2008年3月号 - SISF WEB SITE Starting Page

I N T E R C U L T U R E M A R C H
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NO.116
2008 年3月号
MARCH
I N T E R C U L T U R E
■■ 学校法人 千里国際学園 Senri International School Foundation (SISF) ■■
千里国際学園中等部・高等部 Senri International School (SIS) 併設 大阪インターナショナルスクール Osaka International School (OIS)
〒 562-0032 大阪府箕面市小野原西4丁目4番 16 号 TEL 072-727-5050 FAX 072-727-5055 URL http://w ww.senri.ed.jp
卒業生へ贈る言葉
All School Production
APAC バスケットボール
APAC バンド / 演劇
2008/2 オールスクールプロダクション
千里国際学園は、 帰国生徒を中心に一般日本人生徒や日本の教育を希望する外国人生徒も受け入れて日本の普通教育を行う千里国際学園中等部・高等部 Senri International
School (SIS) と、 4 歳から 18 歳までの主に外国人児童生徒を対象とする大阪インターナショナルスクール Osaka International School (OIS) とを、 同一敷地・校舎内に併設しています。
両校は一部の授業や学校行事・クラブ活動・生徒会活動等を合同で行っています。 チームスポーツはこの2校で1チームを編成しており、 APAC(Asia Pacific Activities Conference)
の公式試合や、 近隣のインターナショナルスクール、 日本の中学・高校との交流試合等に参加しています。 このため、 校内ではインターナショナルスクールの学校系統に合わせて、
6年生~8年生 ( 日本の小学6年生~中学3年生春学期 ) をミドルスクール (MS)、 9年生~ 12 年生 ( 日本の中学3年生秋学期~高校3年生 ) をハイスクール (HS) と呼んでいます。
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Learning for Life ---- SIS の教育が目指すもの
大迫弘和
SIS 校長
この冬休みに卒業生から近況を知らせ
てくれるメールをいただきました。 本人、
池尻文さんの了解を得て、 紹介します。
池尻さんは箕面市内の公立中学を卒業
し、 高等部へ一般生徒として入学しまし
た。 SISで3年間の高校生活を過ごした
一般生徒が、 どのような道を歩んでいる
か。 在校生の皆さんにもよい参考になれ
ば嬉しいです。
Learning for life. 人生のための学び。
SIS の目指すものがここにあります。
大迫校長先生へ
お久しぶりです。 10 年生で編入して、
今年の5月からカナダの Trinity Western
University に入学した池尻あやです。 お
元気ですか?
私は何とか大学最初の1学期を終え、
今日本に帰国しています。
校長先生にはご挨拶に伺いたいと思っ
ていたのですが、もう SIS も冬休みに入っ
ているということで、 メールで失礼させて
いただいています。
海外で過ごす大学生活とは、 聞いて
はいたものの、 予想以上に大変でした。
きっと、クリスチャン系の大学ということで、
環境の変化もその一因だったと思いま
す。 カナダでも周りには特に何もない田
舎町にある大学で、 寮に入っているのに
車のない私には、 " 遊び " という言葉が
ほとんどない大学生活でした。
しかしそんな中でも、 あの大学は私に
とって最適の場所と言えるものでした。
教授陣は学生に学んで欲しい、 学生を
助けたいという意欲に溢れていて、 学生
は学びたい、 誰か困っている人がいた
ら助けてあげたいという人たちばかりでし
た。 さながら SIS の大学版といった感じ
でしょうか。
校則はお酒、 タバコ、 麻薬の禁止とい
う、 普通では当たり前のようなことだけで、
でも、 学生はそれぞれに Respect の心を
持っていて、 それに見合った行動をして
いる、 そんな所です。 SIS で3年間かけ
て私が学んだことを、 そのまま生かすこと
ができました。
「クリスチャンでもカナダ人でもないの
に、 どうしてそんな価値観をもつことがで
きるのか?」
という質問をされることも多く、 「普通とは
少し変わった高校でもまれてきたから。」
と自信を持って答えることができるのは私
の誇りです。 よくも悪くも (?)、 自分の
考えや意見をはっきり言えるというのは、
やはり向こうの文化では当たり前のことな
のですが、 日本人がそれをするのは珍
しかったようで、 それが原因でいろいろと
活躍することもできました。
大学1年生全員が取らないといけない
必修の UNIV101 という授業では、 大学1
年生の中から3人だけ選ばれるプロモー
ションビデオの出演もすることができまし
た。 その授業は、 一学期間かけて、 大
学生本来のありかたを学ぶというクラスな
のですが、 1年生から選ばれた3人は、
毎週の授業のテーマにそったいくつかの
質問に学生を代表して答え、 それを撮
影したものを各授業で全生徒に公開する
というものでした。
その中の1人、 インターナショナル生の
代表として私は選んでいただいて、 1学
期間、 カナダ人の2人と一緒に撮影に参
加しました。
相手はカメラとはいい、 結局は大人数
の前で話すのと同じ、 しかも言語は第二
言語で、 質問はその場でいきなり聞かさ
れる。 最初はかなり戸惑いましたが、 こ
れも SIS でとった授業の経験が、 かなり
影響して、 最後まで無事に終えることが
できました。 同じ留学生のアジア人の人
たちにも感謝され、 本当にいい経験がで
きたと思います。
他にも来年は、 年明けに ESLi という学
内の英語強化塾のプロモーションビデオ
の出演も依頼され、 うれしいかぎりです。
もちろん勉強のほうでも、 論文、 プレ
ゼンテーションの仕方等、 他の学校では
確実に得ることのできなかった知識も存
分に生かすことができています。 SIS に
いたころは当たり前で見れなかったもの、
(勉強だけではなく、 人としてのありかた
も) それが離れてみると改めてはっきりと
見えてきて、 自分がどれだけ恵まれた環
境で高校生活3年間、 一番大切な時間
をすごすことができたのか、 本当にあり
がたいと感じることができました。
大学はまだあと3年半、 もしかしたら4
年半、 長い道のりですが、 どんなときも
SIS 精神を忘れずに頑張りたいと思いま
す。 長々と失礼しました。
どうかよいクリスマス、 そして新年をお
迎えください。
感謝を込めて。
*Aya Ikejiri*
千里国際学園基本方針
千里国際学園では、 自分の行
動に責任を持ち、 よい人間関係
を維持していく能力が、 生徒各
自に備わっていると信じます。 こ
の考えにもとづいて、 次のような
行動の目安がつくられています。
<5つのリスペクト>
自分を大切にする
他の人を大切にする
学習を大切にする
環境を大切にする
リーダーシップを大切にする
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<特集> 2 0 0 8
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卒業生へ贈る言葉
大迫弘和 (SIS 校長)
Respect for Self の Self とは、あなた自身、
あなたの大切な人、 あなたの大切な家
族、 あなたの大切な国、 あなたの大切
な地球・・・・・。 あれ、 大切な人とかって
Respect for Others の Others じゃないの
かなぁ? 5 Respects, これからも考え続
けて、 正しく人生を歩んでいってください
ね。 ご卒業おめでとうございます。
栗原真弓 (カウンセラー)
ご卒業おめでとうございます。
これまで自分なりに精一杯成し遂げた
事柄に対しては自信と誇りを持ち、 失敗
した事柄についてはその体験を有意義
に生かすことを忘れず、 前に進んでいっ
てください。 76 名のそれぞれの 「道」 が、
あなたを待っています。 そんなあなた方
一人ひとりを、 私たちは今度は少し遠く
から見守り続けていきます。
76 名の卒業生の1人、 三戸部麻衣さ
んのことを書かせていただきたいと思いま
す。 麻衣さんは、 9年生の春から突然病
気と闘いが始まりました。 何度も治療入
院があり、 人知れぬ苦痛に耐えなくては
ならない日も多くありました。 それでも持
ち前の集中力で課題をこなし、 テストで
は他の生徒より高い点を取ることもありま
した。 彼女の精神力と明るさに多くの教
職員や生徒は励まされたことと思います。
何よりも教えられたのは、 日々の生活を
楽しむ彼女の姿勢です。 「みんなと歌う
ことが大好きなんです」 「一緒に何かや
るという体験は何物にも代え難いんです」
と満面の笑顔で語り、 学期末のコンサー
トや APAC コーラスや ASP に参加しまし
た。 放課後残って APAC の衣装を縫っ
ていたこともありました。 治療や手術で活
動できないときは、 名探偵コナンの新刊
を心待ちにし、 困難な中でも人生を楽し
むゆとりを麻衣さんは私たちに示してくれ
ました。 それも彼女らしく控え目に。
「道」 を生きることを、 波の上のサー
ファーに例えた話があります。 サーファー
は決して波には逆らわず、 波の動きに同
調し、 波を自らに取り入れて前進してい
く。 何もしていないように見えるが、 何も
しなければ沈み込んでしまうこともある、
うまくバランスを取りながら、 波に自分を
委ね、 波と一体化できたら、 サーファー
は波の力でおのずと遠くまで運ばれてい
くと。
それぞれの 「道」 を進む上で、 さまざ
まなできごとに遭遇するでしょう。 その一
つ一つから逃げないで柔軟な心で対応
すれば、 自分を超えた力が支え導いてく
れることでしょう。
田中美帆 (カウンセラー)
ご卒業おめでとうございます。
新たなスタート地点に立った皆さん、 こ
れからも自信を持って前進してください。
持ち前の明るさ、 そして SIS での学びを
バネに、 困難を突破してください。 辛い
ときは、 学園生活を共にした大切な友達
が支えになってくれるはずです!これか
らも一日一日を大切に。 立ち止まって考
える時間も大切に!
皆さんのさらなる飛躍を期待していま
す!
馬場博史 (1組担任、 数学科)
誰にでも、 楽しいことや嬉しいことばか
りではなく、 苦しいことや悲しいことが待
ち受けています。 5回の手術、 6回の入
院をした私は多いほうかも知れません。
もちろん健康面だけでなく、 精神面でも
いろいろありますね。 しかし、 「その時」
はつらいかもしれませんが、 それが過ぎ
去ったあと、 いつか必ず笑って話せると
きが来ます。 そのことを信じて、 さまざま
な試練を乗り越えていってください。
これから人生に訪れるいくつかの大き
なステージで、 しっかりと自分のペース
を見極め、 あせらず急がず、 確実に進
んで行きましょう。 トライアスロンのように。
卒業おめでとう。
志垣満理 (2組担任、 生活科学科)
12 年生の皆さん、 卒業おめでとうござ
います。
2年間の担任そして、 授業担当として
は、 長い人では、 6年間を一緒に過して
きました。
中学の時から見てきた皆さんは外見の
成長だけでなく、 内面も本当によく成長
したと感心させられます。 SISで身につ
けた力は、 今はそれ程実感しなくても、
これから卒業してそれぞれの新しい環境
に入っていった時に徐々に気づいて行く
ものだと思います。 そして、 皆さんを支
えてくれるものと信じています。 皆さんが
これから進む道は、 まっすぐでも平坦で
もなく一本道でもありません。 ですが、 5
リスペクトを常に心に置き、 1 年後、 5年
後 10 年後、 20 年後、、、、 皆さんがその
時々に自分で選んだ道を、 顔を上げて
一歩一歩進んで行ってくれていることを
希望してやみません。 もう一度、 卒業お
めでとう!
池田大介 ( 愚童禅師 )(3組担任、社会科)
『 あ あ。 春 爛 漫 の “( 箕 面 の お ) 山
(花!?)” の色~♪』
そして。 “心の旅” は、 終わり、 ではなく、 「“今
日”」、“その日 (今日)” から再び始まる、
と。
言い聞かせながらも、 諸君の “別れの
歌 「心の旅」” に、
“その日 (今日)” は、 ぜひ微笑んで
いたい(諸君の去りゆく影を見やりつつ)。
見よ。 (可能ならば) 精鋭 (たち) よ。
そう、 若い 「だけ」 で、 精鋭ともよべる
のだ。
それは≪力 - パワー≫の“証 - あかし”。
…
それを≪証 - あかし≫とだけするか、
“力 - パワー” にするか…
君 (たち) 次第…
…次第、 しだい、 シダイ、 っと…
選べる、 とは、 し ・ あ ・ わ ・ せ、 なん
だゼ (知ってた?) !
「卒業、 おめでとう!」
土佐礼子 (4組担任、 理科)
「今どきの若い者は ・ ・ ・ 」 というのは
エジプトのヒエログリフにも書かれている
という常世の大人の物言いですが、 いま
や 「今どきの大人は ・ ・ ・ 」 という暗澹
たる世の中になっています。 こんな世に
してしまった大人の末席を汚す ( ・ ・ っ
てことは誇ってもいいか?) ものとして皆
さんの新たな門出にあたって何が言える
かと考え込んでしまいます。
昨年の世相を現す漢字は 「偽」 でし
た。 特に組織的な偽装問題が大きく取り
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上げられましたが、 私は身近なところで
も 「偽」 が決して無縁では無いと感じて
います。 意図的に悪意を持ったもので無
ければ見過ごされがちですが、たとえば、
見かけが整っていれば、 尤もらしい言葉
が並んでいれば、 深くは考えないような
ところに落とし穴があると思います。 この
漢字自体 「人が為す」 ことの中に 「偽」
が分かち難く忍び込むことを暗示してい
るようです。 何でもありの世の中だからこ
そ 「真」 を希求し続け、 「偽」 の罠には
まらない (無自覚に自分自身が作ってし
まう罠という場合も含めて) 戒めを持って、
真の知性を磨き行動していかれることを
願います。
見島直子 (国語科)
卒業おめでとうございます。
『チャンスは、 それに備えている者に微
笑む。』 -多くの先人たちが表現を変え
て言い続けてきた言葉を皆さんの門出に
あたって贈りたいと思います。 己に驕ら
ず、 人を恨まず、 毎日をたくましく元気
に歩いていきましょう。 皆さんの前途に
幸あらんことを!
岡本茉莉 (国語科)
おめでとうございます。 いよいよ旅立ち
のときですね。 今までは大人や学校に
守られていることが多かったかもしれませ
んが、 これからは本当に自分の手で自
分の未来を作っていくことになります。 た
くさん考えて、 たくさん学んで、 素敵な
未来を掴んでください。応援しています!
北尾友美 (国語科)
卒業おめでとうございます。 これから始
まる新しい舞台での活躍をたのしみにし
ています。 辛いことにも苦しいことにも負
けない強さと明るさをもって、 いろんな可
能性にむかって前進していってください。
野島大輔 (社会科)
皆さんが次第に大きく大きく育っていく
姿を、 今年は傍でこっそりニヤケながら
拝見できなかったのが、 とても残念です。
学園から外へ出てみると、 SIS の教育
の成果を問う目が、 一段と厳しくなって
いることがよく解ります。 一方、 その中で
新たな道を切り開き、 大活躍の前夜に
あってぐっと力を溜めている卒業生の人
にも、 本当によく出会います。
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これからも困難にぶつかる事があるかも
しれませんが、 皆さん持ち前の 「たくま
しさ」 で、 どうか一つ一つ乗り切って行っ
てください。 皆さんの旅立ちの日の今夜
は、 凍てつく風が吹こうとも、 明日の朝
陽が待っている、 星降る夜に出会えます
ように。
ご卒業おめでとうございます。
増尾美恵子 (社会科)
12 年生のみなさん卒業おめでとうござ
います。 私が美しい言葉だといつも思っ
ている 「 エスキモー (イヌイット) の伝説
」 贈ります。
始まりのとき 人間と動物のあいだには違
いはなかった。
その頃はあらゆる生き物が地上に生活し
ていた。
人間は動物に変身したいと思えばでき
たし、 動物が人間になることも難しくはな
かった。
たいした違いはなかったのだ。
生き物は時には動物であったし、 時には
人間であった。
みんなが同じ言葉を話していた。
そのころは、 言葉は魔術であり、 霊は神
秘的な力を持っていた。
でまかせに発せられた言葉が、 霊妙な
結果を生むことさえあった。
言葉はたちまちにして生命を得て、 願い
を実現するのだった。
願いを言葉にするだけでよかったのだ。
しかし説明したらだめになる。
昔は万事がそんな風だった。
高橋寿弥 (数学科)
第 15 期生卒業生のみなさんへ
この度は卒業おめでとうございます!
みなさんについての全体的な印象をあ
げると、 本当に活発で活気にあふれた
学年だということです!中学に入学した
ときからその印象は強くありました。 また、
非常に友だち思いの人が多い学年だと
も思っていました。 中学のときのやんちゃ
なイメージから高校に上がると、 礼儀正
しさ ・ 誠実さも備わって、 現在では本
当に立派な大人になりつつあると思いま
す。 みなさんの進路先での活躍を心から
祈願し、 また楽しみにしています!それ
とまた時間があるとき、 母校に元気な姿
を見せに来てくださいね!また会いましょ
う!!!
田中憲三 (数学科)
卒業おめでとうございます。 みなさんと
は、 中学 1 年生から3年生までいっしょ
に過ごしたときの思い出が沢山あります。
中 1 では、 始めてクラスで取り組んだ学
園祭、中 2 では、大いに盛り上がった 「千
里国際学園学園カルタ大会」、 中3では、
学年旅行で行った肝試しなどなど。 楽し
い思い出、 どうもありがとう。
卒業後も、SIS の精神そのものである 「5
つのリスペクトを大切にすること」 を忘れ
ないで、 自分の信じた道を堂々とたくま
しく歩いていってください。 みなさんのさ
らなる飛躍を心から願っています。
北口幸恵 (数学科)
ご卒業おめでとうございます。
皆さんは今までにどれくらいの人達と出
会いましたか?家族はもちろん、 友達や
先生、 バイトの仲間から旅先で出会った
人まで。 きっと思っていた人数よりかなり
多いのではないでしょうか。 そしてその
人達から学んだこと、 得たものがたくさん
あると思います。 私もこれまで多くの人に
出会い、 いろんなことを教わりました。 そ
して改めて、 自分は周りの人に支えられ
育てられたんだなと感謝の気持ちでいっ
ぱいになりました。
皆さんはこれから新しい環境でさらに多く
の人たちと出会うでしょう。 その人達が皆
さんの宝となり成長の糧となってくれるこ
とを願っています。
皆さんに素敵な出会いが待っていますよ
うに…。
井藤眞由美 (英語科)
皆さんの多くがこの世に生を受けた
1989 年は日本では平成の幕開けの年。
そういえば美空ひばりさんが亡くなったの
もこの年で、 「昭和」 と言う時代が終わっ
たことを改めて実感したものでした。 11
月にはベルリンの壁崩壊という歴史が動
く大きな出来事もありました。・ ・ ・ そん
な時代に生まれた皆さんは、 まさに新し
い時代を切り開くフロンティア世代!で
す。
世界が一つになって取り組むべき課題
がどんどん増えていく 21 世紀。 SIS で5
つのリスペクトを基本に 「学び」 を学ん
できた皆さんは、 日本を、 そして世界を
塗り替えていく力を持っていますよ。 どう
か自信を持って飛び立ってください。
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前に進むのをしんどく思う時もあるかも
しれませんが、 かの美空ひばりさんもこう
歌っています。
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
雨に降られてぬかるんだ道でも
いつかはまた晴れる日が来るから
ああ川の流れのように
おだやかに
( 「川の流れのように」 より 作詞:秋元康 )
卒業おめでとう!
山本靖子 (英語科)
卒業おめでとうございます。
今入学式の写真を見直して、 ああ、 こ
の7年生がもう卒業していくのかと思うと
感慨ひとしおです。 最初は、 こちらが
見下ろすほうだったのに、 気がついた
ら、 見上げるほうになったのはいつのこ
とだったか。 SISではまれな男女約半々
の 比 率 の 学 年 だ け に、 本 当 に 元 気 が
良くて、 なんとも個性豊かな、 パフォー
マーが多い楽しい学年でした。 7、 8年
では 「 文句いい 」 と評判だった○○さん
や××さんや△△さん、” Super naughty
boy” だった××君や○○君が、 ハイス
クールに上がり、 上級生になり、 こちらを
気遣ってくれるような言葉をかけてくれる
ようになった時には、 その成長に本当に
感動しました。 そうしていたら、 もうお別
れのときですね。 その豊かになった心だ
けでなく、 SISでの生活で培ったすべて
がこれからの生活を形作っていくと思い
ます。 それを大切にしながら、 でも、 後
ろは振り返らず、 「あれ、 SISのことすっ
かり忘れてた。」 と思うくらい、 その時、
その時の今を大切に生きていってほしい
と切に思います。
Peter Heimer (English, basketball
coach)
Dear SIS 2008 graduates:
It is with mixed feelings that I congratulate you on your upcoming graduation. I am sad to see such friendly,
polite, diligent, interesting students
leave our school. But I am proud to
know that such talented, intelligent
mature young men and women will
represent SIS as they go out into that
larger stage known as “the world.”
My former Speech and Debate stu-
dents will probably forget me. I hope
they do not forget the wise words of
Abraham Lincoln and Martin Luther
King, Jr. that we memorized.
My former IB English students may
forget me, too. But I trust they will
remember the life lessons of To Kill a
Mockingbird and A Raisin in the Sun
and Othello.
Former Speaking Performance students might try to forget me. I suspect,
though, that they will someday make
good use of their fine speaking voices.
And graduating Sabers basketball
players probably want to forget me.
But they will never forget the importance of screening away, boxing out,
taking the stairs instead of the escalator, and eating oatmeal in the morning.
I salute you all.
Frances Namba (English)
Dear grade 12 students.
Congratulations on your graduation. This is an important and memorable event in your lives and I hope
that you are approaching it full of good
memories and with a feeling of accomplishment and satisfaction in a job well
done.
Your grade will always have special
memories for me as my first ever classes as a part-time teacher at SIS were
with you. I taught 2 of your 7S classes
and was immediately struck by your
energy, your enthusiasm for English
and by the warm, friendly atmosphere
of your classes. You were so young,
cute and excitable in those days!
Two years later I became a full time
teacher at the school. My first ever
homeroom was again with your grade.
By this time, you were in grade 9, a
little1 more mature and a little less
excitable, but I was happy to work
with you again. Your first school trip
at SIS (to Green Pia Miki) was my first
school trip at SIS . My first school festival and my first Sports Day were both
shared with you. Your Middle School
graduation was my first Middle School
Graduation, and so on. I was lucky to
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be able to share so many new experiences with you.
And so now you are leaving us. I
have watched you grow from those
excitable, sweet kids of 12 years old to
mature, responsible 18 year olds. It has
been an interesting journey and you
have taught me a lot over the years.
Thank you for that. I wish you all a
happy and successful future and hope
that you will make all us teachers who
you are leaving behind proud to have
been a part of your lives. I look forward to meeting you again in a couple
of years and hearing about where you
are and what you are doing.
Itterasshai!
森 路佳 (音楽科)
卒業生のみなさん。 まずはおめでと
う。 私が赴任して依頼、 最速のスピード
でプレイオフをやりこなし、 また、 最高の
MSパフォーマンスバンドを持てたのもあ
なたたちの学年でした。 (本当に最高で
したね!) ガシガシ、 ガンガン進みまく
るというより、 じっくりあなたたちの “テン
ポ” でいろんなことをやりこなしていく皆
さんの姿がとてもほほえましく、私自身の”
テンポ “と実は合っているようで、 時に
は癒されることもあり、 大好きでした。 そ
んな “テンポ” の中で皆さん一人一人と
じっくり時間を過ごせたことは先生にとっ
ても一生の財産よりもすばらしいものとな
るでしょう。 貴重であり、 また、 じっくりと
したすばらしい時間、 そして “人間どうし
のつながり” をありがとう!とてもユニー
クな個性の持ち主が集まり、 目立つとい
うよりは、 じっくりと一足一足進み行くあ
なたたちの力を、 これからの世界のため
にしっかりと役立てて下さい。 時代の流
れが加速度的に進んでいるようですが、
こうした時こそ、 あなたたちのような “しっ
かりテンポ派” の人々が、 本当の大切さ
や、 速さや目立ち度の中で流されては
ならないメッセージをしっかりと掲げ、 周
囲にじっくりと影響を与え、 世界を導き、
また後押しし、 作り上げる人材になって
ほしいと思います。” A great artist has a
great imagination!” 力や早さに頼るより
も、 人として信念のあることの “芯 (真)
の強さ” をいつまでも大切にし、 その個
性があなたがたの未来で “シブく” 輝く
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ことを祈っています。 卒業おめでとう。
Life’s battle don’t always go
To the stronger or faster man;
But sooner or late the man who wins
Is the one who thinks he / she can.
