味が悪い。それに、ヴィクトリア人はお 互いの行動を詮索しあうのに長けている…… 派閥 史劇では、キャラクターが慣れ親しんでいるふたつ の秘密結社がさらに加わる。カマリリャとサバトだ。 特にカマリリャには、歴史と財産ある秘密結社に近 いイメージがある。規則に従うということにも自発的 になじんでいる。構成員の大部分は、狡猾で老練な策 略家、奔放な芸術家、探検家、学者などである。主要 な都市には絢爛奢侈なエリシュオンが存在し、優遇さ れたヴァンパイア社会の構成員たちが公子に取り入ろ うとしている。都市の長老たちは自分自身の社会的立 場を守るため、無意識のうちに裕福で特権のある社会 層から抱擁するだろう。 独立氏族の状況はさまざまである。都市にジョヴァ ンニがいるかどうかは微妙な線だ。彼らは金と人当た りの良さで都市に入り込むが、反イタリア・反カトリッ ク(特に英国で)感情に排斥されることもある。セトの 信徒は 心地よい異国情緒 を使って都市社会への接 触を増大させている。 歴然とした階級闘争が顕著に見られたこの時代には、 普通に表に出ない、または出られない者たちのための もうひとつのエリュシオン が設定された(多くの場 合、都市のノスフェラトゥとマルカヴィアン、および 東欧のみすぼらしいギャンレルなどが所属する)。 一方でサバトは、充分に潤ってはいないようだ。抜 け目ない長老と兵卒たちとの溝が深すぎるため、あら ゆる社会機能を円滑に進めることができないのだ。サ バトは、マルクスが 未熟練労働者 と呼んだ下層階級 を抱擁することが多い。 疑心暗鬼 誰かを こちら側 か あちら側 かにはっきりと峻 別するのは困難なものだが、疑心暗鬼状態ではそれを せねばならない。ここで前者と後者を取り違えてしま うと、事態は深刻の度を深める。対象が異質であれば あるほど、かつ溶け込むのが上手ければ上手いほど、疑 心暗鬼は重くなる。 疑心暗鬼状態 がよく理解できな ければ、 『遊星からの物体X』や『ボディ・スナッチャー』 を借りてきて観るとよいだろう。ゴシックではないが、 疑心暗鬼をよく描いている。 史劇のために、疑心暗鬼状態を多用するとよい。疑 心暗鬼は恐怖に通じ、恐怖こそがゴシックの根幹であ るからだ。 ゴシック小説は、啓蒙主義時代に支配的であった過 度の合理性への反抗であった。理性的で正気で安全な 登場人物に文学の読者たちは飽き飽きしていたのだ。 幸運にもゴシック小説は読者たちに規範から外れた心 理状態を示し、気味が悪ければ悪いほどよしとされた。 残酷、無慈悲、狂気など、読者が目を逸らせないような 興奮を与えた。ゴシック文学の登場人物は始め比較的 正常に見える場合もあるが、話が進むに従って上辺だ けの正気に亀裂が生じ、引き返すことのできない狂気 への螺旋を降り始めるのだ。ゴシック小説における狂 気への転落はさまざまに描かれる。緩やかで不穏なも の(『黄色い壁紙』)、急速で暴力的なもの、挿話的なも のまで(スティーブンスンの『ジキル博士とハイド 氏』)。これもまたゴシック文学の魅力のひとつである。 『ヴィクトリアン・エイジ:ヴァンパイア』の史劇のキャ ラクターたちは、潜在的に多大な狂気を抱えている。 獣 によってもたらされる牙噛み鳴らす狂気や、狂乱 と紅の恐怖と〈人間性〉の緩やかな喪失による堕落は、 ゴシックのお約束を申し分なく反映している。ストー リーテラーの仕事は、語るべき物語の中に狂気の要素 をどのように配置すれば最善かを決定することだ。 ゴシック文学では 何ものかに囚われる恐怖 が頻 繁に語られる。そういった作品の主人公たちは文字通 り(落し穴や城の地下墓地など)に、あるいは隠喩的 (残酷で高貴な領主の妾に虜にされたり、徐々に正気を 失っていく家族が住む先祖代々の館を出られなかった り)に囚われる。 プレイヤーに対しては、打ち破るに相応しい別のア プローチを考えるとよい。 ジハドに囚われる プレイヤーたちは、まさにジハドに囚われている長老 ヴァンパイアの手先である。長老はキャラクターたちに 比べれば遥かに強力であるものの、未だに周囲の環境に 囚われ、逃避しようとしても長年巻き込まれてきた対立 に飲み込まれてしまう。史劇のアイディアとして、ジハ ドに囚われたヴァンパイアがキャラクターに近づき、無 事に身を隠すまでのあいだ抗争から身を守ってほしいと 依頼してくる筋書きが考えられる。それが彼の最新の戦 STORYTELLING 180 略的陽動でないと誰に言えるだろうか? さらに問題な のは、キャラクターたちが依頼を果たせるかどうかとい うことだ(件の長老が長年ジハドに関わってきた過程で 強力な敵を作っていたら?)。明らかに若い血族である キャラクターたちはうまくやれるだろうか? ヴァンパイア性に囚われる プレイヤーがひとりかふたりしかいない史劇であれ ば、ヴァンパイアという存在そのものに囚われるとい う題材を真剣に扱うことも可能だ。夜ごと襲いくる ヴァンパイアであることそのものの恐怖や、変化なき 存在であることの倦怠は、ドラマ性やヴァンパイア存 在の激変を引き出してくれる。 血の誓言に囚われる 血の契りによって生み出される忠誠心は根強いもの だ。血の契りを受けたら、いかなる人間、グール、カイ ン人であっても、自らの行動選択に明白な不都合が生 じる。血の契りに抗うヴァンパイアや、仲間が受けた 血の誓言を無効化する方策を探す秘密結社などは史劇 の題材になる。血の契りを無効化する手段を知る者は ごくわずかで、しかも法外な見返りを要求してくるこ とだろう。 181 ゴシック小説に出てくる天候と言えば、無論ふたつ しかない――凄まじい嵐、どんよりと重い霧だ(少々単 純化しすぎかもしれないが、このふたつはゴシック文 学において重要な位置を占める)。史劇における個々の セッションにおいてこれらの天候を演出するのには多 くの言葉は必要としないが、物語の重要場面だと一座 に気づかせる効果がある。嵐は怒りや暴力といった色 合いを出すのにうってつけであるし、キャラクターた ちを道に迷わせたいなら霧は重要だ。 それ以外の特殊な気象現象もゴシック小説には登場 する。狂気を駆り立てるように叫ぶ風、突然出現する 渦巻き、北方のオーロラ、流星雨、地震など。ひとつ肝 に銘じておくべきは、天候によってキャラクターたち の危機感を煽るなら、天候自体が史劇中の恐ろしい出 来事によって狂わされているということにせよ、とい うことだ。やり過ぎに注意しつつ使ってほしい。 『ヴィクトリアン・エイジ:ヴァンパイア』の史劇において堕落というテーマを扱おうとするとき、 〈人間性〉を喪失させるのが簡単な 手段だと思うかもしれない。だが気をつけるべきは、 プレイヤーに〈人間性〉を回復させる機会を与えない限り、物語があまり長続き しなくなってしまうことだ。 また、 ゴシックがどんなに酷いといっても、狂気は物語のムードや注意深く設計された美しい筋書きを破壊する恐れがある。狂気 を体験させるのはおもにストーリーテラーキャラクター (と、無論マルカヴィアン)に限ったほうが望ましいだろう。 ストーリーテラーへの忠告:堕落のシステムを修正するのはやっかいな仕事なので、 まず最初にプレイヤーたちと話し合おう。史劇 の終わりまでに全キャラクターを純然たる狂気に放り込もうと目論んだところで、 プレイヤーたちが比較的穏当なゲームを望んでいた なら、必ず面倒なことになるだろう。 ¡ 堕落判定の難易度を9にする。これは修正案の中でもとりわけ過酷だ。キャラクターが罪の階梯に少しでも違反すれば〈人 間性〉を失うだろうからだ。一方でプレイヤーにとっては、凝り固まって禁欲的なヴィクトリア朝時代人に相応しい行動を取るための 強力な動機にもなる。 ¡キャラクターが狂乱や紅の恐怖に陥ったときに必ず堕落判定を行う。これは、 自制を保ったままヴィクトリア朝時代の空気を強 調するもうひとつの手段である。このとき、堕落判定の難易度は7に落としたほうがいいだろう。 さもないと、前座が終わる前にキャ ラクターたちが飢えた怪物になってしまう。 ¡〈人間性〉喪失の代わりに5個程度までの精神異常を付加する。あからさまな獣性の代わりに、 ゲーム性を超えた 面白み をキャラクターに与えることができる。この方法は、 ゴシックの狂気を巧みに強調する。 〈人間性〉喪失の代わりに精神異常をキャラ クターが受け取ったとき、 ストーリーテラーはキャラクターの性格に沿った適切な精神異常を選ぶこと。可能なら、 キャラクターが精神 異常を受け取ったときの行動も熟慮すべきである。マルカヴィアンのキャラクターにこの修正を適用するかどうかは考えどころだ―― 不気味さを身上とするゴシックのようなジャンルであっても、やりすぎというものはある。 ¡ゴシック小説がいかに陰鬱で奇怪なジャンルであるといっても、常に堕落と衰退が共にあるわけではない。 〈人間性〉が簡単 に失われる物語を語る場合、素晴らしい偉業を為したり気高い理想のために戦ったりすれば(それでも悲劇的な運命は避けられ ないが)、 プレイヤーに〈人間性〉の回復を許してもよいだろう。 〈人間性〉は失われた点数より多くは回復しないが、絶え間ない堕 落のあいだのちょっとした息抜きにはなる。 CHAPTER FIVE ゴシック小説の要素を見ることは、病気の症状を見 るのに似ている。目の前の現象の裏にあるものは何 か? という疑問が付きまとうのだ。表面上に現れるあ らゆる要素は、ひとつの原因から生まれている。ゴシッ ク文学に描かれるあらゆる戦慄、狂気、怪異、死、病、 恐怖、邪悪、歪んだ性は、読者の畏れを喚起するために ある。 畏れとは何か? 期待 と対をなす、影の双子であ る。避けることのできない最悪の事態が目の前で展開 し、それに対して何もできないときに感じる感情だ。悪 夢から覚めて叫びたいのに声が出せない衝撃だ。最も 暗鬱な予期が実現し、物事が確実に悪いほうへと向か うときに抱く思いだ。 畏れは恐怖に似ているが、より根源的である。より 生々しいものであり、すでに出来事が発生し、おぞま しい血まみれの事態に行き着くしかないことがわかっ ていてさえ、何かを予期する要素が含まれている。そ れが不可避であることは許容するとして、ではいった いこの先どうなるのか。 これは、ストーリーテラーがプレイヤーにぶつける べき衝撃である。難しい注文かもしれない。社会集団 にありがちな傾向として、冗談を言って周囲の緊張を 解こうとする者が誰かしらいるものだが、ストーリー テラーはその緊張をこそ望んでいるのだ。理論上、あ なたのプレイヤーたちも同様だろう。そうでなければ 何か別のことをやっているはずだ。 では、どうやって畏れのムードを醸し出すのか? 何 人かの作家の提言によれば、慣れ親しんだものを予想 していたのに見知らぬものに遭遇することほど恐ろし い事態はないという。これこそ畏れの源だ。簡単に思 えるかもしれないが、史劇の進行中は、ムードを維持 するためにちょっとした描写や出来事を絶え間なく供 給せねばならない。適切に描写されれば、どんなもの でも畏れの源となる。敵役の黄ばんだ歯、病的に青ざ めた売春婦の顔、雨に濡れた侘しい通りの敷石。ただ し、ひとつの描写に入れ込みすぎると誇張が過ぎてし まうから、慎重な細部の描写を連結させてプレイヤー に畏れを喚起させよう。 ストーリーテラーは畏れを描写するにあたって慎重 を期さねばならない。ある種の曖昧さは、神秘性を生 み出す点で重要である。本当の恐怖を仄めかし、暗示 し、直接触れないでいる限り、プレイヤーは畏れの雰 囲気に巻き込まれるが、神秘が露見した瞬間に呪文は 効力を失い、物語はあっけない幕切れを迎えることに なるだろう。 史劇の冒頭では、プレイヤーキャラクターにもス トーリーテラーキャラクターにも自分らしいやり方で 行動するのを許すべきだ。キャラクターたちにぼんや りとした影が射すにつれて畏れの感覚が首をもたげ、 影は次第に暗く、焦点が鮮明になっていき、数セッショ ンを終える頃には情け容赦のない畏れの感覚が舞台の 中央を陣取ることになる。 