Barbara Bertram (Art)
As the technology of the 21st century takes over our lives, remember that
simple things also have importance.
Such as the freshness of seasons; the
beauty of night stars; friends old and
new. I wish you all the very best! Ms
Bertram
相良宗孝 (保健体育科)
卒業おめでとう。 皆さんは私が教員生
活の中で初めて担任をした学年です。
なので、 私にとって思い出深いことがた
くさんあります。 7年生のときには一緒に
ミルク募金をしましたよね。8年の時には、
手作りカルタで遊びましたね。 ああ~懐
かしいなあ~!あんなに小さくて頼りな
かった皆さんでしたが、 本当に心も体も
大きくなりましたね。 これからの皆さんの
未来が明るく、 楽しいものになることをい
つも願っています。
Simon Parker, Derek Entwistle (PE)
Mina san- omedeto gozaimasu!
For most of you it will be the end
of 6 years at SIS. You have been here
for a total of 8736 hours. The law of
averages says that in that time you will
have done one or more of the following; at least 3 pool make-ups, forgotten
your locker number, been forced to
listen to at least 6 PE orientation talks,
had to endure several of Mr. Sagara's
bad jokes, seen Mr. Parker not wearing his red jacket at least twice, run
over 100km in HS Endurance classes
and failed to understand anything Mr.
Entwistle has said for an entire unit
of work. But you will also have made
scores of great friends, had heaps of
laughs, picked up lots of useful (and a
little useless!) information, and, most
importantly, been a part of this Class
of 2008 at SIS. Good luck to you all, it
has been our pleasure.
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Derek and Leanne Entwistle (PE)
Dear Graduates,
On behalf of my wife and I, we
would like congratulate you all and
wish you all the best for the future.
Our positive experiences with you
all has been a large part of the reason
we are still in Japan after 7 years!
Stay healthy,stay happy and stay in
touch!
Best wishes.
合志智子 (情報科)
卒業おめでとうございます。 充実した
高校生活を送った、 という自信があれば、
きっとこれからの人生も乗り越えていける
でしょう。 SIS で学んだことを大切にして、
自分の選んだ道を進んでいってくださ
い。 応援しています。
宮澤一輔 (情報科)
ご卒業おめでとうございます。
「千冊 ・ 百人 ・ 一天職」
今、 すぐそばには 「未だ見ぬ友」 が居
ます。
そして、 そのすぐそばには 「未だ見ぬ
自分」 が居ます。
「千冊」 の本を読み知識を深めた、 「未
だ見ぬ自分」 に、「百人」 の信頼できる、
「未だ見ぬ友」が、そう遠くない未来に「一
つの天職」 を授けてくれるでしょう。
「未見の友」 と 「未見の我」 を探す旅は
今始まりました。
気をつけて。
弥永千穂 (スクールナース)
卒業おめでとうございます。
みなさんの人懐っこい笑顔が見られな
くなるのはさびしいです。
これから、 より自立し、 自分自身に責
任をもち、 夢や目標に向かい人生を切り
開いていくことでしょう。
困難にあたったら、 あなたの事を大切
にしている、 大切にしてくれた、 支えて
くれる、 支えてくれた人たちのことを思い
出して。
あなたの人生がより大きく、 色鮮やかに
広がりますように。
*今月の言葉 「時」
折にふれて、 心に残る言葉を紹介
します。 今回は、 卒業生に送る言葉
として。
何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められ
た時がある。
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
旧約聖書(新共同訳)
『コヘレトの言
葉』より
たいしたこともしていないのに、 あっ
と思う間に物事がうまく進む時があり
ます。 頑張っているのに、 どうしても
うまくいかない時があります。 うまくい
かないときに投げ出してしまうのか、
ともかく続けて努力してみるのか。
努力してもうまくいかない時ってある
ものです。 自分が悪いとは思えない
のに、 悪いことばかりおきる時。 じっ
としているしかない時。 そこでじたば
たしても何も解決しない時。 それでも
続けなくてはならなくて、 何のために
なるんだろうと思う時。 そういう時をど
う過ごすのか。 泣きたい時は泣く時。
笑う時にはならない。
人生の中では、 もう疲れてしまって
これ以上頑張れない、 と努力をやめ
る時もあるでしょう。 あきらめる時もあ
るでしょう。 でも、 あきらめ気味にで
も正しいと思うこと、 やりたいと思うこ
とを、 やっぱりやめられないと思って
やっていると、 思いがけない奇跡が
起こる 「時」 が来るものなのです。 こ
れは、 私のわずかな人生経験の中で
も感じる、 事実です。 今年の ASP 醜
いアヒルの子の歌にもありました。
自分を信じて気落ちせずに
何もかもが駄目だと
落ち込まずにいれば
あなたも
あなたなりに
白鳥になれるかもしれない
ミ ュ ー ジ カ ル『Honk』
(OIS12 川
地生訳)より
あなたが白鳥になった時には、 どう
ぞ思いっきり笑って、 喜んで、 楽しん
でください!
(青山比呂乃 : 図書館)
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All School Production 「ホンク!」 公演成功
村上さくら
高等部2年、 生徒演出 ・ 舞台監督 ASP が終わった今、 やっとほっとで
きるような気がする。 何もすることのな
い放課後はとにかく寂しいけど。 だか
らと言って私は ASP がとくに名残惜し
いわけではない。 本番はどれもうまく
できたと思うし、 自分を出し切ったつ
もりだ。 思い残すことは何もない。 た
だ、 無性に恋しくなるのは今回の劇
に関わっていた人たち。 ひとつの完
成された舞台を目指して一緒に夢中
になった皆。 毎日毎日、とにかく練習。
でもそうやってみんなの想いが一つ
一つ重なっていく度に舞台もどんどん
鮮やかになっていった。 芸術がある
と、 そこには時間や犠牲や努力があ
る。 そして必ず 「人」 がいる。 毎年
行われる ASP は 「先生」 とか 「生徒」
「保護者」 といった名称で区分される
領域で作られたものではない。 「人」
が作っている。 今年はそれを身にし
みて思った。
この間ちょっと用事があって放課後
のシアターを覗いた。 なんとなく皆がいる
気がしていたのか、 がらんとしているシア
ターを見てちょっとショックを受けた。 誰
もいない ・ ・ ・ そっか、 ああやって毎
日のように皆と一緒にいられたのも当たり
前じゃなかったんだ。
なかなか無いこと、 つまり 「有る」 のが
「難しい」こと。 それは「有り難い」ことだっ
たんだ。 って、 私は空っぽのシアターを
覗いて思った。
オーケストラ、 スタッフ、 バックステージ・
クルー、 キャスト、 ポスター制作、 プログ
ラム制作、 チケット制作、 字幕制作 ・ 操
作、 大道具製作、 小道具製作、 舞台メー
ク、 衣装、 ライト、 サウンド、 撮影、 広報。
そして、 さまざまな形でのサポート。 たく
さんしんどかったし、 いろんな犠牲もあっ
ただろうし、 時間も努力もいっぱいつぎ
込んだね。 お疲れ様でした。 でも私は
断言できます。 それぞれ一人ひとりの静
かな努力は、 全てが終わった今、 何も
残っていないかのように見えるかもしれな
いけど、 かけがえのない糧になるはずだ
ということを。 あと、 もう一つ。 こんなにあ
りふれた言葉はないと思うけど、 他に言
葉にしようがないからいいます。 ありがと
う。 楽しかったぁ。
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国際協力を身近なところから
<サマーキャンプ 2007 >職業体験プログラム報告 (第4回)
JICA 大阪国際センター
星野友花
高等部1年
私は、 8月 22 日から 24 日の3日間、
JICA 大阪国際センター (独立行政法人
国際協力機構大阪) へ研修に行って
きました。
一日目、 私は緊張しながらも館内に入
りました。その瞬間、珍しい光景を目にし、
耳にしました。 聞こえてきた会話が分か
らないのです!日本語?英語?いや、
どっちでもありません。 どこの言葉か分
からない言葉で、 きれいな民族衣装を着
た人が喋っているのです。 そう、 ここは
「JICA 大阪国際センター」、 いろいろな
国の人々がこの建物に集まっているので
す。 まず、この JICA というのは何なのか。
簡単に言うと、 ここは、 開発途上国の発
展を支援しているところです。 開発途上
国からの研修員が日本の知恵や技術を
学ぶために日本へ来日、 その研修員た
ちを快く日本へ迎え、 困難なく日本で生
活できるように援助するところです。 その
日本へ研修にきた研修員たちは、 ここ
JICA の宿泊施設に泊まります。もちろん、
ここへ来る人たちは、 全員いろいろな国
から来ているので、 信じている宗教や、
生活スタイルも全く違います。 そんな人
たちがここで戸惑わず、 快適に過ごせる
ように、 JICA には、 いろいろな工夫が
施されています。 例えば食堂には、 宗
教上、 食べられない食品がある人たちの
ためのメニューがあり、 館内には、 イスラ
ム教を信じる研修員のためのお祈り部屋
や、研修員が健康の相談をできるクリニッ
クルームなどもちゃんと用意されていま
す。 ここに研修に来る人たちは、 ブラジ
ル、 中国、 ベトナム、 コロンビア、 カン
ボジア、 タイ、 など、 みんな開発途上国
からの人ばかりで、 それぞれの国で選ば
れて日本へ研修に来ているため、 英語
が第一言語でない人がほとんどです。 そ
のため、 あの私が最初に見たような光景
が、 ごく普通に館内で見ることができる、
本当に International な施設です。
そして、 ここに来て初めての私の仕事
は、 次の日に行われる 「研修員と日本
の公立中学の生徒との交流会」 のことを、
研修員の人たちにアナウンスすると言うも
ので、 これは研修員の人たちと初めて関
わった機会でもありました。 研修員たち
の前で、 もちろん英語で、 日時、 場所、
持ち物などをアナウンスしました。 研修
が始まったばかりで、 緊張しながら前に
立っている私を、 まだ日本に来て間もな
い、 私よりも緊張しているはずの研修員
の人たちが、 にっこり微笑みながら聞い
てくれて、 とても心が温かくなりました。
その後、 その研修員の人たちが泊まっ
ている宿泊施設の、 JICA のフロントでの
体験もさせてもらいました。 私は以前か
ら、 ホテルのフロントでの仕事に憧れて
いたので、 これもとてもいい経験になりま
した。
そして二日目、 この日は、 寝屋川市立
第8中学校の3年生が、 国際理解の授
業の一環として、 JICA に訪問するという
ことだったので、 一日ほとんど生徒たちと
一緒に行動しました。 まず初めに、 その
生徒たちと一緒に、 JICA の事業概要の
説明などを受け、 午後からは、 青年海
外協力隊員として、 グアテマラで実際に
国際協力に携わった小森さんという方の
体験談を、 生徒たちと一緒に聞きました。
このお話は、 グアテマラの国の説明、 現
地での感染症、 実際に小森さんが行っ
たボランティアなど、 とても内容の濃いも
ので、 とてもためになるお話でした。
そ の 次 に、 生 徒 た ち と、 今 実 際 に
JICA 大阪に来ている研修員たちとの交
流を見ました。 生徒は4人グループに分
かれ、 それぞれのグループに、 研修員
を招いて交流を楽しんでいました。 この
光景は、 いつか見たことがあるような・・・。
そう、 私がちょうど彼らと同じ、 中学3年
の夏、 オーストラリアで同じことを体験し
たのです。 こまや折り紙、 いろんな日本
独特のものを持ってきて説明している生
徒たちの姿は、 まさに当時の私たちその
ものでした。 私はこの光景を見ながら、
オーストラリアの生徒たちに、 一生懸命
こまの回し方を教えたのを思い出し、 何
か懐かしさを感じました。 この学校の生
徒たちは SIS に通っている私たちに比べ
ると、 英語を使って日本語が分からない
人々と話す機会も少ないため、 慣れない
英語での会話に悪戦苦闘しながらも、 身
振り手振りで一生懸命研修員と話し、 楽
しそうに会話を楽しんでいました。 こうし
て言葉がうまく通じなくても、 皆で笑い
合っているグループを見ると、 「国際協
力ってこういうところからも、 もう始まって
いるのかなあ。」 と、 何か心に深く響くも
のがありました。 本当に人は、 友達にな
るのに言語の違いなんて関係ないので
すね。
そして最終日の3日目、 この日の午前
中は、 ほとんどパソコンに向かい、 昨日
の中学生の JICA 訪問のホームページ記
事を作成していました。 こういうパソコン
での文書作成などは、 SIS のいろんな授
業の中で扱かわれてきたので、 苦労す
ることなく記事を作ることができました。
そしてこの3日間の最後に、 研修員た
ちの日本語の授業に参加させてもらいま
した。 ここに来る研修員たちは、 日本に
技術を学びに来るため、 必要最低限の
日本語が必要になってきます。 そのため
研修員の人たちは、 ここで一生懸命日
本語や日本のマナーなどを勉強します。
そこの教室にいた人たちは、 みんなそれ
ぞれ遠い途上国から来ている人たちで、
様々な国の人たちが、 一つの教室で日
本語を学んでいる光景は、 とても印象的
でした。
この職場体験期間の3日間はあっという
間に過ぎ、 この3日間 JICA 大阪で、 こ
こに書いたほかにも、 いろんな仕事を体
験できたことを、 とても光栄に思います。
私が今思っている以上に、 この職業体
験から得たものはたくさんあると思いま
す。 私がここで、 体験したことや、 学ん
だこと、 吸収したものは、 もうここには書
ききれません。 大阪の、 SIS からも近い
この施設で、 こんなにも本格的に国際交
流ができて、 本当によかったです。 JICA
に研修に行って、 「国際協力」 という言
(次ページ★に続く)
I N T E R C U L T U R E M A R C H
異動のお知らせ
<退任>
岡本茉莉
国語科
私がSISに来たのは、 今から3年前の
ことです。 SISは何もかもがユニークで、
しかも担任を持つのも初めてだったので、
最初は戸惑いの連続でした。 (現 11 年
生にはきっと迷惑もたくさんかけたことと
思います…!) その頃は、 新人で頼り
ない自分に何ができるのだろうと、 実は
毎日けっこう落ち込んでいました。 でも、
そんな時にいつも思い出すようにしてい
たのが、 私がSISに来る前に勤めていた
学校の、 先輩教員がかけてくれた言葉
です。
「大丈夫。 どれだけ経験や知識があって
も、 新人の一生懸命さにはかなわないん
だから。」
教員としての経験も知識もほとんどな
かった私は、 この言葉に本当に励まされ
ました。 そして、 「一生懸命さだけが自
分の武器だ!」 と思って毎日みなさんと
接してきたつもりです。 その結果、 どれ
くらいのことができたのかはわかりません
が、 とにかく 「嬉しい」 や 「悔しい」 な
どの感情が詰まった思い出がたくさんで
きました。 きっと、 一生懸命にやってい
なければこれだけたくさんの感情や思い
出とは出会えなかったと思います。 (でも
正直に言うと、 環境に慣れるにつれて、
もう既に3年前の自分の 「一生懸命さ」
は失いつつある気がして、 ちょっと反省
しています。) 長い人生、 難しいことやし
んどいことがいっぱいありますが、 とにか
く一生懸命にやっていれば意外と後悔せ
ずに済むのかもしれません。 また4月か
ら、 私にとって新たな生活が始まります
が、 そこでも精一杯頑張ろうと思います。
みなさんも中学生、 高校生としての貴重
な時間を、 後悔の無いように過ごしてく
ださいね。 そして、 ずっと今のように明る
く、 元気で! 3年間、 本当にありがとう
ございました。
木下宣子
図書館
この春、 図書館を退職することになりま
した。 学園開校以来 16 年間もの長い間
お仕事を無事続けてこられたのは偏に教
職員の方々、 スタッフの皆様方の暖か
いご支援のお陰と心より感謝申し上げま
す。 開校当初、 図書館は生徒さんも少
なく静かで隙間だらけの本棚が目立って
いました。 現在では棚に入り切れない程
の本で埋まり、 館内も多くの生徒で溢れ
かえり活気のある場所となりました。 この
何年もの間には震災もありました。 図書
館のすべての本が棚から落ちこの惨状を
目にした時には大変ショックを受けたこと
をいまだに鮮明に記憶しています。 この
様な日々の移り変わり、 出来事等など経
験し、 体験出来た事は楽しくまた素晴ら
しい思い出となる事と思います。 時の流
れの早さを実感いたしました。 皆々様に
は本当にお世話になりありがとうございま
した。
長谷川輝義
数学科
昼間の温かい風が春の訪れを告げる
この頃で満開の桜を待ち遠しく思います
が、 同時に去年である花冷えの4月が懐
かしくも思えてきました。 本当に一年とい
うものは長いようで短く不思議な時間だと
つくづく思います。
来年度は8年生になる今の7年生と一
緒に僕はこの学校へきましたが、
良くも悪くも何があっただろうと思い出し
ても即座に勢いよく飛び出すものはない
のです。 しかし、 おそらくこれから続くで
あろう長い人生の中で、 昨日のことのよ
うに言葉や顔や声を思い起こす瞬間があ
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るだろうと思います。 それらはきっと生徒
の何気ない、 思春期らしいつぶやきで
あったり、 問題に悩み真剣に考える顔で
あったり、 手を振って挨拶をしてくれる てる○るーであったりだとかだろうか、 と
予想しています。
もう思い出してるやんという突っ込みは
千里国際学園の紳士な笑顔で流しても
らえるとは思いますが。 今一ついえること
は、 日々の中でみんなのちょっとした変
化を発見する楽しみがあったということで
す。 ある日気がつくと優しさを覚えて少し
大人びたり。 ケンカして仲直りしていたり。
それらをみると、 数年後みんなはどう変
わってるのかなと少し想像してしまいま
す。 みんな、 よい経験をたくさんしてカッ
コイイお兄さんお姉さんになってくださ
い。
最後になりましたが、 隠しても強い光を
放ち輝きが漏れでるというわけでもないに
も拘らず、 何かと隠し勝ちな自分に優し
く接していただいた学園の方々には本当
に 感謝しております。他にも自分が
見えていないだけでお世話になった
方々も いらっしゃると思います。 この場
を借りてお礼を言わせてもらいます。
みなさん本当に一年間ありがとうございま
した。
<新任>
望月奈津子
図書館
は じ め ま し て、
2月から図書館
のスタッフになり
ました望月奈津
子です。 前職で
は、 こどもたちとおもちゃ作りなどのワー
クショップの運営、 学校行事の撮影や編
集などを行っていました。 みなさんが図
書館で本と出合い、 豊かに学ぶ時間が
過ごせるようがんばりますので、 どうぞよ
ろしくお願いします。
(★前ページの続き)
葉の意味が、 より一層理解でき、 より身
近なものとなった気がします。 この研修
を支えてくださった、 SIS の先生方、 そし
て、 JICA 大阪で受け入れを担当してく
ださった佐久間さんを始め、 様々なとこ
ろでお世話になった職員の方々、 本当
にありがとうございました。 この研修を通
じて学んだことを、 これからいろんなとこ
ろで活かしていきたいと思います。 この
研修は、 私にとって忘れられない、 貴重
な経験となりました。
<担当者から>
星野さんのレポートは、 字数の関係で
短くしています。 詳細にご関心のある方
は、 JICA のホームページに2回シリーズ
で掲載されていますので、 どうぞご覧に
なってください。
(職業体験プログラム担当 水口 香)
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定年を迎えるということ
斉藤 数
理科
最近は驚くと
いうことが少なく
なってきたので
すが、 先日は、
全く驚いてしま
い ま し た。 1 月
23 日 の 朝 の こ
と。 いつもの朝
礼に出席するた
めラウンジに入
ると、 赤い服を
着ている人が三々五々。 最初のうちは、
なにかの一致かな?と思いましたが、 し
ばらくしていると、 だんだん多くなってき
ました。 先生方に聞いても、 知らん振り
の与太郎でそっけない態度。 まあ、 それ
ならそれでも好ろし、 と思いつつ、 もし
かしたら ・ ・ ・ と、 うれしい期待が頭をよ
ぎりました。 しかし、 皆、 私の誕生日を
知っているはずも無く、 ましてや私が還
暦を迎えるなどという事は、 まず知らない
でしょう。 そして、 いつものように朝礼が
始まりました。 すると…福島先生から 「今
日は斎藤先生の誕生日で、 還暦を迎え
られました。」とのアナウンス。「オオーッ」、
と驚く間もなくハッピー、バースデー、ツー
ユーという歌が聞こえてきました。 まわり
からの暖かい視線をあびながら、 こんな
すばらしい、 みんなから祝福される還暦
を迎えることができ本当に幸せだなと思
いました。 気がつくと私も、 自分にハッ
ピー ・ バースデーを歌っていました。 続
いて、 「赤いちゃんちゃんこ ・ セーター」
贈呈式があり、 なんとほとんどの人が、
いつの間にか赤い服を着ているのです。
私も赤セーターに包まれて、 記念写真。
一日の最初に、 こんなすばらしい会を
持ってくださり本当にありがとうございまし
た。 その日一日は、 授業で、 廊下で何
人もの生徒から祝福をいただき、 ホットな
一日となりました。 (皆さんありがとう)
本 校 で は、 60 歳 定 年 な の で、 今 年
度を以って私も定年となります。 幸い非
常勤という形で定年後も教壇に立てるの
で、後数年は、足腰に活を入れて (まだ、
本 人 は 40 歳 台 の つ も り で す の で、 あ
と 60 年は当たり前のように生きますが)、
10
教壇に立つことにしました。
さて、 定年後の人生どのように過ごそう
か、 と考えることがあります。 いつも思い
目指していることは、 永遠少年 ・ 永遠青
年です。どのようにしたら少年のような「好
奇心に満ちた感動の多い」 人生を送れ
るのか。 どのようにしたら、 青年のような
「ファイト満々すぐ行動」 の人生を送れる
のか、 ということです。
そして、 いつも行き着く答えは、 「いつ
もやってることを、 すれば良い」 という単
純なことです。 これを健康に続けることが
(オッといけない、 60 歳を過ぎてからの
「健康に」 は老語でした) 秘訣かなと思
います。 前提として、 1 週間の半分以上
は社会人として楽しく働けるような忙の時
間を作るということ。 忙があるから閑が待
ち遠しく、 有効に使えるのです。 この前
提条件のもので、 私の 「いつもやってる
こと」 のいくつかをあげてみると、
①自然の美しさ ・ 有難さを毎日楽しむ
ということ。 たとえば、 春の日は、 そよ風
が柳の若枝を気持ちよく踊らせているの
を見ると、 自然と下手な自作の詩の出だ
しが頭の中で次々と顔を出します。夏は、
かんかん照りの中、 被写体を求めてカメ
ラを手に歩き回り、 木陰に座れば、 もう
そここそが天国、 この上ない気持ちよい
風が汗を取ってくれ、 ハワイアン ・ ソン
グが次から次へと口から出てきてしまいま
す。 冬の雪間に春の草を見れば、 「もう
お前、 芽を出したんか」 と、 思わず葉っ
ぱを撫でて、 何度も飽きずにシャッター
を切り続けます。 自然は感動の宝庫で
す。
②私は中ぐらいの凝り性で、 満足する
までずっと物事にこだわってしまいます。
趣味は沢山あるのですが、 みんな中ぐら
いの懲りようです。 カメラはデジカメを含
めるともう3~ 400 台以上は買い使ってき
ました。 腕時計に懲り、 何十台買ったこ
とか。 オーディオに凝り、 何十年機器の
買い替えを続けていることか。 新しいも
のを手にするたびにそのすばらしい仕上
がり ・ 個性 ・ デザイン ・ 音に感動してし
まいます。 私は、 京都呉服屋のボンボ
ンではないので、 お金を使わずにいか
にしてこれらを手に入れるか、 ここんとこ
ろにこだわるのも、 こだわりの一部です。
こんなことを繰り返すのが、 楽しいので
す。
③人とは、 これからも自然 〈ここが大
切〉 に笑顔ではつらつと接していきたい
と思っています。
④最後に、 肝腎なこと。 それは悩みの
解決法です。 いかに早く悩み事を 「解
決するが勝ち」 で、 その前に悩み事を
作らないようにするには、 どうしたらよい