ストーリーテラーは極度の畏れを小出しにする必要 がある。振れ幅の大きな感情はそう長くは持続しない し、どんなに巧くストーリーテリングを行っても、プ レイヤーは少々退屈してしまうだろう。キャラクター を 30 分間はらはらさせたなら、少しリラックスさせた ほうがよい――安全な寝処に辿りつかせたり、敵役が謎 の撤退をしたり――そのあとで再び事態を悪化させ、 キャラクターたちをより性質の悪い出来事へと引きず り込めばよい。雰囲気を高めては緩め、高めては緩め を繰り返し、畏れの頂点を少しずつ高くしていくわけ だ。これを巧くやれば、プレイヤーたちは翌日電話を かけてきて、あなたのゲーム運営を賞賛するだろう(そ して昨夜は眠れなかったと付け足すかもしれない。こ れは最高の褒め言葉だ)。 恐怖や畏怖は冗長さを嫌う。いい怪物映画を観れば、 監督は観客に怪物の一部分しか見せてないことがわか る(『エイリアン』が好例だ)。怪物をはっきりと見せ すぎると、視聴者の予期を奪うことになる。予期こそ が畏れの大部分を形作ることを監督は知っているのだ。 同様に、プレイヤーキャラクターが直面しているもの について、ストーリーテラーは漠としたヒントだけを 与えるべきである。プレイヤーには想像力を奔放に繰 り広げる充分な機会を与えるべきだし、敵の正体が明 らかにされるとき、その恐ろしさは彼らの予想を超え るものであるべきだ。 ストーリーテラーは決して大げさな感情表現をしてはならな い。素晴らしく身の毛のよだつようなイベントも、 メロドラマと化 してしまう。 極めつけに恐ろしい怪異や下劣な行い、衝撃的な出来事 を描写するときでさえ、すべてを控え目に表現することこそが 肝要である。秘訣は、 プレイヤーを控え目な表現に参加させる ことだ。彼らはあなたの表現を真似しつつ、頭の中で大仰な 感情表現を当てはめ、 あなたの台詞いちいちを脚色して盛り 上げるだろう。あなたの台詞には重みが増し、 しかもストーリー テラーとしての信用を失う恐れもない。 控え目な表現はゴシックのストーリーテラーにとって最も強 力な道具のひとつである。真の恐怖は不気味な暗示によっ てもたらされるのであり、直接的な表現は役に立たない。とは いえ無表情にロールプレイしろと言っているのではない。描 写は短いほど効果的だということだ。 STORYTELLING 182 とはいえ、同胞の敵が物理的に恐ろしい存在である 必要は必ずしもない。それどころか、敵はプレイヤー の想像以上に美しい人物であるかもしれない。だがそ の美しさゆえに幅広いカルトに支持者がいて、事あれ ばカルトの指導者に報告するのだ。プレイヤーキャラ クター自身(あるいは支持者とか仲間)がその敵の手 先かもしれない。 非常に効果的な技巧として、超常の恐怖を増幅させ るために肉体的な嫌悪感を用いる方法がある。ある種 の肉体的感覚は、生得的におぞましさを感じさせる ――たとえば虫に這い回られる感覚など。超常の脅威に 晒されるキャラクターの経験を強調するためにこうし た生理的な嫌悪感を用いれば、プレイヤーにより強い 畏れの感覚を与えることになるだろう。 ゴシックのストーリーテリング技術は、恐怖(ある いは恐怖に限らず、同様の感情である戦慄、狂気、不 安、畏れなど)の喚起にかかっている。ムードを高める には、ごく単純に言って、創造と誘惑というふたつの 段階が必要だ。 最初の段階として、史劇の中で表現したい領域を綿 密に設定する。ストーリーテラーは、筋書き、キャラク ター、コネ、進行計画の糸を張り巡らせる蜘蛛である。 背景物語と、基本設定との絡みも決める。過去に何が あって、現在のキャラクターに影響を及ぼしているの か? はるか昔にどこかに埋もれた元凶という設定はゴ シックに相応しい。その元凶から筋書きの枝を現在に まで伸ばし、さらにはキャラクターが取るであろう行 動を基にして未来にまで進める。ストーリーテラーは 物語を通してプレイヤーの案内役となる。紆余曲折に 満ちた筋書きを用意せずにプレイヤーを導くこともで きるが、基本の筋書きを追うのに四苦八苦し、プレイ ヤーたちを異世界へと導くムードを維持する暇もなく なってしまうだろう。 ゴシック・ホラーの運営と畏れ感の維持が極まると、 そこには落し穴が現れる。その最たるは、有能なストー リーテラーが陥りやすいメロドラマ化だ。ムードを高 めようとして大げさな描写をすれば、たちまち緊張感 が薄れ、力強いストーリーテリングは三文芝居になっ てしまう。物語がメロドラマ化すると、ストーリーテ ラーは少なくとも一時的に信頼を失う。そこまで行か なくとも、それまで創りあげてきたムードの大部分が 失われ、また最初から畏れ感を構築し直さねばならな くなるだろう。 ゴシックの畏れ感を結実させたいのならば、それは ゆっくりと深められ、慎重に育てられるべきである。急 いてはならない。ゲーム開始後 15 分以内にプレイヤー たちを相応のムードに引きずり込みたいなどと考える と、おそらく急ぎすぎることになる。15 分で通常の精 神状態から極度の恐慌状態にまで一気に持っていこう とすると、プレイヤーははるか後方に置き去りにされ CHAPTER FIVE 183 てしまうし、そんな状況のまま完璧に畏れを引き起こ ダイスは比較的速やかに結果を出せる手段ではある すとあなたが考える物語(何時間も何日間も何週間も が、とりわけ長引く戦闘などにおいては邪魔っけに かけて練ったんだから当然だ)を見せられたところで、 なってくる。さらに悪いのは、ダイスを振ることでプ プレイヤーにとってみれば暴風雨に吹き去られるのと レイヤー(あるいはストーリーテラー)がドラマモー 何ら変わらないだろう。これでは映画に感情移入して ドからシステムモードに切り替わり、ストーリーテリ いるのと同じだ。ストーリーテラーにはムードを構築 ングの緊張感がいとも簡単に崩れ去るということだ。 する義務がある。いかなる理由であれうまくいかない それによって、一座が――数分から数ヶ月もの時間をか なら、プレイヤーがどの段階で取り残されているかを けて――共に創り上げてきた魔法が破壊される。ゲーム 把握し、ちゃんとついてこられるように戦略を変えね の経験が少ない場合は特に、築き上げた緊張感やムー ばならない。 ドが「ダイス貸してくれる?」の言葉だけで壊れてし ムードを高めるための第二段階として、プレイヤー まいやすい。 たちをあなたが設計した意気挫く土地へと誘い込む必 この問題の要点は信頼だ。プレイヤーとストーリー 要がある。暗示に次ぐ暗示、謎に次ぐ謎でもって、彼ら テラーのあいだに不正をしないという信頼があればあ を迷宮の奥深くへと誘導するのだ。プレイヤーとキャ るほど、ダイスを用いる機会は減るし、相互に開かれ ラクターを同調させること。彼らを徐々に誑かし、一 た物語により没頭することができる。 座の仲間のために日常の常識を振り落とさせよう。 『ヴィクトリアン・エイジ:ヴァンパイア』はムードを ムードの創出はストーリーテリングにおいて何よりも 重視するため、ダイスを振る機会が少ないほうが望ま 重要である。セッションの成功不成功の尺度は、慎重に しい。ダイスプールを計算し、コロコロ音のする小さ 組み上げられた筋書きではなく、創り出された感覚によ な多面体をテーブルに投げつけること以上に、慎重に るのだから。目の肥えたプレイヤーは、ストーリーテ 創られた畏れ感を破壊するものはない。 ラーの意図や筋書きの構成によって物語を評価しない 通常のダイスシステムに対する以下の代替案には共 が、ムードの印象には口を出す。あなたが設定やキャラ 通項がひとつある。物語的な経験をより完璧なものに クターや筋書きを創り出し、史劇が終幕した暁には、プ し、結果としてゲームの緊張感を高め、参加者を楽し レイヤーたちが最後の判定者となる。セッションの終わ ませることだ。一座でこれらの方法を試してみた結果 りに、彼らがストーリーテリングを楽しみ、恐怖による があまり楽しくなかったら、いつでも通常のルールに スリルを感じたならば言うことはない。そうでなけれ 戻せばよい。 ば、何をどんなに言い繕っても無駄なことだ。 忠告:プレイヤーの中に『ヴァンパイア:ザ・マスカ レード』や無数のサプリメントから章やページや段落 を引用するルール通がひとりでもいるなら、ダイスを 減らしたり無くしたりするゲームに切り替えるのはと より20世紀的な畏れの種類である疑心暗鬼は、驚くべ ても困難な(しかしやる価値のある)仕事になるに違 き作用を発揮して史劇のムードを担う。ヴィクトリア朝 いない。こういう人々は、狂的なまでの熱意でルール 世界は数々の秘密結社(フリーメイソンから嘆きの月啓 発協会 /The Enlightened Society of the Weeping Moon、 構造にしがみつきがちだ。以下のルールには激しく噛 みつくだろうが、一方で、ドラマ重視のゲームや、数字 さまざまなヘルファイア・クラブに至るまで)のための と表とダイスの代わりとしてのロールプレイから最も 設定だ。こうした環境では、誰がどこに所属しているか 恩恵を受けられる人物でもある。 を判断するのは困難である。通常、少なくともひとりく ダイスの使用を減らす らいのプレイヤーが、秘密結社の構成員(あるいは元構 ダイスの使用数をある程度減らして結果を導き出す 成員)をプレイすることに興味を持つだろう。このコネ 方法はいくつかある。なかでも、ダイスプールの単純 によって組織の情報を得られる一方で、そのプレイヤー 比較が最もシンプルだ。この手段の前提は、適切なダ は仲間から若干の疑念を抱かれることになるだろう。 イスプールが大きい者が勝つということである。ここ に逆転の機会を盛り込むために(要するにゴリアテに はダヴィデがいるし、勇敢な主人公には強力な敵を打 本来、ロールプレイングゲームとは我々が子供の頃 ち負かす希望が必要だということだ)、ストーリーテ にやっていたゴッコ遊びのようなものだ。 警察と泥 ラーは 10 面ダイスを 1 個振り、運命がダイスプールの 棒 で敵を撃ったあと「当たってないよ! 外れたっ 示す通りに動くか、それとも逆転するかを決める。逆 て!」などという面倒なやり取りを 3 回もやればヘト ヘトになったものだ。ロールプレイングゲームでは、 転の数をいくつにするか、物語の必要に応じて導入さ れる外的な要因(明るさの状態、プレイヤーの姿勢、 この些細な問題を解決するために、対立の結果を決定 キャラクターの決意)をどの程度数値に適用するかは、 する物理的な方法論が用意される。ダイスは最も一般 完全にストーリーテラーに任される。 的だ。 STORYTELLING 184 例:気高きチャールズ・エクセターは酷薄にして強 力なるヴォラック公爵と戦っている。チャールズの〈敏 捷〉+〈格闘〉のダイスプールは 5、公爵は 9 だ。ストー リーテラーは諸々の状況を考慮して、現状でチャール ズが勝つ目はストーリーテラーが 9 か 10 を振ったとき のみとした。だが、公爵は心底邪悪な怪物であり、日没 からほんのわずかしか経っていないため本調子ではな い。そこでストーリーテラーは、8、9、10 が出れば チャールズの勝ちになるとした。格段に目がよくなっ たわけではないものの、夜遅くまで待ってから年経た 悪鬼に対抗していた場合に比べれば、チャールズの勝 率は 50%も上昇している。 この方法は一対一の殴り合いにも使えるし、混戦の 結果を決めることもできる。戦いの開始と結果とのあ いだの空白はストーリーテラーの語りで埋めること。 ダイスを使用しない プレイヤーとの信頼関係が良好ならば、純粋に語り のみのゲームをプレイすることもできる。ストーリー テラーが結果を完全に支配することを除けば、昔懐か しい 警察と泥棒 によく似ている。たいていの史劇で も途中このやり方を差し挟むことはあるが、完全にダ イス無しでやろうというのだ。