かということ。 これは、 幸いなことに、 私
は頭の構造が単純で、 あまり深く考えな
いたちのようで、 その浅はかさに助けら
れて、 今までたいした悩みも無く凡々と
歩いてきました。
多分、これからも、単純なぺらぺら人生、
風に吹かれながら無銭で世界一周をし
てしまう紙ヒコーキのような 「好奇心に満
ちた感動の多い少年」 「ファイト満々す
ぐ行動の青年」 を目指して凡歩を続けて
いくことでしょう。
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JAFS ネパールワークキャンプに参加して
松浦拓也
中等部3年
日本を出発して 17 時間後、 飛行機を
降りて荷物を取り、 ゲートを抜けるとそこ
は日本とは違う、 ネパールという空間が
僕を取りまいた。 僕は期待と新たな出会
いに心がはずんでいた。 もちろん不安
もあったのだが、 そこは何とかなるだろ
うという僕のあの明るさで乗り切った。 澄
んだ空気、 青々とした空…そう。 ここは
ネパール時間がゆっくりと流れているの
だった。
今 回、 12 月 21 日 ~ 1 月 4 日 ま で 僕
は NPO 法人のアジア協会アジア友の会
(JAFS) というボランティア団体のワーク
キャンプに参加させて頂いた。 参加した
きっかけは何気なく JAFS 事務所の前に
置いてあったチラシである。「ああ、ネパー
ルという国はどんなところだろう?」 といっ
た単純な興味から参加したのかも知れな
い。 事前ミーティングを何度か行い、ワー
クの内容の話を聞く度、 僕はワクワクして
いた。 空港を出ると、 現地スタッフの方々が優
しく出迎えてくださった。 そしてカトマン
ズのあちこちに連れて行ってくださった。
街はレンガ造りの建物が連なっていい雰
囲気を出している。 ネパールの町並みと
人々は僕に 「生きると言うことはこういう
事だ」 と伝えているようだった。 オーラが
違う。 何もかもが新鮮だった。 共同の水
溜場で洗濯をする人、 路上で野菜を売
る人、 大きな荷物を自転車で運ぶ人・・・
みんな毎日を一生懸命生きている。 その
力が僕は魅力的に感じた。 そして僕はこ
の地でもっと多くのことを学びたいと思う
ようになった。 果たして僕は学んだのか
と聞かれたら学んだ!って答えるだろう。
多分 ・ ・ ・ 。
3日目のクリスマスイヴにピトゥリという村
に移動。 そこはインドとの国境に割と近
かった。 もちろん初めて訪れる村なので
それなりの緊張はしてたつもりである。 窮
屈なバスに6時間揺られて、 そして気が
つけば到着していた。 現地の “スリー
シャンティ小学校” の子ども達が出迎え
てくれた。 その学校は JAFS やその他の
会社の寄付によって建った学校だという。
子ども達の笑顔と元気な姿が何より僕は
好きだった。 いつか
インドで見た子どもた
ちもこんな風だった
かなぁ?と考えながら
僕は5日間お世話に
なるスリーシャンティ
小学校に物資を運ん
だ。 ピトゥリ村の自然
を見て、 僕はやっと、
ワークの目的を再認
識した気がした。 そし
て僕は日本でずっと
思っていた、 「バイオ
ガスを作って、 この村の人のために役に
立ちたい!」 という夢を今この手で実現
させようとしていた。 そもそもバイオガス
というのは、 牛の糞を醗酵させ、 ガスを
発生させてそれをコンロのガスに使用す
るというエコ&ローコストという画期的なシ
ステムの事であり、 開発途上国では普及
されてきているという。 それには醗酵させ
るためのドーム状の建物とパイプラインを
作らないといけない。 バイオガスの知識
など皆無だった僕。 「どうにかなるさ!」
なんて思っていた。
早速翌日バイオガスワーク作業開始。
現地のスタッフさんと共同でバイオガスの
建設に励んだ。 セメントをこね続け、 運
び続けた年末…。 しんどかったが、 や
りがいを感じていた。 しかし、 途中、 現
地スタッフさんの人達が効率よく働いて
いるのを見て、 「僕は足手まといじゃない
か?」 と思った。 しかしそれは違ったん
だと後で気づいた。 バイオガスワークを
僕がこの手で実際にやる目的…それは
帰国後、 1人でも多くの人に僕の経験を
伝えて知って貰うことだと。 もちろんそれ
は簡単なことではないと言うことも。
僕はボランティアで尽くすために来たの
だが、 僕の場合は逆に多くのことを学ば
せて貰っていたのだ。 「バイオガスの作
業工程」 「村の家庭の様子」 「現地の学
校の教育現場」 等、 普段日本にいたら
絶対に学ぶことのない事を学ばせて貰っ
ていたのだ。 だから僕が大人になっても
この経験は忘れてはいけないと思った。
3㎞離れたピトゥリ小学校に絵の授業を
しに訪れた。 「赤と青を混ぜたら紫にな
る」 といった内容をみんなに伝えた。 現
地の子ども達は絵の具を使う機会が全く
なく、 最初は慣れない手つきで色を塗っ
ていたが次第にみんな綺麗な色に仕上
がる事が出来た!しかし僕のジーンズは
色だらけ ・ ・ ・ 。
7日目に子どもたちに喜んで貰うために
運動会を行った。 この日多くの子どもた
ちが一同に集まってまずは環境プレゼン
テーションが行われた。 現地の子どもた
ちに 「プラスチックのゴミは燃えない」 と
言うことを知って貰うのが狙いだった。 現
地の人は果物の皮、 野菜の皮同様、 プ
ラスチックも土に埋めたら返ると思ってい
る人が多い為、 ワーカー全員で対策を
考えて出された結果が環境の紙芝居風
プレゼンだった。 前日に熱を出してプレ
ゼン内容を全く決められなかったことは
後悔しているが、 僕が 「プラスチックは
土に返らないんだよ」 という事を伝える
と、 全員が納得してくれた。 午後からは
JAFS 主催の子ども達と交流するための
大運動会が行われた!!縄跳びの回数
に一喜一憂し、 かけっこで先生が子ども
たちに負けじと大人げなく走る姿が印象
に残りながらも無事終了し、 その日の夜
は大合唱していた。 という間にあっとい
うまの5日間のワーク生活が過ぎていっ
た。 僕が過ごした5日間はとても内容の
濃い物だったと思う。 僕はこの村で多く
の汗と笑いと少々の涙を見た。 そしてそ
れらは僕の心のフィルムに深く焼き付い
ていることであろう。 子ども達は最後に
僕たちに大きく手を振ってくれた。
僕が行った、 子どもたちや村の人々の
笑顔が輝くピトゥリ村と言うところは昔、 ネ
(次ページ★に続く)
11
I N T E R C U L T U R E M A R C H
<卒業生からの手紙>
2 0 0 8
N o . 1 1 6
「2番目を選ぶ」 ということ
本多 真
1998 年 (第 5 期) 卒業生、 龍谷大学人間
ORC 博士研究員 (P.D.)
SIS での成績は、どん底級でした。毎日、
課外活動 (バスケ&バレー&野球) に
明け暮れていた日々の楽しみは放課後
であって、 授業時間は苦痛でした。 授
業から背を向けることもあったように思い
ます。
高校2年のある時、 数学の先生から電
話がかかってきました。
「ホンダ、 あと一回休んだら単位取られ
へんぞ。」
先生のこのありがたいご一報により、 そ
の後の数学の授業にはすべて出席。 見
事 「D」 を取得し、 単位を落とさずにす
みました。
そんな僕も、 高校3年生になる頃にこと
の深刻さに気づきました。 そこで1年間
は、 脱マンガ、 テレビ、 音楽の生活でし
た。 今でもその癖がなかなかぬけずにい
ます。
大学に入ると、 妙な違和感がありまし
た。 とても居心地が悪いのです。 やたら
と干渉されているような閉塞感がありまし
た。 授業に出ると友人から、 「ノートとっ
といて」 「授業は後列で聞いたらええや
ん」 と言われ、 なんともいえない感覚を
覚えました。 最初は、 「僕は、 SIS で日
本的な規律や秩序を教えられてこなかっ
たからだろう」 と自分に言い聞かせてい
ましたが、 僕の関心はそのうち、 社会の
システムやそれに順応する国民性や人
間心理、 言語活動にまで及ぶようになり
ました。 ほとんどの友人はそうした 「あた
りまえの日常」 を関心の対象とすること
は、 蛇足だと感じていたようです。 その
ため、 僕の考え方は、 他の人には受け
入れられませんでした。 そんな中で、 僕
は淡々と自分の関心を紐解く作業をつづ
けていました。
そんなある日、 SIS の同窓会がありまし
た。
僕は、 東京でテレビやネット関係で活
躍する同窓生と、 グローバル化する日本
社会の行く末について熱弁を交わしてい
ました。 そしてふと思い出しました。
「あっ、 この感覚!」
その時、 僕たちが話していたのは、 日
本社会の閉塞性とそこにいかに追随せ
ずして対峙するかということについてでし
た。 ふつうこういう話を大学の同窓生とす
ると、 その後の進路などへの気遣いや、
遠慮があったりして、 議論の結果、 後味
はすっきりしないのですが、 僕たちの中
ではそれがありませんでした。 それは、
どこか固定化されていない、 しかしなが
ら一貫性のある感覚が僕たちには共有さ
れているからでした。
中学の時、 SIS のアッセンブリーで、 あ
る先生が次のように言われたのをおぼえ
ています。
「私は、 人生でいつも2番目を選択して
きました」
ふつうはそんな事はしません。 1番を選
択します。 しかし先生は、 必ずしも1番
だけが優れているのではないと疑問を投
げかけたのでした。
知識社会学者のバーガーという人は、
「選択は捨てることだ」 と言いました。 現
在の社会には、 さまざまな選択肢があ
る一方で、 人間は 「捨てる」 という行為
を無数にしていかなければならないので
す。 「捨てる」 ことは、たびたび 「あの時、
ああしておけばよかった」 という後悔を置
き去りにします。 そうした後悔をしないた
めには、 2つの方法があります。 1つ目
は、隣の人と同じ道を歩むこと。2つ目は、
主体性をもって 「捨てる (選ぶ)」 という
ことです。 1つ目はおわかりのように、 僕
が大学で体験した違和感です。 2つ目
の方法は、 先述した 「2番目の選択」 と
同じ、 とても強い感覚が漂っています。
しかもそれは、 非常にひらけた道です。
なぜなら、 後悔による裏づけがないだけ
ではなく、 何かに向かおうとする意識が
そこにはあるからです。
硬くありながらも柔らかく、 柔らかくあり
ながらも硬い、 こうした主体性を育むこと
のできる学校はそう多くありません。 SIS
で僕が学んだのは、 そうした 「感覚」 で
あったのかもしれません。 ですから、 在
学生のみなさまにアドバイスできるのは、
「SIS に通うときっといいから」 ということに
きわまるのです。
た。 僕の目標は一つ達成された。 その
後、 僕は宿題のこともすっかり忘れてい
た。 そして後々その恐怖に怯えることも
知らずに。 ピトゥリを出てからバスに乗り
ポカラという街を目指した。 1月1日、 早
朝に起こされ不機嫌になっていた僕は日
の出と共に赤く染まったヒマラヤ山脈を見
た。 携帯カメラで撮ろうとしたら電池切れ
でブルーになっていた。 そうこう言ってい
る間に遂に最終日。 2週間のネパール
ワークキャンプに終止符を打つように僕
たちは現地スタッフの方々、 ネパールに
残るメンバーとお別れし、 飛行機のタラッ
プに登った。 「いつかまた帰ってくるぞ」
と誓って。 そして今日も学校で、 友達と
語り合う何気ないがかなり楽しい学校生
活を送っている。 あのネパールでの日々
は何だったんだろう?と学校に通ってい
て感じる。 ギャップが凄く感じられる。 特
にSISでの生活は恵まれているんだと言
うことに。 また、 人の役に立てるという幸
せを感じた。 僕はまた現地のスタッフ、
ピトゥリ村の人々、 あの美しいヒマラヤ山
脈に再会できることを信じて、 少しずつ
ではあるが、 一歩、 また一歩と、 人生を
(★前ページの続き)
パールの村の中でも NPO 法人の団体
に支援されずに置いてきぼりにされてい
た村だったという。 しかし今、 JAFS を初
めとする幾つかの団体の支援があってこ
うやって学校が建っている。 子ども達が
学校に行けるようになったし、 バイオガス
システムのある家庭が増えつつある。 そ
してこの村には徐々に活気を取り戻しつ
つある。 そうやって変わっていきつつあ
る村へ訪問できたことはとても僕にとって
プラスになるものだった。 僕が出来ること
は何だろう?それは1人でも多くの人に
この事を知って欲しくてこの記事を書い
12
歩み続けていった。
I N T E R C U L T U R E M A R C H
<卒業生からの手紙> 2 0 0 8
N o . 1 1 6
おかまちゃんと出会った~
村井仁美
2005 年 (第 12 期) 卒業生、 タイ留学中
「ひとみーこの子おかまだよー」
「そうよ~よろしく♪あ、 てか先生来た !
授業はじまるね」
(またおかまちゃんか…。 この男の子タ
イプだったのに。。。)
そうやって私のタイ ・ 北部のチェンマイ
の留学生活は今日も始まります。
私は3年前に卒業した村井仁美です。
チェンマイは今とっても暑いです。 えー
なぜチェンマイへ留学か。 それは 12 年
間住んでタイ語が立派に使いこなせてな
い、 だからタイ語を上達する為というのも
あります。 タイの教育に興味があるのも
そうです。 幼いころに見た自分と同じ年
で学校に行けない子供。 教育機関がど
うなっているのか、 を知りたいからです。
留学先は 12 年住んでいたバンコクで
はなく、 北部のチェンマイです。 「タイで
あることにかわりはないし勉強をがんばろ
う!」 と思いました。 SIS のほとんどはヨー
ロッパやアメリカへ留学して、 「えぇの~。
うらやましい。」 とは思いましたが、 発展
途上国へ留学してインターカルチャーへ
報告するって…逆に皆様からしたら読む
のもおもしろいんじゃないかと思って馬場
先生にこの文章を送るにいたります。
他のアジアはどうかわかりませんが、
チェンマイは何でもありです。 バイクはも
ちろんヘルメットなしの3人、 4人乗りを見
かけ、 また大型犬のゴールデン1匹と人
間2人の3人 (匹?) 乗りのバイク。 タク
シーを乗っていたのにもかかわらず私は
追い越されました。 (気持ちよさそうなあ
のゴールデンの顔。 今でも忘れられませ
ん)
ここで少しチェンマイの人から日本人
へのイメージを述べさせてもらいますね。
日本人はお金持ち、 と見られています。
それが良いことなのか悪いことなのかわ
かりませんが、 屋台で買い物をしていて
日本人 (タイ人ではない) とばれると値
段を高く言ってきます。 だから私は日々
タイ人のふりをして買い物しています。
日本人は 「ケチ」 とも見られます。 これ
はチップを上げる習慣のない日本人に
とっては難しいかもしれません。 そして
「ファラン (西洋人) に対する態度と違う
ね、 東南アジアの人に対してはえら
そうな態度をとる観光客が多いよ」 と
言うタイ人もいました。 それを聞いて
心が痛みました。 しかし 「でしゃばっ
てなく、 優しくて礼儀が正しい」 とい
うイメージももたれています。 SIS では
考えられませんね。 どの国も色々な
人がいて色々な性格があるという考え
方があるのに対し、 ここチェンマイで
は○○人=○○な性格」 という概念
がまだ強いです。
学校へは特別に、 外国人専用のタイ
語の授業ではなく現地人と同じ授業を受
けています。 毎日飛び交うチェンマイ弁、
おかまちゃんはどこのクラスにも最低3人
はいて、 それを当たり前のように迎え入
れているクラスの人。 テストのレポートは
黒ボールペンではなく青ボールペンであ
ること (黒色は不吉だからです) など全
てにおいてチェンマイの文化、 習慣の渦
に巻き込まれています。
信じられない話もします。 私は留学セ
ンターのスタッフの手続き違いにより不法
滞在になりました。 3ヶ月以上の不法滞
在者です。 罰金を今すぐ払うか刑務所
に入るか言い渡され、 悩んだ挙句罰金
2万バーツ (約6万円) を払うことになり
ました。 (領事館の人に「悩むな!」とツッ
コミを食らいましたが) ここで私とスタッフ
との大喧嘩になりました、 そして結局は4
分の1を払ってくれました。 ( 2万バーツ
はスタッフの給料の3,4か月分、 というこ
とを知っていたので妥協した、 ということ
になりますが )
まぁこれは良しとして入国管理事務所
へ突入したところ新たなる敵が現れれた
のです。 そう、 国家公務員であるタイ人
ス タ ッ フ が 私 に 「 一 日 500 バ ー ツ、 あ
なたは 72 日間のオーバーステイなので
3万6千バーツ (約11万円弱) ですわ
よ。」 と言われました。 これでだまされる
ニッポンジンは大勢います。 40 日以内
だと 500 バーツ×日にち、 と換算されま
すが 40 日以上を過ぎると2万バーツと決
まっています。 私は国家公務員に対し
て 「それは違う!!」 と (笑) 真っ向か
ら否定しました。 「あ、 こいつタイ語が話
せるわ、 しかも2万バーツって知ってるの
ね」 と気づいた公務員はしばらくしてか
ら 「あ、 そう。」 と言って2万バーツに変
更しました。 スタッフと言い公務員といい
ミスをしたら (いくら言い訳をしてもいい
ので、 せめて) 一言ぐらい謝ってほしい
ものです!
私は留学中に何度も 「やっぱり留学生
専用の授業を受けるべきだったのかな」
と悩みました。 この大学で初の 「現地の
人と授業しか受けない留学生」 というこ
ともあり、 先生は留学生にタイ語を教え
ているわけではないからです。 だまーっ
て聞くだけの授業もあり、 他の留学生同
士のやりとりを見てうらやましくも思いまし
た。
ただ、 初めての取り組みに壁はあって
当たり前、 「私じゃなきゃこれはできない
はず」 と思ってタイ人と、 自分と接してい
ます。
留学中に在チェンマイの日本国領事館
へ半年間お仕事を手伝わせてもらいまし
た。 (ちゃんと労働許可証はあります) そ
こで夢にまで見たタイの教育機関の仕事
を手伝わせてもらいました。 内容は詳し
くはお伝えできませんが私にとって更に
考え方が広がった経験となりました。 そし
てもっともっとタイの子供たちを助けられ
たら!と思うようになり、 タイ語検定の2級
合格とポーホックの合格を目指してがん
ばります。
来週には期末テストがあり、 それが終
わったらお別れの時間です。 (インター
カルチャーが出ているころでしょうか?)
よくクラスへ行ってもオカマちゃんが 「ひ
とみ~日本帰ったら私の彼氏探しといて
ね、 かっこいいのをよ!うふw」 なんて
頼んできます。 わはは。
これをお読みになられている皆様!
(あ、 男性ねw) ぜひ候補になってみて
はいかがでしょうか ?????????? ~!!
13
I N T E R C U L T U R E M A R C H
学年だより
●中等部1年生 (7年生)
何気ない出会いを大切に
岡本茉莉
3組担任、 国語科
みなさんがSISに入学してきてから、 もう
一年がたとうとしています。 入学当初は緊
張で硬くなっていたのに、 今ではいつも
楽しそうに笑い転げているみなさんを、「元
気だなぁ、 楽しそうだなぁ」 とほほえまし
い気持ちで見ています。
しかし、 今回はそんなみなさんに、 あえ
て厳しい現実の話をします。
今みなさんが仲良くしている友達との関
係は、 もしかしたら10年後には続いてい
ないかもれません。 その頃にはそれぞれ
が日本中、 いや世界中にバラバラになっ
2 0 0 8
N o . 1 1 6
して、 そうやってずっと関係を続けられる
友人を作ることができるかどうかは、 今、
あなたが周りの友達とどう接しているかに
かかっていると思うのです。
放課後に、自分の用事が終わるまで待っ
ていてくれる友達。 いつも自分を笑わせ
てくれる友達。 自分のお勧めの本を貸し
てくれる友達。 これらの友達は、 決して当
たり前のように永遠にあなたのそばにいて
くれるわけではありません。 今当たり前の
ように思っていることは全て、 10年後には
きっと “思い出” になってしまうのです。
そう考えると、 今友達といるこの瞬間がと
ても貴重なものに思えてきませんか。
今、 ついつい友達にきつい言葉を使っ
ていないか、 雑な態度を取っていないか、
考えてみてください。 四月には、 みなさ
んにもクラス替えがあります。 きっと、 今
の友人関係も少しずつ変わっていくことで
しょう。 でも、 いつか 「もっとこうしておけ
ば良かった」 と思わずにすむように、 大
切な人には今、 その気持ちを伝えておき
ましょう。 「とりあえず楽しい」 というだけで
は、 その関係はきっと続きません。 では
どのように接していけばいいのでしょうね。
さまざまな偶然が重なって出会えた友達
です。 よく考えて、 一つ一つの何気ない
出会いを大切にしてください。
余談ですが、 1年半前にSISのオースト
ラリアホームステイの引率で空港に行った
時、 搭乗手続きをするカウンターに見覚
えのある顔を見つけました。 あの 「5人組」
の中の一人の友人が、 空港で働いていた
のです。 思わず駆け寄って声をかけまし
た。 ほんの一瞬の再会でしたが、楽しかっ
たあの頃の思い出が一挙によみがえって
きました。 友達はいいものです。 どうか
そのことを忘れずに。 もしかしたら、 今あ
なたのそばで笑っている友達の中の誰か
が、 あなたを一生支えてくれる存在になる
かもしれません。
て、 会うことも、 連絡を取ることさえもなく
なっているかもしれません。
私が中学 1 年生だった時、 私には4人
の仲のいい友達がいました。 一緒にいる
と本当に楽しくて、 休み時間も、 部活も、
帰り道もいつも一緒でした。 私の家の前
まで来ても話は尽きず、 いつもそのままみ
んなで話しこんでしまうので、 母がお茶を
持って家から出てきてくれることもあったほ
どです。 わざわざ口にはしませんでした
が、 「私たちはずっと親友だ。」 そう思っ
ていました。
しかし、 あれから10年以上たった今、
私と彼女たちとは全く連絡を取り合ってい
ません。 どこに住んでいるのかも知りませ
ん。 よく考えてみれば、 あれから2回もク
ラス替えがあり、 違う高校・大学に進学し、
それぞれに新たな出会いがあったのです
から、 それが自然なことだったのでしょう。
でも、 ずっと彼女たちとの関係が続くと思
い込んでいた当時の私には、 想像もでき
なかったことです。 誰が悪いわけでもなく、
けんかをしたわけでもないけれど、 私たち
は 「親友5人組」 ではなくなってしまいま ●中等部2年生 (8年生) した。
旅
「ずっと友達でいる」 というのは、 想像 中村亮介
以上にとても難しいことです。 でも、 何も 3組担任、 社会科
私はみなさんを落ち込ませようとしている 私が中学2年生だったのは、 35 年前で
のではありません。 もちろん、 どれだけ環 す。 中学2年生の夏休みに初めて、 一人
境が変わっても関係の続く友達もいるで で東京の上野駅から父の親類のいる石川
しょう。 私も高校で出会った友達とは今も 県金沢市まで寝台急行で行きました。 そ
変わらずに続いています。 でもその友達 の時の様子はほとんど覚えていません。
は、 きっとものすごく貴重な友達です。 そ ただ、 両親に上野駅まで送ってもらった
14
事は覚えています。 その時、 上野までの
山手線の中で、 東北のどこかの実家に子
犬と一緒に帰るという、 大学生のお兄さん
と一緒だったのを覚えています。 なぜなら
そのお兄さんは小さな段ボール箱の中に
その子犬を入れていたからです。 時折、
泣いて箱から顔を出そうとしていた、 それ
が印象的でした。 短い電車の中の出来事
でしたが、 そのお兄さんといろいろな話を
し打ち解けたのを覚えています。 そのお
兄さんとは上野駅で別れました。
私はまだ、 出発まで時間があったので
アメ横で食事をしたりしました。 なんだか
これから、 自分が親から初めて離れて一
人で夜汽車に乗り、 ほとんど知らない (一
度だけしか行った事のない) 土地に行く
んだという不安と興奮がありました。 これ
が私の 「旅」 の原点になりました。 それ
から、 鉄道に興味を持ち、 さらには 「旅」、
「旅行」 というものにも興味を人一倍持つ
ようになりました。 「旅」 というタイトルがあ
る書物を読み漁りました。 その中でも、 特
に心惹かれたものが松尾芭蕉の 「奥の細
道」 でした。 「旅をして旅を住処とす」 と
いう一節が今でも心の中にあります。 人生
その時々が旅なのかな、 と中学生なりに
考えました。 実際に、 その後中学3年生
の長期の休みには毎回、 10 日から2週間
ほどの旅行を一人でしました。
高校生になり、 1年生の夏休みには、
翌年には日本の鉄路から姿を消す蒸気
機関車を追っかけてカメラを担いで北海
道に初めて行きました。 2週間ほどの旅で
した。 その時、 北海道の自然、 広さ人の
温かさに魅了され現在までに 20 回以上
行く事になってしまいました。 高校時代最
大の旅は1年間のアメリカへの留学です。
日本を離れ、 親兄弟、 友達から離れ一
人で (ホームステイはしましたが) 異国に
来たんだと言う現実を嫌と言うほど思い知
らされました。 でもそこでは日本にいたら
絶対に経験できない事を数多く体験しま
した。 自分自身も含め、 日本や日本人、
親兄弟、 友人、 日本の学校について客
観的に見る事ができたと思っています。
大学生になると、 自動車やオートバイの
免許を取り、 鉄道の旅から自動車、 バイ
クの旅へと変わりました。 自分の好きな時
間に好きなだけ移動できるツールを持つ
事ができ、 大学時代にはあちこちに行き
ました。 大学を出て、 就職をし一人暮ら
しをするようになりました。 実家からさほど
I N T E R C U L T U R E M A R C H
2 0 0 8
N o . 1 1 6
遠くはない横浜に2年間住みました。 これ 当たりにしました。 また、結束力の強さは、
For those of you who joined SIS in
も自分にとっては 「旅」 の一つに思って 学園祭や運動会でも本当に認識できまし grade 7, you are now exactly half way
いました。 そして、 横浜を離れ5年間台 た (でもこれからは運動会ではちゃんと through your time here. I’m sure most
湾で日本語の教師として働く事になりまし ルールを守りましょうね!)。 これから君た of you would agree that the time has
た。台湾での日々も働きながら現地の人々 ちがどこまで実力を伸ばせるのか、 非常 passed very quickly and I can assure
の中で生活をし、 色々な事を考えました。 に楽しみです!