まったくダイスを使わ ない方法によってゲームはきわめてスムーズに進行す るが、プレイヤーはストーリーテラーを絶対的に信頼 せねばならない。その信頼は公平さに対してのみなら ず、どんな対立においても成功率を正確に断言できる ほどキャラクターの能力をしっかりと把握しているこ とに対しても及ばねばならない。 完全にダイスを使用しない方法を使えば最も物語に 没頭できるが、難点もある。ダイスを使わない場合、プ レイヤーを怒らせることを恐れるストーリーテラーは 極端な行動(たとえばキャラクターを殺すなど)を避 けがちになる。また、ランダムの要素がないとストー リーテラーの出す結果には意外性がなくなってしまう。 最初の問題に対する解決策は、キャラクターが死ぬ かもしれないと初めから充分にプレイヤーに警告する ことだ。そうして、危険な状況に飛び込んだキャラク ターには少なくとも一回は脱出の機会を与えるべきだ。 与えられた機会をやり過ごせば、戦いの結末が彼らに 降りかかる。 意外性の問題は決して問題となり得ない。ストー リーテラーがありきたりの結果を繰り返していること にプレイヤーが気づいたなら、単純にそのことを注意 してやればよい。ストーリーテラー以外に、史劇を新 鮮な状態で進められる人物はいないのだから。 CHAPTER FIVE 185 ヴィクトリア朝時代においてはセックスとその雑多 な異形種が禁忌とされたがゆえに、ゴシック小説では より毒々しい形で中心に据えられている。あなた(と プレイヤーたち)が充分に成熟していてこの題材を扱 うというなら、 『ヴィクトリアン・エイジ:ヴァンパイ ア』の史劇においてもこの素材は出番を与えられる可 能性がある。 ヴィクトリア朝時代が上品ぶっているというのは控 え目な表現だ。セックスは彼らの気に障るだけでなく、 恐怖させる。男女がひと組になろうとする原初的で泥 臭い衝動は、ヴィクトリア人が造りだそうとしている 社会的で無味乾燥で礼儀正しい世界への侮辱であり、 道徳秩序に対する油断ならない脅威として受け取られ るのだ。彼らの考えでは、道徳を監視しないことほど 文明を危険に陥れるものはない。 性交は女性が夫に対して負う不快な義務程度のもの であり、家族を創るための代価であり、まともなヴィ クトリア人たるもの性交を楽しむことを何としても避 けるべきとされる。自慰さえも道徳悪、ある種の 自己 汚染 と見なされ、頻繁に繰り返そうものなら人格の 堕落と完全な崩壊に至ると考えられている。 そして当然ながら、ほとんどのヴィクトリア人に とって、ホモセクシャルは考えるだけでも不快という 域を超えている。その一方で、 モリー・ハウス と呼 ばれる男娼宿は繁盛している。1895 年のオスカー・ワ イルドの裁判は、ヴィクトリア人が見る小説や芝居に 甚大かつ恐ろしい影響を与えた。ワイルドは長くイギ リスで人気を博し愛されていた小説家だったが、若い 男たちとの 不快な猥褻行為 に関わったと証明され たのち、彼はレディング刑務所での二年間の労役を宣 告された。この痛烈な経験によって彼は見事に破滅し た。破産し、評判は地に堕ち、健康を害した彼は、刑を 終えてから間もなく、46 才で死んだ。 ワイルドを含め、当時さまざまな小説家が作品の中 に密やかな同性愛の要素を書いていたが、ワイルドの 判決ののち、 あえて名を明かさない愛 に関するほん の些細な言及ですら完全に抹消されるようになった。 当世の主要な文人ですら罪を免れ得ないなら、いった い誰が試みようとするだろうか。 後にシグムンド・フロイトという名のウィーンの医 師がヴィクトリア人の性に対する認識と描写に著しい 影響を与えることになるが、 『ヴィクトリアン・エイジ: ヴァンパイア』が扱う時代には、未だフロイトの多大 なる影響は及んでいない。 表面的には、ヴィクトリア朝時代はかつて世界にな いほど性を忌避する社会である。こう聞くと、ヴィク トリア朝時代を通じて売春とポルノが氾濫し繁盛した という実態は(まったく驚くべきではないにせよ)奇 妙であるようにも思える。 現実には――公の見かけに反して――ヴィクトリア人 は現代のアメリカ人に劣らず性的な人々であった。い や、おそらく凌駕していた。彼らはそれを不潔な秘密 にしておくことに長けていたに過ぎない。だが、社会 全体(下層民を含む)を潤すほど娼婦・男娼につぎ込ん でいたヴィクトリア朝時代の紳士ともなれば、その秘 密を隠しおおせられなかった。 ゴシック小説ではヘテロセクシャル、ホモセクシャ ルの描写(あるいはほのめかし)が豊富に含まれただ けでなく、よりおぞましい性の数々を売り物としてい た。近親相姦を筆頭に、緊縛、サドマゾ、屍姦などがゴ シックの物語や小説で取り上げられた。こうした題材 の描写は、微妙な示唆から、申し訳程度に偽装された ポルノにまで及び、ヴィクトリア人はそれを舐め尽し た。性、とりわけ規格外の性は、崇高さと接触するため のひとつの手段であり、極度の感情を通して霊的な超 越を得る感覚であったのだ。 ゴシック文学には純粋な性や健康的な性など登場し なかった。ゴシック小説の読者はシンプルなヴァニラ 味ではなく、奇抜な風味(ビターチョコ、異国の果実、 甘草)を求めた。ゴシック小説におけるセックスは、欲 望であり、中毒であり、犯罪であり、倒錯であり、他人 を操ったり堕落させたりする術であり、史劇における ヴァンパイアは実にこれと近しい機能を果たしうる。 本作はヴァンパイアに関するゲームであるから、欲望 というものはある種の飢えとして強調されるべきであ る。飢え、とりわけ貪欲かつ永劫の飢えは、人にいかが わしい行動をとらせるのだ。 この節では、常軌を逸し、倒錯し、異様に性的なヴァンパイ ア史劇を提唱しているのではない。ヴィクトリア朝時代におけ るゴシック小説の役割を伝え、興味があるならそれを史劇にう まく導入する方法を説明しているに過ぎない。もしママとか 奥さんとか潔癖な誰かがゲーム中に台所のドアの陰に隠れ ていたり地下室に忍び寄ってきたりして、身の毛のよだつよ うなノスフェラトゥであるヴォルラッシュが孤児の少女の太腿の 動脈から血を飲んでいる酷い有様を描写しているのを聞か れたとしても、我々は責任を持たない。 第一、 それはセキュリティに手を抜いたあなたの過失という ものだ。 STORYTELLING 186 不穏な性欲を素材として用いることにしたなら、ゴ シック史劇における大部分の異様な要素と同様に、見 落としてしまいそうなほど微妙な描写から始めるべき だ(飢えた眼差し、友好的過ぎる握手、何となく追われ ている感覚)。史劇が進むに連れて追跡者はより示唆的 あるいは積極的になり、追われる側の心の奥底では小 さな恐怖のつぼみが花開きはじめる。追跡者の完全な 意図はプレイ中にゆっくりと明かされ、キャラクター たちはそのとき対応を決めることになる。追跡者が面 識のない者で、追われる側が同胞の一員であれば、こ の手法は充分に効果的になるが、同胞の中のひとりが 執着して犠牲者をつけまわす(そして仲間が必ず干渉 する)とか、追う側も追われる側も同じ同胞の一員で ある場合(これはプレイヤーとストーリーテラー双方 によって慎重に扱われる必要があるが、驚くべきロー ルプレイを生み出すことができる)は、話はよりおぞ ましくなる。厳密にはゴシックではないが、映画『ナイ ンハーフ』では、異様に倒錯していく性的関係をゆっ くりと強めていくひとつの手法が見て取れる。 古風なストーキングと性的逸脱はそれだけで充分不 気味だが、毒々しさに脚光を浴びせる文学においては それすらも強調される。そこにありふれた脅迫や強請 りの技術を加えれば物語は暗くねじれていくが、超常 の力を導入すればさらに暗さを増す。血の契りや《威 厳》の【訓え】は和姦と酷い強姦との境を曖昧にする。 犠牲者 は苦しめられていることに気づかず、虐待を 止めようとも思わないだろう。事実、しっかりと飼い 馴らされた奴隷は、主人から教え込まれた不愉快で苦 痛で人道にもとる虐待を受けるという栄誉のためなら 死も厭わないだろう……そこに恐怖の種がある。 逸脱した性はゴシック史劇に性的で本能的な感覚を 持ち込むが、それ以外の感覚を得るのが困難になるか もしれない。つまり、性的要素を持ち込む効果的な手 法は確かに存在するが、それより遙かに多くの誤った 手法が存在してしまっているのである。 以下は、ゲームにはっきりと性的傾向を持ち込む場 合に考慮すべき事項の数々である。 万人向けではない──明確な性を導入するための最 初の要件は、プレイヤーが大人であるということだ。提 供したシナリオを知的に分別を持ってこなせるプレイ ヤーを選ぼう。肝心の性的な劇的場面に、プレイヤー たちが下品な冗談を言い合う14歳のガキのようにくす くす笑いはじめたら、設定を創り、恐怖のムードを築 きあげてきた時間と労力は無に帰すだろう。 素材を適切に扱う──同様に、軽々しくならないよ う、プレイヤーの忍び笑いを誘わぬように素材を提示 するのはストーリーテラーの仕事である。もし笑われ るのであれば、あなたは間違ったゲームをしているの だろう。明白な指針がある。紋切り型の描写をしない CHAPTER FIVE 187 ことだ。描写すべきはキャラクターであってカリカ チュアではないはずだ。イルザという名の豊満なサド のドイツ女や、気まぐれで舌足らずで女々しいゲイな どというステロタイプを用いたら、史劇は損なわれ、 創り出そうとしたムードは破壊される。史劇に登場す る性的に壊れた人物が――少なくとも初めは――他の登 場人物と区別がつかないとよい。見た目でそれとわか る怪物も効果的で恐ろしい敵役となり得るが、普通の 人々と見分けられない怪物のほうがさらに不気味であ る。 女衒になるな──ただ感興のためだけに毒々しい性 を物語りに導入してはならない。危険な性を史劇に織 り込むことが、切迫した恐怖感を高め、ゲームを面白 くするなら素晴らしい。そのまま続けてくれ。一方、そ れがゲームの役に立っていないのなら、特に、より重 要な登場人物や出来事からストーリーテラーやプレイ ヤーの注意を逸らしているのなら、全部取り除くこと を検討したほうがいい。 プレイヤーに敏感になれ──過度に性的な要素を ゲームに取り入れるなら、言うまでもなくプレイヤー の反応には特に気を使うことだろう。極度に緊張感に 溢れ、非常に不気味な題材を取り扱おうとするなら、プ レイヤーに対する共感はきわめて重要となる。ホワイ ト・ウルフ製ゲームの経験が豊富なプレイヤーなら分 別があるかスレているかで、そう簡単に傷つきはしな いだろうが、どんな時でも彼らの感受性を考慮するこ とを忘れてはならない。初心者や若いプレイヤー、感 受性が強い人などは、陰鬱な性を扱う物語(たとえば プレリュードの短編のような)をロールプレイする準 備が整ってないだろう。その場合、題材をプレイヤー に合わせて調整できるなら(あるいは充分に分別のあ るプレイヤーだけを集めるなら)、それでいい。楽しま せ、心を奪い、プレイヤーを日常世界の外に連れ出し、 ことによるとプレイヤーが安穏としている領域の外皮 をちょっとだけ押してやることがストーリーテラーの 領分である。プレイヤーを傷つけたり過度に怯えさせ たりしてはならない。ストーリーテリングゲームの要 点はプレイヤーを楽しませることであり、トラウマを あたえることではないのだ。 この要素を慎重に扱えれば、プレイヤーたちはヴィ クトリア朝時代のゴシック小説読者と同じく不気味で 奥の深い常軌を逸したスリルを味わうだろうし、ス トーリーテラーはその名声を高めるだろう。しかし、扱 いが拙いとプレイヤーたちは反抗し、あなたは変態の 烙印を押されてしまうことになりかねない。 ゴシック小説における超常の要素は、ある種の強烈 な霊的感覚を強調したり、そういう感覚を導くものと して出現する。この手の感覚は、啓蒙運動が成した揺 るぎない理性の重視によって、宗教や日常生活からほ とんど根絶やしにしてしまったものだ。