you that the next three will pass even
それが自分にとって 「旅」 となりました。 第2に 「非常に自発的に建設的な行動 faster! I hope that your three years of
そして、 1991 年に千里国際学園が開校 ができ、 リーダーシップをとれる子が多い experience in our school have given
する数ヶ月前に大阪に来ました。 ここで、 学年」 であることです。 学校行事などで you the ability and the confidence to
すでに 17 年。 その間にもたくさんの 「旅」 は、 学年の生徒たちの様々な意見を集約 take on positions of responsibility
をしました。 オーストラリアのホームステイ し、 概ねうまくまとめ、 いい方向にリーダー within the school community. Already,
の担当となり8年間、 毎年7月にブリスベ が引っ張っていってくれたと思います。 勿 some members of our grade have been
ンに行きました。 修学旅行でベトナムにも 論まだ至らないところもありますが、 これか elected to the High School Student
行きました。それぞれが思い出に残る「旅」 ら経験を積めば、 ますますリーダーシップ Council and they will be working hard
でした。
を伸ばす可能性があるでしょうから、 これ for the students of SIS next year. I hope
そして、 その一つ、 一つに必ずあるも も将来楽しみですね!
that all grade 9 students will think
のが、 人との出会いでした。 この 「人と この3年間の大きな成長は評価できるも carefully about how their experiences
の出会い」 がなければ、 今までの私の旅 のの、 みなさんはまだ成長中の 1 段階に and knowledge can now contribute to
は虚しいものだったに違いありません。 今 あるに過ぎません。 まだまだみなさんが乗 school life and that they will be excelここでも多くの生徒のみんなや先生との出 り越えなければならない (また未だ達成 lent role models for the younger stu会いがあります。 これも自分の人生にとっ されていない) 課題も多々あるのも事実 dents.
ての 「旅」 の出会いなのかもしれないと です (具体的にはここでは触れませんが 高校で 「これだけは」 というものを
思っています。 人との出会いと別れ…。 …)。 本校在籍の残りの3年間、 一歩一 山本靖子
誰もが人生のどこかで必ず体験する事で 歩 「大人への階段」 を登る過程で、 一 3組担任、 英語科
す。 そして, 間もなくこの学園でも多くの 歩一歩より成長する姿をこれからも見守っ 卒業おめでとうございます。
別れと出会いの季節がやってきます。 自 ていきたいと思っています。 これからのみ 皆との付き合いが本格的にはじまって約
分の 「旅」 もまだまだ途中だと思っていま なさんの益々の飛躍 ・ 活躍を心から祈願 1年となりました。 学年の最初は 「 誰だっ
す。
しています!!!
け? 」 と思う顔が3分の2はあったのが、
若いうちにみんなに出来るだけ多くの A Time for Reflection
フレンドリーな皆のおかげで全員を名指し
「旅」 をし、 多くの人と出会って欲しいと Frances Namba
で注意、 いえいえ、 挨拶できるまでに成
2組担任、英語科
願ってやみません。
長しました。 でも、 初めに持った印象―
With the end of the year in sight, なんとも元気で活気のある、 そしてにぎや
●中等部3年生 (9年生) there is no let-up from what has been かなのから、 真面目なのから、 とてもバラ
3年間で大きく成長
a very busy schedule in grade 9. Many エティに富んだ、 リーダーの宝庫の、 沢
高橋寿弥
students are just catching breath from 山の可能性を秘めた学年という印象は変
1組担任、 数学科
their participation in the All-School わっていません。 また、 ほぼ1年ほどの付
みなさん、 この度は卒業おめでとうござ Production and others are working hard き合いなのに、 私の中には皆との共有体
います!!!本当に早いもので、 みなさ on organising the final big event of mid- 験が色濃く心に残っています。 ある先生
んが入学してきたのがついこの間のような dle school - the graduation ceremony.
が、 12年生を持った後に9年生を持つ私
気がしますが、 今では精神的にも、 肉体
The next few weeks will probably にこんなことを言いました。 「 12年生には
的にも見違えるほど成長しましたね!これ be a time of reflection for the grade 9 ないすごいパワーをもらえ、元気になるよ。
からはますます磨きがかけられることでしょ students. Reflecting on the past three 」 まあ、 元からテンションの高くない人間
う!
years; what has been accomplished, なので、 はたからはどう見えるかはわかり
この3年間、 君たちの学年を担任して、 what has been learnt, what opportuni- ませんが、 確かに皆からは沢山パワーを
君たちに対する印象を主な2つを掲げま ties were taken and what opportunities もらいました。
す。
were missed, is important. But reflec- いよいよ、 高校生活ですね。 今まで以
まず第1に 「非常に団結力が強く、 友 tion is not simply reminiscing on the 上にあっという間だと感じると思います。 ク
だち思いの子が多い学年」 であることで past three years, it also has an important ラスもそれ以外も魅力的なことが多すぎ
す。 友だちが窮地に立たされたとき、 本
当に周りの子たちが、 親身になって、 ま
るで自分のことであるかのように真剣に向
き合っていた場面をこの3年間何度も目の
role to play in helping you understand
and develop the goals you need to
set yourself for the next three in high
school.
て、 どうしようといっているうちに、 終わっ
てしまいます。 そして、 これからは将来の
ことをもう少し具体的に考えていく時期に
も入ります。 そんな時、 みんなの先輩た
15
I N T E R C U L T U R E M A R C H
ちを見ていて、 言えることが1つあるとす
れば、 何でもいいから、 1つこれだけは
最後までやったのだ、 というものを高校
生活では持ってほしい、 ということです。
クラブでも勉強でも習い事でも趣味でも。
それが高校生活を豊かなものにしてくれ
るだけではなく、 たとえ将来、 進路で迷っ
ても、 道を開いてくれるように思います。
そして学年全体に対しては、 オーストラ
リアのホームステイプログラムの現地の先
生に言われ印象に残ったことに少し触れ
たいと思います。 今年のグループについ
てどう思いますか、 との問いに、 その先
生は、 「 とてもフレンドリーでいい子達だ
よね。 でも、 ちょっと腰が重いかな。 」 と
言われました。 それは簡単に言うと自主
性がまだ足らない、 と言うこと。 自ら行動
は起こしても、一部のリーダーががんばっ
ているのに、 皆が一体となって協力し、
誰におしりを押されることなく、 最後まで
やり遂げるということが、 その力がありな
がら、 まだできてない、 そんなことを意味
されたのだと思います。 高校では学年の
団結が試されることがもっと増えます。 無
限大の力を秘めた学年です。 学年として
も大きく、 大きく成長していってくれること
を願ってやみません。
卒業おめでとう。 残念ながら皆とは担
任としては1年間の付き合いになってし
まったけれど、 とても充実した一年をあり
がとう。 また、 一回り成長した姿で将来、
英語のクラスで会えることを楽しみにして
います。
Creating yourselves and creating SIS
Shammi Datta
4 組担任、 社会科
Congratulations on your graduation
from SIS junior high school! I hope
that the past three years have been a
memorable and learning experience
for all of you. Most of you started at
SIS from grade 7, while some of you
joined us along the way. Each one
of you added your own special and
unique touch to the whole group we
now know as grade 9. Moreover, all
your actions and contributions make
up an integral part of what the world
sees as Senri International School.
Most recently, I was very impressed
by the level of commitment of many
grade nine students in the All School
16
2 0 0 8
N o . 1 1 6
Production. Through out the year,
many of you have displayed such commitment inside the classroom, at various music performances, during sports
events and student council led activities.
The role you play in “creating” SIS
will become even more important as
you move on to high-school. Over the
next three years, you will gradually
have many more opportunities to lead,
rather than just participate in school
activities. Now the eyes of the junior
high students will be upon you as role
models, and the outcome of many a
school event will depend upon your effort and commitment.
In Japan, attending high school is
not compulsory. That means that proceeding on to high school is a choice
that each one of you has made. I hope
you take some time to think about
why you have decided to attend high
school. What does it mean to you?
What are your goals? How do you plan
to “create” yourself over the next three
years? SIS will present you with many
choices and opportunities. Having
some personal goals will surely help
you along the journey.
Personally, it has been a pleasure to
get to know many of you well through
homeroom, school festival, sports day,
grade trip, and class performances.
Moreover, I have also learnt many
things from you along the way, and I
thank you for that. Your classmates,
team-mates and friends have also
learnt from you, as indeed you have
learnt from them. I look forward to a
wonderful graduation ceremony, to
working with you in high school, and
to seeing your energy and creativity as
you create yourselves and SIS over the
next three years.
生徒会、 生徒議会、 スポーツやスポー
ツ以外のさまざまなクラブ活動、 ボラン
ティア活動、 学園祭や運動会やオール ・
スクール ・ プロダクション (ASP) などの
学校行事、 クラスや学年の活動、 夏の
キャンプ、 サイエンス ・ パートナーシッ
プ ・ プログラム (SPP) などの高大連携
プログラム、 音楽 ・ 美術 ・ 書道などの芸
術活動、 そして学校生活で最も重要で
長い時間を費やすことになる、 あなた方
一人ひとりが選択した、 それぞれの授業
のなかで全力を発揮していってください。
毎日毎日の授業やその他の活動の積み
重ねがあなたを築き上げていくのです。
11 年生というのはいろいろなことに挑
戦できる最も良い時期だと思います。 自
分自身を鍛え磨き上げ、 魅力溢れる人
になってくださいね。 そしてクラス ・ 学年
の仲間を思いやり、 集団としての力をよ
り高めていってほしいと思います。 このた
めに 11 年生最後の3月に実施予定の学
年旅行を存分に活用してみてください。
9年生のときのナガシマ ・ スパーランドへ
の学年旅行から 10 年生の先日の京都へ
の学年旅行へと着実に旅行委員の中か
ら学年全体のリーダーが育ってきていま
す。 あなた方は自分たちにもっと自信を
持ってください。 この2回の宿泊研修旅
行を実施してきて、 学年全体としてずい
ぶん改善向上した点やまだまだ未熟不
満な点が明確になってきていますね。 4
月からは新しいクラスのメンバーと担任の
先生方が一致協力して学年としてのいく
つかの課題を克服して、 SIS 高等部を代
表する立派なすばらしい学年集団となっ
てください。
このような皆さんへのお願いの文章に
なってしまった訳は、 すでにお話しまし
たように新年度からは私自身は担任から
はずれ、 進路情報室担当という立場で、
皆さん全員を見ていくことになったからで
す。 これまでの2年間あなた方の担任の
一人として、 本当に楽しい思い出をたく
さん作ることができました。 どうもありがと
う。 そして、 今後もよろしくお願いします。
●高等部 1 年生 (10 年生)
皆さんへのお願い
●高等部2年生 (11 年生)
新見眞人
A Very Good Year
Rodney Ray
2組担任、 理科
2組担任、英語科
皆さんもあと一月もすると SIS 高等部
の中心となるべき 11 年生に進級します。
Looking back over the last year, it
seems clear to me that 11th grade has
I N T E R C U L T U R E M A R C H
been overall a very productive and
successful year for our students.
The approach of university entrance exams has led to a sharper focus
on studies for many students. I see
students thinking very carefully about
their class choices, working harder for
their classes, helping each other study,
and getting some of the best overall
results in their grade averages that this
gakunen has ever had.
Last Spring, the school festival
booths showed students having welldeveloped ability to plan, organize and
work together on a project.
Success in the Sports Day performance and competitions demonstrated
a high level of teamwork and individual effort, and also showed the spirit,
energy and creativity that have always
been hallmarks of this gakunen.
Grade 11 students have also figured prominently in other schoolwide activities, such as the final year
of APAC tournaments and events, the
All-School Production, and of course
Student Council, where they have
been able to demonstrate and further
develop their leadership abilities and
teamwork.
Finally, for the last several months,
grade 11 has been preparing for the
biggest project we have yet undertaken: the grade trip to Taiwan. This
trip has occupied most of our long
homeroom time since Sports Day. The
whole grade, under the leadership of
the hard-working Grade Trip Committee, has cooperated in the process
of choosing the destination for the
trip, planning the dates, itinerary and
activities, organizing the groups for
moving around and hotel rooms, and
all the other little details that need to
be sorted out when such a large group
goes on an overseas trip.
None of these events and activities
could have been successful without
the hard work of individual volunteers,
some of whom have been active in
several different events. Their contribution and leadership skills have been
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野草を使って七草粥
斉藤 数
理科
学校の北側にあった空き地に家が建ち、 東側にあった野原や田んぼ ・ 池
などはなくなり、 もう全て宅地になってしまいました。 日一日と開発が進み、
数年前までは学校周辺で沢山見られた関西タンポポも、 今では探すのは一
苦労です。 1 月初旬、 生物の時間に春の七草の植物を覚える目的も含めて
学校近辺で5種類の草 (せり ・ なずな ・ ごぎょう ・ はこべら ・ ほとけのざ) を
摘みました。 次の時間にはこれらに蕪 (すずな) と大根 (すずしろ) を加え
て七草粥を作りました。 薄味のおいしいお粥で、 食後には次のような歌が寄
せられましたので紹介します。
・ 七草がゆを 食べたのに 覚えているのは 舌の痛み (RY)
・ おいしいよ 七草おかゆ 冬場には (TS)
・ 初めての 七草がゆは 春の味 (HO)
・ よい年と 願わば食べる 七草粥 (NM)
・ それぞれの 草に宿る 七福神 (TM)
・ 七草が もちもちもちもち もっちもち (KH)
・ 道くさに 普通に生えてる 草たちが 七草だとは 初めて知った (AF)
・ 君の声 腹で聞こえる ハーモニー (JH)
・ 学校出 皆で七草 とりに行く (JA)
・ 水のつぶ 袋についた 白い息 「今日は寒いね」 七草の声 (KD)
・ 来年は 絶対作るわ 野の草摘んで (KS)
・ 七草がゆ 春の香りが おいしいな (AK)
great. However, it's also true that these
individuals would not have been able
to succeed on their own; the power,
teamwork and spirit of the gakunen as
a whole has been the key to success.
It's true that things have not been
perfect: for example, it has been a
continuing battle to get all grade 11
students to honor the 4:30/6:00 school
leaving time and the rule against eating in the classrooms, and we seem
to have much more "stuff" at school
than we can fit into our lockers, which
leaves the hallways looking quite
messy. This indicates that we still have
some work to do regarding Respect for
the Environment and Respect for Others.
However, overall, the students of
grade 11 have had a very good year;
we homeroom teachers of grade 11 are
confident that the students will be able
to carry these successes forward, into
next year's intensified efforts for university entrance exams, and beyond.
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『「えす ・ ぴい ・ ぴいー」 に行ってきました!』
池田大介
SPP 担当、 社会科
みなさん。
SPP ってご存知ですか?
SSC は、 スクール ・ サービス ・ センター
の略。 ASP は、 オール ・ スクール ・ プ
ロダクションの略。 SSH は、 スーパー ・
サイエンス ・ ハイスクールの略…
「SPP」 とは、 「サイエンス ・ パートナー
シップ (科学技術振興機構)」。
さまざまな最先端の研究成果や研究施
設 ・ 実験装置等を有する大学 ・ 公的研
究機関 ・ 民間企業 ・ 科学系博物館 ・ 学
会等と、 中学校や高校等との連携により、
生徒の科学技術、 理科 ・ 数学に関する
興味 ・ 関心と、 知的探求心等を一層高
める機会を充実することを目指している
ものです (これだけでも何だかスゴイで
しょ! by 文系教科教員 : 池田)。
つまり、 千里国際学園と大学が連携し、
今回 (2月 17 日及び 24 日) は、 千里
国際学園の生徒が 「大阪大学 ( ・ 理学
部)」 へお邪魔し、 大学の先生 (教授 ・
准教授) から講義を神妙に受け、 最新
の科学実験施設に乱入し、 惜しげもなく
提供された、 その最新の設備で実験を
行い、 果ては、 先生方とともに食事 (お
弁当) をし、 科学の世界にドップリ浸か
り (人生相談をしてもらっている生徒も何
人かいましたが…!しかも、 教授先生も
結構乗ってくれていましたが…!お手伝
いに来て下さっている大学院のお兄さん
やお姉さんに入試センター対策を教示し
てもらっている生徒もいましたが…!)、
急ごしらえではありましたが、 何だか家
族的 (?) な、 それでいて、 アカデミッ
クな雰囲気もムンムンとする… 「緒方洪
庵が主催する適塾 (池田の母校の創設
者もここで学んだそうです)」 とでも言い
ましょうか…!?田舎者でも ・ 素人でも、
学歴問わず、 ただ学問に対する志を持
つ 者、 を 条 件 と し、 ま ず は 拒 否 せ ず、
受け入れてくれる、 原初の 「学舎」 の
雰囲気、 でしょうか、 その中で時間を忘
れ、 過ごしてきました!
そうなんです。 大阪大学の先生方は、
きっと、 “巨人 (プロ野球チームではあり
ません!)” が、 その巨人性を、 むきに
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なって “小さき者” へ向けるのではなく
(向ける必要もなく)、 その巨人が巨人た
る所以、 その巨人性を “小さき者” への
情愛と変換する / できる、 圧倒的な余裕
を以て、 私たちに接してくれたのでしょう。
もう一つ。 驚いたことが。 大阪大学の
先生を、 丸一日観察 (失礼しました!)
させてもらったのですが、 先生方から、
あまり “仕事” しているという感じがしな
かったこと。 もちろん、 計2日もお世話に
なったのだけれど、 両日とも 「日曜日」。
それだけではありません。 用意のために、
前日の土曜日も大学に来られ。 その前
の週も、その前の前の週も…はっきり言っ
て絶対に面倒であろう休日出勤に、 悲
愴な (失礼しました!) 感じは受けなかっ
た。
と言うことは…!?
先生方は、 好きなんだ。 この仕事が好
きなんだ。 仕事と言うよりは、 研究が好
きなんだ。 実験が好きなんだ。 科学の
世界が好きなんだ…これが答えでなけれ
ば、 何が答え!?
私たちは、今回の SPP の内容も学んだ。
そう、 その通り。 しかし、 それ 「だけで
はなく」、
“その世界” を 「選び」、 “その世界”
に生きている人たちにも出会っている、
んですね。
とにかく… 「ああ、おもしろかった、えす・
ぴい ・ ぴいー」 これは確か!
以下に、 生徒達の “証言” が ;
◇
SIS11 年津高毬絵さんの感想文より
今回の大阪大学主催の SPP は、 2月
17 日の日曜日に開催された。 冬の寒さ
がまだ厳しい日だったが、 たくさんの人
が集まって、終始にぎやかな様子だった。
今回は講義を中心にし、 実験も行った。
当日の朝、 大阪大学 ・ 理学部 (豊中
キャンパス) の正門に集合し、 大学内へ
と移動した。部屋に入って席に着いた後、
それぞれの先生方やお手伝いの大学院
生の方々、 今回大阪大学主催の SPP 実
施にあたってボランティアでサポートの
SIS12 年生 (松本明子さん ・ 渡場文恵さ
ん) の紹介の後、 笠井先生による 「地
雷と化学」 の導入のお話しがあり、 SPP
が始まった。
午前中は奥村先生に、 化学反応につ
いての講義していただいた。 その内容
は、 新見先生の化学の授業でも習った
ことのある、 高校の化学の教科書をはみ
出したもので、 内容的には少々難しかっ
たが、 奥村先生の大変理解しやすい講
義のおかげで、 大部分を理解することが
できた。 特に、 電子の配置を電車での
椅子の選び方に例えたのには、 なるほ
どと、 思わずうなったのを覚えている。 こ
こでは原子 ・ 化学反応 ・ 爆発の原理な
どを学んだ。 講義の後は、コンピューター
を使って分子のモデルを作った。 普段な
かなか使えないようなソフトに、 生徒少々
興奮気味だったようだ。 だが先生による
と、 私たちのコンピューターで作った分
子のモデルは、 見た目は何ら問題ない
様だが、 原子間の何かが間違っていた
らしい。 何が間違っていたかは、 さっぱ
り分からずじまいになってしまったが、 む
しろ、 一目見てその間違いに気づいた
先生に、 私は感動した。
昼食をとった後は、 山口先生による実
験安全講習を経て、 深瀬先生による火
薬の講義をしていただいた。 爆発という
ものを、 蓋のある缶に引火性の高い液体
をいれ、 火をつけることによって説明もし
ていただいた。 また、 深瀬先生は講義
のなかで、 トリメチレントリニトロソアミンと
いう火薬を、 “パーフェクトな火薬” と表
現された。 先生の説明によると、 爆発に
よって窒素 ・ 酸素 ・ 二酸化炭素が余りな
く生成され、 その上爆発の威力があると
いう事で、 パーフェクトなのだそうだ。 は
じめはしっくり来なかったが、 なぜ 「パー
フェクト」 という表現なのかと考えてみた
ら、 私はそこに “化学者” を感じずには
いられなかった。
深瀬先生の講義の後は、 ニトロベンゼ
ンの還元によるアニリンの生成の実験を
行った。 ニトロ基を持つ爆薬は、 ニトロ
基を除去・分解・還元のどれかをすれば、
爆発性がなくなる。 ニトロ基を持つ爆薬
の詰まった地雷は、 どう処理すればよい
かを学ぶ実験だった。 実験するにあたっ
て、 山口先生から実験室での注意点の
説明があった。 安全面を考慮し、 白衣
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にゴム手袋 ・ ゴーグルをつけて行った今
回の実験は、 高校での化学の実験では
白衣までは着ることはないので、 いつも
より緊張感を持ってできたように思う。 実
験中、 化学の実験に慣れている人は問
題なく進められたが、 数年ぶりに試験管
に触れたかも・・・という人は、 少々苦労し
ていたようだった。
講義 ・ 実験を終えた後はお茶を飲みな
がら、 先生方や大学院生の方とお話をさ
せていただいた。 私はまず大学院生の
方に、 大学入試のことについて聞かせて
いただいたが、 ガリガリ勉強することなく
入学できたという答えに、 かなり驚いた。
さすが大阪大学の学生さんだなあ、 と感
じたが、 TA さんの言うガリガリ勉強すると
いうのは、 必ずしも努力するという事と
第1回目の SPP では、 化学について
の知識が深まったとともに、 全部とても楽
しめた。 さらに、 大学で理科を学ぶこと
への意欲が増したように思う。 笠井先生、
深瀬先生、 山口先生らの “化学者” を
感じることによって、 さらに理科への興味
が深まったのだ。
このようなすてきな機会も設けてくだ
さった大阪大学の先生方、 そして SIS で
SPP の担当をして打ち合わせなど、 お世
話してくださった池田先生、 12 年生の
方々、 本当にありがとうございました。
◇
SIS11 年松本光加さんの感想文より
今 回、 私 は 初 め て SPP に 参 加 し て、
大阪大学の授業を受けました。 正直理
科が苦手な私にはすごく難しくて分から
ないことばかりでしたが、 今までに習った
ことのない勉強を学ぶことが出来てすごく
楽しかったです。 午前のコンピューター
プログラムを使った元素についての勉強
は自分の手で操作して行うことによって、
ただ高校で先生に説明されている時より
も分かりやすく、 大学ではこんな授業を
毎日しているのかぁ、 と実感しました。 核
がどのように反応するか、 コンピューター
のシミュレーションでとても分かりやす
かったし、教授の説明 (電子の二種類を、
電車の席を例えにした説明はとても分か
りやすかったです!) も面白くて普段目
をむけない 「核」 というものに、 前より興
味をもつようになりました。
午後の実験、 私にとって半年ぶりのも
のでした。 久々の実験だったので何度
か液体をこぼしてしまいましたが、 お手
伝い下さっている大学院生の方と教授が
丁寧に教えてくれたので、 なんとか無事
に成功し、 感激しました。 きっと大阪大
学で実験できることなんてめったにない
し、 もう無いと思うので実験に使ったシリ
カゲルクロマトグラフィーを記念に持ち帰
りました。 実験の後はお菓子を食べなが
ら、 大学院生の皆さんに、 受験や苦手
教科の勉強の仕方について色々聞かせ
てもらい、 これからの勉強する参考にな
り、 やる気が出てきました!教授には北
千里にある大阪大学のキャンパスで行わ
れているレーザーを使った核の研究の話
を聞かせてもらい、 環境問題のことにつ
いても沢山聞かせてもらいました。 他の
生徒もまじえてする教授との議論 (?)
はすごく楽しかったです。
次回の SPP には来られない教授もいる
と聞いて少しショックでしたが、 次回は最
終回、 存分に 「阪大ワールド」 を楽し
みたいと思います。 (SIS11 年松本光加)
◇
SIS11 年石神宥真くんの感想文より
普段、 SPP は、 平日の授業時間に行
われます。 そのため、 SPP に行きたくて
も授業を外さなければならなかったため、
参加したくてもできませんでした。
今回の SPP は、 日曜日に行われると
いうことで、 行くことにしました。 今まで
SPP は一回しか行ったことがなかったの
ですが、 「楽しい」 ということは知ってい
たので、 今回も楽しみにしていました。
当日、 講義室を見て驚きました。 ズ
ラリと並んだ Mac、 その中に分子設計ソ
フト。さらに各々のイスの前に置かれた「2
GB」 と書かれたメモリースティック。 講義
を聞いていく間は、 それを試すのをずっ
と楽しみにしていました。
実際に仮想現実の分子を作り、 パソ
コンに安定な構造を計算させる、 という
今まで体験したことのなかったことができ
て、 「SPP に申し込んで良かった」 と思
いました。
今回の本当の楽しみは、 「実験」 で
した (実験は半年ぶりだったので腕が
なりましたね!)。 しかし実際してみると、
他の人より進行が遅くなったり、 神経毒
性物質の溶けた引火性溶媒を自分にこ
ぼしてしまったりと、 久しぶりすぎて、 か
なり失敗をしてしまいました。 それでも、
実験としては成功!、 それはうれしいも
のでした。 実験終了後の先生方や友人
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との議論もまた楽しいひとときでした。
(再び) SPP に参加して良かったと思い
ました!
◇
SIS11 年小澤悠くんの感想文より
今回の SPP を通して 「文系だから理科
や数学ができなくていい。 理系だから歴
史なんて勉強する意味がない。」 などと
いう発言、 考え方がいかに愚かしく己の
価値を下げるものであるかがよくわかっ
た。 そもそも文系分野というものは理系
分野なしで語れるものではない。 また、
その逆もしかりである。 しかし、 日本の
教育システムに沿って勉強に励んでいる
生徒は、 なかなかその真実に気付かな
い。 私は幸運にも今回はその真実を知
る機会が与えられたのだ。 また、 私も昨
年 SPP に参加した時に比べ、 少なから
ず成長したことに気付いた。自分の中で、
知りたい ・ 聞きたい ・ 話したい、 という
積極性が顕著にあらわれたと言っていい
と思う。 今回は SPP の講義そのものより
も、 その SPP の後に、 教授や大学院生
と過ごした時間が私にとって最も印象的
であった。 その中でも笠井教授と話した
時間は極めて貴重だった。
≪教授が、 SPP を何年も行ってくれて
いる一つの理由として私が予想するの
は、 科学というよりは勉学そのものの世
界に学生たちを誘いたいからではない
か≫と思う。 現に、 教授は地雷の話から
マスメディアの話にまで話を発展してくだ
さった。 『正しい知識を己で学び、 マス
メディアに惑わされないよう幅広い知識を
持ちなさい。 文系 ・ 理系という枠で囲ん
でしまって視野を狭くしてはいけない。』
というアドバイスもくださった。 化学の教
授だからといって私達に化学の話ばか
り、 ではなく、 『地球温暖化解決には科
学的解決だけでなく経済的解決も必要な
のだ。 もう文系、 理系なんて言ってられ
ないんだ。』 と語ってくださった。 改めて
大学という場所がいかなるものか分かっ
た。 ≪自分の積極性さえ活かすことがで
きれば、 どれだけ高い場所へでも飛んで
いける。 それが 「大学」 だ≫と、 私は
今回の笠井教授の話で感じることができ
た。
これから自分は可能な限り貪欲に 「幅
広い知識」 を手に入れていきたいと思
う!
(次ページ★に続く)
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京都大学数学公開講座に参加
馬場博史
数学科
1月 12 日 ( 土 )13 日 ( 日 ) 京都大学理
学研究科数学教室主催 「高校生と社会
人のための現代数学入門講座 ・ 新春特
別講義」 に生徒4名、 教員4名が参加し
ました。 内容は 「方程式はなぜ解ける」
上 野 健 爾 ( 京 都 大 ), 「5 次 方 程 式 と 正
20 面体」 橋本義武 ( 大阪市立大 ), 「解
けない方程式を解く」中村郁 ( 北海道大 ),
「高次連立方程式を解く――関孝和が考
えたこと」 小川束 ( 四日市大 ) でした。
参加した生徒の感想を紹介します。
松本直也 (中3)
京都大学の公開講座の案内書に 「中
学卒業程度の知識があれば参加できる」
と書いてあったため、 数学に興味がある
僕は参加しました。 しかし、 実際は、 大
学レベル (?) の内容を、先生が猛スピー
ドで黒板に書いていくではありませんか。
書かれた数式の嵐を、 必死にノートを写
しましたが、 内容はさっぱり分かりません
でした。 しかし、 大学の講座というものは
どういうものかを覗くことができて、 いい経
験になったと思いました。
(★前ページの続き)
ありがとうございました!
◇
最後になりましたが、 今回お世話になっ
た先生方他 ・ SPP の内容を紹介させてい
ただきます。
・ 講座名 : 「 地雷と化学 」 ※全2回 (2
月 17 日 ・ 24 日)
・ 内容 : 「爆発と連鎖反応」 …計算機シ
ミュレーション通し、 爆発の連鎖機構とそ
の反応条件を、 視覚的に学ぶ/ 「ニト
ロ化合物の還元反応」 …ニトロ基を還元
し、 アミノ基に還元することで火薬の中性
化 (不爆発化) が行えるのだが、 ニトロ
ベンゼンからアニリンを生成する有機化学
合成実験を通し地雷の中性化の考え方を
学ぶ
・ 今回お世話になった先生方 : 笠井俊夫
先生 (大阪大学大学院理学研究科 ・ 教
授) /深瀬浩一先生 (大阪大学大学院
理学研究科・教授) /山口和也先生 (大
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田中賀子 (高1)
まだ学んでいない範囲のことが出てきて
難しかったです。 でも、 自分なりに理解
出来たところもありました。 数学への興味
が深まりました。
亀井 潤 (高2)
「 解 の な い 方 程 式 を 解 く 」 方 程 式 を
AX=S と行列で表したとき、 A の逆行列
の存在しない場合どう解を求めるのか?
AX-S がもっとも 0 に近くなる X の値を解
の近似値として扱ってゆく。 この解の近似
値をもとめるプロセスとして CT スキャンや
最小2乗解が紹介され、 数学の実用性に
気付くことができました。 数学の不思議に
囲まれた1日でした。
石神宥真 (高2)
僕がこの京大数学講座を受けたのは、
ただ単に 「面白そうだから」 という理由か
らでした。 解けないものを解くという興味
深い一文からその講座に興味を持ったの
です。
午前中の授業は、 今まさに習っている
行列を使ったものでした。 内容は分かり
やすくまとめられたので、 分かる範囲まで
はきっちり理解できました。 ある程度休憩
阪大学大学院理学研究科 ・ 准教授) /
奥村光隆先生 (大阪大学大学院理学研
究科 ・ 准教授) /北河康隆先生 (大阪
大学大学院理学研究科 ・ 助教) /お手
伝い下さった大阪大学大学院生のみなさ
ん/実験を手伝って下さった大阪大学教
育実践センター職員のみなさん。 「ありが
とうございました!」
次回は、 2月 24 日 (日) !大阪大学
大学院理学研究科 ・ 科学教育機器リノ
ベーションセンターで、 現在使われてい
る地雷探知技術の講義を受け、 金属探
知の原理を探知機教材キットの組み立て
を行います!お世話になる先生は、 再
び、 笠井俊夫先生 (大阪大学大学院理
学研究科 ・ 教授)。 そして、 西山雅祥先
生 (大阪大学科学教育機器センター)。
「お世話になります!」
※なお、 この文章は、 2月 24 日実施
の第2回 SPP 実施 「前」 に作成されてい
ます。
もあったので、 その分落ち着いて授業を
聞けました。
昼休みは時間があったので、 少し遠足
気分になることができました。 外に行って
昼食を食べたり、 ちょうど開催されていた
女子駅伝の応援をしたり、 また銀閣寺の
参道で (買わずに) 八つ橋を試食したり
と授業とはまた別に楽しむことができまし
た。
午後の授業は、 感嘆せざるを得ません
でした。 先生が3時間ノンストップでずっと
喋っていたからです。 あたりを見回すと、
いびきをかいて寝ている人までいました。
授業の内容自体は面白かったのですが、
午前中のものより理解が難しかったことも
あり、ついていくのはなかなか大変でした。
しかし、 後から落ち着いてテキストを見て
みると、 その内容はそのとき思っていたほ
ど難しいものではありませんでした。
この講座の内容は思っていた通り、 非
常に興味深いものでした。 授業とはあまり
関係なくとも、 受ける価値は十分にあった
と思いました。 最後に、授業をしてくださっ
た先生方、 ならびに引率の先生方、 本当
にありがとうございました。
通訳技能検定
2級合格
水口 香
英語科
SIS11 年生のパーマー怜主君が
2007 年度秋期の通訳技能検定2級
に合格しました。 通訳技能検定 ( 通
検 ) 2級は英検1級に相当する英語
力をもつとともに、 政治 ・ 経済、 時
事、 教育、 文化について広い知識
をもち、 かつ逐次に通訳する技能
を必要とします。 通検2級に合格す
ると日本通訳協会が認定する通訳
士の資格を得て、 プロの通訳者と
して活動することができます。 また
通検1級は2級の合格をもって一次
試験に代えることができます。 パー
マー君のさらなる挑戦を楽しみにし
ています。 おめでとうございました。
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図書館よりお知らせ
青山比呂乃
図書館
<図書館スタッフ交替>
図書館パートタイムスタッフとして、 開校
直前の 1990 年末の準備財団時代から今
まで 17 年勤務してくださった木下宣子さ
んが、 この3月で定年退職されることにな
りました。 卒業生も含め、 いろいろとお世
話になった人も多いことでしょう。 例えば、
今皆さんが OPAC で日本語雑誌の特集
記事検索ができるのは、 木下さんが毎週
記事タイトルを入力し続けてくださったお
かげです。 本当に長い間、 SIS/OIS の教
育を皆が集まる図書館という場で支えてく
ださって、 感謝しています。
そしてこれに伴い、 今年も2月 1 日より
新しくスタッフが1名入りました。 望月奈
津子さんです。 詳しくは、 別ページでの
自己紹介に譲りますので、 みてください。
慣れるまでしばらくの間、 皆さんに助けて
もらうこともあるかもしれませんが、 よろしく
お願いします。
<蔵書点検ボランティア募集>
毎年恒例の図書館蔵書点検を、 年度
末の3日間に行います。 いつものようにボ
ランティアを募集しています。 仕事の内容
は、 図書と雑誌の移動 ・ 整頓とコンピュー
タへの入力です。 細かい注意も必要で、
ほこりも多くかなりの肉体労働になります。
マスク ・ 軍手 ・ エプロンが必需品。 おや
つとわずかですがお礼がでます。
昨年は、 のべ 15 名のボランティアが汗
を流してくれました。 蔵書も多く、 皆さん
の図書や雑誌の利用が活発な上、 本を
別な場所に置いていく人もいて、 かなり本
の配架場所が乱れています。 そのため、
作業が大変になりそうです。 1日だけまた
は半日でもやってくれる人がいたら助かり
ます。
おやつなどの準備の都合上、 3月 11 日
正午までに貸出デスクに名前を書きに来
てください。
3月 12 日 ( 水 ) 1:00-4:00pm
3月 13 日 ( 木 ) 9:00am-4:00pm
<春の閉館予定 ・ 長期貸出>
2月 27 日からは、 春休みの長期貸出を
行います。 返却期限は4月3日までです。
貸出冊数は通常どおりですが、 いつもよ
りたくさん借りたい場合は相談に応じます
ので、 スタッフに申し出てください。
3月 10 日 (月) まで 通常どおり開館
8:00am-6:00pm 中高生のための開館
延長含む
3月 11 日 (火) 開館
8:00am-4:30pm 開館延長なし 3月 12 日- 4 月1日 閉館
蔵書点検 ・ 新学期準備
4月2日 (木) から 通常どおり開館
8:00am-6:00pm 中高生のための開館
延長含む
冬学期最後の日 3 月 12 日は、 蔵書点
検のため入館できません。 貸出 ・ 返却は
11 日までにするようにお願いします。
命 ~小さな点から~
弥永千穂
あなたの命はあなたの誕生日よりも前に始まりました。 誕
生日より約 40 週間、 9ヶ月前のこと。 愛する人達の精子と
卵が出会い (受精)、 子宮内に落ち着き (着床)、 あなた
の命はそこから始まりました。 赤ちゃんができたってどうして
分かるのか?ひとつは予定していた月経がないこと。 女性
の体では毎月排卵が起こり、 子宮の内側の子宮内膜をふ
かふかにして赤ちゃんの落ち着くベッドを作ります。 受精や
着床がなければそのベッド (子宮内膜) は使用しないため
月経血として排出されています。 月経がなければ赤ちゃん
は子宮内膜のふかふかベッドに落ち着いたかもしれないの
です。 一般的には月経が遅れて 1 週間したら、 尿検査と超
音波検査で妊娠の成立を確認できます。 その時超音波検
査で見えるものは、 小さな赤ちゃんを包む袋 (胎のう)。 あ
なたは 「、」 くらいのサイズ。 数ヶ月でどのくらい成長する
のでしょう?予定した月経から 1 ヶ月が過ぎた頃 ( 妊娠 2 ヶ
んどん成長します。 そして4ヶ月に入る頃、 超音波で2頭身
に手足のあるあなたが見えます。 サイズは5cm 程度。 2頭
身のあなたはちょっとエイリアンのようですが手足を動かした
り、 ジャンプしたりしはじめます。 一方妊娠4ヶ月くらいまで
はあなたの命が突然止まる、 子宮のベッドからはがれ落ち
ることもある時期 (流産しやすい時期)。 母親はストレスをた
めない、 激しい運動はしない、 転ばない、 重いものは持た
ない、 インフルエンザや病気にならないなどなど注意が必
要。 それに病気でないとはいえども母体は変化し、 ムカム
カする、 においに敏感になる、 眠気、 疲れやすさなどの変
化を感じます。 ここまでが妊娠初期 (4ヶ月まで) の赤ちゃ
んと母体のお話。 実は妊娠初期を終えようとしている私の
話でもあります。 お家では 「I’ m pregnant…」 で主人にサ
ポートをお願いしちょっぴりわがままな妊娠生活。 妊娠は女
性の体の変化であるけれど、 パートナーがその母体の変化
を理解して協力してくれることは本当に大切。 Happy mom,
Happy baby !私達の赤ちゃんは8月中旬に産まれる予定で
月 ) には小さな袋の中で何かポコポコ動いているのが見え
ます。 心臓です!あなたのサイズは 1cm 程度。 脳はすご
い勢いで細胞分裂し、 手、 足、 指、 更に生殖器までがど
す。 今はこの命がなんとか無事にこの世に出て来られます
ようにと祈るのみです。 皆さんのご両親はどんな気持ちであ
なたの誕生を待っていたのでしょうね。
スクールナース
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APAC バスケットボール男子5位女子6位
Saber cagers bring home
Sportsmanship Award and 5th place
in final APAC tournament
Peter Heimer
Coach
On January 22nd the Osaka Sabers
men’ s and women’ s varsity basketball teams traveled to Beijing, China
for the three-day 2008 APAC basketball tournament held at International
School Beijing (ISB). After twelve
years of competition, this was the final
APAC basketball tournament for SOIS
and so it was a particularly memorable
one.
Cold winter temperatures and
warm homestay hospitality greeted
the players and coaches at the impressive ISB campus. Though lacking in
size and experience, the Saber men’
s team competed well and finished in
5th place, beating Canadian Academy twice. More important, the team
displayed great effort and a mature,
respectful attitude on and off the court,
impressing the opposing teams’ players and coaches and fans with their
“saigo made” spirit and friendly
demeanor and deservedly winning the
Sportsmanship Award.
Before the tournament began, the
two teams spent a “culture day”
visiting the Great Wall, the Forbidden City, and Tiananmen Square. The
players enjoyed the team camaraderie
and linguistic challenge of eating together at a local restaurant and listening to our tour guide as they took in the
historical sights of Beijing.
Senior guard Hayato Takami, Saber
22
co-captain, capped an illustrious threeyear Saber basketball career by being
named to the all-tournament team as a
result of his fine offensive and defensive play.
Highlights of the tournament
include Takami’ s 23-point effort
against the host team, the ISB Dragons, in a narrow defeat, and the two
victories over our friendly rival, the
CA Falcons. The first win over CA was
a comfortable 15-point victory. The
second win was a 1-point nail-biter
as the Sabers outplayed CA most of
the game only to nearly throw it away
at the end, with CA missing two free
throws in the final seconds.
The biggest moment of the tournament came at the awards ceremony
when both the Sabers women’ s and
men’ s teams were called on stage
together to receive their respective
Sportsmanship Awards. The teams received much applause and delivered a
final “gamba” cheer. It was a typical
and fitting end for SOIS APAC teams.
Stand out players for the Sabers, in
addition to Takami, include senior cocaptain Akira Moriguchi and starting
members Kei Suzuki, Shun Kanezaki,
and Masaki Morioka. The rest of the
squad included juniors Satoki Nakamura and Jun Sakaguchi, sophomores
Naoto Takahashi and Toshinori Matsuo, and freshman Kho Roberts, all
of whom gained considerable playing
experience. With such a young team,
the Sabers look to be strong next year.
Special thanks goes to Rodney Ray,
who served as assistant coach, team
photographer and personal confidant
throughout the long, grueling season,
and to Wakako Tameoka, SIS 10th
grader and team manager, who traveled overseas for the first time on this
trip. Wakako and co-manager Saki
Muranishi put in over 100 hours of
service to the team and they deserve
much recognition.
The coaches congratulate and thank
all Saber basketball players for their
extraordinary effort during the season.
Thanks also goes to Activities Director Simon Parker and APAC Director
Jim Schell for their help. Finally, thank
you faculty and administration for
your unwavering support and recognition.
Girls HS Basketball
Jim Schell
Coach
<Varsity>
The 2007-2008 Girls Basketball
Team concluded their season at the
annual APAC tournament. This year’
s tournament took place in Beijing,
at International School Beijing. The
Sabers gave a gallant effort (as they always do), but finished the tournament
in 6th place. Although our team was not
crowned champions on the court, they
won a different sort of “championship” off of the court – the tournament
Sportsmanship Award. The boys team
also won the award. These sportsmanship awards remind us all of the
quality of our students. Erika Terada
(SIS Grade 11) was named to the AllAPAC Team. A few days before the
tournament, the team braved the frigid
weather and enjoyed a fantastic day
touring the Great Wall, Forbidden
City, and Tiananmen Square.