啓蒙運動は、古 い迷信のみならず、迷信と密接に関わっていた 神 や 精神性までも取り除き、人々は神秘のない世界に飽き 飽きしている。ゴシック小説に描写されているように、 超常とは崇高、すなわち日常生活の範囲を完全に超え たところにある特別な感覚であった。つまりほとんど のゴシック作品に現れる超常とは、神聖かつ劇的で、何 よりも稀な現象であった。絵画に施される金箔のよう に、超常は倹約されるべき貴重な顔料なのだ。 理想を言えば、ヴィクトリア朝時代のヴァンパイア 史劇においても同様であるべきだ。たとえキャラク ター自身がヴァンパイアという超常の存在であっても、 その事実を認識し、より歴然とした超常の要素を無駄 なく効果的に使用することで、ゴシック的なムードは 高まるのだ。 『ヴィクトリアン・エイジ:ヴァンパイア』はゴシック 文学を模倣しているが、ゴシックの主人公(女性のほ うが一般的)はまったくの人間であり、人であるがゆ えの脆さや苦しみを無数に抱えがちであるという事実 を忘れてはならない。よって『ヴァンパイア』をゴシッ ク的修辞で読んだだけでは不完全だ。『ヴィクトリア ン・エイジ:ヴァンパイア』の主人公たちは、たとえ苦 痛を受けるとしても、強力な夜の怪物なのだ。ゴシッ ク小説の恐怖感を捉えるためには、キャラクターの超 常の性質や能力をいくらか控え目に扱うことによって、 彼らを悪夢のような超常の怪物としてではなく、悲劇 的で傷つきやすく――往々にして――不運に苛まれる主 人公として扱うことが必要になってくる。一方、超常 の能力が人間を上回る点であるとするなら、 獣 はそ の逆だ。どこかの時点で、何らかの方法で、ストーリー テラーはプレイヤーに対しその二極間の心地よい均衡 を印象づける手助けをすることになるだろう。 同様の均衡をストーリーテラーも心に留める必要があ る。もちろん、ストーリーテラーはキャラクターがヴァ ンパイアであることを認め、ヴァンパイアであることに よるあらゆる恩恵を与えねばならない――なんと言って もそれがこのゲームの肝である――が、むやみにそこに 安住したり、それを用いてありとあらゆる超常の事件を 説明することでプレイヤーを超常に慣れさせたりしては ならない。超常の顕れは、不気味で、不可解で、底知れ ず、キャラクターたちに何らかの変化をもたらすもので あるべきだ。プレイヤーたちがピクリとも眉を動かさな いなら、彼らの顔に「うわ!」と感じた形跡が少しも表 れないなら、あなたは何か間違っている。 疑いなく、これはストーリーテラーにとって高度な綱 渡りだ。このゲームの恐怖の大部分は、キャラクターが 怪物であって、それゆえ自分自身を把握できない存在で あることから来ている。だが、ワールド・オブ・ダーク ネス的な超常の要素を使い過ぎると、プレイヤーたちは 次第に飽きてくるだろう。キャラクターが直面する敵の 皆が皆、奇妙な超常能力の名を叫んだら、陰鬱な驚きの 感覚など消え失せてしまう。脅威といっても、才気に溢 れた破滅的に強力なメイジや、第五世代の《死霊術》の 達人のような相手ばかりではない。そうした史劇は、す でに多くのヴァンパイア・ゲームを侵食している「今週 のびっくりどっきりボス敵」現象にたやすく侵されてし まう。この手の脅威はキャラクターにとって第一の阻止 目標となり、史劇のクライマックスで直面することとな るだろう――しかし物語の大部分において、彼は舞台裏 から人間の代理人やグールを操ってくるに違いない。最 終的にどうしても必要になったときにのみ、他のヴァン パイアやそれと同等の怪物を用いてくるだろう。これ は、不必要に史劇のパワーレベルを上昇させないための 最良の知恵だ。いくつかのゴシック小説(たとえば、 チャールズ・パリサーの『大聖堂の悪霊』)では、超常 の出来事の表象しか表れず、すべては物語が終わるまで に巧みに解説される。同様にゲームの中であなたが求め るもの次第だが、超常の勢力はあらゆる神秘的な出来事 の裏に絡んでくるだろうが、よほど愚かでない限り、彼 らは汚い仕事に直接手を下したりしないと断言してよ い。史劇に対し、放火される寝処や、遺産を狙う強欲な ハイエナ、触発的に火を点ける間抜けな常習放火魔など を取り入れれば、フラテール・コンフリレージョ・バニ やフランボー派、頑迷なトレメールの長老セウェルス・ ストリックなどよりもよほど現実的で正体のわかりにく い敵となる。ただし始めから飛ばしすぎるとほかに行き 場がなくなり、史劇は短命に終わりかねないということ には留意せよ。 だから、ゲームの終盤に向かって(できればクライ マックスで)、キャラクターたちにとって最大の超常の 敵が姿を現すときは、全力を尽くせ。細部に至るまで プレイヤーに説明し、生き生きとした感覚描写でシー ンに引き込み、威厳や、恐怖や、敵がキャラクターたち に向けて解き放つ生々しい超常の力を、厳選した言葉 で伝えよう。ゆっくりはっきりと喋り、あなたの唇か らこぼれる言葉に衝撃を持たせろ。史劇を通じてプレ イヤーに出し惜しみしてきた安っぽい超常現象の数々 も、ここまで来れば気前よく放出しよう。これは総決 算であり、最後の決め技であり、グランドフィナーレ なのだから。なお、通常のルールでは、どんな史劇で あってもこんな風に使えるのは1場面か1場面と半分く らいだということに注意しよう。 史劇を通じて超常の出来事を倹約しつつ慎重を期し ながら提供すれば、超常現象に対するプレイヤーたち STORYTELLING 188 の評価が衰えることはなく、クライマックスでの出し 惜しみのない集中砲火に圧倒されるだろう。史劇が終 わって一、二週間経ってもプレイヤーたちは劇的な最 終場面について語り合い、嬉しいことに、次の史劇を 計画してくれとあなたに頼むことだろう。 この章ですでに述べられたことであるが、ここでも う一度繰り返す必要がある。