Prior to APAC, the team finished in
3rd place in the inaugural season for the
WJAA – Western Japan Athletic Asso(次ページ★に続く)
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初の水泳大会開催
Swimming Meet with ASIJ
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雪の箕面市民マラソン健闘
馬場博史
トライアスロンクラブ・ランニングクラブコーチ、 数学科
東 千歳
水泳クラブコーチ
2月 23 日 (土) 千里国際学園にて初めてとな
るスイミングミートを開催し、 SIS/OIS より 22 名、
ASIJ = American School in Japan (東京) より 13 名、
菊水スイミングスクールより3名の生徒が参加しま
した。 また、 前々日には ASIJ との合同練習会を
行いました。 大会当日、 ASIJ の生徒の泳ぐスピー
ドと、 応援の迫力に押され、 不安そうな顔を浮か
べていた本校の生徒も、 応援の力を借りて、 徐々
に余裕を持ちスタート台に立てるようになりました。
優勝できた生徒、 自己記録を更新できた生徒な
ど、 成績はさまざまですが、 個人競技の自己目
標に向かって挑戦する良さと、 チームとしてひとつ
になれる喜びを味わえのではないでしょうか。 最
後には、 全員参加で混合チームを結成して水球
を楽しみ、 互いのチームの健闘を称え、 閉会とな
りました。
<本校の優勝者>
Yui Maeda 100m 個人メドレー1分 20 秒 41、 100
m 自 由 形 1 分 09 秒 35、 400m 自 由 形 5 分 22
秒 59、 Arisa Usui 50 m 平 泳 ぎ 43 秒 73、 Mari
Hatanaka 50m 自由形 35 秒 28、 Yusaku Wakita
25 mバタフライ 16 秒 73
(★前ページの続き)
ciation. The Sabers finished the league
season 4 wins -2 losses, then won 1
and lost 2 at the invitational tournament at CA.
The Sabers 2007-2008 roster:
Hana Watanabe
Saki Nawata
Elizaveta Semakova
Haruka Arai (co-captain)
Erika Terada
Shiho Terazono
Arisa Nishimura
Ikumi Shima (co-captain)
Samantha Syrad
Mana Sasaki
Sophia Richfield
Sarah Sibbett
I took great pride in coaching these
■ 2/9 (土) 箕面市民マラソン
今年は箕面森町に場所を移して開催されましたが、 近年珍しい大
雪の中での大会となり、 雪が靴についたり、 曲がり角で滑ったり、 雪
が頭に積もったり、メガネが曇ったりと非常にタフなレースになりました。
本学園からは 15 名が参加、 7名が各部門で入賞しました。
<入賞者>
3km 中学女子2位山澤春菜 (SIS7)、 3位櫛野弘奈 (SIS7)、 3km 一般
女子1位森岡瑛美 (SIS10)、 5km 一般女子2位津高毬絵 (SIS11)、 3
位為岡稚子 (SIS10)、 5km 一般男子1位小澤 悠 (SIS11)、 10km 壮
年男子1位馬場博史 (Faculty)
<完走者>
3km 秋山裕理 (SIS7)、 萓嶋智 (SIS7)、 山澤友香 (SIS10)、 5km 前田
優衣 (SIS7)、脇田優作 (SIS7)、清水稜太 (SIS10)、宗正久志 (Faculty)、
10km James Freijah (OIS10)
fine young ladies. At practice and in
games they exhibited great “fight” and
were anxious to improve. And, they
have a great sense of humor. I will
truly miss those that will not return to
basketball next school year. Some of
these students I have coached since 7th
Grade. For the others that will return to
another season of basketball, we know
what we need to work on, so let’s get
started!
<JV>
The highlight of the JV season was
a convincing victory over St. Maur
(Yokohama) at the season-ending JV
tournament in Yokohama. The team
finished 4th in this tournament, losing
to a tough Yokohama Int’l School team
in the semi-finals. Throughout the sea-
son the JV team worked hard, and they
were an absolute pleasure to coach.
The team members were: Fumie Hiramatsu, Ayaka Sato, Hana Watanabe,
Yoshino Kanae (captain), Saki Nawata, Lianne Terhune, Samantha Syrad,
Chisato Hayashi, Aysha Cabrini.
A special thank you goes to Steve
Hall for his assistance with the HS
girls basketball program this year.
From running drills to video-taping
games, Mr. Hall was a valuable part of
the program. Also, our 2 managers –
Aya Yanai and Rin Kaihara – deserve
recognition as outstanding team managers. They put in many hours of service for these teams, and always with a
smile on their face!
23
、 次の
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APAC バンド ・ 演劇
Music In Our School
Paul Lindley
Music
I never cease to be amazed at the level
of commitment and talent that is evident
among the music students at OIS/SIS.
This is evidenced by the high level of
participation and outstanding concerts
that are given by students in all performance ensembles.
Recently I had the opportunity to accompany sixteen of our top wind and
percussion players as they traveled to
Canadian Academy in Kobe Japan to
participate in the annual Asian Pacific
Activity Conference Band Festival. In
this festival, top music students from all
six of the APAC schools join together in
what always turns out to be a wonderful
experience for all involved. This year
was certainly no exception with outstanding works being performed by the
group.
Mr. Larry Gookin from Central
Washington University endeared himself to the Asian community and quickly
won over the hearts of the students in order to put together a memorable performance. Mr. Gookin often commented
on the high quality of the student performers and even volunteered to come
back in the future as a guest conductor.
True to form, the students from OIS/SIS
stood out as exceptional musicians and
young adults in every way and made a
lasting impression on Mr. Gookin. He
spoke very highly of their talents and
attentive manner during rehearsals and
was literally “blown” away by their superior level of musicianship.
The finale concert, performed in the
24
Canadian Academy Theater, was well
attended and truly outstanding. Many
students from OIS/SIS took on leadership roles and played solo parts in the
performance. As one of the directors
in the audience, I was highly moved by
their performance.
Congratulations go out to the following students not only for their selection
into this honor group, but for their outstanding contributions to the OIS/SIS
Music Program: Iida, Mai – Flute : Kamei, Jun - Flute
: Sato, Ayaka – Clarinet : Sasaki, Mana
– Clarinet : Kawamura, Moe – Clarinet
: Yano, Ryoko – Bass Clarinet : Meren,
Emi – Alto Saxophone : Matsubara,
Yuka – Tenor Saxophone : Takada, Hibiki – Baritone Sax : Moriguchi, Akira
– Trumpet : Suzuki, Kei – Trumpet :
Sakagami, Natsuki – Horn : Johnston,
Tabatha – Horn : Izawa Rei – Trombone
: Sukoda, Kenta – Trombone : Ishihara,
Tsugumi – Euphonium : Kiuchi, Shunsuke - Tuba
In closing, I commend the parents,
staff and administration for supporting these students in all of their many
endeavors both inside and outside the
classroom. Kudos to all of the musicians
in the music department. Please mark
your calendar to hear future student performances.
·May 1st – Spring Music Recital at 4:00
in the School Theater
·June 10th - High School Spring Concert
at 6:30 in Mino City Maple Hall
·June 18th – Band School Spring Concert at 4:00 in the School Theater
·June 19th – Orchestra and Choral
Spring Concert at 4:00 in the School
Theater
APAC Theatre
Paul Sommer
Director
Students in Japan know the Monkey
King story very well. It is based on the
classic Chinese epic novel, Journey to
the West. Even as a teenager in Australia,
I knew the story from the popular television program.
A group of characters with a mix of
human, spirit and animal qualities –
principally a priest, the monkey, a pig,
a horse and a river spirit – travel to the
West to obtain Buddhist scriptures.
Along the way they meet demons and
get into all sorts of trouble. This is a
metaphor for the journeys of life and so
“The Fantastical Journey of Life” was
the theme of the APAC Theatre Festival in Shanghai (at Shanghai American
School), February 20-23.
It all sounds pretty straight forward so
far. Good general theme. Cross-cultural
ideas. But what made this APAC festival
extraordinary was the close contact that
we were lucky enough to have with the
world renowned Shanghai Peking Opera
Company.
OIS/SIS students were combined
with students from five other international schools to form four ensembles.
APAC theatre is not competitive and the
ability to work collaboratively with others is highly valued.
They went through a series of workshops: warm up exercises with a Tai Chi
master; particular movements associated
with characters and situations; traditional Peking Opera costumes and makeup;
and background to the Monkey King
story.
The highlight was a visit to the Peking Opera rehearsal studios where we
were treated to four short performances.
This gave students a clear idea of how
what they had learnt in workshops could
come together in performance.
That was their next task: to take a
portion of the Monkey King story and
turn it into a performance. The groups
presented them publicly on the last night
of the festival, in costume and with
makeup from Peking Opera specialists.
They performed with the Peking Opera
Orchestra with the drumming, cymbals,
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flutes and reed instruments that create
the distinctive sound.
What a wonderful introduction to an
important cultural icon. It developed
students’ performance skills by focusing
on a style that demanded discipline and
used an unfamiliar way of presenting
stories. And, as usual with APAC events,
it was a chance for students to make new
friends.
Thank you to Rie Matsuda (Chaperone). I was proud to be with our students:
Raymond Terhune, Yuritzi Lopez, Han
Bin Park, Yuta Kitagami, Choephel
Urquhart, Chisato Hayashi, Sayuri Asano, Mirei Miyachi, Sarah Sibbett, Aimee
Kang.
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高等部生徒会選挙結果
Frances Namba
English
On Wednesday, February 13th, the SOIS High School Student Council
Elections were held. Congratulations to the following students: The newly
elected students will join the current Student Council members in planning
for the School Festival and will take over their positions from June.
Position
President 会長
Vice President 副会長
Secretary 書記
Treasurer 会計
Translator 通訳
OIS
Yuuta Kitagami (Gd. 11)
Han Bin Park (Gd. 11)
Erica Otowara (Gd.11)
Rei Izawa (Gd.9)
Samantha Syrad (Gd.9)
SIS
Rui Yamaguchi (Gd.10)
Toshinori Matsuo (Gd.10)
Chisa Uehara (Gd. 9)
Natsuki Sakagami (Gd.10)
Chisato Hayashi (Gd.9)
2008 年度
SIS 入試結果
2008年度入試結果
中1
帰国生
一般生
合計
高1
帰国生
一般生
合計
海外
志願者数
国内
計
海外
受験者数
国内
計
海外
合格者数
国内
計
男
女
男
女
男
女
男
女
男
女
男
女
男
女
男
女
男
女
0
2
7
43
50
12
63
75
2
2
9
62
71
7
42
49
11
62
73
2
0
7
42
49
0
2
10
63
73
0
0
7
43
50
0
2
6
18
24
8
33
41
6
18
24
10
33
43
海外
志願者数
国内
計
海外
受験者数
国内
計
海外
合格者数
国内
計
男
女
男
女
男
女
男
女
男
女
男
女
男
女
男
女
男
女
4
3
7
6
13
2
13
15
3
3
5
13
18
7
6
13
2
13
15
2
4
3
6
9
3
3
5
13
18
4
4
3
6
9
3
2
1
2
3
4
6
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4
2
6
2
6
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9月編入予定 : 男子1名含む
編集後記
卒業生の皆さん、 これから世界中どこへ行ってもウェブ上でインターカルチュアを見ることができます。 学園のホームペー
ジにアクセスして時々母校を思い出してください。 メールアドレスを登録しておけば、 発行のたびにお知らせします。 今後
も皆さんからの近況報告や記事の投稿をお待ちしています。 (馬場博史)
3月はじめに 15 期生がこの学園を巣立っていきました。卒業生にとってはこの号が、印刷版の最後のインター
カルチュアになりますが、これからも年に6回発行されるこの冊子の愛読者でいてくださいね。そして今月号
で2名の卒業生が、<卒業生からの手紙>で活躍を紹介してくれているように、ぜひ近況報告をメールで送っ
てきてください。(合志智子)
インターカルチュアへの記事 ・ ご感想等は、 e-mail で [email protected] までお送り下さい。 インターカルチュアはバック
ナンバーも含めて本学園ホームページ www.senri.ed.jp/interculture でもご覧いただけます。 また広報センター担当の学
園ホームページにつきましてのご意見 ・ ご感想などもお待ちしています。
編集:SIS 広報センター 保護者会だより編集:保護者会広報委員 カット:イラストレーションクラブ生徒
当学園にご来園の際は、 お車ではなく公共交通機関をご利用くださいますようお願いいたします。
25
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保2
0 護
0 5
者N
o会
. 1 0だ0
よ
り
保護者会だより
PARENTS
● 「 保護者会だより」文責 : 保護者会 Public Relations Committee
ホームページアドレス http://www.sispa.jp
保護者会活動報告 ・ 予定
■ Hospitality Committee
■ International Fair Committee
保護者会の活動を次の通り報告いた
オールスクールプロダクション、2月
皆様のご協力をもちまして、今年度の
します。
15 日と 16 日の公演の幕間にティーサー
インターナショナルフェアを無事終了す
■Board
ビスを行いました。
多くの方から、
ドネー
ることができました。心からお礼申し上
◎第七回定例会
ションのお菓子やパンを頂き、感謝して
げます。
2 月 7 日(木)10:30 ~ 3 階会議室
おります。この行事が 2007 年度ホスピ
来年度のフェアも、盛大に開催されますよ
学校から大迫校長先生とルイス事務長
タリティ委員の最後のお仕事でした。
うどうぞご協力よろしくお願いいたします。
のお話と各委員会からの活動報告。
一年間、皆様にいろいろとご協力いた
次年度役員の紹介・新しく作成した学
だきまして、本当に有難うございました。
園紹介のDVDの試写会がありました。
■ Public Relations Committee
2 月はインターカルチュア 116 号編
*今年度定例会は今回で終了しまし
■ Network Committee 集・校正。ホームページ運営。ホームペー
たが、定例会は保護者の方のどなた
冬学期に入ってから、各地区とも2~
〈07sispa ふぉーらむ〉を掲載して
ジでは、
でも参加していただけますので、来
3回目の親睦会が開催されています。
います。是非、ご覧ください。
年度もたくさんの方の参加をお待ち
地区の方々との交流に加え、今回は新
インターカルチュアやホームページ
しております。
リーダーさんへの引継ぎをされていると
は、保護者会のさまざまな情報を会員の
◎茶話会 2 月 22 日(金)
ころも多いようです。
皆様にお届けすることができます。どう
10:30 ~ 12:00 3 階会議室
更に今年度の委員会活動のまとめとし
ぞお気軽にご意見や感想を投稿いただ
スクールカウンセラーの栗原先生を囲
て、新旧地区リーダー会を2月 28 日に
き、より身近なものになるようにご協力
んで「よりよいコミュニケーションを目
開催しました。大所帯の地区を分割し、 をお願いいたします。今年度投稿いただ
指して~親として、一人の人間として~」 新リーダーさんが増員されたところもあ
というテーマでお話を伺いました。
ります。
いた先生方、保護者・OBの皆様、ご協
力、本当にありがとうございました。
2007 年度 卒業のときを迎えて・・・父から子へ、母から子へ
こどもの卒業は親にとっても大切な
が多くできたことと思いますが、苦し
母さんとお姉ちゃんの家族の、4人目
節目です。こどもの成長、そして親と
く辛い思いもたくさんしてこられたこ
のメンバーとして生まれるきみに、私
しての自分のあり方をあらためて考え、 とでしょう。でも、その苦しかった経
たちは「紅海」という名を用意しまし
長い時の流れを実感する瞬間です。親
験とそれらを一つずつ克服してきた自
た。……1990 年1月 14 日誕生。そし
から羽ばたこうとするこどもに説明の
信は、これから皆さんが夢実現に向け
て、予定通り、
「紅海」と命名。ただひ
つかない寂しさを感じると同時に、新
て歩む中で、必ず大きな糧になってい
とつ予定と違っていたのは、男の子で
しい世界で頑張れという精一杯の気持
くことと思っています。
はなく女の子だったということ。お腹
ちが交錯するときではないでしょうか。
保護者の一人として、巣立つ我が子
の出方などから周囲の人たちから、
「絶
そんないろいろな思いを込めて、卒
への思いを書くことで、卒業されるす