ゴシック的な畏れの雰囲 気は、何と言おうと意気を挫くような細部の描写にか かっている。短くて簡潔で一本道の筋書きは、この手 の史劇にはやや力不足だ。ゴシック的史劇は内容豊富 かつ複雑であるべきであり、複雑であるからには時間 がかかる。だからストーリーテラーは、物語の中で起 こる出来事に従って、ペース配分を決めておく必要が ある。史劇全体はゆっくりとしたペースで進むであろ う(あるいは進めねばならない)一方で、特定の場面は 迅速な(それこそ火のような勢いの)展開を必要とす る。一本調子で話を進めるストーリーテラーが相手で は、どんなにゲームが好きなプレイヤーでもやがてう たた寝を始めてしまうだろう。以下に、ゴシックのゆっ くりとしたペースを有利に使う方法と、ペースに変化 を加える方法とを提案する。人生と同様に、ゲームに おいても多様性がスパイスを効かせるということを、 ストーリーテラーはよく覚えておくとよい。 儀式的な畏れの喚起 畏れは、簡単に召喚できる神ではない。その不吉な 存在を露わにしようとするとき、急いではならない。単 にその名を呼んだり顕現を願ったりしただけでは祈り は届かない。それどころか、畏れを喚起するためには、 時間、プレイヤーたちとの共感、なにより優れたストー リーテリングが要求される。それとおそらく、ちょっ とした犠牲が……。 畏れを構築するうえで、時間は鍵となる要素だ。ス トーリーテラーはゆっくりとプレイヤーを沸点まで 持っていかねばならない。慎重に設定された長い史劇 の中で繰り広げられるさまざまな出来事が、物語のク ライマックスへ向けてプレイヤーの恐れを(しかし同 時に渇望をも)盛り上げる――クライマックスへの期待 が長続きするのは、ゲームが面白いがためだ。ストー リーテラーは恐怖に満ちた些細な描写や一見筋の通ら ない奇妙な出来事でプレイヤーを惑わせ、胸騒ぎと期 待を同時に抱かせる方法を学ばねばならない。なんと 言っても、心理的葛藤こそ古典的ゴシックの手法だ。 概してゴシック文学とは、過激なカーチェイスでも ロックのライブビデオでも切り抜きシーンのモンター ジュでもない。規則正しいゆっくりとしたペースは、ゴ シックの力を生むひとつの重要な要素だ。ゆっくりと した物語の構築によって、プレイヤーはストーリーテ ラーが紡ぐ呪文にだんだんと深く囚われるようになり、 CHAPTER FIVE 189 キャラクターは複雑で不気味な出来事により深く引き 込まれる。もっとも、ゆっくりとした物語の展開が、退 屈なゲームを導いてはならない。 テーマとバリエーション 音楽を凍らせて形にできるのは建築だと言うが、ゴ シックであれ何であれ力強い史劇を創造するストー リーテラーとは、史劇を設計する段には建築家かつ作 曲家であり、ひとたび史劇が始まったなら建設業者か つ指揮者となる。 プレイヤーに向かって「前々からやろうと思ってい た史劇」の話を始める前に、史劇をデザインしておく べきだ(基本的な筋書きの構成、敵役の性格、重要な出 来事の発生タイミングなど)。これらの要素を決定した ら、テーマとそのバリエーションこそが技術の核心で あることを心に留めることだ。ゲームの筋書きを作り 上げたら、史劇に一貫して流れるテーマを選び、場面 場面で少しずつ形を変えながらそのテーマをプレイし よう。そして、各場面を異なるペースで進めるのだ。熱 狂的な場面と静かで落ち着いた場面を、平凡な出来事 と奇妙な出来事を交互に繰り返し、バリエーションを 絶やさないことだ。話の先が読めるようになった瞬間、 プレイヤーたちは退屈しはじめる。出来事にはそれぞ れに相応しいペースがある。参議の会合と、公子の転 覆を図る叛徒の秘密会合とではペースが異なる。人間 の魔狩人の集会にはスタッカートが相応しいだろうし、 著名なオカルト学者との会話ならもう少しゆっくりで なだらかな進行をするだろう。そして常に、最大の対 立場面であるクライマックスに史劇が近づくに連れて、 場面進行は速くなっていく。 ペースをうまく調整するという原則は、取るに足 らない描写よりも重要な描写を長引かせるという方法 をも示唆している。ある種の描写(敵役の名刺の興味 深いデザイン、ときおり城から分厚い霧を引き裂い て聞こえてくる不気味な泣き声、異邦人の目に輝く 凶暴な光)は史劇の筋書きにおいて重要であり、ムー ドや設定に彩りを与えるだけの描写よりも強調され るべきだ。同様に、退屈だったり機械的だったりしば しば繰り返されたりする行動(たとえば近くにある 寝処間の往復)はうまく言い紛らわし(「纏わりつく 霧をすり抜け、君は誰にも気づかれずにガラス工場 に着いた」)、筋書きを展開させるうえで鍵となる行 動を詳しく描写するとよい。 史劇全体はゆっくりと展開すべきだが、すべての場 面やセッションがゆっくりだとプレイヤーに感じさせ る必要はない。よいストーリーテラーはさまざまな ペース配分を有効利用する。主たる筋書きの進展(展 開が急速で劇的になりがちだ)の合間に、再編成し、互 いに交流し、些細で不穏な兆候に気づいて比較検討し、 ストーリーテラーが創りあげた豊かな世界を存分に探 索するための時間をキャラクターに与えよう。こう いった相互交流やロールプレイの中でプレイヤーは自 分たちのことにかまけがちだが、ゲームの面白みを維 持する責任はストーリーテラーにある。そしてロール プレイであるからには、ペース配分もまたプレイヤー とストーリーテラーの共同作業である。プレイヤーが まだ明かされていない筋書きの重要部分に近づけば、 ストーリーテラーは間違いなくペースを加速させる。 敵役との対決の頂点においては、状況説明するストー リーテラーの舌がなんとか回りきるまでの速さになる だろう。そして重要な対決が終わったら、プレイヤー が緊張を解いて何かを飲み、自身のキャラクター描写 に集中できる小康状態を用意しよう。 STORYTELLING
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