対に男の子よ!」と言われ、私たちも
業生の保護者の方々からあたたかい
べての皆さんへのはなむけの言葉にな
そう思っていました。それで、
「紅海(こ
メッセージをいただきました。
ればと思い、つたない文章ではありま
うかい)
」となるはずだった名前は、
「紅
卒業生たちの未来が輝きますように
すが、寄稿させていただきました。
海(えみ)
」という読み方にしました。
の思いを込めて・・・。
アラビア半島とアフリカ大陸の間に (
「ちょっと読み方に無理があるねえ」
(PR委員 蔦田 和美) ある細長い海・紅海。世界中のダイバー
~夢実現に向かって~
と言われたけど。
)
憧れの、濃淡2色の青で彩られたきれ
紅海(えみ)がお腹にいるときは、
いな海。色とりどりの珊瑚礁と熱帯魚
お母さんの悪阻(つわり)がとてもひ
12 年生保護者 水口 泰司
あふれる紅海に面した街できみは生ま
どくて、食事もできない日々が長く続
卒業される皆さん、おめでとうござ
れました。サウジアラビアの日本人学
いたけれど、生まれてからは順調に育っ
います。これまで国内外で貴重な経験
校の教員として赴任した私、そしてお
たね。少し大きくなってから、ゴムボー
26
保
護
者
会
だ
Iよ
N T り
E R P
C AUR LE T
N TU SR E J U N E
2 0 0 5
N o . 1 0 0
トに乗って初めて紅海に出て、底にガ
親も友達も、
「ほかの国ならいざ知らず、 みを振り返り、学園へのお別れのご挨
ラスを貼った箱の上から海の中をのぞ
日本に行くのだから日本人は無理だよ」 拶と感謝の記とさせて頂きたく思う。
いたとき、色とりどりの珊瑚や熱帯魚
となかばあきれながら言っていたけれ
長女は日本生まれ。2歳で米国、小
を夢中になってながめていた紅海の姿
ど、それでも希望して審査を受けてみ
学4年の3月までアメリカの学校で、
が思い出されます。
たいとあきらめない紅海。……そして、 4月から京都の小学校の4年生に転校
休 暇 旅 行 で ギ リ シ ャ や イ エ メ ン に 「さすがアメリカだね。ふところが深い
した。日本語の読み書きを全く教えて
行ったけど、サウジ生活は2歳2ヶ月
わ」と私たちを驚かせた合格の連絡。
「日
いなかったのでさんざん苦労したが、
まで。まったく記憶にないのは残念だ
米の国際交流の架け橋になりたい」と
中学ではなんとか普通の授業について
ね。でも、世界最貧国のひとつ・イエ
いう紅海の熱意が伝わったんだね。あ
いけるようになった。OISが創設さ
メンで、電気もガスも水道も、そして
のときの経験が今の紅海を大きくして
れた時彼女は高1で、遊び半分で行っ
車の走る道路もない山の上の古い村に
くれたんだなと思っています。
たオープンスクールで米国大学進学準
行って数日間滞在したときの経験は、 4年間があっという間に過ぎて帰国。 備のためにもOISに転校した方がい
写真を通してきっと紅海の原体験のひ
幸いこの素晴らしい千里国際学園に編
いという結論になった。またもや学校
とつになって、今の紅海の夢へとつながっ
入させてもらえて、ほかの学校では経
システムを変えての転校である。
ているのじゃないかなと思っています。
験できない高校生活を送ることができ、 OISでは音楽や美術が大切にされ、
帰国後は「普通の子ども生活」を送っ
親子で本当に喜んでいます。さあ、今
授業では丸暗記でなく自分で考える事
ていました。体は小さいけれどけっこ
度は自分で自分の夢をかなえるために
が重視されるので、彼女は勉学への意
う正義感が強く、いじめられていた子
決めた「立命館アジア太平洋大学」で
欲がわき学校が気に入った。だが、通
をかばって仲良くしていたね。また、 の生活が始まるね。
「世界の恵まれない
学は片道2時間、寮が出来てもOIS
言うことがなかなかユニークで、よく
子どもたちのために何かしたい」とい
の生徒は入れなかった。11 年の時は週
周りを笑わせて、
「吉本の脚本家になり
う思いを持ったことに驚いたけれど、 日は彼女の状況に同情した学内の先生
たい」と話していたね。
親としてそんな紅海を誇りに思ってい
のお宅にホームステイさせて頂いてな
小学校卒業直前まで日本で暮らした
ます。紅海にどんなことができるのか
んとかしのいでいた。当時はOISを
あと、私の2回目の海外赴任先のアメ
今はまったくわからないし、夢はまた
早く有名プレップスクールに!みたい
リカ合衆国へ。オハイオ州で現地の小
変わるかもしれないけれど、これから
な学校の気負いもあり生徒への勉強の
学校・中学校・高等学校、そして日本
も今までのように自分で自分の生き方
プレッシャーにはかなりのものがあっ
語補習授業校に通いながら、4年間生
を決め、自分で自分の生き方に責任を
た。学校の一部には彼女をも含めてど
活をしたね。まったく英語がわからな
もって紅海らしい人生を歩んでいって
ういう生徒達がOIS高等部を構成し
いまま現地校に入り、たくさんの宿題
ください。
ているのかについての認識不足も有り、
を持って帰る毎日。帰ってからも宿題
私もお母さんもこれまで通り紅海を
学校は次第に耐え難いものになった。
補助と基礎英会話習得のために来ても
信じて、ちょっと離れたところから見
結局 12 年を飛ばして大学に進学した。
らったアメリカ人家庭教師によるレッ
守り、応援していきます。
今でも残念に思う苦渋の選択であった
スン。本当に辛い毎日だったと思うけ
「翔びなさい、自分の夢実現に向かって!」
があの時はそうするしかなかったと私
れど、一度も学校に行きたくないと言
は自分を慰める。大学の単位を高校卒
わずに通い続けてくれたのは、親とし
業に必要な単位にあて、OISの卒業
て本当に嬉しかったよ。
~十三年回想記~
証書を手にしたのは大学1年を終えた
4年間のアメリカ生活では辛いこと
12 年生保護者 リース 節子
もいっぱいあったけれど、いろんな体
時であった。 我が家には娘、息子、娘と6-7歳
その後彼女は無事4年で大学を卒業
験ができ見聞を広めることができたね。 ずつ離れた子供が三人いる。父親がア
しNY市で勤めながら学部のアートの
その中で一番周りを驚かせて、一番紅
メリカ人なので子供達が日英両語でき
単位を取り、更にペンシルバニア大学
海らしいエピソードはやっぱり交換留
るのは当然と思われがちなのだが、彼
大学院に進んで美術の修士を終えた。
学のことかな。私たちが住んでいた街
等の教育は悪戦苦闘の連続であった。 現在は再びNY市で働きながらアート
は岡山県高梁市と姉妹都
千里国際では、長女がOIS創設時の
の道を模索している。
市で、毎年交互に留学生
1991 年 か ら 2 年 間、 息 子 が 1995 年
息子は米国生まれだが、二歳から日
を送り合っていて、紅海
から途中1年を除く 2001 年までの5
本。日本の幼稚園、京都インターナショ
が中学生だった年、日本
年間、恵実が 2002 年から 2008 年ま
ナ ル ス ク ー ル、 6 年 間 の 日 本 の 小 学
に行く生徒の募集があり
での6年間、三人の子供達が通算 13 年
校、 3 ヶ 月 の 京 都 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ
ました。これに紅海は「行
間学んだ事になる。それで、恵実卒業
ル ス ク ー ル を へ て O I S で あ る。 や
き た い!」 と 言 っ た ね。 のこの機会に三人三様のこれまでの歩
んちゃな子でしょっちゅう校長室に
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呼ばれて叱られていた。学校の高価な
さったのが何よりも有り難かった。みっ
んきな母であった。国が変わるだけで
窓ガラスを割ってしまって弁償した事
ちり勉強してかなりの自信をつけた夏
も大変なのに学校のシステムまでガラ
もある。しかしバスケAPACでは北
であった。秋からは出願準備。大学願
リとかわり、その中で子供達は頑張っ
京、上海、ソウルに行っていい経験を
書中重きが置かれるエッセイでは課題
てきたのだなあとしみじみ思う。
さ せ て 頂 い た。 こ の 頃 に は O I S の
について自分を深く見つめ表現する事
この原稿を書く事は記憶を掘り起こ
生徒でも入寮可能になっていてIB
が求められ、9月と出願の終った 12
し、事実の確認をし、家族の批評を聞
プ ロ グ ラ ム は 大 変 だ か ら と 11-12 年
月末を比べると成人になる為の儀式を
く、ある意味でみんなで我が家の歴史
は 寮 生 活 を し た。 彼 の 場 合 は O I S
通過したような、と思われるほど成長
をふりかえる作業となった。随分色ん
卒業後1年休学してから大学に行く道
した感があった。後はどの大学の扉が
な事を乗り越えてきたと感無量である。
を選んだ。そんなやんちゃ息子も今や
開かれるのか、人事をつくして天命を
そして我が家と同様、学園の歩みとと
姉と同様NY市で働く社会人。この間
待つ状況である。分かっていた事とは
もに喜びや悲しみを分かち合ってきた
はインド旅行記が「週刊NY生活」と
いえ、片道2時間の通学はきつかった。 であろう多くの人々のことをも考える。
いう情報紙にでて私は「真面目な日本
大泣きであきらめた活動や行事も多々
今又新しいページの始まりである。こ
語書けるんやん!」とビックリ仰天し
あった。しかし彼女は寮の門限より自
れからも千里国際が子供達の未来への
た。この旅行はOIS 12 年フィジーに
宅通学の自由を選んだ。時々通学ルー
夢や希望を育む学び舎として、心のよ
おける Habitat 活動に感銘を受けての
トを変えて定期を買うとき窓口の人と
りどころとして益々発展していく事を
事であった。
口論になったり「母娘共々起きられま
祈りつつ、この回想記を終る事にしよ
恵実は生まれも育ちも宇治、幼稚園
せんでした」と情けない遅刻の電話を
う。ありがとうございました。
も宇治、2年生の時の在米1年を除い
した事もある。しかし、彼女にとって
て三人の中で唯一人ずっと地元の公立
は6年間辛い通学をやり通した事は誇り
小学校へ行った。中学からは兄弟と同
であり、貴重な人生勉強の機会でもあっ
~性能の高いSISプロジェクター~
じ学園を希望したが少人数で全部英語
た。そんな通学の日々も後僅かである。
12 年生保護者 松本 明彦
のOISは自信がないからとSISを
OISとSISの関係について、三
本当に高等部の3年間は早いもので、
志望した。夫は 「 遠すぎる! 」 と猛反
人を比べると学校の歴史が反映されて
わが子もSISをこの3月に卒業する
対だったがなんとか説得し、恵実は進
いるようにも思われる。長女の時はS
こととなりました。その卒業に当たり
学塾で勉強して一般生の入学試験を受
ISの前身大阪文化中 / 高にあまりな
何か文章をということで、今保護者と
けた。SISの授業についてここでは
じめない様な印象だった。息子は個人
して強く感じていることを書こうと考
英語にのみ言及すると、彼女にとって
レベルで色々の交流を持った。恵実は
えました。それなのに、このタイトル
は7年 H +の授業は容赦のない基礎か
個人レベルは勿論生徒会委員として両
は何だということになるかもしれませ
らの英語で、鍛えられた。インスピレー
校の交流がより活発に行われる様に努
んが、このタイトルに保護者としての
ションを与えて下さるいい先生方に恵
力した。 SISへの思いが凝縮されています。
まれ、「 正解は何か? 」 ではなく、「自
以上のように学園入学までの背景も
少し堅い話になりますが、国は現行
分がどう読み、考え、表現するか」が
その中での体験も三人三様である。し
の学習指導要領から身に付けるべき力
問われる『自身の考える力がつく授業』 かし共通している事は日本で常に疎外
として「生きる力」を示し、課題探求
を受けた。
感、違和感、劣等感などを感じながら
の力や表現力、コミュニケーション能
彼女は 12 年初めには上の兄弟同様
育ってきた彼等がもまれながらも初め
力などを重視した方向性を打ち出しま
米大学進学を決めた。英語には今一つ
て自分が自分でいられる場所を見つけ、 した。小・中・高では「総合的な学習
自信をもてないままでいたのだが、幸
広い世界の存在と未来への夢や希望、 の時間」が創設され、教科でも「総合
い夏休みに二つのよいプログラムで
可能性を感じたのが「千里国際」であっ
的な学習の時間」と関連付けながら、
勉 強 す る 機 会 を 得 た。 一 つ は A S A
たという事である。それは辛い去り方
そうした力を付けていくことが求めら
(Academic Study Associates) 主 催 の コ
をした長女も同じである。多感な中高
れました。しかし、そうした新しい学
ロンビア大学に於ける大学出願準備の
時代に彼等がそういう場所を持ち、今
力観に対して、大学入試は依然として
為のもので、もう一つはコロンビア大
も同じ気持ちでいる事を幸いに思う。
知識偏重の従来からの形式が大半で、
学主催の米国の高校生の為の英語講座
とは言っても、正直なところ私は彼
それを反映して高校では「生きる力」
である。後者についてはギリギリまで
等が心の底で感じていたこのような感
に象徴される新しい学力観についての
知らなくて書類準備に焦ったが、幸い
情を自分がどれだけ理解していたかと
意識が大変弱い状況となっているよう
大迫先生と担任の池田先生がつかまり、 考えると自信がない。子供達が自分の
に思えます。つまり、知識などの『見
「恵実のことを最優先しましょう」と
必要だった二通の推薦状を即書いて下
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アイデンティティーでこんなに悩み、 える学力』を付けることには熱心だけ
苦労するとは予想もしていなかったの
れども、
『見えにくい学力』については、
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進学する上ではプラスにならないと考
ません。わが子は高等部からの入学で、 業するための課題としての「自分にとっ
えているかのような対応となっていま
しかも文化的にもまるでちがう京都北
ての5リスペクト」を校長先生へ提出
す。世の中は、確実に変化してきてい
部の中学校からの入学でもあり、SI
するため、頑張ってレポートを書いて
て、社会に出ればもはや知識だけを持
Sでの生活にどう慣れていくかが親に
いましたよね。5つしかない校則だけ
つ人材では通用しないことは当たり前
とっても大きな課題であると考えてい
ど、その真意はとても大きくひょっと
となっているのに・・・。
ました。しかし、そうした不安はすぐ
したら 100 ある校則よりも大変な事か
では、SISはどうでしょう。SI
に消えました。本当に寮担当の斉藤先
もしれません。その5リスペクトと真
Sのプロジェクターはとても性能が高
生や渡辺さん、先輩の寮生に上手にか
摯に向き合う過程を経てみんなしっか
いのです。ともすると大学受験という
かわっていただき、同級生だけでなく
りと自分を見つけることができてきた
波に流されて見失いがちになりそうな
上級生や下級生とも抵抗なく接しなが
のではないでしょうか?言動もしっか
保護者の目にも、はっきりと『見えに
ら充実した学園生活を送ることができ
りしてきてやりたいこと、できないこ
くい学力』を見える形で映し出してく
ました。わが子にとっても保護者にとっ
と、どうしてやりたくないのか。など、
れます。課題探求の力や表現力、コミュ
ても、「あけぼの寮」はSISでの生活
はっきり私たちに主張して行事なども
ニケーション能力などの『生きて働く
の大変重要な部分となりました。
参画していた姿が印象に残っています。
力』が、単に大学入学のためでなく、 これほど私たち親の理想とする教育
そして 10 年生~ 12 年生となり、日々
今後の子どもたちの将来にどれほど重
に近いSISとわずか3年間で関係が
課題に追われながらもスポーツや各種
要であるかまでも、映し出してくれます。
途絶えてしまうことを、本当に残念に
学校活動に一生懸命に取り組んでいる
このことは私の目にだけ見えている
思っていましたが、先日、中3の娘が、 姿は青春そのものですね。
(この言葉は
のではなくて、これまでのインターカ
ユニークでSISの教育の一部を切り
今も存在していますよね?)
ルチャーに寄稿している卒業生のコメ
取ったような入学試験を幸運にもクリ
勿論、この6年という歳月だけが生
ントや他の保護者のコメントなどから
アしてくれたので、あと3年間は親子
徒たちを変えたわけではありません。
も明らかになっていることですし、何
ともども、この性能の高いプロジェク 「教養のある人とはね、例えば北公園の
よりわが子のこの3年間の変化を見て
ターを持つSISでお世話になること
植物の名前をみんな言える人のことを
も間違いはないと断言できます。SI
となりました。今後ともどうぞよろし
言うんだよ。
」理科の先生のお言葉です。
Sは、今国が求めている「生きる力」 くお願いします。
娘が取っている授業中、外に出た時に
を付けるための教育をどこよりも自信
言われたそうで、そのクラスの生徒が
を持って進めている学校だと言えると
みな頑張って知っているだけの植物の
思います。
ただ、こうした理想とする教育理念
~6年間を振り返って~
12 年生保護者 松原 恭子
名前を端から挙げていったそうですが、
すぐに尽きてしまい「雑草。
」と答えた
に基づくカリキュラムがあるだけでは、 「子供たちは、檻から放たれた猛獣だ
所、
「雑草という名前の植物は無い。
」
重要な『見えにくい力』を生徒や保護
と思ってください。
」この言葉は7年生
と言われたそうです。その言葉は良く
者によく見えるようにすることはでき
の入学式の時、平尾先生がおっしゃっ
例えて言われる言葉ですが、では、そ
ません。プロジェクターの中心部分に、 た言葉です。その時は、
「何のことや
れぞれの名前をどれだけ知っているか。
SISの先生方の個々の力量と理念を
ら?」と、大きな疑問が頭をよぎりま
というと実際にはよく知らない人がほ
共有する意識がなくては、よりはっき
したがその言葉を理解するのに時間は
とんどではないでしょうか。ところが、
りと見える形で映せません。理念とそれ
かかりませんでした。7年生になって
この先生はそれらの正しい名前をどの
を具現化する先生方のおかげで卒業生
中庭で缶蹴り、廊下での鬼ごっこ、か
草に対しても教えてくださったそうで
もその保護者さえも生き生きとした生
くれんぼ。人が通れなくたってお構い
す。変えてみれば、
「生徒という名の学
活をすることができたと思っています。
なし。トイレへも集団で移動でしたね。 生はいない。
」でしょうか。本当に千
特に、担任の先生には、寮生であり、 10 本の指先には 10 通りの色が楽しげ
里国際学園の先生方は子供たちひとり
親が細かにかかわることができない所
に塗られていましたっけ。服装も個性
ひとりを良く見てその可能性を伸ばし
もしっかりフォローしていただき、学
的な子供も多くいて、春夏秋冬この千
てくださっているように思います。担
習面だけでなく生活面でも指導してい
里線界隈の人たちを本当に楽しませて
当の先生方だけ
ただき、貴重な思春期後半の3年間を
いたのではなかったでしょうか。本当
で は な く、 カ ウ
人格形成の面でも支えていただきまし
に楽しいスタートだったと思います。 ン セ リ ン グ、 そ
た。本当にありがとうございました。
今までできなかった自分探しが始まっ
して事務の方々
そして最後に、何よりも、大変貴重
ていたのですね。それでも、みんな授
へも生徒であれ
で多くのことを学ばせてもらった「あ
業はしっかり受けていましたよね。そ
保護者であれ助
けぼの寮」のことにふれずにはいられ
して9年生の卒業を迎える頃には、卒
勢を求めたらい
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つでも手を差し伸べていただきました。 とは大きな要因だったのは揺るぎ無い
机や筆箱が少しでも斜めに置いてある
保護者の 1 人としてこころから感謝し
事実です。SISで身につけた “宝物”
と気になって直すというような神経質
ています。また、この学校でさまざま
はまた娘を助けてくれました。
な面もほとんど見られなくなって、心
な素敵な保護者の方々と学年、委員会、 彼女が英語に初めて出会ったのは、 身共にバランスの良い状態で楽しく充
そしてボランティアを通して出会いま
小 学 6 年 生 の 時 に 参 加 し た “Just For
した。どの方も個性豊かでお仕事をお
Kids”でした。外国に行ったこともなく、 です。
実した 6 年間を過ごすことができたの
持ちの方も時間をやり繰りして学校の
ごく普通の公立小学校に通っていた彼
行事に参加されている姿が印象的でし
女にとって、
それは「ちんぷんかんぷん」 でした。公立中学で教師をしていたの
た。意見の違いがあった時にはお互い
以外の何ものでもなかったと思います。 で特に気になったのかも知れません。
の意見をそれぞれ言い合うことができ
でも2、3日すると慣れてきたのか楽
るのもこの学校の委員会の良さの一つ
しそうにいろんな話をしてくれる・・・。 力や作文力中心で、国文法や古典や暗
だと思います。また、学園祭が学生の
それならばと、SISへの受験を決め
記用語などはあまり触れられていませ
お祭りならばインターナショナルフェ
幸運にも合格したのですが、いざ入学
んでした。また、英語も読むことと話
アは親のお祭りですよね。この年になっ
となると不安にかられ、
「行きたくな
すことに重点が置かれ文法は後回しに
て、また学園祭ができる。といった特
い」と泣き出す始末、なだめ励ましよ
されていました。
(現在の授業内容につ
典もこの学校ならでは・・・ではないで
うやくスタートを切ることができまし
いてはわかりませんが)中学校の間に
しょうか。なんだかんだと子供も親も
た。それからの日々は本当にいろいろ
暗記させなければならない項目が山ほ
楽しんだ6年間だったような気がしま
なことがありました。異なった価値観・
どあるのに、大学受験のときに困らな
す。子供たちはしっかり成長の様子が
考え方を持つ子供達の中で、英語も全
いだろうか。市販の問題集を解かせて
伺えますが、では私自身はどうだろう?
くわからず引っ込み思案で神経質だっ
みると、やはり暗記ものが弱い。でも
と振り返って思えば多くの先生や保護
た彼女はもまれにもまれ、入学して 2 ヶ
彼女は塾には行かないと言い、私は不
者の方との出会いから頂いた数え切れ
月くらいは帰ると何も言わずぐったり
安を抱えながらもしばらく見守ること
ない助言が今の私を支えているひとつ
疲れて眠ってしまう毎日、さすがに私
にしました。中学の終わり頃から古典
になっている事に気が付きました。感
も続けられるかなと心配になりました。
や国文法、そして英文法の学習が本格
謝の気持ちでいっぱいです。この6年
私が彼女の変化に気づいたのは初夏
的に始まったと記憶しています。
「勉強
間ありがとうございました。
を迎えた頃、音楽の授業参観の日でし
は楽しいものだ」と思っている彼女に
た。外国人の先生が次に何をするかを
とって暗記することは苦ではなく何の
英語で説明されていたとき、彼女はさっ
抵抗もなかったようです。私の心配は
と立ち上がりクラスメイトの女の子の
杞憂に終わりました。高校 3 年生にな
最後に、大学を巣立たれる卒業生の保
所に行って何か話して戻ってきたので
り予備校に通い始めましたが、読解力
護者の方からの寄稿です。
す。後で尋ねると、英語が堪能なその
はいつも抜群の成績でした。特に英語
私のたったひとつの不安は授業内容
当時SISの中学校では、国語は読解
子に “通訳” してもらっていたとのこと。 の長文問題は解くのも早く、本人も自
~娘の新たな旅立ちに思う~
2004 年卒業生保護者 山田 惠子
( 卒業生の山田真悠子さんは神戸女学院大学
担任の先生にその話をすると、
「困った
信を持っていました。日本人がなかな
ときに自分でどうしようか考え、自ら
か克服できない「英語を読む・話す」
行動に移すことができれば大丈夫です。 力を、
SISでの6年間が大切な “宝物”
4 年生 4 月から大阪府立大学大学院進学予定) これからどんどん成長し、自立してい
として彼女にプレゼントしてくれたの
「英語満点だよ、きっと」
きますよ。
」とのお言葉でした。授業中
です。
10 月間近だというのにまだ半袖が似
に立ち歩いたり友達としゃべったり・・・
大学生活を終えて、娘は4月から新
合いそうな暑い昼下がり、大学院の入
ともすればその行為のみを注意し叱り
たなる一歩を踏み出します。温かい友
試を終えて帰ってきた娘の第一声でし
がちなのにと、SISの教育の根幹に
情、語り尽くせぬほどの思い出、そし
た。私立大学から国公立の大学院への
触れた気がして安心して帰路につきま
て人を愛し自分を愛する心を胸に、自
受験は厳しいとあちこちから聞かされ
した。
分らしく自由に羽ばたいてくれること
ていたので、正直難しいのではと思っ
それからの彼女の成長ぶりはめざま
でしょう、4年前と同じ晴れ渡る旅立
ていました。結果は見事合格!「やっ
しいものがありました。引っ込み思案
ちの空へ。
ぱり英語で受かったのかな」そう言っ
は影を潜め、
「わからなければ誰かに聞
て、娘は照れ臭そうに笑いました。も
くから」と電車を乗り継ぎ遠くまでひ
ちろん専門の試験・面接・大学での成
とりで行けるようになり、相手の性格
績も含めて総合的に判定された結果で
や価値観を理解し受け入れることで交
しょうが、やはり「英語が出来た」こ
友関係もどんどん広がっていきました。
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2007 年度PRコミッティ特集記事
卒業生は今?Vol . 4 ~ 卒業生からの便り 特別編~
4回シリーズでお送りしました “卒業生からの便り” ですが、とうとう最終回です。Q1. 現在に至るまでの道のり
今回は、貴重な経験をされた卒業生たちの特別編です。このシリーズを通して分かっ Q2. SISで学んだ事で役にたっている事
Q3. 今の仕事を選んだ理由、またそれはい
たことは、卒業生たちがSISの基本方針である5リスペクトをしっかり身につけ、 つ決めたか(大学選びを含めて)
実践しているということです。
Q4. SISの生徒達へのアドバイス
SISの教育がしっかり入ってるんだなぁと、改めて感動してしまいました。 ( PR委員 矢野 祐利香)
松浦 由華さん またSISでの基本方針である5つ
で。これを読んだ瞬間「これだ」と思い、す
SIS 1996 年卒業 現デュッセルドルフ
日本企業勤務 のリスペクトは、高校を卒業して 12
ぐに手紙を書き、運良く受け入れられ、大学
年が経つ今でも私が大切にしている
卒業式1週間後にドイツへ旅立ちました。
A 1.9 歳 か ら 14 歳 ま で ア メ リ カ で
モットーの一つです。これ程外国を身
1992 年、中学3年生の時でした。それか
近に感じることが出来たのも、文化、 A4. 物事を吸収出来る素直な目と心
人種、宗教、の違いを尊重し、それら と好奇心。そして一歩ずつ前に進むため
ら4年間SISで過ごし、卒業後、京都外
を隔てなく生活したSIS時代があっ
の努力をする姿勢。これらで自分の目標
国語大学ドイツ語学科に進みました。
てこそだと思っています。今自分がま
に少し近づけるのではないかと私は思っ
大学卒業後ボランティア活動をする
た海外に住んでいて、実際自分がマイ
ています。私もまだまだ目標に向かって
と決めていた私は卒業後、ドイツ北西部
ノリティーになった時こそまたこのリ
一歩ずつ進んでいる途中です。SISの
にあるオーバーハウゼン、ドイツ国際平
スペクトの大切さを実感しています。
生徒の皆さんが自分のやりたいことに近づ
過ごし、千里国際学園に編入したのは
けていけますよう心から応援しています!
和村のボランティアスタッフとして1
年間働きました。ドイツ国際平和村は紛
A3. 幼い頃アメリカで 5 年間過ご
争地域や危機に瀕した地域(アフガニス
した私がなぜ大学でドイツ語学科を選
タン、アンゴラ、カザフスタン、グルジ
択したか?よく聞かれます。高校生の
アなど)の約 300 人の子供たちに医療
的な援助を提供するNGOです。私の役
時ドイツ人の留学生が家にホームステ (入学時大阪外国語大学)
イしたから?家族が大学でドイツ語を
割は、2歳から5,6歳の子どもたち 20
第 2 外国語として取っていたから?い
人程のお世話、つまり食事、おむつ替え、 や、そうではなく、私は英語以外の全
大路 明子さん SIS 2003 年卒業 現大阪大学外国語学部
A1. SISを卒業後、外国語大学に
入学し、ポルトガル語を学んでいます。
く新しい言語を身に付けて、将来の仕
大学の勉強以外に、1年次にサッカーイ
の当時日本のテレビ「ウルルン滞在記」 事を選びたい。将来の仕事に役立てた
ギリスジュニア代表チームの通訳ボラン
部屋の掃除まで全て私の仕事でした。そ
で平和村を取り上げていただき、日本か
いと考えたからです。そこで一番私に
ティア、2年次にポルトガル語弁論大会、
らの反響が大きかったため、そこで日
とって馴染み深かったドイツ、ドイツ
3年次に留学、帰国後はインターンシッ
本人スタッフが必要となり、運良く正
語を選んだのでした。
プや就職活動、4年次には内閣府の国際
社員になるオファーをいただきました。 ボランティアをしようと思った理
青年育成事業等に参加しました。
2001 年4月から平和村正式職員として
由。それは7年生の時に、アメリカで
広報のお仕事を担当しました。
家族に問題を抱えた子どもたちの幼稚
A2. 積極的に自ら動く姿勢と、それ
平和村で約5年間働いた後退職し、現
園に職業体験で行ったその日から、将
に似ていますが、何か新しい事に挑戦す
在は結婚し、デュッセルドルフの日本企
来子どもたちと一緒に働きたいと思い
る事です。何かに興味を持った時、困っ
業で働きながら時々日独の翻訳・通訳の
始めていました。それがきっかけで
「大
た時、情報を得たい時などに常に自分か
お仕事をさせてもらっています。
学卒業後 1 年間ボランティアをしよう」 ら行動を起こして行く事は非常に重要だ
といつからか心に決めていました。ア
と思います。そのように動いていれば、自分
A2. それは自由と尊重。それに限る
ジア?アフリカ?恵まれない子どもた
の予想以上のものを得られる事も多いです。
と思っています。
ちの力になりたい。そう考えていまし
SISでは、例えば、勉強で分からな
自由とは色々な意味がありますが、そ
た。大学3回生の時、梅田にある紀伊
い事や何かやりたい事がある時に先生に
れは勝手気ままに振る舞うということ
国屋の本屋さんの中で、一冊の本が目
働きかければ、親身になって助けて下さ
ではなく、自由に自分の目標を選び、そ
に入ってきたのです。それは「国際ボ
る先生が多く、そのような自主的な行動
してその夢に進む自由です。SISでは
ランティアガイドブック」でした。そ
をサポートしてくれる体制が整っている
自分が心に決めた目標を目指すために
の中には世界中のNGO・NPO団体
と思います。また、一人一人の意見が求
協力しサポートしてくださった温かい
が紹介され、私が選んだ「ドイツ国際
められる場面が多かったのでこの事は大
先生方や心強い友人たちに出会うことが
平和村」もその一つでした。怪我をし
学や就職活動でも役立ったと思います。
できました。これは私の一生の宝物です。 た子供たちのお手伝い。しかもドイツ
これらの姿勢をSISで学んだ事で、大学
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や課外活動でいくつか素晴しい経験をす
ン先が今の内定先となりました。イン
え入れてくれた事に私は感激しました。
る事ができました。
ターンは、新たな興味をみつけられた
この派遣を通して最も心に残っている事は
私は、とりあえず何でも動いてみる事
だけではなく、学外の人脈を広げる非
彼らの優しさや彼らと過ごした時間です。
が大切だと思い、大学1年の頃から教授
常によい機会でした。自分とは全く違
また、この派遣では帰国後、天皇皇后
と交流を持つようにしていました。例え
う勉強をしている人、なかなか人がし
両陛下が御接見くださいます。各団、両
ばスポーツ関係の事がやりたいと漠然と
ていない経験の持ち主など非常に面白
陛下に事業の報告をし、両陛下とお話す
考えていた時には、教授や体育の先生に
い人達に多く出会えました。インター
る機会が設けられています。このように、
相談し、サッカージュニア大会のイギリ
ン後もそこでであった人とは交流があ
この事業では自分一人の力では会う事の
ス代表の通訳ボランティアをさせてもら
り、就職活動の際の情報交換などでも
難しい人に会え、なかなか行く機会の無
いました。また日頃から教授と接してい
助け合う事ができました。
い場所にいける事が魅力だと思います。
る事により、様々な大学のプロジェクト
最後にもう一つ軽い興味から参加
この大学生活を通し、様々な貴重な経
やイベント、学外のアルバイト等を紹介
し、非常に良い経験となった事があり
験ができたのも、少し何かに興味を持っ
していただけました。積極的に周りの人
ます。それは4年次の夏に参加した内
たときに挑戦した事や、積極的に周りの
と交流していれば、思わぬ所で情報を得て
閣府主催の国際青年交流事業です。こ
人に働きかけるようにしていたおかげで
すばらしい経験ができるものだと思います。
の事業は、内閣府が皇太子様御成婚を
あり、それはSISで学んだ事でした。
また、あまり興味がない事にも挑戦し
記念して作られ、世界で通用する日本
てみる事は自らの視野や知識を広げる大
青年を育てようという趣旨のもと、18
A3. 上記でも触れましたが、今の仕
きなチャンスだと思います。私はそれ程
歳から 28 歳までの外国青年の日本へ
事を選んだ理由は、その仕事内容より、
興味を持っていなかった事に挑戦し、結
の招聘と日本青年の海外派遣をしま
会社で働く人やその環境に惹かれた事が
果的に非常に良い経験ができたという事
す。私は、団長・副団長を含む 13 人
大きいと思います。自分の向上心をかき
か何度かあります。
で、ドミニカ共和国に3週間滞在しま
たてるような社員さんが多くいた事や、
まず大学2回生の時にポルトガル語の
した。ドミニカ共和国以外に4カ国派
同じ業界を目指している学生が非常に優
弁論大会に出場した事です。この大会で
遣先があり、各派遣先ではその国の政
秀で刺激的な人が多いと思ったからで
は優勝すれば賞品として、奨学金付きの
府関係者、青年との交流、その国での
す。その環境に行く事で大変な事も多い
留学がもらえるのですが私は留学するつ
日本の活動(主にJICA)や大使館
と思いますが、その中で揉まれて大きく成
もりがなかったので、この大会にも参加
等の視察、また日本の紹介を行います。 長できるような場ではないかと思います。
するつもりがありませんでした。しか
ドミニカ共和国派遣では、副大統領、 また、インターンを通して金融業界に
し、何度か教授がこの大会の参加者を募
青年省大臣訪問という国の要人や上流
興味を持つようになった影響もありま
り、ポルトガル語の勉強にはいいかもし
階級の人との交流から、貧困地区の視
す。金融業界という自分が全く知らない
れない、という気持ちが沸き参加する事
察等、様々なイベントが毎日いくつも
分野の業界で自分の知識を広げる事が
にしました。その結果、留学権を得るこ
予定に入っていました。これらの訪問
でき、面白そうだと思いました。また、
とができ、初めは断るつもりだった留学
を通し、日本との違いや、今まで知ら
一つの製品や分野に止まるのではなく、
も、これもまたいい機会だと考え直し留
なかった日本との繋がりを知る事がで
様々な業界と係わりのある仕事をしたい
学しました。この留学では、自分の弱さ
きました。現地には、JICA、日系
と思っていたので、様々な業界が仕事を
を知れた事、すばらしい友人ができた事、 移住者、ドミニカ共和国で野球選手を
進める上で必ず係わりがあり、広い視野
それらの経験から視野が広がった事等、 育てている広島カープの学校のコーチ
で物の流れや経済の動きが感じられるで
結果的に非常によい経験となりました。ま
など、日本人や日本と繋がりのある事
あろう金融業界に興味を持ちました。こ
たここでの経験は、帰国後のインターン
が想像以上にありました。
の視点から金融業界以外に、商社や海運
シップや就職活動の面接にも活かす事が
派遣先では、様々な視察以外にホー
にも興味を持っていましたが、外資証券
できました。
ム ス テ イ も 経 験 で き ま す。 私 た ち も
会社で内定が出た時点で就職活動を辞め
帰国後参加したインターンシップは私
二度ホームステイをし、一度目は上流
ました。内定が出てからすぐに内定者交
の就職活動に大きな影響を与えました。 階級の家、二度目は中流階級の家に滞
流があり、その後、自由参加ですが企業
私はいくつかのインターンシップに参加
在しました。上流と中流階級の生活に
内でのインターン兼アルバイト、英語研
したのですが、その時にあえて全く興味
は大きな差がありました。中流階級の
修、資格試験の取得など様々な研修が会
のない企業のインターンに参加しまし
家庭では、お風呂は水しか出ず、停電
社から課せられています。内定後も何度
た。そうすれば、自分が本当にその分野
も日常茶飯事でした。しかし両家庭と
か会社のイベントに参加し同期や社員さ
に興味がないのかどうか分かるだけでな
も私たちを最高のもてなしで迎えてく
んと会っていますが、
く、新たな興味をみつけられるかもしれ
れたことには変わりがありませんでし
本当にこの企業にし
ないと思ったからです。そして結局、初
た。どんな生活をしていようと自分達
て良かったと思って
めは全く興味のなかった業界のインター
の最高のもてなしをし、家族同然に迎
います。
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保
9年前、私はアメリカからの帰国に際
し、子供の学校選択で非常に迷っていま
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温故知新
した。子供に英語力だけでなく多様性を身につけさせよう
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が大阪大学の林田雅志教授で、姪御さん
がSISの卒業生とのことで、私達にと
ても親切にご対応くださいました。藤澤先生の講演内容は、
と、関西のインターナショナルスクールへの入学を考え、 “地球市民の一人としての自覚を持とう” というものでした。
数校からパンフレットを取り寄せたものの、情報が少なく、 その講演を聴きながら、先に触れていますインターカルチュ
アメリカでの学校選びは難航していました。そんな中、普
アに掲載された先生の巻頭言を集めた著書 “はばたけ若き
及し始めたインターネットに掲載されていたインターカル
地球市民” というタイトルを思い出し、外国人サポーター
チュアの中の藤澤先生の巻頭言すべてを一気に読破し、心
に対してだけでなく、全ての人に対して地球市民になって
は、OIS一校に絞られました。運良く子供達は入学でき
欲しいという先生の熱い想いを感じました。1泊2日での
ましたが、丁度藤澤先生が学校を離れられた後で、それか
来阪でお忙しいスケジュールでしたが、講演後、車で伊丹
ら今に至るまで、我が家の人生を左右した藤澤先生にお会
空港まで藤澤先生をお送りし、お茶を一緒にいただくこと
いしたいと思いながらも、機会が無いままでした。
ができました。PR委員として、直接先生に今回の原稿に
ところが、今年度PR委員長をお引き受けしたところ、 対するお礼ができたこと、また、我が家の人生を変えた先
藤澤先生に原稿を書いていただくことになり、さらに、今 生にやっとお会いできたということで感慨無量でした。
年の1月に、大阪大学で開かれた外国人サポーター育成研
さて、シリーズ “温故知新” の最終回は、いよいよ大海原
修修了式での藤澤先生の講演を拝聴(PR委員4名+ 11 年
に向けて出航したSISの様子です。SISという船が安
生保護者1名)することができたのです。このサポーター
定した航海を続けるために必要なのは、開学の精神ではな
育成プロジェクトは、大阪府の事業の一つで、外国人が安
いでしょうか。そしてそれが、今なお生き続けていること
心して行動できるホスピタリティあふれる大阪の実現をめ
を実感していただけると思います。
ざし、大阪大学、大阪国際交流財団と連携して、平成 17 年
4回の長きにわたって原稿を書いてくださった藤澤先生
度から観光、学校教育、急病時対応などのさまざまな場面
に改めて感謝の意を表したいと思います。そして、これか
で外国人のサポートを行うボランティアを3年間で 1000
らのご健康とご活躍をお祈りいたします。
(PR委員長 松本 由美)
人育成するというものです。このプロジェクトのリーダー
千里国際学園創設の時期を回顧して ~その4( 最終
かん
元大阪国際文化中学校・高等学校校長 藤澤 6、開学式と初期の学園
していたOISの先生方も参列し、式を興味深そうに観
①開学式
察していた。インターナショナルスクールでは、高等部
OIAは4月から始まるので、OISの9月より開学
の卒業式は行うが、入学式についてはあまり聴いたこと
式は早く行われた。体育館に敷物といすを並べただけで
がない。それでもOISは、最初の年だけに、開学式と
はなく、周囲に帰国生が暮らした国の国旗をずらりと並
いう意味も込めていたかと思うが、9月には入学式を挙
べた。35 か国ぐらいはあったかと思う。東急ハンズです
行することになった。
べて入手出来たのには助かった。講壇の中央には、一際
大きい日本の国旗と国連旗を並べて掲げた。現在のよう
②初期の学校集会と夏の特別セッション
に学校のオーケストラもなかったので、はじめに箕面の
最初の数ヶ月は、OIAだけの生徒であったので、幼
太鼓をいくつか景気よく叩いてもらった。太鼓にもいろ
児部の前の遊び場に全員集めて、集会を行ったりした。
いろと曲があることを初めて知った。生徒の宣誓には、 マイクなしでも話は通じたからである。本来、OISの
10 カ国語ほどの言語を使って読み上げてもらった。日本
先生は管理職者を除いて、6月 10 日頃までの勤務であっ
語と英語は目立つが、海外で習得してきた言語を生かす
たので、OISの先生が担当しているクラスは終わりに
機会が少ないので、せめて入学式には知ってもらいたかっ
なる。OIAの授業もそれにあわせると、夏休み前に数
た。生徒の可能性を引き出したいという願いからであっ
週間の空きが出来てしまうのである。そこで、考えたのが、
た。宣誓は、短い文章ではあったが、世界人権宣言から
日常の授業では出来ない、先生方は普段はみせない特技
校則の遵守まで織り込んだ。生徒だけでは、中1から高
のクラスや授業とは異なる別の分野の特別クラスを編成
1まで全員といっても 100 人もいなかった。すでに着任
して、4週間ほどの特別セッションを準備した。外国語
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などは何種類のクラスが出来たであろうか。普段は授業
ブもあった。野球部といえば、両校合同のティームにな
を担当しない職員や保護者にも呼びかけたので、ステン
るので、高野連も扱いに困ったのであろう。両校足して
ドグラス造りのようなクラスも生まれた。学年指定のあ
も人数にすれば、少ないのであるが、他には見られない
るクラスも、学年を超えて参加できるクラスもあった。 現象である。高野連所属校とは、公式試合どころか練習
現在は、7月はじめに、森のキャンプへいったり、アジ
試合もいけないと言われた。
ア学院へいったりしている行事もその名残りである。
そのうち体育の先生主導で他校とのリーグ戦を行うた
めに、関西リーグを編成した。その中には、佐世保や岩
③会議の進め方
国という米軍基地にある学校も入っていた。学校交替で
9月になって、OISも始まると、校舎内は活気に満
会場になるので、泊まりがけの試合をするのである。そ
ちてきた。幼小の子どもたちもいたし、英語が飛び交う
のうち、沖縄の基地で、しばしば婦女子に対する問題が
ことも多くなった。生徒会も合同でよく開いていた。二
起きているのに特別の対策もとらないことに不安になり、
つの学校の校長・教頭などが集まっての管理職(アドミ
アジア諸国まで出かけるAPACというリーグが始まる
ニストレイター)の会議は毎週、学校別の教員会議と合
ことを契機に関西リーグでも米軍基地のある学校には、
同教員会議(Joint Faculty Meeting)は交互に行ったが、 OIAの生徒は参加させないと宣言した。OISの校長
日本語だけとか英語だけとかになると、母語にしている
には事前に話していたのであるが、これは生徒会を巻き
人が発言しやすくなるので、得意な言語で発言して通訳
込んで、物議を醸した。基地の子どもたちを差別するの
の人に同時通訳をしてもらおうとはじめは英語の先生に
かと反論されるのである。それでも事件が起きてからで
依頼した。それでは、英語の先生の負担が大きくなると
は遅いので、私は譲らなかった。しかし、話の進め方とし
いうので、職員のうち日英バイリンガルの人に交替に通
ては、OISの校長に話しただけというのは、よくなかった。
訳をしてもらった。同時通訳は、両方とも理解できる人
生徒会主催のダンスパーティも行われたが、そのよう
が多かったので、両方の言葉が聞こえて、かえって煩雑
な日は夜遅くまで学校にいたいらしい。OIAの生徒は
になるとのこと、逐語訳に変えてもらったりした。全体
多くは電車通学であったし、遠距離を通学している生徒
での話し合いでは多すぎるときにはグループ分けをして、 もいたので、時間制限を設けた。OISの生徒には妥協
それぞれの話し合いの結果を全体に報告してもらったり
してもらった。
した。そういうときは通訳の数が足りなくなるので、グ
ループの中の誰かが通訳せざるを得なかった。生徒会で
⑤カフェテリアと売店
も同様な苦労があったのではないかと思う。話題によっ
食事の種類も国際的となると考えなければならない。
て、英語になったり、日本語になったりするというのも、 菜食主義の人もいるであろうし、熱心なイスラム教徒の
この学園の特徴であろう。
人もいるかもしれない。幼児と大人も違うのではないか。
販売方法はどうするかなど議論は尽きなかった。売店も
④学校行事と課外活動
必要である。海外への郵送も出来ないと不便である。自
幼小の行事は、大体、日中に済ませるが、中高の行事、 動販売機には、学校である以上、何でもよいというわけ
コンサート、リサイタル、ミュージカル、演劇などは、 にはいかない。保健の人の意見も尊重したい。学園内に
ほとんど夜間であった。保護者の参加が要請されたから
生徒、保護者、教職員などから食堂委員会を組織して検
である。小さいホールであったが、よく利用された。も
討してもらうことにした。
う少し広くとれればよかったのであるが、贅沢は言えな
かった。ミュージカルはいつも人気を集め、出演希望者
⑥スクール・バスの導入と寮建設
が多く、音楽担当者も配役に困ったのではないかと察し
特殊な学校であるだけに、なるべく広範囲に生徒を集
ている。帰国生受け入れ校でも何か特色を出したいと思っ
めたい。国道171号を有効に利用できないかと考えた。
ていたので、阪急が宝塚歌劇団を所有しているので、音
西は西宮駅から、東は茨木駅からと考えた。箕面駅はど
楽にするとPRしていた故もあろうか、音楽愛好者の生
うかという意見も出た。阪急の定期バスだけでよいかと
徒が多く集まったように思う。特に、弦楽器を扱ったり
いう話し合いも行われた。金髪の子が誘拐されたらどう
するのは日本人生徒に多かった。ただ、日本では人件費が
なるかなどというOISの保護者からの意見もあるとい
高いので、音楽担当に助手を付ける余裕はなかった。舞台
う。スクール・バスはどう考えても経費がかかるので厄
設定など、行事の度に音楽担当者にかなりの負担をかけた。 介だった。
放課後のクラブ活動も、リーダーはOISの教員が中
帰国生のためには寮もほしかった。建物や食事のこと
心である。日本の学校のように、同じクラブばかりに所
は何とかなったが、寮監のなり手がいない。せめて寮監
属させないで、三期に分けた。運動部について年間三つ
の住まいをよくして、誰か教員になってほしかった。経
は入れるということはよかった。もっともそれでは運動
験のある先生が引き受けてくれて感謝である。
量が物足りない人たちは、通年制の野球部のようなクラ
家庭の協力もなければ教育は成り立たないとの思いか
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ら、中1と中2の生徒には原則として遠慮してもらうこ
との協力関係についても触れている。国内の私立学校に
とにした。OISの生徒も事情によって引き受けるとし
対する認可といえば、創立時に各都道府県の私学審議会
た。寮の存在のおかげで遠距離の生徒でも、親がまだ外
が調査するだけということを考えると、審査はそれ以上
国にいても入学が可能になった。入寮経験者から大学経由
に厳しいと言えるのではないか。
で外務省の職員になった方もいる。やはり、
寮は必要である。 OISの校長は、理事会の決定であろうか、再任はし
ないと言う。後任の校長選びが大変であった。プリンス
⑦施設の利用
トンのISS (International Schools Services) に適当な方
生徒に夢を与えたかったので、小さいながら天文台を
を紹介してほしいと連絡すると、100 通近い応募者から
校舎設計に盛り込んで頂いた。
履歴書が届いたという。多すぎるので 10 通に絞っても
天体望遠鏡をおくほど費用はかけられなかった。大き
らった。その履歴書から、3通を選び、大阪まで3人の
い教室も作れない。スライドを利用した器械を中央に置
候補者に来て頂いた。その人たちが、また先ほどあげた
いて天体の姿を映し出すことが精一杯であった。理科の
ような各集団と面接した。その上で各集団からの見解を
教員には、天体の好きな先生もいた。地学の授業や天文
述べてもらった。管理職者が討論した結果、教員集団が
部をつくって、うまく利用してくれた。施設が遊ばない
最も強く推薦した方にOIS校長として来て頂くことに
ですんだ。日本文化を代表するものとして、茶道を何と
なった。創設4年目から、この新しい校長としばしば意
か正式科目に出来ないかとも思った。茶道の部屋ほどき
見を交わすようになったのである。
ちんと作ることは難しかったので、単に和室(たたみルー
ム)と呼んだ。茶道に合う掛け軸を持ってきてくれた人
⑨阪神淡路大震災
もいたが、茶道に使わない以上、普通の掛け軸でもよい
学園当初のこととも言えないが強く印象に残ってい
のではないかと変えた。後に、書道の授業に使用したり、 るので、書いておきたい。大地震に揺さぶられたのは、
美術の部屋の物置になったりしてしまった。いずれにし
1995 年1月 17 日の早朝であった。実家が淡路島の震源
ろ、和室はいつか利用する日は来ると思う。
地に近いとか神戸の自宅が半壊という教員もいた。それ
屋内水泳プールは、一般にも開放する予定であった。 でも人は無事であったことはよしとしなければならない。
しかし、幼児用の浅いプールと一般の生徒が利用する深
学園の理科の薬品庫も向きがよかったのか倒れなかった。
いプールとの境界をつくっていなかった。場所としても
ただ、一人の保護者が亡くなったという情報には、少
余裕がない。このままでは、一般に開放というわけには
なからず驚かされた。新聞配達から帰宅すると梁が崩れ
いかなかった。あきらめざるを得なかった。また、1年中、 落ちてきたので、その人の母親をかばおうとして二人と
運転していると経費がかかりすぎる。そのため休みの期
も下敷きになったというのである。インドのマザー・テ
間も設けた。大阪外大(現、大阪大学外国語学部)の水
レサの施設のためにミルク募金を提唱した方である。
泳部の代表が来て、東京の大学と対校試合をするときに、 阪急から出向していた理事から学園の存続が危ういと
屋内プールを貸してほしいと言った。そのような使い方
言われた。財政を支援している阪急自身が打撃を受けた
もあるのである。
のである。私も覚悟せざるを得なかった。どのようにし
て株主総会を乗り切ったのか分からない。それからは落
⑧WASCの認可とOIS校長の交替
ち着きを取り戻した。
インターナショナルスクールでは、どこか国際教育機
その年の 11 月頃、自宅に電話があった。神戸の長田
関の認可を得ていないと学校の信用に関わる。アジア地
地区にあるSVCボランティア・センターからである。
域の学校の認可機関はウエスタン(通称ワスクWAS
大抵の学生は、もう来ないのに今でも手伝いに来ている
C, Western Association of Schools and Colleges ) であ
学生の共通点は千里国際学園の卒業生であるという。日
る。申請すると、カリフォルニアの本部からとアジア太
頃、私の口癖であった「指示待ち人間になるな」という
平洋地域の学校から選ばれた審査委員が、何人か見えて
ことを実践していた。「この人たちは、一を頼めば、十を
1週間ほど学校に滞在した。生徒会、保護者会、職員集
してくれる」とたのもしそうに話していた。嬉しかった。
団、教員集団、管理職者などいろいろな立場の人たちと
面談を重ね、学校の教育理念とその具現化の状況など、 ⑩OIAの教員の定年
諸角度より評価して改善すべき点を指摘しながら認可を
私が前に所属していた学校は、65 歳定年、阪急電鉄
出した。有効6年とのことである。6・4・2年と段階
は 60 歳定年とのこと、結局、60 歳を原則の定年として、
があるので、高い評価を頂いたと言えよう。学校として
学校の必要によっては 65 歳まで延長可能ということで
は、最良の部類に入るのではないか。その後もたとえば、 落ち着いた。
93 ~ 94 年度の学校の状況について、OISからWAS
実際に、私と同じく 60 歳を迎えた日本人教員も生じた。
Cに向けて「SELF STUDY」というA4版で 200 ページ
ある外国のインターナショナルスクールから日本語の教
近くに及ぶ報告書を提出している。大阪国際文化中・高
員を求められていたので、その方を紹介した。双方が適
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任と判断したので、まるく収まったが、私としては居心 [筆者プロフィール]
地がよくなかった。65 歳になる前に退職したかった。前
述したように、校長任期をOISの校長と合わせて3年
にしたので、2期7年間の校長任務で、63 歳で退任する
ことが可能になった。
教員としては、時代の要請に応えた理想に近い形の学園
づくりに参加できた。支えてくれた多くの方々に感謝し
て、私の現役最後の職場となったこの学校を去ることが
1934 年東京生れ。国際基督教大学(通称ICU)卒。同高校設立
準備より帰国生徒教育に関わり、阪急電鉄の招聘により来阪、千里
国際学園設立に参加。1998 年退職後、外務省大臣官房人事課子女
教育相談室長の業務委嘱を受け現在に至る。主な著書、『帰国子女
教育の手引き』
(文部省)
『国際理解教育における国際学校の教育』
(エ
ムティ出版)『英和対照学習基本用語辞典』(アルク社、監修)『ア
メリカ合衆国の教育と学習評価』(国際教育交流センター)『はばた
け若き地球市民』(アカデミア出版会)等。
出 来 た。 ( 完 )
【講演会終了後大阪大学コンベンションセンターにて】
★ HONK! 衣装担当感想★
【伊丹空港で歓談のひと時】
HONK! のお衣装のお声をかけていた
だいた時は「はあい。いつでも言ってく
ださいね~。」とお手伝いぐらいにしか思っていなくて、ある日「お衣装のイメー
ジ写真が見れますよ」とメールが迷い込み ( 驚)?『舞台監督のミスターサマーと
打ち合わせします。」と本格的なお話が・・・。
えっ?デザインから制作まで全て任せてくださるの?こっ!これは大変~~!!
その日から毎日毎日頭の中は HONK! でいっぱい・・・・・・。
アヒル? 黄色・オレンジ・羽・ポップ
白鳥? 白・羽・気品
カエル? 緑・子供・コミカル
舞台裏は埃が多いためマ
スクを手放せません
がん? 迷彩・兵隊・カッコイイ
カエル親玉 緑・ショーマン・アート・キラキラ
まるで動物園?んっ?
お衣装部隊の母達はこれをさかいに保護者会室での HONK! 合宿が始まりました。一つ一つ出来上がって
は「かわいい~ カッコイイ~」と褒めあって、カップ麺とおにぎり食べて、厳しいながらも楽しい HONK! と頑張ってき
ました。フロッグとダックのお衣装はSOISの保護者の方がお手伝いくださり、髪飾りやスカートのギャザー寄せパンツ
制作までと頑張ってくださって、とても可愛いお衣装が出来上がりました。
お衣装部隊何より嬉しかったのは、生徒達がみんなとっても喜んで楽しそうにお衣装を着て舞台に立ってくれた事・・・。
それを見て先生方も褒めてくださって・・・。保護者の方からも労いのお言葉や差し入れもいただいて・・・。
感謝!感謝!いっぱいの中二ヶ月間の合宿生活も無事終了!解散 ( 笑)!!
HONK! 忘れられない思い出が一つふえました。今回のお衣装部隊にお声かけてくださった獅子倉さん、振り付けをしてく
ださった三木さん、合宿お付き合いありがとうございました。最後になりましたが生徒の皆さん、先生方、最高に楽しい素
敵な舞台をありがとうございました。 (HONK! お衣装部隊 大迫 くにこ・竹井 みゆき・林 ゆかり)
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【★ASP公演の幕間でのティーサービス★ 多くのドネーションありがとうございました】